大福主義
672 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:12:10 0
分析系の人に質問。
「自然化された認識論」って、要は脳科学、認知科学ということ?
なんでカント以前に戻っているんだろうね。
あと、数学の哲学って何をやっている学問なの?
まさか今どき「数とは何か」とかやっているわけじゃないんでしょ。
673 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 22:10:39 0
>>672 >「自然化された認識論」って、要は脳科学、認知科学ということ?
ん?
要は、哲学/形而上学と脳科学・認知科学/形而下学の
区別を取っ払って考えようというだけじゃない?
カント<以前>に先祖返りしたわけではないんじゃないの。
哲学的な考察の対象に、認知科学やら脳科学を含めて
もし必要であれば、後者の成果で取り入れられるものは
哲学に取り入れて、哲学自体も改変しよう、とこういう
ことだと思う。
674 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 22:24:42 0
>>673 ありがとうございます。
カント以前、というのは、問題の捉え方が、という意味です。
いずれにせよ、哲学的な考察の対象、って具体的に何を想定されているのでしょうか?
脳科学でやる、ということなら、別に哲学的な考察は必要ないでしょう。
心の哲学は神経科学で発見された実験的な事実に
反するような主張はしないから自然科学との親和性は高いだろうけど、
それでも心の哲学が扱っている問題は
神経科学者が問題にするようなものとは明確に違うよ。
サールの"MiND"とか読めば分かると思うけど。
だいたいバークリの「視覚新論」みたいな本で扱っているところの
「視覚に関する哲学的な謎」なんてのは、
眼科学や神経科学の学者によって現代(一見全く「哲学的」でないような)
答えがほぼ完全に与えられちゃってるものもあるわけでね。
これは自然科学的な答えだ、これでは非自然主義的哲学の存在意義が無くなってしまう、
だからそれは見なかったことにして別の答えを探そう、
とかいって明らかに経験に反するような「哲学的」な解答を出して
満足するのはおかしいんじゃないかと思う。
プラトンやアリストテレスの昔にそのような知的態度は許されなかったんじゃなかろうか?
キリスト教神学とかならそういうダブル・スタンダードも有りうるけどね。
それは神様だから許されるのであって人間の哲学という営みじゃただの曲学亜世の徒になってしまう。
676 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 00:12:31 0
「経験」を信用するかどうかもひとつの判断でしょう。
「経験」を信じない立場の学説もあるわけで。
それについてプラトンやアリストテレスが何をいっていたのかは知りませんが・・・
過去のギリシャ人が何を話していようがどうでもよいです。
「自然化された認識論」=脳科学であれば、それはカント以前の問題意識に戻るだけでしょう、といっているだけです。
そこのところ分析系の人はどう考えているのか。
あと、「心の哲学」って何をやっているのでしょう?
認識論を自然化したならば、あとは脳科学だけでいいのでは?
一応、「哲学ゾンビ」とか表面的なことは知っているつもりですが、それ自体は面白い発想ですけれど、学問としてこの先発展していくのか、いかないのか。
>>676 現在の自然科学は心の問題をすべて解明しているわけではないよね。
そういった未解決の問題について、思考実験によって解明していこうとするのが心の哲学。
将来的には、心の問題は自然科学の発展によってだんだんと解明されていくだろう。
そうすると、心の哲学から自然科学に役割分担されるわけ。
心の問題がすべて自然科学で解明されれば(おそらくあり得ないだろうけれども)
哲学者の役割はなくなる。
>「自然化された認識論」=脳科学であれば
違うでしょ
実験もせず新しい数学的な)モデルを考えたりもせずに
クオリアがどうとか内部観測がどうだとか、
そういうことばかり神経生理学の学会で話したりしたら、
今度からお前は来るなと言われますよ
つまり、心の科学としては議論できても神経科学としては話せないような
話題は確かにあるわけです
数学の哲学はだいたい「数学基礎論」の哲学と同じだと思って間違いない
いわゆる普通の数学者が研究してるような数学の話をする人は居ない
だから1940年代以後下火になってる訳です
私はこのニッチは大好きですけどね
神経生理じゃなくてその他の神経科学だろうが心理学だろうが同じね
ただ精神医学のごく一部では真面目に現象学の話をしたりする人も居るんだけど。
それから訂正
心の科学→心の哲学
680 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 00:35:32 0
「心の哲学」上の未解決の謎って「脳科学」の問題ですよね。
分析系の人って、これは哲学の問題で、これは科学(数学)の問題だ、というけれど、実はすべて科学なり数学の問題である、と考えたほうがいいんですよ。
言い方が悪ければ、科学や数学の基礎的問題、といったほうがいいかな・・・
私は、そもそも「哲学」という学問は存在しない、という立場で、いわゆる哲学者というのは、科学なり数学なりを基礎的に考察している人だ、という認識だから、問題意識が通じないんですよね。
いずれにせよカントの問題意識は大切だと思っていて、脳科学万歳の分析系の人たちは、そのあたりをどう考えているのか、興味がある、だけなんですよ。
それと・・・
「哲学ゾンビ」でしたっけ?アレは、脳科学でどのように実証されるんですかね?
されないだろ、多分
脳波を見ても病理組織検査に出しても何しても同じって言うんだから
682 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 01:25:44 0
脳科学と絡まった心の哲学で先端の本って何なのですか?
できればデータが入っているっていう感じの。
ときに、この「心」ってmindですよね?
ならば「意識の哲学」とかのほうがいいのでは?
デネットの本は読みました。
あの程度は私も考えていました。
英語は読めます。
>>672 自然科学の用語で記述された認識論という意味です
その自然科学とはクワインにおいては物理学を意味します
伊勢田哲治さんがブログで、「心の哲学は今できることはやりつくされてる不毛の荒野」といってるね。
>>682 意識は重要なテーマのひとつだけど、心的機能のすべてではないので、
もっとニュートラルなmindという語を使っているのだと思う。
BBSとか読んでみたらどうか?
http://journals.cambridge.org/action/displayJournal?jid=BBS target article, peer commentary, replyで構成されている。
心理学者や神経科学者と哲学者のやりとりも読める。
たとえば、カラザースが標的論文を書いているもの。
Carruthers, P. (2009).
How we know our own minds: The relationship between mindreading and metacognition.
Behavioral and Brain Sciences, 32, 121-138.
http://dx.doi.org/10.1017/S0140525X09000545 心の理論(=読心能力)とメタ認知の関係を考える論文。
(心の哲学ではなく)心理学や神経科学で考察を書くときは、
データにはならない実験中の印象や実感などにも左右されることもある。
それが妙なバイアスを生むこともあれば、
そのおかげでちゃんと地に足のついている考察を書けることもある。
心の哲学の文章を読むと、そういった実感は欠けていて(たとえば、とくにヒト以外の動物の認知実験など)、
とんちんかんなことを書いていると思ってしまう部分がある。
一方で、もともと哲学者であるし、妙なバイアスもないし、
論理的な検討の仕方は、読んでいておもしろいと思う部分も多い。
686 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 20:01:56 0
ありがとう。
紹介していただいたもの。
687 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 16:46:34 0
クワインのホーリズムとされるものを、クワイン自身はホーリズムという語で
述べていない。では誰がそう呼んだの?
クワイン以外の人だろ
689 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 20:56:40 0
クワインってかわいい名前だな
690 :
考える名無しさん:2010/04/30(金) 10:14:31 0
地味に概念発達論(認知発達論の1分野)に影響していて、
クワイニアン・ブートストラッピング仮説なるものがある。
ケアリーがいっているだけかもしれん。
691 :
考える名無しさん:2010/05/07(金) 13:25:46 0
くわいん と書くとさらにかわいくなる
かるたんには及ばないな
かるなっぷ!
だめっと!
ひらり☆ぱとなむ
694 :
考える名無しさん:2010/05/08(土) 09:54:37 0
くりぷき♪
たるすき♪
フッサールはフッサールAAなしじゃ可愛いと感じないな
696 :
考える名無しさん:2010/05/10(月) 04:24:01 0
かぷらん♪
697 :
社会びたみん不足 ◆zux.LiRqWQ :2010/05/10(月) 05:13:21 0
西部邁ってあの意固地保守派ジジイのことか。
宮台は気を使ってあげたんだね。
「分析哲学の現在(世界思想社)」って本、ブックオフで見つけたんだけど
買いでしょうか?
699 :
考える名無しさん:2010/05/10(月) 20:41:39 0
>>698 10年以上前の本だけどよくまとまってるとは思う
>>699 ありがとうございます。
明日行ってみて、まだあったら買うことにします。
701 :
考える名無しさん:2010/05/12(水) 23:54:20 0
分析哲学はつまらないよね。
物理学の哲学が面白い。
それ個人の好みでしょ
703 :
考える名無しさん:2010/05/13(木) 20:17:34 0
科学哲学スレないね
>>701 つまらないということは、ようやく学問らしくなったってことだな。
705 :
h ◆gFGD8SytL/Kz :2010/06/05(土) 13:57:52 0
vv
706 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 10:17:15 0
分析してなんぼでしょ
707 :
考える名無しさん:2010/07/17(土) 00:06:53 0
test
言語哲学大全Tを読んでいて疑問に思ったのだが、
「存在論的区別を言語的区別に先行させることに反対すべきである」理由って何だろう?
710 :
考える名無しさん:2010/07/22(木) 01:21:31 0
というより、クワインの存在論的相対性の話だと思うね。
感謝。
>>709 たしかに二頁後ろでテーゼだって書いてあった。
要するに、ひとまずそうなんだと主張しているだけで、
実際に正しいかどうかは、それがテーゼとして含まれる意味の理論が正しいかどうかで決まる。
ということで良いのかな。
>>710 クワインは論理学の方法(黄ばんでいてかつ臭う)を途中で投げ出してほぼそれきり……。
なのでヒントを貰ったのにぜんぜん分からない。
翻訳の不確定性とか指示の不確定性とか、なにかすごくおもしろそうではあるんだけど。
>>712 >論理学の方法
あんなクソ面白い本を途中で投げ出すとは・・・
714 :
考える名無しさん:2010/07/23(金) 18:45:00 0
クワインを読み込めば
現代哲学の問題ほとんど網羅できるよ
クワインの『論理学の哲学』はかなり面白いぞ
薄い本だけどね良書w
716 :
考える名無しさん:2010/07/23(金) 23:34:21 0
分析哲学って、
私とは何か、と、問うているところのこの私とは何か
って言う問いは持ってるの?割とマジレス希望
分析哲学には全部あるよ
>>716 その問いへの答えは
君がその問題に関してどういう本を読んでいるか次第だな
>>713-715 「使用」と「言及」の説明のところでつまずいたんだ。
むしろ今でも分からない。
意味とか知識とか、自分の専攻に影響する議論があると思うし、
論理学の哲学方面の著書からまた読んでみる。
ありがとう。
分析哲学の本・論文を読んだ後の脱力感がひどい。
漏れはタバコでやりすごしているが・・・