◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない65◆

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827考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:47:14
エヴェレット解釈なんていう非常識でインチキ臭〜い話信じてる人いるんだ、
2chで騙されたんじゃないの
828考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:48:10
決定論の世界と、非決定論に見える世界は共存できるのに、
非決定論者は文句垂れているだけ。

非決定論者が世界が非決定に見えるという事は否定しないよ。w
非決定論者が知らない原因があることを、決定論者は知っているだけだ。
829考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:48:53
>>827
どこが非常識か書いてみたら?どうせ理解できなかっただけだろ。w
830考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:50:09
『決定論の世界』っていう言葉は観念論的ですね
831考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:54:26
非決定論の世界と、決定論に見える世界は共存できるのに、
決定論者は文句垂れているだけ。

決定論者が世界が決定に見えるという事は否定しないよ。w (信仰の自由だもんねw)
決定論者が知らない原因があることを、非決定論者は知っているだけだ。
832考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:54:33
>>830
「論」自体は観念だからね。
833考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:57:01
>>831
>非決定論の世界と、決定論に見える世界は共存できるのに、

逆はできないよ。

>決定論者が知らない原因があることを、

原因があったら、それは決定論に含まれる。
834考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:58:32
>>833
逆は出来るよ

原因があったら、それは非決定論に含まれる。
835考える名無しさん:2006/07/11(火) 00:59:25
>>834
できないよ。例えば、疑似乱数というものを考えれば明白。
836考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:00:48
>>835
できるよ。例えば、疑似乱数というものを考えれば明白。
837考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:03:42
>>836
決定論の世界で、非決定論的に見える現象をシミュレートする例として疑似乱数を出している。
疑似乱数は、アルゴリズムを知らないと、乱数に見えるが、次にでる乱数は完全に決まっている。
838考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:05:39
決定論の世界で、非決定論的に見える現象をシミュレートする例として疑似乱数を出している。
疑似乱数は、アルゴリズムを知らないと、乱数に見えるが、次にでる乱数は完全に決まっている。
が、これを現実世界のモデルに当てはめるのは間違いである。
839考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:07:56
どういう風に脳つまり唯識の世界と外の世界が繋がっているかそれだけ教えてくれ。それで憎悪は生まれない。教えてくれ
840考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:09:25
>>838
間違いである事は証明できない。
決定論は原理的に否定することができないし、
差異に対して原因のないことをを示すことも出来ない。
あと、自由意志と、予測不能性と、決定論は両立する。
841besieger ◆2bgybBZ7HI :2006/07/11(火) 01:16:32
>>837
君ね、君の拘る「擬似乱数」ではなく、「乱数」ならば次に出る乱数も決まっているというのかね?
842考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:19:39




それよか今日ハロワ行ったか?



行けって言っただろ



843考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:20:21
>>840
非決定論者がいうところの自由意志(第一原因たる意志)と
決定論は両立しない。ふたつは字面が似ているだけだから
注意しないと。

wikiレベルでも書いてることだし。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97

>以上の議論は、自由および自由意志の定義の問題という側面を有している。
>注意しなければならないのは、非両立主義者と両立主義者はお互いの自由
>の定義に納得しないだろうということだ。「自由意志と決定論は両立するか?」
>という問題の核心は、論者が自由および自由意志をどのような意味で理解する
>かにかかっている。
844考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:27:56
哲学者最高位は参禅したことはありますかな?
あなたの「私」は禅でいうところの
「絶対的一者」という瞑想の最果てに感じるリアリティに
近いものがあると思うんです。
845考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:28:03
ハロワはハローワークでいいのか?それはいけといわれてない。行かなくてもいいと自分でわかる。あとだれに何をきいて何をすればいい。あと悪いことは根から断ち切りたい。どうすればいい?
846考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:34:18
決定論=運命論
847考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:36:04
ハロワ行けとか言ってもここにいるのはほとんど学生だろが
848考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:37:03
一部資産家が紛れていたら?
849考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:38:18
自営業だったりして
850考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:39:37
皆様の毎日が平和で幸福な日々でありますように。
851考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:41:50
私自身は仏教の律をよしとしない意思を伝えたい。論と経については人間の英知ではあるがそれは全てが自然の一形態であることに抜きんでている筈はないと考える。
852考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:43:46
>>851
改行コードをいれてくれ
携帯でもできるだろ
見難くてかなわん
853考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:45:46
早急にこころ戻してくれればいいよ。
854唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/07/11(火) 01:55:41
>>851さん
経、論、律
すべてが必要なのだと思いますよ。
このスレでは論ですが。
855考える名無しさん:2006/07/11(火) 01:55:47
〉「絶対的一者」という瞑想の果てに感じるリアリティー 瞑想についてはわからないけれどそれほどの意味はないと考えてます。なぜなら煩悩は自然に生じるものだからです。
856考える名無しさん:2006/07/11(火) 02:18:01
経・律・論の必要性についてはこちらのほうが聴きたいくらいだ
857ポコ:2006/07/11(火) 02:19:04
840改め、岩窟(ガンコツ)王へ。
貴方は決定論者を演じていながら、実際は「〜は証明出来ない(決定不可能性)」や「予測不能性と決定論は両立する(パラドクス)」など、実に非決定論的な表現(立場)で、決定論を擁護しています。
岩窟王、貴方は決定論者ではありません。
貴方の目指す意味での決定論は、決定論(因果律)による自己言及のパラドクスを解決しない限り、有り得ません。
恐らく、因果律の自己言及のパラドクスという状態を静止的に捉える立場が決定論で、運動的に捉える立場が非決定論です。
そして更に、静止(決定論)と運動(非決定論)による運動を捉える立場が、第二の非決定論(パラドクス論)です。
つまり、現実では、決定論と非決定論は同時進行です。
これは岩窟王の言う「両立」です。
しかし、だからこそ、それは非決定論です。
相反する二項が両立する為の条件は、二項の同時進行(運動)が必要です。
それは、パラドクス(矛盾=決定不可能性)です。
そして私達は現に、決定論と非決定論を同時に進行させています。
岩窟王の目指す意味での決定論が本来、可能であれば、そもそも、こうした「議論」そのものが不可能です。
つまり、貴方が現に「議論」に参加している以上、岩窟王、貴方は隠れパラドクス論者、隠れ非決定論者です。
そして、私が現に、こうして断定(決定)出来るのも、パラドクス(決定不可能性)のお陰です。
858考える名無しさん:2006/07/11(火) 02:33:01
正直今は誰とも会いたくない。ただこころだけは戻してほしい。それをして新しいこころある人たちに会いに行きたい。多くのことを伝えたい。話は以上だ
859考える名無しさん:2006/07/11(火) 02:40:54
こころにもういちどぬくもりを


860考える名無しさん:2006/07/11(火) 02:48:36
誰ひとりとしていない世界で餓鬼のような感情が湧いてくるそういう世界にいて一体どこにいればいい。いる場所などない。人はいなくてもいい。どうすればいいか教えてくれ
861考える名無しさん:2006/07/11(火) 02:58:34
ありがとう
ごめんなさい
ありがとう
ごめんなさい
862考える名無しさん:2006/07/11(火) 03:04:17
最近 現実性が感じられない

リアリティがない

そんな意識も必然か
8633時で1時:2006/07/11(火) 04:25:50
俺はこの赤を力強い生命感あふれる美しいものだと感じるよ。だけどあんた
は気持ち悪い、血のようだ、どぎついと言う。あんたの感覚を否定すること
は出来ないけど、この差異はどうしたことだろう。生まれ持ったものなのか、
個々に体験した記憶が関与しているものなのか、俺にはわからない。俺はあ
んたを理解したいから、あんたの意識のようにちょっとなってみたいよ。
出来ないことだから、仕方ないよな。でも、俺がこの赤を力強い生命感あふ
れる美しい赤って思わなければならない理由なんて特別ないんだよ。あんた
だってこの赤を好きになりたいって少しは思うだろ。おれが「どぎつい」っ
て感じたっていいじやないか。あんたが「この赤気に入ったぞ」って思った
っていいじゃないか。俺にあんたのような感覚になれる自由はないのか、っ
て思うよ。また、笑ってるな。そんな大層な事じゃないってか。でも、思う
んだよ。自分で自分の感覚が説明できないっておかしくないか。これから先
ずっとこの自分とつきあっていくのに、説明できないってどうなんだ。あん
たはあんた、俺は俺、自分の感覚大切に、でいいわけか。ああ、こんなつま
んねぇ話して悪かったな。
864考える名無しさん:2006/07/11(火) 07:56:07

 ∧_∧
( ;´∀`) ちんこ勃ってきた。
人 Y /
( ヽ し
(_)_)
865考える名無しさん:2006/07/11(火) 08:24:40
決定論と自由意志は両立する

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96
また別の哲学者は、決定論は自由意志と両立可能であると考えた。
これは両立主義(りょうりつしゅぎ)とよばれる考え方である。
ホッブズのような両立主義者は一般に、人が行為を意志しその人が意志したならば別様に行為することが(仮言的に)できただろう場合にのみ、人は自由に行為する、と主張する。
彼らはしばしば、強姦、殺人、強盗、等々といった誰かの自由意志が否定される明快な事態を指摘する。
この事態のカギは、過去が未来を決定しないという点にでなく、侵害者が犠牲者固有の行為についての欲求や選好を無視するという点にある。
侵害者は、犠牲者に自由意志を無にすることを強いる。決定論は問題でなく、我々の選択が我々自身の欲求や選好の結果であり、いかなる外的な力によって(あるいは内的な力によってですら)も無視されない、ということが重要なのである。
多くの両立主義者にとって、自由であることは for reasons that one doesn't mind acting from 行為することを意味する。この立場は両立主義の典型である。
866考える名無しさん:2006/07/11(火) 08:27:48
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93
アインシュタイン的時間解釈
アインシュタインによれば時間と空間は同じもので時空(時空連続体)と解釈する。
ニュートンの時間方程式もアインシュタイン方程式も時間対称性を持ち、ニュートンもアインシュタインも自分の方程式に時間対称性(時間は等方向つまり過去、現在、未来にも流れる事が方程式上可能)が存在するのを見つけており悩んだが、
アインシュタインはあえてこの方程式上に存在する時間対称性が数学的に存在を許すのを肯定し、過去、現在、未来が同時に存在しているという解釈をした。
これを時空連続体という。時空連続体には過去、現在、未来がすでに同時に存在しているという解釈である。

この概念を発展させた近年の研究で、なぜ光速が秒速約30万キロなのかという事も説明する。
即ち、すでに出来上がっている過去、現在、未来(時空連続体)の中を私たちが光速度 秒速約30万キロで走っているのである。
私たちが光の速度を秒速約30万キロと観測するのもこの為である。
もし、私たちが時空連続体内を秒速10万キロで走っていると、光速度は秒速10万キロとなる。
アインシュタインは記者から「その様な事が本当にあるのか?」と聞かれ、「信じては貰えないと思うが、過去、現在、未来がすでに同時に私の数学方程式上には存在しているのです」と答えている。
867考える名無しさん:2006/07/11(火) 08:43:47
>>863
Life is beautiful.
868考える名無しさん:2006/07/11(火) 08:57:35
また決定クンがコピペしてるな 頼むからコテつけて書いてくれ。

あとせっかく指摘されてたんだし、決定クンが考える自由、自由意志とは
どのようなものかもぜひ語ってもらいたい。
869考える名無しさん:2006/07/11(火) 09:01:00
>>823
>『私』は物理的な何の要素なのか

君が、
『私』 『存在性』 について、或いは、
『万人に共通するもの(【性質】)なのか?』
『まったくの個別性のあるものなのか?(→この世に同じものは何一つないという意味で【普遍】へと転化するがw)』
『「私」の個別性はどこから導き出されているのか?』
『在る(居る)ということに重点を置いているのか、
 「思考している」という状態に重点を置いているのか、
 (→これも「状態がある」という括りで『在る』になるわけだがw そして、個別性にこだわるなら
   結局、その「状態の差異はどこから来てるのか?」を問わねばならない)』
について具体的答弁をしなければならない。
名無しさんたちは、君とは別角度から「具体的に」述べているのだから。


参考
>>701及び>>80>>521>>546>>696>>699
870考える名無しさん:2006/07/11(火) 09:02:25
>>865
>>866
正論だが毎回コピペは必要ないので、次のスレからテンプレに入れておいてくれ>>1

決定論と自由意志は両立する
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96
アインシュタイン的時間解釈
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93
非因果的決定論
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/kasetsu/subject/sub06.htm
正しいのは唯物論である。しかし観念も存在する。
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/donsai/2dim.htm
871考える名無しさん:2006/07/11(火) 09:03:28
>>869
こちらのスレでどうぞ

【私】を記述してください。【私の存在性】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144214403/
872考える名無しさん:2006/07/11(火) 09:09:27
>>871
最高位が行かなければ意味が茄子(´・ω・`)
873哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/07/11(火) 09:14:50
>>869
日本語でよろしく
874考える名無しさん:2006/07/11(火) 09:17:00
推奨NGワード
哲学者最高位
875考える名無しさん:2006/07/11(火) 09:19:06
>>873
┐(´ー`)┌
876考える名無しさん
>>873
>>688では、「ある」ということしか述べられていない。
「ある」ということだけなら「ほか」のものも同様だ。
なぜ、「私」だけが「あり」、「ほか」は「ない」のか?