サルトル(ジャン=ポール・サルトル〔1905-1980〕) 285 :
考える名無しさん :2009/01/12(月) 19:24:43 0
(;o'`o;;+)ハ〜ァ!Pikarrrのせいで洗濯物乾いてねーしッ!! プルプル
286 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/02/06(金) 17:28:06 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ!
287 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/02/06(金) 17:29:08 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ!
288 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/02/06(金) 17:30:09 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ!
289 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/02/06(金) 17:31:10 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ!
290 :
考える名無しさん :2009/02/06(金) 17:32:35 0
もう一回ゼルダヘ
291 :
巣穴 :2009/02/19(木) 09:49:31 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
292 :
巣穴 :2009/02/19(木) 09:50:06 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
293 :
巣穴 :2009/02/19(木) 09:50:52 0
「一つ」と大時計が云つた。 「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。 「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。 「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。 「十一」と大時計が云つた。 「十一」と皆が合槌を打つた。 「十二」と大時計が云つた。 「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。 「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。 「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。 「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
294 :
考える名無しさん :2009/02/19(木) 09:54:29 0
ほらそこー
295 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/02/20(金) 12:52:08 0
>>284 《われわれは、決して、自己を作りつつある選択としてしか、自己自身をとらえることができない。》
その直後の文章で、《むしろ、自由とは、単に、この選択がつねに無条件であるという事実である。》と書いています。
また、同1114〜115頁において、《この選択が不条理であるのは、この選択が理由をもたないからではなく、選ばないこともできるという可能性が存在しなかったからである。》
《選択は、すべての理由のかなたに存在するものとして、不条理である。》
サルトルがここで書いているのは、存在=選択の普遍的な偶然性からの不断の脱出=自由、ということです。
自殺も、また、選択の一つであり、存在することの肯定である、とも書いています。
私は、人間存在(私-たち)の外部に、即自としての所与、与件などは置けない、というように読んでいます。
296 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/02/20(金) 12:57:17 0
>>295 ただし、「なにがしかの所与としての条件を受入れざるをえないのも人間存在の必然性である」ことも事実であるというふうに思います。
297 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/02/20(金) 13:22:06 0
もちろん、私が読めた限りでは、>296のような「逃げ」を、「存在と無」の中で見出すことはできませんが。
298 :
渚 :2009/04/23(木) 11:39:39 0
ランペスのライザ(Liza of Lambeth、1897年)田中西二郎訳、北川悌二訳 講談社文庫 魔術師(The Magician、1908年)田中西二郎訳 ちくま文庫 人間の絆(Of Human Bondage、1915)中野好夫訳 新潮文庫、守屋陽一訳 角川文庫、厨川圭子訳 旺文社文庫、行方昭夫訳 岩波文庫、北川悌二訳 講談社文庫、大橋健三郎訳 世界文学全集 河出書房 月と六ペンス(The Moon and Sixpence、1919年)厨川圭子訳 角川文庫、中野好夫訳 新潮文庫、竜口直太郎訳 旺文社文庫、阿部知二訳 岩波文庫、北川悌二訳 講談社文庫、大岡玲抄訳 小学館、行方昭夫訳 岩波文庫、土屋政雄訳 光文社古典新訳文庫 アシェンデン(Ashenden、1928年) 河野一郎訳 新潮文庫、ちくま文庫 加島祥造訳 <ハヤカワ・ポケット・ミステリ>早川書房、篠原慎訳 角川文庫、中島賢二・岡田久雄訳、岩波文庫 秘密諜報部員 竜口直太郎訳 創元推理文庫、東京創元社 1956 お菓子とビール(Cakes and Ale、1930年)上田勤訳 新潮文庫、厨川圭子訳 角川文庫、竜口直太郎訳 旺文社文庫、 劇場(Theater、1937年)竜口直太郎訳 新潮文庫、中野好夫訳、集英社 山荘にて(Up at the Villa、1941年)※邦題『女ごころ』中野好夫訳、竜口直太郎訳 新潮文庫、 剃刀の刃(The Razor's Edge、1944年)斎藤三夫訳 新潮文庫、中野好夫訳 講談社文庫、ちくま文庫 昔も今も(Then and Now、1946年)清水光訳 新潮社全集13 カタリーナ(Catalina、1948年) 大久保康雄訳 新潮社全集14 「モーム短篇選」 行方昭夫編訳、岩波文庫上下
299 :
渚 :2009/04/23(木) 11:40:35 0
信義の人(A Man of Honour、1904年) フレデリック夫人(Lady Frederick、1912年) ジャック・ストロー(Jack Straw、1912年) ドット夫人(Mrs Dot、1912年) ひとめぐり(The Circle、1921年) おえら方(Our Betters、1923年) シェプー(Sheppy、1933年) 「夫が多すぎて」 海保眞夫訳 岩波文庫
300 :
渚 :2009/04/23(木) 11:42:11 0
読書案内(Books and You、1940年)西川正身訳、岩波新書、文庫 世界の十大小説(Ten Novels and their Authors、1954年)西川正身訳 岩波新書、文庫 ドン・フェルナンド(Don Fernando:or Variations on Some Spanish Themes、1935年) 増田義郎訳、原書房 人生と文学 (The Writer's Point of View、1951年)龍口直太郎訳、全集27
301 :
渚 :2009/04/23(木) 11:42:59 0
要約すると(The Summing up、1938年)中村能三訳 新潮文庫、「サミング・アップ」行方昭夫訳 岩波文庫
302 :
考える名無しさん :2009/04/23(木) 11:44:03 0
電撃文庫創刊に際して
303 :
考える名無しさん :2009/04/23(木) 19:40:35 0
ポルポト政権って、中国外に流出した文革だろ、 文革擁護のサルちゃんって、どこ見てんのさー あー、もともと焦点あってねーか。
304 :
考える名無しさん :2009/04/23(木) 19:42:20 0
305 :
考える名無しさん :2009/04/23(木) 19:52:23 0
「サルちゃん」ていうのがもう全身の牙むき出してぐちゃぐちゃにどつき回したいぐらい腹立つ
306 :
考える名無しさん :2009/04/23(木) 20:12:57 0
ジャン・ポール・サルトルって、ヨハネ・パウロ6世と同じ名前なんだな。
307 :
考える名無しさん :2009/06/15(月) 15:00:40 0
へぇ
308 :
考える名無しさん :2009/06/15(月) 15:19:24 O
もう猿と地図をみましたね。佐倉の工場もヤットコムですよ本当に
サルトルについて自由に論ぜよという課題が出ました。 助けてください。。
310 :
考える名無しさん :2009/07/29(水) 12:35:52 0
>>309 サルトルが馬鹿を利用したつもりが利用されてた
こんな流れで書けばいい
311 :
考える名無しさん :2009/08/24(月) 15:29:55 0
>>309 私は構造主義者である
を初っ端に持ってくる流れで書けばいい
釣り?
313 :
考える名無しさん :2010/01/22(金) 15:22:31 0
シチュアシオン文庫化キボン
314 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 05:48:08 0
サルトルといえば戦後日本の進歩的知識人のリーダー的存在だった。 大江健三郎の『個人的体験』以前の小説はその影響下に書かれた。 ノーベル文学賞拒否するところなんかかっこよかった。 ともかく人格、考え方、生き方、これぞ進歩的哲学者という感じだった。
315 :
考える名無しさん :2010/03/30(火) 10:57:18 0
大江健三郎はノーベル賞を喜んでもらったwwwwwwwww
316 :
考える名無しさん :2010/04/06(火) 18:50:18 0
サルトルは確か1970年頃、つまりフローベール論を発表した頃から、宿運 predestination という言葉を使うようになる。言い換えれば、人間が様々に疎外されながら、尚且つ自由を求めて ゆく、という、自由のリアリティに初めて到達したのではないか。 《我々は疎外されているがゆえに―少なくとも一時的に、今日のところ―自由ではないと私は考える のでね。》 《かといってそれは、この宿運のうちにはいかなる選択の余地もないということではない。けれど も我々は、選択をしても選択したものを実現しえないだろうということを知っている。これは私が 自由の必然性と呼ぶものだ。》(『うちの馬鹿について』) あと、サルトルの中には、人間が互いに理解している状態を絶えず希求する姿勢がある。これは、 人間がどこに向かうべきかについての一つの答えだと思え、また、知がどこへ向かうべきかをも 指図しているように思える。 《私は、透明さがどんな場合にも秘密に取って代わるべきだと考える。そして二人の人間が、誰に 対してももう秘密を持たぬがゆえに主観的な生が客観的な生と同じく全面的に差し出され呈示さ れるが故に、お互いに秘密を持たなくなるような日、そういう日を私はかなりはっきりと思い描く ことができる。》(『70才の自画像』)
317 :
考える名無しさん :2010/04/12(月) 17:42:17 0
だから、共産主義義革命に身を投じたのだろう。 歴史的必然としての革命の運動に興じ中に、自由を肯定するんだもんな? 必然に沿って生きるのは、自由ではないにもかかわらずだ! これは、カントの実践理性批判の「なんじの意志の確率が同時に普遍的 立法の原理として妥当しうるように行え」と同じで、まったく自由ではない のであろう。
318 :
考える名無しさん :2010/04/13(火) 03:46:24 0
自由が良くて不自由が悪い、という固定観念の無いところから出発したからね。 自由の刑、というヤツ。 個人の自由というのは社会にとっては恐ろしい凶器だ。 中国の不自由についてさんざんに言う人がいるけれど、 じゃあ日本では殺人も自由なのか放火も自由なのか、と問われたらどうする? サルトルを語るにはもっと深いところで「自由」を捉えなければ馬鹿丸出しになる。
319 :
考える名無しさん :2010/04/14(水) 10:10:18 0
つまり、自由の刑ってやつでしょう。 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にも出てくるよね。 キリストを批判して、自由に開放するのはよいが、自由の後には 人々は何を基準に生きていくのか分からないと言わせ。 そういう自由による混乱に対し、一定の強制が人々を救うということになる。 しかし、ドストエフスキーは、もう一つの考えで、それでも自由であることを 肯定するように書いているようであるが?
320 :
考える名無しさん :2010/04/14(水) 17:39:11 0
確かに、自由は、不自由である訳で、何をしたら良いのか分からなくなる。 何も規範がない以上、何でもありになる。しかし、一度既存の価値観 や慣習を考察すると、絶対に正しいといえるものは何もないことに気づく。 そこから、再度、慣習の価値や暗黙知(経験知)を真理基準じゃなく、社会の有効性と言う 視点から、再評価するということになるのだろうね。 ポスト・モダンではどうしようもない。 そこにあるのは混乱だけだからね。
ポストモダンの始まりは、実は第一次大戦後ではないか? モダン(進歩主義の時代)の終わりであるから。 70〜80年代の西側のポストモダンは資本主義的ニヒリズムだろう。 岩波新書の海老原『サルトル』がチラシの裏臭くて読めないのだが・・・。
冷戦期のポスモダは建前程度の良識はあったけど、 同時テロ後の焼き直しは、本当に単なるファシズム。
第一次大戦の終わり頃に、マルクス主義を背景にした社会主義革命が 始まり、同時に国連体制が整備され始めた。これに引き続き、反共ファシ ズム体制が生まれた。帝国と植民地の時代の本格的な終わり、つまり、 ポストコロニアルの時代は、反共ファシズム国家との戦争であった第二 次大戦終結後まで待たねばならなかったが。 第一次大戦後にヨーロッパで目覚めた実存主義的思想家こそが、ポスト モダンを担った最初の世代だったが、彼らは、ファシズム戦争や、冷戦の 二極構造に呑まれて、その思索を充分に深めることが出来なかった。
最低限、ブルジョア・ニヒリズムと哲学的ニヒリズムは区別すべきだな。 哲学的ニヒリズムなら、富とか名声とか地位とかいう、凡俗的欲求には 無関心であるべきだ。
サルトルは「根を持つこと」を「タルトの甘さを引き立てるための 一つまみの塩」と見なしていた。 この気取った言い回しがフランス野郎臭くて、ハマってるんだな。
喩えの上手な奴が羨ましいと感じることはたびたびある。 俺は文系脳ではないんだろう。 現代情況は理系に強くないと対応出来ないのか知らんが。
『蠅』が収録されている全集の巻を教えてください。
328 :
考える名無しさん :2010/06/29(火) 02:03:36 0
ボーボワールの『ある戦後』ならケストラーも登場するんでなかったかな。 人間ってのはラクをして生きていくことが出来ないもんだろうな。 拡張欲がそれを邪魔する。足を知るというのは難しいことだ。
「足(アシ)」でなくて「足る」な。国家についても同じことが言える。
331 :
考える名無しさん :2010/07/01(木) 20:43:27 0
1
332 :
考える名無しさん :2010/07/23(金) 11:33:30 0
文庫クセジュのサルトルってどうなの? これから読んでいくならとりあえず買えって感じ?
333 :
考える名無しさん :2010/07/23(金) 12:03:16 O
老子の言葉に「足るを知る」という言葉がある。強欲になるな現状に満足しろという意味
334 :
考える名無しさん :
2010/07/23(金) 12:04:24 O 樽生じゃないよ。足るを知るだよ