◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない42◆

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782 ◆EvilehrjfI
>>764>>772
連帯責任については部活などで落ちこぼれ即ちヒキコモリみたいな香具師が出来る様になるまで模範的に周囲も合わせなければならない
783NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/09/05(月) 18:39:49
>>778
>責任がなくなるからという理由で、決定論を否定
今回のレスの中でどこで決定論を否定した?
決定論では倫理や法律は意味がないと言っただけ。
784考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:44:31
>決定論では倫理や法律は意味がない

なんでそうなるんだ?お前にとって意味がないだけじゃないのか?
俺とっては意味があるのまで否定されているようで気分が悪い。
意味が無い事を押し付けんなよ。
785 ◆EvilehrjfI :2005/09/05(月) 18:47:27
786考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:48:13
>>784
決定論は現行の法体系と相性がよくないんじゃないか?
現行の法体系にあわせると、全ての人は神に洗脳されているから
一切の罪が問えない、とか、そういう解釈になってしまわない?
787考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:51:32
罪を犯すのも必然なら、罪を問うことも必然。
何の問題があるのだ?
788台風 ◆EvilehrjfI :2005/09/05(月) 18:53:52
789考える名無しさん:2005/09/05(月) 18:59:27
>>787

決定論だと、人間には「事物の理非善悪を弁識する能力または弁識に従って行動する能力」のうち
後者の能力が一切無いという事になるんだろ?すると人は皆、心神喪失状態で責任能力がないから
刑法上の責任を問えなくなるという事になるとおもわれるが。

責任能力 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C0%D5%C7%A4%C7%BD%CE%CF
心神喪失 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%b4%bf%c0%c1%d3%bc%ba
790考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:02:26
>>789
そういう理由で決定論を論ずる事は本末転倒だと思うが。世界が法律に合わせてくれるわけでもない。
791考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:05:32
例えば人間を作った宇宙人が現れたとして、俺らが彼等のロボットに過ぎないと証明して去っていったら、
俺らは、責任を問うのをやめるのか?違うだろう?
792考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:06:48
>世界が法律に合わせてくれるわけでもない。

世界って、790の世界観の事???そりゃ世界観なら簡単には変わらんから別にいいが、
世間で普通に生きるときは決定論は引っ込めて生きているんだろ???
どういう風に決定論を信じるようになったのさ???
793考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:09:02
>>789
ならないよ。弁識に従って行動する場合は必然的にそうするし、
しない場合は必然的にそうしない、というだけだろ。
弁識に従って行動する能力のある人は必然的にそういう人だし、
ない人も必然的にそういう人だ、というだけ。
決定論が正しくても間違っていても、既知外は既知外だし
泥酔者は泥酔者だし普通の人は普通の人だ。
既知外や泥酔者を「心神喪失」としてその責任を問わない、
というのは、単に現行刑法のお約束。もちろん、そういうお約束が
出来上がるのも、因果律による必然。
どこに問題があるというんだ。ちなみに俺は決定論者でも何でもない。
というか、決定論が正しかろうと間違っていようと、実質的に何の違いも
ないとしか思えないのだが。
794考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:10:36
>>792
別に引っ込めてないで生きているが。
生きていくのに決定論を否定する必要も無いし、否定できる根拠も無い。
どう決まっているか俺にはわからんだけだと思う。
795考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:11:14
>もちろん、そういうお約束が出来上がるのも、因果律による必然。

ここがわからん。何が因果律で何が必然なの???
796考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:12:49
>>794
同意。
何でもかんでも否定すればいいとおもっている奴がいるのが問題。
797考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:13:18
>>790

自由による行為でないのにどうして責任を問えるんだ?
798考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:14:56
>>797
決定論的な自由の行動を、決定論的に責任を問うだけのこと。
799考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:18:13
>>798

それは決定論ではない。何も決定していないということだ。
800考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:32:15
>>799

決定していても知らないだけ。
801考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:35:31
因果律?ちゃんちゃら可笑しい。
まだそんなの信じてんのか・・。

それがすべてのマチガイの始まりw
802考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:36:44
>>801

お前も因果律に従っているだけだよ。知らないのは幸せだろうが。
803考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:39:30
>>800

決定していることを知らないのは不可知論であって決定論ではない。
804考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:41:17
>>802

知らないことには従いようがない。
偶然一致しただけだ。
805考える名無しさん:2005/09/05(月) 19:56:35
違った訳だがそうでないと認めるのかい?
806考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:01:28
>>803

決定している事は知っている。だが、どのように決定しているか知らないだけ。
茶碗に賽をいれて伏せる。
半か丁か決まっている事は知っているが、どのように決まっているかは知らない。
807考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:03:59
決めた人が罰せられる訳だが何を賭けたんだい?
808考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:06:04
決定論を否定することはできない

終了
809考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:20:36
>半か丁か決まっている事は知っている

結果を見るまでは知らない。結果をみて初めて決定する。
810考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:21:37
>>809

決まっているからこそ、結果を見て知る事が出来る。
811考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:22:27
>>808

否定できない論は論ではない。決定論を否定すれば非決定論となる。
812考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:24:22
>>810

結果を見たから決まっただけの結果論にすぎない。
813考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:28:50
>>795
決定論者にとっては、起こることはすべて「因果律による必然」なんだから、
実際にそういうお約束があるなら、それも「因果律による必然」ということに
なるだろう、というだけのことよ。いわゆる「歴史の必然」というやつ。
俺は決定論者ではないから、どんな因果律によるどんな必然か、なんて知らない。
どんな決定論者でも、そんなことに答えられるはずがない。
「制度がどんな沿革で出来上がったか」を説明して、「必然である」
と称するだけだろ。証明する方法なんか、あるわけがない。

ちなみに、「心神喪失者の行為については責任を問わない」というお約束は、
別に絶対のものでも何でもないよ。現に改正しろという意見もある。
参照↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/489691855X/250-1963326-2751419

この場合も、「改正するべきかどうか」は、「改正した場合に何が起こるか」
を予測して決めるんであって、決定論が正しかろうと間違っていようと、関係ない。
どんな結論が出ても、決定論者は「それもまた因果律による必然」と
言うだろうが、そんなの「解釈の問題」に過ぎないわな。
814考える名無しさん:2005/09/05(月) 20:48:22
>>802
他のものの原因にはなるが、他のものの結果にはならないものというもの想定できるのでは?
815考える名無しさん:2005/09/05(月) 21:09:24
どうでもいい
816運命論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/09/05(月) 21:13:46
しかし証明方法となると、自由意志の有無の方がもっと無いわけですから
あんまり実証主義的に考えないのがいいと思いますよ。
817Lamala ◆.MBofLED/. :2005/09/05(月) 21:42:47
YNASE IYAGALASE ディーラーが悪いとか
818考える名無しさん:2005/09/05(月) 22:00:28
プロスタグマ?
シキーパン!
819SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/09/05(月) 23:14:09
>>736
重要な事は、知らないということは決定されていないということではないということです。
貴方が見ている世界(主体の肉体も含めて)は、全て過去の姿です。
観測対象物は既に未来に行っているのに、貴方にはわからないだけです。

自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。変える事は不可能です。

未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。

哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
820SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/09/05(月) 23:17:02
>>738
>もし、世界が法則によって一義的に決定されているとしたら、倫理について考えることは不毛になってしまうだろう

なりません。
決定論の世界の中で、非決定論の世界が作られますから、その中で考えれば良いでしょう。
映画の中の世界でも倫理がありますが、不毛ではありません。
821SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/09/05(月) 23:20:26
>>763
>それではどの瞬間から未来を変更不可能になるんだろう。

未来の変更は原理的に不可能です。やった人間は誰もいません。
822SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/09/05(月) 23:25:12
>>766
>例えば、ボタンを押すと別の人が死ぬ。しかし押さない間は刃物が進んできて自分が死ぬ。

なぜ死ぬと知っているのでしょう。決定論でも完全に未来を知る事は不可能です。

>その選択を10秒以内に行え。という状況の場合で、ボタンを押したからって責任が問えますか?

ボタンを押さなければいいだけでしょう。
「誰かを殺さないとお前を殺す」と脅されたらといって、殺人が許されるわけではありません。
責任は問われます。
823MORALITY ◆oMyMORALjQ :2005/09/05(月) 23:31:20
レクサスがオープンしてセルシオが必然的に格下げになった精神的影響について
             / ̄ ̄^ヽ   /::.__  .:::::::::::::  __   ヽ_
             l       l / /  ヽ_ヽv /: / ヽ   ヽ
       _ /,--、l       ノ /   ̄ ̄ √___丶 ̄ ̄    |
   ,--、_ノ:: `ー'::   、ミー---‐,,l |      // tーーー|ヽ       |
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ヽ  :l::::   ト:;;;;;;;/-/__...........  /
824考える名無しさん:2005/09/05(月) 23:37:36
>>822
>ボタンを押さなければいいだけでしょう。

しかし、あなたの理屈だと、ボタンを押すことは前もって決まっていて、
押さないことは不可能だったのでは。
825SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/09/05(月) 23:46:36
>>824
決定論世界の階層まで上がるとそうなります。
見かけ上の選択は、決定論世界の中の非決定論的世界での話です。
826考える名無しさん:2005/09/06(火) 00:01:27
「階層」って、この世界が決定論世界なんでしょ。
「見かけ上可能に見えるけれども、現実にはボタンを押さないことは
不可能だった」のなら
「ボタンを押さなければいいだけでしょう」などと言えるはずないのでは。
827SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/09/06(火) 00:06:12
>>826
>「ボタンを押さなければいいだけでしょう」などと言えるはずないのでは。

それはそうです。
そういう意味では、責任を問うかどうか以前に、元の問題がおかしいのですけどね。
828考える名無しさん:2005/09/06(火) 00:08:43
>>825-826

 >>364および

ある 〔A〕
という行為
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・?
    ↑        ↑        ↑        ↑         ↑
  物理的     現在の   成功への希望   伝聞等      過去の     遺伝子レベルでの
  肉体的制限   環境    失敗への怖れ   関連情報    経験・記憶   行動への縛り


さて、どこからが決定してるんでしょう?
一般的感覚と、哲学者の感覚と、決定論から見た線引きと、
かなりの違いがありそうですね
829考える名無しさん:2005/09/06(火) 01:16:12
740 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/05(月) 06:54:25
もし唯物論が正しければ
そして決定論が正しければ
善も悪も、倫理も道徳も無意味な価値観となる
この世界の全ては、ただ物質が現象しているだけなのである とする唯物論の価値観からすれば
『価値観』そのものが無意味なのだという事になる
ゆえに価値観を求める『思想』そのものが無意味だという事になり
唯物論そのものも、無意味になってしまうのだが
唯物論者自身も、それに気づいていない
全てが無意味
それが唯物論
全てが機械的に計算された通りに現象するのみであり
そこに、人間が取るべき方向性などという価値観は存在しない
こういう価値観に人心を導く危険性があるのが唯物論なのだ
実際、共産主義革命の根幹に、唯物論がある事はご存知の通りだ
それはさておき
世界の全ては物質が現象しているだけなのであり、全ては物理現象で論述できる日が来る
というのは正しいのだろうか?
一般人は気づかないのだが、唯物論者の論法は
全ての物理現象は、現象である という所で論じているだけなのだ
もし、全ては物質が現象しているだけなのならば
無形なる価値観を持って情報交換し、互いに影響しあい社会を形成している人間
この人間に、価値観や感情などのクオリアは必要ないのであり
また物理現象であるならば、ありえない事なのである
物理現象をいくら研究したとしても
クオリアの起源を解明できる根拠など、どこにもありえないのだ
全くのデタラメである
唯物論者は
そのクオリアを感ずる「主体」である『私』の「存在性」を無視しているのである

というかアホ
830考える名無しさん:2005/09/06(火) 01:47:28
584 :哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/09/04(日) 09:12:20
しかし本当にキミ達は面白いなw
キミ達と会話していると
例えば、水槽の中の愚かなカエルを見ているようだ
私が「そこにあるハシゴを使えば、そこから出られるよ」
と教えてあげてるのに、ジャンプする事しか思いつかない
「こんな重い物を持ってたら、ジャンプできないだろが!頭悪すぎでつねww」
と言ってるようなもんだ
私が「いや、足をかけて登るんだよ」
と教えても意味が理解できない
「足はジャンプするためにあるんだぞ!アホ!バカが!」
いくらわかりやすく説明しても、全く理解できない
ただ相手を、罵るばかり
「ここにいる親分も、みんなジャンプ力を鍛えているんだよボケ!」

こんな感じかな
831考える名無しさん:2005/09/06(火) 02:29:16
どうでもいい
832考える名無しさん:2005/09/06(火) 03:50:58
唯物論は知的玩具
決定論は知的怪談。
このオモシロさが分からん人は
やっぱちょっとつまらない人。
833オレオレ詐欺:2005/09/06(火) 08:31:11
議論ができるかどうかではなく議論が不毛かどうかだよ
この部分を勘違いしてレスしてる人が大半

>>752
>その可能性の存在の有無には、倫理的に有為な違いがありますか?
>あるとしたら、それはどのようなものですか?
当然ある
われわれは価値や目的を吟味する時に具体的な行動可能性や不可能性をもちいて
問題となる目的を批判する
具体的な例としてはアインシュタインとボーアのソルヴェイ会議における議論がそれに該当する
異なる目的の吟味に意義がなかったら倫理的に有為なものなど何一つないことになってしまうだろう
「不可能性によって価値を批判できる」という考えは、それ自体が倫理を有為なものであると解釈するひとつの価値観である
834オレオレ詐欺:2005/09/06(火) 08:37:23
>決定論の世界の中で、非決定論の世界が作られますから、その中で考えれば良いでしょう。
>映画の中の世界でも倫理がありますが、不毛ではありません。
しゃっくりと議論に違いがないのなら
不毛な議論と有意義な議論にはどのような違いがあるのだろうか
不毛さと有意義さの間に線を引くことすらできないだろう
835SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/09/06(火) 09:57:10
>>834
決定論の世界の中で考えることが不毛だと思うのなら、非決定論的世界の中で考えればよろしいでしょう。
決定論は、その考えも決まっていたというだけのことです。
836運命論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/09/06(火) 11:00:59
私が不毛だと感じる議論は不毛な議論。
私が有意義だと感じる議論は有意義な議論。
837考える名無しさん:2005/09/06(火) 11:01:21
因果律と決定論の区別もつかないくせにw
838考える名無しさん:2005/09/06(火) 11:46:20
【因果律】〔哲〕
「どのようなものもすべて何らかの原因の結果として生起するのであって、
原因のないものは一切存在しないという考え方。因果法則。」

この伝で行くと、
決定論は「特定の原因からは特定の結果しか生じない」
非決定論は「特定の原因から異なる結果が生じ得る」という考え方、
でいいのか?
839オレオレ詐欺:2005/09/06(火) 11:49:30
>>835
たしかに世界は決定されているのかもしれないし
人間の行動は世界自身がおこすしゃっくりやくしゃみと同じで、真剣な議論もただ真剣に見えるだけなのかもしれない

だが、目的や価値を吟味しようとするならば非決定論的思考をする必要があり
その意味では非決定論もまた"過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。"ってわけなのさ

840考える名無しさん:2005/09/06(火) 12:26:04
エヴェレット解釈についてお聞きします。
決定している未来が複数あるだけで、
私がどの未来に行くかは分からないですよね。
地球が無い未来に分岐していつのまにか
私もいなくなっていた、
という確率はあるのでしょうか?
841考える名無しさん:2005/09/06(火) 12:40:27
>>840
エヴェレット解釈ってそういうことじゃないんですが
842考える名無しさん:2005/09/06(火) 12:55:42
コイツら何度同じことを繰り返したら気が済むのやら
843考える名無しさん:2005/09/06(火) 13:31:08
いっそ世界については「決定論解釈」と「非決定論解釈」があります、
ってことでいいじゃないか。何か問題あるのか。
844オレオレ詐欺:2005/09/06(火) 16:16:31
いっそ量子力学については「コペンハーゲン解釈」と「エヴェレット解釈」があります、
ってことでいいじゃないか。何か問題あるのか。
845素人
たぶん私はどちらでもないw  >>843