哲学ってつまりエンタテインメントでしょw

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1考える名無しさん
哲学者はエンターテイナー
評論家とかと同じエンターテイナーだよw
真理とか学問とかとは、存在する地平がまったく違うねw
他人を面白おかしくさせて楽しませる娯楽の一種だよw

だからさ、そこのところ自覚しな、エンターテイナーどもw
2考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:11:56
3考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:13:50
あー、いいこと言うなー、っていう言葉を紡ぎだす職人の道具だ。
4考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:13:54
>>1
ぼうや、杜玖椀をご存知かな?
5考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:14:24
哲学を学問のような高尚なかつどうだとおもってる思ってやってるばかたれども、

お前らがやってるのは、お笑い芸人と同じエンタテインメントなんだよw
6考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:14:26
また糞による糞スレか
7考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:16:48
くだらん。エンタの神様には絶対に出演できないよ。
8考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:19:48
哲学に学問的な価値は一切ない。これは断言できる。
でも、多くの人をひきつけるのは、それは、哲学が、エンタテインメント。
娯楽だから。

まっとうな理屈であり、いまや世界の常識だよ。
9考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:22:05

    -=・=-  -=・=-   クソスレが立つから俺が活躍してしまうのだよ?
10考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:22:54
どうやら、哲学がエンターテインメントに過ぎないということに
まんじょういっちのようですねw 
11考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:31:37
     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  先生!エンターテイメントは哲学を越えてます!
 _ / /   /   \  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\  \_______________
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  
    .||          ||
12考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:37:16
>>10
結局、杜玖椀もしらネェんだろ? 馬鹿ですか?
13まゆ:2006/02/08(水) 00:41:57
栗原信義さんってセックスした事あるの?
女性とおつきあいした事あるの?
だってあんな野豚面で、支離滅裂な話を延々としておまけに体臭と口臭がひどいし、気持ち悪い事この上ないわ。( -_-)ノ
パパイヤ鈴木激似のあの濃厚アラブ顔とあの早口ノンストップ喋りほんとに気持ち悪いわ。(>_<)


ちゃんとお風呂入ったら?
あかね来る前に歯みがきしてきて!(>_<)ノ


栗原さんは常に左翼小児チンポでしか物事を思考できないバカな男ね。
( -_-)yー┛〜〜


14考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:57:12
>>1
哲学の定義はこちら。

哲学とはなにか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1128892886/

哲学は学問じゃないと哲学を馬鹿にしたければアンチスレで。

【哲学を】アンチ哲学総合スレッド【糾弾しる!】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1113878384/

















終了。
15考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:21:53
終了とはなんぞや?
16考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:28:59
いい視点だね。
哲学は小説と大して変わらない、そして小説は
自分の妄想を面白おかしく書いているだけのエンターテインメント。
つまり、哲学もエンターテインメントということか。
17考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:36:43
そう、哲学は学問ではなく、娯楽である。
18考える名無しさん:2006/02/11(土) 01:31:10
いや、哲学こそ工学なんだよ。
19恵理万太郎:2006/02/11(土) 08:48:47

_____________________/ ̄ ̄ )__________
______________ __/  _/______/\
_______________/ /∪__, ---、_, -''/
____________/ /____\ /    \_/ \
__________ \ \_______| .、,.、,.、,、,、,‖\  \
_________  __\ \ //|| Ф  Ф||> ∪   \   
____ノ⌒ヽ \ //  .ヽ、±_ノ   _____ヽ__) 
_(__  ( ノ_____\____ ノ\  \     
__   \  \______/  /_______\   )  テクノロジーでつよ?
____   _\  \/   /___________/ ノ
___________ __\   / ______∩/ /
        _\/   /    /
              (___/
20考える名無しさん:2006/02/11(土) 09:49:33
哲学は自己満の世界
21考える名無しさん:2006/02/11(土) 11:56:51
         ___
         ,;f     ヽ
         ...-ー -─
        |    /∪ヽ |  
        ヽ  `=ニ= ' /   果たして本当にそうかね?
         ヽ_.._`ニ_ /
         __,l    l、__   
22考える名無しさん:2006/02/12(日) 00:57:29
真理とはまったく関係ない娯楽の一種。
娯楽にもいろいろなジャンルがあるじゃん。
コント、漫才、アニメ、TVドラマ、小説、そして、哲学
23考える名無しさん:2006/02/12(日) 01:07:16
>>22

それらは全て工学なんだよ。
24考える名無しさん:2006/02/12(日) 01:09:04
なんでも工学でつ!
25考える名無しさん:2006/02/12(日) 19:15:30
26考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:19:40
>1さん

「哲学はエンターメントである」というのは、哲学は人を楽しませるのが一番の趣旨で成り立ってるということですよね。

私は、少なくとも哲学の仕事の一部は、エンターテイメントに入らないと思います。

まず、哲学の仕事の内には科学の正当化があります。

(観察、仮説、実験、理論化という課程からなりたつ科学的方法がどうして正しいのか、という問題を解くこと。
 科学理論というのもやはり言葉と数字で組み上がっているだろうと思うんだけど、それが世界のありのままの姿を本当に表現できてるんだろうか。
 というのも、紙の上の数式と月が今日も空を上るということは、あまり似ていない。
 少なくとも眼前の風景とその風景の写真とがどことなく似てる、というほどには。
 この問いは科学的方法の正当性を問うているので、科学の問題というより科学哲学の問題と見なされると思うんです)

そして科学の正当化を目指すこの特定の哲学議論は、人を楽しませる為ではなく、科学を正当化するためにあります。

(この問題への議論と回答は、聞いてて、あるいは読んでて楽しいだろうか。
 この哲学議論の趣旨は答えを見つけることで、人を楽しませることじゃないと思う。もしこの哲学議論の趣旨が人を楽しませることにないなら、少なくともこの議論はエンターテイメントではない。)

だから少なくとも、哲学にはエンターテイメントでないところもあると思います。
27考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:26:18
哲学が科学を正当化するって?
頭悪すぎ、というか妄想もはなはだしいよ。
哲学が有史以来、そもそも、何かを正当化したことが一度たりとも会ったんですか?
わらっちゃうね。

その正当化ということも娯楽の一部(どの説明が一番面白いか、奇をてらっている妄想か)
というレベルの議論に落としてしまうのがまさに哲学だといっているのです。
2826:2006/02/13(月) 02:24:28
>>27さん

哲学と娯楽は求めているものが違うので、ごちゃまぜにしない方が良いと思います。

○正当化
27さんにとって議論を正当化するというのは、議論を全く反対出来ないものにすると言う意味なんでしょうか。
もしそうなら、確かにこれまでの哲学の議論は大概反対の意見をあげれるものだと思いますので、27さんに同意できると思います。
ただ、何かを正当化するって言うのは、「とりあえずそう考えていいんじゃないか」と思えるくらいの理由をあげることだとも考えられます。
もしそうなら、何かの考えにまともな理由を挙げる限り哲学は物事を正当化してると思います。

○楽しさ
学問はおおむね楽しいもので、哲学も学問である以上、この楽しいというところが娯楽とは似ています。
ただ、目指してるものが娯楽と違います。哲学は答えを見つけることが目的で、答えが主産物、楽しいのはその偶然の副産物です。
だけど娯楽は楽しみが目的で、楽しみが主産物です。



おっと。もし27さんが1さんと同一人物でしたら、最初から哲学を学問とは認めていらっしゃらないんでしょうか。
あと、27さん、哲学と娯楽が同じものとお考えなら、それぞれの特徴をあげて、そしてその特徴が一々一致することを示して頂けると助かります。
29考える名無しさん:2006/02/13(月) 05:27:18
>ただ、何かを正当化するって言うのは、「とりあえずそう考えていいんじゃないか」と思えるくらいの理由をあげることだとも考えられます。
>もしそうなら、何かの考えにまともな理由を挙げる限り哲学は物事を正当化してると思います。

これをまさに厳密にやっているのは諸科学でしょう。
哲学がそれに付け加えてなにをやっているのですか?、
わかりやすく皆さんに宣伝するのがいいほうで、
ポストモダンなどを見るにつけもはや面白おかしく、勝手な解釈をふりまく
つまりエンタテインメントとしてしか肯定しえないものといっていいでしょう。

>○楽しさ
>学問はおおむね楽しいもので、哲学も学問である以上、この楽しいというところが娯楽とは似ています。
>ただ、目指してるものが娯楽と違います。哲学は答えを見つけることが目的で、答えが主産物、楽しいのはその偶然の副産物です。
>だけど娯楽は楽しみが目的で、楽しみが主産物です。

いえ上の主張からわかってもらえると思いますが、哲学はごみです。
ですが、エンタテインメントとしてみるならばぎりぎり肯定できるようなものであり
つまり、ごみっていうのはちょっとなっていうものになりえるのです。
30考える名無しさん:2006/02/13(月) 05:29:40
ですから、ぼくは、哲学を最大限肯定的にみなしていこうという涙ぐましい努力の果てに

哲学=エンタテインメント

をみいだしたのですw
31考える名無しさん:2006/02/13(月) 05:38:57
全米が引いた!
32:2006/02/13(月) 05:42:03
バカか?
エンターテイメントにすら成ってない程度のものを、エンタテイメントだと
断定するなんて欺瞞もいいところだ。うそつきのバカとしか思えない。
33考える名無しさん:2006/02/13(月) 07:20:26
全ての事象・行為がエンタテインメントになりうるのだよ
ことさら言い立てるほどのことでもないな
34考える名無しさん:2006/02/13(月) 07:28:59
これもまたなんでもなんですねw
35考える名無しさん:2006/02/13(月) 17:52:40
なんでも哲学でつよ?
3626:2006/02/13(月) 17:58:25
こんにちわ。えーと。

>>1 さん
>>27さん
>>29さん
>>30さん

は、こういう風にお考えだと思って良いですか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1、三つの種族。まず、三種類のものがある。学問、娯楽、ごみ。学問、娯楽、ごみの順にものの値打ちが下がる。
学問とは真理の探究、娯楽は楽しみ、ごみは役立たずだ。

2、哲学の分類。哲学はかろうじてごみでなく、娯楽だ。
哲学は真理を探究するものではないので、学問ではない。
哲学は人を楽みだ、よって娯楽だ。
哲学は人を楽しませることに多少役立つので、ごみではない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こういう風にまとめてしまうと、当然、「娯楽は楽しみだが、全ての楽しみが娯楽ではない」
という反論があがってしまうので、よろしければ、どなたか補足お願いします。

それじゃ。
37考える名無しさん:2006/02/13(月) 18:29:45
「・真理・を探究するもの」が学問である、とする。
その前提に立てば、およそ、すべての「学問」が、学問たりえなくなるよ。

ここで、もうひとつの条件が必要になる。
「・真理・を探究する、という場合の・真理・とは何か?」、
または、「探求されうる・真理・とは何か?」

この・真理・に、・読む人/見る人を:楽しませる:・という要素命題を代入すれば、
哲学も、科学も、エンタメも、等価になる。
もちろん、「・楽しませる・とは何か?」という命題を紐解く必要が新たに必要になるが。
38考える名無しさん:2006/02/13(月) 18:52:47
泥酔の失禁に近いものがあるのだろう
39考える名無しさん:2006/02/13(月) 19:30:52
哲学をエンターテイメントとして捕らえ、
哲学書をエンターテイメントとして読むことは可能である。
だが、断じて哲学はエンターテイメントではない。
4026:2006/02/13(月) 20:33:46
どうも。

>>37

ご指摘ありがとうございます。

真理については、ここは無難に「そのとおりであること」でいいのでは?
学問は「そのとおりであること」を探求する。

(注:これは>>1 さん >>27さん >>29さん >>30さん の考えとしてあげているので、
1−30さんはそれは誤解だと思うならどうぞおっしゃってください)


あと、例え哲学、科学、エンタメが「楽しみ」要素を共有したとしても、
その他の要素を共有してるとは限らないので、
楽しみ要素を共有しているというだけでは、
哲学、科学、エンタメが同類とは言えても等価になるとはいえないと思います。

…あーでも、そっか、三つとも「楽しみ要素を持つものの同類」
とは言えるってことは「だからエンタメだ」とくるでしょうか
でもエンタメってそんなに広い意味持ってたましたっけ。
なんかもっと狭いはずですが。


>>39

「哲学はエンタメ要素を含むかもしれないが、
 エンタメが全哲学を含むわけじゃない。」
ということでしょうか。
41考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:45:49
近い将来さ、エンタメに、科学、哲学等の要素が含まれていくようにも思える。
それだけの可能性をエンタメのほうが持っているように思える。
楽しみ、震撼、妖しい魅力、惑溺、等々、エンタメの方が、概念として科学や哲学よりも器が大きいかもね。
42考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:48:02
わかった、哲学はジジェクのいう<享楽>なんだよ。きっと。
43考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:49:27
>42
少なくとも、哲学は、うんうん唸りながら学ぶものではないね。
44考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:52:57
くだらん。
「学」という文字がついてるうちは、何を言っても無駄だ。
哲学は「哲っちゃんバカ語録集」とかそういう名前にしろ。
45wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/13(月) 21:02:40
「哲学は智へのエロスである」、とすれば、
今のではなく将来の発展形としてのエンタメには包含されていくかもしれないですね。
そのときのエンタメは、メンヘルあり、「およそ語りえないものは存在しない」等のミクロコスモス有り、
先験知と経験知との葛藤有り、等々が、こむずかしい活字や論理記号一辺倒ではなく、
CG有り、1/fのゆらぎ映像/音楽有り、その他諸々の環境が提供され、個々人固有の思考空間を提供できるような、
ものすごいものになっていると思う。
これは、エンタメ側から来るウェーブだと想定されますね。
まだ、ヴィヴィッドなイメージはつかみかねますが。
46wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/13(月) 21:04:54
>>44
そういうことを書き込んでいるから、θ波、Δ波ばかりで、α波が脳から出てこなくなるのだよ。
47:2006/02/13(月) 22:56:05
非科学的バカ。θ波が何なのかも分かってないバカ。
48考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:28:50
と言う根拠は?
49考える名無しさん:2006/02/14(火) 00:17:04
>>47
的確な自己分析乙
50考える名無しさん:2006/02/14(火) 00:40:06
51ハラカミ:2006/02/14(火) 03:00:41

異常プリオンって言葉は、去年初めて聞いたんですよ。
焼肉屋で「最近は、背骨が混入してましたよね?」って言われて。
「何ですか、それ?」って。とりあえず、病院いって検査したんですけど、
スポンジ状で(笑)
ビッコ引いて歩いてるだけじゃん。
なんで焼肉屋に指摘されたのかなって‥‥、
僕がめっちゃヨダレ垂らしてるからなのかもしんないんだけど
52考える名無しさん:2006/02/14(火) 03:15:36
哲学はエンタメと呼ぶには周囲の興味を無視した自己満足に努めているから
ダメよ、ダメダメ
53考える名無しさん:2006/02/14(火) 03:24:59
哲学とはドキュメンタリーである、と感覚サイドから述べて嘲笑われようかしら
5426:2006/02/14(火) 08:55:14
科学正当化議論はちょっと私には大きすぎました。すみません。

私は哲学エンタメ同然説に反対します。
エンターテイメントは受け身で楽しませてもらうものですので、議論への参加が必要な哲学たりえないと思います。
エンタメは受け身で楽しめばエンターテインされてると言えます。
しかし、哲学は哲学議論を聞いているだけでは哲学してると言えないのです。
聞いてる、とは言えるとおもいますが。
また、エンタメ作家は、エンタメを作っていると言えますが、
エンターテインされてるとは言えない。
しかし、哲学者は哲学議論をしていれば哲学してるといえます。

要するに議論に参加することが哲学することには必要で、
最終的に受け身で良いエンタメはこの哲学の特徴を含みきれないと思います。

>>41さん
それは、エンタメというものの中に科学実験や哲学議論が入ってくるという意味でしょうか。
それとも、エンタメの中に、化学実験や哲学議論の成果が補助的説明として入ってくるということでしょうか。
表現手段、という意味でエンタメという言葉を使ってらっしゃいますか?

>>45 wisteria1さん
エンタメがその表現性を発達発揮することで、この世の本当のあり方を判りやすく巧みに表すようになるだろうということでしょうか。
それと同時に、エンタメは、この世の本当のあり方を研究して議論し、正しいことが合意される、という手順が含まれるようになると思いますか?
55wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/14(火) 14:25:14
>>54
<>>45 wisteria1さん
エンタメがその表現性を発達発揮することで、この世の本当のあり方を判りやすく巧みに表すようになるだろうということでしょうか。
それと同時に、エンタメは、この世の本当のあり方を研究して議論し、正しいことが合意される、という手順が含まれるようになると思いますか?>

少なくとも、その表現力、情報量/質の可能性において、私は、エンタメの方が優位性を持つことに期待しています。
ある文学者は、宇宙には、発光手段だけで、思考、思惟等を表現し、意思疎通をはかることができる生物がいるかもしれない、そうであれば、これほど不自由な地球上の不便且つ不合理な方言等はいますぐにでも捨てたい、と書いています。
この苦衷の1/100くらいは感得できます。

それと、エンタメが、「この世の本当のあり方を研究して議論し、正しいことが合意される、という手順が含まれるようになる」かに関し、
少なくとも、今の言語/論理式などだけのプアで一方向のテキストだけの書き物よりは、
言語/記号+αの表現手段(3Dグラフィックス/CG/音楽/その他)、インタラクティブ性、その他これから開発されるであろう全く新規の表現手段、等々を駆使した「哲学コンテンツ」の方に分がある、と想定されます。

但し、哲学それ自体のコアの部分が変容するかに関しては、全くわかりません。
但し、表現手段の変容は、おうおうにして、その目的/内容自体の変容と相互浸透的なものです。
その場合、前レスで書いたように「エンタメに哲学が内包されていく」事態もあり、と思います。

いずれにせよ、今の哲学の停滞は、そのメディアの貧困さ(大多数の人は哲学書を1頁見ただけで放擲します)に因るところ大であり、憂慮すべきであると考えています。
56wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/14(火) 14:56:57
ま、そういうものができるとしても、哲学コンテンツは、
一番最後に回されるのでしょうが。
(金にならないから。)
57考える名無しさん:2006/02/14(火) 15:10:08
>>47
そういう揚げ足とりみたいなことばかり書いてるから、あんたの頭からは、Β波ばかり脳からすりすり出てくるんだよ。
58考える名無しさん:2006/02/14(火) 15:16:19
α波:没頭・集中・瞑想
β波:通常・緊張・心配事
θ波:まどろみと意識の間
δ波:熟睡中・無意識
59考える名無しさん:2006/02/14(火) 15:25:12
δはΔじゃな
60考える名無しさん:2006/02/14(火) 15:26:13
>>47は、酔生夢死状態でつw
6126:2006/02/15(水) 07:15:44
>>55さん

レスどうもありがとうございます。
「エンタメとは表現手段であり、エンタメの表現手段を取り入れることで哲学の再生を図られる」ということでしょうか。

申し訳ありません。どうもよくわかりませんでした。
よろしければもう少し、哲学がエンタメに属すか属さないか、
あるいは哲学はエンタメそのものかそのものでないか
あるいはエンタメと哲学は同じ要素を含むのか
といったところに説明をしぼって頂けると助かります。
この哲学エンタメ同然説はそれぞれの表現手段が中心問題ではなく、
それぞれのものそれ自体が何であるかが問題であるように、私には思われるんですが。
いかがでしょう。
62wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/15(水) 15:06:03
>>61
簡略にすぎるかとは思いますが、「・快・を求めるもの」、または、「・不快・を無化するもの/忘却の底に沈ませるもの/快に転位させるもの、・・・等々のもの」をエンタメの必須要素とすれば、哲学の要素も同根/同じものを目的とするものだと思います。
63:2006/02/15(水) 15:20:16
なんじゃそりゃ・・・
頭わるそ
64考える名無しさん:2006/02/15(水) 15:47:24
>63
kwsk
65考える名無しさん:2006/02/16(木) 01:24:55
生きるうえでなんの役にも立たないことはよくわかってる。

少なくとも、俺は今まで哲学を楽しいと思ったことは一度もない。
66考える名無しさん:2006/02/16(木) 12:19:11
>>65
楽しくもないんだったら、なぜ「哲学をしてる」の?
67考える名無しさん:2006/02/16(木) 12:38:18
きっとマゾなんだよ。w
68wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/16(木) 15:07:26
>>62
あと、ちょい下品かもしれませんが、「なんじゃー! こりゃー!!」というできごと一般に遭遇したとき、その「事実」を、自分が納得できる地平/論理/命題にまで、ときほぐしていく/一般化させていく、という営為一般は、エンタメも哲学も同じだと思います。
69wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/16(木) 15:09:56
エンタメも哲学も、「はじめに、・なんじゃー! こりゃー!!・ ありき」、です。
70考える名無しさん:2006/02/16(木) 17:13:07
「禅問答」好きなんですが、哲学?
7126:2006/02/16(木) 21:57:07
wisteria1さん

お返事ありがとうございます。

>>62「『快』を目的としてるということが哲学とエンタメの共通要素」
>>68「未知のものを説明しようとする点も哲学とエンタメの共通要素」


という風に受け止めました。
これで「哲学とエンタメは『快の追求』と『未知の対象を説明する』という共通要素として持っている」ことになりますね、もし上の二つが本当であるなら。
もしさらに、この二つの要素が哲学の全てで、同時にエンタメの全てなら、二つは同一のものだ、といえると思います。
この同一のものが二つの別々名前「哲学」「エンタメ」を持っているのは、まったく僕らの言語の偶然で、実は同じもののことを言っていたんだ、というわけで。
そう思われますか?
これだけが唯一の選択ということはなく、哲学がエンタメの「中に」に分類されるとも(「哲学は限定つきエンタメだ」)
二つがそれらとは別のより大きな項目で括られるとも(「哲学とエンタメは『快楽追求』に括られる」)
まだまだいろいろな考えかたができると思います。

私は、哲学とエンタメの二つにただ共通要素があるというだけで、哲学はエンタメ同然だというのは迂闊だと思います。上の二要素が両者の全てではありません。
>>54の繰り返しになりますが、「受身に小説を読むことはエンタメ(娯楽)である」というのと同じように、「受身に哲学書を読むことが哲学である」と考えるなら、それは誤りだと思います。
哲学的活動の根本には「議論に参加することで真理を言葉で表そうとすること」があって、基本が受身のエンタメ(娯楽)にはこの要素がないようです。
もちろん能動的な参加型エンタメもありましょうが(将棋とかチャット)、それらがエンタメであることにとって一番重要なのは「楽しませてもらってること」なんです。
哲学にはエンタメにはない要素があるので、哲学はエンタメと同然ではありません。


>>1さん、まず、エンタメとは何か教えてください。私がエンタメを狭く捕らえすぎてるだけかもしれない。どうでしょう。やっぱり「哲学ってつまりエンタメでしょw」ですか?
72wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU
>71
受動/能動で区分けするのであれば、(インタラクティブの)エンタメも、哲学も、参加/批判的に読む、という行為においては、確たる相違点は見出せません。
両者の要素をひとつずつ抽出し、不可識別のものは同一としていく操作を繰り返し、残存する相違点とは何か、ということになりますね。
私は、この相違点には無頓着です。
エンタメ側から、将来、この相違点を克服し、哲学を包含していってくれることに淡い期待を持っている、ということだけを書いてきているつもりです。
今の「哲学」の主たる担い手たちにはなんの期待も持てません。
考えようとしている軸は、哲学の「民主化」、「一般化」、「汎化」です。
可能性においては、エンタメの方に分があると思います。
というか、今の哲学には、前述の「軸」に関しては、何の期待も持てません。
読める/読む人だけが読めばいい、という地平から、一歩でも出ようとする気概も見出せません。