◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない77◆

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600素人 ◆YLdWB0/d2s
>>593
>『考えるためには存在しなければならない』

まさしく、『私』ありき、か・・・。聖書風に言うなら、「はじめに『私』があった」 という所か・・・。
そうであるならば、見事に最高位とシンクロしてそうだ。
 (「自身が知覚認識することによって、その時初めて世界は現れる」という視点からすれば、まさにその通りであろう。)


ま、そこまで極端でなくとも、
凡そ全ての、動き・変化・現象・働きにおいて、それらが発生する以前のその主体が前提となるわけだ。
極ミクロに見た場合、それは当たっているかもしれない。(・・・現在知られている存在(物質?)の最小単位が何かは知らないが・・・)
が、少し倍率を下げて見れば、途端に「何を主語とすべきか」は恣意的なものになるのではないか?
殆どの存在が複合的在り様を呈しているならば、或いは、解体されない主体など存在しないのではないか?
或いは、主体の発生は、動き・変化・現象・働きの発生と同時ではないのか?
動き・変化・現象・働きこそが主体なのではないか・・・?

勿論、常に主体を想定するのは、人間の思考の癖なのであろうが・・・。

倍率を急に下げすぎた例になるが、
心臓の鼓動に対して、
「心臓が拍動している。」という言明と、「○○という筋肉と××いう筋肉と◇◇いう筋肉・・・とが拍動している」という言明は同等に成立する。
また、
「血液が流れる。」という言明と、「赤血球と白血球と血小板と血漿とが混ざり合って流れている」という言明は同等に成立する。

さて、「『私』が思考する。」という言明はどうであろうか・・・?

『私』という術語がそもそもふさわしくない?別の言葉に言い換えるべき?
意識?心?精神?主観?主観性?存在性?
上記二例とはカテゴリーが違う?