■ 熱狂の系譜学 その3 ■

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926考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:16:11
http://careermart-yamashita.at.webry.info/200605/article_4.html
仕事の理想と現実
<< 作成日時 : 2006/05/25 20:03 >>

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皆様こんばんわ。
株式会社キャリアマートの新人山下です。

私事ですが本日初売上!!
といきたかったところですが、あえなく失敗に終わりました・・。

売上を上げている同期もいます。
焦らないと言ったら嘘になります。
実際焦ります。
それ以上に悔しいです。へこみます。

それは同期に先を越されているからということではないです。
負け惜しみに聞こえるかもしれませんが・・。

何が悔しいかと申しますと、私担当の企業様にすごく行きたいと
強くおっしゃってくれている候補者の方が最終面接で落ちてしまった事。
最終判断は企業様にあるので仕方のないことですが・・。
自分は何も力になれなかった事が悔しいと感じました。
人の人生の転機に関わる仕事がしたいと思い飛び込んだこの業界。
今日、人の人生の転機に関わるということの重みに気づかされました。
今までは転機に関わることで、楽しいことばかり想像していました。
しかし、現実はつらいこともあります。
まだ、転職に関わることで楽しい・うれしいといった経験は数多くしていませんが
これからは数多くできるように頑張りたいと思いました。

927ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/25(水) 23:51:06
すなわち第二部の終焉ではないかと思います。
第一部 自然主義(生物論)→第二部 ポストモダン(欲望論)・・・
そしてあらたな「リアル」へ
928ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/10/25(水) 23:53:10
ではみなさんまたどこかでお会いしましょう・・・
929(o^-^o) ◆m0yPyqc5MQ :2006/10/26(木) 01:26:42
現象学初歩段階w
930第三の波平:2006/10/28(土) 12:08:28
■なぜ映画はおもしろくないのか

映画は「重い」

たとえば映画において、興行収入ラングは大きな意味を持ちます。多くの人は興行収入、あるいは
DVDランキングを重視しています。しかしたとえば書籍の場合はどうでしょうか。人々が本を買うとき
に、売上げランキングをそれほど重視するでしょうか。本の種類は多様です。小説でも、純文学、
SF、ミステリーなどなどこの差はメディアとしての「重さ」の違いにあります。

映画は「重い」のです。製作に大金がかかり、配給に大金がかかる。映画はマスメディアに大きく拘
束されてしまっています。だからボクたちに届く映画はとても限られています。ビデオを含めて様々な
映画が溢れていると考える人がいるかもしれません。しかしマスメディアが広告する数本の映画以
外の情報を入手するのはハードルが高い。
931第三の波平:2006/10/28(土) 12:09:06
「マクドナルド化」と「オタク化」の二極化

たとえばボクたちはマクドナルドへいくのはいつも安定したものを安定したサービスで得られるから
です。たとえば外国にいってマクドナルドへ行くとホッとする言われます。これは、「街のホッとステー
ション」というコンビニや、ファミレスも同じです。

情報化社会においては、ボクたちは様々な情報に溢れています。様々な選択を与えられ、自由度が
広がります。しかしこれは逆には、様々な選択を強いられる世界でもあります。だから自分に変わっ
てナビゲートしてもらえるサービスはとても有用です。社会の「マクドナルド化」はこのような意味があ
ります。そして映画ランキングも同様なナビゲート機能です。

情報化社会によって、選択の自由度が上がるとともに、選択のインフレーションが起こる。だから重
要なことは、まず何が「重要なこと」で、何が「重要でないこと」かの選択です。「重要なこと」は、自由
度活用し、情報を自ら探索し、楽しみます。すなわちオタク(マニア)化です。もう一方で、「重要でな
いこと」は、社会の「マクドナルド化」によってナビゲートされるままに、任せてしまいます。
932第三の波平:2006/10/28(土) 12:09:42
「マクドナルド化」された映画

映画で言えば、トップ10で映画を見るという「マクドナルド化」と、情報を収集し、トップ10に依存せ
ず映画を見るという「オタク化」の二極化が起こるのです。

映画は情報化社会において「重い」メディアなのです。映画「オタク」は一部であり、多くの人々は誰
にとっても安定しておもしろい「マクドナルド化」された映画を見るように操作され、疎外されてしまう。
そしてそれを喜んでいるのです。有名なスター、ジェットコースターのような刺激的な映像・・・さっと
いって、外れなくサクッと楽しめる映画。だからハリウッドは「マクドナルド化」されているのです。
933第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 16:30:18
「マクドナルド化(マクドナリゼーション)」は、フォーディズムの延長上にあります。
フォーディズムによる大量生産は、製品、生産工程、そして労働力を規格化しました。
そしてさらには規格化された消費者を生みました。
規格化によって合理化し、低コスト化による豊かさを実現しました。

この延長上に、商品の規格化、サービスの規格に「マクドナルド化(マクドナリゼーション)」が
あります。すなわちソフトの規格化です。

たとえばマクドナルド化のひとつにディズニーランドがあります。規格化された娯楽です。
これらは、「テーマパーク化」です。マクドナルド、ファミレス、最近ではショッピングモールなど
単に食事、買い物するのでなく、買い物そのものを娯楽化(テーマパーク化)しています。

このようなソフトの規格化とは、コミュニケーションの規格化に繋がります。
マクドナルド化が動物化、他者回避と言われるのは、このためです。

このような規格化の潮流は、グローバル化に結びついています。
規格化された情報は、容易に伝達することができ、世界各地に広がって行きます。
934第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 16:46:52
最近の格差社会もこの潮流の一部で考えることができます。
下層の大きな問題が、フリーターなどの非正社員による低賃金労働者の増加です。
彼らの多くが働いているのが、マクドナルド化された産業です。
マクドナルド化がより進んだ産業、ファーストフードなどでは、
労働が規格化され、労働者の代替が容易です。

かつてプロレタリアートの中心であった、工場労働者は、後進国で
まかなわれています。地球規模の「格差社会」が進んでいます。
それがマクドナルド化によるグローバル化の面の一つです。
935第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:22:00
■なぜ映画はおもしろくないのか

映画は「重い」

たとえば映画において、興行収入ラングは大きな意味を持ちます。多くの人は映画を見るときに、興
行収入、あるいはDVDランキングを重視しています。たとえば書籍の場合はどうでしょうか。人々が
本を買うときに、売上げランキングをそれほど重視するでしょうか。

たかだがトップ10をもとに選ぶのでなく、近くの本屋に行って、純文学、SF、ミステリー、ノンフィク
ションなどなど自分の興味のある分野をみて回って探すのではないでしょうか。

この差はメディアとしての「重さ」の違いにあります。映画は、製作に大金がかかり、配給に大金がか
かります。テレビがただで見られる中で、お金を払って、映画館に人を集めるのは、大変なことです。

ビデオを含めて様々な映画が溢れていると考える人がいるかもしれません。しかし映画は広告に大
きく依存し、マスメディアが広告する数本の映画以外の情報を入手するのはハードルが高い。だか
らボクたちに届く映画はとても限られています。
936第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:22:48
マクドナルド化という「低コスト化」

このような傾向は「マクドナルド化(マクドナルディゼーション)」と言われるものと関係しているでしょう。

「マクドナルド化」は、フォーディズムの延長上にあります。フォーディズムによる大量生産は、製品、
生産工程、労働力を規格化しました。規格化による合理化、低コスト化による豊かさを実現しまし
た。さらには規格化された消費者に繋がります。商品やサービスの規格化、すなわちソフトの規格
化によって「マクドナルド化」が進みます。

たとえばマクドナルド化のひとつの傾向として、ディズニーランドなどの規格化されたサービス商品
(娯楽)の提供が上げられます。マクドナルド、ファミレス、最近ではショッピングモールなど単に食
事、買い物するのでなく、買い物そのものが「テーマパーク化」しています。

すなわち規格化の一番のメリットは、様々な商品、サービスを、低コストで提供することにあります。
高級で庶民に手が入らない商品も、規格化し、大量生産することで、低コストで提供し、庶民も楽し
むことができるようになります。フォーディズムからマクドナルド化へは提供する商品をハードからソ
フトへの広げたと言えます。
937第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:24:12
「マクドナルド化」という「とりあえず」

このような規格化の潮流は、グローバル化を支えています。規格化された情報は、容易に伝達する
ことができ、マクドナルドのように同じよう規格化されたサービス、商品が世界各地に広がって行きます。

ボクたちがマクドナルドへいくのはいつも安定したもの、サービスを得られるからです。たとえばなれ
ない外国にいってマクドナルドへ行くとホッとする言われます。これは、「街のホッとステーション」と
いうコンビニや、ファミレスも同じです。ここに「低コスト化」ともう一つのマクドナルド化が進む有効性
があります。

情報化社会においては、ボクたちは様々な情報に溢れています。様々な選択を与えられ、自由度が
広がります。しかしこれは逆には、様々な選択を強いられる「選択のインフレーション」が起こります。
ひとつひとつ、選択していくことは苦痛です。だから自分に変わってナビゲートしてもらえるサービス
はとても有用です。「マクドナルド化」はボクたちがなにをすべきかを提供してくれるのです。

「とりあえず」マクドナルドへ言っておけば、「とりあえず」ファミレスへいっておけば、「とりあえず」ディ
スニーランドへいっておけば、「とりあえず」トップ10の映画に言っておけば、ある程度の商品が提供
されるだろう、ということです。

マクドナルド化が動物化、他者回避と言われるのはこのためです。情報にナビゲートされることで、
他者とコミュニケーションは必要とされません。どこ店にいく、どこに遊びにいくことに悩み、他者に相
談する必要はありません。マクドナルドに行って、規格化されたサービスを提供する店員と、決まっ
たコミュニケーションを行うだけです。
938第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:24:55
「マクドナルド化」と「オタク化」の二極化

ここで重要なことは、人は情報化社会の中で、ただマスメディアにナビゲートされる「とりあえず」な受
動的存在だけではないということです。そこに満足することはできないだけでなく、「とりあえず」を支
えるのは「ゆずれない」ことの存在です。

だから情報化社会の「選択のインフレーション」でまず重要な選択は、何が「重要なこと」で、何が「重
要でないこと」かの選択です。

情報化社会において、ほとんど多くのことは「重要でないこと」に分類され、社会の「マクドナルド化」
によって、ナビゲートされるままに任せて、「とりあえず」満足することを求めます。そして多くの選択
を「重要でないこと」とするのは、一部の「ゆずれない」「重要なこと」に労力を割くためです。たとえば
父親なら仕事であったり、母親なら家族であったり、子供ならばオタク的趣味であったり、自らのアイ
デンティティを支えるものです。

このような傾向は、映画で言えば、有名なスター、ジェットコースターのような刺激的な映像で、トップ
10に入るハリウッド的映画を、外れなくサクッと楽しむ「マクドナルド化」した映画の楽しみ方と、むし
ろトップ10に依存せず、積極的に様々な情報を収集し、映画を楽しむ映画マニア(オタク)の二極化
です。

そして映画は「重い」メディアである故に、マクドナルド化しやすいのです。俗に言う「ハリウッド映画」
は規格化、グローバル化されたまさにマクドナルド化そのものです。
939第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 19:25:30
「夢さえあれば貧しさも苦でない」

最近の格差社会もマクドナルド化の流れで見ることができます。問題になっているのは、フリーター
などの非正社員による低賃金労働者という下層の増加です。そして彼らの多くが働いているのが、
ファミレス、コンビニなど、マクドナルド化が進んだ産業です。労働が規格化され、労働者の代替が
容易です。

そして彼ら「下層」がそのような状況に怒らないのは、自らそれが「重要でないこと」と分類しているか
らです。「重要でないこと」は「とりあえず」ナビゲートに従う。それは、「ゆずれない」「重要なこと」を
行うためです。「夢さえあれば貧しさも苦でない」ということです。ただこれは、彼らが明確な「夢」を
もって、目指しているということではありません。たとえば正社員になって生活が安定することは、
「「重要なこと」を選択すること」を捨てることです。

マクドナルド化された社会では、ほとんど多くのことは、誰もが「とりあえず」同じように楽しむことが
できるのですから、彼らにとって、重要なことは、「重要なこと」がなにかでなく、「重要なこと」を選択
しているという状況にいることなのです。
940第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 20:23:44
「マクドナルド化」の主体とは、経済学的主体である。物質的な利益を目指し行為する功利主義的な
主体、より安定して生存し、子孫を増やすことを目的にする動物的な主体である。そしてマクロ的な
個体であり、統計学的に扱われる。

それに対して、「オタク化」の主体は、社会的的主体である。自己のアイデンティティ、生き甲斐を目
指して目指して行為する欲望論的主体である。そして統計的に扱われることを妨げるミクロ的な主
体である。
941第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 22:01:12
アイデンティティの情報化

情報化社会では、多量の情報量から、選択のインフレーションが起こり、選択することが苦痛になり
ます。だからなにを選択するかの選択が行われ、「重要でないこと」は「とりあえず」マクドナルド化に
依存します。たとえば映画を見るとき、トップ10を重視する傾向にマクドナルド化が見られます。

そして人は「とりあえず」だけでは生きられず、オタク化という「ゆずれない」を担保にしています。そ
れは情報化されないような「私」に繋がっています。「とりあえず」のマクドナルド化と「ゆずれない」の
オタク化という二極化を示しました。

現代の情報化社会はさらに進んでいます。最近、「グーグル」や「アマゾン」などで行われているの
は、より高度なナビゲーションシステムです。アマゾンでは検索すると、「あわせて買いたい」、「この
商品を買った人はこんな商品も買っています」というようなナビゲーションを行います。 すなわちナビ
ゲーションは、「とりあえず」でなく、より「ゆずれない」部分に近接しています。

映画の例で言えば、トップ10から選ぶのでなく、「あなたが楽しめるのはこのような映画だ。」とナビ
ゲーションしてくれるということです。いわば、アイデンティティの情報化です。オタク化にかわり、高
度な情報のナビゲーションが、「私」を証明してくれる、ということです。
942第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 22:21:58
「グーグル・アマゾン化する社会」

しかしたとえば「グーグル・アマゾン化する社会」森健で示されているのは、異なった様相だ。ネットに
は膨大かつ多様な情報があるにも関わらず、アクセス数の多いサイトや売れ筋の本は一極集中す
る傾向があるということである。ネットというより多くの自由な選択にかかわらず、結局、人々は同じ
ものを選択する。

さらに、グーグルの問題として言われているのが「グーグル八分」の問題である。意図的にグーグル
から排除されると、ネット上にないに等しい状況になることが問題なっています。それと同時に、グー
グルの検索において、上位にヒットされることが重要になる。なぜなら人々は上位のものしか、眼を
通さないからだ。

結局、ここで起こっていることは、マクドナルド化の時と変わらないのではないだろうか。グーグルな
どのナビケーション機能の高度化以前に、ネット社会はさらに情報量を増やし、「選択のインフレー
ション」をより増大させ、「とりあえず」することを望んでいる。

>>
情報化社会においては、ボクたちは様々な情報に溢れています。様々な選択を与えられ、自由度が
広がります。しかしこれは逆には、様々な選択を強いられる「選択のインフレーション」が起こります。
ひとつひとつ、選択していくことは苦痛です。だから自分に変わってナビゲートしてもらえるサービス
はとても有用です。「マクドナルド化」はボクたちがなにをすべきかを提供してくれるのです。

「とりあえず」マクドナルドへ言っておけば、「とりあえず」ファミレスへいっておけば、「とりあえず」ディ
スニーランドへいっておけば、「とりあえず」トップ10の映画に言っておけば、ある程度の商品が提供
されるだろう、ということです。
<<
943第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 23:11:11
「Google教」という「ゆずれない」

「マクドナルド化」と「オタク化」の二極化は、「オタク化」は「グーグル化」の高度なナビゲーションに取
り込まれるのでなく、「グーグル化」と「オタク化」として二極化が継続されます。では「オタク化」という
「ゆずれない」はどこへ向かうのか。

「ウェブ進化論」は大きな反響を呼びました。ボクはここで語られる熱狂を「機械論の欲望」と呼びま
した。YouTube買収など、「グーグル神話」は、いまもネット上で熱く語られている。逆説的ですが、ま
さにこのネット上の熱狂が「ゆずれない」ということです。

「オタク化」は、ネット上で様々なコミュニケーションによって触発され、より熱狂的に、狂信的に、ムラ
社会的に加速されています。まさに「Google教」であり、「Googleマニア」もその一部なのです。

>>
ヤフーのように人間を介在させて判断を曖昧に、臨機応変に行うのに対して、グーグルが限りなく
「「人間の介在」なしに自動的に事を成していくという」ときに、プログラム化できない残余が残るとい
う。それは倫理的な、あるいは思想的な、政治的な問題、すなわち欲望の次元が残るでしょう。

たとえば、「テクノロジーで世界を語り尽くす」という欲望は、テクノロジーで語り尽くせないだろう。そ
れはプログラム化するにして、誰かが判断するにしろ、その純化された「欲望」こそが「グーグル」で
ある、ということです。グーグルのテクノロジー至上主義は逆説的に、いままでのIT企業の中でももっ
とも欲望的である、ということです。

Googleはなぜ「世界征服」をめざすのか ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060213
<<
944第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/28(土) 23:34:21
>>
合理化(計算可能性(数量化)、予測可能性、効率化、制御)

@フォーディズム→Aマクドナルド化→Bテーマパーク化→Cグーグル化→DWeb2.0

@ 製品−生産工程−技術−労働力
A 流通−商品−サービス
B 趣向(快感)
C 情報
D コミュニケーション
<<
945第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 01:28:47
規格化と熱狂

これらに示した流れは、近代的な合理化の流れとして見ることができるのではないでしょうか。「規格
化」と「熱狂」の関係です。ここでいう「規格化」とは経済学的なものです。市場経済と結びつき、利益
追求を目的とします。「熱狂」は社会学的なものであり、コミュニティと結びつき、自己のアイデンティ
ティの獲得を目的とします。 

大まかにいえば、人々の「熱狂」を規格化することで安価に商品化し、市場経済へ流通させます。そ
して熱狂はたえず規格化から逃げ続け、規格化は追いかけるます。それが「快楽と権力の二重螺旋
構造」です。
946第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 01:29:39
合理化の歴史

>>
合理化の歴史

フォーディズム・・・製品−生産工程−技術−労働力
マクドナルド化・・・流通−商品−サービス
テーマパーク化・・・快感
グーグル化・・・情報
Web2.0・・・コミュニケーション
<<

フォーディズムにおいては、物的商品を提供し、それに満たされると人々は付加価値、刺激(快感)
を求めます。マクドナルド化では、付加価値、サービス、そしてテーマパーク化では快感を商品として
安価に、大衆に提供します。グーグルではネットに無秩序に溢れる情報を整理して、商品化して提
供します。

そしてWeb2.0という新たな流れでは、コミュニケーションを商品化しようとしています。たとえば2ちゃ
んねるはコミュニケーションの巣窟ですが、商品としては、荒削りで粗雑です。だからmixiなどのSNS
やブログなどでは、安心、整理(検索)のサービスとともに商品化し提供しようということです。
947第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 01:30:40
経済学的には、人は規格化され、全体の一部として扱われることで、安価に商品を共有されることを
望みます。しかし社会的には、人は規格化され、同質に扱われることを嫌い、他者との違う自分だけ
のものを求めます。

これは近代の合理化であり、資本主義社会を作動させている動力ということができるのではないで
しょうか。
948第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 17:28:53
人が生存するために最小限必要なこと、衣食住のために行われる労働は、
効率化によってわずかな労力しか必要としなくなった。
この少ない労働であとはのんびり過ごすことはできないのか。

たとえばパソコンの能力は格段に進歩したが、むしろ以前よりも重い。
それにあわせてソフトが重くなっているからだ。
しかしソフトをバージョンアップしなければ企業は成長できない。
さらに人々は必要かどうかでなく、ただ新たなものを望んでいる。これは広告の効果だろうか。
企業が、マスコミが新製品への期待をあおり、人々の欲望を刺激しつづけているのだろうか。
この資本主義そのものが、立ち止まると死ぬシステムなのだろうか。
949第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/29(日) 17:39:59
経済学的主体を考える場合に、衣食住のような生存の安定性を
目的とするのは、必ずしも正しくない。
それは、近代以前の人々も、さらには動物でさえ同様である。

近代以降の経済学的主体とは、生存の安定からお金を増やすこと
そのものを目的化した主体であるとともに、さらに資本の自律的な
動き、システムに受動的なならざる終えない人たちである。

数量化された価値は、広域に、高速に伝達可能な情報として、
強力な力としてシステムを形成している。
そこではもはや生存の安定、お金を増やすことのような
主体性は必ずしも重要ではなくなっている。
950第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 11:10:02
■人類がのんびり生きることは可能か

終わりなき欲望

人が生存するために最小限必要なこと、衣食住のために行われる労働は、効率化によってわずか
な労力しか必要としなくなったし、わずかな労働であとはのんびり過ごすことはできないのだろうか。

たしかにいまの科学技術なら、最小限必要なこと衣食住+医療+教育の確保は、それほど難しくな
いかもしれない。だから原理的には、経済の低成長によるのんびり世界は可能かもしれない。

ただ実際それを行うには、いかに経済活動を調整するかが問題になる。政治的な強制が必要にな
る。いまの自由主義から、共産主義などへのシフトのように。そして政治的なコントロールが難しい
のは、共産主義、保護主義で実証済み。「生き物のような」経済をコントロールするのは困難。また
政治家の力が強くなりすぎて、北朝鮮のような独裁に向かってしまう。

「生き物のような」とは、創発性ということができるだろう。この動力の一つが欲望である。人間は衣
食住だけでは満足できない。ヘーゲルがいったように、衣食住の充足は動物的な欲求であって、人
の欲望には終わりがない。現代では付加価値、さらには娯楽など無形財に多くのお金をかけている。
951第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 11:11:35
回り始めた歯車は誰にも止められない

さらには、自由市場経済というのは、世界の金持ち500人の資産計が、残りの人類の資産計よりも
多いという超格差世界だが、一部の金持ちの陰謀というよりも、回り始めた歯車は、もはや誰にも止
められない、ってことではないだろうか。人の終わりなき欲望さえも、回り続ける歯車による受動的な
ものでしかないのかもしれない。

活発なコミュニケーションが行われる環境があり、貨幣という量的価値が高速で飛び交い、創発的
に活動、成長する。このシステムの中では、「これがほしい」という欲望さえ、受動的な疎外された存
在であり、あるのは欲動としての力動、ドゥルーズのいう「欲望する機械群」のみである。


歯車の限界

しかし回り続ける歯車にも様々な限界が見え始めているのも事実。環境問題、人口問題、高齢者問
題。あるいは最近のテロの問題も、世界的な格差を元にするという意味で関連するかも。世界人口
予測は様々にされているか、2050年当たりで、高齢化、出産率の低下などにより、減少に転じると
いう予測がある。

産業革命以後の、経済成長、人口増加の爆発的増加も一つの現象であり、長期的には穏やかなも
のになるのかもしれない。そのときには、格差社会が継続するのか、穏やかな自由主義になるの
か、管理社会になるのか、マルクス的なアソシエーション社会になるのか。
952第三の波平:2006/10/30(月) 12:13:30
なぜ少子化がおこるのかといえば出生をコントロールするからだ。経済的質を保つために。
明るい家族計画は、豊かさを享受しつづけるためには重要なファクターである。
さらには明るい人生設計には結婚さえ重要度が下がる。
たとえば老後において、子供、妻さえ保障にならない。お金の方が安心とさえいえるだろう。
たとえば格差調査において低所得ほど結婚していないというデータがあるが、
お金がないからもてない、結婚してもらえないといえるが、
結婚しないならお金はいらないともいえる。
953第三の波平:2006/10/30(月) 12:26:11
趣味にいきる、やりたいように生きる。結婚、家庭など社会制度に縛られたくない。価値の多様化である。
このような自由度を支えているのが、経済システムである。
社会的な秩序に依存しなくとも経済システムに従えばある程度のことは保障される。
そして経済システムの拘束はゆるく労働と消費という身体を提供するだけで、
誰であるか、なにを考えているかなど趣向には干渉しない。
954考える名無しさん:2006/10/30(月) 12:26:50
しかし、出生を調整するならば、経済的な効果が望めるのか。
子供の養育費はもちろんかかるだろうし、稼いだものは子供のものに
なる。子供は家庭における収入源にはならない。
むしろ、節制という考えから、出産の調節が起こると考える。収入の
全てを考えたら、なるべく減らさない道を考えるのであり、子供は大部分
を注がなければならなくなるので、生活が先細る道に進みたくない。
子供がいると、教育する楽しみがある。将来どのような道に進むのかはま
だ知る由もないけれども、私の教育から、子供が育つのである。
何故なら、親は子供の性格の形成に影響する躾をするからであり、将来に
多大に左右するのである。
だから、私の人格の写しを与えるということから、子供は増えると考える。
955第三の波平:2006/10/30(月) 12:34:10
現代の下流には、社会秩序への帰属を放棄した記憶がある。
たとえば学生時代に勉強しなかった、社会に反抗した、またひきこもりなど学校を放棄したなど
それらは拘束のゆるい経済性へ依存を意味する。
彼らが怒らないのは、いまさら所得が低いと文句をいう筋合いではない。
文句をいう関係を放棄したのだ。という考えがあるのかもしれない。
956考える名無しさん:2006/10/30(月) 12:59:06
何故なら、それは同時に社会的な要求の流れを拒否することになるからである。
帰属の放棄をしたとしてもしようがない考えるのである。
もし強引に社会に帰属させようとするなら、教育に資金をつぎ込もうという流れ
もせき止めなければならないのだ。別に、お金をもう出さないのは親が破滅させ
ようというのではないのである。
しかし、親が養育を考えて進学をさせたのである。確かにその成果は芳しくなか
ったかもしれないけど、人並みの生活はして欲しい。教育が必ずしも社会の帰属
が強固であって、生活をするという訳ではない。人並みの生活はして欲しいけれ
ど、帰属はしなかったということなのだ。社会に帰属しても、会社にも行かずに
自宅で暇を潰す社員もいますから、遠からず上手くいかない人もいるのです。
もし、子供に任せないなら、親の立場だけを考えてむなしくなるよりは、落ち度
はあったかもしれないけど、それなりの結果が出たと考えたいのである。
957第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 13:02:22
>>954
子供は一つの「楽しみ」だ。ということでしょうか。しかし子供が「楽しみ」の
次元に落ちるとき、まさに少子化は起こるのでしょう。
人生の楽しみは「子供」だけではない。たとえば、ミームという考え方があります。
育て、育てられ、人格の写しとなるのは、子供である必要はない。
そして子供が、人生の「楽しみ」の次元になるときに、人生をいかに楽しむかの
調整が行われ、少子化が起こるわけです。
958第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 13:10:52
経済システムの拡大と社会秩序の弱体

なぜ少子化がおこるのかといえば出生をコントロールするからだ。経済的質を保つために。「明るい
家族計画」は、豊かさを享受しつづけるためには重要なファクターである。さらには「明るい人生設
計」には結婚さえ重要度が下がる。たとえば老後において、子供、妻さえ保障にならない。お金の方
が安心とさえいえるだろう。たとえば格差調査において低所得ほど結婚していないというデータがあ
るが、お金がないからもてない、結婚してもらえないといえるが、結婚しないならお金はいらないとも
いえる。

趣味にいきる、やりたいように生きる。結婚、家庭など社会制度に縛られたくない。価値の多様化で
ある。このような自由度を支えているのが、経済システムである。社会的な秩序に依存しなくとも経
済システムに従えばある程度のことは保障される。そして経済システムの拘束はゆるく労働と消費
という身体を提供するだけで、誰であるか、なにを考えているかなど趣向には干渉しない。
959第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:40:20
■人類はなぜのんびり生きることができないのだろうか

経済調整の難しさ

人が生存するために最小限必要なこと、衣食住のために行われる労働は、近年の効率化によって
わずかな労力しか必要としなくなったし、わずかな労働であとはのんびり過ごすことはできないのだ
ろうか。

たしかにいまの科学技術なら、最小限必要なこと衣食住+医療+教育の確保は、それほど難しくな
いかもしれない。だから原理的には、経済の低成長によるのんびり世界は可能かもしれない。

ただ実際それを行うには、いかに経済活動を調整するかが問題になるだろう。政治的な調整が必要
になるが、過去の共産主義、保護主義で実証さらているように「生命群のようにうごめく」経済をコン
トロールするのは困難である。多くにおいて、また政治家の権力が強くなりすぎて、たとえば北朝鮮
のように人民は疲弊し、独裁に向かってしまう。
960第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:40:54
回り始めた歯車は誰にも止められない

「生命群のようにうごめく」とは、創発性ということだが、この動力の一つが欲望である。ヘーゲルが
いったように、衣食住の充足は動物的な欲求であって、人間は衣食住だけでは満足できない。人の
欲望には終わりがない。現代では付加価値、さらには娯楽など無形財に多くのお金をかけている。

自由市場経済というのは、世界の金持ち500人の資産計が、残りの人類の資産計よりも多いという
超格差世界だが、一部の金持ちの陰謀というよりも、人々の欲望が混沌とし、経済という「うごめき」
が生まれている。このように回り始めた歯車は、もはや誰にも止められない。

活発なコミュニケーションが行われる環境があり、貨幣価値化された数字が高速で飛び交い、創発
的に活動、成長する。「これがほしい」という欲望さえ、受動的な疎外された存在であり、あるのは、
ドゥルーズが「欲望する機械群」という欲動としての力動とシステムのみである。
961第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:41:29
経済システムの拡大と社会秩序の弱体

なぜ少子化がおこるのかといえば出生をコントロールするからだ。経済的質を保つために。「明るい
家族計画」は、豊かさを享受しつづけるためには重要なファクターである。さらには「明るい人生設
計」には結婚さえ重要度が下がる。たとえば老後において、子供、妻さえ保障にならない。お金の方
が安心とさえいえるだろう。たとえば格差調査において低所得ほど結婚していないというデータがあ
るが、お金がないからもてない、結婚してもらえないといえるが、結婚しないならお金はいらないとも
いえる。

趣味にいきる、やりたいように生きる。結婚、家庭など社会制度に縛られたくない。価値の多様化で
ある。このような自由度を支えているのが、経済システムである。社会的な秩序に依存しなくとも経
済システムに従えばある程度のことは保障される。そして経済システムの拘束はゆるく労働と消費
という身体を提供するだけで、誰であるか、なにを考えているか、何がほしいかなど趣向には干渉し
ない。

そもそも明確にやりたいことがある必要などない。ただ「欲望する機械群」としての動力が想起され
ていることだけが重要なのであり、経済システムの歯車の中で、欲望の対象はいくらでも作り出され
続ける。
962第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/10/30(月) 14:42:34
人類の成熟期

しかし回り続ける歯車にも様々な限界が見え始めているのかもしれない。環境問題、人口問題、高
齢者問題。あるいは最近のテロの問題も、世界的な格差を元にするという意味で関連するかもしれ
ない。世界人口予測は様々にされているか、2050年当たりで、高齢化、出産率の低下などにより、
減少に転じるという予測がある。

産業革命以後の、経済成長、人口増加の爆発的増加は「人類の青年期」的な一つの現象であり、
長期的に人類は成熟期をむかえ、動力としての欲動は弱まる。そして自然にゆるやかな経済成長
の世界に向かう、のかもしれない。そのときには、さらに格差社会が継続される、管理社会になるの
か、マルクス的なアソシエーション社会になるのか。

おわり
963第三の波平:2006/10/30(月) 15:39:37
ハウマッチ?
これより的確で早いコミュニケーションはあるだろうか?
964考える名無しさん:2006/10/30(月) 20:09:56
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061030-00000005-yom-bus_all

先進国の「ニート率」13%…ILO調査

 【ジュネーブ=渡辺覚】国際労働機関(ILO)が30日公表した若年層(15〜24歳)の雇用情勢報告によると、日本、米国、欧州連合(EU)などの先進国では昨年、就職も進学もしない「ニート」の比率が13・4%に達したことが明らかになった。

 海外でも、ニートの増加が大きな社会問題となっている模様だ。

 ILOによると、世界の若年失業率は13・5%、実数で約8500万人に達する過去最悪の水準だ。若年失業者は10年前に比べて約15%増加しており、労働人口全体の失業率6・4%の2倍を超えている。

 ニート問題が最も深刻なのは旧ユーゴスラビアを含む中東欧地域で、若年層の33・6%が該当する。

965第三の波平:2006/10/31(火) 16:18:23
ラカンをもとにカラ谷が示した、資本−国家−ネーションの関係は、近代化において意味がある。
これは経済学−政治学−社会学という近代化の中で分離された学問分野にも対応する。
966第三の波平:2006/10/31(火) 16:26:44
たとえば経済学批判として主体は功利主義的な単位に還元される。そのために特に経済の動力であるはずの消費への欲望が欠落する。
人は使用価値の最適化をもとめて消費をしない。もっと心理的であるというわけだ。
このような大衆の心理的な欲望は社会学の分野となり、切り離される。
そして最近ならば格差問題の場で、衝突する。功利的主体による統計学により、切り捨てた人々を、心理的主体を分析する社会学が養護する。
967第三の波平:2006/10/31(火) 16:38:10
しかしこのような経済学批判はある意味、意味がない。世界は経済学的法則で扱うにはあまりに複雑だ、といってみたところでなんの意味があるだろう。
だから経済学と社会学は分離されているのである。

貨幣価値の差異の体系と言語の差異の体系である。
968考える名無しさん:2006/11/01(水) 08:17:29
崇高なるいじめられ死
969第三の波平:2006/11/01(水) 12:29:32
テクノロジーの発展をみるとたとえば古典物理学のように近似的な数学、方程式による基礎があり、
基礎の厳密化、たとえば統一理論の限界にむかう。ここで登場するのが言語である。
数式であらわせない、視覚的に理解できない複雑さをことばで説明する。
次にコンピューターによる繰り返し計算の高速化、低コスト化の中でより細部なシミュレーション化が起こる。
数式法則→言語→シミュレーション
この流れはさまざまな学問で対応される。
970第三の波平:2006/11/01(水) 12:38:51
現象を単純な法則に還元する。
言語であらわす。
シミュレーション

たとえば消費では貧しければまず明確にほしいものある。人間は功利的法則に近づく。
しかし豊かになると次第に欲望は発散し、抽象的、あいまいに記号化する。
つぎに計算により、自分ではわからないものがシミュレーションされ与えられる。
971第三の波平:2006/11/01(水) 12:45:49
はじめが功利主義
つぎがボードリヤールのいう記号消費であり、構造主義、規律訓練型
次がシステム論、生管理に対応する。
マクドナルド化ではあった記号消費、すなわちアメリカを消費するものは、最近のグーグル化ではない。
グーグルのブランドに関係なく、ただ適切なナビゲートを望んでいる。
972第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 13:05:08
シミュレーションの問題はパラダイムシフトを扱えないこと、結局初期設定内にしか変化しないことだ。
変化のダイナミズムは生まれない。
グーグルなどが新たにめざすウエブ2の方向は自律的に構造化することだろう。
場と小さな管理で手の中でダイナミズムを起こすことだ。
たとえば2ちゃんねるはウェブ2か。まったくの無法地帯ではないが、管理度は低い。
サービスとしては質が悪いか、その自由度とダイナミズムが魅力である。
ミクシィは管理度が高く、サービスの質がよい。
973第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 13:16:45
たとえば今知りたい情報を提供するとき、その道のプロの感、すなわち言葉でよいかもしれないが、
多くにおいて根拠なく記号的になる。
あるいはマーケティングによりシミュレーションすることも可能だろう
しかしネットで起こっているのはまさに自律的に知りたい情報が立ち上がる現場である。
2ちゃんねる、ブログ界隈で知りたい人々が集まり、話題が飛びかう。
これをサービスとして、商品化するのがウェブ2である。提供するのは適度に管理、整備された場である。
974第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 13:20:22
ユーチューブ買収は場そのものの買い物である。管理が悪い場を管理し提供することになるだろう。
975第三の波平 ◆V8RGN/F1uY
最近、メーカーのSNSができたしているが、単なるマーケティンズ調査でなく、
場においてコミュニケーションを楽しむ中で次のブームを作っていくということだ。
現に2ちゃんねるのニュースサイトの反響は世論の一部としてマスメディアなどを経由し、社会に影響を与えている。