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【マルチチュード】ネグリ+ハート【<帝国>】
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:
考える名無しさん
:
2006/01/16(月) 03:38:53
(手塚さんの書き込みの間にこんな書き込みを挟んだら大顰蹙でしょうが)市田良彦さま:(稲葉振一郎『「資本」論』でも論じられていましたが)
ホモ・サケルとしての義体(攻殻機動隊等のね)、薬物投与、洗脳(そうチェチェンの"花嫁"たちの様な!)と云った概念は問題化されるべきでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/zozo_mix/20051029に幾つか紹介されている
『GUNSLINGER GIRL』についての論考
(一つだけ挙げれば紙屋研究所の
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/GUNSLINGER.html
)
を踏まえた上で、
http://pay.nifty.com/pay/servlet/pr?i=BGCO000606の伊藤剛のGUNSLINGER
GIRL論そしてこのガンスリ論を中核に据えた
(このGUNSLINGER GIRL論から遡って『テヅカ・イズ・デッド』というテキスト全体を見直せば!)
『テヅカ・イズ・デッド』と称するテキストが「ひらかれたマンガ表現論」として挙って持て囃される
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/japanimation.html状況は
、おぞましいです。
ところで、Multitudeとは「(各々違った目的で)神的霊感に導かれて広場(forum)などに集る、様々な人々の群れ」という意味ですが
休日の秋葉原(年末にNHKがすぐれたルポ
http://www.nhk.or.jp/omoban/k/1227_2.htmlを放映しました
)やかつての原宿のホコ天、
そして盆暮れの有明(ビッグサイト)でのアレは、マルチチュードとは云えないのでしょうか、
我々にはあれらこそがマルチチュードの顕現なのですが。