1 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 19:18:38
その人に何が残りますか?
私"らしきもの"が残るのでしょうか?
教えて下さい
2 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:26:58
あなたらしきものは残るかも知れないが、
私らしきものは消失する
記号化されてない記憶だけが残る…のかな、よく分かんないけど
4 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 19:38:08
うすら馬鹿ども集合〜
人間から言葉という概念をすべて取り除くことはできません。
言語を使わないで思考できない以上、思考実験もできません。
*****終了*******
6 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 19:53:57
おまえらは言葉使ってても思考できないけどなw
ヘレンケラーはあれほどのビハインドをもったにも関わらず、
そういった意味ではとっても偉大だなあ、とかなんとかいってみたりして
ヘレンケラーは言葉をどういった概念で捉えていたのだろう…
8 :
1:2006/04/16(日) 20:11:11
>>5 >人間から言葉という概念をすべて取り除くことはできません。
無学故、馬鹿な質問だったら申し訳ないのですが
ここでいう「取り除くことはできない」という一文は
言葉という概念を取り除くのが原理的に不可能=思考実験を行えない
ということなのでしょうか?
もしそうだとしたら両者がイコールであることの説明を聞いてみたい
と思うのですがいかがでしょうか?
9 :
1:2006/04/16(日) 20:15:52
ちなみに私もりくーつ・こねりーさんが仰っているように
言語化されていない記憶だけが残るのかなとぼんやり考えていたのですが
>>5さんがいうように命題として不適切であったのなら申し訳ありませんでした
10 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 20:24:54
おまいらは「概念」とか「言語化」とか「命題」とかdqn御用達用語大好きだなw
>>8 イコールでは結ばれません。
簡単にいうと
上は、「目的地が存在しない」
下は、「出発点が存在しない」
です。
実は下の方がより重要です。
説明すると難しくなってしまうので、やってみるのがいいでしょう。
「言語を使用しないで、人間から言語を取り除いてみてください」
とっかかりがつかめませんね。
言語を取り除く作業を人間は、言語でやりますから、どうしても言語が残ります。
最後の最後まで、言語を取り除かれた人間を観察するための言語を残しておかなければなりません。
したがって、言語は取り除けないし、取り除いたら認識できないのです。
これが下の文の意味です。
上の文は、もっと究極的な意味です。
説明するのは面倒くさいのでご自分で考えてください。
>>11 よく分かんないけど観察者からも言語をとる必要なんてあるのかな?
観察される側だけいいような気もするけど、
多分、言葉をとった人の状態を評価するってことだと俺は思うけど、そういうのとは違うの?
よく知らないけど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6 を参考にして、例えば、言葉の記憶がない、かつ、言葉を記憶ができない人がいたとして、
○感覚記憶
○短期記憶(STM)
作動記憶
○中央制御系
×音韻ループ
○視空間スケッチパッド
長期記憶(LTM)
×陳述記憶
○エピソード記憶
△意味記憶
○非陳述記憶
○プライミング
○自伝的記憶
○展望的記憶
(続き)
みたいな感じとか…おかしいのかな…
殴られたら痛いとか体のにいいきかされたもんを記憶できそうな気もする
高いところは危ないとか危険みたいなもんを記憶できそうな気もする
旨いとか不味いとか味とか感覚も記憶できそうな気もする
ある強い感情とかも記憶に残りそうな気もする
育ての親も記憶できそうな気もする
自分の子も記憶できそうな気もする
で、こんな感じのことを思ってみたりしたけど、具体的にどういうことなのかは、俺にはよく分かんないけど、
あえていうなら、お猿さんに近いような気も俺はする
意志疎通のためのボディーランゲージちっくなもんや泣き声を言葉というのか?というのはあるかもしれないけど…
猿が芋洗ったり、積み木を積んでバナナをとったりもできるぐらいの人じゃないかなあ、とかなんとなく思ったのです
でも、空想のお遊びであることは間違いなさそう…
14 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 12:57:44
ハイデガーが困る。
15 :
tar:2006/04/24(月) 13:59:47
言葉って名詞とどう違うの?
いつも思うんだけどさ、例えば交差点の出会いがしらで車とぶつかりそうになって
「とっさの判断」でそれを回避するとき、それって言語が介在しているのかな?
言語を持たない動物って何かしらのアイディンティティ概念を持ってるのかな?
「あっ」とか「ワオ!」ってのがあれば、一応言語が介在してるんじゃないかな?
母語によって驚き方も違うわけだし。
それとも、脊髄あたりで言語とは無関係の反応をしてるのかな?
言語をそんな広く定義しなくてもいいかも
なら、「言語を人間から取り去っても」何らかの認知システムは機能してるってことですよね。
わからん、むずかしいよ、これは。
20 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 08:51:37
とっさに出る言葉でも、母語によって異なるのだから、やはり言語が影響していると思う。
「いて!」、「Ouch!」、「うわ!」、「Wow!」、「Ach!」、「アイヤー」はそれぞれ言語の影響があるんじゃないかな。
また、ある人が出会い頭で車に轢かれたとき、一瞬しか車を見ることができなかったとする。すぐに気を失い、やがて病院で目を覚ます。
日本人が「なにか青いものにぶつかりました」というところを英米人は「何かGreenのものにぶつかりました」と表現するようなことがあるんじゃないだろうか。
つまり轢かれた瞬間に一瞬だけ見た車の色を認知していると。
一瞬の出来事でも、そこで認知されるのは母語を通じた何かではないかな。
なるほど、でも
>>20さんが言うことは、後から思い出した記憶のことであって、
事故りそうになるまさにその瞬間の意識の問題とは少し異なるような。
また、痛いときにでる感嘆詞?も、餌付け反応みたいな条件反射であって
特に言語的な思考の産物とは言い切れないのではないだろうか。
まあ、「言語」「意識」「反応」とは何ぞや?という底知れぬ闇が・・・w
オオカミ少女はどうなんでしょ?
>>21 うーんむずかしいねぇ。
>後から思い出した記憶のことであって、 事故りそうになるまさにその瞬間の意識の問題とは少し異なるような
そんな気もするんだけどなぁ。
でも、後からその瞬間を思い出して言語で表現できるということは、その一瞬を何らかの方法で記憶してるわけでしょ。
それを言語といえるかどうかって問題かなぁ。
これは解答不能っぽいなぁ。
まず五感
他の動物と同じになるだけでしょ。
でも言葉の代わりになるようなものは残る。
感情を示す手段は、犬のように吼えたり、体でジェスチャーすれば良い。
基本的に引き篭もりなどはこの能力が欠如されていると思われる。
>>25 厳密にはそれも言葉の代わりではなくて言葉なんだが。