1 :
考える名無しさん:
もはや現代では不要でしょ
2 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 17:43:39
なぜ、哲学は不要なのか
4 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 17:52:30
似たようなスレ立てても伸びないよ
6 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 19:59:47
基地外凶漢が不要
7 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 20:12:31
哲学は哲学によって否定されます。
反証不能な問題について延々と考えるのが哲学だからな
有益性がないことは言うまでもあるまい。
しかし扱うテーマには普遍性があるので、思考実験集の一つとしては存在価値がある。
9 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 21:53:35
そういうこと考えないで済む奴は幸福なんだから構うなよ
哲学が必要な奴もいて、絶対不幸なんだから。
10 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 22:23:33
11 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 22:40:17
>>1 哲学書を見てるとそうは思わないが
哲学板を見てるとそう思う
12 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 22:43:48
不要な哲学を根絶するためにも哲学は必要でしょう。
神、国家、科学を否定する哲学は不要な哲学。
>>1 そのうち誰もやらなくなるから相手にしなくていいよ
15 :
考える名無しさん:2005/10/04(火) 08:10:21
79 名前:考える名無しさん :2005/09/03(土) 07:41:55
>>76 なるほどな。
確かにお前のデリダ批判は至極まともなものだと思う。
だが
>wぷプワラワぷっwwぷっwwwwww
ここにお前の矛盾がある。
なぜデリダが神秘主義者なんだ?
そこを詳しく説明しないと誰もお前の意見に納得なんぞしやしないぜ
16 :
考える名無しさん:2005/10/04(火) 13:08:00
ダイアローグなんて成立しようがないって言いたいの?
17 :
凡人:2005/10/08(土) 17:18:04
>>1番さんに反して哲学必要論
哲学の目的は物事の理を悟り真の道徳、倫理観に依って産み出される愛智「潜在知能」を以て全てを成す事です。
人は生まれ付き誰も持っている知能を育て智恵を得る為には物事の理を悟る事が不可欠です。
哲学の探究に依り見いだされた愛智を以て力を崇拝し人の知能の発育を妨げる蒙昧意識の支配社会を自由と平等
を重んじる啓蒙意識の社会に人類史の方向転換を促す大切な探求事項です。
人は知恵を産みだす為に物事の理を悟る必要が不可欠で有ることは辞書の智恵を索引してお調べ下さい。
いま現在、人類が使用して要る智恵は蒙昧意識が産みだす微量な智恵で有り愛智の智恵とは比較対象の比では有りません。
その事を気づく為にも人類は物事の理を悟る哲学探究が必要です。
以上の理由を以て哲学必要論を唱えますが哲学の在り方に大きな間違いが有ることも否めません。
18 :
考える名無しさん:2005/10/09(日) 01:26:40
2004年お子様の憧れのスポーツ選手は?
1位 松井秀喜 14.8%
2位 イチロー 11.7%
3位 ベッカム 8.2%
ttp://www.bandai.co.jp/kodomo/question107.html 最後のアンケート結果のコメントに
「ホームランを打てるプロ野球選手が、多くの男の子たちにとって魅力的であり、憧れの対象となるようだ。」と
書いてあり、その通りだと思った。 子供は正直だな〜。
今年は、打撃三部門、全て松井が勝っており、松井とイチローの差は、さらに大きく開いたと思われる。
本塁打
@松井 秀喜 23本
A井口 資仁 15本
Aイチロー 15本
C田口 壮 8本
D松井稼頭央 3本
打点
@松井 秀喜 116点
A井口 資仁 71点
Bイチロー 68点
C田口 壮 53点
D松井稼頭央 24点
打率
@松井 秀喜 .305
Aイチロー . 303
B田口 壮. 288
C井口 資仁 .278
D松井稼頭央 .255
19 :
考える名無しさん:2005/10/25(火) 00:21:45
やぱにしこりだよ!
20 :
閑人:2005/10/25(火) 00:57:41
哲学は学問でしょ?。
思想でも宗教でもないと思うから。
数学の中でも人気のない分野はあるからね。それと必要か必要でないかは
あまり関わりはないと思うけど。
21 :
考える名無しさん:2005/10/25(火) 00:59:43
哲学書を読んでもやっぱりどうにもダメ。
しょせん僕らと変わらない普通の人が書いた本ですから。
せいぜいみんな学校の先生とかでしょ。
仏教はいいぞ。
22 :
考える名無しさん:
でも、普通の人が世の中に多いのだから聖なる方の書いたものでは役にたた
ぬかも知れぬぞ。
そんな風に流れていったのが日本の仏教だよね?