1 :
考える名無しさん:
この世に生まれてこない事だとおもうのですが真理でしょうか?
3 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 02:43:47
今日は 朗子の誕生日なんだよ。 大田窪
4 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 03:48:12
これは幸福なんだ、と感じられるだけのものなら本当の幸福ではない。
それがいつであろうとも今この瞬間に得られるのなら、それが本当の幸福なんですよ。
5 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 03:59:46
この世に生まれることは幸福でもあり不幸でもある。
生まれてこないということは、そのどちらも無いということだろ
6 :
ブラフマン ◆u12SwCEviQ :2006/01/08(日) 04:16:11
幸福に言葉はいらない
7 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 04:53:42
めん鳥のお母さんは、
「私の子供達が無事に卵から孵化しますように」
と一生懸命願っているだけでは子供を無事に孵化させることはできません。
めん鳥のお母さんは、
子供達が無事に卵から孵化するように
きちんと卵を暖めたり、外敵から卵を守ったりするからこそ、
子供達は安全に孵化することができるのです。
それと同じように、人の幸福だって
「幸せになれればいいなあ」と漠然に思っているだけでは駄目です。
人というのは、人間的な働きがあって、実力や努力や勇気があって、
幸せの卵を暖めたり守ったりしながらはじめて幸福を見つけることができるのですよ。
8 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 04:57:13
幸福行きの切符がはやったことありましたね。
北海道の広尾線。旧国鉄時代の話。
懐かしいと思う方いらっしゃいますか?
9 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 05:36:36
幸福って状態?感覚?
10 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 05:41:33
感覚的な幸福と、感覚を超越している幸福があると思うよ。
ある感覚的な幸福があっても、
そこにはさらにその上を行く幸福があると考えていい。
でも感覚を越えた一点では、本当に無上の幸福感がある。
11 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 06:12:49
>>10 経験ないんで分かりません。
「ああ幸せだ」という充足感、幸福感を感じている者は、
そのとき幸福な状態にあると言っていいのか?
幸福感としか形容し難い感覚があるのは確かなんだけど。
12 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 07:12:45
>>11 「ああ幸せだ」という感覚はケミカルなもの、
つまり化学的な原因結果の法則による一つの結果なんですよ。物質的なものであって。
それはそれで幸福だけどね。
でも、五感の満足感を満たすことから得られる幸福感が最高の快楽なのかというと、
それはそうじゃないんだよということです。
13 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 07:33:11
世界には4種類の人がいる。
自分を苦しめて苦しみにつながれている人。
他人や動物を苦しめて苦しみにつながれている人。
自分も他人も苦しめて苦しみにつながれている人。
自分も他人も苦しめずに、苦しみにつながれていない人。
この内、4番目の人は幸福な人だろう。
14 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 07:36:21
>>12 いや、だったらその最高の快楽だって化学法則に還元できるんじゃないの。
あと、<五感の満足感を満たすことから得られる幸福感>てところが引っかかるんだけど、
僕が言った「幸せだ」という充足感は、性的快感のような端的な気持ち良さの感覚のことではなくて、
どちらかというと、
金曜の夜、仕事終わりに夜更かししてビールを飲んでるときの、
「ああ俺はこのときのために仕事をしているんだ」という独特の感覚。
15 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 07:44:47
>>14 仕事が終わってビールでも飲んでほっとしている時には
おそらく嫌なものが目の前にあることもなく、(視覚)
落ち着きを妨げる程の騒音もなく、(聴覚)
悪臭を放つものがそばにあるわけでもなく、(嗅覚)
我慢できない程にビールがまずく感じられるわけでもなく、(味覚)
いらいらする程に居心地が悪いわけでもないはず。(触覚)
それだって五感が満足しているから得られる幸福感ですよ。
16 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 08:09:21
>>15 いや、
仕事を終えた直後だということとか、
翌日が休日だということとか、
人間関係の煩わしさから開放されたこととか、いろんな要素に由来する感覚だと思うが。
幸福感としか形容し難い独特の充足感ってあるじゃない。
あの感覚は五感のみに還元することはできないでしょう。
17 :
考える名無しさん:2006/01/08(日) 08:15:58
>>15 あと、<最高の快楽>って幸福じゃなくて、ただの快楽なんじゃないの?
幸福「感」ならば快楽と言っても差し支えないような気がしますが、
幸福感を得ている状態がすなわち幸福な状態なのかな?と思うわけ。
18 :
考える名無しさん:
幸福とは幸せとはその主体のもっている「どうでもいいこと」の量
が関係すると思う。たしかにどうでもいいとそのことが関係しなくなる
(問題じゃなくなる)
いいこととはどうでもいいことであり幸せにつながる。
と個人的に断言してみた。