◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない78◆
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考える名無しさん:
最高位の「私」の存在性を別の観点から…。
ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」を破壊したら、何が失なわれるのか。
唯物論的(この場合は科学的でもいいだろう)には何も消失してはいまい。
粉々になった壁と絵の具はそこに残っており、その変化は科学的に記述
できるはずだ。失なわれたものは、何もない。本当か?
これが唯物論(あるいは科学)の限界だ。唯物論(科学)は「最後の晩餐」の、
最高位ふうに言うと“作品性(存在性)”の消滅を捨象して語るしか芸がない
のである。
脳という物体を破壊すれば「私」も壊れる、よって「私」は脳に依拠して
いる物理現象だ、とノタマウ御仁がいる。実は、脳を壊したときに本当に
消失するのは、脳ではない。物体は変化するだけだ。壁を破壊して消滅
するのがその“作品性(価値)”であるように、脳を壊したときに消滅する
のは“私(という存在性)”なのである。
いまの科学では、記述できないものは捨象するしかないだろうな。