◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない43◆
365 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :
>>339 説明不足でした。
この使い道での俺定義では
「完全」閉じた系において、どんな条件でも普遍的に適用できるもの。
「理想的」系の開閉は問わず、抽象化した一般的な条件の下で適用できるもの。
あー下手だな、理想化した条件下かな。
で、今まで作られた(発見された)法則というのは理想的にしか動かないもの
ばかりで完全な法則は多分無い。
決定論がもし証明されるなら完全法則だと思う。閉じた系だし、絶対なんでしょ。
366 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 18:02:31
>>365 普通、「理想化」というがな。理想化によって世界から大部分の情報を切り捨てると、
その結果生まれたモデル(系)は閉じている。モデルが閉じてないとそもそも
モデルとしての価値が無いからダメだしね。しかし世界はモデルから見ると開いている。
人間はモデルを通してしか世界を観察できないから(人間の知識は有限なのでモデルもまた
有限かつ閉じているので)世界は経験的には開いている。世界が本当は閉じていると
主張することは可能だが、経験に合わないという意味でその主張の価値は低いと思われるがね。
>>364 以前は機械タンはここでの普通の呼び方だったのだ。最近はそう呼ぶことは減ったが。
開いてるとか閉じてるとか曖昧すぎでしょ?
369 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/12(月) 20:37:33
地球は開いている系。
太陽光で植物が化学エネルギー(炭水化物)を溜め込んで食物連鎖を始める。
太陽光、火山活動や食物連鎖等の余剰エネルギーは宇宙空間に捨てる。
それと生命は生まれ死んでいく。
上記より、自然活動は開いてるから完全法則ではない。
非決定論も開いてるから完全法則じゃないんだよね。
完全法則だと終わって(完成して)いて、
理想的法則だとだらだらと続く(いたちごっこ)。
370 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/12(月) 20:41:14
増えもせず
減りもせず
常でも無く。
371 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 20:45:38
夢はな、夜ひらく
機械タソの天敵は、最高位先生。
306 :「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/12(月) 01:23:26
>>282 PS
「産まれたての脳」は既に「胎内経験」を積んでいる脳ですし、
そういう意味で「狼少年」・・・人類の遺伝子を持ちながら
狼を「親として育った生物」・・は、「人類への復帰」が難しいのです。
さらに人類の「遺伝子の97%までチンパンジーと同じ」ですので、
「胎教」からチンパンジーの胎児を「人間扱い」して育ててみれば・・
「どういう結果」が出るか・・・判りません。・・キリスト教徒さん達には
「あり得ない不愉快な仮定(実験)」だと思いますが・・・。
308 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/12(月) 02:15:51
>>306 またまた、おかしなこと言ってるぞ?
狼少年は胎教は人間から受けてるんだよ
前後の文章の、辻褄が合ってないだろ
373 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 20:50:44
>上記より、自然活動は開いてるから完全法則ではない。
>非決定論も開いてるから完全法則じゃないんだよね。
>完全法則だと終わって(完成して)いて、
>理想的法則だとだらだらと続く(いたちごっこ)。
とりあえずこの「完全法則」と「理想的法則」というマイ哲学用語を
標準的な学問の用語に直して下さい。オネガイします。
374 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 20:52:20
後天的意志はどんな過去の因果もくつがえす。
知らんのか?
375 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/12(月) 20:53:38
376 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 20:56:48
>>375 あの表記では、系が数学的に閉じているのか
物理的に閉じているのかも定かではありません。
もうちょっとなんとかなりませんでしょうかorz
377 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/12(月) 21:02:55
>>376 >>369 >太陽光で植物が〜宇宙空間に捨てる。
は熱エネルギーを見たときに入出力され(開かれ)ている。
>生まれ死ぬ
は個体の数かなぁ、分かんないや。
入出力と見るなら=開かれていると考えるなら
開かれた系自体がモデル化されてるじゃん。
379 :
訂正:2005/09/12(月) 21:13:42
入出力がある=開かれていると考えるなら、
開かれた系自体がモデル化されてるじゃん。
その前に、世界が開かれてるんなら世界に限界は無いわけだが、
それって経験できないから「世界はどこかで閉じてるだろう」という
反対の仮定と大差ないのでは?
>>379 >開かれた系自体がモデル化
浅学ですみませんが、↑は駄目なのでしょうか?
382 :
379:2005/09/12(月) 21:22:13
>>381 開かれた系はそもそもモデル化できないと思うんだが?
>>380 私もそう思います。
経験は、「経験されていないこと」が与えられることによって
常に閉じているのではないでしょうか。もっとも、その境界線
を表現することは不可能でしょうけれども。もし、可能ならば、
経験していないことを経験しなければならないからです。
「世界は開いている」というのは「私がまだ経験していないこと
があり、それは無限にある」という仮説だと思います。
仮説っていうか普通にそういう意味だよね。
>>382 >開かれた系はそもそもモデル化できないと思うんだが?
入出力データを具体的には用意しないで、関数自体の表記は可能ですよね。
>>383 >「世界は開いている」というのは「私がまだ経験していないこと
>があり、それは無限にある」という仮説だと思います。
未経験のものは無限にあります。全てを経験する事は不可能でしょうが、
>>306 >「胎教」からチンパンジーの胎児を「人間扱い」して育ててみれば
そんなこと、やろうと思えば簡単にできるんじゃないのか。
というか、動物園で妊娠したチンパンジーの腹に飼育係が毎日話しかけて、
生まれてきた子供を人間が育てればそうなるだろ。
そんなことしたって、人間に馴れたチンパンジー以外のものになるとは思えんがw
388 :
379:2005/09/12(月) 21:40:07
>>385 関数が用意された時点で閉じてると思うんだが?
まあ、閉じてる開いてるの使い方の違いかもね。
ってか、前提がおかしいのよ。
色々切り捨てて無理に閉じさせたのがモデルなんだから。
仮に、開いたモデルがあるとしても
>>366で無価値と言ってる
んだから考慮する必要すらないわけだ。そういうモデルは。
>>389 >>366と私は開く閉じるの箇所が違うので話が合わなかったのですね。気づきました。
私の「開かれたモデル」とは「開かれた世界」を抽象化(理想化・捨象・一面化・閉ざして)して作ったモデルです。
これを「「開かれた世界」のモデル」(理想的法則)と表現したつもりでした。
閉じた方(完全法則)は突っ込まれるところありますでしょうか?
正直、「開かれた世界をモデル化」できないって言われるとは思いませんでした。
世界は開かれていないの?
ビッグクランチは定説ですか?
人生で起こる確率はほぼ0ですが、究極的にはあるのかもしれませんね。
でも、ビッグクランチ(があったとしても)そのものがビッグバンと等価だと勝手に希望的観測してました。
連投カキコごめんなさい。
数は開かれた系です。なぜなら無限大(大きさ方向に開く)、無理数(精密方向に)があるからです。
このままでは考えようがないので、例えば+八百万〜−八百万で大きさを区切り、小数点を丸めて考える。
これが理想化で、このことを開かれた世界のモデル(理想的法則)化だと思っていました。
393 :
379:2005/09/12(月) 22:39:32
>>391 実際の手続として、
開かれた世界
↓
閉じた世界
↓
モデル化
をしてると俺は考えてる。
ちなみに、数学が世界のモデルなのかと言われると疑わしいんだが。
394 :
379:2005/09/12(月) 22:40:51
あと、開かれた世界なら非決定論かというと、そこに
論理必然性があるのかどうか俺には確信が持てない。
395 :
379:2005/09/12(月) 22:43:00
むしろ、数が開かれた系だとすると、開かれた系が決定論的
であってもおかしくないと感じてしまうんだが。
396 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/12(月) 22:52:49
399 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/12(月) 23:12:30
>>397 そうかも。
決定論は「何かによってあらゆるものは規定される」(これでいいのかな?)
だから、何かによって閉じていると思います。
その前に、
>>377で「出力がある」というのが「開かれてる」の
定義になってますが、数は入力したり出力したり
してるんですか?
訂正。「入出力がある」
>>399 そもそも、閉じている、開いているという言葉自体、対象となる系の外部が存在し、
その外部との相互作用があるか否かという意味しかないような気もします。
なので、対象とする系に世界全体を選べば、無条件で閉じたことになると思います。
そうだな。やっぱちゃんと定義しないと意味が多重になって
わけわかんなくなるわ。
404 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/12(月) 23:28:05
>>400 関数じゃいけないかな。
>>402 世界全体と言っても含めないものがある。かも
例えば無限大。といった思考の外に置かれるものです。
405 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 23:30:15
>>404 おまいさんの「世界」の定義がおかしい。世界と言うのはあらゆる物を含むから世界なのであって。
>>404 人間の思考の中に置けるかどうかは、この際問題ではないと思います。
相互作用するすべてを含むかどうかということです。無限でも閉じた系になり得るでしょう。
閉じてる開いてる、でその先何を明確にしたいのかが判然としないんだが。
有限と無限の両方の概念が混在してるのはこの世のどの現象を見ても既に明らかじゃないか。
>>404 うーん、演算で入出力があるのは分かるのですが。
まあ、私は数学に疎いので何とも。
何かよくわからんのだが、宇宙の歴史の中で「閉じている系」
があるとしたら、その系は「原因なしに存在している」ことになって、
決定論と矛盾しないか?
決定論というのは「世界の中に閉じている系は存在し得ない」という
考えを含むような気がするが。
もっとも、宇宙全体が「閉じている」なら、宇宙全体は原因なしに存在している
ことになるような気もするが。
410 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/12(月) 23:38:37
ビッグバン−ビッグクランチ
原始恒星−超新星
生−死
覚醒−睡眠
と大きな閉じた系の中に入れ子式&有機的に小さな閉じた系が繋がっている。
これは小さな系からみたら開いてるのでは?
>>410 小さな系からみたら開いているというのは賛成です。
例えば、「私」から見れば世界は開いているようにしか
見えません。
>>409 「閉じられた」と考えてみるのはどうでしょうか。
――主は大海の水をせき止め、深淵の水を倉に納められた――
413 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/13(火) 00:13:53
>>308 >狼少年は胎教は人間から受けてるんだよ
>前後の文章の、辻褄が合ってないだろ
「少し考える人」には「判るように書いている」のです。
むろん人間の子供の「胎教」(があるとしたら)「人間の母親の行動」に
伴う「内容」の「胎教」になります・・「当たり前」ですね。
0歳児〜3歳児程度の時期で「狼に育てられる」と、「(到底)胎教どころの問題ではない
・・・『類』を決めてしまうほどの決定的体験になる・・・ということを言いたいのです。
何故か?・・それは「(大脳の)指向的クオリアの様相(ありかた)を決めてしまう」・・
ということに気づいていただきたかったのですが・・・無理みたいでしたね。
>>413 他人を馬鹿だと思う癖を直したほうがいいです。あなたの文章がおかしいだけ。
415 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/13(火) 00:27:41
>>411 「この世界」は、一応「137億光年(距離)の彼方」で「閉じて」おります。
それは「ビッグバン」が「137億年前の出来事」であったため、「それ以上の過去」
=宇宙においては「遠くを見れば見るほど『過去を見る』」・・という基本的単純な
「原理」があるからです。
では「我々が現在見ている137億光年先(宇宙の果て「Z地点」)・・・こちらから見ると
からは、別の『137億光年先の宇宙』が見えるのでしょうか?
そうではありません。
宇宙の果て「Z地点」から見ると現在の地球は「137億年前のビッグバン直後の地球周辺」が見えており、
それ(この地球)が(Z地点の)彼らの「宇宙の果て」なのです。
416 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 00:29:49
まずビッグバンがおきたことを証明してくださいね。
Z地点から地球の方向の反対側を見ると、何が見えるんですか。
418 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 00:34:39
ビッグバンとか言うなよ。もう既にそれゴミ。
419 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/13(火) 00:39:14
>>416 何故「137億光年先」までは「宇宙が見える」のに、
「それ以遠」は「急に全く何も見えなくなるのか?」
これこそが「ビッグバンが137億年前に起こった」証拠@です。
証拠Aは「宇宙が無限の広がりを持つならば、銀河や恒星(太陽)が発する
「光線」は「無限」に地球に届くはずである・・・のにそうではない。
証拠B「120億光年程度先」の赤方偏倚(ドップラー効果)は137億光年先に
「光速を超える」スピードより遙かに小さい膨張速度しか持っていない・ということです。
420 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/13(火) 00:44:20
>>417 @「宇宙の構造が4次元球形(類比です)」と「地球方向」が見えます。
A「宇宙の構造が馬の鞍型」(類比です)」とたぶん「地球からは
絶対にコンタクトできない宇宙の広がり」がありますが、その「半径」
は「Z地点を中心として137億光年」です。
>>415 >宇宙の果て「Z地点」から見ると現在の地球は「137億年前のビッグバン直後の地球周辺」が見えており、
そもそもビッグバン直後は宇宙は限りなく小さい点なんだから、
「地球周辺」もクソもないのでは。
>>419 それは光がどんな距離からも届くという前提があるからだろう
423 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/13(火) 00:59:58
>>421 そんとおりです。
「137億光年」というプラネタリウムのスクリーンのうなな「ビッグバン時の壁」
以遠には「無」があります。
137億光年前の「ビッグバンのまさにその瞬間」の「10のマイナス44乗秒後」
の「宇宙全体」は「太陽系」程度に膨らんでおりますが、
「ハッブル宇宙望遠鏡」でも「すばる」でも「観測できる限界の大きさ」の
「10のマイナス10乗程度」の倍率不足となりますので、今世紀中には無理だと思います。
何しろ、今の(それらの)望遠鏡では「太陽の隣の『太陽』」=「αケンタウリ」に惑星が有るのか無いのか
その程度・・も「観測」できないのですから。
だって、さっき
>「137億光年先」までは「宇宙が見える」
って、言ったじゃん。
425 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 01:06:35
■ 毎日が日曜日スレ
Good Night
ノシ
なんの話かよくわからんけど、
端的に言って、
既知からは既知しか導き出せないのであって、既知から未知は導き出せない
明日、太陽は西から登るかもしれないし、
漏れは、いきなり空飛んじゃうかもしれない。
で、何の話?(´・ω・`)
427 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/13(火) 01:14:46
>>422 光・・・電磁波(光子の飛翔)・・・の到達距離は(遮蔽物がなければ)「無限」です。
すなわち「時間」の「速度」と「同じ」です。
だから「宇宙距離」は「光年」・・・光が(地球)1年で進む距離・・を
「基準」としております。
宇宙の中の「全ての量子や力の伝達速度」が「光速」を超えることはありません。
「最新ジャンク宇宙論」では「『タキオン粒子は高速を越える』」などと言っておりますが、
「アイデア倒れで根拠なし」です。
「時間のスピード」で「光は伝播する」・・従って
「今見えている月」は「1秒前の月」以外の何でもない。
「今見えている太陽」は「8分前の太陽」以外の何でもない。
ので、「世界と現前している『主体として自己』など」は、
「物理学を無視した主観宗教」にすぎません。
5分前に太陽が爆発していても「主体としての自己」には、
「照り輝く太陽」としか認識できないのです。
428 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 01:22:48
>>427 >光・・・電磁波(光子の飛翔)・・・の到達距離は(遮蔽物がなければ)「無限」です。
実は137億光年までしか届かないのかもしれなくね?w
>>427 電磁波の到達距離は有限なのに無限だという前提をするからインフレ宇宙論が
出てくるんだろう。
430 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/13(火) 01:31:18
電磁波と重力は到達距離無限大ですね。
431 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/13(火) 01:33:16
機械君は
まず、文章がおかしいよ
いろいろ考える前に
まず、普通の事が普通に書けるような練習をした方がいいね
とにかく、言ってる事が支離滅裂なんだよ
まず、言いたい事を決めて
根拠と結論が矛盾しないように文章構成を組まなきゃね
いつも途中からヘンな方向へ行って、結局何が言いたいのかワケワカメになってるよ?
内容は、書き始める前に決めておかなきゃね
さすが同一人w
433 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 01:54:37
>>432 ブブーッ、残念。
>>427 っていうかさ、宇宙の年齢は137億年?。
ということは、宇宙の137億年分しか我々に
は観測できないのだよね?。
434 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 02:00:41
×137億年分しか我々には観測できないのだよね?。
○137億光年分しか我々には観測できないのだよね?。
wikipedia見たら、私の言ってた閉じた系が孤立系で
開いた系が閉鎖系と開放系ということを誤用した事に気が付きました。
問いは宇宙は孤立しているか?です。(ビッグバン以前や熱死以後の状態や宇宙は唯一かとか)
>>410の幾層かの孤立系から推し進められるかなぁと思いました。
>>435の問いは孤立していれば決定論。
してなければ非決定論。となるかも。という問いです。
つまり、外部から完全に遮断され、内部で完全に規定されているという孤立系
が決定論というのが私の解釈です。
ちびちびレスをしてすみません。
438 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 19:51:47
>>437 独我論は決定論だといいたいのかな?
独我論でも非決定論は成立するだろう。
世界は自分の世界で閉じているのが独我論でしょう。
自分の世界で閉じているからといってその世界が
決定論的でなければならない条件はつかないと思う。
どちらかというと独我論世界は自由意志にもとづく
主観だけしかない世界と思われる。
439 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 19:57:49
>>437 その孤立した世界はどうやって誕生できますか?自分がまだ誕生していない
なら自分を生むことはできないよ。
440 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 20:02:40
>>439 自分が生まれていない人にとっては世界は存在しない。
自分が自分を生むことはない。
自分にはじめはない。気がついたときに自分はある。
>>438 >独我論でも非決定論は成立するだろう。
なぜ?根拠は?
独我論と決定論(非決定論)と、何の関係があるんだ?
443 :
考える名無しさん:2005/09/13(火) 23:54:39
毒牙にかかったようだね?
444 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/14(水) 00:33:45
>>440 >自分が生まれていない人にとっては世界は存在しない。
>自分が自分を生むことはない。
>自分にはじめはない。気がついたときに自分はある。
正しい「世界観」です。
但し、もう一つ
「自分(の肉体⊃脳)が生滅した後」=要するに「死後」
いわゆる「世界」(人類の脳が「外界に押しつけている像」・・・
「全クオリアの集合物」は「存在」しなくなります。
まさに「存在する」という概念や「無」という概念そのものを「担っている」
のは「個々の脳のクオリアの発現結果」ですから、「最後の人類」が死に絶えると、
明確に「この世界」は「存在」しなくなります。
・・上述の通り「この世界」も「存在という概念」も存在しなくなるからです。
つまり、世界は主観の相関物ということだ。
446 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/14(水) 00:45:37
>>445 クオリア(感覚識)は「感覚的クオリア」(五感から絶えず入力される情報)
と「指向的クオリア」の2種類に「大別」されます。
後者は五感から入ってくる情報を「絶えず」取捨選択・分類・整理・解釈
する「過去の経験の複雑な蓄積が脳内に居残っている(感覚的クオリアより)
『より客観』的である・・「仕組み」ですので、両者を「主観の産物」として、
片づける訳にはいきません。
447 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 00:49:30
>>446 >『より客観』的である・・「仕組み」ですので、両者を「主観の産物」として、
客観の意味が違うよ。観念が実在するという意味で、より実在的であるというのが正しい。
448 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 00:51:18
それでいいのかね?機械タン
程度の問題、比較の問題でしょうか。
450 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 00:53:57
>>449 人間は、主観に近いものほど生々しく、客観的であるようなものほどそうでなく感じる。
451 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/14(水) 01:00:26
>>447 「理論物理学」上では「観念」は実在いたしません。
「それ」はあくまで「脳の働き・・物理化学的運動@」に「すぎない」
のです。
「どういう@が、どういう五感で生成されるか?」という「法則」は
ありますが、「赤い光」が眼に入っても「緑の光のクオリアが脳内に生成する」
「赤緑色盲」・・・という先天的資質を持った方も居るわけですが、彼らは
「怪物」ではなく「人類の一員」だと思うわけです。
超攻撃的な遺伝子を産まれながらに持っている「人類の固体」も居ますが、
やはり、彼らと「普通の市民生活をストレスなくこなす人類」を「決定的に区別する」
事は・・・(社会学・倫理学・哲学的には)難しいのです。
彼らにも「権利能力」を認めているのが「西欧法学」ですが、彼らの「行為能力」
を、「公共の福祉」という名目で「制限する」・・・という構造になります。
従って「権利能力そのものを根絶してしまう」・・・死刑・・という刑罰は
法理論的には「矛盾している」と考えます。
何をグダグダ云っとるんだ。
453 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 01:11:49
>>451 しかしその、あなた流の理論物理学的形而上学でも法則というのは存在するんだろ?
法則そのものは極めて客観的な存在だが、その法則がどのようなクオリアを生み出すのか?
生み出されたクオリアは、いわゆる観念と同じものではないかとおもわれるのだが。
454 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/14(水) 01:19:09
>>453 >生み出されたクオリアは、いわゆる観念と同じものではないかとおもわれるのだが。
だから・・「今までに経験された指向的クオリアと感覚的クオリアの衝突の結果」
を「どこまで(最新)指向的クオリア」として、最新の「感覚的クオリア」(解釈)
に「動員できるか」?・・ということが重要です。
「単に経験(時間の経過)を積んだだけ」・・の「指向的クオリア」など、
何の意味もありませんし、そういう「指向的クオリア」が最新の感覚的クオリアに
「発する捨て台詞」は・・・「近頃の若者は堕落しているor何にも理解していない」
・・・等々です。
┌───┐
│●○●│
┌────┴───┴────┐
│ BAKA ス レ . │
│ │
│ 書 込 注 意 │
└─────────────┘
456 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 01:26:50
>>454 しかしそれは、主観的な指向的クオリアには価値が無く
客観的な指向的クオリアには価値があるという事を主張しているだけで、
指向的クオリアは主観的でも客観的でもありうるといういう事には変わりは
ないのではないか。また指向的クオリアが客観的であるほど価値があるという
価値観自体は、指向的クオリアの機能の外にあり、いかにして価値が生み出されると言う
部分は説明されていないのではないか。
457 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/14(水) 01:36:40
>>456 >いかにして価値が生み出されると言う
>部分は説明されていないのではないか。
私は「哲学」の(言及する)「価値」とは、「プラグマティックに有効なノウハウ」
では「ない」・・と考えております。
哲学の「最高価値」は「真理」以外何一つありません。
その「真理」が、自分の経済状況や精神状況や社会的(地位等の)状況に「不利だ」と
感づくと、「真理に眼を反らす方法を考えて考えて考え抜く」・・態度は「哲学をしている人」
ではなく、「単なる(大学などに寄生している)よくいる俗物」・・であり・・・
古くは、ガリレオに「判りました太陽が地球を回っている・・ということを認めます」
・・と言わせた「俗物主義」・・「保身主義」と同じであり・・ある意味で「哲学の獅子心中の虫」
だと思います。
458 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 01:42:41
ごたごた云わずに唯物論を証明してくれよ。
459 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 01:42:48
>>457 そうじゃなくて、「価値」というクオリアが生み出される過程が記述されていないと言っているのです。
460 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/14(水) 02:02:16
>>459 >「価値」というクオリアが生み出される過程
なんだ、その程度の話ですか?
あなたが「明日起きる」「何処かへ出かける」「誰かと話をする」
・・・それらの行為に(ある程度の)「価値」を見出せているから「やる行為」
です。・・・それは「あなたの五感に入ってきた(過去)情報の蓄積と
「現在情報(感覚的クオリア)の関係」で・・・「そう」あなたは行為する・・
「価値観を持って脳や体を動かす」・・ということです。
461 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 02:07:59
頭わるー
462 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 02:23:22
横槍でスマンが
機械君は、マジメに答えているのか?
それとも、日本語が通じないの?
>>457 指向的クオリアの指すところは脳の思考のメカニズム。
では人間(脳)が何のために思考するかといえば、
自己目的のためにほかならない。
では自己の目的とはなにか?
自己の利益(満足)以外にない。
つまり思考の目的とするところが自己の利益であるかぎり、
人に見い出される真理もまた、それに沿うものでしかありえない。
このことは人間がふだん真理と呼んでいるものが
機械タンのいう哲学的真理とおよそかけ離れて存在している
ことを示す。
そんな人間の本性とかけ離れたものを、同じ人間にとっての
最高価値と位置づけている機械タンは、変わり者というか
浮き世離れしてるというか、現実的でないという以外ない。
そこでだが、はたして現実的でない真理とやらを追うことが
思考する者の至上の姿勢か、と問われれば、
馬鹿げてるというよりない。
機械タンって馬鹿なの?
だから、マジに相手するなって。過去ログ読め。
機械は他人とまともに議論できたことは一度もない。
彼の頭のなかでは、これが、これこそが最新の哲学であり、
最終的な議論の余地のない真理なのだ。クオリアの
区分で、これまでの哲学の問題はすべて解決したと
本気で考えているのだし。
465 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 02:50:53
機械君へ
クオリア、価値観
これらの概念が、キミの場合
客観的な方向からしか、とらえられていないんだよ
だが、これらは、あくまでも主観的なものであり
主観性という主観的方向から考えるべきものなのだよ
価値というものが発生する過程において
まず基本となるもの、根源には『私』という『存在性』がある という事が抜け落ちている
客観的な現象のみを考察しても
この価値観、クオリアというものについては、分析できた事にはならない
本質には、至る事ができないのだよ
そこが唯物論の、哲学的限界
466 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 02:59:05
ちょっと訂正
>まず基本となるもの、根源には『私』という『存在性』がある という事が抜け落ちている
↓
まず基本となるもの、根源には『私』という『主観性』を持った『存在性』がある という事が抜け落ちている
とした方が、わかりやすいかな
467 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 03:29:48
今日のところは、
機械タンは板に上らず
じっくり自分の考えをまとめていた方がいいね
それが如何にして他人に矛盾なく解ってもらえるが練習してなさい
468 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 03:33:51
>>439 その疑問自体が既に世界内=自我に与えられた世界内の枠組みから見たモノに過ぎないと思うお
自分とそしてその自分に対峙する世界そのものの所在は、その世界内の枠組みからは規定できないんでない?
つまり、そういう疑問ていうのは、世界内の枠組みを世界の外側に適応しちゃってる気がする
世界はこの「私」の主観でしかないという独我論的な世界として捉えてもいいし、
普通に素朴実在論的、唯物論的に、捉えてもいいし、
それからなんだろ?・・・まさに今この瞬間、世界はまさに今あるように生み出された・・・過去の記憶も含めて・・・と言ってしまってもいいし
マトリックスみたいな世界観で捉えてもいいし、
要するに世界そのものの所在・・・っていうのかな?・・・をどう捉えようが、世界はまさに今あるようにあることには変わりないわけで、
どう捉えようがその世界内の諸法則や、諸概念の体系は保存されてて、矛盾しないわけで(・∀・)ウン
開かれた系と閉じた系の話は面白かった
>>394 >あと、開かれた世界なら非決定論かというと、そこに
>論理必然性があるのかどうか俺には確信が持てない。
論理規則そのものは開かれた系なのか閉じた系なのかということも絡むかも。
形式論理と直観主義論理によって回答が異なりそうだ
>最高位
正直、相手をするのもだるだるなんだが
>人間は、感覚器というフィルターを通してしか外界を認識できないんだからね
>実際に存在しているものと、同一だとは限らないわけ
>こんなの基本だろ?
もちろん基本だよ
誰も感覚に映るものが実在と同一だとは言ってないわけだし。
このような考え方は「模写説」とか「素朴実在論」などと呼ばれるが
その主張は哲学的には素朴すぎるとよく言われる
実在論にもいくつかの説があるし、それと反する観念論にもいくつかの説がある
素朴実在論と科学的実在論は認識と実在の関係についての見解が違うし
素朴実在論と素朴観念論(このような説もある)は実在があるかどうかについての見解が180度違う
>話を戻してキミの言った言葉に戻るよ
>>「実在の存在を信じている」とは文字通りに「真理の存在を信じている」ということなんだよ
>これは正しいのかい?
>根拠を挙げてくれ
もう一度同じ説明をさせる気?
「真理とは何か?」に対する回答で
「言明と対象の一致」と答えることを対応説真理観という
「対象」とは認識の向こうの存在で「物自体」とか「実在」とか呼ばれるもののこと
対応説真理の立場にたつと、「対象、物自体、実在」といったものがないと「真理はない」と等しいことになる
だから「実在の存在を信じている」とは「真理の存在を信じている」と同じ意味なのさ
(対応説真理の立場にとってはね)
ついでに言うと、「真理とは何か」に対する回答では対応説の他に整合説、プラグマティズムなどがある
471 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 08:41:58
あのね、もうすでに今の時代には客観性などというものは役に立たなくなっているのだよ。
客観性などもともと存在しなかったのだよ。
このスレが何について議論しているのかわかる人は
5行以内で説明してください
473 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 08:47:15
>>417 そりゃ「∞などもともと存在しなかった」と言って数学全体をあきらめてしまうのに似た態度とおもわれるよ。
>>470 >だから「実在の存在を信じている」とは「真理の存在を信じている」と同じ意味なのさ
>(対応説真理の立場にとってはね)
これは少し違うのではないですか。
「実在の存在を信じることは、対応説真理観が意味を持つための前提である」
くらいしか言えないと思いますが。
「言明」とは文字通り「言葉」であり、「対象」とは「実在」のことだと
すると、「言葉が実在と一致する」というのはどういう意味なのか、
どうしてそんなことが可能なのか、説明するのは容易ではないと思います。
475 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 09:03:30
>>472 いま43代目の「決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない」というスレで〜す。
スレ主は「機械的唯物論者」さんで〜す。
議論の内容は唯物論で〜す。機械さんが超大統一理論が完成されて真理だと言ってま〜す。
全ての観念論・宗教は全く役立たずの徒労だといってま〜す。
スレのみどころは「機械的唯物論者」「哲学者最高位」「オレオレ詐欺」「唯識」「NAS6」「運命論者として一言」「SYN」諸賢のバトルです。
476 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 09:09:17
>>469 >論理規則そのものは開かれた系なのか閉じた系なのかということ
数理論理で開かれた系か閉じた系かはその系の完全性で判断される。
もちろんその論理体系が完全であるとはその体系のすべての定理が
有限の公理系より演繹され、証明が可能なことである。
ゲーデルの完全性定理によって数学の証明に使われる第一階述語
論理の体系は完全であり閉じた論理体系を構成することが証明されている。
しかし、自然数論を含むような普通の数学論理体系については
ゲーデルの不完全性定理によって、不完全であること、すなわち
数学論理は開かれた体系であることが証明されている。
ペンローズはこの不完全性定理をもとに人間の意識世界は不完全であり
開かれた世界であり非決定性世界であることを主張している。
数学の世界が不完全となるのは無限公理を導入するからと思われる。
高階述語論理体系になるともはや完全性は保証されない。
477 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 09:12:19
説とかの、そんな解説はどうでもいいんだよ
キミの考え方を、具体的に説明してくれないと意味がないだろ
それから
>対応説真理の立場にたつと、「対象、物自体、実在」といったものがないと
>「真理はない」と等しいことになる
いやいや
「対象、物自体、実在」といったものがないという真理だよ
この場合、キミの言う>対応説真理観
というものが間違いである という真理、結論に至るわけだ
で、もう一度聞くけど、キミの言った
>「実在の存在を信じている」とは文字通りに
>「真理の存在を信じている」ということなんだよ
は正しいのかね?
対象の実在の存在は無い
という選択肢は有りえないのかね?
それが正しいと?
対応説真理観とやらが正しいと?
キミら、哲学を人から学ぶのもいいが
ちゃんと自分で哲学してるのかね?
こっちは
対応説真理観とやらの説明なんて聞いてないんだよ
何を誤魔化そうとしてるんだろね
正しいか正しくないかを聞いてるんだよ?
キミが信じている事が、正しい真理である という事の
根拠を書いて下さいとね
478 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 09:17:45
>>477 人間の主観の及ぶ範囲は有限で、当然その外もあると推測されるだろ?
それを仮に「物自体」と呼んでいるので、それが客観的であるとか真理であるとか言っている訳ではない。
自分の主観があるのは明らかだか、他人にも主観があると推測するのが当然で、
それらより多い主観の間で、より高い精度で合意されたものがより客観的なのよ。
しかし「完全に客観的であるという」概念はあるが、それに対応する物は仮に
「物自体」と名づける事はできるが、それに対応する存在については、人間には
不可知であるという結論が出されているのであって。
479 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 09:21:50
480 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 09:26:07
客観を主観に帰すにしろ、その逆にしろ、それが隈無く達成されれば、両者は一つの存在になる。哲学と科学は近付き方は違うが、いずれも主客の一致を目指している。その協力がなければ、その達成は望めまい。
現状では主観は客観と言うのも、その逆も時期尚早である。
議論は続く・・・
482 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 09:37:25
>>480 「対象、物自体、実在」というのは概念上はあるが、それに対応する存在はない。
というか無いかどうかは不可知なのでわからない。それが真理だといっているので、
しかし「対象、物自体、実在」という概念が実在しないと言っている訳ではないのです。
つまり観念は実在の一部で、真理の一部だという事です。それだけが真理だという訳じゃ
ないが、それなしでも真理ではない。
483 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 09:41:11
>>481 完全な客観と言うのは概念上のもので、それに対応する存在はありません。
いやあるのかも知れないがそれは不可知なのです。目の前のリンゴも、
割ってみるまではそれに中身があるかどうかは分からない。ただ確率的に
そうである事が高い、あるいは過去の経験からそう推測される、あるいは
そういう経験が広く共有されているというだけで、人は決してそこには到達しない。
自然数を数え上げても∞には決して到達しないのと同じです。
完全な客観とかいってないし。
完全な主観も客観もない。主客は同じものだろう。
科学的なアプローチと哲学のそれの協力をもっていずれ主客は一致するに至る気がするだけだゎ。もし実際そうなった暁には客観は主観であるといってもいいし、主観は客観であるといってもいいわけだ。
485 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 10:10:37
去る年の機械的唯物論者の
「予は物質であるから、機械的に皇帝である」
って発言はいったい何なのだ?
やっぱり唯物論者じゃないと理解できないのかね・・
完全な主客の一致となると厳しいが幾等でもそれに近付くことはできるだろう。
てか、科学と哲学だけじゃなくてだいたいどの分野でもそれを目指しているだろう。もっとも近付いた人々が天才と呼ばれるわけだ。対象を自在に操ってるように見えるからな。
たぶん本人にしてみればもう対象ではなくて、友達どころか自分のような感覚なのかもしれないが。
「哲学者たちは世界を様々に解釈してきたに過ぎない。
しかし、重要なのは世界を変革することである。」
「認識」も、「労働」や「スポーツ」や「恋愛」や「芸術」等々と同じく、
世界内存在である人間の「実践」に過ぎません。
「実践」として有効であるかどうかによって評価されるだけのことです。
まことにもって恐るべき全体主義と言えるでしょう。
488 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 10:25:47
天才というのは変人が昔から多いからね。
主観と客観の一致はしやすいだろうね。
なぜなら天才が普通の人でないとすると、普通の人間とは感覚が離れてるからね。
ということはもともとの主観をどんどん客観レベルまで引き上げていくことができるってことだな。
ここはやはり普通の人には理解できない。天才にしかわからないだろうね。
489 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 10:32:02
外国人にしてみれば日本人の日本語を操る能力は天才的に見えるだろう。
日本人には自分と日本語は切り離せまい。日本語は自分の一部だろう。
>最高位
>「対象、物自体、実在」といったものがないという真理だよ
>この場合、キミの言う>対応説真理観
>というものが間違いである という真理、結論に至るわけだ
まぁ、君の質問の意図は当初にして読み取ってたわけだが、
君の発言を額面どおりに受け取って答えていたわけだ
少しは他人の文章を読めるようになるかなと思ってね
君の質問は「実在が存在するというのは本当に真理か?」ということだろ
それについては「わからない」としか言いようがない
だからわざわざ「実在が存在することを信じている」などという表現を使用したわけだ
「真理はある」という表現ですらそれが絶対に正しいかどうかはわからない
「真理はない」という表現は論理的に矛盾しているわけではないからね
「真理はある」という文章が偽である可能性もあるわけだ
で、俺は多くの説明をしたわけだが最高位君にひとつだけ質問をしようと思う
「真理とは何か?、君は『真理』という表現をどういう意味で使用しているのか?」
491 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 10:57:48
客観は主観になりうるわけだ。
他者は私になりうるわけだ。
それだから主客に本質的な差はないと思うよ。
そして必然性だが、これは主客の一致のことだろう。
主客の一致の程度に応じて必然性はあらわれるのだから。
492 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 11:21:48
>君の質問は「実在が存在するというのは本当に真理か?」ということだろ
>それについては「わからない」としか言いようがない
>だからわざわざ「実在が存在することを信じている」などという表現を使用したわけだ
わからないのに、何で信じているの???
だから、キミの理屈は信仰だよと言ってるのに
対象はの実在は、真理である と言って譲らなかったんじゃないか
何を誤魔化そうとしてるんだよ
ちゃんと会話しましょうね
わからないんなら最初から、わからないと言えばいいんだよ
何で偉い人みたいな口調で逃げてるんだよw
元々はキミの、この発言だよ?
>真実を探求するには、まず「真実が存在する」という信念が必要だ
で、ここから 対象の実在が真理であると言い出した
私は、何の根拠で、そんな事を言ってるの?と質問したわけ
簡単だろ?
簡単な事なのに、キミは逃げ回ったあげく、結局最後は
>それについては「わからない」としか言いようがない
めちゃくちゃ簡単な事なのに、そこまで誘導してやらにゃいかんか??
しかし何でそんなに偉い人みたいな口調なんだよw
質問?
真理とは何か?→知らねぇよ
君は『真理』という表現をどういう意味で使用しているのか?」→真実の理だろ?
493 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 11:22:48
俺の持論は、「意識は必然であるとしても、言動はそれに依拠しない。」だが、俺に反論をする奴は居るか?
494 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 11:26:30
「言動」って何?
>最高位
誰もが君の頭の悪さを実感してると思うぜ
俺はもう少しきちんと議論できるけど、君が自分のロジックを理解してないんだよ
>対象はの実在は、真理である と言って譲らなかったんじゃないか
「対象の存在は、真理が存在すると考えることと同じである」、と言って譲らなかったんだよ
>>真実を探求するには、まず「真実が存在する」という信念が必要だ
>で、ここから 対象の実在が真理であると言い出した
>私は、何の根拠で、そんな事を言ってるの?と質問したわけ
いや、違うよ
「対象の実在が真理である」とは俺は一言も言ってないし
誰もが俺がそんなことを言ってないことを理解している
君だけ理解してない
>めちゃくちゃ簡単な事なのに、そこまで誘導してやらにゃいかんか??
>しかし何でそんなに偉い人みたいな口調なんだよw
おまえにもうちょっと突っ込めるセンスがあればよかったがね
俺は自分を哲学者だとは思ってないけど
「わからないことをわからないとする」ではなく「わからないことを知ろうとする」ということが
俺にとっての愛知なわけ
>君は『真理』という表現をどういう意味で使用しているのか?」→真実の理だろ?
では、君は『真実』という表現をどういう意味で使用しているのか?
それとさ、「真理」も「真実」もどっちも"truth"だろ
497 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 11:39:53
哲学者最高位君は「意欲的」だね(w)。言動は物質ではないから、とでもいうかな。
498 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 12:04:12
オレオレ君
大丈夫か???
>「対象の存在は、真理が存在すると考えることと同じである」、
>と言って譲らなかったんだよ
対象が存在しない場合は、どうなるんだよ
どうなるの?
>「わからないことを知ろうとする」
当たり前だろ んなこたぁ
キミがやっているのは
「わからない事にも、私見で言及する」だろ
わかってる事と、わからない事を、明確に線引きする必要があるんだよ
キミはゴッチャにして、しゃべってるんだよ
だから私に突っ込まれるわけ
んで逃げ惑う事になる
逃げてばかりいないで、もっと歯切れ良くしゃべりなよ
499 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 12:08:39
昼間っから二人していちゃついてからに・・・
>>497 意識も物質でないとすれば、言動が意識に依拠したって、
別に何の問題もないと思うが。
「無意識」の言動が意識に依拠しないのは、当たり前だし。
501 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 12:16:04
「無意識」の言動なんか無いだろ
>最高位
>>498 >対象が存在しない場合は、どうなるんだよ
>どうなるの?
対応説はその真理観から対象の存在を要請する
対象が存在しない場合は対応説が成立しないということだ
君が「対象が存在しない」とする根拠を挙げられるならばいくらでも挙げるがいい
>当たり前だろ んなこたぁ
そのあたりまえのことができる人がこんなにも少ないから
時々哲学なんてやめてしまおうかという気分にもなる
2ちゃんの哲学板なんかにアクセスしている俺は、
そのあたりまえのことができる人がまだまだいるということに希望をもってるんだろうね
>わかってる事と、わからない事を、明確に線引きする必要があるんだよ
現象/仮説
ほい、線引きしたよ
俺は現象も分からないほうの領域に含めてしまう考えだが
それはあまりにもラディカルだろうからね
503 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 12:59:38
完全なる客観というのは概念上のもので、しかしそれを追求するのが尊いから
主客を区別するという考えに歴史的な価値が与えられているのです。
しかし自分は既に客観的真理を体得しているとか言い出すと、
逆に尊大なはなもちならない態度になるのです。機械君の皇帝発言も
この一種です。
人間は概念の集まり、形而上学を通してしか世界を認識できません。
形而上学のレンズには有限の精度しかなく、完全に客観的では
ありえないのです。その事を自覚しつつ、その精度を上げていこうと
努力する人こそが、謙虚でかつ自然に学ぶという態度のある、
本当にえらい人なのです。
504 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/14(水) 13:06:14
>>502 だから対応説真理観の説明は、もういいって
>君が「対象が存在しない」とする根拠を挙げられるならばいくらでも挙げるがいい
話を摩り替えるなって
キミらは、いつも勝手に話題を摩り替えて行くだろ
自覚してないの?
自分の思い込みの世界に、どっぷりとハマッてるからだよ
で、思いつきで書いちゃう
キミの発言をまとめるとね
「私は対応説真理観という説を信じています」
「これは、対象が存在するという事が前提であり、それゆえ対象の存在を証明できない限り、あくまでも信仰です」
「私は対応説真理観という信仰を持っています」
「私は、実は宗教家です」
「わからない事があると気持ち悪いので、多少論理的に飛躍があっても構いません」
という事でしょう
これで終わりだ
べつに宗教家が悪いと言ってるのではないよ?
自覚しなさい と言ってるわけ
>現象/仮説
>ほい、線引きしたよ
そんな事してどうするんだよ
自分の発言の中で線引きしなさい と言ってるんだよ
そんな事もわからんのかよ・・・
505 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 13:16:17
>>503 > 完全に客観的では
> ありえないのです。その事を自覚しつつ、その精度を上げていこうと
> 努力する人こそが、謙虚でかつ自然に学ぶという態度のある、
> 本当にえらい人なのです。
おっしゃることはよく分かります。ただ、これは「精緻化」とよばれる方向だ
と思うのですが、それとは対照的に、さまざまな自然現象に共通する原則を
見いだしていこうとする方向もあるんじゃないですか?
506 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 13:28:36
>>505 法(原則)に対する立場もまた、最も主観に近い位置に法を置く立場
(「汝の欲することを為せ、それが法である」と述べたクローリーの立場」)から、
法(原則)が主観から最も遠いところにある客観的なものであるとする立場まで、
様々なものがありうるでしょう。前者ほど鼻持ちなら無い傲慢なもので、後者ほど
謙虚で気高いものであることは言うまでもありません。また、法(原則)が客観的な
ものであると述べながら、究極において主観と客観は一致するなどと主張する者も、
その根源において傲慢かつ尊大な人間であると言う事ができるでしょう。
507 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 13:37:44
503さんは人間は概念の集まりで形而上学を通してしか世界を認識できないと仰いますが、形而上学を「通す」ことはできません。もし形而上学を通した所に「認識」があるなら、あなたは存在しません。
508 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 13:39:48
>>507 概念の集まりである形而上学を通して、ですよ。人間とはその究極において認識そのもので、
形而上学という窓を通して世界を眺めているのです。
509 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 13:56:20
カオスが発見されている時代に真理がどうのこうのというのはどうでしょうな。
それもたただの観測問題として片付けてしまうのかね。
形而上学を持ちうるしか認識はできまい?
それとも知識だけを用いて可能性が一番高いものを信じるということにしてはどうかね?
どんなに矛盾が存在せずに反駁のしようのない理論が、正しいというのはお門違いじゃろうの。
矛盾点がないことと正しさの間には関係性がなくなってしまいましたな。
形而上学はすべて認識可能なのだよ。
それが間違っていても正しくとも。
唯物論は、他者との相互行為で成り立つ自我を無視してますな。
唯物論者は恋愛なんかしないんでしょうな。
510 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 15:47:27
508君の「形而上学という窓」この表現を質している。そして509君。俺との相互の関係を大切にしましょう。あなたはそこに矛盾がある。 さて501さん。俺は言動は必ずしも意識に依拠しない、脳以外の物質にも依拠可能だと主張し、そこに反論を求めているのだが。
どうでもいいけど508は日本語できないのか?
>俺との相互の関係を大切にしましょう。あなたはそこに矛盾がある
>そこに反論を求めているのだが
無駄な言葉多すぎ。これ削れば少しは意味もとおるものを・・
512 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 16:07:31
513 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 17:34:54
>>510 全く意味がわからん。
それとも単なるおふざけか?
514 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 18:09:18
511君の「無駄な言葉多すぎ。」は、その上の「どうでもいいけど508は日本語できないのか?」を以て穏やかに受け入れられるはずがない。言葉を削るべきなのは君だよ。それと513君、いうもおろかだが俺達はあくまで娯楽に立脚していることを、お忘れか?
515 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 18:18:10
私は意識であり、私は認識する。認識対象である世界を時に物質として、時に法則として認識する。
認識する過程でそれらは全て、概念に変換される。概念を操作する事で新しい概念を生み出すことができる為、
全ての概念がその外の世界に対応する存在を持つとは限らない。
概念はより主観的で、より生々しく、その意味で実在すると言う事ができる。
逆に存在するだけのものはより希薄で、生気に欠け、
たとえばリンゴに中身があるかどうかは、
リンゴを割ってみなければ分からない。
>最高位
まるで道化だな
君と会話している俺も道化に映ることだろう
>「私は対応説真理観という説を信じています」
>「これは、対象が存在するという事が前提であり、それゆえ対象の存在を証明できない限り、あくまでも信仰です」
>「私は対応説真理観という信仰を持っています」
>「私は、実は宗教家です」
ここまではそのとおりだよ
真理を探究しようとするには、まず「真理が存在する」という信念が必要だ
存在しないものを探そうとすることはできない
探そうとする限りは「きっとあるだろう」と思わなければならない(たとえ理念だけであっても)
「あるから探す」のではなく、「探そうとする行為が『きっとあるだろう』と思わせるのさ」
その意味では俺も宗教家の一人だよ
>「わからない事があると気持ち悪いので、多少論理的に飛躍があっても構いません」
君が何も理解せずにただ絡んできたことはわかってたけど、それにしてもこいつはひどすぎやしませんかね
「物自体」ってのはまさに「わからないこと」そのものだよ
「わからないことが存在する」という考えに対して
「なぜそれがわかる?」とつっこんできて、
そのあげくに「『わかならないことが存在する』という信仰でわからないことをなくしている」と言われるのだから
君に絡まれるということはまったくもって迷惑きわまりないことだね
それと最高位に論理についてどうこう言われたくないです
517 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 18:34:29
>>516 「物自体」という概念はあるが、それに対応する存在は無いだろう。
あるのかもしれないが有限な存在である我々には不可知であろう。
それを「在る」と断言してしまうのは、「私は客観的な認識に到達した」と
宣言するのと同様であり傲慢であろう。そう思うのだが、いかが???
前にもアプしたけどその時は最高位がいなかったからね
哲学辞典の「わかる」という語の説明なんだけど
前略
<分ける>と<結びつける>、この間の往復運動を重ねることで古い引出しを整理し、
それをもとにして次々と新しい引出しをつくりだし、
世界についての<わかる>ことを私たちは着実に増やし続けているのである。
中略
<分ける>と<結びつける>は、<わかる>ための欠かせぬ手続きであるが、
その前に「わからないことは何か」、そして「なぜそれがわかりたいのか」がわかっていなければ、
<わかる>には至らないし、<わかる>必要も生まれてはこないはずだ。
自分の中に問題を抱き、それを見定めることが、<わかる>ための必要条件であり、
互いの間で共通の問題が設定され、互いの間に<わかりたい>という衝動がない限り、
<わかりあえる>事態は生み出されてこない。
519 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 18:45:56
遊ぶにしても真面目に遊びたいね。あやふやでチャランポランなんて知的な遊びでないよ
520 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 18:48:20
あなた達は根本的に間違っている。所詮、概念を概論で書いても納得できるはずがない。515さんに至っては、御自身の見解なのかは知らないが、「リンゴ」で説明しようとしている。笑える。
521 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 18:54:25
519君。あなた程、知的な人からその様にいわれては返す言葉もない。
522 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 18:58:48
>>520 リンゴの概念なしにリンゴを認識する事はできない。物質の代表としてリンゴを上げたまでだ。
個々のリンゴがなにものであるかなんて、人間に知ることができる訳がない。
人間がリンゴの原子を見通して、それがスカスカなほとんど空間に近いことだと
直接知覚することもできない。おまいさんは概念の生々しさに騙されているだけだよ。
それは存在そのものからはかけ離れたものなのだよ。脳や脳以外の物質の概念の
生々しさに、そこに意識の起源を求める態度も同様に馬鹿馬鹿しい。
>>517 >「物自体」という概念はあるが、それに対応する存在は無いだろう。
>あるのかもしれないが有限な存在である我々には不可知であろう。
実在が存在するかどうかは不可知です
>それを「在る」と断言してしまうのは、「私は客観的な認識に到達した」と
>宣言するのと同様であり傲慢であろう。そう思うのだが、いかが???
何を問題にするのかということでしょう
あなたは不可知なものについて断言することが傲慢だと考えるようですが
わたしはそう思いません
というのも、断言できるような知識という意味ではいかなる知識も不可知の領域に過ぎないからです
確実性や決定的基礎付けにおいて成功するようないかなる発言も未だ発見されてませんし
これからも発見されないだろうとわたしは考えます
わたしは確実性の探求に興味がありません
「実在が存在する」や「真理である」という表現は傲慢ではないとわたしは考えます
知的傲慢さの原因は「確信」にあると考えます
すなわち、ある理論を真であると考えることが知的傲慢さを招くのではなく
ある理論(ないしある事柄)が確実であると考えることが知的傲慢さを招くとわたしは考えます
「確実性」の概念と「真理」の概念を峻別するならば
「どこかに真理が存在し、わたしはその真理を探そうとする」という行為や
「わたしが何らかの理論や発言を(不確実かもしれないが)真である」と考えることは、傲慢ではなく謙虚さを導くと考えます
524 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 19:19:46
>>523 絶対に確実なものはないと確信した上で、確実性を追求していくのが誠実な態度だと思うがね。
確実性の追求には限界があって、その先は不可知だが、なにが不可知であるかは
確実性を追求してみなければ分からない。そうではないかね?
525 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/14(水) 19:23:46
物事を分けて考える。
偏計所執性。
>>524 確実性の探求が哲学的態度であるという考え方は哲学史上正統な考え方だと思います
確実性の探求にはっきりと背を向けるわたしのような態度が「哲学的態度でない」と言うならばそのとおりでしょうし
わたしは「哲学者」を自称するつもりもありません
ただ、哲学では異端かもしれませんが
「真理」の理念と「確実性」の理念を区別し
確実性の探求に背を向けて、真理を探求することを旨とする主義もあります
それが誠実な態度かどうかはわかりませんが
知的謙虚さをもつことを思考の土台に置く態度をわたしは好みますし
わたしもまたそうありたいと考えてその主義に身を寄せています
527 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 19:34:54
523さんの「真であるという考えは知的傲慢さを招かず、確信であるという考えが知的傲慢さを招く。」では、あなたにとって真は確信ではないのですね。傲慢の極致だ。(笑) 522さんは、ついに 御自身を馬鹿だと仰った。どうか御自愛ください。
528 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 19:40:21
>>504哲学者最高位先生
では、我々は何を信じればいいのですか?あなたも日曜学校に行っていた身ならわかるはず。
信じたいんですよ。
529 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 19:42:20
傲慢であるか否かは真理になんの影響も及ぼさない。
どうでもいいことだ。
どうでもいいことを どうでもよくないかのごとく言うドンカス
がいるが、お門違いというほかない ^^;
530 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 19:43:32
>>528 信じたいものを信じればよい。
だって現におまえはそうしてるではないかw
531 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 19:44:09
>>527 いや、「自分が確信しているからそれは真である」というのが傲慢の極致だろう。
532 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 19:56:36
>>531 真理は確信の度合いに関係なく存在する。
ある者の確信の有る無しが真理を歪めることは無い。
あるとすれば、真理より確信の有無に根拠を求める
ドンカスだけだろw
533 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 20:00:58
529君「どうでもいいことだ。どうでもいいことをどうどもよくないかのごとく言うドンカスがいる」では君には、そのドンカスがほっとけないんだね。どうでもいい事に着目したもんだ。(笑) 531さん、循環させても楽しくないじゃん。
>>527 >あなたにとって真は確信ではないのですね。
はい、そのとおりです
わたしは「真/偽」と「確実/不確実」を区別します
「真/偽」は対称的ですが「確実/不確実」は非対称的です
(真偽を答えるに不適なパラドクスを生じさせる文章を除くならば)
535 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 20:34:26
534さん、あなたが523において「真」と「確信」を対照的に用いて知的傲慢さを論じた事を考えると、失敬ながら私は534を疑う。
536 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/14(水) 20:42:29
真理に対して
自分と一線を引くか否かで考え方は変わってきますね。
537 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 20:43:43
いうもおろかだが、私は「真/偽」と「確実/不確実」の話は534さんとは、していない。いつの間にやら「確信」と「確実」をすり替えておられるようだ。気付いておられるかな?
538 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 20:48:58
おまえらアホだろ?
言葉遊びやめて体でぶつかれ
確信無しに何かを真と考える事など出来ないと思いますが。
>>536 ええ、そうですね
自分と一線を引くかどうかで変わるということは
形而上学においてどのような仮説を採用するかによって真理への態度も変わるということです
形而上学と真理への態度のどっちが本質・根源的な話題なのかはわたしにはわかりません
話は変わりますが
論理においても真偽は問題になります
言葉を使用する時に前提とする論理の真偽の扱い方が、その者の真偽に対する態度と異なるならば
彼は一貫した態度をもってないと言われるかもしれませんね
541 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 21:03:04
そうですね539さん。しかし、534さんはその両者に区別を与えるそうですよ。538君は、それじゃ画面に体をぶつけてなさい。
542 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 21:09:23
>>540 議論をする上で相手の意見を論理的に整理して見せることはよくある事なので、
その意見が誰にとっての真であるかを常に明らかに示せば、別に問題はないのでは?
>>523 >すなわち、ある理論を真であると考えることが知的傲慢さを招くのではなく
>ある理論(ないしある事柄)が確実であると考えることが知的傲慢さを招くとわたしは考えます
両者の本質な違いがよくわからない
>>532 >真理は確信の度合いに関係なく存在する。
それって単に君が真理というものをそのように定義づけてるだけじゃないの?
最高位レベルの論客が増えたか
これが類は友を呼ぶということなら悲しい限りだな
俺も甘すぎるのかねぇ
545 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 21:18:52
画面に体をぶつけろ
そして画面は物体だと再認識せよ
その上で
画面の中ですべてをぶちまけろ
546 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 21:19:39
>>544 「確信があるとは私にとって確実であるということ」でしょうよ。
確実性を用いないで真理に到達しようとしても、確実さというコンパスがないと
真理に近づいているかわからないでしょうし、私というものがあるかぎり
確信を持つことを避けることはできないでしょうよ。
オレオレ詐欺さんは「確信があるとは私にとって確実であるということ」という命題の
どこに問題を感じるんでしょう?真理を表現しうる公理系にこの命題を含めることに、
どのような難点を感じていらっしゃるのでしょう???
547 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 21:21:30
私は535の理由を537に書いたが、オレオレ詐欺さんは、それが目に入らない程、奮起していらっしゃるようだ。私は私の持論を一貫させるが、オレオレ詐欺さんは「確信」を「確実」で論ずる傲慢さを一貫させるようだ。534についての会話は御免を蒙る。
>>543 >両者の本質な違いがよくわからない
「真」の反意語は「偽」です
「確実」の反意語は「不確実」です
「Aでない」が偽ならば「Aである」は真です(二重否定除去を採用するならば)
「Aでない」が不確実だとしても「Aである」が確実とは限りません
これが「真/偽」が対称的であるのに対して「確実/不確実」が非対称的であるということの一例であり
この二つを区別する要因のひとつです
>>546 >確実さというコンパスがないと
>真理に近づいているかわからないでしょうし
これはまったくもってそのとおりです
確実さというコンパスがないと真理に近づいているかどうかもわかりません
もっとも、わたしはそんなコンパスはいらないと思ってます
>オレオレ詐欺さんは「確信があるとは私にとって確実であるということ」という命題の
>どこに問題を感じるんでしょう?
わたしは確実性の探求に問題を感じるだけです
確実性を問題にし真理ではなく確実性を求める態度が知的傲慢さを招くとわたしは考えます
一応、確認として
確実性を探求するか真理を探求するかは嗜好の問題です
傲慢で何が悪いとか言うつもりはありません
551 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 21:33:52
オレオレ詐欺さん、あなたが、「確信」を「確実」で論じた事に端を発して、お困りの方が大勢おられる。あなたは哲学者最高位さんともケンカをしたし、改めるものがあるのではないか?
>551
最高位レベルの論客とは君のことだよ
>「確信があるとは私にとって確実であるということ」でしょうよ。
ほれ
「確信と確実が違う」とか「真理とは真実のことだ」とか言葉遊びに俺を巻き込まないでくれ
>>548 真偽も〜でない〜であるも2進表記です。
でも実際には2進表記出来ないものもありますよ。
554 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 21:49:06
オレオレ詐欺さん、あなた523で確信が傲慢を招くと、いっているじゃありませか。にもかかわらず、『>「確信があるとは私にとって確実である」ということでしょうよ。ほれ』とは滅茶苦茶です。所詮、あなたの「確実」は信用できない。
何だかよくわかりませんが、
1.「真理が存在するかどうか」と「それを人間が知り得るか」は別である。
2.(1.の2つの命題も含めて)何かが真理であると「信じる」のと「確信する」のは
別である。
3.何かが真理であると「信じ・説得する」態度は傲慢ではないが、
「確信し・説教する」態度は傲慢ではないかという疑問がある。
このへんでどうでしょうか。
皆さん別にそう違うことを言っているとは思えないのですが。
2進表記と言ったのは、
A=偽→偽ならばA=真→真
と言うのは意味がないと思いませんか?
557 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 21:59:39
>>555 いや、「人は何かを確信し、説教する事すらできるが、
真理を確信することはできない。だから真理の名において確信し、
説教してはならない」というのが俺の理屈だから。
オレオレさんは、「真理を信じることは確信する事とは違い
それを説得する事は傲慢でない」という理屈なので、
もうぜんぜん違う。
558 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 22:00:57
あ〜あ〜ぐだぐだ 頭わるー
559 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 22:24:30
オレさんは、「確信が傲慢さを招く」と523でいった後に「確信は確実だということでしょう。確信はさけられない」と、他者の意見を用いて私に説教した事だ。そして「言葉遊びはいやだ」と居直る。誰の認識にも確信と確実のnuanceには相違ある。それを質したがケンカにされた。
560 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 22:51:44
毎日が日曜日のスレは、ここですか?
561 :
考える名無しさん:2005/09/14(水) 23:01:00
>誰の認識にも確信と確実のnuanceには相違ある。
ないよ。人が確信するのは、その人にとって確実だとおもわれるからだよ。
562 :
豫鷺諮駈:2005/09/14(水) 23:25:42
じゃあ、夜だと確信してもう寝なさい。good night(^^;)
563 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/15(木) 00:01:51
>>557 >真理を確信することはできない。だから真理の名において確信し、
>説教してはならない」というのが俺の理屈だから。
ということは「俺の理屈」のほうが「真理」より(俺には&他人にも)
重要だっ!と言っているにすぎませんね。
「観念論者」が「認めたくない真理」に現前すると、往々にして
全く同様の態度を示す・・・・「その典型」です。
「聖書を読めっ!とにかく他の書は読むな!聖書を読めっ!・・
そうすれば『地球が太陽の周りを周回しているなどという戯言』
を称えることなどあるまい・・・と(ガリレオ・ガリレイに対して)
言った(言った後も何の疑問も抱かなかった)宗教裁判官みたいな発想ですね。
>>563 本当に馬鹿なんですね。
まあ、馬鹿なりにがんばって機械的唯物論の布教に邁進してください。
機械的唯物論の神のご加護がありますように。
565 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/15(木) 00:08:52
>>564 あなたの信じる「神のご加護」が「あなたに対して(のみ)」ありますように。
566 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 00:38:24
>>563 こらこら。ガリレオ・ガリレイは、天体観測に基づくデータを計算して、
より高い精度で天体の運動を説明するために地動説を導入したのだ。
しかし天体の運動を完璧に説明した訳ではない。よりよい説明を見つけた
という意味で、真理により近く、価値はあるが、真理そのものではない。
後年、ガリレオの計算は相対性理論によって越えられている訳だし。
しかし宗教裁判官は当時信じられていたアリストテレスの天動説を、
特に確かめる事なく信じていた訳だろ?そして彼らの信じる神という
真理の名においてガリレオ・ガリレイを非難したのであって、
その態度は間違いだろ。
機会君も、何ら確かめることなく、自分の機械的唯物論を信じて、
真理の名において他を非難するんだろ?その態度は宗教裁判官と
同じだと言っているの。そうじゃなくて実験や観察を通して、
有限の精度の範囲で機械的唯物論を確かめているのならいいんだよ?
でも君の態度はそうじゃない。何も確かめずたた信じる態度は、
正に君が忌み嫌う宗教裁判官の発想に等しいのですよ。
567 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/15(木) 00:47:29
>>566 >有限の精度の範囲で機械的唯物論を確かめているのならいいんだよ?
なるほどです。
しかし「有限な制度の範囲」をどうやって「誰が」確かめるのか・・・?
・・非常に「重要な」人類の知見の発展に繋がる「お金の使い方」・・・
・・であるにも拘わらず・・「ニュートリノ関係は話題がなかったので減らされた」
・・・というような現状が・・・「事実」です。
「自然科学の進展に『金』(国家予算)をもっと!注ぎ込むべき」だと、
『少子化・高齢化』社会・・・の「日本国の税金配分」を行うべきだと思います。
568 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 00:54:58
w !!
>>567 注ぎ込む「べき」だ〜 税金配分を行う「べき」だ
「べき」だ、「べき」だ、「べき」だ …w !!
機械タン、自分の志向が自己目的にしか
むかってないのに気付いてるかな?
570 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 01:11:05
ここは、べき論とは、似つかわしくない板なのでは?。
哲板に居る以上、もっともらしい理由は付けましょうね。w
>>567 機械はこういう話のすり替えがとても多い。
「なるほど」とか、一見相手の考えを考慮に入れたふりをしながら、
結局自説を曲げないで済ませたいときに、こういう対応をする。
何もまじめに考えたくない。人の意見を聞きたくない。自説の再検討など真っ平。
自称「最終真理」の使徒としてはこんなんでいいのかなーw
572 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/15(木) 03:28:08
>>516 オレオレ君
いいかげんにしてくれよ
普通に、ものごとを考えれないかな
必死で逃げてるのか天然なのか、理解に苦しむけどさ
>真理を探究しようとするには、
>まず「真理が存在する」という信念が必要だ
そんな信念は必要ないよ
そんなのは前提だよ
キミが、なぜそんな信念を必要とするのかと言えば
対象の実在が真理に至る前提だと勘違いしているからさ
私は
キミは根本的なところで、すでに飛躍している と教えてあげてるんだよ
前提を置く部分が間違えているよとね
「我思う 故に我あり」
考えている自分を否定できない以上
また、もし、考えている自分を否定できたとすれば
真理を考える事もまた否定される
ゆえに真理が存在する事は、私が考える以上
「前提」なんだよ
しかし、その真理は
キミの信念「対象の実在」が正しい かどうかとは、関係が無い
>最高位
おまえは微妙にセンスのあるレスするから困るよな
そうだな、「真理がある」というのはデカルトにとって思考の前提なんだよ
逆にいえばピュロンの考えが正しい可能性がそこにあるということでデカルトも飛躍していると言えるかもな
ところで、デカルトは「われ思うゆえにわれあり」のあとに神の存在証明を行ったけど
この「神の存在証明」は世界の存在証明すなわち実在世界の存在証明だとグルっちが言ってたな
>>573 >「真理がある」というのはデカルトにとって思考の前提なんだよ
そんなことはないでしょ。
デカルトは、疑う余地のあることはすべて疑って、真理が存在する
のかどうか確かめようとして、「疑っている私の存在だけは疑えない」
という真理を見つけたんでしょ。別に前提でも何でもないよ。
ちなみに、デカルトは「私の存在」以外の真理については、全部「神の善意」
を根拠にしているらしいが、それなら初めっからそうすればいいだけで、
「我思うゆえに我あり」なんて何の意味があるのかよくわからんw
575 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 09:24:42
>>574 デカルトは結果として宗教(神の善意)と哲学(我思うゆえに我あり)をうまく
切り分けたんで、後世に影響を与え続けているんでしょうよ。 一種のヒューマニストとして。
今日的な感覚では、この区別をしない思想は全部、宗教の一種になるでしょう。
ピュロンに限らず、分別知(切り分ける知性)の優位性を認めず分別知を
全て疑う事で安心立命の境地に 達するという方法論は、古い区分では哲学に
入れられる事もあるんでしょうが、 今日的な感覚では、宗教の方法論に
近いと捉えられるでしょう。非人格的な法(ダルマ)を 真理とする方法論は、
人格神を信じる宗教から見れば非宗教的に見えるんでしょうが、 しかし今日の
哲学から見ると非哲学的にも見えるので、これはなんなんでしょう。 神秘主義の
一種ですかね。あと、自他の区別をあまりしないオレオレさんが議論を
混乱させる面もあるので、これもなんなんでしょうね。論理的に正しければ
コミュニケーションをあまり気にしないというのは分裂症に近いんでしょうが、
分裂症の病識がある訳じゃないですよね…
>>575 そんなにコミュニケーションを無視しているかな?
相手の質問に丁寧に回答しているつもりなのだが。
的確な質問をできない方に問題はないのかな?
577 :
豫鷺諮駈:2005/09/15(木) 09:56:03
コギトエルゴスムを以て、ここのテーマである「意識は必然である」を論ずるのは如何なものか?私なんぞは、そこにコミュニケーションの崩壊を見ずにはいられない。
578 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 10:09:33
>>576 いや、レスを全部読んでいるだろう点では主観的に
コミュニケーションを無視しようとしているとは思えんのよ。
むしろ逆で。ただ、他の人もおなじだという前提に立つのは
現実的でないというだけで。
たぶんオレオレたんは人と面と向かって哲学的な話をする機会が
多いので、文章でコミュニケーションするときもそれとおなじ
感覚でするんだろうけど、多分、自分一人でマイ哲学を練り上げた
人は、どれが誰の意見で誰と誰が同じ意見かについても容易に
混乱するし。そういう人のためには、いちいちどれがだれの
意見か分かるように書き分けたほうがいいと思われる。
ただ、そういう文章作法上の問題とは別に、グルイズムの視点から肯定的に言うと、
無分別知に達した、または達しつつあるグルであるオレオレたんが、真理から離れ
エゴに執着した他の人の肥大した無分別知の一撃を食らわせ悟りへのきっかけを
与えているともいえる。つまり混乱を歓迎する立場の理論もある。これが正しいかは
わからん。俺は個人的には、マックス・ウェーバーの「歴史は合理化の過程である」
というテーゼを信じ、無分別知の分別知に対する優位を認めない立場にあるが、これは個人的な
信仰の告白なので意味が無いね。うーん。逆に、「自由権」を立憲民主主義の根本に据える
現在の法律の考えは、自由とはいわば無分別知であり各人がそれを予め持っているという
思想と言える。しかし自由主義そのものはフランス革命の悲劇と混乱を生んだだけだし、
この種の思想を歴史的事実を根拠に否定するのは、俺も最高位さんも同じなんだが、
論理的には未整理です。すみません。ただ、今のところはっきりいえるのは、オレオレさんは
文書作法として「俺はお前の意見に賛成だが」とか「反対だが」とか、「これは他人の意見を
引用するものだが俺はこの意見に賛成で」とか「反対で」とかいちいち但し書きを付けるとよいのでは
ないだろうか。いちいち書かないと区別の付かない人が明らかにいるんだし、大工と話すときは
大工の言葉で話せとソクラテスも言っているし。
579 :
豫鷺諮駈:2005/09/15(木) 10:23:01
578さん。意図が明確に伝わらず内容も希薄な文を読みとる労働を私は、したくはないが、オレオレさんは他者の意図を捏造し、自らの意見すら容易に変化させる人だから。火に油は注がずに、あなたのいうコミュニケーションに潤滑油を注いでいただきたい
580 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 10:24:44
まだ、言葉遊びやってんのか?
解決はつかんからな
よう覚えとけ
>>578 すまん、自由と無分別知あたりは言ってることが難しすぎてわからん
>グルイズムの視点から肯定的に言うと、
>無分別知に達した、または達しつつあるグルであるオレオレたんが、真理から離れ
>エゴに執着した他の人の肥大した無分別知の一撃を食らわせ悟りへのきっかけを
>与えているともいえる。つまり混乱を歓迎する立場の理論もある。
ようわからんが、そんな高尚なものじゃないと思う
俺はピュロンの懐疑論には思いっきり反対だ
>無分別知の分別知に対する優位を認めない立場にあるが、これは個人的な
>信仰の告白なので意味が無いね
意味がないのかな?
俺は信仰の告白には意味があると感じるんだよね
信仰のようなものでしかない前提とする仮説を知れば、もっと的確に相手の理論を批判できると思うんだよね
「議論にかけられないテーマはない」というのが俺の信仰なんだ
一応俺は、「何でもあり」と評判の悪い汎批判的合理主義が好きなんだ
で、この考えはピュロンの懐疑論を批判可能だと思うんだ
582 :
豫鷺諮駈:2005/09/15(木) 10:40:33
580君まだ画面にぶち当たっているのか「解決はつかんからな。よう覚えとけ」アンタ奈良の迷惑オバサンか?
583 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 10:50:57
>>579 いや、自分のペルソナ(人格)を捨てて真理のペルソナで話す、
という方法は、確かに哲学史の中に登場するものなのよ。
最近じゃ池田晶子さんがそういう言い方をするそうな。
真理のペルソナが人から人へ伝えられるという主張がグルイズムで、
独我論や決定論と同じでマイ哲学としてよく再発見される模様。
なので、オレオレさんがマイ哲学のグルなのか、正統派のグルなのか、
それとも別のものなのかを区別してみる程度には、オレオレさんの
相手をする事には意味があるんでない?
>>581 とおもったが、信仰の告白でも話す意味がある、というのならグルとは立場が違うね。
とにかく俺お前、賛成反対をいちいちはっきりいった方がいいよ。それを言う事自体に
否定的な見解を(唯識さんとかみたいに)もっているならともかくさ。。
まあ大きなお世話だけどさ。
信仰する対象は、概念はあってもそれに実体があるかどうかは分からん。
しかし仮説は仮説として、それが概念だけのものであっても論理的に整合性があるか
話し合うというのはいいだろう。しかし、人間はほら、話しているものが仮説であるか
どうかというのを容易に忘れてしまうから。どうだろう、「真理は真理についての
仮説でしかありえない」というのはオレオレさんにとって真理なんでしょうか?
また、話し合いの場でこのようなコンセンサスを保つ努力をする気があるか、
またコンセンサスが保てない場合(自分の主張する真理は真理についての仮説ではなく
絶対的真理であると主張する人がいた場合など)には、何か対処法があるんでしょうか。
>>578 あとアドバイスありがとう
試してみる
とりあえずさ、俺は議論相手の愚痴は言わない主義だけど
最高位はほん・・・・・・・っとにひどいぜ
一度議論するといい
実在論への絡みなんて
2ちゃんのネタで有名な10の詭弁のひとつを使ってきたからな
あいつは真理なんて興味ないんだよ
あいつが関心ある話題や答えが知りたい問題があるわけではない
最高位は議論に参加して議論に勝てるキャラとして見られたいだけなんだよ
真理を愛してない
あいつ相手に怒らずに相手をしているだけでも俺は自分で自分を誉めたい気分だよ
585 :
豫鷺諮駈:2005/09/15(木) 11:08:35
しかしオレオレさんは真/偽と確実/不確実を区別すると唱えながら、それ自体を確信しているから是非がない。その上で「知的謙虚さを土台にする」などと、いわれても信用できる筈がない。しかも、他人の認識を考慮せずに、二つ以上の単語を混同する。人間業とは思えない
586 :
豫鷺諮駈:2005/09/15(木) 11:14:37
「あいつはほんとひどいぜ」「自らを誉めたい気分だ」。。。。。随分と高尚な知的謙虚だな(^^;) 526のオレオレさんは何処へやら…
>>583 >「真理は真理についての
>仮説でしかありえない」というのはオレオレさんにとって真理なんでしょうか?
うん、そだよ
>また、話し合いの場でこのようなコンセンサスを保つ努力をする気があるか、
いや、議論の前提でしょ
仮説じゃなきゃ議論にかけれないでしょ
>またコンセンサスが保てない場合(自分の主張する真理は真理についての仮説ではなく
>絶対的真理であると主張する人がいた場合など)には、何か対処法があるんでしょうか。
その人はそう思えばいいんじゃない?
SYNとかそう思ってるだろうしね
仮にそう思う人がいても有意義な議論は可能でしょ
議論がまったくできないわけではない
機械君の場合はまぁ議論のしようがないだろうけど
あれはあれで放っておく以外に方法はないでしょ
588 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 11:20:12
>>584 はは。オレオレさんは俺の主義を飛び越して真理の立場で話す事が多いから、グルの素質がある。
最高位さんは、マルクス主義の唯物論から出発して、それを現在では否定したという人だから、
用語が混乱している。唯物論は実在論の一種なので、唯物論を否定する以上、実在論も否定しないと
気がすまない。実在論に対立するのは観念論で、最高位さんは(そして俺も)観念論者だから、
真理なんて信じないし信じるにしても仮説までだし仮説の論理的整合性を尊重する事はあっても
それを絶対的真理を確信する姿勢は肯定できない。俺は実在論を肯定するが(概念だってあるか
ないかといわれればある)、最高位さんはそれも否定する。まあ人間いろいろですよ。
最高位さんの議論に弱みを突くとすれば、唯物論は実在論の一部でしかないのに、唯物論が
歴史的に否定された事を以って、なぜ実在論の全体を否定できるのか?という事を問うことかもね。
まぁ、聞く耳があるかはわからんけどね。
天狗の仕業じゃ
590 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 11:57:54
言葉あそびでは不協和は解消されない
言葉は虚構
いい天気だといいですね
>>588 個人のペルソナってさ、議論ではなく個人同士の罵倒になってしまうことってよくあると思うんだ
議論の目的は理論間の論理的関係を浮き彫りにするのが主だから真理のペルソナってやつの方がわかりやすいと思うんだよね
でも理論には必ず個人的な理念や価値観が介入するから
そういう部分は「俺は〜と信じる」「俺は〜したい」とか表現してるわけだけど
(そう表現したほうが論理的関係がわかりやすい)
最高位は「俺は実在論者であり、認識の外に実在があることを信じる」という文章に難癖つけてきて
「もし実在がなかったら?」と質問してくるんだぜ
「もし犬が哺乳類じゃないなら」を思い出したよ
「ないと思うなら、その理由を挙げてよ」と言ったら「話をそらすな」
いつのまにやら俺が実在論を正当化したことになってて
(非正当化主義の俺がそう解釈されたことがまた皮肉だが)
そんでもって「宗教を否定してない、自覚しろってこと」
そりゃまじめに相手する気もうせるっての
で、他人を正当化のように解釈するのは、そう解釈するものに正当化の鳥瞰的視点があるからだと思うのよ
よく「アルキメデス点がある思想体系」って呼ばれるやつのことね
最高位もこういう部分があるし、それが信仰に過ぎないことを指摘してやろうとか思ってたんだけどね
俺はこの正当化の鳥瞰的視点を指摘することで最高位の欠点をつこうと思ってたんだ
それが無分別知に映ったのかもしれない
593 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/15(木) 12:28:59
>>584 オレオレ君へ
あははは!
>2ちゃんのネタで有名な10の詭弁のひとつを使ってきたからな
これ何?教えて!
>あいつは真理なんて興味ないんだよ
アホ!
私ほど、真理に対して誠実な人間はいないぞ?w
現時点で、否定する事のできない事実
それは「我思う故に我あり」
私が真理を追究する際、私が思考する上で、私にとって
『私』の存在性以外に「確実に存在する」ものなど無いのだよ
かと言って私は、対象の存在を否定しているのではない
対象の存在性については、さまざまな考え方がある
これらは全て「仮説」なのだよ
この「仮説」を前提に、自説を展開する人を戒めているわけさ
それは宗教の領域だよとね
『私』の存在性 という基本を踏まえた上で
論理的に深く掘り下げ
さまざまな哲学的問題に取り組んで行くと
今日まで歴史的に議論されてきた、いろいろな問題の正否が見えてきたわけ
んで、わかっている事だけを以ってして、キミ達の持論を修正してあげてるのさ
ただ、わからん事は、わからん とし
また新たな思考を行う
私は真理に対しては、実に誠実な姿勢なんだよ
594 :
豫鷺諮駈:2005/09/15(木) 12:29:08
さて私は493の持論を彼人々を例に長期考察したその成果はあったと思う。「意識の必然」と、「意識に依拠しない言動の存在」との関係を見出すことが出来なかった事こそが私は成果だと考える。故に個体からの明確な反論は成されなかった。494、私は以上を一つの根拠とする。
595 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/15(木) 12:43:25
>>588 >最高位さんは(そして俺も)観念論者だから
観念論者でもないよ?
実在論も現時点では保留せざるを得ないというだけで
否定している訳でもない
だから
>俺は実在論を肯定するが(概念だってあるか ないかといわれればある)、
>最高位さんはそれも否定する。
これも間違い
詳しくは、オレオレ君へのレスを読んで下さい
しかしあれだね
私の存在性という観点では、私も実在論者だという事になるのかな??
実在論という言葉は嫌いだね
範囲が曖昧だよ
実在論でない論には、何があるの?
観念論にしたって、観念の存在を認めざるをえないわけだしね
だから個人的には、実在論という範囲の広い、曖昧な言葉は使わないでもらいたいんだけどね
発言する時は、もっと自説を具体的に指定しないといけないと思うわけ
独り言だけどね
596 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 12:49:26
なんかホラーだ… … (・Д・;)
597 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/15(木) 13:02:27
>>592 なんだか、いつもながら訳のわからん事を言ってるなぁ
要するに
キミは信じているんだろ?
その信仰を、我々に押し付けないでくれ という事さ
だから、信じるに足る論理性があって主張しているのですか?
と聞いたんだよ
無いんなら、その辺の宗教と同じだから
哲学板で布教しないで下さい という事
598 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 13:10:07
予象??駈に飲みこまれた感じがホラーだろ
599 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/15(木) 13:22:25
正直言って普段、私は実在論者だよ
対象が存在しないなんて普通、思わんでしょw
ただ、哲学的に論理的に分析すればの話であってね
しかし対象の物理現象によって
私という主体が存在している というのは
論理的に考えておかしいんだよね
真理は対象による現象にあるのではなく
主体自身の『存在性』にこそあるのではなかろうか?
と考えるのが、より論理的
600 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 14:19:57
さて、一連のやり取りを見れば、
これからの展開を予想できます。
人間のすばらしい所は、過去のデータから
未来を予測し、現在に反映することです。
何レス費やせば彼らは気づくでしょうかね?
601 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 14:20:59
君たち、いつ働いてんの?
↓ 言い訳サンプル その1
>>594 その件に関しては、誰からも相手にされていなかったと思われ。。。。
>>600 >これからの展開を予想できます。
予想してください。意思によって予想を変えられるか実験できますので。
604 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 15:11:08
>>603 予想はいくらでも変更可能でしゅ。
予想というデータを与えることで、それとは違う選択も可能ですから。
それこそ、人間のもつフットワークの軽さ、可塑性というですから。
605 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 16:37:29
えっ? きみ働いてんの?
606 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 18:44:07
・スレ主の機械は、実在論の一種である唯物論を、仮説ではない絶対的な真理とし、観念論を批判。
・批判者である最高位はどう見ても観念論の立場から唯物論を批判。しかし本人は観念論者ではないと主張。
・オレオレ詐欺は、実在論のうち、実在を確かさで判断する姿勢を批判。確かめようの無い実在を仮説とし、
論理的整合性の高さでで評価する立場を支持。また各自が真理そのものの立場から発言することを容認。
やはりわからないのが最高位だ。実在論でなければ観念論という事にならないだろか。
彼の拠って立つ所は精神的なものではないのか???
【観念論】
精神的なものと物質との関係において、精神的なものの側に原理的根源性を置く哲学説。
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%B4%D1%C7%B0%CF%C0&stype=0&dtype=0 【実在論】
意識・主観を超えた独立の客観的実在を認め、このような実在をとらえることにおいて
認識が成立すると説く立場。唯物論は物質を実在とし、客観的観念論は理念を実在とする。
皆さん最高位先生のことを余りご存じないようなので、
私が代わって解説いたします。
>精神と肉体は『私』という1つの存在性の2つの側面であって一体なんです!
これが、物質と精神を超越した、先生のまあいわば「『私』一元論w」
とでもいうべきお考えです。
詳しく知りたい方は、
>>3にある過去ログの34(実質35)の
>>681以下を
ご参照ください。
ぶっちゃけて言いますと、先生がおっしゃりたいのは
「『私』の存在は物質では説明できない。だから唯物論は間違っている!」
と、まあこれだけです。ひたすら「唯物論は間違いだ!」と強調されている
だけで、「〜論が正しい」と主張されているわけではありません。
<私>以外の存在(外界)が実在しているかどうか、それが物質であるかどうか、
そのようなことには全く関心がないのです。
なお、「その『私』とは何なのか?」と質問しても、「純粋な存在性だ」
というお答えしか返ってこないので、無駄です。
それと、先生は哲学史の知識はほぼ皆無に近いので、上記の問題意識以外に
話を広げますと、議論はいたずらに紛糾と混乱の度を加えるだけです。
特に、「人間一般における肉体と精神の関係」の話題などは、禁物です。
先生と議論される方は(とくにオレオレ詐欺様などは)、ご注意ください。
610 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 22:15:14
プ
611 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 22:26:11
>>609 >精神と肉体は『私』という1つの存在性の2つの側面であって一体なんです!
>ただ、精神と肉体の関係に、因果的な直接的な繋がりは無い という事なんですよ先生!
(最高位先生の発言より)
つまり、最高位先生は、分割不可能な真理=理念=純粋な存在性である「私」には、
肉体と精神の二つの属性があって、しかし両者は直接は因果的には繋がっていないと
おっしゃってるんですね。両者はそれぞれが世界に直接の因果関係で繋がれ、
世界の中で間接的に因果関係の網の目で繋がれる。まさにプラス(精神)と
マイナス(肉体)という磁極を持つ磁石に、世界と言う砂鉄が因果関係という
磁力で束ねられる様に!!!!
しかし、真理の立場から語るという意味では、機械君や、(真理のペルソナで話す時の)
オレオレ詐欺さんと同じなんですね。つまりこのレスには似たもの同士が集まっていたということで。
612 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/15(木) 23:26:05
私見ですが最高位さんの考えは
古代インド哲学の思想が濃いと思うのですが。
613 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 23:40:03
>>162 「私」と言う磁石には精神(+)と肉体(−)という二つの磁極があり、因果関係と言う砂鉄が
法(ダルマ)という磁場により束ねられている、というのが正しいですかね。
法(ダルマ)とは梵(ブラフマン)であり、覚者(最高位さん)においては
磁場が磁石を貫くを様に、我(アートマン)と一致している。
分別知である最高位さんは、悟りの境地において無分別知である「私」に至り、
そこで精神と肉体の区別は消失したのだ、と。
614 :
素人:2005/09/15(木) 23:43:53
>>612 ブラフマンのない(≒ブラフマンという概念を無視した)アートマン?
或いは、
ブラフマンと何等関連のない(≒関係を絶った)アートマン?
それよりももっと古い思想?
>>613 最高位のダルマは、「私を『私』たらしめている何ものか」ということかな?w
少なくともブラフマンのようなものではないだろう。
おいらの私見では、
「主人公!」や「赤肉団上に一無位の真人あり」や「(父母未生以前の)本来の面目」
のような気がするが・・・
おやすみ〜 (´ー`)ノシ
615 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/15(木) 23:57:02
>>599 >しかし対象の物理現象によって私という主体が存在している
>というのは論理的に考えておかしいんだよね
>真理は対象による現象にあるのではなく
>主体自身の『存在性』にこそあるのではなかろうか?と考えるのが、より論理的
何か「似非実存主義」を誤解している三流大学の「代講」講師の無法勝手な
「世界解釈」・・・とでも言いましょうか?
また、見方を変えれば「毒我論」もとい「独我論そのもの」ですよね?
(犬や猫のような)「他の生物」に「主観」を見いだす事が出来ないばかりか・・
「他者(他人)の主観」も「存在は疑わしい」と思っている「子供時代に愛を受けなかった
ヒキコ」・・それが「最高位さんの正体」ではありませんか?
616 :
考える名無しさん:2005/09/15(木) 23:58:57
>>614 >「私を『私』たらしめている何ものか」
がまさに私=アートマン=我=自我を、
『私』=ブラフマン=梵=宇宙の統一原理
たらしめている法(ダルマ、ロゴス)だと思われるのです。
おやすみなさい。
617 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/16(金) 00:07:41
>>616 アートマンだかブラフマンだかアンパンマンだかよく知りませんが、
ガンダムキャラのフィギアのようなお題目を唱えて安眠できるなら、
それはそれでいいのかもしれませんね。
・・・「宗教的選択」は「おぼれるモノは藁にもすがる」の例えもあり、
一概に否定できるものではありません。
勿論「真理」=「哲学」とは全然関係ありませんけど・・往々にして、
「死期が近くなる」=「歳をとる」と「観念論(宗教)」を信じる割合が
増えてくる・・そのことは「人間としての弱さ」として認めざるを得ませんが・・
>>617 何を信じるかは自由だろ。
おまえが身をもって証明してくれてるw
619 :
考える名無しさん:2005/09/16(金) 00:16:06
お前は、じいちゃんばあちゃんを軽蔑してるのか?
620 :
考える名無しさん:2005/09/16(金) 00:16:38
621 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/16(金) 00:18:25
>>618 ご自由に過激イスラム教を信じて自分の信仰のために他者の命を
アッラーに捧げるために人混みの中で自爆テロやるのは「あなたの自由」
ですが・・・「そういう無知=無恥」の呪縛から人々の脳を「解放」する
・・・それも「真理」を探求する「哲学」の役割なのです。
623 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/16(金) 00:21:51
>>619 「真理を見つめる」のは結構体力の要る「しんどい仕事」です。
歳をとって(体力が衰えたので)「それ」を止めて「念仏三昧」
に陥る「お年寄り」は・・・「仕方がない」と思うと申し上げて
いるだけです。
ただ、「情けない」のは「若いのに思考停止状態で宗教に走る輩」
が結構多いことです。
624 :
考える名無しさん:2005/09/16(金) 00:24:40
>623
おまえ自身の思想・主張・思考方法が、既に宗教的であることに何故気付けないw
625 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/16(金) 00:25:56
>>622 少なくとも「この数世紀」で「欧州のど真ん中」における「宗教裁判による火焙り」
になる人が「減った」のは・・「科学の進歩」と密接な関係にあります。
「科学の進歩」は「宗教的暴力の完全廃絶」まで、早急に突き進めるべきだと思います。
そうだね、科学の進歩で人類が滅びるのが先か、
暴力の廃絶が先か、難しい問題じゃないですか?
>>621 「おまえがあの世へ行ったら、8人の嫁と牛10頭、
それに家と生活に困らないだけのカネをアラーが
くれる」と言われたら、
仕事も目標もなく病気の家族を抱え、その日食う
に困ってる子供は、強力TNTを自分の体に巻くだろう。
彼の問題は物理的困窮であり、
彼の真理は「それを誰も解決してくれない」ところ
にある。
機械よ、おまえの哲学や真理で、いったい何が
できる、と言ってるんだ?
おまえはただ遠くから、メシの種にもならない
空論をふりまわしてるだけだろ。
なにもしてやらないくせに、非難だけは山のよう
にするやつがいるが、おまえはその典型だ。
同じ真理を見い出すにしても、ちっとは役に立つ
のに目を向けろw
628 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/16(金) 00:41:32
>>626 いずれにしろ「滅びる」可能性は大きいのですが・・・
「暴力の廃絶」という客観的(一般的)言い方は「無造作すぎる」
と思います。
私は「宗教(神)の名を借りた暴力」が未だに存在する・・と
申し上げているのです。
「暴力を加える側の神経を麻痺させる」・・宗教という「麻薬」が
無ければ「生き延び得た命」に成り代わる「想像力」が必要なのです。
「暴力」については、常に「振るわれる側の主観が優先されるべきである」
・・・と申し上げているだけです。
>>628 アメリカでキリスト教原理主義者を説得してくればw
630 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/16(金) 00:47:29
>>628 先進国プロレタリアートのルサンチマンですか?
発展途上国の三歳以下の子供達は、現在も「栄養失調」で三秒に一人
死んでおります。
要するに「餓死」ですが、「死の苦痛」の中で「餓死」が最高だそうです。
「最高の苦痛」ということです。
それに比べて、あなたの「経済的困窮」など「高級料理店でまずい食事を
出されて文句を言ったけれど、相手にされなかったブルジョアジーの肥満し
脂ぎった禿頭」みたいなモノではありませんか?
634 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/09/16(金) 01:03:11
>>632 先進国の(自称)プロレタリアートの「ルサンチマン」よりは
遙かに「マシ」だと思いますが・・
・・要するに彼らは「GDPの増大の足を引っ張り」つつ、
「GDPの分け前が(この俺に対してだけ)少ない!」と
いう「恨み」を社会に対して持っているだけで、「居ても居なくてもいい」
層なのですが、いっぱしに「年金だけは楽して暮らせるほど寄こせ」と
主張する「層」なのです。
小泉の巧いところは「私の在任中は消費税を上げない」という公約を「守る」
ことで、「在任中の借金の増大」を後継者に・・「じゃ、よろしくね」と
渡してしまい、自分は「改革者」として歴史に名を残すことをとった戦略です。
確かに「頭の良い奴」ですが・・・「この国のことを身を投げ出して心配する」
・・・いわゆる「名政治家」ではありません。
後一年で辞めようとしている小泉純一郎は「名政治家であった」という歴史評価が
欲しい(欲しかった)だけです。
>>634 板違い。レベル低すぎ。政治の話はもっと猛者の多いところでやって叩かれてこい。
こんなところで偉そうにぶっても、床屋政談程度の話なんかだれも聞いちゃいないしw
だからぶってるのかwww
>>630 おまえのとらえ方は、
人は餓死せず、生きる「べき」なんだろw?
人は生存しなければならない、なんだろ?
でも、それ観方が違うんだよ。
彼は生き「たい」、そしておまえは
彼を生かさせてやり「たい」なんだよ。
生きるという事は義務や責任の範疇にはなく。
欲求と意志の世界の出来事なのよ。
結論だが、
真理は人の生きる事の援助ツールであって
あくまで二義的存在だってこと。
637 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/16(金) 01:20:54
>>635 では「730兆円」という国債&地方債を「どうしたらいいのか?」
何かの方策があるのですか?
アルゼンチンが10年ほど前に「国家破産」し、IMFの援助を仰いだ
ときの「国の借金」残高は「21兆円」でした。
日本は、3年後には「1000兆円」という途方もない「国債残高」を
抱えることになります。
現在でも「国債の利子に支出される金額は1億円/1秒」です。
「1億円/10秒」なら何とか出来るかも・・・と思いますが、
日本国の「国家破産」は「国民が国債を売らない」という一点で、
支えられているだけです。
経済成長率が少し上がっても、財務省は「ビビリまくり」です。
国債・地方債残高1000兆円の利子が「1%上がる」だけで、
「国家破産」は眼に見えているからです。
・・・・・・・以上「マクロ経済学講義」でした。
639 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/09/16(金) 01:32:20
>では「730兆円」という国債&地方債を「どうしたらいいのか?」
>何かの方策があるのですか?
どうするって、資産を金や外貨に替えるだけのことだ。
コーヒー豆に替えても腐っちまうしな。
640 :
考える名無しさん:2005/09/16(金) 01:35:11
>>634 小泉の唯一賞賛されるべきは
利権族議員集団、旧経世会の解体よ。
郵政民営化もその手段。
国民は間接的利益にうといのでピンと来てないが
一人でそれをやってのけた点は、既に
それのわかる者の年表に名を残していると思う。
名誉より実利をとる男というのが
小泉の正しい評価だと思うが。
641 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/16(金) 01:47:23
>>640 別に「小泉さんが何もしなかった」と言うつもりはありません。
むしろ、「期待以上の仕事をしてくれた」・・・と言うべきだと思います。
しかし、皆さんが「ちと疑問」だと思われているように、
「衆議院議員の任期」は『原則4年間』なのです。それなのに「1年後には
私は自民党総裁と内閣総理大臣を辞任します」と「言い切っている」小泉氏の
「政治認識」です。・・・誰がどう考えても「小泉首相の改革」が「良い」と
判断した有権者達に・・・「1年後は後継者(弟子)に任せます」・・では、
あまりに「無責任」な有権者をコケにし馬鹿にした「小泉権力主義エゴイズム」
ではないでしょうか?
「格好を付ける」のは・・「政治の一手法」ではありますが「格好を度外視する」
・・・なりふり構わず「この国の改革を断行する」・・それが「小泉の公約」だと
思って、自由民主党に投票した「事実」から「逃げ出す」としたら、
「やはりあんたは『チッキン』(の一員)だった」という評価を下さざるを得ません。
>>641 まもなく郵政民営化法案が通り、
小泉は当面の本懐を遂げる。
でもその先の国家目標など思いつく器量はない。
これまでの言動をみれば誰でもわかること。
それを本人も知ってるということだろw
643 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/16(金) 02:02:10
>>642 でも「郵政民営化」が大事でも、小泉氏にとって「根本的に大事な」
課題・・・「財政再建」は、彼にとっても「手のつけようがない」
ような事態なのでしょうか?
郵政民営化・・・それが「財政再建」の焼け石に水・・となる可能性
は「大きい」と思います。
「郵政民営化さえ出来なくて、何の改革が出来るのか?」・・はインパクトがありました。
しかし、1000兆円の借金に「取り付け騒ぎ」が起きたとたん・・・
「日本という先進国が1個消滅する」事に誰が気づいているのでしょうか?
(赤ん坊を含めて)1人当たり約700万円の借金がある国家・・
・・そんな国家が未だかつて「存続」した試しはありません。
644 :
考える名無しさん:2005/09/16(金) 02:03:50
決定論w
>>643 言ってるだろ、郵政は国家財政の再建じゃなく
旧経世会=今は無き橋本派つぶしが目的だったとw
それをやり終えたあと、小泉にもう情熱は無い。
降りてもらっていいんじゃないか?
国家(時の政権)は潰れても国民はなくならない。
生きて暮らし続ける。おまえもだ。
GDPが世界の何位だかは関係ない。
一人当たりの借金がいくらかも重要じゃない。
人というのは今日より明日、今年より来年という
相対的尺度で生きている。
それが国家の安定度などより優先するし、
そういうノーテンキがまたマクロの社会不安など
という掴みどころの無い問題を忘れさせてくれる。
よくできてるのよ、世の中はw
おまえなどが心配するほどの事はないってことさ。
政治の話をするときの機械さんが、到底決定論者だとは思えない
のは、私だけでしょうか。
すでにすべてが決まっているのなら、「べき」だといっても
意味がないと思いますが。
647 :
考える名無しさん:2005/09/16(金) 12:36:17
>>646 案外、「真理は確率としてしか与えられない」って所まで悟っているのかも知れませんよ。
さまざまな可能性があり確率は決まっているが、選ぶのは自分だ、と。
全ての確率をあわせると1になる。これこそ絶対なる1、分割不可能な真理なのだ・・・と。
>627 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2005/09/16(金) 00:34:43
>>621 「おまえがあの世へ行ったら、8人の嫁と牛10頭、
それに家と生活に困らないだけのカネをアラーが
くれる」と言われたら、
仕事も目標もなく病気の家族を抱え、その日食う
に困ってる子供は、強力TNTを自分の体に巻くだろう。
彼の問題は物理的困窮であり、
彼の真理は「それを誰も解決してくれない」ところ
にある。
機械よ、おまえの哲学や真理で、いったい何が
できる、と言ってるんだ?
おまえはただ遠くから、メシの種にもならない
空論をふりまわしてるだけだろ。
なにもしてやらないくせに、非難だけは山のよう
にするやつがいるが、おまえはその典型だ。
同じ真理を見い出すにしても、ちっとは役に立つ
のに目を向けろw
このレスが、どう間違って先進国プロレタリアートのルサンチマンに結びつき、
小泉談義に転がるのだ。アホ。
議論を回避したいという機械の姿勢がそうさせているだけだ。
やはりスルーが一番だろ。
650 :
考える名無しさん:2005/09/16(金) 17:32:51
あの〜、「哲学者最高位」氏はいますかね?
以前に「自我」の話でボコボコにされて、「病院行け」とまで言われた者ですけど。
突飛な割り込みで申し訳ないんですけど、やっぱり自我なんてありませんわ。
あなたの理論はどっかおかしいのよ。自我について考えた時だけ自我ができるの。
コギト・エルゴ・スムなんて昔話の問題じゃないの。
それだけ言っとくわ。あなたの「自我」はでっちあげだわ。
自演?と言ってみるてすt
652 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/16(金) 23:34:06
「最大多数の最大幸福」を唱えた哲学者が居ます。
要するに「個人の幸福量×個人の数」・・・A
『Aを「出来るだけ増やすこと」に貢献する思想が「より正しい思想」である』
という「思想」です。
・・・そういう意味では「世界人口」は増え続け、「日本国の人口は減り続ける」
・・・「実態」を直視すると・・・「日本国の人口を増やすこと」「日本人の1人
当たりのGDPを増やすこと」に貢献する「政策」は「良い政策」です。
中央アフリカで、増えすぎた人口について、日本人には責任はありません・・ので、
「国教の壁の外」については「コンビニの募金箱」に「お釣りの小銭」を献金することで、
「良心の痛みを緩和すること」・・が「最良の方策」だと思います。
「世界人類は救えない」し「地球温暖化は止められない」・・・それが「必然」の一様相
なのです。・・・要するに(食い物が先だ!と言い張る)「経済学」に対して、
「まず、コンドームを使いましょう」・・というのが「人類的矛盾」なのです。
『古来「性交」は「子孫繁栄」のためにあった』のであり、「粘膜の摩擦」のために
「それ」があった訳ではないのです。
一口で言えば「人類が観念論という呪縛を脱出出来なければ近いうちに『種の存続』を絶たれる」
状況に陥る・・・ということです。
>>652 >要するに「個人の幸福量×個人の数」・・・A
世界人口は60億でその中の人々の幸せな時間が平均1年間あったとすると
今生きている人だけで60億年間分の幸せな時間があるって言う事です。
かっさらっていこうか。
654 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/16(金) 23:52:00
>>653 いや、そういう思想は「?ではありませんか?」という例示だったのですが・・
まさか「Aは正しい」とかおっしゃるわけでは・・・?
>>654 底上げです。
クレーンが1台では上に伸びないように
下のを持ち上げ上に置き上のが下になったのを・・・
つまり、上にあるものは一つあるだけでは停滞し
下にあるものが上のを越す事で両輪が回るという。
656 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/17(土) 00:16:06
>>655 よくわかりませんが、「なんとなく諒解」です。
本日は就寝させて戴きます。
657 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 01:31:26
>>650 キミは自我と聞いて、単なる自我意識という認識しか思い浮かばないんじゃないかな
それじゃ古いかもね
しかし
私は、『私』という、主観性をもった存在性を自我と言ってるんだよ?
全然、次元の違う話をしてるわけ
キミはもう、この件について考えない方がいいような気がするよ
本当にアッチの世界に行っちゃうんじゃないかって思う
ヤヴァイよホント
>あなたの理論はどっかおかしいのよ。
どっか じゃダメなんだよ
全然ダメダメだ
私は、私の事を考えていない時でも、私は私なんだよ
少なくとも、私の場合は、そうなんだよ
キミは違うと言うなら、キミの場合は違うんだろうね
キミには自我はないんだろうね
「私には自我はありません」と宣言して生きていけばいいと思うよ
ご自由にどうぞ
>>652 機械君
長々とダラダラと
わけのわからない事を言ってるな と思ったら
最後に
>一口で言えば
とまとめてる、そのまとめが
全く違う内容に摩り替わってるんだけど
本当に、頭大丈夫なの???
>>657 機械タンは、これで今までの43スレを乗り切ってきたのら。
だから、全然大丈夫っすw 過去すれ嫁www
659 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 09:32:09
>>652 観念論から脱出した人類は、食い物とコンドームとをどう矛盾なくあつかうのさ。
>>657 自我に主観性が含まれるというのはわかるが、自我に肉体まで入れてしまうのはどうかと思うんだが。
爪を切っただけで自我が変化してしまうという事でもないだろうに。
>>659 その場合の自我とは自我意識のことだと思いますが、変化しない自我意識などありません。
661 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 09:48:18
>>660 しかし、じゃあ昨日も今日も自分が同じ自分であると感じるのはなぜだろう?
自我意識が変化し続けるのに、あなたが昨日も今日も同じハンドルネームを使い続ける事ができるのはなぜ?
>>661 脳内の情報が似ていることによる、似た自分というだけでしょう。
時間が経てば経つほど、記憶も考え方も変わります。
663 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 10:02:15
>>662 じゃあ、変わる、変わらないという基準以外で、自我意識とその他とを分ける線って何なのさ?
664 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 10:05:43
>>659 自我というのは、『私』という無形なる存在性ですよ
肉体は『私』の肉体であって、自我ではないでしょう
こういう説明が返ってくる事も、予想できませんでしたか??
>>662 キミが言ってるのは、自我意識の事ばっかりだよ
『私』だよ『私』
『私』は変化しない
キミは『私』の意味がわからないんだろうね
>>663 その他とは、具体的にどういうものでしょうか。
>>664 貴方の言うところの「自我」が変化しないというのは、私は理解しています。
だからこそ、
>>660で、「自我意識のことだと思いますが」と申し上げているのです。
いい加減な批判はやめてください。
667 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 10:14:27
『私』は変化しない。『私』は自我である。
自我意識や自我肉体?は自我そのものではない。
変化するのは自我意識や自我肉体?が因果律にとらわれているから。
しかし『私』は因果律から開放された純粋・無形なる存在性であるので変化しない。
自我意識や自我肉体?は、不純・有形なる存在性なので変化する???
ちょっと分からないですね?『私』が変化しないのは、それが存在性だから変化しないんですか?
それとも存在性が純粋だから変化しないんで、存在性が不純だったら変化するという事なんでしょうか?
668 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 10:19:02
>>666 わかっていると言うならば
>>661さんの質問に対する
>>662の、キミの回答は不親切すぎる
明らかに
話を唯物的な方向でまとめようとする意図的なものがミエミエだ
>>668 唯物論で何も問題ありません。物が『私』も含んでいます。
670 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 10:26:58
「我思う、ゆえに我あり。」これがすべての間違いの始まり。
「ここに思いがある。」「この思いは、自らを私と呼ぶ。」
これ以上のことは、言えるはずがない。
「私」は「思い」が存在するときだけ存在し、「思い」が変化する
とともに変化し、「思い」が消滅すれば消滅する。
変化する「思い」の背後に、変化しない実体としての「私」を
想定しなければならない理由など、どこにもない。
なお、「この肉体を、私と呼ぶ。」のは、「この思いの原因は、
この肉体である。」と判断しているからであって、
すでにして唯物論であろう。
671 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 10:39:20
>>667 >ちょっと分からないですね?『私』が変化しないのは、
>それが存在性だから変化しないんですか?
>それとも存在性が純粋だから変化しないんで、
>存在性が不純だったら変化するという事なんでしょうか?
考える順番が逆ですね
変化しないなどの性質から考察して、純粋な存在性だと言ってるのであってね
変化してしまうのに、それを自我と同じ、純粋な存在性と言えるのか という話であってね
ちょっと考えて下さいよ?
あなたは、あなたが生まれる以前の人類歴史には、存在しなかったんですよ?
それなら今も、これからも、存在しないで当たり前なんじゃないですか?
むしろ、いない方が自然であって、当然のはずなんですよ
しかし、あなたは存在しているんです
存在したんですよ
それは事実です
あなたは、あなたであって、他にはなりえない
あなたという純粋な存在性なんですよ
この存在性という事に焦点をしぼれば
この宇宙が存在したという事実と
この私が存在したという事実は
同等の哲学的課題である事が理解できるでしょう
672 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 10:43:34
>>669 だから
どのモノが『私』なんだよ・・・
また初めから説明しなきゃならんの???
>>670 だが、『我』を物質的に特定する事は、不可能なのだよ
よって
唯物論は、間違い
脳死の脳に電極当てて電流を上手く流せば意識が復活するか?
>>671 >あなたは、あなたが生まれる以前の人類歴史には、存在しなかったんですよ?
それは、どんなものでも同じではないですか。このパソコンは、
このパソコンが作られる以前の宇宙の歴史には存在しなかった、とか。
>あなたは、あなたであって、他にはなりえない
>あなたという純粋な存在性なんですよ
これも、どんなものでも同じではないですか。このパソコンはこのパソコン
であって、他にはなりえない、とか。
>この宇宙が存在したという事実と
>この私が存在したという事実は
>同等の哲学的課題である事が理解できるでしょう
これも、すべてのものはこの宇宙の一部なのだから、当たり前では
ないでしょうか…
675 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 10:56:31
676 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 11:12:29
>>672 >だが、『我』を物質的に特定する事は、不可能なのだよ
『我』は「思い」であって、物質ではないのだから、当たり前だ。
というより、「この思い」の外部に「物質」と呼ばれる未知の
実体が存在する、と考えなければならない必然性などどこにもない。
バークリーがとうの昔に指摘していることだ。
ただし、そういう実体が存在する、と考えてはならない理由もない
ので、唯物論云々は単なる独断に過ぎないが。
677 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 11:14:07
>>674 う〜ん
わからない人に説明するのは、ホントに骨が折れるな
言葉尻を追いかけるのではなく
実感として気づいて欲しくて書いたんだけどね・・・
あなたですよ?あなた
パソコンとかは、所詮は物質でしょ
物質が、そのように形作られれば、いつでも出来るんですよ
拡張したりして、違うパソコンとして使う事もできるし
ファイルを入れ替えたりすると、どれがどのパソコンだとも言えなくなるでしょう
しかし『私』は『この私』なんですよ
全く意味が違う事を理解できませんか?
『この私』は、物理的な何の要素で『この私』である という事が
特定できないんですよ
物質的な『この要素』で、作る事ができないんです
>>677 >パソコンとかは、所詮は物質でしょ
>物質が、そのように形作られれば、いつでも出来るんですよ
いや、「別のパソコン」を作ることはできるでしょうが、
「このパソコン」を作ることはできないでしょう。
同じように、
「物質がそのように形作られれば、いつでも人間はできるが、
この人間(私)はできない。」というだけのことだと思いますが。
物質か精神か、というのは、余り問題ではないと思います。
「精神がそのように形作られれば、いつでも人間はできるが、
この人間(私)はできない。」というだけで。
ファイルの話も同じことで、脳(または精神)を入れ替えることが
できるなら、どれがどの人間(私)だともいえなくなると思いますが。
679 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 11:45:10
>>676 結局、何が言いたいのか、よくわからないんだけど
>『我』は「思い」であって、物質ではないのだから
この時点で、唯物論ではないよね
唯物論は、『我』「思い」は、単なる物理現象だとしているのだからね
>>678 別のパソコンと部品を少しずつ入れ替えていったとすると
どっちがどっちのパソコンになるの??
真っ二つに切って、つなげた場合は?
とか、いろいろ考えてから質問してくれないかな
「このパソコン」なんてのは、人間が便宜上使う曖昧な価値観だよ
「このエンピツ」があったとしましょう
では「あのエンピツ」とくっつけちゃったら
これは、どのエンピツですか?
そもそもエンピツという概念すら人間が作った価値観であって
元々は、同じ木から削り出されたものかも知れない
だから、存在性という観点から、突き詰めて考えるならば
元々「このエンピツ」などという存在性は無い と言える
便宜上で作り上げた曖昧な価値観である事がわかるのです
680 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 11:46:13
私は量産できる。
現に世界には60億もの私がいる。
今夜作ろうと思えばすぐにでも・・w
あの世へ言ってしまった私や
ゲンゴロー、ゾウリムシなどの私を
含めると、う〜〜ん数えきれないw
そうたいしたモンじゃないのは確かだ。
なのに私、私、自我、自我と大騒ぎする。
なんでだ?
私がそこ(私)からしかモノを見れない、
狭窄な存在だからよ。
それが私というものの特異性。
結論だが、私というのは狭窄という点で
絶対的な存在だってこと、それこそ神w
私に関するそれ以外の真実は無い。
いかなる者も(狭窄な)私を越えることはできないw
>>679 うーん、しかし、そういうことを言い出すのであれば、
「この肉体」も「この精神」も、
「この肉体+この精神」=「この人間」=「この私」も、
「便宜上で作り上げた曖昧な価値観である事がわかるのです」
というしかないと思いますが。
昨日の私と今日の私が同じ「私」だとも言えないし、
眠る前の私と起きた後の私が同じ「私」だという証拠もないと思います。
私の方は殺されていて、実は昨夜までの私の記憶を植えつけられた
精巧なロボットだったとしても、自分では「私だ」と思い込んでいるでしょうし。
すべては「記憶」と「外界との関係」に頼った曖昧な判断に過ぎません。
682 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 12:03:52
>>681 いやいや
『この私』の『存在性』は
便宜上の曖昧な価値観とは、全く違いますよ
『私』ですよ?『この私』
私と、あなたや他人とは、人格的に混ざり合う事などありえません
私は私
完全な一個としての、純粋なる存在性です
昨日の私 など関係がありませんよ
時間という概念についても、まだハッキリとした答えはないわけですが
『私』の存在性という事を考える上では
今この瞬間に存在する『私』という事だけで十分なはずです
それは確実なのであり、否定する事はできません
683 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 12:08:34
>>679 >>682 「ミリンダ王の問い」(平凡社 東洋文庫7・15・28 全三巻)
巻1 第一篇
684 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/17(土) 12:25:36
>>683 それ何?
説明してよ
昔、ミリンダっていう飲み物あった気がするな
知らん?w
685 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 12:32:44
それ飲み物じゃない、ミリンだ
686 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 14:42:30
>>677 『私』は物理的存在と現象で出来ています。
違うというのなら、一度、貴方の『私』を全てから切り離してみるといいでしょう。出来ませんから。
>>682 >私と、あなたや他人とは、人格的に混ざり合う事などありえません
私はあり得ると思います。出来ない理由が存在しません。
混ぜることも、分けることも可能でしょう。
>完全な一個としての、純粋なる存在性です
事象は見かけ上一つに見えますが、無限の重ね合わせ状態になっていると思います。
さあいよいよオカルトスレと化してきましたよ
690 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 17:48:45
最高位=団塊の世代
691 :
姥捨て習慣見直し論者:2005/09/17(土) 18:30:40
団塊の世代は全員抹殺じゃ
692 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 18:33:57
>>688 キミは、本当に頭が悪いんだね。
哲学者最高位先生のいうことをまったく理解していないwww
「私」があなたと他人と人格的に混ざり合うというのは「自我意識」のことだよ。
キミは哲学者最高位先生が今までにいったことを全く理解できていないね。www
私が言ってるのは哲学における自我のことなんだよ。
心理学ではないのだよ。
>事象は見かけ上一つに見えますが、無限の重ね合わせ状態になっていると思います。
本当に再三にわたって言ってるにもかかわらず、全然わかってないな。
キミの自我意識が唯物論になっちゃってるんだろうね。
こりゃ説明しても無駄だなwww
キミたちは機械になっちゃったんだなwww
693 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 18:39:50
弟子の方が最高位本人より下品だな。しかしSYNというのは
完全に唯物論者なのに、自身ではそれを否定するというのが
面白いな。ユングの集合的無意識を唯物的、決定論的に
解釈したという感じだな。
694 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 19:08:49
>>692 >
>>688 > キミは、本当に頭が悪いんだね。
ココと→ > 哲学者最高位先生のいうことをまったく理解していないwww
> 「私」があなたと他人と人格的に混ざり合うというのは「自我意識」のことだよ。
ココと→ > キミは哲学者最高位先生が今までにいったことを全く理解できていないね。www
ココ → > 私が言ってるのは哲学における自我のことなんだよ。
> 心理学ではないのだよ。
>
> >事象は見かけ上一つに見えますが、無限の重ね合わせ状態になっていると思います。
> 本当に再三にわたって言ってるにもかかわらず、全然わかってないな。
> キミの自我意識が唯物論になっちゃってるんだろうね。
> こりゃ説明しても無駄だなwww
> キミたちは機械になっちゃったんだなwww
自演?
>>693 私は以前から唯物論者でもあると表明しています。
696 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 19:24:22
>>695 そりゃ失礼。読み間違えてました。唯物論というのは無神論と同じで
信仰の一種とおもわれるので、更生?は難しいんですよね。最高位先生には
老体に鞭打って頑張って欲しいんですが、自演ですかね???
>>696 私は無神論者ではありません。
(唯物論、汎心論、決定論、汎神論)者です。何もかも合わせて「在りて在るもの」=YHWHを神としています。
698 :
681:2005/09/17(土) 20:08:20
>>682 >昨日の私 など関係がありませんよ
>時間という概念についても、まだハッキリとした答えはないわけですが
>『私』の存在性という事を考える上では
>今この瞬間に存在する『私』という事だけで十分なはずです
>それは確実なのであり、否定する事はできません
どうもあなたの言うことは理解できません。
「私」の存在性と時間が関係ないのなら、
>>671の
>変化しないなどの性質から考察して、純粋な存在性だと言ってるのであってね
という話と、矛盾してしまうと思いますが。
>>677の「形作られればいつでもできる」とか「ファイルを入れ替えても同じパソコン」
という話も、すべて時間的な変化が前提なので、無意味になってしまいます。
「混ざり合うかどうか」というのも、ナンセンスです。
時間的変化を考慮に入れれば、パソコンは物質的に、私は物質的にも精神的にも
絶えず変化していますが、「記憶」と「世界内の関係」からどちらも
「同じパソコン」「同じ私」と判断されます。もちろん規準は曖昧そのもので、
パソコンも私も現実には別のものと摩り替わっている可能性も否定できないのですから、
「便宜上の曖昧な価値観」以外の何物でもないと思いますが。
物質であるか精神であるかはあまり本質的な問題ではないと思われますし、
パソコンと「私」の間にどんな違いがあるのか、よくわかりません。
事実に依らず、論に依存するのは宗教と言っていい。
どんな論であれ、だ。
しかし、個々の事実を凌駕する論など存在しない。
つまり、事実(現実)論者が一番賢いということだ。
わかったら、もう寝ろ。
その「事実(現実)」とは何か、が問題なんでしょ。
701 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/17(土) 22:16:50
最高位さんの考えはやはり古代インド哲学
或いは原始仏教の思想に近いですね。
このスレに来られた時にたしか
「天上天下唯我独尊」と言われてましたね。
大乗仏教は我空、法も空である立場ですから自ずと解釈は違うのですが
究極は同じだと私は考えます。(これは他スレで批判を受けましたが)
>>700 事実が何かは明らかだろ。
事実とは、誰もが認める範囲を述べた事柄のことだ。
疑問の余地のあることまで述べたものを事実とは言わない。
わかったら寝ろw
703 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 22:32:44
このスレに書き込んだヤシの
脳は物質だから必然にすぎない
>>702 このスレの住人の「誰もが認める」ことなんか、なさそうだぞw
世界は「誰もが認める」ことで溢れかえってる。
馬鹿なのか、おまえw?
たとえば、何?
そもそも「世界が存在するか」でさえ認めない人もいるみたいだぞw
707 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/17(土) 22:46:34
「誰もが」というのは人間限定ですね。
偏計所執性。
>>706 「世界が存在するか」を認めない?
そんな話きいたことがない。
おまえ、あるのか?
709 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 23:35:00
ほら、やっぱり
>>708 いても不思議ではないな。
自我やクオリアの存在を認めない人もいるからね。
711 :
考える名無しさん:2005/09/17(土) 23:39:16
世界には漏れしか存在しないお(^ω^) 世界は漏れに認識されたものでしかないお
713 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/18(日) 00:58:47
>>677 >しかし『私』は『この私』なんですよ 全く意味が違う事を理解できませんか?
>『この私』は、物理的な何の要素で『この私』であるという事が特定できないんですよ
「21世紀における凡庸な人類の個体」を「特定」しようと思えば「特定」できます。
ただし、特に「特定する価値のある個体出るか否か」で、「無縁の衆生」の中に埋没するか
「歴史に名を留めるか」の「差」は出ますが、いずれにしろ「死んでしまった本人」が感知
出来ることではありません。
「他の主観」が(も)「俺が俺であることは何にも代え難い事である」と考えていることは、
あなたの「想像力の範囲外」なのですか?
「自分の(あなたの言う)存在性」・・とやらが、他人や他の動植物にも「あるかもしれない」
と・・一度でも考えたことはあるのですか?
>物質的な『この要素』で、作る事ができないんです
「作ることが出来る出来ない」など、「現存在」にとって何の関係もありません。
「現存在」である「あなた」は「誰にも作ることが出来ない」・・・・
・・従って「私という現存在を作った何ものかが私以前に存在した筈である」・・
という「無理くり論理」を「演繹的」に展開し、「その存在を『神』と名付けよう」
という無理くり無理やり論法・・・それが「全(基督教的)観念論」・・のルーツです。
>無理くり無理やり論法・・・それが「機械」的唯物論のすべてです
機械タン、基督教徒の人口がちょっと多過ぎねーかw
な〜んだ、そうだったのかこのスレ
己の信じる宗教ドグマの発表会だったのか
717 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 04:33:57
>>690 キミら団塊の世代って何歳ぐらいなのか知ってるのか??
50歳代後半だぞ?
そんなに行ってないよ アホか
弟子のフリして自演疑惑の工作みたいな事をするヤツもいるし
いったい何なんだよ・・・
>>701 唯識さん
私は仏教についても、詳しくはないです
近いのかもしれませんが
あくまでも、私の哲学です
718 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 04:54:19
機械君はアレだね
アンカーとか付けてくるから
話しかけてきてるのかと思ってたけど、違うね
独り言だったんだね
人と会話する事が、できない人なんだもんね
719 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 05:18:24
>SY君
物質による現象と
『私』の存在性 というものは
全く違う話なんだよ
物質の存在性についても同じ
『物質』から『私』を結びつけようとしても
その根拠など、どこにも有りえないんだよ
なぜ、この物理的要素を持った他人でなく、『私』だったの?
なぜ『私』など『存在』したの?
『私』だよ『私』
『私』が存在する という事は、とんでもない事なんだよ?
唯物論的立場から考えると、特に「とんでもない」事なんだよ
キミは、その根本的な哲学的課題に気づいていない
ありてあるもの
721 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 06:06:55
>>720 ありてあるもの
と言った時点で唯物論では無くなるんだよ
物理的要因で存在した『存在性』ではない
すなわち「物理現象」ではない『存在性』だ という事になるんだからね
存在性というのは、物理現象「以前」の問題なんだよ
現象を現象せしめている更に根源的問題なんだよ
唯物論は現象以前の問題に関しては、全くの無力
存在性に関しては全くの無力
言及できないんだよ
言及できないクセに言及してくる
なぜこのような事が許されてきたのかと言えば
このように論理的に整理できた人間が歴史上いなかったからだよ
だから私は、一般的に認知されてきた唯物論を論理的に完全に破壊して
現代の「哲学者最高位」を名乗ってるわけ
おk?
さあますますオカルトスレと化してきました
ぴかぁは黙れ
ぴかぁ=哲学者最高位
なんだよね。
しかし、よくもこれだけ恥知らずなコテハンを名乗れるようになったものだ…
725 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 07:49:55
>>722 意味がわからん
批判するなら、論理的に説明してくれ
>>724 私は、このコテハン以外は使った事ないよ?
妄想に振り回されて可哀想な人なんだね
まぁいずれにせよ
批判するなら論理的にやってくれ
>>699 >つまり、事実(現実)論者が一番賢いということだ。
事実(fact)と現実(reality)は用法が違うぜ
ちなみにリアリストとは実在論者のことだ
727 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 09:25:12
リアルをリアルに認識するのは
どこまでいっても人間の観念なんだけどな
729 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 09:30:08
>>721 >ありてあるもの
>と言った時点で唯物論では無くなるんだよ
そんなことねーだろw
ありてあるもの=物質、だったら唯物論。
ありてあるもの=神、だったら宗教。
ありてあるもの=精神、だったら観念論。
ありてあるもの=私、だったら最高位w
730 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 09:42:35
>>728 ん?
リアルを認識せずして、キミはいったい何を認識しているの?
キミの言うリアリストとは何??
>>729 アホだなぁ
彼が『私』は、ありてあるもの だと言うから
それなら唯物論ではないよ と言ったんじゃないか
もう少し、会話の基本を身につけてから、しゃべりかけてくれよ
疲れるよホント
731 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 10:09:58
>リアルをリアルに認識するのは
>どこまでいっても人間の観念なんだけどな
その、人間の観念、と『私』の関係はどうなってるのよ。
観念は物質ではないんでしょ?だったら『私』 は観念なのかと…
732 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 10:17:45
>>726 何論か、何論者かは ど〜でもイイと言ってるだろ。
論は、一つひとつの事実を捕らえ切れないドンカスの
安易な拠り所。
論より事実が優先するすることを認めた点は
認めてやるがw
それにしても おまえは枝葉が好きだなw
734 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 10:30:06
>733
確かめられる事についてはそれでOKだが、そうでない事に関しては
真理からインスパイアされたものを仮説として検討するしかないと
いう話になっているのよ。仮説の是非は論理的整合性によって判断
されるべきだし、それで論理的整合性がありそうなら改めて実験
してもいいので。それに個人が論理の限界まで葛藤して、論理以外
の部分に真理を見出してもそれはそれでいいと思うのよ。なので
枝葉というか、幹のてっぺんが嫌いな人は、日常生活で確かめられた
事実に基づき生活すればいいので、それを否定する人はあんまり
いないと思われるよ。
735 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 10:41:23
>>731 『私』は『私』という存在性だと何度言ったらわかるんだよ
人の哲学を文章から分析しようとするのもいいが
ちょっとは自分の頭で、角度を変えて考えてみなよ
観念は『私』の観念に決まってるだろ
わけのわからない事ばっかり言ってくるなよ
>>732 ホントにキミは、バカか?
話の流れってもんがあるだろ
それにSN君が以前『私』は、ありてあるものだと発言してるんだよ
それに対して私は再三、同じ事を言ってるだけだ
736 :
720:2005/09/18(日) 10:42:46
ありてあるもの
…が何か言葉的に響きがよさげだったので投入した。そんだけ。
で存在や現存在について
ググってみたんだ。
・ハイデガーの現存在(ダーザイン)
↓
・マルクスの史的唯物論
↓
・グノーシス主義(マニ教二元論)
て具合に落ち着きそう。なかなかおもろいね。私は理系なのに基本はオカルトなので。
ありてあるもの
で話が般若心経みたいな仏教的な存在のはなし
になるかと。
なればよいなぁと思って投入した。そんだけ。
やはり二元論。梵我一如。
>>734 検討する「しかない」? 「したい」の間違いだろw
しかないからせざる得ないみたいな言い方はよせ。
では確かめられない事柄を、なぜおまえは「したい」のか、
その目的はなんなんだ?
言ってみろ。
『私』は『私』という存在性である。
『物質』は『物質』という存在性である。
『観念』は『観念』という存在性である。
『世界』は『世界』という存在性である。
何の説明にもなっていないんですがw
ちなみに『存在性』とは何のことでしょうかww
739 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 10:52:09
>>735 >『私』は『私』という存在性
それじゃあ定義にならんのよ。精神でもない、肉体でもない、
観念でもない、物質でもない、そんな存在性なんて誰に取っても
自明なものではないので。
しかし内的体験として、『私』なるものの存在を真理として
体験したというのなら分かるよ。しかしこれはどちらかというと
宗教的体験に属する話じゃないのかい???それでも別にいいんだが。
>>737 そんなのはもう自然な衝動だよ。したいからするのさ。
真理が私のドアをノックしたのさ。だからそれに答えるだけ。
740 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 10:57:51
>>739 ずいぶん怪しげな真理だなw
曖昧モコが好きなのか?
741 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 11:00:52
>>740 他人の言葉を理解するのに例外を設けたくないだけさ。
この世に曖昧な人間がいる以上、あるいは人間に曖昧さが付きまとう以上、
一旦はそれを受け入れないとな。
742 :
720:2005/09/18(日) 11:03:49
もぅ、最高位の言う存在性〈私〉は「聖霊」でいいじゃん。
物質とは違うし、世界の創造主がつくったものでもない内なるもの。
自己を知識(グノーシス)で最高霊にみちびくオカルトで。物質という悪の中に宿るひとつの光。
ありてあるもの
743 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 11:06:40
>>738 キミはアホだから
もう黙ってた方がいいよ
ちなみに、唯物論の破壊の説明ね
>>739 宗教体験ではないよ
しかし、わからん人間にはわからんだろうね
知能の問題というか、哲学的センスの問題というかね
まぁ今の段階では、万民に理解できる内容ではないだろうね
みんな、そういう教育システムでは学んでいないからね
知らず知らずのうちに、ほとんどの人が
日教組の唯物教育で洗脳されてるんだから
理解できる方が、稀なのかも知れないね
ただ、これはパズルを解くようなもんなんだよ
わかれば簡単な事なんだけどね
>>733 枝葉好きな俺としては言葉の使い方が気になる
>事実とは、誰もが認める範囲を述べた事柄のことだ。
とあるように、「事実」とは「そう思われている」というもの
コペルニクス以前は天動説が「事実(fact)」だった
しかし、「現実(reality)」は地球は太陽の周りを周っている(と思われる)
現実の世界のことを「実在世界」と呼び
実在(reality)と言明の意味内容の一致を「真実(true)」と呼ぶのが対応説真理
つまりね
A「『本当/真理』って言葉ってどういう意味?」
B「現実にそうであること」
ということ
実在論者とは、
実在世界(現実世界)が存在し、認識の対象を「現実にどうであるのか?」と考える人たちのこと
で、最高位は「現実が存在しなかったら?」と突っ込むわけ
>>743 「『私』は『私』という存在性である」というのは『私』の説明に
なっていないのではないか、という疑問に対して、「アホだから黙れ」と
返答されても、困ってしまうのですがw
「ちなみに」以下は「『存在性』とは、『唯物論の破壊の説明である』」
という意味でしょうか。これまた頭を抱えるばかりですw
それにしても、〜論の「破壊」というのも独特の言葉遣いです。
いかなる教育システムで学ばれたのか、興味津々ですww
746 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 11:39:02
そろそろ結論だせ
747 :
720:2005/09/18(日) 11:47:40
攻殻機動隊でのゴーストは
・複製できない
・新たにうまれない
・成長しない
そして
・失われない
・消滅する※
聖霊に似てるかも
現実世界は、感覚でよみとり構築した仮想した世界と似てる。見分けがつかない。
〈私〉という乗り物からすれば現実か仮想なんて正直どうでもよい。
ただ是非を問わずに現実はあるでしょうけど。たぶん。
748 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 11:59:06
>>744 trueは「正しい」だろ。形容詞。真実は「truth」。名詞。
真実が(哲学的センスなど)何らかの手段によって(『私』などのように)把握可能なものか、
それともそれに向かって運動することはできるが到達は不可能なものなのか、どちらをとするかの
(言葉の使い方上の)立場にごまかしがあるんじゃない?どっちなのさ???
実在論(realism)の説明の続き
われわれに知覚できる世界は現実世界をそのまま模倣する、という考え方を模写説
われわれに知覚できるものがそのまま世界に存在する、という考え方を素朴実在論と言う
素朴実在論に対する批判には次のようなものがある
A最高位がトイレの夢の例を出したように、
われわれは現象だけが知覚できるのであり現実そのものは認識できない
現実世界なんて存在せず、われわれが現実だと感じているものは壮大な夢であるかもしれない
B蜃気楼や光の屈折のように
われわれの知覚は現実世界をそのありのままに認識できるわけではない
(Aが観念論からの批判であるのに対して、Bは実在論からの批判であることに注意されたし)
で、現実があるかどうかはわからないけど、われわれは「現実がある」と考えて思考する、というのもある
おさらい
・現実(reality)そのものは認識できない
われわれは現象(phenomenon)(知覚できる光景だけみたいなもの)の向こうに現実があると考えている
・現実があるのかないのかについては結論を確定できない
751 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 12:05:32
>>745 あのね
青は青という色である
という説明を聞いても、全盲の人には説明になっていないんだよね
いかなる説明も、説明にはならないんだよ
しかし、色が見えている人には
「見りゃわかるだろ それが青だ」と言えば普通は通じる
そして、それ以外に説明する方法などないんだよ
これが主観性に関してできる唯一の説明方法なんだよ
私に、どういう説明方法で説明しろと言うのかな?
何でも言葉で説明できるとでも思っているのかね?
752 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 12:12:58
>>750 それだと最高位は、現象の中の一風景に過ぎない『私』をあたかも実在する真理そのものだと誤って認識しているという事になるけど、それでいいの???
>>751 例えが悪いよ。青い光は電磁波の一種である。という説明もあり得るし、そちらの方が納得が行くという人もいる。
たとえば詩人のワーズワースがこういう理論を嫌ったという事が伝えられているが、それこそ詩的センスの問題であって、
(たとえば詩人と物理学者の価値が対立したとして)真理がどちらにあるかというのについては、はっきりした事はいえないのでは?
753 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 12:21:38
〈あなた〉の物事のとらえかたで世界がいかようにも変化するのか
>>752 最高位の「真理」という言葉の使い方が俺にはわからない
俺は対応説真理の立場からの「真理」という言葉の使いかたを説明しただけ
ほかの人に同じ用法を押し付ける気はない
>>751>>752 青というのは、「クオリア」の一種です。
唯物論的な理解に従えば、一定の波長の光が人間の網膜に達して
送られた信号が脳内で処理された結果発生いたします。
無論、直接に知り得るのは「クオリア」だけです。
「クオリア」以外の存在はすべて「想定」されたもので、
「光」だろうと「脳」だろうと「実在」する証拠はありません。
ちなみに、ヒュームは「私は知覚(クオリア)の束である」と言っております。
>>744 天動説が事実(fact)なんじゃなく、「として扱われた」だろ。
人の世は「時の」事実に基づいて動き、審判する。
一昔前は地動説、今や太陽を含めた全動説、やがては「…?」だw
その「…?」の最終形を特定して真理と呼ぶのが○○論者の渇望w
で、俺の言ってるのは不明を含んだものを真理と呼ぶのはやめれ!
ということだ。
いずれ覆ろうが、「そのとき」事実と認められる範囲「以外に」
真理は無い。そのとき事実として取り扱われるものだけが
「事実」であり、人間にとっての真理だってこと。
その意味では 毎日真理は発生している、できたてホヤホヤのがね。
「人間以外」にとっての真理は妖怪にまかせとけw
しょせん「物理の」真理といっても、「人の認知」による産物。
人の認定する事実によって論の転向をよぎなくされる二義的、
つまりその程度のものに過ぎない。
ましてや、「てめぇで言い切るしかできない」もんを
真理だなんて、「まことにおこがましい!」と言ってるわけよw
757 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/18(日) 13:15:42
また始まったな
たとえ話で、青と言えば青の話題に摩り替わってしまう
話題の本質から離れちゃダメだよ
唯物論が正しいのかどうかだろ?
『私』も『クオリア』も、主観性と関係が深いんだよ
客観的論述では適切に本質を、説明できないものなの
自分自身で認識しなきゃいけないものなんだよ
青色を他人の説明で、初めて認識する人なんていないだろ
『私』についてだってそうだよ
気づかせるヒントは、たくさん考えたけどさ
誰でもそれを適切に認識できるかどうかは知らないよ
気づいたり認識できたりするのは、あくまでも本人だからね
まぁ、物理現象で論述できない事実が、既にある事は理解できたよね?
そこが唯物論が間違いであるという事の、入り口だから
あとは自分で考えて、整理すればいいという話さ
実在などという言葉を用い、人間の感知「し得ない」
つまり特定しようのない幻を、
さも、もう一つの世界(事実)があるかのごとく言うのは
その先の自説を援護するための目くらまし以外のナニ
モノでもない。
嘘つきは泥の始まりだってことさ。
宗教家の手口と、なんも変わらんw
759 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 13:29:13
>>758 実在説において概念や論理は実在しますが、人間の感知し得ないものではないですよ。
感覚や感情に触れないというだけで、思考でそれに接する事ができます。
760 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 13:37:52
>>757 >唯物論が正しいのかどうかだろ?
唯物論も観念論も、すべて「論述」は「仮説」であって、
「真理」ではありません。
「論述(言語)」が「正しい」とは、いかなる意味でしょうか?
>客観的論述では適切に本質を、説明できないものなの
「主観的論述」なら説明できるのでしょうか?
論述(言語)によらない認識とは、何でしょうか?
762 :
観念とは不可抗力 ◆GUGENiOq0w :2005/09/18(日) 13:49:30
763 :
観念とは不可抗力 ◆GUGENiOq0w :2005/09/18(日) 13:50:55
764 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 13:59:35
俺や俺のお袋が、どれを基に生活するかは
おまえのクチ出す幕じゃないw
俺んちの庭の樹ならともかく、
おまえの画用紙に描いた葉っぱを
在るものとして暮らせと言われても…w
不可能なことを言うなw
765 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:03:54
>>764 しかし紙に書かれた楽譜の中には音楽があるじゃんよ。
頭でっかちで感情や感覚を無視して生活するのもダメだけどさ、
感覚や感情で受け取ったものを頭で再処理して生活しないのもダメだろうさ。
>>759 思考はある意味、試行(錯誤?)の範疇。
それも経験(事実)に照らしながらのもの。
存在や事実とは異なる。
事実(の持つ意味)を膨らませる作業であって
事実未満。
とてもそんなものを真理とは呼べないw
767 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:14:32
>>766 そりゃ単に言葉の問題です。無駄を論理的に削って削った残り、
レンズの焦点に光が集まったようなものを真理と呼ぶ人もいるだけって事です。
論理的でない思考、つまり悩みなどは、経験的事実に振り回されて脳の処理能力の上限まで
膨らむ一方でしょうから、そういう思考を好む人に共感できる立場だとは思えません。
だからまぁ究極的には好き嫌いの問題なんでしょうね。
768 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:19:41
というか、何かが仮に「真理」だとして、「だからどうした」
といわれると、困るよね。
「唯物論(反唯物論)が真理」「決定論(反決定論)が真理」
だとして、「だからどうしたの?」といわれると、答えようがないじゃんw
769 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:23:24
>>768 so what? 「それがどうした?」と聞かれたら、what so.「そういうことなのよ」と答えればいいんですよ。
>>765 ほとんどの場合、感覚は思考と不可分。
俺の場合、ほぼ同時かな・・。
感覚は、次にとるべき行動を選び出すため
思考(理解・判断)へと移り、一瞬で結論を出す。
思考は、感覚に思考結果を集中するべき方向
を一瞬で伝え、備えさせる。
それをヒトに伝える際には相手のテーマや
関心の在りか、理解力、知的基盤を考慮
するから、たくさんの時間がいるが・・。
だから、おまえの言うような、どっちだけとかいう
のはあり得ないw
>>768 昔、小林秀雄がレーニンの「唯物論と経験批判論」という本を読んで、
「レーニンが言いたいのは、世界が現にあるようにしかない、という
事実に驚かない精神は貧困な精神である、ということだ」と
感想を述べたそうだ。深いとは思わないか。
772 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 14:37:42
>>770 そりゃ程度の問題じゃん。上の例で言えば、何でも一瞬で済ます態度もあれば、
何でもよりたくさんの時間をかける態度もありうるだろ。何だって適正であればいいとはいえるが、
実際には人間はどっちの方向にもずれ得るもんなんで、それは結局、気質とか好みとか訓練とかの
話になるだけじゃん。問題を捉える枠組みが変わる訳じゃないでしょ。
>>771 小林って馬鹿かw
世界が現にあるようにしかない、というのは
変わる必要が無いという未来からの観点じゃなく、
起きてしまった過去や現在は変えられない、
従って、ありのまんま認めるより無い、ってことだろ。
ほかに現在の観方、とらえ方があるか?
現世の未来に至る肯定とは意味が違うんじゃないか?
レーニンとやらの、他者否定による単なる自説援護の
デフォルメにまんまと小林が乗せられてるよ〜で滑稽だw
それも確かにその通りかもしれないが、
過去のことから現在に帰結していることがある、
そのようなことから現在に帰結するのかを問うていると皆思っている
わけなんだが。
>>772 違うと思う。
たいがいの事は実は一瞬で答が出てる。
「おまえのいう思考」はその再チェック機能の事だと思うが
それは思考の2次的な保険機能に過ぎない。
たとえば、このレスを見た瞬間、おまえの思考は
どこに結論を持っていくか、ほぼ結論を出してる。
やっつけてやる!とか、アラを指摘してやる!とかw
で、その後に発生する思考は、後からの理屈付け、
そんなの思考というほどのもんじゃないw
俺のいう思考とは、その前段階で「一瞬にして訪れる」
結論を出す能力のことだ。
脳の思考スピードはそれほどに速い、と言ってるのよ。
考えてみろ、
相手のいない独りの空間で、言葉などというシチメンドクサイ
(他者との会話のための)ツールなど使っちゃいないだろw
思考の本質はそこにある。
実はそれこそが私であり、自我の本質の部分なのさ。
後追いの思考(検索・検討)など「私」でなくとも誰でもできるw
そんな二義的部分が自己だと思ったら大間違いだ!
776 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 18:43:18
⊂ \ /⊃
\\ /⌒ヽ //
\( ^ω^ )/ お前ら、仕事は?
| /
( ヽノ
ノ>ノ
レレ
778 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 19:14:27
>>775 しかしおまえよ?たとえば物々交換だけの原始的な経済を感覚としようか?
実物経済の全体が感覚だという例えだよ。それでお金を思考だとしようか。
おまいさんは現金主義だから取引も一瞬!と言っている訳だよ。それが
マネーでしょ?と。しかし実際には債券取引も株取引もあるのよ。
その取引の先物取引もあるのよ。その取引の保険があって、その保険の
再保険まであるのよ。そういう高次の要素も含めて全体が貨幣経済なんだよ。
感覚=実物経済、思考=貨幣経済という比喩だよ?そりゃおまいさんは
現金主義でいいさ。しかし世の中全体がそれで回ってないってのも、
想像が付いてもいい年頃なんじゃないかい?
779 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 19:17:12
自分が共感を抱く哲学的基礎が何なのか言えば?
780 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 21:37:21
781 :
観念とは不可抗力 ◆GUGENiOq0w :2005/09/18(日) 22:46:59
>>763 参照
>>775 セレロンといえば鱈で、ペソ4は北森だが。プレスコットはフルタワーかな
>>778 現金≠チて感じとインスパイアなどは引き出し易そうな錯覚を憶えるとか
782 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 22:56:00
>>781 まあ、悟りなんて自分の思考に閉じ込められた人が、自分の感覚や感情を再発見する過程でしかない。ぶっちゃけ。
実物経済を感覚とすると、感情はそのうちのサービス業か。だから悟りとは、実物経済の上澄みの
サービス業から現金を引き出すようなもんだな。つまりパチンコで一儲けして、果たしてパチンコの
球は商品か貨幣か、いや商品と貨幣が一体となった存在性なのだ、とか言うようなものだ。『パチンコの玉』。
これが分かるには「経済学のセンス」がいるんだよね、とかね。
783 :
観念とは不可抗力 ◆GUGENiOq0w :2005/09/18(日) 23:33:09
>>782 ≫つまりパチンコで一儲けして、果たしてパチンコの球は商品か貨幣か、いや商品と貨幣が一体となった存在これが分かるには「経済学のセンス」がいるんだよね、とかね。
物事の全貌を把握されていますね
784 :
考える名無しさん:2005/09/18(日) 23:33:59
., - ''" ̄ ̄ ̄"''-、
/ \
',-=・=- -=・=- ミし' .|
\ `ー―' , ´ ,,ノ|
`┬― ''´,. -''" ノ\
 ̄| ̄ ̄ , -''
785 :
観念とは不可抗力 ◆GUGENiOq0w :2005/09/18(日) 23:36:58
B型人間とは夜型人間である
786 :
観念とは不可抗力 ◆GUGENiOq0w :2005/09/18(日) 23:38:29
>>784 ., - ''" ̄ ̄ ̄"''-、
/ \
',-=・=- -=・=- ミし' .|
\ `ー―' , ´ ,,ノ|
`┬― ''´,. -''" ノ\
 ̄| ̄ ̄ , -''
犬人間の巻
>最高位
>キミの言うリアリストとは何??
実在論者はrealist
観念論者はidealist
最高位はボキャブラリが貧困だから議論が噛み合わないだけで、中身は単純ですよ。
彼と議論しても無駄だよ。彼の意見は永井均と通俗東洋思想と保守思想を読み囓りって
自分に都合良く適当に組み合わせただけですから。
哲学と科学の素養が全くないので、自分の意見を多分野に展開していけない。
だから同じことをリピートするしか能がアリマセン。
789 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/09/19(月) 04:40:53
>>757 おぉ。二人だけの対決スレで俺に完全敗北した最高位君ではないか
久しぶりに哲板きてよかったよ
んでまだキミは主観性が発見されるものというのが理解出来ていないのかな?それは普通の夢の中でいきなり明晰夢になるような感覚と一緒だよ
ただ幼い頃には記憶力がかなり薄いからそれすら覚えてないが。
>>757 >まぁ、物理現象で論述できない事実が、既にある事は理解できたよね?
>そこが唯物論が間違いであるという事の、入り口だから
「青」「甘さ」「悲しさ」「痛み」等々の感覚(今風に言うとクオリア)は、すべて
物理現象で論述はできません。およそ「観念」一般はすべてそうだとも言えます。
(どんな物理現象に対応しているか、なら調べることはできます。
この「対応している」という事実が唯物論の根拠の一つです。)
それはデカルト以来数百年(プラトン以来二千年?)多くの哲学者がすでに
繰り返し指摘していることで、
「唯物論が間違いであることの入り口」というより、
「唯物論と観念論の対立の始まり」に過ぎないと思いますが…
むしろ、当初は観念論が圧倒的に優勢であり、上記の「対応」のメカニズムが
脳の研究等で詳細に判明するにつれて、唯物論の優位が次第に否定できなく
なりつつある、というのが現状でしょう。
無論、「対応はあくまでも対応に過ぎない」という主張する論者も、大勢います。
「哲学者最高位」さんは、スタートとゴールを取り違えているのではないでしょうか。
791 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/19(月) 09:49:18
>>787 それでは>リアルは認識できない
という発言と矛盾しないかな?
>>788 私を分析したつもりなんだろうが
全くデタラメだな
私は、そんな本など読んでいない
他のスレでは、いろんな話題にも参加したが
ここでは唯物論についてに絞っている
キミ達が理解できないから何度も何度も
同じ事を説明しなきゃいけないだけだよ
>>789 キミのようなカスに負けるわけがないだろ
792 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/19(月) 09:50:10
>>790 ん?
キミは根本的に視点が悪いんだよ
勉強した事の枠から出る事ができないみたいだね
>この「対応している」という事実が唯物論の根拠の一つです。
いやいや、キミは誤魔化されている
『対応』しているという事は
二つの事柄の関係性を示す言葉だよ
唯物論でいくと、観念じたいが物理現象なんだから
観念の大元である『この私』が物理現象によって発生していなければならない
しかし実際には、『この私』と『物理現象』が対応しているのであって
『この私』が『物理現象』に対応しているのではない
言っている事が、わかりますか?
物理現象によって『この私』が発生しているのではない という事ですよ
『この私』が物理的要素に対応して生じているのなら
その要素を挙げてもらいたいものです
私が『この私』であった物理的要素ですよ
そのようなものは『無い』んです
ですから、あなたの言った
>この「対応している」という事実が唯物論の根拠の一つです。
は、自分で首を絞めてしまう結果となっているわけです
対応しているであろうというのは、あくまでも精神活動であって
その精神の根源である『この私』の存在性には
本質的な意味において、対応していないのです
793 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 09:52:47
わかりやすくわからせる技術がひつよう
794 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/19(月) 10:04:10
>>793 レス早いなぁ
ちゃんと読んで理解できてるの???
これ以上、わかりやすく書くのは難しいよ
対象年齢は、いくつぐらいに設定しなきゃいけないのかな?
唯物論も観念論も、よりよく考えるための単なるツールなんですが、
最高位さんはそこを誤解してるんですよねえ・・・
哲学史を勉強すべきですよ
796 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 10:07:09
判ってないことを
ヒトに判らせる事はできない
797 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/19(月) 10:15:28
>>795 それはキミの考え方、捉え方であってね
別の考え方をしている人もいるわけさ
そういう事は、教えてもらわなかったのかな?
というか
ここのスレを読んでもわかるだろ?
唯物論、唯心論などといって対立している
何を誤魔化そうとしてるんだよ
>>792 >観念の大元である『この私』が物理現象によって発生していなければならない
この文章の物理現象を精神活動と置き換えることが可であるなら、発生の源である必要はない。
今ここに顕れている物理現象(精神活動)を、『この私』と暫定的に見做すだけだ。
どちらが先とか言う話ではない。
>しかし実際には、『この私』と『物理現象』が対応しているのであって
>『この私』が『物理現象』に対応しているのではない
意味不明
>対応しているであろうというのは、あくまでも精神活動であって
>その精神の根源である『この私』の存在性には
>本質的な意味において、対応していない
精神活動≠この私 ―――― 最高位
精神活動=この私(の意識) ― 他の人
精神活動(≒意識)の向こうに透けて見える
『この私』(ここでは、絶対的で不変の存在としてあるようだが、そのようなもの)が、
虚妄である可能性を100パーセント否定できるの?
精神活動(+肉体)を『私』と捉えるだけで十分じゃない?
>物理現象によって『この私』が発生しているのではない
→生ぜず滅せず ってこと?
精神活動(≒意識)は『この私』から生じているの?
観念論は永遠に不滅だ。
「私」は永遠に「あなた」にはならない。
なぜなら「私」が意識現象である以前に「私」だからだ。
「私」は「私」の前の「私」と「私」の後の「私」とその中間の「私」。
私は唯物論などによって共産主義者にもなりうるし自由主義者にもなりうる。
しかし唯物論は「私」を「あなた」にすることができると言ってるらしい。
800 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/19(月) 11:32:45
>>798 ↑
この人は、このスレの哲学的センスのない代表みたいな人だな
しかし、うまく表現してくれた
>今ここに顕れている物理現象(精神活動)を、『この私』と暫定的に見做すだけだ。
ココがホントに、おバカ
暫定的に見なす って何なんだよ
誰が決めたんだよw
『この私』は他の誰でもない『この私』だろ
『この私』は『この私』として、ココに存在するんだよ
暫定的に存在するんじゃないんだよ
『この私』は『この私』にとって、絶対的に『この私』なんだよ
『この私』は『他の私』に変わったり、仮定したり出来るものではないだろ
何なんだよ 暫定的って・・・
>>しかし実際には、『この私』と『物理現象』が対応しているのであって
>>『この私』が『物理現象』に対応しているのではない
>意味不明
意味不明なんだろうねぇ・・・
そこが一番の重要ポイントなんだけどな
ココ大事 って注釈つけようかなと思ったほど重要なポイントなんだよ
批判するなら、まずそれを理解してからにしてくれないかな
>『この私』(ここでは、絶対的で不変の存在としてあるようだが、そのようなもの)が、
>虚妄である可能性を100パーセント否定できるの?
しかし悲しいかな その虚妄も、『この私』の虚妄なんだよね
『この私』という主観性が、いろいろ考えるわけよ
>精神活動(+肉体)を『私』と捉えるだけで十分じゃない?
というような、客観的な考え方では分析できない性質のものなんだよ
>精神活動(≒意識)は『この私』から生じているの?
いやいや 話を摩り替えちゃイカン
『この私』が発生しているという根拠は、物理現象に原因的要素を探しても
それは有りえない という事
ゆえに、これは「全ては物質による物理現象である」とする唯物論の定義に反する事実だという事
801 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/19(月) 12:12:17
では、もっとわかりやすい説明 行ってみようかw
もしキミ達が唯物論者で
もしキミ達が共産主義に同調し
革命の際に「この資本家、この人間を殺せ」という命令がくだったとしよう
普通の人は、悩むだろう
相手は同じ人間なんだから、同情して良心の呵責が生じる
しかし唯物論の価値観からすれば、全ては物質であり
全て、単なる物質による物理現象なんだから
そこら辺の石ころを叩き割るのと同じである と教え込まれる
そこで普通は悩むわけさ
もし私の所に相談に来たなら「それは違う」と、根本的に唯物論を破壊してあげる事ができる
「キミは物質でできている」
「しかし、もし物質的に全く同じ要素を持った人間を、もう一体作った場合、それはキミか?」
とね
当然、「それはボクではありません」 となるだろう
「それはキミが、その体の物理的要素の中に、キミがキミであった根拠など無かった という事だろ?」
「要するに、唯物論など間違いだ という事さ」
という結論まで、導いてあげる事ができるわけさ
唯物論を真理とし、人生観にまで言及してくるというスタンスは
明らかに間違えた思想であるという事
唯物論は、私によって論理的に完全に破壊された
唯物論など、すでに前時代的な思想だ
802 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 14:10:11
最高位さんは実存主義者なんだよ。正確に分類すると。
それでマルクス主義を批判している。マルクス主義は唯物論だが、
唯物論というのは実在論の究極だから、なんか究極の真理という
感じがしてしまうが、それは間違いなんだね。個を優先する実存
主義が、集団を優先するマルクス主義などを批判するというのが
現代の哲学の正確な見取り図。だから、最高位さんの議論について
いけない人は明らかに勉強不足。しかし、最高位さんも自分と同類
の思想を勉強しないから、その意味では説明が不十分。そんな感じ。
803 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 15:22:05
いや彼は不勉強プラス不勉強特有の開き直り病も出てるよ
ちょっと気になったんだが、
>>801 > 唯物論を真理とし、人生観にまで言及してくるというスタンスは
唯物論って、価値観やら意味付けやら人生観yやらにまで立ち入るものな
のか?
唯物論者は、価値や意味と、機能と、機構や構造とを別のレイヤーとして
捉えてる気がするんだけど、そういうのは非主流の唯物論か、または非唯
物論?
805 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 15:39:52
ロン!そのイーソ、ロンね、論!
806 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/19(月) 19:27:54
感情や価値観、人生経験を無くして哲学的に考えられるでしょうか。
>>792 >観念の大元である『この私』が物理現象によって発生していなければならない
>しかし実際には、『この私』と『物理現象』が対応しているのであって
>『この私』が『物理現象』に対応しているのではない
どうも全く意味がわかりません。私なりに言い換えますと
「観念の大元である『この精神』が物理現象によって発生していなければならない。
しかし実際には、『この精神』と(『この肉体』という)『物理現象』は
対応しているだけであって、前者が後者からから発生している証拠はない。」
こうなります。そして、これは私の言ったことそのままです。
ただし、対応している以上は、「どちらが基本的か」「どちらからどちらが
発生しているのか」という疑問は当然であって、
1.肉体から精神が発生している(唯物論)
2.精神から肉体が発生している(観念論)
3.両者は独立の存在で、未知の理由で対応している(二元論)
のうち、現代では1が優勢になりつつある、と、これだけのことだと思いますが。
>>792 >『この私』が物理的要素に対応して生じているのなら
>その要素を挙げてもらいたいものです
>私が『この私』であった物理的要素ですよ
>そのようなものは『無い』んです
私は単純に、「人間=精神+肉体」「この私=この人間=この精神+この肉体」
と考えているのですが、最高位さんはどうも「この精神+この肉体」から独立の
「この私」という存在を考えているようです。しかし、これはまったく了解不能で、
「精神も肉体もない『私』」というのは、端的に「無」だとしか思えません。
私のように考えるなら、私が『この私』であった物理的要素は『この肉体』
であることは余りにも明白で、何が問題なのかわかりかねます。
>>678や
>>681にも書いた通り、他の何かと比較して「私」を特別視する
理由など、何もないと思いますが。
809 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 21:03:58
既出とはとても思えないから、聞きたい。
分析哲学的言語哲学的な心の解釈、
つまり、われわれは、異なる「ものの見方」を突きつけてくる他者を、
心ある存在と呼んできたのだ、という論は、
どう評価するのか?
あたしとしては、精神と肉体とかの
現象学さえ無視する議論は、哲学者の努力を無視するもののように思われるんだけど。
せっかく、そこから生ずるアポリアを懸命に解消しようとしていたのだから。
>>809 > 分析哲学的言語哲学的な心の解釈、
> つまり、われわれは、異なる「ものの見方」を突きつけてくる他者を、
> 心ある存在と呼んできたのだ、という論は、
えっと。。。出典は?
811 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 21:26:29
>>811 いや、だってそんな解釈聞いた事ないじゃん?
813 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 21:44:25
>>810 難しいんだ。
まず、論理実証主義の人ね。カルナップとか。
その中の規約主義的部分。
中心的主張だから、出典を挙げると分配的正義にもとる。
影響を与えた有名人なら、フレー下、ラッセル。
ここに『哲学探究』を加えてしまうけど、
そうすると、論理実証主義とヴィト前の絡みを指摘される。
けど、ヴィト前は無視。
規約主義的主張は保持と考えるから。
マッギン『クリプキに抗して』、クリプキ『規則と私的言語について』の見るところとは、必ずしも一致しない。
ライルとかの人いないの?
814 :
考える名無しさん:2005/09/19(月) 21:46:56
>>812 聞いたことないの?
それは明らかに勉強不足。
> 難しいんだ。
日本語が、ですか?
>>802に問いたい
最高位は
「この私」というものを、『精神(活動)でもない・物理現象(肉体)でもない』という。
そしてそれは、インド的アートマンでもなければ、禅的な本来の自己でもないという。
(→まだ、答えを貰ってないだけだが)
そして、何も働きかけのない根源としての存在ではなく、
根源的ではあるが、種々に働きがあり、主観であるという。(→この主観は意識ではない?)
根源であるが故に、この「この私」から全てが生じているという。
根源であるが故に、「この私」の発生は確認できないとする。(→これは当然の理屈であろうが)
用語の使い方が正しいかどうか自信はないが、
スピリットとか、霊性とか、霊魂とか、アニマとか、そういったものとも違うようだ。
今のところ(=彼の説明の範囲内では)、
八割九割、最高位は禅的思考であると見えるのだが、どうなのだろう?
『「この私」としか言えないんだ』『気付くしかないんだ』なんて物言いは、室内の商量みたいだよw
>>719 その『私』の存在性は、全てのものに存在しているので、
物質や物理現象のプロパティとしても何ら問題ありませんし、唯物論でも問題ありません。
>>729 在りて在るもの(=YHWH)=神⊃論理、物質、物理現象⊃私
>>757 >>792 >>799 物理現象に影響を与えるものは、すべて物理現象になるので、唯物論は間違っていません。
『私』が物理現象に影響を与えるなら、『私』という物理現象が存在するだけのことです。
>>790 物理現象によって、人間の観念が作られていますので、そういう形で共存すればいいでしょう。
唯物論の中の世界に、物理現象で作られた観念論の世界があるとすれば何も問題ありません。
我々は、意識の力で物質を生み出したり消滅させたりする事はできませんが、
脳を破壊することで、意識を破壊する事はできます。
818 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 04:44:59
>>807 キミは先走りしすぎて飛躍してしまっているんだよ
私は、唯物論は間違いだ と言ってるわけ
それだけを説明してるわけ
そこに焦点を絞っている
しかしキミは
そんな事を言っても、心身問題は解決しないじゃないか と言って
難癖を付けているだけさ
それは次の段階だよ
まず、唯物論的解釈が間違いである事を理解しなよ
話はそれからだ
>>808 これは
>>807と同じ人?
ややこしいからトリップぐらいつけなよ
キミの解釈は、どうでもいいんだよ
唯物的な思考からしか考えられないんだから
今日まで続けられてきた議論の、どうどう巡りの繰り返しになるだけだ
私は、そんなマジックにはだまされない
次元の低い議論には巻き込まれないよw
キミのすべき事は一つだ
『この私』が『他人』ではなく『この私』であった物理的根拠を挙げる事だよ
人間社会は、まぎれもなく『この私』の集合体である事は言うまでもない
これが正しい分析
唯物論は、物理現象で全てが論述できる日が来る と言っているのだから
その根拠ぐらいは明確にすべきだ
しかし、そんなのは どこにも有り得ないんだよ
819 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 04:52:56
>>817 >SY君
何度も言わせるなよ
キミはマイ哲学にしがみついているだけで
全然、唯物論じゃないんだよ
宗教と物理学を混ぜこぜにしたSY教だよ
唯物論ではない
>>819 唯物論です。
唯物論最高位派の唯物論とは違うだけですので、唯物論SYN派とでもしましょうか。
821 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 05:01:57
>>820 私は、極めて純粋な唯物論を相手にしている
キミのは、宗教だ
ただ唯物論という言葉を使っているだけで
言葉の本質を、理解していない
822 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 05:26:20
>SY君
キミの言ってるのは、こうだよ
物理世界は物理現象で運行されている
という当たり前の事
そして物理現象で説明できない事に関しては
神を持ち出してくる
神を持ち出してくる唯物論なんて無いんだよ
その時点で唯物論ではないわけ
その時点で、唯物論は崩壊するの
唯物論は
世界には物質があるだけで、それが現象しているだけだ それが全てだ
とする思想
だから、全ては物理現象で論述できる日が来る とする
神がどうのこうのと言っている時点で、そんなの唯物論ではない
キミは、物理世界は物理的なものだ と当たり前の事を言って
唯物論は正しいなんて言ってるだけだ
唯物論に、神など存在しない
>>821 宗教が良いか悪いかは別として、共産主義とか、倫理や人生観といった、
どうでもいいことまで絡めようとする最高位さんの方が宗教的だと思います。
私の唯物論は、倫理や善悪などについて言及しないので、宗教には程遠いです。
>>822 >神を持ち出してくる唯物論なんて無いんだよ
あります。ここに。汎神論と唯物論は同じだと思います。
825 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 05:32:02
>>823 宗教的とか、そんな事どうでもいいのよ
キミのは、唯物論ではない と言ってるの
827 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 05:37:10
>>826 物は神の実体なんだろ?
宗教なんだよそれは
>>827 物の実体に(も)、神という名のラベルをはっているだけです。宗教ではありません。
貴方は物の実体と神の実体を知っていて区別しているのですか?
829 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 05:47:15
>>828 もういいよ
キミに付き合ってると、連続投稿に引っかかるわ
ラベルを貼っているだけ??
唯物論にとって
物に神のラベルを貼る必要性などないはずだがね
なんでそんな事をするのかねぇ・・・
じゃあさ
何度も言ってるけど
『この私』が『他人』ではなく『この私』であった物理的根拠を挙げてよ
830 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 05:50:28
■ 毎日が日曜日スレ
>>829 >『この私』が『他人』ではなく『この私』であった物理的根拠を挙げてよ
右手が左手ではなく、右手であるのと同じ。
832 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 07:12:35
じゃあ、僕の左手を知りませんか?
833 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 07:21:21
【僕の】左手を知りませんか?
834 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 07:24:51
カルナップによると科学は属性(property)を関係(relationship)に置き換えることを目指んだってさ。
唯物論も汎心論も、全部属性として扱ってしまうSYNさんは、あまり科学的じゃないね。だから「物理的根拠」
という言葉も、理解できないんだろうね。まさにバカの壁。
835 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 08:01:53
ググってきた。
汎神論、唯物論 共に定義はケンケンガクガク。諸説あるらしい。
汎神論は無神論と見分けつけにくくなかなか。
スピノザ的やフィヒテやら。アニミズムやら神道やら。
神性やらわからんかった。
836 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 08:15:56
>>834が何を言いたいのか全く分からない俺はバカなのか?
>>829 >『この私』が『他人』ではなく『この私』であった物理的根拠を挙げてよ
そりゃ、その脳に詰まっている「哲学者最高位としての記憶」だろ。
その記憶の物理的根拠は、その脳が誕生以来辿ってきた来歴。
その記憶が「SYNとしての記憶」と入れ替われば、君はSYNになる。
(他人はそうは思わず、「哲学者最高位は頭がおかしくなった」と
言うだろうが)
「小泉純一郎としての記憶」と入れ替われば、小泉純一郎になる。
それだけのことだろ。
「人間の記憶がそんなに簡単に入れ替わらない」のは、脳の構造による。
838 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 10:10:05
>>831 何の解答にもなっていないよ?
設問の意味が理解できていない
だから幼稚な解答しかできないんだよ
右手は物質的に、どんどん入れ替わってるだろ
何年かすると全部入れ替わっちゃうんだよ
何を以ってして右手と言ってるの?
キミが観念的に、右手に右手だという価値観を与えているにすぎない
厳密に突き詰めれば、右手に個別性などないんだよ
右手と全く同じ物を作って、物質的に半分入れ替えたらどうなるのよ
このように物質的なものは、切ったり張ったり原理的には可能なわけ
技術的な問題を抜きにすれば、設計図があれば作れる性質のものなの
しかし『この私』は
設計図で作れる性質のものじゃないんだよ
物質的に、全く同じ人間を作っても『この私』にはならない
物理的には『この私』が『この私』であった根拠など、どこにも有り得ないんだよ
だから私は
唯物論など間違いなんだと言ってるわけ
この論理をくつがえしてごらんよ
出来ないんだったら
私は唯物論に、歴史的な勝利をおさめた事になるわけさ
私が、哲学者最高位を名乗るのも
あながち大袈裟ではないだろ?w
要するに、「中国語の部屋」みたいなことを問題にしたいのか?
840 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 10:30:10
「自我」と「自我意識」を分けたのは誰なのよ?
シェリングかフィヒテか?
841 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 10:45:19
>>837 しかし唯物論者ってのはバカだねぇ
浅知恵っつーかね
物理的に全く同じに作れば、記憶も全く同じになるんじゃないのか?w
でなけりゃ唯物論そのものが成り立たないだろ
それから
もし記憶をバックアップできるものなら
転送すりゃ『この私』を何人も量産できるのかよw
んなわきゃないだろ
『私』ってのは唯一絶対なんだよ
記憶を移動させても、私という主観性は移動しないだろ
あくまでも
『私』の記憶が違うものになるだけだ
もうちょっと、よく考えてから反論してくれよな
キミらはいつも浅知恵なんだよ
哲学者最高位先生に質問です。
「精神と肉体は『私』という1つの存在性の2つの側面であって一体」
だということですが(
>>611)、肉体は物質ですので、当然
「切ったり張ったり原理的には可能で、技術的な問題を抜きにすれば、
設計図があれば作れる性質のもの」だということになります。
精神と肉体が一体だとすると、肉体を作れば精神も同時に作られることになります。
精神が作られるということは「私」も作られることになります。
これでは全くの唯物論だと思いますが、違いますでしょうか。
843 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 11:16:22
>>842 唯物的に肉体から順番に考えていくと
『この私』に辿り着けないんだよね
『この私』に関する一切は、一体不可分
どちらかと言えば
より内的な部分が主体であって
外的なものは、それに追従する形で
私は存在している と考えた方が
より論理的ではなかろうか?
844 :
837:2005/09/20(火) 11:33:22
>>841 >物理的に全く同じに作れば、記憶も全く同じになるんじゃないのか?w
まあ、唯物論的に考えれば当然そうなるな。それが俺の言ったことと
何か矛盾するのか?w
>『私』ってのは唯一絶対なんだよ
自己意識というのは、「己を他から区別する意識」のことだから、
唯一絶対に決まっている。自己意識である限り、哲学者最高位であろうと、
SYNであろうと、小泉純一郎であろうと、クレオパトラであろうと、
犬や猫やゴキブリであろうと、樹木であろうと、ウルトラマンであろうと、
全く同じように「唯一絶対」だ。俺が言っているのは、
「自分が"どの"自己意識であるかは、主観的には記憶の内容で決まる」ということだ。
君の自己意識=私が哲学者最高位としての記憶を持っているから君は主観的には
哲学者最高位なのであって、次の日に樹木としての記憶を持っているなら
君は樹木だし、次の日にウルトラマンとしての記憶を持っているならウルトラマンだ。
主観的にはな。
>記憶を移動させても、私という主観性は移動しないだろ
いやいや、君の記憶を移動させれば、哲学者最高位という主観性は移動するさ。
移動しないのは客観的な肉体(脳)だけさ。
845 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 11:46:53
846 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 11:48:25
>「自分が"どの"自己意識であるかは、主観的には記憶の内容で決まる」
しかしアホだな
その『自分』を作る作業の話をしてるんだろ
記憶というものは、物理的に作れるんだろ?
だったら量産できるだろが
キミも『私』は唯一絶対だと認めているのに
矛盾してるじゃないかよ
よく考えろと言ってるだろ
記憶だろうが何だろうが、物理的なものなら量産できるんだよ
唯一絶対でなくなるんだよ
もう一度言うけどね
『キミ』だ『キミ』
『キミ』を作るんだよ
問題じたいが、わかってないもんなぁ
どうしようもないわ・・・
847 :
837:2005/09/20(火) 11:50:00
わかりにくいなら、一つ思考実験。
君が眠っている間に、某科学者が君と全く同じ肉体を9体作る。オリジナルと
コピー、あわせて10体、1から10まで番号をふった服を着せる。
君の言う通り、唯物論に従うと、記憶も全く同じ人間が10人できる。
さて、君が見知らぬ部屋で目覚めると、自分と全く同じ顔をした
人間が9人もいる。そして、9人とも「自分こそが本物の
哲学者最高位、唯一絶対の『この私』」だと確信している。
さて、10人のうちのどれが本物の『この私』なのか、君自身に
区別できるでしょうか?
答えは、絶対にできない。なぜなら、どれも主観的には同じ
『私』=「哲学者最高位」だから。
しかし、第三者として「客観的」に見ている科学者には、もちろん
どれがオリジナルでどれがコピーか簡単に判断できる。
服の番号で、どの肉体が「本物」かわかるから。
以上で、『私』の唯一絶対性というのは、実は主観性ではなく
客観性としての「肉体」に根拠を持つことがわかる。
唯物論によればだが。
848 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 11:59:09
>>847 アホだなぁ
ホントにアホだ
それは各自が錯覚しているだけだろ
『私』が量産されたのではないよ
私の記憶が量産されてるだけだ
『私自身』は一人だけだろ
頭悪すぎるぞ
849 :
837:2005/09/20(火) 12:06:39
>>848 君も本当に頭が悪いね。だからその
>『私自身』は一人だけだろ
と考える根拠が、客観的な肉体の同一性以外に何かあるか、と問うているんだよ。
肉体抜きに考えたら、その10人は全部同じ『この私』であって、
「『私自身』は一人だけだろ」とは、いえないだろ、とね。
君は無意識のうちに「肉体の同一性が『この私』の同一性である」という
唯物論を前提にしてしまっているのさ。
戦う前から負けているようなもんだ。
もう少しよく考えてから反論したらどうだい。頭が悪いから無理そうだが。
850 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 12:13:06
>>847は愚劣きわまるな。
「この私」=「哲学者最高位」が10人いるだと?
ぼけてますね。
「哲学者最高位」というのは固有名詞と同じだろが。
「山田太郎」とかと同じだろうが。
「山田太郎」という人を10人集めて「俺がほんとの「山田太郎」だ!」と争わせるのか?
どうかしてるんじゃないのかね。
もっとわかりやすい例として
人間A(例えば哲学者最高位さん)と、人間B(例えばSYNさん)の
肉体はそのままで、意識(記憶)の内容が入れ替わったらどうなるか、
という話はどうでしょうか。永井均さんの本など読むと、この手の話が
たくさん出てきます。
もちろん哲学者最高位さんの肉体は唯物論に反対するし、SYNさんの
肉体は唯物論に賛成します。
この2人の「この私」は、どちらなのでしょうか。
852 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 12:17:29
>>849 はぁ???
自分自身でわかるだろ
私は私であって、その他の9人は別人だとね
それぞれが他人だ
『この私』など量産されていない
逆だ逆
哲学者最高位のオリジナルであるかどうかなど、関係ないんだよ
各自が各自の主観性を持つ
すなわち全員が他人
逆なんだよ
その例え話は、私が使うべきものであって
キミが使うと自殺行為なんだよ?
あ、逆です。最高位さんの肉体は唯物論に賛成するし、
SYNさんの肉体は唯物論に反対する、です。
854 :
最高位学派:2005/09/20(火) 12:22:55
というか唯物論者は「この私」が「他人」に乗っ取られた経験でもあるの?
最高位はほんとにひどいな
自分が出した仮想実験の話なのに「経験があるの?」ですか・・・・・・
>最高位
>それでは>リアルは認識できない
>という発言と矛盾しないかな?
まったく矛盾しない
他人が骨を折った説明ぐらい目を通しなさいな
856 :
837:2005/09/20(火) 12:36:16
>>852 その10人が別人であって、それぞれが別の「自己意識」である
のは当然だろ。複数の自己意識が一つである、というのは、単なる語義矛盾だ。
俺が言っているのは、「肉体を抜きにしては、その10個の
自己意識のうちのどれが哲学者最高位の『この私』であるとは
いえない」ということさ。その中に『この私』がいる、という根拠さえないし。
哲学者最高位であるかどうかはどうでもいい、とは、どういう意味だ。
君が
>『この私』が『他人』ではなく『この私』であった物理的根拠を挙げてよ
というから答えているんだろ。それとも君が聞きたいのは
「『この私』が任意の「自己意識」であった物理的根拠を挙げろ」ということか。
それなら答えは簡単。「自己意識」でなければ自分のことを『この私』と
思いようがないだろ、と、これだけだが。あとは脳と呼ばれる物質から
自己意識と呼ばれる現象がいかにして発生するか、という問題。
>>853 それは、主観的には意識(記憶)のある方が「この私」で、客観的には
肉体のある方が「この私」だというしかないんじゃないの。
まあ、唯物論的に考えると、そういう事態は想定しにくいというだけだが。
857 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 12:37:34
>もちろん哲学者最高位さんの肉体は唯物論に賛成するし、SYNさんの
>肉体は唯物論に反対します。
>この2人の「この私」は、どちらなのでしょうか。
だからね、この場合の「この私」は固有名詞になってしまっているのだよ。
それはこの二人とも、唯物論に賛成か反対か関係なく「この私」なのだよ。
最高位×1/2+SYN×1/2 と SYN×1/2+最高位×1/2 という二人ができて
最高位の「この私」×1/2+SYNの「この私」×1/2 と SYNの「この私」×1/2+最高位の「この私」×1/2
とはならないよ?
858 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 12:43:39
その固有名詞(言葉)に縛られたのは本当に『私』かね?
最高位の言う「この私」ってコギトじゃなくてアイデンティティだよな
一応突っ込んどくと
「10分後のわたし」と「10年後のわたし」があったとして
この両者に同一なわたしが自己同一性(identity)
デカルトが発見したのは自我(self)で
何かの作用から作用を成立させる主体の存在があるとして発見したもの
「わたしが疑ってるならば、疑ってる主体の存在は仮定しなければならない」
(ちょっと意訳入ってるけど俺流の解釈ということで)
この疑ってる主体が「自我」
860 :
834:2005/09/20(火) 12:50:09
論理実証主義や分析哲学にもいいところがあるかと思ったが、
こういう俗物共を見るとやはり屑だとわかるな。
861 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 12:50:25
>>856 >その10人が別人であって、それぞれが別の「自己意識」である
>のは当然だろ。
そうなんだよ 当然なんだよ
だから私と物質的に全く同じ人間を作っても、私ではない
すなわち
『私』は、物理的要因で『私』であったのではない となるわけ
何度も言うが
『この私』が『他人』ではなく『この私』であった物理的根拠を挙げてみなさいよ
まぁキミは既に
全く同じに作っても、他人になるのは当たり前だと、自分で言ってるんだけどね
どうでもいいけど、早く具体的に答えてくれよ
何の物理的根拠で、『この私』は『他人』でなく『この私』だったのかをね
「私」って、「超越論的な主観性」、みたいなもん?
863 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 12:54:18
>>859 どう考えたって、最高位の『私』はゴキトの方だろう。
本人がデカルトを批判的に継承しているって言ってるんだから。
逆にコギトはアイデンティティーに過ぎない、と主張している
のが今回の反論者。分かってて最高位の立場を間違った方に
摩り替えてるんならそれは問題だと思うよ。オレオレさんは
なにか深層心理的に問題を抱えてるんじゃないかい?
余計な一言をつけて人格攻撃するのはやめまっしょう。
>>863 最高位は『方法序説』を読んでないっぽいし
「デカルトを批判的に継承している」というのは口だけでデカルトを理解してないと思うぜ
866 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 13:07:35
「唯物論」「自己」「自己意識」それぞれでググってください。
話はそれからだ。
867 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 13:07:40
>>865 私にとっては、デカルトがどうとか
そんなのどうでもいいのよ
哲学者最高位なんだからさ
ゴタクはいいからさ
反論があるなら具体的にたのむわ
俺はカルテジアンじゃないし、これは俺個人の私的な見解だけど
「われおもうゆえにわれあり」を
俺は「すべてを同時に疑うことはできない」と解釈してる
これはピュロンの懐疑論(決定的懐疑論?)への反論となっているように思える
869 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 13:08:41
哲学者最高位の要求
>何の物理的根拠で、『この私』は『他人』でなく『この私』だったのか
「物理的根拠」という言葉もおかしいよな
根拠は物理的なものではなく理論的なものだというのに
871 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 13:14:53
そういうレスはいいから。みんなわかってるっちゅーの。
回答はやくはやく!
>>870 理論というのは、信念(公理)に基づき論理的に展開されるものでしょうよ。
唯物論者なら、唯物主義という信念に基づき、論理的に、いわば物理的に
なんらかの説明をする事が期待できるでしょうよ。最高位さんは『私』を
物理的に説明することができるか、と問うているのです。その『私』が
アイデンティティーではないというのは、今までの議論で明らかでしょうよ。
だから反論者の反論を期待して待っているのです。彼がデカルト的なコギトを
否定するのか、ヒューム的な認識を否定するのか、カント的な超越論的主観を
否定するのか、次の出方を待っているのです。
873 :
837:2005/09/20(火) 13:44:49
>>861 >だから私と物質的に全く同じ人間を作っても、私ではない
>すなわち
>『私』は、物理的要因で『私』であったのではない となるわけ
わからないね君も。固有名詞やアイデンティティーを除いた「私」というのは、
単なる「自己意識」のことだろ。それなら「私と物質的に全く同じ」必要など
ないし、「人間」である必要すらない。動物でも樹木でもコンピューターでも
何でも「自己意識」を持つ存在さえ作り出せば、それはすべて必然的に
「私」だよ。自分を他の存在と区別するというのが
自己意識の定義なのだから。逆に、自己意識を作りながら、
「『他人』ではない『この私』」を作らないことは、不可能だ。
そういう意味なら、
>何の物理的根拠で、『この私』は『他人』でなく『この私』だったのか
という質問は
>何の物理的根拠で、任意の『自己意識』は発生しているのか?
という質問と、同義になるわけだよ。唯物論的な答えは「任意の脳の活動」だろ。
そうでなくて
>何の物理的根拠で、特定の『自己意識』は発生しているのか?
なら、唯物論的な答えは「特定の脳の活動」だ。何か問題があるか?
874 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 14:11:35
このあたりで、明確な意見を述べさせて頂きます。まず、「この私」という考え方ですが、これはデカルトのいう
「我惟う、故に我あり」というところの「自我」であると思います。そこで、「私」というのは疑えないのでしょうか。
全て偽であるとしてもそれを考えている「私」がいるのでそれは疑えないということです。私は唯物論者ではありませんので、
特に唯物論者側を擁護することはいたしません。この「私」なのですが、人間の中には様々な私がいます。唯物論を肯定する「私」。
仕事をする「私」。カレーライスが好きな「私」。などなどです。しかし、もしも子供の頃にカレーライスが好きであったとして、
大人になってから嫌いになったらどうでしょう。カレーライスが好きな「私」とカレーライスが嫌いな「私」とどちらが本当の私なのでしょうか。
これは万事のことに言えることなのですが、人生ではある時、選択を迫られます。それは職業の選択であったり、自分がどちらに進むかといったこともあります。
選択をして「もしこちらの道ではなくて、あちらの道に行っていたら私の人生はどうなっていたのだろう?」と思うこともあります。
よって経験によって左右される「私」は哲学者最高位さんがおっしゃられる「私」ではないことになります。しかし、上記の「どうなっていたのだろう?」と考える「私」がいます。
それが「私」です。つまり「考えている私」です。「考え」というのも刻一刻と変わっていきますので考えが「私」ではありません。「考える」ということをしている「私」です。
唯物論者が「この私」が「他人」でないと証明することはできません。それはなぜでしょうか。それは「この私、同じ私」という概念は比較のしようがないのです。
ですから、唯物論では説明ができないのです。哲学者最高位さんはその説明が不可能であることをわかっていらっしゃるのでしょう。
私の意見を述べさせて頂くと、「自我」「真理」「神」というものは少なからずキリスト教的な思考を含んでおり現代においてもすべて払拭されているとはいえません。
機械的唯物論者さんのように全宗教全観念論を全否定するところから唯物論的な嗜好が登場してくるのも当然といえるでしょう。
875 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 14:22:38
>>873 わざと質問の意味を解さないのか
それとも本当のアホなのか
はっきりしてほしいな
>固有名詞やアイデンティティーを除いた「私」というのは、
>単なる「自己意識」のことだろ。
そもそも、ココが間違い
そういう自己意識一般の話じゃないのよ
『私』といえば唯一絶対の『この私自身』の事だよ
『この私』で、意味がわからないのなら表現をかえようか?
『キミ』にしよう
キミは二人といないだろ?
>何の物理的根拠で、『キミ』は『他人』でなく『キミ自身』だったのか
キミの体の、どんな物理的要素が『キミ自身』を決定していたのかを挙げてくれ
>>872 >唯物論者なら、唯物主義という信念に基づき、論理的に、いわば物理的に
>なんらかの説明をする事が期待できるでしょうよ。
「この私」に限らず、今だ精神の作用を物理現象でもって解明した者は誰一人いない
それは当然で、心身問題が絡んでくるのだから心身問題についての何らかの立場に立たなければ
経験によって研究したり批判することすらできない
>>874 >全て偽であるとしてもそれを考えている「私」がいるのでそれは疑えないということです
別に疑ってもいいでしょうよ
疑えないのはデカルトが方法的懐疑、一時的な懐疑をしているからであり、
「疑っている私」もまた懐疑の対象となりうるものでしょう
877 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 15:27:07
>>876 その部分に、そのコメント
何の意図があるのか意味不明
唯物論者は唯物論の立場で、物理的に説明がつく日が来ると言い切っているんだよ?
だったら、その発言の根拠ぐらいは説明できなきゃね
その持論に何の根拠もない事になってしまうんじゃないの??
>>全て偽であるとしてもそれを考えている「私」がいるのでそれは疑えないということです
>別に疑ってもいいでしょうよ
疑っている「私」がいる←それは疑えない
いや疑おう
いや
疑っている「私」がいる←それは疑えない
いや疑おう
いや
疑っている「私」がいる←それは疑えない
いや疑おう
いや
疑っている「私」がいる←それは疑えない
いや疑おう
いや
疑っている「私」がいる←それは疑えない
これが永遠に続くのだが、どこで結論だせばいい?
一時的懐疑って何?
>最高位
>唯物論者は唯物論の立場で、物理的に説明がつく日が来ると言い切っているんだよ?
(俺は唯物論者ではないが)唯物論者は「来る」とは言わないだろう
決定論も「予測できる日がくる」とは言わない
「原理的に予測できる」、「原理的に物理現象として還元可能である」というのが
決定論者と唯物論者の態度でしょ
>これが永遠に続くのだが、どこで結論だせばいい?
「懐疑論」ぐらい調べなよ
手始めに哲学辞典でもいいからさ
>一時的懐疑って何?
方法的懐疑と懐疑論は区別されるもの
デカルトのは「方法的懐疑」と呼ばれるものでピュロンに代表される懐疑論とは区別される
この方法的懐疑を「一時的懐疑」、ピュロンの懐疑論を「決定的懐疑」と呼んでも差し支えなかろう
デカルトの方法的懐疑はそうだな
答えを出すために疑うことであり、真剣に疑ってるわけじゃないということ
だから一時的に疑ってるそぶりをするということだな
こんな説明ならどうだ?
879 :
837:2005/09/20(火) 15:46:08
>>875 >『私』といえば唯一絶対の『この私自身』の事だよ
わからん男だな君も。「この私」って、「どの」私だ?
自己意識(私)一般はすべて「唯一絶対の『この私自身』」なんだから、
たくさんある自己意識(私)一般のうちの、「特定のこれ」を指示するには、
精神的物質的なアイデンティティーによる他ないんだよ。
「○×星に住んでいるウルトラマンさん」とか「2ちゃんの哲学板に
書き込んでいる哲学者最高位さん」とか。あるいは時間空間的に
特定の肉体を指して「あなた」とか。
だから、「その私が、他の私でない特定の私なのはなぜだ」
と聞かれれば、アイデンティティーで答える以外ないだろうが。
俺がどんな物理的要素であって俺だったのか?
そりゃ主観的にはいつどこで生まれてどんな名前でどんな人生をたどってきて
哲板に「837」として書き込んでいる、という記憶だろうな。
で、そういう主観的な要素はすべて「この肉体」の物理的要素に
規定されている、と考えるのが唯物論。それが正しいかどうかは
俺は知らないが、特別疑う理由もない。
その意味では、
>>851のようなことができるのなら、それはすでに
唯物論が間違いだ、ということだ。脳移植の可能性は除いて。
ひょっとして君は「この肉体と全く同じ肉体を作っても、その肉体は
別の肉体であってこの肉体ではない」ということを言いたいか?
そんなの、当たり前中の当たり前だぞw
で、『方法序説』におけるデカルトのロジックは
「われ思うゆえにわれあり、これは真理だ」→「ピュロンの懐疑論は間違ってる」
とはなってなくて
「ピュロンの懐疑論なんて馬鹿馬鹿しい」→「われ思うゆえにわれあり、これは真理だ」
となっている
ま、だから俺は
デカルトの「われ思うわれあり」を「わたしがいることが確実である」ということの発見ではなく
「すべてを同時に疑うことはできない」ということの発見と解釈するわけさ
882 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/20(火) 16:05:26
>>878 相変わらず会話のできない人間だなキミは
もういいよ
>>879 キミも、ホントにボケ!だな
>俺がどんな物理的要素であって俺だったのか?
>そりゃ主観的にはいつどこで生まれてどんな名前でどんな人生をたどってきて
>哲板に「837」として書き込んでいる、という記憶だろうな。
記憶、記憶って
物理的に全く同じにもう一体作っても、それはキミじゃないんだろ?
記憶が同じでもキミにならないんだろが
「キミ自身」に、今のその記憶があるってだけだろ
記憶なんてのはオプションだオプション
キミ、ホントに頭おかしいだろ
人に言われないか?
キミらもういいよ
こっちまで頭がおかしくなる
883 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/09/20(火) 16:38:05
最高位さん。
逆のプロセス?で
精神性・物質性を離れた真の「我」というものが
個々の肉体と精神を獲得するのでしょうか。
この手の話題は俗に言う「転生」に関わってくる事と思いますし
板違いなので避けてきましたが。
884 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 16:56:31
>>836 >カルナップによると科学は属性(property)を関係(relationship)に置き換えることを目指んだってさ。
科学的と言うのは、一つの概念も複数の存在とその関係からなり、
その関係を明らかにする事でその概念を理解できるという立場。
非科学的と言うのは、一つの存在に複数の概念がいわば本名、
ペンネームなどのように張り付いていると考える立場。後者では
概念が属性として扱われており、これが非科学的立場だという
主張のようです。
SYNさんというのは、自身が信仰する神「YHVH」が、
唯物論的であり汎心論的であり汎神論的であり決定論的である、
とする信仰をもっている人。なのでそこにおける唯物論の
あつかいは属性としてのもの。よって非科学的。だから
科学的な反論は通じないのでは・・・という感じです。。
885 :
837:2005/09/20(火) 17:06:38
>>882 >物理的に全く同じにもう一体作っても、それはキミじゃないんだろ?
いやいや、「主観的」には俺だよ。どうして他の一体は「俺ではない」
と思うかといえば、それは唯物論を前提にして「客観的」に「肉体」
で区別しているからさ。自分の肉体の外部に別の肉体があるのが五官に
映れば、「この肉体は自分ではない」と思うに決まっているだろ。
唯物論が本当に間違っていて、肉体と「自己意識」が完全に別のものなら、
意識(記憶)の内容が同じなら主観的には全部「俺」だよ。
別にその一人に限った話でも、人間に限った話でもない。動物でも
樹木でもロボットでも宇宙人でも、一億年前の存在でも未来の存在でも、
意識(記憶)の内容が同じなら、全部俺さ。ただし、唯物論が正しいなら、
それらの意識(記憶)の内容が同じであることは有り得ないがね。
何ならコピーの俺の肉体と、オリジナルの俺の肉体を隔離して、別々の
環境に置くとする。どちらの私も「自分は世界で唯一の『837という私だ』」と
思っている。この場合、「どちらが本当の私である、という命題に意味を
持たせられるのは、肉体の区別だけである」と、こういうことさ。
>記憶なんてのはオプションだオプション
そう思っているのは、君が無意識に肉体(脳)が入れ物で、記憶はその中身、
という、唯物論の前提で考えているからだ。
別にそれが間違っているわけではないぞ。俺も基本的にはそう考えている。
だから、「全く同じ肉体が何人作られても、客観的にはオリジナルの肉体に
入っている自己意識が『本当の俺』だ」と考えるわけだ。君と同じくw
要するに、君は唯物論を批判するつもりでいて、実は一生懸命唯物論を
擁護しているわけさ。わかるか? わからなければわかるまで考えろ。
頭がおかしくなってもいいから。
886 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 17:17:09
>>885 >何ならコピーの俺の肉体と、オリジナルの俺の肉体を隔離して、別々の
>環境に置くとする。どちらの私も「自分は世界で唯一の『837という私だ』」と
>思っている。この場合、「どちらが本当の私である、という命題に意味を
>持たせられるのは、肉体の区別だけである」と、こういうことさ。
そうじゃなくて、ほぼ同一のアイデンティティーを持った二つのコギトがあるだけだろ。
それぞれのコギトにとって『私』というのは絶対だ。せっかくゴギトとアイデンティティーの
違いをオレオレ詐欺さんが紹介してくれたんだから、それを消化して書き込んでおくれよ。
887 :
837:2005/09/20(火) 17:30:54
>>886 だから、その「二つのコギト」に意味を持たせることができるのは、
「肉体の区別」だけだ、といっているのよ。
物質界の中の特定の肉体であるという「客観的アイデンティティ」
を度外視して、意識(記憶)の内容という「主観的アイデンティティー」
も度外視して、純粋な「コギト」を考えるなら、
それは原理上唯一の存在で、「他のコギト」だの「二つのコギト」
だの、有り得ない、ということよ。
888 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 17:40:22
>>887 いや、私のコギトは私が方法的懐疑をしてみて存在を確認したものだし、
他の人にもコギトがあるというのはそれは推測で言っているのよ。別に
全てのコギトが一つに繋がっているなんて全然想定していないし、最高位
だって、コギト(というか『私』)は、肉体と精神との間の非因果的・
存在性的関係である、とかそういう事を言っていて、それが何かの物質で、
しかも全部が繋がっているとかそういう推測はまったく入っていないのよ。
つまり因果的な宇宙のあちこちに非因果的なコギトという穴があいていると
主張しているだけであって、その穴が全部繋がっているはずだとかそういう
議論は全くないのよ。
889 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 19:04:56
>最近書込連中
だんだんわかってきたよ。唯物論者が、ウソついたってバレなきゃいいだろ的思考な
持ち主だってことがww
たわけたことを言いなさんなよww
「物理的に同じ」ってのは、「物質的に同じ」よりもさらに限定された状
態を指しうるんだが、その辺はどうよ?
時間的・空間的にも完全に同一のポジションに存在させた状態を考えたと
したら、本当に「私」を区別できなくなるかもしれんぞ? というか、も
し力学的決定論が真ならばそうなりそうな気さえする。
それと、「我思う、ゆえに我あり」の原文は「cogito, ergo sum」であっ
て「ego cogito, ergo ego sum」じゃないんだから、この言を引いて「我」
に力点を置くのは何か違わないか?
891 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 23:10:07
「ほかの人の説明のお蔭で」少し最高位の『この私』が見えてきたw
しかし、なぜ、最初からそう説明しないのか?
相手への煽り同様の反論に紛れ込ませた述べ方だから見えにくいのかな?
自論は自論のみで、且つ小出しにせずにまとめればいいものを・・
説明能力が低い感じはするよな。
おっさんが「アレってどうなってたっけ? ほら、アレだよ、アレ」って
言ってる感じ。
893 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 23:34:14
ココデスカ、カスガ カスヲ カス アツカイ スル スレ?
894 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/20(火) 23:36:41
>>878 >デカルトの方法的懐疑はそうだな
>答えを出すために疑うことであり、真剣に疑ってるわけじゃないということ
>だから一時的に疑ってるそぶりをするということだな
観念論的「懐疑」は、みな「同様」です。
我々は、アインシュタイン「一般相対性理論」以降、既に100年近くを経過して
いるし、「分子生物学」の成果によりヒトゲノムも解読済みであり、「脳科学」の
成果も皆さんご存知の通りですから、いい加減「観念論」「宗教」に固執して、
「自分の魂は肉体の死後にも残存する」などという「気休め」に逃げ込むのは
止めましょう。
「真理を悟ること」は今(現代では)や「自然科学を理解すること」に「尽き」ます。
895 :
考える名無しさん:2005/09/20(火) 23:40:28
自然科学は「論理」を解明したのか?
896 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/20(火) 23:46:54
>>895 自然科学が「論理」?を「解明する」のではありません。
デモクリトス以降「自然」(外界・内界のクオリア)は、
「何かの法則性に則っている」と気づいたこと・・
それが「論理(なるものの)」の始まりですので、
そもそも、論理とは(『先入観の無い観測』を重要とする)
「自然科学」がもたらした「世界が秩序によって成立している」
という「信念」からもたらされたものなのです。
カントやヘーゲルが、それを「神」に無理やり結びつけた結果
・・・それが「観念論」です。
897 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:03:32
「気づく」てのは論理より「直観」なんだが。
>>896 読んでもいないのにカントとかヘーゲルとか言うなよ、恥ずかしい。
899 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:13:36
>>896 カントはそれ以前の神の視点を借用しているものの、
その位置に立って人間の視点で世界を見ているんだが。
ヘーゲルは同じ位置に集団の精神を置いた。それが
進化か退化かは意見が分かれる所だが、俺は進化だと思うね。
それに論理と言うのは精神上に位置し、「気付いた」というのは、
精神が感覚を通して物質を発見・再発見するという事。
物質に対する認識は時代によって激しく変化するよね。
だから当てになるのは精神。当てにならないのは物質。
よって唯物論は当てにならないとして否定され、観念論は
あてになるとして肯定される。神は不死である精神の隠喩。
隠喩を否定したからと言って、精神そのものは否定できんさ。
ざっと読んだだけですが、最高位がお話にならないのはともかくとして、
(彼の『私』がわかってきた、とか言っている方は、深読みし過ぎですw)
批判派のみなさんもちょっと混乱しているというか、難しく考え過ぎですな。
この「自分と同じ肉体を作ったらこの私ができるかどうか云々」という
話については、昔散々最高位を批判したのでよく知っているのですが、
(それにしてもカビの生えたネタをいつまでも引っ張ってるなw)、
結論は簡単でして「唯物論の当否とは何も関係ない」だけです。
唯物論では、単純に
1.どの私(コギト?)であるかは、どの肉体であるかに規定される。
2.どんな私(アイデンティティ?)であるかは、どんな肉体であるかに規定される。
と考えるので、この肉体と同じものを作っても、あくまで別の肉体なんですから、
同じ性質(アイデンティティ?)をもった別の私(コギト?)しかできないのは、
理の当然です。
唯物論の成否に関係のある本当の論点は、
「同じ肉体を作ったら、そこに何らかの私(コギト)ができるかどうか」
ここにあります。他人の私でも誰の私でも「私」ができてしまったら、
それはすなわち「私(コギト)が物質によって発生する」ことの証明ですから、
唯物論を大いに補強するものです。
ですから、最高位が本当に「唯物論を破壊」したいのなら、
「同じ肉体を作っても、それだけではどんな私(コギト)も絶対に発生しない。
つまり、動いたり喋ったりしない。」
と頑張る以外ないのです。実際に肉体をコピーするだけで何らかの「私」が発生する
のかどうかなど、誰にもわからないのだから、頑張っても何の不都合もないはずです。
このことは前にも教えてやったのに、全くわかっていないのは、悲しくなります。
みなさんも、どうでもいいことについて論争するのは、愚の骨頂というものです。
901 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/21(水) 00:18:22
>>898 カント、ヘーゲル、ハイデガーを読むのはエチケットです。
マルクス・エンゲルスを読むのも、当然のことです。
ついでに、ホッブス、ロック、ミル・・
カミュ、サルトル、・・・哲学者のみでは
ホワイトヘッド、ヴィトゲンシュタイン、ついでにセウェデンボルク
グルジェフやウスペンスキーまでは読む必要もないし、読んでもわかんないでしょうから、
間違って西田幾多郎や和辻哲郎を読むのは「時間の無駄」です。
・・誰か抜けている>「ニーチェ」は勿論ですが・・あとは「文学者」となって
しまいますので、省略。
スーザンソンタグ、カッシーラー、は読んでもいいけど無駄だと思います。
ましてやデリダ・フーコー・・・・の当たりは「ボードリアール」のほうが、
私個人として・・・「真理に近い(生活者の意見)」として参考になります。
そもそも「経済学」は「哲学で解釈する必要性はない」と「思考放棄」している
「アカデミックな(非経済学派=サヨクだと思われたくない権威主義者)には、
「参考文献」として有効です。但し、彼らが「資本主義の消費の誘惑」という概念
(現物)に「身を委ねる覚悟」があればの話ですが・・・
902 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:20:52
ソンナ イッパイ ヨメナイ ^^;
903 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:21:58
「私」とは生命的実体で、その物質的現れが身体、精神的現れが
心なんだろ。実体という表現に問題があるかも知れんが。
904 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:23:59
>>900 あなたはコギトとアイデンティティの区別がついていない。両者を同じもの、
アイデンティティとして扱ってしまっている。
>>890さんが丁寧に解説してくれているように、コギト自体には認識という
意味しかない。同一の物理的位置、物理的条件で複数のコギトがありうるか
どうかというのは微妙な問題だが、それ以前の雑な議論では結論も
雑で構わないと思う。
そのコギトが、自己と結びついているのを、最高位が雑に『私』と
呼んでいるので、それをアイデンティティと混同するのは議論の
出発点から間違っているとしか言いようがない。猛省して欲しい。
906 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:30:46
他者の主張が関心なら その著を読むのもいい
しかし、関心が自己にあるなら やめとけ
自分が薄れるばかりだ。
907 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:33:38
↑落ち着いてキーボード打とうなw
>>900 >実際に肉体をコピーするだけで何らかの「私」が発生する
>のかどうかなど、誰にもわからないのだから
「コピー」の意味がよくわかりませんが、ある瞬間の肉体の物理状態を
ミクロのレベルまで完全に複製する、という意味なら、それだけで「私」
が発生する(動いたり喋ったりする?)とは、思えないのですが。
最低限、外部から何らかのエネルギー(生命?)を新たに注入することが
必要不可欠なように思います。
909 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:36:50
>>907 落ち着かないでキーボード打ったことがあるわけだw
910 :
「機械的唯物論」者 ◆T4CehpekFc :2005/09/21(水) 00:37:57
>>905 私の親友は超読書家で、小説が中心ですが本屋に平積みになった本は
殆ど全部読んでいるみたいです。
私も「すごいな」と思いますが、『「A野B子」の今回作は前作より
遙かに落ちるよな?」』・・と語りかけると・・
えっと「どういう題名」?・・と(たいてい)聴いてきます。
「題名はこうで内容はこうで・・・」と説明すると・・・あっ!「思い出した
すごく面白かった!」・・と言いますが、彼は次の小説にかかっているので、
「面白かった」という記憶しかないのです。「内容」「あらすじ」さえ、
殆ど覚えていないのです。
・・・こういう本の読み方・・・は私には理解出来ません。本を『読む』ことは、
「字を目で追うことだけ」(多くの読者はそれで『満足』)・・だけではないのです。
911 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 00:38:28
>>838 >右手は物質的に、どんどん入れ替わってるだろ
>何年かすると全部入れ替わっちゃうんだよ
>何を以ってして右手と言ってるの?
物質的に入れ替わっても、右手は右手。
それは『私』が『私』であり続けるのと同じです。
>物理的には『この私』が『この私』であった根拠など、どこにも有り得ないんだよ
根拠ではなく、ただのプロパティに過ぎないと申し上げています。
物質にも質量というプロパティがあります。それと同じです。
貴方が喚き散らしている事は、
「物理的には『この質量』が『この質量』であった根拠など、どこにも有り得ないんだよ」
というのと同じようなものでしょう。
>>884 >SYNさんというのは、自身が信仰する神「YHVH」が、
>唯物論的であり汎心論的であり汎神論的であり決定論的である、
>とする信仰をもっている人。なのでそこにおける唯物論の
>あつかいは属性としてのもの。よって非科学的。だから
>科学的な反論は通じないのでは・・・という感じです。。
私は何かを信仰しているわけではありません。
宇宙に存在する全てを一つとして「神」と呼んでいるだけです。
私にとって「神」とは信じるものではありません。感じ、認識するものです。
この世のどんな存在も、私の神に一致しなければ、その部分集合に過ぎません。
915 :
900:2005/09/21(水) 01:16:08
>>904 おお、これは凄い深読みですな。最高位がそんな深いことを考えていない
ことは賭けてもいいですがw、あなたのお考えには大変興味があります。
ただ、よくわからない点が多いので、いくつか質問。
1.まず、「コギト」の意味がわかりません。
「認識の意味しかない」ということなので、「認識作用」と理解していいなら、
「認識作用が自己と結び付いているのを、最高位が私と呼んでいる」という
意味がわかりません。その場合の「自己」とは、何のことでしょうか。
最高位が言っている『私』とはその「自己」のことで、彼はその「自己」が
認識作用の主体である、と言っているとしか私には理解できないのですが。
いずれにしろ、彼は「他人の私はできてもこの私はできない」という自他の区別
の話をしているので、「自己」の「アイデンティティ」について語っているだけ
ではないかと思えます。
2.
>>890さんが言っている「時間的空間的に同一のポジションに存在させた
状態」というのは、私の頭では理解不能です(物理の話ならお手上げなのですが)。
それだと、端的に「この肉体」のままであって、「別の肉体」を作る、
という話と矛盾すると思いますが。
916 :
900:2005/09/21(水) 01:17:30
>>908 あ、それは微妙な問題でして、例の「ゼノンのパラドクス」の「飛んでいる矢は
止まっている」というやつです。つまり、動いている物体も「瞬間」だけ取り出せば
静止しているわけなので、その状態を再現しても、静止したままなのは当然です。
レーンを転がっているボーリングの玉でも、途中の「瞬間」の状態を隣のレーンに
再現しても、当然止まっているだけです。
だから、思考実験としては、ある「時間の幅」を取って、その間の肉体の動き
(変化)を、もちろん体内のミクロのレベルまで再現する、ということになると
思います。その「時間の幅」は1秒でも1年でも、基本的には同じなような気がします。
もちろん、そんなことは現実的には不可能でしょうし、物理学的にそういう
仮定に意味があるのかどうかも、私は知りませんが。
また、率直に言って仮にそれができたとして、コピーされた肉体が動き出して
喋り出す(私が発生する)がどうかは、よくわかりません。私は別に
「発生する」と主張しているわけではないので、誤解なきよう。
917 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 01:19:52
>>914 まず、感情で感じたり感覚で認識したりする対象は有限であるという
事を強調させて頂きます。素朴に、宇宙全体を把握可能としておられる
様ですが、それは誤りです。
一方、世界(宇宙)は無限であると思われますので、その両者が一致
することはないと考えます。ですので、宇宙全体を感じ、認識すると
いうのは不可能であると思われます。そうではなく、感じ、認識し得る
限りの宇宙の全体が、感じ、認識し得るのです。その限界の外にも世界は
あるという事を御理解願います。
また、集合やその部分集合を考えるのは、思考の役割です。これは、
広義の感覚(狭義の感覚と感情)に対立するものです。(広義の)
感覚で捉えたものを思考で処理するというのはなるほど正しいのですが、
その際にはぜひ科学的な思考をお勧めします。科学的な思考では概念の
背景に多数の存在を見ます。そしてその存在の関係を考えます。その上
で、同じであるような関係を整理統合し、量に還元するのです。科学的
な思考では、分割不可能な存在に複数の概念をラベル付けし、その内部
構造に立ち入らない態度は思考的怠慢であると見なされます。ぜひ、貴方
の神に含まれる部分集合に関しても、それらの関係を考え、同質の関係は
同じものと見なす様に整理し、量の関係に還元するよう努力されるとよい
と思われます。
以上、大きく二項目について意見を述べさせていただいたので、ご参照下さい。
918 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 01:28:55
馬鹿馬鹿しいな。物質的に完璧に同じ自動車を2台作っても、
同じ自動車だとは云わないよな。右のやつと左のやつとか言って
区別するに決まってる。置かれた場所が違うんだし。
919 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 01:29:16
てか「コギト」って苺だけで「私は考える」って意味でつよ?
920 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 01:39:20
>>915 >最高位が言っている『私』とはその「自己」のことで、彼はその「自己」が
>認識作用の主体である、と言っているとしか私には理解できないのですが。
ええ。そういう事だと思われます。
>いずれにしろ、彼は「他人の私はできてもこの私はできない」という自他の区別
>の話をしているので、「自己」の「アイデンティティ」について語っているだけ
>ではないかと思えます。
最高位の「この」というのは、通常の人間が自己から対象に向かって
意志が働く事を前提に表現しがちなのに対し、認識(感覚)が対象から自己に
向かっている事を「この」と表現していると思われます。彼が、
「この」自己、「この」純粋な存在性と言うときは、アイデンティティ
という夾雑物を除いた、純粋な自己を指して言っているものと思われます。
>>816で、最高位の言葉の使い方が禅に似ているという指摘があり、
私もそうだと思います。つまり、ちょっと慣用的な用法とは違うのです。
また、注意(attention)が自己から対象にだけではなく、対象から自己
へも働きうるというのは、
>>901で図らずも名前の出た、ウスペンスキーの
記する所です。彼の言葉をこう解釈するのには、いくつかの前例があり、
私はそれで間違いないと思います。
また、別の肉体が同じ位置云々というのは、たとえば脳にコギトに対応
する位置が発見された場合に、それを複数持つ人間はどうなるかとか、
二重人格でしかも同時に二つの自己が機能する人間がいて、それが
二つのコギトを同時に持っているといえるのではないかとか、そういう
問題提起であると思われます。それについてはなんともいえないという
のが正直な所です。すみません。
>>919 すいません。ラテン語は品詞変化で主格を表すというのは聞いたことが
あるのですが、それからするとちょっと間違った記述があったかもしれません。
ご察しの通り、語学力が皆無の状況で頑張っていますので、御批判御指導御修正
があればその都度宜しくお願い致します。
>>919 ラテン語は動詞の語尾に主語が反映されるからね。そしてそれゆえに、主
語に特別の注意を払う必要がない限り、ふつう主語は省略される。
だからこそ、この場合は主語に力点はないと判断されないか?
923 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 01:55:51
デカルトの間違い
推論を始めた私は、まだわかっていない私であり、
結論を得た私とは完璧には同じではないだろう。
そもそも同じならば推論の必要など無いのだ。
フランス語で書かれた本だから、私を無視しては誤解だと思いまつよ。
そもそも主体なき思考などありえない。
925 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 02:08:13
デカルトの推論においては主体=思考ではありませんか?
926 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 02:11:46
cogito(cognition)とidentityとの区別を重点に、最高位なる人物が
『私』という、主体を指す日本語を、どのような意味で使っているかに
注目して文章を書いています。主体を軽視していてる訳ではありません。
また、文章の流れ上、コギトという日本語の名詞に最もよく対応する
日本語として「認識」という語を考え、その意味でコギトなる日本語を
使っている部分があります。(例:あなたのコギト、など)。これは
明らかに間違いなのですが、上の例で言えば「あなたの主体的な認識」
程度の意味に解釈していただけると助かります。
>>917 >まず、感情で感じたり感覚で認識したりする対象は有限であるという
>事を強調させて頂きます。
もちろん、わかっております。
>素朴に、宇宙全体を把握可能としておられる様ですが、それは誤りです。
いいえ。そんな事が可能だと思った事はありません。貴方の勘違いでしょう。
それから、私は元々科学しか受け入れていなかった無神論者でした。
928 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/21(水) 04:54:01
唯物論者や、単に批判したい派の人達の最後の方法論として
私、哲学者最高位の言説を、理解しない作戦に出たようだね
『この私』とは『この私自身』の事なんだが
すべて『自分自身』を抜きにした、客観的な『自我一般』に置き換えようとしてしまう
わざとなのか、本当に客観的にしか思考が働かないのかは人によるのだろうが
理解してしまう事は、すなわち唯物論の崩壊を意味するので受け入れる事ができないのであろう
私が『この私』と言った時、それは『観測者』である『この私自身』の事を指す
唯物論者は、全てを客観的に観測しようとするので
この『観測者自身』を思考に入れる事ができない
『私』というものは『自我一般』の事ではない
『私』という、私にとって極めて限定された、唯一絶対の『この私自身』『観測者自身』を指す
この私自身が存在した理由というものは、物質的要因に限らず
いかなる要因にもよらない
極めて純粋な『存在性』なのである
このような一切の原因的要素のありえない『私』というものが
人間の存在性の根底、内面性の根底にある限り
その事実により、唯物論など消し飛んでしまうのだ
929 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 05:11:16
その存在性、内在性が、なかなか説明つかないんだよね。
哲学史を知っているひとが哲板には多いから。その文脈でとらえ体系つけて納得する。
いっそ、人生相談板や主義主張板の住人のほうがすんなり分かるかもよ。
930 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/21(水) 05:37:44
>>912 >物質的に入れ替わっても、右手は右手。
はぁ?
切り離したら単なる物体だろ
無くなっても右手は右手かい?
無いのに?
それはキミの観念的な価値観だろ
>根拠ではなく、ただのプロパティに過ぎないと申し上げています。
>物質にも質量というプロパティがあります。それと同じです。
>貴方が喚き散らしている事は、
>「物理的には『この質量』が『この質量』であった根拠など、どこにも有り得ないんだよ」
>というのと同じようなものでしょう。
少し違うけどね
まぁいいや
まとめて説明しよう
唯物論はもちろん、いかなる思想を以ってしても
この物質が何故、この性質なのかは説明不可能
こういった次元の問題が、人間の精神性、存在性の根底にある場合
心身問題を、単に唯物論で解く事は不可能であるという結論に至る
この問題は、人間の尊厳性や、あらゆる価値観に影響を及ぼす重要な課題なんだよ
少なくとも、人間である『私』の『存在性』は『物理現象』ではない
人間には、もっと高い次元の問題があり、唯物的に解く事など不可能である という事
931 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/21(水) 06:04:52
>>929 >その存在性、内在性が、なかなか説明つかないんだよね。
そそ
なかなか説明つかない
だから歴史的に論争が繰り返されてきたんだけど
でも、唯物論を否定する事に焦点を絞れば、説明つくんだよね
それは私が何度もやっている
簡単だよ?
私が死んで、生き返る方法を考えればよい
『私』という観点から、『私』の要素を物理的に特定して
それを再現すればよいでしょう
唯物的観点からすれば、その要素というものがあるはずなんだけど
実際には、そのような物理的要素など、どこにも有りえない
詳細は過去スレで何度も説明したけどね
『この私』が『他人』でなく『この私』であった物理的根拠を挙げられない限り
唯物論は崩壊する
結論として、そのようなものは有りえない
932 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 06:10:09
, ;,勹
ノノ `'ミ
/ y ,,,,, ,,, ミ
/ 彡 `゚ ゚' l
〃 彡 "二二つ
| 彡 ~~~~ミ はいはい、わしのせい、わしのせい
,-‐― |ll 川| ll || ll|ミ―-、
/ |ll | ヽ
/ z W`丶ノW ヽ
/ \\ / / |
/ \`i / / |
| | i | !
>>930 >切り離したら単なる物体だろ
>無くなっても右手は右手かい?
>無いのに?
では最高位さんの肉体をミンチにしたらどうなりますか。『私』はどうなると思いますか?
934 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/21(水) 06:14:38
>>933 『私』はどうなるんだろうね
どうなるの?w
>>930 >少なくとも、人間である『私』の『存在性』は『物理現象』ではない
それが物理現象に影響を与えるものであれば、それは物理現象になります。
唯物論は、物質や物理現象、『私』の存在性を、単にそういうものがあるとして
ブラックボックスにし、そこを説明限界、根底としているだけです。
唯物論で何も問題はありません。
937 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/21(水) 06:33:42
>>935 ブラックボックスだと言って、言及できないのがわかっているのならさ
唯物論は、心身問題に対してクチを挟むのは、やめたらどうだい?
心身問題は、唯物論にとってはブラックボックスの中にあるんだよ
まだわからんの?
>>936 知らないねぇ
どうなるの?
>>937 ブラックボックスを起点に説明すればいいので、唯物論で十分でしょう。
ブラックボックスの仕組みをさらに説明できるものが出てくるなら話は別です。
私は意識というマクロの状態は、ブラックボックスの外にあると考えています。
939 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/21(水) 07:29:17
>>938 いやいや
キミたち唯物論者は、巧みに誤魔化して
ブラックボックスの外にある現象が
ブラックボックスの中にある存在性を生み出している
すなわち心身問題は現象にすぎない
という論法に摩り替えるんだよ
私が追い詰めなければ、いつもそんな話をしてるじゃないか
まぁキミは、実際には唯物論者じゃないんだけどね
ただ単に、この世界は物理世界であり
物理的な事は物理現象で運行されている
という当たり前の事を言うのが唯物論だと勘違いしているだけさ
要するに、現象といえば物理現象の事であり
オカルト的な現象など無い という考え方が唯物論だと勘違いしている
本物の唯物論者は
心身問題の根本も、ブラックボックスだ などとは言わない
先ほど私が言った論法だよ
だから私がいる時には出てこれない
理解できないアホなら別だが
940 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 08:01:15
>>938 少なくとも、科学の共通言語である数学では、説明の起点である
公理系には、矛盾が含まれないことが要請されています。
また、それ以前の古典論理の段階で、矛盾を含む前提からは
あらゆる命題が証明できてしまうことが証明されています。
そのような無秩序を避けるためにも、矛盾が含まれているか
どうか定かでないブラックボックスを、説明の起点にするのは
誤った態度と見なすべきではないでしょうか。
941 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 08:57:21
>>931 >私が死んで、生き返る方法を考えればよい
>『私』という観点から、『私』の要素を物理的に特定して
>それを再現すればよいでしょう
>唯物的観点からすれば、その要素というものがあるはずなんだけど
>実際には、そのような物理的要素など、どこにも有りえない
アメリカなどで実際に行われている「冷凍睡眠に入って百年後に復活する」
という方法などはどうでしょうか。「私」は一回死んで生き返るのと
同じだと思います。
>『この私』が『他人』でなく『この私』であった物理的根拠を挙げられない限り
「AがBでなくAである」というのは、同語反復なので、根拠を挙げる
意味がないと思いますが。
唯物論では、デカルトが最も確信した我の存在のようなものこそが最も存在を疑われるのである。
943 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 10:03:08
>>913 SYN ◆Dgc0R/.dgc 様
神が降臨したとでも言うのかね?
944 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 10:24:10
>>942 >>859 を呼んで、まずコギト(認識する自己)と
アイデンティティの区別を付けて下さい。
その上で、方法的懐疑を試して、コギトの存在を
確認してみて下さい。
そうすれば、唯物論が正しいという前提から、
理論的にはコギトが否定されるのに実際には
コギトが存在するという矛盾が導かれる事が
わかるはずです。ですので、背理法に従って
唯物論は誤りであると分かるはずです。
ぜひ、お試し下さい。
そういや、俺が学生の時にナニワ金融道の作者の青木とかいうやつが新聞でデカルトを批判していた
青木は共産主義者で唯物論の立場からデカルトの「われ思うゆえにわれあり」を批判していたけど
(マルクスの唯物論とも違う態度だった)
俺ら学生はひどい誤読だと呆れたものだ
最高位の文章からはその時と同じ誤読を感じるんだよね
>唯物論が正しいという前提から、
>理論的にはコギトが否定されるのに
なんで? 「コギトも物質だ」で、いいんじゃないの?
>>944 >>859の
>最高位の言う「この私」ってコギトじゃなくてアイデンティティだよな
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
これ間違いじゃない?
949 :
神祇官:2005/09/21(水) 10:53:35
アイデンティティなんていわれてもな〜。
発達心理学のお話じゃないわけだし。
「マルクスの唯物論」というのは唯物論と同じ扱いにすべきではないだろう
唯物論は
1機械的唯物論
2弁証法的唯物論
とに分けられるだろうし、マルクスは後者だ
一般に「唯物論」と言えば機械的唯物論を指すと考えていいと思う
で、「機械的唯物論」でちょっと自宅の哲学辞典を漁ってみた
>形而上学的唯物論のひとつ。
>生命や人間の意識の世界を、物理的自然界と同じように見て、力学的な法則で説明しようとする理論
>ギリシャのデモクリトス、デカルトの二元論、スピノザの唯物論、
>18世紀フランスの唯物論者、ディドロ、ドルバック、ド・ラ・メトリーなどがその実例。
>17世紀のフランスにさかえた。
>どのように物質が結びつくと精神のはたらきを生むか。
>この問題を1自然科学ですでに確かめられた法則と2それらの法則を空想によっておしひろげて得た仮説によって答えようとする。
デカルトが入ってるんだよねぇ・・・
951 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 10:54:22
>>947 私(944)は間違いだと思うんですが、
>>859を書いたオレオレ詐欺さんは
今や
>>945で反・最高位の立場を鮮明にしているので、なんとも言えません。
>>946 そういわれると、「コギトが物質であることは未だ確かめられていないので
そういう事を断言する事はできない」としか言い様がないのですが。唯物論
を主張し続ければ、いずれ最高位さんが大慈悲心から智慧を発揮してくれる
とおもいますよ。
>>947 コギトは精神じゃないぜ、思推そのもの
仮想実験をする時に仮想実験を仮想する主体の方だぜ
最高位はがいう「このわたし」はコギトじゃないと思う
寝てんだろ。
∩ ミミ ヽヽヽヽリリノノノノノ
|| ミ ,,、,、,、,、,、、,、,、、 彡
|| l i''" i彡
/〔.| 」 ⌒' '⌒ |
〔 ノ´`ゝ <・> < ・> |
ノ ノ^,-,、 ノ( 、_, )ヽ| もしもし、オレオレ、落選したよ
/´ ´ ' , ^ヽ ノ、__!!_、|
/ ノ'"\ ヽニニソ |
人 ノ\/ ^ ノ
/ \_/\ヽ、 / \
/ / \ `ー── '/ ヽ
/ ─── / ヽ
/| Y ヽ
>>948 青木は
「われ思うゆえにわれあり」が近代の欠点で「われありゆえにわれ思う」が正しいのではないか
唯物論の態度こそ真理だみたいなことを書いてたけど
デカルトの「われおもうゆえにわれあり」はこの表現のままのロジックではない
俺は「われ思うゆえにわれあり」のロジックを
「何かを疑うならば、その何かを疑っている主体の存在は仮定せねばならない」
と読んでいる
>>952 『観測者』と言ってるのだから、仮想する主体の方だと思うのですが、なぜ、どの部分から、違うのだと判断されたのですか?
青木氏>「われありゆえにわれ思う」
オレオレ氏>「何かを疑うならば、その何かを疑っている主体の存在は仮定せねばならない」
どこが違うんですか???
>>957 「何かを疑うならば、その何かを疑っている主体の存在は仮定せねばならない」とは
「すべてを同時に疑うことはできない」ということさ
だから懐疑論への批判になるということだろう
とろこでさ、デカルトは唯物論者だったのかそれとも観念論者だったのかね
観念論の有名な代表例はジョージ・バークリ、エルンスト・マッハ
ダランベールも初期は観念論
デカルトが観念論者だという話は聞いたことがない
>コギトは精神じゃないぜ、思推そのもの
自分の文章をちょっと訂正
コギトは思推であって感覚や感情とは区別されるが
思推する実体は物質的ではなく、
「精神」は「思推という属性をもつ実体」と定義できる
>>950 その哲学辞典は捨てた方がいいですよ。
>>958 貴方はかなり以前から最高位さんと話してますよね。
全然理解しないまま批判していたのですか?
それから私は、なぜそう判断したのですか?と尋ねたのですよ。
それでは答えになっていません。
>>959ハァ?です。
単純にそのまま「疑っても疑っている主体の存在は否定できない」でいいのではないですか?
この答えも私の質問の答えになっていませんし。
最高位さんが言うように会話のできない人なんですね。
963 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 12:46:23
>>962 何かを疑いつつ、その何かを疑ってる自分も疑う事ができる…
というような主張もあるのよ。性格には「疑う」んじゃなくて
「注目する」という用語を使っているが。そして人は注目している
対象をアイデンティティーと思い込む傾向がある。だから、
デカルトの方法的懐疑は、主体からアイデンティティーを
そぎ落とす最良の方法であるとは限らない。そういう批判の
余地がある。
唯物論を否定するのに、アイデンティティーから独立した
主体の存在を立証するという方法は正しい。しかしそれが
自己に注目する、あるいは自己を懐疑するという方法で
最もよく達成されるかというと、そうでなない気がする。
(
>>961 について。)
感覚と感情と思惟しかない区分で、思惟をある実体の
属性としてしまうのは、思惟の実体を感覚や感情に
帰属させてしまうことなので、この定義だと「精神」
という語がより肉体的な部分に帰属してしまう、変な
議論になる。つまり精神一元論で、思惟だけを属性と
するような思考停止状態になってしまう。これはまずい
ので、オレオレ詐欺氏も少し混乱している部分があると
思われる。しかし考え中なのなら、哲学的には許される。
>>950 唯物論にも2つあるのですね。機械論というべきだったです。
>>944 方法的懐疑はそもそもコギトが他の存在を疑うというものなので、コギトは
本当に存在するのかという機械論的会議があってもいいと思います。
965 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 13:17:37
>>964 コギトは自己を言うアイデンティティのみをアイデンティティとする(*)
主体であるとしてしまってもいいと思います。コギトは経験的に存在し、
そして方法的懐疑という方法で簡単にそれを確かめられますが、
それが完全にアイデンティティから自由であるとは言い切れません。
それについては、最高位も
>>843で苦しい弁明をしています。
「一体不可分の『私』のより内的な部分に主体がある」という議論は
科学的ではないですよね。
しかし、主体からアイデンティティを取り除くことが出来、かつ
その主体は物理的制約から自由で、唯物論は誤りであると立証する事が
できます。議論はそれが可能であるかどうかを軸にするものになるでしょうね。
*)サラリーマンとしてのアイデンティティ、学生としてのアイデンティティなどは
含まれていないという事です。
というか、逆にデカルトはどうして「物質」の存在を認めたのかね。
「方法的懐疑」を貫く限り、物質の存在など認める余地はないように
思うのだが。
バークリーのように、「精神と観念だけがある。物質などない。」
と言い切った方が、よほど筋が通っていると思うが。
967 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 13:30:53
>>966 さあ?「物質とは同一の時刻、同一の位置で互いに排他であるような観念である」
としてしまえば、「同一」「時刻」「位置」と言った概念と「排他」という論理
だけで「物質」を(素朴には)定義してしまえるので、そこら変は適当だったの
かも知れません。デカルトは数学者でもあったので、論理が実在するという感覚は
極、自然に持っていたでしょう。これはバークリーがニュートンの微分法(流率法)
を否定したのと好対照ですし、そういう所の違いかも知れませんね。
それに、方法的懐疑と言うのは「貫く」と
いう性質のものではなくて、あくまで一時的に
試してみたというものなので。
論理を疑うにせよ、論理を信頼するにせよ、
論理に絶えず注目することは論理が主体の
アイデンティティーの一部になる事を意味し、
それが主体の自由さを損なう結果に繋がる
可能性はあります。過度に論理的である人間
が実在論者に、果ては唯物論者になりがちなの
には、そういう背景もあるのでしょう。
ですので、A=Aという論理は交換に過ぎず
差異を含む反復にこそ実存的な主体の経験が
ある、と説得するのが、唯物論者に付ける
一番の薬なのかも知れません。まぁわかりませんが。
969 :
考える名無しさん:2005/09/21(水) 14:02:25
わかりやすかった!感動した!
「同一」は論理ですね。すみません。
「確実性の終焉」
間違えてても、わかりやすくて感動したとはコレいかに
過去スレ読んでないんだけど、量子力学的な見方はすでに検討済みなの?
人間の意思決定プロセスなんて波動状態そのものだと思うんだが。
>>974 >人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
>分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
>勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
>分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
とりあえず 975 が量子力学を知らないことはわかった。
「影の光子」
多世界解釈を認めるならあらゆる可能性が全て存在しているのだから、世界は決定論的だと言える。
しかしその中の観測者の視点では、世界は偶然の積み重ねにしか見えないだろう。
他の世界からの干渉まで考えられるわけだし。
干渉できるならこの世界であって他の世界ではないよ。
そこは枝葉だし割とどうでもいいや…
世界がどう分岐するかが決定論的とは限らないよ。
つまり確率的な偶然として与えられる機会のうちのどれかを
人間が意志に従って(結果が予測可能ではないものの)
選択しているのかも知れないし。
波動状態の収束に確率以外の何かが関わる可能性を考えると
コペンハーゲン解釈なら非決定論的、とも断言できなくなるが
キリがないのでやめておこう。。
974からここまで、
スレの前提である「物質だから決定論的」に対して考察してみた。
もちろん確実なことは何も言えなかったわけだが。