ピーターシンガーについて

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42550:2006/11/30(木) 20:18:28
>>41
いえ、単に苦痛の有無が確認出来てないだけだろ、って話ですw

植物が害虫などからの接触を感知して反応する場合何かしら感じてるんじゃ
ないかと
そういう意味の「感じる」
4336:2006/11/30(木) 20:35:23
>>42
> >>41
> いえ、単に苦痛の有無が確認出来てないだけだろ、って話ですw

そら一番極端な立場に立てば、自分以外の人間の苦痛の有無も
(それどころか他の人間が意識をもってることさえ)
確認できない。


> 植物が害虫などからの接触を感知して反応する場合何かしら感じてるんじゃ
> ないかと
> そういう意味の「感じる」

そういう擬人的なのはよくないと思うよ。
たとえば私の指を切ると血が出てきて血小板かなんかの作用で血が止まるけど、
「指が感じている」とか「血が感じている」とか言える?

4436:2006/11/30(木) 20:41:57
>>38 に対する >>40

ある種の無生物も外力に反応する。
たとえばふつうの枕は押してへこむともどに戻ろうとするけど、
枕が感じているって言える?
なぜ生物は特別なんだろう?

(ロボットに心はあるかとか行動主義がどうのこうのって話になっちゃうけど)
45550:2006/11/30(木) 20:56:37
脳神経が有るからと他人や動物の苦痛は今の所考慮されてるけども
動物の脳神経だけが苦痛を感知できるものなのかどうかは不明だと

擬人化という言葉でよくないと指摘される意味がよく解らないんだが
「感じる」という言葉を植物に使うことが擬人化?
動物の場合脳神経の存在があるから「感じる」としても擬人化でない?
4636:2006/11/30(木) 21:09:24
>>45

> 擬人化という言葉でよくないと指摘される意味がよく解らないんだが
> 「感じる」という言葉を植物に使うことが擬人化?
> 動物の場合脳神経の存在があるから「感じる」としても擬人化でない?

うん、結局、他人の苦しみとか動物の苦しみとかは類推にすぎないんないの、
ってのがシンガーの立場だと思うです。

行動主義の立場をとるとしてもせいぜい鳥類〜哺乳類がぐらいにしか
「心」(意識)は言えそうにないんじゃないかな。

哺乳類や鳥類ではどこか怪我するとそこをかばう仕草が見られる。
これは怪我しているところを動かすとよけいに壊れるからそれを避けるために
「痛み」のような主観的経験が発生しているんじゃないかと考えられている。

ふつうの節足動物(たとえば蟻)とかは足ちぎっても同じように動こうとするので、
そういう感覚はもってないんじゃないかと考えられているんだと思う。
(他の生物の心についてはいま哲学でも非常におもしろいトピックなので勉強
してみるとよいと思う。)

4736:2006/11/30(木) 21:10:10
>>45

> 脳神経が有るからと他人や動物の苦痛は今の所考慮されてるけども
> 動物の脳神経だけが苦痛を感知できるものなのかどうかは不明だと

もちろんわれわれがふつうに使っている意味での「感じる」とか
「苦しむ」とかが哺乳類や鳥類を越えて使えるならずいぶん話は
違ってくるですよ。でも現状では不明だし、おそらく植物や節足動物には
我々と同じ意味での「苦しむ」は使えそうにないように思える。

まあ動物の脳神経「だけ」がわれわれが普通に使っている意味での苦痛を
もたらすのかどうかは正直わからんわけだが、少なくとも
我々に似た哺乳類は我々と似た経験をしているだろうと推測するまずまずの根拠がある。
これだけでシンガーの議論には十分。


48550:2006/11/30(木) 21:12:25
>>44
生物は修理がし難いなんて理屈は考えられるけど
厳密には言えないから生物は特別じゃないかも、他人も含めて
反応してるだけだと考えりゃ自分の行動を縛るのは法律だけだな
たまに未成年が確認作業みたいな殺人事件起こしてるけど
4936:2006/11/30(木) 21:16:53
>>48

>>44
> 生物は修理がし難いなんて理屈は考えられるけど

だめ。生物の特徴のひとつは自己修復することなのよ。


もちろん、他人や他の生物や他の存在物の「心的な経験」については
まったくなにも言えないと考えるならぜんぜん話は違う。
(不可知論)
議論としてはそれでがんばる手もある。
ただしかなり受け入れにくい帰結を受けいれなきゃならんし、
哲学の議論としてもほとんど生産性ないよ。実践的な問題を考える立場としては
ほぼ価値がない。





50考える名無しさん:2006/11/30(木) 21:31:24
>>30以後の議論のまとめ

シンガーは痛みを基準に食べてよいかどうかを判断しているため植物や貝は食べてよし、とする(だろう)が、
これは痛みを感じるかどうかの線引きが不明(痛みの有無の確認に問題がある)であるためやや無理がある。
例えば植物は動物のような神経系はないが電流やガスによって食害を防ぐことからして何らかの反応がある。
それは「痛み」とか「感じる」に含まれないのか。
あるいはこのような狭義の痛み(人間やある程度知能のある哺乳類や鳥類にしか適用されない神経系による感覚)以外は
人間の主観の投影であって無視すべきものなのか。
5136:2006/11/30(木) 21:40:59
うーん、悪くないまとめだけど、ちょっとだけ補足しておくと、

>>50
> シンガーは痛みを基準に食べてよいかどうかを判断しているため植物や貝は食べてよし、とする(だろう)が、

シンガーのような功利主義者にとっては「痛みや苦しみがある」かどうかってこと
「だけ」では「殺して食ってよい」とかそうでないとかって結論には直結しないのね。
あくまで全体としての効用がどうかが問題。

牛さんに全体としてそこそこハッピーな生活を生活を送ってもらって、
苦しみを感じることなく死んでもらって食べるのが不正かどうかは微妙。おそらく
OKと言うだろう。彼にとっては牛さんを食べるかどうかより、
現状の工場畜産が引きおこしている(と言われる)無駄な苦痛の方がずっと問題。

> これは痛みを感じるかどうかの線引きが不明(痛みの有無の確認に問題がある)であるためやや無理がある。

功利主義者は必ずしも明確な線を引く必要はない。っていうか引けないし。


52550:2006/11/30(木) 21:58:05
>>49
>>48は申し訳ないんだけど適当に書いちゃったw
よく考えりゃ生物は完全に壊れると修理不可能だね。そこが無生物と違う

シンガーがアニマルライツに援用されてるんでどんなかなと思えば
類推以上じゃないってことか
倫理菜食者にとっては実践するのに類推を根拠にしてると他者に拡げるのは
難しそうだな。生命倫理に関しては色んな立場があるだろうし
5336:2006/11/30(木) 22:09:10
>>52
> シンガーがアニマルライツに援用されてるんでどんなかなと思えば
> 類推以上じゃないってことか
> 倫理菜食者にとっては実践するのに類推を根拠にしてると他者に拡げるのは
> 難しそうだな。生命倫理に関しては色んな立場があるだろうし

そうじゃなくて、「人間どうしでも苦痛を推測するのは類推によってるだろ?」って
議論。これは他の人間の痛みや苦しみを類推以外にどんな方法で知ることが
できるかという難しい議論で答えなきゃならん。

シンガーの立場に反対するひとは、(できれば)人間の苦痛だけを確実に知り、
動物の苦痛はわからんという答ができればよいわけだが、私には
それがどんなものになるか見当つかない。よく考えてみよう。

(1) 人間は「痛い」というから → 言葉が使えない人は痛みを感じないってことはないですね?

(2) 人間の「顔」を見ればわかる → 動物も痛いって顔するっしょ。鳴くし。

(3) 直感でわかる → それどうやって正当化するの?




5436:2006/11/30(木) 22:24:50
だいたい
アニマル「ライツ」とシンガーの立場は、
「動物にも配慮しよぜ」って似てるとこもあるけど発想がぜんぜん違うし。
功利主義者なら、ライツ(権利)は、功利性から要求される単なる方便。

ここ混同するのはあんまりよくない。

55考える名無しさん:2006/11/30(木) 22:41:27
>他の人間の痛みや苦しみを類推以外にどんな方法で知ることができるか

>>53の1,2のように言動の確認によって知ることができるのではないか(仮に言動説と呼ぶ)と考えられる。

痛みがある⇔痛そうな顔をしたり泣いたりする

これは動物でも見られるから動物にも痛みがあるといえる。

問題点は言動が確認されない例があることである。
例えば飛行機に乗った人が上空から都市に爆弾を落とした場合、
住民が苦しんでいることをどうやって確かめるか。爆撃の現場にいれば人の顔や悲鳴が分かるが、
上空のパイロットや遠くの基地にいる将校にはそれは分からない。
都市の人がいくら軍に訴えたとしても「そんなの主観ですよ実在するわけないじゃないですか」と答えられた場合どうすればよいか。
言動自体が痛みと同じように客観性を持たない。(通常は類推と報道によって補われる)
56550:2006/11/30(木) 22:54:13
>>53
人間でも他生物でも他者ならその苦痛をはかる基準は類推でしかありえない
だろうね
ただ倫理菜食に脳神経の類似を苦痛の根拠にするシンガーを援用すると
実践として人に薦めるには類推でしかなければ根拠として弱いと

動物を食わない、搾取しない根拠に成りえても植物と線引きする根拠として
弱い、結果人間の下に一本線を引いて動植物同じ様に利用するという結論を
多くの人が選ぶということになるんじゃないかと
57考える名無しさん:2006/11/30(木) 23:08:29
>シンガーの立場に反対するひとは、(できれば)人間の苦痛だけを確実に知り、
>動物の苦痛はわからんという答ができればよいわけだが

苦痛を直接的な苦痛(一次的苦痛)と類推によって共感される苦痛(二次的苦痛)に分類して
二次的苦痛の有無は容易に証明できるのではなかろうか。
例えば周囲の人が同じような行為(例えば黙祷)をしていれば心情が共有されているとみなしてよいのではないか。
いやそれは苦痛の共有によるものではない、全員が演技をしているのだと言われれば問題だが。

で、二次的苦痛を持つもの(人に二次的苦痛があることは確実だろう)は食べない、持たないものは食べるとすればよい。
それでも一時的苦痛よりは不明だが哺乳類・鳥類には
体の弱い個体を群れの中央において移動するとか、死んだ場所にとどまろうとするとか
何らかの二次的苦痛があると見られる行動はあるだろう。
5836:2006/12/01(金) 01:28:32
>>56


> ただ倫理菜食に脳神経の類似を苦痛の根拠にするシンガーを援用すると
> 実践として人に薦めるには類推でしかなければ根拠として弱いと

わからん。なぜ類推だと問題があるの?日本語もわかりにくい。
イラクで内戦起ってイラクの人はいやだろうなあと思うのも
北朝鮮でこれから餓死する人々はいやだろうなあと思う
類推にすぎない。でも重要。

> 動物を食わない、搾取しない根拠に成りえても植物と線引きする根拠として
> 弱い、結果人間の下に一本線を引いて動植物同じ様に利用するという結論を
> 多くの人が選ぶということになるんじゃないかと

なぜ?

もちろん、「ふつうの人々はそれほど幅広い共感能力はもってないかもしれない、
あんまり他人のことを気にすることがむずかしいかもしれない」は実践的には
非常に重要だけど、だからといって「気にしなくていい」にはならないよ。
(もちろんもし他人を気にすることがまったく不可能ならそれを要求するのは不合理)

5936:2006/12/01(金) 01:36:31
>>57
> 苦痛を直接的な苦痛(一次的苦痛)と類推によって共感される苦痛(二次的苦痛)に分類して
> 二次的苦痛の有無は容易に証明できるのではなかろうか。

それは誰に共感するか、誰に共感するかは人によってずいぶん違うでしょ。

> 例えば周囲の人が同じような行為(例えば黙祷)をしていれば心情が共有されているとみなしてよいのではないか。
> いやそれは苦痛の共有によるものではない、全員が演技をしているのだと言われれば問題だが。

それはわからん。なにも感じずにただ形だけ黙祷しているひともいるだろう。

> で、二次的苦痛を持つもの(人に二次的苦痛があることは確実だろう)は食べない、持たないものは食べるとすればよい。

こういう言葉使いの曖昧なのは問題。
「食べない」ではなく「食べてもかまわない」とか「食べることは不正ではない」と
はっきり書くべきだと思う。
もっと正確に書くと>>57が提案しているのは、
「その人が苦しみを共感できるものは食べるべきではなく、共感できないものは
食べてもかまわない」ぐらいか。

> それでも一時的苦痛よりは不明だが哺乳類・鳥類には
> 体の弱い個体を群れの中央において移動するとか、死んだ場所にとどまろうとするとか
> 何らかの二次的苦痛があると見られる行動はあるだろう。

ここ読むとぜんぜん違うことを考えているかもしれないと思う。
「同じ種の他の者に共感できる者は〜」か?
それでもなんか混乱してるよ。読みまちがえてたらごめん。

あ、「他人に共感できる存在は食べちゃだめ」って主張したいのか。
なんでそんなこと突然言いだすの? その正当化はどうするの?
6036:2006/12/01(金) 02:13:06
>>57
あ、読みまちがえてたか。人間と動物の違いとして共感をあげてたのね。
すまんすまん。
ふつうの哺乳類でもカラスみたいな鳥類でも他の同種のものの対する共感
は観察されてるよ。

それから人間でも赤ちゃんみたいなのをどうするか。
61550:2006/12/01(金) 09:37:06
>>58
動物に苦痛が有る、は類推
植物に苦痛は無い、も類推
線引きの根拠がそれじゃ納得しない人が多いだろうということ

「気にしなくていい」じゃなくて生活する上で何処に線を引くかという問題
アニマルライツの主張に対し、多くの人が「キリねぇだろ」と撥ね付ける
だろうという、単に予測の話
ややこしくとりすぎじゃないの?
6236:2006/12/01(金) 10:24:57
>>61
> >>58
> 動物に苦痛が有る、は類推
> 植物に苦痛は無い、も類推
> 線引きの根拠がそれじゃ納得しない人が多いだろうということ

「植物に苦痛はない」ではなく、「植物に苦痛があるとはいまのところ言えてない」
それから「線引き」はシンガーにはさほど重要ではないし強調もしてない。

「線引き」を求めるのは、あらかじめなんかのルールがないとなにもできず、
なにか誰か他人が決めたルールにしたがっていれば道徳的には問題はないと考える
人びとだけ。

> 「気にしなくていい」じゃなくて生活する上で何処に線を引くかという問題
> アニマルライツの主張に対し、

なんども書くが、シンガーの立場とアニマルライツの立場は
実践的な結論は同じようでも論理がぜんぜん違うから混同しちゃだめ。

> 多くの人が「キリねぇだろ」と撥ね付ける
> だろうという、単に予測の話


なんで? とりあえずのキリはあるよ。まあ実践的に妥当なのは
工場畜産で作られたような動物や鳥の肉を食うのは正当化できそうもない、だ。

6336:2006/12/01(金) 10:28:26
それから「多くの人がはねつける」だけど、そりゃものごとをちゃんと考えようとしな
かったり、自分の考え方が首尾一貫していることを求めない人、そもそも
なにもわかろうとしないひとがなにかまもとなことを
分かるのは無理だよ。そういう人と話をしているのではない。

「黒人を奴隷にするなって? 女性の権利を認めろって? そんなことキリがねえよ」と
多くの人が言うとしたらどうする?

>>61 はある程度納得したの?

> ややこしくとりすぎじゃないの?

哲学ってのはそういうものです。
64550:2006/12/01(金) 11:01:39
>>62
だからシンガーの説をアニマルライツが援用してることの意味の薄さ
について俺も言ってるわけでw
他人を説得するのに納得できる理屈を用意するのは当然で、それが
できてないって話してるんだが
シンガーの説自体と直接関係ないから「ややこしくとりすぎ
なんじゃないの?」と書いたわけです
>>63
アニマルライツが相手にしなくちゃならない「そういう人」達がなにも
わかろうしない、と決め付けるのは”結論ありき”なんだけども

6536:2006/12/01(金) 11:03:27
>>64
> アニマルライツが相手にしなくちゃならない「そういう人」達がなにも
> わかろうしない、と決め付けるのは”結論ありき”なんだけども

ほとんどの人はまともに考えようとみなすことができるので、
まあ地道に議論するしかないのです。

6636:2006/12/01(金) 11:04:24

×ほとんどの人はまともに考えようとみなすことができるので、
◯ほとんどの人はまともに考えようとしているとみなすことができるので、
67考える名無しさん:2006/12/01(金) 11:24:31
問題は、動物や植物が苦痛を感じるかどうかではありません。
仮に牛や豚が人間と全く同じような苦痛を感じる、と証明されたとしても
(そんな証明は原理的に不可能だと思いますが)人々の食生活は恐らくあまり
変わりません。
真の問題は、「なぜ他者の苦痛(不幸・快・幸福)に配慮しなければならないのか」
この疑問に答えがないことなのです。
68考える名無しさん:2006/12/01(金) 11:39:40
黒人や女性の苦痛に配慮することは白人や男性の利益につながる可能性が
大きく、事実それらの差別撤廃で社会はより住みよくなったと言えそうだが、
動物の苦痛に配慮しても利益を得るのは動物と一部の人間のみ、特に肉食者
は不利益を被るだけとしか予測できないので種差別撤廃は有り得ない
69考える名無しさん:2006/12/01(金) 11:45:57
>シンガーにはさほど重要ではないし強調もしてない。
>実践的な結論は同じようでも論理がぜんぜん違うから

シンガー:動物の苦痛も功利の計算に入れるべし。
・菜食主義でも人間は苦痛にならない、しかし動物を屠殺するのは苦痛が伴う、よって菜食主義のほうが苦痛の総和を減少できる。
・現在家畜の飼育はむごたらしいものがある。最後には屠殺するにしても苦痛の総和を減少するためにできるだけよい環境で飼育すべし

だろ。

アニマルライツ派:動物も尊い存在だ
・尊いからできる限り殺すな
・尊いからできる限りよい環境で飼育しろ

なわけよ。功利主義で苦痛の減少を意図するか常識的にいう正義を意図しているかの違い
7036:2006/12/01(金) 11:53:28
>>67
> 真の問題は、「なぜ他者の苦痛(不幸・快・幸福)に配慮しなければならないのか」
> この疑問に答えがないことなのです。

そうですね。それは問題のキモの一つです。いまんとこ
誰も本当には議論に成功していないとみなされているし、
シンガー自身もそれを認めています。(シンガー自身の提案は
道徳的に生きる方が、意味のある幸福な人生になるだろう、という議論だけど
まあ成功はしてないっしょ。)
もっとも、他人の利益を何も気にする必要はないというのを
本気で受けいれているひとはめったにいないでしょう。

>>68
> 黒人や女性の苦痛に配慮することは白人や男性の利益につながる可能性が
> 大きく、

そうか?なんで?

71考える名無しさん:2006/12/01(金) 12:06:19
>なぜ他者の苦痛(不幸・快・幸福)に配慮しなければならないのか

1,結果的利他説
利己主義を意図しても実際の行動は利他主義になる。自己の苦痛の減少のためには他社の苦痛に配慮する必要がある。

2,社会的効率説
互いに無視するような世間(冷たい世間)よりも助け合う社会(温かい社会)のほうが(治安・経済的な意味で)うまくいく。

3,本性説
魂が天界にあるときには混沌として一体であった。
下界では魂は異なる肉体をもつが天界にあったときのように結合を求める。
友情とは二つの体に宿る一つの魂である。
72考える名無しさん:2006/12/01(金) 14:31:22
>>70
>そうか?なんで?
人間同士ならお互い助け合えるし、権利を与えないと報復される可能性
があるから
動物の苦痛に配慮したからといって助けてくれない(使役動物は別か)
配慮しなかったからと報復もされないよな?
7336:2006/12/01(金) 14:52:05
>>72

なるほど。んじゃもっと力のない人びとは?
身体障害者とか老人とか赤ん坊とか。報復されてもたいしたことないかもよ。
他民族や人種も、自分が圧倒的に力強いならあんまり報復とかも
気にならないかも。

動物に対する配慮が一方的で互恵性に基づかないのはその通り。
互恵性だけが重要だと思うひとや、自分の利益以外にはなんの利他的な動機もないと
考えるひとに、動物に対する配慮を求めるのは無理かもしれません。



74考える名無しさん:2006/12/01(金) 15:38:11
>>73
まず人間ならば血縁者や親しい者がその人に対する配慮を求めるだろうね
これはペットなんかも同じだろう
でもそれ以前に人間が国人種関係なく交配できる同じ種であることがお互い
尊重すべき第一の条件になってるんじゃないかと
混血・異文化混交は発展の礎かと(これは大した根拠無し)

種差別撤廃ってまず今現在種差別によって得られる利益と天秤にかけてしか
考えられない話じゃないだろうか?理屈自体は、まあ誰でも解るだろうけども
極端なこと言えば産業・インフラ全て種差別あってこその物だろう
何処まで人間の利益優先していいかなんて環境レベルで考えられても
個々の動物の生存権レベルじゃ考えられない
よって「キリねぇだろ」って言葉が出てくるだろうと思うのです

75考える名無しさん:2006/12/01(金) 16:02:57
>>73
身体障害者や老人や赤ん坊については、第一に同じ種としての共感や
同情があります。
第二に、自分自身や自分の親族などが将来その立場になる可能性が
十分あります。従って、それらを尊重しなくていい、という態度が一般化
すると、明らかに自分自身の利益になりません。
(この2つの理由は、たぶん密接な関係があります。)
他民族他人種についても基本的には同じですが、現実には、先進国の利益と
関係の薄い地域の紛争などは、放置されることがしばしばあります。
アフガニスタンなど同時テロが起こるまで長年放置されてきました。
ユーゴはヨーロッパの一角であるにもかかわらず何年も放置され、二十万の
死者が出ました。
現在はスーダンのダルフール紛争というのが進行中で、大変な犠牲者が
出ているそうですが、事実上放置されています。しかし、これらは
潜在的には「もしも自分たちがその立場になったら…」という思考が
常に働きます(現実に、わが国の拉致問題などは、国際的利益と関係が薄いため
放置されがちなのをみてもわかります)。また、現在は関係が薄くても、
いつか自分たちの利益と関係してくるかもしれない、という懸念もあります。
現実に、アフガニスタンを放置したことが同時テロの一因になりました。
だから、「他人事ではない、何とかしなければならない」という声も、常にあります。

これに対し、動物については「もしも自分たちがその立場になったら…」
という思考が働きません。そうなる可能性がゼロだからです。
また、いつまで放置しても、まず自分の利益に関わってくることもありません。
ですから、上のような「究極的には自分の利益に訴える手法」は、
一切無効なのです。
後は、「他者の苦痛には理由抜きで配慮しなければならないのだ」と
主張するしかないのです。そして、その根拠があまりないわけです。
7636:2006/12/01(金) 18:49:00
>>74
> >>73
> まず人間ならば血縁者や親しい者がその人に対する配慮を求めるだろうね
> これはペットなんかも同じだろう

こっちはわかる。

> でもそれ以前に人間が国人種関係なく交配できる同じ種であることがお互い
> 尊重すべき第一の条件になってるんじゃないかと

でもこっちはわかない。なぜ交配可能なことが重要になるのかな?
(私と交配可能な人はどれくらいいるのか。)「似ているもの、近いものとは
共感しやすい」というのはその通りだけど。

> 種差別撤廃ってまず今現在種差別によって得られる利益と天秤にかけてしか
> 考えられない話じゃないだろうか?理屈自体は、まあ誰でも解るだろうけども
> 極端なこと言えば産業・インフラ全て種差別あってこその物だろう

同じことが西洋人が黒人を奴隷にしていたときに言われていたようですよ。
いまでも女性については同じようなことを言う人もいるようです。


7736:2006/12/01(金) 18:53:56
>>75
> >>73
> 身体障害者や老人や赤ん坊については、第一に同じ種としての共感や
> 同情があります。

動物にも同じような共感を持つことは十分ありえると思うですよ。
われわれは工場畜産の現場を見る機会がめったにないから
共感しないだけで。途上国で苦しんでいる人びとに思いがいかないのも
同じ理由かも。

> 第二に、自分自身や自分の親族などが将来その立場になる可能性が
> 十分あります。従って、それらを尊重しなくていい、という態度が一般化
> すると、明らかに自分自身の利益になりません。
(snip)
> これに対し、動物については「もしも自分たちがその立場になったら…」
> という思考が働きません。そうなる可能性がゼロだからです。
> また、いつまで放置しても、まず自分の利益に関わってくることもありません。
> ですから、上のような「究極的には自分の利益に訴える手法」は、
> 一切無効なのです。
> 後は、「他者の苦痛には理由抜きで配慮しなければならないのだ」と
> 主張するしかないのです。そして、その根拠があまりないわけです。

これは重要でよいポイントだと思いますし、シンガーも認めると思います。
ただし、「自分の利益だけより、世界の苦しみをなくすような大義causeに
加胆した方がよい人生になりそうだぞ」とお説教してくれるでしょう。
78考える名無しさん:2006/12/01(金) 19:53:02
>>76
より健康で強い混血を作れることは大事なんじゃないかなあ?
たとえばある人種、民族を根絶やしにしたりすればその分遺伝的多様性
は失われる。免疫機構なんかは特に大事だろう

黒人は綿花栽培、女性は家事の押し付け・選挙権無しなんかだろうか?
同じ人間という種の黒人・女性に同じ権利を与えるこで得られる利益と
与えないことで得られる利益を天秤にかけた結果、前者の方が重かった
ということじゃないかなあ?
今も女性蔑視があるのは同じ権利を与えた場合、女性の方が生来生命力に
勝る為、しばしば立場逆転の危機を感じる男性の保身ゆえの考えがあるのでは
と個人的に思いますがw
79考える名無しさん:2006/12/01(金) 20:15:24
>>78は補足がいるな
混血しなくても大規模な伝染病などに対抗し人間という種・文化を存続
させるにはやはり多様性が必要だろう
根絶やしにするほど弾圧することは勿論充分悪いが、そうでなくとも同じ
人間として対等に扱うことは重要だろう
例えば
種の存続に関わるような危機が有れば共に助け合い生き延びることができる
80考える名無しさん:2006/12/01(金) 20:39:55
功利主義ってことは、パーフィットと近い立場なのか。
81考える名無しさん:2006/12/01(金) 20:54:06
混血を作れるって、黒人が奴隷でも混血できてたがな。
8271:2006/12/01(金) 21:27:36
>上のような「究極的には自分の利益に訴える手法」は、一切無効なのです。
>後は、「他者の苦痛には理由抜きで配慮しなければならないのだ」と
>主張するしかないのです。そして、その根拠があまりないわけです。

人-人では成り立つが人-動物や大国-小国や強者-弱者では成り立たないと。確かにそうだな。

83考える名無しさん:2006/12/01(金) 21:45:05
>>81
その混血児や両親の社会的扱いはどうするの?
混血児や片方の黒人の親は奴隷のままならいざ白人種存続の危機にあった時
黒人や混血児は快く助けてくれるだろうか?
これは想像し難いケースかw
現実に黒人・混血差別はあるが建前でも平等に扱わないと大変なことになる
おおっぴらに報復する口実になるからな
84考える名無しさん:2006/12/01(金) 21:56:48
大国ー小国なら大国がテロで報復の恐ろしさを現在進行形で学んでるから
少なくとも国家・民族間では配慮せざるをえないように変わっていくだろう
いけばいいなぁw
報復される可能性の有無が反種差別のネックだな

85考える名無しさん:2007/01/26(金) 04:23:49
sage
86考える名無しさん:2007/04/24(火) 00:25:29
age
87名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 07:52:07 0
sage
88考える名無しさん:2007/08/10(金) 11:49:08 0
age
89考える名無しさん:2007/08/11(土) 16:51:14 0
シンガー, P. (2007). 人命の脱神聖化 (浅井篤, 村上弥生, & 山内友三郎, Trans.). 京都: 晃洋書房. (Original published 2002)
http://www.amazon.co.jp/dp/477101860X/

読んだ人、いるかな?
90考える名無しさん:2007/08/11(土) 20:12:40 O
ピーターシンガーで毎日オナニーしてる俺が来ましたよ
91虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc
そもそも高等とか下等とかの判断が独断だ。
また、背後にその判断をしなければならないという独断もある。
ないなら、なぜわざわざその判断を積極的にしようとするのか。
さらに、下等であってはならないという独断もある。
理論の正当性を考えているにもかかわらず独断の多用をするというのはいったいどういうことだ?
別にしたいならかってにすればいいが、そんなことでは絶対確実なものに到達することはできない。
それで、絶対確実性がどうでもいいなら、なぜ理論について考えるのかね?