◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない57◆
1 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
2 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/07(火) 23:57:39
乙!
観念論を知らんようだな?
4 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/07(火) 23:58:57
お!東スレと並んだな!
5 :
紗南:2006/03/07(火) 23:59:51
最高位さんにスルーされたので最低位と言う名前はやめます
6 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 00:00:55
・情報は物質がないところに存在しない。
・世界は物質を介在した情報の総体である。
・世界に同じは存在しない。
物質的に全く同じ要素、同じ状態の体、を作ることは不可能なのです。
なぜならこの宇宙は一方向であり、「同じ」は存在しないのですね。
体というような複雑なことでなくとも、物理の教科書にある単純な例、
物体Aと物体Bの衝突でも、同じ衝突を再現することは不可能なのです。
・「この私」の自己同一性は、同一であると錯覚する「物体」があることで、説明される。
・よって、唯物論批判は、物質を介在しない情報があることを、端的に説明することである。
7 :
紗南:2006/03/08(水) 00:11:29
できる限り、議論と関係ない話や、くだらない駄洒落や、
面白かったAAを貼って読む価値のないレスをしてゆく所存です。
コテをつかう意味のない存在になることをめざします。
名前の由来は・・・3月7日だったから「さな」です。
兄は行方不明です。
ところで、機械さん、ぴかぁ〜さん、物質とはなんなのですか?
なぜ物質があるのか、そもそもあるとはどういうことなのか不思議です。
8 :
兄:2006/03/08(水) 00:39:07
兄はここにいるぞ
9 :
紗南:2006/03/08(水) 00:50:24
>>8 そういうくだらない冗談はスルーします。
私のお兄ちゃんはそんな言い方しません。
10 :
ゾルレン:2006/03/08(水) 01:20:30
10get!
>>6 >・情報は物質がないところに存在しない。
あっそ、情報とはそういう特性があるということですか
その特性をもつ情報は、MY「情報」として定義されたのでつか?
12 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 13:39:42
>>966 >プログラムの論理上の動作が、決まっているかどうかと同じようなもの。
>結果ではなく、未来におけるある時間の状態が決まっているかどうか。
これが,「決定している」という事の説明ですか?
よう,わかりませんが…
プログラム(物理法則)が走っていても(働いていても)
そのプログラムの結果がどのような事になるか事前に知ることは不可能で,
実際にそのプログラムを走らせて見ないと判らない.
と言うことが論理的に証明されています.
人間に理解出来ないのではなくて,
例え宇宙の全てを法則化・理論化しても,
決して事前に予測できない事がある.と言っているのです.
それは,決定している事になるんですか?そんなの有りですか?
宇宙は死に向かっているから,決定論ですか?
14 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 13:58:29
過去ログのHPって専ブラでみれないの?
かちゅーしゃだとみれないっぽいんだけど・・・。
見れる人いたら、どの専ブラ使ってるか教えてほしいです。
>>12 >それは,決定している事になるんですか?そんなの有りですか?
決定していることになる。有り。
>宇宙は死に向かっているから,決定論ですか?
関係ない。誰もそんな話はしていない。
>>12 >プログラム(物理法則)が走っていても(働いていても)
>そのプログラムの結果がどのような事になるか事前に知ることは不可能で,
>実際にそのプログラムを走らせて見ないと判らない.
>と言うことが論理的に証明されています.
「結果」が判らないというのと、未来のある時点の状態が判らないというのは別。
後者はわかる。
>>12 >そのプログラムの結果がどのような事になるか事前に知ることは不可能で,
でもそれは、そのプログラムが決定論的に正しく動く事が前提なんだよ。
>と言うことが論理的に証明されています.
決定論の世界で事前に知る事が不可能ということが論理的に証明されているだけ。
18 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 14:12:34
そんなことよりポーションが高価でまずかった件
19 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 14:46:52
予言:
このスレも
くだらない討論で
埋め尽くされるだろう
>>19 > 予言:
ダーウィンの進化論で予言はできませんけど、あのような考えで予測はできますね。
例えば、パチンコで必然的に勝つことはできませんけど、長期的な視点でプラスに
することはできます。
進化論で、生物が長期的にどのように進化するか、
予測できるとは思えないが。
>>21 > 進化論で、生物が長期的にどのように進化するか、
> 予測できるとは思えないが。
それは無理ですけど、水が干上がると魚が死ぬ、というのは分かります。
例えが下手。
24 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 15:44:03
それがニートの限界だな
25 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 15:56:44
進化論的人類淘汰が導く明日は真っ暗で、俺達は誰一人助からない。
科学的知識を積み重ねても、一歩でも行動しようと思ったら統計的傾向に従うぐらいしか
できないということですね。
27 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 17:58:02
違う
28 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 18:29:26
フリーターくんはあいかわらず統計音痴だな。(笑)
違うの?自動車に乗るというのは大体1万人ぐらい日本で死ぬから乗るわけでしょ。1000万人死んだら
乗らないんじゃないの。
30 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 18:39:59
必要なら気を付けてのります。
31 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 18:41:12
その理屈でいくとパチンコは誰もしませんよ(笑)
32 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 18:54:30
ニート思考だから就職=適応できないんだな
>>31 > その理屈でいくとパチンコは誰もしませんよ(笑)
パチンコは大体投入枚数の9割以上を還元してます。それで勝てる気がするから皆やるんでしょ。
34 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 19:33:06
最高位がホストのバイトやってるらしい件
35 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 19:37:07
>>33 勝てる気とは、「私」が勝てる気ですね。
>>29的統計に還元できません。
人は統計的・確率論的世界には住んでいません。
もし、そうであればもう少しマシな世の中になっているはずです
>>35 またその話ですか。既に一回論破されちゃってるんだから。
パチンコに対する期待は統計的記述ですよ。パチンコ屋の店長はちゃんとそう考えてます。
>>36 だろうな・・
たぶん早死にするだろうと思うけど、
酒もタバコもやめられない・・
てか、やめるつもりもなかったりするがw
>>12 > これが,「決定している」という事の説明ですか?
> よう,わかりませんが…
ものの見方の違いだと思ふ…
1. 人が世界を決定できるかできないか(人が世界を決定的に予測ができるかできないか)
2. 原因は常に結果を決定している(人が世界を予測できようができまいが関係ない)
3. 原因は常に結果を決定していない(人が世界を予測できようができまいが関係ない)
2、3 はどっちともいえるんじゃないかな?
1. でいえば、人はどこまで世界を決定できるか?と思うんだよ…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86 > 粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないという事実に対し、それは元々
> 決まっていないからだと考えるのが、ボーアなどが提唱したコペンハーゲン解釈であるが、
> アインシュタインは決まってはいるが人間にはわからないだけだと考えた。
ここでは、「粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないという事実」
というのが重要じゃないかな、と俺は思ったりするんだよ
元々決まってようが、決まってまいが、それ以上は「人間にはわからない」ということは確かだと思う
「人間にはわからない」、このままでは何の進展もない
「人間にはわからない」ことについて、ああだ、こおだ、と考えても無駄ということだと思う
で、それ以上は「人間にはわからない」ことを、「元々決まっていない」と解釈するのか?
それ以上は「人間にはわからない」けど、とりあえず「決まってはいる」と解釈するのか?
ということなんじゃないかな…と思ったりする
で、今んとこ、どっちが世界を上手く説明できてるのか?ということじゃないかな、と俺は思うんだよ
962 名前: 探求者 ◆IageKhlEwc [sage] 投稿日: 2006/03/08(水) 11:02:40
>>953 一言の論点は、異なる言語体系間での翻訳不可能性の問題じゃなくて、
一つの言語体系内での「意味」とは何なのかって話だと思うよ。
「5」の意味を「数える行為」に還元したり、「赤」の意味を「色見本で占める位置」に
還元しても、結局「1つ」「色が同じ」ということの意味については説明されてない。
クキの部分でくっついたミカン2つを同時に取り出して「いーち」って数えはじめた奴に
どうやって「1つ」の意味を伝えたらいいんだ?
自分で「いーち」って言いながらミカン1個を取り出すのを見せて、そいつも同じように
「いーち」って言いながらミカンを取り出せるようにするしかない。
つまり「意味」の根拠は、最終的にはこのような実際の語用の一致にしかないので、
「語の意味とは、言語のなかでのその使用である」となるわけだ。
>一言の論点は、異なる言語体系間での翻訳不可能性の問題じゃなくて、
>一つの言語体系内での「意味」とは何なのかって話だと思うよ。
翻訳不可能性というと「英語と日本語」みたいに考えてしまうが、
別に「素人語と一言語」「俺語と探求者語」と考えてもいい。
むしろ、「同じ日本語を話しているのになぜある人を美しいと呼ぶ人と
呼ばない人がいるのか」という問題により容易に答えられるのは後者
だろう。各人が各人の微妙に異なる無数の言語を有しているのだ。
そして、会話が2者以上の間で為されるならば、その時点で「翻訳不可能」
の問題は生じる。
>「5」の意味を「数える行為」に還元したり、「赤」の意味を「色見本で占める位置」に
>還元しても、結局「1つ」「色が同じ」ということの意味については説明されてない。
その通り。ウィトゲンシュタインは敢えてそれを不問にしている。
>>しかし「五つ」という語の意味は何なのか。―そういうことはここでは全く問題なっていない。
ここで言われている「意味」は、おそらく、常識的な「意味」、つまり、「指示対象」か
「語が有している何か」だろう。ウィトゲンシュタインは(おそらく一言も)そんなものは
もはや問題にしないのではないか。
決定論はイデオロギー
って前から何度も結論がでているだろうが
>クキの部分でくっついたミカン2つを同時に取り出して「いーち」って数えはじめた奴に
>どうやって「1つ」の意味を伝えたらいいんだ?
>自分で「いーち」って言いながらミカン1個を取り出すのを見せて、そいつも同じように
>「いーち」って言いながらミカンを取り出せるようにするしかない。
これはいい線を行ってるが、前半の問いと後半の解決は、実は何の関係も無い。
前半のような考えは「私に当て嵌まる事は、相手にも当て嵌まる」という独我論の
一形態である。これは次の段落で説明しよう。
>つまり「意味」の根拠は、最終的にはこのような実際の語用の一致にしかないので、
>「語の意味とは、言語のなかでのその使用である」となるわけだ。
語の使用が「意味」の根拠なのではなく、「意味」そのものである。
但し、これは「語の使用を意味と呼ぶべし」という規範ではない。
ウィトの狙いは「語用に変なところは無いが、本当は知らないのではないか?」という
独我論的な問いに対して「私はもはやそんなことは問題にしない」ということだ。
ここで注意してもらいたいのは、このような意味の把握と「他人の主観に言及できない」
ということとは関係ないということだ。つまり、このように考えても、俺は「ウィトが言いたいのは、
一言が言いたいのは、探求者が言いたいのは〜」と言うことができる。
これをサッカーのゲームで考えてみよう。
時代が進み、非常によくできたサッカーロボットが開発されたとしよう
(別に人間でもいいが、こちらのほうが分かり易いだろう)。
俺はそのロボットとサッカーをしている。
その時、俺はこう問うことができるかもしれない。
「このロボットは、サッカーを上手くこなすが、実は(私が考えているところの)サッカーを
本当は理解していないのではないか?」
これについては『サールの中国語の部屋』が理解に役立つ(これは調べてくれ)。
これに対するウィトの解答はおそらくこうだ。
「サッカーとはフィールドにおける運動である。そして、相手がサッカーをどう理解しているかは、
もはや問題ではない。」
しかし、こう考える前と後で、俺とロボットがするサッカーの内容は何も変わらない。
俺はロボットにパスを出すし、声も掛けるだろう(ミスをすれば怒るかもしれない)。
変わったのは、「本当は〜ではないか?」という問いの有無だけである。
しかし、一言がこれと素人の問題意識をどう絡めるのか明らかでないw
それ以前に、素人と最高位はサッカーをしてるのか?
素人が最高位を探して「かくれんぼ」と称し、最高位は砂場で遊んでるだけかもしれんぞ。
47 :
素人:2006/03/08(水) 21:30:58
48 :
練馬哲人:2006/03/08(水) 21:39:47
>>37 博打は阿佐田哲也氏が言うように認識のゲームなんだから、運という霊的エネルギーを仮定できない人間がやっても、つまんないだけだと思う。
49 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 21:47:19
>>35 >またその話ですか。既に一回論破されちゃってるんだから。
はずかしくないですか(笑)
50 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 21:51:51
フリータくんに特に絡むつもりはないですよ。
あまりに適当なので、「はじめての確率論」ぐらいは
読んだ方がいいな、それだけのことです。(笑)では。
>>50 統計に還元されない"私"とやらを語りたいのか知りませんが、通常統計的傾向に
従って人は行為しますよ。あなたが書いている言葉も同じです。
53 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 23:02:40
>>51 つっこみやすいようにボケる。
相変わらず、誘導はうまいですね(笑)
ここでいままでのように、ボクから「なぜ人はパチンコをするのか」と
説明しても良いですが、
フリーターくんの説明を聞きましょう。で?
54 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/08(水) 23:07:15
このボケのうまさが、フリータくん地獄の落とし穴ですね。
天然ボケと言いはり。これがこのスレの伝統芸になりつつありますが、
このようなキャラがこのスレに集まるのか、
このスレでこのようなキャラに育つのか(笑)
55 :
素人:2006/03/08(水) 23:12:58
948 唯識 ◆Vidya0E1.s New! 2006/03/08(水) 02:01:16
>>947素人さん
>最後に残る【観察者】、最後に残る【認識する者】
仏教でいう「仏身論」に近いのではないでしょうか。
どうでしょう・・。うまく言えませんが、違うような気がします。
56 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 23:22:02
つーか、決定論によれば人がパチンコをするのもしないのも
すべて物理法則によって決定されているんだろ。
統計なんぞ関係あるまい。
57 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/08(水) 23:47:33
前スレ
>>981 >続きですけど、こういうダーウィンの進化論のようなものは、自然科学としては異例なんじゃないでしょうか。
>普通の科学では、例えばある方角にどれぐらいの燃料を積むと、大気圏を脱して月までいけるとか、
>そういう計算ができ、実際にロケットが飛びますね。しかし、進化論ではそれが不可能なのです。精神分析
>も同じで、ある人間を神経症にしようとしても、必ずそうなるわけではない。
普通の科学?・・それを言うなら「物理学だけ」になってしまいます。
例えば「化学」は、基本的に(化学的性質が「同じ」である)放射性同位元素を区別しません。
「ウラン235」も「ウラン238」も「化学」の観点からは「同じ元素」・・・「ウラン」
・・ということになります。
同様に「結果について生じた原因が完全に(全部)特定できる科学」は、他(物理学以外)には
ありません。
クロマニヨン人がネアンデルタール人の「突然変異種」であった・・としても、
ネアンデルタール人の「突然変異種」全部が「クロマニヨン人になる」訳ではない・・ということです。
従ってヨーロッパでは(歴史「科」学的に)「専制君主制」から「民主制」に「進化した」・・という
事実があったとしても、専制君主制の『全て』が民主制に進化するとは限らないのです。
・・・歴史学等の「社会科学」や、生物学、心理学等の「経験を基礎とした帰納法を手段とする科学」
では「方向性(法則性)」を「実証」することは可能でも「例外的要素の闖入」までは「予測不可能」
・・だということです。
しかし。「予測不可能性(「完全予測」することの限界)」は「被決定性(未来も決定されていること)」
・・・とは「異なる概念である」・・ということは再三申し上げているとおりです。
58 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 23:55:10
>>51 いまは知らないが、一頃は100%還元でした。それでも半年、続けたら
10人のうち9人は負けます。それが店長の統計です。
一方、パチンコをやっている連中もそのことを、よく承知しています。
パチンコにかぎらず、統計を取って何かをやるほうが稀でしょう。
59 :
紗南:2006/03/09(木) 00:09:22
私は一度もパチンコをしたことがありません。
嘘です。2回だけあります。なぜ嘘をついたのか自分でも分かりません。
私は人生における重要な選択に迫られていると感じたときはこっくりさんに聞きます。
しかし、こっくりさんに聞くという選択をしたのは、他でもない「この私」の兄です。
兄は今本当にフランスにいるのでしょうか?と全日本国民に聞きたいです。
兄もよく歴史主義批判や確率論の傾向性解釈や非決定論的実在論の話をしていました。
>>53 > ここでいままでのように、ボクから「なぜ人はパチンコをするのか」と
> 説明しても良いですが、
いつものように、"パチンコとは死の欲動である"といったあたりですか。
ぴか氏の書いている文章も統計的に書いているということです。普通の日常の生活は
全てそうやってやり過ごしているということですね。そうじゃないと前に書いたフレーム
問題にあたって動けなくなる。
61 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 00:12:30
>>57 > しかし。「予測不可能性(「完全予測」することの限界)」は「被決定性(未来も決定されていること)」
> ・・・とは「異なる概念である」・・ということは再三申し上げているとおりです。
でもそれは"神が決めてます"という話とほぼ等価ですね。機械氏の神に対する憎しみはどこから来るんでしょうか(笑)。
63 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/09(木) 00:16:10
>>59 >なぜ嘘をついたのか自分でも分かりません。
そうですね。「意思の自由は存在する」・・という立場を採れば、
「自分の行動の理由が判らない」・・『わけはない』筈でので、
「意思の自由」とは、要するに「意思の自由感」(にすぎない)
と(合同に)言い替えることが出来るということになります。
>>58 > パチンコにかぎらず、統計を取って何かをやるほうが稀でしょう。
統計取るとパチンコはちゃんと勝てますよ(笑)。
65 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 00:16:57
>>60 ワラタ2w
フリーターくんの「統計的」とはどのような意味でしょうか。
ちなみにフレーム問題は確率論で扱えないから、問題なのです。
67 :
紗南:2006/03/09(木) 00:22:27
68 :
紗南:2006/03/09(木) 00:22:58
>>63 すいません。途中で送ってしまいました。
禿げしく同意します。
世界は物質という得体の知れない悪魔に支配された自由のない地獄絵図だとおもいます。
>>65 統計的という言葉がよくなければ、確率的でもいいですよ。"適当"にやっているということです。
70 :
ゾルレン:2006/03/09(木) 00:27:21
>>68 世界を支配するのは物質じゃなくて物理法則だというのが機械的決定論なのでは?
71 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/09(木) 00:28:31
>>62 決定されている・・・それならば「決定した意思」(神)が存在するわけだろうが!
・・・と鬼の首を取ったように言い張る論理?は「決定されている」・・という「結果」
には「決定する」・・という「(擬人的)行為」が「絶対に必要(なはず)である」という
「間違った思い込み」・・・があります。
「宇宙の壮大無関心」という言葉がありますが、「この宇宙」はただ「この宇宙として」
(理論物理学的に及び数学的に)「(このように)存在しているだけ」であり「なぜこのように
存在しているのか?」・・という人間頭脳の「問」には「永遠に答えてくれない」のです。
そこで「どうしても答えて欲しい」・・「父性愛の欠落という欠陥を背負った頭脳」は
「そうだカミサマが答えてくれるはずだ!答えてくれる存在をカミサマと定義しよう」・・
という「論理学的な循環論法」で「脳が求めている『欠落した父性』」を無意識的に
「補填しよう」とするわけです。・・・それがキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の『本質』
なのです。・・・彼らが(自分達が信じる)「父なる神」の正当性に躍起になるのはその、
「永遠に失われた『父性への憧れ』」なのです。
72 :
紗南:2006/03/09(木) 00:32:11
>>70 そうなんですか。
その法則を決めたのは誰なんですか?
誰が私をそして兄を地獄に陥れたのですか?
私が地元の商業高校に入るように決めたのはこっくりさんで、
こっくりさんに聞いたのは兄で、こっくりさんは誰に聞いたのですか?
こっくりさんになぜその高校がいいのか聞いたら、制服がかわいいからといっていました。
73 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 00:34:03
>>69 ようは、経験値から推測して行為をする、ということでしょう。
たとえばこの雲行きだと、雨が降りそうだ。
データを取ったわけではないが、自分なりの経験から、
今日は、6割ぐらいで、雨が降るかな。とか、
100%降るな。傘を持っていこう。
これがフリーターくんの「統計」ですね。
これは、「統計的」と読んで、他者にの意味が伝わるのは、
3%程度じゃないでしょうか。もっと「統計的」を働かしてください。
結局、ボクが説明している。またいつものフリーターくんマジック地獄だ(笑)
74 :
素人:2006/03/09(木) 00:34:49
>>71 ダーウィンが語るような"世界"、帰納的にしか記述できない世界というのは、機械氏が語る
必然的世界とは違うんじゃないですか?というのがお聞きしたい点なのです。必然性という
話は機械氏が憎む観念論と非常に親戚なのではないかと思うのですが。
つまり、機械氏は近親憎悪をしているのではないかというのが、目下の私の仮説なのです。
>>73 経験とは限らないでしょうね。"学歴社会"とかいうのはそれこそ統計でしょうから。それを
実体化していくようになると、迷信とかにつながるんでしょう。
77 :
ゾルレン:2006/03/09(木) 00:42:24
>>72 >そうなんですか。
>その法則を決めたのは誰なんですか?
さぁ?
もしかしたら物質が主体的に決めたのかもしれないね
>誰が私をそして兄を地獄に陥れたのですか?
こっくりさんでしょ
>こっくりさんに聞いたのは兄で、こっくりさんは誰に聞いたのですか?
ラプラスでしょ
バビル二世のしもべのひとつ
空にラプラス!
>こっくりさんは誰に聞いたのですか?
>こっくりさんになぜその高校がいいのか聞いたら、制服がかわいいからといっていました。
かわいい制服に萌えるこっくりさん萌え〜
78 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 00:42:47
>>76 3%程度でなく、せめて60%で語ってください。
それが面倒なら、レスは止めましょう。
で、なにがいいたいのか?ご端的に。
フリーターくんマジック地獄はご勘弁(笑)
79 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/09(木) 00:44:47
>>70 「支配する」・・という表現は誤解を招きます。
「支配する側」と「支配される側」という区別は「物理学的に存在しない」
からです。
ただひたすらに「この宇宙」は「この宇宙」として「ある」だけであり、
「この宇宙が『この』ようにあることの理由」は「この宇宙を観測すること」では
見いだすことは「原理的に」できません。
「物質」粒子・・・酸素原子や水素原子・・を構成する「中性子・陽子・電子」を構成する「クォーク」
や「電磁気力」「弱い力」「強い力」「万有引力」を媒介する「粒子」・・は全部「2次元のひも」で出来ており、
その「ひもの性質」・・「円還状」「開いている状態」・・「振動」等により「この宇宙」は「満たされている」
のであり、逆に言えば「2次元のひも」以外の存在」は「無そのもの」である・・というのが、理論物理学の
「結論」です。・・・・それらの満ちている「場」である「真空」も
また「2次元のひも」という存在に「依存して存在している『真空』」なのです。
80 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 00:44:53
>>75 周知の事実。
決定論は観念論の相似だよ。
反証出来ないが証明も出来ないところがそっくり。
ま、決定論に証明などいらないんだけどね。
全ては決定してるんだから・・・。
それを支持するかしないかは信仰の問(ry
81 :
素人:2006/03/09(木) 00:45:19
>>77 ツッコんだ方がいいか?
ロプロスだろw って・・・
82 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/09(木) 00:46:02
新スレおめでとうございます。
>>55素人さん
削っていって最後に残るものという意味でしょうか。
>>78 > フリーターくんマジック地獄はご勘弁(笑)
困った人ですね。"死の欲望とは確率的世界への投棄である"とか書けば満足なのですか?
というか、ポストモダニストは3%文章が好きだったのではないのですか。
84 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 00:52:59
85 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 00:59:29
>>83 コミュニケーションの失敗(意味の伝達の失敗)を
担保に楽しみ過ぎるのは、相手に失礼ですよ。
ではまた(笑)
>>71 > 「補填しよう」とするわけです。・・・それがキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の『本質』
> なのです。
ユダヤ教系の本質の一つは、それはこの世を単なる被造物として扱うという点ですね。それこそ
「壮大無関心」な宇宙をそこに見ます。物理的宇宙ですね。自然な状態だと、恐らく擬人化します、
宇宙なり自然なりを。
87 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/09(木) 01:01:36
>>75 >機械氏は近親憎悪をしているのではないかというのが、目下の私の仮説なのです。
あなたには「(実証)科学」について(宗教者ですから無理もありませんが)全く興味がない
・・ことは理解できます。しかし「生半可な『宗教から見た科学感』」を頭から信じ込んであり、
それを「修正する気など(ハナから)ない」のを良く見て取れます。
『宗教というドグマ』があなたが「思考する全理由」なので、「宗教以外の観点」を全く理解
できないのです。・・・あなたは「(自己満足の)幸せのために『真理』が役に立つか否か」という
ことに「最大のプライオリティ」を置いているのに対し、私は「哲学」・・
「あらゆる先入観から自由になった思考で『真理のみ』を追求する」立場なので、所詮は「永遠の
平行線」を運命づけられている・・ということです。
88 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/09(木) 01:07:44
>>86 >「壮大な無関心」な宇宙をそこに見ます
故に「キリスト教徒やユダヤ教徒が一人も居なくなる」・・という
事態・・についても「それは必然のなせる結果であるので・・」と
「受け入れる」事になります。
「この宇宙」は「物理学的法則がどういう結果をもたらすか」について、
「無関心」・・・というより「無関心(という擬人化さえナンセンス)でさえない」
のですから。
89 :
素人:2006/03/09(木) 01:08:04
>>82 そうですねぇ・・。最高位のスタンスで言えばそうかもしれません。
けど、私の理解で言えば、
一度は必ずなされる知覚・認識、その知覚・認識しているものは何か?どこに在るのか?
ということです。「仏身」とか「如来蔵」とか「種子」とか「仏性」とかと言ってしまうと、
「本来仏である」とか「仏になる素質がある」とか仏教を離れては語れなくなりそうです。
仏教「的」なアプローチを採用する、というスタンスをとるなら、そこまで自陣に引き寄せてはマズイと思います。
「縁によってそのように生じている。」というのがギリギリのラインかと・・・。
おやすみなさいzzz
90 :
紗南:2006/03/09(木) 01:16:58
>>77 >>79 ありがとうございます。
すべての謎(ミステリィ)は解けた!と今錯覚しています。
ラプラスもこっくりさんも犯人ではありません。
ラプラスもこっくりさんも作者が仕掛けたミスディレクション。
まんまと引っかかるところでした。あぶないあぶない。
犯人はもっと身近な、もっと意外なところにいます。
しかし諸君、そもそも犯人なんて、我々つまり、
紗南、兄、パパ、ママ、ハム助(ハムスター)にとって重要なファクタなのか?
いや重要なのは動機だ。
それもちがう。理由や動機が重要?
クラスのみんなが私に消しゴムのかすを投げてくる動機を知ってどうなるの?
交差点で池埜のお母さんが「何で泣いてるの?かわいそうに」って理由を聞いてくる。
あのクソババアかわいいのは自分の娘だけのくせして。
私が盗んだバイクで校舎で走り出し校舎の窓を割ったら警察に動機を聞かれるよね。
そうしたらこう答えるよ。
「この支配からの卒業」
この宇宙がこの宇宙としてあるだけなのと同じように、
この私はこの私としてあるだけなんですか?
91 :
紗南:2006/03/09(木) 01:20:43
そこでやっぱり不思議なのは、ただあるにしても、ただじゃなくあるにしても、
あるってどういうことなのかなんです。存在するってどういうことなの?
>>45 >>46で書かれてしまいましたが、ボールを手で持って走る人とは
サッカーはできないと思うんですよ。
>>44 >時代が進み、非常によくできたサッカーロボットが開発されたとしよう
>(別に人間でもいいが、こちらのほうが分かり易いだろう)。
これとは逆のことも考えられますね。
つまり、「あのボールは本当はサッカーを理解してるんではないか?」と。
これは独我論的な問いと言うよりも汎神論的な問いです。
これを認めない理由としては、いくつかありますが、およそ外面的な理由が
主になるでしょう(例えば、喋らない、など)。ところが、サールの場合、それを
人工知能に転用するのを嫌がる(喋るからと言って、理解してるわけではない)。
ここには、ひとつの混乱(?)があるように思われます(ある事柄の不在が知性を
否定する理由に用いられるにもかかわらず、その存在が知性を肯定する理由に
用いられない)。
94 :
ゾルレン:2006/03/09(木) 01:30:56
>>90 推理において重要なのは「真実」ですよ
探偵さんに何をお願いするの?
「どうかわたしの恨みを晴らして」
「被害者と同じ苦痛を誰かに」
「事件を忘れさせて」
いやいや、「真犯人を探し出して」でしょ
それ以外のことを要求されても探偵は「ふざけるな」と言って帰ってしまいます
たいていの探偵は根暗ですから敵に回さないほうがいいですよ
95 :
紗南:2006/03/09(木) 01:40:00
>>94 わたしも真実が知りたいです。
どういうことになっているのか。どういうことなのか。
どこでなにをしているのか。
2年前、「フランスに行く」とパジャマのまま外に飛び出して行ったきり、
風邪なんてひいていないか。花粉症になっていないか。
96 :
紗南:2006/03/09(木) 01:41:34
物質だから、物理法則だから、ただあるから、存在性といわれても、
それがどういうことなのかまだよく分かりません。
>しかし、こう考える前と後で、俺とロボットがするサッカーの内容は何も変わらない。
>俺はロボットにパスを出すし、声も掛けるだろう(ミスをすれば怒るかもしれない)。
>変わったのは、「本当は〜ではないか?」という問いの有無だけである。
しかし、私はそうは思いません。
例えば、刑法です。「人格責任」と考える場合と「行為責任」と考える場合で結論が
一致するわけではないのですね。法感情としても異なるでしょう。
98 :
ゾルレン:2006/03/09(木) 01:51:45
>>95 真実を知るには「真実が存在する」と考えなければできないよね
ところが探偵さんは真実の存在は教えてくれるけど
何が真実かは教えてくれないんだ
近代知少年・・じゃなかった金田一少年の登場を待つか
自分で探偵役を買って出るか
もうあきらめちゃうか
諦めちゃうのもひとつの方法だよ
悟っちゃえばいいのさ
99 :
紗南:2006/03/09(木) 02:02:01
>ゾルレンさん
さっきから聞いてれば、あなた何ですか?
私が忘れたり、諦めたり、真実は無いと思えばいいと思ってるんですか?
ひどくないですか?勝手に決め付けないで欲しいです。
私は忘れないし、諦めないし、真実が存在すると考えていますよ。
本当にフランスにいるかどうかはわかりませんけど、探し続けますよ。
分かったような気分になったり、全体として辻褄が合わないような説明で満足したりしません。
それが私のスタイル。紗南スタイルです。
100 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 02:09:42
101 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/09(木) 03:24:57
長文書いたけどミスって消してしまった・・・
萎えたわ
>>99 「私のスタイル」を疑わない君は哲学が出来ないのだよ。
昔の写真が入った引き出しの奥に
隠してあった其れを見つけた。
皇帝閣下が自らゴム印を押されたのだろうと思うと
今でも涙がこみ上げてくる。
解るか?
>>99 失敬、失敬
ちょっと天邪鬼に思ってることと逆のことをやってみた
104 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 08:41:45
頑張って、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、
機械に人間と同等の知能をもたせた!審判員さん、判定して下さい。
審判員「判定人を呼びました」
判定人「色々と機械とお話しをしましたがどうも人間みたいです」
審判員「ほんとですか?」
判定人「はい」
審判員「ほんとに、ほんとう?」
判定人「ええ」
審判員「ほんとう?ほんとに?絶対にほんとう?」
判定人「うるせーな。ほんとだと言ってるだろ!テメー」
判定人「うん?まてよ。審判員は何なんだ?」
禅問答などでは、坊主のたたく棒(何というのだろう?)を取り上げて
「テメー、なめるんじゃねえ!」と坊主をたたき返すのが正解だよね。
論理は人間生活の一部の日常言語のごく一部なのだね。
法学は限定した世界だからいいけど、人間一般にひろげたのが、ポルポトの
クメールルージュだよね。
105 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 08:59:51
>>64 むじんくんの言うように、統計を取ってパチンコをやれば、勝てるかも
しれません。でも、10人のうち9人はそうしません。そうやって勝っても
面白くないからです。
すると、統計を取るならば、勝つ、そして、面白いことがあり得るんだね
107 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 09:19:48
>>106 いえ、統計を取らずに勝つ(負ける)ことが“快”なのです。
>>105 必ず勝てるわけないだろ。確率ちょっと勉強したらわかる。真剣に受け取るな。
パチンコには面白みがある。
110 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 09:28:10
パチンコは,勝つことが目的ではありません.
パチンコする事が目的です.
パチンコが好きなだけです.
金を払ってパチンコをしているのです.
また,パチンコを銀行代わりにしている人もいます.
(原則,定期なので自由に引き出せませんが…)
111 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 09:38:40
>>77>>94>>98 ゾルレンさん、どうしたんですか。前回は、むじんくんと議論していても
陰々滅々という雰囲気を漂わせていたのに、打って変わった躁状態。
ダツコウチク(意味がちがうかな)しちゃったんですか。
112 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 09:49:40
>>101 長文は、やめたほうがいいです。分けて書き込んでください。読み手も
あまり長いと、きちんと読まないですよ。
113 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/09(木) 10:57:17
あー
みんな読んでないから理解できないんだな
どうりで何回書いても同じなわけだ
かといって、言葉足らずでも理解できないだろうし
むずかしいね
>>88 > >「壮大な無関心」な宇宙をそこに見ます
> 故に「キリスト教徒やユダヤ教徒が一人も居なくなる」
そうですかね。宇宙が我々に無関心であることと、超越神を信じることは関係があると
思いますよ。むしろ超越神がいない時に宇宙は我々に関心があると「錯覚」してしまう
のだと思います。
>>85 私はモダニストですから、そういう失敬なことはしておりません。明快に書くよう努めているつもりです。
人間は行為する(社会的にですが)場合、必然的に全体の系の一端と化すため、どう頑張っても
確率論的にしか振舞えないのです。確かに自分の経験は大きな統計サンプルではありますが、
それだけではないですね。"学歴社会"というものがあった場合、それはメディアを通じて流布された
それこそ統計情報であり、そこに従ったりします。
その統計的傾向を実体化し始めると、迷信になります。学歴というものが一人歩きして、偏差値を
高くすると必然的に一生安泰であるという話が出てきたりする。これは名のある神社へさい銭を投げれば
生活安泰になると信じることと全く変わらない発想なのです。
>>105>>107 あなたはピカ氏ですか?つまり、賭博とは"死の欲望"だという話でしょう。私が言っているのは、
どう頑張っても、パチンコ屋にわざわざいかなくても、いつでもどこでも確率論的にしか振舞えない
ということなのです。それを心理的に誤魔化そうというのが、様々な信念であったり、迷信であったり、
"おもいっきりテレビ"であったりするということです。
117 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 12:10:40
やはり、ニートには無理か
この世が確率論的にしか記述できないという事実と、人間の精神がそれに逆らって決定論的
記述を求めるということ。あるいは、決定論的に自らを御したいということ。これが観念論の
願望です。"脳は物質だから意識は必然に過ぎない"は願望表現、最も端的な観念論の
願望表現なのです。
ということで、後はピカさんお得意の領域ですので、お願いします。
120 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 12:33:02
>>118 なるほど。だから、機械氏はあれほど宗教を憎むのだな。
人間でありながら、人間を超えたいという願望か。
むじんくんの説はとても面白い説だ。
121 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 12:52:55
人は、決定論的記述を求めるのではなく、
不確定要素の排除をしているだけです
ですから、古来より未知なる事象に対しては
それを説明しうる物語をつくりあげることで
不確定要素=不安を解消してきたにすぎません
逆に考えると、不安の解消があるから文化が育ったわけです
ですから系統的に私たちには、不確定要素に対しては、それを解消すべく
なんらかの安心できる=都合のよい意味づけをしてしまうようにさだめられているのです
これが、訓練をしないと自然と生じてしまう人のヒューリスティックやバイアス(ギャンブラーの錯誤など)の原因です
122 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 13:04:21
>>116 融通無碍の“レトリック”の使い手、ピカ氏ではありません。
確率論を念頭に置いてパチンコ店に通う人をプロといいます。彼らは、
いわば地道なサラリーマン。負けないかわりに、賭けの最大の“快”を
捨てた連中です。
「様ざまな信念や迷信」の極致が“一神教”ではないのですか。
>>122 「様ざまな信念や迷信」を打ち破るための一神教ですよ。
偶像崇拝の禁止を甘くみちゃいけない。
機械が宗教攻撃するのは、キリスト者が他の「迷妄な」宗教者を攻撃するのと同じです
124 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 13:21:56
>>119 >ということで、後はピカさんお得意の領域ですので、お願いします。
フリーターさんは基本的に怒られて伸びるタイプなので、みなさん、
フリーズしてイラっとしたときは、少し叩いてみてください。まだまだ作動します。(笑)
では本題ですが、フリーターさんの言説が曖昧なのは、確率論とは一つの認識論である、
そしてマクロとミクロな認識があり、確率論はミクロな認識論である、ということが、
わかっていなからですね。フリーターさんは、ミクロな認識でしか語ってしないのです。
>人間は行為する(社会的にですが)場合、必然的に全体の系の一端と化すため、どう頑張っても
>確率論的にしか振舞えないのです。
これは、「ミクロな認識」のことですね。経験をある単位の反復として母集団を形成し、
それと照らして、予測を行います。
ボクが先にあげた天気予報では、一日の単位の反復という経験の母集団から
「この雲行きだと、いままでの経験から、雨だな。」と予測します。
しかしこれを「確率論的」というのは、なかなかわかりにくい表現だと思います。
「確率論的」とは、科学的手法に使うからです。
適切には、「経験から」「経験値から」が適当ではないでしょうか。
だからフリーターさんの「人間は、どう頑張っても確率論的にしか振舞えない」とは、
「人間は過去の経験から予測をおこない振る舞う」ということですね。
125 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 13:23:22
>確かに自分の経験は大きな統計サンプルではありますが、
>それだけではないですね。"学歴社会"というものがあった場合、それはメディアを通じて流布された
>それこそ統計情報であり、そこに従ったりします。
>その統計的傾向を実体化し始めると、迷信になります。学歴というものが一人歩きして、偏差値を
>高くすると必然的に一生安泰であるという話が出てきたりする。これは名のある神社へさい銭を投げれば
>生活安泰になると信じることと全く変わらない発想なのです。
この「メディアを通じて流布されたそれこそ統計情報」とは、「科学的手法」による本当の「確率」ですね。
これは実は、どちらかというと「マクロ的な認識」です。人がメディアの1回の情報を信じるわけですから。
「マクロ的な認識」は「信じる」しかないのです。そこには当然、神頼みが生まれます。
人間はこのような「ミクロ認識」と「マクロ認識」を使い分けて、行為します。
たとえば、知り合いに「おはよう」と話しかける場合、「ミクロ的」に、
経験的に「おはよう」とかえってくるだろうと予測しています。しかし「マクロ的」には、
「おまえを殺す!」と襲いかかることが起こります。
ここまでくると、ボクの「断絶」論につながります。
ミクロ的は「誰でもよい人」としの私であり、マクロ的は「唯一この私」です。
そしてどんなに親しい仲でも、どんなに反復された楽勝のことでも、それに
従わない「断絶」があることが、生きることを「生き生き」させています。
126 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 13:24:06
>この世が確率論的にしか記述できないという事実と、人間の精神がそれに逆らって決定論的
>記述を求めるということ。あるいは、決定論的に自らを御したいということ。これが観念論の
>願望です。"脳は物質だから意識は必然に過ぎない"は願望表現、最も端的な観念論の
>願望表現なのです。
ミクロ認識=確率論的、ミクロ認識=信念的、ということですから、
「この世が確率論的にしか記述できない」=マクロな信念
「脳は物質だから意識は必然に過ぎない決定論」=マクロな信念
これらはともに、人間の精神が「決定した記述」を求めるということ。
ボクはこれを「機械論の欲望」と呼ぶのですが、これを「観念論」というだけでは
不十分です。なぜなら「人間は、どう頑張っても確率論的にしか振舞えない」のと同様に、
人間は、どう頑張っても信念的(=決定して=観念論)にしか振舞えないからです。
127 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 13:28:54
>>125 でも、ミクロとマクロの二項対立に落ち込まなくても
いいと思うけど。セミ・マクロ、プレ・ミクロ、
ミクロ的マクロとか、いろんな選択肢が考えられるんじゃない?
128 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 13:38:10
>>127 これは二項対立でなく、ミクロがあつまりマクロになる、
という階層関係を持っており、ミクロはマクロの信念に支えられています。
たとえば先に、天気予測の例、
>ボクが先にあげた天気予報では、一日の単位の反復という経験の母集団から
>「この雲行きだと、いままでの経験から、雨だな。」と予測します。
「一日の単位の反復を母集団とする」という規則は、マクロな認識=信念です。
129 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 13:43:13
あるマクロが集まりミクロになり、そのマクロをミクロとしてあつめ、さらに上部のマクロをつくる。
みたいなことですね。
130 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 13:43:34
>>123 それは、一神教徒の主張です。キリスト教やイスラム教は地域神を解体
吸収し“メガバンク”のような巨大宗教に成り上がりました。
では、巨大なものは“迷妄”ではないのか。むしろ、だれにも逆らえない
“迷妄の集大成”こそが一神教の本質ではないのか。
仏教を別にすれば、キリスト教は偶像崇拝についてはやや甘いでしょう。
>>124 > では本題ですが、フリーターさんの言説が曖昧なのは、確率論とは一つの認識論である、
> そしてマクロとミクロな認識があり、確率論はミクロな認識論である、ということが、
> わかっていなからですね。フリーターさんは、ミクロな認識でしか語ってしないのです。
それは確かによく分かってないんですが(笑)。つまり、人間の認識の場合、それは区別が
あるんだろうかということです。もっと端的に言えば、"純粋経験"というものがありえるだろうか、と。
こういう話があります。中井久夫氏という精神科医がどこかで書いていたんですが、この人は
臨床で面接する前に症例報告のようなものを読まないようにしているそうです。というのは、
以前ある症例報告を読んで非常に関心して、その後患者(うつ病だったそうです)と面接したら、
その後その患者が自殺したと。
つまり、症例報告によって面談時の意識にバイアスがかかったんだろうというわけです。マクロと
ミクロというのは、便宜的にしか分けられないと思いますよ。
133 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 14:05:13
本来、科学はミクロ認識です。だから反証可能性がとえる。
だから逆にマクロ認識を記述できない。反復されない一回性を記述できない。
その極限が「この私」です。
精神分析は唯一マクロ認識をめざす「この私」を扱う科学をめざしています。
その「自殺の神話」の意味は精神分析はミクロ認識(他の症例の反復)をするな、ミクロ認識たれ。
という精神分析の根源の教えですね。
134 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 14:16:40
ピカさんのマクロとミクロは、ごっちゃになっていて、どちらが
どちらかわかりません。送信する前に、ちゃんと校正を。
135 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 14:18:23
最後のミクロはマクロの間違いでした。
>>134 > どちらかわかりません。送信する前に、ちゃんと校正を。
区別ないんじゃないですか。無いというのがすっきりしますけど。
137 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 14:27:02
138 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 14:28:23
フリーターくんはましな発言とバカ発言の落差が大きすぎます。(笑)
再度いいます。これは認識論なのですよ。
139 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 14:28:32
>>130 ある観念について迷妄であることで、他の迷妄さから自由になれる。
「全てを同時には疑えない」の変奏なんだけど、一神教的思考は拠って立つ「ある観念」を
一つに限定するから、結果として「迷妄の集大成」にはならないでしょう。
むじんくんも言ってたけど、科学的思考というやつは一神教的「神の観念」の前で
可能になるものだし、これを「迷妄の集大成」と呼ぶのはいかがなものかと。
唯物論や決定論は確かに観念論だけど、迷妄さを打ち破る有用性の高い観念論だと思いますよ。
141 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 14:51:01
>>140 そのとおりですね。そこは認めます。どうしても迷妄を使うとすれば、
“超迷妄”ではどうでしょうか。
142 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 14:57:15
>ぴか、
またおまえかw もっと咀嚼してから書け
>>141 迷妄を超えた迷妄ですか。そんな感じなんでしょうw
ただ、決定論等がそのような観念に無自覚だと指摘する側も、別の意味で迷妄なんですよね。
そのような観念すら疑う立場に立つには、別の立場に立つ必要がある。
このことに自覚的であるならば、その立場を疑うためにまた別の立場に立てる。
この態度は「超迷妄」ですらないですが、何事についても結論は「分からない」であり、
「○○と仮定するなら、××」と条件つきで答えるのが精一杯になります。
最高位がバカにするような意味で「迷妄」になっちゃうわけです。
ただこの種の迷妄さは、「他者との共存」を円滑にする有用性の高い迷妄さだと思います。
144 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 16:20:53
>>131 >つまり、人間の認識の場合、それは区別が
>あるんだろうかということです。もっと端的に言えば、"純粋経験"というものがありえるだろうか、と。
あるマクロが集まりミクロになり、そのマクロをミクロとしてあつめ、さらに上部のマクロをつくる。
ということは、ある対象は、ミクロであり、マクロである、ということはありえます。みたいなことですね。
このマクロ/ミクロ認識を別に言い方をすると、「ヴィトゲンシュタインの規則のパラドクス」に現れます。
ある規則A(法則)の成立は、ある規則B(法則)によって保証される。ある規則B(法則)の成立は、
ある規則C(法則)によって保証される。というように、階層関係にあります。この下層をミクロ
(反復的)、上層をマクロ(信念的)と考えることができます。そして人工知能のフレーム問題は、
このマクロ(信念的)がないために不可能なのです。
>>138 > フリーターくんはましな発言とバカ発言の落差が大きすぎます。(笑)
ちょっと整理しますと、ピカ氏の言うミクロとは個体の反復経験を母数とした傾向であり、
マクロとはそれこそ実際の例外を含んだ統計であると。具体例で言うならば、
ミクロ的傾向から自動車運転をしても大丈夫と人は考えるが、実際にはある確率で
思いがけない事故が発生するんだと。
ちょっと分からないのは、個人の反復経験を母数とした傾向と、不特定多数の人間の
統計と質的に違うのかということです。どちらも「あれかこれか」としか立ち現れない"現実"
というものにフィルターかけているという意味で、あまり相違は無いんじゃないか。
例えば、株やっているときに思ったんですけど、自分がポジション持つと冷静に板を
見れないんですよ。同時に、日経新聞のあらゆる記事が自分のポジションに関係する
んじゃないかと思ってしまいます。
ミクロレベルで経験から判定した反復行為をし、統計的には異例なことがあるという話
は分かりやすいですが、実際には新聞に影響されて株を売ったりしてしまいます。だから
こそ、株で稼ぐ方法というものを定式化することができないわけですよね。
もっというと、人間の意識はそれ自体社会的で、現代の社会では意識はメディアを経由
するように構造化されてます。おもいっきりテレビである食材を扱うと、実際に八百屋で
その食材が売り切れになるのです。
146 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 16:40:56
>>143 ピカ氏の重層的な“認識”の最高度のマクロ認識=信念が『超迷妄』に
あたるのではないでしょうか。
一方、むじんくん(一神教徒)にはミクロもマクロもない。ピカ氏が例に
あげていた「おはよう」という挨拶も、いきなり殺すために「襲いかか
る」ことも、同列の統計的な振る舞いだそうです。
探求氏には、この二人の議論は興味なきテーマですか。
(二人の意見については読み間違いがあるかもしれません)
>>146 いやーゾルVSむじんくんもそうだったけど、今回も見てて面白いですよ。
せっかく確率の話になってるんだから、ソシュールのスレで出てたBayesianの話を
ぴっかーが出さないかなと思いながら黙って見てますw
148 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 17:28:59
意識はどうして出来たのか
唯物論が観念論とはこれいかに。
>パチンコ
必ず勝てるゲームはゲームにならんと思う
そんなものがあったら飽きる
俺はパチンコはやらないが。
「賭け」という行為は負けるリスクを必ず負う
宝くじだって外れるリスクが必ずある
俺は宝くじも買わないけど。
でも有馬のディープインパクト単勝馬券は買った
アイタタタタ・・
>>111 プライベートで女性からのアプローチが多くてね
昨日も女性と食事の約束をしたら可愛らしい返事が来て東京ブギウギ心ウキウキよ
3月はモテモテ運上昇っぽい
それと相手の話題が面白くてついハイテンションになっただけ
兄とかこっくりさんとかセンスがいいよね
ピカみたいに見てくれだけの文章じゃなくて内容があるからいい
世界というのは原一元論的でありひとつなのだが
ここでは比喩として2つの世界を想定してみる
ある科学者Aが予測したとしよう
A「わたしが手に持っているボールを放したらボールはその3秒後に地面につく」
しかし、その場にいた詩人Bが落ちているボールを途中でひったくったとしよう
B「ボールは3秒後には地面につかなかった。君の予測は外れたね」
科学者はこう答えるだろう
A「君が手を伸ばして邪魔しなかったなら、ボールは3秒後に地面についていたのだ」
この会話では2つの異なる世界が描かれている
「"君が手を伸ばしていなかったなら"、ボールは3秒後に地面についていたのだ」
このような科学者Aの予測の世界を「世界A」と呼ぼう
「いや、"現に"このボールは君が手を放した3秒後には地面につかなかったじゃないか」
このような詩人Bの言う現に起きた世界を「世界B」と呼ぼう
この2つの世界はかみ合わない。相互に自律的である
>紗南
兄は三世界論についても述べていたかい?
>>104 >論理は人間生活の一部の日常言語のごく一部なのだね。
>法学は限定した世界だからいいけど、人間一般にひろげたのが、ポルポトの
>クメールルージュだよね。
その前の禅問答の例えのどこにも論理って出てきてないことに君は気づいてる?
羊をもってきて犬を非難されてもねぇ
犬も返答に困るというものだ
私はスロットを昔よくやっていたので、その時の経験が結構示唆に富んでいて面白いと
思ってます。
まず、私がやっていたスロットは"完全確率方式"を採用してました。メダル3枚投入して
1ゲームを行うのですが、レバーを叩く度に抽選が行われるのです。つまり、大当たりの
確率が300分の1だとして、299回大当たりがないから、次の回で大当たりがでるわけ
では当然ないということです。
ところが、実際にスロット打っているとこれが感覚的になかなか納得できないのです。パチンコ屋
にはよく出玉のグラフが見れる機械置いてありますけど、そういうので谷が深くなると「もうそろそろか」
と思っちゃうんですね。しかし、それは理論的には間違いなのです。
プロの人たちとも知り合いでしたけど、彼らですら、結構この辺のことを全く否定している人は
あまりいませんでした。例えば、閉店が近くなったときにいつ打つのを止めるのが正しいか。
理論的には機械割が高く、持ち玉があるならば閉店時間ぎりぎりまで打ち続けるのが正です。
しかし、大当たりが閉店間際にくると、その後数回打ってやめるとかしてしまうんですね。
酷いのになると、前の日にずっと誰かに回された台が出るとか、一週間ダメな台はいいとか
そういう"迷信"を信じてます。僕にスロットを教えてくれた人は「絶対に完全確率であることを
忘れるな」と真顔で言ってましたが(笑)、毎回抽選をしているというのは、これはちょっと人間に
とって理解しにくいのじゃないかと思います。
ダーウィンの変異と淘汰というものが今でも議論になるのは、この完全確率の受け入れ難さと
似ていると思います。キルケゴールの「反復」なども完全確率的世界に生きることを指していますが、
これもなかなか日常的には受け入れにくい。
サールの中国語の部屋に対してはサールの英語の部屋って反論があるんだな。
で、どうもそれは一言的な禅問答の逆から攻めてるようだ。
157 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 21:20:04
>>138 整理したわりに、なにが言いたいのかよくわからないです(笑)
「実際にはある確率で思いがけない事故が発生するんだ」というのは、マクロでなく、
ミクロですね。これは事故を経験(認識)しているのでなく、確率論を経験(認識)しているのです。
確率論を反復して経験してきたが、確率論は当たらない確率があるんだ、ということです。
>個人の反復経験を母数とした傾向と、不特定多数の人間の
>統計と質的に違うのかということです。
これも同じ間違いがあります。「不特定多数の人間の統計」とは、確率論を経験(認識)
しているのです。「新聞に影響されて」の株でなく、株に言及する新聞を経験するのです。
食材を経験しているのでなく、おもいっきりテレビを経験しているのです。
これらはみんなミクロ認識です。
158 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 21:23:03
>>147 >せっかく確率の話になってるんだから、ソシュールのスレで出てたBayesianの話を
>ぴっかーが出さないかなと思いながら黙って見てますw
むじんくんの確率的なは、ベイズ的ですね。自分の経験をもとに予測する、という、
主観的です。むじんくんはなんのことか、わからないでしょうが(笑)
>>156 一言のサールに対する反論とサールの英語の部屋はほとんど一緒だよ。
というか、サールの中国語の部屋知ってるんだからそっちも知ってて考慮
してるのでは?
>>93なんかは英語の部屋のパクリなのかもしれんが。
160 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 21:31:16
>>155 相変わらずわかっていませんね。
「大当たりの確率が300分の1」とは、どのような条件でしょうか。スロットする人の腕は、
どうなっているのでしょうか。究極的な動体視力の人は、100%に近く当てることができるでしょう。
ダーウィンの変異と淘汰は、これと全然違います。自然淘汰というときに、自然そのものの変化の
不確実性は予測できません。
>>160 スロットは目押しができる人でも外れるようになってる
それがリーチ目が入って大当たりになると今度は揃うようになる
俺はパチスロはやらないけどね
さて、麻雀でもいくか
麻雀はギャンブルではなく頭のスポーツだからな
>>157 > 整理したわりに、なにが言いたいのかよくわからないです(笑)
要するに、ピカ氏の言う"マクロ"というのは歴史ということ?でもそれは確率というよりは
事後的な記述ですね。
完全確率と自然淘汰は等価だと思いますよ。スロットは目押ししても大当たりが機械の中で
抽選されていなければ当たりません。
つまり、我々は確率論的に生き、決定論的に思い出す。キルケゴールの反復と想起ですね。
「ミネルバの梟は黄昏に飛ぶ」。ピカ氏はストア派有閑階級として延々と想起しているという点で
哲学者ですね(笑)。
165 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 22:28:33
>>163-164 「歴史」もミクロにみるか、マクロに見るか、これは認識論の問題です。
一番わかりやすい例は、前にも出した宝くじの例ではないでしょうか。
宝くじを確率的に考えると、「購入者」は必ず損をするんです。
「発行者」の儲けは、「購入者」の払ったお金ー宝くじの当たり、から差し引かれる
それは、必ずプラスだからです。
だから確率的には、宝くじを書く理由はないんです。
これが、マクロ認識ですね。
しかしなぜみな宝くじを買うわけです。それは「この私は当たるんじゃないか」と
いう根拠なき信頼によります。「奇跡は起こる」というように、信念は、神性によって
ささえれられます。これがマクロ認識です。
信頼ではわかりにくいとすると、「欲望」論で語りますと、マクロ的な認識は、
トラウマ的です。マクロ的に認識では「この私」でなく、ただの一人になります。
そのために、「この私」の空想を見るのです。「この私なら当たる。1億円
当たったら、あれもしよう、これもしよう」という信頼から夢が膨らみます。
ここでポイントは、単に人は信頼する、観念論を語るということでなく、
マクロ的な認識がトラウマ的だから、なおさら空想をみて、欲望するのです。
欲望論的にいえば、「宝くじは当たらないからこそ、買われる」ということです。
宝くじというものをどのように認識するのか、ということです。
166 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 22:36:45
>>163-164 酔っぱらって、語彙がおかしい。再起。
「歴史」もミクロにみるか、マクロに見るか、これは認識論の問題です。
一番わかりやすい例は、前にも出した宝くじの例ではないでしょうか。
宝くじを確率的に考えると、「購入者」は必ず損をするんです。
「発行者」の儲けは、「購入者」の払ったお金ー宝くじの当たり、から差し引かれる
それは、必ずプラスです。
だから確率的には、宝くじ買う理由はないんです。これが、ミクロ認識ですね。
しかしなぜかみな宝くじを買うわけです。それは「この私!なら当たるんじゃないか」と
いう根拠なき信頼によります。「奇跡は起こる」というように、信念は、神性によって
ささえれられます。これがマクロ認識です。
信頼ではわかりにくいとすると、「欲望」論で語りますと、ミクロ的な認識は、
トラウマ的です。ミクロ的な認識では「この私」でなく、ただの一人になります。
そのために、「この私」の空想を見るのです。「この私なら当たる。1億円
当たったら、あれもしよう、これもしよう」という信頼から夢が膨らみます。
ここでポイントは、単に人は信頼する、観念論を語るということでなく、
ミクロ的な認識がトラウマ的だから、なおさらマクロ的な空想をみて、欲望するのです。
欲望論的にいえば、「宝くじは当たらないからこそ、買われる」ということです。
これは、確率論的ミクロが正しくて、信頼的なマクロが曖昧ということでなく、
宝くじというものをどのように認識するのか、ということです。
167 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 23:12:45
>>166 初歩的な質問をします。ミクロ認識がトラウマ的というのは、どういう
意味ですか。そこがわからないと、この文章は意味をなさないので?
酔っ払っていて、ご機嫌のところをすみません。
168 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 23:21:50
>>167 ご機嫌ではありません。頭痛い。眠い。
ミクロ認識の究極とはなんでしょうか。
「この私」の死、(死の世界)です。
なぜなら、私は60億人の一人の意味しかないのです。
簡単にいえば、人の体の中の1細胞のようなものです。
人が生きることが目的に、1細胞の生には意味がない。
1細胞が死んでも、すぐに隣の細胞が代替する。
これが「この私」のトラウマでなくて、なんでしょうか。
169 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 23:26:55
科学的主体、確率論的主体は、「この私」という
唯一性を抑圧し、1細胞へ還元するのです。
「あなた」は、1細胞としてのみ生きていけますか。
170 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 23:31:45
>>166 もう一つ。宝クジは何の喩えですか。“生きる”ことの?
とすると、こういう意味? 生きることは、ミクロ認識的には無意味
である。しかし、だれもが生きる。何か奇跡が起きるのではないかと
信じつつ。
俗っぽくいえば、こういうことですか? それとも、まったく違う喩
えですか?
171 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 23:38:31
>>170 宝くじとは、「この私の世界」の例えです。
まず、人間と動物の「断絶」を考えないといけません。
動物には「この私」はありません。だから知能が低くても、
経験されたマクロ認識、(あるいは遺伝子命令)で生きています。
これは、死の世界ではありません。
動物は群れの1細胞としての「生」を生きるのです。
「生」とはこういう事です。ニーチェの「力への意志」ですね。
しかし人間は、動物と違い「この私」という自意識を持っています。
マクロ認識のみでは、「この私」=自意識が死ぬのです。
だからマクロ認識が必要です。
172 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 23:46:32
マクロ認識は「生」を純化します。ニーチェの「力への意志」です。
ミクロ認識は「生」を疑い、「この私」の意味を求めます。
そして「この私」の意味は、獲得されません。
故に、「この私」に意味がないと「生」を抑圧し自殺したりします。
動物は、ただ生きるのみで、自殺しません。
それがフロイトの「快感原則の彼岸」、ラカンの「死への欲動」です。
マクロ認識は「生」を危険にさらすことで成り立ちます。
確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、盗んだバイクで走り出す・・・
話が早すぎですか?(笑)
173 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 23:50:13
ん〜ダメだ、また再記です。
ミクロ認識は「生」を純化します。ニーチェの「力への意志」です。
マクロ認識は「生」を疑い、「この私」の意味を求めます。
174 :
左危機!:2006/03/09(木) 23:50:49
微分積分マンセー♪
175 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 23:53:38
>>171にもミス発見!(><)
ミクロ認識のみでは、「この私」=自意識が死ぬのです。
176 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/09(木) 23:56:50
人工知能はミクロ認識です。だから「動物」を再現できるでしょうが、
「人間」は再現できません。人工知能にはマクロ認識がないからです。
確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、盗んだバイクで走り出すような
人工知能は必要ですか?世界を滅ぼしますよ。人間のように・・・
>>166 > 信頼ではわかりにくいとすると、「欲望」論で語りますと、ミクロ的な認識は、
> トラウマ的です。
お家芸が出たところで水差すようですが、だとしても世界は確率論的にしか立ち現れない
でしょう。それがトラウマだというのは分かりますが、反転して「宝くじに当たる私」を空想
するのは反復は反復でも反復強迫ですね。
178 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:18:10
>>177 人間は、「(動物のように)世界は確率論的にはしか立ち現れない」ことはないです。
「性関係は存在しない」のですから、
人間の「世界は信念(空想的)にしか立ち現れない」のです。
179 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/10(金) 00:18:27
>>169 >科学的主体、確率論的主体は、「この私」という
>唯一性を抑圧し、1細胞へ還元するのです。
あなたも、「誕生の日」の10ヶ月前前後、「受精した瞬間」には
「1細胞」でした筈ですよね?・・もし「人間」ならば・・の話ですが・・
その後・・2個・・4個・・8個・・16個・・32個・・64個・・ニゴロ
・・イチニッパ・・と分裂した結果が「あなた」ですよね?
では、何回ぐらい分裂した後で、「私は(ただの)1個の細胞ではない」という
(観念論者としての)「立派な自覚」が芽生えたのでしょうね?
180 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:19:17
■マクロ認識とミクロ認識
人はなぜ宝くじを買うのか
マクロ認識とミクロ認識を宝くじの例で示しましょう。宝くじを確率的に考えると、「購入者」は必ず損を
するんです。「発行者」の儲けは、(「購入者」の払ったお金ー宝くじの当たり)です。これは必ずプラスに
なります。だから確率的には、宝くじ買う理由はないんです。これが、「ミクロ認識」ですね。
しかしなぜかみな宝くじを買うわけです。それは「この私!なら当たるんじゃないか」という根拠なき
信頼によります。「奇跡は起こる」というように、信念は、神性によってささえれられます。これが
「マクロ認識」です。
「信頼」ではわかりにくいので、「欲望」論で語ります。ミクロ認識は、トラウマ的です。ミクロ認識の
究極とはなんでしょうか。「この私」の死、(死の世界)です。なぜなら、私は60億人の一人でしかない
のです。簡単にいえば、人の体の中の1細胞のようなものです。人が生きることが目的に、1細胞の生
には意味がない。1細胞が死んでも、すぐに隣の細胞が代替する。これが「この私」のトラウマでなくて、
なんでしょうか。
このトラウマから、「この私」は「空想」を見るのです。「この私なら当たる。1億円当たったら、あれも
しよう、これもしよう」という欲望が膨らみます。ここでポイントは、単に人は必ず、信頼する、観念論を
語るということでなく、ミクロ的な認識がトラウマ的だから、なおさらマクロ的な空想をみて、欲望する
のです。欲望論的にいえば、「宝くじは当たらないからこそ、買われる」ということです。
科学的、確率論的とは、ミクロ認識です。しかしこれは、ミクロ認識が正しくて、マクロ認識が曖昧という
ことでなく、宝くじというものをどのように認識するのか、ということです。
>>178 > 人間は、「(動物のように)世界は確率論的にはしか立ち現れない」ことはないです。
動物は確率論的には立ち現れないでしょう。本能というフィルターがあるわけですから。
確率論的世界=断絶(ピカ用語)=トラウマ(ピカ用語)では?
182 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:20:00
生のマクロ認識、死のミクロ認識
ミクロ認識、マクロ認識を考える場合には、人間と動物の「断絶」を考えないといけません。動物には
「この私」はありません。だから知能が低くても、経験されたマクロ認識、(あるいは遺伝子命令)で
生きています。これは、死の世界ではありません。動物は群れの1細胞としての「生」を生きるのです。
マクロ認識は「生」を純化します。ニーチェの「力への意志」です。
しかし人間は、動物と違い「この私」という自意識を持っています。ミクロ認識のみでは、「この私」=
自意識が死ぬのです。だからマクロ認識が必要です。マクロ認識は「生」を疑い、「この私」の意味を
求めます。そして「この私」の意味は、獲得されません。だから「この私」に意味がないと「生」を抑圧し
自殺したりします。動物は、ただ生きるのみで、自殺しません。
マクロ認識は「生」を危険にさらすことで成り立ちます。確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、
盗んだバイクで走り出す・・・これはフロイトの「快感原則の彼岸」、ラカンの「死への欲動」です。
人工知能はミクロ認識です。だから「動物」を再現できるでしょうが、「人間」は再現できません。
人工知能にはマクロ認識がないからです。確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、盗んだバイクで
走り出すような人工知能は必要ですか?世界を滅ぼしますよ。人間のように・・・
しかし、自意識の循環運動に踏みとどまるという、ストア派的生き方をピカ氏がしているということは
よく分かります。
184 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:26:46
>>181 動物には経験がないと?アメーバでさえ、経験から学ぶと
いいますよ。確率論的というと計算ようにですが、
正確には経験的(経験の単位を記憶し、予測に反映する)です。
>確率論的世界=断絶(ピカ用語)=トラウマ(ピカ用語)では?
動物でなく、「この私」にとってトラウマ的なのです。
読んでください。フリータマジックに入ってます。
185 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 00:29:09
>>172 たしかに、早すぎです。
本日は、これが最後の質問です。
ピカ氏によれば、ミクロ認識は「この私」の無意味さに到達し、時には自殺
にいたる。この“死”と、ラカンの「死への欲動」の“死”は別の意味合い
があるのでしょう?
前者は、いわば負け犬的な死。それに対して、後者の欲動は「生」を危険に
さらすことによって『この私』を確認する、確率論的には正しくない“賭け”
という意味でしょう? 全然、違うのですか。
186 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/10(金) 00:31:14
>>180>>182 「ミクロ」と「マクロ」の使い方が「逆」だと思います。
また、「動物と一緒に生活した」ことがないために、動物を認識し損なっておられると
考えます。
動物の「我」は、人間の「我」よりよほどストレートに表面化しますので、動物と
一緒に生活してみれば、「人間も動物の一種『ホモサピエンス』なのだということが、
実感を持ってよく理解できます。
ところであなたは「鉄腕アトム」とか「ドラエモン」とかに「感情移入」して、楽しんだこと
は無いのでしょうか?・・・当然「機械だから」・・ということで、感情移入などできっこあり
ませんよね?
187 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:36:55
ほんとどうしようもない・・・再記述
生のマクロ認識、死のミクロ認識
ミクロ認識、マクロ認識を考える場合には、人間と動物の「断絶」を考えないといけません。動物には
「この私」はありません。だから知能が低くても、経験されたミクロ認識、(あるいは遺伝子命令)で
生きています。これは、死の世界ではありません。動物は群れの1細胞としての「生」を生きるのです。
ミクロ認識は「生」を純化します。ニーチェの「力への意志」です。
しかし人間は、動物と違い「この私」という自意識を持っています。ミクロ認識のみでは、「この私」=
自意識が死ぬのです。だからマクロ認識が必要です。マクロ認識は「生」を疑い、「この私」の意味を
求めます。そして「この私」の意味は、獲得されません。だから「この私」に意味がないと「生」を抑圧し
自殺したりします。動物は、ただ生きるのみで、自殺しません。
マクロ認識は「生」を危険にさらすことで成り立ちます。確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、
盗んだバイクで走り出す・・・これはフロイトの「快感原則の彼岸」、ラカンの「死への欲動」です。
人工知能はミクロ認識です。だから「動物」を再現できるでしょうが、「人間」は再現できません。
人工知能にはマクロ認識がないからです。確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、盗んだバイクで
走り出すような人工知能は必要ですか?世界を滅ぼしますよ。人間のように・・・
188 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 00:37:12
ぴかさん、そろそろマクロとミクロを書き間違えないように。質問
する側が混乱します。
>>184 > 動物には経験がないと?アメーバでさえ、経験から学ぶと
動物は人間のような経験しませんよ。本能というフィルターがあるからです。世界は確率論的でも
なければ決定論的でもないでしょう。
この私にとってトラウマというのはあなた自身が上で書いたように逆さまですね。確率論的に
世界が現れるからこの私というのが志向されるわけです。マッチポンプですよ。
話が戻ってきたので再度書きますが、確率論的世界に対する反作用としての自己意識、これが
必然論としての意識です。また、観念論の根源だと思います。機械氏はこの観念論に近親憎悪を
抱いているというのが私の目下の仮説です。
191 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:47:15
>>185 >ピカ氏によれば、ミクロ認識は「この私」の無意味さに到達し、時には自殺
>にいたる。
違います。ミクロ認識は「この私」を解体するので、その恐怖から、
マクロ認識が作動、空想を見るのです。
そして、確率論的正しさを無視して、「この私」の意味を求めて、盗んだバイクで走したり、
自殺をするのです。それが、ラカンの「死への欲動」です。
ミクロ認識が「この私」を解体すると、精神病です。死のうとも思いません。
マクロ認識は「この私」を過剰に欲望する、神経症です。過剰すぎると、自殺します。
192 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 00:47:33
宝くじはを買うロボットは単なる誤作動。エラー。
193 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:49:00
>>186 >動物と一緒に生活してみれば、「人間も動物の一種『ホモサピエンス』なのだということが、
>実感を持ってよく理解できます。
>ところであなたは「とかに「感情移入」して、楽しんだこと
>は無いのでしょうか?・・・当然「機械だから」・・ということで、感情移入などできっこあり
>ませんよね?
マクロ認識的「空想」=神経症ですね。
ボクもペットと話をしたことも、「鉄腕アトム」とか「ドラエモン」に
わくわくしますよ。これが人間としての正常です。
「人間はみな神経症です」から。
>>191 > そして、確率論的正しさを無視して、「この私」の意味を求めて、盗んだバイクで走したり、
> 自殺をするのです。それが、ラカンの「死への欲動」です。
違うと思いますよ。自殺は生の欲動でしょう。
195 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/10(金) 00:50:43
>>182 >マクロ認識は「生」を危険にさらすことで成り立ちます。確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、
>盗んだバイクで走り出す・・・これはフロイトの「快感原則の彼岸」、ラカンの「死への欲動」です。
そのような「観念論者好みの面倒くさい(一見複雑そうな)?原則うんとら」などではありません。
要するに『そこに「欲望」がある』からです。
欲望は種々の形態で我々の「個々の脳」を突然「襲ってくる」わけですが、何のことはない
・・大別して「2種類」になります。
@種族保存本能・・代表的で一番判りやすいのが「性欲」
A個体保存本能・・代表的で一番判りやすいのが「食欲」
です、しかし「性欲」や「食欲」が(一応)満たされると「次の欲望が現れる」というのが、
「人間という動物の業の深さ」です。・・それは「安全確保の欲求」から「社会的承認への欲求」
・・とどんどん「発展?」し、最後に「権力への欲求」で留まるのが「通常」ですが、
さらに「『業』が深い個体」は、「自己実現の欲求」などを持つようになります。
しかし、基本はやはり「遺伝子の戦略」@種族保存本能とそれの『派生物』である
A個体保存本能・・なのです。
『動物は自殺しない』のかもしれませんが、草食動物の母親が子供を守るために
肉食動物の「関心を自分に向ける」行為は、動物学でも確認されている「常識」です。
要は「遺伝子の戦略」において、「個体の存在」は「種の存在」より優先度が低い
・・ということです。
これは、早くも埋め立てに入っているということか?w
生きたい人は自殺をし、ただひたすら死を待つ人は自殺しません。だからキリスト教では
自殺を最も欲深い行為として禁じているのです。
198 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 00:54:24
>>191 >確率論的世界に対する反作用としての自己意識、これが
>必然論としての意識です。また、観念論の根源だと思います。機械氏はこの観念論に近親憎悪を
>抱いているというのが私の目下の仮説です。
私が言ったことをなぞっていますが、大きなところが抜けています。
確率論的世界に対する反作用としての自己意識、これが
「確率論」としての意識です。また、観念論の根源だと思います。むじんくんはこの観念論に近親憎悪を
抱いているというのが私の目下の仮説です。
>>198 > 確率論的世界に対する反作用としての自己意識、これが
> 「確率論」としての意識です。また、観念論の根源だと思います。むじんくんはこの観念論に近親憎悪を
> 抱いているというのが私の目下の仮説です。
違うんじゃないですか(笑)。確率論的世界に対するは必然的世界でしょう。文化形成というのはそこから
発しているんじゃないかと思いますよ。
200 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 00:57:45
「機械的唯物論」者さんは、ウェットな自意識から逃れ、物体のように飄々と
生きていきたいのだろう。
身体と環境が調和しないときに「自分・ワレ」というものを意識する。
ワレ困る、ゆえにワレ発生する。
この意識からの逃避を「機械的唯物論」者さんは望んでいるのでは。
201 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 01:00:28
>>198 解説です。
この「確率論」とは、「世界は確率論だと俯瞰する位置」、
マクロ認識でかたるメタ「確率論」という観念論にむじんくんはいる、
ということです。
みな、マクロ認識の「空想」からは逃れられない。
まあ、当然ボクもですが。
これに対するラカンのテーゼは「メタ言語は存在しない」ですね。
202 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 01:03:58
>>191 あなたがミクロとマクロを書き違えたので、ああいう質問になったのです。
ぴかさんの言う“死”の意味が少しわかりました。大物が登場してきて、た
いへんでね。
こういうことに、最高位は無関心なのですか。
203 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/10(金) 01:04:22
>>200 そうすると「我思う」状態の「別の言い方」である『「あなた」がある』時には、
常にあなたは「何かに困っている」のですね?現代では「お金に困っている」方が
結構多いようですが、人間が『(自分達の政府が)印刷した紙』によって、
困っている・・・のはかなり「滑稽な状況」ですね?
・・しかしあなたの説によると「何かに困っているから『ワレ』が発生する」訳ですので、
「貨幣経済」とは「ワレ」を出来るだけ沢山発生させる「社会システム」である・・
ということになります。・・なるほど。
204 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/10(金) 01:19:24
>>197 >生きたい人は自殺をし、ただひたすら死を待つ人は自殺しません。
では、一つ質問があります。仏教では「即身成仏」という修業?があります。
自分は座禅を組んで生きたまま埋められ「空気穴の竹筒」で呼吸しながら、
「ひたすら死を待つ」修業?・・ですが・・それは「基督教的に」言うと
「自殺だから地獄行き」なのですか?それとも「ひたすら死を待った」だけだから
「天国生き」なのですか?
205 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 01:33:46
>>200 >機械的唯物論」者さんは、ウェットな自意識から逃れ、物体のように飄々と
>生きていきたいのだろう。
>この逃避をの意識からの逃避を「機械的唯物論」者さんは望んでいるのでは。
そうでしょうね。そしてこれの名前は「欲望」です。
「ウェットな自意識から逃れ、物体のように飄々と生きていきたい」という、
ウェットな(過剰な)欲望というパラドクス。神経症の典型でしょう。
死を自殺、事故死、殺害、自然死の4つに分けると、自殺かその他の死かを
分けるのは、状況証拠から本人の意志を推測するしかないでしょう。
本人の意志というのは揺れているわけで、グレーゾーンを含んでいるじゃないですか。
207 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/10(金) 01:50:16
>>205 いや、あなたは、「現代観念論者の引用(らしきモノ)」を繰り出しておられたので、
もう少し、思想全般について理解が深いし、ウィット(ウェットではありません)が、
ある方だと思っておりましたが、実は結構余裕無いんですね?あらら・・
・・ということなので、本日は就寝させて戴きます。
208 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 01:59:02
何言ってんのこいつら
>>208 威勢がいいのはいいけれど、学部生は10年早いのでまず勉強しなさい。
でなければ、今のうちに他の学部に移りなさい。
210 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 02:10:27
ププププ
211 :
紗南:2006/03/10(金) 02:15:28
>>100 人のことを「ネカマ」と言う人がネカマです。
それともリアルおかまさんでしょうか?
あなたがリアルおかまだという証拠を提示してくれなければ私は信じません。
自分に自信が無いからです。私に勇気をください。
>>102 さっぱり意味が解りませんでした。
紗南スタイル、換言すれば、紗南スタイルです。
天気晴朗ナレド紗南スタイルです。
玄関あけたら2分で紗南スタイルです。
紗南スタイル、と言っても過言ではないでしょう。
兄の机の引き出しから泥棒に盗られたと思っていた紗南の下着が
たくさん出てきたからって泣くな男だろ!
>>103 ちょっと紗南そういう下ねたはNGなんですよ。すいませんが勘弁。
212 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 02:29:26
いまこのコミュニケーションでも、マクロ、ミクロは作動しています。あーいえば、経験的にこういう
だろう。あるいはあー言われたときには、儀礼的にこーいうべきだ。これは、意志のレベルでなく、
無意識(社会性)でもあります。「おはよ」と言われると、「おはよ」と口に出てしまいます。
これはミクロ認識のレベルです。
しかしそれが裏切られる時があります。それを意図的に起こすのが、「機知」です。あえてマクロ認識
に引き込むことによって、無意識(社会性)が裏切られ、主体は意味の宙づりになり、緊張がはしります。そしてそれを解消するように笑います。
2ちゃんねるは、いかに予測を裏切るシニフィアンを発するか。いかに相手を宙づりにするかの
ゲームです。2ちゃんねる、ケータイなど言われるのは、コミュニケーションという必要なことを伝える
ことから考えて、そもそも必要がないものであると言われます。すなわち場そのものが、マクロ認識な
場として作動しています。
213 :
紗南:2006/03/10(金) 02:42:02
>>153 逆に、兄は三世界論についても述べていました。
ある夜、兄は布団で眠りかけていた紗南に忍び寄り耳元でこうささやきました。
「いいかい、よく聞けマドモアゼル。世界は以下の三つに区別される。
1.敵、2.君主、3.奴隷、この三つだ。紗南はお兄ちゃんの奴隷だよ。
奴隷は君主の命令に絶対そむいてはならない」
この記憶は紗南の見た夢だったのかもしれません。
214 :
紗南:2006/03/10(金) 02:51:08
世界1(物)と世界2(心)だけを区別するなら、デカルトの二元論ですね。
ただ、三世界論では1と2、2と3という隣接する世界が相互作用するのに対して、
デカルトの場合はどうなんでしょう?
「デカルトは不合理な超越論的実在論の父となった」って、
このまえ伊東家の食卓でトミーズ雅さんが言ってました。
トミーズのもう一人の人、顔は思い出せるのに名前が思い出せません。
むしろ、そんな自分に絶望していますよ?
カントの、理性の限界を認めつつ、合理主義的に自分から問い、
最善を目指し考えをテストにかけ続けてゆくという啓蒙主義的態度が、
三世界論とにていると思いました。
215 :
紗南:2006/03/10(金) 02:52:59
ゾルレンさんが「野良犬とは議論できない」と書いていらっしゃるのを拝見しましたが、
うちの兄はよく近所の野良犬や、ごはんですよ(桃屋)の空き瓶と議論していたよ。
「どうしてお兄ちゃんは犬と話せるの?
紗南なんて人に自分の話を分かってもらうのも難しいのに。」って聞いたら、
「犬は人なんだよ。『犬を見て法を説け』『犬も歩けば火かき棒に当たる』」と言っていました。
人とその他の生物・無生物を区別しないのは節操が無いと紗南は思いました。
でも、兄はそれらに一貫する単一の何かを見出していたのかもしれない。
家でのプライベートな時間も、外に出かけるときも、一貫してパジャマだったのは、
地獄の閻魔様、それか、キリスト教のような一神教的な神様の、すべてを俯瞰する、
客観的なまなざしを意識して、常に開かれていようとしていたのかもしれない。
そういえば、
「地獄の沙汰も銭しだい。タクシー金払えばどこまでも行く」
「右の頬を打たれたら左ストレート。左の頬を打たれたら踏みつけ式逆片エビ固め。」
と教えられたことがありました。
暴力的な教えでしたが、兄は心優しく、暴力を憎んでいました。
兄は、人を傷つけるようなことは絶対にしません。
たしかに兄は、空気銃で通行人を無差別に狙撃して補導されたことが何度もあって、
いつも「ミスって撃っちまった」と言っていました。
そのたびにパパもママも警察署に出向き泣いて謝っていましたが、兄は料理が得意でした。
クレープ、ホットケーキ、具のないお好み焼き、何でもひとりで作れます。
216 :
紗南:2006/03/10(金) 02:54:22
それから、連投規制という制限があるので、議論好きとお見受けするゾルレンさんは、
私みたいなノイズのようなもの、というかノイズを相手にレスを消費するより、
むじんくんさんやぴかぁ〜さんと議論しないともったいないと思いますよ?
ちょうど今の話題、まだ難しくてよく理解できていませんが、むじんくんさんは、
人の行動が正反合の弁証法的であるという歴史主義的なことも、
人は統計的な判断でしか動けないという経験からの帰納のようなことも、
仰っていたように思います。ぴかぁ〜さんがさっき書いていらっしゃった、
「メタ言語は存在しない」は、微妙ですが、世界3を否定しているとも取れました。
ゾルレンさんは認識も実在のものも非決定論的と考え、
また、世界3のような客観的なものの自律性も想定しているような気がするので、
むじんくんさんぴかぁ〜さんとゾルレンさんとが議論すると面白そうだと思うんです。
217 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 08:08:14
/ /| イ | T´ _,.-
( _/ |__ | | | _,.-''´
 ̄ ! / / |__ ! /
/ /⌒y /_,/_ r' /
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/ Y⌒ヾ::):!::{__/ / /
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/ /´ ̄:::´こ`ヽ:::ヽ /
! /:::://::ィ⌒ヽヽヽ::::ヽ (´・ω・`) しらんがな
! !:::::!::!::(::ゞンノ:::ハヽノ::::! /
! ト::::!!ーフーヽニィ:::::ノ:::::,' /
!::::ヽ、ィj:f::ソ-ー':::::::/
`ヽ::::::::Y´::::::::_,. '′
', Y::ノ:::/´ /
', !/::::/ /
', )j::/ _,. '´
ヽゞイ/
冫
、....!:v
.._:ヽ::V
む〜ん、ぴかぁ〜Vsむじんくん戦は、予想通り電波大宴会w
紗南まで来たか。俺もマッサージに行っちゃおかな。
>>201 それは世論調査的な視点でしょう。僕が言っているのは、実際に人間が行為する場というのは
確率論的にしか世界は現れないということです。メタに立つというのはそこでは本当はできない
んですよ。しかし、無意識にそれを回避するわけで、それが文化的なもの、人間の観念というものです。
じゃあ、回避している確率論的世界とは何かと言ったら、サルトルが「嘔吐」したオブジェクトの
世界です。それを文化=言語的フィルターで回避しようとする。
"この私"の話にしても、それは「必然的」に私が生まれたのだ、と語りたいわけです。目的論的
と言ってもいいわけですが、キリンの首が長くなったのは必然なのだと
>>204 > では、一つ質問があります。仏教では「即身成仏」という修業?があります。
それは生の欲望を断念した果てにある行為と考えられるから"成仏"なんでしょうね。
キリスト教的にはどうなのか分からないですけど(笑)。ショーペンハウエルは意識的な
死の中で餓死だけは彼の術語である「意志」の断念と言えると書いてますね。
221 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 09:22:39
>>216 ゾルレンさんは、正攻法の正統派の知識人。“意味”に比重をかけた
表現をします。それに対して、ぴかさんは、たえず“意味”をずらす
ように語る“悪癖(単なる校正ミスとの指摘もある)”があって、ゾル
レンさんをイラだたせるのではないでしょうか。過去に、二人はやっ
ているのでは? よくは知らないけど。
むじんくんとの論争、読んだでしょう? 最後は、むじんくんの弁証
法的な(どうとでも言える)論証術にゾルレンさんの怒りが爆発して、
ケンカ別れ。
しかし、これらの大物連の共通のテーマをめぐる議論がやはり聞きた
いですね。最高位、探求者さんにも是非、登場願いたいものです。
いま、ゾルレン氏は私生活で調子に乗っておられるようですが、反動
を危惧しています。
>>221 いや、今時雀莊に出かけて打つというのは、美しき習慣だよ。戦果はどうだったんだろね。
2万円勝ちました
先週は4万円勝った
リーチ一発ツモ四暗刻ーん〜快感!
麻雀は防御が8割です
攻防のバランス感覚が重要
でも一番はツキです
技術介入値の要素が他のギャンブルより大きいから何とかなるだけ
私生活も調子のってます
昔も調子のっててドン底に落ちたことがあったから気をつけないとな
今回のはあまりプライド高くないからそこがいい
それにしても女性ってなんであんなに嫉妬心が強いんだろうなぁ
224 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 10:18:50
■精神病的ミクロ認識と神経症的マクロ認識
人はなぜ宝くじを買うのか
たとえば、雲行きから天気を予測する場合、いままでの経験に照らし合わせて、「この雲行きだと、
雨が降りそうだな。」と予測します。これは、ある意味、「統計的な認識」です。一日を単位として、
それが反復されている。その毎日毎日の経験値(母集団)に照らし合わせて、天気を予測する。
このようなある単位=「ミクロ」が反復しているという想定で、予測が行われますことを「ミクロ認識」と
呼びたいと思います。
それに対して、経験値とは別に、「今日はなにか良いことがありそうな気がする。だから今日は
晴れだ。」と予測する場合もあります。これは、反復のない今回1回限り=「マクロ」の認識であり、
「マクロ認識」と呼びたいと思います。
人間は世界を、「ミクロ認識」と「マクロ認識」の相補的な関係で認識していると、考えられます。
たとえば、宝くじを買うことを考えます。宝くじを確率的に考えると、「購入者」は必ず損をするんです。
「発行者」の儲けは、「購入者」の払ったお金−宝くじの当たり−経費α、です。これは必ずプラスに
なります。だから確率的(「ミクロ認識」)では、宝くじ買う理由はないんです。しかしなぜかみな宝くじを
買います。それは「この私!なら当たるんじゃないか」、「奇跡は起こる」というように、拠なき「信頼」
という「マクロ認識」によるものです。
225 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 10:19:44
「ミクロ認識」的儀礼と「マクロ認識」的冗談
このような認識は、日常で働いています。たとえば、「おはよう」と話しかける場合、経験的(ミクロ認識)
には、「おはよう」とかえってくるだろうと予測しています。特に強く意識しなくとも、こーいえば、
あーいうだろう。こーいわれれば、あーいおう、ということが、予測されています。社会というのは、
このようなミクロ認識が儀礼化しているための「安心」な場として作動しています。
しかし「おはよう」と話しかけた場合に、「おまえを殺す!」などの、予測もしない不確実性な反応が
返ってくる可能性があります。これは、どのような親しい関係でも、相手が本当はなにを考えている
のか、どう行為するのかはわからないという意味で「他者との断絶」であり、マクロ認識が作動する
理由の一つです。冗談というのは逆にこのような「マクロ認識」の作動を利用しています。ミクロ認識な
安心の場をあえて破り、予想しないことを起こし、場を緊張させ、その後安心な場への復帰に「笑い」が
生まれます。
226 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 10:20:42
「ミクロ認識」的トラウマと「マクロ認識」的空想
マクロ認識の「信頼」を「欲望」論で語ります。ミクロ認識の究極とはなんでしょうか。全てが経験値的に
(予定調和に)作動する世界。ここでは、もはや「この私」は必要とされません。統計的な「私」とは
誰でも良い一人であり、簡単にいえば、人の体の中の1細胞のようなものです。一つの細胞が
死んでも、すぐに隣の細胞がその機能を代替します。これが「この私」のトラウマでなくて、なんでしょうか。
このトラウマから、逃れるために、「この私」の意味を求めます。確率的には買う必要がない宝くじを
買い、「この私なら当たる。1億円当たったら、あれもしよう、これもしよう」という「空想」を見るのです。
ここでポイントは、人は必ず「信頼」する、「空想」をみるということでなく、ミクロ認識がトラウマ的
だから、なおさらマクロ認識的な空想をみて、欲望するのです。欲望論的にいえば、「宝くじは
当たらないからこそ、買われる」ということです。
科学的、確率論的とは、ミクロ認識です。しかしこれは、ミクロ認識が正しくて、マクロ認識が曖昧
ということでなく、宝くじというものをどのように認識するのかの違いです。
227 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 10:21:40
「精神病」的ミクロ認識と「神経症」的マクロ認識
ミクロ認識とマクロ認識の究極を考える場合には、人間と動物の「断絶」を考えないといけません。
動物には「この私」(自意識)はありません。だから本能(あるいは遺伝子命令)と経験値(ミクロ認識)で
生きています。すなわち動物は群れの「1つ細胞」としてのただ生きるのです。ミクロ認識は「生」を
純化します。これをニーチェは「力への意志」と呼びます。
しかし人間は、動物と違い「この私」という自意識を持っています。だからミクロ認識のみで「生」を
純化状態では、「この私」が消失することに耐えられません。だから人は動物のような純粋な
「ミクロ認識」を持ち得ません。純粋なミクロ認識の前では、「この私」は解体され、精神病になります。
だからマクロ認識が作動し、「生」を疑い、「この私」の意味を求め、「空想」の中で「信頼」して生きます。
人間のミクロ認識は、マクロ認識という空想によって囲まれています。しかしどこを差がしても、
「これが私だ」という「この私の意味」は獲得されません。マクロ認識は「この私」を過剰に欲望
しつづけます。だから「人間はみな神経症なのです。」
マクロ認識は「生」を危険にさらすことで成り立ちます。確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、
盗んだバイクで走り出す・・・そして追いつめられると、「この私」に意味がないと「生」を抑圧し、
自殺することがあります。これはフロイトの「快感原則の彼岸」、ラカンの「死への欲動」です。
動物は、ただ生きるのみで、自殺しません。
「機械」にはマクロ認識がなく、経験値によるミクロ認識で作動します。だから人工知能は「動物」を
再現できるでしょうが、「人間」は再現できません。確率論的に正しくないはずの宝くじを買う、
盗んだバイクで走り出すような神経症の人工知能は必要ですか?世界を滅ぼします。人間のように・・・
228 :
左危機!:2006/03/10(金) 10:28:23
サイレンス
>>223 嫌な野郎だな、四暗刻でリーチか。女の自慢話も聞きたくない。地獄に堕ちろw
230 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 10:31:41
231 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 10:34:54
最後はドゥルーズ的にまとめました。スキゾとパラノ
チェスや将棋は相当強いコンピューターソフトができているらしいが、
麻雀が強いコンピューターというのはあるのかいな。
「運」を組み込んだ対応ができる機械というのは、興味深いのだが。
233 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 10:38:53
あるいは
マクロ認識はラカン的否定神学
ミクロ認識はデリダ的郵便的、脱構築
ぴかぁ〜の話はいつの間にか、ミクロ=主観、マクロ=客観、になっちゃってる。同一階層のものに、そりゃ無茶だ。
>>233 でもあなたの独話的書き込みは差異の戯れに近づいてますよ(笑)。
>>221 知識人じゃなくてただの2ちゃんねらーです
最近は本を読んでないし結構テキトーよ
ポパーの本は日本語訳されたのはほぼ全部もってるけど、理解は紗南と同程度だと思う
>紗南
>すべてを俯瞰する、 客観的なまなざしを意識して、常に開かれていようとしていたのかもしれない。
汎批判的合理主義だね
俺個人は野良犬の言葉には耳を傾けるさ
だけど野良犬が他の人の言葉に耳を傾けるとは思わないし、まともに非合理主義者と議論しようとは思わない
そこは軽く絶望しとくぐらいでいいと思うんだ
議論をやろうとしても相手ははぐらかすだろうし、無理に議論しようと熱くなる必要はないかなと。
でも本音は、むじんくんやピカのような中途半場じゃなくて非合理主義者と一番対話をしたいんだよね
例えば
>>104とかは非合理主義者じゃないかと踏んでいる
でも
>>104の文章は正当化(基礎付け)と論理を混同しているよね
ミラーも書いてたけど、ポストモダンは基礎付けと真理を混同していると思うんだよね
(ポストモダンの発想は結局は基礎付け主義に囚われた発想だとは思うけど)
ただ基礎づけと真理を峻別してもなお、ポストモダンのような態度をとれる可能性は残っている
「真理」という概念を放棄して「利益」という概念で哲学を構築できる可能性はある
>しかし、こうなってしまうと、合理的な議論は不可能になる。
>われわれの自然な知識欲、
>ものごとの真理に対するわれわれの興味関心(Interesse)が萎縮してしまう。
>「このことがらについての真理は何か」という重要な問いが、
>「君の利害関心は何か、君の意見はどのような動機によって影響されているのか」という
>それほど重要でもない問いに置き換えられてしまう。
とポパーも書いてるけど、現にこう考えている集団が存在している。
彼らと合理主義者とは形式論理と直観主義論理のように水と油だが、
合理主義者は彼らの言葉から反省することはないかと探すことはあっても
非合理主義に真理の利益を諭すのはほぼ無謀というものだろう
それこそソクラテスのように「魂の利益」を主張することになりそうだ
彼らは彼らで新しい学問をつくればいい
お互いに関心がぶつかりあう領域でのみ議論すればいいと思うんだ
(合理主義者にとっては「関心」でも、非合理主義者にとっては「利益」だが)
238 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 11:04:30
ミクロ認識がトラウマ的なのに、なぜ唯物決定論、確率論など、まとめてデカルトから継承された機械論が回帰しつづけるのか
機械論が神が死んだあとの神話、マクロ認識として作動しているからです。
たとえば「世界は確率論でしかない」というミクロ認識が「真理であるとしるこの私」というマクロ認識が作動しています。
神は死んだふりで巧妙に隠されいきつづけている。ということです。
>>232 東風でR2000以上の強さぐらいのやつはあるみたいよ
実際100試合ほどうってみたが、フリーでうつよりはるかに厳しい
>>232 > 「運」を組み込んだ対応ができる機械というのは、興味深いのだが。
チェスのプログラムロジックとマージャンのそれとの違いは知りたいですね。ディープブルーの
場合、現状の盤面からできる限り先の可能性を計算して最善の一手を取るということだそうですが、
マージャンは違うんでしょうかね。
あと、比較的若い将棋士しますよね、羽生さんとか。あの世代は過去の対戦データがDB化されている
ので、それを沢山見ていることが特徴らしいです。コンピューター将棋とか言われる世代で、パターンで
覚えちゃっているそうなんですね。
>>238 だけど、神は隠れてないといけませんよ。隠れていない神は醜悪ですからね。
>>237 プラグマティズムってそうなんじゃないですか。
「真理とは役に立つことだ」みたいな。
>>238 ぴかぁ〜さんの使う「ミクロ・マクロ」の意味がよくわかりません。
通常の「微視的・巨視的」とは違うようですし。
練馬哲人さんのご指摘のように「主観・客観」の方にずれているみたいです。
本来は主観・客観のそれぞれにミクロマクロがあっていいと思いますが。
>>232、239
そういう麻雀のソフト同士で麻雀をやると、どうなるのでしょう。
将棋でもチェスでも同じなのですが、ソフト同士で戦うと、
必ず引き分けになる、というわけではないんですよね。
あと、相手が同じ手を指したら必ず同じ手を指すわけでもないんですよね。
もし自己学習能力があって、試合を重ねるごとにそれぞれの「個性」とか
「癖」みたいなものが出て来て、強いソフトと弱いソフトに「育って」
行くのなら、ほとんど人間と変わらないと思うのですが、どうなんでしょうか?
>紗南
続き
ポストモダンに代表される考えとは
三世界論における世界3を偽りとして世界1こそ本物の世界と考える考え方だ
でも、この考えを言葉にするとそれも世界3における存在になる
だから彼らは論証や言葉による説明を拒否する
ポパーに影響を受けた人たちは自らを「世界3の住人」とよく呼ぶが
ポストモダンとはポパー流に言えば「世界1の住人」なわけだ
そしてその表現として、世界3を「死の世界」、世界1を「生の世界」などと呼ぶ
そう考えること自体はあってもいいが、彼らはさらに革命を起こそうとしている
世界3は「客観世界」などと呼ばれ、理論は感覚よりも優位と見られるが、このような理論を重視する文化を攻撃する
この考えを定式化するとこうなるだろう
「(言葉にできる)すべては偽りである」
これはデカルトのコギトのまさに裏をつくものだろう
>>240 麻雀は競技麻雀ルールでさえ、リスクの大きさと確率の期待値が正比例しないんだよね。
古川凱章氏なんかはずっと苦言を呈してはいるんだが、そういう怪しいとこが将棋と違う良さでもあろうな。
>>244 >
>>240 麻雀は競技麻雀ルールでさえ、リスクの大きさと確率の期待値が正比例しないんだよね。
つまり、役をつくるよりも振り込むな、というのが必勝法ということですか?
>>242 >プラグマティズムってそうなんじゃないですか。
>「真理とは役に立つことだ」みたいな。
「真理」とは"truth"つまり「本当のこと」
もし「本当とは役に立つことだ」としよう
仮にそのような世界でのできごと
裁判で被告は宣誓する
「この法廷でのわたしの発言はすべて真実のものです」
しかし、彼の内なる声はこう言ってるわけだ
「この法廷でのわたしの発言はすべて役に立つものです」
われわれの実践的な判断がプラグマティックな要請を受けることはあっても
「真理=役に立つ」というのを字面通りに受けとることはできない
247 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 11:33:48
いちよう哲学板なので、素朴な実在論で主観、客観といわれちゃうと困っちゃうんですよね(笑)
認識論だからミクロもマクロも主観ですよ。
>>242 実際そのプログラム同士の4人打ちは観戦できるが、勝ったり負けたりしてるだけだな。
現在の手の形と巡目、リーチの有無、親か子か、このぐらいの情報から攻めるかオリるかを
期待値判定して、単純にうってるだけ。仕掛けは見てないし、点数状況も見てない。
期待値判定には、シミュレーションや実戦牌譜から抽出したデータを使ってる。
「親の何巡目リーチの平均打点はこんなもん」とかね。
麻雀は押し引き判断の正確さが命だから、このぐらいしかしてなくてもかなり強いんですな
>>242 > ぴかぁ〜さんの使う「ミクロ・マクロ」の意味がよくわかりません。
これはどうですか?
ミクロ:私が見ている世界
マクロ:私の存在を保証する何者かが見ている世界
ピカ氏はいつもこの構図に全議論を吸収しようとするんですよね(笑)。
250 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 11:42:07
ゾマホンはポスモダの亡霊に取りつかれているんですね。
簡単にいえばアイロニカルに「真実」を語る過剰なミクロ思考。強迫症者デリダに近い
実は自分が一番の相対主義のポスモダなのを隠そうとしてる。
むじんくん的にいえばポスモダへの近親相姦的憎悪(笑)
>>245 いや、そこで福地包介の戦法が登場するわけですよ。
ゾルレンのはツモリ四暗刻だからリーチだったのか。うっかりしていたw
>>250 学問に携わる人間はポストモダンに嫌悪感を抱いて当然
ポストモダンは学問じゃなくてもはや革命運動のレベル
上野とかは「ポスト構造主義」と「ポストモダン」を区別している
別に俺はポストモダンを駆逐しようとしているわけではない
ポストモダンを定式化することによって合理主義者の思考の基盤を再吟味することができるのだ
「合理主義は自らの合理性を批判にかけることができる」をまさに実践しているのだ
253 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 11:49:31
そうですね。こんな感じでどうでしょう。
ミクロ認識=客観的、経験的、科学的、郵便的主観
ミクロ認識=信念的、空想的、否定神学的主観
科学主義が抑圧された観念論の願望から来るものだとしたら、科学主義者がカルト教団に入っちゃうのは
割と自然なこととして理解ができるわけであります、はい。
255 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 11:51:39
ニートの限界だな
>>251 そうそう、ツモり四暗刻
四暗刻や七対子が得意なんだ
特に七対子で数牌でリーチかけるのが好き
「え?それあるの?」と言わせるのが好きなんだな
今日も言わせたぜ
257 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 12:20:15
現在、すなわちボクたちのおかれた環境は、ミクロ認識>マクロ認識なんです。
日々あふれる情報はマクロ認識(信念)を解体し、ミクロ認識へ導く。
この世界は機械的だ、確率的だ。素朴に信じる(マクロ認識)ヤツは馬鹿だ。
この中で窒息しかけている。私が私であるためにマクロ認識を救わなければならない。
このためにとられる戦法が逆説的なミクロ認識の徹底なんです。
「この世界は機械的だ、確率的だ。素朴に信じる(マクロ認識)ヤツは馬鹿だ。」ということがわかっている「このオレ様!」という信念(マクロ認識)
否定の徹底でマクロ認識を確保するのを否定神学と呼びます。
だからむしろみな機械論を欲望するです。「この広大な宇宙論の前でおれはちっぽけだ」ってしっておれってかっちょいい!
258 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 12:32:09
>>257 そうなると、それぞれの認識を可能にしている
マクロン粒子とミクロン粒子の検出が必要に
なるわけだが、そこのところはどうなのかな?
>>253 つーか、あんた、基本的に日本語の書き分けができてない
時点で、ダメなんだけど
260 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 12:58:45
劣位に立つと死ななければならないような気がするのでそれを認めるわけにはいきません。
261 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 13:07:10
…もうすぐ,春ですね.
>>257 > だからむしろみな機械論を欲望するです。「この広大な宇宙論の前でおれはちっぽけだ」ってしっておれってかっちょいい!
ホント、この構図を繰り返して飽きませんね。ちょっと前は動物と人間でしたが、今度はミクロとマクロ
ですか(笑)。同じ図式で単語を入れ替えるだけで「生き生き」できるというのがピカ哲学の奇跡なんですかね。
263 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 13:37:46
否定神学システムですね。現代思考の臨界点ですから
この断絶からいかように抜け出すか?科学、哲学、社会学のハードブロブレムです。
フリーターさんのようにはいかないのです。マジックに巻き込まれる前に、ではまた。
>>263 > フリーターさんのようにはいかないのです。マジックに巻き込まれる前に、ではまた。
同じ構図を違う独自用語で繰り返すのが否定神学だというのはよく分かりました。
"ミクロとマクロ"は結構多くの人を巻き込んだ"マジック"だったと思いますよ(笑)。
>>223 >それにしても女性ってなんであんなに嫉妬心が強いんだろうなぁ
男も自分と同じぐらい感情を重視すると思ってるからだろう。
しばしば感情に敵対的な「理性」というものの存在を女は信じない。
あと、"現代思考の臨界点"とか仰々しく言ってますけど、同じことはキルケゴールの「現代の批判」(19世紀)に
出てきますね。否定神学とはこの本で言うところの"分別"、"反省"です。全てが平面的となり、情熱が
失われていく世界。短編で読みやすい、面白いので変な"現代思想"読むよりおすすめです。
267 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/10(金) 17:52:01
フリーターくんに煽られて、欲望論を語りすぎました。
話をはじめにもどしましょう。
>>124でボクはいいました。
>しかしこれを「確率論的」というのは、なかなかわかりにくい表現だと思います。
>「確率論的」とは、科学的手法に使うからです。
>適切には、「経験から」「経験値から」が適当ではないでしょうか。
>だからフリーターさんの「人間は、どう頑張っても確率論的にしか振舞えない」とは、
>「人間は過去の経験から予測をおこない振る舞う」ということですね。
確率論でのミクロ思考、マクロ思考とは、
たとえば、天気予報の降水確率は、過去の同じような気象条件ときの天気を
母数に計算します。これはミクロ思考です。
しかし気象観測は明治時代ぐらいからですね。そうすると、地球創世以来、
観測外も天気はあるわけです。このような大きな時間(マクロ)の流れは、
ミクロの統計値では扱えない傾向を含んでいます。
マクロをミクロの統計値を外挿して使うな。これは統計学の基本です。
しかし探求者が指摘しましたが、最近、ベイズ統計学が流行りです。
これは主観確率などと言われています。
まず主観で大体の確率を決め、それをあとからの観測で補完しで、
精度を上げていくと言うような方式です。マイクロソフト、グーグルが活用し、
注目を集めています。
この最初の「主観で大体の確率を決める」というのは、フリータくんのいう、
「人間は、どう頑張っても確率論的にしか振舞えない」に対応するでしょう。
すなわち「人間は過去の経験から予測をおこない振る舞う」(ミクロ認識)を、
もとに科学的結果を反映させていくということです。
結論、フリータくん、フリータフリータせずに、「はじめての統計学」をよめよ。
ということです。
268 :
素人:2006/03/10(金) 18:27:38
>>1量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
↑
と、言われても脳を観測しているのは結局人間の意識だし、
観測している以上、不確定性を免れないよ。
270 :
素人:2006/03/10(金) 18:53:22
ごめん・・眠い・・。 zzz
>>267 > 結論、フリータくん、フリータフリータせずに、「はじめての統計学」をよめよ。
> ということです。
僕は数字に弱いので読む気ないですけど(笑)、書いていることは量的な問題じゃないんですか?
質的相違のように語ってましたけど。そこを分けて考える理由がよく分かりませんね。
272 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 22:04:49
キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ
どんどこどどんご、どんどこどどんご、どんどこどどんご、
ドンドンドドロゴ、ドンドンドドロゴ、ドンドンドドロゴ、ドンドンドドロゴ
キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ
キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ、キミマロ
273 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/10(金) 23:31:45
>>269 >と、言われても脳を観測しているのは結局人間の意識だし、
>観測している以上、不確定性を免れないよ。
「人間の脳」の働きに理論物理学でいう「不確定性」が関与している
・・とおっしゃることは、火力発電所のボイラーの中にも、
原子力発電所の原子炉の中で起きている「現象」・・・「E=mc2乗」
のような「核分裂現象があるかもしれない」と言っているのと同じことです。
仮に「人間の脳」の働きに理論物理学でいう「不確定性」が関与している
とおっしゃるならば、猫の脳が「鼠の動線」を観測している・・という現象
の説明にも、量子物理学で言う「不確定性理論」が必要であろう・・という
ことになってしまいます。
それこそ「ミクロで全部説明できない限りマクロの法則を論じることは出来ない」
・・という「ピカ主義」と同じ「大間違い」を犯すことになります。
「文科系の(理論物理学に関する)とてつもない誤解?畏れ?畏怖?」に満ちている
(信じられないほど「素朴」な)「考え方」ですが、あなたはおっしゃる不確定性(理論)
や「シュレディンガー方程式」について、どの程度までご理解された上でおっしゃっている
のでしょうか?
・・ぴかさんのように「知らないことには触れない」方が「観念論者」(宗教者)
としては「賢明」な態度だと思います。
274 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 00:00:11
現代思想を二分する唯物論も唯心論も人類を根本から救済する哲学思想ではなかった。日蓮大聖人の色心不二の大哲学こそが末法の衆生を救う唯一の道である。
>>274 オマイラ創価学会は唯心論ではないという事で広報する方針らしいのだが
要するに、観念論でもないつーことになるわけでつかね?差し支えなければ
広報に聴いてみてくれんかね?あまりにもくだらんので下痢思想だけど
>>273 全身麻酔が意識を消す際に、科学結合・イオン結合といった反応は一切起こってない、
脳はとても弱い量子力学的な力で働いてるって言ってた専門家いたんだけど。
機械が「脳の働きは分子レベルが全て」って断言してる根拠は何なんでしょ?
277 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 00:51:16
>>276 高校1年レベルの化学を終了すればそげなあほなことはよういわん。
もしかして中卒だったらごめんな、
>>277 化学履修したことないんで中卒レベルですw
簡単にアホ発言と分かる根拠を教えてくださいよ
279 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 01:01:45
脳血液関門を通過する薬物の薬学的反応については化学ではなく
薬学の分野かもしれないです。
向精神物質は睡眠薬や精神安定剤抗鬱剤等々脳血液関門を通過して
脳に作用する薬物です。勿論アルコールやニコチンやカフェインもそうです。
それらは人類にとって脳血液関門を通過するので、毒物ではないということです。
ただし「関門を通過する」ヘロイン、コカイン、マリファナは麻薬取締法の対象
になっております。ただしそれらは悪法禁酒法の一種である・・・と言う主張も
あることを併記致します。
280 :
紗南:2006/03/11(土) 01:06:27
昨日はとても不思議な夢を見ました。
国語の授業中、紗南はおしっこがしたくて我慢できなくなりました。
前の席の座っていた親友の風花(仮名)に、
「トイレ行ってくるね」と小声で言いました。
風花は、「あそこですれば大丈夫だよ」と、教室の後ろの方を指差しました。
紗南は、先生に見つからないように腰を低くして、そーっと教室の後ろまで行って、
みんなの方に背中を向けたまましゃがみ、そこでおしっこをしはじめました。
突然、誰かにドンと背中を押され、紗南は自分のしたおしっこの上に倒れこみました。
振り向くと、風花が紗南のすぐ後ろに立っていて、馬鹿にしたような顔で見下ろしていました。
クラス中のみんなも紗南の方を見ていました。紗南は、恥ずかしくて悔しくて泣きそうです。
すると、教壇の机の上に、いつものパジャマを着た兄の立っている姿が見えました。
兄は、うっとりした顔で天井の真ん中あたりの一点を見つめたまま、
みんなの後頭部に勢い良くおしっこを浴びせかけていました。
なぜか、みんなも幸せそうなうっとりした顔になっていました。
紗南は、お兄ちゃんのおしっこにはみんなを幸せにする薬が入っているのかもしれない、
と思いました。
281 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 01:10:24
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
22歳を超えても童貞を捨てられない男性は、(統計上)半分以上の確率で、一生SEX体験できない。
>>1 万一前半が真だとしても、
「『何を思うか何を意志するか』は、あらかじめ物理・化学法則により決定されております」
というのは嘘じゃね?
何を思うかは外的な刺激により変化するが、
外的な刺激は量子論的に発生する可能性がある(例えば光)。
「量子論の『不確定性』は・・・『単なる観測問題』です」
というのも現代物理学からしたら受け入れられない。
もっとも、それだけでは「自由意思がある」と結論することはできないが、
「物質を組み合わせるだけでは自由意思は生まれない」と言い切るのも正しくない。
現在の科学は「物質」を単にモノとしてしか見ていないが、
実は原子自身がもっと複雑な内実を備えていないとも限らない。
283 :
紗南:2006/03/11(土) 01:45:59
素朴な疑問すぎてどう聞いたらいいのか言葉にするのが難しいんですけど、
私も機械さんに教えて欲しいことがあります。
脳が物質で出来ているとして、物質は何で出来ているんですか?
それと、物質と物理法則は別々にあるのですか?
あと、時間には始まりと終わりはあるんですか?
284 :
269:2006/03/11(土) 02:23:31
>>273 人間の脳の働き自体に不確定性が関与していると言っているのではなく、
単純に、脳が脳を観測する際には何らかの観測方法が必要な訳で、
その観測には不確定性がつきまとうのでは?という話。
どういう状態が物理・化学法則で決定された意志なのか?
また逆にどういう状態が自由意志なのか(定義は)?
あと、分からないのはこの話がなぜ「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭になるのか?
どうもこの話の方が「観念論」のような気がする。
>>276 その専門家って誰だよ?
>>282 原子の内実って何だよ?
>>283 有機細胞は炭素原子を含む分子で構成される。物質を構成する原子は電子、陽子、中性子から成る。
>>284 不確定性原理を勘違いしている。
非決定論陣営にしてもぬるすぎる。
286 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 03:06:00
だってどうせこのスレにいる人なんて物理なんて中学校でおしまいって人ばっかでしょ
287 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 03:11:06
バカは罪か。どうよ。
289 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 06:40:09
_,,,,, -‐"''''''''""'''''゛ ‐-‐‐、
ノ..::::::::. " ( .,-三-.,,,.. ) ~ヽ、
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m:::::::::. シ●ヾ ヽ r"',―v´ " m
mm::::. :、",,〈ヾ ヨ ●r゛ mm
mmm. ´ヽ|::ヽii 彡:= mmm イナバウアー
mmmミ mmm ヽ
mmmm ,,,mmm |
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290 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 07:44:15
>>286 物理を詳しく勉強すると、哲学的な問題の何が解けるの?
このスレは腐敗臭がしますね
よく「分子レベルの現象」とか「量子レベルの現象」とかいうけど、
客観的には分子は全部量子の集まりと違うのか?
現象は現象であって、分子レベルとか量子レベルとかいうのは
「観察」とか「認識」とか「記述」の問題だと思ってたんだけど。
それこそぴかぁ〜の言う「マクロ・ミクロ」みたいな。
脳だって何だって、量子レベルで見ようと思えば見られるんではないのか?
>「全身麻酔ガスは、非常に微妙な量子力学によって完全に、そして可逆的に意識を消す」
>と、アリゾナ大学で麻酔学と心理学の教鞭もとっているハメロフ氏は語った。
>「化学結合、イオン結合といったことは一切起こさない。
>ただ、とても弱い量子力学的力によって麻酔は作用するのだ。
>つまり、つきつめて言えば、脳は量子力学的な力で機能しているということだ」
これはすごいね。衝撃的だ。
これがほんとならそれはすごいことだと思うけど、実験データはあるのかな?
どうやって実験したのかが知りたい
仮にまだ実験をする段階ではないとしても、とても面白い、興味をそそられる話だ
>>291 トンデモの匂いがぷんぷんするが、仮説段階のことしか言ってないし、
知識ないから俺もなんともいえんなぁ
>>293 まず「意識」というやつをどう観察するかによるが。
例えば単純に「意識がある/ない」を観察して、そのときの状態を分子レベルで記述して、
「ここがこうなると、こういう変化が起こって意識がある→ない、ない→あると変化します」
って説明・予測ができれば、「意識がある/ない」は分子レベルの現象って言えるだろう。
けど、「○○を意識している」と「××を意識している」を観察して、そのときの状態を分子レベルで
記述しても、どうしてそういう違いがあるのかが分からない、仕組みが分からないとなると、
「○○/××を意識している」という状態は分子レベルの現象ではない可能性があるわけだ。
で、量子レベルで説明してみたら確率的に予測できた。
とかなったら、分子レベルではなく量子レベルの現象ってことになるんでしょう。
>紗南
いろいろ絡んですまん
もう少しピカとかと議論してみることにするよ
ただ、歴史主義批判にしても、唯物論批判にしても、
本に書いてあった理屈を覚えてるから過去の作品の焼き直しなんだよね
それじゃ本を読んでるのと変わらないからもう少し新鮮さのある議論がしたかっただけ
>探求者
>男も自分と同じぐらい感情を重視すると思ってるからだろう。
>しばしば感情に敵対的な「理性」というものの存在を女は信じない。
そういう女もいるだろうが、基本的に俺は女が好きだから女をけなすのは好きじゃない
にしてもつくづく男と女では文化が違うなと感じてしまう
ほんとねー女にとって恋愛の占める要素は大きいよね
それが時にわずらわしくもあり時に面倒でもあり。
恋愛において女性は受身の文化のせいか、話題は恋愛の話ばかり
たまには恋愛以外の話題もしたいじゃん
誰と話しても似たような話題ばかりでちょっと飽き飽きですよ
>>296 けなすつもりなら「理性がない」って言うさw
俺は理性を信じてるが、同時にそれは一つの感情でしかないとも思ってるから、
「女は理性(という感情の特権性)を信じない」という表現になるわけです。
理性によるバイアスが弱いのか、他の感情が強すぎるだけのかはわからんが、
明らかに男より世界をリアルに認識してると思うね。
女の嫉妬深さは、自分の男の価値が自分の価値に直結してきたっていう社会的な方向から
見ることもできるが、「自分のようなリアルな世界認識を男もしているはず」という
思い込みからも来てるんじゃないかとも思う。
F.O. / 中島みゆき w
299 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 11:00:50
>>296 概して女性にはそういう傾向があるのかもしれませんが、話題が単
一になってしまうのは、ゾルレンさんにも責任があるのでは?
ゾルレンさんをはじめ、ここに登場するビッグネームのほとんどが
解答役。沽券に関わるのかもしれませんが、めったに他の連中に質
問したりはしません。自分の意見を述べ、質問を受け、切り返す。
ここでは、これでいいでしょうが、対女性で話題を広げるためには
あなたのほうから好みの話題に導く質問をしないと。
相手の女性のかたこそゾルレンさんのことを「話が単調でつまらな
い」と思っているかも。
300 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 11:16:07
女性と男性は量子レベルから異なる.
そもそも、女性と男性の意識が異なるというのは、本当か。
池田晶子は「肉体には性別があるが精神には性別などない」と
のたまっていた。
仮に女性と男性の意識が異なるとすると、それは意識が肉体に規定
されているということで、唯物論の根拠にならないか。
(フェミニストなら「肉体自体ではなく、肉体に起因する社会的取り扱いの
違いが意識の違いをもたらしているのだ」とか言いそうだが。)
仮にそうだとして、女性と男性の意識の違いは、分子レベルで説明
できるのか。
>>300 男性と男性は量子レベルから同じなのでつか;;
>>301 分子なんて言わんでも、ホルモン分泌が違う。俺にも月のものがあったなら、世界観はだいぶ変わっていただろうw
どちらかと言えば、社会のシステムによる後天的要因の方が大きいんじゃないかな。
ボーヴォワールの怒りはもっともだし、小倉千賀子は面白いよ。
>>301 そもそも、脳だけを見て男か女かって、わかるのかね。
わかんないような気がするが。
やっぱり脳がどういう肉体につながっているか、と、その肉体がどういう
社会的関係の中にあるか、によって決まるのではないか。
たとえば男の脳を女の肉体に移植したらどうなるのだろうか。できんだろうが。
>>304 脳だけ見てもわかるよ。脳梁が違うから。
>>305 あ、そうなん。
でも、脳梁の違いが男女の意識の違いをもたらしているとは、どうも
思えんのよね。
307 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 12:40:19
>>305 だけど脳だけ見るのって大変じゃない?
閉じるのが難しいしー。体の他の所で
見分ければそれで十分じゃないのかな。
308 :
紗南:2006/03/11(土) 14:19:56
>>296 いえいえ、私はちょっと提案してみただけなので、
特に謝られるようなことはないと思います。むしろ恐縮です。
私は何をやっているんですか?
ところで、紗南は、盗んだバイクで別のスタイルを模索します。我は盗賊なり。
コテハンの皆さんに失礼があったら本当にすみません。どうかお許しください。
尚、あらかじめ宣言していた通り(
>>67)、紗南の文章には内容はたぶんありません。
独り言ですけど、精神的肉体的な性差が、遺伝的要因だけじゃなくて、
むしろ後天的な要因が大きいだろうという話は面白いですね。
性差じゃないんですけど、よく子役の人が大人になっても小さくて子供ぽかったり、
バスケやバレーボールをやってると背が高くなるとかって話がありますよね。
あれってやっぱりある程度限度はあるだろうけど、遺伝子的には自由に、
大きくも小さくも男っぽくも女っぽくもなりうる、全方向にオールマイティーな細胞が、
環境とか社会的立場とか、「こうなりたい」という意志による行動や要因の選択とかで、
多元的にかかわって、それに合わないものが抑圧された結果残ったもので
形作られるんでしょうね。一人の人間の中の細胞も、同じ遺伝子を持ってるはずなのに、
心臓になったり骨になったり髪の毛になったり、立場にあった遺伝情報の一部だけが
発現してくるのと同じように。
なので、紗南はスイッチを押すと男にも女にも犬にもカモメにもトムソンガゼルにも
自由に変身できるようになりたいと願っています。
「求めよさらば与えられん」って言うでしょ?きっといつか自由に空も飛べるはず。
309 :
紗南:2006/03/11(土) 14:20:54
000 :「悲観的紗南論」者 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
>>285 >有機細胞は炭素原子を含む分子で構成される。
>物質を構成する原子は電子、陽子、中性子から成る。
あなたが「そのよう」な「お答え」をなさるとは「(私にとって)意外」なこと・・です。
『「機械的唯物論」者』氏が言う(のではないか)と「期待し」てい「たわけ」です。
紗南氏の発したような、物質「以外のもの」の存在を、安易に「待望」する質問は、
いかにも「観念論者」がしそうなこと「に過ぎない」・・と言えるのでありまして、
(鈴木宗男氏風に言えば)「いかがなものか」・・・ということなのです。
残念ながら、再三申し上げておりますように、それが「現在の」科学の結論です。
「そこを」ご理解いただけないと、お話に「ならな」い・・・
・・と言「わざる」を得ま「せん」「。」
000 :Sananibal :2006/03/11(土) XX:XX:XX
また、ネタスレと議論スレの区別もつかないバカの紗南が何か言ってるね。
あ〜あ、ドルが気になって眠れやしないよ。
310 :
紗南:2006/03/11(土) 14:21:48
000 :唯紗南識 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
>>287さん
紗南さんの状態は仏教で悪とされる「癡」に近いのではないでしょうか?
「癡」は阿頼耶識から生じる煩悩のひとつです。
阿頼耶識はこのような悪を生じるとともに
宗教的実践を通して善へと向かう根源でもあるのです。
000 :欠落者紗南高位 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
>>286 はぁ?
キミは何度 同じことを言っても分からないようだねww
『紗南』が中学止まり??
電子?
陽子?
中性子?
そんな中学生レベルのこと
『紗南』に分かるわけがないだろw
キミはちょっと 想像力が足りないんじゃないのか?w
で、
キミは
『紗南』がどの位のレベルだ というんだ?
小学4年生?
まぁ
それ以下 ということはあっても
それを超えることはないだろうねw
311 :
紗南:2006/03/11(土) 14:22:57
000 :さなぁ〜 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
そうですね。サーナは早発性痴呆ですね。これはマグロの解体的です(笑)
まさに現在、ボクたちがおかれた状況ではこのようなものは社会生活な支障を
きたすでしょう。ボクはこなようの状況を「なにわのモーツァルト」と呼びます。
それではゾマホンな言う「ラプラス」や「三世界論」に仕入れた知識、
すなわち世界最先端研究をセンセーショナルに換骨奪胎してみしょう。
ラカン的には「マンガで読む構造力学と断熱材回避欲望的システム機械ミクロマン」
といことです。
000 :紗一 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
や
000 :紗一 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
やあ
000 :紗一 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
コテを猿真似して何が面白いのか分かりませんがね
312 :
紗南:2006/03/11(土) 14:24:05
000 :さなぁ〜 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
■なぜ決定論が正しければ議論が不可能なのか そしてヘタレ
中世神学の基礎を築いたボエティウスは、全知全能の神が全てを決定された
永遠の現在として見、それに対し有限な知能の人間は、過去から現在へ時間
の流れを追ってしか見れず、完全な予測が出来ない運命の中で自由意志が
あると錯覚するだけだとした。
ラプラスは、ある時点の物体の状況を全て知ることが出来れば、全ての時間
の出来事が確実に分かるとした(ラプラスの魔)。ラプラス的決定論は自動機械
である、ということです。そこにでは「自我」は解体され、議論も不可能となります。
なぜなら、非決定論の主張も必然によって生じたということになり主張が意味を
成さなくなるからです。
■「実在(形而上学・全存在)」と、「認識(科学・予測可能性)」を区別せよ
実在決定-認識決定 ・・・ラプラス、唯物論、歴史主義
実在決定-認識非決定 ・・・ボエティウス、量子力学、「神はサイコロを振らない」
実在非決定-認識決定 ・・・紗南(うそ)
実在非決定-認識非決定・・・ポパー
■なぜ実在(形而上学)レベルでの議論は生き生き反証不可能なのか
実在決定論者は、非決定論的事実に遭遇しても、「その背後の決定論的働きを、
ボクらが認識できていないだけ」と言い張ることができ、
実在非決定論者は、決定論的経験をいくら積みかせねても、「まだ非決定論的
事実に出会っていないだけ」と言い張ることができ、両者に対して最終的な反論
は不可能である。ポパーが実在決定論をどう批判したかに興味のある人は各自
で調べてください。
313 :
紗南:2006/03/11(土) 14:24:44
000 :紗一 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
283 名前:紗南 :2006/03/11(土) 01:45:59
素朴な疑問すぎてどう聞いたらいいのか言葉にするのが難しいんですけど、
私も機械さんに教えて欲しいことがあります。
脳が物質で出来ているとして、物質は何で出来ているんですか?
それと、物質と物理法則は別々にあるのですか?
あと、時間には始まりと終わりはあるんですか?
287 :考える名無しさん :2006/03/11(土) 03:11:06
バカは罪か。どうよ。
000 :さなぁ〜 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
その他のポパーの考えでは、
・進化論的認識論
・トライアルアンドエラー
・状況の論理
・確率論の傾向性解釈
・制御系の進化は運動系の進化に先行する
などは、進化論や確率統計について話していたむじんくんには、
かなり刺激的でおもしろんじゃないかと思いますね。
000 :紗一 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
本に書いてあることをまとめるのが哲学かね?
000 :紗一 :2006/03/11(土) XX:XX:XX
ようするに、ひま人
>>
紗南
このスレをよく読み込んでるなw
>>299 政治、経済、哲学、物理学、クラシック、絵画や時事などの話を振ってみたところで
反応が悪いからそういう話をしないんだよ
いろんなテーマで話題を振っても個人の考えというかエッセンスが返ってこない
関心がない話題に無理に付き合わせるのは好きではない
たいてい話題は相手の趣味や身辺の話を中心に展開してる
相手が楽しんでいればそれはそれで結構だが俺の知的好奇心は退屈なの
もっとも、これは女性に限った話ではないけどね
男だろうと興味ないやつは興味ない
俺の周囲では会話を楽しめるような男が少ない
会話スキル不足の男が多い
そのせいか俺はやたらモテる
なんか話題が女性論っぽい流れだね
>紗南
>「こうなりたい」という意志による行動や要因の選択とかで、
>多元的にかかわって、
生物は環境によって淘汰されてきたわけだけど
人間は、環境を変化させ、その変化させた環境によってまた淘汰されるという
相互作用を受けて、特異的な例をつくりだしてきた
それが個人の身体単位でも見受けられるというのはおもしろいね
さて、食事の約束があるので。
男だろうが女だろうが美味いものの下では平等だ
ブルーバックスレベルの知識で討論してる気になってるのが笑える・・
結論のでてる女の悩み相談みたいだw・・
319 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 17:45:21
>>315 うーん、それはテクニックの問題ですね。「何を」ではなく、「どのように」
で話題を先導するのがゾル氏の任務。どこかに、啓蒙的な姿勢をちらつかせ
たりはしていないでしょうね?
“内容”ではなく、ぴか氏のように“レトリック”の妙で引っ張ることが大切。
ゾル氏も女性に対しては“語り口”を自ら楽しみながら、時折り気づかれぬよう
に“意味”をちりばめる手法をお勧めします。
はやくも、退屈を感じているようでは、ね。
紗南さんの長文は、参考になるのでは。ここで、やれと言っているのではあり
ませんよ。
>>318 それ以上のレベルだったら、おまいも理解できないだろw
321 :
素人:2006/03/11(土) 19:17:38
>>315 その退屈をも楽しむのが、禅的なスタンスですよw ( ̄ー ̄)ニヤリ
>>124 > だからフリーターさんの「人間は、どう頑張っても確率論的にしか振舞えない」とは、
> 「人間は過去の経験から予測をおこない振る舞う」ということですね。
マクロ/ミクロの術語解釈で少し混乱してしまいましたが、これは言いたかったこととちょっと違うのです。
過去の経験から予測を行うというのは、それこそ統計的傾向に従うということなんですけど、その時点で
右へ行くか左へ行くかという判定はそういう経験則とは異質なんじゃないかと思うのですね。
昔、中井久夫氏が狩猟採集時代には人間は微分的認知能力を主に生活していた、と書いてましたけど、
そういうのに近い。過去の経験から予測するというのは積分的ですが、微分的はある瞬間の傾向を
瞬時に判定するわけです。
女性との会話の話がありましたけど、話術というのは微分的です。上に書いた中井久夫氏は微分的
認知能力というのは分裂病に親和的な人々に強く表れており、分裂病が何故淘汰されないのか、
という理由の一つに恋愛能力の優位性というのを上げてました。相手の微細なしぐさ、表情などから
重要な傾向を読み取る能力に長けていることが恋愛における優位性なのだと。
世界は人間がまさに当事者として生きるとき、そういう形でしか立ち現れないと思うのです。しかし、
人間は経験や文化、近代以降では情報などによってそれを回避しているんだと思うんですね。ある
瞬間の思いよりも、既知の「決定論」に従うほうを選ぶのです。
続きですが、そういう回避策というのは様々です。昔であれば縁起かつぎなどの迷信でしょうし、今であれば
学歴社会などの社会構造の認識としてメディアから流布されている情報になるでしょう。否定神学という言葉の
用法を僕は詳しく知りませんが、近代社会に生活する際に絶えず主体に被さってくる自己認識なんだろうと
思います。それは一言で言えば「アイロニー」ということだと思います。
それに対するのがキルケゴールなどが言う「信仰」だろうと思いますね。これはヘーゲル的に言えば「即自的」です。
しかし、一方でそれは自覚的でもある。それは過剰に露出し、世界にさらされることであり、確率的に生起する世界の
只中に在るなにものかとなることです。アイロニーはどこまでも過去であり、全てを過去にすること、言葉によって
殺すことなのですが(ミネルバの梟は黄昏に飛ぶ)、キルケゴールの信仰は常に未来であり、生の現場であり続ける
ことです。
>>263 > 否定神学システムですね。現代思考の臨界点ですから
> この断絶からいかように抜け出すか?科学、哲学、社会学のハードブロブレムです。
前にも引用しましたが、
「自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を
措定した力の中に自覚的に自己自身を基礎づける」
否定神学は存在しないし、昔も存在しなかったし、これからも存在しない。ドアは既に開け放たれている。
325 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 21:41:45
東京大学文学部宗教学専攻島崎等拓助教授中国儒学研究ゼミ兼大森源三郎客員講師中国現代政治宗教学ゼミ卒
31歳無職。
1975年・東京の本郷に生まれる。父・東大法学部卒 母・慶應義塾大文学部卒
1990年・私立武蔵中学卒業
1993年・私立武蔵高校卒業
1993年・駿台予備校お茶ノ水校(東大文系スーパーコースLCクラス在籍)
1994年・代々木ゼミナール代々木校(スーパーレベル東大文系コースTL2在籍)
1995年・代々木ゼミナール代々木校(スーパーレベル東大文系コースTL1在籍)
1996年・駿台予備校お茶の水校(東大文系スーパーコースLBクラス在籍)
1996年・東京大学文科V類入学
2001年・東京大学文学部卒業
2001年・就職浪人
2002年・ローソン若葉台店店員→辞める→無職
2003年・無職
2004年・無職
2005年・代々木ゼミナール中学部専任講師→解雇
2006年・無職
326 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/11(土) 23:11:22
>>322-324 レスする意味があるかどうか、フリーターさんとは、たえずこれを、
問いかけながらレスしないと、フリーターマジック(暇つぶしの相手)に
取り込まれてしまいます。もう潮時かな、と言う感じですね。
最初に適当に反論し、相手にしゃべらせ、その後に自分の意見のように
組み立て直し、自分の意見にして、いけしゃあしゃあと、それで反論する。
「それ、わしがいったことやん!(笑)」というフリーターマジック2も作動していますし。
ボクが何をいい、フリーターさんが同じことをもっともらしくいっている
という批判はフリータさんの前では無意味ですね。
いいたいことをいいたいようにいう、フリータ最強ってことでしょう(笑)
327 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 23:17:05
ぴかぁ〜まだやってるの。パレです。
328 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/11(土) 23:41:58
ちょっと、感情的になってしまいました。フリータさんとは、イマジネールな関係にも
ありますので。
いつものごとく、ボクと何が違うのかわからないですが(笑)、これはおかしいと思います。
>女性との会話の話がありましたけど、話術というのは微分的です。上に書いた中井久夫氏は微分的
>認知能力というのは分裂病に親和的な人々に強く表れており、分裂病が何故淘汰されないのか、
>という理由の一つに恋愛能力の優位性というのを上げてました。相手の微細なしぐさ、表情などから
>重要な傾向を読み取る能力に長けていることが恋愛における優位性なのだと。
まず、話術というのは、むしろ積分的です。会話の多くは儀礼的です。意志と言うよりも、
場が言わせるのですね。
女性は空気を読むことに長けていると言われています。
これは女性が生きる上で、集団への依存が強くなるので、場に敏感であるといわれます。
そのために、空気の読める男性を求めます。空気を読めるとは、また場をコントロール
することにも繋がり、頼りになるということにもなります。
>>326 > ボクが何をいい、フリーターさんが同じことをもっともらしくいっている
> という批判はフリータさんの前では無意味ですね。
大丈夫ですか?(笑)。岩波文庫を自分の意見のように書いているところはあるかも知れませんけどね。
同じだとしたら、昔から言われていたことだということでしょうね。"現代思考の臨界点"とかじゃないという
ことでしょう。
330 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/11(土) 23:45:41
>否定神学は存在しないし、昔も存在しなかったし、これからも存在しない。ドアは既に開け放たれている。
あと、否定神学は開かれているんですよ。
「開かれ」を「欠如」として神性化するのです。
331 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/11(土) 23:46:29
332 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/11(土) 23:46:51
>>294 >>つまり、つきつめて言えば、脳は量子力学的な力で機能しているということだ」
「百歩譲って」・・ですが、仮に「そう」であったとしても、そういう「物理現象の結果」
が、我々の「脳の意思」になる・・という結論を変更する必要はありません(よね?)。
「火力発電所のボイラーの中に『原子力発電所の原子炉の中の現象』が『ある』かもしれない」
・・・という議論はじつは「どうでもよい」のです。
要するに「出力」・・・「脳の意思」は、(火力発電所の)「設計計算どおり」であれば、
ボイラー内で何が起こっていたのか・・・『全部』説明する(ことなどできませんが)必用など、
「全く無い」のです。
333 :
素人:2006/03/11(土) 23:52:48
>>332 ふむ・・・w
悔しいけど、少なからず同意するスタンスではあるなw
>>328 > まず、話術というのは、むしろ積分的です。会話の多くは儀礼的です。意志と言うよりも、
> 場が言わせるのですね。
積分的だけだと営業はあまりうまくいかないでしょう。礼儀は大事ですけどね。
>>330 > あと、否定神学は開かれているんですよ。
> 「開かれ」を「欠如」として神性化するのです。
だけど、アイロニーなんでしょう?どうもそういう意味に取れますけど。
335 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/11(土) 23:58:38
>>325 宗教学を専攻したことが「最大且つ最終的な誤り」でしたね。
「その選択」を(資本主義経済)社会は厳しく見つめているのです。
あなたが、企業の「採用担当者」としてご自分を面接した時に、
「採用するべきだ」と感じますか?
・・・今どき「東大卒」だけ(等)では、世間(資本主義経済社会)には
「全く通用しない」・・と「思い至る」・・思考経路が欠けている・・だけで、
「不合格」・・間違いありません。
基本的に「観念論」(宗教)は「自分を慰謝するための思考」ですので、そんな
知識を企業が歓迎する訳がありません。
336 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/12(日) 00:01:12
>>334 よくわらないですが文脈から、積分/微分とミクロ/マクロは違うようです。
ミクロ/マクロで書くと、
ここに自分で書いていますね。
>世界は人間がまさに当事者として生きるとき、そういう形でしか立ち現れないと思うのです。しかし、
>人間は経験や文化、近代以降では情報などによってそれを回避しているんだと思うんですね。ある
>瞬間の思いよりも、既知の「決定論」に従うほうを選ぶのです。
ミクロ認識・・・人間は経験や文化、近代以降では情報などによってそれを回避している
マクロ認識・・・世界は人間がまさに当事者として生きるとき、そういう形でしか立ち現れない
ミクロ、マクロ認識と補完して会話をするわけです。
場を読み(ミクロ)、あえて、ジョークなど場を破る発言(マクロ)をする。
>だけど、アイロニーなんでしょう?どうもそういう意味に取れますけど。
わからないなら、無理に批判することはないとおもいますよ。
337 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/12(日) 00:04:08
わからないとおもいますが、ボクなりのまとめです。
◆現実界・・・不確実性、カオス、可能性 →精神分裂病
◆象徴界 →神経症
ミクロ・・・反復性・・・統計的認識→経験的確信・・・儀礼化な社会性
現実界を多数(の穴)に抑圧・・・脱構築 、力への意志、永久回帰(→精神分裂病)
マクロ・・・1回性・・・直感的認識→信仰的信頼・・・空想
現実界を一つ(の穴)に抑圧・・・否定神学、死の欲動(→神経症)
>>336 > ミクロ/マクロで書くと、
ミクロ/マクロはピカ主義の構図から出てきたものですよね。その術語からは離れて書いているんですね(笑)。
> >だけど、アイロニーなんでしょう?どうもそういう意味に取れますけど。
> わからないなら、無理に批判することはないとおもいますよ。
アイロニーでしょう。
> 「この世界は機械的だ、確率的だ。素朴に信じる(マクロ認識)ヤツは馬鹿だ。」ということがわかっている「このオレ様!」という信念(マクロ認識)
> 否定の徹底でマクロ認識を確保するのを否定神学と呼びます。
339 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/12(日) 00:23:19
話題がそれてる気もするので、このスレへのレスは休憩します。(笑)
唐突ですが、「哲学投稿ボード」ってむかーしあったんですけど、ご存知のかたいますでしょうか。
そこに、「あるがまま主義者」というんでしょうか。神経症の森田療法から来ている用語らしいんですけど、
それを主張する人がいました。その人は機械氏と同じような考えでしたね。僕がそれは行為=倫理の場では
物理的必然論はどうなるの?と聞いたら、「あるがまま」であると。別にそれで不自由ないということでした。
機械氏の考える自身の行動原理と似てますか?
341 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 00:38:45
>>335 >> あなたが、企業の「採用担当者」としてご自分を面接した時に、
>>「採用するべきだ」と感じますか?
どっかの営業マン講座ででてきそうな話し。
哲学にしては恥しい???
>>335 > 基本的に「観念論」(宗教)は「自分を慰謝するための思考」ですので、そんな
> 知識を企業が歓迎する訳がありません。
資本主義最先端のアメリカは世界で最も宗教的でもあります。ヨーロッパはアメリカのように
プラグマティックになれないですが、脱宗教化が進んでるといわれますね。
ちなみに、アメリカで宇宙飛行士になる際、信仰を持った人間を選ぶというのが過去にあったそうです。
宇宙に行くと異常な精神状態になることが考えられるため、どんな場所でもある線で精神の平衡を保つ
ことができる人間を飛ばしたと(笑)。だから、宇宙から帰ってきて宗教的になった、という話はちょっと眉唾もの
らしいですね。もともとそうだったと。
同じ時代に宇宙開発競争をやっていたソ連では、当然そんな人は出てきませんでした(笑)。
343 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 02:19:17
>>342 確かに無重力状態で平衡を保つのは
大変だよね。信仰があれば上下逆さまに
なっても大丈夫なのかな。
344 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 02:43:52
>>337 ぴか。。。わからないものを”まとめ”とは言わない
345 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 07:52:26
そうです。パレルゴンです。
お久しぶり・・・。
想像界・象徴界・自然界てのはあの有名なラカン先生の切り口ですか?
もっとも、ジジェクはラカンの自然界に異常に興味があるって言ってます。
あの空無の穴である傷に。ジジェクはあのデカルト先生を肯定しているし、
もうむちゃくちゃです。一般的なポストモダンである主体の消失に反対し
ているのが、ジジェクってことかな。あるいは、色々言ってはいるが
何も言っていない。混乱に陥れているだけだってか。
確かにぴかぁ〜さんは、上達していますね。
認める。何読んでるの。
又時々レスするよ。
346 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 07:56:23
自然界ではなく「現実界」に訂正ですよ。
347 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 08:02:03
そのジジェクを愛してるのが柄谷先生。
確かに、ジジェクは全てのポスト構造主義のタームを使って
ポスト・モダンを超えようと、主体の復活を進めた。
そして、マルクスの復活を求めたと言う事でしょう。
この点が、柄谷さんを惹きつけたんでしょうね。
これで、ポスト構造主義を引っ張ってきていた浅田先生
に勝てると思っていたのかも知れません。
「意識は分子レベルの現象である」「意識は量子レベルの現象である」
意識は物理現象ではないと考える俺からしたらどっちもアホらしいと思うが、
後者を否定できる論拠を持った人はいないみたいね。残念です。
>>332 意識が物理現象の結果(解釈)であることには同意するけども。
出力が火力発電所の設計どおりなのかどうかが問題になってるのに、
「中で何が起こってるかは知らんが、とにかく設計どおりの出力が出ていれば問題ない」
って主張してどうするw
出力しか見えてなくて、なおかつどんな設計か分かってないんだから、
内部で何が起こってるかを実際に調べて、どんな設計かを推測して出力を予測できないと
「出力が設計どおりである」とは言えないでしょ。
349 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 08:14:59
350 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 13:13:27
>>348 でも設計どおりの出力が出ていれば
出力は設計どおりだと言えるんじゃない?
探求者さんには珍しい「弘法も筆の誤り」
だと思うんだけど。
351 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 13:31:29
意識は脳という物理的状態がもたらしたもの、というのは疑いようが無い。
しかし物理的状態がなぜ意識をもたらすかは理解できるか、というとそれは怪しい。
けっきょくそれは自然が無矛盾だらであり、その無矛盾であることにより意識のような理解できないものが出てくるんじゃないのかな?
352 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 13:39:52
何度も言われてるけど「物理的状態がなぜ意識をもたらすか」とか
「何故これが私なのか」とかってのはもはや言葉遊びのレベルだと思うんだ
思考方法とか言語とかの限界みたいな感じ
353 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 14:21:55
>>350>>332 その比喩がわかりにくい。「設計どおりの出力」が出た、というのは
どういうことですか。
たとえば機械氏は
>>335で、こうも言っています。「そもそも宗教学を
専攻(意思)したことが最大の誤り」
つまり、その人は設計どおりの出力を示したけれども、誤りを犯した
という意味?
探求氏とは、違うことを述べているのかもしれませんが。
354 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 14:24:27
機械は皮肉を言う時だけ社会科学的な視点からものを言うから、
誰かを攻撃してるときの発言はあんま気にしなくていい気がする
355 :
素人:2006/03/12(日) 14:36:15
>>353 現在の限界を謙虚に見据えるなら、
ブラックボックスはブラックボックスとして、とりあえず受け止めときましょう。てことw
年月がたてば、また色々わかってくることもあるでしょう。
どんなことでもそうだが、
人は、手持ちの武器で戦うしかないのだから・・・。
356 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 15:31:49
>>354>>355 そうですけれども、そこが機械氏の言説を濁らせているところでしょう。
少し話がごっちゃになりますが、むじんくんの言葉を借りてこじつける
なら、こういうことです。一瞬の対応を決める“微分的認知能力”俗に
言う“カン”は、機械氏の言う「設計」に組み込まれているのか、という
ことです。
>>325の彼は、統計学的(確率論的、常識的)に東大を選んだのでしょう。
では、彼に宗教学(誤りだそうです)を選ばせたのは、いったい何か。
これは、ピカ氏のマクロ認識にも関わってきます。(もっともピカ氏の
ミクロとマクロの分け方には疑問)
むじんくんの言う微分認知、またピカ氏の言うマクロ認識は「設計」に
織りこみずみなのか、そうでないのかという質問です。
357 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 16:21:17
宗教学が誤りだと言ったのは、
「一般的には経済学だのなんだのを選んだ方が効用が高い」と機械が判断した結果じゃないか
逆に
>>325の人は宗教学が最も効用が高いと判断したんだろう
その「設計」って話はよくわからないけど、
効用最大化ってのは人間なら基本的に備わっている行動パターンなんじゃないの?
発端は
>>269と
>>273のやり取りです。
意識を生み出す脳の働きに不確定性が関係しているのかどうか。
機械は脳の働きを「火力発電所」、分子レベルのメカニズムを「ボイラーの燃焼」、
量子レベルのメカニズムを「核分裂現象」に対比させて語っている。
火力発電所に核分裂現象があるかもしれないと考えるのはアホらしい、と。
とすると「設計」とは、「火力発電所の設計=脳の仕組み」であり、
「出力」とは「生み出されたエネルギー=意識や意志」となるよね。
だから「設計どおりの出力」は「脳の仕組みどおりに意志が生み出されること」になる。
・・・いや、今まさにこれが問題になってるんだろw
>>332ではこれを前提にして、量子レベルのメカニズムなんて考える必要ないって
言ってるわけで、議論として明らかにおかしい。
359 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/12(日) 18:10:51
>>332機械さん
相変わらず表現がキレイですね。
360 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 18:19:15
>だから「設計どおりの出力」は「脳の仕組みどおりに意志が生み出されること」になる。
これにおかしいところある??
361 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 18:28:58
>>357 そのとおりですが、その場合、何を効用(意味)とするか、ということです。
ここがピカ氏のいう“マクロ認識”と関わるところでしょう。
個々の場面で何を選択するか(ミクロ認識)は、何を価値(マクロ認識)とする
かで決まるのではないか。
通常、私たちが統計学(確率論)に沿って行動する(ミクロ認識)とすれば、そ
れは「統計学は当てになる」こと(マクロ認識)を信じているからでしょう。
また、ある人間がここというときに統計学(確率論)を捨て、微分的認知(カン)
に頼るとすれば、それは彼が「いざというときにはカンが一番」という(マク
ロ)認識を持っているからです。
このマクロ認識こそが『この私』であり、これは最高位の言うように唯物論の
埒外にあるのか、たとえ埒内にあっても“決定されているのか、いないのか”
というの点がお訊きしたいのです。
>>360 脳の仕組みのみから意識や意志が生み出されるなら、同じ脳の状態からは同じ
意識や意志が生み出されなければならない。
けど、これってほんとに言えることかな?
意識や意志の定義によるけど、普通の用法では意識や意志には「主観的に
見出される」って意味含まれてるから、言えないと思うよ。
例えば。
赤い何かが一瞬目に入って、熱いという意識が生まれるか危ないという意識が
生まれるかは絶対に脳内状態に依存してないと思うね。
・・・状況認識を含む脳内状態で決まってるって?
いやいやバカバカしいってそういう考えは。明らかにある状態を後から解釈したものだろ。
意識や意志は「意味」の問題と同根だと思うよ。
内的に「意味する」「意識する」「意図する」過程なんか存在してないよ。
>>358 あなたは、前スレで
>>247 > これはすごい説だな。
>>1の考え(分子レベルが全て)を一部否定する議論だ。
>
>>21の最後で俺が3つ書いたうちの2番目の発想に近い。
といってるんだよね
あなたは、その説を、多分に理解しているのだろうと
その
>>21 というのがこんなんだった
>>21 > では、「現実以外の可能性」はどこから来ているのだろう。
> それは人間の概念操作(言語)に由来するたんなる錯覚に過ぎないのか?
> それとも、コペンハーゲン解釈のように、もともと多くの可能性があったのが
> 観測行為によって「一つの現実」に収縮しているのか?
> あるいは、多世界解釈のように、「一つの現実」の方が錯覚に過ぎないのか?
といってるわけなんだよね
俺には、よく理解できんけど、「コペンハーゲン解釈」と「多世界解釈」の違いによって、
何かが違うんだろうってことで、俺には永遠に理解できん話みたいだから、参加はしなかった
>>305 > 解釈の違いって、見方の違いかも?みたいなことがあったりしないかな
> 例えば、
> ・コペンハーゲン解釈
> ・多世界解釈
> は単なる見方の違いかも?みたいな感じ
> (どっちで解釈しようが、結果は同じだったりするから)
結果は同じだから、何の違いもないとしか、俺には考えられんからなんだけどね
365 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/12(日) 18:55:18
>>361 >マクロ認識こそが『この私』であり
かなり適切な、ミクロ、マクロ認識、理解ですね。
欠如としてある『この私』を、「(いきいきと)ある」という
信頼(マクロ認識)へ転換する構造を、欲望論は教えるのですね。
366 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 19:09:06
>>361 つまりどのような状況が最大効用であるかは個々人の嗜好によるってこと?
嗜好は遺伝子と生活環境によって大体が決まるんじゃないの
367 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 19:25:46
>>365 きのうは、あなたのミクロとマクロの度重なる校正ミスに悩まされ、わけの
分からない質問もしましたが。
レトリックの名手とも言いました。(少し揶揄)
端的にお訊きしますが、ピカさんは「物質を介在しない情報はある」と考え
ていますか。
368 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/12(日) 20:01:33
>>367 あ〜、コテにしてもらうとわかりやすいのですが。
ボクは創発主義的唯物論者なので、「物質を介在しない情報はない」と
考えます。
369 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 20:02:49
>>366 かなりの部分がそうだと思います。
たとえば機械氏は「唯物論・決定論」(マクロ認識)を確信しています。
むじんくんはキリスト教を信じています
この場合、彼らの遺伝子と生活環境はいわば“下部構造”。彼らの“信
念(上部構造)”は下部に規定されながらも、それによって100%決定され
たとは言えないのでないか、という疑念を禁じえないのです。
ちょっと自分の考え(唯物論)とは矛盾するのですが。
370 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 20:13:20
>>368 一時、数字で名乗っていたのですが、「お前は、名乗るに値しな
い」と言われ、そのとおりだと思い直し、名無しに戻しました。
当面は、これで大物たちに質問を浴びせるつもりです。
371 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 20:15:16
そうでしょうね。全てが決定されているのであるならば、
唯物論的決定論として、考える事自体が決定されている事になります。
つまり、この様に「決定されていると考えること」自体が「自己言及性」の
罠に陥っています。決定されていると言っている「私が」その前提として
決定されている。この事を証明する必要があります。しかし、それは無限後退です。
今日丁度テレビでやっていたのですが、一卵性ソーセージ(双子)の
性格も環境によって異なると言うのが現在最先端の常識のようです。
つまり、DNAが全く同じでも、結果は環境によって異なると言う事。
ここに。人間の自由と可能性見て取れるのです。
>>368 > ボクは創発主義的唯物論者なので、「物質を介在しない情報はない」と
多分に有名であろう科学者は、ある記者の質問にこんな感じで答えてます
「どうして物質があると重力場が歪むのでしょうか?」
「我々が重力場の歪みを物質として認識しているからでしょう」
禅問答のようにみえるけど、
「物質がある」ではなく、「物質として認識している」と答えてる点に注目してネ
で、この科学者と記者のやりとりから、
情報というのは、物質があるないは問題ではなく、
認識するしないかが問題になると俺は思ったりするんだよなあ
人が認識できない「何か」は十分にある可能性があると俺は思うし
>>363-364 なんで俺がハメロフの仮説を持ち出してるかって?
機械氏が「脳の現象は分子レベルが全て」「不確定性は関係ない」って断言してるから、
その考えには反対してる仮説もあるよって紹介しただけなんだけど。
誰かがこの仮説を否定できるような実験を知ってるかもしれないし、
そういう話聞きたいから紹介したんだけど、何かまずいのか?
なぜ怪しいと思うかと言うとだなぁ。
肩書き、語り方、論理展開。これらが非常にトンデモの匂いがする。
「意識」「意志」の特権性を確保したがってる人な気がする。
具体的な実験結果が全然書いてない。
そもそも「意識」についての捉え方が俺の理解(
>>362)と全然違う。
こんな程度の曖昧な理由だよ。否定できるほどの材料はない。
374 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 20:23:03
>>371 環境によって嗜好が異なるというのは単なるインプットの違いなんじゃないのかな
「決定されていると考えている」ということから、
決定されているならば、(自分の意思ではないのだから)考える事は出来ない
ということにつながるのは単なる文法、表現の問題であって、
これは大した問題じゃないはず
>>373 自分があやしいと「感覚的に思う」仮説で反論するんじゃなくて、
自分の説明で反論すればいい話なだけなんじゃないの?
これ以上の話は、もう、どうでもいいんだけどね…
376 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 20:33:20
いいえ、「決定されている」と言う事も「決定されている」と言う
前に決定されていなければなりません。
つまり、永遠に「決定されている」と言う発言が証明されていない
状況が無限に続く事で、「決定されている」事は証明されません。
ラッセルの階級論(クラス論)と同じ矛盾に陥っているのでは。
377 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 20:37:50
>いいえ、「決定されている」と言う事も「決定されている」と言う
>前に決定されていなければなりません。
なぜそう言えるのか、ということの根拠は?
論理の形式じゃないの?
文法の規定による限界のせいで記述しきれない部分があると思うんだ
>>376 というか、決定されてるもされてないも、
どっちともいえるという話にしかなんないと思うけどなあ…
このスレでいう決定論は、人は世界をどこまで決定できるか?という話にしかなんないと思うし
で、人が考える法則では、現状では世界を決定できない、ということだと思うし
379 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 20:43:32
ちゃうな。この辺が、デリダの「差延」の前提にもあるし、
重要なポイントだよ。ポスト・構造主義の大前提だよ。
つまり、存在と認識のヅレだよ。
全ての証明は証明すると言う事を証明しなければならない。
そして、その高次の証明が無限に要求される。このことを
「自己言及性」と言う。
>>375 どうでもいいとか言ってすぐ逃げるくらいならはじめからからむな。
あんたこれで三回目。
俺は自分の立場からの反論や問題提起もしてるが、それが絶対正しいとも思ってない。
だから相手の議論に乗っかっての反論もするし、議論を通して見識が深まればと思ってるの。
なんか悪いのか?
>>380 一度も俺は逃げてないよ
俺がおかしいと思うことを俺はおかしいといってるだけで
以前の議論を読めばよく分かると逆に思うけどな
>>381 で、なんで自分が怪しいと思ってる仮説で反論しちゃだめなの?
>>382 反論の説明になんにもなってないから
しかも、自分が理解してないことで説明することも理不尽だということ
別に君らに言われなくともハメロフとペンローズはトンデモ扱いされているが。
何もかもが浅いよね
ほんとうに無駄だよね
>>383 機械は「脳の働きは分子レベル」っていきなり前提してるわけ。
異説が全然ないならそりゃ別に受け入れてもいいけど、実際あるわけだ。
なら、その前提がどういう根拠に基づいてるかを説明する必要あるのは機械だろ?
機械説かハメロフ説か、どっちがもっともらしいかは根拠の判定で決まる。
機械がそれらしい根拠出せて俺が出せなければ、機械説の方がもっともらしくなるし、
出せなければどっちも説得力に差がないってなるだけ。
俺は別に機械説>ハメロフ説ってなってもかまわないから、根拠出そうとも思わない。
機械もべつに機械説=ハメロフ説ってなってもかまわないなら、根拠出さなくてもいいんじゃね?
>>384 どういうとこでトンデモなのかを説明してくれんか?
それが知りたいんだけど。
388 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 21:25:59
389 :
ヨヴァ:2006/03/12(日) 21:26:01
哲学なんもわからんし上の話も理解が難しいけどよ
何でも分かる予言者かラプラスの魔がいたとしてその時点で決定的な事を言っても
それを観測する人間達は決定論から外れられるのだから。
決定的であることが判明した時点でそれは非決定的になったんじゃないか?
つまり決定論が公に出てくることはないのでは?
390 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 21:33:27
>それを観測する人間達は決定論から外れられるのだから。
意味がわからない
なんで??
>>388 サンクス。どういう批判があるかは何となく分かった
392 :
ヨヴァ:2006/03/12(日) 21:38:13
>>390 明日死ぬのは決定的だと言われれば、その要因を探して死ぬ未来を回避するのが人間でしょ。
393 :
ヨヴァ:2006/03/12(日) 21:40:01
議論の横槍すまん、無視して続けてくれ
395 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 21:44:13
>>392 基本的にあなたの言うとおりだと思う。
「明日死ぬ」はともかく、「明日交通事故にあう」と言われて、
車に乗る奴はいまい。
「これから右手を挙げる」と言われたら、逆らうことなど
簡単だ。
その時に「それでも逆らえない」というのが(予測可能な?)決定論なんだけどな。
「逆らうのは簡単」というのは非決定論的世界観が前提になってる。
397 :
ヨヴァ:2006/03/12(日) 22:03:59
>>396 決定された世界観を人間の観測能力が続く限りは人間はその必ず上を行くはず
無限の観測能力を持ちえるのなら決定論と呼ぶものも消え去ると思われるんだが
それは望めないのかもしれないが、まだ見えていないだけの決定的らしいものを
決定的だと言ってしまうのも人間の魂をくさらせるだけだと。
>>369 > たとえば機械氏は「唯物論・決定論」(マクロ認識)を確信しています。
> むじんくんはキリスト教を信じています
ある主観を成立させているものは何か、と問うたときに出てくるものを"信仰"と呼ぶべきかというと、
ちょっと違うだろうと思います。
例えばそれは自然科学でも同じじゃないかと思いますけど、何かの原因を究極まで遡り、それは果てが
無いということがある。デカルトを例にすれば、無限に自己を客体化する、客体化された自己を
包括する何かを見出し続ける"私"にこそ認識の絶対的な場があると宣言したわけですけど、それは
どこかで"信"に突き当たって終わるかというと、終わらないのです。
そういう終わりなき運動こそが近代的精神と言われるものです。ここで言われている"信"は「この辺で
やめておこう」というものであり、或いは共同体などによって遡ることが禁じられているような、前近代的な
制約のようなものでしょう。それはもう、僕らの社会には実質存在しませんし、存在させることはできない
のです。
しかし、キルケゴールが言うような"信仰"というものがある。これは、そういう強迫的な無限運動から
外れた状態、静止した状態なのです。それは前にも書きましたがヘーゲルの用語で言うならば"即自的"で
あると言えるし、しかし一方で信仰ですから自覚的でもある。静止しているが、それは何かの天井によって
止められているわけではなく、単に動かない、宙に浮いた状態であり、自由なのです。
399 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:04:36
ラプラスの悪魔ってのは原理的にありえないから、
それを前提にした議論なんて無意味
予測は不可能だけど、それは決定論にはなんら影響はない
って機械はいうだろうね
400 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:18:28
>>399 ふむ。君はなぜそう考えるのだね?
何が君をそうかんがえさせるに至ったのだね?
>ラプラスの悪魔ってのは原理的にありえないから、
ラプラスの悪魔は原理的にありえるよ。
たとえば、君がラプラスの悪魔で押し売りを撃退することを
考えて見たらいいと思うよ〜〜〜〜〜〜〜。
私の意見が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
401 :
左危機!:2006/03/12(日) 22:20:43
402 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:21:31
観測問題があるからすべてを同時に知りうるなんてのはありえないじゃん
だからラプラスの悪魔はありえない
ただし、これは予測が不可能であるというだけの話
403 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:26:40
近代とか前近代とかないの。
あなたとわたすもないの、この世の中には。
あるのはないの。豚カツはないの、カツは揚げるものなの。
私の卓越した見解が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
404 :
素人:2006/03/12(日) 22:26:52
思考実験としては面白い。
しかし、もしラプラスの悪魔がいたとしても、彼は、決して語らないだろう。
また語ったとしても、嘘をついて、決定している結果へと人の行動を誘導するだろうw
( ̄ー ̄)ニヤリ
405 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:31:49
>>402 >観測問題があるからすべてを同時に知りうるなんてのはありえないじゃん
>だからラプラスの悪魔はありえない
キミ、君は毎日、「ホニュロロロロ〜〜ン」と生活していないだろ。
だから、ラプラスの悪魔はあるの。
私の卓越した見解が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
>>394 んにゃ。論文なんか読んでも分かりやすい解説入ってないと分からんよw
インタビューとか対談とかを読んでの印象です。
>>398 うーん。思考停止とどう違うのかよくわからんな。
信じてることに自覚的である、という意味なら禁止されてても一緒っぽいしなぁ
407 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:36:46
ラプラスの悪魔は性格が悪くてね。
シロートの言うように一筋縄ではいかないのだよ。
402はだまされてしまったのだよ。402、正気にもどれ。
修行しろ!修行しろ!修行しろ!修行しろ!修行しろ!
私の卓越した見解が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
408 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:39:04
>>406 >論文なんか読んでも分かりやすい解説入ってないと分からんよw
ばかもの!論文ほどわかりやすいものはないだろ!
最もわかりにくいのが入門書だ。
私の卓越した見解が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
409 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:41:39
なんか気持ち悪いのが一匹迷い込んできたな
410 :
紗南:2006/03/12(日) 22:51:20
>>371 紗南も今日テレビを見て感動しました。『ちびまる子ちゃん』。
犬や猫と話ができる人が出ていたので、人間の自由と可能性見て取りました。
>ゾルレンさん
ポパーに詳しいゾルレンさんに聞きたいことがあります。
ポパーという人は、人間の「可謬性」ということを言っていたそうですね。
人間はミスや失敗を避けられないものだろう、と。
そして、それに対して「寛容」であるべきだ、と。
紗南は、今のところその考えに賛成なのですが、自分自身のミスにも、
他の人のミスにも寛容になることはとても難しいことだと感じます。
なので、人間のミス、失敗にたいして、”どうやったら”寛容になれるかについて、
ポパーは何と言っているのか、いや、ゾルレンさんはどう考えていらっしゃるのか、
参考のために教えてください。
411 :
紗南:2006/03/12(日) 22:52:06
前にも書きましたが、紗南は、兄が本当にフランスにいるかどうかを疑っています。
それは、兄がよく「言い間違い」をしていたからです。
特に、欧米の国名と、日本の都道府県や都市名とが、よく入れ替わっていました。
フランスと京都、、イタリアと大阪、スイスと長野、アメリカと広島、スペインと大分、
オランダは長崎と見せかけて名古屋、そして、東京とよく入れ替わって言っていたのが、
オーストリア・ハンガリー帝国です。
兄の話を意味が通るように理解するためには、頭の中で単語を別のものに置き換える
必要がありました。紗南は、もう慣れていたので、兄にわざわざそのことを言う必要は
なかったのですが、一度だけ、本人に言ったことがあります。
それは、紗南がテスト勉強のために夜遅くまで机に向かっていたときのことです。
料理の得意な兄は、紗南の夜食にと、具のないインスタントラーメンを作ってきてくれました。
紗南がラーメンを食べている間、兄は「ダニの環境世界とダニアレルギーの関係」について
熱く語ってくれました。
紗南は、さっき覚えた七言絶句の形式のことで頭が一杯だったので、ついイラっときてしまい、
「お兄ちゃんの話って独特の言い間違いが多くてさ、わざわざ脳内変換しなきゃいけないん
だよね。紗南の脳には、”ブローカー野””ウェルニッケ野”の他に、お兄ちゃんの言葉を変換
するための”お兄ちゃん野”ができちゃったよ」と言ってしまいました。
すると、紗南の言葉を聞いた兄は、青褪めた顔で小刻みに震えながらゆっくりと立ち上がって、
「このあばずれ女、クワス計算みてえな事しやがって、お前に食わすタン麺はねえ!!」
と叫び、紗南の食べていたラーメンのどんぶりを取り上げると、窓から放り投げてしまいました。
こんなに怒った兄を見たのは三度目です。
紗南は、「これ、タン麺じゃなくて味噌ラーメンだよ」と指摘したかったのですが、
火に油を注ぐことになるだろう、と考え、指摘するのを思いとどまりました。
投げられたどんぶりが、隣の古賀さんの家の窓に当たってガラスを破ってしまったので、
そのあとすぐ、パパもママも古賀さんの家に出向き、泣いて謝っていました。
兄は、「ミスって投げちまった」と言っていました。
412 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:55:27
国敗れて山河あり。国敗れて日本人あり。
戦後の荒廃から立ち直ったのは我が日本民族の
力、頑張りではなかったか?さまざまな外乱、動揺があった。
共産主義諸国からの揺さぶりはひどいものだった。
日本をラプラスの天使と考えてみよ。
ラプラスの悪魔は存在するのは自明ではなかろうか。
私の卓越した見解が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
413 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:59:00
予想どおり、ひどいスレになった
414 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:59:29
>>411 >兄が本当にフランスにいるかどうかを疑っています。
キエスイビジュビエビアジュビエヌマタン?
私の卓越した見解が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
415 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 23:02:16
>>413 こんにちは〜〜〜〜〜。
こんにちは〜〜〜〜〜。
世界の国から〜〜〜〜。
私の卓越した見解が人類の幸せに貢献することを祈りつつ。
>>406 > うーん。思考停止とどう違うのかよくわからんな。
> 信じてることに自覚的である、という意味なら禁止されてても一緒っぽいしなぁ
思考停止する、という場合それは否定です。
「自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を
措定した力の中に自覚的に自己自身を基礎づける」
これは即時的に「なる」のであり、否定がどこにも見当たらないのです。停止ではなく端的にしないのです。
旧約の時代、神と人間との関係は否定の関係でした。新約の時代、それは肯定の関係です。
旧約の時代、人間が神に従属していました。新約の時代、神は人間を従わせてます。
417 :
素人:2006/03/12(日) 23:08:06
>>415 ついてこれないから、あらしとは、おこちゃまでつねw
>>386 > 機械説かハメロフ説か、どっちがもっともらしいかは根拠の判定で決まる。
> 機械がそれらしい根拠出せて俺が出せなければ、機械説の方がもっともらしくなるし、
> 出せなければどっちも説得力に差がないってなるだけ。
じゃあ、機械説への反論じゃないの?別の仮説ってことなの?その説得力とやらで何が得られるの?
という、更につまんない話になってる気がするし
> 異説が全然ないならそりゃ別に受け入れてもいいけど、実際あるわけだ。
> なら、その前提がどういう根拠に基づいてるかを説明する必要あるのは機械だろ?
俺は普通に両方が根拠を示す必要があると思ってるけど…
(少なくとも反論する前提において、別の仮説を示すのなら)
片方の仮説の根拠が示されれば、もう一方の仮説を棄却できる可能性がみえるかも、と俺は思うし
> 俺は別に機械説>ハメロフ説ってなってもかまわないから、根拠出そうとも思わない。
> 機械もべつに機械説=ハメロフ説ってなってもかまわないなら、根拠出さなくてもいいんじゃね?
さあ、俺は機械説だろうと、ハメロフ説だろうと、ある程度の根拠がなけりゃ、俺はなにも納得できないけどねえ
>>418 >その説得力とやらで何が得られるの?
機械説(脳の現象は分子レベルが全て)がどの程度正当なのか、が判断できるじゃん。
これをつまんないと感じるのはたんに君がこの論点に興味ないだけだろ。
>俺は普通に両方が根拠を示す必要があると思ってるけど…
機械説がまず根拠示してないよな。
その根拠を示して欲しいと思ったから、対抗仮説出したんじゃんか。
俺の立場から反論するとここの根拠を問うことができないの。関係ないから。
>俺は機械説だろうと、ハメロフ説だろうと、ある程度の根拠がなけりゃ、俺はなにも納得できないけどねえ
だからな。俺はハメロフ説を誰かに納得させようとは全然思ってないんだって。
ハメロフ説に根拠がないってなったら、じゃあ機械説の根拠は?って話に当然なる。
ここから機械の論拠を引っ張り出そうというのが狙いなの。彼は比喩しか言わないから。
ってか興味ないならなんで絡んでくるのさ。俺は機械説に興味あるから絡んでるんだけど。
>>419 > ってか興味ないならなんで絡んでくるのさ。
もともとは、あなたが「おかしなこといってる」と、俺が思うから、それについて発言しただけだし
それを俺が発言するのは俺の勝手だし
>>380 >>381 >>382 >>383 で、しつこくからんできたのは、あなただったりするんだよな
これについては、これ以上からまんよ
要約すれば、あなたは自分の発言に責任をもたない人、ということなんだけどね
まあ、なにをいおうが、人の勝手でもあるわけだけど、あなたの発言はあまりにも無責任、
と俺は思うからなんだけどね
421 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/13(月) 00:18:57
>>348 >出力が火力発電所の設計どおりなのかどうかが問題になってるのに、
>「中で何が起こってるかは知らんが、とにかく設計どおりの出力が出ていれば問題ない」
>って主張してどうするw
これだけ「判りやすい例示」をしても、「判りたくない人には判らない」ということが、
よく「判り」ます。
「火力発電所の設計」と「出力が設計どおりに出てくる事の検証」のプロセスに、
『「ボイラーの中の燃料(炭化水素)の一個一個の分子が、どう燃焼したか?・・・
空気中の酸素(O2)の一個一個の分子とどう「化合」したか』・・を全部説明出来なければ、
その設計が「有効な」=「意味のある」設計とは見なさない・・という「神学的な天の邪鬼理論」
がそこに存在します。・・・『典型的な「観念論」そのもの』のロジックですね。
>>420 まず君が俺の発言がおかしいと絡んできたんだぞ。
俺はそれについて別におかしいところはないと説明してるだけ。
それを「からんできてるのはあなた」って何考えてるんだ?
俺のイメージ落とす発言してるんだから、反論されるのは当然だろ。
君が俺を無責任だと思うのは、議論するときには自説を主張するべきだと
君が勝手に思い込んでるだけ。
423 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 00:35:42
探求者はテキが多いなw
めげずに頑張ってくれ
424 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/13(月) 00:40:50
>>386 >機械は「脳の働きは分子レベル」っていきなり前提してるわけ。
ブンカケイの方は「スケールの問題」に対して酷く「不感症」だと思います。
>>421で説明したとおりですが、火力発電所のボイラーの中でたまたま「ウラン235」が
混入しており、そのれ(核分裂反応)がボイラーの熱出力に影響を与えたとしても、「誤差の範囲」
としてしか「観測は出来ない」ので、そもそも「高価な観測機器」など設置する理由もないし、必要性
も無いのです。・・但し「原子力発電所の原子炉」の中で起こっている「原子核分裂反応」によって、
装填した「ウラン燃料」がどれだけ燃焼し、出力が「どれがけだったのか?」は常に「コンピュータ」
によって「監視」されております。・・しかし「一個一個のウラン235分子の分裂結果がどうなったか」
等についての「ミクロ情報」については、「収集しても意味がない」・・集計しきれっこない・・ので
最初から「集計してみようか?」などという発想を持つ技術者は存在しません。
>>421 まぁ火力発電所には設計者がいるから、そんな説明しなくても設計どおりか
どうかは調べられるけどねw
予定してない出力が出てれば、なんか予想外な反応起こってるんだろうし、
だいたい予定通りの出力なら設計どおりのことしか起こってないんだろう。
ただ、脳の場合は設計者にどんな出力するつもりだったか聞けないでしょw
だったらメカニズムを実際に推測して予測と参照してみないと、
「設計どおりかどうか」なんて分からないはずですが。
>>422 あなたも、しつこいねえ(俺もしつこいけど)
> まず君が俺の発言がおかしいと絡んできたんだぞ。
> 俺はそれについて別におかしいところはないと説明してるだけ。
それでも、俺にとっちゃ、あなたは「おかしいこといってる」と俺が思う発言を延々と繰り返してるわけだ
> それを「からんできてるのはあなた」って何考えてるんだ?
「からんできてるのはあなた」、とはいってないよ
> これ以上の話は、もう、どうでもいいんだけどね…
のに
> どうでもいいとか言ってすぐ逃げるくらいならはじめからからむな。
といって、「しつこく」からんできた(
>>380 >>381 >>382 >>383)、といってるだけだし
>>424 そうそう。その「収集しても意味がない」っていう判断の根拠を知りたいわけよ。
「収集することに意味がある」ってまじめに考えてるやつが実際にいるわけだから。
火力発電所じゃなくて、脳の仕組みの話でね。
>>426 > 君が俺を無責任だと思うのは、議論するときには自説を主張するべきだと
とはいってないよ
反論するなら、まともな反論をすればといってるだけで
>>418 > > 異説が全然ないならそりゃ別に受け入れてもいいけど、実際あるわけだ。
> > なら、その前提がどういう根拠に基づいてるかを説明する必要あるのは機械だろ?
>
> 俺は普通に両方が根拠を示す必要があると思ってるけど…
> (少なくとも反論する前提において、別の仮説を示すのなら)
> 片方の仮説の根拠が示されれば、もう一方の仮説を棄却できる可能性がみえるかも、と俺は思うし
要約すれば、
>>375 に尽きるんだけどね
> 俺のイメージ落とす発言してるんだから
イメージが気になるんなら、自分のイメージを落とさない発言をすればいいんじゃないの
なぜ、無責任なのかについては、
>>383 を読んでね
430 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 00:51:53
自説だけじゃつまんないだろ
ネットって便利な道具があるんだから、もっと活用すればいいじゃん
二人でお互いのスタンスを非難し合うのはこのスレでは止めて欲しい・・・
431 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/13(月) 00:54:45
>>425 「分子生物学」で論じる『レベル』・・分子・・で「必要且つ充分」
なのです。
あなたの「胃」に「シアン化合物」が入れば「胃酸との反応」により、
「シアンガス」が発生し・・あなた(肉体と脳)は「死滅する」ことは
明白であり、その後「この宇宙」のみならず「全世界・全歴史」に「あなた」
は「再登場」することはありません。
「(あなたの「脳」をはじめとする)あなた」・・・は「ごく簡単な化学物質」
により「死ぬ」のです。「その後のあなた」・・というのはあり得ない・・というより、
「論理的矛盾」です。
・・・誰でも知っているとおり、「死んだら『何もかも』終わり」だからです。
432 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 01:05:22
脳は物質であり従ってそこから発生するクオリアも物理的な自然現象である。
脳は物質であり従ってそこから発生するクオリアも物理的な自然現象である。
脳は物質であり従ってそこから発生するクオリアも物理的な自然現象である。
脳は物質であり従ってそこから発生するクオリアも物理的な自然現象である。
脳は物質であり従ってそこから発生するクオリアも物理的な自然現象である。
脳は物質であり従ってそこから発生するクオリアも物理的な自然現象である。
脳は物質であり従ってそこから発生するクオリアも物理的な自然現象である。
従ってクオリアであっても他の自然現象と同じく物理的必然的な自然現象でしかない。
従ってクオリアであっても他の自然現象と同じく物理的必然的な自然現象でしかない。
従ってクオリアであっても他の自然現象と同じく物理的必然的な自然現象でしかない。
従ってクオリアであっても他の自然現象と同じく物理的必然的な自然現象でしかない。
従ってクオリアであっても他の自然現象と同じく物理的必然的な自然現象でしかない。
従ってクオリアであっても他の自然現象と同じく物理的必然的な自然現象でしかない。
433 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 01:09:11
機械氏はトウェインの人間機械説ってどう思う?
知ってたらレスください
434 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/13(月) 01:17:38
>>433 マークトウェインはトムソーヤーやハックルベリーフィンの世界しか
しりませんでした、後日勉強してさ入れ再レス致します。
ただし、自然科学の最先端の理解・・等トウェインの時代には「期待できない」
ので・・・「それなりの直感の方向性」が正しかった・・・かもしれない程度の
コメントしか用意は出来ないと思います。
ハメロフ説正しいって主張してないのに、紹介した以上は説明しなきゃ無責任。
他人を攻撃するのは、攻撃させるようなこと言う奴が悪い。
どんな考えしてるんだこいつは・・・。
>>431 分子レベルで人は死ぬから、意識も量子レベルまで考える必要はないというわけか。
けどその論理だと、人の首をはねたら人は死ぬんだから分子レベルまで考える必要ない、
とも言えてしまいそうなんだが。
電流でも人って死ぬよなぁ。
436 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 01:24:17
>>423 探求者さんには、味方も多いのでは? 最高位さんなんかと
一緒でしょう?
437 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 01:29:21
>>435 機械さんの例えは、変なのが多いですね。彼の
人間観がよく出ているともいえます。
438 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/13(月) 01:30:03
>>435 「人の死」は、1受精卵から「ひと」になった「たった十ヶ月の過程」
に象徴されます。・・・要は「その逆行」・・です。
勿論一個体が「一細胞(受精卵)」に「退行する」過程は興味深いのですが、
「老化」は「細胞の死」との「戦い」ですので、「個体発生時の『自動性』」
・・とにかく「生活」しているだけで「成長する」・・という「過程」は望めない
・・・と「思い込む」必要はないと思われます。
「人の肉体」と「老化のメカニズム」の分子生物学的「プロセス」が判れば、
極論ですが、「人間は老化する必要はない」のだし「人間は病気になる必要はない」
・・・ということだと思います。
>>435 > ハメロフ説正しいって主張してないのに、紹介した以上は説明しなきゃ無責任。
とは、いってないよ
>>382 > で、なんで自分が怪しいと思ってる仮説で反論しちゃだめなの?
という以上、反論するなら、自分で説明できないようなもんを持ち出すのはおかしい、といってるだけで
反論を発言する者として無責任なだけだし
> 他人を攻撃するのは、攻撃させるようなこと言う奴が悪い。
攻撃じゃないんだよね
反論なんだよね
他人に反論することが悪いとかじゃなくて(ちゃんとした反論なら意義がある)、
自分の発言に責任を持たないことが無責任だって話なんだよねえ
訂正
> 自分の発言に責任を持たないことが無責任だって話なんだよねえ
自分の発言に責任を持たないことが問題なんだよねえ
441 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 01:37:48
>>機械氏
レスどうもです
いつか気が向いたら読んでみてください
「人間とは何か」って本です
>>438 人の生や死を分子レベルで見ることもできるけど、別にそれ以外で見ることもできるよね。
例えば、神経細胞の活性状態=電位レベルで生と死を見ることもできれば、
心臓の動きと血流の流れという分子以上のレベルで見ることもできる。
君の説明だと、分子レベルを特別扱いする理由がいまいちはっきりしない。
>>439 相手の主張の根拠のなさをつくタイプの反論をするときに、反対説の正しさを示す必要はない。
相手の説と反対説の正当性が同じ程度でしかないことが示されれば十分なのだから。
俺が機械や君にしてるのは反論だが、君が俺にしてるのは反論ではない。
なぜなら俺が「自分の発言は無責任ではない」などと主張していないのに、
君が「探求者の発言は無責任だ」と主張しはじめたのだから。
どっちもくどい、もうやめろ
>紗南
>なので、人間のミス、失敗にたいして、”どうやったら”寛容になれるかについて、
>ポパーは何と言っているのか、いや、ゾルレンさんはどう考えていらっしゃるのか、
どうやったら、か
ソクラテスじゃないけど、徳を実践できないのはその徳について知らないからということなのかな。
人間はミスするものだし、仮に今までミスをしたことがなくてもこれからずっとミスをしないという保証はない。
そんななかで「間違いを一度足りとも犯すな」という倫理観はそれ自体が非合理的なのではないだろうか
無謬可能性の提示がないところで無謬性の根源の存在を信じ、間違えたことを責めるのは非合理的な倫理観でもある
ポパーに代表される人たちはこの倫理観を変えている
「間違いを一度足りとも犯すな」から「間違ったってやり直せばいいじゃないか」への変化だ
蔭山先生は次のように書いている
>批判はふつう非難と混同され、敵意の現われとさえ見られることもある。
>そして批判を受け入れることは屈服を意味するとも考えられ、
>一種の屈辱とも見なされている。
>たしかに、そういう侮辱的な批判もあるかもしれないが、
>しかしそれはたいてい相手を理解しない、単なる誹謗中傷と同程度のものだろう。
>本来批判とは論理的矛盾や事実との齟齬を指摘することにより、
>批判される対象と現実を直面させる試みである。
>そして、その目的は、その批判対象をよりよきものにすることにある。
>この意味では、批判はその対象に対する真剣な関心の現われなのである。
>〜
>一般に批判されて誤りを認めることは、面目を失うことに通じると考えられてしまっている。
>だが、ある理論や行動が誤る可能性があることを前提とする反証可能性を重視する批判的合理主義では、
>むしろ誤ることがありえない無謬性こそ恥ずべきことなのである。
>俗な言い方をすれば、「いわば間違えないようなやつは本物じゃない」、
>というのが、反証主義の根本的主張である。
論証をすっ飛ばすなら
「議論や対話によって答えはひとつになり、みんなの考えは一致しなければならない」
というのが議論に対する過度な期待だとポパーは指摘している。
議論は、多くの理論を批判的吟味にかけ、それぞれの理論の問題点をはっきりとさせるために行われるべきである。
議論に終着点は必要ない
ついでに別スレで話題になった「ある程度の正当化」に触れるならば
議論をし続ければおかしい理論が自然に淘汰されるというのがポパーの考えでもある
自然科学の例をとってみる
科学哲学では「決定的反証の不可能性」というのがある。
「実験によって理論を決定的に破棄することはできない」という内容だ
経験と理論には論理的な断絶がある
ある科学者が唱える理論が実験に失敗したとしよう
ここで、その科学者が「わたしの理論は実験に失敗した。それゆえにわたしの理論は正しい。」と言ったとしよう
その理論を信じるも信じないも自由だが、誰もが相手にしないだろう。
これはわれわれが「狼が来た」と叫ぶオオカミ少年を信じないのと同じようなもので
この基準「験証度」は道徳に由来すると思われる。
446 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 09:06:18
>>397 逆だな。
世界を動かしている法則を変える事など何もできないのに、
まるで非決定性が人間の手の中にあるような主張は、人間の魂を腐らせるだけだ。
人は神ではない。
非決定性が人間の手の中になければ、
他の要因によって未来が決まり、決定論の世界と同じだ。
447 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 09:09:24
>>402 ありえるよ。
観測する対象の系の内側にはラプラスの悪魔が存在できないだけ。
映画のフィルムを編集している人は、フィルム内の時間と無関係で、
すべてを同時に知りうる事ができる。
448 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 09:11:59
>>392 予測対象を観測したあと、その対象に干渉すれば、予測結果を乱すのは当然のこと。
予測は結果が出るまで本人には見えないところに隠しておく必要がある。
ハンス・アルバートは
われわれの実践もまた言葉にして批判的議論にかけることができると言っている
当然ながら道徳や倫理もまた言葉による議論によって吟味することができる
ポパーの寛容の態度は批判的合理主義の倫理観からきている
「この倫理観自体は議論にかけることはできない」というのがポパーの主張だったが
ポパー哲学の継承としてこれもまた議論にかけれるという考えも出ている
>なので、人間のミス、失敗にたいして、”どうやったら”寛容になれるかについて、
>ポパーは何と言っているのか、いや、ゾルレンさんはどう考えていらっしゃるのか、
話は戻るが、「哲学を学べば寛容になれる」というのが俺の考えだ
寛容さについて道徳哲学としてさらに研究するのもいいだろう
ソクラテスは「徳とは知である」と言ったが、
われわれが信用するものでも疑い批判し吟味することでそれを再確認できる
ある考えを吟味する時は、それと両立しない考えとの対話を(仮にまったくの空想でも)想定する
そして、このような行為自体が寛容の原理にのっとっている。
禅問答のような終わりのない対話を意識することは寛容の態度を育てるのではないだろうか?
「批判的議論への参加は知的探究心を育てる」とか「議論は愛を育てる」と考える哲学者もいる
>>446 >まるで非決定性が人間の手の中にあるような主張は、
まるで人間が世界とは違うかのような発言だが
ここでは人間は世界の一部なんだろ?
「非決定性が人間の手の中にある」というのは
「非決定性が世界自身にある」というのと一緒だろ
451 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 09:43:12
>>450 違う。
これはコンピュータゲームのキャラクターの手の中に、
非決定性があるかどうかと同じ問題。
452 :
岩:2006/03/13(月) 09:44:22
自分だけの法則があるんだろうと思う。
それは物理や科学では解き明かせない。
基本はみんな同じなんだろうけど。
基本を知ったからって全部知れるわけでもない。
そうそう
井上先生は
「共感の不在においてなお寛容を可能にするものは何か」という問いに対して
>私は答えをJ・S・ミルとともに
>「我々は誤りを犯しうる存在である」という自覚、
>特に、自己の価値判断の可謬性に求めたい。
と書いている
454 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:02:07
分子レベルが生物の活動の基礎単位になってるってことじゃないの?
分子以下の与える影響に関しては無視できると言っているんでしょ
沖縄で幅跳びの記録を出すために
わざわざ北海道の蝶の羽ばたきを止めさせる人はいない
>決定論
とりあえず決定論においては「世界」という語が二種類の用法で用いられている
これを区別しよう
仮に世界は決定論的に決まっているとしよう
映画のフィルムの中の世界、これを「内部世界」とでも呼ぼう
そしてラプラスの悪魔がいる世界、これを「超越世界」とでも呼ぼう
決定論はこの2つを区別して「<内部の>世界は決定している」と言う
なるほど、もしかしたらそうかもしれない
だが、非決定論者は「超越世界は決定しているのか?」と疑問に思うはずだ
ラプラスの悪魔は内部世界の決定論の法則には支配されない
ではラプラスの悪魔のいる超越世界は非決定なのだろうか?
456 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:05:12
>>452 そんなものないだろ。あるなら出してみろ。
物理法則の内側に存在する、個人的な経験則程度なら話はわかるがね。
457 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:07:42
>>455 そもそも決まっているとか、時間の存在自体が内部世界のもの。
超越世界には「我々の内部世界の時間」は存在していない。
458 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:10:12
>>451 それも違うのでは。
コンピュータ・ゲームのキャラクタは、ピカ氏のいうマクロ認識(理念、信念)
を自ら変えることができない。状況のなかで、自ずと変わることもない。そこ
が人間との違い。
459 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:12:42
>>455 フィルム内の世界の時間と、フィルムの外の時間は全く違う。
仮にフィルムの外の世界が非決定であっても、
作られたフィルム内の世界は決定論の世界になる。
>>448 だから、決定論が正しくても自分自身を予測対象にすることは
原理的にできない、ということでしょ。
461 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:14:00
>>458 原理的には、
コンピュータ・ゲームのキャラクタも人間と同程度に認識を変える事が可能。
論理的には、人間と違いはないよ。
462 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:15:20
>>460 逆に言えば、自分自身を予測対象にできないことは、
決定論の正しさの表れにもなっている。
463 :
岩:2006/03/13(月) 10:16:50
>>456 あんたがそう思うのも固有の法則に則っていたりして。
内側ってのもよくわかんないな。
外側じゃあだめなの?
>>462 なってないでしょw
それに、自分自身もそれ以外も予測対象にすることはできるよ。
現にしているし。単に当るとは限らないだけ。
決定論の正しさを証明したければ、予測して当てて見せる以外にはない。
だから、自分以外についてはそれが可能でも(現実にはできていないが)、
自分自身については原理的に不可能、ということ。
465 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:19:44
>>463 話は自分だけの法則とやらを出してからだな。ま、君の妄想だろうけど。
>>464 >決定論の正しさを証明したければ、予測して当てて見せる以外にはない。
それは違う。
決定論が正しい限り、系に干渉するような形では完全な予測は不可能。
ただ、情報の増加とともに、予測精度を上げる事が出来るだけ。
決定論は、単に未来が決まっている以上のことは何も言わない。
そして恐らくそれは正しいし、原理的に決定論は否定する事ができない。
>>466 根拠もなしに「恐らくそれは正しい」なんて言われても困る。
原理的に、決定論も非決定論も否定することも証明することもできない、
ということに尽きるでしょ。
ゾルレン氏流の「開かれた議論」ならできるだろうが(というかそれ以外の
議論はできないだろうが)、どういうわけか決定論陣営の人はそれを
嫌がるのが、不思議。
最近やっとピカ氏の「ミクロ/マクロ」を理解しつつある私です(笑)。
「決定論がミクロ的だ」という場合、恐らくそれは"実験室の中の現象ですよ"という意味だろう
と思います。つまり、実験は行うに際して前提条件が必要である。それは観察対象となる現象の
"外部"であり、"メタ"である。だからこそ、それは同一現象の再現可能性を肯定するし、反証可能性が
認められる。
ところが、現実世界というのは実験室ではないため、観察対象に対して外から様々な要因が入り込んで
くるのが常態である。それは再現可能性がなく、反証可能性もない。当然予測もできない。
>>467 いや、そうではない。非決定論が単に根拠が無いだけ。
知らないということと、決まっていないということは違うのに、
非決定論者はその区別ができていないだけでなく、非決定性の要因を出しもしない。
はっきり言って、その要因と根拠を出してから、決定論を否定するべきだと思う。
同じ証明ができないでも、決定論の方がより正しいように思われる。
それは地球がデタラメに動いているという主張より、
太陽の周りを公転しているという方がより正しいというのと同じだ。
哲学的にはどちらが正しいかと判断できないだろうが、決定論は、その(公転)程度に正しい。
最高位もそうだったけど、否定できないからってなんで肯定するのかね?
それなら非決定論だって否定できないんだから肯定してくれなきゃフェアじゃない
471 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:40:52
>>470 ここは決定論スレなんだが。非決定論スレでも立てて肯定すればいいんじゃねーの?
472 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:42:07
>>470 つーか、根拠も無いのに否定ばかりしたがるのは嫌がらせ以外の何ものでもないだろ。
>>471 決定論スレって決定論を否定する人と肯定する人しかいちゃいけないんですか?
俺は普通にどっちもできないと思うんだけど。
これを人間の思考に当てはめると、予測可能という意味での「決定論」に世界を回収しようとする
のは近代観念論的思考だと思います。カントが言うように、それは無限に拡張可能な認識として
ある。しかし、一方でそれを成立させている前提条件というものが絶えず外部に想定され、それが
"物自体"として考えられる。
しかし、もう一つの思考があると思います。それは自己自身が系の一部と化すもので、認識の
内部に世界を回収するのではなく、端的に世界の中にある精神。実験室内部としての精神では
なく、実験室自体としての精神。
宇宙の中でどうあがいても、物理法則を変えるのは不可能。
円周率の話が出てたが、それを変えるのは正気の沙汰じゃない。
人間は何も変えられないと思う。過去も未来も。
476 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:50:54
>>461 作り手の計画(意図)どおりに、変わるだけでしょう。自立的に、自在に認識
を変えられるとは思えません。
たとえが違うかもしれないけど、人口知能の不可能性もそこにあるわけでし
ょう。素人ですので、間違っていたら指摘して欲しいのですが、コンピュー
タには個々の場面の認知はできても、大もとの“観念”を持つことができな
いのでは? いや正確には、持たすことはできても、それを自在に壊して、
つくり変えることができないのではないですか。
477 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:52:23
>>473 誰もいちゃいけないと言ってないだろ。
フェアじゃねーとか、ごちゃごちゃいっているから、
別スレ立てればと言っただけだが。
どっちもできないと思うなら黙って引っ込んでいろ。
実験室的思考で何故か予測ができない現象は沢山あります。人間の歴史などはそうですし、天気予報も
同じです。実験室ではノイズとして排除するような要因が、非常に大きな働きをする。
これらは複雑系の研究などで結構昔から言われていることですね。こういった現象は記述する際、確率論的
にしか記述ができないのです。にも関わらず、あるパターン、大きな流れというものを見ることができる。
479 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:54:46
>>476 >作り手の計画(意図)どおりに、変わるだけでしょう。
いいえ。そのようにも出来ますが、意図によらず変わる事も出来る。
>自立的に、自在に認識を変えられるとは思えません。
原理的には可能。
>たとえが違うかもしれないけど、人口知能の不可能性もそこにあるわけでしょう。
不可能性なんてありませんが。
技術的にまだ完成していないだけで、原理的には可能。
480 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:57:39
>>476 科学的には人間にできることは、AIにも可能だよ。
人間の構成原子をすべてシミュレートした場合を考えればいい。
481 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:58:33
決定論が正しいと思われる要因は、
「情報の増加とともに、予測精度を上げる事が出来る」ということが
とりあえず今のところ正しいということにつきる。
完全に正確な予測というのは観測問題の関係上不可能なのだから、
もしすべてが非決定だと仮定するならば、
なぜ今のところこれが正しいのかを明らかにすべき。
一部が非決定だとするならば、まず非決定であると思われるものを提示すべき。
私はリカケイではないのでお聞きしたいのですが、自然界の記述で精度を上げることで
把握しようという発想の人は未だにいるんでしょうか。自分の知り合いにはいません。
池田清彦さんは「生物には決定論は適用できない」とはっきり書いていたぞ。
>>482 天気とか海流の予測等、スパコンを使う分野は、実際に精度を上げて把握している。
予測可能という意味での"決定論"を主張する人間は、リカケイにもブンカケイにもいないというのが
現状だと思いますが、ここでそれを主張されている方は何が違った発想なんでしょうか。
>>483 それが何か?
シュレーディンガーは「生命は機械、時計仕掛け」だとはっきり書いている。
>>484 > 天気とか海流の予測等、スパコンを使う分野は、実際に精度を上げて把握している。
それは帰納的というか、決定論ではないという発想ですよね。そうやって確率を上げる以外に
ないのだと。しかし、天気の場合、微細な要因で大きな変動が起こってしまうのは証明されて
ますよね。
489 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 11:08:17
>>487 >しかし、天気の場合、微細な要因で大きな変動が起こってしまうのは証明されてますよね。
でもこれも決定論的だよね。カオスって決定論的に起こることだから。
>>489 > >しかし、天気の場合、微細な要因で大きな変動が起こってしまうのは証明されてますよね。
> でもこれも決定論的だよね。カオスって決定論的に起こることだから。
そうです。複雑系などで言われていることは数学的記述ですから、それは決定論的といえるんですね。
しかし、予測可能性ということで言うならば、それはできないわけです。
>>481 >まず非決定であると思われるものを提示すべき
典型的には人間の行動だろ。
こういう話があります。株取引で銘柄が並んだ紙にダーツの矢で適当に当たったところを
売買するのと、一生懸命銘柄選択したときとあまり収支に変わりがないと。
人生訓などでもありますね。あまり心配しすぎても意味無いよ、とか。これは正しいんですね、
数学的に(笑)。
非決定論の立場から言えば、決定されてるように見えるあらゆる現象は
「そう見えているだけ」で本当は非決定的なんだって主張しますよ。
物理定数が一定である証拠はないので、こんな議論でも否定できないのです。
もちろん逆から、非決定的に見えるあらゆる現象は本当は決定的なんだ、と主張することもできる。
物理定数が一定ではない証拠もないので、こんな議論でも否定できないわけです。
494 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 11:44:14
古典物理から続くような当然の常識を、
生活する上では信じ、議論する上では疑う。
全く一貫性のない態度だけど、果たしてどちらが本音?
つか、これ最高位と似たようなこと言ってるねwww
前も書いたような気がするけど、
究極的には「私」でも「物理法則」でもどちらに実感の根拠をおくか、
ってことにつきるよね
俺は万人が素朴に信じている物理法則の方が信用できると直感的に思っちゃうんだけどなぁ
495 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 11:46:34
カオスを決定論とするためには世界が閉じていないといけないわけです。
496 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 11:51:23
カオスは特別でなく、世界はカオスですから
決定論はまず完全に閉じた系としてなくてはならない
するとその外はという問題が生まれる。だから世界は非決定であるで基本的には良いんですね。
497 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 11:51:49
とにかく、機械といい最高位といいSYNといい、どうしてこのスレには
わかりもしないことを「自分にはわかっている」と断言したがる
奴が多いのだ。
「自分は断固としてこの立場(仮説)に立って議論する」というのなら
立派だが、「正しいとわかっていることをわからないバカに啓蒙する」
みたいなスタンスでは、開かれた議論になるわけなかろう。
498 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 12:03:09
俗に天然ですね。なぜ天然が多いかでなく、このスレでも良いが天然、強いマクロ認識傾向の役割を考えるとわかります。
彼らは信念により場に新しい無垢を吹き込む力です。これは隠喩の効果といってもよいでしょ。
そしてミクロ系の人たちは無垢をむさぼる。という構図でスレが発展する。
たとえば麻原、ホリエモン、ヒトラー、スターリンなどと取り巻きは天然とツッコミの「成功」した例でしょう。
取り巻きはどこか天然を馬鹿にしてるんです。馬鹿にしながら抜けられない。
最近のコイズミ支持もそうですね。
>>497 SYNは決定論は仮定であり、尤度が高いとしか言ってなかったはずだが。
500 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:08:59
>>496 それは非決定ではなくて、単に知りえないだけだろ。
501 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:11:31
>>493 >物理定数が一定である証拠はないので、こんな議論でも否定できないのです。
それは正確な値を知らないだけの話だろ。
例えば、今後円周率が一定である証拠はないことを、何かの根拠にできるとでも思ってるの?
502 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:14:37
>>493 過去が存在する証拠もないし、君自身が論理的に話せている証拠も無いな。
よって、探求者はデタラメを言っているだけ。
503 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 12:15:24
>>500 単にまだわかっていないでなくパラドクスなんです。
>>499 999 名前:SYN ◆Dgc0R/.dgc 投稿日:2005/09/08(木) 02:21:02
選択の自由はこの世に存在していません。選択している自由感ならありますが。
日常的な意味であれば、意識は選択していない瞬間はありません。
常に選択の連続であり、それが意識の流れになっています。
グラスの中で揺れる水のように、外部から作用がない限り、
時と共に決定論的に波打つことしかできません。
選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
非決定論です。 非決定論の世界では自由意志が妨害されます。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要です。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
>>499 1000 名前:SYN ◆Dgc0R/.dgc 投稿日:2005/09/08(木) 02:21:15
重要な事は、知らないということは決定されていないということではないということです。
貴方が見ている世界(主体の肉体も含めて)は、全て過去の姿です。
観測対象物は既に未来に行っているのに、貴方にはわからないだけです。
自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。変える事は不可能です。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
506 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:17:19
>>503 いや、君がわかっていないだけだろ?
君がわかっているという根拠もないよ。
507 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 12:25:41
>>503 おもしろい方ですね。ではあなたのご考えをおうかがいしましょう。
長文でけっこうですよ。おまちします。
ふぅ〜
508 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:27:59
>「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
これがすべてだよなぁ
俺もこの通りだと思うよ
>>501 円周率は定義と計算のみで決まるもの。
けど、物理定数は観測によって発見されるもの。
円周率と物理定数の知りえなさをごっちゃにしないように。
知る方法がそもそも違うんだから。
物理定数は歴史的にちょっとずつ変化してるんじゃないかって話あるよ。
その変化は「別の次元の定数の影として現れている」結果なんじゃないかという話もある。
まぁ「別の次元の定数」を調べる方法は今のところないわけだが。
物理法則すら決定的である証拠がないってのはこういう意味です。
510 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:32:22
>物理定数は歴史的にちょっとずつ変化してるんじゃないかって話
これについてもう少し詳しく。
本とか。
511 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:35:40
>>509 そうそう、物理定数の変化は2ちゃんのように
ときどき祭り状態になる。そうなると
この速さなら言えるっていう学者も出てくるよ。
512 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:39:12
>>509 >物理定数は歴史的にちょっとずつ変化してるんじゃないかって話あるよ。
そうならば定数ではなく変数なだけ。
変化が観測されれば、その変化を作っている定数が出てくるだけになる。
非決定の側には振れないよ。
>物理法則すら決定的である証拠がないってのはこういう意味です。
決定論で言われている物理法則というのは、人間が観測した法則ではなく、
世界の背後にある真の法則のことだから、そこを切り口に否定することもできないよ。
>>509 円周率は定義と計算のみで決まるもの。
でも、その正しさには、物理現象を使った計算や人間の認識が正しいことが必要になる。
物理現象や物理定数が決定論的に存在していることが正しくないと、
円周率の定義や計算が一定だとも言えないだろう。
514 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 12:53:58
このスレはなんで新たな発見が無いんだろう。。。????
>>512 そだね。
物理定数が影にすぎないってなったらその影のもとである真の定数が探される。
だから決定論は否定できない。
しかし、その背後の真の定数が本当に定数であることもまた言えない。
だって、定数だと思われてたものが実は変数だったって前科あるんだから。
だから非決定論も否定できない。
>>513 うん、全然関係ない。
人間の認識や観測の正しさと関係なく決まってるのが、円周率だよ。
516 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 13:01:12
円は存在しない。だから円周率も観念でしかない。
>>515 >しかし、その背後の真の定数が本当に定数であることもまた言えない。
>だって、定数だと思われてたものが実は変数だったって前科あるんだから。
これは決定論と何の関係もないよ。所詮人間の間違いに過ぎない。
逆に、間違いに対して真の値があることは、暗に決定論を支持しているように見える。
>非決定論も否定できない。
非決定論は否定できないのではなく、無意味なだけ。
決定論に対して非決定論があるわけで、決定論を否定することが出来ない以上、
非決定論は何の価値も意味も持たない。
目の前の物質を、本当にあるかないかわからないから、非物質論を唱えるようなもの。
本当はここはマトリックスの世界の中かもしれないが、
物質が存在しているという方が普通は正しいように、
決定論の方がより正しく見えるのは明らか。
>>515 >人間の認識や観測の正しさと関係なく決まってるのが、円周率だよ。
それはおかしい。
人間の認識が間違っていたら、円周率の正しさや存在もわからないだろう。
非決定論の世界では、円周率が人間の認識や観測の正しさと関係なく決まってるなんて言えない。
>>518 非決定論が否定できないことは無意味だし、決定論が否定できないことも無意味です。
まぁ俺も印象としては決定論の方がもっともらしいと思うけど、
それは否定できないからじゃなくて(そんなの逆でも同じこと言えるんだから)
実際に決定論的に世界を解釈することで、すごい精度の予測が可能になってきたという
科学の実績を信頼してるからだ。非決定論なんて何の実績もないからね。
決定論を支持する理由なんかこのぐらいしかないな
>>519 円周率は、円の面積と半径を実際に計測して求めるものではありません。
計測の正しさは関係ないのです。
物理定数は実際に計測して求められるものです。計測の精度が命です。
>>520 >円周率は、円の面積と半径を実際に計測して求めるものではありません。
>計測の正しさは関係ないのです。
計測とは関係ない、そんなことはわかってる。
だが、物理現象としての人間の意識による認識が正しくなければ、
円周率やその計算が正しいとは言えない。
非決定論ではその正しさがあやしくなる。
522 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 14:06:36
>>520 そんな実績が存在するかどうかはわからないのでは?
過去が存在するかどうかだってわからないだろ?
>>521 >人間の意識による認識が正しくなければ
観測結果と照らしあわせることもしないで、どうやってこんな判断するんだよ。
円周率の定義=計算方法が正しいか間違ってるかは、そもそも問題にできないの。
これには非決定論も決定論も関係ない。
>>522 うん、分からない。俺が勝手にもっともらしいと信じてるだけ。
>>508 過去が存在することと、決定論の尤度が高いことと、何の関係があるのだ?
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
/⌒ヽ / '''''' '''''' ヽ
| / | (●), 、(●) |
| | | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | 毎度おなじみ
| | | `-=ニ=- ' |
| | ! `ニニ´ .! 天狗の仕業でございます。
| / \ _______ /
| | ////W\ヽヽヽヽ\
| | ////WWWヽヽヽヽヽヽヽ
| | ////WWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E⊂////WWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E//// ヽヽヽヽヽヽヽ
| | //WWWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
>>498 もうそろそろアイロニーはいいんじゃないですか?(笑)。
こういうのはどうでしょうか。株価の変動をチャートにして見ることができるわけですが、
そこから明日の株価の傾向を知り、それに賭けるというのは間違っています。同じことですが、
完全確率で抽選しているスロットに対して、グラフから出玉が増え続けている機械に賭けるのも
間違いです。
世界に対する人間の認識で、同じような誤謬があり、それを"決定論"と言っているようにも思いますが、
どうなんでしょうか。
528 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 16:07:51
>>524 関係性ではなく、尤度のレベルを言っているだけでは?
君の発言内容の正しさと電卓の計算の正しさに関係はないが、
尤度は電卓の計算の正しさの方が上みたいな。
529 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 16:08:17
完全確率って言ったって機械なんだから所詮擬似乱数でしょ?
究極的にはパターンがあるんじゃないの??
同様に、世界に対しても一見非決定に思えるけど決定されているのでは?
とも言えるよ。
>>523 定義できるか、正しいかは、人間の認識の正しさに依存するだろ。
だから問題にできるんだよ。問題にできないと思っているのは君だけだって。
君が今見ているのは夢で、起きたら円周率なんて定義は存在しない可能性もある。
531 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 16:31:26
>>526 フリーターさん擁護でもあるんですよ。
確率論、カオス、アイロニーとことごとく、ズレた発言は
不必要でなく、天然さが場の燃料にもなると
>>529 > 完全確率って言ったって機械なんだから所詮擬似乱数でしょ?
> 究極的にはパターンがあるんじゃないの??
そこはスロット製作時に苦労している点の一つなんだろうと想像します。ただ、そういう
パターンがあるにしてもほぼ認識が難しいだろうと思いますね。それにも関わらず、ある
傾向というものを見てしまうわけです。
似たようなことを自然科学などでもやっていないだろうか、という質問なのですね。因果関係
というものは、そういう錯覚に基づいているのではないかと。
>>531 > 確率論、カオス、アイロニーとことごとく、ズレた発言は
僕は数字に弱いので、用法がおかしいところはあるかも知れませんね。しかし、ピカ哲学は
アイロニーだと思いますよ(笑)。
534 :
ヨヴァ:2006/03/13(月) 17:00:07
人間は因果の始まりに手が届くかも知れない存在で宇宙の因果関係を始められるなら
その視点は因果関係から独立しているんじゃないか?
>>528 だから、
>>504-505の文章と、決定論の尤度が高いことと、何の関係があるのか、
さっぱりわからん。何の根拠にもなってやしないぞ。
536 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 17:13:15
>>535 俺に言われても困る。508の言いたい事を想像して書いただけだから。
537 :
ヨヴァ:2006/03/13(月) 17:13:44
宇宙中の視点が因果の始まりになりえる視点を持つ
そうゆう可能性を持ったものを魂と呼んだんじゃないかと
538 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 17:16:05
>>531 >ピカ哲学はアイロニーだと思いますよ(笑)。
では、フリーターさんが使う「アイロニー」の意味の
解説をお願いします。
いつも独特な意味をお持ちなので。
「ピカ哲学」とはなにかも聞きたいところです(笑)
>>535 >だから、
>>504-505の文章と、決定論の尤度が高いことと、何の関係があるのか、
504-505の文章の中で決定論の尤度が高いと書かれているが、
誰もその文章と関係があるとは言っていないと思うが。
540 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 17:17:39
フリーターマジック、天然爆弾巻き込まれ(笑)
>>534 決定論では、何が出来ようとも、そういう風に決定されているだけのこと。
542 :
ヨヴァ:2006/03/13(月) 17:23:33
>>541 じゃあなぜ敷かれた因果関係の中に因果を見下し因果に迫って不遜にも始まりさえ
解き明かそうとする人間がいるのか?それは人間の中に因果の始まりがあるからじゃないか?
543 :
ヨヴァ:2006/03/13(月) 17:27:27
>>541 因果の始まりに因果を否定する要素があるなら
そもそも因果は始まらないと思う、決定論の中で人間が存在するのはおかしい
544 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 17:35:53
意味がわかりません
>>535 >>508はSYNという人なんではないですか。
ところで、「尤度」というのは、何のことですか。「蓋然性」とか「説得力」とか
いう意味でしょうか。
>>542 AIがそうしたとしても同じ事が言える。決定しているとしてもそういうことはありうる。
>>538 > では、フリーターさんが使う「アイロニー」の意味の
> 解説をお願いします。
それは普通の意味だと思いますけど。つまり、ソクラテスのアイロニーです。ソクラテスは
真実の存在を信じつつも、それを"知らなかった"。真実を信じるということは所与の世界に
対して、或いは自己に対して否定として在るということです。にも関わらず、一方でそれを
知らない。知らないが世界に対して否定として対すること、これがアイロニーです。
ピカ氏哲学というのは、このアイロニーの構図なわけです。ラカン好きということで、言葉が
心理学の用語で割ってありますけどね。アイロニー的であるということは、知的であるという
ことです。そして、一方で"知らない"が故に無限に認識を積み重ねていくのであり、その
運動の否定性ゆえに自由でもある。
もう少し言えば、ピカ氏とは一つの"空虚"たらんとしているんでしょう。それは絶対的に決定不能であり、
どこまでも無知であり、そして認識を主体であり続けると。
しかし、人は生活するとき認識主体ではないんですね。
550 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 19:17:32
>>548 「ソクラテスのアイロニー」は必ずしも一般的ではないと思いますが(笑)
それに、無理矢理アイロニーにつなげているんでは。
一般的には、アイロニー、「直接言わずに意味する」ということですね。
確かに皮肉(アイロニー)をいうことはありますが、ボク言説には、アイロニーの構図はないでしょう。
たとえば、フリーターさんの発言に、そのままベタに解答するのではなく、「フリーターさんが
〜と発言したのは・・・」と単にメタ言語なだけです。
メタ言語とアイロニーを間違っているんでしょうね。
これも、ここでの議論をメタ言語にして、語っているだけです。
「俗に天然ですね。なぜ天然が多いかでなく、このスレでも良いが天然、
強いマクロ認識傾向の役割を考えるとわかります。彼らは信念により場に
新しい無垢を吹き込む力です。これは隠喩の効果といってもよいでしょ。
そしてミクロ系の人たちは無垢をむさぼる。という構図でスレが発展する。
たとえば麻原、ホリエモン、ヒトラー、スターリンなどと取り巻きは天然と
ツッコミの「成功」した例でしょう。取り巻きはどこか天然を馬鹿にしてるんです。
馬鹿にしながら抜けられない。最近のコイズミ支持もそうですね。」
そもそもボクの言説は哲学でなく、科学ですから。
551 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 19:18:27
>>549 >ピカ氏とは一つの"空虚"たらんとしているんでしょう。それは絶対的に決定不能であり、
>どこまでも無知であり、そして認識を主体であり続けると。
これはそういうことですね。メタ言説によって、不完全性を開く。
これは自己言及のパラドクスですね。
どのような科学も、穴が開いている。
しかしこれとアイロニーはなにも関係がない。
>しかし、人は生活するとき認識主体ではないんですね。
また天然燃料投下ですね。どうぞ語ってください。(笑)
552 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 20:30:04
>>545 尤度は分布にのっとられてしまいました。
私の卓見が世界人類の幸福に貢献することを祈りつつ。
553 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 20:41:26
>>548 むじんくん。
>アイロニー的であるということは、知的であるという
>ことです。
これはね「知的」を「アイロニー的」と定義しているだけだぜ。
むじんくんがんばれ。
554 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 20:46:46
ポクポクポックンポクポックン。
国敗れて山河あり。国敗れて日本人あり。
プーピ〜カピ〜〜。あ〜か〜〜い〜〜りんごに唇よーせて〜〜。
「アイロニー」をきちんと定義して議論しなさい。これではDだよ。
なやんどるな〜〜なやんどるな〜〜なやんどるな〜〜〜〜〜。
>>550 > 一般的には、アイロニー、「直接言わずに意味する」ということですね。
> メタ言語とアイロニーを間違っているんでしょうね。
メタ言語は直接いわずに意味することからきてますよ。ソクラテスのアイロニーは自己言及です。
用語の話題はともかく、
>>551 > >しかし、人は生活するとき認識主体ではないんですね。
> また天然燃料投下ですね。どうぞ語ってください。(笑)
一方で「信仰」というものがある。これはフレーム問題の話題で出てきたような天井を意味するものとは
違うのです。メタ言説の運動はどこまでも認識主体の中心性は維持されますね。だからこそ不完全性が
見出され、認識の"外"が弁証法的に想定される。
「信仰」にあるとき、精神は中心ではありません。それは非主体であり、だからこそ認識とその外部という
構図は存在しない。精神は系の一部となるのです。そして、人間はそのようにしか生きられないのです。
556 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/13(月) 21:49:18
>>555 >用語の話題はともかく、
ともかくね。(笑)
「信仰」、主体とはなにか、色々理解があります。
「不完全性が見出され、認識の"外"が弁証法的に想定される。」はラカン的言説ですから、
続けると、「信仰」こそが「不完全性が見出され、認識の"外"が弁証法的に想定される。」ことです。
ラカン理解では、欲望とは「大文字の他者(=神)」の欲望である。と言います。
社会的なブームというのは、「他者」の欲望ですが、ただの「他者」でなく、どこかに実在するだろうと、
想定される「超越論的な他者=大文字の他者」です。
信仰も同じ構造で働いているのです。なぜそれを欲望のか、なぜそれを信じるのか、には、
理由はないんです。そこは欠如(不完全性)が隠されているんです。そしてその欠如が、
主体を主体たらしめ、「信仰」へ向かわせるんです。
ここで主体といっても完全ななにかでなく、「大文字の他者(=神)」の欲望を欲望する、
あるいは象徴秩序(無意識=言語)に流される主体なんです。
インストールされた言説(信仰)に無意識のうちに流されている、「系の一部となる」ような
主体なんです。
>>505 非決定論は、物理法則や因果関係を認めないわけではない。
宇宙規模で未来を呪縛する因果は、不自然だと言っているのだ。
SYN氏の論旨は、非決定論のニュアンスをミス・リードしている。
どうも、ぴかぁ〜とむじんくんはウマが合うようだなw
559 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 22:27:39
>>555>>556 むじんくんとぴかさんの“腕比べ”は興味が尽きませんが、いまは「決定論」
をめぐる議論が盛りあがっています。願わくば、これに絡めながら“あてこす
り”合戦を続けていただきたい。
ぴかさんにお訊きしますが、むじんくんを軽く憎むか、嫉妬していません?
というのも、ぴかさんよりもむじんくんのほうが少し“幸せ”そうにみえるの
で。私は、もちろんぴか派です。
>>556 > 続けると、「信仰」こそが「不完全性が見出され、認識の"外"が弁証法的に想定される。」ことです。
> ラカン理解では、欲望とは「大文字の他者(=神)」の欲望である。と言います。
そこなんですけどね。僕がここで言う「信仰」、これはキルケゴールが書いているような意味での
信仰ですけど、それは主体を背後でつり支えるもの、不完全性であるが故に人間を主体に引き上げて
いるものとして在ることの逆だろうと思うのです。
ピカ氏が言うのは、絶えず認識の"外"を想定させるような運動の背後には、必ず"信"があり、それは
欠如なのだということだと思いますが、それは上に書いたソクラテスのアイロニーと同じですね。
「信仰」は、その構図が反転したものなのです。非主体であり、欲望するというよりは欲望されるのです。
神の前で徹底的に受動であり、対自的ではなく即自的であり、メタレベルではなくオブジェクトレベルです。
キルケゴールが男性と女性は何が違うかということを、「死に至る病」で書いてますが、女性は献身において
自己自身を喪失するが、男性は喪失しないで背後からシラフで眺めていると。しかし、神との信仰の関係に
おいてはその相違は消失する。神の前で受動的であることが信仰であり、それは自己放棄、自覚的な自己放棄
なのです。
561 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 22:48:53
>>555>>556 練馬哲人氏がやや批判ぎみに名指しているSYN氏のスレを初めて
読みました。一読、しごく、まっとうに思える意見です。たぶん、
当時、お二人は何か述べたと思います。よければ、いま現在のご意
見を聞かせてください。なるべく、端的に。
>>559 > むじんくんとぴかさんの“腕比べ”は興味が尽きませんが、いまは「決定論」
> をめぐる議論が盛りあがっています。願わくば、これに絡めながら“あてこす
> り”合戦を続けていただきたい。
これは機械氏の主張と関係があるのです。機械氏が物理的必然論をとなえる時、そう語る機械氏の
主体は自由となるのです。ピカ氏風にいうならば、その欲望から必然論をとなえるのだということでしょう。
この世界を対象化して自己を引き離し、自己の自立性を維持するという運動こそが、必然論の目的です。
信仰は逆に自己の非自立性を認めるのです。
563 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 23:40:51
>>562 しかし、機械氏も一貫して述べてきたのは、そういう言葉こそ使っていませ
んが、即自的・非主体的・非自立的な言辞です。むろん、機械氏がひれ伏す?
のは神ではなく、唯物論・決定論という違いがありますが。
機械氏が自己の自立性を維持するために唯物論・決定論を唱え、それに対し
て、むじんくんは神の前で非自立性を認め自己放棄するという、その両氏の
差異がなかなか私たちには得心のいかぬところです。
どちらも、ぴか氏のいう“マクロ認識”に収斂されるようにも思えるのですが。
564 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 00:03:29
>>562 >この世界を対象化して自己を引き離し、自己の自立性を維持するという運動こそが、必然論の目的です。
>信仰は逆に自己の非自立性を認めるのです。
ふーむ、「どちらが潔良いか合戦」に持ち込んで、私に抱きついて「自爆テロ」ですか?
お願いですから気持ち悪いので、止めてください。
「どちらが潔いか合戦」に乗るつもりはありませんが、「潔さ」で言えば「決定論」「唯物論」
の方がよっぽど「上を行く」という風に考えるのが「普通」だと思います。
「宗教(観念論)」は、所詮「自分一人孤独に死ぬのが恐い」方達が、その恐怖から逃亡する
為に「自分脳内にでっち上げた『幻想』」なのです。
そう「自分の死」を変わってくれる「他者」は全く存在しないのであり、例え「心中」しても
それは「それぞれの孤独な死」にすぎない・・・というのが「科学的真理」であり、
「真理に対する誠実さ」・・・は「我々は『固有の死』を迎えるしかない」という意味で、「孤独」
であることを「受け入れる」のです。
・・・それをどうしても受け入れられない「弱い心」が「自分ではない(何か強い)もの」・・「神」
を「幻想する」・・それが「観念論(宗教)」なのです。
>>564 いつものことだがそういう宗教批判がとてもうさん臭くて機械の印象を悪くしている
自分に理解できないものは理解できないものとして放置すればいいだけ
むりやり卑近な動機から説明すると、本人の底の浅さだけが目につく
通俗的な社会学に迎合するのもやめた方がいい
566 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 00:27:18
>>565 「宗教のうさんくささ」を受け入れている方達の「自己欺瞞の方法と作法」
についての「色々なバリエーション」を目撃「観察」し続けておりますが、
「真の科学者」である方達(敢えて名前を挙げませんが)は、「唯物論者」
であり且つ「決定論者」なのです。
そもそも「この宇宙の構造」は「4次元」として我々の「脳による観測」
に掛かっているのですから、「過去・未来」という「時間次元」が、
『「この宇宙」という規定値』をとる・・・という世界観は「自然科学者」
としては「当然な(世界に向ける)態度」なのです。
・・・「宗教(観念論)」などという「思考のマスターベーション」に
浸っているほど、人類という猿の人生は永くはないのです。
567 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 00:37:04
>>563 >どちらも、ぴか氏のいう“マクロ認識”に収斂されるようにも思えるのですが。
ぴか氏のおっしゃる「マクロ認識」とは、世間一般で言う「ミクロ認識」のことであり、
ぴか氏のおっしゃる「ミクロ認識」とは、世間一般で言う「マクロ認識」のことであることが、
「混乱した思考」を誘発しているだけです。
「世間一般の言い方」のほうが「正しい言い方」ですので、「180度間違えちゃった」ぴか氏を
これ以上追いつめない方がよろしいのではないか?・・・と思いますが・・。
>>564 >
>>562 > 「宗教(観念論)」は、所詮「自分一人孤独に死ぬのが恐い」方達が、その恐怖から逃亡する
> 為に「自分脳内にでっち上げた『幻想』」なのです。
それはおかしいですね。というのは、「信仰」とは、既に死んでいることだからです。決定論者は
死んでません。そして、割と簡単に狼狽するのです。
569 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 00:46:15
>>568 >そして、割と簡単に狼狽するのです
そうかもしれません。「人間」は所詮「動物の一種」ですから・・・「犬が狼狽する」のを
微笑ましく「同じ動物なんだな」・・・という態度で「観る」ことができます。
しかし、『自分は絶対に「狼狽」だけはしたくない』・・その為には「何であれ宗教」を鵜呑みに
してやる・・・と考え、『狼狽しないための「自己欺瞞」』を素直に受け入れるのが「宗教者(観念論者)」
なのです。
>>569 > しかし、『自分は絶対に「狼狽」だけはしたくない』・・その為には「何であれ宗教」を鵜呑みに
> してやる・・・と考え、『狼狽しないための「自己欺瞞」』を素直に受け入れるのが「宗教者(観念論者)」
> なのです。
あはは。むしろ、そういう強欲がくじかれると信仰に入るのですよ。死んでる人間ですからね。
571 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 01:01:29
不死人か・・・前田慶次みたいだなw
572 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 01:05:58
>>570 「死の瞬間への恐怖」を回避する「一番有効な方法」は『自分はもう既に死んでいるのだから、
・・「これ以上死ぬことは出来ないのだよ!安心せい!瀕死の自分よ!』・・と「得心」する
ことです。・・・「その瞬間」のために「全人性を『自己欺瞞』し続ける」というのも「一つの選択」
ではあり(え)ます。
確かに、そういう「自己欺瞞」を選択するのはあなたの自由ですが、「自己欺瞞の奨め」と
「哲学(真理)の奨め」・・が「対極にある」については・・お認めになるべきだと考えます。
>>572 > 確かに、そういう「自己欺瞞」を選択するのはあなたの自由ですが、「自己欺瞞の奨め」と
> 「哲学(真理)の奨め」・・が「対極にある」については・・お認めになるべきだと考えます。
人間の認識を曇らせるのは欲望であり、最も強い欲望は生の欲望であり、死の恐怖の回避であるわけですから、
死んでいる人は真理に近いことになりますね(笑)。
ちなみに、真の認識に到達するのは死の恐怖を乗り越えたものであるというのはヘーゲルの言葉です。
575 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 01:18:25
>>573 >死んでいる人は真理に近いことになりますね(笑)。
「観念論(宗教)」では「むじんさんが死んでいる事は真理である」
のでしょうが、「科学」では「むじんさんは『生きている』のが真理である」
・・ということです。
観念論(宗教)は「自分が創り出したい世界」を「言葉で創り出し得る」と
いう「信念」に裏付けされておりますが、「(自然)科学」はあくまで「客観的事実」
を検証し、それが「真理であるか否か」の結論を出します。
この時代(21世紀初頭)では、「人工知能」は、「むじんさん」のような受け答えが
出来ませんので、「むじんさんは『一個の人間(の脳)』の「レスポンス」である・・
ということが「科学的事実」となります。従って、「むじんさんは生きている」・・これが
「科学的結論」なのであり、その本人が「いや私は死んでいる」といくら言い張っても「無駄」
です。
576 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 01:23:06
>>574 混迷する宗教的(キリスト教的)思考(観念論)を「体系化したい」・・と
考えた「観念論者」がヘーゲルです。
彼の残した唯一価値のある「モノ」は「観念論のバベルの塔を積み上げる試み」
(の挫折の記録)です。
577 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 01:46:55
>>573 >人間の認識を曇らせるのは欲望であり、最も強い欲望は生の欲望であり、
>死の恐怖の回避であるわけですから、
そのとおりです。「生の欲望」と「死の恐怖の回避」により曇らされている
「欲望」が『**宗教への帰依』という「曇らされた視野内の選択」を行うこと、
・・それが宗教(観念論)なのです。
黙ってスルーが正しいようだ。ひど過ぎる。
579 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/14(火) 02:09:11
うーん
どうも機械さんは宗教をただ「信じる」事としか理解されないのでしょうか。
宗教にもそれを支える「理論」があるのですが。
580 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 02:27:52
宗教は人間中心すぎなんだよなぁ
全て平等にただ存在するってことを仮定するなら
宗教は明らかに人間に対してだけ特別に作ってあるように感じる
人間も石も動物も同じようなものじゃない?
ただ在るだけだと思うんだけど
社会は観念的である必要があると思うけれど、世界は観念的でなくていいんじゃない?
581 :
紗南:2006/03/14(火) 02:52:28
>ゾルレンさん
大変面白かったです。尤度が犬度に見えてしまう紗南です。
「哲学を学べば寛容になれる」。自己の価値判断の可謬性の自覚。参考になりました。
可謬性があるから、寛容であることも失敗することがあるのでしょうね。自覚したいです。
ありがとうございました。
紗南は、自分では十分注意しているつもりでも、食事をしながら食べ物をボロボロこぼします。
そして、「下品」だとか「犬みたいだ」とかって、いつもパパとママに紗南は怒られています。
自分でも恥ずかしいと思うし、たしかに犬度も高いと思うけど、
「もういい。紗南スタイルなんて、所詮こんなもんだったのさ。悪いのはこぼれる食べ物の方だ」
と、やさぐれていたのですが、こぼさないように努力してみようと思います。
でも、兄が何をしても、怒らないどころか、話しかけたり目を合わせようともしません。
パパとママだけではありません。近所の人たちは、みんな兄に対してそうです。犬や猫やカラス
以外は大体みんな、お兄ちゃんに出会うと、向こうから除けて道を広く空けてくれます。
「お兄ちゃんに対してはみんな寛容なんだなぁ」と思いました。
582 :
紗南:2006/03/14(火) 02:56:53
ところで、紗南は通常、トイレでは、十分拭けたと思ったあと、さらに二回拭くことにしています。
すると、紙に予想外の観測データが確認されたりして、シビアな現実を思い知らされることが、
二週間に一度はあります。その場合は、もういちど十分拭いたと思えてから、またさらに二回
拭きます。あくまで二回です。三回は拭かない。これが今の紗南スタイルです。
なぜ紗南が駄目押しで二回拭くようになったのかというと、以前の紗南スタイルでは、通常、
「もう十分に拭けただろう」という仮説と、「紙に何も付いていないように見える」という観察データ
との一致を確認することで満足して終わりにしていました。
ところがある日、紗南に悲劇が起こりました。その悲劇の内容はご想像にお任せします。
それを期に、仮説と観測データとが完全に一致していると見える場合にこそ、怪しい仮説ではない
か疑ったり、観測の分解能が低かったのではないかとか、観測のミスではないかと注意を払った
方がいい、という風に思うようになりました。時間・紙の無駄になる可能性もあるしめんどくさいけど、
不測の事態に備えてやらないよりやった方がまし、と思えることは、その場しのぎの横着をせずに
実行していったほうがいいんだろうなぁと考えるようになったのです。紗南スタイル革命です。
そして、なぜ三回は拭かないのかというと、ある程度の限度を決めておかないで際限なく拭くと、
お尻の皮膚が擦り切れて血が出てしまうという新たな問題に直面することが予想されます。
それにそれ以前に、時間や紙も際限なく使うわけには行きません。どのぐらい拭けばお尻の皮膚が
切れて血が出るか調べるための破壊検査であれば話は別です。
でもここまで書いてから思ったのですが、紗南、そこまで考え意識してトイレで行動していません。
やっぱり慣れや経験的な勘で行動しているのかもしれない、という気がしてきました。
でも、あまり意識していないところで慣れや勘がどのように形成されてきたのかも興味があります。
あるいは、それが形成されるときには意識していて今は忘れているだけなのかもしれません。
583 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 02:59:38
筒井康隆でもやりたいの?
ノイズって言葉で誤魔化さずどっか他のスレでやってよ、そういうのは・・・
584 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 08:36:01
>>560 「信仰」の話になると目が座って怖いですね。ここまで天然全開モードのときはなにをいっても無駄ですね。
マルクス主義と「信仰」への言及は、メタ議論で語れず、フリーターさんには無理なんのではないでしょうか。(笑)
>ピカ氏が言うのは、絶えず認識の"外"を想定させるような運動の背後には、必ず"信"があり、それは
>欠如なのだということだと思いますが、それは上に書いたソクラテスのアイロニーと同じですね。
別にボクが言い始めたのでなく、「否定神学」ですね。これに言及した人はたくさんいますが、
これをアイロニーをいった人は始めて見ました。どう考えもアイロニーと関係がない。(笑)
>「信仰」は、その構図が反転したものなのです。非主体であり、欲望するというよりは欲望されるのです。
>神の前で徹底的に受動であり、対自的ではなく即自的であり、メタレベルではなくオブジェクトレベルです。
>キルケゴールが男性と女性は何が違うかということを、「死に至る病」で書いてますが、女性は献身において
>自己自身を喪失するが、男性は喪失しないで背後からシラフで眺めていると。しかし、神との信仰の関係に
>おいてはその相違は消失する。神の前で受動的であることが信仰であり、それは自己放棄、自覚的な自己放棄
>なのです。
否定神学でなく、神学でしょう。神学における主体のあり方が否定神学だと思います。
ただ「信仰」する→なぜ「信仰」するかわからない。この表現の違いですね。
585 :
シンプルな関係:2006/03/14(火) 08:51:44
神の前で、というが、その神はどこにいるのだろう?
居場所がわからなければ、その前で受動的になることもできない。
新約聖書が、神からの手紙だと、もししても、その後、神はなぜ
沈黙してしまったのだろう? あるいはコーランでもう一度、
メッセージを送ったのか?
創造主がもしこの宇宙を創造したのだとしても、その目的は「遊び」
以外に考えられない。神は、自分の楽しみのためにこの世という
ゲームを創り出したのだとしか、考えようがない。
ヒロシマの業火は、異教徒にたいする当然の神の怒りであったのか?
ヒロシマ・ナガサキは、新たなるソドムとゴモラであったのか?
ゲームに興じる超越者はわれわれを高みから見物しておおいに楽しんで
いるのかも知れないが、そんな突拍子もない夢物語は、やはり、
大規模な精神錯乱に似たものではないのだろうか?
神はいないとする、仮定のほうがよりシンプルで現代的な醒めた意識
ではないのか?
586 :
シンプルな関係:2006/03/14(火) 09:01:22
神、そして信仰が、人類にとって役に立った時代はあった。
また、現にいまでも役に立っている数多くの場面があるのだろう。
しかし、役に立たなくなるときが来て、別に役に立つものが
見つかった時は、ためらわずに捨ててもよいのだと思う。
宗教も人類が活用しうる道具のひとつなのだ。
588 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 09:02:08
どこにいる、なにを考えてるかわかる神など神でない(笑)
589 :
シンプルな関係:2006/03/14(火) 09:07:21
あなたの理解力には、なんの期待もしていない。いいかげんな
粗雑なあたまの持ち主だからね、君は。それで揚げ足をとった
つもりかな?
>>557 >宇宙規模で未来を呪縛する因果は、不自然だと言っているのだ。
SYN氏の論旨はわからんが、未来が決まっていても別に不自然ではないけどな。
単に君がそう思っているだけだろ?
我々は文明の発展と共に、どういう束縛を受けているかを知るようになった。
無知であるほど自由に思えるが、知れば知るほどいろいろなもの束縛されていることがわかる。
将来、科学がもっと発展すれば、もっと多くの束縛を受けている事を知ることになるだろう。
591 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 09:11:13
>>567 ぴか氏の“ミクロ・マクロ認識”は変だとは思えません。間違っていると
したら、私の解釈でしょう。
俗っぽくいえば、こういうことでしょう。機械氏が“科学的”言辞で人間
と事物について裁断できるのは、機械氏が科学的(マクロ)認識を大もとの
ところで信じているからです。おばさんたちが科学者よりも細木数子なる
占い師の言葉に頷くのは、彼女たちが「科学なんかでは人間のことは割り
切れない」という“マクロ認識”を持っているからです。
むじんくんが…、むじんくんのことはまた別のときにします。
ぴか派だと言ったのは、この個々人の(それを持たずには生きていけない)
マクロ認識=幻想(信仰、信念、理念)を相対化する視点が、ぴか氏に感じ
られるからです。
>>575 > 「観念論(宗教)」では「むじんさんが死んでいる事は真理である」
> のでしょうが、「科学」では「むじんさんは『生きている』のが真理である」
> ・・ということです。
機械氏の嫌いな"自己欺瞞"をしないで済むのは死んでいる人間だということです。生きている
ものはウソをつくようになっているのです。
593 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 09:35:02
>>589 神=超越論的他者の一番端的な説明だと思いますが、
すっかり、天然さんたちに嫌われたかな(笑)
>>584 > マルクス主義と「信仰」への言及は、メタ議論で語れず、フリーターさんには無理なんのではないでしょうか。(笑)
信仰の"中"にある精神の記述はこれは教義学ですね。それは当然メタ議論になりません。だから、
キルケゴールはあくまでもその手前までしか記述しないのです。「信仰」とは自己放棄です。
> 別にボクが言い始めたのでなく、「否定神学」ですね。これに言及した人はたくさんいますが、
> これをアイロニーをいった人は始めて見ました。どう考えもアイロニーと関係がない。(笑)
アイロニーとは自己の二重化、主体性を維持しつつもその根拠において空白である精神です。例えば革命は
アイロニーではありませんね。しかし民主主義はアイロニーです。近代的精神とはその根拠が不在であるにも
関わらず所与を否定し続けなければならない精神のことです。汚いものを「綺麗ですね」という皮肉を言う際に
その語る主体に何が起きているか。
> 否定神学でなく、神学でしょう。神学における主体のあり方が否定神学だと思います。
> ただ「信仰」する→なぜ「信仰」するかわからない。この表現の違いですね。
問題は、近代的自意識の循環構造、ニーチェが「最後の人間」と呼んだあり方からの転換なのです。ウロボロスの輪
の悪循環に生きるか、それを切断するか。
595 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 10:07:07
>>584 むじんくんの言うソクラテスのアイロニーとは違うかもしれませんが、
ぴかさんは十分、イロニックです。誤解を恐れずにいえば、ぴかさん
の立場は“神学・理念・思い込み”に反もしくは非を示すことでしょ
う? これは思想(テーゼ)ではなく、一つの“構え”にすぎません。
ここに登場する「決定論に素直にうべなえない」連中のほとんどが、
程度の差はあれ、私も含めて“構え”だけです。つまり所詮“突っ込み
役”です。
やはり、現代の幸せ者(スター)はボケ役でしょう。ぴかさんはイロ
ニック派にしては“スター”ですが。
>>586 そういう神はここで話している神ではありません。ユダヤ系の神の特徴は「役に立たない」のに
捨てなかった神なのです。"啓示"ですから。人間から神という矢印ではなく、神から人間という
矢印のみが存在するのです。
だから「自分」というものを消去しないと、本当の信仰にはならんのよ。
自分が主体的に神を信じている、と考えているうちは、本当に信じては
いないのさ。
>>590 SYN氏はラプラスの悪魔には否定的だった。決定論陣営の巨塊だよ。エヴェレット解釈を持ち出したのも彼だ。面白いから読んでみそw
幸せな新婚生活を営んでいることを祈るが。
599 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 10:39:15
>>594 フリーターさん(キルケゴール)はオブジェクトレベルで語り、ボクはメタレベルで語っている、
ということですね。
フリーターさんは「ただ信じている」といい、ボクは「なぜ信じるのか」と問う。
フリーターさんはは神学であり、ボクは否定神学である。
しかしこれってほんとでしょうか。
フリーターさん(キルケゴール)にメタレベルがないのでなく、「あえて」オブジェクトレベルで
語っているわけです。「なぜ信じるのか」ということを「あえて」排除しようと懸命ですね。
これをアイロニーというのですね。
ボクは主体は否定神学である、ということに「あえて」(アイロニー)はありませんよ。(笑)
ボクはフリーターさんが隠す、「ただ信じている」の中のパフォーマティブ「なぜ信じるのか」を
引きずり出しているのです。この手法を「脱構築」いいます。
革命はオブジェクトレベルでおこなわれるのでなく、メタレベルですよ。
ボクはそれを
>>498に示しました。
>>595 >ぴかさんは十分、イロニックです。誤解を恐れずにいえば、ぴかさん
>の立場は“神学・理念・思い込み”に反もしくは非を示すことでしょ
>う? これは思想(テーゼ)ではなく、一つの“構え”にすぎません。
ボクは語るのは「主体の科学」です。
それがメタレベルで働くだけで、「あえて」(アイロニー)はありませんよ。
ボクは、「否定神学がもっとも主体を的確に記述している」と「信じている」のです。
だからボクは「真実はない」などといいません。「真実は必ずある」のです。
何故近代社会の、特に欧米においてソクラテスが特別視されるのか?それは近代社会の人間のあり方の
典型が描かれているからでしょう。ソクラテスは"無知"なのにどうして歩き回って人々の主張を真実ではない
と語っていたのか。根拠無く否定のみがある。ソクラテスとはつまりは否定です。
うるさい。ダイモーンの声を聞け。
>>599 > しかしこれってほんとでしょうか。
あはは。それはもう仕方ないんじゃないですか?繰り返しますが、信仰の"中"にいる時の
言葉は教義学になるわけです。だから、ここでの話は当然どこまでもメタな話にならざるを
得ませんよ。
> ボクはフリーターさんが隠す、「ただ信じている」の中のパフォーマティブ「なぜ信じるのか」を
> 引きずり出しているのです。この手法を「脱構築」いいます。
信仰とは自己放棄ですから否定の否定です。その契機は自己自身からは出てきません。
キルケゴールの言葉で言うならば、自己とは最初から神によって措定されたものなのです。
> 革命はオブジェクトレベルでおこなわれるのでなく、メタレベルですよ。
> ボクはそれを
>>498に示しました。
革命はメタレベルですが、それは不在の中心によって行われませんね。積極的な何かがあります。
民主主義にはそれはありません。
> だからボクは「真実はない」などといいません。「真実は必ずある」のです。
そういうのを「アイロニー」と呼んでます(笑)。ソクラテスも同じですね。
603 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 11:04:34
>>602 >>597さんが正しい。
>だから「自分」というものを消去しないと、本当の信仰にはならんのよ。
>自分が主体的に神を信じている、と考えているうちは、本当に信じては
>いないのさ。
「信じている」と語ることで、パフォーマティブ「なぜ信じるのか」が進入しているのです。
「信じられないから、「信仰」するのです。」「信仰」の原動力は、いつも「なぜ信じるのか」です。
>革命はメタレベルですが、それは不在の中心によって行われませんね。積極的な何かがあります。
>民主主義にはそれはありません。
不在の中心とはいつも「私は誰?」です。それは宗教でも、革命でも、民主主義でも、
資本主義でもかわりません。
>そういうのを「アイロニー」と呼んでます(笑)。ソクラテスも同じですね。
これはちょいアイロニーですね。(笑)
もう一度説明します。ソクラテスはメタレベルに立っていました。しかしこれはアイロニーではない。
ソクラテスは、それを、オブジェクトレベルで語る(あえて「無知」に語る)からアイロニーです。
ボクのようにメタレベルをメタレベルで語るのはアイロニーではないのですよ。
フリーターさんはメタレベルをすべてアイロニーと呼ぶから話がおかしい(笑)
604 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 11:39:23
>>603 >ボクのようにメタレベルをメタレベルで語るのはアイロニーではないのですよ。
随分と自分に都合がいい言い分だな。
605 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 12:00:47
>随分と自分に都合がいい言い分だな。
定義だよ(笑)
606 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 12:27:08
>>599>>602>>603 少しわかったのは、宗教(信仰)こそが最大のイロニーだということ。自ら
オブジェクトレベルにあると称しながら、むじんくんは神(不在)を信じる。
機械氏の立場も、これに似ている。自らを物理的な存在と定義しつつ、不
在の究極の真理(大統一論)の“降臨”を信じているかのようである。彼らの
言説ではなく、彼らと(不在の)神・真理との関係こそがイロニックですね。
607 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 12:46:05
>>606 これについて二つほど。
「宗教(信仰)こそが最大のイロニーだ」、というのは、乱暴でしょう。
ただ現代は、オブジェクトレベルでいることは、不可能ですね。
情報社会では、解離的(再帰的)にならざるおえない。
もう一つ、それでも「メタ言語は存在しません。」
フリーターさんが信じているの(マクロ認識)は、「信仰」でなく、
「ボクは強く「信仰」しているが、それをメタレベルに見ることができる。」
ということを「信仰」しているのです。
メタレベルの言説そのものが、オブジェクトレベルに作動しているのです。
「信仰」(マクロ認識)のいない人などいません。
@人間に根底に位置づけられているものは何だ?
A自己意識は個々の根底にあるもの(本能や根本的に抗いがたい欲求)からの派生であるか?
尚、「信仰」・・つまりマクロ認識と云うのは
データ的に確実性が99%まであるもので
実に主観的である。
『「 A→B
↑ ←I(フリーター氏)
メタ 」』
0と1の間にあるものを二元的な言語で解するのは
論理的矛盾がある。
609 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 17:04:51
>>607 ある人間が何かを信じているのを、傍らからみたとき、その傍観者には
イロニックに映るという意味です。下世話な例をあげると、とても魅力
的な女性がどうしようもない男を好きになったのをみて、こう呟きます。
「皮肉だね。あんないい娘があんな男を好きになるなんて」
「あんな頭のいい青年たちが、なぜオーム(麻原)のような宗教を信じた
のだろう」という皮肉な事件もありました。むろん当事者たちは、いつ
も真剣です。
つまり、イロニーを見出すのは常に第三者(的視線)でしょう。第三者の
くせに相手のオブジェクトレベルにもぐりこんで、そこから相手のマクロ
認識を宙吊りにしてしまうのがソクラテスの流儀ではなかったでしょうか?(間違っていたら許せ)
ぴかさんの「メタレベルをメタレベルで語る」という戦法を、もう少し
わかりやすくお願いします。
しかし、主客観を持つ人間である以上メタレベルで語る。
または検証する事は
不確実性なデータを吐く事になるのは明示である。
真実(確実性)
を持つ我々が、確実性のあるものを認識する事は当たり前の事だ。
が
マクロ認識からは離れようが無い為
メタレベルで語る言語というのは
自身が試行できんのだ。
必ず他者が行わなくてはならない。
つまり
自身が『メタレベルの言語を試行する事実(真実を)認識する』
事はメタレベルで不可能である。
尚、確実性、不確実性、完全不確実性は別物である。
>>1 人間には根源プログラム(3bit以上の試行パタン)があるだろう?
機械にもソレを付ければ良い事だ。
既存の2bit言語では不可能であるだけのことだ。
途中までは合っているが
不確定性の事実、挙動を制しているのは
客観的に説明してくれるものがいないので検証のしようが無い
【言語を持ち、人間と同じ根底的不確定性を持つ人間以外の物体】でなければ。
人間は完全な第三者に成り得ない。
共通因の無い言語理解物体は人間以外にあるなら別だ。
612 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 17:54:55
入れ替わり立ち代り、よく続くスレだ!
機械が時々自演して火種守ってんじゃねーの
614 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 18:05:38
火種というより、決定論スレに自己満足アフォの種は尽きまじ、てなところだろ
615 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 18:23:36
>>609 >「皮肉だね。あんないい娘があんな男を好きになるなんて」
>「あんな頭のいい青年たちが、なぜオーム(麻原)のような宗教を信じたのだろう」
これはアイロニーでなく、メタレベルで語っているだけですね。
第三者(的視線)?、全体を俯瞰したような視線に立って、発言する。
ボクが、「メタレベルをメタレベルで語る」のも同じです。戦法ではないです。
科学を懸命に語る人に、「「科学を懸命に語る」のはなぜか」、とメタレベルで
語るわけです。
616 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 18:32:52
またフリータマジックですね。
見事に意味がない議論に向かっている(笑)
617 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 18:47:38
そもそも2ちゃんねるはよりメタレベルへ向かうゲームですね。
みな、メタ位置に取りに必死です。(と、よりメタ位置へ)
612 名前:考える名無しさん :2006/03/14(火) 17:54:55
入れ替わり立ち代り、よく続くスレだ!
613 名前:考える名無しさん :2006/03/14(火) 18:00:41
機械が時々自演して火種守ってんじゃねーの
614 名前:考える名無しさん :2006/03/14(火) 18:05:38
火種というより、決定論スレに自己満足アフォの種は尽きまじ、てなところだろ
>>603 > 「信じている」と語ることで、パフォーマティブ「なぜ信じるのか」が進入しているのです。
なので、信仰の中にあるときには教義学になってしまう、と言いました(笑)。キルケゴールは信仰に
ついて語りますが、あくまでもその言葉は哲学ですね。
> 不在の中心とはいつも「私は誰?」です。それは宗教でも、革命でも、民主主義でも、
> 資本主義でもかわりません。
民主主義でも資本主義でも、っていうのはよく分かりませんが(笑)。そういう視点は近代的認識の
視点からの記述ですよ。つまり、近代民主主義です。革命をそういう視点でみることが近代的だと
いうことです。革命が実際に起こった時代にはその視点は存在しません。
> ボクのようにメタレベルをメタレベルで語るのはアイロニーではないのですよ。
> フリーターさんはメタレベルをすべてアイロニーと呼ぶから話がおかしい(笑)
それは誰か書いてますけど、都合いいですね(笑)。メタレベルですが同時にピカ氏は天使じゃないんだから
同時にオブジェクトレベルに在るのです。アイロニーです。
619 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 19:57:09
>>618 >革命が実際に起こった時代にはその視点は存在しません。
>同時にオブジェクトレベルに在るのです。アイロニーです。
はぁ?はぁ〜(笑)
潮時のようです。では。
620 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 20:12:53
意識自体は「無」なので存在する物質から導くことはできない。
622 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 20:27:49
>>621 それは競技のルールから作戦を演繹しようとする愚かな試みに過ぎない。
>>619 > はぁ?はぁ〜(笑)
> 潮時のようです。では。
革命の時代は民主主義ではありません。絶対的正義があり、それを体現した英雄がいます。人々は情熱に
燃えているわけです。民主主義は常に相対的正義です。英雄はいません。「今日はこんなところかな」、
「極端はいけない。ほどほどにしよう。失敗しないように」というのが永遠と続くのが近代社会です。
ピカ氏の言葉でいうならば「私は誰?」は革命時代に明確にありますが、近代民主主義社会にはありません。
あと、ぴか氏の論法がアイロニーではないことをしきりに強調するのが何故か分かりました。あなたは有閑階級だから
天使的実存であるということですね。そこを忘れてましたよ(笑)。
624 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 20:43:54
物質的に豊かな環境において確たる「我」など存在し得ない。
というのも自由な反面必然、必要が欠けているからだ。
あるいは「必要の認識」が欠けているからだ。
>>622 は? ひょっとして人間が脳を脳と認識して初めて脳が実存するとでも言いたいわけ?
626 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 20:51:24
>>606 > 少しわかったのは、宗教(信仰)こそが最大のイロニーだということ。自ら
> オブジェクトレベルにあると称しながら、むじんくんは神(不在)を信じる。
信仰はアイロニーではありません。しかし、アイロニーは個別性であり、信仰の入り口への
道のりです。信仰は一般的なものでありませんね。世論調査で人気があるものを欲望する
こととは根本的に違うのが信仰です。
だから、信仰までには細い細い、その人しか通れない道を進まなければならないのですが、
アイロニーはそれと関係があると思います。
あと、神は不在ではないですよ。
629 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 21:00:58
>>623 >革命の時代は民主主義ではありません。絶対的正義があり、それを体現した英雄がいます。人々は情熱に
>燃えているわけです。民主主義は常に相対的正義です。英雄はいません。「今日はこんなところかな」、
>「極端はいけない。ほどほどにしよう。失敗しないように」というのが永遠と続くのが近代社会です。
>ピカ氏の言葉でいうならば「私は誰?」は革命時代に明確にありますが、近代民主主義社会にはありません。
こういうのは子供歴史小説、あるいは素朴なロマン主義というのでは?
まあ、アイロニーとはなにか、そこからですよ。(笑)
ではでは。
630 :
622:2006/03/14(火) 21:02:12
ルールに対して作戦は超越の関係にあるのです。
ルールは作戦を基礎付けていますが、作戦を決定しません。
信仰に関して言えば、生存条件に対し信仰は、超越の関係にあります。
632 :
622:2006/03/14(火) 21:07:12
630
訂正 基礎付け→条件付け
633 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 21:07:34
ペンローズはいまではトンデモが定説ですね。
>>629 > こういうのは子供歴史小説、あるいは素朴なロマン主義というのでは?
困った人ですね。素朴なロマン主義でも構わないんですよ。それを子供歴史小説と語る
> まあ、アイロニーとはなにか、そこからですよ。(笑)
あなたの思考は近代的認識ということです。これは前近代社会には無いのです。そして、
近代的精神は基本的にアイロニーです。主体であり、個別である。
全体を俯瞰する視線とは、つまりは所与の否定です。しかし、一方で素朴なロマン主義的
意思があるわけでもない。視線の根拠はあくまでも空虚なのです。
>>633 ペンローズは世界的にも有名な数学者、理論物理学者だよ。ドコがトンデモなんだよ
ソ・ー・ス! ソ・ー・ス!
636 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 21:36:09
>>634 良いですよ。バクってもなにもいいませんから
いつものことですから。(笑)
>>630 だからそれがペンローズの『皇帝の新しい心』とどう関係があるのか説明せよと。
Pika氏はだけど何でもかんでも同じ欲望構造に当てはめてハッピーになるようなので、アイロニーじゃない
かも知れませんね(笑)。どちらかというと子供歴史小説なんでしょうか。
それはともかく、機械氏の必然論は「自己欺瞞」を打ち破るものとされています。これは私には奇妙な説に
聞こえました。通常、科学主義というのはそれ自体が自己欺瞞です。生活上の様々な問題というものを
科学的世界によって無かったことにするというのが多いんじゃないか。例えば、異性との関係の問題を
量子物理学の世界を考えることで抑圧する。
あと、科学者が何の矛盾も感じずにキリスト教徒であることは多々あります。これは人間は生活の全ての
場面で"科学的"であるわけではないということの一例だろうと思います。それを生活全般に広めようというのは
ピカ思想を紐解かなくても何か動機が在るというのが"定説"だろうと思います。
前にちょっと書きましたが、昔違う掲示板で機械思想と同じようなこと言っている人がおりました。その人は
「あるがまま主義」であると語っており、つまり流れに身を任せているのだと。ちょっと詳しい話忘れましたけど
そういう自己意識と量子的世界とが彼の中ではマッチしているようでした。機械氏も同じなんでしょうか。
639 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 22:22:41
>>615 Aという人間と何か(だれか)との“信憑関係”を、他のだれかがメタレベルで
語れば、Aにはイロニックに響くでしょう。ぴかさんのむじんくんに対する
言葉が常に彼にイロニックに受け取られるのは、そのためです。
「メタレベルをメタレベルで語る」のが方法(戦法)でないのなら、相手の上
をいく理念(神学)を語るわけですか。
640 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/14(火) 22:49:48
>>639 フリーターさんは単に天然ですよ(笑)フリーターさんに釣られて?なにか、
「アイロニー」とメタレベルが混乱していますね。
メタレベルといっても、ボクが語っているのは、認識論と、自己言及です。
フリーターさんや、
>>639には、軽い驚きがあるのかもしれませんが、
相手の上をいく理念(神学)というほどではなく、現代思想の基本です。
641 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 23:01:20
>>618 >キルケゴールは信仰に
>ついて語りますが、あくまでもその言葉は哲学ですね。
@キルケゴールは「一般的には『哲学者』だといわれている」
A従って、「キルケゴールの書いた言葉」は全部「哲学」である。
・・・という「思考方法」は、全く「論理的」ではない・・上に、
「哲学」・・・「真理を第一プライオリティとして措定する学問」の「定義」
にも「合致」しません。
・・あなた(をはじめとする「宗教者(観念論者」」の『哲学』とは、所詮「そういうこと」なのです。
唯物論で無から存在を創造することは可能ですか?
観念論でないと出来ないのでは?
創造主の観念から全てが創造されたのですよ。もっと言えば、
ほぼ無に近い創造主からですね。
>>638-641 人の意見に対してああでも無いこうでも無いって言うのもいいけどさ、
それで、結局お前らはどう思ってるわけ?脳と意思の関係についてさ。
>>642 無から虚数時間をトンネルして宇宙が創造した・・・というのは唯物論では?
645 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 23:20:10
>>638 >あと、科学者が何の矛盾も感じずにキリスト教徒であることは多々あります。これは人間は生活の全ての
>場面で"科学的"であるわけではないということの一例だろうと思います。
「一例」は何処かを探せば必ず「見つかり」ます。「中国共産党員であり且つチベット仏教信者」とか、
「キリスト教原理主義者であり且つイスラム教原理主義者」とか・・、
・・・しかし「自然科学の『最先端』」である「理論物理学」の最先端理論には「宗教の入り込む余地」
は全くありません・・・(未だに最先端である)ホーキングがキリスト教徒であるならば・・、
・・この説は撤回致しますが・・、
・・要するに『最新宇宙論』には「『神』の出る幕は(全く)ない」・・ということです。
文系からすると、その虚数時間・虚数ってのがチンプンカンプンなんだよねw
時間ってのが、変化の尺度でしかないならば、
それが虚であるというのはどういうこと?
変化・変容と関わりがないってこと?
変化・変容と関わりがない時間ってのが想像できないんだよね・・・(^^;
>>644 それならば、
虚数時間を進めるインデックスとなる点(虚数時間軸を進む点もしくは虚数時間軸そのもの)とはなにか?
或いは、実数時間に出てくる宇宙の始まりの点である(特異を消された)特異点はどこか?
いろいろ、説明不足な所がありますよ。
648 :
小さなヨハネ:2006/03/14(火) 23:35:34
以前宗教板での経験から推測するに、この機械氏とは実在の人物ではなく、
本スレッドに登場する誰かの自演と思われます。読んでいないので分かり
ませんが、まあまあと調停するような人がいれば、その人が最も怪しい。
そしてそういう人は突っ込みとボケの2役どころではなく、諸々の脇役を
含め5役、6役くらい平気で演じられるのです。捨てハンを乗り換えると
まさにエンドレスです。本人は楽しいのでしょうが、中身のないこと
甚だしく、端から見れば狂気の沙汰です。ああ、私もそうはなりたく
ないと思います・・・。
649 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 23:37:19
>>646 とても説明しにくいことなのですが、
@「この宇宙」は26次元であり、
Aとりあえず「16次元」に折り畳まれており、
Bさらに「11次元」に折り畳まれており、
Cさらに「4次元」に折り畳まれている
・・ために「我々『人類の脳』が対峙する『外界』」は「4次元」として、
顕れる(クオリア形成される)・・ということです。
例えば「回転寿司のベルトコンベア」を設計する・・・そういう場面でも、
「虚数」を利用すると非常に効率的である・・ということなのです。
650 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 23:38:18
>>640 “アイロニー”に深い意味があるらしいことは知っていますが、私は通俗的
に使っています。むじんくんが「神は不在ではないですよ」と言うとき、そ
こに“イロニー”をみてしまいます。私の気分もイロニックです。
このスレの登場人物同士も互いにイロニックに向き合うしかないのでしょう?
もっとも多くのイロニック(半ば羨望)の視線を浴びる機械氏、最高位、むじ
んくん、ぴかさんがここではスター(ボケ)というわけでしょう?
ぴかさんは違う(方法だけの人)と思っていたのですが…。
651 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 23:43:11
>>648 自演か否かは「あなた以外の方」が判断する方が良いようです。
「あなた」について言えば、「これだけ『真理』を突きつけられても
なお、・・『信仰』に固執する・・愚か者か否か?」・・について、
「自省」されているのだと思いますが・・・、多分「もはや手遅れ」で
ある・・と思います。「キリスト教を信じた」・・まさにその時点で、
「本当の『自省』から解放された」・・あなた方が、「真理の世界」に
帰ることは・・非常に(常人にはない)勇気が要ることであり、
・・たぶんあなたは「常人」だから・・です。
652 :
紗南:2006/03/14(火) 23:53:33
まあまあ、「常人」でも「奇人」でも「変人」でもよいではないですか。
紗南は、機械さんを信仰しています。
>>649 その「高次支配」って言うのが気に喰わない。逆でしょ。
1点に収束された神(1次元、0次元かも)に支配されていると思う。
高次支配について言うと
「或るものを説明するのにより多くのパラメタが必要」
ということです。言い換えれば冗長だということです。
例えば、z軸の情報は、xy平面の点pに対しては冗長だということです。
もちろん高次支配が良い時もあります。例えば、オイラー角vs.クォータニオンなど。
でも、それは、最低限必要なパラメタが無かったというだけです。
そして最低限必要なパラメタとは絶対神という1点だけで足ります。
>>641 キルケゴールはダメですか(笑)。
>>645 > ・・要するに『最新宇宙論』には「『神』の出る幕は(全く)ない」・・ということです。
機械氏は普段の生活では「あるがまま主義」ですか?前の掲示板にそっくりの主張の方がいました。
量子的世界を信奉しており、大脳生理学が好きで、悟りの脳状態を解説してたりしましたよ。あと、
キリスト教などの一神教が嫌いでした(笑)。
>>653 要するに「万能なる絶対神」なるものがあれば全部説明できるはずと言いたい訳だ。
それを思考停止という。
まあ
>>649 はトンデモだけど。
おそらく超ひも理論のことを言っているのだろうが、少なくとも理解しているようには感じられないな。
656 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/14(火) 23:58:41
>>653 観念論者さんたちが「気にくわない」・・のは判らないでもありません。
・・・が、『「この宇宙」は半径137億光年の球である』・・という
「(理論)物理学の『基本中の基本』」をまず、ご理解(ご納得)頂けないと、
「全く話が(その先に)進まない」・・のですが・・。
657 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 00:02:10
神は無限の決定論的運命であるこの世界そのものであって、(一羽のすずめでさえ
神によってあらかじめ運命が決められている、思い煩ったところでだれが一日でも
寿命を延ばすことができようか、私は神の律法を廃するために来たのではない、
むしろ律法が一点一画も廃ることなく成就するために来たのである、など)
さらに救われるものと救われざる者のことについても予定説としてあらかじめ
決められてしまっており、(町の多くの人々が救いを求めたが、救われたのは
たった一人の少年だけであった、とイエスが例え話をもって本音を語ったとき、
怒った人々に石を投げつけられたという逸話など)新約聖書はいわば自由意志を
連想してしまうような「言葉のあや」として比喩的で分かりづらい言い方をして
いるものの、実は非常に決定論的で合理的な考えであることに気づく。
(今はあからさまにいわず、比喩をもって語るが、いずれあからさまに語る日が
来るであろう)
新約聖書が自由意志の教えであるというのは実は誤りであって、新約聖書で
語られる「主」も、表現の問題上半ば人格的な存在としてそういうふうに
表現するしかなかっただけなのだということがわかる。
658 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 00:02:54
>>645 ホーキングが「無力な身体を持つがゆえに、際限のない自由な想像力をめぐ
らせている」との皮肉な目でみられているのはご存知でしょう? 彼もまた、
彼の“宇宙観”を信じる宗教人間でないという保証は、いまのところありま
せん。
659 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/15(水) 00:03:31
660 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/15(水) 00:05:13
>>564 >キリスト教などの一神教が嫌いでした(笑)。
一神教だろうが多神教だろうが「真理」で(さえ)あれば、全く意義はありません。
しかし、自然科学(特に理論物理学・宇宙物理学)が、ここまで「世界の描像を明確化した」
今の時点で、「神」の出番は「心理学」以外には存在しなくなりました・・バンバン
・・ということを「心理学の対象」であり、近々には「異常心理学の対象」となりえる
あなたがた「宗教者(観念論者)」さん達に「情報をお伝えしている」・・だけのことなのです。
認識を認めることから自然科学は始まる。それは宗教的信仰とは矛盾しない。
そこで認識とは何かという話になるとややこしくなる。
虚数時間のトンネルによるビッグバン宇宙論を提唱したビレンケンはキリスト教徒だよ。
662 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 00:09:28
一度、それが単に「宗教くさい」というだけの理由で過敏に反応して
排斥してしまおうとする迷信的な先入見を捨ててみることが必要だ。
>>657 それは一言付け加えたいのですが、キリスト教では「神の秩序に従う」は「自由」なのです。そして、
神の秩序と物理的世界秩序とは分離していると考えているわけです。
神の事をあれやこれや言う神学や否定神学をまとめたのがマジックとしての唯物論。
基本が分からない唯物論とは、まさに奇術だと言ってるだけです。
天動説が地動説に破れたように、定説はひっくり返る。
宇宙が終わる(誰かが死ぬ)時には、基本と言う真実だけが残る。
>>660 > あなたがた「宗教者(観念論者)」さん達に「情報をお伝えしている」・・だけのことなのです。
宗教信仰の心理学は異常心理学ではないでしょうね(笑)。どちらかというと、科学主義のほうが異常心理でしょう。
(大半がそうだと思いますが)職業科学者というのは、別に普通の感覚なわけです。科学とは仕事であると。帰りに
研究所の悪口を居酒屋で喋るなどするわけです。
ところが、それを機械氏のように「真理」であると語る人は、これ結構異常心理状態として分類されると思いますよ(笑)。
この辺がどうしてそうなるのか、興味があると共に、イマイチすっきりした理解ができないのです。
666 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 00:21:44
仏教「にも」造詣の深い物理学者・宇宙論者・哲学者って、いないのかな?
出てくるのはいつもキリスト教・・・w
儒教は?道教は?イスラムは?古神道は?禅は?
ヒンドゥーは?ウパニシャッドは?
全部、同一の思考によるものとみてもよい?
科学の領域に宗教的感覚を持ち込むことをファンダメンタリストといいますね。人間はサルから進化していません、とか。
同じように、人間の生活全般に対して科学を持ち込むというのは、これもファンダメンタリストだと思います。両者は似ている
んじゃないでしょうか。
668 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/15(水) 00:25:38
>>661 私だって「クリスマス」にはキリスト教徒(まがい)になり、
正月には「神道信者まがい」になり、仏事では「仏教徒とまがい」
・・になります。
・・「科学者の内心」は「インタビュー程度では推定できない」ほど、
西欧や米国では「キリスト教原理主義の『踏み絵』」がまだ有効に作用
しているようです・・が、「本人達が何処まで他人の眼を意識した宗教行動をとるのか」
は、「政治的メッセージ」・・との絡みもあり、「内心」イコール「拝礼行為」というのも
「短絡的思考」です。・・・中国が靖国神社に拝礼する「首相の内心」を「云々」するのは、
「内心」では「A級戦犯に『有り難うございます』・・と言っている訳ではない」・・ということ
は「知って」いても「外形でA級戦犯に拝礼した」・・という「外形」があるために、
「外交的に(日本に「弁明をしなければいけない?」・・という「議論」を誘発する効果があり、
それを100%利用しているだけのことです。
一口で言えば「礼拝」行為そのものは「利己的行為」でありその価値(有効性)を信じる・・という
『「自己欺瞞」の快楽』・・にすぎないのです。・・そんなもの「パチンコ」と大差ない
「大衆的娯楽」・・にすぎないのです。
669 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 00:26:56
>>649 26次元宇宙云々というのは、機械氏の“宗教”です。だれも、証明した
人はいません。彼が情緒の安定しているときに語る“決定論”からも逸脱
しています。
彼もむじんくんも“不在”を心から信じ、シレっと語ります。皮肉を言う
以外に、どんな手が残されているのでしょう。
>>668 >一口で言えば「礼拝」行為そのものは「利己的行為」でありその価値(有効性)を信じる
礼拝が利己的行為なのはかまわないけど、
「利己的行為が価値があると信じる」ことが『「自己欺瞞」の快楽』とは驚きです。
>>670 まあでも、
スタンドで、母校の試合を両手を胸に見つめる生徒たち
墓前で、亡き肉親にいつまでも手を合わせる若夫婦
星空に、具合を悪くした母親が元気になるようにと目を閉じる幼子
娘の出産を前に、孫の健やかな誕生を願い参拝する老夫婦
あるいは、誘拐された孫の無事を祈る行為・・・
これらも、突き詰めてみれば
自己満足と言えるからな・・・www
672 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/15(水) 00:38:34
>>669 「調査不足・勉強不足」の「情報が充分でない」状況で・・
「アンチテーゼ」をご立派に語るのには「根拠」あるいは「新情報」
が必要不可欠なので、・・あなたは「却下」せざるをえません。残念ですが・・
>>671 ん?『利己的行為』=『自己満足』=『「自己欺瞞」の快楽』ということ?
「利己的行為が価値があると信じる」
は己に利がもたらされるから価値があるんでしょ。
「自己欺瞞」ではないよ。
674 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 00:53:16
原因なしに物事を開始する自由意志などというものは現時点では百歩譲って
「自明のものではない」そして十中八九「ありえない」というのが現代の
科学時代における大方の知識人の「暗黙の了解」だ。この点では俺は機械氏
と同意見だ。クオリアの問題を持ち出して来たとしても依然として自由意志
側がマジックの類であるという感は否めない。なぜならそれが根本的に背理
であることは事実なのだから。新約聖書の、決定論的性格と世界に満ち満ちて
いる精霊、という基本スタンスは、現在われわれ現代人がクオリアのハード
プロブレムに直面している時に、現段階で最も巧くパラドクスを回避しうる
可能性を持つ有力な解釈である「汎心論的な唯物論」と非常にうまく合致する。
我々は自分以外の他者他物がクオリア存在であるかないかは決して証明すること
など出来はせず、従って他者他物が全てクオリア存在であるとしても決して
矛盾することはないわけで、この際にはクオリアは無限の決定論的必然性として
の世界そのものの様態でしかなくなり、従って脳科学者のクオリア起源論など
より遥かに無理なくクオリアが物理的、決定論的自然現象でしかないことを説明しう
る。そしてここにおいてクオリアの自己原因性としての背理は霧散消失してしまう
のだ。
675 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/15(水) 00:57:58
>>666さん
ハイゼンベルクは晩年東洋思想に傾倒したのですが。
676 :
666:2006/03/15(水) 01:04:04
>>675 そうですか。
暇みてチェックしてみます。
おやすみなさい m(_ _)m
>>674 >原因なしに物事を開始する自由意志などというものは現時点では百歩譲って
>「自明のものではない」
関数があってさ、入力によってお約束の出力があるんだ。
それで遊ぶのもいいけど、遊び尽くしたらそれじゃ物足りないんだよね。
何で物足りないかって言えば、予測できるから。つまり、面白くない。
面白い、もうちょい言えば、数奇的な関数を作るのは無駄ってことかな?
あと、もう寝ます
678 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 01:27:16
限られた有限な情報の入力であれば、お約束の出力が出る。
ところが世界は無限であるので限定された情報量などではなく、従って
無限に決定論でありつつ恒に人間の知性の性能によって常則に見えるような
出力もまた単なる蓋然性でしかないという当たり前の結論が出る。
そしてこの結論すらもまた何ら「お約束」であると言い切る権利を持たなくなる
わけであるが、しかしお約束の出力しかもたらさない、限定された情報は
時間的、空間的に限定されたありえない有限世界を仮定せねば成り立たないの
であって、これは完全に背理である。従って世界は無限の情報量を持ち、それゆえに
こそ無からの世界開始原因という自由意志としての神概念もまた誤謬である。
新約聖書の主は無限であり、ゆえに自由意志ではなく、かつつねに無限の情報量の
相互関係性の瞬間的帰結をもたらしつづけているがゆえに完全な予測は人知
にとっては不可能である(ようにみえる)。
679 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 01:40:28
「全ては主の御心のままに」なされてしまっている。
680 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 01:50:10
在りて有るものはただ在る。ただそれだけのことであるがゆえに人間にとって
巨大にすぎで恐怖である。無限の質的差異が、依然として人と神をわけ隔てて
しまっている。その分け隔てる働きが意志の正体である。
「主である私の顔を直接見たものはたちどころに死ぬであろう」
自由意志が背理であったとしてもそれを信じる生理的機能が無ければ我々は
生きてゆけないようになっているがゆえに、それを頭で否定した瞬間ごとに
最早体で信じてしまっている。
681 :
シンプルな関係:2006/03/15(水) 09:01:31
この世にはつねに、ひどい事やむごい事が起きる。いい古された論点だが
もし、神がこの世を創ったのだとしたら、その目的とはいったい何だろう?
また、もし仮に偉大な目的があるのだとしても、(たとえば)通り魔に
惨殺された人間にとって、そんな目的がなんの救いになるだろう? その
目的は、神にとってだけ意味があるのだとしたら、そんな神は人類にとって
なんの関係があるというのだろう? ・・さあ、むじんくんの神とはどんな
神なのか、もう少し納得のいく話を聞きたいものだ。
682 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/15(水) 09:23:10
>>650 残念ながらいっている意味がよくわからないですね。
メタ議論に囚われているのではないでしょうか。
メタ議論はメタメタメタメタ・・・と発散するしかないですよ。
ボクは別に、このスレをメタレベルに宙づりして、楽しむために
来ているわけでなく、
なんどもいうように「主体の科学」について議論するために来るわけです。
ボクの疑問は、「主体は否定神学システムである。」ときに、
科学は主体内部にありながら、外部を記述できるのか。
というようなことですね。
>>681 > この世にはつねに、ひどい事やむごい事が起きる。いい古された論点だが
> もし、神がこの世を創ったのだとしたら、その目的とはいったい何だろう?
それはまさしくドストエフスキーが生涯問い続けた問題です。「カラマーゾフの兄弟」の
大審問官ですね。神がいてもいなくても構わないが、俺は認めないと。積極的な無神論です。
ドストエフスキーは人間理性というものがそれ自身自立的であろうとする際に必然的に陥る
空回りをよく描いてます。「罪と罰」もそうです。そこからの救いは「信仰」なのですが、
それを様々な人物から表現しようとしていますね。
私が注目するのは、大審問官でもそうですけど、人間の論理的思考から派生する無神論は
非常に分かりやすいというか、小説の中でも思考内容という形で明確に記述されるわけです。
ところが、「信仰」はそう記述できない。例えば「白痴」のムイシュキンであったり、
「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャであったり、信仰する人物の描写としか描けない。一言
で言うならば、「理解」の対象ではない。
だから、神の目的が、という話は意味がありません。最初からそんな問いは派生しないし、
問う必要もないものを問うているということになる。
684 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/15(水) 16:24:25
考えると、ボクがアイロニカルであるという意味がわかりました。
アイロニーはたえず相手のメタレベルへ位置取りする「戦法」ですが
ボクの言説がただの「戦法」、ズラすこと、からかうことを目的化している勘違いからきてるのでしょう(笑)
>>682 > ボクの疑問は、「主体は否定神学システムである。」ときに、
> 科学は主体内部にありながら、外部を記述できるのか。
> というようなことですね。
>>650さん、こういう「自己欺瞞」に対してはきちんと指摘したほうがいいですよ(笑)。正しくは、
ボクの立場は、「主体は否定神学システムである。」ときに、科学は主体内部にありながら、
外部を記述できるのか、できないのか決定不能だとすることですね。
ぴか氏は2ちゃんねる哲学板のアイロニーであろうとしているのです。
686 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/15(水) 17:55:40
フリーターさんよりはいってることは一貫してると思いますよ。
フリーターさんは話を引き伸ばすことが目的で話の一貫性はないですからね。これがフリーターマジックです。(笑)
ピカ氏は有閑階級ですが、それとアイロニーは関連があるような気がしています。
「ブルジョア思考はアイロニーか?」
今これを考え中です(笑)。
ブルジョアジーは所与の否定として存在します。彼らは財を形成した後にそれを散財せず、
蓄積し、再投資します。しかしながら、それはピカ用語の"マクロ"にあたる、明確な立場からの
行為ではありません。例えば、封建社会における武士のようなものではない。武士は明快です。
彼らは明快なマクロ的"信"を持っており、そこから思考し、行動します。もっと言うならば、武士は
"人間"ではありません。武士は武士であり、それ以外の存在ではありません。
ブルジョアジーは"人間"です。彼は様々の可能性を持って実存している。つまり、決定的"マクロ"思考は
持たない。にも関わらず、ブルジョアジーは所与を否定し、否定し続けることにおいて彼はブルジョアジーです。
どこでもない立場にありつつも所与の否定として実存すること、これはアイロニーです。ブルジョアとは
アイロニーであり、その支配の下にある我々もまたアイロニーであることを求められます。つまり、
なんら情熱的理念もなく、ただひたすらに所与を否定しつづけるのです。
我々の精神はある方向へ動機付けられていますが、しかし目的はありません。単に走り続けており、
それを先導しているのがブルジョアジーです。全てはその場限りであり、相対化がされます。つまり
すぐに否定され古くなるのです。人々はこの世をシニカルに眺めるようになり、今の自分は明日には
否定されることを考えてます。しかし、明日の自分も否定されることは明らかであり、つまり「ほどほど」
であることが大切だと考えるのです。
この「水平化」(キルケゴール)の運動は新聞などによって意識化され、「今日のマクロ」が報道されます。
人々はマスコミによって自分がどの程度、どうあるべきかを測っており、例えば「下流」とかの認識を
持つことによって自己規定を行います。しかしそれは誰も本心から信じてはおらず、皆がとりあえず
信じているらしいとお互いが思うことによって形成される何ものかです。誰もが否定的ですが、しかし
その根拠は何もないので「今日のマクロ」を肯定します。
690 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 21:09:43
むじんくんはニヒリスト
機械氏もニヒリスト
>>681 > この世にはつねに、ひどい事やむごい事が起きる。いい古された論点だが
> もし、神がこの世を創ったのだとしたら、その目的とはいったい何だろう?
それそれ。「あなたはどれほど無抵抗か?」という我慢比べなんですよ。
ひどい事やむごい事の経験が真の自力になるんです。目に見えないじゃないかって?
例えば、努力って何でしょう?無駄な反復をする無意味な行為が自力としてくっつくんです。
「どうぞご自由に」が無抵抗で、「許さん」は抵抗。
「許さん」は否定的で入力を無にする。「ご自由に」は肯定的で入力を劣化させない。
入力を劣化させないと自分という関数は世界そのものを出力していることとなる。
「どうぞご自由に」と相手の言う事を「うむうむ」と頷いて叶えてくれるくれるのが絶対神です。
ちょっと目線を変えてみる。ありとあらゆるものの奴隷(彼)がいるとする。彼以外は遊んでいる。
では、全ての仕事をしているのは誰だ?ということになるんです。
無抵抗を契約に例えると、目には目をというので報復しない代わりにそれより軽い条件で本を読んでくれとか契約をする。
受動的な臓器売買のようなものです。
http://nas6.at.webry.info/200601/article_1.html
>>691のブログの続き
攻撃が相手に力を逆に与える事になり、無抵抗の力が自明になったとき、
2番目ちゃんが「ずるい、それじゃあ、絶対に超えられないじゃないか」と言い
無抵抗の神様が「じゃあ、あなたが無抵抗の役やる?」と問い返した時
2番目ちゃんは「いえ、結構です」チャンチャン♪
693 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/15(水) 23:19:29
>>685 >科学は主体内部にありながら、
>外部を記述できるのか、できないのか決定不能だとすることですね。
ご自分のご勝手に「科学」(機械的唯物論)を解釈されているようですが、
「科学」は常に「外(部)からの観測」を最重要視します。・・・というより、
「内部からの観測」は、「原理的に不可能」なので、「観測とは『外部からの観測のこと』である」
・・ということになります。
すなわち、「他者」=人類の他の個体が、最高位氏の言う「他ならぬ私自身」と「同じ『主体性』」
を持っているのかどうか?・・「その(他者)の内部」から観測することは出来ない・・「永久に不可能」
ですので、「他者の立ち居振る舞い」を観測し、「彼らも私と同じような『内部』を持っているのだろう」
・・・と(お互いに)「推定」することで、「この社会」は成立しているのです。
そういう意味では『人間と同じように(小さな勘違いも含め)会話できる人工頭脳』を精巧に作成すれば、
・・それは「(例えば・・2ちゃんねる上の)『他者』」と、もはや「区別」がつかないので、それ(人工頭脳)
が「意識を持っている」・・という推定が成立するのです。
・・・もちろん、そのことは(人工頭脳の制作が現実味を帯びてきた)「この時代」だから・・「言えること」
・・なのかもしれませんが、「他者の内面を経験すること」が「原理的に不可能」なのと同様に、
「人工頭脳の内面を経験すること」や「動物の内面を経験すること」も「等価に」(原理的に)不可能なのです。
694 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 23:46:39
そういう意味で、むじんさんの神もアダムの子孫達の内面まで覗けないので、
ユダヤ人達の振る舞いに一喜一憂することになってしまったのだな(笑
695 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/16(木) 00:09:10
>>689 かなり「価値の相対主義」に近接してきており、殆ど「科学的」である・・
・・というところの「一歩手前」ですね。
「真理」に至るためには、『「神」を捨てる』だけでよいのです。・・
・・と書くと「はっ!これが悪魔の誘惑なのか?!」・・とか、
「考えるようにシステム化する」ことにおいて、旧約聖書や新約聖書は
(心理学の機微を捉えた)「優秀な文書」だったのだと思います。
・・さらに「宗教のためには自爆テロも辞さない」・・・という「気持ち」
にさせる、イスラム教の「コーラン」も同様に「同じくらい優秀な文書」
なのだと思います(読んだことはありませんが)。
>>694 > そういう意味で、むじんさんの神もアダムの子孫達の内面まで覗けないので、
それは創世記の楽園追放物語を見れば分かりますが、人間は本来神と共にあるべきものを
"知恵の木の実"を食することで自ら神から自己自身を引き離す存在となったのです。これが
人間の自己=内面性というものです。禁じられた木の実を食べた直後、アダムとイブはお互いが
裸であることを恥じたわけですが、そこに人間精神の出発点が表現されており、それはまた
原罪というものが何かをあらわしています。
>>695 > かなり「価値の相対主義」に近接してきており、殆ど「科学的」である・・
> ・・というところの「一歩手前」ですね。
お褒めにあずかり光栄です(笑)。
> 「真理」に至るためには、『「神」を捨てる』だけでよいのです。・・
実際、キルケゴールはこのような"否定"の在り方の極限を「悪魔的なもの」と表現してますね。
延々と目標無く生きている、これは限りなく物理的に生きていることへ近づき、「物」の世界を
徘徊するような感覚でしょう。地獄とはそういうものでしょうね。鬼が出てきて釜で人を煮るなどと
いうのは人間的過ぎます。
698 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/16(木) 00:17:35
>>696 そういう「一連の出来事」で「びっくりする『神』」は、「人間的」である・・
・・というより「少し間抜け」だと思いませんか?
アダム、イヴをはじめ(弟であるアベルを殺した)カインの行為が「神の想定外」
だったとしたら、ホリエモンは「二一世紀(の一時期)に神であった」・・と
書かれるかもしれませんね。・・・両者とも「想定外」が多すぎたようですが・・
>>695 >「真理」に至るためには、『「神」を捨てる』だけでよいのです。・・
691の私のブログの「絶対者に敵対する事で<結果的に無抵抗になって>力を得る」
と言う誤謬ですよ。絶対者は余裕だから最強の敵を作って遊んでるだけですが。
>>698 > そういう「一連の出来事」で「びっくりする『神』」は、「人間的」である・・
> ・・というより「少し間抜け」だと思いませんか?
"びっくり"という記述は聖書に見つかりませんけど(笑)、それこそこのスレッドの中心問題である
「自由」の矛盾を表現しているんでしょうね。人間には自由が与えられたが、その自由によって
神から離れていったのです。
ひたすら前進しているが、何故か一向に何も見つからず、目的が何かもよくわからない状況は
カフカの「城」を思わせますが、人間の自己意識、自己の自立性の極限はそういった風景でしょう。
ちなみに、統合失調症の初期には極端な"自己"の先鋭化が起こり、急に猛勉強して世界を全て飲み込むような
言葉、或いは数式を求めたりすることがあるそうです。「プトレマイオス的転換」とも言うべきものだそうですが、
人間はその果てに妄想を築いてしまうのです。
703 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/16(木) 00:31:38
>>700 >人間には自由が与えられたが、その自由によって
>神から離れていったのです。
それについて「神」がどう対処したか?は「旧約聖書を読め」・・・
要するに「神に殺された」のだ・・・恐れろ・・ということですが、
「その自由」によって「親から離れた子供達」はどうすればいいのでしょうか?
「ソドムとゴモラのようにジェノサイドする」・・過激な親たちも多いのですが、
「離れていった」ユダヤ人達や「自分の子供達」に対する「無力」は、
旧約「神」様の方は「冷酷且つ残虐な処置」を採れますが、現代の親には「殺人罪」
・・となってしまいますので、・・・結局「神様の暴力」は一般人には「使えない」
のです。・・・「神様の特権」・・・ソドムとゴモラを滅亡させる・・「大いなる慈悲心」
など、現代では「単なる国家核テロ」にすぎない・・ということです。
>>696 スルーしとこうと思ったんだが、酷すぎる。
人間精神の出発点ときたもんだ。
>>703 > 「その自由」によって「親から離れた子供達」はどうすればいいのでしょうか?
恐れろというよりは、信仰せよということでしょうか。聖書は楽園追放に始まる人間の彷徨が
キリストの信仰により再び神との関係を取り戻すという物語だと思います。しかし、楽園時代は
既に神と共に在り、キリストとの関係はあくまでも自由な意思として行われますが。
706 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 00:44:37
物理的世界の全体は一回きりの出来事であって、
反復性はなく、全ては因果関係ので取り結ばれているが、
人間はそれをありのままには認識できない。
それらが分割され、「法則化」されるのは人間の意識上であり、
それが人間の認識の能力である。
全ては必然であるが、つねに「原因Aに対する結果B」は認識の
なかにしか存在しない。真理は全体である。裏返せば、切り出せる
「法則」など存在しない。
反復は人間の意識に於いて物事が言語レベルで模写される
効果であり、そこから「差異」が認識の枠組みとして登場し、
意識上の世界に「秩序」を与える。
「子ども時代は、そのようなものとしては、もう無い」とフロイトが
言うように、
「法則と必然性は、そのようなものとしては、もう無い」のですよ。
>>703 ただ、旧約というのは律法の神であり、人間は無限に遠ざかり続ける神の再来をひたすらに待つという
ものですね。キリスト教は今現在、自分の傍に神がいる、絶対的な同時代性というのが重要です。
>>705 旧約聖書はユダヤ教の経典なので、キリストは登場しない。
>>704 創世記の話は面白いと思いますから読んでみたらどうですか。その辺の芥川賞小説より遥かに
人間が何であるかをよく表現していると思いますよ。
>>707 キリストは神の子であると、信じているのがキリスト教徒。
同時代性はあんまり関係ない。
713 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:03:51
銭湯のサウナとかで、がたいの良い兄ちゃんとか見るけど 半数は亀の半分は皮被ってたりしてるし。
そんなヤシに限って、エラそうにしとるし オレは風呂やサウナ入る時は、前は隠さずに入るで。
練馬哲人←コイツうざいんすけど
717 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:17:01
コテハンが増えて議論のレベルが
落ちて来た。「考える名無しさん」に
戻しましょ!
718 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:27:16
添い寝オフを行います。
本日の14:00に渋谷のハチ公前に集合です。
黄色いベレー帽を被っているので声かけてください。
719 :
紗南:2006/03/16(木) 02:28:54
紗南にもかかって来なさい
>>718 渋谷ってどこですか?
>>713 銭湯のサウナって、数える位しかないぞ?
おまはんのちんこ、うpしてみなはれ。はんなりと。
721 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:30:29
練馬はちょっかいしか出さないからな
人を嫌な気分にさせるだけのやつだよ
722 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:32:11
予想どおりの低能スレになったわ
724 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:39:14
_
( ゚∀゚)
( )
| 彡つ
し∪J
725 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:47:28
小学校の頃、体育の着替えが男女一緒の部屋だった。
ふと振り向くと、隣の席の女子が体操着を脱ごうとしてた。
当時俺は「お、女の体なんて興味ねぇよ」と言いながら エロいシーンが入ってそうな洋画を期待して見てたむっつりスケベな正統派小学生で、
「見られてるのがバレてない…でもあいつ発育いいからブラしてるだろうな。」 なんて考えてた。
俺の予想に反し、ノーブラでした。確実にCカップ以上あったのに… 小学校生活最後の体育の思い出… 47にもなっていまだにその光景をオカズにしてる童貞の俺。
まさか全然かわいくないあいつで何回も抜くとは夢にも思ってなかった。
勃起するのは健康の証であるよ
>>725 おお、ヰタセクスアリス。私の友人はツルゲーネフの「初恋」で抜いたそうだ。
>>710 > 同時代性はあんまり関係ない。
それは一般的なキリスト教徒の定義に過ぎませんね。「信仰」はキリストとの同時代性というものが
決定的に重要なのです。
私は、近代的人間精神の無限の否定的運動と、近代的"時間"とは関連があると思います。物理学で
似たようなことを言う人はいないのでしょうか。つまり、信仰にあるとき、精神は"永遠"の中におり、
無限に続く直線的前方運動としての時間の概念は砕かれるのです。
729 :
706:2006/03/16(木) 11:32:36
練馬、おまえバカだ
>>728 ヴィジョン体験中に永遠を感じるのは、キリスト教に限らんでしょw
その論法で行くと、イワシの頭にも決定的な同時代性が必要だ。
731 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 12:36:36
この手の話は、知人の哲学者や大学教授などと
ここ10年くらいことあるごとに話題になりまして、しまいには
哲学の限界や、個人の立場の問題にまでなるので、積極的に
議論は避けているところです(^_^;)。先日も朝の3時まで新宿で
話していたし・・・・・・
拝見していると、全く新しい機軸のご意見は残念ながら拝見できませんし、
やはり簡単には結論が出ないことは明白です。むりやり思い込むことで
逃げている人はいますが(^_^;)。
>>730 すみませんが、何を言いたいのか全くわかりません。反射的反応ではなくて
ご自分の言いたいことを書いたほうがよいかと思います。
機械氏はキリスト教信仰を「自己欺瞞」と形容しましたが、
>>689に書いたような近代的否定としての
精神は自己欺瞞であり、しかし、自己欺瞞であることを知りつつも行っている自己欺瞞、情熱なき
自己欺瞞です。マスコミとは「今日の自己欺瞞」を放送しているのですね。
では、キリスト教信仰とは情熱的な自己欺瞞でしょうか。否であります。近代社会内部において
情熱的自己欺瞞を成そうとするならば、即ちそれはカルトです。キリスト教的信仰とは、否定ではなく、
絶対的な肯定であり、それは否定の否定としての肯定です。
734 :
まさ:2006/03/16(木) 14:40:25
イギリスに行ってました。久しぶり日本に帰って最初に気になったことがここ
だったのに…何これ!!低脳的推物論者が多い。ガッカリ。
ってがっかりは瞬時の判断と考えると未来?過去?の思考ではどっちだあああ
一瞬って思った時はもう過去の記憶だしかないんですよね。僕はその辺を今追及
してます。未来(予測)と過去(記憶)の境目です。
機械さんむじんくんさんがんばってください。
最高位さんはいないの?
735 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 14:51:12
最高位が来ないと面白くないよ・・・
忙しいのかな
最高位が来る方が面白くない。
発言も同じことの繰り返しだし、無駄にスレを消費するから。
「自己欺瞞」とは即ち人間精神そのものであり、それはヘーゲルが言う「疎外」を起因として派生した
ものであるが故に本来の自己であろう、自己自身であろうとすればするほどより一層「自己欺瞞」であり続ける
ことになります。
信仰が「自己欺瞞」からの解放であるならば、それは即ち自己であろうとする運動からの転換、
自己とは他なるもの(神)によって措定されたものであること、自己とは自己ではなかったという
ことの体験なのです。
>>734 > イギリスに行ってました。
いいですね。イギリスは行ったことないですが、面白いところ結構あるんでしょうか。ヨーロッパは
食事優先でイタリアに行ったことがあります。
ところで、"現在"というものを体験するというのは結構キーポイントではないかと私も思います。
人間とは現在に在りつつも現在として自己規定ができないという2重性を持った存在であり、
それが前向きの矢印としての"時間"というものに関連していると思います。
>>732 えっ!?宗教のヴィジョン体験の話をしてたんじゃなかったの?
「鰯の頭も信心から」っていう諺も、知ってると思ってさ...
>>739 >
>>732 えっ!?宗教のヴィジョン体験の話をしてたんじゃなかったの?
してませんよ。
>>740 ふむ、書き換えよう。
信仰が決定的に同時代性を必要とするのは、バモイドオキ神でも尊師でも同じこと。
まぁそりゃ当たり前だし、キリスト教に限ったことではないでしょ?
742 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 15:48:09
743 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 16:08:59
>>741 > 信仰が決定的に同時代性を必要とするのは、バモイドオキ神でも尊師でも同じこと。
> まぁそりゃ当たり前だし、キリスト教に限ったことではないでしょ?
そこなんですが、つまり宗教とカルトはどこが違うのか?という点ですね。色々いい訳じみたことは
言われますけど、僕はカルト教団というのは結局のところ現世志向だと思っています。
つまり、精神病の妄想と似ていて、所謂現実と呼ばれるものとは違った「現実」を提供するのが
カルト教団であると。だからこそ、彼らはこの世に生活しつつも通常の生活環境から離れた
生活をするし、絶対に外の空気を吸わせないように内部で強制するわけですね。
745 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 16:27:43
否定の否定でキリスト教徒が世界を肯定するのは分かるんだけれど、
結局、キリスト教徒は肯定しつつ現世を無として捉えるわけでしょ?
(むじんくんの死人って発言はまさにそれを表していると思う)
死んだ世界を肯定することにより来世を本来の世界と捉えるのって
なんかものすごいニヒリズムを感じる
機械氏とむじんくんのうまが合うのはここらへんの意見が同じだからか
人間→被造物
人間→物質
似てるもんね
>>743 そんな奇妙な説を私は最初から承認していないが、君がむじんくん文脈を理解しているのなら、解説してくださいなw
>>744 キリスト教には現世指向である部分もあるし、来世指向のカルトもある。
747 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 17:08:18
>>746 カルト教団は徹底してないってことでしょ
すっぱい葡萄を信じるだけ
キリスト教はすっぱい葡萄さえ信じない
>>745 > 機械氏とむじんくんのうまが合うのはここらへんの意見が同じだからか
> 人間→被造物
> 人間→物質
うまが合うかどうかは知りませんけど(笑)、現世を被造物と捉える視点と、物理的世界観とは
関連があると思います。しかし、「物」の世界に転がる石のごとく見るか、全ての事象に神の意志と
しての色彩を見るかが違います。
>>746 >
>>744 キリスト教には現世指向である部分もあるし、来世指向のカルトもある。
例えばオウムは来世志向でした、教義自体は。しかし、実際には彼らはこの世において別空間を
作ろうとしていたわけですし、そうしなければ自分たちが滅ぼされるという被害妄想的洗脳を
内部において受けていた。
ある精神科医が書いてましたけど、妄想が超越的であることはないそうです。妄想はどこか人間的であり、
欲望が見え隠れしている。カルト教団も同じで、明らかに権力欲のようなものが軸になっています。
>>749 聖書の物語のほとんどは充分に人間的だし、父なる神はまるで人間のように嫉妬深いw
キリスト教会がやってきた様々な侵略戦争や権力闘争について、知らないわけではなかろうね?
>>750 つーか、キリスト教会って具体的にどのキリスト教会のことだ?
カルトとそうでないものを一緒にしているだろ。
752 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 18:12:30
キリスト教も変容してきてるんじゃないの?
>>750 ちょっと待ってください(笑)。聖書の物語は物語ですから妄想じゃありませんよ。それは人間の様々な側面に
ついて語っているわけですから、人間的物語です。
しかし、神の信仰というものはこの世において現実的な、つまり魔術的な力を及ぼそうということではなく、
まさにそのような思考の禁止としてあるのです。オウムなどは空飛べるとかありましたけど、魔術的であり、
それは現世的な、割と素朴な欲求の表現なのです。
あと、キリスト教が侵略戦争をした、という話は別の話ですね。信仰心から戦争するというのがあるかどうか
お考えになったらどうでしょうか。
ぴか氏が喜びそうな言い方をするならばこうなりますでしょうか。
近代的世界というものは、「意味するもの」の果てしない運動としてあり、それはどこまで行っても
「意味されるもの」にたどり着かない。それは神の到来を希望しつつもそれがどこまでも裏切られ続ける
ユダヤ的世界といえます。実際、マルクスが言うように近代社会とは全ての構成員が「ユダヤ人」となる
社会なのです。
キリスト教では「信仰」によって、逆説的に「意味されるもの」を得ます。いつか来るべき、そして一歩近づくと
一歩遠のく虚の中心としてではなく、絶対の現在、同時代性において「生ける神」との関係を持つ。
ですから、「意味するもの」が、荒涼たる灰色風景の中を転がり続けるのとは逆に、信仰によって「意味されるもの」を
持つ人は、この世にはっきりとした色彩を見るのです。
>>753 信仰心からする戦争の方が、悲惨だよ。
十字軍は西欧にとっては聖戦だろうが、イスラム教や東方正教会にとっては侵略だった。
>>754 宗教の虚偽の中でまやかしの安定を得るより、荒涼たる灰色風景の中に毅然として立つ方が、私は好きである。そう、荒野の狼のようにね。
756 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 21:17:39
練馬はもうちょっと考えて発言しろよ
757 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 21:29:32
そうですね。いつまでたってもシニフィアンがシニフィエを見出すが
それ自体としてはやってこない。つまり、それとはカントの「物自体」
の事ですね。そして、この様な偶像崇拝禁止(ユダヤ的)な繰り返し(反復)
を拒否したのが偶像崇拝=それ自体を定立する事 だったのでしょうか?
でも、この崇拝する=定立は決して真理足り得ないと言う事でしょうね。
>>756 こそこそ陰に隠れてないで、少しは意味のあることを書いてみそw
昔、俺に負けた遺恨で貼り付いているのかしら。
759 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 21:35:00
なぜなら、それ以上の疑問を禁止したからです。
ここにある、現前こそ間違いなく真理であると。
現前に見えるものは、絶対に疑い得ないと。
ただし、その現前が、過去と思考パターンといや、エピステーメー
に汚染されている事を葬ったと言う事を忘れて・消去した事すら
忘れている・・・忘れ去らねばならなかったのです。
そうする事で、差異は忘れ去られたのです。
760 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 21:46:37
一方的に「俺はメタを言っていない。」と言う発言に困惑しますね。
何故ならば哲学は全ての定義に対して論理的に証明なしに決めるので
はありません。だから、メタは間違っていると言う論旨の展開
が必要です。そこから、語ることは差異反復にならないと言うべき
でしょう。
>>756 というか、もう、ほっとけよ。日本語も読めん馬鹿は。
腐臭が消える迄このスレにレスしないつもりだったが
馬鹿が調子になってるのを見ると腹立たしい気分になるのは判るw
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140273935/ 496 考える名無しさん sage 2006/02/23(木) 10:14:32
>>85>>90 お前は何時も知りもしない科学を騙ってるがな。探求者とお前は同じ臭いがするから不思議なもんだw
馬鹿は馬鹿に共感する、若しくは同一人物のどちらかだなw
497 練馬哲人 sage 2006/02/23(木) 10:26:31
>>496 論理に対してフェアなスタンスをとるという意味なら、私もゾルレンや探究者と同じだ。
君が私より科学として正当なことを述べたいのであれば、きちんと書きたまえ。
498 考える名無しさん sage 2006/02/23(木) 10:39:38
お前は自分が知らない事を騙っているのだ。つまり知識を騙っているのだ。
科学に対するスタンスと知識は関係ない事も理解出来ないのかw
>>755 > 十字軍は西欧にとっては聖戦だろうが、イスラム教や東方正教会にとっては侵略だった。
そういうのは政治家のアジ演説ぐらいでしか聞かない理屈ですよ(笑)。
>
>>754 宗教の虚偽の中でまやかしの安定を得るより、荒涼たる灰色風景の中に毅然として立つ方が、私は好きである。そう、荒野の狼のようにね。
荒野の狼は大丈夫ですが、人間の場合それは破綻することが必然なのです。
764 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 21:53:34
まぁ、こいつが好きって言っているだけの話だから、放っておけばw
765 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 21:54:19
>>763 悪いが 756 は俺じゃないぞw
敵が多くて大変だなw
>>757 > でも、この崇拝する=定立は決して真理足り得ないと言う事でしょうね。
そこはキルケゴールにしても、ドストエフスキーにしても説明に苦労するというか、そもそも
説明不能の領域でしょうね。キルケゴールは「逆説的関係」というわけです。偶像崇拝は
「直接性」であると。「直接性」、つまり感覚的世界との関係は否定されなければならないが、
そこから派生する無限の自己意識の運動=罪は信仰によってしか救われない。だからこそ、
イエスとの関係は逆説でなければならないというわけです。キリストとは"躓き"であり、神であるとは
絶対に識別不能な存在です。そうでなければ、それは単なる偶像崇拝になってしまう。
しかし、ユダヤ教徒はそれを認めませんから、イエスを神とするのは未だに「偶像崇拝」ですね。
そして、彼らは来るべき神の再来を待ち続けるわけです。
>>761 知識の公共性を信頼できないなら、どうやってコミュニケーションするんだよ?w
>>762 ヘッセとかステッペンウルフとかイージー・ライダーとか知らんか...悪かったかなぁ。
>>768 やっぱり、馬鹿だ日本語を読めていないないなw
というか、話を摩り替える糞は氏ね。
770 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 22:15:09
なるほど。僕は宗教からの分析には疎いのですが。
ポストモダンから見ても、同じ道筋が見えてきますね。
つまり、最終決定(審級)の超越的な位置は両義的な位置ですよね。
語れない所のものですよね。
ところで、神の再来は起こりうるのでしょうか?
その場合どのような道筋が考えられるのでしょうかね?
771 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 22:16:19
>>768 「信頼する」というアイロニーについて理解できている?
三点リーダーの使い方を学んでから来なさい。
>>762 人間には破綻しない強さもあるから、文学が可能なんですがね。
773 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 22:20:59
>>771 わざわざアイロニーにする必要はないし、フリーター・マジックに付き合わなきゃいけない義理はない。
775 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 22:22:39
>>772 意味不明。「破綻は必然」って言ってるのに、「破綻しない強さ<も>ある」ってのは
なりたたんだろw
776 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 22:24:43
>>774 おまえは唯我論者かw
おまえが「アイロニーにする」選択性はないんだよ。
「つきあわなきゃならない」かどうかの選択性もな。
おまえさ、このスレのずいぶん前からいるのに、必然と意識の
問題が全然理解できていない。全然ダメ。
>>774 そろそろ、自覚しろやw
糞にぶっかけるビチ糞がお前ってことをなw
>>762 証明抜きで、破綻は必然、は無いんじゃないのw
779 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 22:34:36
>>778 ならおまえが「破綻は必然でない」と証明してみろ
隗より始めよ。ここがロードス島だ、ここで飛べ
>>770 > ところで、神の再来は起こりうるのでしょうか?
> その場合どのような道筋が考えられるのでしょうかね?
それは「啓示」ですから道筋は考えられませんね。そして、ユダヤ教とは再来を永遠に自らに
禁じている宗教でしょうし、キリスト教は今わたくしの横にキリストがいる、という宗教です。
ただ、これは面白半分に扱われるのであれですけど、黙示録というのがあります。新客聖書の
最後に。僕が知る限り、あれを教会で説教に使うことはほとんど無かったですけど、人間社会は
破綻をし、その後神の国がくるというのは書いてありますね。ただ、これはノストラダムス風に
語ることは普通の教会ではしないはずです。解釈も様々で、ローマの崩壊を語ったものであるという
ものもあれば、信仰に至る内面的な過程を描いたのだという解釈もあります。
781 :
リーマン ◆N.J4yHzilE :2006/03/16(木) 23:05:43
>>754 >マルクスが言うように近代社会とは全ての構成員が「ユダヤ人」となる
>社会なのです。
マルクスのどの著作でしょうか?
782 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/16(木) 23:10:46
>>762 >荒野の狼は大丈夫ですが、人間の場合それは破綻することが必然なのです。
このあたりにご自分の「本音」が出てしまっていると思われませんか?
「宗教に逃げ込むこと」を最終決断した時点で、あなたは「開き直った」筈ですのに、
何故か「破綻」・・を恐れている・・訳ですね?「破綻」って「破産宣告」のことなのですか?
「あなたの教派の宗教仲間」(何人いるのか知りませんが)以外の「他者」から「あなた」
を「観測」すると・・・「自爆テロを行うイラクのスンニ教徒」の「狂信」と「何処が違うのか」
・・・「区別がつかない」ことは・・まだ「ご理解の範囲」に入っておりますか??
むじんそろそろうざいな
784 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/16(木) 23:18:16
>>780 >人間社会は破綻をし、その後神の国がくるという
で、(「他ならない(かけがいのない)あなた」が「その後の神の国」に生き残りたいために
「何でもする」し、「何でもすること」が「神の名の下に許される」・・と「聖書に書いてある」
わけですか?
例え「人間社会が破綻」しても「自分だけは生き残りたい」という、えらく「古代ユダヤ人的」
な考え方・・なのですね?
785 :
素人:2006/03/16(木) 23:25:08
結構飲んだので眠い。
さて、ここで、
眠いのは「誰?」「何?」
身体が眠いのか?
意識が眠いのか?
心・気持ちが眠いのか?
私が眠いのか?
「私」が眠いのか?
【私】が眠いのか?
「これこれこういう状況の私」が眠いのか?
「これこれこういう状況の「私」」が眠いのか?
「これこれこういう状況の【私】」が眠いのか?
( ̄ー ̄)ニヤリ
786 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/16(木) 23:30:20
>>785 あなたの「脳」が睡眠を「欲求」しているのです。
「メラトニン」「セロトニン」等の「脳内睡眠物質の日循環蓄積」が、
「アドレナリン」「ノルアドレナリン」等の「脳内興奮物質」より
(あなたの「脳」内で)「優性になってきた」・・・だけのことです。
787 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 23:33:09
【私】が起きたからじゃないの。
790 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/16(木) 23:57:52
>>749 >例えばオウムは来世志向でした、教義自体は。しかし、実際には彼らはこの世において別空間を
>作ろうとしていたわけですし、そうしなければ自分たちが滅ぼされるという被害妄想的洗脳を
>内部において受けていた。
あなたの
>>780 >人間社会は破綻をし、その後神の国がくるという
という「考え方」と「基本的には全く同じ」・・だということですね。
>>782 > このあたりにご自分の「本音」が出てしまっていると思われませんか?
本音ってどういうことでしょうか(笑)。
> を「観測」すると・・・「自爆テロを行うイラクのスンニ教徒」の「狂信」と「何処が違うのか」
> ・・・「区別がつかない」ことは・・まだ「ご理解の範囲」に入っておりますか??
自爆テロとスンニ教徒が直接結びついてしまう機械氏の頭脳は「狂信」に近いと思いますよ(笑)。
>>784 > で、(「他ならない(かけがいのない)あなた」が「その後の神の国」に生き残りたいために
> 「何でもする」し、「何でもすること」が「神の名の下に許される」・・と「聖書に書いてある」
> わけですか?
書いてません。
>>790 いやー、しかし機械氏はホントにユダヤ教系の宗教が好きなのですねぇ(笑)。
> >人間社会は破綻をし、その後神の国がくるという
> という「考え方」と「基本的には全く同じ」・・だということですね。
オウムは自力で妄想空間を作り上げようとしたわけですから、正反対なんじゃないですか。
>>789 どもです。パラパラめくっていますが、うーん、見つからない
794 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/17(金) 00:12:50
>>791 「あなたの宗派のお仲間達」以外の「普通の正常人」も、「自爆テロ要因養成機関」
等の実態を見るにつけて、「宗教とはここまで『理性の攪乱』をシステマティックに
行う『ノウハウ』なのだ」ということを理解します。・・・そこには根本的に、
「俺が信じていること(だけ)が絶対に価値であり、それに反することは絶対の誤謬である」
・・・と「根底から信じている」・・という特徴があるのです。
その「特徴」が「イラクの自爆テロ養成所を運営している人々」にも「ある」と思うし、
あなたがた「キリスト教徒」にもあると思う・・・のですが、
あなた方「キリスト教徒」から「イラクの自爆テロ養成所運営思想」の「見る」と、
同じく「俺が信じていること(だけ)が絶対に価値であり、それに反することは絶対の誤謬である」
・・という「同じ病」を観測できるのか?できないのか?知りたいですね。
>>792 宗教のメカニズムは、カルトだろうがキリスト教だろうが同じだよ。信者の数や歴史は違うがね。
神を視る能力がある人間は、それがカルトのフレームであっても視ちゃうだろうな。
796 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 00:18:43
機械よ、
おまいセロトニンとかいっている割には夜更かし好きだなww
はよ寝てはよ起きなあかんがな。
>>794 > その「特徴」が「イラクの自爆テロ養成所を運営している人々」にも「ある」と思うし、
> あなたがた「キリスト教徒」にもあると思う・・・のですが、
自爆テロ組織とキリスト教一般が同等かどうかの前に、ユダヤ教系の一神教が「絶対」という、
つまり「こういう思想もいいですね、ああいう考え方もありますね」という相対主義的なものを
禁じているということは明らかです。
ただ、それは逆に言えば、機械氏の好きな「第三者的視点」をそこで作り上げるわけで、それが
なければ全てはその場限りの話に終わる世界となるでしょうね。
あと、自爆テロ組織というのは、あれは明らかに妄想的組織なのであり、その根源にあるのは
貧困であり、それを操っているのは金持ちのアラブ人なのです。
>>796 脳梅の関西でっか?wもうかりまっか?www
女性差別と言われかねませんが、女性同士の会話でよくあるのが、
B:「そうそう、そうよね。Aさんウザイわよねぇ」
C:「ああ、そう私も思う〜」
・・・・Bさん退出・・・・
C:「あのさぁ、Bさんってあれ、ちょっとムカつかない?」
D:「あ、やっぱり?私もそう思っていたところなのよ」
こういうの、ありますよね(笑)。つまり、機械氏の好きな「真実」が無い世界になりますよ、
絶対的価値観の不在状態だと。
800 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/17(金) 00:31:19
>>792 >オウムは自力で妄想空間を作り上げようとしたわけですから、正反対なんじゃないですか。
私から見ても、誰から見ても「人間が破綻することは必然であり、その後に訪れる「神の国」
で、「信仰篤い自分こそ」は選ばれて「永遠の生」を得るだろう・・という考え方の方が、
「妄想度数倍」なのですが?
・・ところで「神の国」で「永遠の生」をご褒美に与えられた「信仰篤いむじん」さんは、
そこでの「永遠の生」をどうやって「過ごす」のですか?
読書も飽きたので小説を書いてみたり、音楽鑑賞も飽きたので作曲をしてみたり、天国スポーツ
クラブで「筋トレ」をしてみたり、1年に50回ゴルフラウンドをしてみたり、
たまには「天国カラオケ」に行ってみたり、自然に恵まれた天国山脈の縦走にトライしたり、・・いろいろ
楽しそうですけれど・・・永遠にそれを続けても「退屈」はしないのでしょうか?
「天国に退屈は存在しない」ということなので「退屈した」と一言漏らしたら、「天国治安維持機関」が、
「天国の秩序を脅かす行為」として「任意同行」を求めたり、場合によっては、ホリエモンみたいに「本人否認」
のまま「逮捕される」なんてこともあるおでしょうね?
・・・なにしろ「時間は永遠(要するに「無限」)なのですから・・・。
801 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 00:36:32
カメっていんだろカメ。
ある種類のリクガメってさ
メスの性器が甲羅ん中に引っ込んじゃってんだって。
どうやって交尾すっか知ってる?
発情期になるとメスはエサをいっぱいだべて
パンパンに太るんだって。
でな、首を引っ込めると…性器が出てくるwwwww
わあセクシーwwwwwwたまんねえよwwwwww
そりゃオスも大興奮だよwwwwwwwww「メスの亀頭は交尾に必要ありませんしね」ってやかましいわ!!
>>797 キリスト教会のナントカ騎士団だって、似たようなもん。イスラムであれキリストであれ、一神教の事情はどこも同じ。
>>800 > 私から見ても、誰から見ても「人間が破綻することは必然であり、その後に訪れる「神の国」
> で、「信仰篤い自分こそ」は選ばれて「永遠の生」を得るだろう・・という考え方の方が、
> 「妄想度数倍」なのですが?
すいません、それ、私が書いたことと違うと思いますよ(笑)。
> ・・ところで「神の国」で「永遠の生」をご褒美に与えられた「信仰篤いむじん」さんは、
> そこでの「永遠の生」をどうやって「過ごす」のですか?
> ・・・なにしろ「時間は永遠(要するに「無限」)なのですから・・・。
それは色んな解釈があるところかと思いますけど、死んだら永遠の生に入るのではなく、信仰するものは
永遠の生に入る(ことを信じる)のです。死と生が連続するということですね。時間をどうつぶすかという
発想はそこには無いでしょうね。時間というものが存在しないわけですから。
面白いのは、地獄というのはわりと描きやすいですよね。ところが天国ってうまく書いたものって
ないと思いますよ。不幸というのは具体的だけど、幸福は全く不明瞭ですね。
何かが"欠けている"ことからくる前進運動としての時間概念からすれば、暇つぶしというのは重要です。しかし、
欠けてない状態であればそもそも運動が存在しないことになり、暇つぶしもありえませんね。
808 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/17(金) 00:46:03
>>797 >あと、自爆テロ組織というのは、あれは明らかに妄想的組織なのであり、その根源にあるのは
>貧困であり、それを操っているのは金持ちのアラブ人なのです。
実態は「全く異なる」のですが、それはそれ「キリスト教文明内の(ノーテンキ)解釈」は、往々にして
「それは貧困が原因だよ」とか「金持ち(富裕層・特権階級)が『操っている』」・・とかの「想像力欠如
モンきり解釈」しかできません。
所詮「キリスト教徒」が、「世界制覇」した方法は「食糧や宝石や黄金で(特権階級を)誘惑する」・・という
ものだったので、未だに「金で解決できないことはない」「金の流れを変えれば権力の流れも変わる」・・という
キリスト教『ミッション』の考え方の領域を出ないわけですね?
・・・武力で侵略し、宗教を押しつけ、「物欲」を起こさせて支配する・・という
キリスト教の「布教マニュアル」そのものであり、「物神崇拝」というキリスト教の「本質」を良く顕しております。
809 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 00:46:50
機械氏は科学がむごたらしい戦争を起してきた事実を見て見ぬ振りしていないか?
宗教も科学も要な使い方だろ?
宗教自身が戦争を起したっていう説はどうも恣意的な見解に見えるがな
810 :
素人:2006/03/17(金) 00:48:27
>>800 機械よ・・
面白い文章(嫌いじゃない描写)ではあるが、
お前が宗教を語るのは百万年早い。
煽りとしては及第点かもしれんがなw
>>805 ウェーバーの意見そのままだなw
おやすみ ノシ
>>804 あれ?キリスト教支持なら、それは了解済みじゃないの?w
>>809 十字軍も知らないし、アルカイダの自爆テロも忘れたってこと?w
813 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/17(金) 01:00:08
>>809 シーア派、スンニ派、クルド人の対立・・・イラク
シーア派、スンニ派の対立・・・イランvsイラク
ユダヤ教vsイスラム教各派の対立・・中東全般
イスラムvsキリスト教運理主義の対立・・・米国
・・・これらは「各グループの構成員」が「むじんさん」のような
「超硬直的(他者には到底理解できないお伽噺を『原典』として崇拝する」
「原理主義」・・という「共通項」がありますが、残念ながら「共通項」は、
『「相手を抹殺しなければこちら(真理)が抹殺される」・・という短絡思考』
・・として「要約」されます。要するに「自害妄想の自己増殖」+「自分が愚昧
であることを認めたくないための(巧妙な)自己欺瞞」・・だということです。
本日は就寝させて戴きます。
814 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 01:05:34
アルカイダの自爆テロが宗教的な理由だと言えるのか?
それは構図を簡略化させすぎだろ
哲学的ではないよ
日本人の特攻隊はどうなんだ?
あれは宗教的な行為か?
隊員たちは本当は行きたくなかったって言ってたぞ
でも、御国の為、と言われ政治の力に身を任さざるを得なかったんじゃないか?
宗教が戦争を起すのではなくて戦争を起す理由は経済じゃないのか
宗教は方向性を一つに持っていくための看板に過ぎないだろ
政治がそれを利用するだけだと思うが
>>814 自爆テロは宗教的な理由だよ。
十字軍はどうなのさ?経済じゃなかろ?
816 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 01:41:32
>>815 >自爆テロは宗教的な理由だよ。
理由かけよw
>>813 人の行動をすべてその思想・動機から説明するのは唯物論ではないと思うが?
機械の「機械的唯物論」は、実は観念論だというのは多くの人が言っていることだが、
わしもそう思う。
818 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 01:45:34
>>817 脳の構造がある思想を産み出すし、脳内物質の状態がその動機を作るということで、
やはり「唯物論」だと思う。
>>815 >自爆テロは宗教的な理由だよ。
自爆テロを起こした犯人の大半が宗教を信じていたのかも
知れませんが、宗教を信じるとは宗教の奥義を会得するといった
ものではなく、一つのコミュニティに属している、ということです。
山田昌弘が「混迷する家族」で、一神教的宗教心の薄い日本人に於いて
家族は個人のアイデンティティの拠り所となる一種の宗教であると
喝破していましたが、特攻隊もそう言う意味では、多くの若者が信じた、
もしくは守ろうとしたものは彼らの育った故郷であり、家族だったのだと
思います。
自爆テロを起こした犯人にとっての宗教の原風景とは、自己のアイデンティティを
形作り支えてくれる家族であり仲間なのではないでしょうか。そしてそれは、
宗教というバイアスが必ずしもかかる必要はない。
さらに自爆テロの構造を考える必要がある。それは組織が起こしている。
実行部隊とそれを指揮する幹部との間には当然のことながら認識の
ズレがあります。自爆テロに支持を加える幹部は、当然政治的な効果を
狙って行っているわけで、その意味では政治的・経済的だと思われます。
人間は感情で行動します。
821 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/17(金) 01:59:44
風の音が異常にうるさくて眠れませんので・・・、
>>819 >実行部隊とそれを指揮する幹部との間には当然のことながら認識の
>ズレがあります。自爆テロに支持を加える幹部は、当然政治的な効果を
>狙って行っているわけで、その意味では政治的・経済的だと思われます
「マクロ認識」では「行って散れ」と「送り出す」
「ミクロ認識」では「死んだら全て終わりだし、家族を本当に守ることに繋がるの?」
ということで、マクロさんは『特攻隊員の「ミクロ認識」は、この際(私の)マクロ認識の
「駒」でしかない』ので、「命令を下す」ことに躊躇はない・・・ということですね。
>>821 >「命令を下す」ことに躊躇はない
と一言で言っていいのかはわかりません。
というか、そこにモデルとしての指導者、というものを
仮想的に我々の思念のうちに呼び出してしまうことこそ
恐ろしいことだと思います。
>>819 書名間違えました。「迷走する家族」でした。ごめんなさい。
私が混迷していました……
>>809が馬鹿過ぎてつい反射しちゃったけど、アルカイダはまずかったなw
>>819リーマン氏に同意です。
828 :
825:2006/03/17(金) 07:45:17
829 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 08:09:24
練馬ってなんで哲板にいるの?
こいつ自分の意見何も言わないくせに
ちょっかいだけは一人前で見ていて気分悪い
実に判り易い!!!
>795=>798
>802=>803
>825=>826=>828=>830
>>832 練馬君よ!惜しいなw
>777=>827=>831は俺だw
834 :
シンプルな関係:2006/03/17(金) 09:28:23
確かにイエスは、まぎれもない天才だったのでしょう。こうして、2000年
後の現代人であるむじんくんがファンになってしまうのも無理はないくらいの。
なにしろ、ユダヤ教を根底から書き換えてしまったわけですからね。それまで
イスラエル民族の守り神でしかなかったヤーウェ(エホバ?エロヒム?)を
すべての人間の神とした。それはたいへんに革命的なパラダインム・チェンジ
であったのでしょうね。イエスは、アインシュタインのようにそれまで通用して
いたパラダイムに革命的な書き換えを行なった人と言えましょう。でも、それは
確かにイエスの天才性を示してはいるが、そのことの教訓はそれと同じ意味の
事がまた出来うるかも知れないと、思わせることでしょうね。すなわち、また
誰か、天才的な人物があらわれて、圧倒的な世界観の書き換えをやってのけるかも
知れない・・・という希望です。超ひも理論とか、26次元の話がじつはそれで
ある・・・という意見もあるだろうけど、いかんせんそれはあまりに高度な
数学を使用しているがためにちょっと受けないだろうなあと思うのです。
マルクスも書き換えをやったけど、イエスほどには(まだ)成功していないよう
に見えますね。思うに、むじんくんが「観測」するほど、今の人たちは「ダメ」
と思っていなくて、むしろ科学技術の進歩に希望と好奇心をいだいているの
ではないでしょうか。つまり、「近代」や「資本主義」はまだ、ひとを失望させる
に至ってはいないのです。徹底的に失望すること無しには、むじんくんの「信仰」
には出番がないと思う。
>>808 > ・・・武力で侵略し、宗教を押しつけ、「物欲」を起こさせて支配する・・という
> キリスト教の「布教マニュアル」そのものであり、「物神崇拝」というキリスト教の「本質」を良く顕しております。
あはは。それは「ユダヤ陰謀史観」そのものですね。
今のイスラム問題は世界資本主義における最後のフロンティアとも言える地域の植民地問題だと思いますよ。
イスラム世界というのは、グローバル資本主義の「下流」に位置するわけで、そこでの矛盾を原理主義的な
発想によって吸い上げ利用しているわけです。アルカイダ成立の経緯などからも明らかでしょう。
昔、ハンチントンという学者がメディア受けする文化対立構造の本を出してましたけど、ああいう発想は全くの
間違いです。戦争が宗教的理由によって行われるということはまず無いわけで、必ず生活上の利害関係が
あるのです。
例えば日本だって、「天皇バンザイ、神風が吹く」とヒステリックに叫ぶようになったのは、日本が孤立して、
国内の生活をギリギリまで切り詰めなければ軍事面での維持が難しくなってきたためで、生活の貧困を
過剰な妄想によって誤魔化そうというものですね。そこでの宣伝が「誰」にとって都合がよいか、ということを
考えるべきです。
例えば、日本において所得格差が広がり、そこで「下流」となった人々がネット右翼的なものに絡め取られて
いく、というのはある階層の人々には非常に都合がよいのです。現実的問題を観念的にマスターベーション
して発散させてくれますし、本質的な問題とは関係の無いところへ敵意を向けてくれるからです。
>>834 > 確かにイエスは、まぎれもない天才だったのでしょう。
イエスは天才ではなくて神ですよ。天才的能力、つまり「卓越した人間的才能」は
逆に一切持ち合わせていないのです。
ちょっと流れちゃったので再度書きますが、近代的な自己意識の運動というのは我々の"時間"感覚、
直線的に前方へ流れる(そこには"成長"や"進歩"という発想がくっついてきます)というものと密接に
関連があると思いますが、物理学などで違った時間概念を提示しているということは無いんでしょうか。
というのは「必然論」という話の裏側には「将来が決定されている」という発想があるわけで、そこには
暗黙に直線的に前方に流れる「時間」というものが前提とされていると思うからです。そういう「時間」から
離れるならば、違った形での自由/必然論が可能かと思います。
839 :
シンプルな関係:2006/03/17(金) 09:49:26
それは、信仰の言説です。信仰の外部にいる私が、イエスは神である、
とは言えません。第一、神とは何でしょうか? 世界の創造主?
しかし、創造主がいたと何故、わかるのでしょうか? 旧約聖書?
あれは大勢の人間によって創り上げられた「世界の説明」のための
テキストなのです。その後、もっといろいろな説明があらわれて
中世的な世界が、近世的な世界に移り変わっていく事はご承知の通り
です。2000年の昔には、ダーウィンもガリレオもまだ、登場して
はおらず、人々は古代的な創生神話を頼りにするしかなかったです。
>>839 > それは、信仰の言説です。
そうなんですが、そこから離れたらイエスはただの人ですよ。
> 2000年の昔には、ダーウィンもガリレオもまだ、登場して
> はおらず、人々は古代的な創生神話を頼りにするしかなかったです。
しかし、楽園追放を初めとして、依然として人間がどのような存在かを意味づけているし、
その力は全く衰えていないのです。
私は近代科学というか、テクノロジーというものと宗教的世界観の関係は、政教分離の
発想と似ていると思います。それがどちらか片方によってもう片方を説明しようとすると
妙なことになるんじゃないでしょうか。原理主義とか、科学主義とか。科学者は生活
全般に対して「科学的」になることはできないわけですからね。
>>839 信仰の言説にどう対応するかというのは思想的には難問ですが、
それは信仰に過ぎないという指摘は批判としては無効と思われ。
カトリックの友人がいますが信仰をめぐる議論などしたことないw
むしろ世界観の内実を掘り下げて付き合う方が百万倍有益と思ってます。
842 :
素人:2006/03/17(金) 10:05:51
法話・説教でないなら、
信仰告白でなく互いに納得できる妥協点を探る意見交換であるなら、
信仰や教義の内部から、或いはそれを骨子として発言する場合は、
その適用範囲に対して慎重であるべきかと思う。
843 :
シンプルな関係:2006/03/17(金) 10:11:26
むじんくんの神、イエスはおそらく創造主とは別物でしょう。
そういう思想もありますよ。グノーシス主義です。その考えによると
世界の創造主は、デミウルゴスという存在なんだが、悪しき世界を
造ったというのですね。それで、それとは別の「異邦の神」が、
この世から、人類を救うためにイエスを遣わした、というのです。
つまり、旧約の神と新約の神はまるで別の存在だ、というのです。
マルキオーンの説ですね。それなりに説得力のありそうな説ですが
主流派になりつつあった、キリスト教によって完全に否定されてし
まいます。いわゆる、異端審問という奴です。むじんくんは忘れちゃった
かも知れないけど、キリスト教って、相当、権力者でしたよ。
相当どころか、ローマ法王は絶対的な権力を握ってたし。
>>843 それは違いますね。ニーチェも言っていますけど、キリスト教はユダヤ教の否定ではなくて、
まさしくユダヤ的精神の首尾一貫した、論理的にも継続した精神なのです。律法の破棄ではなく、
律法の完成のために現れたと。
宗教板いけ
846 :
シンプルな関係:2006/03/17(金) 10:28:33
では、わかりませんね。イエスが神であるなら、イエスが父と呼ぶ者
は何者なのか? やはり、どう考えても二人の神がいることになりま
せんか?
ユダヤ教のままだったら、世界宗教にはならなかったですよね。
民族中心主義を打ち破る、革命的な読み替えを行なったのであって
だから、宗教的天才だ、と言っているのです。ある意味、ユダヤ精神
の否定のうえで出て来たものですよ。
>>845 > 宗教板いけ
ここの幹事であられる機械殿は科学や哲学の内容的なものは興味ないようなのです(笑)。物理学的世界観から
反宗教、反観念論を唱えることが目的なのです。
>>846>>847 イエスは神の子であり、神そのものである。これが「三位一体」というものです。だから、複数はおりません。また、
民族から世界宗教へというのはその通りで、それはユダヤ的精神を民族から内面へ移行したということです。
宗教板いけ
久々
ちょっと私的トラブルで家庭のPCが使えなくなった
(ウィニーが原因ではない。今は漫喫からの書き込み)
とりあえず数日間は書き込めん
個人的にオススメの本があったので紹介する
『ウンコな議論』ハリー・G・フランクファート
俺が個人的に関心のある合理主義と非合理主義の問題について道徳哲学の立場から語っている
議論に参加する際に真実を語る義務はないが、真実を語ることを意識することは必要だ
「真実」の替わりに「誠実」という理念に帰依する行為を挙げ
「誠実さなんてもの自体がウンコ議論の屁理屈である」と言うあたりは痛快だ
>決定論
以前に自分で定義した言葉を使用するが
決定論はこの実在世界の外に超越的世界を想定している
俺は非決定論者の一人としてそのような「外部の宇宙」というものを想定していない
この宇宙は唯一無二でその外側に別の超越的世界などないと考えているということだ
ゲームの例を挙げる
ゲームの中のキャラクターとプレイヤー
ゲームの中は決定論的かもしれない
しかしゲームの外の世界は決定論的とは言えない(ゲームの中の時間で推し量ることができないのだから)
ここでゲームのキャラクターは決定論的な動きをするように見えるが
ラプラスの悪魔の立場となるプレイヤーの入力次第でどのような行動をとるかは変化する
これは超越的世界から見ればゲームがただひとつの未来を映し続けるとは限らないことを示す
ゲームの中の世界は超越的世界から見れば分岐がある
これは仮にわれわれが機械だとして人間の意思行動が決定していたとしても、
この世界そのものは非決定的であり、われわれは超越的世界からの偶然の入力(繰り返すが、超越的世界は内部世界とは時間軸が異なるらしい)
によって変化することを示す
これは決定論の言葉を正しいと仮定しても、
そこから非決定論を導き出すことに成功していると言えるのではないだろうか
851 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/17(金) 12:30:15
決定論議論 いかように決定論は可能か、不可能か(機械やン、ゾマホン)
メタ決定論議論 決定論の系譜学(フリーターくん)
決定論の心理学(ぴかぁ〜様)
852 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 12:30:15
>>850 非決定論は成立しない。
それは非決定ではなく、単に知らないだけだから。
決定論は否定する事が原理的に不可能。
>>850 超越世界からの入力は、入力を受けた方が偶然に見えるだけで、
超越世界からは必然の出力になる。従って、決定論の世界になる。
決定論の世界の中でも、非決定論に見える世界が作れるというのは既出。
>それは非決定ではなく、単に知らないだけだから。
何でそんなことがわかるの?
>量子論とアインシュタイン
アインシュタインは量子論に対して決定論を唱えて反対したのだろうか?
俺はこれはアインシュタインの言葉のミスだったのではないだろうか、と考えている
有名なシュレディンガーの猫という仮想実験がある
硫酸が落ちるしかけの箱に入れた猫の生死についての話だ
ここでアインシュタインは「猫の生死は箱のふたを開けて中を確認する前に決定している」と言ったらしい
さて、ではアインシュタインはどの時点で猫の生死が決定していることを主張したのだろうか?
決定論の主張では猫の生死は"ビッグバンの時点で"すでに決定していると主張することになる
ではアインシュタインも同じような主張をしたのだろうか?
俺はとてもそうは考えられない
ここでアインシュタインは次のようなことを言おうとしたのではないだろうか
「猫の生死はふたを開けて確認する以前に決定された状態で"存在する"」
こう考えるとつじつまが合う
われわれの常識では、猫の生死は硫酸がこぼれた瞬間に決定するのであり
猫を確認した時点で決定するのではない
だが、猫の生死が硫酸がこぼれた時点で決定したとしても、それは非決定論にとって何の不都合もない
非決定論の主張は(この現実世界で実験したとして)硫酸がこぼれるかどうかはあくまでも偶然によるということにある
(この仮想実験では硫酸がいつこぼれるかはランダムに設定されている)
結論を言おう
決定論と実在論は必ずしも分離不可能な理論ではない
実在論を認めてもなお非決定論を認める余地はある
これはアインシュタインの立場が必ずしも決定論の立場になるというわけではない
現代の量子論の成果ではアインシュタインが間違っておりボーアがの方が有力らしいが
それもまた非決定論を主張する材料にはならない
量子論の問題は決定論ではなく「決定された存在」すなわち実在論についての論争であり
形而上学的決定論は科学が扱う問題よりさらに彼方にある
856 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/17(金) 12:36:00
>>850 ゾマホンってこんなレベル低かったか・・・
メキシコ万歳!ニッポンガンバ!
857 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 12:37:16
>>854 わからないというのは、知らないだけだから
858 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 12:39:40
>>855 >非決定論を認める余地はある
ない。はじめから非決定論など成立しようがない。
知らないだけなのだから、その手のは性格には、不完全予測論と呼ぶべき。
>>853 なるほど、内部世界から見たら超越的世界からの入力は決定的に見えるのかもしれない
問題は超越的世界は決定しているのかそうでないのか
つまり「超越的世界において内在した法則があるのか」ということにある
仮に超越的世界において決定論のような法則を認めるならば
超越的世界の上にさらなる世界「超越的超越的世界」を認めなければならない
ラプラスの悪魔の行動を計算する「ラプラスの悪魔のラプラスの悪魔」のように。
これは決定論によって描き出されるモデルはどこかに決定論ではない世界を想定せざるをえないということだ
たしかに、そのような"彼岸"はどこかにあるのかもしれない
だが、俺はこの世界は唯一無二、ただ一つだけであると考えている
「世界」「宇宙」という言葉を使用する時、その外に別の世界や別の宇宙を想定していない
861 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 12:44:24
外部など想定しなくても決定論は成り立つよ
原因があるから結果があるという当たり前の世界を否定するのは
非合理的な考え方じゃないのか?
観念を語るのも良い、宗教を語るのも良い、それは決定的な世界に色を加える人間の力だ
決定論を認めた上で、改めて語る世界の方がおれは魅力的に感じる
非決定的な世界なんて恐ろしいよ
人間が人間でなくなると一緒じゃないか・・・
決定論は観念的であるが、最も理に適った理論だよ
>>860 >これは決定論によって描き出されるモデルはどこかに決定論ではない世界を想定せざるをえないということだ
全く逆です。そのように非決定論のモデルの世界が連なったとしても、
どこかに決定論の世界が入ったら、それ以降は非決定論に見えるだけの決定論の世界になるってことです。
決定論でない世界を想定せざるを得ないなどということはありません。
決定論だけのモデルで世界は作れます。
>>860 >俺はこの世界は唯一無二、ただ一つだけであると考えている
>「世界」「宇宙」という言葉を使用する時、その外に別の世界や別の宇宙を想定していない
大地や太陽や銀河が唯一ではなかったように、同じようなものが無数にあると考えるほうが合理的だと思います。
>>861 素朴には非決定論だけどね。
マジに決定論と考えるやつがいたら怖い。
>>861 >原因があるから結果があるという当たり前の世界を否定するのは
>非合理的な考え方じゃないのか?
ヒュームぐらい読めよ
結果に対して必ず原因があるのだろうか
仮に原因があったっとして、それは結果と一対一関係なのだろうか
複数の原因が絡み合って複数の結果を招くとき
それは「未来が一つに決定している」とはすでに言えないのではないだろうか?
確かに未来はただ一つとしてしか現れないが、ただ一つとしてしか現れないから未来はすでに前もって一つに決定していると言えるのだろうか?
それは「観察されてはじめて存在が決定している」と主張する立場と告示しており
アインシュタインが科学者の良心から反対意見を唱える立場になるのではないだろうか
>>862 決定論+非決定論→非決定論
われわれは決定論をあくまでもモデルとしてしか組めない
この現実(歴史)が決定している例を挙げた奴はいない
決定論の主張は「歴史は決定している」ということだろう
また、非決定の中で決定された世界をつくることは可能だ
以前に別の人が挙げた例で言えば、詰め将棋は非決定的なゲームの中でつくられた決定論的ゲームだ
866 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 12:55:22
>>864 非決定論は成立しないよ。
非決定なものというのは、結局知らないだけで、
非決定であることを知っているわけではないから。
人間には決定できないという意味で非決定なだけ。
結局、知らない要因によって、未来が勝手に決められてしまう。
>>863 世界が仮に複数あったとしよう
世界Aと世界B
ここでわれわれの住む世界Aとそれとは異なる世界Bがともに決定していたとしよう
こんなことは非決定論者だろうと簡単に認められる
では世界Aと世界Bが同じ次元に存在する宇宙、これを「ピカ」と名づけよう
非決定論は「世界A、世界Bはそれぞれ決定しているかもしれないが、ピカは決定していない」と主張すればいい
非決定論が主張する非決定性はこの世界すなわち唯一無二の歴史の非決定性を主張しているのであり
「世界」という言葉の示す範囲を変えたところで非決定論の主張する内容を批判したことにはならない
>>865 >結果に対して必ず原因があるのだろうか
あります。
>複数の原因が絡み合って複数の結果を招くとき
>それは「未来が一つに決定している」とはすでに言えないのではないだろうか?
決定しているといえます。複数の原因が絡み合った状態で、ある一つの状態です。
>確かに未来はただ一つとしてしか現れないが、
>ただ一つとしてしか現れないから未来はすでに前もって一つに決定していると言えるのだろうか?
言えます。
>詰め将棋は非決定的なゲームの中でつくられた決定論的ゲームだ
将棋は決定論的ゲームです。
869 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 13:01:03
>>867 非決定性はそもそも主張できません。単に原因を知らないと自爆しているだけだから。
ランダムというものが無いように、非決定なるものを作り出すロジックは存在しません。
>>868 >将棋は決定論的ゲームです。
将棋が決定論的ゲームならば長考も封じ手も必要なかろう
決定論が原理的に反駁不可能であることは否定しない
また、それゆえに決定論は批判に耐えられないと俺は考える
さて、そろそろ休みも終わりだし落ちる
871 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/17(金) 13:02:11
>>866 知らないってこと、決定か、非決定か、知らないのだから、
非決定論も決定論も成立しない。
結局、わからない、って言っているだけでしょ。
>>870 >将棋が決定論的ゲームならば長考も封じ手も必要なかろう
あまりにも考えが浅いです。
無限の計算量があれば、必勝パターンが見つかります。
874 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/17(金) 13:09:37
>>873 では、要点をまとめてください。
中身がないなら、これで終わりにします。では。
875 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 13:14:16
>>865 ヒュームって読んだ事ないんだけれど、どれを読んだらいいのか教えて
原因と結果が複数に絡み合っていたとしても、それは当たり前なんじゃないかとおれは思うんだが
我々人類が時間を一方向にしか認識し得ないのに、
未来が1つに決定してないって考えるのは矛盾を感じるよ
上下反転で宙吊りになるような不安を感じさせるなぁ・・・
バミューダトライアングル!
なんでSYNはこんなにかたくななんだろう。
非決定論だと、何か困ることでもあるのか。
いや、春休みに湧いた厨だろ
879 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 17:09:53
つーか、決定論者が決定論を主張するのは当たり前。
別に決定論に矛盾や問題があるわけでもない。
非決定論者が放置できないのは、決定論だと何か困る事があるのだろうか。
決定論でも非決定論でも、世界が変わるわけではないのだから、
好きな方を信仰していればいいだろうに。アンチが沸くのは不思議だ。
880 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 19:11:51
いやいや、世界は変るんじゃよ
「己の欲するところに従いて則を超えず」と言いますが、決定論/非決定論というのはこの辺の
ことと関連すると思います。決定されているから自由ではないかというと、そうではないですね。
ところが、そういった話から離れて「決定されてるんだよ!」というのは、つまり科学的世界観を
生活の場に持ち込もうというのは、ある動機があると考えざるをえません。
882 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/17(金) 20:20:28
>>881さん
>科学的世界観を生活の場に持ち込もうというのは
たしかに、無関係ではないけれども、かけ離れてはいますね。
機械氏がさかんに言うところの「自己欺瞞」というものが、物理的必然論を意思の問題へ
持ちこむことにもあると思います。意思が「決定されていたい」という願望は結構誰もが
持つんじゃないでしょうか。
更に、その必然的意思なるものを知ることができるという発想が出てきます。ここまで行くと
完全な論理のすり替え、誤謬以外の何ものでもないわけですが、人間には所与の本能の
ようなものがある、とする「自然主義者」というのはこれまた結構いるわけです。
機械氏は一神教信者を「自分が信じるものが絶対正しいと思い込む狂った連中」とするわけですが、
皮肉にも本能論のようなものをとなえる人々は「自分が思うことはとにかく正しい」という、夜郎自大の
発想なのです。そして、これは人間の持つ欲求から来るところの「自己欺瞞」であることは明らかです。
884 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/17(金) 20:37:45
>>833 自己言及的ですね。そして純粋な否定神学の形態がある。
ボクに影響されすぎでは。間違った形で、ですが。(笑)
もう少し言えば、機械氏の人間観は「性善説」です。ユダヤ教系の宗教は言うまでもなく「性悪説」ですね。
機械氏の本能論と超越的価値を信じることの違いは、ある行為に対して、例えば殺人に対して「悪」だと
考えるのが一神教であり、「仕方ねぇだろ」というのが本能論者です。どんな発想、どんな行為も「成るべくして
なった」というのが本能論者、必然論を人間の意志に持ち込む人々の発想であり、とどのつまり言いたいことは
「俺って結構いいよね」という、精神的に出来損なった部分、自己に対する慰みの言葉なのです。
>>884 これは私に対するレスですか?困った人ですね。どこまでも専売特許であることを
主張するとは(笑)。
887 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/17(金) 22:24:44
>>886 ネタ(機械)にマジレスかっこわるーい(笑)
888 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 22:30:24
自分で餌しかけてメタ取りした気分になってりゃ世話ねえわw
痛い子だよ
889 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/17(金) 22:33:03
>>887 > ネタ(機械)にマジレスかっこわるーい(笑)
ピカ氏のポストモダンとは「粋」ってことですね。私はモダニストなので常に真面目です。
そういえば九鬼周造の「粋の構造」ってありましたが、あれは面白いんですかね。家にあります。
全く手をつけないで。
891 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/17(金) 23:19:23
>>883 >機械氏がさかんに言うところの「自己欺瞞」というものが、物理的必然論を意思の問題へ
>持ちこむことにもあると思います。意思が「決定されていたい」という願望は結構誰もが
>持つんじゃないでしょうか。
「ある意味」ではそうですね。
「自由」は「平等」「博愛」と共に「近代以降における(アプリオリ)3大価値」の一つです。
・・近代以降の「欧米思想」は基本的にその価値観は「正しい」とします。
しかし、『自由からの逃走』という社会学者リースマンの著書もありますし、現実に「全体主義」
「ファシズム」は(日本の)「軍国主義」は、「自由な発想」を「没価値」として否定しました。
・・・どちらが正しいのでしょうか?
カラマーゾフの兄弟の中で「キリストと大審問官の議論」というシーンがあります。
「人間の自由を尊重したい」とするキリストに対して、大審問官は「それ(真の自由)はごく一部
の強い人間」だけが望むものであり、「大多数の(愚かな)大衆」は「自由」など本当は望んでいない
・・・かっらが本当に「望むもの」は、実は「権威による強制」なのだ・・と言っております。
そういう意味で、あなたが「自分は所詮弱い者だから『自由思考』を止めて『聖書』に帰依しよう」
と考えた「選択」は、別に「非難されるものではない」のです。
ただ、「人間という『動物』の(心の)弱さを弱さとして認めただけ」でなのです。
・・・それは「自己欺瞞しなれば生きていけない」・・「現実の人間」の姿なのです。
・・そして・・「観念論者さんたち」全員・・「同じこと」なのです。
892 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/17(金) 23:37:49
>>861 >決定論は観念的であるが、最も理に適った理論だよ
最新(と言ってもこの50年以上)「理論物理学(量子論+宇宙論)」が、
「決定論」を明示しているのですから、「最も『観念(論)的ではない』理論」
・・・と言うべきです。
要するに・・文科系の方が「(自然科学に対して)不感症に陥っている」だけです。
>>891 > ・・そして・・「観念論者さんたち」全員・・「同じこと」なのです。
機械さんは部屋で物理的世界に耽っているときは自由な精神で、外に出ると価値相対主義で
何でもYesマンという理解で正しいでしょうか。
894 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/17(金) 23:55:59
>>892機械さん
量子論・宇宙論
私から見ればとても観念論に近いのですが。
895 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/18(土) 00:04:03
>>893 そうですか「外に出ると」人間(の態度)は「変わるはず」・・という
「むじんさん的大前提」があるわけですか?
・・この国(日本)では「内と外」を画然と(無前提:アプリオリ)に「区別」
することは「常識」だったのですね?
・・勿論、私も「社会生活」を送っている訳ですから、他人が「観念論思想」のもとに、
「無駄なごたく」を延々と述べ続けても「まったくもって、そうですよねぇ!本当にけしからん!」
くらいの「相づち」を打つことはします。・・そういう意味では「大衆」には「何らかの観念論」
が(「生きる」為に)必要である・・ということは理解しております。
・・しかし「そのこと」と哲学=「真理の探究」は「別のこと」です。
ご参考までに「大審問官」の一部分(ネットで検索)を下記に「ペースト」します。
結局、彼らは自分の自由をわれわれの足もとに投げ出して、《わたくしどもを奴隷に
なすってもかまいませんから、どうか食べ物をください》というようになるだろう。
つまり、自由とパンはいかなる人間にとっても、両立しがたいことを、彼らはみずから
悟るだろう。
>>895 > そうですか「外に出ると」人間(の態度)は「変わるはず」・・という
> 「むじんさん的大前提」があるわけですか?
機械さんは「絶対的価値」を掲げる一神教徒と違って、何もその手のものは持ち合わせないの
ですよね。部屋の中で必然的世界を撫で回して自由な自分を愛でてるわけですが、外では
思いっきり不自由精神になりませんか。
> ・・しかし「そのこと」と哲学=「真理の探究」は「別のこと」です。
あはは。哲学が真理探究っていうのが面白いです。
897 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/18(土) 00:22:10
>>894 それは「自然科学」とは何であるか?をご存知ないからだと思います。
デモクリトス、アルキメデス、ガリレオ、ニュートン・・・の系譜・・が、
「キリスト教をはじめとする宗教の権威」要するに「観念論の牙城」に「異議を唱続けた」
結果、・・・「近代西欧思想」が成立したのであり、今の我々が浴している「現代文明」は、
「唯物論が観念論の横暴を止めた」・・ことに「その成立原因の全て」があるのです。
そういう「(真の)歴史の勉強」・・をする「機関」は未だ存在しませんので、「独力で勉強」
する以外・・方法はありません。
・・でも「当たり前のこと」なのですが、「哲学」とは「権威ある『哲学者』の論文の解釈」では「ない」
のです。「哲学」とは・・・要するに「自分の『頭』で考えること」なのです。
意識は必然だとしてもその絶対に未来は分からないんだから結果的に必然ではない事と同義って事だよね?
899 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/18(土) 00:27:33
>>896 >あはは。哲学が真理探究っていうのが面白いです
そうなのでしょうね。「真理」の重みに耐えかねて『聖書という権威』に、
「全人性を委ねることにした」むじんさんには、緊急を要する「安心立命」の替わりに
「真理探究」を諦める・・という選択肢しかなかったのですから・・しょうがないですよ。
>>899 機械さんは引用した大審問官を語ったイヴァン派なんですか?ロシア的おばかさんのアリョーシャに
ついてはどういうご感想なんでしょうか。
901 :
「機械的者」 ◆J3UyF54mnw :2006/03/18(土) 00:45:39
>>899 大審問官が言っている「大衆は自由など望んでいない」という説は、
「大衆は『自由な探求によって真理を見つけ出す』ことなど望んでいない」
・・要するに「大衆は『安心安全』を得られるなら『真理』など「自己欺瞞」」で
ごまかしておくほうが「よほど有り難い」訳である・・・ということです。
あなた(をはじめとした「観念論者(宗教者)」さん達」は、結局(大衆と)
「同じ穴の狢」であり、それを(多数決を至上とする「天下の民主主義」)と思い込んでいる
だけのことなのです。
>>901 こういうことを真顔で言われても困るよな。
ネタか本気かわからんが、本人はどうもマジっぽい。
やっぱ天然?
神がいないって言うのは後ろめたいとこあるのでは?
ないならなぜ否定しなければないか分からない。
まぁ、俺はこの世界を完成させてから、地獄にでも暇つぶしに行ってみるけど。
904 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/18(土) 01:02:10
>>901 は「昔の名前(いつ使ったのか記憶はないのですが)」でした。
「『特に』深い意味」等はぜーんぜん全くありません。
905 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 01:12:02
確かにメキシコがアメリカに勝ったと
聞いたときには神の存在を感じたな。
>>901 アリョーシャはその点大衆ではありませんね。また、彼は自由です。観念的には神の意思に
従おうとし、現実の世界では自由なのですね。
機械氏は観念的には自由ですが、現実の世界では大衆ですね(笑)。
907 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/18(土) 01:13:43
>>902 >こういうことを真顔で言われても困るよな
確かに「困る」であろう事は非常によく理解できます。でも「酒席」で言われれば
『結論が変わる』わけではありません。
「観念論的『自我の告白』」を真顔で言われ、「はいそのとおりですね」
・・と「心にもないおべんちゃら」を繰り返してきた『真理』=「機械的唯物論」
を「唯一の真理」として提唱する者達は、みなさん「真顔」であることに気づいておられない
だけのことです。
「観念論」「神学」の「うさんくささ」は彼らの「金銭的あるいは権力的」欲求に「直接結びつかない」
のですが、・・所詮「それら」のほうが『「天秤」では「重くなる」』・・という、
「物理学ではあり得ない現象」がまかり通る・・「世界」なのです。
908 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/18(土) 01:19:15
>>907機械さん
>心にもないおべんちゃら
それを発するのは「こころ」ではないでしょうか。
>>907 「大衆」って、本気で自分はそうじゃないと思う?
それは自分が「真理」を探求してるから?
910 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/18(土) 01:57:11
>>909 難しい問題ですね。
スポーツクラブでジャクージを占領しつつ「(本当に)どうでもいい」ことを
「ぺらぺらぺちゃくちゃ」しゃべって、いっそう「丸太度」を増して帰る「おばちゃん達」
とは「まともな会話」は(自分には)「不可能」だと思います。
・・しかし「自分の発言の影響力」を「知っている」あまり、「木で鼻を括った」態度
でしか「回答」しない・・・「上級国家公務員さん達」とも「腹を割った会話」はできない・・
・・・要するに「同病相憐れむ」会話が、実は「最高なコミュニケーション」だったりするものです。
・・彼らは「殆ど」が「大衆」です・・が、幸か不幸か「友人の一部」には
@本当に「大衆でない人」と
A「大衆であることに甘んじることは自尊心が許さない」人
が何人か居ます。
・・・実は@が時にAんになったり、その逆であったりするので「結構判別は難しい」
・・・というところです。
人間とそれ以外の生物の差異は、どこにあるのか?
912 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/18(土) 02:10:09
>>908 「おべんちゃら」は、「どれだけ完成に近づいたおべんちゃらであったか?」
・・という「判断基準」において、「まだ未熟であった」・・と感得することの方が多いです。
要するに。私は「営業マンには向いていない」のですが・・それが「マイナス要素」
だとは思いません。
「逆の言い方」・・をすれば「営業マン程度で落ち着く能力ではない」・・ということです。
まだ動いてる。
「風が吹けば桶屋が儲かる」
桶屋が儲かる可能性は高いけど、そうならないかも知れない、が非決定論。
>>861,
>>868は「非決定論だと風という概念が存在し得るかすらわからんし、桶屋っていったい何者だ?という世界だろ?」という論旨。
決定論とは「風は必ず吹かなければならないし、桶屋が儲かることはビッグ・バンから決まっていた。そしてそれは10万光年離れた惑星の電子の状態ベクトルとも関係している。」ということ。
変だろ?w
915 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 12:29:02
>>914 一般論と、ある一つの具体的な出来事との
違いはどう考えているんだ? 教えてくれ。
>>912 > 「逆の言い方」・・をすれば「営業マン程度で落ち着く能力ではない」・・ということです。
面白い・・・(笑)。
それはともかく、機械氏の主張が大体分かってきました。「大衆」とは何かというと、それは職業のような人に
対する分類ではなくて、近代社会内部の人間集団に湧き上がる空気であり、それは機械氏の言葉でいうならば
現代社会の「観念論」なわけですね。
「大衆」とは近代に入って統一的な価値が蒸発した後に出てきた「否定的な空気」であり、以前も書いたように
誰もが本心では信じてないが、皆が信じているとお互いが思うことで成立してしまう空虚な何かです。
そういった「観念論」を成立させているテクノロジーがマスメディアであり、近代的大衆は「新聞的なもの」が
なければ成立しません。機械氏が一神教信者も大衆も同じ穴の狢だというのは、"昔の聖書は今の新聞である"
ということでしょう。
実際、ルターがドイツにおいて成した決定的な"宗教改革"とは、ラテン語だった聖書を自国語に翻訳したことであり、
近代国家成立による国語教育と合わさることで一般人が聖書を直接読めるようになったことです。つまり、もはや
人々は教会に行って神父に告白をする必要がなくなったわけです。そして、現代の大衆は新聞やテレビを聖書の
代わりにしてるんだよ、というのが機械氏の言っていることでしょう。
>>912 しかし、そういった「新聞的なもの」は空疎な観念でしかなく、そこから離れた認識というものがある。そして、現代において
「新聞的なもの」による意味づけを剥ぎ取った世界というものは、即ちそれは物理的な、ただ単にそこに転がっている「物」の
世界だということになる。世界も自己も同一レベルに在る「物」であり、そこに対して物理的法則以外の色づけを行うのは、
結局「新聞的なもの」による自己欺瞞、つかの間の慰みでしかないのだと。
ドストエフスキーの「大審問官」も似たような視点からかかれてますね。過去の人間が行った悲惨な行為というものを、ただ単に
物理的必然として受け入れるけれども、それが将来の神の国のためなどという発想は認めないのだと。
しかし、アリョーシャって出てきますね。「信仰」とは何かを描こうとしてドストエフスキーが登場させた人物です。イヴァンは
自殺してしまうわけですけど、結局「物」の世界を凝視して生きるということは自家撞着に至ります。ウロボロスの輪の運動
というのは、それ自体が矛盾ですから、突き詰めていけば破綻するのです。それに対して、アリョーシャという、ロシア的な
おばかさんを出してきているわけです。
「信仰」とは自分自身を規定するための、或いは自分自身を慰めるための道具として聖書に帰依するということとは違うのです。
そういった方向性とはまさしく逆向きの精神的行為なのです。「新聞的なもの」にすがるのは狡猾な行為であり、自己自身を
守る行為ですが、「信仰」とはアリョーシャ的な、ある種の「愚かさ」を選ぶことであり、自己自身を放棄することなのです。
>>917 長文、ごくろうさん。
しかし、機械には絶対に伝わらないw
919 :
シンプルな関係:2006/03/18(土) 15:23:03
>>むじんくんへ
三位一体というのは、ローマン・カトリック教会の採用した教義ですよね。
グノーシス派などの異端諸勢力が脅威になってきたので、それに対抗する
ために編み出さざるを得なかったのが、三位一体という「教義」です。
そんなこと、イエスが主張していますか? この三位一体というじつはよく
わからない理屈をキリスト教の中核にすえてしまったのがカトリックです。
これは、例のフィルター=それ以上余計なことを考えないための防護柵、
であり、あたらしく導入されたゲームのルールなんですね。イエス自体は
神の子である、とは言っているが、けっして自分自身が神であるなどとは
思ってもいなかったでしょう。だから、イエスが神だというのはカトリック
教会がはじめた「嘘」であり、本来、プロテスタントであるはずの
キルケゴールまでもが、その「嘘」にひっかかってイエス御本人が神である
などと言ってしまったわけなんですよ。そして、キルケゴールを呼んだ
むじんくんが、それを鵜呑みにすると・・・そういう事になってしまったん
です。
920 :
シンプルな関係:2006/03/18(土) 15:34:44
イエスが「自分は神の子だ」という意味はおそらく自分だけが特別
そうだと主張しているわけではなくて、本来、人間はすべて神の御子
であるのだが、それが忘却されてしまっている。自分は目が覚めて
その事に気がつくことが出来た・・・というぐらいの意味なのだと
思います。イエスのいう信仰とは、忘れていたことを思い出すという
意味だと思いますね。
誰だって「バチがあたるかもしれない」という「無意識的な恐れ」がある筈なのに、
無神論だの唯物論だの言っている奴はけっして釈迦の掌からは逃れることもできない
哀れな道化師みたいだ。
このスレ、今夜中に落ちたら、むじんくんの返事が読めなくなって
困るな・・。どうせ、また続きが立つだろうから、そこで答えても
らえるといいのだが・・。あるいは、機械氏がスレ違いだというなら
キルケゴール・スレあたりに議論の場を移してもいいのだが。
>>914のアンカー訂正
>>868→
>>869 >>915 一般論は、マクロ的に多くの事例に共通する部分に関して論じる。
各出来事の内には、一般論からずれちゃう例外もある。ってとこでどうかな?亀レス、スマン。
>>919>>920 三位一体というのは、唯一神というところから出てきたものですね。我々の目から見える現象としては
イエスは神が肉体を持って現れたということになりますが、それは同時に神そのものと同一なのです。
グノーシスが、というような話は色々あるそうですけど、唯一神というところから考えたら当たり前の
ことですし、基本的にキリスト教としては「イエスの自意識」というものは考えないのです。自分が
神だと思っていた、ということではなく、端的に神であった。内面の奥深くに神的なものを掘り出した
天才としてのイエスではなく、絶対的な表面的事件として、端的に神だったと考えるのがキリスト教
信仰というものです。それはキリスト教徒の言い草だと言われるのはわかりますが、まずはそういう
ことがあります。
更に、哲学レベルでの話として、キリスト教信仰というものがイエスを神的な内面を発掘した天才、という
前提から成立するだろうかというと、絶対にしないのです。もっといえば、キリスト教による罪の救いという
ものは、イエスを神と考えることによってこそ成立する。キルケゴールはそこを「無限の質的差異」と言う
わけですけど、「神として信仰するのかしないのか」という選択がなければ信仰は成立しません。信仰は
自己放棄であり、もしイエスが神的内面を発見した人間であるとするならば、自己放棄ではなくて人間的
理解の対象になる。それだと信仰には入ることに全くならないのです。
そういう点でキリスト教はロマン派的思考と一線を画しており、むしろ機械氏の考える人間観に近いのです。
内面を掘り下げると水が沸いてくるのではなくて、どんどん枯れ果てていくのです。
ココの連中、馬鹿じゃねえの、
論ずるに値しないよw
>>926 おまえよりマシw住人の大半はスルーしてるような気が。レス数少な過ぎ。
非決定を決定的事実にする装置。
言ってみりゃ。非決定が決定的事実として流通する世界なら、
それを元にルールを作るだけ。惰眠を貪るとか、ハード芸するとか。
いわば裏社会のルールにしてツールにしてルーツにして流通。
>925
疎外論だね。
930 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:57:01
>>925 >内面を掘り下げると水が沸いてくるのではなくて、
>どんどん枯れ果てていくのです。
むじんくんだと、それはマルクスの疎外論理解に
結びつくのだろうね。どんどん枯れ果てていくのは
資本(神)に生産物を分捕られるからで、これを取り返せば
いい、という結論になるのでしょ?
931 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:11:53
>>むじんくん、練馬大根、シンプル、名無し
内面クリチュールの形而上思想がエクリチュールのゼロ度なのだけど、
蓋然性の志向性からするとバルト思想のロランとも通低するところ
がある。しかし、クリエの自己同一性が示すシニフレッゾの問題は
どう解決するのだろう。
>>930 取り返すという表現はよく分かりませんね。方向転換をするということです。ヴィトゲンシュタインが
いうように、絵に描いたドアを開けようと悪戦苦闘しているのに、後ろのドアが開け放たれているわけです。
933 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:41:38
>>932 むじんくん。
>ヴィトゲンシュタイン
これはね、アメリカの影響からね、だって弟子がね。
「ウ」ィトゲンシュタインと言うのが主流みたいだよ。
むじんくんは西部劇は好きかな?
934 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:43:23
>>932 むじんくん。
むじんくんは粉たまごは好きかな?
935 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:47:32
>>932 生産物が生産者である労働者から疎外される。
「マルクス主義」はこの疎外の要因を資本に求める。
資本を無くし、生産手段を労働者が共有すれば疎外は
解消される。
だから、「奪われたもの(生産物)を取り返す(生産手段の
奪取=革命)」
むじんくん。
むじんくんはアンコ玉は好きかな?
936 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:50:53
むじんくん。
トラテンバッハの連中は悪党です。
937 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:57:09
むじんくん。
むじんくんは片腕のピアニストは好きかな?
938 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:59:09
むじんくん。
むじんくんはこの無意味なスレ消費は好きかな?
939 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 22:14:07
>>938 私はやさし〜〜〜〜。
解説しましょう。
>>933 ウィトゲンシュタインはケンブリッジでの研究(講義)の後、
自分の言った事に対する精神的負荷を解消するため弟子をさそって
アメリカの西部劇映画をむさぼるように見たのでした。
‐続く‐
940 :
素人:2006/03/19(日) 22:31:53
>>939 あと60、
埋めるならさっさと埋めろやw
ヘタレがwww
941 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/20(月) 00:20:04
>>917 >「信仰」とはアリョーシャ的な、ある種の「愚かさ」を選ぶことであり、自己自身を放棄することなのです
しかし「近代(以降に人間の「脳」に芽生えた)的自我」は、「『おばかさん』であることからの脱出の試み」
なのです。
言い替えれば、「キリスト教『エピステーメー』から脱出の試み」なのです。・・一方「鬼っ子:自然科学」
の方は「とっくに『親であるキリスト教』を否定している(殺してしまった)」・・という「事実」があるだけです。
「むじんさん」に必要なのは「観念論の更なる勉強」ではなくて、「自然科学の(初級の)勉強」なのです。
勇気?を出して「宗教的世界観」に粘着することを止め、「科学的世界観(真理)」について、学習を始めるべきです。
・・(むじんさんの「個体発生的」に言うとしても)今からでも「遅くはありません」・・たぶん・・。
>>941 > しかし「近代(以降に人間の「脳」に芽生えた)的自我」は、「『おばかさん』であることからの脱出の試み」
> なのです。
しかし、その行き着く先は「おばかさん」になることのようですよ。賢さはソ連崩壊で否定されましたね。
実際、ドストエフスキーがあのような無神論に関して語るのは、社会主義を想定しているわけです。
閑話休題:はじめの一歩、完全将棋は存在するか?
1. 勝利が確定した状態は存在する。(ゲーム終了)
2. 1の状態に至るひとつ前の手、X1は存在する。
3. 2の状態に至るひとつ前の手、X2は存在する。
このようにさかのぼって行けば、
「勝利を決定する、最初の一手は存在する。」
さて諸君、この証明は正しいでしょうか?
945 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 10:36:03
>>944 完全な引き分け、または、無限ループがなければ、
最初の一手どころか、先手後手で勝負が決まる。
946 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 10:37:26
>>944 ちなみにその証明は間違っている。
その勝利状態が最善の手による勝利とは限らないから。
947 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 10:53:21
>>944 わざわざ相手の勝利が確定した状態にさせる手を指す阿呆はいないが。
素朴に考えて、物理法則をいかに極め尽くしても、将棋のルールを知らないと
将棋の駒の動きは予測できないと思うのですが、どうでしょうか。
物理法則から将棋のルールを導き出すことも無理だと思います。
949 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 11:07:42
>>948 >素朴に考えて、物理法則をいかに極め尽くしても、将棋のルールを知らないと
>将棋の駒の動きは予測できないと思うのですが、どうでしょうか。
その通り。予測できないだけ。ただ必勝または不敗パターンは存在します。
>>949 そうなのですか。「香車一枚でも落とすと必勝法が存在する」という
話は聞いたことがありますが(それもどういうものだかよくわかりません)。
951 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 11:20:11
将棋が非決定的なゲームである=先手・後手のどちらにも必勝戦略が
存在しないことは、証明されているんじゃなかったか?
952 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 11:39:18
>>951 将棋は決定的なゲーム。
証明以前にあまりにも明確なことだが、
この程度のこともわからん奴がこのスレには多いのか?