1 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 09:21:15
哲学は「シュール」をテーマにしても良いと思うのです。
誰だって変なものに特殊な執着心がある。一人でいる時に変な行動をしたくなる。
ある種そういうものたちは実生活で他人との接点がないままスルー、
あるいはタブーとして避けられてきました。
実生活で語られる事がないものを語るのが哲学です
この言葉が存在するということはこの言葉を知る前から変なものに執着心があったのです。
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| もっと具体的に! |
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∧∧ ||
( ゚д゚)||
/ づΦ
シュールで検索すると
超現実が転じて現在は、「既存の状態を超越している」「少し変な」
というような意味で、「シュールな」と用いられることが多い。不条理。
とあります。たとえば漫画「すごいよ!マサルさん」などは一般にシュールな面白さと言われます。
しかしあの漫画で笑う人がいるのは確かです。意味不明なのに面白い。
これは興味深くありませんか?何も条理もないものに面白い。
それは人間の内に秘めたstrangeな狂気のようなものと繋がっていると思うのです。
4 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 10:10:10
ヽ_ \ )ゝ、__,+、_ア〃 /
/ /. ノ( ◎ ) \ヽ
5 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 10:39:04
シュールはシュールレアリスムからきています。
精神分析にも関係し、ラカンも初期には、シュールレアリスム運動に参加していましたね。
シュールレアリスム【(フランス)surralisme】
二〇世紀を代表する芸術思潮の一。一九二四年に刊行されたブルトンの「シュールレアリスム宣言」
に始まる。ダダイスムの思想を受け継ぎつつフロイトの深層心理学の影響を受け、非合理的なものや
意識下の世界を追求、芸術の革新を企てた。ブルトンのほかに文学のアラゴン・エリュアール、美術の
エルンスト・ミロ・ダリなどが代表的。超現実主義。シュールリアリズム。シュール。
6 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 11:02:05
本来、人間の内的な世界は夢の世界のようにシュールであるが、それをいかに
秩序あるように組み立て主体として作動させているかということが精神分析だ
と思います。
現在は逆にシュールと言われる場合にはいかに正常を転倒させるか、として
語られますね。 笑いは正常をやぶることで生まれますが、ここでは「あえて」やぶったという
正常の地点があり、やぶったあとに、「あえてやぶってみました〜」と正常へ
回復される緩和に笑いが起こります。それがなければ狂気です。シュールは
これに近いのですか、緩和し回復される正常な地点がまた正常じゃない。
「あえてやぶってみました〜」といいながら狂気が解消されず、残る状態で
はないでしょうか。
なかなか興味深い!
ほとんど説明できてるんじゃないでしょうか。
むしろ狂気を語るスレにしたほうが良かったのかな…
狂気はあくまで自分からしたら狂気ではない。
他人に理解出来ないから狂気と言われるのだ。
いや、そうと言い切れないかもしれない。
何故なら本当に実生活で使われる事が稀少であるからだ。
そして社会では狂気を表に殆ど出すことなく人は生きていく。
性行為などによるいわゆる夢中になる狂気ではなくて、本当に突発的な「狂気」と
言われるものはむしろ人間の思考の意外性というものを醸し出しているのではないのか
と思います。急に思考が駆け巡り、急に叫んだりする。これは他人から見たら狂気の沙汰です。
自らが狂気だと思いながら狂気に走る場合と、真に突発的な場合があるかもしれない。
前者の場合、衆人の奇異な視線を浴びて思うかもしれません。
あるいは笑いをとる為に狂気に走るかもしれません。現代音楽などもでしょうか。意図的なものです。
後者の場合、他人を配慮することなく自由奔放に行動した場合などでしょうか。
思ったことをすぐに口に出すだとか。これは行為者本人は衆人のいない限り恥も何もないでしょう。
これは俗に言う知的障害者などの行動にも見られることだと思います。
そして狂気はコミュニケーションを活性化させるものとは考えられない。
人は自分のおおっぴらな姿を世間で出す事を恥とし嫌う。
ただし芸術の分野ではそれが高評価であったりもする。
自分に素直な芸術が、他人から見たら狂気ないしは意外性を持って感動、評価を与えられる。
しかし全ての芸術が狂気であった場合それは判断基準となるものがなくなる。
あくまで現実との接点を含む「シュール」が感動を呼ぶのではなかろうか?
と、思うがままに書いてみました
8 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 14:24:39
シュールは笑いだけではないですが、「シュールな笑い」について、書いてみました。
■「狂気」化するお笑いブーム
世界は狂気である。
たとえば、昼間、サラリーマンが街を歩きながら、大きな声で歌を歌っている。それだけで「狂気」ではな
いでしょうか。その場に緊張が走ります。このサラリーマンが、「みんなビックリした?笑いのために、あ
えてやってみました〜!」と言ったとします。これでは誰も笑わないでしょう。「普通のサラリーマンはそ
んなことはしないのに・・・」と、さらなる「狂気」がおそいます。
しかし「実はテレビ番組の収録でした。みんなビックリした?笑いのためにあえてやぶってみました〜」
といいそこにTVカメラが出現すると、緊張は緩和され、笑いがおこります。
「狂気」の方が「一般的」であるということです。そもそも「他者」とはなにを考えて、なにかするかわから
ない「狂気」の存在です。この「狂気の世界」で懸命に、「他者」ときちんとコミュニケーションができてい
るように、装うのことで社会はできています。それは、「薄氷の上を歩く」ようなものではないでしょうか。
9 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 14:25:19
笑いの排他性
しかしTVとは関係ないこのサラリーマンは、普通はこれは「狂気」ですが、とても「シュール」であるとも
いえないでしょうか。これを、シュールな笑いとは、緩和し回復されるはずの正常な地点でないが、それ
が(新たな)正常点なんだという、この「狂気さ」を笑おうとする意志によるものです。このような「滑稽さ」
は「あり」だとそこに正常点を見出されるときに、それは緩和されるのです。
実は、この「同意」性はシュールだけでなく、笑い全般に言えることではないでしょうか。どこに正常点が
あるのか。それは誰にもわかりません。それはみなの同意によって決められるのです。だからTVのお
笑いで笑い声が足されるのです。ここが同意された「正常点」であると教えるのです。
シュールは、その「正常点」を一般的に同意されている地点とは、ずれたところ、まだ狂気が残っている
新たな地点に、見出します。いままでの「正常点」ではまだ「狂気」が残っているはずの地点に、正常点
を創造します。あるいは、創造したと笑ってしまいます。そして同意する「小さな内部」を形成するので
す。だから「シュールな笑い」はいつもマニアックです。「シュールな笑い」とは小さな内部によって、「オ
レそれわかるわかる!」というわからない人を排他する快感とも言えるでしょう。
だから笑いはあたらに創造されてづける意味で解放的ですが、「内部」を強要すると言う意味で、本質
的に排他的です。たとえばアメリカのコメディを見ても、違和感があり、面白くありません。なぜなら僕た
ちが「正常点」を同意する「内部」に属していないからです。そして「内部」に属していない事実で、排他
的な不快感を感じます。
10 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 14:25:53
狂気化するお笑いブーム
このような同意の「内部」は生き物であり、絶えず変化し続けています。現代では、それはテレビメディ
アでしょう。テレビタレントは往々にして変人です。一般社会では「狂気」の人ですが、それがテレビに出
て、「同意」されると「狂気」は笑いに転換し、それは「笑うもの」として同意されます。テレビはそのような
「同意」形成の場として作動しています。テレビをみることで、「同意の内部」に帰属し、最近の「空気(ノ
リ)」に同意するのです。
最近のお笑いブームでは特に流行り廃りが早いですね。「なんでだろ〜」、「ゲッツ」、「〜切り、残
念」、、「ヒロシです。」「フォ〜!!!」と見事に切り替わっています。これは「狂気の消費」といえるかも
しれません。ブームとは新たな新鮮な「狂気」が同意されていくという消費過程です。そしてそれが同意
尽くされる、そこに「狂気」性が失われると、飽きられるのです。
HG当たりから、最近特に受ける笑いがヒステリックになっているようにも感じます。猫ヒロシ、小梅太夫
など、人々が刺激を求めて、より「狂気」へ、あるいはより「病的」へ向かっています。これはボクが「無
垢への欲望」と呼ぶものの一形態と考えられます。
11 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 15:47:36
女子高生は狂気である。
幼児は狂気である。
薄氷を破る狂気である。
そして弱く安全な狂気である。
だからボクたちは欲望する。薄氷をあるく強度にたえられない。しかしほんとの狂気にはたえられない。
だから安全な狂気を求める。
12 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 15:56:52
2ちゃねらーは罵倒する。そして薄氷をやぶる。
しかし匿名という安全であるかぎりでだ。
13 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 17:32:47
そんなら、シュールな笑いというのは、
一般的な「転倒→回復」の空間から逸脱する快楽を含んでいるということか。
だったら、逸脱することによって形成された小さな同意の内部が、
一般的な同意の内部に取り込まれてしまったら、シュールではありえなくなる、ということになりますか。
14 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 17:43:45
この消費は笑いだけでなく社会の流行り廃りなどの一般的な運動ですね。
しかし笑いというのはその中でもすごくセンシティブものではないでしょうか。
人間という動物のコミュニケーションを端的に表している。生死にかかわるとまでいってもいいかもしれません。
すなわちみなが笑うところで笑えないと生きてはいけない、ということです。
だからただの流行り廃りたけとは異なる差し迫ったものがある。
15 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 17:48:25
笑いの正常点は簡単に変化しない。だからシュールはシュールでありつづける。
これは正常と狂気とは別にシュールという文化=正常点ができていることでもあります。
シュールは狙え、一部マニアに受ける。しかしその裾野は広がっています。
16 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 18:31:34
社会、正常がありとしてそれを破る方法は反社会、非社会があります。
たとえば泥棒をすることは正しくない、反社会です。しかし泥棒は安心です。泥棒はなにものか、社会的にわかりからです。お金がほしくて盗むなど
不良も社会に不満なものです。
しかし非社会は意味がわかりません。町中でいきなり歌いだす。ぽかーんとして、不気味で狂気です。
シュールはこの非社会性、意味の宙吊りにあります。
ぐっじょぶ
18 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 03:21:07
おもしろいテーマじゃね?
哲学はこういうこともテーマにすべきです
しかしこういうのを本とかで出したら変人扱いされるかも分かりませんね
狂気の例を挙げる時は大体自分の狂気を挙げねばなりませんから
20 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 08:36:58
______
/:::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::\ ←19
/ ∵ 3 丿
/\ U ___ノ
/ .\ ____ノ\
\______ノ .\
>>20 あなたも中々の狂気の持ち主だ
むしろそのAAにも
なかなかいいテーマだと思うけど、
盛り上がるかな。。。
hos
25 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 04:50:54
シュールって非現実ってことだろ?
今みたいに非現実がまかり通ってる世の中じゃあ
白々しく見えるだけだよ、シュールレアリスムとか言ってもね。
超現実
>26
現実を越える何かって事?
むしろ心理学読め
上がれええええええええええええええええ!!!!!!!!!11111111!1111111!1111111111!!!!!!!!
30 :
考える名無しさん:2006/04/13(木) 04:14:43
世の中には、説明のつかない、または、説明しても無意味なことがある
のではないでしょうか。
シュールを説明しようとした時点で、シュールなことではなくなるのでは
ないでしょうか。
ただ、そこにまでも、意味をつけたがったり、共感してしまうのが、
人間ではないでしょうか。だから、笑うことが、できてしまう気がします。
31 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:21:04
,.- '´  ̄ ̄ ` - 、
r' _,. -―-- .、 ヽ
l r '´ `ヽ l
l'.......-―.:::::: ̄ ̄:::::::::::‐.`L.._
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ヽ:::::lヽ.、  ̄ノ :.'`-'ヽ`ir' )::::::::::;r'
` ヽニ:. ,. ::.` 'i:.r'::;;-'´
l::. ,,..--`-:く /'-' ´
イ :. "'''''''"';;;;:ミ .!
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::::::::::::::::::::::::::::::l _/_i_l ,!、:::::::::::::::ヽ
ホッシュ [Sred Hossu]
(1875〜1934 イギリス)
32 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 20:31:57
シュールな笑いといえばモンティパイソンだな。シュールな笑いの場合は常に落ち着かない所で笑いを取る。でもしれだけだと前衛的とか新しいとかの言葉で済むのにな。どうしてシュールって言うんだろ。
保守
34 :
考える名無しさん:2006/06/12(月) 00:25:57
もんティパイそんなんてぬるい
35 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 19:36:30
シュールレアリズムがなぜ表舞台に出て来ることが少ないのか考えていました。
そして「シュールレアリズムと言われる作品」のほとんどが、本来の意味とは違っていると悟りました。
シュールレアリズムの本質とは、「現実を越えた嘘」だと思います。
つまり「現実より現実っぽい嘘」、「多くの人に広まり、みんなが信じてしまう嘘」です。
これはものすごい力を秘めています。
情報と言う物は人というフィルタを通して伝えられます。たとえ写真やビデオでも取り方、伝え方、
受け取り方により変わります。そして誰もが信じてしまう嘘は真実と変わりがありません。
つまり「誰もが信じてしまう嘘」を操れれば、過去を変えてしまうことが可能なのです。
善人を悪人に、悪人を善人にすることも可能で、国家を転覆させることすら可能でしょう。
しかし良いことにも使えます。
現実と区別のつかないファンタジーは、絶望に落ちた人にさえ夢と希望を与えるでしょう。
なぜなら、本当に起こり得るかもしれないからです。
コメディーに使用すれば、皮肉と教訓を持つ笑いを生み出すでしょう。
映画や小説などは多くがこの手法を活用出来るでしょう。
36 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 19:53:54
では現在の「シュールレアリズム」とは何か考えてみました。
シュールレアリストは他人にシュールレアリストと悟られてはいけません。
なぜなら、嘘つき少年は誰からも信用されないからです。
しかし「シュールレアリストって何」と聞かれたら答えなくてはなりません。
そこで意味不明な絵や文などを見せて、これをあたかも価値があるように言うのです。
そしてシュールレアリズムの本質を悟られることを防ぐのです。
「落書きを芸術品に見せる」皮肉なことに、これも誰もが信じる嘘「シュールレアリズム」の
一種ではあります。
しかし皮肉なことに、現実はその上を行きました。
つまり人々は落書きに価値を与えてしまったのです。そしてシュールレアリズムの偽物がその本質として
伝わってしまったのです。しかし真のシュールレアリストにとってそれは望ましいことです。
かくして真のシュールレアリストは息をひそめ、緩やかな滅びの道を進んでいるのです。
日本には真のシュールレアリストはおらず、その技法を真似ただけと言われるのはその所以です。
しかし私は悟りました。
日本初の真のシュールレアリストの誕生です。私が第一号です。
この力はNetと融合することでさらに強力になるでしょう。
そして真のシュールレアリストが復活し、この世界に夢と希望と笑いと破壊と皮肉をもたらすでしょう。
シュールストレミングは最高の哲学