■続々々・数学も物理も出来ない哲学者なんて■

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229数学者
あの時代のは本来の数学や物理じゃないから
一緒くたにされるとホントに困るんだよね
230考える名無しさん:2006/03/24(金) 09:51:15
>マッハはアインシュタインの相対性理論を「光」を前提とした<過渡的>な理論と
>して批判したことは意外と知られていなし、光も重力場等によって速度や方向が
>変化してくることは後から知られてくることとなる。マッハの指摘は正しかった
>と言える。


>光も重力場等によって速度や方向が
>変化してくること
は一般相対性理論から導きだすことができるのですが・・・
アインシュタインが始めに提唱した特殊相対性理論はそもそもそういう系を対象にしていませんし
マッハの指摘はどのあたりが正しかったのでしょうか?もう少し細かく教えて頂けませんか?
231考える名無しさん:2006/03/24(金) 12:50:30
物理哲学者って言葉知らんのか。
偉大な哲学者カントはちゃんと物理学の面からも世界を追究している。
名を残す哲学者は大体が物理学・数学をも視野に入れてる。
232考える名無しさん:2006/03/24(金) 14:38:33
>>229
物理はともかく数学は数学じゃないのか?
それとも初等幾何や数論は数学じゃないとでも?
233考える名無しさん:2006/03/24(金) 14:54:33
初等幾何は、現代的に見れば数学であるとともに物理学でもあるんじゃね?
単に仮定された公理の上で構築された理論ではなく、
我々が住んでいるこの宇宙についての理論と考えられていたんだから。
234考える名無しさん:2006/03/24(金) 18:49:11
>>232
数学というか計算中心の算数でしかない。
本来の数学にはメタ思考的な観点が必要。
235考える名無しさん:2006/03/25(土) 01:45:21
>>234
当時の数学者がメタ的思考をしていなかった根拠は?
236考える名無しさん:2006/03/25(土) 02:43:20
>>235
ラッセルのパラドクスで不意打ちをくらい
ゲーデルの不完全性定理で打ちのめされるまで
基礎付けを怠っていたから。
237考える名無しさん:2006/03/25(土) 03:15:24
もうすこし捻った答えを期待してたんだけど
238考える名無しさん:2006/03/25(土) 05:40:01
ジェネラルナンセンスの有効性が認識されるまで
にはそれなりの時間が必要とされた、というわけ。
239考える名無しさん:2006/03/25(土) 06:56:17
>>235-236
基礎論の他に、実関数論(積分論)の理論が発展してきた19世紀中頃の時点で既に
「あれ?俺達って実数を当たり前のように使ってきたけど、実数がどんなものかちゃんと定義してなくね?」
→「今までの数学って、何千年もその辺を考えてこなかったね」という評価がされてましたね
240考える名無しさん:2006/03/25(土) 07:13:46
ギリシアの時代って実数を数学として扱ってたの?
241考える名無しさん:2006/03/25(土) 12:49:09
>>240
ピラゴラスの三平方の定理ぐらいわかるだろ。
242考える名無しさん:2006/03/25(土) 13:07:42
>>240
ピラゴラス学派にとって「数」とは自然数のことであって、有理数は
二つの自然数の比として考えられていた。「万物は数である」とする
彼らにとって無理数の存在はあってはならないものだったのだよ。
ところが、ピラゴラス学派のひとりヒッパソスにより「黄金分割比」
と呼ばれる無理数が発見されることになった。ヒッパソスはこのこと
を外部に漏らしたために断崖から海に突き落とされたとかいう話。
243考える名無しさん:2006/03/26(日) 00:49:56
>>240
だから何?それで実数を数学的に扱っていたということにはならないだろ。
244考える名無しさん:2006/03/26(日) 00:51:14
ごめん>>240じゃなくて>>241だった
245考える名無しさん:2006/03/26(日) 01:25:10
>>243
実数を数学的に扱うってどういう意味で使ってるの?

ギリシア時代に幾何学や数論の証明の中で実数が
登場することはあったってこと。
少なくともピタゴラスは無理数に直面したが
そういった実数そのものの定義には目を瞑り
定理の証明を実践してみせたわけだし。
だから何千年も後に実数を見直すなんて言葉が意味を持つんじゃないの。
246考える名無しさん:2006/03/26(日) 11:39:20
>>240
線分の長さや図形の面積や立体の体積を、それぞれ連続的な量として扱ってましたよ
円の面積や球の体積を、近似値列の収束によって導出していました
なのにそれらの数(数直線の原点から直線上のある点への長さで表すことのできる数)が
「二つの整数の比で表すことができる」という性質を備えていると思い込んでいた
(そういう数(有理数)では、本当は極限値がとれるとは限らない)

ただ、ギリシャやエジプトでは、数は常に「次元」付きの量として考えられていて
「実数×実数」と実数の加算を考えることがなかったそうですから
今の(加減乗除について閉じている)実数とは、ちょっと扱われ方が違うかな