哲学は科学か?

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202考える名無しさん:2007/09/08(土) 05:18:28 0
近年科学哲学のような分野がでてきたようだが、哲学は基本的に科学の軍門に下るような
俗っぽいものではなく、人間の認識そのもの(?)に対する考察とともに、
認識では掴み取ることのできない謎めいた存在に対する考察ー脱考察が
主軸となって展開してきているのです。特に、イマニュエル・カントや
エドムンド・フッサールといった存在論から認識論への転換に寄与した哲学者
は科学の発展に与してきたと同時に常に謎めいた霊(?)にたいする考察も
最重要課題として取り組んできたのです。しかしながら、彼らが白羽の矢を向けた
形而上学的存在論がいままさにブーメランのように舞い戻ってきていて
ロゴス認識そのものにまとわりつくドクサへの考察とともに、
理性を超えた存在ー認識の運動論を展開したのが、現代哲学なのです。
哲学は終わった(大きな物語の終焉)といった決まり文句の裏では、
存在論哲学の巻き返しが起こっていて、科学の分野にも
今後重大な衝撃を与えるポテンシャルを有しているということは疑うべくもありますまい。
203考える名無しさん:2007/09/08(土) 07:01:51 0
やっぱり社会的弱者や貧乏人が小林のウソマンガ読んで萌えてるに過ぎない。
だからもう少し頭使って楽しく生きることを考えろよ。
ちなみに俺は一部上場企業で働いてるからな。
お前らが野垂れ死にしようが関係ないが
ヤケで戦争やるのだけはやめろって言ってんだよ。
そういうバカ小林ヲタは一刻も早く北朝鮮に行って自爆テロやれ。
根性ないくせに戦争とか言って萌えてんじゃねえよカス。
204考える名無しさん:2007/09/08(土) 07:21:31 0
>202
>認識では掴み取ることのできない謎めいた存在に対する考察ー脱考察が
>主軸となって展開してきているのです。

それは、考察すべき問題でしょうか?
認識不可能なものをどうやって考察し、実証するのでしょうか?
実証できないものを論じることは、科学ではありません。
科学は、基礎科学においても何においても、実験をすることで実証してきました。認識不可能なものがそのような実験で確かめられるレベルのものですか?

>存在論哲学の巻き返しが起こっていて、科学の分野にも
>今後重大な衝撃を与えるポテンシャルを有しているということは疑うべくもありますまい。

存在論と認識不可能なものを扱うことは別問題でしょう?
存在論事態は、別に哲学でなくとも諸分野で論じられていますよね?

しかし科学的見地から実験を重ねていくことで、存在というものをどう捉えるかということを考えていくことは、
あなたのおっしゃるとおり重要であることは確かです。
ただし、今後ではなく現時点で論争が起きていることは言うまでもありません。
205考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:12:59 0
>>202
>認識不可能なものをどうやって考察し、実証するのでしょうか?
>実証できないものを論じることは、科学ではありません。
これがまさに現代人が抱いている哲学のイメージでしょう。つまり実証可能なものだけを
考察の対象とし、それ以外は切り捨てるという効率性重視の方法論をとる
哲学研究者が一般的に増えている。つまり、哲学はおわった、哲学も科学的であらねばならないと。
検証不可能なものは括弧にいれて沈黙を決め込む、という基本姿勢は
常識となっているようです。しかし、わたしはこの常識が不可解に思えて成りません。
哲学はここまで衰退しのかと。たしかに、ロゴスを積み重ねて真理に到達しようとするする
かつての哲学は終焉した(かのようにみえます)
ですが、存在という不可思議ななにものかにむかって今後も問いは投げかけられるでしょうし、
新しい理論や技術の発展とともに、また新しい答えが模索されつづけることでしょう。
206考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:14:21 0
>>204
でした。つづき。
科学的方法論に拠ったからといってわたしたちの疑問のすべてが払拭されるでしょうか!?
科学の分野で思考したい人ならそれでもいいでしょう。
検証可能なものに思考を限定して、反証を積み重ねて理論を提唱し、世に貢献する、
こういった営みも重要です。しかし哲学は科学とはまったく異質なものです。
観測可能なものに思考を限定していくという道とは対極にあり、
むしろ観測者側に重点を置いて問題を立てるという、「常識批判」が哲学の本領であり、
しかも解決不可能な「不可思議なもの」にたいしても
意識を開いているのがわたしの考えるところの哲学者というものであります。
わたしの観方では、現代に蔓延している「観測」や「反証可能性」といった方法論上の常識は
科学優勢の時代に特有の、一過性のドクサを形成していて、
人間が生きるうえで有用なものを生み出し、使う者の観念のなかに、
使われるものの反映が付着して逆転が起こった結果、
科学の発展が本来は自由なはずの人間の思考を固定観念化してしまった
(=哲学の敗北)が起こった末に出てきたものではないかと思います。
本来哲学が科学に取って代わられるということはありえないことです。
なぜなら、現代の科学的方法そのものがデカルト以来の科学の発展とともに出来してきたものであり、
はじめから哲学は〈人間〉が生きる最中で相即的にまとわりついてくる常識への
批判が中心的な仕事であったからです。我々を惑わす常識があるかぎり、
哲学は何度でも蘇るさ(ムスカ風に)
207考える名無しさん :2007/09/08(土) 08:33:25 0
>観測可能なものに思考を限定していくという道とは対極にあり、
>むしろ観測者側に重点を置いて問題を立てるという、「常識批判」が哲学の本領であり、
>しかも解決不可能な「不可思議なもの」にたいしても
>意識を開いているのがわたしの考えるところの哲学者というものであります。

では、観測者を通じて以外、いかなる方法で物事を検証できますか?
また、解決不可能なことを論じて、どうなりますか?
そこについて詳しく述べていただきたいです。

>わたしの観方では、現代に蔓延している「観測」や「反証可能性」といった方法論上の常識
反証可能性は論理の問題であり、観測と並列すべき問題ではないと思います。

>科学の発展が本来は自由なはずの人間の思考を固定観念化してしまった

何を持ってこのようなことを言えるのか分かりません。
そもそもあなたは自由をどのように定義しているのですか?
208考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:37:21 0
>>207
あなた、以前キリスト邪教スレに張り付いてませんでしたw?
209考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:41:39 0
哲学は哲学でいろいろ解決されない問題は今後も残るでしょうね。

一昔前の人間は、哲学に大変ロマンを感じていて、いつか哲学の
難問が解決されるだろうと考えていました。世界の根本を扱う哲学
を偉大なものと考えていた。
ところが、現代人の哲学観は「どうせ解決できないことをゴチャ
ゴチャ書いて時間の無駄するバカバカしいもの」というものです。
「哲学の終焉」などありえません。哲学が終焉した「かのように見え
る」のは、現代人が哲学を「哲学的問題の解決は、どうせできっこ
ないのだかるから、哲学とは適当に距離を置こう」としているから
です。
要するに、現代の哲学の位置が、賢人のやるものから病人のやる
ものへと落ちぶれてしまったのです。
哲学的言語が、賢人の言葉ではなく、病人の言葉になったという
大転換が、哲学史において起こったのです。それに気づかない
哲学者が多いのではないでしょうか。
210考える名無しさん :2007/09/08(土) 08:42:34 0
>むしろ観測者側に重点を置いて問題を立てるという、「常識批判」が哲学の本領であり、
>しかも解決不可能な「不可思議なもの」にたいしても
>意識を開いているのがわたしの考えるところの哲学者というものであります。

観測者側を通じて以外、どのように世界を捉えることができるのでしょうか?
解決不可能なことをしることで、どうなるのですか?

>科学の発展が本来は自由なはずの人間の思考を固定観念化してしまった
あなたが示す自由な思考とは、どのようなものですか?
科学の発展がそれに影響を与えたという論理がそれでは通っていません。
211考える名無しさん :2007/09/08(土) 08:49:35 0
>ところが、現代人の哲学観は「どうせ解決できないことをゴチャ
>ゴチャ書いて時間の無駄するバカバカしいもの」というものです。
確かに、私もそのように考えています。
しかし、バカバカしいではなく学問としてやるべき理由が分からないだけです。
それは、趣味としてやるものだと思います。

学問としてやるべき理由を教えてください。
212考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:51:26 0
>>207
観測者の外に出て物事を検証するということではなく、
いわば事象は観測者と観測対象との絶対矛盾の自己同一として
意識の現れ出てくるものです。ですから、原理的に観測者側の視点と
観測される側の対象とは切り離すことができないものです。
科学はいまのところ測定科学であり、測定できる事象のみをその考察対象としますが、
哲学は観測者側に付着している「思い込み」を批判の対象として取り扱います。
「いかなる方法で物事を検証するか」ですが、観測対象にに検証されるべき真理が
隠されているという発想そのものが、古いタイプの科学者にみられるドクサですね。
「解決不可能なことを論じてどうなるか」は、論に応じて様々でしょう。
そもそも、解決可能なこと/不可能なこと というわけ方は本来正しくないのかもしれません。
可能か不可能かはやってみなくちゃわからない。ベルグソンならば、「問いを立てることができるということは、
解決できるということの証だ」というでしょう。いまの段階で不可能にみえることも、
永遠に不可能だと断定することはできないのですから。
>反証可能性は論理の問題
反証可能性は科学理論を打ち立てる上で、「反証可能なものに限定する」といった
方法論です。つまり、その理論の確かさを実際に観測によって確かめることができるもの
だけに限定するという方法です。論理というよりは、論理の正しさを検証できるかどうか
という点に重点を置いているのです。
213考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:54:18 0
>>211
哲学を学問としてするのと趣味としてする事の違いは?
214考える名無しさん:2007/09/08(土) 09:05:34 0
>>207
>自由をどのように定義している
普通の意味で使われている自由と判断してもらってもかまいません。
哲学的に自由論を展開しても面白いのですが、このスレの趣旨とはずれてきますので
やめておきましょう。逆に不自由な思考とはどのようなものかを述べると
はっきりするかもしれません。不自由な思考とは、ドクサに捉われ、
その反映としてしか物事をみれない思考です。
たとえば、赤いりんごをみると、それだけで「ここに赤いりんごがある。
りんごであるかぎり食べられるはずである。」といった観念です。
光の加減で赤いように見えていたり、かじってみるとつくりものであったりという
可能性を考えない。「確かにそうだ、そうでしかありえない」と断定してしまう
思考上の思い込みが、哲学では問題視されます。科学者であったとしても、
こういった種類のドクサが存在するのではないでしょうか。(優秀な人はべつですが)
いったん常識となった権威ある理論が提唱されると、その理論に相反するような
ものの考え方は、無意識的に避けてしまう(思考しない)といった傾向があるのでは?
215考える名無しさん :2007/09/08(土) 09:10:33 0
>>212
>科学はいまのところ測定科学であり、測定できる事象のみをその考察対象としますが、
>哲学は観測者側に付着している「思い込み」を批判の対象として取り扱います。

確かにそうですね。
では思い込みはどのように排除できるのでしょうか?
それから、測定科学以外の方法論でどのように考察できるのでしょうか?

>論理というよりは、論理の正しさを検証できるかどうか
>という点に重点を置いているのです。
では、論理の正しさを検証できるかどうかということを論理以外でどのように考察するのですか?
216考える名無しさん:2007/09/08(土) 09:43:57 0
>>215
思い込みの排除

論理の正しさを検証
は「多数決」で解決できますよ。
217考える名無しさん :2007/09/08(土) 10:24:56 0
>>216
了解しました。
しかし、それは多数派の思い込みとしても捉えることも可能です。
この点に関してはどうでしょうか?

それと多数決というのは、少数派の意見を排除するという点で問題である思いますが、この点についてはどうですか?
218考える名無しさん:2007/09/08(土) 12:57:28 0
 混合物とかあるわな、目が粗いと組成が表面に出てくるやつ。
容器の中に混ざっているだけだわな。
219考える名無しさん:2007/09/08(土) 16:05:29 0
>>217
「多数決」の代案ってありますかね。
なければ、それに頼るしかないのでは。
220心の仕組みドットコム:2007/09/15(土) 22:38:25 0


>>215
>論理の正しさを検証できるかどうかということを論理以外でどのように考察するのですか?
論理的に正しい検証をできる心を備える以外には有りませんね。
221考える名無しさん:2007/09/15(土) 23:35:57 0
>>220
ドットの信仰はいいかげんやめておけ。
222考える名無しさん:2007/09/16(日) 15:59:58 0
>>219はプロだけど、>>220は素人だな。
223考える名無しさん:2007/10/24(水) 05:32:18 0
お前はこのスレで気に入らないことがあればここで言えばいいんだよ。
他スレでチマチマ工作してんじゃねえよ、このカス。

でさ〜、自分に都合のいい情報を何も検証することなく鵜呑みにして得意気になってるような白痴が、
どうして「学問」のことなんかに首を突っ込みたがるのか、という俺の疑問にお前答えてないんだけど。

早く答えろよ、ボケ。
何モタモタしてんだよ。
224考える名無しさん:2007/10/24(水) 09:20:52 0
なんでも哲学だから科学ではない。
科学哲学は科学ではなく哲学だ。
哲学科学などない。
225考える名無しさん:2007/11/26(月) 22:05:29 0
sage
226考える名無しさん:2007/12/07(金) 15:13:57 0

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227考える名無しさん:2008/01/17(木) 04:28:41 O
哲学とは仮説だ
228処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/01/17(木) 10:01:19 O
仮説は実証の前段階に過ぎませんが、哲学における言説の真理性の
真偽の判定には自然科学のような主観を排除した機械的な方法論は
意味がありません。
229処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/01/17(木) 10:05:41 O
そういう意味では哲学は反証不可能なものですね。説得力のない
言説は相手にはされないでしょうが。
230処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/01/17(木) 10:32:39 O
自然科学、もっと領域を限定するなら物理学は、この世界における
物体は同一条件では常に同じ振る舞いを見せるという前提のもとに
成り立っています。それを「自然法則」と呼ぶのですが、この
自然法則の恒常性自体を証明する方法は存在しません。

これが自然科学は常に反証可能であるって意味だ。コラ
231処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/01/17(木) 10:36:23 O
百回同じ実験して百回同じ結果が出ても百一回目にも同じ結果が
出ることの証明にゃならねえんだよ。
232処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/01/17(木) 10:47:08 O
アタマの悪い貴様らに俺が懇切丁寧に説明してやるが、物理学ってな、
厳格な方法論に則った論理的に無矛盾な、しかし経験則の大系に
過ぎねえんだって。
233考える名無しさん:2008/01/18(金) 14:52:27 0


        ,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、
       /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ
      /;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i
      !;;;;;;;;;;;;イ::. /   \ ヽ;;;ノ
      ゝ;;;;;;;|:::: (。) ,(・) |シ
      从从/: \  、_!  / ノ  勝は警察とか機動隊に電話を
       从从  i 'ー三-' i l        かけまくっているらしいな。
        ノ从ヽ._!___!_/   狙いは俺。 若々らしいですよね。基本ができていないんですよ。

234考える名無しさん:2008/02/19(火) 16:01:28 0
処刑ライダーくんが、
お馬鹿な哲学青年であることはわかった^^
235考える名無しさん:2008/02/20(水) 23:03:43 0
かが
236考える名無しさん:2008/04/27(日) 02:20:23 0

提供 ル・サンチマン™


237考える名無しさん:2008/06/03(火) 03:21:17 0
科学の祖先
238考える名無しさん:2008/06/03(火) 23:42:59 0
科学の絞りカス
239考える名無しさん:2008/06/07(土) 09:38:48 0
>>236
この人さ、5年以上哲板のあらゆる所に毎日書き込んでるよね。
生活保護か年金暮らしでもしてるのか。
240考える名無しさん:2008/06/09(月) 02:26:41 0
>>236
↑プグマリプキンペー症候群の安倍沈だな?www

みっともないよw
どのつらさげて登院できるのか
美しい国に逃亡した方がいいんでないかな

241考える名無しさん:2008/06/09(月) 02:42:05 0
↑プグマリプキンペー症候群の安倍沈だな?www

みっともないよw
どのつらさげて登院できるのかww
美しい国に逃亡した方がいいんでないかなwww
242考える名無しさん:2008/06/13(金) 22:31:29 0
人智学だと哲学科学でありうる。

なぜという問いに答えることができ理論的に研究することができるから。
243考える名無しさん:2008/06/15(日) 00:24:13 0
哲学は、抽象的なものを科学的に証明する学問
244考える名無しさん:2008/06/15(日) 00:26:34 0
>>243
はぁ?。

哲学は、抽象的なものを哲学的に証明する学問だろうが。

245考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:56:55 0
科学と全く無縁なくだらない娯楽になっちゃったね、哲学
246考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:59:54 0
糞学だろw
247考える名無しさん:2008/07/03(木) 09:38:27 0
既に学問ではなくなって久しいね。日本では。
248考える名無しさん:2008/07/22(火) 22:34:48 O
昔は科学だった
249考える名無しさん:2008/07/22(火) 22:38:49 0
一応、思想なんだろ。 
趣味の人みたいな一途毛
250考える名無しさん:2008/07/22(火) 22:47:55 0
>>248というか哲学から科学が派生したんじゃなかったけ?
251考える名無しさん
>>250
古代ローマくらい昔話じゃねえのか?w