1 :
考える名無しさん :
2006/01/22(日) 12:59:30 外国の哲学書の厳密な読解が目的なら語学は不可欠だが、 思考・世界の根本条件を探究することが哲学本来の目的のはずである。 ゆえに外国語の勉強は直接には無関係である。むしろ理系のほうが必要なくらいだ。 ここを勘違いしている学者が多いから、純粋な哲学が育たないし、無用であると思われてしまう。 哲学やるのに本当に必要な資質・能力とは何か?
3 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 13:02:16
語学もできねーやつに哲学は無理。
語学しかできないやつに哲学は無理
5 :
池田 晶子 :2006/01/22(日) 13:06:14
英単語もろくに覚えていませんし「ロゴスに聞け」と哲学してますが、なにか?
6 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 13:06:57
というわけで、結論でました。 語学+α……哲学が出来るかも 語学だけ……哲学は無理 αだけ ……哲学は無理
「ロゴス」もギリシア語で既に外国だろ。
>>6 アメリカには英語しか使わず外国語できないで
哲学教師している連中がうじゃうじゃいるぞ。
9 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 13:14:12
>>7 大衆受けする和製英語でエッセー書くと本が売れるんです。あきこです。
哲学をすることって、アメリカで教壇に立つことだったのか。
11 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 14:46:46
日本語だけでも哲学している人は大勢いると思う。
市井の哲学家気取りならそれで良いかもね。
13 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 15:03:34
>>12 市井の哲学者を馬鹿にするとはどうかと思う。
だれも馬鹿とは言っていないけど、 そう思うなら、そう思うだけの理由が在るのだろう。
15 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 15:07:25
>>12 >市井の哲学家気取り
これは「市井の哲学者」を馬鹿にした言い方だろう。
市井の哲学家と市井の哲学者じゃ違うんじゃないの? 歴史家と歴史学者の違いぐらい
17 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 15:20:20
哲学家と哲学家気取りも随分違うけどね。
18 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 15:22:56
おまいらにはどうせ関係ないだろ
19 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 15:47:24
>>16 そも、哲学史家と哲学家は明確に別けられるのが普通。
哲学史は哲学じゃなくて歴史学
20 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 15:49:18
哲学史家の話なんかしてないのだか。ミスリードを誘ってるの?
なんでこんなスレが3まで続いてんだろ。
>>8 まあ政治哲学とか分析哲学はほとんど米英の学問だから、英語以外しらんでも大丈夫だろう。
23 :
考える名無しさん :2006/01/22(日) 23:44:16
>>22 >政治哲学とか分析哲学はほとんど米英の学問
しかし少し19世紀まで辿ると途端に英語だけでは済まなくなるんだけどね。
馬鹿に限って「物事の本質」とか言いたがるよね。
マルチ氏ね
26 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 00:07:58
哲学w
27 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 00:09:19
どんな学問でも、先行研究を調べることができなければ、 他の人から見ても意味がある研究はできないと思うんだが。
28 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 00:14:36
29 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 00:36:40
という以前にはたして学問なのかな? そこがまだクリアになっていないわけだが。
馬鹿に限って「先行研究」とか言いたがるよね。
31 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 00:38:29
>>29 大学で教えられるべき内容はあるし、
制度化もされているから
少なくともその一部はれっきとした学問になっている。
哲学が「言葉」に依存していないと言い切るようなセンスの持ち主に哲学は不可能。 野暮なことを言わせるな。論外だ。 面を洗って出直して来い。
33 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 00:57:37
言葉に依存してしまうから駄目なんだよw
34 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 00:58:44
馬鹿に限って「センス」とか言いたがるよね。
35 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 01:04:27
語学がダメなら、宗教に走れよ
哲学ではなく人間の発想が言葉に依存してしまっているのだ。 だから語学ができるのは哲学の発想を広げる上で役に立つが、 できないのはそれほど問題ではない。 ……そういやドゥルーズはほとんどドイツ語出来なかったらしいし。
37 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 01:06:11
>>35 走ってるだろう、もともと。哲学そのものが。
38 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 01:14:30
オレ様教祖でいいなら、別に語学ができなくても良いじゃん。
39 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 01:23:54
哲学は常に俺様教だった
40 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 09:43:24
日本で哲学ができるのは 旧帝国大の哲学専攻の大学院を修了した奴だけ。
実際、大学院生レベルになるころには、理系のほうが英語力はある。 理系の学生なら博士かていくらいには最低でも、国際学会で30分くらいの 発表とかざらにあるので、英語を訓練しなければという圧力が働く。 しかし、文系のようないんちき学問では、教官ですら英語は必要ないw さいてい、辞書引きながら読めればいいだけw。
語学は英語だけとは限らんが。
理系はドイツ語もフランス語も必要ない。 対して哲学は英独仏語、古典語のギリシア語ラテン語まで必要。 理系の語学力では橋にも棒にも引っかからない。
英・独・仏・希・羅のうち3から4国語が読めないと、東大の院すら 受からないからな。 とはいえ、哲学徒も外国語の論文くらい書けよ、という非難は甘んじ て受けるべきだな。
45 :
考える名無しさん :2006/01/23(月) 13:48:55
理系の中でも専門によって違うだろうけれど、平均的なところで考えれば、 理系の論文はたいした語学力なんてなくても書けるでしょ。
46 :
考える名無しさん :2006/01/24(火) 00:08:16
語学のできない理系の嫉妬スレのヨカーン
47 :
考える名無しさん :2006/01/24(火) 01:30:35
48 :
考える名無しさん :2006/01/24(火) 01:31:11
49 :
考える名無しさん :2006/01/24(火) 08:47:38
>>45 とりあえずノバとかでなんとかなるんじゃね?
50 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 01:12:00
馬鹿に限って「センス」とか言いたがるよね。
51 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 14:31:24
>50 センスって日本語でどういうの?
52 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 14:37:57
感覚
53 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 14:42:47
>52 センス無〜い/有る〜、のセンスは?
各言語の差異、その差異が思考に与える影響を鑑みることのできない人間に突き詰めた思考は不可能。 「哲学に外国語は無関係」とか言う素朴なセンスの持ち主は竹田でも読んでろよ。
55 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 14:49:47
↑原書講読だけで時間を潰して給料をとっている日本の哲学科の専任教員ども には好都合な言い訳。w
56 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 14:51:28
58 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 15:01:36
>57 じえんか、じえんでないかを見極めるセンスも持ってないやつに何を言われましてもね
俺は原書なんつってないわけ。 「各言語の差異、その差異が思考に与える影響」、これを嗅ぎ付けられない人間は言語に関して何の本質的思考を及ぼしていないことを自白しているようなものだと言ってるだけ。 何でも翻訳が可能、何でも要約可能と考えている人間は思考とは何の縁もないことを自覚するべき。
60 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 20:24:25
61 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 20:26:25
ふん、ソクラテスは外国語なんてできなかったさ。
62 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 20:28:30
63 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 21:07:01
―先日、行われたPRIDEヘビー級の頂上決戦であるエメリヤーエンコ・ヒョードル×ミルコ・クロコップの試合は見ましたか。 アルロフスキー:見ていない。 ―この2人について、どういう印象を持ってますか。アルロフスキー:サンボでも戦ったことはないんだけど、ヒョードルとは会ったことがあるんだ。ナチュラルな強さを持っている選手だ。歴史的に見ても、ロシアのベストファイターだろう。(何故かミルコはスルー) ―UFCかPRIDE、どちらの舞台でもいいので、戦ってみたいと思いますか。 アルロフスキー:私はUFCに専念したい。もちろん、私にチャレンジしてくる選手がいれば、ヒョードルでも戦う。そういう気持ちでオクタゴンに上がっている。
64 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 21:08:20
で?
65 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 21:10:19
捏造なんていっぱいある現実も知らないのか。
66 :
考える名無しさん :2006/01/28(土) 21:25:44
杜玖椀も知らんのか? またおまんじゃしてやろうかね?(チョピピップ
哲学に興味がありながら外国語に興味がわかないわけがわからない。 まー言葉を克服していくのが哲学かもしれないが。言葉を学ばないことには始まらないでしょ。 しかし言葉を学ばなきゃ哲学は必要ないのかも。 真理に到達するために言葉を経る必要があるのか否か。 人は言葉を学ぶ前は真理と共に在ったのかもしれない。 それなら外国語を学ぶことは真理を把握するには余計だけど言葉を学ばないことには哲学は始まらない。 外国人の哲学をよく理解したいなら外国語を学ぶのは大切だと思うよ。
植え付けられた言霊の破壊・・・ それが哲学者や聖者が実践してきたものかもしれない。 言葉からなる他者あっての相対的な自分、他者から区別された記号的な自分の破壊。 その実践を言葉で表現し伝えるなら言霊の増築に繋がり逆効果になりがちと。
言葉によって精神が物質のように相対的に働くようになるほどに精神は不安定になるんだ。 哲学は絶対性、真理を求めるわけだけど概して下手して精神の相対化を押し進める。 言葉は最大で最悪の発明か。 というか使い用だろうけど上手に使えないんだ、使われてしまうんだ
日本語すらまともに使いこなせない方もおられるようですな。
71 :
考える名無しさん :2006/02/02(木) 00:55:25
自民マンセーの犬HKなど阿呆らしくて見てられね
72 :
考える名無しさん :2006/02/02(木) 02:14:48
おまんじゃしてやろうかね?
73 :
考える名無しさん :2006/02/02(木) 02:57:12
杜玖椀を知らんのか?
74 :
あらわる。 :2006/02/02(木) 05:05:57
世界のあらゆる哲学性を理解しようなら、日本語だけじゃ無理。 その国独自の文化や風土から生まれた言葉から紡ぎだされた哲学を、 日本語に転回させて翻訳されても、それは決して十全な訳語として 伝わるはずもないし、理解も不十分だろう。 はたして、日本語の「侘び」「寂び」を、他の言語で完全に同意な一語で あらわすことはおそらく不可能かと思う。 日本にいろんな諸外国の書物を翻訳した者の、 日本語の意味合いに近寄るための苦労や歯がゆさは、 並大抵なものではなかっただろうと思う。
75 :
考える名無しさん :2006/02/02(木) 05:48:08
結局哲学は言葉の数学だからな 数学は1がかならず1であるからいいが、言葉は難しい 外国語となるとまた、さらに難しい
76 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 10:29:45
あれ?電波のための板ってこんなとこにもあったのか
77 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 11:08:18
> 世界のあらゆる哲学性を理解しようなら、 「国民性」という言葉を聞いて激怒した香具師がいたらしいが、 「哲学性」とは・・・。w
78 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 12:07:16
普遍なものとでも?
ドゥルーズは英語が出来なかったとかドイツ語が出来なかったとかよく言われるが、 原書をゆっくり読む程度のことはしてただろう、明らかに。 あんだけたくさん本読んでるんだから。
自分の読みの甘さを語学の所為にできるってのは楽でいいな
そりゃ原書にあたってかつ辞書を丹念に引いていくぐらいでないと本当の意味での精読とはいえないだろう。
より不確実性の高い翻訳に甘んじるのは読み方が甘いね。
83 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/03(金) 19:14:12
確かにウィットの論理哲学論考の出だしだけみても、 日本語、ドイツ語、英語では、まるで読む感触が違うね。 1.世界は成立していることがらの総体である。 1.The World is everything that is the case. 1.Die Welt ist alles, was der Fall ist. ことがら→事実→事態→対象、等の言葉の定義や意味づけは、 哲学者ごとに微妙に異なるし、その相違が、思考全体の軌跡だから、凡庸な翻訳本の読み手である私なども、 ここは原典ではどのような用語やいいまわしをしているのか、気になるときはある。 しかし、それに縛られすぎると、哲学は、一部の学者の占有物になってしまう。 時間の無い一般の市民でも読み下せることを第一義と位置づければ、「哲学の民主化」の方向とは相反することになる。 事実-fact-Tatsascenと、事態-atomic fact-Der Sachverhaltの定義を、 原語で知ることと、訳本で知ることとに大きな相違があるかというと、内容本位、思考追尾の本筋で見れば、原語で知ることは第二義的なものであるともいえる。 でも、個々人の時間の制約の多寡に差異が有る限り、この両者の適切なバランスをそのつど決めるのは、つまるところ個々人に委ねられるしかないよ。 時々、原書を読まないと何も言えないよ、というレスにお目にかかるけど、それは、一面では正しくもあるし、あるいは、大いなる誤謬であり占有意識の表出である、とも思うけどね。
外国人の哲学をしっかり学びたいなら、その外国語の習得は必要。 これは仕方ない。 学ぶ気があるなら勉強の時間はとれるはずだ。学ぶ機会は開かれている。 結果的に占有されているのだ。 機会の平等ではなく結果の平等、共有を求めるのは民主主義的ではない。社会主義的である。 表向き民主化といいながらその内容は社会主義、本音は快楽主義的個人主義。 怠惰で努力はできないが自分が劣ってるのは許せない、なら政治的に抑えつけるという嫉妬する資格すらない嫉妬に促されたやりかたはくだらない。
85 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 21:43:34
ロールズの『正義論』(矢島訳、紀伊国屋書店)が、アマゾンで¥35000 で、ボッタクってた。サンデルの『正義と自由主義の限界』も絶版だし、決 定的なのは、トマス・ナーゲルなどの著作が(ごく一部を除いて)邦訳され ないことだ・・・最低限、英語の知識は哲学には必要だね・・・
86 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 23:24:53
何を探究するか、問題は何か、が決定されない限り、 外国語の知識の要/不要は決められない。 訓詁学なら外国語プラス背景文化の知識は重要不可欠に決まってるが、 自分の探究主題のためにヒント・参考として利用する、という態度なら、必ずしも語学は必要ないのは自明だ。 哲学とは何か、が一義的に決められない以上、正しい答えはない。 すべては、目的・探究主題が決めることにすぎない。
87 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 23:27:09
>>86 >自分の探究主題のためにヒント・参考として利用する、という態度
これって別に、哲学じゃないだろ。
88 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 23:30:41
>>87 そういう哲学観もあるが、他の哲学観もある。
89 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 23:37:08
訓詁学的要素ゼロで哲学は無理。 ゼロだったら哲学だと自覚することすら不可能。
90 :
考える名無しさん :2006/02/03(金) 23:49:26
訓詁学する必要があるかどうかすら考えるのが、広義の哲学的精神だ。 定義上、古代最初に哲学した人は訓詁学しているわけがない。 どれが真の哲学かどうか、を決める単一基準はない。 学習者と探究者とは区別せねばならない。 どうも探究=思考者というものの本質がピンときていない人が多いようだ。 思考・探究も、語学の勉強と同じように実践あるのみだ。頭先で考えているだけでは分かるわけがない。
思考すればなんでも哲学だと思ってるバカは手のほどこしようがねえよ
92 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 00:03:14
>>84 あなたは、世間一般の日常生活者が、いかに日々の糧を得るために時間を拘束されているかを知らない。哲学はもちろん原書で学ぶ方がいいに決まっている。これは自明の理です。
しかし、哲学だけが、他の学問とは異なり、外国語を障壁とする閉鎖的なものであってよいものでもない。高卒レベルの人間は、哲学とは一生無縁でもいい/しかたない、一部の「選良」が占有するのも致し方ないといういいぐさですよ。
「学ぶ機会は開かれている」といういいぐさは、「天才はどこからでも出てくる」という小林秀雄の能天気ないいぐさと同じく、体制、社会構造、階層(階級とは書きません)等を、すべて捨象している。
ギリシャ語、ラテン語が読めないレベルの人間は、プラトンもソクラテス等、ラテン語原語の一切の哲学書とも一生無縁でもしかたない、というあなたの切捨て御免の文言は、その「選良」万能主義において、重い誤謬であり、罪ですよ。
普通の生活の中でも哲学を必要とする人間はいる。
しかし、かれらが原書を読む時間の制約を受けている現実を看過するのであれば、あなたは原書の査読を旨とする閉鎖社会の中の一介の研究者/教育者にすぎない。
<機会の平等ではなく結果の平等、共有を求めるのは民主主義的ではない。社会主義的である。>
↑
私は、結果の平等、共有ではなく、「哲学をする」機会の平等を求めているつもりですが。50、60歳になって哲学を学びたい、という人も多い。これらの人が新規の外国語を習得する労苦の大きさに思いを寄せたことがありますか?
あなたは、そういうひとたちから、「機会の平等を奪う」側の規制価値/体制の中にどっぷりと浸かっている。
あなたが、どちらの側にいてもいいのですが(他人ごとですから)、少なくとも、現代の哲学の閉塞状況を作り出している側に大いに関与していることは確かですよ。
(続く)
93 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 00:03:31
>>91 もちろん。そんな程度の低い人は論外だ。
そういうレベルの思考は、訓詁学と同じように、哲学=思考=探究とは言わない。
妄想マイ哲学も訓詁学オンリーも、半端な思考という点では同じだ。
94 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 00:04:52
>>92 (続き)
ロシア語が読めなくとも、読めても、ドストエフスキーの作品の魂に触れることもできるし、できないかもしれない。しかし、それは、原語の問題ではない。
カントしかり、キルケゴールしかり、フォイエルバッハしかり、サルトルしかり、マルクスしかり、ハイデガーしかり、ウィットゲンシュタインしかり、です。
<外国人の哲学をしっかり学びたいなら、その外国語の習得は必要>
↑
これを否定しているのではなく(当たり前のことだから)、哲学不在の現代の体制/社会等に対する、「ものごとを自分で考える基盤としての哲学」は、原語をマスターし、しっかり学ぶことが必須であるという、あなたの論には組しません。
哲学の基本的立場の獲得とは、どの既成の学問領域、体制押しつけの価値、及び経済活動に組込まれながらも、
それらの立場から、ほんの少しだけ位相をずらし、自己固有の立場(これは、よほどの天才か秀才以外は到達不能のイデアに終始してしまうものであることは否定しませんが)を、自分なりに構築すること。
そして、そこを起点とし、もの申し続けていく基盤を獲得する営為一般をいう、と考えています。
95 :
90 :2006/02/04(土) 00:17:46
>>94 私とやや違う観点で論じておられますが、賛成です。
学者たちの間でさえ、哲学とは何か、がひどく一致しない有り様ですから、
どの研究方法・探究の道が正当(正統)なのか、ということに単一の答えはありません。
それぞれの哲学観ごとにそれぞれの答えがあるだけです。
こういう事実を直視せずに、特定の哲学観の正しさを強弁するとしたら、それこそ広義の哲学的精神に反することでしょう。
96 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 00:31:49
なにも外国語に限ったことでもないのですよ。 埴谷雄高の「死霊」は、埴谷が好むと好まざるとに関わらず、大方の読者の理解/同調等を最初から切り捨てています。 これも、日本語内の問題とはいえ、原語の問題です。 埴谷の用語は、日常用語と埴谷独自の「哲学的」な造語とが絡み合う独自のものですが、日本の既成の小説の臨界点を越えるところにしか、埴谷独自の世界を構築できない、という諦念と気概から、ほぼ完全に居直って、独自世界を構築しようとした反小説です。 では、これを読めるか/読めないか、は原語の問題ではなく、埴谷の思想/思考に、いかにコミットできるか、近付くことができるか、という書き手と読み手との、読み手の数にほぼ等しいかかわり方をも許容します。 埴谷の政治論も、これに通じるところがあります。 「永久革命者の悲哀」も、問題意識の共有無くして、字面だけを追いかけても、何も得ることはできないでしょう。 原語以前の、根幹的な問題意識の方が、言語を超えてはるかに重要です。
97 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:01:11
「外国の哲学文献を精読する」のに語学力は不可欠。 それ以上でも以下でもない!
98 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 01:18:55
>>97 「精読するのに語学力は不可欠」
↑
トートロジー以上でも以下でもない!
99 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:23:57
哲学をする上で、外国の哲学文献を精読することが必要不可欠なのか否か、 で意見が分かれてるんだろうね。
100 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 01:29:29
「哲学をする上で、」
↑
この用語のそれぞれの受け止め方で、意見が分かれてるんだろうね。
>>84 さんは、<外国人の哲学をしっかり学びたいなら、その外国語の習得は必要>である、と言っている。
ここでいう「外国人の哲学をしっかり学」ぶ、ということと、
>>99 さんの「哲学をする」ということとの間には明らかに乖離がありますね。
101 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:32:44
なにこの馬鹿w
102 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:36:08
>>100 哲学的問題に関して自分で満足できる答を見出そうとしている場合と、
哲学者として人から認められることを求めている場合では、だいぶ話が違うだろう。
後者なら多くの場合文献の精読が必要になるだろうけれど、
前者の場合はひとそれぞれだろうなあ。
103 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:37:33
外国語で書かれたものを理解するのに外国語を習熟することは不可欠だよね。もちろん習熟度は高ければ高いほど良い。反論しようがない自明の事ですね。
104 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 01:40:27
>103 哲学のお話ですか? それとも、<外国語で書かれたものを理解するのに外国語を習熟することは不可欠>までのお話ですか?
105 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:41:10
哲学者として他の人から見ても価値がある仕事をするためには、 自分が考えている事柄について過去に誰がどういうことを言っているかを知ったうえで、 まだ言われていない何かを言わなければならないでしょ。 これは、「外国語は読めない」では無理だよね。
106 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 01:42:44
>105 学会内のお話ですか。
107 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:43:22
>104 哲学でも文学でも、なんでもそうですよ。
108 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:45:54
バカが埴谷雄高語ってるしw
109 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 01:48:54
110 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:49:00
学会内に限らずそうなんじゃないかな。 本をよく読む人からは、「そんなの○○がすでに言っていることじゃない」で済ませられてしまう ようなものじゃ、「他の人から見ても価値がある仕事」とは言えないでしょ。
111 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 01:51:46
>>110 それはそうですよ。
でも、今は外国語の習熟が哲学をするのに必須であるか、が問題になっています。
112 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:52:29
>109 「不可欠」というのは、必要条件ですよ。外国語に習熟していればそれでいいという事では全くありません。
113 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:54:11
>>109 バカwww
「無謬」て言葉も白根ーのかよw
114 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 01:54:58
>>112 では、「哲学をする」ための必要条件はなんですか?
過去に誰も書いていないことを見出すことですか?
115 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:55:43
>>111 だから、自分が今言っていることが、すでに言われていることなのかどうか
ぐらい自分で判断できなきゃならないわけで、そのためには外国語の文献も
読めないとダメなんじゃないの?
116 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 02:00:58
>>114 「哲学をする」だといろいろなことが含まれるから何ともいえないけれど、
哲学の領域で他人から見て価値がある仕事といえるためには、
誰かがすでに言っていることと同じじゃダメなんじゃね?
117 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 02:01:28
>104 哲学はかなり自由なものだと思うので、「哲学をする」ための必要条件は、特にないと思います。ただ、それが人に認められるかどうかは、別の問題ですが。
118 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 02:03:50
もちろん、そのまま鵜呑みにしていてもダメでしょうね。
119 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 02:06:03
>>118 鵜呑みにするなんていう話はしてないよ。
自分で考え付いたことでも、それがすでに誰かによって考えられ書かれている
ことと同じだったとしたら、他人から見て価値がある仕事ではないだろ、ってこと。
120 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 02:26:01
外国語が無関係な哲学もある。
121 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 02:30:50
例えば?
122 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 02:36:39
哲学とは 自分の存在の意味を問う学問である 存在に意味があると思いたい学問ではあるが 実際には誰もが生きる事に意味があり、意味がない という結論に達してしまう学問でもある
123 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 02:50:28
哲学者と哲学研究者とではかなりの隔たりがあるぞ! ただ哲学書(外国語の物然り)や哲学解説書などを読んだだけで、 果たして「哲学している」といえるだろうか?
124 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 03:58:18
やさしい気持ちになれた時 自分が生きているという実感! 単に欲求を満たした時にくるものとは違う感情。。。
125 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 04:13:30
哲学と言語は密接に結びついているので 「日本語でする哲学」を究めるには、むしろ外国語が出来ない方がいいかもしれない。 ただ、「日本語でする哲学」に、いかなる価値があるのかまでは測れないが。
ラテン語を知らんようだなw
127 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 05:02:55
杜玖椀を知らんようだなw
128 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 11:38:52
卑近な質問ですが、 外国語の文献をそのまま読むほうがいいという発想は 音楽はホールで生の音を聴くほうがいい、CDは糞、という発想と同じですか?
129 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 12:01:57
翻訳というのは、翻訳者の私的な解釈を経てできるものだから、CDとは違うでしょう…
語学ができないバカは禅でもやることだな。
131 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 12:14:46
映画は吹き替えよりも字幕の方がいい、に近い。
>>128 料亭や高級レストランで出される食事のほうがビニ弁や牛丼屋と比べて味覚においても
衛生面においてもはるかにマシというのと同じ。
133 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 15:51:02
ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、英語の哲学書の原典をほぼ完璧に読めるのは日本でも多くても数百人でしょう。 だとすれば、それは、一種、特殊な閉鎖社会。 それを一概に否定するわけではありませんが、 それにより哲学プロパーたちが、みずから、哲学をより閉鎖的な学問に押し込め、 一部選良の占有物にしてしまっていることも事実。 そこに、自己保身らしきものが見えてしまうこと、 学問のなかで哲学だけが社会との乖離が大きくなってしまってきていること、 そういううしろめたさのいくばくかは感じ取ってほしいと思うのは私だけではないと思います。
134 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 15:58:44
で?
そいつらがヒッキーなだけで何も占有しちゃいねーだろ やつらはこっち見るより前見たいに決ってる 偽善でやられるよりずっといい
136 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 16:05:52
長々とつまらん屁理屈を連ねてるが、要は、 「哲学に外国語は無関係」って言い張ることで、 単に外国語を勉強したくない自分を正当化したいだけなんだろ? そんな怠惰な奴に哲学をやる資格なんて無い。とっとと失せろ。
137 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/04(土) 16:07:45
>136 まるで文意を解釈できてないようなので、お相手つかまつらんことにします。
138 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 16:10:32
>>133 あなたの言うとおりだと思う。原語で読むことにこだわるよりは、
翻訳でいいからきちんと読んで、自分で考えることが大事だね。
139 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 16:17:34
どういう哲学をやるのかによって違う。 >136 哲学をやる資格? 自称哲学者であっても、あるまじき発言。
女は語学が苦手なんだよ。 だからよく哲学もわからんと。
サンスクリットを知らんようだなw
143 :
86 :2006/02/04(土) 19:29:57
>>96 さんは哲学=思考のある面での本質をついていると思います。
日本語文献での問題に置き換えると、明快に本質があぶり出されてきますね。
私は、少し別角度から誤解を正しておきましょう。
哲学することと文献解読することとは、今さらいうまでもなく、必ずしも重なりません。
この本質の違いに応じて学者も区別されます。哲学者と哲学学者とです。(たぶん永井均氏の命名)
まったく他人の思想に触れずに自分の哲学を立ち上げることは99パーセントできないでしょうから、何らかのかたちで文献解読をすることになります。
しかし、このために専門家とされる人々の方法を厳守する必要はありません。
読書・勉強が訓詁学である必要はありません。
「特定の学会で認められること」イコール「哲学」と考えるのでないかぎり。
もちろん、ヘーゲルなりカントなりの思想を極めることが目的なら、当然、訓詁学のために全精力を費やすことは正当なことです。
当たり前すぎることを確認しておきます。
研究方法は個々の目的・主題に応じて決められるべきです。
問題と問題解決方法は、栄光の過去からありがたく頂戴するべきものではありません。
目的・必要に応じて、継承、利用、翻案、改良、否定、廃棄されるべきものです。
目的・問題意識・に応じた懐疑を忘れた哲学(徒)は、単なるイデオロギー(信者)に成り下がります。
144 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 19:44:04
広松渉の読書は、自伝で書いているが、外国語で読むということよりも、幅広い分野をたくさん読むことを重視した。 若年の頃はドイツ語さえさぼっていたそうだ。
145 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 20:21:06
語学を過剰否定する人は、語学力という言葉におびえているのだろう 語学を過剰礼賛する人は、思考力とかセンスという言葉におびえているのだろう
146 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 20:47:40
実際には、中途半端な語学力の香具師が原語で読もうとするよりは翻訳で読んだほうが、 マシだったりもする。
147 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 21:01:15
翻訳といえども、訳しにくい所は原語も併記してあるか注釈があるのが普通。
まぁ三十歳までには希、羅、独、仏、英、ぐらいは読めるようにしておくべきだろうよ。 金じゃ買えないいい財産になるからね。 真の海外旅行に毎日でもいけるわけで。 体を海外に運ぶ海外旅行なんてのは邪道ってもんよ。
中途半端な奴は何をやってでもダメ
150 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 22:11:22
30で最低十カ国語、40で最低二十カ国語、一生で最低五十カ国語をマスターすべきだ。 ということでいいでしょ。 ところで何の話だっけ・・・
151 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 22:19:28
>>150 いくない。そりゃめちゃくちゃだ。
考えもせず板違いの適当いいやがって。
これだからガキは嫌いだ。
語学もできないバカに哲学的思考は無理だって話。
153 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 22:53:46
「数学もできないバカに哲学的思考は無理」なんて言っていた椰子もいたらしいが、 今度は「語学」かい。w
どのみちバカには哲学は無理だろ。
155 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 23:12:18
7 :我 無 ◆mCAllRXeSY :04/11/25 14:07:10 /\___/ヽ /::::::: \ .|:::. '''''' '''''' | |::::.-=・=- -=・=-: | .|::::::: ノ ,,ノ(、_, )ヽ、,, | \:::::.ヽ`-=ニ=- ' / フマフマ / `一`ニニ´-,ー´ / | | / | / | | / | | / l | / | | __/ | ⊥_ーー | ⊥_ ________ | `ーヽl_l_l.} ヽl_l_l.} \ (、`ーー、ィ } ̄` ノ \ `ー、、___/`"''−‐" \
156 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 23:29:53
いや、馬鹿じゃなきゃ哲学やらんだろ
157 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 23:44:40
あたりまえだ。
158 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 00:02:38
たぶん、日本で育ち人生活している人なら、一部の天才を除いて、 どれほど勉強しても、結局、日本語から抜け出せず、完全に外国語で考え感じることまでは不可能だ。 語学力を高めさえすれば生の原典・思想家に触れられるというのは幻想だ。 日本語的感覚というバイアスは完全には除去できない。 外国語知らない人よりマシということにすぎない。
159 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 00:09:10
まあ一応建前としては、哲学が求めている真理って言うのは、 ○○語を母国語としている椰子ならそう思う、っていうようなのよりは、 もうちょっと普遍的なものなんじゃね?
160 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 00:18:47
そうなると、極論すれば、 外国語文献解読における原典と翻訳との違いは、直接翻訳か間接翻訳かの違いに過ぎない、ということになるね。
162 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 22:49:52
ここの対立は、 哲学というものを厳密な思考の原理・条件・土台の学として捉える人と 哲学とされる特定の文化・文献・思想家の研究として捉える人との対立だろうね。 前者なら、外国語は無関係でなければならないし、 後者なら、外国語でやらなければならない。
前者なら特定の一言語に限定される思考では話にならんだろ。
>>163 まったくだ。
自己の使用言語を客観的に見るために、他の言語を習得するのは意味のあることなのにな。
165 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 01:28:14
166 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 01:38:40
普遍的な思考の原理なんてものがあるのかどうかで、意見が分かれるが、 あると思う人にとっては、母国語から生じる偏見から解放され より普遍的な思考を求めるために、 外国語の学習が必要だ、と考えるだろうね。
167 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 01:40:35
あると思う人でも 自分の短い一生でそれに到達するほどの言語を学び尽くすのは無理だと すぐ気付くはず。
168 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 01:43:07
おおかた文献学の徒が 著者の思考を正確にたどるため という理由による。 普遍的な思考の原理云々は 理屈として唱えてるだけで、 現実に到達できると考えてやってるわけじゃないだろうね。
169 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 11:35:44
>>168 完全に普遍的な思考っていうのは到達不可能だろうけれど、
だからといってより普遍的なものを求めるのが無意味になるわけじゃない。
自分の考えを妄信するよりは、他の人の意見も聞いた方が幾分か普遍的なものに
近づくだろうし、自分に近い境遇・環境の人の意見だけ聞くよりは、
もっといろいろな人の意見を聞いた方がいいでしょ。
外国や他の時代の人の意見を知るのは、そういう意味で価値があるんじゃね?
170 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 19:34:50
数学は有関係
個々の自然言語からその固有の要素を引き算していって 最後に残るのは骨だけなのか?
172 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 22:27:59
原書で読める人間がカラーテレビを所有しているとするなら、語学下手はモノクロテレビしか所有していないといえる。 カラーテレビを少数者が所有しているからといって、彼等が哲学を占有しているという話からして間違ってるし、 そんな話を認めようが否定しようが語学下手が不鮮明なモノクロ映像しか見れないという現実には何の変わりもない。
比喩の使い方は難しいな。
174 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 22:36:19
>>163 それは完全な誤解。
もしそのレベルでいう普遍性なら、全世界のすべての言語を習得すべき、というしかない。
そういうレベルでない普遍的思考の原理という位相を知りたいなら、例えば現象学の問題意識をしるべきだね。
これが成功しているかどうかは君が判断すればいいが。
>>172 まさにそうだね。
それは語学だけじゃなく、数学や物理にも当てはまるな。
数学・物理ができないやつの思考なんて
電波が届かないところで無理やり映像を見ようとするに等しい。
176 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 22:44:02
>>175 原書読むとかだけじゃなく、「考える」にも同じ論法が成り立つよね。
177 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 22:49:44
数学と物理並べる奴って頭の中に予備校生でも入ってんのか?
とりあえず価値について語るときは その自覚があった方がいいんじゃないか?
179 :
観客 :2006/02/06(月) 22:57:22
みんな見解を示す前に哲学観を明示したほうがいいな。 哲学とされる営みは多様だから、 自分が信じている特定の哲学観を、暗黙の前提として独断的に強弁しているのが目に付く。 哲学しているはずの者が宗教論争していては、どういう意味のものであれ、自分で哲学を放棄していることになるよね。
180 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 22:58:31
氏ネバ?
181 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 23:26:26
言語使用の(イイカゲンさにより生じる思考の)混乱を解く、という哲学観もあるよ。 一時期のウィゲンシュタインや論理実証主義の哲学観。 この場合は、整頓解明すべき言語が外国語でない限り、自国語によりそうしかない。 まあ、狭く、評判もいいわけではない一つの哲学観にすぎないけど。
>>177 はあ?便宜上、世の中で別称されている学問分野を並べただけだろうが。
もちろん分野によっては、方法論や扱う対象からして
他方とほとんど無関係なものもあるが。
183 :
86 :2006/02/07(火) 19:30:51
哲学にはおおまかに二つの面がある。 既存の受け継がれてきた問題を解く、または、解消することと、 新たに問題〜問題解法を発見・発明すること である。 前者は、見慣れた多くのアカデミズムのお決まり作業である。 後者は、古代ギリシャという開祖の哲人、天才、自分で新たな問題を見出さざるをえなかった人々が行うことである。 もし後者の人の残した問題が前者の人に重く受け止められたなら、前者の人が後者の問題を継承し整理し洗練していくことになる。 自分問題が誰にも相手にされなかった後者の人は、馬鹿、変人、狂人とされるだけであろう。 哲学史とは、このような循環であるとみなせる。 哲学という営みの本流は、この二者の協同作業である。
184 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 21:07:24
>>163 それは完全な誤解。
もしそのレベルでいう普遍性なら、全世界のすべての言語を習得すべき、というしかない。
そういうレベルでない普遍的思考の原理という位相を知りたいなら、例えば現象学の問題意識をしるべきだね。
これが成功しているかどうかは君が判断すればいいが。
185 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 22:27:28
>>184 事実・自然と、権利・条件との峻別ということかな。
186 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 22:53:15
ウィトゲンシュタインの哲学観。 哲学は病気の治療のようなもの。 哲学者とは、どんな共同体にも属さないもののことだ。
ようするに浮浪者のことか
188 :
考える名無しさん :2006/02/07(火) 23:06:21
>>187 それに近いところもあるね。
晩年のウィトゲンシュタインはわずかの食事と数冊の本とぼろ小屋で生活してようだから。
189 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 00:40:43
学問と語学の問題は昔からよく語られるよねー。 そもそも母国語でなければ分からない部分というのが、書物にはある。 ここで言う母国語とは、その人のアイデンティティーの形成に大きな影響を与えた文化圏での公用語とする。 で、俺に言わせりゃノーベル文学賞なんて糞なんだ。 第一、大○の『○縄日記』って、どうよ? どう考えても読むに値しない書物だろ? 難解なために理解できないからそのあてつけに言ってるわけじゃなくってね。
190 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 00:42:56
大丸? デパートだったっけ?
191 :
189 :2006/02/08(水) 00:45:29
で、学問と語学の問題に関するやり取りには、 将棋でいう定石みたいなものが明らかに存在する。 たとえば、、、 『語学と思想は無関係だ』 『語学やりたくないからってイイワケすんな』 みたいなのはその典型的なものの一つ。 こういうものを一つ一つ洗い出していけば、くだらんスレを乱立させずに済むと思うのだが、どうだろう? ここは一つ、ウチらで定石を洗い出さないか?
192 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 00:48:31
定石があるという思い込みを否定するのも哲学なんだがね。
193 :
189 :2006/02/08(水) 00:57:14
>>192 そりゃそうだな。哲学は言葉遊びだから、面白いことを言うこと自体に非常に価値がある。
それじゃー、『こういう定石があるように見えるが、それは定石ではない』って例を示してくれ。
俺の思い込みを覆して欲しい。
定石ってもともとは囲碁の用語じゃなかった?
公用語=Amtsprache=公の機関で用いられる言葉
先手必勝!
197 :
189 :2006/02/08(水) 01:01:21
>>194 へー。じゃ、囲碁における定義の『定石』で、哲学における問答の定石を否定してくれ。
言葉を知らない人が語る「言葉遊び」ほどみすぼらしいものはないな。
198の文章は変だ。
但し書きがあると、意味が取れるようになりますね。
201 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 01:09:17
大森先生は定石好きだったよなあ
202 :
189 :2006/02/08(水) 01:19:29
>>198 上手い!! イイコト言った!! まさに俺が考えるところの哲学的発言だ!! これは嫌味じゃない。
こういう上手いことを言うのが哲学だろう。だから言葉遊びなわけだ。
母国語と公用語を混同して用いたのは明らかに俺のミスだな。申し訳ない。
細かい反論はあるが、
>>199 が指摘してくれてるからいいや。
203 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 10:11:04
定石というものは、思考省略のための便利道具である。
204 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 22:24:08
頭のいい人は、問題に応じて自力で定石を考え出す。使い物になる既存の定石は利用しながら。 頭の悪い人は、どんなことでも自分の知っている定石で強引に処理しようとする。的外れだとも気がつかずに。
定石の意味を知ってて書いてるのかしら? まったく、馬鹿は困るな。
206 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 22:50:13
比喩というものを知ってるのかなw
比喩とは無知の逃げ口上のことだったのか。
208 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 23:12:20
なるほど比喩の意味分からんかったわけね ご希望通り、囲碁や将棋の基本テクニックのことだということにしとくよ。 いちおう坊やの下手なな釣りにつきあってあげたよ。 次回はもっと腕上げろよ。
209 :
考える名無しさん :2006/02/08(水) 23:34:31
杜玖椀を知らんのかね?
>囲碁や将棋の基本テクニック プッ
211 :
考える名無しさん :2006/02/09(木) 01:06:54
212 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 01:03:51
工学こそ最も基礎的な学問MSF 工学こそ最も基礎的な学問MSF 工学こそ最も基礎的な学問MSF
213 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 01:14:07
最低でも英仏独語ぐらいは読めないと 学者とは云えませんね。 英語で論文書けない人は自殺すべきです。
214 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 01:26:00
でも英語そこ工学の典型なんだよ?
215 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 01:29:47
>>213 じゃ、まず君が自殺する羽目になるじゃんwww
216 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 01:33:24
俺は帰国子女だが、割と必要が無いのは邪念や邪推かな。 他は変わらないよ。哲学すると全く変わらないよな。 迫害されようが、ちやほやされようが。 「色眼鏡野郎」が俺を屈辱的に誘い「優しい人」が逃げてと言う。 ただ、還元するに至っては、・・・貫く他在るか? 一応突っ込む事をしなかった俺は、寧ろ酷いめにあったが、未だに突っ込まれそうで哲学出来る。うん、そんな感じ。
>>216 何が言いたいのか全く分からんよ。
帰国子女だそうだが、日本語からしっかり勉強せいよ。
あ、一度否構築な文体でやってみたかっただけだから、気にすんな。
219 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 05:26:41
もうすぐ国際MFS会議から発表されるそうです。
220 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 11:19:05
私は、19世紀の西洋哲学を専門にしています。 原典で読めば、翻訳とも違った解釈が可能になります。 また国際的な学会に出席し発表することもありますが、 やはり語学力の不足を痛感します。 もう少し語学力があれば、もっと上手く表現できるのにと悔しくなります。 それでもいままで著作でしか知らなかった有名な教授と直接に話しができた時には、 至上の喜びがあります。 哲学を学ぶために外国語が必須であるとは、必ずしも言えないと思いますが、 数ヶ国語ができれば、可能性がより広がると信じて努力しています。 好きなことなら進んで努力できるものです。 博士号はドイツで取得しました。
221 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 12:23:49
> それでもいままで著作でしか知らなかった有名な教授と直接に話しができた時には、 > 至上の喜びがあります。 変な香具師がいるんだなあ。
中国人留学生じゃないの?
帰国子女=残留孤児
225 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 20:37:09
>>220 文献研究者なら、それは正論だし、語学ができることはすばらしいことだけど、
僕自身が考える哲学とは、ちょっと違うかな。
226 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 20:50:20
>>220 ほぼ同意ですね。外国語の理解はその言語で書かれた哲学の理解を高めると思いますね。
その国の言葉や文法自体で、その著者の思考形式が決まってくるので。
例えば、英米語は演繹型(結論を出し論証するスタイル)、
日本は渦巻き型(結論・中心に向かってぐるぐると論を重ねていくスタイル)、
などといわれます。外国人と会話する機会が多いほど、
その人の出身国によって思考形式の違いに気付かされることが少なくありません。
相手の思考形式だけでなく、自分の考えを伝えるためにも外国語の習得は不可欠だと思います。
ただ、225さんのいうように「哲学する(生きること・考えること)」という意味においては、
外国語が必ずしも重要というわけではないですが・・・。
227 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 21:14:02
>>226 >英米語は演繹型
では古英語は何型ですか?
228 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 21:45:01
日本語が論理的コミュニケーションに向いていないのではなくて、 その使い方、日本的コミュニケーションが論理的コミュニケーションに向いてない ということは確認しておいたほうがいいと思います。
229 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 22:06:28
>>227 んー、何型なんでしょう?(笑)。
226の分類は単純化・極論ですので・・・。
>>228 たしかにおっしゃられる通りですね。
「秘すれば花」的な日本のコミュニケーションは、
外国人にとってはまわりくどいかもしれませんね。
230 :
考える名無しさん :2006/02/11(土) 22:21:55
>>229 訓練受けたはずの学者でさえ、しばしば日本的思考形式から抜け出せないのをみますと、
よほどのセンスがあるのでない限り、厳しい矯正・訓練(海外生活など)が必要に見えます。
哲学の場合は、センスの占める割合が大きいのかもしれませんが。
231 :
考える名無しさん :2006/02/12(日) 00:41:57
だから前から1点じゃん。 西洋哲学を本当にまじめにやりたいなら、 日本の大学じゃだめなんだよ。
232 :
考える名無しさん :2006/02/12(日) 00:45:18
>>228 日本的コミュニケーションが西洋論理的コミュニケーションに向いてないだね。
当然西洋論理はイスラームにも向かないし、中国にも向かない。逆もしかり
age
「言語は文化だ」 陳腐か?
236 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 08:42:05
>>225さん 220です。 >文献研究者なら、それは正論だし、語学ができることはすばらしいことだけど、 僕自身が考える哲学とは、ちょっと違うかな。< 私にとって、哲学するとは、哲学を学ぶことであり、 自分の考えを他人のそれと対話させることを意味しています。 そのために私は多くの(外国語の)文献を読みますが、 自分が文献研究者であるとは特に思っていません。 また外国語を学ぶことは、自分の母国語(日本語)をより鍛えることでもあります。 何より母国語が大切と思い、私は今でも漢字の書き取りを毎日しています。
>>235 陳腐じゃないと俺は思う
全ての哲学書がエスペラントで書かれていたら、というほうが陳腐だと俺は思う
238 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 17:20:25
>>236 それはそれで立派な哲学観ですね。文句付けられませんよ。
僕の場合は、自分の問題(哲学の範囲をこえる場合もある)を、厳密に表現し解決や解消するために
何人とか関係無しに他人の知恵を利用します。だから、手頃によめさえすれば、原語どころか原典どころか二次文献でもいいわけです。
もちろん僕の問題は、哲学の定番的問題と重なるところもあれば重ならないところもあるので、何学というべきか分からないところもあります。
僕にとっては哲学とは、学問以前の厳密な探究の総称です。
239 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 23:14:48
哲学が普遍性をもたないなら、語学力は必要条件になるな。
240 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 01:57:33
>>239さん >哲学が普遍性をもたないなら、語学力は必要条件になるな。< 仮に哲学それ自体が普遍性を持っているとしても、 それを行なう人間(哲学者)は、 さまざまな時代的なあるいは社会的な状況に制約されている(すなわち普遍性を持っていない)こととなる。 プラトンは古代ギリシャの時代のなかでギリシャ語をもって思索し、 カントやヘーゲルは18−19世紀の近代ドイツ社会の中でドイツ語をもって哲学した。 それを学ぶためには、当然に >語学力は必要条件になる<と思う。
241 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 03:34:53
765 名前:考える名無しさん :2006/02/09(木) 23:18:46
フマさん、
だからトクワンのネタ、面白くないって
みんながいってるw
766 名前:考える名無しさん :2006/02/09(木) 23:35:25
ピエさんの仕事って自宅警備員なわけじゃないすか。
自宅の警備に24時間体制で奮闘してるわけじゃないすか。
767 名前:考える名無しさん :2006/02/09(木) 23:51:13
>>765 激ワロス
「とくわん」wwww 一体何だよ?
君はそう読んじまったわけだWwwwwwww
完全なカンチガイ。厚顔無恥とはこのことだ。
242 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 18:43:21
>>240 原語や時代や文化に制約を受けるということは、哲学が普遍的ではないないということの証明。
旧きよき哲学は、特殊な文化の特殊な思想にすぎない、というほうが妥当だろう。
ただしこれから普遍的哲学をつくりだすことが不可能かどうかは分からない。
つ超越論哲学
>>230 訓練受けたはずの学者でさえ、しばしば英国的思考形式から抜け出せないのをみますと、
よほどのセンスがあるのでない限り、厳しい矯正・訓練(在日生活など)が必要に見えます。
哲学の場合は、ノンセンスの占める割合が大きいのかもしれませんが。
245 :
考える名無しさん :2006/02/28(火) 00:34:01
>>242さん 240です。あなたのご意見には同意です。 でも私が、240で申したかったことは、 哲学それ自体が普遍性を持っているかどうかではなく、 最後の2行の、 「それ(哲学)を学ぶためには、当然に >語学力は必要条件になる<と思う」ということです。 これについては242さんはどう思われますか。
246 :
考える名無しさん :2006/02/28(火) 08:07:19
伏見宮・男系優先皇位継承順位(皇太子殿下と同世代以下限定) 1.賀陽宮家:章憲王系男子2名(小学生) 2.杜玖椀宮家:朝融王系男子3名(未婚2名) 3.朝香宮家:直系男子1名(既婚) 4.東久邇宮家:盛厚王系男子6名(乳児1名) 5.竹田宮家:恒徳王系男子5名(未婚5名) 伏見宮・女系血縁優先皇位継承順位 1.東久邇宮:昭和天皇第一皇女成子内親王及び明治天皇第九皇女聰子内親王の子孫 2.竹田宮家:明治天皇第六皇女昌子内親王の子孫 3.杜玖椀宮家:明治天皇第八皇女允子内親王の子孫 4.久邇宮家:靈元天皇第五皇女福子内親王の子孫 5.賀陽宮家:靈元天皇第五皇女福子内親王の子孫
247 :
考える名無しさん :2006/02/28(火) 22:40:25
>>240 分析哲学以外は、原語で読むことが必要でしょう。
ただし、分析哲学でなくとも、問題意識や感じ方が、文化差を越えて類似している場合があるとは思います。言い換えれば、天然の人がいるということです。希少な例外ですけど。
つまり、ほとんどすべての普通の人は、原則として、分析以外の哲学を学ぶには原語でなければならない、ということが私の見解です。
248 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 10:21:25
独尊型の人は別として,一定の高度以上に登山しようと思う人は原語で読む必要 あるでしょう。これ当たり前。 >分析哲学以外は、原語で読むことが必要でしょう。 これは意外。「分析哲学の人は原語で読むことが必要でしょう」が正しいのでは?
249 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 12:35:36
論理学とか数学基礎論の本は、原語で読むことにさほどこだわる必要はなさそうだね。 もっとも、論理式や数式の言語を原語と言うんなら、たしかに原語で読むことが必要 だろうけれど。
250 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 13:03:16
世の情報の多くが英語で書かれていて,日本語で書かれた本の多くはその「翻訳」 というのが現実なのでは?とくに哲学のようにわが国でマイナーな分野では,大部分の 情報が翻訳されておらず,いろいろ勉強したい,となった場合英語ないし外国語 は必要。
251 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 13:08:30
近現代の哲学書の翻訳の数では、日本語への翻訳というのはもしかしたら 世界で一番多いかもしれないと思うが。それでも、もちろんある分野に興味を 持ち、もっと知りたいと思えば外国語が必要になってくる場合が多いのは 事実だけど。
252 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 13:10:14
「翻訳されてない本も多いんだから、それらを読むために外国語が必要だろ」 という意見と、「翻訳じゃダメだよ。原書で読まなくちゃ」という意見は 別のものだろうけれど。
253 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 14:42:08
>「翻訳じゃダメだよ。原書で読まなくちゃ」という意見 哲学者研究の場合,この意見にも一理ある。 考え方の論理的内容に関心がある場合,翻訳,原書にこだわる必要なし。 よい翻訳があればそれで十分。必要ならば,原書を参照すればよい。
254 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 15:09:12
>>248 さんは、分析哲学に疎いみたいですね。
アメリカの多くの分析哲学者は、外国のものでも英文でばかり読んでいるし、
分析系の学会では原語を必ずしも重視していないようです。原語重視の伝統・イデオロギーはないようです。
分析哲学では、どう見ても、原語でないとどうしょうもないような独特の観念やイメージを表現しようとしている議論は少ないです。
そもそも、分析哲学が原語のニュアンスに左右されるようなら、分析哲学は自己矛盾を犯していることになるとさえいえるでしょう。
根本的に違う哲学観もあるのですよ。まさに哲学という言葉は多義語ですから。
私は、少なくとも、能動的な問題処理志向の哲学と、受動的な解読鑑賞志向の哲学とは、区別しておきたいと思います。
255 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 15:16:27
ラジカルな分析哲学の本質は、極論すれば、メタ哲学である、とさえいえるかもしれません。
256 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 15:26:35
オレは、語学学習やってるうちに、哲学より語学のほうがおもしろくなったよ。
257 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 15:44:44
>>254 すいません,「原語」というのは英語のことです。
258 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 15:55:09
っていうか、哲学ってなに?
259 :
254 :2006/03/01(水) 16:03:54
>>257 そんなこと当たり前でしょ。
もろにポイントずれてますね。
そんなアホ読みしかできないの・・・
260 :
254 :2006/03/01(水) 16:12:04
>257 異国の文献でも英文翻訳ですますということは、原語にこだわってないということですよ。 ここに彼らの哲学観があらわれていますよね。 わざわざ、ここまで説明しないといけないわけですか?
261 :
考える名無しさん :2006/03/01(水) 16:48:22
>260 何か誤解があるようですね。 われわれ日本人は邦訳ですますわけにはいかないのでは,邦訳の量から見ても,と いうのが私のポイントかな。 分析哲学の人が基本的には表現言語にこだわらない,どの言語でも表現可能 なアイデイアを追求している,というのはおっしゃる通り。
分析哲学は似非哲学であるでFAでしょ。
263 :
254 :2006/03/01(水) 23:11:22
>261 先端の重要論文群を隅々までフォローしようとする学者は、 翻訳されている論文が少なすぎるので、自ずと原語で読まねばならない ということですか? そういうことならば、当然、事実として承認するしかありませんよ。
264 :
254 :2006/03/01(水) 23:42:14
ある外国語の文献を我が物とするには、二つの壁があると思います。 文化・原語の差異から来る壁と、個人の才能・感性・問題意識の差異から来る壁です。 外国文献の解釈には、解釈されるテキストの性質と、解釈する個人の性質や事情とが複雑にからみあっているので、 どちらが本質的な壁なのかという問題には、一つの答えを与えることはできないでしょう。
265 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 00:48:56
「哲学する」と言っても、そこには様々な意味や現実があると思います。 人生の問題に突き当たった時に、 その解決の手助けのために哲学書を読むこともあるでしょう。 そんな時には、翻訳でも十分だと思います。 けれど哲学の諸問題について学会発表や論文を書くためには、 外国語の文献を原典で理解しなければなりません。 やはり専門的な文献はあまり翻訳されていませんから、 二次文献を読むためにも、 そこでは相当に高度の語学力が要求されるでしょう。 哲学を原典で読むか、翻訳で読むかは、 それぞれの哲学の場によると思います。 ちなみに私の場合は、私の専門はほぼ原典で、 それ以外の教養(あるいは趣味)のためには、翻訳で読んでいます。 古典的な哲学の基礎的な知識を得るためには、 すでに優れた翻訳もありますので、翻訳で十分だと思います。
266 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 07:55:04
>263 先端の重要論文群を隅々までフォローしようとする学者は、 翻訳されている論文が少なすぎるので、自ずと原語で読まねばならない ということですか? イエス,かな。264,265には大きな異議なし。
西洋の哲学を日本語で語るのは難しくね? ニュアンスまで含めて単語を訳出する、という難しさももちろんあるけど、 おれが言いたいのはそこではなく文構造に起因する難しさというか。 フラ語だとすっと書ける文章が、日本語だと指示代名詞をやたらめったら 使ってだらだら書くハメになる・・・てな経験したことね? だから日本語では哲学なんてできねー、と主張する気はないんだけどね。 西洋哲学をやるんだったら外国語を知ってたら、人の言うことを理解する ことだけではなく、自分の主張を伸べる際にも「便利」かつ「有用」なのは 間違いないような気がする。
268 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 12:48:08
哲学の専門家といっても、やっている哲学の意味に応じて分類したほうがいいと思う。 だから、僕は、文献哲学の専門家と、思索の専門家とを分けて捉えているよ。 それぞれの次元で専門論文がある、と考えている。 一般的学会論文は前者。文献の考証が本質。 後者は、読み手を限定せずに、ひたすら直接の問題自体の思索の展開に特化しているもの。 ウィトゲンシュタインや大森荘蔵や永井均は後者。 哲学は二者の協同作業。
269 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 15:58:31
>>268 シンプルに文献の専門家と哲学の専門家という区別でいいのでは?
つまり、誰それの何文献にある何論に執着している文献屋と、物事とは何か?(とは何か?)に執着している哲学屋との区別ということになる。
270 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 17:01:39
議論や思索の現場で、問題に応じて自然に臨機応変に哲学を使えなきゃ何の役にも立たないので、 哲学を使いこなせるようになる能力を育てる訓練をもっとすべきだ。 こういった実践から目を背けていては、単なるオタクの雑学レベルのガラクタとみなされてしまう。 現に最近、哲学科不用論が膨らみつつあるので、これを論破するためにも、哲学(教育)というものの再考・改革が緊要である。 哲学的なものは断じて無視できるわけがない。あらゆる思考や学問領域の根底に隠れ横たわっているものだから。 哲学者は、自分のやっていることの本質を把握し、その責任を自覚すべきだ。 さもないと、「役に立たない」という一面的正論=一面的短慮を退けることができないから。
271 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 17:15:40
哲学はもう死んでると思うけどなw
272 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 18:04:11
270 >哲学者は、自分のやっていることの本質を把握し、その責任を自覚すべきだ。 哲学の本質と社会的責任は重要なテーマ。あらためて,それは何でしょう?
外国語で書かれたの文献を読むことがどうとか言う話と関係ないんですが、 いろんな言語を学習することで、言語について考え多くの事例を知る機会を持つことって、 哲学をする上でものすごく役に立つような気がします。しません?
274 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 21:25:21
1.いろいろな言語を知っていることは、哲学をする上で役に立つ。 2.自然科学などいろいろな学問の知識をもっていることは、 哲学をする上で役に立つ。 3.職業とか、結婚とか、離婚とか、病気とかのいろいろな人生経験を積むことは、 哲学をする上で役に立つ。 1〜3についておまいらの意見はどうよ?
>>268-269 「文献屋」と「哲学屋」の別というのは、個人における態度の別であって、個人間の別ではない。
問いへの直接的思索なくして哲学文献を理解することは全く不可能であるし、
また「哲学屋」にとって古典的文献以上の「対話」相手は極めて稀有だと思うが。
276 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 22:50:16
>>275 文献理解での思索と、裸一貫からの根本的思索とは似て非なるものだ。
この差異が分からないとすれば、その人は経験したことがないということに過ぎない。
経験がないと、さっぱり意味さえ分からないかもしれない。
思索の素材は文献だけではない。ある程度社会で生活し日常語を使いこなせていれば、思索の素材をもっていることになる。
それどころか、直接の現実こそが真に思索すべきテクストである。文献は補助にすぎない。(文献が主になってしまっている人を文献哲学者と呼ぶのだろう)
しかし問題を表現する技術を学ぶには、偉人の思想の勉強は必要だろう。
また、古典文献との対話は非常に有効だが、距離のとり方も問題。溺れてはいけない。
277 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 23:20:39
>>272 哲学の本質
常識やパラダイムやイデオロギーを括弧に入れること。
社会から相対的に自由な判断ができること。
物事を、抽象的・部分的ではなく、具体的・全体的に見られること。
責任
短慮(からくる暴走)を常にチェックし批判するという重大な任務にたいして責任がある。
278 :
考える名無しさん :2006/03/02(木) 23:30:06
>>274 全部ほどほどに役に立つと思う。 厳密に役に立つかどうかは、個々人の持っている興味やテーマによると思うけどね。
>>276 「直接の現実」なんていうのは幻想
文献やデータに基づいた客観的な分析ができない奴の妄信
280 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 02:09:54
>>279 文献やデータも過去の「直接でない現実(というよりほとんど妄想)」に過ぎない
>>280 だからこそ「直接の現実」などないのだよ。
282 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 02:13:36
だからこそ「客観的な分析」などないのだよ?
>>282 文献やデータの分析には客観性はあるのだよ。
284 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 02:17:18
過去の妄想を妄想として客観的に眺めるわけだね?
286 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 02:20:15
資料分析と哲学は異なるのだよ。
287 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 05:40:35
>>277 看板,理念で言えば,
大学における哲学の位置:諸科学を「綜合」し,必要ならば批判する
フォーラム
かな。
「大学」をはずせば,
人間や組織の諸活動の「意味」を問い,必要ならば批判するフォーラム
かな。
「評論」の高邁な形態。
>>276 >この差異が分からないとすれば、その人は経験したことがないということに過ぎない。
>経験がないと、さっぱり意味さえ分からないかもしれない。
>直接の現実こそが
なぜこのような詭弁を弄してまで、「哲学文献研究家」と「哲学者」を分割したがるのか、理解に苦しむ。
そんなに哲学書が嫌いなのか?
根本的思索は文献との真摯な対話の必要を解除しはしない。
根本的思索者は自らの思索を試練にかけ吟味し、より練磨するために、
単なる思索の素材ではなく、思索する他者、すなわちテクストとしての文献を何よりも必要とする。
他者不在の思索など一片の価値もない。
それは良くてもせいぜい「個人的な思想信条」であって、「哲学」ではない。
289 :
哲学者 :2006/03/03(金) 09:35:21
「哲学文献研究家」と「哲学者」は明確に異なる。 哲学者の集合はほぼ文献研究家の集合に包含されるがね。
290 :
哲学者 :2006/03/03(金) 09:40:34
>根本的思索は文献との真摯な対話の必要を解除しはしない。 必要ではあっても、十分ではないのだよ。 文献との真摯な対話のみで充足してしまうのが、文献研究家と呼ばれるべき者たちであろう。 言わずもがなだと思うが、わしは276の考えに賛同しているわけではない。
>>288 ではプラトーンは現代人よりもテキストを読んでいないので
哲学者度は低いのですか?
292 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 11:18:19
>>290 現役の「哲学者」の名前を挙げるとするとドナタ?
>>291 ギリシア時代の人物と、現代の我々とを直に比べるのは見当外れ。参照しなければならない文献量が全く異なる。
>>293 それは要するにプラトーンのほうが
現代人よりもテキストの対話をしていないということですよね?
それとも古代の人はテキストと対話していなくとも哲学者と呼べるのですか?
295 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 11:39:47
>>288 あなたは、強靭な哲学的思索を経験したことがないようだ。経験がないひとは的外れな屁理屈をこねがちだ。
考えるということは自分でしかできないことだ。他者不在以前に自分不在では、からっぽだ。
当たり前のことを確認しておく。
文献研究をほどほどにして問題の探究をするのが哲学者
文献研究自体が目的になるのが文献学者
文献研究といっても、いろいろな次元がある。単純化しすぎてはいけない。
こんなこと自明だね。問題はシンプルなことにすぎない。この区別を否定したがる人のほうが歪にみえる。
シンプルに見えないということは意味が分かってないということ。
自立的で根本的な思索=個人的思想信条としてしまうのも、思索というものに対する初歩的な誤解だ。
経験あるのみ!ウダウダ言わずに挑戦してみたらどうか?
本来、哲学の問題は、人がその中で生きている現実から見出すものだね。
現実は直接的で、文献は間接的なものに過ぎない。当たり前!
あなたには、哲学は、文献の中にしかないのかな?
どうしても分からないなら、まず初歩中の初歩の中島義道の本からはじめよう。
>>294 哲学者と言っても、
当時は小さなポリスのなかだけの話だったから、
現代の意味で普遍的に哲学者だったかどうかは不明。
ただ今は、二千年以上の歴史の継承を経て、
プラトンは古代ギリシアの歴史的な人物として
哲学者と呼ばれるようになった。
>>295 >人がその中で生きている現実
>>288 じゃないが、
現実現実うざいよあんた。何を「現実」と見做すか、
現実の捉え方、現実に対する哲学的な見方は、
それこそ哲学的文献との対話を介して培われる。
それなしには、赤ん坊にとっての「現実」と同様、
「直接の現実」など説明不可能、理解不可能なお題目に過ぎない。
現実イデオロギー万歳!
299 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 11:49:17
288の偏狭な見解では、 少なくともウィトゲンシュタインが説明できないね。
300 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 11:50:28
294 プラトンはソクラテスのそばにいたんだ。最高級の対話圏に身を置いていた んだよ。つまり完全に伝統を踏まえていた。当然ソクラテスも対話圏に身を おいていたー彼の場合はその主人公だけどね。かれらが哲学者でないとすれ ば,誰も哲学者ではないよ。
301 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 11:52:59
英語に比べると日本語は,聞き手に大きく,その話の内容の判断を委ねる. と聞いたことがある. 言葉の厳密性を追い求める,哲学には日本語は不向きかもね. だから,あんまり哲学盛んではないのかな. 考えるよりもやってみよう. 日本はそんな風土なのだ. だから,物作りが強いのだ.
302 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 11:59:26
>>300 うん,ソクラテスとプラトンを哲学者の例にとり,それとの距離で いろんなヒトの位置(哲学者度)を測るのは悪くないね。
303 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 12:01:45
>>297 ひどい的外れな曲解だね。 現実なんてものごころがついたら、誰もがもっているものだよ。 現実の中で生きていない人はいないよ。 哲学以前の問題ね。そしてその基底をなすのが日常生活。
所与の事象を「現実」として無批判で受け入れておきながら 哲学か。おめでてーな
305 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 12:05:16
現象学って知ってますかw
>>305 知っているとなんか良いことあるのかね。
それとも貴殿はそれでなんか真理でも見出したかね。
もしそうなら、それを開示してみせたらどうだね。
できないなら、すっこんでろ。
学問分野の名称を挙げるだけで、人よりも分かってる気になってる奴っているよねー。
>>303 じゃあ「現実」や「日常生活」とは何か説明してみ?
「現実」や「日常生活」は誰もが素朴に接しているからこそ、
哲学をするには、分かったようなふりをしたり、単純に
前提したりしてはならない「謎」なのだよ。
現象学的還元は「現実」や「日常」へのドクサをエポケーすることから始まる。
309 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 12:30:16
>>308 あれっ、それは反論ではないよ。
同意だよ。文句ないよ。
僕は、哲学を行う出発点・素材が現実だの日常だのといってるだけだからね。
>>309 だから、現実や日常を単純素朴に前提しないためにこそ、
過去の文献や哲学史の吸収によって、哲学的に批判的態度
を身に付けなければならないということ。
そのために文献研究は不可欠。
ウィトゲンシュタインは無学のまま哲学したかのような神話が
まかりとおっているが、大間違い。
ウィトゲンシュタインは、ラッセルを批判できるほど
当時の哲学には精通していた。
311 :
308 :2006/03/03(金) 12:52:30
>>310 だから、文献研究といっても、読み方の問題が本質的問題だよ。
文献研究が必要有益でも、文献哲学者になるということとは全然別のはなし。
ウィトの古典軽視(プラトンは時間の無駄というくらい)は事実。
ショウペンハウエルはきちんと読んでいたそうだ。
文献研究がゼロでいいかどうか、といういびつな問題設定をしてるのは貴方のほうではないのかな。
>文献研究がゼロでいいかどうか、といういびつな問題設定をしてるのは貴方のほうではないのかな。 はげしく同意。
313 :
311 :2006/03/03(金) 13:14:12
誰それの哲学文献にはものすごく精通しているが、誰それのコピー的見解しか述べられないのが文献学者。 自分の言葉で自分の見解を述べられるのが哲学者。 文献研究しているか否かが問題なのではなく、哲学しているか否かが本質的問題。 文献学者でありながら哲学できている人もいるから。(広松渉など)
クォックグーを知らんようだな
315 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 13:17:34
杜玖椀を知らないのだろうね、おそらく
316 :
311 :2006/03/03(金) 13:18:59
補足しておくと、哲学していても文献学者ではない人もいる。(ウィトなど)
318 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 13:34:58
哲学研究者で,文献研究のみやっていて肝心の哲学的問題と格闘していないヒト なんている? いれば,冷たい目で見られて仕方ない,自分はそうはなりたくない, とはワタシも思う。
>>313 >文献研究しているか否かが問題なのではなく、哲学しているか否かが本質的問題。
そんなことは判りきっている。
いまは「文献研究のためには哲学が必要であり、哲学のためには文献研究が必要である」という見解に
関して議論しているんだろ。
それについてはどう思うのかね?
ウィトゲンシュタインの例があるから文献研究はいらない、では話にならんよ。
>>318 禿同。
また、文献研究に従事しない人々にも、
「文献研究と哲学は相即する」という「理念」は必ず保持されるべきだと俺はおもう。
永井均もどこかでいっていたことだとおもうが、
「○期○○における○○概念について」というような典型的文献研究は哲学的でない、
というが如き意見には一切同意できない。
320 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 14:17:34
>>319 前半同意。
後半
>永井均もどこかでいっていたことだとおもうが、
「○期○○における○○概念について」というような典型的文献研究は哲学的でない、
というが如き意見には一切同意できない。
これには違う意見。
「○期○○における○○概念について」という研究が典型的「文献研究」かどうか
わからないが,そしてこのタイプの研究が全然哲学的ではない,とも思わないが,
あまり面白いとも思わない。
ちがったスタイルの研究,問題に則した研究のほうがよい,と思う。
321 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 15:36:59
どうでもいいこと議論してないで、自分が哲学だと考えることでもやったら? それとも、哲学に外国語が無関係かどうか考えるのが、おまいらの哲学なのか?w
>>274 > 1.いろいろな言語を知っていることは、哲学をする上で役に立つ。
哲学書や哲学の論文を読んで考え方を学ぶ上で役に立つと思う
結果として、自分が思索するという行為において役に立つと思う
> 2.自然科学などいろいろな学問の知識をもっていることは、哲学をする上で役に立つ。
自分が思索するという行為において役に立つと思う
こういった知識を得るために論文を読んだりするんだったら、
いろいろな言語を知っていることは役に立つと思う
> 3.職業とか、結婚とか、離婚とか、病気とかのいろいろな人生経験を積むことは、哲学をする上で役に立つ。
生きていく上で役に立つと思う
と、とうしろの俺が思ったりした
323 :
313 :2006/03/03(金) 23:14:23
>>319 同意だ。どんな哲学的思索であれ、多少なりとも文献解読に影響されているから。
ただし、何をすべきだとか何を読むべきだとかが決定できない、ということも強調しておきたい。
なぜなら、格闘すべき問題自体が決まっていないから。問題しだいでは、古典を軽視する可能性さえ残されているから。
ちなみに永井は「私・今・そして神」という本で、今までの哲学はほとんどダメで本当の哲学はこれから、と書いている。
また別の本で、学者的文献研究をしたことがない、と書いている。
どういう種類の文献研究をするかは問題の種類が決める、というのが妥当だと思う。
もちろん文献研究ゼロはありえない。
324 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 23:27:39
このスレ、永井がこう書いているとかいうことがよく出て来るんだが、 そいつが何を言っているかなんて、この問題にどう関係があるんだ?
永井って『ハレンチ学園』の作者?
デビルマンじゃなかった?
永井は両方ともかいている。 間違いない!
328 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 01:23:51
杜玖椀を知らないようでは問題だよね
329 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 09:02:03
ここでいわれている「文献研究」と哲学者研究とは同じではないようだが, ときどき哲学者研究を「文献研究」といいあらわしているようだ。 哲学者研究を否定するわけではないが,問題研究がメインになるべきだと は思う。
「哲学に外国語は無関係」とか言う馬鹿に「問題研究」など不可能。
331 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 10:34:11
たぶん、問題を文献からではなく日常で自然に見出してしまうタイプの人(哲学病患者?)が、 問題の探究と文献の研究との差異に敏感になるんだろうね。永井もそういうタイプだろう。
本当は日常の問題自体が、様々な文献で考えられてきた ことなのにねぇ。それを自分で直接に見出したかのように 感じられる感覚が病気ってことか。
333 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 11:33:56
いろいろな人の影響下で自分が問題を考えてさせられていることが 自覚できない人が、「自分で考える」などと言うのです。
334 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 11:36:44
永井の病状はすごいぞ。 文献読む前にすでに(幼少のころ)自力で哲学的問題を見出していたんだって。 そういう問題が哲学というものだ、というのを後で本読んで知ったそうだ。
336 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 12:41:31
>文献読む前にすでに(幼少のころ)自力で哲学的問題を見出していたんだって。 そういう問題が哲学というものだ、というのを後で本読んで知ったそうだ。 これは別に不思議でもスゴイことでもないよ。哲学上の問題は基本的なものだから,子ども も接触できるよ。
337 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 13:10:46
哲学の問題の中には、子供も接触するようなものもある。 独我論とか時間論の一部とかね。 一方で、子供は普通考えないような問題もある。
338 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 13:31:17
>一方で、子供は普通考えないような問題もある。 その通りですな。永井さんの名前がよくでるけど,本気で独我論を主張している ようだね。誰か彼の「独我論」をコンパクトに説明してくれない?(何,自分で 読め!?話を聞くほうが手っ取り早いので)
サンスクリットの中動態を知らんようだな
340 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 13:59:10
1.独我論批判の議論がたくさんあるが、<私>には独我論の方が正しいことが分る。 2.<私>は子どものときからそれが分っていた。 3.このような天才である<私>の考えに間違いがあるはずない。→1に戻る。
341 :
考える名無しさん :2006/03/04(土) 19:44:31
>340 ふーむ。これはウィトゲンシュタインの後期思想が克服しようとした考え じゃない?
342 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 00:58:34
>>333 そのいいぐさじゃあ
ようするに無知なガキが夢想するタワゴト以外
全て自分の考えじゃない
ということになってしまうね
343 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 01:21:11
そうそう。大部分の人間には「自分の考え」なんてものはないよ。
自分の「独創的で主体的な考え」も、実はそれを 根底で構成している言語や社会の権力構造によって 語らされているにすぎない、というのが、 構造主義以降に踏まえられるべき常識ではなかったか。 バルトのいう「作者の死」だ。
345 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 02:01:01
あほくさ。そういったことは踏まえた上で、 なにか新しい捉え方なり切り口の発掘があるか、 という意味で「独創性」を議論すべきだろう。 そうじゃなきゃはじめからこんなスレはナンセンス。
347 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 02:04:42
単なる文献オタクの言い訳に悪用されがちなフレーズだな。w
>>345 「すべき」じゃなくてお前の考えでお前が言ってんだからお前が自分自身で展開すりゃいいだけの話だろ。
呆れた奴だな。
自分の「独創的で主体的な考え」も、実はそれを 根底で構成している言語や社会の権力構造によって 語らされているにすぎない、というのが、 構造主義以降に踏まえられるべき常識すらも、 単なる思い違いの結果に過ぎないかもしてない、といって誤魔化すのが、 哲学の歩んできた道のりではなかったか?
350 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 05:15:56
「作者の死」って面白い。サンクス。 >自分の「独創的で主体的な考え」も、実はそれを 根底で構成している言語や社会の権力構造によって 語らされているにすぎない はひとつの見方にすぎないだろうが,独我論への警鐘,解毒剤にはなるね。
>>344 確かにバルトに限らず、アルチュセールの重層決定論やフーコーの言説権力論も大筋ではそのような考え方だよね。
実際、永井の独我論や竹田の現象学等は、彼らの独創どころではなく、日本の戦後民主主義の微温的風土の中に生きる哲学者ワナビー達に要請され供給された既製品の玩具に過ぎないだろう。
352 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 10:40:43
>竹田の現象学 竹田さんてどんなこと言っているの? (向学ためお尋ねします)
354 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 16:22:36
>>351 戦後民主主義は、元をたどれば、キリスト教文化の奇形かな。
355 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 16:55:12
どんな領域であれ、絶対的に純粋な独創はありえない。あたりまえのことだ。もちろん、ウィトゲンシュタインでさえ、「根底の社会的なもの」で説明できるかもしれない。 しかしここで問題になるのは、にもかかわらず、 独創/非独創、という言葉(区別)が実効的に使用されうる、つまり無意味ではない、ということだ。 単に、独創なんてない、とい言い切ってしまうことによってある種の現実や本質を切り落としてしまわないのか? 社会関係・作用決定論だけで済ませてよいのか? 社会関係・作用決定論に対する決定的な反論(否定)は不可能であるとしても。
キリスト教文化の基本はヒエラルヒーだが。
357 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 17:05:23
いや、人権思想や平等思想はキリスト教の基本。
人権思想とは平等思想ってのは啓蒙主義以降の考え方なわけだが。
359 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 17:18:26
近代のはキリスト教の思想が生んだもの。 たとえば、キリスト教にいじめられたガリレイでさえキリスト教の信仰をすてなかった。
360 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 17:23:35
啓蒙主義はキリスト教の子、 マルクス主義でさえ、キリスト教精神が根底にある、という説もある。 すくなくとも、キリスト教のないところでは人権という観念は生じなかった。
ヤンセン主義者のことを念頭においているんだろうが、 彼らを異端あつかいして破門したのはローマ法王だった りするわな。 キリスト教文化なんてのは長い間に変遷しているわけだから、 それを無視して、「キリスト教文化の奇形」などと言っても 何かを語ったことにはならない見本だね。 市井でインテリの振りをするのには役立ちそうだが
362 :
考える名無しさん :2006/03/06(月) 10:35:24
議論の伝統があって,そこに未解決の問題があり,それを解く,というのが科学の スタイル。哲学もおなじだろ。もともとの哲学のスタイルか。
宗教モデルがあるから、未解決というよりは、理解できていないのでしょうね。
364 :
考える名無しさん :2006/03/30(木) 13:29:06
関係あるに決まってる
ほんとうかな?
英語読めてドイツ語読めない場合 原書がドイツ語のものなら日本語訳で読むより 英語翻訳で読むほうがいいですか?
367 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 20:08:57
あげ
368 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 22:52:39
何よりも、訳者の文献哲学者、翻訳家としての実力が問題。 訳者が学者として同レベルなら、ドイツ語の兄弟言語の英語訳のほうがいいだろう。
369 :
考える名無しさん :2006/04/02(日) 23:48:23
あと外ではウォシュレットは使わんね。使い方しらんアホがウンコびっちゃーって ウォッシュレットの射出口にぶっかけてる可能性を否定できないからな。
西洋哲学を楽しむに際して 独仏希羅は原典とその他2次文献を読むのに必要。 英は訳・注釈用の言語。なくてもかまわない。
訳・注釈用の言語ってどういういみ?
372 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 23:11:44
370のいう哲学は狭すぎるよ。 英米哲学が抜けてるからね。 現代において英米哲学無視は致命的。(現代では現象学と英米哲学以外はほとんど死んでいるから。) 旧きよき古典を愛でているだけでいいなら、それでもいいけど・・・
373 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 23:41:37
旧い哲学=形而上学はいうまでもないが、 英米哲学も死んでると思うけどなw
374 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 00:03:29
ワラってるアホ
375 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 00:10:23
哲学自体が死んでるだろ
376 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 00:11:17
あほ、死んでるのはおまいの脳だ。
377 :
通行人 :2006/04/04(火) 00:24:51
366>カントでも英訳の方が良いとドイツの学者も云つてゐる。 18世紀には標準のドイツ語だつたけど、今ではドイツ人にも分らなくなつてゐるさうだ。
...-ー、,-─ .-=・=- i、-=・=- .∩2z、 .. / ー-' ヽ / / こっちじゃよ? . -=ニ=- /`/ , ' _ l´ '⌒ヽ-‐ / / } } + / / / リ | | / ノ C、/ / ╋ / | |/ / // & \____/ ( ノ/ _/―'' ⌒ヽ-、__/  ̄ ̄ ̄`ヽ '´ / 十 /  ̄ ̄`ー- ...,,_災__,/| / + / ノ {= | | + ∠ム-' ノ,ィi、ヽ、 十  ̄ ╋
379 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 01:03:20
>>377 どの翻訳が評判よろしいですか?
現代ドイツ語訳のカントがなかったか?
381 :
考える名無しさん :2006/04/04(火) 22:37:03
全然知らない英単語がなくならない。 まじウザイ
きっと全然知らない日本語もなくならないよ
383 :
考える名無しさん :2006/04/11(火) 02:54:47
,-――――――-. / | へいらっしゃ / | / | l"ゴキロー寿司 l ゴキは絶不中トロ ,、_lー-―――――‐--、/l チャンスに打てずにドツボにハマチ !"'''';;、|.i'"_,, | 自己中バントはイカが? 3試合連続タコって !丶_`イi "゛゛`''‐ ,.-''''゙゙゙゙''ヽ |"l'y,''"i カレイにカサカサ チームにウニが溜まって ヽ...\ |! '‐=*ニ,>/.i <,ニ*=‐' {;;iゞ ,! ゴキロー孤立でメシ食いにイクラ \.....〔: _ノ i |!゙.../ / \,| (,"、 ,゙",! l" / チャーララチャララチャーララチャララ〜 ! ,-‐ v ‐-、 ,i/ /i:ト、;;i, <, <ニニニ> >; /ヽ__ ここのすし屋や日本一! r-‐'´i::::ハ;;ヾ、 ,゙''ー!r!!ノ´/i:::'i`i‐- 、_ ::i' .l:i 'i::::i ヾ;;`‐---‐'i':/ i、 'i::! i::::i ` ゴキ食いねえ ゴキ食いね〜 :i' i:| !:::l _,r.、;;;;;,r''´ヽi. ll::i i::i l:::'i
哲学 = 外国語 外国語 = 哲学
哲学=うんこ 外国語=しっこ
386 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 01:22:59
身のためにならないが有益なことと、身のためにならないし 無益でもないことがある。
文献蚤学者必死棚
↑釣れますか?
390 :
考える名無しさん :2006/05/18(木) 11:37:03
doukana?
>>
>>1 どれだけの人間が在って,どれだけの考えが有ると思ってるの??
日本人同士の考えだけでスッキリするならどうぞ。
392 :
考える名無しさん :2006/05/18(木) 23:21:57
> 文献蚤学者必死棚 必死というか漫然とだね
393 :
考える名無しさん :2006/05/18(木) 23:30:00
>>391 その論法を徹底すると
ヨーロッパだけ何ヶ国語できても足りない。
全世界の言語をマスターしなければ哲学できないということになり、
だから、哲学者は全部失格ということになるが。
それこそ、どれだけの種類の人間がいて、どれだけの文化・考えがあるか真剣に考えれば、
こう考えざるをえない。
大きなスケールでみれば、1も391も五十歩百歩お互い様だ。
訳せるってことが大事なんだよ。大雑把に性的な意味で。
意地なのか?w 発狂して首吊りそうになったことあるか?w
あのときは、これ、こわれそうになったからなw
処刑ライダーって誰と喋ってんの?
お喋りしてるんじゃないのw
何やってるのかさっぱり分かんねーよ?
上層の連中は良く分かっておる。
それも意味不明
社会構造そのものが、いや、さらに、人間存在そのものが、 いや、さらに、牛糞とそこにわく蛆でさえも、 いや、さらに、宇宙の生誕そのものすらも テクノロジーによって初めて規定されているということに まだ気がつかないのかな?
哲学 = 文学 = 外国語 外国語 = 哲学 = 文学
最近、修辞学に興味持ってレイコフの「レトリックと人生」なんて読んでるけど、 思考と言語には密接なつながりがあると分かる。 外国語で説明不能とは思わないけど困難だなぁと実感させられる。
外国語ができない人間は翻訳されるまでチンポを咥えて待ってるつもりか?
406 :
考える名無しさん :2006/06/06(火) 17:48:08
>>405 いやぁ親上京君悲惨だなぁw
潜伏スレを暴かれて照れ隠しに大暴れw
ぶひゃひゃひゃ
池田並みの単純自動スクリプトっぷりで天晴れじゃw
407 :
考える名無しさん :2006/06/06(火) 22:43:49
外国語なんて筋力トレーニングみたいなもんだから、こつこと続けるのみ。 馬鹿でもでき、最も努力が報われる分野なんだから、あほらしい苦手意識で自分から放棄するなんてもったいない。
哲学者って外国語の先生のことだよね?
409 :
考える名無しさん :2006/06/06(火) 23:13:15
408> 悲惨だが、現状ではそうですなw
410 :
考える名無しさん :2006/07/12(水) 15:01:38
外国語に詳しいだけでは哲学はできない
411 :
考える名無しさん :2006/07/12(水) 16:15:39
脳に癖があればだれでもできます。芸術家と似たようなものですね。 なぜか本など読まなくても似通った考えに進展するもの。 おそらく哲学をする人間にも発育上の偏向性、社会的な共通性があるのでしょう。 あとは言語力やら熟語の使いまわしで個性を磨けば立派に哲学。 題目を観点に分析し、しゃべれば、分析脳と呼ばれる左脳の前頭葉も活性化し、質をつくる。 これが循環して哲学者となるのですね。
412 :
考える名無しさん :2006/07/12(水) 22:33:30
安易にすぎるよ
413 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 02:34:29
次!
414 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 03:20:06
>>1 は正論
外国の文献を読んで勉強することが哲学だと勘違いしている輩が多すぎるのが日本哲学界の通弊だ
415 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 05:49:59
で、君の考えではどうすることが哲学なんだね?
416 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 05:56:05
〜だね?〜かね、〜したまえ、〜だとも、 とかいっちゃう奴は翻訳小説に侵食された日本語をまずなんとかすべき。
417 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 06:05:38
そもそも、職能的哲学は芸能の一種であるからして、幇間的自覚を持たざるを 得ない。このためには、周到なる気配り、あるいは身分・秩序への敏感さが 必要とせざるを得ない。 かくのごとき才覚は商人に似たるものであって、良きパトロンを得れば栄達も 夢ではないとぞ覚ゆるものなり。
>>51 いいねぇ〜、それ民族言語だろ?ノスタルジックだね。
419 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 06:13:36
>417 いとあしざまにてつきづきしとおぼゆ
日本人は外国語を学ぶには有利だよね。
421 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 09:42:30
>>420 なんで? むしろ不利だろ。外国人少ないし。
>>421 ・外国語として難解な日本語を母語としているから、外国語を客観的に把握しやすい。
・先進国の言葉の研究、翻訳などが結構進んでいる。
・金がある。
母語のように外国語を駆使できるようにすることが,外国語の勉強だというなら逆に不利だけど、外国語を知るためには有利
424 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 10:54:18
外国語を判った気になるには便利かな
425 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 12:51:16
もし422のように英仏独語だけが外国語(あとギリシャラテン)だという スタンスなら、日本人は決定的に不利だよ。そんなのラテン語を勉強 したらわかることかと思ってたが、違うんだ。 日本の優位性というのは、いわゆるマイナー語でも翻訳者がいて 本が出版されてたり、教材が売ってるとこだと思う。
426 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 20:12:07
堵虞慧螺くらい知って置けよ
427 :
考える名無しさん :2006/08/12(土) 20:43:58
哲学科の先生は 外国語の勉強にちょうどいいやって思ってるんじゃない?
428 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 03:48:15
外国語で論文執筆できるほどの語学力がないのなら 外国語が「できる」などと驕ってはいかん。
429 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 04:19:34
書けない話せない聞こえない できる言葉も少数のヨーロッパ語だけ 語学板基準では底辺ランクだな。
だまれ爺!
431 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 08:28:26
下らねー。 明治大正生まれじゃないと尊敬できる爺はあまりいないからなー。
最近のオヤジは虚栄心ばかり強くて骨がない。敗戦の残影だ。 昔は骨太のオヤジも珍しくなかった。
粋がるな坊主。 戦後は精神を貧困化する社会的な圧力が強かった。 子供が逆らえる圧力ではなかったのだよ。 何より生き延びるだけで精一杯であり、精神が省みられなかったのは仕方のないことだった。
434 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 10:51:34
語学板は3〜4言語は読み書き話す自由自在で国際会議で自由に討論できるとか 15ヶ国語くらい読めるとかざらだからな。
435 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 10:55:22
>>425 その通りだと思いますね。
とすると、哲学研究にとってそれは
どのようなメリットになると思いますか?
まず形を繕わなければならなかった。 容器がなくては何も入れようがあるまい。 形だけでもまず整えるのが当然優先されるべき悲しい仕事だったのだ。 戦争の痛みだ。
437 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 11:01:47
>435 専門以前の部分では仕入れられる情報の幅が広がることだと思う。
438 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 11:03:55
外国語で論文を書けない程度の語学力で翻訳されてもな〜 誤訳ばかりになるんじゃね?
439 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 11:04:05
>>429 哲学を知らんようだね?
r'"⌒ヽ
/◎ω ◎\
,____/ヽ -==- /
r'"ヽ t、 ヽ___/
/ 、、i ヽ__,,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`'、__ / / /r |
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
/ \__ /
| "'ー‐‐---''
,ハ ,ィ' ,;-ゝ、
/ミ`ーt!,_,ィ-‐彡''"^ヽ
/ ヾ::::::::::::::::r''" ぃ ;}
l t:::::::::::/ ノ /
l! `'T7′ / /
440 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 11:06:17
語学力としては全然ダメダメだという事実にはかわりない
441 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 11:07:39
辞書引きながら独仏の現代語読める程度で、あたかも ものすごいことができるような顔されてもなあ・・・・・・
442 :
考える名無しさん :2006/08/14(月) 11:10:01
読めるだけなのがショボいんじゃなく、哲学の奴は白人思想学だから 決まりきった西欧語しか読めないことがショボいんだと思う。 歴史学も5言語くらい読めないとやってけない部分があるが、その 言語も実にさまざまだからな。
戦争の被害者って哀れだ。 戦争禁止すべき。
戦争って怖いね。 別に原爆被災者じゃなくても後遺症で子孫まで苦しむ。 だから戦争は終わらないのかもしれない。
インディアンが土地を奪われて、白人を付けねらったのを思い出すね。
┐(´ー`)┌
448 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 01:29:32
外国語で論文を書けない程度の語学力で翻訳されてもな〜 誤訳ばかりになるんじゃね?
449 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 02:52:49
哲学書はどれほど読みにくい悪訳をしても、読む側に変なプライドがあるから ムリに理解、解釈しようと必死になってくれる。変な語彙を使うと却って喜ばれる。 読み手責任で全てが進むから、訳す側には天国。コミュニケーション論からいえば最低だが。
450 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 03:56:54
つまり、見える者にしか見えないのだよ。
451 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 03:58:38
翻訳者にも見えてないけどなw
良い翻訳書に出会ったことのない人の愚痴は惨めですね。
453 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 14:13:17
同じドイツ語やフランス語を訳しても、訳す奴のギリシャ語ラテン語の 素養が深いと奇妙奇天烈なカタカナ語はでてこなくなる。
454 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 20:11:30
日本語力の欠如が珍妙な訳を生み出している
455 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 20:17:26
語学力あっても、国語力が欠如。 おまけに哲学に文学、詩学を持ち込むのが、悪訳。w
>変な語彙を使うと却って喜ばれる。 いかにも頭の悪い人間の発想だね。
457 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 21:51:25
そうかなあ。俺もミメーシスとかアフォーダンスとか、ドラマツルギーとか、 そういう変なのどうにかならんのかなって気するが。
458 :
考える名無しさん :2006/08/20(日) 00:34:15
堵虞慧螺轡簸も読まずに哲学を語る奴は痛いなぁ
哲学書を原書で読みたいから、外国語勉強するっていう人、 多いと思う。 無関係でもいいことだ。
460 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 13:25:58
いいことだが無関係だ
461 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 15:13:14
哲学やってる人の外国語力は結構低い 欧米の哲学者と英語や独語や仏語でディスカッションすらできない奴が多過ぎ
しかし外国語でしゃべりまくる奴ほど 中味空っぽのバカ発言しかできないんだよな。
463 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 15:19:42
外国語で議論できない程度の語学力で哲学を語る奴は痛いw
464 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 15:22:49
>>463 西洋哲学をやるなら、英語・独語・仏語・ラテン語を自由自在に使いこなせるのが必要条件だろう。
465 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 15:23:40
廣松渉は一度も海外旅行したことがないし外国語で喋ることもないが、一流の哲学者だ。
466 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 15:26:43
467 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 19:07:59
外国語で討論できるより、何語であれきちんとした論文が書ける方が良い。
468 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 21:54:59
ん?外国語で論文書いて査読つきの海外誌に載せるくらいは、落ちこぼれ学生でも出来るだろ。 だが、そのレベルの語学力で西洋哲学を学び始めるのは無謀きわまる。 外国語で専門的な討論ができる程度の語学力を身につけろ。哲学を学ぶのはそれからだ。
469 :
船橋キチガイ :2006/08/23(水) 22:03:00
コーヒー買ってきます。
470 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 22:26:41
>>1 は数学・記号学・論理学がバリバリに出来る人間だけに許される発言。
文系哲学の場合は基本的に思想史だから語学が出来ない人間は失格。
471 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 23:01:05
ヘーゲルやドゥルーズは、ものすごいたくさんの哲学を研究しているように見えるが、 語学はそれほど得意ではなかったようだ。
472 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 23:03:47
フランス語の達人だったそうだが?
473 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 23:21:53
広松渉は、若い頃は語学はサボり気味で、 むしろ翻訳書でいいから他分野の本の濫読に励んだ。 語学に熱心になったのはだいぶ後のことである。 新たな哲学の構築という目的にとっての優先順位を知っていたからだろう。 ただし、思想文献研究者になるという目的にとっての優先順位なら、語学をもっと優先すべきかもしれない。
474 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 09:09:05
哲学研究は文化研究だからね 外国語が出来ないと研究できない >> 473 廣松程度の思想家なんて掃いて捨てるほど大勢いるよ
475 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 11:26:30
>>474 >廣松程度の思想家なんて掃いて捨てるほど大勢いるよ
例えば?
476 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 12:54:08
下には下がいる。下を見て安心しているようでは駄目だ。
477 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 13:01:28
廣松レベルの思想家は世界的にもあまりいない。 外国語なぞで討論できなくても、一流ならば翻訳者が自然とつくものだ。
478 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 13:09:06
479 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 18:23:52
ドゥルーズは、指導教官のとき、学生の語学力はあまり気にせず、 論文内容のみをみていたそうだ。
480 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 18:30:38
フランスのいい加減哲学はお手本にならない。
481 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 18:41:16
日本語でも討論できない俺等が何をwwwww
482 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 18:45:41
パリに行ったときに女の人にぶつかってごめんなさいしたらにっこり微笑んだ。フランスの女の人は優しい寛容なのか。
483 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 18:55:30
ドゥルーズも広松も凡庸扱いするほどの哲学ってどんな哲学なんだろう? まさか、語学力が大したことなかったと言われるヘーゲルまでそういう扱いか? でも、語学力だけで測定すればそういうことになるわなw
484 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 19:00:27
馬鹿だな。日本の大学でやってる「哲学」なんて所詮は文献学なんだよ。 語学が×なら存在意義ないでしょうが。
485 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 19:36:00
うちの先生もそうだけど、多くの大学の先生は、 哲学と哲学文献学とは違うという自覚はもっている。 問題は、そういう現状をどう考えるかだな。 これを、強く肯定するのか、開き直るのか、強く否定するのか。 まあ最終的には哲学観の問題だろう。
486 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 20:18:30
哲学と哲学文献学を違うという認識を持っていても、 西洋哲学に関していえば、日本の大学で出来ることは文献学だけなんだよね。 最悪なのは、本人は哲学をやっているつもりでも、実際には文献学を やっているケース。まわりが大迷惑するんだなぁ、これが。
487 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 20:35:07
はげ同 そういうやつにかぎって、自分の頭で考えるというのは幻想です、とたわけたことを言うw
488 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 21:30:28
文献学・思想史学でない哲学は論理学・記号学・数学を基礎とした数学だろ。 これは日本の文系哲学では成り立たない。語学の壁が関係ないこの分野で日 本人の査定論文の発表がみられないことからも明らか。数学も語学も出来な い奴は哲学学ぶ資格なし。
489 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 21:45:01
「論理学・記号学・数学を基礎とした哲学だろ。」の間違い。メンゴ。
490 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 02:21:48
>>488 正論すぎると物議を醸すのが日本なのです。
馬鹿が自分で考えるって...
492 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 02:28:34
ま、日本じゃ相対的に言って馬鹿しか集まらんからな。 文化の差はどうしようもない。 もともと哲学には向いてないんだよ。
493 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 02:35:45
うわーなんかすげーのが来たなwww いまどきいるんだ。こんな1870年代くらいで思考がとまってる奴www
494 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 02:38:52
世界から相手にされてない業界で安逸をむさぼって悪かったなwww 実は君もこういう立場になりたいんだろ? 妬め妬めwww
「www」とか添えてるバカが「学問」なんて世の中進歩したのか退廃してんのか...
496 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 02:41:43
>>495 うわーなんかすげーのが来たなwww
いまどきいるんだ。こんな1230年代くらいで思考がとまってる奴www
497 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 06:01:05
哲学の奴ってできる言語も限られてるし、基本的に1スキル しかないからな。語学力として評価するなら非常に低いね。 最近、音声学と統語論の体系的な訓練受けてない語学教員は 採らない方向にどんどんいってるし、学生もプラクティカルな教授法を や具体的なスキルを求めてる。あと教育支援技術の進歩で コールを使いこなせない語学教員は明らかに淘汰されてる。 語学教員として生きてくのもこれからますます難しくなるよ。
498 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 10:47:24
論文書いてない教授は馬鹿にされるようになったね。 昔は「教授」というだけで尊敬されたものだけど。 日本史・法学・考古学などの学科以外は英語で論文を出すことが要求されるよう になったとき役立たずの烙印を押されて石投げられる哲学科の教員多いだろうな。
499 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 10:51:51
「哲学に外国語は無関係」。 だから国際語である英語での論文の発表が要求されるわけだ。 いい哲学の論文書けば英語に訳して査定のある雑誌に載せることが出来るだろ。
>>498 >日本史・法学・考古学などの学科以外は英語で論文を出すことが要求されるよう
俺、法学のある分野の教員だけど、ドイツ語で論文書くことが要求されることがあるよ。
ドイツ人教授の70歳記念論文集とかに投稿を求められる。
英語はまだないなぁ。俺の分野だと英語はないかも。他の分野の法学者なら英語もあるかもしれない。
501 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 23:59:19
>>499 実は哲学の場合、査定ってのがまた問題なんだよなあ。
中立性の担保が困難なんだよ。
いや、もちろん査読誌に論文出さなきゃだめだろってことには同意なんだけど。
公平な判断基準があろうはずがないw 内容考えれば明らかだろ
503 :
考える名無しさん :2006/08/30(水) 23:47:47
もちろん文芸批評のようなものなら主観的な価値判断次第だから公平な査定なんてない。 でも文献学としてなら緻密な資料分析という基準で論文の内容の公平な評価は可能。
504 :
考える名無しさん :2006/09/02(土) 18:27:32
ああードイツ語できるようになりてえよ〜
505 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 04:10:21
>>496 もうひとつ質問しよう。ラカンが聴講していたコジェーブの講義は
次のうちどれか。
法の現象学に関するもの。精神現象学に関するもの。カントに関するもの。
その他。
ふふふ。どれでしょう。素人君。学者を舐めんなよ。
506 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 11:44:12
ラカンが聴講していた講義を知っているだけで、給料が貰えるとは たいそうなご身分ですな。
508 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 12:52:02
文献学をやるなら外国語は必要ですね 哲学をやるなら物理や数学が必要です どちらもできない人には2chが必要ですwwww
509 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 00:16:20
「\ .「\ 〉 .> 〉 〉 / / / / / | / | / / / / ( 〈 . / /. \ `\ |ヽ | \ \ / | ヽ `´ ノ / ノ / l`、 ノ ノ ,...-‐''" _.l::::`ー,=-'( / ´ ,.!_;;;:r''.. ` 、 ,...-‐' _,....-‐'" `'-、:: ` 、 /.. ,....―'" `ー、__ `l /_;::::-'" /::::::::::::::::ノ ,.../._r'" ヽ`''「 ̄ ̄ (__ノ' \_\
510 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 20:49:02
X-man
511 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 00:47:54
ラカンが聴講していた講義を知っているだけで、給料が貰えるとは たいそうなご身分ですな。
512 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 01:36:53
哲学でもそうですが、第一線で思想を展開する人、それに共感して 追随する人、その解釈に走る人、信者のように信ずる人 講壇では、どうしても殆んど受け売り信者ですからね。 哲学科の学生は特に殆んど
513 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 01:39:16
つづきですが、ハイデッガーの場合、「存在と時間」が頓挫して 講義は殆んど他の思想家の解釈に回ったほどですから
514 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 02:55:13
それ哲学に限ったことじゃないだろ
515 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 03:40:04
音楽にもいえるね
516 :
考える名無しさん :2006/09/08(金) 13:16:09
木田元は、ハイデガーは哲学史家だと言ってるよ。 とは言っても、ほとんど自分で哲学してない哲学史家なんて次元とは違うわな。
「国文学」があるんだから、「国哲学」があったって よさそうなもんだと思うが。
518 :
考える名無しさん :2006/09/17(日) 06:27:04
繰り返して申しわけないが。。。 世界=思想 なのだよ。 そして哲学=砧歩 が正しい認識。 これは否定の仕様がないのだ。 論破などとは無縁の世界なのだが、それがわからないのだろうか。 論破は論破亞室でどうぞ。
519 :
τεστ :2006/09/17(日) 09:44:20
사분오열
520 :
考える名無しさん :2006/10/16(月) 03:45:20
真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを 自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたこ とがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる 民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。 それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立た しめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量 生産予約出版の流行を見る。その広告宣 伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意を なしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さ ず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえん なりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。この ときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹 底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行す ることにした。
521 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 00:09:46
世界から相手にされてない業界で安逸をむさぼって悪かったなwww 実は君もこういう立場になりたいんだろ? 妬め妬めwww
今日のぼやき「722」
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101 副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
(中略)
過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文をあり
がたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの
哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、
大幅前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。
(中略)
急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。
そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を
日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想
を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、
はやく実現しなければ、いけない。
523 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 04:33:42
>講義は殆んど「他の思想家の解釈」に回ったほどですから やっぱギリシア・ラテン語読めないとだめってことじゃん
524 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 07:19:52
223 :名無しさん@社会人 :2006/10/12(木) 15:15:15 だから、ポスモダってのは勉強したくない、確認作業したくないというグータラが、 それでも何とか賢こぶってカッコつけるための小道具だから。 224 :名無しさん@社会人 :2006/10/12(木) 17:09:46 だから、ファッションってのは勉強したくない、ダイエットしたくない というグータラバカ女が、それでも何とか着飾ってカッコつけるための 小道具だから。まあ、それでも多大な需要があるw
525 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 14:24:20
趣味で哲学をやるにしても、翻訳されてない哲学書を読みたくなることは あるわけで、外国語の勉強は大事だと思うよ。 それとね、卒論を書くときに、学部生はまだ原書を読みこなすだけの語学力は 無い人が多いから、翻訳に大いに依存すべし、ただ、この部分はキーになると 思われる部分は翻訳ではなく原語で読めたほうが良い、翻訳だと、どうしても 伝わらない部分があるから、自論も鍵になる部分だけでも読めるだけの 語学力はあったほうが良い・・・これ某教授から聞いた話です。
526 :
考える名無しさん :2006/10/18(水) 16:49:58
こんなスレ見てるとおれみたいに必要性に応じて英語ドイツ語ギリシャ語ラテン語フランス語、さらに最近オランダ語イタリア語デンマーク語ロシア語、あるいはアラビア語サンスクリット語 なんて勉強しなきゃならん人間って
527 :
考える名無しさん :2006/11/01(水) 03:46:41
528 :
考える名無しさん :2006/11/01(水) 23:03:03
ごりごりの文献研究をする場合、ほどほどの文献研究をする場合、論理構造や思考パターンを研究する場合など 文献解読にもいろいろな方向があるわけだから、特定の方向のみを絶対視するのは、独断的偏見だ。 そして歴史的にみても、哲学という営みはかなり多様で柔軟である、と言わざるを得ない。 このスレの語学絶対派とそのアンチとの対立は、 自己の狭い哲学観に束縛された者どうしの不毛な信念対立であろう。 なぜ、論理的思考訓練をしているはずの哲学徒がそんな不毛な信念対立に陥るのか? これは実に興味深い問題である。
529 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 18:13:50
実はもっと本質的な対立がある。 1、哲学をするのに哲学書を読むことは(絶対)必要か。 である。 2、読むとして、原書で読むべきかどうか。 は、そこにまた別の問題が付け加わっている。 さて、私の意見。 1、もちろん、読まない必要ないが、不可欠ではないことは常に自覚すべきことだ。 ソクラテスは哲学書を読まずに本物の哲学した。それは可能だし、今日なお可能だ。 この自覚こそが、「哲学」をはじめて可能にするのだ。 2、原書を忌み嫌う必要がないが、これまた不可欠ではないことを知るべきだ。 イギリスの大学でウィトゲンシュタインの『探究』などの演習に出席していたが、 院生たちは誰も(ドイツ語等の)原文を参照していなかった(俺だけだった)が、 きわめて高度の議論をしていた。一度gameという概念の話になったとき、 ドイツ語のSpielとの意味の違いについて発言したら、先生に褒めてもらえた! (その時だけだった(涙))。
哲学をするには歴史や自然科学の素養が必要 哲学文献学をするには語学の素養が必要 このスレは終了でいいよw
531 :
考える名無しさん :2006/11/20(月) 07:31:30
哲学といな営みを客観に的にみれば、 語学とは無関係という見解も、語学は不可欠という見解も、 どちらも正しいと言わざるを得ない。 529の、必ずしも哲学書を読む必要はない、という見解は、 必ずしも読書家みたいにたくさん読む必要はない、という意味なら正論だと思う。
1 俺は,「自分が哲学してるのと同じテーマの文献なら読む必要がある」と思う。 (理由) 哲学のテーマは,一部の天才を除いて,人間の短い一生のうちに解決できるような問題ではない。積み重ねられたものの上にさらに,何かを積み重ねることが重要。 また,自分がAという主張をしたとき,過去にAの主張をした人がいるなら,その人の考え方とその人への批判を知ることは発展へとつながるし, 自分が考えもしなかったBという主張を吟味することも,またAという主張の確実性を担保するために必要。 2 俺は,「読む必要のある文献ならば,可能な限り重要なタームの原義を理解することが必要」だと思う。 (理由) 誤読の可能性を減らすため。 ソクラテスみたいに,テーマを自分で設定したなら,そりゃ最初からやればいい。もちろん,自然に触れるなら自然科学の文献をよまなくてはいけないけど。
533 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 03:15:11
次どうぞ。
534 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 08:16:26
翻訳は、原典を参考にして、 オリジナルを創作するようにしないと、 意味不明になります。 ですから、翻訳は、翻訳者のオリジナルと思って、 呼んでください。 正しい翻訳など存在しません。 ですから、 原典に体当たりするのは、いいことです。 ただ、中途半端にしかできないなら、 止めた方が、いいですかね。 それより、いろいろな訳本を比較するという手法の方が、 より、原典に近いところへ、たどりつけるかもしれません。 教える側としては、 なかには、ものになる奴もいるだろう、 程度の期待ですか。 Wer keine Fremdsprache kennt,kennt eigene Sprache auch nicht. を実感してもらいたいのかな。
535 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 10:17:46
英米の哲学者は、なんでも英訳で読んでいるな。 (英訳のないものなんかそもそも読まないらしい)。 それが、彼らの創造性の秘訣かもね。
>528-529 ひとつだけ確実なことはお前が空虚な竹田信者であることだな。
537 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 19:39:02
自分の立場と違うやつは、全部竹田信者に見えるのか?
538 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 20:16:58
まあ、極論すれば、 他人の思想(の表現)の理解・解読・解釈とは、 自分の思考による、他人の思考(の表現)の翻訳だ。 だから当然、原典解釈者は各々、自分の解釈する原典・自分なりの原典を持っており、 ある意味では、原典は複数あるとさえ言える。 唯一の正しい解釈が果たして存在するのかどうかということは、論理的に決着を付けられる問題ではなく、思想の問題であろう。
(副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用) 宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、 もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。 東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。 はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。 「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、 とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。 これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。 室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、 何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。 これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。 じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、 フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、 考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。 (引用おわり)
540 :
考える名無しさん :2007/01/26(金) 14:08:55
西洋の哲学思想世界観を理解し身に付けるに際し大事なのはまず自他の区別、 また自分をも他者とする視点をもつこと、対象化と分析を進めることだろう。 外国語を身につけることよりは文法書を通し分析的に外国語を理解することが、 哲学のいい訓練になると思う。 やがてその訓練された分析的な眼は日本にも向けられ心身一体、 物の心を捉え一体となる主客未分化の日本にメスが入れられ日本人は日本を対象化し日本を知ることになる。 つまり名ばかりの日本人になっていく。 この意味で日本の消滅は近い。 この意味で明治以来、日本の指導層を中心に日本の抹殺が進められてきた、 そして今も尚、それは進行中なのである。
541 :
考える名無しさん :2007/01/28(日) 07:54:53
世界から相手にされてない業界で安逸をむさぼって悪かったなwww 実は君もこういう立場になりたいんだろ? 妬め妬めwww
542 :
考える名無しさん :2007/02/01(木) 02:03:19
外国語は外国語が出来る人間に翻訳や通訳させるべき。 外国語を学ぶ時間は哲学をすることには無駄に過ぎない。 もっと哲学を研究することに力を入れるべきである。
思索に耽ることは哲学ではないよ
544 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 02:08:48
545 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 10:57:03
思索に耽ることのみが哲学なんだが。
2ちゃんに耽ってる君には無縁ということか
547 :
考える名無しさん :2007/04/15(日) 09:59:19
>>546 杜玖椀すら理解できない
堵虞慧螺すら読んでいない
こんなやつは思索に耽ることしかできない
当然の理だわな
548 :
考える名無しさん :2007/04/16(月) 00:49:41
_____ /∵∴∵∴∵\ /∴,zェェ.ュ'.:''::´zェェ.ュ:i ∧ ヽ. ヽニニソ l /∵\ヽ / _,./‐' 、_ ヽ、_ ' ヽ、 ,r'´ `''‐ ニ= '´,..-‐' ``ー、 / ', ', ヽ l l l ', | 、 l l l ./ ヽ、 人 ノ l i | `ー ---‐''''´l `ー─‐i' l ', l ! / l
549 :
考える名無しさん :2007/04/16(月) 04:51:16
おお,独仏できない哲学好きのかっこ悪さよ!
ゆえにソクラテスはかっこ悪い。
551 :
考える名無しさん :2007/04/17(火) 07:21:59
_____ /∵∴∵∴∵\ /∴,zェェ.ュ'.:''::´zェェ.ュ:i ∧ ヽ. ヽニニソ l プキ?がャーッハッハーピキプキ ? /∵\ヽ / /∵∴∵\ `ー--一'ノ/ヽ ノ7_,,, 、 /∴ (⌒、"⌒ソ⌒ヽ_( 〒 )ノ- 、`、 ( ィ⌒ -'"",う ∵∴ ~''(_)(_)(_)(_)ソ __ ヽノー-,イ^ ∴∵ ヽ/`、_, ィ/ ┌|| 壱 ._|__ヽ∴/ ∵∴/ ∴∵∴/ || || 万// 壱 / )/ ∴∵∴∵∴∵/ || || // 万 / i \∴∵∴∵ ノ ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / \__ / \___ ノ /
ドゥルーズやレヴィナスってドイツ語やギリシア語やラテンはばっちしだったの? デリダや灰でがーあたりはできそうだけど。
553 :
考える名無しさん :2007/04/25(水) 01:21:05
>>549 679 :考える名無しさん :2007/04/24(火) 14:51:16
「測定」と「存在・非存在」のどちらが基本的か?という問題を考えてごらん。
ヒントは「ルーマン(情熱としての愛)」を見てごらん。
554 :
考える名無しさん :2007/04/25(水) 01:38:30
>>552 一見語学力がすごそうで実は大したことなかったのは、
ドゥルーズとヘーゲル。日本では広松。
ハイデガーは、読むための語学力は、歴史上有名な哲学者のなかでは最高クラス。
日本で語学力最高は井筒俊彦。
555 :
考える名無しさん :2007/04/25(水) 01:56:21
>>554 は一見大したことなさそうで実は大したことない
だいたい井筒俊彦を持ち上げてるのは例外無しに屑だよなw
556 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 12:25:28
>>555 ぷっ
ばかまるだし
あっ釣りか。失礼。
557 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 14:19:38
よう、屑君、今日も元気だな
558 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 14:22:12
広松さんって語学はそれほどでもなかったんだ。意外だな。 マルクスはどうだったんだろう?
カントは英語ができなかったのでイギリス経験論については解説でしか知らなかった、 という話を聞いたのですが、本当ですか。
560 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 20:37:58
>>557 ルンチンチンとは知的チンチンのことである。
こう言われてもピンとこんのだろうね。w
561 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 23:35:38
ミルコさんのPRIDEの試合数が多いのには事情がある。運営会社はミルコさんをチャンプにしたかった。 しかし、早期のヒョードル戦は潰されるだけ。経験値を上げ自信を付ける為、勝てそうな相手を当てる。 特別ルールまで用意してミルコ育成に力を入れた。レフェリーが味方までして育てようとした。 しかし、ミルコさんは時期が熟した頃に伏兵に負ける。早くトップ戦線に戻りたいミルコさん、戻したい運営会社。 無理矢理スケジュールを組んで格下選手と連戦させ、敗戦のイメージの払拭と実績の粉飾を謀る。 運営会社はミルコさんを最優先。完全なミルコ主人公路線。試合数は多いが内容は薄い。 弱い者イジメに過ぎないがファンは派手に勝てば納得する。が、実は格下相手に苦戦もしている。 試合前は「次の相手は強い」と煽る。で、「またミルコが強豪を倒した!」とミスリードする。 だが、実際は強豪を倒したわけではない。ヒョードルへの挑戦権を優先的に得る為に勝率を稼いでいただけ。 階級下でブランクがありながら、ミルコさんと打ち合って判定に持ち込んだ金原の雄志は過小評価。 ミルコさんが苦戦するといつも体調のせいになる。寝不足とか時差ボケとか、ミルコさんの言い訳に不可能はない。 試合数が多くなったのは本人の事情と優遇の結果なのに、ミルコさんの全てが肯定的に語られてしまう。 しかし、嘘はいずれ暴かれるもの。『命!』ポーズで失神して実態を露呈してしまいましたね。
562 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 23:56:58
哲学に外国語は無関係とは、言えないだろう。 哲学とは、言語による世界理解・人間理解の営み。 当然、言語能力の高低が、哲学的思索や洞察の深度に大きく関わってくるだろう。 ここで次ぎに、母語の言語能力と、外国語能力の関係が問題となるわけだが、 母語の言語能力と外国語能力は、正比例とは言わないまでも、ある程度 正の相関関係を持つだろう。
563 :
考える名無しさん :2007/04/29(日) 14:07:10
そういう関係が問題なの?
564 :
考える名無しさん :2007/04/29(日) 21:08:02
sineyo takodomoga
ロンブーカトーに騙された。 知らない単語をいちいち辞書で引くのは面白いじゃないか。 見知っている単語だって何回も引くぞ! しかもいくつもの辞書を引く。 つまらないのはオバチャンの心に違いない!
566 :
考える名無しさん :2007/06/18(月) 13:27:34 0
理屈でなんでも説明や証明できるという考えは間違っている。 どんな種類の理解も、言葉にできない直観・実感という土台なしでは不可能である。 ゆえにどんな種類の哲学でも、私的な部分を追い出せない。 特に哲学では、個々のセンスに依存する部分が他の学問より多いようである。 どんなに勉強しても「ピンボケ哲学」しかできない学者が多い現実が証拠だ。 哲学以外の学問では、自分の学問をマトモにできない学者なんてほぼ皆無である。 マイ哲学だろうがアカデミック哲学だろうが、結局「マイ思考・直観」に媒介されているに決まっているのだ。 これの性能が悪ければ、いくらかは訓練で向上可能ではあるが、どうしょうもない。
567 :
考える名無しさん :2007/06/19(火) 01:26:38 0
職業にするんならヨーロッパ語は必須。 ヨーロッパの思想をそれとして「歴史的に」理解するならヨーロッパ語は必須。 しかし日本人が日本人として思想を持つには、本質的関係はない。 こういうところでは。 めいめいの必要に応じて選べばいいし、それぞれを混同してはいけないね。
568 :
考える名無しさん :2007/06/19(火) 20:52:36 0
哲学における語学の必要性? 「外国哲学の専門家になるために」は語学が必要、としか言えないね。 これ以上でも以下でもない。 ある程度の読書と思索については、無条件に必要、つまり「哲学するために」は必要、と言わざるを得ないけれど。
569 :
考える名無しさん :2007/06/20(水) 00:51:59 O
>>565 まったくだ。要は精読+反復だろ。
女教師は美貌が要ということ。
てか外国語って文豪の著書を精読して反復読みして、 殆ど視覚的に読めるようになれば、恐らく大体読めるようにはなるね。 天才的な個人に最も普遍性が宿っているからだろう。
しかしね昔は立派な辞書を一人で編集してしまうという変態がいたものだ。 今じゃ考えられない。
572 :
考える名無しさん :2007/07/28(土) 08:38:57 0
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。 このことは、肝に銘じておいたほうがよい。 日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の 悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。 この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、 ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)を使いたがる。 読んでいる方はいやになる。こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。 どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。 やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。 副島隆彦「属国日本論を超えて」 (副島隆彦「今日のぼやき」2001.5.21より抜粋) 私の頭の中は、今でもこのように、雑然とした理解で成り立っている。生活実感で理解できないと「理解」と いうのはそもそも成り立たない。私はもの書き言論人としては、素人さん(一般大衆)レベルでの実感での理解、 というのをものすごく重視する。わけの分らないことを書く人や、その文章を毛嫌いする。 このことは、私は、「オッカムの刃」 Occam’s razor と言う考えを自分の思考原理に置いているからだ。 全ての事柄(事象)を徹底的に明晰にしようとする 思考方法であるオッカムの刃 については、そのうち書く。 この日本語という限界言語によってでも、私は、明確なものをぎりぎりまで追究して、死んで行こうと思っている。 (抜粋おわり)
574 :
考える名無しさん :2007/08/16(木) 00:19:55 O
ぶっちゃけ語学習得の近道は官能小説にあると思うんだがどうだろう。 本能を利用すべきだと思うんだ。 手段を選んでいてはいけないと思うのだ。 努力は人に見せるものではないといわれるが、 その言わんとするところを私は確かに悟りつつあるのだとこういえよう。
575 :
考える名無しさん :2007/08/16(木) 00:21:13 0
エロゲーはどうだ?
言語から自由な思考は存在しない。 「哲学に外国語は無関係」と主張する人間には学問をする資格無し。
エロゲーより官能小説の方がいいだろう。 見えないものを見ようとする意志が大切なのである。 言葉は見えないからだ。 こうした文字は見えるが、言葉は文字ではなく、むしろ音であり、むしろむしろ意味だからである。 ところで近頃は努力自体が見せものとなってきており、 結果の方は見せられたものではないというような本末転倒の事態が目につくことも珍しくない。 有効な本物の努力は他人様には見せられないような醜態を取るものなのではなかろうか? その醜悪なるものから見せ物となる美麗なるものが花咲くのだというのが本当なのではなかろうか?
毛虫から蝶が羽ばたいていくように。
後半はよく分かりませんが、説得されてしまいそうです。
>>579 察するに官能小説を読みたいというのが趣旨だが、
いやいや私は手段として官能小説を読むのだと自分を説得したいのだろう。
まあしかし、そんな煩悩から高貴の成果が副次的に生まれるというのが世の常ではなかろうか?
そしてまた高貴な意図からこそ、世は地獄絵図になるというのが?
なんかフロイトを連想した。 高貴な意図からというより、貴賎に関わらず極端な意図から、じゃないだろうか。
いやいや世の中逆説が常ではないでしょうか。
論理的思考は、数学 メタ思考は、物理 文字そのものを読む早さや適切な言葉探しは、語学 が、関係しているようなきがする。
584 :
考える名無しさん :2007/09/18(火) 10:45:02 0
で?
585 :
考える名無しさん :2007/09/18(火) 19:24:57 0
何で英語もろくに読めない副島がいるんだ?
586 :
考える名無しさん :2007/09/18(火) 19:29:32 0
世界から相手にされてない業界で安逸をむさぼって悪かったなwww 実は君もこういう立場になりたいんだろ? 妬め妬めwww
>>586 副島おめー迷惑だから
社会学へでも逝け
589 :
考える名無しさん :2007/09/18(火) 22:25:56 0
杜玖椀すら理解できない 堵虞慧螺すら読んでいない こんなやつは思索に耽ることしかできない 当然の理だわな
590 :
考える名無しさん :2007/09/19(水) 22:23:28 0
____ / \ /\ キリッ . / (°) (。)\ 「複数の人間」が書き込んでいるというのが、 / ⌒(__人__)⌒ \ 知的ルサウンチマンに苛まれている | |r┬-| | 不貞腐れたバカボンパパみたいな \ `ー'´ / ルックスの初老サラリーマンが書き殴った酔っぱらいの戯言… ノ \ /´ ヽ
↑こいつあほ
592 :
考える名無しさん :2007/10/18(木) 09:15:41 0
理屈でなんでも説明や証明できるという考えは間違っている。 どんな種類の理解も、言葉にできない直観・実感という土台なしでは不可能である。 ゆえにどんな種類の哲学でも、私的な部分を追い出せない。 特に哲学では、個々のセンスに依存する部分が他の学問より多いようである。 どんなに勉強しても「ピンボケ哲学」しかできない学者が多い現実が証拠だ。 哲学以外の学問では、自分の学問をマトモにできない学者なんてほぼ皆無である。 マイ哲学だろうがアカデミック哲学だろうが、結局「マイ思考・直観」に媒介されているに決まっているのだ。 これの性能が悪ければ、いくらかは訓練で向上可能ではあるが、どうしょうもない。 杜玖椀すら理解できない、堵虞慧螺すら読んでいない。 こんなやつは厨2秒オナニー思索に耽ることしかできない。 当然の理である。
593 :
考える名無しさん :2007/10/19(金) 15:21:36 0
哲厨,思想厨,絶対真理厨,相対主義厨,横綱の品格厨,相撲道厨,南京虐殺なかった厨,アインシュタインマチガットル厨,ポモ厨,ソカ厨,ソカ事件無意味厨,セコ厨,添え厨 これらはほとんど同類である。 地道に進展しているまともな学問に対するルンチンチン(=知的ルンチン)で通底している。 自己主張をすればするほど滲み出るルンチンチンが、実に豊穣な味わいを生み出している。
594 :
考える名無しさん :2007/11/02(金) 15:24:24 0
↑こいつあほ
595 :
考える名無しさん :2007/11/02(金) 23:18:23 0
491 名前:考える名無しさん :2007/11/02(金) 22:14:11 0
>>449 無理しないで堵愚慧螺読めよ
596 :
考える名無しさん :2007/11/03(土) 20:43:32 0
自然科学とかだって、最小限英語の論文が読め、自分でも書けなければ、 専門家にはなれないだろ?
597 :
考える名無しさん :2007/11/04(日) 01:03:28 0
507 名前:考える名無しさん :2007/11/03(土) 16:45:42 0
>>449 無理しないで堵愚慧螺読めよ
↑
こういう無知無学は論外だね。
「読め」ってどういうことだよwwww
聞くは一時の恥だが
知ったかぶりで頓珍漢なこと抜かすのはほんとに恥ずかしいね。
598 :
考える名無しさん :2007/11/30(金) 11:31:06 0
↑こいつあほ
599 :
考える名無しさん :2007/12/01(土) 06:15:31 0
507 名前:考える名無しさん :2007/11/03(土) 16:45:42 0
>>449 無理しないで堵愚慧螺読めよ
↑
こういう無知無学は論外だね。
「読め」ってどういうことだよwwww
聞くは一時の恥だが
知ったかぶりで頓珍漢なこと抜かすのはほんとに恥ずかしいね。
600 :
考える名無しさん :2007/12/06(木) 15:13:55 0
r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、 /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ _人从∧从人从/\ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i ヽ !;;;;;;;;;;;;イ::. \ / ヽ;;;ノ ノ おれが中学生を殴ろうが ゝ;;;;;;;|:::: (◎) ,(◎) |シ < 奇声をあげて女を小突こうが 从从/: \ 、_! / ノ ヽ 品格ある日本人横綱! 从从 i'/エェェェヲ i l ノ ノ从ヽ._!!l lーrー、/_/ VWvVWvVWWV ヽニニソ 俺様のしなびた横チンのおかげで、オールドレディースファンも激増したらしい! ステロイドだって禁止が明文化されてるわけじゃないんだ。 ステロイド抜けでやせたおかげで横チンご披露できたんだっっ! 俺様のおいなりさんにみんなもっと感謝しろ!!
601 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 12:47:50 O
関係あると思います。 規則、法則は例外だということです。 恐らくないんです。例外のない規則はないとすれば。 規則、法則は虚構、解釈です。 事は英語における英単語のように、漢文における漢字のように孤立している。 分析されている。非論理的に。 それは反復されそれと、同一的なものだと分かるだけです。 非必然的な分析の反復に、世界は依存している。分析の仕方の差異が世界を変える。 分析を中止することが世界を滅ぼす。 理解するということ、分かるということは単に分けかた、分かれかたを学ぶことで、 繋ぎ方を学ぶことではないです。 事は分けたものを並べることで数学的に飛躍的に分かれていきます。 文は並べることによって事を細分化するものです。 論理は鎖を切断する原理です。鎖ではない。
要は無意味に切り刻むことなのです。それが論理的に構築することなんです。 外国語を学ぶということは母語とは別のやり方で、切り刻むことです。 無限の多様性、混沌を切り刻むことで、差異を限定し、同一化していく。反復しうるようにする。分かるようにする。 分かり合うようにする。指定できるように、細分化する。 基本語の方が多様でしょう。そのような多様性を刻んで形造ることが創造でしょう。 混沌を細かく包み分けている既成の概念を自分の中で新たにすること、創造する点で外国語学習と哲学は似てますね。
今日のぼやき「722」 副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも 私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、 大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。 (中略) 過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文を ありがたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの 哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、大幅 前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。 (中略) 急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。 そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を 日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想 を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、 はやく実現しなければ、いけない。
分析によって混沌に同一性を入れていくわけです。 混沌も極限まで切り刻まれちりぢりになれば差異は無視できるほどになり、 同質性を示し、規則性を見させ、調和を見させるでしょう。 混沌とした統一性を粉みじんにすることで整然とした統一性が見えるようになるわけです。 そうした見せかけの調和は分析あってのものなので、 直観的統合的認識によって失われていくものでしょう。 規則性を捉える目は歪んでおり、 美を捉える目は醜いのです。 すみません妄想でした。
605 :
考える名無しさん :2007/12/09(日) 00:06:30 0
大相撲熱闘譜「千代の富士時代」の九重親方の手記を読むがいい。 千代の富士は若い頃、北の湖のあまりの強さに驚いていた。 そして隆の里の怪力にも悩まされた。 小錦とも対戦したが、驚いたのは最初だけだったようだ。 小錦対策がわかると負けなくなった。 だからあえて手記で小錦のことなど触れていない。 このことからわかるように、北の湖と小錦は強さのレベルが違うのだ。 その怪物北の湖が最も強かったと認める男、それが輪島である。
607 :
考える名無しさん :2007/12/09(日) 21:14:17 0
京大いけ
608 :
考える名無しさん :2007/12/09(日) 21:31:33 0
思索は言葉によってなされるなんていうのは、 堂々たるドグマなんですけどね。 言葉によってしか考えられない鈍くさい人間はすぐ納得するんだろうけど。
言葉によって無秩序が裁断される。 文によって繋ぐ。主体と共に主観的な世界が構築されていく。 繋ぎかたは任意です。 としますと、外国語学習は、主体や主観的世界の変革、不安定化であったり、多重化であったりする。 こうしたカルチャーショックというのは哲学に関係します。むしろ源泉でしょうか。何が何だかわからなくなりますから。 排他的であることは自分を守るために必要です。 もはや島国でも無理な時代なんでしょうが。 もう世界を一様にしてしまうか、共倒れするしか
610 :
考える名無しさん :2007/12/10(月) 13:45:58 0
収穫と蒔いた種と、の英語版知らない? 日本語訳高すぎるんだけど。
このスレで「哲学者の語学力なんて他の分野に比べたら・・・」とか言ってるのは どっからきた人でなんの話をしてるんだろう
613 :
考える名無しさん :2007/12/12(水) 22:40:37 0
>>609 >言葉によって無秩序が裁断される。
無秩序が裁断される手段は言葉だけではないんですが。
また、言葉で裁断されれば、その裁断は文化的負荷を負うわね。
そんなものが普遍性を持つのかな。
ヨーロッパ哲学がヨーロッパ語と一体のものとすれば、
それはヨーロッパ哲学が普遍性を持たない、ということしか意味しない。
614 :
考える名無しさん :2007/12/26(水) 02:30:56 0
最近ヘーゲルの精神現象学が出た竹田の完全解読シリーズはカント、フッサール、ハイデガーも出るらしいぞ。 あれ読めばおk
外国語を知らないと、どれだけひどい読み方をしてしまうかの良い見本だよね、竹田は。
>>613 哲学を陳腐にも真理の探求、永遠の秩序を求める旅、道程としますと、
それは各主体、言語、言霊間に差異があるだけ差異があるでしょうから、
似こそすれども普遍性があるはずもないでしょうな。
ところで哲学書に普遍的真理をお求めなんですか?
>>608 正常な認識や感情がいかに言語的に自動的に構築されているかということは我々と交流がなかった未開民族の言語を学べればよくわかるでしょうね。
いやいやあなたを馬鹿よわばりするだけでもわかることでしょうか?
ところであなたのいう非言語的な思考は言葉で説明できますか?
あなたの鋭い思考の程を見れたら嬉しいなと。
意識的な言語活動は氷山の一角でしかない罠だな。
619 :
考える名無しさん :2007/12/26(水) 09:50:49 0
無意識的な言語だけでは決して哲学はできまい。
620 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 03:51:49 O
自分の意見を形成するに至った思考過程を説明する事、それだけが求められる学問。 それは自分の意見が無い人間には決して触れる事のできない世界だ。 哲学者に必要な資質とはまさに自分の意見を持てる人間ではないだろうか。 意見の無い人間は借り物の思考を並べ立てて悦に入る事しかできない。
621 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 09:01:56 0
無意識的な言語だけでは決して哲学はできないということすら疑うのが哲学なのだよ
サピア=ウォーフ仮説はいつからサピア=ウォーフ真理になり、 またどうやってサピア=ウォーフ決定論になったんだね?w
623 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 11:30:51 0
>>620 哲学では、「自分の意見を形成するに至った思考過程を説明する」
だけではなく、自分の意見の正しさを根拠付けることが要求される。
あと、自分の意見がない人間などほとんどいない。したがって、
君の言う哲学者に必要な資質は、事実上すべての人が満たしており、
無意味だよ。
624 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 14:43:15 O
言語化することは他者に伝える段階で確実に必要 また思考の段階でも言語は使うし、非言語な思考というものがあったとして やはり、それを体系的にまとめるには言語は不可欠 ただし、この言語は一つあれば充分で 外国語が必要になるのは哲学するためというより、哲学を学ぶため とはいうものの、哲学するに哲学の何たるかを学ぶことは有用で 外国語を学ぶことも要領を得た哲学をする為に必要なもの。
625 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 15:23:23 0
人間が言葉を持つ前は哲学はしてたんだろうか
626 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 15:55:18 O
直感的な何かはあったろうけど、それを体系づけたり 伝達する事はできないから、存在したとしても確認する術が無いね。
627 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 16:48:18 0
「哲学をする」ってどういう意味なんだ?
628 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 21:44:58 O
>>623 本気で言っているのか?
本当に大多数の人間が自分の意見でしゃべっていると思うのか?
俺は譲らないぞ。
ほとんどの人間は教えこまれた知識を棒読みしてるだけだし、それが正しいかなんて考えたことすらないはずだ。
そしてそういう輩よりも、教わった事にも常に疑いの目を向けて自分の意見を形成できる人物のほうが哲学者に向いているはずだ。
629 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2007/12/29(土) 21:56:59 0
>628 賛同。 しかし、すべてを一度はtabula rasaに還元できるとして、そこから、なにかオリジナルのものを構築する営為って、半端な作業ではないよね。 観念の領域に限定しても。 但し、あなたの志向/指向性や良し。
630 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 02:34:35 O
>>629 ありがとう。
俺は観念論で考え抜いて思想を作り上げるような事はしないよ。
ひたすら観測して法則を見つけるのが好きなんだ。
些細な事でもいいんだけどね
631 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 09:50:33 0
> ほとんどの人間は教えこまれた知識を棒読みしてるだけだし、 > それが正しいかなんて考えたことすらないはずだ。 自己満足に水をさすようで悪いが、君が自分自身と比較し、 自分は彼らより優れていると考えることで自己満足を得ているらしい 彼ら=「ほとんどの人間」など、君の脳内にしかいない。 逆に君もまた「教わった事にも常に疑いの目を向けて自分の意見を形成」 などできていない。
632 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 10:29:39 0
>>631 はたしてそうかな?
それこそが激しい思い込みでしかないかもしれないわけだが。
633 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 13:00:31 0
「だろう」哲学は幼稚で危険。「かもしれない」哲学をしなければならないかもしれない
634 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 13:56:02 0
>>632 芸のない奴だ。
何を言われても「それで?」と聞き返すことで、
どんな口げんかでも勝てると思っていた阿呆が
中学にいたのを思い出したよ。
635 :
考える名無しさん :2007/12/31(月) 18:33:05 O
>>631 おい、ド低脳。
観念論はやらないって書いてあるのが見えないのか?
「現代人に知的な意味での主体性があるのか」、この問題についてもう一度現実的に考えてみろ。
この世にいるのはワイドショーや新聞に左右されない人間ばかりなのか?
何よりお前が優越感まる出しじゃねえか
636 :
考える名無しさん :2008/01/01(火) 04:29:08 0
訳は軽く流し読みですな 訳で考えることはできません
637 :
考える名無しさん :2008/01/01(火) 08:29:25 0
君に対してだと、さすがに優越感を丸出しにせざるを得ない。 いままで何万回も言われてきたステレオタイプな意見しかいえないのに、 自分は大多数の人間とは違い自分の意見を持っていると思い込んでいる。 へそが茶沸かすとはこのことだ。
638 :
考える名無しさん :2008/01/01(火) 10:52:48 O
>>637 お前に対しても優越感を感じるぜ。
なぜならお前は観念論しか使えないバカで、問題に対して真剣に考える能力すら持ってないんだからな。
「ステレオタイプな考え方だからダメ」とか…恐竜でももっとマシな言い返し方を思いつくぞ。
さあ、現代人に知的な意味での主体性があるっていう根拠を俺に聞かせてくれよ。
なんだかガキのケンカみたいだがこれが哲学的論争ってやつなんだろうな
639 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 20:11:25 0
哲学には外国語が不可欠 ↓ 哲学的才能がまるでなく、 外国語を学んでなんとかしようとしてもどうにもならず、 にもかかわらず自分の立場を維持しようとした、 無能な学者の戯言だね、
640 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 20:15:33 0
いや、学者として哲学を研究するなら、 そりゃ、外国語の読み書きぐらいは必要だろ。
641 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 20:41:28 O
哲学、者になりたいのか 哲、学者になりたいのか これだろ?
642 :
考える名無しさん :2008/01/10(木) 20:49:04 O
違いまする。乗り越えまする
英語くらいは読めるんだろ? 君たち ギリシア語はずいぶん難しいよ
644 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 00:24:01 0
>>616 ああ普遍的真理はないんだね。
じゃあ哲学は世の中に無用。
おまえより有用だろ。
646 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 22:58:31 0
自分一人の「真理」なら自分で勝手にやってればいい。 そんなもん社会的に必要ないね。 大学の哲学科など全廃すればいいね。
647 :
考える名無しさん :2008/01/16(水) 21:00:02 0
好き好んで入学してくる奴がいるうちは全廃などする必要はない。
648 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 00:23:26 0
税金の無駄遣いはよくない。
649 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 08:45:06 0
>>641 その二分が馬鹿げている。
既存の哲学を知らずに、自分で考えているつもりになるのは簡単。
実際には、間接的に伝わった過去の哲学者の考えが自分の脳の中で
反響しているだけなのに、「俺は哲学−者だ」と妄想しできるから。
すこし過去の哲学を勉強すれば、それが妄想だということが分かる。
「俺は哲−学者ではなく、哲学−者だ」なんて言ってる奴は、
その自己イメージに酔いたいだけだから、分かりたくないだろうが。
650 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 09:34:08 0
現実に、哲学、者であるか、哲、学者であるか、 ということを超えて、その上でさらに、 哲学、者になりたいのか、哲、学者になりたいのか、 が、結局は、分かれ目になるな。
本気で哲学したいなら過去の哲学の原著を読み込むために 英仏独語は必修なのだろうな。 翻訳家も哲学の知識がないときついよ。
652 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 22:35:12 0
本気で哲学したいなら、過去の哲学の原著を読む必要はない。
>>651 の言ってるのは、「本気で哲学すること」というよりはむしろ「哲学で職を得ること」のような希ガス
654 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 22:41:24 0
>>652 「哲学したい」っていう言葉の意味にもよるが、
あなたは本気で哲学がしたいの?
一人でやってろ ばか
連綿と受け継がれてきた智の伝統の重みを知るべき。 テクスト解釈をすっとばして勝手な思索に耽って良いわけがないでしょ。
翻訳で読めばいいんじゃねーの? 中世の哲学者だって、アリストテレスやアヴェロエスを全部 ラテン語訳で読んでたんだぜ。
ラテン語訳と日本語訳では全然話が違う ラテン語を知らぬ奴には説明できない
>>658 Etiam philosophi aevi medii legebant totam operam Aristotelis aut Averrois translatam in linguam latinam.
ラテン語なら知ってる。説明汁。
660 :
考える名無しさん :2008/01/18(金) 10:30:28 0
日本の哲学者も、独自の哲学を立てた人は、みな翻訳で読書している。 戦前の西田も、語学が苦手だった(ラテン語も読めなかった)し、 戦後の広松も、ハイデガーや新カント派を翻訳でしか読んでない(実はドイツ語もさほど出来なかった)。 同時代に、原典からより緻密なテクスト解釈をしている人はいくらでもいた。 それれが全く無意味だとは言わない(言ってもいいとおもうけど)。 しかし、連綿と受け継がれてきた智の伝統の重みを自分から跳ね除けて、 自分自身の思索を持ち込むだけの根拠を持っていなければ、哲学は決して成立しない。 これは、前提だ。 考えるべきなのは、彼らがなぜ語学を重視しなかった(主として翻訳で読んだ)か、だ。
西田は苦手とはいえドイツ語担当してたわけだが。 独英の原著をよく引用してるし。
西田は会話が苦手だっただけで ドイツ語を精確に読みこなす能力は物凄くあったよ 翻訳だけで読んでたなんてことはない
西田は独英の文献はよく読んでる。 フランス語も読めたようだ。 自己正当化したがる語学下手が多いようだが、 語学に長けてくればくるほど既成の哲学がその意に反してその言語、哲学者の母語に依存してることがわかるだろう。
>>659 なるほどフランス語みたいだ。
フランス語とラテン語の差異は、
日本の古文と現代文の差異より小さいかもしれない。
>>663 十分に翻訳可能でないならば、哲学は一種の文学だな。
哲学者が自分の哲学書を翻訳するなというのは、 私は文学者なのだと暗に言ってしまうようなものだろう。
西田の話が出てるけど、西田は翻訳することは哲学者に「我国的生命」を与え、思想を「郷土化」することだと 書いているね(フィヒテ「全知識学〜」岩波文庫序文)。結果として日本的歪みを生じることになっても、それは 異国の哲学がわが国で新たな生命を得たということなのだから素晴らしいことなんだと。
668 :
考える名無しさん :2008/01/18(金) 19:28:31 0
西田が外国語で読んだのは、翻訳がなかったらで、あれば翻訳に頼ったようだ。 なぜかといえば、自分の問題を考えるための読書には、母語の方が適しているからだ。 外国語で読むとは、どうしても原文の真意の探究という点に興味が傾き、解釈学になりがちだからだ。 日本の哲学が解釈学に傾きがちなのは、依然として原典信仰が強いせいもあるかだろう。 現代英米では、一部の特殊な「研究者」以外、一般の「哲学者」はほぼ完全に英訳しか読まない。 そもそも自分たちが今やっている議論に使えるところにしか興味を持たないからだ。 それがいいと言っているのではなく、目的の違いを指摘したかっただけだが。
そもそも哲学というのがインド・ヨーロッパ語に特有の文化なのものかもしれない。 彼らの影響を被る限りでしか、日本人は哲学に関われないのであり、 日本人独特の哲学というのはありえないのかもしれないよ。 本来哲学が日本人に無縁ではないとすれば、 文学における源氏物語のような日本哲学の古典があるべきなのだ。
『正法眼蔵』とかどうよ?
>>670 インド⇔中国⇔日本という経路を辿ってできた派生物だと思うがどうよ?
前もって中国を通して大陸の影響を強く受けていなかったならば、 日本は急激な近代化を達成することはできなかったろうに。
日本哲学の古典って何があるんでしょう。仏教も禅も日本固有のものではないし。
>>659 なんか近代的ラテン語だな
ラテン訳アリストテレスはギリシア語の単語との対応づけみたいなもんだろ
それが正確であるなら考えることはできる
日本語訳だとどう思考が動いているのかわからん
註釈は意味がわかれば十分
スコラのアリストテレス理解なんて原作レイプみたいなもんだろ。 文脈無視して細切れにして持論に都合のいいように権威として利用してるだけ。 ある意味では、西田が外国語のテクストを引用するときの使い方に近いかもな。
>>675 誰のこと言ってんの?
そういうのもいるだろうがちゃんとした注釈書いたのもいる
たしかに、トマスの Sententia や Expositio は比較的ちゃんとした注釈かもしれんが、読んでてあまり面白いものではない。 アルベルトゥスの Quaestiones なんかだと、アリストテレスは概ね原形をとどめてないが、独創的ではある。 後期スコラの連中に至っては自覚的にアリストテレスを「誤読」して、自前の哲学を打立ててるって感じだな。 ビュリダンとかその最たるもの。 概して、中世スコラにおける独創的な哲学者は、みんな独創的にアリストテレスを読んでると思うんだが。
678 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 10:30:20 0
>現代英米では、一部の特殊な「研究者」以外、一般の「哲学者」は、英訳しか読まない。 というのは、事実だろうが、 これは「外国語」の問題というより、そもそも古典一般を必要としないということではないか。 プラトンもアリストテレスもデカルトもカントも(翻訳でも)全く読まない分析哲学者はいる。 現在では日本にだっている。彼らはふつう英語(と日本語)しか読めない(というか読まない)。 今後、分析系の日本語訳がたくさん出揃って、日本語だけでもある程度やれるようになったら、 日本語しか読めない日本人の分析哲学者が、日本語で(実は)世界的な仕事をすることは可能だ。 「自分の問題を考えるための読書には、母語の方が適している」ようだから。 そういう人が複数出て来て相互に議論しあい、日本語の哲学世界が成立することも不可能ではない。 それは、源氏物語とも正法眼蔵とも関係なくても、日本語であることによって日本的な哲学となる。 (ある種の外国人は、純粋に哲学の可能性を知るために、日本語を学ぶようになるかもしれない。) そういうような可能性も考えられ、個人的にはその方が(今より)哲学が楽しそうだと思います。
「哲学に外国語は無関係」と公言する人間に「哲学」をやる資格は無い。 「哲学」の根本を成立させている「言語」に関する考察が全く無いから。 当り前でしょ、こんなこと。
>>678 >そういう人が複数出て来て相互に議論しあい、
>日本語の哲学世界が成立することも不可能ではない。
日本語が世界的にメジャーな哲学言語になると本気で思ってる?
戦争でもして世界中を植民地にして日本語を強制でもしなければ
英独仏語の優位は変わらないだろうね。
英語とかで論文書く気は はなからないらしいな
682 :
678 :2008/01/19(土) 11:43:01 0
>当り前でしょ、こんなこと。 少なくとも「当たり前」ではない。 哲学の発祥の地古代ギリシアでは哲学に外国語は無関係だった。 それでも「言語」に関する考察はあった。 現代英米でそうらしいが、その辺の事情は知らない。 >日本語が世界的にメジャーな哲学言語になると本気で思ってる? まったく思っていないし、そんな必要はない。 日本語の哲学世界が成立するだけでよい。 これももまた、そうなると言っているのではなく、それは「可能」だと言っているだけ。 >英語とかで論文書く気ははなからないらしいな その可能性との対比で語っている。 現実性あるいは予測という点では、そうなっていく可能性の方が高い。 しかし、そういうことを問題にしているのではない。
>哲学の発祥の地古代ギリシアでは哲学に外国語は無関係だった。 >それでも「言語」に関する考察はあった。 前段の論拠は? 前段と後段の意味の繋がりは?
>>682 >日本語の哲学世界が成立するだけでよい。
哲学世界が成立ってどの範囲で言ってるのよ。
ある意味では一人だけでも世界は成り立つと言えるし
日本語の哲学の環境はすでに実現しているともいえる。
問題は
>>678 で言われるような、日本語は、
外国人が学びたくなる哲学世界ではないんじゃないか、ということ。
成立可能だが、可能ってだけではだからどうしたってことでしかない。
685 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 15:03:05 0
>>683 >>682 じゃないが、古代ギリシャで外国語の学習が大事だと言っている哲学者は
私の知り限り誰もいない。いるなら例を挙げてみてくれ。
異民族をバルバロイという蔑称で呼んでいた自民族中心主義者どもが 外国語を重要視してたわけがないものな。
687 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 15:20:56 0
>>684 自国の哲学の価値を「外国人が学びたくなる」か否かで判断するのが卑屈。
>>688 おいおい、古代ギリシアに外国語を重要視した哲学者が「いなかった」ことを
どうやって調べるんだ?
立証する義務は、「いた」と主張する側にある。
「いた」の証明責任が相手側にあるから「いない」の前提で始めていい というもんでもないんだが。
692 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 16:33:22 0
だから私が読んだことがあるギリシャの哲学者の著作のには 外国語を重視する記述はなかった。あるというなら、 あなたがその例を挙げてくれよ。
>>691 前提を仮定すること自体は何の問題ない。あとで前提が反証されたときに、その前提の上で展開された
主張がすべて無効になるというだけのことだ。
>>692 691≠688
>>693 そういうやり方でやると証拠が偏ってる時にどっちかの
当事者が不利になるよ。理論上はそうでも。
695 :
694 :2008/01/19(土) 16:46:27 0
まあいいや。ここでやるネタではないな。すまそ。
哲学自体が外国の産物なのに「外国語は無関係」とか言ってる白痴はどこのどいつだ?
>>696 本気で「無関係」と主張してるバカはごく一部しかいない。
目下の主要な論点は、原語で読まなくても、翻訳だけで哲学が可能かどうか、だ。
実際、英語圏の分析系の哲学者の多くは、母語である英語だけで研究している。
外国語の文献はすべて翻訳で読んでおり、古典でさえその例外ではない。
そんな連中が、プラトンの『テアイテトス』がどうのとか、カントのアンチノミーがどうの
とかしたり顔で語っている状況を鑑みるに、いまや哲学者になるために外国語
の原書を読みこなすことは必要とされていないのだと、認識を改めざるをえない
のではないか。
また、この状況は必ずしも哲学の歴史において特殊な状況というわけではない。
なぜなら、古代ギリシアにおいてはそもそも「外国の哲学」というものが未だ存在
していなかったため、まさしく「哲学に外国語は無関係」だったと考えられるからだ。
加えて、中世スコラ哲学においても、ロジャー・ベーコンのような一部の例外を
除いて、ギリシア語やアラビア語で書かれた哲学文献をラテン語訳で読むのが
当たり前という時代が長く続いた。
それならば、わが国においても、十分な質・量の日本語訳さえ揃っていれば、
日本語文献のみによる哲学は可能なのではないか。
不可能。 以下理由。 1、日本語においてはラテン語の意味をそのまま伝達できるほど語彙が 似通っていない。造語が必要になるが、造語するためには原語が十分に 分かっていなければならない。 2、そもそも十分な質・量の日本語訳が揃っていない。揃うまで待つというの なら別に構わないが、その人はいったん哲学を辞めなければならない。 3、2の場合でも研究者は原語を読めなければならないという状況が 変わっていない。しかも、研究者が原語を読めるかどうかは、もはや 「翻訳者の力量を信じる」という信頼にもとづかざるをえない。
だからね カスばかり読んでたんじゃ まともな哲学できないよ せめて一冊ぐらいは原語で精密に読んで訓練しないと
タレスはエジプトに学びにいったらしいが。 それならば外国語は第一に学んだはず。 エジプトに哲学はなかったのか? インド哲学がタレスの生まれる前に既にあったなら、 タレスが生まれた頃にそれがギリシアあるいはその周辺部に伝わっていたのではないか? エジプトの文化が古代ギリシアに伝わっていたということの証拠はあるだろうし。 そもそもインド・ヨーロッパ語に属している言語を母語にしている人々を例にあげてみても、 彼らの母語は外国語と血縁関係にある以上は、 「外国語に無関係」とは全くいえないことは明らかだと思われる。 日本語は哲学を育んできた言語系統との血縁関係がない。また日本哲学の古典もない。 ならば恐らく哲学上の重要な仕事をするには外国語の影響を受けて日本語が変わるだけでは足りないのであって 外国語の習得が不可欠なのである。 というのは漢字文化を吸収しても、結局は仏教の方面で創造的な仕事をしたのは、白文を読みこなせる人々だったようだし、 西田にしても湯川秀樹にしても外国語を駆使していたのだから。
>>697 「哲学に外国語は無関係」と公言する人間に「哲学」をやる資格は無い。
「哲学」の根本を成立させている「言語」に関する考察が全く無いから。
当り前でしょ、こんなこと。
「翻訳」について疑念の浮かばない人間に思考一般を語る資格は無いんだよ。
>>698 丁寧にどうも。
自分でも議論のための議論をしてるという自覚はあるけど、再反論させてもらう。
>理由1
アラビア語はインド=ヨーロッパ語とは語族を異にするにもかかわらず、イスラームは
ギリシアの哲学を翻訳し、その翻訳のみに依拠して独自の哲学の伝統を構築した。
そのような先例があるのだから、語彙が似通っていないことは本質的とはいえない。
また、造語するときも、日本語の語連関の中で造語して差し支えないし、日本固有の
哲学を標榜するのであればむしろそうすべきであろう。
ちょうど、ハイデガーがロマンス語の語連関とは無関係に、ドイツ語の語連関の中で
造語しているように。
>理由2
翻訳が揃っていないという点は同感。国が補助金を出して「知恵の館」(バイト・アルヒクマ)
のような翻訳研究所でも作って、大規模かつ精密に日本語訳を生産していかないこと
には、近いうちに揃うこともないだろう。
必ずしもいったん哲学を辞める必要があるとは思わないが、現時点で揃っている文献
で可能なことしかできないという大きな制約があることは確かだ。
>理由3
一旦文献が揃ってしまえば、文献研究者と「哲学者」の明確な住み分けが可能になる
と予想される。
「哲学者」の仕事が、翻訳者の力量への信頼に基づくという側面は確かにあるが、
翻訳に疑問があれば「研究者」に直接尋ねればいい。普段から、「哲学者」と「研究者」
が議論の機会をもっていれば、なおいい。
>>702 哲学は畢竟ヨーロッパ的な、ローカルな思考様式を問題にしているにすぎないのではないか、
という疑念を抱いたことのない人間に「思考一般」を語る資格はないんだよ。
語学は無関係と言ってもらいたい甘えん坊スレ
思考が言語に規定されているなんて初歩中の初歩でしょ。 そこで躓く人間はそこ止まりなだけ。 何で3スレッド近くも消費してんの?
708 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 03:47:23 O
>>703 そのアラビア人哲学者の中で古代ギリシア語を解さなかった人って例えば誰なんですか?
翻訳を馬鹿にするつもりは無いが、翻訳ですべて事足れりと考えている人間は間違いなく馬鹿であろう。 「哲学」なんか止めた方がいい。
>>708 キンディー以降は哲学者で古典ギリシア語読んでる人なんて誰もいないんじゃないの。
むしろ、いたら教えて欲しい。
>>707 問題はインド・ヨーロッパ語系統に属する言語のいずれをも使いこなせない人間が哲学者たりうるのか否かということなんですが…
翻訳の努力を重ねていくことで哲学の土壌を非インド・ヨーロッパ語系統の諸言語、特に日本語にビルトインできるのかどうか…
またまた無邪気な翻訳への信頼かよ...。 問題は言語の差異を具体的に生きることであって翻訳の精緻や概念のアダプトなんか関係無い。 物真似がしたいなら若人あきらに弟子入りしたら?
>>710 そのキンディーからしてwikiによるとギリシア語を解さなかったようだという話ですね。
としますと哲学の土壌の移植というのはどうも可能らしい。
>>712 >言語の差異を具体的に生きること
そこんとこkwsk
アラビア語でできたからといって日本語でもできるとは限らないけども、 可能性はあるようですね。 翻訳に際して、意訳がいいのか、直訳がいいのかなどという翻訳の方針を立てて、 それこそ「知恵の館」において計画的にやらないと可能性がないのかもしれない。 なんにしろ今のところ英独仏などの外国語の習得は必須なんではないかと思う。
>>714 訊いてるようじゃだめでしょ。
翻訳だけで何の齟齬も感じないのは君がその程度の知性の持ち主だということ。
717 :
678 :2008/01/20(日) 12:11:39 0
一応哲学をやっている人が議論しているはずなのに、議論が整理されていないようだ。 まず「無関係」というときの「関係」の意味を明確化しないと。 そうでない限り、世の中に文字通り「無関係」なことなど何もないとも言えるから。 さしあたって「本質的・必然的」関係があるか、それとも「偶然的・事実的」関係しかないか、で分ける。 すると哲学と外国語の関係が後者であることは明らかで、「無関係」を主張する派はそれを主張している。 古代ギリシアや現代英米は、その例示にすぎない。外国語の文献を読まなければ哲学が「できない」という ことはありえないから、事例に反する個別的反論は、むろん可能だが、議論の本質から外れている)。 無関係ではありえないと主張する派は、基本的に哲学の「本場」を外国に持つ今日の日本の状況を前提にしている。 (古代ギリシアでも哲学に外国語が必要とされたかもしれないなどと論じる必要はそもそもない。) しかし、それは現状を離れた「哲学そのもの」にとって「本質的・必然的」な関係がないので、外国語を(どころか 翻訳すら)読まずに、日本人の書いたものだけ読んで哲学することは、どこまでも「可能」であり、 それで客観的な「成果」をあげる可能性だって「ありうる」。それは否定できないだろう。 しかし、その可能性は(現状では)もちろん少ない。そういう可能性の実現(日本の英米化?)を「好む」かどうかは、 好みの問題で、上の事実を認めた上での、その次の問題である。そして、その実現可能性の問題はまた別の問題だろう。 そこでは、哲学とは何であり、それに何を求めるか、という本質的な問題が関わってくることになる。 そういうことをきちんと分けて論じることこそが哲学(の第一歩)ではないか?
718 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 12:31:14 0
そのこととは別に、外国語を読むことが哲学的思考の訓練として役立つ という主張もあるだろ? 「外国語を知らないものは自国語について何も 知らないのだ」+「自分が使っている言語について知らないものには、 哲学はできない」みたいな説だね。
>>717 厳に現在日本で流通している「哲学」に関する言説が外国語による哲学的言説の翻訳の影響下に無いものは存在しないのに、
そこに「本質的・必然的」関係を認めないのは何故なのか?
これって直接的な関係以外の何ものでもないよな。
そこに目を瞑ることこそ「議論の本質から外れている」のではないか?
外国語の文献云々ではなく、 日本語と外国語の差異の問題だ。 言語の形造る主体の差異の問題。 日本で哲学が自然発生しなかった以上は、 日本は必然的に哲学とは無縁だといっていい。 それにもかかわらず外国語を学ばずに、日本語で哲学をしようとするならば、 日本的なるものを犠牲にすることになるだろう。 だから日本独特の哲学というのはイスラーム哲学のように、 一時的な隆盛の後に廃れるだろう。 外国語を学ぶならば、日本的なるものを維持しつつ、日本語で哲学をすることができる。 この場合は主体が多重化されるだけであり、独自性が廃れずに生き残るだろう。 急がば回れだ。
ぐだぐだ言わずに語学やれ
何言ってるの? ここは語学できない厨房がぐだぐだ言うためのスレですよ?
綺麗なお姉さんが教えてくれるならやる気も漲ってくるだろうが、 変なおっちゃん先生がいいところだからな。
Si bienheureux qu'il soit, je ne puis souhaiter un etat sans progres.
てかフランス語自体が綺麗なお姉さんともいえるぞ。 特にその詩は女神のように美しい。
726 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 19:57:09 0
>>719 717ではないが、
>厳に現在日本で流通している「哲学」に関する言説が外国語による哲学的言説の翻訳の影響下に無いものは存在しないのに、
>そこに「本質的・必然的」関係を認めないのは何故なのか?
「厳に(現にの誤り?)現在日本で流通している「哲学」に関する言説が外国語による哲学的言説の翻訳の影響下に無いものは存在しない」
ということが、「偶然的・事実的」なことだからでしょ?
>これって直接的な関係以外の何ものでもないよな。
直接的vs間接的の対比は、本質的・必然的vs偶然的・事実的の対比とは関係ない。
>そこに目を瞑ることこそ「議論の本質から外れている」のではないか?
日本の状況(偶然的)を離れて、そもそも哲学そのものにとって、外国語が本質的な関係を持つかどうか、
もまた、なかなか興味ある問題で、議論の本質に深く関係すると思うが。
必然的偶然的というなら、読書自体が偶然的だし思考自体が偶然的だよね。 そんなことしなくても思い付くかもしれないから。
728 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 21:21:05 0
>そもそも哲学そのものにとって、外国語が本質的な関係を持つかどうかもまた、なかなか興味ある問題で たまたま日本がおかれている状況などより、むしろそっちのほうが本質的な問題なのでは? つまり、哲学と外国語(原典読解)は本質的な関係があるので、 発祥の地である古代ギリシアはともかく、もし現代英米が英訳に頼って原典に当たらない傾向があるなら、 そのやり方は間違いであり哲学の本質に反するとはっきり主張すべきだろう。 そうではなく、たまたま事実問題として日本人には語学が必要だというだけなら、 とくに哲学に関係して議論すべきであるような問題とは思えないが。
>>726 俺は厳に(存在するするものとして)現在日本で流通している「哲学」に関する言説が
外国語による哲学的言説の翻訳の影響下に無いものは存在しないのは、
それが「本質的・必然的」に関係があるからだって言ってんだよ。
何故それが「偶然」なんだ? そこを説明してくれないと。
「ということが、「偶然的・事実的」なことだからでしょ? 」じゃ何の反論にもなってない。
「日本の状況(偶然的)」とかシャアシャアと書き込んでいるが、
今の「日本の状況」だって必然以外の何ものでもない。
他に有り様が無いんだから。
「哲学そのものにとって」とかどの立場に立って言っているのか知らんが、
「哲学」という概念自体が外国語からの翻訳なんだが、その辺矛盾してない?
外国語によって醸成された概念について、それが外国語が「本質的な関係を持つかどうか」と大真面目に問う滑稽さ。
>>729 >外国語によって醸成された概念について、それが外国語が「本質的な関係を持つかどうか」と大真面目に問う滑稽さ。
誤謬推論乙。
その論法でいくと、「幾何学」という概念は外国語によって醸成された概念だから、
幾何学は外国語と本質的な関係をもつ、という結論が出てくるんだけど?
いいんじゃないの? それはそれで。 で、現在日本で流通している「哲学」に関する言説が、 外国語による哲学的言説の翻訳の影響下に無いものは存在しないのに、 この関係が「偶然的」であると言う論拠は? 俺はさっきっからそれ訊いてんの。
>>731 AがBの影響下にあるからといって、必ずしもAとBの関係は必然的ではない。
たとえば、植物のダイズは太陽の影響下にあるが、だからといって、ダイズと
太陽の関係が必然的であるわけではない。じっさい、ダイズは太陽なしでも
モヤシとして生育する。
意味の無い例え話は退屈だからやめてくれないかな。 で、現在日本で流通している「哲学」に関する言説が、 外国語による哲学的言説の翻訳の影響下に無いものは存在しないのに、 この関係が「偶然的」であると言う論拠は? 俺はさっきっからそれ訊いてんの。
734 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 23:02:31 0
>>731 それが「事実」である以上、決定論を取らないかぎり、そうでないことが「可能」だからしょう?
確認のために聞くけど、地球が太陽のまわりを回っているのは、自然法則によって決定されていても、
なお「偶然的事実」ですよね? この語法は哲学では普通だと思うけど、それはいいですか?
「地球」という概念そのものに「太陽のまわりを回る」ことと概念的な関係が含まれていると考えれば、
本質的・必然的関係になるわけで。(そして、そう考えることも可能!)。このような「語法」は、
もちろん知ってますよね?
あのね、俺は、 現在日本で流通している「哲学」に関する言説が、 外国語による哲学的言説の翻訳の影響下に無いものは存在しないのに、 この関係が「偶然的」であると言う論拠は? と訊いてるだけ。日本語わかる? 何で幾何学とかダイズとかモヤシとか地球とかつまらん例え話に脱線していくわけ? 現在の日本語の「哲学」的言説と翻訳を介した外国語による哲学的言説との関係が 「偶然的」であるという論拠を論理的かつ明快に提示すればいいだけの話じゃないのか?
ミッション インポッシブル
>>735 そのまえに、
現在の日本語の「哲学」的言説と翻訳を介した外国語による哲学的言説との関係が
「必然的」であるという論拠を論理的かつ明快に提示しろよ。
「必然的」という語にはいくつもの意味があるのに応じて、「偶然的」という語にも
いくつもの意味がある。
お前の使っている「必然的」と「偶然的」という言葉の意味を知らんことには答えようのない
質問を何度も喚き立てても、まともな答えが返ってくるわけがないだろう。
738 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 23:35:18 0
734で、732の人は別人ですが、二人ともそれにもう答えていますよ。 734は、太陽と地球の関係と同じように、概念的関係でなく、事実的な関係だ、と言っています。 そして、それを哲学では「偶然的」と言うことを知っていますか?と聞いているのです。 しかし、この問答はあまりにレベルが低すぎて話にならないので、 それより、このスレ的には、728さんの問題提起が面白いと思うが…。 賛成する人いません?
日本の哲学的言説が、諸外国の哲学的言説の影響によって初めて生じたらならば、 日本の哲学的言説の存在と諸外国の哲学的言説の間には必然的な関係があるといえる。
>>737 は日本の哲学的言説のそれぞれが外国の哲学的言説と偶然的な関係にあると仕方ないことをいっているらしい。
問題は日本人が哲学者になるためには必然的に外国語を要するのか否か、
外国語の習得を必要とするのか否かというものだったのに。
>>739 一般にXからYが生じるとき、XとYの間には必然的な因果関係が存在する場合と
偶然的な因果関係が存在する場合の二通りが存在する。
第一に、XとYの間に必然的な因果関係が存在する場合、もしXが消滅すれば
同時にYもまた消滅する。例えば、事物とその鏡像の間の因果関係がこれに
相当する。なぜなら、鏡像の原因である事物が消滅すれば、鏡像もまた消滅
するからである。
第二に、XとYの間に偶然的な因果関係が存在する場合、たとえXが消滅しても
それと同時にYが消滅することはない。例えば親と子の間の因果関係がこれに
相当する。じっさい、子の原因である親が死んでも、それによって子が死ぬこと
はない。
さて、日本語による哲学的言説と諸外国語による哲学的言説の関係を考察すると、
なるほど、両者の間には明らかな因果関係が認められる。しかしながら、その因果
関係は必然的ではない。なぜなら、何らかの奇跡によって諸外国語による哲学的
言説がいまこの瞬間すべて消滅したとしても、日本語による哲学的言説は依然と
して存続するからである。
奇跡を論拠にしないでほしい。 てか『外国語と哲学』の関係が問題だったのに『外国語の哲学的言説と日本の哲学的言説』の関係という問題にずらされてしまっているんだな。 外国語と哲学の関係、日本語と哲学の関係が問題なんだが
しかし日本の哲学的言説だけ除いて外国語哲学的言説だけ消えるというような奇蹟を論拠にする人は初めてみた。
いや初めてじゃなかった。 そういうのが純日本的な思考なんだろう。
畜生! 頑固親父めが!!
746 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 04:01:00 O
>>1 理性と感情、本能が未分化な精神は、本能的なものに誘導された従属的な思考しかできない。
哲学的な精神は他者にも己の本能にも非隷属的な精神だから、
哲学をやる条件として理性の自立が必要だろう。
哲学者はその知的探求を不快な認識によって感情的、本能的、肉体的に妨げられつつも、
死ぬほどまでに押し進めることが可能でなければならない。
747 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 10:54:33 O
ヨーロッパ大陸では19世紀辺りから生の哲学なんてのが流行りだして、 心身の協調、融合が図られた結果、哲学は文芸化する一方みたいだしな。
>>712 の発言にもレーベンス・フィロゾフィーの腐臭が漂っていますね。
生の哲学は、哲学的文学にすぎない。 したがって生の哲学に関しては、 外国語の素養が欠かせないだろう。 訳すと元々意味がなくても価値はあったような詩的な文章の価値が台無しになってしまったりするからだ。 詩は無意味な価値を持つ。根拠なき意味不明な価値を持つのだ。 それを訳せば、意味不明かつ無価値な文字列になりかねない。 生の哲学よ、似非哲学よ、汝の虚栄は底なしなり。 真の虚栄なり。実在なり。根拠なくそれ自身で存在するが故に。
別に日本語だけでやってればいいじゃん。 まあそう人の哲学で凄いのは見かけたこと無いけど。
どのような分野であれ、外国語ができないと馬鹿で努力をしない人だとみなされる。 とくに哲学の場合、英語のみというのも外国語ができないのと同義。
外国語ができる/できないとかじゃなくて、思考をする上で、 翻訳とか言語そのものとかに全く疑問とか問題意識を持ってないところが、 お前らの恥ずかしいまでのレヴェルの低さなんだよな。 中学生くらいまでならまだ許されるが、それ以上なら単なるアホだろう。 「哲学の文芸化」とか「生の哲学」とか生温いレッテルを他人に貼ってる暇があるなら、 高校生らしくバイトでもして時給を稼いだ方に身になるよ。 お前ら素質ない。やめちまえ。
言語の問題については言語で言語を問題にできるかどうかが 分からんから着手してないな。面白そうではあるけど。
翻訳とか言語そのものとかに問題意識もつと大人になれるのか。
755 :
1 :2008/01/30(水) 11:56:04 0
原語のニュアンスが重要になってくるかどうかは、問題の立て方・性質しだい。 翻訳だけでいいかどうかは、テクストに何を求めているかによる。 すべては哲学の定義しだい。
>>755 >すべては哲学の定義しだい。
これ、哲学板で議論ができなくなったときの常套句だよな
757 :
1 :2008/01/30(水) 12:32:03 0
>これ、哲学版で議論ができなくなったときの常套句だよな かといって、それは単なる事実だから、否定もできない。
じゃあとりあえず定義して、そこからどういう結論が出るか 言ってみてくれ。
フランス人のロマンチシズムはフランス語を解すようになって初めて馬鹿らしく見えなくなる。 馬鹿が死んでも直らなくなるのだ。 音楽の規則性が非規則的な感情を対照的に浮かび上がらせるようにフランス語もまた機能するのだろう。 フランス製の思想・哲学はフランス語と切り離されてはもはや生きていけないに違いない。
「フランス人のロマンチシズム」って具体的にどういうの?
ロマンチシズムとは、音楽のように無意味で具体的でないものに忽然とし、挙げ句の果てには夢物語に浸りつつ実際に死んでしまうような夢と現実の境界を超えた生き方を指すものである。
音楽には意味がありかつ具体的なのだが。
具体的な音楽って具体的に何よ? 空気の振動かい?
音楽の意味って何よ? ないよ。 音楽がある音の継起を記号とする意味なのだ。 そして音楽自体は無意味な価値である。
>764 何を言いたいのか全くわからない。 お前の発言自体無意味。 音楽が「無意味」なら音声言語も「無意味」になるが、それでいいのか?
わからないなら仕方あるまい。
767 :
1 :2008/02/06(水) 14:17:36 0
原典購読こそが哲学するための必要条件であり、だから語学は不可欠だ、と考える者には、 西田や広松や大森の哲学のテキストの購読では、哲学したことにはならないのか、と問うてみたい。 哲学には唯一の正しい定義があり、問題と探究方法は学問として決まっているはずだ、と考える者には、 現存している多様な哲学(観)のうちどれがニセモノかを示し、真の哲学(観)とやらを提示してもらいたい。
「外国語がわからなければ数学(または物理学)はわからない」 という人は、あまりおるまい。(先端知識の吸収は別として) 「外国語がわからなければ外国文学はわからない」 だと、賛否両論あるだろう。「わかる」とはどういうことだ、という議論も含め。 哲学は、どちらに近いのか。
769 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 15:38:45 0
700スレも伸びるようなテーマか? 君等視野が狭いんじゃね? 解説書がないと仮定して、原本が邦訳されるとすると、役には立っているだろうが(なぜなら役に立ってるかどうかをきめるのは読み手だから。)、原作者の言いたいことを伝えるのは相当至難だと思う。 つまり、原作者がバイリンガルで訳本をよんだら「俺こんなこといってないけど。」って感じ。 これは、日本の本の外国語版を読んだことのある人にはすぐ分かるはず! はい終わり。
>>769 その「原作者の言いたいこと」について、邦訳した人は「わかっている」のか。
わかっていて、なおかつ日本語でそれを伝えることはできない、とすると、
そもそも日本語で哲学的思考を伝達することは不可能だ、ということになる。
わかっていない、とすると、そもそも日本人が外国語の哲学書を「わかる」ことは
不可能だ、ということになる。
771 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 17:59:32 0
外国語の本を日本語に翻訳するのと、その内容を日本語で解説するのでは違いがある。 故に、「分かっているが翻訳できない」から 「日本語で哲学的思考を伝達することは不可能だ」は導き出せない。
772 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 19:57:01 0
>>768 外国語が必要って言っている奴の意見は、どちらかといえば、
「数学記号を読めなければ、数学はわからない」に近くね?
773 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 22:52:46 0
哲学的に無能な人間が、 哲学の問題を語学の問題にすり替えたんだろう。 田中美知太郎とかね。
774 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 23:37:15 0
それは違う。日本では大学は西洋近代文明の導入の為に作られたのであり、 その一部として西洋人の言う「哲学」なるもののを取り扱う学科も作られた。 要するに、日本の大学の「哲学」というのは、最初から「西洋学」の中の 一学科だったのだよ。
>>768 先端技術の吸収を問わないんならできるんじゃないの?
だからと言って、英語の読めない科学者の研究を知りたいとも
思わんけどね。
776 :
考える名無しさん :2008/02/10(日) 02:23:42 0
田中美知太郎の著作を読んだことがあるかい。 ああではないかこうではないか 自分の知識をひけらかすだけでで自分の見解は何も打ち出せない。 最初からなにもないんでしょ。 「教養」だけで才能のない人間が、哲学に関わり、さらにその世界を支配すると こういうていたらくになる。 西洋の哲学が普遍性をもってるんならそれでもいいかもしれないね。 そうでないなら、単なる「親方絶対」の世界になる。
777 :
1 :2008/02/10(日) 15:00:48 0
(678氏の鋭い発言でかなり決着はついているみたいだか・・・) ここで対立を引き起こしている問題は、 哲学とは<論理>なのか<文化>なのか、あるいは、どちらの面が中心か、ということだ。 前者なら言語の違いは本質的問題とはならないが、後者ならそうではない。(現実には、どちらとも言い切れない場合もある。) また、別の問題として、テキストをどう読むか、ということがある。 <論理>を重視する者は、普遍的洞察を含む概念や命題や思考パタンを手に入れるために読む。 <文化>を重視する者は、テキストをありのままに理解しようとして、歴史と原語を重視して読む。 翻訳でいいのかどうか、という問題も、どちらの立場に立つかによって答えが異なる。 老婆心で付言しておけば、<文化>重視の立場であったとしても、 西田幾多郎以降、まとまった日本語の哲学は生まれているので、日本語だけで哲学することは不可能だとは言えない。 ある種の立場ではお馴染みの、特殊の中に普遍がある、という考え方を採れば、 分析哲学などのような<論理>重視の立場でなくとも、何語であれ普遍的な真理を見出せる、と言える。
779 :
1 :2008/02/10(日) 15:13:40 0
777の最後の文の訂正 何語であれ普遍的真理を見出せる →何語でも哲学でき、何語でも普遍的真理を見出せる
いまどき「普遍的真理」なんて恥ずかしげもなく堂々と言っている馬鹿が「哲学に外国語は無関係」と言っていることだけは間違いない。
何語であれ普遍的真理に到達できるだろうということには同意する。 日本語でも(造語や新語や新しい諸記号の導入が必要であれ)可能であろう。 が、それは要するに、「できる」というだけのことだ。 東京から大阪まで徒歩で行くことも可能であろう。 なぜその他の利用可能な手段を利用しないのだろうか? 哲学において外国語が必要だというのは、そういう意味だ。 同じ仕事をしている人が異なる言語で書いている以上、 お互いの言語を学習することは有益であろう。
哲学をするのに外国語習わない人っていたんだ・・。
783 :
考える名無しさん :2008/02/18(月) 05:01:41 0
理屈でなんでも説明や証明できるという考えは間違っている。 どんな種類の理解も、言葉にできない直観・実感という土台なしでは不可能である。 ゆえにどんな種類の哲学でも、私的な部分を追い出せない。 特に哲学では、個々のセンスに依存する部分が他の学問より多いようである。 どんなに勉強しても「ピンボケ哲学」しかできない学者が多い現実が証拠だ。 哲学以外の学問では、自分の学問をマトモにできない学者なんてほぼ皆無である。 マイ哲学だろうがアカデミック哲学だろうが、結局「マイ思考・直観」に媒介されているに決まっているのだ。 これの性能が悪ければ、いくらかは訓練で向上可能ではあるが、どうしょうもない。 杜玖椀すら理解できない、堵虞慧螺簸轡すら知らない。 こんなやつは厨2秒オナニー思索に耽ることしかできない。 当然子ラオ間一著不満じゃ外部問題の理である。
785 :
通りすがり :2008/02/22(金) 09:26:55 0
哲学やるのに外国語の習熟は不可欠ではない、という見解は、 あまりにも当たり前のことすぎて、つまらない。 哲学をやるのに外国語の習熟は不可欠だ、という反論は、 あまりにも的外れすぎて、くだらない。
>>785 >哲学やるのに外国語の習熟は不可欠ではない、という見解は、
>あまりにも当たり前
何言ってんの?
当たり前じゃないからずっと議論してるんだろうが?
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・ もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・ 高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・ っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
>>787 >金融工学を学んでる自分からすると
呼んでない 来るな
789 :
1 :2008/03/05(水) 10:11:19 0
真摯かつ徹底的に思索・探究している限り、哲学(研究)という名の下になされている行為とその産物に対して、疑問を持つのは当然だ。最終的には肯定するにしても。 そんなマトモな思索・探究にとっては、このスレのような問題との対決が避けられないのは自明だ。 自分が何をやっているのかについての自覚と反省(メタ認識)がないままに、ひたすら研究に没頭しているような学者は、ダメだと思う。どんな業績があろうとも。 自分の足下・自分自身が見えていないということは、モノゴトの真相がよく見えていない、ということであるから。
790 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 13:03:27 0
金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね(笑)
720 :考える名無しさん:2008/01/13(日) 12:50:44 0 >719 竹田は端的にダメ。ドイツ語もできないし、専門知識が欠如。 って馬鹿にされる
792 :
考える名無しさん :2008/03/06(木) 22:15:52 0
maana
793 :
1 :2008/03/08(土) 20:36:24 0
もし、異なる言語は、意味世界や文法(構造)が完全に異なるとすれば、翻訳は不可能だということになる。お互いにどこが異なっているのかさえも分からない、ということになる。 そして、文字通りに翻訳が不可能だとすると、母語以外は習得できないことになる。 もし、<原理的に母語以外は習得できない>という命題を受け入れたくないならば、母語と非母語との間に(ある程度の)同一性を認めなければならない。(ほとんどの人が認めるだろう。) したがって、この命題を受け入れる限り、翻訳が可能だということは認めざるを得ない。 おそらく、(他者の)哲学の理解に立ちはだかる本質的な壁は、言語の差異であるよりは、個々の実存や性質や能力に規定される<直感>の差異、或はその有無であろう。
794 :
考える名無しさん :2008/03/14(金) 16:30:08 0
どの著作にも「本当に優れた」翻訳が迅速に出てくれれば、 要らないとは言えなくても必要性は下がるであろう。
人は人生の年月の中で、五年、十年単位で、自分の考えが変わってゆく。その変わってゆく自分を、 しっかりと記録しつづけることだ。あのときは、ああ考えて、ああ信じていたが、今では、このように 変わって、こう考えている、と書くこと。なるべく正直に書くことだ。自分に向かってきちんと文字で 書いて確認してゆく作業をすることである。それが、知識、思想、学問なのだ。 人間は年を重ねるにつれて考えが変わってゆく生き物だから、それでいい。それが成長するということ なのだ。だから知識、思想、学問というのは、何か新しい知識を西欧やアメリカから持ち込んで、自分 勝手に改造、変造して日本語で適当に売りさばくこと、なのではない。 今の私は、このように考えている。だから私は、吉本の、「転向とは、人間が成長してゆくことだ」と 書いた転向論としての吉本の思想観を、今でも受け継いでいることになる。昔の吉本はやっぱり偉かった。 副島隆彦「日本の秘密」P122
「哲学に外国語は無関係」と主張する人間は、 哲学に限らずおよそ学問と呼ばれる所為に全く無関係であるどころか、 関係を持とうとする自体害悪である。
翻訳により意味がずれてしまうような文章は文学である。
どんな言語に翻訳しても一意的な文章なんて存在しない
「翻訳により意味がずれてしまうような文章は文学である」と主張する人間は、 哲学に限らずおよそ学問と呼ばれる所為に全く無関係であるどころか、 関係を持とうとする自体害悪である。
はあ?数学や物理の文章を翻訳しても論理は保たれるだろうが
「数学や物理の文章を翻訳しても論理は保たれる」と主張する人間は、 哲学に限らずおよそ学問と呼ばれる所為に全く無関係であるどころか、 関係を持とうとする自体害悪である。
802 :
考える名無しさん :2008/03/24(月) 02:46:18 0
>>801 数学の定理や、物理における法則で、
翻訳によって意味内容が変化してしまっている例なんてあるか?
翻訳者がまぬけで意味が変わってしまったという場合を除いてだぞ?
例えば英語で書かれた定理の内容を、原理的に正確に伝えられないような言語の例をあげてくれ。
803 :
考える名無しさん :2008/03/24(月) 03:07:34 O
反対に、伝えられるという根拠は何なんだ。(別に私は伝えられないとは思わないし
>>801 とは別の人間だけど)
804 :
考える名無しさん :2008/03/24(月) 03:21:31 0
>>802 >>803 どちらの主張も納得がいきます。
しかし、たとえば「いちかけるいちはいち。」と「one times one equal one.」
の翻訳可能性を考えるとき、まずそもそも「いち」や「one」の意味を考えなければなりません。
すなわち、「数とは何か」という大きなクエスション。
どこの国も同じ物理学の成果によって 人々は生活しているようですね 残念ながら
806 :
考える名無しさん :2008/03/26(水) 22:38:21 0
「哲学」は西洋生まれの、歴史的負荷を背負ったローカル学問だから、語学を勉強しないと絶対理解できないよ。 真理を伝えるものじゃないから、別に理解する必要もないけどね。
「哲学に外国語は無関係」って言えちゃう人間って、「真理」はあると信じ込んでいる奴であることは間違いない。 そういうファンタジーに浸れる者は、ある意味幸福だが、学問とは徹頭徹尾無関係である。
「どこの国も同じ物理学の成果によって人々は生活しているようですね 」と主張する人間は、 哲学に限らずおよそ学問と呼ばれる所為に全く無関係であるどころか、 関係を持とうとする自体害悪である。 残念ながら。
809 :
考える名無しさん :2008/03/27(木) 06:23:02 0
「どこの国も同じ物理学の成果によって人々は生活しているようですね 」と主張する人間は、 哲学に限らずおよそ学問と呼ばれる所為に全く無関係であるどころか、 関係を持とうとする自体害悪である。 残念ながら。 というファンタジーに浸れる者は、ある意味幸福だが、学問とは徹頭徹尾無関係である。 ありもしない仕事を捻出する似非学問には向いていると言えよう。
810 :
考える名無しさん :2008/03/27(木) 06:29:56 0
>「真理」はあると信じ込んでいる奴 そもそも真理とは何か? 究極ではない局所的な真理は、ある意味で「ある」。 そうでなければ、量子力学の成果を利用した機器によって このスレに書き込みが成されていることの説明が付かない。 真理があるというのがファンタジーだなどと、今更とくとくとしてのたまう御仁は、 それこそ勉強したくないがいっぱしの御託は並べたくてしょうがない人種。
杜玖椀すら理解できない 堵虞慧螺すら読んでいない こんな輩こそ学問とは徹頭徹尾無関係な蛆虫
812 :
剛田 武 :2008/03/27(木) 06:36:29 0
【ル・サンチマン™先生のコピペが読めるのは2ちゃん哲学板だけ】
813 :
考える名無しさん :2008/03/27(木) 06:38:03 0
,r;;;;ミミミミミミヽ,,_ ,i':r" + `ミ;;, 彡 ミ;;;i 彡 ,,,,,、 ,,,,、、 ミ;;;! ,ゞi" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ, いいんじゃないですか、似非学問でも。 ヾi `ー‐'、 ,ゝ--、' 〉;r' フフフ `,| / "ii" ヽ |ノ 't ←―→ )/イ ヽ、 _,/ λ、 _,,ノ|、  ̄//// \、 _,,..r''''" | \`'/ /  ̄`''ー | /\ / |/)::::/\/ | ,r":::ヽ / |i´:::::::::| /
世界から相手にされてない業界で安逸をむさぼって悪かったなwww 実は君もこういう立場になりたいんだろ? 妬め妬めwww
815 :
考える名無しさん :2008/03/28(金) 00:22:04 0
>>807 「学問」て真理を探究するもんじゃないんですか?
816 :
考える名無しさん :2008/03/28(金) 01:18:34 0
>>815 数学についていえば、たぶん違います。
公理、未定義用語、推論の正しさを考えてみましょう。
外国語についていえば、たぶん「真理の探究」というよりは「事実の確認」ですね。
真理の探究って哲学くらいでは。
817 :
考える名無しさん :2008/03/28(金) 01:58:29 0
哲学も事実の確認でしかない。でも 真理のために学問やるならいいんじゃない? 哲学のために哲学やってると「真理なんてない」とか言いたくなるんだろうけど、 まぁそれはそれで。
藤沢令夫の『国家』の訳と原文見比べると、 すげえいい訳だ、良く分かって訳してる、 これぐらい読み込めるようになりたい、と思うけどな。 あと、近代語の文献、特にヘーゲルやハイデガーなんかは、 接頭辞こそ違うけど、語幹が同じ語で(あるいはその逆で) 意味のつながりを作った文の書き方するから、 訳者が注でフォローしてくれないと、 訳文の意味がつながってることに気が付かなかったりするね。 ただ、プラトンやウィトゲンシュタインが外国語に堪能だったかというと そんなことはなかったわけで、ご自分のおつむで考える分には、外国語必須、 ってことはないと思う。とはいえ、ニーチェのような思考は、ギリシア文学からフランス文学まで 幅広い源泉から沸いてきているから、語学はやっておいたほうがいいんじゃねえの?
>>815-816 限定的ではあれ、各学問ともその学問に応じた真理を探求するものでしょう。
哲学がかつて(あるいは今も?)求めていた真理とは異なるでしょうが。
820 :
考える名無しさん :2008/03/31(月) 08:53:58 0
>>819 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
821 :
考える名無しさん :2008/04/30(水) 11:00:50 0
香ばしいスレだなwww
822 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 23:43:25 0
は?俺は本書いてるし?きさまらにフーコーや吉本隆明と新約聖書を結びつかせる力はないと思うが。ああ考えない人間がわかったように話してくれるときほど馬鹿らしいことはない
823 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 14:11:56 0
こんなスレあったのか
824 :
考える名無しさん :2008/06/20(金) 00:20:46 0
「ニヒリズムを当然の前提として 土俵に力水はいたり尻の穴ほじくった手でツッパリしてみるのはどうだろうか 宇宙性器0079。 大相撲熱闘譜「千代の富士時代」の九重親方の手記を読むがいい。 千代の富士は若い頃、北の湖のあまりの強さに驚いていた。 そして隆の里の怪力にも悩まされた。」 (『虚無の構造』第一章より抜粋) 俺が急に無意味を言い始めたのはこれを自覚できてない人が多いように思えたから。 俺にそう思わせたレスはいちいち挙げないけどね。
↑ また ル・サンチマン™ が気に入らないレスを晒しています。 これが ル・サンチマン™ の習性です。
826 :
考える名無しさん :2008/06/20(金) 06:32:23 0
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、 /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i !;;;;;;;;;;;;イ::. / \ ヽ;;;ノ ゝ;;;;;;;|:::: (●) ,(●) |シ 从从/: \ 、_! / ノ つまり、花田勝氏がですね 从从 i 'ー三-' i l ノ从ヽ._!___!_/ _,r〈; ;ゝ、_ rっ_ /: ̄  ̄ヽ ( r- 三) {::: ノ i ヽ } / / ̄´ .|: λ_c._人_c_,イ } / / .| | ト - ^^ ー- | | / / i: ;| ト=ニ ニ= | ヽ_/
827 :
考える名無しさん :2008/06/20(金) 09:06:19 0
828 :
考える名無しさん :2008/06/25(水) 01:40:36 0
数学や物理学は、外国語ができなくてもできる。 それどころか、国語ですら苦手な人間までいる。 哲学が、言語依存の高い学問だとすれば、その程度のローカル学問に過ぎないということだ。
829 :
考える名無しさん :2008/06/25(水) 15:08:01 0
>>828 数学は、数学の専門語、物理学は、物理の専門語、
それぞれにローカルな言語があるでしょ。
高度な内容になればなるほど言語依存が高くなるのは
どの学問でも同じだ。
>>829 数学や物理学のは、いわば「人工言語」だね。
それを学ぶ者が、「どの国で生まれたか」には、ほとんど依存しない。
哲学の普遍性が高いのであれば、「日本語に訳されたものであっても、ほとんど問題が無い」
ということでなければならない。
「原書が書かれた言語を知らなければならない」のでは、やはりローカルな学問だ。
831 :
考える名無しさん :2008/06/25(水) 16:30:31 0
数学や物理学のような人工言語は、専門性が高く、一般人には理解できない。 哲学の言語は、日常言語と地続きなので、子供にも理解できる。 哲学はその意味では普遍的だし、入門しやすい。 翻訳したら哲学できなくなるわけではない。特定の哲学者を研究するのであれば その哲学者のテキストの原語を知っていたほうが理解しやすくなる、という 程度のことでしかない。
自分の場合は、哲学書を日本語で読める喜びを訳者に感謝しつつ 外国語の必要性を大筋で否定するという、アンチノミー的状態。
833 :
考える名無しさん :2008/08/16(土) 00:32:32 0
>>832 >外国語の必要性を大筋で否定する
わざわざ否定しなくともいいと思うんだが。
834 :
考える名無しさん :2008/08/16(土) 01:00:09 0
スレ主様の自演を示したレス群。見て見ぬふりをしてください。
511 :「機械的唯物論」者 ◆.p5Gp4239U :04/05/21 23:10
今、帰宅致しました。510ですか?驚きました。
入浴後にレスさせて戴きます。
514 :「機械的唯物論」者 ◆.p5Gp4239U :04/05/21 23:15
>>511 入浴てか?今日はもう出ないでよろし。
517 :考える名無しさん :04/05/21 23:18
コソコソ 自作バレテますよ機械さんw
421 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/09/18(火) 01:20:52 0
何度も申し上げているとおり「弁証法」(に則った変化)を自然科学
(例えば物理化学)で、観測した事実は一度も報告されておりません。
「弁証法という進歩(進化)の唯一の方法」とは、観念論の集大成者ヘーゲルの
頭に浮かんだ「幻想」にすぎないのです。
それを唯物論に適用しようとしたマルクス:エンゲルスは根本的な過ちを犯した
・・ということです。
422 :「機械的唯物論」者 ◆FUmCW.hN/Q :2007/09/18(火) 01:31:31 0
機械の攻撃的態度は相変わらずじゃなw
哲学用語は人工言語だと思う。 ってか英語のネイティブなら英語の哲学書を読めるかって いうとそうでもないわけだし。
836 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 12:31:34 0
哲学と哲学史とを強く区別するか否かは、思想・立場の問題だ。 しかし、少なくとも、哲学史(古典解読)に深入りせずに行われるような哲学があることは確かだ。 蛇足だが、大森は、広松でさえも哲学史家と呼んでいた。
837 :
考える名無しさん :2008/09/21(日) 03:20:55 0
838 :
考える名無しさん :2008/09/21(日) 03:28:56 0
レナードブルームフィールド
半端な語学力で原書読むのと、名訳の訳書読むのじゃ どっちがいい?
そうすると比較的無難だけども語学力はあまり向上しないみたいだが。 カンニングみたいなものだしな。 やっぱり人間楽して向上することは望めない設計なんだろう。
842 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 11:10:49 0
そもそも 今や哲学は学問と無関係
843 :
考える名無しさん :2008/09/25(木) 11:44:55 0
>>837 英米系の言語哲学・分析哲学は、哲学史を軽視する傾向がある。
この立場では、哲学と哲学史とを分けたがる学者が多い。
↑soregadousitannda?
845 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 11:11:09 0
哲学と哲学史とは別、という考えは、 哲学に外国語は無関係、という考えに通じる。あるいは、その言い換えとさえ言える。 「哲学史」を「特定言語体系(外国語)」と置き換えれば、後者の言い方になる。
846 :
考える名無しさん :2008/10/12(日) 00:05:27 0
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、 /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i !;;;;;;;;;;;;イ::. / \ ヽ;;;ノ ゝ;;;;;;;|:::: (●) ,(●) |シ ゝ;;;;;;;|:::: (°) ,(。) |シ ゝ;;;;;;;|::: (◎) ,(◎) |シ ゝ;;;;;;;|:::: (°) ,(。) |シ ゝ;;;;;;;|::: (●) ,(●) |シ 从从/: \ 、_! / ノ 从从 i 'ー三-' i l <大きな物語はすでに ノ从ヽ._!___!_/ <終焉したんですよ。という〜
847 :
考える名無しさん :2008/10/12(日) 06:40:19 0
麺麭茶どすえ〜 くんくんしたらあかんえ などと若者をたぶらかす言説を振りまきながら、 ヒキコハンニバルがいつものAAで荒そうとしている。 以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る 『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
荒らしばっか
849 :
考える名無しさん :2008/12/07(日) 11:30:28 0
このスレネタ切れかな 勝敗は?
850 :
考える名無しさん :2008/12/16(火) 05:53:54 0
杜玖椀すら理解できない 堵虞慧螺すら読んでいない こんな輩こそ学問とは徹頭徹尾無関係な蛆虫
>数学や物理学のは、いわば「人工言語」だね。 >それを学ぶ者が、「どの国で生まれたか」には、ほとんど依存しない。 と主張する人間は、 哲学に限らずおよそ学問と呼ばれる所為に全く無関係であるどころか、 関係を持とうとする自体害悪である。
852 :
考える名無しさん :2008/12/22(月) 04:42:03 0
>哲学に限らずおよそ学問と呼ばれる所為に全く無関係であるどころか、 >関係を持とうとする自体害悪である。 と主張する人間は、 哲学がすでに学問ではなくなっているという事実に気付いていないようだね?
854 :
考える名無しさん :2008/12/23(火) 00:49:14 0
アダルトもどきのあずまん子潮吹きパイパンのしおねちゃんより 南京モドキのゼロアカの慰安婦である淫乱な真奈タンは ハードコア輪姦マガジンの騎乗位しちゃう編集者の筑井です。
855 :
無職無能低学歴晒し上げw :2008/12/23(火) 00:53:52 0
308 名前:考える名無しさん :2008/12/23(火) 00:49:58 0 もうええんちゃうか。これ以上やってもなにもないぞ。親安心させたれや。働こや。
>>852 「数学や物理学」に行き着くまでにローカルな言語を使用する以外に
どういう方途があるのか説明してくんないかな?
857 :
考える名無しさん :2008/12/24(水) 07:15:54 0
>>856 国によって正しかったり正しくなかったりする定理ってあるの?
>>857 俺はお前に質問をしているんだよ。
外国語とか学問以前の話だよ、日本語を読解するのは。
859 :
考える名無しさん :2008/12/29(月) 02:55:54 0
はたしてそうかな?
860 :
考える名無しさん :2008/12/30(火) 00:11:26 0
943 : :02/12/31(火) 12:08 ID:2v+9qzWo 皆さんご存知だと思いますが、再確認。 今日も我が物顔で歌うらしいですが、やつのキャリアの一部↓。 代表曲でこのありさま。 「だってしょうがないじゃない」'88.4.25・・・・・・・・・・・・・・・・・最高25位 売上20.0万枚 「あの鐘をならすのはあなた」'72.3.25・・・・・・・・・・・・・・・・・最高53位 売上 4.1万枚 「笑って許して」'70.3.25・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最高11位 売上19.7万枚 「古い日記」'74.3.5・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最高44位 売上5.4万枚 ちなみに一番売れた曲です。 この曲以外で10位内はありません。 「天使になれない」'71.6.5・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最高 8位 売上22.0万枚
イチローは当て逃げのションベンヒットが殆どだからね
862 :
考える名無しさん :2009/01/10(土) 01:13:26 0
世界から相手にされてない業界で安逸をむさぼって悪かったなwww 実は君もこういう立場になりたいんだろ? 妬め妬めwww
863 :
考える名無しさん :2009/03/14(土) 11:52:50 0
テーマに拘って哲学書を横断的に読むとき、原書に拘っていると自分が知っている 言語圏のものしか読まなくなるから、、 飯の種である専門分野以外は、自分が読み易い言葉で 訳されたものを読むのがベターな選択でしょ。
思考に言語が影響を与えないと考えている人間ははなっから学問に関わらない方がいい。
865 :
考える名無しさん :2009/03/15(日) 11:37:18 0
思考が言語によって多大な影響を与えられるのは周知の事実。 が、テーマ研究においては、とりあえず翻訳であっても幅広く読んで 情報収集しなければ薄っぺらな成果しか上がらないのも、厳然たる事実であり、 通常、研究者は、何ヶ国語も読みこなせる能力はほぼ絶対ないから、 翻訳を文献に使うのも止むを得ないし恥じることではないと思われる。
誰もそんなことは否定してはいないのだが。
867 :
考える名無しさん :2009/03/17(火) 18:41:58 0
完全に外国語は放棄して、翻訳のみで哲学を学ぶことができるかってことなら、 不自由な点はあるにせよ大筋においてできると思うよ。専門家になろうとするんなら ちょっと話が違うけれど。
思考に言語が影響を与えないと考えている人間ははなっから学問に関わらない方がいい。
869 :
考える名無しさん :2009/03/17(火) 22:14:31 0
言語の違いが影響を与えないような思考だけが学問的考慮に値する思考だ。 そう思わないような者は、学問には関わらない方がよい。
「言語の違いが影響を与えないような思考」など存在しない。
871 :
考える名無しさん :2009/03/18(水) 00:48:29 0
はたしてそうかな?
872 :
考える名無しさん :2009/03/18(水) 01:08:55 0
80 :考える名無しさん:2009/03/16(月) 01:05:12 0
>>78 「学問」が何か大層なものと思い込んでいるところが、
ル・サンチマン™ の ル・サンチマン™ たるところですね(笑)。
「ええっ? 」だって(笑)。
ば か ?
↑頭が悪いうえに怠惰で勉強したくない低能にとって
「まともな学問などない」という言説は実に甘美に響くわけなんだよww
「語学に拘るのは無意味」というのも、こういう馬鹿者にとって勘違いされやすい妖しい魅力があるんだよねw
873 :
考える名無しさん :2009/03/18(水) 01:14:12 0
言語が思考に影響を与えるって言うのは当然それはそうだろうけれど、 その違いが哲学に関してそんなに重要なのか分からんなあ。 それに、仮に外国語を勉強したとしても、たとえばドイツ語を母国語 とする人にとってのドイツ語で表された思考と、ドイツ語を外国語と して学んだ日本人にとってのドイツ語で表された思考は、当然同じには ならないはずでだしねえ。
874 :
考える名無しさん :2009/03/18(水) 01:17:53 0
言語よりも生活様式の方が重要じゃね? 現代の先進国に住んでる奴らの生活様式って国が違っても結構良く 似てるから、日本人には理解しがたい外国人の行動ってあまりない ような気がする。それよりも、同じ日本語を使っていても生活様式が 今とは違っていた戦前とか江戸時代とかの日本人の行動の方が、 理解しがたかったりしないか?
875 :
考える名無しさん :2009/03/18(水) 16:07:57 0
> 国によって正しかったり正しくなかったりする定理ってあるの? 数学などを考えると、それぞれの文化を反映した異なる言語の話者は、 出発点としてものの考え方が違っていたかも知れないが、 結果として到達した数学には明確な違いがないってことを言いたいんだろ? うん、たしかにそういう風に見える。
876 :
考える名無しさん :2009/03/18(水) 21:51:48 0
言語の違いが影響を与えないような思考だけが科学的考慮に値する思考だ、 とはいえるな。 そう思わないような者は、科学には関わらない方がよい、と。 文学に関しては「言語の違いが影響を与えないような思考」など存在しないだろう。 哲学はどっちだと思いますか? どっちだと考えるかで、 同じ「哲学」と言っても同音異義語に近いほど、 「哲学」観の大きな分かれ目になるな。
「科学」だろうが何だろうが「言語の違いが影響を与えないような思考」は存在しない。 それが理解できない者が学問を云々する資格は無い。
878 :
考える名無しさん :2009/03/19(木) 20:16:53 0
いや、哲学でさえ、客観的内容のある思考なら、言語の違いが影響を与えることなどない。 フレーゲはそれを「思想」と呼んだ。
だから?
880 :
考える名無しさん :2009/03/19(木) 22:06:00 O
日本には優秀な哲学者は少ないが、優秀な哲学解説者は多い。 翻訳、解説はその人らに任せておけばよい。我々は哲学を行えばよいのだ。我々は高度な翻訳家を目指すわけでもなく、高度な哲学解説者を目指すわけでもない。 哲学を目指しているのだ。
「言語の違いが影響を与えないような思考」を想定している時点で、 「哲学」を語る資格が無いことを自ら証明してるようなもんだよな。
882 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 00:28:40 0
なるほど。 ボキャブラリー貧困な一つ覚えの馬鹿は、思考も貧困ということだな。
883 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 00:56:49 0
>>881 はコピペみたいなもんだから、今後は無視でいいんじゃね
884 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 01:41:44 0
・哲学を新興の似非学問と混同しているのではないかね? ・由緒正しい学問である哲学と、いかがわしい似非学問である○○思想のたぐいを混同してはいかんよ? などとほざきながら自己正当化に躍起になっている哲厨が潜伏しているようだね?
885 :
考える名無しさん :2009/03/22(日) 11:29:50 0
三木清の「哲學はどう學んでゆくか」から抜粋するね。 ---------------------------------------------------------- 哲學史に就いて思想の歴史的聯關を見ることは忘るべきではないが、 更に進んで、自分で原典にあたつて研究することが大切である。 原語で讀むに越したことはないが、たとひ飜譯であつても、 古典は完全な形で讀むべきである。 何でも原語で讀まなければ氣がすまぬといつて、そのために 讀むべき本を讀まないでゐる人もあるが、愚かなことであると思ふ。 ----------------------------------------------------------
886 :
考える名無しさん :2009/03/22(日) 15:40:55 0
何でも引用しまなければ氣がすまぬといつて、そのために 2ちゃんに貼り付いてゐる人もあるが、愚かなことであると思ふ。
887 :
考える名無しさん :2009/03/22(日) 18:49:47 0
そんな人はいない。
888 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 03:58:40 0
各言語の差異、その差異が思考に与える影響を鑑みることのできない人間に突き詰めた思考は不可能。 「哲学に外国語は無関係」とか言う素朴なセンスの持ち主は竹田でも読んでろよ。
889 :
し :2009/05/10(日) 04:13:17 O
山根いるみ
>>885 外国語は言ふまでもなく、さふいふ日本語も読めなゐ。
891 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 14:04:16 0
専門家として哲学を職業にするなら外国語が読めないのではつらいだろうが、 ふつうに1人の人として哲学の問題を考えるのに外国語は必要ないだろ。 日本語に翻訳されている本だけでも読みきれないぐらいあるしな。
892 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 14:06:48 0
哲学するのに本を読むことは必要か、の方を議論したほうがよくね?
全然よくないよ。本読むのは当たり前だから。
>>891 何をやりたいかによる
言語の違いが効いてくるような問題であれば翻訳(だけ)じゃ無理
895 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 20:55:41 0
>>894 で、君の考えだとどのような問題が言語の違いが効いてくるような問題で、
どのような問題は言語の違いが効いてこない問題なんだね?
896 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 01:09:10 0
>>893 本なんか読んでもいろんな人の意見に詳しくなるだけだろ。
対話だったら、直接会って話せる隣人としたほうがよさそうだし、
基本的には、自分の眼で現実を見て、自分で考えたほうがよくね?
>>896 そういうのは、人生経験を積むことにはなるよね。ただ、一個人にできる経験なんて
たかが知れているし、そういうのはたいした哲学にはならないよ。
哲学そのものは古代ギリシア以来二千年以上の歴史があるんだぜ?
本読まずに得た知恵は本人には貴重かもしれないけど、
客観的にはせいぜい処世術や人生論に行き着くにすぎない。
898 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 02:24:38 0
まあアホ同士どっちもがんばれよw
899 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 04:57:00 O
天然痘 こころのボッチ
欧米の哲学者ったって、英語とドイツ語とフランス語くらいしか出来ないんだろ? そのうち一つは、まず間違い無く母語なんだし。 日本人は英語ができりゃ十分よ。
902 :
1 :2009/05/19(火) 11:26:29 0
例えば西田哲学は、日本人にとっても外国語に見える。マトモに理解している人は少ない。 プラトンやデカルトをある程度マトモに理解している人のほうが多いだろう。
ってか言語自体が哲学だからね。ひとつの世界観だ。 それを学ぶのも悪くない。
904 :
1 :2009/05/22(金) 10:50:32 0
外国語を学ぶことは、どんな立場の哲学にとっても悪いことではない。多くの場合、良いことだと思う。 がしかし、必要条件とはいえない。 哲学を「世界(≒思考)の根底にある構造・前提・条件、根源的概念を究明する学」だとすれば、基本的にはどんな言語でも哲学できると言える。 少なくとも、現在の日本語程度の豊かさがあれば、哲学するのに十分な表現能力を備えていると言える。
餓死菓子
基本的にどんな言語でもできるってのは間違いだよ。 完全言語ってないんだから。 むしろ既存の言語では世界を十分に解明できないとも言える。
>>904 「世界(≒思考)の根底にある構造・前提・条件、根源的概念を究明する学」なのに、
何で思考に決定的に影響をもたらす言語の差異が問題にならないの?
908 :
考える名無しさん :2009/05/22(金) 20:32:51 O
ともかく、時間と学習効率のいい若い内に、英独仏羅希に取り組んでおいた方がいい。
909 :
考える名無しさん :2009/05/22(金) 20:36:09 O
ともかくだ、時間があり、学習効率のいい若い内に、英独仏羅希に取り組んでおいた方がいいよ。
ともかくだ、時間があり、作業効率のいい若い内に、バイトに取り組んでPCを買っておいた方がいいよ。
911 :
1 :2009/05/23(土) 10:39:49 0
>>907 もちろん、言語の差異によって違いが出てくる水準の問題もある。
がしかし、そうでない水準の問題もある。
・根源的問題の多くは、特定言語の世界だけの問題ではない。例えば、現象学と分析哲学。
・全く翻訳できないような問題や概念は存在しない。
・言語は原理的に柔軟なので、他言語の要素を取り込みうる。
・問題を見出すことができるなら(問題の表現能力がある限り)、探究や解決も可能。
・科学的には、感覚や知覚の基本的部分は万人共通、という説の方が有力。すべてが言語に規定される、という説は有力ではない。
まあそう思うんならそう思えば良いんじゃないの。 ただ学術論文の多くが外国語特に英語で書かれる中で、 そういう人がどうやって情報を仕入れるのかはシランが。 自分だけで考えれば分かるっていうんならそうとうな自惚れだと思う。
913 :
1 :2009/05/23(土) 10:57:42 0
>>906 視点は面白いと思う。
できれば、詳しく説明してほしい。以下の問題に答えてほしい。
@世界の完全な解明とは何か?
A完全な解明のためには新たな言語が絶対に必要、と言うことか?
B既存の言語内で既存の言語が不完全と分かる、ということは、既存の言語が十分な問題表現能力を有している、ということではないのか?
可能か不可能か、ではなく、便利か不便か、の問題ではないのか?
914 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 19:45:32 O
ラテン語となると、ある外国語を母語とする外人のお姉さんとお友達になるという動機では学べないのだから、 ラテン語を使えるなんてことは社交性の欠如を十分に示すことになるね。
915 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 21:09:12 0
社交以外の動機も持っていることは、社交性の欠如を示さない。 何でそんなに頭が悪いんだ?
916 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 21:36:48 O
外人のお姉さんゲット目当てという不純な動機、つまり打ち消し難い衝動を持たない日本人が、 ラテン語を「使える」ようになるということは、変態だということなので、社交性などあるわけがないだろう。
917 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 21:41:12 0
独語5格、ラテン語7格(だったかな?)とすれば、ラテン語の方が哲学向きかな? 日本語や仏語は、その観点からは哲学には不向きかも。 ようわからんが。
独語4格(主・属・与・対)、ラテン語6格(主・属・与・対・奪・呼)だよ
919 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 21:51:35 O
ロシア語も格が多いみたいだ。 単語の形が変化しまくるだろうから、出鼻を挫かれがちだろうが、 ロシア美人目当てという強力な動機付けがあるので、ロシア語は挫折率が比較的低い言葉だと思われるよ。
920 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 22:02:38 O
好き好んで無駄に頑張ってしまうくだらない不純な動機なしには、外国語習得なんて不可能に近いと思うね。
921 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 22:03:27 0
ロシアの問題は基本わからん
922 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 22:12:42 O
好き好んで無駄に頑張ってしまうくだらない不純な動機なしには、 長時間労働なんて不可能に近いとも思うがねw ほんと無駄でね。 無駄に長く働いて環境破壊に貢献してきた人間が真っ当な人で出来る人ってわけだ。 無駄に頑張るということが、どんな分野でも大切なんだろうなw 大体、人生というか、生物とくに動物の設計自体が、無意味に無駄に頑張らなきゃ痛い目に合わせるからねという方針になってるからな。 ともかくおまいらね、無駄に頑張れよ。 しからずんば死ね。
923 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 23:03:49 O
いやいや、無駄に頑張っても、当然のように痛い目みるぞ。 無駄に頑張らなくても痛い目みるだけでなく。 やはり人生は苦か。 語学ばかりでなく何にしろ無駄に頑張ってしまう無意味な動機、衝動が必要なのだ。 要するに人間は、実存主義的にこう、無駄に苦しみつつ、無駄に頑張らねばならない設計になってるのだ。 設計自体基地外であるから、設計者もまた基地外なのかもしれない。
924 :
考える名無しさん :2009/05/25(月) 23:28:05 0
>>916 君はまだ思春期を卒業していないから分からないかもしれないが、
人間にはいろいろな動機があるんだよ。大人になれば君にも分かる。
925 :
考える名無しさん :2009/05/26(火) 05:25:37 O
いろいろくだらない動機があるだろうが、ラテン語を体で覚えてしまう日本人の動機は常軌を逸してるだろうね。 一体ラテン語使いになってどうするのかと。 モンテーニュじゃあるまいし、どんだけラテン語に時間割いてるのかと。 そもそも辞書を使わずに死語のラテン語を読めるようにだけでも、異常に熱心だと言えるし、 生きている人間に対して無礼にも絶望している徴候だろ。 人間の言葉に対して熱心だということは、社交嫌いとはいえないわけだが、死語を習得してしまう人間というのは、 実際的にいって社交性に欠けた人間には違いないね。 ラテン語習得は今生きている人間に対する侮辱だ。
どうでもいいことに熱中したりしちゃうのが人間ってもんだろ。 なかにはラテン語をしゃべれるまで習得してしまうヲタが出てきても おかしくはない。古典学者とか言語学者になる人間に そういう連中は珍しくも何ともない。
927 :
考える名無しさん :2009/05/26(火) 16:07:49 O
今や、どうでもいいことに熱中して、無駄に上達してないようでは、駄目人間とさえいえるようになってきている。 というのも必要ないどうでもいいことでパンを稼いでる人間も多いのだし、 そういう人間は文明が発達するにつれ段々多くなるんだろうし、ますますこう、どうでもいいことが大切になってくるわけだからね。 おかしなことに、人間くだらないことにマジになるようになっていくんだ。 そうなることが、発展なのだ。
928 :
考える名無しさん :2009/05/26(火) 16:36:40 O
どうだっていいことを考え続ける哲学徒諸君が真っ当なる人間として通用して然るべき時代に既に入っているとさえいえるだろうな。 どうだっていいことを神妙な顔つきで考える人間が、実力者になれるようになるのだ。 なぜならどうだっていい実務が増える一方だからだ。 どうだっていいけど。 とはいえ、ラテン語のようなどうだっていいものにおいて卓越するコツ、優越し続けるコツを掴むことは、死活問題にさえなってきてるよ。 「無駄に頑張れ、しからずんば死ね。」 21世紀の名言だろう。 滑稽にも無駄にスゴい人が実際的にスゴい人として、プロとして通用するようになる強い傾向があるのだ。 「無駄にスゴくなれ」ともいえるね。
929 :
考える名無しさん :2009/05/26(火) 20:33:29 O
どうだっていいことに熱中するマニアが増えてくる傾向が続いてるわけだから、 社交性が失われ、人々は孤独になっていくんだな。
物理学に数学は無関係というのと同じ意味?
931 :
考える名無しさん :2009/06/04(木) 02:51:00 0
ほしゅ
932 :
1 :2009/06/04(木) 12:14:07 0
>>930 「物理学に数学は無関係」ということは、「哲学に言語は無関係」ということ近い。
「哲学に外国語は無関係」とは、「哲学と特定の言語との結び付きは絶対的ではない」、「哲学するには特定言語の習得が必要であるとは言えない」ということだから、
同じ意味ではない。
>「哲学と特定の言語との結び付きは絶対的ではない」 外国語を理解できない人間が、どういう根拠でこう断言しているのか?
934 :
考える名無しさん :2009/06/04(木) 12:55:35 0
>>928 「無駄に厚い本」だが最近紀伊国屋で見た「認識論的人間論序説」は
「薄っぺらな現代哲学」を凌駕するインパクトがあった。
935 :
1 :2009/06/07(日) 14:20:57 0
>>933 貴殿の言っていることは愚問だと思うが、いちおう返答らしきものを与えておこう。
日本語で哲学ができている例が一つでも存在すれば、「哲学と特定の言語との結びつきは絶対的ではない」という命題の正しさが証明されたことになる。
貴殿は、現に日本語でなされた哲学をニセモノだと言いたいのか?
日本語では哲学できないという人は、「日本語でなされているすべての哲学はニセモノである」という命題の正しさを証明せねばならない。
936 :
考える名無しさん :2009/06/10(水) 07:27:47 0
人間や社会に関する言明は、本来、母国語でしか語り得ないのではないか? 哲学と数学や物理学との根源的な相異はもっと問題にされるべきだと思うが・・・
母国語でしか語り得ない普遍性のない哲学なんて不要と言われそうですよ。
それとアメリカで生まれ育った母国語を日本語とする日本人の帰国子女はどうしましょ?
939 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 13:31:10 0
>>937 哲学には「普遍性を主張し得る部分」と「普遍性を主張し得ない部分」があるという認識が正しいのでは・・・
特に、人間の本質に関わる概念は母国語によってしか深く認識し得ないと思う。
940 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 02:54:35 0
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考える名無しさん :2009/06/12(金) 07:36:12 0
>>939 少なくとも数学や自然科学は「普遍性」が無ければ話にならないけどね。
942 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 10:06:52 0
最も「母国語によってしか深く認識し得ない」ものは「詩」だろう。 そして哲学には「詩」的側面が、必要とまでは言わないが、あって当然だと思う。 最近はなぜか科学的側面ばかりが強調されすぎではないか。 日本に日本語による詩的哲学者が出て来たらいいのになあ。
943 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 10:36:18 0
>>942 僕もそう思うことがある。
ダンテが『神曲』でイタリア語を確立し、チョーサーが『カンタベリー物語』でイギリス語を確立したとしたら、
誰が何で日本語を確立したと言うべきなのだろう?
だからそんな難しい議論しなくても、外国語がわからなかったら、 一次文献が翻訳されるまで情報が得られないことになるだろ。 それが知識の吸収で障碍になるのは明らか。
945 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 11:03:59 O
ドイツ語などを勉強すれば、哲板のコテも身の程を知って、少しは謙虚になるだろう。
彼らは身の程を知るのを恐れているがね。
2ちゃんで毛嫌いされがちな長文というと、短い文の羅列にすぎないが、 ドイツ哲学書では一文一文が2ちゃんでいう長文の長さをもっていることが多く、一段落2、3文しかなかったりする。 解釈するのに要求される知的能力が違ってくるわけだ。 語学力以前に、日本人だと大概ドイツ哲学を原文で理解するに足る知的能力自体が未発達だろう。 その高度な知的能力がなければ認識できないこともいっぱいあるんじゃないかなと思うね。
948 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 11:42:55 O
日本語も日本語で難しいんだろうし、 つまり、言語を使用するに当たって要求され、そして発達する知的能力が言語によって異なるわけだ。 だから日本語しか使えないならば認識できないこと、気付き難いことも多々あるだろうし、 語学は、そのようなことを自ら認識できるように、自分の認識能力そのものを向上させる知的訓練としての効果がある。 したがって、「関係がある」。
>>943 少なくとも現代日本語を確立したのは坪内逍遙か二葉亭四迷
950 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 12:08:25 O
西洋の古典語はやはり、知的訓練の教材としても優れていると認識されてきたわけだろう。 古代ギリシャ人はその言語の要求によって、発達し、優越するべく強いられたのかもしれない。 ならばその子孫のギリシャ人だって優越していて然るべきだが。
951 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 12:12:38 O
日本語も、戦前の方が良かったな。 言語を簡略化すると、その使用者も単細胞になりがちだろう。
>>945 ドイツ語はおろか英語すら通じないんで日本語で書いてます。
>>951 今の日本語は明治以降の人工的な標準語をベースにした変な日本語
方言で文学がオシャレさん
954 :
1 :2009/06/13(土) 13:33:11 0
もし「すべての人間が有する本質」が存在するなら、何語でもその本質を捉えることができる、と言えよう。 もし「母語でしか捉えられないような本質」なら、そのような本質は社会・文化の産物、と言えよう。
956 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 14:30:59 0
>>950 知的訓練を積むとものごとの本質が良く見えるようになるのかね?
理屈が達者になるだけと思えなくもないが・・・
957 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 14:39:33 0
>>954 「多くの人間には目が2つある」・「多くの人間の血液は赤色をしている」といった本質は
確かに、何語であっても、ほぼ正しく捉えることができる。
958 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 19:24:47 O
>>956 なると思う。
例えば欧米人は第一に何々、第二に何々、第三に何々とかいって、よく長々と分析しつつ続けたりするわけだけども、
そのように彼らが一時に処理しうる情報量が多いのは、
彼らの言語的な習慣も含め、言語的に彼らが小さい頃からいわば「メインメモリー」に対して比較的強い負荷をかけられて育つからだろう。
んで、彼らが日本人より上回っていると思われる一時に考慮しうる情報量を規定する「メインメモリー」の容量は、
思考能力を大いに左右するだけでなく、
直観的に洞察をする場合にも重要な役割を果たすものであると思う。
外国語の習得過程において、辞書をひきつつ解読したりするわけだけども、
この作業にはメインメモリー、すなわちいわゆる短期記憶と呼ばれる記憶力に大きな負荷がかかり、鍛えられることになり、
思考能力、そして直観的洞察力もグレードアップすると思われるわけだ。
子供の頃の訓練は一生影響する。
しかし誰もあてにならないけどひとりじゃなにもできない。米和に聞きたい。これはいったいどういう了見だ?教えておくれ。あそこから迷いは始まった。どうすりゃいいの?
長文でなくても、ソクラテスのように長々と誘導的な推論をしたり、させたりするにも、 一時に処理しうる情報量が非常に大きくなければならないよ。 論理的にといったって、コンピューターのように一つ一つ処理するんじゃなくて、彼はまず問題を一発でリアルタイムで処理して、台本というかアルゴリズム、プログラムを作り上げて、それに則ってるわけでしょ。 基本的な能力に大きな格差がある。
過去の哲人の肩の上に乗るには、彼らに比肩する基本的な能力の高さが必要なんではないか? ショーペンハウアーはその主著を少なくとも二度読めといってるけど、 そうゆうのは体系を理解するには、推論や命題を機械的に一つ一つ、部分部分理解していくだけでは足りないんであって、 全体を一片に考慮し、理解せねばならないからだろう。 そうできるような視野の広さ、一時に処理しうる情報量のデカさを持っていなければ、木をみて森を見ずということになる。 普通、無理だと思うね。
964 :
鍵のありかはあらかた当たりつけ :2009/06/13(土) 20:08:44 O
>962 現実を問うているのです。まあいいですよとにかくうまく行きどまってさあ次でテキトーに動きたくなだけなんです。さて機能にはどこかに欠陥や糸口があるので
その何語でも通用する自然科学では英語が必須の状況なのだが。
日本人は第一に何々、第二に…とかいう説明するどころか、基本的に説明しない人間が多いぐらいで、 指導するに規則とか命令とかを短文や単語で言い渡したり、盗めとかでしょ。 非言語的コミュニケーションを大事にしてる。 そして言語を軽視してる。 教科書なんかも、薄くて、説明が乏しくために、暗記になりがちだし。 こういった環境で育てば、欧米人の言語的体系を十分解するに足る能力は発達しないんだろうね。
はたして日本語は哲学に適しているのか
日本人は欧米人的な言語的構造を構築するに必要な能力もあまり発達してないだろうね。
ドイツ語でも英語でも1ページに2、3文しかないのはだいたい悪文。 ヘーゲルの哲学書なんかその典型。 ドイツ人の学者でも明晰な文章を書く人はたくさんいるよ。
970 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 21:05:12 O
日本語以前に、言語の使用を避けることができて、心が通じたと感じて、喜ぶような文化だか民族性では、日本人が哲学には向いてないとはいえるな。
時々1ページに2、3文しかない文章でも、 短期記憶力などの基本的能力がグレードアップすれば悪文だとは思わなくなるかもしれないよ。
972 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 22:16:34 0
>>967 「和語」は、論理的な思考や体系的な叙述には向いていないと思う。
だから、学術論文や法令文書には「漢語」が多用されるのだろう。
>はたして日本語は哲学に適しているのか
難しい疑問だね。
973 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 23:39:19 O
そうそう、昔から何事も説明しようとしない親を含めた大人が気にくわなかったな。子供も同じだが。 基本的に言葉で伝えようとしない。 口で言ってわからないなら体でわからせるしかないとかいう決まり文句があるが、そもそも口でいわないわな。 いっても大体短文とか単語であって説明じゃないからね。 こいつ意味わかんねとか思ってたよ。 今もあまり変わらんが。 いっても「空気読め」とかいう単語みたいな発言だろ。 意味わかんね。
多分、考えてないよね。 考えるんじゃない、感じるんだ!とかさ。 そんなんだもんな。決まり文句並べやがって。
975 :
考える名無しさん :2009/06/14(日) 21:06:43 0
>>965 このスレの目的は
何語でも同じように理解できることとそうでないことがあるという前提の下に
「哲学」はどちらかを考えようということだろう
自然科学については何の問題もないと思うけどね・・・
976 :
1 :2009/06/15(月) 12:45:15 0
一般論として言えば、日本語、日本人的な思考様式・言語の使い方、が、哲学をするのに不利になる可能性はある。 がしかし、不可能とまではいえない。不利と不可能とは区別すべきだろう。
>>975 目的は
哲学やるのに本当に必要な資質・能力とは何か?
>>1 だろ、多分。
スレタイが
>>1 とズレてるのが問題だがね。
>自然科学については何の問題もないと思うけどね・・・
おおありだ。
>>1 がたしか「ある」って上のほうでいってたとおもうが、
そういうことだ。
これは自然科学(理系)を院レベル以上でつっこんでやっていくとおのずと理解できてくる。
もちろん、日本語の教科書つかって公式数式をなんの分析もせずに丸暗記、丸応用するだけなら語学はほとんどいらないがね。
実際的に要らないといえる分野も存在するかもしれんし、ないならないで実際やっていけてることも多いが、
本質的に、または専門的には、多くの分野では関連外国語は必要。
母国語を完全に習得するのは無理
979 :
考える名無しさん :2009/06/16(火) 02:31:26 0
哲学は死んだというのに、 まだ外国語の話をしているのか? ヨーロッパではまだ哲学が生きていると信じる者がいるとは。 もちろん、翻訳でもだめなんだよ。 若い時の時間を外国語の学習に捧げてしまえば、 哲学が今どうなっているのか気がつかないし、 見切りをつけることも出来なくなる。 人生は一度。 辛気くさい上に報いのない努力をするのは虚しい。 虚しい努力を虚しいと言いたくなくないので、 延々と理屈をこね続けてしまう。 人生が屈折してしまう。 気分だけは18世紀。 ただし、とんでもない思想家が突然現れたときのために、外国語を学んでおくことには多少の意味がある。 しかし、それはインド人や中国人かもしれない。 ラテン系やスラブ系あたりもあやしい。 ロシア語で書かれた世界を変える書物とか、突然出てくるかもしれない。 出てきて欲しい。 そういうのがないから、日哲も盛り上がらないんだよね。ここずーっと。
英語はアホ おちんちんはびろーん
981 :
考える名無しさん :
2009/06/16(火) 11:59:15 0 「人間哲学を語るためには母国語の素養が不可欠の前提である」と言った哲学者がいたと記憶しているが 誰だっけ?