1 :
考える名無しさん:
ニュートンはオカルティストであり、最初の近代人というよりは、
最後の中世人とみなす人もあるくらい。彼のプリンキピアという
のは難解であり、当時の人で理解できた人がいなかったという。
彼は授業も下手で、むつかしく、生徒がひとりもいなかったとき
もあるという話。彼のほとんど神学論文みたいな文章もあるのね。
2 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 00:50:15
人のイデアはやはり人だということになるが。
神のイデアというのはおかしな表現になる、これは抽象名詞だし、
神はもともと一人だと。いや、違う。地上の神は八百万の神々以上に、
色んな宗教の色んな神がいて、その共通項をもって、唯一神、
善のイデア、神のイデア、としての天上の唯一神がいるのだよとなる。
聖書とか予言の研究してたり、錬金術も研究してたらしいですね。
4 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 01:02:08
共通項が唯一神ではない。様々な現れの根本に位置するのだ。
だから第一原因ともされるのだ。
轟音と空をつんざく光、豪雨、強風に共通項を求めるのでなく
雷雨や台風などを想定するのと同じだ。
欧米かて
6 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 13:34:31
肉体は滅びるが、魂は不滅。
そして、魂は神のもとへと召されて永遠に生きつづける。
立花隆というヒトは、オカルティストでもあるが、かれは東大で
ネオ・プラトニズム、中世神秘主義、神秘家としてのヴィトゲンシュタインを
研究してたはず。かれは西洋的思考法の表も裏もよく知り尽くしているのだ。
7 :
tar:2006/06/13(火) 13:38:33
パソコン欲しいなあ。
だれか買ってくれないかなあ。
8 :
薔薇十字:2006/06/13(火) 13:47:47
金利手数料はジャパネットが負担します
大川隆法が釈迦の意識体によって生まれているなら、大川の肉体は
大川のままで、その自動書記を秘書のように行うのは、大川であるが、
それをさせるのはもろもろの霊だということになるのだろうか?
とすると、その霊界みたいなのがあって、その霊界からのチャネリング
みたいなもので、大川は降霊術みたいなのを行っていると。
ではその霊界のほうはどうなっているのだろうか?
ユングは集合的無意識みたいなのがあって、社会や人間が共有する
意識みたいなのを表現しようとした。アーラヤ識というのもそうかも
しれない。これは仏教だ。
社会の人間が共有する意識や霊が、特定の個人に舞い降りる可能性も
ないとはいえない。それぞれが分有するのが霊なのか。
過去世において釈迦が弟子たちに教えたことを、現世でおぼえていて
それを語るのか。神通力みたいなので、釈迦の教えを過去なにを語って
いたかを知るのか。
さらに、全知の神はどうなのか、なにを知っているのか。大川が詐欺師なのか、それとも
本当の宗教者なのか。エル・カンターレなのか。全知の神は釈迦の
教えも知っており、霊界も知っており、神通力も知っていると思うが。
大川は神通力も使えるが、今は使用していないだけだというが本当なのか
11 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 01:09:35
浅田の構造と力は、フランスの難解な思想家の思想をチャート化してみせた
逸品である。ソフィーの世界というのは、西洋思想の基本が簡単に示されて
いる。ヌーボー・フィロゾーフや西田哲学、東洋思想、ウパニシャッド哲学
スコラ哲学、など、わたくしもさまざまに学んできた。プラトンのイデア説
は、西洋思想の中で、もっとも東洋人に馴染みにくい考え方である。やはり
日本人は諸行無常の仏教なのだ。すべては変化する、滅びサルのだ。だから、
紙と木の家に住んでいられるのである。ところで、西洋の家は石だらけだ、
これは不変のもの、変化しないもの、永遠なるもの、真理の世界、恒久の
もの、そういったものに、不滅のものでもよいが、あこがれがあるのである。
精神があって、はじめて物質が存在し、この世の物質世界は精神世界の
ほんの一隅であって、はるかに巨大な世界精神のようなあの世があるのだ、
というのはなんとなくのみこめたようなきもする。肉体が滅びても、自我意識
、魂、とかいうものがまだ残り、存在し、死後、神のもとで永遠に生きつづける
というのがありうる。同時に、永遠の虚無もあるだろう、地獄である。どちら
も、さっぱりしてていいかな、と思っている。ただ、まだわたしは抽象的な
思考というのがうまくいかない。抽象的な形而上学的な世界があって、はじめて
この世界、具象的な形而下の世界があるのだろう、というのはわかるのだが。
サルというのは脳が未発達で、ヒトでいえば、幼児くらいのはずと
記憶している。
ヒトというのは、知的な動物で、万物の霊長とよぶにふさわしいと
いえる。
ところが、天使や菩薩とか、如来は、それ以上のはずである。
進化の歴史とは、大雑把にいって、脳というハードウェアの更新である。
コンピュータのヴァージョンアップである。
とするならば、ロボットとか、コンピュータの方が
人間よりすぐれていることになる。
そういえば、電脳とかいうではないか。
という意味においては、立花が、ヒトはサルとロボットの間といい
電脳の進化論という表現はまことに正鵠を射ている。
ロボットは天使であり、コンピュータは神である。
やっぱ石けんは牛乳石鹸の赤箱にかぎるな。