ラッシュは園芸による精神療法、特に精神病院に付属する形での療法の父と考えられるこ
とがある。ラッシュの著書「心の病に関する医学的問診と観察」には次のように書かれている。
病院にはいっている男性の狂人は木を切ったり、火を熾したり、庭園を掘ったりすること、
女性の患者の場合は洗濯、アイロンかけ、床を擦ることでしばしば快復する。
階級が高くてそのような作業を免じられている者は病院の壁の中でいつまでも人生を送る、
というのは注目に値する。
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習慣と常識の重大さと宗教性に通じる事が人間の健全な人生の基本であることを示している。
精神の治療法が健全な常識的な日常的労働そのものが重要な位置を占める事を示している。
これは、昔から続いてきた健全な精神の育成の為の伝統的認識である。
現代でも、単純労働に関しての取り組み方の重大性に気づくものは少ない。
(本当のことを言うと、現代では、単純労働である種の健全さを育成し身につけようとしても、
環境や取り巻く人の性質によって、すぐに健全さそのものを覆されてしまうような
大規模な社会体制が根本的に築きあげられてしまったからなのである。)
ラッシュが、人間の健康全般の基本の土台の体制をアメリカ国家に刻み付けた事をしたと言えるだろう。
これは、更に、人類の健康の土台を新しい形で普遍的に歴史に刻みつけたことをも意味する。
更に、これそのものが、地球上の人間の進化の方向付けの意味をも含む事に気づくものは、
ほとんど今のところ居ないようだが、、、。
血抜きに関しては、刑罰やSMや軍事などの律っして整える働き、
落ちつきの精神安定とそのための支配のための強制的意図、つまり、共同と支配と依存
が前提となる性質のものと言えるでしょう、、、治療行為ですから、当然の事ですが、、、。
そのまま、霊感やシャーマンン的領域に通じたものということも自然に解かる。
精神安定椅子などの一見、拷問に見えるような器具は、ラッシュが、宗教の技術や禅やヨガに通じる精神的訓練
の強制的な装置であることが解かって来るのだが、、、。
しかし、ヒポクラテスも悩んだようなヒステリーや癲癇の問題からわかるような人間の
暗い衝動の渦巻く領域による誤解が付きまとうことに関して問題とする余裕は
無かったに違いない。黒人の人種差別の問題についての取り組みだけで精一杯だったに
違いない。