916 :
考える名無しさん:2007/01/31(水) 20:57:25
到達することより挑戦しつづけること。
それが超人を感じるということさ。
917 :
考える名無しさん:2007/01/31(水) 23:55:20
受動的ニヒリズムのような「甘き死よ来たれ」はいい歌だ…。
ニートとニーチェは似てるので、なにかビジネスチャンスに結びつけたい
人類はエヴァ(超人)を生み出すことに、その存在意義があったのです
結局、何かを捏造しないと生を肯定できなかったわけか
心よ原始に戻れ
人類よ蛮族に戻れ
肯定って開き直りと近いものあるよね
ディオニュソスは酒の神だ。つまり酔っ払ってしまえば不安から解放されるということだ。
ニーチェの場合は酒で酔うわけではなく、ワーグナーに酔っているわけだが。
924 :
考える名無しさん:2007/02/02(金) 05:33:23
捏造とは、創造のことなのだよ。
925 :
考える名無しさん:2007/02/02(金) 19:55:33
世の中を見ろ、開き直りと逆切れと自己肯定の達人ばっかりだ
926 :
考える名無しさん:2007/02/02(金) 20:29:05
世の中愚痴ばっかしだ
927 :
考える名無しさん:2007/02/02(金) 21:16:51
楽天の野村監督は能動的ニヒル?
エヴァにニーチェの思想・哲学を伺えるって人がいるが、お前らどうおもうよ
929 :
考える名無しさん:2007/02/02(金) 21:28:46
そいつは多分ニーチェ読んだ事ない
あぁ、全くだな。
外国人だと思う。
932 :
考える名無しさん:2007/02/02(金) 23:54:09
ということはお前も読んでないくちか。
933 :
哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/02/02(金) 23:58:56
勝手にニーチェと関連付けているだけだろ。
最近そういうイカサマ哲学が横行してる。
934 :
考える名無しさん:2007/02/03(土) 00:02:53
おまえが言うな
935 :
考える名無しさん:2007/02/03(土) 00:03:40
同意。
ここにいる人たちがまともでよかった。
>>932 何冊かは読んだ。
普通日本人なら「〜が伺える」と言うはず・・・なので
外国人ではないかと「推理してみた」・・・ということです。
レイ
「見失った自分は、自分の力で取り戻すのよ。例え、自分の言葉を失っても、他人の言葉に取り込まれても」
「自らの力で自分自身をイメージできれば誰もがヒトの形に戻れるわ」
シンジ
「あたりまえのことに何度も気づくだけなんだ。自分が自分でいるために」
冬月
「ヒトが神に似せてエヴァを造る。・・これが真の目的かね。」
ユイ
「エヴァは無限に生きていられます。その中に宿る、ヒトの心と共に」
冬月
「人の生きた証は、永遠に残るか・・」
価値などというものは見出そうと思えばいくらでも見出せる。
だが、価値の創造というものは万人にできるものではない。
価値の創造。ここが大切だ。
>>938 これだけで「伺える」とかマジで思ってんの?
勘弁してよ。
941 :
考える名無しさん:2007/02/03(土) 01:14:27
942 :
考える名無しさん:2007/02/03(土) 01:44:25
ゲンドウ「人はエヴァを作ろうとする所にその存在意義があるのです。死は何も生みませよ」
ミサト「生きる資格があるのは生きようとする意志があるものだけ」
青葉「人は現実が真実だと思ってる」
加持「人は自分の尺度でしかものを見れないのにそれが現実だと思ってしまう」
レイ「見方を変えれば現実は違うものになるのよ」
加持「真実は君の中にあるんだ。迷わず生きろ」
まだ中村うさぎのほうがニーチェに近いな
いやまだ古谷実の方がニーチェだ
エヴァスレ立ってるから今後はそっちでやってくれるかな?
946 :
考える名無しさん:2007/02/03(土) 18:55:23
ち〇こびんびんロリコンゲンドウ
われらは質実なる美を愛し、柔弱に堕することなき知を愛する。われらは富を行動の礎とするが、
いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥とはしないが、貧困を克服する努力を
怠るのを深く恥じる。そして己の家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟達をはげむ
かたわら、国政の進むべき道に十分な判断をもつように心得る。ただわれらのみは、公私両域の
活動に関与せぬものを閑を楽しむ人とは言わず、ただ無益な人間と見做す。そしてわれら市民自身、
決議を求められば判断を下しうることはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。
理をわけた議論を行動の妨げとは考えず、行動にうつる前にことをわけて理解していないときこそ
かえって失敗を招く、と考えているからだ。この点についても、われらの態度は他者の慣習から
隔絶している。われらは打たんとする手を理詰めに考え抜いて行動に移るとき、もっとも果敢に行動できる。
しかるにわれら以外の人間は無知なるときに勇を鼓するが、理詰めにあうと勇気をうしなう。だが、
一命を賭した真の勇者とは他ならず、真の恐れを知り真の喜びを知るゆえに、その理を立てて如何なる
危険をもかえりみない者の称とすべきではないだろうか。
ペリクレス
948 :
考える名無しさん:2007/02/03(土) 20:09:07
ペリクルミラー
949 :
考える名無しさん:2007/02/05(月) 12:09:02
ニーチェって日本の武士道とそれに付随する道徳については
何か語ってないの?
ローマの、アラビアの、ゲルマンの、日本の貴族、ホメーロスの英雄、スカンジナビアの海賊
――彼らはこの必要という点ですべて軌を一にしている。貴族的種族とは、通ってきたすべての
足跡にに「蛮族」の概念を遺した者たちのことだ。 『道徳の系譜』
こんなのがあるな。
しかし、わが友だちよ、あなたがたにわたしの心の底を割って言うなら、こうだ。もし神々が
あるのなら、どうしてわたしは、自分が神とならないことに、堪えられようか! ゆえに、神々
は存在しないのだ。
952 :
考える名無しさん:2007/02/11(日) 09:08:47
ニーチェの思想はアニミズム的なの?
953 :
荘子:2007/02/11(日) 21:54:28
全人類は、全て歪められた価値観。
全員が自分の為に嘘を付いている。
誰も私の言ってることを理解してくれない。
言えば勘違いが始まる。
何百年後に理解されるのか?
冗談じゃない
ここが場違いなのかもしれない
私にも分かっている
1対 Nの状態では何も進まない。
あぁ・・・ 運命ですかぁ
私だけは愚かな人間になりたくない・・
その為だけにどれほど純潔な精神で己を見てきたか・・・
あぁ・・・ どうすればい
奈落して堕天使のようにならなければ生きては行けぬのか・・
1千年の孤独とはこのことか・・・
答えは見えてきてるのに人類に絶望
同じ人には見えない
あぁぁぁ・・・・・・
堕天使にだけはなりたくない・・
嫌だ嫌だ・・・皆に理解してもらうにはそれではダメだ。
・・・・
954 :
荘子:2007/02/11(日) 21:55:56
何で皆は自分の思ったこと考えたことを真実のようにいえる・・
分からない・・
皆 嘘しかいってない・・
全部 根っこに影響されてる・・
それすら見えてないんだろう・・
この絶望感。
誰も人の為になど思ってない。
沢山の種類の中で同じ根っこに戻る。
誰も根っこなど見てない。
悪魔どもめ。
私は愚か者になりこの板を殺したいという感情が沸いてきている
それは麻薬患者の幻想病院をただ追い出すだけの行為だろう。
ここには誰も居る自信がなくなるだろう。
それはその人本人をリハビリさせる行為とは程遠く
影で麻薬を続けるだろう。
この世に人間はおらぬのか
フランス人権宣言は「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、
各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保する
こと以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。」と
規定している。
これを継承し日本国憲法では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び
幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の
国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(第13条)
つまり人間は他人を害さない、つまり公共の福祉に反しない限り自由なのである。
これは憲法の保障した自由なのである。
ニーチェはこれまでの人類の歴史で、
もっとも洗練された、もっとも鋭い心理分析者である。
ニーチェに比べれば、フロイトさえも
愚鈍な迷信深いジジイにすぎない。
ニーチェがキリスト教を批判したこと自体がルサンチマンだったりしてな
さて、人間をたちまちにして焼き尽くしてしまうものとして、ルサンチマンにまさるものは他にない。
憤怒の情、病的な傷つき易さ、復讐したくても出来ない非力感、復讐へ向かう欲求と渇望、あらゆる
意味での毒薬調合――これは疲労困憊した者には確かに最も不利な反応の仕方だといえる。
こんな反応をしてしまうと、神経の力を急激に使い果たすことになり、有害な分泌機能が病的に
昂進され、例えば胃に胆汁が溢れかえるという事態が引き起こされる。……この点をよく知って
いたのは、あの深い生理学者仏陀であった。仏陀の「宗教」は、むしろ一種の衛生学と呼んだ
方がキリスト教のような哀れむべきものとの混同を避けるためにもかえってよいのだが、この
「宗教」はルサンチマンに打ち勝つことをもってその功徳としていた。……ところがこれとは
違って豊かな天性を具えた人間が前提をなしている場合には、ルサンチマンとは一つの余計な
感情であって、したがってこれを制御しきってしまうことが、その人の身に具わった天性の豊かさの
証明であると大略いえるほどである。
「この人をみよ」だっけ?
>>957 「当の個人にとって『いわれのない』悩みはあまりにも多かったし、『奴隷道徳』からみてだけでなく、
支配者層に固有な尺度に照らしてみても、一番成功するのはあまりにもしばしばもっとも善い人びと
ではなくて、『悪しき者』であった。(中略)運命と功績の不一致の根拠に関する問いに満足のいくような
合理的な答えをあたえうる、そうした思想体系の姿をとったもの」=「苦難の神義論」Theodizee des Leiden
は「ルサンチマンの色合いを一度としておびることはなかった。」(ウェーバー
「宗教社会学論選」みすず書房pp.48-49)
思想体系の姿をとったもの=「苦難の神義論」は世界のなかで3つのみ。インドの業(Karman)の教説、
ゾロアスター教の二元論、隠れたる神の預定説(これはキリスト教の根本教義)
ニーチェはキリスト教は奴隷道徳だと言ったが、ウェーバーはこれを明確に否定した。
聖書の中の『福音書』において、キリストは「右の頬を打たれたら左の頬をさしだせ」などと愛と非暴力の教えを
説いているわけなんだが、聖書の最後におかれている『ヨハネ黙示録』においては、キリストが天使の軍団を
率いて異教徒たちを殺し尽くす情景が描かれている。『ヨハネ黙示録』だけを取り出して、「キリスト教はルサンチマンの
宗教だ」と言われれば、まさにその通りにしか思えない。
しかし、キリスト教を支持する知識人はたいてい福音書のキリストを賛美しつつ、黙示録のキリストは無視している。
962 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 10:57:07
ニーチェって哲学というよりニーチェ教ってかんじ
963 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 12:39:41
964 :
考える名無しさん:2007/02/18(日) 13:07:07
965 :
え?:
俺の金だ\\\\