◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない71◆
451 :
3時で1時:
>>402 >最高位氏の言葉にも曖昧な点(論理的観点)が見えましたが
最高位氏は「もう嫌になった。2chはやめたい」と引退をほのめかす
ようなことを前スレで言っていた。
きっと家業に専心しているのだろう。観てはいるのかも知れないな。
出てきて同じようなことを言えば関わるのだが、相変わらずスルーす
るだろうな。彼の話術は「感覚に訴え、分かりやすい」ので、さすが
だと思うところがあったけど、矛盾が多すぎて呆れる部分が多かった。
「感じればそこに『私』はいるだろ? 」としながら、『私』はいかな
る方法でも絶対説明できないとする。その絶対説明できないものが、
「感覚器官を『感じ』、酒の『影響を受ける』のだ」とする。『私』
が物質である感覚器官をどのようにして『感じる』のかを説明せず、
それは「唯物論者が説明すべきだ」と開き直る。明らかに説明責任は
彼にあるのだが、それができなかった。
「論理的に、わかるわけもない事にまで断定的に言及するからトンデ
モだ」としながら、「『私』が感覚器官を感じるのだ」と言明してし
まったところに彼の失敗があった。また、彼はデカルトの懐疑を疑え
なかった。彼はどえらい発見をしたと思いこみ「誰が思っているのか
?」「誰が客体視しているのか?」ばかり考えるようになった。それ
ゆえ「誰が?」という『あっち向いてほい』を何遍も仕掛けたのであ
る。『あっち向いてほい』に引っかからない者に対してはスルーであ
る。もはや、穴だらけの大風呂敷で、スルーも限界だと悟ったかどう
かは分からないが、単純に面白い人であつたことは確か。
452 :
434:2006/08/18(金) 15:09:55
勝手に
>>451続きw
彼はまた、「私」の「(具体的)在り様」については述べなかった。
だから、『「(諸々の関係の)総体として」「私」が「いる・生じている」』という見方はどうなのか?
と問い続けたのだが、結局答えを貰えずじまいだった。
この見方でも、唯一無二の絶対性は保障されるし、
他人ではなく自分であるという主体性も保持し得るのに・・・。
彼のもう一つの失敗は、唯物論破壊にこだわりすぎた点であろう。
別に破壊する必要もなく、ただ、「限界を認めようよ」と発言すればよかったのに・・・。
主張のための言説(補足説明)が、唯物論的思考を基底にしたものになっていたこともミスであろう。
『「私」がいる!』ということを主張したいのか、
『唯物論を否定』したかったのか、
ハッキリさせるべきだった。
両方主張したいなら、明確に区分して、それぞれにふさわしい言説をすべきだった。
詳細に提示できたその後に、両者を統合させてゆくべきだった・・・。
最初に統合し、統合を成り立たせるための言説を継ぎ接ぎするから、不整合が出てしまう・・・。
私も、(罵詈雑言を除けばw)彼には好感を持っている。
最高位さんが超えなければいけないハードルは、
「私とは何か。『私一般という実体』があるとする証拠」
「私が何故、身体を動かし感じる事が可能なのかという説明」
「私一般という実体があると仮定して、それが唯物論の否定に
何故なるのか」
「思考実験が唯物論の否定になっていない事の理解と反論」
これに明確に答えること。最高位さんはこれらについて質問された時に
全く答えられない。それで相手を一方的に責めても駄目なんです。
454 :
3時で1時:2006/08/18(金) 16:02:23
>>452 >『「(諸々の関係の)総体として」「私」が「いる・生じている」』
という見方はどうなのか?と問い続けたのだが、
彼は「自分のような観点がとれないことが不思議だ」と言っていたよ。
自分の観点が唯一正当なものとのとの「とらわれ」が在ったのだろう。
俺が、「自分が思う前にそれを決定するシナリオが『私』によって超
然としてなければ、そのように思うことは避けられない」と言った時、
「それはそうだが」としながら、やはり「だから、どうしたと言うん
だ」という思いにとらわれたと思う。つまり、説明を認めても、そこ
に「こうすべき」との言説がないと「主張がない」として退ける。彼
は「正しい説明」より、「意味のある主張 」「価値のある主張」を優
先したかったのだと思う。
455 :
3時で1時:2006/08/18(金) 16:06:24
>>452 彼には「この思う、思っている自身を感じている『私』によって『私』
の存在性は在る」という観点あり、それによって「素晴らしき人生」が
あるのであり、それが「主張」であったのだろう。あなたの言う『「
(諸々の関係の)総体として」「私」が「いる・生じている」』という
観点を彼が認めたとしても、また唯一無二の存在がそれによって保たれ
たとしても、そこから意味のある思想として発展出来なければ、彼の
『感性』がそれを「はじっこに置いた」のではないだろうか。
彼は「この世界を説明する唯物論」ではなく、悪しき思想としての唯物
論を否定したかった。だから、科学的視点と唯物論を混同するなと言い
続けたのではなかろうか。
彼が放った言葉で傑作だったのが、「脳なんて皆いっしょだろ」。罵詈
雑言の中では「まったく左脳がないんじゃないかと疑うよ」との台詞。
456 :
3時で1時:2006/08/18(金) 16:24:38
>>453 まさに。
彼は『私』が在ると『実感してしまい』、それは誰にでも言えることだ
と認識し、『私一般という実体』はもはや疑えない域までに達してしま
った。けれど、
あなたの意見に対しても答えられなかったし、俺の「あなたは否定した
くても、結局あなたは霊魂支持者でなければならない。」にも答えられ
なかった。「くだらなさすぎて論議にならない」として避けながら、ど
うでもよい揶揄にはよく反応したなぁ。
457 :
434:2006/08/18(金) 16:57:08
>>454 なるほど。
>>455 なるほどなるほど。
> 彼が認めたとしても、また唯一無二の存在がそれによって保たれ
>たとしても、そこから意味のある思想として発展出来なければ、彼の
>『感性』がそれを「はじっこに置いた」のではないだろうか。
> 「この思う、思っている自身を感じている『私』によって『私』
>の存在性は在る」という観点あり、それによって「素晴らしき人生」が
>あるのであり、
だからこそ、その先に、彼独自の(彼自身の)ビジョンが欲しかった。
彼の発言は、人間を(いや、自分を)大切にする、という姿勢に裏打ちされている。
だからこそ、「全ては(個物と、その)関係としてある」という視点に対して、
野次だけでなく、もっとツッコんだ言葉が欲しかった。
関係性という視点が、人の尊厳を消失させることがあるとすれば、
それはどのような時か?そうならないための視線の方向の修正は可能か?如何なるものか? と・・・。