1 :
考える名無しさん :
2006/10/10(火) 02:29:28
2 :
考える名無しさん :2006/10/10(火) 03:47:43
3 :
考える名無しさん :2006/10/11(水) 15:22:27
丙
4 :
考える名無しさん :2006/10/11(水) 21:58:02
帝
5 :
考える名無しさん :2006/10/11(水) 22:38:32
甲
6 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 04:21:45
7 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 10:05:29
卍
8 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 12:11:54
これじゃ荒らしと変わらんよ
失礼しました 削除依頼してきます
10 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 13:29:00
意味わからん。 いつか使われるときを待って、そっと保守あげするんだよ
肺
12 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 15:02:31
喝
ひとつ大まかな問題提起をしてみましょう。 こんにち、ヘーゲルにおいて有効なもののとは何なのでしょうか?
14 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 16:14:14
へーげるは、こんにちの人じゃないし
15 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 18:19:33
そりゃ、やっぱ反照規定とちゃう?
16 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 20:34:47
頬
17 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 20:40:32
もっとちゃんとやろうよ マジレス不可なのか、ここは なら去るけど
18 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 20:59:13
可不可
ヘーゲルを読むと、反ヘーゲル主義(論理実証主義etc.)、 非ヘーゲル主義(ポスト構造主義etc.)、改ヘーゲル主義(マルクス主義etc.) も同時に理解できるからお買い得です。
20 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 00:54:29
幌
21 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 00:56:14
>19 観念論の伝道者
22 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 08:21:03
阿蘇
23 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 08:45:42
オレも反照(反省)規定だと思う。 その他は観念論の大伽藍をでっち上げただけよ。
24 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 08:49:18
母
25 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 18:26:05
反照論理学だけかどうかは解らんが、 反照論理学をそのものとして位置づけた のはやっぱヘーゲルの功績と考えたい。
26 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 18:57:13
荒
27 :
考える名無しさん :2006/10/14(土) 16:01:50
弁証法はどうなんよ? 別にヘーゲルの専売特許ってもんじゃないけんど、 弁証法論理学って有名じゃんかよ。 マルクスだって利用してるって話だぞ。
28 :
考える名無しさん :2006/10/14(土) 17:53:07
鹿と鹿
へげ?
マルクス曰く、「フォイエルバッハは宗教の本質を人間の本質へと解消する。 しかし、人間の本質とは、個々の個人の内部に宿る抽象物なのではない。そ れは、その現実の在り方においては、社会的諸関係の総体(ensemble)なの である。」(「フォイエルバッハに関するテーゼ」より) これはヘーゲルの反照規定の応用問題ですね。
31 :
考える名無しさん :2006/10/14(土) 22:57:45
箆
32 :
考える名無しさん :2006/10/18(水) 20:45:53
ヘルダーリンの見解では・・・ヘーゲルは、宇宙と人間との歴史の動きと その意義についての深遠なヴィジョンから霊感を受けたのであり、それを 表現するのに自身の生涯を捧げたのであった・・・哲学史中で出会うこと のできる世界についての像のうちでも、彼が最も壮大にして感銘深い像の 一つを人類に贈ったことは、依然として事実なのである。その意味で、 彼は一人の偉大なヴィジョン家であったのである。 フレデリック・コプルストン『ドイツ観念論の哲学』
昔の人ってばかみたい
部外者の一般人ですが、 学会が発行してる「ヘーゲル哲学研究」は どうやって手に入れればよいのでしょうか?
アマゾンでワンクリック
放送大学のヘーゲル講座は 難しいな・・・
ヘーゲル研究者の人は、ヘーゲル以降の哲学についてどう思うの? とくに現象学とハイデガー。
38 :
考える名無しさん :2006/11/26(日) 03:27:17
?
フッサールには反照性が欠けている。ハイデガーは解釈学に転進、どことなく弁証法を 取り入れている。サルトル・メルロポンティは弁証法論者。
40 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 09:46:16
牧野訳の精神現象学すごいね。 いきなり冒頭から他人の訳を名指しで誤訳と断じてるし、 ものすごい注釈が細かい。
41 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 11:29:23
>>40 >牧野訳の精神現象学すごい
全然凄くないよ。金子武蔵訳の金魚のふんにすぎない。
注が細かいと言っても、どうでもいい注が多すぎるし、
海外の二次文献は殆ど全く参照してないので、
ヘーゲル研究の現状は全然フォローできてない。
逆に金子訳の偉大さがますます際立つ訳だ。
42 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 18:24:02
だったらさ、金子、牧野、樫山、そいと長谷川の それぞれの具体的な訳文を比較してよ。
43 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 08:33:22
精神現象学の序文のほんの一部だが42氏の要請を やってみた。 確かに意訳というか超訳というか長谷川氏の翻訳は解りやすい。 ただ、従来の訳語を意識してか使っていない分、 なにか物足りない感じもした。 そして、ぼく的には樫山氏の訳が一番難解に思われた。
44 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 01:48:14
金子訳が一番分かりやすい奴はドイツ観念論病
たんに「ドイツ観念論語」に馴染んだひとでしょ。というか専門家。 税務でも法律でも数学でも専門的な表現はだいたいそういうもんだ。 ところで、 原文 逐語訳 解説訳 を併記するといいってカトちゃんがいってた。
46 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 08:40:00
たぶん趣味レベルなら長谷川さんでいいのかなと思う。 で、俺は牧野さんの訳がしっとりくる。
47 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 14:27:19
>>13 とにかく
哲学において統一的に体系化を徹底したことでしょうか。
芸術から全てをね。
こんな哲学者はいない。
若いときひかれたのもそこかな。
いろんな出版社がだしたが
世界思想全集のなかの「精神現象学」は別格な気がした。
熱心に読んで
それに毒されもした。
今の学生は読むのか
48 :
おふらんす :2007/01/02(火) 09:07:48
最近ヘーゲルの美学講義や法哲学講義の翻訳が色々出てるけど、 学生の筆記が沢山あつてどれがどれか分らない。 1826年の藝術哲学(stw,1722)とか1821/22の法哲学(stw,1721)の翻訳もある? それなら凄く速攻だけど。
49 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 10:50:26
長谷川厄には気をつけられよ。
50 :
おふらんす :2007/01/03(水) 07:25:18
読み易いなら良いのでは! 一度通読してそれから個々の場所に戻つて来れば良いのだし、翻訳は何処にどんなことが書いてあると云ふ索引替りになれば充分。 日本では翻訳が学者の実績になるのが可笑しい。 勿論欧米でも古典の注釈は殆ど翻訳に近いものもあるし、Kemp Smithのカントの翻訳などは学問的業績として充分認めらて居けれど。
51 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 09:29:26
私も、長谷川訳は悪くないと思います。 三島憲一氏も褒めていましたよ。
52 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 02:06:53
>>51 >三島憲一氏も褒めていましたよ。
そくもそんな出鱈目を言えたな。
>>52 三年くらい前の朝日新聞の夕刊で誉めてたの、俺も読んだぞ。
54 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 11:36:35
三島何某が褒めればなんでもOKなんか? アフォや間抜けは何処にでもいると。
55 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 12:29:51
金子訳はたしかに学術研究のための一つの行き方だ。 だが、翻訳の可能性と目的は一つではない。 長谷川訳は、日本の現代の日常言語ではどう表現するのがよいかという視点だ。 これは十分に価値があるが、ヘーゲル学者は狭量すぎていかん。
漏れもそう思うぞ。ヘーゲルの翻訳はヘーゲル研究者のためにあるんじゃない。 研究者は原文で読めるんだから、一般読者のために翻訳はあるんだよ。
57 :
考える名無しさん :2007/02/17(土) 12:19:54
ヘーゲルの文句で、「鉄の意志」と「冷静な論理」というやつありませんでしたっけ?
58 :
考える名無しさん :2007/02/17(土) 13:20:19
56 まぁ、長谷川訳は当分そのレベルだな。 でも滑稽だよな、研究論文向けには金子訳 好者向けには長谷川厄とは。
59 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 01:38:06
ヘーゲルの入門書では何が一番わかりやすいですかね? ちなみに加藤尚武の現象学入門は理解不能でした。
60 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 19:43:45
駄目。 入門書なんか読んだら、 ヘーゲルだけでなく、 更に翻訳者と解説者の 思想まで読むことに なって、大変ですよ。 これ、本当。
ネタが嘘。本気でいってるならバカ。
62 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 15:47:50
と、ネタに注釈入れる間抜けもいると。
まあ情報の少ないだろう初心者っぽいひとに向けて 分かりにくいネタを放つ邪悪なやつよりはいいよw
64 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 23:23:19
まぁ、2チャンだもんな。 初心者どもよ、2チャン何ぞ信用すんなよ。 ここはただの暇つぶし場所ってのを忘れるなよ。
65 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 00:37:12
>>59 許万元の「ヘーゲル弁証法の本質」が日本一明解かつ深遠なヘーゲルの入門書
ヘーゲル自身が書いた哲学入門ってどうなの?読む価値ある?
67 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 07:38:02
無い、と兄貴は言ってたけど、 ボンクラ兄貴なんであんま信用できないけど。 歴史哲学→哲学史→精神現象学ってのが周りで よく聞くルートだけど、実際はどうなのかしら?
じゃ、俺は哲学史抜かしたな。歴哲面白いよなぁ・・
69 :
考える名無しさん :2007/04/07(土) 23:09:32
>>66 読む価値はありますが、あれ(プロペドイティク)を読んでも、ヘーゲル哲学へ
の入門書としては役に立ちません。私はあの岩波文庫本に騙されて、大学1年
生の1年間を(ヘーゲル学徒としては)棒に振りました。
「精神現象学」「小論理学」「大論理学」を喰ってから乃至喰いながら、プロペ
ドイティクも読むと、牛のヨダレみたいにダラけて冗長な彼の文章のうち、本当
に強調したかった点はどこなのかが分かる、といった種類の代物です。
ヘーゲル哲学に入門したいのなら、西田幾多郎の「善の研究」あたりを読み、
すっかり近代アトミズムと主観客観の二分法に凝り固まった頭をモミモミほぐし
てから、「精神現象学」を読み始めるのをお勧めします。
71 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 11:20:15
OFWさんじゃないが、「小論理学」は 南海電車で何回読んでも難解だっす。
73 :
考える名無しさん :2007/05/04(金) 15:34:08
a
b
75 :
考える名無しさん :2007/05/08(火) 23:55:02
ゲーテの秘書エッカーマンの著書『ゲーテとの対話』に、ゲーテが ヘーゲルのためにわざわざティー・パーティーを催して彼を招いた ときのエピソードが載っていた。 この文学・哲学の両大家の会話が、かなり笑える。 ヘーゲルは弁証法について「誰の心にも宿っている矛盾の精神を 法則化し、方法論に完成したもの以外の何者でもありません。こうし た能力は、真と偽を区別する際に偉大さを証明するものです。」と言 ったそうだ。 エッカーマンの聴取能力は大したものだ。普通の人なら、ヘーゲル が哲学について何か語っても、理解不能だろう。 ところが、ゲーテはそれを聞いて「そうした精神の技術や有能性が みだりに悪用されて偽を真とし、真を偽とするために往々にして利用 されなければいいのだがね!」と述べた。 この皮肉(?)にはヘーゲルもさぞムカッと来ただろうが、「しかし、 それは精神の病める人たちだけがやることです。」と切り返した。 ゲーテは「それなら、自然研究の方がよっぽどましだな。…私は、 多くの弁証法患者は自然を研究すれば効果的に治療できると確信 していますよ。」とたたみ掛けたそうだ。 ここへ来てヘーゲルも「この悟性主義者は“処置なし”だ」と諦めた だろう。ヘーゲル哲学では自然は精神の外化形態に過ぎないのだ から。おまけに「弁証法患者」などという造語を使われては、口をきく のも嫌になっただろう。 ゲーテにヘーゲル哲学は無理だったようだ。
76 :
考える名無しさん :2007/05/09(水) 21:24:42
入門書、解説書、あるいは研究書で(つまりヘーゲル自身が書いたものではなく)定評のあるもの、定評はなくても絶対これがいいと思うもの、があったら、教えてください。あと、これは駄目という方も。
77 :
考える名無しさん :2007/05/15(火) 00:41:43 0
>>76 「ヘーゲルを学ぶ人のために」
世界思想社:加藤尚武
私はこれから入りました
78 :
考える名無しさん :2007/05/15(火) 08:18:20 0
僕の周囲、といっても兄貴を含めて高々6名程度ですが、 彼らからは『歴哲』から入るのがいいぞって言われて、 それに従いました。 で、その結果ですが、未だに『小論理学』を彷徨してます。
79 :
考える名無しさん :2007/05/15(火) 11:49:37 O
80 :
考える名無しさん :2007/05/15(火) 14:13:28 O
佐藤優(ラスプーチンの人)が長谷川訳の歴史哲学を絶賛してたな。 「国家と神とマルクス」読む限り佐藤の本の好みはかなり変わってるね。
81 :
考える名無しさん :2007/05/18(金) 23:15:21 0
82 :
考える名無しさん :2007/05/19(土) 00:01:19 0
岩波書店から「ヘーゲル全集」が復刊されたとき、前回の刊行では 欠落していた、エンチクロペディー第2部「自然哲学」も、加藤尚武氏 の訳で出ました。あれが予約出版されたときは、私も期待して本屋に 買い取りに行き、家に帰ってページを開きました。 ところが、前書きで加藤氏は「この訳書でドイツ語を引用するときは、 ドイツにおける新式の綴りを使う。für sich は fuer sich とする。」など とホザいておりました。 それは、「ヘーゲルの著書のネット用データベースでは、文字化け を防ぐため、窮余の一策として、ウムラウト付き母音は使わず、母音 +e を使っている」ためであることは、アメ公が発明したインターネット という代物のためにブラウザのフォント設定で苦労している我々なら、 誰でも知っていることです。 それを「ドイツにおける新式」とは、ほとほとあきれ果てました。それ 以来、野郎の著書・訳書は、一切買っても読んでもいません。私の 心中では、奴さんの研究者としての価値は暴落しました。 さて、あやつはその後、岩波書店編集部に寄せられた禿しいツッ コミの山に悔悛して、ウムラウトなしの綴りを「これはネット用の窮余 の一策だ」と、正しく認識するようになったのでしょうか? それとも、未だにオンラインヘーゲルデータベース教の教祖として、 「これこそがドイツにおける新しい綴りなのじゃ」とのたまっているので しょうか??
どこを縦読みするんだ?
だってあんなにどうでもいいことで あれだけ長々と締まりのない文を書くのは 縦読みと相場が決まっておるものだから
86 :
考える名無しさん :2007/05/20(日) 16:54:19 O
80
>>81 ブックオフで100円になるのを待ってるところ。
87 :
考える名無しさん :2007/05/21(月) 22:43:10 0
>>65 上巻だけ入手できたが、上巻でいいか?
それとも、上下巻通読しなくては駄目か?
それとも、主としてどこを読めばいいか?
など、教えてください。
88 :
考える名無しさん :2007/05/22(火) 01:05:47 O
65
>>87 自分はマルクスには興味ないのでヘーゲルが主題の「ヘーゲル弁証法の本質」しか読んでないです。何よりもまず日本語として他のどの入門書よりも読みやすかったので推薦した次第です。
89 :
考える名無しさん :2007/05/23(水) 10:43:22 0
なるほど
90 :
考える名無しさん :2007/06/04(月) 06:43:59 0
最近思うんだけど、 「ヘーゲル→マルクス」の図式が強烈で、ヘーゲルは過大評価された。 しかも、 マルクスがポシャッテもヘーゲルの過大評価は継続している。 ではないのか? 「釣り」とか「煽り」の気持ちでなく、純粋に「学問的」な意味なので、 間違っていたら訂正してください。
91 :
考える名無しさん :2007/06/04(月) 09:17:40 0
マルクスの時代ヘーゲルは凄かったのよ。 今のドゥルーズみたいな感じか。 狂った若者がみんな読んでいた。
92 :
考える名無しさん :2007/06/04(月) 09:53:18 0
>>91 ありがとうございました。
ということは、
マルクスがポシャッテもヘーゲルの過大評価は継続している
でなくて
ヘーゲルも昔の勢いはない。
と理解してもいいということですね。
だったら、
「デカルト→カント→ヘーゲル」という括りも再考の余地アリ
でいいのでしょうかね。
「デカルト→カント→フッサール」という案はダメでしょうか?
昔のことを知らないもので・・・ありがたいです。
93 :
考える名無しさん :2007/06/04(月) 10:18:53 0
てか、マルクスはヘーゲルの延長にあるんであって、ヘーゲルの一部を 批判的に継承したといった方が正確。ヘーゲルはとりあえず細部を無視して全体を 物語のように語ったので批判者たちはヘーゲルを部分的に批判することで哲学を 永らえさせてきた。 いいかえると哲学はすべてヘーゲルの中にある。
94 :
考える名無しさん :2007/06/04(月) 11:24:27 0
ところで御両親にダッチオープンを買うつもりがないか聞いてくれないか?
95 :
考える名無しさん :2007/06/07(木) 12:37:31 0
やれやれ
本気で議論するのは頭おかしいでしょ 心理学で頭いっぱいとかだたら あくまでも趣味として話に加われるけど 本はたくさんいるかもね世界中のヘーゲル関連本もってるぐらいでないととてもやる気にはならない 脳味噌は栄養分バカ食いする器官だからね 俺ちんの経済能力と食費(笑)では無理すね 消去法できましたし本もホントに必要なものしか買わないできましたから
97 :
考える名無しさん :2007/06/07(木) 14:53:25 0
なぬ、本を買ってるんか? こりゃ大枚な金がかかるだろが。 図書館でも本屋でも黙ってちょっと借りれば 済むことだろが。 なーに、気にするこたぁないさ、 用が無くなったらちゃんともとのところに 黙って返でばいいんだから。
98 :
考える名無しさん :2007/06/09(土) 09:17:37 0
>>97 ヘーゲルって難解じゃん。
だから""黙ってちょっと借りて"もそう容易く読み通せないでしょ。
だから、結局はいつしか自分のモノにしてしまう、
つか自分おモノになってしまう予感がする。
99 :
考える名無しさん :2007/06/13(水) 21:05:16 0
>「デカルト→カント→フッサール」という案はダメでしょうか? 「デカルト→カント→ウィトゲンシュタイン」がこの系列の正系でしょう。
ウィトは結局何をやった人なの? 前期は後期に否定されちゃったし、 後期は当たり前のことしか言ってないし。
近代文芸社 『革命と宗教 初期ヘーゲル論考』 松村健吾 5/30 ¥4,515
ttp://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2007/07/post_5270.html 一方、より深い意識においては、バラを見ているというとき、そのバラと、それを見ている「自分」が、
ともに、より深い意識の中に含みこまれている、という事態が成立するということがある。
それは「ものと一つになる」ということにおいて、意識の次元を深めたということである。
いわばこれは「拡大した意識」である。そうした意識の拡大をつきつめていけば、
論理的には、宇宙全体が自己意識と同一になる、つまり宇宙自己の自覚という事態に至るわけである。
実は、ヘーゲルの哲学はそこを見ている。それが、ヘーゲル哲学は、ベーメの哲学化なんだよと
言われるゆえんである
>>1 〜104
法哲学年報1999年号 小林和之
「どうして日本の法哲学界はこんなにも知的に貧困なんだろう。論文を読んで、 "他人の書いたものの切り貼りが
ほとんどで、まるでいやいや書かされた小学生の夏休み感想文のようだ"と思うことは珍しくない。」
(私は)「(日本の)法哲学界の頂点にいるという自覚はあって、そういう立場におかれた人間としての責任を
果たそうとしてはいるのだけれど、挑発の意味もこめて「業界トップ宣言」をしてみようかとも思ったけれど、
なんだかハズカシイからとりあえずはやめておこう。だって、(日本の)法哲学界の第一人者、なんて、
「三丁目でイチバンかけっこが速い」とか言っているようなものだからね。」
他にも、 日本法哲学会は知的に貧困である。 日本法哲学会には一流の研究者が一人も居ない。
日本には、法哲学会界の進歩に貢献したと言える者が一人も居ない。そもそも法哲学界において
日本人研究者は全く存在感がない。 貢献どころか島国を一歩出れば、個人的な知り合い以外に
名前を知られている者すら一人も居ないのではないだろうか。
さらに、 書いてる論文については、周知のとおり、 外国の研究者の引き写し 外国と日本の状況の
違いを考える事なく無批判に引き写す「発展途上国型輸入学問」
「他人の書いたものの単なる感想文は哲学ではない。」と言っております。
http://thinker.jp/tls/works.htm
106 :
考える名無しさん :2007/07/02(月) 22:52:39 0
>>93 に酸性!
哲学やるなら、ヘーゲルをマルクスのように読むのがいちばん効率いい。
「精神」とかの言葉を神秘的なものとしてとらえないで、
「客観的存在の発展法則」「客観的存在の中における人間の認識活動」の
意味として読むと最高!
107 :
考える名無しさん :2007/07/03(火) 03:30:24 0
法制の大木基先生は生徒に手を出しました 解雇せよ
108 :
考える名無しさん :2007/07/03(火) 17:51:32 O
詳しく
109 :
プルードン :2007/07/03(火) 23:29:10 0
110 :
プルードン :2007/07/03(火) 23:40:05 0
ttp://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/ ヘーゲルについてのすごい研究書(英文)を入手した。
ヘーゲルはヘルメス主義の思想家であるということを論証しようというものだ。
つまり私の言い方でいえば、ヘーゲルは「普遍神学」を作ろうとした思想家の元祖
ということになるだろうと思う。
人間精神はいかにして絶対精神へ高まり、また絶対精神の顕現としてこの現象の世界が生成するか、
という宇宙的ドラマを描いているのである。
前にも述べたように、そういう哲学そのものが「絶対精神の顕現そのもの」だというのは誇大妄想である。
しかし、一つの思考実験としてみれば、少なくとも西田哲学などよりも何倍もスケールが大きなものであり、
霊性哲学の一つの極点であるには違いない。
112 :
考える名無しさん :2007/07/04(水) 22:13:37 0
ヘーゲル「弁証法」は論理の外。 無意味。 と言い切りたいところだが、 ヨーロッパの哲学は、こういうものを「論理」として生み出した それなりの事情がある。 ヨーロッパ哲学を肯定する限り、 ヘーゲルも端的に否定できないんだよな ヨーロッパ哲学の根本的間違いがこの「奇形の論理」を生み出している。 そしてその先にあるのが20世紀を混乱に陥れたマルクス主義
113 :
考える名無しさん :2007/07/04(水) 23:19:17 O
ヘーゲルの 『真なるものは全体である』という言葉のドイツ語訳、英語訳はどのように書かれているのか、どなたか教えて下さい。
114 :
考える名無しさん :2007/07/05(木) 00:33:53 0
>>112 >ヨーロッパ哲学を肯定する限り、
>ヘーゲルも端的に否定できないんだよな
>
>ヨーロッパ哲学の根本的間違いがこの「奇形の論理」を生み出している。
>そしてその先にあるのが20世紀を混乱に陥れたマルクス主義
解毒剤を処方します。
つ「20世紀英米哲学」
>>113 ドイツ語では「Das Wahre ist das Ganze.」(『精神現象学』序文(Vorrede)
第20段落冒頭)。
英語にては如何なるか、遺憾ながら存じ奉らず。
116 :
考える名無しさん :2007/07/05(木) 05:28:15 0
>>114 「20世紀英米哲学」
なんてのも、ヨーロッパ哲学の一つの末裔。
ヘーゲルの親戚だよ。
>>114 みたいな奴にかぎって、ウィトゲンシュタインも
フレーゲもろくにろくに読んでないんだよな。
118 :
考える名無しさん :2007/07/05(木) 21:03:44 O
>>116 そうそう。ラッセルもヘーゲリアン出身だった。
だから、彼のヘーゲル批判は、ヘーゲルの非常に痛いところを突いて
いる。
他の分析哲学派と違って、「デタラメの語句の羅列だ」と言ったような批
判の仕方はしていない。
120 :
考える名無しさん :2007/07/11(水) 01:27:47 0
121 :
考える名無しさん :2007/07/11(水) 02:14:22 0
>>119 みたいな奴に限って
ラッセルもろくにろくに読んでないんだろな
ろくにろくに読むってどういうことかシラネーけどな
何言ってるのかさっぱりわかんね
>>121 みたいな奴に限って
国語辞典もろくにろくに読んでないんだろな
俺も「ろく」の意味は調べてねーけどな
「現代思想」のヘーゲル「精神現象学」200年の特集もう本屋にならんでたね 今回は翻訳論文も多めに入ってるし、相当気合い入っていてよい
125 :
考える名無しさん :2007/07/28(土) 12:57:22 0
素人なんだが ヘーゲルの言う精神とはどういうものを指すのかを 教えてもらえませんか? ディルタイの言う精神と同じでいい?
>>125 その質問に回答するには、ヘーゲルとディルタイを徹底的に読解している
必要がある。
そして、残念ながらそういう人士は、2ちゃんねるはもちろん、アカデミーに
も、希にしかいない。俺もただの「ヘーゲル読み」であって、ディルタイはお手
上げだ。
立場を入れ替えて考えてくれ。
「そのディルタイの言う精神とやらは、ウパニシャッドで言う Brahman と同じ
と考えていいのか?」と聞かれたら、何と答える??
127 :
考える名無しさん :2007/07/31(火) 10:57:47 0
>>124 >「現代思想」のヘーゲル「精神現象学」200年の特集もう本屋にならんでたね
それ、買って読み始めたけど、冒頭の加藤尚武の論文が、いきなり廣松渉へ
の嫉妬むき出しで、ウンザリした。
こんな器量の狭い奴が日本のヘーゲル研究の第一人者とは、嘆かわしい。
中身を読むと、日本のヘーゲル研究が落語の「蒟蒻問答」(擬似的にすぎない
コミュニケーションの成立)になっていることの指摘や、それを解消するためには
ヘーゲルの著書の逐語的解説が必要であることの指摘もあって、とても良いこ
とを言っているのに。
人間としての器量の狭さが残念だ。
そんなに体系的哲学に妬けるなら、ヘーゲルの本に出てくる「弁証法」という単
語の出現回数なんか数えてないで、自分の体系的な「加藤哲学」の本でも書くか、
自分で精神現象学の逐語的解説書を書けばいいんだけどね。
> 加藤尚武の論文が、いきなり廣松渉へ > の嫉妬むき出しで あれって嫉妬かね? 義理の兄弟の間でじゃれてるだけじゃないか
>>127 加藤は京大の奴にも前喧嘩うってたし、
最近じゃ逮捕された某心理学者(w)の論文を引用して評価していたな
>「弁証法」という単語の出現回数なんか数えてないで、 ワロタ
どうせPCの検索機能で個数出しただけとかだろ
132 :
考える名無しさん :2007/08/01(水) 02:28:44 0
加藤は鳥取環境大でヘーゲルデータベースを有料で運営してたからその宣伝も兼ねてと考えるのが妥当 大学がバックに付いてるなら無料で運営しろこの守銭奴と思ったねあんときは
ヘーゲル哲学の思惟方法 弁証法の根源と課題 山口祐弘著 日本図書センター 9月上旬 税込価格:5,880円 ISBN:9784284000659 ヘーゲル哲学を通じて、弁証法の歴史的前提を探り、近代における弁証法の役割を考察し、 現在における弁証法の可能性と課題を問う。注文扱い。
>>133 その本のテーマ、全くの偶然だが、俺の卒論のテーマと完全に同じだ。
しかし値段が高っ! そんな本買うより、自分で書いた方が安上がりだ。
135 :
考える名無しさん :2007/09/01(土) 16:45:34 O
BRICS 汎化されたかに思えた西洋の歴史は 中国史のような苛烈さにゆって止陽され得ますか?
>>133 >現在における弁証法の可能性
悪い冗談だw
天動説の現代の自然科学における有利性を探るぐらいに頭の悪い行為だw
>>136 ちょっと考えて欲しい。
大地の上を太陽や星が回って行く、というものの見方を「天動説」として
捉えることは、「地動説」なるものの登場を俟って初めて生まれた見方だ。
それまでは、天体観察における素朴実在論でしかなかった。(この言い
方も、地動説登場後の人間の目から見た捉え方だが。) 蕪村が「梅が香
に のっと日の出る 山路かな」「月天心 貧しき町を 通りけり」と詠んだとし
ても、彼が「天動説」なるものを信奉していた訳ではない。単なる「見たま
ま」だ。
地動説が登場したとき、確立していたプトレマイオスの天文学体系への
修正を認めない人々があくまでそれに固執して、地動説にあい対する学説
として主張したとき、初めて天動説は今日の意味における「天動説」となっ
たのである。
天動説とは、地動説の反照的規定である。天動説が「天動説」であること
自体、プトレマイオスのアルマゲスト等というテーゼと、それに対するコペル
ニクス、ガリレオ等のアンチテーゼを総合したジンテーゼであるのであり、
「天動説」そのものの存在性格が、既に弁証法的である。
いわんや哲学の諸学説においておや、だ。哲学において何事かを主張す
るとき、哲学者は、たとえ無意識的にであろうとも、常に弁証法的たらざるを
得ないのである。
・・・釣りに引っ掛かったかな (´ー` )y--┛~~
138 :
考える名無しさん :2007/09/18(火) 01:31:25 0
ローゼンクランツのヘーゲル伝拾いました。
139 :
考える名無しさん :2007/09/18(火) 01:38:16 0
おめ
証明論的意味論のアイデアの源泉が ヘーゲルの論理学だったりしたらどうしてくれようか……
なあに、かえって免疫力がつく。
ソニック■ザ■ヘッジホッグでヘーゲルが解るかもね。
144 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 03:05:09 0
145 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 01:12:15 0
>>144 ,v―――ー―-x,
,,r‐・'レ" 、゙l 、ヾ~'-v,、
,r・゚,,v・,l | ,、 ,i"| | | `=、
,r',,,r'",,',,il゙’./.,,i´,,i″ | | | ゚'x
,rレ″ // l゚,r" ,/ | | | ゙l
.,lレ° i´ / / l | | ゙| ゙l
,/| l l / ゙l、 ヽ
,i".| ゙l、 ゙l,
r''°| l、 ゚ヽ
/ ,l゙ ,,r―x, ―''''' ̄'''''=_ ゙|, ヽ
ヽxxxl ` .,,,,,_ --- .,,,,,,,--v,,,~''ヽ 'ヽ ヽ,
 ゙゙̄|i广゙゙゛ヒ,li、 .,l″ ヒノ> ヽ l
,l´‘"冖'~`,i´ .~゙'''''''''″ ゙l ゙l,
| ,i´ , | l
.| .゙'x_r彳 ~'x。_r″ .| l゚
.| .,l′ ‘''i、 / r `!、 ,l゚
| l ) ,/ ;l° 'i、 ,.l|x, /
| l,_ .,,r‐''''''゜'t ″,! ./////,,x゚
| ,・ ` ̄″ ヘ, ,l''゙''"゚'"
゙l " 、 __ 'ヽ ,l'
゙l l゙'" ̄`  ̄~゙゚'・ ,r"| /私の学会がなぜシェリング君
゙l  ゙̄'" i ,l' | < と合同なのかね? 彼とは縁
゙l, ,,,-- x、 ,r゚ ._,,/ | \を切ったのだ。納得できん。
゙'x, ′ `i、 _,,ン'" :|
`ヽ, _,x・'゙″ :|
゙l゙‐--'----・'" |
146 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 01:32:50 0
今日のぼやき「722」
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101 副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
(中略)
過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文をあり
がたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの
哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、
大幅前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。
(中略)
急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。
そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を
日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想
を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、
はやく実現しなければ、いけない。
なめらかな訳以前になめらかな文章を母語で書けていない。。。スレチにレススマソ。
148 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 13:26:07 0
149 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 13:29:35 0
【レス抽出】 対象スレ: ヘーゲル研究者のみなさま! part2 キーワード: キリスト 抽出レス数:0 ふぅ…
151 :
考える名無しさん :2008/02/03(日) 23:13:48 0
要するに、次の選択が困難である可能性を否定できないということだね。 A.洋服の青山は品質はいいが高い。 B・ 洋服の木村は、安いが品質が良くない。 AとBの選択肢以外に何らの可能性も遺されていないことの内に、 現象学的還元でアンチノミーを止揚できないという、アポリアが顕現する。
152 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 23:32:55 0
キリスト!キリスト!
【レス抽出】 対象スレ: ヘーゲル研究者のみなさま! part2 キーワード: キリスト 抽出レス数:3
154 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 10:03:42 0
要するに、次の選択が困難である可能性を否定できないということだね。 A. キリストは洋服の青山を着ても、全部人にあげちゃう。 B.だからといって安い木村の洋服も人にあげちゃう。 どちらの服をキリストは購入すべきか・・・難しい選択の内に、 弁証法的思考のアンチノミー的アポリアが顕現する。
155 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 16:10:53 O
ヘーゲルって本当に面白いですよね! 『論理学』には歴史って言葉が一回も出てこないんですよ。 知ってましたか?
>>146 「それはもう書かれてしまったこと」なんだが
「すでに書かれた文字群になんの意味があるか」書いてみ?
(判ってるだろうが「コピペをする意味」じゃないぞ)
すでに書かれてしまった文言はオマエの落書き以下だと言ってるわけだが
この意味判るかな?
157 :
考える名無しさん :2008/02/08(金) 12:55:30 0
『論理学』にはコーマンって言葉が一回も出てこないんですよ。 識ってましたか?
158 :
中上 :2008/02/16(土) 11:33:44 0
枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘!
159 :
公共事業第壱号 :2008/02/16(土) 11:47:22 0
160 :
中上 :2008/02/16(土) 11:48:55 0
枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘!
161 :
僕は太田寿 :2008/02/17(日) 11:30:03 0
日本国民に告ぐ。 僕は太田寿だ! 太田寿だかつんぼだか知らないが、お前はナックルと二項対立をしていい気になっ ているらしいが、それではアメリカ南部のゴミクズどもと一体何が違うのか! 僕はつんぼだからいつでもかかってこい!
162 :
僕は太田寿 :2008/02/17(日) 11:34:28 0
日本国民に告ぐ。 僕は太田寿だ! 太田寿だかつんぼだか知らないが、お前はいい気になっているらしいが、そ れではアメリカ南部のゴミクズどもと一体何が違うのか! 僕はつんぼだからいつでもかかってこい!
163 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 11:35:56 0
塗り絵ー(T_T)
164 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:41:56 0
ロリータ
165 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:42:42 0
ロリータ
166 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:43:09 0
ロリータ
167 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:43:29 0
ロリータ
168 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:44:09 0
ロリータ
169 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:44:48 0
ロリータ
170 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:45:42 0
ロリータ
171 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 16:46:43 0
ロリータ
172 :
考える名無しさん :2008/03/13(木) 06:15:22 0
大論理学は岩波と以文社のどちらが読みやすいでしょうか?
こう言っちゃなんだけど、ヘーゲルの邦訳で読みやすいものって皆無だよ・・・
174 :
考える名無しさん :2008/03/15(土) 17:13:16 0
>>172-173 ドイツ人の、特殊な学問上の訓練を積んできた者でさえにも
難解なんだから、原文を忠実に邦訳したにすぎない書物に
わかりやすいものがあるはずがない。
人は人生の年月の中で、五年、十年単位で、自分の考えが変わってゆく。その変わってゆく自分を、 しっかりと記録しつづけることだ。あのときは、ああ考えて、ああ信じていたが、今では、このように 変わって、こう考えている、と書くこと。なるべく正直に書くことだ。自分に向かってきちんと文字で 書いて確認してゆく作業をすることである。それが、知識、思想、学問なのだ。 人間は年を重ねるにつれて考えが変わってゆく生き物だから、それでいい。それが成長するということ なのだ。だから知識、思想、学問というのは、何か新しい知識を西欧やアメリカから持ち込んで、自分 勝手に改造、変造して日本語で適当に売りさばくこと、なのではない。 今の私は、このように考えている。だから私は、吉本の、「転向とは、人間が成長してゆくことだ」と 書いた転向論としての吉本の思想観を、今でも受け継いでいることになる。昔の吉本はやっぱり偉かった。 副島隆彦「日本の秘密」P122
人々の生活の年間で、5年、10年、彼のどうしても海歌になることをこの事実の 可能性だ。自分の変化、その報告をする仕事は保証している。これは多分にし たくて、そうだが今、書いていわゆるそういう変化を思う。できるだけおとなしく使 う。慎重に真剣に書かれた文字が仕事をしたことを確認するが、どんなに彼女 は言った。この知識、考え及び訓練だ。 普通は古い男性になったような生物を得て思う。増加はすごい事はない。そのた め、その知識を持って来て、思ってどんな新しい知識の彼の学習の仕事、アメリ カとの西の方でヨーロッパ、いわゆる利己主義、適切なゴッウンと仕事が適応す る外にギャングシンハブニダにヒャングヘで、日本の言語ではないと、波及するこ の情況。 私の今は、我々の見解だ。言ったことはヨシモトのナインを集めておいて「性質と 状態の転換の権利に増大することで、蟹に」の構想されることはこのような見解の ヨシモトの意見を変えて、また熊だ。昔の大きな私のヨシモトが知っている。 福島タカヒコを考えられる「日本の秘密」の122
177 :
考える名無しさん :2008/04/01(火) 02:13:40 0
>>174 おかげさまで商売のヒントが。
「超訳! 精神現象学」ってので一山当てることにしようと思います。
178 :
考える名無しさん :2008/04/01(火) 02:32:16 0
>>177 商売ですか、勘弁してくれ。
>>174 「ドイツ人の、特殊な学問上の訓練を積んできた者」ってつまり無意味な文章を読む
訓練をしてきた者という意味かしら…
179 :
考える名無しさん :2008/04/01(火) 02:42:17 0
ドイツ人って無意味な文章を書くやつが多いからな。 思いつくままに個々の文章を並べてるだけの奴が多い。 読み手を意識してない文章。
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人は、どうせみんなから捨てられる。 このことは、肝に銘じておいたほうがよい。自分の仲間うちからも捨てられる。 日本の知識 業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の 悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。 この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、そのことが周りに バレたくないばっかりに、やたらと、象徴語と、ドイツ式観念語 (本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。約500語) を使いたがる。 読んでいる方はいやになる。 だから、最後には捨てる。 私は、そういう、本来学者になるべきではないのに、学者になっている人たちの、どうしようもない 下手くそで、難解なだけの論文を、30代のこと付き合いでたくさん読んだから、 このことが、よく分かる。エリート銀行員か、官僚にでもなれば良かったのに。 こんなに自分に向かないことで苦しんで、しかも、こんな下手な誰も説得できないような文章を、 苦しみながら書いてると、あとあと大変だろうな。どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。 50歳ぐらいで自分に絶望するのではないか、と、ひそかに、同情した学者の卵たちを私は たくさん見かけた。 当たり前のことを、はっきりと書くことができない。 やたらとこねくり回して、それが 「するどい批評になっていなければいけない」と、勝手に思い込む。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P35〜36
私は、日本知識人として、己を失うまい、と心に決めている。己の立っているこの貧困なる知識の土俵が、 どんなに、東アジアの一種族としての劣悪なるものであるとしても、それは構わない、と腹を据えてきた。 しかし、嘘はつくまい、と念じきた。 この土俵と劣等な知識環境の中にあっても、知ったかぶりの高踏知識遊戯―即ち、やたらと気まじめぶった 学者の論文のこと。この知識環境で友人たちさえ読んでくれないような難解な文章を書くこと―はすまい、 決めてきた。日本の文科系の大学講師たちのほとんどは、アホである。 彼らの知識は外国に持ち出して、全く通用しない。言語の壁を横に置いたとしても。この書き方を、私は これからもやめない。どんなに嫌われようが、煙たがられようが、やめない。 副島隆彦「日本の秘密」P43
(副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用) 宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、 もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。 東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。 はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。 「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、 とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。 これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。 室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、 何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。 これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。 じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、 フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、 考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。 (引用おわり)
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの 古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。 全くヒドいものだの一語につきる。 日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。 現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。 副島隆彦「日本の秘密」
俳優を利用する圧力シャフトの既存の翻訳でなく特に書き取りの人々の分を解くため難しいような返事は小屋の反対の皆だ。 崇拜は望ましくレバーに気を付けるため重要だ。 彼の友達はダンピングのように内部の出身だ。知識の長さの産業の日本は描こうとすればあまりにも早い「ドイツの科学者哲学」の新しい学校は通常悪いスタートであるはずでストリングを使うことは難しく、君はこんなにカーソル・キャンベルが欠点のない巨大な差だと言う。 現在いくらかかが働くようにする程度の自主で支配を病気にかからせるくらいにしてくれ。非常に大変だが本当の終わりだけとして周りで漏れることができ、 ナンセンスの記号言語のドイツ語に対するつもりになるために遮断したことは驚きべき(どっちが正確に本当の線で厳正な状況による。考えと認識と事実で基本的だ。500の性格を働くようにする者のバラの見込み)だ。 変化に対して読むことは楽しくない。 したがってそうだ。 そして最終的に酔って置かれる。 私の30と最初の世界と一緒に私が人々の大量の世代が貧しい人のためにあまり有望ではなく、新聞が正確に解決を捜し出そうとすればあまりにも難しいことを読んで崇拜するようになっている今こそそれによる交換は非常に明白だ。 または銀行と一瞬の書の官僚的なエリートのスタブの同じものだ。 私の物と傾向を変えないためにトラブルで蟹に私が使う時に痛く、貧しい人は人の文章の方法が強硬な位置の音になるよう出ないで、一つのすべてを呼んだ。異議がないから返事はすべてが明白なことを読む人だ。 私はたくさん中に明かされた私ずっと(50歳)で秘密の卵に対する見込みがない世界の同情ではない。 当前の事は明らかに使えないと言う。 落ちる無茶な推測は「移行による批評がそうでなければならないシャープ」がまともに信じているピンチの所へ行かなければならないが、与えなければならない。 35~36Fのタカヒコ福島「日本論争の目標になる納貢者過剰」。
185 :
Wittgenstein教 :2008/04/06(日) 03:43:17 0
ヘーゲルの白痴ぶり。
@矛盾という言葉の意味をはきちがえている。
A「無限」を無意味にも二重化している。
B非理性的な人間の可能性を無視している。
Cナンセンスな文が多い。
D顔が気持ち悪い。
>>180 おまえしつこいな。粘着質だな。
186 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 07:13:33 O
>>185 B
無視しているのではなく、除外、人間と見なしてないのでは?
それにしても皆さんヘーゲルに毒されてますね。
ヘーゲルより難解な文章ばかりです。
そんな皆さんはヘーゼルナッツでも食べたら如何ですか?
187 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 22:57:35 0
>@矛盾という言葉の意味をはきちがえている。 あなたがパンツを履き違えている。 世界の運動法則を人間の意識が反映すると それは矛盾(形式論理的な矛盾)として認識される、と いうだけのことなのに。
188 :
Wittgenstein教 :2008/04/07(月) 03:34:03 0
>>187 >あなたがパンツを履き違えている。
まじで受けてしまった。何とかのサルってのあったね。
たとえばさ、「円の概念においては中心点と円周とは対立し矛盾したものである」
(松村一人訳『小論理学(下)』,p30,岩波文庫)
という表現をみると、ヘーゲルはあなたのいうような「人間の意識が反映する
とそれは矛盾として認識される」とは違う意味でも矛盾について言及している
し、我々分析系の人間からすると「なんてアホなことをいってるんだ」という
ことになるわけよ。
でも、いいかげんあの顔(ヘーゲルな)はやめてほしいんだ。食欲が失せる。
189 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 03:40:56 0
/' ! ━━┓┃┃ -‐'―ニ二二二二ニ>ヽ、 ┃ ━━━━━━━━ ァ /,,ィ=-;;,,, , ,,_ ト-、 ) ┃ ┃┃┃ ' Y ー==j 〈,,二,゙ ! ) 。 ┛ ゝ. {、 - ,. ヾ "^ } } ゚ 。 ) ,. ‘-,,' ≦ 三 ゞ, ∧ヾ ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚ '=-/ ヽ゚ 。≧ 三 ==- / |ヽ \-ァ, ≧=- 。 ! \ イレ,、 >三 。゚ ・ ゚ | >≦`Vヾ ヾ ≧ 〉 ,く 。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚
ヘーゲルってセブルス君に似てますよね。
191 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 17:05:13 0
age
192 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 18:10:57 0
>「円の概念においては中心点と円周とは対立し矛盾したものである」 これって、その通りなんじゃないの? 俺、円の概念とかよくわからないけど、円周というものは中心点に よって定まるものじゃん。円周と中心点というのは連関している。 で、 この場合、中心点というのはただ一点のみ存在するもの。 でも円周というのは点が無限に集まったもの。 これだけで円周と中心点は対立しているし、形式論理的には 矛盾しているじゃん。
193 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 18:13:54 0
円周と中心点がどう「対立」し、「形式論理的」にどう「矛盾」してるんですか?
194 :
Wiitgenstein教 :2008/04/07(月) 19:08:35 0
>>192 「対立している」という言葉の意味を形式論理学的に明確化しないと、
「矛盾している」ということの根拠にはならないな。
文脈なしで悪いが他にもある。
「しかし四角の円や直線的な円弧は同じようにこの命題に矛盾しているが
、幾何学者は少しもためらうことなく、円を直線的な邊からなる多角形
とみ、またそうしたものとして取扱う。」(松村一人訳『小論理学(下)』
,p30,岩波文庫)
これも端的に間違いだな。どの「幾何学者」のことだろうね。
そしてこの後に「もっとも円のようなものは、まだ概念ではない…」
とかなんとかいって、
わけのわからないヘーゲルの自論が始まっちゃうんだ。
皆、ヘーゲルには気をつけような。あと、あのしわくちゃ老獪な顔にね
ショーペンハウアーも言うとおりヘーゲルはいかさま師だぜ。
>>194 あたりまえのこというなよw
ヘーゲル研究者からして、私のやってる研究は正気の沙汰ではない
と公言してるのに知らんのか?研究会顔出してみろw
>>194 あたりまえのこというなよw
ヘーゲル研究者からして、私のやってる研究は正気の沙汰ではない
と公言してるのに知らんのか?研究会顔出してみろw
197 :
Wiitgenstein教 :2008/04/07(月) 19:22:57 0
>>196 そうなのか?笑
知能○害なのか知○遅れなのか、それが問題だな。
たとえば何て研究者?
198 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 20:36:22 0
どっちでもないだろ。会社勤めの奴だって、 自分がやってる仕事は正気の沙汰ではないが、 やらなきゃ給料もらえないからやってるって言うだろ。
199 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 20:39:31 0
>「対立している」という言葉の意味 ヘーゲルはまともに読んだことがないので よくわからないけど、「対立している」ってentgegengesetzt とかなんとか? 普通に考えたら「対立」って、互いに質や量において異なる 二つもしくは複数のものが、何らかの密接な連関において そこに存在していることじゃないのかな?
200 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 20:48:31 0
>「しかし四角の円や直線的な円弧は同じようにこの命題に矛盾しているが 」 適当な推測だけど、 「円というのは中心点から同距離の点の集まりだから『四角の円』 というのは形式論理では矛盾している」ということでわ? >円を直線的な邊からなる多角形 これもまた同じ意味で「形式論理では矛盾」という ことを言ってるのでわ? >「もっとも円のようなものは、まだ概念ではない…」 円って、固定的な抽象概念だから、「概念の運動」 を論ずるにはまだまだ適切な例とはいえない、ってことでわ?
201 :
Wittgenstein教 :2008/04/08(火) 00:42:09 0
>>199 >普通に考えたら「対立」って、…存在していることじゃないのかな?
よう分からん。「形式論理学的に」明らかにしてくれ。
>「しかし四角の円や直線的な円弧は同じようにこの命題に矛盾しているが」
>適当な推測だけど、…「形式論理では矛盾」ということを言ってるのでわ?
これは勿論その通りだよ。
私がいったのは、上の引用の箇所が意味不明ということではなく、
「幾何学者は、円を直線的な邊からなる多角形として取扱う。」
というのが検討はずれだということ。数学はもっとデリケートな学問だ。
『法哲学要綱』の「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」 を読み、「この男は、世界を覆うこの醜い現実をズブズブに肯定しているのか!」と 激怒して、ヘーゲルなどやめてカントを学ぼうか、と迷った、あの大学1年生の18歳 の青春の日・・・ それでも思いとどまって、ヘーゲルをかじり続けた学生時代の日々・・・ あれから20年が夢のように過ぎ去り、今では「なーるほど、確かに『理性的なもの は現実的であり、現実的なものは理性的』だなあ。」と思っている、元哲学生の自分 がいる。 あの頃の俺が今の自分を見たら、殴り倒しているかもしれない。 たとえヘーゲルの言わんとしたことが「ハラ」で理解できる(できたつもりになれる)歳 になっても、あの頃の魂の輝きは、もう二度と戻ってこない。 今の自分を「大人になってヘーゲルが読めるようになった」などとゴマカすのは、や めよう。 どんなにヘーゲルの読み方が青臭くても、今の18歳の少年たちの心の方が、今の 俺なんかよりずっと価値がある。そのことをいさぎよく認めよう。 自分は歳をとって、あの頃の心の溌剌さ−哲学するにおいて絶対に必要なもの−を 失った。俺はもう、ダメになった哲学生だ。 今はただ、若い学生たちだけに期待している。 願わくば、一人でも多くの学生が、あの頃の俺達のように溌剌たる魂をもって、ヘーゲ ル研究に取り組まんことを!
栗原隆『ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法』で、懐疑論との関係から弁証法が説明されていたのが 初心者向けとしてはわかりやすかったと思います。 読まれた方おられますか?
やべーなんかヘーゲル読めるようになってきた。
>>204 学生時代のヘーゲルは「老人」というあだ名があったそうですが、ヘーゲルが
読めるようになっても、精神的ジジイにだけはならないでください。
でももしヘーゲルを全部読み終わってしまったら頂上に着いちゃった みたいで、この先本気で読むものがなくなりそうだよ。
絶対知に到達したらわからないことは何もなくなるからな。
209 :
考える名無しさん :2008/05/12(月) 21:43:34 0
>201 >というのが検討はずれだということ。数学はもっとデリケートな学問だ。 検討はずれではないと思う。 例示としてはこれで十分だと思いまする。 少なくともここでは数学がもっとデリケートとかは主題じゃないからね。
210 :
考える名無しさん :2008/06/06(金) 18:16:23 O
ショーペンハウアやニーチェにコテンパンにされちゃたよなぁ
211 :
考える名無しさん :2008/06/06(金) 22:07:50 0
絶対知というのは小説でいえば単に 粗筋の素描のおおまかな下書きができたということに過ぎない。
212 :
考える名無しさん :2008/06/20(金) 21:22:02 0
↑あまりいい加減なこと言わないように。 「絶対知」とは、世界を自己展開し、その結果「人類史」を外化(=実体化) させてゆく「絶対精神」を最終段階において感得する・「内的認識=ヘーゲルの精神そのもの」なのだから、 そこで明確に理解されることは、当然に、小説でいえば「完成された物語全体」であり、 つまり間違っても「粗筋の素描」などではありません。
213 :
考える名無しさん :2008/08/05(火) 23:10:50 O
ショーペンハウアにフルボッコにされてたよね
214 :
考える名無しさん :2008/08/06(水) 18:41:49 0
>>213 実質ダメージ、まるでなし。
あんなもん、象に爪たてるアリンコ。
215 :
考える名無しさん :2008/08/06(水) 18:53:15 0
アリンコに爪はない。
216 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 11:19:30 0
屁ーデル
精神現象学と、エンチクロペディーの精神哲学なら、 どっちを優先的に読むべきかな?
218 :
考える名無しさん :2008/09/19(金) 20:10:42 0
>>217 エンチュ。
ただし、それまでに『歴史哲学』『哲学史講義』、
それとできたら、カント『純粋理性批判』を押さえておくことが必須。
220 :
考える名無しさん :2008/10/09(木) 10:40:19 0
ヘーゲルの「理性の狡智」って、俗に言う「歴史の皮肉」と同義語だよね
221 :
石垣眞人 :2008/10/16(木) 15:03:26 0
マルクスは性善説で失敗したけれど、 ヘーゲルは二元論を無理矢理一元論にしてはいない?
ヘーゲルは文才がない。こんなこと言われたら2ちゃねらーなら、 1週間は悩むよ。 だけど書いてあることは世界で1、2を争うほど面白い、って言われる前に 自殺しちゃったら可哀想だから言うときは終いまで全部言おうね。
>>222 >マルクスは性善説で失敗したけれど
マルクスの人間観は性善説ではない。
「人間の本質は、個々の個人の内部に宿る抽象物ではない。それは、その現実のあり方においては、社会的諸関係の総体である。」(フォイエルバッハ・テーゼより)
孟子の性善説よりは、むしろ孔子の「性は相い近し。習えば相い遠し。」に遥かに近い。
孔子の弟子の子貢は生前の師について「子の性と天道を言うは、得て聞くべからざるなり。」と証言した。
これも、孔子がマルクスと同様、「性(人間の本質)は、個々の個人の内部に宿る抽象物ではない」ことを、論理的に判断しないまでも、直感的に感じ取っていたから、人間の本質に関する抽象談義を避けたためではないだろうか。
>>224 いや、そのフォイエルバッハ・テーゼに反対意見としてマルクスが挙げた
ということ。波多野精一の『西洋哲学史要』のフォイエルバッハの項で
牧野が注の形で書いている。
牧野はフランス社会主義の性善説をマルクスは無邪気に受け継いだ、
とも後の方で書いている。
226 :
銀狐の巣 :2008/10/22(水) 18:00:28 0
227 :
銀狐の巣 :2008/10/22(水) 18:02:48 0
228 :
銀狐の巣 :2008/10/22(水) 18:05:58 0
229 :
考える名無しさん :2008/10/22(水) 18:11:18 0
ウィトゲンシュタインの哲学は非常にとらえ難い
230 :
考える名無しさん :2008/10/23(木) 13:43:55 0
>>229 解っちゃねーな。
ウイトの書いたのを哲学だなんて考えるからよ。
単なる繰言って思ってもう一回読んでよ。
不思議と納得できちゃうつか、あー、そうなんだって、
ウイトが見えてきちゃうよ。
だけど、これってヘーゲルには通用しないからね。
ヘーゲルってかなりトリックを多用してっから、
そのトリックつか、跳躍を容認できないと、
ヘーゲルってアフォかいなって思っちゃう。
『精神現象学』より『小論理学』に魅かれる。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 【ヤフオク】by_azjpは最悪【遊戯王】 [TCG] うむ、遊戯王とは、これいかに。 このスレッドって結構年齢層高めと思ってたけど、そうでもないのかな?
>>233 >うむ、遊戯王とは、これいかに。
個人的には、虫キングのゲーム機を見るとヘーゲルを思い出す。
ジャンケンの三択がヘーゲル的なのだ。
『空想哲学読本』ではヘーゲル思想がポケモンと比べられていたが、、、
(怪獣ゲット=アウフヘーベンだそうだ)。
235 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 14:25:31 0
236 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 14:26:15 0
237 :
考える名無しさん :2008/12/01(月) 16:58:04 0
伸びないね ヘーゲルはそこまで人気が無いのだろうか それとも過去に指摘されている顔が怖いのがいけないのだろうか 対するショーペンハウアーの方は攻殻機動隊の荒巻さんと顔が似 てるとかで、一部で大人気とか
「弁証法」って馬鹿みたいだな。 理系のオレから見ると、「幼児語」としか思えないが。
>>238 文豪ゲーテも、ヘーゲル本人を目の前にして弁証法を侮辱してますよ。
>>75 参照。
同時代の最高の知的存在だったゲーテでさえ理解困難だったのだから、「幼児語」呼ばわりもあながち赤っ恥でもないのかもしれません。
ま、ヘーゲル自身もヘーゲル研究者も、その手の悪口雑言にはすっかり面の皮が厚くなってますから。
しかし、こういうことが言えましょう。
「カントはそれ以前の哲学が流れ込み、それ以降の哲学が流れ出す、貯水池である。」と言われます。
しかし、この言葉はむしろヘーゲルにふさわしい。あるいは、カントからヘーゲルに至るドイツ観念論全体が、哲学史の輻輳点である、とも言えます。
彼の哲学と対峙して彼を批判し、自己の思想を展開した人は、フォイエルバッハ、マルクス、キルケゴール・・・
あのバートランド・ラッセルでさえ、若い頃はヘーゲリアンでした。「ヘーゲルを読んでも分からないからヘーゲルを批判した」のでなく「ヘーゲルを読みこなした上で批判して分析哲学者となった」人です。
ヘーゲルの言っていることがタワゴトならば、西洋哲学史では「哲学は一旦ヘーゲルという空無に流れ込んで消え去り、ヘーゲルという空無からいきなりポスト・ヘーゲルの哲学が生まれてきた」という変事が起こったことになります。
常識的に考えれば、自分に理解不能なヘーゲルを罵倒することよりも、何とか理解しようと噛りついて読み解くことのほうが、知的に誠実な態度でしょう。
「理系」もたいがい幼児語だと思った
カントぐらいが絶頂期だったと思う。 あとは延命。 今は寝たきり。
>>239 ゲーテがヘーゲルを言い負かしたということではないですよね。
理解困難でゲーテが放棄したとも取れる。
それをヘーゲルが深追いしなかった。年齢差もあるでしょう。
そんな感じを
>>75 から受ける。
『ゲーテとの対話』を読んでいないので確かなことは分からないけど。
>>242 その通りだと思います。
そしてヘーゲルは、こういう「理解困難・放棄⇔諸事情で深追いせず」というパターンは、ゲーテとの茶会以外でも、さぞ多く経験してきたことでしょう。
>>243 ゲーテは、『精神現象学』については発刊後、惜しみない賛辞を送っているが、
『大論理学』の三部作が5年ほどの間に次々と出版されたときには、
まったくの沈黙をたもってますね・・・。
>>244 >カルルスバートのグラス
三角形もいいが円形の方が美しいだろ、、、というゲーテの忠告と見ました。
247 :
考える名無しさん :2008/12/06(土) 17:19:06 0
>>246 鋭い!
三角形=Dreiheit なわけですな・・・。
248 :
243 :2008/12/07(日) 03:43:17 0
>>245 >ゲーテは、『精神現象学』については発刊後、惜しみない賛辞を送っているが、
そうだったのですか! そこまで具体的には知りませんでした。
ゲーテの年表を見てみると、『精神現象学』の初版が出た1907年は、ゲーテがちょうど『ヴィルヘルム・マイスター』にはじめて着手した年、となっておりました。
たしかに、そんな時期に『精神現象学』が出たら、波長が合ったことでしょう。
体系への梯子を昇りおえてしまった後の『エンチクロペディー』以降の体系期ヘーゲルは、ゲーテとは住む世界を異にしてしまった、ということでしょうか。
ゲーテは生涯を掛けて『ファウスト』『ヴィルヘルム・マイスター』を書き続け、Bildungの世界での文学の追求を止めなかった人でした。
エッカーマンの『ゲーテとの対話』を読むと、エッカーマンがゲーテの秘書になった1820年代には、もはやゲーテはヘーゲル哲学とはすっかり距離をおいている状態です。
ヘーゲルへの言及は冷ややかな発言ばかりになっています。
249 :
245 :2008/12/07(日) 16:54:43 0
>>243 =
>>248 さん。
レスをどうもです。
有益なエピソードでした。
>そうだったのですか! そこまで具体的には知りませんでした。
ヘーゲルとゲーテの関係のみならず、ヘーゲルという人物とその人生、
および、あなたがおっしゃるヘーゲル哲学の「体系」の解説において、
最高の伝記がありますので、下記に記します。
ヘーゲル伝 ホルスト・アルトハウス著 法政大学出版局
他のみなさんも、時間があればぜひご一読を。
250 :
248 :2008/12/07(日) 22:09:18 0
>>249 上の
>>248 で『ヴィルヘルム…』とあるのはもちろん『…遍歴時代』の方です。
『ヘーゲル伝』、御教示多謝。
251 :
249 :2008/12/07(日) 22:20:36 0
>>250 どうもです。
近日中に、該当箇所だけでも読んでみます。
>>242-243 そのやりとりは知らなくて、今日はじめて知ったけど、
これはゲーテvsヘーゲルというよりは
カントとヘーゲルの間における溝そのものなんじゃないかと思った。
少なくともヘーゲルはそうみなし、だから「悟性主義者め」と言ってるんだろうと思う。
ヘーゲルはカントをどう考え、どうやり直そうとしたか、という局面が見えやすいエピソードだね。
>>252 >カントとヘーゲルの間における溝そのもの
ゲーテのカント主義がゲーテとヘーゲルの間を分ち、逆にスピノザ主義が両者をつなげているのでは?
>>244 >
http://pds.exblog.jp/pds/1/200812/05/41/a0024841_13451553.jpg >ゲーテからヘーゲルへの贈り物(カルルスバートのグラス)
>大月書店『ヘーゲル 伝記と学説』p79より
以下、邦訳『ヘーゲル伝』(ローゼンクランツ、p293-4より)
「ゲーテは一八二一年の初夏に、彼に酒盃をひとつ贈ったが、それには彼の理論の主な要点をはっきりと判らせたもので、次のような直筆の題辞が書かれてあった。
絶対者に対し、
温かく受け入れられたことについて、
原現象*は、
心をこめて、
ご挨拶に申しあげます。
未刊の一書簡(略)の中で、ヘーゲルはユーモアを交えた格式ばった口調で礼を述べた。彼が言うには、酒という
ものはいつも自然哲学の偉大な同盟者であった。というのは酒は世界に向かって、精神(ガイスト)が自然の中にも
あることをはっきりと証明しているからである**。しかしゲーテから彼に送られたもののように教訓的な盃はまこ
との世界盃であって、そこで暗黒のアーリマンが光明のオルムズド***の啓示の引き立て役を勤めている。また古
代人たちも、神秘的なディオニソスのもろもろの象徴のなかから、ひとつの盃を彼に与えることを忘れなかったの
である。」
*カント的には物自体、スピノザ主義的には実体ということだろう。ゲーテは後者の立場をこの場合は取っている。
**英語のスピリットと同じようにドイツ語のガイストにはアルコールの意味がある。
***ゾロアスター教の善の神の別名。『精神現象学』の「宗教/A自然宗教/a光の神」参照。
オルムズド=アフラ・マズダか
ゲーテがヘーゲルを宴席に呼んだのはヘーゲルの誕生日でしょうか。 たしかゲーテもおとめ座だったと思います。
256 :
250 :2008/12/14(日) 16:08:51 0
>>255 エッカーマンの『ゲーテとの対話』に記録されている、ゲーテがヘーゲルのために催した茶会は、1827.10.18のことです。
ヘーゲルは8.27生まれ、ゲーテは8.28生まれ、同席していたベルリン楽壇の大物ツェルターが12.11生まれですから、誕生パーティーでないことは確かです。
『ゲーテとの対話』を読んだだけでは、ヘーゲルのゲーテ訪問の理由は判然としません。
エッカーマンの記述では、ゲーテは、ヘーゲル哲学への評価は別にして、ヘーゲル個人については高く評価し続けていたことが記されています。
ヘーゲルは、夏学期と冬学期の間の休暇を利用して旧知の大文学者を訪問し、旧交を温めた、と見るのが一番妥当ではないでしょうか。
>>256 うっかりしてました。年号と月日がごっちゃになってしまって。
『ヘーゲル伝』にはヘーゲルが初めてゲーテを訪ねたエピソードも
書かれていますね。
1801年10月20日か21日、形式的な表敬訪問と記述がありますね。
>>256 > ヘーゲルは8.27生まれ、ゲーテは8.28生まれ
ゲーテ(1749年8月28日 - 1832年3月22日)
ヘーゲル(1770年8月27日 - 1831年11月14日)
ご指摘通り両者誕生日は一日違いで、1826年には一緒に盛大な祝賀会を開いたそうです。
ゲーテがヘーゲルに書評を依頼したり、対ニュートン的な共闘(スピノチストとしてのそれ)があったと思われます。
/
/CフィヒテDシェリング
/ ドイツ哲学
/Aヤコービ Bカント____
/ベーコン <近代> 知性の時代
/とベーメ /デカルト,スピノザetc
/________/_________
/ /(宗教改革)
/新プラトン派 『哲学』 /復興
/ /
http://www.hegel.net/en/gif/antike-e.gif <ギリシア>/ / <中世>
/ タレスから /独断主義 / /
/アリストテレス/と懐疑主義/ アラビア / スコラ
/_______/_____/_______/________
画像はもっとでかいのないの? 字がつぶれてて読めない
>>261 基本的にポスター販売のサイトなので、、、
/(詩)
http://www.hegel.net/en/e33.htm /
/_______ /_______
/(絵) /(音楽) / /(教団)
/ <個別>____ <絶対的精神> / <完成>/
/ 建築 /彫刻 / 概念 /(父) 表象 (子)
/_______/_______ /_______/_______
/ / / /
/芸術 『芸術』 /ロマン的 / /( 2ギリシア,3ローマ)
/ / /祭祀 『宗教』/ C自由
/ <理念> / / <形態> / /(1ペルシア,ユダヤ,エジプト)
/ / / / / <概念> / / <規定> /
/ 美 /自然 / 象徴的 /古典的 / / / /(中国,印度
/ 概念 / 知 / / / 概念 / 知 /A直接的自然 /B分裂 仏教,ラマ教)
/______/_____/________/________/______/_____/________/________
>>260 ,263:左下訂正
> / 美 /自然
> / 概念 / 知
↓
> / 美 /自然
> / /
>>264-265 >『精神哲学』
><客観的精神>
http://www.hegel.net/en/e32.htm 『法の哲学』 /
/(世界史)<<259
/ 国家
/(国内法)(国際法)
/_________
/<倫理=共同世界>/
/(教育と解体) /(福祉行政と職業団体)
/ 家族 / 市民
/_(婚姻)(資産)__/_(欲求)(司法)___
/ /
/不法 <客観的精神>/ 善と良心
/ /
/ <法> / / <道徳> /
/ / / /
/ 所有 / 契約 / 企図と責任 / 意図と福祉
/______/_____/________/________
>>268 の改訂版:
>>264-265 >『精神哲学』
><客観的精神>
http://www.hegel.net/en/e32.htm 『法の哲学』 /
/(世界史)
>>259 / 国家
/(国内法)(国際法)
/_________
/<倫理=共同世界>/
/(教育と解体) /(福祉行政と職業団体)
/ 家族 / 市民
/_(婚姻)(資産)__/_(欲求)(司法)___
/ /
/不法 <客観的精神>/ 善と良心
/ /
/ <法> / / <道徳> /
/ / / /
/ 所有 / 契約 / 企図と責任 / 意図と福祉
/______/_____/________/________
271 :
追加 :2008/12/18(木) 00:15:36 0
『エンチクロペディ』と対応教科ジャンル: /哲学 国語 音楽 宗教学 /美術_________ 心理学 世界史,地理 / <精神哲学>/経済学,政治学 教育学 / 社会 社会学 /_________/_倫理_____ / / 医学 / 『エンチクロペディ』 生物学 / /地質学 植物学 / <論理学>/ / <自然哲学>/化学 / / / 理科 / / / 算数 / / 物理学 /______/______/________/___天文学_____
272 :
改訂版 :2008/12/18(木) 01:07:27 0
『エンチクロペディ』と対応教科ジャンル:
/哲学
国語
>>260 ,263
音楽 宗教学
/美術________
心理学 地理,世界史
>>259 / <精神哲学>/経済学,政治学
教育学 / 社会 社会学
/_________/_法学_倫理____
/ 『エンチクロペディ』/ 医学
/
>>264-265 / 生物学
/ /地質学 植物学
/ <論理学>/ / <自然哲学>/化学
/ / 数学 / 理科 /
/ / 算数 / / 物理学
/______/______/________/___天文学_____
273 :
追加 :2008/12/18(木) 01:33:19 0
『精神哲学』 と『精神現象学』との対応:
/
/F絶対知
/
>>260 /<絶対的精神>/
/
>>263 /
/ E2芸術 / E1,3宗教
/_______/_______
/ /
/ 『精神哲学』 / D1人倫
/
>>264 /
/<主観的精神>/ /<客観的精神>/
/ /C理性 /
>>269 /
/ /現象学 / D2法 / D3道徳
/_______A意識,B自己意識____/________/________
<エンチククロペディー>
>>264-265 『精神現象学』:
A意識/B自己意識/C理性/D精神/E宗教/F絶対知
(ただし意識から理性までは哲学史と対応しているという説がある。)
274 :
考える名無しさん :2008/12/18(木) 07:02:40 0
ブランショ読んで興味を抱いたのですが、何から入るのがいいですか?
省略しすぎて申し訳ない。 ヘーゲルに興味を抱いたからここで尋ねました。
>>274 文学に興味があるならコジェーヴを副読本に『精神現象学』が王道でしょうが、訳が各種あってどれがいいか微妙です。
牧野訳がバランスがいいのですが(本が重いです)、通読するなら長谷川訳がいいと思います。
もしくは平凡社ライブラリー上巻の奴隷と主人の節だけでもいいと思います。
(理性の章Bのゲーテ,シラー、セルバンテスを想定した論述も上巻所収です。)
個人的に密かにおすすめなのが『初期ヘーゲル哲学の軌跡』所収の10頁に満たない短編「愛」です。
弁証法の原型(両親→子供)があると思います。
本当は『美学講義』が一番面白いのですが、、、、
ブランショはヘーゲルをどう評価しているのでしょうか?
たぶんブランショもコジェーヴ経由(ラカンもジジェクもバタイユもコジェーヴ経由)だと思うのですが。
牧野訳なら鶏鳴社の旧版はどうだろう。重くない。
旧版って完結してたっけ?
上巻しか出ていないが一応あれで完結なんだろうね。 補足で何巻か鶏鳴社の小冊子にあったみたいだけど、再刊の目星はついてない。 未知谷は分冊で出してくれたらよかった。
281 :
274 :2008/12/19(金) 14:43:49 0
ありがとうございます!
282 :
考える名無しさん :2008/12/25(木) 16:19:57 0
エンチクロペディーの翻訳って岩波文庫か世界の大思想のどっちがいいと思う?
283 :
考える名無しさん :2008/12/25(木) 16:58:14 0
ヘーゲルはドイツ語なら全部タダで読めるのに なんでみんなあんなバカ高い翻訳の本買うの?
284 :
考える名無しさん :2008/12/25(木) 17:04:09 O
ドイツ語読めないからにきまってるだろ。
285 :
考える名無しさん :2008/12/25(木) 18:57:40 0
>>282 「世界の大思想」の方。
ていうか、現在では『小論理学』以外、
出版されていない岩波版を入手してどうする?
「大思想」の方は、もう入手困難だろうが、
これからますます手に入りずらくなる可能性も強いから、
オクででもなんでも、とにかく購入すること。
価格が2万円以内なら、買う価値あり。
286 :
285 :2008/12/25(木) 19:03:54 0
それから、こういう変り種もあるから、 参考までに。 【Book】エンツュクロペディー Enzyklopadie. 【本】ヘーゲル,ゲオルグ・ ウィルヘルム・フリードリッヒ.大北恭宏訳.1830. 『エンツュクロペディー 第一篇 論理科学』.文芸社.
ドイツ人に生まれれば読めたということか?
自然哲学が手に入らないから ドイツ語の勉強開始しました
自然哲学が手に入らない上に 語学の勉強サボったから 大学図書館で「大思想」借りて 自然哲学の部分だけ全ページコピーして ズールカンプ版原文と照合して 卒論を書いたあの日々・・・ 後輩たち、「大思想」の真ん中あたりだけ 本がユルユルに傷んでるのは 俺のせいだ。すまん・・・
290 :
考える名無しさん :2008/12/29(月) 17:29:01 0
>>287 いんや。
よほど思想の訓練を受けてなければ、
ドイツ人でもムリ。
現代の日本人が『源氏物語』をスラスラ読めないのと同じ。
291 :
考える名無しさん :2008/12/30(火) 20:43:15 0
>>285 2万円以内って…
俺の手元にある「大思想」のヘーゲルは200円だぞ。
十数年前に某駅前の古書店で偶然購入したものだが、
今じゃそんなに高価なのか。これは手放せないな。あと
「大思想」はモンテスキューも持ってる。これも600円。
292 :
考える名無しさん :2008/12/30(火) 23:44:31 0
>>291 「世界の大思想」に関していえば、
どういうわけか作者が同じヘーゲルである『精神現象学』
は容易に安価で手に入る。
他の作者のものでも、そんなに高いものはない。
だがなぜか、『エンチュ』だけはふつうのブコフや古本屋でもあまり見かけないし、
あったとしてもメチャ高い。
だが、『エンチュ』の三部構成の章が、一冊にまとまっており、
その翻訳のレベルも学術的にも及第点というのは、
「世界の大思想」のものしかない。
分冊でしか入手できない岩波版や、
アカデミーの立場から賛同しかねると若干思われている三冊構成の長谷川版がイヤなら、
ネットででも「世界の大思想」版を買っとくべし。
ちなみに俺が買ったときは、5年ほど前でネットで6000円だったと思う。
293 :
考える名無しさん :2008/12/31(水) 01:14:26 0
大思想版はヘーゲルのノートの注がついてないからな。 小論理学、精神哲学は、岩波文庫で揃えて、自然哲学は 高いけど岩波版全集のを古本屋で入手するのがベストだ と思うな。樫山訳は堅すぎるし。 作品社の長谷川訳で揃えるっていうやり方もあるけどね。
デリダのヘーゲル論、邦訳『哲学の余白』上所収の「竪坑とピラミッド」(エンチュに関する考察あり)などを 大学?のヘーゲル専門家はどう評価するのでしょう? いつものデリダと言ってしまえばそれまでですが、比較的引用が多くデリダにしては生真面目なテクストだと思います。 当方現在大学と無縁なので逆に気になります、、、、
>>292 さすがにボラれたんじゃないか?
俺が大思想版のエンチュを購入した時は、1000円だったよ
ちなみに半年前、状態は上の方が茶色になってる(汚れてる)
エンチュに関しては
>>293 に近いな
はじめに長谷川訳で流れを掴んで、その後岩波でじっくりって感じ
>>296 ネットの在庫は基本的に高いのが残ってる。
安いのはすぐ売れる。
アマゾンなんて転売屋さんの巣窟。
真実を見極める目を持とう。
298 :
蝶々の巣 :2009/01/31(土) 16:23:01 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
299 :
蝶々の巣 :2009/01/31(土) 16:23:40 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
300 :
蝶々の巣 :2009/01/31(土) 16:24:17 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
301 :
考える名無しさん :2009/01/31(土) 16:25:23 0
パーティーは終わったよ
302 :
考える名無しさん :2009/01/31(土) 17:52:29 0
脳髄の中はいつでもジングルジャングルよ。
303 :
考える名無しさん :2009/01/31(土) 23:05:33 0
「歴史哲学講義」って、今の感覚に言う歴史哲学なんかじゃなくて、 単なる世界史概説or比較文明論だよな。
昔の感覚でいう「歴史哲学」は進歩史観のことだから
305 :
考える名無しさん :2009/01/31(土) 23:31:49 0
昔の感覚でいう「歴史哲学」は進歩史観のことだから DQNなので二度言ってみました。
ヘーゲルってフリーメイソンだろ。やたらと中国蔑視なのが気になる。 19世紀の前半はとにかく最後の侵略地として中国がやたらと強調されてた 時代なのを考えるとヘーゲルの哲学自体がそれを下支えする学問なんだと分かったわ。 歴史哲学なんてまさにそれだし。歴史に名前残す学者ってどこかで そういう権力者と繋がってるんだね。
>>306 ヘーゲルがフリーメーソンだったという積極的な証拠はありません。(彼の思想内容を理由にそのことを強く主張した研究家はいましたが、いかんせん、具体的な証拠を挙げませんでした。)
ヘーゲルの思想体系は、19世紀西欧諸国の行動を正当化するイデオロギーとしての一面を持っている。
そのこと自体は否定できないでしょう。(その面だけがヘーゲル哲学なのではありませんが。)
ただ、今日の目からは清教徒革命のクロムウェル独裁を正当化する理論として極めて適切に見えるホッブズの国家理論(一種の社会契約論)は、当時は危険思想と見なされ、ホッブズは亡命せざるを得ませんでした。
歴史は思想家に対してこういう悪戯を非常にしばしば仕掛けます。
同様なことがヘーゲルにも言えるわけで、今日の目からはメッテルニヒ体制下のプロイセン王国の代弁というにふさわしい法哲学を展開したヘーゲルは、当時の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世自身からは目の敵にされていました。
ヘーゲル自身、彼の友人知己、弟子たちは、今日からはいかに穏健保守に見えようとも、当時の位置づけとしては中道左派ないし右派左翼の人々であり、ヘーゲルは当局の覚え目出度い人物ではなかった。
ヘーゲルの行動はプロイセン秘密警察の監視下に置かれていました。
>>307 ヘーゲル哲学はプロイセンの国定哲学となるも、
結局は、マルキシズムの源流にもなったしなー。
309 :
考える名無しさん :2009/02/15(日) 20:03:49 0
「ほんものの悲劇とは、善と悪の争いではなく、善と善の争いである」 これって、ヘーゲルの言葉でしたか? どなたか賢い方、教えて ください。
310 :
考える名無しさん :2009/02/15(日) 20:10:19 0
>>309 俺はヘーゲルの主要著作、講義録すべて読んだけど、
そんな言葉、聞いたことないよ。
311 :
考える名無しさん :2009/02/15(日) 20:21:30 0
312 :
考える名無しさん :2009/02/16(月) 03:16:14 0
図書館で探したのですが見つけきれなかったのでお尋ねします。 ヘーゲルが近代リベラリズムについて、 個人主義に陥り、社会的差異化を抑圧し、個人の均質化に寄与している。 そのため個人の生を豊かにするコミュニティを解体している。 といった内容の批判を行っている本のタイトルを教えて下さい。 できればページまで教えてもらえたら助かるんですが、 タイトルだけでもいいんでお願いします。
313 :
心の仕組みドットコム :2009/02/16(月) 12:27:30 0
309>「ほんものの悲劇とは、善と悪の争いではなく、善と善の争いである」 これって、ヘーゲルの言葉でしたか? どなたか賢い方、教えて ください。 互いに、互いが善と思い込んでいる者同士の争いは本物の悲劇だと言うことです。 もしも善が本物で有るなら、その争いは生じません。
314 :
考える名無しさん :2009/02/16(月) 13:32:49 0
>>313 解説までいただいて、ありがとうございます。
ということは、ヘーゲルの言葉でよいのですね?
315 :
心の仕組みドットコム :2009/02/16(月) 18:27:25 0
314>ということは、ヘーゲルの言葉でよいのですね? それは分かりません。
316 :
↑ :2009/02/16(月) 18:55:50 0
さすがゴミため王
マルクスがブリュメールの最初で書いた、ヘーゲルが いった悲劇の話はどこに書いてあるんだ?
>>318 ブリュメールのあれはマルクス自身がウロ覚えで書いたことでもあり、実際のヘーゲルの講義録とは論点が相当ずれているのだが・・・
その昔、ソ連・東欧という国々が健在だったころ、御用学者という暇人たちが蚤取り眼でマルクスの発言に関係する文献をサーチしたおかげで、一応出典が明らかになっている。
岩波文庫『歴史哲学講義』新訳(長谷川訳)で下巻151〜152ページ。
「 そもそも国家の大変革と言うものは、それが二度くりかえされるとき、いわば人々に正しいものとして公認されるようになるのです。
ナポレオンが二度敗北したり、ブルボン家が二度追放されたりしたのも、その例です。
最初はたんなる偶然ないし可能性と思えていたことが、くりかえされることによって、たしかな現実となるのです。」
>319 どーもありがとね
321 :
312 :2009/02/19(木) 03:08:10 0
>312 誰か教えてやれよ。 本人だけど。。。 マジお願いします。
322 :
考える名無しさん :2009/02/19(木) 03:17:58 0
>>321 どういう経緯でそれを探してるの?
文脈が分からないから、漠然としていて教えようにも教えようがない。
323 :
312 :2009/02/19(木) 12:44:31 0
>>323 ありがとうございます。
ロールズを論文のテーマに書いていて、
ヘーゲルによるリベラリズム批判と
それに対するロールズの反論とを考察したくて
ヘーゲルの文献を明示したくて探しています。
いや、322が尋ねたのはそういう「経緯」とはちょっと違うんじゃないかなw
>>312 のようなそうした要約を知ったのは、
そこでは引用注がついてなかったのだとして、
誰のどの本のどういう議論での箇所でのこと? という質問だったのでは。
325 :
考える名無しさん :2009/02/20(金) 23:48:00 0
326 :
312 :2009/02/21(土) 15:07:02 0
>>324 さん
そういうことですか。
的外れで申し訳ない。
『ロールズ正義論再説―その問題と変遷の各論的考察』のP311-P318辺りです。
今、手元にこの本がないのでわからないのですが、
もしかしたら日本語訳の本が見つからなかったのかもしれません。。。
327 :
考える名無しさん :2009/02/23(月) 13:41:52 0
胎児よ胎児よ何故踊るw
328 :
考える名無しさん :2009/02/23(月) 20:41:27 0
勢いで生きてると体を壊すけど、 勢いが必要でないとはならないんだよな
329 :
312 :2009/02/26(木) 22:49:33 0
頼みます!!! 似たような内容でかまわないので・・・
331 :
312 :2009/02/27(金) 01:19:36 0
>>329 ありがとうございます。
ただ、『法哲学』ってヘーゲル著でありますか?
以前探したんですが、別の著者がヘーゲルの法哲学について
書いたものしか見つからなかったのですが、
それでもヘーゲルの意見として引用していいんですか?
講義録ならいいとかあるのですか?
332 :
考える名無しさん :2009/02/27(金) 01:25:15 0
講義録だよ 『法の哲学』って訳もある 312のような質問自体は別に悪くないけど、 wikipediaのヘーゲル項目ぐらい、まずは最低限目にしておいてください・・ 著書の名前すら知らないとかさすがにどうかと
334 :
考える名無しさん :2009/02/27(金) 20:35:11 0
>>333 違うよ。法哲学は、彼の講義で使う教科書として、
ヘーゲル自らが執筆したもの。
ヘーゲルの直筆なのか、彼の弟子たちがまとめた講義録なのかすら知らないとかさすがにどうかと
すまんかった 何か勘違いしてたようだった
ヘーゲル論理学で有論から本質論へ移行するとこがどうしても ピンと来ない。 有論の展開はなんとなく解ったんですが・・・ どなたか軽く教えてくれませんか
337 :
考える名無しさん :2009/02/28(土) 09:25:24 0
>>336 『有論』は、端的にはある個物全体が、「非有」を通じて「実体性=実物の有」
へと転化していく過程を論じたものだが、『本質論』は、さらにその個物の中で、
「現象」と「本質」が互いに影響し合うことにより、それぞれの性質を明らかにさせていく構造を
描いたもの。
ここを大胆に例証すれば、『有論』は単細胞の生物が、始めは無機物であったものから
生命体へと形成されいく様を述べたものであり、また『本質論』は、その単純な生命体が、外部(=現象)との関わり合いから、
その自己の内実(=本質)をはっきりとしたもの(=きちんとした細胞を持ち、やがてその細胞を分裂させることにより、
自己、および自己の種を未来にわたって維持・発展させていく能力をもつ生物)へと、発展させていく論理を説いたものということ。
>>337 ちらっと「大論理学」と解説書を読み返してみたんですが、有論において、
有はいくつかの移行で有の規定性を全て通過しつつも依然スピノザ的実体に
とどまっているので、「実体かつ主体」であるXを把握するためには
さらに本質論に進む、という連続的な読み方でいいみたいですね。
ありがとうごさいました。
339 :
337 :2009/02/28(土) 10:45:36 0
>>338 ついでに言っておくと、『本質論』の段階では、
「存在」は、いまだあなたの言う「スピノザ的実体」=「単細胞的生命体」
でしかありませんよ。
この段階では、前述したように、生命体が単純な範囲内で(=単細胞のレベルで)
現象(=外的環境)に触発される形で、その実体の内実(=細胞のつくり)を、
はっきりとしたものに形成しているにすぎない。
これが、「一般的生命体」いわば「多細胞的有機体」へとさらに進化していくのは、
『概念論』の段階においてなのだ、ということを押さえておいてください。
340 :
考える名無しさん :2009/02/28(土) 21:23:37 0
そうなると、認識の発展につれて認識の対象も変化するという弁証法的に重要な面がでてきます。 始めは個別的なものとして質的実在と呼ばれた対象も、それが他に変化しまた消滅する以上、 それは「他在性」という存在形式のうちにある。 つまり、定まった存在として質的であった対象は、むしろ「他になること」がその内的規定(定め)であるということです。 そのことが認識された場合、認識の対象は質的変化のうちにある「他になっても同じもの」、 つまり量的な存在に移行する。 「可変的かつ可分的とみられる量も、その純粋な姿においては単一かつ不可分な存在である」(スピノザ)という (純)量の概念が得られるわけです。上記のことを要約すると、 質的実在の真理(他在性・変化性)がそれとして定立されたものが量であるという命題(ジンテーゼ?)になります。 また、量はさらに限定されると、最終的に数の概念が得られる。 それは単位(観念的)と集合数(実在的)を対立的な契機として含むそれらの統一です。…等々。 以上の過程を一般的に言えば、対象を規定(限定)することにより対象自体が否定され、 その真理(概念と対象自体の一致)はさらに高次の概念として表現されるということ(否定の否定)を示しているわけです。 「人間の認識は常に生成の言葉を存在の言葉に翻訳する」(マルクス)と言われるのも、 運動を止める(止揚する)ことで認識が可能になると言っていると解釈できる。ついでながら、このことは、 いわゆる実証主義(Positivism)のもつ肯定的な側面と否定的な側面を共に明らかにするでしょう。 マルクスがPositive(肯定的、積極的)と言う場合、それは単なる経験主義ではなく、 認識作用のもつ否定の否定としての実証的、現実的、実践的な面を強調していると思います。
341 :
考える名無しさん :2009/02/28(土) 21:54:03 0
>>340 すいません。
スレを間違えました。
無視して下さい。
342 :
考える名無しさん :2009/03/01(日) 16:59:53 0
>>340 どこのスレか識らんけど、なんかレベル高そ。
343 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 07:31:29 0
フクヤマの『歴史の終わり』に、へーゲルの「最初の人間」と言う概念が説明されているのですが、 この「最初の人間」と言うのはヘーゲルのどの著作に出てくるのでしょうか?
344 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 08:49:49 0
>>343 私はフクヤマの著書を読んでいないのでよくわからないが、
あなたのおっしゃるのは『精神現象学』の「主人と奴隷の項」
ではないのかな?
そこのところ、適当に調べて、わからなかったらまた訊きにきてください。
345 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 13:59:53 0
・弁証法は、3段階のどの部分に力点を置くかによって立場も大きく変わる 確かに、対立(矛盾)を強調するか、その止揚を強調するかで、ニュアンスが異なる。 ヘーゲルも自己の哲学を「思弁哲学」と呼んだが、それは、むしろ遅れたドイツの反映でしかなく、 保守的・妥協的な観念論になった。
346 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 14:00:51 0
・A+antiA=B 数学的な記号は「相当性」「等価性」という外的なものを表象させるので余り適当ではないでしょう。 (記号論理学のような無思想になる。) anti(反)とはA自体に含まれているものです。 ・A+antiA≡A,∵antiA⊂A 集合論的な比喩を離れれば、「Aと非Aからなる全体」とは、「Aの定立根拠」のこと。 「Aとそれ自体との同一性」が「Aと非Aとの区別」と同一であることをAの存立と言います。 それは「自己に帰る運動」です。 ・ AとBは同時に存在出来ない、そこからAを発展させBを止めおく。これで2つの物が 存在できるということ? 通常、B(非A)はAによらずそれ自体でBと考えられているが、 AならばBでない、という排他性(他者の否定が自己である)に進展すると、 AとBは関係性において見られることになりますね。 そのことは、両者は独立した2つの物でなく、 1つの物の2つの現れとして存在することを示している。
347 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 14:01:48 0
・Aの内包が時間という概念のもとに変化する限りは 変化とは「Aが非Aになること」であり、「非AはAであった」ことですから、 内包Aは非Aにおいて”否定的に”保存されていますね。 ・Aの外延がAの外延と同値であるとはいえなくなるので 非Aとはむしろ外延しないもの、観念(内包)そのものでしょうね。 外延論理学(形式主義論理学)は内包(質的区分)を抽象して、 その真理である量において世界を外的に(無思想に)思考します(計算と呼ぶ)。 そこでは、非(否定)は無―差別という肯定に過ぎない。 内包が変化しても、それに無頓着なわけ。
348 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 14:03:05 0
・定立A(例えばこれはこれはコーラだろうか)には ・既に潜在的に定立Aを否定する非Aの契機(これは牛乳ではない、 ・コーヒーでもない、等々)が含まれているということですね。 そう思います。 「何かがある」とは、多様で変容する世界の中で主体が特定の存在者に向かうことであり、 対象Xを実在するものとして指示するためには、「それの何」(質)をAとして、 非Aから識別(区別)する働きがそこにはある。 しかし、区別から同定に帰る運動自体は非対象的です。 対象化されるのはその結果(総括)としての「これーA」という存在者です。 そして非Aが顕在化すると同時に、 改めて(牛乳やコーヒーとの関係性から)「これはコーラだ!」という総合へち発展する。 これを《A》と呼ぶとして、《A》の中には非《A》(これは食べ物ではない、等々)が含まれており、 実在判断(質の判断)は「個別的なものは普遍的なものだ!」という形式内容を持ちます。 しかし、コーラとは個別対象ではなく、一般概念ですから、 主語「これ」と述語「コーラ」との関係は「である」という同一性ではありえない。 「これはコーラそのものではない」からです。 「これ」は様々な(多様な)個別者、一般的な個別者を指している。 つまり、「これのこれ」「あれのあれ」等の間の共通性が<これーコーラ>です。 しかし、そうなると質の判断は反省の判断(関係性の領域)に移行します。
349 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 14:04:53 0
・非《A》の内容が顕在化すると同時に、 ・改めて非《A》との関係性から「これは飲み物だ!」という総合へと発展する。 反省の判断は、単称判断、特称判断、全称判断とに区分されます。 「これーコーラは一つの飲み物だ!」(単称判断)
350 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 14:07:44 0
・これを〔A〕と呼んでおきますと…、という具合に、 ・抽象性や一般性のより高度で幅広い段階へと移行する、と。 『小論理学』では、質の判断 → 反省の判断 → 必然性の判断 → 概念の判断 → 質的推理 →反省の推理 → 必然性の推理 → 客観的関係 → ……として、 より“具体的な”段階への移行として示されています。
351 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 14:10:44 0
・問題が二点ある。 ・一点は非Aの内容(これは牛乳ではない、コーヒーでもない)は、 ・この内容が顕在化されて初めて「創造」されるものなのか、 ・それとも初めからA(これはコーラだろうか)の中に含まれていたものか、という点。 創造ではなく、より客観的・具体的な対象への移行でしょう。 「これはコーラだろうか?」に対する答えとしては、 1.いや、これは牛乳であってコーラではない。(偽の概念) 2.いや、これはコーラよ呼べる代物ではない。(偽の対象) 3.そうだ、まさにこれはコーラと呼ぶべきものだ。(真の概念・対象) の3通りがある。 ある対象をコーラと呼ぶためには、 コーラの質(コーラの<コーラ性>)が他の質と区別され、明確になっていなければならない。 対象Xがコーラであって牛乳でないのは、それがまさにコーラだからでしょう。 それは、概念としての質の表現し、単なる名辞ではない。 そして、真の概念とは客観的な対象を指示するものを言いますから、 対象の「見かけ」を通してその本体に向かう場合、本体は前提されたものです。 それは、現象に過ぎない存在から、 より現実的で客観的な世界を対象化して行く知性の運動であり、 「真の実在」に到達するための(精神的)労働です。
352 :
考える名無しさん :2009/03/13(金) 09:30:43 0
345からのカキコって、ヘーゲルの何を読めば理解出来るん?
353 :
考える名無しさん :2009/03/23(月) 01:04:30 0
354 :
考える名無しさん :2009/03/24(火) 10:46:27 0
ヘーゲル論理学の、存在論の質や量、反省論の因果関係などの論理規定?は、アリストテレスやカントなどのカテゴリー(最上位述語)ではなさそうです。 このような論理規定は、現代の論理学から見た場合、どのような素性を持つものと考えてよいのでしょうか。
355 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 15:59:31 0
356 :
考える名無しさん :2009/03/28(土) 19:27:23 0
以下が廣松渉に関してのブリーフィング(コピペ)by OFW。 廣松氏は1960年代後半に「疎外論から物象化論へ」を説いて、 当時の新左翼の中に支持を広げました。 それまでの実存主義的な疎外論(“マル存主義”)や主体性論を、 未だフォイエルバッハの影響下にあった若き(未熟な)マルクスに依拠するものとして否定して、 「マルクスが後期において開いた地平、つまり、物象化的錯視に捉われた近代の主客二元論的な認識図式を トータルに超克することが肝心だ。」 と主張しました。 素朴唯物論(“タダモノ主義”)を関係論的に捉え直す発想は良いが、 疎外論がもっていた社会本質論的な問題設定を、認識論の問題に変容(矮小化)したと言えます。 彼の<物象化>概念も、マッハ流の現象主義(物自体の廃棄)と<共同主観的意味>への 溶解であり、マルクスのそれとは似て非なるものでしたが、 何故か唯物論(マルクス主義)の理論家として位置づけられているのも不思議です。 因みに、戦後主体性論争の“影の主役”梯明秀氏も、 「疎外と物象化が対立するかのような言い方はおかしい。」とコメントしていましたね。
357 :
考える名無しさん :2009/03/29(日) 13:11:46 0
>>357 最近、OFW厨がトチ狂って見境無くコピペ貼りまくってるんだよ。
とうとうスレ名も流れも空気も全然読めないほど重症化したようだ。
・・・春だなあ。
OFWさん、どうしてらっしゃるかな。 むかしは、マル経素人の俺にいろいろ教えてくれて、 ほんとに世話になったなぁ・・・。
360 :
考える名無しさん :2009/03/30(月) 22:10:40 0
>>359 OFWはヘーゲルにも詳しかった記憶がある。
ありゃ、どっかの大学のセンセなんか?
チンポ太郎さんとかもそうだけど、実力あるのに煽りに負けずに 書き込みつづけてくれたひとって本当貴重だったわ
へーゲルの国家本質論の基礎は個人本位にあらず国家本位にあらず。今例の弁証法をかりて説明せんか、個人本位は正措定なり
国家本位は反措定なり、真理は両者の綜合措定に在りと云ふべきなり。へーゲルは固より唯理論派の流れを汲み「個人的自由」
てふ思想を脱するを得ず。
(略)
以上述べたるが如く、ヘーゲルは国家の目的を以て自由意思の完成にあるとせるも、其の所謂自由意思たるや、従来の考説
の如く小我の自由意思を云ふにあらず、個人の本性にして宇宙の本体たる大我の自由意思を意味するが故に、彼れの国家本質
論は自ら従来多数の自由意思論者の国家論と其趣を異にせざるを得ず。故にヘーゲルの説が自由意思論に基くの故を以て之を
個人本位の学説なりと速了するは甚しく彼を誣(し)ゆるものなり。何となればヘーゲルの学説は個人本位的なるよりは寧ろ
国家本位的なるに近ければなり。只其が純然たる国家本位論と異るは同時に国家と個人との二ケの実在を承認するの点に在り。
−−吉野作造「ヘーゲルの法律哲学の基礎」、『法理論叢 第一二篇』(有斐閣書房、一九〇五年)。全集第一巻所収。
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_62c5.html
法哲学読み終わったよー 理解度10%くらいだよー もう一回読むよー
365 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 09:33:35 0
理解度10%くらいなら、10回読めば100%だ。 頑張れ
次にヘーゲル全集が発売されるのはいつですか?
367 :
考える名無しさん :2009/04/24(金) 15:16:49 0
<<354 Denkbestimmung≠Kategorien. Denkbestimmung≒Auslegung. これが答えだと思っているけど自信がないので聞いてみた。 Hegel自身がKategoryと呼ぶことがあるから紛らわしい?
368 :
考える名無しさん :2009/04/24(金) 15:19:07 0
現代の論理学ってヘーゲルが言う形式論理のこと? ラッセルとかのこと? だとしたらスルーか一言レスして終了じゃないかな。
370 :
考える名無しさん :2009/04/28(火) 20:36:55 0
小学生でも分るような会話でヘーゲルを語れ
371 :
心の仕組みドットコム :2009/04/29(水) 06:02:32 0
心の目空きの話を、心の盲人が聞いても分かりませんよ。 でも、小学生なら分かるかも知れませんね。
>>370 おくたばりあそばされた池田晶子にでも
頼みなさい。
373 :
考える名無しさん :2009/04/29(水) 07:35:42 0
アートマンは、宇宙の根本である!
岩波の自然哲学だけをどこかで手に入れる方法はないものか
世界精神様が病気のようだね
>>374 図書館で借りてコンビニ渡り歩いて全ページをコピーする。
この程度の根性がないとヘーゲル哲学なんてやってられませんよ。
コピー屋行けよ
378 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 13:05:21 0
>>376 それってオレも考えたことあるよw
幸いコピー機は仕事柄持っているからなんだけど、ヘーゲル関係の学術書って
とてつもなく高いからね。自分も歴史哲学しか持っていない。後は研究者の概説書。
379 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 13:18:20 0
ラッセル ラッセルーっ
380 :
¥ :2009/04/30(木) 13:46:24 0
みっせるみっせるーーーーーぅ
381 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 16:08:32 0
今時古本屋で岩波版ヘーゲル全集全32冊が五万八千円であるのに・・・、 どんだけ貧乏で貧しいんだよwww
382 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 16:11:21 0
でも、古本屋の全集って汚いんだよな。 値段が高い割に。
383 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 16:18:32 0
いまどきPCのプリンターに コピー機能ついていないか?
384 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 16:22:07 O
安寧秩序ってやつ
385 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 16:37:01 0
美函入りでほとんどだあれも読んでないような美本であったよwww まぁ、ヘーゲルなんて難解すぎて新刊のときから誰も買わなかった売れ残りだったんだろうね。 残りものに福ありwww
ゴルフクラブ買ってゴルフに満足する奴っているよね。
387 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 16:48:05 0
いや満足はしていないんだがねwww ヘーゲルを振り繰り回して思索の鍛錬に悪戦苦闘しておるわいwww なに・・・、羨ましいのか・・・?www
>>386 →
>>376 本腰入れてる奴はコピーするより返却日気にしてせっせと読んで、読みきれなければ延長、借り直し、
くらいするんじゃないかと。まあ、カキコができないという欠点はあるがそれも本の内容によりけりだし。
389 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 21:47:09 O
信頼できる邦訳ってあるんですか?
390 :
¥ :2009/04/30(木) 21:54:00 0
いま安寧のがいいよカムイより
391 :
考える名無しさん :2009/04/30(木) 22:26:21 O
全体をみわたすには必要なものがある。
複合機型のプリンターが昔より普及してるんだから、 スキャンしてスキャン画像を両面印刷して製本するって手もあるよ
そこまでするなら普通に本買うわw
394 :
考える名無しさん :2009/05/01(金) 17:22:40 0
邦訳は悪文が多い。原文が悪文だから仕方がないが言葉が硬くなる。 英訳か仏訳で読むとスラスラ読める。
395 :
389 :2009/05/01(金) 18:28:40 O
396 :
考える名無しさん :2009/05/02(土) 20:54:01 0
辞書を引き引き英訳や仏訳で読んでも仕方が無いんだが・・・? 長谷川訳で「精神現象学」読んだほうが良くわかると思うけど。
なんで長谷川訳って叩かれてるの?
398 :
考える名無しさん :2009/05/05(火) 17:57:05 0
長年の岩波のイメージが強いからじゃない? 難解な方がヘーゲルっぽい先入観もあるのかも。
399 :
考える名無しさん :2009/05/05(火) 20:30:14 0
岩波文庫の長谷川訳「歴史哲学講義」は面白くて分かりやすいけどね。 最初に読んだとき「これほんとにヘーゲル?」ってビックリしたぐらいだもんね。
400 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 08:26:15 0
長谷川訳で簡単に理解できるなんて許さないから。 わたしたちと同じように苦労して理解するのがヘーゲルですわよ。
401 :
し :2009/05/10(日) 09:14:45 O
ヘーゲルね。たしかに深いただおれはおなじようにショーペンハウエルからではなく心をフランクフルト学派から全体を社会システム論や工学から得たわけだが。だいぶでかいね
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
406 :
考える名無しさん :2009/06/10(水) 10:57:31 0
知と汗となみだを流せ
407 :
考える名無しさん :2009/06/10(水) 10:58:29 0
血と汗となみだを流せ
wiki荒らし死ねよ
409 :
考える名無しさん :2009/07/26(日) 20:50:46 O
ヘーゲルによれば運動や変化を表すには矛盾律を常に正しいとは考えない。 のはなぜでしょ?教えて下さいやさしい人
410 :
考える名無しさん :2009/07/26(日) 21:35:44 O
あげ
以下、山下正男『論理学史』(p225)より (ボルツァーノは)例えばヘーゲルの好む表現 "運動とは質点Mが同じ瞬間に同じ場所mにあり,そして,ないことである" (大論理学邦訳岩波中p79より)を論理学の自殺だときめつけ,運動はそうした矛盾律を犯さなくてもつぎのように正しく 把握できると主張した. "質点Mが一定の時間Tに運動するとは,Mが同一の場所に静止するようなTの部分tは一つも存 在しないということである".
sage
413 :
考える名無しさん :2009/10/18(日) 03:11:18 O
ラッセルからやり直せ
既出? 作品社 ★ 2010年3月以降刊行予定の本 『大論理学 第一巻 存在論』 ヘーゲル 山口祐弘(東理大)訳 予価:4800円(税別)
415 :
考える名無しさん :2009/10/20(火) 19:12:43 0
>>414 さん。
ありがとう。
教えてもらわなければ
わからないとこだったよ。
さっそく情報収集してみるよ。
416 :
考える名無しさん :2009/10/20(火) 19:17:42 0 BE:3077849489-PLT(13230)
光( ^ω^)闇
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
423 :
考える名無しさん :2009/12/27(日) 15:38:16 0
他在において自己を保持する。例えば愛は、互いに自我を捨て合うことでしか見いだせない自我のこと。 命も命の他在、すなわち死によって支えられている。この単純な概念を直観できればヘーゲルの入り口 をこじ開けたことになる。キリスト教はヘーゲルを支え、ヘーゲルはキリスト教をささえる。だから、 キリスト教を心で理解することが必要。心で。ヘーゲル以降のものでヘーゲルを理解せんとしても無駄。 解説書を100冊読むのがいちばん。一生やる気ならね。
424 :
考える名無しさん :2009/12/28(月) 00:03:12 0
ヘーゲルに入り込みすぎるとアイディンティティの危機をむかえる。それは日本のキリスト教徒とよく似てる。 真理は民族を超えるか、という苦悩だ。若きヘーゲルもキリストの普遍性とギリシアの美しき人倫性をいかに 統合させるかで苦しんだ。それが愛による運命との和解として結実した。カルケドン信条の論理化、すなわち 三位一体という宗教的表象の止揚があらゆるエレメントに貫かれてる。現代は歴史の終わった後の時代だ。 歴史は真理を現象させることで役目を終えた。もう新しいことは何もおきない。ヘーゲルの限界は哲学の限界。 ヘーゲル以後の哲学は、ヘーゲルの後産にすぎない。若い諸君、学者になれなくて、それでも真理をつかみたければキリスト教信じるしかないよ。聖書とヘーゲル 一生読んでゆく人生だ。幸福とは空白だ。苦悩こそ真理への道だ。日本社会の現実は厳しいぞ。社会に適応し つつ、真理を求めれば、だいたい目的に達するヨ。
425 :
考える名無しさん :2009/12/28(月) 06:56:32 0
気ままや、おもいつきでヘーゲルやるのは、学者というポスト以外、実用性がないから、 いや、実用性にとって危険な思想だから、挫折は必定。 肉体は悲し、ああ、われは 全ての書を読みぬ。 逃れん、かしこに逃れん。未知の泡沫と天空の央にありて 群鳥の酔い疲れたるをわれは知る。
426 :
考える名無しさん :2009/12/28(月) 07:17:01 0
カントは信仰を保持するために知識を制限したのに、ヘーゲルはキリスト教と理性の和解をもくろんだ。 それは、はたして達成されたのか。それがヘーゲル以降の哲学の全課題だ。
427 :
考える名無しさん :2009/12/28(月) 16:50:23 0
「ヘーゲル論理学研究序説」海老沢善一著 梓出版社 2002年1月発行 とてもありえぬこと… イエスの出来事。
428 :
し :2009/12/28(月) 17:47:18 0
なんともやる気がしない
初心者なのでアホな質問だったらごめんなさい。 過去レスでも似たような質問がなされていますが、 「法哲学」ないし「法哲学綱要」について、これを補充する講義録の邦訳が何種類か 出ているようですが、この中で定評があるものはどれなのでしょうか。
430 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 05:42:52 0
423,424ですが私は素人で、ただヘーゲルを一生の先生と思って生きてきただけ。 当然、語学は知らないし、独りよがりにすぎない。諸君の頭脳には到底及ばない。 そのおかげで、犠牲にしてきたものも多い。ただ死ぬときは満足して死ねるのでは、と、 思ってる。ヘーゲル主義者ということだろうが、この混沌とした社会の中で、最もオー ソドックスな価値観、世界観、歴史観を持てると、確信してる。ただし、ヘーゲル右派 だけどね。実存を支えるには右派しかないと思う。人間は哲学と哲学との戦いだ。今、 支配的なのは、カント、科学哲学だ。もし今の欲望至上主義世界の暴走の果てに、人間 が、人間でないものになり果てていなければ、その時、ヘーゲルは皆の哲学になってる はずだ。なんせ、もっとも常識的な考えなのだから。
432 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 15:24:04 0
大学のポストめざしてヘーゲルやるのは一番不利だ。いちばん楽なのは英米の,科学 至上主義の御用哲学だ。なんせ、資本主義が応援してくれる。 脱落したら、同年代の俗物の集団の中で、変な奴として一生、ひや飯くう。女に一番 もてない。没落する。わかってんのか。君の足元、断崖絶壁なんだぞ。社会はあまくないぞ。 中原中也25歳、石川啄木27歳、宮沢賢治35歳、シューベルト31歳、モーツアルト37歳。・・・・・
433 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 15:45:14 0
永遠の青空の 朗らかな皮肉は あたかも もろもろの花のごとく 無関心に美しく、 懊悩の 実を結ばぬ砂漠のさなかに、みずからの 天分を呪っている無力の詩人を 圧倒する。
434 :
し :2009/12/29(火) 15:52:11 0
おれは悲しいぞ。いいか?双子は双子だ。 通ってきたみちも縁が深い。不思議なことも何とかわかってきた。 「青りんご」も「大友」も「駿河」も深い。「桜」も深い。 そういうものだ?幾何学模様なのだ。ということは意味的には 双生というものはいつも平行に進んでいるということだ。 「仙台の雨」もそうだ。不思議だな?知ってることをいってみそ?
435 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 16:07:50 0
石を食え。ああ、眠りたい、学問しても忍耐しても、いずれ苦痛は必定だ。 深紅の紅の繻子の肌、それ、そのあなたの灼熱が、ひとの務めというものだ。 また見つかった、 ーーー何が、−−−永遠が、 海と溶け合う太陽が。
436 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 16:16:46 0
卵が先か鶏が先か頭か尾か?尾か頭か?頭の頭か? しかしそれがどこの誰だかだーれもわからない。 そんな自分でもこころのどこかに自分と似たところが あるか?それを心のより所にしようと思った?
スピノザは、1673年にプファルツ選帝侯からハイデルベルク大学教授に招聘されるが、 思索の自由が却って脅かされることを恐れ、これを辞退した。 ヘーゲルは、1816年にニュルンベルクで『大論理学』を完成し、これによってヘーゲル はようやくハイデルベルク大学に教授として迎えられ、1817年.に『エンチクロペディー』 でその哲学体系を示した。 (むろん階級による個別差はあるが) スピノザとヘーゲルが違う以上にヘーゲルと現代は状況が違う。哲学というより形而上学は 没落というより存在の影すらなくなった。 その状況差をヘーゲルなら何と説明するだろうか?マルクスやコジェーブをどう評価する だろうか? ちなみに、 ヘーゲル体系はフラクタル構造になっていて、この構造は自然に多く見出される。 マンデルブロートは株価もフラクタル状に推移するとした。 カード(これを出版してほしい)を使って体系を組み立てたヘーゲルはそうした数学的構造 に充分な論理的かつ合理的見解をもっていなかったように思われる。
438 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 16:43:57 0
静かな肩には、声だけがならぶのでない。声よりも近く、敵がならぶのだ。 勇敢な男たちが目指す位置は、その右でも、おそらく左でもない。 無防備な空がついにたわみ、正午の弓となる位置で、 君は呼吸し、かつ挨拶せよ。 君の位置からの、それが、もっともすぐれた姿勢である。 (石原芳郎詩集)
いい詩ですね
440 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 16:57:52 0
437>> 424見て。 「ヘーゲルの未来」カトリーヌ・マブラー 西山雄二訳 未来社 2005年
441 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 17:04:02 0
425、と433は、マラルメ。435は、ランボー。
442 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 17:07:58 0
ヘーゲル理解するのに、哲学だけでいいのだろうか。
443 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 17:18:35 0
すくなくともキリスト教の知識は必要だ。ヨハネ伝の冒頭はヘーゲルそのもの。
>>431 ありがとうございます。いろいろバージョンがあるのですね。
ちょうど、「人倫の形而上学」を手にして、そこからヘーゲルのほうに流れてきたところでしたw
参考にさせていただきます。
445 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 20:50:14 0
>>428,434,436さん、だいじょうぶですか。自分の書いた 文章を、もう一度、読み直して、なんとも思わないなら、客観的に見て、 だいぶ精神的に参ってる証明ですよ。2chだから、ブラックユーモアもあるんですよ。真に受けないでネ。 いきずまったら、故郷に帰って、一からやり直したほうが、いいですよ。 真理は民族を超えない、というのもヘーゲルの真理なんですから。矛盾を肯定する力があるんです。 日本人として生きようとすれば、周りは皆受け入れます。演歌でも聞いてね。お勧めは島津亜矢です。いま日本で一番うまいといわれている歌手です。
446 :
し :2009/12/29(火) 21:16:42 0
「朝倉」といえば「さくらもち」 「内田」君といえば時計のはりの12分から52分のところ 抽象的なことを書くときらわれるが そうすると忍者ということになる。ヘーゲルの意識から全体を 論ずるところに意味が出てくるのだ。
447 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 21:41:13 0
安心しました。
448 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 22:53:41 0
精神の現象学の理性の章には面白いことが。観察する理性に、「この深きものとこれについての無知 とのかかる結合は、生けるものにおいてその最高の完成の器官である生殖の器官と放尿の器官とを結 合と・・・・同じようなものである。」とある。 快楽と必然性には、ヘーゲル自身の、人生最大の失敗が生き生きと哲学されている。
449 :
考える名無しさん :2009/12/29(火) 23:18:11 0
金子訳の末尾、ヘーゲル以降で、マルクス「経哲手稿」が、精神現象学の解釈 としては、絶対知の成立には、主客の相互外化の必要を承認し、かつ、それを コンムニスムスと規定することの点で、他の追従を許さない。とある。 基本的には金子先生を信じたい。訳業を尊崇してるから。
450 :
考える名無しさん :2009/12/30(水) 07:01:11 0
神は愛。愛は義を超える生命。美しい魂は地上の掟にそむく運命におかれても、愛はその罪を許し、愛において運命に和解をもたらす。 罪人は自分が否定した根源の生命を、ゆるしと悔恨の涙の中で、取り戻す。根源の生命は自らを分かち、対立を生むが、再び合一へ立ち帰る。 ・・・・ロメオとジュリエットが愛しあってるのは、存在について言えば、愛の生命が、自分を二つに分かち、同時に、ひとつに合一している ということ。これをヘーゲルは「結合と非結合との結合」と規定する。・・・・生命体の構造も同じ。個体は類から自分を分かちつつ、死、 すなわち,類を受け入れるはたらきで、成り立つ。 (加藤尚武 ジョーク哲学史 河出文庫 1988年) われわれは、すでに、終わりの後をいきている。 ・・・・かんじんなことは、告げられていた終わりが、なんの終わりかだ。 ( 同 )
451 :
考える名無しさん :2009/12/30(水) 07:47:31 0
日本の近世からの歴史は、いかにキリスト教と距離を取るかの歴史だった。 民族のアイディンティティへの脅威。ヘーゲル主義が、かろうじて、普遍 (キリスト教)と特殊(日本)を結合でき、個別となれるのでは。
452 :
考える名無しさん :2009/12/30(水) 16:40:16 0
日本教養主義の牙城たるヘーゲル。 サラリーマン文化の蔓延と覇権が、これに終わりをもたらした。
453 :
考える名無しさん :2009/12/30(水) 17:35:41 0
この心、大海深く浸されて、引きとどむべき縁由なし。おお夜よ、素白の守り固くして、 虚しき紙を照らす、わが灯の荒涼たる輝きも。船出せん。錨を揚げよ。 倦怠は、残酷な希望によって懊悩し、疾風はたちまち帆柱を難破の人の上に傾け、 藻屑と消えて、帆桁なく、帆柱なく、豊沃なる小島もなく・・・ 船出して、友よ、われ、はや艫にあり。君、気も驕り、舳先に立ちて、雷と真冬なす浪、 掻き分けて。 寂寥、暗礁、北極星。 悩みを、興へし、あらゆるものに。 (抜粋 マラルメ)
454 :
考える名無しさん :2009/12/30(水) 22:10:08 0
もし人間が欲の果てに不老不死、すなわち、クローン化したとき、文化のノアの方舟に乗せるべきもの ソフォクレス「アンチゴネ」、「オイディプス王」。聖書。ラファエロ「大公の聖母」。バッハ(マタイ」。 モーツアルト「ピアノソナタ8,9,11」。ベートーベン「作品125」。ゲーケ「ファースト」。 カント「純粋理性批判」。フィヒテ「全知識学の基礎」。シェリング「先験的観念論の体系」。ヘーゲル「精神現象学」、「大論理学」。 本居宣長「古事記伝」。島津亜矢「大全集」。
>金子先生 ちくま文庫の精神現象学の解説本は誠実な本だと思いますが、 細川亮一『ヘーゲル現象学の理念』における、『精神現象学』は『哲学史講義』と並行対応関係にあり、 懐疑派や新プラトン派が重要だとする説を読むと、あまりにもカント批判哲学偏重の弊害が大きいように感じます。
457 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 05:52:11 0
FEBC.
458 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 06:54:34 0
裾野を切り捨てると、山はひくくなる。 ポストを約束されない人の志のゆくえが。・・・・
459 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 07:29:18 0
2chは大衆のもの。あえてエリートがスレ立てするなら、大衆を啓蒙するしごとを 引き受けるべきじゃないでしょうか。
460 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 07:44:35 0
むしろ、大衆にぜん望のまなざしを浴びる快楽のためでしょうか。
461 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 13:59:41 0
21世紀最大の脅威は、生命科学の進歩による、人間の認識の根本変革だ。バイオエシックスの問題と言える。(脳死、クローンなど) 皆がクローンになったらどうしようw
462 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 14:02:49 0
今年最後にいいこと書いたなw
463 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 16:58:25 0
2chは庶民のもの。エリート同士の情報交換は、そういう会員だけのブログでやらないと、 支持者が、どんどん減ってしまう。エリートも自分で自分の首をしめるだけ。 支持者は客と同じ。客を見下すと、いままでの熱い思いもさめるだけ。このさき、国はドイツの 哲学まで擁護しますかしら。日本の伝統文化を優先すると誰もが思うでしょう。先細りの予算の 中で。支持者を釣って、劣等感抱かせてどうするんでしょうか。
464 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 21:25:53 0
・
465 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 21:27:18 0
・
466 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 23:11:06 0
2chが庶民のものという考え、ローカルルールに対する無知から来た誤解でした。 訂正し、お詫びします。
467 :
429 :2009/12/31(木) 23:47:15 0
さっそく長谷川さんの法哲学講義ゲットしました。 おそろしくわかりやすい訳ですね。 ただ、事項索引がないのが残念ですね。
468 :
考える名無しさん :2010/01/02(土) 13:37:12 0
ヘーゲルは当時マルクスがすぐに理解したように、親が子にギリシャ語やラテン語を教え、古典に親しみ教会に通う教養家庭 に育てば、ドイツ人にはさほど難しくはなかったでしょうね。カント、フィヒテ、シェリングぐらい学んどけば。その前提がない 上に、現代では「思惟に専念する認識の冷静な寂境に耳をかす」(ヘーゲル)環境とは程遠い日本ではとてつもなく 難しい。
469 :
考える名無しさん :2010/01/02(土) 17:25:39 0
423から私はほとんど一人でここまで書いてきた。ちょうど1週間だ。私はパソコン初心者で、2chが初めての書き込みだ。このスレが初めて と言ってもいい。面白くてどんどん書き込んだ。誰かが読んでくれてると思って。ヘーゲルやっても学者のポストにつけない人に向けて書いてきた。 しかし、今哲学スレッド一覧みて恐ろしくなった。まるで「カッコウの巣の上で」という映画のようだ。私は二度とここには書かない。 ヘーゲル研究者のみなさんさようなら。
[個人の内面] キルケゴール (主体的実存) /| / | ←/ | [現代思想]/ | [近代主観主義] ニーチェ/____|____ヘーゲル (神の死)\ ← | (絶対精神) \ | ←\ | \ | \| [社会の現実] マルクス (共産主義社会) K・レヴィットの図式 (『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
そういう図式を書きたがる人にろくなのがいないのはなぜ? ヘーゲル的に説明できますか?
つカントの図式論
474 :
改訂版 :2010/01/15(金) 23:12:23 0
近代から現代へ至る思想の見取り図 [近代主観主義] ヘーゲル (絶対精神) | | ↓ | [個人の内面] | [社会の現実] キルケゴール_____|_____ マルクス (主体的実存)\ | /(共産主義社会) \ | / \ | / \ | /↓ \|/ [現代思想] ニーチェ (神の死) 上記はK・レヴィットの図式(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32の図を90度回転させた。) 近代はへーゲルの絶対精神に発し、現代のニーチェの神の死へ至る。 その際、観念と物体、内面と社会のバランスが大切だとレーヴィットは言う(『ヘーゲルからニーチェへ』)。 柄谷行人ならキルケゴールではなくカントを導入するだろう。
>>469 は、旧約聖書の『伝道の書』か
ファウスト博士みたいなヤツだったんだな・・・。
ヘーゲリピー
477 :
考える名無しさん :2010/02/01(月) 15:50:44 0
歴史哲学講義ってヘーゲルの中では分かりやすいですか?
478 :
考える名無しさん :2010/02/03(水) 17:54:40 0
凄く分かりやすい上に面白いよ・・・。
479 :
考える名無しさん :2010/02/06(土) 04:58:04 0
精神現象学を読む前に法哲学を読むのはよくないですか? 法哲学のほうが取っ付き易い気がしたものですから。
480 :
考える名無しさん :2010/02/06(土) 08:51:14 0
>>479 いいんじゃないですか。見方によっては、法哲学のほうが分かりやすい。
481 :
考える名無しさん :2010/02/06(土) 22:53:35 0
>>480 ありがとうございます。挑戦してみます。
安価なら哲学史講義を薦めるのだが、、、、
>>482 それだって、『歴史哲学』をおさえとかなきゃ
話にならないよ。
ヘーゲル『宗教哲学講義』諸宗教分類表 (堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』下584頁より。原本は縦書き) _________________________________________________ | | | |精神的なものと | | | | | |自然的なものの統一 |原始宗教(理神論)| | | | |__________|_________| | | |直接的宗教 |宗教的契機が感性的な| | | | |(自然的宗教) |もののうちにあり、超| | | | | |出の契機が自然性のう|呪術 | | | | |ちに閉じ込められてい| | | | | |るもの | | | | |________|__________|_________| | |自然宗教 | |度量の宗教 |中国の宗教 | | | | |__________|_________| | | |意識の自己内分裂|想像の宗教 |インドの宗教 | | | | |__________|_________| |実定宗教 | | |自己内存在の宗教 |仏教 | | | |________|__________|_________|
| | | |善の宗教・光の宗教 |ペルシャの宗教 | | | | |__________|_________| | | |自由の宗教への移|苦悩の宗教 |シリアの宗教 | | | |行段階の宗教 |__________|_________| | | | |謎の宗教 |エジプトの宗教 | | |_________|________|__________|_________| | | |崇高の宗教 |ユダヤの宗教 | | | |________|____________________| | |精神的個性の宗教・|美の宗教 |ギリシャの宗教 | | |自由な主観性の宗教|________|____________________| | | |合目的の宗教・ | | | | |悟性の宗教 |ローマの宗教 | |_________|_________|________|____________________| |概念・絶対的宗教・| | |完成された宗教 | キリスト教 | |_________|_______________________________________|
>>483 哲学史からだとどっちにでも行ける。
哲学史講義
/\
精神現象学 歴史哲学
/ \
論理学 法哲学
ヘーゲル「討論テーゼ(Dissertationi philosophiae. De orbitis Planetarum decía en su segunda tesis)」
("Hegel's Habilitationsthesen")。1801
http://books.google.co.jp/books?id=uY4OAAAAQAAJ&pg=PA253&dq#v=onepage&q=&f=false 1. Contradictio est regula veri, non contradictio falsi.
1.矛盾は真理の規則にして、非矛盾は虚偽の規則なり
2. Syllogismus est principium Idealismi.
2.推論は観念論の原理なり
3. Quadratum est lex naturae, triangulum mentis.
3.四角形は自然の法則にして、三角形は精神の法則なり
4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae, neque unitati ut differentiae est locus.
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、一は差と考うベからず
5. Ut magnes est vectis naturalis, ita gravitas planetarum in solem pendulum naturale.
5.磁石が自然の梃子であるように、太陽に向かう諸惑星の重力は自然の振り子である
6. Idea est synthesis infiniti et finiti et philosophia omnis est in ideis.
6.理念は有限と無限の総和にして、全哲学は理念のうちにあり
7. Philosophia critica caret ideis et imperfecta est Scepticismi forma.
7.批判哲学は理念を欠くがゆえに懐疑論の不完全なる形式なり
8. Materia postulati rationis, quod philosophia critica exhibet, Cam ipsam philosophiam destruit, et principium est Spinozismi.
8.批判哲学の樹立せる理性の要請なるものは、まさしくこの哲学そのものを破壊し、スピノザ主義の原則なり
9. Status naturae non est in]'ustus et Cam ob causam, ex illo exeundum.
9.自然状態は不義にあらず、さればこそこれより脱れ出でざるべからず
10. Principium scientiae moralis est reverentia fato habenda.
10.道徳学の原理は運命に捧げられるべき畏敬なり
11. Virtus innocentiam tum agendi tum patiendi excludit.
11.徳は能動および受動いずれの無罪潔白をも排除す
12. Moralitas omnibus numeris abSoluta virtuti repugnat.
12.すべてにおいて絶対的なる道徳は徳と矛盾す
488 :
考える名無しさん :2010/03/04(木) 08:50:14 0
弁証法をことさら持ち出すやつはウンコ 豆知識な
コジェーヴでもジジェクでもヘーゲルの弁証法はなかったことなっている。 近年のヘーゲル再評価は倒錯しているが、そもそもそのラインでしか再評価できない。
491 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 13:28:19 0
最近ヘーゲルに興味を持ち始めた哲学なにも知らない人間です キルケゴールもバタイユもヘーゲルの体系的で世界が完成へと向かっていく哲学に対して 実存ということを持ち出したらしいですが、ヘーゲルも意識内容の弁証法的発展を通して 人間の実存を深く考えていたのではありませんか。 何故ヘーゲルは体系的と批判されるのでしょうか。
ひとつは全体主義に向かうから ひとつは体系からはみ出すやつが困るから かな。
キリスト教社会や、プロイセン、ドイツ官僚制を歴史(および体系)の到達点と見なしていた(と読める)から ではないでしょうか? 馬上のナポレオンを見て感動したくだりは、ナイーブで微笑ましいのですが ヘーゲル自身が権威 になってしまった後だと反撥したくなるのもわかります。 しかし、読み替えの可能性はいくらでもあるのでイメージだけで拒絶されるのはもったいないとも思います。 (実際マルクスのような唯物論者でもヘーゲルからかなり学んでいる)
494 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 14:55:14 0
世界が認識を深めて真理に至るという論理は現在ではヘーゲルにおいて重要ではないですか? そしてヘーゲルを批判する思想家たちも自己認識を深める弁証法の理論のほうには影響を受けていると考えてもいいんでしょうか。 僕としては今日の複雑化した社会をみて一元論的な決定論にシンパシーを感じるところもあるのですが。 まったく著作もなにも読んでいないのに聞いてすいません。今度入門書を読んでみます。
495 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 16:02:30 0
「論理学(弁証法論理)は世界創造以前の神の思惟である」(ヘーゲル) 唯物論のマルクスも弁証法で世界観を組み立ててるよね。
>>494 >
>世界が認識を深めて真理に至るという論理は現在ではヘーゲルにおいて重要ではないですか?
(かつてボルツァーノがヘーゲルのそれを論理学的な自殺と評したように)ヘーゲルの論理学は分析
哲学の側からはまったく評価されていない。
(最近そうでもないという話もあるが)
これは正しい評価なのだが、ヘーゲルにはヘーゲルの論理があり、それを説明する必要があると思う。
例えば彼は、(生物学であれば)ゲーテによる中間項たる「葉」をフラクタルに評価しているような
自然学を取り入れている。
これを展開したフラクタルな世界観は(ヘーゲルによって数式化されてはいないが)決定的なものと
してあると思う。しかしながら分析哲学側の人は論理学以降の数学(フラクタルが数学であるならば
だが)を放棄しているのでそうした評価を思いつかない。
決定的なものとしてあると思うのは勝手だがそのままではただのドグマ。 思いついたところで何になる? 論証しろよ。じゃなきゃ単なる知の欺瞞。
498 :
考える名無しさん :2010/03/15(月) 14:29:23 0
>>491 弁証法は、an sich,fur saich,an & fur sichであって、「sich=自己」意識の
進展の、ごく普通に有り勝ちな「パターン」一つにすぎないのでは?
このパタンを、ある対象(歴史、精神、論理、、、)に適用して考察するなら、体系化しようと思えば、いくらでも出来そう(恣意的に)に思う??
>>498 「・・・しかし、そこに否定的なものの厳しさと痛みと忍耐と労働とが欠けている
のならば、こうした考え方は単なるお説教に堕し、気の抜けたものにさえなってしまう。」
(『ヘーゲル』世界の名著、P102、中央公論社、1978年)
500 :
考える名無しさん :2010/03/15(月) 19:09:28 0
恣意的であることには変わりが無いように思うけど。
「ヘーゲル弁証法のもつ論理上の特徴。 一、存在と思惟は一致する。 二、叙述は自己言及的である、あるいは命題の形式は破棄される。 三、真理の基準は承認あるいは同意にある。」 (『ヘーゲル論理学研究序説』、P547、海老澤善一、梓出版、2002年)
502 :
考える名無しさん :2010/03/16(火) 08:07:55 0
生物は、淘汰圧の下で、規則的でしかも激変する外界への対応を出来るだけ効率化するため、その脳内情報処理は,一種のad hoc な体系、ベクトルコード化されているんだって。
SE(システムエンジニアも、対象である問題の「system」の作成が恣意的であればこそ、がんばることができる。
その意味で、
>>501 、「一、」の「一致」の意味も、「思惟」が、環境の「内的写しとして作動」することを指すなら分かります。勿論、「三」はOK。
ヘーゲルの謂う「体系」も彼にあっては「方法」と見なされているのでは?
>>501 の「ニ」によると、「述語の形式」はどうなるののでしょう?
「基体が根底に横わったままにとどまっているかのように考えて、表象的思惟は基体(主語)から 出発するが、しかし述語こそむしろ実体であるから、この思惟は主語が述語のほうに移行してしまい、 主語はもうなくなっているのを見出すのであり・・・」 「判断ないし命題一般の本性は主語と述語との区別を含んでいるが、この本性が思弁的命題によって 破壊せられるのであり・・・」 「思惟は主語においてもっていた確固たる対象的地盤を失っていると共に、また述語において 主語に向って投げかえされているのであり、述語において[論弁のごとく]己れのうちに帰って 行くのではなく、内容の主語(主体)のうちに帰って行くのである。」 (『精神の現象学』上巻 P59、60,61 金子武蔵訳 岩波書店 1971年)
504 :
考える名無しさん :2010/03/16(火) 21:26:51 0
具体的な命題では、内容関連の記憶は、「主語と述語の形式」へ、たとえばカテゴリーなどへ、どのように割り振られているのでしょう?
505 :
考える名無しさん :2010/03/16(火) 21:29:05 0
記憶だけが宙に浮いて??
そうではなくて、主語が述語のほうに移行するとき主語は廃棄される われわれにとって廃棄された主語は自己に帰っている
507 :
考える名無しさん :2010/03/17(水) 15:47:44 0
(1) 移行の後、記憶は、一体化されている主語的な記憶部分と述語的な記憶部分が、「述語」のなかではどのような形式で落ち着いているのでしょうか? そもそも、主語的部分、述語的部分は、それぞれ何に相当? (2) また、述語に移行したこの状態は、Hegelの云う根源非分割状態に相当するのですか? (3) そして、これが対自意識によって判断Urteilの形式で、再主語化、最述語化の部分に再分割されて発話??
508 :
考える名無しさん :2010/03/17(水) 15:53:39 0
記憶は2種類、「自己に帰っている」(主語関連の)記憶と、自己外の記憶(述語関連)
509 :
考える名無しさん :2010/03/17(水) 15:55:49 0
記憶を上記のように2種類に分割して考えているのでしょうか?
510 :
考える名無しさん :2010/03/19(金) 01:36:38 0
>>507 さん。
まず
>(1)そもそも、主語的部分、述語的部分は、それぞれ何に相当?
くわしく述べるスペースはないが、ヘーゲル論理学においては、この場合
主語=(概念の)普遍性 述語、もしくは主語からいまだ分割状態にある述語=(概念の)特殊性
そして主語と述語が統合された、(全体としての)概念=個別性
あなたの言う「記憶」の意味がよくわからないが、それを「発話」の過程性で述べるなら、
主語=「概念」の根源的かつ内的な抽象段階として、その概念が発話される以前の、いまだ発話者ののアタマの中に留まっている段階としての「概念」
述語=「概念」の根源的かつ外的な抽象段階として、その概念が発話される以前の、その発話者とはまったく無関係に「可能態的段階」に留まっている「概念」の意味一般
概念=主語と主語と述語が統合され、その「発話者のアタマ」からも「抽象的な意味一般」からも相対的に独立した、主体と意味が結合され「実体性」を獲得した生きた「内容」
>(2) また、述語に移行したこの状態は、Hegelの云う根源非分割状態に相当するのですか?
主語が完全に述語に移行し、またその述語が完全に「概念」という「実体性」を獲得してしまえば、
もうそれは主語と述語への再分割は不可能。よってそれはあなたのいう根源非分割状態。
>(3) そして、これが対自意識によって判断Urteilの形式で、再主語化、最述語化の部分に再分割されて発話??
ここはおそらく、その「発話」によって主語と述語が統合・実体化され「概念」となたった「意味」が、
それはいまだに現在においては「実体性」を所有しているにもかかわらず、未来にむけ
またふたたび「抽象的段階」に引き戻され、新たにまた「発話者」により同じ手続きでもって、
「より高度な概念」を目指してさらなる永遠の発展的継続をくりかえすこと。
だと思う。 俺は責任はとれないがね(w
>>510 この時代には通じているがヘーゲルについては門外漢の俺だが、基本的に
あってると思う。(1)は20世紀以降の言語哲学にも通じる内容だね。
512 :
考える名無しさん :2010/03/19(金) 16:08:32 0
>>510 ,
回答大変有り難かったです。まだ、すぐには掴みきれていませんのでゆっくり読ませて貰います。
ただ、そもそもカテゴリーについて、私は誤解していて、述語の最上位類概念とばっかり思っていましたので困っていたのです。思惟そのものの形式なのですね。
Heglの論理規定が、Knt的なカテゴリーにどのように対応するのかは掴みかねてますが。
>>512 カテゴリーっていうことばはどこから引っ張ってきたの?
514 :
考える名無しさん :2010/03/19(金) 17:04:28 0
認知科学で言うカテゴリーでなくて、昔からのアリストテレス的カテゴリーの意味にずっと引っ張られてきた。
カテゴリー自身が前進するという意味でのカテゴリーならヘーゲルにもあるっぽい。
516 :
510 :2010/03/19(金) 22:00:00 0
>>512 さん。
>Heglの論理規定が、Knt的なカテゴリーにどのように対応するのかは掴みかねてますが。
これはどこにも対応しません。
カントの例の12のカテゴリー表ですが、これはヘーゲル自身が、
ちょうどエンゲルスが反・弁証法信者に「形而上学的」というレッテルを貼りつけ葬ろうとしたように、
ヘーゲルもカントのカテゴリー表を、「あまりに固定的な形式論理学的であり、これでは千変万化する現実に対応できない」
といっとような理由で、『哲学史講義」や『大論理学』等で、そのカテゴリーの吟味・検証さえまともにやろうとせず、
脇に放り投げています。
よって、ヘーゲル自身には、カントから受け継いだカテゴリーは存在しないはずですが、
だがじつは、
>>515 にもあるように、ヘーゲルの「絶対精神」とは、「運動し歴史を駆ける『物自体』」であり、
アリストテレスからカントへ引き継がれた形式論理学では登場しない、ヘーゲル論理学固有に思える「個物性」という概念も、
結局はヘーゲルがその形式論理学から発展させたものにほかなりません。
つまり、ヘーゲルの強がり、自己申告にかかわらず、じつはヘーゲルの体系はカントという先人が存在しなければ
成立しないものだったのです。
私の
>>510 は、字数の関係で論の結論しか述べてない、非常にわかりづらい文章になりました。
>>510 かほかのことでも、疑問がでたらおっしゃってください。
最近は忙しいのですが、ヒマができたらレスしますんで。
517 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 10:23:10 0
>>516 有難いの極みです。少し考えたり調べたりします。今後を宜しく。
518 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 18:06:58 0
550 精神は解放されると、自己自身に到達し、自らの真実態を実現するようになる。 この仕事こそ最高の絶対的な"法"である。 特定の民族の自己意識は、普遍的な精神がその定在においてその度毎に展開する段階の担い手であり、 この精神が自らの意志を投げ込む客観的現実である。 このような絶対的意志に反するときは、それ以外の特定の民族精神の意志は権利を失う。 そういう民族は世界を支配するものであるが、普遍的精神はその度毎の自らの所有を、特定の段階と して超えて出て行き、やがて民族を没落するままにしておき、審判にまかせる。 ヘーゲル『エンチュクロぺディー』河出書房新社 p.415
一応ヘーゲル大論理学では、概念論の主観を論じた部分で、判断表(質/量/関係/様相の順)が参照、 改訂されている。ただし、4つの範疇よりもその中のそれぞれの三つの契機が強調され、概念へ の止揚が優先される。 カントは範疇を数学的と力学的の二種類に分けたが、ヘーゲルはそれさえ主体化の中で揚棄してしまっ ているために範疇間の差異よりそれぞれの三つの契機が優先されたと思われる。 そもそもその存在論で、質、量、限度といった範疇そのもののトリアーデ化もはかられていると見てよい。 (絶対理念)\ (生命) 理念 (認識) /______\ /\ <概念論>/\ /推論\ /__\ / 主観的\ /客観 \ /[概念]_判断_\ /______\ /\ /\ / \ / \ /限度 \ 『論理学』 /現実性 \ /______\ /______\ /\ <存在論>/\ /\ <本質論>/\ / \ / \ / \ / \ / 質 \ / 量 \ /存在本質\ / 現象 \ /______\/______\ /______\ /______\
520 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 06:59:21 0
>>516 >>503 >>510 から、
なにか、主語述語それぞれにおいて、独立に、(個別/特殊/普遍)、あるいは(本質Wesen/現象的実在Ex-/現実存在Akt-)のような、論理規定の即自態、対自態、即且対自態が、ずれつつ回転して、主語述語の、基体としての同一性を成立させているような。
もう少ししっかり考えます。
521 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 07:03:24 0
>>519 論理規定の進展は、トリアーデのフラクタル構造みたいに見えます。
・たとえば最上位のstageは、(存在/本質/概念)の3要素。
・次の第2stageは、これらの各要素がそれぞれの3要素に。従って全要素は32の9個の論理規定の集合。すなわち、存在は(質/量/限度)、本質は(反省/現象/現実性)、概念は(主観性/客観性/理念)。
・次の第3stageは33の27個の論理規定。
・そして概念では、下位の第6stageまでの展開も。たとえば第5stageに見られる(総合的認識)は、さらに第6stageの(定義/分類/定理)へ。
このフラクタルの、左右の進展は、論理規定の(即自/対自/即且対自)の「弁証法的展開」ですね。
そこで、教えていただきたいのは、この上下stageの進展(その「展開」、ないしは「運動」)は、hegl研究の皆様の間で「一般」になんと呼ばれているのでしょうか?
この、論理規定の上下の展開に特に興味を持っているものですから。 どうかよろしくお願いいたします。
522 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 07:08:59 0
>>521 の訂正
上から4行目の「32」は、3の2乗。
上から6行目の「33」は、3の3乗。
523 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 07:27:35 0
私
>>520 ですが、
>>516 の「ヘーゲル論理学固有に思える「個物性」という概念」がはっきり掴めません。
524 :
考える名無しさん :2010/03/22(月) 18:53:29 0
>>521 この過程、単純に考えるなら、「分析的認識」です。でも、上位の論理規定が対自態や即且対自態であっても、いずれもが下位では即自態に変容するところに、どんな機構が考えられているのか。
単に分析的認識というほど単純でないと思うものですから。何らかの呼び名がついているのかと思うのです。
525 :
考える名無しさん :2010/03/22(月) 19:21:50 0
たとえば、「総合的認識」は対自態のカテゴリーですが、その下位の「定義」は即自態です。
526 :
横レス :2010/03/23(火) 02:43:44 0
ヘーゲル体系の基本は(左下から番号順に)、 3類=普遍(即且対自) /\ /__\ 1個=個別 2種=特殊 (即自) (対自) ですが、その論理学においては、以下やはり番号順に、 1類 /\ /__\ 2個 3種 だったり、 2類 /\ /__\ 3個 1種 だったり、 あらゆるパターンが駆使されます。 すべてが循環してしまうというところに矛盾があると言えばあるのですが (その意味でコジューヴもジジェクもヘーゲルには弁証法はないと言う)、 ヘーゲルの論理学は実は(ゲーテゆずりの)生物学モデルなのですべてつじつまがあってしまいます。
527 :
考える名無しさん :2010/03/23(火) 13:31:38 0
>>524 門前の小僧の恥ずかしい一人相撲。
論理規定体系の表現に色々あります。平面正三角形のフラクタル、逐条展開、左右数直線のデデキント的無限切断、同一直径の回転上昇、、、。これらに釣られて、つい、Kant的instrumentalな図式を持ち込みたくなりました。
この過程(
>>521 ,
>>524 )、各項をそれぞれ否定するため、該項を改めて即自的に肯定した上で、「否定」を行っている。要は論理系の「記述の否定的展開」だと思いました。
いま、ご回答に接し、改めてよく読ませて頂き、考えます。
528 :
510 :2010/03/24(水) 23:01:28 0
>>523 さん、まだいらっしゃいますか?
>私
>>520 ですが、
>>516 の「ヘーゲル論理学固有に思える「個物性」という概念」がはっきり掴めません。
ここは簡単なことです。形式論理学には「普遍性」と「特殊性」という概念はあるが、
この両者は、カント哲学における「物自体」と「現象」の関係性に見られるごとく、原則的に対極の関係にありながらも、
けっしてお互いに交わることのないものだと規定されています。
ところが、ヘーゲル哲学にあっては、この二者の他にこの二者と異なる「個別性」≒「個物性」という概念が登場します。
そしてこの「個別性」とは、原則として抽象的規定体である「普遍性」と、同じく可能態的抽象物である「特殊性」が
合一されることにより発生する「実存・実体的存在」です。
ここは当然に、ヘーゲルが形式論理学における「普遍性」と「特殊性」を生きた運動物としてヒュージョンさせた結果、
生まれた概念だといってしまえるでしょうが、背景の事態はそれだけはありません。
時間があれば、カントの三批判書を成立順に読み返してみてください。
元来なら「現象世界」=「特殊的事象の集合体」に対しては「物自体」=「絶対的普遍性」は決して直接的には関与せず、
または「現象世界、およびそこの住人である我ら人間」は、「物自体」に関しては不可知なはずですが、
これが三批判書を読み進んでいくにつれ、いつのまにやらだんだんとカントが「物自体」の性質を述べている箇所が多く見られるようになってきます。
それ自体は動かず、運動せず、なにとも関わることのないはずの「物自体」に、
だんだんと色が染まってくるのがわかります。
こうしたところもまた、ヘーゲルが「個別性」という概念を獲得できた理由のひとつかもしれません。
現在、めちゃ多忙なので、今度いつレスできるかは保障しかねますが、
なにかあったらまた質問をageといてください。ヒマができたら書きこみしますんで。
では
>>523 さん、ヘーゲル研究をがんばってくださいね。
529 :
Fucking all night♪♪♪ :2010/03/25(木) 10:33:59 0
今日は嬉し、恥ずかし、奥さんとのデートだよ、と。 最低限のエチケットとして爪は切っておけよ、と。
530 :
考える名無しさん :2010/03/25(木) 13:47:20 0
>>528 「個物性」とは、所謂、「個別」、ないしは「個別性(Einzelheit)」のことだったのですね。
確かに、「個別性」は、個々の物、個々の人として発現するとされるわけですから、「個別性」≒「個物性」としてもよいわけですね。了解しました。
>>527 のことですが、Hglは、Kntの範疇論よりKntの時間図式論を高く評価したそうです(ヘーゲル事典 弘文社;「範疇」項 p404)。
Hglのカテゴリー(論理規定の意)の図式論について何かお考えをお持ちでしょうか。
531 :
横レス :2010/04/01(木) 23:42:24 0
ヘーゲルにおいて(カントと違い)感性と悟性が統一され主体化 されるのはいいとしても、実際にはキリスト、ナポレオンと単に 現権力の追認という形として実体化されただけだから、評価は難しい。 彼が空間論より時間論を重視したのも単に自然科学からの乖離をあらわ しているに過ぎない。 だがそれでも歴史的存在としてのヘーゲルは棄てきれない。 その理由をうまく説明できないのがもどかしい。
ヘーゲルって個物とか個体とかまともに論述してる?
論理学である程度の記述はあるけど、
>>528 の話しとは
違うような。
その記述はどこに書いてあるん?
533 :
横レス :2010/04/13(火) 02:57:36 0
ヘーゲル自然哲学の最後の方でホメオパシー(同種療法、長谷川訳 576頁)について言及されている ので驚いたことがある。 自然哲学における個体についての論述はゲーテの影響を受けながらも当時としてはかなり具体的かつ 先進的なもの(背伸びしたもの?)だったのではないかと思う。
534 :
必殺技 傲慢!剥奪蔑視 魔波 :2010/04/15(木) 20:20:08 0
障害はしだいに衰退していくものである。単に生活しているなんてまあまあの人生を 送れてる。怪我をしたって、失敗したって、どんなに不利益を蒙っても、一つ一つの失敗 の陳列なんていうのは悪いものじゃない。障害を学ぶことで、どういった方法で失敗する と知り、如何に恵まれてただけかを自覚させるのだ。 如何に油断していたかだ。ごく限られた世界で上手く行っていたに過ぎない人は自覚し てない、どんなに成功しても安息してたら自覚なんてできない。何か意味があって、逸脱 したのです。意義が無いとしたら、油断したままだったはずだ。 順調に行ける奴なんていない。どこか誤りに迷いこんでいるはずだ。 障害は社会に対応できなかった。対応できてたらそのままだったはずだ。昔のことに 固執してたから、僭越ながら失敗したのだ。 だから、駄目なんですよ。
ドイツ語の勉強が辛い;;
536 :
考える名無しさん :2010/05/21(金) 19:15:27 0
537 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 12:44:33 0
個人の性行や性的嗜好と、そいつの学的レベルとは無関係じゃぞ。 しかし、懲戒解雇とは痛い。
>>537 いや〜、そんなに簡単に話でもないでしょ。
539 :
絶対者のゆくえ :2010/05/24(月) 19:37:25 0
このセクハラ問題を弁証法的に考えるとどうなりますか?
540 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 17:44:26 0
ヘーゲルは屁ーゲル。
541 :
横レス :2010/05/28(金) 00:02:02 0
>>539 >セクハラ問題を弁証法的に
正 反 合
被告 原告 判決
大学 問題 健全化
女性 被害 自立
542 :
考える名無しさん :2010/06/06(日) 16:17:25 0
>>539 即自; 欲求のままに
対自; 拒否と、解雇
即且つ対自; 焦慮 ??
ヘーゲルファンは頭いいね おまいら最高だぜ
544 :
考える名無しさん :2010/06/21(月) 17:42:54 0
>>543 つか、ヘーゲルを乗り越えるだけのアタマがありゃ、
ファンなんぞにならねーだろ。
ヘーゲルの著書ではないのですがヘーゲルに肩入れしていると思われる人の 弁証法的logicと数理logicについて書いている本を読んだのですが あまりの内容の酷さに驚きました。 最初の2段落から見事なまでのトートロジーで始めてくれるのですが まず客体的論理学を数理論理学を「おおむね同じ」であるとしながらも 続けて即座にそれらを同一視した上で数理論理学を認識主観を捨象して 客観的対象を扱うものとしますが、数理論理学(著者は記号論理学という意味で使っているようです) はそんな主張はしません。 伝統的論理学では扱いづらい数学的命題を扱えるようにするために 日常言語の曖昧さや多義性を捨象して論理の型だけを取り出して 記号操作しやすくしたものが記号論理学であって 個々の命題の意味論的分析や認識論的身分や存在論的身分についての探求は それぞれ言語哲学や認識論や存在論、つまり哲学の議論に譲るのです。 その他、この本は命題について無意味と偽の区別も明確にされていず、論証とは呼べない主張の飛躍、 論点先取り、誤解や混乱、無意味な接続語の使用等のオンパレードです。 主張の内容をみても哲学的に稚拙です。 mはwを好む、という命題のmとw両方に人格的主観性を持つものが代入されれば その命題は有意味になるだと主張されるのですが、 wに無生物(例えば車や人形)が入ったとしらそれは無意味になるでしょうか? mに動物が入った命題は? mとwに無生物が入ったものは文学的に有意味とされるそうですが 文学的有意味な命題と文学的に無意味な命題はどのように区別されるのでしょうか? 私が観察するところによるとこのようないい加減としか思われない本を書かれる方が 特にヘーゲリアンに非常に多い気がします。 ヘーゲリアン!自浄能力を持ってくれ!
546 :
age :2010/06/23(水) 00:02:52 0
結局、ボルツァーノのヘーゲル批判でヘーゲル論理学の破綻は言い尽くされている。 ただ、論理学的誤謬はヘーゲルの限界ではない。 ヘーゲルの言説は歴史や生命や無限や倫理に関する仮説だから対抗する仮説が なければヘーゲルは生き延びるし現に生き延びている(これは日本で官僚制が生き 延びていることに似ている)。 ヘーゲルの言説を生かした上でひっくり返した読みをするしかないのだが、 論理学的破綻だけを指摘する人はそこまで考えが及ばない。
>>441 を見る限りヘーゲルの方がカッコいいな。
下のは運動を静止を使って述べているだけでレベルが同じ。
549 :
考える名無しさん :2010/06/24(木) 18:47:36 0
>>546 「ひっくり返した読み」のこと、マルクスが何処かでいってなかった?
550 :
考える名無しさん :2010/06/25(金) 15:17:22 0
唯物弁証法、逆説弁証法、否定弁証法ではない、弁証法のひっくり返しした読み。 資本論や弁証論理の展開について、マルクスも、レーニンも何かいっていたような。
551 :
545 :2010/06/25(金) 19:25:03 0
>>546 私のレスに対する意見でしょうか?
そうだとしたらまったく的外れです。(そうでなかったら聞き流して下さい。)
よく読んでください。私がどこでヘーゲルを批判していますか?
ヘーゲルに肩入れしているある著者の数理論理学理解にひどい誤解、
(というかほとんど勝手なレッテル貼りですね。)があること。
内容的にもかなり混乱があり、まったく哲学の議論レベルに達していないこと。
ヘーゲリアンにそのような著作が多いように見受けられることを指摘してるのです。
正直、よく知らないことを知ったかで書いているとしか思えないこのような書き物は
私のようにヘーゲルに多少とも興味を持つ人々を誤解に導き、レベルを落とし、
ヘーゲルの言わんとしていることを骨抜きにしてしまうと言いたいのです。
だから自浄能力を持てと。
論点を外したレスをしないように読解力を磨いてくださいね。
552 :
545 :2010/06/25(金) 20:01:55 0
>>547 >>548 カッコいいなの一言で判断するのが哲学なのですか?
ボルツァーノとヘーゲルは基本的に違うことを主張していると思います。
ヘーゲルは時間的幅を持たない瞬間といった概念から議論を組み立てていますが、
ボルツァーノは一定の幅を持つ時間経過を前提とした議論をしています。
ヘーゲルは「質点が同じ瞬間に同じ場所にある」としただけでは
飛ぶ矢のパラドクスのように静止画のコマ送りのように運動が捉えられてしまい
実質的に運動が生まれないという感覚があったと思います。
ですが「ある」ということに「止まっている」ということは含意されないですし、
さらに時間的幅の無い瞬間に質点が空間的位置を占めていても「止まっている」とは「言えない」。
静止を語るには異なる2つの時点間において質点が同位置に留まっている場合のみ「言える」わけです。
以上のことから瞬間においては質点は動いているということも止まっているということも意味をなさず
運動を語るには時間経過を前提する必要があるということがわかります。
この解釈が正しければ、時間的幅の無い瞬間という場面では運動は定義できず、
この運動の議論はやはりボルツァーノに分があると思います。
553 :
545 :2010/06/25(金) 20:29:56 0
しかし、運動の定義ということから離れると 動いているとも止まっているとも言えない瞬間における質点の存在論的身分はどうなる? という疑問がわいて来ました。 あるのか無いのか?あるとも無いとも言えないのか?あり、そして無いなのか? どれを選んでも乗り越えがたい難問にぶつかりそうです。
554 :
考える名無しさん :2010/06/27(日) 09:47:04 0
ヘーゲルねぇ……。
555 :
考える名無しさん :2010/07/08(木) 07:46:04 0
初学者です。哲学史について学びたいのですが、 ヘーゲルの『哲学史講義』は優れた哲学史の本でしょうか。 哲学史の本がいろいろ出版されているので迷っています。
556 :
考える名無しさん :2010/07/08(木) 08:29:19 0
カントとヘーゲルの思想は辞書の語義にも度々用いられる二人ですが、私が思うには 二重構造に組まれている人の心を理解しているのはヘーゲルだと思われます。
無限判断って何ですか? カントとの違いを誰かてるみい
>>555 何をもって「優れた」と形容するかによるんじゃないか思いますよ。
哲学史について書かれた書物が新しければ新しいほど
新たに発見された新資料などに基づいて書かれている可能性は高いわけですから
史実的な記述は正確になっていくでしょうし
一方、歴史記述、特に哲学のそれは執筆者の解釈を免れないわけですから
解釈の妥当性という点からの評価も出来ます。
ヘーゲルはその哲学、考え方を背景に哲学史を解釈していますから
ヘーゲルの哲学に説得力を感じるならば選んでも良いですが
より客観性の高い哲学史を学びたいのならば
新資料にあかるい最新の哲学史の書物を求めるべきでしょうね。
ヘーゲルの哲学史解釈が優れているかどうかはなんともいえません。
鋭いと思う部分もあれば的を外していると思う部分もあります。
史実的に正確な解釈を求めるならば概説的な哲学史ではなく
それぞれの分野の専門書にあたるしかないですし。