1 :
考える名無しさん:
私は色々考えた結果、「それぞれ違う名前を持つ物体」が人間なんじゃないかと思いました
どなたか教えていただけませんでしょうか?お願いします
人間だけを見るんじゃなく、人間と非人間の差異を捉えるべき。
「それぞれ違う名前をもつ物体=人間」ではウチの犬も人間になっちゃうよ。
3 :
考える名無しさん:2006/08/28(月) 12:55:03
4 :
考える名無しさん:2006/08/28(月) 13:48:57
そうですね
確かにそうすると犬も人間ということになってしまいますか
人間が勝手に付けただけで犬のほうは認識してるのでしょうか
まあ呼ぶと近づいてくる利口な犬もいますからそうかも分かりません
やはりこの定義だとまだ高みには行けないようです
でも全ての犬が別々に名前を持っているわけではありませんよね?
予想なんですが人間は多分一人一人が名前を持っていると思うんですよ
それは本当に人間だけの特権というか
でも
>>1だとそこまでは分かりませんかね
5 :
考える名無しさん:2006/08/28(月) 16:23:48
人の間(あい、だ・かん)と書いて人間(にんげん・じんかん)と呼びますが、この間と言う文字の意味は全てを思いやり全てを愛することのできること、つまり他の全てと心をつなぐこと、全てとの間を保つことのできる知性、知能を備えた人のことを指します。
互いに支え合うのが人で親子、兄弟、友人、恋人、国家間でも同じことで他人や他国を否定する意識には必ず、なんらかの利害が含まれており知性や理性、人間愛と言う知能に依って産みだされる人間の意識とは別ものです。
「潜在的言語能力の有無」だと思う。
言語能力だけだと、言語能力を失った人間が除外され、また赤ん坊も人間でないことになりかねない。
二足歩行は、赤ん坊や二足歩行困難な障害者が除外されてしまう。
そこで、「言語能力を有している・言語能力を有する可能性がある・言語能力を有していた・言語能力を有する可能性があった」というものをまとめて潜在的言語能力と呼び、その有無によって区別されるべきであると思う。
ちなみにここでいう言語とは、事象を抽象化・一般化して伝えうるものを指す。
したがって、ハチのダンスやイルカの泣き声云々は(現段階で判明しているところによれば)言語ではない。
7 :
考える名無しさん:2006/08/28(月) 16:40:54
ヒト科・ヒト属・サピエンス種・サピエンス亜種のDNAを保有する生物。
ヒト科・ヒト属・サピエンス種・ドキュネンシス亜種も含めることがある。
抽象的すぎて何とでも例えて定義できそうだけど
一言で言って『形』かな。
感覚的に捉えて認識できるのは、人間だけじゃなくほかの動物にも可能。
人間は感性で捉えたものを理性で分別して論理的に解釈する生物だから、
>>2サンも言ったような人間と非人間の差異を知覚してその根底に近しい認識を論理的に。まる
9 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 02:03:38
食べたいものを食べというように、本能に従うのが動物。
食べたいけれど我慢し、セックスしたいけれど我慢する「理性」を備えているのが人間。
最近は、セックスしたいからするというバカが多い。動物でも相手を選ぶ。
死刑を執行されないからと殺人し、未成年者は刑罰を受けないからと万引き殺人する。
こいつらを人間の形をした鬼畜という。
10 :
一言居士:2006/08/29(火) 03:31:13
>>9 じゃ、生物図鑑に「鬼畜」の項目を設けるように提案してみたらどうですか?
あるいは、「ホニュウ類ヒト科ヒト目キチク」とか。
で、私の意見としては、「自我」が激しく愛憎を抱きうる対象のことを人間と言うのだと思います。
11 :
一言居士:2006/08/29(火) 03:39:01
あと、義憤もふくめ凄まじい憎悪を抱く動物のことを人間と言います。
そして、自分の所属している種のことを、特別で優秀だと思いたがる動物のことを人間といいます。
ちなみに私は「人間」じゃありません。モンキーです。
12 :
物理屋:2006/08/29(火) 03:46:26
>>1 これはそこそこおもしろい。僕は人間ですが同時に物質でもあります。僕の心臓は僕を構成
しているので、間違いなく人間のパーツです。が、カットした鼻毛はなくても僕は僕なので
カットした瞬間から人間のパーツでないといっても、よい。ちょっと残酷だが、片腕を切り落としたとしても
、残りが生きていればそれは人間であり、腕は人間ではなくなる(鼻毛と同じ)。ただ、首をちょん切ったり
するとどっちが人間かだんだん怪しくなる(両方まだ生きてる時ね)。つまり、結論としては人間というのは、
僕らの作った概念であるということにつきる。この概念は、みなほとんど同じだが、一人一人微妙に違うだろう。
そしてこの概念は
、日常生活を送る上ではまったく問題ないが、よくよく考えてみると、結構あいまいであることがわかってくる。
つまり何をもって人間と呼ぶかという問いに対するこたえとしては、はっきりとした境界
はないということにつきる。これは多分これ以上おいかけても、とくに何も生まないと思うけどね。
13 :
物理屋:2006/08/29(火) 03:51:40
そして、その人間という概念をはっきりと決めようという試みもしない方がようだろう。
何故なら、それを追求すると非常に扱いにくい概念になるだろうし、そもそも不可能だろう。
つまり、あいまいな概念にはあいまいさを補うくらいの利便性があるということ。フォーカスは
ぼかしていこうぜ
14 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 10:15:11
今の時代は人間(ヒト)と他の動物の中間がいないから、定義もいらないのかもな。例え外国人であっても一目で人間だと分かる。
宇宙人って言葉も疑問だな。地球外生命体は人間みたいな形とは限らないから。
15 :
もちろん、敢えて白黒はっきり結論付けなくていいものもあるが:2006/08/29(火) 10:21:41
最近の「人によって価値観は様々だから決められない」って意見には飽き飽きしている。
そういう意見って人それぞれじゃね?
人間のイデアがあるとしか思えない…
18 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 14:02:38
>>15 それ言ったら全部の議論が無駄になっちゃいますもんねえ
というか人間自体が実は意味のないものだったんですね
ただ卵に精子が受精してそれが何回も細胞分裂をして今の体になっただけで
本当にただ一つの生物的な現象にすぎなかったんです・・・
そこら辺に転がってる石ころと同じようなものですよ人間なんて
石ころに意味がないのと一緒に人間にも意味がない
すごい勢いで話がそれてるように思われる
21 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 15:13:48
>>19 本当に私、その理由知りたいんですよ
なんで存在自体に意味がない自分がここにいるのかなって
本当に「意味がない」のに
そこで思ったんですがそもそも人が存在するのに理由なんかいらないんじゃないかって
たとえば何かをするのに動機があったとしても意味のないものの動機つまり理由ですがやはりそれも意味がないと思うんですよね
ゼロに何掛けてもゼロというか前提としてその「理由」を作るものに「理由」がないのなら結果として全て意味を持たなくなると思うんですよ
22 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 15:16:49
人間とは、霊長類ヒト科の哺乳類。直立二足歩行をし、
手で道具を使い、大脳はきわめて発達し、複雑な言語をもつ。
多様な文化を伝承し、地球上で最も栄えた文明をつくり上げている。
現生種は一種だけ。学名はホモ‐サピエンス。
23 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 15:34:10
>>21 Yahoo!知恵袋に「この世に意味のないものは存在するか?」という質問があった。
スレ立てて議論したら盛り上がるかも。
>>21 そっか。
「意味がない」と思うと生きてるのが空しくならないのかな、と思って。
日々楽しければいいのかな。
これが逆に、日々苦しくなっちゃうと自殺してしまいそうで恐ろしい気がする。
>>21 ナイーブだね。
宇宙が誕生したことに意味があると思う?
意味も理由もないよ。
>そこで思ったんですがそもそも人が存在するのに理由なんかいらないんじゃないかって
そんなの当たり前なんだよ。
26 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 15:49:01
病気になって初めて、何もなかったことが幸せだったのだと悟る。
ここで問題になるのは、否、正確に言い直すならば、ここで問題にならないのは、「世界は何のために存在するのか」ということである。あるいは「世界が存在する意義は何だろうか」ということである。
存在の意義を問うことほど無益なことはない。我々は世界の始まりについていまだ多くを知らない。ビッグバン理論にせよ、量子論が確率的世界観をそして有と無の驚くべき関係を解明したにせよ、人類はまだ宇宙の始まりについて知らない。
いわんや宇宙以前についてをである 。このような状態で、世界存在の意義を語ることは不可能であり不遜である。どのように誕生したのかすらわからないものの目的を問うことは、主観的には可能であっても、その他客観的であろうとも間主観的であろうとも、不可能である。
私は問う。そもそも人類の誕生以前にこの世に意義は存在したか。否、否である。否でなければならない。意義とは、人間が世界の内容を記憶するための術である。
喩えてみよう。ある男が野原に落ちている棒を拾った。彼はこれを「高い木に成っている果実を採るのに丁度いい」と思い、家に持ち帰った。翌日、彼は家で棒を発見する。
そして記憶をよみがえらせながら自分に呟くのだ。「この棒は、高い木の果実を採るためにあるのだ」と。別の男が棒を拾った。彼はこれを「小動物を狩るのに丁度いい」と言って、友人に見せた。
「この棒は小動物を狩るために持ち歩くことにする」と。ある女は、棒を持って歩いていたところ、友人に会い、尋ねられた。「何のために棒を持っているのか」と。彼女は答える「手の届かない背中を掻くためである」という具合に。
しかし、棒が野原に落ちていることに意義はない。断言しても良い。棒の存在理由は果実を採るためでも、小動物を狩るためでも、背中を掻くためでもない。ただ「ある」のだ。ただ「そこにある」 のだ。
彼らが棒について語った意義は、すべて彼ら自身の記憶の便宜のためである。そして、それ以上の意義はない。
28 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 15:54:34
人が存在する意味は、各個人で決めても宜しい。
生きる意味が分からないと生きられないなら
自分で生きる意味を決めなさい。
>>25 >>27 意味、理由、意義がないのはよく分かったけど、そこで人はなにを頼りに
生きればいいんだ?
仮のものだとしても、そういったものを持ってた方が生きやすいんじゃないか?
こういうのがないと、単に欲望のままに生きてしまいそうなんだが。
お前らのレスを見て、つくづくキリスト教や仏教が発展した意味が分かった。
31 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 16:11:47
DNAでしょう。
ちなみに、ハエと人間のDNAは99.9%以上同じだ。
嘘を言うな、それじゃあチンパンジーよりもハエの方が人間に近いじゃないか
34 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 17:02:54
産まれてきた事に意味がある。なんのために生きているのかを考えるのはナンセンス。
35 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 17:18:46
意味がどうのこうのは極めつけの言葉遊びになるからやめようよ。
存在の意味は、「世のため人のため」しか無理だよ。
>>25 宇宙の誕生に意味があるかないかは、
宇宙が存在しているから我々人間がそんなこと考えることができるわけで。
宇宙がなかったら考える主体の人間も存在しないじゃないか。答えは出ないんだからさ。
それで戻るけど、
生きてる意味を考えるときには、大抵人間は無意味感や無力感に苛まれてるときだよ。
それで言葉遊びで意味が見つかればいいけど今までにそれで見つかった人はいないよ。
意味なんか考えちゃうほどの環境から脱出しなければどうにもならない。
勉強したり働いたり社会奉仕したりして。
それでもあらゆる理屈づけで意味がないと思ってしまうならば、
犯罪はだめだけど、最終的にみなさんが世の習わしによって抑圧されている欲望を解き放つしかない!
ここだけは自己愛を捨てて戦ってみるんだよ、冷たき世と。
36 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 17:24:50
「何を持って」じゃなくて「何を以て」なんだけどね。
みんな凡庸な哲学を語るヒマあったら
まず国語の勉強を始めたほうがいいね。
37 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 18:11:52
38 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 19:02:41
なるほど
これが「空気が読めない」ってヤツですね
39 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 19:04:16
こんな臭い空気なんて読む必要ねーんだよ。
40 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 19:31:57
結論:DNA
以上
41 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 19:34:50
DNAにしても完全な答えにはなっていないんじゃない?
ひとりひとりのDNAは少しずつ違うんだから
42 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 19:43:54
43 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 19:44:41
人間は染色体が46本だけど他の動物は違うしね
でも数でみるとダウン症児は47本なんだよな
DNAと言ってもDNAの何に焦点を置くか
DNAでわけると出生前の胎児も人間だよね。
また死体も人間になるんじゃない?
45 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 19:54:51
結論:DNA
以上
正常な個体同士で比較する場合も
異常な個体同士でも
胎児でも死体でも種の選別が可能である。
だからDNA
終了
46 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 20:34:05
そうだなあ
元はと言えば猿から人間に至るまでの進化の過程を辿ってきたのは人間だけだし
他の動物にはないよなあ
>>45 >胎児でも死体でも種の選別が可能である。
いや、だからDNAによる判別には問題があるってことだろ。
死体をDNAで「人間」と判別してしまったら誤りだろ。
死体は人間ではない。
地球最後の人間が死んでしまった後(人類滅亡した後)に、死体が地上にある状態で、「まだ人間がいる」ってのはおかしいだろ。
48 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 22:28:09
49 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 22:37:34
俺もあくまで感覚的にだが死体は人間とは呼べないかもしれない
でも誰かが死んでまだ原型を留めていてあたかも寝ているだけに見えるのだったら
まだそれを人間と呼んでもおかしくない気がする
さすがに腐っちゃってたりするともうダメかも分からんが
50 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 22:43:10
おう?
てめえさしずめインテリだな。
51 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 22:49:21
人間はあきらめが肝心だよ。
52 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 22:50:09
人生諦めが肝心だよぅ・・・
by天ヶ崎美琴
53 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 22:52:02
たまに自分が誰だか分からなくなるよな
鏡見てるときとか独りきりでいるときが多い
54 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 22:56:56
死体だって人間さ。
どざえもんだって「みつけてちょうだーい。」って浮かんでくるんだよ。
55 :
考える名無しさん:2006/08/30(水) 06:19:03
死体は、死んだ人間だし、
腐れば、腐った人間。
生きる理由に「正しさ」を求めている自分に気がついたとき
>>55 それでは、死体損壊は哲学的には殺人なの?
59 :
考える名無しさん:2006/08/30(水) 17:43:47
かんがうるに、主体が何かを所有するときに名前を付けるのではないだろうか。
国ならアメリカ、ぬいぐるみならラムちゃん、子供なら純一、といった風に。
この行為は個人にとどまらず、共同体、法、概念等々。従って、人間とは他者が
人間と認めるもののことであり、名付けられず、認められないならそれは人間
ではない。
61 :
殺人じゃないよ:2006/08/30(水) 18:11:11
62 :
考える名無しさん:2006/08/30(水) 18:41:44
>>60 たまたまよく見かけるのでこの名前にしました。不都合があるようなので、
変えます。
×純一
○花子
最近は人もどきが多くて困る
64 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 01:52:06
人間もどきかw
65 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 02:09:27
キチガイは人間か
66 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 07:07:13
キチガイも人間だろう
67 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 08:32:54
スレ違いかもしれないが
何を人間として特別に扱うのかということを考えて答える。
つまり、人権の範囲を考えて答えると言うことだ。
それが、ヒトではなく人間の定義(範囲)を考えるってことだと俺は思うから。
現状の基準
>>6が言ったとおりだと思う。
(さらに、生きているという条件がつく
もしくは、死んだ人間には潜在的言語能力はないと考える。)
なぜ、言語能力があると特別なのか(人権を持つのか)。
言語能力があると言うことは、
互いに人権があるという約束を理解することができるということだ。
つまり、お前を殺さないから私を殺さないでくれという約束を結ぶことができる。
だから、言語能力がある私たちは、言語能力を持つものを
人権を持つものとして、互いに特別に扱うんだと思う。
なぜ、潜在的に有するものまで特別に扱うかは
線引きが難しいからだと思う。
つまり、言語的能力を有していない人間には、
上の理由から言って、人権を与える必要はない。
しかし、言語的能力を有するか否かの判断は、
(ヒトであるか否かの判断よりも)難しく、
間違えたときの損失が大きいので、
おおざっぱに、ヒト(潜在的言語能力を持つもの)に人権があると決めたんだと思う。
以上が、私の考えるヒトを人間として特別に扱う理由だ。
このように考えれば、
将来生まれるだろう人工知能にも、人権を与えることが可能だし、
人権を尊重する可能性がないと思われる犯罪者を死刑にすることもできる。
68 :
67:2006/08/31(木) 08:37:18
69 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 09:30:06
文章が長い割りに中身ないのが多いな。
70 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 12:37:20
>>67 言語能力がなくても、コミュニケーションは可能だと思うが?
71 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 12:43:50
72 :
67:2006/08/31(木) 15:51:52
>>70 互いに権利を尊重しよう(例えば互いに殺さないでおこう)という
約束を理解できる者、同士で、
理解できる者を特別に扱うんだと思うんだ。
だから、あなたの言うように、必ずしも言語能力じゃなくてもいいね。
コミュニケーション能力って言った方がいいのかな。
私たちと約束するというコミュニケーションがとれる能力っていうのは
言語的能力っていったほうがすっきりすると思うから僕はそれを使うつもりだ。
もちろんここで、言語というのは手話などの言語も含んでいる。
さっきと逆の方から説明すれば、
もし互いに権利を尊重しようという約束から
あなただけを除外して、
あなたに権利がないと私たちが決めてしまうと
あなたは、その理不尽を理解して、私たちの権利を害するかもしれない。
それは、私にとって不利益だと、みんなが考えるから、
あなたにも権利があると思うんだ。
だから、俺の言う言語的能力っていうのは、
権利がないということを理不尽に考え攻撃する能力と言い換えてもいいと思う。
この能力があるとみんなが思うことによって、
女性にも権利が認められたし、
特定の人種に権利がない状態も崩壊した思うんだ。
73 :
67:2006/08/31(木) 15:59:49
>>71 少し反感を買いそうな言い方かもしれないが、
本来的には、能力のないものに権利があると決定する必要は
能力のあるものにとって、無いと思うんだ。
その理由は上で書いたとおりで、
「私」にとって、能力がない人に権利を認める直接的な利益は、何もないから何だ。
誤解がないように言うと、
本来、能力がある者に権利を与えると言うことを普遍的な価値として
いわば、強制することはできても、
能力のない者に権利を与えるのは「普遍的な」価値とは言えないと言うことだ。
けれども、何をもって、能力がないかを判定するのは
明確じゃなければならないんだ。
そして、「私」の利益のために、間違ってはいけないんだ。
もし「私」が、間違いで、権利がないとされたら、非常に困る。
また、判定のためには経済的な負担がかかる。
だから、現状では、シンプルに、
「人は生まれながらにして権利を持つ」と決めたんだと思うんだ。
そうすればそれは、すべての「私」の利益を守るものと言えなくないから、
ほぼ普遍的な価値になる。
74 :
67:2006/08/31(木) 16:04:33
>>73 修正 それは、「私」の利益のために、間違ってはいけないからなんだ。
関係ないかもしれないが、ヒューマニズム(人間中心主義)
はなぜ「人間」を中心とするのかという理由も、こういうことだと思うんだ。
75 :
考える名無しさん:2006/09/01(金) 17:26:04
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
うつむいた母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って少し涙をこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。
親元を離れて新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になり毎月少しばかりの仕送りもできた。
結婚もして、孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに病気で亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、うわごとのようにこう言った、「野球、ごめんね」。
全身が震え、出ない声を必死に振り絞り俺は答えた
「楽しかったよ・・・大好きだよ母ちゃん」。
人間とは、良心がある人の事
77 :
67:2006/09/04(月) 03:55:25
狭いなぁ・・・
78 :
考える名無しさん:2006/09/04(月) 15:34:34
DNA
79 :
考える名無しさん:2006/09/04(月) 15:39:42
人工知能に人権とか言ってるヤツは調子こきずぎ氏ね。
80 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 12:08:22
>75
実話ですか、悲しいですよね。
母から受けた愛は、お母さんが帰った地球に返して下さいね。
地球を汚す行為は、先だった愛する人を汚すことに成りますからね。
>>75 帰りの電車ちんしかなくて、よく弁当食べられたなw
82 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 11:16:45
>>81 >母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
そんな感じしたけど、一応聞いてみた。
84 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 14:51:52
デカルト機械論から抜けられないんだろ
過疎板ならではの展開か・・・
86 :
考える名無しさん:2006/12/07(木) 18:25:18
>>21さん
>なんで存在自体に意味がない自分がここにいるのかなって
人は産まれた時に過去から時を受け取り死ぬ時に未来に時を渡す、と言う使命を持って産まれてきます。
ただ時を過去から未来に受け渡すのでは無く、自分で時を預かってる間に依り良い形に作り替え未来に引き継ぐのです。
そのことを知るためにも哲学の哲の文字が示す、道理にあかるく成り潜在する知能を呼び覚ます必要が有るのです。
87 :
考える名無しさん:2006/12/07(木) 19:44:08
最近は道徳も何がなにやらよく分からない事になっており
人の道などとのたまった所で化石扱いされる有様であります。
人は如何にして人なりや、人の作る社会とは如何なる物なのか
おにいやん、どうして蛍はすぐしんでしまうのん?
どうしてだって?違う!何が正しいかだって?違う!
もしもこの世を数学と物理学が覆い隠そうとも、この俺は騙されないぜ!
俺の心がそう叫ぶからだ、この熱い胸が違うと叫ぶからなんだ!
そういう感じで行けばいいと思います。
あらゆるものは分割不可能な全体である
89 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 17:15:24
>>87 うん、拍手パチパチパチ
哲学の哲とは道「理」にあかるいこと、を指し示す。
智恵とは物事の「理」を悟り、適切に処理する心、のこと。
この二つの「理」の関連に思惟を深めて下さい。
90 :
考える名無しさん:2007/01/28(日) 17:39:23
>>1 何を持ってして人間を人間と呼ぶのですか?
何を持ってして人を人間と呼ぶのですか?と言う質問ならば答は有りますよ。
だけど>何を持ってして人間を人間と呼ぶのですか? では答えようが有りませんね。
人と人間は違いますが人間と人間では同一なものなので人間と人間の差は有りませんので指摘できません。
91 :
考える名無しさん: