1 :
考える名無しさん:
よく分かりません。
世界は実在しないらしいです。
分かる人いますか?
ラマナ・マハリシの教えについて、
理解を深める助けになるスレがあったらいいなと
思って立てました(私は助けてもらう一方かもしれませんが)。
この板でいいですかね?
2ゲットも実在しないらしいのか
ラマナさんえらく知名度低いらしいですね、
過疎るかな・・・。
この板の住人なら知ってる人多いかな。
身体はもちろん、想いですら、どうやら自分ではないらしいです。
知名度低いのは、日本では、ということなので、
他国ではどうか知りません。
思い出と同化しないように、というクリシュナムルティと
なんとなく似てる気がした。
でも、クリシュナムルティも、ほとんど分からないので、
分かる人は、全然似てないと言うかも。
もしこの人が韓国人ならば、
感心をもたれることはないだろう。
6 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 20:43:07
勘違しちゃいかん
ラマナマハリシの教えはただ1つ
「私は誰か」だよ
>世界は実在しないらしいです。
はてな?
そんなこと書いてあったっけ?
何ページ?
9 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 20:46:31
ところで、このスレ保持するのに、どれくらいの頻度で age る
必要があるか等知りたいんですが、どこを見ればいいですか?
>>7 >>8 後で書きます
>>10 この板に固執するつもりはないですが、
なぜ、板違いなのか、
あるいは心と宗教板のほうが適切なのか
教えてください。
この板には、グルジェフとか、特定の人物(知らん人ですが)に
ついてのスレもありますが。
>>11 まず「ラマナ・マハリシ」でググれ
哲学者ではなく宗教家だ
哲学板に固執するつもりがないのなら、移動しる
愚かな。ラマナ・マハリシは近代インド思想家というのが通説である。
宗教を起こしたわけでもないし、教団を作ったわけでもない。
宗教家と決め付ける根拠を述べよ!
おまえがこのスレに移動して欲しいという根拠を明確にせよ
一個人が分類したHPを取り上げて、根拠なく宗教家と書くのはどういう理由だ?
HPにはこのような注意書きまである
>このHPはいかなる宗教団体、カルト集団とも
>一切かかわりなしに一個人が作成したものです。
で、宗教家と呼ぶからには、宗教団体名を述べよ!
それからググッて、思想家で何件のHPが検索されたか述べよ!
宗教家で検索されたのは何件のHPか述べよ!
>>16 宗教家じゃないという理由も示せてないだろ。
宗教団体作ったかどうかは関係なく、
宗教的なことを言ってれば充分。
哲学板より「心と宗教」板の方が適当だって。
もう少し場を嫁よ。
哲学板に固執しないんだったらそれでいいだろ?
ラマナ・マハリシを知らないやつが、言いがかりをつけに来るな
君は、ラマナマハリシが宗教家だと書き板を移動しろと書いた
で、根拠もなにもないから根拠が示せない
当たり前だ。
ラマナ・マハリシ 思想家 でぐぐってみろ
>>17 >宗教的なことを言ってれば充分。
何が宗教的で、何が宗教的でないか当然わかっていているんだろうな
ラマナマハリシが言ったという宗教的なこと を書いてみろ
>>18 で、なぜこれが、哲学と考えたの?
哲学philosophyってのはギリシア起源なんだが?
Results 1 - 10 of about 355 for ラマナ・マハリシ 宗教
Results 1 - 10 of about 267 for ラマナ・マハリシ 思想
Results 1 - 10 of about 275 for ラマナ・マハリシ 哲学
22 :
1:2005/11/18(金) 23:31:52
>>12を読んで移動するところでしたが、どうしようかな。
少しレス伸びちゃったし、どっちでもいいなら、
このままにしたいところですが。
よりぴったりな板がいいとは思いますが。
削除される前に移動した方がイイヨ
宗教家なら宗教団体に属しているのが常識だから、
こいつ(
>>17)だけが「宗教的なことを言っているように聞こえる」ということだけでは、言いがかりも甚だしい
それでは宗教家には分類できないし、一人よがりだよな
削除云々ではなく、宗教家という根拠を聞いているだけ
まったく根拠が出てこないので、これで打ち切りな!
根拠の無い言いがかりは放っておいて本題を続けよう
>>23 削除したいなら、削除理由を述べよ。
削除の根拠がないと消せないぞ。
当然、削除依頼のルールを読んでから書け
で、どの削除理由に当てはまるのか明確に書け
30 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 00:19:06
>>29 削除ガイドラインを読め、ガイドラインの沿わず、根拠もなく、おまえの主観だけでは削除はされない
もしガイドラインに沿っていれば削除依頼しろ
本来のスレの流れを妨害し、迷惑だからこれ以上ここに書くな
「私は誰か」は意見を交わすより探求する課題だと思う
長い間、考えつづけていたことがあった
私も長い間、答を探していた。答を探して彷徨っていた。
あるとき、駅の改札で誰かと肩がぶつかった。
相手が「何だ、おまえは!」と言った。
私が「おまえがぶつかってきたのだろう」と言った。
すると「俺が誰か知っとるんかい!」と言ってきた
私は呆然とした。「おまえは自分が誰か知っているのか?」
相手はスタスタと去っていった。
しかし、結局のところどこにも見つけられなかった。
どこにもないことが分かった。
33 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 00:43:00
>「私は誰か」は意見を交わすより探求する課題だと思う
まさに
>「おまえは自分が誰か知っているのか?」
「私は誰か」が分かれば全てが分かるらしい。
ラマナ・マハリシは知っていたらしい
この世界が消え去る時、それは分かるらしい
世間虚仮唯仏是真 聖徳太子
34 :
1:2005/11/19(土) 08:39:28
板違いじゃないという意見もあるし、
とりあえず、立てちゃったここで続けてもいいですか?
>>29 厳しくいうと、たぶん、どっちの板も板違いなんじゃないかな・・。
そうなると、行き場がなくなってしまいます。
もし次スレ立てるまでスレが伸びて、
移動すべきという結論に到っていれば、次スレから
移動するっていうのはどうでしょうか。
35 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 08:41:41
ちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽ
ちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽ
ちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽ
ちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽ
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ちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽちんぽっぽ
>>7 「私は誰か」がコアらしいとは思っていて、
スレタイにも書こうか迷ったんですが、
なんとなくやめました。
ラマナさんの本に、「自己実現」という言葉がでてきますが、
昨今よく使われている「自己実現」という言葉とは、意味する
内容が全然違うじゃないですか。だから、「私は誰か」も
一般的なフレーズっぽいし、自己実現みたいに多義
(かもしれない)なら、なんとなくスレタイから外しとこうかなと・・。
考えすぎだったかな。
>>8 「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社
p161〜 ジュニャーニ(知識者)と世界
>>37 p161には、
>世界は実在しない
というフレーズは存在しませんが・・・?
どこの箇所でしょう?
p171 世界はそれ自身では存在できない
p172 世界の本性は何かと言えば・・・変化しつづけるものである世界は実在ではありえない
この箇所ですかね?
これはおそらく訳者、訳語の選択による問題かマハリシの表現上の問題ではないかと。
世界は実在しない
ではなく
変化しているものは実態を表していない
というニュアンスです
また
世界はそれ自身では存在できない
というのは、世界を認識することができるのは、例外なく全て心を通して知覚し、
心による付加情報や執着フィルターを通して認識しているというニュアンスです
>>38 世界は実在しない、というフレーズがどこかに
書いてあった訳ではないです。
世界は実在しない、という表現が的確かどうか分かりませんが、
その章で、そう書いてあると思いました(隅々まで読んでませんが)。
最初の方で、1が「私は誰か」に触れなかったのは、
単に、「私は誰か」がサパーリなので、書かなかっただけです、
1レス目で、世界は実在しない、と書きましたが、
テーマにしたいからという訳でなく、たまたま。
本の最初の「私は誰か」が分からないので、
後ろのほうから本を読んで、たまたま、それが
p161〜の「ジュニャーニ(知識者)と世界」辺りでした。
この本まだ全部よんでません。
>>41 なんか、分かってる風に書いちゃったけど、
あんまりよく分かってないかも。
p170の、「いずれにしろ、あなたは世界は実在であると
主張したがっている。byマハリシ」とかから、
→世界は実在しない、となったのかも。
>>40 なるほど。
世界が実在であるか実在でないかという問いは、
役に立つところが何もなく、
答えたところで何ももたらしません
私は何者か?
あるいは
私とは何か?
あるいは
何をもって私と呼べるのか?
という問いだけが実在でないものを打ち破り
自己(これも訳語が悪い)というより実在を教えてくれます
また実在でないものの仕掛けを顕にしてくれます
>という問いだけが
少し大袈裟すぎた
その人に合うものが他にいろいろあるだろうけれど、これもなかなか良い問いかと思う。
46 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 02:11:46
5 世界がそこにありながら(実在としてとらえられながら)、自己が実現されると
いうことはないのでしょうか?
ないだろう
6 なぜでしょうか
〜実在するものとしての自己の実現は、世界が実在するという信念が消えてしまわないかぎり
得られないだろう。
P21
世界は実在しないということで、めでたしめでたし。
じゃ話終わり。
48 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 19:04:58
そこから始まる
ラマナさんの教えに限らず、
哲学的な意味で「私は誰」と自分に問うたことのある人は
いると思いますが、なぜ問えるのか不思議でした。
「私は誰」というフレーズ自体意味不明に思えるので
(哲学的な文脈/用法ならば)。
>>44のような問い方は「私は誰」よりまだマシだけど、
やっぱりどうもピンとこないなぁ。
もうすこし続けてみる。
本は、とりあえず「私は誰か」以外のところから読もうと思う。
>>44さんは、私は誰か、の答え見つけたの?
ラマナさんのような境地に至れた?
51 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 22:42:39
>出会いの場面。
マハリシのいる広間へ通されて坐る〜
**********************************************************
マハリシの両足は、壮麗な虎の皮の上に休められている。
針の落ちる音も聞こえるほどの静けさが、
長い広間のすみずみまでを支配している。
賢者はわれわれの入来にいささかも乱されることなく、
完全な静けさを保ち続けている。
〜〜〜〜〜〜〜
彼は私の存在に気付いているのかどうか、いささかのヒントも
いささかの微しも、示さない。その身体は超自然的に静かで、
彫刻の様に堅固である。
ただの一度も私の凝視を受け止めない。
彼の眼は相変わらず、遥か彼方の空間を見つめているのである。
それは無限に遠い処のように思われる。
〜〜〜〜〜〜〜
私の案内者は彼がトランスにふけるとは言わなかったけれど、
彼は確かにトランス状態にあるのだ。
この人の内部には、銅のやすりくずが磁石に引かれる様に
私の注意を惹く何ものかがある。
私は彼から眼を離す事ができない。
私の最初のろうばい、完全に無視された事に対する当惑は、
この不思議な魅力が私をもっとしっかりと掴み始めると
徐々に色あせて行く。
52 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 22:43:05
〜〜〜〜〜〜〜〜
約2時間後、
マハリシの黒褐色の眼が、一二回またたく。それから頭がまわる、
顔がゆっくりと、実にゆっくりと動く、
そしてちょっと下の方に曲がる。
尚数秒間、そしてそれは、私を自分の視界のなかに入れた。
はじめて、賢者の神秘的な凝視が私に向けられる。
彼がもうあの長いトランスからさめたことは明らかである。
この後、ポール・ブラントンは多くの質問を携えて来たのに、
この2時間あまりの平安を垣間みた後、
「今、聞きたい事は一つもない」と言う
ttp://blog.livedoor.jp/shiomit/archives/50000923.html
53 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 19:36:49
本読む時間がとれん・・
しかし、「私」が何であるかの考察もいまいち雲を掴むようだ
言葉が変かもしれんが、
人は幸福なとき、「私」そのものになっている
(「私は誰か」の答えである「私」になっている)、
っていう内容を読んだときは、心に響いた。
ところで、age なくても保守される?
板によってdat落ちの条件は違うらしく、条件は非公開と聞きました。
sage 進行のスレがあるということは、age なくてもいいみたいだけれど、
それは、全部の板にも当てはまることなのかな。
辛い/嫌な/怖い/恥かしい思い出が起こり、
その思いに漬かってしまうのは、
自己実現できてない証拠なんだよね。
その思いは誰に起こってきたか。
私に、に決まっている、
そのとき、私は誰か、と問えばよい。
・・・・・・・・
よくわからねえ
思いは何に起こってきたかというと、
自分のカラダの半径一メートル以内の空間に
ぼあんと起こってきたような。
でもカラダっていう時点で、上記はハズレと
いうことは、頭では理解している。
55 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:39:29
ageてみようかな
56 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 20:36:02
>>54はちょっと変だな。
自分の場合、
カラダの半径一メートル以内が「私」ということになるので、
その「私」は誰か。なんだけど、誰かって言われても・・・
英語だと who am l なので、翻訳が変じゃないんよね。
ラマナマハリシはすごい人だと思うし、好きだけど、教えが地味だからかなあ?人気がもうひとつだよね。
いきなりらまなマハリシだけを理解しようとするのはかなり困難じゃないかと思うよ。究極のことしか言ってないみたいだから。
仏教とか、禅とか道教とかあらゆるものとからめて考えたほうがいいんじゃないかな?
OSHOにも似てるし。
おれはこれ読んですごいショックを受けた。
ここまで徹底しているのか。とね
キリストに付いてのラマナマハリシの教え(める
くまーる社刊)からの質疑応答:
弟子: キリストの十字架へのはりつけの意味は何でしょうか?
マハリシ: 身体が十字架である。 人の子であるイエスはエゴ、すなわち「自己即身体思考*」である。
人の子が十字架にはりつけにされたとき、エゴは滅び、その後に残されたものが絶対存在である。 それが栄光の自己の復活であり、キリストの復活であり、神の子の復活である。
弟子: しかし、どうしてはりつけが正当化されましょう? 殺すことは、恐るべき罪ではないでしょうか?
マハリシ: すべての人々が自殺の罪を犯している。 永遠の至福に満ちた、自然状態は、この無知の人生により窒息させられ続けられて来た。
現代生活は、永遠の明確な実在を殺害することによって成り立っている。
これが、本来の自殺と言うものではないかね。 そうであるとすれば、何故殺人と言うようなことを想い煩うのか。
以下おれが立てたスレです。気が向いたらこちらもどうぞ。
悟ったらしいんだけど何か?
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1132365777
>>57 > ラマナマハリシは教えが地味だ
地味?
地味に落ち着けないのか?
話にならん。
> いきなりらまなマハリシだけを理解しようとするのはかなり困難?
理解は困難?
わざわざ理解する必要があるのか。
話にならん
> 仏教とか、禅とか道教とかあらゆるものとからめて考えたほうがいい
色々絡めるだと?
まぜこぜにして、役に立つと思っておるのか?
話にならん
おまえさんどこが悟ったんだ
まるで話しにならん
↓
悟ったらしいんだけど何か?
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1132365777/
>>58 こんな簡単なこともわからんのか?
わからんからラマナマハリシは地味なんだろうな
61 :
OK ◆IGEMrmvKLI :2005/12/05(月) 20:47:51
>>60 はっはっはっ
すべてわかったとは言わんが、わからない人間がショックを受けるかな?
63 :
考える名無しさん:2005/12/05(月) 23:11:11
私は誰か
>>61 ショックを受けておるから、わかっておらんと書いているのだ。
>すべてわかったとは言わんが
それじゃ何がわかった?
>>58 は確認できないが、本当に本からの抜粋だろう。
仕方が無い。カッコ付きの解説な。
弟子: キリストの十字架へのはりつけの意味は何でしょうか?
マハリシ: (やれやれ、キリシタンか。教会で好きなだけ聞いてくれればよいのだが・・・、まあよいキリシタン風にアレンジして答えるか。)
(マグダラのマリアの前でみせたという死から復活は、自我(エゴ)が死んで自己が復活したという象徴のことだろう。この話でもするか)
(自己を神に置き換えればわかりやすいだろう。神とは自己のことだ)
身体が十字架である。 人の子であるイエスはエゴ、すなわち「自己即身体思考*」である。
人の子が十字架にはりつけにされたとき、エゴは滅び、その後に残されたものが絶対存在である。 それが栄光の自己の復活であり、キリストの復活であり、神の子の復活である。
弟子: しかし、どうしてはりつけが正当化されましょう? 殺すことは、恐るべき罪ではないでしょうか?
マハリシ: (やれやれだぜ。罪であるか罪でないか思い悩んでいるとは。その前にあなたが思い悩んで本当に生きることが出来ないというのに。)
(そのようなバかげた悩みをやめて、自分の人生を窒息状態から救いたまえ)
すべての人々が自殺の罪を犯している。 永遠の至福に満ちた、自然状態は、この無知の人生により窒息させられ続けられて来た。
現代生活は、永遠の明確な実在を殺害することによって成り立っている。
これが、本来の自殺と言うものではないかね。 そうであるとすれば、何故殺人と言うようなことを想い煩うのか。
>>64 スレ主ではないわけね。
じゃこれにてあなたとのお話しは失礼するね。
66 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 21:46:39
>>64 「やれやれ」はエゴしか言いませんよ
「私」は言いません
67 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 07:35:27
同じく。
68 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:03:13
相変わらず進歩ナシの1です。
OKさんレスどうもです。
OSHOは少し読みましたが、なんかダメでした。
ジョークに置いてけぼりになるのがどうも。
69 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:26:25
ラマナ・マハリシと永井が出会うとき・・・ガクガクブルブル
71 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 22:57:34
age
1ですが、
「私は誰か」はやっぱり意味不明。
あまり、こういう哲学に時間とりたくないから、
「私は誰か」と問いつづける、というのは、
やり方としては都合がいいんだけど。
でもひととおりこの本は読むべきかな。
ぜんぜん進まないんだけど。
74 :
考える名無しさん:2006/01/04(水) 00:20:36
ハートの位置、分かりますか?
実感できますか?
良く分かりません。
分かるコツはありますか?
75 :
考える名無しさん:2006/01/06(金) 21:07:48
>>74 私という感覚が重要なのではないでしょうか
正確な位置は全く問題ではないとおもいます
76 :
考える名無しさん:2006/01/09(月) 23:13:32
自分が「私」と思ってる幻想が消えた時に出て来るのが本当の私だから
感覚とかどこにあるとか無意味って事でしょ?
悟った人には心は無いと言う意味のこと言ってるのをもう一度考えて見てくれ
心が私と言う幻想を作ってるのだから
77 :
考える名無しさん:2006/01/09(月) 23:37:38
て言うかラマナマハリシの「私は誰か?」は応用が効くよ。
例えば気が狂いそうな時、気が狂いそうと認識してるのは誰かと問うてみる。
認識自体が狂ってるわけではないと気付き、アー何だ、そう言うことかと思う。
78 :
75:2006/01/11(水) 21:09:46
>>76 ラマナマハリシは一般的な瞑想や精神集中を否定されてはいないと思います
しかし、この私は誰かという探求の特徴的なのは瞑想する対象にではなく
瞑想する主体に集中することだとおもいます
>>74 右の胸に意識をはわせて同時に私を意識していると、自然にある一点が
自覚されてくるとおもいます
保守
「私は誰か」を「この思考の主体はどこにあるか」に変えてもいいですか?
81 :
考える名無しさん:2006/01/20(金) 22:28:04
「私」というのは、あの人でもなく、その人でもなく、私、
という意味の私(他人の魂が乗り移っている状態の人、
なんていうのは例外にするとして)。
まずそういう意味があって、それに「私」という言葉が
充てられており、世間で一般的な定着している。
他にも「私」の一般的な意味はあるかもしれないけれど。
まず概念があり、それに「私」を充てた。
「私は誰か」は言葉が先に来ている。
だから、わけ分からなくなるのかもしれない。
>「私」というのは、あの人でもなく、その人でもなく、私、
例えば、
この料理を作ったのは、Aさんでもなく、Bさんでもなく、私。
とか。
83 :
?いない歴28年=年齢:2006/01/20(金) 23:26:34
ライプニッツは童貞じゃないのかな。。。
84 :
考える名無しさん:2006/01/21(土) 01:20:41
和尚的に言うと、思考は所詮思考にすぎないんだから、思考に
こだわる西洋哲学はみんなダメということ。思考は、つねに流れて
いるけど、それに囚われちゃダメというのが、和尚やマハリシ的
なインド的感性なんでは?
85 :
75:2006/01/23(月) 23:34:59
>>82 仮に、私がCだとすると
この料理を作ったのは、C と
この料理を作ったのは、私 は
同じでしょうか、違うでしょうか
知的な議論はともかく、要するにエゴを無くそうとしているのです
その為の方法が、エゴが無くなった見地から語られているのです
86 :
75:2006/01/24(火) 00:30:34
>>80 ラマナマハリシは、「私は誰か」は知的に考えることではなく
私という思いがどこから生じるのか追求しなさい。というような
表現をされていることが多いと思います
75さん、質問です。
自己探求って、
例えば、
「疲れたなぁ〜」と思ったら、
「そう思ったのは、誰?」と自分に問う。
(答えは、無いけど。)
こんなことを繰り返すようなやり方でいいんですか?
88 :
87:2006/01/25(水) 06:09:15
86の文の訂正です。
「そう思ったのは、誰?」
ではなく、
「そう思った私は、誰?」
です。
89 :
75:2006/01/25(水) 23:59:16
>>87 基本的には86で述べたとおりですが
これは解釈がいろいろ分かれると思いますし、難しいかとも思います
個人的には、ハートに私を意識する方法をおこなっています
新刊のあるがままのなかで、自己探求としてハートに集中することを
否定的にかいてありますが、私はそうはおもいません
本のなかではハートを単なる精神集中の対象ととらえていますが
実際には、重点は私にあり場所は補助的な意味しかありません
例えると、それは読書をしている人のようなものです
あの人は読書に集中しているというとき、本の内容に集中しているという
意味です。しかし、同時に活字にも集中しているわけです
つまり、同時に集中していても、注意の対象は本の内容にあるということです
90 :
75:2006/01/26(木) 23:28:44
>>87 少なくとも、言葉で私は誰かと問うことは自己探求ではありません
これはラマナマハリシがはっきりいっています
そうではなく、私がさすもの、私そのもの、私という思い、私という感覚
をとらえることだと思います
私はいつもあるのではないでしょうか
考えているときは考える者が、見ているときは見ている者が
気づいているときは気づいてる者がいます
そこに私という言葉はありません
91 :
87:2006/01/27(金) 00:55:12
>>75 さん。
お答え、どうもありがとうございました。m(_ _)m
ラマナマハリシの本とかを読んでても、
分かりそうで分からない。。。(^^;;;
半年ぐらい前から、すごいラマナマハリシに惹かれて、
ラマナマハリシ関係の本、ビデオ等とか見てるのですが、
なかなか、、、(^^;;;
そういえば、
ハートに私を意識する方法は、
山田孝男先生のビデオ「ラマナマハリシの教えについて考える」でも、
やってましたね。(^^)
では。
92 :
81:2006/01/27(金) 21:34:40
ありがとうです
>>85 >>86 なるほど・・・
なんとなくだけど
いま知花敏彦というひとの本を読んでいます。
ラマナマハリシも、クリシュナムルティも
このひとも言っている肝な部分は、理屈では
概ね理解できてる。たぶん。
でも「実感」がまるで出来ていない・・・とおもう。
ちょっとうろ覚えなので、言葉が正確じゃないかもしれませんが、
一個の全体(クリシュナムルティ)
=(たとえ話にあった)太陽(ラマナマハリシ)
=背後の大霊(知花敏彦)
>>86 >私という思いがどこから生じるのか
考えてみました。的外れな考察かもですが、
どこから、というより、なぜ生じるのか。
私=Cならば、
・起きてる間、Cさんの身体が付きまとう。
・Cさんの手を自在に動かそうと思えば動かせるが、
Aさん、Bさんの手を動かそうと思っても動かない。
・Cさんに付いてる目から、光景が入ってくる。
よってCさんが私であると思う。
私なんて存在しない、という方向に向かえば正解なんだと
思います。 でもぜんぜん行き止まりだなあ・・・。
すべきことは
わたし自身であることのみ
これも正確な引用じゃなくてスマソですが、
そういうことをラマナさんは書いていたけど
これ琴線に触れる一言でした。
95 :
考える名無しさん:2006/01/27(金) 23:28:21
ここで聞くのもあれだが、クリシュナムルティのスレなくなったの?
98 :
75:2006/01/28(土) 00:45:02
>>87 ハートに私を意識する方法=自己探求と
納得できるとすると
分からないということが分からない (^^)
99 :
87:2006/01/29(日) 13:56:43
>> 75 さん。
以下は、
http://ramana.exblog.jp/1660175/ からのコピペなんですけど、
雑念が起きるたびに、その雑念の起きた源を探し、その源に対し、「この雑念は誰に起こってきたのか?」と問いかけます。
すると、決まって「私に」と答えが返ってきます。そこで、すこさず、「その私とは誰なのか?」と問いかけます。
すると、答えが返ってこなくなり、雑念が消滅し、音(波)のない世界が現れます。
しかし、しばらくすると、またいろいろな雑念が起きてきます。何度も何度もその源を探し、問いかけます。
とても、集中力を必要とし、根気のいる作業です。
でも、この作業を繰り返していると、いつしか、雑念が起こらなくなり、雑念が起きないかどうか監視している「私」だけになります。
柳田先生は、「その状態を維持し続けなさい。
その状態を維持し続けると、いつしか「私」が消滅し、「真我」のみになるから』と言われました。
これは、どのように解釈?しますでしょうか?
自分的には、かなり惹かれる真我探求のやり方の説明なんですが。
100 :
75:2006/01/30(月) 02:19:39
>>87 まづ方法はどんな方法でもよいとおもいます
真我の探求にこだわる必要もないとおもいます
87さんはこの方法を実践されたのでしょうか
もしある程度おこなって手ごたえが得られなければ
この方法に固執する必要はないのではないでしょうか
自分に合った方法が一番ただしく、優れた方法だとおもいます
その答えは87さんの中に、実践からえられるものとおもいます
どう解釈するかは
この方法が真我探求かなと少し疑問です
(方法自体を否定しているわけではありません)
言葉で問う部分に関しては前にかいたとおりです
雑念が消滅するというのは他の方法でもめざしている
ものではないでしょうか
ただ私は、柳田先生のように真我の体験があるわけではありませんし
ほんとうのところはわかりません
いまのわたしの個人的かんそうです
ねむくてぼ〜っとしてるので とりあえづこんなかんじで
101 :
◎:2006/01/30(月) 21:47:15
悟った人いますか?
102 :
Ramana:2006/01/30(月) 22:04:13
あなたは誰ですか?
103 :
87:2006/01/31(火) 05:00:08
>>75 さん
>まづ方法はどんな方法でもよいとおもいます
>真我の探求にこだわる必要もないとおもいます
>
はい。
とりあえず、自分なりの方法でやって、
疑問あったら、聞いてみようって感じです。
今みたいに。(笑)
>87さんはこの方法を実践されたのでしょうか
自分的には、
問いかける方法とハートを意識する方法を、
その場、その場の無意識的な判断で実行している感じです。
(ちなみに、共に手ごたえがないというわけではありません。)
で、問いかける方法は、本とかを見ると、
「この雑念は誰に起こってきたのか?」
「その私とは誰なのか?」
って感じで2段階的だったので、
「そう思ったのは、誰?」
みたいに1段階じゃ、駄目なの?みたいに
ラマナマハリシに詳しそうな 75 さんに質問してみたわけです。
あと、一つ質問なのですが、
>少なくとも、言葉で私は誰かと問うことは自己探求ではありません
>これはラマナマハリシがはっきりいっています
これって、どこか本に書いてあるのでしょうか?
教えていただけるとうれしいです。
僕が、読み忘れてるだけかもしれませんが。。。(^^;;;
それでは、いろいろ教えていだいて、どうもです。
では。(^^)
104 :
考える名無しさん:2006/01/31(火) 14:18:33
ラマナの教えはへんに競争したがる奴が出てこないのがいいところではあるな。
105 :
75:2006/02/01(水) 00:44:10
>>87さん
>「この雑念は誰に起こってきたのか?」
>「その私とは誰なのか?」
なぜ雑念にかまうのでしょうか
私は誰かというおもいも雑念ではないですか
もしハートに私を意識しているなら
私は誰かと問う余地はないのではないでしょうか
>これって、どこか本に書いてあるのでしょうか?
どこかにあると思いますがわかりません、すみません
>それでは、いろいろ教えていだいて、どうもです
たいしたことをかけなくて恐縮です
こちらこそ自分をかえりみるよい機会を与えていただいて
ありがとうございます。おたがいがんばりましょう。(^^)
106 :
考える名無しさん:2006/02/01(水) 12:50:49
私とは誰なのか?
私とは誰なのか?と問うのは誰なのか?
私とは誰なのか?と問うのは誰なのか?と問うのは誰なのか?
私とは誰なのか?と問うのは誰なのか?と問うのは誰なのか?と問うのは誰なのか?
眼が回っちゃいそうだよWW
107 :
考える名無しさん:2006/02/01(水) 22:11:09
世界の実在について
汝の敵を愛せよ
敵を愛した瞬間に敵は消えています
たとえ第三者にはよのように見えていなくても
世界とはわれわれのまわりの広大な空間
われわれとわれわれ以外のあらゆる存在すべてですよね
しかし,真我を悟ったひとにとっては自己しか存在しません
といっても現象的にはなにもかわりはありません
ラマナマハリシも普通に会話したり、食事をしたり
歩いたりしているわけです
つまりラマナマハリシの自己は体に限定されていないのです
いろいろな次元で、いろいろな角度からみることが
できるとおもいますが、これはひとつのみかたです
108 :
87:2006/02/01(水) 23:43:14
>>75 さん
現在の僕の見解としては、、
>>「この雑念は誰に起こってきたのか?」
>>「その私とは誰なのか?」
>なぜ雑念にかまうのでしょうか
>私は誰かというおもいも雑念ではないですか
かまうというより、想念の源に問いかけるって感じですかね。
想念の元である私に対して。
(源に対して問いかけるなら雑念ではないかなと。)
でも、私なんか存在しないから、答えは返ってこない。
想念の源の向こうに揺さぶり?をかけるって感じかなぁ。
>もしハートに私を意識しているなら
>私は誰かと問う余地はないのではないでしょうか
僕が問いかける方法を使ってる場合は、
ハートは意識してやってないので問いかけてます。
>>それでは、いろいろ教えていだいて、どうもです
>たいしたことをかけなくて恐縮です
いえ、かなり勉強になりました。ありがとうございます。
>こちらこそ自分をかえりみるよい機会を与えていただいて
>ありがとうございます。おたがいがんばりましょう。(^^)
はい、がんばりましょう。(^^)
109 :
75:2006/02/02(木) 00:20:08
>>107 107は75でした
>>87さん
>かまうというより、、、
なるほど、、、そうですか
しかし,一点疑問がのこります
ハートに私を意識する方法を行うとき
問うても答えが帰ってこない私をどのように意識するのですか
ハートに私を意識する方法にたいする認識がちがうのかもしれませんね
1ですが良スレな雰囲気で嬉しいです。
自分の自己探求はあいかわらず停滞してますが。
111 :
87:2006/02/02(木) 01:56:57
>>75 さん
>ハートに私を意識する方法を行うとき
>問うても答えが帰ってこない私をどのように意識するのですか
ハートに私を意識する方法をやる時は、問いかけはしません。
意識をハートに持ってって、雑念を感じたら、
その雑念を感じた自分に意識を向けるというやり方です。
(山田孝男先生の言ってたやり方です。)
なので、108の問いかける方法と全く別物です。
(ラマナマハリシ関係の本、ビデオ等を見て、
真我探求方法で、自分にとってよさげ?な二つの方法を、
その時の気分?でどちらかをやっているという感じです。 )
あと、人と話す時は、ハートを意識して話すとか。
適当にアレンジ?してます。(^^;;;
(山田先生の話だと、子供の頃は、私はハートにあるけど、
多くの人は、年とともに思考が活発化するようになり、
頭にいってしまって、幸福感?無邪気さ?を失ってしまうとのことです。)
>>1 さん
ラマナマハリシのすれ、たててくれてどうもです。(^^)
112 :
75:2006/02/02(木) 21:46:16
>>87さん
う〜ん いろいろ行き違いが生じてしまうよです
わたしの説明がヘタで申し訳ありません
山田孝男先生の方法はこれだけの説明だと正確には理解できないですね
どういえばいいのかわからないのですが、、、、ひとまず
確かに私もはじめは頭に私の意識を感じていました
今は胸に私を感じますが、真我の探求と言う観点では
私にとって、物理的な場所はほとんど意味を持ちません
(もちろん私にとって真我の探求の方法は、ハートに私を意識することです)
このことの意味を理解していただけますか
113 :
75:2006/02/02(木) 22:05:29
>>112 う〜ん そうじゃなくて(笑い)(泣き)(冷汗)
>>87さん
>その雑念を感じた自分に意識を向けるというやり方です
このときの自分とはどうゆものをいみしているのですか
説明は難しいかもしれませんが
では ( ^ー^ )
114 :
75:2006/02/02(木) 22:47:12
>>113そうじゃないのは最後のところです
( ー_ー )
115 :
87:2006/02/03(金) 08:16:46
>>75 さん
>う〜ん いろいろ行き違いが生じてしまうよです
>わたしの説明がヘタで申し訳ありません
>
いえ、とんでもございません。
自分も書いてて、言葉だと限界があるなと。。。(^^;
自分の内面を観る?作業って、
そんな人に伝えるとか意識してないし。。。(^^;
>山田孝男先生の方法はこれだけの説明だと正確には理解できないですね
このスペースだと無理があるかと。
と言っても、やっぱ、ここらへんは主観的なものなのか、
山田先生の機関紙にも、そんなに細かく書かれているわけでもないので。(^^;
あと、ハートにしても、
物理的な位置は参考程度でほとんど意味を持ってないということには同意です。
っていうか、そもそも、肉体を超えているものなので。
>>その雑念を感じた自分に意識を向けるというやり方です
>このときの自分とはどうゆものをいみしているのですか
自分が感じた主体?の自分です。
(内面の作業は主観的なものなので、意味など意識する必要もないし、
ただ、想念の源を探すという気持ちが大切だと思ってます。)
(ここらへんは、山田先生の機関紙には記述されてなかったような。)
では。(^^)
116 :
75:2006/02/03(金) 23:49:51
話が複雑になってきてしまったようなので
ここで一度、基本的なことに立ち戻って私の考えを述べてみたいとおもいます
真我の探求においては、私をどうとらえるかが重要だとおもうのです
真我ということは、本当の私と本当でない私がいるわけです
ここがが微妙なところで二つの私に対して同じ言葉が使われてしまうので
とても注意が必要です
別の言い方をすると、実在としての私と私という思い、想念、エゴとしての
私がいるわけです
そしてこの私という思いが真我を覆い隠している そこでこの問題の私を
何とかしなければならない 私を何とかしなければならないということでは、
真我という言葉は使わなくてもほかの宗教とか、自己啓発、
道徳もあまりかわらないとおもいます
他の方法ではこの私をなんとかしようとするわけです,抑え付けようとしたり
より良くしようとしたり
私は人に対して優しい、優しくない 私は座禅しているから動じない
私は楽しい、苦しい、私は悟っている(笑い)、、、、、、、、
つまり他の方法では、私そのものではなく私の状態に関心があるわけです
では真我の探求ではどうか
実におもしろいことに,不思議なことに、この私こそが鍵なのです武器なのです
ですから、この私という思いが明確になっていないと、思う存分武器を振る
えないのです つまり真我を追求するためにまづ偽の私をとらえる必要が
あるということです
そのための有効なひとつの方法が、ハートに私を意識することだと
思っています
ラマナマハリシは私という思いを、特別な根源的な思いだといわれています
そして、心とは私という思いだと なむ らまな
俺も瞑想してて少しだけ良いことがあった。自分の心の中に沸き
起こる思考・気分・感情・欲望などの変化を直視し続けて真我に
至る瞑想をやっているうちに、移ろいやすい表層的な事に
動じなくなってきた。
ただし、外界の変化に対して無反応っぽくなってくるので、
ヨガをやってる人によく起きるひとりヨガりになってしまい、
人とのコミュニケーション能力が低くなってしまったようだ。
人との関わりの中で高めていくような、そんな境地にはまだ
遠いようだす。
118 :
75:2006/02/04(土) 23:30:59
>>116 真我の探求以外の方法を一切否定しているわけではありませんので
くれぐれも誤解の無きようお願いいたします
119 :
75:2006/02/06(月) 00:12:05
なぜハートなのかについて少し考えてみたいと思います
世界は実在しないというはなしがありました
これは絶対的な見地に立ったみかたです
別の言い方をすると、エゴが世界を作り出しているのです
エゴは、部分なので全体がなければならないわけです つまり、エゴは
自分で全体を作っておきながら、自分を部分に限定しているのです
そして、ほとんどの場合私は体と同一視されています もちろん、ほかのもの
とも同一視されるのですが、体との同一視は絶対的な位置をしめています
これをもう少しつきつめていくと、例えば、手足が切断されても私が
分断されることはありません、私は胴体や頭にのこります
そして、これをさらに進めていくと、最終的にハートにいたるというわけです
つまりこのように考えられないでしょうか
根本的にエゴは体と同一視されている そして、その体の、心理的、霊的な
中心がハートであると
120 :
75:2006/02/10(金) 22:17:52
かえって、話を難しくしてしまったのでしょうか
もしそうだとしたら、申し訳ありません
要は、いかに真我を探求するかであって、それ以外の部分は
あまり重要ではありません。それらは単に論理的動機付けの
ためになされているにすぎません
もう一度、私が重要だと思うことをふたつまとめてみたいと思います
私という思いを意識する(私は〜とかんがえるのではなく)
ハートを意識する、と ハートに私を意識する この違いを明確にする
どうでしょうか v〜(^0^)〜v
75さん、いつも書き込みありがとう。
122 :
75:2006/02/12(日) 20:51:13
>>121さん
いえ、こちらこそありがとうございます
でもあまりうのみにしないでくださいね
してないかっ!! (笑い)
(^〜^)
123 :
75:2006/02/12(日) 21:25:30
ハートに捧ぐ
わが胸のこの思い
OOOOOOOOOO
,,,
124 :
考える名無しさん:2006/02/22(水) 03:00:02
>>123 誰かに思いを伝える唄ですか?
伏字が気になる。。。
実在は なにものでもないんだね
世界が世界であるから それは実在しないんだね
実在を探求できるだろうか
それは 実在を何ものかにしようとする 実在を忘れて行く
そういうことではないだろうか
在るものを探す必要は無い
探すから 見つからない
見つからないから 探す
誰かではないんだね
誰でもないんです
126 :
75:2006/02/22(水) 23:28:45
>>124 むむ、、するどいかも
もしかして ○○さんですか? (笑い)
オー 神よ 私をこれ以上おいつめないでください
どうか あなたの愛をわからせてください
あなたはそのひとをわたしのハートとして遣わされたのでしょうか
どうか ハートの神秘を開示してください
わたしもまたそのひとのハートとして留まらせてください
そしてハートのうちにあなたの愛と栄光をみさせてください
昨日、本が届きました。
なにか見つけたらカキコします。
よろしくねー
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
129 :
75:2006/02/26(日) 20:27:26
3月11に東京で日本ラマナ協会の勉強会があるそうです
一度もいったことがないので
いけたらいってみたいな〜とおもっています
(宣伝ではありません といちおういってみる (笑い)、、、)
>> 75さん。
勉強会、行ってきたんですか?
>>130 いってきましたよ〜
勉強会の内容は、輪読が主だったのであまりどうということはなかったので
すが(笑い) 久しぶりにお会いした人たちや、いろいろなかたのおはなしが
きけてとてもよかったです
あとこれが一番おおきかったのですが ラマナマハリシの大きな写真が
あったのと、マウンテンパス(ラマナアシュラムの機関紙)のなかの
写真がすごくリアルに感じられてひかりをはなっているようにかんじら
れたのです 存在を感じるというか 話しかけられているような感じです
たんなるさっかくかもしれませんが(笑い)でもまだその感覚はじぶん
のなかにのこっています
じつはここ最近原因ふめいの絶不調だったのですが だいぶもどって
きました
おもうところがあってきょうから規則的に瞑想するつもりです でわ
hanmoji2でゲストログインしても入れません・・・フォルダ名はdownload、パスはなんでしょうか?
一通りやってみてもわかりません
age
134 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 02:03:03
ラマナ・マハリシ
ダルマ
クリシュナムルティ
バーナデット・ロバーツ
老子
135 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 16:13:53
保守
136 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 22:49:36
起きてる時の意識と寝てる時の意識に共通の意識が本当の自己?なのだろうか?
>>136 何をもって、「自己」とするのか?
何者が、「自己」と判断するのか?
138 :
考える名無しさん:2006/05/11(木) 16:37:57
>137
「ラマナ・マハリシの教え」の本にそんな事が書いてあったように思ったのですが。
彼の説では体は自分の本質的なものでない、道具のようなものと言ってるようです。
命令系統の中枢部分といった意味かも。
誰が判断というのはどんな疑問何でしょうか?
私の考えでは自分の本質はここという真理が横たわっているとラマナ・マハリシが説明しているのだろう。
だから事実はどうなのだろうか?というところか。
世界と言う独立した存在があってそれを五感を介して認識しているのか?
それとも五感が世界を投影して実体が在るように見せているのか?
【世界の投影の元は渇望の記憶】
0次元に住する『 』は快楽の記憶を内蔵していた。渇望が起き上がり『 』が世界を望んだ。
『 』が活動を始めると鈍い光を放ち視覚が出現し世界を投影し始める、と同時に触覚が肉体の
輪郭を形成し始める。これは刹那のこと。周囲に気が付いたときは自己が投影した世界に閉じ込
められてしまっている。これが『眠りから目が覚めた』と言う現象。朝5時に目が覚め一日が始まる
あまりにも当り前な日常の風景・・・。でも実は取り返しの付かない過ちを犯してしまっていたのだ。
つまり自分で仕掛けたバーチャルリアリティーの中に閉じ込められてしまったワケです・・・
この繰り返しの無限回廊をぐるぐると回っている人のなんと多い事か・・・
世界の投影は 物質界、メンタル界、アストラル界(天国)、天上界(神界)、で起こる。
この四つの階層での世界の投影と受肉が終焉すれば輪廻の無限回廊から脱出できる。
更にこの先に純粋に我だけが輝く高次の世界が数階層あると伝われているが
余りにも理解不可能な超越世界なので未確認・・・
140 :
137:2006/05/12(金) 15:54:47
>>138 「本当の自己」なるものがあるとして、
それを認識、自覚するのは何なのか、というような意味です。
結局は、「本当の自己」って何? ということなんですけどね。
141 :
138:2006/05/12(金) 19:19:04
>>137 ラマナ・マハリシの説は通常の我々の自己の理解には誤解があるという事ではないだろうか。
「本当の自己」とは
例えば私について「名前・職業・年齢・出身・趣味・身長」などをイメージするが、
自分が所持しているものや属性は自分の本質ではない。
体も例えば手足を失っても手足を失ったと感じるだけで、自分が幾分か失われたとは感じないだろう。
だから体も自分そのものでなく道具のように思える。
記憶も追加したりできるものなので、自分の本質とは違う。
そうすると 色々なものを知覚していて自分の存在を自覚している部分が
本質の部分(自分の核)というような事ではないだろうか。
142 :
137:2006/05/15(月) 10:51:21
>そうすると 色々なものを知覚していて自分の存在を自覚している部分が
この「色々なもの」のなかに通常の自我も入りますよね。
だとすると、本当の自己とは自我以前のものということのなりますね。
何者でもないものが、何らかの「自覚」をするというこということなのだろうか。
143 :
138改め 哲人28:2006/05/15(月) 22:58:59
>>142 音や景色を知覚するし、また自我も知覚します。
自我とは 例えば俺をバカにするのかと怒ったりする時、
自分の自我に気づきますね。
そういった色々なものを知覚するもの、また自分が生きている事も自覚する。
この自覚がラマナの言っている本当の自己ではないかと私は思っています。
この自覚そのものは属性をもたない「ただの自覚」。
これが本当の自分だとするとそれは皆に共通の自覚なので自分がバカにされることもない。
自我は自分ではない事になる。
144 :
考える名無しさん:2006/05/19(金) 05:42:25
マハリシは『真の自分(真我)を見い出せ』と説いているように思えるんだけど
真の自分(真我)ってなんだろう?
『私』という言葉は日常の会話によく使われるけど『真我』とはどうも違うようだ。
例えば『私の〜』と言った場合『の』で接続される『〜』は『私』とは所有の関係にあり『私』と分離できる
事ことを暗示してやしないか? 『私のマンション』『私の愛人』『私のクルマ』・・・どれも所有の関係
を表しているではないか。『私の肉体』『私の心』『私の魂』・・・。『の』で接続され以下に続く『〜』は
『私』の従属物という位置づけにならないか?つまり心や魂でさえも『私』ではなく『私』と
所有の関係が成り立つ『あるもの』・・・・。
145 :
考える名無しさん:2006/05/19(金) 19:45:57
『(私の魂)と言っている私ってだれよ?』 と言ってる私って・・・
↑
と言っているのがホントの『私』
146 :
真理の探究者:2006/05/20(土) 12:29:37
みな、安易に瞑想だなんだと言っているが、妄想にならないよう
気をつけましょうね。
ヨーガや座禅のような神秘修行には段階がありますから・・・。
147 :
考える名無しさん:2006/05/20(土) 18:00:48
真我=全宇宙、だよね?
実感できないけど。
自分と自分でないものの境界線を消滅させたら、
ひとつの全体としての宇宙しかのこらない。
瞑想をしていると、自分の考えというのは本やテレビや
新聞や雑誌を読んだときの記憶が作った言葉とイメージの
寄せ集めであって、見栄や欲で固められた反射的な
ものだと気がつく。
僕はまだ瞑想初心者なので、ただ自分を観察するだけだ。
149 :
真理の探究者:2006/05/20(土) 19:23:21
>>147 真我=全宇宙ではなくて真我=全宇宙の根源です。
あなたのは物理的な宇宙空間として宇宙をとらえています。
真我としての宇宙は精神的なもの、つまり宇宙の精神です。
境界線の消滅ではなくて、自我の徹底的な否定による宇宙精神との合一
これが真我の独存です・・・。
自我の徹底的な否定それが真のヨーガ行です。
なるほど。エネルギーに満ちた限りなく死に近い状態なのかな。
151 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 16:58:51
152 :
真理の探究者:2006/05/21(日) 18:35:08
一週間以上の断食と呼吸法に徹してヨーガの瞑想をしている時のみに
わずかながら感ずることはあります。
でも修行未熟のためハッキリとはかんじません・・・。
おそらく、実感としてはっきり感じるのは一生涯死ぬまでかかるでしょう。
でも、死ぬまでに確かに到達できればそれでいいと思っています。
まっ、修行なんて何十年もかけて積み上げていくものですよ。
153 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 20:35:09
そうですか。
レスサンキュ。
修行を積み重ねて脳のいい状態を固定するのかな。一日でも修行を
休んだら元の黙阿弥。出発点に戻るんだろうなあ。厳しい世界だ。
瞑想を行うのに適した時間は一日のうちで最も地上に良いプラナが充ちると言
われている早朝が良い。ゴータマ師が覚醒したのも明けの明星が輝く頃と伝う。
また瞑想は飢餓状態で行うのが効果的ともいわれる。
仏教の戒律(パーリー律227戒)に『非時食戒』と言うのがある。非時とは正午
から翌日の日の出まで水以外の食物を口に入れてはいけないと言う戒である。
つまり前日の正午から食事を抜いて翌朝の瞑想のためにプチ飢餓状態を作っ
ておくと言うことだ。上座部ではよく守られている戒である。
合わせて肉食、過食、飲酒、喫煙も避けるべき。肉食は肉体の支配が強まり
瞑想を行っても肉体の輪郭が残ってしまい深い瞑想に入りづらい。飲酒、喫煙、
ドラッグ、性行為等の肉体を喜ばせる行為も渇望の種を植え付けてしまう。また
満腹感を得るまで食べる行為も次の渇望の種となる。瞑想家は渇望の連鎖を
断ち切るべき。
156 :
考える名無しさん:2006/06/01(木) 13:01:26
私ラマナが大好きです。このスレ見つけて幸運です。
>>1 私は世界が存在しないというのは、人間にとっては、世界は想像しか
認識できないから、これが実在だっと思った時点で、決め付け、エゴに
なるからだと思います。同じ世界も色盲の人とそうでない人は違う世界になります。
私は世界とは相対的なものであると感じています。幸せもずっと続けば、当たり前
になるし。 という意味で世界は我々人間にとって想像や予測にすぎづ。
唯一の真理は「私が在る」という中の真我であるとラマナから得たのですが。
なるほど。理屈では分かるんだが、それを心の底から
自覚できる行ってないものかな。
私は最近本当に渇仰心が少なくなり、日に一度も瞑想をしなくなってしまいました。
わたしはいつも瞑想に入るときは「誰が今、瞑想を通して真実を求めているのですか」
と自問いして、「この私です」、、そして「私とは何でしょう??」
と入っていきます。しかし今だ確固たる答えは自分の中で見つかっていません。
真我探求とは、一切の離欲が必要だそうです。しかし、私には難しい
ことであります。
その瞑想は体が出来ていないと気が脳に昇っていきそうだね。俺はまだ
瞑想に入る肉体の基礎が出来てない。
162 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 09:18:14
瞑想ねぇ・・・!
まっ、妄想にならないようにね・・・!
その前の身体訓練であるアーサナやプラナヤーマは熟達してるの・・・?
はい、運動にストレッチはよくします。。
妄想にならないようにといわれましたが、思考をゼロにするのですから、
妄想も想念も無いのが瞑想だと私は考えています。
そこには、自分の存在と平和の至福があるだけです。
164 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 15:40:42
その自分の存在を否定し突破することこそ本当の瞑想の第一歩だよ・・・。
あと、呼吸法をよくするように、とくにスシュムナーの浄化呼吸を。
プラナーヤーマ 呼吸法は瞑想時にやりますよーーーー
>>164 そうだよね、、僕たち非ジュニャーニは自分を偽りの自分として理解しちゃってるからねーー!!
仏に逢えば仏を殺せ。否定して突破するのは西洋思想。
東洋思想は、ただあるがまま。
168 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:01:11
だから、つい最近まで東洋は西洋の植民地だったのね・・・?
169 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:36:58
っか、21世紀の現代今更東洋も西洋もあるまいに・・・?
170 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:38:45
まっ、要はいかに悟るかってことだけだね。
グローバリズムが全地球の西欧化を意味することを知らないのかねちみたち。
ブッシュ・ライス・ブレアラインは中東全域だけじゃなくて文字通り全地球
(グローブ)を西欧化しなければ収まらないつーことよ。
ヨガだっていずれは「ハリウッドスタイルヨガ」意外は駆逐されてなくなるだろうね。
172 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 09:51:23
東洋でも西洋でもそれなりに良いものは残る。
一過性のつまらん物はのこらない。
西欧的グローバル化は、ただたんに経済やビジネスでの次元のみの話だよ。
会社じゃあスーツ着てても家に帰れば着物きたりどてらきたりする。
ほかのアジア、アフリカは、もっと自分の固有文化に固執した暮らしをちっとも
くずしていない。
「ハリウッドスタイルヨガ」、なんだそれ・・・?
そんなのヨーガの片隅にも入んないよ・・・。
あんまし、アーホーなこと言わないでよー。
それは真理ではない。良いものが残りつまらないものは残らないなどと
いうように合理主義的に歴史は進んでいない。良いものが滅び
つまらないものが生き残ることもある。歴史への信頼感により、残ったもの
への敬意があるのみである。それが良いかどうかは別だ。
175 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 11:37:06
あなた、それを世間では糞の役にも立たない屁理屈と言うの・・・。
糞はまだ肥料になるが、そんな屁理屈豚も食わない・・・。
176 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 12:01:52
まっ、いろいろな人がいて、いろいろな意見がある・・・。
でも、「わたしは誰か?」、本当の自分とは、って求めていくと
いつか普遍的な共通の広場みたいな所へ出てしまうだろう。
それが真我と一体になった本当の自分・・・。
みんながそこまで達した時はじめて宗教どうしの争いもやんで
真の世界平和が実現するだろう。
177 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 13:08:03
皆は真我を実現したい動機ってある?
私は不順な動機かもしれない。
逃れれようとしても逃れられない嫌なことってある。
そのような苦しみ(というと大げさだけど)から解放されたい。
ラマナさんのいう「すべきことは何もない」
これをやりたい。普通の人がやったら多分良くない。
聖者がやれば正しい。
神と我々は同じものでしょう、しかし無知が様々な悩み苦しみを生む
180 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 21:35:27
yukiさんは悩みないの?
181 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 22:13:04
不順→不純・・・?
182 :
考える名無しさん:2006/06/13(火) 22:29:10
175は嘘つきである。2行読んだだけで分かる。
184 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 02:11:10
嘘つきはあなたなの・・・!
ここは、本当の自分をさがすマハリシスレなの。
あなたのような屁理屈屋はここにいてはいけないのー!
もう二度とこないで・・・!
消えてなくなって、お願いだから・・・!
185 :
↑:2006/06/14(水) 02:21:52
貪り怒り無知により、真理への道から外れ、心を迷わす者の哀れな末路。
私は慈悲の心を持って、この哀れな者を見つめる。
186 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 02:28:51
>>185 とんでもない偽善者、不純な屁理屈屋、
お願い・・、ここから出てって・・・!
他の人たちの純粋な求道の魂がけがれてしまう・・・!
187 :
↑:2006/06/14(水) 03:00:12
貪りの心が強いが故に、自らの醜い心が写し出された鏡に
向かってひとり相撲を始める哀れな者。
自己の妄念に執着し、真理から遠く離れ、
貪り怒り無知の世界に堕ちたこの者の心の醜さが、
私には透けて見えるのだ。
この者の心は、妄念、執着、貪り、まがい物のイメージへの固執で
満たされている。対象をまっすぐ見つめず、自己の先入観から煩悩の罠
にとりつかれ、それと闘っている。まさにひとり相撲である。
私は憐れみの心を持って、この者のひとり芝居を静かに見つめる。
188 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 03:08:51
>>187 そんな酷い言い方、イヤ、イヤ・・・!
もう知らない、隆子,もう知らないんだから・・・!
189 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 09:21:11
↑2人ともなかなか面白いです
私はグルを持っています。
191 :
考える名無しさん:2006/06/14(水) 16:14:22
>>190 そのグルとは、日本人、それとも外人・・・?
差し支えなくばお名前を教えて・・・?
ベンガル人です
194 :
191:2006/06/14(水) 18:03:24
シュリ・チンモイ!!!
嗚呼・・・、なつかしい名前ですね!
20年前、高校生の時当時流行していたオカルト雑誌の「ムー」で
はじめて彼を知りました。
確かその時が初来日だったみたい・・・?
瞑想修行にスポーツを上手く組み合わせた効率的な修行法には
その時から感心していました。
同時に素晴らしい宗教音楽の創造者ですね。
偽者や破壊的カルトが多いいこの世界のなかで彼は、
数少ないホンモノのグルでしょう・・・。
>>194 ありがとう。本当はこういう場では軽々しく言ってはいけないのかも
しれないが、ここの住人の話していることが精神性が深いので信じて書きました。
196 :
y:2006/06/14(水) 23:46:32
197 :
考える名無しさん:2006/06/15(木) 22:00:41
ジュニャ−ナ・ヨーガは、別名哲学のヨーガといわれるぐらい叡智的な思索を重視しますね。
勿論、日々の瞑想実践を踏まえたうえでの哲学的思索ですが・・・。
ここの哲学スレに相応しいヨーガですね。
198 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 15:48:57
最近某大手サイトでの買い物で酷い目に合いましてね。
形だけと思われる謝罪はあったんだけど、
電話・メールで何度かやり取りしたんだけど・・・。
いまの心の状態は、
・ どうもこのままだとすっきりしない。
・ しかし、こんなことに時間割きたくない。もう忘れようかな。
・ いや、改善してほしいから、もっと厳しくクレーム言って、
改善策出して、かならずやってくれ!くらい強気のメールを書こうかなあ。
でも、ざっとぐぐったら企業の体質悪そうだし(実際今までに経験した対応はかなり悪い。
何言っても無駄な人たちばかりなんではと想像してしまうくらい)、
はたしてしてくれるかなあ。そんなところです。
真我実現してたら、こういうときどう行動するのかな、と考えてみた。
何も怒ったりしなさそう。取り乱すこともしない。
それは私もできたんだけど。
現時点での、どうもすっきりしない気持ちは、泳がして、消えるまで放置して、
これ以上この件に関わるのを辞めるのが正解かな?
199 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 16:03:22
ここの住人さんに、
何かの被害体験があったら、そのときどんなふうに行動したか
聞いてみたいです。
その程度の事で動じていたら高卒の非常識DQN社員ばかりの職場の
管理職なんか出来ない。小さな事はすぐ忘れる癖をつけろ。
ストレスで死ぬぞ。
私は怒りより、物欲、女欲、性欲に悩まされています。
真我探求は難しいものであります。
こんな業者を放っておいたら
世の中のために良くないとは
思わなかったのかな?
そういう怒りは結構ある。
貧乏くじ引くことが多くて
馬鹿だなぁとも思うけどね。
203 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 08:05:58
深い洞察と覚醒の道場であるこのスレッドに土足で上がってきて
業者、メールでクレーム、被害者意識等々の不潔な言葉を並べて与太飛ばす
のは場違いじゃないの・・・!
ぜんぜん大したことないことで悩んで発心ができてないのよあなたは・・・!
ダイエットコーラ飲んで出直してきなさい・・・!
ぜんぜん大したことから始まる
205 :
198:2006/06/19(月) 21:11:12
レス有難うございました。
>>202 そう、それもあるから少し迷いました。
クレームといっても、ちゃんと誠意を持って改善してほしいと
伝えるならば、そのほうが思いやりがありますよね。
無反応のほうが返って良くない側面もあるというか。
でも、今回はもうこれ以上の行動は何もしないことにします。
とりあえずは。
というのはあまり時間がないからです。
そんな理由ですが、一旦忘れることにしました。
>>203 そう堅いこというなよ♪
206 :
考える名無しさん:2006/06/19(月) 21:16:17
207 :
考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:08:49
その性欲をオージャスという精神パワーに変えるのがクンダリー二・ヨーガの
第一歩・・・。
オージャスによって人はプルシャを目指すことができる。
あとは神の恩寵あるのみ・・・。
208 :
考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:17:33
>>199 英語圏の大学の教授が日本の文化や創作物は全てナンセンスであり馬鹿の象徴だと
日本のみにおいてではなく、アジア一般の文明を乱暴に切り捨てていた。
その教授に論文を見せに研究室に入り一対一になったとき、
私の話す言葉はどもり、止まらぬ震えでその場に座り込んでしまった。
その2年後、その教授は、韓国人生徒に「アジア人は売春婦としてこの世に存在している」
と指を刺し言い放ち、その生徒に告訴され、大学追放となった。
209 :
考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:22:27
その教授はただのキチガイなのでは・・・?
それか余程の人種差別者か・・・、
どちらにしても真ともではない、あたまがおかしい・・・。
病人か、有色人種排斥のカルトの人でしょ。そういうカルトはあるよ。
>>206 真我探求に邪魔になるじゃん。Vegetarianだけあり性欲は
以前よりは減ったものの、、、、
私は白人が何考えてるか分かりません。世界の大きい戦争はみな白人が
かかわってると思います。私は白人が嫌いです。どんどん侵略行為するし。
本当に白人は理解できません。
213 :
↑:2006/06/22(木) 13:59:34
戦前の右翼
人種は違っても我々は魂は皆神から来ている。
しかし、神は理解できん。理解できたら悟ってるよね。
>>211 ラマナさんは、修行のために俗世間で生活することを辞めるべきか
と求道者に聞かれたら、いつもその必要はないと答えてたらしいじゃない。
俗世間にいることと、真我実現とは両立できると。
たしか家庭を持ちながら求道している人もいたよね(本に質問者としてでてきた)。
妻や恋人がいれば性欲がないほうが問題だから、
普通に健康的に性欲あるのは問題ないんでは・・・?
と思いました。
でも
>>201を察するに行き場のない性欲で困るということだろうか。
>>215 いいやおそらく性欲は体の問題で、自己と身体を同一に考えている
からこそ生じるもんだいなのです。ラマナもラーマクリシュナも体の性欲は
あっても心に性欲がないのでしょう。欲は意識すればあるし。
意識しなければなくなるものです。しかし長い間、現代科学と同じ
愚かな「自己とは脳である」を基準にしてきたため。煩悩はしぶといものとなっています。
執着するか、しないかです。 誰にでも体は性欲はあります。
ちょうど、食欲と睡眠したいと同様、自然な体の状態であり、
問題なのは心が体の欲望に執着すると煩いはうまれます。 瞑想していけば
どんどん自分の問題は明かされてゆきます。
即ち
自己を体と同一視→体の欲→自分の欲である「私が欲している」→煩いが生じる。
自己は体ではない→体の欲→自分自身のものではない→必要以上に執着することなく→煩いは滅する。
218 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 15:08:00
うーむ!!!
みんな、性欲を精神エネルギーに昇華するクンダリニー・ヨーガの技法を
スルーしてますね・・・?
クンダリニーヨーガによれば聖者はみな健全に発達した性欲の持ち主であり
ヨーガの技法でそれを高い精神的エネルギーに昇華していると言う。
その精神的エネルギーをオージャスと言う。
オージャスによってひとは、精神的霊的進化を行う事が出来る・・・。
>>218さん。
性欲を精神エネルギーに昇華するクンダリニー・ヨーガの技法って、具体的にどのような方法なのでしょうか?
(どこかに、まとめサイト?みたいなものはあるのでしょうか?)
220 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 02:54:20
>>219 私は渡辺和直さんに教わりましたがネットで教えるわけにはいきません。
本は「現代のヨガ」という本がありますが方法は確か書いてなかった。
218はインチキ野郎だな。ネットでクンダリーニヨガなんてネタにして
る奴は品性下劣なインチキだと断言する。霊的にも人間的にもレベルが
低い者に違いない。
222 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 03:56:39
>>221 221さん タントラか何かと勘違いしてないですか。
クンダリニー・ヨガは真面目に悟りを目指す人の為の瞑想中心の本流のヨガですよ。
223 :
考える名無しさん:2006/06/24(土) 04:03:28
>>177 苦しみから逃れる簡単で正当な方法は、
自分自身に起こる嫌な感覚や苦しみから逃げないで、
少しも逃さないで全て味わい尽くす事です。
そうすれば、役目を果たした感情・感覚は花が咲きやがて枯れる様に
すっかり消えます。そして新たな気持ちで対応する事が出来ます。
224 :
218:2006/06/24(土) 23:06:54
>>219 クンダリニー・ヨーガは、アーサナ(ヨーガの体操で普通のスポーツ的体操とは
全く違う)、プラーナヤーマ(ヨガの特殊呼吸法)、バンドハ(ヨガのからだの
緊縛)、ムドラ(前の三つを特殊に組み合わせた行法)でクンダリニーを活性化させ
チャクラを目ざます為のヨーガです。
とくにクンダリニー(性エネルギーでもある)を昇華上昇させ高い精神的エネルギーに変えるには
脊柱の中のスシュムナー管の浄化が不可欠。
そのために毎日スシュムナーの浄化呼吸法を行わなくてはならない。
本山博著「密教ヨーガ」に詳しい行法が書かれています。
それとチャクラを覚醒させて高い悟りの世界へ飛躍する方法ものっています。
でも実際に行う時は、ちゃんとした指導員につくことをお勧めします。
本だけでは実際の行の微妙なところが分かりませんし、何よりも危険です。
>>221 あなたは、オウムかなにかと勘違いしているのではありませんか・・・?
本来クンダリニー・ヨーガはオウムなどとは何の関係も有りません。
だってオウムは、原始仏教やキリストまで勝手に騙って利用してるじゃあないですか。
全く、カルト、特に破壊的カルトには困ったものです。
ヨーガの本はたくさん持ってるから理屈はもういいし個人の趣味に口は
挟まない。しかしこの人は本山博を信用してるのかいな。
226 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 09:21:17
じゃあ、このレスに口を挟むな・・・!
ここはラマナ・マハリシレスだ。
この屁理屈屋が・・・!
瞬間瞬間に気づいていく気づきの瞑想というのを試しにやってみたが、
強力な効果があるな。
マインドフルネスという概念で心理療法に取り入れられているらしいが、
こういうのを昔の人の智慧というのかと軽く感動した。
>>226 せかせかしてるそこのあんた。あんたも瞑想した方がいいぜ。
229 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 04:45:24
馬鹿か、おまえは・・・!
おまえ、瞑想はおろか基本のアーサナやプラナヤーマすらできてねえだろ・・・?
本だけ持ってたって糞の役にもたたねえぞ・・・!
>>229 あははは(^∀^)
あなたは何年やってるの?何年やってもまったく効果が出て
ないようでつね。可哀相ですごい同情しちゃう。やり方を間違ってるんじゃ
ないのかな?今のあなたのままじゃ、さらに10年やっても何の進歩も
無いと思うよ。瞑想で大事な事は、自分を徹底的に直視する事です。
美化せず、ごまかさずに。あなたはエゴが強いから、自分の浅薄な知識や
経験や誤った方法への執着が湧き起こって、それが邪魔しちゃって
失敗しているの。それに気づかないとね。瞑想をやってて気が付くのだけど、
自分はこれだけマニアックにやってきたという傲慢が瞑想の強い敵になってく
るの。あなたが過去の無駄な経験への執着から抜け出して、いつか本物に
出会えるようにと願っています。
あなたから悩み苦しみがなくなり、
あなたの願い事がかないますように(^∀^)
>>230 本当に同感、分かってるなーって思います。自分は偉そうに言える程では
ないが、今までの経験で分かります。
232 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 21:16:33
わっはっはっはっ・・・。
あまり笑わせるな。お前こそどれだけのもんや・・・?
瞑想どころか妄想に取り憑かれて迷いのどん底にいるくせに。
おまえは絶対に悟れない、永遠に・・・。
233 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 21:23:38
瞑想?ヨガ?禿しく板違いだな。
分からないことが多いよ・・・
真我実現したらどうなるか?という問いには、
そういうことは気にせず探求しなさい。という答えだった。
でもあまりよりどころがないと、
真我実現したらどうなるか、を考えずにはいられない。
かといって、色んな手法・教えに手を出して、ごちゃごちゃした知識はつけたくない。
少しずつならいいけど。
この自分を、不特定多数のなかのだれか一人と、同じように
認識するということ?
世俗で生きているかぎり、色々な理不尽なことにあったり、
辛い境遇から長期的に抜け出せそうにない事態になったりしうる。
かといってホームレスは自分には無理。
真我実現しながら、世間に揉まれつつ生きた人の自伝でもあれば
参考になりそうだが・・・。そんな人知らない?
238 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 02:25:51
>235 クリシュナムルティは言葉での表現を超えると言ってます。
脳細胞が変化するとも言ってます。
お釈迦さま・クリシュナムルティ・ラマナ・マハリシに共通するのは
恐怖、(精神的)欲望、高慢、怒りなどの自我(自己中心性)が無い状態
のようです。
ラーマクリシュナは瞑想を勧めてますがその結果の霊的成長の度合いは
自我がどれだけなくなっているかのみで判断されると言っています。
ところで、
ちまたで流行してる潜在意識による願望実現の本、読んだことある?
真我探求者としては、どう思う? 漠然とした質問だけど、
なんでもいいです。コメントきぼん。
241 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 03:15:47
>>239 タントラ・ヨーガという自己暗示的技法を解説した本は持っているが、
内容は真我実現の為の本です。
単なる願望を潜在意識に刷り込むなら欲望・条件付けを増やす事になる。
ただでさえ欲望などに振り回され苦しむ人が多いのにわざわざ強化するのかいかがかと思う。
願望が強くても実現するとは限らないし、実現しても欲望は更につのるだろう。
精神・肉体が病気になるかもしれない。
242 :
考える名無しさん:2006/06/28(水) 10:10:46
>>239 阿頼耶識願望成就瞑想法を唱えている無能唱元師の伝法講義を受けた事あるよ。
おかげでお金には不自由しなくなった。
243 :
239:2006/06/29(木) 02:08:16
レスどうもです。
>>242 その瞑想法やってたのって、真我探求し始める前?
両者は両立できない気がするんで。
できるんかね。どっちだろう。
244 :
239:2006/06/29(木) 02:10:19
ちなみに私はジョセフマーフィーをしっかり読んだクチです。
体に問題抱えているとあんま意味が無い。
味覚障害なのにおいしい食べ物がたくさんくるようなもの。
潜在意識では体の構造はどうにもならんね。
体力不足とかは何とかなるんだけどね。
>>239
246 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 18:36:55
>>239 唱元師の教えに二辺往来とあります。
一辺の極に神や真我と一体となる宗教的悟りの世界(ラマナ・マハリシ的な世界)があり、
もう一辺の極に健康・愛情・富・成功といった世俗的幸福の世界があります。
この二辺に、臨機応変にその時その時の必要に応じて往来せよ、というおしえです。
充分に両立できます。
阿頼耶識瞑想法は、後から始めました。
247 :
239:2006/06/30(金) 22:18:01
>>246 >二辺往来
興味深い。こんどチェックしてみる。
>>245 体の構造がどうにもならないって、
健康の願望が叶わないという意味でいい?
どんなに体力トレーニングをイメージと平行しても
抜けた歯は生えてこないという感じ。
健康の願望がかないやすいのは、
単に鍛錬不足の場合。もしくは、まだ鍛錬不足の段階。
>体の構造がどうにもならないって
体を構造から治していけるひとはいるかもしれないけど、
たいていは一時的に治めるか誤魔化すかだね。
イメージを体で再現できるには鍛錬が必要だけど、構造が歪んでいると
鍛錬しても歪んだ形で表現されるし、体の構造をよりいっそうゆがめかねない。
それを避けるように型と段階というものがある。
健康の型を肉体化してからイメージを広げていかないと、広がるイメージに振り回されて
体がぼろぼろになるという意味。というか単なるお勧め。
ごめん、
「体の構造」っていうのは、
単に物理的に見た身体ということ?
抜けた歯は生えてこない、
味覚障害なのにおいしい食べ物がたくさんくる、
というのは、比喩表現なんですよね?
それともそのまんま?
頭悪くてスマソ
カゼを気合で治すことはできても、
6頭身の人が子顔になって8頭身になりたいと願っても、
そんな物理的な問題は無理、ということ?
・・・とは違うか・・・?
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7Si9MdWoqk <= #l#vC*Q'g
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7743ImERdM <= #zCZH!r}6
7si3Sgg7Mk <= #|3cqJYaK
簡単にいっちゃえば体とイメージの融和が重要。
特にイメージでどうにもならない部分は凄く大事。
そういう部分は最初の扱いで固定されちゃうことが多いんだけどね。
歯はそれを墓石にするぐらいの気持ちで大切にするといいよ。
体も動かすということはイメージ力を鍛える上で凄く重要。
念仏だって口で唱えるわけだから、口が大切なのは当たり前。
声に出して読む日本語。
>>251 だいたい分かったと思う。
何度もありがとう。
イメージするだけじゃなく、行動もしろ、ってことだよね。
瞑想について調べた事があります。
そしてクリシュナムルティの言うことになるほどと思いました。
瞑想には一つに、イメージや音声に集中する方法と、二つめに、今此処を観察
する方法があると。
クリシュナムルティは一つめの、イメージやマントラに集中する方法を否定
しました。一つめの方法は欺瞞で現実逃避で差別と暴力と不幸を生む原因であり
催眠術であると。かなり手厳しいです。有名な言葉ですが、マントラには
コカコーラというワードを使ってもかまわないとまでクリシュナムルティは
言いました。私はそんな事はないと思いますが・・・これは彼のユーモア混じりの
皮肉なのでしょうけど。
私が思うに、一つめの瞑想はメカニズム的には催眠術ですので、とても気持ちよくて
ストレス解消に良いと思われます。体内の気の流れのコントロール、風の流れ、
息とイメージの使い方などは各人各団体で長年研究されているので、科学的にも
いずれ根拠が示されると思います。現代では、これらの瞑想から洗練された方法
を取りだして、NLPなどと併せて整体、洗脳、セミナーなどに使っていると思われます。
クリシュナムルティは二つめの瞑想方法を重視しましたが、これは瞑想らしい
瞑想とは異なり、注意深い人になる訓練のようなものです。自分や周囲に現れ
流れていく事象が無常である事に注意深くなる修行ですね。
WLoveLvnKs <= #8JuoksKP
74mRX7Si3A <= #Pd,PP*O(
ZnHIkuCAFE <= #ad,o_9,Z
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yfnSukiDlc <= #lc_obzha
LWCXLoveZc <= #kHYZ.A/l
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1BC/4277SI <= #,rJM~9/w
ckamigNtB. <= #~rJY@RG&
77siCmwk0Y <= #hrJ,WB-x
wDzf1CAFEs <= #8wWYWKP?
b/LrmcCAFE <= #EOpl,6i\
ほしゅ
イメージをコントロールするつもりなら、
体がコントロールできているほうがいいだろう。
体がコントロールできてからイメージをコントロールしたほうがいいだろう。
体がコントロールできていないとイメージで補うにも限界がある。
あなた方は私に告げなければならない
あなた方の肉体があなた方の精神をどういっているかを。
257 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 00:11:53
クリシュナムルティの言ってることを少し引用します。「英知の探求」7章 宗教について 94頁より
瞑想とは頭脳の活動が完全に静まるか否かを発見することです。
しかし、無理にそうするということではありません。
なぜならば、無理をした瞬間に、「すばらしい経験をしたいから自分の頭脳を無理に
静まらせねばならない」という実体、つまり二重性が再び現れるからです。−
皆さんは決してそんなことをしてはいけません。
しかし、みなさんが御自分のすべての思考の動き(その条件づけ、その追求、その恐怖、その快楽)
を探求、注目、観察、聞き耳をたて始めるならば、
つまり御自分の頭脳の動きを見つめるならば、その頭脳が驚くほど静まっていくことに気づくでしょう。
彼の言いたいことは「機械的に繰り返すことや経験を求める心では真の瞑想にならない。
自分の思考を探求、注目、観察する事が必要」という事です。
旧来の瞑想でも探求の状態であれば、クリシュナムルティのやり方の状態になります。
ただし時間がかかる。クリシュナムルティの方法はやり方が判れば直ぐに頭脳は静まるが、
方法の習得に時間がかかる。
hoshu
ほしゅ
ミンス
261 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 20:49:14
262 :
考える名無しさん:2006/10/18(水) 21:20:22
マハリシってビートルズがジョージの先導でインドまで会いにいったマハリシか?ジョンレノンが「私は人間であってそれ以外ではない」とか会見しつ一週間くらいで帰ってきたというあのマハリシか?違うか
>>262 違う
それは、マハリシ・マヘ一シュ・ヨーギー
264 :
考える名無しさん:2006/10/20(金) 20:00:24
子供の頃に出家するひとって一生エチーできなくてもいい覚悟
があるわけじゃない。そこが誰もがやれる事じゃない所だと思う。
エチーの葛藤はないのだろうか。一生に一度くらい経験したいと思わないのだろうか。
ブッダだって結婚して子供つくってから出家したわけだし。
■■■■<ネット内覚醒剤妄想中の元龍貴>■■■■
484 名前:HAJIME ◆Iz70gd2lfg [] 投稿日:02/10/18(金) 21:26 ID:kos4ZC6p
はっきり言って、空手の世界において極真の人たちは間合いの取り方は上手くありませんし、
モーションも大きいです。 下段をよける? 来る前に僕の蹴りが入りますよ。
>うちの(即潰れた吉野愛氣塾の)女弟子にさえも
>コロコロ転がされて説教くらってたくらいの実力の人です。
■■■■■<しかし現実世界では・・・・・>■■■■■■■■■■
■島根大学合気道部の証言■238 :IRIMI ◆QR.rAAy2vI :04/10/19 11:29:05
初めて見た時、ちょっと え?って感じだった。 2ちゃんの印象ですごい怪物のような
イメージが出来てたためか、突き 蹴りがちょっと弱いと感じた。合気あげも最初は失敗された。
雰囲気が悪くなるのもイヤだったのでワザと体を固めて持ったら上げられた
■あるスパーオフにて・・・・■★足攣りおじさん【元龍貴】あ、あかん!!◆◆
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1117533646/l50 911 :Master ◆Foscyjlk9M :2005/03/25(金) 16:42:28 ID:NQmFrdST
>>910 あの頃はまだ少しは稽古で動いてました。今はまったくに近いほど動きません。
その上厨房での立ち仕事で足に疲労が溜まりやすいです。 正座も出来なくなりました。
■菊鬼に電話されると・・・・■「お、おお、おおおオレは、2,2、2ちゃんなんか、
関係 し、しし、してへんぞう。おおおまえ、なななな妄想してんねん」 すすスレどこやねん?
はは、は、はじめてみたぞ、けけけけ警察?いけや、こっこころら」
「ケケケけい撮、とどどど、とどけよろや〜〜〜こここうぁぁあぁぁぁぁ」
※大阪府警に届出された元龍貴の脅える音声(ほとんど錯乱状態)
■警察の取調べを終えて・・・・■639 :Master ◆Foscyjlk9M :2005/04/30(土) 14:45:44
ちなみに、今回僕が取調べを受けたのは、此花警察ってところです。
649 :Master ◆Foscyjlk9M :2005/04/30(土) 15:00:04 ID:lXOpQDhr
取調べの詳細が聞きたければ、此花警察署の刑事課に聞いてくださいね
268 :
1:2006/11/16(木) 22:36:47
結局よくわからずに今に至る
甲殻機動隊っていうアニメにゴーストってものがあるけど、
真我=ゴースト?
違うか。
325 :石井 登(2ちゃんねる従業員・薬違法板担当):2006/11/19(日) 21:18:06 ID:AcM8iWXv0
石井 登
1949年東京生まれ。1978年東洋大学大学院文学研究科博士課程終了。
1982年より埼玉県立高等学校教諭。 教職のかたわら、専門の現象学のほか、
人間性心理学、トランスパーソナル心理学、さらに臨死体験を含む精神世界関連
の分野に研究の関心を広げ活動中。
HP:『臨死体験・気功・瞑想』(
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/)
メールマガジン『精神世界の旅』『精神世界と心理学・読書の旅』なども刊行中
論文:「超越論的現象学と相互主観性の問題」、東洋大学大学院紀要、1975年
「フッサールにおける相互主観性と生活世界の問題」、白山哲学、1980年
「気・『もの』から『こころ』へT」、サイ実測研究会会誌、1993年
「気・『もの』から『こころ』へU」、サイ実測研究会会誌、1994年
「自己と覚醒の現象学」(『自己意識の理論』世界思想社)、近刊
翻訳:ブレークマン「物神と認識」(『現象学とマルクス主義U』白水社)