801 :
考える名無しさん:
じゃあバアルやアシェラの偶像もYHWHなんだねww
802 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:09:22
宇宙の外
803 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:09:58
>>800 反証に耐えられるでしょ。
宇宙が存在するかどうかわかれば、神が存在するかどうかもわかります。
あなたはわからない振りをしているだけです。
相対的な神とはなんですか?
804 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:10:46
>>801 偶像自体も太陽や地球と同じようにYHWHの一部ですが、全部ではありません。
805 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:39:47
なぜ宇宙を創造したような想像を絶する能力を持つ神が
あのように矮小な嫉妬や偏狭な不寛容であるのかが私にはわからないのです。
806 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:41:21
これはキリスト教徒の側の問題ではないかと思うのですが
807 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:43:03
>>805 寛容ですよ。すべてを許してくださる神ですから。
808 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:43:37
また、すべての人を愛しています
809 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:44:27
ではなぜ異教徒をあのように罰するのでしょうか
810 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:45:15
たしか雷をもってなんとかするとか…
811 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:48:30
>>809 異教徒も罰しません。少なくともカトリックの教えでは。
812 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 15:49:46
信じるものが救われるのではないのですか?
>>812 信じている人は救われるでしょうし
信じていない人も救ってくれるでしょう
そこまで寛容でなければ真の神ではないと思います。
ただし、無茶な願望まで叶えてくれるほど寛容では無いと思います。
815 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 21:45:43
まあ、便所の神様ってのもいるしね
>>811 あなたはカトリック教徒ではない、に一票。
817 :
一言居士:2006/04/15(土) 15:29:26
アウグスティヌスの、性に関することばに、「快楽は悪、生殖は善」というのがあるが、どうして性的快感が悪なのだろうか。それは、うまい飯が食いたいというのを
悪だ、というのに似ている。不条理だ。
818 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 15:48:15
簡単なことだ。快楽というのは自己中心的なもの。本人のエゴ。
快楽だけを求めて生きていると悪になるから快楽=悪。
生殖は愛があるから善。愛というのは恋愛だけのことではない。
ほんとは何に対しても愛を持って接しなくてはならない。
愛がなければ意味さえないのかもしれない。
逆に愛があればすべてのことに意味が見出せるかもしれない。
しかしそれは不可能である。
人間は無いものだからだ。
有るのは神のみだ。
簡単に言えば性は性でも善悪がはっきりしているということを言った言葉だろう。
もっと奥深い言葉である。
不条理ではない。
819 :
一言居士:2006/04/15(土) 16:33:17
>818
私は、相手をもののように貶める性欲が悪だといっているだけだ。相手を見て、きれいだなあ、と深く感銘を覚えて心が安らぎ、その際性的にも快く感じられることが悪とされるのか?
いっておくが、心がゆったりとしてないと善は成すことができない。沈んだ顔は、存在悪である。なぜか?いるだけで周りの人間の心も暗くさせるからだ。恋愛において私の意見としては、
相手から安らぎを与えられた思う(正確には錯覚する)から、その人への愛が生まれるのではないか、と思っている。ところで、ぜひともあなたの「愛」の何たるかをおしえてほしい。
820 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 16:50:45
>>819 相手から安らぎを与えられる(錯覚)とあるが錯覚ではだめなんじゃないのか?
相手から安らぎを与えられるから愛が生まれるとあるがそれも違う気がする。
つまりあなたがその人を望んでいるから愛と錯覚しているにすぎないのではないだろうか?
あなたのことを知らないからはっきりと断言できないが。
こういう話題になれば「そもそも相手に愛があるか」というところから始めなければならない。
相手が愛のある人間か見極める能力が必要である。
今は世界じゅうで愛という言葉が軽々しく使われすぎなのだ。
今の世界は愛はほとんどないからだ。
探し求める、探求し続けるのが人間だと考える。
「人間は考える葦」である。
愛とは簡単なことだ。誰でも知ってるだろう。「思いやることや安らぎ」でいいと思う。
しかし曇りがあってはいけないのだ。
宗教的なスレだからあえてここまで言う。
>今は世界じゅうで愛という言葉が軽々しく使われすぎなのだ。
>今の世界は愛はほとんどないからだ。
鋭い
気色悪いスレだな
『マトリクス』って、何かあるたびに「ジーザス・クライスト!」って
ワザとらしくやってたっけ。平和な時代だったもんだ。
コシッコして来る。
映画館で見せられる広告って妙に田舎臭いもんだよな。
ま、お馴染みの世界ってわけだ。
次へ続く。
3Kテレビ系らしいな。第一作はテレ朝系で盛り上げようとして、
脱力させられたがw
828 :
小さなヨハネ:2006/04/15(土) 23:35:57
神について述べると、では神の存在を証明してくれと言われます。
しかし、そう言う人に質問したいのですが、一体何がどうなら神の
存在を「証明」したことになるのでしょう。ただ証明、証明と求め
られるのですが、その「証明」とは具体的にどういうことなのでし
ょう。
829 :
小さなヨハネ:2006/04/15(土) 23:40:32
もぐらに太陽の存在を証明するために、太陽を指し示しても、
もぐらは目が見えないので、あくまでも太陽などないと主張
するでしょう。もぐらに太陽の存在を「証明」するとは具体的
にどうすることなのですか。
830 :
小さなヨハネ:2006/04/15(土) 23:43:14
証明というより、それはやはり認識能力の差としか思えません。
831 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 23:43:24
ただ、神、神言ってるのですが、
その「神」とは"具体的に"どういうものでしょう?
ということですよ
証明の証明が先か、神の証明が先かというなら
神から全てが始まったんだから神の証明を先にするのが筋ってモンでしょう。
証明の証明なんてそれこそ言葉遊びじゃありませんか。
832 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 00:49:30
曇りがあってはいけないのだ
この排除の姿勢こそキリスト教の神髄なのではないでしょうか
ロゴスによる2項対立から抜け出さねばなりません。
それはキリストへの道でもあるからです。
コスモスとともにあらんことを
エイメン
833 :
一言居士:2006/04/16(日) 08:11:38
>820
私の言っていた愛というのは欲望のことであるが、あなたのいう愛というのも、所詮は欲望のひとつにすぎないと思う。本当の意味で人を愛することは難しいのだ。
博愛だなんていうが、「薄愛」ではないのか。いっておくが、わたしが818で書いたのは、相手から愛されることではなく、その反対を書いたのだが…相手から
愛されることなんか、とくに望んではいない。
834 :
一言居士:2006/04/16(日) 08:46:18
すいません。あて先は820ではなくて、818でした…
818で書いた…じゃなくて、819でした。
闇の中では何も見えぬ
(自分が闇の中にいることさえ分からない連中ばかりだが)
光が必要ですな
光? インバーター蛍光灯?w
確かにアレは20Wにしては明るいよね〜
私も愛用してます、ってそういう話かぁ?w
にしても、処刑さんも最近哲学板に顔を出しているのですな
それともヨハネさんの追っかけ?(ハハハ)
まあ、認識を持つ人は真の光を見てますからな
否、真の光が認識を与えるべくその人の○○ぺけぺけを照らすと言うべきか・・・(一部伏字)
(ぉぃ)
で、真の光とはいずこに?
で、それは何を照らす?
何を見えるようにする?
何を認識させるようにする?
(ちなみに宗教麻痺仮、もとい崇教真光とは何の関係もございません)
念のためw
うるせえよ、宗教板だけコテハンがなぜか逆に増えるんだよな。
カルトうざくて、最近、遠のきがちなんだが。
宗教って基本的に集団でやるもんだしな。哲学板の方が
俺的には何となく居心地が良いという事情もあるんだが。
宗教のメカニズムを暴露しただけでも価値があるな
839 :
小さなヨハネ:2006/04/16(日) 13:05:07
>>831 >ただ、神、神言ってるのですが、
>その「神」とは"具体的に"どういうものでしょう?
>ということですよ
ああ、なるほど。そういうことですか。
841 :
小さなヨハネ:2006/04/16(日) 22:31:32
神というものがどういうものか知るためにはまず霊的な世界があること
を知る必要があります。それを信じられないうちは、まず神の存在は
信じられないでしょう。まさに来世を信じることと神を信じることと
はセットのものなのです。
842 :
小さなヨハネ:2006/04/16(日) 22:41:37
『キリスト教は邪教です!』P36でニーチェはこう言っています。
「ここでキリスト教の問題点をまとめておきましょう。
第一に、「神」「霊魂」「自我」「精神」「自由意志」などといった、
ありもしないものに対して、本当に存在するかのような言葉を与えた
こと。(中略)第三に、「神」「精霊」「霊魂」など、ありもしない
ものをでっちあげたこと。」
「精霊」も「霊魂」も来世があることと同義ですから、彼も来世と神
の存在は信じていなかったことが明らかです。
843 :
一言居士:2006/04/16(日) 22:42:41
この世界があることがどうして、神がいる、という証拠なのでしょうか?
リトルジョンがどう思おうと、霊的とは言葉のことだ
845 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 22:58:11
「自我」「精神」「自由意志」
いまだに哲学史上の難問ですわwww
846 :
小さなヨハネ:2006/04/16(日) 22:59:21
証明せよというのが具体的にどういうものか説明せよということ
なら、スウェーデンボルグを読むのが一番です。彼の霊的能力に
関する3つの逸話は有名であり、カントもそれを『視霊者の夢』
の中で紹介しています。それらを知ることによって興味を持つ
なら、さらにスウェーデンボルグの『天界と地獄』を読んだら
よいでしょう。霊界に関して克明な報告がなされています。
847 :
小さなヨハネ:2006/04/16(日) 23:06:46
神を知るにはそれらのものの知識の積み重ねが絶対に必要だと
考えます。何も知らないで空虚なままでは何も判断できない
でしょう。
848 :
小さなヨハネ:2006/04/16(日) 23:12:04
>>843 この世界のことだけではそれが神の存在する根拠とは思えないでしょう。
しかし、あの世の存在を学んで、信じられるようになれば、この世の
存在だけでもそれは神の存在する根拠として十分であることを理解
できるようになります。
849 :
一言居士:2006/04/16(日) 23:13:58
843のつづき
「この世界があるなら、神もある。」これでは、この世界は神である、と定義したということしか導けないと思います。これでは、
天国・地獄の存在証明になりません。だって、証拠が言明されてないもの。
一気に16世紀に逆戻り
人間は知らないことを考えることはできず、考えないことは欲することもできない。
(天界と地獄512より)
852 :
一言居士:2006/04/16(日) 23:21:17
>848
あの世のことをこの世で学ぶ…それは、畳の上の水練である。
>852
それはあの世(霊界)が存在しない、あるいは霊界が存在するとしても、
霊界と自然界が全く交流していないのならそうも言えるだろう
しかしなんつーかw
無知は所詮無知ね(キャハハh)
じゃ消えるとするか
854 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 23:36:27
死んでからの自分を考えても無駄です
生きてる限り答えは出ません
死後についてはすべて妄言です
それは生きてる人の考えですからね
855 :
853:2006/04/16(日) 23:38:45
あ、もう一言付け加えておくと、
あの世のことなんぞ知らんでも、あるいは哲学なんぞに興味が無くとも、
そら飲んだり食ったりするのに何の差し支えもないがねw
ま、そういうことさ
じゃね
856 :
一言居士:2006/04/16(日) 23:42:08
人間がどうしてもわからないこと…例えば、25000ヘルツの音色はどんなものでしょうか?人間にはわかりません。けど、犬にならわかります。ほかにも、犬というのは嗅覚が人間の10倍もあるらしいです。
ですから、この世でも、犬にわかっても人間にわからないものもある。この世にいる身でスウェーデンボルグがあの世を報告したって、さっき挙げた音や嗅覚、つまりこの世のことすらろくにわからない分際である、
そんな人が実際にあの世に行きもしないで、あの世のことが克明にわかるわけないのだが。
857 :
最後の審判:2006/04/17(月) 17:57:34
最後の審判のリアルな解釈
ペルシア人が他国を征服した後に二者択一の最後の審判が始まる
・侵略軍に随う人は生かす=天国
・逆らう者は皆殺し=地獄に堕ちろ
勝手にそう思いこんでるだけですが、どうっすか?
858 :
小さなヨハネ:2006/04/17(月) 21:57:07
>>856 もぐらには太陽のことは永遠に分からないでしょう。
859 :
小さなヨハネ:2006/04/17(月) 21:57:58
860 :
一言居士:2006/04/17(月) 22:01:11
>858 わかりませんとも!ただ、私はわからないということを自覚しています。あなたこそ、わかっているようで、わかっていないんじゃないですか。
861 :
小さなヨハネ:2006/04/17(月) 22:06:22
神を理解出来ない哲学者は霊的に盲目なもぐらです。もぐらの言うこと
など愚にもつかない世迷いごとです。皆さんは騙されてはいけません。
862 :
小さなヨハネ:2006/04/17(月) 22:08:34
863 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 22:22:18
スウェーデンボルグはキリスト教では異端です
キリスト教論議がしたければ宗教板でしてください。
まあ宗教板で叩かれたから逃げてきたのでしょうがwwww
864 :
一言居士:2006/04/17(月) 22:54:22
霊的とか…それは、遁辞ではないでしょうか?
865 :
一言居士:2006/04/17(月) 23:02:24
霊魂の不滅とやらを証明してください。だいたい、霊魂とはなんですか?それと、霊魂と生命のちがいについて説明願います。
866 :
小さなヨハネ:2006/04/17(月) 23:07:29
>>863 >キリスト教論議がしたければ宗教板でしてください。
ははは。それを言うならニーチェに言うか
>>1氏に言うかしたら
いいでしょう。それに、あなたの指摘「スウェーデンボルグが
キリスト教の異端である」というのと何の関係があるのですか。
>>864 それはもぐら氏に言いたい。読んでから批判したらいいでしょう。
867 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 23:13:36
ようは小さなヨハネは証明できないからスウェーデンボルグ
を読めとしか言えないのよ。
なんか彼はイエスと阿弥陀さんを同一神とか言っていたへんてこ
だからいってもしょうがんよ。
868 :
一言居士:2006/04/17(月) 23:15:13
>866 本屋にスウェーデンボルグとやらがあるんですかね。わざわざスウェーデンまで行ってその聖典とやら読むのは、できない。金がないから。
869 :
小さなヨハネ:2006/04/17(月) 23:15:33
私にはもぐらに太陽の存在を証明することなどできません。
霊魂の不滅について証明することも、霊魂と生命の違いに
ついて説明することも同様にできません。それができるく
らいなら、とっくにすべてのもぐらは鷲になって空高く
飛んでいることでしょう。
870 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 23:16:27
あと小さなヨハネはあるスウェーデンのサイトのコピペを
していたよね。だから何の説得力もないよねw
871 :
一言居士:2006/04/17(月) 23:17:31
では、霊魂が滅びることを反証してください。あの世がないことも反証してください。
872 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 23:19:47
証明できないのだから存在の有無をはっきり述べることはできないよねw
それが論理の筋だろw
だけどそれをはっきりという小さなヨハネは預言者だねw
873 :
一言居士:2006/04/17(月) 23:20:40
では、なぜあなたは神を真実と思っているのでしょうか?
874 :
小さなヨハネ:2006/04/17(月) 23:22:02
>>868 新宿の紀伊国屋か八重洲のブックセンターに行けば置いてある
でしょう。あるいはそこが近くないならインターネットで探せ
ばいくらでもあると思います。
>>867 もぐらに付ける薬はないと言っているのです。イエス・キリスト
と阿弥陀仏の同一性は相当勉強しないと分からないでしょう。
横着者には無理です。
875 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 23:25:45
>>874 >阿弥陀仏の同一性は相当勉強しないと分からないでしょう。
>横着者には無理です。
証明を逃げたw
何の経典のどこどのように一緒かを証明してください。
哲学は信仰告白ではないのですよ。あなたがそう思うなら
きちんとした根拠を述べてください。
勉強とは洗脳のことである
未熟者なのでで合っているかは分かりませんが・・・
キリストと阿弥陀の共通点に関して
両方とも真理にたどり着いた(悟った)人という点で共通なのだと思います。
その真理とはキリスト教であれば「主」と表現され、
仏教においては「大日如来?」と表現されているのだと思います。
私の見解では、この真理とは理論的には1つに収束されるのですが、
実際には、全ての物質、空間、時間等あらゆる物の共通点でもあるので、
ミクロ的に見てももマクロ的に見ても同じような感じがしますね。
目の前の原子を構成する素粒子と、我々の居る宇宙が同じ様に見えるって感じです。
あ、この真理は私独自の見解なので・・・もっと違う見解もあるでしょうし、
私が感じている真理が本物である証明もできません。
う〜ん、あんまりうまく説明できなくてすいませんです・・・
あぅあぅ・・・。
立派な見解だ
879 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 15:15:53
嵐は去ったか……
スレタイへ戻ろう
880 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 15:50:08
俺は、どこから来たんですか?
881 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 15:51:22
ての物質、空間、時間等あらゆる物の共通点でもあるので、
ミクロ的に見てももマクロ的に見ても同じような感じがしますね。
目の前の原子を構成する素粒子と、我々の居る宇宙が同じ様に見えるって感じです。
あ、この真理は私独自の見解なので・・・もっと違う見解もあるでしょうし、
私が感じている真理が本物である証明もできません。
う〜ん、あんまりうまく説明できなくてすいませんです・・・
あぅあぅ・・・。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
878 名前:考える名無しさん :2006/04/19(水) 02:34:24
立派な見解だ
879 名前:考える名無しさん :2006/04/19(水) 15:15:53
嵐は去ったか……
スレタイへ戻ろう
880 名前:考える名無しさん :2006/04/19(水
882 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 18:06:37
わかったもういい
883 :
一言居士:2006/04/19(水) 22:31:10
真理と、「真理である」という信仰、という一節がありましたよね。真理はここにある、は嘘とも。
真理は、やすやすつかめたりはしないとニーチェは言いたいのですね。
884 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 03:47:25
神が人間を造ったとすれば、造られた人間が造った神について思考する
ことは、実は絶対に不可能なのである。人間は脳で思考するが、その
脳も神が造ったのであるから、思考主体と思考対象とが同一であり、
従って、思考は不可能・ナンセンスということになる。クリスチャン
や創造主を信じる他の宗教は、この点について一体どう考えるのか。
古代人は、生存のための厳しい自然との闘いの中で、創造主など考える
余裕があった筈がない。専ら、生存を助けてくれる自然現象を引き起こ
す不可知な力に対する感謝と、生存を脅かす自然現象を引き起こす不可
知な力に対する反感と憎悪があったのみであろう。
人間が知恵付いたため、当初の生存の努力を離れ、人間を造った者
を人間が考えるという不条理な行為を始めてしまった。このために、
生存とは全く関係ない、むしろ生存を脅かす宗教紛争が生じるに至り、
現在もなお絶え間なく続いている。
人間が知恵付いたために神を思考し始めたことが「原罪」だとすれば、
旧約聖書は、誠に物凄い真理を語っていることになる。
イエスが阿弥陀だなんていわず、
阿弥陀がキリストだと言え。ヨハネよ。
神が阿弥陀でもあるのではなく、
阿弥陀が神でもあると言えるのなら、
イエスキリストと阿弥陀に同一性があるんだろう。
しかしそれは無理だ。阿弥陀に復活は無い。
キリストも阿弥陀もただの救済信仰に過ぎない。同一性と言ったって哲学的意味はまったく無い。
宗教上の意味はあるのかもしれんがね。
886 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 13:28:27
そもそも大乗ヒンズー教徒が作った架空の仏である阿弥陀仏を
実在の人物であるイエスと同一視する精神構造が理解できん。
887 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 19:13:13
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:. ,'./ i ヽ:. ヽ:.:.. ヽ.ヽ
,'/ / .ハ ヽ ヽ:.:.:.:. ヽ::.. ヽヽ :.
:. |i .i i .i / ヽ ト 、 \、:.:.:. ',:.',:.:.lヽ}
|i .i l :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:}
:. |i∧ ', :{ ,ィjモト \ イjミトイイV :. な…
.| :メヽ.', `ozZ} izN。ハ::{ なんなんですか?
:. | :ヾ_! ゝ "゙゙ ' `゙ ハ.:', :. ここどこですか?
| :.:_イ .:.ヽ. (二フ , イ :.:.:!:.ヽ なんで私
:. / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:. 貼られたんですか?
/ ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ//ハ.:\
:. / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^` |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:.
/ / ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{ ∧/.-‐'": : |:.:. i ',
./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、 : : : l:.:.: .ハ ',
{ /| .:.:ハ : : :i Y {ヾ`Yヽニン'ノ}: : } : : : :/:.:.:/ }:.}
V | .:.:/:.:|_,ィ' ̄ ヽ三{ `ー-ノ : イ : : :/:.:i.:{ リ
ヽ:.:{、.:.V : : ヘ : : {: : :/:.::∧|
ヽ! )人 : : :人 : : : / \! :.
" ヽ : : : : :/イ{ :.ノ: : : :.\ :.
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/ //: : :|;|: : : : : : i: : : __: : : : ',
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/ / i , - 、._‐ノ v}r_ ij "" _ -フ''〈/ ̄ニゞノ_ハlゝ〃
| ● (__人_) ● |\. 〈ニ=;‐-/ ./!ー.l /ー`ニ7vノソij ゙ー゚=゙ {セ7′
! ノ: ヽ`ー‐'// | : \ヾ三//ァl. u , - 、_-フ 〉
丶_ ノ\ ::  ̄∧\. \:  ̄/| \ ヽ. l_ ̄`/./´・ω・)
889 :
小さなヨハネ:2006/04/20(木) 22:45:29
阿弥陀仏によって救われた人はたくさんいます。それは浄土真宗に
おいて「妙好人」として紹介されている人々の例によって明らかです。
しかし、救い主は主イエス・キリストをおいて他にありません。
使徒言行録4・12
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われる
べき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
従ってもし阿弥陀仏で救われるなら、阿弥陀仏とは救い主イエス・キリスト
に他ならないのです。
それはちょうど、太陽が民族によって違う呼名で呼ばれていても、同一で
あるように、真の救い主とは主イエス・キリストなのです。
890 :
小さなヨハネ:2006/04/20(木) 23:13:45
なお、阿弥陀仏の名はサンスクリット語のアミターユ、アミターバ
から来ており、その意味は無限の命、無限の知恵(順番は分からず)
であって、それはイエス・キリストの名と同じです。
また、阿弥陀仏の発祥は1世紀のインドと言われており、その時
すでにキリストの12使徒の一人、トマスがインドで布教していた
ことを考え合わすと、イエス・キリストが阿弥陀仏として布教された
可能性は非常に高いと思います。
>>889 その「救われた」は精神的な安息に過ぎず、どの宗教にもあるありふれたものです。
>>890 イエス(主は救い)・キリスト(油を注がれた者)
全然違う名です。
892 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 00:33:32
>>890 ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ |! |!
cト cト /^、_ノ | 、.__ つ (.__  ̄ ̄ ̄ ̄ ・ ・
,. -─- 、._ ,. -─v─- 、._ _
,. ‐'´ `‐、 __, ‐'´ ヽ, ‐''´~ `´ ̄`‐、
/ ヽ、_/)ノ ≦ ヽ‐'´ `‐、
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ ≦ ≦ ヽ
i. /  ̄l 7 1 イ/l/|ヘ ヽヘ ≦ , ,ヘ 、 i
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/ l |/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、l イ/l/|/ヽlヘト、 │
. |〃、!ミ: -─ゝ、 __ .l レ二ヽ、 、__∠´_ |/ | ! | | ヾ ヾヘト、 l
!_ヒ; L(.:)_ `ー'"〈:)_,` / riヽ_(:)_i '_(:)_/ ! ‐;-、 、__,._-─‐ヽ. ,.-'、
/`゙i u ´ ヽ ! !{ ,! ` ( } ' (:)〉 ´(.:)`i |//ニ !
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893 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 00:38:03
>>890 そう考えてるのは君だけです。
そういうのを妄想といいます。
少なくとも、君のいうことを自分で実証できないかぎり
所詮妄想の域をでない世迷言にすぎず学問とは言えません。
895 :
一言居士:2006/04/21(金) 21:43:00
神がいたっていなくたってどうでもよい。いる、いないすらどうでもよい。いまになってそう思ったのだが。
>>895 それも君の信仰の有無という域を出ません。
つまり無神論者というだけです。
だが「神」という概念がありその概念で哲学がなされてきた以上、
個人の信仰はどうでも、哲学の徒であれば考えなくてはならないテーマです。
897 :
キキキ(完成形) ◆QIkCZQQdpM :2006/04/21(金) 22:09:01
キリスト教がなければ、
戦争の数は増えているだろうな。
ソレがわからないなら、頭が悪い。
898 :
一言居士:2006/04/21(金) 23:24:30
>896
では、あなたは神をどう考えているのですか。わたしは、895で言っているように考えています。つまりいようがいまいがどうでもよい存在と。
それと、神について語るということは、ある程度自分の信仰によらざるを得ないと思うのですよ。
たしかに阿弥陀というのは、サンスクリット語のアミターユス(無量寿)、
アミターバ(無量光)の語幹、すなわちアミタ(無限)から来ているそうですな
ここでミソなのは、(阿弥陀は)無量寿のみならず、同時に無量光でもある、ということ
さて無量寿、すなわち無限の生命とはどういうことか?
(おそらくは、ここでは2通りの解釈が考えられる?)
「何人も生命とは何であるかを殆ど知っていない〜」
(神の愛と知恵363より)
ま、ヨハネさんが知ってるからいいでしょう(ぉぃ)
ともかく無料、ではなく無量、無限、無辺というのはまさに捉えがたく、測りがたく、
有限の我々にとっては概念でしかない、あまりに圧倒的すぎて・・・
誰も神(父)を見たものはいない(ヨハネ6:46)、つーのはある意味当然ですな
だから「阿弥陀」(アミタ)のみならむしろ父性を現していると言えるかも
(解釈によっては子性とも言えるが・・・いずれにせよこれは三一性を知らんと理解できんな)
さて、阿弥陀の後ろに仏、あるいは如来と付くと、仏教に詳しいわけではないが、
仏(如来)とは(無量光における?)顕示されたものの顕現(された人間性)と考えれば・・・・
(あるいは「時間における贖罪者」・・・か?)
な〜んだ、まったく同じじゃんw
つーか同じすぎるわw
名前だけならバアルだって「主」だし
モロクだって「王」だ。