>>601 精神活動
すなわち精神の活動、動き
どういう動きなのかは、動詞
動詞には主語がいるよね
何の精神で、何の動きなのかと言えば
それは紛れもなく『私』という存在性
『私』の精神の活動なわけ
『私』は常に、主観性というものを以って精神活動を行っている
『私』という存在性は主観性そのもの
私は私を離れては思考する事も、存在する事もできない
それと同時に、主観性から離れて思考する事も、存在する事もできない
こういう意味での主観性だよ?
理解できた?
よく主観的とか客観的とか
なんだか勘違いして反論してくる人がいたりするんだけどね
ちゃんと理解した上で発言して下さいね
何回も説明するの、しんどいから
>>603 存在性という部分のみを取り上げて論述する場合でないかな?
>>604 別に独善的でもないと思うぞ?
それは勝手な解釈、価値観によるんじゃないかな?
我とは『私』という『存在性』だよ