100 :
考える名無しさん :
>>98 なるほど、
フランスの屠殺場跡地に広大な公園を作ることになり、世界中から一流の
造園デザイナー、建築家が参加したわけだ。
プロジェクトの名前はラ・ヴィレット公園という公開設計競技になった。
これは1985年の話しだ。
デリダの思想に多大なるシンパシーを持っていたアイゼンマンは「ぜひ
デリダさんとコラボレーションしたい」旨を伝えた。
アイゼンマンはちょうど、ポストモダンから脱構築派の建築を目指して
いたわけだ。
ここまではいいかな?
101 :
デリダ厨(即席):2006/10/04(水) 02:56:52
102 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 03:10:16
>>98 なにせはっきりとした形にしなければいかん作業だ、そこも含めて二人は
非常に長い時間をかけてプロジェクトの案を完成させることで一致した。
アイゼンマンは哲学思想にも長けた非常に優秀な頭脳の持ち主で、数々の
実験的作品を精力的に作ってきた、言わばアヴァンギャルドなアーティストだ。
ところが、デリダと検討を続けていくうちにデリダは尻込みするようになってきた、
デリダは思想家と言ってもプラトンやアリストテレスとはタイプが全く違う。
いい意味で、その時代時代に飛び出そうとする現象を非常にキャッチーな言葉を
織り込んで執筆活動を行った。
「脱構築」はその言い例だろう、世界流行語大賞ものだ。
だからデリダのまわりには非常に多くの作家・音楽家・芸術家といった人々が
興味を示し、また読まれてもいた。
103 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 03:24:11
>>101 だからアイゼンマンと作品を形のあるものを作るという作業は実は世界的な注目の
まとだったんだ。
比喩的な表現で多くのアーティストに創作意欲をインスパイヤーしたデリダならではの
現象だとも言える。
世界中の多くの思想家達も、デリダが始めて「物象化」にチャレンジするという
ことはもう大変な騒ぎになって当たり前。
「これで脱構築の本人による解説完全版も論文で出る」と、やはり世界中が注目していた。
しかし、それが形にになるにつれデリダは沈黙するようになる。
アイゼンマンとも論争というより、コンタクトを取らなくなってきた。
そして二人の案が完成したんだが、それは見るも無残な形となってしまった。
それはコンペに出されたが、レム・コールハースやベルナール・チュミの案ばかりが
注目を集めどちらになるかという注目に変わってしまった。