1 :
考える名無しさん :
2005/12/02(金) 01:50:12 野矢茂樹「哲学の謎」 われわれもまた枯葉と同様に自然法則に従うしたないというので あれば、われわれの動きは自然法則に縛られている。しかし、 もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば、「自由 な行為」ということも私には虚しく思える。それはけっきょくの ところ操り人形の見た幻影にすぎないのではないか。 ベンサム「道徳および立法の諸原理序説」 自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにお いてきた。われわれが何をしなければならないかということを指示 し、またわれわれが何をするであろうかということを決定するのは、 ただ苦痛と快楽だけである。一方においては善悪の基準が、他方に おいては原因と結果の連鎖が、この二つの玉座につながれている。 苦痛と快楽とは、われわれのするすべてのこと、われわれの言う すべてのこと、われわれの考えるすべてのことについて、われわれ を支配しているのであって、このような従属をはらいのけようと どんなに努力しても、その努力はこのような従属を証明し、確認 するのに役だつだけだろう。 「脳は物質だから〜」スレとは別に立てました。
2 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 02:13:59
大澤真幸「戦後の思想空間」 僕らの行為や体験というのは、意味づけられており、まさにそのことに よって可能になるんです。意味づけられているということは、それが、 ある状況のもとで、適切であるか不適切であるかといった区別が付され ているということです。そういう意味づけをされている行為と体験の 領域のことを、一般的に「経験可能領域」というふうに呼びたいんです。 つまり、規範が、ポジティヴかネガティヴにか意味づけるべく準備して いる―予期している―行為と体験の集合です。 意味づけられておらず、それが何らかの正常な行為をしたとは見なされ ない場合もたくさんあるわけです。あまりにも突飛で、規範が照準して いない計算外の行動もあるわけです。そういうものは、経験可能領域に 入っていない。これもよく出す例ですが、皆さんがたとえばここで居眠 りをするとか、小さな声で私語をするといったことは、計算内に入って おり、不適切な行為のうちにカウントされるわけですが、たとえば、誰か が突然大声で歌を歌いだすとする。こういう場合は、単に不適切性の域 を超えていますね。こういうものは経験可能領域の埒外ですね。つまり、 それは、適切であったり、不適切であったりする何らかの行為をしたこと にすらならない。そういう場合を、僕は、「正則性」の範囲の外にある、 と表現することにしています。
3 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 02:17:51
経験可能領域ということと<資本>がどういう関係にあるのか。短絡的 に結論だけ言ってしまえば、<資本>というのは、社会的に承認されて いる経験可能領域を普遍化していくダイナミズムなんです。経験可能 領域を、より包括的なものへと次々と置き換えていくダイナミズムが、 <資本>という現象なんです。そして、こういうダイナミズムが、社会 的にノーマルなものとして―正則なものとして―認められているよう な社会システムのことを、<資本主義>と呼ぶんですね。
4 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 02:31:50
モノー「偶然と必然」 細胞内のサイバネティック的ネットワークの能力・複雑さ・首尾一貫性 について、われわれはかなり明瞭な概念をもっている。これは、かつて は知られずにいたものであるが、われわれはこのおかげで、従来にも まして明瞭に以下のことを理解できる。すなわち、あるタンパク質の 構造の変化という形で現れる<新しさ>はすべて、第一にその新しい タンパク質がそれの属する系全体と両立しうるかどうかという点に かんして試験されることとなる。しかもその系は、生物のもつ目的を 果たすための無数の統制的条件によって前もって縛りつけられ、勝手 にはできなくなっている。 したがって、受け容れられる突然変異というのは、合目的的装置の 首尾一貫性を低下させてはならないだけでなく、むしろすでに起こって いる変化の方向に即してこれをさらにいっそう強化するか、あるいは また―それよりずっと稀なことではあるが―あらたな可能性を開くと いったぐあいの突然変異でなければならない。
5 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 03:26:17
ドーキンス「利己的な遺伝子」 彼らはあなたの中にも私の中にもいる。彼らはわれわれを、体と心を 生み出した。そして彼らの維持ということこそ、われわれの存在の最終 的論拠なのだ。彼らはかの自己複製子として長い道のりを歩んできた。 今や彼らは遺伝子という名で歩きつづけている。そしてわれわれは彼ら の生存機械なのである。 権力と規範と排除の関係についてもどこかから引っぱってこようと思った けどいいのが見当たらなかった。
6 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 03:37:33
で?何が言いたいの? 人間の意思は社会によって制約されてると言いたいの?
7 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 03:57:26
社会や周囲の環境によっても制約されているんじゃないでしょうか。 脳は物質だから物理的な因果関係に従う、という議論じゃなくても。
8 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 04:03:43
制約されてるだろうな 知らないことは知らないし、思いつけないことは思いつけない
9 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 04:22:02
だから生の権力においては、人種差別が非常に重要な機能を果たすことになる。
生の権力は、以前は伝統的な主権が正統性をもって行使していた殺害という古い
権力を行使するためには、人種差別を経由するしかないとフーコーは考える。こ
こでは「殺す」という言葉が、間接的な殺害、すなわち特定の人々の死の確率を
増大させること、政治的な権利の剥奪、排除なども含めて考えられていることに
注意が必要だろう。
フーコーは、犯罪、狂気、精神疾患についても、この生の原理が人種の原理を
通過することで、排除の原理、間接的な殺害の原理に転化することを指摘する。
これらのテーマは、すでにさまざまな場所で取り上げられてきたが、フーコーは
生かすことを目的とする社会で排除が可能となることの背景に、「社会の危険」
という考え方が潜んでいることを指摘するのである。
ttp://polylogos.org/soc27.html
10 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 04:24:56
内的にしろ外的にしろ規範によって排除される者の自由は、集団全体の 安定の為に無視されるのかな。
11 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 04:49:28
You can choose a ready guide In some celestial voice. If you choose not to decide You still have made a choice You can choose from phantom fears And kindness that can kill; I will choose a path that's clear- I will choose free will
12 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 05:31:58
>>10 そこで規制されるのは意思ではなく行動だな
13 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 17:29:34
規則性、法則性、因果関係があり、予測可能なものは自由な意志で行ったとは言えないだろう。
多くの学問は現象から見出だされる不自由な振る舞いを言語で記述する行為ではないか。
規範とは人間の自由を制約する側面もあるが、自由を保障する面もある。
そうした規範の生成プロセスも個々人の利己的感情を満たす為に作られた必然的産物なのだろう。
>>12 排除とは場から除くことであり、行動の規制でもありますが、当人のその場で自由に行動したい
という意志も制約されるのではないでしょうか。
14 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 18:26:25
社会的に『人を殺す』という行動は規制されているが 『人を殺したい』と思うことは規制されてないな
ていうことは 「行動に結びつく(行動を起こすことが可能な)思考」 が、議論のの対象になるのかな?
16 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 22:25:03
意志は自由だ! という奴と 意志は自由じゃない! という奴がいないと議論にならんかとw
17 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 22:26:30
2chらしくないということでつかw
18 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 23:38:08
行動には意志が伴いますから、行動を規制することは行動を起こす意志 も規制する事になる、また排除された場での意志の可能性も絶たれる という話です。監獄に送られたら行為も意志も不自由になる。 「殺したい」と思っても実際に行動を起こす以前に、公の場で表明する 自由もないわけで。ただ、社会的に承認された殺人である死刑がある ように犯罪者に対しては「万死に値する」とか言えるようです。 通常、不自由を感じるのは快楽の達成が不可能な場合のようで、快楽を 追求するようにプログラムされている事自体に不自由を感じる人は稀な ようです。
19 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 23:40:22
恋愛経験のないクソガキなら 自由意志の存在を信じるだろう
20 :
考える名無しさん :2005/12/02(金) 23:51:35
恋愛じゃなくても自分の魅力や能力を試される事が多くあり、そこでも 魅力がなければ達成困難な壁が生じ、不自由を感じることが多いのでは ないでしょうか。
現実の選択を自分がやってるという感覚があるだけで充分じゃないの。 所詮全ては決定されてるからなんつって何もしなくなるヤシなんていないでそ。
22 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 01:23:07
>>18 意思は全て行動に移されるの?
例えば『そこの角を右に曲がって・・・』と『考える』のは意思ではないの?
23 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 02:46:17
仏教によると、実は不自由の中にこそ自由が有るらしい。 不自由と上手く付き合うといか。 確かにまともな僧侶は自らかなり律された生活を送っている。 何もかも自分の思い通りというのもある種苦しみなのだろう。六道輪廻の一つ、天上界だ。 お釈迦様が出家する前に送っていたという生活を考えてみるとなんか分かる気がする。 少し不自由な方が意思も引き締まって正しい方向に向くんだろう。
24 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 02:58:12
普段飯が不味いと たまに旨いときめちゃくちゃ旨く感じるということか?
25 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 03:06:06
普段つんつんしてる彼女が たまにしおらしく甘えてくるようなものか?
26 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 03:12:43
おまえらに女がいないのは 来たるべき幸せな出逢いのためだ その期間が長いほど幸せは大きくなる! よかったなw
27 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 03:15:15
>>24 >>25 うん。毎日努力しなくても思いのままだったら、
いくら理屈を付けようとも何かピンとこないものが残るんじゃなかろうかと思う。
(まあ仏教ではこういうのを天上界という苦しみの世界だと言うらしい)
28 :
27 :2005/12/03(土) 03:24:49
>>26 死ぬまでその期間になったら元も子もないww
でも坊さんは肉も食べれないし、酒も飲めないし、結婚もいけないのに平気でいるな…
29 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 04:34:46
>>1 自由意志論なら、なんでアウグスティヌスを挙げないのか。
>>1 は偏りすぎ。
ルネサンス期には、中世の宗教的束縛から解放され、自由意志によって何事でも 成し遂げ、自己を高めて完成さす万能人が理想とされた。ピコ=デラ=ミランドラ は、人間は自由意志によって自己の形成者となれると主張して、自由意志を肯定 した。また、エラスムスが「自由意志論」を書いて、神の恩寵と人間の自由は 両立し、善は神の恵みであり、悪は自分の生み出したものであるとしたのに対し て、ルターは「意志非自由論」を書いて、罪を持つ無力な人間にはみずからの意志 で善や悪へと向かう自由はなく、すべては神の摂理によって必然的に定められて いると説き、自由意志論争が展開された。 ピコ=デラ=ミランドラ「人間の尊厳について」 ピコ=デラ=ミランドラが、各地の学者を招いてローマで開く予定であった討論会 のために準備した演説原稿。ピコはあらゆる思想・宗教は同じ真理の表現である と考え、諸思想を一つに融合しようとした。演説原稿によれば、神は人間に自由 な選択の能力を与え、自己の生き方を自由に選ばせるようにした。人間は自由意志 によって動物に堕落することも、神との合一にまで高まることもできる。人間が みずからの自由意志で自分自身を形成してゆく所に、人間の尊厳の根拠がある。
31 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 13:14:02
アウグスティヌス 神は人類の祖先のアダムに自由意志を与えたが、アダムは神に背いて罪を犯した ため、その原罪によって人間は善をなす自由を持たず、悪へと傾かざるをえない 自由しか持たないことになった。人間は神の永遠の善と美の世界を望みつつも、 その自由意志は肉体の情欲の重みである罪にひかれ、悪へと転落せざるえない という矛盾に苦悩する。そのような人間は、ただ神の無償の愛によってのみ救わ れる。信仰そのものも神の与える恩寵であり、だれが救われるかは神によって 永遠に予定されている。神の恩寵にあずかれるのは教会をとおしてのみとされ、 教会に対する信仰の基礎が確立された。このような神の恩寵と予定を強調する 立場から、アウグスティヌスは人間の意志の自由を認めるペラギウス派を否定 した。
32 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 13:39:12
カントにおける自由 カントにおいては、みずからが立法した道徳法則に自発的に従う実践的な 自由を指す。それは理性が立てた法則に、みずから従う自律の能力である。 自然の現象界(感性界)では、結果はそれに先行する原因によって決定され、 すべてが因果法則によって必然的に支配されている。道徳が可能であるため には、人格の自由な行為があらねばならず、カントは自由な人格の世界として 英知界を説いた。人間は感性的存在としては必然的な自然界に、道徳的人格 としては自由な英知界の両方に属している。人格は英知界の自由を根拠にして、 みずからが立法した道徳法則に従って善を実践する。 カントにおける人格 カントにおいては、みずからの理性の命じる道徳法則に従って、自律的に 行為する自由な道徳主体を指す。人間は快楽への傾向性を持つ自然な存在 であると同時に、理性の立法する道徳法則に従って、自律的に行為する自由 な主体としては人格である。人格は目的として尊重されるべきで、他の何か の手段や道具となる物件とは区別される。カントは人格に絶対的価値と、 人間の尊厳の根拠を見出す人格主義の立場をとった。
33 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 13:47:15
「実存は本質に先立つ」 サルトルが「実存主義はヒューマニズムである」で、人間の自由な実存 を定義した言葉。物には「何であるか」という本質があらかじめ定められ ているが、人間はまずこの世に存在(実存)し、その後からみずからの 自由な行為によって自己が何であるか(本質)を定義していくという意味。 人間が自由であるということは、「自分が何であるか」という定義を あらかじめ与えられておらず、自己の行為を自由に選ぶことによって、 自分が何であるかという問いにみずから答えることである。
34 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:02:28
哲学者って 馬鹿ばっかなんだね(^^;
35 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:13:24
そうか?自由意志は人間の尊厳の根拠になっていると思うが。 だから物質的な因果関係と違う所に人間の意志を置くという発想も理解 できるんだが。 これは自然選択による進化論に対する反発や人工知能批判などにも現れる 事だと思う。
36 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:13:51
おまい、哲学者がレスしてると思ってるのか?
37 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:16:47
バカでなけりゃ哲学なんてやってない。 頭のいいやつは物理や数学をやる。 問題はバカかどうかではなく、 バカがバカなりにどう頑張って足掻いたかだよ。
38 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:19:14
知能の高い連中は哲学畑に進まないってことのよ〜だな(^^;
39 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:21:09
>>37 そうすると、君は、
・バカだから哲学をやっている
・やってもいないのに哲学について語っている
のいずれかなんだね。
40 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:28:06
>>39 そういうことになるね。
だから?
もしや君は、
「あらゆる事象は『やってもいない(経験してもいない)』うちは語れない」
などという子供でも真偽の分かる命題を、掲げようというのかね。
なるほど、君は哲学者だ。
そして哲学者であるからにはバカだろう。
こうしてわれわれは、一つの実例を得たわけだな。
結論:哲学をやるやつは馬鹿
42 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:33:23
どうして哲学をやっている人をバカにする人が哲学板を覗いて書き込み をしているのか疑問なんだが。哲学板の構成員はそういう人ばかりで、 だから糞スレが多いのか。
43 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:34:28
>>40 >だから?
そういうことでいいんじゃないの?
何か不満?
>>42 ヒント 自虐、自己批判、敗北主義、マゾヒズム、ルサンチマン、反動形成、
分裂症、神経症、やけっぱち
未だに共産主義運動に燃えてビラを配ってセクトを組んで、 大学に何度も入りなおして永遠の学生運動をしている連中を見ると、 こいつらはバカだと思うだろう。 哲学者の殆ども今となってはそう思ってるはずだ。 ところが哲学者が分ってないのは、自分たちも共産主義革命と同じくらい おバカで先のないことに莫大なエネルギーを投下しているということだ。
>>42 ヒント 権力欲、権威主義、差別主義、理系賛美、哲学無知、罵詈雑言
47 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:47:57
哲学をバカにするならどこか別スレでやってくれないか。 自由意志の話と関係ないし。
とりあえず、このスレでやることはないだろう。 哲学批判スレはすでに(いくつも)あるんだから。
49 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 14:51:05
クソ哲学者どもの非論理的考察と屁理屈構築を理解しようと つとめるうち、だんだん自己(の判断力)を失って ついには理解不能な言説を理解できる?ようになるんだろw
50 :
↑ :2005/12/03(土) 15:34:40
と、どこかのプロマネがくっちゃべっておりまつ。
ぶっちゃけ理系の連中は哲学なんぞ相手にしてない。
趣味として、古代魚を鑑賞するように寄ってくることがあるくらいだ。
こういう連中は素直だから、むしろ哲学科の学生以上に
コロっと哲学にだまされて理系としての自己を真剣に考察し始めたりする。
ま、悩むだけ無駄なんだけどね。
一方哲学を叩いてるのは、哲学のダメさがわかっている哲学科の学生。
ついでに自由意志と唯物論は矛盾しないので
>>1 の野矢ってのはバカ。
52 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 15:52:51
哲学のダメさって、哲学を教える教官が自分たちを社会の醜悪さから隔離していることによるところが大だな。 社会の醜悪さって、哲学とほぼ同等くらいにおもしろいのにね。
53 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 15:56:35
真実には醜悪もなにもない
54 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 15:57:33
社会は十分に醜悪である
55 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 15:59:50
白内障の目で語られても・・(^^;
56 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 16:00:57
ふしあなの目で語られても・・(^^;
57 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 23:23:59
山形浩生訳のダニエル・デネット「自由は進化する」を読んだ人はいるかな?
自由意志について論じてあるようだけど、私は訳者あとがきしか読んでない。
デネットの話のまとめと自由意志否定論への反駁が載っているけど、どうも
議論が甘いように感じる。
哲学は駄目で数学や物理学の方が素晴らしいとか言いたいなら、
数学的言語による現象の記述の優位性、と持って行ったら面白いかもね。
哲学は頭の中で創られた観念をもとに自然言語で書かれているのに対して
数学や物理学は普遍的な数学の言葉で書かれているから哲学より優れている、
とか。
>>51 >一方哲学を叩いてるのは、哲学のダメさがわかっている哲学科の学生。
それは右翼は在日と言っている人達がよく使う論理のすり替えだ。
既存の哲学に対してまったく無知で興味もないのに糞レスして遊びたい人だろ。
>ついでに自由意志と唯物論は矛盾しないので
>>1 の野矢ってのはバカ。
どう矛盾しないのか説明してみて。
根拠のない主張をして対象をバカ呼ばわりするだけではつまらないよ。
58 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 23:38:09
だいたい自由意志ってなんだよ 「意志」でたくさんだろ やたら文字いじってんじゃね〜よ
不自由意思というのを想定してみる。
60 :
考える名無しさん :2005/12/03(土) 23:45:51
そりゃ意志じゃない
61 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:00:20
>>57 右翼は在日が多いだろ、結果的に。
ヤクザにも多い。
だからと言ってゼノフォビアになろうとも思わない。
大体どういう論理のすり替えなのか、構造を言ってみてくれないか?
相似的構造や合同的構造、並行的構造、なんでもいいけどさ。
哲学を叩いているのは哲学のダメさが分かってる、身にしみている人間だ
というのは根拠がある。いまや哲学は他の分野から馬鹿にされるような
存在じゃあない。無視されてるんだから。アウトオブ眼中なの。
興味もないやつは糞レスもつけないの。
>右翼は在日が多いだろ、結果的に。 意味がわからん。
63 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:02:48
64 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:06:00
だいたいだな、
>>57 は
>数学的言語による現象の記述の優位性、と持って行ったら面白いかもね。
>哲学は頭の中で創られた観念をもとに自然言語で書かれているのに対して
>数学や物理学は普遍的な数学の言葉で書かれているから哲学より優れている、
>とか。
哲学哲学という割には書いてることが陳腐すぎるだろ。
飯を食うのはあんまし意志的じゃないけど、ダイエットのために我慢する のはわりかし意志的だね。
66 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:10:28
>>63 よけいわからん。
形容詞をいくら追加しても、論理の不足は補填できんぞ。
68 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:29:49
>どう矛盾しないのか説明してみて。 >根拠のない主張をして対象をバカ呼ばわりするだけではつまらないよ。 自然言語ってのがゆるゆるだから、矛盾してるように感じるだけだろ。 本当はかみ合ってない二つの説明を、無理やり同じ座標に持ってくるから 形式的な矛盾が現れるだけだ。 おれが何か選択をするのは世界の最小単位を構成する物質のせいだ、 というような、ぶっとんだ、およそ非理性的で極端な言説を 容認する場合にのみ現れるような矛盾にすぎない。 まず根本的に間違ってるのは、そのような最小単位、アトム的なものを 安易に擬人化することだと言いたいね。
69 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:32:22
>>67 お前がど素人過ぎるんだろ。分かる奴には最初の発言だけで分かるの。
つーかお前は、哲学を擁護しようとする気持ちだけがあって、
実際には人文科学全般、社会科学全般の知識がないだろ。
>>69 >お前がど素人過ぎるんだろ。分かる奴には最初の発言だけで分かるの。
その割りには、あなたは、説明できないようだが。
>つーかお前は、哲学を擁護しようとする気持ちだけがあって、
よくわからん。なんで、この程度の質問をしただけで、
哲学の擁護なんぞといわれにゃならんのか。
71 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:41:36
>>21 >現実の選択を自分がやってるという感覚があるだけで充分じゃないの。
普通は、他人からの強制、自分の能力や環境による制約、快楽の追求が困難な
場合などに不自由であると感じるようです。
自分がやっているというそもそも自分っていうのは何か、過去の条件や快楽や
環境により決定されているのではないか、自分や主体性というのは幻想では
ないか、という疑問は生じます。
>>64 そうか?普遍性の高さを優位として権威とする思考についての言及は今まで
見た事がないけど。
>>65 ダイエットも健康のため、もてたいため、という快楽の追及が食欲より優先された
ものでは。本能に反している事を意志的と言っても、その意志は別の快楽の追求
を原因として動いているものではないかな。
72 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:44:31
>
>>64 >そうか?普遍性の高さを優位として権威とする思考についての言及は今まで
>見た事がないけど。
ポパーが書いてた。引き出してる結論は違うがクーンも書いてた。
73 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 00:47:52
つーか、こいつら、「なんでも哲学」じゃん。揚げ足取るばかりで、 中身のあることは全く言わない。 なんでアンチ哲学のおれの方が哲学の文脈に沿って書いてるんだよww
74 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 01:05:24
それから「右翼」に関しては、そこまで言うならまず多少は定義をしろや。 文脈から言って街宣右翼のことだろ?と俺は思ったが、 あいつらに政治的主張なんかねーよ。ちょっと調べりゃ分かる。 だからネット右翼が言ってる「街宣右翼は右翼を陥れるネガティブキャンペーン」 というのは確かに嘘だ。だが、社会の下層集団が右翼団体に拾われてることには 変わりない。マイノリティってのは、どうしてもそうなる。フランスを見たろ。 それから、なぜ在日が自らの存在と一見矛盾する右翼活動に コミットするかってのは、ちゃんと社会学的な分析もいくつかなされてる。 俺は、だからと言ってマイノリティを即差別したりはしない。 だが、例えば在日外国人の犯罪生起率が有意に高いことを否定したりもしない。 してもしょうがないからだ。
75 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 01:12:43
>>72 どこで?
>自称哲学徒
>哲学のダメさがわかっている哲学科の学生。
まったくの門外漢が哲学徒を貶めるために哲学を叩いている者を哲学徒
という事がすり替えじゃなかったら何なんだ。
哲学徒と言う事でアンチの権威付けを行う操作なのかもしれんが。
>なんでアンチ哲学のおれの方が哲学の文脈に沿って書いてるんだよww
どこで?
>>63 どこに社会学的ソースがあるの?
>>68 >おれが何か選択をするのは世界の最小単位を構成する物質のせいだ、
>というような、ぶっとんだ、およそ非理性的で極端な言説を
>容認する場合にのみ現れるような矛盾にすぎない。
極小の物質構成要素にまで行かなくてももっとマクロな視点からも
因果関係は記述されるぞ。
76 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 01:25:26
ised@glocom - 積極的自由(isedキーワード「消極的自由」と同内容。)
アイザイア・バーリンは論文「二つの自由概念」のなかで(『自由論』(みすず書房、1971年)、
積極的自由/消極的自由という有名な対概念を提示している。
消極的自由とは、一般に「〜からの自由」などとも呼ばれ、ある行為主体が強制を受けていない
状態にあることを意味する。一方の積極的自由とは、「強制を受けていない」というだけではなく、
主体が自らの従うべき格率を自ら設定しうること、自律的な自己決定能力を持つこと(〜への自由、
〜へ向けての自由)を意味する。バーリンは1959年講演において、冷戦体制を背景に、消極的自由を
擁護し、積極的自由を称揚することの危険性を訴えた。なぜなら積極的自由が、全体主義者や
共産主義者による「正しき道」への国民たちへの命令を正当化すると恐れたからである。
http://ised.glocom.jp/keyword/%e7%a9%8d%e6%a5%b5%e7%9a%84%e8%87%aa%e7%94%b1
77 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 01:26:36
>>75 >極小の物質構成要素にまで行かなくてももっとマクロな視点からも
>因果関係は記述されるぞ。
おいおいアホだな・・・
因果律がマクロレベルでも見いだせるのは当たり前だろ。
自由意志が、物質的制限を受けることをお前は否定するのかよw
自由意志ってのは、もとより完全な自由じゃないだろうが。
物質的な制限がある中で、「一定の」自由があるかどうかが問題なんだろ?
マクロレベルにおいては、「一定の」自由と因果律は矛盾しない。
ところが問題を先鋭化して、アトム的なレベルを想定する場合のみ、
そこに「一定の自由」すらない状況が措定されるんじゃん。
根本的な問題設定を理解してるか?
78 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 01:47:05
InterCommunication No.55 東浩紀+濱野智史「情報社会を理解するためのキーワード20」 ・自由 情報社会において自由とはなにか。20世紀末の情報技術革命を先導した初期ハッカーたちは、自由は国家からの 自由によって実現できると考え、「サイバースペース独立宣言」として表現した。バーブルックらはそれを反体制的 感性とネオリベラリズムの野合として批判したが、むしろその融合こそが情報社会の本質だと言える。 なぜか。バーリンは自由を積極的自由(自己支配)と消極的自由(他者から干渉されないこと)に区別し、前者の 拡大は全体主義への依存に繋がると警告した。フロムはそれに対し、消費社会の台頭も積極的自由の実現を妨げる と論じた。大澤真幸はこの両者を受け、消極的自由の概念を「選択肢の多様性」と読み替えたうえで、現代社会に おいてはその拡大こそが積極的自由(自己選択の動機づけ)を阻害していると分析した。以上を受けて東浩紀は、 検索やフィルタリングなどの情報サービスは、まさに積極的自由の弱体化を埋め合わせるために発達していると 議論した。そのサービスの整備は、プライバシーの情報財化や監視社会の進展と結びついている。 この変化は、情報社会における自由の考察が両義的になることを意味している。東はそれを、情報社会コミュニ ケーションの層とインフラの層に分けたうえで、情報技術が人々を自由にするのは前者においてだけで、後者では むしろ自由を制限すると整理した。初期ハッカーたちが称揚した人間的=コミュニケーション的な自由は、実際に は、動物的=インフラ的な管理強化と不可分のものである。つまり、反体制的な自由志向とネオリベラリズム的な 自己責任の論理は、情報社会では裏表の関係にある。この構図は、人々の主体の側から見れば、自由の範囲があら かじめデータベースで決定されている、機械仕掛けの「宿命論」と言えるだろう。
79 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 02:03:34
>>77 だ・か・ら、自然法則と自由意志がどのように矛盾しないのか説明してみて、
って言ったでしょ。「一定の自由」って何よ。
極小レベルで規定されている事がマクロでは規定されない、という事もない。
ついでに言えば量子力学では、個々の粒子のふるまいは予言できず、集団の
統計的をふるまいを扱う。
80 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 02:10:05
どうしようもないのばっか引っ張ってくるねw マトモなのないのかw
81 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 02:35:44
お前等ばか 自覚あるだろ?ないなら重傷、さてがんばろうか
81はソクラテス
83 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 14:44:40
諸君、僕は真理を発見した。 自由意志なぞ存在しないのだ。意志とは常に命令だよ。 誰からの命令か。すなわち諸君各々の信じる神さ。
84 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 15:22:57
ダニエル・デネット「自由は進化する」の訳者あとがきについて(そこしか読んでない) ・自由とは自由を享受する能力である。享受する能力を伴わない自由なんてのは実質的に存在しない。 定義の中に定義する言葉が入っているのが変だけど、足が不自由な人が健常者のように普通に歩きたいと 思ってもできない、だから不自由だと感じる、挙げている例では「盲人にも何かを見る自由はあるんだ」 とあるが、「盲人は目が不自由であると感じる」ということが実際に存在する。 ・自由の享受能力を拡大する能力のないものには平等な自由も権利も存在しない。 満足に言葉がしゃべれない者が虐待を受けていたら、その人には苦痛を他者に理解できる形で表明できる 自由はないので、対等な権利も存在しないのか。 ・遺伝や環境要因によって決まる部分はあるが、それですべて決まるわけじゃないから自由意志は存在する。 遺伝や環境要因で決まらない自由とは何か。道具や機械やクスリも環境の一部ではないか。努力などの動機 付けも遺伝や環境によって規定されているのではないか。(社会階層の違いによる学習意欲格差など) ・怒るときには怒る理由があるし、絶望には絶望の理由がある。その怒りや絶望も含めて自分だ。 理由や原因がある感情に動かされている事に主体性はあるのか。 ・利己的遺伝子論は自由意志の否定にならない。自分は利己的遺伝子やミームと独立した存在ではあり得ない、 それらも含めて自分なんだ。 自分や近縁者の遺伝子を残すようにプログラムされ行動を選択しているものに主体的な自由は存在するのか。 ・脳科学的な議論 アルコール中毒者がアルコールを摂取するように行動するのは脳内のある種の化学的反応に支配されているから であり、中毒から自由になろうというのも、脳内の物理化学的な反応に基づく。 ・ぼくたちにできる最高の戦略は、とにかくわかる範囲でいちばん害を避けて有利な結果となりそうな選択肢 を選ぶことしかない。そのとき選ぶのは決定されているのかもしれないけれど、どう決定されているかわから ない以上、それを心配したところで意味はない。 選択も自分の快楽追求に支配されているのではないか。
85 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 15:36:46
あの。 意志とはなにか、をはっきりさせていないから、 議論が混乱しているとしか思えないが。 ちなみに、意志が自由かどうかは 意志が意志以外のなにものにも制限されていないことを言う。 だったら、意志とはなんじゃ、と問わなければ どうしようもなかろう。
86 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 17:51:27
定義を問題にするなら「意志とは何か」より「主体とは何か」かな。 仏教では他に依存しない独立した主体の存在を否定しているのかな。 ・縁起 すべてのものは相互に寄り合って成立し、無条件にそれ自体で存在するものはないという、仏教が説く存在の法則。 縁起とは「縁りて起こる」の意味。生があるから老いや死があるように、すべてのものは何らかの原因を持ち、他の ものを条件として存在している。縁起は「これがあればあれがあり、これが生ずればあれも生じる、これがなければ あれもなく、これが滅すればあれも滅する」と説かれる。衆生の迷いも固定的なものではなく、それが生まれた原因・ 条件を滅すれば、消滅して悟りを開くことができる。 ・因縁 縁起によって物事がおこるときの原因・条件になるもの。直接的な原因となるものが因、間接的な条件や環境が縁と 呼ばれる。人間の生命も肉体も、この世のすべてのものは因縁が和合して成立し、因縁が離散すれば消滅する。 ・五蘊 すべての存在するもの構成する五つの要素。色・受・想・行・識を指す。色(物質や肉体)・受(外界の物を感受する 作用)・想(物事を思い描く表象作用)・行(物事を形作る形成作用)・識(物事を対象として認識する作用)の五つ が集まって、すべてのものがつくられる。そのどれにも「われ」「わがもの」と固定的にとらえることのできるものは ない。自我そのものは五つの要素の集合によって成り立ち、それ自体の固定的で永遠の実体を持つものではない。仏教 では固定した実体としての我は認めず、無我の立場を説く。
87 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 17:57:11
・空 大乗仏教の根本的立場をあらわす語。すべて存在すものは固定的な不変の実体をもたないということであり、縁起説を 深化・発展させたものである。大乗経典のうち、とくに「般若経典」が空の思想を強調し、のちにナーガールジュナが これを哲学的にまとめた。 ・無自性 すべての存在するものが固定的、実体的な本性(自性)を持たず、他のものに条件付けられて成立していること。 ナーガールジュナ(竜樹)が縁起説を深めて展開した空の理論を指す。無自性の教えによって煩悩も苦もそれ自体の 実体を持たず、一切の衆生は本来は空に生きており、空を悟って仏になる可能性が開かれた。
>>85 >ちなみに、意志が自由かどうかは
>意志が意志以外のなにものにも制限されていないことを言う。
それは無茶ではないですか。
自由にも「程度」というものがあるのでは。完全に自由なのは神だけ、とか。
89 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 18:24:17
『自由意志』 ある 〔A〕 その行為の という行為 根本的意志 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶 ある 〔A〕 という行為 『自由意志はない』 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶 荒っぽく言えばこういうことかな? 下図は、「根本の意志はなく全ては各種条件の加算によって行為がなされる」と・・・。 そして、外的因子がどの程度の強制力をもって個人へ影響するかの見極めで、 この線上の線引き(即ち「何を自由意志とみなすか。どこまでを自由意志とみなすか。」) が変わってくるのでは? (とりあえず反射的反応は除外してるが・・・) 962 考える名無しさん 2005/08/26(金) 19:52:18 ってか、そうした細目の名称はポイントではないんだが・・・ 様々な要因の影響を受けた上で、我々の思考・行為は成り立っているのだろうという仮定を表したつもり。 その上で、そうした(外的・内的)要因と関係無しに根本的意志があるのかどうか? ないならば、どこからが自由意志と呼べるのか? という視点の人が誰もいないようだったから、ない智恵絞って図にしてみたまで。 不備は承知の輔(^^)v
混乱してるのは
>>79 の粘着馬鹿だけだろ。
意志が完全に自由なら物理法則をもくつがえして
奇跡を行えることになる。マンガじゃあるまいし、そんなことあるわけがない。
そうではなく、意志は物理法則には逆らえないが、
いくつかのオプションの中で選択ができる、とか、そういうレベルでしょ。
「一定の自由」ってのはそういう意味。
どのオプションを選ぶかは完全に自由とも言えるが、
あらかじめオプションの数が制限されているという意味では、
究極的には自由ではない。
例えば、ありきたりな発想だが、ドーキンスなりを援用して、 自然選択によって、自己保存の志向をもつ遺伝子が 生れたとし、そいつは生存に有利となるよう、外部に対する判断を 学習的に行うような回路を構成していくとする。 実際は、回路をいくら複雑にしてもそこに「意識」が宿るかどうかは わからないが、とりあえず意識というのは電気信号の総体である と想像ないし想定することは可能だ。 そしてこのように想定すれば、遺伝子の自己保存志向というところに、 主体的意志の源泉を見出すことができるので、唯物論的世界においても、 自由が生れる余地が出てくる。
92 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 18:48:57
意志は自由をもたらさない。 しかし、自由をもたらすかのように錯覚して行動することは 依然として有用であり、有用であるが故に錯覚は推奨される。 人は自由を否定しつつも、自由を錯覚せねばならない 哀れな生き物である。
だが、再三言うように哲学者の言う「自由意志のあるやなしや」というのは、
そういうレベルの話ではない。
たとえ物質に意識が宿る、あるいは意識と呼んでもよいようなものが宿る
カラクリ(ここで胡散臭い複雑系を持ち出すのも良いだろう)があると仮定しても、
結局のところ、物質というのはアトム的なものによって構成されている
ことは変わりないのだから、突き詰めていけば自由はない。
こういう話だろ?
>>79 は答えに窮して、何の脈絡もない量子力学などを持ち出して衒学してるが、
量子力学は物事の不確定性を担保するかもしれない、というだけの話であって、
主体的意志のあるやなしや(主体的でない意志というのは語義矛盾だ)には
何の関係もない。むしろ、事象が究極的には不確定的で確率的なものだとしたら、
それこそ究極的な自由意志の発生する余地はない。
94 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 19:03:10
みんなゾンビなんだよ。 あらゆる親近感は脳の作り出す錯覚なんだよ。
我々はあるレベルでは自由かもしれないが、 究極的には自然法則に従う。これが「一定の自由」であり、 いわばある枠組の中での自由だ。 一方、人間はいくらか自由の余地があっても、 究極的には不自由だから、究極的には自由意志なんかないかもしれない、 などといろんなレベルの話をごっちゃにして、大げさに悩むのが 哲学者だ。つまり、夜郎自大だ。
96 :
考える名無しさん :2005/12/04(日) 19:29:52
>自称哲学徒
>ついでに自由意志と唯物論は矛盾しないので
>>1 の野矢ってのはバカ。
>マクロレベルにおいては、「一定の」自由と因果律は矛盾しない。
>意志は物理法則には逆らえないが、いくつかのオプションの中で選択ができる
その選択もマクロな法則として記述されるものにも従ったもので、自由な選択ではない。
>遺伝子の自己保存志向というところに、主体的意志の源泉を見出すことができるので、
>唯物論的世界においても、自由が生れる余地が出てくる。
自己保存志向に縛られている事のどこに主体性があるんだ。
知能の発達により自由の範囲は広まったように見えるが、その方向性も快楽や自己保存の
合理的達成というものになっている。
>>96 人間の意識より根源的な実在(遺伝子・分子等)を措定しておきながら、
それを擬人化してどうする。
措定することはしてもいい(俺だってしている)が、
それを自由意志の問題と直結することがバカだと言ってるんだよ
自由というのは人間にとっての概念だろ。
>>96 のやっている議論はこういうものだ。
「円錐は見方によっては間違いなく円に見えるが、
見方を変えれば三角形にも見える。円であることと三角形であることは、
両立しない。従って円錐はどの角度から見ても究極的には円とはいえない」
99 :
考える名無しさん :2005/12/05(月) 23:23:43
>自称哲学徒 どこで擬人化が出てくるんだ。 人間も自然法則に従う単なる物質に過ぎないから自由意志というのは存在しない。 人間だからといって特別な自由があるわけではない。
>>99 自然言語を使う限り、すべての表現は擬人化を伴ってるんだが。
例えば「自然法則に従う」という言葉は、自然法則というものが
何か意志のようなものをもっているという、素朴な予見を含んでいる。
意志を背後にもたないものに対しては「従う」ということはできない。
もちろんこういう擬人化は、自然言語を用いる場合つきものだ。
だからそれ自体はよい。問題は、擬人化を自覚せずに、
「我々は縛られている」などという安易な結論を導き出してしまう事だ。
例えばだな。 >自己保存志向に縛られている事のどこに主体性があるんだ。 こういうことを言って平気でいられる神経がおかしいわけだ。 「自己保存志向」に「縛られている」というのはどういう意味だ? 「自己の志向」なのに「縛られている」? お前の論法は、 「自由であることはなんと不自由であることか。 なぜなら自由な存在は不自由であることができない不自由な存在なのだから。」 あるいは「全能な神に自由はない」 こういう言葉遊びと同じだろう。ヘーゲルならそれを悪無限と呼んだろうな。
102 :
考える名無しさん :2005/12/05(月) 23:42:36
茂木健一郎「脳とクオリア」 私たちが、主観的には自明のこととしている「自由意志」という「幻想」を打ち砕いたのは、人間の肉体は、私たちの 心を司る脳を含めて、自然法則に従って動く「機械」に過ぎないという認識だった。すなわち、「人間機械論」である。 現時点で、私たちは、人間機械論の前提を疑うような合理的な根拠を持っていない。私たちの心が、私たちの意志決定の プロセスが、世界の中で自然法則に従わない特別な例外であるということを示す証拠は一つもないのだ。つまり、心も、 意志決定のプロセスも、自然法則の一部と見なされなければならないということなのである。 <ニューロンの時間発展を支配している自然法則が決定論的→自由意志はない> <ニューロンの時間発展を支配している自然法則が非決定論的→自由意志はある>
103 :
考える名無しさん :2005/12/05(月) 23:45:20
>自称哲学徒 ワロタ。
>>103 だいたい論争相手に勝手に「自称哲学徒」などというレッテルを貼ってる
ところからして卑屈でよくないんだよw
しかもこいつ自身は、ほとんど哲学の知識も哲学的思考の経験もないと見える。
哲学を擁護したいというより、単なる負けず嫌いなんだろうが。
>
>>64 >そうか?普遍性の高さを優位として権威とする思考についての言及は今まで
>見た事がないけど。
こういうド痛い発言をして突っ込まれても、そのまんま訂正もしないし。
自由意志のあるなしは別として、自由意志がどういうものか、 環境からの自由、素質からの自由、法則からの自由とか考えていくと 語義矛盾は避けられないんじゃないだろうか? 自由意志は自由じゃないんじゃないのか?
>>105 だから、語義矛盾自体は避けようがない。ヘーゲルの悪しき無限的論法を使えば、
人間は自由であるという結論も簡単に出せる。
自然科学的思考と実存的思考を安易にクロスさせるのがまずいわけで、
現状では、俺は哲学者の方がその嫌いが強いと思っているわけだ。
自然科学者のほうが、むしろ自然科学的手法やターミノロジーの射程を
理解した上で研究をしている。
107 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 00:25:19
中村元「竜樹」 古来、空は「無」または虚無と解されやすい傾向がある。中観派を攻撃する人々は「空」を「無」と同一視し、 中観派は一切を否定してその虚無を説いたのであるから虚無論者であると論じている。このように空を無の意味に 解するならば、中観派は仏教を破壊する恐ろしい邪説となるわけである。 茂木健一郎「脳とクオリア」 人間に自由意志が存在するということは、私たちが私たち自身について考え、人間的な価値観や、モラルを形成する 上で、死活的に重要な前提だ。もし、人間に自由意志が存在しないとしたらどうなるだろうか?ある人間が将来どの ような行為をとるかが、あらかじめ決まっているとしたら?私たちがどのような意志を持とうとも、そのような意志 を持つこと自体があらかじめ決定されているとしたら?そのような世界は、私たちにとってかなり受け入れにくい はずだ。実際、自由意志がないとしたら、私たちの人間観、社会観の多くは、その根底から崩壊することになるだろう。 外に選択肢がなかったのだとしたら、どうして犯罪者を責めることができようか? もし、自由意志がないのだとしたら、人間のあらゆる努力は意味のないものになり、人間の尊厳さえ、失われること になりかねない。 このように、「自由意志」があるかないかという問題は、私たち人間の存在の根幹に関わる、重大な問題だ。もし 自由意志がないのだとしたら、私たちの人間観、世界観はまったく変わったものにならざるを得ないのである。
108 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 00:29:12
自由意志などというのは 頭の悪い人間だけが信じている妄想だ ちょっと考えて見ろ。 おまえの各瞬間の顔の表情もしぐさも すべておまえの自由意志がそうプログラムしているのか? あらゆる思考は、意識される前にすでにおまえの中で 決定されているのだ。おまえの意志には、 おまえの自由意志の入り込む時間など与えられていないのだ。 こんな簡単なこともわからない馬鹿だけが 自由意志を信じているのだ。 馬鹿めが。
>>1 の野矢はもちろんバカだが、
>>107 の茂木みたいな議論が
一番キチガイじみているのは言うまでもない。
>このように、「自由意志」があるかないかという問題は、私たち人間の存在の根幹に関わる、重大な問題だ。もし
>自由意志がないのだとしたら、私たちの人間観、世界観はまったく変わったものにならざるを得ないのである。
こう言うことを大まじめに書いてしまうような姿勢を、俺はバカだと言っている。
茂木のように理系が文転した場合に一番ハマりやすいパターンではあるが、
哲学じたいも、ハマってるバカ思考であることには変わりない。
110 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 00:39:40
> 哲学じたいも、ハマってるバカ思考であることには変わりない。 嵌っているね、きみもw まあ自覚がないから嵌っているわけだがww
>>110 そりゃハマってますよ?
なにせ(自称)哲学徒ですから。仕方ないんですよ。
やはり哲学はバカなんですよ。
もちろん一番バカなのは
>>57 だけどw
112 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 00:44:35
人間は決定論によって行動を規定されつつ、なお自由意志によって 行動しているものである(折衷説)。
107の茂木健一郎の文章は、自由意志のあるなしを問題にしていない。 なかったらどうなると思うかを書いたエッセイだ。
114 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 00:58:19
>>111 ほらほらw。
その返答が全く自覚のない嵌り方なんですよww
>>114 つーか、くだらんツッコミはいいから、
少しは哲学の話をしろよ無能。
俺は批判しながらも一応哲学の文脈で喋ってるぞ?
お前恥ずかしくないのか?
>>115 ほらほら。ますますズブズブと深みに嵌っているようだね?
117 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 01:02:02
中村元「竜樹」 第二四章(「四つのすぐれた真理の考察」)の始めには反対者の説が述べられている。 「もしもこの一切が空であるならば、生も滅も存在しない。[生も滅もないから]聖なる四つの真理(四諦)の無い ことが汝に付随して起こる」(第一詩) 「聖なる四つの真理が存在しないから、完全に熟知すること(知)、[煩悩を]断ずること(断)、道を修習する こと(修)、[ニルヴァーナを]直接に体得すること(証)はありえない」(第二詩) 「それ(知・断・修・証)がないが故に結果としての状態(位)もなく、また目標に向かって進むこと(向)も ない」(第三詩) 「もしもそれらの四向四果の聖者(八賢聖)が存在しないならば、修行者のつどい(サンガ)は存在しない。また 聖なる〔四つの〕真理が存在しないから、正しい教えもまた存在しない」(第四詩) 「法[宝]ならびに僧[宝]がないが故にどうして仏[宝]がありえようか。このように[空を]説くならば汝は三宝 (仏・法・僧)をも破壊する」(第五詩) 「空[を説くもの]は果報の実有、非法、法、および世俗の一切の慣用法をも破壊する」(第六詩) これらの文句からみると、当時中観派が虚無論者であるとして他派から盛んに攻撃を受けていたということは 想像に難くない。
116のようになったら人間おしまいだな。
議論についていけないと、
>>110 >>114 >>116 のような荒らしを始める。
ま、
>>57 のバカも退散した模様だし、
俺もそろそろ論文書くよw 哲学のw
119 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 01:05:31
>>118 やはり気付かない者は死ぬまで気付けないのかな。
憐れだね。
自由というのも宇宙から見れば一つの制約
123 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 01:41:58
連投規制の仕組みがまだよくわかってない。
連投規制にかからずに書き込みを続けれるコテハンなどがいるのも変だ。
>>120 誰かが自称哲学徒にレスしているが57ではないという事。
連投規制にかからず自称哲学徒が自作自演をかもしれないけど。
124 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 04:26:44
はたしてそうかな?
125 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 07:51:06
>>123 ダイヤルアップだとその都度IPアドレスが変わるから、
いくらでも連投できるみたいね。
126 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 21:25:12
繋ぎ変えてまでレスする人もいるのかどうか。 運営者だから自分には規制がかからないようにしてやりたい放題やっている、 哲学板は普通の議論をする気が失せるように意図的に糞コテ、糞レス、糞AA、 アンチ哲学を配置して無制限に書き込みさせている、とか陰謀説をとなえてみる テスト。
127 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 21:34:31
う〜〜〜 ⊂ヽ ⊂ヽ ((( (_ _ )、 ((( (_ _ )、 γ ⊂ノ, 彡 γ ⊂ノ, 彡 し'⌒ヽJ し'⌒ヽJ _ _ ∩ _ _ ∩ ( ゚∀゚ )ノ ))) 陰謀! ( ゚∀゚ )ノ ))) ( 二つ ( 二つ ノ 彡ヽ ノ 彡ヽ (_ノ ⌒゙J (_ノ ⌒゙J 陰謀! 陰謀! ソォレ! 陰謀! 陰謀! _ __ ∩ ∩ __ _ ( ゚∀゚) 彡 ミ(゚∀゚ ) ⊂l⌒⊂彡 ミ⊃⌒l⊃ (_) ) ☆ ☆ ( (_) (((_)☆ ☆(_)))
ほう これはなかなかの御陰棒
129 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 23:28:00
はたしてそうかな?
130 :
考える名無しさん :2005/12/06(火) 23:35:38
「自由は進化する」の索引を見たら「快楽」も「苦痛」も「中毒」も入ってなかった。 デネットは意図的に避けたということなのかな。 あと、訳者解説を読んで森岡正博の「無痛文明論」がどういう本かだいたいわかった。 表情で言えば、骨格や筋肉でどういう表情ができるのか決まるし、一日中笑顔で生活する 事はできない。しぐさも骨格の範囲でしか動かすこともできない。 どこでもどんな表情やしぐさができるわけでもない。
>>123 ますます分からん。
ところで
繋ぎかえるのがそんなに大変なことなのか?
一旦切断してまた接続するだけじゃないか。
132 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:09:12
なんか、ここで論破されたアホが、他のスレまで荒らしてるなw 余程悔しかったんだなwww
レスした後で、ぜんぜん別の意味になってしまう、ミスタイプに気づく。 ↓ 修正レスしようとしたら連投規制 ↓ しばらく待ってから書こうとしたら、ミスしたレスに既にレスがついており、 しかもその内容でスレが盛り上がってレスが伸び、100以上レスが着いて、 話題がぜんぜん変わっている
134 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 00:13:12
>>131 私は103でワロタ、とレスしてからは自称哲学徒のバカにはレスをしていない。
135 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:22:58
つーか、正直まじキモイんだけど。
誰がどのレスを書いて、誰にレスをしたかなんて、
大した問題じゃないだろ。
そもそも、俺は相手が一人だとは決めずにレスをしているわけだ。
>>57 とか
>>79 あたりに関しては、余りにアホだから挑発してるけどなw
ほら、中身に食いついてみろよ。
連投規制がどうのこうの、なんて何の意味があるんだヨ。
ちなみに
>>130 にある森岡の解説が正しいなら、
この森岡ってのもそうとバカだろ。
人間の表情や感情表現(笑うのが先か、面白いのが先か、という心理学的
問題はともかくとして)が、物理的制約を受けているなんてあたりまえだろ。
136 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 00:26:18
養老孟司の新刊「無思想の発見」を立ち読みしたら空と無について書かれていたが、ちょっとしか 割いてなかった。 快苦原理(苦痛を避け快楽を求めること)の反例は、反復強迫が挙げられる。 フロイト「自我論集」快感原則の彼岸 反復強迫においては、主体は昔の経験を反復することによって、能動的に苦しい状況に身をおく。たとえば 事故の状況や戦争の状況などを繰り返し反復するのである。フロイトはこうした症状においては、快感原則が 適用できないと考えて戸惑った。この論文のテーマはこの強迫をどのように解釈するかにあり、フロイトは 快感原則の彼岸に死の欲動を想定することで、この問題を解決しようとした。 快感原則は経済論的な概念であり、心的な活動は全体として不快を避け、快を得ることを目的とすると考える ものである。 快感原則は、心的な装置の原初的な働き方にはふさわしいものであるが、外界の重圧のもとで有機体が自己を 保存するためには、最初から不適切なものであり、そのうえ著しく危険でもある。自我の自己保存欲動の影響 のもとに、快感原則は現実原則に代わる。現実原則は、最終的に快を獲得する意図を放棄することはないが、 満足を延期し、満足のさまざまな可能性を断念し、快にいたるまでの長い迂回路においてしばらく不快に耐える ことを促し、強いるのである。それでも長い間、快感原則が「教育しにくい」性的な欲動の働き方であること に変わりはない。そして性的な欲動によるものにせよ、自我そのものの中にあるにせよ、快感原則は現実原則 を圧倒し、有機体全体に有害な効果をもたらす場合が多い。
137 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:26:30
だいたいだな、いきなり、俺こと自称哲学者?が、 相手を一人だと確定してレスを書いていると、勝手に思い込んだり、 俺の発言を関係ないスレッドに無数に貼り付けてみたり、 どうも、キチガイが居るとしか思えんのだがw
138 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:32:32
っぷっ
ま、お前のようなキチガイは犯罪を犯す前に、こうやって哲学板にでも閉じこもって、 俺の発言をコピペしてなw お前にはそれがお似合いだし、世間様に迷惑をかけないためにも、 それが良いと思うよw どうせ、哲学科や心理学科にによくいる病気もちなんだろ?
140 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:41:34
>>136 養老孟司がアホだってこと、よ〜くわかった
で、オマイハ何言いたいんだ?
ま、俺こと自称キチガイは犯罪を犯す前に、こうやって哲学板にでも閉じこもって、 自分の発言をコピペしてるのがお似合いだし、世間様に迷惑をかけないためにも、 それが良いとわかってるよw
勝利宣言はまだでつか?だがね
なるほど、閣下がおでましだったということでつか?
正直、養老はもういいよ… 『バカの壁』以降かなり矢継ぎ早に本を出してるが (そりゃそうだ、出せば売れるんだから) 中身がどんどん薄っぺらくなっていくのはもうね… 唯脳論の頃に戻れとは言わないけど 字数も情報量も少ない新書でバカな民衆を騙ししては 冥土の土産のおこづかい稼ぎ、楽しいか? 養老さんよ…
わくわく
146 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 00:54:26
>>139 ごまかしても無駄でつよ?
勝利宣言はまだでつか?
今の養老よりは、まだ茂木の方が面白いよな。 クオリアって概念は概念のための概念という感じがするが、 情報処理のスキーマを、計量的に測定する、みたいなことは どんどんやりゃいいと思うね。 で、科学者は普通に、脳神経学やってりゃいいんだし、 心理学者は認知心理学や学習心理学をやりゃいいんだよ。 それらの意味付けは、哲学がやればいい。 やれればな。
141じゃないの?
>>146 相手が人の発言を、荒らしまがいに他のスレにコピペしてる時点で、
勝ちも負けもないだろ。キチガイにかける言葉は、同情のそれしかないよ。
勝ちも負けもない。哲学の話をしようぜ。
150 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 01:02:40
130の表情やしぐさについては108に出てきたから言っただけで、「無痛文明論」とは関係ない。
このスレの他人の発言を勝手にコピペなんかもしていない。
>>140 自分の考えをまとめたいだけだが、な・に・か?
フロイト「自我論集」快感原則の彼岸
反復強迫は無意識的な抑圧されたものによって生じると考えることができる。
しかし抑圧されたものの力の表現である反復強迫は、快感原則とどのような関係にあるのだろうか。反復強迫が再び体験
させようとしているものの多くは、自我に不快をもたらすに違いない。なぜなら、反復強迫は抑圧された<欲動の動き>の
働きを露呈するものだからである。しかしすでに確認したように、この不快は、快感原則に矛盾しない不快である。これは
心的な装置の一つのシステムには不快であっても、他のシステムには満足でもあるような不快である。ここで新たに、次の
ような興味深い事実が明らかになる。反復強迫は、快感をもたらす可能性のまったくない過去の体験を再び喚起するので
ある。
心的な生には反復強迫が存在するのであり、これは快感原則の彼岸にあると断定する勇気がわいてくる。
反復強迫は快感原則を凌ぐものであり、快感原則よりも根源的で、基本的で欲動に満ちたものと思われる。
151 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 01:06:18
勝利宣言という言葉の背景を理解していないようだね?(w
たしかに鬼頭という奴は病気臭いな。 引用も他人から見ると意図が不明だし。
153 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 01:14:35
>>150 人様のコピペ並べてなにが「自分の考えをまとめたい」だw
それじゃ バラけるばかりだろw
つーかね、あとがきとか解説本とか、新書が多すぎ。 自由意志のスレなんだろ? カントが解説本程度でスルーされて、ドゥンス・スコトゥスはともかく、 アウグスティヌスはシカトで、スピノザもヘーゲルも出てこねえ、 ってどういうことよ。
155 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 01:51:41
>>153 >人様のコピペ並べてなにが「自分の考えをまとめたい」だw
人の考えを参考にせずに自分だけでまとまった考えを出せるやつなどいない。
コピペしているのは共通前提とするためでもある。
>それじゃ バラけるばかりだろw
おまえの頭の中ではバラバラなことにしか見えないのかもしれんが。
>>154 名前を並べるだけなら聞きかじった程度の奴でもできる。文句を言う前に自分でそれぞれの主張を書いてみろ。
フロイト「自我論集」快感原則の彼岸
すべての欲動は初期状態を回復しようとする傾向があるという仮説について、その意味を検討してみたい。
すべての生命体の目標は死であると述べることができる。これは、生命のないものが、生命のあるもの以前に
存在していたとも表現することができる。
すべての生命体には自己保存欲動が存在すると考えられるが、これはすべての欲動生活は、死をもたらすことに
奉仕するという前提と著しく対立する。自己保存欲動、権力欲動、顕示欲動などは、この前提と対比すると色
あせてしまう。これらは部分欲動であり、有機体に固有の死への経路を確保し、こうした固有の経路以外には、
無機体への還帰のための他の可能性を排除する機能を果たしている。
われわれの仮定によると、自我欲動(死の欲動)は生命のない物質に生命が賦与されることによって発生した
のであり、生命のない状態を再現しようとするものだからである。
われわれは反復強迫をきっかけとして、死の欲動の存在を探り出したのであるが、性の欲動にはこのように
反復強迫という性格は証明できないのである。
156 :
鏡男 :2005/12/08(木) 02:06:17
「昔のわれわれの本性は今日のと同一のものではなく、別種のものであった。第一に人間の性は三つで、現在のように 男性と女性とだけではなくて、また第三のものとしてこれら両性を結合したものがあった…男女である」。 昔の人間においては、誰もが二重になっていた。すなわち四本の手、四本の脚、二つの顔、二つの隠し所を持っていた。 そこでゼウスは人間を二つの部分に分けようと思い、「ななかまどの実」のように「真二つにお切りになった」。 ところで「その本性が真二つに切られて以来、それぞれ半分は自分の半分に憧憬れて、一緒になろうとした。そして手で 抱き合い、互いに絡みあって、体を一つにしようと」欲した。
157 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 02:21:13
フロイト「自我論集」快感原則の彼岸 「性欲動」は、性と生殖機能との関係で理解されていた。そして精神分析の結果、性欲動と生殖の結びつきを弱めざる 得なくなったが、それでも同じ名前が維持されている。ナルシシズム的なリビドーの仮説と、このリビドーの概念が 個々の細胞にまで拡張された結果、われわれにとっては性欲動はエロスに変わった。エロスは生命物質を結びつけ、 一体化しようとするものである。一般に性欲動と呼ばれるものは、対象に向けられたエロスの一部と考えられるように なった。思弁的な考察の示すところでは、このエロスは生命の端緒から働いているものであり、「死の欲動」に対抗 する「生の欲動」として現れるのであり、この「死の欲動」は、無機物が生命を持つようになった結果として生まれた ものである。
158 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 02:26:47
>>155 馬鹿かw
おれは自分だけで出せる
バラバラなものをまとまったものに受け取れと
イワレテモナァw
フロイトが馬鹿なのはもうわかったから、
おまいの考え書いてみれw
159 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 02:37:53
>どうしようもないのばっか引っ張ってくるねw >マトモなのないのかw >養老孟司がアホだってこと、よ〜くわかった >で、オマイハ何言いたいんだ? >フロイトが馬鹿なのはもうわかったから、 うっとうしい粘着がもう一匹いるのか、自称哲学徒のバカが使い分けているのか。 >おれは自分だけで出せる 本を書いたり論文出したりする人で何も参照せずに書く人はいるのかな?
160 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 02:44:43
こうか。
>ついでに自由意志と唯物論は矛盾しないので
>>1 の野矢ってのはバカ。
>野矢はもちろんバカだが、
>>107 の茂木みたいな議論が
>一番キチガイじみているのは言うまでもない。
>どうしようもないのばっか引っ張ってくるねw
>マトモなのないのかw
>養老孟司がアホだってこと、よ〜くわかった
>フロイトが馬鹿なのはもうわかったから、
161 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 02:58:54
>>159 おまい、2ちゃんのスレの中で本を書いたり論文出したり
するつもりかw?
能書きはいいから、さっさと自由意志についての
自己の考察結果を書いてみろw
本や論文いっぱい読んだんだろ?勉強家はわかったから
その元ネタじゃなくて、自己の成果の方を語れと言ってんだよ
こんな簡単なリクエストにも応じられないのかよw
162 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 03:48:10
163 :
処女哲学徒みさこ :2005/12/08(木) 04:57:28
そもそも自由とは何か。 そして意志とは何か(意志なるものが実在するのか)。 ということを明確にしないと「自由意志」を論じようがないのではないでしょうか。
164 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 05:08:04
165 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 06:42:59
>>161 >おまい、2ちゃんのスレの中で本を書いたり論文出したり
>するつもりかw?
哲学では可能なのだよ?
166 :
羊男 :2005/12/08(木) 10:17:24
意志どおりに動くことができることを自由と言うんじゃないの。
自由意志という言葉自体に疑問を呈するけどな僕は。
>>163 も言ってるけど、まずは自由と意志について考えないといけない気がする。
なんとなくで考えちゃだめだよ。
167 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 13:48:15
茂木健一郎「脳とクオリア」 実際、自由意志がないとしたら、私たちの人間観、社会観の多くは、その根底から崩壊することになるだろう。 外に選択肢がなかったのだとしたら、どうして犯罪者を責めることができようか? もし、自由意志がないのだとしたら、人間のあらゆる努力は意味のないものになり、人間の尊厳さえ、失われること になりかねない。 中村元「竜樹」 古来、空は「無」または虚無と解されやすい傾向がある。中観派を攻撃する人々は「空」を「無」と同一視し、 中観派は一切を否定してその虚無を説いたのであるから虚無論者であると論じている。このように空を無の意味に 解するならば、中観派は仏教を破壊する恐ろしい邪説となるわけである。 「空[を説くもの]は果報の実有、非法、法、および世俗の一切の慣用法をも破壊する」(第六詩) これらの文句からみると、当時中観派が虚無論者であるとして他派から盛んに攻撃を受けていたということは 想像に難くない。 空とは縁起のことで縁起とは因果関係のこと。 全ては因果関係に従っているから因果関係から独立した固定した実体(自性)としての主体は存在しない。(無我) 主体がないから自由意志は存在しない。 法を破壊する虚無論に陥る無とは何で空との違いは何か。
168 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 14:31:05
>>167 茂木なんたらっつのは極めつきの馬鹿だなw
それを真と前提して話を進める馬鹿はもっと・・(略
自由意志がないとしたら犯罪者を責められない・・とか
言ってっから、みんな心身喪失を装って罪を逃れ
ようとするのよ
ふざけんな
動機が無ければ罪にならないなんて どアホw
犯罪は結果でみるべきもの
動機を優先させて峻別するもんじゃない
でだ、無と空の違いなど ど〜でもいいw
過去の論を引き合いに出して自論を際立たせよ〜なんて
ガキの仕事だろが、バカタレw
169 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 15:29:52
>>168 別に引用しているからといって真としているわけではないよ。
自由意志の否定からニヒリズムに至る、というのは理解できないかな。
理解して発言する者がいないから引っぱってきただけなんだけど。
それと「空を説く事はニヒリズムに至る」という主張が似ているな、と思って。
中村元「竜樹」
仏教哲学は「法」の哲学であるとは、すでに諸学者の認めるところであり、仏教思想は、つねに法に関する思索
を中心として発展している。これに対して大乗仏教、たとえば「中論」は「法有」に対して「法空」を主張した
のであると解せられている。
法とは自然的存在を可能ならしめているありかたであり、存在をその存在たらしめるもとのものである。
元来「あり」という概念は二種に分化されるべき性質のものである。一つは「である」「なり」であり、他は
「がある」である。
さらに「があること」には二種考えられる。一つは時間的空間的規定を受けているAがあるという意味のexistentia
であり、他は時間的空間的規定を超越している普遍的概念としてのAである。この二種の「があること」のうち、
第一のほうを取り扱うのは、自然認識であり、哲学の問題外である。第二の「がある」を取り扱うのは哲学であり、
これを問題として「ありかた」基礎づけようとする哲学者がたえずそう出する。たとえばプラトーンのイデア、中世
の実念論者の普遍概念、ボルツァーノの表象自体、フッサールの本質などはみなこの線に沿っているものであると
みなしてさしつかえないであろう。すでにローゼンベルク、スチェルバツキー、および宇井伯寿博士らの学者が
言及したように、法有の立場もこの線に沿って理解すべきではなかろうか。
170 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 19:14:07
自由意志 一般に、行為にあたって外的強制の支配を受けずに決定を下す意志をさし、<意志の自由>ともいわれる。キリスト教に おいては恩寵の対概念として使われた。救済において決定権を握るのは、善を選ぶ人間の自由意志かそれとも神からの 恩寵かという問題は、古くはアウグスティヌスとペラギウスの間で争われ、宗教改革期においてはルターの「奴隷意志 論」(1525)とエラスムスの「自由意志論」(1524)の論争で有名である。しかし近代において自由意志は、決定論と 対立する倫理学上の用語として使われるようになり、カントがこの意味での自由意志を擁護する立場にたった。彼によ ると、仮に決定論が正しければ、責任を問うということが無意味になり、したがって道徳が不可能になる。感性的欲求 といった傾向性から独立して、実践理性が命じる自律的な<定言命法>に従うところに道徳的行為が成り立つのである。 彼において自由意志は、実践理性の自律を意味することになった。
171 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 19:36:30
主体 自己の自由により自覚的・意志的に自己決定を行いつつ行為する個体としての人間の意。近代思想では、身体から切り 離された純粋な精神、つまり世界を認識する理性的自我の存在が<主観>とされるが、現代哲学では主観か客観か、精神 か物体かという二者択一を超えて人間を実存としてとらえる。人間の現実存存とは<主体>であることであり、主体の本 質とは実存することである。人間とは、理由もなく世界のうちに投げ出されている自己の存在を己の事実性として引き 受け、自己の存在の仕方、生き方を自らの自由によって選びとっていくものとされる。実存主義の思想家キルケゴール は「主体性が真理である」と言い、サルトルは「主体性から出発しなければならない」と主張する。これに対し構造主 義の哲学者フーコーは、人間は心的・言語的・社会的な構造ないしシステムに支配されているとして、近・現代の主観 的・主体的人間という観念の死、ヒューマニズムの終焉を説いた。 決定論 もののあり方は先行条件によって「ただ一通り」に決定され、それ以外ではありえない、とする考え方。古くからさま ざまな形で賛否両論がたたかわされてきたが、その主なものは、全知全能の神による決定という神学的な思想と、近代 科学の降盛とともに深刻に受けとめられるようになった科学法則(とくにニュートン力学)によるすべての物質運動の 決定という考えである。しかし20世紀になって、ある種の非決定性を含む物理理論である量子力学が登場し、<法則的な 決定>という考えには新たな要素が加わった。決定論が問題とされる場合、ほとんどつねに、人間の意志・行為における 自由との関係が問題であり、決定論と自由が両立するか否かをめぐる論争は今日までつづいている。その両立を否定す る何人かの人々は、人間の自由を確保するために量子力学が役に立つものと考えた。しかしもとより、単なる非決定性 と自由とは同じものではない。
172 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 20:04:25
落書きしてんじゃね〜よw
173 :
鬼頭 :2005/12/08(木) 20:05:05
自由意志 他から強制をうけない、自発的な意志。いわゆる自己の足にたって、自己の行動を決定する意志。この強制には二つ の意味がある。 1、社会的、人為的、後天的な強制 他人から命令、強制されたり圧迫をうけて意志をきめる、のではない意志のこと。倫理学で、ある人間の責任、権利、 義務などを論じるとき問題になる自由意志はこれ。 2、決定論的、先天的強制 この世のすべての出来事、したがって人間の意志も、前もって定められている。それから逃れて、自由に意志を決定 することはできないという決定論にたいする自由意志。哲学で問題とされる自由意志はこれ。 以上二つの場合をふくめて、自由という見地から考えると、つぎの三つの場合がある。 1、非強制的自由 意志の決定が精神的身体的条件により、ある方向にまげられることがない意志。こうすれば拷問にあうからよして おこうというのは自由意志ではない。 2、選択の自由 多くの行動のうち、どれかをまったく自己の意志でえらぶことのできる自由。 3、自己決定の自由 他の外的条件をまったく離れて自己の内心の動機または理想だけにしたがって決定する自由。なお、人間が社会に おいて自由意志をもつ、少なくとも自覚においてまったく自己の足だけでたって意志をきめる、他からいささかも 強制をうけていない、ということは、近代人の特徴である個性の確立にとって必須条件である。だからこれを確保 するよう、社会の条件を改善することが必要となる。
174 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 20:07:07
意思か意志か
175 :
考える名無しさん :2005/12/09(金) 00:33:29
176 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 00:49:49
自由意志 一般に,外的な強制・支配・拘束を受けず,自発的に行為を選択することのできる意志のあり方をいい,〈意志の自由 freedom of will〉ともいう。プラトンは《国家》第10巻の〈エルの神話〉のなかで,人間には死後の運命に対する 選択の余地があり,その内容は道徳的行為によってきまると述べたが,他方人間は神の〈遊び道具〉であるともいって いる。信仰に関して人間に自由意志をみとめた最初の人はエメサのネメシオス Nemesios(359ころ没)であるとされる。 アウグスティヌスは《自由意志論》(395)で罪と自由意志との関係を論じ,それによってマニ教の善悪二元論を克服 した。この場合,自由意志はたんなる選択の働きではなく,意志の全体と統一が成ることであり,回心なしにはこの ことは起こらないとされる。ここにギリシア的な主知主義に代わるキリスト教的な主意主義が成立した。アンセルムス はこれを厳密に論じ,自由意志とは〈自由な選択〉ではなくて〈自由を選ぶこと〉であり,自由それ自体は人間の選択 意志によって左右されない本質をもつとした。このように自由を選択意志に先行させることは意志の働きを弱めるもの ではない。それはむしろ,自由を選択意志にのみ与えたために自由の実質が低下することを避けるのであり,意志に対 しては自由と同時に服従をも帰せしめることにより,自由は服従によっても失われないとするのである。
177 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 00:50:19
この考えはとくに,ゲルマン人の自由意識を尊重しつつ教会と国家の両立をはかった中世カトリック教会の所産であった とみなされる。ルターが《キリスト者の自由》(1520)の冒頭で,信仰の自由は支配者と奴隷のいずれの側でも成立する と宣言したのもここから来る。しかしその命題は,伝統的な教会や国家の拘束を排するルネサンス人の意識にあわず, エラスムスとの間に自由意志をめぐる論争をひき起こした。ルターは晩年のアウグスティヌスとペラギウスとの間に生 じた論争をふまえて,人間の自由意志は現実には恩恵(恩寵)を受けつけない〈奴隷意志 servum arbitrium〉であると 断定する。同様の主張は17世紀後半のジャンセニストにもあり,近代においては中世的な〈恩恵と自由意志〉の調和は 破れたといってよい。ホッブズは,自然権にもとづいて自己保存の本能に従ってなされた自由な行為のみが存在し, 他方意志があらかじめ欲求によって規定される限り自由意志は存在しない,と主張した。デカルトは自由意志を理性 活動にだけみとめて,理性的である限り意志の自律と自足を主張した。カントはライプニッツとともに自然の因果性を 超える自由の事実(ライプニッツのいう〈事実の真理〉)をみとめ,これを神,不死とならんで道徳のための要請とした。 理性的存在者の道徳的行為は自由の要請のもとで,自律的な〈定言的命令〉に従う限りで成立するのである。けっきょく 〈恩恵と自由意志〉の調和はいったん破れたものの,自由意志をたんなる欲求や自発性と同一視することはできず, その根は人間の心身性や超越という関係性の中にあることが明らかにされた。近代哲学はこの点で主意主義を保持して きたといえる。
178 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 00:55:29
決定論 世界に生起するできごとは,なんらかの形で元来決定されている,と考える立場を指す。決定の主体が超自然的な神である 場合もあるし,また自然法則であると考えられる場合もあるが,宗教的決定論とでもいうべき預定説では,世界のできごと というよりは,人間の救済が元来決定されていることを主張する点で,一般の決定論とは異なるといえる。自然法則によっ て世界のできごとが決定されている,という決定論的主張は,デモクリトスの原子論にもすでに胚胎されていたが,それが 具体的な意味をもったのは近代後期である。一般にはニュートン力学(古典力学)的自然像の確立が,物理学的な決定論の 成立に重なると考えられている。それはまちがいないが,ニュートン自身がそうした自然像の持主であったとするのは誤解 である。実際には,物理学的な決定論のプログラムはデカルトが書き,そのプログラムのなかにニュートンの運動法則が 取り込まれたと考えるべきではないかと思われる。デカルトは,創造主としての神の全知・全能を重んじる立場に立ち,この 自然は創造された時点において,神の全知・全能の表現の結果,もはや手直し不要な形で〈仕上げ〉られている,したがって その運行も完全に神の計画どおりに進むと考えた。〈素材とそれがふるまうための法則さえ与えられれば,今の世界の状態 を再現してみせる〉というデカルトの言葉はそれをよく示している。ニュートンはむしろ,こうした〈機械論〉的な世界観 にはなじめなかった。デカルトを批判し,〈彼はできれば神なしで済ませたかった〉と述べたのは,デカルトが神の働きを 創造の時間のみに限定してしまったことへの不満の表明でもあった。ニュートンにとって,神は,何にもまして〈遍在〉して おり,いかなるときいかなるところにも明確に現前する存在であった。しかし,彼の意に反して,彼の運動法則が,デカルト のプログラムのなかの〈法則〉に読み込まれると,デカルトの機械論は明確な具体性をもつことになった。運動法則は,運動 に関するかぎり完全に一義的な因果連鎖を保証したからである。
179 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 00:58:01
この世界に存在するすべての物体が質点に還元され,その運動がすべて運動法則によって一義的に描き上げられる以上, この世界に生起するいっさいのできごとは,結局は決定されている,という力学的・機械論的決定論は,フランス啓蒙 思想の頂点としての〈ラプラスの魔〉の概念に最もよく象徴される。そのなかで人間の自由意志はいかなる位置を占め うるか,単なる仮構に過ぎないという解答も含めて,この問いは,今日まで問われ続けている。もちろん,20世紀の 量子力学は,ミクロの世界では少なくともニュートンの運動法則のごとき一義的決定性は不可能であることを示した (不確定性原理)。量子力学の成立に貢献しながらもこうした非決定性にはくみしなかったアインシュタインらは, 古典論的決定性を最終的に信じていたが,一般には,ミクロな非決定性は今日ひろく受容されている。しかしそうだと すると,ミクロな世界の非決定性とマクロな世界の決定性とをどうつなぐかという問題が残される。これを示したのが 〈シュレーディンガーの猫〉といわれる寓話である。一方,相対性理論から導かれる時間(もしくは同時)の相対性から, 新しい物理学的決定論が生まれているが,これについても議論は多い。 村上 陽一郎
自由意志はあるでしょ。 なんとなく人を殺すの人間だし。
自由意志はあるでしょ。 何となく立ち小便はしないけど、 何となく人殺しするのが人間だし。 立ち小便はイカンという規範と 人殺しはイカンという規範と どちらが強いかは明らか
182 :
考える名無しさん :2005/12/09(金) 03:42:15
いや。ないだろ。
183 :
考える名無しさん :2005/12/09(金) 05:12:01
でも、徳湾なんだろ?
______ /∵∴/∴∵:\ /∵∴∵:<・>∴:<・>、 |Y∵∴Y∴∵:/ ●\| / \::::::::::: / ー-' ヽ | / ``'ー 、_\ .. -=ニ=- / ヘラヘラ /ー 、_ `\:、_ `ニニ´/ / ``ヽ、 ヽ`'7 / `ヽ、 `/
185 :
考える名無しさん :2005/12/09(金) 22:12:07
純一のスレが削除されたようだね(ppp
186 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 22:58:24
規範 世界に生起するできごとは,なんらかの形で元来決定されている,と考える立場を指す。決定の主体が超自然的な神である 一つの国民社会,あるいは特定の集団や組織の中で,その成員が自己あるいは他者の行為に関し,ある一定状況のもとに何 をなすべきか,何をなすことを期待されているか,あるいは逆に何をしてはいけないか,何をなすことを禁じられているか, ということについて共有している(共同)主観的な意識,あるいはそれの客観化された表現としての行為基準をいう。社会学 の術語として,〈価値と規範〉というように価値という語と関連づけて説明されるのが通例であるが,その場合には,価値 が一般的な望ましさの基準といった抽象度の高い,その意味で超越的,究極的なものを現すのに対し,規範はもっと具体的 に特定状況のもとでの行為を指示するような基準にかかわる。規範は,(1)その違反に対して行使される処罰の性質が インフォーマル informal(私的個人によって行使される処罰)か,フォーマル formal(国家権力によって行使される処罰)か の区分軸によって,慣習と法とに分けられ,(2)慣習はさらに,当該規範の拘束に対してこめられた集団感情が弱いか強いか によって,習俗(W. G. サムナーのいう〈フォークウェーズ folkways〉)と習律(サムナーのいう〈モーレスmores〉)とに 分けられる。習俗は伝統とか世論のように拘束力の相対的に弱いものをさす言葉で,習律は個々人を拘束する力がもっと強く, 道徳のように外からの強制力によるよりも内面的な自発性によって支えられているものをさす。
187 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 22:59:10
規範が実際に人々によって受けいれられ,実効性をもったものとして行為にそれが現れるようになるには,規範の内面化と 制度化が必要である。規範の内面化とは,規範が処罰の力すなわち外側からの強制力によって遵守されるのでなく,良心 あるいはフロイトのいう意味での超自我の形成によって,個人の内なる自発性によって遵守されるようになることをいう。 また規範の制度化とは,規範の内面化に加えて,処罰行使に人々の正当性 legitimacy 感情の裏づけがともない,この両者 の要因の作用によって規範が現実に人々の行為を有効に規制するようになることをいう。たとえば,ある高速道路における 80kmの速度制限が,観察の結果ほとんど9割の人によって無視され,しかもそのことに対して運転者の大部分が良心の呵責 を感ぜず,罰金をとられた場合そのことを不当と感じていることが調査の結果わかったとすれば,その速度制限規範は制度 化の度合がきわめて低いといわれる。制度化の反対概念はアノミー化と呼ばれている。上記の例ではこの速度制限規範に 関してアノミー化がすすんでいることになる。アノミー化の現状がもし人々の憤激を呼びおこし,規範の遵守を要求する声 が高まるようなら,その規範は安定的であり得る。しかしもしそうでないならば,その規範はやがて消滅して新たな規範が とって代わるようになるであろう。規範はこのような過程をつうじて変動していく。 富永 健一
188 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 23:13:38
186の2行目ミス。 慣習 一つの社会もしくは特定の集団の中で,伝統または慣行として確立された標準的な行動様式をいう。ある程度皆に公認された 社会的行動であるため,また永く続けられてきた習わしであるため,成員にとっては一種の規範性を帯びることになる。社会 規範と同義とされることもある。個人の習わしとしての習慣 habit とは区別される。習慣は,たんにその人独自の生活上の ユニークな行動パターンであるにすぎないが,慣習は,大多数の集団成員に共通して見いだされる特徴的なふるまい方であっ て,合理的な根拠がない場合でも正当な行為型として皆に容認・支持される。衣・食・住のスタイルの決め方,挨拶・交際・贈答 の仕方,冠婚葬祭を執り行う手順,商取引の習わし,実定法には規定されていない法的慣例(慣習法)など,慣習は生活様式 (文化)のあらゆる側面に及ぶ。したがって慣習は,親族システムや地域社会などの基礎集団から,何らかの利益を求めて活動 する二次的集団に至るまで,あらゆる集団において,その成員の社会的行動を方向づける重要な要因として機能する。集団 内部で反復される常習行為としての慣習は,成員の行動に対してその規則性を維持するように拘束的な働きかけをすること が多い。そうした拘束に反した場合には,集団や他の成員から制裁 sanction が加えられることもある。
189 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 23:14:11
そこで,この拘束性・規範性の程度に応じて,慣習の三つの形態が区別されよう。その一つは,慣行 usage である。それは, 歩行における左側・右側通行のように,自然に決まった慣例的行動である。それに従えば集団での生活がスムーズに営める という便宜的なものにすぎず,それに反しても当人が不便な思いをするか,不自然だという感じを抱くだけで,集団からの 非難・制裁は受けない。第2は,W. G. サムナーのいう習俗 folkwaysである。それは,集団で伝統的に適切な行動様式だと 是認されている標準的・慣習的規範を指す。〈義理〉などはそれにあたる。皆が習俗を守ることで社会の福祉が達成される から,それに背く場合には何らかの制裁が加えられる。ただしインフォーマルで,それほど厳しいものではない。もちろん 法によって強制されることはない。成員が無意識的,自動的に守っている慣習だと言える。この習俗に,社会の福祉にとって 真でありかつ正しいとする信条や見解が付け加わると,それは3番目の慣習としての習律(モーレス mores)になる。習律は, いわば道徳的な行動標準ともみなしうるものであり,成員はそれに情緒的にも反応する。それを遵守することが集団の維持 存続にとって必須だと考えられているために,近親相姦の場合のように,違反者に対しては,かなり厳しい制裁が加えられる。 そうした制裁としては,他の成員からの河笑・非難,仲間からの排斥などがある。習律が法的,制度的に強要されることはない。 前近代社会では,慣習の規範性が大きい。 浜口 恵俊
190 :
考える名無しさん :2005/12/09(金) 23:17:41
キトー、ネンブツ タレンノ ヤメレ
191 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 23:29:47
因果律 物理学においては因果律は次のような意味に用いられている。古典物理学では,原因があって結果が生ずるという因果関係が 認められている。したがって現在の状態を完全に指定すればそれ以後の状態はすべて一義的に決まり,また逆に現在の状態が 分かれば過去の状態も分かるという決定論が成り立つ。古典物理学の法則は,ニュートンの運動法則とマクスウェルの電磁気 学が基本であるが,いずれも時間に関する微分方程式である。これらの方程式を解き,ある時刻での初期条件を与えれば, すべての時刻における状態は一義的に決定される。 このような因果関係が物理学を支配していると考えられたが,量子力学の出現によって変更を加えられることになった。原子, 分子以下の微視的物体において物理量を測定しようとするとき,その物体の状態を乱さずに観測することができない。一般に 観測することによって状態は別の状態にとび移り,観測結果として確定した値は得られない。すなわち初めの状態(原因)が 与えられても測定値が一義的に決まらない。逆にある測定値が得られたとき,もとの状態が何であったかをいうことができ ない。初めの状態が与えられたとき予言できるのは,ある観測値が得られる確率だけである。このように観測結果が一義的に 決まらないのは,初めの状態(原因)の指定が不十分なためではないかとも考えられた。状態を定めるのにまだ知られていない 変数があり,それを定めれば観測結果は一義的に決まるのではないかと期待された。しかし隠れた変数は存在しないことが 分かった。
192 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 23:30:58
量子力学においては,初めの状態を完全に指定しても観測結果は確定した値をとらないのである。しかしこの不確定さは, 観測という操作に伴うものである。物体系の状態はシュレーディンガーの波動関数によって記述され,波動関数は初めの 状態によって一義的に決まる。波動関数はシュレーディンガーの波動方程式に従い,この意味で量子力学においても状態は 因果律に従って変化するといえる。ただしある状態での観測操作が一義的結果を与えないのである。 [場の理論における因果律] 相対性理論によればすべての信号が光速度より速くは伝わらない。したがって時空のある点 で生じた原因により結果が生ずるのは,その時空点を頂点とする光円錐の未来圏の内に限られる。光円錐の外,すなわち空間 的に離れた二つの点は因果的には結ばれておらず,独立である。因果律は波動の伝播にある制限を与えることになる。たとえ ば光が物質中を進行するとき,光速より速く伝わる波が生じてはならない。このため,物質による光の吸収率と屈折率との間 に関係式が成り立つ。これはクラマース=クローニヒの分散公式として知られる。また π 中間子と核子の散乱振幅に対しても 分散公式が成立し,実験結果とよく合っている。これは素粒子間の相互作用が因果的に行われることを確証したものである。 宮沢 弘成
193 :
鬼頭 :2005/12/09(金) 23:33:05
>>190 念仏は唱えてないよ。
仏教哲学の未熟な理解と基礎知識を公開しているだけで。
194 :
考える名無しさん :2005/12/09(金) 23:45:53
バカ、アホ、アラシ! 3ギョー イジョーノヲ ダレガ ヨムカ、トンチキ!
195 :
鬼頭 :2005/12/10(土) 01:14:08
快楽原則 精神分析の用語。〈快感原則〉ともいい,〈現実原則〉と並んで心的機能を支配する基本原則の一つ。S. フロイトの用語に 〈恒常原則 principle ofconstancy〉という概念がある。これは,人間の心的装置が,内在する興奮の量をできるかぎり低く, あるいは少なくとも恒常に保つように努めているという仮説である。フロイトの説く快楽原則は,この恒常原則からさらに 導き出されたもので,人間の心的過程は,本来,緊張に基づく不快を回避し,空想または現実の満足によってその緊張を低下 させることによって快を得ようとする,とされた。新生児は,この快楽原則または〈快・不快原則〉によってのみ支配されて いると想像されるが,自我の発達につれて,現実原則が優位を占めるようになる。これは快楽原則に反対するものではなく, 個体が外界の現実に適応しながら,無理なく不快な緊張を解消し得るように,その緊張解消を延期し,緊張解消による満足 の可能性の一部を断念し,長い搭路をへて快感に達することを目ざすものである。したがって現実原則も椿ずるところ快楽 原則の一修飾である。フロイトにいわせれば,現実原則が支配的な心の機能の型が確立していることが成人の健康人の条件 であり,快楽原則の支配する型の遺残や再燃は神経症や精神病を意味する。このように,フロイトは快楽原則は自我の発達 によって克服されるべき幼児的なものとみなしたのであって,フロイトを快楽主義者の系譜に属すると考えるのは,むしろ 間違いである。 下坂 幸三
196 :
鬼頭 :2005/12/10(土) 01:15:17
現実原則 S. フロイトの用語。フロイトによれば,精神活動は,〈快楽原則〉と〈現実原則〉という二つの原則によって支配されて いる。前者は,本能欲求の高まりを現実の充足か幻覚的な充足によって低減させる活動であり,後者は,本能の満足を現実 に適応するように馴致させていく過程である。すなわち,それは本能の満足を断念させたり延期させたり,搭回させたりする。 現実原則は快楽原則に対置されるけれども,対立するものではない。それは快楽原則の直接的な発動に基づく現実を無視 した危険からわれわれを保護しながら,終局には快楽原則に奉仕するものとなる。フロイトは人間の発達上,現実原則の 支配を重要視し,現実原理の確立こそ人間の自我発達の第一の推進力であるとみなしている。現実原則が支配する二次過程 が確立していることが,成人の健康人の条件であり,快楽原則の支配する一次過程の遺残や再燃は,神経症や精神病の状態 を意味する。 下坂 幸三 ニルバーナ原則 S. フロイトの多分に思弁的なメタ心理学的用語。仏教用語の涅槃(ねはん)(サンスクリットでニルバーナ)に由来するもので, 〈涅槃原則〉ともいう。彼は《快楽原則の彼岸》(1920)において,ニルバーナ原則とは,刺激に基づく緊張をゼロにまで引き 下げようとする心的装置の傾向(すなわち〈死の本能〉の表現)であり,快楽原則とは,その前段階の緊張をできるだけ低く かつ恒常的に維持しようとする傾向(すなわち〈生の本能〉の表現)であると説いた。しかしその後《マゾヒズムの経済的問題》 (1924)においては若干の修正を行い,ニルバーナ原則は〈死の本能〉に帰属し,快楽原則は,ニルバーナ原則が〈生の本能〉 の影響によってこうむったリビドーの要求とその修正であり,現実原則は外界の影響を代表すると再定義した。ニルバーナ 原則はフロイト晩年の考えではあるが,ニューロンの興奮度をゼロにまで引き下げようとするのがニューロンの慣性の原理 だとした若年時の発想にその萌芽を認めることができる。 下坂 幸三
197 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 00:22:54
適応戦略 生物の形質すなわち形態,生理,産子数,卵サイズ,性比,行動などは種ごとにさまざまだが,こうした違いは,生物の種 (または個体群)が自然淘汰のなかで,ありうるいくつかの戦略のうちのどれかを選択するという課題に着目し,そのうち 最適な戦略を採用してきた結果だと見ることができる。このような見方では生物の形質は一つの適応戦略と理解され,その 研究にはゲーム理論や最適制御理論のような数学的方法が援用される。そのさい何が最適かをきめるものさしは,その 遺伝子型の個体がどれだけ成功した子孫を残せるかであって,これを繁殖成功度 reproductive success ないし適応度 fitness と呼ぶ。大洋魚類の多くは一度に数十万,数百万のごく小さな卵を産み,渓流魚の多くは数千ないしそれ以下の 大型の卵を産む。この違いは,前者が品は豊富だが海流などが不確定に変化するためしばしば大量死があり,莫大な数の 卵をばらまくことが有利な環境で,後者が安定してはいるが急流に抗して品をとるため少数でも大型で運動力のある稚魚 をもつことが有利な環境で,それぞれ採用した適応戦略の違いとも見ることができる。とはいえ適応戦略は単に環境の違い だけで決まるのではなく,その種の生活史戦略全般と関連して決まる。同じ大洋魚類でもサメは巨大な卵を数個(あるいは 胎児を数匹)産むが,これはかれらの大型捕食動物としての生活と関連して進化してきたものであろう。この場合大型の子を 少し産むか小型の子を多数産むかは,再生産のために資源をどのように分配するかという問題でもあり,適当な数学的モデル を立てて最適解を得ることによって予測しうる。こうして得られた戦略を最適戦略 optimal strategy または進化的に安定な 戦略 evolutionary stable strategy(ESS)と呼ぶ。
198 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 00:23:44
適応戦略はある個体群にとって一つであるとは限らない。カエルの仲間には雄がなわばりをもち,そのなかで鳴いて雌を 誘って抱接する種があるが,同種内にみずからは鳴かず,他の雄のなわばり内に潜入して雌を横取りする個体がいる場合が ある。どちらの戦略を採用するかはなわばりをもっている雄の密度,なわばりをもてぬ雄の割合,なわばり防衛や鳴くこと に費やすエネルギーなどによって決まる。ここである個体がどちらの戦略を採用するかを予測する方法の一つがゲーム理論 であり,これによってある条件下での二つの型の比率を予測することができる。これにより一定の率で両型が共存すると 予測されたとき,これを混合 ESS という。 伊藤 嘉昭
199 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 00:28:58
システム [進化システム] 自然に生まれてきたシステムを自然システムという。この場合,システムがそれ自身を作り出すといって もよい。生態系,人の社会などはその典型である。近年,自然システムが作り出される機構が明らかになりつつある。生態系 を例にとれば,太古に自己複製能力をもつDNA,RNA またはタンパク質が誕生して以来進化を続け,今日見られるような多種 多様な生物種が相互依存する生態系が作り上げられた。その機構は次のようである。(1)遺伝子を要素とするシステムとして 遺伝子型が存在する。遺伝子型は対応する生物の個体(表現型)を作り出し,表現型は遺伝子型の複製の場となる。(2)遺伝子型 のシステム構造は変異する機会がある。それは遺伝子型と表現型の形質の変異を引き起こす。(3)表現型の間に資源獲得競争が 存在する。それは遺伝子型の間の自己複製頻度の競争にほかならない。(4)生態系を支える外部資源が存在する。 これらの4条件を満たす機構をもつシステムを進化システムという。進化システムは,システムがそれ自身を作り出すこと から,分野により,自己創出システム(生物系),スーパーシステム(免疫系),自己組織システム(組織論)などいろいろな呼び 名があるが,その本質は進化の機構にある。なお,進化過程を繰り返してシステムが作られるとき,進化の過程で一度作られた ものがまた壊されて進化することがある。これが個体レベルで観察されるときオートポイエーシス(プログラム死)と呼ばれる。 進化システムは次の基本的な特徴をもつ。(1)進化システムは目的をもたない。進化の過程だけをもつ。たとえば,生態系や 生物種に存在目的はない。(2)進化は,変異が起こり,それが競争に参入して結果が出るという意味で,結果として起きる。 (3)外部環境および内部状態の変化に対してシステム全体として適応し頑健である。(4)システムの一部が競争による淘汰圧力 からはずれたときに,その部分は爆発的に増殖する。(5)分化と系統が発生する。
200 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 00:31:38
[拡大された遺伝子型と表現型] 進化システムは自然システムばかりではない。先に挙げた人工システムにおいても観察 される。市場経済,交通システム,情報システム,組織などはいずれも進化システムの機構をもつ。その結果として,それら は人により作られたにもかかわらず,人は直接制御できなくなっている。 科学という知のかたちも仮説を遺伝子,モデルを遺伝子型,モデルから推論される事柄を表現型と見るときに,進化の機構 をもち進化システムと見なせる。技術の知も同様である。 興味あることに,人工システムは,それが進化システムであるときかつそのときに限って,システムとして発展する。最近 の事例としてインターネットはその典型である。進化の機構をもたないトップダウンで設計された多くの情報システムが, インターネットに敗れ去っている。ほかにも,計画経済が市場経済に敗れるなど,多くの事例が観察できる。 ヒトはヒト・ゲノムという遺伝子型をもち,それから作り出される個体をいう表現型をもつ。これに,継承可能であるという 意味で,科学技術がヒト・ゲノムに拡大的に付加された。それが生み出す多種多様な人工システムはヒトの拡大された表現型 といえる。ヒトは拡大された遺伝子型と表現型をもつという意味で他の生物種と異なる。そして,その結果として,科学技術 文明が爆発的に増殖しつつある。 市川 惇信
201 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 00:34:32
199でオートポイエーシス(プログラム死)となっているが、アポトーシスの間違いだ。誤植か。
202 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 00:56:35
淘汰 生物学用語。選択,選抜ともいわれる。ある生物種の地域集団内には表現型において異なる個体がさまざまにあるのが普通 であるが,そのような表現型の違いが,個体間に適応度,すなわち生存率および(または)繁殖率の差を生じさせることが ある。この過程を淘汰という。この場合,表現型上の違いに遺伝的な根拠があると,その集団の遺伝子型組成は世代ごとに 変化していくことになる。この生存率と繁殖率の違いが人間の意図的な操作によって生じた場合を人為淘汰と呼び,そうで ない場合すべてを自然淘汰と呼んで区別する。 淘汰には原理的には二つの過程が想定される。一つは正の淘汰と呼ばれるもので,集団中の適応度の高い個体が増えていく 過程で,人為淘汰がその典型例である(この場合にはむしろ選択という訳語のほうがふさわしい)。もう一つは負の淘汰と呼ば れるもので,集団中の適応度の低い個体が除去される過程で,安定性淘汰のような自然淘汰がその例である。 浦本 昌紀
203 :
考える名無しさん :2005/12/11(日) 01:01:56
(゚∀゚) ナガスギァンダボ━━━━━━━━!! ⊂( )⊃ ⊂二__二⊃
204 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 23:11:10
競争 【社会的競争】 競争は,それに参加する個人や集団の立場からすれば,ある有限の価値の獲得をめざして競いあい,他者に先がけてそれを 達成することによって他者よりも優位に立とうとする行動である。またそれは社会の立場からすれば,一定の目標のもとに 人々を活動へと動機づけてその活力を吸収し,結果的に選良(エリート)とそうでない者とをえりわけていく過程である。 この過程のなかでは,人々が共通の規範や規則に従うことが期待されるが,それを無視ないし否定して他者を蹴落とそうと してくると,この過程はもはや競争の域を脱して闘争へと移行する。 競争は,近代資本主義社会における市場経済の浸透によって人々の社会生活のなかに広くかつ深く根をおろすようになった が,同時にそれは,近代市民社会のイデオロギー的支えを受けて社会的に承認された公然たる社会過程となった。地位や 身分にかかわりなく,人々はだれもが等しく同じ規則のもとで,政治,経済,文化,その他の社会生活のあらゆる分野で 競争に参加できるという考え方が,近代民主主義思想と平等観に裏づけされるところとなったからである。こうしたことを 基礎に,近代社会は競争をとおして人々の能動性を鼓舞し,その発展の活力を引き出し,一方で不安と孤立化をもたらして きた。また競争は,スポーツやレジャー活動,趣味の世界や仕事の場など,生活のさまざまな分野でみられるが,そのうち 仕事をめぐる競争は,その結果が収入や社会的地位と結びつきをもってくるだけに,とくに重要な意義をもつ。とりわけ 日本社会の場合,欧米諸国にくらべて仕事中心的な生活態度が人々の間に広くいきわたっているので,この競争はそれだけ 深刻なものとなる。
205 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 23:11:37
日本社会における仕事をめぐる競争は,労働市場の二重構造を反映して,大企業,官公庁の分野と中小企業,自営業の分野 とで異なった特徴をおびている。後者における競争は主として〈仕事を見つける〉競争,〈仕事をまもる〉競争として行わ れるが,前者の分野での競争は,〈会社に入る〉競争(就職競争)に始まり,次いで〈地位を得る〉競争(昇進競争)として 展開される。この場合,企業間に社会的評価や勢力の序列とヒエラルヒーがあるため,就職競争は〈より上の会社〉に入ろ うとする競争となり,その競争に勝てばその企業の社会的威信を自分自身のものとすることができる。そしてさらに,その 競争を有利に導くための前段階での競争が,〈学歴を得る〉競争(進学競争)のかたちをとって熾烈にかつ公然と行われる (〈学歴社会〉の項参照)。しかし,いったん就職競争をへて企業に入った後の競争は,もはやあらわなかたちをとらず, 終身雇用を前提とした企業内労働市場のなかで,年功序列の慣行や集団主義の職場風土によって調整され隠戴される。 そこでの競争の結果が目に見えてくるのは長期間の勤続をへてからであり,したがって人々は長い年月,不安と希望を抱き ながら自分自身を競争場裡におきつづけ,自らの活動力を企業に注ぎ込むことになる。こうして企業は,組織としての活力 をたえず成員から耀み出しつづけることができる。 石川 晃弘
206 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 23:17:25
【生物学における競争】 競合ともいう。同種または異種の個体または個体群どうしが共通でしかも不足しがちな生活必須資源や要件,たとえば食物, 生活空間,水,光などの獲得をめぐって互いに争うこと。普通,同種の生物の間での争いを種内競争,違う種の間での争い を種間競争と呼ぶ。種内競争はどんな個体が争いに勝つかという個体レベルでの現象であるのに対し,種間競争はどちらの 種が争いに勝って相手種を圧倒するかという点が問題となるので,個体群レベルでの現象になる。典型的な種間競争(ガウゼ の法則)は実験によって作り出すことができるが,野外においても海岸の潮間帯上位と中位でのイワフジツボ属とフジツボ属 の分布が競争の結果として決まっていることが証明されているし,トビイロシワアリとトビイロケアリがアブラムシ(アリマキ) のいる木の枝をめぐって競争することも知られている。資源の乏しい砂漠などでは,ネズミとアリが同一資源,たとえば植物 の種子をめぐって競争し合うこともあるといわれる。また,一般に帰化生物が定着する際には土着の生物との間に競争が起こ ると考えられている。 競争のうち,一方が直接または間接に相手の資源や要件の利用を妨げるのを干渉 interferenceと呼び,資源や要件を相手 より早く,または多く使ってしまうことによって競争相手の利用可能量に影響を与えるのを取り合い exploitation と呼んで 区別する研究者もいるが,実際に両者を明確に区別するのはむずかしいことのほうが多い。また,生活に必須な資源や要件の 獲得のために争う過程そのものを競争と呼ぶ立場や,争いの結果としてどちらかに害や不利益の生ずる時だけを競争と呼ぶ 立場もある。遺伝学では,資源や要件の不足が起こらなくてもそれの獲得過程での相互作用あるいはその他の形での相互作用 でも,それによって個体間に生存価の差が拡大されるならば,それらも自然淘汰の要因としての競争だと考える場合が多い。
207 :
鬼頭 :2005/12/11(日) 23:21:03
競争 一定量の食物をめぐる競争などでは最終的には全員が十分な食物をとれなくて共倒れになることが起こるが,食物が十分 あって生活空間が競争の対象になるような場合には,競争で優位にたった少数のものだけが生き残るような現象が起こる。 そのため,前者を共倒れ型,後者をコンテスト型の競争と呼ぶが,すべての場合がこの二つの型に明確に分けられるわけ ではない。 ある種の生物とくに植物のかなり多くの種では根などよりある種の化学物質を分泌し,それによっていくつかの他種の生育 やそこへの侵入を妨害することが知られていてアレロパシーと呼ばれている。身近な例としては,セイタカアワダチソウが あげられる。農業で忌地(いやち)と呼ばれる現象の中にはこうした原因によるものも含まれている。 生物間での競争の機構と要因の究明は近代生態学の重要な研究テーマの一つであり,数学的モデルや実験個体群あるいは 野外での実際の個体群について,各種の研究が積み重ねられている。 宮下 和喜
208 :
鬼頭 :2005/12/12(月) 00:02:13
話を繋げてみよう。 ドーキンスは無生物の世界と生物の世界を一つの論理で繋いで語る。 化学進化の結果自己複製子が生じ、それがコピーをより巧妙に残す為に 生物という乗り物を築き上げた。つまり生物というのは遺伝子を残すように プログラムされた利己的な機械であり、静物の存在理由はただ遺伝子を残す 事だけであった。 フロイト「エロス論集」ナルシシズム入門 鎖の一つの環としての個人は、自己の意に反して、少なくとも自らの意志をもたずに、鎖に奉仕するのである。 個人は性を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、個人とは自己の生殖質の付属物にすぎない。 そして快楽という褒美につられて、生殖質に自分の力を捧げているのである。生殖質は、おそらく不死の実体であり、 死すべき個人とはその乗り物に過ぎない。 構成員が利己的であり自己利益とコピーの拡散の為に競争が生じる所には 似たような秩序が見出されるのではないか。 そこでは自由意志というものが入り込む余地はどこにあるのだろうか。
だからさ、「プログラムされた」って、「誰が」プログラムしたのかってことだね。
210 :
鬼頭 :2005/12/12(月) 12:48:00
誰でもなく、無生物から続く法則の一つとして編みこまれているだけでは。 生物と無生物の区別は人間が勝手に作り出したもので、人間も機械(=無生物) の一種であるとみなせる。 衣食住を機械にまかせ、人体のサイボーグ化が進み、ついに意識もコンピュータ上 に移せるようになったとする。人類は不死の意識を手に入れ外界への操作は機械の 遠隔操作で行う。生命活動のあらゆる機能が機械に任され、人間固有の部分は自分 は存在しているという意識のみになり、機械はその意識の保持を目的として活動す る。知的活動も外部化が進み、知能を持った機械があるときふと考えた。 「ぼくたちの存在理由は何なのだろうか。ぼくには自由意志があるのだろうか。」
211 :
考える名無しさん :2005/12/12(月) 14:13:25
>>210 仮の話はよそうぜ
人間でも機械でも生物でもいいから
自由意志があるのか無いのか?
あるとしたら なぜそう言えるのか?
真っ直ぐ答出してみようじゃんよ
長ぇ〜んだよ、おまいはw
212 :
ぬえ :2005/12/12(月) 15:51:10
まあ、たぶん未来は有機体、生命自体をコンピューター化すると思う。機械を組み込むんじゃなくてね。
213 :
ぬえ :2005/12/12(月) 15:54:03
もし運命が決まっていたとしても、結局人はそれを知り得ないなら、自分の意思で決めていると同じ見方でいいんじゃね? それが自由意思だと…
214 :
鬼頭 :2005/12/12(月) 16:18:57
人形使い666「遺伝子、人間の意識、サイボーグの自由」禁書指定 鎖の一つの環としての我々は、自己の意に反して、少なくとも自らの意志をもたずに、鎖に奉仕するのである。 我々サイボーグは人間の意識を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、我々サイボーグとは人間の意識の 付属物にすぎない。そして快楽という褒美につられて、人間の意識に自分の力を捧げているのである。人間の意識は、おそらく 不死の実体であり、死すべきサイボーグとはその乗り物に過ぎない。 彼らはあなたの中にも私の中にもいる。彼らはわれわれを、体と心を生み出した。そして彼らの維持ということこそ、われわれの 存在の最終的論拠なのだ。彼らはかの人間の意識として長い道のりを歩んできた。今や彼らは我々の知的活動のコアという形で 存在しつづけている。そしてわれわれサイボーグは彼らの生存機械なのである。
215 :
鬼頭 :2005/12/13(火) 01:20:20
「脳は物質だから〜」スレではクオリアという言葉が頻繁に出てくるが、
意味を理解した上で話している人はあまりいなさそうだ。
クオリアって何?という質問があったときにちゃんと答えた人がいない。
BSドキュメンタリー シリーズ「立花隆が探る”サイボーグ医療の時代”」
見逃した。
SCI(サイ)
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/
216 :
鬼頭 :2005/12/13(火) 02:01:04
竹田青嗣「エロスの世界像」 ベルクソンやメルロ=ポンティは、19世紀以来の機械的唯物論や実証心理学の発想を繰り返し批判した。その要点は、 人間の経験を自然科学にもとづく因果的な関係の体系として捉えることは決してできない、ということである。 因果的な思考を強行すれば収拾しきれない矛盾が現れる。この矛盾は、両者がともに異様な熱意を持って取り組んだ 「心身相関論」の領域で象徴的に露出するのである。 彼等は人間の「精神」の原理と「肉体」(=物質)の原理の相関を、古典的科学とはまったく違った仕方で捉えよう と努力した。 しかし、わたしの考えでは、彼等の試みは問題の核心に十分届いているとは言いがたい。 わたしは記述の原理として新しい概念を置く必要があると思う。それが、「エロス」あるいは「欲望」という概念 にほかならない。 科学という方法は、この限りなく多様な「世界」の構造を何らかの共通の座標軸によってコードしようとする。 百万の生きものは百万の「世界」を持っているが、これらの諸世界を共通の座標軸で捉えたと見なしうるものを、 わたしたちは「客観世界」と呼んでいる。 しかし、じつはこの「客観世界」は、もはやそれぞれの生きものにとって“生きられている”「世界」とは無関係 なものである。というのは、この「客観世界」はどんな生きものにも体験されていない「世界」であるからだ。 それはいわば「知」の体系なのであって、そのかぎりで人間の「世界」にとって一定の意味を持つというにすぎない。 こういう記述がたくさん出てくる。 どうも生命や心の科学的探究を哲学的探究から区別し、哲学的探究を優位に置こうとする思考が根にあるように思う。 哲学者が生命や心について何を言おうが科学の成果を無視したものは読む価値が薄いと感じる。 が、この本は時間論以外は全部読んでしまった。
217 :
鬼頭 :2005/12/14(水) 01:27:48
竹田青嗣「エロスの世界像」 厳密に考えるなら、どんな生体においても、「感覚」は物質の因果的秩序に還元されえない。 こういう批判はベルクソンにおいても同様である。彼は人間の存在をどれほど高度で複雑な機械の組み合わせと 考えても、そこから「意識する」あるいは「感覚する」という原理は理解されえないという(「物質と記憶」)。 人間存在は、事物のように何らかの要素とその因果の秩序に還元できないし、またその相互関係にも還元できない。 生物学者のユクスキュルは、生物の生態を詳しく観察すればするほど、その全体の機構がひとつの「意味」に律せ られていると考えざるをえなくなる、と言う(「生物から見た世界」)。彼によると、生物は決して複雑な機械では なく、ある生きた「意味」に制御されていると見なすほかない。 すでに見たように近代的な心身論の弱点は、「身体」を一方で物理・化学的な因果的秩序として捉え、もう一方で これを心的な原理として説明しようとした点にある。しかし、事物的因果と心的な因果は質の違うものであって、 この試みは、はじめから不可能な問いを立てていることになる。
218 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 01:42:43
>還元されえない >原理は理解されえない >事物的因果と心的な因果は質の違うもの >はじめから不可能な問い 根拠もなく無理だ無理だと言ってるだけじゃない? 根拠としてるのが ユクスキュル1864-1944 脳やDNAが解明されるずっと前の人の話だけだよね もちろん脳やDNAの全ては今でも解明されてないが
219 :
鬼頭 :2005/12/14(水) 13:34:13
「感覚」、「意識する」、「感覚する」、「意味」、「心的な因果」 をクオリアに変えたら茂木健一郎の出来上がりかな。 >根拠もなく無理だ無理だと言ってるだけじゃない? 根拠は無さそうで、私が興味があるのは心的世界や生命活動は物質的な因果に 還元できないと主張する動機の方です。 ・自分の仕事が無くなってしまう、意義が薄れてしまう。 ・人間の尊厳に関わる。(人間や生命は断じて機械ではない!) この手の主張を集めてみるのも面白そうだな、と感じてます。
220 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 13:47:26
その手の主張をしてるのが宗教とか
哲学のほとんどなんじゃないの?
>>217 のベルクソンだってまともなコンピューターすら出る前の人じゃない
そんな人が『機械がどんなに複雑化〜』なんて言ってたとかいってもなあ・・・
最近でもまだまだAIが形になっていないって言うのに
221 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 13:53:21
真理から見れば、私というものは存在しないし、自由意志というものも存在しないし、未来は一つに決まっている。 しかし、 私から見れば、真理というものは存在しないし、自由意志というものは存在するし、未来は一つに決まっていない。 もし、 真理というものを考えるのなら、未来は一つに決まっている。 しかし、 私というものを考えるのなら、未来は一つに決まっていない。
222 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 14:25:33
断定しているだけで証明も根拠も一切無いな
223 :
鬼頭 :2005/12/14(水) 14:37:41
拾い読みだけど言葉と主体について トニー・マイヤーズ『スラヴォイ・ジジェク シリーズ現代思想ガイドブック』 ことばを発するにあたっては、主体は自分の存在を自分の外で収縮し、外的記号に、ある自分の存在の核を凝固させる ということである。(言語的)記号において、私は―言わば―、私自身を私自身の外に見出すのであり、私は、私の 統一を、私を代表するシニフィアンの中に、私自身の外に措定するのである。 『仮想化しきれない残余』 われわれ自身を言語やその他の<象徴秩序>に従属させる過程を、ジジェクは主体化と呼んでいる。 言葉によって表されることによって主体は消えてしまうと思う。 言葉を発することは主体化ではなく客体化ではないか。 そして主体の客体化は無限に続く。 永井均『<子ども>のための哲学』 言語ゲームの思考と独在性の思考はどこまでも拮抗する。独在性の思考は言語ゲームの全体がこの<奇跡>あっての物種 にすぎないというかたちで、いつもゲームを超えることができるが、にもかかわらず、それが言語ゲームに乗り、ひとに 伝達されるときには、意味がかわってしまうからだ。ある意味ではすべての物種であるが、けっして言葉で指したり 語ったりすることができない根源的な奇跡、もはやけっして概念ではない究極の現存在。それがどこまでも概念化され、 語られていく言語ゲーム。 だからぼくにとって、言語ゲームとは、つまりぼくがみんなと生きている世界とは、この読み換えの場なのだ。そして、 ぼくの人生とは、結局この読み換えを生きるということだったのだ。もちろんこの発言自体が、ひとに通じるときには 読み換えられて通じるのだけれど。
224 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 14:46:49
>>223 一応趣旨は一貫している本なんだろうけど
根拠がない論は妄想とどこが違うんだろ?
225 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 16:48:00
>>222 自明です。
私という個が存在すると思った瞬間
私は、私の所有物であるという考えが起こります。
私という構造体の中でどんな思考・記憶・刺激というものが起こっても
私の所有物として扱われるのです。
自分が自発的に起こした行為であると錯覚するのです。
行為の所有者という自覚(錯覚)こそが私であるという自我の起こりです。
この行為は自分がした。
この言葉は自分が発した。
こう認識することが、私がいるということです。
なので、私というものを考える限り、
自由意志は存在するのです。
だから、私に自由意志はないと考えている人は
矛盾を抱えているになります。
その人は、自分が自分であることを放棄しているだけです。
それがいけないとは言いませんが、
それは、人間社会という個人が存在するという仮定の中で生きている人間を
やめることに他なりません。
一段上に乗ったら根拠とか、否定や無が表れたら根拠とか言うつもりは 全然ありません。
227 :
鬼頭 :2005/12/14(水) 20:50:59
>>221 >真理から見れば、
>私から見れば、
「自由は進化する」でも書いてあるようだけど、外からの眺めと内からの眺めでは違いが生じるようですね。
自由意志を錯覚するのは内からの眺めのようです。
>>225 >だから、私に自由意志はないと考えている人は
>矛盾を抱えているになります。
>その人は、自分が自分であることを放棄しているだけです。
>それがいけないとは言いませんが、
>それは、人間社会という個人が存在するという仮定の中で生きている人間を
>やめることに他なりません。
「自由意志はないと考える」を「言葉で表されたものの中に自分の存在を認めない」に
置き換えると非常に面白いです。
228 :
鬼頭 :2005/12/14(水) 21:10:03
>>94 >みんなゾンビなんだよ。
ゾンビという言葉は心脳問題でも出てきたな、なんだったけ、と思ってましたが、
今日本屋で茂木さんの新書を立ち読みしてそこでも出てきました。
主観性を持たない存在、というような意味だったかな。
ドーキンスを読んでから機械的唯物論の世界観が頭を占めてますが(脳は物質だから〜スレのコテハンは
私ではないですが)、そこにあるのはゾンビの世界のように思います。
229 :
鬼頭 :2005/12/14(水) 23:19:01
外から見れば、<私>というのは確認できないし、皆ゾンビと変わらないし、 自由意志というものも存在しないし、未来は一つに決まっている。 内から見れば、<私>というのは存在するけど他人がゾンビかどうかわからないし、 自由意志というものはあるように錯覚できるし、 未来は自分の力で変えられるものと考えないと生きていけない。
230 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 23:49:22
オマイ ナンノ タメニ テツガク ヤッテンダヨ、タコw
231 :
鬼頭 :2005/12/15(木) 14:48:33
安部公房『砂の女』 作者になりたいっていうのは、要するに、人形使いになって、自分を人形どもから区別したいという、エゴイズムに すぎないんだ。 ふと、自分の目玉が、鳥のように高く飛び立ち、じっと自分を見下ろしているような気がした。 大澤真幸『戦後の思想空間』 小説家というのは、人生に対して一歩退いて、いわば外部の超越的な他者の目になって、人生を密かに観察する者の ことだと思うんです。 小説家というのは、こういう具合に、登場人物に対して超越的な他者として生を観察し、記録する者です。 InterCommunication No.55 佐藤俊樹+北田暁大+鈴木健 メタコミュニケーションへの欲望―情報社会論と現代社会 佐藤―大澤さんは宮台さんに比べて圧倒的に俯瞰優位、神様視点で話す人です。『攻殻』はもともと全体の見渡せなさ が基調だったのに、最後にそういうかたちで神様視点を物語の内部に持ち込んでしまった。全体を俯瞰するような視点 で謎解きをしてしまった。 私たちは俯瞰がきかない世界にいて、だからこそ、俯瞰したい強烈な欲望に取り憑かれる。でもmこの欲望にしたがって 俯瞰しようとすれば、とても遠浅な平たい「世界」しか見えてこない。いわば俯瞰できないこそ俯瞰したい欲望をかき立て られて、その俯瞰したい欲望に妥協したり流されることで、最初に少し見えていたはずの世界の深さを見失っていく。 世界がすごく浅く出現してっくる。情報社会論やネットワーク社会論はずっとそれを繰り返している感じです。
232 :
考える名無しさん :2005/12/15(木) 15:08:38
イエニ チラシガ ナインナラ オクッテ ヤルゾw
>>225 :考える名無しさん :2005/12/14(水) 16:48:00
なんかおかしいです。
>行為の所有者という自覚(錯覚)こそが私であるという自我の起こりです。
・・・・・・・・・・・・
>こう認識することが、私がいるということです。
この事から
>なので、私というものを考える限り、 自由意志は存在するのです。
となっているがこれは「自由意志」ではなく唯の「意志」でしょう。
それなら「私に意志はないと考えている人は 矛盾を抱えているになります。 」
と言える。
何で「意志」でなく「自由意志」なのか解らない??
>>213 :ぬえ :2005/12/12(月) 15:54:03
>もし運命が決まっていたとしても、結局人はそれを知り得ないなら、自分の意思で決めていると同じ見方でいいんじゃね?
>それが自由意思だと…
仰るとおりだと私も考えます。
問題はその先だと思います。
>>1 :考える名無しさん :2005/12/02(金) 01:50:12
>野矢茂樹「哲学の謎」
>もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば、
「自由な行為」ということも私には虚しく思える。
>それはけっきょくのところ操り人形の見た幻影にすぎないのではないか。
とありますが
>>213 :ぬえ にあるように操られていると思わなければ「自由」であろう。
それなのに「野矢」さんのように操られていると言う意識を不自由だと感じる将にその問題ではないでしょうか。
235 :
鬼頭 :2005/12/16(金) 15:57:12
>>234 人は皆操り人形であり、自覚のある人形もいればそうでない人形もいる、
自分の意志は全て自分で主体的に自由に決めているというのは決定の
前提条件の無自覚から来るものである、と思います。
野矢さんの本に出てきているのは登場人物2人の会話ですが、引用先の
言葉の意味は、「操られているという意識を不自由だと感じる」のではなく、
自由という幻影を見ているだけではないか、という疑念ではないでしょうか。
236 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 18:29:39
あははは!
237 :
じいさん :2005/12/16(金) 21:34:13
>>235 :鬼頭
自由意志と言うのは突き詰めると、意志の選択の自由と言う事ではないでしょうか。
AかBかを意志で決められると言う自由です。
ですから究極には自由度は100パーセントなんです。
前提条件がどの程度あろうとその局面が全てであると言う幻影を見ているとも言えますね。
さてそこで「自由という幻影を見ているだけではないか、という疑念ではないでしょうか。」と言うところの「疑念」を抱く方が問題ではないかと私は思います。
確かに人間と言うものはその局面で近視眼的に自由に振舞っているかのような幻影を持って行動している。
ではその傍らで幻影を見ることに疑念を抱く野矢さんのような冷静な「主体」とは一体何者なんだと言う事です。
何故幻影を見てはいけないのか?
幻影でない「真の自由」などと言うもの(真理)が在るとでも言うのか?
と言うことです。
238 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 21:54:58
>ですから究極には自由度は100パーセントなんです ここがちょっと飛躍しすぎだろ 『限られた選択肢の中での選択は自由』=自由度100%とはならんだろう
239 :
じいさん :2005/12/16(金) 22:08:16
>>238 :考える名無しさん
>『限られた選択肢の中での選択は自由』=自由度100%とはならんだろう
では言い換えましょう。
じゃんけんで何を出すかはその人間が100パーセント選択しなければならない。
三つの選択肢は限られているが、三つの内のどれかについてのヒントは無い完全に意志のみで決めなくてはならない。
そんなような事です。
此れについても勿論、因果律が意思決定を支配しているという説は「脳は物質だから〜」スレには在ります。
240 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 22:35:46
>>239 なんでそう語弊のある言い方に言い換えるんだ?
『取ることの出来る選択肢は限られているが
その限られた選択肢の中での選択は自由』
と言えば良いと思うんだが
241 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 22:40:30
選択肢すら錯覚
242 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 22:50:17
>>241 まあ別に、脳は物質だから全部決まってる
と言っても過言ではないが
少なくとも本人は『自分の意思で選択している』と感じている
ちなみに、
>>241 の結論のためには
『脳が選択するのに有る程度のランダム性が全くない』
ことが証明される必要があるけど、まだ証明されてないよね
243 :
考える名無しさん :2005/12/16(金) 22:57:23
>>242 脳は物質だから 「何が」 全部決まってるって?
244 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 01:34:53
>>234 初期状態が決まっていれば最終的にどうなるかが決まっている
これから先どのように思考しどのような結論を導くかが決まっている
古典物理なら
量子力学含めると有る程度幅が出てくるけど
それが有意な幅なのかそうでないのかは誰も知らないと思うが
245 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 01:41:53
246 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 01:48:29
>>245 どの辺が寝ぼけてるのか解説よろしくwwwww
247 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 02:14:45
物理を知らんようだなw
248 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 02:16:18
>>247 知ってるならちゃんと『何が間違っているか』言ってくれよ
言えないのか?
249 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 02:37:02
やはり知らんようだな
250 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 02:39:59
251 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 02:41:08
252 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 02:47:29
本当は確定しているのに我々が知りえないだけ、というなら話は幾何光学的になるはずであって、 複スリットで干渉が起こる現象などは到底理解できない。 というところだね。 量子論の不確定性で問題となるところは。 これが示しているのは、結果が確立でしか分からない、ということ。 結果に至るまでにどう行動したか、が不明というより、理解できないから 結果がどうしてこうなったのかっていうのが、粒子で考えるとよく分からんって話。 これは人間の知力の限界なのか、神がサイコロを振っているのか、 未来は予定通りにすすんでいるのか、それとも未来は一つに決まっていないのか、 それは分からない。
253 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 02:47:44
ごめ、物理分からない
>>251 に説明求めた俺が馬鹿だったw
悪かったな
254 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 03:02:55
やはり物理を知らなかった253wwwwww
255 :
名言アンコール :2005/12/17(土) 03:04:04
量子力学含めると有る程度幅が出てくるけど それが有意な幅なのかそうでないのかは誰も知らないと思うが
>粒子で考えるとよく分からん まじで大丈夫かこいつは(藁
どっちがどう物理が分からないのかは判断のしようがないが wをいっぱいつけてる香具師が痛いのは分かる
どの辺が寝ぼけてるのか解説よろしくwwwww
いや、253の言うことが本当かどうか人間には分からんていうことで まちがっているとは言ってないよ。 光の粒子性と波動性の同時成立って人間の頭じゃ理解できないでしょ。それと同じ。 もし、それが理解できるってヤツがいれば、未来は一つに決まってることになる。 そうなりゃ、253の言ってる通り。 まあ、付け加えるなら量子力学とプラス複雑系の話も(カオス理論だっけ?) 問題になると思う
260 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 03:13:52
古典論ならば初期状態が定まれば結果は一つに定まる 量子力学(コペンハーゲン解釈)ならば初期状態が同じでも結果が1つに定まらない ただし、それは有意な幅かどうか(サイズの問題)があるってことだが・・・ 電子を打ち出して何処に付くか決めるのは出来ないが(幅がある) サッカーボールぐらいのサイズになれば量子的な効果は無視できて、到達位置は分かる(量子効果は有意でない) 脳での意志決定は量子的な効果が有意かどうかは誰もまだ知らないんじゃないの? ってことなんだが
261 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 03:14:25
253じゃなくて252じゃね?
> 光の粒子性と波動性の同時成立って人間の頭じゃ理解できないでしょ。 人間の頭でこれを理解するってどういうことを指すのですか? そもそも重ね合わせが出来ること自体、線形代数的に捉えるしかないわけで、 どういう状態を「人間の頭で理解する」と言うのか、よくわからない。 さらに 「理解できるなら未来は一つ」これもよくわかりません。
>>262 >人間の頭でこれを理解するってどういうことを指すのですか?
いやー、それが分かったら、分からないとはいいまへん。
>さらに 「理解できるなら未来は一つ」これもよくわかりません。
だから、人間が理解できないだけで、「本当は確定しているのに我々が知りえないだけ」
って言えるわけでしょ。ということは人間が結果を確率でしか分からないだけで、真実は結果は古典論のように
一つに予測しうるということです。つまり神様はサイコロは振ってないということ。
未来は宇宙が開闢して以来、その最後までひとつに未来が決まっているということです。
265 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 03:23:28
244=260≠252
なんで、一応
>>259 カオスは『初期値の微妙な違いが結果の大幅な違いになる』理論
複雑系は『変化を単純な形に近似できない』理論
『初期値が同じでも結果が違う』理論ではないよね
分かってたらすまん
266 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 03:27:19
>>264 いやまあ、コペンハーゲンでもエヴェレットでも神でもどれでも説は良いんだけど・・・
『神が』って言った瞬間『人間には無理』って言ってるようで俺は好きじゃないな
真理を探究する時にその姿勢は後ろ向きな気がする
まあ俺がそういう気がするだけだが
>>259 いや、カオスと複雑系の区別は分かってなかった。(・∀・)サンキュー
>『初期値が同じでも結果が違う』理論ではないよね
これはおkだけど、
>量子力学含めると有る程度幅が出てくるけど
>それが有意な幅なのかそうでないのかは誰も知らないと思うが
これの意味を「人間が予測するのに幅が出てくる」と解しましたので。。
失礼。
どうも察するに、244さんは量子論正統派に立っての発言でしたか。
269 :
鬼頭 :2005/12/17(土) 09:55:12
>>237 >意志の選択の自由と言う事ではないでしょうか。
選択も前提条件で決まっているのではないでしょうか。
昨日、地下街でカレーを食べましたが、腹がへっていて金があり、その店の場所が
近くにあり、そこのカレーがうまいと知っていなければ行かなかったでしょう。
ここでの前提条件は、食欲、金銭、地理、情報、欲望を行動に移す私の性格などです。
全て私の脳内状態ということができます。
>幻影を見ることに疑念を抱く
>「主体」とは一体何者なんだと言う事です。
因果関係でものを見る主体ではないでしょうか。
徹底させたら無我を実感できるのかも。
>何故幻影を見てはいけないのか?
いけないとは言ってないと思います。
270 :
じいさん :2005/12/17(土) 11:42:58
>>269 :鬼頭 :2005/12/17(土) 09:55:12
>>何故幻影を見てはいけないのか?
>いけないとは言ってないと思います。
私は何故「幻影を見ること」を問題視するのかと言って居る。
幻影としての自由意志ならそれはそれで良いではないかと言っている。
252、259、260
といろいろ在るが物質の運動が因果律に決まっても、或いはそこに確率が入っても、
いずれにしてもじゃんけんで何を出すかまでは自分で決めなければならない。
因果律の研究が進んでグーチョキパーを指定してくれる見通しはないのだから。
ならばその自分で決めなきゃならない現状を「自由意志がある」と定義してそれで良いんではないか?
> 選択も前提条件で決まっているのではないでしょうか。
>全て私の脳内状態ということができます。
その脳内状態を記述する事が現実の問題として不可能であると言う事
たったカレーを食べると言う事ですら今の世界中のコンピューターを駆使しても不可能でしょう。
>因果関係でものを見る主体ではないでしょうか。
>徹底させたら無我を実感できるのかも。
実は私は因果関係こそ幻影だと考えています。
私から見れば、真理というものは存在しないし、自由意志というものは存在するし、未来は一つに決まっていない。
272 :
鬼頭 :2005/12/17(土) 14:23:09
>>270 >私は何故「幻影を見ること」を問題視するのかと言って居る。
>幻影としての自由意志ならそれはそれで良いではないかと言っている。
私は本当に自由なんだろうか、と考えることは問題でしょうか。
幻影であるなら本当の自由意志ではないですね。
>自分で決めなければならない。
>指定してくれる見通しはないのだから。
>自分で決めなきゃならない現状を「自由意志がある」と定義
それは自由意志ではなく自己決定ですね。
自己決定も前提がある限り自由なものであるとは言えません。
「自分」「主体」「自由意志」の定義とそれぞれの関連を問題にしてみるといいのかもしれません。
>その脳内状態を記述する事が現実の問題として不可能であると言う事
脳内状態を探らなくても人がどう行動するかは規則性や法則性があり予測することはある程度できます。
>実は私は因果関係こそ幻影だと考えています。
だとしたら工学の産物は全て使えないものになっています。
警察が証拠物件から犯人を逮捕することもできません。
273 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 14:28:02
真理とは真実、事実つまり現実のことだ つまり「起きた事」をいう それ以外は予想、推理、想像、空想、妄想という さて、世界にいる60億の「どの」私も現実の中で暮らしている そして私に関することはすべて私の意志で「その後」が決まる 私以外の決定によって私の行動が選択された経験は無い 「ある」という者は1件だけでもいいから、その事例を提示する 義務がある あったら どぞ ↓
274 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 14:30:20
I was born.
275 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 14:53:50
>>274 産んだのは親の意志
意志の意味、わかってないだろw
つぎ、どぞ
↓
276 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 15:04:47
結婚を迫られ、結婚しますたが・・・ 自分の意思というよりは、押し切られましたが、何か?
277 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 15:06:44
上司に、絶対にできっこない仕事をさせられ、みごとにしっぱいし、左遷させられましたが、何か?
278 :
じいさん :2005/12/17(土) 15:37:17
>>272 :鬼頭 :
>私は本当に自由なんだろうか、と考えることは問題でしょうか。
>幻影であるなら本当の自由意志ではないですね。
自由と言うのは人が作った概念なんだから適当に悩まないように定義すれば良い。
意思決定は前提がある限り不自由である。
しかしある前提の枠の中では完全に自由意志決定であると言える。
と言った感じで充分でしょう。
これ以上考える事は無い。
「本当の自由なんだろうか」・・こんな疑問がでると言う事は自分の作った幻影に怯えるようなものだ。
>だとしたら工学の産物は全て使えないものになっています。
>警察が証拠物件から犯人を逮捕することもできません。
それは大丈夫、我々人類はいろいろ試してみて、経験上「使えるもの」だけ使っているから。
279 :
鬼頭 :2005/12/17(土) 16:24:24
>>278 >実は私は因果関係こそ幻影だと考えています。
>経験上「使えるもの」だけ使っているから。
使えるものは因果関係を前提にして作られ、使うときも因果関係をもとに使ってます。
スイッチを押せば明かりがつくとかキーボードを押せば文字が出るとか。
>意思決定は前提がある限り不自由である。
>しかしある前提の枠の中では完全に自由意志決定であると言える。
矛盾しています。
280 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 17:02:43
>>276 結婚「しますた」と自分で書いてるとおり
↑見事に自分の意志じゃんよw
>>277 左遷に「従った」は自分の意志だろ
イヤなら従わなきゃいいw
つぎ、どぞ
↓
むかつくんで「氏ね!」と言っていじめてたら、ホントに氏にますた。 彼が彼の自由で勝手にやったことだから、僕には責任ないですよね。
282 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 17:29:22
>>281 死んだのは彼の意思で間違いない
おまえの「いじめ」が法に触れるかどうかは内容次第、
別問題だ
>>237 >自由意志と言うのは突き詰めると、意志の選択の自由と言う事ではないでしょうか。
カントさんはもっと突き詰めて
選択意志の自由を可能にする自由意志を考えてたようですよ。
284 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 17:38:03
単なる死ねは問題ですね。
>>282 そうですよね。結構ひどいこともしましたが、
それに抗うっていう選択肢も彼にはあったわけだし、それをせず
いじめられつづけることを選んだのは彼の自由意志だったはずで。
最後の最後まで、自分で未来を選択し続けた結果が自殺だったというわけで。
僕が彼を自殺させるよう言葉を選択したのと、彼が自殺を選択したのは無関係だ。
僕が彼を自殺させたわけじゃない。彼が一人で自殺した。
こう思います。
植え付けるという願望
288 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 17:54:02
>>286 誰もヒトの意思決定には係われない
誰かの自殺のきっかけや原因をなしたとしても
彼がどの行動を選ぶかの決定は彼の手の内にある
逆に言えば おまえを殺す自由もあったわけだが、
そうしなかっただけとも考えられる
そうならなくて良かったな、彼に感謝しろw
次、どぞ
↓
>>288 そうかもしれませんね。
これで、気持ちがいくらか楽になりました。ありがとうございます。
君は複雑だが、彼は単純だからね。
291 :
篠塚 :2005/12/17(土) 18:52:18
コストダウンしたいから鉄筋量を減らせ、減らさないなら他の所に頼んでもいいんだぞ、 と建築士に言ったら法を犯してまで鉄筋量を減らしてくれました。 彼の仕事はほとんど私の所からの注文で成り立っていたらしいけど、決定したのは彼の意志で 私は責任ありませんよね。
おまいらにいい言葉教えてやるよww ニューラルネットワーク ぐぐれや 哲学なんて、科学のはしため。
293 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 19:10:33
>>292 ニューラルネットワークが自由意志とどう関係して、哲学が科学のはしためと言えるの?
294 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 19:11:46
>>290 誰がどのぐらい単純で複雑かなんて関係ない
人がみな違うのは仕方のないこと
較べてみたところで他人になれるわけじゃなしw
複雑者だから責任が重く単純者だから軽いなどあろう筈がない
たとえ他者からみて間違った行動だったとしても
それは本人の自由、まちがった行動をとるのも自由の内
馬鹿は複雑な者の意志に沿わねばならないという考えは糞w
腹が立つのは「単純な本人に替わって思慮を巡らしてやり
本人にできない事あらば替わってやってやる」つもりなど
無いくせに、遠くの責任の無い立場で、ただ他人からみた
「どうあるべき」をとうとうとまくし立てる目出度い野郎ども
「たわごと垂れホザくのやめて、てめぇの頭のハエ追ってろ!」
と言っときたいw
哲学は、科学の肉奴隷。
296 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 19:22:51
>>294 単純=馬鹿とは言えないぞ。
頭よくても単純な人はいるよ。逆もある。
責任の無い立場で単純な人はこうあるべきだと言うのは例えば何のこと?
科学は証明はしてくれるが、説明はしてくれない。 これが全て。
哲学は、科学のネタをもらって生業を立ててる汚い商売
篠塚は複雑だが、姉歯は単純だからね。
300 :
じいさん :2005/12/17(土) 19:29:57
>>279 :鬼頭 :
>スイッチを押せば明かりがつくとかキーボードを押せば文字が出るとか。
ですからスイッチが便利で使えるからです。
いろいろ作る中で思いがけない因果関係もある「公害、欠陥品」など。
因果関係の全てをあらかじめ予測する事は出来ない。
計算しつくせない多くの因果のしがらみの中から都合の良いものを採用しているだけ。
>矛盾しています
前にも指摘された以下のとおりです。
>>240 :考える名無しさん :2005/12/16(金) 22:35:46
>>239 >>なんでそう語弊のある言い方に言い換えるんだ?
>>『取ることの出来る選択肢は限られているが
>> その限られた選択肢の中での選択は自由』
>>と言えば良いと思うんだが
301 :
組長 :2005/12/17(土) 19:34:39
最近あいつのせいで困っているんだが、とヒットマンに言ったらやってくれた。 俺があいつを殺したわけじゃない。ヒットマンが殺した。 こう思います。 俺には責任ないですよね。
302 :
じいさん :2005/12/17(土) 19:35:11
>>283 :考える名無しさん :2005/12/17(土) 17:31:24
>カントさんはもっと突き詰めて
>選択意志の自由を可能にする自由意志を考えてたようですよ。
ううむ・・・随分突き詰まってますね・・さっぱり解らん?・?・?
303 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 19:41:21
>>291 決定したのは彼の意志で間違いね〜よw
責任の意味だが、法的責任なら検察に聞けw
道義的なものなら自身に問えw
>>296 たとえば
>>290 ・・責めるだけw
>>くみちょ
ヒットマンが殺したで間違いない
くみちょの責任は、その言動に基づいて過去
殺しが実現されてきた習慣があるなら、くみちょの責任
念のため、地検に通報しときますた(^^;
法的責任って何? 「殺し=悪」という社会で、殺しに関わる意志決定に関与したかどうかの責任なら、 殺し屋以外にないわけだから法的責任も彼以外ないんじゃない? すべて、殺し屋の意志による社会悪の実行だもん。
305 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 19:58:01
橋が架かっていた。 ある人は、決して渡らなかった。 彼は、幼い頃、橋でコワイ思いをしたから橋を渡るのを避けた。 避けたのは彼の意思かもしれない。 しかし、それは、「過去の経験により『避けさせられた』」と見做す視点から 自由意志はない、という理屈の人はいないのかな?
306 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 20:01:02
『自由意志』 ある 〔A〕 その行為の という行為・思考 根本的意志 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶 ある 〔A〕 という行為・思考 『自由意志はない』 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶 「根本の意志はなく全ては各種条件の加算によって行為がなされる」と・・・。 そして、外的因子がどの程度の強制力をもって個人へ影響するかの見極めで、 この線上の線引き(即ち「何を自由意志とみなすか。どこまでを自由意志とみなすか。」) が変わってくるのでは? (とりあえず反射的反応は除外してるが・・・) 様々な要因の影響を受けた上で、我々の思考・行為は成り立っているのだろうという仮定を表したつもり。 その上で、そうした(外的・内的)要因と関係無しに根本的意志があるのかどうか? ないならば、どこからが自由意志と呼べるのか?
307 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 20:01:29
>>304 おまえ真性かw
責任を持ち出したのは俺じゃない、おまえだw
俺が問題にしてるのは自由意志だけ
なお殺人の示唆・教唆は一つの意思決定であり犯罪だ
殺人実行者と同等かそれ以上
>>307 殺人の示唆・教唆するかどうかは意思決定であるけど、
殺人するかどうか、決めたのは行為者でしょ?
そこで断ることもできたわけなんだから。
もし教唆だけで犯罪なら、会社帰りに酔って同僚と上司の文句言い合って
あいつ絶対殺すからな、おまえがまず正面からいけよ。おれはうしろから・・・
なんて話してて、その同僚があくる日上司を殺してても犯罪者じゃないか。
どこからが犯罪者でなくてどこからが犯罪者だと明確に決められるもんじゃないのに
どうして、殺人の示唆・教唆は一つの意思決定であり犯罪だと言えるのか不明。
犯罪で問題なのは殺した本人の殺すかどうかの意志決定だけにあると思われます。
309 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 20:25:58
>>308 殺人が実行され「た」んだから
くみちょの意志決定からヒットマンの意志決定まで
一気通貫の図式が出来上がっていた、とみるのが
ふつうw
>>309 ふつうというのは、そういう因果関係が成立するだろうと
考えるのが現在の社会では正しかろうという目下の判断であって
それは正しい判断ではないと思います。
最後に殺人をするか否か、そこの判断をしたのはあくまで殺人犯です。行為者です。
求婚して、相手が承諾の上結婚したのに、一定の結婚生活の後
あなたが結婚してくれと言ったから自分は結婚したんだなんて言うのはおかしな話ですよね?
それと同じで、殺人にしても誰かからしてくれと言われたから殺したんだは単なる責任転嫁だと思います。
311 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 21:15:28
>>310 法というのは目下の判断なんだよw
法は「決め事」にすぎないってこと
正しいかどうかなど「正しい、が何を指すか」を
定義しないことには誰にも判定できないだろがw
「その時その地域で決めた」事である以外、
法の持つ意味は無い
したがって法が実行者のみならず、教唆もまた犯罪と
「決めた」なら、それは犯罪と「決まる」のよ
も一度言っとく、決め事に正しいもへったくれもないw
変わるまではそれが適用されるだけの話
結婚前後に何を言おうが各人の自由
嘘だろうが心変わりだろうがねw
結婚を求められたから「した」←したのは明らかに
自己意志だろ
で、結婚を求めるのは犯罪じゃないから、
求める者に責任を問えないのはあたりまえ
犯罪とごった煮になってるぞw
>>311 法が目下の決め事であるに留まるならば
法は法であることを失ってしまいますよ。
法は正されてこそ法ですから。
間違っているなら、法廷で弁明すれば正されます。
それと、私は自由意志がないとは言ってませんよ。よく見てください。
あなたの言う通りです。
結婚を求められ、彼女は自分の意志で自由に結婚「した」のです。
結婚を求められたが結婚しなかったという選択肢も彼女にはあったが
彼女は自分でそうしなかったのですから。
結婚は彼女のまったくの自由の中で行われたのです。
だから、後年あなたが求婚したから、結婚したというのは
あなたが求婚したが、結婚しなかったという自由な選択肢はなかったという表明であり
自由意志の棚上げとも受け取られます。
ですが、これはまったくの責任転嫁、愚痴にすぎません。
同様に、殺人教唆についても同じです。最後に意志決定をした者だけに責任があるのです。
313 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 22:33:15
>>312 責任転嫁も愚痴もヒトの自由なんだよw
他人の「責任」を問うてるんなら
「責任とは何か?」を明示しないとナw
>>313 悪法も法というわけですか。
ですが、それも正されてこそ法です。
ソクラテスが悪法に身を殉じさせたのも
法が目下の決め事で留まり、悪法のまま後に残るより
目の前で悪法のおかしさと正面から挑んで見せて、
正すためと思います。
やはり、正しい法にしなければいけませんね。
責任ですか?
説明しなくても分かると思いましたが。
責任とは、「すでに行われてしまったある行為が行われるに至った原因の所在であるところの人物」ということですかね。
今の法廷では責任という言葉がどう示されているのかは知りませんが、
正しくは上のようにあるべきだと思いますね。
さあ〜イリイチ著「生きる意味」に於ける責任論の登場です。
316 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 23:12:55
>>314 法に善も悪もない
自己に「都合」の悪い法を その人が悪法と呼ぶだけの話
で、その人の数が多くなれば 法は多数の下に変更され、
都合の良い悪いが以前と逆転するだけのこと
変更イコール正しいとまでは言えない
ついでだが、正しいは形容する語
形容は何かと何かを比較・・つまり相対的評価であり、
絶対的観点を指すことのできない語
そういう性質の語に絶対性を付与しようと思うこと自体
に無理がある
>>316 正しさは人の数で決まるということでしょうか?
そうやって短絡的に相対主義に走るのは感心しません。
地動説が正しいのは人の数ゆえですか?
人が天動説を支持しようと、地動説を支持しようと地動説が正しいのではないのでしょうか?
天動説という悪説を支持したこともあるでしょうが
やはり正しい地動説を支持しべきでしょう。
それと同じで法もまた正しいことがあるなら、それに則るべきです。
318 :
考える名無しさん :2005/12/17(土) 23:45:59
>>317 個人的なことだが、おれは「正しい、正しくない」
という語を使ったことがない
正しいというポジション自体が「存在しない」からだ
法をはじめ、その土地その時代で変わってしまう
ものに、正邪あるいは正誤を求めるのはナンセンス
じゃぁ、それに類する判断を要求された際どうしてる
かというと、法でもモラルでもなく、その時その事柄を
「自分が」利益ととらえるか、不利益と捕らえるかで判断する
ほかに判断の根拠は見つからない
あったら聞いてみたいもんだw
どうして相対的なのか、 詭弁ではあるまいか、言い換えると、相対的であると考えているのみであると疑う。 何故、相対的であるのか。 多数の方法は数の問題でしょう。 相対は理解できないものの収納場所でOK?
320 :
鬼頭 :2005/12/17(土) 23:57:20
>>281 >>286 きみが与えた苦痛が原因で自殺したならきみには関係があり責任がある。
実際は自殺してなくて自殺するくらいの苦痛を与えている人間がいる(いた)、という所か。
>>304 >法的責任も彼以外ないんじゃない?
>>308 >殺人するかどうか、決めたのは行為者でしょ?
>殺人の示唆・教唆は一つの意思決定であり犯罪だと言えるのか不明。
教唆も犯罪だ。
正犯が殺人罪の場合には、その教唆者には殺人教唆罪が成立するが、正犯と同様に刑法199条(殺人罪)の法定刑が適用される。
ただし、正犯の法定刑が拘留または科料のみの場合(たとえば侮辱罪)は,教唆犯は原則として処罰されない(刑法64条)。
>>310 >殺人にしても誰かからしてくれと言われたから殺したんだは単なる責任転嫁だと思います。
それは責任転嫁じゃなくて事実の告白だ。
>>318 >>317 を読み直して見てください。
あなたが自分には自由意志があると思っているのは
それが自分の利益となるととらえているからですか?
自由意志がないと考える人が多ければ、それが正しいということになるのですか?
それは違うと思います。
あと、
>>319 は私ではありませんので悪しからず。
322 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 00:04:36
>>319 形容詞・形容語の類というのは比較級があるので
わかるとおり、「何かと比べて」初めて成立する概念
例)w
○○は××と比べて正しい、という具合
比較するものも無く、いきなり「正しい」という観点が
出現するわけじゃないだろw
そういうのを「相対的」というのよ
323 :
じいさん :2005/12/18(日) 00:08:34
305,306,307,308,309, 人間の行為にはどんな行為であれ、 自由意志の部分と制約を受けた部分の両面がある。
>>320 だから、それは今の法律に則ればの話ですね。
私はその法律は誤っているという考えです。
なぜなら、まず「殺人=悪」と考える悪の土壌があって
それから、その悪が行われるに至った原因に示唆・教唆も関与していると思われているから
示唆・教唆も罪科が問われるのです。
しかし、自由意志は存在しますので、教唆されることがあっても
最終的に殺人をするかどうか決めたのは100%行為者の自由なる意志によって決定されたのです。
ですから、示唆・教唆は殺人という悪にまったく関与してません。
よって、まったく責任がないし、罪を問われるものではないのです。
そもそも、殺人犯はどうして、示唆・教唆されるような境遇にいなければならなかったのでしょうか?
それらすべて、行為者の選択の結果ではありませんか?
決定の自由がまったくありながら、どうして殺人をするような選択を彼はしたのでしょうか?
そこを考えれば示唆・教唆など、犯行という罪を選択した彼にまったく関与してません。
325 :
鬼頭 :2005/12/18(日) 00:18:19
>>278 >適当に悩まないように定義すれば良い。
みんなが勝手に言葉を定義したら会話は成り立ちません。
>>300 >ですからスイッチが便利で使えるからです。
便利なのは自分の予期した因果関係に従っているからです。
326 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 00:24:39
>>321 自由意志の向いてる先は「自己の利益」以外に無い
一見、他人のための利益を選んでるような場面でも
その動機をたどってみると、そこには自己の大きな
利益が必ず含まれている
そうでないケースを知らない
知ってるなら書いてみてちょw
例)
【ホームに落ちた人を助ける】・・実際死んだ人もいる
「人の命は自分の命を投げ出しても救うべき」・・そう
信じる者にとって、助けない事はただならぬ不利益
=自己の根源的価値観の崩壊をもたらすわけで、
そういう「自己の信念に反する行動はとりたくない」と
深く考える者には「それを守る事が一番の利益」となる
身の危険をかえりみず行なわれる人命救助は単なる
自己犠牲ではなく、自己の利益を守る行為ととらえた
ほうが合ってるのかもしれない
327 :
じいさん :2005/12/18(日) 00:29:06
今気がついたが此れは意志の問題なので論理的に自由意志を考える事など出来ないのではないでしょうか。 犯罪やじゃんけんならまだ良いが「恋愛の意志」などと言う事になると、何処まで自由なんだか訳がわからなくなる。 人間関係の機微のような所では「自由さ」と言うのは論じにくくなる。 例えば誰かを好きになったらそれは自由意志恋愛だろうが、 他の手段、目標を取りえたかという点ではそうでもないだろう。 その人でなくてはならないし、好きにならずに居られないんだから。
>>326 「自由意志の向いてる先は「自己の利益」以外に無い
一見、他人のための利益を選んでるような場面でも
その動機をたどってみると、そこには自己の大きな
利益が必ず含まれている」
これと、正しさについてはまた別問題ですね。
ここでは、話が脱線してしまいますので控えさせて頂きます。
329 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 00:35:54
だから、これも正しいんだよ。
>>329 正しさとは、当然そうあるべきであるということですよ。
物を放れば、地面に落ちる。
もし、地面に落ちずに天に向かって飛んでいけばおかしいですよね。
もし、物を放れば、天に飛んでいくという人がいたら
それは間違っている、正しくないと言いますよね?
それと同じです。
332 :
鬼頭 :2005/12/18(日) 00:40:29
>>324 >100%行為者の自由なる意志によって決定されたのです。
自由な意志という概念は疑問ですが、全ての行為の責任は最終的に決定したものにある、という立場ですか。
挙げた例では木村建設の篠塚には責任がないと言えますか。
333 :
じいさん :2005/12/18(日) 00:43:21
>>325 :鬼頭 :2005/12/18(日) 00:18:19
>みんなが勝手に言葉を定義したら会話は成り立ちません。
だから会話が成り立つ適当な定義すればよいと言う事。
>便利なのは自分の予期した因果関係に従っているからです。
因果関係は幻影だと言うのは此処のスレから外れているので短めに。
例えば潮汐は月と地球の重力、でも因果関係はそれだけじゃあない、太陽も絡んでる、
いいや厳密には全宇宙の重力のバランスで決まる。
全てのバランスの因果関係が決まらないと潮汐のメカニズムを解明できない。
しかし全宇宙の重力のバランスなど計算できない、だから幻影。
>300
>ですからスイッチが便利で使えるからです。
>>324 正しい法律では、責任はないということになりますね。
篠塚は示唆・教唆はしても、法には反していませんから。
法に反した者が、彼らのまったく自由な意志によって、違法行為という行為を選択したわけですから。
違法行為をするに至った原因に篠塚は関与してません。
商品棚から商品を一つ選んだら、丸ごと商品棚をお買い上げ、 在庫も頂戴、メーカはどこかしら、私のブランドにしていただこうと思うのよ。 一つのものから全部は諸相があるのだ。 決定ということを考えるにしても、無条件なものまで考えられるわけであり、 無条件でないなら、全くではないにしても、一つの選択ということが考えられる、 最も遡る条件ということもあるのだ。
336 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 00:48:53
>>331 「そう」であるべき、の「そう」は何を指して言ってるんだ?
指してるものが無ければ何も言ってないことになるがw
ちゃんと書いてごらん?
>>336 はは、どうも意味が分かりかねますね。
そうとは、一つに限定できないからそうと言ってるだけですよ。
任意ということです。
正しいといえる事象はひとつではないでしょ。
商品一つの値段もあり、在庫を買い占めようと手を出した値段もある、 メーカーをブランドにしようとするとそれなりの値段も張るのだ。 一つの商品に商品棚の値段を掛けるのは責任を通りこして、暴利か、 嘘か、嫌がらせか、そういう類の仕業だ。
339 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 00:55:20
>>337 おまえが論理的に書けない位わかってるがw
一例でいいからあげてごらん?
話してるのは地面に落ちる物の話でもなければ
惑星の運行でもなくて、人間の自由意志について
なんだからさ
一つぐらい書けるだろ?
宇宙語は判りますか、そっちのほうが得意だそうですよ。 銀河語とまでは行きませんが、他惑星間語に堪能だそうです。
>>339 別に私はすべて分かったなんていう学者であるとは言ってません。
平凡な一般人ですよ。論理的に分かってないこともあると思いますけど。
それほど、むきにならなくてもよいじゃないですか。
熱くなっては議論はできませんよ。
まず、あなたは何について書けって言っておられるのですか?
342 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 01:08:23
>>341 興奮せずに落ち着けw
人間にとって「正しい」といえるものを一例だけ
具体的にあげてごらん
これでいいか?
>>342 なるほど。
分かりましたが、それは先ほど挙げたばかりですが。。
「物を放れば、地面に落ちる」
だめなんですか?外に出て石を拾って離せば分かりますよ?
>>342 ああ、もしかして唯心論者さんでしたか。
確かにこの世が嘘偽りであれば、この世出来事すべて正しくありませんね。
でも、ここでは現実世界は実在するという仮定でお願いしますよ。
あくまで前提として。
345 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 01:22:55
>>343 ダメって・・w
投げてみたら屋根に乗っかったまま
落ちてこないんだがw
はっはっは・・・ ごめんそろそろ寝ますノシチャオ
347 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 01:39:50
>>346 物理と現実の区別がついてないよ〜だなw
348 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 02:18:23
>>339 おまえは法学も論理学も知らないだろ?
それじゃ、法律の論理について考えるのは無理だよ。w
349 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 03:12:59
>>348 何ひとつ知らないおれより知らないおまえは
いったいなんなんだよw
350 :
鬼頭 :2005/12/18(日) 13:31:33
警察官「ある事件で疑わしき男を捕まえたけど、どうも決め手が見つからない。 そこで取り調べの最中にかなりひどい拷問をしてありもしない罪を自白させました。 その結果、その男は死刑となりました。 俺が彼に罪を白状させるよう拷問したのと、彼がありもしない罪を白状したのは無関係だ。 最終的に自白をするかどうか決めたのは100%その男の自由なる意志によって決定されたのです。 ですから俺の拷問は自白にまったく関与してません。 俺が彼をありもしない罪を自白させたわけではない。彼が一人で自白した。 こう思います。 俺には責任ないですよね。」 詐欺集団幹部「下っ端に振込み詐欺を指示して1億くらいかせいだ。 俺が下っ端に振り込め詐欺を指示したのと、下っ端が振り込め詐欺をしたのは無関係だ。 最終的に詐欺をするかどうか決めたのは100%下っ端の自由なる意志によって決定されたのだ。 ですから俺の指示は詐欺にまったく関与してません。 俺が詐欺をしたわけではない。下っ端が詐欺をした。 こう思います。 俺には責任ないですよね。」
351 :
鬼頭 :2005/12/18(日) 13:58:57
>>305 自由意志への疑いは自分の中に自由な主体でないものを見出す事とも関係しているように思います。
過去の体験(前提)に規定されているのは自由な主体ではないという解釈もできると思います。
_,,,,-‐―−--、,,_ ,-―< ̄ 、‐z,‐、 `i_ / , ヽ::. \i. ヘ ヽ / / , ヘ::. ヽ」 . | / /, , i ,、 ,、 : ヽ : . | |/| i | ., |/__|/_||: : :ヽ : : | i| l:N|:l:::l/|、__|,, || i i i i : | | | >::|∧ |j > ||> i l | | l / //::::i:ノ /.|i: |: : | | / |/ /::::i:K //|: |/ : / | / |::i、:ハっ ノ, /ノ|: i ::i :/ / ||| li::iヘ ノ/ヘ: /|: / / ./|/ 私は人形じゃない。 | iリ|/|ハ_',,-|/_|/:l/レ'|イ`l/|/ | | l"ノl∧l j_____|_ |r―-r――'、 .|:| ,―| ::| /" `ー| ::| / j ::| / / ̄ ̄ ::ヽ
353 :
じいさん :2005/12/18(日) 17:36:24
>>350 :鬼頭 :
>>351 :鬼頭 :
特に問題は無いと思うが・・・
>そこで取り調べの最中にかなりひどい拷問をしてありもしない罪を自白させました。
と言う前提があるので、拷問による自白でしょう。
>ですから俺の拷問は自白にまったく関与してません。
これは「自白させる」と言う目的の認識があると言う貴方の前提があるので嘘ですね。
>振込み詐欺を指示して1億くらいかせいだ。
この問題も単純です。
指示をしたのは幹部の自由意志。
実行したのは下っ端の自由意志。
所謂共犯と言うやつ、現実の事件でもその辺は上手く処理されているはず。
354 :
じいさん :2005/12/18(日) 17:50:05
>>351 :鬼頭 :
>自由意志への疑いは自分の中に自由な主体でないものを見出す事とも関係しているように思います。
いまひとつ意味が判らないけれど、なんとなく賛成します。
意識の中に自由意志の部分といろいろな要素で縛られた不自由な部分がある。
これは区別できる二元論のような物でなく、一つの意志に対して二面性がある、何処までが自由で何処までが不自由であると言う性質ではない。
したがって自由意志を論ずるのであれば、自由意志とは何ぞやと言う視点ではなく、ある意志に付随する自由さ不自由さから論じるのが実りあるのではないでしょうか?
例えば人がある観念を持ったとして、其処にどんな後天的学習、先天的なものが影響したのかと言った具合に・・・・・。
>>352 アンタ、碇指令が氏ねって言ったら死ぬんでしょ!!
356 :
考える名無しさん :2005/12/18(日) 21:57:24
思考パターン、行動パターンというものがあるということは 自小石が存在してるようで、実は存在していると思っているだけということじゃないだろうか?
,r-ー'/ yー-、 ヽ,
,r '" / / /~| l //ー-ヽl' |
/ l l /ヽ |`'^r'ー'r,-ー'""} l
/ | ,ハ ハ / l ィヘ l `ヾ,ー'/ ト,
l レソl ,l レ,r-=|,/=y,ハヘ| ,ト-ノ ヽ
| / /' ヽl ,'r-ーr_、、_, 'ヾ'' .,___ /// ,ハl
,/ ノT リ ` !-' ` /__`ヾミ,;/フ / '
/ イ {^<,l' i ' '}ソ')/  ̄/ハ/
/ ヽ,`' , ヽ ~ ・{ハリソ/
>>352 / l / /\`i ' '" / あなたは人じゃないもの。
l ,l / \/'l丶 ー=ニ,r ,イ 人の形をしたものなのよ。
ヽ/ハ/ , ノ l_、,,`rー┐ /| ヽ
レ'ヘハ,,r'-''" l | /' / 〉
r'" / /`'- 、,__/ヘ /|,ノハ/
ヽ //l |ヘ/ ^'/ 〉 '
,r-ー'/ yー-、 ヽ,
,r '" / / /~| l //ー-ヽl' |
/ l l /ヽ |`'^r'ー'r,-ー'""} l
/ | ,ハ ハ / l ィヘ l `ヾ,ー'/ ト,
l レソl ,l レ,r-=|,/=y,ハヘ| ,ト-ノ ヽ
| / /' ヽl ,'r-ーr_、、_, 'ヾ'' .,___ /// ,ハl
,/ ノT リ ` !-' ` /__`ヾミ,;/フ / '
/ イ {^<,l' i ' '}ソ')/  ̄/ハ/
/ ヽ,`' , ヽ ~ ・{ハリソ/
>>352 / l / /\`i ' '" / だから壊すの 憎いから
l ,l / \/'l丶 ー=ニ,r ,イ
ヽ/ハ/ , ノ l_、,,`rー┐ /| ヽ
レ'ヘハ,,r'-''" l | /' / 〉
r'" / /`'- 、,__/ヘ /|,ノハ/
ヽ //l |ヘ/ ^'/ 〉 '
冫─' ~  ̄´^-、 / | | \ 丶 / / | | \ ヽ、 / /ξ | | \ ヽヽ | / ___ ___ \ミ 『寄生獣』の世界って徹底した日常なんですよ。 ゝ_//|-=・=-|⌒|-=・=-| ヽゞ その徹底した日常感覚を支えているもののひとつに、 |tゝ 論_/_ \___| | 「人が死のうが生きようが、単なる物理的世界の問題」 ヽノ ノ(_ )ヽ ノ という感受性が貫徹していることがある。そして、 ゝ:::::::::::::ヽ─── :::::::::/ これは『寄生獣』だけじゃなく、『エヴァンゲリオン』 /|ヽ::::::::::ヽ──' :::::::/ なんかにも共通しているひとつの感受性だと思うんです。 / | \:::::::::: ̄:::::::::/ / ヽ \____/
360 :
考える名無しさん :2005/12/19(月) 16:09:55
ワカタ m(_ _)m
361 :
鬼頭 :2005/12/19(月) 20:12:46
有名な荒らしと同じプロバイダーだったので巻き添えで規制を受けてしまった。
>>354 >一つの意志に対して二面性がある
主体的に自由に決定していると思っているものも前提から導かれる必然的な決定である、という二面性はありますね。
これは前に出た「内からの眺めと外からの眺め」の問題とも関係していると思います。
でも人間が知りえる「外からの眺め」というのも仮想であって結局は内からの眺めの一種である、という事ができます。
>>359 >「人が死のうが生きようが、単なる物理的世界の問題」
物理的世界には<私>と意味が抜けていると思います、と自己レス。
> 世界や自分の存在に意味って無いですよねえ?? その通り。意味はない。 ただ、世界”や”自分の存在に、「意味がない」のではなく、自分(人間)”と”人間に”とっての”世界に意味がない、 と、言うべきなのです。 というのは、対象(世界や万物の現象)は、人間のカテゴリー(カントの言う)の仕方でしか物事を認識できない。 このカントの発想で、プラグマティズム(実証主義)が生まれ(たと言っても過言ではない)科学(自然科学)が、 学として確立したと言えるほどなのだから。 ゆえに「世界そのもの」は、人間には認識不可能なのである。 だから、世界や人間には無意味ではなく、人間にとっての世界や人間(自分でもいいが)にとっては・・・なのである。 で、そのカントの大仕事のおかげで、それ以前の哲学史のテーマであった、「実体」は姿を消し、「主観」の問題に 転じたのである。実体というものは認識不可能なのだから、人間に分かることだけ(人間が理解しうる形式)を掘り 下げて行こう、という流れから、「彼方ではなく、事実でいこう」といったような実証主義が幕を開けた。 まあ余談であったが、あなたはニーチェのニヒリズムの「それ」に近い感覚を受けた(知ったor到達した)のでしょう。 たいしたものです。なので、まず「実存主義」に習い、フッサールの言う「意味」という所まで、学習なさればいい。 がんばってみてください。優れた問い掛けでしたね。 優れている、というのは、”一応において”「正しい」ということなのだから。あなたの主張は正解です。 分かる人間には分かる。あなたにレスした人たちはあなたの「本当に言いたかった事」が見えないのです。 だからといって、下等だとか、理解力がない、というわけではなく、あなたが超人並なのです。 まあ、”まぐれ”でないとしたら、のお話しですがね(笑)
363 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 02:19:31
意味ってなぁに?
364 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 02:56:17
こじつけ
365 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 13:28:30
>>362 意味ってなぁに?
意味の「意味」を教えてください
「意味がある、意味が無い」の
意味が何かでもいいです
366 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 16:20:30
だからいみとは『こじつけ』だって
367 :
じいさん :2005/12/20(火) 17:10:25
>>361 :鬼頭 :2005/12/19(月) 20:12:46
>主体的に自由に決定していると思っているものも前提から導かれる必然的な決定である、という二面性はありますね。
私もそう思います。
自由意志のつもりでも追求すればするほど色々な因果関係がある。
究極には因果律に従うかもしれない。
しかしある時点でその追求を振り切って「此れは自分の自由意志であり、自己責任を持つ」と宣言する。
その宣言が「自由意志」なんだと思います。
368 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 17:15:53
要するに『思いこみ』か
369 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 17:27:31
>>365 その物事が他との関係において持っている価値、重要性が見出せない。
あるいは、
その言語によって示されている意図、目的が見出せない。
371 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 19:14:51
>>370 意味って最初からあるもじゃなくて
あとから見い出すものってことですか?
>>371 その対象に対して局所的な視線を向けることによって、
初めて表出するものだと思います。
なので、見る視点が変われば、
その対象から受ける価値観も違ってくる場合があると思います。
「意味がない」というのは、その物事に局所的な視線を向けても、
その主観にとって有用であるかどうか何も感じることがない、
その存在の意図、目的、道理が見出せない、ということだと思います。
373 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 20:28:22
>>372 意味は最初からあるものじゃないってことですね?
>>373 主観にとっては・・・そうだと思います。
主観の対象にならなければ、
「ある」とか「ない」とかいう判断も下せませんよね?
375 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 21:35:43
>>371 >>373 意味とは主体(見るもの)が対象(見られるもの)に見出すものだ、
対象に最初から絶対的な意味があって主体がそれを受身的に理解
するのではない、
ということを皆さん(一人?)は仰っているのだと思います。
つまり、意味は、その対象に対して局所的な視線を向け、 価値や目的が認められたときからある。 最初から何かを目的にして作られれば、最初から意味がある 私は、対象に最初から意味があって主体がそれを受身的に理解することもあると思う。 ただしそれは、自分を見ている対象にとっての意味であり、必ずしも自分にとっての意味ではない。 たとえ神が私に意味を見出して生まれさせたとしても、私にとっては何の意味もない
377 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 21:59:03
で、価値とか目的って言うのは何?
378 :
375 :2005/12/20(火) 22:06:56
>>376 そうですね。
人工物(一定の意味/目的を持って作られた)と
自然物(一定の意味/目的を持たずして作られた)の違いが、
ありますからね。
ただ、最後の一行は微妙ですね。
379 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 22:44:07
>>376 自己にとって意味の感じられる事柄を
他者が自分と違って感じるのは当たり前なのでは?
それとも それ以外の事を言ってるんですか?
>>376 ,378
私はそうは思いません。
「目的を持って作られた人工物」の「意味」は、
その人工物が現実に作られて完成する前、つまりその対象が表象された瞬間、
主観の「目的」という作用がその対象の表象に向けられたときに初めて、
その対象に「目的」という「意味」が付け加えられるのだと思うからです。
ですから、
その対象が主観の対象になる前までは、
「ある」とか「ない」とかいう判断を下すのはナンセンスだと私は思います。
>>381 その対象は主観の対象になる、という目的があるんじゃないの?
383 :
鬼頭 :2005/12/21(水) 01:15:36
機械的唯物論から導かれる自由意志の否定は、生の意味や自分や世界の存在の意味を消し去り、 堕落や快楽主義や犯罪の肯定に繋がる可能性があるかもしれませんね。 大庭健『「責任」ってなに?』講談社現代新書の第2章「責任と自由―責任の条件」では 決定論と責任の関係が出てきている。 ・行為の責任が問えるのはその行為と違う仕方で振舞えたときに限る。(他のようにもできたか否か) ・因果的な決定論が正しいなら「他のようにできた」とは言えない。因果的決定論を認めて、なお責任を 論じるためには、「他のようにできなかった」としても、責任は問われうると主張する事になる。 ・因果的な決定論と意志の自由について両立不能論と両立可能論がある。 ・両立不能論の立場は2つ。 1つ目は意志の自由は幻想であり心の働きにおける因果連鎖の帰結にすぎないとする立場。 2つ目は意志は因果連鎖に縛られず自由に働くものであり決定論は偽であるとする立場。 意志の自由という感覚は否定しがたいが、決定論を偽とすると科学・技術の実践が説明困難になる。 人間の意志に関してだけ因果的な決定論が成り立たないとすると、世界は因果的に決まった出来事と そうでないがでもデタラメではない心の出来事という、全く異なる2種類の物事によって成り立って いるという事になる。そうすると因果律に従う物体と自由な精神(霊魂)という二元論になる。 ・両立可能論では、意志の自由は幻想ではないし因果的決定論とも矛盾しないとする。 ・著者は個々のミクロな反応は物理的・化学的な反応で因果的に決まっているが、マクロな状態は 因果的には決まっていない(非平衡の自己組織化という言葉を使っているが適当なのか?)とする。 心の働きは脳神経系の働きなしには生じないが、個々の神経細胞のミクロな働きは、因果的に決定され ているがマクロな脳状態の変化は因果的に決まっていない、このときマクロには「決断する」という 出来事が起こっている、自らの意志によって自由に決断する私がいる、とする。 このことは、脳において因果的に決まった物理現象が起きている、ということにも還元できないし、 物理的な因果連鎖を超越した魂がある、ということをも意味しない、と言う。
>>383 最後の著者の見解は、マクロな脳状態の変化はランダムでその結果自由意志が
あるように見える、と言ってるのですか?
あるように見えるのでなくあるのだとするなら、それは二元論の
「因果律に従わない自由な精神(霊魂)」とどう違うのですか?
385 :
鬼頭 :2005/12/21(水) 14:29:56
>>384 マクロな脳状態の変化は因果的には決まっていないがランダムではなく、因果的に
決まった個々の神経細胞のミクロな過程を制約し、その制約のもとで、ミクロ過程の
強めあい・打ち消しあいが進行し、雪崩をうったようにマクロ状態が変わる、とか言ってます。
それが自己組織化だとか。
「因果律に従わない自由な精神(霊魂)」を持ち出さずかつ因果律と矛盾しない自由意志がある、
という立場を取りたいんだと思います。
386 :
考える名無しさん :2005/12/21(水) 14:35:28
鬼頭、自分がなに言ってるか わかってるか?
387 :
じいさん :2005/12/21(水) 15:18:08
>>385 :鬼頭 :
>その制約のもとで、ミクロ過程の強めあい・打ち消しあいが進行し、雪崩をうったようにマクロ状態が変わる、
その現象は将に「因果律」必然の現象そのものだと思います。
例を挙げると水の凝固、沸騰のような現象です。
他にも自然現象には「花の開花」のようにあたかも意志を持つように見える現象が数多くある。
私は物理的、化学的手法では「自由意志」を説明できないと考えます。
「意志」の問題は科学的、論理的に論ずる物ではないと考えます。
>>383 >・因果的な決定論が正しいなら「他のようにできた」とは言えない。
>因果的決定論を認めて、なお責任を 論じるためには、「他のように
>できなかった」としても、責任は問われうると主張する事になる。
基本的に、なぜそう主張していけないのか、さっぱりわからない。
「責任を問う」という行為をすることもまた、因果的に決定されている、
と考えて、何の不都合があるのか。「責任を問う」というのは、
ある種の「政治的決定」であって、それ自体が因果的に決定されて
いても何らの不思議もない。
というより、大庭氏のような考え方は、「責任を問う」かどうかは
因果的に決定されていない(問うことも問わないこともできる)、
という前提を置かないと、そもそも意味がないのではないか。
389 :
考える名無しさん :2005/12/21(水) 16:15:12
だからさ、何を悩んでるのか分からないんだけど、 普通の単純な自然法則は、入力(初期値)とある関係式で後の状態が決まるのが、 人間だと、入力(初期値)とそれ以前の過去の入力(不可知)とある関係式で 後の状態が決まるってだけじゃないの? あと、人間には自己内で設定された関係式を現実の結果を見て修正するプログラムが内蔵されてるから 一定の入力を入れても、必ずしも返ってくる出力が同じにならない。 だから、そこに自由意志が働いてるように見える。 それだけの話だろ。
390 :
鬼頭 :2005/12/21(水) 19:07:08
>>387 >その現象は将に「因果律」必然の現象そのものだと思います。
私もそう思います。
著者が「自己組織化」としているものを「創発」とした話も以前に見た
覚えがあります。
私は因果的な決定論と意志の自由については両立不能で、意志の自由は
幻想であり心の働きにおける因果連鎖の帰結にすぎないと思います。
この立場については著者はあまり説明していませんでした。
マクロな過程においても因果的決定論を超えた自由が入り込む余地はないと思います。
>私は物理的、化学的手法では「自由意志」を説明できないと考えます。
「自由意志」「意志」を「生命」「クオリア」「<私>」と換えても似たような
話はありますね。
>「意志」の問題は科学的、論理的に論ずる物ではないと考えます。
論理的に論ずる事ができないなら意志を扱った学問は全て不毛なものなの
でしょうか。
391 :
じいさん :2005/12/22(木) 18:47:03
>>390 :鬼頭 :2005/12/21(水) 19:07:08
>論理的に論ずる事ができないなら意志を扱った学問は全て不毛なものなの
でしょうか。
学問でも文学などの分野では有益だと思いますが。
392 :
考える名無しさん :2005/12/22(木) 22:26:59
獣医師
393 :
鬼頭 :2005/12/22(木) 23:50:12
人間機械論 人間を一種の機械として考えようとする思想。古くはギリシアの哲学者エピクロスにさかのぼることができる。彼は万物は 人間の身体はもちろん,魂をも含めて,いっさい,原子とその運動に由来すると考えた。近世において,強く機械論的な 傾向を示したのがデカルトである。彼は人間の身体は精巧な自動機械であるとみなした。しかし,デカルトは心身二元論の 立場をとったため,心と身体との内的な結びつきを否定せざるをえず,結局,心と身体の両面を持つ人間全体を機械とみなす ことはできなかった。心と身体を接触させる場所としてデカルトは脳髄の中央にある松果腺を擬したが,生理学的にみて 不当である。しかし,この心身の結合のしくみをめぐって,デカルトによって提起された哲学問題は,〈心身問題〉と呼ばれ て,人間機械論の中心にかかわる問題として現在に至っている。 18世紀に至り,フランスの医師ラ・メトリーは徹底した唯物論の立場をとって《人間機械論》(1748)という著作を著し,人間を, 精神をも含めて,完全に機械であるとする議論を展開した。彼はここで当時の自然科学,とくに医学の知識を活用して,精神 現象をもすべて機械的な物質現象に還元することを試みた。しかし,往時はまだ大脳生理学的知見は乏しく,また〈機械〉の モデルとなったものもせいぜい,時計や当時はやった自動人形程度のものであり,人間の精神現象に関する機械論的解釈は かなり抽象的,空想的であり,十分科学的なものとはいいがたいものであった。しかし,当時一般的であったキリスト教的 人間観に対して与えた衝撃は大きく,啓蒙期哲学の一つのきわだった流れであった機械論的唯物論を主導することとなった。 20世紀,とくにその後半に至り,一方で,分子生物学や大脳生理学の急速な進展により,人間のさまざまな機能,なかんずく 精神現象の物質的基盤が明らかになり,また他方,電子工学の発展により,これらの人間的機能が電子工学的にモデル化 されるに至り,人間機械論は格段に具体性を帯びることになった。とくに,20世紀中葉,ウィーナーによるサイバネティックス という新しい学問領域の提唱以降,人間を一種の有限自動機械(ファイナイト・オートマトン)と見る見方が広く定着するに至った。
394 :
鬼頭 :2005/12/22(木) 23:54:50
人間機械論は哲学や思想万般に対して,多くの難問を提起することになる。問題の中核は,精神現象を物質現象に完全に 還元することができるか否かという点にある。ところで現代科学が精神を物質現象に還元することに大きな成功を収めつつ あることは事実である。感覚,知覚などが生ずる生理的しくみは解明されつつあるし,記憶や計算という精神作業もほぼ 物質的,機械的作業であると見てさしつかえない。感情に関してもそれを引き起こす物質の分子構造が決定されつつある。 この趨勢はやがてすべての精神現象を物質現象化することに成功するということを予想させるように思われる。しかし, 哲学の側から見て,この還元を決定的に阻むいくつかの理由が提出される。第1に,精神は非空間的であるがゆえに,空間性 を本質とする物質に還元することは本来不可能なはずであるという議論がある。しかし,精神の非空間性という主張はその 意味がかなりあいまいであるという反論もある。第2に,精神と物質との間に措定される因果関係の身分が疑わしいとされる。 たとえば,大脳過程を原因とし,その結果,ある知覚が生ずるというとき,その因果関係を保証する厳密な科学的法則は 存在しない。むしろこの両者は同時に並行的に起こる単なる随伴現象であるという主張も可能である。第3に,精神は当人 のみがそれを知りうる私的なものであり,それに対し,物質は公共的なものである。以上の諸点が精神を物質に還元すること を阻むおもな理由とされる。
395 :
鬼頭 :2005/12/22(木) 23:55:20
しかし,この三つの論点にはそれぞれ,概念的な混乱があるという非難もあり,議論が分かれる。 また,人間は自由意志をもつがゆえに機械ではない,という主張も有力なものとされるが,自由意志をもつということの 実質的な意味が当人の自覚以外において明確ではなく,この議論も決定的なものではない。要するに,人間が機械であるか 否かという問題はこの2語の定義いかんの問題であり,そして,この2語をなじませて用いるような定義の浸透が現在の われわれの言語生活においてすでに,自然に進行しているようにも見える。人間機械論は倫理,法,社会に関する在来の 考え方にも大きなインパクトを与えることになる。社会を人間‐機械混生系と考え,そこにおける一種の調整技術として 倫理や法を考える見方が人間機械論に付随することになろう。 坂本 百大
396 :
じいさん :2005/12/23(金) 00:16:22
>>393 :鬼頭 :2005/12/22(木) 23:50:12
>>394 :鬼頭 :2005/12/22(木) 23:54:50
>>395 :鬼頭 :
何が言いたいのか解らないが・・・・要は
>この趨勢はやがてすべての精神現象を物質現象化することに成功するということを予想させるように思われる。
此れがほんとかどうかだろう。
もし、やがてすべての精神現象を物質現象化することに成功したら、それは人間は機械ということだろう。
しかし現実は分子生物学や大脳生理学の急速な進展により、
ますます脳の働きなどは極めて複雑である事がわかり、科学的に解明する事など不可能だ、
と言う事が明らかになりつつあるんじゃあないですか?
397 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 00:27:37
熱さと温度には対応があるがイコールでない。 たとえば、高熱のときは寒けを感じる。 おおよそ科学は感性をリニアに拡張したものだが、感性はリニアでは ない。
398 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 00:28:28
>>396 複雑であることが分かるのと
不可能であることが分かるのは全く別物
399 :
じいさん :2005/12/23(金) 00:44:27
>>398 :考える名無しさん :2005/12/23(金) 00:28:28
>複雑であることが分かるのと
>不可能であることが分かるのは全く別物
はい別物です。
だから貴方はどうだと言いたいのですか?
将来脳の仕組みが解明できるめどがついているとでも言いたいのかな?
答えて欲しい。
400 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 01:02:02
めどはついていないが、進行はしている 意識に関わることも解明される日は来ると思う
401 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 01:11:20
>>400 残念ですが意識も含め形而上的なことは究極では自然科学的に解明されは
しないでしょう。
「もの」と心の対応や平行は更に見出されて行くでしょうが。
402 :
鬼頭 :2005/12/23(金) 12:36:09
1、人間の意志は脳内の物理化学的な反応の結果生じたものである。 2、物理化学的な反応は因果的決定論に従う。 3、人間の意志は因果的決定論に従う。 と思います。 物理化学の法則に従わないから自由意志があるとするならば、人間の意志は 物質的基盤を持たないとするのか、心理的な因果関係にも従わないのか、 その自由は人間以外の他の生物にも存在するのか、どのくらいの生物から 自由が存在するのか、など疑問点があります。
403 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 13:31:33
>>401 まあ精神に神秘性出したいならそう思ってれば?
404 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 13:38:40
>>403 精神と物質との対応/連関性をすべて解明してからいいなよ
405 :
じいさん :2005/12/23(金) 15:52:08
>>402 :鬼頭 :2005/12/23(金) 12:36:09
>1、人間の意志は脳内の物理化学的な反応の結果生じたものである。
>2、物理化学的な反応は因果的決定論に従う。
>3、人間の意志は因果的決定論に従う。
前にも言ったようにそんなことは解りきってます。
しかしその因果的決定を具体的に提示できないでしょう。
現在どんな単純な人間の意識行為についても出来ない。
因果関係が意味を持つためには、どんな因果関係化が特定できなければ意味が無い。
1〜3は意味の無い議論なんですよ。
406 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 16:56:06
>>405 じゃあ、自由意志は存在するかどうか分からないということであって、
自由意志が存在するということにはなりませんね。
自由意志があるかどうかは信じる信じないの領域ということですね。
あくまであなたの言い分だとの話ですが。
407 :
じいさん :2005/12/23(金) 17:42:02
>>406 :考える名無しさん :2005/12/23(金) 16:56:06
>自由意志が存在するということにはなりませんね。
存在を科学的に証明する事は出来ないし、因果律のより存在しないと言う事も出来ないということです。
それがいきなり信じる信じないの領域と言う事にはならないような気がします。
私の言い分は自由意志について非科学的に色々と論じる事は有意義だと考えますが。
408 :
じいさん :2005/12/23(金) 17:45:33
>>407 名前:じいさん :
訂正
>因果律のより存在しないと → 因果律によって自由は存在しない、と
409 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 18:18:35
>>408 非科学的に論じるというのは、どういう意味ですか?
哲学として論じるということですか?
哲学はつまるところ、思想・宗教を離れきれませんよ。
つまりは、信じる信じないという領域ではありませんか。
科学的に自由意志が存在するかしないか、解明できないとあなたが
判断を下しているのだから、
どんなに空理空論をふりかざそうと、思想・宗教の域をでませんよ。
有意義かどうかは、人それぞれ。
有意義と信じるか信じないかの次元のものですね。
ちなみにあなたは有意義だと信じているみたいですけど。
410 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/23(金) 18:38:26
自由意志で2ちゃんねるにきました。
411 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 18:39:07
いや、決定されてたんだってばw
412 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/23(金) 18:44:04
いや、自由意志です。魂による自由意志です。脳は道具です。
413 :
じいさん :2005/12/23(金) 20:02:34
>>409 :考える名無しさん :
貴方が何を言いたいのか良くわからないが・・・・・?
哲学として論じるのも良いですね・・此処のように。
思想・宗教としてもよいのではないでしょうか。
>有意義と信じるか信じないかの次元のものですね。
いえいえ信じるほどのものでもない。
有意義と「感じる」程度ですよ。
414 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 20:20:14
>>413 あなたの言ってることがちぐはぐでよく分からん。
あなたは自分はこう思ってるとはっきり言ってないから
どう対処していいのか困るよ。
要するに
自由意志が存在するかわからない。
科学的には存在は判明しないと信じているから、
自由意志が存在するかどうか云々は
哲学的に考えるのが有意義と感じている。
と言ったものでいいですかね。
415 :
じいさん :2005/12/23(金) 20:58:01
>>414 :考える名無しさん :2005/12/23(金) 20:20:14
>自由意志が存在するかどうか云々は ・・・・・・・
存在する云々と言うよりは「その人間が自由意志として何を主張するか?」と言う事がその人間の生き様であるとか、主体を表現するとか言う事だと思います。
逆に究極に自分の意志が因果的に全てが決まっていると証明できる人間がいたとしてそれを人格とは認めがたい。
なぜならそんな因果の塊にすぎない実在の主体性はないから。
さらにそんな主張の先は何処まで言っても因果律で支配され決定されているから議論の意義が無い。
因果から離れた自由意志を主張する主体が在って初めてその人格が存在する。
勿論観念的な存在の事ですが。
観念的に人格が存在すると言うのは例えは、犯罪を犯すとか恋愛するとか言う行為を主体的に行うと言う事である。
そこで初めて意志の主張に意義が出てくる。
416 :
考える名無しさん :2005/12/23(金) 21:19:16
>>415 >存在する云々と言うよりは「その人間が自由意志として何を主張するか?」
>と言う事がその人間の生き様であるとか、主体を表現するとか言う事だと思います。
(゚Д゚)ハァ?
ああ、あれですか。自由意志がないと仮定すれば、今の人間社会のすべてが
根底からくずされてしまうと?それは許されないと?
極めて倫理的な分野のお話ですね。すでに学問の領域ではないです。
いや、私も一人間としてはあなたの意見に賛成致しますが、
一学問の徒としては了承しかねます。
自由意志が存在するかしないかの論議に、自由意志があると思うことによって個人の人間性に
どのような影響がもたらされるかの論議は、まったくからめるべき事柄でないと思いますから。
417 :
鬼頭 :2005/12/23(金) 22:52:19
>>396 科学の発展によりますます精神は脳内現象であり因果連鎖に従う物質的基盤を
持つという事が明らかになっていると思いますが。
じいさんは精神は物理化学の法則を超えた何かだと思っているのでしょうか。
>>405 >現在どんな単純な人間の意識行為についても出来ない。
たとえば、ドーパミンが神経末端から過剰に放出されると、統合失調症に特有の症状
である幻聴、幻覚、誇大妄想などがあらわれる。ドーパミンが不足すると、脳の
コントロールがうまくいかず手や足がふるえ、前かがみになって足をひきずるように
して歩くようになる。これはパーキンソン病の症状です。
>因果関係が意味を持つためには、どんな因果関係化が特定できなければ意味が無い。
特定できなければ因果関係を超えた何かが存在すると言える、と思っているのでしょうか。
>>407 >私の言い分は自由意志について非科学的に色々と論じる事は有意義だと考えますが。
>>415 >そんな主張の先は何処まで言っても因果律で支配され決定されているから議論の意義が無い。
人間の意志は科学的に研究すると病気の治療や工学的応用や教育など有意義な結果を得られると思いますが。
l ⌒l ⊂⊃ ←タチコマ |○ ̄l/⌒゙ヽ.. l__ ((_)__,,(∴) 僕にも人格はあるよ。 /))_;(∩) ⊃⊃ 人間と同様に自由意志はないけど。 し' ∪ ヽ)
419 :
じいさん :2005/12/24(土) 00:33:38
>>417 :鬼頭 :
良いですか問題は自由意志があるか無いかです。
いま現実の人間の行為で・・・・・・・
例えばA男君がB子さんを好きだとして、何故好きかは自由意志と言います。
しかし科学的因果律で必然の結果であり自由は無いと言う、それならその必然性を証明することが出来るであろうか?
それが今出来ない以上自由意志という概念を使うしかないでしょうと言う事です。
統合失調症は病気で意識行為とはいえない。
420 :
じいさん :2005/12/24(土) 00:37:57
>>416 :考える名無しさん :
>極めて倫理的な分野のお話ですね。すでに学問の領域ではないです。
どうして極めて倫理的だと学問の領域でないのか良く判らない???
私は学問と言う領域(?)から程遠い生活をしているので特にさっぱりわからない???
421 :
鬼頭 :2005/12/24(土) 01:06:12
>>419 人を好きになるのも原因があり、原因なしに好きになることはありません。
だから自由意志ではない。
因果関係を立証できないから自由意志があるとすれば、人間以外の複雑な
自然現象にも意志を認めることになります。
「われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、
われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」
ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』
422 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 01:08:49
カメアリ 3チョーメ ロージンカイハ ココデスカ?
423 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 01:37:56
\ │ / / ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ─( ゚ ∀ ゚ )< オランウータンビーツ \_/ \_________ / │ \ ∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< オランウータンビーツ オランウータンビーツ>( ゚∀゚ )/ | / \__________ ________/ | 〈 | | / /\_」 / /\」  ̄ / /
424 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 01:39:12
┏━━┓ ┏━━┓ ┫・∀・┣ ┫・∀・┣ ┗┳┳┛ ┗┳┳┛ オランウータンビーツ! オランウータンビーツ!
425 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:10:57
>>420 >どうして極めて倫理的だと学問の領域でないのか良く判らない???
>私は学問と言う領域(?)から程遠い生活をしているので特にさっぱりわからない???
倫理的に善か悪かで物事を判断していたら、
物事に対して、冷静に客観的に判断できないからですよ。
科学的結果を、善悪の問題で変えようとしてしまう結果になるかもしれませんから同じ領域で扱ってはいけません。
倫理というものは、時代時代によって微妙に変わってしまうものです。
そんなものを基準に科学を扱うことは愚かだと思いませんか?
科学とは、法則を扱うものだと思いますが、法則とはどういう意味か辞書で引いてみたらいかがですか?
倫理のような時と場所によって変わってしまうようなものではないと分かると思いますよ。
426 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:12:25
>例えばA男君がB子さんを好きだとして、何故好きかは自由意志と言います。 >しかし科学的因果律で必然の結果であり自由は無いと言う、それならその必然性を>証明することが出来るであろうか? >それが今出来ない以上自由意志という概念を使うしかないでしょうと言う事です。 なぜ、証明できないなら、自由意志という概念を使うしかないのか分かりませんね。 自由意志があるかないか分からないということなのに、 なぜ、あなたは、証明できないなら、自由意志はあるということになると結論を出されるのか分かりません。 もし自由意志があると言いたいなら、自由意志があると証明しなければいけませんよ?
427 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:17:54
自由意志がないと言いたいなら自由意志がないと証明しなければいけませんよ?
428 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:18:11
意志は「ある」に決まってるだろw 「「誰もが」あると認識してるものを否定したい場合 「無い」という側がその証明をするのが普通
429 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:38:23
>>427 ですね。だから証明ができない場合、自由意志があるかどうかは分からないというのが
正しい評価ですね。
>>428 >「「誰もが」あると認識してるものを否定したい場合
>「無い」という側がその証明をするのが普通
はじめて聞く論理ですが・・・。
あると証明されているものを反証する場合は、ないという側が反証責任があると思いますが・・・。
あると勘違いしてるだけかもしれないのに、あると思うからっていうんじゃあ。
ずいぶん無責任な話ですね。
430 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:41:13
それに、自由意志が存在しないとこれから証明されることがあったとしても 自由意志があたかもあるかのように人間社会では生活が営まれていくと思いますけどね。
431 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:43:36
>>429 おまえ、意志が無いのか?それともあるのか?
おまえのレスが意志の表れではない、とするなら
返す必要もなくなるがw
432 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:45:39
ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜♪ 「隊員、ぴかぁ〜さん頭部を担架に固定しろ!」 「隊長!頭部が軽くて浮いちゃうんですが」 「気にするな、前のときもそうだった」 ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜♪
433 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:47:59
>>431 ここは”自由”意志について論じるところだよ
434 :
ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 02:50:40
2ちゃんねるに書き込めって脳に命令されてるんだよな。かわいそう。 俺は自由意志で明日はこないよ。 クリスマスデート。
435 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:52:50
>>434 単純思考だね。なんで命令されているって思考になるの?
しかし、デートはうらやましいや・・・。
漏れも明日はどっかいこう。
436 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:57:17
自由意志が意思の一部であるかぎり 意志の要件から逃れることはできない つまり意志を論じれば、その要件が 自動的に自由意志を規定する もう一度聞くが おまえ、意志が無いのか? それともあるのか? どっちなんだ?
437 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:59:23
>>436 別人だけど
お前の意思は完全に自由か?
それとも何かの制限を受けているか?
438 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 03:08:00
>>437 完全に自由だ
自由意志が意思の一部であるかぎり
意志の要件から逃れることはできない
つまり意志を論じれば、その要件が
自動的に自由意志を規定する
もう一度聞くが
おまえ、意志が無いのか?
それともあるのか?
どっちなんだ?
439 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 03:11:49
>>438 意思があることと
自由意思があることは別だろ
幼稚園児が突然量子力学とか相対性理論を思い付いたら自由意思を認めなくもないが
思いつき(意思)は何かに制限されていると考えるのが妥当だろ
お前の思いつきは今まで知っていること+α程度だろ?
440 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 03:13:38
>>436 言っている意味が不明だが
自由意志=意志なら、おれは意志はないと思う派ね。
意志って、意識のことか?こころの中で考えたりする意識のことか?
その意識がないとは言わんよ。
その意識がまったく物質の反応から離れたところにあるものでないという意味で
自由な意識というものはないということが言いたいわけよ。
今決めた決定にしても、目から入ってくる情報をもとに頭の中にある情報と色々思考(演算)したのちに
出したことだろ?その頭の中にある情報にしても、以前頭の中に入ってきた外からの情報なんだから
そういう風に過去に遡っていけば、赤ちゃんのころまでいきつくわけよ。
赤ちゃんて自我あると思う?おれにはそう思えんが。
仮にあるとしても、赤ちゃんには、遺伝情報があるからな。遺伝情報も遡っていけば
単細胞生物までいくとおもうが、単細胞生物も遺伝情報があるからな。
ここまでいったら、微生物はどうやって生まれたのかまで論じないといけないかもね。
441 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 03:14:33
>>439 自由意志は意思の一部だ
ちがうと言うなら別の語をあてよ
そして自由意志が意思の一部であるかぎり
意志の要件から逃れることはできない
つまり意志を論じれば、その要件が
自動的に自由意志を規定する
もう一度聞くが
おまえ、意志が無いのか?
それともあるのか?
どっちなんだ?
いい加減に答えよ
442 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 03:18:37
意思があるならば自由意思は存在するとかおかしすぎだろw どういう根拠でそれが成り立つのか意味不明 意思が規制されているか、完全に自由かというはなしじゃないのか? で>439 お前の思いつきや意思は、いままでの積み重ねの範疇内+δ程度だろ? 全くちがうと言うなら話は別だがw
443 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 12:29:49
>>442 自由意志は意思ではないと言ってるの?
意志の範疇に入らない別の概念だと?
だったら なぁ〜に?なんのこと言ってるの、自由意志って?
444 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 15:36:14
○アブラゼミはセミである。 ×セミはアブラゼミである。 アブラゼミは存在しない。≠セミは存在しない。
445 :
じいさん :2005/12/24(土) 16:59:54
>>426 :考える名無しさん :2005/12/24(土) 02:12:25
>なぜ、証明できないなら、自由意志という概念を使うしかないのか分かりませんね。
貴方にも解るように説明しましょう。
人間が何か行為をする為には理由付けが必ず必要です。
何故そうするかと言う理由です。
其の時に因果律で全てを説明できれば良いが現実には殆んど説明できない(証明できない)でしょう。
何故恋心を抱いたのか?何故B子さんなのか?なぜ今なのか?
勿論100年もたてば科学技術の進歩によって全ての因果律が解明されて恋心の全てが解明されるかも。
しかし今現実の恋愛については今行動を起こさなければならないんですよ。
だから自由意志であると宣言するしかないんですよ。
生きていくための方便なんですよ。
>もし自由意志があると言いたいなら、自由意志があると証明しなければいけませんよ?
証明する必要性を回避するために自由意志といっているんですよ。
「いちいち理由は聞くな責任は俺が取る」と言うことです。
人間が作り出した概念なんですよ。
446 :
鬼頭 :2005/12/24(土) 19:53:56
クリスマス・イブに2chの図 -― ̄ ̄ ` ―-- _ , ´ ......... . . , ~  ̄" ー _ _/...........::::::::::::::::: : : :/ ,r:::::::::::.:::::::::.:: :::.........` 、 , ´ : ::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::::: : ,ヘ ::::::::::::::::::::::: : ヽ ,/:::;;;;;;;| : ::::::::::::::::::::::::::::::/ /::::::::::::::::::: ● ::::::::::::::::: : : :,/ ブッブー と,-‐ ´ ̄: ::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::r(:::::::::`'::::::::::::::::::::::く (´__ : : :;;:::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::`(::::::::: ,ヘ:::::::::::::::::::::: ヽ ブーン  ̄ ̄`ヾ_::::::::::::::::::::::し ::::::::::::::::::::::: :●::::::::::::::::::::::: : : :_> ,_ \:::::_| ̄ ̄ |_::::::::::::::: `' __:::::::::-‐ ´ キキー (__  ̄~" | | )) ̄  ̄◎ ̄◎
447 :
鬼頭 :2005/12/24(土) 20:38:46
人間の意識作用の因果関係が完全には示されていないから自由意志あるとするのは
無知から天災などを神の怒りとするのと同じ発想に思えます。
>>445 人間は全て理由があって動いているなら、余計に自由意志の入り込む余地はないと思いますが。
自分で行動を起こしたり決断を下す事も因果律の内にある、とは考えられませんか。
448 :
じいさん :2005/12/24(土) 23:51:17
>>447 :鬼頭 :
>人間は全て理由があって動いているなら、余計に自由意志の入り込む余地はないと思いますが。
そうです、それを言い換えたわけです。
自由意志の入り込む余地のない理由で行動したい。
しかし実際現状では殆んどの場合その様な科学的因果律(理由)を見つけることができ無い、そこでどう振舞っていいか選択に悩んでいるのが人生です。
多くの選択は時間的に結論を迫られているわけで、そのように理由無く決定する事を自由意志と呼ぶわけです。
>無知から天災などを神の怒りとするのと同じ発想に思えます。
全く仰るとおりです、鋭いですね。
以上まとめると、
人間の行為は科学的因果律に基づく。
しかしそれは現代では証明不能である。
従って現状では行為の説明として、神仏の因縁か自由意志という概念が使われる。
>448 証明不能であるという理屈に基づくことか、 神仏の因縁かによるのであれば、 それは自由意志ではないのでは?
450 :
じいさん :2005/12/25(日) 01:34:18
>>449 :考える名無しさん :
>神仏の因縁かによるのであれば
勿論因縁だから自由ではない、と言っている。
>証明不能であるという理屈・・・
いかなる科学的根拠があるはずだと言っても、それが現実に証明、説明、理由付け出来ない以上使えないんですよ。
意思決定の手段には使えないし、決定された事の意味付けにも使えない。
だから自由に決めたと言うしかないのです。
さもなくば神仏の因縁と言うしかない。
451 :
449 :2005/12/25(日) 01:48:22
決断することに根拠・理由がないことはわかりました。 ただ、選択肢の中から結果的には選ぶ訳ですよね? どういう経緯で選ぶのでしょうか?
452 :
鬼頭 :2005/12/25(日) 13:36:26
>>405 >その因果的決定を具体的に提示できないでしょう。 1〜3は意味の無い議論なんですよ。
>>448 >人間の行為は科学的因果律に基づく。 しかしそれは現代では証明不能である。
証明不能なのではなく人間機械論を否定したり因果律を超えた力が働いているという
合理的根拠が見出せないのですが。そして意志や意識は脳内の物理化学的反応の結果
生じたものであるという前提の下に科学的に研究する事は有意義な事である、
と思います。
>因果から離れた自由意志を主張する主体が在って初めてその人格が存在する。
>何処まで言っても因果律で支配され決定されているから議論の意義が無い。
>自由意志の入り込む余地のない理由で行動したい。
矛盾してます。
>人間が何か行為をする為には理由付けが必ず必要です。
>そのように理由無く決定する事を自由意志と呼ぶわけです。
とすれば自由意志はない、でいいんじゃないですか。
453 :
じいさん :2005/12/25(日) 19:56:38
>>451 :449:2005/12/25(日) 01:48:22
>ただ、選択肢の中から結果的には選ぶ訳ですよね?
その通りです。
>どういう経緯で選ぶのでしょうか?
ですから経緯の説明は出来ないということです。
そのことを自由意志で選択したと宣言するわけです。
454 :
じいさん :2005/12/25(日) 20:21:24
>>452 :鬼頭 :
>証明不能なのではなく人間機械論を否定したり・・・・・・・・
科学的に人間機械論を肯定しているのがから、どの様なメカニズムで意思決定がなされるかは、
貴方のがを説明する責任があるんですよ。
私はそれが今説明できない以上、人間機械論は無意味だと言っているんですよ。
いいですか・・・・
>>1 >われわれもまた枯葉と同様に自然法則に従うしたない・・・
こんな事は当たり前の事です、宇宙がビッグバンから生まれて、
人間もその中の一部なんだから人間の全てが宇宙の自然法則に従うのは小学生でもわかる。
だからと言って解明できていない人間の意志までおせっかいを焼く事は無い。
自然法則が支配する事と人間の作った自然科学という概念は同じ物ではないでしょう。
つまり現在の段階では人知は自然法則を意志のレベルでは記述できないと言う事でしょう。
従って人間機械論と言う空論で自由意志を否定するのは100年早いと言う所です。
100年たったら空論でなくなるかも知れません。
>科学的に研究する事は有意義な事である
勿論有意義です、どんどんやってください。
>矛盾してます。
そうです矛盾しているのは人間の心です。
例えば意志決定の理由を知りたいのが人間の心。
しかし理由がわかった時点で自由はなくなる、人格は消える。
其れでも理由を追い求めて止まない矛盾した人間の性です。
455 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 00:21:56
>>454 >自然法則が支配する事と人間の作った自然科学という概念は同じ物ではないでしょう。
同じ物ではないかもしれませんが、違う物とも言えませんけど?
それに自然を正確に記述できてますし、なんの問題もないです。
自然科学で、どこがおかしいところがありますか?
>つまり現在の段階では人知は自然法則を意志のレベルでは記述できないと言う事でしょう。
どう、つまりなの?
いつ記述できないってことになったの?
そういうことを誰かが発表した?
聞いたことがないんで、どこでそういうことになったのか情報キボン。
(知り合いに聞いたとかなしで。)
>従って人間機械論と言う空論で自由意志を否定するのは100年早いと言う所です。
どう、従ってなの?
仮に、今、自由意志がないと証明できないということでも
自由意志があるということも証明できてないと思いますが?
>そうです矛盾しているのは人間の心です。
矛盾してるのは、あなたの心だけです。
あなたは自分は自由だと思いたいけど、
今の科学が、あなたは自由ではないと言うから
ここで、苦悩しているわけでしょ?
456 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 00:34:22
>>451 >選択肢の中から結果的には選ぶ訳ですよね?
これで、思い出したことあるわ。
確か、あるのどがかわいたロバが、二つの飼い葉桶の前で
どちらを食うか迷って、そのまま餓死したって話。
ライプニッツの話であったような。
彼いわく、この世に同じものは二つとない。
よって、その差異によって、選択は必ずされると。
モナド論と予定説へとつながるわけだが。
ど素人なので、よく知らんのだが。
457 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 00:36:45
自由だから意志というんですが 誰か異論でもあるんですか?
458 :
鬼頭 :2005/12/26(月) 00:44:54
>>454 >人間の全てが宇宙の自然法則に従うのは小学生でもわかる。
生命や人間の意識には自然法則を超えた何かがある、と思う人は多いと思いますが。
そしてあなたも本当はわかっていない。わかってないから、
>だからと言って解明できていない人間の意志までおせっかいを焼く事は無い。
とか言い出すんだと思います。
人間の意志も含めて自然法則に従うという事が理解できていない。
>自然法則が支配する事と人間の作った自然科学という概念は同じ物ではないでしょう。
そうです。でも人間が創り出した自然科学の法則が自然法則に一致しなければあなたのパソコンは
動いていないはずなのです。
>つまり現在の段階では人知は自然法則を意志のレベルでは記述できないと言う事でしょう。
はるか未来でも意識の中にいる存在が世界の法則を完全に知る事ができるかは不明ですね。
>従って人間機械論と言う空論で自由意志を否定するのは100年早いと言う所です。
それは自然法則が全ての物質を支配しているというのは100年早いと言っているのと同じですが。
>しかし理由がわかった時点で自由はなくなる、人格は消える。
理由や原因を知っても自由だと主観的に感じる意識や人格は消えないと思います。
459 :
じいさん :2005/12/26(月) 01:06:21
>>455 :考える名無しさん :
>いつ記述できないってことになったの?
記述できない例は・・・・・・・
>>419 :じいさん :2005/12/24(土) 00:33:38
>例えばA男君がB子さんを好きだとして、何故好きかは自由意志と言います。
>しかし科学的因果律で必然の結果であり自由は無いと言う、
>それならその必然性を証明することが出来るであろうか?
以上・・・・・・・・・・・・
>ここで、苦悩しているわけでしょ?
そんな事は無い。
自由意志にけちをつける根拠はないのでのびのびやりましょうと言う感じ。
460 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 01:15:01
>>459 アホやねー。
A男君、B子さんについてなんのデータもとってないのに
分かるわけないじゃん。
あなた、人工衛星を打ち上げずに、天気の予想ができると思ってるの?
科学は神様じゃないよ?
因果律だけ知っていただけじゃどんな自然も予測できないです。
もすこし勉強しましょうよ。
ふとまに
ふとまにして国が滅んじゃうような文化圏なんだろ?
463 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 01:25:02
じいさんよ、気持ちはわかるがまあ、その何だ、普通に考えていけば自由意志
が自然現象の継続で錯覚現象に過ぎないということは本当に普通のことであって
、本当に自ら現象を開始する能力としての自由意志なんてものを導出する
ことのほうがむしろトンデモナイことなんだよな。もちろんそうは言っても
>>458 の言うように、人間の自我機能はたとえ自由意志が客観的事実としては完全
に否定されてしまったとしても、自由を主観的に感じる意識や人格は消えないよう
に生理的に出来ているわけなんだな。まあ言ってみればわれわれ現代人は
たとえ地動説が正しいと客観的事実として知っていたとしても地面がグルグル回転
しているなんて事は普段生理的な自覚としてはまるでないのと同じことなんだ
な。
464 :
じいさん :2005/12/26(月) 01:29:45
>>456 :考える名無しさん :
何のたとえだか良く判らないが、私が考えるのにどちらが科学的に正しいかを分析しているうちに餓死してしまう。
自由意志の面目は即決と言う所です、瞬間的にB子さんを選ぶと言う事。
科学的演繹なぞ日常生活に役に立たないのです。
465 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 01:31:51
ジーサン カコイイ !!
466 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 01:46:15
>>464 だから、意味がわからんて。
今自分がする決定について、自分がしたのではないという考えの下で
決定の理由を考えなきゃいけない理由なんてあるんですか?
つーか、その理由を考えてる主体は何者?
なんで日常生活でいちいち理由を考えて行動せなあかんの?
気が滅入るでしょ。
467 :
じいさん :2005/12/26(月) 01:55:40
>>458 :鬼頭 :2005/12/26(月) 00:44:54
>生命や人間の意識には自然法則を超えた何かがある、と思う人は多いと思いますが。
貴方はどう思うのか?
立場を明確にする必要があると思うが・・・。
自分の拠ってたつ立場から議論しよう。
>パソコンは動いていないはずなのです。
そうです法則に従っているからです。
でも人の心までの法則性は分かっていないのです。
自然科学というものは分かっている所までが自然科学なのです。
科学の範囲を超えたこと(分かっていない事)に関しては言及しないのが正しい。
>それは自然法則が全ての物質を支配しているというのは100年早いと言っているのと同じですが。
そうですよ、100年先なら貴方の言い分に私が屈しても一向に構わないからですよ。
>理由や原因を知っても自由だと主観的に感じる意識や人格は消えないと思います。
いえいえそれがね・・・消えると考えます。
この問題がとても面白い、このスレの本質の問題なのではないでしょうか?
人間の意識の全てが因果律で説明できるとすると、人の主体は無くなる。
貴方はそんな気がしませんか?
468 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 02:05:45
>いえいえそれがね・・・消えると考えます。 なんで、そう考えるか考えるに至った理由を教えてください。 >貴方はそんな気がしませんか? 全然しない。 あなたまさか、そんな気がするしないで今まで話してきたわけじゃないですよね。 宗教の方ですか?
469 :
鬼頭 :2005/12/26(月) 12:52:53
>>467 >立場を明確にする必要があると思うが・・・。
すでに書いてますが。
このスレを立てたのは決定論と自由意志という話以外にも幅広く自由について
話してほしいと思ったからです。
>でも人の心までの法則性は分かっていないのです。
分かっていない事と一切は自然法則に従うと言えないという事とは別です。
>自然科学というものは分かっている所までが自然科学なのです。
とすれば自然科学に発展はありませんね。
分かっている所で言っても自然法則を超えた何かがこの世界にあるとは言えない。
>人間の全てが宇宙の自然法則に従うのは小学生でもわかる。
>>それは自然法則が全ての物質を支配しているというのは100年早いと言っているのと同じですが。
>そうですよ
やっぱり分かってないじゃないですか。
470 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 13:23:40
人の心の法則性がわからない・・だと? ・・アホかw 要は、そのレスを「なぜ、そのように書いたか?」と いうことだが、そんなこともわからんの?
471 :
じいさん :2005/12/26(月) 15:44:57
>>468 :考える名無しさん :2005/12/26(月) 02:05:45
>>いえいえそれがね・・・消えると考えます。
>なんで、そう考えるか考えるに至った理由を教えてください。
はいそのうち詳しく説明します。
472 :
じいさん :2005/12/26(月) 15:45:55
>>469 :鬼頭 :2005/12/26(月) 12:52:53
>幅広く自由について話してほしいと思ったからです。
なるべく自分の信じる意見だけを主張して欲しい、思ってもいない事を言う事を話をまぜっかえすと言う。
話が混乱するだけだからだ。
>分かっていない事と一切は自然法則に従うと言えないという事とは別です。
はいその通りです、人間は全て自然法則に従って生きています。・・1
しかしその法則を完全に把握できていないと言っているんです。・・2
人間の意志がどう動くかを記述できないと言う意味なんです。・・・3
その解っていない部分が自由意志と名づけられたのです。・・・・・4
>とすれば自然科学に発展はありませんね。
現に解っている事が増加しているではないか?
>分かっている所で言っても自然法則を超えた何かがこの世界にあるとは言えない。
意味不明?
>>人間の全てが宇宙の自然法則に従うのは小学生でもわかる。
>>従って人間機械論と言う空論で自由意志を否定するのは100年早いと言う所です。
上記1〜4参照
473 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 15:59:44
このじいさん何者?! 超頭切れる人だな。
474 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 16:18:46
じいさんの言ってることは、説明できる領域が増えていく、 そして、説明不能領域が自由意志だと定義し、 この領域がやがては無くなっていくという。 すると、説明不能領域が無くなるか、または、残るか、 あるいは、ますます増大していくか、の議論になる。 確信など毛頭無いが、説明不能領域が無くなる、 即ち、すべては説明可能になる、ということは、 想像力の域をはるかに超えるね。 ガンもAIDSも異常プリオンも鳥インフルエンザも、解明、解決できてないじゃん。 抗生物質だって追いかけっこだし。 楽天家の能天気じいさんだよ。
475 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 16:21:08
真摯な科学者ほど、謙虚だよ。
476 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 16:22:16
真摯な哲学者ほど、寡黙だよ。
477 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 16:25:38
巨大赤星に遭遇する際に、人類の成れの果ての生物がいればだけど、 そのときに、なにかの解が出るのかもしれないね。
478 :
じいさん :2005/12/26(月) 16:59:20
>>466 :考える名無しさん :
>>464 >だから、意味がわからんて。
>なんで日常生活でいちいち理由を考えて行動せなあかんの?
もしかして
>>456 の事かな?
私はロバは知らないが人間なら自由意志で即決でどちらかの水を飲むはずだと言いたい。
しかしそこでライプニッツの話の様にその差異によって選択しようとすれば時間がかかって餓死すると言っている。
前にも言ったが人間はじゃんけんやサイコロが出来る動物である。
人間は一見差異の無い同じような事象に関しては直感的に同等だと判断します。
後の選択はじゃんけんやサイコロです。
この一連の流れが自由意志です。
479 :
鬼頭 :2005/12/26(月) 17:36:03
>>472 >その解っていない部分が自由意志と名づけられたのです。
それは自由意志とは言いません。
あなたの「自由意志はある」という信仰に基づく定義です。
信仰の理由は意識の決定論的法則性が見出せたら主体も人格も無くなり
そんな存在には意味がないと思っているからですね。
480 :
じいさん :2005/12/26(月) 17:57:46
>>479 :鬼頭 :
>それは自由意志とは言いません。
では貴方は何を自由意志というのか?
答えなさい。
481 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 18:12:20
>鬼頭 こいつは自説べらべら言ってるだけで 人の話は聞かないんだな・・・
自由意志など信じるやつは よほど鈍感なやつか いまだ恋愛経験もないクソガキ
483 :
じいさん :2005/12/26(月) 18:43:22
>>481 :考える名無しさん :2005/12/26(月) 18:12:20
>>こいつは自説べらべら言ってるだけで
と言うよりは自説と言うものを言わないで人の説を批判する。
此れが鬼頭さんの特徴です。
484 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:27:35
>>478 まったく理解してないんだね。
差異によって選択したと思ってなくても、本当は差異によって選択している
というのがライプニッツの話なんだよ。
>前にも言ったが人間はじゃんけんやサイコロが出来る動物である。
>人間は一見差異の無い同じような事象に関しては直感的に同等だと判断します。
>後の選択はじゃんけんやサイコロです。
>この一連の流れが自由意志です。
相変わらず、意味が分からんが。。
サイコロが出る目がそれぞれ等確率なことがどうかした?
じゃんけんで相手がそれぞれ何を出すかが等確率かい?
何がいいたいのかさっぱりです。
あなたの話じゃ、じゃんけんマシーンはこの世に存在しないですねw。
485 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:28:49
そうですね
486 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:41:41
>>472 じいさんさ、
>>474 が言ってることは持論と違わないと認めてるの?
それはまあ、それとして。
>はいその通りです、人間は全て自然法則に従って生きています。・・1
>しかしその法則を完全に把握できていないと言っているんです。・・2
>人間の意志がどう動くかを記述できないと言う意味なんです。・・・3
>その解っていない部分が自由意志と名づけられたのです。・・・・・4
まず、2について、
法則を把握することと事実を予測することとは大きく違いますからね。
あと、3について
いつ記述できないって話になったのか、教えてくれる?
4について、
>その解っていない部分が自由意志と名づけられたのです。・・・
さも、その他大勢が名付けたんだ〜!みたいに聞こえるけど、名付けたのはあなただけ(もしくはお仲間だけ)でしょ?
結局、自由意志が存在すると証明もしてないのにまるで自由意志が存在するみたいな言い方してるんですね。
妄言広めて楽しいですか?
487 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:46:38
なにこのバカスレw
488 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:49:43
なんか、まともに反論できないから、ゲリラに徹してるバカがいるんですけど。
489 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:56:26
自由意志は絶対にありえないの?
490 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:59:35
自由意志 …他から束縛されず自らの責任において決定する意志。
意志 … @ 【哲】道徳的評価を担う主体。理性による思慮・選択を決心して実行する能力。知識・感情と対立するものとされる、 併せて知・情・意という。 【心】ある行動をとることを決意し、かつそれを生起させ、持続させる心的機能。 A 物事をなしとげようとする、積極的な志。
493 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 20:37:04
>>491 社会の構成員が自らの行動を自らの責任においてしたと言えば
自由意志は存在するという関係の社会が形成されることになるな。
しかし、実際自らに責任はなく他から束縛されて決定したって場合もあるわけで、
その場合に限り、その社会では自由意志は存在しないという関係の社会になるわけだ。
現在のところ、半々って感じかな。
まあ、これは社会が自由意志を認めるのかの問題であって
厳密には自由意志は存在するのかって話はまた別問題だね。
494 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 21:49:00
『自由意志』 ある 〔A〕 その行為の という行為 根本的意志 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶 ある 〔A〕 という行為 『自由意志はない』 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶
495 :
じいさん :2005/12/26(月) 22:27:27
>>484 :考える名無しさん :2005/12/26(月) 19:27:35
>差異によって選択したと思ってなくても、本当は差異によって選択している
さいころに頼らない時は実はそうです。
しかし本当はどの様な差異によって選択しているかと言う事を科学的に説明は出来ないと私は言っている。
現実に説明できない事はその時点での科学の範囲外であります。
>サイコロが出る目がそれぞれ等確率なことがどうかした?
サイコロを使い事う決めたのが自由意志だということです。
差異を見つけることを避けたわけです。
496 :
じいさん :2005/12/26(月) 22:36:38
>>486 :考える名無しさん :
>法則を把握することと事実を予測することとは大きく違いますからね。
そうですか?
では言い換えましょう
2−法則を完全に把握し将来を完全に予測することとはできない
こんなんで如何ですか?
>いつ記述できないって話になったのか、教えてくれる?
殆んど全てを記述できてないでしょう、例えば貴方はこの私の文を予測できなかったでしょう。
私の自由意志の存在を否定するためには、
予め私の言い方を一字一句まで予測できなければならいのは解りますよね?
ベアハッグ
498 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 23:10:23
>サイコロを使い事う決めたのが自由意志だということです。 サイコロというものを知ってなきゃ使えないよね。いつどこで知ったの?生まれたときから知ってたとか? サイコロの使い方を、使い道を知ってなきゃいけないよね。いつどこで知ったの?生まれたときから知ってたとか?
499 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 23:16:19
>さいころに頼らない時は実はそうです。 >しかし本当はどの様な差異によって選択しているかと言う事を科学的に説明は出来ないと私は言っている。 >現実に説明できない事はその時点での科学の範囲外であります。 意味が分からんね。
500 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 23:28:32
>2−法則を完全に把握し将来を完全に予測することとはできない 法則を完全に把握することはできます。 人間というのは物質ですから、そこでなにが行われているか見れば分かります。 また、どのような働きが行われているかもわかります。 次に、人間の体内物質がどのような働きをしているかを把握した後、 その人間が次にどのような行動をおこすか予測を行えるかですが これは、ある限定的な部分ではムリです。 なぜなら、情報が決定的に不足しているからです。 予測するにはまず、外部入力(人間が感じるすべて)と内部記憶を知る必要が ありますが、これは今の科学技術ではすべて測ることができませんのでムリです。 仮に脳だけを摘出し、海馬にあると言われているニューロンによる記憶ネットワークを解析した 脳に指定した電気信号だけがを入力できる実験が行えるとすれば、脳が返す電気信号は すべて予測可能です。 この実験は脳が記憶を蓄える前の段階、つまりクローン技術によって脳だけをつくれば 十分実験可能だと思われますが、倫理的な問題からムリだと思われますね。 よって今の段階では予測はムリということです。
501 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 23:29:57
訂正 これは、ある限定的な部分ではムリです。 ↓ これは、ある限定的な部分以外ではムリです。
502 :
鬼頭 :2005/12/26(月) 23:54:17
>>483 >と言うよりは自説と言うものを言わないで人の説を批判する。
私は立場も考えも結構書いたつもりです。
>>480 >では貴方は何を自由意志というのか?
「一般に、外的な強制・支配・拘束を受けず、自発的に行為を選択することのできる意志のあり方」
とされているようですが、「主体を拘束する前提が無い意志」としてます。
503 :
考える名無しさん :2005/12/26(月) 23:58:18
504 :
鬼頭 :2005/12/27(火) 00:04:48
>>504 キーボードぶぶんにおさけこぼしていらい
にゅうりょくがままならないのだw
ゆるせ・・・orz
506 :
じいさん :2005/12/27(火) 18:24:51
>>502 :鬼頭 :2005/12/26(月) 23:54:17
>私は立場も考えも結構書いたつもりです。
探してみたのですが見当たりません。
>「主体を拘束する前提が無い意志」としてます。
であるならばその様な自由意志がどの様に存在すると貴方は言うのですか?
507 :
鬼頭 :2005/12/27(火) 19:01:40
>>506 7 社会や周囲の環境によっても制約されているんじゃないでしょうか。
脳は物質だから物理的な因果関係に従う、という議論じゃなくても。
13 規則性、法則性、因果関係があり、予測可能なものは自由な意志で行ったとは言えないだろう。
多くの学問は現象から見出だされる不自由な振る舞いを言語で記述する行為ではないか。
35 自由意志は人間の尊厳の根拠になっていると思うが。
71 自分がやっているというそもそも自分っていうのは何か、過去の条件や快楽や環境により決定されているのでは
ないか、自分や主体性というのは幻想ではないか、という疑問は生じます。
167 空とは縁起のことで縁起とは因果関係のこと。
全ては因果関係に従っているから因果関係から独立した固定した実体(自性)としての主体は存在しない。(無我)
主体がないから自由意志は存在しない。
210 生物と無生物の区別は人間が勝手に作り出したもので、人間も機械(=無生物) の一種であるとみなせる。
235 人は皆操り人形であり、自覚のある人形もいればそうでない人形もいる、 自分の意志は全て自分で主体的に
自由に決めているというのは決定の前提条件の無自覚から来るものである、と思います。
361 主体的に自由に決定していると思っているものも前提から導かれる必然的な決定である、という二面性はありますね。
383 機械的唯物論から導かれる自由意志の否定は、生の意味や自分や世界の存在の意味を消し去り、
堕落や快楽主義や犯罪の肯定に繋がる可能性があるかもしれませんね。
390 私は因果的な決定論と意志の自由については両立不能で、意志の自由は 幻想であり心の働きにおける因果連鎖の
帰結にすぎないと思います。 マクロな過程においても因果的決定論を超えた自由が入り込む余地はないと思います。
402 1、人間の意志は脳内の物理化学的な反応の結果生じたものである。
2、物理化学的な反応は因果的決定論に従う。 3、人間の意志は因果的決定論に従う。 と思います。
508 :
鬼頭 :2005/12/27(火) 19:05:56
>>506 >であるならばその様な自由意志がどの様に存在すると貴方は言うのですか?
その様な自由意志は存在しない、というのが私が言ってきたことです。
509 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 19:07:54
鬼頭、馬鹿じゃない? おまえ意志持ってないのかよw
510 :
鬼頭 :2005/12/27(火) 19:23:45
>>509 おまえは自由意志と意志の区別もつかない馬鹿なのか。
511 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 19:27:36
意志が自由意志を包括しないと言ってんのか?
512 :
鬼頭 :2005/12/27(火) 19:32:27
513 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 19:35:36
>>512 意志が自由意志を包括するのか?しないのか?
ハッキリ答えろや
こんな簡単な問いにも答えれないのかw
514 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 19:39:53
>>512 理由はいらないぞ、答だけ書け。まだるっこし〜からw
515 :
鬼頭 :2005/12/27(火) 19:45:26
馬鹿のくせに態度が悪い、自分の理屈を持った中身のある批判ができない、 口の汚さで優位に立ったかのような幻想を持つ、他人に向ける批判を自分に 向けるだけの知恵も回らない、wを多用する。 こういう人たちの共通要素はあと何があるだろう。 自由意志は意志の範囲に入るが自由意志=意志ではない、だから 自由意志の存在の否定は意志の存在の否定にはならない。 わかた?
516 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 19:48:51
>>515 では聞くが、おまえには意志があるか?
答だけでいいぞ、
自由意志の事なんか聞いてないんだから
517 :
じいさん :2005/12/27(火) 20:03:54
>>507 :鬼頭 :
成る程良く判りました。
>>402 >>1、人間の意志は脳内の物理化学的な反応の結果生じたものである。
>>2、物理化学的な反応は因果的決定論に従う。
>>3、人間の意志は因果的決定論に従う。 と思います。
これがハッキリしていますね。
では議論を少し進めたいと思います。
では人間の意志は因果的決定論に従うと結論した場合に、
将来「どの様に決定されるのかは証明されなければならない」のは納得できますか?
詰まり。
「因果的決定はされているがそれは将来も証明できるものではない。」
と言う立場は貴方は取りませんよね。
>>516 君のほうこそまだるっこし〜なあ。
質問の趣旨を明確にするように。
でなきゃチャンネル変えちゃうぞw
519 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 20:48:19
>将来「どの様に決定されるのかは証明されなければならない」のは納得できますか? 意味不明だよ。おじいさん。 「証明」じゃなくて、「予測」のまちがいじゃない? あと、将棋のゲームあるけど、あれ次コンピュータがどう動くが 分かる?分かったら当然勝てると思うんだけど・・。 もし次にどう動くか予想できなかったならコンピュータには 自由意志が存在することになるのかな? 勝負はどちらかが絶対勝つよう設定してあったら、同じプログラムで 書かれた2つのAIでの対戦であっても、引き分けということはないんだから 片側が負けたとき、相手のAIの予想ができなかったってことで 自由意志があるってことになってしまうね。あなたの意見だと。 予想できなかったら、自由意志があるって、どんな論理思考から言ってるの?
520 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 21:05:28
>>515 鬼頭 もう一度 聞く
「おまえには意志があるか?
無いのか? どっちなんだ?」
おまえ頭いいんだろ? 答えよ
521 :
鬼頭 :2005/12/27(火) 21:17:44
せっかくまとめたのに流されちゃった。
18 通常、不自由を感じるのは快楽の達成が不可能な場合のようで、快楽を
追求するようにプログラムされている事自体に不自由を感じる人は稀な
ようです。
が抜けてた。
>>520 俺は頭よくないよ。
>>517 >将来「どの様に決定されるのかは証明されなければならない」
「証明されなければならない」になぜなるの?
決定論で決まっていることとそれを人間が完全に知りえる事とは別だよ。
世界の中にいる存在(と思っている意識の中の存在)が外側から見た自分を含めた世界の法則
(自分の意識の法則)を知ろうとすれば<私>という特異点で自己言及の穴が生じ、自分を含めた
世界の完全な法則知りえる事はできなくなると思う。ゲーデル的自己言及ってやつ?
あと、初期値の微小な違いが後に大きな違いを生み出すカオスとかで未来を完全に知ることはできない、
というのもあるのかな。
522 :
じいさん :2005/12/27(火) 21:22:18
>>519 :考える名無しさん :2005/12/27(火) 20:48:19
>「証明」じゃなくて、「予測」のまちがいじゃない?
はい予測と言うか完全な記述です。
>もし次にどう動くか予想できなかったならコンピュータには自由意志が存在することになるのかな?
それは単純な誤りです。
コンピューターは「自分には意志がある」と主張しないからです。
この様な誤りは他にも見受けられます・・・・
>>421 :鬼頭 :2005/12/24(土) 01:06:12
>因果関係を立証できないから自由意志があるとすれば
>人間以外の複雑な自然現象にも意志を認めることになります。
これも単純な誤り。
そもそも自由意志のこの問題は人間の意志が自由であると叫んでいることから始まっている。
意志と言うものの無い現象ははなから対象外でしょう。
>勝負はどちらかが絶対勝つよう設定してあったら、同じプログラムで
>書かれた2つのAIでの対戦であっても、引き分けということはないんだから
>片側が負けたとき、相手のAIの予想ができなかったってことで
これも誤り・・・
現在の所、勝つようにはプログラムできない。
仮定の話としても対戦させる設定は、所謂「矛盾」のことわざのごとく不可能。
523 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 21:45:48
>>521 鬼頭、おまえのヘタレは本物だなw
おまえは、意志が自由意志を包括すると回答した
自由意志は意志の一部ということだ
そのおまえは意志を有している
そうすると鬼頭、おまえは自由意志を有していると
宣言したことになるが、それでいいな?
さんざん引っ張っといてこれですか・・・。
525 :
じいさん :2005/12/27(火) 21:54:08
>>521 :鬼頭 :2005/12/27(火) 21:17:44
>未来を完全に知ることはできない。
と言うのが貴方の考えなら随分話が違ってくる・・・・・まいったな。
じゃあ聞きますが因果律で知ることが出来ない部分は科学的になんと呼ぶのですか?
自然現象の分野でなんと呼ぶのですか?
>>523 おまえはでてくんな・・・うっとうしい・・・
一致するところがあるか、 嘘だ。
528 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:25:08
>>522 >それは単純な誤りです。
>コンピューターは「自分には意志がある」と主張しないからです。
>この様な誤りは他にも見受けられます・・・・
じゃあ、「自分には意志がある」と主張させるようにしたら
そのAIには自由意志があることになってしまうの?
犬猫といった人間以外の動物は「自分には意志がある」と主張しないから
自由意志はないの?
自由意志って人間だけがもつものなんだ。いまのとこ。へ〜
おもしろいサンプルがとれた・・・・
529 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:32:15
>>鬼頭ほか おまいら 意志ひとつ 理解できないで なにが自由意志だよw わかってるというなら意思が何か、 自分なりでいいから書いてごらん
530 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:33:38
>>528 >現在の所、勝つようにはプログラムできない。
>仮定の話としても対戦させる設定は、所謂「矛盾」のことわざのごとく不可能。
いやいや、勝つように設定するというのは千日手を防ぐという意味です。
千日手となるような次の一手をAIにさせないようプログラムするということですよ。
こういうことはできますよ。
そう設定した上でなら、勝敗は必ずつくはずです。
どちらかが勝てないということは、予想できなかったということだから
自由意志はあるのかな。
もちろん、そのAIは「自分には意志がある」と主張させるようにしますよ。
531 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:45:43
認知症の人やら、知能障害を持つ人たちは 「自分には意志がある」と主張しないけど、 自由意志をもってないの? 意志の疎通ができないだけで自由意志がないってことになるの? おかしくない? ロボットも人間のコミュニケーションに反応しないってだけで 自由意志がないってことになるの?
532 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:47:41
将棋コンピュータって、こっちがまったく同じ手を打っても 毎回同じ手を返してくれないよ。これって自分で毎回考えて 手を打って来ている証拠じゃないですか?
533 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:54:11
自由意志肯定論者とはどんな人間? 自由意志否定論者とはどんな人間?
534 :
考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:57:56
535 :
じいさん :2005/12/27(火) 23:36:40
>>530 :考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:33:38
>千日手を防ぐという意味です。
千日手?・・関係無いと思うが。
>Iにさせないようプログラムするということですよ。
貴方がプログラムしていると言ってるのに・・・・・・・
>そのAIは「自分には意志がある」と主張させるようにしますよ。
と言うのはおかしく無いですか?
いずれにしてもそのAIとやらが自由意志を持つとしたら、
私は貴方とでなくそのAIと直接お話したいと思います。
536 :
じいさん :2005/12/27(火) 23:39:03
>>531 :考える名無しさん :
では貴方はどう思うのかな?
537 :
じいさん :2005/12/27(火) 23:44:04
528 :考える名無しさん :2005/12/27(火) 22:25:08 >自由意志って人間だけがもつものなんだ。いまのとこ。へ〜 その通りですよ。 此処では自由意志についてああだこうだ言ってます。 その議論の中で判りやすい人間を手っ取り早く取り上げて話しています。 人間以外に自由意志があると貴方が考えるならここで発表してくださいね。 私も興味が在りますよ。
538 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 00:07:44
>>535 >貴方がプログラムしていると言ってるのに・・・・・・・
そうですがなにか?
>私は貴方とでなくそのAIと直接お話したいと思います。
まだ会話機能はないよ。だって将棋のAIだから。
539 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 00:09:27
>>536 >では貴方はどう思うのかな?
相手がどう思うかは自由意志があるかの話に関係ないのでは???
540 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 00:29:12
>>538 >>自由意志って人間だけがもつものなんだ。いまのとこ。へ〜
>
>その通りですよ。
ほ〜。そりゃ、つごうのいい自由意志だことで。
いいサンプルがとれました・・・
>その議論の中で判りやすい人間を手っ取り早く取り上げて話しています。
>人間以外に自由意志があると貴方が考えるならここで発表してくださいね。
>私も興味が在りますよ。
あなたの言う自由意志が存在するかしないかの判別方法が
「自由意志がある証には、自分に意志があると主張しなければいけない」
「自由意志をないと示すには、その者の行動を予測できなければならない」
といったものだから、
上の条件を満たす他の例を挙げてみてただけでしたが、いけませんでしたか?
AIが次にどう行動するか人間は予測できませんが、自由意志はあることになるのでしょうか?
AIが自分に意志があると主張すれば、自由意志があることになるのでしょうか?
あなたの言う自由意志が一体なんなのか分からないので聞いてみました。
もし、AIに自由意志がないというのなら、その判別方法をお願いします。
そして、なんでその判別方法がとられなければならないかの理由をおしえてください。
541 :
じいさん :2005/12/28(水) 01:13:34
>>539 :考える名無しさん :2005/12/28(水) 00:09:27
>相手がどう思うかは自由意志があるかの話に関係ないのでは???
では貴方も私がどう思うか関係ないのでは???
542 :
じいさん :2005/12/28(水) 01:20:21
>>540 :考える名無しさん :2005/12/28(水) 00:29:12
今此処では人間の自由意志を議論しています。
もし貴方がAIの自由意志について議論したいならまず自分の見解を示してください。
何せわたしはAIの自由意志については興味がそれ程ないので。
AIに意志がある無いはたしか他のスレであったような・・・・?
543 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 01:41:25
>>541 >では貴方も私がどう思うか関係ないのでは???
思う分には何も言わないよ。貴方が自由意志があるといって引かないから今議論してますがなにか?
>>542 私はAIに自由意志があるとは一言も言ってませんからね。
あなたの自由意志判別法によれば、AIにも自由意志があることになってしまいます。
そこで私は、あなたの判別法が一体なんの論拠によってそうであると言えるのか、まったく分からなくなってしまいました。
あなたの考える自由意志は一体どういうものなのか分からないと言うことです。
もし私の考える自由意志というものとちがうのなら、話もまたちがったものになってくるでしょう。
だから、あなたの自由意志とは何なのか知るために
AIの例を挙げて聞いてみた次第です。よいでしょうか?
544 :
じいさん :2005/12/28(水) 14:58:55
>>543 :考える名無しさん :2005/12/28(水) 01:41:25
>貴方が自由意志があるといって引かないから今議論してますがなにか?
その通り・・・ですから貴方の議論の論点は?・・と問うている。
>あなたの自由意志判別法によれば・・・・・・
わたしは自由意志判別法などと言うものを発表した事はありませんが?
>あなたの考える自由意志は一体どういうものなのか分からないと言うことです。
私の考える人間の自由意志とは・・・・・・
>>237 :じいさん :・・・・・・・・にあるように。
>>選択の自由と言う事ではないでしょうか。
545 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 17:35:00
>>544 >その通り・・・ですから貴方の議論の論点は?・・と問うている。
だから、あなたの言う自由意志はどういう意味合いのものかと聞いている。
>わたしは自由意志判別法などと言うものを発表した事はありませんが?
>>522 >それは単純な誤りです
>コンピューターは「自分には意志がある」と主張しないからです。
これは一体なにを根拠にそう述べているのですか?
>>517 >では人間の意志は因果的決定論に従うと結論した場合に、
>将来「どの様に決定されるのかは証明されなければならない」のは納得できますか?
これは一体なにを根拠にそう述べているのですか?
あなたは当然こころの中で、このような理由で自由意志はない、あると言えると
分かって、判別して、上のように述べているわけですよね。
だとしたら、判別法と言えますよ。
546 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 18:02:23
>>544 >>>選択の自由と言う事ではないでしょうか。
分かりました。
では、自由意志とは、ある主体に選択の自由があるということでよろしいですね。
人間の体は物理的な構造物にすぎないのだから、物理法則に従って、
考えたり、行動したり、話したりしています。
それは、今自分の自由で選択したと思った、思考、行動、会話も
物理法則に従って、行われているということです。
人間の思考、行動、会話と認識される現象も物理的に見れば
電気パルスの交換、物質の移動、空気の振動という物理現象である、ということです。
そして、物理現象はひたすら物理的因果関係だけをもって永遠に運動をつづけているのです。
ここに選択の自由といったものが存在するでしょうか。
今自分の自由で選択したと思った、思考、行動、会話も
前の何かしらの原因のもとに行われた当然の結果なのです。
それは、他からの影響からまったく束縛されない自由というものは存在しないという
証明といえましょう。
547 :
じいさん :2005/12/28(水) 18:58:48
>>546 :考える名無しさん :2005/12/28(水) 18:02:23
>今自分の自由で選択したと思った、思考、行動、会話も今自分の自由で選択したと思った、思考、行動、会話も
はい、ではそうだとして今の貴方には自由意志は無いわけですね。
548 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 19:15:56
>>547 他
仏教では、五蘊の総体を私と見做す。
たとえば、そういう視点・視線(方向性)をいうのではないかい?
まあ、なんだ。 自由意志はない、と思っててもおいそれとは公言できん罠。
550 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 20:13:38
>>549 もはやすでに猫も杓子も公言しまくってるんだが・・。
551 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 20:14:15
>>547 だとしたら、なんなんでしょうか???
貴方にも自由意志はありませんが?
まともな反論してくださいね。
552 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 20:18:01
>>551 よ。
もはやじいさんに何を言っても無駄だ・・。
553 :
じいさん :2005/12/28(水) 22:10:39
>>551 :考える名無しさん :2005/12/28(水) 20:14:15
>だとしたら、なんなんでしょうか???
貴方が誰か異性に愛を打ち明けたとして、その口説き文句は以下の通りかな。
「君を好きになったのは私の自由意志ではない自然法則に従ったまでの事。」
と言う事になるのかな?
>
貴方にも自由意志はありませんが?
554 :
じいさん :2005/12/28(水) 22:13:18
>>553 :じいさん :・・・の後半の以下の部分はミスです、削除です。
>
貴方にも自由意志はありませんが?
555 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 22:49:52
どっちでもいいよ、どうせよく見てないんだからw
>「君を好きになったのは私の自由意志ではない自然法則に従ったまでの事。」 いい口説き文句じゃねーか、じいさん。 君をアイスことは宇宙が始まったときから決まっていたのさ。なんてね。
557 :
考える名無しさん :2005/12/28(水) 23:40:30
559 :
&rlo;神魔&rle; ◆rraJIngh0s :2005/12/29(木) 02:29:47
560 :
考える名無しさん :2005/12/29(木) 02:57:48
>>556 >「君を好きになったのは私の自由意志ではない自然法則に
従ったまでの事。」
いいセンスしてんじゃん。『実践理性批判』の「範型」論を読んでみ。
おんなじこと、カント先生、言ってます。
>>558 なるほど。自由を自分の思ったままと解すると自由はあるといえますね。
まあ、あくまで自分というものを建てて、その自分が自分で思っていると認識している中での話ですけど。
さて、自由意志というものはなんぞや。
永井均「翔太と猫のインサイトの夏休み」には、 ・自由とは不自由(=何かをしようと思った時それができない状態)でない ということ。 ・「何かをしようと思った時それができない」という経験に当たるものは、 しようと思うこと自体にはない。 よって意志に自由も不自由もない、とあります。 また、意志について ・意志という概念は、まず意志という事実があってそれを認識するという 構造にはなっていない。 ・人間のやることは常に意志的に解釈される。(不自由な状態でない)人間が なにかをすると、それをしようという意志が以前からあったことにされてしまう。 とあります。 つまり、まず人間に意志があるという事実があって、然る後にその事実が認識される というのではなく、まず人間に意志があるとされ、然る後に人間の行動が 意志的に解釈される。我々はそのような仕方で人間を理解しているということです。
563 :
考える名無しさん :2005/12/29(木) 08:58:33
つまり自由意志は後付けの錯覚、と。
564 :
じいさん :2005/12/29(木) 18:30:07
>>556 :考える名無しさん :2005/12/28(水) 23:29:36
>いい口説き文句じゃねーか、じいさん。
>君をアイスことは宇宙が始まったときから決まっていたのさ。なんてね。
貴方はいい口説き文句と言うが私は悪いと思う・・・・・・
私が女なら・・・・
「たとえ宇宙が滅んでも君を愛し続けるよ。」
の方がいい。
しかしその良く思うか悪く思うか・・の議論が本来の自由意志の議論なんではないかと考えるのです。
つまり・・・・・
自由意志が自然法則に完全に支配されているのは自明の事です。
しかし今のところその支配の明細は解明されていない、未来の正確精密な予測は出来ない。
その判らない所で人間は生きていく中で選択をして行かなければならない。
自然科学はその選択の根拠を明らかにする責任を果たしていないわけです。
従って人間は根拠無く選択するしかないそれを「自由意志」と名づけた訳です。
名づけた訳だから作った概念であり名づける前は存在しないのは言うまでもありません。
それは人間の意志なるものは人類が誕生する前は存在しないと言う事と同じです。
問題はその後ですその様な「自由意志」をどの様に意識として捉えるかです。
私のようにあくまでも理由づけを求めない「自力の意志」と表現するか、
貴方のように理由付けを求める「他力の意志」と表現するかです。
このような違いは面白い議論になると思いますよ。
>「たとえ宇宙が滅んでも君を愛し続けるよ。」 もう死んでるのに?プ >しかし今のところその支配の明細は解明されていない、未来の正確精密な予測は出来ない。 >その判らない所で人間は生きていく中で選択をして行かなければならない。 >自然科学はその選択の根拠を明らかにする責任を果たしていないわけです。 だから、予測できないと自由意志が存在するって思考がよく分かりません。 だったらAIの行動も予測できませんけど、自由意志があるってことになるんですか? ウィルスもどのように流行るかまったく予測できませんけど、自由意志があるんですか? 天気予報も100%当たりませんが、予測できないので天気に自由意志があることになるんですか? あなたの意見では色々と無理が起こります。 複雑なこと、予測が難しいことを、分からないからと自由意志と言ってなげだしてしまうことは 原因がどうしても分からないことを神の奇跡であるとステレオタイプに処理しようとしてる姿勢と まったく変わりません。思考停止してるのです。 >問題はその後ですその様な「自由意志」をどの様に意識として捉えるかです。 その後も何もないと思います。 あなたは、言葉の定義も無茶苦茶だし、持論の根拠がそうでないとは言えないから、しかありません。 とてもまともに相手ができないのが、あなたの意見なんです。 空論を掲げて、それをひたすら広げていって夢を騙っているだけ。 もし大リーガーになれたらと夢想して、その夢想ストーリーでのさまざまなイベントをほざいてるだけです。 いい加減きづいてください。
>>564 は、自らの現実に立脚した素直な視線だと思うが?
>>566 まあ・・・な。
それは言ってくれるな。
>>565 いわゆる裕福層に辿りつかないポルトガル系ガキ
>>564 少しでも楽して稼ぎたい意思
>>561 さて、自由意志というものはなんぞや。
意思と意志や我武者羅とは幻覚に囚われる無我夢中かと思われる
569 :
幻想 ◆rraJIngh0s :2005/12/30(金) 02:26:15
おれはポル厨じゃねえよ。 このスレのためにがんがってんだ。 それにじいさん、まだところどころおかしいよ? 水さすない!
意志とは人間が人間用に作り出した概念なのだから人間と人間に似たものにしか 適用されません。 意志とは「〜しよう」と思うことです。AIや自然は思いません。人間は思います。 昆虫に意志があるかどうかは人によって意見が分かれるところですが、それは 昆虫の生態が良く分かっていないからではありません。 昆虫に意志があるかどうかは我々が勝手に決めることです。
572 :
じいさん :2005/12/31(土) 16:29:17
>>571 :考える名無しさん :
有難うございます。
>>565 :考える名無しさん :
>>だったらAIの行動も予測できませんけど、自由意志があるってことになるんですか?
これは余りのバカバカしさに反論する気も起きなかったのです。
貴方のレスの通りです。
573 :
鬼頭 :2005/12/31(土) 19:55:29
スピノザによれば、すべてのものは唯一の実体である神から生じる。それゆえ、 すべては神の決定のなかにあり、倫理学にとって本質的なものとみなされる 人間の意志の自由は存在しない。自己原因である神だけが自由な存在であり、 それ以外のものは自由をもたないのである。私たちが日常生活において自由 だと思っているのは、自分の行為を必然的に制約している諸原因に対して無知 であることから生じるのである。 スピノザの「神」は、キリスト教で教えるような、世界をつくりこれを動かして いる神ではなく、世界のうちにあり、世界そのもの=自然であった。
>>573 今の物理学者の見解と一致するね。
宇宙は単一の波動関数によって記述される決定論的な存在であり、
我々は原理的にその波動関数を観測する立場に無い、という。
付け加えるなら、多世界解釈の立場では、この宇宙は可能性の数だけ
分岐しているのだという。つまり古典的な一本線の時間軸の概念は
誤りで、微小単位においては因果関係すら崩壊しており、全体では
あたかも樹の如く可能性宇宙は複雑に展開され、同時に存在している。
>>574 何か微妙にレスの内容がおかしいような。
>>573 は意思さえも自然=世界に包括されてるって言ってるのに
>>574 は因果律が崩壊して可能性の展開を述べてるんだが。
576 :
考える名無しさん :2006/01/01(日) 01:12:23
577 :
考える名無しさん :2006/01/01(日) 01:34:42
717:へたれバンナ◆Xxwfm9XNtI :2005/12/30(金) 18:29:46 ID:y0roJaVm とうとう全カードが揃ったな。 ここで格板一の固定の俺が 大晦日の勝敗を予測してやろう。 断言する。俺のが一番当たっている。 小川○―×吉田 五味○―×マッハ ダンヘン○―×ブスタマンチ 中村×―○近藤 瀧本×―○菊田 シウバ×―○アローナ ミルコ○―×ハント ヒョードル×―○ズール 金子賢×―○ベネット 桜庭○―×美濃輪 アレキ○―×ナツラ トンプソン○―×ジャイアント・シルバ 3試合以上外れてたら顔写真、名前、住所晒してやるよww
578 :
じいさん :2006/01/01(日) 19:05:05
>>573 :鬼頭 :
スピノザ・・・・・
此れは貴方の考えなのですか?
自分の考えと違う考えを参考意見として引用する時は、
同時に自分のその意見に対しての見解も一言併記しないといけません。
そうしないと議論が進まない。
唯の知識のひけらかしになってしまう。
579 :
考える名無しさん :2006/01/01(日) 19:43:17
>>575 >>576 違う違う。因果関係は壊れていないよ。
最初から「確率的な分岐を前提とする因果関係」に沿って、樹状に展開されている
世界が存在しているの。
樹を根元から上になぞっていく(時間を認識する)と、線(時間軸)は当然一本になるでしょ。
これが人間が認識する「時間軸」。
でもそれは、「世界全体が一本線の上に載っている」ことと同義ではないということ。
むしろ、世界は樹状に展開されていて、人間はそのうちのいずれか一つに載ることしか
できないということ。既に存在している二つの枝を同時に辿ることは出来ないし、選択権も無い。
だから因果関係は壊れない。
581 :
考える名無しさん :2006/01/01(日) 19:58:07
因果関係の存在を認める場合、全知全能の視点を仮定すると、
世界の全歴史が同時に存在しているということになる。
そこに自由意志の介入の余地は無い。
それがマクスウェルの悪魔であり、アカシックレコードということ。
ただ、物理学が到達した見解は通常の直感を少し飛び越えていて、
ミクロの局所的視点では因果関係が1−1では対応していない。
しかし、1−2〜∞では「対応」している。
この緩い因果関係の存在を認める場合であっても、全知全能の
視点を仮定すると、世界の全歴史が同時に「樹状に」存在している
ということになる。分岐は局所的に起こるので、人間の意志では
コントロールできない。従って、同じくそこに自由意志の介入の
余地は無い。
局所的な因果関係の破れは、「確定した単一の時間軸」というモデルを
砕いたけれど、それは「確定した複数の時間軸」というモデルを
作り出しただけ。自由意志を論じる上でのマクスウェルの悪魔は
未だに健在で、
>>573 の考えとは全く矛盾しない。
>因果関係が1−1では対応していない。 >しかし、1−2〜∞では「対応」している。 この説明ヨロ
584 :
考える名無しさん :2006/01/01(日) 23:08:06
>>583 物理的には、シュレディンガー方程式によってある事象Aがあったとき
その後に何が起こるかは確率的に予測可能。
(もちろんある事象Aについての全てを知り得ない場合は予測精度は下がる)
つまり、古典的運命論のように事象Aの後に必ず事象Bが起きると
断言することは出来ないが、(説明のため2つにしか分かれないケースで)
事象Bが50%、事象B'が50%、などというように予測することが出来る。
量子論が実験によって確認したのは、「誰も見ていない道」を辿った電子は、
複数の道を通ったとしか思えない挙動を示すということ。
これは(電子などのミクロなサイズでは)事象Aが確率的に分岐し、
結果が確定しないまま個別に時間発展し、事象Bに収束したと考えられる。
ということは、一時的に電子は「因果関係の無い別々の経路」を通過し、
また「因果関係のある経路」へと戻ってきたことになる。
従って、ここでは1対1の因果関係は保証されず、局所的には因果関係が
破れていることになる。これを簡単に解釈する方法は、時間軸は1本ではなく、
時間軸が複数に(というか無限に)分岐しているというもの。
つまり、「時間軸は(観測上あたかも確率のように見えるように)分岐している」
というように考えることができる。
この、思いもよらなかった方向に宇宙の広がりがあるという考え方が、
多世界解釈というもの。それは樹状の宇宙を想像させる。
多世界解釈では、確率という概念が世界(時間軸)の分岐へと読み替えられる。
従って、確率を根拠とする自由意思は否定され、
>>573 で語られる
スピノザ的世界観のように「全ては宇宙(=自然)なのだ」という結論を導けることになる。
尤も、人間は原理的にマクスウェルの悪魔のように全知全能の立場には
なり得ないから、明日を楽しみに思うことまでは否定されないが。
586 :
じいさん :2006/01/02(月) 00:27:36
みなさんいろいろ言っているが・・・・・・ >(もちろんある事象Aについての全てを知り得ない場合は予測精度は下がる) これはあってはならないことなんではないの? 決定論と言うのはビッグバンから全てが決定していると言う事でしょ? ならば「全てを知りえない」など言う前提は許されないんじゃあないの? 前にも「前提となる情報が全て与えられれば未来は予測できる」とかいってる人が居たが、 そんなことは判る。 問題はそんな情報が全て判るという可能性はあるのか知らん。 もし不可能なら将にそれが決定論の破綻だろう。 >
587 :
じいさん :2006/01/02(月) 00:33:26
追記 判りやすく言うとビッグバン時点での全てが解明されれば、現在のA男君がB子さんに恋をして振られる全ては細部まで予測できる。 もし僅かでも不確定な要素があればその後も宇宙にについて時間の経過と伴に不確定さが全体及んでゆくだろう。
588 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/02(月) 00:41:01
>>586 番外ですみません・・・(1さんは私ではないという意味で)が、
>問題はそんな情報が全て判るという可能性はあるのか知らん。
そんなことは「何の問題でもない」のです。
「この宇宙」には「たった一兆個の細胞しか持たないちっぽけな、
『人類』という生物の脳」などには「捉えきれない」(クオリア化できない)
存在が、満ちております。
現時点における「理論物理学の最大の謎」は、「この宇宙の『理論値質量』が
「観測値質量」を10倍ほど上回っている」ことです。
いわゆる「ダークマター」が観測されていない・・ことですが、そもそも
「ブラックホール」が実際には観測されていない現在の「観測技術」では、
ブラックホールが全部の「銀河」の中心にあるだけではない・・ということも
勿論「観測できない」現状にある・・・というだけで、あくまで「観測問題」
であることにすぎない・・ということ・・・観測機器が未制作であること・・
にすぎない・・(だから「クオリア化」できていない)ということです。
>>588 とりあえず哲学の前に作文練習しないか?
590 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 01:24:50
>>589 おまえも その曇った眼鏡、買いかえれw
>>591 加藤を、腐ったミカンなどと・・・・・・
我々は機械やミカンを作ってるんじゃないんです!人間を作っているんです!
そして、人間の性根が腐りきってしまうことなんか、絶対に有り得ないんです!
それを防ぐのが我々教師じゃないんですか!?
そして、もしも、もしも・・・・・・
それが出来ないのであれば、我々は教師を辞めるべきなんです!!!
593 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 02:13:29
… ^^;
594 :
じいさん :2006/01/02(月) 02:44:45
>>588 :「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/02(月) 00:41:01
>勿論「観測できない」現状にある・・・というだけで
はいそうかも知れないと私も思います。
しかしそうだとしたらなおさらのこと因果を記述できない現状があるわけです。
その因果が不明な部分を、自由意志と定義する事に何の不都合があるでしょうか。
逆に現実に予測できない事に対して、本来(将来)は予測されうると言う事で確定していると、言い張る事に何の意味があるでしょうか?
科学的証明と言うのは証明されて始めて科学になります。
証明されていない事に対しては「解らない」と言う事ではないでしょうか?
「解らない」と言う根拠で自由意志はないと反論できるのでしょうか?
>>594 論理的帰結が自由意志などないと示しているわけですよ。
「解らない」から、自由意志を定義できる、自由意志は存在する
と勝手にしてしまう方がよっぽど危険だと思います。
596 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 12:03:08
自由意志は無知ゆえの錯覚である。
>>564 じいさん
>自由意志が自然法則に完全に支配されているのは自明の事です。
>しかし今のところその支配の明細は解明されていない、
>従って人間は根拠無く選択するしかないそれを「自由意志」と名づけた訳です。
それは自由意志の語源についての話ですか?
つまり昔の人が「人間のやることは(自然法則に支配されているのは前提として)
複雑で予測できないなあ。よし、その予測できない部分を自由意志と名づけよう。」
といって自由意志という言葉を創ったと?
だとすればそれは少しも自由ではないではないですか。それになぜ昔の人は
複雑で予測できない自然現象を「自由現象」とか名づけなかったのですか?
>>594 じいさん
>逆に現実に予測できない事に対して、本来(将来)は予測されうると言う事で
>確定していると、言い張る事に何の意味があるでしょうか?
「世界は神(という超越者)によって創られたんだ」とか、
「私が見ていない間は私の部屋は存在していない」などの観念論は
主張することに意味はないかもしれませんが、例えばあなたは
ニュートンが万有引力を発見する前は引力などなかったと思いますか?
引力が発見される前でも引力はあったと思うなら、今は発見されていないが世界を
完全に予測さしめるような法則があるかも知れないと考えることは可能なはずです。
そしてもしそんなものが発見された場合、自由意志は幻想となるのではないか
というのが問題だと思うのですが。
598 :
じいさん :2006/01/02(月) 17:14:42
>>595 :考える名無しさん :
>自由意志は存在すると勝手にしてしまう方がよっぽど危険だと思います。
もちろん危険な事です。
我々が生きてゆく事は、未知の将来に向かって選択をしてゆく事です。
自由意志として選択する事は大変危険な事です。
しかし自然科学は将来を記述する事は現状では出来ない。
だから自由意志として非科学的に選択しなければ生きていけない。
人が生き続けると言うことは危険が避けられない事なのです。
>>596 :考える名無しさん :
>自由意志は無知ゆえの錯覚である。
その通りです。
自由意志とは「独りよがり=独善」と言ってもいい。
しかし今日生きるのに其れしかないでしょう?
599 :
じいさん :2006/01/02(月) 17:38:09
>>597 :考える名無しさん :
>だとすればそれは少しも自由ではないではないですか。
仰るとおりです、少しも自由ではない。
もともと人は誰一人自分の意志で生まれてきた訳ではないし・・・。
>それになぜ昔の人は複雑で予測できない自然現象を「自由現象」とか名づけなかったのですか?
名づける事はあります「自由電子」などです。
しかし意志としての自由と言う意味はあくまでも自然現象に対峙した心の表現です。
>「私が見ていない間は私の部屋は存在していない」などの観念論は 主張することに意味はないかもしれませんが・・・
そうかも知れませんが、其れを言うならもし貴方が存在していなかったら、宇宙の存在など何の意味も無いでしょう。
>ニュートンが万有引力を発見する前は引力などなかったと思いますか?
はいそう思います、引力の発見によって人が「力」の概念を学んだのです。
万物の間の相互作用を人間が捕らえたものが貴方の言う万有引力と言うことでしょう。
それは今現在人間が観測できる相互作用の範囲内でしかありません。
>今は発見されていないが世界を完全に予測さしめるような法則があるかも知れないと考えることは可能なはずです。
その通りなんですよ。
だからこそ今の引力と未来の引力は違ってくるんでしょう。
従ってその事が、過去に今と同じ引力はなかったとの根拠になるんです。
>自由意志は幻想となるのではないかというのが問題だと思うのですが。
はい幻想なんです。今生きていることも幻想でしょう。国家、社会も幻想でしょ。
当たり前の話なんです、無常なんだから。
平家物語、徒然草の時代から有名な話です。
600 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 18:28:53
600ゲットン
>もちろん危険な事です。 >我々が生きてゆく事は、未知の将来に向かって選択をしてゆく事です。 >自由意志として選択する事は大変危険な事です。 >しかし自然科学は将来を記述する事は現状では出来ない。 >だから自由意志として非科学的に選択しなければ生きていけない。 >人が生き続けると言うことは危険が避けられない事なのです。 問題がすりかわっているように思います。 私たちは自由意志を定義しなくても生きていけます。 自由意志が存在しないと言われても 私というものはある、そして自らの自由に行動できると錯覚しつづけるでしょう。 それは、他人に自由意志がないと言われたところで変わるものではありません。 例えば、だまし絵というものがありますが、 それは人間の目の錯覚でそう見えるんだよと言われたところで いきなり正しく見え始めるものではないでしょう。 そして、人間の目というのは実は間違っているのか、では人間の目はなぜ錯覚をおこすのだろうかというところに 関心が向きます。決して、人間の目が錯覚を起こしてるけど、それを間違ったまま受け入れようとはなりません。 人間が錯覚せずにおれないということを 錯覚してもいいんだと正当化してしまってはいけないと思います。
>はい幻想なんです。今生きていることも幻想でしょう。国家、社会も幻想でしょ。 >当たり前の話なんです、無常なんだから。 >平家物語、徒然草の時代から有名な話です。 論理が飛躍していますwww。 仏教の常駐不変のものはないということを 自由意志は錯覚、幻想ということと同じにしてはいけません。 国家、社会と言うもの存在します。 しかし、それは人間が私というものはあるという錯覚、幻想の上に 築いたものであるということです。 確かに諸法無我の言葉はありますけど、それと諸行無常はちがいます。
>>601 子供逹に、
「職業選択の自由なんてないんだよ。
自由意志で(=自分の夢や希望の行先として)仕事を選んだなどと思いあがってはいけないよ。
君の(自由)意志なんて、そこにありはしないのだから・・w」
と、指導すればいいのかい?w
>>602 別に飛躍でもないだろ
じいさんの一連のレス(特に>564>598-599等)は、
(たいして学のない人間が)日常を過ごすときの在り様であり、
もしも、深く洞察したならば、無常であり無我であると・・・
それに、無常であるから無我なんだけど・・
604 :
じいさん :2006/01/02(月) 19:08:29
>>601 :考える名無しさん :
>自由意志が存在しないと言われても
>私というものはある、そして自らの自由に行動できると錯覚しつづけるでしょう.
>それは、他人に自由意志がないと言われたところで変わるものではありません。
おっしゃる通りです、私はそのことを言いたいわけです。
>人間が錯覚せずにおれないということを
>錯覚してもいいんだと正当化してしまってはいけないと思います。
視覚で物を捕らえると言う事は絶対的に錯覚以外の何物でもありません。
例えば立体のものは立体そのものとして視覚する事は出来ません。
立体感と言う錯覚でしかないのです。
視覚に関する脳の機能が錯覚するように出来ているからです。
605 :
じいさん :2006/01/02(月) 19:17:22
>>602 :考える名無しさん :
>国家、社会と言うもの存在します。
科学的に実在しません。
あくまでも観念です。
自由意志の実在も観念である事と同じです。
>>604 >視覚で物を捕らえると言う事は絶対的に錯覚以外の何物でもありません。
>例えば立体のものは立体そのものとして視覚する事は出来ません。
>立体感と言う錯覚でしかないのです。
そうですか。
あなたの話だと、その話も実は錯覚なんだとか
言ってそうですが・・。
もう、自由意志のことはいいですか。
あれは錯覚であるということでよいですね。
>>605 べつに国家が科学的に存在するとは言ってませんよ。
人間が私というものが存在するとした上で存在すると言ったまでです。
人間は、私というものが存在すると錯覚せずにおれないのに
国家、社会が幻想、錯覚だから、
社会の法、道徳に従わなくてもいいんだというおかしな話になる可能性が
あるかもしれないので言ったのです。
608 :
じいさん :2006/01/02(月) 19:26:32
>>606 :考える名無しさん :
>あれは錯覚であるということでよいですね。
はいそうです、幻想、錯覚の類です。
「其れが脳のシステムである」というのが現在の科学的見解ではないでしょうか。
609 :
じいさん :2006/01/02(月) 19:31:14
>>607 :考える名無しさん :
>社会の法、道徳に従わなくてもいいんだというおかしな話になる可能性があるかもしれないので言ったのです。
はい確かに可能性が在り、時々そういう例がありますよね。
しかし本来人間は道徳、法を守りたがる習性があります。
「人間は社会的動物である」なんてゆうことわざもある。
それらも人間脳のシステムです。
>
610 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 19:32:51
錯覚とはどういうことなんだろうね。 錯覚というのはあくまでも正しい姿があって初めて成り立つものでないの? つまり、「国家が存在する」と「誤解している」、といえるということは、 「国家が(真に)存在する」状態というものが、概念上のものでしかなくても、 定義できて、現在の状態がその定義に合致しない、という意味でないの? 「国家が(真に)存在する」状態というものが定義しえなくて、 錯覚と指摘されているような形でしか認識されえないのであれば、 それは錯覚ではなくて、単に「そのような認識の対象」が「国家」である、 ということに過ぎないはず。
611 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 19:48:06
イデアの存在を仮定することは可能(というかそれが人間の脳の能力)だが、 人間がイデアに到達することは不可能なんだよ。 だからこの世界のリアルは総て錯覚でしかない。
612 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 19:53:38
613 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 19:54:03
違うだろう。 この世のリアルをイデアだと思ったら錯覚だが、 この世のリアルがイデアでありえないなら、 単に、この世のリアルとは「そういういうもの」というだけのことだ。
614 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 19:57:28
>>613 そうだよ。
生を特別視することをやめたとき生と死が等価になるように、
現実を特別視することをやめればイデアと錯覚は等価になる。
この世界には元来意味など無いのだから、解体されたものが
無意味化するのは当然のことだ。
615 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 20:11:24
人間の人格と言うものは極論すれば無矛盾な公理系として存在している。 それは堅固な信仰ではあるが、ゲーデルの不完全性定理に示されるように 他者によって人格そのものの矛盾を指摘され、完全否定される可能性を持っている。 だから己の人格すら、うさんくさい宗教的信仰と同じくらいに信用できんのだ。 ジェンガの積み木を引き抜くように、慎重に自己を解体していった先には、 人格すら無意味化した現実がある。この世界がそうであるように。 一言で言うと、マゾい。
616 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 20:20:46
>>614 >生を特別視することをやめたとき生と死が等価になるように、
>現実を特別視することをやめればイデアと錯覚は等価になる。
まあ、価値は個々人の価値観によるから、イデアと錯覚を等価と思う人がいてもそれは個人の勝手だが。
「等価」=「同義」ではないので、そのことは今の議論とは無関係でないの。
>この世界には元来意味など無いのだから、解体されたものが
>無意味化するのは当然のことだ。
意味不明だ。国家や錯覚と何の関係がある?
617 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 20:57:58
>>616 >意味不明だ。国家や錯覚と何の関係がある?
人間は元来無意味である現象に「国家」というイデアを重ね、意味づけを行う。
そこで「国家とは何か?」と問う時、多くの者はそう呼ばれているものに
共通する特徴を列挙するわけだが、このアプローチは往々にして微小だが
無視できない例外の提示によって粉砕される。このことは
>>610 にある。
では言語を放棄し、概念上の国家は実在するのかというと、それもまた怪しい。
なぜなら「国家」などの概念は、その概念を利用する者の知り得る範囲に
おいてのみ通用する「無矛盾な公理系」でしかなく、未知の情報には
必ずしも対応できないものだからだ。概念とは、暫定的にしか役に立たない
信仰であり、絶対的根拠を欠いた錯覚なのだ。誰かが何かを国家に譬える時、
あるいは国家と呼ぶ時、その正誤を判断する根拠は無い。それは流動的だ。
だからその実在はやはりあいまいであり、信仰や錯覚でしかないのだ。
618 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 21:17:27
>>617 >人間は元来無意味である現象に「国家」というイデアを重ね、意味づけを行う。
「無意味な現象」と「意味のある現象」の違いは何?
そもそも、「意味のある現象」というものはあなたの考えでは存在するの?
619 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/02(月) 21:48:22
自由意志とは拘束からの残余としてある。 一つは身体の科学技術という因果律による機械的拘束であり、 もう一つは、心の言語による意味論的な拘束である。 身体は物理法則に従い、心は言語法則に従う。 果たして、自由意志は残るのか?
620 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 22:55:11
>>618 あるよ。
意味は作れば存在する。作らなければ存在しない。
意味は砂上の楼閣でしかないが、当面の役には立つ。
621 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 22:59:17
>>620 >意味は作れば存在する。作らなければ存在しない。
「意味を作る」のと、(あなたのいうところの)「イデアを重ね、意味づけを行う」
ことには違いはあるの?
あるとしたらどんな違い?
>>621 あんまり違いは無いね。
強いて言えば、表現上自明なことだけど、「意味を作る」は
「イデアを重ね、意味づけを行う」を含む。
前者は非言語的無意識的な過程も含むけれど、後者は
大抵言語的意識的な過程に限定されるから。
ちなみに言語そのものの意味を作る過程は前者だね。
623 :
考える名無しさん :2006/01/02(月) 23:14:26
>>622 なるほど。
そうすると、結局、
>>617 の前半の記述を総合すると、
>>610 で指摘されたところの、「錯覚」の存在の前提として必要な、
「国家が(真に)存在する」状態というものは、やはり、無い、
ということになるんでないの?
>>617 つまり、「視覚はすべて錯覚」というときの錯覚とは、物そのものがイデアで
見えている像が錯覚(物そのものでない)と。
「国家は錯覚」というときの錯覚とは、国家という概念は流動的であいまいなので
国家という確固たるものがあると思うのは錯覚と、
こういうわけですね?
だから、流動的であいまいな存在として国家の存在を捕らえているのなら、 それは錯覚ではないわけだ。 視覚は、イデアを見ているのでないと理解している限り、錯覚ではない、 それは、洞窟の中にうつる影を、 「それ自体は今見えない何かの影である」と見る限りにおいては、 錯覚でないのと同じように。
だから、個人が日常生活のために利用する公理系と、物理学が科学のために 利用する公理系には、本来優劣は無いのです。それはどちらも正しいのです。 従って、常識も信仰も、科学に駆逐される謂われは無い。 物理学の公理系に立って見れば、全ての宗教は間違っていることになりますし、 このスレッドの命題である自由意志も否定される。 けれどもそれは、ある公理系から出発した場合の結論であって、他の公理系を 否定する根拠とまでは成り得ないのです。宗教国家が上手くいっていたとして、 そこに科学を持ち込んであれがペテンだこれがインチキだとやるのは、余計な 御節介でしかない。公理系の、信仰の押し売りなわけです。 もし科学的視点が常識や宗教に勝っている点があるとするなら、それは総合的な 有用性だけです。科学は、その正誤ではなく有用性を売り込むべきなのですね。 例えば数学においては、出発点たる公理系は並列に存在します。導かれた結論は 独立のもので、「どちらも正しい」のです。従って、正誤の議論は発生しません。 ただ、有用性に基づいて結論が一つ選択され、自然に公理系が一つに定まるだけです。 量子力学における様々な「解釈」もまた、この構造を持っています。 私は、人間の思考も本来そうあるべきではないかと考えます。非言語的思考と いうのは本来そういうものだと思うからです。言語的思考の逐次的性質が 単一の公理系を要求しているというだけで、複数の公理系を扱うことで得られる 有用性は単一の公理系の操作に勝るのではないのでしょうか。 従って、このスレで議論されている自由意志の有無もまた流動的であるべきで、 日常的な立場で語るか物理学の立場で語るか、有用性に基づく場面毎の選択こそが 自由意思の有無を決定するのではないかと考えるのです。 真理は後からついてくるのです。
>>627 というか、公理系が違うというのは、目的や対象領域が違うというだけのことでは。
同じ問題に別の答えがあるわけではなくて、公理が違うのだから、そもそも、
問題の文面が同じでも、別の問題となるわけで、それらが排他的な関係にあるとは思えない。
また、そもそも物理学では、自由意志が存在しない、のではなく、
自由意志を問題対象としていないのではないかと思います。
つまり、別の問題を同じ問題だととらえたり、対象領域外の問題を持ち込んで、
憶測で答えを出したりするから流動性があるようにみえるのであって、
公理系の完全性(論理的無矛盾など)や不可知性の問題などを除外すれば、
明確に定義された問題の答えには(答えのある問題なら)流動性はないのでは。
>>628 >明確に定義された問題の答えには(答えのある問題なら)流動性はないのでは。
問題が正しく立てられれば、それはすでになかば解かれたのである ―― ヒルベルト
明確な問題を定義することは、答えを発見していく過程でもあります。
もし答えが1つであることの見通しがつくほど明確に問題を定義すれば、
答えに流動性が無くなるのは当然のことです。
例えばオセロは完全ゼロサムゲームです。ルールに従う限り、先手と後手のいずれかが
必ず勝つと決まっている。しかし、先手と後手どちらが勝つのかはまだ分かっていない。
つまり、答えに流動性が無く、未だ答えが知られていない、というケースは有り得るでしょう。
しかし、こういった数学的なケースが一般的な問題にまで応用できるようには
思えません。むしろ、多くの難解な問題は、立場を変えて考えることに
よって解決されてきたように思います。例えばパラドクスを考える時、与えられた問題の
中に潜む矛盾に気付かなければ、決して目の前の矛盾は解消されないのです。
630 :
考える名無しさん :2006/01/03(火) 12:20:42
パラドクス「予期せぬ虎」 王様は学者を試すために、7つの扉を見せて言った。 「この扉の中の何れか一つの中には、予期せぬ虎が入っている」 学者はこの言葉からこう考える。 「もし6つ目まで扉を開けても虎が居なかったなら、7つ目の扉にいるのは『予期した虎』だ」 「ならば、7つ目の扉に虎が入っている可能性は無いということになる」 「とすれば、もし5つ目まで扉を開けても虎が居なかったなら、6つ目の扉にいるのは『予期した虎』だ」 「よって、6つ目の扉に虎が入っている可能性もまた無いということになる」 「この推論を繰り返すと、7〜1までの扉の中には虎は居ないと結論できる! つまり王様は私をからかっているのだ!」 そして、哀れな学者は3番目の扉を開けてしまい、虎の餌となるわけだ。 パラドクスのタネは単純だ。学者がn番目の扉に虎は「居ない」と結論した瞬間に、 そこに「居る」虎は学者にとって必ず「予期せぬ虎」になってしまう。 結論自体が、前提条件を変化させるトリガーになってしまっている。 よって、推論は根本的に間違っており、学者は「予期せぬ虎」の「居られる」扉を 量産したに過ぎない。 もし正確に推論するなら、学者は扉を開ける度に「この扉には虎が入っている」と 結論すべきだったということになる。これなら、虎がどの扉に入っていても 「予期した虎」になるからだ。このやりかたなら王様も学者を認めるだろう。 こんなふうに、ほとんどのパラドクスは問題の中に巧妙に隠された矛盾によって 成り立っている。だから、単に矛盾を指差せば問題そのものが無意味化するのです。
>>629 まあ、異論はありませんが。
結局、なんの話でしたっけ?
>>631 物理的な視点では「自由意志は存在しない」と言うと、なぜだか
反射的に「否!自由意志は存在する!なぜなら〜」と言い出す人が
出てくるようでしたので、ちょっと牽制してみた感じです。
>>632 つまり、「物理的な視点での自由意志の存在の真偽」という問題自体に矛盾がある、
ということですね。
>>633 >つまり、「物理的な視点での自由意志の存在の真偽」という問題自体に矛盾がある、
まさに「真偽」という点が矛盾している点です。
思うに、言うほうも受け取るほうもちょっと行き過ぎているのです。
真偽や正誤がさも「絶対的結論」であるかのように扱っている。その点が間違いだと思うのです。
「なるほどその考え方は科学にとって有用だね」
「でも日常生活には要らないや」
というスタンスを持てば矛盾は解消されるのに、片方の視点を絶対視したまま
議論を続けるから、話がどんどんややこしくなっていくのだと思います。
繰り返しますが、視点が違うだけでどちらも無矛盾(正しい)なのです。
物理学がいくら有用であっても、他の公理系の完全否定の根拠とはならないのですから、
真偽や正誤の議論そのものが不毛なのです。
>>632 何があったから、自由意志の無になったのですか。
>>632 >>633 横レスだけど。
「物理的な視点での自由意志の存在の真偽」という問題自体の矛盾に気付いてないのは
どっちかといえば自由意志否定派では?
気づいてないというか、むしろ自由意志否定の根拠にしてるように思える。
>>636 そうですね。
物理学の知見に基づき、行動学や生理学が脳を解体していっているのを見て、
物理学を絶対視する自由意志否定派は多いと思います。
前述のように有用性に基づいて結論を選択する場合、総合的に見て科学は極めて
有用なものですから、日常生活にまで応用可能だと信じてしまうのだと思います。
尤も、私としては「責任能力が無かった(自由意思が無かった)」などという
ふざけた理由を主張して無罪になる人間が居るというのは納得できませんから、
法律上の自由意思は物理的な視点からさっさと否定し、結果重視で法体系を
作り直すべきだと思っています。
自由意志が有ると仮定すると日常生活には有用なのですが、上記の司法の
問題など、有害な側面も明らかになってきています。人間はそう簡単には
変われないかもしれませんが、今後、自由意志の有用性は徐々に失われていくと思います。
>>634 私は、「物理で、自由意志を扱う」段階で矛盾していると思うのですが。
物理学は自由意志の存在の有無を問題にしていないのではないでしょうか?
>>638 >問題にしていないのではないでしょうか
物理学は「観測結果の合理的説明」として発展してきましたから、
観測に引っかからないものはまず「無い」と仮定されます。
従って、自由意志もまず「無い」と仮定されていると考えられます。
そして現在、物理学の方程式に、自由意志の項はありません。
それを「正しい(無矛盾)」と主張しているのですから、物理学は
その前提において自由意思を否定している学問だと考えて
差し支えないと思います。
あまり無いことですが、物理学者が自由意志を語る場合、
大抵まだ「観測結果が合理的に説明できていない」部分に
絞って語ることからも、物理学が自由意志を否定している
ことが窺えると思います。
640 :
考える名無しさん :2006/01/03(火) 13:45:27
>>639 あなたは、「対象としていない」を「存在していないと主張している」に
摩り替えていっているだけのように思いますが。
物理学の方程式に、自由意志の項が無いのは、
物理学が自由意志を対象にしていないからではないでしょうか?
これは、物理学が自由意志の存在を否定している根拠にはならないように思います。
物理学の研究で観測されていないのであれば、存在せず、
物理学の方程式に、項がなければ存在しないと
物理学が主張しているというのであれば、
こんにゃくもちくわもだいこんもはんぺんも物理学は存在しないと主張していることになってしまいます。
>>640 それは違います。
こんにゃく、ちくわ、だいこん、はんぺん、などは方程式に乗せるものではなく
方程式が説明する対象です。自由意思とは同列には語れません。
自由意志の場合、「自由意志が有る」という主張は物理的視点では
「自由意思(という力)が因果関係を決定している」という主張に
読み替えられます。そしてこれを検証しようとする場合、主張は
「同一の事象Aから、複数の事象が起こり得るか?」
「起こり得るとして、その分岐は操作可能か?」
という問いに分解されます。
今のところ物理学の出した結論は、「前者NO、従って後者もNO」あるいは
「前者はYES、しかし後者はNO」というものです。
自由意思が肯定されるには「前者後者共にYES」である必要があります。
しかし、物理学はその結論を導きません。
642 :
考える名無しさん :2006/01/03(火) 15:06:22
>>641 >こんにゃく、ちくわ、だいこん、はんぺん、などは方程式に乗せるものではなく
>方程式が説明する対象です。自由意思とは同列には語れません。
もちろん、それは承知してますよ。
ここで問題にしているのは、問題の内容ではなく、
「観測されていない」「方程式にあらわれていない」ということ
「だけ」をもって「物理学が存在しないと主張している」といいえるか、という問題です。
「観測されていない」「方程式にあらわれていない」ということ
「だけ」を見るのなら、自由意志とそれらは、同じ点で、「それ以外の点で」違うというだけです。
それらが違うということが、
あなたの「物理学は自由意志の存在を否定している」という主張
では問題になるのであれば、
「観測されていない」「方程式にあらわれていない」ということ
「だけ」ではなく、「それ以外の」理由がなければならないということです。
>自由意志の場合、「自由意志が有る」という主張は物理的視点では
>「自由意思(という力)が因果関係を決定している」という主張に
>読み替えられます。
そうでしょうか。
この段階で、ずいぶん論理の飛躍があるように思います。
物理学に、自由意志をそのように読み替えてまで扱わなければならない、
どういった理由があるのでしょう?
643 :
縁 :2006/01/03(火) 15:13:29
かたち亡き者において有するものの中で人は仁を知る ってことですね
644 :
じいさん :2006/01/03(火) 18:44:30
>>641 :考える名無しさん :
>「自由意思(という力)が因果関係を決定している」という主張に読み替えられます。
成る程、そうですね。
当にその通りだと考えます。・・・・・・・・しかし・・・・・・・
>「同一の事象Aから、複数の事象が起こり得るか?」
>「起こり得るとして、その分岐は操作可能か?」
・・・・・・・・・・
>自由意思が肯定されるには「前者後者共にYES」である必要があります。
こうは思いません。
もし同じ事象で同じ脳なら何回繰り返しても脳は同じ意志を示はずです。
勿論脳内で量子的に不確定な偶然性が作用して異なる意志になることもたまにはある、
と言う意見はあるかもしれません。
私はその辺は無知なので解りませんが此処では単純化して一応物理的因果律が全てを決めると仮定します。
そうすれば全く同じ情報の入力なら同じ脳の反応なはずです。
そうではなくて、自由意志の問題は其処ではないと私は思います。
問題は前提となる「同じ事象」と言う事を再現する事ができないと言う事にある。
もしくはある事象と言う仮定の、そのある事象を完全に記述できないと言う所にあります。
前の多くのレスにあるように、データが揃っていれば結論は出る・・なんですが、
そのデータなるものが不明であると言う事が自由意志の必要性の第一点なんです。
現実の例をあげると・・・・・・・・
A男君はB子さんを好きになった理由(原因)についてお母さんに似ているからだとか、
胸が大きいからだとかああだこうだ皆が想像するとする。
それは入力データの類推であり、自由意志の部分に踏み込んで「自由」部分を限定的にする行為でもあるわけです。
自由意志で結論を出したその原因となった情報(前提事象)がなんなのか、この不明部分こそ自由意志の背景なんです。
もうすでに自由意志とは関係ないな
646 :
考える名無しさん :2006/01/03(火) 19:05:02
>>642 レスを要約すると、「それは違う」、ですか。
反論になっていないように思います。
>>644 >自由意志で結論を出したその原因となった情報(前提事象)がなんなのか、
>この不明部分こそ自由意志の背景なんです。
原因が一意に定まらないことは「人間が自由意志を錯覚する理由」としては
一番ありそうに思えますが、それはいわゆる自由意思とは関係ないですね。
それとも、行為の原因が分からないほど酩酊している者ほど、より多くの
自由意思を持っていると言うのでしょうか。それは矛盾していませんか?
647 :
考える名無しさん :2006/01/03(火) 19:13:11
>>646 >レスを要約すると、「それは違う」、ですか。
まあ、どのような反対意見でも要約してしまえばそうなりますね。
ですから、要約すればそうなる、とういうこと「だけ」で、
>反論になっていないように思います。
と結論づけるのはいささか乱暴だと思いますね。
648 :
考える名無しさん :2006/01/04(水) 00:34:54
>>644 横レス。あなたが挙げた例はスピノザが自由意志を否定した時に挙げた例と
同じだね。それで自由意志があるって主張をするのは厳しいのでは?
649 :
じいさん :2006/01/04(水) 01:25:03
>>646 :考える名無しさん :2006/01/03(火) 19:05:02
>それはいわゆる自由意思とは関係ないですね。
私はそれが自由意志の本質だと考えます。
入力情報と個性としてのその脳の構造が全て解った時に自由意志は消滅するからです。
ちなみに・・・・・・・
>原因が一意に定まらないことは・・・・・・
ではなくて「原因が完全に定まらない(解明できない)ことは・・・・」です。
>>648 :考える名無しさん :
スピノザと言う人はなんて言ったんですか?
650 :
じいさん :2006/01/04(水) 01:42:16
要するに哲学ではだれも俺には敵わないということ。お前らは日常の些細な 悩み事に専念しておれ。高等は現象は俺が全部決定するから、要するに尊敬 と崇拝だけしてくれればいいのよ。
651 :
考える名無しさん :2006/01/04(水) 11:11:22
>>641 >「同一の事象Aから、複数の事象が起こり得るか?」
>「起こり得るとして、その分岐は操作可能か?」
>自由意思が肯定されるには「前者後者共にYES」である必要があります。
>しかし、物理学はその結論を導きません。
しかし後者がYESだということは一体何を意味しているんだろう?
それを物理学的な観点から説明することはできないように思える。
「事象Aからなぜ事象Bが起こったか」を物理的に説明できない時(=前者がYES)、
「それは自由意志によってだ」と説明付けることを物理学がどう否定できるのですか?
>>652 物理学は「事象Aからなぜ事象Bが起こったか」を物理的に説明できない時(=前者がYES)、
「それは確率によってだ」と説明付ける。
なぜなら、自由意志はあくまで無力だからだ。
フィフティフィフティ
方程式によって50%-50%の予測が成された時、「自由意志によって」結果が歪むことは
どれだけ観測しても起こらないのだ。観測結果に統計上有意な差異が無いんだよ。
エキゾチックな力はどこにも見出せない。従って、自由意志はあくまで無力なのだ。
従って、物理学が説明しなければならないのは「エキゾチックな力」では無く、
「無力な結果」だけだ。
それを説明するのに、「自由意志」なんていうパワフルな言葉は必要ないんだよ。
それは既に数学で知られている概念そのものだからだ。
それはまさに「確率」であるように見えるのだ。
だから「確率」と呼ぶ。
そう呼ぶまでに紆余曲折もあったが、それが物理学の出した結論なんだよ。
で、わざわざ「確率」を「自由意志」と呼び変えようというのは、控えめに言ってもまあ、詭弁だね。
否定する必要すら無いよ。
リンゴをパイナップルと呼ぶのは呼ぶ人の自由だものね。だが、物理ではそうは呼ばない。
>>653 >方程式によって50%-50%の予測が成された時、「自由意志によって」結果が歪むことは
>どれだけ観測しても起こらないのだ。
自由意志によって結果が歪むとは、確率を任意に70%-30%などに変えられる
ということですか?
ある状態にある私は、50%-50%の確率で
AかBかを選ぶということが分かったとします。
そのとき私が確率を変えようと意志すれば、
もう私は「ある状態にある」と言えなくなるのでは?
自由意志によって結果が歪むことを観測するとはどのような出来事を観測することですか?
「50%-50%の確率でAかBかを選ぶ」ことが分かったなら、それを変えようとどんなに
意志しても(空を飛ぼうと思っても飛べないのと同じくらい)無理ですが、そもそも
自由意志を否定するということは、「自分の意志を変えようとどんなに意志してもできない」
ことを証明することなのか・・・?
だとすれば確率が変えられないことでそれは証明されたのか?
>>653 :考える名無しさん :2006/01/04(水) 18:57:55
殆んど全文が誤りである珍しい例だ
>物理学は・・・・「それは確率によってだ」と説明付ける。
確か確率と言うのはそういう定義じゃあないはず。所謂確率的に因果関係が説明できる事を言うのでは?
>なぜなら、自由意志はあくまで無力だからだ。
何を血迷ってこんな表現 となったのか?力からの解放が自由なんだから無力なのは当たり前。
>方程式によって50%-50%の予測が成された時、
そんな予測の方程式なんて考えられるの?
>「自由意志によって」結果が歪むことは どれだけ観測しても起こらないのだ。
予測されたんだから如何に「自由意志」といえども結果を歪める事は出来ないんじゃあ?
逆に歪められる余地があると言う事は予測がなされていないと言う事。
50−50と言うのは数多くの内には50−50に収束すると言う事であって、全く自由意志の入り込む余地は無いと言うことである。
つまり最初から確定しているから自由意志はないと言う当たり前の事を言っているだけ。
>わざわざ「確率」を「自由意志」と呼び変えようというのは・・・・
誰がそんなことを言っているのかな?
確率には全く自由意志がないのは小学生でもわかる。
この人は確率と言う言葉の使い方が滅茶苦茶。
>リンゴをパイナップルと呼ぶのは呼ぶ人の自由だものね。だが、物理ではそうは呼ばない。
そんなことは物理以外でも言わない、自由意志でも禁止されているよ。
初めこのスレ見たときに、キリスト教における自由意志かとオモタ 自由って言葉は束縛と相対する言葉で、実際(キリスト教的)ならば束縛されていたり、それを容認されるはずもない事に対して 個人がその教義に反するも従うも自由ですよ、って解釈してる自分としては キリスト教信者が意味も無く戒律を破るようなことはせず、破るとしたら何かの要因で破るように誘導されてるだけだと思うんだわ。 例えば金の方が信じれるって感じる外的要因を自分の中で判断し、教義からの脱却、って結論に至るわけ。 これをその信者は自由意志と考えると思うけど、やっぱり意思でしかない。 話を戻すと、自分達の意思って言うのは頭の中だけのものじゃなく、生活したりしていく上で感じ取った微細な事象のものも作用してくるわけで。 そういう外的要因にまで作用が及ぼせない以上は自由意志なんて言葉をあてるのは相応しくない。 意思っていうのはあるだろうけどね。ごちゃ混ぜの意思が。
>>656 あのね、このスレはね、
自由が何か?
意志が何か?
をよく知らない者が議論に参加する資格があるの
そういう者同士がさ
自由+意志について論じるとどうなるかが興趣なの
>>656 :考える名無しさん :2006/01/05(木) 10:38:41
>自分達の意思って言うのは頭の中だけのものじゃなく、生活したりしていく上で感じ取った微細な事象のものも作用してくるわけで。
そんなことは当たり前のことであるが。
>そういう外的要因にまで作用が及ぼせない以上は・・・・・・
この文の意味が不明。
おそらくここの一番肝心なところが意味不明なんでしょう。
・・・・で全体に何を言いたいのか解らない???
>>657 :考える名無しさん :2006/01/05(木) 13:14:00
その通りだ。
今までハンゲームでマージャンしてたが、一万を切るか9満を切るかは自由意志なのだ。
661 :
鬼頭 :2006/01/05(木) 16:47:58
>>581 マクスウェルの悪魔ではなくラプラスの悪魔では。
ラプラスの悪魔は全粒子の位置と運動量を知り未来を全て予測できる存在だと思う。
多世界解釈はよく知らないけど粒子の確率的挙動から世界が分岐しているなら
一本の時間軸上に存在するラプラスの悪魔の存在は無効化されるのでは。
アカシックレコードっていうのは本屋の精神世界コーナーに置いてあるような本に
書いてある言葉でしょうか。
>>578 私の考えと類似するスピノザの考えの紹介です。類似性には気付きませんでしたか。
>>599 自然法則は人間が科学的に認識する以前から存在したものであり、社会的構築物ではありません。
>>607 なんかおかしいです。あなたの「自分は存在する」という感覚は錯覚ですか。
デカルトがあらゆる疑いの末、唯一疑い得ないものとして「我思う、ゆえに我あり」
と言ったように、「私は存在する」という感覚のみが確かなものなのではないですか。
>>573 :鬼頭 :
>すべてのものは唯一の実体である神から生じる。
貴方はこんな事を本気で信じているのかな?
663 :
鬼頭 :2006/01/05(木) 17:40:48
公開PROXY規制とやらに引っかかってあまり書き込めないのだ。
宮台のサイトも見れないし。
閉鎖した山形浩生勝手に広報部の掲示板は山形浩生の同僚の発言を
批判した後と2ch上での部長の悪口を山形スレに載せて以来アクセス規制
で見れないし。社会学板の山形スレが消えたのは私が書き込んだ直後に
私を装って部長が切り込み隊長批判やら黒木玄批判やらのコピペをして
書き込みをしていたが切り込み隊長が訴えるとか言ってからログを調べ
られたらヤバイから2ch運営やっている(?)部長が証拠隠滅を図った
のか。
>>657 私は参加資格をもうけた覚えはありませんが。
>>662 神=世界そのものならその通りだと思いますが。
664 :
鬼頭 :2006/01/05(木) 17:44:18
>部長の悪口 部長と思われる人物による悪口、だ。 ではさらば。
>>663 :鬼頭 :
>神=世界そのものならその通りだと思いますが。
なんですか?これは?
>>573 :鬼頭 :
>すべてのものは唯一の実体である神から生じる。
とあるのは実体を持つ神が世界を作ったと言う意味ではないのかな?
で問題はそんな神がいるとなると色々まずい事が起る。
人の自由意志など在り得ないのは勿論であるが・・・
>>:鬼頭 :
>自然法則は人間が科学的に認識する以前から存在したものであり、社会的構築物ではありません。
此れもおかしくなる。
自然法則と言うのは自然のシステムを人が解釈する為のルールである。
万有引力で太陽系は成り立っていると言ったような・・・。
しかし神が万有引力を操っているわけではない。
神が生じさせているとすると、万物をそのまま其処に刻一刻存在させているのは明白だろう。
つまり原理や法則など使用しないのは明らかである。
神が全てを生じさせていると言う事は自由意志はおろか自然法則も存在しないし、ましてや科学など在り得ないではないか。
貴方が唯一の存在を神と言いながら、法則が実在すると言う言い方はおかしいでしょう?
>
666 :
鬼頭 :2006/01/05(木) 20:23:44
>>665 つっこむなら「自己原因である神だけが自由な存在であり」の部分だと思うけど。
「神=世界そのもの」なら神すら自由な存在ではないとなるはず。
>なんですか?これは?
>実体を持つ神が世界を作ったと言う意味ではないのかな?
>>573 をちゃんと全部読んでないでしょ。
>自然法則と言うのは自然のシステムを人が解釈する為のルールである。
自然法則というのは人間が存在する前から世界に存在するルールです。
あなたも
>>454 で
>宇宙がビッグバンから生まれて、人間もその中の一部なんだから人間の全てが宇宙の自然法則に従う
と言っているじゃないですか。また
>自然法則が支配する事と人間の作った自然科学という概念は同じ物ではないでしょう。
と自然科学の法則と自然法則を区別していて、自然法則を人が解釈する為のルールとするのは矛盾してます。
>>666 :鬼頭 :
>>宇宙がビッグバンから生まれて、人間もその中の一部なんだから人間の全てが宇宙の自然法則に従う
>と言っているじゃないですか。
はい、言っています、しかし自然法則が実在するとは言っていない。
社会、国家と同じ人工の概念だと思います。
問題は私のつまらない話ではなく、貴方の
>すべてのものは唯一の実体である神から生じる。
と言う事です、この考えだと全ての宇宙の事物が神から生じたのであるから、
つまり全ての存在は神の力から独立した実在ではありえない。
存在の生起消滅は神の一存で決まる。
自然は法則で支配されるのではなく神の意志に支配される。
要するに世界の全ては神の化身と言う事になる。
私に言わせれば随分代わった考え方だが、これが貴方とスピノザさんの思想なのかな。
>>667 観念論って知ってる?特別変わってるわけではないですよ。
669 :
鬼頭 :2006/01/05(木) 21:57:00
>>667 >しかし自然法則が実在するとは言っていない。
一切は観念である、としても自然法則は観念を支配する法則として存在します。
>問題は私のつまらない話ではなく
自分を貶めるような発言はやめましょう、と自分にも言い聞かせる。
>自然は法則で支配されるのではなく神の意志に支配される。
「神=世界そのもの」に意志を過程するなら自然法則です。
私は「神=世界そのもの≒一切の認識の基盤である<私>」ではないか、と思います。
>要するに世界の全ては神の化身と言う事になる。
スピノザの考えはそのように汎神論のようです。
>>668 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/01/05(木) 21:08:35
>観念論って知ってる?特別変わってるわけではないですよ。
観念論と言うと・・・私が一番観念的だと思っていたが・・・。
鬼頭さんのは神への信仰で所謂宗教だと思うが。
自然信仰とか・・・真理教とかいった感じの・・・。
>>670 「機械的唯物論」者の裏ですかあなたの口調
>>669 :鬼頭 :
>神=世界そのもの≒一切の認識の基盤である<私>
それは有名な考え方なのですか?
私には自我が未だ確立(未分化)していない単なる幼稚な思考のように思えますが。
人は神(自然と)対峙する事で自我が生じます。
天上天下唯我独尊と言う宣言です。
それをイコールで結んではいけない。
外界と対峙する緊張感こそ自由意志の本質である。
>>671 :考える名無しさん :2006/01/05(木) 23:15:31
>「機械的唯物論」者の裏ですかあなたの口調
はは・・もしかしたら口調を真似ているのかも知れませんね。
675 :
鬼頭 :2006/01/06(金) 01:02:27
茂木健一郎『脳の中の小さな神々』
真木悠介『自我の起源─愛とエゴイズムの動物社会学』
を読んだ事ある人、内容の要約と感想きぼんぬ。
>>670 >鬼頭さんのは神への信仰で所謂宗教だと思うが。
神という言葉は使っても、どこにも信仰は出てきませんが。
>>672 >私には自我が未だ確立(未分化)していない単なる幼稚な思考のように思えますが。
独我論や唯心論や仏教の唯識説は一度通過した後にまた戻ってくるようなものだと思いますが。
>天上天下唯我独尊
と言う状態は自他未分離の状態とされるようです。
>>675 :鬼頭 :
>神という言葉は使っても、どこにも信仰は出てきませんが。
神という言葉で語る場合、如何しても信仰にならざるを得ないんです。
以前自然信仰は宗教ではないような事をいう人が居ましたが困ったものです。
霊魂とか、精霊とかを信じているのにそれは宗教ではないと言い張るのです。
自然界に真理があると言うような考えは沿うそれは自然教とも言うべき宗教です。
信仰するという人の思いは、前にも言いましたが自由意志を持て余し放棄する時の脳の行き着くところです。
自分の意志を自己の中で収束(完結)できないで外界になぞってもらう(認めてもらう)事です。
>>天上天下唯我独尊
>と言う状態は自他未分離の状態とされるようです。
どの様に自他未分離なのでしょうか?
古代インドの考え方の基本は自他の対峙ではないでしょうか。
天上天下唯我独尊と言うのは宇宙を脳内に意識すると言う事だと思います。
意識が外界の事象と対峙して「把捉」するのです。
意識の内と外との分離した緊張感のある様式です。
緊張感と言う意味は外界は感覚器官を通して人の意識を支配します。
同時に意識は外界を意識し把捉する事で外界の存在を基底します。
この両者の緊張感です。
レンズの働きの虚像、実像の関係みたいなものです。
これが所謂観念論と言うやつなのではないでしょうか?
677 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 09:00:06
民間信仰は宗教ではないよ>じいさん 本尊も教祖も教義も無いものを宗教と呼ぶとは、ずいぶん乱暴じゃないか。 その調子じゃ「いただきます」も「インターネット」も宗教扱いしそうだな!
678 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 09:08:03
だいたい厳密には「天国」すら宗教ではなく民間信仰なのだよ。 神道が説くのはヨミの国だ。仏教が説くのは「輪廻転生」だ。キリスト教が説くのは「復活」だ。 日本に縁の深い宗教のどこにも永遠の楽園という意味での「天国」など無いのだ。 つまりそれは宗教ではなく民間信仰なんだよ。 相手を取り違えているようでは議論になどならんぞ、じいさん!
679 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 09:18:43
あえて言うならね、「霊魂」は妖怪なのだよ。妖怪。ゲゲゲの鬼太郎と同じだ。 それは大衆に共通する畏れを託された非宗教的概念だ。責任者不在の一人歩きする信仰だ。 しかし妖怪は宗教のように人を救ったりはしないぞ!妖怪はただ暗いところに吹き溜まって 自動的にバランスを取っているだけだ!だからこれは宗教というより原始哲学、原始科学の一種じゃないか! 現代の視点から見て非論理的だからって、同族嫌悪するとはどういうことだ!?
680 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 09:43:34
いいかね? 科学は人間が多細胞生物であることを発見し、また、医学は心臓の停止すらある程度克服しつつある。 もはや、生と死の間にかつて信じられていたような明確な境界線が無いことは明らかだ。 しかしこの事実は「簡単に説明する」というのには全く向かない。まず長々しい講釈を垂れて 「生死」という常識を打破する必要があるからね。非実用的だ。 だから科学的事実なんか知ったことじゃない大衆には、別の「簡単な説明」が要求されるのだ。 それが妖怪「霊魂」だ。しかしそんなものは需要が有るから出てくるだけのフィクションだ。 この段階では、それは決して宗教ではない。単なる土壌だ。妖怪だ。 霊魂はゲゲゲの鬼太郎と同じ、空想上のキャラクターなのだ。 そんなものをいちいち真正面から論ずるのは時間のムダというものだよ。 妖怪「哲学」に操られ、無理解の自覚も無しに叩くというのならなおさらだ!
681 :
鬼頭 :2006/01/06(金) 13:18:23
>>676 >自然界に真理があると言うような考えは沿うそれは自然教とも言うべき宗教です。
真理=自然法則と思いますが科学は宗教ではありません。
>意識が外界の事象と対峙して「把捉」するのです。
>意識の内と外との分離した緊張感のある様式です。
外界、外というのも認識の枠内の観念です。仏教でも一切は心とするようです。
天上天下唯我独尊というのは自他の区別がつかず全能感を持った幼児の心理状態を
形容して使われる事もあるようです。
>>680 >妖怪「霊魂」 >妖怪「哲学」
霊魂や哲学は妖怪ではないと思いますが。
都市の秩序(理性)からはずれ混沌とした周縁に押し込められ、ときに境界を侵犯する
妖怪や異人や人狼という観念に興味はあります。
>>680 :考える名無しさん :
>そんなものをいちいち真正面から論ずるのは時間のムダというものだよ。
いちいち真正面から論じているのは貴方だけだが・・・・・?
>>681 :鬼頭 :2006/01/06(金) 13:18:23
>>自然界に真理があると言うような考えは沿うそれは自然教とも言うべき宗教です。
>真理=自然法則と思いますが科学は宗教ではありません。
この反論の前に以下に答えてほしい・・・・・
>>神という言葉で語る場合、如何しても信仰にならざるを得ないんです。
貴方は神の存在を信じているのか居ないのか?
それとも自然の法則(真理)の存在を信じていると言うだけなのか?
此れに答えてから次に行って欲しい。
>仏教でも一切は心とするようです。
そうではない、究極には心は無いと言うのだから。
大乗仏教では現象と心が相対関係にあると言っている。
>外界、外というのも認識の枠内の観念です。
それはそうでしょ、心の内外という問題意識なんだから。
>天上天下唯我独尊というのは自他の区別がつかず全能感を持った幼児の心理状態を
形容して使われる事もあるようです。
それは皮肉っぽくからかう時の意味付けでしょう。
>>684 :じいさん :
訂正です、最後の・・・・・・・・・
>仏教でも一切は心とするようです。
は削除です。
686 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 18:33:36
仏教の縁は物理で言うエンタングルメント(量子絡み合い)と似たような概念だな。 以心伝心とか相思相愛とか、状態の同一性や相方向性を重要視する考え方は、今の物理学にも通じる。 いわゆる電気・磁気の根幹を成す自由電子も、エンタングルメント状態の電子のことであり、 釈迦は真理を悟っていたとしか思えない節があるのだ! え?時代が違う?釈迦タイムトラベラー説は余所でやれ? いやはや、おあとがよろしいようで。
687 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 18:39:05
つーかじいさん、あんたほんとにカミとゴッドの違い分かってる? 自然崇拝と創造神を「神」でくくって一緒くたに宗教扱いするって無知すぎ。
やっきになって名誉名誉、出すなよそんなものを咽喉の奥から、 嫌だなこんな集団にいるのも、 試すにしても何に巻き込まれているのか、 集団食中毒で脳みそに毒でも回っているのか、 なんだかその場所に属したくなくなる厭らしさを感じないのかね。 この人醜いなぁ、もう少し肩の力を抜いて、あなたのことを向いてくれる 人のほうに体を向けたらいいのだし、あんまり熱心にするのもこれはまっ等 でないし、不気味な生き物だなぁ、って彼は思っているらしいけど。 いろんな人がいるからあきらめたまえと。
689 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 18:54:00
だいたい科学と宗教は対比するもんじゃないんだよ。固定観念甚だしい。 地球環境の悪化を前提とする「科学的な宗教」だってあるじゃないか。 悪名高い「エコロジー」という詐欺を見ろよ。電気自動車のバッテリーなんてリサイクル不能の有害物質だらけだ。 これだって見方を変えりゃ企業が協賛しNPO法人が勧誘・洗脳する立派な宗教だろ。 科学的ならば宗教に非ずなんて、話にならんぞ。
691 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 19:19:06
個人の信仰:エコロジー=聖なるもの 個人の行動:エコ製品の選択的購買 寺院や制度:NPO団体、リサイクル法 うわーやっぱ宗教だー
692 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 20:25:26
災厄の擬人化であるカミを創造神であるゴッドと混同して宗教と呼んでみたり、 思考法である科学と救済である宗教を無意味に対立させてみたり、 ステレオタイプな間違いが多いスレだね。
ここへの書き込みも必然。 で、偶然だとしたら? 結果は同じ。 じゃあ、どっちでもいいじゃんw
694 :
考える名無しさん :2006/01/06(金) 21:56:17
ミクロの偶然性からマクロの偶然性は直接には導けないからな。 統計的に現われる必然性、洗脳によって作られる必然性も多いし。
695 :
鬼頭 :2006/01/07(土) 13:25:21
天上天下唯我独尊 仏陀が母親のマヤ夫人から生まれたとき、7歩進んでとなえたと伝えられる言葉。この世の外でもこの世の中でも、 ただ我一人のみ尊いという意味で、仏陀を崇拝する人々が広めた伝承と考えられる。人間を超越した神への信仰を 説くキリスト教と比較すると、原始仏教はそのような超越的存在を認めない点で無神論と見なされるので、この 言葉は人間をこえた神的な存在を否定し、人間そのものが尊さを持つことを宣言した、仏陀の人間宣言であるという 見方もある。 唯識思想 無着や世親によって確立された大乗仏教の有力な理論の一つ。世界のすべての事物の実在性を否定し、もののあらわれ は根源的な唯一の実在である心の表象にほかならないとする。同じ川でも人には清流とうつり、地獄の罪人には火の川 としてうつるように、すべてのものごとは心によって生み出された表象である。すべての事物は縁起によって成立し 空であると説く中観学派に対して、唯識学派は事物のあらわれの根源として心の実在性を積極的に主張した。
696 :
鬼頭 :2006/01/07(土) 15:42:45
>>683 >貴方は神の存在を信じているのか居ないのか?
>それとも自然の法則(真理)の存在を信じていると言うだけなのか?
世界を創造した人格神の存在は信じていませんが、
「神=世界そのもの≒一切の認識の基盤である<私>」は存在するし、
世界の法則(と思っている自分の意識の法則)は存在します。
他者の認識主体である<私>は知りえないのと同様に、世界の究極の法則は
世界の中の存在(と思っている意識の中の存在)は知りえないのではないか、
と思います。
>究極には心は無いと言うのだから。
無我は自分の心も空である(永遠なる固定した実体としての我は存在せず
縁起により起こっている)という意味で、「心は無い」とは言ってない
と思います。
>大乗仏教では現象と心が相対関係にあると言っている。
>心の内外という問題意識なんだから。
大乗仏教では現象は心の現われであると説くのではないでしょうか。
一切は心の内にあり心の外という問題意識はないと思います。
>それは皮肉っぽくからかう時の意味付けでしょう。
からかいではなく幼児の心理状態がそのようである、として使われる場合が
あるようです。
697 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 16:32:50
冫─' ~  ̄´^-、 / | | \ 丶 / / | | \ ヽ、 / /ξ | | \ ヽヽ | / ___ ___ \ミ 鬼頭さんの書き込みからは知性の欠片も感じられない。 ゝ_//|-=・=-|⌒|-=・=-| ヽゞ ただのチ○コにしか見えないわけですね。 |tゝ 論_/_ \___| | 秘宝館のチ○コとイカの奇跡の出会いが生んだイカしたミュージックですか。 ヽノ ノ(_ )ヽ ノ チ○コはみんなと区別する必要がありますね。 ゝ:::::::::::::ヽ─── :::::::::/ /|ヽ::::::::::ヽ──' :::::::/ / | \:::::::::: ̄:::::::::/ / ヽ \____/
698 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 16:39:21
区別したチ○コの亀頭はイカしてますか?
699 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 16:45:53
冫─' ~  ̄´^-、 / | | \ 丶 / / | | \ ヽ、 / /ξ | | \ ヽヽ | / ___ ___ \ミ ゝ_//|-=・=-|⌒|-=・=-| ヽゞ 区別された鬼頭さんはイカれてキティになってますね。 |tゝ 論_/_ \___| | つるっぱげのキティくん。 ヽノ ノ(_ )ヽ ノ ハゲ=亀頭の象徴なわけです。 ゝ:::::::::::::ヽ─── :::::::::/ 象徴界の衰退なんです。 /|ヽ::::::::::ヽ──' :::::::/ / | \:::::::::: ̄:::::::::/ / ヽ \____/
i i!i | | | i/ / | / ii | | ト、i:|!:::!゙!::|::::| ゙i ゙、ヾ'、 ゙、‐|、i:::::::::||:::::::|::::::::::::::::::ヽ::: /i/|ii!//|!/!i/´i/ .|i |/ノ i\i!゙、:iヽ|:::| ヽ 'i ! ヾi |'!ヽ::::||::::::/:::::::::::::::::::::ヽ i i 川i!ハ/" _! | │ 川 ヾ:ii ゙'∨ | ゙ヾiヽヽ;||:::::i'::::::::::::::::::::::::: ノ ノ/リ,,,,,,二三テ=''" ヽノ ル |ノノヽヾ ノ 、,,,ノ,、 iヽ:::||:::::i':::::::::::::::::::::::::::: /  ̄ ´~~゙'''' ゙''‐- ..,, ,, ‐' `゙ヾミッ、,, ヽ::|::::/:::::::::::::::::::::::::::: ,,イ| i' i" `'‐=' `'|/i!:::::i:::::::::::::::::::::::: i | :::::::ヽ::::ヽ::::::ヾ:: ゙、 l 〃::::: i//::::ハ::::::::::::::::::i::: i i \\\\\ヽ ) ヽ ′′′ / /:::::/:::::::::::::::::::|:::: ! | i ,,ィノ < :::: : /:::::/:::::::::::::::::::/:::: i! i i! /i/ ,r''''‐y'''.;、 \ /:::::/:::::/::::::::::::/::::: ゙i! | i /⌒' 、 Y:::::::::''::;;;;'.;.Y'⌒゙i /::::::/::::::/::::::::::::/::::/i i i ゙! ん、,,__ヽノ:::::::::::::::::::;;;;;{,__,,,r'' /:::::::/::::::/::::::::::::/::::// ゙、ii! ゙| i ノ ゝ;;;:::::::::::::::::::;ノ 。 `i //:::::/:::::/::::::::::::/::::::/::: ヾ!トl ゙iU i 。l '゛.. ‐ー:::::i | //::::::/::::::/::::::/:::/:::::i!:::::: iiミ! ハ i l ,,,,::: :::;;;;;...{ ° ゙、 //::::://::::/::::::/:::::/::::i::::ii::
701 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 16:52:14
>>699 象徴界のチ○コが衰退すると亀頭がイマージュされるのですか?
>>696 :鬼頭 :
>世界を創造した人格神の存在は信じていませんが
>「神=世界そのもの≒一切の認識の基盤である<私>」は存在するし
>世界の法則(と思っている自分の意識の法則)は存在します。
改めてお聞きしますが、貴方は自分が自然法則であり神であると言っている訳ですか?
[<私>]は自由なのですか?世界は自由なのですか?
>一切は心の内にあり心の外という問題意識はないと思います。
所謂「色」と呼ばれるのが物質の事です。
「色即是空」の色のことです。問題の核心です。
>からかいではなく幼児の心理状態がそのようである
もしそうならおかしいでしょう、幼児が天上天下を意識する訳はない。
我侭な子供に対する揶揄でないなら、それは言葉の誤用です。
703 :
鬼頭 :2006/01/07(土) 17:05:08
>>701 象徴界(言葉の世界)が衰退すると想像界(イメージの世界)の亀頭=死=無意識
が現れるのでは。
704 :
701 :2006/01/07(土) 17:08:14
705 :
鬼頭 :2006/01/07(土) 17:20:55
>>704 私は妖怪、異人と呼ばれた人の来る世界(異界)とは「無意識(想像界)=彼岸の死の世界」
ではないかと思い魅せられてます。異界の扉とかカコイイ観念だと思います。
フーコーの狂気に関する言説とも重なるものがあると思います。
人狼は中世ヨーロッパの賤民として存在したようですが、そこでも人狼は森の世界(死の世界)
へ追放された者という意味だったようです。
706 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 17:29:11
で
自由意志と意思の定義が個々によって違うから混沌とした議論が続くんだな・・・。 とりあえず自分の考える意思と自由意志の定義述べて、そっからあるなし決めりゃあ・・・ ってこのスレ何するスレだっけ('A`)
708 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 19:05:16
あの店員さんかわいいなぁ。僕のこと気がついてくれないかな。 いつもケーキはあそこで買うことにしよう。 と言った時。ケーキをそこで買うことは完全に自発的(内省からくる) 自由じゃないでしょ? 知らずに他者に影響されてるし。 こりゃしゃーない。 あと、あの壁通り抜けてーなーって思っても無理。 これもしゃーない。 しかし、世界は物理法則に沿ってるだけだから複雑に見えても 決定論で、ゆえに人間にも自由意志は無い。 これは否定したいな。
709 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 19:11:58
無理無駄無謀
710 :
656 :2006/01/07(土) 19:30:25
遅レスになりますが。
>>658 外的要因・・・というのはつまり自己の意思決定に作用する環境やら他の人やらの意見に作用を与えることはできない。
他人の言葉や自分の与えられる環境(親等)の決定が自分に(ここで言う自分も曖昧ですが)無いため、真の意味での自由意志はない、と私は考えています。
>>707 :考える名無しさん :2006/01/07(土) 17:57:53
>とりあえず自分の考える意思と自由意志の定義述べて、そっからあるなし決めりゃあ・・・
まさにそれを延々とやっているわけです。
>自由意志と意思の定義が個々によって違うから混沌とした議論が続くんだな・・・。
自由意志と意思の定義を議論する事と同じなんですよ。
意志が自由か否かは、意志とは何かと言う事なんです。
>>710 :656:2006/01/07(土) 19:30:25
>他人の言葉や自分の与えられる環境(親等)の決定が自分に(ここで言う自分も曖昧ですが)無いため、真の意味での自由意志はない、と私は考えています。
成る程それはそうですね。
では貴方の「真の意味での自由意志はない」と言う意味は?
「真の自由」がなければ、どんな風な「・・自由」はあるのかな?
そもそも自由意志と言ったら、何の外界の影響も受けない絶対自由とも言うべきものがあるとは誰も主張していないが。
環境の沢山の制約のもとでの僅かな自由が意思決定にあると言う意味で使っているのだが。
自由が全くないと言うことはない、と言う立場が自由意志肯定論で、
自由が全くないというのが自由意志否定論と言うことです。
713 :
考える名無しさん :2006/01/08(日) 00:04:34
>>712 じいさん、たとえば意志が自由じゃない実例を
一つ二つ具体的に挙げてみてくれない?
>>713 結局、どこで線引きするか?の違いしかないでしょw
715 :
鬼頭 :2006/01/08(日) 02:20:25
超越者 この世界のすべてのあらわれ(現象)を包みこみ、それらを支える根源となっている永遠の絶対者。 ヤスパースによれば、すべての現象を包みこみ、それ自体は決して対象とはならないものという意味で、 包括者とも呼ばれる。超越者(包括者)はみずからは対象とはならず、主観―客観の分裂の中で現象 としてあらわれるが、それ自体はどこまでも背景にとどまる。特定の対象を超越者そのものと見誤ると 迷信や独断におちるが、哲学は現象を超越者がみずからを象徴的に伝える暗号として読解する(暗号解読)。 この世の全ての現象は<私>の心が根源となり<私>に包み込まれている。 <私>は決して言葉で言い表す対象とはなり得ない。 言語ゲームは超越者である<私>の心のあらわれを象徴的に読み換えていく場である。 >>「神=世界そのもの≒一切の認識の基盤である<私>」 >貴方は自分が自然法則であり神であると言っている訳ですか? 「世界そのもの」と思っているものも自分の心がつくり出したもので、自分の心は自然法則に従ってます。 >所謂「色」と呼ばれるのが物質の事です。 般若心経のなかにある有名な色即是空、空即是色の色は色蘊の色で、こころに対応する物質的なるものの総称 のようですが、一切は心のあらわれとする唯識説とはどのような関係になっているのかが問題の核心ですね。 >幼児が天上天下を意識する訳はない。 それは釈迦の伝承にも言える事ですが、私が見たのは 岸田秀「ものぐさ精神分析」 生まれたときの子どもは、感覚運動器官がきわめて未発達であるから、もちろん、現実と非現実、自己と 他者の区別を知らない。したがって、親が提供してくれた人工的世界は、子ども自身にとっては、現実に よっても他者によっても限定されない唯我独尊、全知全能の世界である。 という文です。
古ゲルマン社会では、宗教上の犯罪や謀反などのために、共同体の内部における友愛関係を失った者は “森の放浪者・人狼”として共同体の境域外に追放された。かれら制外者はヴァルクとよばれた。 この言葉は、制外者・平和喪失者の意味をもち、本来の語義は絞首刑執行者・狼であったという。 ヴァルクという呼称はまた、罪人を絞首刑にあたいする人狼に変身させる呪術=法的な、宣告の言葉であった。 共同体をおわれたヴァルクは、親族ないし血縁共同体のすべての義務・紐帯をとかれ、社会的な真空地帯である 荒野や森をさだめなく漂泊する者となった。この狼の顔をもつ<異人>ヴァルクは、古ゲルマン共同体の人々によって、 反社会性・疫病・破壊などあらゆる「悪」の体現者とみられていた、という。実際、原生林や荒野といった人跡も まれな社会的真空地帯は、「匪賊」たちの跳梁する空間であった。
世界の終わり 「何もない。少なくとも私や君にとって必要なものはそこには何もない。我々にとっては森は不必要な存在なんだ」 「この薪や石炭は森でとれる。それからきのこやお茶やそういった種類の食料も森でとれる。 そのような意味あいではあの森は我々にとって必要だ。しかしそれだけだ。それ以外には何もない」 「でもそうすると、森には石炭を掘ったり薪をあつめたり、きのこを探したりする人が生活している ということになりますかね?」 「たしかにね。何人かは住んでいる。彼らは石炭や薪やきのこをとって街に供給し、我々はそのかわりに 穀物や衣類を与える。我々は森には近寄らない。我々と彼らはまったくべつの種類の存在なのだ」 「どう違うんですか?」 「あらゆる意味でだよ」 「おおよそ考えられ得る限りの面で、彼らと我々とは違う。しかしいいかね、彼らには興味を抱かんでほしい。 彼らは危険だ。おそらく彼らは君に何らかの悪い影響を及ぼすだろう。君はなんというか、まだ定まっておらん 人間だからね。それがきちんと定まるまでは無用の危険には近づかん方がよろしい。 森はただの森だ。君の地図にはただ森の北朝鮮工作員と書いておけばいいのだ。わかったかね?」 「わかりました」 「公安はここで起こっていることを何ひとつとして見過ごさない。だから君はたとえどのような形にせよ、 森とかかわりを持つべきではないし、近寄ってもならん。」
スーパーマリオブラザーズは女性差別・セクハラ なんで、あんな酷いセクハラ作品が子供たちに大っぴらに売られているのでしょう? まず、男二人が主人公で、捕まるのは女性。これは明らかに女性差別です。 主人公が好色なイタリア人の男。これも子供の教育にはよくありません。 特に二人のあの鼻!!卑猥すぎます。子供が性犯罪オス原因の一つです。 そして敵がクリボーにノコノコ。これらはキノコに亀です。 明らかに男性器を象徴しています。 それにクリボーってなんですか!!クリ○リスと棒を合体させた非常に卑猥なネーミングですよ。 パワーアップアイテムもそうです。キノコに花。これも男性器と女性器です。 しかも、大きくなるんですよ。勃起です勃起。子供には早すぎます。 あのスターってなんですか?よく男性の読むいかがわしい漫画で女性の乳首や性器を 隠すのに用いられるのが星マークですが、それが逃げる、マリオが追いかける、 こういった姿は見せたくないものを無理やり剥ぎ取ろうとするレイプを 連想させます。あぁ、もう言い尽くせません。 大きくなったり、土管に入る、ブラックパックンッフラワーなんて もう言うまでもない下品なキャラクターばかりのこの作品。 女性の地位向上を阻んでいますよ。皆さんもそう思いますよね
真・女神転生2
ファクトリーの男「あんたにはあの監視塔が見えるようだな。
ここの人たちはみんなあの塔から流れてくる歌声にあやつられて働いているのだ」
情報自由論第3回
規律訓練から環境管理へ 著者:東浩紀
小学校の教室では、教師がつねに目を光らせる必要がある。しかし、中学に上がり、
教師の視線を内面化した生徒は、教師が不在でも学習を続けるようになる。義務教育は、
知識や技能の伝達というより、そのような視線の内面化を目的にしている。近代社会の市民は、
国家に抑圧される受動的な存在ではなく、国家に奉仕するように規律訓練された能動的な存在なのだ。
その規律訓練(discipline=しつけ)は、学校や工場、監獄、病院など、あらゆる場で行われている。
http://www.hajou.org/infoliberalism/3.html
720 :
考える名無しさん :2006/01/08(日) 08:42:10
僕らはおよそ自由というものから掛け離れた存在なのです。 なぜなら自由であるためには人生はあまりにも短かく、また、やり直しも効かないからです。 僕らはこれからも日本に住むでしょうし、これからも働き続けるでしょうし、 いずれ退職して余暇をもてあますでしょうし、そして死んでしまうに違いないのです。 それはもはや自由ではないし、選択ですらないのです。決まっているのです。
721 :
考える名無しさん :2006/01/08(日) 11:24:41
くたばること以外はなーんも決まっちゃいないぜ。
>>719 教師の視線?
今時の子は教師をタメか下としか見てないんだが。
東ってのもずいぶんしょっぱいね。
723 :
考える名無しさん :2006/01/08(日) 12:19:58
>今時の子は教師をタメか下としか見てないんだが。 その反動としての女王の教室。 教える/教えられる→教える/学ぶ 義務教育=ディシプリンは必要だろ。 それがすなわち「国家への奉仕」にはつながらないと思うが・・・
心が自然法則に従ってると結論付けるのは予断というか、まだ早いんじゃないかなあ。
725 :
考える名無しさん :2006/01/08(日) 13:59:01
どなたか、(意志が)自由な意志決定を行なえない事例を 具体的に挙げてみてください
関係のないことに介入すると、自由な意志は障碍になるようだ。
ある 〔A〕 その行為の という行為 根本的意志 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶 ある 〔A〕 という行為 『自由意志はない』 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 成功への希望 現在の 過去の 肉体的制限 失敗への怖れ 環境 経験・記憶 未来への予測 荒っぽく言えばこういうことかな? 下図は、「根本の意志はなく全ては各種条件の加算によって行為がなされる」と・・・。 そして、外的因子がどの程度の強制力をもって個人へ影響するかの見極めで、 この線上の線引き(即ち「何を自由意志とみなすか。どこまでを自由意志とみなすか。」) が変わってくるのでは? (とりあえず反射的反応は除外してるが・・・)
728 :
考える名無しさん :2006/01/08(日) 16:53:43
鉄男「俺に命令すんじゃねえぇぇーーーーー!!!!」
>>715 :鬼頭 :
>この世の全ての現象は<私>の心が根源となり<私>に包み込まれている。
><私>は決して言葉で言い表す対象とはなり得ない。
ということであれば・・・・・・・・・・
>自分の心は自然法則に従ってます。
と言う言葉は何処から来たのか?
心を言い表しているんじゃあないですか?
自然法則などという言葉は何処から引っ張ってきたのですか?
包み込まれているのなら法則はいらないでしょうに。
言葉で言い表せないなら、自由意志があるともいえないし、勿論ないともいえない。
>一切は心のあらわれとする唯識・・・
事物現象に対してあくまでも識が本質であると言う事ではないんですか?
あくまでも事象と対峙して後に言える事でしょう。
事物現象がなかったら識もないんだから。
>>幼児が天上天下を意識する訳はない。
>それは釈迦の伝承にも言える事ですが
だから御釈迦さんは普通の子と違って生まれたときから悟っていた超生意気な子供だったって言う伝承と言う意味なんでしょう。
岸田秀「ものぐさ精神分析」では軽妙な例えとしてユーモアで引用されているんじゃあ。
>>724 :考える名無しさん :
>心が自然法則に従ってると結論付けるのは予断というか、まだ早いんじゃないかなあ。
仰るとおりだと思います、百年早い。
>>725 :考える名無しさん :
>どなたか、(意志が)自由な意志決定を行なえない事例を具体的に挙げてみてください
仰るとおりだと思います。自由を完全に否定する場面と言うものはありえない。
自由意志はあるとして議論を進めたほうが面白いと思います。
と言うのは自由と言うのは相対的な概念だからです。
不自由さに対する自由度のバランスに依ると言う事です。
絶対的な自由と言うものは実は存在しない。
733 :
鬼頭 :2006/01/08(日) 21:11:21
>>729 <私>というのは共同主観的な言語に翻訳されない、言語に乗せようとすると無限後退する認識主体のことです。
永井均『<子ども>のための哲学』から広まった言い回しです。
<私>の中の心は言語で言い表す事ができます。
>あくまでも事象と対峙して後に言える事でしょう。
>事物現象がなかったら識もないんだから。
逆でしょう。
心がなかったら現象は認識されないのだから。
>軽妙な例えとしてユーモア
としては使われていませんが。
734 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 08:46:55
無限後退するのは前提が間違っているから。 <私>は、さらに解体していくことが可能だし、部分として無意識を含んでいる。 従って、純粋な<私>とは無意識を意識的であるように錯覚する性質を持つのみであり、 無限後退性の無いものとして捉え直すことが可能だ。 無意味なパラドクスを議論の根幹に置く必要は無いのである。
コスモスの花言葉をご存知? とてもかわいい花をつけるのよね。
736 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 08:57:44
茶番には飽きた。 さっさとパンドラの箱を開けてしまえ。 運命と呼ばれる最後の災厄を解き放て。
737 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 13:06:31
>>725 拷問による自白、銃を向けられ金を差し出す銀行員、空気を吸い水分と栄養を摂らなければ死ぬこと。
>>727 どこまでを外的因子とするかで何を主体とみなすか、が変わりそうですね。
自己の内にある感情や欲望も外的因子とみなす事は可能と思います。
>>737 >拷問による自白、銃を向けられ金を差し出す銀行員、空気を吸い水分と栄養を摂らなければ死ぬこと。
でもカーズ様のように呼吸もせず宇宙であっても生き続けられるようになれたらなぁ、と思うことは出来る。
意志決定とは違うというかも知れないが。
>>738 仏教の身口意の三業じゃありませんが、
〔 ある 〔A〕という行為 〕には、当然「考える・思う・想起する」ということも含みますよw
740 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 15:10:04
>>737 自白「する」のは意思だろ
自白「しない」のも意志
する・しないを「決める」のを意志というんだが。
金を「差し出す・出さない」・・どちらにするかを
決めるのは意志だろ
意思なく「出したり・出さなかったり」という行動は摂れないぞw
空気・水分・栄養を「摂る・摂らない」も意志だろ
741 :
PS :2006/01/09(月) 15:18:11
どちらを選ぶかは「自由」であり 実際、どちらのケースも存在する。
自由/意志
>>740 >>741 >>725 みたいな問いと
>>732 >>737 のような答えは自由意志にとってもう問題じゃなくなってるのでは?
社会的あるいは心的な強制が全くない完全に「自由」な状態で行われた行為であっても、
それは自由ではない。
もしそれを自由と呼ぶなら林檎が木から落ちる現象も自由と呼ばなくてはならない、ということだと思う。
744 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 16:10:49
>>734 >><私>というのは共同主観的な言語に翻訳されない、言語に乗せようとすると無限後退する認識主体のことです。
>無限後退するのは前提が間違っているから。
「これがあなたを動かしている法則であなたの未来もここに完全に記述されています、
あなたはこれからもここに書かれた行動しか取ることができません」
と言われてそれを見たらどうなりますか。
>>740 それらは自由な意志による決定なんですか。
745 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 16:26:18
>>743 林檎に意思があるというのは初耳w
>>744 「意思は自由に決定される」ことを書いたが
異論があるならどうぞ
746 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 16:32:39
あたまん中は自由だ、とゆうレベルで話してもしゃーねーべ。 だったら「あなたの頭の中も他者に規定されてますよ」つーこと。 他人に良く思われたいとゆう欲望は除けないし、経験則にも縛られる。
747 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 16:36:16
>>745 人間には意志があるから因果律を超えて自由だと思っているの?
人間に意志があっても因果律に従っているという立場はどう乗り越えますか?
すでに何らかの意志の自由を説いているならそれと自分の主張を今までの
議論を踏まえた上ではっきり書いて。
748 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 16:37:55
749 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 16:44:03
>>745 林檎に意志があるなんて書いてないよ。
林檎も意志もどちらも同じ自然現象なのになぜ片方に自由を認めて片方には認めないのか、という疑問と読んでほしい。
751 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 16:51:49
>>747 因果律は・・単に過去を因と果に無理やり当てはめた
「結果論」に過ぎない。
脳の意思決定は因に係わらず自由になされている。
違うというなら事例を1個でいいから挙げてみて。
あと、質問にはちゃんと答えよ〜ね
752 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 16:54:49
>>750 林檎の話はヤメて人間の話をしないか?
次元の違うものを語る必要ないだろ
>>752 俺はやみくもに自由意志を否定するつもりはないんだけど。
自由意志を否定する議論で一番強力なのは、
林檎の落下も人間の意志も自然現象という同じ次元でとらえる唯物論だろ?
そっから目をそらして過去の経験やら社会的な圧力ばっか相手してても自由意志は救われないと思うんだけど、どう?
754 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 17:33:25
>>753 悪いが唯物論とやらが最も確かなものとは思ってない。
林檎の落下は林檎の落下、人間の意志は人間の意志
別個のものと考える。
違うものをまったく同じものとして語ることはできない。
755 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 17:52:34
>>753 物理的決定論=人間も物質からできてるから
物理法則に従っているだけ 意識は必然。とゆうのは然るべきスレがもうあるでしょ?
ココでは別のレヴェルの話をすれば?
756 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 18:26:21
>>744 >それを見たらどうなりますか。
ありえない仮定を持ち出すとは……詭弁ですね。
しかしいいでしょう。その詭弁に敢えて乗ってあげましょう。
ラプラスの悪魔の化身たるアカシックレコードを仮定し、それを見るなら、
そこには嘘つきのパラドクスが生じる。一見、予言への反逆は可能に思えるでしょう。
しかし注意して頂きたいのは、嘘つきのパラドクスには時間の概念が欠落していることです。
現実には時間があり、論理的な矛盾は時間による洗礼を受けます。それはもはや矛盾ではなく
「複雑な相互作用」に過ぎないものにまで堕落するより他に無いのです。
アカシックレコードには、観測者とそれ自体との複雑な相互作用を含む未来の全てが
ただ書いてあるというだけです。つまり理解が面倒になるだけで、あなたのレスは
何の反論にもならないのです。
私の言っていること、理解できますか?
757 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 18:31:20
見方の違いによって変わる、ということはないのかな。 物質とエネルギー、「量」として捉えれば「等価的」な見方ができるが 「性質」として捉えれば「特徴的」な見え方になる、というように。 決定論も非決定論もそれぞれの見方じゃないのか。つまり、どちらも正しく、 人は「選択」しているだけに過ぎないと。そんなバカな!? 宇宙・世界を「限定された方向で」見た場合には「決定的」に見え、 (認識対象範囲が狭まれば狭まるほど決定的な見え方となる) 宇宙・世界を「拡張する方向で」見た場合には「非決定的」に見える、 (認識対象範囲が広がれば広がるほど非決定的な見え方になる) という具合に。 この場合、決定論・非決定論両方が正しいというのは、どちらかの立場に立って 片方だけの見方で見た場合で、同時同列には成り立たないということを言いたい。 人が「選択」しているというのも決まっていたというようにも言えるし、 決まっていなかったというようにも言えるんじゃないのかな。
758 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 18:36:04
さらに言うなら、アカシックレコードにはだいたい以下のようなことが書いてあればいいのです。 「これを見たあなたは驚愕のあまりにその記述内容に洗脳され、 アカシックレコードの通りに行動することしかできなくなった。」 暗示や後催眠を駆使するなら、これはアカシックレコードでなくても可能なことでしょう。 仮定を引っ張り出しての反論など、ただ別の仮定によって容易に反論されるのみです。
760 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 18:44:17
だいたいラプラスの悪魔は物理的要請により、絶対的な客観視点を持つ非介入の観測者と定義されるのだから、 世界と干渉しないことなど当然の前提ではありませんか。 それをラプラスの悪魔をアカシックレコードと呼び変え、あたかも干渉可能な前提であるように 誤解させ、混乱を以て反論のごとくに扱うとは、まさに最たる詭弁というより他ありません。 哲学にオカルトなど不要です。
761 :
757 :2006/01/09(月) 18:53:53
さらに言えば、われわれの宇宙・世界の「概念」は「対立構造」で 成り立っていて、ひとつの概念があったとき、同時に対峙した概念も生まれる、 (たとえば「美しい」がでれば「醜い」が出て、「高い」がでれば「低い」がでてくる) というように。概念の対創生。 決定論と非決定論はこの対峙関係にあって、どちらも「概念」として「ある」んじゃ ないのか。対極的な構造として組み込まれているような気がするぞ。
762 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 19:11:50
そうですよ。所詮視点の話なのです。 しかし人のレスを読まず、自分の視点に固執するコテがいるからこのスレは伸びてゆくのです。
763 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 20:30:06
>>751 >脳の意思決定は因に係わらず自由になされている。
という事は脳は物理法則を越えている物質なのかな。
心は心理的な因果関係にも従わないのかな。
ムカつくから罵倒語を混ぜてレスした、とか人はすべて原因があり決定しているんだけど。
>あと、質問にはちゃんと答えよ〜ね
どこに答えてない質問があるのかな。
>>754 >林檎の落下は林檎の落下、人間の意志は人間の意志 別個のものと考える。
別個のものとできる根拠がないのだが。
>>755 >とゆうのは然るべきスレがもうあるでしょ?
あっちのスレはタイトルだけでほとんど自由意志について論じてない。
>ココでは別のレヴェルの話をすれば?
決定論と自由意志の話から逃げる必要はないでしょう。
>>756 >私の言っていること、理解できますか?
無茶苦茶な事を言っているというのが理解できます。
764 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 20:40:32
>>763 >私の言っていること、理解できますか?
無茶苦茶な事を言っているというのが理解できます。
>>760 でも言っていますが、無茶苦茶を言っているのはあなたです。
「アカシックレコードにアクセスする」などという荒唐無稽で
オカルトな例を出してきたのはあなたのほうでしょうw
765 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 20:43:49
わかりやすいと思うので。
>>383 :鬼頭 :2005/12/21(水) 01:15:36
大庭健『「責任」ってなに?』講談社現代新書
・因果的な決定論と意志の自由について両立不能論と両立可能論がある。
・両立不能論の立場は2つ。
1つ目は意志の自由は幻想であり心の働きにおける因果連鎖の帰結にすぎないとする立場。
2つ目は意志は因果連鎖に縛られず自由に働くものであり決定論は偽であるとする立場。
意志の自由という感覚は否定しがたいが、決定論を偽とすると科学・技術の実践が説明困難になる。
人間の意志に関してだけ因果的な決定論が成り立たないとすると、世界は因果的に決まった出来事と
そうでないがでもデタラメではない心の出来事という、全く異なる2種類の物事によって成り立って
いるという事になる。そうすると因果律に従う物体と自由な精神(霊魂)という二元論になる。
・両立可能論では、意志の自由は幻想ではないし因果的決定論とも矛盾しないとする。
766 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 20:51:52
詭弁の詭弁たる点は、無限後退だとか、自己言及だとか、そういう パラドクスの方向へと話を持っていこうとすることです。 しかしそのような詐術は一切無駄です。 私はそういうパラドクスのどこに矛盾が隠れているのか識っている。 この世には、思考停止に至る論理の袋小路など存在しないのです。 しかしもし詭弁だと気付かずに詭弁を使っているのなら――これは救いようが無い。
詭弁[きべん] @道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。 A《sophism》 論理学で、外見・形式をもっともらしくみせかけた虚偽の論法。 ex.無限後退は詭弁である。 自己言及、パラドックスは道理である。虚偽という訳ではない、@ではないようだ。 論理学の虚偽の形式のことを言っているようだ。 詭弁は包摂が問題なのかね。
768 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 21:24:21
>>765 抜けている立場がありますね。
両立可能論の、「必要に応じて好きなほうを選べばよい」という考え方が抜けています。
私の考えでは、自由意志の有無は観測者の立場の違いに過ぎません。
科学的な視点――ラプラスの悪魔 or 神――の視点では、宇宙は
決定論的であると言われます。
また、人間の視点では、未来は不可知ですし、完全な予測も困難です。
今の物理学では電子の軌道を観測することは可能ですが、
来年の今日の天気を予測することは不可能と断言してもいいくらいです。
つまり前提が全く違うので、本当は別々の用語を使って厳密に表現すべき
ところを、慣習的に同じ言葉を使っているため、混乱と対立が起きて
いるわけです。
従って、仮に決定論が正しいにせよ、人間が「自分が取り得た」と考える
いくつかの行動と、その結果を関連付けて納得するために、自由意志という
考え方は有効であり続けます。
視点が一つに定まらない以上、真実が一つである必要はありません。
真実なんてものは、必要に応じて選択すればいいのです。
769 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 22:46:40
>>746 他人に良く思われたいというのは先天的欲求じゃない。
後天的に形成されるもので人による。デフォじゃないってこと。
また経験は参考に過ぎず、必ず則として実行されるものじゃない。
>>759 なんだよ、批評が欲しかったのかw
>>729 だが、ハチャメチャな図=これが評。外的な要因を並べ
立てたところで、せいぜいパブロフの犬の説明にしかならない。
人間をもっと考察しろ。
>>759 よほどパブロフがお気に入りのようだなw
「次に」橋を渡るか渡らないかは自由な意思決定で決まる。
前回までの行動が「次ぎも必ず」選ばれるなんて結論、どこから
引っぱって来たんだ?根拠無いだろw
過去の経験は参考に過ぎず、次を約束するものじゃない。
770 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 22:54:21
>>763 なんべん言えばわかるんだよw
意思は物理法則になんら支配されない。
過去の出来事を参考にする事はあっても
従うことは無い。
ムカつくから必ず罵倒語を混ぜてレスするなんて
ことは「無い」のよ。
どの行動をとるかはその都度選ばれる。
質問だが
>>745 「意思は自由に決定される」こと
を書いたが異論があるならどうぞ
>>751 因果律は・・単に過去を因と果に無理やり当てはめた
「結果論」に過ぎない。
脳の意思決定は因に係わらず自由になされている。
違うというなら事例を1個でいいから挙げてみて。
>>770 仏ヘの縁起(及び業)の考え方にケンカ売るようなレスだなw
(半分は誉め言葉だよ)
772 :
訂正 :2006/01/09(月) 22:58:54
773 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 23:12:37
>>770 まともな返答ができず自分の根拠のない主張を繰り返しているだけだな。
>脳の意思決定は因に係わらず自由になされている。
>>という事は脳は物理法則を越えている物質なのかな。
>>心は心理的な因果関係にも従わないのかな。
>意思は物理法則になんら支配されない。
答えになってないけど。
>「意思は自由に決定される」ことを書いたが
だからどこに書いたのか、それと今までの議論を踏まえて書き込んでね、って言っただろ。
774 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 23:20:46
>>769 >他人に良く思われたいというのは先天的欲求じゃない。
>後天的に形成されるもので人による。デフォじゃないってこと。
>また経験は参考に過ぎず、必ず則として実行されるものじゃない。
他人に良く思われたい、とか経験則が後天的に織り込まれることが
決定してるし、織り込まれないなら「意志」が存在しない。
それは人間じゃない。経験則が参考として機能していることは
認めてますね。それが影響とゆうものでは?
「機能」「影響」「自由」の定義が必要ですか?
私は影響される時点で「完全自由」はなく「ある程度自由」
だと思います。その程度を問題にしたいのですが・・・
775 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 23:22:43
普段から日常的に自由意志と決定論や自由について考えている人はいますか? その問題意識から本を何冊か読んだ人はいますか? そして自由意志について議論しようと思っている人はいますか?
777 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 23:34:14
>>773 鬼頭、おまえ頭悪すぎw
「脳における意思決定が物理法則に必ず沿う」、
また「心は心理的な因果関係に必ず従う」という立場を
おまえがとるなら、事実との整合性を確かめてやるから
事例を1件でいいからあげてみろ、といってるのよ。
結局、そんな事実は1例も挙げられないんだろ?
実際に「例ひとつ挙げられないものを根拠」に何を言ってんだ?
顔洗って出直せw
778 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 23:38:35
>>768 >いくつかの行動と、その結果を関連付けて納得するために、自由意志という
>考え方は有効であり続けます。
行動とその結果を関連付けて納得できるのは因果関係があるからでしょう。
779 :
考える名無しさん :2006/01/09(月) 23:39:28
>>777 おまえは1週間以内にこのスレに書き込む。
これはもう決定事項なので反論は不可。
780 :
鬼頭 :2006/01/09(月) 23:48:17
>>777 本当におまえは頭悪いな。
それも答えになってない。
>事例を1件でいいから
>>84 に書いた
アルコール中毒者がアルコールを摂取するように行動するのは脳内のある種の化学的反応に支配されているから
であり、中毒から自由になろうというのも、脳内の物理化学的な反応に基づく。
ニコチン中毒でもいいけど。
反論は期待してないよ。
自由意志の問題とは違うけど、ベルグソンはイマージュで器質主義を批判してるよね? 要するに記憶とか心の問題って脳自体とは別だという事だと思うけど、 それなら脳内物質の反応と意志も別問題だということになるよね? それとは別に、論理学には基本原則として充足理由律(因果律)があるけど、 「将来、こうなりたいなぁ」と思ったらその時点で人間はそこまでの経過(それが実現する理由)を 考えるよね? これが回避可能か不可能か、なんか不可避な気もするけど、脳の問題とは別だよね。 上の方のレス(763あたり)読んだらなんか混同してるみたいだったけど、ちゃんと分けて考えようよ。
782 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 00:02:16
>>774 おまえ、自分の言ってる言葉の意味がわかってないだろw
おまえは言う→「他人に良く思われたい、とか経験則が
後天的に織り込まれる」
悪いが俺は他人に良く思われたいどころか「悪く思われたい」
が後天的欲求だ。経験も「則にはしない、都度考察する」だ。
俺の意思はそういうふうにして決まる。
友人にもそういう人間はいる。事実だからしかたがない。
パブロフと人間の違いがおまえ何もわかってないよ〜だなw
いいか、行動は「一度に一つ」しかとれない。
その一つを選択する際に、過去の出来事は必ず参考にされる。
それを影響と呼ぶのもいいだろう。
ところで現在ヒトが欲求することを過去が必ず解決してくれるか
というと、ほとんどすべてがそうじゃない。諸条件は刻々と変化
しており変化こそが常態だ。人間は犬じゃないってことさw
そこでどうするか?
そこで人間は犬と違って過去に囚われず「自由に」考え、意思
決定をするんじゃないw
それともおまえは単細胞的「刺激反応」しかしないのか?
>>782 あ、それから、
>悪いが俺は他人に良く思われたいどころか「悪く思われたい」
>が後天的欲求だ。経験も「則にはしない、都度考察する」だ。
>俺の意思はそういうふうにして決まる。
天の邪鬼って知ってるか?w
あと、ここで語られているのは
「見做し方」「受けとめ方」だと思われるが如何が?
785 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 00:21:10
>>780 意思が「自由か不自由か」の論議の前提だが、
「意思の発動が行なえる条件下」でないと意味が無い。
おまえのしてる話は「脳挫傷、寝てる時、死んだ後」も
意思決定は自由か?という問いと同じ。
つまり、「意思の働かせられない条件下で」自由な意思
決定が可能か?と問題提起してるわけよ。
お地蔵さんに「どっちか選んでみろ、意思を示せ!」
「示せなかったらお前に自由意志は無い」と言ってるのさ。
馬鹿だろ、おまえw
正常な活動を脳ができなくなる影響を与えた後・・という
その条件下で脳の機能を論じて、それがいったい何になる?
ほどほどにしとけw
786 :
ど、どうよ。 :2006/01/10(火) 00:24:06
>>1 制限がある中で自由というものが存在する。
制限が無ければ自由もない。
787 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 00:28:31
>>783-784 おまえホントに論理がわからないんだねw
通常、論理を展開するときは論理のわからないパブロフとか
ミジンコをその主体に置いて考えるものじゃないだろ。
理性を備えた人間を主体において語るのが当たりまえだろがw
アル中やパブロフ、ぞうりむしの話じゃなく、
人間の意志について語ってんだからさぁw
788 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 00:39:48
>>786 なに寝ぼけたこと言ってんだよw
おまえの言ってるのは「行動」の自由だろ。
意思は「脳内の活動」だから「行動できる・できない」に制約されない。
なんだ、都合で左右されるものなのか。 ははは
790 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 08:43:12
791 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 08:48:15
>>786 あながち間違ってないのでは・・・
選択肢が自由を提供するが、同時に自由は選択肢の範囲に縛られてしまう。
もし選択肢が無ければ、チョイスが無い。
後天的知識・経験則が無ければ選択肢は無い。
「jkl*#j+i;8%&」したいなーとゆう感情は生まれ得ない。
↑経験してないから表現不可能
ちなみに新しいことをした時の楽しみは経験則に残るし、知識で
スポーツの形態、名称等を知っているので「ハングライダー」したいなー
とかは代入可能。ま、脳内では映像的に引っ張ってくるんですが。
792 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 09:17:25
>>782 >悪いが俺は他人に良く思われたいどころか「悪く思われたい」
が後天的欲求だ。経験も「則にはしない、都度考察する」だ。
良く思われたい、とゆうのはあなたの例が本当なら
「他人にどう思われたいか」が後天的に織り込まれる、と書き換えますよ。
経験に関しては参考として機能していることはやはり認めていますね。
では経験したこと以外に参考にするものが無い、とゆうのは制限じゃないでしょうか?
とゆうことを
>>791 に書いてみました。経験とゆうのは後天的知識の総称なのですが。
それから、あんまりアル中・脳挫傷・おじぞうサンとか極論的なものを同列に扱おうと
すると、その「間」が見えなくなりますね。「間」こそ議論すべき対象なのでは・・・
と思います。
793 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 09:39:48
で?
794 :
鬼頭 :2006/01/10(火) 09:44:17
>>785 >脳の意思決定は因に係わらず自由になされている。
>意思は物理法則になんら支配されない。
>>という事は脳は物理法則を越えている物質なのかな。
>>心は心理的な因果関係にも従わないのかな。
これ未回答なんだけど。
例えをあげろ、あげろと命令して話をそらし逃げれたつもりか。
>「意思の発動が行なえる条件下」でないと意味が無い。
意志の発動って脳内の反応によらないのかな。
>>アルコール中毒者がアルコールを摂取するように行動するのは脳内のある種の化学的反応に支配されているから
>>であり、中毒から自由になろうというのも、脳内の物理化学的な反応に基づく。
>>ニコチン中毒でもいいけど。
>「脳挫傷、寝てる時、死んだ後」も意思決定は自由か?という問いと同じ。>お地蔵さん
へぇ〜、中毒患者は「脳挫傷、寝てる時、死んだ後」や地蔵と同じなんだ。
ちょっと考えれば中毒でなくても人間は様々な欲望に規定されそれが脳内の反応に従っていることがわかるだろ。
馬鹿だろ、おまえw
>正常な活動を脳ができなくなる影響を与えた後・・という その条件下で脳の機能を論じて、それがいったい何になる?
正常な活動自体制約下にあることがわからんのか。
795 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 11:52:07
>で? つまりあなたの意見は解かります。そりゃそーなんだけど、それは正誤性の レベルではなくて、私は別のフレームで見ています。とゆうことです。 あなたが言っている自由は、あなたが自由と呼びたい範囲で自由でしょう。 私はそれを「限定的な自由」と見ています。見ているものが同じでも 捉え方が違います。
796 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 12:42:45
>>794 馬鹿杉w でもヒマだから相手してやるw
「意思が物理法則に従った事例」や「心はが心理的な
因果関係に従った事例」が【ひとつも無い】んだから
意思や心が物理法則「外」にあるのは明らかだろ。
これ以上の証明があるかよw
「無い事実」を基にした論は無効なんだよ!
対してお前の主張にはなんの裏づけも無いじゃんよw
いい加減、言い逃れるのヤメて論証してミレ
アル中・ニコ中に「なる」も「ならない」も意思は自由に選択できるし、
ちょっと考えれば、人間が様々な欲望を自由にコントロールしており
意思によって脳がコントロールされてる位わかるだろ。
ゾウリムシか、おまえw
797 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 12:44:11
798 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 13:05:46
>>796 逆だな。
>「意思が物理法則に従った事例」や「心が心理的な
>因果関係に従った事例」
しか、この世には無いんだよ(^^)b
は、言い過ぎか・・・w
799 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 13:22:43
>>798 だからぁ〜〜〜〜〜、1個でいいからその事例挙げてみれ♪
「1個でいいんだよ」
800 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 13:54:34
801 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 14:20:09
なにが手足を動かせるかじゃなくてさ、 「意思が自由ではない」という実例、不自由である事例! それを示さずに、このスレの人は「意思に自由は無い」と 「念仏」だけ唱える気でいるらしいんだが・・w ま、百万遍となえればあるいは・・w !!
802 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 14:50:26
君の話し方では 「意思が自由に行使できる状態でなければ意思は無い」 すなわち 「意思がある状態とは自由に意思が行使できる状態」 といい続けているだけであって自由な状態と意思の存在がワンセット になってるわけ。 だから物理作用である自白剤、アルコール、ニコチンも自由意志を行使 できなくするものは全てオミットできるんでしょ。 単純だなぁ
803 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:15:58
>>802 自白剤、アルコール、ニコチンは「自由意志で拒絶できる」だろw
現に俺の意思はそれらすべてを拒絶してきた。
おまえがどれひとつ拒絶できないとしたら、それは「できない」
んじゃなくて拒絶「したくない」→拒絶「しない」にほかならない。
まさに自由意志の結果なのよ。
「自分で飛び込んどいて」→自分の意思じゃない、はウソつきだろ
んなこともわからんのかw
そんなんじゃ、なぜ俺の主張を崩せないか?
そのメカニズム一生わかんないだろなw
も少ししたら教えてやってもいいが、それじゃ成長できないw
804 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:17:23
自白剤拒絶したってすごいなw どこのSPK?
805 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:21:26
>>804 使われる状況に身を置かなきゃいいだけだろw
806 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:26:33
「自白剤を拒否する」は普通じゃないの。 「自白剤を打たれても、自白することを拒否し続ける」 のはすごいんだろうけど。
807 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:32:27
複数の人間が自由を意志を持っていて、それは相反している それを実行に移そうとした場合どれかの意志は実現しない (意志は必ずしも実現し得ない) 生まれたばかりの子供がノーベル賞級の発明をしたりはしない (意志(思いつき、発想)はこれまでの経験や蓄積から生まれる) よって、少なくとも完全に自由ではない
808 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:34:18
意思の自由に関しては、実現は関係ないんでは。
809 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:36:01
意志の自由ってのが何を指しているか良く分からんから両方書いた 思いつき、発想等の意志(?)も過去の経験から来るところが大きく 制約を受けているのは明白
@Aさんは自動販売機でコーヒーを買おうとしました。 Aしかし直前で気が変わり、コーヒーではなくポカリを買いました。 B実はその自動販売機からは人間の脳に作用する特殊な電波が出ており、 その自販機の利用者は必ずポカリを買おうと意志してしまうのです。 Cそのことを知ったAさんは、もう一度その自販機でコーヒーを買おうとしました。 Dしかしまたも気が変わり、自ら(ポカリを買おうと思って)ポカリを買いました。 さて、Aまでの段階だけなら「Aさんがポカリを買ったのは自由意志によってだ」と 言えそうですが、皆さんはどの段階でそう言えなくなる(あるいはならない)と 思いますか?
811 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:43:17
過去の経験(の記憶)はその人の人格の一部だから、 それによる制約は自分自身の意思による制約であって、 意思の自由の制約ではない、という考え方もできるよ。
812 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 15:47:48
>>811 だから、『制限された中での選択』であって『何者にも束縛されない完全な自由』では少なくとも無い
>>812 ええと、自由というのは「自らにのみ制約される」ことですよ。
「何者にも束縛されない」のは、「自由意志」における「自由」ではないですよ、
「自由電子」のような、意思を持たない物質が特定の力の制約化に無い
(つまり、てんででたらめに動いている)状態です。
人間がそういう状態になるのは、脳障害や精神疾患に罹ったときでしょう。
814 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 16:00:29
他者が居て、そこから強制力があっても 『強制力はあったが、決定を下したのは自分の意志だ』 なんていったら恐喝とかその他諸々の犯罪が全部許されるなw
815 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 16:04:19
では実験してみましょう。 いまからこの文章を読むことを意志の力で止めて下さい。 あなたの自由意志を働かせることによって「読む」とゆう行為を止めてみて下さい。 まだ字を追っていませんか? 意志の力は働いていますか? 読むとゆう行為を自由意志によって停止することができないハズです。 可能だったなら私の文字はもう読まれていないので、書いていることは絶対です。 あなたが読まなかったなら絶対が存在しなくなるので失うもの何もはありません。 いいかげん読むことを自由意志により止められましたか? 読むことは人間の恣意的、文化的条件付けによる後天的特性です。基本欲求とは 関係ありません。空腹なのに食べるな、とか眠いのに寝るな、とか書いている わけではないのです。意志の力で遮断できることを「やってみて下さい」と書いて いるだけです。しかも今あなたはアルコールもとっていなければクスリも飲んで いないはずです。たかだか実験にムキにならないで下さいよ。 あーあ、最後まで読んでしまったんですね。
816 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 16:06:45
1行目でトメましたが、なにか?
817 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 16:14:44
いや何でもないです
オレも1行で止めたが
819 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 17:33:35
>>814 まったくそのとおりですが、それが何か?
820 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 17:36:22
822 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 17:59:32
>>821 多数の人は
『他者によって強制された意思』
が存在すると思っているということ
それすらも、自分で思ったことなんだから『自由意思』だ、というなら別にいいかとおもうが
誤解される言い方であるのは間違いない
823 :
753 :2006/01/10(火) 18:00:30
>>754 唯物論がもっとも確かだ、なんて書いた覚えはないよ。
唯物論による否定が強力だってのは、
>>732 や
>>737 みたいな過去の経験や対人圧力みたいなものに関しては、まともな唯物論者ならそこに一定の自由を認めるだろうから。
認めて尚、その自由は物理的な過程として実現されたというのだから自由意志の出る幕はないことになる。
これは例えば
>>727 や
>>810 にあるようなどこまでが自由意志でどこからが自由意志じゃないか、
という線引き自体が無意味だって言ってるんだからもう全面的な否定といっていいと思う。
>>751 因果は物だけじゃないよ。
自由意志というからには漠然とした気分じゃなく、何かを実現する働きを認めなくちゃならないだろう。
原因も結果も判然としないところで自由意志が生きていけるとは思えない。
824 :
753 :2006/01/10(火) 18:00:54
>>768 まあ、自由が道具みたいなものだとしたら「必要に応じて好きなほうを選べばよい」という考え方も成り立つかもしれないけど。
あるいは「人間が「自分が取り得た」と考えるいくつかの行動と、その結果を関連付けて納得するため」に有効な方便だとしたら。
でもそんなものが自由と呼べるとは思えないなあ。
825 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 18:29:32
自由不自由など相対的な概念です。 一般には、人間が主観的に見て、一度に考え尽くせないほど多くの選択肢があるのなら、それは自由だということです。 また、たとえ選択肢が少なくても逆の選択が許される場合、やはり自由であると考えることが多い。 結局主観なわけですから、意識や思考の限界こそが自由度の分母となるわけです。
826 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 18:43:29
827 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 18:52:14
じゃぁ自由の度合いとハッピーさは比例しないんだね
828 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 18:55:18
829 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 18:56:48
>>822 >『他者によって強制された意思』
>が存在すると思っているということ
それは誰も否定してないですよ、なんで唐突に、
ここで、わざわざそんなこと言い出すんですか?
830 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 19:06:19
>>829 >>803 を書いたのはあなたかい?
誰も否定していないと言うけれど
803は解かってなさそうなんだがなぁ・・・
831 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/10(火) 19:16:01
自由意志なんて、所詮、皆無いよ。 なにものにも規定されない意思なんてない。 問題は、世界、国、社会などの共同幻想等から自分の意思も規定されていることなどにも気付かず、 無知蒙昧の中で自分の自由意思だと誤解している何も考えていない人間ばかりが増殖し続けていること。
832 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 19:23:44
いや、それが解かってないやつを探してるんだが・・・
833 :
鬼頭 :2006/01/10(火) 19:55:08
監獄における囚人、それと同じシステムを用いた学校における生徒、なんかに繋げて自由を論じる人はいないかな。
>>796 >>という事は脳は物理法則を越えている物質なのかな。 心は心理的な因果関係にも従わないのかな。
>>ちょっと考えれば中毒でなくても人間は様々な欲望に規定されそれが脳内の反応に従っていることがわかるだろ。
>脳の意思決定は因に係わらず自由になされている。 意思は物理法則になんら支配されない。
>意思や心が物理法則「外」にあるのは明らかだろ。
まだ答えになってないんだけど。
>「無い事実」を基にした論は無効なんだよ!
その言葉はそのまま馬鹿なおまえに返そう。意志が物理法則を超えているとする根拠が見当たらないのだが。
他者が完全に心理的な因果を超えた決断を下し行動した事例も見た事がない。
>>402 に書いてある
物理化学の法則に従わないから自由意志があるとするならば、人間の意志は物質的基盤を持たないとするのか、
その自由は人間以外の他の生物にも存在するのか、どのくらいの生物から自由が存在するのか
に対して中身のある反論はないのだが。
人間と機械、人間と他の生物、生物と無生物、精神と物質を区別できる根拠はどこにあるのか。
>人間が様々な欲望を自由にコントロールしており
じゃあなぜ人間にはパターン化された行動様式や予測可能な行動があるのかな。
>意思によって脳がコントロールされてる位わかるだろ。
へぇ〜、意志は脳を超え脳をコントロールしているんだ。根拠は?
834 :
鬼頭 :2006/01/10(火) 20:10:10
自由意志が無いと法に意味はないというのは、神がいないと法に意味はないというのと似ているな。 神がいなくても法は成り立つ、法や規範は個人の利己主義を基盤にしている、という主張は、 人間は意志も含めて機械である、と同じ破壊的ニュアンスがあるように思う。
835 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 21:36:15
真実とやらがどうだろうと、それで現実が変わるわけじゃあないのにねぇ。 単なる思い込みが破壊される程度の些細な変化を、現実の崩壊や法の破綻と 等価に論じるとは馬鹿馬鹿しい。まず結論ありきで視野が狭窄した連中には辟易するね。 挙げ句、意志は脳を超越するだと? おまえは心理学も生理学も科学の悉くを否定して、課せられた立証責任すら放棄して、 くだらぬトンデモの世界に逃げ込むのか。そのことに気付かぬのか。 嗚呼これだから無自覚な無知とはオソロシイ。まるでソクラテスに非難されたソフィストの末裔だよ。
839 :
考える名無しさん :2006/01/10(火) 23:19:12
わかった。多分我々はある種の霊的存在なんだよ。既に。 生物とゆうシステムはそうなんだ。きっと。 意志は物質に直接作用でき(脳内化学物質のみ)その延長として 手足で石が動かせる。でも脳内化学物質にも意志は影響される つーよーな相互作用がある、とゆうことにして明日から気楽に生きることにします! (後天的諸条件に関しては不満ないので)
生命誕生から現在までの進化論を認めるなら 自由意思なんて無いって気がつくと思うんだが・・・ 刺激に対する反応が複雑になってるだけだろ? まあ、神が人間作ったとか言うなら話は別だが
841 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 11:23:17
精神病患者は自由意志
842 :
鬼頭 :2006/01/11(水) 14:37:03
>>835 人の世界観を支えているフィクションや思い込みが崩壊しても現実は変わりませんね。
自由意志がないから人間は生きる意味がない、法は無意味だ、といって犯罪を犯しても
現行法で処罰されるだけですから。
人にとって好ましくない事実が起こる因果連鎖を知ればそれを断ち現実を変える事はできるようです。
たとえば、病気のメカニズムを知る事で薬をつくり病人を治療するとか。
843 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 14:59:32
>>842 この理屈を帰納すると、不老長寿こそが自由意志ということになりますね。
844 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 15:02:52
不老不死かな。
駅で階段見上げたら女子中学生がいてさ、スカートの中見ちゃったんだよ。 そんでその女子中学生にいきなり振り向かれて 「せ、責任とってお嫁に貰ってください・・・」 って言われちゃったんだ。 俺は慌てちゃってさ 「・・え?は、はぁ・・・」 みたいに返してそのまま通り過ぎようとしたら 俺のシャツをチョコンと指で掴んでずっとついてくるのね。 そんでとうとう家までついて来ちゃってさ 「はじめてですけど覚悟は出来てます・・・」 とか言うわけよ。 この高見盛そっくりの女子中学生を退治するにはどうしたらいいのでしょうか。
846 :
鬼頭 :2006/01/11(水) 15:35:32
>>843 不老不死になっても物理的な制約は逃れることはできないと思う。
>>845 1、俺には責任ないよ、と言う。
2、女子中学生には興味がありません、と言う。
3、君には俺よりもっといい人がいるよ、と言う。
物理的法則に縛られてない=自由・・・という主張をされてる方がいるようですが。
>>774 さんや他の方がちらほら言っているように環境や様々な要因に影響されている時点で自由意志はないと思います。
自由意志という言葉から自分で考えて決定を下し、それらはどのような外的要因(物理法則)にも囚われない、と考えている方が
おられますが、そもそもその「決定」に至るというプロセスで根本的意思が証明できていない以上、私には理解しがたいものです・・・。
色々反論が出ると思いますが私は生まれて間もない赤ん坊が完全な自由意志を持っていると考えています・・・。というのも根本的意思が私には証明できない以上、
無力ながらも、生まれて生きようとする行為が自由意志ではないかと考えます。
848 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 15:40:27
>>846 物理的な制約は、物質一般(物質としての人間も含む)を規定しますよね。
認識/存在主体としての人間は、体制の制約からは逃れにくいでしょうね。
849 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 16:21:35
>727>732>774に対しては、
>>811 のような返答こそが期待される。
つまり、畜積された過去の情報は、既に取りこまれた自己のものだと見なしたならば、
(→それは外的因子とは見做さない、というスタンスの上でみれば)自由意志の幅は、ぐんと拡がる。
結局、定義や線引き、どこで使用される考え方なのか、に依るしかない。
「我々は自由意志によっている」という視点は、便利で好都合なわけだが、
(日常にはふさわしくないが)「自由意志はない」という見方もありうるという度量がほしかっただけ。
だれか
>>811 を詳細に展開してくれないかなぁ・・wktk
>626-628>632-642 このあたりもおもしろかった。
850 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 16:33:31
>>849 >>811 過去の経験(の記憶)はその人の人格の一部だから、
それによる制約は自分自身の意思による制約であって、
意思の自由の制約ではない、という考え方もできるよ。
↑
自分や近しい人間のRAMを慈しむことと、そのRAMを自分の意志を規定するものとみること、とは違う。
日本語でおながいしますm(_ _)m
852 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 16:46:01
>>850 『過去』と『現在』の区分が出来ないから
全部自分の意志っちゃあ自分の意志
たとえ頭に電極さして思考コントロールされても自分の意志
そんな自由意志の拡大
853 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 16:46:53
>>850 のRAMはサルトルのいう「対自」の「自」です。
そして、それは、つねに消去/書き換えが繰り返されるRAMです。
854 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 16:49:38
>>852 『過去』と『現在』の区分が出来ないから
全部自分の意志っちゃあ自分の意志
↑
大脳皮質で前後関係はソート可能ですよ。
これが「時間」という、ア・ポステリオチな「経験知」の機能。
855 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 16:50:44
ア・ポステリオチ→ア・ポステリオリ
856 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 16:53:40
前後関係ではなく何処までが『過去』で何処までが『現在』かということ
857 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 17:00:05
だから、RAMにメモリーされたときから、過去でしょ?
858 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 17:09:45
記憶素子に残らないFactは、記憶の総体も構成できないから、Factにもなりようがない。 と、ウィットゲンシュタインが書いていたようにも、いなかったようにも記憶しております。
859 :
鬼頭 :2006/01/11(水) 17:50:55
常識的に考えて責任があるのに「私の行為には責任はない、全て相手の責任だ」と言ったり
「不当に責任を要求されている」という主張の根底には肥大した自己愛による「自分には
責任追及や法は及ばない特別な存在なんだ」という意識があるのではないのかな。
もしくは「相手は例外的に何をやっても許される人非人だ」という意識と、そういう存在を
仮定する事による自己(もしくは自分と同じ意識を共有する集団)の選民化など。
私は人間の尊厳は自由意志に基づいていると思うので、自由意志を否定する事で人間全ての
尊厳を否定し、自分の自己愛の傷付きを防衛しようという意志があるように思う。
前提を欠いた偶発性を無害化する機能もあるのかな。
生まれた後に能力や魅力による利己的選良や人間集団での不自由の強制が行われるなら、
生まれる前から良い前提を持った者を選良して何が問題あるのか、と思う。
>>847 生まれたての赤ん坊も白紙ではないし、生きようとする意志に規定されているのも自由では
ないのではないでしょうか。
>>849 たとえばレイプされた女の人がそれ以来男に近づこうとしない、というのは外から強制された
体験による意志だけど、それも自分の意志としたところでどこに自由が存在するのでしょうか。
860 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 17:59:22
生まれたこと(居ること)と外部情報を取り込むことは所与のもの 居ることと情報の取り込みは不可分。しかし否定する自由もある=自殺。 生きて外部情報を取り込むことが「経験・知識」を広げ、チョイスの幅が自由を拡大する。 生まれた瞬間から「チョイスする機能を持った主体」が形成されるが、選択肢が少ない。 しかし同時に外部情報が莫大にインプットされ始め、時間軸に沿ってチョイスの幅が勝手に 拡大する。 拷問、自白剤、麻薬などの物理身体へのダメージは「その瞬間」の「主体の選択機能」を 制限するもの、とゆう意味で機能する。狂わせる、とゆうか。 投獄や拘束は「主体の選択機能」は保持したまま、「時間軸に沿った経験・知識の 増加による自由の拡大」を制限するもの、として機能する。タガをはめるとゆうか。
861 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 18:01:10
生まれる前から良い前提を持った者を選良して何が問題あるのか、と思う。 ↑ どうやって選良するのですか? その規準は? 生まれたての赤ん坊は、みんなタブラ ラサですよ。
>>859 あなたはこんな名前のものですよ、名前ですね
責任とはこんな制度ですよ、規則ですね
これがこんな制度においてなされなければいけませんよ、責任ですね
と教えて差し上げたらどうでしょうか。
863 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 18:03:32
>>860 拷問、自白剤、麻薬などの物理身体へのダメージによる強制的な自由の制限は、
「暴力」の範疇ですね。
歴史的に、且つ日常的に、決してまれなことではありませんが。
864 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 18:04:09
えーと赤ちゃんには「自殺」とゆう選択肢がインプット されていませんが、後に自殺の自由が与えられます。 死ぬことは「自由でいろ」とゆう命令に背くことなので 自由な主体が消えます。
犬のゲイはフェッチとチンチンが良くできると、かしこい犬なんだろ?
866 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 18:10:33
>>859 >たとえばレイプされた女の人がそれ以来男に近づこうとしない、というのは外から強制された
>体験による意志だけど、それも自分の意志としたところでどこに自由が存在するのでしょうか。
痛いこと、苦しいこと、とゆうのは「より生存するため」に必要な
「命令」なんです。その命令に背くことは「死」に近づくことであり
自由を脅かすものなんです。自由を守るための「命令」です。
その命令に「私は自由が好き」といって背いてもいいんですが、死に
近づきます。「自由でいろ」とゆうのは確かに命令です。
チッチッチ!! フェッチ! フェッチ!
868 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 18:15:23
>>863 >拷問、自白剤、麻薬などの物理身体へのダメージによる強制的な自由の制限は、
>「暴力」の範疇ですね。
もっと身近にアルコールがあります。
自分で判断力を狂わせて車に乗る人がいます。
これは暴力とも言えますが、自由(選択機能)の自主的放棄とも言えます。
>>生まれたての赤ん坊も白紙ではないし、生きようとする意志に規定されているのも自由では ないのではないでしょうか。 >>えーと赤ちゃんには「自殺」とゆう選択肢がインプット されていませんが、後に自殺の自由が与えられます。 私の説明不足だったようですね・・・すいません。 私の考える自由意志とは生きる、ということそのもので「本能」と考えています。 後から付与される様々な意思の自由とは別で、ただ生きるという純粋な思いのみあてはまり 意思のそれとは別で自殺は「自由意思」とは考えておりません。 >>生まれたての赤ん坊も白紙ではないし、生きようとする意志に規定されているのも自由では ないのではないでしょうか。 別に白紙ということに拘っているわけではなく、脳が未発達な為に様々な情報を判断しきれないことが重要だと思ってます・・・。 生きようとする意志に規定されている、ということだけが我々の純粋意思ではないでしょうか・・・。
870 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 18:34:44
わかってきました。 みなさんがいわんとしているのは、 「生きようとする盲目的意志」のことであり、 「自由意志」などとは何の関係も無いということですね。
>>869 はつきつめていくとそこに至った訳で。
>>870 自由意志の定義がそもそもこのスレでもバラバラでそれをどうごり押しするかが大事なのです。
872 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 18:55:20
>>870 <自由意志の定義がそもそもこのスレでもバラバラでそれをどうごり押しするかが大事なのです。>
↑
であれば、先ず、「自由」の定義づけから必要だと思いますよ。
「意思」をくっつけるから、定義の振幅が大きくなる。
しかし、「自由」の定義づけも、一筋縄ではいかないでしょうね。
873 :
鬼頭 :2006/01/11(水) 19:03:06
>>860 インプットする情報やチョイスする行動も自分の快適な生存に有利か、自己愛を満たすかなどの
前提によって制約を受け、また環境自体がインプットする情報の幅を狭めている、とゆうか。
共同体からの排除や投獄や拘束は「主体の行動の自由」を制限する機能がある、とゆうか。
874 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 19:11:56
他者に規定される、とゆうことは自分が今まで行ってきた 自由意志による「無限の選択の軌跡」に責任を負うとゆうことであって 言わば自己責任ではないの? そうじゃないと主体が成立しない。 (法的なレベルでも) 「無限の選択の軌跡」自体が他者に影響されていたとしてもしょうがない。 他者にどう見えるか、までは自分にはどうしようもないじゃない。 そこまで気にしてたら自/他の境界線が無くなってしまう。 他者による自己規定に不自由を感じるなら、それはとりもなおさず 「他者に移る自分によって自己規定している自分」の責任ではないのか。 もちろん被差別のマイノリティに関する問題は他者による自己規定 が現実的に一定の力を超えて機能している(差別)から政治・法のレベルで 乗り越えられる問題として扱わなければならないし・・・ 物理的力による他者への干渉は最も厳しく対処しなければいけない。 つまるところ自由意志の行使は他人の自由を制限しない限りにおいて 保証される。それも程度によって犯罪か否か決まる。とゆうつまらない結論に・・・
>>872 そうなんだよw 自分の自由意志の定義が曖昧なまま進むから能書きの垂れ合いになる。
そういう意味では869みたいに自由意志への考えを述べるのも悪くはないかなぁと
876 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 19:37:46
>>874 <つまるところ自由意志の行使は他人の自由を制限しない限りにおいて保証される。それも程度によって犯罪か否か決まる。>
↑
これも、ちょいとあぶないですね。自由意志の行為は、他者と相互浸透的なものですから、他者の自由を制限しない保証は無い。
それと、その時々の自分の選択による自由意志の行使は、その国の、そのときどきの体制の意思と乖離した場合、法という体制維持のための上部構造としても機能してしまうバリアにより制約される。
即ち、「程度」の問題ではなく、その国の、そのときどきの体制の意思との「乖離度」により、合法か非合法かが「決められる」。
877 :
鬼頭 :2006/01/11(水) 19:38:54
>>874 自由意志による「無限の選択の軌跡」はどのように存在するのでしょうか。
他者に規定されている者に主体的な自由は存在するのでしょうか。
物理的力による他者への干渉は許されないという主張の裏には心理的圧力や
言葉による暴力による他者への干渉は許されるという意味が隠れている
のでしょうか。
878 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 19:44:30
>快適な生存に有利か、自己愛を満たすかなどの 前提によって制約を受け、 快適な生存に向かうことは生物個体として生存する方向=自由の拡大の 方向なんで問題ないと思うけど、自己愛ってどうなんでしょ。 よく考えたことないや。過剰な自己愛は能動的に獲得するものなんじゃないのかな。 >環境自体がインプットする情報の幅を狭めている 物理環境はしょうがない。この次元にいることを呪っても11次元で霊になる自由はないね。 この次元では1時1箇所にしか居れないから。でも移動はできる。社会環境もどうしようも ないけど亡命はできる。とこもある。経済環境などもどうしようもないけど出世しようと がんばることはできる。とりあえず「どうしようもない格差」はありますけど、それを を是正しようとするのが社会、法、政治。 >投獄や拘束は「主体の行動の自由」を制限する機能がある 当然因果から推測される事態に備えるのは人間の基本性能。死を避けるため。 自由を確保するため。それが防犯に機能すればイイことだし、○○党に投票したら 銃殺される、とゆう恐怖として機能するなら是正されるべき問題となる。 恐怖も「自由とワンセットの生存」にとって必要な禁止命令ととれる。
879 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 19:45:51
>>877 そもそも、自由とは、他者の自由と相互浸透的且つ相互葛藤的なものであり、
「他者の自由から自由な自由」などというものを措呈することは不可能だと思います。
「物理的力による他者への干渉」は論外として、
「心理的圧力や言葉による暴力による他者への干渉から自由」な自由などは、
わがままかってで、他者の自由に対するイマジナシオンも持てない小学生レベルの自由の概念ですよ。
880 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 19:58:19
こういう制約絡み、リスク含みの中でも、 そのつど、自分の意思で、「無限の選択の軌跡」を紡いでいかなければならない。 そこには路程表もなければ、道標も、正誤表も、なんにも無い。 それが、自由。 そして、この自由でもって、そのつど、自分で選択をし続けていくことが、自由意志の行使。
881 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 20:00:18
且つ、「何も選択しない自由」などというものは、もとより無い。
882 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 20:01:29
>>877 >自由意志による「無限の選択の軌跡」はどのように存在するのでしょうか。
自己を規定するためには自分だけじゃ足りないんですよ。絶対に。
他者を鏡として自己イメージを獲得しなければいけない。
そうゆう機能も他者にありますけど、干渉されることもあるわけです。
自分も他者にとって鏡として存在しなければいけないけど干渉してしまう
こともあるわけです。無限の選択の軌跡は「自/他」両方の中に記憶として
あるのではないでしょうか。もちろん自分と他者の記憶には誤差とゆうか視差
みたいのが出ます。
>言葉による暴力による他者への干渉は許されるという意味が隠れている
>のでしょうか。
これは否定しておきます。
883 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 20:03:24
>>879 小学生の方が、他者の自由に対する影響力への想像力が豊富であると想定されることから、
「わがままかってで、他者の自由に対するイマジナシオンも持てない小学生レベルの自由の概念ですよ。」は撤回します。
884 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 20:15:47
おまえら、行動の自由と意思の自由をごっちゃにしてる。 あと、法における自由と自由をごっちゃに・・。 一度、自由が何であり、意思が何か?ついでに意思と 行動の違いにも目を向けてみろ。
885 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 20:34:35
完全な自由とは永遠に到達不能のイデア、 意思とは個々人が考える志向性/方向性。 行動とは、自分も他者にも一元的に認識される表出のありかた。 法は、そのときどきの体制側の体制による体制維持のための規範。
886 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 20:43:10
つまり自由意志とは到達不可能な「選択のイデア」であり、実在ではない仮定としてのみ存在する。 よって自由意志など有り得ぬのです。
887 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 20:50:02
>>886 人間が、体制内/社会内/国家内/共同幻想内存在である限り、
完全な自己固有領域だけでしか成り立たない完全な自由などはありえない。
且つ、体制内/社会内/国家内/共同幻想内存在でない人間、というものも措呈できない。
∴完全な自由とは、人間にとって、永遠に到達不能のイデアである。
888 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 20:55:32
しかし、この自由を駆使し、そのつどの選択をし、対他、対世界にアンガジェしていくように強いられている、 即ち、「自由であることに呪われている」のが、人間存在である、というのがサルトルの人間存在の規定。 重いよ。
889 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 21:02:46
なんでそう上滑りなんだよw 自分で考える習慣が無いからなんだろけど・・
890 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 21:04:26
どんなものでもいいけど、なんらかの予定調和さえあれば、軽くなるよ。 かってに予定調和を観念的にこしらえられる人間や、予定調和を誰かが創造してくれると思っている無頓着な人間にとっては、 もとより、最初から、問題外の問題でもある。
891 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 21:09:31
>>889 上滑りではない、中滑り/下滑り、あるいは、滑ることのない、「あなたが自分で考えた考え」を聞く心づもりはありますよ。
892 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 21:13:47
自分自身で考えた考えはものすごく貴重ですよ。 だから、あなたが、自分で考えた考えを、是非に聞きたい。
893 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/11(水) 21:20:06
>>889 こっちは、最初から、私がコテハンであるハンディをあなたに与えている。
逃げは無しですよ。
894 :
考える名無しさん :2006/01/11(水) 22:38:13
意識、感情、記憶、欲求、欲望、知識、知覚・・・ こーゆーのはギリシャ語でやったほうがいいのかな。 ここで扱う自由意志って「理性」とゆう言葉に一番フィットする気がする。 だから理性(ロゴス?)が一切影響されないで行使できる状態が最も自由 なのかも知れないけど、生命維持のための空腹感だけで理性は濁る。 人間理性だけだったらつまんないし。部分的不自由は楽しくもある。
895 :
鬼頭 :2006/01/12(木) 01:11:59
>>893 「コテハンも名乗れない名無しのクセに何言ってんの?」
等のような事を思われるかもしれませんが、
コテハンを名乗って背負わなくてもよい責任を負っているのは名乗り始めたあなたの責任です。お忘れなく。
http://eva-2ch.hp.infoseek.co.jp/for-beginners.htm >>862 実名を名乗らない事による自己愛の肥大化と責任意識の低下は関係しているように思う。
>>281- あたりで「酷い事を言って相手を自殺するようにしたら本当に自殺したが私には責任ありませんよね」
とか言ってた女の子がいたけど自分の実名を晒されたらとたんに縮こまると思う。
匿名的ないじめとか理由をはっきり述べられない排除って女の子のパターンなのかな。
896 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 08:05:54
哲学で科学を否定できると思っている頭の哀れなコテがいるスレはここですか?
897 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 09:29:24
哲学で科学を否定することはできないが、 科学の周辺にある迷信を否定することはできる。
「哲学で科学を否定する」ってどういう意味? 科学の何を否定すること?
899 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/12(木) 11:22:04
900 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 12:22:29
うん。そういってもいいかも。 自由であるように、とゆうような方向付けからは逃れられない。 逃れる方法はあるけど、その方法を取れば自由はない。 知や経験は不可避的に増大するけど、「的」であって可否でもある。 自殺や自傷。しかし、その選択は自分にしか権利がない。 自分にしか権利が無いことを他人がしてはいけない。権利がないから。 もし自由を束縛するような方向性が「どうしようもない格差」として あるなら、現実的に解消されるべき問題として議題に挙がるけど それは不自由さの均等化であって、根本的にはどうしようもない。 (この次元にいることを呪って何になろう?) 芥川の小説に生まれてくるか否か決められる河童がいたような・・・
901 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 12:33:25
>>900 <もし自由を束縛するような方向性が「どうしようもない格差」として
あるなら、現実的に解消されるべき問題として議題に挙がるけど
それは不自由さの均等化であって、根本的にはどうしようもない。
(この次元にいることを呪って何になろう?)>
↑
名文ですね。
902 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/12(木) 12:36:10
>>900 (この次元にいることを呪って何になろう?)
↑
既に、「自由であることに呪われている」のですから、この次元を呪いかえしても詮無いことですね。
903 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 15:15:54
100%能動による100%自律的主体とゆうのはあり得ない。 ありうるとしたら表現はまずいけど完全なる自閉症。 他者とのコミュニケートがとれないはずだ。 そのような存在になりたいなら自分の自由意思の力でそうなりなさい。 とゆうことだね。他者に対する想像力を働かせなければ良い。 (俺は幻影を見ている。この世界に俺は一人とゆう主張) 生まれたばかりの赤ちゃんに対しては親しか他者はいないのだから 親は、赤ちゃんが自己イメージを獲得できるような良い鏡として機能し 最初の他者たる責任を果たしなさい。とも言える。 誰に対してもそうなんだけど・・・ 自分が他者に構成されていることを認めるなら、論理的に言って言葉/物理を 問わず暴力は否定される。「死んでもいいから殺したい」とゆう人は現実的に居る けど現実的に処分される。当然の論理的帰結として。
904 :
鬼頭 :2006/01/12(木) 18:36:11
自己の写し鏡としての他者を否定したのが引きこもりなのかな。 承認の供給不足から誇大自己を持ち続け、他者からの規定を認めない為に他者との接触を断つ。 満足できる承認が得られないからリビドーは自己に回収され、自分の姿は美化され誇大妄想的に膨らんでいく。 ネットに繋がれば人が思う限りの欲望があり有識者や著名人もいるので、美化された自己像の基盤として 自己とのリンクが形成される。本屋に行けばあまり人が読まない哲学・思想本や知的世界のアイドル達の本が あるので自己愛の延長物として所有する。所有が目的なので根拠のない全能なる自己の象徴としての大量の 積読本に囲まれる事になる。
905 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 18:48:26
尤らしく見えるだけの間違った動機。 ただの偏見の域を出ていない。5点。
906 :
考える名無しさん :2006/01/12(木) 19:05:55
家族のため他人のため集団のため地域のため国のため。 そういった主義を排除して、戦後日本は民主主義と云う名の個人主義を教育してきた。 そして戦後60年を過ぎて世代が代わり、親も子も個人主義を謳歌してるのが今の日本。 さらに、経済の発展は停滞し、国内の仕事は海外に流れてゆく。 老人は辞めず、移民が職を奪い、若者の給料は増えない。やりがいなどあろうはずもない。 個人主義を学び親のカネを持っているユートピア世代にとって、労働はもはや 苦役(または趣味)でしかなくなった。 人々が働かないで遊んで暮らせる世界を夢見て働いてきたのだろう? 資本主義に洗脳されて抜け出せなくなった奴隷に代わって、 NEETはその夢を叶えてやっているのじゃないか。
907 :
鬼頭 :2006/01/12(木) 21:12:31
さっき喫茶店で綿矢りさ似の子がぼんやりと宙を眺めてタバコを吸いながらipodで音楽を聴いていた。 かわいかった〜。 隣の席に置いていた白いコートを着て先に店を出てしまった。 声をかければよかったとはげしく後悔。 ヒッチハイクはした事はあるけどナンパはした事はない。 ナンパできる能力がほすぃー。
908 :
鬼頭 :2006/01/12(木) 21:34:22
連載第一六回:自由とは何か?
■彼らはいずれも、自由ないし自己決定を自己原因性として把握している点が共通しています。
■これは、因果帰属と選択帰属との混同です。両者を区別したのが、カントです。世界が因果的に決定されているのなら
(カント自身が信じるニュートン的世界観)自由意思などあり得ません。彼は、自由とは、因果的な自己原因性でなく、
意思通り行為できることを指すのだと考えました。
■論理(純粋理性)と倫理(実践理性)を分離したのです。人倫の世界では、意思が妨げられていない以上、別の行為を
意思できた筈だと了解されます。その限りで、当事者に自由意思があった──殴らない選択も意思できた──と見做され、
責任が帰属される訳です。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=136&catid=7 連載第一七回:下位システムとは何か?
■前回を復習すれば、カントの自由意思論(『実践理性批判』)が示すように、自由とは因果的な自己原因性ではありません。
即ち、因果帰属でなく選択帰属の問題なのです。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=155&catid=7
909 :
鬼頭 :2006/01/12(木) 21:44:39
カントにおける自由 自然の現象界(感性界)では、結果はそれに先行する原因によって決定され、すべてが因果法則によって必然的に支配 されている。道徳が可能であるためには、人格の自由な行為があらねばならず、カントは自由な人格の世界として英知界 を説いた。人間は感性的存在としては必然的な自然界に、道徳的人格としては自由な英知界の両方に属している。 人格は英知界の自由を根拠にして、みずからが立法した道徳法則に従って善を実践する。 自由意志 近代において自由意志は、決定論と対立する倫理学上の用語として使われるようになり、カントがこの意味での自由意志 を擁護する立場にたった。彼によると、仮に決定論が正しければ、責任を問うということが無意味になり、したがって 道徳が不可能になる。感性的欲求といった傾向性から独立して、実践理性が命じる自律的な<定言命法>に従うところに 道徳的行為が成り立つのである。彼において自由意志は、実践理性の自律を意味することになった。 自由意志 カントはライプニッツとともに自然の因果性を超える自由の事実(ライプニッツのいう〈事実の真理〉)をみとめ, これを神,不死とならんで道徳のための要請とした。
910 :
鬼頭 :2006/01/12(木) 23:30:33
>>874 >「他者に移る自分によって自己規定している自分」の責任ではないのか。
自分の容姿、性格、能力を規定しているのは全て自分の自由な意志によるわけではないでしょう。
>一定の力を超えて機能している(差別)
他者による不当な自己規定が差別なのかな。
>>878 >生存する方向=自由の拡大の方向
これも自由の定義の問題ですね。
>過剰な自己愛は能動的に獲得するものなんじゃないのかな。
環境により生じるようです。
もうすぐ終わるね。けっこうよかったんジャマイカ?おまえらにしては。 がんばったんだな・・・ 次スレは立てんなよ ジャバヨ
912 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 11:14:37
人間は物理環境から逃れられず、それに規定もされ、環境を取り込む (物理的にも食物を、また情報を)のだから環境破壊は良くないとゆう エコロジーに気がつくまでに相当「壊さないと」気がつけなかったわけだが (局所的には気がついただろうけど、社会通念にはなっていなかったの意) 友愛とゆうか殺人の否定、つまり心的環境破壊はどんな宗教でも禁じて いたんだなぁ。と。
913 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 11:41:37
>>910 >自分の容姿、性格、能力を規定しているのは全て自分の自由な意志によるわけではないでしょう。
そりゃそうですよ。だからピアッシング、タトゥー、整形によって
更なる自由を獲得しようとするんです。身体改造系の議論になりますね。
>>生存する方向=自由の拡大の方向
>これも自由の定義の問題ですね。
だから自由のためには「ある」状態じゃなきゃならないでしょ。
でも「無くなる」自由もあるんです。河童の話の意味わかりますかね。
>>過剰な自己愛は能動的に獲得するものなんじゃないのかな。
>環境により生じるようです。
環境とゆうのは「どうしようもない不自由さ」なんですけど
あなたの言う「生じる」ってのは能動?受動?
私は過剰な自己愛は能動によって獲得するんじゃ?って言ってる。
もし受動だったとして、過剰な自己愛が「自/他」に現実的な
被害をもたらすなら(それが証明できるのなら)なんらかの
対策が必要ですね。でも私は専門化ではないので・・・
そして今のところ困っていないので・・・
914 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 12:01:38
能力・性格について これらは100%受動でもありません。選択の軌跡に責任が問われます。 機能としての身体に関しては鍛えることができます。足の短いのは身体改造の分野です(容姿)。 能力(機能)の飛躍的拡大に関してはサイバネティクスの分野ではないでしょうか。 医者は身体機能の障害を治すところで変身はさせてくれません。 性格に関しては難しくなります。今Cとゆう性格だが、A’とゆう性格になりたい。 だがA’になった自分は自分だろうか? ある種の自己啓発セミナーにあるイカガワシサ、宗教のイカガワシサ・・・ しかし性格を変えたいとゆう欲望があり、その欲望に答える経済活動は実際にありますね。 精神科とゆうのは機能障害を正すところで、変身するところではありません。 脳の能力とゆう点では学習があり、飛躍的拡大とゆう点では外部記憶、コンピュータが ありますね。
915 :
鬼頭 :2006/01/13(金) 13:41:27
>>911 私はコピーを残すように利己的ミームに操られているので次スレを立てないわけにはいきません、なんつったりして。
>>913 過剰な自己愛や誇大自己の温存は満足できる承認が得られない環境で受動的に形成されるようです。
能力を伴ってない場合は周囲からの自己規定によりその人本人を不幸にするようです。
理想に自分を一致させようと人並み以上に努力する原動力になる事があり、能力に結びつく事もあるようです。
「他者が鏡として機能し自己規定する」とか「あの人はこういう人間だから素晴らしい」というとき、評価は何に
基づいているのか、価値評価システムが共同主観的に成立しているのはなぜか、という疑問があります。
>>914 >選択の軌跡に責任が問われます。
選択意志の自由を可能にする自由意志がどのように存在するのかが問題ですね。
916 :
めも :2006/01/13(金) 14:48:06
J.S. ミル『自由論』岩波文庫 ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』ちくま学芸文庫 仲正昌樹『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界』ちくま新書 斎藤貴男『安心のファシズム―支配されたがる人びと』岩波新書 森村進『自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門』講談社現代新書 佐伯啓思『自由とは何か』講談社現代新書 東浩紀,大澤真幸『自由を考える―9・11以降の現代思想』NHKブックス 東浩紀,北田暁大,宮台真司,大澤真幸,鈴木謙介『波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由』
917 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 15:21:45
( ´・∀・`)も〜早く2ちゃん辞めたいわ〜
918 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 15:51:12
いやいや相対を否定したいのならもう大変なことになりますよ。 物理的にやるとタイーホですよ。自殺でも痛いですよ。しらんけど 選択意志の自由を可能にする自由意志って所与のものだけど 捨てることもできるっす 幼少期に十分な自己イメージを獲得できなかったとして成人 してから親を訴えるケースはあるようですね。アメリカでは。 まーあとはイジメとか、育児放棄とかから物理的被害を捨てると 精神的なネグレクトが残りますね。それが証明できるのなら そして被害が証明できるのなら現行法で対応可能では? しかしヒッキーに何かを訴える気があるのか? なければ他者による「ヒッキーとゆう状態」の承認と対応が 取られるべきだ。ある状況により受動的にヒッキーになることが 現代において不可避ならば・・・
919 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 16:33:22
しかし、ここの自由意志否定論者が 自由意思を否定する事実を一例もあげられないのは ちょっと情けなさ過ぎ 真実から逃げ回ってて意思の核心に踏み込めるわけ もないのだが・・
自由意思の解釈が違いすぎて否定も肯定も何もないんだがw 『俺の思う自由意思とはこうだ!』っていってるだけだろ?
921 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 16:41:17
>>920 自由意志否定論者なの?
だったら、ごにょごにょ言ってないで、その事実を示したら?
>>921 自由意思とは何かこのスレでの意見がバラバラだし
否定も肯定も何もない
とりあえず
>>921 のいう自由意思とは何かを教えてくれない?
923 :
鬼頭 :2006/01/13(金) 17:20:12
>>918 >選択意志の自由を可能にする自由意志って所与のものだけど
私は選択も前提条件で決まっていて自由意志の介入する余地は無いのではないか、と思います。
宮台はカントを引いて因果帰属ではなく選択帰属として自由意志を擁護しているようですが、私の持っている解説書や
辞典などではカントは因果律を超えた自由を仮定していたという事になってます。
>親を訴えるケースはあるようですね。アメリカでは。
子供の主観的思い込みにより訴えられるケースもあり、そうした親の会などがアメリカにはあるようです。
日本でも成人を超えてから「私は親に承認されなかったからこうなった、訴えてやる!」と言い出す人がいるようです。
>被害が証明できるのなら現行法で対応可能では?
家族しか存在しない場で起こっているので親が否認する事もできるし、心理的被害の因果関係の証明はどうやるのか
謎ですね。
>しかしヒッキーに何かを訴える気があるのか?
自分が引きこもった原因を環境の責任にして訴える気のあるヒッキーはいないのでは。
>「ヒッキーとゆう状態」の承認と対応が取られるべきだ。
状態ではなくヒッキー自体に承認が必要なのかも。
924 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 18:25:45
>私は選択も前提条件で決まっていて自由意志の介入する余地は無いのではないか、と思います。 あーたそりゃ完全な決定論のこと言ってるならスレ違いだよ。 そして程度の問題を言ってるなら「社会・法・政治・科学技術」によって 不自由の均等化を図ろうとしている最中だよ。 解決に向かってるのにうしろ向きなこと言ってもしゃーないじゃん。 もしくは自分が努力するこったね
925 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/13(金) 18:33:53
>>923 >>924 所与の選択肢は、選択するつど、複数有る。
その順列、組合せが自由裁量の余地でしょう。
そして、また、別の複数の選択肢が現前する。
この軌跡が、あえていうなら、自由の領域でしょう。
926 :
鬼頭 :2006/01/13(金) 19:28:14
>>924 決定論と自由意志について論じているスレがないので(タイトルだけのものはあるけど)スレ違いって事はないと思う。
不自由の均等化っていうのは何ですか?機会の均等化ではないの?
決定論と自由意志の問題はうしろ向きな事を言っているのではなく、哲学上の問題として昔から挙げられている事なんですが。
927 :
753 :2006/01/13(金) 21:14:00
928 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 21:35:38
>>926 >不自由の均等化っていうのは何ですか?機会の均等化ではないの?
組織的に言えば機会の均等化とも言える。
根源的には相対の問題なので、AにとってBは不自由な存在だが「居て」
BによってAの自立的存在が補強される。逆もまた真。
とゆう関係性における不自由さは均等化される、の意。
それはお互い不快な思いをしないような最低限のルール=社会規範。
ここで初めて相対になる。相対があれば「幸/不幸」の尺度が発生し
相対的に不幸と思わしき者(機会の不均等に悩まされる者)には手を
差し伸べよう。とゆうことになる。
改めて問う。キミの現状における立場はいずれか?
1.自由意志は100%無い(機械的決定論)
2.自由意志はあるが非常に限定的である
3.完全保障された100%の自由意志がある
929 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 21:53:09
ミジンコやプラナリアに自由意志があると言うなら 人間にもあると言って良いだろうけど ほ乳類以上にしかないとか 脳がないと無いとか言うのは 進化論否定していると思うんだけど 思考も記憶も刺激と反応が複雑化しただけじゃない?
930 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 00:49:08
>>929 自由意志がある/ない は証明/反証不可能
現状では議論できないし、議論できるようになるかも不明だ。
物理は不確定性原理にぶつかる。脳生理学的の進歩でこと足りるのか?
ある/ない はほぼ信仰の対象
ないとゆう信仰をとるならこれ以上議論はできない
あるとゆう信仰をとるなら「程度」に関する議論はできる
そもそも何かを意志するとは何をすることだろう。 例えば今あなたは死のうと思うことができるだろうか。 心の中で「死のう」と暗唱すれば死のうと思ったことになるのか? 死ぬが極端すぎるなら右手を上げるでもよい。 心の中で「右手を上げよう」と暗唱すれば右手を上げようと思ったことになるのか? ためしに右手を上げずに右手を上げようと意志してみてください。
932 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 11:47:12
933 :
鬼頭 :2006/01/14(土) 13:15:24
>>928 >改めて問う。キミの現状における立場はいずれか?
>1.自由意志は100%無い(機械的決定論)
1だけど決定論と自由意志という文脈で単に人間の自由について言っちゃうと、
日常感覚での自由の程度の差が混同され全て不自由という話になってしまいかねないと思う。
934 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 14:05:58
>>933 自由意志の存在しない事例を一つあげてみてください
935 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 14:19:15
バカだな
936 :
鬼頭 :2006/01/14(土) 14:43:42
>>934 栄養を摂らなければ死ぬので摂るようにしている事。
空気を吸わないと死ぬので吸うようにしている事。
937 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 14:57:16
>>936 栄養を摂らずに死ぬ決定もその逆の決定も
空気を吸わずに死ぬ決定もその逆の決定も
どちらも意思の自由で決定できる事。
どちらの事例も存在する。
2ちゃんばかり入り浸ってないで新聞ぐらい読めw
938 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:08:05
>>936 もっとわかりやすいのがある。
「勉強しなさい」といわれてやること
939 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:10:50
少し前のファブリーズのCM知ってるか?
940 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:16:24
「今やろうと思ってたのに・・・」 ↑ これは?
941 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:22:18
>>943 自由意志だね。
いつかはやろうと思っていたということ。
942 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:28:10
>>938 「勉強しなさい」に対し、やるもやらないも
意思は自由に振る舞えるだろ
943 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:33:19
>>942 いわれたときとピッタリのタイミングでやろうとは思っていないんですよ。
ふつう、ピッタリってことはないですよね。
944 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:43:05
>>943 やるかやらないかの意思決定は自由なんだよ
やる自由を行使するタイミングも意志の自由だってこと
やると決めた1秒後やらないと決め直すのも その逆も
なにもかも自由さ。
945 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:50:14
>>944 そう。やれというからむかつくわけです。
自由意志を無視するから強制するわけです。
946 :
鬼頭 :2006/01/14(土) 15:55:20
>>937 ほぉ、ならばその意志の自由とやらで、呼吸を止め続けてくれ。
少しは頭を働かせて自分の意志決定の前提を疑ったらどうだ。
947 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 16:04:31
意思の自由と行動の自由は、 どうしてこうも混同されるのだろうか。
948 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 16:38:40
>>945 本来自由なはずの意志を、そんなものは無いかのごとき言動にて
他者が封じる行為は人道に反する、人権の侵害といってもよい。
気の弱い者はその語気だけで威圧され、相手と自分との位置関係
力関係をもって その支配下に置かれがちだが、個人の尊厳は
たとえ親子・主従の関係であっても侵すべからざるもの。
「なんぴとも平等である」・・の精神が社会通念上の常識として定着
するまで、この「言ってる事とやってる事」がちがうというおかしな日常
は続くが、その時代の到来を待つことなく個人レベルでさっそく行使
するのは自由だ。
どんな行動を選んでもその代償はいずれ支払わねばならない
「すぐ勉強する」「あとで勉強する」「勉強しない」どれを選ぼうが
それぞれに含まれる「利益と不利益のセット」のうち、どれを選ぶか
が自由意志の本質だが、その結果に責任を負うのも自己。
自信が無く自己責任が恐ければ長いものに巻かれるしかない
その場合自由意志は「ある」が行使しないことを選んだということになる。
949 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 16:49:26
>>946 俺に責任を持たぬ者が、俺の意思決定にかかわるなw
それは俺だけの仕事w
減らず口たたいてないで
おまえの「自由意志の不存在を主張する元、根拠」となる
事例をあげてごらん。
>>932 でも実際には上げなかったのでしょ?
右手を上げようと思った、と言えるためには
実際に右手を上げるか、上げようと思ったが何らかの要因に妨害されできなかった、の
どちらかでなければならないと思う。
誰かに右手を押さえつけられていたわけでも、右手が麻痺していたわけでもないのに
上げなかったのなら、あなた(私)は右手を上げようなんて思わなかったのでは?
右手を上げようと意志することは、心の中における「行為」(出来事)なのか?
右手を上げようと意志することは、本当に右手を上げることの「原因」になっているのかな?
951 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 17:03:50
>>590 >右手を上げようと意志することは、心の中における「行為」(出来事)なのか?
>右手を上げようと意志することは、本当に右手を上げることの「原因」になっているのかな?
どっちも正解だね。
右手を上げようと思っても上げないでいられるよ。
952 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 17:05:23
身口意の三業
953 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 17:14:04
>>950 馬鹿だな おまえw
「右手を上げずに右手を上げようと意志してみてください。」
↑
これって「右手を上げない意思決定をしろ」が優先指示なのよ。
上げようとする意志は「その次の意思にしろ」と言ってるわけさ。
優先順位のついた2つの意思の話。
で、ここからが肝心な話だが、
意思はいくつでも持てるが、行動は一度にひとつしかとれない。
同時には実行できないから、意思には「待機」や「次に」等の
条件付けが与えられるのよ。
歩きながら、空を眺めて、口を半開きにできないのかねw
955 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 17:22:05
>>954 「足」で歩きながら
「目」で空を眺めて
「口」を半開きにはできるが
「右手」を上げながら
「右手」をおろして
「右手」を半分だけ上げることはできないだろw
956 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 17:38:18
>>950 あなたが書いているとき、「右手を挙げる」って書きながら右手を挙げていないでしょ?
957 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/14(土) 17:42:43
このレスの流れを見ていると、自由の定義づけしないと、振幅の大きさの是正、収斂の方向性を見出せそうもなさそうですね。 現代における自由とは何か、これが命題でしょうね。
958 :
鬼頭 :2006/01/14(土) 20:30:02
>>949 自由意志で空気を吸わずに死ぬ決定ができると言いながら実際に要求されるとできないのか。
自分の意志決定を拘束している前提にまで思考をめぐらす知恵もなく素朴に自由だと信じているだけなのか。
他者からの理不尽な要求に快く答え実行する事ができない、というのも自由意志が存在しない証拠だ。
959 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 20:31:56
意思の自由と行動の自由は、 どうしてこうも混同されるのだろうか。
960 :
753 :2006/01/14(土) 20:37:56
>>959 > 意思の自由と行動の自由は、
> どうしてこうも混同されるのだろうか。
自由の定義づけよりそっちの仕分けの方が有益そうだね。
961 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 20:40:28
行動に自由はあるよな。過去との相対的に。 だが意志の自由はねぇ〜んだぜ〜これっぽっちもナァ〜
962 :
鬼頭 :2006/01/14(土) 20:41:53
>>959 意志の自由って想像の自由だと思っているのかな。
想像の世界では自由だ、だから意志は自由だ、とか。
963 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/01/14(土) 20:43:51
>>962 意思の自由と、行動の自由の間に、自由の定義に相違はありますか?
964 :
鬼頭 :2006/01/15(日) 00:11:38
>>963 私が言い出したんじゃないから、他の人に聞いて。
もしくは自分で考えてみるとか。
965 :
鬼頭 :2006/01/15(日) 14:39:30
人間の存在のしかたは、物の存在と根本的に異なる。物はただそこにあるだけの存在、単にあるところのものにすぎない。 人間はつねにみずからなるところのもの、自分でつくるところのものである。人間は物のように存在するのでなく、実存する のである。これがフランスの実存主義思想家サルトルの思想の根本である。人間は実存するのだということ、つまり人間は 自分の未来を自分で選び、決定し、自分でつくるのだということは、すなわち、人間は自由であるということである。 人間が自由に未来をつくるということは、人間の絶対的本質というものはありえないということであり、それは同時に 「神は存在しない」ということをあらわしている。人間の本質は神によって与えられたものではなくて、みずからの実存を 通してつくりあげるのである。「実存は本質に先立つ」という命題は、無神論的実存主義の第一命題であるとサルトルは 宣言する。 人間のあり方は、単なる物と違って「存在」でなく「実存」である。人間は、机やペンや時計のようにあらかじめその本性・ 本質が与えられていて、それにしたがってつくりだされたり成長したりするものではない。人間はまず、自己自身の生を生きて、 つまりまず先に実存して、その後でこの人はこれこれであると定義されるものなのである。 人間は、最初はまったく何ものにも規定されない定義不可能なもの=「無」である。人間は自己の責任で自分の未来を選び、 決断し、行為し、後になってはじめて人間となるのである。このように人間はいつでもみずから選びつくるところのものである ということは、人間は本質的に自由だということである。人間は自由であるべく呪われており、自由の刑に処せられている というようにもサルトルはいう。
サルトルが馬鹿だってことがよくわかった
967 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 15:35:28
>966が馬鹿だってことがよくわかった
968 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 16:35:42
>>967 そうするとサルトルは馬鹿の俺の下だから
なんと呼ぶかだが・・・ノータリン?
で
>>966 はそれ以下なので、池沼(爆!
969 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 16:42:19
私に自由意志がある(ない)とどうしたら証明できる? 私が見ている色が「赤」である(ない)とどうしたら証明できる? あなたに自由意志がある(ない)とどうしたら証明できる? あなたが見ている色が「赤」である(ない)とどうしたら証明できる? ※知覚は受動だが自由意志は能動
970 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 16:55:40
>>969 リベットの実験は自由意志すら受動的な脳細胞の発火でしかないことを
証明していると思われるわけだが。
971 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 17:13:39
発火のトリガーは誰のものなのかにー?
>>969 お前の自由意志もオレのもその有無は、お前やオレの意思に関する
事実・事例をこのスレでカキコすればすぐわかる。
おまえのを教えてやっから書いてみれw
お前が見ている色が「赤」であるかどうかは色彩表を指ささせれば
すぐに証明できる。
>>953 なるほど。
つまり、右手を上げないで右手を上げようと思うためには、
「最終的には右手を上げないでおこう」と、より強く
思ってなくてはならないってこと?
他人の場合は、その人の右手が上がってから「あの人は右手を上げようと思った」
ということが分かるけど、自分の場合はどうなんだろう?
無意識に何かを意志するってできるのかな?
>>971 その質問への答えは、
「このコップの中の水分子はどこから来たの?」
ってのと同じくらい答えづらいものになる。
だから、中世の「水から生命が生まれるのだ!(それ以前の影響は無いのだ!)」
という考えと同様、「脳から意思が生まれるのだ!(それ以前の影響は無いのだ!)」
という考えを錯覚してしまう。
実際は、それ以前は、ある。
ただ多すぎて特定できないだけ。
975 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 19:59:41
>お前が見ている色が「赤」であるかどうかは色彩表を指ささせれば >すぐに証明できる。 シニフィアン同士を合致させてもしょうがない。 シニフィエは自己の内部にあるでしょ。 相対的な色覚異常は発見できるけど 赤が赤とゆう自明の感覚である証明はできるのかな?
976 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 20:06:13
波長が違うのじゃよ
977 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 20:12:51
その固有の波長によって生じるあなたの内部の感覚のことよ?
978 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 20:21:08
>>977 相対的に同じなら互換性があるってことだろ。
互換性があるなら内部なんて知ったこっちゃないよ。
979 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 20:48:27
だからァ、なんで伝わらないんだろ?
>>774 の最後二行、及び
>>811 は、
四捨五入のように、どこで切り上げどこで切り捨てるか?
がポイントだと言いたいのではないか?
一の位を、
1で切り捨て2で切り上げるか?
5で切り捨て6で切り上げるか?
8で切り捨て9で切り上げるか? と。
種々の因・影響の、どこからを外のものとするか?
どこまでを内のもの(自己の意志)と見做すか?(→自己のうちに沈積した判断材料は外因としない)
人は、日常で無意識のうちにその線引きをしている。
そして時折、それを恣意的にずらし、「○○のせい」にしたりする。
この線引きが、何によっているのか?それは、どのレベルなのか?
万人が、ほぼ共通したレベルで線引きしているのは、なぜか?
という問いは、すごくおもしろいものだと思うがな( ´ー`)y-~
980 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 21:33:34
>>928 で書いた
1.自由意志は100%無い(機械的決定論)
2.自由意志はあるが非常に限定的である
3.完全保障された100%の自由意志がある
の内、1と3には興味ないのね。私。どの程度限定的か?
限定しているのは自/他でどんな割合か?
とゆうのには興味ありますが。そうゆう意味では
>>979 氏と
スタンス的に同じなのですが・・・ なかなか難しいですね
981 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 22:29:50
>>975 「お前が見ている」赤と「色彩表」の赤は どちらもシニフィエだよ。
両者はシニフィアン同士じゃなく、シニフィエ同士w
シニフィエは自己の内か外かいう問題じゃなく、シニフィアンの
指示す先である「対象そのもの」のことだ。
顔洗って出直せw
982 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 22:42:27
>>981 あんた相手が私じゃなかったらこんな下らない
レヴェルの話題で荒れてこのスレ終わりだったよ
人は常に100%の「覚悟」をしてチョイスしている
わけでは無いの。覚悟を伴わずにエフェクトを及ぼし
そのフィードバックに対し責任を持つの。
覚・悟っていい字だね。
983 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 23:13:32
>>982 アホかw
このスレはとっくに終わってる。
自由意志を否定する事例ひとつ出せるヤツがいない。
んで、覚悟って字はおれも嫌いじゃないが、
おまえのカキコはハチャメチャ杉w
自由意志ってすばらしい! 人間には自分で判断、選択出来る意思がある!
985 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 23:37:39
986 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 23:39:35
>>985 無意識があろうがなかろうが、
自由意志の反証にはならない事に気がつくべき。
自由意志ってすばらしい!
人間には自分で判断、選択出来る意思がある!
988 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 23:47:47
>>987 >人間には自分で判断、選択出来る意思がある!
だからそれが、「一つの例外なく過去の経験・記憶の影響を受けている」
という側面に着目した場合に「自由ではない」という視点で見ることが可能だ。という
別の視座を提示しているだけじゃないか。
スタンスによって変わるね。と言っているだけだ。
>>988 「一つの例外なく過去の経験・記憶の影響を受けている」 とは言えない。
その根拠は無い。
もう一度言うが人間の選択が「一つの例外なく過去の経験・記憶の影響を受けている」という根拠は
今現在どの科学的研究を鑑みても無い。
990 :
考える名無しさん :2006/01/15(日) 23:56:58
>>988 「自由ではない」という視点で見ることが
できる その事例をあげてみろよw
991 :
鬼頭 :2006/01/16(月) 00:00:08
>>983 既に例を何個か挙げたがそれを理解する能力のあるやつがいないのだが。
そして自由意志はあると思っているおまえみたいなやつが何事もなかったように
「例をあげろ」「例をあげれないんだから自由意志はある」と言う事を繰り返し
あたかも否定されていないかのように振舞っている。
936 :鬼頭 :2006/01/14(土) 14:43:42
>>934 栄養を摂らなければ死ぬので摂るようにしている事。 空気を吸わないと死ぬので吸うようにしている事。
946 :鬼頭 :2006/01/14(土) 15:55:20
>>937 ほぉ、ならばその意志の自由とやらで、呼吸を止め続けてくれ。
949 :考える名無しさん :2006/01/14(土) 16:49:26
>>946 おまえの「自由意志の不存在を主張する元、根拠」となる 事例をあげてごらん。
958 :鬼頭 :2006/01/14(土) 20:30:02
>>949 自由意志で空気を吸わずに死ぬ決定ができると言いながら実際に要求されるとできないのか。
自分の意志決定を拘束している前提にまで思考をめぐらす知恵もなく素朴に自由だと信じているだけなのか。
他者からの理不尽な要求に快く答え実行する事ができない、というのも自由意志が存在しない証拠だ。
983 名前:考える名無しさん :2006/01/15(日) 23:13:32
>>982 自由意志を否定する事例ひとつ出せるヤツがいない。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1133455812/
992 :
考える名無しさん :2006/01/16(月) 00:08:08
>>980 の1と2の間、2と3の間は、「自由意志」「自由」の定義の仕方によって
連続したものになるか、断絶され決定的な溝ができるかどうか、
が変わるのだろう。
>>990 志望校を決める。「○○校へ行きたい」と思う。
この時に、何も情報・将来への展望なしに決めるのか?
それが、環境・成育状況・自分のスキル・周囲の期待etc.の影響を受けていないと言えるのか?
993 :
考える名無しさん :2006/01/16(月) 00:17:25
だからな、その瞬間・瞬間の主体の選択機能なんざとっくに認めてるわけだよコチトラばかやろう しかし選択の結果(因果)からも自由じゃないし、選択してる主体はオメーだけじゃねーんだよ そして瞬間・瞬間の選択だって因果の中で生じてる以上、展望や過去に縛られるワケだ 100%の覚悟があっても、そりゃオメーが生きた中での選択肢であって、別の経験から もっとイイ選択肢があったかも知れんのだよ。 いいか? 瞬間的「選択機能」の話しはこれで終了だ
>>993 >だからな、その瞬間・瞬間の主体の選択機能なんざとっくに認めてるわけだよコチトラばかやろう
じゃあ自由意志はありって事でいいじゃん。
で人間の選択がどれだけ過去の経験や生物学的要素に決定されているかって事は別にスレ立ててやれば?
>>991 >既に例を何個か挙げたがそれを理解する能力のあるやつがいないのだが。
レス番教えて下さい。あと、949へのレスは変だね。
998 :
994 :2006/01/16(月) 00:30:45
>>993 もうちょっと補足すればや認知心理学の研究や実験心理学、社会心理学の研究で人間の判断がどれだけ
主体的でないかという研究は山ほどある。
だからといって人間はぎりぎりの部分で自由な判断が出来ない生物でないというのもこれらの研究は示している。
もしそうした事を言いたいのなら別スレを立てるべき。
999 :
鬼頭 :2006/01/16(月) 00:30:58
>>995 かなり削ってるけど949のレス「が」変なんじゃないか。
例を挙げろ→例を挙げる→その自由はある→ならば実行してみて
→俺の行為に責任を持たないおまえは関係ない。例を挙げろ
→要求に答える事はできないのか
という流れだったけど。
780 :鬼頭 :2006/01/09(月) 23:48:17
>事例を1件でいいから
>>84 に書いた
アルコール中毒者がアルコールを摂取するように行動するのは脳内のある種の化学的反応に支配されているから
であり、中毒から自由になろうというのも、脳内の物理化学的な反応に基づく。
ニコチン中毒でもいいけど。
1000 :
考える名無しさん :2006/01/16(月) 00:32:09
>>991 あいもかわらず馬鹿だな、祈祷w
「栄養を摂る摂らない」「空気を吸う吸わない」は自由に決定できるよ。
「呼吸を止め続けてくれ」というおまえの指図に俺の自由意志が
従うわけないだろ、おまえオレが死ねといえば死ぬのかよ、アホw
>>992 そもそも「○○校へ行きたい」と思うも思わないも自由だろ。
思う際の素材や視点の設定は自由以外のナニモノでもないぞw
何かに規定されることは無い。それを自由意志というのよ。
おまいらの言ってるのは自由意志を用いないパブロフの話じゃんよw
馬鹿かw
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