哲学とはなにか?

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952考える名無しさん:2007/01/08(月) 19:46:53
無職がおしゃべりしてるスレはこちらですか?
953考える名無しさん:2007/01/08(月) 22:08:51
>>951
人に伝えるためには「心の核」を説明しないとダメだね。
そしてこれは哲学ではないが、人類が大きく進化出来ないでいる理由をわかっているのかな?
954考える名無しさん:2007/01/08(月) 22:31:22
分からないな。言ってみてくれ。
955考える名無しさん:2007/01/08(月) 22:55:52
心の核はどうしたんだよ
956考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:50:48
>>953
心の核とは人の考えを産みだす基礎の部分です。
人は核から産みだされた心によって考え、そして行動しそれが現実と成ります。
ですから肝心な心の核にメスを入れず、核から産みだされる心だけを論じ合っても成果は上がらないのです。
心の核の生い立ちは人類史の初期か始まりますが、その関係から人は誰でも力を崇拝し理に蒙昧に捕らえられる社会的構造を創り上げてしまった、のです。
心の核は一代限りで終わるのですが、幼子が育つ段階で育てる者の手によって蒙昧社会で生き抜く手段として蒙昧を育てる自己愛を植え付けてしまいます。
その因習が永遠と繰り返され、現在が有るのですが理に反する蒙昧で有るために当然、人の知能は育たず知恵を産みだせぬために人は奪い合いを始め戦争や犯罪の絶えない現実を創りだすのです。
哲学の哲と言う文字は道理にあかるいこと、ですが道理と言う理を重んじることで人の知能が育つ、と言うことが含まれているのです。
従来の心の核が産みだす心の探究を繰り返してきた、哲学では哲学の真意を知ることも叶いません。
哲学の真意は物事の理を悟り、適切に処理する知恵を産みだし人生と社会に活用する簡単なことです。

957考える名無しさん:2007/01/09(火) 01:34:41
それは、『気持ち』です
958考える名無しさん:2007/01/09(火) 17:56:35

そろそろ、この章も終わりに近づいてきましたので皆さんも「哲学とはなにか?」を真面目に書き込みましょう。
哲学とは哲(道理にあかるいこと)を学(会得する)ことを目的とする。
哲学とは啓蒙家、西周がphilosophyの語訳、愛智の意を賢哲を希求する意味で希哲学と訳し、その訳語が哲学です。
賢哲とは賢(賢明)で哲(道理をわきまえた人)で希求は願いもとめること、ですので纏めると
哲学とは道理にあかるく成ることを願いもとめることを意とする、と成ります。
哲学のphilosophy、愛智の意は哲学の意とすることを直接的に表しておりますが何らかの事情に拠り辞書に記されて居りません。
哲学界では知を愛すること、とされていますが、肝心なその意とは何か、との答ができません。
愛智の意とは揺るぎない人間「愛」が道理に通ずる心を育て「知」能を育てることを「意」とするものです。
哲学とは力を崇拝し理に反する蒙昧に捕らえられ自己愛に溺れ苦しむ人類社会を理に準ずる人間愛で人の知能を育て産みだされ
る知恵で自由と平等を重んじる平和な社会を構築することが目的です。
哲学とは学歴や性別・人種・年齢・生い立ちに関係せず誰でも自己愛から人間愛に心の切り替えをすば会得できるのです。
哲学とは人が人格を備えた人間として生きる為には誰にも欠かすことのできない大切なものです。

959考える名無しさん:2007/01/09(火) 18:48:48
>>956「こころの核」の説明は苦しくありませんか?誰か他にそのような言い方する人が
いたのですか?
960考える名無しさん:2007/01/09(火) 21:29:36
まとめると辞書の記述を読んだだけで満足するなということかな。
哲学とは何か、わかった気になるなと。
その営みが続く限り、定義は常に不完全であり続ける。
初心を忘れるなと。
961考える名無しさん:2007/01/09(火) 22:50:36
>>953
人の心を「心を産みだす心の核」と「心の核が産みだす心」とに二分した発想は私が始めて、でしょうね。
しかし、心を二分して考えると、過去の啓蒙が徒労に終わった原因を全て、明確にできるのです。
哲学も「心の核が産みだす心」の仕組みに重点を置き、探求が為され未だ人の心の解明に至って居りません。
ですから「心の核が産みだす心」に目を向けず「心を産みだす心の核」の創られる仕組みと改善する方法を
知れば人類史は人の良心が望む通りに如何様にも成るのです。
>>960
辞書の記述を読んだだけでは知恵は産まれません。
問題は辞書の記述を読んで、それの10歩先を読み取る心です。
辞書には
>愛智の意とは揺るぎない人間「愛」が道理に通ずる心を育て「知」能を育てることを「意」とするものです。
と記されていませんでしよ。
記せないことも辞書に沢山、有りますがそれを読み解く心が必要なのです。
962考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:13:47
>>961あなたは熱心だね。それとは別にして、やはり「こころの核」というのは人には伝わりに
くいよ。私だったら「心」「意識」「潜在意識」さらには「集合意識」「表層意識」なんて使う
かも知れない。できるだけ人が使うような言葉で説明していかないと、途中で疑問符が出ると
頓挫してしまうからね。
963考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:17:41
>>961
なんで国語辞典の哲学の記述を公理的な不可侵の前提に据え、そこから出発するのか?
それは説明のための前提ということ?


用語、表現上の違いはあるが、心が二重性を持つというのはよくある話だから、初めてかどうかはよくその考えを詳述してよく文献を調べて比較研究してみないとわからないね。
964考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:25:04
心を二分する発想はとっくにでてるんだよね。
古代インドとか古代エジプトでもうでてるだろうな。
ここは詳説を期待しよう。
965考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:39:32
勉強しない人間には哲学の伝統、その歴史全体を否定する資格は全くない。
最近のオヤジは伝統文化、人類の知的遺産を軽視する嫌いがあるのでけしからんね。
まあ自分を耕さなければ継承して発展させることなどできないけどな。
全く新たに始めるのはオヤジの勝手だが、否定する資格はない。知らないんだからな。
966考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:47:43
国語辞典の哲学の記述を哲学を体系化するための公理として採用するのも構わんが、
そうでないならまず辞典の記述が正しいか吟味しなければならず、そのためには哲学書を大いに紐解かねばならない。

蒙昧の現状は、広辞苑などの辞典の権威を借りたいということでしかないような気がするがな。
967考える名無しさん:2007/01/10(水) 00:01:26
国語辞典の哲学の記述から半ば演繹的に己の哲学を展開しようということなら、
国語辞典の編集者が評価した哲学を否定していることもあり、
非常に馬鹿馬鹿しい話だが、
結果どうなるかはわからないし、面白いと試みだとは思う。
968考える名無しさん:2007/01/10(水) 00:28:24
勉強しないと真面目にふざける猿になってしまうんじゃないか?
アレクサンドリアの大図書館に放火するような猿真似をいつまで続ける気か知らんが・・・
969考える名無しさん:2007/01/10(水) 01:06:43
不勉強といえば池田だな。
全くそもそも自他の区別を立てるのが、本質的ではない。
私見では、時間と空間にかかわらず生命は本質的にはつながっていることからして、他人から本から学ぶというのもまた、自分から自ずと学ぶということだ。
むしろ自分を続け引き継ぐことだといっていい。
他人にも自分があるんだ。この自分というのは根源的に同じものだ。
970考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:14:21
>>962
>私だったら「心」「意識」「潜在意識」さらには「集合意識」「表層意識」なんて使う
>かも知れない。
有難う御座います。
例えば、タマゴの黄身が白身を作る、と仮定します。
そのタマゴの黄身が汚染されているので汚れた白身ができてしまう、と言うことを心に置き換え説明しますと、意識と表現するのは不適切ではと思います。
そこで考えましたのが大きな円の中に小さな円を描き、「心を産みだす心の核」と「心の核が産みだす心」とに二分した次第です。
ですから従来の善悪などで心を二分する発想と「心を産みだす心の核」と「心の核が産みだす心」は二分が全くの別ものなのです。
潜在意識そのものは開発されませんと意識は産みだされませんし、一体どの様な説明が適切ですかね?
私は哲学書を読み覚え、知識と知能を勘違いしている輩は、はなっから対象として扱って居りませんので宜しくお願いします。



971考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:22:27
哲学板の不思議
…を不思議とするだけです。不思議とは人が考えられる数式の限度を指す不可思議から作られた言葉です。理解と言う言葉も「物事の道理を知ること」ですので物事の道理を知らない人には何も理解できないのです。哲学の…
972考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:51:21
401:考える名無無しさん :2007/01/03(水) 12:50:27 [sage]
The Agony is one of our essences which exists above time and space,that is,eternally.So someday we must face upon to it anyway.
And I think or rather I feel that we could sing a happy song for life from deep in our heart by seemingly paradoxically facing upon to our own negative essences like the above mentioned agony for example.
Perhaps it could be explained by a supposition that usually our self is turning around an orbit of our own negative essences,
and if we had continued to fall away from an orbit to the next one nearer to the nucleus,
we feel the growth of our own power,weight,and at last its own great possibillity i.e the freedom from which springs out the genuine hope right about our eyes and nose.
973考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:56:57
自覚なき下劣で破壊的な猿には頭が下がります。すみませんでした。
974考える名無しさん:2007/01/10(水) 12:04:32
ほんとうにどうもありがとうございました。
この御恩にどう報いるべきか悩みあぐむ程に深く感謝しております。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げたいと存じますm(_ _)m
975考える名無しさん:2007/01/10(水) 12:36:36
猿の自覚なき行動は何よりも雄弁に世界の意志を物語り教えてくれる。
976考える名無しさん:2007/01/10(水) 14:15:39
猿の錯乱した行動から学ぶことが、猿への恩返しになるようだな。
977考える名無しさん:2007/01/10(水) 14:55:28
類人猿が破壊的であることは、人間の本質もまた破壊的であるといわねばならないのかもしれんな。死ぬべく定められているし。
人が破壊しているとき、したときに破壊した事実に無自覚であること、
己が破壊的で危険な存在であることにはまして思いもよらないこと、
破壊的である人間ほど自覚性がないこと、
こうした傾向があることは否めない。
だから人は生きる限りは知の遺産を守り尊重し学び続けることで建設的であるべく意識的努力を続けなければならない。
保守的であるからこそ、新天地も開ける。
その努力を絶てば築き上げられてきたものを否定し、破壊的になるよりないと。
では我々が本質的にこの世に対して否定的であるとしたら、それは何を意味するのだろうか?
この世のものとは異質な存在であり次元を異にし、我々の故郷はこの世界にあらず、ここは監獄ともいうべきものとするべきか?
そうかもしれないがここに住む限りはここの指針に照らして建設的であるべく努力をしなければならない。
出ていかねばならないことが足を引っ張ってジレンマに陥ってしまうが。
少なくとも微妙なバランスを保ち、破壊に傾かないようによくよく自覚をもたんとな。
汝自身を知れと。
978考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:02:22
生き物は屍の山の上に立たねばならない。
人間の精神の場合、本質的には屍を必要としない気がするが、
だがその精神がこの世のもとで建設的であるためには、肉体と同じように知的遺産、伝統文化という名の屍の上に立たねばならない。
979考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:25:35
人は幼子と成人の極一部の少数な者達を除いて殆どの人が、力を崇拝し理に反する蒙昧に心を委ねています。
その為に、誰もが生まれつき育てることのできる知能を備えているにも関わらず生涯、その知能は使われることもなく捨て去られてしまいます。
自分達が崇拝する悪しき因習に捕らえられ、一度限りの人生と言う大切な命を未来に何の痕跡も残さず人生の終演を迎えてしまうのです。
確かに人類は、そうして長い年月を今日まで淡々と繰り返してきました。
だが現代は誰もが自分の備えている知能を育て産みだされる知恵を使って悔いのない楽しい人生を送れる条件が整っています。
そのチャンスを活かすも逃すも蒙昧社会の自由ですが、本当の自由は全てに痛みを思想、及び行動で有り知能を育てる他に痛みを与える思想と行動は自由とは申せません。
無知蒙昧な者達よりも猿の方が学習能力が高い時代ですね。


980考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:30:17
>>978
だが知的遺産、伝統文化、たるものが間違っていたら、どうしますか?
981考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:53:05
蒙昧はさすがに俺の見込んだ猿だけのことはあるな。
猿は総じて誇大妄想だが、その誇大妄想すら我々のヤバい存在に根拠をもつとこういわねばならない。困ったものだ。

>>980
間違いからも学ぶんだよ。
ちなみに伝統文化に正誤はない。
982考える名無しさん:2007/01/10(水) 17:09:33
間違いに気付く知恵が有れば間違いから学べますが、間違いに気付く知恵が無いとどうするの?
人格を中心に考える知能を備えた人間なら知恵を産みだせますが、皆さんように知恵を産みだせない人科のホモサピエンスでは駄目でしょう?

983考える名無しさん:2007/01/10(水) 20:05:55
知は力なり
984考える名無しさん:2007/01/10(水) 20:20:05
潜在能力は潜在している力なり
985考える名無しさん:2007/01/10(水) 20:23:19
哲学は有から無に転じて、無から有に転じるもの。
986考える名無しさん:2007/01/10(水) 23:46:35
畜生、自覚せよ!!
なんか無理なのか。

自分の本質、核、意志だとかは置いといて、
自分を見つめるところの自分が存在しない異質な人間がいるんだろう。
我思う、故に我ありというところの自分がない。
自分自身に対する関係がない。自分自身との対話がない。
思春期には自分を見つめるところの自分が現れるものだと思っていたが、
必ずしもそうではない。
むしろ自分自身との関係をもつ人は少数派なのかもしれないな。
たまげたね。まいったo(_ _*)o。
987考える名無しさん:2007/01/11(木) 00:03:05
哲学って自分を見つめ監視しているところの自分がいないとまず出来ないだろ。
自分を対象にするところの自分が必須だろ。
988考える名無しさん:2007/01/11(木) 00:43:01
皆さんは何故、問題が生じ何故、産まれた問題が適切に処理できないのか、考えたことが有りますか?
そんなことは考える事もなく、正しい適切な答をだす知恵が無いからに決まってますよね。
何故、皆さんに知恵が無いのか?知能を育たないから智恵を産みだせない。
何故、知能が育たないのか?道理に昧いから知能が育たない。
何故、道理に昧いのか?力を崇拝し理に反する蒙昧を崇拝し自己愛を心の主とし欲望に捕らわれ、
産みだされる自我に依って理を敵対する衝動に駆られるから道理に昧く成る。
何故、蒙昧を崇拝するのか?人は智恵を持てるのか?知恵を持つにはどうするのか?
皆さんは、哲学とはなにか?を考える前に考えられる知恵が必要だと思いませんか?
989考える名無しさん:2007/01/11(木) 00:57:17
>>988それはね、哲学をする環境がないからだよ。一般の人たちは忙しくて、十分な時間が
取れないでいるからだ。社会のシステムに流されて生きているのさ、仕事から帰ればテレビ
を見て、あるいはお酒を飲み、あるいはギャンブルに走る。特に近年はそういう傾向が強い。

哲学でもって解く、というのは極めて難しい状況になっているのだよ。
哲学をする、また、人類愛の「愛」解く教育、それができる社会システムの構築をしなければ
ならないと思う。
990考える名無しさん:2007/01/11(木) 01:13:52
精神の構造のイメージ

太陽の周りを地球が回っていて、さらに地球の周りを月が回っている。

太陽が自分の本質、意志、心の核とか潜在意識、無意識と呼ばれるものに対応する。

地球が我思うところの我、私
月が我思うと思うところの我、私、理性

注意すべきことは月がない人々が多いようだということね。

さらに他の惑星がある人もいるだろうし、時に流れ星がながれたりする人もいるだろうし。
991考える名無しさん:2007/01/11(木) 01:41:48
>>989
それは言い訳ですよ。
では、人類史が始まって今日まで誰も忙しくて哲学をできなかった、と言うことに成りますよ。
哲学の目的は自己愛から人間愛に心を切り替えれば、必然的に物事の理を悟れ自我が消滅し知能が育ち知恵を産みだせて達成しますが
人類愛の「愛」解く教育では無くて人間愛に導く導育と言う形を取るべきなのです。
何故かは教育は記憶に留めることで人の心の根源に作用を及ぼさないからで導育は心の基礎に訴えるのです。
それと教育現場は競争を旨とする弱肉強食の社会に即した教育しかできず、とても人類愛や人間愛に即した教育は無理だと思いますよ。
私も以前、各小学校の校長先生にお会いして話を聞きましたが、社会と理想のギヤップが激しく無理だと分かりました。
ですから社会に直接、訴えて理を望む人が物事の理を悟り、知性と人格を備えて周囲の人々を導いて戴く以外に方策はないのです。



992考える名無しさん:2007/01/11(木) 01:44:36
月がないとは幸せ者といえなくもない。
盲目の不細工みたいなもの。
謎は解けた!
993考える名無しさん:2007/01/11(木) 08:18:12
哲学とは、空気みたいなものです。
994考える名無しさん:2007/01/11(木) 10:57:53
>>991 >教育現場は競争を旨とする弱肉強食の社会に即した教育しかできず、とても人類愛や
人間愛に即した教育は無理....
 だから、それができる社会システムを構築しなければならない。と言ってるでしょ。
やらなければならないのです、それ以外にないと思います。 
 心の核の話は前より分かりやすくなりましたね!      ・これで失礼します。
995考える名無しさん:2007/01/11(木) 15:48:05
次スレは必要ですか?
996考える名無しさん:2007/01/11(木) 15:55:31
>>994
教育とは私の唱える「心の核が産みだす心」の部分を扱いますので「心の核」に触れることができません。
教える、覚えるでは自己愛から人間愛に切り替えは効かない、つまり道理にあかるく(哲人)成れないのです。
そこに「心の核」を切り替える「物事の理を悟る」と言う、教えるのでは無く諭すと、単に覚えるのでは無く悟ると言う行為が有るのです。

997考える名無しさん:2007/01/11(木) 16:07:12
>>995
>次スレは必要ですか?
哲学とはなにか?に正しい答を見いだせば全て決着を付けられます。
都合が悪く無ければ、更新して戴きたいと思います。
常々、思うのですが、
哲学@2ch掲示板は哲学の道を啓く為に有るのか、道が啓かれることを防ぐ為に有るのか、どっちでしょうね。

998考える名無しさん:2007/01/11(木) 22:19:58
さあ、ここにコメントを書き込んだ方々は、
もうりっぱな哲学者ですね。このスレットはそろそろおしまいです。
また、別なところで、哲学しましょう
999考える名無しさん:2007/01/11(木) 22:23:19
1000考える名無しさん:2007/01/11(木) 22:24:55
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。