1 :
若松人:
脳死というのは哲学・倫理学的に
人の死といえるのでしょうか?
じゃあ例えばケンシロウに「お前はもう死んでいる」といわれたらもう
死んでいるのでしょうか?
言えない。
魂が肉体を離れるのは心臓がその機能を停止してからという考えが歴史上最も多い説。
魂の存在を完全に否定することは不可能で、
脳死は死に先立つ前兆のようなもの死ではない。
命は脳にはない。
ゴキブリは頭をもぎ取られても生と呼び得る活動を続ける。
4 :
素人反対派:2005/11/10(木) 19:59:57
脳に精神が宿るからその脳が死んだら精神も死ぬ。
人の本体は精神だから精神が死んだら人も死ぬ。
ゆえに脳死は人の死である
という三段論法は正しいか?
脳死は人間の死であるのか。
脳が死んだとしても、それは人間の死ではない。
何故なら、脳の一部が死んだとしても人間が機能しなくなるという訳ではないからだ。
脳死は人間の死ではない。
ロボトミーという手術が知られている。凶暴な性格者の脳の一部を切開して、性格の改善を図る手術だそうだ。
或る一部のものは性格が穏健となり、或る者は死亡したとされている。
脳がその一部でもって脳全体と看做される傾向がある。生命の維持に必要であるところが失われると、死ぬと考えられる。
脳の一部が切開されても、人間が生きている事例がある。
そういう部分があるならば、人間は行き続けることになる。
その人だけにおいて生命は維持されるのだ。
人間とは生命だけあるのか、ということが疑問に挙げられる。
ただ、単なる生命だと考えられるならば、生命を維持するだけでよいと考えられることになる。
人格が変更されることになろうとも、ロボトミーを施こすことになろうとも、
生きているのだから、そういうことにもなると考えられる。
だが、単なる生命の維持だけではなくて、家庭を築いたり、自らの思うところをしたいと考えるのだ。
そういうことを含めて人間だと考えられている。
人間であるならば、それらのことが考えられるのか。
他の生命体と同じ扱いなのだ。家畜や庭木のように切り取られて、纏められるのだ。
人間は生命だけではない。
9 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 20:27:19
どの辺から不可逆なのかが問題なんだよね?
そのラインは個々人の受容でもいいが、
米国みたいにモノになったら
問答無用で切り刻んで素材にするのは逝き過ぎだよ
>>9 どの辺から不可逆なのかがあやしいのだから摘出はすべきでない、という
「疑わしきは黒」の原則をとるべきだと思う。
11 :
若松人:2005/11/10(木) 23:38:13
あげ
いいか君
ゴキブリは首がもげてからも一ヶ月以上生きて、活動を続けるのですよ?
死因は口の損失が起因する餓死です。
脳を持たない生物が活動可能であるこの事実は無視できない。