922 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 15:21:13
宮台信者は自殺しか脳がありません。
不悪さんはここですか?
宮台は頭が良い常識人だという事は認めてやろう。
925 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 17:01:37
宮台が頭のイカレタ変態という事は認めよう。
927 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 19:12:28
>>924は低脳低学歴低IQメンヘラーの宮台信者w
1回500円か。行ってみようかな。
予約とか無しでいきなり行っても入れてもらえるのかなぁ?
929 :
考える名無しさん:2006/05/22(月) 18:40:08
>>928 いや、いちおう問い合わせといたほうが良いと思いますよ。
930 :
考える名無しさん:2006/05/23(火) 07:44:44
宮台信者?がいないと殺風景になるんだな、ここは。内容もないし・・・
931 :
考える名無しさん:2006/05/23(火) 23:10:37
「ニッポンの知識人」KKベストセラーズ。これは酷すぎる本。高沢秀次やスガ秀美も酷いが宮崎哲也!こいつが一番酷い。こいつの言ってる事はほとんど読者騙しの大嘘ばかり。宮崎の言いたい事は「自分が死ぬのが怖くて怖くてしょうがない」ただそれだけ。あとはほとんど大嘘ばかり
932 :
考える名無しさん:2006/05/23(火) 23:13:53
933 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 00:14:17
宮台信者は邪悪の化身、諸悪の根源、池沼集団。
早く全員自殺して絶滅して欲しい。
934 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:05:48
935 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:33:21
先生ぶるんじゃねえよ栗本。社会人失格のウジ野郎のくせに
936 :
「淋しくない?」には笑ったねw:2006/05/24(水) 01:43:54
安楽死を考えてるらしいじゃないか。これ以上他人に危害を加えずサッサと死ねよ
937 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 02:05:57
しかしよくそこまで腐りはてる事ができたもんだね。心底驚いたよ。(開き直ってもっと驚かせてくれるか?)
評論家の宮崎哲弥さんて、何で自分が死ぬ事の恐怖感にとりつかれたの。
見た目がいじめられっ子みたいな雰囲気だけど、いじめと関係あるのかな。
>>938 中島義道(著)『私の嫌いな10の言葉』の文庫版の解説を、宮崎哲弥氏が書いてる
んだけど、その中に、次のように書かれている。
---
(前略) 実は最近まで、そこらへんがよくわからなかった。ところが二〇〇二年の
秋に立て続けに出版された『たまたま地上にぼくは生まれた』(講談社)、『不幸論』
(PHP研究所)を読んで、すんなり腑に落ちた。
それらにはこんなことが書かれている。
例えば「人は死ぬ限り幸福にはなれない」。ずいぶん身も蓋もないいい様だ(笑)。
しかし本当のことである。私も子供の時分からそう思ってきた。
例えば「革命してもどうせ死ぬ」ともいう。そう。どんな偉大な革命を成し遂げようが、
未曾有の大事業を完遂しようが、不世出の英雄となろうが「どうせ死ぬ」という冷厳
な事実の前には塵芥に等しい。「百億年すれば全部なくなる」のである。
私は幼稚園児のときに、人のこの恐るべき運命に気がついた。だが、それを素直に
周りの大人に話すと厳しく咎められた。それでも強情に繰り返すと、大人たちは私を
諭すべく、あの世だの、霊魂だの、神様だのを持ち出してくるのでウンザリしてやめた。
本当にウンザリした。そんなことを悩んでいるんじゃないんだよと叫びたくなった。
仮に霊があったとして、その霊もいつか滅ぶのなら論理的には同じことだ。仮にあの
世があったとして、あの世もいつか朽ちるのであればやはり同じこと。仮に神がいた
として、それと自分が合一できるとしても、その神もいつかは死ぬのなら結局同じな
のだ。私の戦慄はそんな気休めではおさまらないのだ。
(
>>939 の続き)
もっと恐ろしいのは、神としてであれ、霊としてであれ、天国においてであれ、永遠に
生きることだ。死んで無に帰すのも怖いが、永遠に存在するのはそれと等しく恐ろし
い。存在という牢獄に永遠に内閉されることは、無に帰すことと寸分も異ならないでは
ないか。
人は生が有限である限り幸福にはなれないが、生が無限であっても幸福にはなれな
い。とすれば、もはや私には幸福を享受できる空間も時間もない。
私は絶望し悲嘆した。生まれてしまったことを、存在してしまったことを呪って泣いた。
周囲の愚鈍な大人たちは、突如、何もかも虚しくなって泣き出す私をみて、さすがに
霊や来世や神様でお茶を濁すことを諦め、「そんなことばかり考えていると、まともな
人間にはなれないぞ」と脅した。
この作戦変更は効果覿面だった。
「なるほど、そんな風にこの世の中はできているんだな」と得心した。私はやっとわかっ
たのである。娑婆では本当のことは語っちゃいけないんだ、と。
何をやったって死ねば終わり、なんて本当のことをいったら世間は成り立たなくなる。
国家も、会社も、家族も、個人もうまく動かなくなってしまう。世の中を成り立たせるため
には、本当のことは隠されなければならないんだ!
こうして私は世間に順応するたずきを習得した。世のすべてを仮のことと思い定めたら、
いくぶんか楽に生きられるようになった。やがて娑婆に申し分なく適応できる、かくも
温厚で良識的な人格者(笑)に成長したのである。
(引用終わり。同書246〜248ページ)
941 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 12:08:00
一歩間違えると専門医の診察が必要な人なんだなw
942 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 15:36:38
ちなみに、『私の嫌いな10の言葉』の解説によると、宮崎氏はシオランが好き
なんだそうな(同書245〜246ページ)。
栗本先生もシオランが好きで、『パンツをはいたサル』に彼のアフォリズムを引用
してるよね。
オレも『生誕の災厄』は持ってるんだけど、あんまりよく判りませんでした。
943 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 17:05:21
吸血鬼伝説が好きなのはアレイスター・クロウリーを信じてたからだろ
引用をありがとうございます。
誰でも死は怖くそして怖いままで居られるのが普通と思いますが、
なぜ彼は、死の恐怖を克服する作業に取り憑かれたのか、
というのは切っ掛けがあるはずで、たとえば白隠禅師は寺の屏風に
描かれた地獄絵を見て死が怖くなって以来だと、ちらりと読んだような
気がします。宮哲さんも、子供の頃に何かを見て怖くなる、
そういう切っ掛けがあったのでしょうね。人がある思いに取り憑か
れるその切っ掛けに本質があるように思うので、興味を持った次第
です。宮崎哲弥さんてシオランが好きというより、シオランが好き
と言いたい人のように見えます。
945 :
考える名無しさん:2006/05/26(金) 12:30:44
「全員死ぬ」
「ほぼ全員、ある程度幸せになったことがあり、生きている間におそらく再び幸せになる時もある」
と、並べれば、同等な命題だと思うんですけどね。
前者のみ重視するのは、何らかの疾患があって、幸福感をあまり味わえない人でしょう。
夜、眠って意識を失うのが怖くて昼ブルブル震えているようなものでは?
946 :
考える名無しさん:2006/05/26(金) 13:13:36
「今にも死にそう」な感じなんだろ
947 :
考える名無しさん:2006/05/26(金) 17:07:40
ここの住人は
宇宙人が
地球上にヴィールスをばら撒いて
生物を進化させたと信じている
トンデモくんたちでつか?w
948 :
考える名無しさん:2006/05/26(金) 18:14:14
宇宙人じゃない。実は科学者だって言いたいんだろ。どっちでも同じ事だよ。いつもの匂わせ作戦だろ
栗本さんの想像力を読者は楽しんでいるのだから放っておいて栗
950 :
考える名無しさん:2006/05/27(土) 11:20:12
やっぱり花火を打ち上げた後のフォローが無さ過ぎだよな。だからトンデモで終わっちゃう
952 :
考える名無しさん:2006/05/29(月) 02:26:52
栗さんはなぜ急に怒るのだろうか。
急に気分が変化する性格なんじゃないの。
しかし、『パンツを脱いだサル』のことだけども、ユダヤ人については言及せずに、
国際金融資本のことだけを説明しておけば、安物のユダヤ陰謀論だと思われずに
済んだと思うんだよな。
まぁ完結篇だから、洗いざらい説明した(そして、みんなで考えてほしい)って事なん
だろうけど、ユダヤ人にこだわったせいで、「数千兆円ものおカネが利息を求めて
うごめいていて、そのために国際政治にいろいろと介入しなければやって行けなく
なっている」っていう、至極まっとうな問題提起がかすんでしまったように感じるんだ
よね。
もちろん、栗本先生の本を数多く読んでる人たちは、ちゃんと読めてると思うけど、
栗本先生の本をはじめて読んだって人には、誤解されやすかったんじゃないかな?
それから、「宗教は、暴力を肯定してくれるから広まった」みたいなことが書いてある
けど、これは極端すぎるよな。
オレなんかは「人間は美しいものを求めるが、この美しいものを求める心が、しばしば
醜い争いや、厄介なイデオロギーを生む」って考えてるんだけど、栗本先生の場合は
「過剰-蕩尽理論」一本槍ってとこがあるから、そういうふうになっちゃうんだよな。
とは言うものの、この本は間違いなく、いろいろと考えさせられる良い本なのであって、
オレなんかも大いに刺激を受けています。
955 :
栗本狂一郎:2006/05/31(水) 23:08:26
異端審問としてのユダヤ問題、あるいは陰謀論。
しかしH.G.ウェルズが言ったといわれる「公然たる陰謀」
は進行しているように見える。9.11にしても「公然たる陰謀」
だよって話もさまざまなソースであるようだし、郵政民営化
での森の干からびたチーズも演技であった、「殺されてもやる」
っていう小泉の啖呵もやらせと知りつつ、3ヵ月後には国民は
健忘することを知りつつどっかのライターが書いたのだろう。
「公然たる陰謀」は後でボロが出たとしても問題とされない。
次の見世物が待っていてそんな賞味期限の切れた見世物など
検証するだけめんどくさい。永田議員のメール問題にしても
「公然たる陰謀」だろう。昨日、小林興起の「主権在米経済」
を読んだ。「年次改革要望書」を大マスコミが取り上げないのも
「公然たる陰謀」の一種であろう。関岡英之とか中田安彦とか
の実証主義の範囲内の言説から、アブナイ領域に入ってくる
副島隆彦の言説に到るまでいろいろソースはあるわけなんだな。
956 :
栗本狂一郎:2006/05/31(水) 23:09:15
話し変わってこの前、「産霊山秘録」半村良著、初めて読んだよ。
で今「妖星伝」15年ぶりぐらいに読み返してる。
すげーですな。彼ほどのビジョナリーは日本にはなかなかおらんよ。
出口王仁三郎なんかもビジョナリーなんだろうけど、ようしらんw
「妖星伝」はお勧めです。前半は国際問題なんつう、いってわるけりゃ
絵空事を述べてみたが、「妖星伝」はシオランなんかとは違う意味で
生命への呪詛と諦念と希望すべてがある感じがする。
「妖星伝」再読してみ。おもしっれーと思うよ。
「妖星伝」は、いいよね。
958 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 00:32:42
しかし最近は、栗本先生は、思想に関する論考を発表されないよね。
ゾロアスター教から、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
自分の神を取るかそれとも他教の悪魔を取るかの二元論。これは帝国を纏める為に
人間が作った物でしかない。
キリストも「隣人を愛せ」って言うけれども「隣人とはキリスト教徒」と理解してる。
今でさえアラブの傀儡政権化に宗教対立が深く関わってたり、そして対立を煽って金儲け
してる奴らも多いしね。中南米で現地人を総虐殺して何人も串刺しにして持ち歩くってぎょっとするよ。
そんな事を危惧して栗本氏はいってんじゃないの?
どうかなあ。宗教の二元論というより、戦いの場で殺すか殺されるかの
二者択一の状況になったら、ほとんどは殺す側に行くでしょう。
そして仲間が殺されれば憎むでしょう。敵と味方という状況は、
宗教があってもなくても発生するでしょう。宗教を信じていない
俺だって、殺されるという恐怖の対立状況に直面すればどうなるか。
状況が悪い時も良い時も宗教というものがあって、状況が悪い時
でも人々が宗教を利用した。そこだけ取り上げれば、一面では宗教の
悪の側面は当たってると思いますよ。でもそれのみが真実かというと、
どうなんだろ。
宗教が正邪の二元論を言う以前に、人間の存在自体が生と死、
殺す殺される、助ける助けられるという基本があって、
そこから二つの選択肢が決まってると思うんだけどな。
宗教の力でさえも、その根本的な二者択一は克服できな
かった、と。
戦争の起こり方は政府に負うところが多い。政府関係であってもその国の宗教心は持ってるだろ。
963 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 20:44:46
「年次改革要望書」はWEBで公開されてるから陰謀でもなんでもないでしょ。
大本教の出口王仁三郎は生命を賭けて戦争に反対したところが立派ですね。
太平洋戦争直前に反戦を唱えたのは大本教、共産党、灯台社、創価学会だけだから。
>>960 >自分の神を取るかそれとも他教の悪魔を取るかの二元論
世界史選択しなかったの?
キリスト教国どうしでも戦争してるよ。調子に乗ってた十字軍は、
ビザンチン帝国を襲って財宝を奪った。どっちもキリスト教国だよね。
第一次大戦ではキリスト教圏で殺し合った。
965 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 22:57:01
しかし急に蘇我氏を持ち上げるなんてわざとらしすぎるね。嫉妬根性丸出し。恥ずかしくないんだね。毎度の事ながら驚く
966 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 23:40:56
>>962 クリシンは戦争も核も賛成。
よって最強存在クリシン伝説がはじまるわけじゃ。
テポドンは悪魔の蕩尽じゃ、ユダヤ=日本を滅ぼす神の贈与じゃけんな。
967 :
考える名無しさん:2006/06/03(土) 00:14:19
無能なカキコには筋がないのだ ということに気づきました。
俺は宗教の原理原則を言ったまで
しかし同じキリスト教内の国で串刺しで持ち歩くとか、奴隷牧場とかなかったよな。
帝国主義と当時の人種差別は別の物だ。私は人種差別の観点の根本を言ってる。
まー煽られて答える俺も馬鹿だけどね。
>>968・・・
君が言うとおり、原理と具体的現実は違うし例外があるけどな。
でもな、第二次大戦で、連合国と枢軸国ってあっただろ。
串刺しで持ち歩くどころか、連合国のドイツへの爆撃は凄まじくて、
人間の手足を吹っ飛ばして焼き殺してたよ。同じキリスト教徒なのにね。
ドイツで虐殺されるのをおそれたユダヤ人は、異教徒ばかり居る連合国側に
金を払って亡命できたしね。
・・・日本も戦国時代は敵方の首を切って、切り取った頭をいくつも槍に
刺して持ち歩いてたんだが・・・
また、アメリカ公民権運動のキング牧師はプロテスタントであるが、
プロテスタントではない黒人は差別されてもいいとキング牧師が考えていた
とは思えないしね。
そろそろ、次スレのことも考えておこうか。
971 :
考える名無しさん:
>>963 日本の宗教はある種別格かもしれない。
親鸞研究の連中(本願寺?)やキリシタンの連中は戦後に反省してマルクス主義者の
研究をしてるからな。