哲学は難しすぎる

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470E2 ◆igyenga13c
>>345 道徳律を自らねじ伏せるもの

いやぁ、どうも僕は性善説に立ってしまいすぎはしゃぎすぎたな。ようやく、冷静さ
を取り戻して、すーっとなってみると僕の安易さが見えてきた。こんなことは百も承
知でそれでもやるんだ、ってな決意を持ってしまう人間には俺なんざ甘っちょろいだ
けだろう。

そいじゃあ、どうしたらいいのか? うむむむむっ。俺の限界か? 容易に想像でき
るのは、そういう俺のレベルを超えた者も、またその上のレベルの者がいるだろう、
ってこと。とりあえず、俺が次に目指す点はそこなのだろうが、その上にはまた上が
いて、ってな構造だろう、ってことだ。バームクーヘン構造とでもいうもの。あるい
は化学の単純な電子軌道モデルってな感じ。太陽系の惑星軌道もそうか。

正義感と、その正義感ってなやつをねじ伏せてまでやらずにはおれぬもの、そしてそ
の繰り返し、という無限が思い浮かんでしまった。

いやはや、困ったことである。
471E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 12:25:42
>>470
> 正義感と、その正義感ってなやつをねじ伏せてまでやらずにはおれぬもの、そしてそ
> の繰り返し、という無限が思い浮かんでしまった。

うーん、『男一匹ガキ大将』やら『筋肉マン』を彷彿とさせるなぁ。しかし、ウィキペ
ディアでの両者の解説量の大きな違い(2007/04/08時点)はなかなか興味深い
現象だ。無限の展開といえば、『アラレちゃん』や『うる星やつら』などのタイプもあ
るな。おお、『サザエさん』という化け物がいた。こっちは日常の循環ってな性質を
ベースにしてる。いつ果てるとも知れないという観点からでは『カムイ伝』なんても
のもある。

僕のこのスレで展開してきた話(>1-469)の構造をつらつら眺めるに、何度かの話
の盛り上がり、波のようなものがある。そして、僕自身は道徳律(>345)でひとつの
絶頂を極め、乗り越え「言語と論理の歴史的発展」(>354)という当初の僕なりの目
論見を達成したわけだが、うーん、こりゃあセックスだな。あ、オナニーか? 様々
な発言者とのやり取りを通してやってきたわけだから、セックスってな面もあるが、
俺が勝手に発射して満足しちまった、ってな、それではしゃぎすぎて相手を置いて
けぼりにしてしまった罪の方が大きいようだ。

いやぁ、板住人の皆様、申し訳ありませんでした。そしてはしゃぎすぎて、他のスレッ
ドやら他の板―音楽サロン板、創作文芸板―の方々も申し訳ないです。

振動といえば「振動宇宙論」なんてのもあるなぁ。僕はエドガー・アラン・ポーがこ
の説について書いているのを読んで、「ほぅ、怪奇物や推理物だけじゃなく書いて
いるんだなぁ」と。ま、『ポーのSF』ってな3巻物の文庫本(だったかな?)を買い込
んだ上で、こういう類いの作品を読み、それでこんな感想言うってのは、嘘をつい
ているわけだが(笑) ま、言いたいことは、それぞれの時代の科学的知見、科学
的考察を取り入れて作品を作っているってことね。これは彼の時代に限らず、今の
時代、僕らの思考にも当然ながら影響を及ぼしているだろう、と考えるのが自然だ。

ふむ、さて、どうしたものか?
472E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 15:19:31
>>471 無限の性質と種類、「神」

まんがを題材に色々な無限が見えてきた。@正邪の闘いに見られる無限性、A日常生
活のような無限性、これから先も同じように続いていくことが前提にある無限性、実
際の作品には開始があり、終了があるけどね。B先が見えないというような無限性。
僕が書いてきたこのスレに見られる振動、ポーの振動宇宙論。E2としての私は私自
身がこの先の見通しが見えていないてんで、『カムイ伝』と同様の無限性を持つ、最
低限今のところは。振動宇宙論に見るような大きな循環という無限。これは、『うる
星やつら』に見られる日常性の無限とある種同一だろうな。

3種の無限。他に何か思い当たるか? この他の性質を持つ無限。@正反合の積み重
ね、A振動しながらもものごっつう大局的に見れば水平線、B未来がどうなるか判断
できぬ、この3種の無限以外に。

@のイメージは、僕は球だ。膨らんでゆく球。Aは直線。Bは現在を端点に持ち、過
去から現在に伸びてくる半直線。Aはその作品世界内における直線、と正確には言え
るだろう。@は作者の想像力の限り拡がっていく、あるいは周りからの要望により、
無理矢理続けざるを得ない、という面もあるだろう。ん? ここ。作者の想像力の限
界、作者の死あるいは引退、ということで限界性があるなぁ。

あ、@、AともSFの『宇宙英雄ペリー・ローダン』シリーズのようなものもあるか。
『サザエさん』もこのタイプといえる。個々の人間の生死という非無限性を超え、無
限性を獲得しようとする営み、とも言えるか。あ、これは作品の開始時という端点を
持つ半直線とも言えるな。

ん? となると直線のようなイメージを持つ無限ってのはなんだ? 過去に開始時を
持たず未来に終了時を持たぬ、そんな直線。

おお、「神」の誕生。神のイメージがこれかな。
473E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 15:54:23
>>472 直線と球といえば

非ユークリッド幾何学に繋がる球面幾何。無限遠点を持つ直線。大円上の半直線。こ
れを元にさまざまな幾何学が生まれ、アインシュタインの相対性理論にも繋がるな。
ある意味、神の相対化による物理世界の相対化とも言えるか?

相対論とくりゃ量子力学。2重スリット問題。俺にはどうもイメージ化しにくい。こ
っち関係やってる物理の奴には常識というが、話としては分かるような気もしないで
もないけど、やはりイメージ化しにくく波と粒子の二重性ってなの言われても、どう
もピンと来ない。どういう風にイメージ化しているんだろ? 数式で出てくるからそ
うなんだ、という風に割り切っているのかなぁ。
474E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 16:20:18
>>473 ん? 二重性?

二重性。うむむっ。相反する「波」と「粒子」のイメージ。これを併せ持つ「光」と
いうもの。光はある、感じられる。「粒子」、実際に観察されているのかどうかはと
もかくイメージ的には「固体」。「波」、海のうねりなどとしては見えるが「個体」
的ではないもの。二重性。

言語の持つ二重性。表面上の書ける読める話せる聞ける「言葉」とそれの指し示す
「意味内容」というもの。「固体」としての「言葉」、「波」としての「意味内容」。

う〜むぅ。光はある、感じられる。「存在」としての光。光の非存在が「闇」。
「光」としての「言語」、「闇」としての、……。「無」?
475E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 16:33:56

>>474 「無」という概念が生まれ

その意味するところを探リ出す。人間の想像力は絶えず対比するものを作り、思考を
深めてゆく。絶えずアンチを想定し、テーゼとアンチを比較吟味し乗り越え次のテー
ゼをそしてアンチを。

「無」の概念から拡がる、アンチとしてのテーゼとアンチテーゼ、それを乗り越える
アンチ、そしてそこから拡がる世界。

ふむっ。妖怪。さまざまなる未知な現象に対応して産み出される「現象」の指し示す
「現象内容」=「妖怪」というもの。
476E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 16:49:09
>>474 「無」という概念が生まれ

その意味するところを探リ出す。人間の想像力は絶えず対比するものを作り、思考を
深めてゆく。絶えずアンチを想定し、テーゼとアンチを比較吟味し乗り越え次のテー
ゼをそしてアンチを。

「無」の概念から拡がる、アンチとしてのテーゼとアンチテーゼ、それを乗り越える
アンチ、そしてそこから拡がる世界。

ふむっ。妖怪。さまざまなる未知な現象に対応して産み出される「現象」の指し示す
「現象内容」=「妖怪」というもの。

「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、――共産主義の妖怪が」

※『共産党宣言』、マルクス=エンゲルス。TAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵の
デジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen1.html