1 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :
2006/03/25(土) 03:05:59 そもそも「他者」とはなにを考えて、なにをするかわからない「狂気」の存在だ。
この「狂気の世界」で懸命に、「他者」ときちんとコミュニケーションができているように、
装うのことで社会はできている。それは、「薄氷の上を歩く」ようなものだ。
「薄氷の」コミュニケーションの成立は、「同意」された内部への帰属によって行われる。
この内部は、あたらに創造されてづけるという意味で解放的だがが、「内部」への帰属を
強要すると言う意味で、排他的である。内部は、新たな新鮮な「狂気」が同意されていくという
「狂気の消費」過程によって、生き物のように絶えず変化し続けている。
たとえば真っ白いものの狂気。真っ白いものの非日常性。新品、サラっぴんの狂気。
そして女子高生は狂気である。幼児は狂気である。そして弱く安全な狂気である。
2ちゃねらーは罵倒する。そして薄氷をやぶる。しかし匿名という安全であるかぎりでだ。
PART14
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1139589602/l50 過去ログ
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/
2 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 03:07:32
750 名前:考える名無しさん :2006/03/15(水) 22:55:58 43 :ぴかぁ〜 :03/02/17 23:18 ソフィア、マンコ舐めさせて。 70 :ぴかぁ〜 :03/02/18 00:36 ソフィアのおっぱい飲みたいからいったんわしの子をはらんで 乳だけ出したら堕胎しろ!わかったか! 370 名前:Sophia ◆8ADoZCl6.k 投稿日:03/04/07 02:45 ぴかぁ〜はもう病院行ったほうがいいよ。。。 あともう少し自分の考えを論理的に見つめ直した方がいいよ。
狂気ぴか
4 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 03:08:07
889 :考える名無しさん :2006/03/25(土) 00:48:06
15 名前:考える名無しさん :03/07/12 21:14
ぴかぁ〜さんは、自費出版とか考えないんですか。
そんであちこちの哲学科に送りまくるとか。
17 名前:ぴかぁ〜(^O^) ◆lk7eU.5KwI :03/07/12 21:18
>>15 君に一任します。
一儲けして、遊んで暮らしましょう。
5 :
考える名無しさん :2006/03/25(土) 12:48:54
狂気の消費ってぴかあとこのスレのことじゃん
7 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 14:28:57
■野球は復活するか 野球世界一になったわけですが、野球人気がもどるかは怪しいですね。テレビでいっぱい流れた わけですが、結局野球解説者の親父が喜んでまた長島から王の歴史を流すわけですね。正直、 選手は一郎以外しないし、先にオービーがでかい顔してしゃべるから選手も視聴者もさめるわけです。 もはやお荷物です。
8 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 14:31:14
■私という後ろめたさ 障害に直面したときに、対応は内部と外部がある。外部は環境を変えるということである。内面は 自分を変えるということです。外部をコントロールするためには、外部を内部へ取り込むという メタ視線が求められる。その困難さから、内部へ没入する。特に子供は環境の悪さを外部を 俯瞰する視線を持たない故に、内部の変化へ向かう。親が離婚するのは、ボクが悪からだと考える。 それは外部から見ると、過剰な思いだが、抑圧を内部へしか解消できない。多くにおいて人が大きな 障害にあたると、この子供のような思考へ向かう。外部へ向かうことができないからだ。そもそも 自己は不完全なものでしかないという後ろめたさがあるためだ。
9 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 14:33:03
■コミュニケーションという薄氷 「他者」とはなにを考えて、なにかするかわからない「狂気」の存在であり、この「狂気の世界」で 懸命に、「他者」ときちんとコミュニケーションができているように、装うことで「外部」はできている。 それは、「薄氷の上を歩く」ようなものである。これが、外部を内部へ取り込むというメタ視線である。 笑いも含めた「薄氷の」コミュニケーションの成立は、同意された内部への帰属によって行われる。 この内部(正常点)は、あたらに創造されてづけるという意味で解放的だがが、「内部」を強要すると 言う意味で、排他的です。内部は、新たな新鮮な「狂気」が同意されていくという「狂気の消費」過程 によって、生き物のように絶えず変化し続けている。
10 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 14:34:21
■なぜ画像内容識別技術は困難なのか? 画像内容識別技術の難しさを考えてみると、たとえば、求める画像があると、映し出される画像を 次々と判断することができる。これをコンピューターでやることを考えるときに、なにを元に判断してる のだろう。たとえばりんごの画像を選ぶとすると、「りんご」の姿は無数にある。ひとつのリンゴから、 リンゴの山から、木になるリンゴから。僕たちはそれを意とも簡単に認識する。しかしコンピュータは いかように「リンゴ」の画像を判断することができるだろうか。それまさに「リンゴ」というシニフィアンの 「意味」といえるかもしれない。この「意味」とは、また「薄氷の上を歩く」ような外部を内部へ取り込む というメタ視線による。
11 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 14:37:47
■狂気はどこにあるのか。 たとえば真っ白いものの狂気というものはないだろうか。真っ白いものの非日常性。たとえば買った ばかりの新品、サラっびんの狂気。女子高生は狂気である。幼児は狂気である。薄氷を破る狂気 である。そして弱く安全な狂気である。だからボクたちは欲望する。薄氷をあるく強度にたえられない。 しかしほんとの狂気にはたえられない。だから安全な狂気を求める。2ちゃねらーは罵倒する。 そして薄氷をやぶる。しかし匿名という安全であるかぎりでだ。 狂気は社会の外にある。薄氷の彼岸にある。しかし狂気は社会の外にはない。狂気は社会の裂け目 そのものを通すことによって、狂気となる。正常であろうとすることのみによって、狂気は現れるのだ。
12 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 14:56:00
あなたの独断で狂気を考えるのはかな〜り危険でないか もしかしたら文学とくに詩のほうで評価されるかもね
13 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 15:35:03
14 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 15:40:22
映画のつまらなさは物語を具現化してしまうことである。 言葉へと抑圧するよりも、より具現的に抑圧してしまう。
15 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 16:10:17
前スレにあったものを貼ってどーすんだよ。
16 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 16:13:04
なにか問題でも?
17 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 16:16:32
なんの意味があるんだよ。ガキみたいな受け応えしてんじゃねえよ。
18 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 16:17:25
なんの意味があるんだよ。ガキみたいな受け応えしてんじゃねえよ。
19 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 16:19:12
なんの意味があるんだよ。ガキみたいな受け応えしてんじゃねえよ。
20 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 16:27:55
狂気に囚われるな。操れ。
21 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 16:40:37
病院いってこい。
純一しかレスしなくなったこのスレおわりだろ
粘着だね
24 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 18:14:34
2ちゃんねるに期待されてなぁ〜
25 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 18:27:35
ネットに溢れるエロ画像にはいくつかの価値基準がある。 まず対象(女性)の質である。かわいさであり、年齢なども あるだろう。 そして、内容の質である。露出度、過激さなど。 その中でも、それよりも大きなものに、それがプロよりものか、 アマによるものか、という基準がある。 プロはプロの日常(正常)の産物である。そこにはプロとは 守られるべき倫理を備え、それは映倫的なものだけでなく、 綺麗に取るという目的性である。ここでいうプロとは、 カメラマンだけでなく、モデルもである。 アマは日常(正常)からの狂気の開示である。 ではこの正常と狂気の差はどのように見分けられるのだろうか。 出来の悪さだろう。背景、ライト、対象(女性)が プロの仕事でなく、「素人」のそれであること。 すなわちそれがリアリティなのである。 なぜならリアリティとは少しづつの狂気の開示であるからだ。 正常へと収束させる、整える前の生の素材。 それがリアリティである。
26 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 18:28:59
どんなに過激でも、それがプロの日常である故に、狂気でなく、 正常である。
スカトロ宗教の末席にでも座って拝見してこい
正装した脳みそ
29 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 19:04:43
■リアリティとは狂気によって作られる。 ネットに溢れるエロ画像にはいくつかの価値基準がある。まず対象(女性)の質である。かわいさで あり、年齢などもあるだろう。そして、内容の質である。露出度、過激さなど。その中でも、それよりも 大きなものに、それがプロよりものか、アマによるものか、という基準がある。どんなに過激でも、 それがプロの日常である故に、狂気でなく、正常である。そこにはプロとは守られるべき倫理を備え、 それは映倫的なものだけでなく、綺麗に取るという目的性である。ここでいうプロとは、カメラマンだけ でなく、モデルもである。 アマは日常(正常)からの狂気の開示である。ではこの正常と狂気の差はどのように見分けられるの だろうか。出来の悪さだろう。背景、ライト、対象(女性)がプロの仕事でなく、「素人」のそれであること。 すなわちそれがリアリティなのである。なぜならリアリティとは少しづつの狂気の開示であるからだ。 正常へと収束させる、整える前の生の素材。それがリアリティである。
エロビデオの倫理
31 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 19:24:28
「人形への欲情」とはなんだろうか。
32 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 19:43:43
>>29 既存のリアルを対象とした、脱リアル―リアル構築の図式に囚われた迷妄
33 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 20:01:15
34 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 20:05:59
>>29 逆に、漫画家で同人からプロになった人が、「乳首の価値が
一般紙ではこんなに高いとは」と言っていたのを思い出した。
35 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 20:07:41
>「乳首の価値が一般紙ではこんなに高いとは」 名言ですね。
36 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 20:17:46
整った美形ではなく、その美形の中の「出来の悪さ」、イビツ それこそリアリティであり、人は引きつけられる。 それをボクは「汚物」と呼ぶ。 ボクは美人は美しいから欲望されるのでなく、美しいのに、 「汚い」から欲望されるといった。 どんなに美しくても、同じ人なのだ、同じように欲情し、 同じように欠落しているのだろうから、リアリティがあり、 欲望するのだ。 だから人は完全なものよりも、その中のくずれ、 美形の中で「出来の悪い」部分、どこか歪んだ欠点であり、 「汚物」であるが、人を引き詰めるのである。
37 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 20:31:28
だからその「汚物」は私の一部なのである。 そこは日常(正常)によって抑圧され、禁止された 何とか切り取りたいが切り取れない、欠点である、 私の一部である。
38 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 21:03:02
こうして人はただのオッサンへと変化していくのであった。
39 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:24:47
人は脆い製造物である。薄氷を歩くように維持されている。 しかし人は確かに土を歩いているようにしか実感できない。 それは「誰か」のあとを歩く限りであることに気づかない。 そしてほとんどの人が、たわいもない理由で、不安になっている。 他者からみると些細な理由である。 しかしその些細なことによって、薄氷を歩くことを可能に しているために、そこに固執するのだ。
40 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:28:57
たとえば親、医者、先生はなぜ人格者でなければ、ならないのか。 それは、彼らがただ「誰か」であるからだ。 人々から薄氷の不安を忘れ去れる存在であるからだ。 彼らに求められているのは、寡黙である。 「知っているだろう存在」=信頼でなければならないのだ。
41 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:34:06
人は誰かを信頼するときに、信頼していると語るときに、 最大の力を発揮する。最後の決断(マクロ認識)を 「誰か」に託すとき、ただ実行することが残される。 どんな脆い薄氷でも、綱渡りでも、渡れるのかでなく、 渡るということだけが問題となる。 だからこの「誰か」が失われたとき人は混乱する。 というよりも、「誰か」を失うことはできない故に、 失われる不安が、最大の問題であり、生命をも脅かす。
42 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 21:35:58
パクリを何の疑問も無くできるようになった時、オッサン化は始まる。
43 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:37:52
たとえば、亀田三兄弟の強さは強気なオヤジである。 三兄弟は、ボクシングでチャンピオンになれるか、でなく、 チャンピオンになることだけが問題となる。
44 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:42:02
不安とは、いつも、 薄氷をいかに渡るかという不安でなく、 薄氷を土への変える「誰か」の喪失への不安である。
ぴかぁ〜は6年前から2chしてなかった?
46 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:46:05
だから、薄氷をいかに渡るかは不安でなく、充実である。 渡ることが正しいことが保証されているからだ。 不安は、薄氷を渡ることの正しさの不安であり、 いつも「誰か」の喪失の不安である。それが「孤独」である。
47 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:48:13
>>46 文章下手クソだなぁ。
論理的思考の無理な文語体へのプロセスって、感性が磨耗されるという
昔の偉人の名言を送るよ。
49 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:49:52
50 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 21:50:41
そうでしょうよ。
51 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 21:57:43
そうは思いませんが。
52 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:08:35
誰も彼もが自分の思考や理論こそが正しいといって憚らない。 他者との調和した知性を築くことをしない。 築こうともしない。 そういう輩にとって、関係性だの調和だのは 自分の思考を顕示するための方便にしか過ぎないのだ。 幽閉された思考とは、機械的人間の謂いに他ならないのである。
53 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 22:16:18
>>52 「不安」が隠蔽されていますね。
「不安」であるが故に、「幽閉」なのです。
54 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 22:17:14
■なぜ亀田三兄弟は強いのか? 人は脆い構造物である。人という構造物は薄氷を歩くように維持されている。人は確かな土の上を 歩いているように実感している。それが生きるということだからだ。しかしそれは「誰か」のあとを歩く 限りである。それでも、ほとんどの人が、たわいもない理由で、「不安」になっている。他者からみると 些細な理由である。しかしその些細なことによって、薄氷を歩くことを可能にしているために、そこに 固執するのだ。 たとえば親、医者、先生はなぜ人格者でなければ、ならないのか。それは、彼らがただ「誰か」である からだ。人々から薄氷の不安を忘れ去れる存在であるからだ。彼らに求められているのは、寡黙 である。「知っているだろう存在」=信頼でなければならないのだ。 人は誰かを信頼するときに、信頼していると語るときに、最大の力を発揮する。最後の決断(マクロ 認識)を「誰か」に託すとき、ただ実行することが残される。「なぜ薄氷を渡れるのか」でなく、「いかに 薄氷を渡る」のかだけが問題となる。たとえば、亀田三兄弟の強さにはあの強気なオヤジさんの存在 が欠かせない。オヤジさんは亀田兄弟から、「なぜボクシングのチャンピオンになるのか」という不安を 消し去り、チャンピオンになることだけに、専念させる。
55 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 22:18:11
だからこの「誰か」が失われたとき人は混乱する。というよりも、「誰か」を失うことはできない故に、 失われる不安が、最大の問題であり、生命をも脅かす。不安とは、いつも本質的に「薄氷をいかに 渡るのか」という不安ではなく、「なぜ薄氷を渡るのか」という不安である。「いかに薄氷を渡るか」は 不安でなく、充実である。そして「なぜ薄氷を渡るのか」は「誰か」を喪失することの不安であり、 それが「孤独」である。 このような「不安」、すなわち「なぜ薄氷を渡るのか」という不安に直面したときに、内部へ向かう。 たとえば子供は親が離婚するのは、ボクが悪からだと考えてしまう。それは外部から見ると、過剰な 思いだが、「不安」を内部へしか解消できない。多くにおいて人が大きな「不安」にあたると、この子供 のような思考へ向かう。「不安」の前では、自己の不完全さが口を開く。それは「不安」によって自己の 不完全さ開くのでなく、いつも自己とは不完全であることが、現前化するのだ。それは、内部へ 向かえば向かうほど、口を開く。「なぜ薄氷をあるくのか」には答えなどないのだから。
56 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:19:13
いや、感性が磨耗する以前にこなれていない(文体以前)駄文を こうまで垂れ流し恥じない神経にあきれるというか… 滑稽の極み。
57 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:19:18
発作が始まったw
58 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:20:11
750 名前:考える名無しさん :2006/03/15(水) 22:55:58 43 :ぴかぁ〜 :03/02/17 23:18 ソフィア、マンコ舐めさせて。 70 :ぴかぁ〜 :03/02/18 00:36 ソフィアのおっぱい飲みたいからいったんわしの子をはらんで 乳だけ出したら堕胎しろ!わかったか! 370 名前:Sophia ◆8ADoZCl6.k 投稿日:03/04/07 02:45 ぴかぁ〜はもう病院行ったほうがいいよ。。。 あともう少し自分の考えを論理的に見つめ直した方がいいよ。
59 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 22:22:24
60 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:26:03
ぴかぁ〜がどっかいけよと。
61 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:26:05
ぴかぁ〜じゃなくて、 ぬらぁ〜にしろよ。 おまえの性格にあってるぞ。
62 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:32:07
お前顔晒してみ。 この薄気味悪い駄文を晒す根性があるんだから、なんともないだろ、そのくらい。
63 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 22:32:58
なぜレベルの低いレス?
64 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:44:41
お前のゴタクはレベルが高いとでも言うのか。
65 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 22:48:39
ボクとあなたはレベルが違いすぎて話がかみ合っていないと思います。 そう思いませんか?
66 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:53:38
お前とかみ合う奴などいるのか。
67 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 22:57:27
お前が自分のレベルが高いと思ってのことなら、そう思わない、が返答だ。
68 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 23:00:38
相手に欲望を起こさせる文章であることが、既に構成要素の一部になっているような文章だから、「わかりにくい」のは当然なんだ 問いを逆にしてみ。「何でこんなわかりにくい文章で書くのかと」
69 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 23:01:27
亀田のオヤジさんのような存在はそうそういない。 だからみなが不安である。なぜ薄氷を渡るのか、を示す他者喪失の 不安である。 このような不安の中で、内部へ内部へ抑圧してしまう。 以下へ外部へ道を見出すのか、すなわち誰を見出すのか。
70 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 23:03:27
だからそれが屁理屈なんだよ。
71 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 23:04:36
「レベル」とはひとつの「ものさし」だが、自分と相手のものさしの(量ではなく)質が異なる可能性を考えなくちゃ、哲板なら
72 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 23:07:53
なぜそんな偉そうな態度なのですか?不快です。 その尊大な態度に見合ったレスレベルにあげるか、 人並みに礼儀あるレスをするか、してみてはどうですか?
73 :
考える名無しさん :2006/03/26(日) 23:10:11
ただの妄言だろ。
74 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 23:19:39
興味深いのはオタク的なコミュニケーションである。 彼らは、どこかで疎外された過去をもつものが多い。 たとえばオタク系少女のメルヘンぶりは、外傷からの治癒的な 意味があり、筋金が入っている。 ひとつの外装の意味がある。
75 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/26(日) 23:45:19
>>68 >>71 は私です。携帯からだったのでハンドルつけられませんでした。
失礼しました。
76 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 23:53:45
>>75 フォローしてもらえたのですね。ありがとうございます。
77 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 23:54:38
■なぜ亀田三兄弟は強いのか? 人は脆い構造物である。人という構造物は「薄氷を歩く」ように維持されている。人は確かな土の上を 歩いているように実感している。それが生きるということだからだ。しかしそれは「誰か」のあとを歩く 限りである。 たとえば親、医者、先生はなぜ人格者でなければ、ならないのか。それは、彼らがただ「誰か」である からだ。人々から薄氷の不安を忘れ去れる存在であるからだ。彼らに求められているのは、寡黙 である。「知っているだろう存在」=信頼でなければならないのだ。 人は誰かを信頼するときに、信頼していると語るときに、最大の力を発揮する。最後の決断(マクロ 認識)を「誰か」に託すとき、ただ実行することが残される。「なぜ薄氷を渡れるのか」でなく、「いかに 薄氷を渡る」のかだけが問題となる。たとえば、亀田三兄弟の強さにはあの強気なオヤジさんの存在 が欠かせない。オヤジさんは亀田兄弟から、「なぜボクシングのチャンピオンになるのか」という不安を 消し去り、チャンピオンになることだけに、専念させる。
78 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/26(日) 23:55:28
みなたわいもない理由で、「不安」になっている。他者からみると些細な理由である。しかしその些細な ことによって、薄氷を歩くことを可能にしているために、そこに固執するのだ。不安とは、いつも本質的 に「薄氷をいかに渡るのか」ということではなく、「なぜ薄氷を渡るのか」ということである。「いかに薄氷 を渡るか」は不安でなく、充実である。そして「なぜ薄氷を渡るのか」は「誰か」を喪失することの不安 であり、生命をも脅かす問題である。それが「孤独」である たとえば子供は親が離婚するのは、ボクが悪い子だからだ、と考えてしまう。それは外部から見ると、 過剰な思いこみである。ここにあるのは、親を失う不安ではなく、なぜ親が失われるのかに答えて くれる「誰か」を失う不安である。「誰か」である親の問題では「誰か」に聴くことはできない。そのために 「なぜ薄氷を渡るのか」という不安に直面したときに、内部へ向かうしかない。 多くにおいて人が大きな「不安」にあたると、この子供のような思考へ向かうしかない。「不安」の前、 「誰か」の消失の間では、自己の不完全さが口を開く。それは「不安」によって自己の不完全さ開く のでなく、いつも自己とは不完全であることが、現前化するのだ。それは、「なぜ薄氷をあるくのか」 には答えなどないからだ。
79 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/27(月) 00:37:01
>>10 >■なぜ画像内容識別技術は困難なのか?
これって、仕事していてすごく感じるんですよね。
いや、識別技術を扱っているわけではなく、「仕事ができる」ことに
結構普遍的に現れること何じゃないかなって。
たとえばうちの職場は未だIT化がそれほど進んでいなくて、
エクセルとか使えるとすごく重宝されるんです。高々グラフ化して
データを見やすくするくらいで、「さすがデジタル思考だね。アナログ
思考の自分には扱えない技術だ」とか上司に言われるわけです。
(たぶんこの点ではすごく遅れている職場なんです)
上司は「デジタル思考」というのを「雑多な問題を見やすくする能力」
くらいの意味で使っているのだと思います。それは、雑多な現象から
体系化された一つの物理法則を導き出すことにも似ていますが、
そう言う意味ではエクセルのやっていることは全然違うわけです。
「こういうグラフが欲しい」もしくは「こういう資料があったらわかりやすいだろう」とは
エクセルは絶対に考えられない。考えるのは人間なんです。
それを具体化できる仕組みを作って、その上で繰り返しの作業をするのはPCなのです。
エクセルがやっていることは建設重機が、人間の動かせないような重量の物資を
移動したり破壊したりすることと全く同じです。エクセルに「仕事」はできない。
だからPCが使えることと「仕事ができる」ことは全然別なわけで、私は上司の
研ぎ澄まされたカンや洞察力を尊敬しています。が、それでも上司にはそんなことは
言いません。わかっているでしょうし、わかっていなくても「PCはすごい」と思って
もらっておけば、さらに「こうしたい」という思考がわき起こってくるでしょう。
あんまり過剰にわき起こったときは「ムリですから」で済みますし。
職場のインフラが進めば幻想は消えるでしょうから、消費できるうちに消費しておこうと。
レベルの低い話ですいません……
80 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 00:46:46
81 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 00:56:02
>>79 最近は、いかに知を管理するかという問題がありますね。
デジタル化できるものは多くの価値がないのです。
容易に際限可能ですから、デジタル化社会では、
デジタル化できないことが貴重になります。
これがわかっていない管理職が多いですね。
管理できることを喜ぶという。
これも心身の「断絶」なんですね。
アナログ=心、デジタル=身
そして機械論の欲望は、デジタル化に快楽を感じる。
82 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/27(月) 01:11:12
>>81 慧眼です。
>デジタル化社会では、
>デジタル化できないことが貴重になります。
物事はあべこべに考えなくてはならないと思います。
「機械論への欲望」は「知の管理への欲望」と考えて
よいのでしょうかね。
>これがわかっていない管理職が多いですね。
>管理できることを喜ぶという。
管理職は自らの欲望を機械に投影させているわけですね。
だからやはり逆に「人を育てる」ということをきちんと考えないと
いけないと思っています。
83 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/27(月) 01:12:12
>>76 いえいえ。フォローというより、もったいないなと思ったので。
「レベル」云々に関して言えば、教養という質におけるレベルの高低は
「結果に対してどれだけの原因を見いだせる知性を有しているのか」かと
思います。
「わかんない!教えて!」「はい、これが君の求めていた答えだよ」「わーい!」は
子どもの問いです。結果と原因が一対一対応していると疑わないわけです。
「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると
思っている。
しかし、その「答え」とは何か?提示された「答え」を「答え」として選別している
「自身」が「問い」に加わってはじめて、その「答え」が答えになる、そのことに
気付いていない。だから、身の丈にあった答えしか返らないことに気付かない。
それでは答えは既に自身のなかにあり、自身の教養を超えない。
「問い」が計算問題なら、別に教養云々はどうでもいいのですが、論じられている問題が
「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」である場合、問題への迫り方そのものが
問われている。すでに「結果と原因」は一対一対応をせず、一対一対応していたこと自体が問い
として提示されている場合、「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。
何がわからないのか、なぜわからないのか、そもそもわからないとは何か、と。
そういうかなり重要な(ワクワクする)話をしているのに、受け取る側が
「自分が相手よりも優越感を感じられること」を「高いレベル」と思っているのでは
これはもったいないです。
84 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 01:25:31
>>82 管理できることは快感で、管理できないことは不安ですから。
どこまで管理者に求めるのかですが、
複雑な現代では、管理できないことを管理する(許容する)ことは
必要ではないでしょうか。無知の知に近いかもしれませんね。
>>83 言いたかったことをいって頂いてありがとうございます。
レベルとは単に知識量ではないですね。
わからないことは聞く、意見をいうことは還元ですが、
一行レスを繰り返して、「おまえはわからない」といえるレベルの低さですね。
人にものを聞くのに、なぜそこまで尊大になれるのか、不思議です。
今日の人は、コミュニケーション能力レベルが低いとしか言えませんね。
放置しても良かったのでしょうが、確かに最近、独自の用語が多くなっている
というのもあって、質問には答えようと思ったのですが。
85 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 01:26:54
還元→歓迎
86 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/27(月) 01:29:48
一対一対応の結果と原因とは、たとえば子どもが「おじいちゃん死んじゃった、 僕が今朝黒猫を見ちゃったからだ!」と泣くことです。 亀田三兄弟の強さも、「信じること」に依拠しているわけですが、これは、 純粋で力強い反面もろい。 それを失うという可能性を消去しているからこそ、純粋に強いのだと 思います。 たとえば「自分の人生を支えてくれた人が死んだ」という恐るべき人生の危機に 対して人はその重要性から何らかの原因を探ろうとするでしょう。大人になって 黒猫ではなくても、手頃な何かに。その新たな「原因」、つまり「信じられるもの」を 探せなければ、生きていくことができなくなるかも知れない。 しかし因果関係とは解釈です。「原因とは『うまくゆかないもの』だ」とラカンも 言っていますよね。結果と必然的に結びつかないものだけが「原因」となる。 もし亀田三兄弟の父親が亡くなられて、亀田三兄弟が「オヤジ、なぜ死んだんだ!」と 叫んだとき、「餅をのどに詰まらせたからです」と「事実」を述べたらボコボコに 殴られるでしょう(フィクションです)。それは彼らの求める「原因」ではないから。 この「失われた信頼」を「回復してくれる物語」を欲しているから。 「信頼」とは偶然の産物です。単一でないファクターが結びついて、現在の状態を 生成させている。認識することができないファクターも存在するでしょう。あくまで 人ができるのは「物語ること」です。 そして「絶対の確信」が単なる偶然の連鎖に過ぎないと知ってなお自身の知性によって 結果に対する原因を幅広く考察しようとする、「信じるものがない」のではなく、 「どれくらい信じられるものは存在するのだろう」と俯瞰する視点、これが教養だと 思うのです。 教養とは、複数のファクターから成る現象を因果関係の複数性を失わずに考察しようとする 知性ですね。
87 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 01:40:35
>>86 >「信じるものがない」のではなく、
>「どれくらい信じられるものは存在するのだろう」と俯瞰する視点、これが教養だと
>思うのです。
>教養とは、複数のファクターから成る現象を因果関係の複数性を失わずに考察しようとする
>知性ですね。
これ良いですね。腕あげてますね。
「信じるものがない」、「全てが嘘ごとだ」という言説が一番怪しいですね。
必ずなにかを信じている。それを認めることからはじまりますね。
88 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/27(月) 01:42:36
>>84 >管理できないことを管理する(許容する)ことは
>必要ではないでしょうか。
これは本当に難しいことなんですね。
でも、「懐が深い人」というのはそう言う人なんだと思います。
逆に管理にひた走るのは神経症的で、資本主義的で、
今の社会では本質的なだろうと思います。うーむ。
>言いたかったことをいって頂いてありがとうございます。
>レベルとは単に知識量ではないですね。
そう思います。単なる知識量ではないです。
最近加藤典洋の「僕が批評家になったわけ」を読んだのですが、
いいことを書いているんです。
「もし、批評というものが、本を百冊読んでいる人間と勝負するのに、
自分も本を百冊読んで、そこに書かれたものの善し悪しを云々するだけの
ものなら、それは学問とどこが違うだろうか。所詮は学問の中途半端なもの
というにすぎないではないか。……本を百冊読んでいる人間と本を一冊も読んで
いない人間とが、ある問題を前にして、自分の思考の力というものだけを頼りに
五分五分の勝負をできる、そういうものなら、これはなかなかに面白い……批評とは、
本を一冊も読んでいなくても、百冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そいういう
ゲームだ」(p13-14)
私はリーマンなので所詮横好きに過ぎないわけですが、それでもなお、学問に
立ち向かうやりかたがあるのだよ言われた気がしました。
でも30ページくらい読んで「徒然草」について触れ始めたくらいから眠くなって
読むのやめちゃいましたけど(笑)。
>わからないことは聞く、意見をいうことは歓迎ですが
うれしいお言葉です。まぁ、2chですから、いろいろありますが、私にとっては
非常に勉強になります。
89 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/27(月) 01:55:09
>>87 >腕あげてますね。
とんでもない。例によって内田樹先生の著書を読んでいて
ちょうど該当箇所を引いたまでです。ちなみに「いきなりはじめる
浄土真宗」といいます(笑)
むしろ(結構苦労して)書き込むことで、自分自身が気付かなかった発見が
あってびっくりしています。
というのは、「物語る」と自分で何気なく言ったのですが、「『信じられるものが
無い』と言う状態は、『物語る力が弱い』ということなのだな」と、最近読んだ
大塚英志さんの評論「更新期の文学」での指摘に合点がいったんです。
「憲法前文を書く運動」を結構バカにしていましたが、かなり本質的な行動を
しているのだな、と腑に落ちました。
>「信じるものがない」、「全てが嘘ごとだ」という言説が一番怪しいですね。
>必ずなにかを信じている。それを認めることからはじまりますね。
安易な絶望、ニヒリズムという「『否定神学を無意識に抑圧した』否定神学」に
身をゆだねること、ここからの跳躍ですね。
90 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/27(月) 02:02:05
>>87 いや、
>「信じるものがない」、「全てが嘘ごとだ」という言説が一番怪しいですね。
>必ずなにかを信じている。それを認めることからはじまりますね。
この部分も、ぴかぁ〜さんとやりとりしなければ今の理解に到達していませんね。
だって、自分が「信じるものがない」、「全てが嘘ごとだ」と言ったときはなんにも
疑わずに絶望していますから(笑)
教養LV up!
リーマンなので寝ます。
91 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 15:29:38
只今ネタ仕込み中
92 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 15:53:33
僕は本当に絶望した人がどんな表情をするのかを本当に見ました。 女の人は絶望という表現がこれ以上適当な表情はないと思えるようなこわばって呆然としたあきらめの表情をしていました。 この女の人が反応したのは最後男が面白がって「中だししてやるから俺そっくりな子を生めや!」といったとき 「それだけは勘弁してください」というようなうめきをしただけでした。 本当にはじめに抵抗していた様子からは想像もつかない変貌ぶりでした。 ただ全裸にされただけでああなるとは思えないです。 完全に抜け殻としか言い様のない脱力とどんなテレビにも見たことがない絶望の表情をしていました。 男達が去った後も女の人は四つんばいのままぴくりとも動かなかったです。 カメラは呆然とした女の人のすぐ側に寄ってその様子をあたかも貴重な映像であるかのようにしばらくアップで撮っていました。 けれどそのカメラにも女の人は無反応でした。 この二人の男は行為の間じゅう「一生の思い出にしてやる」だの 「おまえも遠くまで来たかいがあってよかったな」などとくだらないことをずっと 女の人に向かってしゃべりつづけながら下品な笑いをずっと浴びせていました。 さすがにこのビデオは見ていて気分が悪かったです。 今までうそレイプものはいくつか見てきましたが本当のレイプがこんなに悲惨で下劣なものだとは思いもしなかったです。 本当に絶望した人間がどんな表情をするのか、レイプという傷を負った女性がどんな状態になるのか、 僕ははじめて本当に知りました。絶対にレイプは許せません。 「えーことあったのう」と下品に笑いながら去っていったあの二人の男を見つけ出して この女の人の前で殺すか性器を引き千切ってやりたいです。 レイプをする人間は最低です。相手の気持ちなど微塵も考えていません。 レイプは女の人を最大限に踏みにじる史上最低の行為です。 僕は3回抜きました。
93 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 17:47:24
しょうがないので、反論しておきます。
94 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 17:49:43
>>83 >「わかんない!教えて!」「はい、これが君の求めていた答えだよ」「わーい!」は
>子どもの問いです。結果と原因が一対一対応していると疑わないわけです。
>「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると
>思っている。
>しかし、その「答え」とは何か?提示された「答え」を「答え」として選別している
>「自身」が「問い」に加わってはじめて、その「答え」が答えになる、そのことに
>気付いていない。だから、身の丈にあった答えしか返らないことに気付かない。
>それでは答えは既に自身のなかにあり、自身の教養を超えない。
95 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 17:56:14
>>83 >「わかんない!教えて!」「はい、これが君の求めていた答えだよ」「わーい!」は
>子どもの問いです。結果と原因が一対一対応していると疑わないわけです。
>「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると
>思っている。
まず、
>「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると
>思っている。
と仰るわけですが、
元々、「しろうと何言ってんかさっぱりわかんねぇよ」とぴかぁ〜がぼやき、
しろうとに「答え」を教えて貰った人が、
>「わかんない!教えて!」「はい、これが君の求めていた答えだよ」「わーい!」は
>子どもの問いです。結果と原因が一対一対応していると疑わないわけです。
という子供の問いであるところの、結果と原因が一対一対応した教えを請うたわけで
ありまして、リーマンは、元々しろうとから一対一対応した結果と原因式の子供の問いを
していた時期を知らないのでしょう。
ですから、これは問題設定事態が誤りといわざるをえませんね。
96 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:00:49
つまり、 誤 我々が「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると 思っている。 正 ぴかぁ〜が「しろうと何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、 しろうとが答えを教えてくれる。 ↓ 更に、しろうとその他の人から盗用した知識を、妙に権威づけする為に、 教えてもらった時よりも難易度を上げて喋る。 ↓ 「我々が「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると 思っている。」 と、ぼやけるようになる。 というのが正確なところでしょう。
97 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:05:05
また、
>>83 >「問い」が計算問題なら、別に教養云々はどうでもいいのですが、論じられている問題が
>「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」である場合、問題への迫り方そのものが
>問われている。すでに「結果と原因」は一対一対応をせず、一対一対応していたこと自体が問い
>として提示されている場合、「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。
>何がわからないのか、なぜわからないのか、そもそもわからないとは何か、と。
この箇所ですが、
誤
我々が「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると
思っている。
正
ぴかぁ〜が「しろうと何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、
しろうとが答えを教えてくれる。
が正解である限りは、誤に代入はできません。なぜなら、ぶっちゃけパクってるのは
ぴかぁ〜がしろうと他ブロガーからパクってる主体だからですね。
98 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:07:21
即ち、 正 ぴかぁ〜が「しろうと何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、 しろうとが答えを教えてくれる。 という怠け者根性に、 >「問い」が計算問題なら、別に教養云々はどうでもいいのですが、論じられている問題が >「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」である場合、問題への迫り方そのものが >問われている。すでに「結果と原因」は一対一対応をせず、一対一対応していたこと自体が問い >として提示されている場合、「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。 >何がわからないのか、なぜわからないのか、そもそもわからないとは何か、と。 という説教ははじめて成り立つわけです。
99 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:11:10
しかし、リーマンは過去ログ読んでない為に、 正 ぴかぁ〜が「しろうと何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、 しろうとが答えを教えてくれる。 ↓ 更に、しろうとその他の人から盗用した知識を、妙に権威づけする為に、 教えてもらった時よりも難易度を上げて喋る。 ↓ 「我々が「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると 思っている。」 と、ぼやけるようになる。 他人のまわしで相撲をとっていることに気が付かないというわけですね。
100 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:15:19
して、リーマンは、なるほど、 誤 我々が「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると 思っている。 とリーマンが思っているのですが、事実は逆ですね。 >しろうとその他の人から盗用した知識を、妙に権威づけする為に、 >教えてもらった時よりも難易度を上げて喋る。 この箇所を煽っているわけでして、リーマンの言うような、 教えを請うことを目的としているのではなく、いわば、 盗用した知識をさも、オリジナルのように語ることへの煽りなわけです。
101 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:21:10
そして、
>>83 >そういうかなり重要な(ワクワクする)話をしているのに、受け取る側が
>「自分が相手よりも優越感を感じられること」を「高いレベル」と思っているのでは
>これはもったいないです。
この箇所ですが、
リーマンがワクワクする、仰られているわけですが、
あなたはパクリ屋の何にワクワクしたのでしょうか?
即ち、貴方がワクワクしたのは、
「本当に彼(ぴかぁ〜)オリジナルの思考」ですか?
という問いに集約させることができるでしょう。
対象aや否定神学というというのは誰の言葉か、
一度オリジナルは誰か知らないと何でもかんでも
ぴかぁ〜がオリジナルと思い込んでしまうでしょう。
102 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:27:44
で、結論に入りましょう。
>>83 >「問い」が計算問題なら、別に教養云々はどうでもいいのですが、論じられている問題が
>「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」である場合、問題への迫り方そのものが
>問われている。すでに「結果と原因」は一対一対応をせず、一対一対応していたこと自体が問い
>として提示されている場合、「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。
>何がわからないのか、なぜわからないのか、そもそもわからないとは何か、と。
>そういうかなり重要な(ワクワクする)話をしているのに、受け取る側が
>「自分が相手よりも優越感を感じられること」を「高いレベル」と思っているのでは
>これはもったいないです。
これは言ってることは正しいのですが、リーマンは過去ログ読んでないのと、
たぶん自分で読んだことないので、分別できる程には目が肥えていません。
これをお教えしましょう。
103 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:32:33
>>83 >「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」である場合、問題への迫り方そのものが
>問われている。
>「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。
>何がわからないのか、なぜわからないのか、そもそもわからないとは何か、と。
リーマンの言いかたですと、「ぴかぁ〜は自分で考えている」という考えが、
自明なこととして前提されているわけですけれども、
>>96 正
ぴかぁ〜が「しろうと何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、
しろうとが答えを教えてくれる。
↓
更に、しろうとその他の人から盗用した知識を、妙に権威づけする為に、
教えてもらった時よりも難易度を上げて喋る。
↓
「我々が「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると
思っている。」
と、ぼやけるようになる。
というプロセスを知らないリーマンには、
「ぴかぁ〜はパクることで思考しているつもりになっている」
という事実は見抜きがたいことでしょうね。
104 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:36:49
しかも、
>>96 正
ぴかぁ〜が「しろうと何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、
しろうとが答えを教えてくれる。
↓
更に、しろうとその他の人から盗用した知識を、妙に権威づけする為に、
教えてもらった時よりも難易度を上げて喋る。
↓
「我々が「ぴかぁ〜何いってんのかさっぱりわかんねぇよ」とぼやくと、「答え」が返ってくると
思っている。」
と、ぼやけるようになる。
というプロセスでは、
しろうと、他ブロガーの思考
↓
ぴかぁ〜の思考
↓
リーマンの思考
というコピーの連鎖であり、一番上の思考をコピーしているだけなので、
>「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」や、
>「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。という、
「自分で考える」枠組みが基本的に抜けているのですね。
105 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:39:30
ですから、結果的には、 しろうと、他ブロガーの思考 ↓ ぴかぁ〜の思考 ↓ リーマンの思考 というコピーの連鎖なので、 >「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」や、 >「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。という、 「自分で考える」枠組みは有り得ません。
106 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:48:11
それでは、ぴかぁ〜が実際にやってる行為とは何か?ですが、
>>83 >論じられている問題が
>「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」である場合、問題への迫り方そのものが
>問われている。すでに「結果と原因」は一対一対応をせず、一対一対応していたこと自体が問い
>として提示されている場合、「わかんない!」に対して<自分で>考えなければならない。
>何がわからないのか、なぜわからないのか、そもそもわからないとは何か、と。
と、リーマンは仰るわけですが、
しろうと、他ブロガーの思考
↓
ぴかぁ〜の思考
↓
リーマンの思考
という、コピーの連鎖のなかでは、上から下へと
>「自明とされている思考の枠組みそのもの」が、
あなたの言うように、「問われている」のではなく、
ただ単に「受け継がれて」いる(パクられている)だけです。
107 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 18:55:21
ですから、ぴかぁ〜が実際にやっている行為は、 リーマンの言うような、 >「自明とされている思考の枠組みそのものへの問い」 ではありません。彼(ぴかぁ〜)オリジナルの思考とあなたが 思うものは、すでにもうひとつ前の段階の人間がしている思考なのです。 そういうわけなので、「継承された思考」は、 >「自明とされている思考の枠組みそのもの」のコピーに過ぎないので、 >問題への迫り方そのものが、 パクられた人間の思考にソックリになっていきます。 (ぴかぁ〜の場合は、しろうとやブロガーに似てくる) その理由は、あたえられた問題に、他人からパクった、真似した 思考回路をそのまま>「結果と原因」に一対一対応してあてはめて いるだけだからですね。
108 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:01:09
あと、これですが、
>>83 >そういうかなり重要な(ワクワクする)話をしているのに、受け取る側が
>「自分が相手よりも優越感を感じられること」を「高いレベル」と思っているのでは
>これはもったいないです。
これも間違いです。
しろうと、他ブロガーの思考
↓
ぴかぁ〜の思考
↓
リーマンの思考
と、コピーされていく思考回路は、
上の段の「権威」に依存しているシステムです。
(そこに「自分の思考」は介在しません)
しろうと、他ブロガーの口真似をしているだけですので、
レベルが高いのではなくて、自分で理解していないので、
その口真似より他の方法では喋ることができないからです。
ですから、彼(ぴかぁ〜)の場合、ジャーゴンからひとたび
離れてしゃべると、普通のオッサンの世間話レベルに落ちてしまう
わけです。
まあ、今回はこの程度で。
ぴかぁ〜とは意見が合いそうだ
110 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:21:15
まあ、そういう人もいるか。
最後の厨房だな
112 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:40:13
ぴかぁ〜の場合、厨房って自覚はないんだろうね。
113 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:45:27
リーマンは舎弟か。 いずれ捨てられるだろうけど。
114 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:47:04
もしくは自演キャラのひとりか。
115 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:55:15
只おれはあの自分に都合のいい、厚かましい思考回路と神経はちょっとうらやますぃーすぃすーだららったすらすらすいすいすいーっと♪♪
116 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:56:30
まったくだな。
117 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 19:57:21
だが、その厚かましさとはオッサン化でもあるが。
118 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 20:00:20
いや一種の先天的特質によるところが大きい気ガス
119 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 20:02:41
なるほど、元からああいう性格だったと。
120 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 20:04:57
本質的にはそうでしょ。
121 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 20:06:55
そんな感じはする。
122 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 20:10:21
レスが増えていると思ったら、なにをしているんですか?
123 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 20:11:00
ぴかぁ〜の精神分析
124 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 20:23:54
>>91 からですね。
同じことをなんども執拗に書いて、気持ちが悪いです。
あなた精神を病んでないですか。
125 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 20:43:12
ぴかぁ〜は健康すぎるのかもね。 全身からオッサン臭がする。
126 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 20:54:26
>>88-90 >リーマンさん
意味なくレスが流れてしまいました。
内田樹先生はレヴィナスが専門ですが、ラカンにも詳しいですね。
ボクはブログぐらいしか読んでいませんが。
>「『信じられるものが無い』と言う状態は、『物語る力が弱い』ということなのだな」
「物語る力」というのは面白いですね。力が弱くなっているとともに、
情報が溢れて、発散して「物語る」ことがむずかしい世の中ということでしょうね。
だからこそ過剰に「物語る」ということがあると思います。
物語るじゃなくて予想だとよ
128 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:05:28
ぴかぁ〜ってさ、一行レスするなとか言っておきながら、 いざ、長文でレスしたらしたで、普通にスルーするよね。
129 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 21:06:00
>>125 もっと正直に言いたいことをいった方がいいと思う。
怖がらすに人と向き合った方がいいと思う。
ふざけた態度で、ごまかしているだけではないでしょうか。
130 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:06:30
まあ、これで長文のレスをしても読めないってことが分かったけど。
131 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:08:10
132 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:08:50
まあ、読む力が無いなら諦めても良いけど。
洞察力のない者は、知識武装に走り、いびつな実存を築き上げるのだよ、ワトソン君
134 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 21:16:04
>>130-132 あなたは他人と適当な間合いでコミュニケーションすることが
苦手ではないですか。
いまだけですか?それとも日常でも気味悪がられていますか?
135 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:17:20
136 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:18:33
批判を批判として受け止められず、
レスを読んでも、
>>134 のような返ししかできないのではないでしょうか?
137 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 21:20:14
怖いよ。
138 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:30:01
怯えるぴかぁ〜、キモイ。
139 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 21:33:39
■なぜ亀田兄弟は強いのか? 「なぜその薄氷を渡るのか」 人は脆い構造物である。人という構造物は「薄氷を歩く」ように維持されている。人は確かな土の上を 歩いているように実感している。それが生きるということだからだ。しかしそこで隠されているのは、 歩く方向を示す「誰か」のあとを歩く限りである、とうことだ。 たとえば親、先生、医者はなぜ技術的に優れているだけでなく、人格者でなければならないのか。 それは、彼らがその「誰か」であるからだ。人々から「なぜその薄氷の上を歩くのか」という不安を忘れ させる存在であるからだ。彼らに求められているのは、寡黙に、「(行き先を)知っているだろう存在」 としてあることだ。 人は誰かを信頼し従うときに、最大の力を発揮する。「なぜその薄氷を歩くのか」という決断を「誰か」に 託し、「いかに薄氷をあるくか」とただ実行するだけのときである。たとえば、亀田三兄弟の強さには あの強気なオヤジさんの存在が欠かせない。オヤジさんは亀田兄弟から、「なぜボクシングの チャンピオンになるのか」という不安を消し去り、「いかにチャンピオンになるか」だけに、専念させている、 のだ。
140 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 21:34:43
フリーズする私 「いかに薄氷を渡るか」は不安でなく、「充実」である。不安はいつも本質的に「なぜその薄氷を渡るのか」 ということである。そして「なぜその薄氷を渡るのか」は、その理由を知る「誰か」を喪失することの不安 である。その問いの前で立ち止まる不安である。それが「孤独」である。 みな、他者からみると些細な理由で「不安」になる。しかしその些細なことによって、薄氷を歩くことを可能 にしているために、そこに固執するのだ。たとえば子供は親が離婚するのは、ボクが悪い子だからだ、 と考えてしまう。それは外部から見ると、過剰な思いこみである。この混乱は、親を失う不安からでなく、 なぜ親が失われるのかに答えてくれる「誰か」を失う不安である。 多くにおいて人が大きな「不安」にあたると、この子供のような思考へ向かうしかない。「なぜその薄氷を 渡るのか」という不安に直面したときに内部へ向かう。そして内部にあるのは、自己の不完全さである。 しかし「不安」によって自己の不完全さが開くのでなく、いつも自己とは不完全であることが、現前化する のだ。いつも「薄氷を歩いている」こと、そして「なぜその薄氷をあるくのか」には答えがないことが、現前化 してしまう。そしてそのまえでフリーズし、自分を責めるしかないのだ。
141 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:43:34
批判が許されないなら、せめてこれだけは言っておきたい。 ゴーストウンコ 出たと思って見てみても便器には落ちてない。でも紙にはちゃんとつくウンコ。 クリーンウンコ 出たと思って見てみると確かに出ている。でも紙にはつかないウンコ。 ウェットウンコ 何回拭いてもまだついている気がするウンコ。万一に備えて、ケツにトイレットペーパーを当てがってトイレを出る事も。 セカンドウンコ 終わってパンツを上げかけた所で再びもよおすウンコ。出そうとすると確かにまだ出る。 ヘビーウンコ 食べ過ぎ飲み過ぎの翌日や数日便秘が続いた後のウンコ。重くて流れにくい。 ロケットウンコ すごい速度で出てくるので、パンツをすばやく下ろさなくてはならないようなウンコ。 パワーウンコ 勢いよく出るので、水がハデに跳ね返ってくるウンコ。ケツの広範囲を拭かなくてはならない。 リキッドウンコ 液状で、一般に痛みと音が凄まじいウンコ。3日たっても肛門が痛い、なんて事がある。要するにひどい下痢の時のウンコ。 ショッキングウンコ 臭いが強烈なため、用便後1時間は誰もそのトイレに入れないようなウンコ。 アフターハネムーンウンコ すぐそばに他の人がいても、平気で音とともに出せるようなウンコ。 ボイスウンコ あまりにも固くて切れないので、出すのにかけ声が必要なウンコ。 ブレイクウンコ 量が多すぎるため、一旦休憩して水を流さないとあふれてしまうようなウンコ。 バック・トゥ・ネイチャーウンコ いわゆる野グソ。森の中や田舎のあぜ道、時にはビルの地下などにナチュラルにしてあるウンコ。 インポッシブルウンコ 絶対にトイレに行けない状況の時にもよおすウンコ。すべてをあきらめるか、バック・トゥ・ネイチャーウンコするしかない。 エアーウンコ 出そうな気はするのに、いくらいきんでも屁しか出てこないケースをこういう。 ノーエアーウンコ 屁だと思って軽く力を入れたら出てきてしまったウンコ。多くの場合悲惨な状況を出来せしめる。
142 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:43:46
いや、怯えるオヤジぴかぁ〜か。
143 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:47:39
144 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 21:58:39
ぴかぁ〜はオヤジじゃないって。 少なくとも精神年齢は相当低い。 恐らく深い思索の過程で成長を停止させたのだろう。おそるべし。
145 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:04:15
じゃあ、子供なのか。
146 :
リーマン :2006/03/27(月) 22:04:30
あらら、私の絡み方が悪かったので荒れたみたいですね。 しろうとさんはそんなに博識な方なんですか。 重要なことというのは、言い方が変わっても、それほど 中身は変わらないようですよ。
ぴかぁ〜さん 外出先なので、後ほど。
148 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:11:42
リーマンはアホっぽいな。
149 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:12:48
重要なのは、そんなことではないだろ。 ぴかぁ〜がパクったことが問題なのだから。
150 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:14:00
純一ってほんとに病気?
151 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:15:45
ところでトリップはどうした?
152 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:16:46
ぴかぁ〜、コテつけろよ。
153 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:18:01
純一死ぬなよ
154 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:21:16
750 名前:考える名無しさん :2006/03/15(水) 22:55:58 43 :ぴかぁ〜 :03/02/17 23:18 ソフィア、マンコ舐めさせて。 70 :ぴかぁ〜 :03/02/18 00:36 ソフィアのおっぱい飲みたいからいったんわしの子をはらんで 乳だけ出したら堕胎しろ!わかったか! 370 名前:Sophia ◆8ADoZCl6.k 投稿日:03/04/07 02:45 ぴかぁ〜はもう病院行ったほうがいいよ。。。 あともう少し自分の考えを論理的に見つめ直した方がいいよ。
155 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:43:37
889 :考える名無しさん :2006/03/25(土) 00:48:06
15 名前:考える名無しさん :03/07/12 21:14
ぴかぁ〜さんは、自費出版とか考えないんですか。
そんであちこちの哲学科に送りまくるとか。
17 名前:ぴかぁ〜(^O^) ◆lk7eU.5KwI :03/07/12 21:18
>>15 君に一任します。
一儲けして、遊んで暮らしましょう。
156 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 22:49:14
ぴかぁ〜って哀れだよね… ブログとかで秀逸なコンテンツを綴っていたならば、あるいはメルマガとかで人気が出れば、出版とかのメジャーデビューもあるのにね。 結局、哲学の才能もなければ、世を渡る術もない。 一生、マスターベーションし続けるんだろ。
157 :
リーマン :2006/03/27(月) 23:07:49
おまいら、スレタイ10回音読しておちつけ。 これ以上このネタ話したかったら雑談スレにでも逝け。 ぴかぁ〜さん、もうすぐ帰ります。 待っててください。
158 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:10:18
リーマン、お前本物か? トリップ付けてみろよ。
159 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:19:25
純一生きてたのか。おれが知っているだけでも3回アク禁になってるなw
160 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:20:48
ぴかぁ〜よ、話すならコテをつけろ。
161 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:21:30
3回だと?その数字はおかしいな。
162 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:22:39
純一がアク禁総数は5回、うち哲板が3回だろ。
スレが荒れてしまいました。 落ちつくまで、しばらくレスを控えますね。
164 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:24:49
165 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:29:52
まあ、それがぴかぁ〜クオリティーだよな。
166 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:31:02
負けそうになったら逃げる… それも哲学ですな。
168 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:35:17
テーマは?
169 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:37:38
テーマは何なんだい?
やっぱり純一かw
171 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:47:12
ピカは哲学ってのをかじったことはあるのか? すこしでもあるのなら哲学版にいないはず。 哲学って言葉に酔いしれてオナニーしてるだけだろ。 いちからやり直せ。人の目に付くところでオナニーするな。
※04年5月
279 :GRIZZLY ★ :04/05/01 18:14
ipad*okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)
による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
※04年12月
33 :ロック鳥 ★ :04/12/28 22:51:42 ID:???
○規制
ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp 規制
○荒らしの内容と特徴
無意味な文字列のコピペ・連続投稿
26 :田吾作 ★ :04/12/28 22:12:54 ID:???
じゆん ◇bYRNL78mlE<>sage<>04/12/26 18:08:33 F0hXBiZo<> ;;;;;;;:::::::::<><>
t507086.ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp<>220.159.7.86<>
※05年12月
203 :軍艦焼 ★ :2005/12/19(月) 02:32:19
ipad\d+okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
★051216 哲学板 通称「純一」報告スレ
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1134698608/159 (まとめ)
純一 ◆Fn0dptrDJw <>age<>2005/12/17(土) 00:16:33 M9txXAUV<><a href="../test/read.cgi/phil<><>
p3191-ipad12okayamaima.okayama.ocn.ne.jp<>220.105.76.191<><>Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0;
Windows NT 5.1; SV1)
173 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:49:14
論戦するのかい? それとも逃げるのかい?
175 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:50:44
176 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:51:56
Mozillaを使っているすら、晒させるとはな。
177 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:52:39
moperaに変えたこともバレたか。
178 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:53:28
>ピカは哲学ってのをかじったことはあるのか? > >すこしでもあるのなら哲学版にいないはず。 > >哲学って言葉に酔いしれてオナニーしてるだけだろ。 まったくですな。
179 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:54:58
181 :
考える名無しさん :2006/03/27(月) 23:56:34
183 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:01:02
184 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:06:19
それで、テーマは何なんだい?
186 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:08:26
こっちが決めるのかね? それで本当に良いのかね?
よいぞ。
188 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:11:58
では、この前の続きでもしようかね?
189 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:12:03
それよりぴかぁ〜とガチでやれよ。 なぜいつもぴかぁ〜の前では荒しに逃げる。
190 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:12:35
過剰なオナニーと自省能力欠如の相関
191 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:12:40
192 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:13:15
ぴかぁ〜が現れたなら、やっても良い。
193 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:16:20
いや、正確にはいつもぴかぁ〜が逃げるからね。 163 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 23:23:12 スレが荒れてしまいました。 落ちつくまで、しばらくレスを控えますね。
194 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:17:00
>>191 そうは思えないな。いつも純一が逃げているように見えるぞ。
今日もしろうとをパクってるとかで、ごまかしただろう。
あれではぴかぁ〜は真剣にならのわかって逃げてるだろう。
195 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:18:30
純一が哲学知識ゼロなのは、ちんことの論戦で証明済みだろ。 こいつがなんでこの板に来るかが不思議。
197 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:19:45
じゃあさ、この場でぴかぁ〜が出てくればいいんじゃない? どうせ、見てるだろうしw
198 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:20:31
200 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:21:19
>>199 で、しろうとをパクったのは認めるわけ?
201 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:23:43
しろうとをパクってるのを否定すれば、 確実に名無しのぴかぁ〜がいるな。
202 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:28:59
人のホストを晒すはやめなさい。 それも五個中三つも晒して…
純一は逃げてばっかりでつまらんよ。
>>196 >ちんことの論戦で証明済みだろ。
そんなHNの人はいないぞ?
205 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:31:37
>>203 いや、実際逃げたのはぴかぁ〜だろうと。
↓
163 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 23:23:12
スレが荒れてしまいました。
落ちつくまで、しばらくレスを控えますね。
>>203 どういう目をしているんだ?
206 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:32:48
それとも、
>>203 は、↓が逃げじゃないとでも言うつもりなのか?
163 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/27(月) 23:23:12
スレが荒れてしまいました。
落ちつくまで、しばらくレスを控えますね。
207 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/28(火) 00:33:25
>>146 >>147 これは私です。無駄にスレを荒れさせて申し訳ないです……
普段2chブラウザを使っていて、ハンドルも一度設定だけで良いので
トリップの付け方を思い出せませんでした。
しかし、「名無しさん」の一連のレスで実践された「狂気」は実に定型的
なものですね。深みが無く、画一的で単純ですね。
なんでだろう?と考えちょっとスレを読み返しました。
>>9 >「他者」とはなにを考えて、なにかするかわからない「狂気」の存在であり、この「狂気の世界」で
>懸命に、「他者」ときちんとコミュニケーションができているように、装うことで「外部」はできている。
>>11 >しかしほんとの狂気にはたえられない。だから安全な狂気を求める。2ちゃねらーは罵倒する。
>そして薄氷をやぶる。しかし匿名という安全であるかぎりでだ。
かなりラディカルな指摘です。
コミュニケーションは一度きりの行為ではありません。想定した他者に対して
応答を繰り返そうという行為です。だから、他者の変化に合わせて自身の
言説を変化させていく必要がある。お互いがお互いに対して自身を変化させていく
言葉の交換は、常に過剰です。「不等価な交換」、贈与的なものです。
自身は、他者を想定してその他者に対して語りかけることで自身を変化させる。
そして自身にとっての世界を言葉で分節し、変化させていく。
逆に、変化は「危険」な行為です。危険を避け、安全にコミュニケーションを
取りたければ、自身を変化させず、「柳の下の二匹目のドジョウ」を
期待して、ありふれた煽り言葉で興奮を再起させようとする。「等価交換」を行おうとする。
これを端から見ると、実に深みのない、チープな言説に見えるわけです。
深みはあらかじめ与えられるのではなく、コミュニケーションのなかで獲得されていくわけです。
208 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:33:40
209 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:34:04
大体さ、パクりって逃げじゃないの? 自分の考えじゃなく、他人の思考を盗用しているわけなんだからさ。
210 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:34:46
211 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:35:02
リーマン君はまだ20代かい?
212 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:37:22
>>207 >しかし、「名無しさん」の一連のレスで実践された「狂気」は実に定型的
>なものですね。深みが無く、画一的で単純ですね。
ぴかの自演か?
まあいいか、とりあえず、
一般教養レベルしかないのになんで深みがあるとかないとか、
自身を判別できるとするのかわからないね。
213 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:40:30
大体、リーマンはその「他者」思想が、 誰から来てるのか分かってるのかい? (ぴかぁ〜が考えたんじゃないよ)
214 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:45:19
>>207 >なんでだろう?と考えちょっとスレを読み返しました。
>
>>9 >>「他者」とはなにを考えて、なにかするかわからない「狂気」の存在であり、この「狂気の世界」で
>>懸命に、「他者」ときちんとコミュニケーションができているように、装うことで「外部」はできている。
>
>>11 >>しかしほんとの狂気にはたえられない。だから安全な狂気を求める。2ちゃねらーは罵倒する。
>>そして薄氷をやぶる。しかし匿名という安全であるかぎりでだ。
>かなりラディカルな指摘です。
いや、ラディカルではないよ。
このあとの文章も読んだが、単純な現象を複雑に言ってるだけじゃないか。
しかも大雑把すぎるし。
ラカン
216 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:46:21
いや、一応リーマンに聞いているのだ。
ぴかぁ〜が好きなのか?嫌いなのか?
218 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:49:02
まあ、これだけではわからんだろうから、 一個一個説明してあげよう。
だれもいなくなりましたが、おねがいします。
220 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:50:53
>>207 >なんでだろう?と考えちょっとスレを読み返しました。
>
>>9 >>「他者」とはなにを考えて、なにかするかわからない「狂気」の存在であり、この「狂気の世界」で
>>懸命に、「他者」ときちんとコミュニケーションができているように、装うことで「外部」はできている。
>
>>11 >>しかしほんとの狂気にはたえられない。だから安全な狂気を求める。2ちゃねらーは罵倒する。
>>そして薄氷をやぶる。しかし匿名という安全であるかぎりでだ。
>かなりラディカルな指摘です。
君、これは結論としてあるわけだろう?
ある現象を説明する理論としてあるわけだ。
しかし、この現象には別にこの他者云々という理論でなくても
説明が可能なのだよ。
221 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:51:59
sageてんのは、ぴかぁ〜だろ。
難解なぴかぁ〜哲学解説よろしく
223 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:53:32
大体、なんでもかんでも他者とか言ってれば、 あてはめられるという楽な論ばっか書いてるから、 思考力が落ちてるんじゃないの?
224 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:53:33
益々、すごいね。ぴかぁ〜&リーマン。 自説には些かの瑕疵もないどころか、顧みようともせず批判に対しては十把一からげでチープで浅いときたもんだ。 取りも直さず、自らの言説は深いと言っていることに外ならない。重ね重ね恐れ入谷の鬼子母神。 あんたはグレート。
しろうととぴかぁ〜のどこが似てるかもよろしく。
226 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:55:58
>>222 ぴかぁ〜の哲学というのは、
東浩紀→しろうと→ぴかぁ〜
というコピーなのだよ。
だから、「ぴかぁ〜哲学」というものは存在しない。
いうなれば、誤読とか曲解として存在することはありえるかもしれないがね。
227 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 00:58:13
>>225 ぴかぁ〜に教えてやろうではないか。
しろうとからパクってるから、似るのは当然。
むしろ、劣化するだろうが。
228 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:03:56
>>207 >逆に、変化は「危険」な行為です。危険を避け、安全にコミュニケーションを
>取りたければ、自身を変化させず、「柳の下の二匹目のドジョウ」を
>期待して、ありふれた煽り言葉で興奮を再起させようとする。「等価交換」を行おうとする。
>
>これを端から見ると、実に深みのない、チープな言説に見えるわけです。
>深みはあらかじめ与えられるのではなく、コミュニケーションのなかで獲得されていくわけです。
そもそも、この理論でいけば、
過剰な他者を避けてるのはどっちだね?
リーマンの理論で言えば、私が安全なコミュニケーションを求める
等価交換を行っているということになるのだろうが、
実際には、定型的な用語でしか会話ができないのは、ぴかぁ〜自身だろう。
で?
230 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:06:17
>逆に、変化は「危険」な行為です。危険を避け、安全にコミュニケーションを >取りたければ、自身を変化させず、「柳の下の二匹目のドジョウ」を >期待して、ありふれた煽り言葉で興奮を再起させようとする。「等価交換」を行おうとする。 それから、普通、煽りってのは過剰だろう? ここで、リーマンとぴかぁ〜は相手を攻撃する為に、 わざと煽りを過剰でない等価交換の言説として無理矢理分類しているだろ。
純一はなぜぴかぁ〜に勝てないかわかるか?
232 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:12:17
だから、正確には、 誤 >変化は「危険」な行為です。危険を避け、安全にコミュニケーションを >取りたければ、自身を変化させず、「柳の下の二匹目のドジョウ」を >期待して、ありふれた煽り言葉で興奮を再起させようとする。「等価交換」を行おうとする。 (私の煽りをこれにあてはめれば、私はありきたりな煽りで等価交換を 行っていることになり、「他者」を恐れていることになる。) 正 >変化は「危険」な行為です。危険を避け、安全にコミュニケーションを >取りたければ、自身を変化させず、「柳の下の二匹目のドジョウ」を >期待して、ありふれたジャーゴンで小さなコミューンに纏まり、「等価交換」を行おうとする。 (正しくは、煽りが過剰で不等価交換であり、リーマンとぴかぁ〜は、これを 無理矢理、等価交換に分類している。正しくは、ジャーゴンが等価交換。)
233 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:13:33
231 名前:ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw:2006/03/28(火) 01:10:29 純一はなぜぴかぁ〜に勝てないかわかるか?
234 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:14:15
>>231 その発言をしているのが、ぴかぁ〜本人だろうだろ?
235 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:17:37
で、これを踏襲すると、 正 >変化は「危険」な行為です。危険を避け、安全にコミュニケーションを >取りたければ、自身を変化させず、「柳の下の二匹目のドジョウ」を >期待して、ありふれたジャーゴンで小さなコミューンに纏まり、「等価交換」を行おうとする。 (正しくは、煽りが過剰で不等価交換であり、リーマンとぴかぁ〜は、これを 無理矢理、等価交換に分類している。正しくは、ジャーゴンが等価交換。) ぴかぁ〜とリーマンは、等価交換でコミュニティーをつくって、 過剰な不等価交換を行う私(他者)を恐れていることになる。 従って、これがぴかぁ〜達にあてはまる。 >これを端から見ると、実に深みのない、チープな言説に見えるわけです。 >深みはあらかじめ与えられるのではなく、コミュニケーションのなかで獲得されていくわけです。
236 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:18:56
>これを端から見ると、実に深みのない、チープな言説に見えるわけです。 >深みはあらかじめ与えられるのではなく、コミュニケーションのなかで獲得されていくわけです。 要するに、出てこいやぴかぁ〜、話そうぜというわけです。
237 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:19:39
こういう二人は、じかに見てみたい。最初からこうなのか、何らかの理由があるのか。 と好奇心はあるが、結局へこんじゃうんだろうな、おれ。 この二人と違ってヘナチョコだから。 嫌なもの見ちゃったと…だめだワ俺。
238 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:22:04
いや、じかに会ったら、 たぶん、喧嘩はしないだろう。
239 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:23:16
ぴかぁ〜も実際に会えば、 ネット程調子に乗ってないと思うしね。
なにを言おうがぴかぁ〜のストーカーしている時点で終わっているw
まあ麻原死刑確定でも語れよ
242 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:24:16
いや、ぴかぁ〜なら調子に乗ってる可能性もあるな。
243 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/28(火) 01:24:38
>>126 >内田樹先生はレヴィナスが専門ですが、ラカンにも詳しいですね。
わたしのラカン理解は、内田先生経由です。
>力が弱くなっているとともに、
>情報が溢れて、発散して「物語る」ことがむずかしい世の中ということでしょうね。
>だからこそ過剰に「物語る」ということがあると思います。
この「過剰」さは、質ではなく量ですね。だから単純で大量で、「溢れた」という
表現はぴったりきますね。
「物語る力」は育っていくものなのだと思います。これは大塚英志さんの
「物語の体操」で、幼児が物語る力を獲得していく過程でも示されています。
大塚さんは「解体と再構成」の能力と言っていますが、これは解釈と言い換えても
良い気がします。
構造的には極めて類型的でありながら、その物語が唯一のものであるのは
自己というファクターをそこに投じるからですね。
>>129 >もっと正直に言いたいことをいった方がいいと思う。
>怖がらすに人と向き合った方がいいと思う。
>ふざけた態度で、ごまかしているだけではないでしょうか。
この言葉を受信できるのは、受信しようという構えがある人だけなんですよね。
244 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:25:02
240 名前:ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 01:23:43 なにを言おうがぴかぁ〜のストーカーしている時点で終わっているw 241 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw:2006/03/28(火) 01:24:14 まあ麻原死刑確定でも語れよ
245 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:25:47
246 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:27:13
>>243 >この言葉を受信できるのは、受信しようという構えがある人だけなんですよね。
ああ、「他者」に会わない空間ってことね。
ご苦労さん。
純一はぴかぁ〜のストーカーで満足しているだと思うよ。 それぐらい認めているんだろうね。 それでなければこれだけ労力はかけないでしょ。
248 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:28:13
>>243 >力が弱くなっているとともに、
>情報が溢れて、発散して「物語る」ことがむずかしい世の中ということでしょうね。
>だからこそ過剰に「物語る」ということがあると思います。
この「過剰」さは、質ではなく量ですね。だから単純で大量で、「溢れた」という
表現はぴったりきますね。
だから、物語ってのは外部じゃねぇっての。
249 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:28:56
247 名前:ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 01:28:06 純一はぴかぁ〜のストーカーで満足しているだと思うよ。 それぐらい認めているんだろうね。 それでなければこれだけ労力はかけないでしょ。
250 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:31:37
>>247 ぴかぁ〜のストーカー歴は華麗にスルーか?
例:ソフィアへのストーカーの証拠文
750 名前:考える名無しさん :2006/03/15(水) 22:55:58
43 :ぴかぁ〜 :03/02/17 23:18
ソフィア、マンコ舐めさせて。
70 :ぴかぁ〜 :03/02/18 00:36
ソフィアのおっぱい飲みたいからいったんわしの子をはらんで
乳だけ出したら堕胎しろ!わかったか!
370 名前:Sophia ◆8ADoZCl6.k 投稿日:03/04/07 02:45
ぴかぁ〜はもう病院行ったほうがいいよ。。。
あともう少し自分の考えを論理的に見つめ直した方がいいよ。
実は、純一が切れてるのは、リーマンにだろう。 大好きなぴかぁ〜と仲良くして分かり合えてるから。 純一はわかりやすいよw
252 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:32:29
251 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw:2006/03/28(火) 01:31:42 実は、純一が切れてるのは、リーマンにだろう。 大好きなぴかぁ〜と仲良くして分かり合えてるから。 純一はわかりやすいよw
253 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:33:02
>>251 ぴかぁ〜らしい、ポジティブシンキングだな。
254 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:34:03
>これを端から見ると、実に深みのない、チープな言説に見えるわけです。 >深みはあらかじめ与えられるのではなく、コミュニケーションのなかで獲得されていくわけです。 これは全く彼等の言っていることにそっくりあてはまることを思えば、やはり相当な批判能力を有しているのでしょう。 それが例えば自分が綴った文に対して一切機能していないところが彼等を彼等たらしめている所以なのでしょう。素晴らしい狂気。
>>250 それ、純一だろw
ぴかぁ〜に近づくやつに片っ端から嫌がらせ。
256 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:35:03
ぴかぁ〜の思考では、 「自分を嫌う人が居るという現実」 ↓ 「喧嘩するほど仲が良いという幻想」 に変換しているわけですね。
純一はゲイだからな
258 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:36:23
>>255 ぴかぁ〜、日付が2003年だぞ。
さすがに無理がある。
259 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:38:01
>>254 妥当な還元を前提とした集合感情への鈍感さが、知的閉塞を招いているのだよ。
260 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:38:32
「喧嘩するほど仲が良いという」のも、あるといえばあるが、 ぴかぁ〜の場合、全ての人間関係をこれで変換しているだろ? 「自分を嫌う人が居るという現実」 ↓ 「喧嘩するほど仲が良いという幻想」 これを全部が全部変換されると、 「世界に自分を嫌いな人が1人もいない世界」 という結論に至ってしまうだろ?
261 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:40:50
「世界に自分を嫌いな人が1人もいない世界」ってのは、 ぴかぁ〜の理想として存在するだけで、実際は、変換しなきゃ ならない現実の存在を無理矢理、ありもしない幻想に変換してるだろ。
262 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/28(火) 01:44:05
>>157 これは私ではない、と言ったところでどうと言うことはないのですが、
私程度でも騙りがあらわれるんですね。ちょっと笑ってしまった。
おまえに深みがないだろう、というのはその通りです。全く否定しない。
しかし、「深みがコミュニケーションのなかで獲得されていくもの」であることは
正しいと思っています。
繰り返しになりますが、「深み」とか「複雑さ」や「味わい」というのは、自分の世界を
言葉によって分節化することでしか獲得されません。自己の変化を伴わない「深み」
なんてありっこない。その変化は、「他者を想定する」ことによってしかあらわれません。
変化とは「〜でない」という言葉を繰り返すことではありません。それは言葉の本質的な
機能であり、それ以上のものではない。それは「等価交換」であり、そこからは変化は
生まれない。
変わるのは「自己の世界」であり、その変化の仕方によって自己が立ち現れるのです。
想定する「他者」が興味深く魅力があり自身を惹きつけてやまないためには、「そのように
他者を想定できる自己」を想定する知力が必要なのです。この他者にふさわしい自己を
立ち上げようとする知的な活動が必要です。このような知力が「教養」なのだと思います。
「〜だからつまらない!」で等価交換を求めていても、それは深みを生み出す
コミュニケーションにはならないわけです。だって、相手は誰でもいいんだから。
「興味深く魅力があり自身を惹きつけてやまない」他者を、私たちは恋人や親友、師と
呼んだりします。それらの私を構成するであろう人々は、待っていてあらわれない。
だから必死になって探すのです。大切な人は、大切な言葉は、狂おしく求め、他者を知り、
自己を分節化し受け入れられるだけの知力を備えたときにはじめて受け取るだけの能力を
獲得するのです。
で、
>>129
ゴミスレをageるのはやめて下さい お願いします
264 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:48:58
>>263 処理しているのです。
もう少しお待ちください。
265 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:51:43
>>262 君の論はあれに似ているね。
前にも君と同じように、詭弁をいう輩が居たよ。
266 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:52:10
>>262 2chの現状分析の欠落した、世俗的道徳過剰負債論
ではまた、再見。
268 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 01:57:59
その輩いわく、 「哲板を活性化する為には、専門家が必要であり、 それが初心者を重視することにも繋がる」とか。 しかし、これは詭弁に過ぎない。 リーマンもこれと同じ構成の理論を立てている。 リーマンいわく、 「有益なコミュニケーションをする為には、教養が必要である それが他者とコミュニケーションする上でも有益である」とか。 論の立て方が上の詭弁と一緒になってるね。 結論から言えば、この両者にとっては一行目に言ったこと「だけ」が 重要で、二行目に言ったことは、二次的か、あるいは「どうでも良い」 ことだと思って言っているんだよね。
269 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:01:55
リーマンは論外だが、ぴかぁの言っていることの中にはある程度人生経験を積んだ人々の相当数はそれこそ自明のこととして認識していることが多い。 それを自らの思索の結果かパクリかしらんが声高に叫ばれてもね。一体どこに深さがあるのか。 批判に対しては、全てレトリックで逃げてるし。 寝る
270 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:03:00
で、その輩(まあ、マー坊なんだけどね)の言説を更に分析すると、 「@哲板を活性化する為には、専門家が必要であり、 Aそれが初心者を重視することにも繋がる」 と分割できる。目的や結論はAだが、 その為の手段として@が選択されている筈だが、 実は@が目的であるという詭弁だろう。で、これをあてはめて、 「@有益なコミュニケーションをする為には、教養が必要である Aそれが他者とコミュニケーションする上でも有益である」も同じで、 >目的や結論はAだが、 >その為の手段として@が選択されている筈だが、 >実は@が目的であるという詭弁。 が、そっくりそのままあてはまる。 結論として、リーマンはマー坊だろうね。
271 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:07:48
で、リーマンの言説を上の見地から更に分析すると、 リーマンにとって重要なことは、下に抜粋した箇所のみ。 262 :リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/28(火) 01:44:05 繰り返しになりますが、「深み」とか「複雑さ」や「味わい」というのは、自分の世界を 言葉によって分節化することでしか獲得されません。自己の変化を伴わない「深み」 なんてありっこない。その変化は、「他者を想定する」ことによってしかあらわれません。 変わるのは「自己の世界」であり、その変化の仕方によって自己が立ち現れるのです。 想定する「他者」が興味深く魅力があり自身を惹きつけてやまないためには、「そのように 他者を想定できる自己」を想定する知力が必要なのです。この他者にふさわしい自己を 立ち上げようとする知的な活動が必要です。このような知力が「教養」なのだと思います。 「興味深く魅力があり自身を惹きつけてやまない」他者を、私たちは恋人や親友、師と 呼んだりします。それらの私を構成するであろう人々は、待っていてあらわれない。 だから必死になって探すのです。大切な人は、大切な言葉は、狂おしく求め、他者を知り、 自己を分節化し受け入れられるだけの知力を備えたときにはじめて受け取るだけの能力を 獲得するのです。
272 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:12:16
「@有益なコミュニケーションをする為には、教養が必要である Aそれが他者とコミュニケーションする上でも有益である」も同じで、 目的や結論はAだが、 その為の手段として@が選択されている筈だが、 実は@が目的であるという詭弁。 であるから、 リーマンが本質的に言いたいのは、 >変化は、「他者を想定する」ことによってしかあらわれません。 >変わるのは「自己の世界」であり、その変化の仕方によって自己が立ち現れるのです。 >「そのように他者を想定できる自己」を想定する知力が必要なのです。 >このような知力が「教養」なのだと思います。 >自己を分節化し受け入れられるだけの知力を備えたときにはじめて受け取るだけの能力を獲得するのです。 リーマンは自分だけにしか興味がないということで。(ちゃんちゃん)
273 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:18:07
リーマンが本質的に言いたいことをまとめると、 >変化は、「他者を想定する」ことによってしかあらわれません。 >変わるのは「自己の世界」であり、その変化の仕方によって自己が立ち現れるのです。 >「そのように他者を想定できる自己」を想定する知力が必要なのです。 >このような知力が「教養」なのだと思います。 >自己を分節化し受け入れられるだけの知力を備えたときにはじめて受け取るだけの能力を獲得するのです。 まとめると一層ハッキリするのが、 >リーマンは自分だけにしか興味がないということで。(ちゃんちゃん) という点、即ち、 「自分の利益になるような存在が他者」 という結論ですな。 これを逆算すると、 「自分の利益にならない存在は他者ではない」 という結論が出る。 つまり、リーマンは都合の良い奴ってことですね。
274 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:20:37
うん確かにリーマンからは、突出した自己愛を感じる。
なにを言おうが、なぜきみにとってぴかぁ〜だけが特別なのか、 に答えられない以上、ストーカー以上ではなく、議論するだけ無駄。
276 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:21:24
たぶん、問いの構成が似ているから、 リーマンは前に会った奴だろうね。 ぴかぁ〜に取り入って何をしているのやら。
277 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:22:40
こんなクソスレがなんで哲板のトップにあるの?
>>277 なぜきみにとってぴかぁ〜だけがそれほど特別なのかね。
280 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:32:20
早い話しが信者なんでしょ。思考はぴかぁ〜原理主義。 もともとそういった指向をもっているが会社組織内では、全く反対の思考、行動をとらざるを得ずその反動がぴかぁマンセーとなるのてわしょ。 自らおっしゃる通り恋愛ですな。
281 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:35:34
「自分を嫌う人が居るという現実」 ↓ 「喧嘩するほど仲が良いという幻想」 に変換しているわけですね。
282 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:40:03
>>281 単に、批判を受けるだけの度量がないから、小手先のテクニックでかわしてるだけだよ
純一がぴかぁ〜より古くからこの板にいるのに、
いまだに荒しどまりなのは、
>>279 に答えられないからだろう。
自分に嘘つくやつは哲学する資格すらないよ。
ぴかぁ〜に先越され、しろうとに越され、 いまリーマンに越されようとしている。 荒しテクばかりが身に付く悲しさだな。
純一が残してきたものがこれだ。みじめだの〜
※04年5月
279 :GRIZZLY ★ :04/05/01 18:14
ipad*okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)
による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
※04年12月
33 :ロック鳥 ★ :04/12/28 22:51:42 ID:???
○規制
ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp 規制
○荒らしの内容と特徴
無意味な文字列のコピペ・連続投稿
26 :田吾作 ★ :04/12/28 22:12:54 ID:???
じゆん ◇bYRNL78mlE<>sage<>04/12/26 18:08:33 F0hXBiZo<> ;;;;;;;:::::::::<><>
t507086.ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp<>220.159.7.86<>
※05年12月
203 :軍艦焼 ★ :2005/12/19(月) 02:32:19
ipad\d+okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
★051216 哲学板 通称「純一」報告スレ
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1134698608/159 (まとめ)
純一 ◆Fn0dptrDJw <>age<>2005/12/17(土) 00:16:33 M9txXAUV<><a href="../test/read.cgi/phil<><>
p3191-ipad12okayamaima.okayama.ocn.ne.jp<>220.105.76.191<><>Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0;
Windows NT 5.1; SV1)
286 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 02:52:09
1でぴかあ〜は他者は狂気って思ってるんだろ? で、コミュニケーションは同意された内部への帰属(ややこしい) でとるってそれがお望みなんだろ? まったくあほか。 だ・か・ら・そ・れ・は・哲・学・じゃ・ない
哲学としてどうかはあってもぴかぁ〜のブログが人気があるのは確か。 それはぴかぁ〜なりに自分に正直だから、共感を呼んでるのではないか。 純一にはその姿勢はまったくない。ぴかぁ〜批判する前にやることあるだろう。
ぴかぁ〜より純一の方が破綻しているから面白いものが書けるそうだが、 純一は自分を晒す勇気がないチキンだから。
289 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 03:05:37
>>287 何に対して正直かへの衝突だね。
それがわからないから、退屈な機械的人間だと批判されるわけ。
別にぴかぁ〜を褒めているわけではない。 純一は問題外だといっているだけ。 ヤツは人は批判できるような人間ではないだろう。
291 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 09:52:17
只今あらし対策検討中。しばらくお待ちください。
ぴかぁ〜のブログってのは何 アドレス頼む
293 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 09:59:36
只今、次の荒らし方考え中しばらくおまちください。
294 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 10:00:09
前スレ終わりの方ミロ
295 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 10:18:50
本日午後4時より本スレ役員会を行います。 議題:「春の祭典」開催について
296 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 11:18:41
>>207 >コミュニケーションは一度きりの行為ではありません。想定した他者に対して
>応答を繰り返そうという行為です。
腕を上げましたね。というのは失礼ですね。新たな境地に向かっているのではないですか。
読ませてもらって、継続性がキーワードになっているように感じました。
ネットでは継続性は失われて、一度きりの行為のように錯覚される。その場かぎりの行為として
無責任なものになります。統一した「他者を想定してその他者に対して語りかけることで自身を
変化させる。」という継続性が失われます。
ネットが「深みのない、チープな言説」に溢れるのは、無責任な発言のためだと思います。
実に深みのないチープな言説、その場限りの口先の言葉、という継続性の軽視は、
信じるものがあることを認めない、自己同一性へのこだわりの消失、私であることを引き
受けない姿勢ということではないでしょうか。
そして「変化」は継続性に現れる。私であることを引く受けない姿勢は、分断させて、
継続性そして変化はない。
297 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 11:19:56
>>262 >自己の変化を伴わない「深み」
>なんてありっこない。その変化は、「他者を想定する」ことによってしかあらわれません。
>変わるのは「自己の世界」であり、その変化の仕方によって自己が立ち現れるのです。
>想定する「他者」が興味深く魅力があり自身を惹きつけてやまないためには、「そのように
>他者を想定できる自己」を想定する知力が必要なのです。この他者にふさわしい自己を
>立ち上げようとする知的な活動が必要です。このような知力が「教養」なのだと思います。
>大切な人は、大切な言葉は、狂おしく求め、他者を知り、
>自己を分節化し受け入れられるだけの知力を備えたときにはじめて受け取るだけの能力を
>獲得するのです。
これらの言説もおもしろいです。そして「継続した(通時的な)私の引き受け」が
キーワードではないでしょうか。
ボクは「物語る力」が低下しているというのには否定的です。彼らは、「物語る力」がないのでなく、
継続して自分を引き受けることを怖れているのだと思います。それは継続した「他者を想定する」こと、
すなわち他者と向き合うことを怖れている、そして自分が変化することを怖れている。
298 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 11:50:47
ぴかぁ〜さん。 あなたの言説、またそれにおける姿勢はご自分の論旨に従わない言説に対し、予め閉じていると思います。 と言っても、そうは思わないの一言でしょうが。 何故そこまで構えていらっしゃるのでしょう。 不安の糊塗でしょうか。
299 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 11:58:51
閉じているだけならあなたはこのレスをすることはなかったと思いますよ。 だから正しくは、開いているのですが不十分だ。ということでしょう。そして開くとはまさにいつも不自由分です。 開けば開くほど不十分なのです。これはまさに欲望そのものです。
300 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 12:11:28
他者への批判は過剰なのになぜ自己言及が欠落しつづけるのでしょうか 特に哲学板で平気でこのような発言をする人を前にすると絶望と狂気と薄気味悪さをを感じますね。 そこにあるのは、自分を晒すことへの過剰な拒絶。覗き穴からのぞく姿だからです。
301 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 12:12:02
最初の行がちょっと… 文面通りに解釈しあえていうと、閉じたところにぶつかりたいという欲望があったが故なのですW ぴかぁさんの不十分な開きかた というのは、あくまでも思考の指向性が一致すると予感する場合だけではないですか。 超指向性マイクのように。
302 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 12:23:25
あなたまた荒らしさんですね。ボクではなく、ボクのテクストについて言及してください。 張りついてなにがしたいんですか?気持ち悪いです。
303 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 12:31:24
もうこのスレにレスするのはやめてもらえませんか
304 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 12:38:18
これはまた過剰な反応ですね。 こういうことが張り付いていることなんですか。 ボクじゃなくて、ボクのテキストでなければならない理由はないと思われますが、いいでしょう。 あなたは本当に批判されることが、お嫌いのようだ。 「テキスト」には予め批判に対して、バリアを張っておけますがボク自身はどうかすると馬脚を表しますものね。 ご心配なく、これで退散いたします。
305 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 12:49:41
熱狂的なファン心理なんでしょうがなおさらきちんと拒絶しないといくない。 ボクはあなたのような人間と関わりたくない。二度とくるな。
>>297 > ボクは「物語る力」が低下しているというのには否定的です。彼らは、「物語る力」がないのでなく、
> 継続して自分を引き受けることを怖れているのだと思います。
荒れてるところお邪魔します。ちょっと聞きたいのですが、こういうのはピカ氏的にはNGなのですか?
というのは、ポストモダンというのは、そういう自分を引き受けるなんていう「抑圧」に反対してたんじゃ
ないかと思うのです。
自己同一性というのは抑圧です。それはニーチェが言うように「約束をなし得る動物に仕立て上げる」
ために行われた社会的、政治的構造ですね。それが、ネット掲示板などでは解放されるからそういう
キャラクターとして記述がされるんだろうと思います。なので、恐れているというよりも、誰もが持っている
願望だし、それがネット掲示板では実現できるからそうしているだけだろうと思うのです。
こういう話はフェミニズムなんかでも出てくるんじゃないでしょうか。つまり、自分を引き受けるというのは
男性であり、引き受けないのは女性であると。引き受けさせるハードルが心理学で言うところの「去勢」
であり、それは男性中心社会であり、モダニズムの抑圧である、などなど。
307 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 13:53:20
>>306 悲しいのは、何度繰り返しても、ボクの言説がむじんくんには届かないことですね。
これは、ぴかぁ〜というパズルがポストモダン相対主義者にいることで
差異で、むじんくんの立ち位置が決定しているためでしょう。
ボクは「抑圧」を否定したことなど一度もありません。
抑圧の解放とは、抑圧の氾濫です。ボクの問題意識はいつも、「健全な抑圧」とはなにかです。
だから「3つの生き方(健全な抑圧)」を提示したのです。
>>307 > 差異で、むじんくんの立ち位置が決定しているためでしょう。
あはは。いやー、ホントに困った人ですねぇ・・・。自分が北極星か何かと思い込めるというのは
幸せですね(笑)。
> 抑圧の解放とは、抑圧の氾濫です。ボクの問題意識はいつも、「健全な抑圧」とはなにかです。
ああそうでした。ピカ氏はイロニカーなんでしたね。
309 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 14:06:54
■コミュニケーションチャンネルの多数化 昨日、「キスだけじゃいや」の最終回を見ていましたが、ここにはとても赤裸々な人間の姿があります。 恋人という親密な関係、分かりあう二人が、まったくわかりあっていなかった。親密な恋人関係は、 わかりあっている振りでできている、ということです。これは最近の若者は打算的なつきあいしか できない。純愛はもうない。ととらえてはいけません。純愛も含めた親密な関係そのものの姿です。 「恋人や親友、師」でもどんなに腹を割って話し合おうと、最後にぶち当たる壁があります。 なぜわかってくれないのかと、絶望的になる地点。それは、むしろ日頃は分かりあっているように ふるまいます。そして、親しくなればなるほど、腹を割って話し合うとすればするほど、その「断絶」は 口を開けてしまう。 これは、長年連れ添った夫婦のような関係でも変わらないと思います。長年連れ添った夫婦のような 関係が作り上げるのは、「断絶の消失」ではなく、「断絶の承諾」ではないでしょうか。分かり合えない ことがあるということを認め、その手前で儀礼的な関係に回復する。これを上辺のつきあいと言っては いけないでしょう。まさに互いを分かりあうという姿だと思います。ベタな言い方をすると「親しき仲にも 礼儀あり」ということです。 現代はむしろ「真の関係」を求めすぎている。そのためにより「断絶」が口をあげてしまう。これに対処 するために行われている方法がコミュニケーションチャンネル数を多数化することですね。一人への 思い入れは必ず断絶にいたり傷つく。だから多くの友達、恋人をつくり、一人への過剰な思い入れを 緩和する。それを可能にしているのがケータイも含めたネットコミュニケーションです。
310 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 14:13:36
「真の関係」を求めすぎるとは、ラカン的には「想像関係」であり、それは転移によるイマジネールな 闘争関係へ向かってしまう。それは「断絶」を挟んで分かり合えないことをののしりあう、ことに なります。それに対して、「親しき仲にも礼儀あり」とは「象徴関係」です。そして想像関係からの 「去勢」です。 現代、人々が「真の関係」を求めすぎるのは、現代、社会的な礼儀が消失しつつあるためでしょう。 去勢されずに、すなわち社会的にしつけされずに、子供のままに大人になるために、飽くなき享楽 (想像関係)を求めてしまう。
311 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 14:20:09
このような中でリーマンさんの言説(内田流ラカン倫理?)をどのようにとらえるべきでしょうか。 ・「深みがコミュニケーションのなかで獲得されていくもの」である ・「深み」とか「複雑さ」や「味わい」というのは、自分の世界を言葉によって分節化すること でしか獲得されません。自己の変化を伴わない「深み」なんてありっこない。その変化は、 「他者を想定する」ことによってしかあらわれません。 ・想定する「他者」が興味深く魅力があり自身を惹きつけてやまないためには、「そのように 他者を想定できる自己」を想定する知力が必要なのです。この他者にふさわしい自己を 立ち上げようとする知的な活動が必要です。このような知力が「教養」なのだと思います。 ・大切な人は、大切な言葉は、狂おしく求め、他者を知り、 自己を分節化し受け入れられるだけの知力を備えたときにはじめて受け取るだけの能力を 獲得するのです。 重要なワードは、「知力」ということです。「知力」とは、現代の社会性を司るものではないでしょうか。 現代の道徳、しつけなどのかつての社会性が衰退する中で、社会性を機能させることができるもの として期待できるものが「知力」である、ということです。現代の象徴関係を構築するものです。 これは宮台のいうアイロニーにも近いかもしれません。「徹底的に教養を身につけて、アイロニカル な位置を確保し、場を見極める」
312 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 14:35:15
この「知力」とはなにかが残ります。単なる知識量でないことは確かです。
313 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 14:45:06
最近熟年離婚がはやりのようと、ボクなどにはわからない世界ですが わかりあえないことを忘れたとき、薄氷の上を歩いているという気遣いが憂しわれたとき 崩壊するのかもしれません。 これはローティのアイロニーに似ています。それぞれの思想がありわかりあえないことをしりつつ、対話する。
314 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 15:22:32
315 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 15:23:25
なんか今、個人サイトで『新思想創造論議同盟』 ってやつがすごいらしいね。知ってる? 結構有名らしいよ。きっと未来の思想部門1位だね。 新思想創造論議同盟って検索すると出てくるよ。 特に掲示板がすごいらしい。掲示板。 みんな参加してみれば?まだ人が少ない見たいだけど 凄まじい急成長だよ?
316 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 18:46:15
■なぜ親密なコミュニケーションは多数化するのか? 薄氷のコミュニケーション 昨日、「キスだけじゃイヤッ」*1の最終回を見ていましたが、ここにはとても赤裸々な人間の姿があります。 恋人という親密な関係、分かりあう二人が、まったくわかりあっていなかった。親密な恋人関係は、わかり あっている振りでできている、ということです。これは最近の若者は打算的なつきあいしかできない。純愛 はもうない。ととらえてはいけません。純愛も含めた親密な関係そのものの姿です。 恋人でも親友でもどんなに腹を割って話し合おうと、最後にぶち当たる壁があります。なぜわかってくれな いのかと、絶望的になる地点。それは、むしろ日頃は分かりあっているようにふるまいます。そして、親しく なればなるほど、腹を割って話し合うとすればするほど、その「断絶」は口を開けてしまう。 これは、長年連れ添った夫婦のような関係でも変わらないと思います。長年連れ添った夫婦のような関係 が作り上げるのは、「断絶の消失」ではなく、「断絶の承諾」ではないでしょうか。分かり合えないことがある ということを認め、その手前で儀礼的な関係に回復する。これを上辺のつきあいと言ってはいけないでしょ う。まさに互いを分かりあうという姿だと思います。ベタな言い方をすると「親しき仲にも礼儀あり」ということです。 最近熟年離婚がはやりのようと、ボクなどにはわからない世界ですが、わかりあえないことを忘れたとき、 「薄氷の上を歩いている」という「気遣い」が失われたとき崩壊するのかもしれません。
317 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/28(火) 18:47:01
コミュニケーションの多数化 現代はむしろ「真の関係」を求めすぎている。それは、現代、社会的な礼儀が消失しつつあるためでしょ う。「去勢」されずに、すなわち社会的にしつけされずに、子供のままに大人になるために、飽くなき「享楽」 を求めてしまう。そして「断絶」の前で傷つき、「孤独」になる。 これに対処するためにいくつかの方法が試みられています。「真の関係」への欲望をモノへと迂回させる。 モノへ興味とは、そのモノを欲望する人々との間接的なコミュニケーションです。ブランド品への興味は、ブ ランド品を欲望する人々との間接的なコミュニケーションの構築です。 最近では、モノという間接性よりも、より直接的なコミュニケーションへ回帰しています。それはネットコミュ ニケーションによるものです。ネットコミュニケーションによって、コミュニケーションチャンネル数を多数化す ることが容易になり、多くの友達、恋人をつくり、一人への過剰な思い入れを緩和する方法、あるいはどこ かで破綻してもよいようなリスク管理がとられています。 少し前に、10人の女性たちと集団生活をしている自称占い師のオヤジが逮捕されました。*2あのとき若い 女性へのアンケートでは女性たちが納得しているならよいのでは、という意見が多かったように思います。 いまや多数交際する人はいくらでもいます。ボクもあの逮捕には違和感を覚えました。もしあのオヤジが 若くて男前だったら逮捕はあったのでしょうか。
まだやってんのか(ワラ
319 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 22:40:54
ときどき、「どうすればそんなに面白い文章が書けるんですか?」という質問を受けることがある。 夢の中の話ではない。現実の世界の話である。 夢と現実の違いは、寝ているときに見たものか起きているときに見たものかという点だ。 世の中には半覚醒とか白昼夢とか妄想狂とか色々な言葉があって寝ているか起きているかの区別というのはなかなか難しいが、私にとっては簡単なことだ。 これは妄想ではない。 どうすればそんなに面白い文章が書けるのか? 実に興味深い命題である。無謀な命題ともいう。 どの辺りが無謀かというと、「そんなに」の辺りが無謀だ。 「面白い」の部分に至っては、命知らずと言っても良い。 この質問者の意図は一体どこにあるのだろう。 お世辞や社交辞令、政治的戦略などといった可能性を除けば「私もそんなに面白い文章を書いてみたい」という点に尽きるのではないかと思う。 一応他にもイヤミとかジョークとか原因不明の脳内現象などという可能性も考えられるが、キリがないので考慮しないことにしておく。 一流の文章書きの人であれば(私がそうだというわけではない)こうした質問を受けたことが一度や二度はあるだろう。 私は不本意にも雑文書きの人として扱われているので「どうすればそんなに面白い文章が書けるんですか?」と訊ねられることが多いのだが、 これが小説家などであれば「面白い文章」の部分が「美しい文章」になったり「泣ける文章」になったり、場合によっては「抜ける文章」になったりする。 どれも根源の部分は同じだ。 さて、それでどうすれば、面白い/美しい/泣ける/抜ける文章を書くことができるのか? 1.当たり前のことは書かない 言わずもがなのこと。 たとえば「カップラーメンを作るには熱湯が必要だ」というような、誰でも知っている/書けることは、書いてはいけない。 なぜなら、そんな文章を読んで面白いと感じる人はいないからである。 カップラーメンのフタや容器に記されている「調理方法」を読んで大爆笑するとか感動の涙を流すという人は、普通いない。 いたら怖い。
320 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 22:44:43
だからといってカップラーメンに記されている「おいしい召し上がり方」の記述が不要かというと決してそういうわけではなく、 そもそもそうした文章は読者を面白がらせようという意図のもとに書かれたものではないので、その存在を否定するのは正しい行動ではない。 もちろん、ものすごく楽しい「調理方法」というのがあるのならば、読んではみたい。オチのある「おいしい召し上がり方」など、じつにワクワクするではないか。 最後に「ガチョーン」とか書いてあったり。(最悪である)。
321 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 22:48:30
「当たり前のことは書かない」というのは「自分以外の誰かが書けるようなことは書いてはいけない」ということで、つまり独創性を大事にしろということである。 どこかで聞いたような話を、わざわざ長ったらしい文章で持って回って書くのは、非常に愚かな行為なのである。すみません。 ためしに、「カップラーメンを作るには精製したプルトニウムが必要だ」という書き出しで文章を書いてみると良い。 読者は「一体なにごとだ」と興味を引きつけられ、否応なく読み進めざるを得なくなるはずである。(オチをつけるのに苦労しそうだが)。 大事なのは日常の打破である。普通でない文章は、それだけで読者の目を引くものなのだ。
322 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 22:49:06
ところで最近、水から作るカップラーメンが発売されたと聞いた。これなど、その存在からして日常の 打破である。おいしいのかどうかは知らない。
323 :
考える名無しさん :2006/03/28(火) 22:53:41
2.自分のことは書かない あなたがキリストかヒトラーでもないかぎり、自分自身のことは書かないほうが良い。ここで言う「自分自身のこと」というのは、あなたの体験や思想、経歴、感覚、趣味嗜好、嫌いな食べ物、好きなアイドル、目玉焼きに何をかけるか、などといった諸々の事項である。 インターネットが広く利用されるようになって誰でも(どんなにつまらない人間でも)自分自身のホームページで文章や画像などを簡単に発信できるようになったが、これらのうちの99%は取るに足らないクズである。 その原因は色々あって一言では収められないが、たいていは「自分自身のことを語っている」からだ。 あなたがユダかチャーチルででもあれば話は別だが、普通の市民の普通の体験や趣味嗜好をもとにした普通の文章など、誰がどう考えても面白いはずがないではないか。 中には「いやそんなことはない。オレの体験談は普通じゃないぜ」 という人がいるかもしれないが、普通だ。宇宙人に連れ去られて体内に異物を埋めこまれたり、知らない間にバラバラになった死体が冷蔵庫に入っていたりなどといった体験でさえ、普通である。 そんな文章を読まされても読者は「またこの手の文章か」と思うだけで、面白がったり涙を流したりはしない。 中には例外的に面白がってくれる人もいるが、そういう人は単にUFO研究家であるとか猟奇的な趣味性癖を患っているとかの話であって、あなたの「文章」ではなく「体験」を面白がっているだけなのである。 あなたがめざすのは「面白い文章を書く」ことである。「面白い体験を文章にする」ことではない。
324 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 00:34:58
>>319 もの書きの方かい?
そんなこと言われるなんてうらやますぃーよ。
325 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/29(水) 02:04:24
こんばんは。深夜におじゃまします。
ご指摘、実に面白いです。
>>296 >継続性がキーワードになっている
>>297 >「継続した(通時的な)私の引き受け」
わたしもそう思います。
内田先生が「知性」について、グレゴリー・ベイトソンの「精神と自然」からの挿話を紹介しつつ
こんなことを述べています。
「ある科学者がスーパーコンピュータに『コンピュータは人間と同じように思考できるか?』
という問いを与えた。コンピュータは演算の末にごとごととプリントアウトした紙片を吐き出した。
……科学者が駆け寄ってみると、そこにはこう書いてあった。
That reminds me of a story.
意訳すれば『そういえば、こんな話を思い出した』ということになる。スーパーコンピュータは
『コンピュータは人間と同じように思考できるか?』という問いに対して、問いには答えず、別の
話を思い出したのである。
……このthatは何を指しているのだろう?
(つづく)
326 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/29(水) 02:04:57
(つづき) ……科学者がスーパーコンピュータに問いを打ち込み、答えを見るために駆け寄ったという一連の 手続きのどの部分を指してコンピュータが『そのこと(that)』と称しているのかは誰にも わからないのである。 『そのこと』が何のことだかわからないにもかかわらず、『そのこと』が引き金となって一つのお話を 思い出す。 これが人間知性の機能の仕方である」(「知に働けば蔵が建つ」p10-12) ぴかぁ〜さんの指摘を受けて、この部分を思い出し、はたと膝を打ったのですよ。 これがコミュニケーションの作法だと。 コミュニケーションというのは、そういうものだと思います。 相手の話を受け取り、自身の言葉で発するときには、コミュニケーションは「こんな話を 思い出した」となされる。 共通の度量衡で測られる、あらかじめ決められた等価交換ではない。 それゆえ常に剰余=謎を含み、コミュニケーションを継続させる。 この剰余が、ぴかぁ〜さんの言われる「無垢」である気がします。 逆に等価交換=相手の言葉の単なる繰り返しは、コミュニケーションを終わらせるものです。 わたしも、「こんな話を思い出した」と、話を切り出してみます。
327 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/29(水) 02:10:31
>>316 >これは最近の若者は打算的なつきあいしかできない。純愛
>はもうない。ととらえてはいけません。純愛も含めた親密な関係そのものの姿です。
「子ども時代は、そのようなものとしては、もう無い」というフロイトの言葉を思い起こします。
>>310 >「真の関係」を求めすぎるとは、ラカン的には「想像関係」であり、それは転移によるイマジネールな
>闘争関係へ向かってしまう。それは「断絶」を挟んで分かり合えないことをののしりあう、ことに
>なります。それに対して、「親しき仲にも礼儀あり」とは「象徴関係」です。そして想像関係からの
>「去勢」です。
なるほどです。
>>316 >わかりあえないことを忘れたとき、
>「薄氷の上を歩いている」という「気遣い」が失われたとき崩壊する
>>311 >「知力」とは、現代の社会性を司るものではないでしょうか。
そうおもいます。ベタな言い方をすると「大人になる」、つまり
>>297 >「継続した(通時的な)私の引き受け」
をしつつ、「想像関係」を俯瞰的に見下ろす「象徴関係」の位置に、たち続けることは
かなわないが、立とうとし続けることではないかと。
328 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 02:11:06
329 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 02:16:07
330 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 02:18:23
騙された。。。
331 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/29(水) 02:18:33
今、山田昌弘さんの「迷走する家族」を読み始めているところですが、 「近代人は、自分の存在の不安定性を、愛情や親密性が存在する関係性で 補おうとする前提に基づいている。しかし、日本社会では、愛という言葉は 日常的に使用されず、愛が保障されている関係を『家族』という言葉を使って 表そうとする傾向が見られる。たとえば、信頼でき親しい関係を『家族みたい』と 表現することが一般に行われる。また……家族はアイデンティティ付与機能としての 『一番人気』」(p51) との指摘があり、なるほどと思いました。 山田昌弘さんは前著「希望格差社会」で端的に、 日本の社会は安心社会が終焉し、「リスク社会」となりつつある。 これまで社会の安全領域を支えていた「仕事」「家族」「教育」が 相乗的に不安定化し、リスクが個人化しつつある。 と問題提起されていますが、「迷走する家族」ではライフワークであった家族論を この状況分析を踏まえて展開されています。 何かが狂おしく求められているときは、それが現前に存在しないときです。 リスクを緩和するセイフティーネットとしての「愛」が崩壊しようとしているとき、 むしろそれが求められるのでしょうね。 斎藤環さんの「家族の痕跡」と言うタイトルは、さすがに本質的だなと思いました。
332 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 02:20:13
眞鍋かをり居なかった。。。
750 名前:考える名無しさん :2006/03/15(水) 22:55:58 43 :ぴかぁ〜 :03/02/17 23:18 ソフィア、マンコ舐めさせて。 70 :ぴかぁ〜 :03/02/18 00:36 ソフィアのおっぱい飲みたいからいったんわしの子をはらんで 乳だけ出したら堕胎しろ!わかったか! 370 名前:Sophia ◆8ADoZCl6.k 投稿日:03/04/07 02:45 ぴかぁ〜はもう病院行ったほうがいいよ。。。 あともう少し自分の考えを論理的に見つめ直した方がいいよ。
334 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/29(水) 02:27:40
失われようとしているのは、純粋な「愛」ではなく、愛を担保するための
>>317 >社会的な礼儀
であり、
>「去勢」されずに、すなわち社会的にしつけ
される場が変容すれば、これは失われてしまいますね。
私の言った「物語る力」つまり「教養」は、「一つのお話として自分自身の
置かれている状況を空間的・時間的に俯瞰して知る。端的に言えば、
自分がいかに馬鹿かを知る」ということだとおもいます。
「そういえば、こんな話を思い出した」と、「継続した(通時的な)私の引き受け」
をとおして語る、ということです。
私に「自己愛が強い」と言うレスがありましたが、その通りです。
それを知って、それを俯瞰的に見ようとすることが重要なのだと思います。
と、まとまらない話ですみません。ではまた。
889 :考える名無しさん :2006/03/25(土) 00:48:06
15 名前:考える名無しさん :03/07/12 21:14
ぴかぁ〜さんは、自費出版とか考えないんですか。
そんであちこちの哲学科に送りまくるとか。
17 名前:ぴかぁ〜(^O^) ◆lk7eU.5KwI :03/07/12 21:18
>>15 君に一任します。
一儲けして、遊んで暮らしましょう。
336 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 02:34:47
>>334 >私に「自己愛が強い」と言うレスがありましたが、その通りです。
言うと思った。
337 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 02:45:56
>>334 >私に「自己愛が強い」と言うレスがありましたが、その通りです。
まあ、問題はそれを反省するかどうかなんだけどね。
338 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 08:36:35
リーマンってぴかぁの自演だったんだね。 ばっかみたい。
純一氏ね
340 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 09:35:46
純一ってなに?
341 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 10:12:40
>>326 >それゆえ常に剰余=謎を含み、コミュニケーションを継続させる。
>この剰余が、ぴかぁ〜さんの言われる「無垢」である気がします。
>逆に等価交換=相手の言葉の単なる繰り返しは、コミュニケーションを終わらせるものです。
>私の言った「物語る力」つまり「教養」は、「一つのお話として自分自身の
>置かれている状況を空間的・時間的に俯瞰して知る。端的に言えば、
>自分がいかに馬鹿かを知る」ということだとおもいます。
情報過多、コミュニケーション過多の中で、ネットに繋げば、多くの情報があり、
すぐにコミュニケーションできる。その中で埋没すれば、ある種の全能感に浸れる。
満たされたように錯覚できる。
その過多の中で、2ちゃんねるのようなコミュニケーションの遊びは生まれるのだと思います。
「相手の言葉の単なる繰り返し」であっても、そこに必ず余剰が生まれます。
「なぜ繰り返すの?」と。それもひとつのコミュニケーションとはいえます。
しかし繰り返すことを繰り返すのは、「コミュニケーション遊び」、おふざけに向かいます。
溢れるネット、ケータイコミュニケーションで享楽すること、おふざけだけでは、
「物語る」ことはできません。通時的に他者に向き合い、自己を引き受けることはできない。
これは、不安であり、だからさらにふざけるという悪循環に向かいます。
だから、どこかで「継続した(通時的な)私の引き受け」 、「無知の知」を知るという、
ストイックな姿勢が必要なのでしょうね。
342 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 10:22:07
純一も知らんのか w
343 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 11:06:05
なるほど、そういうことか ぴかぁ〜さんはなるべく知的なレスをすることによって現実での今の 状態や先の不安を紛らわそうとしてるわけか 不安だから自然に書き込み数も多くなる たぶんこのレスのような罵倒・批判・断定レスをされると、きっと 「自分は好きでやってることだから」とか「別に全てを否定するつもりはないけど」 とか言って軽く流すに違いない もちろん自分自身もそう思っているかもしれないけど、それは防衛機制という本能にすぎない いわゆる勘違い・思い込み・自己暗示である ※ちなみにここで表現した知的なレスというのはぴかぁ〜本人にとって知的なレスという意味であり わたしがぴかぁ〜さんのレスを知的と思っているわけではない
344 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 11:25:40
またあなたですか。しょうがないですね。 せっかくですから、あなたはおふざけ多くてで不安ではないか。 またおふざけでかえされるのかな。それが答えですか。(笑)
345 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 11:31:46
>>341 のつづきです。
それでも知力はいかなるものか、という問題はあります。
宮台は徹底的に歴史を学び自分のいる位置を知るといいました。
内田は武道にたけ東洋的知を重視していたのではなかったでしょうか
さまざまな知識人がいて、現代ははっきりものをいいにくいなかで、正しいかは別にして宮台、内田ははっきり倫理的発言をしますね。
346 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 11:32:48
言ってる意味がさっぱり・・・・・・ww ちなみにこのスレには初カキコだが
347 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 11:32:56
ぴかぁーしね
348 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 11:34:51
ぴかぁは批判的レスの相手が特定の一人だと思っているのがおもしろい。 自分がジエン中だから、人もそうだと思うんだろうね。 お幸せに、脳内世界で。
349 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 11:39:43
>>346 それを鑑賞するマニアック・スレですwwwwwwwwwぷぅ〜〜〜〜〜
350 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 11:41:45
>>344 リーマンさんもあなたの発言に深みがないといっていましたが、全部おふざけに感じてしまうのですね。
発言の中身よりうわべのことばのゲームを楽しんでいるようにしか感じられない。
特に2チャンネルではそのような楽しみ方があるとおもいますが
あなたがあえて真剣に話の場でおふざけをするのは、不安だからではないですか。
どこかで自分をさらし、他者と向き合い、自分を引き受けないとつらくないですか。
大きなお世話ですが、さすがにこれだけしつこいね(笑)
351 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 11:50:42
あ♪やっぱり自分の発言に深みがないこと気がついてたんだ。WWW
352 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 12:03:50
>>350 誰に言ってるか知らないけど疑問系には?をつけないと分かりにくいよ
それともわざと読み取りづらい表現をしてるの?
それともふだん人と会話しないから変な日本語しか使えないのですか?
>大きなお世話ですが、さすがにこれだけしつこいね(笑)
こんな意味不明のレス見たことありません
誰かずっと前からぴかぁ〜さんを知ってる人がいたらぴかぁ〜さんの
人格とか大まかな事実とか教えてください、年齢とか性別とか知ってる人いますか?
できれば本人の口から聞きたいですが・・・
353 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 12:06:44
>>344 >>346 さんもあなたの発言に深みがないといっていましたが、全部おふざけに感じてしまうのですね。
発言の中身よりうわべのことばのゲームを楽しんでいるようにしか感じられない。
特に2チャンネルではそのような楽しみ方があるとおもいますが
あなたがあえて真剣に話の場でおふざけをするのは、不安だからではないですか。
どこかで自分をさらし、他者と向き合い、自分を引き受けないとつらくないですか。
大きなお世話ですが、さすがにこれだけしつこいとね(笑)
竹
夭
>>350 > どこかで自分をさらし、他者と向き合い、自分を引き受けないとつらくないですか。
ピカ先生、だんだん西尾幹二や西部進といった保守派志向になってきてますね(笑)。
355 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 12:40:25
ボクのいっていることは最初からかわりませんよ(笑)。 それより、なぜボクの言葉をむじんくんはなかったことにしつづけるか。 フロイト的な「聞き間違い」という無意識の抑圧があるように感じますよ。
356 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 12:46:26
精神分析まがいの発言ばかりしてもしょうがないのですが 素朴な感想としてむじんくんはなにをはなしても、誰と話してもいつもどこか遠くをみて いつもその一点にむかい自問している感じがしますね。
357 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 12:52:04
プッwww自分のミスをスルーして尚且つフロイトをつかって名誉挽回したつもりか?ww もちろん名誉など初めから存在してないことは皆も承知のはずだが いや、というか存在自体が恥≠ニいったところかなww で、なんでネットでわざわざ自分の意見を公表したがるの?やっぱり寂しいから?ww
358 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 12:56:03
ぴかぁ多重人格説。常に付き従わせ己の自尊心を満足させてくれる人格→リーマン 自己の不安を代弁させ弁証法的帰結に導くための人格→むじんくん 多数は潜在的信者でなければサポーター。 真っ向から反論する人間は絶対一人。 コワ
359 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 13:01:59
ずぼしだったようですね。(笑) たまには本気で語ってみればいかがですか。ちゃんと引き受けてくれる「他者」はいると思いますよ。
360 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 13:10:56
なんだこりゃ????
ふざけてばかりいると他者に対しても疑心暗鬼になって真面目になれなくなっているのでは?
>>355 > ボクのいっていることは最初からかわりませんよ(笑)。
保守派論客ぴか氏ということでしょうか。実際、「自分を引き受ける」というためには文化的
基盤なしでは難しいという西部進などの論理は多分正しいんですね。ただ、資本主義社会に
おいてそれは必然的に不可能となってしまう。だから、彼らは常に現状を嘆き、そこで終わる
のです。
>>356 > 素朴な感想としてむじんくんはなにをはなしても、誰と話してもいつもどこか遠くをみて
> いつもその一点にむかい自問している感じがしますね。
それは掲示板ではなく、現実生活でもよく言われます(笑)。
363 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 17:09:28
>>362 ボクは保守派だと思います。
>彼らは常に現状を嘆き、そこで終わるのです。
ジジェクは現代の共産主義者にいいました。
「様々な資本主義批判をしても、もはや誰もほんとうに革命を起こそうなどと思っていない。」
そして「ではあなたは?」という問いに、そのジジェクも、
「問題点を語り続けるだけ。」と言いました。
誰もが常に現状を嘆き、そこで終わる時代ではないですか。
「歴史の終わり」とはそのようなことです。
そしてそれが問題の時代である。ということがボクも問題意識であることは、
かつて説明しました。
>それは掲示板ではなく、現実生活でもよく言われます(笑)。
ボクの分析もあながち馬鹿にできないということですね。
364 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 17:13:39
>>361 >ふざけてばかりいると他者に対しても疑心暗鬼になって真面目になれなくなっているのでは?
アイロニーの罠ですね。
メタメタメタへのさかのぼる言葉には終わりがない。
ネット上の炎上もこのような「疑心暗鬼」の中で過熱していきます。
365 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:08:06
aaaaaaa aaaaaaaaaa 9993u9399u29+832798775×894394902ijc1991=7828929xmn2432z22 あはははははははははははははははははははははははははは おもしろいねあはははははははははははははははははははは これっておもしろいねあはははははははははははははははは なんだかいわかんをかんじるねあはははははははははははは きみょうとかきょうきとかそんなかんじあはははははははは でもすこしだけうつくしいとおもわないかいあはははははは おれはうつくしいとおもうねだってなんだかちてきだろあは そうおもうのはおれだけかしかしこれにはどりょくがいるよ 001001010100101010101010美0100101010101010尾010101001010101001 01010津010100110010101010101意0101010101010急01010101010101001 0巣01留01010努00101010101001010101010力00101001010101001010101 嗚呼 嗚呼 嗚呼 日本 語 は 美しいよ ふふ みっち −− うぃ知るよね s ふふ うんねぇ ええ 知ってるよ ww っさああああはははh
366 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:17:57
367 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:21:52
ほんとだ、コレすごいかも 暗号にしてはかなり難しいけどわかったら確かにすごい
368 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:26:54
何がそんなにすごいんだ? 全然意味わかんないんだけど
369 :
短パン :2006/03/29(水) 22:28:32
おまいは「保守派」だ。 して?だから何だと? 「ひかぁ〜君?」 君は、ここで何がしたいの? 教えてー。。。
370 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:30:30
変なスレで妙な釣り。酔狂ですなあ。
371 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:31:36
>>365 ちょwwwwwおまwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
www頭良すぎwwwww
372 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:33:15
373 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:36:47
今気づいたけどちょっと感動したかもww でもぴかぁ〜にはわかんないんじゃね?アホだからなwww
374 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:37:57
でもけっこう簡単にわかると思う てかじっと見てれば誰でもわかるでしょ
375 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:42:41
>>374 おまえ絶対わかってねぇだろww
適当なこと言うなよ、そんな見てるだけでわかるもんじゃないし
376 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:44:15
でもこれ気づかれなかったらただの荒らしにしか見えんなwww むしろ最初に気づいた人のほうがすごいような気が
377 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:45:07
テヘッばれちった。
378 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:47:44
>>376 荒しじゃないのか!?解った椰子コレが何なのか教えてくれ。頼む!!
379 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:48:57
なんだこりゃ、わけわからんのだが
380 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:50:41
大漁のお燗。
381 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:54:28
わー気になるw なんて書いてるか教えてくれーwwww
382 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 22:59:50
結構人隠れてんだねココ
純一氏ね
※04年5月
279 :GRIZZLY ★ :04/05/01 18:14
ipad*okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)
による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
※04年12月
33 :ロック鳥 ★ :04/12/28 22:51:42 ID:???
○規制
ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp 規制
○荒らしの内容と特徴
無意味な文字列のコピペ・連続投稿
26 :田吾作 ★ :04/12/28 22:12:54 ID:???
じゆん ◇bYRNL78mlE<>sage<>04/12/26 18:08:33 F0hXBiZo<> ;;;;;;;:::::::::<><>
t507086.ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp<>220.159.7.86<>
※05年12月
203 :軍艦焼 ★ :2005/12/19(月) 02:32:19
ipad\d+okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
★051216 哲学板 通称「純一」報告スレ
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1134698608/159 (まとめ)
純一 ◆Fn0dptrDJw <>age<>2005/12/17(土) 00:16:33 M9txXAUV<><a href="../test/read.cgi/phil<><>
p3191-ipad12okayamaima.okayama.ocn.ne.jp<>220.105.76.191<><>Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0;
Windows NT 5.1; SV1)
385 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 23:10:31
で、結局アレは単なる釣りということでいいのか?
386 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 23:50:12
3.他人のことも書かない あなたの家族や知人にヨハネかムッソリーニでもいないかぎり、他人のことについて触れるのは避けたほうが賢明である。 これは自明の理で、他人の体験や思想、経歴、感覚、趣味嗜好、嫌いな食べ物、好きなアイドル、目玉焼きにマヨネーズをかける、などといった事柄はそのまま「自分自身のこと」として置き換えが可能なので、前述したとおりにこんなことは文章にする価値がない。 (ヨハネが目玉焼きにマヨネーズをかけて食べていたなどというのは大変な醜聞である)。 最悪なのは自分の飼い猫や自分の子供について文章を書くことである。人として、これだけは犯してはならない。 世の中に、これほどつまらない文章は他にないからだ。ふだんどれだけ面白い文章を書ける人でも、自分の子供やペットについて触れた瞬間、それは見るも無残な代物に成り果てる。 ふだんから面白くない文章を書いている人の場合には、もはや犯罪的だ。しかもそういう人たちは自分の文章が面白いと思っている正しい意味での「確信犯」なので、タチが悪い。 これは立派な犯罪である。 この「他人のこと」というのは対象を人間だけに限定するものではなく、他人の書いた本や他人の作った映画、他人の作った料理などについても言及するものである。 そんなものについて書かれた文章は面白くないということだ。こういうのを「語るに落ちる」と言う。
387 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/29(水) 23:50:13
荒れていますね。みなさん落ちついてくださいね(笑)
388 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 23:53:05
×ムッソリーニ ○ムッツリーニ
389 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 23:54:53
4.身近なことを書く これは重要なことで、たとえば知りもしないのに哲学的量子論なんかを書いてはいけない。UFOとかネッシーとかについて触れるのも危険である。 ちょっとでも間違ったことを書くと、専門家や評論家、果てはオタクとか事情通とか矢追純一とかいうよくわからない人からまでもイチャモンをつけられる。 あなたの身の回りことについて書いている分にはあなた自身が最高権威の専門家なので、誰からもクレームをつけられたりすることはない。クレームではなく説教(どうしてそんなにダメな生活をしているのか)を受けることはあるが、これは大きなお世話である。 5.わかりやすい文章で書く 1から4までの条件をクリアして、それでもまだ書きたい/書ける/書かなければならないことがある人は、いよいよ実際にペンを持って原稿用紙に向かうことになる。 あるいはパソコンの電源を入れてキーボードの前に座ることになる。(書かなければならないことがあるなどという考えは病的な誇大妄想である)。 わかりやすい文章を書くというのは、なかなか難しいものである。 簡易平明な文章を心がけ、複雑な言い回しや故事成句、難解な専門用語などは避けるようにする。文法や用法、誤字脱字にも注意しなければならない。
390 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 23:59:15
×オタク ○ヲタク ×イチャモン ○ポケモン ×クレーム ○クリーム
391 :
考える名無しさん :2006/03/29(水) 23:59:54
文体も重要である。重厚すぎる文章は読者を疲弊させるが、軽薄な文章もまた読者にストレスを与える。 たとえば「腹が減った」という事実を伝えたいとする。文章での表現方法は無限にあって、「私は耐え難い空腹感に苛まれた」と書けば重厚な雰囲気を演出できるし、「聖餐の刻が訪れた。 今こそ吉野家の門を叩くのだ」と書けば牛丼教徒であることをアピールできる。「おなかがへったにょ」と書けば、己の頭の具合を世に問うことさえも可能だ。 わかりやすい文章は「だれにでもわかる文章」ではない。そんな文章はありえない。しかし、より多くの人に理解してもらえる文章を書こうという姿勢は大切だ。 我々は日本人なので、文章は日本語のフォーマットにもとづいたものになる。ときどき、それがカッコイイと勘違いしているのか英語やらフランス語やらの敵性語を対訳もなしに引用したりひけらかしたりする人がいるが、みっともないのでやめたほうが良い。 あなたは文章でカッコつけることよりも、面白い文章を書くことにこそ心を砕くべきなのだ。 こんな話がある。昔、インドで一人の男が投獄された。彼は文盲だったのでこの機会にとヒンディ語の勉強をすることにした。 しかし獄中には辞書がない。まぁいいやと彼は独学で勉強を続けた。数年後、出所した彼の独房には壁一面にびっしりと文字が書き記されていた。 それは彼の発明した、誰にも理解できない文字を、誰にも理解できない文法で並べた、誰にも理解できない言語の羅列だった。まさにインド人もビックリである。 これでは、「今回の雑文はすごく面白かったです」というファンからのメールは望むべくもないわけだ。
>>363 > 誰もが常に現状を嘆き、そこで終わる時代ではないですか。
それは誰もが、というよりもジジェクという実存は「ブルジョア知識人」だからでしょうね。そして、
例えばもう亡くなりましたけどサイードは違っていたわけです。
近代的主観とはあくまでも主体的に「見る」側に立つわけで、それはパレスチナのような場所では
歴史的にヨーロッパによって「見られて」きたわけです。サイードはその姿勢を転換せよと語って
いました。それはまた、内なる植民地としての近代的個人の解放でもあると思います。
そこを、倦怠感から空想的な過去を立ち上げて保守派となる、という西部進的な論旨は
サイードのような人からすれば単なる戯言でしょうね。日本ってヒマなんですねぇ、とか
言われそうですね(笑)。
393 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 00:22:35
×おなかがへったにょ ○おならをふったにょ
394 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 00:29:42
>>393 「誰もが常に現状を嘆き、そこで終わる時代」とは、
先進国という「歴史の終わり」についてです。
歴史が終わった世界では、「パレスチナのような場所」にしろ、
アフリカ難民の子供たちにしろ、リアリティがないわけです。
そして「サイードのような人からすれば単なる戯言で」、
「日本ってヒマなんですねぇ」と言われてもですね。
そこが問題なわけですね。
ボクはこの手に話になると、急にむじんくんの自己言及性が欠落すること
、すなわち信仰性が高まる、ことが、気になります。(笑)
395 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 00:36:14
そうか
>>393 にそんな意味があるのか。
やっぱりすごいわW
>>394 > ボクはこの手に話になると、急にむじんくんの自己言及性が欠落すること
> 、すなわち信仰性が高まる、ことが、気になります。(笑)
それは僕もパレスチナのことは実感として分かるわけはないですよ(笑)。ただ、「湾岸戦争は
起こらなかった」とかいう本がありましたけど、ああいう形の、現場では血が流れるが、こちら
側ではディスプレイ上のシュミレーションゲームであるがごとくに戦争が行われるという事態が
あるわけですね。
こういう視点というものによって僕ら自身が規定されてしまっているというのは、それは身近な
現実ですよ。そこからの転換ということをサイードなどは言うわけです。実際、サイードは
凄いエスタブリッシュですからね。ピアノやって音楽評論したりしてるわけで、あまりパレスチナ
問題とかは疎遠な人なんですよね(笑)。
例えば、海外旅行行きますよね。行く前に旅行ガイド見ます。で、いつも思うんですけど、ガイドにこう 書いてあるからといって、実際は違うんだろうなぁと思いつつ出かけるわけですよ。ところが、行ってみると 書いてある通りだったりする(笑)。観光地が多いからでしょうけどね。しかし、そういう形で旅行客受け入れる側 も期待されるように振舞ってしまうということがあるわけです。 それは「知的」でしょうけど、サイードが言う「他者」に出会わないということです。
398 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 01:09:54
「湾岸戦争は起こらなかった」のボードリヤールが次に言ったことは「透明な悪」です。 たとえば、アルカイダのようなテロリストになるわけです。 彼らは、先進国/パレスチナのようなもの対立で、 パレスチナのような場所から先進国への攻撃、という単純な構図では ないわけです。 それはまた、誰もが常に現状を嘆き、そこで終わる時代ということです。
399 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 01:14:18
×シュミレーション これは本当に間違い ○シミュレーション ×テロリスト ○テトリス
400 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 01:20:51
>>397 なぜ海外旅行にいくのか、ということもあるでしょうね。
非日常を求めるわけですが、この非日常がくせ者です。
じつはどこに行こうがそこには日常があります。
そして日常なんかは、アフリカの奥地でもいかないと、
どこも同じようなものです。
だから、イタリアなら、イタリア的なもの、インドなら的なものを
求めるわけです。それは日本で言えば、フジヤマ、ゲイシャ、カブキ的な
オリエンタリズム的なものだったりする。
「旅行客受け入れる側も期待されるように」非日常を作っているわけです。
海外旅行にいくということそのものにすでに「他者」への出会いは含まれていないわけですね。
では、「他者」に出会うとは、なんなのでしょうか、ということですね。
401 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 01:24:04
海外だから、パレスチナのような場所だから、 そこに「他者」がいる、という考えそのもの怪しくなっている、 ということです。
402 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 09:38:48
ニフティがウイニー規制ですか。ひとつの権力ですね。 ネットももっと多様化が必要ですね。
403 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 10:35:15
巨人の星おもしろい みてる?
>>398 > それはまた、誰もが常に現状を嘆き、そこで終わる時代ということです。
サイードが問題にしたのは、第三世界問題というよりも、近代的視線によって世界が再構成されて
いく際に消し去られる"他者"に関する事柄です。観光地は意識的ですけど、例えばイスラム社会の
アイデンティティというもの自体が、実は西欧植民地時代に宗主国側の視点によって描かれた
"イスラム"像だったりするわけです。
それは日本人が自分たちのアイデンティティを語るときも同じですね。つまり、自己同一性を
語る際に必ずある認識主体が出てきて、自分や他人を規定するわけですが、その視点による
悪循環を問題にしているわけです。
アルカイダみたいなのは、国家によって人が規定されていた時代であれば無かったでしょうけど、
今はそれが変わってきている。しかし、「見るもの」と「見られるもの」という構図は変わってないの
です。だから、アルカイダのようなテロ組織というのは、グローバルに発生し得る第三世界であり、
例えば、日本が今後格差が極端に広がれば、下層階級がアルカイダになるかも知れない、という
ようなものなのです。
405 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 10:51:31
コナンのほうがおもしろいだろ。
406 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 10:54:17
×フジヤマ ○富士山 ×カブキ的 ○カブトムシ的 ×オリエンタリズム ○オリエンタルラジオ ×ウイニー ○ウィニー
407 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 11:00:12
つまんないからやめろよ
408 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 11:02:28
×つまんないからやめろよ ○コナンつまんないからやめろよ
そこがそれこそ「まなざしの快楽」じゃないですが、ある認識主体が構造的に対象を設定し、それを自らの うちに回収する、という運動の問題点です。「見るもの」は合理的であり、それは営利的でもあります。 その運動は絶えず非合理的なものを生み出し続け、そこからの声を一方的に塞ぎ続けるのです。
410 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 11:44:35
いまさらポストモダン的な主体批判ですか。むじんくんワールドですね。 一言だけ、ポストモダン言説への批判は、あたかも「見られる」、抑圧されるまえに「真の主体」があるように語ることです。 すなわち否定神学です。
>>410 > 一言だけ、ポストモダン言説への批判は、あたかも「見られる」、抑圧されるまえに「真の主体」があるように語ることです。
> すなわち否定神学です。
真の主体というのはおかしいですね。主体は抑圧によって形成されるわけです。そんなこと言っている人いないのでは?
412 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 12:24:40
話がおわってしまいましたね。ではまた。(笑)
413 :
むじんくん :2006/03/30(木) 12:36:47
逃げるのですか?
414 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 12:51:31
逃げますよ(笑) きっとむじんくんはある意味最強なのですよ。
すいません、
>>413 は私ではありません。大丈夫です、追いませんから(笑)。
関係ない話ですが、名前の横にあるIDみたいなのって金はなわないと付かないんですか?
名前#好きな文字 だよ
417 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 13:04:08
はなわNightフォーー
418 :
むじんくん ◆2nhjas48dA :2006/03/30(木) 13:06:56
これでいいですか?
419 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 13:09:47
トリップつけたほうがよいですね。 そして結局自分はどのような立ち位置にいるか一度文字化したほうがよい。 信仰との関係が深いのでしょうが、哲学とちがい理屈がない世界ですから でも硬い核である。むじんくんの話のとらえどころのなさはこの辺りにある気していますが
てすと。
421 :
むじんくん ◆GH9c5myBZY :2006/03/30(木) 13:16:26
てすと。
こんな感じでしょうか。お金払わないとダメだと思い込んでました。
>>419 > そして結局自分はどのような立ち位置にいるか一度文字化したほうがよい。
それが罠というものですよ(笑)。
近代的なまなざしで第三世界が規定され、そこで見落とされる”他者”があると主張する。 ↓ じゃあ、その見落とされた”他者”って何?と問われてそれを分析しようとすると、それは 既に”分析された他者”であり、結局は分析する主体自身の写しとしてしか認識されない。 ↓ それでも最初の主張を貫くという事は、結局のところ分析とは分析する主体のまなざしが 描けるものの範囲で、つまりその表象可能性の中だけで行われる事を認めつつ、それ でも「まだまだ見落としている他者性がある は ず だ。」という前提を要請してしまう。 ↓ それは逆に”届き得ない何か”を無限遠点として広げられる地平の中でのみ展開される 運動であり、いつまでも「何かを見落としている自分」という拭い去れない原罪を受け 入れる姿勢、より詳しくはそういう姿勢を演じる決意である。つまりは否定神学。 っていう事?
424 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 21:02:25
人間における駆動とはなにか。 生きる力か?すなわち新陳代謝の継続性か 進化論的に種の保存である。ボクは集団性への回帰と考えた。人間以外の生物のもつ集団の1ピースへの回帰である。 フロイトはそこにリビドー、性をおいた点で特異である。これをいかに考えるか
425 :
純一 :2006/03/30(木) 21:16:25
まだやってんのか(ワラ
426 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 21:21:25
×1ピース ○ワンピース
427 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 21:26:53
↑楽しい?それ
428 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 21:29:29
429 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/30(木) 21:30:21
>それが罠というものですよ(笑)。 二度としゃべりかけるな(笑)
430 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 23:12:50
>>427 やってみればわかる
真理が経験や感覚からしか得られないのと同じようにね
431 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 23:39:21
aaaaaaa aaaaaaaaaa 9993u9399u29+832798775×894394902ijc1991=7828929xmn2432z22 あはははははははははははははははははははははははははは おもしろいねあはははははははははははははははははははは これっておもしろいねあはははははははははははははははは なんだかいわかんをかんじるねあはははははははははははは きみょうとかきょうきとかそんなかんじあはははははははは でもすこしだけうつくしいとおもわないかいあはははははは おれはうつくしいとおもうねだってなんだかちてきだろあは そうおもうのはおれだけかしかしこれにはどりょくがいるよ 001001010100101010101010美0100101010101010尾010101001010101001 01010津010100110010101010101意0101010101010急01010101010101001 0巣01留01010努00101010101001010101010力00101001010101001010101 嗚呼 嗚呼 嗚呼 日本 語 は 美しいよ ふふ みっち −− うぃ知るよね s ふふ うんねぇ ええ 知ってるよ ww っさああああはははh
433 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/31(金) 01:29:36
フロイトは快感原則を基本にしました。恒常原則であり、物理学でいう慣性による等速度運動です。だ から人は静止ヘむかうときも加速するときも不快なのですね。笑いはいわば、快感原則、等速度運動 へ回復するための運動ではないでしょうか。そして主体内部の不快は、内部にありつづけると緩和され ず、他者の同意、すなわち言語化という現前に置くことでしか緩和されない。だから笑いは他者の同意 の場なんですね。 主体とはそもそも抑圧、疎外としてあります。言語をインストールされることそのものが外部からの異物 の混入であるわけです。これは精神分析的には去勢などと呼ばれ、「立派な」社会人になるための過 程です。この内部の緊張を緩和する効果として笑いがあるといえます。それは言語化という外部への 提示として行われる精神分析的な行為ですが、抑圧の深さから過激な毒舌が求められたりします。 子供はなぜ下ネタずきか。下ネタが社会的に禁止(抑圧)されているのを(無意識に)知っている。すな わちすでに抑圧されたストレス下にあり、解放されるからですね。 内部抑圧解放としての笑い。抑圧を言語化し治癒する精神分析的です。しかし抑圧の解放の方法は 笑いだけではないでしょう。
434 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 02:55:19
気がついたらしばらく笑っていない。と同時に日常のなんでもなかったはずのことが抑圧に変わった。 外にでればなおさらだ。 一見無秩序な動きがおれが参加することにより、実に機能的な動きを伴って圧力をかけてくる。 おれは身動きができず機能がうしなわれ、気が遠くなる。 まなざしは不快だ。 生きる場は狭められ、やがて排除されそうだ。 きっと俺はおかしいのだろう。 やはり死ぬしかないのだろう。 哲学もやはり役にたたぬか。
435 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 08:54:58
そりゃ扱う者によって質が変わるのは当然だわな 役に立たないのはお前の脳と思想と言ったところかな てかお前の学問はたぶん哲学じゃないぞww
436 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 09:07:46
しかしぴかぁ〜やむじんくんはよっぽど暇なようだな 普通なら一日に何度もスレの確認なんてできないし、こんなくだらんことを考えてる暇はないはず やはりニートか何かか?或いは年金暮らしの独居老人?
437 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 09:16:45
詮索はつまらないですよ
438 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 09:31:22
このスレを見て率直な感想を述べただけだが?
好きなときにレスするのと違って、ぴかぁ〜がレスすると見張ってすかさずつっこむ純一の常駐の方がたいへんそう
440 :
考える名無しさん :2006/03/31(金) 20:13:35
★★荒らし・煽りは放置が一番キライ!★★ || 〜 荒らしは常に誰かの反応を待っています 〜 || || ●煽り・コピペは放置! ウザイと思ったらそのまま放置! || || ●荒らしは自分の煽りに対しレスがあったかどうか何度も見にきます。 || 何度リロードしてもレスがないとそのたびに虚しさを味わいます。 || || ●放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います! || ノセられてレスしたらその時点であなたの負け! || || ●反撃は彼らの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。 || 荒らしにエサを与えないで下さい。 || || ●枯死するまで孤独に暴れさせておいて || ゴミが溜まったら削除が一番です。 ∧,,∧ || \ ミ゚Д゚..彡 キホンダカラ オサエテネ。
441 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 09:57:34
■なぜ人間は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集団的 なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集団戦で も個人として体験する。笑いは回りに誰もいなくても、「集団」として体験する。ということです。ポイントは 「他者への同意」です。さらにいえば、笑いはアイロニーです。直接、体験するのではなく、体験を他者の目 でみなおすというところに現れます。 フロイトの機知論は言語論でもあるのは、笑いは恐怖のような(個人的)身体的な体験でなく、人間のみが もつ高等な社会性を円滑に運営するためのもの、「言語」を解した、社会性(象徴界)として体験だからで す。だから笑いはある集団への帰属していないと、笑えないということがが多々あります。ボクも少し前、ア ンガールズの何が面白いのかわからず、悩みました(笑)みんなが笑っているのに笑えないと、疎外感を 味わいますね。 たまに子供にTVを見せないという教育熱心な親がいますが、学校での「話題」に乗れずに疎外を味わうで しょう。この「話題」とは情報であり、知っている、知っていないですが、それだけでなく、いまみなが共有し ている「アイロニーの距離感」、どの程度のメタさが今面白いのか、ということでもあります。それは、「空 気」を読むことができないことであり、いじめられたりするのではないでしょうか。
442 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 09:58:16
「同意」の笑い 綾小路きみまろの笑いは一歩間違えば、高齢者蔑視でヤバイですね。現に毒舌過ぎて、受け入れられな かった時代もあったと聞きます。笑いは、絶えず非難されることとスレスレのところにあります。そこには必 ず、これは笑うモノだというみなの「受け入れ」、「同意」が必要です。そしてそれに「同意」できない人々も います。だから新しい笑いは、いつも大人には笑えない醜悪なものからはじまりますね。HGもよくみなの 「同意」を得たものです。 綾小路きみまろが、人間の情を無くさないまま酷いことをいっているか、酷いことを言い過ぎてるかは主観 であり、その主観は、その集団の同意(フロイト的無意識=象徴界)によって決まるわけです。少し時代が 違うと、毒舌過ぎて笑えないことは十分にありえます。だから、なぜいまその「ギャップ」が面白いとみなに 同意されているのかは、誰にもわからないでしょう。いわば「クオリア」と同じで、その起源にはさかのぼれ ない。
443 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 09:58:57
抑圧と緩和 「あとになれば笑い話になる」と言いますが、恐怖、苦痛の体験も、後に友達などとの会話で笑い話にしま す。これは、それぐらいに体験が客観的に見られる(他者の目でみなおせる)ようになったということです が、また積極的に、客観的に見ようする行為である、といえます。無意識に抑圧されていたものが、「他者 との同意」によって、緩和する行為です。人は自分の失敗談を誰かに話して、笑い話にすること、それを笑 いとして同意してもらうことで、内部に溜まり続けている緊張を緩和することがあります。 これを逆にいうと、いま人々がなにを面白いと思うかは、今人々が潜在的になにをストレスに感じている か、恐怖を感じているか、と大きく関係していると考えら得ます。きみまろが年輩の人たちに受けるのは、 先ほど指摘のように「高齢者の方が死や老いの恐怖を身近に感じて」おり、その恐怖を積極的に笑うこと で、緩和する役目があると考えら得ます。 たとえばなぜアンガールズが受けるのか。アンガールズの典型的なコント設定に、教える人と教わる人の 規律の関係のはずが、教わる人が教える人を舐めているだけでなく、教える人もそれを受け入れている 「友達のようななれ合いの関係」である、ということがあります。 これを反転させると、アンガールズを笑う人の「恐怖」は、「友達のようななれ合いの関係」であるのかもし れません。特にアンガールズは女子高生などの若い女性から人気が出ましたが、彼女たちの「友達のよう ななれ合いの関係」に潜む、本当は分かりあっていないのでは、という恐怖かもしれません。アンガールズ が見せているのは日常に潜む「薄氷のコミュニケーション」という狂気であり、それを緩和するように笑うの かしれません。
444 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 09:59:53
笑いの精神分析的効果 フロイトは快感原則を基本にしました。恒常原則であり、物理学でいう慣性による等速度運動です。だ から人は静止ヘむかうときも加速するときも不快なのですね。笑いはいわば、快感原則、等速度運動 へ回復するための運動ではないでしょうか。そして主体内部の不快は、内部にありつづけると緩和され ず、他者の同意、すなわち言語化という現前に置くことでしか緩和されない。だから笑いは他者の同意 の場なんですね。 子供はなぜ下ネタずきか。下ネタが社会的に禁止(抑圧)されているのを(無意識に)知っている。すな わちすでに抑圧されたストレス下にあり、解放されるからですね。内部抑圧解放としての笑い。抑圧を言語化し治癒する精神分析的です。 主体とはそもそも抑圧、疎外としてあります。言語をインストールされることそのものが外部からの異物 の混入であるわけです。これは精神分析的には去勢などと呼ばれ、「立派な」社会人になるための過 程です。この内部の緊張を緩和する効果として笑いがあるといえます。それは言語化という外部への 提示として行われる精神分析的な行為ですが、抑圧の深さから過激な毒舌が求められたりします。
445 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 10:11:16
あっちゃん、このスレ見てたら・・・
446 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 10:14:42
すなわち笑いは一つに人間の、他者との同意形成手段、コミュニケーション内部の手段です。 たとえば未知の高等生物と遭遇したとき人は笑うでしょう、笑顔をみせる。 それへの返答でコミュニケーション可能性をはかり、「他者」であるか調べ、内部の形成を試みるのです。
447 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 10:16:35
二つ目は抑圧された恐怖を現前化して緩和する精神分析的効果です。
448 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 10:29:29
一つ目の意味で笑いは言語以前にある、あるいは笑いにより言語から始まる、 動物と人間の境界、身体と言語の境界にあるという前言語的なものと言えるかもしれません。
449 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 10:42:02
450 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 13:42:02
今日って3月32日らしいですねwwwwww気づいてた?www
ん〜よく続けてるよぴかぁ〜は。 大したもんだよ。
続けられるということは才能だよ。
453 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 16:27:10
人って独りぼっちなんだね 人って切ないね 人ってなんで人を欲しがるんだろ 人は人無しに生きられないの? 人がいないと寂しい 人はここまで人を欲してしまうのか、何故? 寂しい、故に満たされない そういえば太宰が言ってた…寂しいというよりも侘しいって いつか女の口からその言葉を聞きたいって作品の中の主人公にそう言わせてた そう、侘びしいんだ 自我を理解してくれる人が居ないから たとえネットでも、たとえ偽りの感情でも頂けるのなら わたしは話そう、仮想の中の誰かと 空想の中の意思と 空虚の魂と 電子情報の羅列と 理解不能の世界と ただ何も得ることもできずに時を過ごすよりは、嫌なことをしながら時を過ごすよりは 少しだけマシだから でもそれは堕落、怠惰、醜悪、衝動、本能、不可抗力
>>1 互いに叩き叩かれあうための2chという言葉を
とあるコテハンが残しています
455 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 17:41:07
きっとドピュッっとでないから、すっきりしなくてダラダラ続けるんだろうね。 ネタは尽きてるのに。そろそろ赤玉がでそうだよ。
無理矢理糞を出すのは余り健康的ではない。 常に糞が出るのは更に健康的ではない。
457 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 17:58:58
糞じゃないだろ。 ドピュッなんだから。
458 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 18:01:48
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459 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 18:04:21
ボタ タラタラって感じ。
そらまあ。糞より精子のほうが子供が出来る分ましかも知れんけど、 子供が出来るよりも植物が育つほうがきれいな気がするな。 少なくともぴかぁ〜が増えるよりきれいだ。
461 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 18:09:41
う〜む。それは慧眼。
462 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 18:16:10
>少なくともぴかぁ〜が増えるよりきれいだ。 腕をあげましたね。 つまりまなざしの快楽は排泄の快楽におよばない、が長く(ムダに)続いたこのスレの結論なのです。
ただまあぴかぁ〜の場合、増えるのはティッシュだけだから、 植物マニアから見れば大問題なわけよ。 でも子供が増えるよりましだから我慢しているわけ。
少しずつ力つけてきてるよ、ぴかぁ〜は。
465 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 18:29:16
そこまで突き詰められちゃうと俺の負けだなw
>>462 綾小路きみまろは読んでみよう。
喜べぴかぁ〜。雑草は生えた。
466 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 18:41:05
一つ目の意味で雑草は言語以前にある、あるいは種により発芽から始まる、 植物と人間の境界、光と二酸化炭素のによるという前言語的なものと言えるかもしれません。
467 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 19:02:41
ん〜難しくてよくわからんがドピュッがいいかノッコリがいいかってこと?
468 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 19:05:50
確かに排泄を見られる視姦というまなざしの快楽もあるわな。
俺は性行為の対象により狂気なるエロスを求めている 2次元はどこまでも狂える
470 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 19:39:41
何度も言うが、ぴかぁ〜は20代だよ 精神が若い 20代の半ばあたりに、何か強い思考作用を促すような体験をして それでこんなふうになったんだろうな
471 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 19:55:31
人は精神の若さを維持することで大人になっていくものさ。
472 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 20:40:22
■笑いの二大効果 笑いの精神分析的効果 フロイトは快感原則を基本にしました。恒常原則であり、物理学でいう慣性による等速度運動です。だ から人は静止ヘむかうときも加速するときも不快なのですね。笑いはいわば、快感原則、等速度運動 へ回復するための運動ではないでしょうか。そして主体内部の不快は、内部にありつづけると緩和され ず、他者の同意、すなわち言語化という現前に置くことでしか緩和されない。だから笑いは他者の同意 の場なんですね。 子供はなぜ下ネタずきか。下ネタが社会的に禁止(抑圧)されているのを(無意識に)知っている。すな わちすでに抑圧されたストレス下にあり、解放されるからですね。内部抑圧解放としての笑い。抑圧を 言語化し治癒する精神分析的です。 主体とはそもそも抑圧、疎外としてあります。言語をインストールされることそのものが外部からの異物 の混入であるわけです。これは精神分析的には去勢などと呼ばれ、「立派な」社会人になるための過 程です。この内部の緊張を緩和する効果として笑いがあるといえます。それは言語化という外部への 提示として行われる精神分析的な行為ですが、抑圧の深さから過激な毒舌が求められたりします。
473 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 20:41:05
笑いの前言語性 このように笑いは一つには抑圧された恐怖を現前化して緩和する精神分析的効果です。二つ目には 人間の、他者との同意形成手段、コミュニケーション内部の手段です。たとえば未知の高等生物と遭遇 したとき人は笑うでしょう、笑顔をみせる。それへの返答でコミュニケーション可能性をはかり、「他者」 であるか調べ、内部の形成を試みるのです。 笑いはあたかも生理反応のように身体反応をともなう。しかし本能的なのに動物は笑わない。それは 擬似的生理現象ともいえる。生まれたての赤ちゃんでも笑うのですからこの擬似性は根源的です。動 物と人間の境界、身体と言語の境界にある。笑いは言語以前にある、あるいは笑いにより言語が始ま るという前言語的なものと言えるかもしれません。 そしてこの笑いの前言語性が、精神分析的効果を生んでいる。心身を繋ぎ、身体近傍へ抑圧されたも のを言語化し治癒するということです。
岸田秀の受け売りですな。 「笑いとは、共同幻想の崩壊または亀裂によって起こる、 それが要求していたところの緊張からの解放の表現である」
475 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 20:48:49
たとえばニーチェが「子供」にみたものは、単なる動物性ではなく、 動物的な人間というべきもの、笑い、怒り、喜びという表現の豊かさ、 それは、前-言語的なものである、ということです。
476 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 20:50:30
ぴかちゅう、うるさい 静かにして!
477 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 20:55:34
478 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:10:34
>>472 からですね。
同じことをなんども執拗に書いて、気持ちが悪いです。
あなた精神を病んでないですか。
479 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:19:48
>>472 >>473 >>475 あなたは他人と適当な間合いでコミュニケーションすることが
苦手ではないですか。
いまだけですか?それとも日常でも気味悪がられていますか?
480 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 22:19:59
★★荒らし・煽りは放置が一番キライ!★★ || 〜 荒らしは常に誰かの反応を待っています 〜 || || ●煽り・コピペは放置! ウザイと思ったらそのまま放置! || || ●荒らしは自分の煽りに対しレスがあったかどうか何度も見にきます。 || 何度リロードしてもレスがないとそのたびに虚しさを味わいます。 || || ●放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います! || ノセられてレスしたらその時点であなたの負け! || || ●反撃は彼らの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。 || 荒らしにエサを与えないで下さい。 || || ●枯死するまで孤独に暴れさせておいて || ゴミが溜まったら削除が一番です。 ∧,,∧ || \ ミ゚Д゚..彡 キホンダカラ オサエテネ。
481 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 23:18:39
たとえば、フロイトが夢分析から始めたのは、抑圧され心の憶測に眠っている 「無意識の言葉」がそこで聞けるからですね。 その他にも、言い間違い、機知などに「無意識の言葉」が見出す。 その言葉を聞き、意味を読み、そして現前におくことによって、 他者に承認されることで、抑圧は解消されるということが、 精神分析の目指すところです。 夢分析の場合は、夢を見たこと、そのものが抑圧されたものでは ありません。夢そのものの意味の向こうに「無意気の言葉」があります。 人はいかに語ろうとも「無意識の言葉」を語ることはできません。 懸命に真実を語ろうとする向こうに「無意識の言葉」はあり、 すれ違い続ける、ということです。 それでもまず夢見たこと、言いたいこと意味がなくとも語ること、 自由な連想をもとに語ることから精神分析ははじまります。 しかし最近、かつての精神分析にかかったような症状、たとえば 抑圧されたものがけいれん、意識不明などの身体反応として 現れるヒステリー症などの「ベタ」な患者はなくなってきています。 かわりに薄く広く神経症が蔓延している、といわれます。
482 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:22:28
放置プレイ大好きです。でも値段もかなりするしやってる店も少ないのが悩みです。
483 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:23:01
まだやってんのか(ワラ
484 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 23:23:17
現代の価値が多様化した情報化社会においては、強い抑圧というものが 働かなくなってきているといえます。 たとえば親の言葉が絶対であり、その不条理に神経がまいるより、 親の言葉を疑い、反抗し、抵抗する。その葛藤はなくなることは ないでしょうか、強烈な衝撃としてでなく、持続的なストレスとして かかる。親の不条理にフリーズする前に、様々な価値のもとに それを回避し続ける、逃げることはできなくても、というようなことです。
485 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:29:20
他者の承認という言葉への異常な執着と渇望。 お気の毒です。
486 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 23:34:10
すなわち、日常で精神分析的なものが作動している、 「無意識の言葉」が解放しようとすることが様々に行われている だろうということです。 簡単に言えば、ストレス発散方法ということです。 これは、本来の精神分析の方法ではありませんが、抑圧を 解放するという意味で、精神分析的なもの、ということです。
487 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:34:41
>>484 O.Kまずお前が引きこもり部屋からでて自律しろ。そして働いてみろ。
それからもう一度スレ立てろ。
まず顔洗え。
488 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 23:40:57
たとえばボクの例でいくと、お風呂に入るとある種の トランス状態に入ります。 血行が良くなるからでしょうが、様々な思考が駆けめぐりますね。 良く言えば、アイデアが生まれるみたいなことがあります。 お酒を飲むという人の多いのではないでしょうか。 これは精神分析的ですね。意識を弱めて、饒舌になると、 様々なことがどんどん口から出てきます。
489 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:41:54
>抑圧を 解放するという意味で、精神分析的なもの、ということです。 つまりそれがおまえのブログ&2ちゃんてことだろが。 ワロスワロス
490 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 23:46:01
ショッピングもストレス発散になります。 買うことそのものが快感で、その後使わないということもあります。 ボクも本を買うことが好きですね。たまってすぐに読めなくても、 ついつい買ってしまいます。 テレビを見ると言うこともストレス発散になるでしょう。 最近のお笑いブームの消費の早さにも現れています。 ボクはこのような趣向の変化の早さを、マイフェイバリットからマイブームと 呼び、そして移り変わる欲望の新たなモノを「無垢」と呼びました。
491 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:46:01
>たとえばボクの例でいくと、お風呂に入るとある種の トランス状態に入ります。 これは異なこと。風呂はいるんだ? 公衆浴場はいくなよ。迷惑だから。
492 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:48:49
ボクではなくテキストを書いてください。WWWWW
クソスレ 自治はなにやってんだ このガイキチをあえて放置してんの?
494 :
考える名無しさん :2006/03/32(土) 23:53:04
ここに隔離しておくのも社会のため。バチンコ屋みたいなもの。
495 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/32(土) 23:59:33
これらは、不安に対する防衛機制と呼ばれる。 フロイト的には「置き換え」に対応するかもしれない。 抑圧されたものは、つぎつぎに「置き換え」て、 抑圧されたものそのものを体験することを回避し続ける。 その中で、不安は解消していく。 ラカン的には、現実界との直接対面をさけて、 現実界を縁取った対象aという幻想を欲望する。 ボクがいう「無垢」とは、偽りの「狂気(現実界)」の幻想である。 それは、抑圧する超自我(象徴界)によって禁止されたものである。 狂気は、超自我(象徴界)の破れとしてあり、超自我(象徴界)が なければ、狂気もない。すなわちそれは「無垢」な幻想としてある。 そして対象aは禁止された「無垢」として現れ、消費され、 超自我(象徴界)に承認されると、「無垢」は消失する。 そして次に「置き換え」され、「無垢」は現れるのだ。 それによって、抑圧されてものは、回避され続けるのだ。
496 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 00:04:26
あそ、よかったよかった。
497 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 00:08:10
真面目に反論してやった方がいいのかねぇ。
498 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 00:08:41
しかし、長文で反論しても基本的に読まないんだよな。
499 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:15:01
>★★荒らし・煽りは放置が一番キライ!★★ > || 〜 荒らしは常に誰かの反応を待っています 〜 荒しも一つの「精神分析的なもの」ですね。 まずそれが禁止されたものであることで、「無垢」であり、 それは荒しそのものも快感があるが、本質的には その反応という他者の承認によって、抑圧されたもの、 不安があるということが、が承認されることの、解放ですね。 放置されると、不安の言語化、現前化が他者の承認を得られる、 解放されない、ということです。 そして、不安は内部に留まり、さらに禁止を行ったことの罪悪感が 内部(無意識)により抑圧されることになります。
500 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:15:56
■「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 精神分析から精神分析的なものへ たとえば、フロイトが夢分析から始めたのは、抑圧され心の憶測に眠っている「無意識の言葉」がそこ で聞けるからですね。その他にも、言い間違い、機知などに「無意識の言葉」が見出す。その言葉を聞 き、意味を読み、そして現前におくことによって、他者に承認されることで、抑圧は解消されるということ が、精神分析の目指すところです。 夢分析の場合は、夢を見たこと、そのものが抑圧されたものでは、ありません。夢そのものの意味の向 こうに「無意気の言葉」があります。人はいかに語ろうとも「無意識の言葉」を語ることはできません。懸 命に真実を語ろうとする向こうに「無意識の言葉」はあり、すれ違い続ける、ということです。それでもま ず夢見たこと、言いたいこと意味がなくとも語ること、自由な連想をもとに語ることから精神分析ははじ まります。 しかし最近、かつての精神分析にかかったような症状、たとえば抑圧されたものがけいれん、意識不明 などの身体反応として現れるヒステリー症などの「ベタ」な患者はなくなってきています。かわりに薄く広 く神経症が蔓延している、といわれます。 現代の価値が多様化した情報化社会においては、強い抑圧というものが、働かなくなってきているとい えます。たとえば親の言葉が絶対であり、その不条理に神経がまいるより、親の言葉を疑い、反抗し、 抵抗する。その葛藤はなくなることはないでしょうか、強烈な衝撃としてでなく、持続的なストレスとして かかる。親の不条理にフリーズする前に、様々な価値のもとにそれを回避し続ける、逃げることはでき なくても、というようなことです。 すなわち、日常で「精神分析的なもの」が作動している、「無意識の言葉」が解放しようとすることが 様々に行われているだろうということです。簡単に言えば、ストレス発散方法ということです。これは、本 来の精神分析の方法ではありませんが、抑圧を解放するという意味で、「精神分析的なもの」、というこ とです。
501 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:18:13
「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 たとえばボクの例でいくと、お風呂に入るとある種のトランス状態に入ります。血行が良くなるからでしょ うが、様々な思考が駆けめぐりますね。良く言えば、アイデアが生まれるみたいなことがあります。お酒 を飲むという人の多いのではないでしょうか。これは精神分析的ですね。意識を弱めて、饒舌になる と、様々なことがどんどん口から出てきます。 ショッピングもストレス発散になります。買うことそのものが快感で、その後使わないということもありま す。ボクも本を買うことが好きですね。たまってすぐに読めなくても、ついつい買ってしまいます。テレビ を見ると言うこともストレス発散になるでしょう。最近のお笑いブームの消費の早さにも現れています。 ボクはこのような趣向の変化の早さを、マイフェイバリットからマイブームと呼び、そして移り変わる欲望 の新たなモノを「無垢」と呼びました。 これらは、不安に対する防衛機制と呼ばれる。フロイト的には「置き換え」に対応するかもしれない。抑 圧されたものは、つぎつぎに「置き換え」て、抑圧されたものそのものを体験することを回避し続ける。 その中で、不安は解消していく。 ラカン的には、現実界との直接対面をさけて、現実界を縁取った対象aという幻想を欲望する。ボクが いう「無垢」とは、偽りの「狂気(現実界)」の幻想である。それは、抑圧する超自我(象徴界)によって禁 止されたものである。 狂気は、超自我(象徴界)の破れとしてあり、超自我(象徴界)がなければ、狂気もない。すなわちそれ は「無垢」な幻想としてある。そして対象aは禁止された「無垢」として現れ、消費され、超自我(象徴界) に承認されると、「無垢」は消失する。そして次に「置き換え」され、「無垢」は現れるのだ。それによっ て、抑圧されてものは、回避され続けるのだ。
502 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 00:21:41
>長文で反論しても基本的に読まないんだよな。 違うよ。「読めない」んだよ。病的なところがある。
503 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 00:38:29
高卒が精神分析を語っているスレはここですか?
504 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:40:05
■なぜボクたちは「笑い」を好むのか @なぜ「人間」は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集 団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集 団戦でも個人として体験する。笑いは回りに誰もいなくても、「集団」として体験する。ということです。ポ イントは「他者への同意」です。さらにいえば、笑いはアイロニーです。直接、体験するのではなく、体験 を他者の目でみなおすというところに現れます。 フロイトの機知論は言語論でもあるのは、笑いは恐怖のような(個人的)身体的な体験でなく、人間の みがもつ高等な社会性を円滑に運営するためのもの、「言語」を解した、社会性(象徴界)として体験だ からです。だから笑いはある集団への帰属していないと、笑えないということがが多々あります。ボクも 少し前、アンガールズの何が面白いのかわからず、悩みました(笑)みんなが笑っているのに笑えない と、疎外感を味わいますね。 たまに子供にTVを見せないという教育熱心な親がいますが、学校での「話題」に乗れずに疎外を味わ うでしょう。この「話題」とは情報であり、知っている、知っていないですが、それだけでなく、いまみなが 共有している「アイロニーの距離感」、どの程度のメタさが今面白いのか、ということでもあります。それ は、「空気」を読むことができないことであり、いじめられたりするのではないでしょうか。
505 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:40:48
「同意」の笑い 綾小路きみまろの笑いは一歩間違えば、高齢者蔑視でヤバイですね。現に毒舌過ぎて、受け入れられ なかった時代もあったと聞きます。笑いは、絶えず非難されることとスレスレのところにあります。そこに は必ず、これは笑うモノだというみなの「受け入れ」、「同意」が必要です。そしてそれに「同意」できない 人々もいます。だから新しい笑いは、いつも大人には笑えない醜悪なものからはじまりますね。HGもよ くみなの「同意」を得たものです。 綾小路きみまろが、人間の情を無くさないまま酷いことをいっているか、酷いことを言い過ぎてるかは 主観であり、その主観は、その集団の同意(フロイト的無意識=象徴界)によって決まるわけです。少し 時代が違うと、毒舌過ぎて笑えないことは十分にありえます。だから、なぜいまその「ギャップ」が面白 いとみなに同意されているのかは、誰にもわからないでしょう。いわば「クオリア」と同じで、その起源に はさかのぼれない。
506 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:41:28
抑圧と緩和 「あとになれば笑い話になる」と言いますが、恐怖、苦痛の体験も、後に友達などとの会話で笑い話に します。これは、それぐらいに体験が客観的に見られる(他者の目でみなおせる)ようになったというこ とですが、また積極的に、客観的に見ようする行為である、といえます。無意識に抑圧されていたもの が、「他者との同意」によって、緩和する行為です。人は自分の失敗談を誰かに話して、笑い話にする こと、それを笑いとして同意してもらうことで、内部に溜まり続けている緊張を緩和することがあります。 これを逆にいうと、いま人々がなにを面白いと思うかは、今人々が潜在的になにをストレスに感じてい るか、恐怖を感じているか、と大きく関係していると考えら得ます。きみまろが年輩の人たちに受けるの は、先ほど指摘のように「高齢者の方が死や老いの恐怖を身近に感じて」おり、その恐怖を積極的に 笑うことで、緩和する役目があると考えら得ます。 たとえばなぜアンガールズが受けるのか。アンガールズの典型的なコント設定に、教える人と教わる人 の規律の関係のはずが、教わる人が教える人を舐めているだけでなく、教える人もそれを受け入れて いる「友達のようななれ合いの関係」である、ということがあります。 これを反転させると、アンガールズを笑う人の「恐怖」は、「友達のようななれ合いの関係」であるのかも しれません。特にアンガールズは女子高生などの若い女性から人気が出ましたが、彼女たちの「友達 のようななれ合いの関係」に潜む、本当は分かりあっていないのでは、という恐怖かもしれません。アン ガールズが見せているのは日常に潜む「薄氷のコミュニケーション」という狂気であり、それを緩和する ように笑うのかしれません。
507 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:42:14
A笑いの二大作用 笑いの精神分析的効果 フロイトは快感原則を基本にしました。恒常原則であり、物理学でいう慣性による等速度運動です。だ から人は静止ヘむかうときも加速するときも不快なのですね。笑いはいわば、快感原則、等速度運動 へ回復するための運動ではないでしょうか。そして主体内部の不快は、内部にありつづけると緩和され ず、他者の同意、すなわち言語化という現前に置くことでしか緩和されない。だから笑いは他者の同意 の場なんですね。 子供はなぜ下ネタずきか。下ネタが社会的に禁止(抑圧)されているのを(無意識に)知っている。すな わちすでに抑圧されたストレス下にあり、解放されるからですね。内部抑圧解放としての笑い。抑圧を 言語化し治癒する精神分析的です。 主体とはそもそも抑圧、疎外としてあります。言語をインストールされることそのものが外部からの異物 の混入であるわけです。これは精神分析的には去勢などと呼ばれ、「立派な」社会人になるための過 程です。この内部の緊張を緩和する効果として笑いがあるといえます。それは言語化という外部への 提示として行われる精神分析的な行為ですが、抑圧の深さから過激な毒舌が求められたりします。
508 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:42:55
笑いの前言語性 このように笑いは一つには抑圧された恐怖を現前化して緩和する精神分析的効果です。二つ目には 人間の、他者との同意形成手段、コミュニケーション内部の手段です。たとえば未知の高等生物と遭遇 したとき人は笑うでしょう、笑顔をみせる。それへの返答でコミュニケーション可能性をはかり、「他者」 であるか調べ、内部の形成を試みるのです。 笑いはあたかも生理反応のように身体反応をともなう。しかし本能的なのに動物は笑わない。それは 擬似的生理現象ともいえる。生まれたての赤ちゃんでも笑うのですからこの擬似性は根源的です。動 物と人間の境界、身体と言語の境界にある。笑いは言語以前にある、あるいは笑いにより言語が始ま るという前言語的なものと言えるかもしれません。 そしてこの笑いの前言語性が、精神分析的効果を生んでいる。心身を繋ぎ、身体近傍へ抑圧されたも のを言語化し治癒するということです。
509 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:43:31
B「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 精神分析から精神分析的なものへ たとえば、フロイトが夢分析から始めたのは、抑圧され心の憶測に眠っている「無意識の言葉」がそこ で聞けるからですね。その他にも、言い間違い、機知などに「無意識の言葉」が見出す。その言葉を聞 き、意味を読み、そして現前におくことによって、他者に承認されることで、抑圧は解消されるということ が、精神分析の目指すところです。 夢分析の場合は、夢を見たこと、そのものが抑圧されたものでは、ありません。夢そのものの意味の向 こうに「無意気の言葉」があります。人はいかに語ろうとも「無意識の言葉」を語ることはできません。懸 命に真実を語ろうとする向こうに「無意識の言葉」はあり、すれ違い続ける、ということです。それでもま ず夢見たこと、言いたいこと意味がなくとも語ること、自由な連想をもとに語ることから精神分析ははじ まります。 しかし最近、かつての精神分析にかかったような症状、たとえば抑圧されたものがけいれん、意識不明 などの身体反応として現れるヒステリー症などの「ベタ」な患者はなくなってきています。かわりに薄く広 く神経症が蔓延している、といわれます。 現代の価値が多様化した情報化社会においては、強い抑圧というものが、働かなくなってきているとい えます。たとえば親の言葉が絶対であり、その不条理に神経がまいるより、親の言葉を疑い、反抗し、 抵抗する。その葛藤はなくなることはないでしょうか、強烈な衝撃としてでなく、持続的なストレスとして かかる。親の不条理にフリーズする前に、様々な価値のもとにそれを回避し続ける、逃げることはでき なくても、というようなことです。 すなわち、日常で「精神分析的なもの」が作動している、「無意識の言葉」が解放しようとすることが 様々に行われているだろうということです。簡単に言えば、ストレス発散方法ということです。これは、本 来の精神分析の方法ではありませんが、抑圧を解放するという意味で、「精神分析的なもの」、というこ とです。
510 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 00:44:09
「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 たとえばボクの例でいくと、お風呂に入るとある種のトランス状態に入ります。血行が良くなるからでしょ うが、様々な思考が駆けめぐりますね。良く言えば、アイデアが生まれるみたいなことがあります。お酒 を飲むという人の多いのではないでしょうか。これは精神分析的ですね。意識を弱めて、饒舌になる と、様々なことがどんどん口から出てきます。 ショッピングもストレス発散になります。買うことそのものが快感で、その後使わないということもありま す。ボクも本を買うことが好きですね。たまってすぐに読めなくても、ついつい買ってしまいます。テレビ を見ると言うこともストレス発散になるでしょう。最近のお笑いブームの消費の早さにも現れています。 ボクはこのような趣向の変化の早さを、マイフェイバリットからマイブームと呼び、そして移り変わる欲望 の新たなモノを「無垢」と呼びました。 これらは、不安に対する防衛機制と呼ばれる。フロイト的には「置き換え」に対応するかもしれない。抑 圧されたものは、つぎつぎに「置き換え」て、抑圧されたものそのものを体験することを回避し続ける。 その中で、不安は解消していく。 ラカン的には、現実界との直接対面をさけて、現実界を縁取った対象aという幻想を欲望する。ボクが いう「無垢」とは、偽りの「狂気(現実界)」の幻想である。それは、抑圧する超自我(象徴界)によって禁 止されたものである。 狂気は、超自我(象徴界)の破れとしてあり、超自我(象徴界)がなければ、狂気もない。すなわちそれ は「無垢」な幻想としてある。そして対象aは禁止された「無垢」として現れ、消費され、超自我(象徴界) に承認されると、「無垢」は消失する。そして次に「置き換え」され、「無垢」は現れるのだ。それによっ て、抑圧されてものは、回避され続けるのだ。
511 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 00:46:01
高卒が精神分析を語っているスレはここです
512 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 01:02:17
>ボクはこのような趣向の変化の早さを、マイフェイバリットからマイブームと呼び、そして移り変わる欲望 の新たなモノを「無垢」と呼びました。 なんと呼ぼうがおまえの勝手。 誰もお前の戯言いや失礼パクリテキストあるいは病人の愚痴など、 相手にしてない。 と知るのに何年かかるかな。
513 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 01:28:25
公共的なリソースがこうやって無駄に消費されていく。。
なんで彼の分析には驚くほど深みがないのだらうか、と考えると やっぱり、とりあえずタームを使用して、思考し整理してみたかった的な それでミニミニ浅田を気取ってみたかった的なものに集約されるからだと思う。 で、この文章を理解できる人はボクを尊重してくれる人、 尊重してくれない人は理解できない人、とレッテルを貼ってゴリ押しを続ける。 間違った状況分析に加えて、ゴリ押しするメンタリティーの二重の嫌悪感が総体批判への意欲を失わせ、 本質を(内的に)捉えた感情論vsデパートのつもりの晒屋、という構図を生み出し、 量産が続けられる、みたいなカンジ。
515 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 02:08:00
>で、この文章を理解できる人はボクを尊重してくれる人、 >尊重してくれない人は理解できない人、とレッテルを貼ってゴリ押しを続ける。 ほんと、そうだよね。
516 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 02:10:31
抑圧されたものは、つぎつぎに「置き換え」て、抑圧されたものそのものを 体験することを回避し続ける。ボクはこのような関係を消費関係といった。 本質的に不安は解消されず、むしろ新たな無垢へと欲望は肥大する。 まさに消費社会を動かす動員である。
517 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 02:25:06
>やっぱり、とりあえずタームを使用して、思考し整理してみたかった的な >それでミニミニ浅田を気取ってみたかった的なものに集約されるからだと思う。 これは当たってるね。
>このように笑いは一つには抑圧された恐怖を現前化して緩和する精神分析的効果です。二つ目には >人間の、他者との同意形成手段、コミュニケーション内部の手段です。 というのは「笑い」というよりも「お笑い的笑い」なのではないでしょうか?そうでないと、抑圧も他者観も 持ち合わせていない赤ちゃんには、上記のような「笑い」は不可能だと思います。まぁ、赤ちゃんの笑い が母親という他者との同意を含んでいるのかどうかは、永遠に知り得ない事ではありますが。 前言語的な笑いというのが単に既知と未知の狭間である「無垢」への反応だとすれば、赤ちゃんにも 可能ですね。むしろ赤ちゃんこそ最も精力的に笑う。それは独我論的な主体と世界との関係の間で だけ生じるものです。 その原的な笑いが、いわば諸個人にとっての個人的な価値観が、やがて貨幣という形を通して客観的 な価値観に変奏されていくのと同じような過程を経て、「お笑い的笑い」になるのではないかと。 それは、やはり前言語的であるはずの性欲が、今では直接は生殖に関係無いような様々な変体行為 へと繋げられている事に、いわば象徴界(=社会)的なものに服している事とも似ている気がします。 ここでラカンの「性関係は存在しない」を引けば、もしかしたら「笑うのは人間だけ」ではなく、前言語的 で動物とも共有している”喜悦”が、人間的な”笑い”に、つまり「何かを笑う行為」という客観的な解釈 へと繋げられているだけなのかもしれません。つまり「赤ちゃんも笑う」のではなく、赤ちゃんの動物的 な”喜悦”を、大人が勝手に”人間的な笑い”として解釈し、そのように扱っているのでは? そう考えると、「お笑い的笑い」とは「原的笑い=喜悦」の去勢され、社会化された形だったりして。
なんで貨幣が出てくんの?
520 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 09:39:47
>赤ちゃんの動物的な”喜悦”を、大人が勝手に”人間的な笑い”として解釈し、そのように扱っているのでは? アッタリ〜
521 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 12:42:49
>>518 どなたでしょうか。すばらしいレスですね。まずなにがすばらしいといえば、どちらかというと、
笑いの精神分析的効果を語った文章なのですが、この文のより重要な点である「前言語的」へ言及して
いる点ですね。このようなレスができる方が哲学板にいましたっけ?(笑)
赤ちゃんの笑いの意味を考えるときに、考えるのは、「喜び」と「笑い」の差はなにかということでは、
ないでしょうか。動物は喜ぶが動物は笑わない。すると赤ちゃんは喜んでいるのか、笑っているのか。
ボクの考えとしては、赤ちゃんは喜んでいるのであって、「笑って」いるのではない、ということです。
ご指摘の通りに、ここでいう笑いは、「お笑い的笑い」ということですね。
赤ちゃんは喜んぶときに、顔が笑顔になっている。人間には身体構造として「笑顔」というものが
可能になる。あるいは生物学的には無力な赤ちゃんは生きていくために懸命に「笑う」ことで、
「他者」であることをアピールする戦略を持っている、ということになるでしょう。
このような生物学的、身体構造的な「笑い」をボクは「前-言語的」と呼んだわけです。
「独我論的な主体と世界との関係の間でだけ生じるもの」ということですね。
522 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 12:56:07
たとえばラカンの鏡像段階は、「他者」へと自分の全体像を投影するのですが、何故にそれが「他者」 なのか、と考えると、そこには赤ちゃんの「笑顔」があり、笑顔に笑顔で答える「他者」がいる という構造、原的なコミュニケーションの成立によって可能になっていると、考えることもできます。 「「赤ちゃんも笑う」のではなく、赤ちゃんの動物的な”喜悦”を、大人が勝手に”人間的な笑い”として 解釈する」。すなわちそのような(錯覚的な)解釈可能性によって、想像関係、そして原-象徴関係が 可能になっていく、ということではないでしょうか。(ラカンは現に想像界→象徴界という段階的なものでなく、想像界の参入には象徴界もともなっていると、いっていますね。) そして、ご指摘なとおりに、この赤ちゃんの「笑顔」が導きとなり、「客観的な価値観」としての「お笑い 的笑い」関係という象徴界への参入していくということです。
523 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 13:07:36
語尾を微妙に変えて見ても、激しく自演乙乙乙
524 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 13:13:41
いい年こいてリストラされた元大手自動車メーカー系列整備工(高校中退、中学時代不登校)の分際で 天下国家を語るのが大好きな割には年金は未納、もうすでに5年間も定職がなく、地方公務員を退職した父親に扶養してもらっている。 駅前留学しているのが唯一の自慢で口癖は「アメリカの友達が・・・」「アメリカでは・・・・」「正義のためには・・・」「プライドが・・・」と 語り出すと止まらないのだが、アメリカ本土の土を踏んだことはまだ一度もない。父親の影響か産経新聞が愛読紙の正義感の固まりである。 35歳無職 年収0円 大の格闘技ファンでもある。
525 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 17:27:28
笑いの前言語性 このように笑いは一つには抑圧された恐怖を現前化して緩和する精神分析的効果です。二つ目には 人間の、他者との同意形成手段、コミュニケーション内部の手段です。 笑いはあたかも生理反応のように身体反応をともないます。しかし本能的なのに動物は笑わない。そ れは擬似的生理現象ともいえる。動物と人間の境界、身体と言語の境界にある。動物は笑わなくても、 人間では生まれたばかりの赤ちゃんから笑います。赤ちゃんの笑いの意味を考えるときに、「喜び」と 「笑い」の差はなにかということがあります。動物は喜ぶが動物は笑わない。すると赤ちゃんは喜んで いるのか、笑っているのか。ボクの考えとしては、赤ちゃんは喜んでいるのであって、「笑って」いるので はない、ということです。 赤ちゃんは喜んぶときに、顔が笑顔になり、笑い声を上げる。このような人間にそなわる身体構造とし て「笑い」の表象というものが可能になる。あるいは生物学的には無力な赤ちゃんは生きていくために 懸命に「笑う」という表象によって、「他者」であることをアピールする戦略を持っている、ということにな るでしょう。このような生物学的、身体構造的な「笑い」の表象は言語以前にある、あるいは笑いにより 言語が始まるという前言語的なものと言えるかもしれません。
526 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 17:28:11
たとえばラカンの鏡像段階は、「他者」へと自分の全体像を投影するのですが、何故にそれが「他者」な のか、と考えると、そこには赤ちゃんの「笑顔」があり、笑顔に笑顔で答える「他者」がいるという構造、 原的なコミュニケーションの成立によって可能になっていると、考えることもできます。 「「赤ちゃんも笑う」のではなく、赤ちゃんの動物的な”喜悦”を、大人が勝手に”人間的な笑い”として解 釈する」。すなわちそのような(錯覚的な)解釈可能性によって、想像関係、そして原-象徴関係が可能 になっていく、ということではないでしょうか。そしてこの赤ちゃんの「笑顔」が導きとなり、「客観的な価 値観」としての「お笑い的笑い」関係という象徴界への参入していくということです。 たとえば未知の高等生物と遭遇したとき人は笑うでしょう、笑顔をみせる。それへの返答でコミュニケー ション可能性をはかり、「他者」であるか調べ、内部の形成を試みるのです。他者が他者であるのか以 前の「断絶」という狂気の緩和として、そしてコミュニケーションに先立つコミュニケーションとして、身体 として「笑顔」があります。 そしてこの笑いの前言語性が、精神分析的効果を生んでいる。心身を繋ぎ、身体近傍へ抑圧されたも のを表象し、言語化し治癒するということです。
527 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 18:10:22
昨日、筋肉番付をやっていました。 いつもと違い、ペアで障害をクリアーするのですが、 親子で挑戦している人が多くいました。 親子のどちらかで失敗するとそこで終わるわけです。 あっけなく自分が失敗したとき、あるいはあっけなく親が失敗したとき、 子供の反応がなんともいえません。 一人で挑戦して失敗しても悔しいのでしょうが、 子供なりに、いや子供だからこそ、関係性の中の責任を背負うことに、懸命です。
528 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 18:24:26
■なぜ荒らし・煽りは放置が一番キライ!なのか 荒しも一つの「精神分析的なもの」ですね。まずそれが禁止されたものであることで、「無垢」であり、 それは荒しそのものも快感があるが、本質的にはその反応という他者の承認によって、抑圧された もの、不安があるということが、が承認されることの、解放ですね。 放置されると、不安の言語化、 現前化が他者の承認を得られる、解放されない、ということです。そして、不安は内部に留まり、 さらに禁止を行ったことの罪悪感が内部(無意識)により抑圧されることになります。 ★★荒らし・煽りは放置が一番キライ!★★ || 〜 荒らしは常に誰かの反応を待っています 〜 || || ●煽り・コピペは放置! ウザイと思ったらそのまま放置! || || ●荒らしは自分の煽りに対しレスがあったかどうか何度も見にきます。 || 何度リロードしてもレスがないとそのたびに虚しさを味わいます。 || || ●放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います! || ノセられてレスしたらその時点であなたの負け! || || ●反撃は彼らの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。 || 荒らしにエサを与えないで下さい。 || || ●枯死するまで孤独に暴れさせておいて || ゴミが溜まったら削除が一番です。 ∧,,∧ || \ ミ゚Д゚..彡 キホンダカラ オサエテネ。
529 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 20:14:27
「いないいないばー」はまさに他者の消失、出現である。 それは反射的なものかもしれない。 他者への「笑顔」、「私は他者だ」という生物的から、 象徴的な行為への以降である。
530 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 20:25:47
フロイトの「フォーダー」は、現実の母(他者)の消失の際限であり、 それを象徴化することで、母の消失の苦痛を解消する。 ここでは、「いないいないばー」の他者出現の反射から、 自己的な他者出現の操作が行われている。
531 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 20:32:36
おまえフロイト好きだなしかしww
532 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 20:39:10
おまえぴかぁ〜好きだなしかしww
533 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/02(日) 21:20:06
「いないいないばー」はまさに他者の消失、出現です。まさにここに「人間にそなわる身体構造として 「笑い」の表象」という反射的なものが見いだせます。そしてそれが、フロイトの「フォーダー」では、現実 の母(他者)の消失の際限であり、それを象徴化することで、母の消失の苦痛を解消すると言われま す。ここでは、「いないいないばー」の他者出現の反射から、自己的な他者出現の操作が行われてい る。すなわち他者への「笑顔」、「私は他者だ」という生物的反射から、象徴的な行為へ移行がありま す。そしてこのような生物学的、身体構造的な「笑い」の表象は言語以前にある、あるいは笑いにより 言語が始まるという前言語的なものと言えるかもしれません。
534 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 22:10:36
いないイナバウアー
535 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:00:02
■なぜボクたちは「笑い」を求めるのか @なぜ「人間」は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集 団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集 団戦でも個人として体験する。笑いは回りに誰もいなくても、「集団」として体験する。ということです。ポ イントは「他者への同意」です。さらにいえば、笑いはアイロニーです。直接、体験するのではなく、体験 を他者の目でみなおすというところに現れます。 フロイトの機知論は言語論でもあるのは、笑いは恐怖のような(個人的)身体的な体験でなく、人間の みがもつ高等な社会性を円滑に運営するためのもの、「言語」を解した、社会性(象徴界)として体験だ からです。だから笑いはある集団への帰属していないと、笑えないということがが多々あります。ボクも 少し前、アンガールズの何が面白いのかわからず、悩みました(笑)みんなが笑っているのに笑えない と、疎外感を味わいますね。 たまに子供にTVを見せないという教育熱心な親がいますが、学校での「話題」に乗れずに疎外を味わ うでしょう。この「話題」とは情報であり、知っている、知っていないですが、それだけでなく、いまみなが 共有している「アイロニーの距離感」、どの程度のメタさが今面白いのか、ということでもあります。それ は、「空気」を読むことができないことであり、いじめられたりするのではないでしょうか。
536 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:00:35
「同意」の笑い 綾小路きみまろの笑いは一歩間違えば、高齢者蔑視でヤバイですね。現に毒舌過ぎて、受け入れられ なかった時代もあったと聞きます。笑いは、絶えず非難されることとスレスレのところにあります。そこに は必ず、これは笑うモノだというみなの「受け入れ」、「同意」が必要です。そしてそれに「同意」できない 人々もいます。だから新しい笑いは、いつも大人には笑えない醜悪なものからはじまりますね。HGもよ くみなの「同意」を得たものです。 綾小路きみまろが、人間の情を無くさないまま酷いことをいっているか、酷いことを言い過ぎてるかは 主観であり、その主観は、その集団の同意(フロイト的無意識=象徴界)によって決まるわけです。少し 時代が違うと、毒舌過ぎて笑えないことは十分にありえます。だから、なぜいまその「ギャップ」が面白 いとみなに同意されているのかは、誰にもわからないでしょう。いわば「クオリア」と同じで、その起源に はさかのぼれない。
537 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:01:34
抑圧と緩和 「あとになれば笑い話になる」と言いますが、恐怖、苦痛の体験も、後に友達などとの会話で笑い話に します。これは、それぐらいに体験が客観的に見られる(他者の目でみなおせる)ようになったというこ とですが、また積極的に、客観的に見ようする行為である、といえます。無意識に抑圧されていたもの が、「他者との同意」によって、緩和する行為です。人は自分の失敗談を誰かに話して、笑い話にする こと、それを笑いとして同意してもらうことで、内部に溜まり続けている緊張を緩和することがあります。 これを逆にいうと、いま人々がなにを面白いと思うかは、今人々が潜在的になにをストレスに感じてい るか、恐怖を感じているか、と大きく関係していると考えら得ます。きみまろが年輩の人たちに受けるの は、先ほど指摘のように「高齢者の方が死や老いの恐怖を身近に感じて」おり、その恐怖を積極的に 笑うことで、緩和する役目があると考えら得ます。 たとえばなぜアンガールズが受けるのか。アンガールズの典型的なコント設定に、教える人と教わる人 の規律の関係のはずが、教わる人が教える人を舐めているだけでなく、教える人もそれを受け入れて いる「友達のようななれ合いの関係」である、ということがあります。 これを反転させると、アンガールズを笑う人の「恐怖」は、「友達のようななれ合いの関係」であるのかも しれません。特にアンガールズは女子高生などの若い女性から人気が出ましたが、彼女たちの「友達 のようななれ合いの関係」に潜む、本当は分かりあっていないのでは、という恐怖かもしれません。アン ガールズが見せているのは日常に潜む「薄氷のコミュニケーション」という狂気であり、それを緩和する ように笑うのかしれません。
538 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:02:38
A笑いの二大作用 笑いの精神分析的効果 フロイトは快感原則を基本にしました。恒常原則であり、物理学でいう慣性による等速度運動です。だ から人は静止ヘむかうときも加速するときも不快なのですね。笑いはいわば、快感原則、等速度運動 へ回復するための運動ではないでしょうか。そして主体内部の不快は、内部にありつづけると緩和され ず、他者の同意、すなわち言語化という現前に置くことでしか緩和されない。だから笑いは他者の同意 の場なんですね。 子供はなぜ下ネタずきか。下ネタが社会的に禁止(抑圧)されているのを(無意識に)知っている。すな わちすでに抑圧されたストレス下にあり、解放されるからですね。内部抑圧解放としての笑い。抑圧を 言語化し治癒する精神分析的です。 主体とはそもそも抑圧、疎外としてあります。言語をインストールされることそのものが外部からの異物 の混入であるわけです。これは精神分析的には去勢などと呼ばれ、「立派な」社会人になるための過 程です。この内部の緊張を緩和する効果として笑いがあるといえます。それは言語化という外部への 提示として行われる精神分析的な行為ですが、抑圧の深さから過激な毒舌が求められたりします。
539 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:03:13
笑いの前言語性 このように笑いは一つには抑圧された恐怖を現前化して緩和する精神分析的効果です。二つ目には 人間の、他者との同意形成手段、コミュニケーション内部の手段です。 笑いはあたかも生理反応のように身体反応をともないます。しかし本能的なのに動物は笑わない。そ れは擬似的生理現象ともいえる。動物と人間の境界、身体と言語の境界にある。動物は笑わなくても、 人間では生まれたばかりの赤ちゃんから笑います。赤ちゃんの笑いの意味を考えるときに、「喜び」と 「笑い」の差はなにかということがあります。動物は喜ぶが動物は笑わない。すると赤ちゃんは喜んで いるのか、笑っているのか。ボクの考えとしては、赤ちゃんは喜んでいるのであって、「笑って」いるので はない、ということです。 赤ちゃんは喜んぶときに、顔が笑顔になり、笑い声を上げる。このような人間にそなわる身体構造とし て「笑い」の表象というものが可能になる。あるいは生物学的には無力な赤ちゃんは生きていくために 懸命に「笑う」という表象によって、「他者」であることをアピールする戦略を持っている、ということにな るでしょう。 たとえばラカンの鏡像段階は、「他者」へと自分の全体像を投影するのですが、何故にそれが「他者」な のか、と考えると、そこには赤ちゃんの「笑顔」があり、笑顔に笑顔で答える「他者」がいるという構造、 原的なコミュニケーションの成立によって可能になっていると、考えることもできます。
540 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:04:37
「いないいないばー」はまさに他者の消失、出現です。まさにここに「人間にそなわる身体構造として 「笑い」の表象」という反射的なものが見いだせます。そしてそれが、フロイトの「フォーダー」では、現実 の母(他者)の消失の際限であり、それを象徴化することで、母の消失の苦痛を解消すると言われま す。ここでは、「いないいないばー」の他者出現の反射から、自己的な他者出現の操作が行われてい る。すなわち他者への「笑顔」、「私は他者だ」という生物的反射から、象徴的な行為へ移行がありま す。そしてこのような生物学的、身体構造的な「笑い」の表象は言語以前にある、あるいは笑いにより 言語が始まるという前言語的なものと言えるかもしれません。 「「赤ちゃんも笑う」のではなく、赤ちゃんの動物的な”喜悦”を、大人が勝手に”人間的な笑い”として解 釈する」。すなわちそのような(錯覚的な)解釈可能性によって、想像関係、そして原-象徴関係が可能 になっていく、ということではないでしょうか。そしてこの赤ちゃんの「笑顔」が導きとなり、「客観的な価 値観」としての「お笑い的笑い」関係という象徴界への参入していくということです。 たとえば未知の高等生物と遭遇したとき人は笑うでしょう、笑顔をみせる。それへの返答でコミュニケー ション可能性をはかり、「他者」であるか調べ、内部の形成を試みるのです。他者が他者であるのか以 前の「断絶」という狂気の緩和として、そしてコミュニケーションに先立つコミュニケーションとして、身体 として「笑顔」があります。 そしてこの笑いの前言語性が、精神分析的効果を生んでいる。心身を繋ぎ、身体近傍へ抑圧されたも のを表象し、言語化し治癒するということです。
541 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:05:24
B「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 精神分析から精神分析的なものへ たとえば、フロイトが夢分析から始めたのは、抑圧され心の憶測に眠っている「無意識の言葉」がそこ で聞けるからですね。その他にも、言い間違い、機知などに「無意識の言葉」が見出す。その言葉を聞 き、意味を読み、そして現前におくことによって、他者に承認されることで、抑圧は解消されるということ が、精神分析の目指すところです。 夢分析の場合は、夢を見たこと、そのものが抑圧されたものでは、ありません。夢そのものの意味の向 こうに「無意気の言葉」があります。人はいかに語ろうとも「無意識の言葉」を語ることはできません。懸 命に真実を語ろうとする向こうに「無意識の言葉」はあり、すれ違い続ける、ということです。それでもま ず夢見たこと、言いたいこと意味がなくとも語ること、自由な連想をもとに語ることから精神分析ははじ まります。 しかし最近、かつての精神分析にかかったような症状、たとえば抑圧されたものがけいれん、意識不明 などの身体反応として現れるヒステリー症などの「ベタ」な患者はなくなってきています。かわりに薄く広 く神経症が蔓延している、といわれます。 現代の価値が多様化した情報化社会においては、強い抑圧というものが、働かなくなってきているとい えます。たとえば親の言葉が絶対であり、その不条理に神経がまいるより、親の言葉を疑い、反抗し、 抵抗する。その葛藤はなくなることはないでしょうか、強烈な衝撃としてでなく、持続的なストレスとして かかる。親の不条理にフリーズする前に、様々な価値のもとにそれを回避し続ける、逃げることはでき なくても、というようなことです。 すなわち、日常で「精神分析的なもの」が作動している、「無意識の言葉」が解放しようとすることが 様々に行われているだろうということです。簡単に言えば、ストレス発散方法ということです。これは、本 来の精神分析の方法ではありませんが、抑圧を解放するという意味で、「精神分析的なもの」、というこ とです。
542 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/03(月) 19:06:16
「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 たとえばボクの例でいくと、お風呂に入るとある種のトランス状態に入ります。血行が良くなるからでしょ うが、様々な思考が駆けめぐりますね。良く言えば、アイデアが生まれるみたいなことがあります。お酒 を飲むという人の多いのではないでしょうか。これは精神分析的ですね。意識を弱めて、饒舌になる と、様々なことがどんどん口から出てきます。 ショッピングもストレス発散になります。買うことそのものが快感で、その後使わないということもありま す。ボクも本を買うことが好きですね。たまってすぐに読めなくても、ついつい買ってしまいます。テレビ を見ると言うこともストレス発散になるでしょう。最近のお笑いブームの消費の早さにも現れています。 ボクはこのような趣向の変化の早さを、マイフェイバリットからマイブームと呼び、そして移り変わる欲望 の新たなモノを「無垢」と呼びました。 これらは、不安に対する防衛機制と呼ばれる。フロイト的には「置き換え」に対応するかもしれない。抑 圧されたものは、つぎつぎに「置き換え」て、抑圧されたものそのものを体験することを回避し続ける。 その中で、不安は解消していく。 ラカン的には、現実界との直接対面をさけて、現実界を縁取った対象aという幻想を欲望する。ボクが いう「無垢」とは、偽りの「狂気(現実界)」の幻想である。それは、抑圧する超自我(象徴界)によって禁 止されたものである。 狂気は、超自我(象徴界)の破れとしてあり、超自我(象徴界)がなければ、狂気もない。すなわちそれ は「無垢」な幻想としてある。そして対象aは禁止された「無垢」として現れ、消費され、超自我(象徴界) に承認されると、「無垢」は消失する。そして次に「置き換え」され、「無垢」は現れるのだ。それによっ て、抑圧されてものは、回避され続けるのだ。
543 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 19:16:57
氏ねくそ理屈責めおやじが! 心理学専門の友達が言ってたよ? 「自分の生殖器について語る男は自分の生殖器に自信がない。あるいはコンプレックスを持っている。」 だってぇぇーーーーっ(大爆笑)
いつも巧妙に他人のHPのテキストを利用してるなあ
あー苦かった。 今ウンコを食い終えたところです。未消化のツブツブの中まで 苦い味が染みていました。
546 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 20:34:39
247:ぴかぁ〜 :2006/02/14(火) 02:09:46 ID:V3DTIPBE オナニーしても精液でないって病気かなぁ?がまん汁までは出るん ですが・・・夢精は週2ぐらいでします>< もうすぐ20才。。
547 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 20:56:02
ぴかぁ〜長文きもすぎwww おまえマジ病気???
548 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 21:03:37
272:ぴかぁ〜 :2006/02/23(木) 12:57:33 ID:0RwHVCng オッキ状態でおしっこすると あっちこっちに飛び散るんですが
549 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 22:48:00
煽りのレベルが低すぎ。
>>544 どこら辺を利用しているの?ちょっと興味ある
550 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 23:15:06
煽りてか正直なコメントしただけだwww
551 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 23:53:53
笑いというトピック自体、2、3スレ前の名無しの議論からパクってるよね もうどうしようもねぇよ
553 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/04(火) 00:10:00
なにか最近荒れていますね。
やはり
>>518 は奇跡のレスだったのでしょうか(笑)
554 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:01:29
そうですか。あなたは自演のことを奇跡と言い換えるわけだ?ほーほーほー
555 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:04:16
で、ぴか〜くんははたちなのですか。
556 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:16:01
私はスポーツ全般がきらいである。 その理由は特にないのだが、小学生のころ体育の成績で1をもらったのが原因かもしれない。 ほかに1をもらった教科としては図工や音楽がある。このことで、私にスポーツと芸術の才能がないことがよくわかるだろう。 では何の才能があるのかと問われると、答えに窮したあげく「牛丼を3分で食べる才能」とか「生卵を鼻の穴から飲み込む才能」などと答えるしかないのだが。 とにかくそういう次第で小学生のころからスポーツのきらいな私は、野球シーズンが大嫌いだ。いや、正確に言うならTVの野球中継がきらいなのだ。もっと正確に言うなら、野球中継の延長放送がきらいなのである。 どうして野球中継は時間延長されるのか。どうして延長放送によってそれ以降の番組が時間を繰り下げて放送されなければならないのか。 どうして私の録画予約した『ザ・シークレット・サービス』が途中で切れているのか。――だれか、これらの問いに答えてほしい。 そもそも、なぜ野球の試合はあれほどまでに長いのか。一試合に2時間も3時間もかかるスポーツが、ほかにあるだろうか。 私はスポーツに興味がない人間なのでほかのスポーツといってもあまり正確な例をあげられないのだが、たとえば相撲を見てほしい。 あの試合(取り組み)に2時間も3時間もかかっていたら、決してだれも観戦しようとはしないだろう。おまけに、相撲中継には延長放送もない。 かならず、放送時間枠内で収まる。 この点を野球には見習ってもらいたい。 私が野球について理解できない原因の一つに、どうしてあんな細い棒きれでボールを打たなければならないのかという疑問がある。 世間ではあの棒きれをバットと呼ぶようだが、なぜバットというものはあのように細いのか。あれをもっと太く ――たとえば直径1メートルぐらいにすれば、今よりずっと簡単にボールを打てるのではないかと思う。 だいたい野球というのはふしぎな競技で、「投げられたボールをバットで打つ」という基本的なルールがあり、しかもすべての野球ファンがそれを期待して観戦しているというのに、どういうわけかピッチャーたちはボールを打たれないように投球するのである。
557 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:21:56
これは、どう考えても変だ。 野球ファンたちは野球を観戦したいのであって、ピッチャーの投球シーンだけを見たいわけではない。 それが証拠に、ピッチャーとキャッチャーが延々2時間にわたってキャッチボールをくりかえす野球中継など放送されたためしがない。 しかも、その延長放送などにいたっては論外である。本来、打たれるために投げているはずのボールが、7割以上もの確率で打たれない。 この現状は、すこしおかしいのではないか。
558 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:25:58
私などが言う筋合いのことではないかもしれないが、野球のバッターたちはもっとまじめに仕事をするべきである。 彼らの仕事とは、言うまでもなく投げられたボールを打つことだ。それも、ただ打つだけではいけない。ヒットかホームランを打たなければ彼らの仕事は達成されたと言えないのだ。 にもかかわらず、彼らの仕事達成率は2割から3割程度である。選手によっては1割などという数字にもなったりする。 これはすこし ――いやかなり、異常な事態であると言えよう。考えてもみてほしい。一般的な会社員が与えられた仕事の3割しか達成できなかったら確実に解雇されるだろうし、小説家や漫画家が締め切りまでに3割の原稿しか仕上げていなかったら、ただではすまない。 達成率3割とは、つまりどうしようもなく駄目な状態なのだ。野球の世界では打率が3割を超えるバッターは一流の選手であるように言われるが、これはとんでもない話である。 10回のうち7回も仕事に失敗していて、どこが一流なのか。10回の手術のうち7回失敗する医者が一流と呼ばれるだろうか。10回の狙撃依頼のうち3つしか達成できないゴルゴ13がいるだろうか。 そんなことはありえない。野球選手たちは、せめて平均打率8割ぐらいを保ってほしいものである。
559 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:29:50
また、私の観察したところによると、ヒットを打ったバッターは一塁へ走らなければならないらしいが、これもまたナンセンスである。 なぜ、いきなり三塁に走ってはいけないのか。三塁と本塁を往復しただけで一点獲得というルールにしたほうがわかりやすいのではないか。 いっそ、打球の飛距離に応じて点数を獲得するシステムにしてしまっても良いかもしれない。10メートルあたり1点ぐらいで良いだろうか。 この場合はピッチャーも不要なので、バッターたちはゴルフのティにボールを置いて打つと良いだろう。 これならば、野球に興味のない私でも(一分間ぐらいは)たのしんで観戦できそうだ。 野球以上に理解できないのがサッカーである。 私は野球同様サッカーにもまるで関心がないのだが、たまにTV中継などを見ていると、どうして彼らは手を使わないのかと疑問に思う。 彼ら選手たちは五体満足の体を持っているのに、けっして両腕を使おうとしないのだ。これはふしぎだ。 もちろん私もサッカーのルールはある程度知っているので、キーパー以外の選手は手でボールに触れてはいけないということぐらい理解している。 私が疑問に思うのは、どうして皆わざわざそのような馬鹿げたルールに身をゆだねるのかという点である。腕を使いたければ使えば良いではないか。 皆で使えば平等である。なにも問題はない。どうして、そのことに皆気付かないのか。理解しがたい。
560 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:34:40
このようにスポーツに対して理解のない私だが、それでもこれらのスポーツはカーリングにくらべればマシである。 カーリング。あのスポーツを初めて見たとき、私はデヴィッド・カッパーフィールドのイリュージョン・マジックを目の前で見たときのような衝撃を受けた。 なにしろ彼らがやっているカーリングなるスポーツは氷の上をデッキブラシでこするというだけの、まさに人知を超えた競技だったのである。 最初、あの氷をこすっている人々を見たとき、私はスケートリンクを掃除しているものだと思ってうたがわなかった。それはそうだろう。いったいだれが、あの動きを見てスポーツだと思うだろうか。 彼らの掃除した軌跡をなぞってすべる漬物石のような謎の物体も、私の目には氷の状態を確認するための掃除用具にしか見えなかった。 あの物体にストーンという名称がつけられていることを知ったときは、ちょっとした驚きだった。それと同時に、なにがストーンだよと思ったものだ。 あれほどカッコ悪いスポーツ用品は他にないだろう。
561 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:40:50
いや、ストーンよりカッコ悪いスポーツ用品があった。それは、ほかならぬカーリング用のデッキブラシである。 これに匹敵するほどカッコ悪いスポーツ用品はシンクロナイズド・スイミングの鼻栓ぐらいだと思うが、見た目のインパクトという点でデッキブラシには負ける。 そもそも、あのブラシは本当にスポーツ用品店で買ったものなのだろうか。ホームセンターのバーゲンで300円ぐらいで買ってきたデッキブラシなのではないかと思う。 ちなみにあのデッキブラシはカーリング用語でもブラシと呼ぶ。ついさきほど、カーリング・クラブのサイトにアクセスして、あぜんとしたところである。 私が言うのもなんだが、せめてもうすこしカッコいい名前をつけたらどうか。たとえばアイスシェイパーとか。まぁ、どう呼んでみてもデッキブラシはデッキブラシだが。 いったい、あのカーリングをやっている選手たちはどういう心理が働いてあのような得体の知れぬスポーツに手を染めることとなったのだろう。 あれほどカッコ悪いスポーツに手を出すには、相当な勇気と決断力が必要なはずだ。私なら、金をもらってもやりたくない。 カーリングは「氷上のビリヤード」とか「氷上のチェス」などと呼ばれているらしいが、それらの試合中にデッキブラシで床を掃き始める人はいない。 それとも彼らは氷をデッキブラシでみがく自分たちの姿に何らかの”美”を感じているのだろうか。 それならそれでかまわないのだが、いちど洗脳の可能性をうたがってみたほうが良いとは思う。 なにしろ一心不乱にデッキブラシで氷をこする彼らの姿は、怪しい新興宗教の修行のようにしか見えないのだ。 私からの提案だが、あのストーンをかかえて走り、サークル内に置いたらポイントというルールにしたらどうか。 さしずめ「氷上のラグビー」といったところである。なかなか画期的だと思うのだが、いかがだろうか。 いやそれとも、バットで打ってその飛距離に応じて得点を……。 しかしこのカーリング、このところ人気が急上昇中らしい。まったく、世の中は理解できない。 いつか、カーリングの延長放送に泣かされる日が来るのかもしれない。その日の映画放送が『ザ・シークレット・サービス』でないことを祈る。
ぴかぁ〜の成分解析結果 : ぴかぁ〜の74%は元気玉で出来ています。 ぴかぁ〜の19%は白インクで出来ています。 ぴかぁ〜の3%は毒物で出来ています。 ぴかぁ〜の2%は玉露で出来ています。 ぴかぁ〜の2%は祝福で出来ています。 ぴかぁの成分解析結果 : ぴかぁの51%は理論で出来ています。 ぴかぁの49%はミスリルで出来ています。
563 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 11:25:35
え? だって長文きもいと思わない? 間違った思想をマジレスしてる時点できもいと俺は思うwww
折からの台風で大荒れの天気の中、ここ千葉県某所の牛丼屋では今宵もまた一つの戦いが繰り広げられようとしております。 今夜の挑戦者は牛丼歴16年無職歴10年のこの男、牛男爵アイスその人であります。 聞くところによると牛男爵という名の由来は三度の飯より牛丼が好きというところから来ているのだといいます。 牛を食うことにかけては誰にも負けないと豪語するこの男、果たして我々の前にいかなるアートを見せつけてくれるのでありましょうか。 あるいはそれとも、夜明けすぎのおでん屋さながら、原型をとどめないほどに煮詰まった、タマネギの影も形もない牛丼をつかまされてしまうのか。 それだけは避けたいところ。 さぁー、身長179センチ、体重62キロ、普段は虫も殺さない挑戦者が、まさにこれから戦場へと向かおうとしております。 戦場というよりは地獄といった方がふさわしいのでありましょうか。飢えた男どもが肉を求めて集まる場所、すき家という名の地獄が牛男爵の前に立ちふさがっているのであります。 思えば21世紀最初の年、2001年は牛丼業界にとって激動の一年でありました。庶民のサイフのヒモとの戦いの一年、こう言い換えてもいいでしょう。 まず先手を切ったのが松屋でありました。それまで400円だった牛丼並盛を290円という驚くべき価格で提供したのであります。 正しくは牛めしですが、ここはわかりやすくいきましょう。この松屋の攻撃に対して牛丼の老舗吉野家は並盛一杯280円という、これまた驚愕すべき値段で対抗したのであります。 中卯、らんぷ亭といった中堅どころも、この戦いを黙って見てはおりませんでした。牛丼業界はまさに群雄割拠、十円玉一枚をめぐる熾烈な領土争いが今もなお続けられているのであります。
こうした混迷の時代を今夜の挑戦者はどうとらえているのか。今月今夜のこの夜にすき家へ討ち入りをかけるのは、果たしていかなる主義思想のもとにおこなわれたものなのでありましょうか。 牛丼教の経典にはこうあります。『さまよえる私達は最後に安息の地を見つけた。そこにはオレンジ色の看板があった』オレンジ色が吉野家を示していることは周知の事実。 にもかかわらず赤の看板をめざした今夜の挑戦者、いったい何を狙っているのでありましょうか。 どう見ますか、山本さん。 「挑戦者ブキミですね。十年間無職のひきこもりですから、何をするかわかりませんよ」 なるほど、今夜の戦いは外の暴風雨さながら大荒れの内容になりそうな気配であります。 今宵もまた白いカウンターは血で染まることとなるのでありましょうか。挑戦者、今ゆっくりとカウンター席に腰を下ろしました。非常に落ち着いております、挑戦者。このあたり、さすが十六年の蓄積を誇るだけのことはあります。
566 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:49:58
■なぜボクたちは笑うのか @なぜ「人間」は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集 団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集 団戦でも個人として体験する。笑いは回りに誰もいなくても、「集団」として体験する。ということです。ポ イントは「他者への同意」です。さらにいえば、笑いはアイロニーです。直接、体験するのではなく、体験 を他者の目でみなおすというところに現れます。 フロイトの機知論は言語論でもあるのは、笑いは恐怖のような(個人的)身体的な体験でなく、人間の みがもつ高等な社会性を円滑に運営するためのもの、「言語」を解した、社会性(象徴界)として体験だ からです。だから笑いはある集団への帰属していないと、笑えないということがが多々あります。ボクも 少し前、アンガールズの何が面白いのかわからず、悩みました(笑)みんなが笑っているのに笑えない と、疎外感を味わいますね。 たまに子供にTVを見せないという教育熱心な親がいますが、学校での「話題」に乗れずに疎外を味わ うでしょう。この「話題」とは情報であり、知っている、知っていないですが、それだけでなく、いまみなが 共有している「アイロニーの距離感」、どの程度のメタさが今面白いのか、ということでもあります。それ は、「空気」を読むことができないことであり、いじめられたりするのではないでしょうか。
567 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:50:39
「同意」の笑い 綾小路きみまろの笑いは一歩間違えば、高齢者蔑視でヤバイですね。現に毒舌過ぎて、受け入れられ なかった時代もあったと聞きます。笑いは、絶えず非難されることとスレスレのところにあります。そこに は必ず、これは笑うモノだというみなの「受け入れ」、「同意」が必要です。そしてそれに「同意」できない 人々もいます。だから新しい笑いは、いつも大人には笑えない醜悪なものからはじまりますね。HGもよ くみなの「同意」を得たものです。 綾小路きみまろが、人間の情を無くさないまま酷いことをいっているか、酷いことを言い過ぎてるかは 主観であり、その主観は、その集団の同意(フロイト的無意識=象徴界)によって決まるわけです。少し 時代が違うと、毒舌過ぎて笑えないことは十分にありえます。だから、なぜいまその「ギャップ」が面白 いとみなに同意されているのかは、誰にもわからないでしょう。いわば「クオリア」と同じで、その起源に はさかのぼれません。
568 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:51:26
抑圧と緩和 「あとになれば笑い話になる」と言いますが、恐怖、苦痛の体験も、後に友達などとの会話で笑い話に します。これは、それぐらいに体験が客観的に見られる(他者の目でみなおせる)ようになったというこ とですが、また積極的に、客観的に見ようする行為である、といえます。無意識に抑圧されていたもの が、「他者との同意」によって、緩和する行為です。人は自分の失敗談を誰かに話して、笑い話にする こと、それを笑いとして同意してもらうことで、内部に溜まり続けている緊張を緩和することがあります。 これを逆にいうと、いま人々がなにを面白いと思うかは、今人々が潜在的になにをストレスに感じてい るか、恐怖を感じているか、と大きく関係していると考えら得ます。きみまろが年輩の人たちに受けるの は、先ほど指摘のように「高齢者の方が死や老いの恐怖を身近に感じて」おり、その恐怖を積極的に 笑うことで、緩和する役目があると考えら得ます。 たとえばなぜアンガールズが受けるのか。アンガールズの典型的なコント設定に、教える人と教わる人 の規律の関係のはずが、教わる人が教える人を舐めているだけでなく、教える人もそれを受け入れて いる「友達のようななれ合いの関係」である、ということがあります。 これを反転させると、アンガールズを笑う人の「恐怖」は、「友達のようななれ合いの関係」であるのかも しれません。特にアンガールズは女子高生などの若い女性から人気が出ましたが、彼女たちの「友達 のようななれ合いの関係」に潜む、本当は分かりあっていないのでは、という恐怖かもしれません。アン ガールズが見せているのは日常に潜む「薄氷のコミュニケーション」という狂気であり、それを緩和する ように笑うのかしれません。
569 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:52:04
A笑いの二大効果 笑いの精神分析的効果 子供はなぜ下ネタずきか。下ネタが社会的に禁止(抑圧)されているのを(無意識に)知っている。すな わちすでに抑圧されたストレス下にあり、解放されるからですね。内部抑圧解放としての笑い。抑圧を 言語化し治癒する精神分析的です。 主体とはそもそも抑圧、疎外としてあります。言語をインストールされることそのものが外部からの異物 の混入であるわけです。これは精神分析的には去勢などと呼ばれ、「立派な」社会人になるための過 程です。この内部の緊張を緩和する効果として笑いがあるといえます。それは言語化という外部への 提示として行われる精神分析的な行為ですが、抑圧の深さから過激な毒舌が求められたりします。
570 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:52:46
笑いの原コミュニケーション このように笑いは一つには抑圧された恐怖を現前化して緩和する精神分析的効果です。二つ目には 人間の、他者との同意形成手段、コミュニケーション内部の手段です。 笑いはあたかも生理反応のように身体反応をともないます。しかし本能的なのに動物は笑わない。そ れは擬似的生理現象ともいえます。動物と人間の境界、身体と言語の境界にある。動物は笑わなくて も、人間では生まれたばかりの赤ちゃんから笑います。 赤ちゃんの笑いの意味を考えるときに、「喜び」と「笑い」の差はなにかということがあります。動物は喜 ぶが動物は笑わない。すると赤ちゃんは喜んでいるのか、笑っているのか。ボクの考えとしては、赤 ちゃんは喜んでいるのであって、「笑って」いるのではない、ということです。 赤ちゃんは喜んぶときに、顔が笑顔になり、笑い声を上げる。このような人間にそなわる身体構造とし て「笑い」の表象というものが可能になる。あるいは生物学的には無力な赤ちゃんは生きていくために 懸命に「笑う」という表象によって、「他者」であることをアピールする戦略を持っている、ということにな るでしょう。 たとえばラカンの鏡像段階は、「他者」へと自分の全体像を投影するのですが、何故にそれが「他者」な のか、と考えると、そこには赤ちゃんの「笑顔」があり、笑顔に笑顔で答える「他者」がいるという構造、 原的なコミュニケーションの成立によって可能になっていると、考えることもできます。
571 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:53:28
笑いの前言語性 「いないいないばー」はまさに他者の消失、出現です。まさにここに「人間にそなわる身体構造として 「笑い」の表象」という反射的なものが見いだせます。そしてそれが、フロイトの「フォー・ダー」では、現 実の母(他者)の消失の際限であり、それを象徴化することで、母の消失の苦痛を解消すると言われま す。ここでは、「いないいないばー」の他者出現の反射から、自己的な他者出現の操作が行われてい る。すなわち他者への「笑顔」、「私は他者だ」という生物的反射から、象徴的な行為へ移行がありま す。そしてこのような生物学的、身体構造的な「笑い」の表象は言語以前にある、あるいは笑いにより言語が始まるという前言語的なものと言えるかもしれません。 「「赤ちゃんも笑う」のではなく、赤ちゃんの動物的な”喜悦”を、大人が勝手に”人間的な笑い”として解 釈する」。すなわちそのような(錯覚的な)解釈可能性によって、想像関係、そして原-象徴関係が可能 になっていく、ということではないでしょうか。そしてこの赤ちゃんの「笑顔」が導きとなり、「客観的な価 値観」としての「お笑い的笑い」関係という象徴界への参入していくということです。 たとえば未知の高等生物と遭遇したとき人は笑うでしょう、笑顔をみせる。それへの返答でコミュニケー ション可能性をはかり、「他者」であるか調べ、内部の形成を試みるのです。他者が他者であるのか以 前の「断絶」という狂気の緩和として、そしてコミュニケーションに先立つコミュニケーションとして、身体 として「笑顔」があります。 そしてこの笑いの前言語性が、精神分析的効果を生んでいる。心身を繋ぎ、身体近傍へ抑圧されたも のを表象し、言語化し治癒するということです。
572 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:54:19
B「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 精神分析から精神分析的なものへ たとえば、フロイトが夢分析から始めたのは、抑圧され心の憶測に眠っている「無意識の言葉」がそこ で聞けるからですね。その他にも、言い間違い、機知などに「無意識の言葉」が見出す。その言葉を聞 き、意味を読み、そして現前におくことによって、他者に承認されることで、抑圧は解消されるということ が、精神分析の目指すところです。 夢分析の場合は、夢を見たこと、そのものが抑圧されたものでは、ありません。夢そのものの意味の向 こうに「無意気の言葉」があります。人はいかに語ろうとも「無意識の言葉」を語ることはできません。懸 命に真実を語ろうとする向こうに「無意識の言葉」はあり、すれ違い続ける、ということです。それでもま ず夢見たこと、言いたいこと意味がなくとも語ること、自由な連想をもとに語ることから精神分析ははじ まります。 しかし最近、かつての精神分析にかかったような症状、たとえば抑圧されたものがけいれん、意識不明 などの身体反応として現れるヒステリー症などの「ベタ」な患者はなくなってきています。かわりに薄く広 く神経症が蔓延している、といわれます。 現代の価値が多様化した情報化社会においては、強い抑圧というものが、働かなくなってきているとい えます。たとえば親の言葉が絶対であり、その不条理に神経がまいるより、親の言葉を疑い、反抗し、 抵抗する。その葛藤はなくなることはないでしょうか、強烈な衝撃としてでなく、持続的なストレスとして かかる。親の不条理にフリーズする前に、様々な価値のもとにそれを回避し続ける、逃げることはでき なくても、というようなことです。 すなわち、日常で「精神分析的なもの」が作動している、「無意識の言葉」が解放しようとすることが 様々に行われているだろうということです。簡単に言えば、ストレス発散方法ということです。これは、本 来の精神分析の方法ではありませんが、抑圧を解放するという意味で、「精神分析的なもの」、というこ とです。
573 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/05(水) 03:55:05
「精神分析的なもの」としての「無垢への欲望」 たとえばボクの例でいくと、お風呂に入るとある種のトランス状態に入ります。血行が良くなるからでしょ うが、様々な思考が駆けめぐりますね。良く言えば、アイデアが生まれるみたいなことがあります。お酒 を飲むという人の多いのではないでしょうか。これは精神分析的ですね。意識を弱めて、饒舌になる と、様々なことがどんどん口から出てきます。 ショッピングもストレス発散になります。買うことそのものが快感で、その後使わないということもありま す。ボクも本を買うことが好きですね。たまってすぐに読めなくても、ついつい買ってしまいます。テレビ を見ると言うこともストレス発散になるでしょう。最近のお笑いブームの消費の早さにも現れています。 ボクはこのような趣向の変化の早さを、「マイフェイバリットからマイブーム」と呼び、そして移り変わる欲 望の新たなモノを「無垢」と呼びました。 これらは、不安に対する防衛機制であって、フロイト的には「置き換え」に対応するかもしれません。抑 圧されたものは、つぎつぎに「置き換え」て、抑圧されたものそのものを体験することを回避し続ける。 その中で、不安は解消していく。ラカン的には、現実界との直接対面をさけて、現実界を縁取った対象a という幻想を欲望しつづける。 すなわち狂気に縁取られた幻想を「笑う」のです。それは、超自我(象徴界)によって禁止されたもので す。狂気は、超自我(象徴界)の破れとしてあり、超自我(象徴界)がなければ、狂気もない。すなわち 「フォ〜」、「残念!」などなど、それは「無垢」な幻想として現れます。そして超自我(象徴界)に承認さ れ、もはや笑われなくなり、「無垢」は消失します。そして次に「置き換え」られ、新たな「無垢」は現れま す。そして抑圧されてものは、回避され続けるのです。
574 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 04:02:47
とスクリプトが申しております
575 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 10:54:31
>>572 「現代は大人になることが難しい」ということですかね
576 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 11:13:48
さぁ、注目の一瞬。おしながきには目もくれず、果たして彼はいかなる注文をその口から発するのでありましょうか。 庶民丸出しの並か、それともブルジョワ気取りの大盛なのか。特盛という可能性はまったくもって考えられません。なんとなれば、ここはすき家なのであります。 並か大盛か、はたまたキムチ牛丼という異端に走るのか。あるいはまたハーブチーズ牛丼というとんでもない代物も存在しますが、とにかく特盛はありえないと、こういうことになっているのであります。 そもそも特盛を食うぐらいなら並を二丁食えと、この男はいつも口うるさいまでに言っておるわけであります。 ここで店員が現れた。その手に麦茶の入ったグラスを持って、足取り軽く挑戦者に向かってまいります。店員が麦茶を置いた。 さぁ今夜の御注文はなんだ。並か大盛か。はたまた牛丼界の畸形児、ハーブチーズ牛丼なのか。 あぁーっと! カレー! カレーだ! なんということでありましょうか。牛を食うために産まれてきたというこの男、あろうことかカレーを注文してしまったぁー! なんという大番狂わせ。牛丼教という名の神を、この男は捨ててしまったのでありましょうか。まさかここでカレーとは、ノストラダムスでも予言できなかったに違いありません。 なんという暴挙! なんという反逆! このような行為が許されるのでありましょうか。牛丼教の開祖も天国で泣いております! これは一体どういうことなんでしょうか、山本さん。
なんだ また上がってるのか。 板汚しスレ深く静かに沈め。
578 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 01:41:45
牛丼応援します
579 :
短パン :2006/04/06(木) 03:23:03
おまいの話しは最近つまんないな? どうしたんだ? 嫌なら辞めるのも許されている場所なはずなのだが・・・
580 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 03:30:14
おまいって誰のこと言ってるの?
581 :
短パン :2006/04/06(木) 03:32:01
多分。「ここに書き込み入れる全ての者」に・・・ぢゅわっはっはぁ!
582 :
短パン :2006/04/06(木) 03:33:42
てな感じで、よろしくねねねのね〜! ・・・んじゃ。
583 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 03:33:43
じゃお前もだ。
584 :
短パン :2006/04/06(木) 03:34:54
俺もかよ! ・・・いぁ。否定はしないけど。。。
585 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 03:38:16
そゆこと つーことでヨロヨロ ウッキきー
586 :
短パン :2006/04/06(木) 03:46:57
いいぁオイラは馬鹿で〜す。 んじゃ
>>10 デカルトによるイデア論再構築を分かりにくく言うな
588 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/06(木) 09:35:00
>おまいの話しは最近つまんないな? たしかにブログの反応も今ひとつなんですよね・・・
589 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 11:52:47
社会経験の差異があらわれるからな
590 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/06(木) 17:57:26
どうも最近ボクの文章が難解過ぎるらしい。
だからポスモダ的ジャーゴンとか言われます。
ラカン、フロイトのタームぐらいなんですが、
そういえば、ボクも昔はシニフィアン?シニフィエ?
どう違うんだっけ?
象徴界?、想像界?なんだっけ、と頭を悩ませてたものです。
いまやそれを日常語として使っていますから、
読める人は一握りになりますね。
はてされどうしたものか。
それを考えると、リーマンさん、むじんくんなどは貴重な存在ですね。
さらに
>>518 さんはだれでしょうか。このレスは久しぶりにすばらしいレスですね。
おそらく名のある方なのでしょう。
591 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 17:59:34
>どうも最近ボクの文章が難解過ぎるらしい。 プッ
592 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:01:30
おいおい、高卒が「ポスモダ的ジャーゴン」とか言ってるよ
594 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:06:39
>ラカン、フロイトのタームぐらいなんですが、 >そういえば、ボクも昔はシニフィアン?シニフィエ? >どう違うんだっけ? >象徴界?、想像界?なんだっけ、と頭を悩ませてたものです。 > >いまやそれを日常語として使っていますから、 >読める人は一握りになりますね。 >はてされどうしたものか。 ぴかぁ〜の使ってる用語は誤読。
595 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/06(木) 18:27:59
そうなんですよ。518さんはボクっぽい。というか難解な?ぴかぁ〜哲学をかなり高度に理解している。 しかし別にボクのファンでなく高度な哲学理解からとおりすがりに瞬時に理解された名のある哲学専攻の方ではないでしょうか。 違いますか?
>ぴかぁ〜さん /! ,. 'ヽ. / -─-' l. /O O l /⌒ヽ l l―! /⌒ヽ なおるよ! ( ヽ、 ヽノ | l `、 `ー- -─| l、 ヽ. l/ ヽ | ` i 〈 ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ハ l (__ノ ヽ__,ノ
597 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:33:32
そこまで言うかW お前が張った伏線なのかミエミエなのがわからんのか?クソボケ
598 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:34:46
>そうなんですよ。518さんはボクっぽい。というか難解な?ぴかぁ〜哲学をかなり高度に理解している。 >しかし別にボクのファンでなく高度な哲学理解からとおりすがりに瞬時に理解された名のある哲学専攻の方ではないでしょうか。 >違いますか? ちゃうだろ。 ぴかじゃないとすると、ぴかぁ〜のパロディー文だな。 随所にそういうところが見受けられる。
599 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:36:30
びかぁ哲学?なんだそれ。 てめぇの玉の裏でもながめてろ。
600 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:38:37
真面目に批判すると、ぴかぁ〜は自分の思想構造に、 特定のジャーゴンをあてはめることで成り立っている。 これに当てはまらない語り方をされると、ぴかぁ〜は 理解不能になってしまう。そういう時には、ぴかぁ〜は 相手を煽りつつ、その語られた内容の説明を待つしかなくなる。
ガキのように調子に乗ってきたぴかぁ〜には無名がお似合いですね。 本でも出せば、それをピークに劣化し続けることになるだろう。 そういうお調子者 生涯無名なら注目に値する成果を残すかもわからないが。
602 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 18:44:13
いや誰ともまともに話せないからこそ、別人格を設定している。 パターン化を恐れ518は、単発ヴァリエーション
麻原とぴかぁって詐欺師としては似てる。 キチガイをネタで持ち上げるうちに本人が勘違いする。
605 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 19:49:02
>そうなんですよ。518さんはボクっぽい。 だってボクだろ。大丈夫か。
607 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/06(木) 20:47:17
アクセス ブックマーク アンテナ コメント トラックバック
608 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 21:14:38
(-д-)ツマンネからね〜
なるほど。 自分からほかのページにブックマークしたらアクセス増えるんじゃない?
610 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 21:22:14
ここから撤退したら増えるかも。
611 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/06(木) 21:24:39
>>609 いやべつにアクセス増やしたいわけではないから(笑)
話がかみ合うようなブログがあるといいのにね
613 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/06(木) 21:27:45
まあ、ボチボチですよ(笑)
614 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 21:39:37
一人遊びもあきたかい?
615 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 22:08:32
なんで純一必死なの?
616 :
純一 :2006/04/06(木) 22:10:28
呼んだ?
617 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 22:21:16
なんでそんなに応答早いんだよw
618 :
純一 :2006/04/06(木) 22:23:34
ぴかぁ〜はなんで名無しなのかね?
619 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 22:24:20
びかってさ、てっぺんハゲだろ?なんかそんな希ガス
620 :
純一 :2006/04/06(木) 22:25:25
ぴかぁ〜じゃなかったのかね?
621 :
考える名無しさん :2006/04/06(木) 22:27:13
それでムチムチっと固太りだよな。
622 :
純一 :2006/04/06(木) 22:30:01
私もそんな気がするがね
623 :
純一 :2006/04/06(木) 22:51:07
ところで、ちょっと話をしていいかね?
624 :
純一 :2006/04/06(木) 23:01:27
最近、朝方頃になると何故か玄関前に来て、 ポストに何か入れてくる奴がいるのだがね、 それを入れる瞬間誰がやってんのか見ようと思って その付近の時間帯に覗き穴を覗いてたら 急に覗き穴の視界の下からニュッと女が出て来て 笑い出してしまったのだがね。 間髪入れずにレスキューの電話したら、 泣き笑いの顔で血が出る程(実際出てた)顔や腕をかきむしりながら歯を食い縛って 「またいっしょだねぇ」 って一言だけ呟いて逃げた。 ヘルプが来た時はもう居なくて、 次の日中を見たら 動物の死体が入ってた。
625 :
純一 :2006/04/06(木) 23:02:38
今考えると、彼女なりの愛情表現だったかもしれない
それ実話? 鳥肌立っちゃったよ・・・
627 :
純一 :2006/04/06(木) 23:12:20
「またいっしょだねぇ」 ってのは、 過去にも気に入った異性に対して同じ手口を使ってたということでしょう。 たまたま私が気に入られてしまったが、また同じ反応を彼女にしてしまった ということなんでしょう。実際、彼女の行動をよくよく考えてみると一個一個に 綿密な意味がある。好きな子にちょっかいを出す行動を女性の心理で行うと ああいった行動に繋がるのかもしれない。少なくともまたいっしょだねぇは そういう過去の人間の拒絶形式を私もまた同じくレスキューを求めることで 実現してしまったことを意味している。
628 :
純一 :2006/04/06(木) 23:16:09
となると、彼女は気に入った異性に対していつも、 こんなことをしているのか?と思ったが、そこは 男子が好きな女子に対してちょっかいを出す心理を 分析してみないと答えは出ない。彼女の行動で統一的なのは、 何故か全ての行動が和風であること、即ち彼女が歌った歌も、 ポストに入れられていたものも、天井桟敷っぽい。それが何を 意味のかは、彼女のメンタリティーが私なら理解可能と解したと というのが妥当なところなように思われる。
629 :
純一 :2006/04/06(木) 23:18:34
だから、ハッキリ言って、そこでは拒絶でなく、 もっと理解するべきだったかも。普通はそこまで ナイーブな人間はそうそうお目にかかれるものでは ないし、そこまできがまわらんかったなぁ。
通報死ますた。
※04年5月
279 :GRIZZLY ★ :04/05/01 18:14
ipad*okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)
による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
※04年12月
33 :ロック鳥 ★ :04/12/28 22:51:42 ID:???
○規制
ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp 規制
○荒らしの内容と特徴
無意味な文字列のコピペ・連続投稿
26 :田吾作 ★ :04/12/28 22:12:54 ID:???
じゆん ◇bYRNL78mlE<>sage<>04/12/26 18:08:33 F0hXBiZo<> ;;;;;;;:::::::::<><>
t507086.ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp<>220.159.7.86<>
※05年12月
203 :軍艦焼 ★ :2005/12/19(月) 02:32:19
ipad\d+okayamaima.okayama.ocn.ne.jp を全サーバで規制。
無意味な文字列を連続投稿(連続コピペ)による2ちゃんねるに対する迷惑行為。
★051216 哲学板 通称「純一」報告スレ
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1134698608/159 (まとめ)
純一 ◆Fn0dptrDJw <>age<>2005/12/17(土) 00:16:33 M9txXAUV<><a href="../test/read.cgi/phil<><>
p3191-ipad12okayamaima.okayama.ocn.ne.jp<>220.105.76.191<><>Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0;
Windows NT 5.1; SV1)
631 :
純一 :2006/04/06(木) 23:24:20
では、またお目にかかりましょうだがね
その話ゃあ、哲板での純一自身の行動を自己分析した喩え話じゃあねぇか? 純一は、ぴかぁ〜や哲板住人にちょっかいを出ぇ続け、 しまいにゃあ通報されてしもいたが、アク禁はギリギリ免れた。 一時的に自重はしたけど、「またいっしょ」なことを始めとる。 哲板住人にとって純一の行動は不可解な行動じゃけど、 けえも屈折した形ながらも、本人にとっては愛情表現じゃった。 そう自己分析しとるのじゃあねぇか?
633 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 00:07:37
ピカほど不可解ではないがね。
634 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 00:45:18
なぜピカさんはブログがあるのに同じこと2ちゃんでやるの?
635 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 01:28:56
純一怖えぇよ ていうか、純一って共有ネーム?
636 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 01:50:01
たしか、共有ネームだったよ。 本人はアク禁になったし。
一日経ってスレ見たらスルーですか ぴかよ
638 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/07(金) 02:43:18
>>590 いやいや、希少生物扱いしないでくださいな(笑)
>どうも最近ボクの文章が難解過ぎるらしい。
伝聞形式なのがぴかぁ〜さんらしいですね。
「難解」な文章が書かれるのは、読み手を拒否している場合と、
読み手に欲望を喚起させる場合がありますね。
読み手を拒否している、というのは要するに博覧強記を自慢している。
読み手に欲望を喚起させる、というのは、「あんたいったいなにが
言いたいんだ?」と、読む体制に入らせる。
後者の「難解さ」は必要な「難解さ」です。
私はぴかぁ〜さんのテキストを後者だと断定して読んでいます。
そうしなければ、「言葉は伝わらない」からです。
有名なラカンの「豚のパロール」の比喩では、豚に変えられた仲間たちの
ブーブーと鳴く声をオデュッセウスが聴き取り助けるのだが、
「豚のブーブーという鳴き声がパロールになるのは、その鳴き声が
何を信じさせようとしているのだろうかという問いを、誰かが立てる時だけです。
パロールは、誰かがそれをパロールとして信じる正にその程度に応じて
パロールなのです」(ラカン「パロールの創造的機能」『フロイトの技法論下』)
言葉は、それを受け取ろうと欲望する人にしか伝わらない。
ところでこれは読み手側の事情でして、書く側に立とうとすると、「難解さの調節」、
プレゼンの問題は別に考える必要があると思っています……読んでいるけど
書き込まない理由はそんなところです。
ではまた。
639 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 02:45:56
リーマンって、アホだな。
640 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 02:48:01
直球ど真ん中だなw
641 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 02:50:38
ぴかぁ〜のエセ教養に騙されているリーマンがいるスレはここですか?
642 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 03:15:08
もはや信者だな。なんだこりゃ
ぴかぁ〜も困っているな
644 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 13:18:14
少なくとも、むじんくんとリーマンはビの自演。 賢明な自己に対し、対立する愚者としてのむじんくん。 これはお得意の他者。対立しながらも自己の優位は揺らがない、という性癖、指向の産物。 対してリーマンは優れていて孤独な自己に尊敬と親愛を示す対象。これらはピの対人関係に於ける渇望の表出に他ならない。 そのほか、無名にてその整合性を担保するためにしばしば書き込みを行っている。 仮想現実の中でしか、自己の表出ができない病的精神の持ち主。 さらに「難解な文」を取り違えていかにも主知的にすぎるとばかりに気取ってみせるが、全くのお笑い草。 リーマン名で語らせている、欲望を喚起云々というのも噴飯もの。文体になにほどかの意図があってレトリックを施す、などというならこちらのほうが赤面する。 実の伴った構築された思考がその重みに耐えるために、文体が難解にならざるを得ないのであって、 あのような推敲はおろか受け売りかパクリかしらんが、浅薄かつ表層的思考に俄か仕込みの言葉をちりばめた文は、まるで趣味の悪いパッチワークだ。 そういう意味で「難解」なのだ。 はじめに難解ありき、ということは決してない。 しかし、そこから何も伝わらないかと言えばそうでもない。 独りよがりの自己陶酔に耽る精神の、哀れな自己表出の典型が痛いほど伝わる。 そもそも「てにをは」も正確にうてないのに文体もなにもあったものではない。 それを臆面もなく「ボクのテキストに言及云々」とは厚顔無知といわずなんといおうか。 とはいうものの、ここで何をほざこうがお互いの自由。ま勝手におやりなさいとしかいいようがない。
645 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/07(金) 14:23:10
>>644 > 賢明な自己に対し、対立する愚者としてのむじんくん。
愚者・・・(笑)。まぁ、いいです。
純一、ここ数日精神不安定がひどいな。季節の変わり目か。
647 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 14:35:13
ボクはむじんくんのこと愚者とは思ってませんよ(笑) というぴかぁのレスがつくに55000ラカン
はやくID制導入されねーかなー、哲板でも
649 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 14:39:52
必死だな
650 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 14:43:15
鰈にスルーに80000ニーチェ
651 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/07(金) 19:25:28
652 :
純一 :2006/04/07(金) 19:31:22
653 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 19:31:55
402 名前: ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 投稿日: 2006/04/07(金) 19:02:06 しろうとが壊れていく件について・・・ # sirouto2 『はじめまして。いきなりアレですが… >哲学ジャーゴン山盛りの超難解な文章 あの人が分かりにくいのは、私が哲板で言ったことを(劣化)コピーしているからです。 本人もよく分かっていないので解読する必要はないです。むしろ自動生成スクリプトみたいに 楽しみましょう。』 (2006/04/07 08:23) 彼は、元々は私の影響でポモ系の語彙を使い始めたのですが、意味が分かりにくいし、よく言葉 を間違っています。こういう文章に触れてポモ系への誤解が増します。 これはひどいwwww
純一はピュア100%だけどな
>実の伴った構築された思考がその重みに耐えるために、文体が難解にならざるを得ないのであって、 その”実”も、やはり「(その難解さを)受け取ろうとする欲望」に応じて現象しているのでは、と思います。
>>651 ぴかぁよ
>>587 についてどう思っている?
哲板のコテなら今までの哲学者の本はある程度は読んでるんだろ?
あたかもキミの考えのように語ってくれるなよ
660 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/08(土) 15:58:13
>>644 >実の伴った構築された思考がその重みに耐えるために、文体が難解にならざるを得ないのであって、
こういう「難解さ」は、相手に伝える文章としては、失敗したということでしょう。
「ならざるを得ない」のであって、「あえてしている」わけではないのですから。
「難解さ」の前でたじろぐとき、人は「なぜこんなに難解なのか?」と問いかけます。
この、「なぜこんなに難解なのか?」という問いを、あえて問わせるために、難解にしている
文章というものがあります。
なぜなら、「難解」であることが、「相手に届く」ために必須だからです。
私が欲望を喚起される種類の「難解さ」とは、こういう種類の難解さです。
内容と一体となり、そのような表現の仕方によって読み手に行動を促す種類の表現手法です。
「難解さ」は、受け手によって全てその幅が違います。
なぜなら、その「難解さ」とは、受け手の「抵抗」の仕方であるからです。
でも、こういう難解さは、その前で遭難する人が多いのです……
661 :
考える名無しさん :2006/04/08(土) 16:44:47
きたな、蜃気楼。 >なぜなら、「難解」であることが、「相手に届く」ために必須だからです。 有り得ない。内容に伴い内容に誘われる以外に。 言っておくが、そういう意味でびかの文が難解なのではない。
662 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/08(土) 19:19:39
難解というよりも使う言葉の差でしょうか。それはタームを知る知らないだけでなく、体系の差ということなんですが
662 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/08(土) 19:19:39 難解というよりも使う言葉の差でしょうか。それはタームを知る知らないだけでなく、体系の差ということなんですが
┓(´ー`)┏ またスルーですか 荒らしとかじゃなくて真剣に聞いてるんだけど
665 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 16:24:52
■私という後ろめたさ 障害に直面したときに、対応は内部と外部がある。外部は環境を変えるということである。内面は 自分を変えるということです。外部をコントロールするためには、外部を内部へ取り込むという メタ視線が求められる。その困難さから、内部へ没入する。特に子供は環境の悪さを外部を 俯瞰する視線を持たない故に、内部の変化へ向かう。親が離婚するのは、ボクが悪からだと考える。 それは外部から見ると、過剰な思いだが、抑圧を内部へしか解消できない。多くにおいて人が大きな 障害にあたると、この子供のような思考へ向かう。外部へ向かうことができないからだ。そもそも 自己は不完全なものでしかないという後ろめたさがあるためだ。
666 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 16:25:43
■なぜ画像内容識別技術は困難なのか? 画像内容識別技術の難しさを考えてみると、たとえば、求める画像があると、映し出される画像を 次々と判断することができる。これをコンピューターでやることを考えるときに、なにを元に判断してる のだろう。たとえばりんごの画像を選ぶとすると、「りんご」の姿は無数にある。ひとつのリンゴから、 リンゴの山から、木になるリンゴから。僕たちはそれを意とも簡単に認識する。しかしコンピュータは いかように「リンゴ」の画像を判断することができるだろうか。それまさに「リンゴ」というシニフィアンの 「意味」といえるかもしれない。この「意味」とは、また「薄氷の上を歩く」ような外部を内部へ取り込む というメタ視線による。
667 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 16:28:31
■狂気はどこにあるのか。 たとえば真っ白いものの狂気というものはないだろうか。真っ白いものの非日常性。たとえば買った ばかりの新品、サラっびんの狂気。女子高生は狂気である。幼児は狂気である。薄氷を破る狂気 である。そして弱く安全な狂気である。だからボクたちは欲望する。薄氷をあるく強度にたえられない。 しかしほんとの狂気にはたえられない。だから安全な狂気を求める。2ちゃねらーは罵倒する。 そして薄氷をやぶる。しかし匿名という安全であるかぎりでだ。 狂気は社会の外にある。薄氷の彼岸にある。しかし狂気は社会の外にはない。狂気は社会の裂け目 そのものを通すことによって、狂気となる。正常であろうとすることのみによって、狂気は現れるのだ。
668 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 16:29:17
■リアリティとは狂気によって作られる。 ネットに溢れるエロ画像にはいくつかの価値基準がある。まず対象(女性)の質である。かわいさで あり、年齢などもあるだろう。そして、内容の質である。露出度、過激さなど。その中でも、それよりも 大きなものに、それがプロよりものか、アマによるものか、という基準がある。どんなに過激でも、 それがプロの日常である故に、狂気でなく、正常である。そこにはプロとは守られるべき倫理を備え、 それは映倫的なものだけでなく、綺麗に取るという目的性である。ここでいうプロとは、カメラマンだけ でなく、モデルもである。 アマは日常(正常)からの狂気の開示である。ではこの正常と狂気の差はどのように見分けられるの だろうか。出来の悪さだろう。背景、ライト、対象(女性)がプロの仕事でなく、「素人」のそれであること。 すなわちそれがリアリティなのである。なぜならリアリティとは少しづつの狂気の開示であるからだ。 正常へと収束させる、整える前の生の素材。それがリアリティである。
669 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 16:32:09
■美人という汚物 整った美形ではなく、その美形の中の「出来の悪さ」、イビツそれこそリアリティであり、人は引きつけら れる。それをボクは「汚物」と呼ぶ。 ボクは美人は美しいから欲望されるのでなく、美しいのに、「汚い」から欲望されるといった。どんなに美 しくても、同じ人なのだ、同じように欲情し、同じように欠落しているのだろうから、リアリティがあり、欲 望するのだ。だから人は完全なものよりも、その中のくずれ、美形の中で「出来の悪い」部分、どこか歪 んだ欠点であり、「汚物」であるが、人を引き詰めるのである。 だからその「汚物」は私の一部なのである。そこは日常(正常)によって抑圧され、禁止された何とか切 り取りたいが切り取れない、欠点である、私の一部である。
670 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 16:43:02
リアリティとは欠如にある。それはリアリティはノイズになると いっても良いだろう。
>>669 ほほう、それはわかるぞ。
女はひび割れた美女に限る。
672 :
考える名無しさん :2006/04/09(日) 17:40:30
ウエトアヤのオナニーシーン
673 :
考える名無しさん :2006/04/09(日) 18:45:20
普通に汚点があるから美が引き立つだけなんじゃないのか?
674 :
考える名無しさん :2006/04/09(日) 18:45:52
スギモトアヤはどうだ?と
マツウラはオナニーするがウエトはしないよ
壊れた美女の魅力を突き止めるんだぴかぁ〜
その魅力の謎を
解明せよ。
白目を剥いてる女フェチは狂気の消費だ
常識的にいって正常な女の方が不気味 人形みたいで。
狂気だ。そういえば人が人形のように見えるようになってきた。
見ろ、人が人形のようだ。
そうか壊れてるから壊れた女を ということか。
684 :
考える名無しさん :2006/04/09(日) 21:30:44
無意識に、美しく見えるものの裏側に潜む、美しくない自己との共有部分を嗅ぎ取り欲望がおこる、つーことか。 その無意識領域が表層化してくると一般にアブノーマルと呼んでしまう。 はしょって言うと、文化と呼ばれるそのものには実は実体がなく、 アブノーマルとするものの方向性、領域の設定の仕方またその様相をそう呼んでいるような気がするこの頃。
685 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 21:43:36
理性的な、社会正常的な自分がいて、生活している。 これは、社会の中で生きる中で保たれる自分であるわけです。 たとえば、女性性はとても社会的ですね。 性的なものを抑圧し、みなに愛想良くして、 汚いもの、間違ったものへの強い嫌悪感。 これが超自我なわけですが。 それは一つの自分自身ですね。 しかし抑圧しているものがある。ディオニソス的なもの。
686 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 21:47:41
抑圧すればするほど、着飾れば着飾るほど、 美しければ美しいほど、その過剰が ディオニソス的なものを浮き上がらせる。
スギモトアヤは壊れてない。
688 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/09(日) 21:50:17
真っ白いものの狂気。真っ白くあろうとしすぎる狂気。 それは、「汚して欲しい」という欲望である。
689 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 01:22:29
違うな。正しくはもう汚さないで欲しいという悲鳴に戯れる汚したいという欲望だ。 悲鳴を誘惑と勘違いしてるようだ。 Sか。。 いずれにせよ本当のところ、正常な奴の方が狂ってるし、汚れてる。 型にはめられ歪まされ規格化してるから社会的には正常でも個人的には異常で壊れてるのだ。
690 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/10(月) 02:14:43
>>663 アンカテさんのブログ読みました。
グーグル八分ってそんなに問題になっているのですか?
アンカテさんのブログのコメント欄、
>グーグルはすべてのサイトを掲載してくれる」という「幻想」にしかすぎない
この幻想=「機械論への欲望」によってグーグルは支えられていた。
アンカテさんの言われるように、だからこの欲望を「人間の手を介する」という
無様な姿を見せられて、「見たくない醜悪なもの」を見せられた、というのが
グーグルに対する怒りだったのでしょう。
それは、「公正性」の問題に付随している、「公正性への欲望」でしょう。
この欲望を裏切られて、結局人間の手という、欲望からは排除されるものが
混在していたことに対して抱いた怒り、「気持ちの悪いものを見せやがって」という怒り
がその本質だった気がします。
「機械論への欲望」という崇高なものをありきたりのものに引きずり下ろした行為が
「グーグル八分」だったような気がします。
691 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/10(月) 02:27:39
「機械論の欲望」、すなわち個人と機械との間の断絶を乗り越えようとする 欲望は、「○○の欲望」という形式に落ち着きます。 このところ、賃金体系の具体的な立案の本を読んでいたのですが、 わかったことは二つで、 1)いずれにしろ賃金総額の抑制が根本の要因であること 2)その中で、やる気を引き出すために賃金の調整を行うことです。 しかし、ハーズバーグの「動機付け要因/衛生要因理論」によれば、 賃金とは決して動機付けを強化するものではなく、衛生要因に属する、 つまり動機付けに対してはマイナスの効果か、平均の効果しか与えない。 著書の中では、賃金によって動機付けを仕様としたら、少なくとも3倍以上の 格差が必要だと言います。 それでも、「給料の総原資」が減っている今、全体として賃金カーブのフラット化 を計らなければならない。 その上で、しかし衛生要因だけではなく、動機付け要因:達成/承認/責任/承認 /仕事そのものなどを進めなければ社員のやる気が落ち、業績は悪化し、賃金の 総原資はますます下がっていくわけです。 ここで「仕事を駆り立てるやる気」とは「欲望」とその承認であるといえるでしょう。 数冊読んでみましたが、同じ答えでした。 この目に見えない情報、これを数値化することは非常に困難だと思います。 そういう意味で成果主義賃金によって、総原資を減らした上で社員のやる気を引き出す ことは一般的に難しく、早期退職をかければ優秀な人材から流出し、45歳以上の比率が 先進国で一番となり、退職金支払い不能による倒産におびえる日々が昼食企業などでは続きます。 仕事は賃金という対価によってのみ欲望を喚起されるものではなく、仕事そのものによって欲望が 喚起されるものです。その意味で、再度「やりがいのある仕事の連鎖:」という日本型年功制を 復活させるべきではないかと思いました。 しかしこれもまた、別の話……
692 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/10(月) 02:44:18
しかし、数冊賃金制度について読んでみたのですが、こんなもの誰もが 知らない方がいいですねw どんなに民主的に話したって、社員のやる気は起きませんし、原資も尽きますよ。 賃金制度なんて財政部がきっちりやってくれているという「信頼」があればそれで いいんです。よけなことを考えないことで、各自が与えられた仕事に集中できる。 財政局を無言で信じてくれレアいい。 それが、「信じる」かどうか、と言う話になるとやっかいで、「信じる」という発話は 「信じられない」という意味と同時に発生します。信じているなら「信じる」という言葉は 発生しようがないからです。 賃金体系と労働条件整備は干渉し合いながらも別の制度であるべきです。 それは、労働の対価は常に増減があるからで、きっちりした生産など不可能だからです。 「成果主義賃金」などという短期的な目標設定ばかり行い業績が全体として下がるよりも、 膝をつき合わせて、労使が話し合って決めるしかないでしょう。 ただ、労働組合は「闘う」ことにアイデンティティを、つまり組合員のまなざしを感じている ので、早々態度は変更されないでしょう。
693 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 04:08:31
>>690 いまさら、グーグル八分かな、と思いました。以前から、グーグルの操作性は言われていますから。
アンカテさんの「素朴な欲望」が裏切られてのでしょう。そして単に裏切られたショックでなく、、
無意識に見ないようにしていたのだ、ということです。ここでボクのブログの欲望論と繋がるのでしょう。
だから、アンカテさんのショックは、こんな当たり前のことに気がつかなかった自分へのショックなのでしょう。
694 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 04:09:10
>>620 >ここで「仕事を駆り立てるやる気」とは「欲望」とその承認であるといえるでしょう。
>仕事は賃金という対価によってのみ欲望を喚起されるものではなく、仕事そのものによって欲望が
>喚起されるものです。その意味で、再度「やりがいのある仕事の連鎖:」という日本型年功制を
>復活させるべきではないかと思いました。
ボクが言って、マクロ認識、ミクロ認識に繋がるのではないでしょうか。
>>
「発行者」の儲けは、「購入者」の払ったお金−宝くじの当たり−経費α、です。これは必ずプラスに
なります。だから確率的(「ミクロ認識」)では、宝くじ買う理由はないんです。しかしなぜかみな宝くじを
買います。それは「この私!なら当たるんじゃないか」、「奇跡は起こる」というように、拠なき「信頼」と
いう「マクロ認識」によるものです。
確率的には買う必要がない宝くじを買い、「この私なら当たる。1億円当たったら、あれもしよう、これも
しよう」という「空想」を見るのです。ここでポイントは、人は必ず「信頼」する、「空想」をみるということ
でなく、ミクロ認識がトラウマ的だから、なおさらマクロ認識的な空想をみて、欲望するのです。欲望論
的にいえば、「宝くじは当たらないからこそ、買われる」ということです。
<<
最近、行政の指導で、サービス残業がうるさくなっていますが、みながこれでは仕事が
はかどらないと、会社側にたって、行政指導側に文句をいっています。
これって日本人的なのでしょうね。会社を「わたしの会社」と呼ぶめずらしい国です。
この会社への愛着、忠誠は、日本型年功制を支えにしているでしょう。
「会社の歯車」などと良く言いますが、実際に働いている人は、そうは思っていません。
それによって、会社への帰属、会社での立場、仕事内容が、自分自身が何ものであるかを
支えられています。すなわち「信頼」を支える「この私」を会社が支えているということです。
しかしそこには、競争がなければないりません。まわりに「会社の歯車」として、
失敗する人たちもいるから、欲望は成り立つのでしょうね。
だから年功序列にも競争はあります。
そのバランスがどのように保たれるべきか、様々な立場で意見があるでしょう。
695 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 10:06:57
>「会社の歯車」などと良く言いますが、実際に働いている人は、そうは思っていません。 思っているかどうかよりも、そういう比喩を設定して是か非かという二元論に逃げ込もうとする姿勢が閉塞感をもたらすのではないか?
696 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/10(月) 10:34:59
ちょっとお邪魔します。 年功賃金復活という話題が出てますけど、それが出来るかどうかは別の話ですね。日本型雇用とは 個人を世間が「見捨てない」社会であり、皆それを信じてきたわけです。 それが今解体しようとしているわけで、信じていた偶像が消滅しようとしている。そこに発生する 裂け目を見て「やばい、戻ろう」という強い動きが発生するわけで、それが日本型雇用復活であったりする。 しかし、日本型雇用は非常に狭い条件でしが成立しませんからね。まず、人口が増えていき、国内経済が 成長を続けなければならず、周辺国との関係が良好でなければならず・・・という。 だから、日本的会社主義がイマジナリーなものとしてあったとすれば、今日本人は去勢されようとしている ともいえます。失望の過程を潜れと。そこで反転して出てきているのが、嫌韓だったり、日本主義だったり するんでしょうけど、それも解体するでしょうね。
697 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/10(月) 10:39:18
一言で言えば、「あんた、自分が会社から見られていると思っているわけ?誰も見てないよ。あんたは いてもいなくてもいいんだよ。」という、極端に言えばそういう社会になりつつあるわけですね。ただ、 定量的に労働を測定するという面で、日本はまだ未整備だとは思いますが、結構進んできているんじゃ ないでしょうか。
698 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 10:47:44
精神的あるいは文化的「死と浄化」がおこらないと無理。
699 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 10:59:13
>「あんた、自分が会社から見られていると思っているわけ?誰も見てないよ。あんたは いてもいなくてもいいんだよ。」という、極端に言えばそういう社会になりつつあるわけですね。 そう言われて久しいが、その情報が観念化しそこに宝くじのような無限の欲望を喚起している気がする。 だってそんなものもとまとフィクションなんだもの。 それがいやなら夜ばい慣行村を形成するしかない。
700 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 12:28:25
かつてのような年功序列社会にはもどれないでしょうね。 もはやかつてのような日本の経済成長は望めないからです。 日本の競争社会というのはインチキで、基本の考え方は総賃金額をいかに 下げるかのために使われています。 従業員がいて、従業員に払う総賃金額があるわけですが、 年功序列だと年々従業員の賃金は上がり、総賃金額も増えるます。 しかし会社にそれだけの賃金を払うことができないことはわかっています。 だからまず払える総賃金額が決まり、それをいかに活用するか、が考えられます。 一つは、払う人数を減らすというリストラ、もう一つは、少ない総賃金の取り合いをさせるという 競争です。一部の人間に多くを与え、多数の賃金を下げて、それは競争に負けたからだと 理由付けするわけです。 しかしここでうまれる格差、競争は、競争が目的でなく、総賃金の減少が目標ですから 本来の自由競争でないです。年功序列が残った形です。
701 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 12:30:21
たとえば引きこもりが生まれる社会構造について話しました。 引きこもりが可能なのは、親の収入が保証されるためです。 年功序列的なものがのこり、若者の仕事が抑制されると、 一つの家庭で考えると、父親に安定して収入を与え、子供はそれによって養われる 親から仕事をとるとなにも残らないが、子供は仕事よりも楽しみを多く知っている ために仕事に固執しない、というように日本社会は維持される、 ということがあるわけです。 これは、日本特有の、そして一時代の状況で、 今後、団塊の世代大量退職時代、高齢化社会の中でまたことなった 様相を表すと思います。
702 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 12:48:27
>これは、日本特有の、そして一時代の状況で、 今後、団塊の世代大量退職時代、高齢化社会の中でまたことなった 様相を表すと思います。 どう予測する。これからの、善きにつけ悪しきにつけ寄り掛かる壁のない空間で自律しうると思う? 俺?うん、その頃はいないからいいんだけど…
703 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 12:51:59
日本人は自己を会社との繋がりでよって支えてきましたね。 しかし戦後の高度成長期という一時的なものです。 なにもないところから、世界有数へ上り詰めるという楽しさ。 仕事はみなが楽しめるものだった。 興奮があり、苦労があり、責任があり しかし今後はそうはいかないでしょう。 中国ではかつての日本のように多くの人が仕事を楽しんでいます。 日本では、いまは残る重箱の隅の仕事の楽しみを、高齢者がむさぼっている感があります。 あるいは中国など海外で、日本人がかつての日本の仕事の楽しみを体現しています。 では、日本人は今度なにによって楽しむか、 自分を支えていくのか、ということだと思います。
704 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 12:54:42
それそれ、そこそこ…
705 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 12:56:36
>どう予測する。これからの、善きにつけ悪しきにつけ寄り掛かる壁のない空間で自律しうると思う? どうするのでしょうね。 このような意味で日本は世界的に先端にあるのではないでしょうか。 アメリカはどんどん意味が流入し、高齢化社会もおそく、 仕事も生み出されつづけている背景があります。 日本は世界でももっとも高齢化社会が早く、 社会も成熟している。 どうなるのだろうか?
706 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 13:01:54
ボクが一番好きなシナリオは、大前研一がいっていた 日本は中国産業圏の一部になるということですね。 中国の大きさは、一つの国として考えるのでなく、 複数の産業圏として成長する。その中で、日本は その1産業圏になる。 どのようなことかと言えば、それぞれの産業圏が それぞれに特徴があり、それが総合した東アジア圏ができる。 たとえば重工業圏、情報産業圏などそれぞれ特色を出す。 そして日本が生き残るのは、ソフトですね。 ゲーム、アニメ、エンターテインメントなど 東アジアのエンターテインメント圏です。
707 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 13:04:01
そこでは当然EUのように、様々なものが自由化されます。 通貨も統一され、行き来も自由になる。
708 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 13:16:58
総論同意。でもやだな、あ、いないからいいんだった。 それはともかく感性の様相について聞きたかった。スマソ どうも過去(昭和)を求めるさもしいまなざしが気にかかるんです。 例えば、感動というのと共に言われる一体感というやつ。 感性の劣化は激しく進行中だと。 その辺との関連はいかがでしょう。
709 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/10(月) 13:25:00
確かに終身雇用が終わったとかいいながら、以前として「勝ち組」の組織構造は 旧態依然としているというのはありますね。全体のパイが小さくなっただけという のはその通りだと思います。 それは労組なんかでも、基本的に彼ら派遣や契約社員は敵にしてますよね。最も 保守的なのは今は労組なのです。 ただ、それが続くかというとそうはいかないんじゃないか。経営側はもう昔のような ロイヤリテイを社員に期待することはできないという前提で動いてますから、早晩 変わるとは思うんですけどね。
710 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 13:26:03
>>708 >過去(昭和)を求めるさもしいまなざし
懐古主義が、感動というのと共に言われる一体感、感性の劣化
であると、いうことでしょうか。
出口が見えないで、後ろ向きである、ということでしょうか。
711 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 13:29:30
>>709 勝ち組、負け組などと言われながら、かつてのような
闘争が起こらない。社会に無気力、無関心である。
いまだに「会社」に固執する、ということはありますね。
一つはある程度、豊かさが維持されている、娯楽的な
楽しさが容易に手には入って、それなりに楽しくやっている、
ということがあるでしょう。
712 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 13:40:27
すいません、雑ないいかたで。 過ぎたものを美化し、その中に本来は手段でしかなかったものを、 目的としてしまい、短絡的に追い求めそれが圧力ともなっていることです。
713 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 13:48:56
>>712 これの反対はなんでしょうか。
たとえば高度成長期のように前へ前へ、ということでしょうか。
ここにも、「本来は手段でしかなかったものを、
目的としてしまい、短絡的に追い求めそれが圧力ともなっている」
がないとはいえないでしょう。
ここには、ある種の人間の特性の一面かもしれません。
714 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 13:56:11
■抑圧と解放と 障害に直面したときに、対応は内部と外部がある。外部は環境を変えるということである。内面は 自分を変えるということです。 外部をコントロールするためには、外部を内部へ取り込むというメタ視線が求められる。その困難さ から、内部へ没入する。特に子供は環境の悪さを外部を俯瞰する視線を持たない故に、内部の変化 へ向かう。親が離婚するのは、ボクが悪からだと考える。それは外部から見ると、過剰な思いだが、 抑圧を内部へしか解消できない。多くにおいて人が大きな障害にあたると、この子供のような思考へ 向かう。外部へ向かうことができないからだ。そもそも自己は不完全なものでしかないという後ろめたさ があるためだ。 内部の力動は、内部へ解消されるか、外部へ解消されるかである。これは社会的な動向にも いえる。たとえばある技術革新が起こるとそれをもとにパラダイムシフトがおこり、世界に一気に 広まっていく。力動的なエネルギーが内部から外部へ転換したということである。それまで行き場を 失い内部へ閉塞した力は、向かうべき外部を見出し一気に解放される。 これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではない。そもそも「問い」がある ことに気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることである。向かうべき外部に気づかない 故に内部に没入する。
715 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 14:04:37
>>713 そうかもしれません。目的と手段の対置はきりがないですが、昭和は豊かという目的を果たした。
今度は豊かは手段になるとすれば、目的はなんでしょう。
それがかつて手段だった一体感でしょうか。倒錯です。
一体感があるかないかの二元論に目的を収斂させるのは、
復讐している過去に逃げ込もうとしているわけで、感性の劣化だと思うのです。
716 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 14:05:25
しかしここで考えなければならないのは、外部とはなにか、ということです。 内部からみることによって外部は現れるという、内部の一部であるということです。 それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、いつもあった出口を 見つけたという発見ではなく、内部がそれを出口を認めるという発明である、 ということです。内部が閉塞し、外部が求められるときにはじめて、 出口は出口として、あらわれる。たとえば相対性理論は発見されたのでなく、 その時代によって発明されたのです。そしてその出口は、古典力学の閉塞という 背景によって、現れた出口です。
717 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 14:09:35
>>715 人間は豊かさを求めているのでしょうか。
人間の求めているものが一体感という失われ、決して取り戻せない
「享楽」であるとすると、
人間は倒錯した動物であるともいえるのではないでしょうか。
718 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 14:17:00
>>717 いや俺はますます倒錯の度合いを増してきて留まるところをしらないようなので、なんともいえませんが…
あぁ又さらにw
719 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 14:34:22
■内部への抑圧と外部への解放 内部へ抑圧 障害に直面したときに、対応は内部と外部があります。外部は環境を変えるということであり、内面は 自分を変えるということです。 たとえば子供は環境の悪さを外部を俯瞰する視線を持たない故に、内部の変化へ向かいます。親が 離婚するのは、ボクが悪からだと考えます。それは外部から見ると、過剰な思いだが、抑圧を内部へし か解消できません。多くにおいて人が大きな障害にあたると、この子供のような思考へ向かいます。外 部へ向かうことができないからだ。そもそも自己は不完全なものでしかないという後ろめたさがあるためです。 外部をコントロールするためには、外部を内部へ取り込むというメタ視線が求められます。本質的に内 部にいるボクたちがそれを外部から俯瞰する目線を見出すことは困難であり、多くにおいて人は内部 へ没入し生きています。
720 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 14:35:06
外部とはあることがわからない外部である 内部の力動は、内部へ解消されるか、外部へ解消されるかです。これは社会的な動向にもいえます。 たとえばある技術革新が起こるとそれをもとにパラダイムシフトがおこり、世界に一気に広まっていきま す。力動的なエネルギーが内部から外部へ転換したということです。それまで行き場を失い内部へ閉 塞した力は、向かうべき外部を見出し一気に解放されます。 これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではない。そもそも「問い」があること に気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることである。向かうべき外部に気づかない故に内 部に没入する。
721 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 14:35:42
外部は発明される しかしここで考えなければならないのは、外部とはなにか、ということです。内部からみることによって 外部は現れるという、内部の一部であるということです。それが内部の閉塞を破る新たな出口であるの は、いつもあった出口を見つけたという発見ではなく、内部がそれを出口を認めるという発明である、と いうことです。内部が閉塞し、外部が求められるときにはじめて、出口は出口として、あらわれる。 たとえば相対性理論は発見されたのでなく、その時代によって発明されたのです。そしてその出口は、 古典力学の閉塞という背景によって、現れた出口です。そしてその出口は欲望によって作られたので す。天才とは神のよってそのような発明を「発見」する任を授かったものです。享楽の出口を見出し、 人々を導く者です。
722 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 14:38:48
また難解と言われそうだ・・・
723 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 15:46:41
宇宙の外部を発明する任は誰にも与えられてないという訳だ。
724 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 16:09:12
宇宙の外部はまだ十分欲望されていない、ということです。
725 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 18:28:04
相変わらずラカンどまりだな
726 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 18:31:58
ではその先を聞きたいものですね(笑)
727 :
純一 :2006/04/10(月) 18:32:41
えっ?聞きたいの? まいったなぁ〜(笑)
え、ぼくはいつもCまでだけど
729 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 18:35:52
騙されたぴかぁ〜age
Bもあるぞと
731 :
考える名無しさん :2006/04/10(月) 18:39:10
732 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 21:31:01
■なぜ悩みは自己内部へ向かうのか 内部へ抑圧 障害に直面したときに、対応は内部と外部があります。外部は環境を変えるということであり、内面は自分 を変えるということです。 たとえば子供は環境の悪さを外部を俯瞰する視線を持たない故に、内部の変化へ向かいます。親が離婚 するのは、ボクが悪からだと考えます。それは外部から見ると、過剰な思いだが、抑圧を内部へしか解消 できません。多くにおいて人が大きな障害にあたると、この子供のような思考へ向かいます。外部へ向かう ことができないからです。そもそも自己は不完全なものでしかないという後ろめたさがあるためです。 外部をコントロールするためには、外部を内部へ取り込むというメタ視線が求められます。本質的に内部 にいるボクたちがそれを外部から俯瞰する目線を見出すことは困難であり、多くにおいて人は内部へ没入 し生きています。
733 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 21:33:44
外部とはあることがわからない外部である 人間内部の力動は、内部へ解消されるか、外部へ解消されるかです。これは社会的な動向にもいえます。 たとえばある技術革新が起こるとそれをもとにパラダイムシフトがおこり、世界に一気に広まっていきま す。力動的なエネルギーが内部から外部へ転換したということです。それまで行き場を失い内部へ閉塞し た力は、向かうべき外部を見出し一気に解放されます。 これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに気 がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に没入 する、ということです。
734 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/10(月) 21:35:36
外部は「発明」される しかしここで考えなければならないのは、外部とはなにか、ということです。外部とは、内部からみることに よって現れる内部の一部であるということです。それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前か らあった外部への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」で ある、ということです。内部が閉塞し、外部が求められるときにはじめて、出口は出口として、あらわれるのです。 たとえば相対性理論は発見されたのでなく、その時代によって発明されたのです。そしてその出口は、古 典力学の閉塞という背景によって、現れた出口です。そしてその出口は欲望によって作られたのです。天 才とは「神よって」そのような発明を「発見」する任を授かったものです。享楽の出口を見出し、人々を導く者です。 両親が離婚したことはボクが悪からだと自閉した子供が出口を見出すのは、出口を「発見」するのではく、 出口を「発明」する必要があります。しかしその「発明」には自分の力だけでなく、「神の導き」が必要だということです。
735 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 02:00:08
>>693 「盗まれた手紙」の大臣みたいなものですね。
グーグルが欲望の中心だと言うとき、グーグルを欲望する人々は何を隠蔽しようとしているのか。
第三者から見れば赤裸々なわけです。
これは欲望する人が愚かだと言うことではなく、それが欲望の効果であると言うことでしょうね。
第三者から見れば当たり前なのは、欲望にとらわれていないからですね。もしくは、欲望となる
ものをパスしてしまう。欲望を担うものをとどめることによって、当の欲望を担うものから「愚かな
振る舞い」を割り当てられてしまう。
736 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 02:13:16
>>700 ひと言ですぱっとまとめてもらっていますね。
そういうことだと思います。地獄絵図です。
>>706 中国産業圏でも、東アジア共同体構想でもいいと思います、EUのように。
緩やかな共同体。
しかし、日本が占める産業が果たしてソフト産業なのかについては、考えを
留保しています。
これについては、大塚英志氏の「『ジャパニメーション』はなぜ破れるか」を
読んでから考えたいと思います。
737 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 02:26:50
私の言う日本型雇用というのは、かつて無かったし、今もなく、 幻想の上に成り立っていると言うことです。神話のようなものです。 そして全ては神話なのでしょう。 過労死を生んだシステムはその時代には批判の矢面に立たされていた。 それが死滅しようとしているときに輝きを増すのは、それが「痕跡」であり、 失われようとしているものだからだと思います。 しあわせは、遠きにありて、おもうもの。
738 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 02:30:55
■なぜ悩みは自己内部に向かうのか ローティーの、「科学の進歩とはレトリックの進歩にすぎない」(だったかな? 原本手元にないので)ということでしょうか?発見とは、あらたな言語の「分節化」で あると。 新たな分節化が天才によって「発見」され、パラダイムは変換を遂げます。 と読みました。
739 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 02:32:45
>>709 >それは労組なんかでも、基本的に彼ら派遣や契約社員は敵にしてますよね。最も
>保守的なのは今は労組なのです。
労組の意識ってそうなんですか?
ゼンセン同盟がパート・臨時の拡大を飛躍的に伸ばしていると聞きますが。
アメリカのように、パート・臨時と正社員という分裂を起こすかも知れませんね。
740 :
短パン :2006/04/11(火) 03:34:06
「内面は自分 を変えるということです。」 一体どこまで、相手をおちょくれば気が済むのかよ? 内面から、、、。事の発祥は「ここから」じゃないのか? 想えば哲学ってものは、元々信じられねぇ位に孤独で辛くて悶々とやってたもんじゃねか? てめぇは、単に「ここでの存在にしがみ付こうと必死になりすぎたせい」で、 てめぇ本来が追い求めたかった「何か」を見失っただけの事じゃねぇかよ。 ・・・ほんとうに臭い。読めないんだ、おまえの文章が、なぁ?頼むからなんとかしろや!
741 :
短パン :2006/04/11(火) 03:37:22
よぅ。「ぴかぁ〜」とか言ってやってる、クソガキ。 もぉ辞めれば? んじゃ、サヨウナラ。ノシ
742 :
短パン :2006/04/11(火) 03:48:59
出川みたいになってでも、まだ存在したいとか思うのだろうか・・・。 ありゃあ、俺的には、犯罪者以上の存在なんだけど、別にかまわないわけ? ・・・色んな目立ち方つぅもんがあるとも思うが、俺。あれだけは勘弁だよ。。。
743 :
短パン :2006/04/11(火) 03:54:01
「とにかく誰かに勝てたならば、それでいい。」 というのであれば、「ぴかぁ〜」おまえは、俺「短パン」に勝ったと思う。 ・・・でも、それで気が済んだのだろうか? 俺は「お前は異常だから、これ以上相手にしても面倒」なので、おまえの勝ち。と、 書いてみせるだけだし・・・・。
744 :
短パン :2006/04/11(火) 03:56:01
どうせ、へばりついているんだろう? だったら、書いて見せろよ?
745 :
短パン :2006/04/11(火) 04:03:50
「リーマン」て、純一? はっきり言っておく。俺は「純一」が好きだったし、好きだ。 結果として、煽り判定されたけれど、俺個人として、あの判断に充分過ぎるほどの 疑問が残り続けている事だけは、明記しておくぜぜぜのぜ! ありゃ、「いわれの無いチカン呼ばわりだったのだ!」 ・・・いいかげんにしろ。なにが倫理だ。てめぇらがなにゆえそれを語れるのか おぃ。俺に教えてくれないか?
746 :
純一 :2006/04/11(火) 04:15:04
何か、呼んだ?
747 :
純一 :2006/04/11(火) 04:28:11
リーマンは純一ではないねぇ
短パン純一また錯乱してるな。春先は危ないな。
749 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/11(火) 10:28:23
>>737 > そして全ては神話なのでしょう。
それは終身雇用なんていう契約が実態としてあったわけではないのですから、単なる集団的な
思い込みでした。しかし、それは土地神話と同じような意味で神話だったんですよね。つまり、
そう皆が思い込めていた時代には、実際解雇は難しかったし、格差も少なかったし、労働市場も
非流動的だったし、中小企業は保護されていたし、と。
そして、そのような神話が成立するためには必ず物質的な条件があります。日本の場合は冷戦ですね。
>>739 > 労組の意識ってそうなんですか?
僕が知る限り、既存労組は物凄く保守的になっているそうです。特に90年代以降そうらしいですね。
やはり所詮は企業内組合であり、正社員による組織ですから。基本的に非正規はよくない、正規雇用
にして正規雇用者の待遇を改善すべきだ、となっちゃうんでしょうね。
750 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 10:35:44
仕事くれ
751 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 10:36:35
ほんとギリギリの所でふんばってんだよ。
752 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 19:31:43
>>736 確かに日本が占める産業が果たしてソフト産業なのかは、疑問が残ります。
しかしもっと広い意味でも、娯楽と考えると良いかも知れません。
日本の娯楽産業は、オタク的なものだけでなく、プレステ、プリクラ、
ケータイの付加価値などなどもっと裾のが広いでしょう。
豊かで、気楽であるから、ある意味無駄な遊びに真剣になれる
と思います。
753 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 20:58:26
【社会】 「格差社会の下流にいて、何で怒んないの?」「若者よ、怒れ!」…新宿ロフト代表 ・多くのミュージシャンが巣立った名門ライブハウス「新宿ロフト」がまもなく30周年を迎える。 代表の平野悠さん(61)は「もっと怒れ」と若者を挑発してきた。 平野さんは学生運動の元闘士。出版社時代に労働争議で指名解雇された後の76年、 新宿ロフトを開店した。 「わかってたまるか」 社会への怒りをぶつける若者の姿勢と音楽にほれ込んだ。 82年、店を仲間に託し、海外放浪の旅に出る。10年後に帰国したとき ロックは業界に取り込まれ、メジャー志向のバンドが増えていた。 若者の話しぶりにも異変を感じた。いつも「君の気持ちもわかるよ」から始まり、 「ま、いいか」で終わる。 「わかってたまるか」と、ぶつかってこそ得られる絆。それを知って もらおうと、95年に「ロフトプラスワン」を作った。右翼、左翼、AV監督、オタク、格闘家らが 出演し、客と討論するトークのライブハウスだ。 たちまち評判を呼び、今では連日200人が集まる名所になった。 「成功しすぎた」 大勢だと、一人ひとりの発言が減り、「ステージと客席が離れてきた」ように感じ出した。
754 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 20:59:58
755 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 21:26:34
なぜ若者は怒らないのか?
それはね、きみが侮辱しているからなんだ だから、若者は怒らないのだよ
757 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 21:50:23
最近の若者はキレると言われる、しかし怒らないと言われる。 この違いは、なんだろう。すなわちここで言われる「怒る」とは、 なにを指すのか。 主張する、対峙する、交渉する、闘うすなわち理性的であることだ。
758 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 21:55:05
自分たちの「正義」の元に強い主張する、ということだ。 だから怒るとは理性的であり、キレるとは感情的である。 ここから動物化とつなげることもできるだろう。 怒れとは、「正義」はそこにあるのか、ということだ。 怒るからキレるへ、とは、とてもポスモダ的な現象である。
重松清によればキレるとはあらゆる関係を切る事である 友人との付き合いを切る。いじめ 学校との関係を切る。不登校 家族その関係を切る。引き篭もり どれも切ることは簡単である。そこでしつけや忍耐が話しに出てくるのであろうか
760 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:05:39
だから「なぜ若者は怒らないのか?」に対してポスモダ的には、 怒るための「正義」が消失しているということができる。 様々な正義があり、様々な正義に寛容である。 たとえば警官がいうことが「正しい」とは思っていない。 警官が「正義」を述べるとき、警官には警官の「正義」があり、 それは絶対ではない、ということを警官自身もしっているが、 警官という立場上、警官であるときには警官の正義を述べるのだ。 ということを、僕も警官も知っている。 そのようなメタのコミュニケーションがあり、分かりあったフリで、 寛容である。 そして寛容とは、あなたには干渉しないから、僕にも干渉しないでくれという、 不寛容の形態である。だからお互いの立場を尊重し、その場を演じきろう。ということだ。 このようなアイロニーの世界では、正義を強く主張する、すなわちほんとに「怒る」 というベタさは、格好悪すぎる。
761 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:12:09
それでも、怒らなければならない、時がある。
空気を読むというアイロニーが吹き飛ぶとき、
それは、「正義」も糞もなく、ただただ感情的なものである。
>>759 怒るときには、自分の正義を主張するようなことでなく、
もはやただ我を忘れ、感情的でしか、ありえない。
ということですね。
「怒る」のはコミュニケーションですが、
「キレる」は、空気の破壊、コミュニケーションの拒絶である。
ということですね。
762 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 22:14:10
ぴかぁ、上向いてきたね。
763 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 22:17:36
今は同調圧力が正義なのだ。 多数の正義は独裁に勝る。
764 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 22:21:35
>>749 そして今もグローバリゼーションと日米同盟ですね。
賃金抑制策をいくらしたって、海外の安い労働者と
同じ賃金で戦えるわけ無いけれど、保護政策を採ろうにも
アメリカが許してくれないから取りようがない。そして
95年の日経連報告が示したように、正規雇用は二千万人
いればいい、という方向に行かざるを得ないわけです。
問題は総賃金抑制であり外交であるのだけど、それに正面から
向かい合うことができず、無意識に抑圧して、フリーターの「やる気」を
問題にしたり、「ニート」という幻想を生み出して、そこにやり場のない
怒りをぶつけていく。
誰だって「ニート的」ですよ、こんなに先の見えない世の中じゃ。
問題は賃金じゃなくて、やる気が持てない仕事なんだから。
でも、社会の急激な変化は悲劇をもたらします。激変緩和措置、ソフト
ランディングが必要なわけで、そこで「三つの生き方」が提起されるわけですね、
ぴかぁ〜さん?
いきなりアメリカとの関係を切るとか、東アジア共同体をつくるとかは
「幻想」として、つまり追い求めるもの、かけ声としては有効なので良いのですが、
実際にいきなりはできない。だから表層的なイデオロギーのレベルで我々は
語りつつ、生きづらさをアイロニカルにやりすごしつつ、緩やかな移行をめざす
のでしょうね。
765 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:22:17
その場(空気)を共に作るということ、 すでにそこでは共犯関係にあるということであり、 そのことを最低限、知っていることが重要である。 そのメタ位置がわからない、べたさ、天然は、 頭が悪いのであり、排除され、笑われ、いじめられる。 すなわちマジで「怒る」人は、格好悪く、馬鹿で、排除されるのだ。 だからボクたちは「怒らない」のだ。
766 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 22:22:59
しばらくやり過ごして、「時間を稼ぐ」と、事態は変化してなんとか なるかもしれない。 努力しつつも時間を稼がなければならないときは常にあります。
767 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 22:23:44
ごめんなさい、交錯してしまった…… 空気読め、自分
768 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:29:06
しかしだから、ボクたちは「怒る」人にあこがれる。 その典型例が、小泉圧勝選挙の前の、小泉の演説である。 抵抗勢力に追い込まれ、それでも解散し、選挙という戦いを挑み、 「私(の改革)は正しく、闘わなければならない」という怒れる小泉首相に 国民は惹かれたのである。 たとえば、麻原の魅力の「怒れる」点にあったのだ。正しさを一新に主張し 「怒る」姿に、信者は引き込まれたのだ。
769 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:30:23
>>767 全然問題ありませんよ。
そういうスレですから。
770 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 22:31:47
>>765 常にテキストが読むものを巻き込むという意味で相変わらず「難解」ですね。
>そのメタ位置がわからない、べたさ、天然は、
>頭が悪いのであり、排除され、笑われ、いじめられる。
>すなわちマジで「怒る」人は、格好悪く、馬鹿で、排除されるのだ。
>だからボクたちは「怒らない」のだ。
に対してベタに反応すると「マジで何が悪い」となるわけで、ぴかぁ〜さんの
言うようにメタ的ではないわけです。
「メタ位置がわからない」人に対する「マジ」な怒りに対しても「メタ位置」に
立つ、と言うのが「首尾一貫したメタ位置に立つ」ということですよね。
すなわちアイロニカルにふるまうことが各人の生き方を認め合うことになる。
しかしこの倫理は、アイロニカルにふるまうというためにはベタに生きてみないと
わからないという「弁証法」をうちに含んでいるので、現実的にはやはり試行錯誤、
反復によって動的な静態を作るしかないのでしょうね。
771 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 22:38:28
リーマン、今日はメタメタ
772 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:41:00
それは、空気を読もうと懸命であり、メタ地獄、懐疑し疲弊する日常の中で、 ふととてもベタなことに、天然に感染する「幸せ」である。 たとえば最近言われる嫌韓などのナショナリズムもこの延長にある。 ネタ(メタ)であるのだが、そこにある癒し的「幸せ」へとはまっていくのだ。 小泉にも、麻原にも、嫌韓も、HGも、ネタなのであろうことがわかっているが、 その瞳が輝いて見えるときに、感染してしまうのだ。 そこときに、僕たちは「怒る」ことができるだろう。 抵抗勢力に、エイベックスに、日本という国に、韓国に、「怒る」のだ。 そして、「怒る」とは、本質的にそのような、ことである。
773 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 22:41:03
>>769 どもです。
>>768 ここです。すでに過去のぴかぁ〜さんのテキストで言及されている
とは思うのですが、この、アイロニカルに振る舞いながら怒りを振るう、
というメカニズムがよくわからないのです。現象としてはよくわかりますが。
「怒り」「不快」が想像界であって、それに対してアイロニカルにふるまうことで
「笑い」が生まれる。その意味で「笑い」は象徴界に属する、と理解しつつ、
いじめなどは「怒り」や「不快」を継続的に「笑える」ゲームにして、想像界の
全能感をそこで満たそうとするわけです。
「怒り」「不快」が昇華されて、外部のまなざしに同一化し、自己対してアイロニカルに
振る舞えたときに象徴界に参入して「笑い」が起きるのに、いじめにおける「笑い」は、
自分に対するアイロニーだけは除外して「笑い」続けるのです。
この二つの「笑い」の違いは端的に言ってどういうものなのでしょう?
単に混乱しています。助けてください(笑)
774 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 22:48:36
>773 溺れるものは磨羅をもしゃくる、の譬どおりだなフフ
775 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:50:56
かつては素朴に感染するなにかがあった。 学生運動、怒れる若者・・・そこには一つの「正義」があったのだ、 それは、ジェームス・ディーン的、ロックンロール的、マルクス的、 「怒り方」があったのだ。 ボクたちが、怒るためには、まず「出口」があることから知らなければならない。 >> これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに 気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に 没入する、ということです。・・・それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前からあった外部 への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」である、という ことです。 なぜ悩みは自己内部へ向かうのか <<
776 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/04/11(火) 22:52:02
ぴかぁ〜さん、中断させて済みません。
話振っておいて済みませんが、今日はこれ以上書き込めないので失礼します。
>>761 >「怒る」のはコミュニケーションですが、
>「キレる」は、空気の破壊、コミュニケーションの拒絶である。
うまく説明できませんが、ここ、ピピッと来ましたね。
777 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:52:20
そして、「怒り」は発明されなければならない。
778 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 22:54:37
>>776 考えていると没頭するので、返答遅れています。
おやすみなさい。
779 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 22:55:40
おうっそれなら任せてくれいっ。
780 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:04:25
■なぜ若者は怒らないのか?
>>
【社会】「格差社会の下流にいて、何で怒んないの?」「若者よ、怒れ!」…新宿ロフト代表
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1144747809/l50 ・多くのミュージシャンが巣立った名門ライブハウス「新宿ロフト」がまもなく30周年を迎える。代表の平
野悠さん(61)は「もっと怒れ」と若者を挑発してきた。
平野さんは学生運動の元闘士。出版社時代に労働争議で指名解雇された後の76年、新宿ロフトを開
店した。「わかってたまるか」社会への怒りをぶつける若者の姿勢と音楽にほれ込んだ。82年、店を仲
間に託し、海外放浪の旅に出る。10年後に帰国したとき、ロックは業界に取り込まれ、メジャー志向の
バンドが増えていた。若者の話しぶりにも異変を感じた。いつも「君の気持ちもわかるよ」から始まり、
「ま、いいか」で終わる。「わかってたまるか」と、ぶつかってこそ得られる絆。それを知ってもらおうと、
95年に「ロフトプラスワン」を作った。右翼、左翼、AV監督、オタク、格闘家らが出演し、客と討論する
トークのライブハウスだ。たちまち評判を呼び、今では連日200人が集まる名所になった。「成功しすぎ
た」大勢だと、一人ひとりの発言が減り、「ステージと客席が離れてきた」ように感じ出した。
あらがいようのない時代の流れ。だが、平野さんは違和感を覚える。「何でも受容する懐の深さが新宿
のよさだったのに」髪の毛を逆立てたロック少年が警官に職務質問され、かばんを開けられているのを
見かけた。「違法行為を取り締まるだけでなく、異質なものを排除しているように見える。それなのに、
なぜ彼は怒らないのか」
781 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:05:44
若者たちをもっと熱くさせたい――そんな思いで04年末、三つ目のロフトをつくった。3月末には、世田
谷区下北沢の道路計画に反対する市民団体のメンバーが出演。司会役の平野さんは、客席の若者を
次々に指名して発言を求めた。「君、どう思う」「次、そこのお姉さん!」どぎまぎしていた若者たちも次
第に議論にのめり込んでいく。「自由を制限され、格差社会の下流にいて何で怒んないの?社会を斜
めに見る反逆精神が若者の特権じゃないの?」それが、新宿で生きてきた平野さんのいまの「怒り」
だ。(一部略)
http://www.asahi.com/life/update/0411/005.html <<
最近の若者はキレると言われる、しかし怒らないと言われる。この違いは、なんだろう。すなわちここで
言われる「怒る」とは、なにを指すのか。主張する、対峙する、交渉する、闘うすなわち理性的であるこ
とだ。
自分たちの「正義」の元に強い主張する、ということだ。だから怒るとは理性的であり、キレるとは感情
的である。ここから動物化とつなげることもできるだろう。怒れとは、「正義」はそこにあるのか、というこ
とだ。怒るからキレるへ、とは、とてもポスモダ的な現象である。
782 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:07:52
だから「なぜ若者は怒らないのか?」に対してポスモダ的には、怒るための「正義」が消失しているとい うことができる。様々な正義があり、様々な正義に寛容である。たとえば警官がいうことが「正しい」とは 思っていない。警官が「正義」を述べるとき、警官には警官の「正義」があり、それは絶対ではない、とい うことを警官自身もしっているが、警官という立場上、警官であるときには警官の正義を述べるのだ。と いうことを、僕も警官も知っている。そのようなメタのコミュニケーションがあり、分かりあったフリで、寛 容である。 そして寛容とは、あなたには干渉しないから、僕にも干渉しないでくれという、不寛容の形態である。だ からお互いの立場を尊重し、その場を演じきろう。ということだ。このようなアイロニーの世界では、正義 を強く主張する、すなわちほんとに「怒る」というベタさは、格好悪すぎる。 それでも、怒らなければならない、時がある。空気を読むというアイロニーが吹き飛ぶとき、それは、 「正義」も糞もなく、ただただ感情的なものである。怒るときには、自分の正義を主張するようなことでな く、もはやただ我を忘れ、感情的でしか、ありえないということですね。「怒る」のはコミュニケーションで すが、「キレる」は、空気の破壊、コミュニケーションの拒絶である。ということですね。 その場(空気)を共に作るということ、すでにそこでは共犯関係にあるということであり、そのことを最低 限、知っていることが重要である。そのメタ位置がわからない、べたさ、天然は、頭が悪いのであり、排 除され、笑われ、いじめられる。すなわちマジで「怒る」人は、格好悪く、馬鹿で、排除されるのだ。だか らボクたちは「怒らない」のだ。
783 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 23:08:49
>なぜ彼は怒らないのか」 宦官だから。
784 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:08:54
しかしだから、ボクたちは「怒る」人にあこがれる。その典型例が、小泉圧勝選挙の前の、小泉の演説 である。抵抗勢力に追い込まれ、それでも解散し、選挙という戦いを挑み、「私(の改革)は正しく、闘わ なければならない」という怒れる小泉首相に国民は惹かれたのである。たとえば、麻原の魅力の「怒れ る」点にあったのだ。正しさを一新に主張し「怒る」姿に、信者は引き込まれたのだ。 それは、空気を読もうと懸命であり、メタ地獄、懐疑し疲弊する日常の中で、ふととてもベタなことに、天 然に感染する「幸せ」である。たとえば最近言われる嫌韓などのナショナリズムもこの延長にある。ネタ (メタ)であるのだが、そこにある癒し的「幸せ」へとはまっていくのだ。小泉にも、麻原にも、嫌韓も、HG も、ネタなのであろうことがわかっているが、その瞳が輝いて見えるときに、感染してしまうのだ。そこと きに、僕たちは「怒る」ことができるだろう。抵抗勢力に、エイベックスに、日本という国に、韓国に、「怒 る」のだ。そして、「怒る」とは、本質的にそのような、ことである。 かつては素朴に感染するなにかがあった。学生運動、怒れる若者・・・そこには一つの「正義」があった のだ、それは、ジェームス・ディーン的、ロックンロール的、マルクス的、「怒り方」があったのだ。しかし その「怒り方」は内部に取り込まれ使い込まれ、リアリティがなくなった。ボクたちが、怒るためには、ま ず「出口」があることから知らなければならない。そして、「怒り」は発明されなければならない。
785 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:11:38
>> これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに 気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に 没入する、ということです。・・・それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前からあった外部 への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」である、という ことです。 なぜ悩みは自己内部へ向かうのか <<
786 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:16:16
「ブスの瞳に恋している」面白いですね。 ここで提示されている「おもしろい」という価値観は、 人々にどれほどわかるのでしょうか。 実は、ボクもこの意味での「おもしろい」と、 生きる上でのかなり上位の位置に置いています。 この「おもしろ」は単に快楽的、刹那的ではなく、 クリエイティブなものです。 そこにあるとは気づいていない、「問い」、 外部への「出口」を見いだすことです。 そして「出口」を発明することです。
787 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:18:35
>>732-734 の、「■なぜ悩みは自己内部へ向かうのか」は
今ひとつ消化しきれず、書きましたがとても重要な文章であることが、
わかってきました。
788 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:41:16
>>764 >ランディングが必要なわけで、そこで「三つの生き方」が提起されるわけですね、
>ぴかぁ〜さん?
いや、「三つの生き方」は、もっとポスモダ的です。勝ち組さえも充実がもてない
ということです。勝ち組になれば幸福になれる幻想を支えるために、勝ち負けが言われる。
これは三つのうちの二つ目の「エリートの知」です。
>>773 「メタ言語は存在しない」ということで良いのではないでしょうか。
メタメタのゲームであるつもりが、実は内部の運動でしかない。
どこかに外部(確かさ)を想定している。
外部は気がつかないところにあります。
偉い先生が、最後にベタにペテンの超能力に引っかかることはよくありますが、
どのようなメタメタと読みの深い人の、どこかに、確かさを信じている。
ふとした隙?に、簡単に信じてしまう者です。
789 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/11(火) 23:55:17
■「おもしろい」とはなにか 「ブスの瞳に恋している」おもしろいですね。 ここで提示されている「おもしろい」という価値観は、 どれぐらいの人がわかるのでしょうか。この「おもしろ」は単に快楽的、刹那的ではありません。 このように大々的に言われることはなかったのではないでしょうか。実は、ボクもこの意味での 「おもしろい」を生きる上でのかなり上位の価値に置いています。このドラマを通して、一つの価値観 として認知されていくかもしれません。 「これっておもしろくない?」とは「新しくない」ということであり、この「おもしろい」は、とてもクリエイティブ なものです。そしてそれほど特別なことではありません。いままで当たり前であったことが、「おもしろ い」ことであると、見つけることであるだけでなく、それが「おもしろいと楽しんでしまおう」とアクティブな ことなのです。 まさに、人々がそこにあるとは気づいていない、「問い」、外部への「出口」を見いだすことであり、その 本質は「出口」を「発明」することですなのです。
790 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 23:57:09
>どのようなメタメタと読みの深い人の、どこかに、確かさを信じている。 日本語になってない。解読不能。
791 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 00:04:40
主人公である構成作家は、「おもしろい」とはなにかと考え続けています。 笑いは社会的同意ですが、たえず社会を破る狂気の開示としてあります。 おもしろいことと、おもしろくないこと、笑いと狂気は紙一重であり、 「おもしろい」ことを見出す、発明することは、外部を見出すことであり、 狂気を見出し、それを笑ってしまい、それを社会的な認知させるという 一つの革命的な行為としてあります。 すでにみなが同視されているベタな笑いは退屈です。 狂気すぎると笑えません。 コミュニケーションとは「暗闇への跳躍」であるというとき、 暗闇という狂気へ向かって、笑いながら飛び込むスリルであり、勇気です。 新たな価値の開拓です。 そしてそれは、身の回りの日常にあるのです。
792 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 00:05:29
どのようなメタメタと読みの深い人も、どこかで、確かさを信じている。
793 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 00:09:30
はは了解
794 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 00:11:50
笑いは同意されると、容易に笑われます。 HGは笑う者であると認知されると、同意として、 みなは楽しみ笑います。 多くの「お笑い」はそのような同意されたものを活用することで成り立ちます。 しかし「おもしろい」とは、それからずれていくこと、 同意の外部へ向かい、そこに新たな同意を発明することです。 そこ暗闇の価値は、主人公がいうように「おれがおもしろいと思うこと」を 信じるしかありません。それが社会的な同意される保証はありません。 その暗闇へ飛翔すること、あるいはあえて「暗闇」を見出すことを 笑うこと。その恐怖を自ら笑ってしまうことが「おもしろい」ということです。
795 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 00:33:28
「おもしろい」とは、一つの倫理的テーゼにさえ繋がる可能性がある。 「己の欲望に譲歩するな」 たとえばダウンタウンの松本人志はこのような「おもしろさ」の探求者を 考えられ、一つの尊敬を勝ち得ている。そこには一つの「正しさ」の形が る。なにが正しいかでなく、「おもしろさ」の追求が正しさである。 ボクはこれを「芸術家の知」と呼んだ。
796 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 00:36:46
「芸術家の知」とは、問いの発明である。 >> これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに 気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に 没入する、ということです。・・・それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前からあった外部 への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」である、という ことです。 なぜ悩みは自己内部へ向かうのか <<
797 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 00:51:34
\ U / \ U / / ̄ ̄ ヽ, / ', / _/\/\/\/|_ \ ノ//, -=・=- /¨`ヽ-=・=-,ミヽ / \ / \ / く l ヽ._.ノ ', ゝ \ < 待たせたな > / /⌒ リ `ー'′ ' ⌒\ \ / \ (  ̄ ̄⌒ ⌒ ̄ _)  ̄|/\/\/\/ ̄ ` ̄ ̄`ヽ /´ ̄ | | −−− ‐ ノ | / ノ −−−− / ∠_ −− | f\ ノ  ̄`丶. | | ヽ__ノー─-- 、_ ) − _ . | | / / | | ,' / / / ノ | ,' \ / / | / \ /_ノ / ,ノ 〈 \ ( 〈 ヽ.__ \ \ ヽ._> \__)
798 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 00:52:15
\ U / \ U / / ̄ ̄ ヽ, / ', / _/\/\/\/|_ \ ノ//, -=・=- /¨`ヽ-=・=-,ミヽ / \ / \ / く l ヽ._.ノ ', ゝ \ < 次はこっちだぜ > / /⌒ リ `ー'′ ' ⌒\ \ / \ (  ̄ ̄⌒ ⌒ ̄ _)  ̄|/\/\/\/ ̄ ` ̄ ̄`ヽ /´ ̄ | | −−− ‐ ノ | / ノ −−−− / ∠_ −− | f\ ノ  ̄`丶. | | ヽ__ノー─-- 、_ ) − _ . | | / / | | ,' / / / ノ | ,' \ / / | / \ /_ノ / ,ノ 〈 \ ( 〈 ヽ.__ \ \ ヽ._> \__)
799 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 10:13:13
■「おもしろい」はなぜ正しいのか 「おもしろい」とお笑い 「ブスの瞳に恋している」おもしろいですね。主人公である「お笑い」の構成作家は、「おもしろい」とはなに かと考え続けています。「おもしろい」の探求から降りた作家はダメで、「おもしろい」の探求し続けることが 正しい、という価値があります。この「おもしろい」は主人公が「お笑い」の構成作家であるから価値がある というものではないとおもいます。 ここで提示されている「おもしろい」という価値観は、どれぐらいの人がわかるのでしょうか。このように大々 的に言われることはなかったのではないでしょうか。実は、ボクもこの意味での「おもしろい」を生きる上で のかなり上位の価値に置いています。このドラマを通して、一つの価値観として認知されていくかもしれません。 この「おもしろ」は単に快楽的、刹那的ではありません。笑いは社会的同意ですが、たえず社会を破る狂気 の開示としてあります。おもしろいことと、おもしろくないこと、笑いと狂気は紙一重です。すでにみなが同 視されているベタな笑いは退屈です。狂気すぎると笑えません。笑いは同意されると、容易に笑われま す。HGは笑うものであると認知されると、同意として、みなは楽しみ笑います。多くの「お笑い」はそのよう な同意されたものを活用することで成り立ちます。
800 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 10:13:57
「おもしろい」のアクティブ、クリエイティブ しかし「おもしろい」とは、それからずれていくこと、同意の外部へ向かい、そこに新たな同意を発明するこ とです。「これっておもしろくない?」とは「新しくない?」ということであり、この「おもしろい」は、とてもクリエ イティブなものです。 「おもしろい」ことを見出す、発明することは、外部を見出すことであり、狂気を見出し、それを笑ってしま い、それを社会的な認知させるという一つの革命的な行為としてあります。そしてそれほど特別なことでは ありません。いままで当たり前であったことが、「おもしろい」ことであると、見つけることであるだけでなく、 それが「おもしろいと楽しんでしまおう」とアクティブなことなのです。 コミュニケーションとは「暗闇への跳躍」であるというとき、暗闇という狂気へ向かって、笑いながら飛び込 むスリルであり、勇気です。新たな価値の開拓です。そしてそれは、身の回りの日常にあるのです。その暗 闇の価値は、主人公がいうように「おれがおもしろいと思うこと」を信じるしかありません。それが社会的な 同意される保証はありません。その暗闇へ飛翔すること、あるいはあえて「暗闇」を見出すことを笑うこと。 その恐怖を自ら笑ってしまうことが「おもしろい」ということです。
801 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 10:15:02
「おもしろい」という倫理 「おもしろい」とは、一つの倫理的テーゼにさえ繋がる可能性がある。「己の欲望に譲歩するな」たとえばダ ウンタウンの松本人志はこのような「おもしろさ」の探求者を考えられ、一つの尊敬を勝ち得ている。そこに は一つの「正しさ」の形がある。なにが正しいかでなく、「おもしろさ」の追求が正しさである。ボクはこれを 「芸術家の知」と呼びました。「芸術家の知」とは、新たな問いの発明であり、まさに、人々がそこにあると は気づいていない、「問い」、外部への「出口」を見いだすことであり、その本質は「出口」を「発明」することです。 >> これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに 気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に 没入する、ということです。・・・それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前からあった外部 への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」である、という ことです。 なぜ悩みは自己内部へ向かうのか <<
802 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 10:22:46
べたな例えでえば、ボクたちは海面に浮かんでいます。大波、小波に 耐えて、耐えていかなければなりません。しかし「おもしろい」では、 この波をサーフィンのように、遊ぶのです。そこには、些細な日常が おもしろいという発見であり、それは発明です。そして楽しんでやろうという 能動性があります。
803 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 10:50:55
「怒る」人の格好悪さ、「おもしろい」人の格好良さ 場(空気)を共に作るということ、すでにそこでは共犯関係にあるということであり、そのことを最低限、知っ ていることが重要である。 マジで「怒る」人は、そのメタ位置がわからない、べたさ、天然は、頭が悪いのであり、排除され、笑われ、 いじめられる。すなわち格好悪く、馬鹿で、排除されるのだ。だからボクたちは「怒らない」のだ。 それに対して、「おもしろい」人は、メタ位置を理解して、場を保つために協調する、知的な人である。そして さらに「おもしろい」を探求する人は、ただ場に協調するだけでなく、排除され、笑われ、馬鹿にされることを 覚悟で、そこには「おれがおもしろいこと」を信じ、「あえて」狂気を呼び込み、場を破りつづけるのである。
804 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 11:05:41
逆にいえば、怒ることはとてもハードルが高いのだ。 怒りっぱなしでは、ダメであり、怒ることで壊した場を、 いかにコントロールするか、あるいはそれに耐えるか、 求められるのだ。だからボクたちは怒ることに尻込みする。 「おもしろさ」の探求は同様なことがある。 場を崩すことの「勇気」が求められる。
805 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/12(水) 11:14:46
今朝のニュースで外来の植物が日本の自然を壊しているとかやってましたけど、 ぴか先生の言う「場」はもうそろそろ壊されてかけてるんじゃないですか? 国内人の間でも、場を大事にしていても給料カット、リストラされたら意味無いよ、 という形へ遷移しており、時代は変わりつつあるのです。
806 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/12(水) 11:17:42
僕は豊かな時代の、日本社会主義時代の日本人ですから、逆にどうしてもこの「場」というものが 壊滅した状態、壊滅したらどうなるんだろう?というのに非常に興味あるというか、魅力感じちゃう わけですが、どうなんでしょうね。もうそっちの世界へ行っちゃえよ、そういう転換に入っている のではないかと思いますが。
807 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 11:23:55
場はすでに壊れている。それがポストモダンですね。 だから場があるように振る舞う。それが儀礼ですね。 ボクたちはとても繊細な場を綱渡りしています。 場の壊れを楽しみたいむじんくんは、電車の中で、歌を歌うことからはじめて みるのがよいですよ。
808 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 11:29:30
場は壊れた瞬間に出来ているのではないですか?
809 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/12(水) 11:36:08
>>807 > 場はすでに壊れている。それがポストモダンですね。
> だから場があるように振る舞う。それが儀礼ですね。
それはネットウヨクの発想でもありますよ。だけど、場に対する信頼というのは
失せているんじゃないですか。僕らを規定する第一のものとはならなくなって
いきませんかね。
810 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 11:36:59
現代の場とはそのような場です。 たとえば儀礼的無関心のような繕う場です。 なぜ繕うのか、場などなく、みなが不安だからです。 分かりあえないことを知っていく。僕のことはだれにもわかって もらえないことを知っている。だからコミュニケーションの場で、 その場限りの場を繕うのです。 繕うことに疲れ、他者回避する。コンビニ、ファーストフードなど そして引きこもる。オタクる。 集まらなければならない場での不安は、誰かを生け贄に、外部へ排除し、 内部という場をつくろうのです。それがイジメです。
811 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 11:41:28
高視聴率発進ですね。 19.9% 22:00-23:09 CX* [新]ブスの瞳に恋してる「運命の愛と顔!?」稲垣吾郎、村上知子、蛯原友里
812 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 11:41:31
>集まらなければならない場での不安は、誰かを生け贄に、外部へ排除し、 内部という場をつくろうのです。それがイジメです。 それが、「ウチら」ですね。
813 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 11:42:34
>>808 壊れたときに確認される、ということですね。
無意識から、意識下に現れるみたいなことですね。
814 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 11:54:21
>だから場があるように振る舞う。それが儀礼ですね。 なわけですから、それは壊れた瞬間にも機能しているかと。
815 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 11:58:39
>>814 場を壊して、あえていいますが。言葉たらずのレスにはレスしません。
意味をくみ取りにくいので。あしからず。
816 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 11:59:41
「怒る」勇気、「おもしろく」ある勇気 場(空気)を共に作るということ、すでにそこでは共犯関係にあるということであり、そのことを最低限、 知っていることが重要である。 場はすでに壊れている。それがポストモダンですね。だから場があるように振る舞う。それが儀礼です ね。ボクたちはとても繊細な場を綱渡りしています。現代の場とはそのような場です。たとえば儀礼的 無関心のような繕う場です。なぜ繕うのか、場などなく、みなが不安だからです。 分かりあえないことを知っていく。僕のことはだれにもわかってもらえないことを知っている。だからコ ミュニケーションの場で、その場限りの場を繕うのです。繕うことに疲れ、他者回避する。コンビニ、 ファーストフードなど、そして引きこもる。オタクる。集まらなければならない場での不安は、誰かを生け 贄に、外部へ排除し、内部という場をつくろうのです。それがイジメです。 マジで「怒る」人は、そのメタ位置がわからない、べたさ、天然は、頭が悪いのであり、排除され、笑わ れ、いじめられる。すなわち格好悪く、馬鹿で、排除されるのだ。だからボクたちは「怒らない」のだ。逆 にいえば、怒ることはとてもハードルが高いのだ。怒りっぱなしでは、ダメであり、怒ることで壊した場 を、いかにコントロールするか、あるいはそれに耐えるか、求められるのだ。だからボクたちは怒ること に尻込みする。 「おもしろさ」の探求は同様なことがある。場を崩すことの「勇気」が求められる。「おもしろい」人は、メタ 位置を理解して、場を保つために協調する、知的な人である。そしてさらに「おもしろい」を探求する人 は、ただ場に協調するだけでなく、排除され、笑われ、馬鹿にされることを覚悟で、そこには「おれがお もしろいこと」を信じ、「あえて」狂気を呼び込み、場を破りつづけるのである。
817 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/12(水) 12:00:05
>>810 > なぜ繕うのか、場などなく、みなが不安だからです。
それで繕えてきてたと思うんですけど、もう止めた。アホらしいとなりませんか。もちろん
形式というのは残るでしょうけど、何ていうんでしょうか、疲れるまで繕い続けるような
ことからはもう離れようと。それがもし実現したら、画期的だと思います。少なくとも
戦後世代にとっては新しい時代といえるんじゃないでしょうか。
818 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 12:06:24
>>817 そうかもしれませんね。(笑)
でもボクはどこまでも現実に関わりたいのです。
819 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/12(水) 12:14:55
「場」の求心力というものは戦後日本には確実にあったと思うんですよね。それは自分を支えるもの、 とかいう精神的なものではなくて、物質的にそうしたほうが得だったと思うわけです。 それが、財界なんかももう馬鹿らしいからやめようという方向に向かっているような気がするわけです。 「いい人?アホか。おまえ知能指数いくつ?何の仕事できるの?お前の仕事、売ったらいくらになるの?」という 方向ですね。 前にぴか氏も書いていましたけど、「場」に意味を持たせていたのが会社だったとしたら、もうそんなことは やめた、っていう時代に入りつつあるんじゃないか。その反動がオカルティックな日本主義、ネット右翼のような ものだと思います。
820 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 13:15:29
>>819 場を壊すこと、それはリバタリアン傾向ですね。
ブログ界隈では、モヒカン族などといわれます。
自立した技術をもった職人的な人々です。
確かにそのような傾向は増えています。
たとえば、ボクが言う「おもしろい」の追求もそうです。
すなわち「芸術家の知」です。
821 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 13:16:50
しかし場からの切り離されることそのものは不可能です。 場と距離をとりつづけるようという姿勢ですね。
822 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 13:23:31
■なぜ若者は怒らずにキレるのか?
薄氷の共犯関係
>>
【社会】「格差社会の下流にいて、何で怒んないの?」「若者よ、怒れ!」…新宿ロフト代表
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1144747809/l50 平野さんは学生運動の元闘士。出版社時代に労働争議で指名解雇された後の76年、新宿ロフトを開
店した。「わかってたまるか」社会への怒りをぶつける若者の姿勢と音楽にほれ込んだ。82年、店を仲
間に託し、海外放浪の旅に出る。10年後に帰国したとき、ロックは業界に取り込まれ、メジャー志向の
バンドが増えていた。若者の話しぶりにも異変を感じた。いつも「君の気持ちもわかるよ」から始まり、
「ま、いいか」で終わる。「わかってたまるか」と、ぶつかってこそ得られる絆。それを知ってもらおうと、
95年に「ロフトプラスワン」を作った。右翼、左翼、AV監督、オタク、格闘家らが出演し、客と討論する
トークのライブハウスだ。・・・
あらがいようのない時代の流れ。だが、平野さんは違和感を覚える。「何でも受容する懐の深さが新宿
のよさだったのに」髪の毛を逆立てたロック少年が警官に職務質問され、かばんを開けられているのを
見かけた。「違法行為を取り締まるだけでなく、異質なものを排除しているように見える。それなのに、
なぜ彼は怒らないのか」・・・「自由を制限され、格差社会の下流にいて何で怒んないの?社会を斜め
に見る反逆精神が若者の特権じゃないの?」それが、新宿で生きてきた平野さんのいまの「怒り」だ。
http://www.asahi.com/life/update/0411/005.html <<
823 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 13:25:56
最近の若者はキレると言われる、しかしここでは怒らないと言っている。この違いはなんだろう。ここで 言われる「怒る」とは、主張する、対峙する、交渉する、闘うということ。間違っていても自分たちの「正 義」信じ、主張する、ということだ。だから怒るとは理性的である。だから「なぜ若者は怒らないのか?」 に対してポストモダン的には、怒るための「正義」が消失しているということができる。様々な正義があ り、様々な正義に「寛容」である。 たとえば警官がいうことが「正しい」とは思っていない。警官が「正義」を述べるとき、警官には警官の 「正義」があり、それは絶対ではない、ということを警官自身もしっているが、警官という立場上、警官で あるときには警官の正義を述べるのだ。ということを、僕も警官も知っている。そのようなメタのコミュニ ケーションがあり、分かりあったフリをする。 これは、場(空気)を共に作っているということ、すでにそこでは共犯関係にあるということであり、その ことを最低限、知っているということだ。再度言えば、ポストモダン的にはそれは逆説的だ。場はすでに 壊れている。だからこそ場があるように振る舞う。現代の場とはそのような場である。「儀礼的無関心」 のような繕う場である。それは、場などなく、みなが不安であり、ボクたちはとても繊細な場を綱渡りして いるということだ。 「寛容」とは、あなたには干渉しないから、僕にも干渉しないでくれという、不寛容の形態である。お互い の立場を尊重し、その場を演じきろう、ということだ。
824 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 13:26:45
怒れずにキレる かつての若者は怒っていた、という。そこには主張すべき「正義」があった。「正義」に対する信頼があっ た。さらに言えば、「怒る」ことが一つの儀礼であった。ジェームス・ディーン的、ロックンロール的、マル クス的な「怒り方」があったといえる。そのように振る舞うことが、若者であった。そのような「怒り方」は 内部に取り込まれ使い込まれ、リアリティがなくなった。 そして、場はより繊細になった。分かりあえないことを知っている。僕のことはだれにもわかってもらえな いことを知っている。だからコミュニケーションの場で、その場限りの場を繕う。繕うことに疲れ、コンビ ニ、ファーストフードなど他者回避する。そして引きこもる。オタクる。それでも、集まらなければならない 場での不安は、誰かを生け贄に、外部へ排除し、内部という場を繕う。それがイジメだ。 だからマジで「怒る」人は、このもろさがわからない、そのべたさ、天然は、頭が悪いのであり、排除さ れ、笑われ、いじめられる。すなわち格好悪く、馬鹿で、排除されるのだ。だからボクたちは「怒らない」 のだ。そして逆にいえば、怒ることはとてもハードルが高いのだ。怒りっぱなしでは、ダメであり、怒るこ とで壊した場を、いかに繕うか、あるいはそれに耐えるか、求められるのだ。だからボクたちは怒ること に尻込みする。 だから「キレる」しかない。怒ることに尻込みしつづけた結果もはや抑えきれなくなったときに、もはや場 も、「正義」も糞もなく、我を失い、ただただ感情的にふるまうしかない。「怒る」のはコミュニケーションで あるが、「キレる」はコミュニケーションの破壊であるということだ。
825 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 13:27:30
「怒り方」へのあこがれ このような意味で、ボクたちは「怒る」ことにあこがれる面がある。たとえば小泉圧勝選挙の前の、小泉 の演説である。抵抗勢力に追い込まれ、それでも解散し、選挙という戦いを挑み、「私(の改革)は正し く、闘わなければならない」という怒れる小泉首相に国民は惹かれたのである。たとえば、麻原の魅力 の「怒れる」点にあったのだ。正しさを一新に主張し「怒る」姿に、信者は引き込まれたのだ。 そこにある怒り方は、「場」壊すだけでなく、「場」を支配するということです。それは、空気を読もうと懸 命であり、メタ地獄、懐疑し疲弊する日常の中で、その怒りの「場」に感染する「幸せ」である。小泉に も、麻原にも、嫌韓も、HGもある意味で滑稽である。滑稽に感じながらその「場」に感染するときに、共 に怒っているのだ。抵抗勢力に、エイベックスに、日本という国に、韓国に、「怒る」のだ。
826 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 13:36:10
「場」への感染と支配と離脱 感染・・・フリーターの知 支配・・・エリートの知 離脱・・・芸術家の知
ひきこもりスレ
独りよがりスレ
829 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 21:24:57
■「おもしろい」はなぜ正しいのか
「おもしろい」とお笑い
ドラマ「ブスの瞳に恋している」(
http://www.ktv.co.jp/busu/ )がはじまりましたが、おもしろいですね。主人
公である「お笑い」の構成作家は、「おもしろい」とはなにかと考え続けてる。そこには、「おもしろい」の探求
から降りた作家はダメで、「おもしろい」の探求し続けることが正しい、という価値があります。ここで提示さ
れている「おもしろい」という価値観は、どれぐらいの人がわかるのでしょうか。このように大々的に言われ
ることはなかったのではないでしょうか。このドラマを通して、一つの価値観として認知されていくかもしれ
ません。この「おもしろい」は単に快楽的、刹那的な「お笑い」の価値というだけではないのではないでしょう。
笑いは社会的同意ですが、たえず社会を破る狂気の開示としてあります。おもしろいことと、おもしろくない
こと、笑いと狂気は紙一重です。すでにみなが同視されているベタな笑いは退屈です。狂気すぎると笑え
ません。
だから笑いはみなに(これは笑うものだという)同意されると、笑いをとることが容易になります。HGは笑う
ものであると認知されると、同意として、みなは楽しみ笑います。多くの「お笑い」はそのような同意された
ものを活用することで成り立ちます。
830 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 21:27:52
「おもしろい」のアクティブ、クリエイティブ
しかしこのドラマでいう「おもしろい」とは、同意からずれていくこと、同意の外部へ向かい、そこに新たな同
意の場を発明することです。「これっておもしろくない?」とは「新しくない?」ということであり、だからこの
「おもしろい」は、とてもクリエイティブなものです。
「おもしろい」ことを見出す、発明することは、外部を見出すことであり、狂気を見出し、それを笑ってしま
い、それを社会的な認知させるという一つの革新的な行為です。しかしそれはそれほど特別なことではあ
りません。いままで当たり前であったことが、「おもしろい」ことであると見つけることであり、さらには、それ
が「おもしろいことなんだと革新し楽しんでしまおう」とアクティブなことなのです。
そこは場を破るという挑戦があります。
>>
だからマジで「怒る」人は、このもろさがわからない、そのべたさ、天然は、頭が悪いのであり、排除され、
笑われ、いじめられる。格好悪く、馬鹿で、排除されるのだ。だからボクたちは「怒らない」のだ。そして逆に
いえば、怒ることはとてもハードルが高いのだ。怒りっぱなしでは、ダメであり、怒ることで壊した場を、いか
に繕うか、あるいはそれに耐えるか、求められるのだ。だからボクたちは怒ることに尻込みし、めんどくさい
のだ。
なぜ若者は怒らずにキレるのか? 「場」への感染と支配と離脱 その1
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060412 <<
831 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 21:28:33
「おもしろさ」の探求は「怒る」勇気と、同様なことがあります。場を崩すことの「勇気」が求められます。「お もしろい」人は、メタ位置を理解して、場を保つために協調する、知的な人です。そしてさらに「おもしろい」 を探求する人は、ただ場に協調するだけでなく、排除され、笑われ、馬鹿にされることを覚悟で、そこには 「おれがおもしろいこと」を信じ、「あえて」狂気を呼び込み、場を破りつづけるのです。 コミュニケーションとは「暗闇への跳躍」であるというとき、暗闇という狂気へ向かって、笑いながら飛び込 むスリルであり、勇気です。新たな価値の開拓です。そしてそれは、身の回りの日常にあるのです。その暗 闇の価値は、主人公がいうように「おれがおもしろいと思うこと」を信じるしかありません。それが社会的な 同意される保証はありません。その暗闇へ飛翔すること、あるいはあえて「暗闇」を見出すことを笑うこと。 その恐怖を自ら笑ってしまうことが「おもしろい」ということです。
832 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 21:29:57
「おもしろい」という倫理
「おもしろい」とは、一つの倫理的テーゼにさえ繋がる可能性がある。「己の欲望に譲歩するな」たとえばダ
ウンタウンの松本人志はこのような「おもしろさ」の探求者を考えられ、一つの尊敬を勝ち得ている。そこに
は一つの「正しさ」の形がある。なにが正しいかでなく、「おもしろさ」の追求が正しさである。ボクはこれを
ボクが提示した現代の3つの生き方のうちの一つである「芸術家の知」と呼びました。「芸術家の知」とは、
新たな問いの発明であり、まさに、人々がそこにあるとは気づいていない、「問い」、外部への「出口」を見
いだすことであり、その本質は「出口」を「発明」することです。
>>
これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに
気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に
没入する、ということです。・・・それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前からあった外部
への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」である、という
ことです。
なぜ悩みは自己内部へ向かうのか
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060410 <<
833 :
考える名無しさん :2006/04/12(水) 21:52:03
哲学とは誰の脳を通しても同じ解となる普遍的論理を探求する。 独りよがりの解は「偏見」であり、それが喜ばれるのは 文学と宗教である。
834 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 21:57:54
古っ!
835 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/12(水) 23:53:54
>>
これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに
気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に
没入する、ということです。・・・それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前からあった外部
への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」である、という
ことです。
なぜ悩みは自己内部へ向かうのか
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060410 <<
これはひさびさよいエントリーだ。我ながらだが、じわじわその価値がわかってきた。
ようは悩みとは、多様な価値に開いていくものであるように錯覚しがちだ。
しかし悩むことを「選んだ」時点で、すでに方向性が固定されている、それは内部への没入し、
外部を見失い事であり、それは自己懲罰的な傾向を持つのだ。
思考すること、悩むこともほどほどに、悩みの外部があることをしること、
頭を切り換える力をもつこと。無意識の場=内部の拘束をズラす、「切り替え」をそれが
「おもしろい」ことの探求だ。
836 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:06:32
暗闇の中では、誰もが疑心暗鬼になってしまうものだ。 暗闇を楽しむ強さ、それは自分を信じることである。 悩まずにズラすこと。
837 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 00:12:14
まるで阿Qだな
838 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 00:14:48
そうだな。明確化された意志は「滑って」とせかすのさ。洒落じゃない。本当にそうなんだよ。
839 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:21:28
場を他者の目線で見ることを補完することが、「楽しむ」ことである。 しかしすでに巻き込まれていることから完全に離脱することは不可能である。 場から離脱するフリは、あえて外部に立つことで、位置を見出し、内部として作動する ことが含まれる。すねてみせるなど。 「楽しむ」ことは、無理に場から離脱するわけでなく、外部があることをしり、 場自身を外部への導くことである。
840 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:24:40
「楽しん」でしまうことは、暗闇を平気で歩いてみせること、 そこには勇気が必要であるが、それによってみなを外部へ 導くことである。
841 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:28:06
子供の「笑顔」は笑っているのでなく、喜んでみせているのだ。 あえて子供のように振る舞うこと。笑うのでなく、笑ってみせる のだ、「笑顔」を作るのだ。 ここでいう「笑顔」は一つのメタファーである。 「笑顔」とは喜んでいる、そしてそこに場があることの印である。 「おもしろい」ことの印である。
842 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:32:12
そしてそれは、言語ではない。言語は内部として作動する。 外部へ開かれるのは、前ー言語的な「笑顔」である。 「おもしろい」といってはいけない。他者に語りかけてはいけない。 自分で「おもしろがる」のである。自分が「笑う」のである。
843 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 00:40:30
気を付けなくてはいけないのは、「スライド」するのか、「ドリフト」するのかだろう。
844 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:44:25
それが「芸術家の知」である。 芸術家は自ら楽しむ、おもしろいことを探求するのだ。 それは暗闇をあるくことである。なにが楽しいのかなだ、 だれもわからない。それを自らを信じ楽しむのだ。 それは事後的にみなを引きずり込む可能性があるが、 それはあくまで結果でしかない。 みなを引きづり込むために楽しみを楽しむのでなく、 自らが楽しいものを探求し、楽しんでしまう。 それは場から外れる可能性が高い孤独な行為であるが、 勇気を持って、自分を信じて楽しんでしまうのだ。
845 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:47:03
846 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:53:04
そしてそれは、言語ではない。言語は内部として作動する。 外部へ開かれるのは、前ー言語的な「笑顔」である。 「おもしろい」といってはいけない。他者に語りかけてはいけない。 自分で「おもしろがる」のである。 「おもしろい」とは、自分が「笑う」姿、身体である。
いやね、時々ドリフティング(漂流)したくならない? ・・・俺だけかな
どこに行っても社会があるんじゃないの?
849 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 00:57:24
脱社会ということがあるが、ボクはよくわからないんですね。 そのような外部がありえるのか、漂流などがありえるのか ということです。
850 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 01:01:32
ぴかぁは漂流と脱構築を試みてるんだろ? そのためにリーマンとむじんくんが必要なんだよ。
伝えたいのは、漂流とは源流との調和なんだよ。詰まり、自然的で漠然的な不安とでもいうか。
852 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 01:14:30
俺も解って云ってないから。今は酒臭いから次にするよ。
854 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 02:45:29
芸術家の知とは些細なことであるかもしれない。 日常の小さなことにも楽しみを見出す、ということ。
855 :
十二使鳥 :2006/04/13(木) 02:47:40
久しぶりどす。ぴかぁ〜くん。
>>822-825 怒る。と、キレる。ね。面白い着目だな。
怒るとキレる。ま、同じことだが確かに若干の違いが感じられるな。
キレるは、主としてぴか〜くんも言うように若者に使われていて、反抗的な
イメージがある。「逆ギレ」というような言葉もあるように、これは傾向として
反発力である。
大人が怒り、若者がそれに対してキレる。という感じだな。
喜びは、喜びを与え、怒りは、怒りを買う。
今の社会ではキレることは良くないこととされているが、反発というものは
つきものであり、当然と捉えるべきだろう。むしろ怒られてキレない方が
異常なのである。
今の社会は大人がむやみに若者に怒りすぎるのだ。
今の社会は上司が部下にむやみに怒りすぎるだけの話なのである。
しかも怒ったところでそこに正義などというものはない。上下があるのみ。
部下に怒った上司は、仮に社長がその怒った部下と同じ行動をしても
怒ることはないだろ。もちろん真の上下などないにもかかわらず。
856 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 02:58:38
「下流なのに若者はなぜ怒らない」と言われれば、 ポストモダン的にはそんな単純ではないということだろう。 上流/下流、勝ち組/負け組をベタに受け入れているわけではない。 それが経済的な基準であるなら、確かに経済的に恵まれることは望むが、 「経済的に恵まれていることが良い」とベタに信じられるほどに、 幸せな世界には住んでいない。 だから、下流だから怒る、という短絡にも繋がらない。
857 :
十二使鳥 :2006/04/13(木) 03:04:46
>>856 悪いけど言ってることが俺には難しいのか
よくわからん。
それに久々にこの板にちょっとカキコしてみただけだし、、、
そういうことだ。
858 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 03:05:21
上流/下流、勝ち組/負け組は、ネタなのである。 「下流なのに若者はなぜ怒らない」はネタにマジレス格好悪い、 でしかない。 だからこれは若者が怒らないのは、基本的に関係がない。 ボクが思うのは、若者は怒るだろうし、怒っている。 たとえば、のまネコ問題などでもそれは現れた。 あれは怒りではない、というのなら、あれが今の「怒り方」なのだと いおう。 問題は一つは、価値基準、なにに怒るかの変容。上流/下流、勝ち組/負け組はネタである、ということ。 さらには怒り方の変容である。確かに怒ることは難しくなっている。怒り方を見いだせていない。 ということだ。 価値基準では、上流/下流、勝ち組/負け組でなく、おもしろいか、おもしろくないか、なのだ。
859 :
十二使鳥 :2006/04/13(木) 03:12:02
>>858 ・・・俺に言ってるのか?
・・・だよな、やっぱ。
なんかズレてないか?
よくわからんから、まぁいいや。
適当にやってくれ(特に悪意はない)
>>859 いや、此にも「流れ」があって、ロフトのオーナーの暴言の話だから気にすんな。
因みに、俺はスーパーハッカーではない。
861 :
紗南 :2006/04/13(木) 03:36:44
今日は凄く疲れているのに怒りで眠れません。
862 :
紗南 :2006/04/13(木) 03:59:09
紗南が今年卒業した高校一年生の始めのHRの時間にみんなで投票して、 クラスでカースト制を採用することと、紗南一人をその最下層にすることが 民主的に決まり、紗南は怒ることも無く楽しい高校生活を送ることが出来ました。 今日テレビのニュースを見てたら、東京の公園でハトが大量死したと言っていました。 その原因として、誰かがハトに毒の入った餌を与えて殺した可能性が高いそうです。 まだ断定は出来ないけど、なぜそんな酷いことをするのか、考えると怒りが治まりません。 紗南のこの怒りをどこにぶつけたらいいのか分からないので、 ぴかぁ〜さんが死んでいったハトと紗南に対して真剣に謝ってください。
863 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 04:00:12
のまネコの問題は、のまネコが「おもしろい」ことであることだ。 クリエイティブで、新たなおもしろさを引き開いた、価値の高いことなのだ。 「おもしろい」ことの開拓は、高い価値を持つのだ。それは経済的なことではない。 それを、エイベックスは金で我がものにしようとした。搾取しようとした。 ということだ。 それは許されることではなく、みなが「怒った」のだ。「正義」を主張したのだ。
864 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 04:01:01
865 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 04:08:25
前々から紗南って本物かなと思っていたのだけど、 そのキャラはネタではないよね。 この板、病んでいる人多いな。
866 :
紗南 :2006/04/13(木) 04:11:02
867 :
紗南 :2006/04/13(木) 04:18:55
>>865 そうだったんですか。
あと、コテハンさんだと例えば他に誰が何を病んでるんですか?
868 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 04:19:36
869 :
紗南 :2006/04/13(木) 04:22:55
紗南にはそういうことは分からないけれど、そうだったら治りますか?
870 :
紗南 :2006/04/13(木) 04:24:42
出来れば、寝る前にぴかぁ〜さんに紗南を治して欲しいです。
871 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 04:27:06
ネタやわ
872 :
紗南 :2006/04/13(木) 04:31:25
精神的に病んでいると、やっぱり長生きができなくなるのでしょうか? 紗南はまだやりたいことがたくさんあるのでまだ死ねません。 でもよく考えたらあんまりやりたいことはないかもしれない。 ラカンという人は精神的に病むことはどういうことだと言ってますか?
873 :
紗南 :2006/04/13(木) 08:06:10
>>871 失礼なことを言わないでください!
ネタだったら「マジレス格好悪い」って誰も相手してくれなくなってしまいます。
おはようございます。
>ぴかぁ〜さん
何度も言いますが、おはようございます。
先ほどは、なんか紗南らしくないハト話でお邪魔してすいませんでした。
やっぱりハトのことを思うとよく眠れませんでしたよ?
精神的に病んでいるかも怖くて不安なんですが、紗南が最近一番心配なのは、
機械論的唯物論のスレで、紗南に話しかけられた人たちが、おちょくられてるとか、
紗南から非難のターゲットにされてると思っているんじゃないかということです。
紗南にはまったくそういう意図は無くて、ただ好きだから話しかけ、
いろいろお話をうかがいたいと思っているだけなのに、なんだか相手に対して、
変に身構えさせてしまっているような気がしてなりません。
そうすると紗南の方も凄く不安でいたたまれない気持ちになります。
犬とのコミュニケーションだと、なついてもらうのは得意なのですが、
人とのコミュニケーションだと、本当にうまくいかないことばかりです。
こういう不安を抱くのも、やっぱり精神が病んでいる症状の一つなんでしょうか?
でもよく考えたら犬も本音では紗南を煙たがり、処世術でなついていたのかもしれない。
人の気持ちも犬の気持ちも分からない者がハトに同情するなんて、
きっと誰が見たってお笑い種なのだわ。でも紗南は謝らないのだわ。
すいませんでした。
874 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 09:52:46
おだいじに
875 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 09:59:43
>>856 > 「下流なのに若者はなぜ怒らない」と言われれば、
> ポストモダン的にはそんな単純ではないということだろう。
フランスとの比較がちょっと前にあったと思うんですが、それは結構分かりやすくないですか。
フランスの若い連中は怒っているのに、日本の若い奴は、というものですね。
日本とフランスでは、下流といっても全然違いますね。日本の下流は携帯持って、パソコン持って
2ちゃんねるできちゃったりしますが、フランスは階級社会で、下流はもっと貧しいし、移民問題なども
あり比較が難しいとは思います。
ただ、それとは別にやはりフランスは言葉、今回の場合は雇用に関する法律ですけど、それが
リアリティを持つ社会なんじゃないか。日本は法律を信じてないわけですね。実際の職場では
どこでも皆怒ってますよ。こんなにやったのに給料上がらないのか、残業しても金貰えないのか、
などなど。
ところが、法律が変わると自分の現実生活が変わるというリアリティが持てない。フランスはそれが
持てる社会なんじゃないか。だから、デリダなんかが「ロゴス現前」を批判しますけど、それが実際に
実感できちゃう社会なんでしょう、フランスは。
876 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 10:04:29
会社帰りでの飲み屋では日本だって若いサラリーマンが怒っている。しかし、そういう個別の 怒りを社会的にするのはやはり言葉ですね。それが日本の場合には機能しない。だから 大きな運動にはならないんだろうと思います。 これは社会に「ロゴス現前」が機能しないという意味で、日本はポストモダンと言えると思います。 フランスは逆に、法律が変わると自分の現実が変わると思えてしまう社会なわけです。そして、 その言葉の共有がされているため、すぐに社会的運動へと展開される。 極端に言えば、日本人である限り、一生言葉を喋らないで生きていくことが可能です。ただ、これが ずっとこれからも続けられるかどうか、というのがありますね。そこが変わるとしたら、これは僕らに とって真実に革命的なことですよ。
877 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 10:29:46
革命はおこらない。 終わりなき日常をこの世が終わるまで生きるのみ。 したがって哲学も必要ない。信仰だけが意味をもちぴかぁは用済み。ご苦労さん。
878 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 10:34:03
デリダはフランスではマイナーだったんですよね?昔、浅田彰の「構造と力」がバカ売れしたときに、 それを聞いて痛く感動したそうですよ(笑)。それだけフランスは「ロゴス現前」が不動の地位にあると いうことなんでしょう。 アメリカなんかはまたちょっと違いそうですね。
879 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 10:47:28
>>877 > 終わりなき日常をこの世が終わるまで生きるのみ。
それはどうでしょうね。僕はどこかで変わることを期待しています。言葉が居酒屋でのグチに閉じ込められていて、
外に羽ばたかない状況というのはやはり苦しい。
日本では自分が語ることが全部社会とは無関係である、つまり感情的な叫び声になってしまう。そこで
社会的な言葉を語ろうとすると、「角が立つ」となるわけです。これは人間としてちょっと不健全じゃないか。
デリダは「手紙は届くとは限らない」と言い、 ラカンは「手紙は必ず届く」と言いました 言葉はたとえそれがグチではあっても、居酒屋においては 同じような状況のグチ仲間には「届いている」 会社の上層部には「届かない」 角が立つ言葉とは、周囲への配慮がなされていないもの その主張が筋がとおっていたとしても、それを言っちゃおしまいだ、 という思慮を欠いているもの
881 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 11:20:11
>>880 > 同じような状況のグチ仲間には「届いている」
届いてないと思います。つまり、居酒屋の言葉は全て叫び声ですよ。それを皆わかって
いてやっているのです。マスターベーションです。
それが、ある普遍的な平面の記述として、つまりフランスの若者が自らに強制されているし、
受け入れてもいる、社会的に「届く」ものとしての言葉として語ろうとすると、途端に「角が立つ」の
です。それは日本では一番やってはいけないことなんですよ。法律に書かれていても、それを真顔で
主張すると変人扱いされるわけです。
確かに居酒屋での言葉は叫び声にすぎないものなのかもしれません 居酒屋における言葉はコミュニケーションではないのですから ひとりで酒を飲んで叫ぶのであれば、何も居酒屋という場所を選ばずとも 自分の家でひとり酒すればいいと思うのです なぜ、人がたむろする居酒屋を選んで叫ぶのか? 聞いて欲しいという欲望があり、声が届くと期待しているからではないでしょうか?
883 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 11:49:45
はたらこうよ 待ってても何もかわらんのよ 結局ね、自分から動いて変化をおこすしかないんだ
884 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 12:07:37
フランスと日本の違いは、下流の貧しさの違いもあるとは思いますが、 「怒る」ことは理性的ですが、「怒る」行為そのものは理性的でない。 なぜ怒っているかと聞かれると論理的な理屈をいうが、行為そのものはノリである。 ということを考えると、フランスと日本にそれほど差はないように思います。 フランス若者の暴動も、半分ネタ、冷やかしでしょう。 かつてに日本の学生運動もそうであったし、中国に排日デモもそうだった。 日本の「のまネコ問題」は、半分マジだった。 あの程度の暴動は、ちょっとしたきっかけで、日本でも起こるだろう、と思います。
885 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 12:45:00
手紙が届いたとしても読まずに食べるクロヤギさんと同じこと。 届くか届かないにもはや意味はない。 いまや届かないものなどない。 暴動は起こらない。 起こらないように、そして終わりなき日常を生きるための智恵と精神構造と社会システムがリゾームとなって増殖する。
886 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 14:06:29
>>882 > なぜ、人がたむろする居酒屋を選んで叫ぶのか?
それは叫びは対象がなければ叫ばれないからですよね。しかし、それは言語として
通じているというわけではないのです。子供が母親に訴えるようなものに近いんじゃ
ないですかね。
フランスの場合、目の前の人間に対してではなくて、社会的な地平での言葉というものが
存在し、それが個々人に強制されているわけです。言い換えれば、個人がある言葉を
語る場合、それによってある権力的なものを盾にして語っているともいえます。
フーコーはそれを聖書の牧人の喩を出して批判しましたね。権力が国民の内面とつながっている、
そういう支配形態が近代なのだと。しかし、日本ではそれが全く通用しないわけです。
887 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 14:59:46
>>884 > 「怒る」ことは理性的ですが、「怒る」行為そのものは理性的でない。
そこまで遡れば根は一緒と言えるとは思いますけど、やはり怒りを社会的な言葉として
流通させられるかどうかという違いは大きいんじゃないでしょうか。そこが、日本人が
集団主義と言われながらもお互い非常に孤立しちゃっているというか、引き篭もり
傾向になっちゃう要因の一つとも思います。
888 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 15:00:22
いまだに鏡像段階から脱してないといえる。
889 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/13(木) 15:14:53
>>888 > いまだに鏡像段階から脱してないといえる。
そうですね。ポストモダンとか言うとかっこイイですけど、実際には叫びとかキレるとかではない、
感情表現ができないということですから、それは人間としては辛いものがあると思います。
感情表現とは、「自分」の感情表現であり、自分というものが相手と別になってなければなりません。
相手から期待される私、という形の自己であろうとすると、言葉は全て「冗談」になってしまうわけ
ですね。自分の感情というものも発見されない。
程度の差もあると思いますけど、感情表現ができないという状態は不幸だと僕は思います。
890 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 20:22:37
言っている意味がよくわらない。(笑)
891 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 20:52:20
お前モナーしょっちゅう
892 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 01:07:05
■「おもしろい」はなぜ正しいのか なぜ下流だと怒らなければならないのか 怒ることは、場を読めない格好悪いことであり、難しくなっているし、めんどくさいくなっている、といった。さ らにもう一つ、なにに怒るか、価値基準の変容があるだろう。 「下流なのに若者はなぜ怒らない」というのは、若者は上流に行きたいが、搾取されている。このような不 幸へな世の中に怒るべきだ、ということだろう。しかしポストモダン的にはそんな単純ではない。確かに経 済的に恵まれることは望むが、「経済的に恵まれていることが良い」とベタに信じられるほどに、幸せな世 界には住んでいない。いわば上流/下流、勝ち組/負け組は、ネタでしかなく、だから下流だから怒る、と いう短絡にも繋がらない。 このように、価値基準が異なるだけで、ボクが思うのは、若者も怒るだろうし、怒っている、と思う。たとえ ば、「のまネコ問題」などでは、若者は怒ったのだ。そこにある価値基準は経済的よりも、「おもしろい」である。
893 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 01:10:06
「おもしろい」のアクティブ、クリエイティブ
ドラマ「ブスの瞳に恋している」(
http://www.ktv.co.jp/busu/ )がはじまったが、主人公は「お笑い」の構成
作家で、「おもしろい」とはなにかと考え続けてる。そこには、「おもしろい」の探求から降りた作家はダメで、
「おもしろい」の探求し続けることが正しい、という価値観がある。この「おもしろい」は単に快楽的、刹那的
な「お笑い」の価値というだけではないのではないだろう。
笑いとは、社会的同意である。たえず社会を破る狂気の開示としてある。おもしろいことと、おもしろく
ないこと、笑いと狂気は紙一重である。すでにみなが同視されているベタな笑いは退屈だ。狂気すぎると
笑えない。
だから笑いはみなに(これは笑うものだという)同意されると、笑いをとることが容易になる。HGは笑う
ものであると認知されると、同意として、みなは楽しみ笑う。多くの「お笑い」はそのような同意された
ものを活用することで成り立っている。。
しかしこのドラマでいう「おもしろい」とは、その同意からずれていくこと、同意の外部へ向かい、そこに新た
な同意の場を発明することだ。「これっておもしろくない?」とは「新しくない?」ということであり、だからこの
「おもしろい」は、とてもクリエイティブなものなのだ。
「おもしろい」ことを見出す、発明することは、外部を見出すことであり、狂気を見出し、それを笑ってしま
い、それを社会的な認知させるという一つの革新的な行為である。しかしそれはそれほど特別なことではない。
いままで当たり前であったことが、「おもしろい」ことであると見つけることであり、さらには、それ
が「おもしろいことなんだと革新し楽しんでしまおう」とアクティブなことである。
894 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 01:11:56
「おもしろさ」の探求は「怒る」勇気と、同様に場を崩すことの「勇気」が求められる。「おもしろい」人は、メタ 位置を理解して、場を保つために協調する、知的な人です。そしてさらに「おもしろい」を探求する人は、た だ場に協調するだけでなく、排除され、笑われ、馬鹿にされることを覚悟で、そこには「おれがおもしろいこ と」を信じ、「あえて」狂気を呼び込み、場を破りつづけるのだ。 コミュニケーションとは「暗闇への跳躍」であるというとき、暗闇という狂気へ向かって、笑いながら飛び込 むスリルであり、勇気である。新たな価値の開拓である。そしてそれは、身の回りの日常にある。その暗 闇の価値は、主人公がいうように「おれがおもしろいと思うこと」を信じるしかない。それが社会的な同意さ れる保証はない。その暗闇へ飛翔すること、あるいはあえて「暗闇」を見出すことを笑うこと。その恐怖を自 ら笑ってしまうことが「おもしろい」というである。
895 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 01:14:55
「おもしろい」という倫理
「おもしろい」とは、現代では一つの重要な価値基準であるとともに、現代の倫理的テーゼでさえある。そこ
には一つの「正しさ」の形がある。なにが正しいかでなく、「おもしろさ」の追求が正しさである。
「のまネコの問題」は、のまネコが「おもしろい」ことだ。クリエイティブで、新たなおもしろさを引き開いた、価
値の高いことなのだ。「おもしろい」ことの開拓は、高い価値を持つのだ。それは経済的なことではない。そ
れを、エイベックスは金で我がものにしようとした。搾取しようとした。ということだ。価値基準では、上流/
下流、勝ち組/負け組でなく、おもしろいか、おもしろくないか、なのだ。それは許されることではなく、みなが
「怒った」のだ。「正義」を主張したのだ。
ボクはこれをボクが提示した現代の3つの生き方のうちの一つである「芸術家の知」に繋がるだろう。「芸
術家の知」とは、新たな問いの発明であり、まさに、人々がそこにあるとは気づいていない、「問い」、外部
への「出口」を見いだすことであり、その本質は「出口」を「発明」することです。
>>
これはいわば、「問い」がありそれにぶち当たるか、あきらめるかではなく、そもそも「問い」があることに
気がつかないことと、「問い」がなにか明らかになることです。向かうべき外部に気づかない故に内部に
没入する、ということです。・・・それが内部の閉塞を破る新たな出口であるのは、以前からあった外部
への出口を見つけたという「発見」ではなく、内部がそれを出口として認めるという「発明」である、という
ことです。
なぜ悩みは自己内部へ向かうのか
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060410 <<
896 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 01:16:44
「おもしろければそれでよいのか」と言われるが、それはその場が楽しければ良いのか、という刹那的な意 味であるが、「おもしろければよい」という倫理テーゼは、このような場を切り開く開拓性として見なければ ならない。それは現代に経済的な豊かさよりも重要視されているのだ。 芸術家は自ら楽しむ、おもしろいことを探求するのだ。それは暗闇をあるくことである。なにが楽しいのか なだ、だれもわからない。それを自らを信じ楽しむのだ。それは事後的にみなを引きずり込む可能性があ るが、それはあくまで結果でしかない。みなを引きづり込むために楽しみを楽しむのでなく、自らが楽しいも のを探求し、楽しんでしまう。それは場から外れる可能性が高い孤独な行為であるが、勇気を持って、自 分を信じて楽しんでしまうのだ。
897 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 01:28:59
あなたはポスモダに思考回路が侵されでいる。 若者が怒らない? 当たり前でしょ。人間誰だってリスクは小さいほうがいい。 怒っておもしろいことがおこらないのに、怒る必要がない。 今までだって若者が怒ったことなどないのだよ、ぴかぁくん。 ネタネタ、怒っているように見えて、実際のところ何にも怒りなんてないのさ。 そうしたほうがカッコよくみえたからそうしただけ。 アンタ釣られすぎ。キリストに帰りなさい。 今の若者?別にカッコイイとかワルイとかどーでもいいのさ。 ただそれだけ。 グッな〜ぃ。がんばってねー。
898 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/14(金) 09:52:46
>>890 > 言っている意味がよくわらない。(笑)
「自分」の感情表現が成立するためには、その表現を保障する第三者としての言葉が存在しなければ
ならないですね。それが日本の場合には必要とされないわけです。つまり、(不特定多数の)相手から
認められる「私」という形で自己規定するわけで、そこでは言葉は基本的に全て道具化してしまいます。
切れるというのは感情表現ではないわけです。それは自分の感情を言語的にすくい上げることが
できない状況で私=世界を奪取しようとする動きです。そして、日本的なもの、というのがあるとしたら、
そういう私=世界を出来る限り壊さないようにしよう、という心遣いのようなものです。
これが変化して、第三者的な言語の場と、対応する「自分」、及び「自分の感情」「自分の意見」というものが
発生するようになるとしたら、これは僕らにとって革命的なことです。
899 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 10:48:11
ピンとこない(笑)
900 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 11:49:48
むじんくんの言葉はいつもピンとこないのはなぜだろうか。リアリティがないんだよね。 むじんくんっていつも最後は相手に諦められるよね。
901 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 12:24:13
むじんくんもはてなブログをはじめなさい。そして他者を感じなさい。他者を欲望しなさい。 さすれば言葉にリアリティがうまれるでしょ
902 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/04/14(金) 12:39:02
諦められる(笑)。それは無いんじゃないですか。最初から諦めるような対象ですらない ということ、これこそ語るべきことです。 ぴか氏の哲学というのは、村の村長さんみたいになる方法ってことですか。
_-─────ヽ / //ヽ / _________,,-─''' \ | | / ヽ | || | | | ̄ ̄( ( ) ) ̄ ̄ | | | )  ̄ ̄ ( || | |ー───| | ヽ  ̄ ̄ ̄ ノ ヽ_______ノ
904 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 17:19:26
まったくあーいえばこーいうなあ(笑)
つらくても人生諦めるなよ、ぴかぁ〜
906 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 17:40:42
人生捨ててるからってのんきなもんだ
907 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 22:19:24
>3月末のブロガー868万人、SNSユーザーは716万人--総務省が公表 そんなにどこに怨念!
908 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 23:36:56
電車なかのくしゃみをしても誰も気にする人はいません。 あんなに大きな声なのに、「あ、くしゃみだから気にすることない」とも 思いません。いわば、聞こえないのです。 しかし同じような声で「ビュー!」と叫ぶと、みんな振り向きますね。
909 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 23:41:18
何と言うか、最近所得と学歴による個人格差なんてトピックが頻度高く取り上げられているが 先天的な資質による部分も大きいのだろうと最近のこのスレを見て痛感する。
910 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/14(金) 23:43:01
ありがと!
911 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 02:11:44
■なぜ悪口を言うのか。 ネットに溢れる悪口の目的化 悪口をいうのは、一般的には、ある対象への悪意があり、それを表現することであり、 その対象への 攻撃である。このような悪意は精神分析的に検討されているように複雑である。たとえば対象への愛 着である転移は良性では愛であるが、悪性では悪意となる。 しかし嫌韓などネット上に溢れるヘイトスピーチは、必ずしも対象へ攻撃することが目的であるように見 えない。むしろ誰でもよくが悪口をいう、いわずにはおれないような飢餓感さえ感じてしまう。言いたい 何かがあるのではなく、何か言うことそのものが目的化するのは、ネットの特性だと言われる。 何かを伝えるためにコミュニケーションするのでなく、コミュニケーションすることそのものが目的化して いる。誰かを攻撃するために悪口をいうのでなく、悪口を言うことそのものが目的化している、というこ とである。ネットでは悪口でなくても、言葉そのものに意味がない「荒し」などの悪意の行為も同様である。 悪口の目的化で重要なことの一つは、それを言うことが悪いであるがわかっていることである。すなわ ち正しいとはなにかわかり、その上であえてその正しさを破る。二つ目は、悪口は聞いてくれる誰か(他 者)がいることを必要とするということ、他者(観客)へ向けて発せられるということだ。そしてその他者と は正しさが共有され、その悪口が悪口であることが理解されることである。
912 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 02:21:52
悪口の社会性 これを前提にして、悪口は大きく二つの効果があるだろう。一つは場(内部)をコントロールすると言う意 味で社会的である。たとえば悪口は、場(内部)に緊張をもたらす因子を緩和するというツッコミ的に発 せられる。たとえば悪意はなくても、場(内部)にうまくとけ込めずキョドった人が場に緊張を与えるとき に、緩和しようと悪口は言われる。 より強く場(内部)をコントロールする場合、悪口をいうことでその人を外部に排除し、自分が帰属する 内部へその他の人たちを帰属させようとする。たとえばイジメは自分がその場にとけ込めない不安か ら、誰かをイジメ、自分を内部に帰属させる。さらに嫌韓的な発言は、日本という内部を示すというナ ショナリズム的な効果がある。さらに過激な悪口はそのようなタブーを言えるという暴力の誇示として、 自己顕示によって回りを従わせる(コントロール)することができる。 屈折したものでは、「おまえらなんかダメだ」というとき、内部に対して、むしろ自分を外部におく。しかし 外部とは内部と相対化によって生まれるために、内部と外部を含めたより大きな内部が作動する。ひ ねくれ、アウトローはそれはそれで他者と関係性の構築であり、内部への帰属である。たとえばネット 上の荒らしは、みなに嫌われることで、みなの注目をあびる。これはすでに内部に帰属することなのだ。
913 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 02:29:15
悪口の精神分析的 悪口の効果の二つ目は、悪口をいうことですっきりする、自分の中のストレス、抑圧され苦しいために、 なにかに当たることで解消するという、個人的、精神分析的なものである。すべての悪口にはこのよ うな内的な不安を解消するために行われる面があるだろう。 本質的に自分の中に抑圧されたものを解消するためには、他者へ現前化し、見せることであると言わ れる。たとえば他者と話し、他者に相談することである。雑談の中で多くの悪口が言われる。それは先 ほどのように他者とタブーを共有するという社会的であるとともに、他者にいうことで、その抑圧された ものを客観視、他人事のように眺めることで、ストレスが解消されるのである。 ネットなどで、ヘイトスピーチが言われるときには、みなが心苦しくなるような過激な悪口いうことで、他 者の目を引きつけ、 「みろ、この悪口がおれのつらさだ!」 、「おれはこんな悪口をいうぐらいにこんな につらいんだ。」と現前化するのである。 さらにはそこには、自虐であり、自己懲罰的な面もある。悪口が悪いことはわかっているのであり、過 激な悪口によって、自分の中にある「正しさ」を汚のである。そしてその罰せられた悲しい自分を他者に 現前化するのである。ネットでの不特定多数へ悪口はこのように無意識的に、いわずにもおれないよう に言われるのだ。
914 :
tar :2006/04/15(土) 02:29:23
1憶円くれ
915 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 17:03:14
あげ
916 :
考える名無しさん :2006/04/15(土) 18:31:10
今日チャットをやったんだが、なんなんだあの阿呆共は 何が面白いのか理解できないしただの時間の無駄としか思えん ほとんどワンパターンの会話に飽きないのだろうか? 嘘も含まれるが平均年齢は約14,63と、思ったよりも低めだった ぴかぁ〜、餓鬼共が何を求めてチャットをやってるのかお前なりの答えを出せ
917 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 18:35:11
14,63?14.63 数字苦手? 14.63とのチャットってどんなところ? 子供ネット? チャット流行ってるの? 最近聞かないが。
918 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 21:48:52
■自己(言説)硬化症と厨房性 「信仰」の殻 哲学的に「信仰」とはなにかといえば、他者の言葉を聞けなくなということでしょう。自分の正しさの殻に 籠もってしまう。このような症状は、一部コテ(機械やん、最高位)にすでに見られます。もしかすると最 初はネタであったのかもしれませんが、あるところで、自分を超越的なところにおいてしまう。なにをい われても、私は正しいのだ。 彼らは回りから見れば、論理的に破綻しているし、議論として言いくるめられている。しかし彼らはそれ をなかったことにする。少し前はまだ聞く耳があったし、議論がなりたっていたと思うのですが、あるとこ ろで、殻に籠もってしまう。
919 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 21:49:49
思考の硬化と厨房性としての「おもしろさ」 ある程度、試行錯誤し、叩かれていくと、考えがパターン化、構造化されていくのだと思います。この 「出来上がり」からでることは、とてもむずかしいです。人間は内的にできあがったものを変えるというこ とは不可能にちかい。「三つ子の魂」というやつですね。あるいは最近では「馬鹿の壁」などと言うので しょうか。そのために人には寿命があり、人類は新陳代謝するといってもよいのではないでしょうか。 これを「自己(言説)硬化症」とでも呼びましょうか。コテをある程度長くすると、見られる症状のひとつの ように感じます。板が荒れて良コテがいなくなったと言う人がいますが、ボクはコテにはそもそも寿命が あるのだろうと思います。 ・探求の寿命 @コテ登場→A活発に論戦→B自説が固まってくる(思考の硬化)→C議論がパターン化する →D議論が盛り上がらない→E哲学そのものに飽きてくる→F去る。 B、Cに固執すると、「自己(言説)硬化症」になるのでしょう。私?私もいかに硬化からズレる、開かれ るかを苦労しています。コテはある程度すると、どうしても権威的、超越的になりますから、他のコテと 違いは、いわば、ボクの永遠の厨房性が重要であるように思います。「遊び」、「おもしろさ」、楽しんでし まうということですね。「芸術家の知」ですね。
ぴかぁ〜さんマトリックス今8chでやってるから見ましょうよ
921 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 21:52:15
ありがとう、見てますよ。
922 :
考える名無しさん :2006/04/15(土) 22:00:21
序盤でウンザリした。
923 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 22:08:10
ザイオン世界はリアリティがない。
荘子の胡蝶の夢を思わせるよね、仮想現実とか言われると
925 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 22:37:46
疑うことのリアリティですね。
926 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 22:44:41
「マトリックス」と「電車男」の相似 映画「マトリックス」は、ヘタレの悲哀を描きました。動物化し、豊かさの中で日々楽しく生きるマトリック ス世界で、本当の意味を求めて(ヘタレて)落ちた「現実の砂漠」。この構図が、世の隠れヘタレに共感 を呼びました。豊かで安全な日常の中にある漠然とした不安、そしてそれに向かってヘタレる、そして 覚醒(ヘタレ化)によって、マトリックス(動物の世界)を縦横無尽に暴れ回るというの神懸かりの能力を 発揮するのである。 映画「電車男」はこのようなマトリックスの構造をそのまま再現している。電車男は、現実にオタクという 動物であったが、2ちゃんねるでの人々との出会いによって、覚醒する(ヘタレる)のである。ここで重要 なのはエルメスとであったことが、電車男を覚醒させるのではなく、エルメスに出会い、それを2ちゃん ねるで報告し、「電車男」として名付けられることによって、すなわち独男板に居場所を見いだしたこと によって、覚醒するのである。そして覚醒によって、現実世界(動物の世界)で超美女をゲットするという 神懸かりの能力を発揮するのである。 すなわちこれらの物語は、日常に暮らす動物が覚醒し(ヘタレ化)して、日常(動物世界)で活躍する物 語である。そこにボクたちのヘタレ性が共感するのだ。これは単なる現実の逃避だろうか。
927 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 22:45:33
現実(リアル)の在処 ジジェクは、対象aと現実(リアル)の密接な関係を指摘する。欲望することが現実感を与える、すなわ ち現実(リアル)は、動物側ではなく、いつもヘタレ側にあるのだ。現在、多くの人が日常に虚無感を持 つのは、動物化し、欲望する対象を失っているからである。そして、電車男が2ちゃんねるで本当の自 分であるのは、2ちゃんねるでヘタレるからである。 現在において、現実社会が豊かさと安心から、無垢が消失し、動物化している中で、欲望を想起する 無垢が移動しているネット上で、「本当の自分」が見いだされるのは、現実逃避ではなく、当然の流れな のである。そしてそこで覚醒された「本当の自分」が動物世界へ展開されることは、「電車男」だけでな く、今まさに起こっていることである。 ネット上で覚醒したヘタレたちが、動物化し虚無化した現実へ回帰し、活性化しているのである。これは 単に出会い系ということだけではなく、誰でも多かれ少なかれそのような経験をしているのではないだ ろうか。
928 :
考える名無しさん :2006/04/15(土) 23:32:30
ネットでの経験が現実社会にフィードバックして活性化するということか?
929 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/15(土) 23:43:44
現実=まっとうな社会人/虚構=2ちゃねらーである場合に、 俗悪?な2ちゃねらーは仮の姿であるが・・・みたいな。 電車男は現実でエルメスをゲットし、 ネオは現実でも力をえる・・・ ところでパート2最後、なんでネオは現実でもパワーが使えたんだっけ? パート3みたけど、忘れてもうた・・・
930 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 00:35:47
「この世界に必然などない。 僕がここに存在するのは偶然でしかなく、 生きる意味、この世界の意味などというものは妄想だ。」 という言説にはどのような意味があるのだろうか。 主観としてしか生きられない。必然の世界で生きる中で、 このような言説は実感できないわけで、本当はこういうことだと、 物語として与えられるしかない。 すなわちもし仮にそれがこの世界の真実だとしても、確かめられない 、物語としてしか体験できないのに、なぜそのような物語は 語られ、存在するのだろうか。 このようにいう、僕たちの目的はなんなのだろうか。
931 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 00:47:10
愛以外に生きることを支えることができるものがあるのだろうか。
932 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 00:52:08
愛とはある特定の他者に対して強く関係を望むことである。
933 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 01:00:28
仕事であり、趣味であり、熱中できるものに熱中し、 それを支えに生きることができるかもしれない。 あるいは、ある他者に対して強く関係を望みつづけることが 困難になっていないだろうか。飽きてしまい、次の他者に向かう。 むしろ継続して強く関係を保つ対象(人以外でも)をもてることが、 生きることを支え、幸福であるということだろうか。
934 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 15:32:08
ではお題です。 「美」は眺めるだけで、快楽であるのはなぜか。
宮台の言説が美であるビガ厨にとってはみることはさして問題ではない
936 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 17:59:29
人は刺激を求める。止まることはできない。これは生命が生まれたときから宿命である。バトンを渡しながら止まることなくきた。
937 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 18:12:21
人は刺激を求める。止まることはできない。これは生命が生まれたときから宿命である。 バトンを渡しながら止まることなくきた。それはウィルスの増殖として語られるように、 増殖をプログラムされた機械のごとくに考えられる。 人間創造の神話として好奇心が語られるように、好奇心は人の根元であると 考えられてきた。最近であれば、資本主義的開拓、消費に繋がるだろう。 ここにも生命の「増殖機械」の側面が見られる。人間は地球をむしばむウィルスだと、 語られる。生命としてのどん欲さは、人間の好奇心とつなげられる。 しかし増殖機械と終わりなき好奇心は異なると考えられる。 人間とは本能の壊れた動物である、ということだ。 人間以外の生命は、環境という調和の中に留まる。 多種生命の増殖機械という力はそれぞれぶつかり合いながら、 自然環境という一つの調和と作り上げるのに対して、 人間の好奇心はこの調和を崩し、暴走してしまう。 好奇心は、それほどに強烈な力を持っているというわけである。
938 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 18:25:51
さらにいえば、生命の暴走性は、生殖による集団性である。 生命個体は速やかな満足としての欲求で行動するが、 イナゴの大群のごとく、群れ、集団において、終わりなき暴走が起こる。 たとえばこの暴走性を「欲望」と名付ければ、生命は集団的欲望である。 それに対して、人間は集団的欲望も形成するが、 その特徴は、個体の中で欲望をもつ。個体的欲望をもつ。 ここで考えなければならないのは、個体とは、集団とはなにか、ということだ。 そのその個体とは便宜上のものである。イナゴの群を個体としてみることも可能である。
939 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 18:54:54
しかし生命の暴走性と、人間の欲望は構造的に異なる。 人間の欲望は、失われた集団性によって生まれる。 失われた集団性とは、個体性の強度が向上であり、 個体間関係の消失である。失われた集団性求めて、 錯乱する、それが人間の個体的欲望である。 人間にも集団的暴走があるが、これは逆説的に 失われた集団性へのつかの間の回帰である。その典型が「祭り」である。 つかの間でしかない故に、個体的欲望が生まれたのである。
940 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 18:59:58
この集団性の消失はトラウマ的に経験されるだろう。 失われた故に、傷つく、これは社会性の獲得としての去勢であり、 疎外である。そして、分かり合えない故に、傷つけあう。 そこにあるのは、抑圧である。失われた集団性への回帰の抑圧である。 分かり合えたいほどに、傷つく。それ故に、欲望は暴走する。 欲望の加速、暴走は、なにか欲しいものがあるわけでなく、 止まることができないのだ。なにかを欲望せずにはおれない。
941 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:06:18
「美」は眺めるだけで、快楽であるのはなぜか。 「美」は僕たちの何かを想起する。何かとは、欲望である。 欲望せずにおれない、「欲望させてくれる対象の出現」を欲望する。 なにか刺激的な、興奮するものはないか。 閉じることはできず、開かれずにはおれない欲望を想起する。 トトロジーであるが、「美」とは、眺めるだけで欲望を想起する対象、 開かれた欲望が吸い寄せられるものである。
欲望ってつければ何でも説明できる気がするんですが
943 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:13:58
ボクは面食いなのだろうか。 眺めるだけで快楽である「美」とは女性である。 しかしボクだけではないだろう。ネット上には「美人」画像に 溢れている。終わりなく掲示されている。
944 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:18:36
「美人」とは、眺めるだけで欲望を想起する対象、 開かれた欲望が吸い寄せられるものである。 だからネットに「美人」画像は溢れている。 ではなぜ「美人」は欲望が吸い寄せる力を持つのだろうか。
945 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:21:01
>>942 そこのキミ、なぜ「美人」は欲望が吸い寄せる力を持つと、
思いますか。
>>944 マジスレすると、それは美人ではないと思う。傾国の、魔性の、
例え美人であるにしても、こういうところに属している。
947 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:25:22
948 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:32:41
すなわち、美に引きつけられる欲望の構造は語れても、 美とはなにかには、答えることは困難である、ということですね。 ボクらは美人の基準のようものが共有されているように、 考えている。そして確かに共有されている部分もあると思う。 それは、人間に不変な価値か、時代、社会的なものか。
相手から引き出すことを目的に用意しているものは 相手が空虚にさせられるようだ。 吸い出されて枯れるのだよ。
950 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:37:20
独断的なものであるとみなして想定すると、相手から引き出すことを考えるようだ。 私は、相手を持っていることなのです。
952 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:41:56
科学において、左右対称の顔が美しいなど言われるが、 「美人」とはなにか、の、うなずく説明を聞いたことがない。 ボクにとってもっとも謎だ。
953 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 19:43:19
954 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 21:36:58
美は性的なものと結びついている。 しかし性器はなぜ美しくないのか。
955 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 21:41:56
美人画像が欲望されるといっても、 美しい女性を前にするとき、話すときのドギマギさにはかなわないだろう。 三次元よりも二次元という転倒はあるにしても、それはあくまで「転倒」でしかない。 ポストモダン的な相対主義、確かなものはなにもないに対して、 人の行為の全ては性への欲望に還元される、というフロイトは、 ラディカルで、リアルではないだろうか。
956 :
考える名無しさん :2006/04/16(日) 21:55:19
きれいな身体についているアワビはたまらんね。 デブのスジマンはダメだね。 オレッて核心つくだろ?エヘン
957 :
考える名無しさん :2006/04/16(日) 22:19:39
958 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 22:29:06
>>956 たまりませんね。しかしあれは禁止されているから、
美しいのに汚いから、興奮するのでしょうか。
それとも、遺伝子にあの形に興奮するように組み込まれて
いるのでしょうか。
>>957 ???
959 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 22:37:09
ラカンは「性関係は存在しない」といったように、 性行為は社会的な行為である。相手が誰で、どのような状況かが 興奮と結びつく。 しかしフロイトがいう性的なものは性器性欲という性器的と区別された 幼児性欲としての性的なものである。
960 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 22:43:50
すなわち性器的以前の生物学的な性欲動リビドーである。 フロイトによると、身体の各性感帯、口唇、肛門、尿道、 男根、クリトリスであり、たとえば口唇は乳を吸うことに繋がように、 これらの快感は幼児の生物学的生存に関係する。
961 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 22:52:14
人はなんのために生きるのか。 ポストモダン的には生きることに意味などないということだろう。 フロイト的には、性的快感のために生きる、性的快感が生させるのだ。 再度いえば、この性的は性器的ではない。 だから、援交SEXが本能に従う本来の正しい生き方だ、ということではない。 この自己愛的な性的な快楽は、失われているのだ。 それが「性関係は存在しない」ということである。 たとえば幼児が乳を吸うとき、その快感は自我が未分化な状態であり、 全能感として感じられるような快感なのだ。 個体として自立することを求められる、去勢によって社会にほおりだされる前の 快楽である。
962 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:00:08
人の行為の全ては性への欲望に還元される、というとき、 このような意味で考えないといけない。 失われた性的な快感を求めるのである。 では再び、「美」は眺めるだけで、快楽であるのはなぜか。 「美」は性的な快感を想起するからである。 性的な快感を想起するものが「美」である。 ではなぜ性器そのものは美しいよりもグロテスクなのだろうか。 なぜなら、性器は、性関係を行う機能的な道具であって、性的な快感を 想起しないからである。 たとえばクジャクは羽が美しいのであって、性器は特別飾られない。 だから人間のみが、「性器は美しい」と考えることができる、といえる。 大きな勃起したペニスを、濡れたヴァギナを美しいと倒錯することができる。
963 :
考える名無しさん :2006/04/16(日) 23:12:29
>>958 言うまでもなく前者でしょ。
アレに興奮するのは経験則による、美意識の倒錯にありますからね。
遺伝子に組み込まれているのは、形にたいする感受性ではなく、未知への知でしょう。
だって俺最近ヤルよりみたいもん。
え?ただの変態?
ごもっとも。
964 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:16:57
>>963 「ヤルよりみたい」は人間性欲の本質ですね。
AVのようにSEXすることで、AVをみるように自分のSEXを眺めるように
想像しながらSEXする興奮。
携帯のカメラはなぜにあれほど求められるのか。SEXを取るためです。
しかしSEXをとるまえにすでにそのようにあ視ているのであり、
確認作業でしかない。
965 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:18:48
■「美」は眺めるだけで、快楽であるのはなぜか 生命という増殖機械と人間の終わりなき好奇心 人は刺激を求める。止まることはできない。これは生命が生まれたときから宿命である。バトンを渡しな がら止まることなくきた。人は刺激を求める。止まることはできない。これは生命が生まれたときから宿 命である。バトンを渡しながら止まることなくきた。それはウィルスの増殖として語られるように、増殖を プログラムされた機械のごとくに考えられる。 人間創造の神話として好奇心が語られるように、好奇心は人の根元であると考えられてきた。最近で あれば、資本主義的開拓、消費に繋がるだろう。ここにも生命の「増殖機械」の側面が見られる。人間 は地球をむしばむウィルスだと、語られる。生命としてのどん欲さは、人間の好奇心とつなげられる。 しかし増殖機械と終わりなき好奇心は異なると考えられる。人間とは本能の壊れた動物である、という ことだ。人間以外の生命は、環境という調和の中に留まる。多種生命の増殖機械という力はそれぞれ ぶつかり合いながら、自然環境という一つの調和と作り上げるのに対して、人間の好奇心はこの調和 を崩し、暴走してしまう。好奇心は、それほどに強烈な力を持っているというわけである。
966 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:20:24
トラウマ的集団性の消失 生命の暴走性と、人間の欲望は構造的に異なる。人間の欲望は、失われた集団性によって生まれる。 失われた集団性とは、個体性の強度が向上であり、個体間関係の消失である。失われた集団性求め て、錯乱する、それが人間の個体的欲望である。 人間にも集団的暴走があるが、これは逆説的に失われた集団性へのつかの間の回帰である。その典 型が「祭り」である。つかの間でしかない故に、個体的欲望が生まれたのである。 この集団性の消失はトラウマ的に経験されるだろう。失われた故に、傷つく、これは社会性の獲得とし ての去勢であり、疎外である。そして、分かり合えない故に、傷つけあう。そこにあるのは、抑圧であ る。失われた集団性への回帰の抑圧である。分かり合えたいほどに、傷つく。それ故に、欲望は暴走す る。欲望の加速、暴走は、なにか欲しいものがあるわけでなく、止まることができないのだ。なにかを欲 望せずにはおれない。
967 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:21:54
欲望の対象としての「美」 「美」は眺めるだけで、快楽であるのはなぜか。「美」は僕たちの何かを想起する。何かとは、欲望であ る。欲望せずにおれない、「欲望させてくれる対象の出現」を欲望する。なにか刺激的な、興奮するもの はないか。閉じることはできず、開かれずにはおれない欲望を想起する。トトロジーであるが、「美」と は、眺めるだけで欲望を想起する対象、開かれた欲望が吸い寄せられるものである。 ボクは面食いなのだろうか。眺めるだけで快楽である「美」とは女性である。しかしボクだけではないだ ろう。ネット上には「美人」画像に溢れている。終わりなく掲示されている。「美人」とは、眺めるだけで欲 望を想起する対象、開かれた欲望が吸い寄せられるものである。だからネットに「美人」画像は溢れて いる。ではなぜ「美人」は欲望が吸い寄せる力を持つのだろうか。 ボクらは美人の基準のようものが共有されているように、考えている。そして確かに共有されている部 分もあると思う。それは、人間に不変な価値か、時代、社会的なものか。科学において、左右対称の顔 が美しいなど言われるが、「美人」とはなにか、の、うなずく説明を聞いたことがない。
968 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:22:37
「美」と性的なもの 「美」は性的なものと結びついている。しかし性器はなぜ美しくないのか。美人画像が欲望されるといっ ても、美しい女性を前にするとき、話すときのドギマギさにはかなわないだろう。三次元よりも二次元と いう転倒はあるにしても、それはあくまで「転倒」でしかない。 ポストモダン的な相対主義、確かなものはなにもないに対して、人の行為の全ては性への欲望に還元 される、というフロイトは、ラディカルで、リアルではないだろうか。ラカンは「性関係は存在しない」といっ たように、性行為は社会的な行為である。相手が誰で、どのような状況かが興奮と結びつく。しかしフロ イトがいう性的なものは性器性欲という性器的と区別された幼児性欲としての性的なものである。 すなわち性器的以前の生物学的な性欲動リビドーである。フロイトによると、身体の各性感帯、口唇、 肛門、尿道、男根、クリトリスであり、たとえば口唇は乳を吸うことに繋がように、これらの快感は幼児 の生物学的生存に関係する。 人はなんのために生きるのか。ポストモダン的には生きることに意味などないということだろう。フロイト 的には、性的快感のために生きる、性的快感が生させるのだ。再度いえば、この性的は性器的ではな い。だから、援交SEXが本能に従う本来の正しい生き方だ、ということではない。この自己愛的な性的 な快楽は、失われているのだ。それが「性関係は存在しない」ということである。
969 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:23:12
性的な快感を想起するものが「美」である。 たとえば幼児が乳を吸うとき、その快感は自我が未分化な状態であり、全能感として感じられるような 快感なのだ。個体として自立することを求められる、去勢によって社会にほおりだされる前の快楽であ る。人の行為の全ては性への欲望に還元される、というとき、このような意味で考えないといけない。失 われた性的な快感を求めるのである。これを先の「トラウマ的集団性の消失」とつなげることができるだろう。 では再び、「美」は眺めるだけで、快楽であるのはなぜか。「美」は性的な快感を想起するからである。 性的な快感を想起するものが「美」である。ではなぜ性器そのものは美しいよりもグロテスクなのだろう か。なぜなら、性器は、性関係を行う機能的な道具であって、性的な快感を想起しないからである。たと えばクジャクは羽が美しいのであって、性器は特別飾られない。だから人間のみが、「性器は美しい」と 考えることができる、といえる。大きな勃起したペニスを、濡れたヴァギナを美しいと倒錯することができる。
970 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/16(日) 23:46:18
性は失われ、そして社会的に禁止されるという二重の彼方にある。 「美」を眺める快楽は、二重に屈折し投射されているものへの欲望である。
971 :
考える名無しさん :2006/04/16(日) 23:49:40
いや、美は神秘的なものに結びついている。 女が性的なものに結びついているので、美女も性的なものに結びついているというわけだから、一般的に美が性的なものに結びついているとは思えない。
972 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/17(月) 00:00:07
改訂) ストレス解消としての「美」への欲望 たとえば幼児が乳を吸うとき、その快感は自我が未分化な状態であり、全能感として感じられるような 快感なのだ。個体として自立することを求められる、去勢によって社会にほおりだされる前の快楽であ る。人の行為の全ては性への欲望に還元される、というとき、このような意味で考えないといけない。失 われた性的な快感を求めるのである。 この失われた性的な快感を、先の「トラウマ的集団性の消失」とつなげることができるだろう。失われた 集団性への回帰の抑圧として、分かり合えず、傷つけあう。その社会関係におけるストレスが、「美」を 眺める快楽を想起するのはそのためだ。 では再び、「美」は眺めるだけで、快楽であるのはなぜか。「美」は性的な快感を想起するからである。 性的な快感を想起するものが「美」である。ではなぜ性器そのものは美しいよりもグロテスクなのだろう か。なぜなら、性器は、性関係を行う機能的な道具であって、性的な快感を想起しないからである。たと えばクジャクは羽が美しいのであって、性器は特別飾られない。だから人間のみが、「性器は美しい」と 考えることができる、といえる。大きな勃起したペニスを、濡れたヴァギナを美しいと倒錯することができる。 社会的な抑圧、ストレスの解消は、性的な快楽に求められる。ストレス社会では「性的な倒錯が反映す る。しかし性は失われ、そして社会的に禁止されるという二重の彼方にある。「美」を眺める快楽は、二 重に屈折し投射されているものへの欲望である。「美」への欲望はストレス社会では必須のものであ る。ただ犯罪にはお気を付けくださいませ。
973 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/17(月) 00:03:18
>>971 神秘的なものは性的なものに繋がるが、フロイト的です。
これは「汎性欲説」と呼ばれ、避難もありますが。
繰り返される心理学的説明は美的なのか?
観念の調和性を見出す完全欲かと思うんだが、これじゃ
何も説明にならんね。
>>971 ぴか氏の言う性的なものと、性的対象をいかに切り離すか、というところ
が問題かな。
976 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/17(月) 00:12:52
>>974-975 このような圧縮文レスでは正確な意味を理解できず、
誤解に繋がるので、スルーさせていただきます。
977 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/17(月) 00:27:14
笑顔という前言語性と性的な快楽
978 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 00:32:05
性的なものは完全性への欲望の対象であるというなら、美は性的といってもいいと思う。
979 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/17(月) 00:39:16
完全性とはなにかですね。 性的とは、幼児的な全能か、さらには生命的(完全な)集団性です。
返答ありがとうございました。
>>788 >実は内部の運動でしかない。
>どこかに外部(確かさ)を想定している。
>外部は気がつかないところにあります
「外部は『発明』される」とは、「内部の内部」として発明される、
ということですね。
>>810 >なぜ繕うのか、場などなく、みなが不安だからです。
>集まらなければならない場での不安は、誰かを生け贄に、外部へ排除し、
>内部という場をつくろうのです。それがイジメです。
いじめの発動、という点ではその通りだと思います。
ここから集団的なヒステリーとも言える継続的ないじめに発展していく
プロセスは別途考える必要があると思いました。
今は別の話題に移っているようですので、ひと言感謝だけ。では。
汎性欲説か。 性があることはないことで不完全なこと、その空を埋めるべく欲動し続け、結局、美を求めるに至り得て愛に落ち着く・・ めでたしめでたし こんなストーリーには飽きる。
むしろ不完全であり続けること、愛に落ち着かないことで、性的であり続けることでこそ生活できる。 そうしないと止まってしまう。
983 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 01:24:46
美は神秘的、愛は神秘w 神秘的は性的。 世界は動いている。 世界は性的で欲動している。 世界は神秘的であり神秘ではない。 世界に美はあるが愛はない。 神秘は世界の彼岸にある。 それは神の秘密である。
104 長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 sage 2005/06/14(火) 18:27:44 ID:??? レポートつくらなきゃあかんのでWordが必要になったんだけど、Officeのしゃれにならない 値段に頭きて、nyで落としたろ、と息巻いたはいいけど、どうやらウイルス間違ってとったらしく、 何回起動してもCPU稼働率100%でフリーズ。 むかついて脳豚を買いにいくと、インターネットセキュリティは糞機能ばかりだったので システムワークスを買う。しかし買った後気づいたが、なんとワード単品で買えば普通に 安い。(アカデミックパックがあるから) 畜生、と思いながら結局無駄がねつかった。 まぁ、でも一万円でオフィスPro2003と脳豚が完備されたわけで、得っちゃ得。 しかしこの俺がいつエクセルだのパワーポイントだの使うんじゃといえば、これまた業腹。 やはりワードだけ買えばよかった。
985 :
考える名無しさん :
2006/04/17(月) 01:37:25 こりゃ笑える。 ほんとだよ。この世界じゃせいぜい神秘的であるものが最高なんだ。 完全らしきものが、真実らしきものが。