1 :
考える名無しさん :
2005/12/07(水) 11:59:26
part2つけるの忘れてしまった・・・
乙 orz
5 :
1 :2005/12/07(水) 16:39:19
>>4 そんなのができてたんですね。じゃあもうこのスレは必要ないかな。
じゃ、私のスレにしていいかね?
や、
あれ、また透明あぼーんかかってる
どうなのかね?
どうなのかね?
はじまるぞ ,;-‐-、 ,;-‐'゙、^:^ー、. i' / ;' ;゙゙ヽ、 / 、 r、.゙:、゙i ヽ! ┬ `'゙゙、/_r ヽ、 / i゙ー'^ー'‐'‐' ,,-−'' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄''−,,, `i ゙:、 / ,;! / :ィ≠ミヽ) f ィ'下:::テz_ヽ | ゙:、 . / ,;: | r' iノjr1` i;; i ヾで辷ノ ヽ. | ゙i / ;;'_,! :::r'7 ::. ヾ=' ''=-=''' ^ ̄´ ヽ.. _,! ゙: .,ノー‐‐'''''" ゙7'ー :| :: _―‐ 、,,_,,----.. ゙) ゙; ⌒`i::゙ヾ、___,,! i'::::::ヾ;;:::::::: ゙: ヽ`l /´ _..,, _..、丶 /,;i' :::::::::::::;;ノ .゙ヾ;;:::::゙、::::; ミ ヾ,l 丿 / ! i` T"i ! i ヽ ヒ -''゙ 彡 ::::::;;;/ /// `゙゙゙''ヾ;;!_ 彡 "l,_l 丿 /‐'" ̄ ̄ ̄`'''ヘ i ゙レr゙,, ミ -‐'" \\\ . ,´::::::::: ヽ":/ _../ ゙、 `−,_i ,!、":::::::;;ヽ、 \\\ /`-_::、N l :゙、 `、,-−‐-;,.,;−‐ー,,′/,フ ノ (::::::::::;;;;;-ミ、 /// " ,,゙ i |_i" ゙、 ゙、 / / i l" i´ ', i,, .i ":::: / | ヽ i / / .|'" ヾ ゙,, i, i :::/ .{ i 工エェェエ工 / | \ '; _i _/," :::/ '、 ゙l; : ゙ー 、,,_____,,....‐''´, ノ '、` _ ̄,⊃ _,,=='´ "::::,' / \ ゙l;: ,,_;,ノ \ ヾヽ ':;ヽ ,と二_ ,ノ / /`''-、`'ー--─'"-ヽ、 ヽ
暇だがね
?
17 :
考える名無しさん :2006/02/10(金) 04:49:21
age
18 :
考える名無しさん :2006/02/10(金) 05:29:33
231 名前:恵理万太郎 :2006/02/10(金) 02:10:24 _____________________/ ̄ ̄ )__________ ______________ __/ _/______/\ _______________/ /∪__, ---、_, -''/ ____________/ /____\ / \_/ \ __________ \ \_______| .、,.、,.、,、,、,‖\ \ _________ __\ \ //|| Ф Ф||> ∪ \ ____ノ⌒ヽ \ // .ヽ、±_ノ _____ヽ__) 杜玖椀を知らんようだな _(__ ( ノ_____\____ ノ\ \ __ \ \______/ /_______\ ) ____ _\ \/ /___________/ ノ ___________ __\ / ______∩/ / _\/ / / (___/
19 :
考える名無しさん :2006/04/18(火) 13:01:20
orz
20 :
考える名無しさん :2006/05/21(日) 23:55:22
論理学を読み始めたけど、有論の解析学について語ってるところがわけわかめ
21 :
考える名無しさん :2006/05/25(木) 20:57:44
長谷川訳「精神現象学」は名訳だねえ・・・! よー分かるわ、難解なヘーゲル哲学が・・・。
(’A`)
23 :
考える名無しさん :2006/08/23(水) 06:54:41
age
24 :
考える名無しさん :2006/08/24(木) 00:17:20
こりゃ本当に偉大な著作だね。 ヘーゲルを超えた哲学者は現代に至るまでいないと断言する。
うむ。精神現象学は無明から悟達に至る道行きを大乗的に表現したものなのだよ。
AHO
27 :
学生 :2006/10/19(木) 19:22:01
哲学、ヘーゲル初心者です。 ヘーゲルの“精神現象学”を読みたいのですが、 平凡社ライブラリーを買おうか、 長谷川宏訳を買おうか迷っています。 皆さんの意見をお聞かせください。 あと、図々しいですが、 勉強する上でのアドバイスなどもあればお願いします。
>>27 一般には牧野訳がもっとも正確という評判だったと思う。
長谷川訳は、講義ものならばいいけれど、著書に関しては長谷川解釈が大きく
入り込んでいて、最もわかりやすい訳には違いないにしても注意したほうがいいとのこと。
平凡社ライブラリは一般的には最も読まれてる訳だと思うし、特に問題があるということもない。
前スレはそういう流れだった。
どれを選ぶにしても、どの訳がよいですかという旨の質問って荒れる要因になりやすいし、
原著か、最低でも英訳を読めといわれるのがオチだとは思う。
プ、21世紀にもなってまだヘーゲルに、 少しでも価値があると思うやつらがいるなんてwwwww
30 :
考える名無しさん :2006/10/22(日) 16:10:08
真理とは、自らを否定しては、またこれを再建する同一性であり、 言いかえれば一旦他者となることによって、同時に再び自分自身へ 還るという反省の働きに他ならないのであって、もとから変わる ことなく存在する一者、もしくは媒介されてない一者そのものでは ない。要するに真理とは本来の自分自身に成ろうとする働きそのもの であり、終わりに来るべきものを自分の目的として最初に前提して 持っておりながら、それの実現とそれの終局に達することによって はじめて現実的なものとなる円還である。 真理とは全体的なものである。しかし全体的なものは、自らを展開 することによって、自らを完成する実在に他ならない。 by ヘーゲル『精神現象学』
31 :
考える名無しさん :2006/10/22(日) 16:18:15
32 :
考える名無しさん :2006/10/22(日) 17:02:07
}{ }{ ∧ ∧ い い / ヽ‐‐ ヽ __ Y Y __ 彡 ヽ \`'イ‐‐ イ'´/ 彡 ● ● l ヽ 彡 ( l / ● ● 彡 ヽ | / ( l まいほーむまいほーむ 彡 ヽ l / ヽ l / ` ( o o)\ ` ( ▼)\ / __ /´> _)_ /´> ) (___|_( /(___ヒ( /<,ヽ/ | / | / ´ | /\ \ .| /\ \ | / ) ). .| / ) ) ヒl ( \ ヒl ( \ \二) \工)
33 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 11:45:07
age
34 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 13:09:22
ヘーゲルって人気無いの? 歴史哲学講義って読んだけど何かカッコイイ。
35 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 18:53:33
>>34 マルクスとの繋がりだとかで叩かれたんじゃ?
真理を求める、みたいなのも嫌われるし。
でも読む価値あると思うけどなあ。
当時はナポレオンが登場した時期で
それの影響もあるとか。
やっぱそう言うのがあるんだろうな。 でもマルクスのスレとかが伸びてるのは結構見かけるのに ヘーゲルがイマイチ見当たらんのが残念だ。スレ違いだったらすまん。
37 :
考える名無しさん :2006/11/20(月) 09:09:12
いいえ、スレ違いではありましぇーん。 マルのスレが伸びてるのは殆ど漫談と 回顧に終始してるから。 団塊世代のオーさんのオナニーでしょう。
38 :
考える名無しさん :2006/11/20(月) 09:51:09
ちょっとカントの理性批判と比較して精神現象学を評価してみたらどうだろう。 散々成された試みだろうし、ヘーゲル自身もカントの『批判』を意識して独自の哲学を切り開いたつもりだろうし 哲学史的な評価でもそのとおりなのだろうけれど。
カント以降の哲学は悲劇的な性格を持っている、 と言われる。ショーペンハウエル、マルクス、ニーチェ、フロイト等。 なんでだろ?
40 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 02:56:31
現実と肉薄しようとすれば、純粋な哲学的というか、牧歌的ではいられないんじゃないの。
>>39 資本主義による人間疎外だね。
ある意味ではカントの後は皆、疎外論ともいえる。
素朴な質問なのですが… 精神現象学、読みこなせたら、そりゃすごいと思います。 ですが、例えばリチャード・ローティー氏は、哲学書は文学の一つのジャンルとして読むべし、みたいなことをいっていたと思います。 あの難解な文章、僕の頭で読むのは相当苦労します。 何らかの「信仰」が持てない限り無理そうです。 もしくは動機として理解できそうなのは、権力というか、要は「職」の獲得。 趣味で読んでみたいと考える僕としては、入門書を一通り読んで、その後専門の方にけちょんけちょんにしてもらえば、おてがるで理想。 しかし、です。入門書を読むと、なんとなーくわかった気分になる。つまり、それいじょうあまり進ませる気分になれない。 「精神現象学」の翻訳や原書へと進もうとする皆さんの動悸って? なんだか知性による奴隷イッキな気がして。 そうでないって人のお話聞きたい。 そういう人って、読解力が高くて興味を持続できるのかなあ?
42のものですが、そういえばローティー氏はワークホリックなところがあるそうです。 哲学を文学的に愛するって、そういう性格がないと無理?
44 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 05:41:53
あなたは周囲のことに気にしすぎでは? 読みたいなら読めばいいし、読みたくないなら読まなければいい。 哲学に限らずなんだってそうだと思うけど。
45 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 09:29:35
そんな難解な書物でも無いと思うがな。<精神現象学 簡単に言うと、挫折や失敗を繰り返して経験をつみ、精神が成熟して、宇宙の理から何まで 自覚を得て、かつて矛盾していた世界と自我の関係は、世界=自我となる。 一切をアウフヘーベンした精神の成長の究極形として絶対知と言う境地を置いた訳だ。
46 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 09:34:19
カント哲学は、個々の自我を絶対化した、相対主義の哲学だろう。 一方で、カント以後の思想家であるヘーゲルはこの絶対と絶対が対立すると言う状況に置かれたわけで 絶対と絶対の対立の矛盾を止揚し、絶対知に至るというアイディアを考えたわけだ。 個人の意識に対する、集合意識(民族精神)の優位があるし、大人になると言うことは、国家精神だの、絶対精神(神)に反駁されていく過程を意味しているわけだ。
>>45 そんな感じでよいのかな?
どうも自分は生真面目すぎてゆうずうがきかず、細かい所が気になってしかたない。ちっともわかった気分になれないし。なんだかアホなんですよ。研究姿勢ならそれでよいのかもしれませんが、だんだんと命を削ってるかんじがしてきちゃう。精神現象学楽しく読みたいよう。
>>47 精神現象学は、歴史的な古典なんだから、早分かりで
済まそうと思うのが間違い。
最初は苦しみながら、こつこつ精読してれば、
そのうち自分なりの読み方が掴めてくるよ。
持続するしかないよ。王道はない。
>>49 48さんの意見を受け入れたい、とは思うのですが、45さん的発言も、何事か真理を体表しているようで。
今「わかりやすさの罠」・ちくま新書・忠正昌樹を発見し、きになって目を通してます。
うーん…
50 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 17:34:50
ていうか、俺は精神現象学の世界をまさに生きているのだが・・・。 いわば、禅みたいなもので、おのおのが個人の人生の中で実践していくものじゃないの? ヘーゲルの論旨をたどっていくと世界そのものが精神の現象なわけでしょ? 『精神現象学』と言う書物自体は単なるお経じゃん。 お経そのものをいくら分析しても、絵に描いた饅頭を眺めているようなもので、びた一文たりとも、精神の成長は得られないわけで。 たとえばだよ、お前ら就職してみろよ、結婚してみろよ、と言うことだよ。 こういう人生のハードルを越えることで、世界観と言うのはいくらでも変化していくだろ。 言ってみれば、脱ひきこもりの哲学みたいなもんだよな。 挫折や蹉跌と言う人生の否定的な側面に積極的に価値を見出し、それを契機に成長していく、そういった物語を提示しているわけ。 そしてその究極の理想が絶対知。
51 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 17:57:45
一生懸命仕事したり恋愛したりして日々の日常を垂直的に生きると言うのに近いな。 ヘーゲル的な世界では、失恋するために恋愛し、破産するために仕事するようなもので どんどん、自己を突き出し、さらけ出していくことで、真の己がつかめると言うもの。 「俺は貴女が好きだ」と今、俺が恋愛している相手に、告白することを想像したら、もう無条件にパトスが燃え上がってきた。 そうだろ?うおおおおおおお!!!!! とまぁこんな感じだ。
52 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 17:59:08
カントが引きこもりの哲学だとすると、ヘーゲルは真逆ね。 脱自己。己を大事にしないことで強靭な己を作り上げていく。
53 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 18:02:03
なんだろう、この!!これは!! 失恋とは己の死を意味しているはずなのだが、自分が死ぬかもしれない、今の自分が否定破壊されるかもしれない と言う状況に己を置くことがものすごい歓喜をもたらすと言う側面が人間の精神にはあるんだよな。 何なんだそれは。と言うのが精神現象学の根本テーマかもしれない。
54 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 18:08:22
生の哲学と言うならば、ヘーゲルの死の哲学こそ、真の意味での生の哲学だよ。
55 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 18:27:57
オレは性の哲学を実践したい。 ほんたふは酒池肉林の哲学がより好ましいんだが。
56 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 18:32:04
バタイユでも読んどれ
57 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 18:42:23
やはりさ、バタイユだのニーチェ(フロイド)だのよりヘーゲルだよな。 フロイドのエロス理論もなるほどそのとおりだが、エロスだけの問題じゃないもんな。 対象が精神の現象だとすると、恋愛と言うのは否定の運動を通して自己を取り戻そうと言う試みなんだよな。
58 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 18:53:42
「ヘーゲル主義者」ならば、まず己自身に挑戦してみろって話だよ。 己を徹底的に苛め抜き、辱める。「ドM」の境地に徹しらなくてはならない。 己の人生を棚において、他人の批評を始めるような主体放棄の哲学とは一線を画するよ。 言わば、ヘーゲル哲学こそ、真の実存主義哲学なんだよ。
59 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 19:22:41
↑くだらない通俗解釈だ。そんな人生哲学でいいならヘーゲルなんてわざわざ読むまでもない。
61 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 21:43:59
自己否定して世界に触れ自己に返ってくる。 人生とはこの繰り返しで徐々に己が世界に馴染んで来て、世界と己が区別できない状態になる。 これが「絶対の他在に自己を認識する境地」なるものですよ。 二事情の経験でも理解可能な話で、車の運転なんかしても、はじめはヨソヨソしい関係だった自己と物が 車をぶつけたりなんだりしながら、経験をつんでいくと、見事に和解して、いつのまにか己自身となってるだろ。 世界と自我の関係も同じ。
62 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 21:45:01
二事情の<日常の
そんなに実践実践騒ぐんだったらフィヒテでも読んだほうがええんと違うの?
64 :
考える名無しさん :2006/11/22(水) 23:39:47
試行錯誤とか紆余曲折とかの哲学だろうけど、行ったきりとかもあるのだし 類的な話とすれば「おとぎばなし」。
65 :
考える名無しさん :2006/11/23(木) 10:36:50
この人の哲学のものすごいところは、「宇宙も試行錯誤している」というものなのだ。 宇宙の試行錯誤の末に、生命が誕生し、人類が誕生し、文明が進化している。
歴史的現実は神的絶対者の思惟である・・・。
ヘーゲルって前向きなんだね
よくしらんが、力への意思なんて言ってる人よりはるかに前向きじゃね?
69 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 20:45:30
ハイデガーは「ドイツ教養層はドイツ観念論(要するにヘーゲル哲学)の高みに呼吸できなくなり より安直で、大衆的なショーペンハウアーの哲学に逃避してしまった。 ニーチェが生前、真剣にヘーゲルに取り組む機会が無かったのは残念である。」と言うようなことを言ってるね。
70 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 22:33:28
ショーペンハウアーが大衆的っていうのはわかる。
ヘーゲルを発展昇華させて前向きに実践しようとして失敗してしまったのが マルクスなんじゃないの。
72 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 23:02:18
「頂上に至る道は曲がりくねっている。」 つまり、Long and wonding road である。
73 :
考える名無しさん :2006/12/03(日) 21:14:47
ドゥルーズからしてみたら、ニーチェこそヘーゲルへの最大の刃となりえたのだという。
74 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 10:02:54
確かに、自己が物事を支配するためには(仕事が出来るようになる)自己が変質しなくてはならない。 無職と言う自然状態から、例えば、「医者」とか「料理人」とか職業人になる為には、 例えば、様々な臓器をつなぎ合わせて人体を再生したり、様々な食材を組み合わせて美味しい料理を創造すると言う魔術的な能力を所有するためには 自己は変質しなくてはならない。これはものすごい自己否定の道であることは確かである。
75 :
考える名無しさん :2006/12/08(金) 10:15:59
ヘーゲルの前にアリストテレスを勉強したいのだが、まぁ、贅沢なことは言ってられない。 目的因と言うのは事物に内在しているものだったのだろうか。 だとすれば、例えば「アリストテレス」と言う存在は、彼の意識にかかわらず、無意識的な目的があって、その目的実現のために彼の人生はあるといってよい。 アリストテレスが例えば芸術家になろうとしても彼が哲学者として計画、設計された存在ならば、彼は強引に哲学者にならざるを得ないわけだ。 この辺はユングの無意識の考え方を参考にして考えているわけで、ユングの思想をアリストテレスに投影しているだけかもしれないが 或いはユングがアリストテレスやヘーゲル哲学の影響を受け継いで彼の理論を構築したのかもしれないが 哲学史を専門に勉強したわけではないので、それはわからない。 さておき、生命科学の分野でも「遺伝子」というものが発見されて、存在者の根底にそれを存在せしめる前提となる本質のようなものが存在することが明らかとなった。 この遺伝情報に従って、人体が生成され、足の長さだとか、筋肉のつき方だとか、恐らくは性格や才能と言う部分まで決定されていると考えられる。 ユングの理論では神経症とは、無意識や遺伝子が自己疎外を回復しようとする運動と解釈される。
76 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 15:10:27
すみません。 ヘーゲルの全体的真理観について説明してもらいたいのですが、 どなたか説明してもらえませんか?
77 :
考える名無しさん :2007/01/06(土) 20:04:09
>>76 ヘーゲル以前の知のありかたというのは、何かの「真理」がうち立てられてもすぐまた別の「真理」によって
それが覆され、さらにまたそれが別の「真理」によって覆され…というような真理の応酬だった。
単純に言うと、「動かしがたい真理がただ一つだけある」という真理観が根底にあったわけだ。
それに対して、ヘーゲルは何か動かしがたい一つの真理がある、とは考えない。ある知のあり方が別の知のあり方によって刷新される、
そのような知の流動の全体こそが「真理」だと考えた。で、それを駆動する運動が弁証法。弁証法では知がただ否定されて捨てられるんじゃなく、
新たに現れた知はそれ以前の全体を含む。だから、「精神現象学」が「絶対知」に到達するとしても、
そこにはそれ以前の知の運動全体が凝縮されていることになるわけだ。
78 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 14:40:39
屁ー出る。
絶対精神って忘れることを知らないのかしら
80 :
考える名無しさん :2007/01/14(日) 20:17:20
此処で使つてる樫山欽四郎訳は本当は他の人物が翻訳したつて知つてる?
81 :
考へる名無しさん :2007/01/14(日) 22:39:56
>>80 知りませんでした。
本當の譯者は平凡社ライブラリイから發刊されるにあたり元譯の補訂にあたつた
渡邊二郎氏(弟子?)なのですか?
私は河出書房新社の元譯しか持つておらず、平凡社版の補訂については店頭で
讀んだ時の記憶にョるしかないのですが、「かなり大膽な元譯の書き換へをした」
やうな旨の渡邊氏の序文があつたと記憶しております。
これは、本當の譯者だからこそ成し得た改訂なのでせうか。
それとも、樫山氏でも渡邊氏でもない、「第三の男」がゐたのですか?
82 :
考える名無しさん :2007/01/15(月) 00:31:51
渡辺は東大だから樫山の弟子ではない。 樫山より遥かに遥かに有能で著名な人物! 早稲田の関係者なら皆知つてるらしい!
83 :
考える名無しさん :2007/01/15(月) 09:19:23
どうも80=81ってとこだな。 稚拙なお芝居だよね。
なぜか文語体で書いてて、自作自演がバレバレ。 釣りとしか思えないんだが。
85 :
81 :2007/01/15(月) 22:47:11
>>83-84 私は
>>80 さんではありません。別人です。
>>80 さんが中途半端な歴史的表記をしていた(「本当」「訳」などの新字体)
ので、イタズラ心を起こして、徹底的な旧漢字・旧仮名使いでレスしただけ
です。
私が
>>80 を書いたなら、レス冒頭の「此処」は、「此處」と書いていたでしょう。
>>82 それでは誰が訳したのですか? 私は早稲田に合格できるほど頭がよくなか
ったので、わかりません。
文語ぐらいは戦前の状態に戻すべきだよな。
87 :
考える名無しさん :2007/01/17(水) 01:45:01
80は文語体でも旧仮名でもないよ! 81も旧仮名なら『記憶してをります』と書かなくては!
昔読んだけれど、今全く頭に残っていない。 自分の血肉にならなかったということか。 そもそも哲学書は多く読んだが、血肉になったのはニーチェくらい。 深く理解するには至らなかった。 僕の場合、むしろ文学の方が魂に影響するようだ。 ところで、みなさんはドイツ語で読んだりするのですか? 僕はドイツ語はなんとか出来ますが、訳しか読んだことありません。
ヘーゲルを読んでると感情が高ぶって赤面しちゃいます><
性善説の哲学的証明 ユダは救われる
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』 を紹介します。
浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。2006.12.24
副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401 この日本の土人の知識人階級の人間たちには、この「ネイティヴズム 対 ビヘイビアリズム」という、
ヨーロッパ近代思想の土台 ( 基礎、岩盤、インフラ、基本枠組み)が分かっていない。この基本の
土台のところの、思想用語は、今、日本全国で、合計500人も理解していない。この国は、その程度
の土人の国なのです。そのくせに、高度情報社会で、高度技術大国だとまだ、勝手に信じ込んでいる。
もうすぐ同じ東アジア土人国である、中国にも、韓国にも追い抜かれるだろう。
日本の全国の大学知識人のうちの、社会学・政治学・政治思想あるいは「哲学」などの 専攻 の大学
教授たちであっても、この Nativism (ネイティブズム、人間の知能の生来決定主義)と、Behaviorism
(ビヘイビアリズム、人間は学習で知能が増す主義 ジョン・ロック主義) の巨大な対立軸のことを
知らない。かすかにも知らない。本当だよ。彼らと話してみるとよい。だから副島隆彦の本を自ら進んで
読んで、粗(あら)っぽくでも、西欧の近代学問の枠組みを知った君たちは、日本の国内水準は、軽く
抜いたのだ。
(中略)
私の書いた主著の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社プラスアルファ文庫刊、
2000年)をしっかり読んで震えるような感動を味わった者たちだけが、共有できる、日本における
世界政治思想理解の、素朴な基本段階の、初歩ではあるか、荒削りの世界水準に、何とか到達している
段階だ。
この思想勉強の作業が出来ていない者が、いくら、この学問道場に近寄ってきても、どうせ、土人
(原住民とも言う)だから、何も分からない。 分からないものは、分からない。分かったふりさえ
も出来はしない。私に、堂々と対論を申し込む人間もいない。臆病者どもの、卑屈な人間たちだ。
92 :
池田大作 :2007/01/19(金) 23:31:21
>>91 私は君の言い分を全面的に否定する。全く認めんぞ。
馬鹿なことをぬかすのは、私の「人間革命」を全巻読破してからにしろ。
93 :
考える名無しさん :2007/01/20(土) 16:11:24
「生命の機械論と有機体論について、対比的に論じる」という論述の問題が あるんですが、どなたか模範的な解答を作ってみてくれませんか? この問題の条件として、「それぞれ代表的な哲学者の学説を踏まえること」 とあるんです。 例えば、機械論→デカルト、有機体論→シェリング、ヘーゲルの学説を踏まえて 論述するんですが…
歴哲講義で「厳しい現実に耐えられないような理想は所詮主観の理想だ」 とか「真の善は自己実現の力を持っている」って言ってるけど ヘーゲルは理想と現実についてどう考えてるの? 現実を肯定してるの?
>>94 ヘーゲルという学者はなかなか老獪な男だ。
著書『法哲学』の序文では「理性的なものは現実的であり、現実的なもの
は理性的である。」などと、現実のプロイセン政府当局に媚を売っている。
その一方で、自著『エンチクロペディー』をテキストにしてベルリン大学で
哲学の講義をした際、テキスト142節(「小論理学」の「本質論」の「現実性」
のくだり)への口頭説明(補遺)で、
「…理性的でないものは、まさにそのためにまた現実的なものと見ては
ならないものである。」
などと、教壇から危険思想(?)を振りかざす発言をしていた。
あまり理性的でなかった(??)当時のプロイセン国王フリードリッヒ・ヴィル
ヘルム4世などは大のヘーゲル嫌いだったそうだ。
どちらかといったら、『法哲学』序文よりも「小論理学」講義の方がヘーゲル
の本音じゃないかな。
96 :
考える名無しさん :2007/03/05(月) 02:28:59
ヘーゲルの哲学は相場を読むのに使えますか?
97 :
94 :2007/03/05(月) 02:37:33
>>95 何か上手い文が書けんで放置になってたが、そのレス読んだ時
なんか嬉しかったw遅くなったが良レスありがとな。
株で損こいて、押入れからヘーゲル全集引っ張り出しては現実逃避してる俺 どうせろくに理解も出来ないくせに orz
99 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 13:04:37
ヘーゲルの弁証法で一番分かりやすい本って何ですか?
100 :
考える名無しさん :2007/03/17(土) 22:35:29
>>99 ヘーゲル自身の著作や、ヘーゲル弁証法の解説書ないしモノグラフィーではないが、
故・廣松渉の『弁証法の論理』は、全文章の10〜15%くらいがヘーゲルの弁証法の
祖述、解説、討究に充てられていて、その内容はヘーゲルの難解な叙述の奥にある秘
密を垣間見せてくれるような、キラリと光る何かを含んでいる。
ヘーゲルの弁証法を真正面から専門的に論究した研究書ではないので、期待はずれ
のレスかもしれないが、ヘーゲル哲学を研究したいのなら、持っていて損はない本だと
思う。
アマゾンで「広松渉 弁証法の論理」で検索すると、3件ヒットするが、そのうち2つ(1
つは古本)がこの本。
ヘーゲル弁証法の真髄は精神現象学の「主人と奴隷」に現れているよ。
102 :
考える名無しさん :2007/03/18(日) 03:41:19
>>100-101 thx
弁証法の論理展開に、すごくおもしろみを感じてね。
そんなに専門的な本でなくてもいいんだけど、探して読んでみる。
ところで、「弁証法」ってやはり「ヘーゲル」?
ヘーゲル以外にも提唱した哲学者っていなかったっけ?
道徳とか宗教をベースに論じてる部分にかなり違和感を感じるんだけど・・・ 自分たちの手で宗教を作ったという意識のあるヨーロッパのプロテスタントの 人たち特有の考えだと思うんだよね。あるいは革命で自由を勝ち取ったフランスとか。 もちろん精神現象学の道徳とか宗教が現実のそれについてだけ説明してるものでは ないのはよく分かってるけど。 同じ日本人としておまいらはどう思いますか?
>>103 ヘーゲルのSittlichkeitの概念は、プロテスタント的というよりも、むしろ
「中世的」といった方が当たっていると思う。
「人間は信仰共同体というカラダ全体の部分部分をなしている」「はじめ
に個々人が在って彼らが集まって組織を作る、というよりも、まず共同社
会が在ってその構成員として個々人が在る」「蓮の花は池のあちこちで咲
いているが、地下では根茎でつながっているように、人々もまた根の深い
ところで互いにつながっている」といった近代アトミズムに反する思考様式
は、イングランドなどと異なり、ドイツの田舎ビュルテンベルクでは、まだま
だ健在だったと思われる。
この信仰共同体(Gemeinde、教区)、共同社会(Gemeinschaft)が、ヘー
ゲルの道徳論、宗教論の原型であり、ひいては彼の人間観の原型になっ
ていると思う。その意味で、彼の哲学は道徳、宗教とは切っても切れない
性格のものだ。
同じルター派でも、カントが「わが内なる道徳律」に依拠して道徳哲学を
展開した(その限りでは近代的だった)のに対し、ヘーゲルの人倫哲学は
一種の全体主義であり、近代以前的に見える。
一方、日本では、260年続いた江戸幕府が宗教を完全に世俗の統治機
構の一部に組み入れて(寺請制度)押さえ込むことに成功し、また欧米とは
違った形で一種の近代化を成し遂げていた(日本橋兜町で飛び交う「寄り
付き」「始値」「終値」「ザラ場」といったマーケット用語は全て江戸時代から
引き継いでいる)から、現代の日本人がヘーゲル哲学の宗教観、道徳観に
接すると、かなりの違和感を感じるのは、まずは当然だと思う。
あと、ヘーゲルはチュービンゲン神学校卒で牧師補の資格を持っていた
(実際に説教壇に立ったことはないが)点は割り引いて考える必要があるだ
ろう。
105 :
考える名無しさん :2007/04/09(月) 08:29:22
>>95 その二つの言葉って別に矛盾してなくない?
106 :
初心者 :2007/04/14(土) 03:00:50
即自と対自ってどういう意味なのですか? おしえてください。
107 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 05:45:35
「対自」ていうのは己を対象化すること。客観化と思えばいい。理性が関与してきます。 「即自」は己を対象化しない、そのまま、ということで。
108 :
初心者 :2007/04/14(土) 07:10:36
人間の精神の展開過程についての大まかなイメージは、 「即自」から「対自」へ「外化(Entfremdung)」する。 そして、その対象化された己をまた我が物にする。 この過程が普段に行われて発展していく。 というような感じでいいのでしょうか?
109 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 07:32:57
>>108 > 人間の精神の展開過程についての大まかなイメージは、
> 「即自」から「対自」へ「外化(Entfremdung)」する。
> そして、その対象化された己をまた我が物にする。
> この過程が普段に行われて発展していく。
> というような感じでいいのでしょうか?
「対象化された己をまた我がものにする」というより、対象化における「対象化される己―対象化する己」の関係を再度対象化する。吟味する、以下その繰り返し。
その螺旋的上昇がそのまま精神の自己認識、自己実現である。
意識、悟性、理性、精神、宗教、絶対知へ変遷する過程がそれである、といえるんじゃないですかね。
110 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 08:32:58
外化と疎外って基本的には 同じことでしょ?
111 :
初心者 :2007/04/14(土) 08:45:30
>対象化における「対象化される己―対象化する己」の >関係を再度対象化する。吟味する。 この言い方はわかりやすい! すっきりしました! この関係を再度対象化するということも、主体ー客体の関係を客観化する 精神の動きととらえていいんでしょうか。
112 :
初心者 :2007/04/14(土) 08:55:31
>>110 ヘーゲルの「Entfremdung(外化)」という用語をマルクスが
皮肉を込めて拝借しているから、
マルクスの場合の日本語訳を「「Entfremdung(疎外)」と
しているんじゃないかな?
皮肉というのは、ヘーゲルの観念論的部分に対する皮肉。
労働者の悲惨な状況が絶対精神の展開の結果ですか、みたいな。
113 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 09:37:41
外化(外在化):可能的であり潜在的(つまり即自的)である存在が 現実的且つ顕在的(つまり対自的)になること。 疎外:自己の本質の外化がその喪失として現象すること。 畢竟、それは労働(対象的な生産活動)の疎外に根拠 を持っている。 おまけ、 物象化:人と人との関係が物と物との関係として現象することを 言い、近代特有の疎外の一種であり、資本主義社会の 全体に及んでいる。(例:貨幣物神、俗物性、官僚主義 システム主義、業績主義) 以上今は亡きOFW氏語録より。
114 :
106 :2007/04/14(土) 09:50:44
115 :
考える名無しさん :2007/04/14(土) 10:22:36
おお、お懐かしきOFW氏。 そういえばOFW氏ってヘーゲリアンだったね。
116 :
考える名無しさん :2007/04/15(日) 09:42:19
ありゃ、OFWってこの鉄板で有名だったマルキストだろ? ヘーゲリアンでもあるの?
117 :
考える名無しさん :2007/04/15(日) 10:09:20
>>113 いや、だからさ、
外化と疎外って二つの意味で二つの日本語訳が使われてるけど、なんで元々のドイツ語は同じなの?
って話では?
それはドイツ語の同じ単語が別の意味で使われたから。以上。
119 :
考える名無しさん :2007/04/15(日) 11:57:20
>>116 へーゲリアンでないマルキストっているのか?
(もちろん、ここでいう「へーゲリアン」とは、
ちゃんと逆立ちさせたヘーゲルのことです。)
おっと、「マルキスト」って「マルクス"主義者"」のことだろうから、
へーゲリアンでないやつも実存主意者もいっぱいるだろうなw
120 :
考える名無しさん :2007/04/16(月) 18:36:20
逆立ち、うん? 倒立と同じ謂い?
121 :
考える名無しさん :2007/04/16(月) 20:59:38
逆立ちしていたのはヘーゲルでなく、マルクスだろw
122 :
考える名無しさん :2007/04/16(月) 22:00:39
ヘーゲルを逆立ちさせたのがマルクス
123 :
考える名無しさん :2007/04/16(月) 22:21:00
自称マルクス主義者には観念論者がいっぱいます。
124 :
考える名無しさん :2007/04/17(火) 09:03:10
なんだかサーカスの芸人みたいじゃん。
ヘーゲルの真理とは、主体との対応関係無しには存在しない。 だからこそ、精神の現象学なのである。 ややこしいのはだから、精神の発展がその観測者とともに発展していく という点だ。 関係性、がキーワードになる。
金子武蔵先生って鈴木商店創業者の子供なのね。知らなかったわ。
間違えた、創業者ではないね。スマソ
昔から気になっているんだけど。 弁証法って過大評価されているんじゃないかな。 優れた思考の技術なんて言われる程のものとは思えないのですが。 どうなんでしょうか?
129 :
考える名無しさん :2007/05/26(土) 12:34:30 O
弁証法は世界の原理なのです。
樫山訳の評判はどうなんだろ? 文庫なのは魅力だよな
131 :
考える名無しさん :2007/05/26(土) 12:59:12 0
>>128 同意。オレもそう思ってた。
イソップの寓話のようなものと。
多分オレが間違っているのだろう。
誰か「オレが間違っていた」と実感できるような説明をしてくれ。
133 :
考える名無しさん :2007/05/26(土) 16:12:46 0
134 :
考える名無しさん :2007/05/26(土) 16:34:53 O
横レス スラヴォイ・ジジェク 「否定的なもののもとへの滞留(ちくま学芸文庫)」 はヘーゲル論としても秀逸
thanks. ここは、いい人がいて良スレだね。
「イデオロギーの崇高な対象」が文庫化されて 安くなればお勧めできるんだけど……というか、 品切れ状態なんですけどw
137 :
考える名無しさん :2007/06/12(火) 07:20:20 0
近代のディアレクティクって、 ものごとを対立関係でしか考えられないドイツのバカが発案したんじゃないの? そんなもんに、いつまでお付き合いしてるんですかね。
138 :
考える名無しさん :2007/06/12(火) 08:28:58 0
「対立関係でしか考えられない」などとのたまうお前がバカなわけだが。
139 :
考える名無しさん :2007/06/12(火) 08:31:26 0
ヘーゲルは天才だと思う人いる?
140 :
考える名無しさん :2007/06/12(火) 13:15:44 0
子供の「論理」。
>>139 過大評価されただけの人でしょう。
マルクスのおかげで。
142 :
考える名無しさん :2007/06/12(火) 15:26:26 0
>>141 そうなんですか。それが通説なんですか?
ヘーゲルは同時代ないしそれ以前の近代哲学者と違って、近代的個 人から出発せず、全体(=実体=主体=絶対知=der Gott)から哲学 的思索を出発させている、異端の近代哲学者。 「精神現象学」を読むと、「感覚的確信」から叙述を始めていて、近代 アトミズム的思考からしか出発できない同時代の読者に妥協した書き 方をしている。 しかし、精神現象学以後の「大論理学」「エンチクロペディー」はもとよ り、精神現象学以前の断片的著作・草稿を見ても、彼自身は実際には 全体=実体を思弁の端緒としていることは明らかだ。 バルト海を渡ってきたヒュームの著書に独断の夢を醒まされたコスモ ポリタンのケーニヒスベルク人と違って、近代以前的なドイツ奥地の血と 大地からニョッキリ生えてきたシュワーベン人の神学生には、「始めにロ ゴスありき。ロゴスは神と共にありき。ロゴスは神なりき。」あたりがせい ぜい可能な出発点だろう。 そういうヘーゲルを評価するにしても断罪するにしても、カントなどと同 じ「近代」という土俵に乗せて比較・批評するのは無理だ。 スピノザの後継者たり得ているか、神学を同時代において生かすことに 成功しているかどうか、という近代以前的な尺度で評価するか、あるいは 「怪我の功名」で近代の超克に成功しているかどうか、ポスト近代的思考 の出発点たり得ているか、という近代以後的な尺度で評価するしかない。 さもないと、スピノザを一方的に断罪・破門したユダヤ教僧侶たちのよう な愚を犯すことになる。
それにしても、何故 ヘーゲルは現代哲学の祖 なんて言われるようになったんですかね? それほどとは思えんが。
147 :
考える名無しさん :2007/06/13(水) 07:41:43 0
ヘーゲルか。 2chなら脳内妄想乙、長文イラネで片付けられそうだな。
148 :
考える名無しさん :2007/06/14(木) 08:39:58 0
短文もイラネ。
149 :
考える名無しさん :2007/06/15(金) 09:49:17 0
>>146 現代哲学がでたらめ、ということなんでは。
>>146 ごく単純に政治的な力があるってことでしょうな。
>>146 オレの会社では運だけだな。
だからヘーゲルもそうだと思うが。
芸能界にも運だけってのがいるよな。 ヘーゲルもそうだよな。
■ 現代思想 2007年7月臨時増刊号 総特集=ヘーゲル (2007年7月12日 発売)
ttp://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2007/07/post_5270.html 一方、より深い意識においては、バラを見ているというとき、そのバラと、それを見ている「自分」が、
ともに、より深い意識の中に含みこまれている、という事態が成立するということがある。
それは「ものと一つになる」ということにおいて、意識の次元を深めたということである。
いわばこれは「拡大した意識」である。そうした意識の拡大をつきつめていけば、
論理的には、宇宙全体が自己意識と同一になる、つまり宇宙自己の自覚という事態に至るわけである。
実は、ヘーゲルの哲学はそこを見ている。それが、ヘーゲル哲学は、ベーメの哲学化なんだよと
言われるゆえんである
155 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 23:42:18 0
バラ対自分か。 人間対人間よりは、マシなのかな。 だけどものごとを対立関係でしか考えられない愚か者の妄想、 ということには変わりないな。 バラを何に置き換えようが、すべて同じ。
156 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 23:44:58 0
「より深い意識」か。 結局「自分」から逃れられない。
>>153 昨日、本屋に並んでいたので即ゲット。
近年の『現代思想』には珍しい程
硬派で充実した内容に大満足。
これは買いだ。
>>153 ヘーゲル特集というより「精神現象学」特集な。
[569] 以下の一連の投稿文に、私の考えを書きます。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/05/31(Thu) 05:30:06 大事なことは、日々、読書して、そして、それが楽しくて、発見があって、「ああ、そうだったのか」 「なるほどなあ」と、驚く喜びに満ちていることです。それ以外の学問は邪道だ。自分たちだけ 偉いお坊様だと気取って、哀れなことに信じ込んだ、天台密教のクソ坊主たち、新カント学を 名乗って、アホダラ経の、自分たちにも意味不明のことを書き続けた、東大のクソ学者たちの やったことだ。 私たちは、あの悲惨な轍(てつ)は、絶対に踏まない。
160 :
考える名無しさん :2007/08/19(日) 21:02:55 0
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。 このことは、肝に銘じておいたほうがよい。 日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の 悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。 この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、 ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)を使いたがる。 読んでいる方はいやになる。こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。 どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。 やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。 副島隆彦「属国日本論を超えて」 (副島隆彦「今日のぼやき」2001.5.21より抜粋) 私の頭の中は、今でもこのように、雑然とした理解で成り立っている。生活実感で理解できないと「理解」と いうのはそもそも成り立たない。私はもの書き言論人としては、素人さん(一般大衆)レベルでの実感での理解、 というのをものすごく重視する。わけの分らないことを書く人や、その文章を毛嫌いする。 このことは、私は、「オッカムの刃」 Occam’s razor と言う考えを自分の思考原理に置いているからだ。 全ての事柄(事象)を徹底的に明晰にしようとする 思考方法であるオッカムの刃 については、そのうち書く。 この日本語という限界言語によってでも、私は、明確なものをぎりぎりまで追究して、死んで行こうと思っている。 (抜粋おわり)
161 :
考える名無しさん :2007/08/19(日) 21:03:49 0
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考
デキる内臓思考』を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、
現実の生活にも大いに役立つ思考法です。2006.12.24 副島隆彦が文末に
加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401 私(たち)が、最近の到達した考えは、突き詰めると、すべての思考(思想、思惟=しい)は、
「(自分が実感を伴って、そのことを)分かるか、分からないか」 あるいは、「(自分の脳が、
そのことを)信じるのか、 信じないのか 」である。
分かった振りは一切無しだ。どれだけでも、コトバと思考量を投入して、「分かる、分からない」
「信じる、信じない」問題を私たちは追究しなければならない。
162 :
ヘーゲルの未来 :2007/08/24(金) 20:44:34 0
163 :
考える名無しさん :2007/08/24(金) 21:36:08 0
>162 左から テーゼとアンチテーゼ、その反照的関係と媒介、 右へ行って ジンテーゼ・概念の生成と沈殿 下からまwって 結果がフィードバックされ新たな弁証法的生成のサイクルへ と見えないこともない。
>>162 r'゚'=、
/ ̄`''''"'x、
,-=''"`i, ,x'''''''v'" ̄`x,__,,,_
__,,/ i! i, ̄\ ` 、
__x-='" | /ヽ /・l, l, \ ヽ
/( 1 i・ ノ く、ノ | i i,
| i, {, ニ , .| | i,
.l, i, } 人 ノヽ | { {
}, '、 T`'''i, `ー" \__,/ .} |
.} , .,'、 }, `ー--ー'''" / } i,
| ,i_,iJ `x, _,,.x=" .| ,}
`" `ー'" iiJi_,ノ
これ思い出した
165 :
デカルト :2007/09/04(火) 20:39:46 0
166 :
デカルト :2007/09/04(火) 20:41:32 0
167 :
デカルト :2007/09/04(火) 20:47:03 0
168 :
ルツィンデ :2007/09/18(火) 14:43:11 0
ヘーゲル現象学の理念 2002創文社 細川 亮一 へーゲル『精神現象学』(1807)の種明かしは哲学史との並行関係にあったという画期的論考。ヘーゲル研究の近代思想への傾斜を糾弾していて秀逸。以下著者の指摘する哲学史との関係を箇条書きする。 意識 感覚=パルメニデスからヘラクレイトス 知覚=レウキッポス 悟性=プラトン「ソピステス」 自己意識 生命=アリストテレス「霊魂論」 主奴=アリストテレス「政治学」 不幸な意識=新プラトン派 記述法に癖があるが、おおむね納得できるし、近代主義に傾いた研究状況下では画期的だ。 ただし、カントもまたアリストテレスをカテゴリー論などで参照していたのだから、カントとの比較が無効になるわけではないと思う。
(。ω゚ )むっほっほ!!
哲学史講義=松本零士=大川隆法=井筒裕太君=ヘーゲル=精神現象学=超精神世界解説小説発表書籍
171 :
考える名無しさん :2007/11/18(日) 16:56:25 0
クーノ・フィッシャーって読む価値はあるですかね? 「精神現象学」はしなぎれですけど。
172 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 10:39:31 0
ヘーゲルの『精神現象学』、序論と緒論、 なんとか頑張って読んでみたんですが、 難解すぎて、ほとんど理解できません。 つまり、彼はこの本を通して、何を目指しているのでしょうか? 何となくの印象ですが、言葉の屁理屈にしか見えないんですが、 しかし彼の影響力を考えると、そうではないんでしょうね・・・・・・。 序論と緒論で彼が言わんとしていることを、どなたか解説してくださいませんか。
173 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 10:45:18 0
174 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 11:46:33 0
長谷川宏の訳はわかりやすいと聞いたことがある。 その長谷川によると、ヘーゲルが37歳の時に書いたこの書には、 ヘーゲルの様々な思考が雑多に詰め込まれているらしい。 『精神現象学』とは、人類史上の精神の現われを博物学的に記述し、その一々について執拗に考察した本と言えそうだ。
175 :
権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2007/11/25(日) 14:13:35 0
哲学を生命にたとえると 私見ではヘーゲルの業績によって哲学は受精に成功したと感じられる。 哲学はその構成要素からしてゼロから創造しているかのように今は思える 受精したものそのものを大人が使おうとしたところに 後の大問題があると思う受精卵から誕生までは餓鬼のように周囲をむさぼるからである でもそれらは後世にとっては全くもって無駄ではないとも思う なぜならすぐに無くならない多くの条件(選択肢)を残したからである。 ヘーゲル哲学は今後哲学史において最初の一歩として他の哲学者の名は消えても残り続けるかもしれないと 夢想する。でも精神現象学の文章は長谷川宏氏訳でも読むのに(本当に理解しようとするのに) 時間がかかりそう。お経と捉えるのも今においては無理もないことじゃないかと 他より読みやすいけど哲学の文章って・・・。桃尻語訳哲学書が読みたい
176 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 15:59:43 0
平凡社の「精神現象学」上下買ったけど全然読めない なんとか少しでも理解して読もうとするとものすごい時間かかるし 最初は小説読むようにサラッと読もうかと思ってもなにも残らない・・・ 2冊で3000円もしたのにこれ、どうしよ・・・
つらいな。次から図書館で借りて 自分に読む能力があるか試し読みしてから買うようにするしか。
樫山訳はまず読めない。現象学は未知谷の牧野訳か、金子訳を読むといい。 金子は読書会や研究会では使われているし。。でも、いきなり独りで読むのは まず無理。オイラも研究会に足しげく通って、やっと霧が晴れる感じになった。 現象学を読んだときほど、すぐ近くに気楽に質問できるヘーゲル研究者がいれば なあと痛感したことはない。。
179 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 19:13:36 0
佐藤優氏も、堅山訳を読んでいるね。彼ぐらいの分析力でも難しい と、「獄中記」に書いてあるから、やはり難儀本だな。
樫山訳はやっぱり駄目なのか。 1500円かえしてーーーーーーーーー
181 :
考える名無しさん :2007/11/26(月) 01:14:53 0
だいたい精神現象学を一読して理解しようなんてうぬぼれるにも程がある。 いくつか邦訳を読み比べて解説本を読んで1年かける覚悟で読め。 俺なんか『論理哲学論考』を読んで、その解説本を読むのに1年かかった。
ガチな哲学書を凡人が読むんだから それ相応の覚悟は要るさ
どうしてみんな、スラスラ読めて当然と考えているのだろう。 哲学書だぞ?
184 :
考える名無しさん :2007/11/26(月) 01:50:23 0
デカルトの「方法序説」はこんなに読みにくくなかったんだけどな 難しく書く必然性もないのにわかりにくく書いてるのはなんでだ 哲学書の書き方はみんなデカルトをみならえ
17世紀の哲学を基準にされてもな。 近代哲学のフォーマットを作ったのはカントで ヘーゲルはドイツ観念論を完成させた。 しかもそれからさらに200年経ってるんだぜ。 現代の哲学が複雑になってないはずがないよ。 哲学に自分の程度に合わせろと注文つけてるやつは もう少し謙虚になったほうがいい。
ヘーゲルかじり虫以外には分からんレスですまんが・・・ 我々がそこで生きているこの生活世界が、信仰共同体としてのゲマインデたる 社会であって、それが実体=主体として個人に先在し、共時的には時代精神で あり、通時的には歴史そのものであり、それは絶対精神であって、神であり、それ を学問的に把握したものが哲学であり、哲学の叙述は絶対精神の自己展開であ る。(全然意を尽くさない表現になってしまった。 ○| ̄|_ ) という、プレ近代とポスト近代をごっちゃにしたような哲学を、初学者の各位に理 解してもらうのって、どうしたらいいんだろう?? 近代人の世界観と全く違うからなあ。なんか、絶望的だ。
187 :
考える名無しさん :2007/11/26(月) 02:51:58 0
>>186 初学者にはとにかく読めってことじゃないの
わからないことがあったらここで教えてもらえればOK
188 :
考える名無しさん :2007/11/26(月) 09:00:08 0
>>172 序論だけなら中央公論の世界の名著の『ヘーゲル 精神現象論 序論』山本信訳
は読み易いよ。
>>182 ガチな哲学書の中でも、これは特に難易度高いでしょ?
精神現象学は若い頃のヘーゲルたんの著作だから気負いっつーか、荒っぽさがある。
191 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 19:07:12 O
丁度精神現象学生誕から200年目にして、 原書に挑戦できるようになったので、 これを機会に亀のように読んでいきたいと思います。 生暖かい目で見守って戴ければ幸いでございます。 とはいいましても名無しですけどね。 どうも失礼しました。 では行ってまいります、あの迷宮に、 数多の冒険家を絶望の淵に突き落とし、そして今宵もまた哀れな男を闇へといざなう、 あの迷宮に、いざ参らん\(゜□゜)/ 真央ちゃん今助けにいくよ! 今すぐいくからね、真央ちゃん! 真央ちゃん!!
よし、行ってこい!そして帰ってくるな
てくてくと歩いてくるとヘーゲルの迷宮が闇におぼろげな姿を浮かび上がらせてきた。 「あれか」不安と期待の入り混じったこの溜め息はたちまちのうちに冷気に飲み込まれていった。 嫌な予感がする。 震撼としつつ足を一歩、また一歩と投げ出していくと、私ははっとして周囲を見渡した。 奇妙な声が聞こえたのだ。だが人影は人っ子一人見えなかった。 幻聴だったのか? 私は気を取り直して尚も歩を進めていった。 するとまた声が聞こえた。 ≪声≫なんだろうか? そんな疑問にかられながらも見回してみるのだが、 案の定、見えるのは荒涼とした大地と、いよいよその巨大さで私を圧倒するあの≪迷宮≫だけだった。 だが私は高まる鼓動に耳を澄まし、果敢にも歩みを速めずんずんと近寄っていった。 気がついてみると夜の静けさと身を刺すような冷気は不気味な音で満たされていた。 聞こえてくるのは無機質な音ではなかった。 有機的な音だった。 ぺちゃ、くちゃ、ぺちゃ、くちゃ…
196 :
マル同絶倫派再登場! :2007/12/22(土) 07:24:14 0
解ってると推うけど3ってOFWです。
111 名前: 3 投稿日: 2000/10/18(水) 22:53
>>104 (レスの続きです)
>弁証法の定義
私は弁証法の専門家ではありませんので、勝手な理解だと思って下さい。
弁証法とは何かを一言で言うならば、私も「事物を生成・変化・発展の相で見る認識態度」と言うのが
最も分かり易い言い方だとは思いますが、これには少し補足的な説明が必要です。
第1に、上記の「生成・変化・発展の相」とは矛盾した言い方だという事です。
相(位相、形相、観点、見方)とは一定の固定した局面を表わしますから、生成そのものに対立し、
認識者はあくまで事物の外にある事になる。それは生成に対して外的な認識という事です。
しかしそれは不可避的でしょう。およそ認識とは対象を何らかの「存在」として立て(弁証法では措定と呼びます)
なければ何も理解できないからです。しかし生成と存在は対立する以上、対象の認識はそれ自体が運動に
ならざるを得ないと言う事が上記の言明には含まれています。
第2に、上記の定義ではヘーゲルが弁証法的な契機が顕在化すると言った「反照する本質」の領域が抜けている
という点です。
ヘーゲル論理’学は第1部存在論、第2部本質論、第3部概念論という構成であり、それぞれ存在(実在)は
生成・変化し、本質は反照し、事柄としての概念は発展すると言われている。本質の領域での対象の
運動は反照(Reflection)です。
そしてその領域こそ、通常の論理学も位置している科学的世界の領域です。
本質とは対象の矛盾が現象する領域なのです。(しかし20世紀の学問は本質論を消去してしまったので、
「本質って何?」と聞かれてしまう。何とぞ、あと3ヶ月後から始まる21世紀では復活しますように…。)
197 :
マル同絶倫派再登場! :2007/12/22(土) 07:25:29 0
>>172 長谷川宏訳の精神現象学があるじゃないか。
これを読みなさい。
ヘーゲルしんのすけ。 潤ウオッカ。
200 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 08:36:49 0
>>172 最近講談社から、「完全解読ヘーゲル『精神現象学』」という本が出た。
原文を読んでないのでわからないけど、これを通読してからあとは金子訳か長谷川訳で原文と逐次格闘していけば、一応最後まで読めそうな気がする。
>>200 竹田・西は問題外だろ。
それを読むぐらいなら、普通に超訳の長谷川訳を読めばよろしい。
ヘーゲルのドイツ語原文を読めない(or読みたくない)人は、 超訳の長谷川訳をざっと通読して感触を掴んでから、 金子訳と樫村訳(と英訳)を対比しながら精読するのが、一番よい攻略法だと思う。
203 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 18:29:18 0
学部生レベルでの論文つかレポートでも 訳者の指名ってのが一般的なんだろか?
204 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 20:12:19 0
>>201 竹田・西の評判が悪いのは知っている。
ただ、これほどわかりやすい解説もないわけで、利用しない手はないだろう。
彼らの解説を鵜呑みにしないで、原文と格闘しながら批判的に学べばいい。
竹田を妬む輩の言うことを信じるな。
206 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 07:10:05 0
>>203 ああ、オレは金子さんで嫁と担当教授から指示された。
兄貴は樫山さんの訳を使ってレポートしてたはず。
院じゃ勿論原語。これはどの大学院のどの教授だろうと定番。
207 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 17:59:24 0
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、ホームレスは農耕社会になってから始まりました 天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。 A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は 農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた 遺伝子、多そうだね。 遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。 これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。 B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。 A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を 作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、 女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。 横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。 ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。 農耕民族社会はA型女も不幸になります。
>>201 否定厨って0か1でしか理解できないの?w
仮に竹田の書いてあることの50%が間違いとて、
残り50%が有用なことに変わりあるまい。
原著読んで1割しか理解できないより大幅にマシ。
エラー訂正は後でもできるからな。
209 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 19:19:05 0
長谷川訳は、逆に原文が気になって気になって、ドイツ語を直に読んだ方が 早いんでない?
木:深さゆえの高さ、地下と地上の相似 ヘーゲルは大木である。 ニーチェが帰らぬ人となった深淵にまで根をめぐらしながら生きる大木である。
>>208 哲学書は究極的に原著をこつこつ読んでいくしか理解する方法はありません。
下手な入門書・概説書でわかった気になるのが一番やばい。
212 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 02:04:19 0
絶対知というのは、全知全能ではなく絶対壊れない確信のこと。 ようやく理解できました。竹田先生ほんとうにありがとうございました
>>212 >絶対知というのは、全知全能ではなく絶対壊れない確信のこと。
あ、あのねぇ (-_-;) … …竹田本、買うのやめる。
214 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 22:04:21 0
加藤尚武ってどうなの?トンデモ?
>>211 誰も究極的なんて書いてないですよ。
大体ハイデガーでさえ師と見解の相違でたもとを分かったのだから、
ドイツ語で読んだところで「理解」してるのか全く怪しいものだ。
それこそ「作者の意」とやらは「超越」なのだから、主客を一致させて
「理解」する意味もないだろう
217 :
考える名無しさん :2008/01/16(水) 13:21:48 0
こと哲学においては訓詁学主義のバカがなんで後を絶たないのか。 教えてくれ。柄谷行人は中島義道にカントの読み方を「全くの誤読」 と言われていたし、その中島も永井均に「根本的な間違いはありません。 言い換えれば、全て根本的な間違いです」と書かれていた。 それでも二人は哲学でメシを食えている。で、その「原著をこつこつ読ん」だ人間の到達した 場所では、いったい何が見えてくるんですかね。例えば京大のiPS細胞のような、 科学みたいに便利さの小さなパラダイムを変えるとか。 何も起こってないように見えるんですが。
218 :
考える名無しさん :2008/01/16(水) 19:34:46 0
もし仮に精神現象学がまったくのデタラメだとしても、 それを見抜くことすら困難だろうね。 あんな如何わしいものには付き合ってられない。人生短いんだから。
>>216 哲学はチャート式ではない。ある種の文学なのだ。
カラマーゾフの兄弟を読まずに、カラマーゾフの兄弟の
評論を読んで、理解したことになるのかね?考えなさい
>>217 中島や柄谷は売文業者だ。アカデミズムとしての
読解行為とはその歴史的意義も違ってくる。
誠実な読解なくして、一体歴史のために何が出来る
というのか?
221 :
考える名無しさん :2008/01/16(水) 20:32:13 O
たしか吉本隆明も読むのは翻訳オンリーだよな
222 :
考える名無しさん :2008/01/16(水) 21:16:55 0
今やその翻訳でさえも容易に読めないほど経年劣化が着実に進行中。
223 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 09:46:29 0
その「アカデミズムとしての読解行為の歴史的意義」とは何か? その「誠実な読解」をすると「歴史のために」何が出来るというのか?
哲学書との向き合い方はそいつが何を求めて読むかによる、としか言いようがない…… 研究者になりたいなら主要文献扱いの研究書も読んで前後周囲の文脈に対応しなきゃならないし、 個人的に向き合いたいなら入門書でも原文でも翻訳でもいいから自分なりに読めばいい。 後者なら別に竹田でも西でもなんでもいい。 ただそういう個人的な認識を外で口にすると馬鹿にされることがある、ってのはわかれ。 竹田と西が間違えてると言いたいんじゃなくて「馬鹿にしとかなきゃいけない空気」ってのがあるんだから。 考えてみろよ、自分の師が竹田嫌いなのに擁護するようなもの書けるか? 言語ゲームの中でそれぞの立場から石投げあうのが基本なんだから、 まず自分が学問の世界で身を立てる為に読むのか、自分の実存に活かす為に読むのかを考えれ。 前者なら何読んでも心は病まない。後者は迂闊にはまると心を病む。そんだけー。
225 :
考える名無しさん :2008/01/17(木) 22:31:09 0
一般論だが、 自分の師が嫌いなものを擁護するようなものは書けないような奴に、 哲学ができるわけがない。はやくやめろ!
浅羽通明『右翼と左翼』によると、戦前の支配エリートはちゃんと大学入って 本を読んでるから「天皇は政府のロボットだ(機関説)」という事を知ってたけど、 226事件とかテロを起こした農村出の将校やそれに同情を寄せた世論は、 学がないだけに支配エリートが道具的に使ってた「現人神、国民の父」のイメージを マジで信じていて、それで機関説を無礼だということで排撃したらしい。 そういうことだから、要約でいいから知識はできるだけ広めた方がいいと思うよ。
>>225 224だが、俺も他人事でいいならそう思うw
でもハイデガーのナチズムへの迎合とか、ヘーゲルの建前としての「立憲君主制が理想」とか、
トップクラスの哲学者でもそーゆー政治的な配慮ってやってるんだよねー。
まあ今の時代は学閥とか気にしなくても本出せるから、一緒に考えちゃいけないかもな。
恩人にも等しいラッセルと哲学の部分では袂をわかったウィトゲンシュタインの例もあるし。
そういやハイデガーは師匠のフッサールのことは裏切ったなw
要するに義理人情の有無と哲学をやる為の知性は関係ねーってこった。
師匠に逆らわない性格の奴でも哲学はできるし、平気で師匠ぶった切る奴でも哲学はできる。
>>226 基礎教養=共通了解だからなー。最低限の知識は広めないと社会が成立しないわな。
228 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 00:05:38 0
ハイデガーはナチズムには迎合したが、「トップクラスの哲学者」の行動によって自分を正当化することはしなかった
日本国民全員が「精神現象学」を身に着けたら、何が起こるか? 何も起こるまい
絶対精神が実現して歴史が終わるんだお
正当化とかそんな話はしてねーよw 肯定とか否定以前に「世の中そんなもんだ」って言ってるだけ。
しかもハイデガーは「私は実存主義者ではない」とか逃げまくってたじゃねーかw
>>227 で言ってんのは「哲学的正当性とそいつの人格には短絡的な関係性はない」ってこと。
ヘーゲルは大学の講義で「君主は判子だけ押しておけばいい」と著作内容に反すること言って怒られたし、
デカルトだってガリレオが裁判にかけられたのに怯えて住処変えまくってたわけで、
哲学者に過剰な誠実性とか潔癖性求めるのは自分の人間性省みないで官僚と政治家だけを批判する大衆と同じ。
短絡的な受け取り方で哲学やると一神教的凝固状態に陥るから危ないぞー。
えー哲学とそいつの人格には大いに関係あるだろ。 そこが他の学問と違うところだろ〜? 哲学者に過剰な誠実性とか潔癖性が要求される代わりに 何の役にもたたなくても許されてるんじゃないのかw
ハイデガーのナチ協力だって、ハイデガーの哲学的正当性に影響するものとして論じられてるだろ。 これが自然科学者だったら、ナチだろうと原爆推進者だろうと 科学者本人がどんな悪行三昧してようと、科学的真理自体には影響しない。 単に科学者個人の倫理が糾弾されるだけ。
2点
>>231 でもキリスト教社会におけるキリスト教権威がまったくわかっていない竹田は
問題外だと思う。
まだ竹田って書けば結構釣れるな
西研
長谷川宏
それだけ竹田の影響力は大きいって事だよ ソーカルみたいなもんか
倫理面に対する批判と理論面に対する批判は哲学者も科学者も同じように別物。 マルクスもヘーゲルも私生児いるが、そのことでマルクスとヘーゲルの理論を批判する奴はいない。 ニュートンはライプニッツとの微積分に置ける発見権の奪い合いでかなりあくどいことしてるけど、 そのことでニュートンの微積分理論を否定する奴はいない(今使われてるのはライプニッツ式だけど)。 人格に潔癖要求するのは専門的に関わってない大衆だけ。これ常識だろ?
241 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 17:42:31 0
私生児つくりやナチ擁護は非潔癖の中でも、かなり程度が高いものであり、 私生児つくりやナチ擁護を嫌がる人に潔癖厨というレッテル(極端でアホっぽいイメージ)を貼るという方法で、 自己の偉大な思想家賞賛を正当化するというのはいかがなものか。 私生児つくりやナチ擁護を悪いと認め、性格的に問題があったことを認めた上で、それでも偉大な思想家を賞賛するという論法ならば理解できる。 おまいらの論法は、私生児つくりやナチ擁護の問題を矮小化することで批判者を叩くというものだから、 おまいら自身が私生児つくりやナチ擁護を嫌い、受け入れたくないと考えているように見える
242 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 17:45:38 0
ヘーゲルの思想に占める妄想の割合 ↑のスレ立てようとしたが立てられなかった。誰か変わりに立てないか?
>>240 >倫理面に対する批判と理論面に対する批判は哲学者も科学者も同じように別物
違うね。哲学者の場合は存在への問いも含む。
「言ってることとやってることが違うのは当たり前だし世の中そんなもん」
で済むなら、最初から哲学なんか必要ないじゃん。
理論と実践の齟齬をも再帰的に問うのが哲学。
245 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 19:26:50 0
>>242 思想の根幹部分が妄想なだけに100l近いといわざるを得ないのか
権威なしには成立しえない思想
246 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 19:28:27 0
大晦日 ヘーゲルvsレヴィ=ストロース
>>241 そのへんの細かいとこはどっちに受け取られてもいいやw
言いたいことはわかるし、そっちは否定せん。
確かに問題の矮小化は、哲学理論の正当性とは別の観点からすれば許しがたい企みだし。
そのへんは
>>224 にもあるように、関わり方の相違でしかない。
つか、
>>231 を百回読んでくれ。「正当化」じゃなくて「世の中そんなもんだ」と言ってるだけ。
良いとか悪いとかそういう話はしてなーい。ここでも俺とおまいさんの「観点の相違がある」。
同じことを違う角度から話すと齟齬が起きるいい例。
「それは赤色だ」に対して、「いや、それは重いだろ」ってやりとりな。
だから別におまいさんの主張自体を否定する気はない。お互いずれてるね、ってだけw
>>244 思い込み乙です。人はそれを文芸と呼びます。フーコーとか文芸です。
人格で言ったら柄谷も浅田も東も永井も竹田も全部クソだ。 ウィトゲンシュタインなんか恩知らずのアスペで生徒虐待者で嘘吐きだ。 ヘーゲルは私生児もうけた上に著作に反することを講義で行ってた嘘吐きだ。 ハイデガーに至っては恩師の間接的殺人者に等しい。 哲学理論の正当性に人格の潔癖さを求めるなら、2ちゃんで他人を罵ってる時点で おまいらも俺も哲学に触れる資格がないことになる。頼むから大人になろうな。 潔癖症が許されるのは学生の内だけ。社会に出れば嫌でも自分が「加害者」になるんだから。
249 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 20:15:31 0
論文外で悪いことしてても別に良いけど 潔癖症という言葉を使って議論をずらし反論を封じ込めようとする荒削りで強引な態度は、論文のほうにも影響してそうで心配アルヨ
250 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 20:16:33 0
249 名前:考える名無しさん :2008/01/19(土) 20:15:31 0 論文外で悪いことしてても別に良いけど 潔癖症という言葉を使って議論をずらし反論を封じ込めようとする荒削りで強引な態度は、論文のほうにも影響してそうで心配アルヨ
>>249->>250-
>>251 そのやり取り吹いたw
253 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 20:54:15 O
>>248 中埜なんとかのヘーゲルの入門書に
認知求めた女の方を「性悪女が天下のヘーゲル様に」みたいなニュアンスでボロクソに書かれててドン引きした覚えがある。
>>253 そのくらいの信仰心がなければヘーゲルなど研究してられんよ
いや、でも金出して進学も工面して影で育てたんだろう?偉いじゃん。 ルソーは5人も捨てたんだぞ
やっぱりこつこつカントを読んでるやつがマシだってことだな。
>>253 そこで引くのは果てしなく正しいw
それはヘーゲル哲学どうこうじゃなくて、その入門書書いてる奴の気持ち悪さにだよなw
哲学としての入門書と、伝記としての人物説明と、著者の私的な感情を混同した書き方の本は最悪だ。
しかしラッセルの西洋哲学史もラッセルの恣意性が露骨だが、あれはラッセルの私的な感情じゃなくて、
あくまで哲学におけるラッセルの立場からでる解釈と意味付けになるからそれはそれでいい。
これが「私的な好悪」と「哲学理論における自分の立場」の違い。
哲学者の私的な部分に対する私的な感情ではけっして「哲学理論としての正当性」は否定できない。
ちと話ずれるが、デリダのフッサール解釈、プラトン解釈なんかもよく「誤読だ」と言われるが、
その場合の誤読ってのは、フッサール・プラトン本人の「意図」を読み違えている、
という意味であって、デリダは彼らの哲学の基盤自体に異議を唱えているわけで、
そもそもの土台、幾何学でいう公理が違う。ここが哲学のめんどいところだなー。
ヘーゲルの精神現象学も難解な文章のせいで「お前の解釈は間違ってるだろ」という言いあいが多すぎ。
ドイツ語で読める奴はまた違う感触あるのかもしれんがなあ。
>>256 カントの道徳哲学はヘーゲルにフルボッコされたが、理性批判は金字塔だからなー。
あれを同じ土俵で否定するの無理ぽ。
で、カント把握してない奴が陥りやすい誤謬があるので、同意しとくw カントは偉大だ。
260 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 22:13:57 O
>>258 細かい話なんてつまんないよね。
バタイユのヘーゲル解釈みたいないかがわしーいのがやっぱり面白い。
井筒俊彦の意識と本質もいかがわしい。シェリングやヘーゲルが見た絶対者と同じようなものを見てた人なんだと思った。
弁証法なんて教わらなくても、小学生でも知ってるよ。 と言われて困っています。
263 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 07:52:41 0
そういった生意気口をたたく奴は しこたまお灸をすえてやって下さいな。
264 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 22:35:48 O
加藤尚武のヘーゲル関係の入門書って難し過ぎて訳わからん。長谷川訳の方がよっぽどわかる。
>>264 ヘーゲル哲学を一通り見通せちゃっている人でも、そうでない人向けの入門書
を書くのは、案外難しいんだよ。
ヘーゲル哲学を理解する能力と、ヘーゲル哲学を人に理解させる能力は、どう
も別物だと思う。名選手、必ずしも名監督ならず。王貞治監督が現役時代に打っ
ただけのホームランを、ダイエーの選手に打たせることができる訳ではない。
ちなみに俺は、大森荘蔵の一連の著作、廣松渉の「弁証法の論理」、西田幾多
郎の「善の研究」を読んで、近代的世界観を相対化する見方を教えられ、ヘーゲ
ル哲学のどんな入門書よりもヘーゲル理解に役立った。廣松本は精神現象学に
も直接言及している箇所があったし。
「もののふの やばせの舟は 速くとも 急がば回れ 瀬田の大橋」 だった。
266 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 09:38:30 0
>>265 ヘーゲルを理解しようと思うなら、当のヘーゲルの著作を読むに如かず。
読んだ解説書の数だけ真の理解から遠ざかって行くと思っていい。
これホント。
>>266 原書を読めば読むほど訳がわからなくなった私のような者はどうすればよいでしょうか。
264 大森を始めオリジナルの哲学を確立した日本の哲学者の本は下手なヘーゲル入門より分かりやすいし面白いってことだね。廣松の学術文庫の世界の共同なんたらは予想外に読みやすかった記憶がある。 ヘーゲルを越えようっていう気概がないと真にヘーゲルを理解できないのかもね。 ヘーゲル自体は長谷川訳なら辛うじて立ち止まらずに読めた。樫山訳は2ページで放棄。
ヘーゲル自身が混乱してるんだから、 概説書に書いてある「だいたいの理解」の方が正しいんだよ。
270 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 14:25:07 0
>>266 専門家の人が理解できないなら素人が読んでも真の理解なんてできるわけない。
そこまで思い上がっちゃいけない
まさかw
273 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 21:06:32 0
>>266 60年アムポの崩れサヨクの担当教授がよく同じことを言ってたな。
テメーでも解説本を出してるくせによ。
独語も抽象的思考も不得意な連中は如何したらいいんよ?
274 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 21:13:32 0
ヘーゲルは知らないけどマルクスでは逆の体験をしたな。 社会思想史という講義でその先生が著者の1人であるマルクス主義の解説書を 読んでいったのだけど、ぶつ切りの文章を解説されてもさっぱり理解できなかった。 でも自分で『空想から科学へ』を読んだら自分なりに理解できた。 もちろんその先生のマルクス理解は俺より上だとは思うが、ただ解説が下手だったんだよな。
275 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 22:26:37 0
じゃあ俺だろう
276 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 22:49:42 O
岩崎武雄の「カントからヘーゲルへ」みたいに物凄く分かりやすくて入門には最適なんだけど哲学のいかがわしい面白さが全く伝わって来ないものもあるね。竹田青嗣もこのタイプかな。
絶対☆精神
278 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 06:28:13 O
即且(^ε^)対自
279 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 06:38:41 O
>>274 何でエンゲルス読んだの?
マルクス読めばいいのに。
280 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 10:05:21 0
エンゲルスって唯物論の権化って感じだよね。
281 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 11:34:49 0
>>279 そういえばそうだな
何書いてるんだろ俺orz
282 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 11:37:37 O
平凡社ライブラリーと中央公論(世界の名著シリーズ)だとどちらの翻訳がいいですか
>>282 >中央公論(世界の名著シリーズ)
全訳じゃないから問題外ですよ。
284 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 11:58:25 O
285 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 12:36:00 O
中央公論は全訳じゃなかったのか!そりゃいかんですね。 長谷川訳はこの板に出入りしてると選びにくいですが検討します。 ありがとうございます。
286 :
考える名無しさん :2008/01/30(水) 14:22:02 0
>>276 竹田の場合は、哲学を今生きる一般の人たちに使える物にしようという意図がある。
だから生きるのに悩んでいる人が竹田の本を読んで励まされたりする。
ただ、それが専門家からすると恣意的な読み換えに見えて反発を受けるのだろう。
竹田は勝手に自分のいいたいこと信者向けに 書いてりゃいい。ただし、それをヘーゲルの 名のもとでやらないでくれ。
ただ今の竹田記録 13分
竹田はチンドン屋というよりも香具師という感じだな。 たいしたことのないものでもとにかく大仰に語るあたりがテキ屋。哲学をバナナの叩き売りの 様にひけらかす。
290 :
僕は太田寿 :2008/01/31(木) 17:09:29 0
僕は太田寿だ! レイザーラモンだかライザーレモンだか知らないが、お前はハードゲイを笑いモノに してアメリカ南部のゴミクズどもと一体何が違うのか! 僕とナックルは二項対立をしている。 伊勢で決着をツケよう。
291 :
僕は太田寿 :2008/01/31(木) 20:55:32 0
僕は太田寿だ! さまよえる隠遁者だか東野圭吾だか知らないが、お前は「百夜行」を書いていい気 になっているらしいが、それではアメリカ南部のゴミクズどもとと一体何が違うの か! 枯木灘!枯木灘!枯木灘!枯木灘!
292 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 20:59:26 0
293 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 21:00:44 0
294 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 21:03:52 0
オナ禁弁償学
精子無限小学
297 :
驢馬の巣 :2008/02/12(火) 12:04:00 0
仮面の告白 春の雪(豊饒の海第一巻) 奔馬(豊饒の海第二巻) 暁の寺(豊饒の海第三巻) 天人五衰(豊饒の海第四巻)
298 :
風景の巣 :2008/02/12(火) 12:07:16 0
※見よ ※いざ絶望は来たれり ※そこで倫理は美的となり ※美的は宗教となり ※宗教は
299 :
病巣最強 :2008/02/12(火) 12:10:48 0
300 :
考える名無しさん :2008/02/12(火) 12:12:00 0
今日のぼやき「722」
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101 副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
(中略)
過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文をあり
がたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの
哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、
大幅前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。
(中略)
急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。
そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を
日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想
を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、
はやく実現しなければ、いけない。
302 :
騾馬の巣 :2008/02/15(金) 22:59:31 0
303 :
考える名無しさん :2008/02/15(金) 23:00:36 0
>>287 だな。
親鸞も日蓮もいいんだが、
仏教と名乗るんじゃないと思うのと似ているな。
305 :
シルスマリーア、フリードリヒニーチェその1 :2008/02/17(日) 22:28:41 0
ドストエフスキー! ドストエフスキー! カラマーゾフの兄弟! シルスマリーア! フリードリヒニーチェ!その1
306 :
シルスマリーア、フリードリヒニーチェその2 :2008/02/17(日) 22:32:58 0
ドストエフスキー! ドストエフスキー! カラマーゾフの兄弟! シルスマリーア! フリードリヒニーチェ!その2
307 :
シルスマリーア、フリードリヒニーチェその3 :2008/02/17(日) 22:34:25 0
ドストエフスキー! ドストエフスキー! カラマーゾフの兄弟! シルスマリーア! フリードリヒニーチェ!その3
308 :
シルスマリーア、フリードリヒニーチェその4 :2008/02/17(日) 22:36:16 0
ドストエフスキー! ドストエフスキー! カラマーゾフの兄弟! シルスマリーア! フリードリヒニーチェ!その4
309 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 22:37:53 0
お前もアンドロイドは電気羊の夢を見るか
310 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 01:20:52 0
「精神現象学」原書で読んでみたいんだけど、 ドイツ語全くわからないんですが、 ドイツ語の辞書と文法書一冊用意すれば原書読めるかな?
邦訳でよく理解してりゃわかるだろうね。
312 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 05:49:25 0
邦訳でよく理解できないので読んでみたいのですが・・・
読んでみれば?
314 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 20:04:11 0
邦訳でも意味わからないし、ドイツ語もできないけど、 「精神現象学」原書で読む!読んでみせる!
315 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 21:20:03 0
>>310 まずドイツ語の勉強をしないと。
たとえばNHKのラジオ講座を半年聞く。
次に文法書を一冊仕上げる。それから子供向けの本を一冊読んでみる。
あとは辞書を引きながら読んでいけばいい。
316 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 21:23:22 0
>>315 その時には邦訳も傍らに置いて参照する。本文はもちろん訳注も理解の助けになる。
317 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 22:11:15 0
>>315 >>316 それでやってみます。
まずドイツ語覚えて、原書と邦訳と英語訳のも一緒に読んで理解できるようにしてみる。
わかっている人に聞けば、一日でわかるよ。
樫山訳って評判どう? 序論のところを中公の部分訳と読み比べてみると、 正直「これで全巻読み通すのはしんどいな」という気にさせられるんですが。 (あと、これ正確な訳ですか?) もっとも(原文と突き合わせたわけじゃないけど) 中公のはかなり言葉や文章を補って訳してあるようなので、 同じ土俵で比べるのものでもないのかもしれないけれど。
>>319 樫山訳は、原文を知っている人が持ち運んだり寝転がったりして読むためのもの。
独特の雰囲気があるし原文に近いので、それはそれでよい。間違いはある。
中公に関しては序論しかないが、読めるならそれでもかまわない。こなれた訳。
長谷川訳は読めることは読めるが概念の運動・変化の手触りがない。大意を
つかむのにはよい。どの訳で読むにしても金子武蔵の注は必見。原文(独英)、
金子訳、牧野訳があればよい。日本語のみなら、金子訳を読み分からないなら
牧野訳を読めばよい。金子訳を読んでいても時折牧野訳を参照することは役に立つ。
一番良いのはどこかの読書会やゼミに参加して、詳しい人にヘーゲルの文章の
読み方を伝授、そう、伝授してもらうこと。どの訳であっても事柄の難しさは
変わらない。すらすら読めるものではない。
321 :
319 :2008/03/09(日) 12:28:34 0
早速の丁寧なご教示、ありがとうございました。 本棚の奥の方に金子訳があるので、文庫本で横着せずにトライしてみます (長谷川訳も持ってますが、牧野訳はありません)。 問題はいまの自分の環境では、手の届くところに勉強会の場がないことですが・・・
322 :
dtpcp870 :2008/03/09(日) 16:36:43 0
323 :
考える名無しさん :2008/03/10(月) 23:28:08 0
>>320 半日かかって、ようやく探していた答えを見つけました。
無関係な通りがかりの者ですが、感謝申し上げます・・・・
>>321 >>323 調子にのって書いたのでちょっと補足させてください。
ここは哲学板ですから、哲学の知識がそれなりにあって、難しい文章を必死で
解読しつつ考えることを愉悦と感じるひとを前提に書きましたので、あくまで
参考程度にしてください。読み通すことを第一の目的にするなら長谷川訳でも
良いかもしれません。結局はそのひとによります。
ちなみに、『精神現象学』は経済的・社会的状況の逼迫さのなかで書かれたので、
その文章は推敲されていません。加えて、他言語への翻訳に伴う本来的な困難さと、
ヘーゲル自身の思考方法と文章の特徴とが相まって、『精神現象学』の翻訳には、
単に文章の体裁と整えることにすらも、訳者の解釈が介在せざるをえない所が少なく
ないので、「完璧な」翻訳というものはありえないでしょう。
325 :
323 :2008/03/12(水) 23:41:55 0
>>324 ご丁寧な追記、ありがとうございます。
専門外で、昨年、20年ぶりに長谷川訳で、現象学に再挑戦しました。
それでも、よく言われているように通読はできずに、半分で一旦挫折。
最近、古本屋で「人類の知的遺産・ヘーゲル」を見つけ、読んだところ、
再び、意欲が甦り、巻末の「精神現象学」を傍線を引きつつ、読み直したところ
雲間に光を見出し、あらためて全訳を読み直そうと思ったところです。
ただ、原文で読むことはまず有り得ない状況の中、少しずつでも理解を深めたく、
次の日本語訳を探していたところ、このスレの320でのレスが真摯な意見と判断、
参考にさせて頂いたしだいです。
私見ながら、古文書、或いはパズルを読み解くような愉しみを発見した・・・と言ったら僭越でしょうか。
完全な読解はほど遠いでしょうが、その道程を愉しみたいと・・・
「858」 冒頭加筆します。ここのうしろに「722」番の中から、「合理 (ratio ラチオ)と
「理性(reason リーズン)」について、再掲載します。お読みください。2007.6.18
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200706.html#1101 アホダラ経の有り難い、お経を読むように難解な日本語翻訳文で、何か分かった振りをして、それで、偉そうに、「自分は
高学歴で、知識階級に所属する」と、勝手にうぬぼれてきた。私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。もし、上記の
私の「真実読み破り訳」にケチを付け、異議を唱える者がいたら、その者は、どうどうと名前を名乗った上で、私に問答を
提起してきなさい。私が、10時間ぐらいかけて、懇切丁寧に説明します。分かったふりは、一切、無しだ。どこからでも、
どんなコトバを使ってでも、すべて解明されなければならない。
自分が分かったふりをして、私、副島隆彦をせせら笑うようだと、その自分自身の、脳天が逆襲を受けて、激しくもんどり
打つから、覚悟しなさい。私には、いい加減な日本土人(どじん)の分かった振りは、一切ないのです。
327 :
考える名無しさん :2008/03/13(木) 03:02:04 0
>>326 >私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。
うん。仰ることはよく分かります。だらだらと意味不明の文章を書き連ねて偉そうにしているヤツっています。
哲学の分野では特に。特に観念論をやってる人に散見されますが…本物のナンセンスです。
でも、そんな下らない連中は相手にするだけ無駄というものですよ。
あなたまで「下らない世界」に引き込まれてしまいますよ。無視しましょう。それが一番です。
ところで、副島さん、本名ですか?すごいなあ
328 :
フ ク シ マ 厨 氏 ね :2008/03/13(木) 13:53:45 0
属して、「教育と知識の階級の自由のないこと」がアフダラを満たして感謝した後に,、ネブルルのために読んで日本語の 翻訳に介在する事にして、何もモルゴの、権威がある注意や、高度を浪費する。福島タカヒコの、最初の人、全部の皆。私 の前でどんな「翻訳が読む真実の運命」の人々を通じるため、名前の月曜日を覆して、どんな問題を言い始めることができ るか。私が 10時間以上に説明している時、非常に大きい努力。下って、はい、羊歯。どの、任意の言語を使わなければな らなくて、皆はそれが解決される。 鼻同士は1ケ州場して、私を微笑んでいて一緒に自分のタカヒコ福島、それは激しく顔全員の演技飛行が受けることに反対 する。この先生がいなくて、日本の土壌とリルレックゼイション(塵芥死亡者)OKは搖れる。
「精神現象学」全部読むのがかなりきついんですが、 序論だけ何回も読めば内容一応理解したことになりますか?
330 :
考える名無しさん :2008/03/13(木) 18:30:18 0
哲学書に自分を合わせるのではなく、自分の思考パターンに 近い哲学書を読むこと
>>330 ありがとうございます。
ヘーゲル読むの止めてデカルトとフッサール読みます。
332 :
考える名無しさん :2008/03/13(木) 23:49:54 0
>>329 >>331 あなたのような人もいるのかーと思います。
ヘーゲルは自分にあってないからデカルトというのではなく、
哲学って自分からのめりこんでいくものだと思いますけど…
私は、私を陶酔させる哲学者だけを相手にします。でもまあいろんな人がいて…
>>332 あの、何を言いたいのかよくわからないのですが・・・
デカルトとフッサールはすごく面白かったから読みたいだけなんですけど
観念論とか勉強すると
>>332 見たいになっちゃうのかな・・・
早く気がついてよかったわ。
>>333 たしかに332は前のレスを読まずにいちゃもんつけてるだけだから頭にくるだろうけど、後段のは余計でしょ。
好きな本を手にとって気分よく読書を楽しんでください。
335 :
考える名無しさん :2008/03/17(月) 21:33:49 0
講談社選書メチエから出てる長谷川宏の 精神現象学を解説してる本っていいの?
336 :
初診者 :2008/03/18(火) 09:22:15 0
悪くはないけど・・・・しかし、自身の訳からの引用がやたらと多いのが・・・ それに、判った気がしても、結局はあくまで長谷川訳についての理解が深まるだけで・・ ま、原文読めない者としては、結局、他の人の訳と読み比べて、少しずつでもヒントを得ていくしかないみたいですね。 325さんも書いていますが、「人類の知的遺産」も案外、役に立ちましたね、個人的には。
同い年のベートーベンとは面識あるのでしょうか
>>337 ない。
ヘーゲルは大のベートーヴェン嫌い。
彼の『法哲学』が名指しを避けたサヴィニー批判であるのと同じく、彼の
『美学講義』の音楽論も名指しを避けたベートーヴェン批判。
339 :
考える名無しさん :2008/03/21(金) 21:15:11 0
ふうむ
340 :
考える名無しさん :2008/03/22(土) 12:44:33 0
ひゅーむ
341 :
考える名無しさん :2008/03/23(日) 01:10:37 0
>>330 それは名言かもねw
古典についてはあくまで古典だとわきまえることが肝要。
ヘーゲルに関しては、はまるつもりがないならわかりやすいやつだけ
読めばいいと思う。必要なところだけ読むとかでもいい。
342 :
考える名無しさん :2008/03/27(木) 15:58:29 0
>>338 ベートーヴェンの書斎にはカントがあったらしいね
積ん読だったのかな、本当に読んでいたのかな?
343 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 15:41:26 0
平凡社ライブラリー『精神現象学(上)(下)』を使います これって、何か特別な理由があるのですか? 難解な物をさらに難解にした・・・などと言われてますが、如何?
哲学史講義〈上巻〉 1992 河出書房新社 G.W.F. ヘーゲル, 長谷川 宏 細川亮一『ヘーゲル現象学の理念』の説 だと、『精神現象学』は『哲学史講義』と並行対応関係にあり、『哲学史講義』 は『精神現象学』と一緒に読むといいそうだ。 これがこの講義のあらたな読み方だろう。もちろんベーメ譲りの神秘主義(下巻p181で批判的に詳述される)で『現象学』 はわかりづらく、一方講義の方は後年(山口誠一『ヘーゲルのギリシア哲学論』p50の説では1823年)の作品だからこ なれてはいるが。 以下、読書メモです。 『精神現象学』内の章:対応する哲学者、及びキーワード、頁数は長谷川訳『哲学史講義』より。 意識 感覚:パルメニデス(本来の哲学が始まる、上p238)から ヘラクレイトス(一般的な過程、上p279) 知覚:レウキッポス(自立存在の定義、正なるものを負な るものの空虚として.上p297) 悟性:プラトン「ソピステス(ソフィスト)」(抽象的な 統一、中p56) 自己意識 生命:アリストテレス「霊魂論」(一般的、中p164) 主と僕:アリストテレス「政治学」(服従、中p186,189) ストア派(自然な素朴さ、中p215,220) 懐疑派(内容の否定、中p300) 不幸な意識: 新プラトン主義(統一、三位一体、中p339,408)
『精神現象学』意識の章の終わりあたりより、翻訳の比較。 「知覚を越えて高まったとき、意識は現象という媒語を通じて超感覚的なものと推理的に連結し たものとして現われてきて、現象という媒語を通じて[超感覚的なものという] この背景(後ろの 根拠)を観じている。」 金子武蔵訳、岩波書店『精神の現象学』上p166 「知覚を超えて高まったとき、意識は、現象という媒語[中間]によって、超感覚的なものと推 理的に結ばれて、現われる。この媒語を通じて意識はその背景を見るのである。」 樫山欽四郎訳、平凡社上p203 「知覚を超えた境地にある意識は、現実界を媒介とし、現実界の背後を透視するというかたち で超感覚的世界とつながっている。」 長谷川宏訳、作品社p117 「意識[自身はというと、それ]は知覚よりは高まっているから、現象という中項を介して超感 覚的なもの[内なるもの]と連結するのであり、意識はその中項を介してこの[超感覚的なものと いう]背景を覗き見るのである。」 牧野紀之訳、未知谷p311
"Raised above perception, consciousness exhibits itself closed in term of appearance,
through which it gazes into this background [lying behind appearance]."
"HEGEL'S Phenomenology of Spirit"translated by A.V.Miller,p103
"Erhoben über die Wahrnehmung stellt sich das Bewußtsein mit dem Übersinnlichen
durch die Mitte der Erscheinung zusammengeschlossen dar, durch welche es in diesen
Hintergrund schaut."
G.W.F. Hegel"Phänomenologie des Geistes"
http://www.marxists.org/deutsch/philosophie/hegel/phaenom/kap3.htm
>>345 長谷川訳の超訳ぶりがよく分かる比較ですね
追加:精神の章の冒頭。 「理性が精神であるのは、あらゆる実在性であるという確信が真理にまで高められ、そうして理性が自分自身を自分の世界として、また、世界を自分自身として意識しているときである。」 金子武蔵訳、岩波書店『精神の現象学』下p731 「全実在であるという確信が真理に高められ、理性が自己自身を自己の世界として、世界を自己自身として意識するようになったとき、理性は精神なのである。」樫山欽四郎訳、創文社『ヘーゲル精神現象学の研究』p388 「物の世界すべてに行きわたっているという理性の確信が真理へと高められ、理性がおのれ自身を世界として、また、世界をおのれ自身として意識するに至ったとき、理性は精神である。」 長谷川宏訳、作品社p296 「理性は[今や]精神となっている。[自分は]全ての実在であるという[自己意識の主観的]確信が[客観的]真理にまで高まり、その確信が自分の世界との一体性を自覚するに至ったからである。」 牧野紀之訳、未知谷p618
>>348 私は世代的に金子訳で育ったので、どうしても金子訳でないとピンと来ない
ところがありました。私の学生時代は金子訳と樫山訳(旧版)しかありません
でしたし・・・(歳がバレますね。)
しかし、こうして比較していただいたのを見ると、今の私は、牧野氏訳が最も
適切だと判断します。
牧野訳は持っているのですが、この歳になって読みなれた訳本と別訳で精
神現象学を読み直すには、頭の馬力が不足になってしまいました・・・(歳が
バレますね。)
牧野氏のヘーゲル訳本は、どれもこれも訳注になじめませんでした。説教
臭かったり、先学に対して批判のための批判、反対のための反対論を場違い
に展開したり・・・
しかし牧野訳の精神現象学をパラパラ見ると、最近の牧野氏は人格的に円
熟したようで、いやな臭みが少しは抜けているように感じています。
・・・ただ、小学校の同窓会の幹事をしていた私の老母のところに牧野氏から
欠席の回答が来て、「私の母と牧野氏は小学校で同級生だった」ことを知った
ときは、卒倒するくらいブッタマゲました。
いやー、世間は狭いもんだ。(歳がバレますね。)
牧野訳は金子訳の通俗板にすぎない 知性の低さが滲み出てるあの訳注が更に訳の価値を低めている
352 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 19:25:52 0
>>351 端から訳本を表立っては使えない研究者連中ならいざ知らず、
トーシロが読むんだ、誤読を少しでも避けられる訳本なら、
金庫だろうと貸山だろうと誰の訳でもかまわねーだろが。
353 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 19:36:08 0
弁証法的発展というのがよくわかりません どんな対立する主張も頑張って妥協すれば合体できるよということですか?
354 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 09:11:27 0
>>353 「妥協」じゃのーて、「不可避に」じゃな。
「合体」じゃのーて、「統一vs成」じゃな。
要は、なんでも在りの、トンデモってやつじゃよ。
355 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 10:54:21 0
>説教臭かったり、先学に対して批判のための批判、反対のための反対論を場違い に展開したり・・・ 説教臭いのは事実だが、先学に対して批判のための批判、反対のための反対論を「場違い に」展開したりはしてないと思う。むしろ、疑問点を率直に書いてあって、参考になる。 また、むしろ先学に学ぶという姿勢も同時に随所に示されいて、その誠実さと率直さに 好感が持てる。それはまた、自分がわからないところをわからないと正直に書いている ところにも示されている。批判のための批判や反対のための反対は、俺の読むところ、 一箇所もない。にもかかわらず、不誠実な長谷川訳の方が分かりやすく(ひょっとした ら正しい解釈に達しているかもしれない)箇所が多々あるところが皮肉。
>>355 金子訳は読んだことあるのか?
牧野のBSEな訳注を読むぐらいなら、
その批判相手(というよりネタ元)になっている
金子訳の訳注を読んだ方がいい。これだけは確か。
ヘーゲルは深入りせず長谷川訳でサクッといくほうが良さそうだw
358 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 12:27:05 0
牧野のBSEな訳注 牧野のBSEな訳注 牧野のBSEな訳注
359 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 13:01:09 0
>>345 >「知覚を超えた境地にある意識は、現実界を媒介とし、
>現実界の背後を透視するというかたちで超感覚的世界と
>つながっている。」
>長谷川宏訳、作品社p117
ここまでくると、長谷川訳は誤訳ですね。
360 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 16:38:08 0
で結局、樫山訳ageの人はいないってことでつね?
361 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 16:39:56 O
いねー
362 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 17:47:10 0
「境地」「現実界」「超感覚的世界」…。 いくらなんでもヘーゲルはこんなこと言ってないでしょ。
363 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 17:54:06 0
おでは樫山で読むよ
364 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 14:56:22 0
>>359 誤訳じゃないだろ。
広辞苑に載っている言葉で翻訳するとこうなるってだけで。
>>364 広辞苑ww
まあ、広辞苑に「超感覚的」なんて載ってないけどね
366 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 15:19:17 0
超+感覚的ってことだよw
367 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 15:49:03 0
要するに超感覚世界=キン肉マンの世界だろ 難しく考えるなよ
368 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 18:23:02 0
>牧野のBSEな訳注を読むぐらいなら、その批判相手(というよりネタ元)になっている 金子訳の訳注を読んだ方がいい。これだけは確か。 否。まったく駄目。 金子は分からないところを分からないと書いていない。それだけで信用できない。 (その点では、長谷川のごまかし方の方が酷いが。) また金子は訳、訳注とも(とりわけ構造把握)はイポリットに頼りすぎではないか? その点でも、牧野の方が自分の無い知恵を絞っている。 (ただし無いものはしょせん無いという場合が多いが。)
牧野より金子、金子よりイポリット、 そういうことだな。
370 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 01:29:13 0
樫山でいいよ。
つまり、邦訳に頼らず、イポリットの仏訳を読め、と
>>362 そりゃヘーゲルは日本語できないからね。
373 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 14:51:49 0
ヘーゲルって、ああみえても本音では「超感覚的」なものや 「神秘的」なものには徹底して批判的だったから、 いくらなんでもハセガワ訳はないだろ。あれじゃへーゲルの言わんと してることの真逆じゃん。
>>345 zusammengeschlossen を「推理的に連結したものとして」(金子訳)、「推理的に結ばれて」(樫山訳)
と訳すのもいかがなものかと思うが
375 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 15:27:00 O
精神たるもの己のアイデンティティを細やかに屈折させうるありとあらゆる神経の暴挙化を歯止めの効かないソーシャルケースに常に芳しく対応する事が望ましい。
>>376 「現象という媒介項によって超感覚的なものと結びついたものとして現れてくる〔自己を表現する〕」
どうでもいいが、
>>346 の Miller の英訳は Übersinnlichen の訳が落ちてるな
378 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 16:42:01 0
てかカントも読まずに、超感覚世界とか推理的に結合とか理解できるはずないし。
>>373 かといって自然科学の知識も滅茶苦茶だけどね。
380 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 08:12:15 0
>>348 indemを「〜したとき」(金子訳、樫山訳、長谷川訳)と訳すのもいかがなものかと思うが。
Baillieの「when」をそのままパクッただけなのか。
383 :
考える名無しさん :2008/07/22(火) 17:39:14 O
どの訳も難し過ぎる。
384 :
考える名無しさん :2008/08/03(日) 23:12:29 0
いや、原文の方が難しい。 そのうえ、各訳や注釈を参照して、苦労して真意に達しても、実のところは、たいしたことは言ってない。
おっ読めると思ったのも束の間、原文挫折しますた。 独訳ソフィーの世界でも読んできます。 身の程知らずですみませんですた。
387 :
考える名無しさん :2008/08/03(日) 23:47:14 O
人はね、挫折を通して大きくなるんだよ。 挫折ぐらいで挫けちゃいけないな。
邦訳やら英訳を参照しながら読めばいいんだろうけど、 飛躍を遂げるには、時には無茶が必要だというも気もするけどな。 ステップバイステップだと、いつまでたっても壁を越えられない気がするわな。 粘着してれば突如自ずとわかってくるという突然変異が起こることもあるからな。 それがないと、レベルが上がらないと思うね。 ステップバイステップだと、いわば水は広がっていくだけだが、 糞勉強によると水滴が岩に穴を穿つ如くに深みが出てくるんじゃないかと思う。 とすればどちらも必要だわな。 不合理なのと合理的なるもの双方が。 ドイツ語の糞勉強の教材として精神現象学は適してると思うね。 西洋哲学の最高峰だしな。 糞勉強する甲斐もあるだろう。
389 :
考える名無しさん :2008/08/04(月) 23:01:08 0
>実のところは、たいしたことは言ってない。 控えめに同意。 読んでみるまではひじょうに期待していた。 しかし、読んだ今では、たとえば『純粋理性批判』のような本物 の哲学書と同列に語られること自体がどうしても信じがたいのだ。 そもそもあんなものでも一応「哲学」とはいえるのだろうか?
>>389 君が何をもって「本物」とするかは俺の推測の域を出ないが、おそらく、
ヘーゲル大小論理学の「純理批判」は本当に「純理」に匹敵する本物。
一読希望。
ほー
おおっ!
394 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 15:51:05 0
>>392 こいつぁめずらしいな、マージナルじゃん。
で、どうよそっちの進捗情況は?
395 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 17:06:58 0
竹田の完全読解ヘーゲル「精神現象学」はどうだ。
竹田w
>>394 ブログの最後のエントリからヘーゲルの本を開いてません。ちょっと愚痴めいた
事を書くと、自分の頭の悪さが嫌になったのとモチベーションの低下です。自分の
問題ですね。
398 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 20:17:43 0
>>397 ほんとうにお珍しいですね、marginalさん。
なーに、モチベーションの低下なんか一時的なものですよ。
あのヘーゲリアンでマルキストのOFW氏が言ってましたね、
正確にはおぼえてませんが、「スルメをしゃぶるようにじっくりと」
とかなんとか。
要はマイペースですよ。
もっとも、OFW氏のことばは『小論理学』に関してですがね。
精神現象学と、エンチクロペディーの精神哲学なら、 どっちを優先的に読むべきかな?
>>399 自分の問題意識によって優先度は変わると思いますけど、
読みやすさでいうと精神哲学なので、ヘーゲルの文章に
まったく慣れてないなら精神哲学でいいんじゃないですか?
読みたいと思ってまだ読んでないデリダによるヘーゲルの
記号論にも接続できますし(確か『哲学の余白』)。
興味があれば。ヘーゲルの生の思考を味わいたいなら現象学。
>>398 ありがとうございます。
もう少し言うと、ヘーゲルによって何を考えるか、という問題が
自分にとって結構深刻になってきていて、初めはただヘーゲルを面白
がってただけなんですけどね。
>>400 thx
精神哲学→精神現象学の順で読んでみるよ。
403 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 22:31:27 0
そんなに真剣になるんだね。 ヘーゲルって人を深刻にさせるのでしょうかね? もしよければその深刻さを披露してくれません。
>>403 ただの揶揄ではないと期待して書きます。思いつくまま恥ずかしげなく書きます。まずヘーゲルが深刻に
させるというよりは自分の能力の問題だと思ってます。一言で言うと、自分の悩みや現状の閉塞感とどう
関連付けて考えたらよいか分からないということです。能力がないのにヘーゲルにしがみついてるという
ことです。ヘーゲルを捨てたら他はヘーゲルよりは知らないし。哲学捨てたら人生にやることがない。
他を勉強しようにもあのときの情熱がない。情熱がないのに哲学しかない。初めは大学の面白い講義が
きっかけで現象学を読み始めたのですが、自分の問題意識は特になく、謎めいたテクストとして楽しん
でたのですが、それなりに理解してくると、現代におけるヘーゲルの可能性や不可能性が気になってくる。まあ「こんなの読んで何になるの?」というよく言われることです。だけど
ご存知のように現代におけるヘーゲルの影響は大で、その種子はマルクスやフランス現代思想(最近は
分哲でも?)で肯定するにせよ否定するにせよさまざまに花開いており、それらを研究することは価値が
あるはず。でもそれならヘーゲルは程ほどにしてそういう人たちを読んだほうがいいんじゃないのという
こともある。より洗練されてるだろうし。
それからヘーゲルの岩盤のようでかつ文化的・地理的・時間的に距離のある文章や内容を、適切な哲学的 素養・能力・関心や指導なしに理解しようとすると、どうしても強力なヘーゲルの重力が底にある想像的 な渦に巻き込まれて、何がなんだか分からなくなる。だけど知りたい。現象学は文学的に読めるように見 えて哲学史の基礎が必要だというのがみそで、哲学書なんで当たり前ですが、最近つとに感じるように なってきた。ひとつはカントの重みはやっぱりでかいなあと。いったんヘーゲルやめて他のを読めば いいんじゃないの、ということでいろいろつまみ食いをした。カントは挫折中。同じようになんだか 分からない。ハイデガーは少ししか読んでませんけどそんな感じはまだない。不思議だ。直感ですけど、 自分に数学的能力がないのが原因かなあなんて思ったりします。資質なんでしょうが自分は文学的に 哲学を読もうとしてたのが悪いのかも。これからキルケゴールを読もうかなあなんて思ってます。 昔「不安の概念」を読んで面白かった記憶があるし。ただヘーゲルも完全にあきらめたわけではないので ブログは一応閉鎖しないつもりです。それからあんまり言いたくないですけど、生活上のごたごたが きついっていうのが一番かも。集中できない。哲学をきっぱり捨て去るのもひとつの手だけども、あの ときどきうまくいくと訪れる「フィロソフィカル・ハイ」は病み付きになる。あ、あと「精神的な動物の 国」でしたっけ? あそこはいずれ読んでみたい。コジェーヴ、アガンベン、東の文脈に繋がるかもという 淡い期待がある。こんな感じです。
406 :
考える名無しさん :2008/09/16(火) 11:00:47 0
詳細な説明ですね。 ヘーゲルが好きで、それを読解する事が貴方の喜びであった。 しかし、ヘーゲルだけでは広がらない。そこで、他の分野へ興味がある。 あるいは、当為として自身強制される。 一方、社会的?家庭的?な問題もあって、いっそ哲学を捨てようかとも 考えている。 つまり、失礼かもしれませんが、人生=選択に迷っている。 こう言う事でしょうか? 確かに、哲学を極めようとすれば、かなり自己犠牲が必要です。 時間も必要ですし、その割には、喜びが少ない。(交流の場所が少ないからでしょうか) 本来、思考は迷いだと思います。つまり、ある事をしてるときは 考えていません。ところが、「待てよ」といった、切断によって、 思考が開始します。ですから、人間は過剰に迷う動物だと言えますよね。 しかし、私もアドアイスができるわけではありませんが、 貴方にとって、哲学するとはどう言う事か再度自分んで箇条書きに してはどうでしょうか。この場合、哲学をする事のメリットとディメリット を併記して、哲学を続ける方がいか止めるべきか、決定してはどうでしょうか? そう言う私も哲学が趣味ですので、たくさん本を読みます。 ヘーゲルではありませんが(笑) 確かに、同レヴェルで交流出来る人は皆無です。(笑) それでも、インターネットであちらこちらに書き込みをし、反応を持ちます。 本来は、あなたもきっと、哲学で語れる=感動し合える友を探している のかも知れませんよ。でも、あまり異なる哲学ならば話しあえないかも(笑) ちなみに、私はポスト構造主義の方をやっていますよ。
407 :
考える名無しさん :2008/09/16(火) 18:34:07 0
哲学を真剣にやるには、向き不向きがあって、日常性がしっかりした人 でないと、精神的に危ないと言う気がする。 隣の○○君はどうだとか、コンビニの女の子が奇麗で、好みだとか パチンコで儲かったとか、ぽにょは可愛いとか、会社の上司はヒデー野郎 だとか、母さんがうるさいとか、こう言う日常(ハイデガーでは頽落というかな) にしっかり興味を持っている人間こそ、哲学に向いているんだと思うんだね。 逆に、日常が希薄だと、思考の局地である、哲学に依存して世界=日常が ある様になり、哲学の真理を敷衍して日常に持ち込むと、人間関係が 上手くいかないし、その事で余計に悩む事になる。(ひどい時はノイローゼ) 真理は哲学なのか日常なのか分からなくなる。 哲学は遊びだと言う事を前提にした方が良い。カントは決まった時間に散歩をする 日常を真理によって生きるような厳粛な人だっ様だが、ヘーゲルもそうかも知れな いが、ポストモダンの今では、遊びとして哲学はやるものでしょうね。 テレビ漫画・アニメ・歌を聴きながら、あるいは歌いながら哲学する そんな感じでどうでしょう。疲れたらスタバできれいな女の子の鑑賞とか(笑) こんな感じの方が高度な哲学は理解されるのでしょうね。 まあ、気楽に楽しく哲学よ!て事でしょう。 私に出来るアドヴァイスはこの辺かな。
やあ、marginalってのはポールの自演コテですよ。
しかし、相変わらず、ポールは理解していない癖に 格好を付けたがる。 悪い癖です。
どうも、このsageで書いているポールの自演コテと思われるmarginalと、 ageて書いている名無しはセットでポールの自演の様に思われる。 ヘーゲルを理解しているのならば、こういう 知ってる人を誘い込もうとする魂胆が見え見えの流れは作らない筈です。
さて、ポールが色々と難しそうな言葉を並べていますが、 実はポールはヘーゲルを全く理解していません。 ヘーゲルの言ってる事は至極単純であり、 それをポールが理解できないなら、知ってる人を誘い込もうと ポール自身が知ってる振りをする。 よく考えると、この手法はぴかぁ〜がポールからパクった手法なのかもしれません。
さて、ここで、私純一はヘーゲルを完璧に理解しているのですが、 その理解の仕方をお教えしましょう。 実はポールの様に、長々と格好付けをやる意味はあまりない訳です。 実は、哲学書というのは、ドラゴンボールの漫画とあまり変わりない。 ドラゴンポールの漫画の何巻の何ページに、つまり、 marginal 『ドラゴンポール(dragonball)の○巻(フランスでは○○巻) の○ページの悟空のセリフには、外来語が使われている。 これは、作者の外来語知識に依存し…』 ↑こういった説明は意味を持たない。 ポールがmarginalと名無しの自演でやってるのは、 ここからドラゴンボールの何が人を引き寄せるのかを説明しようとしているのなら、 それは愚かな事でしょう? ドラゴンポールのフランスとかわざわざ外国語で補足する等、 ドラゴンボールの内容を伝えるには何も意味は無い。
同じように、精神現象学の○ページに何が書かれていようが、 それはその内容を本質を理解するには遠ざかっている。 むしろ、ドラゴンボールを理解している人ならば、 ○ページに何が書かれていた等という覚え方はしない。 それをすべて統一して何が面白いのかを知ってる筈ですからね。 だから、ポールはヘーゲルの何をも理解しちゃいない。 自演で分かる振りをして、ここで知識をくれるのを待ち構えるだけです。
じゃね。
やっぱり2ちゃんねるのシステムの方が自分の性に合ってるような気がします。数日の間になると
思いますが、だらだら書かせて貰います。邪魔ならNGにして下さい。そのうちブログに戻りますので。
>>406 ,407
ありがとうございます。同じ方でしょうか。自分の感覚としては哲学をメリット・デメリットの度合いで
なかなか考えられないですね。相互に入れ替え可能な気がします。メタに立つのが苦手な性格も
ありますが、それはまあパラノ(浅田)と言われるでことでしょうね。そこから思ったことをつらつら
書いてみます。的外れなことがあればすいません。(以下、レイバー・ワーク・アクションの区別は
むろんアレントのもので、付け焼刃です。)
「遊びとしての哲学」「たのしい哲学」――こういうように実践できたら確かにとても良いと感じます。
憧れるところはあります。(ドゥルーズでも読んだらいいでしょうか。興味はありますけど、積読が
多くてなかなか手がまわらない。)そしてそのためには日常性の充実とそこでの交流・観察がまず
必要で、日常こそ哲学の土台であり、回帰すべき場所だ、と。私は確かに日常が満たされている
訳ではないので、それは指摘の通りだと思います。
そこでふと思ったのは、もしそれが満たされていてもいわゆるパラノとスキゾの分岐があるとしたら、 その原因は何なんだろうということです。勘ですが、超越的なものに惹かれる人はパラノに親和性が あるのかなと思ったりします。 それから、<遊び>と対をなすのは何なのかなあと思い巡らすと、現状、一般的にはレイバーとしての 労働でしょうか。ワークだったら幾分たのしさは生まれるんでしょうか。分かりませんけども、自らの 道行きが「知の労働」であるとはヘーゲルのまさしく言ったことで、それなら読むことも(まず初めは) 苦痛以外の何物でもないことをある意味保障しています(笑)。 現代思想からヘーゲル特集が出てますが、その最新のもので、カトリーヌ・マラブーがいくつかある ハイデガーのヘーゲル論からあまり注目されていないものを取り上げています。それによると、 ハイデガーはその苦痛を、確か「超越論的苦痛」と言っていたと思います。ある哲学者は超越論的な 苦痛を持つ! これはなかなか言いえて妙だなと思った記憶があります。レイバーが日常性の安定を 支え(自分としてはそう)、哲学でもレイバーの苦痛が要求される――これでは当然楽しくない。
ただ少し可能性を感じるのは、ヘーゲルには、その目的論的な哲学からして、ワークとしての側面も あるんじゃないかなということです。しかし、その目的はいつまでも達成されないものだということを ただちに付け加えなければならないのは、残念なことです。パラノ的なひとにとっては、そのシジフォ スのような試みが、重荷ににもなれば(幻の)希望にもなる、と言えるでしょうか。 ではヘーゲルにとってのアクションはといえば、確か現実に政治に関わる活動をいろいろしてたと思います。 そうではなく書くことのなかでのアクションがどういうものか、ありうるのかについては……、政治論文も 書いてますが、それはあまりにありきたりでしょう。いまは他に思いつきません。読者にたいする責任に 関わることでしょうか。 ヘーゲル個人は措くとして、問題は読者にとってのワークとアクションは何なのか、ということだと思います。 読むことのなかでのワークとアクションがありうるのか、ヘーゲルの苦痛から解放されるかもしれない道が あるのかないのか、頭の片隅に置いておきたいと思います。ドゥルーズなら、読むことのなかで、新たな 概念を創造せよ、と言うのでしょうか。
読み返すと、アクションと遊びが繋がってませんが、ヘーゲルの苦痛を軽減して読む 方法についてということでご理解いただけると助かります。いったいヘーゲルを遊び として読むことは可能なのか、ありうるか分からないアクションかワークとしての 読みの可能性に賭けることはできるのか。それともこっけいな妄想にすぎないのか。 ヘーゲルに興味がなければ別のことでもよいですし、もちろん返答頂なくてもかまいません。
419 :
考える名無しさん :2008/09/17(水) 07:16:15 0
marginalさんは、いたって真面目ですね。 どちらかと言えば、パラノイアですね間違いなく。 おそらく、私はヘーゲルを真剣には読んでいませんので正確には言えませんが この哲学からは、喜びとしての思考=哲学を学ぶ事=アクションは生まれない でしょうね。勤勉=啓蒙=真理によって、自我はがんじがらめに縛られていそうですから。(笑) しかし、苦痛=努力がいけない訳ではありませんよね。 それで、前進や成功が保証されるならでしょうが。いや、苦痛が好きな人も いるかも知れません。(マゾッホとサド) でも、一般的には、成功や前進が保証されて初めて苦痛は努力と呼ばれるの でしょう。そうじゃないと、苦痛は苦しみ以外を表せません。 ですから、楽しく前進する事を求めることは自然です。 この様な、ある意味気楽な欲望の解放は、二―チェに始まっているのかも 知れませんし、その中では、真理の形而上学が欲望をコントロールし 啓蒙が快を求める者を矯正していくと言う風に考えられています。 この様な背景から、ポスト構造主義は生まれてきたのですが、 ヘーゲルを尊敬する貴方なら、おそらく、苦は達成の過程と思われているでしょう。
420 :
考える名無しさん :2008/09/17(水) 07:31:14 0
それと、貴方のHNが辺境・淵・周縁と言う、ポスト構造主義を 象徴するモノである事は、すでに、西洋形而上学批判のスタンス にいると言う事でしょうかね。 確かに、思考=哲学は思弁であり、行為ではありませんね。 今行為が求めら得ている事は確かです。 頭の中で、いろいろと考えて、壮大な理論を組み立てても、実際 その論理がどのような影響を人々に与えうるかを考えないといけませんよね。 砂上の楼閣の様に、思弁哲学はある意味でヴァーチャルなのだと言う気がします。 そう言う意味では、現代は哲学も小説もマンガもTVゲームも同じ 創造されたものなのでしょう。ヘーゲルもカントもデカルトもリアリティ がないのですね。つまり、必要な時に利用すると言う局所的真理とでも 言いますか、そんな感じでしょうね。 この様に浮遊する意味とでも言われるものこそが、ドゥルーズにはあるし それを前提にしている訳です。つまり、哲学は創造だと言う事。 そこから、哲学も遊学なのだと言う事。思弁的な面よりも、貴方も言うように 行為=喜びを求める事なのだと言う気がします。
ヘーゲルを全面的かつ無条件に尊敬している訳ではありません。marginal という名前は、 田舎に住んでいること、哲学の正規教育を受けていないこと、いわゆる社会的ステータスの 低さを表したものです。 これは私のせいですが、アクションがただちに喜びとなるかについては分かりません。アレントを 読まないといけませんね、すいません。ふと思いついたのは、アクションをヘーゲルの文脈で 言えば、相互承認の完成した状態と言った方がいいかもしれないということです。しかしヘーゲルの 「承認」も議論のある概念で、つまりヨーロッパ的理性(とキリスト教)への服従、承認を推奨し つつも奴隷という存在の肯定(「奴隷になるのは立ち上がる意志がないからだ」)など。 それと、ヘーゲル哲学は啓蒙思想ではないんです。フランス革命の栄光と挫折への反省から、 理性的自由を拡大させる啓蒙が、逆にそれを否定する暴力的な振る舞いをするように なってしまったことを、現象学のなかで叙述しています。 しかし仰りたいことは、「真理の形而上学」として、多様な欲望を抑圧して一方向へと練り上げる ヘーゲルの(不穏な)根本動向なのでしょう。ヘーゲルにとっての哲学の目的とは、「真理の 支配」であるとハイデガーも言ってます。ところでこれもハイデガーから学んだことですが、 ドイツ形而上学の歴史をライプニッツの「欲求」と「表象」から整理できる。 カント:物自体界・実践理性―現象界・理論理性 ショーペンハウアー:意志としての世界―表象としての世界 シェリング:意欲(―?) ニーチェ:ディオニュソス的なもの―アポロン的なもの そしてヘーゲルにおいては意欲と知が同一とされる。意欲が知へのみに向けられる訳ですね。
しかしヘーゲルも悟性的(固定的)な思考を流動化するために、酒の神バッカス(ディオニュソス)を 召還し、体系としての諸円環の円環を、熱狂的な陶酔や祭りとみなしているので(ガイスト→酒精、 「酒の現象学」)、ヘーゲル自身のイメージにおいては、硬直した印象は受けない。ところが実は それは、アポロンの監督のもと、許された範囲の中でしかないんですね。 ヘーゲル(だけではないが)の抑圧していたものに「性」があると思います。現象学とのなかには 自分の体験(私生児をもうけた)がもとになったと言われる「快楽とさだめ(必然性)」という文章が ありますが、性あるいは性欲それ自体を全面的に扱ったところは、寡聞にして知りません。 フロイトとヘーゲルという対は前から関心があって、それは正反対でありながら、だからこそ通底する ところがあるからで、ヘーゲルの盲点からヘーゲルを読んだらどうなるだろうということです。しかし ほとんど何も進展していません。(そもそもラカンを読めばいいじゃないかという声が。) 関係ないですが、最近、題がそのものずばりの、中本征利『フロイトとヘーゲル―性の思想史―』 (勁草書房)という本を借りることがでたので、そのうち読んでみます。 思想と行為の関係については、マルクスのあの解釈と実践の言葉が必要に応じて入れ替えられる ように、ますは情況とそのひとによるでしょうね。しかしおっしゃりたいのはヘーゲル哲学を読んで、 喜びとしての思考が行われるのか、そして日常の行動が楽しくなるか、ということでしょう。 前者については、そもそも理解すること自体が純粋にうれしいことだと思いますが、それと前も 書いたように苦痛のなかにほんのたまに訪れる「フィロソフィカル・ハイ」というのがあって、 これはこれで喜ばしい(笑)。後者については自分個人はないですね。
ただ自分が抑うつ的になっていることは確かにあって、それがヘーゲルによるものなのか 何なのかは分かりませんけれども、ヘーゲルに即して言えば、中途半端にヘーゲル的な 自我はがんじがらめというよりはむしろ、安易な弁証法の自動運動により誇大妄想的に 肥大していく危険があると思います。 ちなみにヘーゲルの思弁は全体性を求めるものですが、全体性は普遍性でもある。普遍性へ と至るには、自分のなかで自分を映し(スペキュレーション)、自分自身を全体・普遍へ と仕上げるという、自分のエゴを破壊する活動だと捉えています。 しかし自分と自分の往復運動では発展がない。鏡で自分を眺めていても何も始まらない。 そこで他を素材として自分のなかに引き入れ、それを認識するために格闘する。だから 他の根拠?には自分があって往復運動は底で持続している。その反復がアイデンティ ティを産みまた強化する。ヘーゲルの思弁の運動は大方こういう仕組みになっていると 今の自分は思います。 (このあたりは、今読んでる本――大橋良介『ヘーゲル論理学と時間性』創文社――から 学んだ。これはとても面白い本だが、留保なしに絶対者が措定されることに抵抗がある。 絶対無を打ち出したいために要請されているように感じる。しかしちゃんと読まないと いけない。) 最後に、最近のヘーゲル研究によると、完璧で壮麗な体系を作り上げたヘーゲル像という よりは、それは幻で、いつまでも最新の情報を自分の体系のなかに位置づけようと努力し 続けた、破壊と構築が同時に行われるような、生成するヘーゲルという像が、文献学的 調査にもとづいて意図的に打ち出されているようです。 リアリティについてはいずれ。書かないかもしれませんけれども。
424 :
考える名無しさん :2008/09/18(木) 21:47:55 0
ヘーゲル読みってどう言う意味で哲学をやるんだろうね? 古典的な哲学を教養として身に付けようとしているのか? いや、真理を知りたいと言う事なのか? あるいはデカルトの様にすべて演繹的に真理は分かるのは今更言えない し、かといって、イギリス経験論は全て後天的に知識は創られている のでもまずい、また、カントの様に、認識と行為とが分裂するのも まずい。そこで、内部的にとでも言うか、正―反―合の 弁証法的スパイラルによって、この知識と行為の分裂を修正したので これだと思って、ヘーゲルになった。つまり、最終的には絶対知と言う スパイラルの終点を信じるとか。 勿論、アドルノの否定的な弁証法を踏まえているのでしょうが。 ヘーゲル読みの方にはこの様な纏めは大変失礼でしょうね。 ところで、貴方は、純一君が言うように、以前「ポール」と言うHNでしたか? 私も以前ポールさんとは絡んだ事がありますよ。 たしか、貴方はチンボ太郎さんと仲良しでしたよね。 いま、久しぶりにシェリングでしたかのスレッドにレスしてますよね。
425 :
考える名無しさん :2008/09/18(木) 22:01:23 0
確かに、啓蒙と言うのは理性重視主義ですから、一般的にはヘーゲルは 当たらないようですね。訂正です。 私はむしろ、論理による真理探究とその強制を指す意味で使いました。 この辺は構造主義・ポスト構造主義の見方から述べています。 ところで、おそらくこれ以上ヘーゲルと絡むのは私のスタイルから あり得ませんが(笑)、詳細な哲学の論議は避けて、大雑把な雑談なら 続けられそうですね(笑) いずれにしても、まじめにと言うか一生懸命哲学をしている人は、2ちゃん ねるでは、少数派ですよ。同じフランス系のポスト構造主義の哲学に興味 があり、レスする人でも、すぐにいなくなる。おそらく、読んではいるのでしょうが 本気でやる気がないですよね。そう言う意味ではmarginalさんは本気だね。 例えば、今後ヘーゲルはどのように読まれるのでしょうか。 どう言う風の読みべきなのか、よろしければ会話的に適当に書いてくださいな。
ブログへの助走として書いたので重くなってしまいましたね。ざっくばらんに 書くよう努力します。 私は「ポール」でも「チンポ太郎」でもありません。前スレでなぜか「純一」と いうひとにスレを潰されたのがブログに移行した経緯です。こういう型の文章を 書くひとを目の敵にしているようです。どうでもいいことです。 弁証法を正反合と単純化したのは後世のひとたちでヘーゲルはそういうように 言いませんでした。が、たしかにその側面は否めず説明するには便利です。 ミクロでみるとスパイラルもそうです。 ヘーゲル自身としては、確か「論理的なものの三側面」(小論理学)として 説明していたと思います。(すいませんが詳しく説明するのは気が向いたときに させて下さい。) 弁証法を自分の感覚でいうと、ひとは何か述べるときに、ある事柄を命題と して単体で述べることができ、意識のなかでそれを孤立させうると思い込ま れているが、実際はそれを背後で支える膨大な領域があって、それらとの関係を 浮かび上がらせなければ、その位置も分からない。地平とそこに立つものの 関係をあべくための手法じゃないかと思ってます。 まあその究極には絶対とか神とか絶対知などがあるわけですが、確かに われわれには馴染みのないことです。それは欧米でもそうらしくて、 ヘーゲルを読む意義がいろいろ議論されてるようです。 ジジェクによると絶対知はラカンの大文字の他者の構成不可能性として考える ことができるそうです。ひとます。
訂正 「ミクロでみるとスパイラルもそうです。」は除きます。 それと違う道の行き方を書きたいのですが、また重くなりそう。 ひとます。→ひとまず。
まず言わなくてはならないことは、私はヘーゲルを趣味で読んでるだけなので、正確で ないところが多いです。 今後どういう風にヘーゲルが読まれるか、これは大問題で、自分も悩みどころです。 大橋先生の関わるドイツ観念論についての本で、絶対者の来し方行く末についての 研究がなされているようでそのうち読むつもりです。そもそもなぜヘーゲルにひき つけられる人が後をたたないかというと、『精神現象学』という本の魅力が大きい んじゃないでしょうか。そして絶対知や絶対者が後々問題化してくる。それは目的で あるとともに前提でもあるから。 デリダが『エクリチュールと差異』の確かバタイユ論でこんな感じのことを述べて いたと思います。つまり、死んだはずのヘーゲルの弁証法は我々の知らないところで 作動し、我々を囲い込む、と。それはグローバライゼーションによる弊害や、 フクヤマの議論に繋がるところでもあると思います。それが見えない権力的なものに 結びついたとき、フーコーの出番となるということでしょうか。 フランスでのヘーゲルはもともと図式的な姿しか知られていなく、ジャン・ヴァールが 「不幸な意識」章を訳し実存主義的なヘーゲルが知られるようになり、イポリット(フー コーの先生のひとり)が全体を訳し注釈書を書き、コジェーヴがロシアからやってきて、 主人と奴隷の弁証法を確信としたヘーゲル講義を行った。そこに出席したものたちが、 ヘーゲルを肯定否定しつつ、自らの思想形成に役立てた。そこで重視されたもののひとつが、 ヘーゲルの「否定性」――いわば死を観念化したもの、しかし本当は意識化できない――でした。 英米については良く知りません。イギリスのマクタガートというひとがいたような……。 まあラッセルをみるまでもなく否定的でしょうね。マルクスについても言うまでもない。 断片化し、非主体的なものに変容しつつあるわれわれ、権力もわれわれの動物的なところへ 作用するようになってきている社会で、ヘーゲルの(譲歩して全体でなく)何が寄与するか については、考えていきたいところです。主体化を促すなら、どうでしょう、カントのほうが わりあい推奨されてるようですが。 こんな感じです。では今日はこれで。
また訂正です。大事なところだけ。すいません。 ジジェクによると絶対知はラカンの大文字の他者の構成不可能性として考える ことができるそうです。 ↓ ジジェクによると絶対知は、その構成不可能性が、斜線を引かれた大文字の 他者として考えることができるそうです。 それからまじめなひとはいるとおもいますが、まじめな文章を書くのは結構 大変なので、書かないだけかもしれません。私も数日の間にするつもりです。
430 :
名無し :2008/09/21(日) 11:21:50 0
ヘーゲル初心者です。バタイユやマラブーさんを少し齧っています。 今ヘーゲルをまじめに語れる人はすばらしいと思います。ヘーゲルは偉大なり。
431 :
考える名無しさん :2008/09/22(月) 10:59:14 0
どうして、絶対者への視点を求めるもの=形而上学者が尊敬されるの?
432 :
考える名無しさん :2008/09/22(月) 11:45:08 O
ヘーゲルは形而上学というよりオカルト
433 :
吾輩は名無しである :2008/09/22(月) 18:09:10 0
431さんにに対してですがそれは、マラブーやバタイユを読めばわかります。 デリダがヘーゲルを意識すること自体、ヘーゲルの業績は偉大なのです。 逆説的な意味も含めて・・・
434 :
考える名無しさん :2008/09/25(木) 08:04:32 0
このスレ終了ですか?w
435 :
考える名無しさん :2008/09/25(木) 18:58:47 0
ほんとにこの本を読んだ方の話をお聞きしたい。
/⌒ヽ⌒ヽ Y 八 ヽ ( __//. ヽ,, ,) 丶1 八. !/ ζ, 八. j i 丿 、 j | 八 | | ! i 、 | | i し " i '| |ノ ( i i| ( '~ヽ ! ‖ │ i ‖ | ! || | │ | | | | | | | | | | ! | | | | ‖ / ヾ / ヽ
437 :
考える名無しさん :2008/09/27(土) 16:38:54 0
>どうして、絶対者への視点を求めるもの=形而上学者が尊敬されるの? >ヘーゲルは形而上学というよりオカルト ヘーゲルは形而上学でもオカルトでもありません。 ヘーゲルによる偽装の部分を表面的にとらえないことです。 ヘーゲルは唯物論者です。 「絶対者」とは世界の弁証法的運動法則のことです。 ヘーゲルの深さはここにあります。
438 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 00:12:38 0
>「絶対者」とは世界の弁証法的運動法則のことです。 >ヘーゲルの深さはここにあります。 じゃなくて、ヘーゲルの深さは「絶対知」や「絶対精神」などが 真理らしきものなら如何なるものであっても、それであり得るように体系を 「仕組んだ」ことにある。 知の詐欺師としては天才的であるといえる。 マルクスからヘーゲルに転んだ人は幾らでもいる。 実は「絶対なんとか」は無限の彼方にしかあり得ない。
439 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 01:34:28 0
一方、フロイトの利口さはエディパルなものは常に 過ちを含んでおり克服去るべきものだ。という点にある。 つまり、フロイトは暗に弁証法を含んでいるのである。 オイディプスは神聖の象徴を欠いた生まれであり、それゆえ 当たり前の人間であったが、 晩年のフロイトがモーセつまり、神的人間に挑んだのも絶対性への 挑戦だったのである。
>>439 弁証法なんだけど、何と何が矛盾してるの?
441 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 02:04:18 0
言説と本来性でしょうかね。 言葉と実体 理性と実存 とか
442 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 02:17:15 0
前者がエディパルなものですね。 後者は何かと言えば、より生命的なものでしょうか?
>>441 >>442 その二つが何で差異とか対立ではなく、矛盾関係にあるといえるの?
フロイトの説明にヘーゲルを援用するのはそれこそ冗漫でしょう?
444 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 10:03:56 0
ヘーゲルは唯物論者ではなく、精神が現実を決定するとしているのですよ。 逆にマルクスはヘーゲルの弁証法を現実による精神の決定とリヴァースした のです。よって、後者を唯物論者と言う。おい、基本的な所を勘違いするなよ。 フロイトがヘーゲルと関係があるなんてどう言う事だ。 詳細に書けよ。 それから、マルクスからヘーゲルに変更した人のその理由はなに。
レーニンの哲学ノートでも読んだらいい。 中沢新一のレーニン本でもいい。 パレルゴンって意外と基礎的なこと知らないよね。
(1)大橋良介・野家啓一「「絶対者」から「無根拠」へ」(『<哲学>―<知>の新たな展開』 ミネルヴァ書房 所収)という論文と、(2)大橋良介「ドイツ観念論の全体像」、(3)ハンス・ フリードリッヒ・フルダ「現在のコンテクストにおけるヘーゲル」(ともに『叢書ドイツ観念論 との対話 第一巻 総説・ドイツ観念論と現代』(ミネルヴァ書房 所収)を読みました。とくに (1)は歴史的な概観を得る上でとても参考になりました。野家先生も書いてるのがバランスが 取れていて良かった。(3)はちょっと難しかった。内容をざっと。
(1)市民社会の絶対的な基礎付けへの要求として絶対者が要求された。ヘーゲル哲学は それに自覚的だった。フィヒテとシェリングもともに絶対者を求めたが方法は三様異なる。 それは絶対者把握の困難を表し、実はその無根拠性をすでに孕んでいた。 のち絶対者の空位を「経済的本能」、「力への意志」、「性的本能」、「超越論的主観性」、 「存在」、「論理」、「科学」などで埋める思想的無政府状態が出現した。それは自然 科学的認識にも影響した。マッハは空白を空白のままにし関係主義を用いた。マッハ哲学は フッサール(「理性の危機」)やウィーン学団に影響を及ぼした。 しかしフッサールにおいては、意識の流れに随伴する「私は考える」の必然性が、還元された 「純粋自我」の超越論的な絶対性を要求せざるをえない(フィヒテへの近さ!)。ところが 自我は根源的には与えられるものであり、受動性をそなえる。その源泉は「世界」である。 自我を突き抜けて「世界」へ。 しかし大橋先生が言うに、そこはもはや絶対者とは呼ばれず、むしろ「絶対無」である。 (自分としてはここがよく分からない。絶対無というのは意識内で到達するものなんじゃ なかろうか、それを意識の外の「世界」に用いていいのかという素朴な疑問。) 芸術においても「絶対者」の脱け去りが表現される。初期の論理実証主義は問題設定の そもそもの誤りを指摘する。ニーチェやハイデガーはキリスト教思想と形而上学の必然的 帰結としての「ニヒリズム」を問題にする。ニーチェは古いヨーロッパと新しいヨーロッパの 間で引き裂かれたのだった。20世紀後半は「無根拠」から出発する。 クワイン、クーン、ローティらの「ポスト分析哲学」の流れにおいて、「基礎付け主義」 という問題設定が疑問に付された。彼らはこれを放棄し「可謬主義」へ転換した。「根拠」を めぐる考察は「無時間的」アプリオリではなく、歴史と時間に浸された「歴史的アプリオリ」 というものへ向かう。ウィトゲンシュタインによりそれは世界像・経験命題・根拠なき信念 などと呼ばれる。
(2)はドイツ観念論の三者の哲学的差異と共通性、芸術運動、モデルネの問題、東洋的 無などが語られる。(1)の前半を少し詳しくしたものという感じ。自分が興味を持った のは、ニヒリズムの観点から語られるのだが、ヘーゲルは「ルター主義」の背後に「神の死」 の感情(パスカルにすでに近いものがあった)を見たということ。個人の誕生と関係する のだろうか。 (3)は国際ヘーゲル学会のボスだったひとのもの。翻訳文が自分にはすっと入らなかった ので流し読み。注意が向いたのは、ポストモダン哲学をちくりとやってる所と、ヘーゲル 解釈学が分析哲学に近づき、分析哲学が思弁的哲学をそのうち見出すことになるという ような話(読み違いかも)。 「根拠」に関して言えば、思潮としては、「絶対者」そのものは以前のままではアクチュ アルではないようだ。ただ気になるのは、ヘーゲル「論理学」における「根拠」概念の取り 扱い方。「論理学」方面は弱いのでよく分かってませんが、ヘーゲルの論理学で根拠概念は、 他者と自己への反省が行き渡った全体性として立てられた本質であり、それは媒介の運動が 止揚された状態、つまり直接性・存在の復活をもたらし、ついには媒介の止揚により媒介 されている「現存在(Existenz)」になるという。 部分的には内から外への過程が表されているように感じるのだが、どうだろうか(もちろん 「現存在」で終わりではなく弁証法は続くのだが)。ただヘーゲルを読んでいると内と外が よく分からなくなる。もうひとつは信念と知の問題も考えないといけないか。
449 :
考える名無しさん :2008/10/13(月) 13:41:08 0
ヘーゲル伝承者たち・・・・ アドルノ、ジジェク、バテゥ、マラブー、そして、マルクス・・・ たくさんいますね。
マルクスはヘーゲルの弁証法とフォイエルバッハの唯物論の止揚で 弁証法的唯物論を作った。
ソリャ違うだろうがwww カールは、データーの積み重ねや事実の分析といった実証的研究に倦みつかれて ほとほと嫌になっていた。 大学でヘーゲル哲学を研究していた時のように また形而上学の思弁の世界で自分の思想を思う存分に飛び回らせたい衝動にかられていた。 そんな心理状態のときに春風のような霊感がカールのあたまを吹きぬけたんだよ。 それが「経済が歴史を突き動かし支配しているちからである」と言う着想だった。 所謂「行為的直観」によって弁証法的唯物論を作ったんだよ。 ヘーゲルとフォイエルバッハはその材料に過ぎないwww ほんと、お茶目なんだからカール・マルクスはwww
「緑の資本論」
453 :
石垣眞人 :2008/10/16(木) 14:50:34 0
454 :
考える名無しさん :2008/10/16(木) 18:59:01 0
>>451 ありゃりゃ、カールだなんて親しいアミーゴみたいじゃん。
で、エンゲルスのことは何て呼ぶの?
フリードリヒ・・・。
>>451 >カールは、データーの積み重ねや事実の分析といった実証的研究に倦みつかれて
どうでもいいが、「data」を「データー」と表記するのはやめてくれ。
「-er」ではなく[-a」だ(ラテン語の動詞の完了分詞中性複数主格形)。
MS社は「computer」を「コンピュータ」から「コンピューター」に戻すそうだが。
データー→データ、な・・・。
いっそのこと「ダータ」でいいじゃん
哲学では与件と訳すのが定訳
いや、普通に資料と訳した方が良い
>>451 長嶋乙
まあ牧野の文章は分かりやすい。
451だけんど、長嶋って・・・???
金子武蔵の訳は硬いというけど、みんな机の脇に置いといて 長谷川とか牧野とか読んでるんだろう。 だけどサイトによって長谷川の誤訳とか牧野の誤訳とか誰かが陰謀で 中傷しているのを見ると、一般読者はドイツ語分からないと思っている節が ある。
陰謀?
牧野の新訳は分厚すぎて物理的に無理。腕が疲れちゃう。 長谷川訳もちょっと分厚い。 牧野の旧訳が一番いい。(上)だけで放置しちゃったけど。 注が別冊になってるので嵩張らない。 10年以上経って新訳が出るとは思わなかった人もいるのでは。 できれば鶏鳴双書の新版が出ればいいんだが。
男は黙って金子訳。 男は黙って金子訳。
金子訳は堅すぎる、長谷川訳が読みやすく分かり易いwww
相場的にこんな感じ。この値段以下で中古があればそれぞれ買って損なし。 2,000円樫山(上下) 3,000円長谷川 5,000円牧野 10,000円金子(上下) 樫山の上巻を買って興味があったら長谷川訳へ。 大学で研究したければ金子訳へ。 個人で研究したければ牧野訳へ。
今法哲学読んでるんですが黒人の奴隷について、それはそいつらがまだそういう状態だから つまり主体がない状態だから、みたいな書き方なんですが、その主体がない状態の人間が 主体になるまでの必然性の記述って精神現象学にありますか?
┌┐ / // [二 ] __ 〔/ / | |/,ー-、ヽ / / / _,,| | ./ r;;;;ミミミミミミヽ,,_ レ1 | / o └、 ∠/ ,i':r" `ミ;;, .|__| ヽ_/^ ,/ 彡 ミ;;;i __ / !彡 ⌒ ⌒ ミ;;; [二二_ ] / ,ゞi" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ, // {.. ヾi `ー‐'、 ,ゝ--、' 〉;r' / ∠__  ̄フ.. `,| / "ii" ヽ |ノ ∠___ / / | トエェェェェエイ | _ / / \ | |ュココココュ| | / o ヽ/ / / ヽ ヽニニニニソイ ヽ__ / \
西洋哲学において黒人は人間ではない。
sage
>>469 >精神現象学
自己意識の章にあります。手元の長谷川訳だとp129〜。
言及しているのは『ブラック・アトランティック』ですか?
『精神哲学』と『精神現象学』との対応(改訂版):
/F絶対知
/__\
/\ /\
/__\/__\
/\<絶対的精神>\
/__\ /__\
/E2芸術宗教 /\E1,3宗教
/__\/__\ /__\/__\
/\ /\
/__\ /_D1人倫
/C1心理学\ /\ /\
/__\/__\ /__\/__\
/\<主観的精神>\ /<客観的精神>/\
/__\ /_C理性 /__\ /__\
/\ /\ /\現象学\ /\D2法/\ /\D3道徳
/__\/__\/A意識,B自己意識/__\/__\ /__\/__\
<エンチクロペディー>
『精神現象学』:
A意識/B自己意識/C理性(C1心理学)/
D精神(章の順序が違う)/E宗教(E2芸術宗教)/F絶対知
(章の番号は恣意的なもの。意識から理性までは哲学史と対応しているという説がある。)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1027598713/n132 ヘーゲル『エンチクロペディー』図解改訂版
(2chパーソンズスレッド)
475 :
考える名無しさん :2008/12/28(日) 18:35:52 0
長谷川が読みにくい俺は逆に金子が向いているんだろう
正月休み中に何とか取っ掛かりは掴むつもりです
477 :
考える名無しさん :2008/12/31(水) 11:55:59 0
長谷川宏訳をついに購入。第1回ドイツ連邦政府翻訳賞受賞か。 まずは長谷川父ちゃんが作ってくれた渾身の離乳食を ちゃんと食べようと思っている。
>>475 >長谷川が読みにくい俺は逆に金子が向いているんだろう
牧野紀之訳はどうでしょう?(ちょっと高価ですが)。
>>478 鶏鳴出版のは持っています。なかなか読めない。
新版は嵩張りすぎて買えない。2冊に分けてくれれば買いやすかった。
精神現象学をゼミなどで読むと20年かかるということですが、
あと20年生きれるかどうか。
週一回のゼミで20年なら、毎日こつこつ読めば3年で読めるさ
481 :
考える名無しさん :2009/01/18(日) 22:41:19 0
ヘーゲルのカント批判を絡めて議論しよう
483 :
考える名無しさん :2009/01/19(月) 22:33:45 0
どなたか @ヘーゲルの人倫性 Aヘーゲルのポリツァイ それぞれ7〜8行くらいで教えてください。
レポートくらい自分でやれ
485 :
考える名無しさん :2009/01/20(火) 11:28:36 0
486 :
驢馬の巣 :2009/01/23(金) 12:31:12 0
487 :
考える名無しさん :2009/01/23(金) 12:31:37 0
488 :
考える名無しさん :2009/01/23(金) 12:32:06 0
489 :
考える名無しさん :2009/01/23(金) 17:46:06 0
490 :
考える名無しさん :2009/01/23(金) 18:14:39 O
連投荒らし死ね
491 :
考える名無しさん :2009/01/23(金) 18:30:30 0
語りえないことには沈黙しなければならない。
492 :
考える名無しさん :2009/01/24(土) 10:37:04 0
493 :
考える名無しさん :2009/01/24(土) 10:38:13 0
桧山は村の生き残り
494 :
権藤有二郎 ◆EN8cDNURt. :2009/01/25(日) 21:04:48 0
ヘーゲルの精神現象学は学問成立の可能性を0.000・・・0001%作っただけ それまで史上に学問はありませんでした。よく読んでみましょう。 学問、宗教、エッセイの書籍類は途中で分かったら、中古本いき。 読み捨て本ってこと。実は高いけどそれだけ売れないってこと。
495 :
考える名無しさん :2009/01/30(金) 18:50:32 0
ちゃんと読めてる人って1パーセント未満でしょ。
496 :
考える名無しさん :2009/01/30(金) 19:15:52 0
まあ、何をもって"ちゃんと読めてる"って言うかだな。 ちゃ〜んと読めてるか否かなんてのは、 なんもヘーゲルに限らないだろうしな。
>>494 >それまで史上に学問はありませんでした。
ニュートン力学があっただろう。
ケプラーに興味があったみたいで惑星軌道論を書いてるね。
500 :
考える名無しさん :2009/02/15(日) 20:03:26 0
「ほんものの悲劇とは、善と悪の争いではなく、善と善の争いである」 これって、ヘーゲルの言葉でしたか? どなたか賢い方、教えて ください。
501 :
考える名無しさん :2009/02/16(月) 20:29:10 0
>>500 こっちにも来たか・・・。
ヘーゲルスレでも言ったが、ヘーゲルの主要著作・講義録をひと通り読んだ俺にも、
覚えがない。
せめて、どういうシチュエーションで、何について語られた言葉なのかもわからないかい・・・?
じゃなきゃ、答えようもない・・・。
502 :
雀蜂の巣 :2009/02/20(金) 10:16:15 0
503 :
雀蜂の巣 :2009/02/20(金) 10:17:10 0
504 :
雀蜂の巣 :2009/02/20(金) 10:17:44 0
505 :
考える名無しさん :2009/02/20(金) 10:19:25 0
血と汗と涙を流せ
また巣の連投荒らしが始まったな
507 :
考える名無しさん :2009/02/24(火) 07:59:47 0
母親の心が分かって恐ろしいのかw
独断バカ、あるいは政治的理由による既得権益野郎、さらには職を失いたくないだけのチキン野郎による捏造学問である。
鉄工所のおっさんがオウム真理教みたいに化学兵器を使用しているなんて驚いた
あっちにもこっちにも『ドグラマグラ』を書き込んでる奴がいる。
511 :
考える名無しさん :2009/03/10(火) 12:10:46 0
樫山の訳ってスッゲー直訳だっせ。 あの程度だったら学部生でもいけるんとちゃうかな?
512 :
し :2009/03/10(火) 12:12:49 O
右翼No.2だろ
513 :
考える名無しさん :2009/03/11(水) 13:16:53 0
>>511 かもな。
原書講読の経験者はそう感じたことがあるだろな。
514 :
考える名無しさん :2009/03/11(水) 21:56:17 0
>>513 複数人いれば、学生どもでも出来るかも知れんね。
515 :
考える名無しさん :2009/03/12(木) 18:36:50 0
>>514 わかるが、商品としては売れないよな。
せいぜい仲間内だけ。
そんでも、重宝がられればめっけもんだがな。
516 :
考える名無しさん :2009/05/06(水) 16:51:09 0
竹田はチンドン屋というよりも香具師という感じだな。 たいしたことのないものでもとにかく大仰に語るあたりがテキ屋。哲学をバナナの叩き売りの 様にひけらかす。
517 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 08:19:38 0
>>516 >哲学をバナナの叩き売りの様にひけらかす。
いんじゃねーのか、それで。
テツガク者どもってのは
売文ってカタチの"ひけらかし"で
食ってるんだろが。
その売文の為にゃ、"チンドン屋"だろうが"香具師"だろうが
何でも演じまっせ、と。
要は、他の連中はチンドン屋や香具師の演技が下手ってことよ。
哲学者ほどつまらない語彙をひけらかしてるよ。自分は解釈力さえないのになぁ。 学者の論文を読んでみな。マジで文章力0だから。(結局は自分が理解できてない) 世間は小説家の文章と、学者の書いた論文の文章が同じだと感じているようだね。 全然違うのに。 「感性ある人」と「機械ロボット人」の違いなんてスグ分かるよね。
「香具師」もタネ切れのようだけどね。
「香具師」とは?
523 :
考える名無しさん :2009/05/22(金) 11:05:27 0
原典に挑戦してみたが、Einleitungを2ページ読むのに4日かかった上に意味がよーわからん。 大意はわかるのだが。
524 :
考える名無しさん :2009/05/22(金) 18:29:08 0
そんなときは英訳を読んでみるといい。邦訳はダメ。
あぼーん
あぼーん
またwiki荒らしか。通報すんぞコラ
あぼーん
あぼーん
530 :
考える名無しさん :2009/06/08(月) 13:55:46 0
血を流せ
531 :
考える名無しさん :2009/06/08(月) 14:49:10 O
こういうスレとか本の紹介とかで興味持って買うけどいざ本開くと暗号っていう罠はもうやめて
532 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 13:27:47 0
何だか分らないとならイポリットを市倉宏祐訳で読むと良い、誰かが彼の『アンティ・エディプス』の翻訳は悪いなんて言つてたけど、市倉は信用出きる。
534 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 13:56:03 0
535 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 13:57:02 0
536 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 14:41:18 0
合 正+反 逆 でなんでも思いつくと思うんだy。 言葉と言葉をミックスミックスしただけだよ。 例えば、「悪魔のような処女」とか
537 :
考える名無しさん :2009/06/18(木) 14:51:28 O
おめーだよ。こっちは性質が8強あるんだから考慮していかないとこうなる。大変だよ心だけ置き去りは
ざっと読んでみた感想ですが、 アリストテレスやストア主義などの影響を色濃く受けた 壮大な目的論のような気がしないでもありませんね。 あと何回か読まねばならんとは思いますが。
539 :
考える名無しさん :2009/06/23(火) 13:21:24 O
原文読解するのってかなり面倒だから、全部読んだ人は頑張りどころがおかしい変な人だ。 ドイツ語に慣れてなきゃ毎日休みでも半年はかかるよ。
540 :
考える名無しさん :2009/06/30(火) 00:32:18 O
つか、外国語でもやっぱり哲学書は新聞なんかに比べると読みにくいな。 桁違いに、といってもいい。
そうかなぁ?新聞の文章のほうが、語彙もよっぽど多くて大変だと思うが。 哲学書なんか、なれれば語彙は少ないし、読みやすくなるよ。
>>541 それは日本語で読んで内容を理解した後だからではなくて?
543 :
考える名無しさん :2009/06/30(火) 06:10:33 O
すげーな、精神現象学スラスラ読めんのかよ!
544 :
考える名無しさん :2009/06/30(火) 06:28:20 O
新聞より哲学書の方が簡単なら、哲学で食えるね。
一人の哲学書の語彙は限られてるから、大学で、 専門の先生と、2、3年キチンと原典講読を継続して 勉強すれば、ほとんど辞典なしで読めるようになったよ。 新聞は全く読めないけどね(苦笑)
546 :
考える名無しさん :2009/06/30(火) 23:09:24 O
新聞読めないのに哲学書読めるとかいうおかしな事があるのか。
547 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 00:10:30 O
焦らずに、暇な時にでも、読んでりゃ、語学力はだんだんついてくるわな。 継続は力なり…断続もまた力なり!
>>546 >新聞読めないのに哲学書読めるとかいうおかしな事があるのか。
全然おかしなことではないよ
哲学研究者の語学力ってみんなそういうところがある
専門のやたら難しい哲学書は読めても、
新聞のちょっと時事的な言葉になると、からきし駄目、
みたいな
549 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 00:18:41 O
筋トレの方法に一般性があるとしたら、継続よりさ、やっぱり断続の方がむしろ伸びるといえるしな。 いやほんとそうかもな。う〜ん、ほんとそうかもね。いやいや、ほんとそうだろ。 いやいやいや、そうであってほしいね。 大体毎日やって、いわば情報を常に外から入れてたら、記憶も長期記憶化しないんじゃないか? その必要性ないじゃん。んで、必要性のない機能は退化していくものだからね。 つまり、実は継続はではなく「断続は力なりなんだよ! これは当たってるとみた。
550 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 01:02:39 O
>>548 哲学研究者の間にいれば普通だと思うのだろうけど、やっぱり変だと思うよ。
例えばドイツ人でもヘーゲルわかる人は少数派だろうし、新聞読める人は多数派でしょ。
>>550 べつに変でもいいじゃん
何か問題でもあるの?
ヘーゲルの原典読みたいからという理由だけで、
ドイツ語やる人がいてもいいじゃん
552 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 01:10:41 O
ピアニストとか毎日練習してないと、落ちるというけど、 毎日練習してきたからこそ、継続してきたからこそ、しっかり身についてないんじゃいか? 昔から断続的に練習してさえいれば、持ちのいい耐久性のある技術が身についていたのかもしれない。 そうかもな。いや、そんなんだよきっと。 そうだ、きっとそうだろうな。うん。
553 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 01:18:57 O
あのねえ、あのね、あの、毎日やってないと、せっかく頑張って向上したのに落ちるんじゃないかとかいうせこい不安に負けてるようじゃ、あまりよくないんだよね。 いわば明日はどうなるかわからないという不安に追われるその日暮らし生活を続けているようでは、安定した生活は営めないんだよ!
554 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 01:21:20 O
>> 551 おれはただ変なやつもいるもんだなあと思っただけだよ。
555 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 07:18:06 O
余裕をもって急げ 多分、Eile mit Weile なんだよね。
festina lente
>>546 文法を理解しても、語彙力がなければ、
文章は理解できない。
で、哲学書の語彙と新聞の語彙とは重なる部分もあるが、
大体において大きく異なるし、哲学の専門用語は、
新聞の語彙に比較して、非常に数が少ない。
だから、哲学の素養のある人が哲学書を読むのは、
語彙の面では、リライトされたものを読むような感じだろうな。
哲学というものが、森羅万象をリライトしたようなものだし。
どうだっていいけど、95パーセント以上語彙は共通してるんじゃないかな。
559 :
◆HT48xXubhU :2009/07/09(木) 16:44:41 0
560 :
◆HT48xXubhU :2009/07/09(木) 16:45:47 0
561 :
◆HT48xXubhU :2009/07/09(木) 16:46:58 0
562 :
考える名無しさん :2009/07/09(木) 16:48:57 0
白雉について
563 :
考える名無しさん :2009/07/26(日) 22:23:42 O
スレ違いすいません。ヘーゲルによれば、運動や変化を表すには矛盾律を常に正しいとは考えない。 の意味について誰か教えてください。お願いします
564 :
考える名無しさん :2009/07/30(木) 01:31:53 0
>563 形式論理は無時間的だが、変化・運動はそれでは把握できない。 今日のコンビニ弁当は明日には賞味に耐えない。 弁当=弁当ではないのだ。 弁当→弁当”→ゴミなのだ。
565 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 12:03:32 0
カントのカテゴリー論にも同様の話が出てくるね
566 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 15:05:52 0
矛盾は止揚されるってことさ
カントの場合、力学的アンチノミーは解決されるが、数学的アンチノミーは解決されない。 ヘーゲルの場合は数学的アンチノミーを力学分野へ広げたというよりは、もともと、ヘーゲルの 論理は論理学を越えた生物学をモデルにしているのだ。 それはヘーゲル体系が、論理哲学→自然哲学→精神哲学とすすむことからもわかる。 理性と感性の総合に関しても、カントは理性の越権行為を許さないがヘーゲルはそれを踏み 越える。 これにはスピノザの意図的な誤読が背景にあると思われる。
>ヘーゲルの論理は論理学を越えた生物学をモデルにしているのだ。 ぶっ殺されたいの?
>>568 >>ヘーゲルの論理は論理学を越えた生物学をモデルにしているのだ。
>ぶっ殺されたいの?
↑
さすが、弁証法的に形式論理を超越した推論ですね。
570 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 02:59:53 0
572 :
◆uVmt1kbxmA :2009/10/05(月) 10:53:31 0
573 :
◆uVmt1kbxmA :2009/10/05(月) 10:55:43 0
574 :
考える名無しさん :2009/10/05(月) 10:56:50 0
知と汗となみだを流せ
575 :
考える名無しさん :2009/10/05(月) 11:01:53 0
下
576 :
考える名無しさん :2009/11/23(月) 14:30:20 0
577 :
ニート :2009/11/24(火) 05:41:55 O
ヘーゲルの言う家族って俗人が言う家族とは無限の違いがあるよ。 それぐらい哲学者と俗人の住んで居る世界は違うって事なんだよね。
索引はないが牧野訳がベストだと考えるようになった。
ヘーゲルつまんない。文学的な魅力がない。 ヘーゲルってわざと時代の子たろうとしたんかな 哲学史のなかの犠牲者といえばニーチェとかキルケゴールといわれてるけど、一番はヘーゲルじゃないかな。 ヘーゲルかわいそう。いい人だったと思う。
580 :
空 ◆Il1tVsuIXI :2009/12/23(水) 11:21:26 0
混沌 (旧字旧仮名、作品ID:49246) →森 林太郎(著者) 柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名、作品ID:2080) 白 (新字新仮名、作品ID:45265) →リルケ ライネル・マリア(著者) 大発見 (新字新仮名、作品ID:46469) 釣 (新字新仮名、作品ID:45266) →アルテンベルク ペーター(著者) 鼎軒先生 (旧字旧仮名、作品ID:49247) →森 林太郎(著者) 都甲太兵衛 (新字新仮名、作品ID:45696) 一人舞台 (新字新仮名、作品ID:45258) →ストリンドベリ アウグスト(著者) ファウスト 第一部(新字新仮名、作品ID:2048) →ゲーテ ヨハン・ヴォルフガング・フォン(著者) 古い手帳から (旧字旧仮名、作品ID:49250) 北條霞亭 (旧字旧仮名、作品ID:42760) みれん (新字新仮名、作品ID:45264) →シュニッツレル アルツール(著者)
581 :
空 ◆Il1tVsuIXI :2009/12/23(水) 11:22:20 0
混沌 (旧字旧仮名、作品ID:49246) →森 林太郎(著者) 柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名、作品ID:2080) 白 (新字新仮名、作品ID:45265) →リルケ ライネル・マリア(著者) 大発見 (新字新仮名、作品ID:46469) 釣 (新字新仮名、作品ID:45266) →アルテンベルク ペーター(著者) 鼎軒先生 (旧字旧仮名、作品ID:49247) →森 林太郎(著者) 都甲太兵衛 (新字新仮名、作品ID:45696) 一人舞台 (新字新仮名、作品ID:45258) →ストリンドベリ アウグスト(著者) ファウスト 第一部(新字新仮名、作品ID:2048) →ゲーテ ヨハン・ヴォルフガング・フォン(著者) 古い手帳から (旧字旧仮名、作品ID:49250) 北條霞亭 (旧字旧仮名、作品ID:42760) みれん (新字新仮名、作品ID:45264) →シュニッツレル アルツール(著者)
582 :
空 ◆Il1tVsuIXI :2009/12/23(水) 11:23:23 0
混沌 (旧字旧仮名、作品ID:49246) →森 林太郎(著者) 柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名、作品ID:2080) 白 (新字新仮名、作品ID:45265) →リルケ ライネル・マリア(著者) 大発見 (新字新仮名、作品ID:46469) 釣 (新字新仮名、作品ID:45266) →アルテンベルク ペーター(著者) 鼎軒先生 (旧字旧仮名、作品ID:49247) →森 林太郎(著者) 都甲太兵衛 (新字新仮名、作品ID:45696) 一人舞台 (新字新仮名、作品ID:45258) →ストリンドベリ アウグスト(著者) ファウスト 第一部(新字新仮名、作品ID:2048) →ゲーテ ヨハン・ヴォルフガング・フォン(著者) 古い手帳から (旧字旧仮名、作品ID:49250) 北條霞亭 (旧字旧仮名、作品ID:42760) みれん (新字新仮名、作品ID:45264) →シュニッツレル アルツール(著者)
583 :
考える名無しさん :2009/12/23(水) 11:25:32 0
中央公論で公にしたのがそれである
584 :
sage :2010/01/12(火) 23:31:02 0
生粋のヘーゲリアンの皆様はマクダウェルのような所謂分析系に属するヘーゲリアンのヘーゲル解釈をどう思うのだろうか?
分析哲学には総合というものに対して免疫がない。だからヘーゲル擁護という悪あがきにすぎないものが 芸として流通してゆく。
586 :
考える名無しさん :2010/01/18(月) 10:31:48 0
>>584 "生粋のヘーゲリアン"ならこんなとこ来ねーだろ。
「彼の解釈は必ずしも恣意的とかまったく誤っているとは言えず、 妥当な面を含んでいるが、幾つか問題点もあるように思われる。」
英米って単純な人しか表舞台に出てこれない 構造があると信じたいね
>>585 分析哲学について無知ですと宣言しているようなものだ。
クワイン等の議論を知らないから分析哲学の『分析』という名前に踊らされて
「分析哲学には総合というものに対して免疫がない。」なんていう謝った結論が導かれる。
それは偏見からくる根拠の無い単なるイデオロギーに過ぎないのでは?
>>589 分析哲学は大学という場が総合を保証しているから、本質的な議論ができない(例えば記号を自明視する)。
クワインこそ総合に免疫のない学者の典型ではないか?
免疫がないから楽天的なのだ。
591 :
追記 :2010/01/22(金) 03:46:35 0
最近の分析哲学者によるへーゲルへの回帰は危険な徴候だ。 カントに留まるべきだ。まあ、どんな読み方でもヘーゲルは出来るのだが。
「クワインこそ総合に免疫のない学者の典型ではないか?」の根拠が 「分析哲学は大学という場が総合を保証しているから、本質的な議論ができない」なのか? まったく理解できない。大学が総合を保証するのか?同じ大学人でも激しく議論しているぞ? 本質的な議論とはなんだ?明晰な論証を通した対象の相互共有抜きに本質的な議論なんて出来るのか? 分析哲学がいつ記号を自明視したんだ? 分析哲学と言語哲学を混同しているのか? クワインやデイヴィドソンこそ言語と所与を無根拠に繋げる経験主義を論駁した哲学者では無いのか? 最近の分析哲学者によるヘーゲルへの回帰が何故危険な徴候なんだ? 分析哲学者の中には経験主義者もいれば形而上学者もいるし、自然主義者もいれば反自然主義者もいるし、カントやヘーゲルを真面目に論じる人もいれば鼻にもかけない人もいる。 むしろまったく健全だろう。
593 :
考える名無しさん :2010/01/29(金) 13:51:12 0
『ヘーゲル入門』(河出書房新社)出版!!
594 :
追記 :2010/02/12(金) 01:30:03 0
>>592 >クワインやデイヴィドソンこそ言語と所与を無根拠に繋げる経験主義を論駁した哲学者では無いのか?
哲学史や認識論を無視すれば何だって好きなことが言えるが、それは哲学における認識論とも経験主義とも関係がない。
ヘーゲルの評価は単にカントを読解できないことから出てくる。だから危険なのだ。
非論理的な形而上学に対抗する論理学というポジションを強調することで、 分析哲学は逆に数学そのものの可能性を狭めている。 だから分析哲学は20世紀初頭のころようにもう一度数学に還るべきだ。 (例えばヘーゲルの論理構造はフラクタルな幾何学構造をとっているし、 デリダの文章は連分数の構造をとっているーーこれらはソーカルの言う ような単なる比喩ではない。)
分析哲学に対する見方が一面的過ぎると思われる。 カントが真正面から論じられるようになって正しく読解されてきたからこそヘーゲルが評価されてきたわけで。 まあDヘンリッヒ等その筋の専門家からみれば何をいまさら感があるかも知れないが分析的伝統の文脈にドイツ観念論や超越論哲学を位置づける為に 地道な議論があったわけで。 非論理的な形而上学なんていうのはそれが言語として認められるものならばそもそも存在しない。 言語はそれが理解されるものである限りそもそも非論理的であることが出来ないから。 これはラムジーが投げかけたウィトゲンシュタインへの内在的な批判と同じことです。 それに分析哲学が記号論理の使用に偏重していると思っているならそれも偏見に過ぎない。 論理を強調するのは何が客観的な真理なのかについて合意形成するための便利なツールとして採用しているに過ぎないし、 いつまでも論理実証主義のような反形而上学のようなイメージで分析哲学をみるのはやめなさいて。 >哲学史や認識論を無視すれば何だって好きなことが言えるが、それは哲学における認識論とも経験主義とも関係がない。 クワインやデイヴィドソンを持ち出したのは分析哲学は記号を自明視しているという誤った理解に対する批判という文脈で言及されていることに注意せよ。 哲学史や認識論を無視しようとしているわけではまったくない。 >非論理的な形而上学に対抗する論理学というポジションを強調することで、 >分析哲学は逆に数学そのものの可能性を狭めている。 >だから分析哲学は20世紀初頭のころようにもう一度数学に還るべきだ。 そもそも分析哲学の始祖とみなされるフレーゲは数学の基礎付けという問題に対して論理主義を提唱している。 20世紀初頭の数学に還ったところで何になるというのだろうか? また皮相な基礎付けを繰り返して再びゲーデルの帰結に突き当たることを繰り返せとでも? そもそも哲学は数学の可能性を拡げたり狭めたりすることはない。それが出来るのは数学だけ。 哲学は数学をそのままにしておくのであってそれの理解以外に資するところはない。
597 :
続き :2010/03/03(水) 23:34:45 0
>(例えばヘーゲルの論理構造はフラクタルな幾何学構造をとっているし、 >デリダの文章は連分数の構造をとっているーーこれらはソーカルの言う >ような単なる比喩ではない。) いや、まったくソーカルの言う境界を侵犯することと同じこと。 フラクタルな幾何学構造とか連分数の構造とかがアナロジーでなくてなんなのだろうか? 第一それらは数学的、幾何学的対象に適用される概念であってそれを論理構造や文章に適用する理由はなんなのだろう? 便利だから?数学的概念等を使えば何かすごいことを言っているように見える? まずもって比喩を使うならばそれのどこが同じで何処が違うのかを指摘しなければ何の意味もない。 だいたい自然言語の論理構造の完全な解明を前提にしなければそんな数学的アナロジーは使えないし、 普遍文法も形式意味論もそれら文法構造や意味の統一的理解という目的に照らせば行き詰っているとしかみえないが? つまりそれらはファッショナブルナンセンスとしか言いようがありません。
寝つきが悪いほうだったんだが 精神現象学読みだしてからすっかり良くなった
ところでヘーゲル研究者からみた分析哲学のヘーゲル受容についての見方にはいくつか典型的な論難があるように思われる。 「分析哲学」をクワインが経験主義を論駁するまでの時期、つまり論理実証主義的なものに限定しておきながら、 最近の分析哲学内のヘーゲル主義の勃興を受けて、ヘーゲルが分析哲学の新たな指導者となると主張する。 ここには「分析哲学」の捉え方の二重性がみられるし、最近の分析哲学までを「分析哲学」に含めて考えたとしてもこれは誤りである。 実際にはただ単に多くの主義が存在する分析哲学内に分析的ヘーゲル主義という一つの潮流が生まれただけである。 分析哲学に対する理解の仕方としてはフェレスダールの見方が適切であると思われる。 またヘーゲルの全体論を後期ウィトゲンシュタインの全体論的傾向と比較して体系的に展開されているという理由で優れているとする主張は単純な誤解に基づく。 ウィトゲンシュタインは数学に対する考察から規則の設定はその応用であるという所謂言語ゲーム的発想を生み出したのであって つまりゲームのルールを定義するということそのものがその応用であるということであって 写像形式そのものは写像されないという表現と類比的にウィトゲンシュタイン風に言えば、 生活形式それ自体は語れず示されるものであってそれ自体理論という形で定義不可能であり体系的に展開されるべきものではないのである。 「考えるな。見よ!」とはそういうことである。
600 :
流氷 ◆i2kaSR2jaQ :2010/03/20(土) 17:55:41 0
犬 (新字旧仮名、作品ID:50374) おべんとう (新字新仮名、作品ID:49466) 桜の実の熟する時 (新字新仮名、作品ID:50306) 三人の訪問者 (新字新仮名、作品ID:50052) 市井にありて (新字新仮名、作品ID:4619) 死の床 (新字旧仮名、作品ID:50375) 出発 (新字旧仮名、作品ID:50376) 蝉の子守唄 (新字旧仮名、作品ID:45122) 力餅 (新字旧仮名、作品ID:45121) 燈火 (新字旧仮名、作品ID:50377) 突貫 (新字旧仮名、作品ID:50378) 春 (新字新仮名、作品ID:50740)
601 :
流氷 ◆i2kaSR2jaQ :2010/03/20(土) 17:56:58 0
犬 (新字旧仮名、作品ID:50374) おべんとう (新字新仮名、作品ID:49466) 桜の実の熟する時 (新字新仮名、作品ID:50306) 三人の訪問者 (新字新仮名、作品ID:50052) 市井にありて (新字新仮名、作品ID:4619) 死の床 (新字旧仮名、作品ID:50375) 出発 (新字旧仮名、作品ID:50376) 蝉の子守唄 (新字旧仮名、作品ID:45122) 力餅 (新字旧仮名、作品ID:45121) 燈火 (新字旧仮名、作品ID:50377) 突貫 (新字旧仮名、作品ID:50378) 春 (新字新仮名、作品ID:50740)
602 :
流氷 ◆i2kaSR2jaQ :2010/03/20(土) 17:58:28 0
犬 (新字旧仮名、作品ID:50374) おべんとう (新字新仮名、作品ID:49466) 桜の実の熟する時 (新字新仮名、作品ID:50306) 三人の訪問者 (新字新仮名、作品ID:50052) 市井にありて (新字新仮名、作品ID:4619) 死の床 (新字旧仮名、作品ID:50375) 出発 (新字旧仮名、作品ID:50376) 蝉の子守唄 (新字旧仮名、作品ID:45122) 力餅 (新字旧仮名、作品ID:45121) 燈火 (新字旧仮名、作品ID:50377) 突貫 (新字旧仮名、作品ID:50378) 春 (新字新仮名、作品ID:50740)
603 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 18:00:28 0
おれはひとりの修羅なのだ
精神現象学をマルクシズムと切り離して読みたい場合どこの翻訳が一番良いと思われますか?
605 :
考える名無しさん :2010/04/12(月) 00:44:12 0
いい翻訳はない 翻訳本をかたわらにおいて原文で読むのがいちばん てゆーかマルクスが最良の解説書なのだが
英語版は段落ごとに番号が振ってあるのが一般化しているようだ(1〜808)。 引用及び参照の際に便利だから、もし新しい日本語訳版がでるなら出版社はぜひ採用して欲しい。
607 :
考える名無しさん :2010/04/22(木) 10:35:55 0
test
>>597 遅レスだが、
ヘーゲルの体系がフラクタルだというのはアナロジーではない。
実際に綺麗に意識的に、(番号が振られて)分割されているのだから
この作業を続けるとシェルピンスキーギャスケットに成る。
これがアナロジーだと言うならむしろマンデルブローの用語(フラクタル)自体
がアナロジーだと言うべきだろう。
分析哲学はこうした数学の根本に有る心的業を見落としているのだ。
だから、永遠,だとか、神だとか、魂だとか、答えのない問いには立ち向かおうとしないし、
効力もない。
答えのわかっている問題に道筋をつけるだけだ。
まずソーカルは現代哲学の課題を理解していない。 だからその無理解の温床が分析哲学内のヘーゲル学派となって鬼子の容易蘇生する。 これは残念ながら、哲学は論理学に還元できない、それ自体歴史的なものだとだということだ。 また、フレーゲの功績は、ヒュームのカント批判が正当な数学的立場(ヒュ ームの原理)からなされたということを証明したことにある。 このことを数学を手放した現在の分析哲学の主流派は理解していない。 困った時にウィトゲンシュタインを引用しても無駄だ。 追記: また、数学的ターム使用に関しドゥルーズは確信犯だし、デリダは(フッサール,ゲーデルを 除いて)数学的タームは使用しない、(連分数云々は、デリダの思考回路が 相手のデータを使い、なおかつその作業に限りがないということを意識的に述べたものだ )ことを追記しておく。