35 :
考える名無しさん:2006/01/15(日) 17:38:09
>>1 全ての状況において同じ理由付けがなされるような場合、
その理由付けは有用性を持たない。
意味を喪失した形式的応答は、結論としては正しいと納得することが
可能かもしれないが、とにかく「無駄」である。
よって、議論に値しない。
その行動をしたいという直接的感情がなくても、その他の条件を考慮すると行動せざるを得ない
という場合、例えば金を持ってこなければお前の家族を殺すと言われ、殺したくないのにも関わらず
犯人を殺してしまったという場合も、有罪になるよね?
これって直接的感情つまり動機があったと認定されるわけだよね・・。
37 :
考える名無しさん:2006/01/15(日) 18:04:34
行動の分析が甘いことを、対話形式で論駁すれば終了だな。
分析が辛いとは
39 :
考える名無しさん:2006/01/15(日) 20:27:17
「いや、私はしたくないことをしているんだよ」
という主張に対して、
>>1は根拠を出せない。
主張側が証明責任を果たせないのであれば、
>>1は単なる信仰、思い込みでしかない。
40 :
考える名無しさん:2006/01/15(日) 20:30:16
>>26 > 普段我々は「意志」と「欲求」という語を使い分けているように感じているが、
> 実は「意志」という語は全て「欲求」によって置換できる。
> 「人は欲求に逆らって意志し、行為し得る」ということは、
> 「人は欲求に逆らうという欲求をも持つことができる」ということに過ぎない。
> 私の主張は、「意志」という語がなくとも人間は全く不自由なく言語生活を営める
> ということであり、従って「意志」という概念は不要だ、ということである。
「意志」を「欲求」によって置換し得る、ということを否定するのは無理っぽい。
そうすると残る方法は、
「置換するのは勝手だけど、そうしてみたところで何も変らない。
つまり<意志としての欲求>と<欲求としての欲求>を区別することは可能なので、
その<意志としての欲求>を意志と呼ぶか、欲求と呼ぶかは語の選択の問題に過ぎない」
という方向だろうか?
しかし<意志としての欲求>と<欲求としての欲求>を区別するのは難しそうだ。
それこそ循環論法的な定義しかできなさそうだ。
これはかなり手ごわいかもしれん
意思としての欲求が誤謬でそれは意思なんだろ
と、たまにはマジレスしてみる
42 :
考える名無しさん:2006/01/15(日) 21:41:11
こいつのマジレスってこんなもんか
いや、急所だったらしい
44 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 14:29:53
>>40 ↓ここまでは想定の範囲内
○:「意志=欲求」論者
×:イパーン人
○:全ての「意志」は「欲求」に置換され得るから、「意志」という概念は不要だ。
×:レイプ犯が「私は本当はそうする意志はなかったんです、ただ欲望に負けて
ついやってしまったんです」と言った時、それは置換可能ではないではないか?
○:それはそのレイプ犯が言語の利用を誤っている。
それが「意志」ではなく「欲求」であるということを、どのように反証するのか?
反証不能な言明について置換不能だとしても、それは私の主張の正当性を崩さない。
・・で、それからどうなる?
45 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 14:37:54
対話の途中に、「なぜそうしたのか?」と訊ねられたならば、
「一切の理性的存在者に普遍的に妥当する理性の命令として、
そうすべきだったからだ」と答える香具師が現れ、
対話が破綻し、大混乱のうちに幕がとじる、とか。
46 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 15:01:37
好きな子の事、考えて無意識のうちにニヤニヤしちゃうんだけど、どゆこと?ニヤニヤしたい訳じゃないよ!?
47 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 15:07:12
>>46 意識上ではニヤニヤする不利益しか感知できていないかもしれないが、
無意識下ではニヤニヤすることで何らかのストレスを発散できるという
利益が感知され、その両者を比較してニヤニヤした方が快が大きいという
判断がなされたのだ!
人間は快楽計算を意識的にだけなく、無意識的にも行っているし、
むしろ無意識的なところの方が大きいのだ。
・・・とか言えばいくらでも説明できるのがこのテの議論
48 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 15:10:23
>>46 それは夢遊病者の場合と同じで、「意志的行為」ではない。
だから
>>1そのものに対してはわからんが、
少なくともその修正版
>>26に対する反論にはならない。
49 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 15:22:16
未来に生じる欲求を予想してその充足のために準備するといういわゆる
Prudenceに基づく行動が、高階の欲求によるものか否かという議論が
どこかになかったか?
50 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 15:26:31
自分の欲求に従った行為の結果に 満足できなかったり 後悔 することは誰でもあるべ!ここに 解決の糸口はあるでしょうか?
51 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 15:30:17
>>50 たぶんない。
ここで問題にしているのは行動を決定する要因のことで、
その行動の結果がどうなるかについては、そもそも
>>1も論じていないから。
糞スレが好きな方々へお願いがあります
さげろハゲ
53 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 17:27:23
このスレおもしろそうじゃねぇか!
>>1 理系でも哲学とって正解よ
思考が豊かになれば新しい発想もでてくるさ
ここでうんと悩んでおけばいいことあるよ
ところで「ミルの自由論」ってのがあるんだけど
もし貴方がケーキを食べたくなり
その欲求からケーキを食べてしまっては欲に『支配』されていることになる
しかし、食べたいのから食べるのではく
食べないという選択も含めると
選択の『自由』という定義が与えられたことになる
これはしたいから、やったとは違うよね
ダイエットできないとか、タバコが止められないってのは不自由なんだ
選択できるようになって初めて自由になれる
かなりテキトーだけどこんな感じの内容
ちなみに私はミルの自由論でタバコ止めるのに成功したよ
タバコを我慢する意思も根性もないからね
哲学って意外な所で役に立ったりするもんさ(v´▽`)v
本当のことを知りたい
55 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 17:32:31
>>53 その「自由を選びたい」つーのも欲求の一つと考えれば、
結局全ては欲求なんだつーのが
>>1で言ってることだとオモ
56 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 17:55:23
57 :
考える名無しさん:2006/01/16(月) 18:32:21
はいわろす
59 :
考える名無しさん:2006/01/17(火) 16:56:42
意志=欲求の話は、
>>1の議論の延長線上というよりそこから派生した議論で、
つまり
>>1の論駁に関係は無い
という読みで正解?
正解だと思うよ。
で、類題だしてみていいか?
カラスは黒い、と主張している人がいるとしよう。
というのは、すべてのカラスを調べた結果、黒で
あるという結論が出ると考えられるからである。
つまり、カラスは黒でしかあり得ないのではないか。
そして、カラスが黒だとすれば、カラスは黒いという
ことになる。
さて、こう主張する人を相手に、その主張を反駁する
議論を対話形式で叙述せよ。
ちなみに字数は2000〜4000時です…
>>60 言ってることがわからん。
カラスの毛を白く染めたら白いカラスだろ?で終了では?
62 :
考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:43:25
>>59 >>25のように簡単に論破されてくれれば良いが、
もしそこで相手が態度を微修正して
>>26のように主張しだしたらどうするよ?ってことでしょ。
で、
>>26 →
>>44 のように進んで、結論としては
1、「それが(欲求ではなく)意志的な行為である」という言明も、反証可能である。
2、このような議論を行う際に、「反証可能性」を出してくることはそもそも適切でない
3、「意志=欲望」論者の言うことは正しい。意志という概念は必要ない。
↑これのどれかになると思うんだが。
3、はやはりイヤだw
もし1が不可能だとすると、残りは2しかないが。。
そうすると、
>>1を論駁するために「反証可能性」を出して来ていた人たち
(
>>19 >>23 >>25)の議論も、同様に成り立たない、ということになるな。
ちょっと気持ち悪い。
誰か科学哲学に詳しい人、パッと明快な答えを出してみてくださいな m(_ _)m
ん。
>>1の議論、欲求と意志の区別は関係ないんでは?
結局「意志による行動」も「欲求による行動」も
「その都度自分が一番したいこと(行動)」に換言されるんじゃないだろうか。
>>63 > 結局「意志による行動」も「欲求による行動」も
> 「その都度自分が一番したいこと(行動)」に換言されるんじゃないだろうか。
もし
>>1の言っていることが、単に
「意志」と「欲求」とはどちらも
「その都度自分が一番したいこと(行動)」という言葉に換言できる、というだけの話なら
誰も文句は言わないと思われ。
(それは、何をどういう言葉で呼ぶか、という問題に過ぎない)
しかし、ここで
>>1は「意志」と「欲求」という区分が成り立たない、
もしくは、「自由意志」という概念は無意味だ、
人は「その都度自分が一番したいこと(欲求)」に従ってのみ行為する、
と主張しているように見えるからこそ、問題になってるわけでしょ?
まあそのあたり、
>>1自身説明が不十分だとは思うが、斟酌してやってくれ
65 :
63:2006/01/19(木) 03:19:04
>>64 あ なるほど。
ちゃんと理解してなかった、すまん
> (仮想主張者の前提……A)
> ひとを動かしているのは、その時々の欲求に他ならない。
>
> (仮想主張者の前提の前提……B)
> というのは、個々の行動について、「何故そうしたのか?」と尋ねられたならば、
> 人は最終的には「そうしたかったから」としか答えようがないと思われるからである。
>
> (仮想主張者の前提の前提を反復……C)
> つまり、なんにせよ、人は結局、そうしたいと思わなければ、そうしない、
> もっと言えば、そうしたいと思ったことしか出来ないのではないか。
>
> (仮想主張者の前提を反復……D)
> そして、その時々で最も強い欲求が人を動かしているとすれば、
>
> (仮想主張者の前提から導かれる結論……E)
> 人はその都度自分が一番したいことをしていることになる。
>
>さて、こう主張する人を相手に、その主張を反駁する議論を対話形式で叙述せよ。(本題)
まず問題になるのは、前提Aと前提Dとが同じものか否か、ということである。
そして、前提Aあるいは=Dと結論Eとが同じものではないか、ということであろう。
そして次に問題となるのは、前提A(=D)から結論Eが導かれ得るか否かである。
また、前提AあるいはDが偽であれば、BやCそのもの、あるいはBやCからAやDを
導く過程が誤っている、ということとなろう。
よって「こう主張する人」に反駁するためには、
・BやCの指摘は、誤っています。
・BやCということからは、AやDということは言えません。
・AやDということからは、Eということは言えません。
といった指摘がまず考えられ、別の方向からは
・前提A(あるいはD)と結論Eとは同じことだから、反駁は不可能です。
という指摘が考えられる。
67 :
遊民 :2006/01/20(金) 00:46:05
バカ「ひとを動かしているのは、その時々の欲求に他ならないよね?」
私 「なんらかの欲求を満たすべく行動するという点には同意だ」
バカ「個々の行動について、「何故そうしたのか?」と尋ねられた
ならば、人は最終的には「そうしたかったから」だよね?
私 「なんらかの欲求を満たすべく行動するという点には同意だ」
バカ「人は結局、そうしたいと思わなければ、そうしない、もっと言えば、
そうしたいと思ったことしか出来ないのではないか?」
私 「人がなんらかの欲求を満たしたいと思う点、またなんらかの満た
したいと思うことしかできない点についても同意だ」
バカ「その時々で最も強い欲求が人を動かしているとすれば、人は
その都度自分が一番したいことをしていることになるんじゃね?」
私 「その前提はオカシイんじゃね?最も強い欲求を満たすためには
直接望んじゃいない副次的行動を取らなきゃならないことはある。
例えば最も強い欲求が好きな女とデートする事だとして、その実現
のためには、断られて恥ずかしい思いをするかもしれない”誘う”
という行動や、カネがいるのでしたくもない”バイトをする”という
行動が求められるわけで、おまえの主張とは逆に”最も強い欲求の
ために最もしたくない多くの行動を取っている”というのが現実だろ」
(2000文字以下におさまったかなw)
68 :
考える名無しさん:2006/01/21(土) 20:26:48
バカは無自覚な詭弁を駆使して飛躍した結論を押し付ける。
クソスレage厨のバカ
>>68氏ね
>>1自我も超自我もエスも関係ない、自分は自分だってんなら
したかったんだろうな。
まあそういう観念論も「責任」倫理の観点からは歓迎されるよな。
いつまで釣られてるのか知らんが、もう止めてくれよな。
70 :
凡人:2006/01/22(日) 09:51:48
>>1番さん
人は欲求に依って動く、動かされる。
力を崇拝する蒙昧意識社会の欲と希望と夢と言う物事の是非、善悪を明確に弁別のできない
曖昧で典型的な強い思い込みの意識と思われます。
例えば、人並みの暮らし、人並みの幸せ、生きる為に必要な食事の摂取、等は希望で有り、その
範囲を超える望みを欲と言います。
夢とは他の全ての幸せを思い行動する事で己の欲望を満たす為に思い行動する事は欲望で
すが現社会では、それを夢と呼んでいます。
人の心の探究に関しても哲学書から学ぼう、とか宗教に頼るのは自分の心の探究を疎かに
するカンニング行為で絶対に、その目的を成就する事はできません。
人の心に関する問題の全ては己の良心と対話を繰り返せば必ず明確な回答が誰にでも分か
る様に始めから組み込まれています。
71 :
考える名無しさん:2006/01/22(日) 13:32:33
例えばお腹減って「パン食いたい」と思っても貧乏で金無くて
病気で働けなくて餓死しちゃっても最大の欲求に従ったといえるのかなあ?
意志的な行為とは違うから関係ないのか?
「誰かに殴り倒されて、縛られて身動きできなくされて、そのまま餓死した」とかもね。
「その時の彼の最大の欲求は、餓死することであった。彼はそれに従ったのだ」と。
73 :
考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:49:44
おれは電車の中でオナニーしたくなった。だがみんなに見られる恥ずかしさや
警察のお世話になってしまうという恐怖から最後までしなかった。
果たして恥ずかしさや恐怖は欲求と定義されるのだろうか。欲求=〜したい
である。よっておれは恥ずかしくなりたい、恐怖を味わいたい
という感情は確かに存在していなかったためにおこした行動です。
それに欲求をコントロールする機能って人間についているんじゃなかったっけ?名前は忘れたけどw
主旨からはずれるけど実際こういう主張した人がいれば反論するというのが一般的だと思うよ
74 :
考える名無しさん:2006/01/22(日) 22:02:14
Aなんで大学に行くの?
B大学に行きたいからです!
Aなんで大学に行きたいの?
B大学に行きたいからです。
こういう風に答えなきゃならないと思われてるって結構いやな社会だな
つけいるスキは結構あるな
志望動機か。
同意だが
横関係でもその愚痴を言うと甘いヤツと
認識されるだろう
76 :
考える名無しさん:2006/01/23(月) 00:59:58
私的言語の不可能性ってなによ
ウィトいいよもう
ザーウミなんかやってるロシアとかはだめだな
129 :考える名無しさん :2006/01/21(土) 16:58:00
/\___/\
/ ⌒ ⌒ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(●)ヽ、,, | < 名古屋トンガリキッズの仕業ですよね
| ト‐=‐ァ' .::::| \_____
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
79 :
考える名無しさん:2006/01/23(月) 16:26:42
>>73 これに関しては恥ずかしくなりたくなかった、という欲求が働くな。
80 :
考える名無しさん:2006/01/23(月) 16:26:47
129 :考える名無しさん :2006/01/21(土) 16:58:00
/\___/\
/ ⌒ ⌒ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(●)ヽ、,, | < 名古屋トンガリキッズの仕業ですよね
| ト‐=‐ァ' .::::| \_____
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
81 :
考える名無しさん:2006/01/23(月) 18:47:09
79
そういうのは欲求とはいわない。欲求を抑えるという
科学的に人間には欲求を抑える機能がついてるから
82 :
考える名無しさん:2006/01/24(火) 04:50:50
83 :
初学者:2006/02/28(火) 21:08:11
1に出てくる主張の誤りは「欲求」という言葉の不明確さから
kimasu.
84 :
考える名無しさん:
Aにはもうすぐ提出しなければいけない2000文字以上のレポートがある。
Aは今(22:00とする)レポートを書き始める。
Aの今の一番の欲求
「レポートを今から1分で終わらせる」つまり、「レポートを22:01までに書き上げる」
Aの二番目の欲求
「レポートをできるだけ書く」
Aは急いで書く。今までにないぐらい速く書こうとする。
そして一分後。Aのレポートは150文字を過ぎたところだった。この一分間、彼の一番の欲求「レポートを22:01までに書き上げる」という欲求は変わらなかった。そして、それには一秒に33文字以上書かなくてはいけない。しかし彼は一秒に2文字から3文字しか書かなかった。
だから彼は第二の欲求「レポートをできるだけはやく書く」という欲求の通りに行動したが、第一の欲求「レポートを一分で書き上げる」=最大の欲求の通りには行動しなかった。