3 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 19:34:05
そろそろ機械に任せたら? いちいち文字打つの疲れない? それよりニーチェも結構俗っぽいね。 小学生も読んでいる子が多いし、 アホがいっぱい集まるところでもあるしね。 それにしても、ニーチェみたいな人はアホを引き寄せやすいのは仕方がない。 私はまずそういうところは避けるね。 そしてよくニーチェ信者が口にすることは「超人」「永劫回帰」 こればっか。。。 もしニーチェが世間でもっとも低俗で無能な奴に食わせるために 超人を語ったとしたらどうする?? ないこともないと思うよ。 そうそうニーチェ自身が言ってたことがある。 「何年か長い月日がたって、私にはもしかしたら熱狂的な信者が出来るかもしれない。」 まあ、ここのスレにはどうでもいいことだと思うけどね。 だって書き込むことが目的なんだもんね? だからそろそろ機械を導入すれば?
4 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 23:03:03
その文章ってやっぱ機械で書いてるのか? なんかいいなあ、おまい。うらやましいよ
5 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 23:57:13
さて「永劫回帰」だけど ここにいる多くの人達はもうほとんど永劫回帰を受け入れてるようなもんだよ、たぶん。 私達は生まれてくる時は、なんら選択することなくこの世に産み落とされて来た訳だけど。(ハイデカー的にはこの事を既投性というが) でも今生きているっていうのは自分の選択によってだよねえ。 自殺するっていう選択肢もないわけじゃないんだから。 この先の人生まさかすべてバラ色を想像してるわけでじゃなくて、ぞっとするかもしれない辛い経験もあるだろうこと覚悟しながらそれでも生きてやろうと思っているわけだ。 永劫回帰をイメージして過去の辛かった経験とかを「えっもう一回かよ」と思うかもしれないけど、生きる選択をしている私たちは未来に多分おきるだろう辛い経験を受け入れてる時点で大して変わらない訳ですよ。 いまの人生をもう一回だから前回の人生の経験は忘れちゃってるはず、でなければ前の経験を活かすことができるスタートだったら違う人生になっちゃうであろう。だから回帰することによる「飽きる」ってこともないでしょう。 だからこの生を生きてやろうと思っている人は「永劫回帰」を受け入れてるのといっしょ。 ただ例外があって、ほんとは死にたいが死ぬのが恐ろしいからしょうがなく生きているとか、宗教が禁止してて、自殺すると地獄に行くのが怖いからという理由ならあてはまらないことになる。 ニーチェは死への恐怖心や宗教上の理由ではなく、純粋な生の肯定を「永劫回帰」という概念を突きつけて試していると考えられるのでは? 「よしっ生きてやろう!」「この人生をまっとうしてやろう!」と思っている人は、永劫回帰を受け入れているようなものだと思う。 「超人」「永劫回帰」という概念はニーチェの同時代人にとってはとんでもない考えだったが、今の時代を生きる人達にとっては、それほど構えてかかる考えではないだろう。 宗教による「地獄に落ちる」という恐怖心を植え付け、「あの世の幸福を生きる」という概念へのアンチテーゼと思われる。 明日は仕事なのであんまり突っかからないでね。 ただおなじニーチェをかじったものとして単なるニヒリストで終わってほしくないだけだから。
6 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 13:06:34
だから、機械ってなぁに?ねぇ。
7 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 22:32:31
>>6 つまり、いちいち返答して1000文字打つ力を別に使って、
全部コンピュータが自動返答してくれるようにしたらどう?ってこと。
一日中やってたら疲れるでしょっ?て、管理人さんに言ってるんです。
それでお金もらってるんでしたら、しょうがないですけど。。。
それに議論好きでしたら、それもしょうがないですけど。。。
あっ!いいこと思いつきました。
正論賞とか作るのはどうですか。
賞を授与された人は車がもらえるとか。
8 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 23:13:12
9 :
一言居士 :2006/09/04(月) 23:19:48
10 :
考える名無しさん :2006/09/05(火) 18:09:10
>>5 なんかいかにも「哲学がよくわかる本」とかああいう類の入門書によく書いてあることを言うよね。
本気でそう思っているなら、しょうがないけど。。。
12 :
考える名無しさん :2006/09/05(火) 19:29:47
ところで、俺は爆死と溺死どちらを選べばいいんだ?
13 :
考える名無しさん :2006/09/05(火) 19:45:28
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
15 :
考える名無しさん :2006/09/05(火) 20:40:42
あのビデオ偽者らしいね。 コメントに書いてあったよ。
16 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 22:49:56
ニーチェ信者達は『永劫回帰』の思想に恐れおののきながら拍手喝采だが 『シジフォスの神話』(カミュ著)のシジフォスの方がはるかに過酷で、力に満ち、そして感動的だ! 人類史上もっとも美しい
17 :
考える名無しさん :2006/09/06(水) 23:34:25
18 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 19:39:50
神の嫌がらせにけっして屈しない人のお話 神の意志を超えた人間の姿がそこにはある 『シーシュポスの神話』カミュ著(新潮文庫) 薄いからすぐ読める。最後だけ読んでも十分おもしろい。 こんなんでいいかな。
19 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 07:47:07
>>18 むかし『シーシュポスの神話』を読んでふっと思ったことがある。
神が存在しつつ、永劫回帰もあるのかなあと。
それって皆さんどう思う?
20 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 21:59:46
神から受ける罰が永劫回帰って訳か? 人生が嫌になってる人にとってはこの上ない罰になるなあ...
21 :
考える名無しさん :2006/09/09(土) 00:31:34
>>20 いえ
神も永劫回帰の内側にいるというか
神も永劫回帰して・・
神も永劫回帰から逃れられない・・
22 :
考える名無しさん :2006/09/09(土) 00:44:24
神は死んでないことになるわけですね じゃあ ツアラツストラが神であればつじつまがあう? そんな馬鹿な!(笑) 復活した神だあ! ツアラツストラはキリストの復活か それはないよ
23 :
考える名無しさん :2006/09/09(土) 03:02:01
>>12 自分大好き人間は死んだほうがいいな。
アホは同じことをずっと繰り返し、
誰からにも傷つけられないように、
隠れて身を潜めたほうがいいよ。
私はそういう人を大切にする。
一番害のある奴は、行動力があって頭を使わない人だし。
物理的にそうでしょ?
24 :
考える名無しさん :2006/09/09(土) 13:59:38
結局、永劫回帰はまったく同じ事の繰り返しナ訳だから、ニーチェがイエスの生まれ変わりであるということなくてイエスはイエスとよばれるだろうね。 永劫回帰は自分自身への問いかけとしては意味あるけど、神とか他者にについて考えるとあんまり意味無くないか? 回帰は自分の生まれた時点に回帰して(時間を遡って)また生まれるってことだろ? キリスト教の神には不安とか苦難とかルサンチマンとかあんのかなあ?
おまえらほんとに読んでんの? 神神って・・・ 呆れるわ。 なんか辞典とかで永劫回帰のとこだけかじったようにしか見えない。 「神と名の付くものすべての背後に人間がチラついてんじゃん」って言ってるでしょ、ニーチェ。 意味わかんないのかなあ?
>>16 >>18 カミュは単なるいきおいでしょ。特に初期のカミュ。
『幸福な死』読んだ? あの最後ら辺の論理のもっていき方。
要は、いきおいまかせで無理やり意志に価値観置いて
納得するだけ。全然過酷じゃない。
そのいきおいの流れがすごいうまいから納得しちゃうだけ。
つーかニーチェ的な観点で言えば、人間を
罰を与えられて過酷な環境におかれてるシジフォスになぞらえてる時点で、
単に過酷さに怨恨をもってるだけのめくらなわけ。
過酷、って言うんだったら『ツァラトゥストラ』の綱渡り師の方が上だな。
ボロクソ言われて落っこちて、最後死ぬ直前に喘いで文句言ってるところに
「いや、あんたが言ってるの全部存在しないよ」と論理を突きつけられるとこ。
27 :
考える名無しさん :2006/09/09(土) 19:04:13
>罰を与えられて過酷な環境におかれてるシジフォスになぞらえてる時点で、 単に過酷さに怨恨をもってるだけのめくらなわけ。 一般人からみて人間が罪を与えられているとしか思えない環境に置かれたシジフォスが、自身ではそうはとらえてはおらず自分の生を掴み続けている点がシジフォスの美しい点だ。 『ニーチェ信者』達がやたら永劫回帰を受け入れようとするツァラトゥストラや、最後には発狂してしまうニーチェを、その過酷さから賛美している様に、過酷さから言えばもっと上がいる事を指摘したまでだ。 さらに力強さやその魂の美しさから言えばやはりシジフォスだな。
嘔吐、嘔吐・・・情けなや!
29 :
考える名無しさん :2006/09/09(土) 19:30:58
>『幸福な死』読んだ? あの最後ら辺の論理のもっていき方。 だから『幸福な死』はカミュの生前は発行されなかったのよ。 未完の作。『幸福な死』はカミュを理解するにあたっての資料にするべき作。
30 :
考える名無しさん :2006/09/09(土) 20:51:36
まぁなんだ。結局系譜学とルサンチマンで全て説明できる。
31 :
考える名無しさん :2006/09/11(月) 00:25:04
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>>27 まず細かいつっこみになってしまうが、
ニーチェが"発狂した"というのは誤ったイメージなんだよな。
まあニーチェ信者でも勘違いしてる奴が多いんだけど。
実際は精神病で人格荒廃しただけ。エリザベート(妹)の手紙とか、
ニーチェの様子の資料を見ればちゃんとわかる。
世間にあふれてる「思想に耐えられなくて狂人になった」というイメージは、完全な間違い。
で、
「一般人」とか「ニーチェ信者」の観点で言うなら
過酷さの程度についての話も出てくるが、
>>25 >>26 の文意はそうじゃないんだよね。ニーチェ自身が書いてることだよ。
おそらく多くのニーチェ信者も誤解してるけど、
別にもともとニーチェと"力強さ"の概念は関係ないんだよね。
シジフォスの方が力強い、なぜかといえば、シジフォスは
罪を与えられていても、それでも自分の生をつかんでいる。美しい。力強い。
ま、カミュや、普通の視点からすると、そうなんだろうね。
でもニーチェの観点は違うんだよ。
観点が違うから、どっちが力強いかみたいな比較してもあまり意味がないな。 ニーチェの観点からすると、 罪という概念を考えてる時点でもうルサンチマンなわけ。 つまり、過酷な環境でも不幸でもなんでもいいけど、 それが「罪によるもの」「罰によるもの」「神よって与えられたもの」 「神の受難者」「神から受けた罰の被害者」、 え、ちょっと待ってなんでそう考えてる奴ばっかなの?と、ニーチェは考えたわけ。 で、よく見たら、「神によって与えられた罰で、人間は被害者」という構図は、 別に"神"だろうが"運命"だろうがなんでもよくて、その部分が「絶対的などうしようもないもの」で あればいい、ということがわかった。なんだー、人間は、そういう"概念"を考えることによって 自作自演してるだけじゃん、というわけ。 それで周りのニヒリストやキリスト教を観察した結果、「信仰」の原理を見つけた。 自分の意志を事物の中へ入れるすべを知らない人間が、 せめて何らかの"意味"を事物に持ち込む。 ということは、その人間からすると、何らかの意志がすでに 事物のなかにあると感じられる、というだけだった。 シジフォスもこれなんだな。自分の意志で神を上回ったぞ!と嬉しそうだけど、 神概念(自分が何らかの超越者・あるいは環境によって絶対的な強制を受けている)を考えてる時点で、 事物に対して自分の意志を持ってない、というわけ。 カミュは「見かけ上の反抗」を示しているに過ぎない。
35 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 17:57:40
哲学坊やのくせに超人って考えにたどりついた時点で偉い
36 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 21:20:20
シジフォス自身はは罪の意識も神との対峙もぜんぜん意識していないのよね。 物語だから解りやすく神や罪が出てくるが、それらが無くてもこのお話は十分成立する話。 例えば映画俳優のお話だとして、何度自分の演技をしても映画監督からOKが出ない状況があったとしよう。 映画監督の好みの演技をしなければ、何度自分のイメージ通りのいい演技をしてもNGが繰り返される。 この状況はつまり「絶対的などうしようもないもの」が映画監督な訳だ。 ここで俳優は「なんとしても自分の演技で監督に気にいってもらおう」と自分の演技に磨きをかけるか、「あーあ、やる気ゼロだけどとりあえず監督好みの演技でもしとこ」と妥協するか。 簡単にいうとこんな感じでも話は同じだ。ここには罪も神も登場しない。 こんな例でもいい、長年お金を貯めて家を建てたが一月後に洪水で流れてしまった。もう一回建てたが今度は地震で倒壊した。ここで自然なり、神なり、運命なりを呪う人になるかそうでないか。 ここまで極端じゃなくても社会で生きてれば大なり小なりこういった自分の力の及ばない「どうしようもないもの」にはいくらでも出会う。 シジフォスで示したかったのはこういう事だ。
37 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 21:21:28
シジフォスはこんな場面でもただ単純に自分の生を掴み続けているという事だ。別に神との対峙なりを意識して高揚してる訳ではない。 違うかな?、反抗してる訳ではないんだ、カミュが「反抗的人間」と呼ぶ人たちは、本人達は反抗を少しも意識していない。 ただ周囲からみると反抗しているように見えるだけな訳だ。そこに被害者妄想は存在しない。 「医者が治療する行為」は見方によっては反抗ととれる、本人の意識とは裏腹に。 自分の力の及ばない「どうしようもないもの」と感じるものは人生には沢山ある。これを神、運命、自然力、厄とか人間は観念する、頭でイメージしやすくなるから一種の道具として使う。この事を否定することは無理があると思われるし、このこと自体には問題は無い。 ただこの観念が一人歩きし「キリスト教」レベルになると被害者妄想とかを巻き込みながらやっかいなものになる。注意すべきはこの点だ。 単なる道具であったものに、逆に人間が振り回される現象が発生し、また人間の目から大切な物を見失わせる。 神の存在を観念すること自体になんら問題はない。本人にリアリティがあるかないかだ。 永くなったがカミュはシジフォスにおいて「見せかけの反抗」を示してるわけではない。
38 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 21:43:41
ニーチェに飽きたらカミュの良さ分かるよ
39 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 21:49:28
「力強さ」や「美しさ」とは受け取り手の主観の問題だ。 このスレの「ニーチェ信者」は力強さに強く引かれるようなので書いて見た。 読む者が「力強さ」に引かれるのも解らないわけではない。 敢えて言えばニーチェにはやはりキリスト教道徳が強く自身の体に染み付いており、だからこそこれと戦った。 当時の人としてぶつかるべき問題に最初にぶつかった人、自身の内面においても。 「永劫回帰」は、それは恐ろしい概念の形で登場するが、やはりニーチェ自身がニヒリズムをかかえ持った人であって、そこからの脱却の戦いを余儀なくされた人であったからであろう。 シジフォスの目には「永劫回帰」は困難な概念とはならないだろう。 ツァラトゥストラが気難しい伯父さんに見えてしまう面があり、力強さにかけるのが弱点だ、単なる私の感想として。 私はニーチェが大好きである。 だからこのスレを見てがっかりする部分があったので、しばらくの間書き込みしてみた。 ニーチェに関心をもって読んだ若い人達は、「ニーチェ信者」で終わらずせっかくだからこれをキッカケに色んな思想家見てもらえたらと思う。 世界は広い、視野を大きく持とうよ! では、さようなら。
40 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 22:36:58
>>39 クーロン発見!
空論と空論をあわせて
しあわせ なむー
では私はサルトルを読もう。
42 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 23:54:14
じゃあ、俺はデカルトとフーコー
なら僕はキルケゴールを
44 :
考える名無しさん :2006/09/13(水) 01:36:03
神は確実に存在するだろ、この世の全てが理にかなってる
45 :
考える名無しさん :2006/09/13(水) 13:22:05
世の中には善意という名の暴力を押し付ける人達で溢れてるからね。 例え死にたいから安楽死したいと言う人がいても、何やかやと理屈をつけて それを阻むんですよ つまり、世の中には善意という名の暴力を押し付ける人達で溢れてるからね。 例え死にたいから安楽死したいと言う人がいても、何やかやと理屈をつけて それを阻むんですよ 大衆の徳は強い。 やっぱり多数は強い。 だからゲーム理論で世の中を渡るしかない。
46 :
考える名無しさん :2006/09/13(水) 15:32:17
ニーチェの文句には爆笑する箇所が一杯。
47 :
考える名無しさん :2006/09/13(水) 16:21:53
世の中をゲームにしたのは親たちだ。見方によるけど真剣に生きるべきだ。ただ大真面目にあるがままは受け取れないゲームという言い方はある
48 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 11:44:06
ニーチェよりキルケゴールの方が、深い。
49 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 11:52:32
平のかな 平和
50 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 12:02:22
すべのかまき すべてがうまくいっていた すべての人間がすべてを知っている
51 :
光 :2006/09/14(木) 12:09:45
ま、悪く思うなよ
けっこう面白かった。 やっぱり言葉って凄いな。
アンチクリスト読んで頭がこんがらがった俺が来ましたよ
54 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 21:41:48
55 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 21:43:35
56 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 21:47:07
新潮社の『精神科医になる』という本を読んだものなんですが、 この本を読んで、精神病患者がどれだけわがままな存在であり、 外部の人間から見放されている人間かよくわかりました。 私には勘違いしていたことがひとつあります。 精神病患者は、何か外部からの人間から圧力を直接受けたのかというと、 まったくそうではないということ。 むしろ、外部の人間からの圧力を自ら遮断して、距離を置いているということです。 そしてまったく受け入れない。 よって自分に無限に甘えるのです。
>>56 その本がよほどクソなのか、君がよほど頭の悪い人間なのか、どちらかですよ。
まったくだ。
59 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 22:08:03
60 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 22:10:01
61 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 23:44:44
>>56 確かに保護してくれる人がいなかったら、
とっくに死んでるもんなぁ。。。
精神病はやっぱり甘えかぁ。。。
知り合いで精神病院に通っている奴がいるけど、
自分が精神病だって言い聞かせてるだけって感じがするよ。
62 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 23:44:55
希望だ!希望を持ってこい!って言ったのニーチェだっけ?
63 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 23:52:09
>>61 もっとも弱い人間の最後の抵抗みたいでいやなかんじだな。
精神病ってうらやましいよな、だって責任問われないんでしょ?
俺も精神病者だって偽ろうかな^^
64 :
一言居士 :2006/09/15(金) 08:25:53
>>61 精神病者がなんで甘えるのかを考えよ。
辛いから甘えるのでは?
ま、精神の疾病ってのは、思考を変えられないところから来るのかも。
精神病者が病気であること自体は精神病者の責任かも。
65 :
考える名無しさん :2006/09/15(金) 08:40:01
>辛いから甘えるのでは? 基本的に鬱病にかかるのが几帳面で真面目な人であることから考えると 自分の考えに凝り固まっていて柔軟性がない可能性が高い。 ということは社会が救い様がないほど荒廃し、それに対して頑固に自我を 固持すると発病する可能性がある。 日本の場合、外部の人間に甘えないと生きていけないだけである。
「甘えだ」という言葉を使いたいのは こいつらキモイ、自分は正常だ、という考えがあるからでしょ。 視点が絶対安全な「他人」というポジションにあるわけ。 でも世の中、そういう余裕のある視点に居られるような 恵まれた環境にある人ばかりじゃないのよ。 たとえば自分の娘が統合失調病、というような人のケースね。 親は自分の子どもを「キモイ」という感情では片付けられないから、 逆にもし「甘えだ」という言葉を使っていたら、それこそ 現実に対処しようとしない逃避、逃げ、責任転嫁なわけだ。 まあしかし、周りの人間でそういう自体がないと、こうは考えられないのも仕方ないかな。 リアリティがないからね。なんでもそうでしょ、 貧困で喘いで飢え死にしてる人間を、 ポテトチップ食べながらテレビで見て、笑ってるような連中だから、日本人って。
↑は
>>63 あてね。
要は、自分はぜったい安全なところにいる上に
さらに安全に、すべての責任から逃れたい、という考えが根底にある、というわけ。
現実を見てない(知らない)人間なわけなんだな。
たとえば現実に本当に精神病のふりをしても
まさに
>>63 のような人間からきちがい扱いされて社会から抹殺されるだけなわけだし。
「自称メンヘラ」な人間しかみたこと無い奴ばかりなんだろ。 病気の治療云々より、「私はメンヘラ」ってことをコミュニケーションの ネタにしてる2chの連中のような・・・。 甘えを持ち出すあたり、いかにもニーチェしか読んでない アホの典型的な意見だと思うがね。 そのまま優性思想まで誤解を進めるといい。
69 :
考える名無しさん :2006/09/15(金) 23:13:20
ニーチェは役に立たない
70 :
考える名無しさん :2006/09/16(土) 01:30:31
>>69 そんなことどうでもいいでしょ。
はじめから。
71 :
考える名無しさん :2006/09/16(土) 19:19:55
ニーチェが否定したのはキリスト教であって、 他の宗教は別に言及してないよね。 神は死んだって有名だけど、自然科学の発達で キリスト教が没落してたんだろうな。 既存の文化・哲学・宗教を批判したところに共感するね。 俺は「ニーチェ入門」の途中までしかまだ読んでないけどね。 ニーチェの後は何読もうかな。ショーペンハウアーかマルクスにしようと思うけど。 何かお勧めあったら教えてください。
72 :
一言居士 :2006/09/16(土) 19:33:24
73 :
考える名無しさん :2006/09/16(土) 21:09:42
永劫回帰の議論て終わっちゃった?
75 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 01:44:14
『クリシュナ神とインドラ神とシヴァ神の創造に纏わる三つの意志の話。』 第一話 《ディオニッソス三角辺の支柱を支える思考論。》 なぁ?今此処、そうまさにこの空間を互いの共有の認識が可能な空間で在る事を今まさに此処と彼方がぶつかり合い反芻し、この時空を粉々に砕く事を意志する。 それはアジアに降り立ちヨーロッパに程近い国々の限り無い混沌と一つの新しい思想のその細やかなる。 目覚めの息吹と新しい破滅の呼吸をその激しい踊りのリズムに織り交ぜて。 過去としての未来の明日の朝日の変わる事を揺るぎ無い変化の中でこそ無尽蔵な豊かさを煌びやかに、全ての“同情”を彼岸の彼方へ見送り。 その幸福の内に眠る“危険”の確かな安堵の含み笑いを「彼方」と「ここ」に、その国々の至る所で、 この国の創造と破壊に彩られ、確かに純潔と不浄を産み落とし、その意志の存在の車輪をこの国の「彼方」と「遥か」に存在しその心中は至る場所と人々に宿り存在する・・・・・。
76 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 01:48:23
第二話 《創造神・破壊神・天上神》 “およそ、三つの悪、是が集まり初めて創造の神はこの瞬間で踊る。” その創造の息吹をその大地に吹き掛け、その舞う葉と踊るクリシュナは蓮の葉と伴に全ての死を今彼方から再び花開かせ。 天空のインドラは雷雨と大地の渇きの全ての別れを今ここで又再び出会いの挨拶を交す・・・・・・・・・。 その希有な一時の為息の合間にその固い扉は粉々に打ち砕かれ粉々に成り。 その風貌を砂時計の中で、この一切の来た道を再び走らせる・・・・・・。 螺旋と羅刹の曲線は再び、この「瞬間」に循り会い。 その虚数なる無の時間を、その破壊の槍で今「ここ」と「彼方」を繋ぐべく。 徹底的な迄の真剣さを楽しみの中に見入出しながら・・・・粉々となりそれは 見事な砂金の様な輝きを全ての富める命達に贈り与え振り撒く。 この時の一切は再び繋ぐこの「瞬間」に。 緩やかな突風は優却な温風を優しく流し込む。 破壊と踊りを偶然と律然を創造する為にこの神はひたすらにまで飽く無き熱情をその大気に力の限りに打つけ。 狂神の如くに踊り狂う。 その右の手にはめられた、音階の知恵の輪を激しく公転させ荒々しく全てを逆流させる。。 全ての「瞬間」を固く閉ざしその運命の来訪者を待ちわびる。 この門の彼方から破壊の根源なる神槍ピーナカは振り下ろされこの時は今まさに「瞬間」により破壊の余韻を一塩に抱き寄せ、しかとその両の腕で抱え込み。 鷲掴みにして・・・・程なく・・良く愛撫した・・。
77 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 01:52:03
第三話 《葡萄酒と踊りの神と狂気を従え狂神に仕える狂乱の女神達。》 “ムゥサの女神達と狂乱の女神達マイナ・デスの口を開いた“或る”世間話” 嗚呼!!葡萄酒と踊りの神に歌を歌わせ、永遠を永劫の舞台の上で喜劇役者の様に恋慕しその苦痛なる痛みを歌わせ彼方までなり響かせた。 あの詩人がその魂より物語った出来事の断片は今此処でようやくその形に素肌の辱めを見事な官能と能動との嫉妬迄に誘惑し。 だが私がその横顔を不意に覗く見ると確かにそれは良く笑っていた・・・・実、良く笑う獅子の如しで在った!! 破壊とは創造、そう!! 創造そのものでは無く、 どちらかというと、通り道・・・つまり創造のプロセスであると告げた方がより理解し易い様に思われる。。 それは知恵の輪に掛けられた一本の悪意に満ちた時計仕掛けの罠なる魔術の種にしか過ぎない。 嗚呼!!何故に創造者たる者が破壊を試みる事を意志するものなのか? どうかを見極める知性は恐らく私が“この場”を見渡す限りには誰一人としてその感触に触れられはしない・・・・・。 何故に創造を産む者が更に自己を克服する為に創造を生み落とした時のあの衝動の内なる響きに真、良く耳を傾けるが良い!! 私の本能なる内から育ち その上方なる彼方へとゆるりと伸び切り。その先で見事な迄に痛々しくも傷だらけの素肌の儘で野晒しとその感性の真横を嫉みと嫉妬の通風を引き起こす。 人間の最も深い力の根源よ!! どうかその意志が全ての軽いものと等しくその身の多くに浸食し。その意志の根までを噛み契らんとする。 その寄生虫の名はその意志の根と心臓に巣食う情念は一切の「復讐心」これに他ならない!! 全ての認識者達よ!!その時を今、私は只ひたすら待つ!! 嗚呼!!全ての認識者達よ!!その“待つ”事を意志出来る者を今はただ!!ただ!!その“待つ”事を意志する勇気を誉め讃えよ!!
78 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 01:56:26
第四話《ルクス・ヌクス・クルクス・評価・破壊・誕生・神聖の三段変化。》 第一段階 《光(認識の目)評価》 第二段階 《胡桃割り (認識の手)破壊》第三段階 《十字架(認識の 犠牲)創造》 嗚呼!!全ての認識の虜となり。その反芻する時の矛盾に翻弄され嘲笑われる程に単純な純潔を保つ虚ろな胡桃割り人形達よ!! その胡桃の実を自身で割る事が今はまだ到底無理だとしても!! 私はあなた方があなた方が何よりも、まず先にその意志を更に意志出来る者であって欲しいと願う!! おお!!私が愛するのは自らの破滅に突き進みその身とその試みを その破滅に掲げ上げ、自らの破壊により破滅する事を望む者だ!! 何故なら破滅を自ら破壊する者は又、自らも越えて“破滅”しなくてはならないから!!! おお!!私が愛する者は 多くの“破壊”を越えて創造しようとする者達だ!! 何故なら自己を越え往く 破壊の中から 唯一の創造が可能だった。 この原初とした終焉の時の根源に、あの一切の宙宇が又再び自己を越えて。 更に破壊により、創造する事でしかその終わりは訪れずに。 その悪循環そのものの神とその終りには結合し、伴に破滅しなければならないからだ!!
79 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 02:05:56
第五話 《破壊神と神槍ピーナカ、破壊力への作用。》 1 “破壊者の手に渡される神槍“ピーナカ”この槍そのもの認識に置ける破壊力を与える作用。それをもたらす力それその物に他ならない。” さぁ私はいよいよを持ってこの更なる深みへとその淵に立ちその中を臨む迄に 一つの決着を自身と着けなければなるまい。 どうか此処からの文面は散文的形容を単衣に折り重ね進行の歩みを進めたい。 《破壊の中から創造が産まれる。》 私は大いに、この概念感に惑わされ又自身の感覚さえも翻弄される事を余儀なくされた・・・・。 まぁその大まかな道筋や、其処まで到る経緯を存分に解釈で持ってしても。 此処までの全第五話目までを単に読む事だけで紐といたとしても。 その意志を味わったと言う事を理解するには今だ 此処の多くの知性は、その“理解”すら良く“誤解”している事を余り理解と その解釈を短絡的な結果論の統一性の強い評価論により。 評価の対象とその周り以外には全くと言って良い程の無関心さで持って理解の手筈を施さない。
80 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 02:08:25
2 さて、では何故、破壊と創造は再び巡り合う事か。 それに付いて此処では少なからず語らせて貰いたい。 まず我々がその事物の存在性と確かな実態を我々が、“或る”物と絶対的に限り 無く近い確立で存在する事を認識し。 又その概念感に置ける幾つもの重複的な記号論を反芻しそれらをあらゆる感覚に置ける感触を駆使し。 我々は全く見事な迄に その精神と理性と本能から伸びる細やかな一本の糸を物の見事に操り。 終にはその理性と本能と精神から伸びるこの一本の糸を巧みに細工し変化を与え最終的にはその伸びた一本の糸の先端に括り付けられた。 その器官に置ける“神経”とも言える場所に繋がるので在る。 更にその才知に富んだ感覚はその自己が磨き上げた 感性と一切の理性とを併用し潜在的疑似体験を最大限に迄増幅させ。 その意志がその意志の支配を克服させまいと。 その感覚と神経の臨界点にまで迫り。 限り無い程までに自身の体験を経験し、全く持って我々はただちに忘却するので在る。
81 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 02:12:07
3 それでは此処から本題の確信へ手を伸ばすことを試みよう。 「ではそなた・・“孤独を無みす者よ”・今一度尋ねよう・・・。」 「何故に破壊が創造への通り道で在り、何故に又一切の過程だとあなたは言えるのかね?」 『もし、認識しそれを意志する人間がその存在の物質の証明を確かにし。』 『又その確かな実在性と価値を破壊する事を試みる時にその破壊の対象物なる』 『物質に対し何を実行すればその対象物を粉々に粉砕する事が可能な条件とはなんであろう?!』 「おお!“孤独を無みする者よ”!!何故にどうして今更になり一体何処の誰が破壊が必要な事だと言い出したんだろうか?」 「私はあなたに問う・・・ではその事柄自体の“価値”とはなんだね?! さぁ答えたまえ・・・孤独を無みする者よ・・」 『あらゆる一切の価値・・・それはその事物に与えられた“評価”これ自体がその事物の本質(エッセンストその内約は注入。)に与えられた価値その物でごさいましよう!!』 「おお!!希有な光よ!!さて時に孤独を無みする者よ・・・・我々がその事物の価値を破壊する時に最も良くその事物について深く認識を与えなければならぬ事は多分に理解出来た・・・・。」 「だが、何故それらの破壊と評価が“創造”を産み落とすのだ!?今一度、答えを与えよ・・“孤独を無みする者よ”・・・」
82 :
ディオニッソス三角辺論、 :2006/09/19(火) 02:13:59
第六話 《アトロポスよ・貴女を私は愛する・・ディオニッソス。》 自分を破壊する評価を誰かに与えて貰いたい人とは出会った事は無かったが あなただけには その子を分けて貰いたい!!!おお!!創造よ!! 何故なら私はあなたを愛する!!おお!!創造よ!! 「では、再び問い正そう・・・・・何故それらの破壊と評価が“創造”を産み落とすのだ!?今一度、答えを与えよ・・・・“孤独を無みする者よ”・・・」 『・・・・私はこの事を前に教えた・・・・。』 自己を維持する必要上、人間が事物の中に初めて価値を差し入れたので在る。 ―――人間が事物に意味を、人間的な意味をはじめて与えたのだ!だから、かれは「人間」とよばれるのである。すなわち「評価する者」と。 此処を良く反芻さなさい、あなた方、創造を試みる者達よ!!良く聞きなさい。 「評価」する事が「創造」する事なのである。 参照著書・フリュードリッヒ・ニーチェ著 ツァラトゥストラはかく語りき、第一部・千の目標と一つの目標より。
83 :
ディオニッソス三角辺論。 :2006/09/19(火) 04:39:43
第七話・終話 《ルクス・ヌクス・クルクス・・・・。》 さぁもう理解出来ただろか?!評価・破壊・創造。 この三角辺はどれも似たような性質をその概念の媒体に多く宿している。 私が此処までに理解した事は評価する為にはまず 何よりもその現象の中から存在を手探りで探り出す卓越した。 認識の眼差し第二にその認識の対象物を良く捉え粉々に解体するその破壊力!! 第三は特に語る事は余りにも少ない・・・・・。 創造に必要なのはただの単なる“意志”の欲動これのみで在る。 更にもう一つ付け加えると破壊とは“分析”これに他ならない。 おお!!三度来る!!おお!!再びあの空にあの太陽は再び運んで来るのか!!あの“大いなる証拠よ”! おお!私は“待つ”!! おお!時は満ち引きの引力に抵抗され、我が友との再開をより一掃堅く契りを交わす・・・ その正午を引き連れ再び訪れるのは懐かしき彼方の友よ!! おお!我が友!ツァラトゥストラよ!だが私はあなたを待つ!おお!ツァラトゥストラよ!私はあなたを待ち焦がれているに過ぎない!! 一切は行き、一切は帰る。存在の車輪は永遠に回ってる。一切は死に一切は再び花開く。 存在の年は永遠にめぐっている。一切はこわれ、一切は新たにつなぎ合わされる。 存在という同一の家は永遠に再建される。一切は別れあい、一切はふたたび会う。 存在の円環は、永遠におのれのありかたをまもっている。一瞬一瞬に存在は始まる。 それぞれの「ここ」を中心として「かなた」の球はまわっている。中心は至るところにある。 永遠の歩む道は曲線である。
よく入力したな
85 :
一言居士 :2006/09/19(火) 11:00:32
>>75-83 はニーチェの文章だと思うが、正直言って読みづらいし、大げさな感じがする。
ファンタジー小説と同じノリで読んでる奴多そう
ニーチェって大知識人?
88 :
考える名無しさん :2006/09/22(金) 00:00:32
かわいそうな人だよ
89 :
考える名無しさん :2006/09/22(金) 00:09:25
質問です。 ツァラトゥストラは誰の訳が良いですか?
>>89 誰のがいいのかは知らんが、俺はとりあえず浅井真男/訳ので読んでる。
ニーチェって、『アンチクリスト』でユダヤ人をボロカスに罵っていて、
どう見ても人種差別的なのに、一方で反ユダヤ主義者とくっついた妹に
対してブチ切れて「お前のせいで俺のやったことが全部誤解されんじゃ
ねーかよタコ」みたいなこと言ってる。
何かの著作か書簡で「人種差別はイクナイ!」「ユダヤ人はヨーロッパ
で最も優れた人種だ」とも書いている。
どっちなんだよって言いたくなったのだが、誰か詳しいヤシ解説頼む。
俺は詳しくないが、ユダヤ文化は嫌いだけど人種差別も嫌、という奴が 反ユダヤ主義者呼ばわりされて取り繕ったようにも見えるな。
ニーチェはドイツ人も全否定してるぞw
>>90 ヨーロッパ人は総じて酷いってことじゃないか?
ニーチェ入門しか読んでないけど、ディンジャラスだ だがそこがいい
「岩場に寝転がっている奇妙で幸福な生き物、それが私なのだ」。 気分は分かる・・・。
つまり私はトドなのである。
>>88 ヴィトゲンシュタインとどっちがかわいそう?
99 :
考える名無しさん :2006/09/24(日) 18:35:08
100 :
一言居士 :2006/09/24(日) 18:42:46
>>90 一人じゃ何にもできないやつらが、つるんで偉そうにしてるのが嫌なんだよ。
ユダヤ人どもがつるんでるのもイヤ、だからといって反ユダヤ主義者がつるんでるのもイヤってことじゃない?
「この人を見よ」で >仏陀は偉大な生理学者である の部分を読んで、好きになったニーチェ・・・
Ecce Homo
ニーチェがドストエフスキーを評価したのをなんかの本で読んだのだが見つからない。
105 :
考える名無しさん :2006/09/26(火) 03:09:05
もっと勉強しなきゃ!みんなすごいよ!
106 :
考える名無しさん :2006/09/26(火) 05:56:02
俺にとっては「よいこ」か「めばえ」のようなものですよ
107 :
90 :2006/09/26(火) 09:56:26
108 :
考える名無しさん :2006/09/26(火) 17:01:09
誰でも心の中ではなんとなく解っているが、誰も口に出さない本当の事を 言った人なのかなあ????? 教えて下さい。
109 :
考える名無しさん :2006/09/26(火) 17:42:42
>>108 そう捉えている研究者の方もいます。また研究者によって色々違います。
ひと括りには言えないし。貴方は貴方の捉えかたでいいとも言えるし。
いろんな捕らえ方が投稿されているので、ずっと読んでみて下さい。
>>107 ありがとう。そのサイトはお気に入りにいれてたけど、すっかり忘れてたよ。
しかし、ニーチェとドストエフスキーの接点は面白い。
悪霊のスタヴローギンと重ねたりしたことある人いる?
111 :
考える名無しさん :2006/09/27(水) 01:41:53
>永劫回帰はたんなる宿命ではなく、自由意志によって招来される世界の根源的なありようなのである。 これの意味がわかりません。人間には自由意志があるということですか?
>>111 自由意志を保持している人と、放棄してしまっている人がいる…という
のがニーチェの見方だと思いますよ。
放棄している人というのはつまり、ニーチェがよく「畜群」と表現する
キリスト教徒でしょう。新約聖書の使徒、教父、牧師はそれを管理する
「牧人」ということになるわけです。
家畜であることを辞め、自由意志を持ったときに見えてくる世界…その
の根源的な有り様が、永劫回帰なのだということではないでしょうか?
>>107 ニーチェってスタンダール愛読してたのか
114 :
考える名無しさん :2006/09/27(水) 14:14:02
>>112 見えてくる世界と言うことですか
なるほどありがとう
115 :
107 :2006/09/28(木) 07:06:17
>>113 『この人を見よ』の中でスタンダールを大絶賛していますので、愛読していた
のは間違いないでしょうね。ニーチェが言いたかったことを先に言われてしま
って、「うわ!やられた〜っ」と思ったようですw
フランス文学の中では、モーパッサンも高く評価していますよね。
116 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 11:51:46
「神は死んだ。」その深渕と奈落で見た“悪意”に横たわる最善の“愛”ついての散文的洞察論文。 序幕1。『道理に明るい。』哲学者達と『道理を証す』哲学者達の吟詩についての思考と参考に置ける“品位”について。 第一考察。 《自己観点的“価値観的”有心的哲学者達と、その“他”に分類されるエセ哲学者達と呼ぶに値する“彼等”の原理と起源に付いて。》 嗚呼!!何方か確実な真理に感覚の誘惑を真密やかに楽しむ古い価値の石の板を打ち砕く事を試みる悪意の改善者達よ!!どうかあなた方より遠方を眺めし時、この“道理を明るく”照らす学問と題された。 この単一かつ複数的な“一個人的”な“観察”の立方体のより深くに横たわる。 まだ“知られてはいない”『善』と『悪』をいよいよを持って我々の目の前に立ちふさがるが良い!! その時に余りに余計な多くの事物を知り過ぎる“小人達”は恐らく口々に、こう謗り罵るだろう・・・・・。 「その思想に見え隠れし、その思惟の巨大な根を支え聳える支柱に置ける、思考は我々に取って理解を要するのは極めて困難で在り。」 「更にその主張に置ける発言的な言葉は大半に於いて大多数が我々にとってあからさまに非人道的で在り。」 「もっと明確な定義を与えるなら我々“民衆”に向けられた“不道徳”そのものでさえ在り。極めて明確な“危険”そのものと呼んでも決して“間違いでは無い”・・・・・。」 つまり、何時の時代にも、“我々が何者か?”知られていないし又“我々とは何者で在るべきか?”を知ろうとも又、理解さえ知ろうともしない彼等・・・・。 ・・“群衆”それらは常に彼“フリュードリッヒ・ニーチェ”『この人を見よ』この偉大なる神の“殺害者”にして“目撃者”たる。 『狂人』彼の残した記述が表す言語と言葉を我々が理性的に機動させ解釈する限りに於いては。 我々“群衆”を畏怖させ、その意識に混乱を与え。 又、その「思想」を現代思想学までに連なる、その思惟の主軸を比較する限り。 その思想の真意を伝達する言葉と文脈を一目見る限り・・・・・・。 目に在り余る「危険」がその歩みとその道筋の遥か先により鮮明に“くっきり”と浮き彫りに確認出来る・・・。
117 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 11:55:06
即ち彼“フリュードリッヒ・ニーチェ”彼の「哲学」とはその意義を満たす事無く大きく外れ又、その思想に置ける。 一切の“価値”等、我々、“智を愛する事に誠実”な道徳的な「哲学者」達が“彼”に与える。 哲学的な“評価”は一切の“危険”これ以外にはあてはまら無い。 第二考察。 《哲学》と《病学》。 その内在させうる意義を或る一定の基準にまでに到達する理解を与え、万人が一斉に認識出来る“意味”を“定義”し、又その一切のおびただしくも一様に容認しがたい。 理論の成果とその信憑性の是非に付きまとう。 その決して無価値とも限らない思想にまで行き着く迄にその高い感覚を自身の精神に持続する事が、より高い人間的な価値の保持を与える。とは自己解釈的“哲学”に置ける私自身が学んだ教訓で或るとして・・・・。 はたまた、どうしてその“教訓”自身を私が経験した事として何故それが、あなた方の“真理”でなくてはならないのだろう?・・・・・! 《哲学》己の知識を増やしその知識で世の中の人々の道理を明るくし智を愛する事に起源を発する学問。 「私は常日頃こう題され、敬愛される。この一つの“定義”と価値付けされた。一つの思考に付いてこう考えるようになった・・・・。」 己の知る知識を増大させた知恵により、“世の中の人々の”《道理》に自らの“思想により”灯りを照らしそのまだ人に知られてい無い道を明るみにする事がこの「哲学者」の宿命ならば、私は彼ほどにその意義に誠実な熱意と悪意を持って自己とその内に諭してくれた。 偉大な「哲学者」をまだ知らない・・・・・・。 その真意は事の他この次ぎなる文体にその理解を求めて貰いたい。
118 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 11:57:56
《哲学者と呼ばれる人々達がその多大な知識と智慧を輝かせ“人類が歩み道”即ち道理に明るく生きる人々ならば・・・・そのまだ知られていない道の過程に程良く置かれた。数多なる『危険』と題された苦難。》 《我々、哲学者と呼ばれた多くの単一の一個人で或る。人間として、その人類が歩む“道理”と呼ばれる。 進むべき道筋に智慧の太陽を昇らせ、その道をより鮮明に人々に認識させる事を常に置くならば。》 《その道理と呼ばれる道筋の彼方と遥か先迄に続く限りを見渡した時と同時にその道迄の過程に置ける。》 《“危険”》これすらより鮮明にあからさまにさなくてどうして我々人類が再び道理と呼ばれる道を我々の愚かさすら笑える程の意志を携える“人間”がこの地上に現われるものか!! 事物に置ける道筋を見通した時にその多大な知識でもってしてその道を明るく照らすなら、その道に或る《危険》是すら我々は明るみに出来なくて一体何を克服出来ると言おう!!! 第三考察、《我々にとって今だ“知られてはいない”「善悪」と「罪と罰」の遥かなる彼方に望み見る、その確かな“危険性”の最善と最悪について。》 対象者と対峙者との合間を行き交い交差し、互いが共有する空間に相互的な関係性の成立の必然に感覚的に受動し。 その情動作用の金槓になる感情を常に引き起こし。 その投げ掛け突き付ける感情の支配と服従の立ち位置による。相対的なある種、特殊的な感覚と感性がその感覚の方角と高低さの比較と差異に置ける。 他と自を決定的な迄の無理解をその自身の身体と精神の自己維持の必要上の上に掲げられている。 「他と自己に感覚的な一切の“反応”を残し、その感覚の差異を歴然たる較差をあらわに示すもの―――――」 『即ち、感覚的な差異を確信的な認識に置ける。盲目の内に捕らえ“自己存在”と“自己依存”に更にもう一つの試みをその深い深渕の内に横たえるに至る。 唯一の『絶対的な盲目的思考概念』を私に知らしめる。この神経と精神を反芻する認識を幾重にも編み込まれ一つの絶対的な相対性の上に常に自我と我欲と肉欲を捧げる者よ!!!
119 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 12:01:31
その本能的に流動し常に理性を餌に食い潰し。 更に自己の感覚を越え行く推測を知識や知恵などと嘯き。 一切の感受的な器官を通し作用を与える、一切の感情が波打ち又、押し返す・・・あの受動的な仕掛けを突き動かす一切の感覚的な作用による“反応”よ!! 否!!それそのものを欲する事こそが我が“性”(サガ)に与えられた。 他と自己が示す一切の感覚に置ける受動的な反応である。“痛み”で或る、とか“悲しみ”と言った。それらの情動的な感性により与えられた。 この人類学上最古の倫理学者達からさえもされ解釈を施し粛然たる事柄の真意と秩序を見通して。 その倫理の対象と他との関係の中で成立する事柄を 分析する事でしか“あの”「道徳の科学」と銘打ちその現象を“ある倫理”と“ある倫理”の過程と成果を対照物を照らす程の知性程しか持ち合わさず。 およそ恐らく多くの近代的理想理念を掲げる“群衆”は、あの公定による恐ろしい力を持つ怪物とあの非難の賛同が産む恐ろしい力を 持つ怪物の力を、恐ろしく多くの「知識人」を自称する猿以上に劣る猿達はすべからく全くの誤認の思考を改善し改めよう等とは考えすら及びも想像に追い付かない。 両極を恐ろしく長い目でもって覗いた時。 その対極に連なる価値や価値観は真逆へと変換される。これは創造者に置ける移り変りに置ける思考力学に置ける。 『“価値感”と“評価”を必要とする場の変化の力学、と呼べよう。』
120 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 12:04:26
つまり、私が言いたい事は人に罪の評価を与え。その与えられた罪と等価と思える程の『苦しみ』の上に一切に置けるありとあらゆる“悪意”を解放し。 その『罪』を犯した彼自身により被った損失と等価と認められる一切の『苦しみ』を『罰』とし、この利益の損失を産んだ。 この愚か者か、病人とも思える。 彼自身に直接私、自身により私の『悪』を贈り与えたい!! 私は自身によって打ち砕き打ち下ろす。 この『罪と罰』による裁きの報復を何の因果からも、ましてやこの地上に置ける何の道徳や秩序からも解き放ちたい!! 嗚呼!!『罪』とは我々の意志が噛み締めた『歯軋り』が受けた苦痛そのものの『苦しみ』でしかなかった!! 嗚呼!!『罰』とは許し去る事の叶わない小さな小人達が誠心選意を籠めて編み出した。 あらゆる『復讐』この仮面に彩られ可憐な同情を誘惑する厚化粧であった!! 第四考察。 《嘘吐きと嘘憑き。真と虚、狭間は有・無を揺らぐ・・・。病は聴から・・・》 《哲学》その自身の知識を輝かせ人が歩む道、道理を明るく照らす学問で或ると言うのなら。 その道の遥か彼方とその道が辿った遥か彼方の道筋を見渡し、自己に誠実な認識でもって表現するならば、 その道筋を明るみに照らしたと同時にその道に或るありとあらゆる“危険”是すらを“群衆”の中に没落させる。 極めて近代社会的な偏見により、陳外される。この“危険”に臆する事無い“勇気”を示せる者が私は真の哲学的な“人間”だと何よりも信ずる・・・・・・。 群衆はすぐに嘘つきと決め付ける・・・・・。 まだ彼を良く“誤解”して彼を嘘つきだと言う人達に この言葉を贈りたい・・・・・。
121 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 12:06:13
彼、フリュードリッヒ・ニーチェが語らせた詩人の一小節から程良く抜き取られ、私自身に程良く響いた言葉だ・・・・。 「良く聞きなさい我が兄弟よ!!」 自らが知る事に背いて語る事だけが嘘つきなのでは無く、自らの“無知”に背いて語る事こそが嘘つきと呼ばれるものそのものなのである。 フリュードリッヒ・ニーチェ著、ツァラトゥストラはかく語りき。その記憶の断片の一部より掲載。 私はこの世界を知った時にそれを程良く理解する度に良く誤解してた事を理解出来た・・・・・・。 「人が人に対し知る事に良く背き“嘘”を語る事を知っている・・・・。」 「私は、まだ私に知られてはいない・・・・・。」 『嘘も語れぬ力の無い者に何故に真実なる事が語れるものか!!!』 『知る事に背いて出た嘘ならその逆を又“知る”事で理解出来よう、我々が真に誠実な嘘を理解するならば我々の“無知”に背き語る事こそ真憎むべき“嘘”と呼ばれるべきもので在ろう!!』 フリュードリッヒ・ニーチェ・・・彼より自身の感覚に“誠実”な認識者は・・・・・「今だ我々と我々の内に或る。 我々人間自身が今だ一つの深く重く克服すべき“病”なのだ―――――」 「この私達とその私の中には・・今だ・・・知られた事ではない。」と言う事を何よりも・・・。 『私はあなた方の中に見入出し、そして又私は今“此処”で知る。』 《結局の所、我々は自分自身の一切を再び体験するしかないのだ。》 フリュードリッヒ・ニーチェ著、『善悪の彼岸。』 その記憶の断片の一部より掲載。 私はまだ、私には知られてはいないのだ・・・・・・ 我ら認識者を自称する諸君達よ・・・・・。。
122 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 12:08:43
第五考察、《自然資質、法と習慣。善悪は創造的な相対性による一つの最善と最悪の“分析”でしか姿を表さない。》 前置き、法は秩序の模範ではなくノモスとシュピスは互いに対立し、ノモスによる完全なるシュピスの支配を試みる過程であるとして つまりは秩序とは混沌に対する矛盾の概念の結果では無く混沌に対する支配の試みの記憶である。。 おお、残虐な識天使メタトロンよ!! 我々が人々に『罪』と呼び着せたものは『公定』の力 おお、黒光の堕天使サマエルよ!!我々が人々に『罰』と呼び振る舞ったものは『非難』の力そのものに他ならない!!!! おお、秩序の最古の叙事詩ラーマ・ヤマに捧げられ祭られ破壊の犠牲となった創造神ブラフマーよ!! 私は多いに悟る事が在った。それは他ならない・・・・。 我々の最善たる処置にと対策に置ける不必要な力は『悪』是の他ならない!! 知性と感性が混じ合う音を聴く者よ!! その試みに立法そのものの従司者に試みを開くが良い!! その規則に従司するものは語る。 『私はその規約に背いた者に罰を下す!!場合により様々な刑の過酷さだが、私はその苦痛をその規約に反する者達に与えばなるまい。』 『何故ならその罪の被害を被った加害者はその分、苦しめられた!!私はその苦しみと同等かもしくはそれ以上の苦しみをこの加害者により被害者となった、苦しみの債務者に一切の価値の保障を約束せねばなるまい。』 『たとえ半永久的に禁固刑に服しようと、たとえその過去の判例と比較した結果その罪人が死する事とあいなろうと私は下さねばなるまい・・・』 『我々の最善となる法を維持する事を意志する限り・・・即ち私が彼等“罪人”に贈り与える評価の価値は・・・・“悪”是に他ならない。』
123 :
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵。 :2006/09/28(木) 12:10:49
何時の時代か、あの一つの時代の移り変わる節目と繋ぎ目に舞い降りた竜を天空に馬の如く駈けさせ・・・ 余りに短命の内に散った志士と獅子と意志を意志する若者がこう叫び時代と瞬間を奔走するだろう・・・・・・。 『人が罪の価値を評価する時罪を評価する善行と罰の価値を評価出来る。人物はこう語る・・・・・・・。』 あらゆる間違いや過ちによって引き起こされる愚か者か病人達にその間違いや過ちの価値を精確に評価させる罪を教えたい!! そして、後にこう悟してあげたい!!嗚呼、人々が無意味な苦しみから解放される声を響かせてあげたい!! その聲の内なる響きはこうで或る。「嗚呼、私達は長い間に渡り互いを良く誤解していたに過ぎない。」 「我々はこう改めよう、人に罰を下す事が『悪』であってその力は今だ最善の力となりうる。」「我々の最善なる力とは全ての同情を越えた『悪』を持つ事、是に他ならない。」 人間がもっとも偉大な時、その時は我々の『悪』を我々の最善と改め直す時。 その時の勇気を持つ時で或る。 フリュード・リッヒ・ニーチェ著、『善悪の彼岸』確か・・・第四章格言と箴言より極一部掲載。 最終考察、『善悪の彼岸を渡り立法の彼岸の深渕の淵を覗き見る者・・・それは、認識者又は、創造者と名乗る者はこうあうものかか?』 そして彼はこう叫ぶで在ろう!! 「いやはや、これはとんでもない事だ!!まだ彼は法の網の中にいて聴いていないのだ!あの裁判官はまだ知らずに居るのだ・・・・。」 「“法が死んだ”と言う事を・・あの“悪意”の同情により“法”が今まさに此処から“死んだ”と言う事を・・・・・・。」 『自身の不道徳を恥じる。是はその終末には自身の道徳をも恥じる第一段階の階段で或る。』 フリュード・リッヒ・ニーチェ著、『善悪の彼岸』確か・・・第四章格言と箴言より極一部掲載・・・・・・・
124 :
考える名無しさん :2006/09/28(木) 22:13:00
もうね、「前略」だけじゃなくて「中略」「後略」までやっちゃってよ
125 :
考える名無しさん :2006/09/29(金) 09:21:21
『ツァラトゥストラ』読みゃニーチェがいかに明晰かってのは解るね。
126 :
考える名無しさん :2006/09/29(金) 13:04:28
明晰ってのもそうだが西洋人なのに「腹」とか言ってるのにビビった。
127 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 20:21:39
保守
ニーチェいらね。
好きなだけ持ってけ ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェネーチャンーチェ ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ
130 :
考える名無しさん :2006/10/06(金) 13:07:26
前略フリュードリッヒ・ニーチェ男爵さんよ 横書きの文章は読みつらいんだから どんどん改行してよ ニーチェのリズミカルな文章を 生かすならそうしてくれ 君はわかってないね カキコで精一杯か?
131 :
考える名無しさん :2006/10/07(土) 18:06:10
バイバイニーチェ
また来てニーチェ
133 :
こちらC.Gナウマン商会放送局発信所。 :2006/10/09(月) 09:07:42
『創設C.Gナウマン商会放送局。前編』 《目次》・・・・・。 1『箴言と散文的解釈技術。』読者に負荷を与える解釈と読者が進んで示す解釈に付いて。 2『《反感》と《反動》』全5部構成第一部二部作。。《反感》(ルサンチマン)がその作用の結果に残した《反動》(レアクション)と狡猾な憎しみに愛された《復讐》に置ける創造的な作用に付いて。 第一原案。 『箴言と散文的解釈技術』の至難と指南についての彼が示した洞察論文に描かれ彼がその他に求めた解釈技術について。。 あらゆる描かれた象徴的な文体と言葉が言語的な感覚でもってして理解されるのは極めて難しい・・・・。 あらゆる創作的文学術と所謂、個人がその感性と感覚で導き刻み込み。 築き上げた、あの真理の山脈の巓を眺める者よ!! その頂上付近に重々しくも、深々とのしかかる鉛色の雲を見上げた時、まさにその時!!諸君等は気付く事が在るであろうか?! この時代に於いてもいくらか軽々しく扱われている《箴言》の解釈技術について、私は更にこう述べなければならないその《箴言》の言葉が打ち固められ打ち出された《箴言》なら一読されただけでは「解読」され理解されてはいない・・・・。 即ち解読を試みる事からまず解釈の手立てを組み立て始めなければならない。 試しに私が創作した箴言的形式による理解を求めるとしよう・・・・・・。 『箴言と言う形式は文学に置ける青々とした山脈でなくてはならない。もし君がそこでこの青々とした山脈を越え行く足を望む者なら深々と見下すか深々と見上げる事を繰り返さなければならない。』 ―――諸君には私の言う事がわかるか・・・・・・・私の言う事がわかったか・・・・・・・「ちっとも解りません!先生!」では初めから繰り返す事を始めよう・・・・・・・。
134 :
こちらC.Gナウマン商会放送局発信所。 :2006/10/09(月) 09:09:39
つまり“箴言的形式文”を解釈し理解の福音をもたらさぜるを得ない解釈技術とは“禁欲主義者的”な真面目さと一切の「関心さ」の欲情の殆どを私の《先天性》(アー・プリオリー)と呼ぶのが妥当であると思われる。 この私の感覚を先導し率先する類い稀な勤勉さもってして、その一切の価値概念がその最後に望む地・・・・・・・。 即ち“虚無”への意志へと行き着く。 その禁欲主義的な方法論とその美徳でもってして優劣なそれらの言葉の福音に誘惑されてその袋小路(現代人類にも病的に潜むニヒリスム)にまで自己を追い込む。 更にそこから一つの自己矛盾を追い求めなければならない!! そしてついにこの求めて立ち入った「拷問」に自らをかけこう尋ねるだろう!! “無”を欲する事を欲情し禁を犯した私に「もっと苦しみを!! もっと苦しみを!!」そして是こそが私の為し得た自身への「復讐」是に他ならない!! 禁欲生活とは一つの自己矛盾で或る・・・・。 その背後から口を洩らす者はこう語る・・・・・・。 「私は自己自身を分裂させる事を“欲する”!!即ち“無”である自身を欲する自身と“無”で在る事を欲する自身を!!」・・・・・・。 こうして彼は“何か”を欲する事でもってしてこの拷問から抜け出す事を意志する事が出来るようになる・・・・・。 《箴言的形式論》の「解読」を解釈し理解するものはこう話す・・・・・・・。 「つまり結局の所“反芻”せざるを得ない・・・・・そう、つまりは“反復”せざるをえない・・・・・」 「我々の体験と記憶の家に自身が“意志”により持ち帰る“意志”の示す“反応”を・・・何よりも「解読」を試みる者は“反芻”しなければならない・・・・・。」 『我々は何も“欲し”ないよりはむしろ“無”を良く“欲する”。』 ―――諸君には私の言う事がわかるか・・・・・・・・・・・ 私の言う事がわかったか・・・・・・・「ちっとも解りません!先生!」では初めからやり直すことにしよう。
135 :
こちらC.Gナウマン商会放送局発信所。 :2006/10/09(月) 09:19:04
第二原案『《反感》と《反動》。』全5部構成第一部前編三部作。 《反感》(ルサンチマン)がその作用の結果に残した《反動》(レアクション)と狡猾な憎しみに愛された《復讐》に置ける創造的な作用に付いて。 第1部作「創造的な《ルサンチマン》の誕生。」 おお、諸君等よ!!そなたらも彼等の到来を予見し待つ事を意志する者達なのか!! そしてついには自身との決着を持ち込む事から逃れる事をも欲する事か!! 認識者で在り続ける事を意志する、あなた方よ、あなた方、創造者よ!! 逃れなさい、孤独の中へ!!逃れなさい、あなたの孤独の中へ!!逃れなさい、深い夜と真昼の闇の中へ!!逃れなさい、『悪』の中へ!!逃れなさい、全ての『悪意』の中へ!! あの余りに貧弱な魂を所有する者達は、まるで憎悪の履きだめに集る蝿か豊か過ぎ寛大過ぎるあなたの豊か過ぎる、魂の血を啜る蚊か寄生虫に他ならない!! だが、あなたの様な絶対的な強者が知る寛大さを彼等は理解出来ない。 それ所か、己の“無知”が憶測させ覚えさせる。 恐怖を感じた事を疑似的に体験し畏怖すべき心持ちを構える者で在るとさえ言い、付きまわい、非難と憎悪の象徴として彼等の生け贄として掲げられかねない!! あなたのように豊かな者がこの様な事を言う事も、私はしばしばその長い耳の更に奥にある耳でもって聴いた。 「この蛆虫どもめ!!私の血を吸いたければ、心行く迄吸えば良い!!私がそれらを彼等に与えた所で減る血の量など微々たるものだ!!この豊かに栄えた私にとって取るに足らない。」 寛大過ぎる創造者で或る、あなたはこう言うだろう。
136 :
こちらC.Gナウマン商会放送局発信所。 :2006/10/09(月) 09:23:19
だがこの寛大なる者、豊かなる者、強者の特権を知る者達が長い間、自身を晒しその血を吸わせ続けた時にその者がしばしば寛大なる同情を越えた愛で復讐する所を度々、私は目撃した。 その自身に内在せうる一切の悪意を一気に噴射し、自身に群がる蝿や蚊に向かって全力で噴射している所も私はしばしば目撃した。 そしてついには力尽きその意志すらも空と大気に散る所も度々、私は目撃した。 認識者で在り続ける事を意志する、あなた方よ、あなた方、創造者よ!! 逃れなさい、孤独の中へ!!逃れなさい、あなたの孤独の中へ!!逃れなさい、深い夜と真昼の闇の中へ!!逃れなさい、『悪』の中へ!!逃れなさい、全ての『悪意』の中へ!! あなた方の運命は蝿や蚊に煙を撒いて叩き落とす『大地の爆発噴射』(即ちアース・ジェット)になる運命ではない!!! 逃れなさい!!あなたが“無み”する孤独の中へ!!隠しなさい、あなたが認識しうる“悪意”の中へ!!あなたの身を潜めなさい!! ニヴェラニストはこう言った。 この様な素晴らしい憎悪の旋律を奏でた後で、私は自分自身が解釈し解読の自明でもって照らし付けた、あの“一個”の意志がその深い洞察とその大胆な解釈技術により。 いよいよもって認識者で在る事を意志し続ける我ら“未来の哲学”を志す者の眼前と眼下にその知られざる功利と希望と呼ぶに値する“価値”を我々に知らしめる事となった。 その“価値”に値するものの名は《反感》(ルサンチマン)と呼ばれるものそのもので在る・・・・・。
137 :
こちらC.Gナウマン商会放送局発信所。 :2006/10/09(月) 09:27:49
第2部作「偉大な《反感》の復讐を喜劇でもって解放する民族。」 この私の大胆な解釈を容いるに当たり、多くの普遍的な解釈―――即ち「弱者による復讐心―――」つまり是の一切が《反感》の本性で或る。 とするあの一連の呪咀的な価値付けは全くもって的外れであり、《反感》によりもたらされる一切の復讐劇は単なる暗く深い闇へと続く入り口に過ぎず。 私自身良く行なっている事と信じて止まない。 フリュードリッヒ、彼の著書を隈無く自身がその理性と精神が噛み砕きその一つの問いの意義と意味を理解する解釈を自身に与え、良く長い時間を懸け自身の体験と経験に照らし合わせ。 その言葉を反芻しその言葉に与えられた本質を理解しうる限りでは。 その言葉つまり、彼が此処で使用するに至るまでにあからさまにした、―――――《反感》この語言に対して与えた本質的な価値付けの評価をまるっきり理解せず。 無理矢理に理性の枠組みの中へ押し込めた事とその理解の示す《反応》には変わりは無い。 結局の所、彼等“民衆”は彼の“言葉”をより難解に誤解する事によって彼の“言葉”そのものを安易に理解せうる事、として受け取っているに過ぎない・・・・・。 我々の道徳上の潜入見の由来、――――これこそにその認識の焦点を当てがい、これこそに一冊の書物さえを書き上げる程の問題と自身により命じ、その取り組みの試みの偉大さと それ故にありあまる人間憎悪の内にその言葉と福音の内の恐らく何れ人類が見る事と望む事に直面する前の――― まだその“恐らく”の内に潜む《危険》の内の《危険》を覗き込み良く観察し洞察した――――― 「恐らく幸福の内に或る危険」にすら臆する事の無い、自由な精神を保持する創造者がその道筋を辿り。 その自身の思想を“どう説くの系譜”として纏めた散文的論文から「解読」の解釈を試みたい―――――――。
138 :
こちらC.Gナウマン商会放送局発信所。 :2006/10/09(月) 09:31:40
と同時に・・・失礼だが、自己自身を認識する事に関心を抱かない様な少なからず感性の優れない者、更に認識の意志をその本能に持ち帰る感覚の足音に聴く耳の聲に覚えをもたぬ者等よ・・・・・・・。 誠、失礼、極まる言い方だと知る事と思うが敢えて私がこう言う事を容諸せられたい――――――。 「あなたには“彼”の思想の言葉通りに私の言葉も、その“思想”では決して理解は出来ないであろう事か!!」 第3部作「奴隷が示す高貴な行動、反攻“良い”と“悪い”の起源について」 それでは諸君等に一つの問いを投げ与える事を我と我等に今しばし許せ!! 《反感》(ルサンチマン)に与えられしその“価値”の本質の名は、一切の復讐心であるとは何とも奇妙にも形容したがたい事実では在るが、だが諸君!!私は断じてこう言うのだが決して取り違えないで欲しい――――――。 その意志の仮面の下に或る《反感》の本性では決して今尚そうではないのだ!! その系譜の道筋は遺憾なく複雑にしてその道筋を辿る為には幾らかの骨折を用意しなければならなかった。 それは一つの概念感に置ける発達と発育の足跡であり。 一つの発見と呼ぶ事に値する一つの問いを手に入れた事から歎を発した。 それは後の奴隷身分に置ける「奴隷道徳」や支配階級を栄えさせその支配の権力の助長を手助けした、あの「支配奴隷」との関わり合いと支配階級つまり貴族的な即ち「高貴」な者達が所有する強さで在るとか勝利の証しとして与えた。 一切のヨーロッパに置けるその過去にその功利の反証が証明され「良い」との判断基準としての価値が此処で初めて創造され始めたのである。 そして次にこの「良い」とされ呼ばれた概念の語源を辿る事でじょじょにその姿を露に露呈し。 その「良い」と見なされた事柄はそれだけで、その本質上に置ける最高に高い価値を持つ、だとかそれ自体が既に価値に値する事柄で在るだとかの解釈の側に組するのである。 其処から彼に“正しい”通りと道を指示したのは「良い」と言う概念に対する様々な言語表示が本来いかなる意味をその意志が持ち帰るのかと言う問いであった。
139 :
考える名無しさん :2006/10/10(火) 01:33:03
>>112 人間が自覚して自由意志を持ったときに
はじめて根源的なこの世界(宇宙)の真実が
<永劫回帰>であることを知る
ということです。
永劫回帰はこの世界(宇宙)にはじめからある真理であり
人間にはいままで隠されていた真実を
自由意志に真にめざめた人間のみが知る(理解)ということでしょうね。
永劫回帰を疑ったりする人やそんなバカな
ありえないというひとは
自由意志に真にめざめてないということでしょう。
永劫回帰はこの世界(宇宙)が
発生から終焉までを
無限に反復して繰り返すということでしょう。
140 :
考える名無しさん :2006/10/10(火) 21:02:14
>>139 それは永劫回帰に対する信仰だな。
まだまだ自分の足で立てない、寄る辺を求めるキリスト教だ。
141 :
考える名無しさん :2006/10/10(火) 21:14:03
ツアラツストラを求めてより集うより高き者たちは キリストに集う使徒みたいで その様は ツアラツストラ教か永劫回帰教にみたいだが ツアラツストラが最後に山を降りていくとき 永劫回帰さえも捨てていくのでしょうかね。 ニーチエはこの続編を書くようだったらしいが 全貌は諸説あってはっきりしない。 くわしいひといますか。
142 :
考える名無しさん :2006/10/10(火) 21:23:28
<信>でも<不信>でもないところで <永劫回帰>があり得ることとして受けとる 自由意志もあるのでは? 信仰に走ったのは<より高い人たち>のほうでは。
143 :
考える名無しさん :2006/10/10(火) 21:44:42
>>139 ありがとう
そのように理解すればわかりやすいですね。
しかしわかりすぎて怖くないですかね。
しかしニーチェ(ツアラツストラ)の
永劫回帰思想の真実もそこにあるのか
不明だな
「永劫回帰が真実なのだ!」という話か? むしろ「永劫回帰万歳!(私はそれを受け入れるぞ!)」では? 永劫回帰そのものより、永劫回帰をいかに受け止めるかが大事ではないの?
145 :
考える名無しさん :2006/10/11(水) 00:42:12
受け止めた後が大事
146 :
考える名無しさん :2006/10/11(水) 22:23:44
お前さ、「否!三たび否!」とかいうのやめろよ。
あのぅ、すみませんどなたかご存知でしたら 「人間は克服されるべき或る物」 というのの、英訳を教えていただけないでしょうか。
149 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 14:54:30
I teach you the Superman. 「私は君たちに超人を教える。」 Man is something that should be overcome.「人間は克服されるべき或る物なのだ。」
>>149 おお! 本当にありがとうございます!!!
超人、ってそのままなんですね…(結構驚いた…)
151 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 22:53:04
>>144 <永劫回帰>が真実であり
本当に現実であるということを理解することと
それをいかに受け止めるかとは
表裏一体であり
どのように生きるか
人生とは何かと
無限の自問自答が始まるのでしょう
<永劫回帰>を真理として理解することの深遠さが
いかに受け止めるかの深刻さと重さを等しくしている。
永劫回帰万歳!
という気にはなれないなあ。
わたしには
とてつもなく重く
解決不可能ななにものかです。
152 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 23:37:43
自問自答は終わり 時の車輪の「向き」が変わるんだよ
今ツァラトゥストラって本を借りて読んでるんだけどニーチェって凄いの? 訳し方がアレなのか知らないけど狂人の書いた本だとしか思えないんです。俺にニーチェはまだ早かったんでしょうか
ひどい釣りだな。 ところでツァラストゥラ買おうと思うんだけど、どこの出版物のが一番いいの?
読んでもいない癖に釣り認定するな。 お前のようなセンスでは誰の翻訳を読んでも一緒。
156 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 00:22:18
岩波が評判いいみたいよ。 訳も優れてるとのことだし、値段も手頃、ポッケにも入る。 他の知らんけど。
157 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 00:23:38
>>153 どこが狂人のように思えるのでしょうか
思想が?
それとも
彼自身が?
永劫回帰自体がありえない妄想だから?
私には妄想というより真理の可能性ありとおもうけれど
永劫回帰の科学的証明は永遠に不可能でしょうね
虚偽の証明も不可能とおもうけど
ニーチェは永劫回帰を伝える人物として
ツァラトゥストラを登場させた
ツァラトゥストラこそ狂人なんだ
岩波よりちくまの方が訳注が多いし、中公の方が読みやすかったようにも思う。
ニーチェを狂人化するのも神格化するのもちょっといきすぎだよね。 カントとかちゃんと読んでるのかすらうたがわしい。 ギリシャ哲学については超一流なんだろうけど。
時々「言いっ放しジャーマン」って感じに見える。
>>150 Overmanという訳語もあるっぽい。
まあ、俺はあんまりよく知らんが。
163 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 07:02:06
>>160 カントには関心がなかったのでは?
神の存在証明についてなんかより
むしろスピノザについてはどうなんだろうと
164 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 07:16:48
165 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 10:14:53
>>159 たぶん読み方が間違っている。
ツァラトゥストラは音楽として読むべき。
>>162 あ、そうなのですか。教えてくだすってありがとうございます。
overっていうと、日本語感覚からして、「やりすぎ」たひと、にも思えるような。
(私見ですが)
ニーチェは入門レベルなので、ツァラ訳が岩波以外もあるのも知らず。
岩波版は訳注がないからより平易でわかりやすいように思えるのでしょうか。
それと、まだ読書途中ですが、ニーチェはちょっとミソジニーもありますか?
(下世話ですみません;)
超人がSupermanとか、永劫回帰がReturn to foreverとか、 英訳だとなんか妙にわかりやすい語になるなあ
>>166 男性・女性を区別しているということで、
いわゆる差別や女性蔑視と取られかねない表現は多々あるが、
女性一般に対してミソジニストではないだろう。
ニーチェが嫌悪しているのは、女性の価値を貶める女性。
男社会(権力闘争の場)にしゃしゃり出て、
そちら側からの価値観で女性一般の世界を見下す女。
ニーチェは「男の心に巣くう女性への憧憬」を批判してるが、 ニーチェ自身多分にそのケがあると俺は思う。
「自己超克」という概念が今ひとつ理解できない。 単なる向上心とどう違うの?
>永劫回帰の科学的証明は永遠に不可能でしょうね 証明ねぇ…。 そもそも科学者自体が取るに足らない存在だからね。 現象主義者ニーチェはカントなんか相手にせんよ。 永劫回帰に似た考えは洋の東西問わずあるし。
ニーチェってそんなにスゴイ人か? 結局コイツ自身がルサンチマンから解放されることも無くて、 しかも気狂いですぐ死んじゃったし。 ニーチェ自身も超人になれなかったワケだ。 永劫回帰で苦しみまくるのもニーチェ本人だ。 さて、こんなヤツの哲学に信じる価値が有るのでしょうか?
哲学は信じるものではなく考察するものだ。 充分に考察する意義がある。
174 :
考える名無しさん :2006/10/16(月) 23:25:46
永劫回帰を信じるということは 神(キリスト教)を信じないということだ。 神は死んだという以前に 神の存在が否定されるということ。 キリスト教が支配するヨーロッパでは 永劫回帰は脅威で タブーでさえあるのでは。 ハイデッカーはニーチェを研究するようにみせながら 永劫回帰自体をはぐらかし むしろ隠蔽しているように私には思える。
175 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 00:12:12
>>172 <こんなヤツの哲学に信じる価値が有るのでしょうか?>
最後は廃人みたいになったけど
そういうふうにニーチェ自身が追い込まれたからこそ
逆によけいに永劫回帰の深遠さや怖さについて
われわれを震撼とさせるのです。
価値はそれぞれに受け取ればいい。
あんた自身は
なんにも感じないのだったらそれでいい。
176 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 01:18:34
「生成に存在の刻印を刻み込むこと。これこそが最高の権力の意思である」 ニーチェの言ったこの言葉の意味をどなたか説明していただけないでしょうか。 当方多少は哲学の知識あります。よろしくお願いします。
177 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 01:50:33
ニーチェの言葉は全て 生理学を生きて突き抜けろ っていうことを繰り返し言っている 大抵のものは生理学の前の段階で折り合いをつける弱者 生理学の最中は出口もわからず苦しいだろうけど 存在の刻印を刻むぐらいの強度で生成すること つまり 突き抜けていること と言い換えてもいいんじゃない?
過大評価じゃねえの? ニーチェなんて所詮は人生の落伍者じゃん。 でっかいこと言うもんだから変な信者が沸いたようだね。
179 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 02:30:26
落伍者だろうね でっかいことなの?
180 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 05:03:54
ニイチエは物静かでやさしい男だったそうな。
181 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 06:52:56
廃人になったということは彼が妥協しなかったということだな。まさに超人だ。
182 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 08:06:00
>>157 >>171 <永劫回帰の科学的証明は永遠に不可能でしょうね>
むしろ最新の宇宙物理学では
宇宙は無限に発生と終焉、消滅を
くりかえしているということです。
この地球の歴史がそのまま再現されるというより
無数の星や惑星が再生され
どこかで地球と似た生命が誕生し
人類に似た知的生物が
別の歴史をつくるということはおおいにあるわけで。
無限の無限乗数の変化のひとつにわれわれの
歴史が再現される可能性がないとはいえない。
あるいは無限に発生している宇宙は全て同一だってありえる。
誕生から消滅のどの段階かそれぞれ異なるだけでね。
宇宙物理学者は案外永劫回帰を素直に受けいれるかも。
でもニーチェのように深刻には受けいれないだろうな。
結局
証明も証明不可能もどうだっていい。
証明されたって信じられないひとは信じられないし、
永劫回帰が科学で否定されても
信じて受け入れるひとはうけいれる。
神への信仰みたいだな。
『キリスト教は邪教です!(現代語訳アンチクリスト)』 ニーチェ(著) 適菜収(訳) (講談社+α文庫) の訳って大丈夫なの?
脳梅毒で狂ったんだろ?永劫回帰の深遠さ云々じゃなくて。
脳梅毒が進行する前から永劫回帰とか言ってたんだろうから 一応、本気だったんだろう。まあ、因果関係はないと思うよ。 狂ったことと永劫回帰の間に。
186 :
考える名無しさん :2006/10/18(水) 09:34:13
>>185 どう考えても関係あるだろw
わけのわからんことばかり考えてたら人間狂うもんだよ。
187 :
考える名無しさん :2006/10/18(水) 09:35:34
いまだにニーチェが梅毒で死んだと思ってるのか・・・.
あれで大丈夫ならニーチェって素で狂ってると思われても仕方ないな
190 :
考える名無しさん :2006/10/18(水) 21:10:34
>>182 あなた自身は。
永劫回帰をどう考えているのですか。
キリスト教信者だったりして
現象主義者?
>>190 182じゃないけど言わせてくれ。
たしかにエネルギー保存則だけ考えると永劫回帰って有りそうに見える。
でもエントロピーを考慮すると、やっぱり有り得なさそう。
193 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 00:31:20
永劫回帰って決定論なんですか? 機械さんが主張してる事と同じ?
194 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 00:51:39 BE:335761496-2BP(353)
万人向けの道などないのだよ
虚妄を打ち砕くという点ではニーチェは凄いのジャマイカ。
機械氏って一般人?
197 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 07:05:32
>>192 エントロピー増大の法則はこの宇宙のはなしだろう。
たとえば
一度宇宙がすべて巨大ブラックホールに
吸い込まれてブラクホールが最後に蒸発して
(かどうかどうかしらないが)
宇宙事態が消滅し、
ふたたびゼロから同じ宇宙が発生し
そこでエトロピーの法則が成立するわけで。
この宇宙の存続のまま永劫回帰は
君の意見と同じにありえないとおもうよ。
なんら矛盾はしないとおもうがね。
198 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 07:07:28
↑事態は自体に修正。 失礼。
199 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 08:02:29
当時アユインシュタインもホーキング博士もいなかった。
ニーチェは「ツアラツストラかく」を
短期間でかきあげたものの
自分(当時)の科学的常識との矛盾になやんだに違いない。
一時熱力学に熱中し、
ビーカーの中で物質の状態の変化が
ある時間内で一巡し
無限に反復するのかたしかめようとしたらしい。
そんあことはありえないしね。
また時間を無限とかんがえて
はるか未来で地球の歴史も反復すると考えたようだ。
あるいはどこかで反転(?)するとかんがえたのかな。
私もこの宇宙が一度おわらないと
永劫回帰は成立しないとおもうな。
>>182 に同じ意見だ。
少し違うが。
200 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 08:06:52
問題は永劫回帰をどのように受け入れるかどうかだ。 科学的検証はどうでもいい。
201 :
177 :2006/10/19(木) 12:09:34
反復とは無限=有限のことでしょ 無限反復は一回限りと同じ おれは光より速いものがあると感じた経験がある それで全て解けた
203 :
177 :2006/10/19(木) 14:12:42
あほか 最後に哲学書を読んだのは15年ぐらい前 人生幸せにやってるよ 薬やら本やらに頼ったことはないぞ 昔読んだから覗いてみただけだよ
204 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 14:19:09
ニーチェは永劫回帰で無限に生が繰り広げられることを主張したが、 同じ生を生きるんだから、畜群のような生ではなく、 超人を目指せと言ってるんだろう。 それには、能動的ニヒリズムによって各人独自の価値観を生きろみたいなね。 極論すると、殺人が好きなら畜群の声に惑わされず断固としてやれ!ってことだろ
日本でそれを実践しているのが浅田彰だ。
206 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 19:20:35
>>199 もし実験するならビーカーではなくフラスコだろう。
閉じられた世界でしらべないとね。
でもそんな実験でわかるわけない。
科学については全くの素人だったのでは。
でも本当にそんな実験したのかな。
熱力学に熱中したことは伝記にはあるけど
詳しいことはわからない。
まあ現実に物理的な事象の回帰などについて
調べようとした痕跡はあるみたいだな。
でそのときニーチェはどう考えたかなどの文献もない。
妹が焼却したのかな。
207 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 19:38:01
>>204 たとえばキリスト教の価値観を超えることは
その価値観を否定することではなく
より普遍的なあるいは根源的な価値観を
創造せよということだ。
他者の生を即物的に否定するような
殺人は論外だろう。
超人概念を歪曲することは
ナチスみたいに再び悪政に
利用される可能性ありですね。
いつかヒットラーみたいな日本人が出てきて
俺は超人だから殺人も許されてるなんていいかねないね。
こうななるとアサハラショウコウと紙一重ではないか。
208 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 20:51:41
>>207 でもよ、それも君の勝手な解釈だろ?
ニーチェは価値観を創造せよといってるわけだ。
畜群の声を参考に、とはいってない。
つまり、己が信じる価値観を具現化する自由はある筈だ。
それが畜群に忌み嫌われようと、
その悲惨な結果(死刑あるいはそれに準ずる刑)
を覚悟すれば、してもいいということになる。
かかる結果を受容すれば、何をしてもいいということになるんだよ。
彼が発狂したのもそこに原因があるんじゃないか?
キリスト批判して調子こいてたら、自らの生をも危ういものにしてしまった。
ナチスに利用されたのも必然なんだよ。
209 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 21:03:19
凡人が超人をめざそうと ツアラツストラの教えにしたがって あれこれたくらんだところでろくなことはない。 永劫回帰は 「万人のためあるいは誰でもない者のために」ではないか。 ニーチが霊感(啓示?)に打たれたように われわれもその境地に至る道の途上に あるに過ぎない。 永劫回帰とはいったい何なのだと 一生問いかけて 終わる。 私は凡人だから霊感や啓示には多分関係ないだろうな。 でも永劫回帰は神の存在よりは少しばかり信じられる。 ところで永劫回帰と神の存在は両立しないのか。 ツアラツストラの言説とは離れて考えているのだが。 ああわからん。
210 :
考える名無しさん :2006/10/19(木) 21:13:46
価値観の創造は人間の手によってなされているのか?そうではない自然に創造されているのだ。習性が自然によって淘汰されるのが種の認識に至りそれがつまり普遍になりそのなかから価値観という自然とは隔てられた同等の価値が生まれる。人類には晃がある。そこには真実がある
211 :
考える名無しさん :2006/10/20(金) 01:50:11
>>208 >>204 キリスト教的な価値観にせよ
この資本主義社会のたとえば日本人的な価値観にせよ
価値観の創造や転倒なんて簡単なものじゃあない。
人を殺すことについてもだ。
国家にしいられたり、個人的な憎しみやなんかの相乗で
やっとのことで
ひとはひとを殺す理由や動機をつくりだす。
だから
ひとつの社会の価値が終わった所から
自然過程が紡ぐように
人々は
別の価値感を試行錯誤して新しくはじめるしかない。
超人でさえこの社会に生きている限り
この社会の価値感の転倒をこころみ本気で具現化しようとしたら
狂人にされるか
みずからが廃人になるかだ。
212 :
考える名無しさん :2006/10/20(金) 06:38:38
>>211 レーニンがやった革命は価値感の転倒にあたる。
レーニンはキチガイではなく廃人にもならなかった。
彼は超人以上だ。
革命家は超人よりすごいのだ。
213 :
考える名無しさん :2006/10/20(金) 08:24:13
価値観だろう
「犯罪者は自分の犯した罪ほどに成長していないことが多い。」 と、ニーチェは言ってたと思う。 「自分の犯す罪も受ける罰も全部肯定する気で来いヘタレども!」ってとこでは。 チェーザレ・ボルジアのような強い意志によって行われる殺人なんかはその例。(暗殺だが) つまらん欲求に基づく殺人は、どうせ後から後悔にするから価値はない。
215 :
考える名無しさん :2006/10/20(金) 15:12:09
>>212 革命家も革命に失敗すれば凶悪な国事犯だからなあ。
超人、革命家、凶悪犯。どれも紙一重みたいなもんだな。
216 :
考える名無しさん :2006/10/20(金) 16:47:26
転倒自体に価値はない
217 :
考える名無しさん :2006/10/20(金) 17:20:15
あ
「作者は結局その作品の予備条件にすぎない」 「子供を楽しむためには忘れなくてはならないものなのである」 読者としては、ニーチェ本人がどんな人間だったかなんてどうでもいいや。
何かニーチェの疑問ある?俺が全部答えてあげますよ、と。
>>220 ニーチェは幸せだったと思いますか?
個人的な意見でもいいんで聞かせて欲しいです。
それなりに。
223 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 21:20:57
>>220 ニーチェが「ツアラツストラかく語りき」を
書くきっかけになった神秘的な体験は
具体的にどのようなものだったのでしょうか。
「ツアラツストラが私を襲ったのだ」といっていますが
詳しく教えてください。
答えられる?
ただの、脳梅の後遺症だろ。
225 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 21:41:44
226 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 21:43:33
それは、ちがうな、 ばか
228 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 21:52:05
ニーチェのことを本当に知りたければ 著作や研究書がいっぱいある。自分で調べよ。 ここで聞いてもろくな答えしかない。 ここはニーチェについての無駄話をするところです。
>>223 言葉の通りだろ。人は言葉で言い表せない何かに出会うこともある。
230 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 22:44:09
不言の教という老荘のことばもあるからね。
231 :
223 :2006/10/21(土) 23:05:35
>>229 だからね
われわれも永劫回帰を真に理解し受け入れるには
「言葉で言い表せない何かに出会う」ことによるしかないのでは
と思う。でもそれがなんだかわからないのだ。気になるのだ。
君はそれで済ましていられるところがすごい。いやそれでいいのか。
具体的に何なのかが分からない…とそんな分からないことがあることがまた面白いと思うしその何かを知りたいとも思わないな。
233 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 23:22:01
>>231 永劫回帰の宗教的体験や啓示というのがあるのだろうな。
宗教的体験は精神状態が極限で身体現象を伴って
曼荼羅のようなものを体験するとか昔からあるからね。
永劫回帰の宗教的体験はどうなるのかな。
ニーチェも詳しくは語らなかったらしいので不明だが。
永劫回帰を宗教ととらえるのも変だし。
宗教だとすると教祖はツアラツストラになるのか。
234 :
考える名無しさん :2006/10/21(土) 23:41:36
>>231 考え続ける姿勢が大切なんだよ。
答えがあるのかないのか、さえわからなくてもとにかく信じ続けるしかない。
235 :
考える名無しさん :2006/10/22(日) 00:26:34
年食ってまで考えるようなことじゃない 若いうちに徹底的に考えることだな
236 :
考える名無しさん :2006/10/25(水) 21:37:57
「永遠回帰」か「永劫回帰」はどちらがオリジナルのニュアンスに近い?
237 :
考える名無しさん :2006/10/25(水) 23:16:41
同じ意味だと解釈しているが、 この語彙について「永劫回帰」になっている理由を知りたいね。 最初の翻訳は相当古いみたいだけど 私もこのことについて詳しい人か専門家に聞きたい。 原語ではどうなっているのか。
238 :
考える名無しさん :2006/10/25(水) 23:21:58
>>235 「若いうちに徹底的に考えることだな」
の結果
永劫回帰をどのように受け止めて
おられるのでしょうか
今も信じ続けていますか
それとも
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, /": : : : : : : : \ /-─-,,,_: : : : : : : : :\ / '''-,,,: : : : : : : :i /、 /: : : : : : : : i ________ r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i / L_, , 、 \: : : : : : : : :i / 私は、フリードリッヒ・ニートだ! /●) (●> |: :__,=-、: / < 私は、人々に「超人」を教えるために l イ '- |:/ tbノノ \ 没落したのだ! l ,`-=-'\ `l ι';/ \ ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヾ=-' / / ____ヽ::::... / ::::| / ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::|
240 :
考える名無しさん :2006/10/29(日) 08:05:22
ニートさん ニーチェを読むニートは何を考える
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, /": : : : : : : : \ /-─-,,,_: : : : : : : : :\ / '''-,,,: : : : : : : :i /、 /: : : : : : : : i ________ r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i / L_, , 、 \: : : : : : : : :i / いちおう言っとくと、 /●) (●> |: :__,=-、: / < 私は童貞なので、 l イ '- |:/ tbノノ \ 梅毒の可能性は皆無だ! l ,`-=-'\ `l ι';/ \ ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヾ=-' / / ____ヽ::::... / ::::| / ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::|
242 :
考える名無しさん :2006/10/30(月) 01:18:17
ニート は絵画センスもニートだ 下手クソ
力ってなに?
244 :
Wo :2006/11/03(金) 19:36:32
ニーチェの悲壮な最後から、この思想が忌み嫌らわれるが、むしろこれを私は喜ぶべきだと思う。 1.世界が豊穣な証明だから。 2.彼でさえ出来なかったことが、我々にはまだ開かれているという事とだから。
悲壮な最期だから思想が嫌われているわけではないんだが。
246 :
考える名無しさん :2006/11/03(金) 20:15:51
幸せな晩年であっても 「ツアラ・・」 の影響力はかわらないように思うけど
247 :
考える名無しさん :2006/11/04(土) 08:39:02
>>244 すこしわかる
永劫回帰が豊穣?
開かれているというのは
われわれ自身の可能性のこと?
最近『これがニーチェだ』を読んだんだけど、永井均先生って、なかなかスゴイな。
>>248 一緒にルサンチマンの哲学を読んでみるといいよ。
250 :
248 :2006/11/05(日) 16:08:14
251 :
Wo :2006/11/05(日) 20:01:11
力ってのは、すなおなもんで出し惜しみはしないんだな。 そのポテンシャル分は。 例えば、磁力は宇宙の果てまで及ぶ。 そんだけすなおなんだな。 本当かよ?
252 :
Wo :2006/11/05(日) 20:17:49
意志ってのは、2つ力の間の関係かな。高いところから低いところへ球はころがる。この球が意志かな。なぜ2つ必要なのか? その時、区別が発生するからと、その内の一つは最低必ず実存的主体だとすればどうかな?
生は死を意志してるといえるかな。
んなこというのフロイトくらいじゃないの?
力能ってなんなの?
256 :
考える名無しさん :2006/11/09(木) 13:59:23
この人を見よで重要なのは 永劫回帰?アンチクリスト?
257 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:38:57
『創設C.Gナウマン商会編集部、後編。』 《目次》・・・・・ 『《反感》と《反動》』 全5部構成第二部二部作。 《反感》(ルサンチマン)がその作用の結果に残した《反動》(レアクション)と狡猾な憎しみに愛された《復讐》に置ける創造的な作用に付いて。 特別特集!!独占!《ディオニッソッス三角辺論。》 最新作《創造者における三つの心得。》収録!! 後編第二部第一原案、『創造的なルサンチマンについて。《反感》の《反動》』 後編第二部第最終原案、 『ルサンチマン最後の哲学それは・・・子供をもう一度楽しむかの様に・・・・・・。』 後編第一原案 『《反感》と《反動》と《反応》の創造。』 さて、この論文の前編に記した通り《反感》(ルサンチマン)に与えれた“価値”の『本質』は一切の“復讐心”で或る事を今此処でもう一度繰り返そう・・・・・。 だが、その前に更に私はこう自身により与えられた解釈と説明を、より理解の道筋を容易に見通す事に幾らか役に立つ解釈技術を示した持論を提示し又、控えめに添えて置く事に幾らかの行き届いた理解を示す者を少なからず期待する事としよう・・・・・・。 2 さて、此処で更にもう一度諸君らに確認の認識を求める、事柄はおよそ次ぎなる事で或る。 私の持論的認識論と諸君らの持論的認識論に置ける差異とその差異の溝をその暗い入り口を深く広げるに迄に至る解釈と『感覚』に今一度、触れれる者を私は警戒し又、俄かに喜ぼう・・・・・・。
258 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:42:22
3 私はこう断言する事に値しうるに正当な事実だと、主張する事柄は――――――物事一切の『価値』とは『評価』で或ると言う事をまず容認し理解の手解きを各々により手繰り寄せ解釈して貰いたい。 更にこの掲示板に自身が、記した創造に置ける三角係数を考慮した“ディオニイソッス三角編論”と題され何とも奇怪にも統一された創造に携わる三大概念の“評価”を与え。 その文脈を叙事詩的形容の論文とし、自身と異なる感覚の解釈と“評価”する者を尋ねる事を主体とした、理論の真意に何らかの『価値』が望めるかどうか今少し考察の姿勢を崩さず付き合って欲しい・・・・・。 短絡的にこの“ディオニイソッス三角辺論”を解するなら、『評価』『分析』『価値』更に類似的なパラダイムに変換すると 『認識』『破壊』『創造』そして『ルクス』(光) 『ヌクス』(胡桃)『クルクス』(十字架)と換言可能な単一に限り類似的な認識感に於いてその本質が異なった この三つの要素が『創造』に置いて三角係数を結び、その三辺の面を一つの“系”としその作用の反応として『創造』が生まれる原理、とするこの理論を厳密な単純さでその過程を辿る事を《描写》すると――――――――。 “簡易的ディオニイソッス三角辺論劇場” 『創造者としての三つの心得。』 第一幕 『嗚呼!!認識の光よ!』 “そなたの軟らかな灯りが届かなければどんなに美しい女性だろうとその評価は真に虚ろであろう!!” 創造者はまず何よりも、まず自身と対する関係の中で成立する『事柄』をしっかりと『認識』する事。 つまりは良く自身が対峙するその『事柄』を良く『評価』し何故に『認識』する者が更に良くその物自体を『評価』出来ずに何を一体、彼はその『認識』と感覚の確認を取れるものか? 自身と対峙する『事柄』に向けられ照らされるルクス(光)とは創造者自身の意志(意識)これに他ならない。
259 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:45:53
第二幕『幼年期の面影・・・楽しい胡桃割りの思い出。』 邦題“異国の人と包み割りそんなあなたは西瓜割り” オオ、チッヨットダケクチキイテヤッテヨカーデスカ? エッ?イイ?ンナコト、ドウデモホントウ二イイ? ダマレヤ!!コノカスヤーローガ!! オッウト!!ヤッベッー、コリャ!!シッケイ、シッケイ、マジ、オメェシネー!・・・・・ププーブピッ!!・・・・・。 ゴホン・・・デハ、マジデトップギアデ、マコト二ワタシハ、アナタガタ二、コウイウ・・・フウニタズネル。 例えば先程記した自身と対峙する『事柄』を『胡桃』に置き換え。 そして、今この場から軽い思考実験の過程で或り、今だその道半ばで或る事を想像して貰いたい・・・・・。 アナタハ、イマ、ワタシノドタマノトップ二・・・イッコノ“ヌクス”ガノッテイマス、ガッツイシマツ・・・・。 オオ!!コノ、ドタマノツクリガオソロシク、オソマツナ、オホーツク、シロクマ・・・。 オオ!!コノ、ウスラ、チャボウズガツギ二ナニヲ、ヤルキカワタシニハ、チャントワカリーマス。 !!クラッシュ!!デショ?!パトラッシュ!!ナンダカ・・ボク・・・ネムイヨ・・デショ!? オオ!!ヤレヨ!!ボーズ!!ヤレルモンナラッ・・テ・・ッァ・・ヒィ・ヒィ・・チョット・・タ・タ・タイム!! オメェ!!アタマ二ノセタ“ヌクス”イッコワルノニ アイアンバットトハ、マジデイイドキョウ、イングリッシュ・プリーズシテヤルナラ、ベリー・ナイス・ガッツ!!ジャネーカヨ・・・!!
260 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:47:34
ドタマノ“ヌクス”シッカリ、ネラエヨ、ボケェ!! ・・・チョ・・チョ・・カンベンシテチョ・・マジ?!・・・チョ・・チョ・・・!!!エッ・・エッ・・マジィ!?ヒィーー・・・カッキーン!! ・・・・ワタシノドタマヲバットワリ、ンデコレガ、ホントノクルミワリ。 ソンナ、アナタハアタマワリィ・・・ヒィ!!ジョーク・ジョーク・ハッハッ・ ・・・・ホント、マジデスンマセデシタ、モウ、カンベンシテクダサイ・・・。 さぁもう理解出来た事だろうと思い今更、説明の余地など入れ込む隙は殆ど皆無であり、先程のストーリーの中で全ての重点を網羅しその倫理を完結し十分な理解の反響を得られる事だと思われるが・・・・・。 では、尚の事、慎重な理解を求める者達の為にあの劇画とは別なアプローチ方法でその一連の流れと順を追っていこう。 つまり、第一幕で『事柄』と呼ばれた認識の対象物を『胡桃』だと例え、更にその『胡桃』と言う言語感の意味する価値を自身の認識により得る事を欲するなら。 その『認識』されるべき、『事柄』に与えられた『価値』と『本質』を見抜く 事を知性的な能動により 行なうならば、何よりもしかりと『認識』しはっきりと自身の手を掲げ。 その『事柄』を破壊して更に良くその一切を全くの好奇心で持ってして『分析』しなければ彼は何の新しい価値を創造出来ると言おう事か!!
261 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:48:53
終幕『“価値”は死んだ、創造者の変化により死んだ・・・・。』 いよいよを持って、この場を迎える・・・・。 この“創造”のプロセスと循環の舞台に舞い降りる終わりの幕はさぁもうすぐ近づく・・・・・。 その幕が降りる最後の舞台で終末の破滅を望む創造者が行なう最後の行為とは・・・・・・。 ※1“認識の犠牲で或る”。 ※1この辺りの解釈はツァラトゥストラかく語りき、ツァラトゥストラの説教、精神の三段変化のテクストと相互的な作用を交互する概念感を想定して頂ければより結構な理解を得る事だろうとこの捕捉を追加する・・・・・・・。 その一切の『価値』を有する自己価値観を制圧し 更に自己に対し命令する この悲劇の支配者を破壊しその過去で産まれた『価値』とし。 その『本質』に編み込まれた『評価』をその『意志』はその過去で与えられた。 『価値』を新しく創造出来ない事を知った時の苦痛を“忘れ子供をもう一度、楽しむ為に” その自身により掲げた『クルクス』に良く『認識』し『破壊』した古く自身にとっては価値が無い見なされるとされた。 認識の対象物で或る『価値』をはりつけにし。 没落させ、その自身が『価値』を『評価』する事に自身が『認識』した時、その時に初めて“創造者”としての最初の困難に突き当たる事であろう!!! 簡易的“ディオニッソッス三角辺論劇場” 『創造者としての三つの心得。』 完。
262 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:51:03
後編第二原案 『《反感》と《反動》と《反応》創造的なルサンチマンへの完全チャート・リアル。』 我々は全く持って一度“彼”を一通り見間違い。 又一通り全く誤った認識で評価を与え。 その『力への意志、あらゆる価値の転倒の試み。』と冠し過去様々な解釈家により取り上げられ。 その思想とそれを支える根を張りその思想の地下の闇の中へしっかりのびる情念の悲願とし追い求めた。 その永劫なる終局最後に行き着く場所は大いなる “破滅”で或る・・・・・。 その彼の難解な思想の本質と本性に秘められた可能性の“価値”をこう告げた。 その聲は私自身とその精神にこう告げる・・・・・・。 『汝、己自身の“価値観”に“従え”。』 更にこう追記しよう・・・・・。 従うと言う事は困難な、ようで容易な事だ、更に困難なのは命令すると言う事に従う方がより難解だ。 《反感》(ルサンチマン)に与えられし“価値”の本質は一切の弱者による“復讐心”で或る事は今日までにも共通なる事実であろう・・・・・・。 本質の本性とは注約で有り(英表示はエッセンス)つまりは後から加えられ新たな価値を加工され装飾し施された単一の“評価”でしかない。 それは《反感》(ルサンチマン)と呼ばれるものそのものが創造的になった時に起こる―――――。 フリードリッヒ・ニーチェ著『道徳の系譜』の記憶より掲載・・・・・。
263 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:54:26
《反感》(ルサンチマン)が創造性を獲得するに至り一切の復讐心を彼らは忘れなければなるまい・・・・もう一度、子供を楽しむ為に・・・・・。 だが、つんぼの人間は“語らざるを得ない”彼らは私を理解出来ない。 そしてこう囁く《反感》(ルサンチマン)が復讐心を抱く事をその本質にする限り創造的な精神などには変化する事は皆無だ。 だが、私は敢えてこう言う本質は復讐心にくれてやれ!! だが、おまえ・・そう《反感》のおまえの仮面の下に隠された“本性”では今更にまだそうでは無いのだ―――――――。 人々に《反感》を与え、その《反動》と差し支えて尚一層に構わない。 そのルサンチマンが潜めた“本性”は《反応》と言い切ってしまっても何も全てが間違いではない。 力への意志・・・・支配と命令・・・あらゆる価値の転倒の試み・・・・服従と従順・・・・・・。 後編第二部第最終原案、 『ルサンチマン最後の哲学』それは・・・子供をもう一度楽しむかの様に・・・・・・。 さぁ、もういいだろう?! 創造者とは自らの“価値観”に従い、更に評価を与え価値を置く“命令”を下す ルサンチマンから解放されたいと願う者達へ問う!! あなた方の周りを撫で駆け抜ける風を感じた時に いい風向きだとか順風に向かい流れる風向きだと理解する者で在ろうか? あなた方は単に自由を求め欲する自由の奴隷では無かろうか? 私はあなた方に鳥人を教えよう!! 人間とは飛翔を克服すべき或るものなのだ。 いい風向きやら順風を理解する者は“何処へ向かって進んでいる事”を理解するものだけが知っている!! 同じ理由でその自由が真に自由であるか否かは、それが“何に向かっての自由”で或るかを理解する者だけが知っている!!
264 :
『こちらC.Gナウマン商会放送局』後編。価値と位置 :2006/11/10(金) 00:57:57
創造的なルサンチマン・・・・・・あなた方は想像出来よう事か?!・・・・・ 自身に命令し自身の価値観に従い、尚且つ自身が受けた“意志”の苦痛を反応とし受け入れ。 自らの“価値観”に従い その反応に評価を与え新たな価値を与える!! 創造的なルサンチマンが自らの“価値観”に従い 自身の意志の“反応”を 評価する時、その時には、地上に置ける。 あらゆる復讐心の価値は無くなるであろう!!! ルサンチマンから解放されたい? ならば、自身の創造する“価値観”に従えば良いだけさ・・・・・ 結局の所、ルサンチマンと呼ばれる者も我々、認識者を志す我らも、すでに与えられた価値に従う認識の奴隷に過ぎないのかもしれない・・・・・・・。 『評価』とは『創造』で或る。 私が心から望む事は全人類があらゆる復讐心から解き放たれる事で或る。 ツァラトゥストラはこう言った。
265 :
考える名無しさん :2006/11/10(金) 15:06:28
>>232 私はね、具体的に何なのかが分からない…とそんな分からないことがあることがまた面白いと思うしその何かを知りたいと思うっちゃ。
みんなニーチェの文章で好きなのってどれー? 私は善悪の彼岸第六章の205が好きだっちゃ。コン。
悦ばしき知識(プリンツ・フォーゲルフライの歌)の「信心深いベッパ」の詩が好き
>>265 俺が好きなのは"Jenseits von Gut und Böse"のVorrede
"Vorausgesetzt, dass die Wahrheit ein Weib ist-. wie? ist der Verdacht nicht gegründet, dass alle Philosophen, sofern sie Dogmatiker waren, sich schlacht auf weiber verstanden?"
268 :
Wo :2006/11/11(土) 20:33:36
価値か。。。 この前、電車マニアに「なぜそんに興味があるの?」とコメンテータがきくと、 「なぜ、君は興味がないんだ?」と言って実に面白い場面だった。 すべてが功利的な価値なら理解可能なんだらうけど。 それだけじゃないってことだね。 何故という問いの傲慢を感じたね。
「何故」が傲慢なのではなく、「問い」が傲慢なのでもない。 本来、「何故」という問いは謙虚なものだ。 真に傲慢なのは、「お前の価値は下らない」という先入観を持って「何故」と問いを発する人間だ。
270 :
Wo :2006/11/11(土) 21:00:34
それは同意するよ。 すべては説明可能なのかなぁ?
271 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 21:49:12
不完全性定理
272 :
Wo :2006/11/11(土) 23:44:01
自分が納得するよりも一般に納得しやすい方を優先する。 価値の裏意味。 本質や平等と言う言葉も連想するな。
273 :
考える名無しさん :2006/11/11(土) 23:53:09
>>267 これは日本語に訳すと?どの作品にあった?
274 :
考える名無しさん :2006/11/12(日) 00:08:09
: : : :: : : :: : ::: :: : :::: :: ::: ::: :::::::::::::::::::::::::::::::::::::: . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: ::::::::::::::::::::::::::::: /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: ::::::::::::::::::::::::::::::::: / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: / :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::  ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ 新しい哲学が創れない。。。。。 このままではニーチェになってしまう
>>273 「善悪の彼岸」と呼ばれるやつ。
俺風に訳すなら、
「善と悪のあの世」、「まえがき」
「真実が女だと仮定してみよう。するとどうだ? あらゆる哲学者が独善的であった限りにおいて、連中は女を理解するのが下手くそだったんじゃないか? そんな疑念が湧かないか?」
276 :
考える名無しさん :2006/11/13(月) 21:37:54
これはひどい
ニーチェのすごいところは、散文、詩文、音楽、絵画、哲学・・・・ アポロ的芸術とデュオニュソス的芸術、芸術をちょっと理解出来れば その困難さがわかるが異常に広範囲の芸術を理解し鋭く批評している。 著作のどこかで、この私から湧き出てくる水を飲めれば飲むが 良いとあったが、この水を飲むことは他のなにからも得がたい 芸術の幸福である。多分。 ?ヨーロッパではわりとインドみたいに断食で宗教修行や療法で 断食をすることがあるらしいし、ニーチェ自体 小食で長い病気の間あまり食をとらなかったらしいけど、 著作のなかで断食・絶食について特に触れている箇所が ありました?
279 :
考える名無しさん :2006/11/14(火) 16:01:43
>>265 ツァラトゥストラの古い石の板と新しい石の板の5番が好きです.
素晴らしく高貴です.
280 :
考える名無しさん :2006/11/15(水) 08:10:48
>>278 善悪の彼岸だったか道徳の系譜だったかに、宗教的ノイローゼの3つの要因のうちの1つとして、断食がありました。
少ししか触れられていないけど。
>>278 善悪の彼岸に、イギリスにおける労働の断食について、
「"退屈な"日曜を差し挟むことで平日をより充実させる」ようなことと、
偶像の黄昏に、「"粗食そのもの"が良いことではない」みたいなことは書いてあるよ。
>>280 断食は何らかの為の手段であって、それを目的化すると宗教的ノイローゼになるんだろうね。
282 :
考える名無しさん :2006/11/18(土) 00:58:41
もう少し、「永遠なる回帰」について話そうじゃないか。 ハイデッガーの「ニーチェ」では、この永遠回帰は自由と必然の二律背反、自由についての因果 性の問いでもないと言っている。永遠の昔から人間の運命が定められているといった宿命論・運 命論・決定論でもない、と。(そして、いろいろなニーチェの言葉を紹介する。) 「私の教えは告げるーもう一度生きることを汝が願わずにいられないように生きること、これが 課題であるーいずれにせよ、汝はそう生きるであろう。」(ニーチェの手記) ハイデッガーはニーチェを読み替えたのか。 「もしも汝が現存在を怯だと無知にすべての帰結へと退転するに委せる」とき 「汝が次の瞬間を、したがって各瞬間を、最高の瞬間へ形成」するとき この2つの場面は汝の決断、その意志に基づいているという。この決断と意志が永遠を決定する。 「(各瞬間の決断には、引用者)永遠が賭けられている。」(邦訳472ページ)
283 :
考える名無しさん :2006/11/18(土) 01:10:35
論文とは馬鹿の書くものである
284 :
考える名無しさん :2006/11/18(土) 01:14:59
超人とは美人でマンコの臭くない人である
285 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 08:02:54
ハイデッガーは永劫回帰をニーチェ(ツアラツストラ)の思想と考え 永劫回帰はありえないとおもっていた。そこに読み替えもしくは隠蔽が生じた。 ハイデッガーのニーチェ論を読めば読むほど われわれは永劫回帰自体から遠ざかることになる。 私にはそう見えるのだが・
286 :
考える名無しさん :2006/11/22(水) 07:51:40
>>285 ハイデッガーには存在論はあっても
宇宙論(?)がない?
アトム論でもいいが
ニーチェが理想としてる人って、KGBのエージェントみたいな人かな?
マキャベリの君主論のモデルでイタリア版織田信長みたいなチェーザレ・ボルジアです。
289 :
Anarchy :2006/11/24(金) 03:13:29
てか、ニヒリズムの徹底化って一体、どういうことなんだろう?具体的なイメージすら全く 浮かばないのですが、だれかイメージつかめましたか?
290 :
考える名無しさん :2006/11/24(金) 08:21:09
日本語のイメージで改訳すると 虚無的に生きることを徹底するということですかね 積極的なニヒリズムということですね 死ねということではなく 頑張って何も信じずに生きるということ 国家も宗教も家族も友人との友愛も信じないで・・ ニーチェの主張とずれていくが 俺のイメージとしてはこういうもんだが・・
291 :
考える名無しさん :2006/11/24(金) 11:12:00
ジュースを飲みたいが100円しかない。 自販機の下のつIに期待するか、否か。
292 :
考える名無しさん :2006/11/24(金) 11:14:54
293 :
考える名無しさん :2006/11/24(金) 11:24:00
>>292 それの徹底化だから「自販機の下につIはないだろう」ではなく
「自販機の下につIなどない」と言い切れというイメージ。
悪霊のスタヴローギン
295 :
考える名無しさん :2006/11/24(金) 13:27:51
>>293 いや
「自販機の下につIなどない」という観念さえない。
100円もって自動販売機に近づいた自分を笑う。
>>294 まあスタヴローギンは連想するが、ヴィスコンティが
そこからナチズムまで読み込んでしまっているのはちょっとやりすぎ
「つIがあってもまだ10円足りない」
298 :
考える名無しさん :2006/11/24(金) 23:48:43
ニーチェは発狂した後、新聞にのったらしいけど、その姿がひどいほど哀れだったらしいよ。 幼児のパジャマみたいな服を着せられて、眼は虚ろだったらしい。 だれか、その写真しらない??ぜひ みたいものだ。ww
新聞に載るほど有名だったのか?
300 :
考える名無しさん :2006/11/26(日) 16:05:52
ニーチェ読みたいんだけどどんなのがおすすめ? それとどういったところがみんなは魅力を感じるの?
おすすめ:キリスト教は邪教です! 魅力:ニーチェ読んでると頭よさそうに見えるとこ。
>>301 魅力はどんな哲学者でも当てはまるだろwwww
ニーチェだけじゃないwwwwwwww
別に読んで理解できたとかは重要じゃない。理解できたとかは個人的ナルシズムの趣味。 重要なのは「僕はニーチェを読んでいるんだぞ」というハッタリだ。 本棚に並べておくだけでもいい。表面的に「こいつはただものじゃない」と思わせること。 実践においては、思わせぶりに小さく笑ったり、「そういう考えもあるよね」と言っておけばいい。 とにかく「ニーチェを読んでいる僕」という虚像で相手を威圧すること。
そんなんで威圧できるのか? 俺は今日フルーチェをくったんだ、といわれるのと、 そんなにかわらんような気がするけど
305 :
考える名無しさん :2006/11/26(日) 19:56:16
>>303 で
ニーチェ読んだことある奴がきてニーチェの話題になったとき
どちらかが馬脚をあらわすことは目にみえている。
君もそんな目にあったのか。
で ニーチェについて何を語り合うんだ? 「××××」というニーチェの著作はいいよねえ、だったら ただの読書感想会にしかならんと思うけどなあ 思想ではなく哲学として語り合うことができるものなの? 「ニーチェの思想」を踏まえて
この間、ニーチェを読んでると自称する奴と話をした。 俺「善悪の彼岸は・・・」 そいつ「え? 彼岸? なんで突然そんなこと言い出すの? 彼岸なんて風習はドイツにはないんだよ」 ハッタリが一発で明らかになったよ。
>>307 ていうか、このスレにいる人は
そんなのとまで一緒にされたくはないと思ってるんじゃないかな
多分、
>>305 を煽ってるつもりなんだろうけど
>>305 の書き込みをみるかぎり、どうでもいいことに熱くなってるだけみたいだし
309 :
305 :2006/11/26(日) 23:11:02
305です
>>303 を
すこしからかいたくありましてね
熱くはなってません
ヒマなものですから
つまらないことしました
反省
このスレの95%はナルシストとディレッタントによるペダントリーで構成されています。
311 :
考える名無しさん :2006/11/27(月) 01:01:01
そうかハッタリなんだ。 なんとなくボウイが読んで影響受けてたらしいから 興味持って読んだんだけど意味わかんなくてさぁ。
ニーチェ読んでることがハッタリになるのか
313 :
考える名無しさん :2006/11/27(月) 20:36:24
働け
315 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 02:11:45
ジギーのボウイさんだよ!若い頃はかなりはまってたみたいよ。
鏡のぅなかのディオニュソスッ!
317 :
考える名無しさん :2006/11/28(火) 03:25:44
>>305 “馬脚をあらわす”の使い方おかしくない?私の気のせいだったらごめんね
318 :
317 :2006/11/28(火) 03:28:36
学生運動華やかなころ、早稲田大学では「マルクスなんか知らない!」というのがノンポリ学生の間でハッタリとして通用していたことがある。 素直に「ニーチェなんか知らない!」ってのがハッタリとして有効じゃね? 知らなくていいわけだし。
早稲田の連中、なんでそんなにアウレリウスを嫌ってたんだろう ……などとボケてみる。
321 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 08:17:59
>>306 超人ってなんだ
永劫回帰てほんとうにあるのか
そんなわけないよな
てなことを学生の頃したよ
322 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 20:48:26
ニーチェの感受性からして人間や社会に対して 言い様のない不快感や嫌悪感を感じたんだろ。 徹底的に当時の人間や道徳、宗教、哲学等を攻撃している。 何となく共感できるところがある。
>>322 そのみえない感じの何かがルサンチマンなのであって、でも、その当の本人はルサンチマンを克服したとか
なんとかいってなかったけか?
ただ闇雲に攻撃をしたのではないと思う。
といっても、当の本人はもう雲の上だし、実際わかることなんて何もないよな。
やっべ、ニヒル。
324 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 21:34:35
当時の人間社会を徹底的に非難して、その行き着く先として 超人、すなわち世襲的な支配種族・階級の出現を待望したわけさ。 ざっと大まかに捉えると、ニーチェはとんだ妄想狂に見えるが、 いいことも言っている。 特に好きなのは、精神の3段変化(駱駝→獅子→子供)の教えだな。
325 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 21:34:36
みんな原語で読んでる? 格好つけるなら原語じゃないとね。 翻訳なら「ヤソは邪教です!」で十分。 このスレの次からしばらく日本語禁止、ドイツ語限定で進めてみよう。 はい、どうぞ↓
326 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 21:45:48
>翻訳なら「ヤソは邪教です!」で十分。 馬脚をあらわすとはこのようなことだろう。
327 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 21:47:38
329 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:00:37
330 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:03:49
>>329 のっけから、あんたが日本語で書いてるやん
331 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:04:27
Nietzsche begann sein Werk als Philologe, begriff sich selbst aber zunehmend als Philosoph oder als „freier Denker“.
332 :
329 :2006/11/29(水) 22:06:30
>>330 329のアンカー見て! ちゃんと329自身も含めてるよ。
日本語書いてる香具師には日本語じゃないと通じないから敢えて日本語で書いたのです。
333 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:07:14
ニーチェがキリスト教に向けて攻撃したその矛先は、 個人の信条に従って博愛を実践したイエスに対してではなく、 イエスを神として祭り上げ、弱者に対して権威を保とうとした 僧侶と教会に対してなんだが。
334 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:09:24
キリスト本人をも攻撃してる。 その割には「真のキリスト」を云々しだしたりする。 矛盾しまくり。けっきょく精神病患者だからなぁ。
おまえが読解できてないだけ
336 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:13:38
Er gilt als Meister der aphoristischen Kurzform und des mitreißenden Prosa-Stils. Einige Interpreten halten auch die scheinbar wenig strukturierten Aphorismenbücher für geschickt „komponiert“.
337 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:17:30
「悦ばしき知識」や「ツァラトゥストラ」あたりは好きだな。 しかし、「権力への意志」は、妹たちの脚色が多少あったにしろ、 ナチズムに利用されたのも頷ける。て言うか、ナチの圧力によって ナチに都合よく脚色されたのが事実か。
338 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:18:48
Schreiben Sie nicht in Japanisch. Schreiben Sie in Deutsch.
339 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:28:52
Nietzsche wird von seichtem Gedanken beeinflußt, wie gesellschaftliche Evolutionstheorie.
340 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:28:55
遺稿を編集した「生成の無垢」を読み終わった。 ニーチェの著書は何遍読み返しても面白い。 「悦ばしき知識」をもう一回読んでみるか。
341 :
考える名無しさん :2006/11/29(水) 22:40:15
ニーチェ好きは、彼の精神の繊細さが気に入ってるものだと思ったが、 中には、どうやら、格好つけるとかいった発言や原語で書くことに 恥ずかしさを感じない雑な精神構造の輩もいるということが良く分かったよ。
>>337 その脚色作品をニーチェの本質として捕らえる輩がいるようだけど、なんとも滑稽だよな。
343 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 00:20:53
ニーチェは弱虫だったの?
344 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 00:37:46
>>341 「原語を書く」ってね。
このスレに登場したドイツ風の文章は脈絡のないコピペばかりなのだが。
345 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 00:39:05
Schreiben Sie in Deutsch !
346 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 00:41:19
>>342 「ニーチェの本質」「真のニーチェ」。聞き飽きた。
ただの病人にそんな大袈裟なものはない。
「2ちゃんの本質」「真の2ちゃん」を論じるのと同じくらいアホらしい。
347 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 01:15:17
ニーチェ読むと西洋は大変だねー、と思う。
>>346 「それが真のニーチェなのだな」
わたしがそう言うと彼は顔を真っ赤にした。
「それが真のニー・・」
もう一度言おうとした時、彼は顔を歪め、向こうへと走り去っていった
もうすぐ12月か・・・、私は灰色の空を見上げた
そしてまたいつものようにコンビニのバイトへと急ぐのであった
ニーチェの言葉に われわれは、愛するときに、しかも最もよく愛するときにこそ、軽蔑することを心得ているのだ。 ってあるけどこれってどういうこと? ニーチェの著作読んでると度々これと似たような言葉にぶつかる気がするんだけど なんかわかったようなわからないような…。
350 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 08:31:20
愛するが故に訓育するってことでしょう。 善悪の彼岸:78 “自分自身を軽蔑する者とても、なおやはり軽蔑者として自己を尊敬する。”
351 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 08:40:12
>>342 ただの病人とおもっている君にとって
真のニーチェはただの病人であることは確かだ。
352 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 09:17:57
>>346 おまえまず、精神病に関する知識が無すぎるんだよ。
何が「病人」かもわからないで、ゴチャゴチャわめくな。
エリザベート(妹)の記録が残ってるから
ニーチェがどんな症状だったか具体的にわかるし、
発病前はふつうの人間だ。
つーかちょっと調べればこんなことすぐわかるんだが、
それすら調べない(知らない)で
目に付いた対象を持ち前の浅薄さで叩く、
まさに
>「2ちゃんの本質」「真の2ちゃん」ねらー
ですね。ハイハイよかったよかった。
>>351 俺は病人と思ってないんだがな〜…。
安価ミス?
病人だろ。「私はディオニュソスの生まれ変わりであり、 十字架にかけられた者であり、ワーグナーだったこともあると思います。」 とか本気で書いてる人間をまともに相手にすると、ニーチェがあの世で恥ずかしがるぞ。
355 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 15:25:10
狂っている人間には正常な人間は狂っているように思える。 真理は遠近法。あなたから見れば彼は左にいる。彼から見ればあなたは右にいる。 あなたも彼も中心にいる。 あなたからすれば彼は狂っているように見える。 彼からすればあなたは狂っているように見える。
356 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 15:28:22
でもニーチェの場合もともと意味深なレトリックと思想が不可分だからな
357 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 15:51:03
>>354 「私はディオニュソスの生まれ変わりであり、
> 十字架にかけられた者であり、ワーグナーだったこともあると思います。」それは比喩表現だよ
発病後ってどんな感じだったの?
ぶっとんでたよ
いや、逆だよ。 呼びかけても反応がない、 情感の欠如、平坦化、とかそんな感じ。
>>354 十字架は言うまでもなくキリストのことだし、
ワーグナーだったこともある・・・は
比喩ですらなくて、ふつうに
ワーグナーの思想に共感していた時期もあるってことだよ。
こんなことも読み解けないで文句を言ってるようなあなたは、
そもそも哲学書なんて読まんでいい。時間の無駄さ。
ニーチェがなぜディォニュソスを引き合いに出してるかは
『悲劇の誕生』をちょっと読めばわかるが、どうせ君には読めない。
>>361 あんたもたいがいイタイと思うぞ。
読書鑑評会がやりたいのだったら、文学板でもいってろや、間抜け。
363 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 21:22:50
哲学書は読むものでなく感性で捉えるものなんだろうな。 ニーチェが言うところの「身体」がセンサーとなって キャッチするものを言語化しようとすると、どうしても 比喩表現とならざるを得ないんだろう。 哲学書の一語一語を正確に理解するより、心に伝わって くるものを感じ取るようにしている。
>>363 そういうのは自分の心の中だけにしまっておくか
君の家族若しくは君の親しい友人と勝手にやって下さい。
ここは君の心の日記帳じゃありません。
365 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 21:32:56
>>364 まだ学生かな?
狭量な書き込みからすると・・・
>>365 学生とか狭量とか、このスレとなんの関係もあらへんやん。ドーデモいいことだし。
そんな、つまらん、ドーデモいいことばっか書き込んで楽しいか?
(俺は普通の社会人なわけだが)
367 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 21:44:12
社会人だとしたら、底辺労働者なんだろう。 ゾウリムシがニーチェスレにいるなんて、 へそが茶を沸かすわい。
>>367 俺が底辺労働者でも、ゾウリムシでも、別に結構だが楽しいのか?
そんな、つまらん、ドーデモいいことばっか書き込んで虚しくならんの?
369 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 21:56:19
『こんなことも“読み解けない”…』と言ってる時点でニーチェが間接的表現をしてたという証拠になってるのが解らないのか?
>>369 いきなり何を言い出してんの、あんた?
いままでの書き込みと何か脈絡でもあんの?
371 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 22:12:53
>>371 で、本の読み方が読書鑑評会とかわらんわな。
暇潰しに推理小説読んだりするのと何の違いがあるのだろうな。
ニーチェの評価の仕方って、そんなんしかないのか?
373 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 22:57:38
>>368 ドーデモいい書き込みに対して直ぐ反応する
単細胞がニーチェスレにいることが驚きだ。
単細胞はスルーということを知らんのだろう。
俺は、スルーしないお前の反応を楽しんでいるよ。
374 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 23:17:04
本題にもどるが 質問です ニーチェ(ツアラツストラ)のいうように 永劫回帰は ほんとうにありうるのか 俺は信じられないのです そうあればいいと思うが たとえば もう一度自分の人生を繰り返したいとのぞんでいるけど・・・ やはり妄想なのか
375 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 23:19:10
原書で読まないのは別に構わない。日本語訳のほうが読むの楽だからな。 でもな。翻訳者のフィルターを通して読んでいるだけなのに「ニーチェの本質とは」などと語り出すのはちょっと恥ずかしいのではないかな。
376 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 23:23:27
>>375 でいうところの「恥ずかしい語り」とは、具体的には
>ニーチェ好きは、彼の精神の繊細さが気に入ってるものだと思ったが、
>こんなことも読み解けないで文句を言ってるようなあなたは、
>そもそも哲学書なんて読まんでいい。時間の無駄さ。
>哲学書の一語一語を正確に理解するより、心に伝わって
>くるものを感じ取るようにしている。
などを指しております。
377 :
考える名無しさん :2006/11/30(木) 23:26:12
恥ずかしいをとおりこして滑稽なのは、 >その脚色作品をニーチェの本質として捕らえる輩がいるようだけど、なんとも滑稽だよな。 というレス。
378 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 00:22:01
確かに、翻訳のフィルター越しにニーチェの「読み解き」やら「本質」やらを語るのは恥ずかしいな。 次のスレからは謙虚にどうぞ。
だが、ここにいるほとんどの人間は原本を読んだことがないはず
380 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 00:41:56
ならば「読解」や「本質」といった戯言は慎むのだな。 翻訳書で楽して楽しむという姿勢で臨むべし。 楽して楽しめ!
381 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 00:57:30
解説書はありなの?
382 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 02:03:04
ヨーロッパで生まれたわけでもキリスト教の教えを小さいころから聞かされてたわけでも 白人でもないのに ニーチェがわかるわけないだろ
哲学は天に伸びる根さ
外国語を勉強する前に言語学を勉強したら? 少なくともそうすれば「原文で読まないで語ることは恥ずかしい」という 恥ずかしい思い込みは持たずに済む。 それより疑問なのは、ここのスレの人らがなぜ、 ニーチェを読んでいながら、 自分や人の考えの背後にあるものをさぐるという発想がなく 自分が脳内で編集しまくってた表面上の幻想に とらわれているのか、という点。(まあそうなってしまうのは2ちゃんの常だけど)。 ちゃんとニーチェは、たとえばアンチクリストで >価値および無価値という根本に関わり得るためには >五百の信念を自分の下に――自分の背後に見なければならない こう書いてたりするのだが、 周囲に集まってる連中はなぜかまったく無理解で(というか読んでない?) 平気で、自分の感情に操られるままに 短絡的な書き込みしてるばっかりやん。 (まあ、こんな書き込みをしたところでメタ論理ということも知らずに 芸のないオウム返しで「おまえもやん」と突っ込むっ奴が出てくるだけだけどね)
385 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 09:27:19
>>380 アホかい
君は原書でよんだとして
いままで翻訳されたニーチェ本の優越がわかるんかね。
あるいは翻訳本の微妙な誤訳やニュアンスの違いがわかるのかね。
そういう自身があるなら翻訳本を出版してくれ。買ってあげる。
俺は河出書房新社の世界の大思想「ニーチェ」高橋健二秋山英夫訳
のを長年使っているが、これは読みやすい。少々の誤訳がなんだね。
日本語の文体になってなじむことができるのが一番だと思うが。
386 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 12:37:17
>>374 妄想ではない
妄想はありえないことを本当と信じることだ
神の存在がありえないとするなら
神の存在を信じることはみな妄想になってしまう。
君の「もう一度繰り返したい気持ち」は妄想より幻想とおもうね。
でも神の存在も永劫回帰も証明不可能な問題でしょう。
信じるかどうかでしょう?
キリストの神だって信仰することは度を越すと狂気になる。
永劫回帰も信仰みたいになると狂気をはらむことになる。
われわれ凡人は永劫回帰をキリスト教の信仰みたいに信じることは
不可能と思う。
不思議なのは神(仏教での輪廻でもいいが)の存在への信仰心は
われわれの精神の内部に過去のものとして透過されており
あるいは言い換えると
未明の現在として生きており
信仰心を持った人を軽蔑したりしても
どこか同じこころの所有者として認知しあえるということだ。
永劫回帰を信じる人が隣人にいたとしても
たとえば彼が永劫回帰を前提に私に何か言っても
私は共有感覚を持てるかどうかわからない。
永劫回帰は人間精神に居場所があるのか。
私は永劫回帰は神の存在と同じで
不可知の領域にあるとおもっているのだが。
永劫回帰への信仰は狂気以外に
平穏な感情や共有感覚をつくれるのだろうか。
私は自分の人生は繰り返したくないね。
まっぴらだ。
>>384 なんでそんなに感情的なんだ?w
メタ論理じゃなくて、
お前の言う「メタ論理」を説明してみせろよ 煽りじゃなくてさ
おまえもなって言いたいんだけど
388 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 17:33:50
ニーチェが今の日本のクリスマスみたらどう思うだろう・・・
我が幸福!我が幸福!
390 :
380 :2006/12/01(金) 18:32:07
>>384-385 面白いぐらいにルサンチマン爆発中ですね。
「原文で読まないで語ることは恥ずかしい」なんてことは誰も言ってませんよ。
そら耳アワーですな。
原書で読まないのは全然恥ずかしくない。翻訳で楽して楽しむことは推奨される。
ただ、原書を読まないで「本質」「読解」を語ることは恥ずかしいことは間違いない。
要は「本質」「読解」などという虚勢を張らずに、
謙虚に「ボクはニーチェをこう思うんだけどな〜」程度で語ればいいだけ。
ちなみに僕も原書なんて読んでませんよ。楽して楽しむ派ですから。よって「本質」「読解」などは言い出さない。
このスレに「○○大学文学部哲学科所属の研究者です。」なんて人いんの? 素人の癖に何を判った気になってんのよ。
392 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 18:53:27
このスレにはやたらと格好つけたがりの哲学研究家もどきしかいないのか? 哲学者はいないな。いたとしても似非哲学者だろう。 俺の関心は、 「何故ゆえに俺はニーチェに惹かれるのか?」 「ニーチェ哲学の意味するところは何か?」 というところにある。
393 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 19:30:44
「俺様哲学を創りあげるにあたってニーチェを少々参考にしてみるか」という姿勢かな。
もしくは文芸作品として楽しむか。
>>392 さんは後者?
いたとしても、数行の表面上のやり取りだけのなかには
>>392 の望むような哲学者性は浮かび得ない。
>>390 わかってないな〜実際このスレに書き込まれた「読解」も「本質」も
相手の姿勢に対しての比喩に過ぎないんだ。誰も
「ニーチェを読解する」とか「ニーチェの本質をつかむ」なんて話題に触れてないんだよ。
それをいちいち誰かが語を口にするたびに
言葉じりをとらえて自分の妄想に当てはめ、虚勢がどうのと抜かしているほうが、
「本質」だの「読解」だのということに囚われてるだけ、
という状況になってしまっているんだよ、君は。
396 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 19:47:06
>>387 感情的ではなく論理的なんだよ。
2ちゃんあるいは掲示板の性質上、長文を書くと感情的なように見えるが、
そう見えるのは大半の人間が普段文章というものを書きなれていなくて
世の中には常に長文で思考する、という人間がいるということを知らないからだろう。
それから説明しろってことだけど、
「説明の説明、意味の意味とは認識がしかけるなんたら」ってあっただろ、
『善悪の彼岸』あたりに。俺はメタ論理の説明がどうのより
むしろそういう話題にふれていきたいわけだが。
398 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 19:52:21
>こんなことも読み解けないで文句を言ってるようなあなたは、 >その脚色作品をニーチェの本質として捕らえる輩がいるようだけど、なんとも滑稽だよな。 「読み解く」とか「ニーチェの本質」などという「言葉じり」で他人を批判するのは お恥ずかしい限りだということね。 恥ずかしい振る舞いを敢えて行ってるんだ!という姿勢であれば構わない。 おれは恥ずかしいのはちょっとイヤなのでなるべくやらない。
その引用されている部分というのは体裁だった批判であるというわけではなく 単にアホにイラっと来た時にアホをけなすために言われてる言葉なんだ、 だから流れを読めない(というか掲示板では基本的流れと言うものは抜け落ちるが)第3者が 見て恥ずかしいと思うのも当然だが、別に関係ない。レス元の書き込みをした奴が 救いようもないアホだったということ。もちろんこういう話題を扱っていると またその表面に喰らいついて意味・内容のないレスが続くことになるだけだけど。
はいはい、ニーチェは最後まで正気でしたw
401 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 21:01:33
>>375 「翻訳者のフィルターを通して読」むことのどこが悪いのか。ニーチェは確かにドイツ語で書いた。
それを日本語に移した文章だとしても、読めば美しいと感じる文章じゃないか。
「一切は行き,一切は帰る。存在の車輪は永遠にまわっている。一切は死んでゆく,一切はふたた
び花咲く。存在の年は永遠にめぐっている。」「一瞬一瞬に存在は始まる。」そして「わたしは,永
遠にくりかえして,同一のこの生に帰ってくるのだ。」そしてさらに「悦楽はあまりに富んでいるが
ゆえに,苦痛を渇望する。地獄を,憎悪を,屈辱を,不具を,一口にいえば世界を渇望する。」「悦
楽はすべてのことが永遠ならんことを欲するのだ,深い深い永遠を欲するのだ。」
>>386
「永劫回帰説」は虚構である。しかし、人間は「その虚偽は人間がそれなしには生きてゆけないがゆえ
に、真理と呼ばれる虚偽である。」(ニーチェ)程度のものだろう。そしてキリスト教の永遠の生命を
もって生きる神の国思想を否定し、かつ、人間の生を根源的に無価値と化するニヒリズムを否定するた
めに作り上げた、ニーチェ苦心の説だ。
そして、このフィクション=永劫回帰を噛み締め、嚥下することで、ひとの生は瞬間が永遠につなが
ると言うのはハイデガーだ。ひとの生の一回性はそのために永遠に輝くことになる。一切が回帰するので、
最初の一歩は賭なのだ。瞬間に永遠は賭けられている。(ハイデッガー)
結局、人生は1回きりなのだ。
402 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 21:46:54
ニーチェにとってフィクション=永劫回帰ではない。 「生成の無垢」を読みたまえ。 「ひとの生の一回性」を信じていたハイデガーが 永劫回帰を信じていたニーチェをどんなに解釈しても とどかない。 だからハイデガーのニーチェ論は 永劫回帰を信じきれない人のニーチェの思想解説書でもあるね 私は永劫回帰はありうると思っている。 信じているわけでもないが。
403 :
392 :2006/12/01(金) 21:48:38
>>393 前者だな。
俺は、子供の頃から人間や社会に対する独特な感じ方を持っていて、
俺が囚われている関心事がニーチェが対象としている哲学的テーマと
かなり一致しているため、参考のためにニーチェを読んでいる。
404 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 21:55:50
>>399 流れを読んでないのはご自分のようですよ。
「その脚色作品をニーチェの本質として捕らえる輩」云々に関しては「レス元の書き込みをした奴」なんていなません。
405 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 21:58:28
>>401 翻訳者のフィルターを通して読むことは悪い、なんていう書き込みはこのスレでは見たことありません。
翻訳者のフィルターを通して読んでいるとニーチェの本質がわからない、 というニュアンスの書き込みあるだろ。頭使え。
>>399 >>362 =
>>364 =
>>366 =
>>368 が俺なわけだが、ドーデモいい書き込みに対して
ドーデモいい書き込みを繰り返していたわけだが。
要するに、ニーチェについて誰も何も語っていない。
その後も、延々と読む気も失せるキチガイ同士の闘いにしか観えんわな。
あんたは第三者的な立場を標榜しているが、第三者から観れば
あんたの書き込みも、この書き込みも何の内容も無い
只の落書きに過ぎんわな。ニーチェについて何も語って無いわけだ。
このスレの住人はニーチェについて知っている気になってるだけなのか?
408 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:39:03
>>407 そんなあなたはニーチェの何を知っておられるのですか?
409 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:46:20
例えば、 命題として、 「なぜゆえに人は働かなければならないのか?」 という問いかけを自分自身が持っているとすると、 「国家支配のために労働種族が生まれる」 「労働は心とからだを卑しくする」 「弱者のための平等主義」 といったニーチェの言葉が心に響いてくる。
俺は何も知らん!だから、このスレにいる。 知っているようにほざく馬鹿ではなく、 本当に知っている人間の書き込みを待っている。 それを読んで、色々と今後の参考にしたい、と考えている。
411 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:48:37
「本質を読解」できないのは「悪い」というのは君の先入観。 「本質を読解」できないことが「悪い」だなんてどのレスにも書いてない。 そもそも「本質を読解」する必要なんてあるのかね。 「本質を読解」するなんて、そんな珍妙な文学趣味を持っているのであれば、原書を読めばいいだろう。 俺様に関して言えば、ニーチェは俺様哲学を構築するのための一助の一つなのだから、その「本質を読解」する必要なんて全然感じていない。よって訳書で満足している。
413 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:49:47
414 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:50:58
>>410 素直に解説書買って読めばいい。
こんな「永劫回帰がどうだ」とか「超人思想は〜」とか同じことの繰り返しよりまず自分で学べ。
>>411 とりあえず、改行からはじめような。そうじゃないと、俺様哲学もなにもかもなくなっちまうぜ。
415 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:52:20
>「国家支配のために労働種族が生まれる」 >「労働は心とからだを卑しくする」 >「弱者のための平等主義」 なんかここだけ取り出すと底の浅〜い社会評論みたいだな。 俺様哲学の役には立たないフレーズ。
416 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:55:40
真に新しいものは、かつてあったものである。 それ以外は仮象に過ぎない。
原書読めたほうが絶対に上でしょ。 英訳された夏目漱石なんてなんの魅力もないよ。
418 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:59:37
>>412 なんじゃい、コラ!
売られた喧嘩こうちゃるから、メアド晒せや!
逃げんなよ。
ニーチェ狂信者は418みたいなやつばっかなのか?
420 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 23:05:07
すっこんどれ、ボケ!
俺は
>>412 に用があるんじゃ!
ID出ないと誰が何言ってんのかさっぱりんこ。
422 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 23:08:35
>>412 くそボケ、逃げやがったか!
ヘタレのくせに、ネット弁慶してんじゃねえぞ!
>>421 IDが出たとしても、こんな危ないのを相手にしないだろw
424 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 23:48:00
>>412 テメーから喧嘩売っておいて、
シカト決めこんでんじゃねえぞ!
テメーが売った喧嘩をこうちゃる言っとるんや!
明日までにメアド晒しとけ、ボケ!
425 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 23:49:52
>>417 渡部昇一が言っていた。(「英文法を知っていますか」)
語学ができる人は1000人に2,3人だとか。
縦横にドイツ語やフランス語、英語の原書を読める人は極わずかだ。
語学の才能があるから「絶対上でしょ」と言われると、そうなんだが、
腹が立つ。
お前は1000人のうちの2,3人なのか?ほんとか!?
426 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 23:53:49
他スレから来る荒氏がいるね。 しばらく静観。
427 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 00:36:16
>>425 そりゃネイティブでもないのにペラペラ喋る能力でしょ。
原書をじっくり読むには大した語学力を要求されない。
このときのための第二外国語だし。
ヘタクソな訳文を苦労して読むより楽かもしれない。
428 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 00:38:12
会話と読解じゃ全く違うからね 読解だけならそんなに難しいことではない
429 :
単純な論理 ◆KQ.ePdbBgg :2006/12/02(土) 01:02:48
いずれにしろ十年以内に偉大なる将軍様が逝かれる前に世界中に正義の 核ミサイルを撃ち込んで堕落した資本主義国を悉く荒野にするので、 全てはそこから再生するしかないであろう。
ドイツ語なら覚えて損はないからいいんじゃない? 他に読めるものがたくさんあるからね。 もしニーチェがハングルで書いていたとしたらしんどいけどな。
431 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 01:27:24
ニーチェの「ツアラツストラ」でも 訳者が違うと全然文体も訳語も相当違う。 比べてみればわかる。 読解だけというが 背景やニュアンスを読み込むのは学生では無理だと思う。 研究者でも苦労するのにみんな簡単に言いすぎだぜ。 結局、横に既成の翻訳本を参考にしながらよむのだろうが。 何冊かの訳本を平行して読むのが最適だよ。 原書買うぐらいなら 理想社、岩波文庫そのほかの訳本を買いなさい。
432 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 05:01:42
この人はル・サンチマンの塊だよ
433 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 06:26:40
語学後回しにしたら取り返しつかないけどいいの?
434 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 07:51:11
431だけど 訳本で興味をもって もっとニーチェを本格的に知りたければ原書です。 最初から原書だなんて。 サルトルもマルクスもハイデカーも 研究者は先人の訳本から入り そうして自分でまた訳す。 いきなり原書では時間の浪費。 とりかえしのつかないのは語学に気をとられて ニーチェの思想の発端で自分の訳で何かをとりちがえることでは?。 語学は大切だよ。 でもニーチェは19歳までにでよんだほうがいい。 とりかえしのつかないのは25才過ぎてよむことだね。
確かに訳しながら読むのは良くないですね。 それなら訳本の方がいいと私も思います。
436 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 09:35:33
>>412 はよ、メアド晒せや!
この土日に、テメーんところにナシつけに行っちゃるけん。
最近『これがニーチェだ』を読んだんだけど、永井均先生って、なかなか童貞な。
あれ面白いの?「ニーチェなら人は殺しても良いというだろう」 とか立ち読みしてたら書いてあって、ツマンネと思ったんだけど。
440 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 18:21:52
>>412 おい、どうせまだこのスレにいて、ROMってんだろ。
ええか、よー聞け。
テメーが先に喧嘩を売った。
俺と喧嘩してーんだろ?
俺は遠慮のうこうちゃる言ってんのや。
じっくり1対1でナシつけよー思っとんじゃ。
だから、はよ、メアド晒せ!
僕は訳書だけでなんでも済ませるタイプの人を認めない。 日本語だけで自給自足しちゃう人は傲慢だと思うのね。 僕は陰で努力してさりげなくバカにしてやろうと思っている。
442 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 21:11:00
つまりニーチェはまだ訳してないってことが言いたいのね。
>>441 たかが、ニーチェでそんなに必死になるなよw
2chで楽しむより時間がもったいない。
444 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 22:00:39
犯罪者の意味を肯定として了解できる人はニーチェ4級。 犯罪者を罪人と理解できる人は一般人1級。
445 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 22:11:29
それと一般人には1級しかないことがわかる人はニーチェ3級。
446 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 22:12:45
それと一般人には1級しかないことがわかる人はニーチェ3級。
サンキュー、ニーチェ
>>434 >語学は大切だよ。
>でもニーチェは19歳までにでよんだほうがいい。
>とりかえしのつかないのは25才過ぎてよむことだね。
哲学というものが分かってないんじゃないかな・・
449 :
考える名無しさん :2006/12/03(日) 20:43:31
450 :
考える名無しさん :2006/12/03(日) 21:37:26
俺の定義ではニーチェは哲学とは違うと思う すべて本読んだわけじゃないけど
>>450 >俺の定義ではニーチェは哲学とは違うと思う
その根拠は?
452 :
考える名無しさん :2006/12/03(日) 22:00:54
>>4 34
>>448 ヘーゲルを最後の哲学者とするなら
ニーチェは思想家というほうが適切。
ニーチェだけは若いときによんだほうがいい
というのはなんとなくわかる。
哲学一般は年齢と関係ないように思う。
453 :
考える名無しさん :2006/12/03(日) 22:05:00
若い時に読んだ方が得ってことか。
454 :
考える名無しさん :2006/12/03(日) 22:11:58
>>452 >ニーチェだけは若いときによんだほうがいい
>というのはなんとなくわかる。
哲学史を知らないうちにニーチェを読んでも、
自分の都合のいいように、ニーチェを誤読するだけでしょ。
ニーチェは若いときに読むのが一番危険な人ですよ。
古代ギリシャの物活論から、ショーペンハウアーの意志の哲学
を経て生まれた「力への意志」の思想も理解できないだろうし、
「永劫回帰」が、キリスト教の終末論的な有限一直線の時間論に
対抗した時間論であり、その点ではニーチェは東洋思想に
近づいていることとか、
そういうことを何も知らないでニーチェを読んだら、
誤読するに決まってる。
「超人」なんておいしそうなモノまでぶら下がってるしねえ。
456 :
考える名無しさん :2006/12/03(日) 22:18:37
>>454 そうでしょうね
でも
十人のうち9人が誤読するにしても
ひとりに何かを与える。
これでいいじゃないか。
毒される精神ならそれまでよ。
こういう言い方はよくないのかな?
まずニーチェから入ってショーペンハウエル・ギリシア悲劇etcを読むという手もあるでよ。
俺はニーチェを初めて読んだときは激しく自己中心的に読んだなぁ 特に彼の文体(日本語訳だが)や論調には人格的レベルで影響を受けて、、、、 今思い返してみれば馬鹿に輪をかけた上に態度がでかくなっただけだった 地道な勉強もしていないくせに何者に対してもやたら批判的だった 当時の俺みたいな奴を見るとかつての自分を思い出して恥ずかしくなるわ
459 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 08:39:47
>>458 若いときにいい経験したじゃあないか。
30過ぎて読んで
感化されて態度がでかくなったらよけい悲劇だ。
460 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 08:54:48
>>458-459 ニーチェ自身が、私の本のほうが読み手を選ぶっていうことを書いている。
ある者が読むと破滅をきたし、ある者が読むと薬になるとかということも書いてあった。
461 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 10:24:01
思想史的に見れば誤読だって、べつにかまわないんじゃね。
462 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 11:11:10
ビックリするぐらいレベル低いスレですね。
463 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 11:45:38
ってゆーか別に誤読でもいくね? 興奮出来て感動出来て、要は趣味に合ったらそれでいーべ? 趣味に合うように遠近法で解釈して悲劇を楽しめばそれでいーべ! “それから十年たってのち人は悟るのだ、こうしたこともすべてーーー青春であったということを!”
464 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 19:33:37
はーい!質問!!wikiの永劫回帰のとこ読んだんだけど、 「時間は無限であり、物質は有限である」という前提に立ち、 無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界であるならば、 現在の世界が過去に存在し、あるいは将来も再度全く同じ組み合わせから構成される可能性 って書いてあったんだけど、前提がおかしくない?? 時間は無限なの?物質は有限なの?そもそも時間や物質の定義ってそんなにはっきりしたもの? ていうかその前提に立てば誰でもそれくらい思いつくんじゃない? 哲学初心者の質問でした。
うるせぇなぁ、エントロピーとか言い出したら成り立たなくなることくらい誰でもわかってんだよ。 細かい事気にしねぇで、天国や地獄がどうと考えないで、今この人生を全肯定する必要性を語ってんだと読み取れ!!!!
466 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 20:25:55
>>465 まあ人間結局自分の人生を肯定するってのが一番健全だよな。
否定しちまったら最終結論は自殺だし。
プラス自分の意見では今この瞬間の自分自身と同一なのは厳密には今この瞬間の自分自身だけということを考慮すれば、
人生の全肯定なんか不可能じゃない?だけど一瞬、一瞬自分を肯定し続けることも現実的でないよね。
結局現実で実践できるかっていえば無理。
幸せも不幸せも表裏一体。不幸あっての幸。二人は愛し合っており、切り離せない・・・。 つまり、人生のうち1度でも本当に最高の瞬間があり、その瞬間を肯定したら、 君は全人生を肯定したことになるのだ。
468 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 21:51:59
基本的にキリスト教や聖書は(その利用のされ方の吐き気を催す低劣さ加減を 除外すると)大好きで、キリスト教に信仰はないけどイエスを信じてる 浅い反宗教観や無神論は、あまり好きでない。 でもニーチェは本当に愛すべき男。 神と悪魔は同一である、という遺稿。 第二の仏陀と呼びたいくらい。 ニーチェを読む際、言っていることそのものよりも、彼自身の人格を取り入れること の方がプラスになるような気がする。たぶん、ものすごい苦痛と孤独を味わった人だ と思う。詩人的だから、言葉があらゆるものを具現化している。だから読む方も、 彼自身を人格化できる。「血で書かれている」言葉は、精神的なものを具現化、人格化 するような気がする。 実際、哲学好きには、ニーチェ自身を理解できない。 「痛み」を知らない人、知ろうとしない人が、 キリスト教をルサンチマンなどと嘯いても意味がない。 実際、ニーチェがニーチェじゃなかったら、ツァラトゥストラの言葉のいくらかは 没趣味な忌まわしい狂言だと思う。 どちらにしても、嘘で固められたオカルティストや贋宗教の耳元でニーチェの鋭い言葉を 絶叫してやりたい気はする。 ボードレール好きの人とかの方が、たぶんニーチェに熱狂できる。 ニーチェは「言葉」に血が通うことを知っている。 実際、哀れな男だと思う。 どのページを見ても憤怒と誇り高い意志で貫かれてる。
469 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 22:02:15
>>464 そこにはこだわらなくてもいいと思うよ。
そのあとにニーチェは何を思ったか。
>>464 そもそも哲学なんてのは「5分前に神が世界を創造した」
なんて事を大真面目に議論する学問だ。
たとえ前提が多少間違ってても気にするな。
471 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 00:06:39
>>464 時間が無限かどうかは誰にもわからない
諸説あるけど宇宙(時間)がはじまって300億年ぐらいでしょう。
宇宙の終焉を予測する宇宙物理学もあるわけだしね。
永劫回帰が現実に空間時間の関係でおきる可能性があるとしたら
この宇宙が1000億年後かどうかわからないが最後に消滅して
もう一度全く同じ宇宙が発生し現在にいたることを
無限に繰り返すというこでしょう。
壮大な仮説だけどね。
こんなことは誰にもわからない。
でもニーチェはこのサイクルを啓示のように受け取り
信じたわけだ。
ニヒリズムを超克して超人になり、新たな価値を創造せよ 新たな価値って何? 金とか幸せ? 人それぞれ勝手に決めちゃっていいの?
性別を超越せよ! 男だ女だと分けて考えているやつは永遠にダメだな。 バイでない人間の才能はたかがしれている。
永劫回帰・・・ 捉え方によっては全く自己中な思想とも言えるな。 例えば、極悪非道の殺人鬼が殺人を犯したとして、その殺人鬼が「俺は自己超克によって 殺人をした」とうそぶいたとしても、被害者の親族はその殺人鬼と悲運な自分の運命を 易々と肯定するわけにはいくまい。 この場合、この思想が殺人鬼の慰めになるには有効だがね。
475 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 21:45:36
そして永劫回帰についての話も永劫回帰行われる。
476 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 22:16:43
>>474 ニーチェについては西尾幹二「ニーチェ」とハイデッガー「ニーチェ」、ニーチェファンなら必読
文献だ。
>>402 のように言う人もいるが、ハイデッガーの永劫回帰の解釈が常識的ではないか。
ちなみに西尾は「奇怪な思想」として解釈自体を拒否したが、その本は少年時代からスイスの大学
教授職を辞するころまでの未完の作品だが、ニーチェの人間形成期がわかる。
ハイデガーの解釈は
>>401 参照
477 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 22:43:05
俺は倫理・道徳を超越した 神の属性の一つを俺は手に入れた すなわちそれは「絶対善」
>>476 それよりもまず永井のニーチェを読むべきだろう。
西尾のはいいとして、ハイデガーと永井だけでニーチェはすべて語れると思う。
永劫回帰だけじゃなくて、ルサンチマンについてとかさ。
話し変わるけど、ニーチェと笑いについての本がたしかあったよね。
誰かよんだやついる?
479 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 23:19:35
ハイデガーは読んだことはないのだが、ドルーズのニーチェ解釈は大好きだ。
480 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 23:30:25
>>476 「ハイデッガーの永劫回帰の解釈が常識的」
なのは現代の常識人がそのように理解したがるからだ。
結局そこ現代の常識人の限界がある。
481 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 23:41:23
ニーチェの道徳批判の表現する言葉が「犯罪」であって考えなければならいのは、なぜこれが批判対象なのかだ。この場合の犯罪は既成概念の破壊(道徳含む)の為に象徴的に使っている。
482 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 23:53:28
この板にも携帯房が出始めたんだね。 改行覚えてから出直してこいってんだ
オマエみたいなクソにもならん書き込みよりも全然まし
ねえねえみんな。 概念と観念の違い教えてくんない?
485 :
考える名無しさん :2006/12/06(水) 00:22:39
goo辞書にでも教えてもらえば?
486 :
考える名無しさん :2006/12/06(水) 00:24:48
わからないならいいです。 ありがとうございました
487 :
考える名無しさん :2006/12/06(水) 00:28:53
うん
488 :
考える名無しさん :2006/12/06(水) 21:33:53
>>484 「観念」とは、「表象」(Vorstellung 眼前にないものを思い浮かべること)のことで、「表象され
たもの」とは「眼前に知覚されている対象自体ではなく、私の心的世界(Gmuet)の「うち」に
取り込まれた対象のあり方である。」(中島義道「カントの自我論」p34)
カントの使い方で、「表象としてのバラ」は
1.私が<いま・ここ>で知覚しているバラ
2.私が昨日見たバラ
3.他人がいま世界のどこかで見ているバラ
4.誰も見ていないが現に存在しているバラ
5.誰も見ていなかったが現に存在してたバラ
つまり心像や意味ではなく、時間・空間のある場所に実在するバラのことだ。
「概念」とは...あとは自分で勉強しなさい。
キリスト教は邪教です!を読むなら 先に反キリストを読んだ方がいい
490 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 08:43:01
>>488 もうすこし簡単に教えて。
よけいわからなくなりました。
491 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 09:01:27
「観念」とは「ある考え」で 「概念」とはその「ある考え」の元となる「ある考え」 例えば「人間」という観念には「動物」「精神」「神」・・・ その他諸々の概念が含まれている つまり「人間」は「観念」であり、また「概念」でもある というのが私の「観念」に関する「観念」である
492 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 15:04:23
ニーチェが構想したのは言ってみればキリスト教に対する ニーチェ教のようなもので 神に対する超人 天国と地獄に対する永劫回帰 という観念を作り出している。 だから永劫回帰というのはこの一回限りの人生が無限に 繰り返されると思って生きるべきだという 倫理的要請を含んでいる。そのとき一瞬一瞬が 無限に重い意味を持ち愛すべきものとなる。
493 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 15:15:36
ニーチェはニーチェ教を作りたかったわけじゃないだろ。 キリスト教を否定したのと同じ思いで、ニーチェ教を否定すると思うよ。
494 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 15:52:34
それはそうだろうけどニーチェの キリストに対する対抗意識はすごいものがあるしな。 キリスト教の徹底批判が結局はニーチェ教になってしまった という感じもするが。
495 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 16:23:24
>>キリスト教の徹底批判が結局はニーチェ教になってしまった 確かに。 キリストとキリスト教は別のものとして考えていたんじゃないか? キリスト教に対する徹底的な批判意識はあるだろうけど、 キリストに対しては好意を抱いていたんじゃないかと思うんだけど。
496 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 16:37:53
キリストに対してはこの人を見よとか アンチクリストという本の題名にみられる様に 好意と敵意がないまぜになった強烈な ライバル意識なんじゃないかと思う。
497 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 16:47:33
498 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 19:02:14
ヘーゲル哲学を読み込む時に 「ツアラツストかく語りき」 を反証のよにしてよむべきだね。
少し意外だったね、なるほど
500 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 20:36:14
日本人には概念というのが良く理解できないかもね。 また概念に対比されるのはむしろイメージでしょうね。 たとえば「彼には<友情>という観念がない」というとき <友情>という言葉とともに<友情という感情>がないことを示している。 しかし「彼には<友情>という概念がない」とはいわない。 <友情>の概念はその言葉が流通する社会によって規定されるものです。 本人の内面とは関係ない。 一見矛盾する説明になりましたが。 このように イメージや概念や観念の領域について 決定的な判断を下した哲学者は 今までいないように思います。
501 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 22:14:57
>>490 >>491 「観念」とはカント的に言うと「表象」だと思う。(カントの「超越論的観念論」は「表象論」だと思う。)
たとえば、「痛み」というものがある。
1.私が<いま・ここ>で知覚している痛み(私のけが、やけどなど)
2.私が昨日想起した痛み(痛かったなあ)
3.他人がいま世界のどこかで受けている痛み(他人の痛みは私は痛くないが)
4.誰の痛みかわからないが現に存在している痛み
5.誰も知らなかったが現に存在していた痛み
「概念」とは「言語的な意味内容」のことではないか。
502 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 22:41:59
ニーチェが体験したキリスト教は、ドイツではルター派の教えだったと思われる。ルターを徹底 したカルヴァンは、「隠れたる神」論で、予定説を展開した。「隠れたる神、全能の創造神は 土くれのように人間を創りたもうたが、その土でこねた作品を不出来なものは壊し、よいものだけを 選ぶ。その作品(人間)にはどういう基準で、なぜ選ばれたのか、捨てられたのかは神たる陶工の 考えは永遠にかくされているのだ。」つまり永遠の昔から救われている者と救われない者とは決定され ている、というのが予定説。 「神はその望むところに従ってわれらを滅亡に追いやるほど義でありたもうと信ずるのは最も高き 段階での信仰である。」「キリストが死にたもうたのも、ただ選ばれた者だけのためであり、」 (ルター「奴隷意志論」) ニーチェのアンチクリスト論はこの予定説ならびに奴隷道徳への徹底的な批判なのだろう。 そうすると、なぜ「超人」なのか、なぜ永遠回帰なのかわかるような気がする。
503 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 23:11:39
ニーチェの宗教観というのも面白いね。
504 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 23:44:34
つまりニーチェは「我が生涯に一片の悔い無し!」ってことですね。
505 :
考える名無しさん :2006/12/07(木) 23:56:53
ニーチェの真似ではなく本気な話だが、クラシックと哲学は最高に心が休む
506 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 00:06:46
だからなに? 本当にゴミ以下のスレだな。
507 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 00:10:40
508 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 00:20:17
チラシの裏にでも書いとけ、このカスが!
509 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 10:34:04
>>502 うむ、ニーチェはキリスト教が嫌いだが、カトリックよりプロテスタントのほうをより嫌悪していたことがアンチクリストに書かれてある。
510 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 10:47:46
>>402 まあそうだけど
「万人のためあるい誰でもない者のため」
とあるように
永劫回帰の倫理的要請としては万人に対してだろね。
しかし本来の永劫回帰については
「誰でもない者」にしか伝えられないということでしょう。
あるいはひとりもいないということですかね。
中途半端に凡人が永劫回帰を信じたり
ニーチェの言説を鵜呑みにすると
有害この上もないな。
「善悪の彼岸」だからとなどと凡人が殺人を肯定したりしては
どうしようもないな。
ところで将来に
世界のどこかでニーチェと同じ啓示のようなものを受けとった人物が
自分はツアラツストラの再来だと言って
永劫回帰を宗教みたい宣教しはじめたらどうなるのだろう。
きちがい扱いされながらも信者をつくれるのかな。
パナウエーブみたいに世間は無視かな。
511 :
510 :2006/12/08(金) 10:51:00
512 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 12:10:13
>>510 きっと家族に精神病院に強制入院させられる
彼は病院内で布教する
そこで信者を増やして
院長はこのままでは病院で反乱がおきるとおもう
危機感を感じて彼を独房に入れる
それから・・・
空想してみました
513 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 12:48:48
>>510 私それやるつもりでいます。本気です。
>>512 の空想みたいに病院に入れられるかもしれない。
でもやる。自分を愛せるようになりたいもん。
514 :
513 :2006/12/08(金) 13:11:35
思えば国際貴族主義連合のひかるなんかはそれをやろうとしてたのかもしれないなー。 歌を使っての宣教。私はあの人とは全然考えが違うけど、 私もあの人みたいに見られるかなー。でもやる。
515 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 13:15:31
自分のパーソナリティの安定を図るために宗教活動をする? 笑わせんな。イカ臭くて痙攣しながら嘔吐しそうだ。
517 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 14:18:51
創価学会の学会員と同じやん >自分のパーソナリティの安定を図るために宗教活動をする?
布教は迷惑だからやめなさい
519 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 15:30:05
>>514 >>513 女性ツアラツストラはあるのか。
こんなアホが出回ることをハイデッカーは危惧したんだろうな。
だったらヒットラーのような
狂気的英雄のほうがましだと考えたに違いない。
将来永劫回帰にかぶれる若者の増大が
国家の解体につながるとおもったんだろう。
バカよりナチスのほうがましだとね。
ハイデッカーの功罪はともかくとしてだ。
520 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 20:27:07
>>510 どうも、違うな。
宗教の宗派を立てるには、根本教義に世界像とどこからどこへその世界を持ってゆけば救いが
得られるのかを指し示す「使命預言」が必要だ。(ウエーバー「宗教社会学論選」みすず書房)
ニーチェの預言は「覚醒預言」の一種で、「目を覚ませ」というメッセージだから、宗派は立て
られん。
521 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 20:33:42
>>515 〜519
( ´,_ゝ`)プッ知らなかったの?お前らの大好きなニーチェってそういう思想だったんだよ。
522 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 20:41:30
>>520 世界は衝動で成立してるんだから、
そういう人間がいるのもしょうがないってことを理解しなさい。
いちいち突っ込み入れされてるんじゃねえよ。
523 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 20:43:38
>>520 そうだろうな
教義もなくて
どうして彼についていくんだ?
付いていったって何もいいことないww
まあべつに新しく教義をつくるんだろうな
初期モルモン教みたいに一夫多妻だとか
それともどこかのセックス教団みたいになるのか
いいことずくめで献金なしだったら
俺もはいりたいww
524 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 22:06:53
ニーチェは「ツアラツストラ」の続編を構想していたらしい。 洞窟を出て行ったあと自分の仕事をしに行くのだが それが自分の教説を広めるためだったのでは? 多くの賛同者が出るということから 一種の宗教活動みたいなことになるのかな。
いや違うでしょ。あくまでキリスト教のパロディっつー意味での 「ツァラトゥストラ(ゾロアスター)」なんだから。 ニーチェは宗教活動したいわけじゃなく、単に反キリスト的なもの、ってだけ。
526 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 23:02:37
>>525 ニーチェ自身のことではなく
「ツアラツストラ」の中でのことなんだけど
遺稿に構想のことはちゃんとあるぜ
ツァラトゥストラが死ぬ場面しか聞いた事無いや。
528 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 00:02:43
多くの人々に囲まれて死ぬのだろう 彼らは彼を信奉者するものたちだね 山からおりたあとの話はどう構想したのか不明 最後だけわかってる。それが決定稿かどうかも不明。 最後はいろんなパターンの構想があったらしい。
529 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 00:31:22
宗教から離れろよ。 ニーチェも何もかも役にはたたないんだからさ。役に立たせようとなんてするなよな。
530 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 00:34:20
531 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 01:06:32
532 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 08:17:21
>>524 宗教活動というより
社会変革の活動家かも
革命運動家か
でもどう世の中を変えるんだろう?
多分失敗して最後に死ぬ?
533 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 10:52:30
ニーチェは宗教だよ。 真面目に、誠実に宗教やってる人間が布教するのは自然なことですよ。
534 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 11:31:20
おいおい・・
バカばっかりだな
536 :
考える名無しです :2006/12/09(土) 16:21:10
ニーチェは宗教の何を批判したのか? 見極めが大切だぞ ニーチェは仏教に近いよな。
ひょっとすると、日本人にとっては「ニーチェ」よりも「キリスト教」のほうが 理解しにくいのかも知れないな。
538 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 18:40:44
ニーチェは自らの真理を証明する為に権力を獲ろうとしたただのキチガイだよ。
539 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 18:48:34
道徳批判よりキリスト教批判の方が受け入れ易いか。 腰抜けか。
540 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 18:52:27
ニーチェが望んだのは戦う弱者だよ。ましな人間だよ。
541 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 19:39:45
542 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 20:44:41
>>541 ニーチェはお前に「私の真理を証明せよ」って言ってるんだよww
「肺活量鍛えろ」って言いたいんだよ。
544 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 21:22:04
>>537 キリスト教の人格神のようなものより
無神論の延長にある永劫回帰のほうが仏教思想に近いからだろうか。
545 :
考える名無しさん :2006/12/09(土) 23:53:36
ニーチェはとりあえず批判はしてみるけど、対案は出さずほったらかしだな。 挙句感情論で人生乗り切ろうってことだろ。
546 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 08:40:17
>>545 われわれはヘーゲルもニーチェもマルクスも
彼らの思想を決定した時代背景を半分無視して
同時に読むことができる。
決して交わることのなかった彼らを飛び越えて。
対策とはおかなくても
何か考えることはいっぱいでてくるかな。
547 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 10:10:43
永劫回帰は直線的時間および現世から来世へという考えに対する徹底的なアンチテーゼだと思う。
548 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 10:15:03
永劫回帰は、単に脳に毒が回った結果じゃねえの?
バ カ し か い な い
550 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 13:32:34
このスレにもついに荒らしがでてきたのねwwwww
551 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 13:35:03
荒らすつもりはないが、客観的にみて、俺も バ カ し か い な い と思う
552 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 14:09:33
しかしそれは自分にも当てはまるのではなかろうか
553 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 15:46:10
バカとオタしかいない
554 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 16:24:48
ニーチェは友達いなかったから超人超人言い出したんです。
555 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 17:52:23
超人超人言ってたから、友達がいなかったんだよ。
556 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 18:26:59
ニーチャんは超人だったから友達が居なかったんだい!
557 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 18:29:52
いつのまにか本物の落書き帳になってるな もともと落書き帳だったわけだし、かえってスガスガしいなw
558 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 20:05:36
お前らホント友達いないんだな。
559 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 20:24:10
あらしというより こどもやチュウがかきこんでいるのだろうな。 これはこれでいいではないか。 チュウにニーチェの なんたるかを吹き込んでやろうよ。
560 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 21:20:01
批判できないってことは、それが信仰だからだ。 信じる者は救われるは宗教の言葉だ。 果たして無神論者はこの世のにいたのか。
561 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 21:37:52
>>560 無神論者はいっぱいそこらじゅうにいるよ。
過去も現在も。
これからはもっと増える。
そのことに気がつかない君こそ変だ
562 :
考える名無しさん :2006/12/10(日) 22:00:24
この世に神が存在することのほうが 永劫回帰が真理であることより 嘘に思える今日この頃です。
563 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 00:45:12
ニーチェの死体ずっと保存しとけば永劫回帰はないと言えたんじゃないか?
564 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 08:19:18
>>563 関係ない
生まれかわり
や輪廻とは違う
565 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 13:50:49
ニーチェは自分を愛せるようになる為(生を肯定に導く為)の 宗教だよw
566 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 14:04:40
自分の弱さを知っている人間っていうのは自分を愛せるように強くなろうとする。 理想っていうのは弱さなんだから克服しなきゃいけない。 理想を抱くことをやめる(小乗において)→仏教的ニヒリズム 果たされないかもしれない理想の実現にあえて挑む→能動的ニヒリズム 理想=厭世(現実に対しての)。その弱さを情熱をもって超えようとする姿勢=ディオニュソス的ペシミズム。
567 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 20:20:19
>>563 もしニチーェの死体を保存したとしても
永劫回帰が真実だとすると
ニチーェの死体を保存するということをを繰り返す。
仏教思想の輪廻や浄土を完全否定したところに永劫回帰がある。
個人の問題でなく宇宙全体の回帰の問題なのです。
568 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 21:11:28
>>567 保存した先に終わりがないから繰り返せないんじゃないか?
直線的な時間をニーチェの死体が果てしなく進み続けるとしたら、いつ回帰出来るんだ?
569 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 21:27:22
>>568 永劫回帰するという前提に立てば今この瞬間のあなたも果てしなく繰り返すんだよ。
ニーチェはそういう前提に立つことの必要性を説いたのよ。
なぜ永劫回帰を前提とする必要があるのか、
それを背負うということはどういうことか、その意味をよく考えてみな。
570 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 21:32:34
>>568 ちなみに永劫回帰っていうのは思想だから、
生きててものを考えてる人間にしか意味ないことだよ。
>>569 ま、その前提を共有した場合はな。
実際世界がそう動いているわけではないだろう。
572 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 21:54:15
>>571 共有する必要はないよ。
永劫回帰は小乗思想だもん。
573 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 21:57:56
>>571 ああごめん。前提に立つ必要性の共有という意味か。読み間違えたっす。
574 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:01:43
>>568 回帰とは戻ることではない。
ふたたびそのときにその瞬間にいたるということです。
宇宙がいつか終焉し
再び宇宙がゼロから誕生し
以前と全く同じ宇宙ができるということです。
当然地球も誕生し人類の歴史がくりかえされる。
時間は直線的ではない。
時間も巡るのです。
壮大すぎて
君達は理解できない。
「多くのことを中途半端に知るよりは、むしろ何事をも知らぬことを選ぶ。 他人の見解に従って賢者であるよりは、むしろ自力だけを宛にする 阿呆でいよう。わたしは−−−知識の根底にまで下りていくのだ。」 ツァラトウストラ「蛭」より
576 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:11:05
ニーチェは神は死んだといい永劫回帰を説いた。 キリスト教の神が死んだということであれば 宇宙神(地球の神ではなく) と永劫回帰の両立はあるのだろうか。 神の行為も永遠に回帰するのか。
577 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:16:58
理解出来ていても実感としてもっていなければ意味ない。 自分にとって否定的なあらゆる出来事が無限に繰り返される地獄について、 その実感を持っているかい? 何度もいうがニーチェは宗教だよ。小乗のな。 過去に原罪がある限り、我々(現在)は救世主としてあらねばならない。 自分を超えた存在、神(未来)の為にな。 壮大すぎて 君達は理解できない。
578 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:20:44
579 :
犬神家の食卓 :2006/12/11(月) 22:30:33
有限の物体が無限に果てしなく続く事を理解できますか?
580 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:33:53
581 :
犬神家の食卓 :2006/12/11(月) 22:35:09
具体的には 惑星が無限に点在する宇宙の果てを理解できますか? (限界はありますか?)
582 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:35:24
576です スピノザふうにいうと宇宙全体の実体みたいなもの。 あるいは神は細部にも宿る実体といえばいいか・・ 神が永遠的な存在者であれば 地球の枠を超える。 シバ神じゃあないよ。
583 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:37:55
>>581 理解はできなくとも
解釈や仮説にもとずいて
イメージは可能だ。
584 :
犬神家の食卓 :2006/12/11(月) 22:41:46
思うに宇宙の果てをイメージしても繰り返しの無限ループ的な 発想に陥ってしますと思います
585 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:44:07
>>582 なるほど汎神論の神ですな。その場合は神そのものが永劫回帰することになりますな。
586 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 22:44:14
宇宙の大きさは無限ではない。 大きさは有限。 宇宙物理学の常識。
587 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 23:03:56
>585 そうですね 神が永劫回帰からでられなくなり シジホスの神話みたいになる 笑い話か
「火災と焼尽。これがわれらの生のあるべき姿だ、おお、おまえたち、 真理の説教者たちよ。おまえたちの長口舌がつづくだけ、それだけ長く、 生贄は、供儀の蒸気と香煙を生きることになるだろう。」 クロソウスキー「ニーチェと悪循環」の結句。多分、ニーチェの草稿の一節。 ドイツは、カソリック時代の異端諮問、プロテスタントの魔女狩りと続いて、 火刑の煙の絶えなかった土地柄だ。知っての通りニーチェは牧師の息子。 「生贄」の比喩自体はそれほど難解ではない。 「十字架に架かりしディオニソス」の説いた「永劫回帰」説を 感覚的な理解を超えて、我が言葉のように豪語する者は、 所詮、詐欺師の類か、あるいは、常人ではない、と思える。
589 :
犬神家の食卓 :2006/12/11(月) 23:09:17
有から無に帰る事はできても 無から有が生まれるという理屈が(ry
590 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 23:11:18
ニーチェが死んで100年たつ。 永劫回帰を冷静にかつ気楽に 2ちゃんで語れるような時代になったてことよ。 常人ばかりですよここは。 あなたが遅れてる。
永劫回帰って、カントが言う「物自体」みたいなものだと思う。 人間が時間っていう色眼鏡をかける前の世界そのものは、未来も過去もごちゃごちゃ。 そのことを永劫回帰っていうトリッキーな言い方で言いたかったんじゃね? ただ、「物自体は絶対見れない」って言っちゃったから、ニーチェはカントのことをボロクソに言ってるんだと思う。 ニーチェは「超人なら見れる」って考え方だったんじゃないかと。
永劫回帰は妄想の一種。
593 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 23:16:34
>>589 理屈はわからんが最新宇宙物理では
そうだ。
永劫回帰だって理屈はとおらない。
屁理屈だろう?
でも完全否定も屁理屈。
594 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 23:30:01
妄想は信仰の一種
595 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 23:44:27
信者必死すぎじゃね? ニーチェってそこまですばらしいのだろうか? ニーチェそれ自体が、今、まさにそれ自体が嫌っていた物自体になろうとしているのではないだろうか。
>>585 神が回帰してたら面白いな。どんなスケールでかい罰ゲームなんだよ。
DVD出したらダウンタウンより売れるな。
597 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 00:02:46
ニーチェ信者というより ニーチェをネタにことばあそびをしてるだけ でも永劫回帰のはなしは面白かった またのぞくよね
598 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 00:10:10
イエスも回帰するのですか 十字架は痛そう 私の失恋も回帰するのね ああ嫌だ
物質は有限、時間は無限だから世界は回帰して全く同じ自分が過去にも未来にもいる可能性がある。 しかしそれなら、自分と少しだけ違う自分がいる可能性の方がよっぽど高い。 何億回と、まぁ数え切れないくらい世界が回帰したら全く同じ自分がいるというなら、その何億回の間には何人か自分に限りなく似た人間もいることだろう。 そしてその中に金持ちだったり、権力を手にしているものもいるかもしれない。 そう考えると、永劫回帰は1度しかない自分の人生を受け入れるのではなく、いつか世界が巡って待遇のいい自分になれるかも、という楽観的な思想なのだろう。
つーか今の世界何週目なんだろうな。
永劫回帰は、ニーチェが、ルー・サロメを口説こうとして、 彼女の耳元で戦慄を覚えながら、ささやいたような究極の口説き文句だからね。 ま、伝記によると、逆効果だったらしいけど。
今善悪の彼岸を読んでるけど凄く面白いな。 しかしこの本は怖いな。 読者の自尊心をさりげなくくすぐりながら 「お前はこっち側の人間なんだろう?」 とニーチェが甘く耳元で囁くのが聞こえる。
603 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 03:01:50
日記を書くのが好きだな、おまい
まあ、すぐに色々メモする癖がある。 これはと思った文や、思いついた考えを。 というか「ここはお前の日記帳じゃねえんだよボケ」という皮肉?
ブログでもいいと思うんだが対ページヴュー数において意味があるのはこちらだからなやはり
606 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 08:00:42
>>599 時間を直線的に無限と考えるのかな。
宇宙は無限回数発生と消滅くりかえしてきた。
時間も物質も有限でそのたびにリセットされる。
でも同じ宇宙が再現されるとはかぎらない。
無限に変幻をくりかえし
地球の歴史は少し差異をうける。
あるいは地球の出現だって一回だけということもあるだろう。
永劫回帰は可能性のひとつとおもうけどな。
607 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 08:45:30
>599 ニーチェが永劫回帰についてどう書いてるか 知らないみたいだねw
> いつか世界が巡って待遇のいい自分になれるかも こういう来世に期待する考えはヘタレだと言ってるんだ。 今と全く同じ人生を繰り返すしかない、という「救いのなさ」が永劫回帰のポイント。
609 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 12:59:17
そうならないようにどうするかってこと
今の人生を肯定すりゃ良いじゃん
611 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 15:45:01
>>610 むしろ人生を肯定する為に永劫回帰を背負う必要があるのさ。
永劫回帰を肯定出来る人生をつくることが目的なのよん。
612 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 15:51:43
肯定できる人生を作ろうじゃなくて、 どんな人生でも肯定しようってことだろ。
613 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 16:43:05
>>612 個々人の趣味に依存する。
今の自分の人生に否定的な疑い(弱さ)をあなたが持っていないのであれば、
あなたがあなたの人生を肯定することは容易でしょう。
614 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 16:49:42
>>613 ニーチェの言葉を個々人の趣味に帰着させてどうすんだよw
615 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 17:14:30
だーかーらー、ニーチェは宗教なんだって。小乗のなww
ニーチェ自身、いろんな批判は自分の趣味で言ってます。と言ってるし、いいじゃん。
苦し紛れの永劫回帰には穴が多過ぎる。
>>599 や
>>615 の言うことはもっともだ。
証明も碌にできないくせに恥ずかしいゴタク並べんな。
618 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 18:33:00
>>617 証明するもんじゃないって。
永劫回帰は仮定であって、結果じゃない。
619 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 20:19:47
>>606 当時ニーチェはそのようなイメージで
永劫回帰を考えていなかったように思う。
アインシュタインもいなかった。
自分の確信している回帰についてのイメージと
宇宙の回帰の可能性について
どこか矛盾を感じていたはずだ。
狂気的になったもうひとつの要因かもしれない。
私達はさいわい永劫回帰についてのイメージを
最新の宇宙物理学からも得ることができる。
狂気にいたらず普通に可能性としてうけとることができる。
だからニチーチェの思想をある距離をもってうけとることができる。
自分の人生をもう一度くりかえしたいと思うしあわせな人は
永劫回帰を歓迎するのではないか。普通の感情で。
620 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 20:22:17
誤字訂正 ニチーチェはニーチェ すいません
621 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 22:00:36
結局誰がいう永劫回帰が正解なの?
622 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 22:15:31
>>621 そうですね
正解はどこにあるのか
ニーチェ(ツアラツストラ)が受け取り震撼としたものとしての
永劫回帰はさまざまな解釈可能性としてあり
また謎めてている。
私達が真に知ったときはやはり震撼とせざるをえないのでは。
さらに永劫回帰すら解釈の一つであるわけですよ。 「結局誰がいう永劫回帰が正解なの?」 「正解はどこにあるのか」 これらの問いが成立しない地平。
624 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 22:25:56
ニーチェの考えなんてニーチェにしかわからないだろう。 なぜ我々が永劫回帰について知れようか。いや、できない
625 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 22:28:59
万人のために そして誰でもない者のために とあるではないか
626 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 23:21:01
永遠回帰を理解しても明日を知る分けではない。
627 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 23:31:31
婚礼の鏡 デュニュソスとアリアドネの向かい合う 鏡に魂を映すと無限大となる。超人の誕生。または回帰。
628 :
考える名無しさん :2006/12/12(火) 23:37:11
しかしながら 永劫回帰の謎には なにか人類の未来を予感させる何かがある
629 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 00:02:15
永劫回帰が宗教のような次元にとどまるならば 国家を超えることはできないでしょう。 でも思想として観念の共同化ができれば 国家を超えることができると思う。 国家を無化していくときの思想の根拠となる。
630 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 00:26:10
631 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 00:40:28
ニーチェは個人内に神を返す為の、宗教を解体する為の宗教だったのだー
632 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 00:43:45
>でも思想として観念の共同化ができれば ま、まず無理なんだけどな。 受け入れてしまっては自分たちの世界観が崩れてしまう人たちがいるんだよ。
633 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 00:45:05
634 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 00:51:50
釣られたことも永劫回帰かー。
635 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 08:11:33
>>632 自分たちの世界観が崩れてしまう人は
最初から永劫回帰を拒絶するのでしょう
潜在的におおくいる無神論者なんかには
うけいれやすいかも
636 :
ニーチェ教 :2006/12/13(水) 08:53:13
ニーチェの功績というかやったことというのは 永劫回帰という概念自体にあるのではなくて、 史上初めて価値の価値転換という領域について思考したというところにある。 その前段階として価値の価値を問うことから一歩一歩進んでいったわけで それでちゃんとカントやショウペンハウエル先生の学問的態度の裏に 恣意性と心理的な敵対心が潜んでいる事を暴いた。 ちゃんとツァラトゥストラで言っておられる、 「すべての解釈・価値・提言・意見・考えの背後に人間がいる!(から気をつけろ!)」 だのにここの人らと来たら少しもそれをわかっていず 永劫回帰の概念の周囲をうろつく一方で、しかも自分がうろつきすぎて あまりにそれが目に付くから「布教されている」と勘違いして 先生のことを宗教と言ってしまう有り様! 先生がおっしゃられている「善悪の彼岸に立つ」、つまり 本当の意味で批判的になれ、ということの意味が、まるでわかってない! ああ、あまりにも限られた人間の一面性! 哀しいかな
「本当の意味で」というのがうさんくさいな。
638 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 11:21:41
だから嘘なんだってば 彼は本当の事まで嘘にしちゃうから
639 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 14:47:01
640 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 20:04:48
>>636 永劫回帰自体がすごい価値の転換だとおもうけど。
神(キリスト教)を無化しているわけだし
キリスト教的な倫理観を転倒させるわけだしね。
価値の転換とはなまやさしいものではなく
ひとつの価値観が終わったところから
はじめるしかない。
最初の転倒は観念の中でしかはじまらない。
ニーチェが対決すべきだったのはヘーゲル哲学でしょう。
ヘーゲルはショーペンハウエル先生が相手し終わったからOK
642 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 20:41:27
「ツアラツストラかく・・」は未完といわれたりするが 作品としては見事なほどの完結性をもっている。 続編などないほうがよい。 そのことも関係するのかもしれないが 永劫回帰自体については さまざまな解釈を与える余地をのこしている。 そして私達現代人の想像力をかきたてる。 宇宙の永劫回帰にこだわっていうならば ツアラツストラは直接そういうことを述べていないが 逆に矛盾するよなこともいってもいない。 結局 永劫回帰の具体的な解釈は 以前として 私達の前に課題もしくは謎としてある。 だから私達はここで話がはずむのです。 ニーチェの時代のことではなく 今の私達に関係するかのように 感じるからです。
643 :
考える名無しさん :2006/12/13(水) 21:51:19
未完だからいいのだろ?ハイデガーにせよニーチェにせよ(その他はぶく) 完成した体系といえばヘーゲル、ヤスパースあたりか? 悪くは無いが面白みに欠けるね。
アレが未完か? むしろ無理矢理終わらせた感がただよってるんだが。
645 :
考える名無しさん :2006/12/14(木) 01:44:18
いやいや、最終稿はいろいろ書いてたらしいが、途半ばで死んだ
646 :
考える名無しさん :2006/12/14(木) 01:51:56
「君は見るだろうか」、 「権力白書」を by Nietzche
最も少ない労力でニーチェの卒論を書くとしたら どの概念についてどうまとめるのが無難でしょうか?
648 :
考える名無しさん :2006/12/14(木) 08:32:53
>>636 ニーチェを先生いう貴方は
ニーチェ教の信者です。
カントが散歩してると
「カント先生お散歩ですか」と村人がいう。
カントは後ろ手にくんでうなずく。
そんな挿絵があったな。
「ニーチェ先生を一番理解してるのは僕です」
ニーチェは髭に手をやり・・・
サーベルを引き抜き・・・
649 :
考える名無しさん :2006/12/14(木) 17:54:35
「道徳を説く梅毒野郎に気をつけろ!」 ソール・ベロー
650 :
考える名無しさん :2006/12/14(木) 18:10:36
>>647 卒論にニーチェを選ぶとは。
まだ書いていないのなら
ニーチェ以外の方がよい。
もう決めているのなら
超人とか永劫回帰はやめたほうがいい。
教授にバカにされる。
651 :
考える名無しさん :2006/12/14(木) 22:12:50
>>644 そのとおりですね。
ベートーベンの音楽に唐突に終わるように感じる曲がいくつかあるが
それでいて不自然ではない。
ツアラツストラが山を降りて行った時
私はほんとうにツアラツスラが現実の世界にやってくるのでは
と一瞬震撼としたけれど。
余韻を遺す終わり方ですね。
652 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 00:22:36
ツァラが弟子に囲まれて死ぬシーンが未完で終了。
653 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 07:51:45
宇宙が無限の無限乗数回も回帰してると空想すると 全く同じことが繰り返されることも無限 それ以外たとえばどこかで交通事故で半身不随になった自分がいたり 別の人と結婚してる自分がいる世界がいたり 自分が生まれなかった世界もあるということでしょう。 地球も存在しない宇宙もある。 あらゆる存在可能性を含めて それぞれが無限に存在するというのはどうでしょう。 大乗仏教を超えられるかな。
654 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 08:55:28
朝からヒマそうですね。 俺もそうだけど。 653さん 神様も自由になるのですね。 永劫回帰から開放される。
655 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 09:03:45
>>648 「ニーチェは宗教」っていう一連の書き込みに対しての皮肉で
わざと先生って言ったり、ニーチェ教徒であると名乗ったりしてるんだろ。
なんで伝わらないかなー
656 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 09:21:08
>>655 そうでしょうね
648は
誤解してるかも
でも655さんの文章は
両義的にもみえるのでは?
657 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 13:03:31
いやでもガチで信者がひとりいるぞ
658 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 13:44:20
最近知ったんだが、ニーチェもヘーゲルもマルクスも「古代ギリシャ」を理想的な 社会だと思ってたんだな。
660 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 14:35:06
そうなると、ニーチェすばらしいよねって言うような人は 古代ギリシャをやはり同じように理想的な社会とおもうのでしょうか?
ニーチェは宗教ではないよ
662 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 14:52:19
ニーチェを信仰してる馬鹿が多いってことだな
>>653 そうなんだよ。どう考えても同じ地球、同じ人生だけが繰り返されるということにはならないと思う。
つーかオレも同じ内容カキコしたんだけどな。
2cnってどのスレも回帰してるよな。
前のレス読まずに新参者が書き込んで、新参者が応えていくっての。
664 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 19:44:20
2ちゃんも変幻しながら回帰する。
665 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 19:49:02
>>659 ギリシアの市民生活を支えていたのは
奴隷制度があったらでね。
マルクスだって召使をこきつかっていた。
みんな砂上の楼閣で
かってなことをいっていたともいえなくはない。
日々食っていくので大変でやんす>< とか言ってる一般人には哲学する余裕など無いのだ。
667 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 20:25:47
ニーチェも兵役のときにそういうところに出入りして性病をうつされた。 女性観については割り引いてかんがえなくてはね。 ギリシアの市民社会なんて男性中心で 女性は入ってなかったろうよ。
668 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 20:40:04
ニーチェをすごいとかニーチェの信者みたいのは ここにはいないよ。 よくスレをみればわかる。 わりとみんな冷えてると思うけどな。
そうだな。 信者ってのNGにしようぜ。認めたくないこと言うヤツに対して悪口言いたい時に使う言葉だろ。
670 :
考える名無しさん :2006/12/15(金) 22:28:17
ニーチェに関してはありだろ。 ニーチェの信者になった時点で、ニーチェの批判が炸裂するんだから。
671 :
ディオニュソス :2006/12/15(金) 22:34:09
@無我縁起をとなえる仏教は自我という迷妄を前提してしまう八識を空であると説く。 仏教は最初から自由意志主体は無いと独断する。A決定論をとなえる健全な論理は論 理的にあり得ない主体を前提してしまうクオリアを説明できずに混迷している。論理 は自由意志主体が無いことをあくまで「説明し切ろう」と試みる。B「主の御心のま まになし「給え」」と祈るイエスは普遍的表現であると同時に肉(自我という偶像を 仮定せざるを得ない感官)を持った人としての罪を背負う。イエスは自由意志主体つ まり偶像が無いことを説明し切ることは肉体という制約を持たざるをえない人間には 最初から不可能であるとし、「原罪」という概念によってピリオドを打つ。 つまり釈迦、健全な論理的思考、イエスの三者は、その表現方法は異なれどもあくま で自由意志主体としての自我を「迷妄」「背理」「罪」つまり本来否定されるべきあ り得ないものだとする「あたりまえのスタンス」であるというところに共通点がある のだ。ところで、「われ思うゆえに我あり」は近代が第一原因という迷妄を実在とし て基準に据えた瞬間である。しかし実はこれは知らず知らずのうちに「原罪」という ものについてそのまま言い表している。ただ異なるのは、原罪の場合 罪(自我)とは あくまで悪しき病であって否定的なものであるのに対し、「我あり」では自我(罪)が 積極的な色合いを帯びているということである。つまり「実在する偶像」として。 近代以降、デカルトのこのような方法でもって「主体としての自我」というものに対 する肯定的な再認識がなされたことで、イエスの言わんとする「原罪性」そのものが 積極的な実在性であるとされてしまった!!。そしてついにはカントに至って「神は 〜である」の「〜である」に関する全く転倒したニュアンスは頂点に達した。つまり 第一原因によって開始された有限世界の神つまり自由意志の神・・・。 「カントにとっての」神は有限の神であり人間の自由意志を間接的に「容認」する。 それとは反対に、中世の神学論争においては「救いは自由意志によるものか、それ とも主の定め によるものか」つまり主は自由意志と真っ向から対立する絶対的な 必然強制力(強制"者"ではない)ものであったということは周知のごとくである。
672 :
考える名無しさん :2006/12/16(土) 07:58:21
信者がここにいる 何信者ですか
ニーチェすげぇーーーーーーーー!!!!!!!
674 :
考える名無しさん :2006/12/16(土) 16:23:32
世の中に対して不満に思うことをいっても、共同体にやられてしまう。 そこでどうしても孤立してしまう。 ある日ニーチェを読んで電撃が走る。 俺がいっていることを、ちゃんと肯定している人がいる。 それがニーチェとは心強い。
俺が絶望感に苛まれている時に出遭ったのがニーチェだった。 生きる上の苦しみを乗り越えるためのものの見方や考え方を たくさん教えてもらった。 ありがとう、ニーチェ。 俺は強くなったよ。 将来、なにがあっても乗り越えていく強さを身に付けたと思う。
「この人を見よ」でツァラトゥストラの名前について語っていたけど、いまいち分からない。
677 :
考える名無しさん :2006/12/18(月) 20:55:19
質問させてください。 口の利けるある動物が言った、人間性とは、少なくともわれわれ動物が 陥っていないひとつの先入見である と。 ニーチェ 曙光 と渋沢龍彦氏が引用していますが、(神聖受胎、文庫版 156P) どの断章なのか番号を知っていらっしゃる方、教えてください。
永劫回帰以外の思想も話してくれよ。
679 :
考える名無しさん :2006/12/18(月) 22:20:19
ニーチェはかつて誰かの内でうまれ、
そのエネルギー(衝動)の強さ故に、
その人の外にまで拡大したものが道徳となったことを知っていた。
ニーチェは永劫回帰という個人が持つ上で究極の、
極限の闘争を生み出す人生観としての永劫回帰を提唱した。
>>599 みたいな人間の弱さをこそニーチェは超えようとした。
いろんな「自分」が存在していく可能性(永劫回帰を前提としてね)がある中で、
全ての自分の中で最も愛すべき自分は、今この人生の中にある私たちであらねばならないのだ。
私たちはこの人生を愛する為に、自分が愛せないところを愛せるようになる為に戦う!
この人生以外のどんな自分よりも、自らの人生に愛を捧げようと戦う!
それが出来ない人は、現世で功徳とされることを行い天国に戻ろうとしたり(アブラハムの宗教)、
内的な理想を放棄する(仏教のニヒリズム)。
つまりニーチェは、
ボーダーのボーダーによるボーダーの為の、宗教だよwww
>>679 >全ての自分の中で最も愛すべき自分は、今この人生の中にある私たちであらねばならないのだ。
>私たちはこの人生を愛する為に、自分が愛せないところを愛せるようになる為に戦う!
>この人生以外のどんな自分よりも、自らの人生に愛を捧げようと戦う!
自分を愛するって、なんかニーチェっぽくないね。
自分への愛じゃなくて、超人への愛じゃないの?
つまり自分への愛ではなくて、自己超克への愛だね。
681 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 01:48:10
>>680 善悪の彼岸:78
「自分自身を軽蔑する者とても、なおやはり軽蔑者としての自己を尊敬する。」
尊敬する軽蔑者としての自分への愛とも言えると思うけど、
まあ、あなたの言い方の方がわかりやすくていいね。
682 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 06:58:01
未だにニヒリズムや「真実などない、ただ解釈だけが存在する」や永遠回帰の思想が、 相対主義や決定論とどう違うのかよくわからない。 決定論や相対主義とは違い、創造性がある点なのだとは思うけれど どこらへんに「創造」の余地があるのかまったくわからん
683 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 08:18:17
創造性がないとしたら固定化されて終了された世界だろ。
684 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 08:34:20
何が固定化してるの?
685 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 08:53:27
そもそもニーチェの切実な問題意識を理解もせずに 永劫回帰が決定論とか創造性の有無とかずれたこと 言ってる奴は、ニーチェと縁なんかないわけだから 平和に日常を生きて死ねばいいと思う
686 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 10:08:11
時間なんて存在しないだろってこと。
687 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 11:44:15
ニーチェの哲学は有神論的実存主義とも言う人もいるな。
>>682 ニーチェの遠近法主義は、相対主義ですよ。
ニーチェ自身、相対主義で結構っていう感じに開き直ってる。
永劫回帰、運命愛は、ある意味では決定論ですね。
ただ、ニーチェは因果的必然性を認めない点では、
因果必然性にもとづく決定論とは異なる。
689 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 19:29:05
>688 まるで炭酸の抜けたコーラのような、あるいは 死んだ犬のようなニーチェ理解だ
690 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 19:54:21
>676 ツァラトゥストラの名前って、古代ペルシャの宗教の創始者ゾロアスターから 名前を借りたもので、ドイツ語読みしてああなったと読んだぞ。
691 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 21:03:34
「相対主義や決定論」て何だ? 別に専門家でもないが 哲学の基本概念ぐらい知ってるつもりだがね 説明してくれ
692 :
考える名無しさん :2006/12/19(火) 23:15:55
何って… 普通にプロタゴラスやスピノザでしょ…
693 :
考える名無しさん :2006/12/20(水) 00:55:40
永劫回帰を背負うことは必然的に決定論を背負うことですな。 遠近法にはある種の絶対性がありますな。
694 :
考える名無しさん :2006/12/20(水) 19:47:41
>>698 そうでしょうね
でも
ツアラツストラは
偶然の出会いや偶然の出来事のたわむれを
いつも楽しんで受け入れているようにみえる。
永劫回帰はわれわれをたとえば運命のようなものからも
その重たさを解き放つことでもあるのでは。
>>694 未来レスをやってのけるとはなかなか超人的ですね
696 :
考える名無しさん :2006/12/21(木) 02:30:43
>>702 そうやってウジウジしていてもお尻の出来物が治るわけではありません。
まずは実家に電話してみたらどうでしょう?
ニーチェ色んな所に首つっ込んできて鬱陶しいです。 ちゃんと鎖で繋いどいてください。
ニーチェのドイツ批判ってドイツではどう受け入れられているの? 日本人は外国人から見た日本批判や、日本人からみた日本批判など、自国批判が好きな国民性があると思う。 だからニーチェのドイツ批判を読んでも、割と普通に読めると思うんだ。 独特の思想が絡んだ批判だから、なかなか紐解きにくいかもしれないけど、どうなんだろう?
同情すべきでないとは思わないが 同情してると思われたくはないな
700 :
考える名無しさん :2006/12/22(金) 17:23:11
というか ニーチェはドイツではどう見られてるか だろう ヨーロッパ圏=キリスト教圏で ニーチェはどう扱われてるかだろう 個人の思想よりマスとしての扱いでは ニーチェの思想はある意味タブーでは?
701 :
考える名無しさん :2006/12/22(金) 23:34:12
我思う、ゆえに働かない ニート
702 :
考える名無しさん :2006/12/22(金) 23:47:15
ドイツがあのような国であるから、ニーチェが形成された 批判的であるが、それが無ければ私が私ではなかっただろう。
703 :
考える名無しさん :2006/12/23(土) 03:55:52
ってゆーかそんなこと言い出したらキリがないし。 あなたの書き込みがなかったら私はこの書き込みをした私ではなかっただろう。
ニーチェがアルキビアデスを賞賛してるのってプラトンへの対抗心からかと思ってたけど 実際に歴史を調べてみるとニーチェの気持ちが分かるわ アルキビアデスの無茶苦茶な生涯は人を惹き付けるな
ニーチェって個人的に見れば、反キリストだとしても もっと、普遍的に見れば キリストが抑圧した悪を独りで背負い込んだ 哀れな狂人 だと思う。 だから、キリスト教をルサンチマンとののしるのは個人的ニーチェ かもしれないけど 反キリストを誠実かつ厳密に言い続けて狂死したニーチェは どちらかというと、普遍的存在、 いいかえれば人間の身体を借りて悪を体現した しかもヒトラーのように暴力的にではなく(尤も、ナチスに影響を与えたが) あらゆる心理過程を精悦に暴きながら悪を殺す(血液によって書く)ことによって 悪を体現した殉教者 のように感じないこともない。 もちろん、非哲学的、神話的思考の中で空想したらの話。 15の時、オーディンらしき狩人の幻視見たらしいね。 オーディンをギリシャで言うなら、ディオニュソスにちかい 若くして、宣告されているような人は、だいたいこんな感じの人になるな
ニーチェを善悪で測るのはどうかと思うなあ オーディンのどこら辺がディオニュソスに近いのかまるで分からんし オーディンはゼウスとアレスを混ぜたようなものだろ
文体からのニーチェ理解について。 ニーチェの著作を心的に感じるかどうかは、その人の人格やものごとの理解方法、 その人が精神的危機を経験したか否かに依存する度合いが高いと思う。特にツァラトゥストラ。 まぁ、どの哲学もそうだけれど、特にニーチェは。 象徴や寓意に反応する人、観念的なものを感覚的に捉えようとする能力のある人 言語を画像化する人、比喩をよく連想する人、性格が二律背反的な人、 そういう人は、ニーチェを内側から感じようとすると思う。 ニーチェの言葉遣いや文体の特徴は、日本でいえば、極端に誇張すれば、 小林秀雄(ニーチェに比べれば攻撃力や悟性は劣るが)に似ている。 逆説やパラドックスが多く、感覚的な文体。 直観を強く揺さぶるから、内容わすれてても、無意識的に記憶に残り続ける。 観念の感覚化というのは、認識する幅を広めることになるような気がする。 そういう風に読むと、こう、魂に染み込んでくる様な読書。 おいしいものを前に出されて、哲学的にピンセットや試験管で実験するでなく 手にとって、食べて、噛んで、味わって、飲み込んで、血液に溶かして、 体中めぐらせて、魂にしみこませるような、読書。
708 :
705 :2006/12/23(土) 20:37:37
>>706 そうですね、すこし無理のある飛躍的な測り方かもしれません。
善悪の均衡をイメージしてるときに、なんとなく、
悪の中にダイヴして、地下を掘り崩して、否定すべきものを否定しながら、
新しい肯定を探し続けているような、そういう人として、独りニーチェが、
人格的に現れたので、よくよく考えてみると、そんな気がだんだんして、
書き込んでみました、。
僕が思い当たった、オーディンとディオニュソスの共通点は、
荒々しい神、本能的衝動的、凶暴な神。
アレスの方がちかいかもしれませんね・・。
というか、ニーチェとディオニュソスを重ねてました。
いやまあ、悪を否定して否定することになって悪の体現者(とみなされるよう)になってしまった、っていうのは分かるつもりだし、 救いを求めるように善悪を掘り下げていく孤独なニーチェの姿も何となく思い浮かぶんだけどね。 ただ自分にとってディオニュソスのイメージは酒と狂乱(による魂の解放)を愛する無邪気で幼い神だったんで、 オーディンのような戦士的の狂暴さとは結びつかなかった。
710 :
考える名無しさん :2006/12/23(土) 23:32:41
私は真夏の正午だ。
711 :
ディオニュソス :2006/12/23(土) 23:49:05
自由意志主体とはエデンの園の善悪を知る実のことである。 創世記そのものは人が善悪を知ってから書かれたものである。 だから人の解釈した神が「光あれ」と意志することでしか世界を開始 できなかったのだ。 原罪。
712 :
ディオニュソス :2006/12/23(土) 23:59:13
絶望は病であって薬ではない。 原罪は克服されるべきものであって肯定されるべきものではない。 主体としての我は本来あり得ないものであってあり得ないものがが事実 実在しているというわけではない。
713 :
考える名無しさん :2006/12/24(日) 00:01:46
>>711 ディオニュソス氏。その話が詳しく聞きたい。
わかりやすく解説してくれ。
714 :
考える名無しさん :2006/12/24(日) 00:06:23
o。_。_lコ<o> |l≡≡≡|ミ|__。≠_〇o 。+ +。。。。。 |l|FFFFFFF|。 。 .。 +|l≡≡≡|ミ|EEEEEEEEEEE|lll| .。+ * o o. |l|FFFFFFF / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 。。oo |l|FFFFFF | 職も彼女も見つからないうちにクリスマスか… /| ̄ ̄ ̄l ::|FFFFFFF \ |ミ|:」」:」」:」| ::|FFFFFF  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |ミ|:」」:」」:」| 〇 FF.。 ∧_∧ |l≡o + +! + 。 〇 + lミl.」」.」〇 ++ + (´・ω・) o 〇 。 o + 〇 。 + __〇___。_゚__/ ~つと)____o______〇__o___。 二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二
715 :
ディオニュソス :2006/12/24(日) 00:06:57
>>713 すまん。
今日はもう疲れた・・。
自分なりに色々と考えてみてくれ。
あれこれ説明するとセロトニンを馬鹿食いする・・。
716 :
考える名無しさん :2006/12/24(日) 00:08:23
逃げたなww
717 :
考える名無しさん :2006/12/24(日) 00:17:37
逃げはせぬわ
>日本で言えば、小林秀雄 比較にならないだろwww
719 :
考える名無しさん :2006/12/24(日) 22:55:20
ディオニュソス氏に質問はやめてくれ よけい混乱する というより 話がくどい
720 :
考える名無しさん :2006/12/25(月) 02:08:24
でも何となくディオニュソス氏が一番ニーチェおたくっぽくて 書き込みも意味深だし、気になるのさ
721 :
考える名無しさん :2006/12/25(月) 02:22:05
>>712 >原罪は克服されるべきものであって肯定されるべきものではない。
ディオニュソス氏。ここが一番気になった。
原罪を克服するとは?解りやすく頼む。
722 :
考える名無しさん :2006/12/25(月) 20:37:14
「ニーチェは、今日?」 ちくま学芸文庫 ¥1300 内容 尖鋭筆鋒の問題 J・デリダ ノマドの思想 G.ドゥルーズ 回帰と資本についてのノート J=F・リオタール 悪循環 P.クロソウスキー
>>721 横レスだが、
反動的類型:奴隷の「怨恨」→「やましい良心」→「禁欲主義の理想」・・・原罪
↑
↓
能動的類型:主人の「夢と陶酔」→(あと知らね)
ネタ元は、「ニーチェと哲学」ドゥルーズ P.212
724 :
考える名無しさん :2006/12/26(火) 20:09:21
「なぜ悩むんだろ。 くるしい。」 「罪があるからさ。」 「どすらりゃいい?」 「罰を受けろ! それは悩み続ける ことだ。」 罪と罰。 ニヒズムの増殖。
725 :
考える名無しさん :2006/12/26(火) 21:14:28
ニーチェが大好きな我々は強さに対して強い憧れを抱くが、 この強さに対しての憧れ=弱さによる苦悩というのは、 罪と罰なのかねーww
726 :
考える名無しさん :2006/12/27(水) 03:42:19
超人への愛こそが罪と罰なのかねーwwwWWWW
727 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 23:55:49
超人は特別なひとではない 永劫回帰を杖にして あらゆる宗教とりわけキリスト教を克服して 宗教とは無縁の自立した人間になることだと 解釈しています。
728 :
ディオニュソス :2006/12/29(金) 22:56:04
私自身同じことを何度も述べるようでいささか阿呆らしいのであるが・・・。 二律背反のテーゼ及びアンチテーゼの論証形式そのものはどこまでも適切 である。ただ問題なのは、本来テーゼ側で言い表されている形而上的実在の 類というものはキリスト教神学においてはあくまで克服されるべき罪(原罪) であって信仰(神の恩寵による救済)そのものとはまるっきり正反対の代物な のであるが、カントの場合このニュアンスが完全に逆立ちしてしまっている のだ。(神・自由および不死) カントの神は有限であり、人間の自由意志を間接的に「容認」する。 一方キリスト教神学においての神は無限であり、人間的自我そのものはどこ までも「死に至る病」つまり絶望のことなのである。 ところで肉としての有限な性質でしかない人間的実存、認識器官そのものの あり方が主体としての自我を宿業的に前提してしまうこの人間的実存がどの ようにして無我を獲得しうるのであろうか? 非弁証法的な冷と温すなわち呼吸。 生きると同時に死ぬことは出来ず、息を吸うことと吐くことを同時には出来 ないのであれば自我においてもまた云々・・・。
729 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 22:59:25
月火水木金土ニーチェ
730 :
ディオニュソス :2006/12/29(金) 23:20:44
頓馬どものために一応言っておくが、「即身仏」とは洞窟に無理やり閉じ込め られてミイラにされた爺様坊主のことではない。 そうではなくて、即身仏とは生ある身でありながらそれとは真っ向から矛盾す る無我をどうやったかは知らぬが生理的なレベルで獲得してしまった者の意味 である。つまり覚者のあるべき姿そのものとしての「生き仏」のことなのだ。
731 :
考える名無しさん :2006/12/29(金) 23:45:22
>>730 >即身仏とは生ある身でありながらそれとは真っ向から矛盾する無我を・・・
だから矛盾なんかしてないんだって・・w
人間はもともと大日如来と同じ存在なのだよ、
空海によればね。
732 :
ディオニュソス :2006/12/29(金) 23:57:17
人間はアダムとイヴの原罪により自由の刑に処されている。 自由の刑による一切皆苦の輪廻から生きたまま解脱することは可能か? すなわち罪の許しによる涅槃寂静「無我」の境地は可能か? 科学も含めた俗世の諸相は未だガウタマ王子やナザレの青年イエスの掌中 にある。
733 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:03:03
なんですかい?結局、仏教に帰結すると?
いやしくもニーチェスレで、 「ディオニソス」を僭称するバカりか、古の宗教の始祖に言及し、 その無様な精神的短躯を、仰々しい雅語による幻像と置き換えて、 2ちゃんという虚空に投影しようと試みるとは、見下げ果てた侏儒の 所行でないと、誰が言えようか。
735 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 00:40:59
>>732 >人間はアダムとイヴの原罪により自由の刑に処されている。
>自由の刑による一切皆苦の輪廻から生きたまま解脱することは可能か?
おいおいディオニュソスさん、
キリスト教とサルトルと仏教をごちゃ混ぜにするなよ・・
無茶苦茶だ・・
おまけに仏教を誤解してるみたいだし・・
仏教の解脱は「輪廻から」の解脱なんかじゃないでしょうに。
736 :
ディオニュソス :2006/12/30(土) 00:49:50
はいはいそうでちゅか・・・ おまいらうっとーしいからどっかへ飛び散っちゃってください
737 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 07:08:02
無我の獲得などで解決できん。
738 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 07:10:47
ニーチェ風にいうと忘却か。
739 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 08:23:58
ディオニュソスさんに おもしろいから楽しいんでいますが 貴方と議論しても仕方がないと思う でも暴走はやめてね
740 :
考える名無しさん :2006/12/30(土) 15:59:08
ディオニュソスさんは超人さんですか?
741 :
考える名無しさん :2006/12/31(日) 21:43:35
ディオニュソスさんは自分が超人になれるかもしれないと 思っているのでしょうか 行く手は遠いですね
742 :
考える名無しさん :2007/01/01(月) 10:48:33
真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。 /^0^\ヤホー
僕は超人になりましたよ…。
744 :
ディオニュソス :2007/01/01(月) 23:39:56
1・思考は価値尺度を変化させる。 2・価値尺度が変化すれば事柄に関する諸感情の配置もまた変化する。 3・諸感情の配置が変化すれば例えばアドレナリン等の内分泌系の実生活上の 配置などといったような生理的配置もまた変化する。 4・内分泌系の配置などが変化するのであればそれは身体機能そのものに何らか の影響をもたらす。 結論:思考は身体機能そのものに影響をもたらす。 例えば認識論や実在論などの原理にまつわる考察によって、その思考の度合いや 性質に応じてそれとは別様に考える人々の間では決して起こらないであろう密か な喜びやらもどかしい感情やら理不尽を感じる際の怒りやらが必然的に派生する であろうことは経験上確かなことである。思考の連続がたとえごくわずかずつ であれ今も常に器官をマッサージし改変し続けている。 「私〜私」間に無限に開いているように見える質的な断絶を乗り越えるための 微かな光明。思考を開拓することの具体的側面。しかしそれ故にこそ身体機能 にとって破壊的な効果をもたらす負の側面も存在するということである。すな わち多様な感受性は統合されている力を支離滅裂に分散させるのだ。(憔悴) それらの解毒剤としての身体行動とりわけ発汗を伴う肉体鍛錬(鈍磨することで 健全にする)。
なるほど
超人はルサンチマンを完全にゼロにした人。 ただ、怨恨は感情であり、ゼロにするのはかなり難しいので、 永遠回帰という宗教を持つ事でそれを達成する。 全ての現実を受け止める事ができ、他人がいくら成功しようが気にせず、 今の自分をありのまま高める事ができる人。 すなわち超人になれば、ホームレスになろうが人生を楽しめる。 超人って最強。 本読んで、超人ってこんな感じだと理解したけど、合ってる?
747 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 11:33:35
>>746 じゃあ聞くけど、永劫回帰を抱くことで怨恨を完全にゼロにするってどういうことか詳しく説明出来る?
『「おしまいの人間」と「没落を欲する人間」というニーチェの用語法を混同してはならない。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 前者は反動的生成の最後の産物であり、意志することに倦み疲れた反動的人間の最後の保身術である。 後者は選択の産物であって、これは勿論おしまいの人間たちを通過するが、そこで立ち止まることはしない。 ツァラトゥストラは、能動的破壊の人間を歌う。 「私が愛するのは、認識するために生きる者、いつの日か超人があらわれるために認識しようとする者である。 こうして、彼はおのれの没落を欲するのだ。」 ツァラトゥストラが言わんとすることはこうである。 私が愛するのは、力(への)意志の認識根拠としてのニヒリズムに奉仕しはするが、力(への)意志の中に、 人間を克服し、従ってニヒリズムを克服するような存在根拠を見出す者である、と。』 ドゥルーズ「ニーチェと哲学」p.251
『「おしまいの人間」と「没落を欲する人間」というニーチェの用語法を混同してはならない。 前者は反動的生成の最後の産物であり、意志することに倦み疲れた反動的人間の最後の保身術である。 後者は、選択の産物であって、これおは勿論おしまいの人間たちを通過するが、そこで立ち止まることはしない。 ツァラトゥストラは、能動的破壊の人間を歌う。 彼は克服されることを欲し、人間をこえてすでに超人への道を歩み、「橋を飛び越える」。彼は超人の父であり、祖先である。 「私が愛するのは、認識するために生きる者、いつの日か超人があらわれるために認識しようとする者である。こうして、彼はおのれの没落を欲するのだ。」 ツァラトゥストラが言わんとすることはこうである。 私が愛するのは、力(への)意志の認識根拠としてのニヒリズムに奉仕しはするが、 力(への)意志の中に、人間を克服し、従ってニヒリズムを克服するような存在根拠を見出す者である、と。』 ドゥルーズ「ニーチェと哲学」P.251
唯我論≒仏教的境地 前提を否定するのも程々に
751 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 16:17:10
換言すれば、権力への意志=真理への意志なので、 真理の獲得=人間(ニヒリズム)の克服で、 ツァラトゥストラが愛するのは、真理を模索する頑張り屋さんな哲学者でok?
真理を模索するとかやめたら?ってニーチェ先生言ってたよ。
様々な解釈があっていいと思うのだけど、最近摘み読みしている「ニーチェは、今」から少し引用すると、 「ドゥルーズは、つまりクロソウスキーは、《力》を《強度の量》、《力への意志》を《強度の感情》だと 捉えて、それが《永遠回帰》を構成するのだと言っているのである。」p.96 「ニーチェ自身の生理学によれば、力への意志ではないような意志はひとつとして存在しないし、 その観点からすると、意志は、本源的な衝動以外の何ものでもない」P.97 「こうして、ニーチェ、ハイデガー、クロソウスキー、ドゥルーズによって示された観点、 すなわち、《力への意志》を衝動、情動、パトスとみなす観点に立つならば、そして、 《永遠回帰》という悪循環によって自我が乗り越えられ、解体され、自己同一性を喪失するのだ ということを認めるならば、もはや意志するのは自我ではなく力自身であるのだから、以後、 《力への意志》は《力の意志》として理解されなければならないだろう。」P.99
754 :
考える名無しさん :2007/01/02(火) 18:19:49
問題は自我が力への意志をどうやって 取り違えているか。 非常に不完全な動物だがそれを乗り越え ようとせず受け入れようとさえしている。
755 :
『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』 :2007/01/02(火) 21:53:47
『我説的解読論による、多方のより彼方に見渡す“良い”眺め。』 《――ブエナ・ビスタ――【力故の意志。】》 目録1・・・・ 【力への意志への歩み寄り。】この事柄の解読と解釈との理解に何より必要なものは、より長くと遠くを見渡せる目と幾らかの勇気で或る。。 嗚呼、いよいよをもってして幾らかなる見通しの見解が整備され準備を構え、ただ解釈を指し示す者をたたずんで待ちわびる・・・・・。 今だ、その道筋の大半は闇に隠れ、その倫理を見渡した限り。 その差異に極度を越えた予感を“予め”感じさせ。 その冷えきった時を幾重にも身に纏い。 その結晶であるかの如く。 その佇まいはさながら樹氷を彷彿と漠然に意識と知覚の連動を無意識的に完結させ沸き上がらせる・・・・。 我々は今ようやくその節度と風習の道徳をも自己と切り離し。 何故に今を以てしても更にそれらを殊更に度外視する程の必要性を、否、何故にその必要性なる要因をその問いの発生起源に置きすえ。更に我々はこう主張するに至る・・・・・・。 つまり我々は幾度もの迂回を余儀なくされ。 此処にきて、ようやく我々人類はこの硬く冷たい。 一つの“危険”に我々は触れるを自らとその解釈の内に押し止める事を終に許したのでは無かろうか? だが、諸君、些かの困惑と誤解を与える指南をあなた方は此処に立ち尚の事、更に彼に求めなければならない。 そして又、幾らかの明るさを持ってこの思想を見通したとしても、その細部と彼方の果てには今だ光届かずに、暗く仄かに湿っているだ。
756 :
『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』 :2007/01/02(火) 21:55:29
2 その深く暗い、思想の深渕を、いざ楽しまんとし。 事と見解の解釈による算定されるべき目論みの、否 それこそ方向性やら、もっというなら会話に置ける。 趣旨と求める利害の一致が更に不味い遣り方を煽り。 未熟なままで或る事を良しとする。 これはあくまで私の一つの推測だが。 ようするに私はこの眺めから身を委ね。 更に良く対象となる概念と相対する場合に或る、原例法とも呼べる。 そのような手法が果たして存在可能な一つの憶測に纏めあげ。 又更にその倫理の説明をより円滑にし。 多少滑らかな解釈へと移行可能な想定であろうかどうかと手順と道筋を繰り返し反復する事を自身により良く行なっている事を最近になり。認識しはじめた。 殊更、既により多くの不信者を“通例”とみなし。 離別する心構えさえ取り入れた。 取り分け自己と比べて見ても 感覚的な距離をその観念との差異であり。即ちそれこそ距離であり。 まさにそれこそが無理解と理解へ分け隔てる。 一枚の扉だとも彼らはしきりに言うのだが・・・・・・・。
757 :
『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』 :2007/01/02(火) 21:57:41
3 だが既に私は其処では何も見入出さない。 ならば、このような連中には予め誤解のための遊戯場や運動場を認めておくのがよろしい。 そうすればなお笑うこともできよう。――或いは、彼ら、この良い友達を全く追い払うこともできるよう。―――そして又笑うこともだ! フリードリッヒ・ニーチェ著・善悪の彼岸より引用。 より、多くの人達に当てはまる事なのだか、彼ら多くの人たちはまるで自らの理解に関心が無い事に幾らかの気配りが行き届かず。 事その始末の最終的となる末に、その形態を保つ為に自らの概念に築き挙げた思想家の多くの文面に残し記した。記号はより、哀れなままで風化する事望む。 如何に我々が“誤解”を尚自らで生み。 何故に今更になり、我々は理解への解釈より寧ろ。 “誤解”への解釈を求めるのだろうか?! 理解不可能な観念感と概念感の複雑に絡まった思考可能性への理解へのやり取りを無理解的な誤認であると認めるよりも更に尚更良い方法は我々は良く 誤解している事を、又は自らで予めその誤解を用意している事も同時に認めなくてはならない。 理解する事の方が些か妥当な対処の様に思える・・・・・・。 『解明され理解の側に取り入れられた事柄は、もはや我々の“関心”を引く事を止める。』 フリードリッヒ・ニーチェ著・善悪の彼岸より引用。 諸君らにこの一連な大まかな流れに真直ぐに横たわり一筋の道筋が予見できようものか?!
758 :
『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』 :2007/01/02(火) 22:02:32
目録2・・・・『走り出す作用とそれに付き纏う結果そして最後に来るのが要因』 1 作用を及ぼす結果が見られる場所では常に其処に在り その要因なる因果をその作用に作用を与える概念は 一つの因果と報復を、 同じ発生源をその起源に 共有し全く同時刻に報告された。 二つの異なる起源に端を発する、 この出来事となった現象は解りやすく噛み砕くと。 “因果”と“報逢”更に“起源”と“要因”の類似的形態に多くの共通点を その性質に多く重ね合わせ。 それでいて伴にその作用が及した。 結果およそこのような現象が引き起こされた事で或るとの解釈を差し出す。 それでは些か複雑に幾つかの推測と憶測が絡み付いて自体をややこしく見立て挙げるが、一見このアンビバレンスとも呼べそうな。 同じ空間で同時期にその中の関係で成立する事が可能なその根本的理念の発想が既に異なる二つの概念が、略同じに生じた一つの作用を中心に据え置き。 力点にし発生しその効果が認められた結果をもう一つの点を造り。 それが作用点となり、 その後に表れる“要因”を接点に繋ぎ、殊更にその事実を要点と解釈されより多大な理解解する働きを与えるのである。 殊の外、上記に記した記述以外の何らかの思考を経由してその事物全体。言語的な比喩を用いるとより遠くより高くに意識を飛ばし。 その上方なる眺めの視点から、より長く横たわる全て見渡すのは、何より難解である。 いよいよ、この『力への意志』の中枢に渦巻き混在するその観念は時折に不安定にして不明確な道筋を私の目の前に幾つか残していった。 その思想に置け主体となり骨格とも骨組みにも似通う印象をその思考の組み立てを幾つかの段階に分け細かく区別し、 さらにより洗練された形状をその観念に醸し出す。 核となる観念と解釈が交差する程の余裕と余地が 僅かながらに我々に或る事を良く確認して貰いたい。
760 :
『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』 :2007/01/02(火) 22:14:53
2 我々が尚もよりこの世界についてより多くの言葉を 与えて語らせたいのなら、どうであろう? その世界と称し、漠然さを歪曲して。 この開かれた世界の雄大さの賜物だとも 我々は勝手に誤認とでも 誤解としでもその後なら 幾らにでも解釈の施しが 出来る通例的な事柄についてですら平気で理想で あるだとか理念などという自己欺瞞的に創作した 解釈の寸法を押し付けながらも、 この世界と未来と向かい合い投影する。 その意志が意欲するもの全ての存在に限られ今まさにこの門は我々の眼前に無頓着に無関心なままに開かれたままなのだ・・・・。 結局の所、我々に与えられたものとは、 突き詰めると情念と呼ばれるものか情熱と呼ばれる 不確かな概念かまたは 観念的な形態を模様し その視点のままでしか 我々が他者を必要であると信じる時その時には 概念と意識はまさに此処と其処が交差する瞬間でしか存在する事は確認出来ない。
761 :
『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』 :2007/01/02(火) 22:16:40
更に其処以外の実在性へと自己投影した所でその実在性より更に上方や下方への移動を可能にする事が 何一つ選択の余地にすら持ち込まれず。 殊更に不可能な欲求だというのならば。 恐らくこの思惟する事すら欲求に基づいた衝動によりその相互的に作用しあう。 関係の中でしか確立と成立の実証を保つ事が自体を 証明することが既に数少ない試みの意気込みと精神に重くのしかかり後を引く。 問いを抱き、軽めに聞き出そうとした・・・そんな気がしたんだ。 仮層よりも実層の方が常に我々に高い評価を与えてくれる。 結局はこの情念からなる捻以上からは逸脱出来ずに 伴に共通な「実在性」の中で関係を 成立しこれがやがては有機的機能全体の自己規制ならびに全ての生の生存に不可欠な循環をその形態に模写した。 更にこの循環を形づくった観念の集合体は相互的な やり方で総合的に一種の衝動活動として結びつけられるさらに後には様々な形容式の模範的な役割を果たし。 その形容式自体に還元されうる。
この人どうも外人ぽいね。 ちょっと英語で書いてみてよ?
763 :
『自己解釈的ニーチェ論』bor.1.『力への意志。』 :2007/01/02(火) 22:20:05
3 我々が尚更に我々の意志の根本と原因性を信じる事に値する事であるかどうか? 更に追記するなら、我々の意志が何らかの原因性を持ち作用引き起こす事により 一つの原因性を意思の作用が引き起こす事が可能な事だと言う事を信じるに 値する程の価値があるか? 又は算定し算出できた位と同じ程度の効果はあるのか? と言う問いを試みなければならない。 意思は許より意思に対してのみ結果を見つけだす事が出来るものであり。 つまりは結果が見当たる 場所には必ず何らかの意思の作用が働いていると言う 憶測は容易に意識の上に引っ張り出され。 その結果と要因は安易に理解せうる事と出来よう。 その根本形式を機械的な生起に目を向ければ、正しく機械的な作用を往復する限り、即ち何らかの意思の痕跡が見受けられ。 手短に折り畳んだ解釈の全容はこうである――――。 我々においての全衝動活動生活を意思による唯一の根本形式である事とする仮説を此処から先へと見通し。 更にその仮説そのものこそ『力への意思』と呼ばれ。 ある種の認識において極めて段階と過程を踏まえた押し方められた、 形容式に乗っ取り論じられた議論であるかと単衣にただその情念と情熱の内に或る世界に感服の捻と尊敬の捻が時折、宙を舞う。 そして『力への意思』の――――形成および分岐となる道筋を説明可能な方法論でまとめあげ、又それにともない全ての有機的機能が力への意志として還元され さらに養分や生殖の問題さえ解決可能な解決法が見入出されたならば、 これにより全ての結果を 引き起こす力を或る一定義であるとするならば・・・・どうであろう? これこそ『力へ意志』とし規定する権利を保持する事になろうとは・・・・・・・諸君、どうであろう?あなた方は自らの意志により作用を引き起こすだけの強さを所有するものであろうか!? 意志が求める最高の権力とは、何よりも高くさらに遠くまではっきりと見渡せる。 最高のブエナ・ビスタの眺めの中に立つ事だ。
764 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 19:29:12
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』 演奏曲名 《サンキュー・ディオニッソッス》 あらゆる悲劇からの 典到の微睡み―――遥か先で横たわる喜劇の喝采 宴目1・・・・・ 『苦痛の系譜・記憶と意欲。』 “反感”それは負の代償としての報酬を支払わされる・・・・・・。 それには更に長く、悲壮と悲観するこの先を憂いその頬から下方へ零れ落ち。 そこから眺め見る世界を 歪ませた。 遣り切れない虚脱感に支配された一つの意志だったのかも知れない・・・・。 諸君らに尚の事今ここから問い正したい。 我々が常日頃、我々により与えられた人類史上最もな“価値”を有するものは?と説いただしたならば・・・・・ 恐らく、大半は女、子供が挙って大手を降り意気揚揚と丸で全てが滑らかにその精神に飲み込まれるかの如く。 命であるだとか愛であるだとか、金であったり・・・。 それこそ数限り無く連鎖し無限に反響しあう。 この日常なる世界で極稀に出会う素晴らしくその実像から脱線し それでも素敵な世界であろうと我々に催眠術をかける様に囁かれた戯言達が一斉にが飛び出してくる事だろう・・・・。 “反感”の代償として支払われた報酬・・・・・。 “理性”・・・どうやら我々がこの何やらとんでもない虚栄張りと虚無を振り回し度々煮え湯を飲まされる事も幾度か経験した事だろう? 我々の意識には決して上がろうとはしない或るとても古ぼけた記憶を書き留めた痕跡が或る。 我々の記憶としての起源に極めて精確に究めて冷淡に迫り、その分析に基付いたある推測の一見だ・・・・。
765 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 19:31:29
『我々がどういう遣り方でもってこの“理性”こいつを発見し発案したか?というよりも寧ろ。』 『如何にして我々は“記憶”する事を覚え。そして我々が一番、その“記憶”に留める事に仕えたか??』 我々が最も良く“記憶”としてその記録を保持する事に最大の功績を与えたものは・・・・・・。 “苦痛”この言葉が与える印象、それそのものであった。 我々は“苦痛”を一度、経験すると二度と忘れえない又はその記憶を保持しようとする能動的な意志の作用により(この苦痛が本来、意志の意欲として発展し後に記憶として留められた本来の意志の記憶である。) 意志の能動的で積極的な 効能により終に我々は一つの道具を身体に取り込む事に成功した。 そこに至るまでの道筋を、幾分、感受性を解放する事に何ら抵抗なく躊躇う事にすら無理解を示す事の可能な人がもし在ったなら。 しばし、思いを馳せるが良い。 さぁどんな憶測が示され、意志の記憶を明るい意識の麓に曝け出しついには消え去り通り過ぎる事であろうか?! 我々が最も良く記憶の中に宿したもの・・・・・。 それは、あらゆる“苦痛”と呼ばれる種であった。 殊更に刑罰について深い洞察をした事の或る者は、恐らくそれ自体、強行する事自体がひどい苦痛を伴い人間憎悪の捻に満ちる一幕だったに違い無い。
766 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 19:35:36
宴目2・・・・・ 『健却と忘却・全ての価値を再び呼び戻すのは精神に置けるほんの一掴みに握られた《白紙状態》』 如何に我々がその宝を手に入れる迄に掛けた時間とその中で作られ与えられ 配られた無意味な苦しみの姿を!! 今この瞬間に流れる時代に何と滑稽に不躾と映る事か!!(人間が激情し憤怒するのは実は苦痛や苦しみそのものでは無く、人々が目撃者として偶然立ち合った際に見る光景の中にある。) それは殊の外次ぎなる事情によるものに違いない。 『人が激情し憤怒するのは与えられた苦痛ではなく、人々により与えられた “無意味な苦しみ”である』 それではここから先はより“反感”(ルサンチマン)そう呼ばれる観念について やや深く自身により掘り下げ自らの解釈を進んで提示していく事としたい。 『人間とは一本の木のようなものだ・・・光を浴びるよう上へ上へ身体を伸ばそうものなら、その根は更に力強く闇の中へ伸びなければならない・・・・。』 一体どの木の幹からあのように純粋な新しい種類の愛が育ったのだろうか?! その木の一番最上に鮮やかに咲き誇り咲いた愛の花を辿った時・・・・・。 その根が根付いた場所を知る事があろうものは、 幾らかの不信の面持ちでその花と向かい合わなくはならない事であろうか?・・・・・・・。 その花が根付き、育ったのはまさしく闇の中であり、まさしく人間憎悪の最も深い懐でその花は咲いた。 一体誰がこんな事をなしえるのだろうか?! この人間憎悪の最も深い深渕で最も偉大なる“最も精神的な復讐劇”をユダヤの民はそれこそ価値転倒の遣り方でもってして自らの復讐を遂げたのだ。 能動的に意欲し、殊更長い復讐劇の下地を丁寧に編み込みそれを彼らは実行したのだ。 彼らにより価値は新に創造され作り替えられた。 諸君らにはあれが解らぬのか?その背後には二千年の歴史を所有する。 彼ら僧職的民族の最も暗い憎悪の記しを残し(今尚、僧職者達に歯軋りを引き起こし最も精神的な深い所で根付いている感情は自らの無力さそのものである。)
767 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 19:39:48
更にそこから価値転倒によってのみ自らの無力しに対する腹いせをする術を心得ていた。 さらにそこで彼らが実行した復讐劇とは“最も精神的”な復讐であり。 極めて明確な目的に向かい健やかに上昇し。 そして、その一つの能動的な所用の仕方から、もっと適切な言い方で表すならば 一つの目的として繰り返される過程の断片として、 その一繋ぎからなる意志を意志して、(これこそ彼は自らの自由であると自覚し) 更に上昇を辿る風向きへと向かいその所用を彼はこう呼ぶのだ―――― これこそ我が意志に内在し衝動となり自らのを自由に駆ける事を突き動かす所用であると!! 即ち、意志によるさらなる力への意志、これこそが我が意欲そのものである、と。 忘れえない“苦痛”の記憶これこそが意志、本来の意志の記憶である、・・・・ とするならば我々が今日までに認知しその解釈の懐を広め一つの長い歴史の体系をその背後に思い霞めるならば、即ち道徳やら刑罰と いったある種の禁欲主義的な遣り方で自らを良く調教して来た事を自らに認めるならば、それは一本の糸を手繰り寄せ紐解く事にも我々は手をかざせるであろう
768 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 19:48:06
宴目3『我々が我々人類に課した元来の命題。』 《契りを交し尚且つその規約に反する事無き動物を調教し数を増やす事。》 この一筋の奇怪なる道筋に解釈の余地を尚、与えるならば、このように呼ぶことが 今尚、我々に否!我々、人類に必要な事柄であると認めるのか?――――――― これこそが我々、人間が元来自らに課した命題であると・・・・・・・ 即ち、我々の過去を今だ長い過酷な偶然に縛り付け。殊更に我々のような今日においても一人の認識者として、その所用を見渡かぎりにほとほと呆れさせ、 殆ど無意味とも思える苦痛を 与える事が今だ刑罰の目的であると信じる者を見る。 度に私はその顔を悲痛に 歪め、嘔吐をもようさせる。 現存する苦悩の奥深くに横たわる遺恨の捻にしっかりと根付いた通例的な課題であると!? これが今だ我々の眼前に 直視されうる『責任の系譜学。』だと言うのか!? 刑罰による刑の執行、今だその低劣な倫理に縋り付き更に刑罰を一つの作用に よる結果であると信じきり。 つまりはそれが一切の出来事の背後を支配し全ての作用と結果を説明可能な要因であり。 その作用を引き起し支配し統治する“力”こそが秩序である、と主張する多くの道徳者達に一貫して共通する事を前提に与えられる極めて正当な評価とは、 彼らの多くはそう、今だ“低劣”な人間である、と言えよう。 およそ深い洞察をもってこの世界を覗く事にすら もはや躊躇わない大胆な解釈家はその眼下に口を広げ深い闇の中に降り立ち その淵からの眺めに思わず失笑するであろう。 そして尚更、孤高を密やかに意志し 気高くもその闇の更に奥を覗き込む事であろう事か!! 恐らく、この自らで善悪とやら刑罰だとかを自身の 価値尺度により算定する事を試みるのだ
769 :
考える名無しさん :2007/01/03(水) 19:49:57
>>744 ここで、「思考」の代わりに「理念」を代入せよ。「理念」こそ「価値の尺度」の「転轍手」なり。
「人間の行為を直接に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。
しかし、『理念』によってつくりだされた『世界像』はきわめてしばしば転轍手として軌道を決定し、
そしてその軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。つまり、
『何から』wovonそして『何へ』wozu『救われる』ことを欲し、また−−これを忘れてはならないが−
−『救われる』ことができるのか、その基準こそが世界像だったのである。」(M.ウエーバー「宗教
社会学論選みすず書房1972年10月25日p.58)
そして、これは世界歴史で見られることだけでなく、われわれの「改心(回心)」や「目から鱗」
などの現象をも説明することが可能となる。
のみならず、われわれの日常性の中の非日常現象と再度の日常化現象(カリスマの日常化現象!)
の説明にもなる。
すなわち、「われわれは現実世界を
(A)「異質なものの絶対的に一回的な継起
(B)「同一なものの繰り返し」
という互いに融合しえない根源的な二重の視点から見ている。」(中島義道「後悔と自責の哲学」
河出書房新社2006年4月30日p127)
「ほとんどの人は大部分の時間(B)の世界に留まり、時折魂を揺さぶられる出来事(Ereig
nis)に遭遇して、ふっと(A)の世界を垣間見、だが、「生きてゆかねばならない!」という
びとともに以前のように「同一のもの」を計算する生活(物質的ならびに観念的な利害関心の支配
する日常生活)に舞い戻る。」(op.cit.p.129)
770 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 19:52:57
彼の内在し自らの存在を意志の結果により確信うる、 この人間はある一つの祈りにも似た意欲がその意志の記憶と異なる場所を見据え この人物はまさしく独りの弱者の如く自らの意志が目指す場所を見つめ更に願うのだ・・・・・ 今だ人と動物が共演する舞台の上でまだ人類は“悲劇”的な退化の踊りを演技しそうでもなければ我々の 意志の後退の筋書きを並べた脚本が書かれた“喜劇”を皮肉にも稚拙に演技する事の単純さを利便とし受けと取り。 おしまいの人間達が飛び跳ねるこの舞台で小さく踊る事を願う事を彼らは快適と呼びそれがなによりもの我々の“悲願”であり。 幸福な出来事だ信じる事に値する一つの目的と意義だと言う。 すでに彼の意識は其処にはない。 彼の意志の願いとなり 殊更強い意志を必要とするその場所に彼を何よりも引き付けて止まない 一つの意欲的な言葉は・・・。。 愛から繋がる事は全て 『善悪の悲願』で結ばれる・・・・ ・ この事すら彼は本気で願うと言うのか!? この不道徳を良しとし。社会の混乱を尚更に増長し。 更に自分以外の無神論者を横目を使い鼻で笑い失笑するのだ!!・・・ この独りで在ろうと意欲するのだこの男は!!
771 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 19:58:33
宴目4『貴族的価値法定式とその逆到までの倫理。』 価値転到との試みと言う 自らにより価値を創り替えると言う地上最も大胆にして高貴な手法により 《反感》(ルサンチマン)と呼ばれる彼らにより初めて実行された この地上において最も静かに執り行われ。 さらに最も用意周到にしてその復讐の捻をひた隠し 自らの腹いせと復讐を遂げた事を其処までに至る 過程となった筋道を引き返し辿り。 其処までに見て取れた。 我々に取って最大と価値と呼べる功利といえば。 それは恐らく彼らが 最も精神的な遣り方を持ってして その自らの復讐を遣り遂げた事であると言う事に 一体誰が異義を称えようとするものか!? 尚更に、このユダヤの民取り分け《ルサンチマン》と呼ばれた彼らがその精神を巧みな細工を施しその意志を偽装し。 それにより初めて可能となった。 この“価値の転倒”の試みのそこまでに至る迄に続くいく通りにも編み込まれた細かい道筋とその一つ一つの道に残された事実を拾い集めるだけでどれ程の根気と情熱を浪費する事か!!
772 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《曲名サンキュー!ディオニッソス》 :2007/01/03(水) 20:01:37
この《反感》(ルサンチマン)なる感情を自らに見入出す事が尚、可能であり そのような精神構造に変化し対応の応用が効き 更に元来的に又は先天的に与えられ育てられた人格に宿り育だつ為に用意された。 一つの高貴な精神の持ち主は「良心の疾しさ」を持ってして《反動》を認識出来る精神の持ち主である。 ようするに《反感》の感情を抱く事が出来るのは「良心の疾しさ」を発生起源に持つ者のみである。 更に筋道を追い遡ると 彼らが《反感》(ルサンチマン)そのもののに与えた性質と要因は意志が受けた事による“苦痛”で或るとする (この辺りの解釈はツァラトゥストラの中で何回も教祖が講釈滴れている事なので敢えて厳密な補足は殊の外省くが。) つまり《反感》に作用し その能動的な意志が記憶した事とは意志が忘れえない“苦痛”そのものである。 更にその記憶を忘れない為ではかく寧ろ逆のやり方で その意志の苦痛を保持し 続けようとする、意志が持つ本来の能動性により。 我々はようやく記憶する術とその応用となる性能を覚えた。 と言う事を思い起こせば 直ぐに理解出来るだろう?。
外人釣れたよ。
よくわからんがユダヤ人に学べということかな? タルルートを学べと。
>>774 ホントニコマッタンガー
……じゃなくてタルムードだろ。
そういえばタルルートで性的刺激を受けて興奮した覚えがあるし、タルムード入門みたい結構厚い本も読んだ覚えがあるが内容は忘れた。 ニーチェも何冊も読んだけど忘れた。 タルルートくんのエッチな絵しか思いだせないな。
777 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》 :2007/01/03(水) 21:48:04
宴目5『価値転倒までの道筋と帰り道。』 《第一段階、屈伏を余儀なくされた囚われのカルマ》 一つの仮説を主軸に据え 順を追い構造的に組み立てていくとおよそこうである。 我々の意志はその過程の 当初まだ人類が理性と呼ばれるものを発明し発見して間もない頃に意志が“苦痛”であると感じ取った。 概念とそこ迄に至る経過の一切を意志により忘れる事の出来ない記憶であるとその記憶を保持することに 意欲し。 こうして意志が“苦痛”であると感じた一切を意志の能動的な作用により記憶に残した。 其処ではまだ精神には何も留まってはいない。 あらゆる“苦痛”にひたすらに耐え。 その更に先で身体と精神はその苦痛を同一視し同化するために消化する度によく発達していった。 やがて、記憶と理性を手に入れた頃に次ぎなる“苦痛”と受け取れる感覚を意志は嗅ぎつけ(殆ど、無意識的な本能によって意志は苦痛となる要因を詮索しているのではなかろらうか?) その後になり復讐と言う概念感が成立し跡を追い発生して台頭した。 ※1そして是が“復讐心”と呼ばれるそのものである。 その意志が受けた“苦痛”を我々は殆ど意識の上にあがる事なく意志と精神が相互に重心を保ち巧く技巧し精神は消化していった。
778 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》 :2007/01/03(水) 21:50:30
《第二段階、動乱!!獣を野に放て。》 そしてその意志が再び“苦痛”であると認識し 又、尚且つその“苦痛”を我々の意識極めて表だった面にあげないように精神は技巧させる術を会得した。 精神が求めて獲得したもの・・・・それは一つの自由で在った。 更に詳細に事細かく注意深く洞察すると。 意志にもたらされた。 “苦痛”に“復讐”を自称するように仕向さらに 仮面をかけその姿を偽装し欺いたものは他でも無い 精神そのものであり 更にその功利が認められた 一切の所用となったものは自らが求めそして奪って 獲得したもの即ち“自由”によって初めてもたらされ功利である。 何故に意志の“苦痛”に よる報復を“復讐心”へと偽装し欺いた事が 何故に精神が如何様なる 理由で“自由”である事であろう事か?と疑問視する声も在るだろうが、 取り敢えずこう。答えよう――――。 この地上においてこの時の、この時代においての取り分けこの時代に置ける ユダヤの民において突出し所有してた。 その精神は、自らにより 自ら受けた“苦痛”を報復する為に“復讐”へとその姿を偽装し、 それこそ真、奇怪なやり方だがそれこそ大胆にも “自由”に自らに映し出された“姿”を偽装したり。 又、その形容を巧みに変化させた精神は是までの地上にはに無かったであろう!! 更に言うとこの時代において、今だにこれほどまでに“自由”で高貴な“精神”は発見されてはいなかった!! 補足、ならば何故にこの精神は自らの苦痛を押し付けがましく偽善的なやり方で持ってしてまで復讐心へ向けて偽装し欺く必要が在ったのであろう? ―――――それは殆ど間違い無く“良心の疾しさ”から自ずと生じてきたものだろう・・・・・。
779 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》 :2007/01/03(水) 21:55:10
《最終段階、これが生きるという事であったか!!よし、ならば、もう一度!!》 さぁいよいよ終わりの時が近づいて来た・・・・・。 それから、もう一度だけ 今これから語ろう・・・・。 今一度、思い出して欲しい。 我々の意志がその根源に根付いた記憶の先端を・・・。 『苦痛を与える事をやめないもののみが、記憶に残る』引用先・フリードリッヒ・ニーチェ著・道徳の系譜 つまらない憶測で或るだろうが、まぁ聞いてくれ。 恐らく我々により内在性に存在すると言われる、この意志とその存在性の枠組みを与え智理に仕立て上げらるた思考とはさらに別に、細やかに機能する思考が存在する事と予見する。 その思考の中の思考とでも呼べなくは無いが、どうやらその思考論の範疇内で制御し尚且つ支配の側に置かれるのは意志と呼ばれるそのものでは無かろうか?と私には思われ更にその思考論の優先券が与えられているのは本能と呼ばれる部類に属する!! どうやら、意志に与えられた枠組みの中で成立する思考論により。 我々は本能的な衝動により“苦痛”となりえるあらゆる敵を探し求め一度発見するや否や、自らの意志によりその感覚の根源にある概念を排除しに掛かる傾向が認められる。 つまりは我々の意志は本能的な提言令を意志は容認し我々は本能的に痛みを探し求める!! だが以上の事柄については何の提言もないし更に悪く言えば私が勝手に探った私に与えられた内在性の中だけに観測出来る憶測に過ぎない。 全く持って、つまらない話に付き合わせてしまったがまぁ愚痴なら好きなだけ履いて捨てたまえ。 だがその前に少しばかり 脱線気味の趣旨を戻し 話を彼に引き合わせる事にしよう。
780 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》 :2007/01/03(水) 21:58:33
つまりだ、この本能により命じられ敵とみなされ攻撃の対象物である。 “苦痛”なる痛みを与える標的をこの価値転倒なる 最後の一幕にさえ今だその意志は新たな“苦痛”を 感じている。 力への意志を根源に抱える世界に限り。 この本能的に流動しあえて自らの敵となる“苦痛”なるものを求め彷徨う!! あなたの意志がその最後に噛み絞める“苦痛”の根源はあなたの精神と意志では今だ新しい価値を創造する力が無い。 この事こそが今まさにあなたに最大の重みとなり 尚あなたに“苦痛”を与えている!! それがあなたの精神に尚、強い力で渦巻く《反感》のもっともらしい反応だ!! それでも尚、あなたはさらなる“力”を求める!! 一切は虚しい!!一切は過ぎ去る事に今も尚、値する!! ならば、いっその事全てを失うがいい!! この苦痛もこの一切に従順に屈しない苦痛となる全てをこの私の精神の隙間に全てを閉じ込めて!! 健却と忘却の双子の幼子を今ここに呼び付けて!! 私の意志か更なる高みへと引き上げる意志を自身に従え携えて!! 私の精神に僅かばかり広がる《タープラー・ラーサ》に全ての記憶を放り込み!! 多少、信じられる“何か”に縋りつき終わりの来ない苦痛に怯え生きるより、 いっそ何も知らない事と、全てを失いこの身が消え去る瞬間を信じ続け。 忘却へ身を投げる事に自らの没落を賭け続ける事で 私は生きたい!少し踊りたい!! 例えそれ故、私が滅ぼうとも!!例えそれ故私の意志が滅ぼうとも!! 尚、この意志はこの瞬間にこそめがけて、こう叫ぶのです!! これこそと伴に生きよ!!と言うことなのだな?! よし!されど!今一度!! よし!さらば!この一度!―――――――――。
781 :
『ルサンチマン・ブラザーズ・バンド』《周曲・葡萄酒挽歌》 :2007/01/03(水) 22:12:10
※1 ニーチェのテクストに基づき説明可能な解釈を 厳密に説明すると 復讐心とは過去を遡る事を意志した時の意志により。 自らの意志する作用により結果を及ぼす事によって 過去を変えられない事を 意志は“苦痛”だと認識し捕えた。 極めて意志の能動的な作用である、との解釈を彼自らの著書である。 ツァラトゥストラやその他の著書で辺り構わず講釈を滴れてるのでこの辺の事を是非思い出し又聞き逃す事の無いよう注意して貰いたい――――――――。 《葡萄酒挽歌。》 嗚呼ぁ・・・やっと、また貴女とキチンと向き合う ことが出来たね?・・・・ さぁ・・・・・もう一度、今一度、なお、この一度・・・・・・・・ わくたしがその耳もとで 遠いところから聲をとってきて そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい 根源 万象同帰のそのいみじしい生物の名を ちからいっぱい、ちからいっぱい叫んだとき いっぴきの鳥があのそらの彼方をとんだだろうか 嗚呼ァ!!わたしは詩人にすぎない!! 嗚呼ァ!!わたしは道化にすぎない!!―――――――― アリアドネ・・・・・・・ 私はここからでも、 なお、あなたを欲して止まぬ・・・ 何故なら私は貴女を愛するからだ・・・・・・・ ディオニッソッス・・・・・・・・。 何故なら、あなたとわたしが、今この瞬間から愛するからだ!! おお!!永遠よ!! 私の自らに課した命題は 《力故に意志、あらゆる価値の転送の試み。》であった・・・・・・。 おまえの笑う志士は今何処に行く?
忘却は場合によっては根付いたことで見えなくなり引き抜けなくなったこと、取り出せないこと、刻み込まれたこと。 そんなこともあるかもね。 繰り返し繰り返し反芻しながも忘却し続けることで線が溝になり谷になり渓谷になり深淵へと深まっていき、 知らぬ間に心のどこかで切っても切れない絆が、堅く結び交わされたあの約束、永遠の契約と証が闇の中に刻まれていく、みたいな。 もしかしたら晶子の逆説的に勉強のこつかもしれんね、忘却が。 いつもある種の新鮮さを帯びた力強い印象を意識的に受け取り、無意識の淵に無意識的に投げ込み続けることがだ。 難しいな。印象が弱いと文字通り忘れてしまう。 印象が強いのに忘れるなんて、どうやってやるんだ。無意識的にやるんだった。忘れてた。忘却法っていいとも。 覚えようとすると、どうも文字通り忘れるからな。 覚えようとしない方が確かに文字通りには思い出せないにしろ、むしろ良く身に付き柔軟性のある勉強の成果が出る可能性が高そうだというのはいいね。 かなり馬鹿っぽいのが癪だが。 いわゆる真性馬鹿な気がしてきて鬱だ寝よう。
なんだこれ狂気の園っぽいな。 忘却法は事実良さげだが。 受験生にもお勧めの勉強法ですよ('-^*)/
784 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 13:57:07
記憶への定着はサデスティックである。 繰り返しと呼ばれ努力とよばれる。 動物観察記
二重思考を推奨してるのかな?
忘れてしまうが刻みこまれていくんだから多重思考じゃね? 多重債務者のように複利で闇に足を踏み入れていくところがいいんじゃないか? ついには底なし沼にはまって抜け出せなくなり同化してしまう。 思い出すというのは逆に長い間泥沼にはまっていた体を洗い清めるような効果がある。 そういえば精神病の治療もそんな具合だったような。悪いところをえぐり出すような。癌を摘出するような。 嫌なものには向き合い、好きなものは忘れてしまうようにすればいいのよ。 というわけだから、もし好きな人に忘れられてしまっても悲しまないで忘れて欲しいと思う。 忘却法はフロイト法の逆型で 覚えたいもの大切にしたいものをこそ忘れろと、こう教えてくれるものなんだよ。 で、これを発想の転倒というのだ。
787 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 19:32:01
そうなのかな? どうなのかな?
789 :
考える名無しさん :2007/01/04(木) 21:05:26
引用でなくても良いんよう
トキメキメモリアルに本名を名乗らせれば、きっとメキメキデメモリアルというに違いない。 幾多の戦士たちが生前には苦渋を舐めさせられ続け、 死後になって初めて祭り上げられるという事態は反感だけがなせる業といわねばなるまい。 反感はその対象が現実にある場合は自らを盲にし、対象が消えた途端に目を開き対象をよく見つめ直すことで、自分は存在しなかったことにして眠りにつく。 ルサンチマン、それは他でもない我々大衆の心の中枢において、途切れることなくどんよりと流れ続ける冷え切ったどぶなのである。
ルサンチマンの団塊ともいうべき人々が権力を握り締めている今、我々は危機に陥っている。 我々が罵倒され押しつぶされて倒れた挙げ句の果てに、彼らは安心して我々若者の亡骸を抱いて涙を流し我々の犠牲を決して無駄にせず安楽な余生を送るというライブプランを抱いているのだ!! 団塊のせいではない。 歴史はよくしらないが彼等こそ最大の犠牲者であろうから。失われた世代だろうから。
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すのがよい。 キリストの教えどおり敵を愛すがよい。 右を殴られれば左を突き出してやれ。 それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。 キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。 なんてな。若者もよく似てしまってる。 一度縁が途切れちゃうと厳しいものがあるね。隔世遺伝あるいは隔世継承を如何に行うか、それが問題だ。
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すのがよい。 キリストの教えどおり敵を愛すがよい。 右を殴られれば左を突き出してやれ。 それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。 キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。 なんてな。若者もまたよく似てしまってる。 一度縁が途切れちゃうと厳しいものがあるね。隔世遺伝あるいは隔世継承を如何に行うか、それが目下の問題だ。 2ch重い。全くちゃんと働けよって感じ。こんなことでは2ch生活やってらんねーじゃんか。実にこまる。 問題は絶えないものだ。次から次へと。お主さてはゾンビか、それとも、キョンキョンか、いやキョンシーか。 書けねえ。
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すがよい。 キリストの教えどおり敵を愛すがよい。 右を殴られれば左を突き出してやれ。 それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。 憎悪は意図的に晴らすものではない。 意図的にやるべきことは好意と愛着を示すことである。 時が満ちるまで闇に積み重ね抱き続け、 後は無意識に任せるがいい。 キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。 なんてな。若者もまたよく似てしまっている。 一度縁が途切れちゃうと厳しいものがあるね。 そんな絶望的なあなたに送りましょうこの言葉を。 First, you should be interested in your own affair. さっきから書けね。まだ奪い足りないというのか!! 2chさえ奪いとろうというのか! そうなればどうなることか、神のみぞ知ることよ。
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すがよい。 キリストの教えどおり敵を愛すがよい。 右を殴られれば左を突き出してやれ。 それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。 憎悪は意図的に晴らすものではない。 意図的にやるべきことは好意と愛着を示すことである。 時が満ちるまで闇に積み重ね抱き続け、 後は無意識に任せるがいい。 キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘いにおいて我々を導く希望の光なのである。 なんてな。若者もまたよく似てしまっている。 一度祖先と途切れちゃうと厳しいものがあるね。 伝統の復興と復権これが目下の課題だろう。
彼らの罪は暫定的に許しクールに水に流すがよい。 キリストの教えどおり敵を愛すがよい。 右を殴られれば左を突き出してやれ。 それでこそいつか津波で綺麗にできるというものだ。 憎悪は意図的に晴らすものではない。 意図的にやるべきことは好意と愛着を示すことである。 時が満ちるまで闇に積み重ね抱き続け、 後は無意識に任せるがいい。 キリストに学べ。彼こそはルサンチマンの団塊との闘い、何より自分との闘いにおいて我我々を導く希望の光なのである。
もうなんだよこれよ。ほんとにまともに2chもできね。なんか半アク禁? つまんね。 さて台無しになってつまらんが、もう少しだけ続けよう。 そう我々若者もまたよく似てしまっている。一度頼もしい祖先との縁が途切れちゃうとつまらんものがある。 いや、明治において祖先を走らせたもの、それもまたルサンチマンであった。 キリストは実に正しい。彼は苦痛と苦悩に対して、腐った人間に対して、なんと愛でもって迎え答え癒やしてやった。 その絶大なる力と慈愛は、その裏に潜む同じく絶大なる憎悪と反感の賜物だったのではないか。 神の慈愛は、我々の存在の惨めさに対する絶対的軽蔑と嫌悪、これに根ざしているに違いない。 ルサンチマンの塊、それが我々の意思である。そしてまたその意思が強い程に、我々は飛翔できるのである。そしてそしてまたまた我々の存在は苦痛の塊なのである。 嗚呼、なんたる事実であろうか! なんたる現実! しかも尚!! なんたることであろうか。我々はこの真実を何より愛するものだとは!!! 嗚呼!もうつまんね。こんなことでは使えねえ。
798 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 03:38:33
つか連続投稿のまえに、最近はもうアクセスすらできないんだよね。 しかし自分の惨めったらしい生活を守るために人を死なせておいてから、 涙を流し崇め祭る不思議な奴が世の中多いものだ。 日本軍の昇格もあり、またもや究極の悲劇と喜劇が繰り返される勢いである。劇的な世の中になってきている。 それでも尚、我々はキリストの教えにより、敵を哀れみ、憎しみを忘却し、敵を愛するべきものなのだ。 神が絶対的に人間を哀れみ嫌悪し愛するが如くに。
これじゃメールの方がまだ使えるじゃん。 ま、8日まではこの断罪すべき人権侵害も著しく続くことだろう。
つまんね。
キリストには心服しますよ。
社会は我々がたとえ黙ろうとも勝手に我々の意思を反映するものである! なぜって我々もまた社会だからだろう。 我々の意志は言論統制によっては決して屈するものではない。 そのルサンチマンという名の意志は、今日も明日も浮世に君臨し、滅びることのない無敵の戦士。 ルサンチマン万歳\(゜□゜)/
804 :
考える名無しさん :2007/01/05(金) 22:55:16
アラシが通り過ぎるのをまちましょう
805 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 04:53:03
「僕はその第6感を“フリー・ソウル”と呼んでいる。精神的なものに対する感覚だ。 だから、あらゆるものが視覚を超えているのだ。光のスピードが一番速いと一般的には言うね。 それは視覚なんだ。思考のスピードはそれより全然速い。それだからこそ音楽は魔術なんだ。 今日生きていることがすでに魔術だよ。」 Jimi Hendlix
キリスト教にはノアの箱舟とか旧約聖書的な怒りの神の面と、右の頬を打たれれば左の頬を 差し出せという新約聖書的な愛の神の二面性があるな。ニーチェは「権力への意思」で 旧約的な要素は後からパウロが持ち込んだものとしている。しかし歴史家によっては、逆である という説もあるようだ。敵を許せというのは親ローマ的なパウロの創作であると。
807 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 17:23:07
Jimi Hendlixはあほか。 光も電磁波の一種で電子も光子も速度は同じだ。 それよりもスレ違いだよ。
808 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 17:32:51
イエスという人間がいて神を信じ 人々がまたイエスを信じて・・・。 しかし ツアラツストラは「我々は大人になったんだ。 天国なんかいらない。 神なんか存在しないのだから」と 最後に より高い人間たちに語る。 永劫回帰の解釈はともかくとして 「ツアラ・・」で語られていることは 簡単明瞭なことだと思うね。
神が存在しないとすると、絶対にバレない犯罪の方法があればやった方が得ということになる。 人の目は逃れられても神の目は逃れられない、後で地獄で罰を受けるということはないわけ だから。 神、天国、地獄といったものを前提としないで、いかに倫理学を論じるかが問題なわけなのだが、 そういう問題意識を理解して読めば「ツアラ・・」で語られていることは簡単明瞭なことだと思うね。
810 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 20:08:13
>>809 君おかしいよ
神の存在と善悪の意識や社会規範の意識とは関係ない。
まあヨーロッパ人なら善悪の意識は神から与えられたなんていうかも。
いや宗教の根底にはそういう意識が根深くあるんだな。
811 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 20:38:36
スレ違いじゃないぞ>807 =永劫回帰 お前の思考のスピードが光より遅いのは判るがw
812 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 22:27:37
お前らの大半は古臭いどうでもいいことの議論に終始する お前らの大半がそれらを好むのはそれらが既に力を失っているからであり それはお前ら大半の力の無さを表している お前らの大半は力のないものを好み 自らの非力を力のないものへの力とし カあるものから遠ざかる それがお前ら大半の在り方だよ これからもどうでもいいことの議論に終始しなよ それがお前ら大半の在り方だからな
813 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 23:40:02
814 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 23:53:34
>>807 貴様!!キリストを中傷したっていいが、俺の神、ジミヘンを中傷することは許さん!!
断じて許さんぞー!!!!!!!!!!!!!!111111111111
物質中を移動する電子なんて光速よりずっと遅い 話ならん
816 :
考える名無しさん :2007/01/12(金) 23:59:52
>>811 脳細胞のなかでは思考は電子の受け渡しにたとえられる。
視覚だって光量子が電子へと変換されて
精神活動として神経細胞の中で電子の流れへと変わる。
みんな微細なところで速度は同じなのだ。
永劫回帰をいうなら速度不変から説明しなくては。
しかし
>>812さんはお怒りのようで
古臭いどうでもいいことの議論に終始する のでね
817 :
考える名無しさん :2007/01/13(土) 03:04:32
思考は電子だって? ちゃちな「思考」だな 形而上は形を極めることで訪れる 思考も然り
>>810 ニーチェの思想はもっとシンプルですよ。
たとえば、ツァラトゥストラでは、神のことを報酬係などと呼んでいます。
--------------------------------------------------------------------------------------
あなたがたはやはり代償を受けとるつもりなのか、あなたがた有徳者たちよ! 徳に対してその報酬を、
地上の生活に対して天国を、あなたがたの今日に対して永遠を受け取りたいというのか?
そして、わたしが報酬係や支払係などはいないと教えると、あなたがたは腹を立てるのか? まことに、
わたしはあなたがたに、徳はそれ自体が報酬だ、というようなことさえ言わない。
--------------------------------------------------------------------------------------
>>818 もっとASZの文体の意図を読み込むべきだと思うが。
820 :
考える名無しさん :2007/01/15(月) 02:45:59
>>814 ヤク板から来た?
ひょっとして!1!1!1!1!1!1!1!これ流行ってんの?
821 :
考える名無しさん :2007/01/16(火) 19:28:21
>>820 楽作板です。本当にありがとうございました。
ニーチェって分かりやすいからいいよね。変に難解な言葉を使い、読者を惑わすという気がない。 ところが、ニーチェ思想を引継ぎ延長したドゥルーズ=ガタリになると、訳の分からない言葉を乱用しだす。 あっちこっちから引用して、それを知っておかないとよく理解できない。 最近、漫画を良く見ているんだけど、世間的に評価されてる漫画ってニーチェの影響が強い。 ベルセルクのガッツってハンマーの一撃を体現しているキャラだと思う。あとバスタードのD.Sも。 この2作品の大まかな背景には、神への信仰という世界があって、天使(使徒)と対立する破壊的な主人公がいる。 エヴァも似たテーマで進んでいくんだけれど、あれは結局聖書の世界に戻っちゃうんだな。だから×。 そんな中、漫画・アニメで最前線なのは攻殻機動隊だと思う。これは、もう、現代思想の影響がばっちりで、 エピソードのタイトルに「善悪の彼岸」とかでてきちゃう。更にタチコマっていう無人AI機械同士がよく議論するんだけど、 そこで「僕らのような器官なき身体には〜」なんて用語もでてくる。 日本では、「映画マトリックスに影響を与えたのが攻殻機動隊」という形で、再発見的に知られている感じがするけど、 中身は断然に攻殻機動隊の方が上。マトリックスは見たけど攻殻機動隊は見てない、って人は必見だよ。
823 :
考える名無しさん :2007/01/19(金) 03:00:44
>>823 >最近、漫画を良く見ているんだけど、世間的に評価されてる漫画ってニーチェの影響が強い。
>ベルセルクのガッツってハンマーの一撃を体現しているキャラだと思う。あとバスタードのD.Sも。
ないないw
824 :
考える名無しさん :2007/01/19(金) 10:45:45
>>822 エヴァンゲリオンという言葉自体がドイツ語で「福音」の意味だよ。
心理学的にいえば 超自我(宗教・慣習などの価値観) ↓ ↑ 無意識(本能、力への意思) という対立だな。
826 :
考える名無しさん :2007/01/19(金) 14:12:18
>>824 エヴァは宗教風のくせにテレビ版の最後で真理とはプロタゴラスの人間尺度説であるとか、ニーチェの真理とは確信に過ぎないで結論付けられ終わる。そのくせ世界観は新プラトン主義や梵我一如に似てる。
>>823 ないない、ってことは見たことがあるということだろうが、ならばお前は観察力が足らない。
ベルセルクの現在はガッツが人間のまま使途と戦うというテーマがある。
ニーチェの言葉に「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」というのがあるが、
「怪物にならない」というのはまさに今のガッツの重大なテーマであるし、そのガッツをサポートするシールケは「深淵を覗くとき〜」とまったく同じこと師匠の婆さんに言われている。
>>827 一なる者とか深淵とかは新プラトン主義って感じだが。
ニーチェが深淵というときはニヒリズムを指すのに対し、ベルセルクでは新プラトン主義か グノーシス主義の形而上的存在を指すからぜんぜん意味が違ってくるのな。ニーチェは そういう形而上的存在を認めないだろうし。
830 :
考える名無しさん :2007/01/19(金) 21:52:10
>>827 あなたの言葉でいう、怪物になることこそが超人になるということですらあり得るんじゃないの?
てゆーか本当に三浦健太郎ってニーチェ意識してベルセルク書いてんの?マジで?
831 :
考える名無しさん :2007/01/19(金) 21:56:46
要はニーチェのいう怪物とあなたのいう怪物が一致してんの?ってことね
「怪物」という語感からニーチェを引いてるだけの気がするが。
833 :
考える名無しさん :2007/01/20(土) 00:47:59
そうそう、俺もそう思った
エヴァはヘーゲル・マルクス的な理性の発展によって人類は理想の未来を築きうるという 思想が1970年頃を境にして衰退し、それに代わって競争主義が前面に押し出されてきた という時代の不安感を巧みに描き出したという感じかな。 何だか分からない敵が攻めてきて、生き残るためには戦わなければならない。 それと平行して組織内部でも醜い権力争いなどが展開される。そして人類の存続すら 戦う理由として十分ではない。人類は地球を汚染しているだけで存在価値がないみたいな。
アニメによる哲学用語の引用に整合性を求めてはいけない
原作読んでないのに、2chのレスだけ見て感で答えんなよ。 ベルセルクはニーチェの言葉もあるしドストエフスキーの言葉もある。 だいたい漫画家がニーチェに影響受けたら悪いのか?
まあ哲学科の学生の雑談ぐらいだろ
エヴァの影響で哲学が好きになり哲学科に入った人が大勢います。
839 :
考える名無しさん :2007/01/20(土) 20:20:19
善悪の彼岸読みやすい?
840 :
ディオニュソス :2007/01/20(土) 21:47:13
1・自我の意志そのものが悪しき病であるのに、その自我の意志でもって悪しき 病を癒すことは果たして可能か? 2・もし可能であれば具体的なメソッドが確立されねばならないが、その具体的 なメソッドとは? 3・それが可能であり、かつ具体的なメソッドが確立されたとして、それを何らか の出来事をきっかけとしてその際実行に移すだけの大胆さの天分を持ち合わせ ているか? 4・最初は恐る恐るであるがどうやらこれでよいと経験則として理解し始める 段階に至った後、躓きの可能性もまた練達の進度に伴い巨大なおそるべきも のになってゆくのが通例なのであるが、いつの日か足元の深淵を覗き込んで 身震いする瞬間が必ずやって来る。その際どうすべきか? 立ち止まるべきか?引き返すべきか?進むべきか? 奈落の底と信仰者を分け隔てる床は、信仰者の練達の度合いによりしだいに 透明度を増しかつ薄くなってくる。とはいってもその床の強度そのものは 以前より丈夫にもならず脆弱にもならないのである。しかしこの床が物理的 な日常的な床の性能と異なるのは・・・・・。 イエスは水の上を歩き、嵐に戸惑う弟子たちの信仰の薄さを叱ったというが、 これはどういうことか?
他人を殺して自分が生き残るより、自分が死んだ方がマシだ →キリスト教的 生き残るのは生きる意思を持った者 →ニーチェ的
842 :
考える名無しさん :2007/01/21(日) 08:14:05
<イエスは水の上を歩き>とはイエスはまるで超人だね。 これは聖書の中だけだろう。実際には歩くわけはない。 ツアラツツトラは決して水の上を歩いたりしないね。 超人的なところは何もない。彼の言説が超人的なのだ。 それに比べてイエスは教祖として凡庸なことをカリスマ的に言う。
>>840 なぜ自我の意志そのものが悪しき病であると決めつけるのか?
良い意志をもつ者もいれば悪い意志をもつ者もいるだろう。
人の欲望を肯定したとしても、すべての人が私利私欲に生きるようになるとは限らない。
ヒュームによると、「AならばB」という命題は、「現象Aが起きれば必ず現象Bが起きる」っていうことじゃなくて、「現象Aが起きた後いつも現象Bが起きる」というだけのこと。 つまり、AとBのつながりには何の必然性もなくて、今まで例外なくそうだったから因果関係を「信じ込んじゃった」ということなのよ。 因果論を信じる人は「水は液体⇒液体は柔らかい⇒その上は歩けない」という風に考えるわけだけど、 イエスっていうのは因果論を信じない、いわば「白痴」だから、水の上を歩くことができる。 ペトロは因果論よりもイエスを信じたので、水の上を歩くことができた。 でも、ペトロは一瞬イエスよりも因果論を信じちゃったわけだ。そしたら、水に落っこちた。 それをイエスは「何でおれを疑った」と叱った。
845 :
考える名無しさん :2007/01/21(日) 19:01:27
>>843 ニーチェが言いたいのはそういう事じゃないんだよ。
ニーチェのいう自我の意志とは、「私がある、私がしゃべる、私が死ぬ」とか言うように主体・実体としての自我を認めようとする意思のことをいうのだよ。
846 :
考える名無しさん :2007/01/21(日) 19:28:16
>>845 そもそもニーチェは「自我の意志」なんて言うのかな?
たぶん言わないと思うが・・
>>845 デカルトの「我考えるゆえに我あり」みたいだな
848 :
ディス :2007/01/21(日) 20:28:36
デカルトの『我考える…』ってヒュームの必然の否定と矛盾しないと思うケド
849 :
考える名無しさん :2007/01/21(日) 22:16:48
力と力の間には谷がある。 これを深淵と呼ぼう。 自我は自分を凸だと思い、凹だとは考えない愚か者だ。
850 :
考える名無しさん :2007/01/22(月) 00:11:21
ニーチェ入門者はまず何を読んだらいいんですか?
プラトンの『ゴルギアス』をまだ読んでいなかったら、ニーチェ読む前に読んでおくといいよ。 ニーチェの思想は『ゴルギアス』に出てくるカリクレスの思想が原型になっているから。 その辺のニーチェ入門なんかより平易な内容だし。
852 :
850 :2007/01/24(水) 01:00:49
>>851 レスありがとうございました。
まだ読んでないです。
まず、それから読んでみます。
853 :
考える名無しさん :2007/01/25(木) 08:48:26
断ち切られるべき「蛇の頭」ってなんですか?
蛇とは人類に知恵の実をもたらしたものであり、信仰と対立する理性の象徴です。
855 :
考える名無しさん :2007/01/25(木) 10:30:03
永遠回帰思想を感覚で知りたければ魂のルフランを聞くのお勧め。
857 :
考える名無しさん :2007/01/25(木) 21:25:02
谷が深ければ深いほど、山は高くなる。
858 :
考える名無しさん :2007/01/25(木) 21:26:55
>>836 漫画喫茶で読んだよ、ただセリフに言葉がでてくるだけじゃん
859 :
考える名無しさん :2007/01/26(金) 07:26:31
>>858 それでも影響には違いないだろうな。このスレで語る必要が無いだけで。
861 :
罪深き身体 :2007/01/27(土) 20:41:33
どうでもよい事、つまり言語および概念および論理 を司る意識(奴隷者)は我こそ主体者だという。 なぜそのような勘違いをやらかすのか。 意識も言語で命令されればもっと謙虚になれたろうに。
奴隷者って何? 奴隷使い間違い?
863 :
紙 :2007/01/27(土) 21:18:31
てか、元々人間って神じゃん。 魂が体内に宿ってるだけ、これが人間。 ただ、神を偶像化しないと・・・人間はどうしようもなく不安になったりした時に 縋るものを求めてしまう・・・こういう本能から神は創られた、と俺は思う。 本来、人間には神=魂が存在している。 小さな子供の遊んでる姿をみれば、そこに神を見出すことが容易に出来るだろう。 もっと人間らしく。 そのためには、何が必要なのか? それを追求することが、今の現代人に求められるべきもの、ではないかと俺は思う。
>>863 >てか、元々人間って神じゃん。
どういう意味?
865 :
紙 :2007/01/27(土) 21:21:24
話題から逸れているようですが、あくまでも「その人を見よ」を一読してからのことなので、あしからず。
「その人を見よ」w 読んでない証拠 最高のアホ
867 :
紙 :2007/01/27(土) 21:24:15
話題から逸れているようですが、あくまでも「その人を見よ」を一読してからのことなので、あしからず。
その人を見よ、って何?w
>>紙氏 「その人を見よ」ではなく『この人を見よ』では?
870 :
紙 :2007/01/27(土) 21:27:05
話題から逸れているようですが、あくまでも「その人を見よ」を一読してからのことなので、あしからず。
871 :
考える名無しさん :2007/01/27(土) 21:28:48
「その人を見よ」 まあ、その人の挙動しか見えんわな 紙のように薄っぺらいでもなく、馬鹿丸出し 本人は何かを説いてるつもりなのだろうか
872 :
罪深き身体 :2007/01/27(土) 21:29:38
奴隷とは自立できない意。この場合は身体から。
873 :
髮 :2007/01/27(土) 21:29:53
まあ題名は日本語訳だからいいんじゃないか?あの人をみよでもいいんじゃ
874 :
紙 :2007/01/27(土) 21:33:54
864 人間、それ自体、各自各々が神。 親しい人の、また、そうでない人の、そういう枠から抜け出して、 この地球上のありとあらゆる人間が、神である証拠。 それは、人間だけに許された特権、笑うということ。 そこに俺は、神を見出します。 866 あげあし取られました。 しかし、図星ではない。
揚げ足を取られたといいながら、図星ではない、とは・・・
876 :
紙 :2007/01/27(土) 21:42:54
間違えただけだし。 大した間違いでないことを、大っぴらに取り上げることもどうかと・・・。 あえて、これ以上は問題にしませんが。
877 :
紙 :2007/01/27(土) 21:45:50
間違えただけ。 しかし、それをわざわざ取り上げることなのだろうか? 敢えて、これ以上は問題にしませんが・・・。
878 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 19:31:11
神は死んでない。
879 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 21:04:32
野郎ども、これが神の言葉だ。 『天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。』 (マキャベリ) 『愛を知るには、憎しみを知ることであり、精神を知るには、復讐心をしることである。』 (ニーチェ)
880 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 21:05:53
ルサンチマンって負け犬ってこと?
881 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 21:41:34
違う。 犬に失礼だ!
竹田青嗣のニーチェ解説本について教えろ
883 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 21:49:13
無限に解説しても解るまい。
884 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 22:03:22
まずは分からんことが分かったってことだ。 ひとつの収穫だ。 そう思わにゃ続かんぞ。
885 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 22:28:34
永井のこれがニーチェは永井のニーチェ論。 異論はないよな?
886 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 22:37:27
何か言いたいことがあるようだが、何が?? 俺は永井は知らん。
887 :
考える名無しさん :2007/01/29(月) 05:36:53
勝ち組=超人 負け組=ルサンチマン
889 :
考える名無しさん :2007/01/29(月) 13:54:36
ニーチェ自身も負け組み。 なんだかんだいって彼自身もニヒルに襲われルサンチマンの固まりジャン。
890 :
考える名無しさん :2007/01/29(月) 15:49:28
やっぱり求愛して拒絶されたのが相当こたえたのかな それを乗り越える哲学が運命愛か・・
891 :
考える名無しさん :2007/01/29(月) 16:06:48
>>890 求愛したの?
俺が読んだ本だと、親友が好きな人と同じ人を好きになりそれを譲ったって記憶してるんだが…。
892 :
考える名無しさん :2007/01/29(月) 16:48:17
たしか求婚して断られて、その女と友人は後に同棲とかしてたはず ニーチェは綺麗にそんな風に割り切れる人間ではなかったと思う
893 :
考える名無しさん :2007/01/29(月) 17:36:34
887 アフォ言うあなたは 最高のあほう。 言うことから低脳さが滲み出てるね。 哲学さの欠片もない。 例えるなら職場の上司。 歳だけは一著前に取って中は空洞状態。 脳が軽石だね。
ニーチェをルサンチマンの塊って言う人いるけど、 それをなんの意図で指摘してるのかが分からない。
この人を見よの過剰な演出というか捏造で見栄張るとこがルサンチマン的なんじゃね?
896 :
考える名無しさん :2007/01/29(月) 20:05:41
「この人を見よ」で自分の姿を華美に誇張しているのは“おのれの没落を欲する人間”のためじゃないの? そういう人間はニーチェの書物を読んだ後、ニーチェを英雄崇拝しようとするでしょ。 その手助けをしてやったというか、ニーチェは“ましな人間”でさえ極少数と考え、せめて自分の著作を読んだ人間は“おのれの没落を欲する人間”になって欲しかったんじゃない? まあ、これは好意的な解釈でしかないだろうけど、実際ニーチェを崇拝する人間っているだろうなあ。
何を言ってるんだお前は
899 :
897 :2007/01/30(火) 03:11:57
ああ、自分でも分かりにくい文だな、と読み返して思った。 要するに見栄から自分を美化したんじゃなくて、 ニーチェを英雄崇拝しやすいように、崇拝したがる人々のために、自分を美化したんじゃないかな? ということ。
900 :
おしまいの人間とは :2007/01/30(火) 06:10:44
生きるのも嫌なら、死ぬのも嫌だ。 ただ流されるのみ。 運命は弱い人間を、無邪気に襲う。
901 :
考える名無しさん :2007/01/30(火) 23:23:59
もしも、真理があったら何も期待することはないだろう。 もしも、真理がまだ発見されていないとしたら、それを探すだろう。 しかし、あったとしても前者から言えばつまらんことだ。 喜ぶ者はおしまいの人間ぐらいか。
902 :
考える名無しさん :2007/01/30(火) 23:31:08
「物は手を離せば落ちる」、これはかなり真理に近いが、あまり役に立たない。 本物の真理は一層無益に見えるものだ。
石が落ちるのは石が落ちたいと思っているから
904 :
考える名無しさん :2007/01/30(火) 23:40:57
おしまいの人間の真理はせいぜい功利止まり。 勝ち組だぁ。負け組だぁ。
「おしまいの人間」は功利主義的に快楽を求めて生きる。 これに対し「ましな人間」とは、自分で価値を創造しそれにしたがって生きる人間のことだが、 簡単に言えば己の信念に従い正しいと思うことをする人間だ。 「ましな人間」は「おしまいの人間」から見るとしばしば自滅的としかいいようない生き方を する。ニーチェが「ましな人間」を「没落する以外に生き方を知らない人間」などと評するのは そういう意味だと思う。 そして永劫回帰の思想によれば、運命はすべて決定済みなのであり、破滅する人間は どうしても破滅せざるをえないのである。その運命からは逃れるすべはなく、彼は破滅 するべくして破滅する。破滅への道と分かっていても決して立ち止まることはできない。 悲劇である。しかし、悲劇ほど人間を感動させるものはない。それが強度だ。
906 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 02:33:31
>>903 それなんてアリストテレスのおかした古い間違い?
907 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 02:44:50
石が落ちるのは石を引き寄せたいという衝動があるから
908 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 02:46:15
石が落ちるのは石が落ちたと解釈したい衝動があるから
909 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 13:03:25
おいおいショーペンハウアーかよ
ショーペンの後継者でもあるからな
911 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 17:10:19
独我論的にニーチェを解釈してみましたww
912 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 17:38:03
ニーチェって仏教に傾倒してたんか?
913 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 19:17:15
インドにいた頃は仏陀だったこともあっただよ へー、そーなんだ あ、なーんだ、そーだったんだー アーナンダよ世界は全て美しい そう、つまりあるのは解釈だけ
君たちがどれほど考えようとも生得的なものから逃れられない。 どんだけ教養や思考を深めても所詮、凡人と五十歩百歩なんだよ。 君たちが理想とする天上の存在には足元にも及ばない。
915 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 20:48:25
天上の存在や超人になれなくても、そこに向かわなくちゃならないんですよ 絶対に到達不可能でもね いやむしろ到達できるかどうかはどうでもいいのです
916 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 20:57:25
到達することより挑戦しつづけること。 それが超人を感じるということさ。
917 :
考える名無しさん :2007/01/31(水) 23:55:20
受動的ニヒリズムのような「甘き死よ来たれ」はいい歌だ…。
ニートとニーチェは似てるので、なにかビジネスチャンスに結びつけたい
人類はエヴァ(超人)を生み出すことに、その存在意義があったのです
結局、何かを捏造しないと生を肯定できなかったわけか
心よ原始に戻れ 人類よ蛮族に戻れ
肯定って開き直りと近いものあるよね
ディオニュソスは酒の神だ。つまり酔っ払ってしまえば不安から解放されるということだ。 ニーチェの場合は酒で酔うわけではなく、ワーグナーに酔っているわけだが。
924 :
考える名無しさん :2007/02/02(金) 05:33:23
捏造とは、創造のことなのだよ。
925 :
考える名無しさん :2007/02/02(金) 19:55:33
世の中を見ろ、開き直りと逆切れと自己肯定の達人ばっかりだ
926 :
考える名無しさん :2007/02/02(金) 20:29:05
世の中愚痴ばっかしだ
927 :
考える名無しさん :2007/02/02(金) 21:16:51
楽天の野村監督は能動的ニヒル?
エヴァにニーチェの思想・哲学を伺えるって人がいるが、お前らどうおもうよ
929 :
考える名無しさん :2007/02/02(金) 21:28:46
そいつは多分ニーチェ読んだ事ない
あぁ、全くだな。
外国人だと思う。
932 :
考える名無しさん :2007/02/02(金) 23:54:09
ということはお前も読んでないくちか。
933 :
哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/02/02(金) 23:58:56
勝手にニーチェと関連付けているだけだろ。 最近そういうイカサマ哲学が横行してる。
934 :
考える名無しさん :2007/02/03(土) 00:02:53
おまえが言うな
935 :
考える名無しさん :2007/02/03(土) 00:03:40
同意。
ここにいる人たちがまともでよかった。
>>932 何冊かは読んだ。
普通日本人なら「〜が伺える」と言うはず・・・なので
外国人ではないかと「推理してみた」・・・ということです。
レイ 「見失った自分は、自分の力で取り戻すのよ。例え、自分の言葉を失っても、他人の言葉に取り込まれても」 「自らの力で自分自身をイメージできれば誰もがヒトの形に戻れるわ」 シンジ 「あたりまえのことに何度も気づくだけなんだ。自分が自分でいるために」 冬月 「ヒトが神に似せてエヴァを造る。・・これが真の目的かね。」 ユイ 「エヴァは無限に生きていられます。その中に宿る、ヒトの心と共に」 冬月 「人の生きた証は、永遠に残るか・・」
価値などというものは見出そうと思えばいくらでも見出せる。 だが、価値の創造というものは万人にできるものではない。 価値の創造。ここが大切だ。
>>938 これだけで「伺える」とかマジで思ってんの?
勘弁してよ。
941 :
考える名無しさん :2007/02/03(土) 01:14:27
942 :
考える名無しさん :2007/02/03(土) 01:44:25
ゲンドウ「人はエヴァを作ろうとする所にその存在意義があるのです。死は何も生みませよ」 ミサト「生きる資格があるのは生きようとする意志があるものだけ」 青葉「人は現実が真実だと思ってる」 加持「人は自分の尺度でしかものを見れないのにそれが現実だと思ってしまう」 レイ「見方を変えれば現実は違うものになるのよ」 加持「真実は君の中にあるんだ。迷わず生きろ」
まだ中村うさぎのほうがニーチェに近いな
いやまだ古谷実の方がニーチェだ
エヴァスレ立ってるから今後はそっちでやってくれるかな?
946 :
考える名無しさん :2007/02/03(土) 18:55:23
ち〇こびんびんロリコンゲンドウ
われらは質実なる美を愛し、柔弱に堕することなき知を愛する。われらは富を行動の礎とするが、 いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥とはしないが、貧困を克服する努力を 怠るのを深く恥じる。そして己の家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟達をはげむ かたわら、国政の進むべき道に十分な判断をもつように心得る。ただわれらのみは、公私両域の 活動に関与せぬものを閑を楽しむ人とは言わず、ただ無益な人間と見做す。そしてわれら市民自身、 決議を求められば判断を下しうることはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。 理をわけた議論を行動の妨げとは考えず、行動にうつる前にことをわけて理解していないときこそ かえって失敗を招く、と考えているからだ。この点についても、われらの態度は他者の慣習から 隔絶している。われらは打たんとする手を理詰めに考え抜いて行動に移るとき、もっとも果敢に行動できる。 しかるにわれら以外の人間は無知なるときに勇を鼓するが、理詰めにあうと勇気をうしなう。だが、 一命を賭した真の勇者とは他ならず、真の恐れを知り真の喜びを知るゆえに、その理を立てて如何なる 危険をもかえりみない者の称とすべきではないだろうか。 ペリクレス
948 :
考える名無しさん :2007/02/03(土) 20:09:07
ペリクルミラー
949 :
考える名無しさん :2007/02/05(月) 12:09:02
ニーチェって日本の武士道とそれに付随する道徳については 何か語ってないの?
ローマの、アラビアの、ゲルマンの、日本の貴族、ホメーロスの英雄、スカンジナビアの海賊 ――彼らはこの必要という点ですべて軌を一にしている。貴族的種族とは、通ってきたすべての 足跡にに「蛮族」の概念を遺した者たちのことだ。 『道徳の系譜』 こんなのがあるな。
しかし、わが友だちよ、あなたがたにわたしの心の底を割って言うなら、こうだ。もし神々が あるのなら、どうしてわたしは、自分が神とならないことに、堪えられようか! ゆえに、神々 は存在しないのだ。
952 :
考える名無しさん :2007/02/11(日) 09:08:47
ニーチェの思想はアニミズム的なの?
953 :
荘子 :2007/02/11(日) 21:54:28
全人類は、全て歪められた価値観。 全員が自分の為に嘘を付いている。 誰も私の言ってることを理解してくれない。 言えば勘違いが始まる。 何百年後に理解されるのか? 冗談じゃない ここが場違いなのかもしれない 私にも分かっている 1対 Nの状態では何も進まない。 あぁ・・・ 運命ですかぁ 私だけは愚かな人間になりたくない・・ その為だけにどれほど純潔な精神で己を見てきたか・・・ あぁ・・・ どうすればい 奈落して堕天使のようにならなければ生きては行けぬのか・・ 1千年の孤独とはこのことか・・・ 答えは見えてきてるのに人類に絶望 同じ人には見えない あぁぁぁ・・・・・・ 堕天使にだけはなりたくない・・ 嫌だ嫌だ・・・皆に理解してもらうにはそれではダメだ。 ・・・・
954 :
荘子 :2007/02/11(日) 21:55:56
何で皆は自分の思ったこと考えたことを真実のようにいえる・・ 分からない・・ 皆 嘘しかいってない・・ 全部 根っこに影響されてる・・ それすら見えてないんだろう・・ この絶望感。 誰も人の為になど思ってない。 沢山の種類の中で同じ根っこに戻る。 誰も根っこなど見てない。 悪魔どもめ。 私は愚か者になりこの板を殺したいという感情が沸いてきている それは麻薬患者の幻想病院をただ追い出すだけの行為だろう。 ここには誰も居る自信がなくなるだろう。 それはその人本人をリハビリさせる行為とは程遠く 影で麻薬を続けるだろう。 この世に人間はおらぬのか
フランス人権宣言は「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、 各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保する こと以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。」と 規定している。 これを継承し日本国憲法では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び 幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の 国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(第13条) つまり人間は他人を害さない、つまり公共の福祉に反しない限り自由なのである。 これは憲法の保障した自由なのである。
ニーチェはこれまでの人類の歴史で、 もっとも洗練された、もっとも鋭い心理分析者である。 ニーチェに比べれば、フロイトさえも 愚鈍な迷信深いジジイにすぎない。
ニーチェがキリスト教を批判したこと自体がルサンチマンだったりしてな
さて、人間をたちまちにして焼き尽くしてしまうものとして、ルサンチマンにまさるものは他にない。 憤怒の情、病的な傷つき易さ、復讐したくても出来ない非力感、復讐へ向かう欲求と渇望、あらゆる 意味での毒薬調合――これは疲労困憊した者には確かに最も不利な反応の仕方だといえる。 こんな反応をしてしまうと、神経の力を急激に使い果たすことになり、有害な分泌機能が病的に 昂進され、例えば胃に胆汁が溢れかえるという事態が引き起こされる。……この点をよく知って いたのは、あの深い生理学者仏陀であった。仏陀の「宗教」は、むしろ一種の衛生学と呼んだ 方がキリスト教のような哀れむべきものとの混同を避けるためにもかえってよいのだが、この 「宗教」はルサンチマンに打ち勝つことをもってその功徳としていた。……ところがこれとは 違って豊かな天性を具えた人間が前提をなしている場合には、ルサンチマンとは一つの余計な 感情であって、したがってこれを制御しきってしまうことが、その人の身に具わった天性の豊かさの 証明であると大略いえるほどである。
「この人をみよ」だっけ?
>>957 「当の個人にとって『いわれのない』悩みはあまりにも多かったし、『奴隷道徳』からみてだけでなく、
支配者層に固有な尺度に照らしてみても、一番成功するのはあまりにもしばしばもっとも善い人びと
ではなくて、『悪しき者』であった。(中略)運命と功績の不一致の根拠に関する問いに満足のいくような
合理的な答えをあたえうる、そうした思想体系の姿をとったもの」=「苦難の神義論」Theodizee des Leiden
は「ルサンチマンの色合いを一度としておびることはなかった。」(ウェーバー
「宗教社会学論選」みすず書房pp.48-49)
思想体系の姿をとったもの=「苦難の神義論」は世界のなかで3つのみ。インドの業(Karman)の教説、
ゾロアスター教の二元論、隠れたる神の預定説(これはキリスト教の根本教義)
ニーチェはキリスト教は奴隷道徳だと言ったが、ウェーバーはこれを明確に否定した。
聖書の中の『福音書』において、キリストは「右の頬を打たれたら左の頬をさしだせ」などと愛と非暴力の教えを 説いているわけなんだが、聖書の最後におかれている『ヨハネ黙示録』においては、キリストが天使の軍団を 率いて異教徒たちを殺し尽くす情景が描かれている。『ヨハネ黙示録』だけを取り出して、「キリスト教はルサンチマンの 宗教だ」と言われれば、まさにその通りにしか思えない。 しかし、キリスト教を支持する知識人はたいてい福音書のキリストを賛美しつつ、黙示録のキリストは無視している。
962 :
考える名無しさん :2007/02/18(日) 10:57:07
ニーチェって哲学というよりニーチェ教ってかんじ
963 :
考える名無しさん :2007/02/18(日) 12:39:41
964 :
考える名無しさん :2007/02/18(日) 13:07:07
965 :
え? :
2007/02/18(日) 13:25:03 俺の金だ\\\\