◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない71◆

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459850 ◆WprJp6iJ4I
>>455  >『「 (諸々の関係の)総体として」「私」が「いる・生じている」』という
観点を彼が認めたとしても、また唯一無二の存在がそれによって保たれ
たとしても、そこから意味のある思想として発展出来なければ、彼の
『感性』がそれを「はじっこに置いた」のではないだろうか。

歴代のまともな唯物論者はそこから意味のある発展ができたからまともな唯物論者であったことが歴史的に明らかになってる
歴代の反対者はそれを端っことしかおもえなかったから反対者であったようなもんだね

 ちょうど中間にユングのアニマ理論がある、ユングがもうちょっと突っ込んで研究してればすべては白日の下かもね
でもこの謎解きはまともな唯物論者もあまりしない
460考える名無しさん:2006/08/18(金) 18:27:10
>>459
>歴代の反対者はそれを・・・・・

私は、そうした対立は、
コップをどの方向から見るか、どの要素に着目してみるか、
の違いだと思っている。
ただ、最高位は、「コップは円だ!」としか言わなかったのだ。
「長方形は妄想だ!」とでも言うようなスタンスだったのだ。
或いは、「コップはガラス製だ」「コップは飲料用の道具だ」としか言わなかったのだ。
それ以外は虚妄だと言ったのだ。

実は、それはそれで、間違っていない。
ただ彼は、それを敷衍しすぎたのだ。
それのみが採り得る視線であるとしてしまったのだ。

君のスタンスも、それに近いように思えるが、違うかい?
思考の、視点の座標原点をどこに置くかで、
表明される言説の有効性が決まる。

大切なのは、自分と違う座標原点の存在を認められるかどうかだ。