◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない54◆
1 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
2 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:01:48
相変わらず最後の3行とそれまでの関連が不明だなw
3 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:01:55
機械はクオリアが判ってない気がする
4 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/08(水) 23:10:54
>>980 >もっと簡単に言えば、ただの刹那的感覚。
>これをニューロン活動として説明するのはかなり難解でしょう。
>脳がその一瞬で感じた感覚=クオリア
確かに「ニューロン活動(の経過)として説明する」ことは難しいでしょうね。
「新生児を受精卵(の分裂の経過)で説明する」のが「難しい」のと同様です。
しかし「受精卵(1個の細胞)」から新生児が「出来る」ことは、
誰も疑いません。
同様に「ニューロン活動」が人間の脳内にも存在することは、
誰も疑わないのに、何故かその「ニューロン活動」で意識が形成される
という・・・明白な事実からは(無意識に自己欺瞞して)「目を逸らそうと」します。
・・それが「観念論」・・言い替えると「宗教への(逃避)衝動」です。
クオリアはNGワード推奨
6 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:19:36
多分半分以上見えないw
7 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/08(水) 23:20:34
>>5 物質的存在より「先行して」観念が存在する・・・という「観念論の信念」に
とっては「脳という物質内に跳梁する物理現象」の帰結「脳内スクリーンに
映る『クオリア』」という概念自体・・・「苛立たしい『存在』」なのでしょうね?
8 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:40:20
議論はもう尽きたんじゃないの?
意識の領域では全て必然であり、モノの領域では全て必然であって、
人間はアンチノミーを克服できないんですよ。「できない」というのが
重要ね。「なぜ『できない』のか」という問題設定はできないのですよ。
逆ですよ逆。アンチノミーを抱え込むモノが人間なんです。終わり。
9 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:41:09
>>8 大間違い
>意識の領域では全て必然
意識の領域では自由
10 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:53:42
>>1 最近、このスレに参加したので、過去にどんな対話が行なわれたのか
知りません。重複していたら許して欲しい。
まず、基本的な質問。脳が物質である、という意味がわかりません。
「死んだ」脳は、そう言えるかもしれません。これとて、異論がある
でしょうが。
活動している脳を“物質”という言葉で表現できるかどうか。そもそも、
あなたの“物質”の定義は何ですか。
物質は法則に従う、これもそう簡単にはいえませんが、一応、そうだと
しましょう。ただし、法則=必然ではないはずです。法則は科学という
視点から紡ぎだされた一つの物語にすぎず、物自体“存在”の説明には
なりえていないからです。
全宗教的観念論は、たぷん徒労なのでしょう。それらは、所詮、物語だ
から。同じように“機械的唯物論”も徒労でない保証はないでしょう。
ちなみに、ここに色々な論者が登場しますが、あえていえば、あなたの
賛同者です。あえて、異論を述べてみました。
11 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/09(木) 00:11:30
>>10 >活動している脳を“物質”という言葉で表現できるかどうか。
「(大脳)生理学」や「(脳外科学等の)医学」では「生きている脳」が、「(科)学の対象」
ですし、「解剖学」や「(検死解剖学等の)医学」では「死んでいる脳」が、「(科)学の対象」
となります。
「放射線医学」では「生きた脳」も「死んだ脳」も「静止画」撮影しますし、脳の血流が
見たい時などは「CRT」等で、生きた脳の活動である「血流状態」を観測します。
しかし「死んだ脳」を観測するのは、「生きている脳」の(自律的)活動状態を(生理連鎖反応の消滅)
という「死(という状態に至らしめた)」原因を解明し、以後の「死にそうな脳」を治療する「目的」が
あるためです。
申し上げるまでもなく、「意識」は生きている脳だけに内在するのであり、「死んで代謝を止めた脳」
には「意識がない」・・・ことは自明です。
「魂が脳から抜けて天(国)に昇る」というのは残念ながら、「フランダースの犬」等々の「童話の世界」
であり、真剣にそれを「信じる」ことは「科学を放棄すること」要するに「宗教に帰依すること」なのです。
・・・「真理」よりも「天国への昇天」を信じた方が「幸せ」かもしれませんが、「真理への誠実さ」が
それを許さない・・・それが「真理(だけ)に価値を見いだす「科学的信念」であり、「真の哲学」なのです。
12 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:22:55
>>4 >>980です。
>同様に「ニューロン活動」が人間の脳内にも存在することは、
誰も疑わないのに、何故かその「ニューロン活動」で意識が形成される
という・・・明白な事実からは(無意識に自己欺瞞して)「目を逸らそうと」します。
・・それが「観念論」・・言い替えると「宗教への(逃避)衝動」です。
仰る通り。
そして、無意味な哲学に求める。
13 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/09(木) 00:26:26
>>10 >全宗教的観念論は、たぷん徒労なのでしょう。それらは、所詮、物語だ
>から。同じように“機械的唯物論”も徒労でない保証はないでしょう。
私の言う「徒労」とは「真理を求める」目的を持ちながら「真理の周りを
永遠に回り続けること」で、「真理に近づいている」と勘違いしている
昨今の「観念論の「進む方向」」のことです。ただやみくもに「非物質
的なモノ、非合理的なこと」を追い求めて心の安寧を得ようとする自己の
内的衝動に「全く無自覚」である観念論者さん達は、もはや「哲学を見失
ったさまよえる宗教家」に堕ちている・・と考えます。
「真理」から遠ざかる道を突き進み・・・いつかとんでもない集団狂気行動
に走る方達が出てくることを懸念しております。
14 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:31:39
>>11 私はちょっと違う視点ですねw
脳の死というのは意志統制の無い状態を指します。
意志統制無き脳はアンバンドルされた無数の意識の集合体になるだけです。
ようするに、全体として『人の意志』が機能しない状態=所謂脳死
意志統制機能を失っても部位的に意志機能が働き続けるのはこの現象でしょう。
所謂意識不明でも全ての意志活動が停止した訳ではない。
同様に、血流が停止(心停止)されてもしばらくは部位単位で意志は存在するはずです。
脳細胞として全てが死滅した瞬間、『意志は更に分子レベルで細分化されます』
よって、意志は物質である以上存在し続けます。
あの世はあながち全くのトンデモでは無いと思う。
15 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:33:03
>>13 あなた素晴らしいですねw
いいとこ突いてますよw
では寝ますw
16 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:34:56
君たち、どこまで素朴なんだ・・・w
とりあえず唯物論者の文章は無駄に「」や()が多すぎて読みにくい。
17 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:54:31
つうか、内容が全然無い。
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I は、
「バカな奴がいる」
という煽りを、いかにも人が食いつきそうで、
その実内容の無い抽象的な言葉で水増しして繰り返してるだけ。
18 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:00:27
1の体内に金属片を埋め込んだ宇宙人です。
つい先日地球を訪れた際に,地球人のサンプルとして1をさらって体に細工をしました。
地球人のデータを取るためです。でも駄目でした。
1は地球人としては規格外の肥満体。ついでに無職。おまけに交友関係もなく
一日中パソコンのキーボードをカタカタカタカタ・・・
もういやです。おかげで僕は母星の上司から「もっと実験体を選べよてめぇ」と
怒鳴られてしまいました。地球観測隊員に選ばれてから初めてのペナルティです。
ヒューマンミューティレーションも楽じゃありません。
来年からはキャトルミューティレーション担当に格下げです。
これから僕はエリア51に出張します。1の処遇に関しては皆さんに一任しますので
どうぞ煮るなり焼くなり好きにしちゃってください。
20 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:21:18
自分を「唯物論者」と行っているヤツほど、論理展開が
観念論的(というかトンデモ的)になっている。
21 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 03:43:48
しかしアレだな
唯物論者って
素朴な実在論しか考えが及ばないんだろな
機械君達の書き込みを読んでいて
つくづく、そう感じる
私と私を取り囲む、この世界を
複雑にいろいろな角度から総合的に捉えて分析するには
いささか脳みそが足らないようですね
わかりやすく、わかりやすく、何回も何回も
同じ事を説明しても全く理解できないもんな
まず問題意識が低すぎるよ
真理、真理と言うけれど
素朴な実在論以外は、ありえない という
極めて無根拠な思い込みから出発してるだろ
ちなみに当たり前のこと言っておくけど
キミ達は観念論をバカにしてるけどさ
その実在を認識してるのは、どこまで行っても
認識しているキミ(私)の観念であるという事
まぁ長くなるから、それは置いといて
実在論も、別に悪くはないんだが
実在を認識している側の観測者である『私』については
キミ達の考え方では、極めていい加減にこじつけているだけで分析が足りないわけ
『私』というのは、主観性そのものな存在性 だよ
だいたい、物理現象が、物理現象の観測者には成りえないだろ
ここでまた単に「成りえる」という反論が返ってくるんだろうけど
それもまた、極めて無根拠なんだよな
まぁ、こんなこと言っても理解できないんだろうけどね
何度も同じ事を言うけど
キミ達のやってる事は哲学ではないよ
トンデモ科学というか、トンデモ仮説の発表会なんですよ
思い込みから出発して、テキトーにこじつけて結論づけちゃうクセを
早く直しましょうね
22 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 03:48:45
自称唯物論者の大半は、(それがある分野の大家であれ)
社会構成主義者にすぎません。
哲学者以外には
経済学者や経営学者、工学者に散見します。
当然、かつてのマルキストは
実はすべて社会構成主義者です。
23 :
新人:2006/02/09(木) 08:17:12
>>21 観念という『なんでもあり』でそ?w
>>だいたい、物理現象が、物理現象の観測者には成りえないだろ
ここでまた単に「成りえる」という反論が返ってくるんだろうけど
それもまた、極めて無根拠なんだよな >>
こういう観念は認めないわけ?w君の観念論は恐らく・・・
自分の理解出来る範囲の非常に狭義な観念を他に押付け論だろうなw
オマエの観念なんぞ誰も理解出来るわけねーだろw
逆に他の観念なんぞオマエに到底理解出来るわけがねーなw
これが哲学かよ?wまぁその前に、
哲学以前にだな、オマエはこの世を生きて行くのが相当苦痛だというのがわかる。
『俺は正しい俺は正しい』
『なんでみんな理解出来ないの?なんでわからないの?』
『みんな馬鹿だ』
この無限の苦痛が日常から断続的に襲っているだろうな。w
まぁついには、自己の人格、知性、理性を破壊するだろう。
これは哲学的思想によるだけではない。
仕事でも異性関係でもなんでも言える。
そういう人沢山見てるからねw(俺はそれなりの人間関係と社会性がありますから)
オマエの観念の延長上には、自己崩壊と観念崩壊が待っている。
その苦痛と共に、一生を過ごすしかないな。
自分の観念も人の観念も『誰も理解出来ない』なんて事は
いちいち説明しなくても『小学生』でも直感的に知っている。
さぁーって俺は哲学に関しては全くの無知だがw
オマエらはとっても面白いw
社会性0だというのが文字から伝わるよwで、
>わかりやすく、わかりやすく、何回も何回も
同じ事を説明しても全く理解できないもんな
過去レスを見てないから過去何を語ったか知らんがw
語ってみろw
オマエの足りている脳みそで大局的見地から全てを哲学的に説明してみろよw
オマエしか理解出来ない『観念』という『想像』の世界でな(爆)
24 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 09:19:45
>>23 >観念という『なんでもあり』でそ?w
最初の、この時点で既に
言葉が変だ
まず、日本語を勉強してから来てくれ
25 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 09:26:45
>>24 そういうお前さんは杜玖椀についてまるで理解してないだろw
26 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 09:28:39
まあ杜玖椀モ知らない破廉恥漢だからこそ
この板に集うわけなんですがね。
28 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 09:48:36
>>27 それは何だと聞いているんだよ
キミも、会話できない人なのか?
29 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 10:32:28
>>
そういう質問の仕方はないんじゃないかなと思う。
そんな偉そうに訊かれたら、答える側の心証を害すると思うけど・・・。
というか、決定論ていわゆる反証可能性がなくないですか?
どういう事象が観察されたら「決定論は誤りだ」ということになるのですか?
31 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 11:00:40
>>30 ならない。決定論は常に正しく誤る事がない。
32 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 11:08:00
人は間違うという決定論
33 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 11:32:04
>>31 言い張るだけなら誰にでもできる。
未だかつて決定論の正しさを
きちんと立証できた者はいない。
最高位がどんなに必死になってももうみんな放置してるんだか無理だと思うぞ。
いいかげんあきらめて出ていけよ。
35 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 11:41:02
>>29 あっちが振ってきた話なんだから
答える義務があるし
答えなきゃ話が進まんでしょう
答えないという事は
自分でも答える事ができない可能性が高いですね
でなければ、答えない理由がないでしょう
>>30 >>31 ふぅ・・・
アホ?
反証できなければ、論理的に正当性を持つとでも思ってるわけ?
決定論が正しいという根拠もないだろ
非決定論にだって、今のところ反証できはしない
また、神が存在する などの論に、明確に反証してみてよ
出来なければ、その論は正しいという事になるとでも?
完全に反証されたら、その論は正当性を失うが
反証されないからといって
その論が、論証されているわけではない
当たり前だろ
36 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 11:44:21
>>29 最高位殿と話すときは、腹を立ててはいけない。この人にはマナーとか常識
という『観念』がないのだから。
>>31 そのとおり、決定論は常に事後的に解釈する(こじつける)わけだから、誤る
ことがない。しかし、明日のことは何一つ決められない。
37 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 11:47:52
>>34 私を放置?
もしキミが、比較的賢い唯物論者ならば
持論の敗北を認めたくないが故に
放置せざるをえない状況に追い込まれている
という事になるが
おそらく
理解できないだけだろ
38 :
30:2006/02/09(木) 11:57:15
>>35 ああ、そういう意味ではなくてですね、ポパーという人が
「科学的命題と非科学的命題(宗教など)を分けるのは反証可能性が
あるかどうかだ」というようなことを言っているのです。
(御存知なければ「反証可能性」「ポパー」でぐぐってみてください。)
>>36のような意味で、決定論(反決定論も)は反証可能性がないとすると、
ある種の「宗教的信念」以外のものでは有り得ないのではないか、と
言いたいわけです。つまり、議論しても無駄だ、ということですが。
39 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 11:59:50
>>36 間違えているクセに偉そうな人間には
アホと言ってやらねば気がすまない性分なんだよな
言っておくけど、謙虚な人には言わないよ
あまりにも相手が、常識ハズレな程バカで
マナーを知らない場合だけだよ
>>36 >決定論は常に事後的に解釈する(こじつける)わけだから、誤る
ことがない。しかし、明日のことは何一つ決められない。
それは形而上学的決定論だろ。
それについては議論しても意味がない。
41 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 12:09:53
42 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 12:10:36
どうなろうと反証不可能であることが論理的に分かっている故に正当性を持ち得る。
どんなモデルを持ってこようとも決定論は常に成立する。
決定論は永遠に否定する事がわかっている。
43 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 12:11:16
>>42 >決定論は永遠に否定する事がわかっている。
決定論は、永遠に否定する事ができないことわかっている。
44 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 12:11:17
>>38 では決定論に
その反証可能性 というものが
なぜ無いのか
なぜ、その可能性が完全にゼロ%だと言うのか
その根拠を、説明してもらえますか
45 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 12:24:17
>>30 いわゆる「科学的決定論」なら、反証可能性はあるさ。
全く同じ原因から、違う結果が一回でも出たら、それで科学的決定論は反証される。
問題は、歴史的に考える限り、すべての事象は一度きりのもので、原因も結果も
再現できない、ということ。つまり「全く同じ原因」が、そもそも有り得ない。
戦国時代は2度と来ないし、織田信長が再び存在することもない。
ビッグバンは2度と起こらない。地球も人類も2度と誕生しない。
だから、「歴史的事象」については、科学的決定論は反証可能性がない。
事象を物理科学的に解釈するか、歴史的に解釈するか、が問題の分かれ道。
機械などは「我々の人生も、ビッグバンの時点ですべて決定されていたのだ」
等々と言いたがる。(そう言いたがる心理的動機は興味深いが)
これすなわち、歴史的事象に科学的決定論を無批判に適用している結果だ。
ちなみに、もしも科学的決定論が正しく、宇宙の状態に再現性があるのなら、
ニーチェのいう「永劫回帰」が実現することになるだろう。
>>45 最新の宇宙論では再びビッグクランチからビッグバンが起こる
という可能性は薄いらしい。
宇宙が膨張しきった後は、穏やかに死を迎える。
47 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 12:42:03
>>45 >機械などは「我々の人生も、ビッグバンの時点ですべて決定されていたのだ」
>等々と言いたがる。(そう言いたがる心理的動機は興味深いが)
心理的なものではなく、単純にその方が論理的だからだろう。
宇宙の物質に過ぎないものが、宇宙の法則を変えることなど不可能。
それができてから、非決定論を考えれば十分。
48 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 12:42:15
>>45 再現性 という事と
決定性 という事は、同一ではない
同じ条件を再現して
実験による再現性によって決定論の是非を確かめようとする方法論は
初めから無理があるし
決して唯一の正しい方法論である とは言えない
決定論の本質は
原因と結果はワンセットであって
この世界という、いわゆる結果世界は
すでに原因の中に決定的に包括されていた
実現し具現化する前に、無形なる青写真が既に存在していた という説なんだよ
ビッグバンと、宇宙の終わりはワンセットであって
すべてが最初から決定されて計算されていた事が計算されていたままに具現化して終わる
という説
だから再現性という小さな話とは同一だというわけではない
一つの方法論が、そりゃダメだ となったにすぎない
実験で確かめるという、最初から無理な方法論ではなく
論理性をもって論証すべき課題であると言えるはず
>>45が完全に正しいな。
「全ては決定されている」と言ったって間違う可能性はない(反証不可能)。
けど、そのためにどんな要素を無視しているかに無自覚すぎるよ。
そこまでいったらもう全然科学的じゃない。あまりに宗教的な世界観だ。
50 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 13:37:55
>>49 逆。決定されていないという方が宗教。
変える事ができるなんてのも宗教。
少なくともこの宇宙を作ったのは我々ではない。
我々は自然の流れに流される以外、何も出来ない。
51 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 13:56:37
結局、決定論というものは
物理現象は決まった事が決まったように起こるだけだ
という物理現象の原理原則からのみ考えた論であって
唯物論が根底にある
いやいや、宗教的な決定論もあるぞ
という人もいるだろうが
それは実は、決定論ではなく
予定論と呼んだ方が適切だ
いずれにせよ、これには論理的な根拠は無い
あくまでも、それは宗教教義である
話を戻すが
唯物論が崩れれば
当然、唯物論を根底に置いている決定論は、根拠を失うという事さ
私は、この方法で決定論を反証した
52 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 13:58:48
唯物論以前に、決定論は成立して揺らぐ事はない。
53 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/09(木) 14:02:06
>>52 その根拠は?
今日は、そろそろ時間だわ
また
54 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 14:15:44
唯物論を否定できても決定論を否定できたとはいえないだろう。
>>50 「変えることができる」は魔術的な宗教だね。
同時に「決定されている」ということも信仰に基づく宗教なんだよ。
揺らぐ事がないのは、教義=定義を信じている限りにおいて揺らがないだけ。
「全ては決定されている。これは反証不可能である」ってのは
「三角形の内角の和は180度である。これは反証不可能である」と一緒だよ。
別に間違ってないけど、少なくとも科学的決定論ではない。つまり信仰=定義。
>>54 だから、その根拠は?と、聞いてるんジャマイカ?
>>56 反証不可能って言ってるんだから、根拠を聞くのが間違ってるよ。
>>57 いや、そうじゃなくて、唯物論が否定されても決定論が
否定されないというのは、「なぜか」ということでしょ。
「反証不可能だから」では答になっていない。
59 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 15:52:34
>>58 どんな世界であれ、そのように決まっていたという事が出来る以上、反証不可能。
60 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 15:53:23
61 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 15:58:13
>>55 悪魔の証明と同じで、その存在性がなければ採用する必要はない。
自然の流れを変える事ができる手法が見つかるまでは、
変える事が出来ないと考え、決定論で問題はない。
というか、「自然の流れを変えることができる手法」って、
科学技術そのものでは。
どうでもいいんだけどさ、決定論に「はいそうですか」って
簡単に納得できるのが不思議なんだよね、
原理的に反証できないってのはわかるけど、
決定論が正しいとは思えない。
その理由は簡単で、宇宙がが創生されてから今日まで、
生物、そして人間が誕生する必然性みたいなものが、
決定論では説明つかないから。
別に決定論だけが「原理的に反証できない」のではなくて、
反決定論も「原理的に反証できない」んだよ。
決定論ー反決定論の対立自体が検証不能で不毛だ、ということ。
65 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 16:14:16
>53
長期間の書込みを遠慮致し事、御赦免願ん。
我、此れ迄哲学者最高位殿と唯物論者諸賢の論を拝聴す。
最高位殿及び唯物論者諸賢には、只、互いの主張を論破せんとする試みのみの意向ならば、
我が主張を無となされよ。
我が主張とは、互いの論のものを見る尺度の相違と結論す。此れ万事に適うものなり。
尺度が異なれば結論おのずと異なること必至。此れ相通づること能わず。
然らば、対立するは当然と云わねばならぬ。此の場におられる方々は未来永劫に渡り通用する
真理を発見せんとする者ばかり。とあらば、哲学、科学等の論理の摩擦のみを攻撃するよりは、
互いを俊英と認め、其の者達の論の筋に非ず、基礎を互いに確認すべきであろう。
貴殿等の中には、自ずの論を正当化する為憤慨する者もあろう。
しかしながら、対立すればする程に自説を曲げんとする熱が増すことも必至。
「では何が真理か?!」と御叱りもあろう。だが、「真理あり」とするも西洋哲学ならでは
の事ではないか。その真理ありと云ふ前提に数多の対立を生み出した事か。
基礎として、哲学者最高位殿とこのスレ主の機械的唯物論者の互いの論の基礎を述べ、
其れによりて、発生せる道筋が異なりしこと確認すべきであろう。
科学と云えでも正確な事は定まらん。ドミノ理論、フランクル理論、カオス理論を
見れば解りし事。只、論破するのみなれば此のスレは見せ物と化すであろう。
>只、論破するのみなれば此のスレは見せ物と化すであろう。
一応お断りしておきますが、このスレはとうの昔から
見世物以外のなにものでもありませんw
67 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:27:53
>>62 誰も変えていないじゃん。従っているだけじゃん。
68 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:28:22
>>60 信仰者は自分が信じてるものを「単なる真理」と思ってるものだ。
君のその発言は信仰の告白に過ぎない。
>>64 決定論者のみが「決定されている」ことを素朴に信じている。
他の人たちは「決定されてない」ことなど信じていない。つまり二項対立なんかないんだよ。
「決定されているかどうかわかんない」って言うのが普通だと思うけどね。
70 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:54:07
>>69 君がこのスレで言っていることも、君自身の信仰の告白に過ぎない。
>>61 「これまで観察されてきたものは全て決定論的に解釈できるから、
とりあえず決定論を採用すればいい」というわけか。
この立場だと例えば「意識は必然かどうか」という問題を前にしたときに、
決定論を理由に「意識は必然である」と主張することはできないよね。
初めて出てきた例外かもしれないんだから。
それがちゃんと決定論的に解釈できる=再現できることを説明できて
はじめて「意識は必然である」と言うことができるんだよ。
まぁ今のとこ意識の仕組み分かってないし、わかんないってことでいいよね?
>>70 オウム返ししてりゃいいってもんじゃないよw
73 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:56:18
>>69 決定されていないという言葉の裏には、自然の流れを変える事ができるという意味がある。
従っているだけの存在に、そんなことは出来ないので、決定されているのは自明。
74 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:58:51
>>71 意識があるかどうかは関係ない。
どんなものでも存在性というものは、始からあるもの。
世界の流れに反して、存在性を作り出すことも消すこともできない。
系内のものは従うしかない。
75 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 18:00:34
決定しているかどうかわからないというのは、
1+1は2かどうかわからないといっているのと同じレベル。
まあ、そのレベルではわからないわけだが。
「世界の流れ」って何だね?
そんなもの見たことがある人はいないし、存在するかどうかもわからんぞ。
「存在性」って何だ。おまいは最高位かw
>>73 だからさ。
「人間が自然の流れを変えている」ってどうやって証明するの?
この証明方法がちゃんとあってその上で証明されてないんだったら、
「人間は自然の流れを変えられない」っていう命題にも意味あるけど、
反証の試み自体が「それもは自然の一部」って一言で潰されちゃうじゃん。
だから決定論は科学じゃないって言ってるんだよ。自覚しなさいw
>>75 1+1=2の真理性なんてわかんないっていうのが普通じゃないの?
単にそういう定義としかいいようがない。
無自覚に「1+1=2は正しい」って言ったらもう信仰だね。
79 :
ゾルレン:2006/02/09(木) 18:30:26
>>38 議論は結構なのですがポパーについて一言
ポパーには「ポパー神話」ってのがまとわりついてて
ポパーの立場を誤解する人ってすごい多い
結構名高い先生も平気でポパーを誤解する
俺の好きなハンス・アルバートも当初はポパーを誤解していたけど
ポパーと実際に会話してポパーへの誤解に気づいて、批判的合理主義の一員になっている
で、ポパー神話の要点はポパーは実証主義に対して徹底的な反対者であるということかな
また、ポパーは意味と無意味に境界線を引くことについて「無意味」と言っている
こういう誤解については論理実証主義と批判的合理主義について比較してある本とか読むとわかると思う
『批判と挑戦』(未来社)とかが参考になると思う
で、結論から言うと
ポパーは経験による反証可能性がなくても意味はあるという立場だし
無意味な議論などないという立場だ
ポパーは宗教的な話題であろうと議論できることを認めるし、議論することを奨励する
ただ、有意義な議論を行おうとするならば、議論を行うことで知的前進を得ようとするならば
知的謙虚さをもたねばならない
(お互いが「自分こそが正しい」と言い合う議論の不毛さをたいていの人間は知っているだろう)
このような道徳的態度を方法論として具体的なルールに転化させたものが反証可能性だ
「反証」を実証の延長のように扱うとポパーを論理実証主義の一員として解釈するポパー神話に陥る
それと、ウィトについては俺は素人の読みだけど
ポパーの本は全部もってて、英文読解もしたから少しは信用していいと思うよ
あいかわらず説明は我流でテキトーだけどね
>>79 ほー、ポパーってそんなことも言ってたんだね。勉強になった。
しかしまぁ「全ては自然に属してるから、決定されている」みたいな考えには
「決定されていると考えた方が自然についての知識が増えやすい」という
プラグマティックな要請が入ってることに、決定論者は無自覚過ぎるよ。
あるいは宗教的な要請から、決定論が出てくることもあるけれど。
その部分はもう全く科学的じゃない単なるイデオロギーだってことを示すのに
反証可能性って言葉は便利なんだなw
81 :
ゾルレン:2006/02/09(木) 18:56:42
>最高位
とりあえず、言葉の説明ね
君が使う「素朴」って言葉は英語の"naive"の和訳なんだ
日本では「ナイーブ」って言うと「傷つきやすい」ってイメージがあるけど
これは日本だけの使われ方で
英語では「騙されやすい」とか「すぐに人を信じやすい」とかいう意味で
とても否定的な意味合いなんだ
「幼稚」とか「子供っぽい」とかいう感じかな
この言葉を哲学では「素朴」と訳す傾向がある
前スレの最後の方で会話になってなかったから一応説明ね
で、一般的な会話だと肯定したり否定したりする時の言葉は「正しい/間違ってる」だよね
「あなたは間違っている」とか
だけど哲学だとかわりに「素朴」という表現をするわけだ
「その考えは素朴だね」とか
哲学で「素朴」と言われたら、「間違ってる」と同じような意味だと理解していい
宇宙人を盲信している人(なんかテレビ番組に出てきそうな人)に対して
「あなたはとても素朴ですね」とか言う感じかな
これは「正しい/間違ってる(true/false)」ということについて考える哲学特有だなぁとか思う
でもなんで「素朴」だとダメなんだろうね
「素朴だ」という言葉で批判していることはなんなんだろうね
予測と切り離された決定論のように反証可能性がない理論が批判されるのも、同じような動機だと思うよ
82 :
ゾルレン:2006/02/09(木) 19:11:51
>>80 >その部分はもう全く科学的じゃない単なるイデオロギーだってことを示すのに
>反証可能性って言葉は便利なんだなw
うん、その見解はとてもわかる
だけどね、それがまたポパーの欠点でもあるんだ
「じゃあポパーの立場はイデオロギーではないのか」って反論できちゃう
こう質問されるとポパーは困ってしまう
ここらへんはポパーの欠点だったわけで、ハーバーマスがポパーを叩いたところでもあったわけだ
それを解消するためにポパーの弟子のバートリーがポパーを批判したわけだ
(『コミットメントへの退去』)
これでバートリーは全部イデオロギーにしちゃったわけだ
ま、こういう議論は哲学的には意味あるかもしんないけど
普通の議論では役に立たない
個人的に言いたいこととしては、反証可能性がない理論をあまり責めるな
彼らが言っていることは、必ずしも間違っているわけではない
もしかしたら正しいかもしれない
ただ、「正しいか間違ってるか」について吟味するとっかかりがないだけだ
83 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/09(木) 20:35:19
新スレですね「、おめでとうございます。
宗教とは「信ずる」ことのみでしょうか。
84 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 20:40:34
>>83 信・戒・定・慧とは言いますけどねw
スタートには違いないかも・・
85 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:05:03
>>77 人間は地球の自然法則を覆し、地球の温度を変えてみせたろw
人間の脳は「自然法則どおり動くはずの宇宙の運動」の間に見事に
割って入ってるのよ・・もう、宇宙運動の起点をつとめ始めてるのさ。
おまえらに脳味噌がついてるなら、ロケット、核融合、コンピュータ・・
なんでもいいが、人間の思考が今後生み出す産物を、宇宙時間に
引き伸ばして想像してその影響力みろ、いったいどれほどになるか。
(機械みたいに、ただただ宇宙に恐れおののいてても見えないがなw)
宇宙から見れば一見微小な変化のようだが、それら人間の「思考」
の創り出す影響力を、宇宙スパンの時間経過の中で測り推測すると、
人間がやがて地球や銀河の運動を意のままにし、宇宙の法則をこと
ごとく従えて、全宇宙の運動の起点を「つとめる日のやって来る事は
もう誰も否定できない位明らかw
人間が宇宙のゴミなんかじゃなく、じつは宇宙の全運動の最終「決定」者
つまり宇宙の主とならざるえないってことw
「決定」論の決定の意味はそういうこと。
神や宗教が糞だってことは哲学なんぞしなくとも とっくに答は出てる。
わかったら、もう寝ろw
ゾルレン氏、えらく穏やかだな。私生活で何か良い事でもあったのだろう。
87 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/09(木) 23:10:50
>>85さん
そういう考えもありますが
それもまた自然からの答え(当然の結果)ではないでしょうか?
88 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:16:17
>>87 決定論の指す意味(未来予想図)が全然違うだろw
89 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/09(木) 23:26:05
>>82 >個人的に言いたいこととしては、反証可能性がない理論をあまり責めるな
>彼らが言っていることは、必ずしも間違っているわけではない
>もしかしたら正しいかもしれない
>ただ、「正しいか間違ってるか」について吟味するとっかかりがないだけだ
『「素数」は無限個存在する』・・という命題は「反証不可能」です。
理由は「素数の出現の法則が『無い』から」です。
1・2・3・4・5・・・という「自然数」の中において、
「自己と1以外で割り切れない数」・・が「素数」です。
素数・・2、3、5、7、11、13、17、19、23、29・・
・・が「永遠に続く」ことも、また・・「証明」できません。
ってか、「科学は決定論ではない」というのに対しては、
「そうだけど何か?」という質問(というか、そういう定義
に対する単純な疑念)が出てるわけだが、そろそろ、
そこから先を議論しないか?
>>89 「素数の出現の法則が『無い』」と言う命題は反証不可能?
>>90 それはまとめとしてはちょっと大雑把過ぎないか?
要は、
「決定論は科学ではない」ということに対して、
「その境界が重要である」
という立場と、
「だからどうしたんだ?」
という立場がある(「決定論は科学である」という立場は今は置いておく)。
そして、「重要である」とは結局「価値」判断なんだが、この「価値」
についてもかなり見解が分かれている、と。
根拠と小前提の評価ではありませんよね?
94 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/09(木) 23:38:20
>>91 少なくとも、「自然数」が発見された紀元前10世紀以降、
「誰にも証明されていない」・・・ことが「真理」を「帰納的に」証明している
・・と考えます。
「演繹的証明」も「例外」に直面すれば「方法論としての正当性」を失います。
すなわち「演繹的証明法」は「未だかつて破られたことがなかった」・・という
「経験」を(唯一の)根拠としている訳であり、その意味では「帰納法」が優越的なのです。
すなわち、「自然科学」の採用する「演繹法」は「仮定を定立する手法」であり、
その「検証」はあくまで「帰納法的証明」である・・ということです。
95 :
新人:2006/02/09(木) 23:39:01
>>87 そういう事ですね。
人類が再度宇宙を発するのは宇宙の意志。
我々は、この脳で物質を滅し、破壊した。
我々は、鉱物のみならず、遺伝子を操作する事により全ての生物を発する事が出来る。
そして、我々はコンピューターという霊を創造した。
近未来、脳にスーパーコンピューターがプラグインをした時。
我々は宇宙を無限に発する所か、
時空を裁断し、無に帰し、無限に進める事となるでしょう。
その時、我々に物質的肉体は必要となくなり。
霊的エネルギーのみが残るでしょう。
人間の脳とそれが作り出したコンピューターは、
霊のビッグバンを起こす事でしょう。
約束の日は『想像するより、断然目の前』にある。
もう、『何も必要が無い』。
全ての価値観は崩壊するだろう。
現存する全ての真理は崩壊するだろう。
人間は『新たな物理そのものを発する』だろう。
人類が霊的存在になった時、
既存の力の作用を超え、宇宙果てとビッグバン以前を同時に体感する事だろう。
霊的エネルギーにより、全ての過去は明らかになるだろう。
間違いなく、我々は神になる。
人類の意志とは『αでありΩ』である。
人類の意志は『全て』に『成る』為に存在している。
96 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:40:02
97 :
90:2006/02/09(木) 23:40:32
>>94 「飛んで火にいる夏の虫」みたいなご返答ありがとうございます。
99 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:44:41
>>95 霊的存在とかワケわけんねこと言ってんじゃね〜よw
人間はいつまでたっても今のマンマ。
脳の外部装置である文明・文化が進化発展してくだけよw
100 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/09(木) 23:44:45
>>95 >霊的エネルギーのみが残るでしょう
散文的批評で申し訳ありませんが、「エネルギー」は「=」物質ですので、
「霊的物質」という(自己矛盾)概念を述べられていることになり、それは
やはり一つの「観念論」ですので、・・・間違っております。
>>97 ああ、そうか。スマソ。
というか、複雑な関係の対立なんだよね。
まず、決定論支持者とそれに対する批判がある。
しかし、決定論支持者間でも立場は異なる、と。
また、決定論批判者の間でも立場は異なる。
みな、方法論や価値論が異なる。
102 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:47:33
>>101 結論言いたかないが「結果」で見てくしかない
>>102 「結果」も何も結果は誰も出してないし、出せるとも思えんよ。
そもそも、何が結果であり、誰がそれを判定するのか、という
実践上の問題が残る。
104 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:52:50
つまりポパーが嫌うところの前進しない議論をあえて続けて誤魔化すのが哲学菜訳だよ
>>101 「異なる」とも限らんけどね。
例えば、このスレで一番(まともに?)対立してるっぽい
ゾルレンと一言の主張でも、ゾルレンは「知的議論の場
では〜」と前置きし、一言は「日常生活では〜」と前置き
する。
ならば、両者が対立してると単純に言えるのだろうか?
俺は言えないと考える。
コミットメントからの退却と言うが、それが日常生活において
ほぼ不可能である事はゾルレンも認めざるを得ないだろうし、
逆に一言も批判と吟味が理想的学問の状態であることを
否定しないかもしれない。
106 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:55:53
>>104 ポパーの言う「前進」こそ、私の言う「後退」そのものである。
すなわち「祝福そのもの」である。
107 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:56:27
>>103 「思えん」貧困さをここで嘆かれても困るw
結果は時間のたった分かならず出てる。
判定するのはその時それを知った者・・つまり
おまえじゃないw
108 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:57:49
109 :
101:2006/02/09(木) 23:58:31
>>105 そうかもしれないが、ゾルレンと一言の対立は基本的に
スレ違いすれすれだと思うんだが(ゾルレンは決定論の
議論上の科学性にこだわり、一言は決定論の日常的
信仰の許容にこだわってるんなら、既に足場からして
異なる)。
110 :
考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:59:48
>>108 お目出度い・・の意味も知らないみたいだなw
111 :
新人:2006/02/10(金) 00:00:05
>>100 それは既存の蛋白質のみの脳が一生懸命考えた間違いでしょ?w
霊=物質であり=エネルギーですよw
霊的物質が矛盾?
全然矛盾してないでしょ?
書いてるでしょ、『新たな物理そのものを発する』とw
それは『霊的エネルギー』のみが可能な事。
>>107 批判的合理主義から言えば、反証されようがその立場が
間違っていると言われるわけではない(それは批判すること
を止めた特定の立場へのコミットにしかならない)。
批判的合理主義が認めるのは議論し続けること、および、その
可能性をいつまでも開いておくことであって、誰かが「分かった」
と言って判定を下すことではない。
113 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:03:52
114 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:05:43
>>110 知らないみたいだなの意味も知らんようだね?
115 :
新人:2006/02/10(金) 00:10:11
>>113 何が楽しいんだオマエは?w
蛋白質の脳が一生懸命考えた霊とは気であり電気等だw
ここだけ考えても霊は物質だなw
しかし、霊とは『気が成った源』でもあるし、『電気が電気たらん源』でもある。
霊とは『全てを全てとする意志だ』。
霊的エネルギー=全てを全てとする力
人は近い将来これになり、肉体から開放される。
脳とコンピューターが成す宇宙の意志だ。
我々は最初から知っていたはずだ、
肉体とは人であるが、我々の精神、及び意志は神であると。
全人類に神が宿り、全人類は最終霊体に成る為に生きている。
そこのオマエもな。
116 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/10(金) 00:11:16
みなさん、夜更かしは止めましょう・・・、
ということで就寝させて戴きます。
117 :
105:2006/02/10(金) 00:12:13
>>109 スレ違いかはともかくとして、ゾルが方法論的に批判する、
例えば、機械の意見に対して反証可能性があるかどうかを
見ようとするのに比べて、一言は実際に史料に基づく反証を
挙げてみせる。
前者が思弁的な態度なら、後者は現場主義的な態度(論証の
構造を考えるよりも現実に反証して見せた方が早いという態度)
が見受けられる。
後者は、むじんくんやぴかぁ〜のように、曖昧な歴史的見解を
表明した場合についてより手っとり早い気がする。
決定論のように、反証を即座に挙げれない(反証可能性が無い
かもしれない)ような場合は、一言は「自由」を説き、ゾルはやはり
「反証可能性」を見る。これは、ゾルノ方が一貫性があるが、しかし、
可謬主義の立場と整合性があるのかは分からない(誰も反証可能性
の判定者になれないなら、それは建前としての規範となり、結局、
一言の現場主義が優越してしまうのでは?)。
118 :
101:2006/02/10(金) 00:18:15
>>117 可謬主義が何なのか俺は知らないけど、一言が現場主義
(=非哲学的とも言えるんだがw)なのは同意。
でも、これって悪く言えば、「批判が体系全体に及ばない」
ことになるんだよね。一言のむじんくん批判にしても、個々の
命題について批判する(=史料で反証する)だけで、むじんくん
のソクラテス観は間違っている、あるいは、むじんくんの哲学
体系は間違っている、とは言わないわけだ。機械についても
そうで、機械の哲学体系が間違っているとは言わない。
119 :
117:2006/02/10(金) 00:29:39
>でも、これって悪く言えば、「批判が体系全体に及ばない」
>ことになるんだよね。一言のむじんくん批判にしても、個々の
>命題について批判する(=史料で反証する)だけで、むじんくん
>のソクラテス観は間違っている、あるいは、むじんくんの哲学
>体系は間違っている、とは言わないわけだ。機械についても
>そうで、機械の哲学体系が間違っているとは言わない。
批判すること=間違ってる、ではないと思うから、その見解には
同意できないな。第一、体系全体に批判を向ける、ということが
可能なんだろうか。論証の構造は、個々の命題をよく考えた上で、
最後に見えてくるものではないのか。
120 :
117:2006/02/10(金) 00:32:38
訂正
批判すること=相手を間違ってると主張すること
121 :
101:2006/02/10(金) 00:35:15
>>119 ん、批判すること自体は間違ってないと思うが・・・。
まあ、
>>118では一言を悪い方向から解釈したが、
良く言えば「無理をしない」という立場でもあるわけだ。
ただ、それによって決定論が擁護されえるのは、日常
生活のレベルに限られると思う。
122 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:35:43
脳と心ってどうやって結びついてるんだろね。
私が思考すると脳で電気信号が発生するなんて・・・
しかも、思考してから脳内に電気が発生するんじゃなくて、思考そのもの
が電気がないと成立しないなんて・・・・
123 :
101:2006/02/10(金) 00:36:21
124 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:37:35
>>121 参考までに聴きたいのだが、あんたにとって「日常生活レベル外」って
どういう場面なの?具体的に言えるかな?
125 :
101:2006/02/10(金) 00:40:39
>>124 例えば、物理学会で機械のような発言が、一言の理論によって
擁護できるのか、という問題があると思う。つまり、そういう科学の
場では、一言の理論は通用しないのではないか、と。
ただ、一言は既に「決定論は科学ではない」と言ってるから、一言が
そういうことまで擁護しようとしてるとは思えない。
126 :
117:2006/02/10(金) 00:43:05
>>125 そうか?
むしろ、そういう学会の閉鎖性は、一言の言う「自由」の侵害
ではないのか?
今では認められてる学会に認められなかった事例はいくつか
あるし。やっぱ、規範判定者(あるいは科学判定者)の否定を
念頭においてると思うよ、一言は。
127 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:43:53
>>125 なるほど「学会」ですか?確かに「日常生活レベル」の醜い足の引っ張り合い
が横行している「(世)界」ではあるね。
128 :
117:2006/02/10(金) 00:43:57
また間違えた。そろそろ寝るわ。
続きは明日。
訂正
今では学会に認められているが、
129 :
101:2006/02/10(金) 00:48:39
>>127 まあ、そう考える事はできるかもしれないけど、実際に
機械の主張は物理の学会で認められるかな?
それと、「日常レベル」の定義も問題になる(広く取るか
狭く取るか)。
>>126 それは一言の言う「自由」を貫徹すれば、の話だと考える。
もし、一言が機械の主張をそういう科学の場でも擁護しよう
(=発言させろ)と主張するならば、それは既に現場主義の
放棄だし(もっとも一言が現場主義だというのはここでの
決め付けに過ぎないわけだが)、また、本当に可能か?
という実践上の問題が付き纏うね。
130 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:53:47
>>129 (理論)物理学会は哲学(的な事項)には感知しません。
想定外・・というより首尾範囲外・・というより予算権限外だからですね。
131 :
117:2006/02/10(金) 00:59:22
最後に俺の宿題として。
>>129 そこで常々思うのだが、権威付けっていうのは必ずしも
悪いことではない(権威付けなくしては医者にすらかかれない。
なぜなら、我々は医学の知識も無いのに医者の言うことを聞くからだ。
医者もまた、別の分野では権威に頼らざるを得ない)。
ゆえに、「我々は権威付けから完全に自由であることが可能なのか?」
ということは真に問われていいと思う。これは、このスレのコテハンの
どの立場にも言える(最高位にも、むじんくんにも、ぴかぁ〜にも、
探求者にも、その他の人々にも言える)のではなかろうか(彼らは、
また、俺や君は権威付けからどこまで自由になれるのか)。
一言の「自由」主義も、どこかで妥協せざるを得ないだろうし(法が
専門分野ならこの辺は織り込み済みか?)、むじんくんなら「自由
になれない社会構造」に言及するかもしれない。
132 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 01:03:49
>そこで常々思うのだが、権威付けっていうのは必ずしも
>悪いことではない(権威付けなくしては医者にすらかかれない。
そういう台所事情至上主義を、この板では伝統的に「厨房」と呼んできたのだが、
最近あまり使われないような・・なんでかな?
飯屋思想ですね。
ここらで、頭のいい人、まとめてみ。よろ。
135 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 01:32:21
>>134 厨房は飯屋ではないしましてやめしやでもない。
日常生活に置いて誰でも必要不可欠な飯を作るのが厨房
だから人類の個体は厨房の意思を無視できない。
誰が日常生活の継続を保障するのか?・・・・厨房
136 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 01:43:41
江戸時代中期のカントを未だに読んでいる暇人が1であり、
考古学や古文献学等の趣味の世界が学問を自称するのは
おかしいと思います。
どいつもこいつも江戸時代や明治時代や大正時代は新しい
なんてことを学んで「学問」だとか・・・ばかーかしい。
私なんて、宇宙の彼方から輝き続ける星たちをながめるくらいなものです。
>>131 権威づけは悪いことじゃないどころか、必須だろうね。
当然だが、論理的であることすらある種の権威付けだろう。
場合によっては、感動的であることの方が権威となることもあるんだから。
139 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 04:06:40
>>138 相変わらず本質とかけ離れているね
権威づけなんてのはアレだよ
人間の側の心理的な側面の問題であってね
絶対的な価値観を与えるものではないよ
真実であるとは限らない
使い古された例え話だけど
ガリレオは、権威によって
表向きには自説を撤回しなければならなかったのではないのかね?
真実は、権威によるものでも、多数決によるものでもない
>>139 >ガリレオは、権威によって
>表向きには自説を撤回しなければならなかったのではないのかね?
この時点で権威に頼ってるんだよ。
つまり君は、
1、その場に居合わせたわけでも、
2、史料を実際に漁って検証したわけでもないけど、
3、書籍に載っているからこの話は事実だろう。
と無意識に考えてるわけだ。
もし、あらゆる権威付けを否定するならば、物理の初歩から自分で
実験しなおす必要があるし、あらゆる歴史は自分で発掘しなければ
ならなくなる。
141 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 04:31:47
>>140 なんでそれが権威なんだよ
あのね
権威に頼る というのは
権威を、無根拠に信じる という事だろ
キミは、権威の意味がわかってないんだよ
なんでイチから自分で実験したりしなきゃ権威に頼ってる事になるんだ?w
それは権威ではなく、単に実験による報告が実証されて
一般に認知されているから
前提にするに値する根拠があると判断しているわけであって
別に権威的だから無根拠に信じているわけじゃない
いつも感じている私とキミ達の大きな違いを言うと
キミ達の多くは
単に誰それが、偉い哲学者が言っているからとか
そういう理由で、意味もわかっていないのに
また誤読していたりするにもかかわらず
平気で権威的に、その解釈を押し付けてくる事だな
で、私が細かく追求すると返事がなかったり
話をすり替えたりするよねw
こういう無根拠な信仰の事を
権威に頼る と言うんだよ
いつも国語の授業からだなキミ達はw
「私」が物質とは関係ないものと言いながら一方では物質と関係してしまってはいないだろうか。
物質でできた脳が無くても「私」は存在するのだろうか。
143 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 07:20:23
>>142 キミは本当に哲学的センスが無いなぁ
ちゃんと深く考えないから、そんな恥ずかしい事を言っちゃうんだよ
まずこれ
>一方では物質と関係してしまって
関係する という事は
そのものではない という事になるのであって
それをキミが自分のクチで言っちゃってるんだよ
そこんとこわかってる?
物質と関係が無いのは
『私』の存在性だよ
『私』が存在した事実の、この原因的要素を
物質の性質の中に探っても、それはどこにも有りえない という意味
物質の性質には、どこにも『私』を生み出す要素がありえないんだよ
まぁ物質以外の、どんなものに探しても有りえないんだけどね
だから『私』は、純粋な『存在性』そのもの なわけ
「私の存在性」が物質とは関係ないものと言いながら一方では物質と関係してしまってはいないだろうか。
物質でできた脳が無くても「私の存在性」は存在するのだろうか。
145 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 07:57:53
>>144 しかし理解力の低い人だなぁ
もちろん私は物質と関係しているでしょう
しかし私が私であった原因的要素は、そこには有りえない
と言ってるんだよ
その関係性が、ある と言うのなら
それを挙げて下さい
>物質でできた脳が無くても「私の存在性」は存在するのだろうか。
そんな事は知りませんよ
しかし、そこまで解明されていなくても
ここまで説明すれば
よっぽどのバカでない限り
唯物論が間違いである事は、論理的に理解できるでしょう
>>145 > しかし私が私であった原因的要素は、そこには有りえない
これは自同律の不快の様なことでしょうか。
147 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 08:35:00
>>146 ちょっと意味がわかりません
少し角度を変えて説明しましょうか
『この体』が『この私』であったのは
『この体』が、どんな物理的要素であったからなのか
と言った方がわかりやすいですかね?
だからそれは自同律の不快ではないかと。。。
「『この体』が『この私』であった」のなら、もろに唯物論だろw
150 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 09:01:20
>>78 >1+1=2の真理性なんてわかんないっていうのが普通じゃないの?
わかんないというのなら同意。
逆に言えば、1+1=2が真理である程度に、決定論も真理。
人間が関わるあらゆるものの中で、決定論が一番真理に近いってぐらい。
151 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 09:04:58
アホゥや・・・キミら
152 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 09:11:19
>>148 >自同律の不快 という言葉を、よく知りませんが
もし、それだったら何なの?
>>149 キミも相当なアホだな
『この体』が『この私』だと
唯物論者を始め、一般的には唯物的に
普通に、そう考えているわけだが
実はそこには、何の原因的根拠など有りえない んだよ
という事を説明してるんだよ
なんで、いちいち
ここまで説明しなきゃならんのかな
では逆に
『この私』が『この体』 という表現に変えてみよう
これなら、どういう突っ込みをするのかな?w
私は私であるということに対しての疑問。私が私である理由は何か。
単に親から産まれてきたという理由では納得出来ない人種もいるのですね。
154 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 09:23:08
>>139 あいかわらず、君は粗雑なことを言っているな。ガリレオが頭を下げたのは、
権威に対してではない。自説を撤回しなければ、彼は殺されたのではないか。
それは権威ではなく、権力というのだ。ガリレオは、当時の“権威”などは
ハナからバカにしていただろう。
155 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 10:03:01
>>153 キミは
>単に親から産まれてきたという理由
で納得出来る人種なんだね
だったら哲学する必要ないじゃんかw
物質とか、考える必要もないわな
>>154 いったいどこまでバカなんだキミは
思いつきとか
苦し紛れの反論とかしてちゃダメだぞ
解説するのも面倒くさいよ
またイチから国語の授業なんだもんな
いいですか?
こういう論法です
ガリレオ=地動説という、正しい論理を持っていた
当時の教会=天動説であり、しかし一般大衆に対する権威と権力を持っていた
探求者くんが「権威づけは悪い事であるどころか、それは必須である」と発言したのに対し
私は、本質を考えれば、必ずしもそうではない
自説に対して、無根拠に権威を与えるのは、間違いを犯す危険性もあるのだから
別物だと考えるのが正しい と言ったんだよ
ちゃんと国語を勉強して、簡単な文章ぐらい読み取れるようになってくれよ
キミ達とは、なんだか話すだけで疲れてくるんだよな
157 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 10:05:26
>>142>>143 自動律の快しか感じたことがない最高位氏から「センスがない」と言われたのは、
君にとって喜ばしいことです。
最高位氏は、こう述べている。「外界を認識(感覚)する。それを言語に変換する」
外界とは何?といったヤボな質問は控えるが、これは典型的な「存在は認識に先
だつ」というタダモノ論。
一方、物質(たぶん外界と脳を含む体のことを指しているのだろう)とは関係なく、
『私の存在性』は存在する、と最高位は叫んでいる。だれが(何が)そう叫んでいる
の? まさか君の存在性が存在性は存在する、と叫んでいるわけではあるまいな?
物質とは無関係に人間の存在性(もしかすれば霊魂のこと?)は存在する、と考える
のは宗教者の立場である。最高位殿、それなら初めからそう言ってくれればよか
ったのです。
158 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 10:55:24
>>156 スレとはまったく無関係だが、そのサイト、なかなか面白いね(笑)。
>>152 >『この私』が『この体』 という表現に変えてみよう
>これなら、どういう突っ込みをするのかな?w
いや、全く同じ突っ込みしかしないがw
記号で書けば『この私』=『この体』で、全く同じだからw
いったいあなたは
「この私はこの体だと思われているが、実はそうではない」と主張しているのか、
「この私はこの体であるが、それがなぜなのかはわからない」と主張しているのか、
どっちなのだ。後者なら、全くの唯物論に過ぎないが。
前者なら、「この私」と「この体」と「この心」の関係を明確にしないと話にならん。
ちなみに大雑把に分類すると
1.「この私=この体」が唯物論。
2.「この私=この心」が唯心論。
3.「この私=この体+この心」が二元論。
4.「この私=この体=この心」が同一説。
160 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 11:27:53
>>157 最初、飛べないカラス君に話しかけている と思ったら
いつのまにか、私にしゃべりかけている事になっている
いったい何なんだ?
キミ多分、頭おかしいよ
病院に行った方がいい
>>159 はぁ?
本当に頭の悪い人だなぁ
>「この私はこの体であるが、それがなぜなのかはわからない」と主張しているのか、
>どっちなのだ。後者なら、全くの唯物論に過ぎないが。
アホか
「この私はこの体であるが、それがなぜなのかはわからない」
「しかし、この私は
この体の、何の物理的な要素によって『この私』であったのかを
解明しようとしても
その根拠など、どこにも有りえない」
「したがって、人間の精神も物質による物理現象にすぎない とする唯物論という思想は間違いである という結論に至る」
という事だ
161 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 11:31:01
日本人は英語でLとRを使い分けることができない、というのがあります。
たとえば「alive」という発音のクオリアは日本人は「アライブ」としか、
受け取れないのです。その先に「本当のクオリア」というものはなりません。
162 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 11:45:14
>>161 だからクオリアは「意味」ではない という事だよw
音は音なんだよ
音から意味を理解するには
お互いの了解事項であるところの、知識の習得が必要だという事だな
お互いの了解事項という事は
人間にはお互い、この音が、こういう風に聞こえる
という前提が先にあるから成り立つ事であって
クオリアそのものではない事が容易に理解できる
163 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 11:56:18
>>162 爆笑王なんだよ、また泣かされたいのか(笑)
もうそのネタでは笑えないんだよ。散れ!
日本人はアメリカ人的「alive」を受け取って、それを日本人的「アライブ」に
変換していると考えてはいけません。
日本人はその音波を日本人的「アライブ」という音のクオリアとして
受け取るのです。
アメリカ人的「alive」が真実ではなく、それもただアメリカ人的なクオリアという
ことです。
>>158 からくりが分かると、
数字を思い浮かべなくても、何が水晶に映されるか予測できますね。
でも最初はびっくりしたなぁ。
165 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 12:02:30
では、アメリカ人的「alive」というクオリアと
日本人的「アライブ」のクオリアを規定しているものは、
アメリカ人/日本人の差異、アメリカ語(英語)と日本語という
言語ですね。
166 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 12:04:48
>>159 もう一度わかりやすく書き直してあげるよ
「この私はこの体である(と、いったん唯物論の立場に立って考える)が、それがなぜなのかはわからない」
「と言うのも、この私は この体の、何の物理的な要素によって『この私』であったのかを 解明しようとしても、その根拠など、どこにも有りえないからである」
「したがって完全な結論に至るのには、今のところ程遠いが、人間の精神も物質による物理現象にすぎない とする唯物論という思想は間違いである という結論には至る事ができる」
という事だな
否定してるのに「それは唯物論だ」と言う方が明らかにおかしいだろ
もっとよく読んで、考えてから話しかけて下さいよ
くだらなさ過ぎるよ
167 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 12:09:19
■クオリアと言語
日本人は英語でLとRを使い分けることができない、というのがあります。たとえば「alive」という発音の
クオリアは日本人は「アライブ」としか、受け取れないのです。その先に「本当のクオリア」というものは
なりません。日本人はアメリカ人的「alive」を受け取って、それを日本人的「アライブ」に変換していると
考えてはいけません。日本人はその音波を日本人的「アライブ」という音のクオリアとして受け取る
のです。アメリカ人的「alive」が真実ではなく、それもただアメリカ人的なクオリアということです。では、
アメリカ人的「alive」というクオリアと日本人的「アライブ」のクオリアを規定しているものは、
アメリカ人/日本人の差異、アメリカ語(英語)と日本語という言語ですね。
168 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 12:12:18
>>163 完全にアホだな
まぁキミは、単にクオリアという意味を間違えて理解しているだけなんだけどね
思考全体の流れ、捉え方としては別に間違えていないとは思うよ
ただ、そこで何でもかんでもクオリアだというのは、明らかな間違いなんだよ
ちゃんと区分けしなきゃね
169 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 12:15:30
>>168 相変わらず、「キミは間違っている」のくりかえしか。
そんなレスいらないよ。もっと的確に、内容だけ書け!
っていうか、それすると書くことなくなっちゃうな、キミの場合(笑)
キミの事情もあるから、好きにしろ。でも低脳臭がするから
ボクに近寄らないで。
>>153 >私は私であるということに対しての疑問。私が私である理由は何か。
>単に親から産まれてきたという理由では納得出来ない人種もいるのですね。
「どのようにして」親の腹から生まれ、数年経って意識が生じたか、
この一連の一貫した自我が「どのようにして」生まれたのか、
…こういうことは、俺もある程度、勉強量に応じて、知ることが出来ますし、納得もしています。
でも、「何の為に?」となると、途端に人跡未踏の高山を見上げる思いになって、
どんな答えも納得がいかず、嫌な胸騒ぎがするんです。
「何の為に」親の腹から生まれたのかは、親に尋ねて、ある程度知って納得も出来ます。
でも、"この一連の一貫した自我が何の為に?"となると、そうなりませんか???
171 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 12:25:40
>>167 いったい、どこから引っ張って来たコピペなんだよw
活字だからといってキミの好きな権威づけをしたいんだろうけど
そんなもんは私にはクソの役にも立たんぞw
そんな活字よりも私の方が、明らかに論理的に正しいだろ
雄大な景色を見て感動する
この「感動」は、別にクオリアではないんだよ
私は感動していても
横にいる人は実は今から死刑になるという状況の中で同じ景色を見ているとしよう
同じ景色を見ているんだよ
赤は赤に見えている
今から死刑になるからといって赤が青に見えたり
頭の後ろ側が見えたりしないだろ
同じ景色を見ているわけだが
死刑という、クオリアとは関係の無い状況によって
素直に感動できない という事になっているわけだ
感動とクオリアとは別物だ
その他の状況が思考に加わって、総合的な感想となる
なんでこんな事がわからんのだ?わかりやすく説明してるのに
172 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 12:43:49
>>171 からむね。さびしんの?爆笑王改め「単なる馬鹿」。
>赤は赤に見えている
では、その妄想を論理的に証明しろよ。
そうだからそうなんだよ!以上のものがあればな。
ってか、どうでもいいよ、単なる馬鹿の話なんか。
からむなよ。馬鹿がうつるじゃん(笑)
173 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 12:54:50
>>172 反論できないクセに キミは、いつも偉そうだなぁw
確かに他人のクオリアについては証明なんて不可能だよ
しかしそれだけかい?w
それじゃ、他人じゃなく
どちらも自分の状況で説明すればいいだけの話だよ
昨日は感動したけど
今日は状況が違うから、それどころじゃなくて感動なんてしてられない
という事があるだろ
同じものを見たり、同じものを食べたり
たとえば好きな、同じコーヒー飲んだりして
同じ刺激の中にいても
その他の状況によって、総合的な真理状況は変わるんだよ
クオリアというのは、純粋な刺激そのものを指す言葉であって
思考を含めた、総合的な心理状態を指す言葉ではないんだよ
いい加減、理解してくれよ
ここまでやりゃぁ、小学生でも理解できると思うぞ?
174 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 13:05:32
わかってくれよ。ボクだってつらいんだよ。
これだけみんなから馬鹿にされてもしがみつくその哀れさ。
飢えた子供の悲しい瞳のその前でなにも悲しい人なんかいないんだよ。
わかったから、キミはボクの前にいないということにしてくれよ。
証明はできないのな。
では単なる馬鹿の強情では証拠にネット上の近い発言ひろってこい。
話はそれからだ。ないならボクにからまずおとなしく馬鹿を楽しんでろ。(笑)
175 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:07:00
君らの話すことは、全部本に書いてある。君らから学ぶことは何もない
176 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:12:01
モヘー(1712〜1778)
『御宅不平等起源論』
『モヘ契約論』
「四つの自由」
・(2Dの)言論と表現の自由
・(2Dの)信仰の自由
・(2Dの(知識))欠乏からの自由
・(3Dの)恐怖からの自由
177 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:13:30
↑のことを学べ
178 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:53:51
興味のある方はどうぞ(1/5)。
ハイゼンベルク「部分と全体」より引用(pp.20あたり) 高校卒業間近のハイゼンベルクと友人の会話
(友人)「君たち自然科学の信奉者どもはいつでもすぐに経験事実ということをひっぱり出して、
それで真理を確実に手に入れたと信じてしまう。しかし経験するというとき、
実際に何が起こるのかをふり返ってよく考えてみると、
君たちのやり方には非常に議論の余地があると僕には思われる。
君たちが言っていることは要するに君たちの考えに基づいており、直接に君たちが知っていることはその考えだけなのだ。
しかし考えというものは物体の中にはない。われわれは物体を直接に知覚することはできない。
だから、まずそれを表象に変化させて、それから最後に物体についての概念を作らねばならない。
外界からわれわれに感覚的な知覚を通して流れ込んでくるものは、
非常に多種多様な印象からなる、ほとんど無秩序な混合物である。
それには、われわれが後になって知覚するような形だとか性状だとかいうものは直接にはまだ全然関係していない。
179 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:55:20
興味のある方はどうぞ(2/5)。
(友人・続き)たとえば一枚の紙の上に描かれた正方形を見たときに、
われわれの目の網膜のうえにも脳の中の神経細胞の中にも、正方形の形をしたものは何も生じない。
それどころか、われわれは感覚的な印象を無意識のうちに表象を通して整理し、
印象の全体をいわば一つの表象に、すなわち一つのまとまった”意味のある”像に変えているにちがいない。
この変化によって、つまり個々の印象を”理解し得るもの”に整理することによって、われわれははじめて”知覚”するのだ。
だから表象に対する描像がどこからきているのか、いかにしてそれらが概念的に把握され、
そして物体に対してどのような関係にあるのかということを、まず一度確かめてみなければならない。
そうしてはじめて、経験の意味するものについて確実に判断を下し得るのだ。
明らかに表象というものが経験よりも先にあるのであり、表象こそは経験に対する前提になっているのだからね」
180 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:56:35
興味のある方はどうぞ(3/5)。
(友人)「僕はただ原子のようなものを扱うさいに、安易に経験について述べることに対して警告したかっただけだ。
なぜなら、われわれが直接的には観察することのできない原子などというものは、単なる物体ではなく、
表象と物とに分離することが明確な意味を持たないような、基本的な構造に属しているものであるかもしれないのだから。」
181 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:57:24
興味のある方はどうぞ(4/5)。
(友人)「君はさっきプラトンの「ティマイオス」のある箇所に言及し、
プラトンは最小の部分を正多面体という数学的な形式と同一であると書いていると言ったね。
プラトンが原子についての経験事実を持っていなかったからその説は間違っていたかもしれないが、
それをもう一度可能であるとして取り上げて考えてみることだってできる。
君はそのような数学的な形式を”現実の”とか”実在の”とか呼ぶのかい?
もしもそれが自然法則の表現で、したがって物質的な世界の中心的な秩序の表現であるのなら、
それを現実のものと言わなくてはなるまい。なぜなら、それから作用が出発しているのだから。
しかし、それは実在のものとは言えないね。なぜならそれはまさに”実体(res)”つまり物ではないから。
ここではどういう意味にことばを使えばいいかがもうよくわからない。
原子の世界とわれわれの直接的経験領域とは非常にへだたってしまっており、
その領域内でわれわれの言葉が有史以前に形づくられたことを考えれば、そこことは別に驚くべきことではない。」
182 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 13:57:57
興味のある方はどうぞ(5/5)。
(ハイゼンベルク)「これに対する結論も、僕は経験にまかせたいと思う。
この最小の部分の世界については前もってまだ詳細な実験がなされず、
したがって十分理解できるようになっていない時点で、
人間の空想力が物質の最小部分の振る舞いを推測するのに十分であるなどということは僕には考えられない。
実験が非常に誠実に、そしてすべての先入観なしに行われたときにだけ、本当の理解が生じ得るのだと思う。
だから僕はあまりにもむずかしい対象物に対する、あまりにも立ち入った哲学的な討論については懐疑的なのだ。
そこにはあまりにもたやすく思考上の先入観が作られてしまい、
それは後では理解を容易にするどころかよりむずかしくするだけだからね。
僕は、将来まず最初に自然科学者が、そしてその次に哲学者が、原子についてかかわりあってくれることを希望するよ。」
>>159 >>166 わざわざ2度も書き直してもらって何だが、ちっとも「わかりやすく」ないw
1.「この私はこの体である」と、いったん唯物論の立場に立って考える。
しかし、それがなぜなのかはわからない。
2.なぜなら…(なぜ「この私がこの体である」のかはわからないという説明)。
3.したがって、唯物論は間違いであるという結論に至ることができる。
この三段論法を理解できる奴がいたら、そいつは白痴だぞw
1.で「いったん」唯物論の立場に立って考える、と言っておいて、3.で
それを否定するなら、2.では「やはりこの私はこの体ではない」ということを
論じなければならないのに、「なぜこの私がこの体であるかはわからない」と
いくら論じても、全く無意味だ。
「リンゴが木から落ちるのはなぜなのかわからない」としても
「リンゴが木から落ちるのは間違いだ」という結論に、至るはずがないw
それに、1.でも2.でも出てこなかった「精神(心)」が、どうして3.で
唐突に出て来るのか、丸っきり支離滅裂。
>否定してるのに「それは唯物論だ」と言う方が明らかにおかしいだろ
否定していると言いながら否定できていないから「それは唯物論だ」と
指摘しているのに、「明らかにおかしいだろ」と言われてもねえw
>>155 相変わらず実在論か、最高位。愚かしいな。
「正しさ」ってのは絶対的にそこにあるものじゃなくて、
なんらかの権威・権力に保証されてはじめて成立するものなんだよ。
権威に一切保証されない「正しさ」って単に狂ってるだけだぞ。
ガリレオは当時では狂人だったが、後に彼を評価する権威が強くなったから
今から見て「当時から正しかった」と評価されているだけの話。
彼が「正しい」ことを言っていたからそう評価されているのではない。
185 :
素人:2006/02/10(金) 15:31:29
>>183さんと被るがw
>>166 w
一行目の内容はこうなるのかな。
>「この私はこの体である(と、いったん唯物論の立場に立って考える)が、それがなぜなのかはわからない」
この私はこの体であるが、それがなぜなのかはわからない
「この私はこの体である」という記述は肯定されている。
二行目。
>「と言うのも、この私は この体の、何の物理的な要素によって『この私』であったのかを 解明しようとしても、その根拠など、どこにも有りえないからである」
=この私がこの体であることの物理的要素による根拠はわからない。
これって、一行目と同じ内容じゃない?
しかも、この二行目のどの言葉・どの文の繋がりで、「この私はこの体である」という言明が否定されているのか?
「この私はこの体である」という記述は、依然として許容されたままだ。
「この私が この体である」「この体が この私である」、という言明は肯定されるんですね? >>最高位
そして、あなたは、【「この私が この体である」「この体が この私である」】ということを認めるのかどうかはっきりさせてこなかった。(
>>166まで)
だから私は、
「もしあなたが、【「この私が この体である」「この体が この私である」】という言明を否定するのであれば、
この体のほかに、私の拠り所はどこですか?」
と訊いたのだ。(はるか昔にね・・・(^^;))
三行目は、一行目と二行目との関係がよくわからない・・ orz
186 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 16:15:31
哲学板は非常に俗物が多いですね
>>155 何故他人でなくカエルでもなく自分として産まれてきたのかという様な疑問でしょうか。
単に親から産まれてきたという理由では納得出来ないのでしょうか。
>>170 「何の為に」は目的論であり自同律の問題とは違うような気がします。
親が自分を産んだ理由は親に訊ねるしかないです。
188 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 17:10:21
>>186 そんなことは、当たり前だろう。俗物たちの最後の拠りどころ、それがこのスレだよ。
>ゾルvs一言について
これは一言本人の登場を待ったほうが早いと思う
>可謬主義
「謬」とは「間違い」という意味
「可謬主義」とは「すべては間違いの可能性がある」という態度
可謬主義には有名なパラドクスがある
「すべては誤りうる」という態度が可謬主義的態度であるが
可謬主義は「すべては誤りうる」ということの無謬性を信じているのではないか
これは可謬主義に反するのではないか
これが可謬性のパラドクスだね
190 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 17:59:59
>>173 最高位殿によれば「クオリアとは純粋な刺激」だそうである。“純粋”とは何?
と半畳をいれるのはやめるが、そうなると君は典型的な唯物論者ということに
なる。
刺激とは何らかの“事物”に対する身体の反応である。刺激をもたらす事物の
“存在”を前提としなければ、刺激は起こりえない。もう一つ、それに反応する
身体をも前提としなければならない。初めに事物と身体ありき、という考え方
を唯物論というのではないのか。
君がクオリアを語れば語るほど“君の存在性”は、荒野で嘆き叫んでいるので
はないか。
>ピカ
>では、その妄想を論理的に証明しろよ。
「論理的な証明」とは何を指すのか
前提と結論からなる構造において、
結論が前提に(明示的であるか非明示的であるかに関わらず)含まれている時に
その論証は「明証的」とか「論理的」とか言われるだろう
だが、なぜピカはそのようなことを求めるのだろうか
「論理的に証明してみろよ」という言葉はピカのとても素朴な願望を表しているように思える
>>189 ゾルvs一言なんて構造自体が無いんだよ。
君が実践上の問題(日常におけるコミットメントの必要性の問題)を放棄し、
一言が学問上の規範性の問題を放棄する以上、二人の間には対立べき軸がない。
>>192 >君が実践上の問題(日常におけるコミットメントの必要性の問題)を放棄し、
バートリーの著書は『コミットメントからの退去』ではなく『コミットメントへの退去』だよ
批判的合理主義が放棄する問題はすべての正当化を求める問題だよ
価値だろうが実践的な話題だろうが議論を行うことはできる
参考までにハンス・アルバートの『批判的理性論考』から
一、認識それ自体が、実は人問実践の一部なのであり、したがってそれもまた、決断に満たされたものである。
二、それ故にまた、科学もひとつの実践的活動であるが、そこにも価値判断、規範、決断が存在する。
三、合理性の問題は、人間実践一般の、すなわち問題を解決しようと行動する方法的実践の問題なのであって、認識の領域にのみ限定されるものではない。
四、問題を合理的に処理しようとする実践のすべてに理性が関与してくるが、その理性は無謬ではなく、誤りうる。
五、理性は誤りうる。このことには例外はない。それは、論理学や数学、哲学や政治から、神学に対してすら言えることである。
六、このような首尾一貫した可謬主義にまっこうから対立するのが、基礎づけを追求しようとする思考であるが、
基礎づけを完遂することは、ミュンヒハウゼンのトリレンマに帰着せざるをえず、したがって支持できない。
七、何ものも批判を免れることはできない。何らかの理論に対して、それを批判からくいとめようとする「免疫化戦略」(ポパーの用語では「規約主義の戦略」)は拒否されなければならない。
八、そのような免疫化戦略を用いてなされるドグマ化は、理論のドグマ化といった認識面だけでの問題なのではなく、すべての人間実践にみられることであり、拒否されなければならない。
九、以上のことから、真理と確実性とは無縁であると言える。
確実なるものが存在するとしても、確実にそれを認識することはできないからである。
とはいえ、分析哲学にありがちな懐疑主義や相対主義は拒否されなければならない。
批判的吟味の方法によって、「真理への接近」をなしうるからである。
>>193 日常におけるコミットメントの必要性とは、君の言う合理主義とやら
とは異なり、議論を停止すること、あるいは、何らかの批判を一旦
停止し、無批判的に(というか批判を停止して)コミットメントすること
が不可避であるということだよ。
つまり、「理論上は議論可能であるしそれが推奨される」と仮定しても、
「現実には議論の停止とコミットメントの強制、および、議論を他者に
要請することの禁止が何らかの形で不可避である」ということだ。
君の言う「合理主義」の一歩先の問題でもある(今や、合理主義の
実現可能性が問われている)わけで、ある意味では哲学外の領域
に接近しているか、あるいは、既に踏み込んでいる)。
このような場合、「知的議論は、あくまでも「知的議論であって
生活の全体ではない」という現実問題が立ちはだかる。
俺の勝手な解釈では、一言はこの「知的議論の場の規範と
言われるものを実生活に拡張することの拒否」であり、それ
ゆえにもはやゾルレンと一言は同じ土俵に立つことが無い。
というか、合理主義はえてして相対主義を誤解していることが多い。
例えば、
>>194の命題を一〜九まで全部認めても、>相対主義は
拒否されなければならない、という文は出てこないんだな。この辺は、
価値相対主義=絶対的な価値の不在、という先入観か何かがあるん
じゃないかと思う。
逆もまた然りで、相対主義が合理主義を誤解していることもある。
俺はちょっとさやに構えて「合理主義も相対主義も実際には貫徹
できない」だけどね。
>>195 >日常におけるコミットメントの必要性とは、君の言う合理主義とやら
>とは異なり、議論を停止すること、あるいは、何らかの批判を一旦
>停止し、無批判的に(というか批判を停止して)コミットメントすること
>が不可避であるということだよ。
そりゃ不可避でしょうよ
議論には原理上、終わりがないのですから
眠くなったら「とりあえず議論はいったん中止」と言って終了になります
2ちゃんだろうと「落ち」と言って落ちるでしょう
しかしまた議論を再度行うことはできます
俺は批判的合理主義者だが、この批判的合理主義もまた議論にかけることができる
俺が批判的合理主義者であるのは、この立場を放棄するだけの批判をまだ得ていないからであり
今後もそのような批判が出るかどうかはわからない
批判的合理主義への適切な批判が出たら、この立場を放棄して違う立場に態度を変えればいいだけだ
これのどこに問題があるのかわからない
「批判的合理性の可能性」をめぐる議論を読んだ側としては
合理主義の実現可能性は、基礎付け主義的思考にとらわれた問題だとしか思えない
>>198 いや、問題は無い。
というか、「その立場について問題がある」なんて誰も言ってないことに
気付かないと不味いんじゃない?
一言は以前、「実際問題として議論を強制する事はできない」と言った。
要するに、「議論が推奨されるかどうか」で「yes」と君が言ったこと、
これに対しては誰も文句を付けてない。君の一人相撲の感が在る(現に、
俺はなんでゾルレンが一言に対してレスをするのかが理解できなかった。
俺から見れば、両者は全く異なる話ししかしてない)。
この辺は、むじんくんとぴかぁ〜の話にも言える。
両者は話が噛みあっていないように見受けられる。
>>197 貫徹できるかどうかに注目できるのはあなたが合理主義者であるからではないですか?
相対主義的態度を徹底するならば、彼は論理の拘束力を認めないのではないですか?
自らの論旨が矛盾していようがどうだろうが、彼にとってそれは関心の対象にならないでしょう
「われわれは積極的に自らと立場を異なる者と議論を行うべきである」
これだけが批判的合理主義が回答を一致させるものでしょう
相対主義と多元主義に違いがあるならば、真理の存在と議論の有意義さだけです
ハンス・アルバートの論考は過去の自分の態度への自己批判なのでそのまま鵜呑みにするのは危険ですが
彼の論考の10項目は批判的合理主義の基本的な考え方を表現していると思います
201 :
197:2006/02/10(金) 19:38:52
>>200 だから、それが相対主義に対する誤解なのよ。
相対主義とは現実と闘い続けた合理主義の成れの果てだとも言える。
相対主義が多く見られるのは政治分野なんだが、相対主義者の多くは
合理的な考え方をしてる人が多い。
ところで、「批判を受けない法的自由を君は認めるか?=批判を裁判で
強制できると思うか?」という質問に、君がどう答えるかでこの問題は、
一応決着が着くように思えるがね。
>>199 >一言は以前、「実際問題として議論を強制する事はできない」と言った。
この言葉が正しいならば
「実際問題として議論を強制する事はできる」ということが間違っている可能性がある(かつ、間違っている)ということです
ところで「実際問題として議論を強制する事はできる」とはどのようなことを言うのでしょうか?
その言葉が言っている内容が「実際問題として議論を強制する事はできない」という言葉と同じ量の内容です
俺が一言を批判したのは、彼が正当化と批判を区別できていなかったこと
つまり、彼が正当化主義的思考に陥っているということと
「解の共有だけでなく、問題の共有も必要ない」という言葉
つまり、議論なんて無意味という彼の言葉だ
>>201 >相対主義が多く見られるのは政治分野なんだが、相対主義者の多くは
>合理的な考え方をしてる人が多い。
「合理的な考え方」って何ですか?
バートリーにとって「非合理主義は合理的に擁護されうるか」というのは
CCRが成立するかどうかのとても重要な部分です
ここで「擁護されうる」と回答するのが、バートリーです
>ところで、「批判を受けない法的自由を君は認めるか?=批判を裁判で
>強制できると思うか?」という質問に、君がどう答えるかでこの問題は、
>一応決着が着くように思えるがね。
それこそ個人の自由でしょう
わたしは認めません
なぜなら、「批判されない自由」を認めることは「話し掛けられない自由」を認めることに等しいからです
私はそんなことを一度も言ってませんので。
205 :
197:2006/02/10(金) 20:01:30
お、登場した。何か、コメントしろ。
206 :
197:2006/02/10(金) 20:10:35
>>203 合理的な考え方?
それは、君の言う「議論の有意義さを尊重する」という奴だよw
合理主義はその一点でのみ支えられる。
相対主義者は価値の問題についてきちんと議論する。
では、多元主義と何が違うのか?
議論の強要の否定だよ。
>相対主義と政治
法哲学者の井上達夫先生は次のように書いてます
リベラリズムを相対主義にひきつけることによりこれを正義の観念と対立させる誤解を
以上において立ち入って検討した。
この誤解はリベラリズムに対する誤解であると同時に相対主義に対する幻想でもあることが明らかになったと思われる。
相対主義は無謬性を僭称する独断的絶対主義を否定する点でリベラルな外観をもつが、これは外観にすぎない。
相対主義は客観的価値に関する絶対的認識の標榜を斥けるだけでなく、
客観的に妥当する価値の存在そのものを否定することにより、
自己の価値の選びを不可謬のものと見なす権利を再び人間に与えてしまったのである。
絶対主義と相対主義との間には、
根拠を有していると標榜するか、「根拠などなくてよい、我が意思こそ根拠である」と囁くかの違いしかない。
絶対主義が己の恣意性を隠蔽する独断であるとするならば、
相対主義は己の恣意性に開き直った独断であり、
いずれも対立する他者との果てしのない対話的緊張関係から退却して、
自己の快適な独断の城に引き篭ろうとする衝動を内包している点で同じ穴のムジナである。
209 :
197:2006/02/10(金) 20:29:00
>>207 アホ臭いなあ。
そんなのは織り込み済みで話してるに決まってるだろ。
今、まさに井上先生の意見が価値相対主義者である
俺の批判に晒されてるってわけだ。
>>206 勉強不足にテキトーなことを言うでない
それから一言の言葉を借りてくるところも失礼なやつだね
バートリーは「議論によって議論の無意味さを説得される」可能性を認めているよ
議論に価値がないかもしれないし、あるかもしれない
とりあえず俺は「議論に価値がある」と考えているんだ
別に「議論に価値がない」と考える人がいてもいいんだよ
このことは議論にかけれる
俺は「議論に価値がない」と考える批判に未だ到ってないから「議論に価値がある」という価値に
とりあえずコミットしている
211 :
197:2006/02/10(金) 20:33:25
ところで、俺がアホ臭いと言ってるのは井上先生の意見について
ではない。ゾルレンの議論の仕方に対してだ。ゾルレンはよく
「本を読め」というが、これほど議論の有意義さを無視する発言も無い。
井上先生は価値相対主義の絶対主義攻撃は外観であるという。
しかし、その批判に批判は可能か? 可能である。
もし、価値相対主義の名の下にそういうことが行われているとしても、
それが即座に価値相対主義の責任になるのだろうか。まるで、スターリン
の行動を共産主義という理論そのものが負わねばならないのか。
212 :
197:2006/02/10(金) 20:37:20
>>210 「議論に価値はあるのか?」
確かにこれは合理主義の問題だな。
しかし、ここで注意しなければならないのは、
議論せずに「議論に価値は無い」ということが
果たして合理主義の範疇か、ということだな。
君は「議論に掛けれる」というが、まさにこういう
「とりあえず議論に掛ける行為の否定」が合理主義の
下に認められるとしたら、とても奇妙な話であろう。
つまり、合理主義とは、バートリーの発言がそれを
端的に表してるように「とりあえず議論する有意義さ」
を認めないと始まらないのだよ。
それとも、「議論せずに議論の無価値さにコミットする」
ことを君は認める?
>>209 ちょっと待って
君は井上先生に対して批判できていないよ
いいかい、AがBを批判する時、同時にAはBに批判されてもいるんだよ
これが正当化と批判の峻別なんだよ
小河原先生がCCRがポストモダンを批判するロジックをもっていると評価するのはこの点なんだよ
ポパーは無自覚だったけど
バートリーは非正当化主義として定式化した
ここにおいて「君の意見は正当化できない」という批判は、批判として無効なんだよ
なぜならば、そのような批判は、どこかに最終的正当化を与えるアルキメデス点の存在を認めているからなんだ
>>212 >それとも、「議論せずに議論の無価値さにコミットする」
>ことを君は認める?
別にそういう人がいてもいいでしょ
誰も責めてないよ
215 :
197:2006/02/10(金) 20:42:20
>>213 それは当たり前だろう?
俺が井上先生を批判するって事は、一方通行ではありえない。
俺の批判も井上先生の批判に晒される。
>>214 そんなことは聞いてない。
君は「議論せずに議論の無価値さにコミットする」ことは
合理主義だ、と君は言うのかか、ということだよ。
横レスで悪いが、ゾルレンは井上の価値相対主義批判が
ケルゼンやラートブルフなどの価値相対主義者のどこを
批判してるのか具体的にか言える?
>>216 その前に、価値相対主義者ってナニよ?
前から気になってるんだが。
そんな単語でひとくくりできるくらい立場が同じなのか?
>>216 井上先生はケルゼンについても触れているけど
その内容は批判には至ってないと思われる
道徳規範と法規範の区別について軽く触れて
そこで「道徳規範は自らが侵害された状態の処理に対してまったく無関心なのだろうか」と問いを立てて次に進んでいる
ラートプルフの名はない
>>218 じゃあ井上センセの価値相対主義批判の相手方って具体的に誰?
>>215 >そんなことは聞いてない。
>君は「議論せずに議論の無価値さにコミットする」ことは
>合理主義だ、と君は言うのかか、ということだよ。
議論した上で議論の無価値さにコミットすることは合理主義だ
彼が自分と異なる立場と対話する心づもりがある限り、その立場の如何に関わりなく彼は合理主義者でしょ
221 :
197:2006/02/10(金) 21:02:57
>>220 だったら、合理主義と価値相対主義は別に対立しないし、
それどころか俺とあんあたの間にも相違点は無い。
>>219 多分、具体的にはいないんじゃないかな
井上先生は最初から、正義論の可能性を探っていくこと
正義論が可能であり、正義についてあれこれ考察することが意義があるということが
井上先生の一番の主張だと思うよ
一応、引用したところでは加藤とかいう人の名を出して寛容精神について批判してるけどねぇ
>>222 その場合の正義って何を指してるか分かって読んでる?
>>223 分かってるつもりだけど、本当は分かってないかもね
226 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 22:47:05
しかし、私に絡んでくるヤツは
不思議なくらい、本物のアホばかりだな
>>183 >この三段論法を理解できる奴がいたら、そいつは白痴だぞw
ん???
そんな単純な三段論法で、唯物論を論破しようとしているわけがないだろ
キミが「この私」が「この体」だと言うなら唯物論だ などという
ド素人なアホ発言をするから、簡単に説明したんじゃないか
アレで少しも理解できなかったら、いったい何を哲学してるんだ?というほど
本物のアホだぞ
詳しい説明は以前やったから、それは前提にして簡略的に書いたんだよ
前提にできないだろ というならさ
何度も言うように「この体の、何の物理的要素で私は存在しているのかしたのか」
それを答えてからにしてくれ
何度言っても、誰も答えてくれないんだよな
答えられないクセに、なぜか偉そうにワケのわからん反論みたいな事をしてくる
ホント意味不明だわな
まぁ、いちいち説明するのも面倒だが、適当に相手してあげるよ
>2.では「やはりこの私はこの体ではない」ということを
>論じなければならないのに、
この私が、この体で ないわけがないだろ
病院に行きますか?
続く
227 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 22:48:04
続き
>それに、1.でも2.でも出てこなかった「精神(心)」が、どうして3.で
>唐突に出て来るのか、丸っきり支離滅裂。
これもアホ丸出し
「この私」「この体」と言えば
私の性質と形質の事に決まっているだろ
内面性と外面だ
最初から、その前提なんだよクソガキ
それから、りんごが木から落ちる なんていう事に例えてるけどさ
「この私」と「この体」という、内面と外面の話なのに
りんごが落ちる という動作的な話を持って来てどうするんだよ
全然違うだろ
この問題は、『私の存在性』や『主観性』そのもの
というような、キミ達の脳みそでは理解できないかも知れないチョット高度な問題なわけ
キミ達には難しいんだ ということを、わかった上でしゃべりかけてくれ
230 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/10(金) 23:12:56
>>166 >「と言うのも、この私は この体の、何の物理的な要素によって『この私』であったのかを 解明しようとしても、
>その根拠など、どこにも有りえないからである」
なるほど、判りました。あなたはナルシスト(ナルシシスト)なのですね?
さらにその影響であなたは「独我論」に陥っているのですね?
あなたにとって(アプリオリに)重要なのは『あなた自身だけ』であって、
『あなた自身』の存在を「単なる普通の脳じゃないか?」と考える「他者」は、
「(あなたの「世界」内に)存在する資格はない」・・・というだけのこと(主張)
ではないのですか?
231 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/10(金) 23:13:24
>>191 >>ピカ
>>では、その妄想を論理的に証明しろよ。
>「論理的な証明」とは何を指すのか
しらねぇよ。ボクが境界問題嫌いなのおまえが一番知っているだろう。
自分の趣味に巻き込むな。時効警察か!
232 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 23:14:11
昔は量子物理のアプローチで論戦をいどんでいくやつがいたなぁ
その次は機械氏の記憶違いについて延々と叩くだけのやつもいたなぁ
その後は読んでないけど、
今住み着いてるのは煽りが専門のコテハンか・・・
堕ちたなぁ、このスレも
233 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 23:21:55
>>230 いやいや
意味わからんし
とりあえず
唯物論を主張するならば
「この体の、何の物理的要素で私は存在しているのか、したのか」
これに答えて下さいな
>>232 機械君乙w
234 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/10(金) 23:26:11
>>227 >「この私」「この体」と言えば私の性質と形質の事に決まっているだろ
「主観しか存在しない」という『あなたの世界』では「そう」なのでしょうが、
それは、私たち「あなたの他者」にとっては、「私の世界ではない」のです。
・・・それをご理解戴けないと・・・そもそも「哲学の土台」が成立しません・・
235 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/10(金) 23:33:28
>>233 >「この体の、何の物理的要素で私は存在しているのか、したのか」
「現時点」における(時間軸決定)、「この宇宙」における(他の3次元軸決定)
・・・という「座標上」の「あなたの脳」が「存在しているから」・・であり、
他の如何なる「理由」や「原因」や「根拠」は・・・(残念ながら?)ありません。
236 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/10(金) 23:57:21
>>234 何を、わけのわからんオカルトチックなこと言ってるんだい?
もっと具体的にたのむよ
なんだかタロット占いでもやる人みたいな雰囲気だぞ?
>>235 何をボケてるのかねぇ
>「あなたの脳」が「存在しているから」
ってキミも、やっぱりバカ???
キミの言う「あなたの脳」が、なんで他人ではなく
私だったのか聞いてるんだよ
もっとわかりやすく言えば
私が死んで消滅したとしても
その物理的要素を再現すれば、生き返る事ができる
文字通りの、『私の物理的要素』を聞いてるんですよ
それが無けりゃ
私は物理現象に規定されているのではない事になる
237 :
素人:2006/02/11(土) 00:02:16
>>236 なぜ、生き返ること・再現性にこだわるのですか?
全ての事象は、一回性のものではないんですか?w
238 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/11(土) 00:05:48
>>236 >私が死んで消滅したとしても
>その物理的要素を再現すれば、生き返る事ができる
回答は、「あなたの脳(肉体)の3次元デッドコピー」は「あなた」ではない・・
・・ということです。・・・あなたの「クローン」があなたでは「ない」のと
・・「同じこと」なのです・・独我論者には「理解しがたい『真理』」かもしれませんが・・
あなたは「他者」について全く理解していないのです。
と言うより、「独我論者」は最初から「他者は存在しないかもしれない」
という前提で思考を始めているので、死ぬまで「他者」の存在を信じ切る
ことが出来ない・・・可愛そうな「永遠の孤独者」なのです。
239 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 00:07:02
>>235 あぁゴメン
答えていたみたいだね
>如何なる「理由」や「原因」や「根拠」は・・・(残念ながら?)ありません。
なるほど
唯物論の完全敗北を認めるんだね?
『私』というものには
如何なる物理的「理由」や、物理的「原因」や、物理的「根拠」は・・・(残念ながら?)ありません。
という事だもんね
ハンドルネーム変えなきゃね
240 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:08:16
>>238 「まちがったことを考えてる誰か」「その考えを理解できない誰か」、
をいちいち引き合いにださないと自分の考えがいえないのかね。
君は。
241 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 00:09:49
242 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:11:03
>>239 敢えて『他の』(如何なる「理由」や「原因」や「根拠」)を引用時削除する理由は何なの?
243 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:13:33
244 :
素人:2006/02/11(土) 00:14:13
245 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:20:23
>>241 もう無理だよ。おまえこそは「存在しない」・・・これが真理・・・
判った?・・・・ら消えろ・・・・・永劫に・・・・・ばいばい「わたし」
すっげー盛り上がってますね(笑)。ちょっと一言だけ。
精神とは関係です。これは機械氏風に言えば日本の「江戸時代」に生きていたヘーゲルから
常識です。
247 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/11(土) 00:28:08
>>246 本日(明日)の最後に・・
ヘーゲルの時代に「考える機械」=コンピュータは「観念」としても
「存在しなかった」・・それは一つの「(歴史という)真理」です。
本日は就寝させて戴きます。
>>247 > ヘーゲルの時代に「考える機械」=コンピュータは「観念」としても
> 「存在しなかった」・・それは一つの「(歴史という)真理」です。
フフフ。弁証法するコンピューターは今でも難しいですね。それが出来れば人工知能は
実現の射程範囲に入ってきます。
249 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 00:38:11
>>238 >回答は、「あなたの脳(肉体)の3次元デッドコピー」は「あなた」ではない・・
この部分、よくわかっているじゃんか
この体の、物理的要素で『この私』が存在したのではない という事
物理的に完全に同じくコピーする と定義しても
私は同時に二ヶ所には存在しえない
という絶対的な論理性によって、それは結論づける事ができる
これが、天上天下唯我独尊 という事だね
>>242 ん?
敢えて『他の』というのは何の他なのかといえば
>「あなたの脳」が「存在しているから」
という実にくだらない理由であって
それは私が、その前の書き込みで、理由にならない事を説明したでしょう
こういった基本的な会話の流れぐらいは理解できるようになってから
人に文句とか言って下さいよ
>>233 「私の存在性」が物質とは関係ないものであるならその存在は物質であるオレには
知りようの無い事だな。
251 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 00:43:53
>>244 実に基本的な事なんだけど本当に区別できないの???
特に、一回性だとか言う場合の再現性とは
丸っきり同じ状況を、文字通り『再現』することであって
私が生き返る というのは
新しく生き返って、そこから新しい人生を再スタートする
という意味なんだから
明らかに再現性とは違うでしょう
なんでこんな事、説明しなきゃわからんの???
252 :
素人:2006/02/11(土) 00:46:58
>>249 「この私が唯一無二であること」と「この私が、この身体に依存するしかない」ということは
まったく矛盾しないと思うが?
物質だって唯一無二だしね
254 :
素人:2006/02/11(土) 00:57:39
>>251 だとしたら、誰も再現性を発言してはいない。
あなたが勝手に、皆のレスを「再現性を述べたもの」と変換しているにすぎない。
また、誰も「私」の再生や同時存在を述べていない。
むしろ、「それはありえないだろう」というのが共通の見解では?
255 :
素人:2006/02/11(土) 01:12:29
げ!1時過ぎ・・・
おやすみさんw ノシ
256 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 01:16:11
>>248 >それが出来れば
って、できもしない事を、できる見込みすら無いものを
さも、もうすぐ出来るかのように言うのはやめた方がいい
>>252 実際、この体に依存している状態なんだから
別に矛盾しないだろね
で?
>>254 ん?
>>237で、キミが再現性と言っているのではないのかね?
それに対して私は、それは再現性とは違いますよと言ったんだが
またまた会話が成り立っていないなぁ
いい加減にしてくれよ
ボケ防止の頭の体操なんだよね?
258 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 01:21:44
259 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 01:30:52
はいそれでは基本から・・・
クオリアは物質である脳のニューロン間の複雑な関係性より発生する。物質
としての脳がなければ「私」も消失する。
では物質でしかないニューロンからなぜ本来ありえないはずの質感などという
ものが発生するのか?
260 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 01:32:19
もう水槽脳の問題は解決したの?
261 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 01:37:04
今までの現実世界が夢だったと知ったらすべては主観的観念だったことに気づくだろう。
263 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 01:54:37
> この体の、何の物理的要素で私は存在しているのか、したのか
物理的要素そのものが私なんじゃないの?
264 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 01:54:54
>>261 はぁ?
私が唯物論者に聞きたい事だが?
265 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 01:56:46
>>263 だから
どの、どういう物理的要素なんですか?
具体的にお願いします
266 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 02:01:18
> 「現時点」における(時間軸決定)、「この宇宙」における(他の3次元軸決定)
おおまかにはこれじゃないの?
267 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 02:09:55
時間など存在しない
存在するというなら示してみろ
存在するのはモノの運動だけだ
それならたしかに存在する
存在は運動だ、というのは確かにそうだけど、
運動には時間と空間が必要だよ。
269 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 02:15:26
>>264 質問の意味をはぐらかすな・・。
クオリア発生の起源についてパラドクスに陥ってしまうのは唯物論者もおまい
も皆同じだろう?
270 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 02:19:31
酔うとしつこい春
271 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 02:26:28
運動に時間はいらない
運動とは単にモノが動く・・それだけだ
個々のモノの運動を、地球が太陽を公転する運動と
「較べてみたい」やつが比較に用いてるだけ
時間そのものは存在とは程遠い、無いということだ
273 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 02:34:12
クオリア発生の起源は本当に無から有への飛躍などという人知を超越したものなのか?
それともクオリア発生の起源はある種の誤解に基づく単なる「思い込み難問」にすぎないのか?
後者であるとしたら納得いく説明をしてくれ。
起源が永遠にさかのぼれるということでしょ。
無から有なんて生じないよ。
275 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 05:23:48
>>269 唯物論者は、原理的には全ては物理現象で記述できる と言ってるんだよ
人工知能も、もうすぐ作れるようになる とも言っている
もちろんクオリアも、物理的に解明できる とね
私は、クオリアが物理的に解明できるなんて、そんなのとっかかりすら有りえない
と言い続けてるんだけどね
唯物論者は納得しないんだよ
クオリアは解明できる
そして人工知能は作れる と、唯物論者の偉い先生方も言っているらしいよ
>>226-227 >「この私」「この体」と言えば
>私の性質と形質の事に決まっているだろ
>内面性と外面だ
いや、そんな奇妙キテレツなことを「決まっているだろ」といわれてもw
「性質と形質」って、何のことだね? どんな物質にも性質と形質くらい
あるぞ。心には形(延長)はない、とデカルトは言っているが。
内面性と外面性に対応するのは「この心」と「この体」だろ。
だから「この私」と「この心」と「この体」の関係を聞いているわけだがw
もう一度、大雑把に分類すると
1.「この私=この体」が唯物論。
2.「この私=この心」が唯心論。
3.「この私=この体+この心」が二元論。
4.「この私=この体=この心」が同一説。
>>226-227 >何度も言うように「この体の、何の物理的要素で私は存在しているのかしたのか」
>それを答えてからにしてくれ
だって、あなた自分で「この私が、この体で ないわけがないだろ」と
言っているじゃないの(ないわけがないとは全然思わないが)w
この体=この私、なら、物理的要素もクソも、この体が存在したから
この私が存在したに、決まってるじゃないのww
逆に聞きたいが、この体は(体じゃなくてもいいよ、このコップでも
この新聞でもこのウンコでもw)何の物理的要素で存在しているのかな?
「この」というのは指示代名詞で、人間の認識を示す概念だから、
もともと物理的要素と関係ないのよ。「このコップ」は、別に物理的要素に
よって「このコップ」であるわけではない。唯物論風に考えると、
客観的に存在している物質の一部を、人間が「このコップ」だと認識しているから
「このコップ」であるだけ。だからといって、このコップが物質でないことに
なるわけがない。新聞でもウンコでも体でも、同じこと。
この体(この私)が物理的要素によってこの体(この私)であるのではない
ことと、唯物論の是非と、何の関係もあるわけがない。
あなたが一生懸命主張しているのは、どうも以上に尽きるような気がするが、
違うw?
>>273 クオリアは「質感」なので存在する事物ではない。「主体による事物の解釈」である。
「ある事物がなぜそのように存在しているのか」という問いならば、
さまざまな解釈法を持ち出すことで説明することができるが、
「ある解釈がなぜそのような解釈なのか」という問いについては、
別の解釈法を持ち出して説明しても説明していることにならない。
ある解釈の起源を問うにはその解釈法の定義に遡るしかないが、
クオリアという解釈法にははっきりとした定義がない。
故に、クオリアの起源は説明できない。
「数」の起源を対象に求めるような、典型的な思い込み難問でしょう。
>>277にも俺と同じ指摘されてるね、最高位。
君がこだわってるのは「存在性」じゃなくて、「この」という指示性なんだよ。
いい加減勘違いしてることに気付きなさいw
それは確かに唯物論的世界観の中では消去されるものだけど、
だからといって唯物論的世界観の間違いが示されるわけじゃないの。
280 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 11:20:23
>>275 >>私は、クオリアが物理的に解明できるなんて、そんなのとっかかりすら有りえない
>>と言い続けてるんだけどね
物理的に解明できるできない以前に、
クオリアは物理的な解明の対象ですらないということでしょうか?
最高位殿、275の書き込みについて、
今一度、ご意見を詳しくご教示いただけないでしょうか?
宜しくお願いします。
281 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 11:59:39
>>276 あのね
心身問題だろ?
バカに細かく説明するのは面倒だし疲れるんだよ
なんで私が、心と言わずに
『内面性』という言葉を使ったのか、わからないみたいだね
内面性というのは、一言で心だけでなく内面全てを指す事ができる便利な言葉なんだよ
要するに、目に見える外面以外、すなわち体以外の事を指すために使ったわけ
従来の心身問題には、『この私』の『存在性』という概念はない
この私 と言っていたとしても、本質は理解されておらず
単に心と体の関係のみについて議論されていたわけ
心と体の、いったいどちらが主体なのか とね
>3.「この私=この体+この心」が二元論。
キミはこう言っているが、間違い
3.「人間=この体+この心」が二元論。
『この私』という事の本質が理解できれば、その存在性によって一元論となる
何故だかはわからんが、正確に分析するならば
心と体は『この私』という純粋なる存在性の二つの側面だということ
そして体という物体によって、心も『この私』も現象するのだ と主張する唯物論の主張は
この質問によって破壊される
>何度も言うように「この体の、何の物理的要素で私は存在しているのかしたのか」
>それを答えてからにしてくれ
>何度言っても、誰も答えてくれないんだよな
>答えられないクセに、なぜか偉そうにワケのわからん反論みたいな事をしてくる
>ホント意味不明だわな
屁理屈はいいから
サッサとコレに答えてくれよ
282 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 12:13:49
>>280 クオリアがなぜ物理的に解明できないのかって?
それは、唯物的にだけでなく
もっと哲学的に深く深く掘り下げなきゃ
本質は見えて来ない構造になっているんだよな
クオリアってのはアレだよ
『この私』という『主観性』に直結しているからだよ
だから『この私』の『存在性』というものが理解できなきゃ
いつまでもズレた理解しかできないだろね
『主観性』ですよ主観性
これは物理現象ではないんです
だからクオリアも、物理的には解明が不可能なんです
これを誰にでもわかるように、体系づけて説明しようとすれば
一冊、執筆しなきゃいけなくなるよ
283 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 12:55:50
>>282 執筆すりゃいいんでねーの?
すごい斬新な事言ってるならそれなりに話題になるだろうし。
もし誰かが今までに言った、既知で当然の事だったとしたらそれについて書いてある本挙げてくれればいいだけだし。
284 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 12:56:40
>>277 キミは本当に、人間の特殊さというものが理解できていないんだな
『この私』と『このコップ』が同じ意味で語れると思っている時点で
救いようがないほどに理解不足だ
話にならん
>探求者君・・・
キミは
>>184で、あんなバカな事を本気で言っちゃったら
もう終わりだよ
>>279の書き込みも
大きく的外れだしね
頭おかしいんだよキミ・・・
>>284 この『私』は、様々な条件の上に、今ここにいる。
この『私の思考(主観)』もまた、様々な条件の上にここにあるのだろう。
なぜここにいるのか?(=なぜこのような思考をしているのか?)という問いも、様々な条件によってそのように思考しているのだろう。
この身体になぜ私がいるのか?など、偶然以外の何があるというのか?
たまたま、この肉体の上に生じた意識が、そのように思考しているに過ぎないのではないか?
『まず「私」ありき』ではなく『まず「身体」ありき』ではないのか?
だとするなら、「私の存在性」(この言葉も曖昧模糊としているがw)など、かりそめにそこに顕現しているに過ぎないのではないか?
道端に小さな花が咲いている。
ふと立ち止まり、その花を見つめる。
この花は、様々な条件が重なって、今ここに咲いている。
遠くに富士山が見える。
あの富士山も、様々な条件が重なって、今あのようにあそこにある。
空を見上げると一筋の雲が流れている。
あの雲もまた、様々な条件が重なって、空を流れている。
ここに私がいる。
この私もまた、様々な条件が重なって、今ここにいる。
目の前の花と、遠く見える富士山と、頭上を流れてゆくあの雲と、
今ここにいる私との間に、一体何の違いがあろうか?
確かに、『この私』はかけがえのない唯一の存在であろう。それは誰しもが認めるところだ。
けれども、それを特別視する理由は何もない。
286 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 13:11:47
「ニューロン活動」が人間の脳内にも存在することは、
誰も疑わないのに、何故かその「ニューロン活動」で意識が形成される
という・・・明白な事実からは(無意識に自己欺瞞して)「目を逸らそうと」します。
・・それが「観念論」・・言い替えると「宗教への(逃避)衝動」です。
287 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 13:16:04
>>285 なに中途半端な左翼文学みたいなもんを書いて
バカのフリで、ごまかそうとしてるんだよ
それとも、本物のお花畑住民なのかい?
288 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 13:21:16
「ニューロン活動」が人間の脳内にも存在することは、
誰も疑わないのに、何故かその「ニューロン活動」で意識が形成される
という・・・明白な事実からは(無意識に自己欺瞞して)「目を逸らそうと」します。
・・それが「観念論」・・言い替えると「宗教への(逃避)衝動」です。
289 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 13:31:23
その・・・意識というものが・・・物理現象に過ぎないならば・・・
私という・・・物理世界に対する・・・観測者であるという事・・・
主観性を持つ・・特殊なの存在である事に・・・何の疑問も持たないのが・・・
唯物論者の・・・問題意識の低さであり・・
怠慢であり・・・明白な事実からは(無意識に自己欺瞞して)「目を逸らそうと」します。
・・それが「唯物論」・・言い替えると「宗教への(逃避)衝動」です。
機械君乙
290 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 13:58:45
この『私』は、様々な条件の上に、今ここにいる。
のであれば
物理現象が、さまざまな条件の上で現象しているにすぎない
のならば
『私』が存在する理由など どこにもありえない
気が遠くなるほどの悠久なる宇宙の歴史の中で
地球の歴史の中で、人類の歴史の中で
つい最近まで、私は存在しなかった
無であった
ならば
無は無のまま 永遠に無のはずであろう
それが原理原則
無は永遠に無だ
しかし『私』は、どういうわけか
悠久なる歴史の中で、つい最近
『存在』するに至っている・・・
たとえ『私』が物理現象であったとしても
あったとしても、それが『私』であった根拠 など
『私』でなければならなかった必然性 など
どこを探しても、そんなものは有りえない のだ
>>288 それならば、脳を持たないものには意識や意志が存在しない、と言ってもいいかい?
>>290 近代的自我は、社会学的なものだと思いますよ。
>>291 脳の活動が心と同じだ(あるいは前者から後者が形成される)、とは脳と心の関係という文脈で語られる限りでそうであり
実際のところ「心脳同一説」者の殆どは「機能主義」者であり心の多重実現可能性を認めてると思う。
294 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 14:20:45
>>292 ケツ君
キミらいつも、そんなこと言ってるけど
私にはよくわからんのよ
近代的自我 って何?
自我は自我だと思うんだけどな
なにその近代的自我って
>>290 そうか・・
あなたは理由を捜しているのですねw
ならば、様々な方法論を認めてもいいんじゃないですか?
296 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 14:30:21
>>295 理由があるなら知りたいですね
私は
私について
そして他について
その正体を知りたいのですよ
それだけです
その為に哲学しているわけです
>ならば、様々な方法論を認めてもいいんじゃないですか?
目的に有効な方法論ならば、ぜひ採用したいですが?
297 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 14:45:31
おまいらいつまでも馬鹿やってんじゃね〜よ
その認め方はともかく「私、主観」等については
皆、「在る」で一致してるだろ。
在ると結論の出てるもんを それ以上哲学してどうするよw
在るんなら、次は「それがどした?あるから、何なんだ?」だろ
先進もうぜ
私が「在る」かどうか、は次の点で疑わしい。
(1)少なくとも、世界の内側には存在していないはずである。
(2)しかし、世界の外側か境界線に存するならばなぜ「在る」と言えるのか。
299 :
293:2006/02/11(土) 15:00:05
>>298 そもそもその「世界の内側(外側)」って議論が怪しいよね。
300 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 15:01:09
>>298 内側にあろうが、外側にあろうが、境界線上であろうが
在れば、在る だよ
どこに在ろうが、在るならば『在る』だろ
301 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 15:04:51
世界なんか関係ないだろ、私の話なんだからw
おまえの私が「どのように」あるかはともかく、あるんだろw
そのレス書いたの、「おまえ」だろが?
それともなにか、ほかの誰かなのか?
>>299 世界=私によって認識されているものの総体
私は世界の内側にあるか?=私は私を認識できるか?
「視点は視点を見れない」
ゆえに、私は私を認識できない。=私は世界の内側に無い。
>>301 誰も書いてなくて「レスが現れる」と考えることが可能です。
指が動く、キーが動く。画面に字が現れる。
「私」が関与していなくても世界はそのまま。
304 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 15:11:49
>>302 私は私を「知ってる」だろ
私が私を認知する方法がどうだったかなど関係ない
まさか、おまえはおまえを知らないとでも言う気じゃないだろなw
305 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 15:16:07
>>303 可能と「自身思うこと」はできる、可能でない事ですらな
でもな、ひとに可能を知らしめ宣言するには
同意のプロセスがいる
踏めよw
306 :
293:2006/02/11(土) 15:16:15
>>302 私によって認識されているものしか存在しない世界って相当貧しいものだよ。
そんなものはとても世界とは呼べないと思う。
この手のはただ直観を否定するだけのために存在してるような議論だから
どっちでもいいけど。
>>304 「視点は視点を見れない」。
しかも、視点は存在するのではなく関係的記述から生じます。
(もっとも、それすら存在の範疇かもしれない)
>>305 「私が思う」のではなく「思いが在る」としたら、どうなるでしょうか?
>>306 それは定義の問題、かつ、定義の自由ですから、議論の要ではないでしょう。
(逆に、あなたが「世界」を定義して、そこからどういう帰結が生じるのか?ということ
の方が大事です)。
ってか、ウィトゲンシュタインも似たような言ってるよね。>視点は視点を。
309 :
smith:2006/02/11(土) 15:27:21
>>302 デカルトではいけないのですか?
この考えだと、身体が世界に含まれることになるからダメでしょうか
それとも、何処に存在するかが問題なんですか
310 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 15:32:00
>>307 なんだよ、その「見れない」とかいうのは?
認識中枢(私を認識する)は認識中枢(の活動)自体を認識してるだろ
おまえの「私」はそれをできないのか?
そうなら欠陥品だから、とっかえてもらってこいw
「思いが在る」って、それ「おまえの思い」だろ
おまえの感性抜きでは発生もしなければ、表出意思もなく出るわけ
ないだろ・・トコロテンだって誰か押さなきゃ出ないw
>>308 論考の5.62-5.641ですね。
ただ、ウィトゲンシュタインの言う「形而上学的な私」が必要なのか、
という点については疑問です。
ちなみに、むじんさんはこの形而上学的自我について言ってたのでは
ないでしょうか。
しかし、デカルトがこれに気付いていたかどうかは疑問です(むじんさん
はデカルトのコギトはこれと一緒だ、と言ってましたが)。
>>309 ウィトゲンシュタインも言うように、思考は世界の内側に無い、という時、
デカルトに接近しているのかもしれませんが、デカルトの著作は短くて
問題領域がどこまで広がってるのか分からないのです(つまり、深読み
の可能性があるわけです)。
>>309 一番の問題は、ウィトゲンシュタインが言うように「独我論を貫徹する
ならば、結局、それは実在論と一緒になる」という主張(論考の5.64。
ちなみに原文ままではない)、と、もうひとつ、唯物論が世界の内側
にその活動領域を限定するならば、世界の外側にある「私」などと言う
ものはもはや問題にならなくなるわけです。
>>312 ということは、最高位批判の論拠になるってこと?
314 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 15:38:14
あのね
キミ達は、いつも
論点がズレてても気づかない
んでバカ議論を繰り返す
そもそも
>>298が、おかしいだろ
在るかどうかの問題なのに
どこに在るかの問題にすりかわってるんだよ
在るかどうかが疑わしいなら
デカルトの「我思う故に我あり」を否定してみればいいだろ
否定できなきゃ
それは「在る」んだよ
どこに在ろうが、それは「在る」だ
どこにも無けりゃ「無い」だ
当たり前だろ んなこたぁ
315 :
smith:2006/02/11(土) 15:38:17
>>281 偶然?
もしくは「マクトゥーブ」?
人間の理性は、有限であることにある程度、甘んじる必要があるのでは?
>>313 いえ、最高位さんを批判してるわけではありません(というか、
彼の理論には興味が無いです)。
あなたがカメラで写真を撮影しています。
そのカメラには、ある視点が在る。
では、カメラを分解したら、その視点がカメラの中に発見できるのか?
できないでしょう。
では、視点とは何か?
これは、映像との関係でのみ生じるものです。
映像の中に視点は無いし、視点は何らかの実体でもない。
では、それは「在る」のか?ということですね。
つまり、上から2行目が、実は怪しいのです。
「我思うゆえに我あり」が保証するのは、「今ここにあるこの私の意識」だけであって、
過去の「私」の意識や「私」と自らを呼ぶ他人の意識の確実性は全く保証されていない。
それらは「似ている」という理由で、確実な「この私」から推測されているに過ぎない。
一方で、「私」など単なる物理現象に過ぎないこともまた確実である。
思考する「私」、発言する「私」、行動する「私」、認識する「私」。
完璧とは言いがたいが、かなりの精度で再現できているではないか。
思考は計算、発言・行動は出力、認識は入力であって、なにか特別な作用ではない。
この二つの考え方が矛盾するのは、「この私」と「私」を同一視した時である。
「私」は物質に過ぎないし、説明できるし、再現もできる。
しかし「今ここにいるこの私」だけはそのようなものではない。
これはつまり、「この」という部分がそれ以上説明できず、再現もできないというだけのことだ。
「机」は物質に過ぎないし、説明できるし、再現もできるが、
「今ここにあるこの机」を再現することはできない。「私」においても同様なだけである。
318 :
313:2006/02/11(土) 15:46:29
>>316 それは最高位への批判にちゃんとなってると思われ。
カメラの視点は物質じゃないが、結局、物質的に説明ができる。
映像との関係ならば物質との関係だ罠。
もし、私が世界との関係でしか存在できないならば、私は世界=物質界
との関係で説明されてしまう。要するに、「私」は物質でないにもかかわらず、
物質との関係で説明されてしまう可能性があるのでは?
319 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/11(土) 15:49:35
言っておくけど
私の認識世界の中には、私も含まれているよ
私の存在を認識できない人は、まずおらんだろ
視点は視点を見れない というのは
単に物理的な問題であってね
言葉のお遊びだな
例え話が適切ではない
視点から何が見えているのかを知っているのは視点の本人であって
他人は他人の視点は見れるが、何が見えているのかとか
視点の本質は、認識できない
認識できるのは本人のみだ
従って、私の認識世界の中で、私自身の本質を認識できるのは
私だけだという事になる
私は私を認識できない というのは
逆だよ逆
今日の基礎講座はココまで
>>318 世界=物質界と定義して、何かご利益があるのか、という点ですね。
仮に世界=物理現象の総体と仮定しても、実際問題として全部説明
するのは無理なわけですし(一元論は何かの説明の役に立つのか?)。
321 :
313:2006/02/11(土) 15:55:00
>>320 んあ、そうか。でも、唯物論の擁護と最高位批判には使えるんじゃないの?
別に君が使いたくないならいいけど、非物質であること≠物質的に説明できない
というのは示唆に富んでると思われ。
>>321 唯物論は擁護するものじゃないのではないでしょうか。
全部物質だ、というにせよ、全部物質的に説明可能だ、というにせよ、
それは世界解釈上の指針ではないかと(これを指針ではなく事実だ
と言い出すとおかしいわけですが)。
323 :
smith:2006/02/11(土) 16:02:00
待ってください。
R集合と非R集合の問題(名前忘れた)がどっちの集合にも含まれて、かつ含まれない
ものを認めているじゃないですか。
すろと 非物質≠物質的に説明できない
は早過ぎないですか?
324 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 16:03:07
>>316 視点とは何か、だと?
物理的視点ならおまえの目玉の網膜がそれじゃん。
被写体はそこに逆さに映るのよ。
で、重要なのは「私」の視点だが、私の視点が網膜なわけないだろw
網膜から神経索をたどった先に私の視点はあるのよ。
私というのは脳というハードウェアの「主」なのよ。人格といってもいい。
だから私と脳は不可分。
そして私の視点を主観というのさ。
おまえのいうのはそのような認識主体(私)の視点じゃなく
カメラさんの焦点のような話だと思うw
325 :
313:2006/02/11(土) 16:04:35
>>323 ああ、すまそ。ちょっと舌足らずだった。
物質でない≠物質的に説明できない
は、「「Aが非物質ならばAは物質的に説明できない」は真である」という
主張に対する反論ね。それは、偽の可能性もあると。
>>324 網膜は網膜を見れない、でも同じじゃん。
ウィトゲンシュタイの例は、「視界の中に目玉は無い」みたいなことじゃなかった?
一言はそれを一般化してるのかもしれんが、カメラなら「映像の中にカメラは無い」
の方が適切だろう。あるいは、「写真の中にカメラは無い」と。
328 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 16:12:45
>>326 網膜が「私」なわけないだろが、アホw
網膜は「私」の部品、部品が部品見てどうすんだよw
>>327 そっちの方がいいですね。それに訂正します。
>>326 みんなアホだな
網膜という物質が、ものを見れるわけないだろ
見るのは「主観性」だ
カメラがものを見れるか?
親指が親指を見れるのかよw
>>330 ウィトのはたとえ話だってことが分かって無いな。
つ 主観性は主観性を認識できない。
>>331 逆だろ
主観性は客観的には認識できない
主観性は客観性に解体出来ないじゃないの?
>一言
>デカルトの著作は短くて
>問題領域がどこまで広がってるのか分からないのです(つまり、深読み
>の可能性があるわけです)。
デカルトの『方法序説』を素直に読むなら
「われ思うゆえにわれあり」はピュロンの懐疑論への批判になると思うよ
やたらピュロンの名が出てきて、懐疑論を批判している
335 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 16:57:59
>>327 馬鹿かw
「私」が脳を通して「見る」←ということの意味は、五感のとらえた、
あるいはそのとき脳の意識にのぼった対象に対して
私の「利害を見い出し、次にとるべき行動を選択する」ということなのよ。
だから「私が見る」の意味は正確には「認識する」と呼んだほうがあたってる。
それ抜きに「見る」というのはただ「見えてる」状態であって
水面に月が映ってるのと何も変わらないw
で、認識するという行為(主観)はその道程を経験ばかりでなく論理(客観)
に照らしながらチェック検証するから必ずしも独善、一方通行と断じれない。
>197
>合理主義について
「合理性」と「批判的合理性」は分けて考えられて然るべきなのだが
一応説明すると、ポパーは「合理主義」の解釈を変えている
これはポパーが「包括的合理主義は相対主義よりも非合理的」と述べていることからも分かるだろうけど
合理主義の問題はポパーやバートリーらの間で大きく議論がなされた問題で
包括的合理主義、批判的合理主義、包括的批判的合理主義、批判的多元主義
などと興味ない人から見ればどこが違うかわからない峻別がなされている
一応ポパーの合理性の再定義は
>合理主義とはよろこんで批判的議論を傾聴し経験から学習する態度である、と言えよう。
>合理主義とは基本的には、
>「私が間違っていて、あなたが正しいのかもしれない。
> だから努力すれば、われわれはいっそう真理に接近しえるかもしれない」ということを承認する態度である。
と述べている
(これはポパーの勝手な定義だから、君の合理主義批判が全く的を外しているわけでもない)
井上先生の相対主義批判も同じようなものだ
井上先生は相対主義を「対立する他者との対話から逃げている」と批判している点では同じ
井上先生は、リベラリズムと相対主義は結びつくという考え方を批判し
この2つが結びついているというのは見せかけだけだと論じた上で
相対主義と切り離されたリベラリズムを次のように定義する
>リベラリズムとは探究の非終局性を承認するがゆえに
>他者との終わりなき対話を引き受ける一つの覚悟のことである。
>>336 しかし、民主主義とは終わりなき対話である、というのも相対主義者の意見だ。
結局、理論上の違いは、ほとんど無いわけよ。
例えば、寛容主義は「議論の有意義さ」の放棄ではなく、「結果の強制」
に対する自粛だからな。ゾルは議論=知的議論なんだろうけど、相対主義の
視野は「ある行為を強制する際に、寛容であろう」ということ、つまり、権力行使の
寛容さだ。議論における批判的合理主義と実践における寛容主義は何ら
矛盾しない。
338 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 17:48:42
合理性って「つじつまが合ってる」ぐらいでいいんじゃね?
人類最大の知恵・・かな。
それは論理でしょう
340 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 17:56:20
合理の「理」が何かを明らかにしないところが凄いだろw
あって無きがごとき真理よりなんぼかまし
341 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/11(土) 18:05:05
最高位さんへ
一極集中か普遍か
ただそれだけの違いではないでしょうか。
342 :
smith:2006/02/11(土) 18:12:55
話ずらしてすみません。
>>324 について、無脳症児には「私」はないんですよね?
そしたら、ヒトの定義は何になるんでしょう?
ヒトと脳は不可分だと行っているわけではないので、関係ないんですが。
>>337 シャワー浴びてて遅くなった
なるほど、参考になった
確かに、具体的な実践については、議論を中止して何かを選択し行動しなければならない時がある
そういう時には選択肢の中のどれかを選ばなければならない
実践と相対主義の問題についてもう少し勉強してみることにする
344 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 18:25:03
最高位は独我論に徹し、初めに言語ありき、とだけ述べておればいいものを、
舌足らずに説明するから収拾がつかなくなる。彼の説明はわかりにくいが、ど
うやら「初めに視点がある」らしい。この視点を彼は“存在性”と呼んでいる
ようだ。この“存在性”が外界(最高位の言葉)を認識し、言語に変換するそう
だ。
しかし、これは転倒している。初めに言語(認識)があり、この言語の果て・限界
を、あたかも“視点”であるかのように設定しているにすぎない。視点は事後的
に現れる。にもかかわらず、初めに“私の存在性・視点”があり、それが外界を
触感し、認識し、言語化しているように錯覚する。この錯覚のことを最高位は、
は私の主観と呼んで、ありがたがっている。
345 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 21:19:11
>>342 無脳症児が何か知らないが、
脳空間が空っぽに等しく代替器官も働かないとなれば、
認識は生まれず人格はまったく形成されないから、「私」は無い。
人の定義は動物学者にでも聞けw
二足歩行で脳の発達した道具と言葉を使いこなす哺乳類とか言うんじゃ?
1本欠けて5本足になっても昆虫は昆虫だとおれは思うんだが
昆虫学者がどう言うかは知らない。標本にはならない、とでもいいそうw
346 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/11(土) 21:22:15
■クオリアと言語
日本人は英語でLとRを使い分けることができない、というのがあります。たとえば「alive」という発音の
クオリアは日本人は「アライブ」としか、受け取れないのです。その先に「本当のクオリア」というものは
なりません。日本人はアメリカ人的「alive」を受け取って、それを日本人的「アライブ」に変換していると
考えてはいけません。日本人はその音波を日本人的「アライブ」という音のクオリアとして受け取る
のです。アメリカ人的「alive」が真実ではなく、それもただアメリカ人的なクオリアということです。では、
アメリカ人的「alive」というクオリアと日本人的「アライブ」のクオリアを規定しているものは、
アメリカ人/日本人の差異、アメリカ語(英語)と日本語という言語ですね。
347 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 21:30:01
>>346 ぴか、それ言語障害のおまえの言うことかw
>>345 じゃあ猿なら良いのか?昆虫にも脳はあるぞ?w
私の発生を、系統樹の何処で線引きするつもりだよ?
>>346 言語にクオリアがあるわけ無いでしょ?w
サウンドにはあるかも知れんがね。
350 :
考える名無しさん:2006/02/11(土) 23:50:18
言語にクオリアはあるお。ここにあるお。
351 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 00:37:39
何がなんだか…誰か分かりやすくクオリアを説明してください
>>290 >たとえ『私』が物理現象であったとしても
>あったとしても、それが『私』であった根拠 など
>『私』でなければならなかった必然性 など
>どこを探しても、そんなものは有りえない のだ
やっぱり、あなたにとって(あなたの主張に於いて)
「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ないじゃないですかw
あなたの問いは、物理現象である『私』の上に立てられても何の問題もない。
また、誰も(少なくとも私は)、その根拠について述べているわけではないでしょう?
根拠が判らなくても説明書は作成できる、ということでは?。(おばあちゃんの知恵袋みたいに・・w。)
現象を記述することと、その現象の根拠を確定することは別問題でしょ。
複雑なおもちゃ(→人間)を前に、
その動き・働きを記述し(→行動心理学?発達心理学?)、
結果をみながらボタン等入力と動きの関連を体系づけてゆき(臨床医学心理学?)、
同じもの・類似したものを比較検討し(→社会学?)、
場合によっては分解し(→解剖学?)、
そうして手に入れた情報をもとにブラックボックスの中身を推測する(→哲学?)。
できあがった説明書(おそらく一つではないし、詳細の度合も様々だろう)を受け入れるかどうかはそのあとだ。
アンテナを広げて自分に合うものを捜してもいいし、自分で説明書を作ってもいい。
宗教もまた、数ある説明書のひとつに過ぎない。
チラシの裏:
仏教は、それを徹底して自己の上で行なうようなのかもしれない。
お釈迦さんの残した説明書を片手に自身を解体し、冷徹に観察する。
ブラックボックスはブラックボックスとして受け止めながら・・・。
353 :
293:2006/02/12(日) 01:09:56
>>325 わざわざ言挙げするまでもなくありふれた事例なのでは?
運動とか仕事とか遺伝とか。
354 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/12(日) 01:11:08
>>290 >つい最近まで、私は存在しなかった
>無であったならば無は無のまま 永遠に無のはずであろう
>それが原理原則無は永遠に無だ
では近い将来あなたは『「無」になる』・・・人間としての一生を終える・・
のですから、その後「宇宙の終焉」まで、「永遠に『無』」である・・という
結論は「正しい」・・・というか「唯一の真理」です。
むろん「あなた」だけではなく、この地球上に今生きている「現世人類」
=ホモサピエンス・サピエンス・・・全員・・・「同じこと」です。
355 :
smith:2006/02/12(日) 01:17:00
「機械論的唯物論」者 さんは
身体の連続性をどう思いますか?
唯物論なら脳(意識)も身体の一部なんですよね?
そしたら、一瞬前と一瞬後の脳は違うわけで、連続性は存在しないと思うのです。
(薄学ですので、バカなこと言ってたらすみません。)
356 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/12(日) 01:25:21
>>355 人間の脳にも「記憶」の機能があります。
高等動物だけではなく「プラナリア」のような原始的「動物」にも、
「記憶」「学習」の機能が備わっていることが報告されております。
要するに「遺伝子の意思」が「記憶」を保持する・・・ことにある・・・
記憶を保持した方が(この地球上で)生存確立が高い・・・ということの
「結果」が遺伝子に蓄積された結果「記憶は種族保存に優位である」ので、
記憶を保持する能力・・・が人類において発達し、言語でそれを「記録」
することに繋がった・・・ということです。
>>351 これのことじゃないかな
http://www.qualia-manifesto.com/qualia/qualia-j-0.html ----------------------------------------------------------------------------------------
志向的クオリアの代表的なものは、言葉の意味である。例えば、「ブラジル」という言葉を耳に
した時、私たちの心の中には、まず、「ブ」「ラ」「ジ」「ル」という音素を構成する音のクオリ
アが表象される。それだけならば、単に音の知覚が生じるだけであるが、私達は、同時に、「ブラ
ジル」という音が、「何か」を指し示しているということを感じる。それは、南アメリカ大陸にあ
る国のことかもしれないし、あるいは音楽や映画のタイトルのことかもしれない。そのような「何
かを指し示している」という志向的クオリアの性質は、「赤い色の感じ」のような感覚的クオリア
の性質とは異なる。
----------------------------------------------------------------------------------------
らしいね
で、
----------------------------------------------------------------------------------------
志向的クオリアは、時に、「志向性」(intentionality)という言葉で呼ばれることがある。
(-略-)
それを、クオリアとは別カテゴリーの志向性と名付けるか、あるいは志向的クオリアと名付けるか
は、言葉の定義の問題である。
本書では、我々の心の中に少しでも表象の状態に差があるとすれば、それはクオリアの差でなけ
ればならないという立場を採用しよう。志向的性質をもった心的表象も、クオリアの一種であると
し、「志向的クオリア」と呼ぶことにする。
----------------------------------------------------------------------------------------
らしいし
わざわざ、クオリアと呼ぶ必要があるのかどうか、そういう問題なのかもしれないね
模擬が一番わからないな。研究者でもないしクオリアなんて言葉を流行らせて
何がしたいのか?
研究者でしょ、彼は
360 :
293:2006/02/12(日) 01:42:34
>>357 「志向性」は「志向性」、「クオリア」は「クオリア」だろと思う今日この頃。
要するに「意識の中身」は全部クオリアだ、ということか。
そんな概念、作るだけ無駄のような気がするが。
362 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/12(日) 04:35:10
>>341 唯識さん
何の事ですか?
>>344 勝手にメチャクチャな解釈をするのは、やめてくれ
わけがわからん
キミは、まず病院に行って治療に専念して下さい
>>351 クオリアとは
「本人が体験的に実感する主観的な質感」の事です
たとえば「赤」を見た時の「赤色そのものの感じ」です
このスレで、しばしば登場する「志向的クオリア」などの言葉は
質感を感じた後に、やってくる思考に分類されるものであり
「質感」ではないので、クオリアではありません
363 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/12(日) 04:51:05
>>352 本当にキミ達は、人の揚げ足を取る というか何というか・・・
たとえ・・・あったとしても
あったとしても・・・
と繰り返し「たとえ、あったとしても」と繰り返して述べている
例えば、百歩ゆずって、一万歩ゆずって、そのような状況を受け入れたとしても
「なお」このような問題が存在していますよ
という事が言いたいわけであって
キミ達は、自分の都合のいい言葉だけを読み取って
肝心の文意が全く読めていないんだな
実際には、百歩ゆずろうが、一万歩譲ろうが
『私』は物理現象ではありえないんですよ
あくまでも、「たとえ」という話
クオリアが、例え物理現象で説明できたとしても
という表現以上にありえない事なんだよ
「存在」と「現象」の違いぐらい、わかりませんか?
それもわからないんだったら無理ですよ
まだ早いよ哲学
364 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/12(日) 05:18:41
>>354 またまた根拠のない宗教的発言ですね
あれを解説しましょうか?
コレ↓
つい最近まで、私は存在しなかった
無であったならば無は無のまま 永遠に無のはずであろう
それが原理原則無は永遠に無だ
もしかしたら記憶がないだけで、過去にも私は存在していたかも知れないんですよ
それは確認しようがないだけです
>無であったならば無は無のまま 永遠に無のはずであろう
というのは、半分皮肉みたいなもんなんだよ
元々、無だったんならば、無から有は生じないんだから
今も尚、無でなければならないのに
何で今はいるのかな? という事を表現してるわけさ
原理原則から言って、無から有は生じないのならば
「私」は「元々」から「存在性」として、存在していた とも考えられる
というか「原理原則」的には、存在していたとしか考えられない
そうだとしか結論を導けないのだ が
しかし、それもまた「実証」する事はできない故に
私は発言を控えているわけだ
あくまでも発言は、保留してるわけ
キミは何だ?無であったものが有になってる
そしてまた無に戻る って?
それを完全に結論づけて発言しているね コレ↓
>では近い将来あなたは『「無」になる』・・・人間としての一生を終える・・
>のですから、その後「宇宙の終焉」まで、「永遠に『無』」である・・という
>結論は「正しい」・・・というか「唯一の真理」です。
唯一の真理です って・・・
論理的な、根拠もクソもない 単に直感的な、完全な宗教的思い込み発言じゃんか
無から有が生じて、また完全な無になって二度と生じない という発言の
根拠を宗教的にではなく、論理的に説明して下さい
>>281 >>3.「この私=この体+この心」が二元論。
>キミはこう言っているが、間違い
>3.「人間=この体+この心」が二元論。
いやどうも、ますます奇妙キテレツだなw
人間なんて世界中に何十億といるのに、「人間=この体+この心」
なんて暴論は、さすがに聞いたことないぞw
二元論を一般論で表現するなら「人間=体+心」だろう。
>従来の心身問題には、『この私』の『存在性』という概念はない
当たり前だって。一般論で表現するときは、「この私」なんて
特定の具体例には言及しないというだけだよw
「私」とか「あなた」とか「彼」とかいうのは、人間が特定の人間を
指示するときに使う言葉であって、それ以上でも以下でもないんだから。
で、「あなた」や「彼」は時と場合によって別々の人間を指すけれど、
人間にとって「私」といったら常に何十億の人間のうちの
特定の一人だけを指して、死ぬまで変わらないから、
単に「私」でも「この私」でも、まあ同じことだ。
だから、上の二元論を特定の人間について書き換えれば
「あなた=そこの人間=そこの体+そこの心」だし
「彼=かの人間=かの体+かの心」だし
「私(この私)=この人間=この体+この心」だ。
あなたが「この私」にこだわっているから、わざわざ
「この私=この体+この心」と書き換えてあげただけだよ。
何か問題があるのw?
>何度も言うように「この体の、何の物理的要素で私は存在しているのかしたのか」
>それを答えてからにしてくれ
だからね、唯物論の主張というのは、一般論で言うなら「人間=体」だし、
自分という特定の人間について言うなら「私=この私=この体」なの。
(その趣旨は、二元論でいう「心」は「体」に還元される、という考え。)
「この体の、何の物理的要素によってこの体は存在しているのかしたのか」
こんな質問に、意味があると思うw?
この体が「この」体であるのは、物理的要素によるわけではない、
というのは、
>>277で説明した通りね。このコップでもこのウンコでも、同じw
唯物論に対して投げかける質問としては、
「体のどんな物理的要素によって心は存在しているのか」
「この体のどんな物理的要素によってこの心は存在しているのか」なら、意味がある。
これは大変な難題だが、まあ脳科学その他が一生懸命答えようとしているわね。
でも答えられるかどうかはわからないから、唯物論が正しいかどうかは
「まだわからない」というだけね。
>心と体は『この私』という純粋なる存在性の二つの側面だということ
どうもあなたは「心」と「私」を混同していて、時々同じ意味に使ったり違う意味に
使ったりするから、意味不明の思考に陥るんだね。
たとえば体があっても心がない(と思われている)人間(例えば無脳症児とか、
意識がない胎児とか、植物人間とか、脳死した人とか、あるいは単に死体とか)
には「私」があると思う?
唯物論にとっては「私」というのは単なる指示代名詞で、あるとかないとか言える
ものではないから、「私があるかどうか」なんて疑問自体が無意味なんだけども
(心がないから自分を「私」として指示することができないだろ、というだけ)、
あなたの考えだと二つの側面の一つが欠けても、『この私』という純粋なる
存在性には影響がない、ということになりそうだが。
というか、「純粋なる存在性」というからには、生まれることも滅ぶこともなく
永遠に存在する、という感じだが、そういう意味かなw?
それとも、「存在する」という性質だけを持っていて、他の不純な性質は
一切持たない、という意味かな? しかし、そうすると心とか体とか、
煩悩だらけで不純そのものの性質を「二つの側面」として持っているのは、
どう考えても変だねww
368 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 11:13:20
昔みたいな量子物理からの流れの方が読んでて面白いよ
今の独我論で屁理屈こねるのは正直見ててつまらんというか、見苦しい
369 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/12(日) 11:27:32
>>365 >>366 >>367 キミはバカのフリをしているのか本当に理解できないのか どっちかな?
哲学的な話をしているんだよ?
キミは私が「この私」と、あえて言ってるその深い意味が理解できないんだね
指示代名詞にすぎない なんて言ってるようじゃダメだ
そんなんじゃ永遠に理解できないよ?
バカと言うのは少し言いすぎかも知れないけどね
『私』というものを理解するには、それなりの哲学的センスや探究心が必要だからね
ある特別な角度からの考察が加わって『気づき』があって
初めて理解できる
「私」というものが、あるとか無いとか言えるものじゃないと言うけれどね
そんな事も理解できないんだったらさ
これならどうだ?
バカなキミにも少しは理解できるんじゃないかなと思う
『自分が完全に死んで、体も消失した状態にしてから
また物質的な条件を整えて、自分を作成するための方法 を考えてみればいい』
これなら、いくらなんでも、キミでも少しは理解できるんじゃないか?
『私』など存在しない とかわけのわからん事を言ってるけど
作成したものが、他人であっては意味がないんだよ
それでは、さっそく
唯物論の主張にしたがって、物理的に自分を作成する手法の原理を説明してみて下さい
そんなの論理的に、絶対に有りえませんからw
370 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 11:35:19
371 :
メシア:2006/02/12(日) 11:37:38
>>356 しかし、トピ主さんはわかってるようでわかってないね。
つくづくそう思うよ。
身体も精神も連続性は無い。
一瞬過去と現在と未来の身体と精神は全くの別物。
基本的構造と基本的思考の『連続性』については、
電気のコード(線)を想像すれば直ぐにわかる。
Yアンペアの電流(精神性・思考性)が流れる線(脳)があります。
その線の形を『変形』させてもYアンペアはYアンペアである。
基本原理はこれと一緒です。
脳を構成するエネルギー(酸素・栄養分・その他全て)は常に変化をしている。
身体の構成も常に変化をしている。
しかし、精神の『基本的伝達構造が保たれていれば』、『精神の広義連続性』は保たれる。
精神の『基本的伝達構造が破壊されれば』、『精神の広義連続性』は保たれない。
自分の脳にナイフを突き刺せばこれが正しい事が簡単に理解出来る。
そもそも、この質問は最初からナンセンスだ。
身体と脳の連続性?
こんな事は小学生でも理解が出来る。
自分の脳に銃弾を一発かませば誰でもわかる。
遺伝=記憶について論議するならかなり深いですね。
しかし、質問はそうじゃないよ。
372 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/12(日) 12:18:52
また小学生の時に、図書室にあった本の事を思い出したよ
著者が、ある大学の研究室にいた頃
教授から「二週間の間に、こいつを解剖してレポートを提出しなさい」と言われたらしい
そして、ザリガニを何匹か渡された
そんなの、さっさとやってしまおう という事で全体のスケッチを取り
真っ二つにした断面図や、消化器系を中心にした解剖図をスケッチして
半日で終わらせてしまった
時間を持て余した学生は、毎日ザリガニを棒で突付いたりして遊んでいた
何日か過ぎて、提出の期限が迫ってきた頃
ふと、とんでもない事に気がついた
「こいつは、ハサミで棒を掴んだりしているじゃないか!」
こいつの構造は、消化器系だけではないじゃないか
という当たり前の事に気づいて
あわてて解剖しなおして、神経系の事を調べたが
結局、ハサミが一本できただけになってしまった
そのレポートを提出した時に
教授はニヤリと笑った・・・とか
キミ達を見ていると、この学生を連想するよ
しかし、この学生は自分で気づいたが
キミ達は私から、いくら丁寧に教えられても
いまだに気づく事ができないでいるんだけどね
373 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/12(日) 12:28:55
>>362最高位さん
最高位さんの「私」は一点集中ではないか?という意味です。
或いは観察の方向性と言いますか。
374 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/12(日) 13:01:41
>>373 全く意味がわかりません
もっと詳しくお願いします
>>363 > キミ達は、自分の都合のいい言葉だけを読み取って
> 肝心の文意が全く読めていないんだな
この言葉、そっくりそのままお返ししますよw
>>369 > 『自分が完全に死んで、体も消失した状態にしてから
> また物質的な条件を整えて、自分を作成するための方法 を考えてみればいい』
今色々なされている研究・考究は、設計図を作ることではなく、説明書の作成ではないのか?と言っている。
>>352 >また、誰も(少なくとも私は)、その根拠について述べているわけではないでしょう?
>根拠が判らなくても説明書は作成できる、ということでは?。(おばあちゃんの知恵袋みたいに・・w。)
なぜそれほどまでに再生にこだわるのかわからない。二言目には「作ってみろ」「作り方を言ってみろ」と・・。
> 作成したものが、他人であっては意味がないんだよ
なぜ?
もし仮に、もし仮に、【私(の体)】を再生させることができたとしても、それが【以前の私】かどうかは疑問であろう。
が、その【彼】には【彼の私】が存在することだろう。【彼の体】に【彼の私】があるだろう。
【この体】に【この私】があるように・・・。
そして、なぜ【彼の体】が【彼の私】であったのか?という疑問は依然残る。
あなたの言う【この私】が純粋な存在性であるなら、『この』とか『彼の』とかいう限定は不要だ。
それは、
>>365さんの指摘の通りだろう。
もし、『この』とか『彼の』とかいう限定にこだわるならば、
睡眠や意識不明のあとの自己同一性と同じ問題でしかなくなるのでは?
>>341はこれを言っているのではないか?
【私という純粋な存在性】は、唯一の個か?それとも普遍概念なのか?・・と。
何度も言うように、あなたにとって(あなたの主張に於いて)
「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ない。
物理現象であろうと、神様の捏ねた粘土であろうと、魔法であろうと、魂であろうと、霊体であろうと、
『私』がどのような在り様であったとしても問うことのできるもののはずだ。
なぜ物理現象であってはならないのか?という理由は、悲しいかな未だ明確にされていない。
(→作れるか作れないかという問いへのすり替えはやめてくれw)
【この私】が純粋な存在性であるなら、それが、『私はある』という素朴でストレートなものであるなら、
その在り様については、ひとまずスルーしておける問題ではないか。
各分野の研究成果を気長に待てばいい。
377 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:17:56
このスレくらい一行レスの方がうれしいスレはない
おまいら長杉。短くまとめられないの?
378 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:19:03
長くてリズムが悪い。で、結局は論旨不明。読む方の負担も考えとくれ
>367
「この私」は主観を指し示すけど、一般的な「私」と言ったときには
「私」はもはや対象化されてしまっているよね。
つまり「私」は本来の意味での主観ではない。
そこでは既に主観を見ている「超越論的な主観」が前提されている。
逆に言うと、「この私」という言い方が可能になるのは、
「この私」が一般的な「私」の一種に他ならないという認識がされたとき、
つまり、超越論的な主観が発生したときなわけだ。
言語を習得することで「この私」と「私」を同じモノとみなすことができ、
そうなって初めて「意識」「自己」「自我」といったものが現れる。
>>369 >>317ですでに指摘してるけどさ。
>『自分が完全に死んで、体も消失した状態にしてから
>また物質的な条件を整えて、自分を作成するための方法 を考えてみればいい』
ここで「この私」を再現する方法がないのと同様、「この机」を再現する方法もないんだって。
「この机」がいったん燃えてしまったら、全く同じ材質・形状の机を作っても
それはもはや「別の机」になってしまうだろ?
つまり「私の存在性」なんて全然特別なものじゃないんだよ。
いいとこまで理解してるのに、なんでここまで理解できないんですかね。
381 :
あ:2006/02/12(日) 17:57:03
「有る」とか「無い」とか言ったって、結局言葉なんだからさ・・・・
説明できるわけないじゃん。
説明したって、それは同義反復なんだからさ・・・・。
時間のムダだ。それなら、最初から「神がいる」としといたほうが
お互いムダが無くてすむ。
みんな、わかってるくせにマスターベーションをやめない
サルみたいなもんだな
同義反復ではなく、極限まで近づくのです
383 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 18:14:43
>>380 そこが最高位には、理解できないところです。いや、たぶんわかりた
くないのでしょう。「この私の存在性」が特別でもなんでもないことを
認めた瞬間、最高位の何かが崩れるのでしょう。機械氏が述べていた
ように、どこにでもいる典型的なナルシストの心性をそこにみること
ができます。もはや、最高位という存在は一個の心理学的テーマです。
また単独性の議論か
385 :
メシア:2006/02/12(日) 18:26:21
>>380 俺も手伝おうかwww
私と同じ私を再現する為には、
私の脳が過去に感じた全てを再現しないとならない。
まぁ例えるなら、
そうだなぁ〜水の流れとしてみるか?
A地点からB地点へ物理の法則(引力)により水か流れています。
この中で再現出来るものは
○粗同じである『水』を再度流す事・・・物質の再現
○その水はやはりAからBに流れる事・・・物理の再現
しかし、その流れによって出来た波紋や波を『再現する事は不可能』である。
その時、その瞬間の全ての現象の結果として一生のうちでただ一つの波紋が形成される。
波紋は混沌宇宙の象徴であり、当然再現不能である。
人の精神も基本的原理は一緒だ。
森羅万象の刹那刹那を感じ取ったその一瞬一瞬が個々の脳の状態であり、
思考性や価値観も全てはこの刹那の積み重ねにより形成されている。
刹那と混沌の再現が不可能なように、『同一人格の再現は不可能である』。
この、再現不能の世界にも『当然、物理の法則が在る』。
再現不能という物理の答えがそこに在る。
こんな事は小学生でも理解が出来るだろ。
最高位は最高位という名の最低位だな。
>>381 言ってることは全く正しいが、こういう議論ってのは娯楽なんだから、
無駄とかいうのは野暮ってもんですよ
君は2ch哲学板に「無駄な議論」以外の何があると思って来てるんだ?w
>>384 「脳の仕組みを探ったって意識は出てこない」って結論に至る理由を
勘違いしてる人がいるから、このスレ続いてるんだと思うよ。
単独性理解してれば別に難しい話でもないんだけどねー
みんな、暇だねえ〜
オリンピックやってるぞ〜
>>386 あのね、教えたげるけど、学問というのは「真剣に遊ぶ」ってこと。
それがわからないから、おまえの話はつまらないし、迫力も無いわけ。
ゲーム板でも行って遊んでろw
>>386 探求者氏のいう再現どうのは、関係ないと思うし、
以前に見かけた、チューリングテストで意識があるだのないだのをいってる時点で、
すでに何かを勘違いしているような気もする
でも、なんだかんだいって、この議論ってパーマンのコピーロボに「私」があるのかないのか、
なんて議論に近いような気はする
でも、
> 「脳の仕組みを探ったって意識は出てこない」
すでに、これが変だと俺は思う
意識があるない(実在するしないじゃないです)を判定すらできない、と俺は思うんだけどね
意識が実在するしないなんて観点で考えてる人っていないと思う
脳の働き・ありようが意識を錯覚させているとかなら、まだ分かるんだけどね
390 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/12(日) 20:00:43
>>374最高位さん
最高位さんの「私」の分析の方向性
と言ったらお解かりいただけますでしょうか。
>>389 現実的に俺らは「自分や小泉純一郎には意識がある」と判定し、
「起き上がりこぼしやグーグルには意識がない」と判定してるよな。
「意識」が何かはわからないが、とりあえずそういうものがあると考えられてる。
この素朴な実感に反さないように「意識」を定義するなら、それは脳を調べて
出てくるような性質のものではないってこと。
それは「この」性に関わる領域の話だから。
一方で、そもそも俺らの「意識」というものに対する素朴な感覚が間違ってる
んじゃないの、それは錯覚に過ぎないんじゃないの、と考える方向もある。
こっちでいくと、実感をとりあえず無視して「意識」を定義し直すことになる。
その一つの例がチューリングテストの話。
あれは「意識がある/ない」を調べるためのテストではなくて、
「意識がある/ない」はこのテストで判定されるべき、という一つの定義なんだよ。
実感に照らし合わせたら変なところが出てくるのも当然なわけです。
>>391 > 「意識がある/ない」はこのテストで判定されるべき、という一つの定義なんだよ。
チューリングテストは意識があるように見えるか見えないかのテストにしかならないんのじゃないの?
それが「定義」というのも、おかしな話だと思うけどね…俺は
意識があるように見えることが意識があることなの?ということなんだけどね
人工知能の判定基準に使う分にはいいけど、
(人工知能に本当に意識があろうがなかろうが、どうでもいいわけで)
人の意識にあてはまるものなのか、そういうのは考えないんだね
サールの「中国人の部屋」を別にしても、変だと思うんだけどね
>>391 『判定』ね...でも他人が意識を持っているということの『確認』は
>>1の話でできるとして
『自分が意識を持っている』ということの『確認』は
ムリだろう
自分の脳みそをくりぬいて
「クオリアがある あぁ俺には意識があるんだ」なんて
できないからね 哲学に答えはないとみたり
>>393 > 『判定』ね...でも他人が意識を持っているということの『確認』は
>
>>1の話でできるとして
できるんだ?すごいね、あなた
俺にはとうてい理解できないこと…みたいだ
そもそも不可能だ、という人はいないんだね
>>394 いや、そうじゃなくて
「できると仮定して」ね
クオリア自体今日まで知らんかったもん
てかホントにあんの? それ?
>>392 本当に意識があるのかないのかは、君のいうように分からないことじゃん。
「意識」がそういうよくわからんものを指し示している言葉だからこそ、
「意識があるように見えるということこそが、意識があることなんだ」という
少々乱暴な定義も許されるんじゃないかと。
チューリングテスト的な「意識」の定義を受け入れることの意味は、
「相手に意識があるから、コミュニケーションが取れる」のではなく、
「ある存在とコミュンケーションが取れるとき、我々はその存在に意識を見出す」
という発想の転換にあるわけだ。
「意識」とは内的な状態ではなく、外部との関係の上でのみ存在できるものってことだね。
一つの考え方だけど、人に適用するのも俺は全く違和感ないよ。有力な定義だと思う。
>>395 > 『判定』ね...でも他人が意識を持っているということの『確認』は
> 「できると仮定して」ね
だとしても、
>>393 > 『自分が意識を持っている』ということの『確認』は
> ムリだろう
はどうしてなのか、よく分かんないな
俺に意識があるから、こうやって書き込みをしてると俺は思ってるんだけどね
他人に意識があること以上に、自分に意識があると俺が信じてるからなんだけど…
> てかホントにあんの? それ?
感覚(「赤い色の感じ」みたいなの)や概念としてはあるかも、と俺は思ってるけど
>>396 精巧なロボットに意識がある、と考えてもいい理屈になるね、それだと
あなたが、そう考えてるなら、それで別にいいんだろうけど…
399 :
398:2006/02/12(日) 22:52:49
言葉足らずなので修正しときます
> 精巧なロボットに意識がある、と考えてもいい理屈になるね、それだと
意識があるないを別にして、精巧なロボットには意識がある、と考えてもいい理屈になるね、それだと
>>398 「精巧なロボットには意識がない」とする納得いく理由はないと思うね。
例えば、寝てる人はコミュニケーション取れないし、意識はないだろう。
けど寝言で会話が成立したら「こいつほんとは意識あるんじゃないの」って思っちゃうな。
または、池で泳いでるコイとのコミュニケーションは俺には全くできないし、
コイに意識があるようには見えない。エサに反応してるだけな気がする。
で、飼い犬も会話はできないけど、褒めてやったら喜ぶし、怒ったらシュンとなるし、
不満があるときは騒ぐし、意識がちょっとありそうな感じもする。
という風に境界例について考えてみると、
変な結論の出る定義でも意外と実感にあってるんじゃないかと思えるね、俺には。
>>397 それは「もしかしたら書き込みをしているという夢を見ているかも」
てこと あれ?「夢」は意識?
意識の定義キボン
あと俺が何でこんな考え方するかというと
昔「世にも奇妙な物語」の作品で
ある女がカウンセリングに通っていて
〜中略〜
最後に自分が存在していないことに気づく...
てなもんを見た影響だから。 きいてない?
>>386 >「脳の仕組みを探ったって意識は出てこない」って結論に至る理由を
>勘違いしてる人がいるから、このスレ続いてるんだと思うよ。
初学者の最初の壁だから。相手してあげなよ
観念論と唯物論の使い方もひどいなw
唯物論自称しているやつはほとんど観念論だ。
>>400 > 変な結論の出る定義でも意外と実感にあってるんじゃないかと思えるね、俺には。
あなたがそれで納得できるなら、それでいいんじゃないかな
俺には納得できないだけの話だと思うし
以前にも、人形に意識があるように見えるね、
と、あなたの話に出てたみたいだけど、
俺には到底ついていけない話に思えたし
結果が妥当であるかどうか、という意味での「実感」についても、
あなたと私は大きく乖離していると思う
で、話がそれてるけど、意識があるかないかは分からん、という理由にしても、
その理屈は無茶すぎると俺は思う、と受け取ってください
要するに、私はチューリングテストの妥当性を問題にしているのではなく、
(あなたはその点を
>>400 で強調しているようだけど)
本物の意識にチューリングテストを適用するのは無茶じゃありませんか?
ということなんです(
>>392)
405 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/13(月) 00:15:16
>>284 >『この私』と『このコップ』が同じ意味で語れると思っている時点で
>救いようがないほどに理解不足だ
>話にならん
では、「このコップ」ではなくて「この私」と称する(あなた以外の「人類」)は、
あなたにとって『この私』と『このコップ』のどちらに近いのでしょうか?
406 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/13(月) 00:24:34
>>282 >クオリアがなぜ物理的に解明できないのかって?
>それは、唯物的にだけでなく
>もっと哲学的に深く深く掘り下げなきゃ
「クオリア」は高等動物の脳内に発生する「映画スクリーン状の現象」ですから、
映画スクリーンで「何がおこっているのか?」を物理学的に「解明」可能である
・・・という意味では「解明可能」です。
しかし、ある映画は1000万人の人類の「脳」を感動させ「涙を流させた」
・・という『現象』を、映画スクリーン製造の最新技術と「映画映写機の最新技術」
「だけ」では説明できない・・・ように「クオリア」の「現れ方」だけを説明しても
当然のことながら、「人類という動物種そのもの」を説明することはできません。
要するに「より高精細映像かつより高精細音像の映画」が必ずしも「良い映画」
・・ではない・・・ということと同じことです。
本質は見えて来ない構造になっているんだよな
407 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/13(月) 00:29:36
>>282 >本質は見えて来ない構造になっているんだよな
「本質」という概念こそ、観念論者の「最後の砦」です。
しかし「『本質』ってそもそも一体何?」・・という素朴な疑問に
適切な回答を出せる観念論は「ありません」・・・要するに、
「本質」とは「観念論が困った時に(必ず)持ち出す無意味な呪文」なのです。
408 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/13(月) 00:40:19
>>407機械さん
仏教では「空」「無自性」等々ありますが。
いやぁ、ぴかぁ〜たん萌えるなぁ
「バカだなぁ。キミ、ボクに泣かして欲しいの?」って
言って欲しい ハアハア
そ、それはともかくだ、初学者がこのスレは多いので、
疑問が出たらいろいろと本を紹介してあげると良いと思う
俺も紹介してもらった本でずいぶん勉強になった。
410 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/13(月) 00:43:53
>>408 それが「仏教における『本質』そのもの」ですね。
>>403 意識ってコミュニケーションのための擬制だと思うんだけどねー
ところで君は「飼い犬に意識っぽいものがあるように感じる」ってことはないの?
俺は子どもの頃、何の疑問もなく飼い犬に意識あると思ってたけど。
他の人の実感での、意識のある/なし判定を聞きたいな。
俺でいえば、こちらの刺激に対して明確な反応を返してくるってのが条件になってる。
刺激の種類を変えた時にちゃんと対応して返してくれば、意識がありそう。
反応がなかったり、刺激と反応の関係が単純すぎたり(何を言っても同じ反応とか)
全く意味不明(反応がランダムに見える)だったら、意識がなさそう。
一部の刺激にのみちゃんと対応して反応してくる場合が微妙だな。
まぁ対応してくる幅が広ければ広いほど、ちゃんと意識がある感じになってくる。
精神とは何か?精神とは関係である。自己意識とは関係が関係それ自身に関係するところの関係である。
だから分裂病とは関係の破綻であり、それは自己の崩壊、自他の区別の崩壊である。脳は頭蓋骨の中に
収まっているが、精神はそこにはない。
>>411 まだ、続けるんだ?
で、「意識があるかもしれないと実感」して何が解決するの?
人工物に意識があるように見えるか見えないか(チューリングテスト)と、
実際に意識があるかないかは、どう考えても別だと思うよ
ということで、おやすみ
>>413 他人がどんなものに「意識がある」と感じるかを知ることは、
「意識」という言葉の用法を知ることに繋がる。
君がチューリングテスト的な定義を受け入れないのは勝手だけど、
その根拠を俺は知りたいわけ。それは実感の差にあるんだろうし。
途中までの見解は一致してるのに、「違うと思うよ」とだけ言われたら、
どんな見落としあったのかと気になるじゃねーかw
415 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 03:10:07
>>375 全然ダメダメだな
やり直し
全く理解できていない
思いつきで、とにかく何か言い返せばいいってもんじゃないだろ
>今色々なされている研究・考究は、設計図を作ることではなく、説明書の作成ではないのか?と言っている。
はぁ???
で?
まぁ、とりあえず
作れないという事は認めるわけだね
だったら唯物論なんてインチキだよ
ところで、何で設計図は作れないのかな?w
ちゃんと考えてみなよ
物理的なもんだったら作れるはずだろ?設計図
唯物論が正しくて、人間も物理的に解明できると言いながら
設計図の作成が不可能な理由を、明確に答えてもらいたい
人間というものは、それぞれの『この私』なんだよ
唯物論が正しいのなら
物理的に『自分』を作れなきゃ意味ないだろ
自分以外のものを作ってどうするんだよ
そんなの失敗だろ?
人間であるところの『私』を、物理的に解明できた事にはならないよ
そんないい加減な事で、ごまかそうとしてもダメだぞ
416 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 03:19:33
探求者君はさ
もう、ややこしい事は考えなくていいよ
もっと基本的な考え方から、やり直しましょう
コレ↓
>>184 正しさと権威は関係が無い
少なくともイコールではない
小学生でもわかる基本的な事だ
権威が正しさの基準だと考えているなら
全く話にならない
出直して下さい
417 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 03:19:57
>>415 オレ、不器用だから定規使っても
線をまっすぐ引けないんだ。
本当はそれが設計図作成不可能な
理由、わかった?
418 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 03:35:37
>>375 ついでに、続き
>もし仮に、もし仮に、【私(の体)】を再生させることができたとしても、
>それが【以前の私】かどうかは疑問であろう。
ここがキミ達の、病理的とも言える勘違いなんだよな
確かに、他人から見たら、それは疑問であろう
しかし自分自身では自覚できるぞw
自分が再生した場合だけ自覚できるのであって
他人が何人、同じ記憶を植え付けられて、そう感じていたとしても
私はそれを自覚する事はない
ありえない
キミ達の勘違いは
ちゃんと、主観と客観の区別がついていないところだな
んで、都合よく勘違いして論理展開しちゃうんだよ
419 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 04:01:18
さらに、ついでに続き
>>375 >睡眠や意識不明のあとの自己同一性と同じ問題でしかなくなるのでは?
キミらは、よく自己同一性の問題 などと大そうに言うが
これはね
本質を揺るがす程の問題ではないんだよ
キミ達は、本当に本質が理解できていない
昨日の私と違う私であろうが
一瞬前の私と違う私であろうが
今、この瞬間に存在している『私』だけで十分に、『私』は
『私』として存在しているんだよな
我思う故に我あり だよ
それは否定できない
自己同一性の問題を持ち出して来ても
私の存在性は否定する事はできないんだよ
それはおいといて
ここで問題になるのは、今自覚している昨日の私と今の私との同一性は
記憶というものの引継ぎが錯覚であるかどうか という問題になるわけだが
他人がいくら、どんな記憶を引き継ごうが、私が自覚する事はありえない
当たり前だけどねw
私が引き継いだ場合だけ、私は自覚できるのであるから
それは自覚できるわけだ
言ってる事わかるかな
普通に考えれば誰でもわかる事なんだけど
キミらは、もしかして理解できないかも知れないね
不思議だけどね
でも、もし理解できないとしたら、もはや病理的と言っていいかもだよ?
420 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 04:06:00
>>418 自分が再生したって自覚しても
それだけではだめ。他人による確認が
無ければね。これが主観・客観の二分法。
ここの所をもう少し勉強すれば真の最高位に
到達できる。がんばってね。
421 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 04:29:28
>>376 ホント何勘違いしてるんでしょうねぇ
というか話のすり替え?
私は、唯物論という思想を、根底から否定する論理展開をしているわけですよ
キミは議題を大きく勘違いしている
>その在り様については、ひとまずスルーしておける問題ではないか。
アホか
せっかく追い詰めてるのに、スルーさせてたまるかってんだよw
>各分野の研究成果を気長に待てばいい。
だから哲学的な分野で真正面から研究成果をぶつけているんだよ
何勘違いしてんの?
どんな科学的分野を以ってしても、何を以ってしても
純粋な存在性であるところの 『私』 については解明のしようがないんだよ
だから少なくとも、唯物的な価値観のみで、人間をはかれるものではないという事
もっと深遠なる課題である という事だ
まだわからんか?
唯物論の主張であるところの
「人間の精神も物質による物理現象にすぎない」が正しいのなら
物理的に『私』が解明できるはずだろ
だから自分を作る設計図を作成できる根拠を提出しなさい と言ってるわけ
422 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 04:40:35
>>420 他人の自我については、認識のしようがない
自我があるかどうかすら、証明する事は不可能
これは原理原則
ここから先は『思想』の分野になってくる
正しい思想を提案する事も、哲学の最も重要な仕事のひとつ
とりあえず、唯物論は間違えているんだ という結論
423 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 09:05:46
>>422 自分が感じていることだって正しいかどうかはわからないよ。
唯物論の世界の上で、すべてのものが成立している可能性がないと
判断しているお前が間違っている可能性は常にあるだろ?
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
424 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 10:13:33
>>423 なんのこっちゃ・・・
何で私に言うんだ???
そんなんだったら、キミ達の方が、もっと当てはまるだろ
物理的に全てが解明できる と言い切っちゃってるんだからね
私は、世界は唯物的に解明しきれるものではない という立場
ただでさえ、私の方が守備範囲が広いわけだよ
私の方が、間違えている可能性は低いわけだ
世界はこうだ と決め付けているのは唯物論の方なんだからね
そして私は、ちゃんと唯物論が間違いである証拠を明確に打ち出している
キミたち唯物論者は、それに満足に反論できない
この状況で、何で私が、そんな事を言われなきゃいけないんだ?w
逆だよ逆
私は常に探求している
キミ達は、自分で反論できない状況にあっても尚、唯物論に固執している
明白だろw
425 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 10:17:33
>>424 >私の方が守備範囲が広いわけだよ
そうとは限らないだろ?お前が桶の中の脳かもしれん。
もう一度言っておくが、
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
426 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 10:25:28
>>425 だから
なんでそれを自分にも当てはめて考えないんだ?と言ってるわけ
なんで私にだけ当てはめてくるんだよバカ
かもしれん かもしれんて、いい加減な事しか言えんくせに
んで、それは自分には当てはまらんのかよボケ
427 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 10:35:06
>>426 >自分にも当てはめて考えないんだ?
自分には当てはめていないなんて誰がいったか?バカか。
>なんで私にだけ当てはめてくるんだよバカ
誰もお前だけなんていってないだろうが。バカか。
もう一度言っておく。
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
428 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 10:42:44
>>427 何をごまかしてるんだよ
キミの最初の書き込みも、私にアンカー付いてるじゃないか
私の書き込みに対してアンカーつけて言ってるんだから、私に対してだろ
何を誤魔化そうとしてるんだよ
卑怯者が
429 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 10:53:07
>>428 アンカーがついているなら、お前だけに言っていると思うのは、お前の主観でしかない。
書いている俺が、お前だけに言っているわけではないと言っているのがわからんのか?
もう一度言っておく。
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
430 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 10:59:44
>>429 おぃ基地外
普通の会話してるんだから、主観とか 気味の悪い哲学用語なんて使ってくるな
じゃあ、あのアンカーは何の意味があるんだ?
こっちはアンカー付けて独り言いわれてキモイんだよ
間違いなら間違いだったと素直にあやまれやボケ
431 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 11:01:00
>>429 「終わりだと思う自分」が間違っている可能性、用語を間違って
使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う・・っと言ってるんだよな?
おまえが自分を哲学者ではないと認めてること、よ〜くわかったw
もう一度言っておく。
おまえは哲学者じゃない。
432 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 11:08:02
>>431 俺は思っている事を書いているだけだ。
俺が正しいとか間違っているとかは主張していない。
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
特に最高位に大して思う。
433 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 11:15:04
>>432 そこで私は
キミ自身や、唯物論者はどうなんだ?と聞いてるわけ
自分自身や、他の唯物論者の人達に対しては、あんまり思わんの?
なんで?どうして?
なんとなく?
>>433 つーか、哲学者最高位などと名乗っているが
他のバカとたいして変わらんって事だろ。
自覚がないだけ恥ずかしい罠w
435 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 11:36:29
>>434 具体的に言ってくれなきゃ意味がわからんだろ
それじゃ小学生の悪口と同じだぞ
全く内容がない
最高位の書き込みも内容が無いけどな
437 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 11:41:45
>>436 ん?
私は唯物論を完全に論破するという歴史的な仕事をやったよ?
キミが理解できんだけだろ
批判するなら、その内容についてにしてくれないか
内容の無いものに対する、あるいは、批判が理解できない人に対する批判。
439 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 11:49:59
例えば、クローン人間に意識はあるのか?
クローン人間に意識があるのに人工知能に無いと考えられる根拠は何か?
実は意識の設計図は必要ないのではないか(脳の設計図で足りる)。
441 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 12:06:40
>>437 >私は唯物論を完全に論破するという歴史的な仕事をやったよ?
自分でやったと妄想しているだけだろ。
お前の仕事を認めている奴なんかいないし。
論破だって間違えている可能性があるのに、それすら見えなくなってるのか。
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
クローン人間を作る人は人体の設計図を考える。
しかし、クローン人間の意識の設計図については考えない。
なぜなら、人体の設計に成功すれば意識の設計図は不要に思われるから
(意識は人体の設計に含まれていると思われるから)である。
このような前提を置く場合、「人体の設計が意識の設計の十分条件である
のはなぜか?」あるいは「人体の設計図のどこが意識の設計図に該当する
のか?」と問われるであろう。
>>442 脳の設計図が完成して−完成するかは知らん−、さらに意識の
設計図も描く必要性がある、と認める立場は、脳科学だと誰に
当たるんだろうね。むしろ、人工知能の研究から見れば、意識の
設計図じゃなくて意識の構造が対象ではないか。
>>443 意識の範囲の問題ですね。
例えば、目の前のパソコンについて、バークリー風に、
「これは私の表象だ。なぜなら、このパソコンは私の認識を通じてしか
生じたものだから。そして、私が目を逸らせば『このパソコン』は消滅する」
とする立場もありえるでしょう(もっとも、こういうことが許されるのか、
が問題ですが。「このパソコン」というのは他者に知りえない、つまり、
単なる独り言だということになってしまいます)。
このような場合、「目の前のパソコンについて説明することは、意識の一部に
ついて説明することである」と考えることも可能に思われます(但し、これは
観念論であることに注意しなければなりません)。
>>444 結局、デカルトの問題に戻るんじゃないの?
「「私を認識している私」を認識している私」を認識・・・
バークリーの問題領域はその後な気がする。
最高位は強迫症ではないかな。だんだんひどくなってるな。
みなもからかうのはほどほどにしたほうがよいぞ。
>>445 「私は私を認識できる」ならば「私に対する認識は無限後背する」
という命題と、
「私は私を認識できない」ならば「私に対する認識はありえない」
という命題は異なると思います。
デカルトやウィトゲンシュタインは前者(?)、私は後者です。
無限後背については素人さんも何か仰ってましたね(1回でいいとか)。
>>369 >『自分が完全に死んで、体も消失した状態にしてから
>また物質的な条件を整えて、自分を作成するための方法 を考えてみればいい』
そもそも、この質問と「純粋な存在性としての私とは何か」という問題と、
何の関係があるのか全然わからないがw
まあ、答えは(他人のレスだが)
>>380に尽きているな。なんでレスしないの?
できなくて困っているのかなw?
ついでに、上の方で「物理的なものなら設計図が作れるはずだ」
とか言っているが、こりゃ無茶苦茶。設計図なんて人間が作った機械類
だけにあるもので、ほとんどの物質に設計図なんてありゃしないぞ。
コップでも新聞でもウンコでもw ミロのビーナスだのゴッホのひまわり
だの、設計図なんて作れたら、大変だよw
道端に落ちている石ころだって「設計図を作る」なんて、不可能。
あえて言うなら、その石ころそのものが「設計図」。
それを完全に粉砕してから、物質的に完全に同じものを作るのは、
人間には不可能だが、神様ならできるでしょ。それを
「そっくりだが別の石ころ」と考えるか「元の石ころそのもの」と
考えるかは、これは「認識」の問題で、物質の性質とは無関係だね。
「この石ころ」は、物理的要素によって「この石ころ」であるわけ
ではない、というのは、
>>277で説明したでしょ。忘れたw?
まあ、通常は空間的連続性がない物質は「別のもの」と考えるのが
一般的だろうが。
人間の体でも全く同じことで、たとえば本能寺で死ぬ寸前の織田信長の
体を、神様が現代に全く同じに再現したとする。もしも唯物論が正しいなら
(というか、この話が唯物論と関係があるとすればこの点だけだが)、
信長の心(性格記憶その他)もそっくりそのまま再現される。
そうしたらその人は「わしは本能寺で光秀の謀反にあって死ぬところだった
のに、突然知らぬ場所に移動した! いったいこの面妖な光景は
どうしたことじゃ!」と思って、会う人ごとに「わしは織田信長だが
ここはどこじゃ?」とか聞きまくるだろう。現代の人間がそれを
織田信長その人だと考えるか、あるいはどこかのキチガイだとみなす
かは、現代人の認識次第であって、「どちらが正しい」という話ではない。
実は、これと同じような設定のテレビドラマを今やっている。
「神はサイコロを振らない」というやつで、十年前に行方不明になった
飛行機が、乗員乗客もろともある日突然飛行場に帰ってくる、という話。
乗員乗客はその十年間の記憶はなく、一瞬意識を失って気が付いたら
現代にタイムスリップしていたという認識。
で、現代の人々は、その飛行機も乗員乗客も「十年前に行方不明に
なった飛行機、乗員乗客そのもの」だと受け取って話は進むのだが、
よく考えたらそうとは限らない。十年前の飛行機は乗客もろとも
完全に消滅して、十年後に全く同じものが再現されたのかもしれない。
で、どっちが正しいかというと、別にどっちでもいいんだね。
要するにどう考えるか、というだけの話で。
これが現実離れした突飛な話か、というと、そうでもない。
我々が夜寝て朝起きるというのは、何時間かタイムスリップしている
のと同じだ。だから、寝ている間に体は完全に消滅してしまって、
同じ体が再現されて目が覚めている可能性だってある。
この場合は、構造としては上の織田信長や飛行機のケースと全く同じ。
もしも一部始終を目撃していた他人がいたら、「この体」も「この心」も、
昨夜の体と心とは別のものと認識するはずなんだが、普通は人が寝ている
ところなど誰も見ていない。少なくとも寝ている当人は気が付きようがない。
だから、昨日も今日も「同じ俺だ」ととりあえず考えて暮らしている。
あなたの言う「純粋な存在性としての『この私』」なんて、
この程度のものよw
いや、本当は、眠る必要すらないんだ。起きている間でも、この体も
この心も一瞬ごとに消滅して、別の体、別の心になっているの
かもしれない。でも、普通はそうは考えないで、同じ体、同じ心が
移動したり変化したりしながら存続している、と考える。
これも「考え方」の問題で、どっちが正しいという話ではない。
ま、どっちにしろ、この話が唯物論と何の関係があるのか、
さっぱりわからないことに変わりはないんだけどww
それはそうと、あなたの「私」の意味を明確にするのは
>>367の質問に答えてもらうのが一番いいと思うのだが、どうなの。
体があっても心がない(と思われている)人間(例えば無脳症児とか、
意識がない胎児とか、植物人間とか、脳死した人とか、あるいは単に死体とか)
には「私」があると思う?
451 :
メシア:2006/02/13(月) 12:50:01
>>442 これは真理に近いですね。
人、又は脳の設計図があれば精神の設計図は不要と思われます。
私が前述した水の流れのように、
基礎的諸条件を満したその後に来る意識は、
ロジスティック写像(これをアホな哲学者はクオリア等とほざく)のようなものであり。
その結果としての『意識』に『設計図』は無い。
意識に必要なのは『初期値』又は、総合的感覚器官の基礎的諸条件のみだ。
これを想えば、唯物的である部分と観念的である部分につき。
『グレーゾーン』があるのが誰でもわかるはずだ。
唯物的な事と観念的な事の『境界線』は何処だ?
境界線は有り、そして、無い。
真理は、唯物を否定する事でも肯定する事でも無い。
真理は、観念を否定する事でも肯定する事でも無い。
汝らは、フランクタル次元に籠もれる天地万物の法則を見る事になるだろう。
我々の精神(意識)も、これに従っている。
心眼開き、曇り無き眼で唯物と観念の狭間を見つめなさい。
>>>そこに、何かが在る<<<<
>>>それは、最初からそこに在った<<<
真理は、まだまだ川上に在る。
真理に到達すれば、全ての価値観は終末の時を迎え、汝らに福音を齎すだろう。
そして、全てが、次の瞬間に、アルケーと叫び、その答えはイエスと成ろう。
父と子と聖霊の御名において
アーメン
452 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/13(月) 14:18:51
バカに付き合って連投規制に引っかかっちゃったよ
やられたw
>>441 ん?
キミは、何も反論できないんだから
黙ってたら?
見苦しいよ
>>442 >クローン人間を作る人は人体の設計図を考える。
>しかし、クローン人間の意識の設計図については考えない。
その、人体の設計図で作ったものが、人として動き出す という根拠は
どこから出てくるのかな?
何度も言うように、人間の精神とは「私の精神」なんだよ?
物理世界に対する観測者である主観性を持った人間を作るのに
最初から物理現象を組み合わせて目的を達するように機能を持たせた「機械」と同じく扱って
それで完璧である とする根拠が、曖昧だね
今日はなんだか疲れたわ
>>448 答えが
>>380に尽きてるって???
アホか
この机とか、そういうのは唯名論だと言ってるだろ
机なんて明確な線引きは存在しないんだよ
床にくっついてる机は、床も机か?家ごと机なのかい?
地面ごと?地球ごとかな?
物体と「この私」は、存在様式が根本的に違うと言ってるだろ
こんな事も理解できないのかよ
今日は時間なんで、これで離席するね
3個のりんごがある。この「3個」という部分について議論がされている。
K氏:
3個のりんごが「物質」であることは誰も異論ありません。
しかし「3個のりんご」には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは「観念論的誤謬」です。
3個のりんごは「分子レベルの現象」が全てです。
「りんごが何個あるか」はあらかじめ物理・化学法則により決定されております。
S氏:
いち、にぃ、さん。ほら3個ある
唯物論ではこの3個という数は分からない
りんごをいくら細かく分析したって3個のりんごは出てこない
なんでこんなことが分からないかなぁ
数えた、故に3個のりんご在りだよ
この「3個のりんごの存在性」は唯物論の間違いを示してるんだね
T氏:
>S
だからさ。そりゃ君が「いち、にぃ、さん」って数えただけだろ。
誰かが「いち、じゅう、じゅういち」って数えたらりんごは11個かもしれない。
君がそう数えたときにはじめて「3個のりんご」が出てくるんであって、
「そう数えたこと」が唯物論の中ではとらえられない要素なんだ。
「3個のりんご」なんて「5個のみかん」でもいいんだし、別に特別な存在じゃないよ。
M氏:
あはは。3個とは関係ですよ。
りんごを数えることから考えない方がいいです。
4個より1個少なく、6個の半分。それが「りんごが3個ある」ということです。
4個や6個のりんごがなければ、3個のりんごもまたない。
S氏:
全く話にならない
3個のりんごはいちいち数えたりしなくても3個あるに決まってる
数えるのは単なる確認作業だよ
3個のりんごがなかったら、そもそも数えられないじゃないか
数えたから3個あるというのは順序が逆
4個や6個のりんごがあろうがなかろうが、3個のりんごの存在性は否定できないんだよ
455 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 16:35:21
>>454 だけど1個のりんごをあたしが食べたら
2個しか残らないでしょ。いちいち数えないと
つまみ食いされてもわからない。ここまで
気を配るのが真の探求者だとお姉さん思うんだけどな。
まあ、こうやってまとめると皆さん良いこと言ってますね。
458 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/13(月) 17:26:43
インド哲学最大の発見
「0」
「私」と脳の関係は、数とりんごの関係と似てると思って書いてみたけど、
ほんとは同じ問題かもしれんな。
よく考えたら代名詞にも一人称・二人称・三人称ってあるし、
「私」を数とみなす考え方なんてありふれてる気がしてきた。
数も意識と同様に「この私」の主観に問い掛ければ「3つある」とか分かるけど、
他の人が「3つ」って言ってる場合は関係性の中でしかとらえられない。
あと、「この私」が内的に数える行為も「数という関係」を教えられて
はじめてできることだな。
りんごとか脳とか身体とかは、数や意識に関係あるようでないんだろう
海馬チップは実用化へ向けて既に動いてます。海馬に形成される回路がどのような
記憶と対応しているかを逐一追うのは当然不可能ですが、個々のニューロンが外的刺激に
対してどういうロジックで振舞うかは関数化できる。
これを応用すれば、人工脳を復元することは可能でしょうし、当然精神を持つでしょう。精神とは
関係ですから。
>>415 >作れないという事は認めるわけだね
さあ?わからないね。
できたら面白いだろうなとは思うけど。
>だったら唯物論なんてインチキだよ
>ところで、何で設計図は作れないのかな?w
>ちゃんと考えてみなよ
>物理的なもんだったら作れるはずだろ?設計図
説明書でも十分唯物論足りえると思うが?
なぜ設計図にこだわるの? →下記〔1〕
>唯物論が正しくて、人間も物理的に解明できると言いながら
>設計図の作成が不可能な理由を、明確に答えてもらいたい
>人間というものは、それぞれの『この私』なんだよ
この世に同じものはひとつとしてないから。 じゃだめかい?
機械や工業製品も、どれも同じに見えるが厳密に言えば似たものでしかない。
もし仮に、もし仮に、人間を製造できたとしても、たとえそれがクローンだったとしても、
彼は彼、まったく別の【私】であろう。( ・・・あれ?これって作れるってことか?(爆 )
>>419 >昨日の私と違う私であろうが
>一瞬前の私と違う私であろうが
>今、この瞬間に存在している『私』だけで十分に、『私』は
>『私』として存在しているんだよな
>我思う故に我あり だよ
>それは否定できない
否定しませんよ。むしろ同意する面の方が多い。
ただ、それが【純粋な存在性】であるなら、
個別性の無いものであり(これを唯識さんは普遍と指したのではないかい?)、
つまり同一かどうかすら問題でない、無個性な『ただそこに(ここに)【在るもの】でしかない』ということになるのではないかと言っている。
≪『ただそこに【在るもの】』としての【純粋な存在性】としてのもの≫ならば、
そのようにみるならば、机やコップや富士山や路端の花となんら変わりは無い。
もし個別性のあるもの、個性のあるものだとしても、(【純粋な存在性】でなく、ワンランク下位の【純粋ではない存在性】としても)、
やはりまだ路端の花となんら変わりは無い。路端の花も、その花自体は、そこにしかない【この花】なのだから・・。
どこまでも私(の意識)という連続した個別性にこだわるならば(大切にするならば)、自己同一性の問題は浮上してくるのではないかい?
う〜ん、それでも路端の花と一緒だなぁ・・。路端の花も、去年の花と今年の花と来年の花と同一か否か・・・w
もし、特別な存在性として他と峻別したいなら、意識とは何か?を同時に問わなければならないだろう。
そしてそれは『私=意識』とならざるを得ない。で、今度は「意識は作れるのか?」という問いが浮上するかもしれない。
「肉体の有無はどこまで関わるのか?」ということも問われなければならないだろう。
あなたが、
>昨日の私と違う私であろうが
>一瞬前の私と違う私であろうが
>今、この瞬間に存在している『私』だけで十分に、『私』は
>『私』として存在しているんだよな
と言うならば、(昨夜のキャシャーンではないがw)
人造人間のように組成されようが、人工知能だろうが、そこに【この私】は生じるであろう。 →下記〔2〕
そしてまた、【この私】が【個別的な存在性】だとしても、
今現在複数の人間がいて、それぞれに【私】という【存在性】があるとしたら、
人造人間にだって、その時、その人にとってのかけがえない唯一無二の【私】という【存在性】があるだろうよw
>今、この瞬間に存在している『私』だけで十分に、『私』は
>『私』として存在している
と言うだけならばね。 →下記〔2〕
>>415 >唯物論が正しいのなら
>物理的に『自分』を作れなきゃ意味ないだろ
>自分以外のものを作ってどうするんだよ
>そんなの失敗だろ?
>人間であるところの『私』を、物理的に解明できた事にはならないよ
作られた【彼】にとっては まさに【自分】じゃないかw 【純粋な存在性】ってそういうものじゃないかい?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>自己同一性の問題を持ち出して来ても
>私の存在性は否定する事はできないんだよ
否定するために持ち出したのではなく、『私の存在性』の質にも種々違いがあるのではないかと。
自己同一性に関わる「私」と自己同一性に関わらない「私(=純粋な存在性(≒単なる存在?))」は違うでしょう、と。
だから唯識さん(>341)は、個(一極集中)ですか?多(普遍)ですか?と質問したのではないか?
違ってたらごめんなさいorz >>唯識
>それはおいといて 〜〜 もはや病理的と言っていいかもだよ?
この文章は、あなたの言う「この私(の純粋な存在性)」は、自己同一性に裏付けられていると見て宜しいか?
>>421 >というか話のすり替え?
すり替わってないだろ? というより、すり替えているのは貴方だw →下記〔1〕
>私は、唯物論という思想を、〜〜 スルーさせてたまるかってんだよw
ここは他の人に聞きたい。「唯物論」とは、何か個物を作り出す論なのですか?(まるで錬金術ですねw)
だとしたら最高位の言うことは、まったくもってご尤もだ。
が、『在り様』を記述することが、その記述の方法の一手段が、「唯物論」の一部であるなら、
最高位の言説は「唯物論」の全てを否定するものにはならない。
設計図と説明書の違いがわかって貰えないんだろうか・・。
>だから哲学的な分野で真正面から研究成果をぶつけているんだよ
他分野の成果は無視ですかw(内容を俺に聞くなよ?w 俺は各分野の成果を待つ方なんだから(^^;)。)
>どんな科学的分野を以ってしても、何を以ってしても
>純粋な存在性であるところの 『私』 については解明のしようがないんだよ
それが、早漏な判断『かもしれない』とは思わないのかい?
>だから少なくとも、唯物的な価値観のみで、人間をはかれるものではないという事
>もっと深遠なる課題である という事だ
誰も唯物的な価値観『のみで』人間をはかってないだろw
唯物的な視点をベースキャンプにはしてるかもしれんが。
〔1〕
>唯物論の主張であるところの
>「人間の精神も物質による物理現象にすぎない」が正しいのなら
>物理的に『私』が解明できるはずだろ
>だから自分を作る設計図を作成できる根拠を提出しなさい と言ってるわけ
「物理現象にすぎない」→「設計図を作成できる(筈だ)」
これが飛躍でなくてなんだと言うのか?
あなたは時折『根拠』という言葉を使うが、『根拠』=『設計図』・『作れる』という発想が幼いと思わないかい?
>440>442のようなスタンスもとりうるわけだ。究極の設計図は要らないかもしれない、と。
意識は「作らなくても勝手に生じてくれるのではないか?」と。
あなたが設計図と言うから、類似した言葉として説明書を間に挟んだのだが、
無視かいw それとも説明書は唯物論ではないということ?
〔2〕
よーするに、貴方にとっての唯物論攻撃の必殺技は
A:『作れるのか、作れないのか』という一点にしかないように見える。
別の言い方をすれば、
B:『作り方が(今現在、2006年現在の段階で)わかっていないのはおかしい』ということに尽きている。
Aとするならば、『何を』『作れるのか、作れないのか』(『誰が』は『人類が』でいいか)。
あなたは「意識」とはあまり言わないから、『【この私】という【純粋な存在性】を』としよう。
そのように言った時、それが
>今、この瞬間に存在している『私』だけで十分に、『私』は
>『私』として存在している
だけのものなら、作れると言っていい。それは、机やコップや富士山や路端の花となんら変わりは無い。
また、あなたは主観性という言葉も使っていた。では、『【この私】という【主観性】を』とした場合にどうか?
同じだ。たとえそれが【存在性】だったとしても【主観性】だったとしても【意識】だったとしても
【我思う故に我在り】だったとしても、そこに人(らしきもの)が居れば、否応無く付随してしまうものではないのか?
物質に時間が付随するように・・。
(勿論、ある程度の健康体であることが前提なのだが、あなたは今のところ
>>367に答えていないから無問題でしょw)
作られたそれを(彼を)、人と見做すかどうかは別問題だ。意識や人格の定義をしなければならない。
【存在性】に限定するなら尚更だ。机やコップや富士山や路端の花にだって【存在性】があると見做せるだろう。
だとしたら、机やコップや富士山や路端の花の【存在性】と私の【存在性】の違いは何か?
【主観】?【主観性】? それこそ、物質に付随する時間のようなものではないのかい?
実体ではなく、諸々の関係性の上に顕現しているに過ぎない、と。
国とか愛とか友情とか、そういったものと、たいして違わないんじゃないか、と。
よーするに、人体を組成できたら、もれなく【私】や【意識】や【主観性】がついてくる可能性の方が高いんじゃないか?と。
Bに関してならば、言わずもがな、「2006年現在の段階では、まだわからん」としか言えないだろう。
ま、何年経とうが不可能っぽさ濃厚だが・・・w
まあ、所詮書きなぐりの、素人の戯言にしか過ぎないわけだが、
「最高位の私」は重要だと思うから、つい食い下がってしまうw
念の為付け加えておくが、自分は唯物論者と表明したこともないし
たぶん唯物論者ではない(と思う)。唯物『的』視点はあるだろうが・・・。
擁護するというわけでもなく、単に、ベターな考えとして妥当っぽいから
近付いてるだけw
ちなみに、最高位に概ね同意するからこその
>>285だというのをわかってくれ・・・w
チラシの裏:
細かいことをよく憶えていらっしゃる・・w
>>447 チラシの裏2:
最高位以外の方も、お暇なら添削ヨロ m(_ _)m w
468 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:18:06
>>452 >この机とか、そういうのは唯名論だと言ってるだろ
この私とか、そういうのは唯名論ではないんですか?
コペンハーゲン解釈は「人間の意識が世界を定める」という観念論ふうの立場を取るのだが、
カシミール効果の実験は「人間の意識にかかわりなく世界は自律的に定まる」という唯物論ふうの結果を示す。
コペンハーゲン解釈は、哲学における観念論と似ている。観念論では、「世界が存在しているから人間が認識している」のではなくて、
「人間が認識しているから世界が存在している」とされる。ところが、この観念論は、近代科学の実在論(人間の意識に関係なく物質は存在するという主義)と対立する。
コペンハーゲン解釈の難点は、論理的な無矛盾性を追求するあまり、近代科学の思想的基盤と矛盾してしまうことだ。
近代科学は、「神が宇宙を創造した」という説を除外して、客観的な実在性を基盤とした。ところが、コペンハーゲン解釈は、客観的な実在性を否定して、「観測者が宇宙を存在させる」という説を取る。
1948年、オランダのフィリップス研究所の物理学者のヘンドリック・カシミール( Hendrik BG Casimir )は、
平行におかれた二つの無帯電状態の金属板の間に吸引力が働くことを予想した。この力は、二面間の原子間距離の数倍というふうに、距離が極めて近い場合にのみ計測できる大きさである。
この引力を「カシミール効果」と呼ぶ。
板の間が狭いとその間に真空のエネルギーの小さな波長部分だけしか入り込めないため、外側から圧力を受けるために引力が発生する。
わかりやすく言うと、電子と反電子が対生成したとき、その対生成したペアが電子双極子のようになるので、両側の金属板と電磁的に引き合うのである。
カシミール効果によって判明したことは、「真空中において、たえず電子と反電子が発生している」ということだ。つまり、真空は何もない空間ではなくて、電子と反電子がたくさんあふれているわけだ。
真空中では絶えず粒子と反粒子が発生と消滅を繰り返す。この発生は「対生成」と呼ばれる。また、このとき発生する粒子と反粒子は、「仮想粒子」とも呼ばれる。
カシミール効果で判明したことは、仮想粒子が単なる計算上のものではなくて、実在の粒子である、ということだ。
仮想粒子(かそうりゅうし)とは、普通の量子(素粒子)と実質的には同じものであるが、
実験的に個別に計測されることがないもの。たとえば、普通の電子は実験的に個別に計測されるが、仮想粒子としての電子は実験的に個別に計測されることがない。
歴史的に見ると、仮想粒子は、(計算上で存在するだけであって)物質として実在することはない、と見なされた。それゆえ「仮想粒子」という名称が付けられた。
たとえば、真空中で対生成する「電子と陽電子」がある。これは、計算上では存在しているはずなのだが、実際には観測されていなかった。
そこで、「観測されないものは存在しない(明白に存在するとは言えない)」という解釈(コペンハーゲン解釈)により、対生成する「電子と陽電子」は「実在しない」と見なされてきた。
ところが、後年、仮想粒子は、単なる計算上のものではなくて、実在することが証明された。この実験は、カシミール効果の実験である。
仮想粒子は(実在するのであるから)普通の量子とまったく同じであるかというと、実は明確な違いがある。
仮想粒子は、存在していることはわかるのだが、個別に計測されていないのである。
たとえば、カシミール効果では、「このくらいの量(たとえば全部で約百万個)の対生成が起こっている」ということはわかるが、一つ一つの粒子を確認しているわけではない。
全体の総数がおおまかにわかっているだけだ。
ひるがえって、対生成して霧箱にとらえられた中間子を見ると、ここでは、対生成した中間子が一つ一つ確認されている。これは、仮想粒子ではなく、実在する粒子である。
結局、仮想粒子は、「存在していることはわかるが、個別に決定されてはいない」という形で示される量子である。その意味で、本質的に、確率的なものである。
仮想粒子の「仮想」という言葉は、もともとは「実在」に対比される概念であったが、今日では別の意味合いを帯びている。
それは「確率」と結びついた意味であり、量子力学の根源(確率的なこと)と関連する意味である。
また、「仮想」に対比される概念は、「実在」ではなく、「観測(されること)」である。
「実在」と「観測」とは、かつては同じことだと見なされてきた。だが、仮想粒子が実在するのに観測されない粒子であると判明したことによって、
「実在」と「観測」との食い違いも問われるようになってきた。
「実在するのに観測されない」というのは、不思議に思えるかもしれない。しかしそれは、古典物理学的な発想を取るからである。
現実世界を見れば、不思議でも何でもない。たとえば、サイコロを振って、コップの下に隠す。サイコロは観測されていないが、コップを上げて観測された瞬間にどの目か判明する。
ここで、観測されるまでは、サイコロの目は判明していないが、サイコロが実在していないわけではない。
…… 一般に、確率的な現象では、「実在するのに観測されない」というのは、ごく普通のことである。
>>462 【同一性の問題について】
「AとBは同一である」と言うとき、一体、何を意味しているのか?
<合同という解釈>
同一とは「比較しても全く差異が無いことだ」と解釈してみます。
例えば、視覚的な同一性について言うならば、
合同と写像が参考になるかもしれません。
しかし、合同の場合も三角形は2つ存在するのであって、
それゆえに、単一性と同一性は異なることが分かります
(もっとも、これは「時間と空間の差異は考慮しない」という
暗黙の前提が原因かもしれません。しかし、時間と空間まで
差異が無いならば、今度は比較不可能ではないのか?)
cf.ウィトゲンシュタイン「同じものについてそれは同じであるということは
意味の無いことであり、異なるものについてそれらは同じであるということは
不可能である」)。
この場合、2005/01/01/0:00の「私」と0:01の「私」が同一であるのか、などと
問うていったいどうなるのでしょうか(同一であるとしてもそれらの「私」は1人
であって2人ではない保証は得られないのです)。
473 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:03:47
>>472 では、厳密な言葉の使い方としては、『自己単一性』とすべき。
ってこと?
>>473 そうかもしれないですが、単一性の確認は可能でしょうか?
というか、単一性が何を意味してるか、ですね。
実は、同一性の維持から単に推測するしかないのかもしれない。
476 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:13:20
あれ?
コペンハーゲン解釈って
そのサイコロの例みたいに観測されると決定されたことが判明するんじゃなくて、
観測したときに波動関数が収縮して(未決定だったものが)決定されるってことを言ってるんじゃなかったっけ?
物理とかやった人間じゃないから詳しい事はわからんけど・・・。
>>414 > 途中までの見解は一致してるのに、「違うと思うよ」とだけ言われたら、
> どんな見落としあったのかと気になるじゃねーかw
違う、とはいってないんだよね
別だ、としか
>>413 > 人工物に意識があるように見えるか見えないか(チューリングテスト)と、
> 実際に意識があるかないかは、どう考えても別だと思うよ
いいかえれば「関係ない」ってことなんだよ
例えば、コーヒーカップに入った黒い液体が入ってるとするよね
それを観察して黒い液体はコーヒーだ、というのと変わらないと思わない?
それくらい無茶な話だと俺は思う
これを例に、意識についてみてみると、
その黒い液体は自分のは飲んで確かめることはできるけど、
他の黒い液体は飲んで確かめることができないんだよね
で、自分の黒い液体を飲んでみると、確かにコーヒーの味はする
しかし、コーヒーの味がするだけで、本当はコーヒーなんてものはない、
という可能性もある
そのコーヒーの味をコーヒーだと思ってるだけかもしれない
そんな感じだと思うんだけどね…俺は
>>475 人間みたいに激しく代謝しない石ころとかだったら言えるんじゃない?
あ、でも、原子・分子のレベルで言ったら最外郭は刻一刻と風化してるかもしれんな・・・ orz
>>472-475 仏教では、その連続性を支えるものとして『業』を設置し、
唯識では、『業』だけでなく『阿頼耶識』等を設置した。
と言っていいですかね? >>唯識さん
真如とか自性とかいう説もありますが・・・(^^;
>>478 ええ、そういう細かいレベルで考えると、
ヘラクレイトスが言ったように「万物は流転」してしまいます。
逆に、交通事故で体が大きく損傷しても「AさんはAさんだ」
と言われる(また、ブランドものだと、細かいタグの違いで
価値が大幅に違うことになる)。
一分前の「私」と今現在何かを意識してる「私」が同一であることと、
「この机」と、パーツを一部取り替えた後の「この机」が同一であることは
同じ意味を持っている。
それは「実際に同じだ・似ている」というような対象の状態とは関係なく、
対象を見る俺ら側の態度の問題なんだよ。
真鍋かおりの性格がいくら変わろうが、顔が歪もうが、手足がなくなろうが、
俺らはソレを「真鍋かおり」と判断するし、すごくそっくりな姉がいたから
といって「姉は真鍋かおりである」と判断したりはしない。
三角形の図がいい加減で、内角の和が180度じゃなくても、直線が歪んでいても、
「合同条件を満たしている」ことを意味する記号が書き込まれていれば、
俺らは「二つの三角形は合同である」と判断する。
「同じである」には「同じであるとみなしている」という以上の意味はない。
>>481 深い分析ですが、数学の合同条件は目の前の三角形について
言及してるのか、普遍的な三角形について言及してるのかで
大きく違うのではないでしょうか(もしかすると、概念レベルでは
日常的な意味よりも厳密な同一性が言えるのかもしれない)。
483 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:07:19
赤子は、母親の同一性をどこまで(どのようにして)判断しているのだろうか?
あまりに化粧が濃い場合は、別人だと思って泣き出しそうだが・・w
>>483 目か口だったと思います。
顔の一部を隠して赤ちゃんがどのように反応するかを見るわけです。
この時、目さえ(口さえ?)露出していれば赤ちゃんは母親だと思うそうです。
記憶が曖昧ですが。
485 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:14:14
そういえば印象深い実験がある。幼児は、お母さんが髪型をかえたり
カツラをかぶると、すげー怖がる。髪の毛の形が変わると、不安に
なって泣き出す。しかも大泣きだ。
顔は同じで髪が違うと、ガキは何だか分からなくなる
んだろうな。服は変わっても不安にならないのによ。
まあ、トリビアだ。一つ賢くなっただろう。
>>469 > コペンハーゲン解釈は「人間の意識が世界を定める」という観念論ふうの立場を取るのだが、
これ、素人向けの科学本とかに面白おかしくよく出てきますけど、実際の現場の科学者集団では
異端なんでしょうか。
ただ、人間の最も大きな問題は、世界の中に自分がある、ということと、自分の中に世界があると
いう2つの矛盾する命題の間を現実に生きてしまっているという点かと思います。精神科医の
中井久夫氏は、この矛盾が矛盾として意識させれてしまうような、どちらか片方になってしまうような
状態に入ると、非常に発病の危険が近くなっているとどこかで昔書いてました。
>>482 俺が考えてる例は「テストで合同な三角形はどれとどれかと問われた時」の
ようなケースだけど。あるいはその練習問題。
これは「目の前の三角形は細かく見たら三角形ですらないけど、その図は
普遍的な三角形を示している」というお約束を受け入れて初めて解けるわけだ。
観念上(概念とは違う)の三角形が合同であるかどうかというのは、
定義に拠ってのみ定まる。形式的な証明の対象ってことだね。
観念の場合に日常レベルより厳密になるのは、観念が定義そのものだからで、
結局のところ「俺らの態度」によって決まるという点は変わらんよ。
488 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:25:05
赤ちゃんには世界がどう見えるか/草思社/1992
ダフニ&チャールズ・マウラ/吉田利子訳
>>487 しかし、単射や逆単射が私たちの態度で決まるというのはおかしいと思います
(合同自体が厳密に定義されてるわけですから)。日常的な類似性が態度に
よって決まるとしても、です。
490 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:27:02
脳神経系はものの同一性を感じる器官というが、免疫系だって免疫
システムで同一性を感じてるよな。
同一性のレベルは違うが、人間の呼吸器だって二酸化炭素をとりいれて
酸素を出すことはしないで、酸素と二酸化炭素の違いは分かってるしな。
消化器だって、肛門からメシを食って口からウンコや小便は出さない。
まあ呼吸器も消化器も自律神経がコントロールしてるが、
自律神経が狂っても口から小便は出ない。同一性がわかってる奴は
脳だけじゃねーよな。
というか、定義(何を満たせば同一か)と判定(その条件を満たすか)の
区別が必要です(例えば、a,b,cを満たせば同一とする、という定義も、
a,bで十分である、とする定義も自由ですが、そう定義した後で、a,b,cの
条件充足の判定が勝手気ままに可能なのか?)。
>>490 > 脳神経系はものの同一性を感じる器官というが、免疫系だって免疫
> システムで同一性を感じてるよな。
免疫系は面白いですよね。膠原病などの自己免疫疾患はそこが失調する病気ですが、
自分が自分であるということの境界を何故か免疫系は知っている。そこが明確になると、
ものすごい革命的なことがおきそうですね。
493 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:30:47
人間の観念、人間の観念いうが、犬だってご主人様とご主人様じゃない奴の
見分けくらいつくぞ。
>>487>>491 . _
/〜ヽ
(。・-・) これはプリン
゚し-J゚
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′  ̄ ̄( ゚Д゚)< これは猫
UU ̄ ̄ U U \_____________
∧,,∧ 。・。゚・。 ゚・。゚・ これはチャーハン
( ´・ω・)つ\・゚・ 。・゚・・/
なんでだろうねw
>>491 んっとそこを区別したら何が起こるの?
定義自体を受け入れる/受け入れない、というレベルと、
判定方法を受け入れる/受け入れない、というレベルが出てくると思うけど。
結局「どうなったら同じとみなすか」っていう態度や実践の問題だ
という結論は変わらないんじゃないか?
497 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/13(月) 23:56:50
>>479さん
業を存続させるための土台とも言うべきものが阿頼耶識ですね。
いつまでも業の状態と真如の世界で呼び名が変わりますが。
>>496 定義を受け入れるとたいてい判定基準も受け入れることになるので、
そこは置いておくとして、私が言いたいのは、
「判定基準(つまり、xであると言える必要十分条件)をa,b,cである」
と約した後で、「ではその基準で判定するとどうなるのか?」ということです。
つまり、受け入れの後で「受け入れるかどうかは態度の問題に過ぎない」
というのは問題領域が既に異なるのでは無いでしょうか。
単射については(ちなみに逆単射じゃなくて逆写像でした。失礼しました)、
「単射」「合同」でググってみてください。
私も半分忘れかけてますので。
499 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/14(火) 00:18:37
>>416 >>正しさと権威は関係が無い
>少なくともイコールではない小学生でもわかる基本的な事だ
「少なくとも」というところに「自信のなさ」が露呈しており「痛い」ですね。
基本的価値「真善美」の『善』の根拠となる「正しさ」は「権威」抜きでは成立しません。
単純明快に言うと「時の権力(権威)が『善』とした方向の『逆』が悪」なのです。
コイズミ自民党が「善」としている「構造改革」について、堀江ライブドアは一瞬『善』の
ように見えましたが、「よく考えてみると」・・・
・・構造改革だって「資本主義社会のルール」あって『こそ』のるーるである・・と、
東京地検のエリート達は考えて、「タイーホ」状の請求にむかった・・のであって、
ある意味で、『「公正取引委員会」が「全く機能していない」』なかで、「東京地方検察庁」
が、「結構機能したこと」は・・誉めてもよいことだと考えます。・・・「国家」に税金を
納めているから・・・当然・・『「国家」も機能して欲しい』・・ということです。
>権威が正しさの基準だと考えているなら全く話にならない出直して下さい
>>497 唯識や華厳からは、早々に撤退したもんで・・w
ネック(きっかけ)は、やはり輪廻ですかね・・・?
と、スレ違いですね(^^;)
>>498 問題領域が違うといえることは言えるだろうね。
ただ、「問題領域が異なってるためにどんな不都合が起こるのか」ってとこまで
指摘してくれないと議論のしようがないよ。
区別しないとまずい例、なんかある?
単射についてはぐぐってみたけど(クソ重かった)、
定義から入っても文系の俺にはさっぱりわかんなかったよ。
今の問題に関係あるところだけでもわかるように説明してくれぃ
>>501 不都合と言うか、恣意的であれ基準を立ててあてはめをしてはどうか、
ということです(例えば、
>>472)。「態度自由」だとしても「基準と当て嵌め」
は可能なのですから。
教室の中に生徒(A,B,C・・・)がおり、箱の中に名札(a,b,c・・・)が入っています。
そして、名札をどんどん配ります。
この時、
名札が余りも足りずもせず、かつ、1人につき1枚なら「全単射」。
1人につき1枚ならば(つまり、0枚の生徒や2枚の生徒がいないならば)「単射」。
名札が余りも足りずもせず、かつ、各生徒が1枚以上持っていたら「全射」。
なぜ合同と関係するのか→三角形に含まれる点に注目。
訂正
×1人につき1枚ならば(つまり、0枚の生徒や2枚の生徒がいないならば)「単射」。
○2枚以上持ってる生徒がいなかったら「単射」。
504 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/14(火) 00:42:43
>>500さん
宗教的には「信」こそ一番重要なのは間違いないですが
それを成り立たせている「理論」も重要だと思います。
やはり仏教哲学は超難解ですね。
もう一回訂正。
×1人につき1枚ならば(つまり、0枚の生徒や2枚の生徒がいないならば)「単射」。
○(全員0枚ではなく)2枚以上持ってる生徒がいなかったら「単射」。
506 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 01:09:57
>>499 機械君
キミはやっぱり頭おかしいよ
善とか美に、なんで決まった正しさとかがあるんだよ
正しさとは、事実がどうであるとか
答えは一つであるものに対してしか使えない言葉だ
美に、何で正しさとかあるんだよ
必要ですらないだろ
また
ある事件に一人の容疑者がつかまった
しかし、この容疑者は、実のところ犯人ではないにもかかわらず
裁判によって死刑が確定した
いわゆる冤罪というやつだ
この場合の権威は、絶対的に『正しい』のかね?
いや、間違えているのだが
権威=正しさ なのかね?
単に専門家に判断基準を委ねる事を、法律的に定めている
という事であって、間違えた判決を下す可能性もありえる
小学生でもわかる事だろ
あと探求者君も
こんな事すらわからないんだったら
もう、ややこしい事を考えない方がいいと言ってるだろ
義務教育からやり直して下さい
特に、国語と社会ね
やっぱりこれも、ゆとり教育の弊害なのかねぇ
こんなバカが世の中にたくさんいるとはね・・・
日本も終わりぽいな
>>505ほか
_, ,_
(`Д´ ∩ < わかんないよー!
⊂ (
ヽ∩ つ ジタバタ
〃〃
機械の書き込みは、どう見てもネタなのに、
マジでレスしてる哲学者最高位は
バカに見えてしまう・・・・
509 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/14(火) 01:26:36
>>506 >善とか美に、なんで決まった正しさとかがあるんだよ
>正しさとは、事実がどうであるとか
>答えは一つであるものに対してしか使えない言葉だ
真性「宗教者」で産まれ育った「難しい方」ですね。
真についての肯定価値「真」と、「善」における肯定価値「真」が、
表現として「バッティングしている」ので、それに便乗して、
「混乱を誘発するレス」を発信するあなたが「観念論者」である悲劇は
よく理解できます。
あなたは「宗教」に帰依することで、「自分の人生」を終局させること
・・・というシナリオで、「言いたい放題」しているだけなのですが、
「あなたの宗教的な(下らない)人生」以上の「真理に即した人生」を
求めている方々は、あなたの「自己が救済されればいいではないか:観念論」
同意出来るほど「鈍感で居続けることができない」・・人達がいるのです。
・・あなたにその方達の「気持ち・感性」を理解できないこと・・それは
「残念なことであり、且つ『偽』である」・・・ということです。
510 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 01:34:26
>>461 >素人君
キミもホントにダメダメだね
都合のいい、こじつけ以外は
物事を厳密に突き詰めて考える事をしない
キミらは『初めに唯物論ありき』で考えるから
私の言っている事が理解できないんだよ
必死で身をかわす方法だけを考えて、バカのフリをする
んで、もちろん幼稚な事しか言えない
こっちは基本的な事ばかり、繰り返し説明させられる
バカってさ、迷惑なんだよな
>>作れないという事は認めるわけだね
>さあ?わからないね。
>できたら面白いだろうなとは思うけど。
なんだコリャァ
何をテキトーに誤魔化そうとしてるんだよ
わからないとか言うんだったら黙っていろよ
>説明書でも十分唯物論足りえると思うが?
だったら『この私』についての説明書を作って下さいよ
なぜに、ここにいるのが他人ではなく『この私』であったのかをね
物理的に説明して下さい
>なぜ設計図にこだわるの? →下記〔1〕
唯物論で全てが解明できる というのが唯物論の主張だからだよ
だから全てを説明して下さい と言ってるわけ
全てが解明できりゃ設計図だって簡単でしょう
物理的に作れるはずなんだからさ
ところで
下記〔1〕って何?
下記に〔1〕という項目など、どこにも無いんだけど?
511 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 01:43:00
>>509 バカ発言も、いい加減にしろよ
>真についての肯定価値「真」と、「善」における肯定価値「真」が、
>表現として「バッティングしている」ので、それに便乗して、
自分で勘違いしてバッティングさせて来たくせに
それを指摘すると、まるで人のせいにして
いったい何なんだよ
この基地外が
ちなみに
宗教性のない人間なんていないよ?
キミの、その発言も宗教そのものだ
気づかないところが痛いけどね
512 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 01:46:22
>>509 んで、どうなん?
権威が、正しさとイコールなわけ?
権威というものが真理なの?
キミは、そう言ってたわけだけれども
もう一度、ハッキリ答えて下さいな
>>502他
ある集合を一定の規則で別の集合に書き換える。
そのときの元の集合と書き換え後の集合の関係をいろいろ定義してるんだよね。
ある集合と別の集合の関係が単射か全単射かとかは、定義によって決まる。
座標で点を現してその集合で図形を表現すれば、図形同士の写像の関係とかも
この単射とかで表現できそうだし、「位置の違い」を数で解決できそう。
まぁよく分かりませんが。
もっと分からないのは、わざわざこんな話を持ち出した理由だけど。
「合同」や「相似」でも別にいいじゃないかw
日常レベルの判定は曖昧だが、ちゃんとした定義を使えば判定は厳密になる。
しかし、その定義や判定方法においての一致がなければ、「同じ」であるとか
「単射」であるとかは言えない。
つまりは、日常レベルの判定も観念レベルの判定も、俺らの態度や実践のあり様に
依存して決まってるって結論になると思うけどね。
514 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 01:55:10
機械論的決定論は初期値をでっちあげる第一原因がなければ成り立たない。
ところがこうした第一原因性なるものはもともと経験論的には背理であるが
ゆえに、機械論的決定論もまたある種の宗教性に基づく形而上学的欲求の
所産であるということが帰結される。
515 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 01:56:54
>>508 ん?
私から見たら、ほとんどの書き込みはネタに見えるんだよね
判断に苦しむわけよ
いったいどんな顔した人なのかもわからないんだからね
こういうヤツが、こういう書き込みをしている というような
サンプルが一切ない中で会話してるんだよ
一回みんなの顔を見てみたいもんだわw
まぁ
ネタならネタでいいんだよ
そのネタを、いつまで必死に主張してくるのか
見てるの楽しいじゃんかw
>>506 >しかし、この容疑者は、実のところ犯人ではないにもかかわらず
はい、この部分は誰がどうやって決めてるんだ?
ちゃんと現実を見て考えてな。言葉に騙されるな
んで、「私」と「机」の存在の仕方がどう違うのか説明してね。
どこかで「机」はどこまでが「机」か明確な基準はないとかいってたけど、
どこまでが「私」か、の基準をちゃんと言ってからにしてくれよ。
>>512 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86 科学的に正しい
所詮、その科学において正しいだけ
宗教的に正しい
所詮、その宗教において正しいだけ
論理(数学)的に正しい
所詮、その論理(数学)において正しいだけ
道徳的に正しい
所詮、その道徳において正しいだけ
哲学的に正しい
所詮、その哲学において正しいだけ
法的に正しい
所詮、その法において正しいだけ
その正しさの背景は何か?
どれを前提に正しさをおくか?
あなたが前提とする正しさとは何か?
そういった問題じゃないかな?
俺の考えとあなたの考えは全然違うけど、
あなたのことを内心的には応援してたりする
他者の主張を理解することも大事だと思うよ、おやすみ
519 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 02:15:58
ところで第一原因性なるものを完全な背理として斥けた後に自己開始能力として
の自発的意志はなおも残りうるであろうか?否である。
ということは機械氏が機械論的決定論によって第一原因を暗黙のうちに前提して
しまっているということはとりもなおさず自由意志をも暗黙のうちに容認して
しまっているということになる。これは彼の主張である、
「「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により決定されている」
ことと矛盾する。
520 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 02:20:06
>>519 第1原因性を背理として斥けても
第0.5原因性や第0.25原因性が
出てくるじゃない。そこを考えないと
だめなんじゃないのかな。
521 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 02:23:16
522 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 02:27:53
>>513 探求者君
何度も言うけど
キミはもう、ややこしい事は考えなくていいってw
『集合』といった時点で、すでにそれは人間の価値観による『観念』なんだからさ
キミは頭の中でピチッとした区分けができないんだから、ややこしいこと考えても無駄
まず
機械君と一緒に
>>184から、やり直しなさい
>>516 おぃおぃ
>>しかし、この容疑者は、実のところ犯人ではないにもかかわらず
>はい、この部分は誰がどうやって決めてるんだ?
おぃおぃ
決める んじゃないんだよ
決まってる の
事実は、誰が決める とかじゃなくて 決まってるんだよ
やってないものは、事実やっていないんだよ
箱の中にある物体は、あるのが事実であって
どんな権威が、無い と言ったところで
あるもんは、ある だろ
ここまで説明しなきゃならないなんて、本物のバカだぞ
もう言葉にもならんよ
>>522 真理は疑いようもなくそこにある、というわけか。
ってか誰も「それが真理である」と分かってなくても真理があるの?
存在が確認できないものを「ある」と言い切るのは論理的な態度ではないよねぇ
「真理らしきもの」に俺が到達したとして、
それが「真理」だとどうやったら確認できるんですか?
524 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 03:12:18
>>518 あ、私に対して言ってたのかw
結局、その言い回しだと
最初の
科学的に とか
宗教的に とか
そういう価値観を前提にした
分野、分野での正しさを基準にしているからね
その分野での正しさ という粋を出なくなる
では広げてみればどうなるかと言えば
まぁ厳密に言ってしまえば人間は、自らの観念から出る事はできないのであって
この確実性の無い世界における正しさなんてものは
『我思う故に我あり』だけだという事になってしまうわけであってね
そこで、いろいろな前提を認めた上で、一般的には『現実』とされている部分を
『事実』だとしている
他人が存在している『事実』
これは私の認識が、妄想ではなく、現実に存在している世界そのものを認識している
という前提で成り立つ『事実』であって
『真実』とは違うのかも知れない
ではここで『正しさ』とは、いったい何か、今一度考えてみよう
言える事は少ない
『真の正しさ』とは
人間の価値観や認識 とは関係がないところで『真実』として存在している
という事
特に、権威や価値観、人間の判断基準 などというものは、厳密には曖昧であり
本質的な意味では、絶対的な基準には成りえない
厳密に言えば、人間にとって、前提にできるものは
『我思う故に我あり』しかないのだから
525 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 03:25:28
>>523 もう少し、よく考えてから質問してもらえんかな
>ってか誰も「それが真理である」と分かってなくても真理があるの?
誰かがわかってる とかは関係がないだろ
太陽のド真ん中あたりの温度は、誰も測りに行った事はないけど
温度は真実として、あるだろ?当然、変化はするけどさ
今、この瞬間のココの温度 という事実は正しく存在する
キミが確認できようができまいが、事実は事実として存在する
という事実は真理である と言える
これが論理性
>>525 「これが真理である」がどうやったら分かるのか、という質問に答えろってw
あと「我思う故に我あり」が真理だといってるけど、「それはやっぱり真理ではなかった」
っていつか分かる日が来る可能性がゼロだという証拠はあるの?
>「真理」とは何か
「真理/真実」という言葉は英語では"truth"
ちなみに「事実」は"fact"
自然科学者の視点で考えてみよう
例えば、中世ヨーロッパでは天動説が主流でありそう信じられていた
しかし、コペルニクスやガリレオの功績もあり地動説が正しいと思われるようになる
これを「事実は変化する」と表現する
中世では天動説が事実だったわけだが、現代では地動説が事実である
では、中世までは太陽が地球の周りをまわっていたが、ガリレオ以降になって地球が太陽の周りをまわるようになったのか
「いや、そうではない」と普通の人なら誰もが言うだろう
いつの時代だろうと、"昔から地球は太陽の周りをまわっている"
変化したのは世界に対するわれわれの考察の方だ
教会がいかに権威を振るおうと"現実にあること"を変えることはできない
「真理(truth)」とは、「世界そのもの」を指す
この場合の世界を、「客観世界」とか「実在世界」とか言ってもいいし
「物自体」とか「語りえぬもの」と言ってもいい
すると、次のような疑問がわくことだろう
「われわれはいかにして世界を知りえるのか」
基本的に「哲学」と呼ばれるものはこの問題を中心に扱っていると俺は考えている
528 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 03:44:20
>>526 >「これが真理である」がどうやったら分かるのか、という質問に答えろってw
はぁ?
お前はバカなんだから
永遠にわかるわけないだろ
>>528 俺はバカだから分からないよ。
で、賢い君はどうやって「真理」か「真理じゃないか」を判定してるの?
答えられないの?君も本当は分かってないんじゃないの??
530 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 03:56:08
>>529 真理、真理ってキミは何の事を指して言ってるんだ?
ちょっと別の比喩を
麻雀漫画の「アカギ」ってある
このマンガのシーンで
実際には半の目が出たのに「いや、出た目は丁だ」と言って胴元が日本刀で脅すシーンがある
ここで、アカギが言う「目は半だ」と、胴元が言う「目は丁だ」はともに"言説"だ
そして実際のサイコロの目が"真理"だ
胴元の持ち出す日本刀が"権力"だ
たいていの人間は、外界は自分の感性に映った通りに存在すると考える
実際に生活し日常的な会話をする上では哲学者と言えども、そのような態度をとらざるをえないだろう
これを「素朴実在論」とか、「認識の模写説」などと言う
が、哲学的吟味や検討に耐えられるものではない
532 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 04:00:09
>>529 10円玉を投げて、表が出れば「真理」
裏が出れば「真理じゃない」がオレの判定法。
これほど哲学的な判定法、他にないだろ。
>>530 あなたが仰る意味での、認識や権威に関係がない確実に正しいことですよ。
俺はアホだから、権威や説得力に振り回されてそういう「真理」が分からない。
しかしあなたは、絶対確実な真理を掴んでおられるようだ。
だからその方法を説明してください、とお願いしているわけです
>>532 それはある意味すごいな、そこまで軽い「真理」は初めて聞いたわw
535 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/14(火) 04:09:35
真理なんぞより健康の方が、ずっと大事だけどな。
>>531 「実際のサイコロの目」を知る方法があればいいんだけどね。
あれはマンガだから「神の視点」が可能だけど、現実の俺には神の視点がない。
自分が見てるものが絶対確実って言えないからなぁ
537 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 04:25:57
誰にも確認できないが真実はある、と措定することが
論理的にどういう意味があるのか分からんのだが
>>535 実際にガリレオも教会の圧力に屈して自説の撤回に署名しているしね
マンガの「アカギ」では、その後に刑事が飛び込んできて
「こんなくだらないことのために生死を賭けてどうする!それこそ無駄死にだ」と言う
ま、その感想もわからなくはない
>>537 論理学的にはものすごい大きい意味がある
論理の改訂を考える必要が出てくるからだ
が、君の言う「論理的な意味」ってそういうものじゃないでしょ?
>>532 惜しい!
真理でないものは虚偽だ、(もちろんいくつかのパラドクスに例外はある)
基本的には、たいていの言明は「真理(true)か虚偽(false)か」の二択だ
英語の問題で「True or False」ってあるでしょ
あれに「TrueでもFalseでもない」って選択肢はないでしょ
日常では「TrueでもFalseでもない」ってのは考えなくていい
(まぁ論理学ではあるんだけどね)
>>536 >「実際のサイコロの目」を知る方法があればいいんだけどね。
>あれはマンガだから「神の視点」が可能だけど、現実の俺には神の視点がない。
>自分が見てるものが絶対確実って言えないからなぁ
そうだね、実際には胴元が正しい可能性があるし、それを排除しきることはできない
だが、あのマンガに哲学者が乗り込んで
アカギに哲学のウンチクを垂れたら興ざめだ
あそこは「犬死にだ!」のほうがいい
ま、とりあえず俺が言いたいことは
「真理」なんて言葉を聞くと変に小難しく考えたり、深遠さを感じたりするかもしんないけど
要は「正しさ」だ
「真理とは何か」ってのは「『正しさ』ってなんだろう?」ってことさ
「俺たちはどういう時に『正しい』とかいう言葉を使うんだろう、また、使うべきなのだろうか」ってこと
で、これは「何が真理か」つまり「いったい何が正しいの?」とは違う疑問だ
一応、この「正しさ」の見解も、俺の説明は「真理の対応説」と呼ばれるものだ
「言明の内容と言明が説明する対象が一致している時、『真である』と言おう」
他にも整合説なり実用主義なりがある
なんかゴキゲンだから長々と書いてしまった
許せ
543 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 06:23:11
>>533 アホに説明してわかるのかなぁ
理解できるとも思えんけどなぁ
>あなたが仰る意味での、認識や権威に関係がない確実に正しいことですよ。
正しい事に、確実もクソもないんだよ
それは認識や権威とは関係がない
そのようなものに、保障能力は無い
真実は真実である
これも一つの真理であり前提にできる事柄であろう
人間は真実を知りえるのか という問題と
真実があるのか という問題は別である
命題として『真実は何なのか』なのであって
真実が無ければ、命題自体が成り立たない
しかし命題が立った時点で、真実は存在するのだ
真実が存在しないとしても、それは『真実は存在しない』という『真実』だからね
『真実が無い』という事は、どういう事かと言うと
『全てが無である』という事であって
最初から、な〜んにも成り立たない
一つでも前提が成り立つのなら、そこに『答え』『真実』は必ずあるのである
というのも真理 真実
これらの発言は、全て『論理性』によって成されている
知の探求とは、この論理性である
キミはアホだ という事は
要するに、論理性が理解できない という意味
私は論理性によって発言している
>で、賢い君はどうやって「真理」か「真理じゃないか」を判定してるの?
論理性だな
>>543 つまり「真理か否か」を判定するときには論理的かどうかで判断するんだね。
けど論理的かどうかなんて実際問題ほとんど役に立たないけどなぁ。
「私は昨日牛から落馬した」って命題は論理に照らし合わせて真理じゃないって分かるけど、
「小倉優子はゆうこりん星出身である」って命題が真理であるかどうかなんて
論理に照らし合わせるだけじゃわかんないと思うんだけど。
分かるとしたらどんな論理に照らし合わせれば分かるの?
ところで「1+1=2」も「1+1=10」もどちらも十分論理的だけど、
これはどっちが真理なの?あるいは両方とも真理?
545 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 07:08:43
>>544 だからバカと話すのは疲れるんだよな
採用できる論理と、採用できない論理があるだろ
>「小倉優子はゆうこりん星出身である」って命題が真理であるかどうかなんて
>論理に照らし合わせるだけじゃわかんないと思うんだけど。
はぁ???
何の論理だよ・・・
もういいから話しかけないでくれ
>>545 >私は論理性によって発言している
>>で、賢い君はどうやって「真理」か「真理じゃないか」を判定してるの?
>論理性だな
あなたがこうおっしゃったんでしょ。
んじゃその論理性とやらに照らし合わせることで「ゆうこりん命題」が
真理であるかどうか判定してみてよ。
ほんとに論理なんかに照らし合わせて真理の判定してるの?
てきとーに言ったんじゃないでしょうね
547 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 07:34:31
>>546 ねぇねぇ
そんなこと言ってて、本当に恥ずかしくないの???
マジで質問してんの?
言っておくけどキミ
全然、日本語が通じてませんから・・・・残念
ハズカシィーーーーー!
ゆうこりん命題?w
が真理であるかどうか??
シラネェヨ
どんな論理性があるというの?w
しかし
ゆうこりんが、こりん星から来たのかどうか
という命題には、必ず答えがある
真実がある
いずれにせよ
それは真理だ
>>547 「ゆうこりん命題」に答えがあるかどうかなんて聞いてないよ。
そもそもそれをはっきりさせるために、真理の判定方法聞いたんだぞ?
循環させるなって。
結局、論理性に照らし合わせたって真理かどうかわかんないんじゃん。
もう一回聞くぞ。
ある命題が真理か否か、どうやってあなたは判定してるんですか?
549 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 08:08:16
>>548 バカも程々にな
>結局、論理性に照らし合わせたって真理かどうかわかんないんじゃん。
だから照らし合わせる材料を論理的に出してきてもらわなきゃ
ただ「こりん星から来ました」と言われても
論理もクソも無いだろ
「あぁ、そうですか」としか言えんだろ
私としては「ご苦労さん」「大変だね」と言うのが精一杯だよ
>ある命題が真理か否か、どうやってあなたは判定してるんですか?
もう一回言うぞ?
論理性だ
あ、ちなみに
この前、テレビでゆうこりんが
こりん星は、品川にあると言ってたよw
そこ出身なんじゃないの?
品川のどっかを、こりん星と呼んでるんじゃないか?
知らんけど
>>549 待て待て。「照らし合わせる材料」が論理性なんじゃないの?
あなた、「論理性に照らし合わせて判定してる」っておっしゃってますよね?
論理性に照らし合わせてるんじゃなくて、何か別の材料に照らし合わせてるの?
それなら初めからそうといってくださいよ。
じゃあどんな材料があれば、ある命題が真理かどうかを判定できるの?
551 :
メシア:2006/02/14(火) 08:16:21
>>519 >ところで第一原因性なるものを完全な背理として斥けた後に自己開始能力として
の自発的意志はなおも残りうるであろうか?否である。
第一原因性の自発意志が何故無いと云える?
その理由にかなり興味ありますねぇ〜?
第一原因性の自発意志が無かったら、
そこには、『人間的感覚で捉えられるものは何も無い』はずだ。
しかし、それはそこに在る。
第一原因性としてそこに在る。
広義で在るもの全てに自発的意志が在るはずだ。
在るものは『無いという選択肢』があったはずだ。
しかし、それは、そこに在る。『そこに在ろうとした』。
何故そこに在る?
第一原因性に自発意志が無いと言える理由が知りたいなぁ〜?
>>521 有の中に無限あり。
無限とは無でもある。
どのような角度で何を考えても最後は無限か無に到達してしまう。
『無以前』に答えはあるかもねぇ〜。w
552 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 08:30:05
>>550 待て待て って、アホちゃうか
>「照らし合わせる材料」が論理性なんじゃないの?
ってお前
ちゃんと、ものを考えてるか???
>じゃあどんな材料があれば、ある命題が真理かどうかを判定できるの?
って???
そんなの自分で考えろアホ
どんな材料があればって???
真理かどうかを判定できる材料 だよボケ
どんな じゃなく
真理かどうかを判定できる材料があれば、それを論理的だと言うんだよハゲ
>>552 あんたにとってその材料とは?と問われてるんではないかね?
554 :
メシア:2006/02/14(火) 08:34:48
>>551 自発的か否かを考えると、偶然か必然かという問いにも繋がると想う。
第一原因性は偶然か必然か?
そもそも偶然とは『意志の無限集合体による結果』だ。
必然とは『>単一的<意志による結果』だ。
こう考えると本スレッドのお題が間違えているのが見えてくる。
意識とは:
『意志の無限集合体』による第一原因性(単一の感覚器官)を起点として成立している。(爆)
もっと言えばw
感覚器官の『集合体』が感覚として捉えられる全てを感じた上に成立する(爆)
笑い止まらなくなってきたw
アホ臭いねw
よってw
脳は意志の無限集合体の意志による第一原因性を起点としている為、
>>>人の意識は、『結果』必然と言える<<<
(爆)はぁ笑ったw
555 :
メシア:2006/02/14(火) 08:39:45
>>554 あぁこれこだな(爆)
>脳は意志の無限集合体の意志による第一原因性を起点としている為、
>>>人の意識は、『結果』必然と言える<<<
脳は、『意志』の無限集合体により『物質化』した第一原因性をを起点としている為(爆)
>>>人の意識は、『結果』必然にすぎない<<<
これでいいんじゃね?(爆)
興味のないスレを君達と共に再発見。
「科学とは何に対する化学なのですか」という問いに対して
浅はかな誤謬なく素早く反応できる者の答えの凡例にはこれらのものがある。
「事実とその総体ですよ」
「事実の始まりと終わりもしくは永久ですよ」
「人間の認識と思考ですよ」
「人間もしくは人工知能によるすべての把握ですよ」
「人間もしくは人工知能によるすべての統御ですよ」
「人間の好奇心ですよ」
「人間の幸せですよ」
「科学自身ですよ」
「神ですよ」
全宇宙中がコンピューターで埋め尽くされて
人間の思考も含めた世界のすべてが数字に還元されて
時空のすべてが解明されて
すべてが統御可能となった頃
果たしてそこには人間はいるのか。
もし、いるとすれば何を語っているのかもしくは語っていないのか。
いないとすれば
人工知能は何を語っているのかもしくは語っていないのか。
語っているとすればすでに語られたことを語っていて
語っているそれ自身もすでに自身が語っていることがすでに語られていることを知っている。
語っていないとすればその世界は止まっている(ループしているのも止まっているも同じ)。
科学とは無知な回遊魚か。
それとも人間がその人生で暇をつぶすための玩具か。
557 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 08:50:16
>>553 では、こりん星について質問しますので、詳しく教えて下さい
まず、こりん星とは何ですか?
>>552 いや、あなたがおっしゃったことなんですよ?俺だっておかしいと思いますよ。
「真理かどうかを判定できる材料」であるかどうかはどうやって判定してるの?
それが分からなかったら、真理かどうかも判定できないじゃん。
なんでそんな逃げ方するかな。はっきり答えてくださいよ。
・・まぁもう崩壊してきたからいいか。
しかし君は虚勢はりながら逃げ回ることにかけてのみ「最高位」だな。
思想内容も議論の技術も低ければ、バカにするやり方すら下手くそだわ。
机と私の存在性の違いを説明してよって言われてロクに答えられずに、
「正しさ」の話に逃げ込んだはいいが、そこでも突っ込まれてこのザマだ。
ちなみにその前はキルケの話で俺に叩きのめされて、ほとぼり冷ましてたら
「逃げの最高位って言われちゃうよ?」って誰かに書かれてたよな。
「ある命題が真理かどうか」ってのは一つの決断なんだよ。根拠なんかないの。
定義レベル=論理で決まる命題にしろ、証拠で判断されるような命題にしろ、
程度の差こそあれどこかで思考を止めて決断するしかないんだよ。
そこに権威や信仰が介在してくる。現実を見ろって。俺だって君だってそうだよ。
最初に言ったよな。「言葉に騙されるな、現実を見ろ」って。
君は分かってる風に虚勢はって語るから、恥ずかしいことになるんだよ。
ソクラテス役やってあげたんだから、いい加減「無知の知」に気付け。
真理かどうかを判定できる材料があれば、それを論理的だと言うんだよ
って結局なんにも言ってないに等しい罠
本気だったら相当の電波だぞ
560 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 09:41:24
>>558 いい加減にしてくれよ
またまた話をすりかえるのかい?
まず、キミは会話ができない人間なんだよな
特に発展的な会話ができない
と言うのも
こっちが説明しても、自分が思っている答え以外は理解できないんだ
で、人のせいにする
>「真理かどうかを判定できる材料」であるかどうかはどうやって判定してるの?
>それが分からなかったら、真理かどうかも判定できないじゃん。
>なんでそんな逃げ方するかな。はっきり答えてくださいよ。
子供がダダを、こねているみたいだね
逃げてるんじゃないんだよ キミの質問がおかしいんだよ
と言うのも、自分は抽象的な文章を書いてるくせに
相手には具体的な返答を求めているんだから笑っちゃうよ
>「真理かどうかを判定できる材料」であるかどうかはどうやって判定してるの?
それを、論理性で判定してるんだよ
自分でも認めていたけど、キミはバカだから、その「論理性」が理解できないんだろ?
まぁ論理性が理解できないんだったら、いくら論理的に説明しても理解できないわな
だからキミとは論理的な話をしても噛み合わん というのが結論だよ
だってキミには論理が通用しないんだろ?
キミ自身で公言してるよね?だったら話にならないんだよ
キミは、こりん星にでも、お花畑にでも行って遊んでいればいいんだよ
机の話?そんなの唯名論だと説明しただろ?キルケの話?何だそりゃ
くだらない書き込みには返答しない事もあるが、返答しないからといって勘違いしちゃったのかな?
逃げの最高位と言われちゃうよ と言ってた人は確かにいたな
でもそれしか言わないから、何の事?と聞いたら返答なかったよ?
会話が成り立ってないんだから、自分で思い込んで勘違いしない方がいいんじゃない?
561 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 09:54:19
>>559 何か間違えてるか?
探求者君が、当たり前の事を理解できないから
当たり前の事を説明しなきゃいけなかったんだけどね
間違えてもいないのに、何で私が非難されるのかな?
非難されるべきは、そんな事を説明されなきゃ理解できない探求者君だろ?
いやいや
説明されても、まだ理解できないみたいなんだよ
あれって、当たり前の事だよね?
探求者君に言ってやってよ
当たり前すぎるほど当たり前の事だぞ そんな事も理解できないのか ってね
そろそろ最高位は放置してもらえるとありがたいのだが
暇つぶしとわかりながらやられるのも荒らしに近いはた迷惑なのだが
563 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 10:16:51
哲学者最高位って何してる人? ふと虚しくなることない?
>>562 正直やりすぎたと反省している。
ラストこれだけ書かせてw
ある命題の真偽を判定しようと思う。
その前提としてまず論理的なチェックが必要になるね。
「出身である」とは何か、「こりん星」とは何か、「小倉優子」とは何か。
この定義をしっかりするだけで真偽判定ができる場合もあるけど、
実際には証拠を持ってこないとなんとも言えない場合が多い。
その場合に、どんな証拠を持ってくれば「真である」と言えるのか。
「地球で生まれたという証拠があれば、命題が真であると仮定したときに
こりん星出身であることと矛盾するので、命題は偽といえる」ということは分かる。
けど、「命題が偽であると仮定したときに、定義と矛盾する」ことはどんな証拠を
持ってきたって言えない。条件がそもそも偽ならなんでもありなんだから。
つまり「命題が真である証拠」は論理的な判定だけじゃ分からないわけだ。
>探求者
いいから出でけ!
痴脳からかって優越にひたるヤツは最悪だ。
567 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 11:01:46
>>564 おまえは論理が何かわかってないから、どんな定義もできない
>>452 >答えが
>>380に尽きてるって???
>アホか
>この机とか、そういうのは唯名論だと言ってるだろ
>机なんて明確な線引きは存在しないんだよ
>床にくっついてる机は、床も机か?家ごと机なのかい?
>地面ごと?地球ごとかな?
いやもう奇妙キテレツを通り越して、滑稽の域に達しているねw
唯名論って、個物が実在で普遍は名前に過ぎない、って考えだよ。
「この机」とか「あの机」は実在するけれども、普遍的な「机」というのは
単なる概念・名前であって実在しない、という考え。
「床にくっついている机」だったら、床は床で机は机に決まってるだろw
唯名論だと、何で家や地球が机になるのw?
まあ、どっちにしたってこの机が唯名論ならこの体も唯名論で、
反論としてはな〜んの意味もないけどw
>物体と「この私」は、存在様式が根本的に違うと言ってるだろ
だから、「この体」だって物体でしょ。物体と「この私」と
存在様式が根本的に違うなら、何で
>心と体は『この私』という純粋なる存在性の二つの側面だということ
になるわけ? それがさっぱりわからないから質問したら、あなたが
>>369で
>『自分が完全に死んで、体も消失した状態にしてから また物質的な条件を
>整えて、自分を作成するための方法 を考えてみればいい』
と妙なことを言うから、
>>380が「この机でも同じでしょ」と反論したんだよ。
この机でもこのコップでもこのウンコでもこの私でも、「個物」は一旦消失
したら2度とは作成できないんだから、私だけが特別なわけではない、とね。
それに対する再反論として「机なんか唯名論だ」じゃ、お話にならんじゃないのw
「この机は、消失しても何度でも作れるが、私は一度消失したら作れない」
と説明しなきゃ。
ちなみに俺は「この〜」であるかどうかは認識の側の問題だと思うが、
まあ通常は物質の時空的連続性が途切れたら、「この〜」だとは考えないね、
机でもウンコでも人間の体でも。でもまあそれも解釈次第だというのは、
昨日書いた通りだが、どっちにしても唯物論とはな〜んの関係もないねw
ゾルレンのコメント、良いね。
論理的に分かるか、とか論理とは何か、とかそういう大きな
問題は置いておいて、
「同一性とは差異がいかなる点においても無いことである。」
のように色々と定義して、じゃあ各人「私の同一性」について
どう思うの?
別に定義は変えていいが。
>>571 まず「完全に差異が無い」ならそれはふたつのものが同一性を有する
んじゃなくて、ひとつのものなんだろうね。だから、この定義よりも、
「○○について差異が無いならば同一である」
と定義してみるとどうだろうか。
問題は、○○に何を入れるのか。
部分が同じなのは同一じゃなくて類似と呼ぶに相応しくないか?
昨日の私と今日の私は同一か同一でないか?、という問題が
解答不能ないし無意味だという可能性は捨てきれないけどね。
574 :
572:2006/02/14(火) 12:26:42
>>573 日常だと
>>572の定義の方が近いでしょう。
ペンのインクが空になったら、あるいは、減ったら別のペンなのか。
パソコンのキーボードが擦り減ったら別のパソコンなのか。
なぜ同一のパソコンであると言えるのか。
よく「本質は変わらないから」という言葉を持ち出すけどね。
むしろ差異だけひたすらに分析してはどうだろうか。
ある時点の私と別の時点の私とでどれくらい差異があるのか。
もちろん、全部調べられないから先に限定しなければならないだろういけど。
576 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 12:30:31
>>563 なるね
でも楽しい時もある
まぁ暇つぶしだよ
しかし改めて読むと益々ムカつくな
コレ→
>>558 何一つ具体的な反論が無いじゃないか
自分の側から感じた観念的で抽象的な悪口だけで
私の具体的な発言に対しては、何一つ触れられていないじゃないか
小学生レベルの悪口ばっかりだ
>>564 いったい何を言ってるのか、サッパリわからんぞ
577 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 12:31:58
>>568 それは、あなたの唯名論観でしょう
唯名論でもイロイロあるでしょ
私が言ってるのは
名前を付けて呼んでるのは、人間の価値観であって
これが机だ とか、これが山だ と言う事は、実際には境界線や定義が曖昧なんだよという事
だから、純粋な存在性とは言えない という事だよ
イスにしても、持ち主が「これはイスです」と言えば
漬物石だって『イス』になる
『イス』とは腰をかける という機能を満たす物体であって
特定できないんだよ
机しかりだ
>>569 >「この体」だって物体でしょ。
そうだよ
だから、この体は物理的には原理的な制約を受ける
しかし精神は不思議な事に、本質的な部分で、物理的な制約とは異なる性質があるんだよ
唯物論者は、心も完全に物理的な制約を受ける と主張する
だったら、その物理的な原理に従って『この私』を作る方法を提出してみなさい
と言ってるわけ
具体的には無理だろうから、その根拠だけでも提出してみなさいとね
単純でしょ?
578 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 12:35:47
>>575 記憶や感情
その他の『状態』は変化するが
『私』は『私』だよ
『私』が変化する という事は『他人』になる事であって
それはもはや『私』には認識できない
まとめると
『私』の状態は変化するが
『私』の『存在性』というものは、変化する性質のものではない
という事
579 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 13:22:23
>>578 というのだって、お前の妄想に過ぎないかもしれない。
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
580 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 13:23:38
追加
>>569 >「この机は、消失しても何度でも作れるが、私は一度消失したら作れない」
>と説明しなきゃ。
その通り
私は、そう言ってるんだよ
物理的なものは、原理的に言えば
切ったり貼ったり自由自在なんだよ
だから同じ要素のものは作れる
だから問題は無い
それから、この机 と言ったって、あの机と 足を付け替えたら どうなるの?
この机と呼んでいいのか曖昧だよね
この机とか、あの机とか言う事じたいが、人間の価値観による勝手な解釈なんだよ
物理的なものは、同じものが作れる
原理的に言えば、分子レベル、素粒子レベルで、同じ要素の物が作成可能
しかし、いずれにせよ唯名論なんだよな
『この机』なんてものは、初めから無い
素粒子が適当に集まっているだけで、そして常に変化しているにもかかわらず
しかし人間には『その物体』として認識されているにすぎない
物理的なものは、全て境目無くつながっていて、そして常に変化している
『この机』なんていうものは、初めから存在しない
しかし『私』は『私』という存在性として、疑う余地も無く『存在』している
何とも混ざり合う事も無く、変化する事もなく
純粋な存在性として存在している
物質とは明らかに異なる性質を持っているのです
ここで、更に問題があります
それがなぜ、他の人でなく
『この私』であったのか という事実であり
その根拠はどこにもない という事です
581 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 13:34:40
あ
最後の行だけ
わかりやすく訂正しときます
その根拠はどこにもない という事です
↓ ↓ ↓
『この私』でなければならなかった必然性の根拠は
どこにも有りえない という事です
>>579 必死杉w
なんでそんなに必死なの?
文句があるなら
内容に対して
具体的に反論すりゃいいじゃんかw
>>580 >『この私』であったのか という事実であり
事実なの?
>>579 なんかよくわからんけど
自分が間違っている可能性を考えることが出来ても
考えつづけていたら意見書けなくない?
584 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 14:04:15
>>583 意見を書くのはいいさ。
でも、推測であるとか、妄想であるとか、ちゃんと認識している事が重要。
自分が間違っている可能性、用語を間違って使っている可能性を考えられなくなったら、
哲学者として終わりだと思う。
585 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/14(火) 14:12:27
>>584 だから何?
今日は、そろそろ離席の時間だわ
じゃ
ソクラテスがなんで殺されたのかよく分かるなw
>>571>>572 同一性を差異から見るのは正しい方向性だと思うけど、
差異を考えるのも結局観測する主体の側の問題を考えることになると思うぞ。
「合同かどうか」が問題になってる時は「形と大きさ」のみに着目して差異が
あるかどうかを判定するし、「赤信号かどうか」が問題になってる時には
形や大きさは無視して車用でも歩行者用でも「何色なのか」だけに着目して判定する。
「『富士山』かどうか」のような、固有名で呼ばれるようなモノ(個物)の場合は
もはや対象の性質がどうとかいうより「この」性や歴史性に着目して判定されるし、
「これは机かどうか」のように一般名で呼ばれるようなモノ(概念)の場合は、
最高位が言ってるように「机」という機能などに着目して判定される。
「私かどうか」という問いは実は「『探求者』と呼ばれているこの私なのかどうか」
であって、固有名で呼ばれるようなモノに関する判定と同種なんじゃないかな。
>>580 >その通り
>私は、そう言ってるんだよ
>物理的なものは、原理的に言えば
>切ったり貼ったり自由自在なんだよ
>だから同じ要素のものは作れる
>だから問題は無い
いやあ、「問題は無い」ことは全くないんだがw
まず、「切り貼り自由」かどうかは、全く関係ないね。
もしも机があの形あの大きさの「素粒子」で、一切変化もせず分割も
不可能だったとしても、問題の本質は全く変わらない。
で、「同じ要素のもの」なら、「この机」でも、「この体+この心=この私」
でも、いくらでも作れて何の不思議もない、って説明したでしょ。
で、作られたものを「この机そのもの・この私そのもの」と考えるかどうかは、
人間の認識の問題だね、とも説明したじゃないの。
どっちにしたって、「机」でも「私」でも、何の違いもないわけよ。
>>577 >その物理的な原理に従って『この私』を作る方法を提出してみなさい
>と言ってるわけ
>具体的には無理だろうから、その根拠だけでも提出してみなさいとね
何も無理ではない、というか、
>>449-450で、織田信長とか
テレビドラマのタイムスリップとかくだらない例まで出して、
すこぶる「具体的に」説明したんだけどw
要するに消滅する前の「この体」と物質的に全く同じ要素の体を作って、
「この心」と精神的に全く同じ要素の心も同時に作られれば
(唯物論が正しければ作られるだろうが)、それが以前の「この私」と
同一の「この私」だと認識されることもあれば、されないこともあるけれども、
どっちでも同じこと、というだけの話ね。だって、ある一つの事態を、どう
表現するかしないか、というだけの違いだから。まさにあなたのいう「価値観」
(という言葉はどう見ても変でw「解釈」とか「認識」というべきだが)の問題。
だから、「純粋な存在性」であるはずの「この私」だって、「唯名論」なわけよww
(続き)
ただし、第三者はともかく、作られた当人から見たら、自分は
以前の「私」と同一の「私」だ、としか思えないと思うよ。
主観的に「私」の同一性を担保するのは、記憶の連続性だけだからね。
朝起きた私が、自分は寝る前の私と同一の私だ、と思い込むのと
同じように。
それともあなたは、「今のその人にとってはそうかもしれないが、
以前の「私」(たとえば戦国時代の信長)にとってはそうではない」
とか言うわけ? 言っておくけど、存在するのはあくまでも現在だけで、
「過去」はどんな意味でも存在しないんだから、「過去の私」は
何を思うことも認識することも有り得ない。戦国時代の信長でも、
昨日の俺でも、全く同じこと。だから、
「以前の私にとってどうか」なんてことは、問題には成り得ないのよw
590 :
素人:2006/02/14(火) 18:42:16
このスレ、流れ早いよねぇ・・・
だもんで
一レス入れとく。
誰も私にレスしないってことは、
私の言ってることや文章もメチャクチャだ。
と受け止めて宜しいか?
>>13 >「真理」から遠ざかる道を突き進み・・・いつかとんでもない集団狂気行動
>に走る方達が出てくることを懸念しております。
決定論者であることが集団狂気行動への抑止になるとでも考えてるのですか?
593 :
571:2006/02/14(火) 19:59:14
>>586 いや、問題提起はそうじゃなくて、実際に何でも着目していいから、
判定してみてよ、ってことだよ。これは別に探求者だけに言ってる
わけじゃないので。どうも、話が抽象的過ぎる気がする。
例えば、「サッカーの試合でAが勝ったのかBが勝ったのか」という
問いを問われて、「勝ったというのは着目する主体の問題で云々」
と答えるのだろうか。そうではなく、点数に着目して、多い方を勝ちと
するだろう、普通は(でも、探求者の言うとおり、勝ったなんてのは
観測者の問題で、別に「点数が少ない方が勝ち」というルールを導入
してもいいってことだ。しかし、ルールはどちらにせよ在る。この辺は
>>498>>572でもう指摘されてることだけど)。
「同一だ!」「同一じゃない!」という言葉が飛び交ってるのに、なぜ
その基準が提示されないのか(あるいは、
>>498のように実際に考えて
みると奇妙な結論になってしまうのか)、というのが言いたいわけ。
探求者が「同一性の問題なんてどうでもいい」というのなら話は別だが。
594 :
571:2006/02/14(火) 20:00:52
>「同一だ!」「同一じゃない!」という言葉が飛び交ってるのに、なぜ
>その基準が提示されないのか(あるいは、
>>498のように実際に考えて
>みると奇妙な結論になってしまうのか)、というのが言いたいわけ。
>>498じゃなかった
>>472ね。
>>592 ネタフリには、なったようですね・・(^^;)
Sさん
Aが勝ったに決まってるだろう。こんなのは初歩の初歩だ。
名無しさん>Sさん
その基準は?
Tさん
勝った負けたなんて観客の態度の問題だ。
名無しさん>Tさん
で、あなたはどっちが勝ったと思いますか?
>>593 定義:同一であるとは、差異がないと認めることである
※差異の判定は「特定の意味での差異があるかないか」でよい
去年のサッカー日本代表チームと今年のサッカー日本代表チームは、
「メンバーが違う」ので同一のチームではない。
昨晩の私と今朝の私は「ヒゲの長さが明らかに違う」が、
これは無意味な差異なので同一の人格である。
要望どおり、実際の判定だけしてみたよ。
598 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 23:18:53
結婚したあとに、こんな人だと思わなかった・・・、と。
はたして、その人は同一人物?w
599 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/14(火) 23:48:31
>>519 >ところで第一原因性なるものを完全な背理として斥けた後に自己開始能力として
>の自発的意志はなおも残りうるであろうか?否である。
>ということは機械氏が機械論的決定論によって第一原因を暗黙のうちに前提して
>しまっているということはとりもなおさず自由意志をも暗黙のうちに容認して
>しまっているということになる。
「自発的意志」という概念をいきなり持ちだして、それが「残りうるか否か?」
と「問う」・・という方法はいかにも「観念論的我田引水ロジック」ですね。
そもそも、そこは『「自発的意志」などは「幻想である」』と最初から申し上げている
『「機械的唯物論」=「決定論」』の「根幹部分」ですので。
600 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/14(火) 23:59:02
>>572 >「同一性とは差異がいかなる点においても無いことである。」
>のように色々と定義して、じゃあ各人「私の同一性」について
>どう思うの?
「この世界」が4次元である(本当は26次元であり、とりあえず16次元で、
さらに「とりあえず10次元」であること・・・は考慮外でも・・少なくとも「クオリア」
としては「4次元」として生起するので・・・)・・・という前提で、「人類各個の脳」を
見ると「ある時間次元(ビッグバン後何秒か?)+3次元空間」・・・は決定されており、
その後の「如何なる瞬間」においても「過去の3次元空間を変えることは出来ない」ので、
我々個々の脳が「外界に反応した軌跡」は、「変更不可能」という意味で、「唯一」です。
>>600 俺の言い方で言うと「この私はその歴史性ゆえに単独的である」だな。
で、時間tにおける唯一の私と時間t´(ダッシュ)における唯一の私が
同一かどうなのかは?
歴史性を重視するなら、tとt´の差ゆえに同一ではないとなりそうだが
602 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/15(水) 00:22:49
>>601 その『唯一の私』という概念がキィです。
「他者」はその『唯一の私』の複数形なのです。
さらにその「他者」には「人類以外の動物」も含まれ、
さらに「生物全体」も含まれ・・ますが、それら「生物」は、
「有機物」という物質が「進化」した形態にすぎない・・という
「(自然)科学の結論」を無視すれば、それは「宗教的迷妄」と
・・・言わざるをえない・・・ということです。
>>602 唯一の私が複数形になったらそれはもう唯一の私ではないと思うが、まぁそれはいい。
同一なのかどうかって問題はどこいったんだw
604 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/15(水) 00:45:55
>>603 ですから「他者」さん達がそれぞれに「感じている同一性」と、
あなたが感じている「同一性」には、全く「差異」がないので、
それは「同一の概念としての(平等な「重みを持った」)同一性」
である・・・ということで、「あなた」は「人類の1個体」として、
「アイデンティティを付与される」以上でも以下でもない・・ということです。
自分が自分である、これは科学的な根拠があるんでしょうか。今までだと、ヘーゲル哲学で
語っていたと思うんですけど。
身体を根拠にするのも別に理由ないし、ある歴史の時点では自分が自分ではなく、別の
範囲だったことも十分考えられますね。少なくとも、近代的自己意識、個人という観念は
近代以降ですから、それより前だと全く違った感じだったとは思います。
脳はある程度の塊にはなってますけど、これは他の脳との関連なしできは機能しない仕組みに
作られますね。統合失調などの精神病は、その辺の一番基本的な、自明の関係性が失調を
起こす病気です。だとすると、どうして身体という単位で自己意識を持つんだろうと。意外と
近い将来変わったりもするかも知れませんね。
606 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 01:38:39
>>603 「唯一の私」の複数形は「唯一の私たち」
一卵性双生児なら「私たち」だけど同一だろ。
パソで何かを読んだり書いたりしてるとき、わかんないことあると即座に
検索エンジン利用できるけど、これが「私」のイメージを変えるきっかけになるかもしれんね。
何がすごいって自分の記憶を探るのとあまり変わらないスピードで情報が取り出せる。
まぁまだまだ遅いけどこれがほんとに違和感ないほどに速くなって、場所を選ばず
情報を取り出せるようになったら、脳や身体へのこだわりもなくなっていきそうだよ。
思考するときには必ずネットの中で情報探してそこから関連情報探ってって常にやるように
なったら、「思考」がネットの海に開かれてるってイメージが自然になるんじゃないか。
そうなったらもはや肉体や脳は「私という意識」の住所の一つでしかなくなりそうだ。
>>606 そうか?
「唯一の神」が複数いることを認めることはできないんじゃないの?
認めたとしたら、それはもう「唯一の神たち」ではなくてただの「神たち」だ。
まぁ「唯一」の定義に拠るんだけど、普通の意味では唯一のものは複数存在しない。
一卵性双生児だって名前は違うし、その歴史性に着目したら全然別の人だよ。
「光の干渉縞」の実験をしっているだろうか?200年以上も昔からこの現象は観測されていた。
しかし、近年デイビット・ドイッチェが全くあたらしい説明をした。
プラトテレス>まず二枚の壁を用意して、矢印のところに切れ目(スリット)を1ついれて、その隙間から光をあてて観るとしよう。
プラトテレス>奥の壁には、なにが映るかな?
ソフィー>光がスリットを通り抜けて、そこだけ白い筋ができる。
プラトテレス>そのとおり。その時の、奥の壁には、1本の光の縞が映る。グレーのところは半影、黒は本影だ。
プラトテレス>では、スリットを1本から2本に増やしたとしよう。その時の奥の壁には?
ソフィー>2本の光の縞が映るんでしょ?
プラトテレス>はずれだ。光と影の縞模様に映る。
ソフィー>不思議だわ。
プラトテレス>それだけじゃない、スリットを4本に増やすと光の縞は半減してしまう。
ソフィー>一本交互に消えてしまっている・・・。教えてどうしてこうなるの?
プラトテレス>これが光の干渉だ。光はお互いにある場所では強めあい、ある場所では打ち消しあってしまう。但し・・・・
ソフィー>但し・・何?まだ何かあるの?
プラトテレス>実は、ここまでは19世紀の説明だ。まだエーテルの存在が信じられて、光はエーテルをつたわる波と信じられていた時代のものだ。その後、アインシュタインによって、1905年に光は粒子であるという光子説によって粒子の可能がでてきた。
ソフィー>それじゃあ、粒子的な説明をして!
プラトテレス>まず粒子を厳密に測定する為に、光のビームそのものから干渉をなくさなきゃならない。
光のビームは光の粒子が無数に集まっているものだから、ビームの中の粒子同士が干渉してしまっていては、スリットの実験は無意味になる。
ソフィー>なるほどね。それじゃあ、光の粒子を1個だけ、照射してみればいいじゃない。
プラトテレス>そのとおり、レーザーを使えば、可能だ。さらに厳密に測る為に、それぞれのスリットにそこから出てきた粒子を1個から測定できる高性能観測器をおくことにする。
そして、さあ実験だ。2本のスリットに向けて、1個、しばらく時間をおいて、また1個と、最初の粒子が到着した後、次の1個を出してみよう。すると、数時間後には、どうなると思う?
ソフィー>今度こそ2本の縦縞になる?
プラトテレス>ところが、あらゆる干渉は排除したにも関わらず、まばらにはなるけど、干渉縞はあらわれる。
ソフィー>光子が割れてその破片どうしが干渉したんじゃない?
プラトテレス>いいや、更にそれぞれのスリットに通過する粒子を測定する観測器を置いても、2つある観測器のうち1度に1個の通過しか観測されない。だから割れたことが原因ではない。
さらに2つのスリットを開けて、4本のスリットにした時もまばらにはなるが、壁に映る光の縞は半減するというパターンは変わらない。どんなにまばらであってもパターンはかわらない。
ソフィー>他に粒子が存在しないのに、同じ結果になったってこと?
プラトテレス>そう、光子はスリットの一カ所を通り抜け、ついで、何かと干渉をおこすが、他のスリットが開いているか閉じているかで、光子の偏向のしかたが決定される。
ソフィー>何かって?とにかく測定器に映らなくて、光と干渉する、光子に近いモノ。
ソレが、他のスリットを通って、光子と干渉するってのはどう?
プラトテレス>その推理は全くの正解だ。その光子は「影の光子」と呼ばれている。それから見える光子を「触れる光子」と呼ばれている。
では、どこから来たのか?
ソフィー>まったく想像もできない。
プラトテレス>他の世界からきたのだよ。そして、この現象こそ他の世界が存在することの証拠となる。
エヴェレット解釈では、そう考えるんだ。他の世界のことを平行宇宙いう。そのたくさんの平行宇宙から同時にビームが照射され、それが、この宇宙の光子と干渉と引き起こすんだ。
ソフィー>同時?つまり、この宇宙にそっくり?平行宇宙がたくさんあるってこと?
プラトテレス>そうほとんど同じだ。すこし違っているが、せいぜい光子1個分以下の差ってところだろうね。
ソフィー>たくさんの平行宇宙ってどのぐらい数?
プラトテレス>スリットの大きさ1000分の1ミリぐらいは、開けられる。だから縦横2mもあれば、1兆個のスリットを作れる。でも1個光子を照射すると、影の光子が1兆個伴っているはずだ。まあ、そんな調子のたくさんだね。
つまり無制限。桁外れに入り組んだ世界がすぐ隣に隠れて存在する。
ソフィー>その「世界」は「宇宙」とよべる程の資質をもっているの?
プラトテレス>影の粒子があるのは、光子だけじゃない。あらゆる種類の粒子の影の粒子の存在が予測される。どの中性子にも影の中性子が無限に伴っており、どの電子にも影の電子が無限に伴っている。
なぜならスリットを閉じたときに影の光子を止められるのは、触れる粒子では、止められないからだ。影の粒子で作られた蓋がないと影の光子を止めることはできない。
そうした影の粒子を集合的に平行宇宙と呼んでいる。
ソフィー>それは「他の宇宙」なの?ただ単に観測できないだけで、「この宇宙の別の側面」に過ぎないんじゃない?
プラトテレス>まず我々が通常使っている「宇宙」という言葉の定義をハッキリさせよう。普通に考えるなら「物理的実在の全体」が「宇宙」だ。その意味では宇宙は一つだ。
エヴェレット解釈で初めて発見された隠れて実在する宇宙だから、今までの宇宙と区別して呼ばないと分からなくなる。光子が「触れれる光子」「影の光子」と言葉が分かれたようにね。
ソフィー>触れる宇宙と影の宇宙でもよかったのね。
プラトテレス>平行宇宙は、この宇宙からみた他の宇宙を指す言葉。そして平行宇宙とこの宇宙を含めた実在の全体の呼び方を「多宇宙」と新しい言葉も考案されている。
たくさんのコピーの内一つだけが「触れる」ものだという主張と除けば、「触れる」対象と「影」の対象を区別するものは何もない。しかも我々の宇宙と完全に隔てられてはいない。干渉するぐらいすぐ近くに実在する。
プラトテレス>もちろん反対の意見を唱える人もいる。偏らないように、いつも必ず反対派意見を自分の中にとりこんで置くよう。
ソフィー>カウンターパーツをそろえるのね。
ソフィー>ところで、別の宇宙に私のコピーが無数に実在するのなら、もっとうまく料理をつくれる私も実在する?別の私に料理を教わることはできるのかしら。
プラトテレス>ああ、別の宇宙の私が、今お茶を飲みに出かけてしまったようにね。でも別の私とおしゃべりすることは、今のところむずかしいな、光子干渉方式電話機でも作らなきゃね!
*更に奇妙なのは、個々の粒子は、決して同じ場所に重ならないように、まばらに当たっていることだ。
613 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 03:22:44
>>612 だけど、あなたのコピーがいくつ存在しても
今以上にうまい料理は作れないと思うよ。
NHKの料理教室とかで最初から勉強やり直した
方がいいんじゃないのかな。
614 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 03:26:22
「自分は唯一の自分だ」ていうのは、自己申告制だ。
だから意識は科学では扱えない。
行動主義心理学は意識を扱っているんじゃなくて行動を統計を使って
実証してる。意識なんて扱えるのは哲学か宗教、思想くらいだ。
脳科学で扱っているのは、脳が意識とどう関係するかであって、
意識そのものを扱うのは科学では無理だ。だから昔から、
科学で分かっていることは、ほんの少しだと言われてる。
しかし脳科学は物質と精神の関係をいろいろと想像させるもので、
哲学的観点から見て面白い。が、脳科学が多少哲学的だと言っても
所詮は科学にすぎない。
615 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 05:03:33
>>587 >で、「同じ要素のもの」なら、「この机」でも、「この体+この心=この私」
>でも、いくらでも作れて何の不思議もない、って説明したでしょ。
『この私』が、複数の体を、同時に所有できる事などありえないんだよ
『この私』は『この体』一つだけであって
たとえ同じ要素を持つ別の体を作っても
『あの体』は、『あの他人』なんだよ
『違う人』なんだよ
物理的に、全く同じであるにもかかわらず、それは『異質なもの』なんだよ
「当たり前じゃないか!」と言うだろうが
その当たり前さの中に、実は大きな問題があるんだけど
普通 人は、その問題に気づかない
だから長年、歴史的に唯物論は論破されず、多くの人に信じられてきたわけだが
『私』という『主観性』の立場から見た『世界観』にとっては、大問題なのだ
(唯物論者は、その思想の特質から、思考能力を制限されているので、主観性を理解できず、客観性という一方向性からしか、この世界を分析できないが故に、この問題が理解できない)
要は、『この私』は『この体』の物理的要素によって『この私』であったのでは無い
という結論しか導けないわけであって
『私』の存在性
尊厳性や、人間の価値観、人生観などは
唯物論で唯物的に言及できるものではないんだ という事が
ハッキリと言える
物理的に、100%全く同じ だと定義しても
私ではなく、違う人なんだから
100% 断言できる
唯物論は間違いである
616 :
最高位と自称する奴はたいてい無能:2006/02/15(水) 06:51:14
>>615 唯物論が滅茶苦茶な理屈だ、というのは同意できるが、君の言う
「この体」というのをキチっと定義しないと、君も唯物論者と
同じ理屈になるではないか。
神経科学の技術で、「あの体」を「この私」で動かすことは
可能だ。脳でイメージしたり考えたりして出た電気信号で、機械を動かす
ことも可能だからね。じゃあ機械は「この体」なのかね。
「あの体」と「この体」は物質的に全く同じだ、なんて医学的にありえない
しな。
まあ、君が「この体の範囲」の定義をキチっとすれば、君の意見に完全に同意でき
るんだが、君はバカだから、しっかり定義できんだろう。君は愛すべきバカ
で、君の意見には完全に同意したいんだが、君は論理能力が弱くて、
所々説明に不備がある。まあ、唯物論には反対だというのは俺と同じだが、
君の説明がバカすぎて突っ込みを入れたくなるん。
どうでもいいこと言わせてもらうけれど、
脳みそから意思を司る部分を摘出したら、
脳みそを弄られた人は別の人格になっちゃうんだよ。
それって脳をいじることで人格(私の心)が変化してしまうということで、
これだけ考えても精神が物質に依存しているということにならないかな?
618 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 07:17:37
俺は哲学者最高位という人に、狂気を感じるね。
>物理的に、全く同じであるにもかかわらず、
あの人の体と、この人の体が物理的に全く同じ、という感性に狂気を
感じる。
最高位は、人間の精神的な個性を理解する事はできるのだが、
肉体的な個体差というものが全く理解できない。ここが最高位
に狂気を感じる所だ。
このスレッドの唯物論者は、肉体(脳)にも個性(個体差)がある事を
認めて、それゆえに精神にも個性があるという唯物論的論理なのだが、
最高位の論理は、その正反対の鏡のような論理構成だ。
俺は唯物論には全く賛成しないが、最高位の子供みたいな粗雑で単純な
心身論にも賛成できんな。
最高位が、平日の真夜中から昼まで、ほとんど同じような論理を
飽きずに繰り返し書き込んでいる所を見て、一種の狂気を感じていたが、
おそらく、こういう感性に基づいている奇妙な思考の癖から来ている
と思う。
619 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 07:31:44
>>616 「この体の範囲」なんて定義できないよ?
物質なんだからね
物質は物理世界の法則に完全に従う
だから常に変化し、厳密に言えば特定する事も不可能
しかし『私』は、純粋な存在性であって、完全に特定されている
これも『私』と物質の『異質さ』を証明する要素である
しかし
特定できないのに、なぜ同じものを作るなどと言えるのか という突っ込みなんだろうけど
『問題の本質』を考えれば理解できる
まず、技術的には不可能であろう事は誰にでも理解できるだろう
だから『原理的には』という世界での思考実験だ
で、漠然と『物理的に、全く同じ』と定義するわけ
体の範囲を定義するのではなく、『全て』を同じにしても と定義する
どんな事を、何をどうやろうが、いかなる事をしようとも
100%それはありえない
という結論なんだから
体を定義する
などという小さな条件の必要性など、吹き飛んでしまうわけですよ
物理的に、何をどうやったって『この私』は作成できません
地球ごと、そっくりそのまま同じに作成したって
『この私』はココにいるのであって
作成されたその個体は、絶対に100%『この私』ではありえません
620 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 07:56:45
>>619 滅茶苦茶だな。唯物論に反対するという立場は俺と同じだが、
aさんの肉体とbさんの肉体が、物理的に同じなんて、その出発点
からして間違っている。また、aさんと全く同じ肉体を作れるなんて発想も
ありえない。その発想はナチや石井部隊並みに狂っている。
aさんの肉体を消して、また再びaさんと同じ肉体を作っても、aさん
という同じ精神は作れないから、・・・という発想はナチス的な
狂気としか思えない。
肉体自体に個性があるんだ。指紋や耳の形でさえ、
同じには成長しないのだ。人間の肉体は血液の成分量、内臓の機能
や形態、その他さまざまな個性、個体差がある。脳など情報処理の
パターンが全く違う。
君は、肉体を抽象化して、単純な物質的記号化を行うが、そのファシズム的
な単純思考はどうかしている。
俺は唯物論を敵視しているが、君の狂ったファシズム的論理構造も敵視する。
621 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 07:59:06
>>617 この私は、物理的な側面では、この体に依存しているでしょう
しかし、それだけで人間を唯物的価値観で決定してしまうのは早合点ですよ
ある部分では、完全に違う性質を持っている
唯物論では説明しきれない部分があるんです
>>618 >あの人の体と、この人の体が物理的に全く同じ、
>という感性に狂気を 感じる。
>最高位は、人間の精神的な個性を理解する事はできるのだが、
>肉体的な個体差というものが全く理解できない。ここが最高位
>に狂気を感じる所だ。
ん?単なる思考実験だよ?
肉体の個体差 というものが前提にあるから
一回『物理的に完全に同じ』という前提にした場合に、どういう結論を導けるのか
という思考実験だよ
なんかイケナイ事でもしたかな・・・w
>最高位が、平日の真夜中から昼まで、ほとんど同じような論理を
>飽きずに繰り返し書き込んでいる所を見て、一種の狂気を感じていたが、
それについては、私自身も感じているw
>>619 君の発想は突き詰めれば、人間の肉体の家畜化だ。牛の1番、牛の2番
と、牛小屋に並べられ、家畜肉のように肉体の個性を引き剥がしして
いく発想だ。家畜だって個性があるんだが、狭い牛小屋に押し込めて
番号制にすれば、体の個体差を見ないで済むからな。
精神の個性だけでなく、人間の肉体にも個性がある事を認めない君の
ファシズム思想に俺は反対する。
最高位の思想の根本は、人間の肉体を、家畜のように抽象化して同一に並べ
て考えるファシズム思想だ。俺は、人間の精神の個性も認め、さらに肉体と
いう物質面でも個性を認める。人間は、精神と肉体という二つの面があり、
二つとも個性がある。人間の肉体に個体差を認めない最高位の思想は
片手落ちであり、ファシズムであり、西洋中心主義的な差別思想に
繋がる。
624 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 08:12:55
>>620 なんだか感情が先走っていて、論理的な考察ができなくなっているようですよ?
>aさんと全く同じ肉体を作れるなんて発想も ありえない。
いやいや、もちろんありえませんよ
思考実験ですから(汗)
物理的な原理原則でいえばという話ですよ
あくまでも 仮に、という話ですから(汗)
>aさんの肉体を消して、また再びaさんと同じ肉体を作っても、aさん
>という同じ精神は作れないから、・・・という発想はナチス的な
>狂気としか思えない。
実際に実験するわけじゃありませんから^^;
物理的に、同じものを作成しても『この私』は作成不可能であって
人間は天上天下唯我独尊であって
単に、物理的な機械ではない という事ですよ
それを論理的に説明してるだけなのに
なんでナチスなんだよ^^;
お願いだから世界で最も冷静な僕の言葉を大切に。
非行為の先に有閑性が用意されているのは
「事実の総体」などの展望的視点を保護するためであることは明白ですが
脳内における諸現象に自我以外の撰者的とも見える主体の手の影がちらつくという声に
よく耳も傾けることもせずに様々な科学的事実と称した解釈や
概念と称した密室的判断の潮位を早々に形成しまくってしまったわけですが
この極めて非真摯的な態度による科学史を少し意識すれば
科学的視点が精神の内容を強権的に悴かせるようにして精神の視点からの世界を
透過していく様がありありと浮かび上がってくるのです。
結果として科学が人間の精神の諸現象のすべてを数値化することに成功したとしても
その結果を疑うに足る不備は放置されたままであります。
例えその疑問も科学よって解消されたとしても
世界のすべてが科学的に説明可能にな世界が実現した時点で脳(人口も含む)にこれ以上
新たな情報を入れる必要がなくなってしまうのですから人間の世界は死ぬのです。
それでも非合理的な自殺志望者たちは脳内現象を解体していくのでした。
ヒールな科学はすでに感傷的評価の枠をはみ出過ぎるほどにヒールな人間最大の敵であります。
626 :
617:2006/02/15(水) 08:30:46
>ある部分では、完全に違う性質を持っている
>唯物論では説明しきれない部分があるんです
最高位さんにとって、それは一体何なのでしょうか?
私は素直に、他者の意見が己の糧となるよう受け入れようとする者です。
627 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 08:41:07
>>626 ずっと説明してきてるんですけどね・・・・
『私』の存在性
という事ですよ
628 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 08:47:55
最高位が間違っている。唯物論は100%正しい。
最高位も機械も探求者もゾルレンも素人も唯識もぴかぁ〜も大間違い。
>>625が100%正しい。
630 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 08:56:14
簡略化してみようw (『同じ』と言う言葉の厳密さはとりあえず措く)
まったく同じ肉体が作れる。
A : ↓
まったく同じ精神が宿る(顕れる)。
───────────────────────────
まったく同じ肉体が作れる。
A´: ↓
まったく同じ主観・存在性が宿る(顕れる)。
───────────────────────────
まったく同じ肉体が作れる。
a: ↓
けど、同じ精神にはならない。
───────────────────────────
まったく同じ肉体が作れる。
A´: ↓
けど、同じ主観・存在性にはならない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
631 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 08:56:46
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
まったく同じ肉体は作れない。
B: ↓
けど同じ精神が宿る(顕れる)。
───────────────────────────
まったく同じ肉体は作れない。
B´: ↓
けど、私の主観・存在性としては同じものが宿る(顕れる)。
───────────────────────────
まったく同じ肉体は作れない。
b: ↓
そして同じ精神にはならない。
───────────────────────────
まったく同じ肉体は作れない。
b´: ↓
そして同じ主観・存在性にはならない。
───────────────────────────
最高位。
その感性は、だいたい察しが着くよ。
最高位は漫画やアニメが好きだろうね。人間の肉体を簡単に作れる、
同じに作り直せる。身体を抽象的に記号化して、同じに見えてしまう感性。
それぞれ一人一人の身体の具体的な差異、代謝により日々変化して
いく身体の差異を捨象できる狂った感性が。
最高位の具体的な身体感覚の無さは、アニメや漫画やゲームのキャラ
作りから来てるんじゃないの。現実の一人一人の身体は、
具体的に異なって、日々変化している、という事実を認識する感受性が、
最高位には欠如している。
633 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 10:11:49
>具体的に異なって
じゃぁ具体的な内容を説明してみろよ?
634 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 10:40:54
>>ALL
最高位は、『(同じ)肉体を作れる』とは言ってないと思うよ。
「 『仮に作れたとしても』 (存在性は作れない)」と言っていると思われ。
ま、主観とか存在性について言ったとしても(だとしたら尚更)、
それは、『作る・作れる』と表現するのでなく、『生じる』と表現すべきものだと思うんだけどねw
その前になんで「存在性」という意味不明な語彙には突っ込まないんだ?
そもそも、「存在とは何か?」という積年の疑問が完全に答えられる
わけでもないく、さらにそれに「私とは何か?」というもうひとつの
大問題を哲学上のくっつけて「私の存在性」といい、それに論証を
くっつけないのに対して反論するも糞も無いのではないか。
637 :
訂正:2006/02/15(水) 10:50:27
そもそも、「存在とは何か?」という積年の疑問が完全に答えられる
わけでもないく、さらにそれに「私とは何か?」というもうひとつの
哲学上の大問題をくっつけて「私の存在性」といい、それに論証を
くっつけないのに対して反論するも糞も無いのではないか。
638 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 10:55:22
639 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:04:06
>>630 「同じ肉体」という意味を、最高位もそうだが、浅くとっている。
脳を含む肉体的諸条件をすべて同じにつくり直しても、それは肉体を
『再現』したことにはならない。肉体は肉体だけで存在しているので
はないからだ。「いま、この瞬間の肉体は時空の特定の位置に置かれ
ている」にすぎない。つまり、この世界ではすべてのものが“関係”と
してしか存在しえない。
「ある時点の肉体を再現する」とは、肉体の物質的な諸条件を整える
だけでは無意味。その肉体が貼りついている人間関係を含む時空の一
切合切、肉体と事物の諸関係のすべてを、その時点に戻す必要がある。
むろん実際には不可能だが、それができれば、たぶん主観も精神も再
現されるはずである。
何故このスレの馬鹿どもは
>>625に反論できないのか。
それは反論した瞬間に自らの論理崩壊を招くからだ。
641 :
630:2006/02/15(水) 11:19:25
>>639 勿論仰るとおりです。
だから、(『同じ』と言う言葉の厳密さはとりあえず措く) の一文を入れた。
もし、639のように厳密にするなら
A か b にしかならず、しかもそこにおける問題は単に『技術面』のことにしかならない。
そして、それは決定的に不可能であると・・。
よって b しかありえないw
642 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:23:36
>>640 主語(主部)述語(述部)をはっきりさせてください。
一般的語彙を用いてください。
もし、一般的語彙に変換不能な概念があるなら、
註釈をつけて理解の助けにしてください。
バカにも解るようにおながいします m(_ _)m
643 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:23:40
>>640 つーか、反論するのも馬鹿馬鹿しい。
それが正しいという根拠なんてないし。
単に彼がそう思っているだけに過ぎない。
644 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:43:14
>脳内における諸現象
自我は選者足り得ない。脳内の諸現象は「医学的解剖」によってのみ明らかになっていく問題である。
外界での諸現象の感知は紛れも無い感覚器によってなされるものであり
脳内を感知できるものが単なる痛覚でしかない現状では
「諸現象」などというほどのものをいえるはずが無い。
645 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:46:21
>精神の諸現象
精神は現象を持たない。現象と精神は決定的な違いを持つからだ。
625こそ矛盾だ。
現象あってこその精神であり、主体的感覚であろう。
それが精神が現象となったら、一体、その精神現象とやらに対置する精神はなんなのだ?
無限に現象化する精神とでもいうのかw
646 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:52:22
643 :考える名無しさん :2006/02/15(水) 11:23:40
>>640 つーか、反論するのも馬鹿馬鹿しい。
それが正しいという根拠なんてないし。
単に彼がそう思っているだけに過ぎない。
反論拒否の無知無能の輩の常套句だね。
「おまえがそう思ってるだけ」
実はそれが反論なわけだがw
さぁ。「おまえだけ」という根拠を述べろよw
647 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:54:15
648 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:58:35
>>646 別に「だけ」と言ったからといって、他にいないというわけではない。
日本語は難しいが。
649 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:59:07
>>625 科学的な視点から脳内の現象を説明できたとしても、
それは科学という一面からの説明に過ぎない、と主張されていますが、
科学的な視点の対として挙げられている「精神の視点からの世界」とは、
具体的にどのような世界のことを指すのですか?
>>615 >『この私』が、複数の体を、同時に所有できる事などありえないんだよ
>『この私』は『この体』一つだけであって
>たとえ同じ要素を持つ別の体を作っても
>『あの体』は、『あの他人』なんだよ
おんや〜、元々「この私が完全に消滅した後で、この私を物理的に作り出す
ことができるか」という話だったのに、今度は「同時に」と、またまた
問題がすりかわっているねw
前の問題については、「認識(解釈)次第でできるともできないとも言える」
という結論で、いいのかなw?
で、今度は「この私」が消滅しない場合だが、実はこれも前と同じで、
結局は「異なる時点の複数の存在の同一性」の問題。で、結論はやっぱり
机でも「私」でも、同じこと。
例えば、「この机」と、「この私」があるとする。全知全能の神様が、
ある時点の「この机」と物理的に全く同じ物体を9個作る。事態を観察して
いる「私」は、これを「この机が10個ある」とは認識せず、
「この机が1個と、そっくりの別の机が9個ある」と認識する。
これは「この」とか「別の」という概念の意味がそういうものだからで、
「大きな問題」なんて、何もないw
で、問題は、10個ある机のうちで、元の「この机」と「同一の机」は
どれなのか、ということだが、これも単に人間の認識・解釈の問題で、
どれでもいいといえばいいし、くじ引きで決めてもいいんだが、
まあ常識的には「元の机と時空的に連続している机」が、
「元のこの机と同一の机である」と認識する。
そう「定義するしかない」と言った方がいいか。
(続き)
次に、全知全能の神様は、机ではなく、ある時点の「この私」の「この体」
と物理的に全く同じ物体を9個作る。そうすると、唯物論が正しいならば
(何度も言うが、この話と唯物論が関係あるとすれば、唯一ここだけ)、
同時に「この私」の「この心」と精神的に(意識も記憶も)全く同じ心も
9個作られる。そうすると、人間の心は必然的に自分自身を「私」と認識する
ので、10人の別々の「私」ができることになる。
で、事態を観察している10人の「私」は、これを「この私が10人いる」
とは認識せず、「この私が1人と、そっくりの他人が9人いる」と認識する。
これは机の場合と全く同じで、「大きな問題」なんて、何もないww
で、問題は、10人いる「私」のうちで、元の「この私」と「同一の私」
はどれなのか、ということだが、困ったことに10人が10人とも
異口同音wに、「この私こそが、元の私と同一の私であって、他の
9人は贋物だ!!」と主張するだろう。だって、自分には自分としての
記憶が確かにあって、他の9人は他人としか思えないんだから仕方がない。
で、結論はどうかと言えば、これまた机の場合と全く同じで、
単に認識・解釈の問題。どうでもいいといえばいいし、くじ引きで決めても
いいんだが、やはり常識的には「もとの体と時空的に連続している体」が、
「元のこの体と同一の体である」と認識して、それを「元のこの私と
同一の私である」と考える。そう定義するしかない、と言った方がいいか。
他の9人には不満だろうが、まあ仕方がないw
(続き)
以上のごとく、「純粋な存在性」であるはずの「この私」についても、
その同一性は、机と全く同じように、物体である「この体」によって
規定するしかない。しかも、本当は(何しろ唯名論wだから)
極めてあやふやなその「時空的連続性」によって。
あなたは、
>>580で「唯名論w」に基いて
>『この机』なんてものは、初めから無い
と言っていたが、そうするともちろん『この体』なんてものも、
初めから無いわけだ。「初めから無い」ものによってしか規定できない
「この私」が、どうして「純粋な存在性」になり得るわけw?
※誤解を避けるために注記。以上は最高位のアホにつきあった
純粋な「思考実験」であって、思想的意味は何もないことを理解されたし。
現実のこの世界では、体の時空的連続性と意識や記憶の連続性は
重なり合うし(だから唯物論が有力なんだが)、
体はおろか「指紋」ですら同じものは二つとない。
石ころですら物質的に全く同一のものを作ることなど不可能。
まして肉体的精神的に全く同一の人間を作るなど、論外。
(まあ、経験的に不可能なだけで、論理的に不可能なわけではないが。)
653 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 12:06:03
648 :考える名無しさん :2006/02/15(水) 11:58:35
>>646 別に「だけ」と言ったからといって、他にいないというわけではない。
日本語は難しいが。
そういう逃げしかできない時点で反論不可能ってことだね。
反論する価値が無いのではなく、できないと認めたことになるんだがいいの?
他に625みたいな物言いするやつがいてもいいが
625がそう思ってるだけだから反論する意味無し?
じゃぁ俺は625じゃないから反論してよw
654 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 12:07:06
| 割譲ニダ | | 北海道を割譲するアル | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
\_ __/ \__ ______/ | そんなの無理モナ…|
∨ ∧∧ |/ \ _______/
∧_∧ / 中 \ ∧_∧ |/
<丶`∀´> ( `ハ´) (´Д`; )
( ) ( ~__))__~) ( ⊃ ⊃
| | | | | | //( (
〈_フ__フ (__)_) (_) (__)
なるほど
____ ! アジアは1つ、日本は中韓と一体になって
∧_∧ / /|| ∧_∧ 東アジア共同体を作るべき。
( ;ΦДΦ) . |二二| || <Φ∀Φ> ナショナリズムなどと言ってる
( 北 ) \ \|| ⊂⊂ 道新 ) はんかくさい香具師は逝ってよし。
| | | |二二二二二二二二二二| 日中友好の為には外国人参政権の導入と
(__)_) || ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄|| 人権侵害救済法が必要なんでないかい?
まずは試される大地・北海道で試してみるべ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| 正しい考えアルね|
北海道を東アジアの|まずは全道に | 北海道は今日から |
友好の島にするニダ|中華街を作るアル|| 中国領になるべ /
__ _____/\ _____/ | _______/
∨ ∧∧ |/ |/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ / 中 \ ∧_∧ Λ_Λ / もうだめぽ
<丶`∀´> ( `ハ´) (ΦДΦ; ) ( ;´Д`) < 北海道からは
( ) ( ~__))__~) ( 北 ) ( つ つ \ 撤退するモナ
| | | | | | | | | 人 Y \______
〈_フ__フ (__)_) (_(__) し(_)
655 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 12:09:14
647 :考える名無しさん :2006/02/15(水) 11:54:15
>>645 精神『という』諸現象
ではどうだい?
は?それがまったく同じだということもわからないのか・・・
656 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 13:11:52
>>650 キミは本当にバカだな
>おんや〜、元々「この私が完全に消滅した後で、この私を物理的に作り出す
>ことができるか」という話だったのに、今度は「同時に」と、またまた
>問題がすりかわっているねw
全然すりかわっていないよ?
どちらの場合も、問題の本質は変わらないからね
本質が理解できていない人からすれば「変えられた!」と思うのかねぇ
その時点で、問題が理解できていないとわかるね
別に作った体が、『この私』であるかどうかは
その時に、別の空間に『私』がいようといまいと関係がないだろ?
私がいた場合に、どんな物理的な影響がでると言うのかな?
そんな影響はありません
だから問題をすりかえてなどいないんですよ
わかりましたか?
657 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 13:12:33
>>651 >机ではなく、ある時点の「この私」の「この体」
>と物理的に全く同じ物体を9個作る。そうすると、唯物論が正しいならば
>同時に「この私」の「この心」と精神的に(意識も記憶も)全く同じ心も
>9個作られる。そうすると、人間の心は必然的に自分自身を「私」と認識する
>ので、10人の別々の「私」ができることになる。
>で、事態を観察している10人の「私」は、これを「この私が10人いる」
>とは認識せず、「この私が1人と、そっくりの他人が9人いる」と認識する。
>これは机の場合と全く同じで、「大きな問題」なんて、何もないww
いやいや全然、わかっていませんね
ここには大きな問題が、最低2つあるんだよ
一つは
その物理的に同じに作った、他の9人は
物理的に同じであるにもかかわらず
絶対に『この私』ではない という事
そして二つ目は
キミは、作った体に自我があると、無条件に決め付けているが
作った9つの体が、それぞれ人として動き出し
それぞれが『私』だと認識し、自我を持つ根拠などどこにもありえない
という事
何にも論証などしていないんだよ という事だよ
キミに対するピッタリなコメントが、してあるでしょ
>>615に書いたよ?
コレ→(唯物論者は、その思想の特質から、思考能力を制限されているので、主観性を理解できず、客観性という一方向性からしか、この世界を分析できないが故に、この問題が理解できない)
とね
ちゃんと読んで自覚してくれなきゃ
書いた意味がないよ
>>656-657 おんや〜、またまた話をそらそうと必死だねw
で、「この私が完全に消滅した後で、この私を物理的に作り出すことができるか」
という問題については、「認識(解釈)次第でできるともできないとも言える」
という結論で、いいのかなw?
それともやっぱり、「以前のこの私と今のこの私の同一性は、この体の時空的
連続性によって決まる」という唯物論者の常識wに従って、否定するのかなww?
>ここには大きな問題が、最低2つあるんだよ
>一つは
>その物理的に同じに作った、他の9人は
>物理的に同じであるにもかかわらず
>絶対に『この私』ではない という事
だ〜か〜ら〜w、それは机でも何でも同じだ、と説明したでしょ。
(それ以前に、最後の行の『この私』は、10人の人間のうちの誰なのかな?
それこそが問題なんだけどw)
「物理的に同じに作った、他の9つの机は、物理的に同じであるにもかかわらず、
絶対に『この机』ではない」。ね、同じでしょw
ちなみにこれは「この」という言葉(概念)が、「同じ種類のものが同時に
複数存在する場合に、そのうちの特定の一つを他と区別するときに使う」もの
だからで、対象である「このX」のXが何だろうと無関係。
「私」が「机」と違う点は、心が他者でなく自分自身を対象として認識する
場合に使う概念だ、ということだけ。だから、認識の客体=認識の主体
の同一性の問題にもなる。で、結局は物体である「体」の同一性に帰着する、
というわけ。否定できるのかなw?
だから、もしも机に心があったら、人間の場合と同じように10個の机とも
「本物の『この机』は俺だ!!」と主張していがみ合うだろうねw
要するに本当の問題は、「人間の体も机も物体なのに、どうして前者には心があって
後者にはない(常識的には)のか?」という、すこぶる当たり前の疑問に尽きる。
(続き)
>そして二つ目は
>キミは、作った体に自我があると、無条件に決め付けているが
>作った9つの体が、それぞれ人として動き出し
>それぞれが『私』だと認識し、自我を持つ根拠などどこにもありえない
>という事
>何にも論証などしていないんだよ という事だよ
おいおい、ちゃんと読めよw 「もしも唯物論が正しいなら」そうなる、
と、書いてあるだろ。というか、この一連のアホ話が唯物論と関係があるとしたら、
唯一この点だけだよ、何度も言うが。
で、そうなるかならないかは、「わからない」。だから、唯物論が正しいかどうかも
「わからない」。すこぶる当たり前でしょ。
それともあなたは「そうならない」と「論証」できるのかいw?
できないのなら、自分が俺と同じく「唯物論が正しいかどうかはわからないと
考える人」だと、正しく自覚してくれなきゃw
それはそうと、あなたは唯物論とは無関係の無意味な質問ばかりしているが、
こちらの質問にはさっぱり答えてくれないね。あなたの言う「この私」と
いうのは「この心」のことだとしか思えないのだが、
体があっても心がない(と思われている)人間(例えば無脳症児とか、
意識がない胎児とか、植物人間とか、脳死した人とか、あるいは単に死体とか)
には「私」があると思う?
あなたは
>>615で
>『この私』が、複数の体を、同時に所有できる事などありえないんだよ
と言っているが、「私」が体(たぶん心も)を「所有」しているのなら、
別にいくつの体(や心)を同時に所有していたって、何の不思議も矛盾もないと
思うのだが、違うかね? それを「ありえない」と断じているところをみると、
あなたはやっぱり「この私=この体」と考えている、唯物論者なんだねw
>>925は文意が分かりづらいだけでたいしたこと言ってないな。
↓分かりやすく解釈
冷静な僕の意見を聞いてくれ。
脳内の現象には自我以外の主観があるはずなんだけど、
科学の方法はそれをシカトして解釈してきた。
だから、科学ががんばって結果出したって疑わしさは残るよ。
もし疑わしさが残らなかったとしたら、人間が生きてる意味なんかない。
生きてる意味がなくなっちゃうのに、疑わしさを解体しようとする人らがいる。
そんなことする科学はヒールだよ、ヒール。いや感情論じゃなくてさ。
661 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/15(水) 20:06:22
最高位さんに質問ですが
全てを「言葉」「文字」で説明できると思われますか?
662 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 20:27:56
>>661 最高位ならできるだろ。
凡人の漏れには無理だけどな。
663 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 21:13:54
>>658 >>その物理的に同じに作った、他の9人は
>>物理的に同じであるにもかかわらず
>>絶対に『この私』ではない という事
>だ〜か〜ら〜w、それは机でも何でも同じだ、と説明したでしょ。
>(それ以前に、最後の行の『この私』は、10人の人間のうちの誰なのかな?
>それこそが問題なんだけどw)
『この私』がここにいて
その後に、物質的に全く同じ9つの体を作るんだろ?
だったら元々最初からいる『この私』が『この私』なんだよ
決まってるだろ
最初に、そう定義して、わざわざ『この私』としているんだからね
意味ないだろ
『キミ』がいて、キミと物理的に同じ9つの体を作ったとして
キミ自身、自分が自分なのかどうなのか、わからなくなるのかよ
ホント、病院に行った方がいいぞ
いくらキミと同じ顔をしていたって、キミ自身ではないんだから『他の人』だろ
自分は自分じゃなくて、この人が自分かな?なんて思うのかよ
思ってる時点で、キミはキミだろ
その人が思ってるんじゃなくて、キミが思ってるんだからね
わざとボケてるのか?ちょっとイチビリ過ぎだよ
>「物理的に同じに作った、他の9つの机は、物理的に同じであるにもかかわらず、
>絶対に『この机』ではない」。ね、同じでしょw
何回、同じ事を説明させるのかねぇ
『この机』なんてのは唯名論だと言ってるだろ
溶接して、一つの大きな机にしたら『この机』もクソもないだろ
しかし『この私』は、純粋な存在性であって、混ざり合ったりとか、しないんだよ
同じじゃないの!何回も説明させるなよ
664 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 21:16:59
>>659 >体があっても心がない(と思われている)人間(例えば無脳症児とか、
>意識がない胎児とか、植物人間とか、脳死した人とか、あるいは単に死体とか)
>には「私」があると思う?
知らないよ
私は主観性に関して、自分自身をサンプルにして論じているのであって
他人の主観性など認識できるはずもないからね
わかるはずもない
>>『この私』が、複数の体を、同時に所有できる事などありえないんだよ
>と言っているが、「私」が体(たぶん心も)を「所有」しているのなら、
>別にいくつの体(や心)を同時に所有していたって、何の不思議も矛盾もないと
>思うのだが、違うかね? それを「ありえない」と断じているところをみると、
>あなたはやっぱり「この私=この体」と考えている、唯物論者なんだねw
キミは唯物論 というものの意味がわかっていないんだな
私は物理法則を否定しているわけではないんだよ
だから、空間的にも完全に離れている二つの体を、私が同時に所有する事など
物理法則から考えて、ありえない と考えているにすぎない
唯物論というのはね
世界には物質があるだけで、それが現象しているだけあって
人間も、その辺に転がっている石ころも、なんら違いはない
人間の精神も、物質による物理現象にすぎない
という無機質な価値観
この思想を、唯物論 というんだよ
(´・ω・`) ・・・・・
笑うとこですか・・?w
666 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 21:24:22
>>661 難しいですね
言葉というものは、意味に範囲がありますし
完全ではない
不可能だと言えば不可能ではありますが
言葉の壁に挑むのもまた、楽しいもんです
人に説明しながら、いい表現が見つかる事もあります
べつに書きとめているわけではないので、忘れちゃいますけどね(汗)
他の9人も記憶が一緒なら「自分こそがオリジナルだ!」と
言い張るだろうし(というか、過去の記憶がある以上それは
後から作られたどうか本人では分からない。しかも、これは
オリジナル自体にも言える)。
知ってるのは製造者だけだろうが、そうなると「この私」とやら
は他人の判断に依拠することになってしまうな。
いや、それは最高位の「この私」とはあんまり」関係ないと思いますよ。
私は最高位さんの言う「この私」というのは(異なるものは同一ではない
というだけで)意味がないものだと解釈しています。
669 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 21:29:15
>>667 それぞれが主張しようが、そんな事は関係ないですよ
問題は、物質的に同じであるにもかかわらず、『この私』ではない
という事です
これは『この私』は、物質的な要素によって『この私』であったのではない
という事の証明になります
>>668 同感。
周りは最高位が言ってる事はなんか内容のあることを言ってるんだろう
と言うことで突っ込んでるんだろうが、もともと内容が無いので全てスルー
されてしまう。論点に広がりをもたせられないのは、いくつかの典型的な
哲学的論点に「意味が分からない」で返してるところからも伺えるな。
671 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 21:41:05
>>668 出たな妖怪変化!
いや、天才バカボン!
今日は一睡もせずに出勤してるからチョット眠いぞ
いや、ナチュラルハイだ
>私は最高位さんの言う「この私」というのは(異なるものは同一ではない
>というだけで)意味がないものだと解釈しています。
異なるもの じゃなくて同じもの
私と体の関係は
物質的に、異なる要素を全て排除しても
本質的に違うものになる と言ってるんだよ
この思考実験よって得られる結論は
たとえば、私というもの自身の価値観は
人間に対する価値基準は
物理的に決定して正しいのか という命題に対して
科学的にも哲学的にも、ハッキリとNOと答える事ができる
のだ!
(´・ω・`) ・・・・・
ここも笑うとこですか・・?w
>>671 いや、「この私」と「他人」は違うのでしょう?
でも、それは「「私」と「他人」は違う、だってどう見ても違うんだから」と
言ってるのと何が異なるのですか?
哲学史的には300年から200年くらい前の普通の説(あるいは、
コンフォードのソクラテス解釈から言えば2000年以上前の説)
ですよね。
私なんかはむしろ最高位さんの説は、
「常識から考えると当たり前すぎて(突っ込みどころが無さ過ぎて)」
「だからどうしたのだ???」と思ってしまいます(目新しい論証が
あるのなら別ですが)。
自我をあたかも移したかのように他人になったと言う事をイメージして
それを他人だと思う事しか出来ない
677 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 21:57:30
最高位の矛盾だらけの説が当たり前だって言う人は、どういう思考回路
なんだろうか?
>>677 いや、根っこはひとつ、てことでそ?
我思う故に我在り。と・・・w
デカルトに同意する人ならば、最高位の結論に「だけは」同意せざるを
得ないだろう。しかし、最高位がそれを初めて論理的に説明した、など
という妄想に付き合う必要はないのである。
そこに付き合うと話がおかしくなる。
「机」とは何であるか。
それはある機能に名づけられた名前に過ぎないのであって、
実際にそんなモノが存在しているわけではない。
こう考えるのが唯名論である。この考えでいくと、
「私」「精神」「主観」とは何であるか。
という問いに対しても同じように答えられなければならない。
そんなモノが実際に存在しているわけではない、と。
しかし最高位は「我思う故に我あり」であり、「この私」の存在性は否定できない。
よって「私」の存在の仕方は「机」の存在の仕方とは異なるのだ、と考える。
つまり「机」については唯名論的解釈をとるが、「私」については実在論的解釈を
とって唯物論を否定するのが最高位の考え方である。
682 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/15(水) 22:10:21
>>673 もっと詳しく、具体的に説明してもらわなきゃ
言おうとしている意味が、よくわかりませんね
参考までに言いますと
私は、永井均先生の哲学は、特に学んだ事がないんですが
最近知ったのですが、人に言わせると、どうやら
私の言ってる『私』とは、永井先生の言う『ボク』らしいんですよ
で、少しは調べもしましたが
全体的な方向性は、多少違うようだが、その部分は同じ事を言ってるようです
で、人によっては永井先生の事を
最高の哲学者だと大絶賛する人もいるみたいですね
その哲学の根本にあるのが『ボク』らしいです
私も思うんですよね
『私』というものが理解できれば
天と地がひっくり返るほど、目からウロコのコロンブスの卵なんだから
おそらく、人が言うように永井先生の『ボク』は
私の『私』(このスレで、最初は自我と言っていた)と同じなんだろうな
とね
そういう内容が、2000年以上も前から言われている事だとは考えにくいよね
私も自分で気づくまでは、誰からも教えてもらった事などありませんでしたしね
クオリアについてもしかり でしたが・・・
とにかく『この私』というのは、現代哲学の最先端なんですよ
私が、ふざけたコテハンを付けてるからといって
甘くみないで下さい
>>682 ああ、永井先生は読んだことないんですか?
てっきり読んでると思いました。
読んでみてください。
考えてる方向は確かに似てると思いますから。
(永井先生の「ボク」の論証からすればあなたの論証の
レベルはやっぱり深みが無い=考慮したパターンが
少ないという印象を受けます)。
ただ、私は永井先生の哲学はあんまり関心ないので
(というのは「この私」はやはり自閉的な哲学であって、
私の興味のある社会科学に繋がり難いのですよ)。
私が言えるのはそれだけです。
いまこの「私」を夢のような確かでないものとして認めてしまうと
世界の諸法則から自己の意識の必然を導くと言うことすらできなくなる。
永井先生しか永井先生の私に関心ありません。
686 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/15(水) 22:39:09
唯名論と唯識は考え方が近いですね。
687 :
過去の私:2006/02/15(水) 22:43:34
私は時間軸で以って変わる。
今瞬間の私を扱うことは既に過去のものとなっていて
現実世界にある変動しない物質として扱うことはできない。
というのはどうかな?
でも物質が変化しないと言うのも見せ掛けだからね。
689 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 22:49:51
このスレを見ていると、
人文科学、社会科学、自然科学、それぞれの土俵でものを見てる人たちが
同じ話を違う次元で一斉にしていて全くかみあってない感じがするよ
690 :
過去の私 ◆UHajaoaOKw :2006/02/15(水) 22:59:31
物質を一定条件下で見て考える事が多いね。
>>687 点は見えない、それは円であるってのと似てるな
692 :
過去の私 ◆UHajaoaOKw :2006/02/15(水) 23:08:01
止めて考えると不都合が出るものかな?
出ることもあれば、出ないこともあるんじゃない
694 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/15(水) 23:15:12
>>691さん
点にスピンという物理量を与えて素粒子を並べる事にも似てますね。
恒久的に当てはまらなければならない法則を導き出そうとするとき
円になりえないらしい物質を止めて考えるのは如何なものか。
696 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/15(水) 23:21:09
>>615 >物理的に、100%全く同じ だと定義しても
>私ではなく、違う人なんだから
「x軸+y軸+z軸(基本的な「この宇宙」内の位置」+「ビッグバン後の経過時間」
・・という4次元座標が「全ての物質粒子」に個々に割り当てられるので、
「物理的に100%同じ電子」や「物理的に100%同じヘリウム原子核」が「ない」
のと同じように「物理的に100%同じ脳」は、(宇宙)物理(学)的に・・
・・「100%存在しない」(4次元「位置」座標が必ず異なる)・・ということです。
あなたの「主観性」は勿論「唯一」ですが、「そういう意味では、この宇宙内の
「全ての存在(物)」は「唯一」であり「ユニーク」なのです。
>>695 何について言っているのかわからないが、別にそれは問題ないと思われる
>>696 珍しく全く同意なことをw
>>674 その説(玄関の鍵)を使って違うことを説明しようと(車のエンジンをかけようと)
してるのが、どうにも座りが悪いのだよw
>679が適切な分析であるなら、それを拡大使用しすぎて、且つ尊大な物言いである点が・・w
ビッグバンが正しいと決まった訳じゃないがな
フレッドホイルマソセー
700 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 00:40:23
>>696 あのね
そういう反論をしている時点で
問題が理解できていない事があからさまなんだよな
唯物論の主張というのは
人間の精神も物質による物理現象にすぎない だよ?
時間とか空間とか
そういうのは物質の現象とは違うんだよ
他の体を作った場合
もちろん時間とか空間は違うわけだけど
それが、どう違うから私であった
という具体的な要素については、何も言えない
そんなものは苦し紛れの、こじつけであって
私が存在した理由
私が私であった理由
私の存在性についての
原因的な必然性に対する具体的な因果関係を説明できるものになっていない
成りえない
苦し紛れに「時間と空間が違うんだから、同じものなど作れない」などと言ったところで
『私』の存在性 というものは、物理的な事柄を、何をどうやったって説明する事が不可能なんだよ
もっと高度なんだよ 問題がね
キミらの考え方は幼稚なんだよ
前時代的な古い思想
旧人類の思考
問題すら理解できない人に説明するのは、ホントもどかしいわ
(´・ω・`) ・・・・・
も、もちろん笑うとこですよね・・?w
702 :
素人:2006/02/16(木) 00:58:02
703 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 01:08:02
唯物論なんかで世界が記述しきれりゃぁ
こんな有難い事はないよ
しかし、そんな単純な事にはなっていない
だから始末におえないのさ
たちが悪いんだよ
ていって、爆笑王が今宵の添い寝相手を捜しておりますよ。
「哲学者最高位」という名前と語る内容にずれがなくて面白い。名は体をあらわす、なのですねぇ。
>>703 たちが悪いのはおまいだ!!
sageろ
>>706 このスレにsageる意味なんてないだろwwwww
709 :
素人:2006/02/16(木) 02:08:28
>>704 そか・・w 燃料投下になるかどうか(添い寝の絵本になるかどうかw)わからんが一レス入れとくか。
ほとんど電波なレスなのは認めるが、結構マジな書き込みだったんだけどなぁ・・・ orz
名前欄の分数は、2chの常識じゃなかったのか・・・ orz
>>650-652には多謝w とまあ、他力だけでは何なんで、罵倒には罵倒で返そう。
>>510 貴方風のレスの構文でねw
オイラの基本スタンスは仏教だよんw
本気でオイラのことを叩きたかったら、
縁起、諸行無常、諸法無我、五蘊十二処十八界、を理解し、
きっちり批判材料を用意してから出直して来いwww
君程度のおつむが粋がるのは100万年早ぇよwwwww
(↑ 声高にスローガンを宣言するw 例:俺様が唯物論を論破した。君達まだまだだよ。)
しかしまた、
> だったら『この私』についての説明書を作って下さいよ
と
> なぜに、ここにいるのが他人ではなく『この私』であったのかをね
が、なぜ一繋がりなのか・・・?w とりあえず7つのレス全部読め。
(↑ 相手のレスを引用しながらも、そのレスへの批評になってないw)
まあいいやw ひとつふたつ答えておこうか?
> だったら『この私』についての説明書を作って下さいよ
数ある説明書のうちのひとつが五蘊だ。(唯物論かどうかは知らんがね)
また、(勿論、微々たる物・遅々とした歩みではあろうが)脳科学等の研究成果は十分に説明書ではないかね?
たとえば、10個か100個か知らないが、そのうちの2番4番6番の説明書足り得てはいるんじゃないかい?
> なぜに、ここにいるのが他人ではなく『この私』であったのかをね
ここにいるのは『この私』でしかないのだよ。他人である可能性など0%もない。
その問いは、道端の石ころがなぜその石ころであったのかという問いとなんら変わりない。
(↑ あまり意味の無い結語を持ってくるw 場合によっては最初のスローガンと同じw)
710 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 02:42:29
>>709 でも、探偵が実は犯人だったとか
よくあるでしょ。「この私が他人で
ある可能性は0%」というセリフだって
叙述トリックかもしれないわよ。
711 :
メシア:2006/02/16(木) 05:49:41
>>700 しかし・・・楽しそうだね君達w
まだ若いんだろうなぁ〜いいなぁ〜オッチャンも君達の中に入りたいYO!
>唯物論の主張というのは
人間の精神も物質による物理現象にすぎない<
だから『結果』物理現象であって『結果』物理の法則に従ってるでそ?
>時間とか空間とか
そういうのは物質の現象とは違うんだよ<
時空は『物質』を成立させる為にも、『>>全ての<<私を成立』させる為にも必要でそ。
>それが、どう違うから私であった
という具体的な要素については、何も言えない<
コンピューターの計算能力が極限に達して、
現段階の人間的感覚を脱すれば明確になるでそ。
未来を見ようぜ!w
>私が存在した理由
私が私であった理由
私の存在性についての<
この辺は3千年前に一度決着が付いてるんじゃないの?
オッチャン哲学興味無いからね、聖書では完結してしまってるお。
そもそも唯物論のみで脳と精神を説明しようとするのが最初っから間違いだおね〜
それは『誰でも』わかってるお?
オッチャン的には、前述したけどw
精神は、意志の無限集合体により物質化された第一原因性を起点とし、成立している。
と、想うよw
ちなみに、意志の無限集合体の中には時空等、全ての意志も含むのは説明がいらないね。
まぁCPが極限に達した近未来には、この『意志の無限集合体』そのものも完全解明されるだろうねぇ〜
そして、解明された後は、当然現代人の知りうるこの世界は終末を迎える。
君等は新天地で祝福を受ける事が出来るかな?w
712 :
メシア:2006/02/16(木) 05:52:40
続きです、そして早朝です(老人ではありませんw)
>>625 >世界のすべてが科学的に説明可能にな世界が実現した時点で脳(人口も含む)にこれ以上
新たな情報を入れる必要がなくなってしまうのですから人間の世界は死ぬのです。
それでも非合理的な自殺志望者たちは脳内現象を解体していくのでした。
ヒールな科学はすでに感傷的評価の枠をはみ出過ぎるほどにヒールな人間最大の敵であります。<
まぁこういう事ですな。
人類は近い将来、この欠陥品の肉体と脳の上に成立している思考から開放される事でしょう。
当然、情報という苦からも開放されます。
贖罪の日は君らが想像するより近い将来にやってくる。
全ての人間的価値観は崩壊し、新生するでしょう。
新生を否定し敵とする悪魔的思想はどうかと想うけどね?
現段階での価値観にしがみつき生きる愚かさを事前に知る必要がある。
『善とした未来』を悪とする愚かさを知る必要もある。
約束の地で人類は『何を求めるの?』
オッチャンはこっちの方が断然興味があるな〜
過去と現在の現象を語るだけが哲学か?
過去と現在を以って近未来を哲学する事は出来ないのか?
そもそも、哲学には未来が無いのか?
全て後出しジャンケンか?後出しジャンケンは楽しいか?
未来構築型哲学って存在しねーのかよ?
今オマエらがやってる事は役に立たない経済分析と殆ど一緒だ。
しかし、経済学には不確実な未来を積極的に読み込もうという意志がある。
オマエら、こんな事ばっかりやってると将来成功しねーぞオイ。
例え哲学とはいえ、未来に賭けろよ!未来を哲学してみろ!
その時、過去と現在の自分が無限であった事を把握した上で、
その自覚出来る無限そのものが更に自分の中で爆発するかもなw
オッチャンは未来に賭ける想いが好きだ!!!
そんなとこで、オッチャンは傍観を続けます。
若者達よ、引き続き熱く語ってくれw
俺がいつものように自分の机にしがみついていたところ、
ふと背後を見ると俺がしがみついてる机と全く同じ机が背後に9つも出来ていた。
形、色合い、細かい傷、どこをどう見ても全く同じである。
しかしそれらは「俺が今しがみついているこの机」のコピーに過ぎないのであって、
9つの机は「俺の大好きなこの机」では断じてない。
「我しがみつく、故にこの机あり」
この机がなぜ「この机」として存在していて、他の机ではないのか。
その理由はどんな物質的な理由を挙げても説明できない。
ここに俺は唯物論では絶対に説明できない「机の存在性」を知ったのである。
>>711 精神の起点となるような第一原因性を「無限」に求めるのは正解だが、
その「無限」は「よくわかんないけどずっと向こうにあります」としか
説明できないよ。「無限がここにこんな風にあります」とは言うことはできない。
まぁそういう絶対つかめないものをつかめます、終末がもうすぐ来るのです、
っていうのが「メシア」な思考なんだろうがね。
盲目な信仰によって飛躍すれば、無限をつかむこともできるけど、
それだとニセモノ掴まされる可能性も十分あるから、俺はつかみたくないね。
>>642 >>649 >>660 揚げ足とりはともかく誤謬して反論されるのは困りますね。
このスレの馬鹿の皆さんに最近すっかり典型化してきた流行現象をみました。
現行科学では理解不可能な事象への過剰な警戒心により
閉鎖的思考を自らに強いてしまっている人々。
人間の時間感覚を馬鹿にした自らの態度に陶酔している人々。
人間が科学が狭め続けた世界に感じる窮屈さと閉塞感も
いつの日か挽回できるはずだと根拠もなく勝手に妄想し続ける人々。
このスレの人々の読んでいる本や仕入れている情報が
偏りすぎているということがよーーくわかりました。
>>625最後の4行への反論を避けているのがその立派な証拠です。
>>715 反論して欲しいならしてあげるけど。
新たな情報を得る必要がなくなったらなんで人間世界が死ぬの?
人間が新たな情報をえていくことこそが「生きる」ことだからか?
まずそこのところをはっきりさせてくれ。
>>712 具体的な展望もリスクの分析もなしに未来に賭けるあなたは
丸山真男の言葉に興奮してヘルメットかぶって
投石することに生き甲斐を見い出した世代かもしくは
そんな世代の雰囲気に憧れて育った世代の人間ですね。
この僕を除く今日の若者たちも本質的にはこのおっさんと変わりません。
若者は投石から観念論者の言葉を嘲笑とともに解体、追及することへ
自らの生き甲斐をシフトさせたのです。
もうラディカルの爽快さを無計画に時代に接岸させてる余裕はないのですよ皆さん。
一刻も早く冷静に知と情報をコントロールし
人間を守るための世界を維持していく人間の手による機能を構築せねばなりません。
時空のすべてを把握した人工知能は言うでしょう。
「プログラムを更新してください」
それに対して人間は動揺することすらなく黙り込むでしょう。
そしてすべてを統御可能な人間は
人類の歴史を失うのです。
そして、自己を消去することを望み、実行するのです。
やはり杜玖椀をご存じないらしいですね。
720 :
メシア:2006/02/16(木) 07:59:19
>>717 未来はいいねぇ〜w
>そして、自己を消去することを望み、実行するのです。
当然だな、素晴らしいじゃないか。
自己消去とは同時に自己新生の悦びでも在る。
人類は福音により祝福されるでしょう。
>>719 先端研を知らなすぎだろ?
時代が見えていない。
近い将来、空想を遥かに超える終末が訪れる。
それは、人類が核爆弾を生んだ事が『バッタの屁』と感じる程、衝撃的な事だ。
我々は、『バッタ同然』だった。
>>720 では、
試行と結果を基に。先端研の成果の一端を明示してくれたまえ。
722 :
メシア:2006/02/16(木) 08:23:46
>>721 知らねーよw
自分で調べろよw
何がくれたまえだよwでも、wいいと想うよwそれw
笑える感じだねw
学校行って論文漁って来いよw
ネット上にもいくらでもあるだろうがw
各学校、企業、公的研究機関等のHPでも見とけよw
研究者と対談でもしてこいw時間の許す限り全部やれw
俺は、先端研を知っているし知っていない。
で、あるのでw
明示出来ませんし存じ上げません。
これでいいか?w
自分で知るしか無いと想うよ?w
さってwオッチャン仕事に行きますw
これを遁走とも言うし、言わない(爆)
ご苦労さん、俺とオマエw
724 :
メシア:2006/02/16(木) 08:31:56
>>723 そうだなw
髭剃して歯磨いてるんだよw
あばよw
725 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 08:51:31
726 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 09:10:13
>>725 登場しましたね、「女性ですか、どうよ」さん。あなたが出てこないと、
もともと程度の低い(本人たちはそう思っていないようだが)このスレが
救いのないものになってしまいます。時折り出演して、平板になりがち
な書き込みにメリハリをつけてください。
自分だけは程度が低くないと思い込んでるところが痛いな。
>有意義な議論を行おうとするならば、議論を行うことで知的前進を得ようとするならば
知的謙虚さをもたねばならない
(お互いが「自分こそが正しい」と言い合う議論の不毛さをたいていの人間は知っているだろう)
729 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 09:30:05
730 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 09:31:44
>>717 ここは何を述べてもかまいません。独断、偏見、思い込み、受け売り、
なんでも結構ですが、散文で書き込んでください。対話をしたいのな
ら。どうみても、あなたのそれは下手な詩。
それと、もう一つ。丸山を読んで投石した話しなど聞いたことがあり
ません。丸山は当時、連中から目の敵にされた権威の一人。
コミニュケーションを求めているのなら、最低限の常識を踏まえなけ
れば。
哲学者最低位氏と機械氏の違いについて一言
機械氏は地道に計算実証を重ねて答えに行き着く過程ではないか?
哲(ry氏は答えが出ていることを前提にしているようだ。
私が有意義に議論できるだろうお題としては
意識の定義を各人に答えてもらう事を提案する位だ
>>731 >機械氏は地道に計算実証を重ねて答えに行き着く過程ではないか?
,一-、
/ ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■-っ < んなーこたーない
´∀`/ \__________
__/|Y/\
Ё|__ | / |
| У |
734 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 12:08:59
私は、答えが出ている事を前提にしているのでも
また、FAを急いで、こじつけているわけでもありません
『私』の正体を探求していくうちに、途中経過のオマケとして
唯物論は間違いであるという論理的な結論が出てきただけです
オマケですオマケ
>>663 >『この私』がここにいて
>その後に、物質的に全く同じ9つの体を作るんだろ?
>だったら元々最初からいる『この私』が『この私』なんだよ
>決まってるだろ
>最初に、そう定義して、わざわざ『この私』としているんだからね
>意味ないだろ
あ〜もう本当に哲学的センスがゼロなのね〜w
コピーの元になった「この私」というのは「過去」なのよ。過去は現在では
存在しないの。わかるw?
現在は、10人の人間=私がいるわけ。その10人の私のうちで、コピーの元に
なった私(当時の「この私」)と「同一の私」なのは、どれなのか、
というのが問題なの。わかった?
だから、織田信長と全く同じ体と心を持った人間を現代に作り出したら、それは
戦国時代の織田信長の「私」と同じ「私」なのか、という問題と、本質は一緒なのよ、
昨日自分でそう言ってたでしょw
>『キミ』がいて、キミと物理的に同じ9つの体を作ったとして
>キミ自身、自分が自分なのかどうなのか、わからなくなるのかよ
だからね、1行目の「キミ」と2行目の「キミ」が同じキミなのかどうか、
10人のうちのどれが「キミ自身」なのか、が問題なの。わかるw?
(続き)
しょうがないから、また具体例。
神様が、キミが眠っている間に、キミの肉体と全く同じ肉体を9個作るわけよ。
そうすると、唯物論が正しいならw、キミの心と全く同じ心も9個作られる。
で、10人が目を覚ます。そうすると、その10人全員が「私こそが唯一の、
天上天下唯我独尊の、純粋な存在性である『この私』、本物の哲学者最高位であって、
他の9人は贋物だ! 今日も哲板に書き込んで唯物論を破壊しなければならない!
私は忙しいのだ邪魔するな!」とか、喚くわけw
では、この10人の私のうちで、眠る前の哲学者最高位の私(過去の私)と同一の
「この私」はどれなのか、これが問題。いいかげん、わかったでしょw。
で、この問題について「主観性」「心」の側から答えることは、できない。
正解はあるけれどもわからない、というのではないよ。どれが正解か、という
意味を与えられない、正解の意味を定義できない、ということ。だって、主観的には、
10人とも間違いなく本物の「この私」なんだからw
所詮は解釈・認識の問題だから、それが結論でもいいし、くじ引きで決めてもいい
んだが、まあ常識的には、10個の体のうちで、眠る前の「この体」と時空的に
連続している体をもって「本物のこの体」で、それが「1行目のキミと同じキミ」
「キミ自身」だと解釈する。もっとも、それが判定できるとは限らないよ。というか、
客観的に事態を外部から眺めている第三者(神様本人とか)がいないなら、永久に
わからない。
でも、これは「正解はあるけれどもわかる人がいない」ということに過ぎない。
(続き)
念のためにw、また別の例。
超科学を持った宇宙人が、眠っている間にキミを誘拐するわけ。
それで、キミの体と物理的に全く同じ体を作って、布団に入れておく。
そうすると、その体(念のために言っておくと、過去に宇宙人が作った体と時空的に
連続している体、という意味よw)は朝になって起き出して、
「ああやっぱり私は唯一の、天上天下唯我独尊の、純粋な存在性である『この私』だ!
今日も哲板に書き込んで、馬鹿な唯物論者を啓蒙しなければならない!」とか
考えるわけ。
で、さらわれた体の「私」の方は、どっかの惑星で実験台にされて助けを求めている
かもしれないし、とっくに殺されているかもしれない。もちろん、二人とも、
「自分が自分なのかどうか」なんてことは、よくわかってるよw
で、どっちの「私」がさらわれる前の私と同一の「この私」かというと、通常の
解釈では、さらわれる前の体と時空的に連続している体をもって「本物のこの体」
「1行目のキミと同じキミ」と解釈する。というか、それしか定義のしようがない。
だから、惑星で実験台にされている「私」が「本物」で、今書き込みをしている
「私」は、残念ながら「贋物」ということになる。不本意だろうが、仕方ないw
(続き)
こういうわけで、1行目のキミと2行目のキミが同一かどうか、つまり「この私」の
同一性は、「この体」の同一性によって定義するしかないわけよ。「この机」の
同一性と、全く同じ。
ところが、あなたは「この机」なんて唯名論だから「存在しない」と断言している。
すると「この体」も当然唯名論で「存在しない」ということになる。だから、
あなたの立場だと、10人のどれが「1行目のキミと同一のキミ、キミ自身、
本当のこの私」でもかまわない、という結論しか、出て来ない。それでいいのかなw?
>>664 >だから、空間的にも完全に離れている二つの体を、私が同時に所有する事など
>物理法則から考えて、ありえない と考えているにすぎない
をいをい、あなたは「私」は物質でも物理現象でもない、と主張しているんでしょ。
何で今更物理法則なんて持ち出すの? 物理法則からしたら、「私」が体を
「所有する」こと自体が、ありえないでしょ。
そもそも、「物質でない心と、物質である体が、どうして相互作用するのか?」
というのが二元論の最大の弱点で、だからこそ唯物論が有力なわけ。それを否定して
「私が体を所有する」と考えるなら、別にいくつ所有したって、本質的な違いは
ないでしょ。というか、体だって粒子レベルでみれば「空間的に離れている」
物質の集合体だよ。右腕と左腕だって、空間的に離れているといえば離れている。
空間的に離れていることなんて、何の意味があるのよ。
あなたの唯名論wによれば、体なんて「溶接して、一つの大きな体にしたら
『この体』もクソもない」ものなんでしょw 一つか二つかなんて、所詮
「認識・解釈」の問題じゃないの。違う?
739 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 12:39:56
>>735 それじゃダメダメだ
本質を押さえたまま、ちょっと視点を変えられると終わりだよ
『この私』というのは、現在にしか存在しない
今、この瞬間に存在する『この私』
と
物理的に全く同じ要素の他人が存在する
という事は
『この私』と『その他人』には、物理的な差異は、一切認められない
という事になるだろ?
物理的に差異のない二つの肉体であるにもかかわらず
片方の『この体』は『この私』であり
もう片方の『あの体』は『他人』なんだよな
ここから導く事ができる結論は
『この私』は『この体』の物理的な要素によって『この私』であったのではない
ということ以外には無い
それを否定するのならば、物理的に差異のない二つの肉体に
物理的な差異を具体的に挙げる必要が生じるわけだから
最初から不可能である事が理解できる
だろ?
理解できない?
簡単だと思うけどなぁ
,一-、
/ ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■-っ < まぁ、おしいっちゃぁ おしい
´∀`/ \__________
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Ё|__ | / |
| У |
認識が時間を要する以上、「今現在」というのは本当は無いんですけどね。
→特に言語的思考で「今現在」というのは有り得ない。
思考も時間を要する以上、「今現在」という瞬間で思考することはできない。
→では思考の対象とはそもそも何なのか?
741 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 12:51:29
>>664 最高位も、その辺に転がっている石ころも、なんら違いはないので、
というか、その辺の石ころ同士の違い程度しかないので、
やはり唯物論が正しいように思える。
「この私」も「この石ころ」も同じ事が言えるしね。
742 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 12:56:08
>>735 >神様が、キミが眠っている間に、キミの肉体と全く同じ肉体を9個作るわけよ。
>そうすると、唯物論が正しいならw、キミの心と全く同じ心も9個作られる。
いやいや
それは絶対に『私』ではなく、『私』から見て『他人』だよw
>客観的に事態を外部から眺めている第三者(神様本人とか)がいないなら、永久に
>わからない。
だから何度言ったらwかるのかな
キミにピッタリの言葉を書いてあげてると言ってるだろ
>>615に書いたコレ→(唯物論者は、その思想の特質から、思考能力を制限されているので、主観性を理解できず、客観性という一方向性からしか、この世界を分析できないが故に、この問題が理解できない)
とね
ちゃんと読んで自覚してくれなきゃ
書いた意味がないよ
743 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 13:00:57
>>742 それは絶対に『この石』ではなく、『この石』から見て『他石』だよw
やっぱり唯物論だねw
>>739 >それを否定するのならば、物理的に差異のない二つの肉体に
>物理的な差異を具体的に挙げる必要が生じるわけだから
空間と時間が違う。
745 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 13:16:27
>>740 あははは
まぁ、ある角度から考えるとそういう事も言えるんだけどね
この場合には、おかしい事になっちゃう
じゃあ、いつ認識するんだよw って事
過去に認識してるの?
過去に進行形???w
それじゃ認識した していた
であって、した という事は
する という行為の過去形だろ
だから『認識』は現在進行形の瞬間がなければありえない
認識は 今、してるんだよ『認識』はね
存在と認識の関係は、過去形に成らざるをえないけどね
認識は今だ
今してない事は、過去に遡ってする事など不可能なんだよw
というか時間て何なのか わかってんの?本当に存在すんの?
私はまだ、確証が持てないけどな
話かわるけどキミは、私については関心がなく
社会科学に興味がある と言っていたね
しかし社会の最小単位である個人、『私』を知らずして
社会全体の本質など見えてくるのかねぇ
本質を探る上では、順番としては単位の小さいものへと関心が移っていくものだと思うけどね
そこが理解できないな
なんで自分に関心がないのかもね
何の為に哲学してるのかな?
自分を犠牲にして、社会に貢献するため?
私の場合、政治や宗教などにも関心があるが、その為に人間の本質を考える事は不可欠だと思っているけどね
この私っていうのは人間の本質とは関係ないよ。
747 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 13:30:04
アインシュタインによれば時間と空間は同じもので時空(時空連続体)と解釈する。
ニュートンの時間方程式もアインシュタイン方程式も時間対称性を持ち、ニュートンもアインシュタインも自分の方程式に時間対称性(時間は等方向つまり過去、現在、未来にも流れる事が方程式上可能)が存在するのを見つけており悩んだが、
アインシュタインはあえてこの方程式上に存在する時間対称性が数学的に存在を許すのを肯定し、過去、現在、未来が同時に存在しているという解釈をした。
これを時空連続体という。時空連続体には過去、現在、未来がすでに同時に存在しているという解釈である。
この概念を発展させた近年の研究で、なぜ光速が秒速約30万キロなのかという事も説明する。
即ち、すでに出来上がっている過去、現在、未来(時空連続体)の中を私たちが光速度 秒速約30万キロで走っているのである。
私たちが光の速度を秒速約30万キロと観測するのもこの為である。
もし、私たちが時空連続体内を秒速10万キロで走っていると、光速度は秒速10万キロとなる。
748 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 13:32:28
なんつーか、唯物論のことを話すならとりあえず物理の基礎知識くらいは頭に入れておかないと
相手の言ってることを間違えて解釈しちゃう可能性が高い気がするんだけど・・・
ここで話してるやつで物理に関わってるやつって
>>1以外にどれくらいいるの?
749 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 13:34:24
>>744 ホント 苦し紛れだなぁ・・・
時空が同じだという事は、本人そのものじゃないかw
物体が、重ねて作れるわけないだろ
時空が、こうだから というのは
結果だろ
時空がこうだった だよ
『ここ』と『あそこ』の違いが、何で『私』の存在性に関係あるんだよ
そこで『たまたま』とか言うんだろうけど苦しいねぇ
『たまたま』なんて事を言う時点で科学的ではないんだよ
それは『神秘』に分類されてしまうわけ
わかる?
時空がどうだから という反論には、具体的な根拠が一切ない
一歩、突っ込まれると、それは原因不明の 神秘だと答えざるを得ない
プログラムは反応を示すけど、
それを認識している主体がプログラム自身にあるかどうかは
分からん。プログラムから構成可能なら凄いと思う。
仮に私発生がプログラムによるとして、
当然プログラムの起源は?ということになる。
私工学が成立するとしても、それをどう使うかという問題がある。
どういう問題のためにどう使うのという問題だな。
答えが新しい問題をこさえるって奴だ。
私というアイデアがあってプログラムで具現化したのか。
プログラムがあって私というアイデアが具現化したのか。
私もプログラムも組み合わせもただ単に存在するだけなら、
問題を利用して躍起になって脳を鍛えることを推奨する必要もないと思うが。
さて、プログラムからどういう風に幸せを導き出そうか。
機械氏にとっては唯物論の普及が単なる幸せと感じられるものだそうだけど。
別に感じなくてもいいじゃんw観念論も唯物論から機械的に派生しているわけだしさw
751 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 14:32:11
>>750 >観念論も唯物論から機械的に派生しているわけだしさw
機械的に派生してるのなら
勝手にガッチャンガッチャンやってればいいんだよ
物理現象が勝手に現象しているように
私とは関係なしにガッチャンガッチャンやってるのなら
それは勝手にやってて下さいよ という事で片がつく
しかし、どういうわけか、それが『私』であったという事が
実は大問題なんだな
私だよ私
この宇宙には『私』が存在している
みんな、それが当たり前だと思っているが
そもそも、なんで私なんてものが存在してるのか
わけがわからんだろ 今までの永〜い歴史で存在しなかったくせにさ
『私』なんてものは存在しないのが、あまりにも当たり前の事であって
この『存在』は、実に神秘そのものだと言える
『私』なんてものが存在せず
全てのものが客観的にのみ存在する世界なのなら唯物論でも穴は見つからなかったかも知れない
しかし『私』が存在した以上
唯物論は崩壊する
物理現象には、私の存在に関する『根拠』がありえない
752 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 14:46:18
>>751 物理現象が存在することと、私が存在する事は同じ。
唯物論で何も問題はない。
753 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 14:49:13
>>752 現象は現象する で
存在は存在する だ
現象は存在そのもの ではない
存在が現象する のだ
754 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 14:51:46
755 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 14:53:19
存在するということは唯物論
存在するものを、物と呼んでいるだけだからね。
私が存在するなら、それもまた唯物論。
756 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/16(木) 15:01:13
>>739 >『この私』というのは、現在にしか存在しない
ああ、そうなの。それならそれでいいんだけど、問題は余計簡単になるだけだよw
>片方の『この体』は『この私』であり
>もう片方の『あの体』は『他人』なんだよな
あ〜ん〜れ〜、おかしいな〜〜w
結局、『この私』と『他人』を分けるのは、『この体』であるか『あの体』であるか、
ということになってしまっているねw
『この私』であるかどうかは、『この体』であるかどうかに尽きてしまっているねw
『この私』=『この体』だね。これって、もろに唯物論じゃないの〜w?
(続き)
もちろん普通の人にとってはそれで全然構わないんだけどw、あなたの場合は
1.「この机が同時に複数存在しない(作れない)のも、この私が同時に
複数存在しない(作れない)のも、同じことだ」とか、
2.「この机がこの机であるのも、この私がこの私であるのも、同じように
物質的な理由によるものではない」とかいう批判
(ちなみに
>>713氏のは後者の典型。傑作だけど、ちゃんと読んだw?)
に対して「この机なんて唯名論だ!」とさんざん反論してきたでしょ。
(典型的なのは
>>580)
そうすると、当然「この体なんて唯名論」なわけよ。だから、
「片方の『この体』も、もう片方の『あの体』」もクソもないことになって、
結局『この私』も『他人』もクソもなくて、『この私』が複数あると言っても
いいし、全部まとめて『この私』だ、と言ってもいいし、『この私』なんて
存在しない、と言ってもいいことになる。
なんか、「純粋な存在性」とはほど遠いけど、それで、いいのかなw?
俺も、「まぁ、おしいっちゃぁ おしい」と言ってあげたいんだけど、
残念ながら、惜しくも何ともないね。ただ底抜けに頭が悪いだけw
ふむ。少し考えてみると、問題は常に私にとって存在するんだよな。
常に、私というプログラムの一種にとってのみ存在するともいえる。
そこで、問題解決の決め手を、私というプログラムの一種を、
破壊することだとするなら。座禅、はたまた精神病ですら
最良手といえるかもしれない。仮に、
観念論者を自分を見失ったプログラムだとするなら、
機械氏にとって、理想的と感じてしまう単なる
プログラム以外の何物でもない。
確かに自分というプログラムがなければ悪いことはない。
勿論、自分というプログラムが存在するかしないかでさえ問題ではない。
問題にハアハアする私プログラムがいてもプログラムにとって問題はない
ってとこだね。
プログラムにクオリアを代入しても問題ないな。
私や自分に認識を代入してもいい。ところで、
機械氏にとって一体何が問題なん?
ってか、一言の言う通り、最高位の言ってるのは、
「どうみても違うものは違う」ということだけだな。
読み直して気づいた。探求者やその他の批判がなぜ
ちゃんと答えられないのか、もそのへんから来てるんだろ。
確かに最高位の言うように、「この私」の存在性は全く異質なのかもしれない。
ただ、最高位の今のところの説明だと「この私」と「この机」を同列に扱っては
いけない十分な理由が出てきてないんだな。
「どう見ても違うものは違う」=「違うと扱いたい」ということしか伝わってこない。
>>713で書いたことはここを考える上での大きなヒントになっていて、
「『この机』は『この私』にとって存在する。『この私』があって初めてその前に
たち現れるのが『この机』なんじゃないか?」と考える事ができる。
とするなら、この意味で「この私の存在性」はすごく特異なのではないか。
762 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 17:26:36
物理的な要素の同じ肉体を二箇つくっても、同じ人間を二人つくった
ことにはならない。それは、双子とほぼ同じ。双子がそれぞれの「この
私」を持っているのは当たり前。二人の時空の位置(事物との関係)が
異なるからである。
もし、事物との関係も含めて、物理的に同じ要素の肉体を二個つくる
ことができたなら、この二人は同一の「この私」意識を持つだろう。
ただし、これは背理である。時空の同じ位置に二つは存在できないか
らである。
最高位が後生大事に掲げる「この私」は、特定の肉体と事物との“関係
意識”でしかない。この関係のなかに「この私」が立ち現われるにすぎ
ない。絶対的で唯一なるものは“この私”ではなく、時空(事物)との
「関係」である。私たちは、この「関係」を“この私”と意識しているに
すぎない。この「関係」は唯一無二であり、従って、そこに立ち現われる
この私も「そこにしかない」のは当たり前ではないか。
苦痛を感じているのもウンコを我慢しているのも
この体でありこの私な訳だからな。
代わりにウンコしてもらう訳には行かない。
>>762 「この私とは関係意識でしかない」というけど、
関係ってそれを見出す主体が絶対に必要だよね。
ある事物がある時空とある関係をもって存在している。
ということを認識する「この私」はすごく特異なんじゃないか?
というのが
>>761の論点なんだけどどう思う?
>>761 別に特異でも何でもないでしょう。
「この」というのは認識の問題です。同時に複数存在する(と認識している)
同じ種類のもののうちから、特定の一つだけを他と区別して認識している、
ということです。もちろん、対象の物理的性質など、関係ありません。
そして、心がなければ対象を認識できず、「この〜」とも認識できず、
自分自身を「私」とも認識できません。
「この私」と「この机」を同列に扱っていけない理由がもしあるとすれば、
前者には心があり(心がなければ私ではないので、当たり前です)、
後者にはない、という、単純な違いです。
もしも机にもある程度高度な心があれば、対象を「この〜」と認識し、
「この机=この私」と認識するでしょう。
人間が自分自身を「この人間=この私」と認識しているのと、同じことです。
>>765 なるほど。
「この私」と「この机」の存在の仕方に違う点があるとすると
それは「認識する心」であると。
「認識する心」がなければ「この」もまたないということは・・・
やっぱり「認識する心」=「この私」の存在性は確実で他の存在とは
異なるという最高位の結論を認めてもよさそうなものだが。
767 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 18:36:22
>最高位
つまり客観的な実証は人間には不可能なのですか?
唯物論を「私」を防波堤にし、それを使って急所をつくというのはそうとしか思えません。
768 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 18:37:56
>>766 机には認識する心がないのではなく、有効に働いていないだけ。
人間でも寝ている間や、病気の時は同じ。
あらゆる物質に心はあるよ。
結局、唯物論が最強だったんだ
>やっぱり「認識する心」=「この私」の存在性は確実で他の存在とは
>異なるという最高位の結論を認めてもよさそうなものだが。
ああ、それはデカルトが何百年も前に言っていることです。
ただし、その場合の「認識する心」(俗に言うコギト)というのは、
確実に存在する唯一のものです。だから、異なるも何も「他の存在」など
ないわけです。だから、机や体といった物質はもちろん、「他の心」との
同一性なども問題になりません。本来は、厳密な意味での「独我論」にしか
なり得ない思想です。
しかし、デカルトは「神の善意」というおかしなものに頼って、物質の存在も
他の心の存在も認めてしまいます(これを近代思想の始まりだとする
哲学史の通説は、私はどうにも理解できません)。
しかし、物質と心はあくまでも異質なものと考えて「二元論」を唱えます。
そうなると「何で心と物質(体)が相互作用するのだ?」
という疑問に答えられません。これが心身問題の近代的な始まりで、
「結局心は物質によって説明すべきなんじゃないの?」と考える
「唯物論」も、それに対する有力な仮説の一つなわけです。
もちろん二元論も、デカルト本来の「独我論」も、皆有効な仮説の一つ
であることに、変わりありません。
最高位はそのうちの一つを「破壊した」と主張するので期待したら、
出発点と結論を取り違えた愚論wを並べるばかりなので、批判している
だけなのです。
ここって脳は物質 物質は必然ってことに基づいてるのでしょうか?
ふとラプラスの悪魔思い出したので
スレタイなんて飾りですよ。エロい人にはそれがわk
>>771 前から気になってるんですが、コギト(cogito)はcogitereという
動詞の変化形なのに名詞的な用法(心など)が可能なのですか?
むじんさんも「デカルトのコギトは人称代名詞に置き換えられない」
と仰ってましたが、動詞なんだから名詞に置き換えられないのは
むしろ当たり前ではないかと。
失礼。第一変化動詞でしたね。cogitare
776 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 20:16:33
>>764 では、その関係を意識する「主体」なるものは“関係”以前にあらかじめ
どこかに用意されているわけですか。“関係”が生まれるのを、どこかで
待機しているのでしょうか。主体は“関係”の後に、厳密には“関係”と
ともに立ち現れるものでしょう? 主体が“関係”を意識するのではなく、
事物との“関係意識”自体が主体であり、この私なのです。
この私、私の存在性はたしかに特異であるかにみえます。が、本当に唯一
無二なのは、この私ではなく“事物との関係”であって、それはこの机に
もこの猫にもいえます。
この意識が夢でないと証明する事は無理
>>774 ググったらフランス語では、
Je pense, donc je suis.
みたいだな。
しかし、これだと"je pense"の時点で"je"の存在が前提されてるような?
>>778 ええ、主語の多くが省けるのはラテン語の特徴ですね。
私はてっきり「ego」を入れたくないからラテン語で表現したのかと
勘違いしてましたが、どうも違うようです。原文にあたってみない
と分かりませんけれども。
ジュパンス、ドンクジュスイ
私は考えるから、この体が存在している
自分の意識を前提し、物質的な体を導く
ジュスイ、ドンクジュパンス
この体が存在しているから、私は考える
物質的な体を前提し、自分の意識を導く
ん?
>>779 本来は、「思う。故に在り。」だとは、よく聞くが
動詞の活用における性や人称はどうなのかな?
たとえば、中性三人称は特定のものを指さない、
なんて慣例があるのかしらん?
あ、原語がどうかは知らないよ・・(^^;)。
たとえばってだけで・・。
ただ、ある人称が(たとえば、一人称が)意図的に選ばれたのだとしたら、
それはやはり、「私」が想定されている、ということじゃないかなぁ・・・なんてw
進行形である私は、私だけだ。
進行形である私と同じ進行形である脳が作られれば
私の意識は必然であるといえる?
言語はジュパンスドンクジュスイであってるよ
785 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 20:57:08
この構造物が作動するから、
私が機能する。
クローンの双子の赤ちゃんを作り出し、
それぞれの赤ちゃんをまったく同じ環境の部屋にいれて、
まったく同じ刺激を与えたとする。
すると、どうなるか?
もし、脳が、単なる機械にすぎないのだとしたら、
物質構造として、まったく同じ脳を持つ2人の赤ちゃんは、
寸分たがわず、まったく同じ行動をするに違いない。
しかし、同じ脳のはずなのに、もし違う行動をしたとすれば、
2人の赤ちゃんには、それぞれ違う「意志、ココロ」があるということの
証明になるはずだ。
という思考実験である。
この実験を実際にやってみると、どうなるだろうか?
答えは簡単である。
「人間は、完全に同じ環境を作り出すことはできない。だから、実験できません。」
以上だ。
そもそも、クローンだろうが、どんな技術だろうが、赤ちゃんの「脳」や「部屋の空気」を
原子レベルでまったく同じ状態にすることは不可能だ。
仮に、強引にやったとしても、カオス理論にしたがえば、
「2人の赤ちゃんの間で、わずかでも環境(の初期状態)が違えば、
まったく異なる結果になってしまう」
わけだから、2人の赤ちゃんに行動の違いが見られたとしても、
決して「自由意志」の存在を証明したことにはならない。
結局、このような思考実験についていえる事は、
「実験できないのだから、その実験がどうなるか……
それについて、何も言うことはできません!」ということだけである。
787 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 21:05:19
スレ違いでごめんなさい。
文学が最後に行き着く言葉ってなんですか?
>>781 中世ラテンの専門ではありませんが、
cogito cogitareの1人称単数現在能動直説法
erugo ゆえに
sum esseの1人称単数現在直説法
ですね。ですから、egoが省略されてると見ることもできますが、
しかし、ラテン語ネイティブの感覚だとどうなんでしょうか?
3人称ではcogitat ergo estになりそうです。ただ、三人称だと
特定の人を指さないかと訊かれると?ですね。
ergo
>>788 乙
> しかし、ラテン語ネイティブの感覚だとどうなんでしょうか?
ここ、ポイントですよねぇ・・(^^;
発話者の文化的背景・言語環境・意図はどうだったのか・・?
もちろん、文脈による変動はあろうが、
仏典におけるアートマン(アッター)は何を指していたのか?
っと、またスレ違いだw
あと、とりあえず
>>764(
>>762)に、全面的に同意しておくw
791 :
790:2006/02/16(木) 21:38:05
792 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 22:50:12
>>786 おっしゃるとおりだと思います。「この私」「私の存在性」が特異なの
ではありません。私という固体と事物(人間関係も含む)、時空との関係
が取り替えがきかない、唯一無二なのです。それは、この机と時空との
関係も同じ。この猫と時空との関係もしかり。
換言すれば、この私という意識は事物、時空との関係の外には立てない
ということです。固体と事物との関係の外に何が広がっているか、それ
は語りえないものではないでしょうか。
唯物論最強というよりも。
必然論最強なんじゃね。
最強だろうが最弱だろうが必然でしかないと。
スピリチュアルカウンセラーも似たようなこといってたぞ。
>>786 クローンは唯物的に別物だけどね。
それらは二つの異なる空間を、それぞれ占有する。
>>771>>776 詳しい説明ありがとう。内容には同意です。
俺ならどう
>>761に答えるかな・・・。
>『この私』があってはじめて『この机』があるのではないか
ここがウソだと指摘するかな。
個物を「この机」とか勝手に言ってる分には確かにそれは「この私」にとってしか
存在しないが、世の中には個物そのものを指し示す「固有名」ってものがある。
家で飼っている犬を「ゾルレン」と家族みんなが呼んでいるとき、
「ゾルレン」は何らかの物質的な性質や機能につけられた名前ではない。
ゾルレンは、歩けなくなっても他所の家で飼われても死んでも「ゾルレン」だ。
そして「ゾルレン」は「この私」にとってのみ存在しているわけではない。
ゾルレンはその犬を「ゾルレン」と呼ぶ他人にとっても存在しているし、
「この私」がそう呼ばなくても「ゾルレン」はそう誰かに呼ばれる限り存在する。
同様に、「この机」だって別に「この私」がしがみついていなくても、
ある固有名で呼ばれていれば「この私」とは関係なく個物として存在する。
よって「『この私』あっての『この机』」という
>>761の考えは誤っているのだ、と。
>>795 ワロタwww
噛み付かれないようになw
>>793 スピリチュアルカウンセラーってなんだよ?w
新興宗教か?
>>795 犬も机も、名前が無くても存在するだろw
ケン・ウィルバーとかそういう系だと思う
彼らはそこらへんの哲学者よりイイこと言ってるよ
800 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 23:43:43
>>798 人間も、たとえば狼に育てられ、名前がなくても存在することはできます。
801 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 23:46:23
(主観においては)感受されたもののみが存在する。
802 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/16(木) 23:47:06
得体の知れない物でも
あらゆる比喩を使って表現しようとしますね。
人手あれ物であれ。
>>798 後からそれに犬や机という名前をつけたり、「この犬、この机」と特定したり
するのは人間(つまり私)だけだ、という、当たり前のことに過ぎないわねw
>>802 あ、803は、
感受してしまったらしょうがない、
表現するしかないでしょう。
(少なくとも自らの中でだけは対象化しておかねばならないでしょう)
ということです。
806 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 00:14:30
>>795 761というのは、あなたのことではないのですか。最高位みたいに意地
をはることもないですが、あっさり誤りを認めるのですか。
固有名というのは、人間と事物との特別の関係を指していますが、厳密に
言えば、この時空内に“固有”でないものはありません。便宜上、特別の
関係のものをそう呼んでいるだけです。
したがって、あなたの“ゾルレン”は、通りすがりのものにとっては、た
だの犬(普通名詞)です。しかし、本来的には時空と唯一無二の関係を有す
る固有の犬として存在しているはずです。
机であれ、コップであれ、石ころであれ、固有でないものがあったら教え
ていただきたい。
唯一絶対的なものは“この私”だけではないのです。
まぁ・・・要は「この私」とは関係なく「この机」が存在しうるということを
示したかっただけなので。
関係に対する主体の先行性を否定するには、固有名を出すのがいい手なんじゃないかな。
もちろん実際に固有名で呼ばれないような個物も存在するよね。
一方で、一般名で呼ばれるような個物とか、固有名で呼ばれるような概念とかもある。
つまりは対象をどのようにとらえるか、という態度の問題なのであって、
固有名か一般名か、といった外形的な差は本質的な問題ではないんだな。
固有名を考察すると結構面白い着眼が出てくると思うよ。
例えば、「この私」は固有名で呼ばれたことで出現したものではないのか、とか。
「自己とは関係である」とはこのあたりにかかわってることではないのか、とか。
809 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 00:37:26
眠いんだけど、ここが盛り上がるのって
いつも、深夜から明け方なんだよなぁ・・・w
夜のお仕事の人が多いのかしらん?w
>>811 気にすんな
ペディグリーチャムで手を打とう
813 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 03:22:20
>>757 キミは一言で言って『アホ』だわ
なぜなら、一つ説明したら一つ忘れる
だから同じ事をグルグルグルグル説明しなきゃいけなくなる
もう面倒だわ
一応、一言で説明しとくよ
理解できんとは思うけど
この私は、この体 ではあるのだが
この体の物質的な特定要素によって、この私であったのではない
物質的に全く同じ体が存在しても作っても
それは、この私では有りえないからだ
故に、唯物論は間違いである という結論にしかならない
814 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 03:28:37
>探求者君
おしいなぁ・・・実に、おしい
少しわかってきたのかなと感動したけど
また勘違い始めたね
残念だ
>>813 「この私」を自覚してる時点で矛盾してる。
よって空論。
>>813 >この私は、この体 ではあるのだが
としても
>この体の物質的な特定要素によって、この私であったのではない
>物質的に全く同じ体が存在しても作っても
>それは、この私では有りえないからだ
というのは「あの私は、あの体」を言い換えただけじゃね?
817 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 03:53:42
>>815 キミは、自分を自分だと自覚できないのかい?
この私だと自覚できないの???
意味がわからん
>>817 私は確実性を以って私を自覚しているとは言えん。
主観で語ってしまうことになる。
819 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 03:59:39
・・・主観が嫌なら、
「この構造物が、自己の機能を認識している」とか・・・。
最高位君は
この私=この体
あの私=あの体
唯物論の典型だよな。
821 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 04:05:29
>>816 『あの私』じゃなく『あの人』『あそこにいる他人』だよ
あくまでも私ではない という意味
私が『この私』と説明した時に、いろいろな意味が発生してしまうんだけど
そこで、何を言っているのか理解しなきゃ反論が反論にならないんだよ
ただの屁理屈になるわけ
だから別の角度から解説しなおさなきゃならなくなる という繰り返しなんだよ
私が『この私』と言った場合
意味はたいてい『私』であって『この』は『私』を強調するためのものだよ
『私』というのは本来、『この』など付けなくても『この私』の事なんだからね
キミらが私が『私』と言っても、普遍的に誰にでも存在するであろう『自我』の事だと
勘違い、または「こじつけ」したりするから、あえて『この私』と表現したにすぎない
『この私』とは『私自身』という事だよ
『あの私自身』なんて言わないだろ
>>821 要は論破されるのが怖い負けず嫌い君な訳だ。
矛盾点を好い加減認めろ。
823 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 04:13:50
>>818 あはははははは!
>私は確実性を以って私を自覚しているとは言えん。
>主観で語ってしまうことになる。
キミは一番最初に何と言ってる?
私は と言ってるじゃないかw
んで、>主観で語ってしまうことになる
この主観 とは何?
主観だよ主観
主観で語っていいんだよ
人間には、主観しかないんだからね
主観以外で語りようが無い
それは『この私』って事だよ
『この私』の観
これが主観
人間は、自分というものから出る事などできない
自分の主観から出る事などできないんだよ
ちょっと分裂ぎみじゃないか?
病院行った方がいいと思うぞ?
最高位
単なる揚げ足取りじゃん
行き詰ると人格攻撃
最高位教の布教にしか思えん。
824>>
分かった。もぅ触らん
俺が悪かったorz
826 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 04:21:39
>>820 そこだけ取り上げてどうすんだよw
そこは前提の部分だろ
キミは典型的なアホだな
827 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 04:24:08
>>824 いやいや、別に人格攻撃してるわけじゃない
正直な気持ち
または、心からのアドバイスだな
揚げ足取りに感じるのは、キミに理解力がないだけなんだよ
>>821 君の「私」は君の「体」 であるよな?
君にとって、俺の「私」はどうなる?
>>827 アドバイスのわりには病院行けとか
バカとかね
自分を唯一神だとでも思ってる人間の典型的思考行動論理パターンだ。
どっかにあったな、そんな団体。
830 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 04:30:28
>>828 ん?
俺の「私」はどうなる?って???
知るかよw
キミはキミだろ
キミ自身だろ?キミの自我じゃないのか?
私とキミは別人だろw
そんな事すら整理できないのかよw
普通は人は、そんなこと人から説明されなくたって理解してるもんだぞ
常識的に普通に考えればいいんだよ
ホント大丈夫かよ
>>828 各々に私というものがある。というのが彼の主張である。
それ以上は日本語の解釈で色々変わるが概念としてはそのままだと思われる。
彼の主張については触れなくても結構。
一言多いのは仕様である。
832 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 06:27:29
最高位は最近デカルトのコギトを知りましたあーという普段本を読まない
中学生が、友達の揚げ足取りして喜んでるみたいな。
あはははは!が恐ろしく寒いよ。
こいつ実はいい歳のジジイなんだとか。実際のところ何歳なの?
この男・・・・大丈夫なのか?他に哲学者の本で誰の本読んだ?
書いてみ。
833 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 06:29:45
>>831 ふーん。そんな主張なの。それじゃ最高位ってバカじゃん。
結局、最高位さんは他者の存在を証明できません。
独我論です。最高位さんは、証明できないものを信じている個人宗教家です。
もし25歳を過ぎてるなら病院に行ってください。
835 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 06:37:21
彼は杜玖椀すら知らないようだねw
>>813 >この私は、この体 ではあるのだが
>この体の物質的な特定要素によって、この私であったのではない
>物質的に全く同じ体が存在しても作っても
>それは、この私では有りえないからだ
だ〜か〜ら〜w
「この私はこの体である」んでしょw
で、書き換えると
「この体は、この体の物質的な特定要素によって、この体であったのではない
物質的に全く同じ体が存在しても作ってもそれは、この体では有りえないからだ」
「この机は、この机の物質的な特定要素によって、この机であったのではない
物質的に全く同じ机が存在しても作ってもそれは、この机では有り得ないからだ」
ね、当たり前でしょw
ついでに「心」でもやってみようか。
あなたによると「心と体は『この私』という純粋なる存在性の二つの側面」だそう
だからw(
>>281)
「この心は、この心の精神的な特定要素によって、この心であったのではない
精神的に全く同じ心が存在しても作ってもそれは、この心では有りえないからだ」
ね、これは「この」という概念の定義からして当たり前(ほとんど同語反復)で、
体とも心とも私とも唯物論とも、な〜〜んの関係もないことが、わかるでしょw?
強いて言えば立場論かw
838 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 10:36:59
>>832 新しい事を教えてあげると理解できなくて
基礎から教えてあげようとすると、今度はソレかい
>>834 >結局、最高位さんは他者の存在を証明できません。
ふぅむ
キミは証明できるの?
だったら、その証明方法を聞きたいですね
ぜひ教えてもらいたいです
私はべつに、独我論でもありませんよ?
えっと
キミの言説には矛盾があるようですよ?
まず、私について
他者の存在を証明できない
のに、他者の存在を信じている宗教家である
と分析しています
これと
独我論です。 とは矛盾しています
独我論とは、他者の存在を認めない立場ですからね
矛盾しています
まぁ、それは置いといて
私の立場はこうですよ
「それらについては、今のところ論理的な結論が出せないので、保留しています」
「ただ、唯物論はまちがいである という事については論理的な結論が出ています」
「唯物論は間違いです」
と、いうことです
839 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 10:38:13
>>836 何回言ったらわかるんだよマッタク
ええ加減にせぇよ
この体 とか、この机 というのは物質なんだから、それは唯名論なんだよ
人間が、そういう価値観で認識し、そう呼んでいるだけで
ハッキリ、キッチリした定義などないのだよ
いい加減に理解してくれよ
この机を半分に切って、あの机の半分と取り替えたら
どっちが、この机なんだ?
この机 という概念は、その都度変わるだろ
しかし私にとって、この私 は常に変わる事などないんだよ
体だって同じだよ
臓器移植したら、所有者は変わるだろ
いい加減に少しは理解しろよ
マジで頭悪いなオマエラ
>>839 あ〜〜ん〜〜れ〜〜w?
あなたが
>>739で、
>『この私』というのは、現在にしか存在しない
と言ったから、
「異なる時点の同一性は問題にしなくていいのね、話が簡単で、ラッキーw」
と思ったのに、どうして「半分に切る、取り帰る、その都度変わる、臓器移植…」
と、「時間的変化」や「通時的同一性」の話に戻ってしまったのかな〜〜ww?
「通時的同一性」の話だったら、俺が
>>735-738で、
「この私の異なる時点における同一性は、この体の同一性によってしか定義できない」
と説明したでしょw
唯名論wで「この体なんてない」のなら、当然「この私の同一性なんてない」という
結論しか、出ないねw
「現在における同一性」の話だったら、もっと簡単で、
「この、という言葉の定義によって、この体(でも机でも何でも)は、同時に
複数存在できない。この体と違う場所にある体は、定義によってこの体ではない」
というだけのことでしょw
あなた、
>>749で、自分で認めているじゃないの。
>時空が同じだという事は、本人そのものじゃないかw
>物体が、重ねて作れるわけないだろ
ってww
だから、この体と空間が違う体は、定義によって他人なの。当たり前ねw
でも、本当はあなたはそういうことも言えないはずなのね、だって唯名論wで、
「この物体なんて、特定できないし存在しない」ということだからw
だから、
>>757-758で、
「それならこの体もあの体もこの私も他人もごたまぜになって、あるともないとも
言えなくなって、この私の純粋な存在性なんて吹っ飛んじゃうけど、いいのか?」
と質問したわけよ。あなたはごまかして答えないけどw
あれ、時間的変化を考えに入れても、現在の話でも、八方ふさがりだね。
さあ、どうしようw?
最高位しつこいぞ
おまえの話はどうみても「宗教」だ
>>842 いや、宗教でも何でもない。ただの論理的混乱w
844 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 11:59:05
>>840 しかし本当にアホだな
>>『この私』というのは、現在にしか存在しない
>と言ったから、
って
存在するのは現在だけだろ
過去の場合は、存在した になるんだよ
同一性の話なんかに話を逸らそうとするからね
今現在に存在する「私」という事だけで十分なんだよ
同一もクソもない
存在性だ
>「半分に切る、取り帰る、その都度変わる、臓器移植…」
って
それは、唯名論である事の説明であって
そのものの『本質』を説明しているわけ
存在性ではない事をね
唯名論であって、存在を定義できない という事
>「時間的変化」や「通時的同一性」の話
なんかに、べつに戻っていない
アホすぎるぞ
キミがドコを勘違いしてるのか考えるだけで、こっちは疲れるんだよ
なぜなら、かなり病理的な勘違いだから
845 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 12:15:03
>>841 あのね
キミは主観性というものを丸っきり考慮していないわけよ
全て『客観的』に、モノとしてしか『存在』を認識できないわけ
だから哲学的に限界があって
さまざまな角度からの考察を要するような、高度な内容は理解できないんだな
キミの課題は『主観性』だ
主観性を客観的に考えるんじゃなく
主観性を主観的に分析してみなさいよ
って、意味わからんだろけどね
私が『この私』と言ったからといって
『この』なんて関係ないんだよw
『この』なんて付けなくても『私』は『この私』なんだからねw
ただ『私』だけで表現すると
以前、普遍的に存在するであろう『自我』と勘違いしちゃう人が多くてね
誰かが『私』とは『この私』の事だろ と言ったから
「そうか、『この』と付けた方が理解できるならそうしようかな」と思って
『この』と付け加えただけなんだよ
そこにばかり、こだわってるキミらを見てると
笑えてきたw
846 :
1/4:2006/02/17(金) 12:24:07
そうか・・・
最高位の主張のポイントに、もうひとつ大事なところがあったねw
●『私がここに居る理由』(=『私の主観性がここに生じている理由』)はわからない。
少なくとも【物理的要素】・【物理的理由】によるのではない。
このスレに於ける参考例文集1
>>152 > 『この体』が『この私』だと
> 唯物論者を始め、一般的には唯物的に
> 普通に、そう考えているわけだが
> 実はそこには、何の原因的根拠など有りえない んだよ
> という事を説明してるんだよ
>>160 > 「この私はこの体であるが、それがなぜなのかはわからない」
> 「しかし、この私は
> この体の、何の物理的な要素によって『この私』であったのかを
> 解明しようとしても
> その根拠など、どこにも有りえない」
> 「したがって、人間の精神も物質による物理現象にすぎない とする唯物論という思想は間違いである という結論に至る」
> という事だ
>>239 > 『私』というものには
> 如何なる物理的「理由」や、物理的「原因」や、物理的「根拠」は・・・(残念ながら?)ありません。
> という事だもんね
847 :
2/4:2006/02/17(金) 12:24:42
参考例文集2
>>290 > 気が遠くなるほどの悠久なる宇宙の歴史の中で
> 地球の歴史の中で、人類の歴史の中で
> つい最近まで、私は存在しなかった
> 無であった
> ならば
> 無は無のまま 永遠に無のはずであろう
> それが原理原則
> 無は永遠に無だ
> しかし『私』は、どういうわけか
> 悠久なる歴史の中で、つい最近
> 『存在』するに至っている・・・
> たとえ『私』が物理現象であったとしても
> あったとしても、それが『私』であった根拠 など
> 『私』でなければならなかった必然性 など
> どこを探しても、そんなものは有りえない のだ
>>580 > しかし『私』は『私』という存在性として、疑う余地も無く『存在』している
> 何とも混ざり合う事も無く、変化する事もなく
> 純粋な存在性として存在している
> 物質とは明らかに異なる性質を持っているのです
> ここで、更に問題があります
> それがなぜ、他の人でなく
> 『この私』であったのか という事実であり
> その根拠はどこにもない という事です
848 :
3/4:2006/02/17(金) 12:25:18
更に文をダイエットさせますねw
>>152 > 『この体』が『この私』だ
> には、何の原因的根拠など有りえない んだよ
>>160 > この体の、何の物理的な要素によって『この私』であったのかを
> 解明しようとしても
> その根拠など、どこにも有りえない」
>>239 > 『私』というものには
> 如何なる物理的「理由」や、物理的「原因」や、物理的「根拠」は・・・(残念ながら?)ありません。
>>290 > たとえ『私』が物理現象であったとしても
> それが『私』であった根拠 など
> 『私』でなければならなかった必然性 など
> どこを探しても、そんなものは有りえない
>>580 > しかし『私』は『私』という存在性として、疑う余地も無く『存在』している
> 純粋な存在性として存在している
> 物質とは明らかに異なる性質を持っているのです
> それがなぜ、他の人でなく
> 『この私』であったのか という事実であり
> その根拠はどこにもない という事です
849 :
4/4:2006/02/17(金) 12:25:50
他の点も加えて要約してみますねw
イ:【私】は存在している。(そしてそれは、まさに、『いまここに居る!』感である?)
→無個性な『ただそこに(ここに)【在るもの】』でもないらしい。
少なくとも、普遍的ラベルとしての「私」では無いようだ。
>>580 > しかし『私』は『私』という存在性として、疑う余地も無く『存在』している
> 純粋な存在性として存在している
> 物質とは明らかに異なる性質を持っているのです
→『物質とは明らかに異なる性質を持っているのです』
だから、諸々の【関係性の上に顕現しているもの( こと)】という見方では駄目なの?
ロ:【物理現象】ではない。諸々の【関係性(そのもの)】でもない。【関係性の上に顕現しているもの( こと)】でもない。
→じゃあ何?
ハ:そうした【私】が、ここに居る【理由】・【根拠】はわからない。
→みんなと共通してるじゃんw 同意見じゃんw →おいらは「偶然以外の何があるの?」と発言したはずだw
>>285 ニ:少なくともそれは、【物理的要素】・【物理的理由】によるのではない。
→ここへ結びつく論理展開が不明。現時点では否定も肯定もできない、というのが妥当な発言ではないかい?
ホ:【私】は、【主観】・【主観性】とイコールで結べるもの。 →【主観】・【主観性】って何?・・・orz >>ALL
> 主観性を主観的に分析してみなさいよ
>>845 へ:唯物論 〔 ならば 〕、【私】が、ここに居る【理由】・【根拠】があるはずだ。
→この論理展開が不明。
ト :物理(現象)に則っている 〔 ならば 〕、ここに居る【理由】・【根拠】が物理的に説明できるはずだ。
→この論理展開が不明。
この文が適切かどうか、レスくださいなw
850 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 13:58:24
>>849 まぁ
そこまでバカだったら
もぉ、教えてあげられる事は何も無いわ
851 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 14:02:14
私ってなに?
「この」をつけろって言ったのは俺だがなw
最高位の言ってる主観は誰にでもあるようなものじゃない。
それは匿名の主観じゃなくて、「最高位」という固有名を持った主観のことだ。
ここははっきりさせておかないといかんよ。
最高位が言ってるのは「私にとって私の存在性は特別」ということなんだが、
周囲の人たちは「俺らにとってはお前の主観は『この机』と変わらん」と言っている。
そこで最高位は「そうじゃなくて、お前ら自身の主観を見ろって」と言うわけだ。
主観を主観的に見てるだけじゃ分かるわけないだろう。分かりたいと思うなら
客観的にも見なくてはならないし、最高位以外はみんなそうしてる。
>>849 >ニ:少なくともそれは、【物理的要素】・【物理的理由】によるのではない。
>→ここへ結びつく論理展開が不明。現時点では否定も肯定もできない、というのが妥当な発言ではないかい?
物理的要素に拠るものだとしたら、なんらかの物理的要素を変えることで
「最高位」が「最高位以外の何者か」にならなくてはならない。
しかし、どんな物理的要素を変えても「最高位」は「最高位」のままだ。
よって、「最高位」という個物を個物たらしめているのは物理的要素ではない。
と結論できるよ。否定は明らかにできる。
文系は文に修飾が多いから困る。
「この私」が唯物論ではとらえられない要素であることは明らかである。
俺が最高位に言いたいのは、それを客観的に見て個物(「この」性、固有名)として
取り出しても全く同様に唯物論ではとらえられないんだぞ、ってことだ。
「私の存在性」が特異なのかどうかはもうどうでもいい。
そんな特異性を示さなくても、唯物論の射程外を示すことはできるんだから。
>>844 >それは、唯名論である事の説明であって
>そのものの『本質』を説明しているわけ
>存在性ではない事をね
>唯名論であって、存在を定義できない という事
あ〜ん〜れ〜w、
「唯名論」とか「存在性でない事」の説明に、どうして「時間的変化」や
「通時的同一性」の話を出す必要があるのか、と質問しているんだけど〜w?
「現在」において唯名論を適用すると「この体」の自己同一性や存在性も
「この私」の存在性もふっ飛んでしまうけど、と質問しているんだけど〜w?
どうして答えてくれないの〜w?
まあいいやw とにかく時間的変化や通時的同一性は関係なくて、
「現在」の「机」や「体」や「心」については、「唯名論」で
その「存在を定義できない」から存在性ではない、
「現在」の「私」についてだけは、「唯名論」ではなくその「存在を定義できる」
から存在性である、というのが、あなたの主張だということでいいね。
だったら、「現在」の「私」の存在を、定義してみて〜。
「わかんないの、ほらキミの私だよ私」なんて、ダメよ〜。
「犬」を定義するのに、ポチを指し示してもダメなのと同じねw
定義って「言葉」だから。
(続き)
ちなみに、俺は簡単に「私」を定義できるよ。
「心が、自分自身と、自分と密接不可分だと(経験的記憶によって)感じている
物質の部分(つまり体)を、まとめて指し示す言葉。」
ね、簡単でしょ。
でね、「この私」と同じように、「この机」も、現在においては唯一それだけ
しか存在しないから、「純粋な存在性」なの。あなたは頭が悪すぎるから、
またまた例で説明するね。
>>713氏の例が秀逸だから、またまた借用。
ここにAさんからJさんまで10人の人と、机が10個ある。
人間も机も、全部形も大きさも性質もバラバラ。
で、まずAさんが1の机にしがみつく。そうするとAさんは「主観的にw」言うわけ、
「この机はこの机であって、他の9個の机は別の机だ!」
「この私はこの私であって、他の9個の体は他人だ!」とね。
次に、Cさんが5の机にしがみつく。そうするとCさんは「主観的にw」言うわけ、
「この机はこの机であって、他の9個の机は別の机だ!」
「この私はこの私であって、他の9個の体は他人だ!」とね。
次に、Jさんが7の机にしがみつく。そうするとJさんは「主観的にw」言うわけ、
「この机はこの机であって、他の9個の机は別の机だ!」
「この私はこの私であって、他の9個の体は他人だ!」とね。
あと何回繰り返しても、同じこと。
何か哲学ってよりも日本語の勉強になってないか?
(続き)
ね、「現在」においては「この机」は「この机」で、「この私」は「この私」
でしょ。世界で唯一絶対、それだけの「純粋な存在性」でしょw
「そのたびごとに、机も私も別のものと入れ替わっているじゃないか!」
というのは、異なる時点における同一性を問題にしているからで、
それを問題にしないで話を「現在」に限るなら、関係ないわけ。
「この机は、物理的性質によってこの机であるのではない」
(だってその都度別の机なんだものw)
「この私は、物理的精神的性質によってこの私であるのではない」
(だってその都度別人なんだものw)
ゆえに、「この机も、この私も、物理的性質によらない純粋な存在性である」
と。あなたの言っているのは、こういうことなのよ。
でも、実際には「この」という言葉が主観的にwしか定義できない言葉だから
そうであるだけなの。「この」というのは、「ある人間(私)が、今、
それを他のものと区別して指し示している」という意味なんだから。
でも、「このX」の「異なる時点における同一性」が問題になると、
もう主観的定義じゃだめで、物体としての時空的連続性によるしかないのは、
>>735-738で示した通り。Xが「机」でも「私」でも、同じね。
ね、この話全体が、唯物論とかとはな〜〜んの関係もないでしょ。
わかったw?
859 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/17(金) 15:03:49
>>855 あぁ、もぉ時間ないわ
キミと話してると理解力ないから、ラチがあかないわ
『私』を定義?
そんな事は、私にはできないよ
『私』は『私』だよw
それ以上の事はわかりません
じゃあさ
キミの『私』の定義に出てくる
『自分』というものの定義をしてくれるかな?
時間ないから、今日はココまでね
860 :
849:2006/02/17(金) 15:06:59
>>850 >>849のどこが、あなたの主張と違うのかを言ってもらわないと・・・orz
もう一度書くね
イ:【私】は存在している。
ロ:【私】は【物理現象】ではない。諸々の【関係性(そのもの)】でもない。【関係性の上に顕現しているもの( こと)】でもない。
ハ:そうした【私】が、ここに居る【理由】・【根拠】はわからない。
ニ:少なくともそれは、【物理的要素】・【物理的理由】によるのではない。
ホ:【私】は、【主観】・【主観性】とイコールで結べるもの。
へ:唯物論 〔 ならば 〕、【私】が、ここに居る【理由】・【根拠】があるはずだ。
ト :物理(現象)に則っている 〔 ならば 〕、ここに居る【理由】・【根拠】が物理的に説明できるはずだ。
>>852 なるほど・・。
まるで、自性や真如やアートマンみたいだなw
>>857 それは当然です。最高位の言っているのは単に言葉の定義の問題ですからw
>>854 あら、例を拝借しておいて何ですが、「この私」が唯物論ではとらえられない
要素であるとも、「この」性が唯物論の射程外だとも、思えませんが。
(私は特に唯物論者ではありませんけれどもw)
それは要するに「この」も「私」も、「心」の存在を前提にしないと
意味がない概念だ、というだけのことです。
そして、「心」は、直接的には世界で唯一「この心」だけなわけです。
他人というのは直接的には物質に過ぎず、「他の心」の存在はその物質から
間接的に推定する他ありません。というより、それが「自分」と「他人」の
定義だと言った方がいい。この問題を徹底させるとデカルト的懐疑になります。
しかし、「この心以外にも心が存在する」という常識を認める限り、
問題は「どうして心というものが存在するのか」「心と物質はどう関係
しているのかいないのか」という、古典的なものに帰着するでしょう。
これについては、無論唯物論でも他の論でも、十分な解答は未だありません。
「この私」というのは、仮に問題だとしても「唯物論の射程外」
なのではなく、「唯物論とは無関係」の問題だと思いますが。
>>861 まぁ無関係ってことなんだけど、そもそも唯物論が取り扱う領域ではない
という意味で「射程外」といっても別に間違ってないと思うよ。
だいぶ前にも言ったけど、唯物論ってのは「この」性や固有名を消去することで
成立する「認識のための世界観」なんだから、そこに個物がないのは当たり前だ。
>「この」も「私」も、「心」の存在を前提にしないと 意味がない概念だ、というだけのことです
んでこの部分なんだが・・・これを否定するために固有名を出してるんだけど。
固有名で指し示される個物は誰の心にとっても外部的だろ?
誰かの心が「第二次世界大戦」を「太平洋戦争」と理解して認識していても、
その認識とは関係なく「第二次世界大戦」は存在する。
「この」という私的に見える指示についても同じだよ。
それらは、「対象についての人々の振る舞いの一致において」存在している。
他人や私に「心」なんかあってもなくても、存在してると言えるんだよ。
>>862 >固有名で指し示される個物は誰の心にとっても外部的だろ?
ああ、そういう意味ですか。それは当然、というか、固有名で
指し示されるかどうかにかかわりなく、あらゆる物質は誰の心にとっても
外部的である、と考えるのが唯物論だと思いますが。
でも確かに私の言い方もおかしいですね。固有名だろうと何だろうと、
あらゆる言葉や概念は「心の存在を前提にしないと意味がない」に決まってますw
何というか、例えば書物に「第二次世界大戦」と書いてあれば、それを読む人は
それだけでどの「個物」を示しているのか特定できます。「太平洋戦争」でも、
「ジョージ・ワシントン」でも、同じです。
しかし「この戦争」とか「あの戦争」とか「この大統領」とか書いてあっても、
それを読む人は、その発話の主体が誰で、具体的にどんな状況で発された言葉
なのかがわからないと、どの「個物」を示しているのか特定できません。
つまり、「この」とか「私」というのは、発話の主体が特定されて、
それとの関係性が明らかにならないと、どの「個物」を示しているかわからない
言葉だ、ということを言いたかったわけです。確かに発話の主体に心があるか
どうかは、関係ないですね。ただ、普通「この〜」と発話する存在(人間)には
心がある、という先入観があったもので、すいません。
>唯物論ってのは「この」性や固有名を消去することで
>成立する「認識のための世界観」なんだから
これはちょっと意味がわかりません。唯物論は別に「この」性や固有名を消去
しなくても、成立する(正しいという意味でなく)と思いますが。
史的唯物論などというものもありますし(こちらは正しいとは思えないですが)。
むしろ、「この」性や固有名を消去しないと成立しにくいのは、
「科学的決定論」(あるいは物理学そのもの?)ではないでしょうか。
歴史に関する科学的理論は、すべてうさんくささをぬぐい切れません。
>>859 あらら、あなたが
>>839や
>>844で
>この体 とか、この机 というのは物質なんだから、それは唯名論なんだよ
>人間が、そういう価値観で認識し、そう呼んでいるだけで
>ハッキリ、キッチリした定義などないのだよ
とか
>存在性ではない事をね
>唯名論であって、存在を定義できない という事
とか言うから、存在性である「私」ならさぞキッチリした定義があるだろう、
と思って聞いたのに、「定義なんかできない」と答えられても、困っちゃうw
というか、定義というのは「言葉・名」であって「人間が何かを認識してそう呼ぶ」
ためのものなのは、当たり前だねw
俺もあなたと話していると、理解力がない上に意固地すぎてラチがあかないけど、
もう慣れてるから、平気w
865 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 17:38:39
>>862 微妙ですね。「第二次世界大戦」が存在したというのが、あなたの主観なのか
それとも客観的事実なのか。あなたは、後者だと主張しているのでしょう?
全く決ったことを考えるのか、
教育次第でどうとでも考えられるようになるのか、
少なくとも人間性があるのか。
全く決ったことを考えるとすると、なるべきよいことを用意するように計らうとよいのだろう。
教育次第なら、完全な教育を考えると、人間はどんどん進歩するだろう。
少なくとも人間がもっているものがあるとすると、そこから作っていくことが最もだろう。
>>863 「この」という要素は、発話者と対象との関係が明らかにならないとわからないんだけど、
ちゃんと考えると、この関係性が分かることはありえないだろうな。
君が「このモノ」と言ってる時に示している内容と、俺がそれを聞いて理解している
「このモノ」の内容が一致しているかどうかは絶対に分からない。
ただ、その対象に対する俺と君の振る舞いが一致しなかったときに、内容が一致して
いなかったことが分かるだけで、それ以外に内容を確認する方法がない。
だから、固有名だけじゃなくて「この」と指示される内容も、内容についての振る舞いが
一致しているという関係性の中にしか存在しない、と考えられるわけだ。
個物とはそのような実践のあり方に根拠をもった不確定なものであって、
だからこそ、物理的な記述で確定させることができないんですな。
俺が言った唯物論ってのは「物理的に記述できるモノしか存在しない」というような世界観。
これは「存在」についての定義という側面もあるから間違いじゃないんだが、
普通に認識されている「存在」の中にはとらえられないものもあるね、ってことです。
>>865 俺が「『第二次世界大戦』は存在する」と言ったのは、
「第二次世界大戦」という固有名で指示される内容が、誰かの心のあり方や
客観的(物理的)事実とは関係がないところで決まっている、という意味です。
別にガンダムの「1年戦争」でもいいわけですよw
869 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 19:46:02
礼は玉帛に非ざれば表われず、楽は鐘鼓に非ざれば伝わらず。
870 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 20:01:41
>>867 > 君が「このモノ」と言ってる時に示している内容と、俺がそれを聞いて理解している
>「このモノ」の内容が一致しているかどうかは絶対に分からない。
うそをついてはいけません。括弧の中は2つとも同じ記号列でしょう?
871 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 20:06:37
>>867 同じ記号列で記述したということは、
867は内容が同じだと考えているのでしょう?
872 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 20:08:56
>>867 A:「あしたは晴れます」
B:「あしたは晴れます」
AとBの内容は同じでしょう?
>>872 A:「あしたは晴れます」
B:「あしたは晴れます」
Aが2月16日の俺の発言で、Bが2月17日の君の発言だったら意味内容は違うでしょ。
オリンピック見ながらの発言だったら「明日のトリノは晴れる」かもしれんし、
悩み相談受けてるやつの発言だったら「明日の君の気持ちは晴れる」かもしれんよ。
意味ってものは記号だけで決まるものじゃないのです。
874 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 20:51:56
>>873 それほど極端でないけどバーワイズ&ペリーの
状況意味論とかね。
私が意味したかったことは、広義の記号でのコミュニケーション
には共同幻想がひつようだぜとゆーことです。
875 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 21:05:56
>>873 もうちょっと補足すると、記号が出現する前の人類は
non-verbalコミュニケーションで皆幸せだったのだよね。
もちろん、これも「記号」だけど。それが、脳の経済原理から
記号が出てきて、人と人の間にコミュニケーションの断絶が
出来てしまったのだよね。それをかろうじて繋ぎとめているのが
共同幻想なのだよね。
876 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 22:24:31
>>873 873はロジシャンかな。今はねロジシャンは流行らないよ。
今はマリックさんの時代なの。
米国では今でもコネクシャンなのよ。
877 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 22:32:55
>>873 悩んどるな〜〜悩んどるな〜〜悩んどるな〜〜〜〜
878 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 22:59:57
>>868 では「第二次世界大戦」というのは、だれがどこで決めたのですか。だれか
の心のあり方や客観的事実とは関係ないところで決まっている、とはどうい
う意味ですか。
879 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 23:13:03
>>878他
「第二次世界大戦」という言葉でなく、
「アイコ」という言葉で考えたら?w
880 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 23:20:05
>>874>>875 共同幻想なる言葉を“現象”を解くキーワードとして用いたのは吉本と
岸田秀でした。どちらであれ、このスレのテーマとどう関わらせるつも
りですか。
881 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 23:22:58
>>878 「第二次世界大戦」という固有名が何を指し示しているか。
これは誰が決めたってことはないだろうね。誰も決めてない。
ただ、慣習的に決まってるだけの話だし、いずれ変わっていくかもしれない。
俺らは客観的事実でも架空の事実でも、固有名をつけて認識することができる。
「もし第二次世界大戦でアメリカが参戦しなかったら」と言う場合のように、
実際に起こらなかった事実を固有名で指し示す事もできる。
かといって、「第二次世界大戦」で任意のものを指し示すことはできない。
まぁある程度は任意に示せるけど、完全に自由ではない。
誰かと振る舞いを一致させられる範囲でしか、意味を持たせることができない。
という事情を考察すると、固有名の意味内容は誰かの心にあるのでもなければ、
物理的客観的事実にあるのでもない、というほかないわけです。
883 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 00:11:46
最高位タソ、もう登場してもいい時間帯なんだけどなァ・・・w
機械タソも、めっきり顔出さなくなったねwww
884 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 00:59:39
共同は納得できる、ただし、しかもだ、他のことが加わると用意に認めることができるのか。
私が正しいと納得できるのだろうか。
886 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 01:16:58
だから、以前から書き込み続けている。www
「概念」「思想」(「家族」「学級」「地域社会」「国家」「世界」「宇宙」「公約」「愛」「喜怒哀楽」etc.)等を
A:物質と捉えるのが唯物論?
B:種々の条件によってそこに顕現した状態という見方は唯物論の範疇に入る?
「現象」「はたらき」等を
A:微小であろうとなかろうと物質だとするのが唯物論?
B:これらは物質ではなく、物質の様々な関係性であるとするのは唯物論の範疇に入る?
(勿論、脳内のことで言えば化学物質の伝達の複雑な構成やニューロンの発火等の上で成り立っているという見方で)
A:全ては物質である。
B:全ては物質と、物質相互の関係・作用によって成り立っている。
C:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っている。
D:全ては物質と、物質相互の関係・作用と、非物質的存在によって成り立っている。
E:全ては、あたかも夢を見ているかのように非物質的存在によって感じられているもので具体的個物は存在しない。
F:全ては、非物質的存在が具体的個物を存在(生じ滅し)せしめている。
G:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っていて、
物質は(物質の相互作用は)、非物質的存在を規定する(束縛する)。
H:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っていて、
非物質的存在は、物質を規定する(束縛する)。
I:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っていて、
物質と非物質的存在は相互に規定し合う(束縛し合う)。
J:全ては物質と、物質相互の関係・作用と、非物質的存在によって成り立っていて、
三者は互いに影響し合う。
887 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 01:33:26
ここでは、非物質的存在=霊・魂・神の意思etc. など、たま出版的なものとして・・。
888 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 01:42:46
>種々の条件によってそこに顕現した状態
に関してもう少し説明をお願いします。
890 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/18(土) 01:58:22
>>854 もう『この』というのは外して考えてよ
何度も言ってるけど『この』なんて付けなくても
『私』は『この私』の事なんだからね
意味がわかってるなら必要ないでしょ
今は、もはや付ける弊害の方が大きくなってきているよ
それとも、こだわってるところをみたら、未だに理解できてないのかな?
>「私の存在性」が特異なのかどうかはもうどうでもいい。
>そんな特異性を示さなくても、唯物論の射程外を示すことはできるんだから。
唯物論の射程外?? 何それw
唯物論というのは、大それた思想でね
原理的には、物理現象で世界の全てが記述できる としているんだよ
だから機械君みたいな決定論者や
マーボ君みたいに、未来のおとぎ話みたいなのを、真剣に妄想して結論づけて、行き詰っちゃう人がいるわけ
唯物論者は
原理的には、物理現象で世界の全てが記述できる
常に科学が進歩して行けば、いずれ
人間の内的な部分も含め、全てが物理的に解明される日が来る と信じている
信じているし、周囲に豪語し、宣伝しているんだよ
もともと彼らの頭の中には、射程外 などありません
彼らの目的は、全ての形而上学を否定し、宗教を否定し
ただ唯物的な価値観で統一する事
すなわち人間も、物体と同じ価値観にて扱う事なのですから
実は、まさに唯物教なのですよ
また、本人はそういう自覚をもっていなくても
唯物論的価値観で突き詰めていくと、そう成らざるを得ないんです
唯物なんですから、物体以外の価値観など有りうるのが、おかしいという話にしか成りえません
身近な日常において、射程外など存在すれば、それはすなわち唯物論の敗北を意味します
身近なものすら、物理現象で記述できないのですから
>>890 俺を批判してるのか唯物論者を批判してるのかわからんな、それ。
で、別に必ずしも「私の存在性」が特異であることを示さなくても
「この」性だけで唯物論の射程外を示せる、ってのには同意するん?
892 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/18(土) 02:24:57
>>890最高位さん
物理現象というより最終的に数式に置き換えられる(説明できる)ことを言うのではないでしょうか?
>>886さんの言われる事も無理やりにでも唯物(数式)に置き換えることは可能かもしれません。
が、その数式(演算して得られる答え)にその「意味」を求めた時点ですでに唯物論を離れてしまうのではないでしょうか。
893 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/18(土) 02:40:19
>>860 解釈は、だいたいよさげだが
問題は
>>849の、キミのコメントだよ
>>861 >それは要するに「この」も「私」も、「心」の存在を前提にしないと
>意味がない概念だ、というだけのことです。
キミは、この出発点が曖昧だね
我思う故に我あり という事が、突き詰めて考えられていないんじゃないかな
>「心」の存在を前提にしないと
と言いますが、前提にする と考えている時点で
それはいったい誰が前提にするのか という話になります
心が先か、前提が先か
言うまでもなく、「心が前提にする」わけですから、心が先に存在します
では、誰の心が?
『この私』すなわち『私』ですよ
私の心が、前提にする わけであって、決して『前提』は先行しません
894 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/18(土) 02:44:49
>>864 そういう事で定義しろと言ってたのかw
私が言った定義とか、定義できない というのはね
特定できるのかできないのか
唯名論であるのか、存在性であるのか という事であってね
意味を理解してくれなきゃ
文章を左脳でばかり分析しようとすると
真意がくみ取れない事が多々あるという事だよ
『私』というものは、純粋な存在性であって、別の言葉で置き換える事は難しい
実際、多くを語って、説明を繰り返しても、キミは理解できないんだしね
『私』は『私』だ
『私』という主観性そのものな『存在性』ですよ
全ての『他』を主観的に認識する基点になる存在性
これが『自我』であって、『私』というものは、その中でも・・・・
う〜ん 表現が難しいなぁ
『私』は表現できない程に『私』なんだな
存在性なんだよな
あってあるもの としか言えない
何の原因的根拠がありえないんだもんな
あってあるもの とは聖書によると、神様の事だよ
この存在性は、ある意味、そういう部分に触れざるをえない程に神秘的なわけ
お釈迦様ですら『天上天下唯我独尊』としか言えなかったんだよ
言葉には限界がある
全ての本質が、簡単に定義できればさ
ほとんどの人間はとっくに、お釈迦様と同じ悟りを開いているんじゃないか?
無理なんだよそんなの
あ、キミ答えてないけど
『自分』の定義もよろしくね
あと『心』の定義っちゅうのも頼むわ
簡単なんだろ?
895 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/18(土) 02:46:12
>>890 >何度も言ってるけど『この』なんて付けなくても
>『私』は『この私』の事なんだからね
(私も含め)誰でもそう考えております。
家族も、親類も、仲間も、同国人も、他のアジア人も、白人・黒人全部も、
チンパンジーも、メガネザルも、コアラも、アルマジロも、カエルも、マグロも、
烏骨鶏も、コモドオオトカゲも、ナマコも・・ヒトデも・・ということです。
「個体でこの地球上に生存している」生物は「その生存を脅かされれば脅かした『存在』
を抹殺する『権利』」を持っております・・・故に「個体は絶対的に孤独」なので、
なたにとって「あなた」が、一番重要であり且つかけがえが無いほどいとおしい『自己』
であることは・・・・よく理解できます。
ただ、あなたは、「客観性」という視点を持つことが出来ない結果「他者も同様である」・・という
「真理」を理解できないだけなのです。
896 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/18(土) 03:08:26
>>891 あの書き込みは、批判というよりは解説ね
唯物論の解説
私の場合、批判する時は、その根拠から順番に、論理的に矛盾点を説明しますよ
あれは解説です
『この』性???
『この』とか『あれ』とかの事?
『この』と認識してるのは、人間の価値観であって、単に唯名論じゃないの?
『この私』以外はね
何度も言うけど『私』には本来『この』なんて付けても意味は全く同じなわけよ
『この私』は『私』以外には存在せず
『私』と言えば、『この私』以外にはありえない
表現として『自我』の代わりに使って、キミにも『私』があるだろ とか言った事はあるけどね
そんなの考えれば理解できると思ってたけど
キミらは、その都度 混乱してたんだね
『この机』と『この私』では、本質からして意味が全く違うんだけど
これは理解できてる?
897 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/18(土) 03:15:47
>>896最高位さん
>『私』と言えば、『この私』以外にはありえない
その点が私の考えと全く反対なんですよね。
>>896 「この私」とは主観性であって、世界とその外側の境界にあるものだが
「この机」とは客観的な対象であって、世界の内側にあるものだ
という風に考えれば全然違うね。
で、俺の質問に対する答えは?
899 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/18(土) 03:21:04
>>892 唯識さん
実は『意味』も数式で表せなければ、唯物論は崩壊するんですよ
意味も人間の価値観、観念です
心が物理的に解明できるとする思想の性質上
また、それを豪語せざるをえない思想の性質上
『意味』も数式で記述できなければ
また、できる根拠を提出できなければ
それは論理的に崩壊するのです
>>895 機械君
またまた唯物論者らしからぬ発言ですねw
>「個体でこの地球上に生存している」生物は
>『権利』」を持っております
『権利』などという極めて観念的な価値観を
よく恥ずかしげもなく言えますねw
そんなのは形而上学ですよ?
道徳的、宗教的概念ですが?w
権利などという抽象的な概念が
物理的な法則として説明できるとお考えですか?w
900 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/18(土) 03:21:18
>>896 >『この私』は『私』以外には存在せず
>『私』と言えば、『この私』以外にはありえない
たしかに「そう」ですよね。しかしこの「主観性への引き籠もり」に対して、
どのような「引き籠もり対策NPO」が有効に機能するのかは疑問です。
「天上天下唯我独尊」の論理は「簡潔収束」し、棺桶に「この人の信条でした。」
と書かれる意味はあるかもしれませんが、・・・「真理」は「遙か彼方(別逆)」
だと思います。
皆さん、原始的な「自分の思い込み」を『哲学』だと標榜するのは勝手ですが、
「哲学」は・・・「真理だけ」を最終目標とする「学問」である・・という「定義」
・・・・・・これこそは「絶対的に変更出来ない」ことですね。
>>896 >『この机』と『この私』では、本質からして意味が全く違うんだけど
名札をぶら下げてる対象が、物であるか物でないか、ということ?
> 「概念」「思想」(「家族」「学級」「地域社会」「国家」「世界」「宇宙」「公約」「愛」「喜怒哀楽」etc.)等を
>A:物質と捉えるのが唯物論?
>B:種々の条件によってそこに顕現した状態という見方は唯物論の範疇に入る?
>
> 「現象」「はたらき」等を
>A:微小であろうとなかろうと物質だとするのが唯物論?
>B:これらは物質ではなく、物質の様々な関係性であるとするのは唯物論の範疇に入る?
> (勿論、脳内のことで言えば化学物質の伝達の複雑な構成やニューロンの発火等の上で成り立っているという見方で)
こういうのを、ゴッチャにするから、わけ分からんチンになる、ということ?
902 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :
>>899 >権利』などという極めて観念的な価値観を
>よく恥ずかしげもなく言えますねw
実際問題、「私は私でありかけがいがない」という「断定」から
いろいろなご高説を「私」ではない色々は方々に「講釈」する・・「神経」
が理解できない・・・のです。
要するに「自分さえよければいい」・・・という素朴な「開き直り」を
表明するなら、・・・他の他者は・・・自分のために操れなければ「消えて欲しい」
・・・といおう「思想」ですが・・・それは「ナチズム」より「高尚」な思想なのですか?