88 :
デリダ厨(即席):2006/10/04(水) 01:12:38
>>87 じゃあ、60年代で理論的発展が終わったことの根拠を言ってみろよ。
>『有限責任会社』も『法の力』も・・・・かなり読んでおるわ。
>まさかあんたは『こーら』と「アイゼンマンへの手紙」を
>読んでないわけはないな?
>『コーラル・ワークス』も読んでないというこなどありえな
>いよなあ?(合掌)
『こーら』と「アイゼンマンへの手紙」は読んでいるが、
『コーラル・ワークス』って英語の本だろ?
英訳をわざわざ読む必要があるとは思えんな。
89 :
考える名無しさん:2006/10/04(水) 01:23:26
哲学の内容についてどちらも一言も語ってないのがワロタw
>>86 デリダは別格じゃよ、違った意味で。
デリダの言ってることはやはり哲学でもなければ、思想でもないでしょうな
プラトンやウィトゲンシュタインとは比べる自体が偉大な先達を侮蔑することに
なるでしょうな。
フランス哲学が嫌いなのではなくて、はっきりしないデリダがどうしても疑惑の人に
しか思えんので・・・・。
デリダはスローガニスト、あるいはアジテーショニストに過ぎんじゃろ(合掌)
中島義道はまともにものを考えるようにせんといかん、いい歳をしてエッセイばかりでは・・・・(合掌)
哲学者とはご存知の通り本来は「愛知」と訳すのが相応しい。
中島のカテゴライズには共感できん点が多すぎる。
遅れてやってきた流行者じゃよ(合掌)
>>88 なるほど、読んでおるのだな
それなら話しは早い。
では読んでどう思ったかのう、そちは?(合掌)
92 :
デリダ厨(即席):2006/10/04(水) 01:53:10
>>91 なんで質問に質問で返すんだよ。
>>74で、60年代で理論的発展が終わったと述べる根拠を示せよ。
93 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 02:07:39
>>69を読みたまえ
そこで、長らく中断しておるのだ。
デリダがなぜダメなのか、「アイゼンマンへの手紙」からの展開により非常に明確に
デリダのスタイルに問題がある事が立ち現れてくるから
>>69で発言しているのじゃよ
自然な話しのつながりじゃ、それとも実はハッタリで読んでないからなのかのう?
デリダ最晩年におきた「事件」じゃよ、デリダのテクストの感想をきいて
何故にそこまで過剰反応するのじゃ、解説書に反論が載ってないからかね?(笑そして合掌)
94 :
デリダ厨(即席):2006/10/04(水) 02:16:13
「アイゼンマンへの手紙」は、結局は建築家批判でしょ。
少なくとも建築の理論的支柱を哲学に求めようとする建築言説批判。
アイゼンマンの場合、要するに、不在を実体化するな、と。
デリダの仕事なかではあまり重要でないテクストだと私は思っている。
『有限責任会社』と『法の力』読んだんだろ?
「アイゼンマンへの手紙」から、どうして後期デリダの全否定になるんだ?
肝心なことを説明してないじゃないか。
95 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 02:24:16
>>94 デリダの論文についての話だから、なにもびくびくせんでもよいだろ。
でアイゼンマンとデリダのコラボのことになるが、何のコラボでそれについて
どう思ったかを語って欲しいのだよ、「重要ではない」だけの感想なんて
そっけなさ過ぎるだろう(合掌)
96 :
デリダ厨(即席):2006/10/04(水) 02:28:12
>>95 いやだから、あれはコラボとしては単なる失敗で、デリダは
アイゼンマンに終始違和感を持ち続けていたわけで、それを
表明しているだけにしか思えなかった。まぁ私が建築に詳しく
ないこともあるが。
で、こちらの質問はスルーかよ。
びくびくしてるのはそっちじゃねーか。
97 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 02:33:46
コラボの内容も知らずに読んだといえるのかね?
繰り返しだが、なんのコラボか?
こういう短い論文を話し合う方が焦点がはっきりしていていいんだよ。
200ページオーバーの本について語り合ったらどれだけの時間が必要だと
思う。
これはこいう掲示板での一番いい話し方なんだよ(合掌)
98 :
デリダ厨(即席):2006/10/04(水) 02:42:42
>>97 何故そんなにマイナーなテクストに拘るんだよ。
そこから説明してくれないか。
>>69で
>「表象の現実の出現」を巡るデリダの誤謬を完全に証明する
>出来事
と述べた意味も含めて。
ともかく、私の中では重要度は低いから、
アイゼンマンの実作とかコラボの過程とか、
いちいち把握してない。
99 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 02:43:37
ただ勘違いはせんでくれ、わしはデリダ厨を頭ごなしアホだとか
バカだとか思って悪意で話しているわけでは決してないぞ
何事も是々非々だ、わしが完全に間違っていて逆に教えてもらえる
ということももちろんあるのだよ、当たり前だな(合掌)
100 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 02:53:24
>>98 なるほど、
フランスの屠殺場跡地に広大な公園を作ることになり、世界中から一流の
造園デザイナー、建築家が参加したわけだ。
プロジェクトの名前はラ・ヴィレット公園という公開設計競技になった。
これは1985年の話しだ。
デリダの思想に多大なるシンパシーを持っていたアイゼンマンは「ぜひ
デリダさんとコラボレーションしたい」旨を伝えた。
アイゼンマンはちょうど、ポストモダンから脱構築派の建築を目指して
いたわけだ。
ここまではいいかな?
101 :
デリダ厨(即席):2006/10/04(水) 02:56:52
102 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 03:10:16
>>98 なにせはっきりとした形にしなければいかん作業だ、そこも含めて二人は
非常に長い時間をかけてプロジェクトの案を完成させることで一致した。
アイゼンマンは哲学思想にも長けた非常に優秀な頭脳の持ち主で、数々の
実験的作品を精力的に作ってきた、言わばアヴァンギャルドなアーティストだ。
ところが、デリダと検討を続けていくうちにデリダは尻込みするようになってきた、
デリダは思想家と言ってもプラトンやアリストテレスとはタイプが全く違う。
いい意味で、その時代時代に飛び出そうとする現象を非常にキャッチーな言葉を
織り込んで執筆活動を行った。
「脱構築」はその言い例だろう、世界流行語大賞ものだ。
だからデリダのまわりには非常に多くの作家・音楽家・芸術家といった人々が
興味を示し、また読まれてもいた。
103 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 03:24:11
>>101 だからアイゼンマンと作品を形のあるものを作るという作業は実は世界的な注目の
まとだったんだ。
比喩的な表現で多くのアーティストに創作意欲をインスパイヤーしたデリダならではの
現象だとも言える。
世界中の多くの思想家達も、デリダが始めて「物象化」にチャレンジするという
ことはもう大変な騒ぎになって当たり前。
「これで脱構築の本人による解説完全版も論文で出る」と、やはり世界中が注目していた。
しかし、それが形にになるにつれデリダは沈黙するようになる。
アイゼンマンとも論争というより、コンタクトを取らなくなってきた。
そして二人の案が完成したんだが、それは見るも無残な形となってしまった。
それはコンペに出されたが、レム・コールハースやベルナール・チュミの案ばかりが
注目を集めどちらになるかという注目に変わってしまった。
104 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 03:46:08
結局はチュミの案がグランプリをとったのだけれど、デリダは1989年10月12日に
「ピーター・アイゼンマンへの手紙」と題する小論を書き上げた。
それは自らがコラボで示した最終案に対する弁解として多くの評論家、アーティスト、
思想家にとられてしまった。
それは致し方なかったのかもしれないが、デリダにとっては大きな誤算だった。
ちっぽけな小論がフランス国内でも非常に大きな受け取られ方をしてしまった。
ここからそれまで支持に回っていた親デリダの人々も過去にまで遡ってデリダ批判をする
ムーブメントが起こってしまった。
しかし結局デリダはラ・ヴィレット公園案以降もアイゼンマンの作品に対して専門誌に
小論文を寄稿するなどの関係が続き、その真意を疑われてしまった。
その輪の中に、実は浅田彰もちゃっかりいたわけです。
「Anyカンファレンス」という世界で毎年一回行われる建築を巡る会議の司会進行が
浅田彰だったわけで、デリダもその会議に参加する事になったんですね。
確か1991年から10年間だから何年かはデリダも積極的に参加しました。
やはりそこでも、様々な人に「デリダさんのアイゼンマンとの活動は
どう総括するのか?」という事を必ず言われるわけです。
「なぜ、まだ二人はやっているのか?」「作品が出来るたびに弁明めいた
発言ばかりなぜするのか?」
結果、デリダの晩年はかりの批判にさらされた晩年だったはずです。
105 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 04:06:59
デリダはやはりあれだけの注目を集めたのだから、説明責任があったことでしょう。
あの一件が無ければ京都賞を受賞していたかもしれないと言われる所以です。
デリダとウィトゲンシュタインの差はこういうところにもあったのかと
よく陰口を言う人がいます。残念です。
私が「デリダはダメ」というふうに言うのは思想のここが気に入らない
と言うよりも、出来た「子供」の責任は親にあるのだという理屈ですね。
デリダほどアーティストに対して影響を与えた思想家を考えるとあとは
フロイトくらいでしょう、ダダ、シュールレアリズムですよね。
それは間違いの無い事です。
偉大なデリダと言えども「自分の子供」の責任を取れなければ無責任のレッテルを
貼られてしまうわけです。
デリダのテクストそれぞれに対して特に不満はありません。
しかし、「子供」の責任を取っていたかどうかと言う点でせっかくの
テクストも「判然としない」という意見が一番多いですが、そういう批判者が
そのコンテクストで判断してしまうのは残念の極みです。
ただ一つ、もう別のところで何回も言ってますが、『グラマトロジーについて』
はソシュールに言及しているくだりだけは、間違いを犯していると思っています。
以上です(ご清聴有難うございました・合掌)
106 :
考える名無しさん:2006/10/04(水) 05:45:57
建築業界を買いかぶり過ぎだよアホw
107 :
考える名無しさん:2006/10/04(水) 06:27:28
ここはタイトルと中身が違うスレですね
108星age
109 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 19:03:20
>>106 いや、これは事実にして大事件。
>>107 そして可能世界論スレだからこそ、デリダはこのスレでは場違いな思想家なのだ。
このスレで重要な位置を占める哲学者は微に入り細に入り思考する地道な学者。
デリダは偉大だが、このスレの趣旨からは残念ながらはずれてしまう。
他のスレでこそ大いに評価されるべき人だ。
なにこのスレ違いな展開
デリダ厨が因縁つけるからいけないんだな
デリダ厨は節度を持て
112 :
考える名無しさん:2006/10/04(水) 19:34:08
>>111 関係ないスレで長々とデリダについての書き込みをする馬鹿の方がよほど問題だろう
べつにいいんじゃネ
ラ・ヴィレット事件なんかオレもはじめて知った
調べたら柄谷行人も会議に参加してんじゃん
しかもこの会議ちゃんと英訳出版されてんだなあ
読んでみてえな
買おっと
>>109 デリダはアイゼンマンに利用されただけ。
デリダはそれに途中からそれに気づき次第に距離を置くようになった。
116 :
考える名無しさん :2006/10/05(木) 17:11:06
>>115 まだいってんのかよ・・・まったく
デリダ議論はデリダスレでやってくれ
完全なる荒らし行為だぞ
デリダとか読む奴ってこんなのばっかなのなw
118 :
考える名無しさん:2006/10/05(木) 21:13:10
デリダは闘う哲学者であって机上の哲学に自足しなかったということでしょう。
119 :
考える名無しさん:2006/10/05(木) 21:21:14
綺麗だったぞ。我々世代ももう大人だ。次世代に繋ぐ。我々も闘ってくぞ。キリスト教圏まではいくぞ。仏教圏の問題は我々日本人の問題に他ならない。東アジアの問題は特殊だからな
はい、デリダの話題は終了〜。
壮大な自作自演スレ発見。
122 :
考える名無しさん:2006/10/07(土) 15:21:08
軽率なのは何故か。
123 :
考える名無しさん:2006/11/08(水) 00:21:29
age
誰か、可能世界論についての文章を書いてくれないか。
Wikipediaだけではどのようなものであるのかさっぱり分からない。
125 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 00:34:43
なかさい
普通にロジック勉強しなされ。
127 :
虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/01/21(日) 11:32:36
一階命題論理をやった。
129 :
虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/02/25(日) 09:01:40
ようやく見れるようになった!
長かった……。
いったい何だったんだ?
130 :
クニ:2007/02/25(日) 09:34:49
「虚構世界内存在」の「世界」とは何?
ワールドという意味
日本ではその「世界」が重要になっているから聞いているのです。
行動規範として。
思想面でも。
131 :
考える名無しさん:2007/02/25(日) 12:30:17
可能世界はパラレルワールドのことではないんだよ。
言語機能を説明するモデルの一つです。
だれもパラレルワールドなんていってないが
133 :
虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/02/26(月) 19:37:27
>>131 可能世界実在論も?
『可能世界の哲学−「存在」と「自己」を考える−』には可能世界論の立場の大分類が掲載されているが……。
たしか、源流はライプニッツだったと思うが、ライプニッツも独自の言語論を展開していたんですか?
134 :
虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/02/26(月) 19:38:41
時代を考えると、言語論というよりは神学との関係で論じられていたのではないかと予想している。
あげ ヽ( ´▽`)人(´▽` )ノ
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
137 :
考える名無しさん: