1 :
考える名無しさん:
宇宙(≒世界)はそれ自体としては意味や価値はない。意
味や価値などといった概念は、人間が作り出したに過ぎない。
つまり、人間を離れた意味や価値といった概念は無意味であ
る。(科学的な視点で、例えばビッグバン宇宙というものを
考えてみても、宇宙は「ただ単に」始まり、「ただ単に」膨
張しているだけである。)
よって、意味や価値が宇宙に本来的に存在しないのならば、
当然、道徳や法律といったものも、宇宙に本来的に存在し
ていたわけではなく、人間が勝手に決めたルールにすぎないの
で、それらに従わねければならないという義務は幻想である。
すなわち、道徳や法律に従うか否かは各個人の自由である。
私が多くの場合、道徳や法律に従って行動している理由は、
それらを破ると自分自身が不利益を被るからである。法律を
破れば罰則を受けるし、道徳をあまりに守らないと周囲から
の扱いや視線が悪くなる。ただ、自分が嫌な思いをするのが
嫌だからである。それ以上に法律や道徳を守る理由は存在し
ない。
誰か、説得力のある反論をしてください。
説得力があるからといっても、詭弁は要りません。
合理的な反論をお願いします。反論まで行かなくても、
「ここはちょっとおかしいんんじゃないか?」といった
ものでも、「おかしい」と思う理由が明確であれば結構
です。
マジレス求むm(_ _)m
(ただ、私自身、しばらくパソコンを使え
ない状態になるかもしれないのが恐縮ですが)
2 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 17:29:13
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴/ ー ー|
(6 / u ⌒ つ⌒| もうでちゃう。
| ___ノ |
\ u \_ノ / ヽノ
\____/ /⌒゛~~ ̄ ̄\
/⌒ - - ⌒/ ____|\___\
/ /| |_し u ー ー|~~
\ \|≡∨ ∨| |∴ ⌒ つ⌒ |
\⊇ /干\| (6 \___ノ |
| | \ u \_ノ ノ 私今日大丈夫だから、、
( /⌒v⌒\ \___/
パンパン| 丶/⌒ - - \
/ \ | | / |
/ ノ\__| |__三_ノ| |
/ /パンパン| | | |
/__/ | | | |
⊆ | | ⊇
3 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 17:30:58
喪前の言っていることは至極当然のことだ。
もっと変わったことを言ってくれ。
4 :
1:2006/05/01(月) 17:35:49
でもこれが当然だとすると一切の倫理が崩壊すると思うんだが。
全ては「形式上」になってしまう。善も悪も、ましてや正義なんて問題外になる。
>宇宙(≒世界)はそれ自体としては意味や価値はない。
>意味や価値などといった概念は、人間が作り出したに過ぎない。
このような二元論は、宇宙以外の何かが実在することを前提とする。
すなわち、宇宙=世界の他に、人間が作り出したものの総体が実在することを
前提とする(これは、「思考や幻想は宇宙とは別に実在する」という風に定式化
される)。かかる二元論が、世界の説明として可能なのかがまず問われるだろう。
>道徳や法律といったものも、宇宙に本来的に存在していたわけではなく、
>人間が勝手に決めたルールにすぎないので、それらに従わねければならない
>という義務は幻想である。
そもそも、規範とは何かが問題である。
私は「規範を守らねばならない」というのは、「『べし』を守るべし」という
意味不明な(もしかすると自己言及かもしれないような)命題にしか見えない。
6 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 17:40:20
形式的だからといって、喪前、犯罪を犯そうとはしないだろう。
喪前みたいに、自分が損するから、つまり警察に捕まったり、
周りから非難されたりするから、という理由でてやらない奴、
もいれば、喪前が何をいっても善悪が本質的なものだと信じて
いる奴と二通りの人間がいるので、倫理は崩壊せんよ。
>>4 倫理は崩壊しない。
「Xすべし」はあくまでも「Xすべし」である。「Xすべし」は「もし
この命題が真理ならばAはXするだろう」というような何らかの予言に
還元される命題ではない。
「Xすべし」が真であるか偽であるか、あるいは、幻想であるか否かは、
「AがXするか否か」とは全く関係が無い。そして、「AがXするか否か」
が重要である、と君が考えるならば、その時、君は「実は規範が幻想か
否かは重要ではない」ということに気付くだろう。
8 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 17:47:11
>1は宇宙と人間を対立させているが、人間がそもそも宇宙的存在である。
ゆえに人間が成立せしめた法は結局宇宙が創造した法律だと言えるのである。
そして法を守る理由など無いと嘯く>1も結局法を守っているのである。
恥丘の意味や価値
倫理や道徳は確かに人間社会にしか通用しないことである。
だが、フィクションだからこそ守る価値があるとは言えないか
11 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 17:52:33
破れば罰則がある訳だしフィクションではなく現実そのものだと思うぞ。
>>1 本来的に道徳が存在しないということから、
道徳に従わなくてよいという結論は演繹できない。
>私が多くの場合、道徳や法律に従って〜(以下略)
お前が道徳を守る理由がそれしかないことから、
それ以外に道徳を守る理由が存在しないという結論は演繹できない。
13 :
1:2006/05/01(月) 17:59:03
<人間も宇宙の一部であるという反論について>
私の表現が悪かったかもしれないが、人間は宇宙の一部であると
私は考えている。ただ、
「宇宙の一部(である人間)が意味や価値をつくりだした」という
命題と、「宇宙それ自体が意味や価値をつくりだした」という命題
は少し異なるのではないか。両命題が一致するのは、人間に自由意
思は全く存在しないという機械論的自然観にたった場合のみではな
いか。もっとも、自由意思が存在しないならば道徳や法律が無意味
であることは言うまでも無いだろう。そして、自由意思が存在すれ
ば、両命題の間には少なからぬ違いがあるはずだ。
14 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:08:27
道徳や法律は人間の精神の産物なのだ。
精神の産物である法や道徳が人間の個人的な意思や欲望より優先されるのは当然ではないか?
15 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:09:12
宇宙の意味などの大層なものを考えるやつは病んだニートと留年学生
16 :
1:2006/05/01(月) 18:09:37
<形式的であっても倫理は崩壊しないという反論について>
いま考えてきたような意味で形式的であるとする。このような場合、
その「形式」の決め方自体が恣意的な、勝手なものになってしまうのでは
ないか。本質的でないがゆえに、共通了解に至り得ないのではないか。
つまり、確信をもって「正しい」と言える倫理や法律などなく、
結局、個々人の利害や都合によって恣意的に決められるものにすぎなくなる。
これは「崩壊」とはいえないだろうか。
17 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:11:03
>15
ニート、留年学生(バラモン階級)
学者、企業経営者(クシャトリア)
サラリーマン(バイシャ)
フリーター(スードラ)
とでも言いたいのか?
18 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:13:15
そうかな。刑法199条(殺人罪)を制定した人は確信をもってこの立法は正しいと思ったと思うけど。
19 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:13:31
>>16 共通了解部分と差異のある部分がある。後者で人はもめる。
世界の意味は人間が作り出して者だが、人間の考えることは
大方共通しているので、共通了解部分が出てくる。
20 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:14:50
殺人罪の無い民族など存在するのだろうか。
無かったらその民族は崩壊(無に帰)している。
21 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:15:34
>>13 >人間は宇宙の一部であると私は考えている
何を根拠にそう結論付ける。
宇宙とは喪前の妄想に過ぎない。
、という考えには至らないのか?
22 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:22:01
つまり民族を民族たらしめるには、内部に殺人を禁じる掟が無くては無くてはならない。
これが無い民族は崩壊する。ゆえに法とは民族を民族足らしめる根拠と言える。
勝手に決めたのではなくて、人間として生じたら殺人罪を制定しなくてはならないのだ。
>1よ。そうではなくて道徳や法が無いともっとひどい目嫌な目に遭うのだ。
誰しもひどい目、いやな目に遭いたくないから道徳や法が生じたのだ。
つまり法があるということは、先天的、一方的、強制的なことなのだ。
法が無ければ人類は消滅してしまうからだ。
23 :
1:2006/05/01(月) 18:22:09
>>21 宇宙≒世界≒"存在"するありとあらゆるもの
という意味で宇宙と言う言葉を使っているので、
宇宙は全て自分(の思考や観念)が作り出したものであるという
ような考え方で無い場合には、そのような結論に至ると思うが。
もっとも、宇宙は全て自分(の思考や観念)が作り出したもの
であるという場合には、全ては自分なのだから、殺そうが犯そうが
何をやってもいいことになり、いずれにせよ倫理は「崩壊」する
と思うのだが。
24 :
1:2006/05/01(月) 18:28:30
>>22 だが、「私は道徳とか法律とかどうでもいいけど、自分が嫌な思いをするのが
嫌だから形式的に守ってます」なんて公然と言ったらどうなることやら。
しかし、そうすると、マスコミなどは明らかに「形式上ではない」との立場と
いうのが気に食わない。もっとも、そういう立場自体が「建前」つまり「形式」
にすぎないということにすればいいのだが。
25 :
tar:2006/05/01(月) 18:29:21
宇宙は全てを映し出す鏡で人間は映された姿が自分だと思い込んでいる。
26 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:31:49
法律があるから人間は発展してきたんじゃないの?
好き勝手にやってればどうしようもなくなる
動物もそうでしょ
昨日テレビでオラウータンかゴリラの特集やってたけど
ちゃんと順位が決まっていてリーダーがまとめなければならない
人間ができたと同時に「決まり」つまり法律もできると考えるね
宇宙が何のためにあるかはよくわからないな
謎だらけだから
公共性とか社会的に健全な機能だとかを考える際に
宇宙がどうしたこうしたいわなきゃならんのか。
28 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:40:11
>全ては自分なのだから
すべてが自分ならなぜ逮捕されることがあるのだ。
喪前は喪前の感情や感覚さえも自由にコントロールできんだろう。
すべてが自分でも、その自分がコントロールできんわけだ。
観念論だろうが何らかの法則がある限り、喪前の自由にはいかんよ。
そもそも喪前の言っていることは、
サッカーのゲームに加わりながら、「オフサイドなんてルールは、
人間が勝手に決めたものだ。だから守らなくていい」
なんて言っているようなものだ。
法律や道徳は一部の人間が勝手に決めたルールに過ぎない。
だから、一方で殺人は犯罪だといいながら、きちんと宣戦布告して戦争
した場合は殺人を行ってもいいとなっている。
29 :
12:2006/05/01(月) 18:41:49
1、レスくれ。
30 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 18:55:17
手前勝手な論理は崩壊する。当たり前のことだ。
社会の掟こそ現実的であり、個人の掟は妄想に過ぎない。
バーカ
32 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 10:56:23
age
34 :
1:2006/05/03(水) 16:10:31
>>12 >本来的に道徳が存在しないということから、
>道徳に従わなくてよいという結論は演繹できない。
本来的に道徳が存在しないから、
道徳に従わなくても本来的には罰せられない、ということが演繹できる。
(↑これを「道徳に従わなくてもよい」と言ったつもりだったのだが)
しかし、道徳に従わない場合は人間(の定めた法律等)によって罰せられる。
(↑こういう意味では確かに「道徳に従わなくてもよい」とは言えそうにない)
>>私が多くの場合、道徳や法律に従って〜(以下略)
>お前が道徳を守る理由がそれしかないことから、
>それ以外に道徳を守る理由が存在しないという結論は演繹できない。
この最後に書いた、「それ以外に道徳を守る理由が存在しない」という
のは自分個人の場合を単に書いただけで、特に一般化しようとかは考え
てないので。というより第3段落は、演繹ではなく、単なる主観で
個人的感情を書いただけです
人間は「本来的に」集団の中で生きる生き物だよ。
ある集団に受け入れられたいならば、その集団のルールには従おうと努力せねばならない。
受け入れられなくてもいいならば、好きにすればいい。
「本来的に罰せられない」のと「事後的に罰せられない」のとで
何が違うのか、私には理解できない。
37 :
1:2006/05/03(水) 16:42:01
>>28(の後半)
>そもそも喪前の言っていることは、
>サッカーのゲームに加わりながら、「オフサイドなんてルールは、
>人間が勝手に決めたものだ。だから守らなくていい」
>なんて言っているようなものだ。
私が自分の主張を明確にしきれていなかったのかもしれませんが、
論点がずれている(或いは反論ではない?)感があります。私が
言いたかったことの1つは、
「道徳や法律に従うか否かは各個人の自由である。」
ということ。
もう少し発展させてみるならば、
「道徳や法律に従うか否かというのは一種の取り引き(駆け引き)である」
「道徳や法律を破って得られる利益と、道徳や法律を破ったときの
損害を比べて、自分が有利になるほうを選択するのが理に適っている」
「道徳や法律は守ら"なければならない"ものではない。」
「道徳や法律をただやみくもに『守れ。守れ。』というのはおかしい。
むしろ『利益のほうが大きい場合は破りなさい。』言った方が理に
適っている」
といったこと。
サッカーの比喩をあえて維持すれば、
サッカーのルールを守るのは、サッカーをするためである。
人間社会のルールを守るのは、人間社会をする(で生きていく)ためである。
ここで、<人間社会で生きていく>とはどういうことか。細かい点はともかく、
大雑把に言えば、<社会に適応して、自分が快適に生活していけるようにする>
ということだと思うのです。つまり、結局、「自分が」快く、嫌なことが少なく
暮らせるようにするためだ。それは私が第三段落で述べた事と
本質的には変わらない(つまり反論にはなっていない)と思うのですが。
38 :
1:2006/05/03(水) 16:50:22
さっき自分で書いた37について
振り返るとほとんど社会契約の考えをそのまま書いただけのように
なってしまっていたかもしれません。
実は、いつのまにか、スレッドを立ちあげたときに私が言いたかった方向と
だいぶん違う方向に言ってしまっていた。それでもあえて
この方向を続けてましたが、なかなかきつい。
「道徳や法律をただやみくもに『守れ。守れ。』というのはおかしい。
むしろ『利益のほうが大きい場合は破りなさい。』言った方が理に
適っている」
が言いたかったこと"かもしれません"・・・
つまり、「守れ」と言われることに何の意味があるのか、ということだ。
「守れ」と言われることで私の行動が規制されるわけではない。
確かに、もしかすると、サンクションが発動するかもしれない。
しかし、あるルールが妥当かということとサンクションが実際に発動するか
ということは連動していない。それゆえに、サンクションと規範を結び付けても、
「サンクションが発動すべき規範についてのみサンクションは発動すべきである」
という最初の問題(規範と現実の分離)に立ち返るだけになる。
40 :
1:2006/05/03(水) 17:19:18
私が最も言いたかったのは、
短く言えば(つまり、誤解の要素を多く残したまま言えば)、
「極端な自己中心主義をも"絶対的"に否定することはできない」・・・(☆)
ということです。たぶん、もっと適切な表現があると思いますが、
私には思いつかない。
道徳や法律といったものを持ちだしたのは、
規則や価値といったものの象徴的な例として挙げただけのつもりでした。
(今、最初の文を自分で振り返ってみると、
なかなかそうは見えませんな・・・_| ̄|○ )
じゃあ最初に(☆)を書けよ!って言われたらどうしようもないです。
/::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
|:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン
|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜
|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜
| ∪< ∵∵ 3 ∵>
\ ⌒ ノ_____
\_____/ | | ̄ ̄\ \
___/ \ | | | ̄ ̄|
|:::::::/ \___ | \| | |__|
|:::::::| \____|つ⊂|__|__
>>40 そもそも否定するとは何か?
例えば、議論によって否定すると言うのか?
しかし、それによって何が起きるのか?
>>34 >道徳に従わなくても本来的には罰せられない、ということが演繹できる。
>(↑これを「道徳に従わなくてもよい」と言ったつもりだったのだが)
これは「本来的」という語をお前がそう定議しているというだけ。
何ら事実を語ってない。無内容。
>しかし、道徳に従わない場合は人間(の定めた法律等)によって罰せられる。
>(↑こういう意味では確かに「道徳に従わなくてもよい」とは言えそうにない)
なんで君は罰と規則を分離できないの?
「たとえ従わなくても罰せられないとしても従わなくてはならない」
という文が意味を持ちうる以上、そういう想定は可能だよ。
>個人的感情を書いただけです
単なる個人的感情を主張に交えて書くな。常識として。
44 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 11:03:46
道徳や法律というのは単なるルールだ。絶対的なものではない。
そのルールを自分たちで変えられる場合もあるが、多くの場合
強制される。
今は基本的人権というものを背景にルールが決められている。
弱肉強食の時代もあれば、斬り捨て御免の時代もあった。
ルールの背景には、根本的な思想がある。その思想も人間が作った
もので絶対的ではない。
とはいえ、人間の考えることは共通しているのだ。
>「道徳や法律に従うか否かは各個人の自由である。」
これはそのとおりだが、もし打算的に生きるやからが増えると、
法律の抜け穴ばかりを探すようになり、いい社会にはならない
だろう。
45 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 11:15:51
>「道徳や法律に従うか否かは各個人の自由である。」
違うでしょ。言論の自由とか思想の自由とか言うときの
「個人の自由」っていうのは、本人がどんな選択をしても、
そのことによって制裁を課せられないということ。
法律を破れば制裁が課せられるってことは、
「法律を破る自由」なんてものは存在しないということ。
ついでにこっちにもレスしとこう。
>>40 >「極端な自己中心主義をも"絶対的"に否定することはできない」・・・(☆)
これって、「○○を“絶対的に”否定することはできない」という文の
○○の中に何を入れても成り立つんじゃないの?
もしそうならこれまた何ら事実を語ってない。
単に「“絶対的”に否定する」という語をそう定義したというだけ。無内容。
47 :
考える名無しさん:2006/05/07(日) 12:47:30
>>1 宇宙は時間と空間(無機物・有機物の違いを問わない全ての物質をも含む)
全てを包括したものである、と定義するのならば、人間も宇宙の一部であり、
その宇宙全体は、確かにただ存在する=そこに在るだけで、何故そこに在る
のかは、もしかすると本当は、理由や意味はあるのかもしれないが、広大な
宇宙の極めて卑小なる一部分を成すだけの人間には、到底、それを推し量る
ことは出来相談なのだろう――と、いうことが考えられる訳だ――
要は、宇宙の方には存在する意味や理由や価値などはなくても、その一部
でしかなく、独立した存在でもある人間の方には、自分達人間に利益をもた
らしてくれる、恩恵を与えてくれるような価値や意味は、あってもおかしく
はない――人間には諸々の限界があり、決して万能ではない以上、自分の為
になるものを、価値があるとか、意味があると感じるのは、至極当たり前の、
感覚というか、確かにそれはあるということが信じられることではある。
48 :
考える名無しさん:2006/05/07(日) 12:56:23
>>1 法律や規則、ルールと言った物事は、守らないとイケナイこと
と言うよりは、それを定めた人間は、それを適用させたいと思う相手には
漏れなく従わせないとイケナイこと 無理やりにでも守らせないとイケナイ
ことなのであって、君の場合は、違反者を取り締まる側の人間の力量や裁量
の問題というか「そこまでしか押さえたり、強制させたり出来ないのかよ!」
という限界があることを、まず嘆いてみせるのが、筋ではないのか――??
49 :
考える名無しさん:2006/05/09(火) 10:41:08
age
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1149520063/ 62 :番組の途中ですが名無しです :2006/06/06(火) 01:02:15 ID:QE0TzQ/Z0
そもそも宇宙ってのは3Dポリゴンのデータみたいなもんでしかないんじゃないか?
空間と認識しているだけで、空間なんてもんは最初からない。空間があると思うから
空間の外という概念ができてしまう。が、3Dのポリゴンの位置データなら
外という概念は発生しない。
つまり物質とはエネルギーで、空間とはエネルギーの位置的配置でしかない。
エネルギーの変化である条件で影響を受けたり受けなかったりする条件地図。
66 :番組の途中ですが名無しです :2006/06/06(火) 01:15:51 ID:QE0TzQ/Z0
つまり、俺らが宇宙と呼んでいるのはエネルギーの状態の事であって、
俺ら人間が距離を認識するのは運動量とその所要時間から把握するのであって、
普段、距離を移動したという現象は、空間を移動したのではなく、
エネルギーの状態がある状態から他の状態へと、ただ変化しただけなんじゃないかと。
しかし人間の意識や脳はそれをエネルギーの状態の変化ではなく、空間という仮想的な
ビジュアル的な形的な変化としてとらえてしまうから、その外は? となってしまう。
71 :番組の途中ですが名無しです :2006/06/06(火) 02:00:29 ID:QE0TzQ/Z0
空間や距離というものが人間の外にあって、人間が感覚器官でこれを感知するのではなく、
人間の感覚器官があるエネルギーの状態を神経が感知してそれを脳に伝え、
脳がその得られた情報を処理して空間や距離などという仮想概念を生存の為に
便宜上造り進化させてきたという事じゃないかと。
つまり人間の外にはエネルギーの状態の条件地図だけがあるだけだが、
空間という脳が造りあげた仮想概念は人間が生存生活する上で、あたかも本当にあるかのように
うまく機能している為にそれがリアルだと思い込んでしまう。
本当はネットゲームの仮想現実の空間とそれほど変わらないのではないだろうか。
もちろんネットゲームの仮想現実の空間に外は無い。