数学の哲学 (Philosophy of Mathematics)
1 :
Douglas_Miyamoto :
2005/10/01(土) 10:46:58 数学の哲学 (Philosophy of Mathematics) についてのスレッドである。 参加者は論理学、哲学、数学、コンピューター科学などの分野で活躍する 教授/研究者、若しくは大学院生までとさせていただく。
学問を志す人間なら、もっと謙虚になりなよ。
馬鹿な1が来ましたよ。
当方、論理学を専攻しながらもまったく活躍していない、雑用ばかりの下っ端助教授ですが、参加できますか? 現在の主な仕事は、地域の高校を回って「生徒さんにうちの大学を受験させてください」と頼むことです。
5 :
考える名無しさん :2005/10/01(土) 11:09:12
学問を志すものは謙虚ではいかん。 厚かましく、ひつこく、がむしゃらで、非常識でなくてはいかん。 良い子には出来んな。
そこまでいくと謙虚というより嘘つき。
>>5 じゃあ言い換えよう。
権威主義じゃいかん。
権威主義ではない。1で挙げた分野に権威ある日本人はいないからだ。 学歴主義である。
9 :
Douglas_Miyamoto :2005/10/01(土) 11:23:17
10 :
練馬哲人 :2005/10/01(土) 12:02:45
>>1 一般的に認知されているカテゴリーなんですかね?
聴講生参加者もいると思われるので、原典、参考資料等お願い致します。
学問をやるからには権威主義、天才主義がいいと思う。種は肥沃な大地に蒔くべき。 学問をただ道具として使うのが目的なら別だが。
数学の哲学って数学基礎論のことか?
無限論とかじゃないの?
14 :
考える名無しさん :2005/10/01(土) 13:51:14
ぜんぜん違う
共産的な義務の感性の人
16 :
考える名無しさん :2005/10/01(土) 14:48:34
数学の哲学は英米圏だとメジャーな気がしますが、日本ではなかなか認知されませんね。 啓蒙活動が足りないのと、論理学やら集合論やら様々な知識が必要なので一般の人々にはなかなか とっつきにくいのが原因なのかも。その割には、慶應、駒場、クビ大あたりの若手院生で専攻して いる人がやけに多い気がしますが。 分野外なので、こちらの勝手なイメージだと 数学基礎論ーあくまでも数学というカテゴリーの枠内で数学の基礎を探求する。 数学の哲学ー数学の基礎の問題をより広いバックグランドの哲学的問題から捉えている。 Ex.実在論ー反実在論 論争など 飯田隆「数学の哲学は哲学に何をもたらしうるか」『現代思想』10月号 1990年 などをご参照ください。
17 :
:2005/10/01(土) 14:56:51
ダグラス・エンゲルバートやクルト・ゲーデルをテーマにするんじゃないの?
18 :
練馬哲人 :2005/10/01(土) 15:03:18
>>1 参加者限定は、2chの精神にも哲版の精神にも反する。
此処でスレを立てる以上、そんなことを言うべきではないな。
ところでもちろん
>>1 は
>論理学、哲学、数学、コンピューター科学などの分野で活躍する教授/研究者
なんだろうな。大学院生でもいいけどさ。
まず
>>1 が持論を展開してそれなりの知識があるとこ見せてよ
クズが何にでも首突っ込んでいっちょかみするのが2chの精神
俺は底辺大学文系出身だけど、兄貴が数学基礎論で博士号持ってるんで 参加しちゃダメですか?
>>8 なんにもしらんようだなw
さとうすくーるとかしらんだろw
23 :
:2005/10/02(日) 00:32:04
ネタスレかよw
>>1 には議論を維持できる能力が無いわけだ。
数学の偏差値が代ゼミで30なんですけども、赤チャやっても意味無いですよね? だけど先生が言うんですよ、「俺は赤チャを薦めるぞ」って もうアフォかとバカかと俺は偏差値30なんだと、あんなもんわからないと、 だから先生に言ってやったんです。「買ってみたんですけど全然わかりません」 そしたら先生が「アフォか!あの程度もわからないのか、じゃ黒大数やれよ」 それで僕は先生のいうとおり黒大数を買ったのです。 「すいません、黒大数も全然わからなかったんですけど・・・」 「はぁ?お前はどうしたいわけ?俺を困らせたいのか?それ以前にお前はたぶんで物を語るな!!だからお前は彼女に振られるんだよ!!」 それでついに僕は切れたんです 「ってかテメー俺は糞バカだって知ってるだろ!!偏差値30、わかる?30だよ30! 数学の偏差値30って言ったら哲学科のレベルだぞ!哲学科レベルの奴があんなもんできるわけねーだろ!!」 その後に少し沈黙があって、 「・・・そんな言葉口にしちゃいけない、やつらはいくら頑張っても数学は出来るようにならないんだ、お前はまだ可能性があるけどな」 「先生すいません。つい」 「いいんだ。ただしこれからは“哲学科”と“数学”の関係を口にしてはいけない、これは差別用語だからなわかったか?」 「はい」
26 :
考える名無しさん :2005/10/03(月) 12:54:20
数学基礎論へのいざないを10年読んでいるドアホウですが参加してもよろしいですか?
27 :
Douglas_Miyamoto :2005/10/03(月) 13:02:15
>>全員 とりあえずどこから始めたいのだ? - Plato - Kant - Frege の Predicate Logic - Hilbert の Formalism (Finitism) - Russell & Whitehead の type thoery - Gödel の Incompleteness theorems - Constructive (intuitionistic) Logic - Typed Lambda Calculus - (intuitionistic) Type Theory [Martin-Löf の Type Theory] フレーゲから始めるのはデフォルトすぎてつまらん故、私としては 他の場所から始めたいと思っている。
こういう知識って、結局数学そのものをやらないとダメじゃないのかな っていう疑問が湧いてきませんか?
29 :
Douglas_Miyamoto :2005/10/03(月) 13:14:42
数学の哲学を語るには、数学という学問を一通り学び、 次にメタ的視点に立って「数学」を分析するべきである。その後やっと「数学」 の総括的意味付け、つまり「数学」の全体像の構築が可能となるのである。
ラッセル・ホワイトヘッドから。
>>29 「メタ的視点」に立つならメタ数学。
意味付けするんならセマンティクス。
全体像の構築なら数学者がやれ。
おまえバカ?
と煽ってみる
数板のどっかのスレに貼っときまひょか?
数板なんて基礎論ですら毛嫌いしてるのに、こういうのはもっと嫌われそう。
因数分解を哲学しよう
>>27 とりあえずダグラス・エンゲルバートのガイドラインからどうぞ。
239 名前:名無しさん@恐縮です :2005/10/04(火) 09:20:20 ID:1DyCEM0c0 イチローってハイソックスフェチなんでしょ? 広末とかマナカナにもらった靴下の匂い嗅いでるくせに 何言ってんだろうねぇ
37 :
考える名無しさん :2005/10/05(水) 02:18:53
あのさぁ、本当に議論したいなら数学板に二つ目を立てて 相互に行き来できるようにして見ろよ。数学の哲学は数学者 を巻き込めて初めて意味を持ち始めるだろうからな。 ところが、数学者はこぞって数学の哲学なんてパンツについた 糞以下だとのたまってるぞ。理由は数学の哲学やってる奴が 相互に議論するということをしないし、それどころか数学者に自分が なにしてるか説明することにさえビビッテいるからだよ。 おまえら正直駄目すぎるんだよ。これからどうにかしてみろ、じゃなきゃ 永遠に糞つきパンツの糞で終わる分野だぞ。
オーソドックスな哲学すらままならないのに、 数学について哲学なんてできるわけがない。 終了
数学って雲母みたいなことを積み重ねる学問でしょ。 どこから出てくるのよ、数学は。 やっぱり哲学の後門に学ぶところがあるんじゃないの。
40 :
考える名無しさん :2005/10/05(水) 04:19:00
数学を知らんようだな。
41 :
Douglas_Miyamoto :2005/10/05(水) 11:26:22
予想内ではあるが、私以外でこのスレッドを閲覧している 人間は、数学の哲学の基礎知識すらないように思われる。 その疑問を晴らす為、以下の簡単な基礎問題を君達の為に用意した: 1. ゲーデルの第一不完全性定理はどのようなシステムを対象としているか? ゲーデルの第二不完全性定理はどのようなシステムを対象としているか? また、第一不完全性定理と第二不完全性定理が合てはまらないシステムをそれぞれ 構築せよ。(そのようなシステムは無限とある。) 2. なぜ ZFC はヒルベルトが追求していた形式システムにはなり得ないのか? 3. Classical Logic と Intuitionistic logic の違いと述べよ。 上記の問題すら満足に答えられないのであれば、このトピックにおけるここでの議論は無価 値なものになるだろうし、私がここに書き込みすること自体、時間の無駄以外の何者でもない ということになる。
プ
↑ 哲板の恥
おそらく、ひれ伏すのだったりなんかしちゃったりなんかして、ウィンナーは。 と、ここで一句。 数学者 ウィンナーなる 試験管 (通釈:ウィンナーの心を詠んだ歌である)。 あっ、夜にまぎれた大気圏にとってかわるのかもね、ラジオが。 そうそう、万年筆を買ったんだな、高校生、じゃなくて、うーん、なんて言ったらいいのかな、 そう、芸術家村の見せ物小屋が。
>>41 (1)、(2)って面白そうだな。
この辺の話って論じられてるの?
46 :
考える名無しさん :2005/10/07(金) 19:06:12
Type Theory って何ですか?
数学屋って冗談ぬきで わざわざ41のようなステップを踏まないと 自分の「時間の無駄」を結論することもできないんだよね。 直観力の欠如および同語反復マシーンと化することを 崇拝の対象にして満足する人種。 少しは「自分の無駄」についても記号遊びすればいいのに。
48 :
考える名無しさん :2005/10/07(金) 19:33:18
やっぱり哲学やってるヤツの方が頭が悪いのかな・・・
49 :
考える名無しさん :2005/10/07(金) 20:20:28
ここにはそんな奴いないし
50 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 11:34:28
>>1あなたは数学のスレに言った方が、、、 ところでフラクタルとかってどう思う、黄金分割がそうであったように 自然の現象を説明するときにも使われてるんだけど、ルネッサンスでは 美の方程式とされていた、何か意味ありげな数式、
>>47 41を読んで数学屋と思うところが
きみの無知を証明しているわけだが。
数学基礎論、数学(基礎論以外)のいずれにおいても、
あと厳密なステップを踏むことが不可欠だと考える所以は、
直観を単なる個人の妄想ではないと知らしめ、
人類の共有知として残すため、ただそれだけだよ。
はっきり言えば他の諸学問のような、ためにするような複雑さは徹底して排除される。
52 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 14:15:21
「厳密なステップ」が聞いて呆れる御意見ですね
53 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 17:25:55
54 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 20:35:31
数学は単なる宗教
数学は良いよ。てか天才数学者いいね。 オイラーとかオイラーとか。オイラーいいね。うん、いいよ。 全集を読みたいね。当然原書で。原書に限るよ天才の本は。訳しきれない。 ガウスとかも良さそう。 科学者もいいよ。 ガリレオとか。ガリレオとかいいよ。すげーよこいつ、すげー切れるよこいつ。 天才だろ、魅力的なのは。 分野問わず 分野の優劣云々してんじゃねえよ。 要は天才なんだよ。
天才は創るため殖やすため残すために学び働くが、一般人は消費するために学び働くんだよ。 だから一般人は貧しくて結局何も残さないんだよ。 なんつっても消費が目的の人生だからな 貪欲に消費するがゆえに消費されちまうんだ。豚みたいにな。 でも豚って温厚でよくなついて可愛いらしいんだ。 可愛いから飼ってもらえるし食べてもらえるんだよ
57 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 22:50:21
>>56 殖やす残すは結果論で、学問芸術分野の天才とは関係ない。
哲学こそ究極の宗教。 この意味がわかるかな?
59 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 23:16:09
>>51 のレスから「厳密なステップ」が読み取れない。
自分の意見がその意見自身の基準を満たしていないような・・・
関係ある。現に名を残した天才はそうゆう目的があり結果を残したのだ。 名もなき天才については知らないから語らん。
61 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 23:21:30
「埋もれる天才はいない」とシャルル・ミュンシュが喝破しております。
simple type theory と ramified type theory の違いについて教えてください。
64 :
>>63 :2005/10/09(日) 00:13:58
Godel全集2に収録されているRussell論文と その冒頭に付記されているCharles Personsによるノートでも読んでみたら?
65 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 01:03:58
数学の定理証明に、まず信じよの宗教的感覚があるのは否めないかもね。
>>65 あほ?
まあ論理に対する信頼も1つの宗教であると言ってしまえばおしまいだが。
およそ人間の知的活動のほとんどが宗教と断ぜられるな。
さもなければ、永久にはたしてそうかな?
根拠はあるのかな?の一つ覚えを続けるか、だなw
2004年お子様の憧れのスポーツ選手は?
1位 松井秀喜 14.8%
2位 イチロー 11.7%
3位 ベッカム 8.2%
ttp://www.bandai.co.jp/kodomo/question107.html 最後のアンケート結果のコメントに
「ホームランを打てるプロ野球選手が、多くの男の子たちにとって魅力的であり、憧れの対象となるようだ。」と
書いてあり、その通りだと思った。 子供は正直だな〜。
今年は、打撃三部門、全て松井が勝っており、松井とイチローの差は、さらに大きく開いたと思われる。
本塁打
@松井 秀喜 23本
A井口 資仁 15本
Aイチロー 15本
C田口 壮 8本
D松井稼頭央 3本
打点
@松井 秀喜 116点
A井口 資仁 71点
Bイチロー 68点
C田口 壮 53点
D松井稼頭央 24点
打率
@松井 秀喜 .305
Aイチロー . 303
B田口 壮. 288
C井口 資仁 .278
D松井稼頭央 .255
68 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 01:40:10
>>59 厳密なステップてのが何なのかが分かってないんだろ
クライゼルは偉いな
69 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 02:05:08
>>66 電話帳を書いた広中氏はそんな事言っていたと思うけど?
フィールズ賞捕まえて、あほ言ってみな。
>>69 書かれた内容と書いた人間の信念を混同すること無かれ
>>68 厳密なステップを踏まない数学の論文でも書いてみな。
まあそういうことが許される例外的な大物も幾人かいるがな。
参加者は論理学、哲学、数学、コンピューター科学などの分野で活躍する 教授/研究者、若しくは大学院生までとさせていただく。
_,,;::-―ー-:;:,,、 /'''''' '''''':::::::\ |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::| | .:"ー=〓=-'`:::: | \ `ニニ´ .::::::/ ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、. : | '; \_____ ノ.| ヽ i | \/゙(__)\,| i | > ヽ. ハ | | いや、線形代数は代数にカウントできない。 明らかに解析への応用用途に特化してるわけで、 行列・行列式の計算の ためにやってるだけだから。 線形空間と群は捨てて申し訳程度にやるだろ。
76 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 07:38:27
0.333……×3=1 であることに違和感をもつ漏れはこのスレに 参加できますか? 高卒、フリーター、独身、36歳ですが。
物性屋がいるなw
79 :
47 :2005/10/09(日) 14:48:26
>>51 俺は「数学屋」と書くか「数学キティ」と書くか迷ったんだが、
その時に思ったのは
もし仮に「数学キティ」と書けば、彼らは
「41を読んで数学をキティ扱いするなんて、哲学徒は無能だ」と来るから
どっちにしろテクストの真意を彼らが読み取ることは無いと
わかりきっていたために、
区別せずに「数学屋」と書いたわけ。
現にこうして、数学屋さんは
厳密を崇拝しているのだが、それによって
滑稽さがあらわになっている。なぜなら
世界において厳密な対象は無く、
語られたことばが厳密性に基づくというのは
崇拝者の思い込みだからね。
勝手に相手に(世界に)厳密性を求めて
あなたのように、無意味に血なまこになって
厳密性が当てはまらない場合には、他人を無知だと考えるようになる、
この状態を
>>47 で同語反復マシーンと皮肉ったんだが、
直感の欠如は予想以上のものだったな。
自分が皮肉られていることに気づけずに、大真面目に(厳密性の信仰ゆえだが)
相手をしてくるから、からかってこれほど面白い対象はないよ。
80 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 14:52:11
数学屋さんは厳密さより独創性を重視しているのだが。 現に数学板では厳密病は哲学厨への一本道などと揶揄されている。 数学屋さんが厳密病だというのは一体誰の信仰なのか。
81 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 14:59:55
>>51 に
>はっきり言えば他の諸学問のような、ためにするような複雑さは徹底して排除される。
と自分で書いてるじゃん。
これに対して信仰と揶揄したのであって、なぜ哲学の側に非があることになるんだか。
82 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 15:00:45
しまった文脈を書かなかった 通じないから無意味だ
83 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 15:06:51
>>80 だわね。
厳密さは必要条件であって、重視するようなものではない。
厳密さを無視した夢想的予想が許されるのは、
すでに認知された大物だけ。
84 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 15:10:12
からかわれていることに気付かない香具師が 「からかってこれほど面白い対象はないよ。」などとほざいてしまう 大胆かつ自由なところが哲学の奥深さなのですよ。(w
85 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 15:12:51
>勝手に相手に(世界に)厳密性を求めて それは貴方ではないですか? 数学は「世界」を相手になどしていないと聞きますよ。
86 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 15:50:55
心理学が精神的なゴミ処理業だとすると、哲学はゴミ置き場かな。
87 :
勝利宣言 :2005/10/09(日) 15:55:49
知能の低い奴隷が科学をやって成果をあげる。そうした奴隷は掃いて捨てるほどいる。 哲学者たちはそうした奴隷が作った捧げ物を享受しつつ、人類はいかに生きるべきかといった高尚な指針を明らかにし、奴隷どもに授けてやる。 こうして奴隷どもを自らの意思で働かせているのが哲学の最大の成果である。 しかも、なんとこれらの奴隷は自分が奴隷であるということにさえ気がつかずに「科学こそすばらしい。哲学はなんの成果もあげない」と自らの奴隷労働を賛美してやまないのである。 そしてこれだけが、宇宙で唯一、厳密な思考の果てに人類が得た結論なのである。
数学が厳密だとか、厳密であらねばならない、みたいのは 歴史的に見たらせいぜいここ百年くらいの考え方でないの? むしろ、プラトンの時代から現代まで、数学屋自身が一番気にしてるのは 美しいかどうかだと思うけど。
89 :
考える名無しさん :2005/10/09(日) 21:27:57
どの程度の厳密さを言ってるのか分からないし、 そんなスカスカな話をされてもどうしようもないけど。 例えば選択公理をヘーキで使うのは、厳密さの条件に適うの?
何の考えも無しに古典論理を使うのも厳密さに欠けますよねえ先生
92 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 00:19:34
>>90 より厳密さを追究する方向に改良されてるんじゃねえの?
93 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 00:25:18
エレガントな解は積み重ねからは生まれず、飛躍が必要だ。 機械的に導出されるようなものではない。
95 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 00:43:23
数学はデカルトの懐疑により崩壊した
おまえが崩壊しろよ。つうか、すでに崩壊してるよ。
>>94 まあ過去の遺産をいろいろ手放す羽目になるような方向は選択しないってことだろうね。
科学がその上に乗っかってるんだから、
いたずらに形式的論理だけでいろんな道が並列であるかのように扱うのもどうかと思う。
98 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 00:52:22
男は黙って古典論理。女は知らん。
99 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 00:54:02
>>97 でも、よくしらないが、構成的数学で解析学などもほとんどできるんでしょ?
少なくとも物理のためならZFCはいらないだろうし。
100 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 00:58:01
物理屋は鬼畜
>>90 可算無限個の集合の場合に限れば、認めておくのが自然という程度の感覚だよね。
でも、数学の厳密さっていうのは、そこに疑問を差し挟むか否かというのとは、
関係ないでしょ。
ある公理系を採択したあとで、その後の演繹についてのことだから。
以前、だれかが言っていた通り、正式に証明が認められた数学的な結果というのは、
原理的にはトートロジカルなものだけだから。
ただ、見かけ上、スタート地点からは容易に想像できない意外さや美しさがあるだけで。
また、それを導く過程とかそもそもの姿勢において、直観とか美的感覚が重要ということ。
逆に見た目がいかに美しくとも、演繹の鎖のかけ違いが1つでもあれば、
証明はされていない(=その時点では数学的な真実ではない)ということになる。
102 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 01:06:06
「演繹」の定義を教えてもらいたいもんだよ…
>>94 確かに、いかに実り豊かな結果が得られるかどうか、
によって公理系とかその後の諸概念の定義設定の適切さが判断されてるよね、たぶん。
>>102 使用できる推論規則をあらかじめ定めて、
その連鎖のみで、ある論理式から別のそれを導くということ?
105 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 01:22:39
きみは幸せなやつだなあ
107 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 01:37:32
スカトール メルカプタン アンモニア
108 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 01:38:41
ZFやGBにとってかわるような新しい公理系はできてる あるは できつつあるの?
109 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 01:41:56
>>106 教えろと言われてもおれだって知らないけど。
とりあえず"Prior+tonk+logic"とかでググってみたら
見聞が広がるんじゃないか。(すでに知ってるんなら謝るけど。)
>>93 考えつく道筋と
論理的な組み立ては
一致しないよ一般に
112 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 13:27:00
Alfred Tarski: Life and Logic もしかして傲慢なひとですか?
113 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 14:03:56
原理的にトートロジカルであることを認めながら 厳密性が世界についてなにかを語っていると錯覚する、 この心理は たしかに神の奇跡やイエスの復活はうさん臭いが 信仰を極めればなにかしら救われるはずだと考える連中と 共通するわけ。 そこでは、当初の手段であったものが目的になっており、 それゆえに手段を目的と(原因であったものを結果と)考えるようになるため、 「結果を得られた」と思い込む誤謬を侵すわけだ。 そう思い込むと、もう結果を探求しなくなる。つまり実際の世界など どうでもいいのであり、内的な体系を組み立てることに躍起になる。 そのことを批判されれば、 「なにを言ってる、聖書のここを見てみろ『光あれ』って書いてある。 ほら、これはビックバンのことを示してるじゃないか」 と意味のない「体系」の説明を繰り返し、「体系」の正当性を主張するわけだ。 彼らの論理は体系のうちに閉じこもるため、外部との話し合い(つまり 批判の真意を知ること)は不可能。やり取りが形骸化するだけ。
114 :
考える名無しさん :2005/10/10(月) 15:10:55
形骸化した長文おつかれさん
test
> 原理的にトートロジカルであることを認めながら > 厳密性が世界についてなにかを語っていると錯覚する 数学屋さんは、数学が直接に世界についてなにか語ってるなんて思ってないみたいだけど? もちろん一方で、何某かの反映はあると考えてるんだろうけど。 極端なプラトニスト的発言をするひとも中にはいる。 あと、原理的にトートロジーと言っても、最初の公理系や定義群の選択は、まさに人間の主観によってる。 そこに物理からの要請とかが絡んでくるでしょう?
117 :
考える名無しさん :2005/10/11(火) 00:29:15
数学の言語を使おうよ 数学の哲学は言葉遊びじゃないよ?
>>41 のようなレスに住人なりの解答がつくのが数学板(というか哲学板以外の学問系の板)
41のようなレスを徹底して無視するのが哲学板
学生の頃、進路相談で何がやりたいかと尋ねられ、 「ピタゴラスの数秘術に興味がある」と答えた。 担当教官に怒られたか諭されたか忘れてしまったが、 結局、可換環をやった。 スレタイトルを見て、ちょっと期待した。
121 :
考える名無しさん :2005/10/11(火) 01:50:24
_,,;::-―ー-:;:,,、 /'''''' '''''':::::::\ |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::| | .:"ー=〓=-'`:::: | \ `ニニ´ .::::::/ ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、. : | '; \_____ ノ.| ヽ i | \/゙(__)\,| i | > ヽ. ハ | | ここは、数学の哲学 (Philosophy of Mathematics) についてのスレッドである。 参加者は論理学、哲学、 数学、コンピューター科学などの分野で活躍する 教授/研究者、若しくは大学院生までとさせていただく。
123 :
考える名無しさん :2005/10/11(火) 19:46:06
124 :
考える名無しさん :2005/10/11(火) 20:55:22
Mac Laneの形式的機能主義についてどう評価しますか?
形式的機能主義って何ですか? 簡単な解説お願いします。
126 :
考える名無しさん :2005/10/11(火) 21:31:02
functionalismを機能と訳したのだろうし、マクレーンだから、 圏論を基礎に主張するんだろう。それを形式主義的に解釈すれば、形式的機能主義の完成!
要は、圏論至上主義ということ?
128 :
124 :2005/10/11(火) 22:39:05
>>126 >>127 ところがそうではないのですね。
もちろん圏論における諸結果を背景に想定しているだろうことは
推測されますが。
既存の哲学的立場を批判し、
foundationalismには反対の立場です。
集合論に基礎づけることも圏論に基礎づけることも
数学における存在感触にそぐわないということですね。
数学各分野の諸形式がfunctionの観点からネットワークをなしている、
というのが
formal functionalism
の核心だったように思います。
(細かいことは忘れました。)
悪く言えば、折衷的で日和見主義。
詳しくは『数学−形式と機能−』
の最後のほうを読んでね。
129 :
考える名無しさん :2005/10/11(火) 22:41:49
アホクサ
130 :
124 :2005/10/11(火) 22:53:41
>>129 さん、
なぜ、そしてどの点でアホクサいのか、
理由をお尋ねしたく思います。
私がとんだ勘違いして、
隘路に陥っている可能性は十分に
考えられるのですから。
996 :考える名無しさん :2005/10/11(火) 21:33:47
_,,;::-―ー-:;:,,、
/'''''' '''''':::::::\
|::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::|
| .:"ー=〓=-'`:::: |
\ `ニニ´ .::::::/
,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
: | '; \_____ ノ.| ヽ i
| \/゙(__)\,| i |
> ヽ. ハ | |
説明できるのかね?
999 :考える名無しさん :2005/10/11(火) 22:13:16
>>996 エントロピーの増大は確率の問題だよ。
ならばその逆も確率の問題。
恐ろしく稀に、低エントロピーから始まる宇宙もある。
それ故に、散逸構造が可能となり、我々のような知性が存在する宇宙へと進化する。
それは信じられぬ程の隘路ではあるが、振返れば確かに存在するのだ。
神ではなく、偶然が作った道がね。
132 :
127 :2005/10/11(火) 23:26:41
マックレーンは難しく考えすぎなんじゃないのかな。 簡単に、圏論的形式こそ数学の基礎である、という ことにすれば、話が分かりやすくていいと思うけど。
133 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 00:50:36
つうかさ、おまいら数学の哲学を 数学者の(いわゆる)フィロソフィーと近藤してるんじゃね?
フィロソフィーと言うか、ヨガだろ?
135 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 10:33:23
>>133 数学者の哲学ではなく、かつ数学の哲学である
問題や例にはどのようなものがあるでしょう?
教えてください。
>>135 1 数学的対象の存在論的地位をめぐる問題
2 数学的知識の認識論的地位をめぐる問題
3 数学の他分野への適用可能性をめぐる問題
この3つが80年(っていうか、フィードル)以降の数
学の哲学の三大課題でしゅ。
フィードル
138 :
135 :2005/10/12(水) 12:46:00
>>136 どうもありがとうございます。
Hartry Fieldですね。
Mac Laneはいくつかの論文や著書で
少なくとも1と2と3は何らかの仕方で
論じています。
その意味で彼の考察は数学の哲学に値すると考えます。
言い換えると、数学者の哲学であり、かつ数学の哲学
であります。
1,2,3に関して透徹した見通しを与えるような
数学の具体例に根ざしたphilosophicalな考察が、
哲学者たちが好んで論じているいわゆる「数学の哲学」よりも
軽んじられなければならない、
という理由はないだろうと思います。
139 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 13:27:40
135必死だなw
140 :
138 :2005/10/12(水) 13:31:22
自分で質問しておきながら、
自分はアホなことを書いていました。
訂正させてください。
>>136 氏の提示した3項を
数学の哲学における3つの問題圏と解釈して
書いてしまいました。
その3つが
数学の哲学であって、数学者の哲学者ではない問題圏だとすると
138の発言は奇妙なことを言っていることになります。
とにかく言いたいことは以下のようなことです。
数学的対象のあり方を論じることは数学の哲学の課題だ
と認めることが言えましょう。
少なくともMac Laneは、数学的対象のあり方を
論じている点から見て、
彼の論述(の一部であれ)は数学の哲学として扱えるでしょう。
しかも彼は数学者として哲学的見解を提示しているわけです。
ですから、彼は、数学の哲学を論じ、
数学者の哲学を提示しているわけでありまして、
その両者は密接に関連しています。
それは数学について最も良く知っている(認識している)人の
説である以上、それなりに尊重されるべきである、
というのが私の意見です。
141 :
138 :2005/10/12(水) 13:34:29
>>139 あなたのように嘲笑されるのは
まったくもってごもっともでございます。
私はまったくのアホです。
もう消え去ります。
142 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 13:44:06
41はその内容を知ればいいだけなら簡単すぎるだろ? それよか1にゲーデルの第二不完全性定理に到達する全過程を記述してみてほしいもんだ。 そしたら見直したる。
143 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 15:10:57
144 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 15:32:22
プギャー
>>142 がまずやってみておくれ。
そしたら見直したる。
146 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 22:05:27
もうちょっと有益な議論をしようよ。 41の1の後半は文字通り読めば定理に反例があるように聞こえるが、 良心的に解釈するなら、REの条件だけはずして考える、ということだと思う。 しかし、そのような体系が無限にあることはどうしたら分かるのだろう? (とりあえず体系の同一性は定理の同一性と考えた場合)
147 :
考える名無しさん :2005/10/12(水) 23:57:00
プ
おまえもな
149 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 01:42:28
プ
150 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 17:59:29
微積分できるようになってから語れ。 高校数学でさえ挫折したようなやつが語るな。 数学板一同より
151 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 19:39:35
>>150 どのくらいの微積分ができればいいのですか?
152 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 19:55:14
153 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 21:02:10
154 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 21:24:25
数学板住民の典型的解答だなw どこでもバカは一緒てことでwwwwwwwwwww
鉄屑必死すぎだわなw
156 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 21:42:30
wの数だけアホになれるよwwwwwwwwwwwwwwwwwww
157 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 21:45:39
だいたいフィールド以降なんてゆうのは、数学の哲学を矮小化し杉だよな。 せめてクワイン以降にしろと。
158 :
考える名無しさん :2005/10/13(木) 22:06:19
ちょωωωおまいらωωωωωωω オメガωωωωωωωωωωωωωωωωωωωωω
159 :
考える名無しさん :2005/10/14(金) 08:35:31
そもそも哲学板に頭良い奴なんていないだろ ココは引きこもり板か、もしくは、2ちゃん版しゃべり場みたいなもん
160 :
考える名無しさん :2005/10/14(金) 17:08:19
>>47 >>79 「わかりません.答えられません.知りません」てはっきり言えばいいのに
何をクドクドと・・・w
すごい板だね,ここ.屁理屈の塊というか
162 :
考える名無しさん :2005/10/14(金) 22:32:23
ばーか
163 :
考える名無しさん :2005/10/14(金) 22:38:39
何でも知っていると思われたい人が集う板らしいから。無理もない。
164 :
考える名無しさん :2005/10/14(金) 23:38:58
ばーか 知ってるのかどうか自分で見極めろよw
165 :
考える名無しさん :2005/10/14(金) 23:47:07
166 :
考える名無しさん :2005/10/15(土) 00:36:01
すっこんでれ ちなみにこの動詞は次のように格変化する。 すっこんでろ すっこんでらーす すっこんでらっと すっこんでらーむす すっこんでらーてぃす すっこんでらんと
類義語に つんでれ がある つんでれら つんでれる つんでれ つんでれ つんでれれ つんでれ
168 :
考える名無しさん :2005/10/15(土) 20:47:55
日本の哲学界ではマイナーだけど、 根本的な問題を論じているんだよなー。 (ひとりごと)
そうかな。 数学の哲学も結局、実在論−非実在論の対立に集約されると思いますが。
170 :
考える名無しさん :2005/10/15(土) 21:21:40
>>166 格変化じゃなくて人称変化だろ。すっこんでろ。
171 :
考える名無しさん :2005/10/15(土) 21:25:28
>>169 まあ、そうだね。
しかし実在論といってもいろいろ。
数学において実在するのは
何かという問題も重要ですね。
172 :
考える名無しさん :2005/10/15(土) 21:35:31
ばーか
173 :
考える名無しさん :2005/10/15(土) 21:52:43
数学が苦手、あるいは数学的思考がまったくできない人にも論理性はある。 これは驚くべきことで、数学的思考の本質がむしろ集合論的思考にあると いうことを示唆している。
174 :
考える名無しさん :2005/10/15(土) 21:56:47
なにこの非論理性w
175 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 00:48:52
哲学をやる奴は、決して数学ができないのではない。数学の思想を批判的に眺めるため、敢えて数学をやらないのだ。 たとえ、高校レベルの問題すら、答えられないとしても。
176 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 03:15:50
∫(cosAx)^m*(sinBx)^ndx
哲学をやる奴は、決してバカではないが、
178 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 03:22:54
なんだよ高校レベルてw
179 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 10:32:37
「高校レベル」の定義>>>>>>>>>>>>三角関数の積分 これが哲板クオリティー。
>哲学をやる奴は、決してバカではないが、 そうか? 決して利口とは思えんが。
181 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 10:48:51
排中律も帰謬法も認めない それが哲板クオリティー。
>>180 ラッセルも
若く頭がよく働くときに数学を
少し年をとって頭の働きが鈍くなって論理学を
頭がうまく働かなくなったころに哲学をした
と言ってることだしな。(どっかで呼んだだけで出典は不明)
183 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 11:43:04
信用ならんな
184 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 12:50:17
あほらしいから帰るお
185 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 12:58:48
ちょっとまつお
187 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 19:45:16
数学、哲学、社会学だっけ?
188 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 19:49:43
ラッセルは数学の研究を本格的に始める前は筋金入りのヘーゲル主義者だったし、 だいたい著作の処女作は『ドイツ社会主義』だろ。おまいら単純すぎ。
189 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 22:36:15
分析哲学以外の哲学やってる奴は馬鹿 これは真理
190 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 22:40:43
ああ、それを受け入れるのには時間がかかったな。 しかし哲学は馬鹿のためにのこしてやってもよいような気もする。
191 :
考える名無しさん :2005/10/16(日) 23:47:33
↑ 馬鹿
192 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 00:15:22
>>182 ラッセルは、「若くて一番頭が良い時に数学を、
少し衰えてきた時に哲学を、ほとんど頭が回らなくなって
しまってから啓蒙と歴史をやった」、ですよ。
193 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 00:25:38
実際、「文系」というカテゴリを作ってしまったのが日本の教育の大失敗だな。
「理系」だからといって数学できるわけでもないしな。
195 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 13:43:17
あれこれレッテルを貼るより、数学の能力でふるいわけて 適材適所に徹したほうがよいとおもわれるんだがな。
196 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 18:45:13
文系だって数学できるやつはいる。ということで、数学できないやつは「文系以下」と区別するべき。 そして理系で社会科学もやる奴を「理系以上」と区別する。
数学の論文書ける哲学者っていないの?
書いてどうすんの ?
数学と哲学と神学はヨーロッパでは学問じゃないんだけどね。
200 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:28:13
なにこの愚か者
201 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:33:23
発作的に口から出任せを言うヤツがいるようだな。
>>198 いや、単に数学のできる哲学者がいるかって話。
203 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:43:04
「数学」の範囲によるだろ。 ロジックできる哲学者なら大勢いるし。
クワイン、ゲーデル、ライプニッツ、ラッセル
205 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:45:12
数学=ロジック+集合論だから。集合論でこけるヤシは多そう。
206 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:47:40
207 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:51:24
>>202 歴史をさかのぼれば、そりゃ幾らだっているだろ。
フッサールはワイヤシュトラスのとこで助手をやってたくらいだし。
208 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:51:55
日本の哲学者は傷ついている。
210 :
考える名無しさん :2005/10/17(月) 23:58:34
ロジックだけでは数学はできない、という事実が言語化されただけで・・・
211 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 00:01:55
アホがウザイからもう帰るわ
212 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 00:25:11
ズタズタだ。
213 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 07:06:40
日本の哲学者は傷ついている。
214 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 18:18:31
そのためのポストモダンです。 強度ある思想家は、傷付けられても気付かない。
215 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 18:22:08
血が出てますよって指摘してもダメなのかい?
216 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 18:36:49
残念ながらダメだ。 むしろ指摘した奴が、精神分析されて傷付いてしまう。 ポモ力は無限大だからね。
217 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 18:55:18
じゃポストモダンは刃物持ったキチガイという事でOK?
218 :
考える名無しさん :2005/10/19(水) 02:29:00
脱線age
219 :
考える名無しさん :2005/10/19(水) 22:14:38
数学には集合論的思考が必要だ。つまりある種の制約がある。その意味とは?
味の素 グルタミンソーダ
集合という概念って一体なんなの?
223 :
考える名無しさん :2005/10/20(木) 03:51:36
全員集合!
224 :
考える名無しさん :2005/10/20(木) 04:15:02
集合とは様態の類である。
225 :
考える名無しさん :2005/10/20(木) 10:39:36
数学には圏論的思考が必要だ。つまりある種の制約がある。その意味とは?
sin^2xってsin(x)の二乗のことでしょ? そうすると… u = sin(x), dv = sin(x)dxと置いて ∫udv = uv - ∫vdu に当てはめると、最終的に ∫(sin^2x)dx=1/2(x - sin(x)cos(x)) となるんではないの?これって部分積分って言わない?
+C忘れてた。
229 :
考える名無しさん :2005/10/23(日) 21:35:40
数学もできんのか?
できません。
231 :
考える名無しさん :2005/10/23(日) 22:48:03
数って何ですか?
0, {0}, {0, {0}}, {0, {0}, {0, {0}}}, {0, {0}, {0, {0}}, {0, {0}, {0, {0}}}}, {0, {0}, {0, {0}}, {0, {0}, {0, {0}}}, {0, {0}, {0, {0}}, {0, {0}, {0, {0}}}}}, ...
233 :
考える名無しさん :2005/10/24(月) 00:01:06
超準解析を知らんのか?
234 :
考える名無しさん :2005/10/24(月) 03:32:02
ベナセラフくらい嫁ばいいのに
誰でつか?
236 :
考える名無しさん :2005/10/25(火) 03:02:17
長くなります、すみません >>136 >1 数学的対象の存在論的地位をめぐる問題 >2 数学的知識の認識論的地位をめぐる問題 >3 数学の他分野への適用可能性をめぐる問題 一応、現役の数学研究者として言わせてもらうと、こういうことが 数学にとって全くどうでもいいと思ってる訳ではないけど、数学者 としての日常的関心とほとんど交わることがない。 現代の数学は、集合論なりなんらかのロジックなりの上に建設されて いることになっていて、上の1、2のような問題意識はその基礎にし かかかわらない。それ以上の多様性を−それが数学の具体的内容 なのだが−まったく捕らえることができない。方向は逆だが、3 もその点では同じであろう。
237 :
235 :2005/10/25(火) 03:04:34
続き あまりいい譬えではないかもしれないが、美術にとって 油絵具やキャンバスの物理的性質はそもそも絵が存在するために 必要であるかもしれないが、それが美術を論ずる方法のすべてではない。 というか、むしろ瑣末な問題である。 もちろん、数学者が関心を持とうが持つまいが、現実の数学という 学問分野と関係があろうがあるまいが、純粋に哲学分野として、 そういう物があるのは別に悪いことではない。ただ、数学の哲学 というなら他の可能性もあると思う。 美術、より一般に芸術を論ずる哲学は美学とよばれて、それは個々の作品を 論じる批評の理論的基礎をなすらしい。数学に対してそういうもの があれば真に数学の哲学の名に値するし、面白いと思うけど、 そもそも作品(数学論文や専門的著書)を鑑賞できるほどの 数学的知識やスキルのあるひとはすぐに制作側にまわってしまうので 分野としての批評も美学も実際には存在しない。仲間内の気楽な放談や 大数学者の講演などにプリミティブな形で出てくることはあるが。 ひとつ断っておくと、ここで芸術というのはあくまでアナロジーで、 数学が芸術の一部と思っている訳ではない(大数学者ヴェイユは そう言い切っているけど)。例えば数学の場合、個々の作品を 越えた、定理とか理論とか数学的対象とかいう、公共的な、 自然物に近い確実性をそなえたものがあるが、芸術においては それに似た物はない。ただ、なんらかの意味で、価値を論ずる 哲学の方が、芸術でも数学でも哲学として本筋ではないかという 点では似ていると思う。
238 :
236 :2005/10/25(火) 03:08:05
ひとつ前のレスは236の間違い
239 :
考える名無しさん :2005/10/25(火) 09:50:38
>>236 さん
非常に参考になりました。
ありがとうございます。
240 :
考える名無しさん :2005/10/25(火) 10:32:08
>>237 あんたは美学の本でも覗いてみれ。
純粋な美学(というのがもしあるとして)からすれば、
個々の芸術作品はもちろん、芸術学ですらどうでもいいようなもんだし。
価値とのアナロジーを言いたいんなら、メタ倫理を見てもいいよ。
>>236 とはいえ、3こそが、物理学者にとっては「神秘」だったりするわけで。
数学者以外にとっての数学の意味ってのはむしろ応用にある。
242 :
考える名無しさん :2005/10/25(火) 19:27:56
「論理の哲学」でビショップが紹介されていたけど…。 あの鬼のような中間地の定理の証明で支持者を一気になくしたビショップさん の本のことですか?
243 :
考える名無しさん :2005/10/25(火) 20:58:11
他の掲示板で言っている人がいたんですが、単純そうなゴールドバッハの予想の演繹的な公式が解けないのと、数学が人間精神の産物でないことの関係ってなんですか?
244 :
236 :2005/10/25(火) 23:36:27
>>240 美学の本を覗いたことはありますよ。
谷川 「美学の逆説」(ちくま学術文庫)は一応読んでみて
面白くなって「判断力批判」とか講座美学とか美学事典とか
あと、ハルトマンとかエドマンド・バークとか買ってきて
拾い読みしたことはある。ちゃんとよむのは老後かな(笑)
純粋美学はどうかしらないけど、芸術学も美学のジャンルと
して当然ある訳で、それは個々の作品の批評の基盤になって
いるのでは?
>メタ倫理
倫理はあまり関係ないのでは?
数学は真偽の問題と捕らえられがちみたいなので
一言。
もしかしたら、数学者以外のひとには分かってないかも
しれないけど、研究の現場で、正しいかどうかが
問題になることはほとんどない。
発表される物はすべて「正しい」のが
当然の前提で、間違いがあれば
指摘された方はすぐに分かって、修正するか
できなければ研究をとりさげるかということになり
論争にはならない。あ、トンデモさんは別(笑
物理などの科学ではより正しい理論が追求される訳だけど
そこが違う。
Frege の Grundgesetze のシステムを使うとゴールドバッハの予測が証明できる。
246 :
236 :2005/10/26(水) 00:01:15
>>243 演繹的な公式という意味がよくわからないけど・・・ ゴルドバッハ予想というのは6以上のすべての偶数が奇素数 2つの和で表されるだろうという命題で、意味は明瞭だけど (というかギリシャ時代の数学のレベルですでにそうだけど) まだ、証明はできてないから、真偽はわからない。 ただ、個々に数が与えられればコンピュータで確認でき 今まで反例はみつかってない、これは実験に相当する。 自然数が人間が勝手に造った物ならこんな事態は ありえないだろうということじゃないかな
247 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 00:34:12
メタ倫理てのは、倫理的価値の存在論みたいなもんだよ。 数学の哲学で数学的対象の存在論が(大きな問題の一つとして)取り扱われるようなもの。
T先生、はやく数学の哲学の教科書出してよw
249 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 09:27:59
>>248 T先生は数学の哲学の教科書を
執筆中なのですか?
250 :
243 :2005/10/26(水) 09:58:42
245さん 246さん 有難うございました
251 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 22:32:09
>>236 >上の1、2のような問題意識はその基礎にしかかかわらない。
基礎に関るなら、その上に築かれているものすべてに関るだろう。
直接は関らないからナンセンスだというのなら、それはつまり基礎の放棄だよ。
>公共的な、 自然物に近い確実性をそなえたものがある
基礎を放棄したとき、このような主張はできないはずだ。
数学の哲学を棄却するなら、その一つである数学についての認識論的主張も慎む必要がある。
普通の数学者は基礎が集合論だと考えていることが多いようだが(これは大胆な主張だ)、
ではその集合についての認識論や存在論がどうでもよいなどとどうして言える。
おそらく君達が集合論が基礎だというとき意味しているのは、単に集合論の諸公理から
数学の定理の形式化にみえるものが導かれるという程度の意味でしかないのだろうが、
それでは集合論が基礎とは言えない(それとも集合論の諸公理は自明だというのか?)。
ただ集合論の基礎は何なのかという問いが再び生じるにすぎない。
数学的対象の存在や数学的主張の正当性について日常的に語っているのは君たちに相違ない。
だというのに、なぜそれが実際の所何を意味しているのか、我々はそれをどう受け取ることができるのか
という問いがどうしてナンセンスなのか。自分の発言の意味も分からずに前へ進んでいったいどうするつもりだ。
そんなこといったら哲学だって同じ。 というか、基礎付けに成功した学問って何かあったっけ?
>>236 そうだろうな。だって、これらって数学の話じゃないからな。
証明すべき事柄じゃなくて、まさしく論じるべき事柄だからな。
でも現場の数学の研究者もこれらに関心は持ってるんだろ
うけど、そのためのトレーニングをしてないから「へー」って
感じで見てるんだろうな。その意味で
>>251 は尤もな主張
かと。
>>251 哲君の満足するような意味での「正当性」なんぞ
どの数学者も主張してないよ。
基礎の基礎の基礎の・・・と掘り下げることを言い訳に何も進まないのが哲学。
それをわかったうえで無能をカムフラージュするのに利用してる小利口な者もいるようだがね。
>それとも集合論の諸公理は自明だというのか? これはちょっとワロスな発言です。 公理は正しさを問われるようなものではないでしょう。 問われるべきは、その系からどれだけ豊穣なものが生まれるか、 そして過去の遺産がどれだけ有効に(できれば美しく、また見通しよく)包含されるか そういったことからその妥当性・適切性が判断されるだけです。
256 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 22:59:00
>>254 むしろ彼らは自分がどんな種類の正当性を主張しているのか何て考えたことも無いのだろう。
彼らは数学が正しいという言葉が持つ重大さを認識していないようにみえる。
基礎がまやかしのものだったら、そのうえの高層建築もまた壮大なナンセンスにすぎない。
高層建築に比べて地味で一見した所進歩が見えないからと言って、基礎の精査が不必要とは言えまい。
そもそも進歩がないとは私は思わないが。現代のロジックは哲学から生まれたものだ。
257 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 23:01:01
>>255 矛盾した体系はあらゆるものを生む。
あなたが豊穣と考えるものすべてを生む。
しかし、あなたはそれで満足なのか。
258 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 23:03:42
>>255 追加。
それでは、数学者たちは「数学は正しい」とは言えず、
ただ「数学は豊富だ」という価値判断しかできなくなる。
しかし、現実の数学者はそれだけ慎ましくしてはいられないようだが。
理性の限界は、脳の解剖学的所見によって、決定されちゃうんじゃないの? それを越えて行くことは、数学の哲学であっても不可能だろ。 人間には理解不可能なものがそこに在るだけ、ということになっちゃう。
260 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 23:23:42
数学者の実践について口出しする「数学の哲学」専門の哲学者って あんまりいないよな。 すぐ他分野の実践に口出しするのは悪い癖かと。
>>257 貴方が、公理が正しいか否か、というdでもな問いを発したから書いたまでです。
ところで数学の体系のどこが矛盾しているのか、指摘してもらえませんか?
まさかまたぞろゲーデルの主張を拡大解釈しているひとじゃないでしょうね?
現実の数学は矛盾のないように進展していますよ。
>現実の数学者はそれだけ慎ましくしてはいられないようだが。
むしろ逆ですよ。↑現にほれこのとおり、数学の成果にすっかり乗っかりきった環境で
イチャモンつけてくる輩がいるくらいですから。
>>256 壮大なナンセンスの恩恵をいっさい受けない環境に移住してから発言してくださいね。
263 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 23:41:06
パソコン使いながら、「数学やロジックはひょっとしたら壮大なナンセンスが…」 とかいうのはちょっと…ねw。 最近のロジックの傾向ってマジワカラン。 線型論理すらよくわからないし…orz.
264 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 23:44:12
あと、数学者以外には「応用」が関心の的で、 数学者自身は応用に興味がない云々って話があったけど…。 暗号理論のように、一番応用から離れた純粋数学の代表格だったものが 応用の最前線にきたりするわけだから、 応用がどうのこうのいっても、その後どうなるかわからんし、今ギャーギャー いっても意味ない気がする。
コンピューターの理論的基礎に寄与している(した)ような数学者には、 数学の哲学の研究を蔑む人は少ないと思うけど。
266 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 00:07:55
>>261 矛盾している可能性があるというのが私の主張だ。
現実の数学はどの意味だ?
現実の活動としての数学であれば矛盾しようがない。
集合論?それなら経験的に無矛盾なだけだろう。
「むしろ逆」以下は文意がつかめない。もっと率直に言って欲しい。
>>252 ,260,262.263
私は彼らが「数学楽しすぎww」と言うことに口を出すつもりはない。
数学は正しい、数学の哲学はゴミだ、という二つの主張を同時にするなら、
それは不整合に陥ると言っているだけだ。
数学そのものを批判してもない。ただ数学者の態度を批判しているだけだ。
数学とロジックを一緒にすることはできない。
集合論が息絶えても存続できる程度の慎ましい体系を研究するロジシャンもいるのだ。
その逆のぐんと矛盾に近い世界の住人も同時にいるがね。
267 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 00:23:30
>>265 それは違うな。
数学基礎論という名を嫌うロジシャンが多いのも数学の哲学を嫌っている証拠。
計算機方面ならなおさら。
私は此処では基本的に聴講生だが、サイバネティックスを中心に展開すれば、哲板の人気司スレになると思うぞ。
>数学は正しい、数学の哲学はゴミだ、という二つの主張を同時にするなら、 >それは不整合に陥ると言っているだけだ。 私だって、数学の哲学はゴミだなどとはひとことも言ってないし、思ってもいないですよ。 ただ、上の2行については、どうしてそう言えるのか理解できませんが。 私には、肯定も否定もできない見解です。 数学者が外部の人に公然と主張する正しさ、たとえば 上の方で研究者が正しいのがあたりまえ、と言ってるときの正しさとは、 公理からの演繹過程の全てのことです。 で、公理はそういう意味では正しさを問うようなものではないわけです。ですから、 繰り返しますが、公理が間違ってたらその上の建造物はナンセンス、などというのはそれこそナンセンスです。 正しいのがあたりまえなのは、その建造のされ方 なのです。 数学者が個人的に感じている数学に対する信頼の源泉は、 もちろん上記の意味での構造の堅牢製の他にも、物理現象その他で露わになる 自然と数学との驚異的な整合(これについては、そもそも科学というものが数理の眼鏡で物を見ているから当然 というひともいますが)や、主観的に感じる予想外の美しさなどがあります。
少なくとも
>>236 の主張点は
>(
>>136 の1-3については)もちろん、
>数学者が関心を持とうが持つまいが、現実の数学という
>学問分野と関係があろうがあるまいが、純粋に哲学分野として、
>そういう物があるのは別に悪いことではない。ただ、数学の哲学
>というなら他の可能性もあると思う。
なので、これについて議論しましょーや
(無論、
>>251 の様な論点・議論は「別に悪いことではない」)。
数学において批評とか美学に相当する分野が確立されていない原因は何だろうね。
現時点では、数学はあからさまに未踏の部分が多すぎて、まるで成熟してないからかな。
だとすると数学という学問の性質上、半永久的に確立し得ない気がする。
271 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 00:54:30
つうか、普通の数学屋がやってんのは美学だろう。 「エレガントな解答」とかさ。
272 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:03:10
>>271 美学はともかくとして、どうしてその例が「エレガントな解答」になっちゃうの?
中学生か高校生なら、そう思うのも無理ないけど。
273 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:07:26
アドルノ嫁
274 :
236 :2005/10/27(木) 01:18:43
いやー、熱くなってきましたね(喜)
とりあえず
>>251 にだけレスを返すと
数学のかなりの部分は、何百年も今のような基礎づけなしで
やってきて、述べ方を除いてはほとんどそのままで正しい。
例えば上にも書いたように、ゴルドバッハ予想を正確に定式化
するためには、古代ギリシャの数学で事足りる。
それに基礎というのは作り替えることができる:直観主義の
ようなかなり極端な態度を取っても、解析学のかなりの部分まで
展開できるらしい(あまり詳しくは知らないが)
哲学者なら、基礎づけというのも一種の構築だと考えたことは
ないのかな?すくなくとも新たな言説をどんどん生産している
訳だし、実際、物理学の基礎は素粒子論だろうけど、その
最先端の理論がいかに論争的であいまいか?それに基礎づけ
られているはずの古典物理学の正しさ実際にはゆるがない。
だいたい数学全体が、集合論や論理などの基礎の上に構築されて
いるというのは(我々)数学者の言ってる約束事な訳で、
哲学者自身でそれを検証しなくてもいいのかな(笑)
・・・というようなのがこれまた哲学的談義だということは
分かってるつもりだけど。
275 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:22:26
>>269 公理からの演繹過程といっても、
実際に例えばZFCにおける形式的証明を書く数学者はいないし、ロジシャンだってそんなことはしない。
ある種の分野ではZFCでは補いきれないほどのでっかい対象を扱うだろうが、
そこの住人がその論理学的正当化を自分ではできない場合も多いのではないか。
公理の正しさという言葉が意味を成す解釈もある。
集合論の公理が正しいとはそれを満たす対象(集合)が実際に存在することだ。
つまり、モデルを持てばよい。一階の理論では、これは無矛盾性と同値である。
無矛盾性が当たり前だとは言わせない。この意味で正しさを捉えるならば、
集合論の公理が間違っていたら集合論は矛盾しているのだから、集合論内で何を証明しようが無意味だといえる。
あなたは、公理が矛盾していても演繹は正しいのだから、そのうえの結果(建造物)は無意味ではないと主張するのか?
たぶんそうではないだろう。しかし、だとしたら何なのか。
問題は、集合論のモデルを別の理論内に作ることはできても、無条件的にモデルを持ってくることはできないことだ。
この現実の物理的世界における存在と集合論の公理に現れる存在を同一視する向きもあるが、私はそれは好かない。
一方的な信頼が悲惨な結末に至ることは別段珍しいことではない。
カントルの楽園は事実崩壊した(大部分は救出されたとみることはできるが、みないこともできる)。
美しいから存在する、などというような飛躍は二次元オタクでさえしない。
数学者は存在や正しさを軽く見すぎている。そのために数学の議論ではしないようなとんでもない飛躍を平気でする。
確かに空集合は存在するのかという問いにどうすれば答えたことになるのかさえ、我々には明らかではない。
だからといって、それについて有意味な議論ができないわけではないことは、数学の哲学を学べば分かることだ。
276 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:23:24
数学屋が物理語ると笑われるよ
277 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:26:04
戯言は無意味かもしれないものによって成立している生活を捨ててからにしろ
278 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:26:57
おれはM理論の専門家だから
279 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:32:41
存在の正しさを云々するのは無能を隠すのに便利なんだよ とりあえずそれですべてをまぜっかえせるからね
280 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:44:57
そもそも、数学なくしてパソコンはありえない という命題は 哲学的には証明されていない。
281 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:46:14
稀に見る良スレ。 今、院生でこの辺やってる人多いから、 10年後くらいは結構、日本でも盛り上が ってる思うよ。
282 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 01:54:39
>>274 私の主張の何に反論し、何を主張しているのか残念ながら汲み取れない。
直観主義数学と今の議論がどう関係あるのか。たぶんビショップのものを言っているのだろうが、
そこで普通の数学のほとんどがそのままの形で再現できると考えているなら、それは違う。
たとえば中間値の定理は成り立たない。(その直観主義的バージョンが成り立つにしても。)
数学の正しさが物理学の正しさと同等だというなら、私はそれで構わないが、そうではないと感じる数学者は多いはずだ。
私はここでは哲学の側に立つが、哲学者でも哲学徒でもない。数学には基礎付けが必要だとも考えてはいない。
数学の定理の解釈学に哲学的な面白みはない。数学を理解する哲学的傾向の強いロジシャンは大勢いたが、
彼らがそれをしなかったのは、それゆえだろうと私は思っている。
283 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 11:21:14
「厳密さは時代の関数」 これは実際にある高名な数学者が基礎論についていった言葉。 おれも同意だなー。
>>283 そういうのは一流の数学者にだけに許された言葉だな
倉田令二郎さん?
286 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 20:09:29
>>283 はアティヤが小平さんに言った言葉。
小平さんが、「基礎論に興味ありますか?」ってきいたらそう返したみたい。
つまり、基礎論なんかどうでもいいってことなんだろ?
当時ならすでに厳密性と基礎論は関係ないだろう。 勉強したことも無いくせに口出すとは阿呆だな>あちや
>数学の正しさが物理学の正しさと同等だというなら、私はそれで構わないが、 >そうではないと感じる数学者は多いはずだ。 数学をする人の多くは、 そもそも『数学の正しさ』なるものを深く吟味した事はないだろうし、 する気もないと思う。 極少数の「『数学の正しさ』を深く吟味した人達」の中での割合で言うのならば、 敢えて物理学と比較し、その上で「数学の正しさと物理学の正しさは同等」とする人が 多いのか少ないのかは不明。 俺個人の意見としては、 数学において何が正しいかは厳密に言えば人に依るだろうし、 しかもその判断基準も完全に明確なものではないだろうし、 また時代にも依ると思う。
ここもそれっぽいね
291 :
考える名無しさん :2005/10/29(土) 02:58:28
また出たよ馬鹿
292 :
236 :2005/10/29(土) 03:33:56
>>251 =282
というか、251は微妙に的をはずしてるので・・
反論というよりむしろとりとめないコメントのつもり
できるだけそっちの話題にあわせようとはしてるつもりなんだが
論点がありすぎなんで、ぼちぼち書いてみるかな。
まず質問から。
最後の
>数学の定理の解釈学に哲学的な面白みはない。
>数学を理解する哲学的傾向の強いロジシャンは大勢いたが、
>彼らがそれをしなかったのは、それゆえだろうと私は思っている。
1.ここは全くわけがわからん。解釈学なんて一言も持ち出したつもりはないが確認すると、ガダマーなんかのドイツ系哲学のことだよね?確かに美学との関連は深いのだろうが、ここでの話と関係あるのかそれとも単に”哲学的解釈”という意味か?
2.”数学を理解する、哲学的傾向の強いロジシャン”というのもわからない話だ。有名人でたとえばどんな人がいる?
3.ロジシャンというと、数学サイドと哲学サイドに分かれると思うが数学サイドにしても、あれはかなり特殊な分野で、ロジック以外の数学にはあまり興味を持ってない人が多いのじゃないかな。竹内外史とかコーエンは別だろうが
4.ロジック(集合論を含む)をやっている数学者に哲学的傾向が強いのも数学の哲学者が関心を持っている多分唯一の数学分野がロジックであるのも割と常識に属する話で、それは私も知っている。
5.でもどちらにしても、4.の人たちの哲学のイメージは分析哲学だと思うので、解釈学とか美学にはもともと関心がないと思うのだが
7.ここではむしろ、それ以外の数学の話をしようとしているのはわかるよね。ロジック以前にもかなりの数学はあったし、何人もが書いているように現在でも多くの数学者はロジックの専門家ではない。
改行が多すぎるとビューアーに怒られたから書き直した。読みにくかったらすまぬ
293 :
考える名無しさん :2005/10/29(土) 14:22:46
Douglas_Miyamotoって人、もうここには来ないのかな…
294 :
考える名無しさん :2005/10/29(土) 14:24:02
>>292 >1 哲学的解釈の意味で書いた。
>2、3 創始者のフレーゲは生涯社会的に数学者であったし、ラッセルも初期はそうだった。
他にも古い人でヒルベルト・ベルナイス・ワイル・ブラウアー・ゲーデル・タルスキなど。
もう少し最近のひとになると確証はないが、
マクレーンは基礎論の復興を唱えたという意味で哲学的傾向が強く数学の理解は言うまでもない。
理解しているの程度にもよるだろうが、一流のロジシャンで数学を知らない人間は稀だろう。
学部レベルの数学は色々な所で必要になる。それに日本でいえばロジシャンは大半が数学出身だ。
5については、まさにそういった事実が数学の美学のつまらなさをあらわしていると思うのだが、
それは私にとってはどうでもよい。こういった不毛な話題にこだわるよりも、
あなたが欲する数学の美学とはどのようなものなのかを具体例で教えて欲しい。
295 :
考える名無しさん :2005/10/29(土) 14:25:14
>>289 深く吟味もせずに数学は正しいといっているのだろうな
296 :
236 :2005/10/29(土) 17:58:21
>>294 ・・ヒルベルト、ワイル
その人たちは、むしろ論理や哲学に関心のある数学者ですね。
美学に関係のある著作としては、ワイル ”シンメトリー”
が有名です。美術などにおけるシンメトリーと群論を論じていた
ような気がする。若いころちょっと眺めた程度だが、もう一度
見て見ようと思う。
実は幾何学なら美術や建築学の方面から結構論じられている。
また、音楽では音階論とピタゴラスが有名だ。
こういった分野は感覚と関係があるので通常の美学で論じられる。
しかし、近代数学の大半は感覚とはあまり関係がないにも
かかわらず、数学者は美についてしばしば語り、わたし自身も
それが自然なことだと思う。そこでの”美”とは一体何なのか
考えるのは面白いのではないかと思っている。
近代の美学は感覚と密接に結び付いたものしか論じていない
ようにみえる。勉強不足で確かなことは言えないが
プラトン辺りまで戻らなければ適切な枠組みはないかもしれないが
297 :
考える名無しさん :2005/10/29(土) 18:53:29
つうか、美学(aesthetics)つうのは もともと感覚(aesthetis)の理論なんだけど
298 :
考える名無しさん :2005/10/29(土) 18:56:50
つづり間違えたorz aesthasis
299 :
236 :2005/10/29(土) 19:18:24
ところが、プラトンは例のごとくイデアで考えるので 感覚の底に美のイデアがあると考えている。たとえば 人間の行動の美なども考察に含まれる。だからそこまで戻らないと と思った。
300 :
236 :2005/10/29(土) 19:32:29
>>公共的な、 自然物に近い確実性をそなえたものがある >基礎を放棄したとき、このような主張はできないはずだ。 >数学の哲学を棄却するなら、その一つである数学についての認識論的主張も慎む必要がある。 このあたりはちょっと舌足らずで誤解を招いた。 その上で芸術との類似を強調し過ぎたので芸術との違いを 述べたつもり。数学は学問のひとつなので公共的な論議の対象に なるのは考えて見れば当然のことだ。ここではむしろ 作品としての表現上の形式的な違いに注目しているので、 存在論や認識論はパスできるはず。数学的対象が客観的実在でなく社会的構築物(ちょっと笑)であったとしても この議論は成立すると思う。
301 :
考える名無しさん :2005/10/30(日) 01:30:16
「感覚の底」て何なんだか
302 :
考える名無しさん :2005/10/30(日) 01:32:34
チューーリングマシンの定義くらいかけるんだろうな?
303 :
考える名無しさん :2005/10/30(日) 01:33:30
出たよ低脳
数学はどんどん抽象度が上がってるのに、 なんで哲学はどんどん抽象度が下がってるんだろ。
305 :
フィロマスわたる :2005/11/02(水) 09:26:05
数学とは波だ、 そして人はその波にのるサーファーだ、 俺はその波に逆らうつもりはない、 だが 押し潰されるつもりもない!
307 :
考える名無しさん :2005/11/02(水) 23:41:52
308 :
考える名無しさん :2005/11/03(木) 00:01:39
確率微分方程式について数式を使わないで、 猿でも分かるように教えて下さい。
猿には分からないから諦めろ。
310 :
考える名無しさん :2005/11/03(木) 00:38:44
確率微分方程式について数式を使わないで、 人間に分かるように教えて下さい。
世界の工場
312 :
考える名無しさん :2005/11/03(木) 01:06:44
すいません。 もう少し詳しくお教えいただけませんか。
313 :
考える名無しさん :2005/11/03(木) 12:31:47
314 :
優良サイト紹介 :2005/11/03(木) 15:43:16
315 :
考える名無しさん :2005/11/03(木) 16:48:14
「数学基礎論」と「数学の哲学」は同じものですか?
316 :
考える名無しさん :2005/11/03(木) 16:52:34
>>315 同じじゃないよ。
「数学基礎論」はゴミ。
「数学の哲学」はクズ。
基礎論は数学の領域、数学の哲学は文字通り哲学の領域、だが両者は接している。
ユダヤの文化にはなんでも飲み込む無限だけがあり本質論がない 本質を志向しないのなら、もうそれは数学ではないというキガス
319 :
おもしろいエッセー :2005/11/05(土) 10:07:42
_,,;::-―ー-:;:,,、 /'''''' '''''':::::::\ |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::| | .:"ー=〓=-'`:::: | \ `ニニ´ .::::::/ ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、. : | '; \_____ ノ.| ヽ i | \/゙(__)\,| i | > ヽ. ハ | | いや、線形代数は代数にカウントできない。 明らかに解析への応用用途に特化してるわけで、 行列・行列式の計算の ためにやってるだけだから。 線形空間と群は捨てて申し訳程度にやるだろ。
321 :
:2005/11/06(日) 17:01:56
今、気分が乗らないな。
322 :
考える名無しさん :2005/11/06(日) 21:31:52
12月9日に、ちくま学芸文庫から ヒルベルト著 中村幸四郎訳『幾何学基礎論』 が出る。 ついでに同日同レーベルから 佐々木 力『数学史入門 ―微分積分学の成立』 も出る。 で、11月22日に、岩波文庫の デーデキント/河野 伊三郎 訳『数について』 が復刊される。
くだらねーなw
>>322 デーデキント『数について』が復刊ってマジ?
群の概念も知らんのか?
326 :
考える名無しさん :2005/11/08(火) 14:05:42
リーマン・ロッホの定理くらいは勉強しとけ。
そのパターンとっくに飽きられてるのにまだ気付かない?
いつもこんなとこ覗いてる馬鹿がいるようだなw
またも負けたか松本真吾
ウキェキェキェ
332 :
考える名無しさん :2005/11/09(水) 13:50:19
./ \ -==-∵-==- | .>ノ(、_, )ヽ、.| __! ! -=ニ=- ノ!___ /´ ̄ ̄ .|\`ニニ´/ `ヽ いや、線形代数は代数にカウントできない。 明らかに解析への応用用途に特化してるわけで、 行列・行列式の計算の ためにやってるだけだから。 線形空間と群は捨てて申し訳程度にやるだろ。
333 :
考える名無しさん :2005/11/30(水) 14:02:04
ljx
数学は演繹体系であるので、既知情報で上からおさえられることがない。 そのような未知情報への可能性は、人間をわくわくさせる。これが数学が面白い理由である。
335 :
考える名無しさん :2005/12/12(月) 13:16:57
みんなあの東大生のブログ読んでるんだなあ。
>>335 何それ? 少なくとも俺は存在すら知らない。
自演かもしれんが誘導してくれないか?
演算子がポイント
俺もわからん 結局みんな読んでないってことでFAだね
339 :
考える名無しさん :2005/12/12(月) 20:47:46
所詮数学なんて概念の世界での話でしかないわけだ。 つまり、人間の産物。 数学の哲学なんてのはないだろ。
340 :
考える名無しさん :2005/12/12(月) 22:08:00
はたしてそうかな?
>>339 は哲学という言葉の意味自体を取り違えている。
./ \ -==-∵-==- | .>ノ(、_, )ヽ、.| __! ! -=ニ=- ノ!___ /´ ̄ ̄ .|\`ニニ´/ `ヽ
>>335 あいつかw
勉強してるプロセスがわかって面白いなw
344 :
考える名無しさん :2005/12/13(火) 11:57:03
345 :
考える名無しさん :2005/12/13(火) 19:53:26
>>341 では、あなたは哲学という言葉をどう取っているのですか?
346 :
341 :2005/12/13(火) 22:55:44
>>345 数学の哲学と言われる場合、主に分析哲学や科学哲学という意味で「哲学」という。
言語の理解される理由、そしてその言語がうまく共通の認識を伝える理由の研究としては、
人工的な言語である数学の記号、がどのような体系をなすかという点で数学の哲学と言える。
たとえばラッセルやゲーデルの業績を見れば一目瞭然だろう。
また、科学対象の予測が事実と合致するということはどのような理由によるものか、という科学哲学の態度も、
数学の哲学として欠かせない要素である。
数式で表された事実の写像が、事実の予測を立てことに成功しうるのか、
またそれはどのような写像の取り出し方なら事実と近似をもてるのかという研究だ。
要するに、数学の哲学とは
>>339 のいう「所詮数学なんて概念の世界での話」「人間の産物」にすぎない数学が、
なぜこれほどまでにうまく機能するのかという知識と論理の再構成を試みる分野だといえる。
347 :
341 :2005/12/13(火) 23:01:44
書き忘れた。 つまり、「数学自体がまやかしであるのならば、数学の哲学なんて存在しない」のではなくて、 そこに数学らしきものが機能している限り、それに対する裏付けという意味での哲学は必ず存在する。
348 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 00:07:55
>人工的な言語である数学の記号、がどのような体系をなすかという点で数学の哲学と言える。 どこが? やっぱり数学の哲学ってのはなんか違うような気がする 哲学じゃなくて単純に分析学じゃない??
>違うような気がする かよw
350 :
考える名無しさん :2005/12/14(水) 15:44:46
ごめそ、自信ないんです
哲学ってのは似非数学みたいなもんだろ。
來たついでにageとくかw
ありゃ、失敗。今度こそage。
また来たのかね?
10 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 2005/12/17(土) 00:45:16
哲板で自分のことを知っている人を対象にしているから、
宣伝はやらなくていいでしょ。
たまに俺のスレを覗いている人だけが発見できる。
あと、この板を作った直接のきっかけは、哲板の投稿規制。
ここだと誰に気兼ねすることもなく、自分に放言できる。
諸君も存分にやってくれたまえ。
俺は管理人の立場には立たないから、ここでは。
あと、
>>4 のカントに対する批判は、そのままドイツ観念論の
哲学者たちが唱えたことだよ。カントは、理性の批判において、
ある分裂を露呈してしまった。簡単に言えば、理論理性と実践理性の
分裂なのだが、これを統一的に論ずることは終生なかった。
ドイツ観念論者たちの仕事はだから、カントの理性批判の諸結果が、
一つの根源的原理から演繹的に引き出せることを示すことにあったのだ。
周知のように、スピノザとライプニッツは、ともにそうした統一的な 原理を所有していた。だから、カントに逆らって、 これらの哲学者に回帰する必要があったわけだ。 そのためには、現象と物自体という分裂、あるいは二元論も克服されねば ならない。「超越論的」の意味はまた別の機会に論ずるが、 ドイツ観念論者たちのこの言葉の意味の解釈は面白いよ。 諸君が望むのなら、ドイツ観念論者の著作を扱ってもいいが、 ポール君とやっていたシェリング・スレが中途半端に終わったので、 あれを復活させてもいい。 だが、やるとしても年明け、二月の初め辺りからだな。
せっかくなので、 君らの新着レスつけとくよ
358 :
考える名無しさん :2005/12/24(土) 00:48:57
ちくま学芸文庫で始まった科学書のシリーズで、 ブルバキの数学史を復刊すればいいと思う。
>>358 実現しても分量的に分冊になっちゃうんだろうな。
360 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:14:19
2006年初め
361 :
考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:58:46
ヘルマン・ワイルの『シンメトリー』さえ品切れ状態とは、、トホホ
おまいらアタマ悪すぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
363 :
↑ :2006/02/14(火) 16:19:53
↑頭悪い者の例
364 :
Douglas_Miyamoto :2006/02/27(月) 16:55:08
久々に来てみたが、何も進展がないようなので また去ることとしよう
俺はお邪魔者だが、岡潔ってどうよ?
366 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 23:04:09
上空移行の原理を知らんようだなw
何?
何かな?
370 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 08:23:00
お前ら数とは何かがわかってるのか? 話はそれからだ。
悪いラッセルが1+1=2だと証明した方法はなんだったんだっけか
373 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 14:46:22
調べてないが、1個だけの要素を持つ集合Aと集合Bについて、 もしそれらの積集合が空集合なら、それらの和集合は2個の要素を持つ、 とかだろうか?
374 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 14:47:38
>>372 「悪いラッセル」と「善いラッセル」という2人のひとがいるのか?w
375 :
考える名無しさん :2006/03/15(水) 17:07:19
376 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 09:44:08
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)
おまいらアタマ悪すぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
378 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 20:33:05
●●●●● 1+1=1 ●●●●●
380 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 21:17:20
そもそも数学は二律背反をもっぱらにする論理学の一分科で哲学 の孫分科にすぎない。
381 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 21:21:23
やってしまうわけでないなら哲学なんてとっととやめて、数学やった方がいいと思う。
| | | | | ! | | | │ 〈 ! | |/ノ二__‐──ァ ヽニニ二二二ヾ } ,'⌒ヽ /⌒!| =彳o。ト ̄ヽ '´ !o_シ`ヾ | i/ ヽ ! ウホッ! いい数式・・・ ! ハ!| ー─ ' i ! `' '' " ||ヽ l | | | /ヽ! | |ヽ i !
384 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 09:12:49
数学は全て妄想
馬鹿にとってはそうとしか見えないだろ
>そもそも数学は二律背反をもっぱらにする (・∀・)ナニコレ?
388 :
考える名無しさん :2006/04/14(金) 23:58:18
|i___∩ | ヽ、 / ヽ |-=・=- -=・=| | (_◎_) ミ | |∪| ノ | ヽノ i ミヽ_ / |ヾ /
あげ
390 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 09:55:54
数学は基本的には認識の理論である。
391 :
考える名無しさん :2006/04/22(土) 14:39:19
自然数と四則演算の関係について哲学的に語ってるものがあれば教えてください
392 :
考える名無しさん :2006/04/22(土) 14:54:13
池田晶子
393 :
考える名無しさん :2006/04/22(土) 22:37:14
竹田せーじ
分析的減法は証明になるの?
>>394 自分で判断しろ。
それができないなら数学に手を出すな、
意味も無く、意見しているんだろw?
397 :
考える名無しさん :2006/08/06(日) 02:52:56
age
398 :
考える名無しさん :2006/08/06(日) 06:00:25
日本では哲学は文系だから全滅だな。
399 :
考える名無しさん :2006/08/06(日) 14:43:30
文系・理系なんて区別を採用してるのは日本と朝鮮くらいじゃないか
400 :
考える名無しさん :2006/08/06(日) 15:30:40
理系なんて数学を知らん奴ばっかだろw
402 :
おもち :2006/08/07(月) 01:45:36
「自然無数四則演算無理」作者てんねん ⇔てんねんが「のんびりと自然をながめる方法」を撤学。 本来「数が無い」事が見えてくる。 作者はあなたです。
文系はしってるのか? 数学的に証明してくれ。
404 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 06:25:49
405 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 06:29:03
社会科学はSciencesに分類されている
406 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 06:33:39
知りもせずにウソと決め付ける。 これぞ哲板クォリティwww
407 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 10:15:48
経済学・社会学・政治学はHumanities/Scienceの分類においてはHumanitiesに 分類されています。社会「科学」は単なる自己主張で理系の科目ではそんな 主張は認められていません。
408 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 10:21:53
論点のすり替えじゃない? そもそもは、理科系・文科系の二分法が海外でも採用されているか、が争点だったはず。 それともすり替えに気づかないほど低知能な人?
409 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 10:39:46
北米の大学では文系・理系なんて二分法は採用してないよ。 欧州の状況は知らない。
410 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 10:49:47
日本でもそんな区分は制度上は厳密には存在しませんよ。あくまで科目の配点に 学科ごとに違いがあるだけ。これは欧米でも日本でも同じ。ていうか日本は国語 ・数学・英語が文系理系に関わらず必須。その意味では欧米のほうが二分法を採 用している。
411 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 10:54:09
文一とか理三とかって言葉知ってる?
412 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 11:11:51
413 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 11:29:25
また予備校生レベルのいがみ合いかw バカ同士なら、せめて仲良くしろよ
414 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 16:42:16
教科書の簡単な練習問題も解けない奴に限って、数学の「哲学」を語りたがるw
415 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 17:13:13
ねえねえ数学って自分たちで前提とルールつくって どういう結果がでるか楽しんでるだけでしょ? 野球とかと同じじゃね?
416 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 19:15:27
文系の典型的な数学学習法 定義、定理、公式を覚える。典型問題の解法を覚える。 理系の典型的な数学学習法 定義、定理、証明を論理的に理解する。直感的な把握力を磨く。 両者の数学像は正反対(暗記物vs.考え方そのもの)
両方重要だろ。 というか、数学好きなひとは暗記しようとか思わなくとも 勝手に暗記してしまう、 言い換えれば「理系」のひとは「文系の典型的な数学学習法」は 意図せずに遂行してしまってるんじゃね。 小平氏が若い頃代数学の本を何度も繰り返し読んだ経験から 暗記と理解の関係について語ってた気がするな。
数学を知らんようだな
419 :
考える名無しさん :2006/08/07(月) 22:57:04
書き込みを見ればそいつの数学力がよくわかる 評論家(ランク外)の奴らが大多数を占めているのは哲板の特徴だな
いっぽう数学板は実名中傷の嵐だな。暗い情念がうずまいてをる。
俺の数学力を判定してよw >定義、定理、公式を覚える。 >定義、定理、証明を論理的に理解する。 つまり「理系」のひとは証明されうることは わざわざ覚えないでその場その場でいちいち証明するってこと? あと「直感的な把握力を磨く」ってなんか凄そうだけど、 具体的にはどうしてる?
422 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 01:05:29
>>421 > わざわざ覚えないでその場その場でいちいち証明するってこと?
正しい命題と正しくない命題を直感的に判別でき、証明しろといわれたら
証明できるってこと。頭のなかではイメージで考えていて、必要なときだけ
文章に変換する、というほうが判りやすいかな。
将棋や囲碁で、ある程度力がついたら、手筋を逐次的に分析するのではなくて
瞬間的に脳中に浮かぶのと一緒。
> あと「直感的な把握力を磨く」ってなんか凄そうだけど、
> 具体的にはどうしてる?
具体例の考察、問題演習、定理のバリエーション考察などなど…
要するに普通にお勉強すればいいってこと。
ちなみに全然凄くないです。
凄い人は本を読んで理解するのではなくて、本の内容の大部分を
自力で考えますから。
もう少し確認したい。 >典型問題の解法を覚える。 >直感的な把握力を磨く。 「直感的な把握力を磨く」を詳述すると次のようなことだとされたわけだけど。 >具体例の考察、問題演習、定理のバリエーション考察などなど… >要するに普通にお勉強すればいいってこと。 「具体例の考察、問題演習」に「典型問題」は含まれると思うんだがそれでいいのかね。 「理系」と「文系」の差がバリエーションの量的な差になってしまうように思うんだが。 >将棋や囲碁で、ある程度力がついたら、手筋を逐次的に分析するのではなくて >瞬間的に脳中に浮かぶのと一緒。 これはむしろ精確ではないぼんやりとした「暗記」の一例のように思えるんだが。
424 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 01:44:25
>>423 > 「具体例の考察、問題演習」に「典型問題」は含まれると思うんだがそれでいいのかね。
> 「理系」と「文系」の差がバリエーションの量的な差になってしまうように思うんだが。
数学が得意な人、好きな人は、典型問題とか解法パターンの修得とか
いう考えがないんですよ。問題演習は、ウンウン唸りながら考えることに
よって「何か」を掴みとるための手段なんです。この「何か」の積み重ねが
精密なイメージにつながるんですね。
また、一度解いた問題の解法は忘れてしまっても構わない、というよりも、
忘れてしまう方がよい。なぜなら、日を改めて解き直したときに別の
「何か」を掴み取れる可能性があるわけですから。
> これはむしろ精確ではないぼんやりとした「暗記」の一例のように思えるんだが。
数学であれば概念操作、将棋や囲碁であれば盤面操作を行うわけですが、
数十ステップ先、数十手先までを瞬間的に読み切る能力は、定理や定石を
覚えるだけでは得られないでしょう。
425 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 02:40:32
なにこの算数スレw Heijenoortくらい嫁よw
算数? 神秘主義とか宗教とか言うならわかるけど。
427 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 05:36:40
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;; {;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; 数学は暗記物 ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙ `Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> そんなふうに考えていた時期が ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f 俺にもありました ~''戈ヽ `二´ r'´:::. `!
428 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 11:33:49
だから暗記物とかじゃなくて 野球と同じじゃね?
429 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 12:10:54
勉強法なら子ども電話相談室とかで訊いたらいんじゃね?
430 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 12:40:01
おめぇもバカだな。 勉強法なんて聞いてねえだろ。 自分たちで前提とルールつくって どういう結果がでるか楽しんでるだけなんだろ?っつってんの。 直感なんて長嶋がすげぇってのと同じじゃね?
数学における公理や定理や証明は 野球では何に相当すると思う?
ごめん訂正。 数学における公理や定理や証明は それぞれ野球では何に相当すると思う?
知らんがな
学校数学や受験数学は「真の数学」じゃないんだよ
435 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 13:57:40
じゃあ真の数学ってどんなもんなの?
物理世界を探求すれば数学の何たるかが見えてくるだろう。 数学の本質は物質界の崇高な構造に反映されているのだよ。
437 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 14:06:19
おめぇもバカだな。
438 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 14:12:16
>>434 だからどんなもんなんだよ。
言えねえのか。逃げんなよ。
439 :
吉 :2006/08/08(火) 14:15:39
1+2+3=6、1*2*3=6、6は完全数、6を含むすべての関連式及び、数学は完璧ではないか?
>>438 お前のような人間に教えられるわけないだろw
まず、まともな教養と人格を身につけたらどうだ?
441 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 14:56:37
数学がわからない人間の劣等感を哲学します
442 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 15:33:10
>>440 逃げるなっつったろ?
それともなにか、
自分でもわからねえくせして
「真の数学」なんてもん持ち出して
人をだまそうとしてたってことか?
おめえこそまともな人格が必要なんじゃねえの?
ほんっとバカだな。
443 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 15:36:03
数学は数学じゃんw あっ、数学がわからないから卑近な例え話を求めているのかww
444 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 15:51:19
>>443 これでおめえがバカだってことがよーくわかったのは
おれだけじゃねえだろうよ。
スレ違いかも知れないんですが、compactness theoremとTyhonoff's theoremについて誰かコンパクトに解説していただけないでせうか。
446 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 16:18:49
位相空間の大抵の教科書にはわかりやすい証明が載ってるはずだけど、何がわからないの?
447 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 17:23:52
この分野は知らん。数学をどう哲学できるんだ。
448 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 17:57:35
>>447 数学は野球と同じ。
自分たちで前提とルールつくって
どういう結果がでるか楽しんでるだけ。
公理とか証明とかに囚われてるうちは数学の本質など理解できんよ
450 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 19:21:19
なにこの莫迦スレw
451 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 19:31:27
自分の旗色が悪くなるとあっさりバックれるようなのに限って 「逃げるなよ」とか言い出す法則
452 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 20:11:45
あのー。数学を哲学するお手本を見せてください。
453 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 20:27:05
数学の哲学には標準的なリーディングス本が存在するので お手本を見たかったそれを読むというのが世の常識です。
454 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 20:38:27
何かお題、プリーズ。
455 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 20:43:30
456 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 20:45:17
数学がわからない人の数学論を眺めてプププと哂うのが趣味です
457 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 20:48:39
所詮、哲も数も良く分かってない奴ばっかりってことで、おk
458 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 20:51:33
科学の哲学の場合だと科学的実証とは何ぞやという認識論になる。当然100% の科学的証明なぞ存在しないので哲学の入り込む余地がある。 統計は別として数学の証明に99.998%証明なんて存在しない。だから哲学する 余地なんてあるのか疑問。
459 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 21:05:53
> 科学の哲学の場合だと科学的実証とは何ぞやという認識論になる。当然100% > の科学的証明なぞ存在しないので哲学の入り込む余地がある。 スレ違い気味だけど、どうやって入り込むの? 哲学が介在しても99%が100%になるわけないでしょ。
460 :
おっさんの愛弟子キボンヌ ◆Fmd2B6wtag :2006/08/08(火) 21:12:28
>>459 そうですね。それでは全てが解決してしまいますからね。
100%解決しないから、数学も哲学も常に進歩するのですよね。
物理を知らないと数学の本質など見極めようがない
462 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 21:46:45
学校数学やお受験数学は「数学」じゃないからな。
463 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 21:54:04
>>461 数学はフィクションだ。
この世はものの集まりなりけり。
寧ろ、数学を知らないと物理学の本質など気極めようがない。
物理の本質って何なんですか?
数学を哲学する余地か。 たとえ洗練されていても、 非形式的で直観的な数学は曖昧さや不十分さに晒されるから、 内容から形式へと視線を向け変えさせる余地はあるらしいよ。
466 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 22:16:11
>非形式的で直観的な数学 なんじゃそりゃ。「何でって」聞いたら「どうしても」て答えるようなもの それじゃあ数学にならんじゃろ。
467 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 22:16:23
数学がわからん奴の数学論は空疎だなw
いやそんな極端な例じゃなくってね。 とりあえず詳しくは CiNii で著者名: 岡本 賢吾 で検索して 「算術の言語から概念記法へ(1) : フレーゲの初期の体系をめぐって」 にでも目を通してみてよ。
469 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 22:25:05
哲学の数学的基礎付け(通称:哲学基礎論)の議論はこのスレでいいですか?
470 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 22:27:04
数学に哲学が混入すると言葉遊びに堕落するでしょう。
471 :
でカルト :2006/08/08(火) 22:27:40
哲学と数学は永遠にパラレル
472 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 22:31:30
哲学なんてとっくにオワットル
473 :
考える名無しさん :2006/08/08(火) 22:39:59
哲学は言いっ放しだからな〜 哲学の主張なんて、実験や観察で検証・反証もできないし、 ましてや、前提条件に基づいて証明することもできないでしょ。 哲学は学問じゃなくて文芸だってことを忘れちゃいかんよ
いいかい?哲学ってのはつまり要するに釣りなんだよ。 釣られる奴は釣られるし、釣られない奴は釣られない。 釣りと同じで釣られる側には何のメリットもないんだ。
まあ哲学に限らずあらゆる活動が釣りだとも思うけどね。 もちろん数学も。 まあたいていのひとは釣られてると分かってて あえて釣られてるんじゃないの。
数学は決して釣りなんかじゃない。万人にとって有益だから。
きみは有益さに仕える信者なんだね。
なに言ってんの?
まあいいんじゃないかな。妄想がひとを幸せにすることもあるし。
有益さに仕える信者って何だよ? 人間の言葉じゃないなw
統語論でも勉強したら。
そんな態度だから哲学者はバカにされるんだよ。 俺様天才っていうだけなら誰でもできるな。
数学が釣りのわけねーだろw
ん? 俺様天才なんていったっけ? たいていのひとが分かってることを きみは分かってないだけじゃないの。
たいていの人が分かってることって何? もっと具体的に書いてくれないかな?
わかった。 なんらかの価値を積極的に主張するためには それこそ正当化できない直観に訴えなければならないわけよ。 でもそのたぐいの直観はしばしば対立するでしょ。 それでもひとは自分の直観を一般化しうるとは限らないと自覚しつつも その直観に基づいて生きるしかない。 ところで数学は万人にとって有益だ、なんて主張は 自分の直観が絶対的に正しいってことが独断だってことに気づいていないか 自分の直観を他人に押し付けているかのどちらかで、 どちらにしても褒められたことじゃない。
487 :
考える名無しさん :2006/08/09(水) 00:21:44
>>486 > ところで数学は万人にとって有益だ、なんて主張は
主張ではなく事実
488 :
考える名無しさん :2006/08/09(水) 01:01:56
489 :
考える名無しさん :2006/08/09(水) 01:43:02
まあガンガレ
490 :
考える名無しさん :2006/08/09(水) 01:58:14
脳内勝利宣言してるハゲとかw
まあ、これからもワラかしてくれるんじゃないですかね
>>420 2001年ぐらいまでは全然なかったんだけどね>個人中傷
厨房工房の頃から糞みたいな板に出入りしていた世代が大学生になって
そのままの態度で学問系の板に書き込みだしたからおかしくなった
特に数学板には偏執的な奴が多くてね
493 :
考える名無しさん :2006/08/09(水) 09:45:37
数学を哲学するのイメージが湧かないだと。 数とは何ぞや。
1+1=3もありえるか? これを計算すると0になる?
495 :
考える名無しさん :2006/08/09(水) 11:28:50
別に3をそう定義するならね。 もちろん3=1+1+1としておいて1+1=3とするなら 1の定義は0じゃないと成り立たないね。
>>486 こういう奴は自分の書いた文章を読み直したりしないのか・・・
こんなのが学問がどうこう言ってるなんて恐ろしいぜ
1+1=3ってことは、つまり2=3ということだわね。 だから、0=1なわけで、1+1=1=0になるんだよ。 これがいったい何を意味するかは、自分で考えなさいな。
>>497 まずはお前が自分がどれだけ恥ずかしいか考えたほうがいい。
絶対カシミール元だね♪
500 :
500 :2006/08/10(木) 16:09:13
ゲットしとくか
>>1以外の者でしたがスミマセン、又今度参加させて下さいね>494
>>497 XとYを引用するとちゃんと答えが出たが、意味なんてあるのか?
>>499 あの本だめぽだろ。あいつら思想誌に出ては法螺話ばかりしてて駄目なんだよな。
「絶対数学」を究めることは、数学の真の理解に欠かせないのだよ。
「絶対ガロア理論」じゃよ♪
506 :
考える名無しさん :2006/08/17(木) 19:17:01
数学とは完全数による完全さへの過程だよ。 完全数6は、1+2+3、1*2*3の機能化である。また、6/3/2=1、6-3-2=1であるから、 全一帰納数である。かかる6を用いた数式は完全帰納的に機能している、とは言えまいか?
507 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 12:48:26
ハーツホーンも読まずに哲学を語る奴は痛いなぁ
ハーツホーンは古い。馬鹿の一つ覚えはやめとけ。
509 :
考える名無しさん :2006/08/19(土) 19:51:31
>>508 代数幾何の入門書は未だにハーツホーンが主流だぞ。
”古い”と決め付けるなら対案くらいだせよ。
激しくレベルの低いやつがいるようだな。
>>487 まず有益とは何か、を定義してみな。
↑ ひさびさにワロタw
堵虞慧螺轡簸も読まずに哲学を語る奴は痛いなぁ
なにこのクソスレ劇場w DQSは夏休みの宿題に代数奇禍の練習問題でもやっとけ
514 :
考える名無しさん :2006/08/20(日) 14:53:12
ハーツホーンより上野健爾のほうがいい。 ハーツホーンは練習問題に重要項目を回しすぎ、かつ本文も粗雑。 ところでハーツホーンを読んで哲学畑相手に威張っているという事実によって、 かなりのパープリーンであることを自ら証明している恥ずかしいやつがひとりいるみたいね。
515 :
考える名無しさん :2006/08/20(日) 18:19:49
いくらなんでも上野まで落ちぶれるのは嫌だなw
516 :
考える名無しさん :2006/08/20(日) 18:30:42
上野健爾も読まずに哲学を語る奴は痛いなぁ
相対的代数幾何の時代だね〜♪
ハーツホーンよりEGAのほうがいいよ。
そもそも、哲学はもはや全く畑違いの学問に成り果ててしまった今になって、 こんな似非学問板で数学の議論してること自体がかなりはずかしいわけだが。
520 :
考える名無しさん :2006/09/14(木) 06:42:40
数学の議論なんて誰もしてないじゃないか
521 :
521 :2006/09/14(木) 06:53:03
Filozofio de Matematiko
522 :
522 :2006/09/14(木) 07:12:40
Filozofio pri Matematiko
523 :
考える名無しさん :2006/10/14(土) 15:25:41
age
いま日本の院生で数学の哲学やってる人多 いから、10年後はかなり盛り上がってると思 うよ。そいつらが職得られたの場合だけどw
525 :
考える名無しさん :2006/10/23(月) 17:27:31
数学とは、主に(我々が考える意味では)西洋自然科学の体系の一部分の事を指し、 ルネッサンス初期などにおいては、哲学や音楽と同じ宇宙の構造とその調和の神秘を理解するもの、 として勃興した「思想である」(と思う)。 また、この思想は今世界で認められ、そこで用いられた{12345・・・}といった記号もまた、 世界標準で用いられている。 なぜそれほどまでこの思想が普及したかといえば、単純にそれが空間把握の最も偏在的部分を啓蒙し、体系化したものであり、 逆に言えば、その初等的段階においては直感で理解できるものだったからだ。{と思う。ちなみに空間把握はここでは、そこにりんごが数個あったとき「りんごが一個ある、二個ある」といった 数学においてはは触れられていない(公理化されていない)認識論的符合能力のことである。例えば我々はコンピューターによる算術などで実際に数が操作されている印象を受けるが、(まあそれは人それぞれか?) そこでは「数」と言う記号が論理回路の処理によって、「ルール」通りに並べられているに過ぎない。これがなぜ人間にとって算術に見えるかというと、その空間認識による(脳内)定理の逆を無意識のうちに 「数」に適用しているからである(と思う。)} つまり数学・・・これはある種の「非常に正確で明快な」「世界的普遍性を持つ」「宗教」であると思われる。 宗教であるからには体系(現実の状態にパターン化した対応をもつこと)を持っているのもまた自明であり、 それに対し哲学はきっちりと対象化された論考を加えることができると思う。 ・・・穴の多い駄文を失礼しました。では・・・ ああ、そうだ。0C0がなぜ1になるか誰か考えてくれないか?計算的にはゼロなんだが、現実的には1なんだ。 こういったパラドックス(ではないかも)についていろいろ考えて現代の数学体系に覇を唱えるのがこのスレの主旨だったらの話だが。
このスレだけ理系 理系の哲学、科学哲学。
ああ、そういやこないだ円周率について誰かが「十進数の手品」みたいな 話をしてたが、違うな。円周率が示す周の長さとは、直線で繋いだ多角形の 外周の直線の長さの総和で近似値を求めてるだけ。 多角形の頂点は無限に増やせるから近似値も無限に伸びていくだけ。
おいおい、ふざけてるのか? 近似とかそんな事を考慮しなくても円周率は無限小数だとずっと昔に証明されているが?
ああ、そう。俺は今日、ふと思い付いたばかりだ。 「長さ」とは二点間の最短距離だからな。曲線にはそもそも長さなんて ものはないわけだ。
530 :
考える名無しさん :2006/10/23(月) 19:57:54
531 :
考える名無しさん :2006/10/23(月) 20:52:41
>>529 >曲線にはそもそも長さなんてものはないわけだ。
納得できない。そこんとこ詳しく解説キボンヌ。
532 :
531 :2006/10/23(月) 20:54:18
車なんかはどなんだろ。
ああ、距離を持ち出すと時間項が絡んで来るから駄目かな。 長さは一次元の量だが、曲線は二次元の広がりを持つから、とか。
おまいら、神業。
535 :
考える名無しさん :2006/10/23(月) 21:15:44
一(有)なるものと0(無=有)なるものと2(相対)なるもの。人間にしてみると一(存在論的)なるものと0(質量や非存在)なるものと2(関係性=3以上=社会)
円周に長さが無いなら面積もないし球には体積もないわな。
537 :
考える名無しさん :2006/10/25(水) 00:31:31
530さんありがとう。よく考えたらパラドックスでもなんでもなかったね。授業真面目に聞いてないのがばれて恥ずかしい限りだ。 それはそうと、この式が表すものとして、どんなものからであろうと0こ選ぶこと(=選択を拒否する方法)は一通りしかないって事がわかりますね。
数学基礎論にも物理学に於ける相対論と量子論の対立みたいなもんが あるんじゃないか? 伝統的な数論は後者に近くて、「数」について 原子論的な考え方が強いように思うんだが。
539 :
考える名無しさん :2006/10/26(木) 06:13:18
相対論と量子論の対立なぞあるわけないだろ それが真実ならこの世に重力は存在し得んよ
「非相対論的量子力学」で行ってこい
数論の基礎にあるのはデジタルな概念だろ。 その上に、時宜に応じてアナログな幾何学の 諸概念が木に竹を接ぐように上乗せしてある。
>>536 曲がった線の長さは曲がった定規で測れよ。
真っ直ぐな定規使うのは反則だろ?
545 :
考える名無しさん :2006/11/05(日) 11:00:06
>>1 哲学というものが分かっていないようだねw
大学の教授にしろ院生にしろやってることは哲学とは無縁のものだよ
理系もどうようwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
546 :
536 :2006/11/09(木) 12:59:15
>543 なに言ってんだ。実数自体、架空の物語じゃないか。
数論は抽象的な論理体系だが、ファンタジーではないな。
結局、応用上の問題がないって所で納得しちゃうわけね・・・。
実数 (じっすう、real number) は様々な量の連続的な変化を表すとみなされ
る数の体系である。実数全体のなす空間は位相的には完備性とよばれるよい
性質を持ち、代数的には加減乗除ができる体の構造を持っている。幾何学や
解析学ではこれらのよい性質を利用して様々な対象が定義され、研究される。
一方でその構成方法に
自 明 で な い 手 続 き が 含 ま れ る た め 、
実数の空間は数学基礎論の観点からも興味深い性質を持っている。また、自然
科学における連続的なものの計測値を表すのに十分な数の体系だとも考えられ
ている。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E6%95%B0
↑の「代数的には加減乗除ができる体の構造を持っている」は、 「代数的には同じ位相の量は加減乗除ができる体の構造を持って いる」とはっきり言うべきかな。ちなみに加減乗除は連続的な 変化ではない。連続的な変化をする量には必ず位相係数が必要に なる。
「変化」という概念の位相係数は普通は時間項だよな・・・。
ああ、違う。これは人間の思考イメージの形式上の問題に過ぎない。
例えば運動している物体のある瞬間における位置とは、 静止している物体の位置とは位相が異なる、ということ。
ああ、違う。「静止している物体」は「速度ゼロで移動している物体」 だな。「移動量」は「長さ」とは位相が違うというべきだな。
554 :
短パン :2006/11/12(日) 22:57:08
数学と哲学は、そんなに遠い関係じゃないらしい。と、何処かで聞いた事がある。 「哲学」は多分。何かの総称を言いたくてモンドリウッテルのだろうさw 処刑ライダーwうっせぇよ。(初めて来たけど・・・。) なんか。物体云々言ってるけど、それ。大体、物理学じゃねぇの? 哲学板なんで、、、、。ひとつ。なんて、一応諭してやるがよ?
555 :
短パン :2006/11/12(日) 23:12:16
例えば、自分が 「まるで、動きの無い。いわゆるゼロだと、想定した時。」 全ての運動は加速度を持っていて、、、ってぇ。話だw 数理は理解出来ないが、物理はなんでか、理解に及ぶ事が在る。 何でだろ〜なんだだろ〜♪ なんでかね? んじゃ。
甘えんな。
こっそり保守
科哲で「数学の論理と哲学」って特集で論文募集中だね
「数学基礎論」と「数学の哲学」を混同して、このスレも半分以上来てしまいましたね。 時間のムダというのはこういうことなのですね。 数学基礎論なんて、あまり魅力的でない数学の一分野にすぎないのですよ。 まともな数学者はこんな分野をやりませんよ。 うそだと思うなら、数学の人たちに聞いてみたら。 なぜ誇り高き哲学が、数学のゴミのようなところをやってるの。 「数学の哲学」のスレなら、 数学とは何か? なぜ数学が科学の言葉に成り得るのか? なぜ数学は役に立つのか? を議論しなくちゃ。 もう一度言うよ。 「数学基礎論」は3流の数学者に任せておけばいい。
基礎理論のあやふやな学問が科学足りうるのか?
>うそだと思うなら、数学の人たちに聞いてみたら。 俺は数学の人だけど、559の言っていることは嘘です
基礎論が何を指すのかにもよりそう 証明論なら確かにそう興味を持たれないだろうが モデル理論とかだと逆に証明に利用されることも多くなってきている
他の哲学板で質問したのですがまともな解答がもらえません。 ここの板の今の話題に関係するのでここでも質問させてください。 「三段論法は反証可能性がありますか?」
564 :
考える名無しさん :2007/02/05(月) 17:45:43
あるにきまってるじゃん。
数学屋から見れば、数学基礎論は応用数学だよ。
566 :
考える名無しさん :2007/02/05(月) 19:17:17
数学的真理は何に由来すると考えるか。 数学をやってる方々に伺いたい。
真理なんてないよ。哲学やればわかるはずだが・・・
569 :
最高位 :2007/02/05(月) 19:58:01
>>567 真理は存在する、しかし掴んだ途端に真理ではなくなる。
雲を掴むようなものだ。雲を手で掴めたら話の続きを聞こうじゃないか。
真理は幻想のようなものに過ぎない。
数学屋が幻想や妄想を数式化できるのならば真理にたどり着けるかも
しれないが。
>>569 > 真理は存在する、
で、その根拠は?
571 :
物理最高学者 :2007/02/05(月) 20:23:38
>>570 おまいも無知だな、脳内に決まっているだろ。
「脳内」とはどういう意味?根拠が無い、ということですか?
真理は存在するよ ただし、何がそうなのかは知ることはできないだけ
> 真理は存在するよ で、その根拠は?
コンキョ、コンキョってよく鳴くのがいるけど なにがききたいんだろう。 なにかが真理であるということの根拠なのか 真理があると言える根拠なのか それとも別のなにかなのか
>>574 真理概念がなければ、有意味に語ることができないから。
そんなことないだろ。
数学は「真理」などという概念抜きで構築されています。
「真理」という幻想から脱却するのが哲学の主目的ですからね。
581 :
考える名無しさん :2007/02/07(水) 14:18:51
ん?基本的な数学史も知らない人かな? 19世紀後半以降の数学は、「真理」や「実体」などという迷妄からの脱却をメインテーマとして発展し、 その目的は20世紀後半には達成し終わってる。
ん?基本的な概念史も知らない人かな? 実体とか対象とかってのは何かについて語る場合には 措定されざるをえないものでしょうに。 というか日常的なそれらの捉え方がたとえ措定っぽくても迷妄とか言わない。
> 措定されざるをえないものでしょうに。 それはあなたの思い込み、信念に過ぎないですよ。
だからたとえば通時的に信念を抱き続けたり、 複数の人間がやりとりする場合に、 同一の対象が措定されざるをえないって言ってるんだけど。 つうか「措定」の意味わかってないんじゃないの。
> 同一の対象が措定されざるをえないって言ってるんだけど。 だから、それはあなたの思い込みに過ぎないってこと。
そうだとしたら数学者たちは共同研究なんてできなくなるな。 たとえばなんらかの公理を複数の数学者が認めることすらできないわけだから。
つまり20世紀後半以降の数学は だれにも共有され得ない独り言になったってわけだ。
「共有」なんて幻想だよ。
>>588 そんなことはわかってるよ。
数学者以外はね。
もっと話は単純だよ。 「真偽」の概念がなければ「矛盾」概念もつかえなくなり、よって証明という作業も不可能。
そう、そういった真理を前提にしているにもかかわらず 19世紀後半以降の数学は、「真理」や「実体」などという迷妄からの脱却を メインテーマとして発展し、 その目的は20世紀後半には達成し終わってる。 などとすましているのだから見ていて恥ずかしい。
>>590 数学における「真」とは証明可能、ということ。
偽とは、否定命題を証明可能、ということ。
おわかり?
真偽概念と証明可能性の違いもわからんのに数学を語っているふりをされてもなあ
具体例を挙げてみ。
>>592 証明には矛盾律が必要
矛盾律は真偽という2値が必要
よって証明には真偽概念が必要
おわかり?
>>581 Tarski学派の人達はどうなるの?
>>584 同一だという保証は無いと思う。
Hilbertの「実数」とBrouwerの「実数」とが同じ対象である保証は無い。
>>592 >数学における「真」とは証明可能、ということ。
違います。
>偽とは、否定命題を証明可能、ということ。
違います。
ねえ、君なんでこのスレに居るの?
>>593 も言ってるけど、直観的に明らかに真だけど証明不可能な命題が在る(在り得る)、
という事はHilbertが当初認識しておらず20世紀半ばに初めて発見された
数学基礎論、論理学の大発見なんだけど。
>19世紀後半以降の数学は、「真理」や「実体」などという迷妄からの脱却をメインテーマとして発展し 嘘つけ もし部分的に正しいとしても、そんなのは限られた或る一分野のことであって メインテーマでもなんでもない
>>596 > 直観的に明らかに真だけど証明不可能な命題が在る(在り得る)、
> という事はHilbertが当初認識しておらず20世紀半ばに初めて発見された
> 数学基礎論、論理学の大発見なんだけど。
横レス失礼。
ゲーデルの不完全性定理のことを言ってるのかな。
だとしたら、オヌシの理解が間違ってるよ。
あの定理は、証明できずまたその否定命題も証明できないような命題の存在を
保証しているのであって、「直観的に明らかに真だけど証明不可能な命題が在る」
なんてことは言ってないよ。
例えばPeano算術が無矛盾である、という命題は常識的にほぼ明らかに真だけど。 もちろん実は矛盾しているのではないかという疑念も懐疑主義的には持ちうるけどね。 尤も矛盾してたら「それ自身もその否定も証明できない命題」は存在しないわけだけど。 何も必ず直観的に真で証明不可能な命題が在るなんて言ってないよ。 そういう書き方をしたつもりはない。
>>599 なるほど、数学においては懐疑主義者以外は「常識」が真理を保証するわけか。
そんなアホなw
盛り上がってまいりますたーーw
だから「直観的に明らか」と書いたじゃないか。
>>600 以外の「どこに真理を保障する」なんて書いてある?
単に自然数のstandard modelにおいて真であり、またそのことが
明らかに「見て取れる」ような命題を「直観的に明らかに真」と書いたに過ぎない。
Peano算術が間違ってたとしたらどうなるか、なんて議論してる人は聞いたことない。
数学者にそういう人はもちろん居ないけど哲学者でも聞いたことないし、
そういう議論が有意義だとも思わない。
それにPeano算術の無矛盾性を疑うのならそもそも
不完全性定理の証明だって間違ってるかもしれないじゃないか。
悪魔が我々の数学的対象に対する認識を狂わしているというようなことはないと仮定し
不完全性定理の証明に用いられる自然数に関する我々の知識が正しいと前提し、また(以下略
というような前提条件を全て満たさないと不完全性定理は正しいとは言えない。
でもだから何?という話で。
604 :
考える名無しさん :2007/02/09(金) 00:41:52
「直観的に明らか」なんて数学では認めてないよ。 数学の文脈では「明らか」=「簡単に証明できる」だし。
記事よく読めば解るけど、 武田記事は、あくまで取材相手がこう私に言いました。答えました。 私武田はノンフィクションライターなので、現代さんの紙面使って、 匿名の現役力士、高砂部屋関係者らの証言をそのまま記事にします。って、スタンスで初めから逃げてるの。 私が大相撲の八百長を追及して立証する!で無く伝聞。 巧妙で卑劣な手口なのよ。 武田本人は火を付けて放火して、火を大きくするだけ大きくして、時間稼いで、 川淵から小金と今後の仕事恵んで貰うだけ。 川淵協力メディアと川淵チンポ舐め評論家が、武田を必死に擁護して煽って煽って煽り倒す。 川淵チンポ舐め軍団の得意技、 死人でも、妄想上の取材対象人物でも、必ず自分以外の人物、一枚噛ませて、捏造話が大相撲破壊活動スタートしているから。 有る意味無敵なんだよなw ちなみに川淵チンポ舐め勢力によるプロ野球破壊活動も、反抗手口、手法、役割は全く同一ですW 川淵の最も得意な手口、攻撃対象に対するレッテル張り、放火、誹謗中傷。
606 :
考える名無しさん :2007/02/09(金) 02:58:38
数学で説明できないのに、実証したとか反証したとか 愚かな詭弁を使うのは止めろ。 所詮、仮説は主観的解釈の域にあり、価値観の相違では別解釈される。 そんなチグハグな理屈は愚か者が行うデタラメや捏造、嘘と大差ない。
>>604 メタな部分では直観的に明らかも使うだろう。
まあそのようなメタは数学では無いとも言えるが。
メタ数学、いわゆる数学基礎論においても「直観的に明らか」なんてことは 認めていない。
>明らかに「見て取れる」ような命題を「直観的に明らかに真」と書いたに過ぎない。 こういう安易なところを哲学の側からつっこまれているのがなぜわからないのかなぁ。 >でもだから何?という話で。 何だかわかってないんだもんなぁ。
「メタ数学」じゃなくて「メタ」な認識は絶対に必要でしょ? 1と1+1が図形として違うことも認識出来なきゃ数学はできん。
誰もそんなことは議論していないようだが・・・ 数学における真とは証明可能と同義である、という書き込みに対して、 「直観的に明らかに真だけど証明不可能な命題がある」という 能天気ないちゃもん付けをした馬鹿はいたようだが。
612 :
考える名無しさん :2007/02/09(金) 20:09:16
太陽がまぶしかったから
Peanoの公理が無矛盾というのはtrivialでない?
triivialではないし、証明も形式的な意味で厳密には不可能(多少制限を緩めれば証明は出来るがとてもtrivialとはいえない)
trivialと「証明が簡単」は意味が違うので混同しないように。 ある事がtrivialってのはそれを問うのが下らなくて詰まらないって意味。 本当は自明とも意味が違う。 まあ少なくとも自明ではあると思うよ。 それを疑う人間はこれまで居なかったしこれからも現れないし それを疑ったところで、何かもっと確かな原理から証明されるようなものでもなければ それを疑って建設的な議論が出来るものでもない。
疑って建設的な議論が出来ないことは同意だがtrivialではないでしょ? 無矛盾というのは信念というか信仰みたいなもの。 数学をやってる人なら絶対と言っていいほどtrivialとは言わないよ。 でも、みんな信じてはいるだろうけど。
証明が「自明」なのと定理が「自明」なのは違うよね? Jordanの曲線定理とかは、位相空間論の無かった時代の 昔の数学者は定式化の方法も知らなかったけど、 その時代からこの定理は「自明」だった。 自然数論の無矛盾性証明とかがあまり省みられることが少なく 無視されるのは、それがtrivialだから。
でもそういった自明と思われていた結果が実は間違いなんてことはいくらでもあるからね。 自明という思い込みは所詮は思い込み。真実というわけではない。 もっとも、何も基盤がなければ推論一つ出来ないから必要な思い込みではあるけどね。 そういった意味で言うのなら別に構わないが、trivialをそういう解釈するやつは数学屋にはあまりいないね。
無い。 Peano算術が間違いなんていくらもない。
>>615 数学の文脈で「真」という用語は「証明可能」と同義だ。
「真」という用語を他の意味で使っている用例があるというなら、
つべこべ言わずにさっさと例示しな。
>>622 > 自然数論の無矛盾性証明とかがあまり省みられることが少なく
> 無視されるのは、それがtrivialだから。
自然数論の無矛盾性がとっくの昔に証明されてることも知らない阿呆ですか?
例 「高階論理は不完全である。すなわち任意のモデルにおいて真であるが証明できない命題が存在する」
628 :
622 :2007/02/10(土) 11:04:14
>>626 GentzenもやってるしHilbert-Bernaysにもあるね。それがどうかしました?
>>625 真偽は意味論の概念で証明可能は構文論の概念。
数学ではね。
数理論理の本を読めばどんな本にも載っているようなお話。
同義と書いてある本でもあったのかな?
そんな本があったならマジで知りたいから教えて。
630 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 12:24:04
ある命題があるモデルにおいて真である、というのはそのモデルにおいて証明が存在するという 意味ですよ。その証明が高階論理の体系だけで記述できるという保証はありませんが。
631 :
630 :2007/02/10(土) 12:37:12
誤解されそうだから補足します。
ある命題があるモデルにおいて真である、とは、そのモデルにおいて
その命題が成立する、ということではあるのですが、成立することを
何らかの方法で論証する必要があります。この論証のことを
>>630 では「そのモデルにおける証明」と書きました。
>>631 そうだけど真であることを確認するのには証明は必要だけど真であることに証明が必要なわけではない。
何か真偽が証明によって決定する概念に見えてしまったので念のため。
633 :
630 :2007/02/10(土) 13:14:23
「真」という概念をどのように定義するにせよ、「ある命題が真である」と主張するためには、 その命題が「真」の定義を満たしていることを論証する必要があります。
そりゃそうだ
うむ。数学自体を考察の対象とするメタ数学、数学基礎論の世界においては 「真偽」と「証明可能性」を分離できているように見えるが、メタ数学レベルでの 証明は必要になるんだな。当然といえば当然の話。
637 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 18:17:03
述語論理を使わないでどんな話をするの?
命題論理
ワロス
とりあえず。 「真」とは「証明可能」ということとは全く違う定義がされる。 しかし、その定義を満たすかどうかの確認に論証は必要になる。 つうことで。
641 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 22:41:45
「真」をどのように定義するにせよ、「数学またはメタ数学レベルで証明可能」と いう条件と同値だよ。
それは間違い
すいません、可能無限と実無限に関して書いてある本をいくつか 教えていただけないでしょうか。 「無限論の教室」以外でおながいします。
644 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 23:22:24
ん? であれば、「証明可能ではないが真である数学の命題」の具体例よろしく。
PAでならグッドシュタインの定理。 しかしあれだけ書かれてまだ意味が理解できていないのかな?
>>643 昔ムーアの本の訳本で良いのがあったがタイトルを忘れた。スマン。
証明可能であろうがなかろうが関係なく
真な命題は真だし偽な命題は偽だという可能性もある。
だからGoedelみたいに、連続体仮説は独立命題だけど
本来真か偽かは決まってるのだ、という信念を持つ人間も居る。
Consis_ZFだとかその他の巨大基数公理とかも同様。
というかそんな議論しなくても
「双子素数予想は真だと思う」と「双子素数予想は証明できると思う」
では意味が違うだろ、常識的に考えて……
というわけで
>>630 はナイーブ過ぎる。
或いは「証明」という言葉の使い方がユニークすぎる。
直観主義論理だと「真(正しい)」と「証明可能」はほぼ同義だね。
ただそもそも二値論理じゃないわけだけど。
648 :
考える名無しさん :2007/02/10(土) 23:26:59
「定理」なら証明されてるんじゃないの?
> 「双子素数予想は真だと思う」と「双子素数予想は証明できると思う」 > では意味が違うだろ、常識的に考えて…… 数学屋のコンテキストでは同義だな。
>>646 George Edward Mooreでしょうか。
訳書でhitするのは
観念論の論駁
現代哲学基本論文集
倫理学原理
倫理学
などですね。これらをあたってみます。ありがとうございます。
数学屋だからこそ微妙だと思うが。
「数学で証明可能」という言葉も数学屋から見ればそもそも曖昧すぎてわからん。
前提にする公理系を指定しないで証明可能という概念に意味をどう与える気だ?
>>647 直観主義だと確かにほぼ同義だと思う。スタイルの違いもあるんで断定は避けたいけど。
>>650 確か無限がタイトルについていた東大出版の本という記憶がある。それでもう一回探した方が無難。
>>649 双子素数予想とかRiemann予想がZFCからの独立命題だって可能性も
ゼロじゃないんだよ。実際そういう主張をする数学者はゼロじゃないし、
不完全性定理を用いてZFCから独立なPeano算術の命題なんて簡単に作れる。
それでも、Hilbertは死ぬまで全ての数学の問題は「解決可能」
(≒つまり証明または反証出来るか、独立であることが証明出来るか、
「独立である」ことが証明できないことが証明出来るかetc.etc.)
であると信じていたようだし、集合論的な問題でない「普通の古典的数学」の
問題に関しては、そういう信念を持っている数学者も多い。
でも必ずではないし全会一致の意見でもない。
でググって調べたら多少違っていたがこれっぽい A.W.ムーア『無限=その哲学と数学』(石村多門訳)東京電気大学出版局(1996)、The Infinite, by A.W.Moore(1993)
655 :
650 :2007/02/10(土) 23:37:35
>>652 無限 : その哲学と数学 / A.W.ムーア著 ; 石村多門訳
出版者 東京 : 東京電機大学出版局
出版年 1996.6
大きさ ix, 407p ; 21cm
別書名 原タイトル:The infinite
でしょうか。
656 :
650 :2007/02/10(土) 23:38:44
あ、被りました。 ご丁寧にありがとうございました。 借りて勉強します。
>>648 ,651
直観主義論理を誤解してないかい?排中律を使わない推論体系のことであって、
>>596 が言ってる「直観」とは無関係だよ。
>>651 誰も「数学で証明可能」というフレーズを使っていないようだが。誰に対するレスだい?
>>653 > 双子素数予想とかRiemann予想がZFCからの独立命題だって可能性も
もちろん決定不能命題である可能性もあるよ。
ZFCと独立であることが判明すれば、双子素数公理を付け加えた公理系とか、
あるいはその否定を付け加えた公理系を考えることが出来る。前者の公理系で
あれば双子素数予想は真、後者の公理系では双子素数予想は偽となる。
>ZFCと独立であることが判明すれば
決定不能命題で、また「決定命題であること」も決定不能命題で、
また「「決定命題であること」が決定不能命題であること」も決定命題で……
という可能性だってある。この場合人間は虚しくも双子素数予想の
存在しない証明を追い求め続ける。
そうしてると辺縁分野だと思われていた集合論の研究者が
恐ろしく強い追加公理Xを発見して双子素数予想をXから証明して
一躍巨大基数論が数学の花形分野になったりしてね。
>>657 誰もそれと関係付けて話はしてないと思う。
ただ
>>630 がもし直観主義者だったら困るので一応補足しただけ。無いと思うけどね。
『現代思想』でゲーデル特集やってますけど これは“買い”ですか? できれば専門家筋の人の評価を聞きたいんですが?
>>658 > という可能性だってある。この場合人間は虚しくも双子素数予想の
> 存在しない証明を追い求め続ける。
それはそれで数学の進歩に繋がる可能性があるので、
虚しいとは思わない。平行線公準を証明しようという
2000年もの努力が非ユークリッド幾何の発見に繋がったように、
数学の新たな地平を切り開く可能性もあるのだから。
新井のプロジェクトだな
>>657 >誰も「数学で証明可能」というフレーズを使っていないようだが。誰に対するレスだい?
そうだな。
>>644 は数学的に意味がなく具体例など書きようがないようなことを要求してると言えばすんだことだな。
あるいは
>>645 のような答えをまっていたのかもしれんが。
>>635 を書いている本人はわかっててあの書き方かもしれないが知らない人が読んだら勘違いしそうで不安になる。
まるで真であるために証明が必要に見えてしまうから。
「メタ数学」の前に「真偽を確認するには」を入れとけばいいかな。
> 「メタ数学」の前に「真偽を確認するには」を入れとけばいいかな。 そういう書き方をすると、「真偽というものは人知を超えたところで予め決まっていて、 人間はそれを発見するのだな」という勘違いをする奴が出てくる。
まあある意味有限の手続きで定義されていないのだから超越的とは言えなくもない。 それに「発見する」ではなく「確認する」だから大丈夫とも思うが。 上手い言い換えがあったらそれに置き換えても良いけど、どのみちあのままはまずいよ。
ロクな論証もせずに「証明は出来ないけど直観的に明らかに真だ!」 と言い張る輩が出てこないような書き方になっていれば十分だと思う。 まぁ、書き方にあまり拘る気はないよ。
>>659 何を求めて何の専門家の助言を求めているのか書いた方がいいと思うよ。
証明できないってのは或る与えられた特定の公理系から証明できないって意味だよ。
>>667 は「直観」という言葉の意味を分かってるのか?
直観的に真であることを論証しろって、どういう意味で言っているんだ?
>ちょっかん[直観]
>(名)スル
>[哲][intuition]推理を用いず、直接に対象を捉えること。
>一般には感性的知覚をいうが、直接的に全体および本質をつかむ認識能力として
>プラトンの「イデアの直観」以来、哲学上さまざまな形で高い位置が与えられてきた
>(スピノザ、シェリング、ベルクソンなど)。
>「知的―」「アウグスチヌスが神は不変的―を以て万物を―するといひ/善の研究(幾多郎)」
(大辞林 第二版)
>他方で、直観は推理を用いず直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、
>認識論上の用語として用いられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3
数学においては「直観的に真」なんて許容してない。
「直観的に真」という言い方はあまり聞かないね 直観主義におけて「ある文が真」とは「ある文を証明するすべての過程を認識できる」という意味
× おけて ○ おいて
発端は
>>596 だろ。数学においては、ある命題を「真」を主張するためには
論証が必要。論証せずに「直観的に明らかに真」などと言い出したら数学では
なくなる。
>>596 > 直観的に明らかに真だけど証明不可能な命題が在る
> 論証せずに「直観的に明らかに真」などと言い出したら数学ではなくなる。 哲学でもなくなるけどね。
誰も証明の必要がないなんて言っていない。
明らかに正しそう「に思える」と同じくらいの意味だろ?「直観的に」なんだから。
そりゃ、証明としてはそんなのは許容してないだろうよ。
そもそも直観的に正しいということが「証明として」
認められるなどとは誰も言っていないけどな。
数学は人がある定理について人間が何らかの印象を持つことまで禁止してるのか?
「4以上の偶数は全て二つの素数の和で表せるか。
正しいならその事を示し、誤っているなら反例を示せ。」
というGoldbachの問題で、「正しそうに思えるが自分では証明出来ない」、
という人が居たら、数学において「正しそうに思える」なんて許容してない、
今の発言を取り消せ、とか言い出すのか?
可測基数やコンパクト基数の存在を認めても矛盾は起きないと思われる、
とか言っちゃいかんのか?
だとしたらそっちこそその根拠を示してくれ。
単に個人的に許容してないだけだと思うけどな。
>>671 私は直観主義者じゃないので、直観主意者の用法と整合性が取れて無くても知ったこっちゃない。
>>657 も言っているように無関係。
676 :
考える名無しさん :2007/02/12(月) 11:22:29
>>675 字数を費やして言い抜けを図っているようだが往生際が悪いね。
ある命題を見て「これは真だろう」とか「これは偽だろう」と予測するのは個人の勝手であって、だれも禁止していない。
>>596 =
>>675 なのか?
「直観的に真」を「明らかに正しそうに思える」という意味に解釈すると、
>>596 が書いていることが意味不明になるが↓↓↓
>
>>593 も言ってるけど、直観的に明らかに真だけど証明不可能な命題が在る(在り得る)、
> という事はHilbertが当初認識しておらず20世紀半ばに初めて発見された
> 数学基礎論、論理学の大発見なんだけど
明らかに正しそうに思ったけど実は反例があった(つまり偽であることが証明された)、
なんて例は大昔から枚挙に暇が無いぞ。
真と証明可能性を同一視するということは 真でも偽でもない命題が存在すると認めることだけど それでいいって考えの人、意外に多いんだね
うん。誰も困らないからね。
>>678 「〜は真である」を「〜は証明されている」を同一視して何がまずいんだ?
明らかに正しそうだけど証明出来ない問題があることの何が意味不明なんだ?
明らかに正しそうに思えてもそれが公理でない限り証明できない可能性があって当然だろ。
意味不明だという
>>677 のにレスが理解できない。
明らかに正しそうであるならば必ず公理から証明できるはずだと思ってるのか?
反例の話は何の関係があるのか分からない。
「正しそう」であることと、実際に意味論的に正しいことは違うが
人間の判断である以上「正しそう」しか帰結できないに決まっているだろう。
自明性のレベルには程度の差がある。
PAと実数論と集合論と無制限の内包公理をこのレベルの順に並べたら
PA<実数論<<<ZF≒ZFC<巨大基数公理のような追加公理<<<内包公理<<<<<矛盾⊥
の順になるだろう。
Russelの逆理を導出するのに本質的なFregeの基本法則Vは
彼自身これは疑わしいという趣旨のことを述べているらしい。
PAが矛盾している可能性などを考えるなら、そもそも
「Goedelの証明は永年正しいと言われていたけど実は論理的ギャップがあって誤っていた」
という可能性だってあるわけで、実際に自然数という概念が破綻している可能性よりは
Goedelの多少込み入った証明が破綻している可能性のほうが高いだろう。
正しいと思われてたけど実は間違っていたなんて証明の例は大昔から枚挙に暇が無いんだから。
従って例えば
>>598 の
>あの定理は、証明できずまたその否定命題も証明できないような命題の存在を
>保証しているのであって
は、我々の全ての平等な扱い方をするのなら
「あの定理は、証明できずまたその否定命題も証明できないような命題が
存在するに違いないという極めて強い確信を持つに至るべき数学的理由を述べているのであって」
のような書き方をしないといけない。
>>679 >>680 それ直観主義論理みたいな方向になってしまうぞ。
古典論理では排中律が成り立つ。
解釈を定めると与えられた公理系の全ての命題は真か偽になる。
しかし、その公理系が適当な条件を満たせば(多くの理論が満たしてしまう)証明も反証も不可能な命題が存在する。
つまり、ある解釈のもとで真でも証明できないことがあり得る。
>>680 普通の常識人と違った定義、違った用法で言葉を使うことになる。
たとえば「実数」を「負の整数」と同義の言葉として使っても、
本人のみが使うのなら何も問題ないが、他の人間と議論するのなら混乱する。
{-1,-2,-3,.......}を表すためには「負の整数」という言葉を既に持っていて
「実数」という同義語が無くなったって大して困りはしないんだから
他の大多数の人間との議論を不可能にする言葉の使用は
コミュニケーションにおいては差し控えるべきだ。
直観主義者が「真」という言葉を使わないのはそういう理由じゃないかな。
「正しい」と「正しいと思う」を区別しないと数学どころか生活自体が成り立ちませんよw われわれは認めようと認めまいと実在論的存在なんですよ
一つの命題を目の前にして「明らかに真」と思う人もいれば 「明らかに儀」と思う人もいるからね。まぁ、勝手に思ってれば、という感じかな。
まぁ、勝手に思ってれば、という感じかな。
>直観主義者が「真」という言葉を使わないのはそういう理由じゃないかな。 古典論理とは意味が違うだろうけど普通に使わないか? と言っても俺が知っているのは直観主義者と言うより直観論理を使う人なんで違うのかもしれないが
人間社会では、ある命題を「真」と主張するには論拠が必要ですよ。 「真だと思う」と言うのは自由ですが。
直観によって何かを知るのに論拠は必要じゃないですよ。 証明では必要ですが。 自然数は矛盾概念だなんてそれこそ勝手に思ってればって感じかな。
直観によって何を知った気になっても、翌朝には勘違いに気づくものですよ。
> 自然数は矛盾概念だ 自然数論の無矛盾性はゲンツェンが証明したけど
>人間社会では、ある命題を「真」と主張するには論拠が必要ですよ。 「人間社会では、ある命題を「真」と主張するには論拠が必要である」 という命題は真だというわけですね。どうしてですか?論拠をお願いします。
でも自然数(のstandard model)の存在は証明されてないのに
あたかも当たり前のように使われてるよね。
それどころか定義さえ書いてないのに。
本来そういう証明は間違ってるんですかね。
だとしたらGoedelは証明で自然数を使ってるからあの証明は間違いなんだろうね。
自然数が確かに存在するということの根拠は
直観とか、この数千年来矛盾が見つかっていないとか、そういうこと以外に
もっと説得的なものが何かあるんですかね。
あったら教えてほしいものですが。
無前提の証明なんていう奴に限って形相だとか本質だとか範疇だとか
わけのわからん怪しい概念を無反省に使うんだよなあ。もう阿呆かと。
>>691 彼はε0という順序数までの超限帰納法を使ってそれを証明したんだよね。
ωはε0より遙かに小さいわけだから自然数というものが無矛盾に存在して
いて帰納法の原理を満たすことなどが証明の前提なわけだ。
694 :
考える名無しさん :2007/02/12(月) 13:46:25
> という命題は真だというわけですね。どうしてですか?論拠をお願いします。 公理として採用しているから。
> >人間社会では、ある命題を「真」と主張するには論拠が必要ですよ。
未開社会では必ずしもそうではないような・・・
権力が白だと言い張れば、黒いカラスも真っ白になりますよね。
文明社会であれば
>>694 がいうように社会のルールとして、つまり
公理として採用されていますがね。
文明社会は「ある命題を「真」と主張するには論拠が必要である」という命題を公理として採用している という三階の命題は真だとおっしゃるわけですね。 その論拠は?
>>696 君が「ある命題を「真」と主張するには論拠が必要である」という命題を公理として採用していないことは
よくわかったよw
698 :
考える名無しさん :2007/02/12(月) 14:27:08
「ある命題を「真」と主張するには論拠が必要である」を公理として採用する人を「文明人」と呼ぶのでしょう。
>>693 ε_0に対するその理解はどうかと思う。
あれはいわゆる構成的な順序数を用いて形式的な体系の無矛盾性を示そうというものだからPAを含んでいるわけではない。
ただしそのε_0までの帰納法自体は有限的機械的に構成できるものではなく議論の余地が生まれる。
まあ使ってるときは自明にしか見えない気はするけど。
>>698 文明人の条件は他にもあるだろうが、必要条件の一つであることは間違いない。
そうですか?私は人は人を殺してはいけないと思いますし 聞かれたらそう主張しますけど、論拠無いですよ。 殺したっていいじゃないか。強者だもの。 とか言われたらそうですね、と答えざるを得ません。 どうやら法哲学の人によると「人間が人間であること」がその根拠らしいですが わけがわかりませんね。どうしてtautologyであるところの 同一律からそんな結論が出てくるんでしょう。 「ゴキブリがゴキブリである」ことから ゴキブリを殺してはならないことを結論してもおかしくないと思うんですけどね。 論拠がデタラメでも良いなら私だって文明人だし そうでないなら自然権を主張する人たちとかは文明人ではないということですね。
さっきから根拠なしで言いっぱなしなのは 何か笑うところなの?
まずなんでギリシャ文字みたいな直観的じゃない記号を数学に取り入れるという非合理的で犯罪的な腐ったセンスを持つに至った過程を知る必要がある。
大昔の馬鹿が数学にわけのわからない記号を持ち込んだせいで、現在数億人の人が教育の名の下にその腐った記号を強制的に覚えさせられるという悲劇が繰り返されている。 大昔の大馬鹿がもっと合理的で一貫性のあるわかりやすい記号を使っていれば、人々はもっと効率的に学問をおさめられたのだ。
ギリシャ文字は常識だろw
708 :
考える名無しさん :2007/02/12(月) 16:42:20
数学は、公理(と呼ぶ前提条件)から何を結論できるか、を研究する学問です。
従って、数学における結論(定理あるいは命題と呼ばれる)は証明されています。
数学において、ある特定の命題を証明抜きに「真」だと主張することは、
その命題を新たな公理として追加することに他なりません。同時に、その否定命題を
公理として追加することも可能です。(
>>657 参照)
>>708 > 数学は、公理(と呼ぶ前提条件)から何を結論できるか、を研究する学問です。
逆数学だって数学だろう、と、とりあえず突っこんでおく
>>709 逆数学って、「この命題を結論するためにはどういう前提(公理)が必要か、また、どういう前提があれば十分か」を
研究する分野だろ。
>>708 が言ってる内容に含まれると思うが。
>>710 定理に必要な公理を見つけるんだから逆でしょ?
言ってる内容には含まれていない。
>>712 > 定理に必要な公理を見つけるんだから逆でしょ?
新たな公理を見つけるわけではない。
714 :
考える名無しさん :2007/02/12(月) 17:02:38
なにいきなり盛り上がってんだよwww
>>708 正論なんだけど、この板の住人は数学をよく判っていないから、あなたのいうことを理解できないと思うよ。
716 :
708 :2007/02/12(月) 17:08:23
つまり、数学における「真」とは、前提条件(公理系)から導出できる、という意味と等価です。 したがって、命題の真偽は前提とする公理系に依存します。有名なところでは、 ルベーグ非可測集合の存在、不存在があります。選択公理を前提とすればルベーグ非可測集合の 存在を証明できますし、また、選択公理を否定するような公理(例えば決定性公理)を採用すれば ルベーグ非可測集合の不存在を証明できます。
717 :
考える名無しさん :2007/02/12(月) 17:08:56
朝まで生チャット化の悪寒www
決定性とか名前つけたやつ馬鹿だろ きちんと文学も修めて表現を培えタコ
>>716 さんざん言ってるように真と証明可能性自体は別概念。
頼むから述語論理の初歩的な本の一冊でも読んでから正確な表現をしてくれ。
一行目の表現で以下の内容は台無しになってしまう。
わざとやってる悪寒
>>635 は未だに直されてないでしょ?
あのままなら嘘だから。
ちょっと不正確かな。 あのままなら「真偽の定義」に何らかの証明概念が必要に見えるが、実際はそうでない。 だから不十分。 真偽の確認にメタなりなんなりの証明が必要と言うことはいいんだが。
意味論的に「真」概念は証明可能性とは無関係に定義されているけど、 数学者がいう「真」と意味論的な「真」はかなりずれてると思う。
自然とまでは言えないけどずれてるとは思わない。
「真」という概念を証明可能性と独立に定義しても、ある命題が「真」であることを 主張するにはその命題が「真」の定義を満たすことを確認・論証しなければならない。
728 :
考える名無しさん :2007/02/12(月) 18:09:05
そんなことを否定してる人がいるの?
数学者の仕事は、「真」である命題を発見し、「真」であることを証明すること、だからね。 意味論的な「真」概念とは無縁でしょ。
数学しか知らないDQNと、数学すら知らないDQNの前では 哲学は無力だ という結論でいいかな?
>>729 無縁というか、意味論的な「真」概念は超越的過ぎるので、普通の数学者が扱う数学では
「真」であることを証明できない。数学の実務家というよりも基礎論屋向きの定義なんだろうね。
おまえらタルスキすら知らねーのなw
意味論的な「真」概念ってタルスキの定義のことだろw
ピタゴラスの定理とか、いずれは誰かが思いつく法則に発見者の名前つけるのやめろよw
おまいら、数学というものをまったく理解できてないようだな。
数学の本来の目的は誰にでもわかりきったことを 厳密に証明することではなく、豊富な結果を発見 して、念のためそれを証明することにある。 シュヴァルツ
>>729 の逝ってることはそもそもタルスキとは無縁だと思うけど
まあいずれにせよ
>>716 の「真」という言葉の使い方は
大多数(おそらく9割以上)の数学者、論理学者、哲学者や
計算機科学者の慣用とは異なるわけなんですけどね。
大多数の人と異なる少数派の定義をして言葉を使う場合は、
議論の最初に一言ことわるべきだ、というのは別に数学に限らない
ごく一般的な当然のルールなんだけど、知らないんだろうなあ、きっと。
「真」は通常のTarskiによる「真」の「定義」とは違うので、
恒真/充足という概念で話をすれば良いのかな。
まあワザとやって釣りでもしてるんだろうなあ。
>>733 意味論的な「真」といえば当然Tarskiの意味論のことだと前提して
数学板で話してたらMartin-Loefの直観主義論理の意味論も
知らないのかとか言ってボロクソに叩かれた思い出がw
どうやらその当時同じスレに少なくとも趣味で直観主義数学を研究してる人と、
米国で集合論の研究やってる人がスレに居たっぽいが。
>>719 いや、決定性ってのは無限ゲームの勝敗が必ず定まるという意味なので問題ないと思う。
酷いのはBaireの定義した第一類集合とか第二類集合とか。センスのかけらも無い。
>>716 「論理の哲学」という本で、慶応大で数学の哲学がご専門の
飯田隆という先生(cf.16)が書いた章に
>ゲーデルが証明したもう一つ―というか二つというか―の定理は、不完全性定理である。
>その説明は第四章に譲るが、この定理から引き出される教訓のひとつは、
>証明できるということと真であるということは同じではないということである。
>そして、一九三〇年代の論理学的研究の最大の成果は、この二つの概念の
>分析を与えたことである
とあります。彼は間違ったことを言っているんでしょうね。
全くもって怪しからんですな。ねえ、708先生。
>酷いのはBaireの定義した第一類集合とか第二類集合とか。 こういうのは変に固定したイメージを持たせないまま抽象的に処理するために敢えてこういうネーミングをした可能性もある
>>708 は真だと主張するためには証明が必要と言うことだから、そのことは別に間違っていないし飯田氏の主張と相反するわけでもない。
>>738 ところで某所でADは評判が悪いという話を聞いたんだけどそんなものなの?
>>741 「真」であることと、「真」であると主張することは違う。
そう言いたいんだろ。
つまり
数学における「真」とは、前提条件(公理系)から導出できる、という意味と等価です。
と
数学において「真」であると主張するとは、前提条件(公理系)から導出出来る、と主張することと等価です。
では意味が違うと。
>>716 に書いてあるのは前者だろ。いい加減無理な詭弁はやめたら?
>>739 完全に間違ってるね。ゲーデルの不完全性定理は決定不能命題の存在を保証しているだけの定理であって、
その決定不能命題が「真」であるとは言っていない。
もちろん、ある数学者が「真」だと確信している命題が、たまたま決定不能命題である可能性もある。
そのときは、その命題を新たな公理として付け加えて研究を進めればよい。
745 :
744 :2007/02/12(月) 23:09:43
補足だが。 きみ、ゲーデルの原論文も読まず、また、教科書も読まずに、そんな評論文だけ読んでわかった気になってちゃだめですよ>739
決定不能命題が「正しい」と書いてある文献があったんだが、 これも間違いだと思って良いですか? 駄目なら「正しい」と「真」の違いを説明して。
物理を知らんようだなw
>>744 ではないけど・・・
「正しい」を「真」と同じ意味で使ってるんだろうから×
そうですか。まあ話の流れから常識的に考えてそうなりますよね。
>[R(q):q]が自らの証明不能性を主張する,という先程の
>注意から,直ちに,[R(q):q]が正しいということが導かれ
>る.というのは,[R(q):q]はまさに証明不能だからである
>なぜなら,決定不能だからである).すなわち,体系PM
>では決定不能な命題が,超数学的な考察により決定された
>のである.
別の訳
>[R(q):q]の内容が自分自身の証明不可能性を述べているということに
>注意すれば,[R(q):q]が真であることはただちに導ける.というのは,
>[R(q):q]は本当に証明不可能(決定不可能)だからである.したがって
>PMで決定不可能な命題は,超数学的に考えれば決定可能になる.
原注67番も証明不可能な命題が真であると述べてるけど面倒だから良いや。
英訳を見ると
「[R(q):q]が真であることはただちに導ける.」は
it follows at once that [R(q):q] is true.
で原注67番の訳も
That the truth of w Imp (17 Gen r) can be inferred from (23) is .........
だからtrue/truthという言葉を使ってるわけで
英訳では区別して訳してありませんし「真」と訳して間違いないでしょうね。
怪しからん奴ですね。こいつはよく不完全性定理を分かってないですね。
懲らしめてやってください。
>>744 先生!
結局数学における「真」の統一的な見解はないの?
753 :
考える名無しさん :2007/02/13(火) 14:14:22
>>748 ,749
その文脈での「真」は意味論的な意味での「真」ではない、という指摘であれば
その通りですが、だからといって間違いと決め付けるのはいかがなものかと・・・
表面的な字句にとらわれるのではなく、何を論証しているのかを着実に
理解していれば十分でしょう。
また、そもそも、現代数学の一部は既に集合論的枠組みをはみ出しており、
集合論的な枠組みを前提とするモデル理論では捉えきれていない、という事情もあります。
755 :
考える名無しさん :2007/02/13(火) 14:33:42
>>752 ,753
「〜〜〜は真である」という述語は一般的には定義不能だからね。
「〜〜〜は真である」という述語を使うためには何らかの方法で対象を制限しないといけない。
計算機科学ならびに物理を極めた人間にしか数学の本質は分からんよ。
>「〜〜〜は真である」という述語は一般的には定義不能 タルスキの定義知らんの?
一般に定義不能だからこそ、対象を制限した「タルスキの定義」がある。 タルスキーの定理でも読め。
760 :
考える名無しさん :2007/02/13(火) 16:59:42
「全ての集合を要素とする集合」を考えると矛盾が生じるのと同じような状況なのかな
結局、集合概念では数学の本質をとらえきれんのよ。
>結局数学における「真」の統一的な見解はないの? という問いにたいしてこれほど明確な回答がよせられないとは 思わなかったよ。
ん? 何が問題なの? 具体的に書いてみてよ。
ああ、ひょっとしたら
>>716 =
>>708 だからってことかな?
そんなことあの時点で俺がわかるわけ無いというか、あの発言を見て
>>708 だけ見ればああ反論して当たり前だろ?
あの時点で
>>716 のことまで想像できるはずもないし。
>>716 は間違いなんだから、むしろアンカー先を
>>708 ではなく
>>716 にすれば良かったんじゃない?
アンカー先が
>>708 ならあの指摘は間違いなんだから間違いを指摘されるのは当然。
あと過去ログは全て正確に記憶し誰がどの発言をしているか完全に捉えた上で発言しなくてはいけないというのなら俺が謝る。 そんなことはしていないし、これからもする気はないが、それがルールというのなら俺が悪いわ。
768 :
考える名無しさん :2007/02/13(火) 20:38:11
>>762 タルスキの定理を読んでみたけど、統一的な見解はありえない、ってことだろうね。
現在主流のモデル理論的な意味での「真」の定義が、21世紀の数学に当て嵌まるのかどうかも
分からない。今後の検証待ちなんでしょう。たぶん。
>>766 悪いけど「あの」「あの」ばっかりで
何を言いたいのやらさっぱりです。
読んでる人は分かってると思うけど
>>749 はGoedelの原論文からの引用だからね。
>>766 >>741 のレスのこと言ってるんだよね。
このレスは
>>739 へのレスだと思うけど、
739ではアンカーはきちんと
>>716 宛になっている。
>>739 読んでレスの意図を想像するのにそんな大層な能力が要るのか?
単にあんたの想像力が足りないだけだと思うけど。
「あの時点」とか「あの発言」とか「あの指摘」とか何を言いたいのかさっぱりだけど。
>>768 なるほど、なるほど。
意味論的な「真」の定義を墨守するかのようなレスがあったけど、
そういう教条主義的な態度は哲学にはふさわしくないんだろう。
考えてみれば当然のことだけど、定義は定義でしかない。
現実世界での用法と一致しているかどうかは検証が必要ってことだ。
そして、集合論ベースの「真」概念では数学をカバーしきれない。
アンカーの多いスレですねwww
意味論的な「真」の定義に突っ込みどころなんて無いと思うけど。 理論とモデルは別物だという立場に立ったときの 「真」という概念のごく当たり前の性質を述べただけ。 「集合論ベースの「真」概念では数学をカバーしきれない。」 とか適当なこと言わずにTarskiの定義に問題点があるなら その問題点を端的に指摘すれば良いのに。
数学が集合論をはみ出してることくらい知ってるのかな?>773
>771は意味論的な「真」には一般性が欠けているという、 極めてあたりまえのことを言おうとしているのだと思ったのだが。
「一般性」って何のことを言っているのかな?
Tarskiの定義の具体的にどこが具体性に欠けてるんだ?
あの真偽の定義の為には別に選択公理だとか正則性公理だとかが
満たされていると考える必要も無くて、
単にモデルの世界でどうなってるときに「真」であるとみなすか、ということなんだけど。
>>774 圏論の一部は通常のZFCの範囲をはみ出しているって言いたいの?
でも圏論の対象であってもBGのクラスだと考えられなかったりするものはほとんどないだろうし
ある種の巨大基数公理を認めれば集合論内部でちゃんとモデルが作れるらしいけど。
少なくともTarskiの真偽の定義に問題があるということにはならない。全く関係ない。
778 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 16:25:19
>>771 ,774,775
集合論的なパラダイムは「ものの集まり」を思考対象とするパラダイムですし、(既存の)
意味論も「ものの集まり」を前提とする点では集合論的パラダイムを抜け出ていませんよね。
ご存知とは思いますが、21世紀の数学は「ものの集まり」というパラダイムを捨てつつあります。
数学の哲学の最先端は面白いことになってますね。
納得。
780 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 17:09:56
けっきょく
>>778 程度のバカ話なんじゃね?
アホクサ
>>778 ,779
現状は集合論の代わりとなるパラダイムを暗中模索している状況だな。
「真」という概念すら捨て去る可能性もある。
教科書に書いてあることを覚えるだけの記憶マシンに哲学は無理だよ。
早いうちに諦めな>780
「パラダイム」というのはそもそも経験科学について言われるべきものだろうに。 さすがに凄いな、2ちゃんパラダイムは。
ずいぶんと偏った辞書を使ってるんだねw
なるほど、数学の中の人というものが自分がどのようにものを考えているのかについて いかに無自覚であるのか、よーくわかっちゃいましたよ。
レベルが高いんだか低いんだか よく分からんスレですねw
786 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 19:44:43
君が言ってる「数学」は哲学の教科書に書いてある「数学」。 実際の数学には当て嵌まらないよw
>>786 いやあ実はあなたのようなひとが来るのを待っていたんだよ。
じゃあその「実際の」数学における「真」の統一的な見解ってどういうものなのか
教えてくれないか。
> 数学における「真」の統一的な見解ってどういうものなのか ないよ。そもそもそんなものいらないし。
>>788 へー。
じゃあ数学的真理は何に由来するの?
「数学的真理」なんて妄想だよ
>>790 なるほど。「実際の」数学は妄想によって成立しているわけですね。
たぶんそうじゃないかと思っていたんですよ。
ありがとうございました。
「真理」なんて妄想だよ。
793 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 20:44:27
「真理」はうそ臭い言葉だから、誠実な学者はつかわない。
数学だけしか知らない連中じゃ話にならんな。 はいはい、そのうそ臭い妄想を使って判断しながら これからもがんばってくださいな。 みなさんさよーなら。
795 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 21:09:54
数学がわからない人はこのスレに来なくていいですよ。 せいぜい「真理」を追求してください。
796 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 21:15:20
全ての数学は妄想である
はいはい、数学コンプ、数学コンブ
798 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 21:25:15
数学すら知らない阿呆が妄想垂れ流してるだけにしか見えないが… なんでこんな人が存在するんだろう…
このスレは妄想
uso 800
801 :
考える名無しさん :2007/02/15(木) 14:05:29
モデルを実在と捉えるならば命題の真偽と証明可能性を切り離して考えられるけど、 必ずしもそうではないような・・・
学部レベルの数学を自分でやってみればわかるよ。
学部レベルの数学は一種の計算練習だろ?
804 :
考える名無しさん :2007/02/15(木) 16:08:03
「学部レベル」とか言い出す奴に限って 学部レベルの教育しか受けていない罠 まあどうでもいいけど「学部レベル」の哲学を語るのは止めてねw
普通に学部で習うような数学ではあまり 「証明可能」と「真」を使い分けたりはしないね。 その一方で「真」と「恒真」についても区別したりはしない。 広い意味での意味論とTarskiの意味論の区別もしてないようだし その癖Tarskiの意味論には一般性が無いとかよくわからんこというんだからなあ、
806 :
考える名無しさん :2007/02/16(金) 10:13:42
> 学部レベルの数学は一種の計算練習だろ? プププ って感じだな
>>805 Tarskiの意味論に一般性が無いんじゃないんだよ。
君の言うように意味の理論(広い意味での意味論)が必要な領域の話をしているのに
意味論だけでかたづけようとしているからその真概念には一般性がないといったんだよ。
「意味の理論」って具体的に何のことを言ってるの? 「意味の理論(広い意味での意味論)が必要な領域」というのは何のこと? 批判するだけなら誰だって出来るさ
少なくとも上でパラダイムがどうのこうの言ってるのは戯言としか思わんぞ
意味論が適用可能な領域での数学は開拓されつくした、ってことでしょう
ホントかよw 東大でも京大でもPrincetonでもI.H.E.S.でも、 研究されてるのは99%が「意味論が適用可能な領域での数学」だろw 「数学の最先端」(シュプリンガー・フェアラーク東京)でも読んで 「最先端の数学」とやらのマトモな感覚を養ったほうが良いぞ
カテゴリー論には意味論的な「真」概念を適用できません。
814 :
考える名無しさん :2007/02/16(金) 14:47:16
> 「数学の最先端」(シュプリンガー・フェアラーク東京)でも読んで そんな変テコなもの読むなよw
「数学の最先端」とやらでは 猫も杓子もカテゴリー論を研究してると思ってるのかな。 代数幾何だとか代数位相幾何だとかで道具として使うのが主でしょ。 それにTarskiの真偽の定義は十分使えるだろ。 圏論が登場して新しい意味論、新しい「真」の定義が求められるようになった、 なんて2chのこのスレでしか聞いたことないぞ。
816 :
考える名無しさん :2007/02/16(金) 15:02:20
>>814 数学がわからない野郎が分かった気分に浸るための本だからね
基礎論の研究動向を知りたければプレプリントを読めばよろしい
ん〜〜〜 基礎論は従来の数学を後付け説明している感があるね〜〜〜 通常の数学のプレプリント論文を読むのがベストだろうが、 学部程度の数学を習得したレベルだと読めないだろうねぇ。 数学を展開するプラットフォームとして集合論は手狭になった、という指摘はその通りだと思う。
そもそも圏論の一部は集合論の枠組みからはみ出る、 という指摘が仮に正しいとしても、 それ故に現代の圏論にはTarskiの意味論が適用できない というのは端的に間違いだと思うんだけど。 Tarskiの意味論は単に「φが真」あるいは「φが偽」というのを 対象領域内の元の間の関係を表す論理式で書き直しただけで 特に分出公理だとか置換公理なんかが問題になってきたりなどはしない。 二値論理を採用し、理論の研究対象となるモデルが複数在るという仮定の下では 真と偽に関するごく自然で常識的な考え方。 基礎論のプレプリントで 「意味論が適用可能な領域での数学は開拓されつくした」 だとか 「カテゴリー論には意味論的な「真」概念を適用できない」だとか書いている文献が 一件でもあったら教えてほしいね。まあ無いだろうから無理だとは思うけど。
プレプリントって何ですか?
前印刷
> 基礎論のプレプリントで なぜそこでプレプリントに限るのかわからん。 雑誌の論文でも本でもいいじゃないか。 そこまで広げてもなかなか見つからないとは思うが。
プレプリント言いたかったんだろ なんかアカデミックな装いをしたかったとかさw
824 :
考える名無しさん :2007/02/20(火) 23:24:32
基礎論を勉強するのが数学の哲学なのかね 数学者は基礎論に関心ないでしょ それで支障ないし数学は前進しているように見える ここが一番考えるべきおもしろいところじゃない? 数学者はプラトニズムをもったプラグマティストというか
たとえこの世が夢のまた夢であっても とりあえず楽しい夢であればそれでいいというのがプラグマチスト
プラグマティズムは技術の論理であって科学の論理ではない。
「確かさを求めて―数学の基礎についての哲学論考」 って読んだ人居ますか?書評キボンヌ 原書はMarcus Giaquintoの "The Search for Certainty : A Philosophical Account of Foundations of Mathematics"。
>>826 kachi{gijutu > kagaku}
829 :
考える名無しさん :2007/03/04(日) 00:40:46
論争終わりました?
830 :
考える名無しさん :2007/03/04(日) 01:40:39
価値はともかく、数学はもしかしたら厳密にはサイエンスではなく、 「完全に純粋な技術それのみの」体系かもしれない。 そうじゃないだろうか? 自然を観察、理解するのが真の目的でないが、 論理や集合といった応用の広い概念も包摂する。 ゆえにこの世界の決定を作りだす数量概念を、 もっとも自然に指摘、記述できる。 技術的応用性が体系内部に入らないことによって、 技術的に広く様々な置きかえが可能になるわけだ。 (定義さえ理解していれば)
292 :考える名無しさん :2007/03/03(土) 03:21:40 ソーカルの事件ほど哲学・思想の難解さ・レベルの高さを示すものはない。 それに比べて、純粋数学と理論物理なんて、確実なことだけやってればいいから ある意味、楽でいいね。俺みたいなバカでもマスターできるよ、理数系はw 293 :考える名無しさん :2007/03/03(土) 03:26:42 正確に調査したんだけど、純粋数学と理論物理学は貧乏人や庶民の専攻 しがちな学問だからね。対照的に、ソーカル事件ほど文系、もっといえば 社会科学系の不確実さ、レベルの高さ、難易度の高さを示すものはない。 頭がよくないと、文系は務まらない。理系はバカでも絶対に間違わない 確実な学問と言えるけど。 294 :考える名無しさん :2007/03/03(土) 03:46:02 ゲーデルで恥を掻いたソカ厨が別のやり口で再登場 295 :考える名無しさん :2007/03/03(土) 03:53:26 せいぜい理系はゲーデルの不完全性定理を確実にマスターすれば務まるけど、 文系、とくに社会科学系は、不完全性定理以上に困難な状況に(とっくの昔に) 遭遇し、それなりの修練を積んでる。経験値から言っても明らかに文系の勝ち。
832 :
考える名無しさん :2007/03/13(火) 18:37:04
学部レベルの数学は一種の計算練習だろ?
基礎論を勉強するのが数学の哲学なのかね 数学者は基礎論に関心ないでしょ それで支障ないし数学は前進しているように見える ここが一番考えるべきおもしろいところじゃない?
そこを考えてる数学の哲学者もとっくにいるから
例えば?
少しは自分で勉強しろ
838 :
考える名無しさん :2007/03/14(水) 23:50:52
物理を知らんようだなw
またアホが来たな
841 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 16:29:55
数学者さんって哲学的な思考とは無縁なんですね。 数学者は数を使って仕事をしているだけで、 数とはなにかとは考えないんです。 と、ある数学者さんは言ってましたよ。 いってみれば大工さんみたいなもんですよ。 「建築とはなにか」のような問題はいっさい持たないんです。 大工さんの仲間内で「あいつが今度こんな家を建てた」とか 「こういう建て方をすればこんなことができる」みたいなことを やってるようなもんですよ。 それからその数学者はこんなことも言っていました。 数学で使用するのは基礎的な論理だけだと。 まあ数学者さんの使用する論理ってのも 「家を建てるには柱が傾かないようにする」くらいの きわめて常識的な前提みたいですね。 そんな活動に哲学的な意義を求めること自体が大間違いってことですよ。 だってそうでしょう。哲学の立場で数学について言及しても 「あいつは数学のことなんてなんにもわかっちゃいねえ」 程度のことしか言えないわけですよ。 まあ大工さんにしかわからない現場のノウハウはあるでしょうがね、 現場の自覚的な知識だけがすべてではないということを まったくわかっていないってことですね。 まあそんなわけで数学者さんは難しいことは抜きにして 住みよい家を建ててくださいな。 それはそれでりっぱなお仕事なんですからね。
842 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 19:43:37
そういうのいいからさ
843 :
考える名無しさん :2007/03/19(月) 20:43:36
>>841 の、数学とは「数」に関する学問である、というのは
ほとんど誤りだと思うけどな。整数論限定の話じゃなかろうし
一般人が「博士の愛した数式」とかの話をしてるのでもないんだから。
数学の哲学は数学という営み、数学という建築物の哲学的意義を考える分野だってのも
(「数学の哲学」という分野内で)相当偏った見方だと思うけどなあ、
寧ろ哲学を知らない数学者のほうがそういう偏見を持ってそう。
本当に数学の哲学とは何か知ってて発言してるのかな?
因みに(数学を知らない)数学の哲学の人が「多様体」という言葉を
やたら変な使い方するのもやめてほしいけどね、
集合論の哲学とか相対論の哲学はあっても
微分幾何学の哲学とか位相幾何学の哲学とかは無いみたいだから困らないのだろうが。
幾何のイメージとしては射影幾何だとか非Euclid幾何なんかが頭にあるんだろうか。
PoincareとかBrouwerという人名は良く出てきますけど、
彼らがどのような純粋数学の定理をどうやって証明したか、は知らない人がほとんどでしょうね。
数学研究者に対する数学の哲学の研究者の関係を、現場の大工に対する
思想的な建築家か何か(或いは指図を出す建築会社の人間?)の関係に
譬えてるようだけど譬えがおかしいよ。
そもそも数学の哲学研究者は美しい数学の例などほとんど知らない。
数学はその「鑑賞」に、理論の構成者と同じくらいの数学的な素養が必要な学問だから。
サイモンシンの「フェルマーの最終定理」を読んで岩澤理論の美しさに
感動しました、とか言ってたらまず間違いなく嘘だと思って宜しいw
数学研究者からしてみれば、どちらかというと料理人に対しての、
自分で料理をすることも出来なければ、そもそも旨い料理を
ほとんど食った事もなくて、それでこの食材のほうが身体に良いはずだ、
とか言ってるような人に近いと思ってるじゃないかな。旨い譬えが見つからんが。
>>844 おやおや
>数学とは「数」に関する学問である
などとはどこにも書いてないはずですがね。
841の冒頭の前提にそういった考えがあるにちがいないと
推測されたようなら間違いです。
数学者さんは、数学それ自体の研究の道具として使用している
数について無自覚だと申し上げたまでです。
>そもそも数学の哲学研究者は美しい数学の例などほとんど知らない。
おやおやこれでは典型的な
「あいつは数学のことなんてなんにもわかっちゃいねえ」
そのものではありませんか。
>数学はその「鑑賞」に、理論の構成者と同じくらいの数学的な素養が必要な学問だから。
などとおっしゃいますが、大工さんも建築理論の構成者に負けない建築的素養を
持っているとおもいますよ。
ちなみにたとえを料理人にしたところで趣旨が変わるわけではありません。
ただあなたの例はひどすぎますね。
実際に「調理」を考察したレヴィ・ストロースの研究をご存知ですか?
レヴィ・ストロースは自分で料理をすることもなければグルメではないかもしれません。
しかし人類と料理の関係に関して深い哲学的洞察を持つことができるわけです。
844も845も数学の哲学のことを調べてみもせずに 適当なこと喋ってるだけ
というか誰も具体的な人名 本 論文 を挙げないね 数学の哲学ってどれを指していってるのか
そもそも今数学研究者の多数が数学の基礎付けに無自覚なのは HilbertやらWeylやらBrouwerやらZermeloやらの数学者たちが 数学の基礎について考察を深めて一応のコンセンサスが出来たからなのであって。 その彼らの思想を踏み台にして(皆が皆とは言わないが) せいぜいεδくらいしか知らん現代の哲学者が解析学はああだこうだとか 適当な事を言ってるのは事実なわけで。 数学者は数学の基礎に無自覚だ、なんて批判は外れてると思うんだけど。 S. Mac Laneとかも道具としての「数」について無自覚だとか言って 批判されなきゃいけないんですか? BoolosだとかFefermanだとかBarwiseだとかみたいな人たちは 数学者と言って全然おかしくないからまあ良いとして 日本には彼らみたいな人居ないんじゃない?少なくとも哲学科には。 それに数学の哲学をやってる人で数理論理以外の分野に詳しい人は居ないんじゃないかな。多分。
> それに数学の哲学をやってる人で数理論理以外の分野に詳しい人は居ないんじゃないかな。多分。 それって日本国内限定で?
俺は数学者が数学の基礎に無自覚だとは思わんけども (基礎論以外の研究者で基礎の問題に侮蔑的な態度を とる人はけっこう知ってるが)、 Mac Laneを出してきて > 数学者は数学の基礎に無自覚だ、なんて批判は外れてると思うんだけど。 > S. Mac Laneとかも道具としての「数」について無自覚だとか言って > 批判されなきゃいけないんですか? という言い分ができるんだったら > 数学の哲学をやってる人で数理論理以外の分野に詳しい人 の例くらいちょっと調べればいくらでもいるよ。 数理論理学以外の数学を題材にとって哲学的な問題をどう設定するか という方法論が数学の哲学で確立されてないのは確かだけれど (それでもちゃんと専門の雑誌を調べればそういう試みも少数派ながら よくあることがわかります)、 > 数学の哲学をやってる人で数理論理以外の分野に詳しい人は居ない という批判は外れてる。 基礎の問題に取り組む研究者が数学者の少数派であるからといって 数学者が数学の基礎に無自覚であるわけではないのと同様、 数理論理学以外の数学の哲学に取り組む研究者が数学の哲学者の少数派であるからといって 数学の哲学者が数理論理学以外の数学を気にしていないわけではないよ。
私は論理学の専門誌はともかく、数学の哲学専門の雑誌は知らないから
「ちゃんと専門の雑誌を調べれば〜」は具体的にどういう論文のことを言ってるのかは分からない。
でもやっぱり哲学の人が数学の基礎がどうのこうのという話をするときに
「数学」という言葉で大方の人がイメージしてるのは基礎論周りの数学でしょう。
皆が皆とは言わないが九割の人は大分偏った数学観をもっていると思う。
特に哲学出身の方たち。
逆数学の研究者とかまで無理矢理哲学研究者と見做すのなら
多少マシになるのかもしれないけど、
彼らでさえ「数学のほとんど」はこれらの体系のどれかと同値になる、
などと言っているときの「数学のほとんど」というとき念頭にあるのは
学部レベルの初歩的な数学だ、とかいって馬鹿にされてるんだからね。
それがフェアな批判なのかどうかは知らないが。
>>849 「詳しい」というのも曖昧な言い方だけど
数学者のコミュニティには、研究者なら最低限代数幾何をこのくらい、
函数解析をこのくらいetc.は知ってるよね、という暗黙の前提があるらしい。
これは最低限の要求だから、この程度では数学をやってる人に対して
胸張って「詳しい」とは言えないよね。
哲学者が「数学に詳しい」ことになるにはどの程度の数学を 知っていなければならないか、はよくわからないが 「数学の哲学専門の雑誌は知らない」人間に「大方」とか 「九割」とか言う資格がないのはわかるよ
>>851 は誤読したり論の進め方が?だけど
結局、哲学系の人は数学を知らない、知らないものについて哲学するのは
おかしいという主張でしょ。それは基本的に正論だと思う
ただ例えば初歩的なものでも人間の知的活動のサンプルとして
数学は最高じゃないかしら
そういう目で哲学系の人が数学を見て考えるのは悪くないと思う
> 哲学系の人は数学を知らない そりゃあ、数学の哲学の研究者は哲学者の1割に遠く満たない、 その中でも基礎論以外の数学について哲学するのは少数派、 なんだからまあ、哲学系の人の9割以上は数学を知らない、ってんなら 当然ですけど、それが何か?
>>853 「哲学系の人は数学を知らない、
知らないものについて哲学するのは おかしい」
といったときに「何を」知らないのかが重要なのです。
哲学では(数学系のひとは哲学を知らないと思いますが)
歴史的にある知識がどれほど確実なのかということに
非常に関心を持つ傾向にあります。
哲学が数学をその対象にする際も当然数学的知見の根拠と
その方法論の確実性が問題となります。
そのようなときに、数学がその活動を通じて得た成果、
各分野で現在なされている研究自体を理解していることは
基本的に必要ないのです。
数学の哲学専門の雑誌ってそもそもあったっけ?
ZentralblattとかMathematical Reviewsにabstractが載るのか。へえ。
>>855 ほぼ全ての数学の分野の議論を集合論の上の理論として扱う事が出来るのは事実だけど、
これが可能なのは集合論が数学で相対的に最も根拠不確実な理論だからで、
万が一にZFCの公理系だとか集合論の相対無矛盾の証明なんかに間違いが見つかったとしても
現代数学の大部分はそれほど大きなダメージを受けないだろう。
(多分哲学やってる人も同意見の人が多いんじゃないかと思うけどね。)
数学の基礎がどうのこうの、なんてのは前世紀の一部のドイツの数学者の杞憂で
何ら重要なものじゃない、なんて思ってる数学者(とくに幾何やってる人)は多いかもしれない。
そもそも集合なんてものは19C後半〜20C前半の数学者がでっち上げただけの
形而上学的な概念に過ぎないのかもしれないし。
(それに近い意見を持っている集合論研究者は既に居るみたいですが。)
千年後には集合論も中世神学も似たようなものだと見做されているかもしれない。
>>855 のような問題意識で考察を行うからといって、
一番不確かな集合論だけを相手にしてりゃ良いじゃないか、とはならないし
一番確かな原始的な自然数論と一番不確かな集合論の両極端のみ
議論すれば良いのだ、というのも、何だかなあ、という感じなんだけどな。
そもそも数学の哲学をやっている人が集合論に詳しいかというと
必ずしもそうでもないみたいだけどね。九九くらいは出来る人が多いと思うけど。
自然数論は無矛盾だったけど抽象代数学や解析学は信頼のおけない理論でした、
というのが数学者としては一番避けたい状況のはずで、
実際に基礎論という分野はそういう風にして始まっているし、
一番数学的に興味があるのもこういう中間レベルの確実性の問題だと思う。
> 一番確かな原始的な自然数論と一番不確かな集合論の両極端のみ > 議論すれば良いのだ、というのも、何だかなあ、という感じなんだけどな。 そんなことを言ってる人がいるなら書誌情報求む
>>855 はそういう次元のことを言いたかったんでしょうかね。
>>858 みたいなことは(幼稚な煽りの部分を除くと)哲学では既に
40年近く言い古されている気がします。
そのたびに「数学の哲学」業界のうち数学科サイド(要するに
基礎論研究者)から反論があるという流れで、古くはKreiselとか
ここしばらくはS. Simpsonとか。
WeylのThe Continuum買ってきたお 数学の哲学の研究者はもっとWeylの事を積極的に取り上げるべきだと思うお (可術的数学プログラムとか)
結局、日本では数学で落ちこぼれた人間の掃き溜めだからなあ
基礎論のこと?
まず物理を勉強しなさい。
関心の持ち方が健全じゃないよね。 なにも生み出さないように生みださないように。 そういう指向が胡散臭いわけだな。
866 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 09:27:17
>>862 何が?数学の哲学のこと?
別に分析哲学で落ちこぼれたら数学の哲学を目指すわけでもなかろうし
大陸哲学で落ちこぼれたら分析哲学に転向したりするとか
数学の哲学をやりだしたりするとかそういうことでもないと思うんだけど。
哲学科自体の話ならちょっと分からんが。
>>865 何の話ですか?数学の哲学?
だとしたら意味不明なんだけど。
867 :
考える名無しさん :2007/04/03(火) 09:53:18
「数学の哲学」をやりだすと、周りが見えなくなるんだな。
「なにも生み出さないように生みださないように。」 ということの意図が分からない。 まあ現場の人間に対して評論家的な態度を取る、ということはあるかもしれないけどね、
>>865 現在の哲学がそもそもそういうもんだ
もうだいぶ以前から本質的にはありもしない問題をつくって延命してきた
870 :
考える名無しさん :2007/04/10(火) 14:04:47
物理も知らんくせに何が哲学だよ。
872 :
考える名無しさん :2007/04/11(水) 15:23:21
873 :
考える名無しさん :2007/04/11(水) 15:32:23
50年後、数学を考えているのはくコンピュータだ。
>>871 そんなこと言う奴は大抵、観測問題に鈍感で、挙げ句に量子力学と
意識論をいきなり地続きにしちまったりするもんでさ。
876 :
考える名無しさん :2007/04/11(水) 20:28:58
>>876 エネルギーのやり取りなしの光速超えは妄想だぞ(ゲラゲラ
キリストは万物の尺度。
879 :
考える名無しさん :2007/05/03(木) 10:08:26
数学的実在論って、 数字がギャートルズやセサミストリートみたいに実体化しているという立場なんですってね
原子論的数論と現象論的数論、乃至は離散と連続。 根本的な問題はどこにあるだろう。
881 :
考える名無しさん :2007/05/06(日) 15:20:20
>>879 ギャートルズやセサミストリート?
何言ってんの?
イデア界に数学殿堂というのがあって、
そこにまだ発見されていないものも含めて、
すべての数学的真理が陳列されているのさ。
ギャートルズ、セサミ知らないんだな
現象論的な態度と、直観主義が切り離せないのは、割と理解しやすいよな。
数学をろくに知らない人間が数学の哲学なんかやれるのか?
一片の知性も感じさせない見事なドカタ風煽りご苦労さん
>>884 コンピューターはプログラムを理解しなくとも、演算処理を行う。
数学も同じだ。
>>867 > 「数学の哲学」をやりだすと、周りが見えなくなるんだな。
「数学の哲学」をやっているヤツなんていないだろう。
昔みたいにカトリックの修道院ででもやらせりゃ良い。
数学と哲学ミックスさせると揚げ足取りあいながら パラドクスとかジレンマとか、アリ地獄を想像してしまうんだがそうでもないのか? 確率を政治家は蓋然性云々・・・というが文学系じゃないからどう違うのか分からん
「数学の哲学」やるには計算機科学の理解が必要不可欠だろ。
そもそも「数学の哲学」ってあるのかい。
クックックッ…
差異共振シナジー性の理論的構成:二つの差異共振空間:超越的波動空間(MP空間)と物質的波動空間(量子空間) 差異的同一性を差一性(ないし差同性)と呼ぶ。すなわち、差一性Aと差一性Bとにおける 差異共振性(差異共振シナジー性)の実質はどういうものなのか。 A≠Bであり、同時に、A=Bであるという即非の論理がここで成立する。 通常の論理では、不等号の論理であるか、A=Aの同一性等価の論理が作用する。 即非における等価の論理では、差一性が共振している。ここで、図式化してみよう。 差一性1・差異共振性1・差一性2・差異共振性2・差一性3・差異共振性3・・・ 差一性をDifference Identity(DI)として、差異共振性をDifference Resonance(DR)とすると、 DI1-DR1-DI2-DR2-DI3-DR3-・・・・・ となる。簡略化して、差一性を同一性Iとして、差異共振性を共振性Resonanceとすると、 I1―R1−I2−R2−I3−R3−・・・・ となるだろう。そして、MEDIA POINT(以下、MP)の理論を挿入すると、 I1-MP-I2-MP-I3-MP-I4-・・・・ となるだろう。MPは、普遍共通だから、序数をつける必要はないと考えられる。Iを元に戻して、差一性にすると、 差一性1−MP−差一性2−MP−差一性3−MP−差一性4−・・・ 結局、差一性Aと差一性Bとは、メディア・ポイントを介して、共振するのである。 ここで、即非の論理が成立するのである。だから、即非論理をメディア・ポイント論理(MP論理)と呼ぶこともできよう。 とまれ、これで差異共振性の意味が明快になったと言えよう。 個と個とは、メディア・ポイントを介して、超越的に共振するのであり、このときには、 新たな超越的エネルギーが放出されるのである。しかし、これは、エネルギー保存則から、 消滅するエネルギーである。生成消滅的エネルギーである。 だから、思うに、イデア界・超越界においては、イデア・超越的差異共振性のデュナミス、即ち、 ポテンシャル・エネルギーがあり、それが、メディア・ポイントを介して、エネルゲイア化・エネルギー化すると考えられる。 つまり、m(ic)*(-ic)⇒E=mc^2というエネルギー公式で考えると、⇒の左辺は 超越界・イデア界のデュナミス(ポテンシャル・エネルギー)を意味して、⇒の右辺がエネルゲイアではないだろうか。
コッコッコッ… コケッコッ
895 :
短パン :2007/05/08(火) 02:30:56
諸兄ライダー見てると、まるで自分を見せ付けられているようで、 嫌です・・・。 『本当は、好きなんだろ?同じに感じるくらいなんだからっ。へっへっへwww』 うざ。。。。 なんか、うぜぇ。
896 :
短パン :2007/05/08(火) 02:33:11
『どの道、オマエもそう思われているか。はたまた予備軍だ。』 かははwww・・・。 『観念しろ!』 ふん。 イヤダw
897 :
短パン :2007/05/08(火) 02:34:38
『ムダムダムダムダムダ〜〜〜〜〜〜!』 うぜぇ。
898 :
短パン :2007/05/08(火) 02:43:12
『今聴いている曲を提示白w』 アナタはやさしい目、だけどとてもブルー♪ 凍り付いてしまうほど・・・。 ・・・。折角だ。 「意識と無意識について。」何か聴いてみたいけれど、やれるか? 『フロイト的か?それとも、ユング的?』 無論。ユングでやってくれると、受け入れやすいのだがな。 出来るかな?(っつか、もぅ、夜中の3時だから、起きてないか・・・。)
「数学の哲学」を知らんようだなw
900 :
考える名無しさん :2007/05/08(火) 14:53:54
数学の哲学やるには高度な計算機科学はもちろん相当な物理の知識も必要だろ。
一番、誤魔化しをしずらい分野だよな。
なにを言ってるんだい。 今、ごまかしをどう認めるかだろう。 どう折り合いをつけるかでしょうが。
903 :
考える名無しさん :2007/05/08(火) 23:05:44
人間は「数学」という広大な体系を前にして全く無力なのだよ。
アキレスと亀問題はもっと詰めることが出来るな。暇を見てやるさ。 昔から丁度良い腕試しみたいなもん。
とりあえずこのスレを最初から読もうよ
906 :
考える名無しさん :2007/05/08(火) 23:31:50
読んだけど、てんで大したことないじゃん 哲学板のくせに
>>536 だから、それは面積や体積の定義に円周の長さって概念を使ってるからに過ぎないだろ。
処刑って頭いいのか悪いのか分からないように見せるのがうまいな。 一応読んだけどてんで大したことないじゃんよ。 哲学板のくせによ。 煙にまくだけかよ。
俺の言うことは分かりやすいからな♪
911 :
考える名無しさん :2007/05/09(水) 00:07:10
πみたいな無茶な数のほうが自然な数より多いので、 πなんかにこだわる必要はてんでないでしょう。
>>909 いや、俺の言ってるようなことを分かりやすくちゃんと書いてある本てねえ?
>>883 面白いことにHilbertの数学の哲学に関する文章にも
現象学的な用語法がけっこう見られるんだな。
当時のドイツの哲学者の影響だろうと思う。
>>908 ごめん、意味が分からない。
>>907 >>912 理系大学一、二年の数学の教科書読めば曲線の長さの定義は載ってる。
内接折れ線の長さの総和の上限として定義する。
面積、体積の定義は測度論、積分論を勉強すると分かる。
>>536 境界が長さを持たなくても(長さを定義できなくても)
面積は持つような(二次元)図形だってあるよ。
フラクタル図形とかで調べれ。
915 :
考える名無しさん :2007/05/16(水) 18:32:40 0
ハイレベルを謳うスレなら、なぜ誰もボルツァーノに言及しないのだ?
916 :
考える名無しさん :2007/05/16(水) 19:37:59 0
ボルツァーノなんて、大学院入試のための哲学史の勉強したとき そんな名前がでていたな、ぐらいしか知らんがな。
ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理しか知らんがな。
>ハイレベルを謳うスレなら ハイレベルじゃありませんからw そもそも数学の哲学に関するレス自体が少ない。 まあ専門分野としての数学の哲学よりも広い視野を持って 思考するのは良いことだとは思うがね。
919 :
考える名無しさん :2007/05/18(金) 21:34:23 0
このスレ立って約二年半 いつになったら有意義な情報が入るんだと思って注目して見てて 今年大学院入ったんだけど、やっぱself madeの世界だったのね・・・ 本気で泣けてきた・・・
日本で数学の哲学やってる大学院ってそもそもあんま無いでしょ。
延長を持たないゼロ次元は「点」ではない。「点」とは、量が ゼロの「線」、「面」、「立体」を表すか、さもなくば任意の 座標を指示しているだけである。
ファインマンは超ヒモ理論の研究者に「君は今、何次元にいるん だい?」と冷やかしていたそうな。
ゼロ次元がデフォルト空間なのは誰にも分かるよな?
924 :
考える名無しさん :2007/05/29(火) 11:51:27 0
>>920 日本の哲学専攻者は数学音痴がほとんどだからね。
欧米の大学だとメインが哲学、サブが数学や物理、という専攻形態が多いから、
数学がわからない哲学専攻者などあまり見かけない。
と見てきたような嘘を言い
926 :
考える名無しさん :2007/05/29(火) 15:44:55 0
欧米にだって、数学がわからん哲学者モドキくらいいるだろw
927 :
考える名無しさん :2007/05/29(火) 20:33:20 O
少なくともポモは確実に駄目だろうね
強いて言えば「点」、「線」、「面」、「立体」というのは各次元に おいて成立可能なオブジェクトに過ぎないってことだろうか。 しかし、どうも「点」というものは三次元空間の任意座標を表象 してしまうな。
なんちゅか・・・聞きかじりの用語を並べ立てるだけのポモもどきがいますね・・・
そうそう、この話に似てる。 33 名前: 検便マスター ◆IDufvYMab. [sage] 投稿日: 2007/05/14(月) 23:06:59 ID:5XeSXdLg 曹山、徳上座に問う。 曹 山「仏の真法身は猶虚空の如し。物に応じて形を現ずること、水中の月の 如しと。作摩生か箇の応ずる底の道理を説かん。」 徳上座「驢の井を観るが如し。」 曹 山「道うことは即ち甚だ道う。只八成を道い得たり。」 徳上座「和尚、又、如何。」 曹 山「井の驢を観るが如し。」
>>924 フランス現代思想なんて誰々の思想は微分幾何的であるが
誰々の思想は位相幾何的である、とか、
ラカンが√(-1)がどうたらこうたらとか言ってたりして笑っちゃうよね。
>>928 それ数学の哲学じゃないから。
933 :
考える名無しさん :2007/05/30(水) 09:35:41 0
フランス現代思想(といっても過去の遺物ですが)は フランスの哲学界では受け入れられなかったね。 当時の流行思想に過ぎません。要するにファッション。
>>933 同意。
現代思想も哲学もどちらもダメということだね。
気の利いたことでも言ったつもりか?
936 :
考える名無しさん :2007/05/30(水) 16:52:35 0
>>933 フランス現代思想って
サルトル、ラカン、フーコー、ドゥルーズ、デリダ・・・
だよね。
こいつら、
フランスの哲学界では受け入れられなかったのかい?
日本で有名なだけかい?
937 :
考える名無しさん :2007/05/30(水) 17:42:42 0
21世紀に生きる我々から見れば、そいつらはゴミだよ。
例えば吉本隆明や浅田彰が日本の哲学界で 受け入れられていると言えるかどうかを考えてみたらいい。
>>932 数論なら位相幾何学で再整理が必要なんだって。
アインシュタインの理解出来る奴って少ねえんだろうな。
実存を支える支柱のない奴ぁ、アインシュタインは理解出来ない。 「神はサイコロを投げない」ってのは、同一律の地平における 機械的な決定論ではない、永遠の相からの眺め。
超ヒモ理論なんか持ち上げる奴は、次元の数が多けりゃ高度な理論だと思ってんだろ。
バ カ は や り き れ ね え 。
数論で「数は至る所で稠密である」とか定義するだろ。数直線を 前提にして、空間性を持ち込んでしまってる。これじゃ駄目だろ。
空間は座標であるからにはオブジェクト(客体)ではない。 それは場である。場は認識され得ない。
>>942 貶すのは理解してからにしような。
>>944 ある順序集合(S , <)が稠密であるというのは
任意のRの要素aとbに対してa≠bならば必ず或る数c∈Sがあって
a<c<bまたはb<c<aとなっている(つまり任意の相異なる二元に対してその間に第三の元が存在する)
ことを言います。
「空間性」などという訳の分からないものは使っていません。
訂正 × 任意のRの要素 ○ 任意のSの要素
>>950 元ってのは要素elementのことだよ。
a∈bのときにaはbの元(要素、成員)である、とかaはbに属する、とか言う。
じゃあ∈とは何かというと、集合論の10個くらいの公理図式を満たすような関係、
としか言いようが無い。言いようが無いということがひたすら数学の哲学で議論されてる。
(集合とは何か、所属関係とは何かということ)
うるせえって、集合論に空間性持ち込むなよ? 時間項を第四次元ではなく、第一次元と考えたらどうなるだろう。
何も変わんねーよ
955 :
考える名無しさん :2007/06/15(金) 21:41:25 0
ただ、自分の見ている世界から法則性を見つけ出し、それを一貫したらどうなるか考えること。 それを定義と言い、その定義で仕切られた世界に定理が発見される。
よし、じゃ以後、時間項を第一次元にする。 ヒモ学者ども異義はないな?
第一次元って、線だけ?
958 :
考える名無しさん :2007/06/16(土) 06:04:30 O
小学生だった頃、ニュートンで1次元は点であり、2次元は線であり、3次元は奥行きであり、4次元は時間であるってのを見た記憶があるんだが、今のニュートンでは1・2・3・4次元はどう解釈されてるんだ?
>>958 なんかとてつもなく間違ってるんでどこから突っ込んでいいか分からないが、
普通は、0次元は点、1次元が直線、2次元は平面、3次元は空間、4次元は時空かな。
もちろん全然違う風に考える場合も、たくさんあるけどさ。
ところで、時間を第何次元と解釈しようが何も変わらないと思うんだが、
何か違うことってあるの?
「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。 私が原著は12年前に書いた本である「決然たる政治学への道」(弓立社=ゆだちしゃ=刊、2002年)の P.174に、「本当は学問の体系はこのようになっているの表」で、私は、はっきりと、「フィロソフィー (×哲学と訳すのは嫌いだ。知恵の学)と数学は、神学(セオロジー、テオロジー)の下女、はしためである」 そして、「サイエンス(ヨーロッパ近代学問)と、この神学が、大きく闘うのである」と書いた。 神学(セオロジー)は日本人には分からない。「神学論争」なる言葉は、日本語になっているが、その中身を 日本人で分かる者はいないだろう。そして、その下に、初級学問=下等学問としての、ヒューマニティーズ (人文、じんぶん、人間の文字による記録、石碑、古文書の解読、文学部の世界)があるのだ、と書いている。 「数学は、神学の下女」なのだ。これは、ヨーロッパの学問の体系の中では、はっきりしていることだ。 数学は、決して自然科学(しぜんかかく、ナチュラル・サイエンス)には、所属しないのだ。 ただ道具として多用される。私、副島隆彦がこのように書いて、まだ反論したり、何か異論を唱えることの 出来る、日本人は、誰でもいいから、名乗りを挙げて出来てください
961 :
考える名無しさん :2007/06/17(日) 07:54:28 0
星っていうものは、ほとんど球形である。 一次元は半径、2次元、3次元は緯度、経度、そして4次元が時間だとすればいいのでは? 気象学と絡んでくるだろう。
962 :
考える名無しさん :2007/06/17(日) 08:18:17 0
961続き、 それこそ紫微斗数占いの世界である。
963 :
考える名無しさん :2007/06/17(日) 08:20:05 0
961続き、 それこそ紫微斗数占いの世界である。 どんなことが起きるか、ある程度未来でも占える。
>>959 間違いだらけで申し訳ないが、本当にそう書いてあったんだから仕方がない。教えてくれてありがとう。0次元は点なんだな(´ー`)
ヲタクは二次元だろ。美少女フィギュアは三次元だが。
オタクといったって、二次元オタク以外にも色々いるじゃん 鉄道オタクとかアイドルオタクとか数学オタクとか
そういうのいいから本筋に戻してくれ
だから時間項を第一次に置くと、セル画美少女は三次元、ロリコン・ フィギュアは驚くなかれ四次元の存在になる! うれしくて、アタマくらくらしちゃうだろ。
理論は現実の写像だ。時間の流れの外にあるものを人間は認識出来ない。
微分積分知らずに数学の哲学ってもw
電子工学科卒の俺に言ってる?
電算機で積分求める時は、マシンパワーでそのまま面積求めるよね。
974 :
ニート ◆sMK0HtrnIA :2007/06/18(月) 23:32:49 O
処刑ライダーに言いたい。処刑ライダーは、ヲタク=虹好きなんだろ?的な考えなの? ヲタクじゃなくても虹好きなやついるし、ヲタクだから虹好きとも言えないと思うよ。ヲタクって言葉には、色んなヲタクが含まれてるんだよね?ならヲタク=虹だとか、三次と言えば=フィギュアもおかしいと思う。
俺はニートには発言件は、これを認めない。
976 :
考える名無しさん :2007/06/19(火) 00:40:39 0
電子高額化卒でこんだけバカw 理系すげー
977 :
考える名無しさん :2007/06/19(火) 12:11:31 0
どこにでも馬鹿はいる
978 :
考える名無しさん :
2007/06/19(火) 15:00:12 0 不完全性定理は、数学「全体」に対しても成立するんだろうか?