心っていうモノのソンザイを立証してほしいのです。

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83考える名無しさん:2005/09/03(土) 15:46:40
>>82 さんの言うように何を指しているのか曖昧ですが、
そもそも心の存在を立証したくなった動機は何ですか?
例えば私は宇宙に行ったことがないけど、宇宙の存在を疑ったことはないし、
疑う必要性も感じません。
それは社会生活を営んでいる中で、人やメディアからの伝聞により、
周りの人間と「宇宙は存在している」という疑いようもない感覚を得ているからです。
「心」も同じようなものでしょう。
「心が痛む」とか「心が晴れる」とか、表現だけではなく身体的感覚としても
我々は疑いようもなく「心」を実感しています。
そういうものではないでしょうか。
「心」というのは関係性の生き物である人間が、人間として生み出した言葉で概念化したものだから、
それを他の動植物にも当てはめてしまうのは、人間の傲慢というものでしょう。
84考える名無しさん:2005/09/03(土) 16:00:03
>「心」というのは関係性の生き物である人間が、人間として生み出した言葉で概念化したものだから、
>それを他の動植物にも当てはめてしまうのは、人間の傲慢というものでしょう。

人間以外の動植物も生態系という一つの関係性の中で生きているので、そこに心がないとは言い切れないとおもわれるよ。
85shadowland.snow-crash.org:2005/09/03(土) 17:50:18
test
86考える名無しさん:2005/09/03(土) 19:48:39
>>84
83です。
ここで書いた時点では、前置きもしたように「心」が何を指しているか明確ではないので、
「人間として生み出した言葉で概念化したもの」と書いておきました。
つまり「心」を論じるなら、それはあくまで人間に限定して考えるべきと思うからです。
人間の言葉を使って、人間以外の動植物と意味の伝達を行うことは不可能ですから、
極論すれば、人間以外の動植物に心があるか否かは、確かめようがないのです。

生態系を挙げて動植物との関係性の存在をクローズアップされてますが、
それは文化とは全く関係のない、生物としての関係性でしかないので、
人間が作り出した概念である「心」を論じる上では違う文脈だと思います。

ライオンは生への本能としてインパラを襲い、インパラは生への本能として逃走します。
捕まったインパラが「悲しみ」を抱いているわけもなく、
それを見て「悲しそう」と思うのは、常に人間なのです。
87考える名無しさん:2005/09/03(土) 20:16:43
>1
立証して欲しいと思った気持ち。それがオマエの心だな。
88考える名無しさん:2005/09/03(土) 22:03:00
>>86さん
凄く勉強になります
どうでもいい横レスしてすいません

>>87さん
なんかとんちみたいですけどおっしゃる通りだと思います
でも>>1さんの心にはクリーンヒットしないかも
もやもやしてすっきりしないとすれば、その気持ちが心なんじゃないかな
89考える名無しさん:2005/09/03(土) 23:38:15
何故、議論する前に言葉を明確に定義しないの?
それとも『心』の定義って自明なの?
少なくとも自分はまったく分からん。
90考える名無しさん:2005/09/04(日) 00:28:24
>>89
多分そういうことも含めて分からないってことなんじゃないかな。
91考える名無しさん:2005/09/04(日) 00:57:06
議論と言葉を定義するための議論は同じだからな。どちらも決着はつかない。
92考える名無しさん:2005/09/04(日) 01:00:55
>ライオンは生への本能としてインパラを襲い、インパラは生への本能として逃走します。
>捕まったインパラが「悲しみ」を抱いているわけもなく、
>それを見て「悲しそう」と思うのは、常に人間なのです。

そして人間も本能に従ってそれを悲しんでいるだけ…そんな訳はない。
人間に心があるのは人間に心を定義する能力があるからではない。
心は心として人間が定義する能力を獲得する以前からあったと考える可能性はある。
そして心は心と共感する。我々はそれを経験的な事実として知っている。
だから動物にも心があるかもしれないと言えるのです。そして人は人と人とが共感するように、
動物とも共感しているのかもしれないのです。
93考える名無しさん:2005/09/04(日) 01:09:25
感じて表出することを心というなら動植物にも心があると言えそうだ。
表出を受け止める人にもよるが。
94考える名無しさん:2005/09/04(日) 02:52:35
インパラは生への本能として逃げるはいいと思うけど、
その時、本能は逃げるための引き金として恐怖心を
生じさせてるのでは無いかな?
捕まったインパラは「悲しみ」を抱いてはいないかも
しれないが恐怖は感じてる、とか
95考える名無しさん:2005/09/04(日) 12:27:28
83、86のブンガです。

>>92 さん
私が書いたこととそれほどズレてるとは思えないのですが、
ご自身でも書かれているように
動物にも心がある「かもしれない」
動物とも共感しているの「かもしれない」
つまり、どこまで考えてもそこには結論は出てこないのです。
多分私の言葉が足りなかったからなのかもしれませんが、
人間が関係性の生き物である、ということの意味は、
人間は関係性を構築することを求める生き物である、ということです。
それは人間に言葉があり、「心」という概念を構築したからに他なりません。

>心は心として人間が定義する能力を獲得する以前からあったと考える可能性はある。

とおっしゃいますが、私は「ココロ」という言葉の話をしているのではなく、
言葉を使って「『心』の概念」を構築できるのは人間のみである、と言っているのです。
ペットを持つのは人間だけです。
それは人間が関係性を求めるという本性を持っているからです。
人間以外の動物の本性は、あくまでも生への本能です。
もちろんそこには動物(ペット)との共感を感じることはできるでしょうが、
その共感を生み出しているのは、あくまでの人間の側であることは自覚すべきだと思います。
もし「心」についてブレることなく議論を進めるのだとしたら、
確かめようのない要素は少しずつ削っていく必要があると思うのです。
96ブンガ:2005/09/04(日) 12:41:53
>>94 さん

生への本能として襲撃者から回避することを求める時の動物の思考パターンは存在するかもしれません。
私は生物学については全くかじったこともないので分かりませんが、
それを「恐怖」と呼んでしまうのは、少し乱暴に思います。

我々人間が「恐怖」という言葉を使う時には、
例えば暗闇に対する得たいの知れない恐れというものが含まれたり、
怖い話を聞いた後に一人でトイレに行くのを躊躇うような感情が含まれたり、
宗教によっては、タブーを犯した後の罰に対する恐れの感情が含まれたり、
と多種多様です。
仮に「インパラも『恐怖』を感じている」
と言ってしまうと、確かめようもないインパラの思考パターンに
不必要な意味を付加してしまうことにもなりかねません。

やはり「心」についてしっかりと考えるなら、
人間以外の動植物については、ひとまず横に置いておく必要があると思います。
97考える名無しさん:2005/09/04(日) 13:41:21
あのな、言葉による分類が現代よりも貧弱だった古代人は心がないのか?
言葉は記号にすぎない。
その記号に心という情報が乗っかるのだ。
もちろん、その記号は言葉でなくてもよい。
言葉が貧弱な古代人は絵に心情報をのせたりした。
98ブンガ:2005/09/04(日) 13:57:30
>>97 さん

なるほど、確かに「言葉」だと限定しすぎですね。
自分の言葉の引用で申し訳ないですが、
>言葉を使って「『心』の概念」を構築できるのは人間のみである、と言っているのです。
と書いたのは、あなたの言うように古代人なども含めておけるように気遣って書いたつもりでしたが、
自分で限定してしまっていましたね。「記号」で良いと思います。
言いたかったのは、人間で生み出した意味伝達方法が通じるのは、あくまで人間に対してであり、
それは古代人でも変わりません。だから古代人に心がないなんて言いたい訳ではありません。
そうではなくて、動植物を含めるのは問題が拡散してしまうのでやめたほうが良い、ということです。
99考える名無しさん:2005/09/04(日) 14:49:08
こんな書き込みで悪いが、辞書ソフトで「心」を引いたら

特に人間に顕著な精神作用を総合的にとらえた称。
具体的には、対象に触発され、知覚・感情・理性・
意志活動・喜怒哀楽・愛憎・嫉妬となって現われ、
その働きの有無が、人間と動物一般、また敬愛・畏怖(イフ)の対象と
なる人と憎悪・軽蔑すべき人間を区別するものと考えられる。

だった。「考えられる」辺りが怪しいが、とりあえずどう受け止めて
いいか分からん
とりあえず用例の一つ目が
「ペットとの―の触れ合い」
でちとワロタ
100考える名無しさん:2005/09/04(日) 16:12:26
犬は動作と声で思想・感情を表現するよね
英語しゃべれない僕も外人には動作と声で思想・感情を表現をするだ
狼少女は保護された時点では人間の言葉をしゃべれなかったらしい

何が言いたいのか自分でも整理できないまま
なんとなく書いたった
101考える名無しさん:2005/09/04(日) 16:44:40
世界に法則に必然に運命に支配され従属し振り回され、しかしその事に必要もないのによしておけばいいのにわずかでも疑問をもてた
それが心
102考える名無しさん:2005/09/04(日) 18:13:36
>>101
もうちょい一般的な定義は無いか?
103考える名無しさん:2005/09/04(日) 18:45:06
立証できるならそれは心ではない。
104考える名無しさん:2005/09/04(日) 18:48:23
>>103
逆説的な言い方はかっこいいけど何の説得力も無いよ
何で心が立証不可能か説明して
105考える名無しさん:2005/09/04(日) 20:04:01
心とは客観である
言語(ことば)も客観であるその性質上
重要な心の要素としてもいいのではないだろうか。
106考える名無しさん:2005/09/04(日) 21:36:39
私達が意識するそれは何か。
私達が感じるそれは何か。

それは心ではないだろうか。

とかいってみる。
107考える名無しさん:2005/09/04(日) 22:39:47
お前は、そして俺は、なにも意識していなく、なにも感じていない
意識させられていて
感じさせられている

問題は
何に?
108考える名無しさん:2005/09/04(日) 22:49:07
自分に心があることは自分ではわかるが、他人に心があることを
測定装置を使って証明することは困難だな。

>>1
ところで君は心以外のモノだったらその存在は立証できるのかな?
109ブンガ:2005/09/20(火) 23:56:06
>>1 さん

83、86、95、96、98 のブンガです。
そもそも私たちは「心」の存在を疑ったことがあるのでしょうか?
なんとなく共通の感覚として
「心の存在の証明方法は良く分からないけど、だからって心は存在しない、と言われたら、なんだか納得できないなぁ」
という実感があるのではないでしょうか?
だとすると「心は存在するのか、存在しないのか」という問いの立て方自体が間違っているのではないでしょうか?
そこで >>83 でも書いたのですが、そもそもこの立証をしたくなった(してもらいたくなった)動機は何ですか?
なんとなく、ですか?
110考える名無しさん:2005/09/21(水) 02:49:14
心ってのは人間の中に潜む誤動作の集まりです。
111考える名無しさん:2005/09/22(木) 05:34:12
>>1はチャーチランド
112考える名無しさん:2005/09/22(木) 08:37:10
「立証する」って、心以外の何に対して立証するのだ。
心がソンザイしないのなら、立証なんかしようがない。
113考える名無しさん:2005/09/22(木) 08:47:23
心と言うパターン変換装置を、認識主体に対して証明すればいいのだ。
パターンから開放された認識の諸相は、井筒俊彦「意識と本質」に詳しい。
114考える名無しさん:2005/09/22(木) 08:51:55
「心と言うパターン変換装置」「心でない認識主体」って、何すか?
115考える名無しさん:2005/09/22(木) 09:03:05
>「心と言うパターン変換装置」
哲学ではパターンを「本質」というそうだ。心とは、
存在を本質に変換したり、本質を別の本質に変換したりする、
そういう働きだ。
それを厳密に心というべきかどうかは文脈によるが、
すくなくとも意識とは別のものとおもわれる。

>「心でない認識主体」って、何すか?
意識の事だ。

たとえば、このリンゴもあのリンゴもリンゴとして
個別に存在するという意味では独特な存在なはずなのに、
それを同一のリンゴという概念に変換するのが心だ。
さらに、リンゴもみかんも果物の一種、などとカテゴリの
体系を作るのも心だ。リンゴという概念が、果物の一種
という概念に変換されている。これがパータン変換装置
である心の働きだ。
116考える名無しさん:2005/09/24(土) 02:21:41
達磨禅師
「悩む心をここに出せ」
神光慧可
「出せぬ」
禅師
「ならばなぜ悩む?」

筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音をたてむと思ふ。
盃をとれば酒を思ひ、賽(さいころ)をとればダ(木へんに難 双六のこと)うたむことを思ふ。心は必ず事にふれて来る。
         徒然草 第157段
無色無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
無眼界乃至無意識界
       般若心経

 参考に・・・。m(_ _)m   携帯から失礼。
117考える名無しさん:2005/09/24(土) 03:18:11
存在するか、しないかではなく、
心が存在するとはどういうことなのかが重要なんだと思う。

存在する、しないの問題じゃない。
118考える名無しさん:2005/09/24(土) 03:59:49
「ここ」に「居る・居合わせる」が、「こころ」の原義である。
つまり「辺り・周囲」に「気を配りつつ-ある」状態が「心」である。
原的には「辺り・周囲」は「身体の周囲」であるが、これとかけはなれた
ことに気を取られている場合、「心ここにあらず」となる。
119考える名無しさん:2005/09/24(土) 15:23:45
>>1はチャーチランド
120考える名無しさん:2005/09/24(土) 15:34:32
悲しかったり嬉しかったりしたならば心はあるっていえるのではないのでしょうか。
感情や思いやり、そう言うのが心なんじゃないのでしょうか?
121考える名無しさん:2005/09/24(土) 15:40:17
>>120
そういうのは動物だってあるですよ
でも、あなたは動物と同じ心ではないでしょ?
122考える名無しさん:2005/09/24(土) 15:48:07
俺は心っていうのは本能的なものだと考えています。
>>121さんは心をどう考えていますか?
123考える名無しさん:2005/09/24(土) 15:48:44
動物には心はあるだろ。なんでないと思うんだ?
道具も使うし社会も構築するし発情もするのに。
124考える名無しさん:2005/09/24(土) 18:25:14
>>120
心の定義しだいです
本能的なものであれば人間と同様に
動物にも心があると言えます
そう言えるとして、どうにもなりません
やはり、本能とそれに付随する人間的な精神機能を
区別しなくてはいけません
腹が減ると、エサをムシャムシャ食べるのは生物共通です
しかし、人はもっとうまい物はないのか、
うまい食い方・調理法はないのか
探求・創造する心の働きがあります
このような人に特有な精神機能が本能的機能とは違う
心の働きだと思います
125120:2005/09/24(土) 19:08:47
>>124
そう言う考えもあるんですね。
でも俺は120に書いた事を心と思ってるのでそこは変えません。
あと動物だって人間と同じように悩んだり、考えたり、時には哲学したりしてるのかも。
唯、確かめられないから分からないだけで。

俺の意見も「そう言う考え」程度に考えてください。
126考える名無しさん:2005/09/25(日) 06:21:45
流れを読まずにレス

妄想は、一般に否定的な意味で使われる。ニュアンスとしてはどうしても
「神経症」「精神病」などといった心の病を連想させ、あまり健康的でないのだ。

しかし妄想は、鼠一匹を化け物に脳内変換するといったマイナスの作用だけでなく
恐怖や悲しみを柔げるプラスの作用も担っている。

例えば、ある男が自分と懇意だった女によって激しい裏切りを受けたとする。
「あんたみたいなオタク、あたしが相手にするわけないじゃない、きんもー☆」
という手合いのものだ。
男はその発言に傷つき腹を立てるばかりか、
127考える名無しさん:2005/09/25(日) 06:32:07
彼女はなんと非情で恐ろしい女なのだろうと、恐怖でいっぱいになる。
しかし、彼女とは同じ地区に住んでいて、どうしてもたまに姿を見掛けることがある。
また、様々な都合で男は引っ越せない。

こうした場合、彼が頼る手段は、彼女をある程度別の人間として見ることだったりする。
頭の中では、彼女とのリアルの思い出の何割かを封印し、
自分で作り上げた、平和的で穏やかで、何よりも無難であるエピソードを挿入しておく。
このエピソードの部分が、妄想。

これにより、例えすれ違うほどに接近しても、男は彼女に恐怖を感じなくなる。
128考える名無しさん:2005/09/25(日) 06:43:23
肝心なことは、男がすり替えた妄想部分を正確に把握しているかではないか。
厄介と言われる、マイナスに作用した妄想に関しては
当人がそれを正しく把握できていず、事実と混同してしまう所で問題が出てくる。
しかしプラスに作用した妄想に関しては、男はどこまでが妄想であるかを理解している。

マイナスの例:「君が僕を嫌いなんて有り得ない」→妄想しているとすら思っていないこともある
プラスの例:「君とは普通に顔見知りだった、知り合いだった」→顔見知り、知り合いのエピソードを
脳内で大量に作り上げていることを自覚している
129考える名無しさん:2005/09/25(日) 06:55:04
妄想とは、残念ながら、一般にはあまり心の強くない人々が頼る心の調整機能である。
精神が強靭な人々は、そもそもが事実以外に関心を向けない。
また、世をよく知った老獪な人々も妄想には捕われない。幽霊など恐くないからだ。

限定された人々の限定された時間の中で現れる妄想には価値がつく。
これが所謂、文化の基底である。基底に技術や意図、支持が着いて
文化はその全貌を初めて表すので、妄想だけでは無価値なのが難点ではあるのだが。
130考える名無しさん:2005/09/25(日) 07:05:36
>>129訂正

>文化は初めてその全貌を表すので、妄想だけでは無価値



文化は初めてその全貌を現すので、妄想だけを剥き出しで表現するのは無意味
131山田 ◆7hFMbLtLwk :2005/10/19(水) 12:32:08
心とは感覚の統合されたものだ。
自分が実際に感覚を感じたら、それは心がある証拠だ。
132考える名無しさん
(´・ω・`)
やぁ
残念だけど今君に呪いをかけたよ
君はもう今後一生セックスできなくなってしまった
ただ助かる方法が一つあるよ
http://masaton0000.hp.infoseek.co.jp/
↑のスレに
『ちんちんみてまんまんおっき
ちんちんみてまんまんおっき
ちんちんみてまんまんおっき』と書き込みすれば助かるよ
それでは健闘を祈るよ