792 :
考える名無しさん:2009/12/26(土) 02:37:02 0
>前レスのつづき
当時の戸坂のこうした同時代の認識に較べると、丸山の戦前認識は完全にファシズム一辺倒に
偏ってる気がする。
たしかに第二次大戦中は自由主義も抑圧されただろうけど、それ以前はそれほど厳しい状況に
は置かれてなかったと思う。
丸山自身はだいたい自由主義的立場だと思うけど、だからこそ彼にとっては戦中に抑圧された
経験というのは相当に強烈な印象だったんだと思う。
だけど上で戸坂が言うように、日本の民主主義はかなり歪んだものであっても、それなりに存
在していたという指摘が重要だと思う。
丸山の考え方だと、敗戦後にようやく日本には民主主義が到来して民衆のなかに受容されはじ
めた段階で、それゆえその受容を促進する不可欠の要素として丸山以下の知識人の存在が位置
づけられてくることになる。
だけど、やはり戦前からある程度の民主主義的な基盤が広く分布してたからこそ、戦後の民主
主義が新しい形態として浸透し発展していくことが可能だったという点も考慮すべきだと思う。
そうした戦後民主主義の浸透や発展に寄与した丸山らの戦後知識人の役割を否定するつもりは
ないけど、戦前をファシズムの暗黒時代としてのみ描き、しかもそこである程度の民主主義的
経験を積んでいた民衆を一方的にファシズムの担い手とし、逆に本来なら民衆の立場にたって
積極的にファシズムと対抗すべきだった知識人たちを、ファシズムへ積極的に協力しなかった
という理由だけで免罪するというのは、やはり理屈に合わないと思う。
793 :
考える名無しさん:2009/12/27(日) 23:24:37 0
>>792
うーん初めて書き込みしますが、民主主義の前に「いわゆる」をつけたほうがいいと自分なんか思うんですが。西洋のいわゆる民主主義は日本が獲得した民主主義とは根本的に大衆の受け止めるイメージとは違うと思う。
西洋の民主主義は血を流して獲得したものだし、日本の場合は現在でも明治以前でも、封建主義下でお上から与えられてたものなので。西洋思想至上主義で考えるからそうなると思う。
だから歪んだという形容は実際の当時の状況を考えながら言わないと危険のような感じがするし、島国根性の好奇心的革命心なところも当時の一部の知能指数の高いひとたちにありがちなことだし。
日経の脅し文書
渡邉正裕
日本経済新聞社(杉田亮毅会長)から、言論の萎縮と封殺を狙ったと
みられる文書が届いた。「法的措置も検討しております」「強く警告するものです」
などと記してある。この会社は、雑誌や本などに都合の悪い事実を書かれると、
弁護士にカネを積んで萎縮・口止めを図る。SLAPPの一種だ。
過去には大塚将司氏を名誉毀損で訴えているほか、鶴田元社長が高杉良氏を訴えている。
巨大部数を持つ新聞社が名誉毀損で個人を訴えるケースなど、読売と日経くらいでしか聞かない。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1172
795 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 00:33:48 0
>>787 丸山によれば「第二類型」と「大衆(第一類型を含む)」との決定的な違いは
「第二類型」が高等教育によって西欧式教養や価値観を身に付けていたのに対し
「大衆」は伝統的な価値観に埋没しているというものだった。
そして丸山自身が「第二類型」の一例として「学生層」を挙げている。
「学生」にもピンからキリまでいただろうが「帝国大学の学生」といえば
「学生の中の学生」で当時の日本としては最高度の西欧式教養を身に付けて
いたはず。そしてその中からさらに高文試験を突破した者がエリート官僚としての
コースを歩むことになっていた。彼らは高文試験に合格した途端、旧制高校や大学
で身に付けた西欧式教養などは忘れてしまったのか?
なまじ高文試験に合格した連中のほうが西欧式価値観を放棄して国家主義に接近し
尾崎秀美のように高文試験に失敗した連中のほうが西欧式価値観を維持したのか?
どうも釈然としない話だ。
796 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 00:44:07 0
>>795の続き
ついでに言うとファシズムの音頭とりをしたのは官僚だけではない。
「文化人」の中にも沢山いた。
平泉澄は? 大川周明や蓑田胸喜は?
若い頃の家永三郎が平泉に傾倒していたのはまぎれもない事実だ。
797 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 01:21:16 0
>>793 たとえ「いわゆる」付きでも「歪んだ」形でもとにかく「立憲政治」
とか「自由」という観念が国民の間に存在したという事が重要。
たとえば普通選挙などは血を流さなくても数十年に及ぶ先覚者の努力
とそれに対する人民の支持があってこそ実現した。
798 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 10:24:12 0
ちなみに、私は、サイエンス(science ラテン語なら scientia スキエンティア)を、「科学」と訳すのが
大嫌いです。「科」の「学」、一体の何の意味だ?
そこでずっと「学問、近代学問」と訳して使い続けています。そうすると、scientist サイエンティストの
ほうも「科学者」という訳語を使いたくなくて、そのため長年自分で勝手に不便を感じて困っています。
「近代学問者」ではどうもよくありません。それで仕方なく時々は、「科学者」を使います。私は、
ナチュラル・サイエンス natural science は、「自然(についてに)学問」、ソシアル・サイエンス
(social science 政治学、経済学、社会学の総称)は、「社会(についての)学問)と書きます。
「自然科学」、「社会科学」という言葉を、極力使いたくない。
副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P208~209
799 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 10:25:01 0
日本の大学の理科系(理学部、工学部)の教育の1年生の教育では、この「実験の大切さ」を叩き込まれると私は
聞いています。これは優れた教育法だ。実験の授業では、学生が、自分でやった実験の結果や、目視した物、
それから、実験の結果(成果)として得た数値などを、絶対に、ごまかしたり、改ざんしたりしてはならない。
と教える、という。当たり前のことのように思われるが、この実験と観察の、初歩の訓練はきわめて大切である。
自分の実験の結果が、当初の予定から、どんなに外れていても、失敗に終わってもそれでも出現したおかしな
結果や数値を、そのまま、正直に書いて、教授に提出しなければならない。これが理科系の教育の良さである。
この一点で日本の理科系の学部は優れている。これだけ日本の大学教育の実情がひどいことになっており、
見るも無残な現状なのだが、それでも理科系の学部では、まだ、この実験と観察の方法学(メソドロジー)が
生きている。これが日本の優れた技術者を大量に育てた原因だろう。
それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。
自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、
そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。頭の悪い日本
の大学教授たちが書いた、どうしようもない硬直した教科書や、自分の思いつきを書きなぐっただけの本を、
ただ読まされる。あるいは寝言のような自分勝手な考えを、講義と称してひたすら聞かされるだけだ。
日本の大学の文科系の教育は腐り果てている。
文科系の学問は、学問対象が、社会や国家や、人間集団だから、簡単には実験の対象にできない。このことを
言い訳にして、それで、欧米で作られた理論をただそのまま「換骨奪胎して」(つまり日本語という言語に
置き換えて、泥棒して)「和魂洋才」で垂れ流しているのがほとんどだ。
副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P216~217
800 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 10:26:15 0
アメリカでは、学問(サイエンス)というのは、「自分の打ち立てた仮説(理論)を、実際の、現実の社会の中でみずから、
ポリシーメイカー(政策立案実行者)として実験してみて、その結果を冷酷に検査すること」なのである。
これを、positivism (人為的実験証明主義とでも訳すか)と言う。このポジティビズムを、「実証主義」などと、訳して、
分かった気になるな。この世で、実証できるのは、自然学問(代表、物理学)系の実験だけだ。これは厳密に同じ条件で
誰がやってみても同じ結果になるものだから、これは本当に学問(サイエンス)なのだ。
ところが、人間社会を対象にする学問、すなわち、ソシアル・サイエンス(私は、社会学者という訳語が嫌いだ)は、本当に
サイエンスとして成立しているか、ものすごく、今でも怪しいのだ。なぜなら、現実の人間社会を使って実験証明(ポジティ
ビズム)するというようなことは、できないからだ。ソシアル・サイエンスとは、それでも、一応、次のようなものだ。
人間社会を刺し貫く諸法則を発見すること。かつそれは、個々の人為や願望から独立した客観であり、同一条件でなら、
世界中どこにでも存在するものでなければならない。そしてそれらを、冷酷に記述することである。
だから、これは、文学即ち、=下等学問=夢の世界との混合=人文(じんぶん)=今の北朝鮮の人間たちと同じ
=カルトの世界=幼児の並みの人々=なのに自分を知識人だと勘違いしている日本の文芸愛好的読書人階級。
これらの、一切を排除したものの考え方のことである。ところが、このソシアル・サイエンス(政治学、経済学、社会学、
サイコロジーの4つ)がアメリカでも、1980年代に、どうも、うまく行かない、ということが、判明し始めて、それで、
世界的に困った事になったのである。アメリカ行動科学(ビヘイビアラル・サイエンス)という、壮大な学問体系は、
50年代にアメリカで起こり、そして80年代には崩れ去ったのだ。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P37〜38
801 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 10:42:29 0
まず「自由主義者」の訳であるが、「リベラリスト」と言う言葉は、ドイツ語にはあるが、英語ではリベラルズ
liberalsというのだ。「リベラリスト」と言う英語は無い。日本の知識人層は、この初歩の事実から学ばなくては
ならない。リベラル派の反対がコンサヴァティヴズ(Conservatives・保守主義者)である。日本やアメリカで、
自分の事を「リベラル」だと思っている人々は、そもそもの、本物の歴史上の「古典的自由主義者」とは似ても
似つかぬものだ、と言う事に気づいてほしい。今の日本やアメリカのリベラル達は、本物の自由主義者達とは
反対の立場の人だのだ。言葉だけは「リベラル」だから、きわめて紛らわしい事になったのだ。
それは、イギリス人の18世紀の初期リベラル思想が、海を渡ったアメリカで共和党系の思想になったからだ。
このねじれを理解しなければいけない。
日本やアメリカの現代リベラル達は、本当は、今でも隠れ(あるいは無自覚な)社会主義者(ソーシャリスト
Socialists)たちである。だから、「本物の本来の自由思想を貫く生き方をしたい」と言う人々は、アメリカでは、
仕方なく、自分達の事を リバータリアン(Libertarians)と呼ぶようになった。
アメリカでは、民主党支持であるリベラル派は、その実態は福祉優先の弱者救済主義者である。このことに
気づいて、最近は自らを「現代リベラル派(モダン・リベラル)」と呼んで保守思想である 古典自由主義者
(クラシカル・リベラルClassicalLiberals)と区別をつけるようになった。本物の自由主義とは「この、私の
私自身の自由を、他の何よりも大切にする思想」の事だ。だから、根本的に、個人主義者なのであって、
共同体優先主義(社会主義)ではない。
802 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 10:43:16 0
18世紀のイギリスの本物の古典的自由主義者たちは・「国王や教会が、私たちの生活に余計な干渉
をしないでくれ」という思想態度から興ったものである。だから本物のリベラルというのは、本当は、
徹底的に新興企業経営者層(ジェントルマン)たちの思想なのである。これが、イギリスのウィッグ党・
ホイッグ党(Whig 自由党)の支持勢力を作った。そして、トーリー党(Tory 保守党)である、貴族
たちの勢力と争ったのだ。
一般庶民(貧乏大衆)の政党などまだまだ現れない。このウィッグ(イギリス自由党)の思想が海を
渡ってアメリカに到着した時に、これがアメリカの保守勢力であるアメリカ共和党になってゆくのだ。
だから「もともとのイギリスの自由主義者が、現在ではアメリカの保守主義者」と言う事である。
いつの間にかねじくれて意味が逆転してしまった。即ち、本来の「リベラル」という言葉が、民衆
統合主義者や、左翼・社会主義者たちによって奪い取られてしまったと言う事である。この世界の
政治思想上の言語使用上の重大な逆転現象に、私たちはそろそろ気づかなければならない。
この事が分らないものだから、日本では政治学者たちですら、現代リベラル派と、本来の古典派
自由主義者の区別がつかないのだ。
副島隆彦著 「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」 P143〜146
803 :
考える名無しさん:2009/12/29(火) 10:44:48 0
「日本人はデモクラシー(Democracy)なるものを、「民主主義」などと言う気持ち悪い言葉に訳して、
それで分ったつもりになっている。何故「デーモス・クラティアDemos-kratia]が「民主」の「主義」などであろうか。
「デーモス」とは、民衆、貧乏人大衆、の事である。クラティアとは、制度・体制・支配(オーダー)の事である。
ゆえに本当は、デモクラシーは「代議制民主政体」(民主制)と訳さなくてはいけない。
すなわち、国民の大多数である貧乏人大衆(ピープル)が自分達の代表を選び、その者達に権力(パウア)を握らせる
政治体制、の事である。
このデモクラシーの定義さえも理解できないのなら、一切のエラソーな事を言うのを、自ら停止せよ。
だから、民主政もまた、冷酷な支配体制(政治体制)の一種なのであって、「無条件にすばらしい」ことなど全くないのだ。
副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」P85から引用
804 :
考える名無しさん:2010/01/03(日) 16:48:03 0
>>795 >彼らは高文試験に合格した途端、旧制高校や大学
>で身に付けた西欧式教養などは忘れてしまったのか?
当時の旧制高校→大学の卒業生たちの後年の回顧によく出てくるように、学生の
頃の自由主義というのは、文学主義や哲学主義と同じく、ある種の教養の一部に
過ぎなかったといえるだろう。
社会に出て官僚や大企業の管理職として昇進ルートを上がっていけば当然考えは
変わる。
>>787で述べたように、丸山は支配層と大衆とのいずれにも位置づけられない独自
の階層として中間層を設定し、それをインテリと亜インテリに類型化している。
官僚が元は学生として中間層のインテリ部分をなしてると言っても、それはあくま
で学生である間のことで、官僚として組織の構成員となれば当然考え方も支配層の
それに変わってくる。
丸山が指摘していたように、戦前高等教育の西欧式教養というのは、あくまで没
価値的な専門技術=立身出世の手段としてしか機能せず、本来的な意味での思想
=価値体系として受容されなかったという弱点をもっていた。
インテリがファシズム的な非合理主義に積極的に抵抗出来なかった理由も本質的
にその辺に存在した。むしろそうした教養とは無縁の亜インテリの方がそういう
点では迷いがなく、国家の喧伝する思想に能動的にコミットしえた。
戦後にしても団塊の世代を見れば、学生時代は左翼思想に傾倒したり政治運動に
参加したり反体制を標榜した連中でも、卒業後は豹変したり、それなりの責任あ
る立場になれば変わっていった部分が大半。
この点で左翼思想は、戦前の自由主義思想と同様に学生の教養の一部をなしてい
たと言えるだろう。逆から言えば戦前の自由主義もその程度の定着性しかもたな
かったということ。
>>791-792 戸坂の視点を基準にして見ると、たしかに丸山の位置づけはそうなると思う。
丸山が青年期の頃は、戸坂が唯物論研究会を組織して旺盛な著作活動を展開し
ていた時期と重なるから相当読んで影響を受けてたはずだと思うけど、ただ丸
山の戦後の著作で戸坂に触れてるのは、『日本の思想』に収録された「近代日
本の政治と文学」で戦前の戸坂と小林秀雄との論争に関する部分のみだね。
あとどこかの座談会の席上で、戸坂と三木清が話題になった時に丸山は、戸坂
にはルネッサンス的な明るさを感じ三木清には暗く澱んだ感じを懐くけど自分
は三木に共感をもつというように語ってたと思う。
だけど丸山のファシズムや右翼の分析というのは、戸坂のファシズム論を(そ
れとは明示してないけど)内容的にかなり引き継いでいる部分が多いように感
じられる。ただ戸坂もファシズムの担い手を中間層としてはいるけど、丸山の
ようにインテリと擬似インテリというような分類はおこなっていない。
戸坂はマルクス主義で丸山と立場は異なるし、しかも丸山が活躍する戦後には
既に死んでるわけだけど、丸山にとっては対抗心というか、内面での競争相手
という位置づけをもっていたのではないかと思う。
戸坂はアカデミズムとジャーナリズムとの接点を意識的に探った哲学者だった
けど、そういう点では丸山も似たような位置にあるし、あと文体や言葉の表現
上でも丸山には戸坂の影響を受けてるのではないかと思わせるような部分が見
受けられる。
多くの丸山論のなかでも戸坂と丸山の思想的な関係を論じてる研究はないみた
いだけど、最近盛んな戦前も含めた近代日本思想史の題材としては面白いんで
はないかと思う。
806 :
考える名無しさん:2010/01/08(金) 00:45:37 0
もし
>>804が正しいとすると戦前の「第二類型」が身に付けていた西欧式教養
などは一種の知的アクセサリーに過ぎず、状況次第でどうにでも変わるような
ものだったということになる。するとそもそも「第一類型」と「第二類型」の
間に丸山が言うような価値観の根本的相違なんてあったのか。「第二類型」で
国家主義に走る者もあれば「第一類型」を含む大衆で「立憲政治」の概念を
一応理解している者もいたというのが実態ではなかったか。
戸坂潤が言うようにたとえ歪曲された形にせよ「自由」という観念が庶民の間
にある程度浸透していなければ戦後の日本で民主主義が比較的順調に定着する
ということもありえなかったろう。
807 :
考える名無しさん:2010/01/10(日) 19:48:56 0
丸山眞男手帖52号が届いた。
今回はノーマン・都留重人との対談(1949年)と晩年(1988年)の座談会の
記録。いずれも丸山眞男座談には未収録のものだそうだ。
まだ未公開の報告や座談の記録がずいぶんと残ってるみたいだね。
いったいいつまで続くんだろ?>手帖
>>807 たしか死去したのが96年だからもう14年も経つのか。
全集、座談集、講義録、回顧談、書簡集、話文集だっけ。
全集は生前から刊行されてたけど、その他は死後この十数年の間だよなあ。
よくもまあ次から次へと出たものだ。
死去した当時はもう遠い過去の思想家という感じだったけどな。
むしろ死んでから改めて見直されはじめたような気もする。
でもこれって教え子たちが学界の主要なポストに就いてたから可能だったともいえるよな。
809 :
考える名無しさん:2010/01/15(金) 17:33:22 0
>>806 だいたい同意。
戦前社会で高等教育を受けた学生たちの大半にとって
>西欧式教養などは一種の知的アクセサリーに過ぎず
ということだったんだろう。
だから丸山の第二類型に相当する知識人というのも、知的職業としてはそれなり
の社会的地位があったとしても社会への影響力という点では多寡が知れていた。
そもそも近代日本で第二類型的なタイプの知識人がそれとして認知されるのは、
夏目漱石ぐらいからではないのかな。大学教授とかではなく文筆業のみで生計を
営み社会的な声望も得ることができるようになるという点では。
あと第二類型的な知識人たちの間には、戦前から戦中にかけて国策へ協力した点
や無関心だったことへの反省として、戦後にある種の共同性が生まれた点を丸山
は指摘し、これを後に「悔恨共同体」と表現している(『近代日本の知識人』)。
そこでは簑田や平泉のような極端な右翼思想派は別として、右は和辻哲郎あたり
から左はマルクス主義者までを包括するような幅広い範囲で、一種の知的な共同
性が論壇や文壇で発生し1950年代後半頃まで続いたという見方だ。
中間層のうちであえて第二類型を区別したのは、戦後のそうした雰囲気とも関係
してたのだろう。
810 :
考える名無しさん:2010/01/16(土) 12:30:06 0
丸山が「第一類型」と「第二類型」の相違ということを言い出したのは
戦争直後の昭和21〜22年のことで「悔恨共同体」というものはまだ
それほどはっきりした形をとっていなかったと思う。
やはり丸山が観念的、公式的に頭の中で考え出したもので、ただそれが
結果的には「知識人」を免罪するような形になったため、自らを「真の
インテリ」と自負する人達に持て囃されたというところではなかろうか。
812 :
考える名無しさん:2010/01/17(日) 12:01:05 0
戦後、戦没学徒兵の遺稿を集めた「きけわだつみのこえ」という本が
大ベストセラーになったことがある。この本には「反戦的」でありながら
「心ならずも」戦争に動員された学徒兵の「悲痛な心情」が充満していて
「学徒兵」というものについて非常に美化されたイメージが出来上がった。
後年暴露されたところによると編集者が遺稿の中の好戦的、国家主義的、
軍国主義的表現を勝手に全部削除していたんだよね。
丸山が描いた「第二類型」のイメージも丸山が観念的に美化したものという
印象が強い。
813 :
考える名無しさん:2010/01/17(日) 12:50:09 0
色川大吉は帝大在学中に学徒出陣した典型的な「第二類型」だが
日本の戦争は「聖戦」だと確信していたと自分で言っている。
814 :
考える名無しさん:2010/01/18(月) 20:33:43 0
色川など学徒出陣世代は、もの心ついて以来、満州事変や国内での政治抗争と
いう環境で成長してるからむしろそれがノーマルだろう。
戦後知識人のひとりとされ、最近再び注目を集めてる竹内好なんかにしても、
大東亜共栄圏的発想を中国解放と結びつけて、日中戦争には否定的だったけど、
対米開戦の時点ではそれを肯定的に評価していた。
大東亜共栄圏は、実際には日本の中国や東南アジアへの軍事的侵略の合理化に
過ぎなかったけど、当時はそうした次元とは別に、西欧列強からのアジアの解放
という方向で独自に思索した人たちもいた。微妙なところでは三木清あたりかな。
>>814 戦時中の「近代の超克」や「世界史的立場と日本」なんかそうなのかな。
どちらも戦後には否定的な評価だったと思うけど。
816 :
ひみつの検閲さん:2024/12/12(木) 06:12:05 ID:MarkedRes
817 :
ひみつの検閲さん:2024/12/12(木) 06:12:05 ID:MarkedRes
>>815 「近代の超克」は冨山房百科文庫で出てるね。大きさは新書版だけど。
竹内好の論文を解説がわりに収載してる。
「世界史的立場と日本」は復刻されてないな。古本屋でも見つからない。
昔大学の演習で使うので探したけど見つからず、図書館で元の中央公論の
掲載号をコピーした記憶があるよ。
819 :
考える名無しさん:2010/02/20(土) 02:33:51 0
>>812-813 色川などの学徒出陣世代と丸山のように既に30歳過ぎて徴兵された世代とでは、
かなり戦争への感じ方や捉え方が違うと思う。
俗に「戦中世代」として一括される世代でも、年齢がひとつ異なるだけでそれぞれ
の時代経験はかなり異なる、と丸山自身どこかで述べていた。
特に20歳前後の思想形成期をどういう時代環境の中で過ごしたかはかなり決定的
だろう。
丸山の場合は1914年生まれだから、20歳前後の頃はまだマルクス主義以下の社会
科学を受容する機会があったけど、色川の世代はすでに中学生の頃には日中戦争
が始まってたからそうした経験は皆無だったはずで、それらの世代から戦時体制
への批判が出てくる可能性はない。
丸山が「第二類型」の念頭に置いてるのは、自分と同じかもしくは主には彼より
年上の世代に属する知識人(身近では恩師の南原繁や法学部教授層)だろう。
色川の世代ならば、そうした世代が当時の政治や社会の動向に対して無批判で
無力だった点を躊躇なく批判できる位置にいたわけだが、丸山の世代は彼らを
批判すると同時に自らも批判されるという微妙な世代に属していた。
上の世代の知識人たちへの批判は、同時に自分自身に対しても直接跳ね返って
くるわけだから。
戦中の知識人の動向に対する丸山の擁護的発言には、世代論的に見ればそうした
屈折が反映してるようにも見える。
820 :
考える名無しさん:2010/02/20(土) 09:59:43 0
>>819 そうだとすると丸山の説は結局自己弁護だということになるね。
821 :
考える名無しさん:2010/02/20(土) 12:09:57 O
丸山塾www
>>819 >色川の世代ならば、そうした世代が当時の政治や社会の動向に対して無批判で
>無力だった点を躊躇なく批判できる位置にいた
色川の世代というと吉本隆明なんかも同じだよね。
吉本への丸山に対する批判とそれへの丸山の反応いうのも、両者の世代間の
ギャップ、つまり戦争体験の違いを考慮する必要があるかもね。
あと吉本と同世代の丸山門下だと藤田省三がいるな。
藤田も丸山学派に数えられるけど、実際には丸山の批判的継承という気がする。
吉本なんかとも対談してるけど、同世代的な共感からか結構話しが噛み合ってるし。
>>820 簡単にそう言いきるのは、丸山に対してチト酷だろ。
そもそも戦前・戦中期に代表的な知識人と見られてた人々の過半は、戦後は完全に頬被りしたままだ。
武者小路実篤のように「自分たちは騙されてた」と被害者ヅラをした連中が大半だし、小林秀雄あたりに至っては
完全に居直っていた。
和辻哲郎にしても国粋主義に近い議論へと傾斜しながら、戦後はまた何の反省もなく自由主義的な方向へと軌道修正しているし、
西田門下の京都学派なんかも時局に便乗して舞い上がってた癖に反省のカケラもない。
それらと較べれば丸山の世代=戦後知識人というのは、自己弁護以上にかなり深刻な自己批判をしてるわけで、
その点でそれ以前の世代の知識人たちの姿勢とは断絶している。
後に彼らが戦後知識人と一括され批判されたのも、彼らが文字通り戦後の知識人第一世代としてまったく新しい立場を構築し、
後続する世代にとってその言説がひとつの指標になったという前提があったからだ。
824 :
考える名無しさん:2010/03/02(火) 21:20:10 0
>>823 >そもそも戦前・戦中期に代表的知識人と見られていた人々の過半は、戦後は完全に頬被りしたままだ。
丸山はそのような代表的知識人=典型的な第二類型は戦争に協力せず、消極的抵抗さえ行ったといってるわけ。
もしそれが本当なら彼らは反省する必要なんかないことになる。
結局丸山は自分自身がその一員と自負する「正統派知識人」が頬被りしているのを擁護している事になる。
あくまでも「正統派知識人」の権威を守るため、「正統派知識人はこぞって戦争に反対した」という
フィクションを作り上げたのではないか(あるいは自分でそう思い込んでいるのかもしれない)。
そういう意味ではやはり一種の自己弁護だよ。
825 :
考える名無しさん:2010/03/03(水) 03:42:00 0
丸山は自分自身が中国の人民公社や文革を絶賛していた事については
頬被りを決めこんでいたな。
826 :
ひみつの検閲さん:2024/12/12(木) 06:12:05 ID:MarkedRes
827 :
考える名無しさん:2010/03/20(土) 00:35:24 0
>>825 丸山真男が人民公社や文革を絶賛していたという文章ってどこにあるの?
具体的に当該文章を列挙してくださいね。
いい加減なこと言わない方がいいよ。
828 :
考える名無しさん:2010/03/20(土) 10:38:35 0
>>827 国立国会図書館に行って当時の新聞、雑誌をしらべてみろよ。
ちなみに丸山は「戦後日本の革新思想」の中で「自分はずっと反・反共で
やってきた」と言っている。共産主義の実態がどうであろうとそれへの批判
は反動化を招くから許されないということらしい。
すると89〜91年の東欧、ロシアの民主化運動について丸山はどう思って
いたのか、それについては丸山は何も言おうとしない。
829 :
考える名無しさん:2010/03/20(土) 12:15:14 0
>>827 古い時代の事はよくわからないのですが、竹内洋「丸山政男の時代」に
「(丸山が)中国の人民公社や百家争鳴運動に対して手放しに近い賛同
をした」とありますから、そういう事実はあったんじゃないんですか?
830 :
考える名無しさん:2010/03/20(土) 13:03:21 0
間違えました
「丸山政男の時代」→「丸山眞男の時代」
831 :
考える名無しさん:2010/03/21(日) 02:05:58 0
家永三郎なんかもそうだったな。「自分は共産主義者ではない」と言いながら
「中国共産党の民主主義」を絶賛し金日成を一方的に賞賛した本の帯に推薦文
を書く。アメリカを「反共侵略国家」と罵倒しながら、北方領土問題について
は「いたずらな反ソ宣伝に踊らされてはならない」と言い、文部省がベトナム
戦争後の中越戦争やポル・ポトによる大虐殺も教科書に書くべきではないかと
いうと「共産主義への不信感を煽ろうとするものであり憲法違反」と言って
拒否する。それでソ連が崩壊したときには「私は共産主義については門外漢、
ソ連崩壊についても特に感慨はない」と来た。
832 :
考える名無しさん:2010/03/24(水) 01:09:34 0
>>828 確かにね。90年ごろのソ連や東欧の民主化運動も共産体制を打倒したという
意味では反共運動の一種だわな。そのような運動を肯定するのか否定するのか
丸山は沈黙していた。これまた一種の頬被りだな。
833 :
考える名無しさん:2010/03/24(水) 06:14:40 0
>>828>>832 頬被りなぞしてないよ>丸山
丸山にケチをつけたつもりが、逆に己の無知をさらけ出してるぞw
丸山は反・反共主義だが、それは政治的姿勢としてで、別にマルキストだっ
たわけではない(丸山自身は、マルクス主義に対しては戦後一貫してライバ
ル意識をもっていた)。
丸山は社会主義を思想・運動・体制という三つの次元で厳密に区分し、思想
としてのマルクス主義にはコミットしたが、ソ連以下の共産圏の現実の体制
には批判的だったし、日本共産党の運動・組織についてもかなり辛辣に批判
していた(それで代々木からは終始一貫して目の敵にされた)。
だからソ連や東欧の体制が崩壊するや否や「社会主義は終わった」式の論壇
やマスコミでの論調が風靡したことに対して、いかにも浅薄な時局迎合主義
と最新流行主義だと手厳しく批判している。
丸山からすれば、戦前のファシズム体制や大陸侵略を「世界新秩序」だとか
もて囃してたマスコミや論壇人たちの時局便乗的で軽佻浮薄な態度が現在で
も相変わらずだと映ったんだろうな。
それで「今こそ逆に社会主義思想を積極的に擁護したくなる」といったアマノ
邪鬼的発言も出てきたワケだ。
思想史家からすれば、社会主義思想(それもマルクス主義のみならず多様な
かたちで存在した)と実際の体制や制度とはハッキリと区別されるべき存在
だから、思想=体制と単純に考えたり、しかも新しい思想はそれ以前の思想
より常に優れてるといった思考パターン(○○主義はもう古いという日本で
お馴染みのステロ化した批判、平たく言えば「新しいもの何でもは良いもの
だ」という信仰!?)は、それ自体が近代以来、外来思想摂取において日本に
普遍的見られる病理的特徴を示しているというのが丸山の持論でもあった。
834 :
考える名無しさん:2010/03/24(水) 13:16:11 0
>>833 ハンガリー事件のとき、雑誌「世界」の座談会で丸山は曖昧な態度を取り、
「ハンガリーがワルシャワ条約機構からの脱退を宣言したのがマズかった」
と、むしろ責任がハンガリー側にあるような発言をしている。
安保条約は批判するがソ連との同盟なら容認できるのかな。
大内兵衛がハンガリー事件についてソ連を擁護するような発言をしたこと
は有名だがその大内を丸山は「卓抜した人物」と賞賛している。
そういえば家永三郎もベトナム戦争についてはアメリカを「かつての軍国
日本と全く同じ侵略者」と罵倒しながら大内を「マルクス主義の立場から
民主主義を守った」と賞賛していたな。
835 :
考える名無しさん:2010/03/26(金) 13:18:19 0
>>831 >北方領土問題については「いたずらな反ソ宣伝に踊らされてはならない」
と言い
家永は盛んに「現代の日本はアメリカの植民地であり日本人民は民族独立
のために決起すべし」と言っていたな。それでいて一方では「共産国になら
領土を取られてもいい」と言うのかな。そして「自分自身は決して共産主義
者ではない」と言うんだから呆れた話だね。
836 :
考える名無しさん:2010/03/27(土) 15:08:42 0
家永三郎は井上清とウマがあったらしく共同して本を編集したり
座談会でも意気投合したりしていたな。ところが井上清というのは
公然と暴力革命を唱えたり「共産主義国の核実験を支持する」と公言
していた人物だよな。家永三郎にとっては共産国の核実験を支持する
人物は民主主義者で平和主義者なのかな。そして丸山は家永と書簡の
往復をしたりして、かなりの程度まで価値観を共有していたらしい。
すると丸山の思想の原点は何なにか。少なくとも丸山は「穏健中正」
とは言えないね。
837 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 16:17:51 0
>>836 丸山は被爆体験があるのだから本来なら「核実験を支持する」などという発言
にはアレルギーを感じる筈。それが「共産主義国の核実験は支持する」と公言
する人物(井上清)とはウマのあう人物(家永三郎)と一緒になって「反共は
けしからん」と言っていたのだからやはり中ソに一定のシンパシーを感じてい
たのかな。
資本主義も独裁主義も共産主義も社会主義も大敗北でプラウト経済宗教同一主義の時代何打よねー。
839 :
考える名無しさん:2010/04/04(日) 10:11:44 0
「丸山真男の「日本論」そのモチベーションとダイナミズム」(カテラ出版会)はどうやったら入手できるのですか。随分、この本を図書館で検索してみるけど、見当たりません。
840 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 14:36:36 0
test
>>839 直接カテラ出版に電話して注文すれば、郵便振替用紙を同封して送ってくれるよ。