「してもよい」、may、permitに共通する意味は「許可」だよそりゃ。
そういう意味を持つ言葉を並べたんだからw
キミが「しても"善い"」とか言い出すから、他の「許可」を表す言葉には
「善い」意味なんか全然ないと指摘したまでだ。
>善悪基準を発布する強者的存在が目下の者に許可を与えてる図で
その図が日本的だと言ってるのだがw
イスラエルの神は「善いことをしろ」「悪いことはするな」なんて言わないよ。
単に「俺の命令を聞けば救ってやる」「逆らえば殺す」と約束するだけだ。
で、命令の中には「俺以外の存在を崇拝するな」があるから、
「禁止されていない行為=許可されている行為」という発想が出てくる。
道徳的に何かを禁止してくるような他の神の存在を無視できるんだからね。
啓典だけを絶対視すれば、「神の命令」が善であり「神の禁止」が悪と解釈される。
善が命令され、悪が禁止されるのではない。それは逆だ。
つまり、「禁止されている行為/禁止されていない行為」という二分法がまずあって
そこから「禁止されている行為=悪い行為」が派生してくるんだよ。
>>303 >「許可」を表す言葉には「善い」意味なんか全然ない
そうか?許可というのは、何らかの善悪基準に基づいて他者の行為
を承認することだと理解してるが。だから、goodやjusticeにも関連
してると思うよ。
>命令の中には「俺以外の存在を崇拝するな」があるから、「禁止されていない
行為=許可されている行為」という発想が出てくる。
これは明らかにおかしい。
まず、297で述べた通り、厳密に二分法的に判断するならば、「この行為
は禁じられている」「この行為は禁じられていない」の2種類しか存在
しない。
>「禁止されている行為/禁止されていない行為」という二分法
後の方では君もこう書いてるだろ?
さらに、「善悪は神にしか判断できない。契約が善か悪かは人間が関知
するところではない」のだから、「禁止されていない行為=許可されて
いる行為」という発想は、都合の良い拡大解釈であり、神に対する冒涜
となってしまうよ。
>道徳的に何かを禁止してくるような他の神の存在を無視できるんだから
意味不明。そもそも権威を認めていない他の神々が何を言おうと、
ここでの判断には影響ない筈。
>「禁止されている行為/禁止されていない行為」という二分法がまずあって
そこから「禁止されている行為=悪い行為」が派生してくる
それ自体は間違っていないと思うが、そこから正当/不当の起源を説明
しようという思惑があるのなら無理があるな。「禁止されている行為」
=「不当」は言えても、「禁止されていない行為」=「正当」は成立しない。
>>304 >許可というのは、何らかの善悪基準に基づいて他者の行為を承認することだと理解してる
ここの見解の相違がこの議論の発端だな。
>「禁止されていない行為=許可されている行為」という発想は、都合の良い拡大解釈
ここを掘り下げて考えてみよう。
「禁じられてない行為」かつ「許可されていない行為」ってどんな行為だ?
>>305 正確には「禁止されていない行為」かつ「許可されているかどうか
分からない行為」だ。君は数学が得意だろうから、ベン図を書くまでも
なく理解可能だとは思うが、具体例を一つ挙げよう。
仮に俺が神だとして、「冷やし中華に金糸卵を入れてはならない」
という禁令を啓示したとしよう。そうすると、その禁令以外の全て
の行為は、「禁止されていない行為」かつ「許可されているかどうか
分からない行為」に該当する。
紅生姜は禁止されてないから許可されてるなどとと早とちりすると、
忽ち天罰が下るかもしれない。なにしろ全ての善悪の決定権は俺に
あるのであり、紅生姜やキュウリは愚か、麺まで実は禁止されてる
かもかもしれない。それを勝手に判断する権利は人間にはないのである。
極端な例だが、本質的にはそういうことだ。
>全ての善悪の決定権は俺にあるのであり、紅生姜やキュウリは愚か、
>麺まで実は禁止されてるかもかもしれない。
それはないんだな。
なぜなら、神は「契約を守れば必ず救ってやる」と約束してくれたからね。
しかも契約内容はちゃんと明文化されてる。
さらにいうと、この神は預言者を通じて議論ができる神だ。
「そんな恥ずかしいことしたら、エジプト人に笑われますよ」とか言われて、
普通に説得されたりする。
こんな神だから、啓典(契約書)はすごく大事にされるんだな。
キミの言うような善悪で判断する神だったら、あそこまで重視されないよ。
というわけで、「禁止されていない行為」が「悪い行為」である可能性はあっても
全然かまわない。神にも沽券があるから、「悪い行為」でも契約違反じゃなければ、
罰したりしないし、救わざるをえない。
こういう意味で「禁止されていない行為」=「許可されてる行為」になるのですよ。
>>307 ここらで確認しておきたいが、君はキリスト教かユダヤ教
を信仰していて、ここで議論している神はまさしく「イスラエル
の神」そのものを指してるのかな?
もしそうだとすると、俺にはその神について議論する知識も
資格も無さそうだが。
>>308 俺自身はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもない。
しかし、俺が言及してる神はこれらの宗教に共通する絶対神だ。
キミに知識がないのは分かってるが、資格は十分にあるよ。
俺らはプロテスタントが産んだ近代的諸制度の中で生きてるんだからね。
現代日本で「してもよい」正当性を与える直接的根拠は、日本国憲法だ。
日本国憲法はアメリカ産だ。「正当性」の起源を思考するには、当然
キリスト教・ユダヤ教の神を考えないわけにはいかない。
俺らがここでこのような発言を「してもよい」「できる」のは、
日本国憲法が思想・良心・表現の自由を保障しているからだ。
これは抽象的な神や天皇や幕府が許してくれたことではない。
この正当性の起源は、フランス人権宣言やアメリカ独立宣言で言及されている
「天」「造物主」にある。これは当然、あの絶対神を指している。
俺らが社会生活上結んでいる民法上の契約は、日本の概念でも中国の概念でもない。
これは、言葉と論理を重視する「神と人間との契約」の系譜に属するものだ。
ゆえに、「正当性は善悪から派生している」というキミの考えは日本的常識には合致するし、
戦前は正しかったかもしれないが、現代日本では間違っている、と俺は考えるわけだ。
>>309-310 むう。正直どれを突っ込むべきか迷うんだがw、ポイントを絞ろう。
まず君はキリスト教やユダヤ教を信仰している訳ではないと言ったが、
それならなぜ聖書の記述を文字通り信じるのかな?君はヤーウェの実在
を信じ、人格神としての性格設定まで信じている。そうでなければ、
307の契約〜エジプト人云々のくだりは理解できない。
いやそうではないというのなら、キリスト教・ユダヤ教はあくまでも
メタファーとしてある訳で、様々な解釈が可能になる筈だな。
そうなると、「神にも沽券があるから、「悪い行為」でも契約違反
じゃなければ、罰したりしないし、救わざるをえない。」はあくまでも
君の一解釈ということになり、それが絶対に正しいという客観的な根拠
はない。なにしろ何も悪くないヨブを苦しめたり、イサクに息子をいけにえ
に差し出せと命じるような理不尽な神のことだから、試練を与える為と称して
契約を破棄するくらいのことはやりかねない。それにそもそもユダヤ民族と神
の間で交わされた契約が現代日本人と何の関係があるのかとか色々でてくる。
だから、やっぱり正当/不当の起源に関する君の論拠は成立しないんだよ。
それが君の「信仰」だというんであれば、俺は否定しない(できない)が、
議論はここでストップだ。
>>311 俺の主張は「聖書の記述が真実だから、正当性は善悪から派生していない」ではないよ。
現代における「正当性」という考え方は、そのような神を信じていた人たちが考え、発展させ、
日本に輸入された概念だということを証拠にもとづいて論じているだけだ。
実際の神がどんな性格かなんて関係ない。どうでもいい。
>試練を与える為と称して契約を破棄するくらいのことはやりかねない。
この解釈も論理的に考えれば当然ありうるな。俺も十分ありうると思うw
しかし問題は、「正当性」という発想をした人たちがどう解釈していたかだ。
この人たちは、暴虐な絶対神が怒るのを本気で恐れていた。
と、同時に絶対神がいつか必ず救ってくれることも信じていた。信じるしかなかった。
「していい/したらダメ」を厳格に区別する必要性が彼らにはあったわけだ。
「どちらかはまだ分からない」が存在してもらっては困る。
現に今冷やし中華を作って食わなければならないのだ。どちらか一つじゃないと。
というわけで、善悪と全く関係ないところから正当/不当の二分法が出てきたのだよ。
313 :
探求者 ◆IageKhlEwc :2006/06/07(水) 18:21:20
ここまでのダイジェスト
酸素男爵:正当性は善悪から派生した
探求者:正当性は論理的二分法からきてる、善悪からじゃない
酸素男爵:論理的二分法だけから、積極的な意味での正当性は出てこない。なんらかの善悪が必要
探求者:法を前提にして論理的二分法を導入すれば、正当性出てくるだろ
酸素男爵:法を作るときにはなんらかの善悪基準がやはり必要だ
探求者:んじゃ啓典を考えよう。契約と契約者に対する信頼があれば、善悪なしで正当性出てくる
酸素男爵:それはキミの一解釈に過ぎない。それがキミの信仰ならもう何も言わない
探求者:実際にそう解釈されてたという話なんだけど
>>313 ダイジェストワロスw まとめ方に異存はないよ。
ちょうどいいきっかけなんで提案だが、ここらで議論を
中断しないか?
お互い異論・反論尽きないわけだが、俺のカンだと、これは
際限無く続くw
まあそれはそれで面白いんだが、俺としてもそろそろ活動
拠点を移していきたいんでね。スレ的にもスレタイのテーマ
に戻った方がいいんじゃないかな。スレの動向そのものに興味
はあるんで、完全に消えるつもりはないが。
俺的にはだいたい自分の基本的な考え方は述べたつもりだから、
双方の主張の正否については、第三者の判断に委ねることにしたい。
君もそのつもりでageてるんだろ?
311の自己レスで訂正。
息子をいけにえに捧げることを命令されたのはアブラハム
でその息子がイサクだったな。いい加減な記憶で書くもん
じゃないね。
>>314 了解。
暇あったらニーチェの『道徳の系譜』を読んでおくといい。未読だろ?
薄くて、読みやすくて、面白い。
ついでにユダヤ的奴隷道徳の起源について、俺の説より深い説が出てるよ。
>>315 なるほど、君はニーチェリアンか。さもありなんという気はするが、
君の主張とニーチェ思想に深い関連があるなんて考えたことも
なかったな。こっちを未読と決めつける根拠もよくわからんし。
ついでだから書いておくが、俺が302で書いた「強者的存在」は
ニーチェの定義をある程度念頭においてる。つまり善悪とは強者が
弱者に対して一方的に発布する価値基準であり、その究極の形が
神による善悪の啓示というイメージだな。
もう一つついでに書いておくと、俺は「道徳の系譜」よりも「善悪
の彼岸」の方が気に入っている。ニーチェは論述形式よりも、偽預言者
風の断章・アフォリズム形式の語り口の方が合ってると思うからだ。
まあ俺はそんなにニーチェを評価してるわけじゃないけどね。
というわけで、俺はしばらく消える。あとは皆さんでよろしくってことで。
>>316 ニーチェを念頭に置いていれば、神ならぬ「強者的存在」が善悪の基準であっても
そこから近代的な正当性なんか生まれてこないことはすぐ分かるはず。
民衆の行為の正当性を保障するような近代社会は、強者的存在の善悪基準に反対した
奴隷道徳側の勝利だとニーチェは言ってる。
「強者的存在」と言ったキミがもしニーチェを読んでいたなら、このロジックを念頭に
置いて議論したはずだが、キミは全く考慮していなかった。だから未読だと判断したのだよ。
ちなみに俺の議論はむしろ反ニーチェ的だったが(奴隷道徳のみを語っていた)
このことにも気づけないキミは間違いなく、ニーチェの議論を理解してないね。
318 :
考える名無しさん:2006/07/08(土) 02:11:43
>>1 スレタイのような事を謳って無茶なことを
する奴がいたとしたらやっぱりウザい。
こんな奴になって人から嫌われたくないと思うのが普通だし、
たいていの人に「己の欲せざる所を人に施すこと無かれ」の心が有るから
自己中→×
という常識ができてそれが引き継がれてるんじゃない?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|./ ー◎-◎-)
(6 (_ _) ) カタカタカタ
| .∴ ノ 3 ノ ______
ゝ ノ .| | ̄ ̄\ \
/ \__| | | ̄ ̄|
/ \___ | | |__|
| \ |つ |__|__/ /
/  ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
| | ̄
319 :
考える名無しさん:2006/07/08(土) 03:58:46
「宗教は正しい」という考え方には客観性がない。そう考えているのはあくまで人間だからな。
したがって「宗教は正しい」という考え方は正しいとはいえない。
320 :
考える名無しさん:2006/07/08(土) 08:00:40
暇だし、リアクションあるのはここだけだし。
短歌も俳句も出来ないし。
自己中なのは、類推することが出来んほど未熟だから嫌われるんでしょ。
物事よく分からん人は、他人の意見を聞く態度を身につけるだけでよい。
あー簡単。
321 :
考える名無しさん:2006/07/10(月) 08:14:03
319はあくまで人間だから、全く同じロジックで、以下の主張が成り立つわな。
したがって『「宗教は正しい」という考え方は正しいとはいえない』
という考え方は正しいとはいえない。
今さらちゃぶ台返し遊びをして何が楽しいんだか。
322 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 09:28:44
んあ
323 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 10:35:13
Christが人類を思って自己犠牲の精神を発揮し十字架に服したとしても、Christが
自己を愛していなかったとは言えない。「私は神である」と言って、Buildingから飛んだ
男が、下に落ちて死んだとしても、他者に役立った、神性だったとは言えない。彼は神性の
共感性について理解していなかったのだ。Christと彼の違いは神性についての認識の違いだ。
自己を愛せなければ他者を愛せないゆえに、他者よりも自己を愛するのが先だ。自己を愛さないで
他者を愛することは最大の裏切りだ。Christが死後世界宗教の教祖として崇められたのも、神性な自己
としての愛に最後まで誠実だったからである。
この世の考えは全て自己中なんじゃないの。
他人の考えてることを、他人のクオリアで
完全に把握できない限り。
325 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 07:59:02
ふっ、浅いな・・・
326 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 08:32:37
327 :
考える名無しさん:2006/08/24(木) 16:52:35
age
328 :
考える名無しさん:2006/08/24(木) 17:33:29
>>8 にインスパイヤされて
「 自己中 」 と 「 タコ中 」 が あるなら 「 中古中 (チュウコチュウ) 」があってもよかろう
329 :
考える名無しさん:2006/08/24(木) 18:33:25
>1
自己中心的ですと人間は物事の理を悟れぬ為に知能の発育を妨げられて正しい智恵を産みだせません。
知能が発育しないと言うことは知能が潜在してしまうことです。
そして正しい智恵を産みだせないと戦争や経済的暴力や犯罪の絶えない社会に成ります。
自己中心的の呼び方を変えると自己愛に成りますが同じ自己愛の集団が集団的自己愛と成り、社会全体が
身勝手な思いから生じる自己愛に捕らえられると総体的自己愛と成り人類全体の知能が発育しません。
自己中心的と言っても、その度合いで物事が判断されますが一口に言うと人類の病気みたいなものです。
330 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 21:14:29
「自己中心的考えのできない者」がどうやって「多己中心的に」考えられるよ?
「自分の考えより他人の考えの方がよくわかる」なんてありえね〜だろw
331 :
眼差しの丘とある崖上の感情:2006/09/07(木) 21:53:36
よく道に迷うんですけど
332 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 21:56:20
333 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 22:03:00
禅宗なもので
334 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 22:06:20
335 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/07(木) 22:06:23
良し悪しではなく、自分の内部、というものは、外部を措定し、それとの交通がない限り、成り立たない。
336 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 01:55:09
情けは人の為ならず
これに尽きると思う
337 :
きんぴら:2006/09/18(月) 02:00:51
どうあがいても自己中心性からはなん人も逃れられないよねぇ。
>>336 それは確かだ。情を掛けておけば、ゆくゆくは己がその情けに
救われます。確かです。
338 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 06:14:34
ある意味では誰もが自己中心的といえる。だが、現実社会では自己中心的な行動は自己の利益にならないことが多い。
例えば一回相手を騙せば相手は警戒し、次回からは騙せなくなる。それどころか仕返しされる危険もでてくるし、自分が騙す人間だという評判が広がれば誰もが警戒し、さまざまな制約がでてくる。
339 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 06:16:33
自己中心とだますことがどう関係あるか明らかにしないとねぇ
340 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 06:27:23
>>338 騙す事だけが自己中じゃないし
人間の行動のほとんどが自己中
341 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 06:31:14
自己「忠」っていいと思わない?
自己忠
342 :
考える名無しさん:2006/12/01(金) 13:20:50
自己中でもいいじゃないか
343 :
考える名無しさん:2006/12/01(金) 13:37:35
344 :
考える名無しさん:2006/12/01(金) 13:43:41
自己中だと人間関係で周りに嫌な思いをさせて
結局それが自分に返って来るから
345 :
考える名無しさん:2006/12/01(金) 23:58:01
>>344みたいな事を一回見聞き、また体験すれば
自分が嫌われて寂しい思いしたくなくなるから。
自己中と防衛心て、常に連動すると思うよ。
347 :
考える名無しさん:2007/01/18(木) 08:11:56
「自己」がself、「自我」がegoだとすると、egoismは「自我中心主義」
と言うのが正しいんじゃないか?
348 :
考える名無しさん:2007/01/18(木) 08:44:34
自己中心も、
唯我独尊までいけば、
すごいけどね
349 :
考える名無しさん:2007/01/18(木) 12:39:24
>>348 それは超人思想だね。
普通の人間のエゴイズムなんてまるでちゃちい。
俺のエゴイズムから推し量って、おまえのエゴイズムなんぞたかが知れるw
>>1
なぜ浮気はいけないのか?
彼女または妻にばれさえしなければいいのだ!
いやばれた所で、体はくっ付いたけど心はバラバラだったから
浮気とは言わないのだ!などと言って相手が納得するわけはないだろう。
理屈で悪と定義できないものは悪ではないなどと考えてはならない。
直感で悪いことと感じるのならば、自己中心的な考えを止めたほうがいい。
直感は自分の性格を作り上げていると思う。
学問以外で直感に逆らった思考・行動をすると、精神を病むのではないだろうか?
>>344 自分に帰ってくるから自己中なことしないと言うなら、
それも結局遠回しな自己中じゃないか?
自分に〜とか言い出したら、それはどうやってもにエゴイスティックな主張にしかならないと思うぞ。
結局こういうのは「自分のエゴ」と「みんなのエゴ」の対立でしかないとおも
352 :
虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :