ニーチェ ゴ

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201考える名無しさん
ツァラトゥストラは日本にやってきた。そこでは仏が信仰の対象であった。ツァラトゥストラはこう言った。「仏は死んだ」
日本人は「あたりまえやないか」と答えた。
202考える名無しさん:2006/04/16(日) 09:36:19
ニーチェの場合、「発狂したフリをして憐れむ連中を馬鹿にしてた」なんてこともありえそうだから困る。
203考える名無しさん:2006/04/17(月) 14:36:19
ニーチェは結婚した哲学者は偽者って言っておきながらルー・ザロメと結婚しようとしたのか
204考える名無しさん:2006/04/17(月) 18:42:09
>>203
妹のエリザベートに嫉妬されてたんだっけ?
って云うとなんとなく『妹萌え』だが、
実際にエリザベートの写真を見てみると……

女ニーチェ。
205考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:28:29
>>203
確かそのころに「女について間違いを言うことは難しい」とか何とか言ってなかったか。
正直「女わかんね」ってことなんだろうな。
206病弱名無しさん:2006/04/17(月) 22:25:10
ニーチェは女についてかなり書いているね。
ショーペンハウアーの影響かもしれないけど、珍しくないか。
207考える名無しさん:2006/04/19(水) 00:05:22
ヒトラー最後の十二時間をみたら
ニーチェ思想たくさんでてた
実際は多面的なんだが
208考える名無しさん:2006/04/23(日) 15:36:10
そういえばさ、富野由悠季ってニーチェ的じゃないか……
209考える名無しさん:2006/04/23(日) 16:01:10
>>208
そんな大人の理屈!!修正してやるっ!!!
210考える名無しさん:2006/04/23(日) 16:19:09
誰にとってもいかなる時代でもどういうものにも
同じく来るのが「常に問題は山積みである」ということ
これはどうあがいたってみんなに共通です。
それにある方法論を出したのがニーチェの「超人」という
定義。私の解釈によると超人は常に山積みの問題を制御できる
存在だと思うというか自らが問題たちに取り組んでゆき自分なりに
常に山積みの問題を同時進行で攻略してゆける存在と捉えています
211考える名無しさん:2006/04/23(日) 22:43:45
それ以前に、問題が何なのかを理解していない人間が多すぎる。
人間が増えても、価値ある人間が増えるわけじゃないのな。
と、ニーチェに毒されすぎたかと思う今日この頃。
212りくーつ・こねりー:2006/04/24(月) 01:41:54
というか、ニーチェって極端な相対主義で価値を否定してるかと俺は思ってた
「価値ある人間」の価値というものじたいは無意味っつうことはないのかな?
(ニーチェ、読んだことないけど)
213考える名無しさん:2006/04/24(月) 13:27:05
光炎菩薩、御齢三十にしてその故郷を去り、故郷の湖邊を去りて、遠く山に入りたまへり。
山に住して禅定に入り、孤独寂莫を樂しみたまふこと、茲に十年なるに、未だ嘗て倦みたまふ
ことなかりき。十年の後、心機遂に一轉、某の朝、曙光を仰いで起ち、昇る大日輪を仰いで、
語つて曰く、「われ、星中の王たる汝に告ぐ。汝は照らすを以つて汝の生命とす。……されば
汝、わが盃を祝せ、盃はまさに溢れんとす、水は金色の波を湛へて、盃の外に溢れ出で、
八面玲瓏として、汝の快楽を映じ出だすを見よ。見よ盃の水はまさに虚しからんとす。而して
われ光炎は再び人とならんとす。

ttp://gutenberg.spiegel.de/nietzsch/zara/als2001.htm#vorrede
214211:2006/04/24(月) 16:35:18
>>212
ニーチェはあまりに多面的。というかいろんなこと言い過ぎ。
まずニーチェは「絶対的な価値」の存在など認めてはいない。
というよりそんなものが無いことは、ある種の不文律にはなりえないのか。
ただ「生きる」ということは「価値裁定」であって、
常に何かをひいきし、何かを無視することである。
そういう意味で、「生」とは過ちを犯し続けることであり、誤謬である。
その本質的な「誤謬性」を受け入れて、「真理」に始まる「ひとつの価値」に跪くのをやめて欲しいのだ。
とまあ、最後のは俺の希望だし、記憶に頼ってるのでニーチェの思想と一致していないところもあると思う。というか答えになってない・・・・・・?
やっぱニーチェの哲学は言葉にしづらい。
といってニーチェは言葉遊びが下手なわけではなく、読み物としても面白いので、ぜひニーチェを読んでみてください。
215考える名無しさん:2006/04/24(月) 20:00:33
結局のところ、書物だけではニーチェという人物は永遠に理解し得ない
その考えも然り
推測の道具としては現代人には過ぎたオモチャなのだろう
216りくーつ・こねりー:2006/04/25(火) 12:43:07
>>214
> ただ「生きる」ということは「価値裁定」であって、
> 常に何かをひいきし、何かを無視することである。
> そういう意味で、「生」とは過ちを犯し続けることであり、誤謬である。

だとすると、

>>211
> 価値ある人間

はありえないんじゃないかな、と私は思ったり
少なくとも、相対的な価値を認めないかぎりは無理なんじゃないかなあ、とか思ったのです
217考える名無しさん:2006/04/25(火) 14:53:43
>>216
俺は214ではないが、
だったらわざわざ(末人が言う意味での)価値ある人間になろうというのは不条理な気がする。
218211:2006/04/25(火) 18:23:03
>>216
ほとんどの意味で、あなたの反論はもっともであると思う。
しかし、俺の論理が矛盾していないという自負はある。
ただそれを完全に説明しようとすると長くなるし、うまい説明ができるとも思えない。
それにニーチェの哲学は言葉にすると矛盾をはらむ危険が高いと感じる。
まあ「完全な論理」、「完全な伝達」が不可能としてもね。
なので、ニーチェの著作を読むのが一番いいと思った。
と、断ったうえで、いちおう俺の考えを短く。
まず俺が>>214で言いたかったのは、「絶対的な価値」はありえないが、「価値裁定」は不可避ということ。
つまり価値は常に没落する運命にある。
絶えず価値は破壊され、価値は創造される。
なのでざっくりと言えば、「価値ある人間」とは「創造的な人間」かと。
219211:2006/04/25(火) 18:44:32
って思想が現時点ではニーチェの模倣でしかない俺が言えることじゃなかったかなw
220りくーつ・こねりー:2006/04/26(水) 02:34:09
>>218
> なので、ニーチェの著作を読むのが一番いいと思った。

おっしゃるとおりでございます
(おりをみて読んでみようかな、と思ってます)

> 「価値ある人間」とは「創造的な人間」

この辺りは学問にもいえるような気が私はします…
問題を解こうとするより、問題を発見するほうが、価値があるように思えたりします
問題が発見されてるからこそ、問題を解くという営みが発生してる、と思ったりするからです
221211:2006/04/26(水) 20:01:08
>>220
それなら最後に、『善悪の彼岸』をおすすめしておきます。
価値云々について詳しいし、著作自体も名作。
ニーチェの、言ってみれば「遠近法主義」は、単なる相対主義よりも一歩進んだものに思えるので、読んでみる「価値」は充分にあると考えます。
222りくーつ・こねりー:2006/04/27(木) 01:01:24
ご紹介ありがとうございます
是非、おりをみて、その著作を読んでみようと思います
223考える名無しさん:2006/04/27(木) 10:27:56
通りすがりに失礼。
ツァラツストラをざっと読んだくらいの初心者です。
議論の流れが読み取れてないかもしれませんが…

ニーチェは相対的な視点を持つことを重視しましたが、
「超人」には絶対的な価値を置いて、これを目標にせよと言ったのだと思っていましたが。
違うのでしょうか?
224考える名無しさん:2006/04/27(木) 14:48:29
極端な相対主義者という人は、間違い
225りくーつ・こねりー:2006/04/28(金) 07:44:51
>>223
ニーチェ、読んだことがない人の戯言だったと思ってください…

俺がいいたかったのは、
相対的な視点で全ての価値を徹底的に否定したあげくに、
超人というニーチェの概念を持ち出したのかな?
と俺が勝手に思ってただけだし

そういった価値を否定するなら、自分が仮定する価値(超人)もそんなんになっちゃうんじゃないかな?
と俺が勝手に思ってただけだし

相対主義が自己言及してパラドックスに陥るのとおんなじようなことにならないかな?
と俺が勝手に思ってただけだし
226考える名無しさん:2006/04/28(金) 13:34:53
>>223
ニーチェの言う価値は、「主観的」ではあるが「相対的」ではないと考える。
なぜなら「相対的価値」とは、
「彼らは悪い。だから我々はよい」というふざけた奴隷道徳をふくむであろうから。
「主観的」なものが「価値」になったとき、それは「創造的」と言える。
まあ全く別の話、広い視野は必要だろうけど。
そして、確かにニーチェは「超人には絶対的な価値を置いた」と言えるかもしれないが、
「超人」の定義が絶対的ではない。
だから俺は、「超人」の概念は、超人そのものよりも、
「目的を持つ」とか「超克のために」といったところの方が比重が高いのではないかと思ったりする。
あと、ツァラトゥストラは「宗教的パロディ」の意味合いも持つので、その影響もあるかもしれない。
ニーチェに興味を持ったなら、散文も読んでみてはどうだろうか。
227223:2006/04/28(金) 20:16:44
レスありがとう。

>>225
いや、私もどうなんだろうと混乱しながら読んでいます。
>そういった価値を否定するなら、自分が仮定する価値(超人)も
>そんなんになっちゃうんじゃないかな?
そんな類の矛盾を感じることもあります。哲学脳を持っていないこともあり、
ニーチェの文意を汲むのは私には難しいです。

>>226
「己の主観が正しいのかどうかはいろいろな立場に身を置いてよくよく吟味せよ、
でも高い目的のために妥協せずに精進せよ」みたいな感じでしょうか。
↑説教臭いというか、俗っぽい表現でちょっとあれですが。

「善悪の彼岸」は半分あたりでちょっと休憩中、あと「人間的な…」を拾い読みしたりしてます。
入門書や解説書がたくさん出ているのでつい頼ってしまうのですが、
あくまで自分のために読んでいるので、多少変でも自分なりのニーチェ解釈をしたいとは思っています。
228考える名無しさん:2006/04/29(土) 09:52:07
悲劇の誕生を読んでるのだが
アポロ的英知とソクラテス的知性の違いを詳しく説明してくれまいか・・・
229考える名無しさん:2006/04/29(土) 10:02:59
>>228
私も今読んでる。

読みにくいw
230考える名無しさん:2006/04/30(日) 02:28:13
ニーチェは、なんか教祖になろうとしていたフシがあるな。
それも、自分から作るわけではなく、自分の著した教典を理解できる後世のやつに……
231考える名無しさん:2006/04/30(日) 04:07:51
>>230
それは違うと思う。

病苦の中にあっても尚、目を見開き、
あれほどの物を書く精神力に感嘆する。

いつかニーチェを大笑いして読める日がくればよいな〜!
232考える名無しさん:2006/04/30(日) 19:50:02
教祖になるというより、ともに語り合うしかなかったのじゃないのですか。

超人にせよ永遠回帰にせよ、それらの概念を神の代わりに持ち出して押し付けるわけにはいかなかったと思います。
「ましな人間達」への同情を諦めるシーンで、

「わたしはいったい幸福を追い求めているのだろうか?
私の追い求めているのは、わたしの仕事だ!」

と言って。ニーチェは少なからず「幸福」のような価値観の中で語ることを躊躇わざるをえなかったはず。
結局他人に正しさを教えこむような同情は出来ないから、ニーチェの本は支離滅裂というか
伝統的な書体を維持できなかったんだと思うけれど。
233考える名無しさん:2006/05/01(月) 10:12:41
>>230
ツァラトゥストラだけ読んで勘違いしてない?
あれが教祖風なのは聖書のイエスをパロディしてるからだよ。
ゾロアスター教の開祖という人物名を持ってきて
わざと伝道士という役柄を与えてる。

よく『この人を見よ』も勘違いされてる。元々は
聖書の中でキリストの鞭打ちの後にローマ総督ピラトが言ったセリフなんだけど
日本じゃやっぱり聖書になじみがないから
パロディで皮肉ってる部分のニュアンスが伝わりづらいのかな。
234考える名無しさん:2006/05/01(月) 12:01:11
ニーチェの人間性ってどう思う?
235考える名無しさん:2006/05/01(月) 19:28:31
哲学書を読むのに必要な知識っテ何?
(マジレス)
236考える名無しさん:2006/05/01(月) 19:39:37
>>235
読むだけならその哲学書が記されている言語の文法。
237考える名無しさん:2006/05/01(月) 20:15:02
>>235
文字が読めること。
238考える名無しさん:2006/05/01(月) 20:25:59
読解力
239考える名無しさん:2006/05/01(月) 20:26:43
本をとにかく読む
240考える名無しさん:2006/05/01(月) 22:03:18
ニーチェが言う「ジェスイット」って何を意味してるんだろうな。
たびたび比喩に使われるけど。
一般的(といっても「現代」の「日本」には無関係だが)には「偽善者」の意らしいが。
やっぱ読む上では「同時代」「同郷」が最適か。
その上ニーチェの個人的意味合いまで読み取ろうとするとかなり大変。
241考える名無しさん:2006/05/02(火) 03:45:34
永井均の『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社)を読んでいます。
読書ペースが遅いのか、ようやく半ばに差し掛かりましたがなかなか面白いです。
哲学的意味でのルサンチマンとニーチェの語るルサンチマンは若干意味が異なるのですね。
242考える名無しさん:2006/05/02(火) 03:59:35
ニーチェはマキャヴェッリをどう評価してるの?
243考える名無しさん:2006/05/02(火) 19:59:25
>>235
知識じゃないが資質として、ニーチェの言うところの「勇気」。

244:2006/05/02(火) 21:16:24
241>前に読んだことある。
  でも、その本で著者が「永劫回帰は回帰しないところに意味がある」
  てなことを言っていた気がする。
  それについて深く考えたわけじゃないけど、いまだに意味わからんまま。

  てゆーか、「永劫回帰」って実はみんなよくわかってないんじゃないか?

  誰か、「おれは極めた」って言う人、わかりやすく解説してくれませんか。
  あんな気味の悪い思想が何で頭にうかんだんだろう。
245考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:27:35
永遠に、同じ人が同じ事してたら同じだろ。
246考える名無しさん:2006/05/03(水) 00:22:50
>>244
気味の悪い思想、という点に関して言えば、
単に千年王国というフィクションに対して永劫回帰というフィクションを突きつけたということじゃないか。
だけどそれをことさら重大に言うからには歴史の直線的性格を否定することを
重要視していたようにも思う。
247考える名無しさん:2006/05/03(水) 19:44:33
ニーチェはどうしても自分の(人間の)運命を許せなかったんだろうな。
だから、こんちくしょう、って感じで「永劫回帰」を言い出したんじゃないかな。
いわば、毒食わば皿までってやつ
248考える名無しさん:2006/05/04(木) 01:01:06
241です。永劫回帰についてですが、永井は肯定していないのですね。むしろカント思想を否定する
ものとして紹介していたように思います。
「過去―今―将来」の「今」という瞬間は、無限回繰り返す今の一部分を捉えたものでしかありません。
この世界のパラレルが空間的にも時間的にも存在しているのならば、それを認識する私という主体が
そのパラレルワールドにも同時に存在していることになる。
でも私という存在は今わたしが認識しているこの世界にほかなりません(我思うゆえに我あり)。
よってその他の世界はすべて否定されてしまう。
ここに永劫回帰の起点があるように思われます。
249考える名無しさん:2006/05/04(木) 01:02:30
哲学初心者なものでうまく説明できませんでしたが、賢人の智恵を拝借したく思います。
250考える名無しさん:2006/05/04(木) 01:09:46
君のような素直な思考態度の人にとって、永劫回帰から脱することは可能だよ
永劫回帰の解釈についてはそれで正しい
胸張って思考を進めたまえ
251考える名無しさん:2006/05/07(日) 03:40:04
こういう奴をニーチェは嘆かわしく思ったんだろうな
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/news/1146894864/590
252考える名無しさん:2006/05/08(月) 21:58:59
いやニーチェならば一笑に付するわけで。
253ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:41:15
永らく私は虱潰しに悩んだ事を考え続けた。

やがて、一つの疑惑となる欲求への回帰による自己原因を安定させ、ある種の本能的に衝動を伴い認識の連鎖と苦悩を引き起こし、
やがては慣性的な秩序を保つ為にありとあらゆる知識と認識により思考を繰り返す

所謂、我々が何故に生きながらにして考える事を欲するのか?又は何故に我々は人類としての存在を我々は理解せねばなるまいか?

と言った一つの“記号”的な確信を創り出す為に過去に様々な原理的な要求を、様々な価値観を万物に例えた事を自らの“本質的な能力”の価値付ける秤の価値観を我々は嫌という程、

あまりによく視察の対象との関係性には成立を確定する事としては、認識を行なってはいないのである。
254ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:42:43
「万人が求めて止まぬ真理への探求心。」

我々はこんな理由を度々、知理への原理的な要求の、根源である等と何故に今更誰が正しい明るみを昇らせる原初成る朝日に掲げる《サウス・プリマ》だと言おう者が居よう事か?

万人が求めて止まぬのは、自己保存を確実に安定に繋ぎ止める為だけに、あらゆる認識と倫理に置ける中庸な距離を保つ為に他との比較となる概念との差異を、測る事で在ろう。

だが!!その中庸こそ凡庸と言った所で!!
255ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:43:48
【哲学的観点と民衆的観点の大いなる擦れ違い。】

近代的にすら躊躇せず、模範化する事を命題と言う、自己回答の模範を受け皿にしてしまう。

その、あまりに品欲をその身へ感性が喜ぶ事無き知性は、その“命題”と言う“皿”の上に置かれてた物を何でも噛み砕き良く食べる事を怠らない!!

難にでも噛み付き食する、奴らはそれでも自らを但の豚だとは微塵も許せない!!

何故なら彼等は“何でも”食べる“何でも”食する故に惜し気も無く、認識者としての失格を自らで吠える!!
『見よ!!私の精神はもはや循環器の一部に例えれるまでに十分に成熟した!!是こそ、その昔に精神が胃で在る事に例えられた揺るぎ無い実証だ!!』と。

そう言い彼等は知識を貪るように何でも噛み付き丸呑みにする。

それこそ、豚と同じ家畜と等しい認識の最足る本音だと彼等は理解すら丸呑みにする。

嗚呼、今日の哲学を貪る諸君達よ!!どうか君達が、今だ精神が胃である事を正しく認識する者で在るならば、君達が彼等に対する事に噛み付いた時に催す“あの”嘔吐、嘔吐、嘔吐感!
それこそ真の本物の本音を包む柔らかな軽蔑で有ってくれたまえ!!
256ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:45:14
【道徳的観念と道徳性観念と不道徳的観点。】

道徳的良心を中心に置き、我々は秩序的な模範の中によって我々と言う一つの社会を、尊重して築き上げて行く事が必然的な優先性を持つ事の権利を何よりも実証する事が今日の“平等への公正”としなければ成るまい。

よって今日までに我々が、悪徳で在るとする。

『禁止を為す者』達は秩序による裁きで在る事を理解出来ない低劣な無知で在ると、『我々は彼等の様な、低劣なる悪で在る無知を恥じなければ成るまい。』

『禁止』是は何によって何よりも価値が高められる事が在ろう!!

『禁止』された制約との利害関係を理解した上でその内約の規定に“従う”と言う事への同意、是が最も禁止が昇る高みを登らんとする没落への姿では無かろうか?

つまり、規定に従う事が続く限りに自己利益への安定を規定された内容に従い保障する事により。

私の提示する規定に従うと言う事にあなたが同意に従うと言う事が何よりも、互いの利益の損失の可能性を禁止すると言う一つの法則として何時までも続くよう試みる事の誓いに成るよう。

この小さな、法則を大いなる法律の役に立つよう試みると言う事を見つめ続ける事を誓い合いましょう!あるいは、これは失敗となるかも!!それでも、関係を他との中で成立させる事に従う事と一緒にいる事が何よりも、重大だと知って居ますから。

結婚を誓い合う事の試みと是は同じ事だと、見つめ続けたい。

なにより、同意と理解の参照が無い提示された一方的な禁止是は突き詰めると、それは無知を恥じる事と同じ位、醜い復讐心や破滅を二人に与える事を今まで幾度も、繰り返されて来た事を理解したいから。

道徳、是さえ一つの我々が創り上げた“記号”に過ぎない。

257ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:47:58
【定義化と倫理的価値観により、その本質となる決定機関、およそ個々への支配欲】

哲学的感性と人類学的感性の相互理論による臨床的なパラダイム(交換)的な構造の可能性の視察。

我々人類が哲学的で在る事に救いが在ると見入出す事が、何らかの可能性への、絶対的な何か?では無く、
何か絶対的なものへ自らが創り上げる不信感への疑いを晴らし続ける程の価値が在ると救われる事で信じる
と言うならば、我々は、あらゆる感覚に置ける計測を測る自逆性すら犠牲にする程までの見返りを。

もし、哲学的で在る事に回帰し続ける事で我々がすでにそうで有った事とするならば。

最も嫌悪すべき真に、堪え難い、あの『魔の重力』を克服してまで登り続ける事が自己原因との関連性により、存在と認識を我々の知性と知恵が“絶対的静止空間“と過程する物理的に不要な価値観への度外視を

見つめ続ける意志を“同時”に認識する事を我々が認める事を意志するならば、何故に我々、哲学的な資質を示す座標を記す事を意志する事に憧れと戯れを望むなら。
258ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:51:36
何故に我々が何を持って、偲惟を学ぶ事を一体誰が、人類道徳が歩んだ起源と同じ系譜を辿る事が、一体我々の何に成るのだと。

常日頃から退屈を埋める読書家のあまりにも窮屈な創造性への自らが望んだ感性の没落への移り行きの眺めから、信じれる事と疑うならば、確定的な認識に置ける“我“とその他との差異をこう言うしか無い。

モラリストで在る事を意志する善良な善い人はこう言う。

『生きると言う事を信じ続ける事で、その定義に置くならば我々は秩序により、救いを求めなければ成らない。』

私は是に否を意志した、嫌私は生きると言う事を信じ続けると言う事を、なによりもまず【疑う】事から始めなければ、およそ信じれる事を私は真実で在る事等に何の執着も無く持ち続けてしまうだろう。

私は学んだ、真実であると思われる一切は自らの手から離れ行く事が無ければ、一体、何の価値が在ろう事か!!真、知性の深渕を覗いた時に、それは告げた。
『真、自身により最な価値を創り上げたと信じる事が、出来たなら、その価値を自身だと呼び続ける事が可能か、まず疑え。』

一切が自身から離れ行かぬ価値に等虚無に執着する事と略同じ“価値”では無かろうか?
259ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:56:26
【価値保存と価値観保存】
私は一つの移り行きと没落を見て学んだ。

万物に於いての究極は永遠では無く、永遠に“移り行く”ものだと。

何が我々にとって最大の価値を振りまく程に無尽蔵の富を与える事が理解出来るのだろう?

私は私の思考すら疑った。
この自らの精神と魂は会話から在る事を私に囁いた。
『法律は死んだ、悪意への同情により死んだ。』と。
理解に繋げる事に、働かせる思考は現代社会に置ける善悪説への最も利益と成る
価値と最も損失を産む価値との価値観の極みを試みる事への疑いを晴らせなかった事と、現代社会に置ける
善くて善しさを認識する者達の無知を克服しようとはおよそ考えが及ばない知性が彼等に悪意への同情を、与えた。

『犯罪が無くならないのはこの社会が悪い、俺が悪いのではなく、この現代社会の歪みが悪い。だから、悪い事等なにも悪くは無い。』

善くて善い事を判断する、価値が有る事を疑った時に彼が裁く罪に与える罰は、
大いなる悪意による刑罰を振るう事が可能だと言える判断を下さなければ、罪は許される事を罰だとは、およそ、認める事は不可能。
260考える名無しさん:2006/05/09(火) 00:56:46
桜庭vs三沢光晴のカリスマ対決、小橋建太との異次元対決、丸藤正道との天才対決…。
想像でしかなかった夢対決が実現するかもしれない。
3日の「HERO'S」代々木大会にタイガーマスクをかぶり、突如現れた桜庭は翌4日に会見し、
正式に「HERO'S」参戦を表明。
「ミスターPRIDE」と呼ばれた桜庭のライバル団体への電撃移籍に誰もが驚いたが、
移籍会見で飛び出した発言がノア関係者をにさらに驚かした。

「ノアにも行こうと思っていたけど、難しいなって感じで」「目標はノアの百田(光雄)さん。まだまだ現役でいく」。
桜庭は日本プロレス界の雄、ノアを参戦候補のひとつとして挙げた。
一流のリップサービスという見方もあるが、桜庭がプロレスに対して強い興味を抱いているのは有名な話。
「HERO'S」を主催するK―1の谷川貞治イベントプロデューサーは、”ノアの頭脳”仲田龍渉外部長と太いパイプを持ち、
昨年行われたプロレスイベント「W―1」には三沢光晴、秋山準らが電撃参戦し、
曙、ボブ・サップらと激闘を繰り広げたことは記憶に新しい。
単なるリップサービスでは終らない可能性が大だ。
ノア側も桜庭の言葉に呼応する構え。

「興味を持っていただいたというならありがたいことだと思う」とは仲田部長。
続けて、「桜庭選手の参戦? 桜庭選手とやりたいという選手がいることとお客さんが見たいと思ってくれること、
この2つが聞こえてくるなら会社として動かないといけないでしょう」と、条件がクリアされれば獲得に動くことを明言した。
当面の目標として、桜庭は「HERO'S」8月大会に参戦する予定だが、その後は白紙状態。
年末にも桜庭が緑のマットに上がっているかもしれない。

【ソースは下記】
http://www.naigai-times.com/content.php?janre=fight&key=1001886
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261ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 00:58:20
私は全ての価値を疑った。
善い事を創り上げる者が、最も価値の有る時は自らで悪を与える事で在る。

とするならば、全ての価値の対極に置かれている、価値感とは相対的な動きの中で創られる価値を産む事も可能では無いのだろうか?
私の中でそれを最も近付ける事が、疑いから確信に移り行く事が出来ると思われる価値観を持つものは善悪でもなく秩序でも混沌でも愛でも狂気的を自称する、認識者では無く『最も孤独を知る人』では無かろうか?

孤独は闇では無くなった。すでに孤独と言う意志は、大地に足を残して自らの、孤独な空を飛ぶ事を学んだ。

孤独を自称する人間達が居る、彼等は孤独と人間達の懸け橋を飛び越え行く蝶人への蛹となる繭なのだ。

孤独へ迎う者その足が闇の中へ音を鳴らした時には、最も苦しみとなった孤独な絶望を見た人達さえ、闇の中に在る光に背を向ける事で、初めて過去で憎んでも殺せなかった苦悩を笑い殺す事を知る事が出来る事、と今は、私自身がそう在った事だと言う事実を欲する。

その、疑いをもたらした思想はこう言った。

孤独を知る事が出来るのはお前独りか?と全てを疑った上でそれでも、尚且つ孤独はお前独りを見離すのか?と。
262考える名無しさん:2006/05/09(火) 01:51:26
言葉のビョーキですか? 早くなおるとよいですね。
263考える名無しさん:2006/05/09(火) 02:47:29
上の階のセックスが始まった

それはいいけど
多分窓を閉め忘れてるので、近所に響いてるよ
おいおい
264続・ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 15:05:01
俺は笑いながら答える。

この地上で生きる全ての、一人が孤独だとは疑う事が、出来ないのかい?

『汝、隣人を愛せよ。』

孤独への同情により死んだ神と同情への孤独により神を殺した“彼”はこう言った。

あなた方には、やはり理解する事を疑う事が出来ない。
我々の最も近くに住む隣人を、あなた方は自己責任を押し付けて迫害し悪で在ると決め付け、すぐに逃げ出す。

孤独とは絶望か?私には絶対的に自らが望んだ景色の様にしか移り行かない。

『汝、孤独を愛しなさい。』

【神への愛と、自己への犠牲。】

私はあらゆる孤独を闇に沈ませた、其処では一つの月と一つの太陽が水平線を交互に繋ぎ移り行く。

月も又、太陽では無かろうか?闇に進んで自ら昇り、あの太陽の無尽蔵な至福をの金の音を鳴らす度に大気は喜びに震える!!

嗚呼どうだろう、その光が自ら進み駆け上がる。

あの温和な勇気を円熟した時に最も優しく孤独な憂欝を支える事を見て学んだ。
闇へ自ら足を運び、その月の光が虚栄心を振りまく淡い輝きは最も低劣なる孤独にさえ、闇と光を自ら高める事を愛する。

その時は最も孤独を憂た低劣な人間も孤独が憂を支えて最も優れた優しさを持つ事を自らに許される。
265続・ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 15:10:21
およそ、万物には全てに置いて対極が近づいて来る、瞬間が在る。

真逆に見える価値観を宿す概念は突き詰めた認識を通し見た時には、どちらかの移り行いた姿だと私は学んだ。

自己利益への限り無い、飽く無き徹底した追求。

果たして是を考えた人は、居るだろうとは理解が出来るか?!

その事を限り無く深い夜と昼に沈む事を実践した人間が何処かに居るのだろうか?

真に、家畜のごとき醜き豚共はすぐに、怯えだす。

耐え切れ無い事全てに我慢を着せて、やがて豚は恐れながら口を聞く。

嗚呼、どうか、おしまいの人間達が自己利益への飽く無き執着により今では最も悪いとされる象徴だと。

疑う事無く彼等は理解を意志する事と引き替えに、小さな家畜共を旨く飼い馴らす。

真、醜い存在で在る欲望の探求者で在る事に家畜共はまた、直ぐに抵抗もしない!!
266続・ニヒリズムの系譜。:2006/05/09(火) 15:11:46
その意志はこう言う、

中途半端に噛み付かずに、自己利益となる事をひどく貶した。お前見たいな、中途半端を知る事しか出来ない知性なら、いっそ何も解らぬ方が良かったのでは無かろうか?

自己利益の究極に於いて、その価値を考える事を優先してはあの空を丸るく、溶かした人達が自己利益を究極まで実践出来たならばものとすると、恐らく彼等は禁止された知性だったと言おう。

さもなくば、解るかね? 自己利益の最大計が我々の最善を行く人間へと移り行く事が可能だと。

空を溶かしたのはフロンガスだ、自己利益の究極に在る事を実践する理性なら、直ぐに解るオゾン・ホールが出来上がると放射線の宥癌率があがり自己利益とは到底考え付かぬ、何故なら私も死ぬからだ。。

私はこう呼ぶ、自らの孤独を済す者、そのものを呼び止める名を私は自ら、こう呼ぶ、孤独と寄り添い生きる人々達よ!【ニヴェラリスト】と。

一人の孤独の終わり、その繭から飛び立つ、その先、あの虹へ!!人類と蝶人の蛹への懸け橋となれ!!

※1『人間が事物に意味を、人間的な意味を初めて与えたのだ、だから、かれは「人間」と呼ばれるのである。
即ち「評価する者」と。

評価することが、創造することなのである。』

よく、聞きなさい、あなた方、創造を“試みる”ものよ!!よく、聞きなさい、あなた方、破壊を“試みる”ものよ!!

孤独回帰を迎える所、あなた方よ、あなたの“一切の”孤独が再び廻り戻る所。
その、恍惚の春に舞う蝶人となれ!!あなた方「創造者」達よ!!

おお!!さぁ来い!!ならば!!よし、もう一度!!おお!!ツァトゥストラ!!は、こう言った!!

※1ツァトゥストラはこう言った。上巻・千の目標と一つの目標より、一部抜粋。

267考える名無しさん:2006/05/09(火) 15:50:37
yomunomendokuse
268考える名無しさん:2006/05/09(火) 18:22:10
どっかからの転載か?
正直カンベンシテクレヨ……('A`)。
269考える名無しさん:2006/05/10(水) 08:11:13
「能動的ニヒリズム」に関するくだりが読みたくなったんだけど、
ニーチェはどの著書の中で触れてるかな?
270考える名無しさん:2006/05/10(水) 22:48:26
能動的ニヒリズムは
1887年の覚書で定義されてるもよう。

「権力意志」のヨーロッパのニヒリズムや、1887年のレンツァーハイデ草稿とかで
ニヒリズムについてはいろいろ書いてるんじゃないかな。自分、未読だからよく知らないけど。
271考える名無しさん:2006/05/18(木) 22:18:55
宅間さんの名言を読め!

フライデー 1月25日号

「キリスト教も仏教も、人間は生まれながらにして罪深い存在だというてるやないですか。
 なら、早めにその芽を取ってしまったほうがええ。ワシはその魂を救ってやったんや!

 世間では悪いと言われることでも、自分では正しいと思ってやる人がおるんや。
 あのビンラディンかて、テロが正しいと思ってやってるやろ。世間がどう評価するか、
 わかってやってるんや。

 ワシも、ビンラディンと おんなじや。分かるヤツには分かる話なんや!」



272考える名無しさん:2006/05/18(木) 22:21:02
>>271
こういう発言を読むと、まるで宅間はニーチェを読んだことがあるんじゃないかと思えてしまうのですが・・・
宅間には倫理学のセンスがあると思いませんか?
273考える名無しさん:2006/05/18(木) 22:26:05
能動的ニヒリズムはポルポトによって大規模に実行されますた。
274考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:11:23
ニーチェは、自分が正しいといったら何やっても正しい!って言ったわけじゃないだろ
むしろ自分に厳しかったしエセ愛国主義者も批判したし
自分に厳しいとこをはしょって、弱者を殺してもいい!みたいに都合よく曲げるとファシズムとかにさ…
275考える名無しさん:2006/05/19(金) 07:58:53
ニーチェを理解して、ではなく誤読して、というならまだわかるが。
276考える名無しさん:2006/05/19(金) 09:14:13
宅間のはルサンチマンでしょ
277考える名無しさん:2006/05/19(金) 12:28:35
今が旬です ロナウニーチェ!
278考える名無しさん:2006/05/19(金) 17:42:49
西尾幹二の「ニーチェとの対話」・・・!
名著だねぇー。絶対読むべし・・・!
279考える名無しさん:2006/05/20(土) 05:22:31
ニーチェ ゴ=ヌルポ ガ
280考える名無しさん:2006/05/20(土) 07:38:14
>>278
あれは典型的な啓蒙書だよ。研究に必要な点すら落として書いている。
281考える名無しさん:2006/05/20(土) 12:23:11
典型的な啓蒙書・・・、そこが、ニーチェ的、あまりにもニーチェ的で
いいじゃんか・・・!
中途半端な研究ぐらい、非ニーチェ的なものはないよ・・・。
282考える名無しさん:2006/05/20(土) 12:48:05
いや、悪いとまでは言わない。
西尾氏の誤読を指摘する向きもあるが、ニーチェなので問題視はしない。
それが西尾氏のニーチェなんだろうし。
ただ西尾氏はニーチェ(の時代)中心であんまり哲学史を重要視してない。
哲学史を考えないとニーチェがどんな破壊力を持っていたか分からないと思う。
283考える名無しさん:2006/05/20(土) 20:20:59
西尾氏のことはあんまりしらないけどさ、(ニーチェに関しても彼の訳書を読んだことない)
政治に関する本も出してて、割と「道徳的に〜すべきだ」みたいなことも書いてるね。
ニーチェを通過して『あえて』そういうふうな書き方してるようにも見えないけど、どーなんだろ実際。
教えてすごくエロイ人。
284考える名無しさん:2006/05/20(土) 21:22:08
ニーチェ研究?幹二君がどうしたって?
その前に、自分でニーチェを読んでみてはどうかね?
幹二君はすごいかもしれないけど、「ニーチェ研究」と銘打ち、
「ニーチェとの対話」なる愚劣な本をだすくらいだからなぁ。
そこに矛盾が生じていて、一般的な「ニーチェの解釈」ではなくして、
「幹二のニーチェ解釈」なんだよな。
そもそも「解釈」や「認識」を万人に共通なものにすること自体、
「反ニーチェ的」だと「悦ばしい知識」を読んでみて思ったのであります。
285考える名無しさん:2006/05/20(土) 23:35:17
>>284
万人に共通な物でなければいけないとは思わないが、
「俺の解釈はこうだぜ!」っていう見せあいっこも駄目ならこのスレの存在意義って何よ?
286考える名無しさん:2006/05/21(日) 00:57:33
>>285
「俺の解釈はこうだぜ!」ってものがあれば良い方だ。
だたし、「幹二はかくのごとく語り。さしあたり私は幹二を尊敬し、そして信じる。」
なんて『小さなヨハネ』(キリスト教は邪教です! PART 4)よろしく、思考停止してしまうのは考えもの。
ああ、小さなヨハネは盲目的、妄信的にその教義を語るのではなく、
アウグスティヌスのように懐疑をはさんで考えても良いのではないかと思う。
287考える名無しさん:2006/05/21(日) 01:05:41
ここで「小さなヨハネ」が出てきているのに笑いました。
288考える名無しさん:2006/05/21(日) 06:48:34
「アンチクリスト」だが、永井は西尾幹二の訳を推薦していたね。
宮崎哲弥は『キリスト教は邪教です』を推薦していたが、読みやすさを考慮すると、こっちだろうね。
超訳と揶揄されているけど、けっこうきちんと翻訳されていると思う。
ちくま文庫は最悪の訳。
最初にどの訳にあたるかによって、ニーチェ理解も変わってくる気がする。
289考える名無しさん:2006/05/21(日) 12:16:49
西尾先生は哲学者なの・・・。
宗教家じゃあないんだから、尊敬はしても信仰するわけないでしょ!
「ニーチェとの対話」はニーチェを起爆剤にした現代に対する批判的分析なの。
むしろ思考停止しているのは、かってな思い込みと印象のみで人を決め付ける
あなたのあたまのほうなの・・・。
嗚呼、それも末人として生まれてきたあなたの運命なのか・・・!
290考える名無しさん:2006/05/21(日) 12:38:46
>>289
あなたって誰だ?
俺は280=282=285だが。みんな名無しだから誰が誰だか……
291考える名無しさん:2006/05/21(日) 12:44:21
>>284&>>286だよー。
292考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:22:37
ニーチェ的に言えば、ここで西尾トークをやってはいけない理由は(究極的には)ないだろうけど、
治安維持のため誘導。ご協力お願いしまー

西尾幹二[ニーチェ研究家]
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1122546678/
293考える名無しさん:2006/05/21(日) 14:44:54
>>289
西尾幹二にずいぶん入れ込んでるな。
まあ、あんたもいつか幻滅するときがくる。
ニーチェがワーグナーとショウペンハウエルにそうしたように。
というか、これこそニーチェの考えの一つではないのか?
294290:2006/05/21(日) 15:40:36
>>293
そういう考え方もどうかと思う。
いつか幻滅する時が来る、というのは歴史的視点を導入して
西尾氏を不当に裁いているだけじゃないか。
まあ、西尾スレでやればいいんだが。
295考える名無しさん:2006/05/21(日) 19:12:33
>>289が西尾幹二を崇拝していることは確かである。

>>294
ツァラツストラは自身への「信仰」は望まない。
296290:2006/05/21(日) 20:15:28
>>295
悪いが話がかみ合ってない。

西尾幹二を尊敬はしても信仰はしない、というそこの289よ、
おまいの尊敬する西尾氏のニーチェ論のどこがいいのか言ってみれ。
そうしないとどうも議論が収束せん。
297考える名無しさん:2006/05/21(日) 21:00:50
もう言っているけど・・・。
<ニーチェを起爆剤にした現代社会への批判的分析・・・>って。
「ニーチェとの対話」はこれに尽きる。
あとは各々自分で読んで判断してくれ・・・。
話はそれからだ・・・!
298考える名無しさん:2006/05/21(日) 21:09:59
>>297
お前バカだろ。
それを承知で「どこがいいのか言ってみれ」と書いてるんだろ、>>290は。
何が「話はそれからだ・・・」だよ。
言い出しっぺのお前が最初に自論を開陳しないでどうしろってんだyo。
そんなんじゃ西尾崇拝者って言われても仕方ないな。
299290:2006/05/21(日) 21:11:50
いや、読んだことあるよ。
で、君はニーチェ論、ニーチェ研究として正しいと思うかい?
思わないなら西尾スレでやってくれ。思うならもうちょっと詳しく教えてくれ。
300考える名無しさん:2006/05/21(日) 21:33:57
>>298は馬鹿だから論外!

>>299
「ニーチェとの対話」は、まえがきにもはっきり書いているように
ニーチェ論でもないしツァラトゥストラ論でもない。
そうでないものを、ニーチェ論、ニーチェ研究として正しいと思うかと言われても
困るが、強いて言うなら思わない・・・。