68 :
ウンコくん:
それから、文献学といって馬鹿にして、古典の読解を怠る奴も死んで下さい。
君達は、文献学の本質をまったく理解していないのだから。
文献学は本に書いてあることを適当に解釈して、ヤッター!って言っている学問じゃねえ。
そもそも、古典のなかの思想を読解するためには、その思想を既に何らかの仕方で
自分のものにしておかねばならない。そういう可能性を前提にした上でしか、
古典の読解は成り立たない(解釈学の基本中の基本)。
そして、この可能性をあらかじめ構築する作業は、古典の読解に先立っており、
その意味で不可避的に現代的であり、我々の「なまの思考」はここにしか現れ得ない。
古典の勉強を文献学と言って嫌う奴は、ぶっちゃけ、語学ができないだけだろ。
語学の勉強は根気がいる。だから、根気のない奴は、「文献学!哲学学!」と言って、
自分の身を守るわけ。哀れとしか言いようがない。
永井のウィト解釈は、彼があらかじめ独我論に関する徹底した考察をしていたからこそ、
可能になったもんだろう? まあ、それ以上の努力をしないで妄想に浸るようになったから、
彼は駄目になってしまったけど。
過去との対話が出来ないようになった奴は、もう進歩しないよ。
晩年になればなるほど、古典の威力が分かってくるんだから。