【スラヴォイ・ジジェク】Part 2

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828第三の波平 ◆JXLBbnYqTY
まとめましょう

■象徴界=大文字の他者=シニフィアンの宝庫

大文字の他者とはなにか?象徴界であり、シニフィアンの宝庫です。だからシニフィアンは
すべて大文字の他者の元にあります。大文字の他者(シニフィアンの宝庫)がシニフィアン
を保障するのです。これがすごく重要です。シニフィアンは他のなにものにも基礎付け去れ
ません。これをラカンのテーゼでいえば、「大文字の他者の大文字の他者は存在しない。」
「メタ言語は存在しない。」ですね。

たたシニフィアンには共時的、通時的な法則(大文字の他者)のみがシニフィアンを位置付
けます。それは去勢というインストール(言語獲得)により一気に埋め込まれるわけです。
そしてそのときに同時にファルス=欠如のシニフィアン=空虚なシニフィアンも埋め込まれ
るのです。

これはまさに言語論的です。たとえば後期ウィトには「規則のパラドクス」というのがあり、
規則はなにものにも基礎付けられていないのになず作動するのか。たとえば原理的に作
動するはずがない数学はなぜ真理のように振る舞えるのか。その言語論的な答えの一つ
が超越論的な「共同体」です。人の認識を越えて、みなが価値をともにしている信じる共同
体に属しているからということです。これはまさに大文字の他者他者です。シニフィアンの
法則性でしかないところに人は超越論的他者(神)を見るのです。
829第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/04(金) 23:17:32 0
続けると、言語論には「自己言及のパラドックス」というものがあります。言語体系において
自己に言及するとパラドクスが生じる。これをファルス=欠如のシニフィアンにつなげること
ができます。ファルスとは私は〜だ!とちんこを押っ立てて叫ぶことです。しかし去勢(言語
のインストール=大文字の他者を内面化する)によって、自己に言及するとパラドクスが生
まれる=欠如するしかないのです。

去勢(言語のインストール)とは、ファルス(欠如)も抱え込むことです。そしてつぎつぎに大
文字の他者に導かれて、シニフィアンをとっかえるのですが、決してうまりません。なぜなら
大文字の他者そのものが欠如している(パラドクスをかかえてる)からです。

ジシェクだけだと、ラカンは好きかって言っていると思うかも知れませんが、最先端の言語論
でできています。最新の分析哲学より先をいっているぐらいです。ほんとすごいのです。


830第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/04(金) 23:45:11 0
このことに関するジジェクを引用しましょう。

>>
われわれのいう「社会的現実」とは、究極的に倫理的構成物である。それは、ある種の「あ
たかも・・・のように」に支えられている。その信念(ここでふたたび思い出さねばならない。
信念は絶対に「心理的」レベルで捉えてはならない。それは社会的領域の実際的機能の
中に具現化・具体化されているのだ)が失われるや、社会的領域の全体構造そのものが崩
壊してしまう。このことはすでにパスカルによって明快に表現されていた。・・・パスカルによ
れば、われわれの理性の内性は意味をもたない外的な「機械」によって決定されている。そ
の機械とはシニフィアン、すなわち主体がその中に捕らえられているところの象徴的ネット
ワークの、自動機械である−

なぜなら、われわれは自分を誤解してはならない。われわれは精神であると同程度に自動
機械である。・・・証拠は精神しか納得させない。習慣こそが、もっとも強力な、いちばん信
頼できる証拠となる。習慣は自動機械の動きを左右する。自動機械は、知らず知らずのう
ちに精神を引っ張っていく(パスカル)

ここでパスカルは、無意識にたいしてきわめてラカン的な定義を下している。「無意識のう
ちに精神を誘導している自動機械(すなわち、死んだ、意味のない文字)」。法には本質的
に意味がないというこの性質から、論理的に、次のようになる。われわれが法に従わなけ
ればならないのは、それが正しく、良く、われわれに利益をもたらすからなどではなく、たん
にそれが法だからである。P59-60

「イデオロギーの崇高な対象」 スラヴォイ ジジェク
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831第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/09/04(金) 23:59:38 0
ここで、いっていることは、

「信念を支えているのは、無意識というシニフィアンの自動機械である。」

これはまさに大文字の他者ですね。

「法に従わなければならないのは、それが正しく、良く、われわれに利益を
もたらすからなどではなく、たんにそれが法だからである。」

法の正しさはなにものに基礎づけられない。ただ法は法だから、
すなわちインストールされた無意識というシニフィアンの自動機械として作動している。
それがなにか正しいと報償されているように錯覚する。これが大文字の他者効果である。