◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない41◆

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952考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:30:42
他の空間に他者の主体が存在するなら、
他の時間に他者の主体が存在してもおかしくはない。
時空を区別する必要も無い。今だけが時でもないだろう。
953考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:32:11
決定論が真だとしても、起きる事象を自分が望んだものだと思えば、自由意志はありえる。
954考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:33:16
>>953
SYNは決定論が自由意志を作っていると言っている。
955考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:37:46
欲が妨げられると自由意志が妨げられた気がする。意識があるときだけそう感じる。
意識が何かという説明が付けば、決定論でも意識と自由意志(という感じ)の説明は付くさ。
外界からの影響が欲という結果を生み、また別の影響が欲を妨げるという結果を生み、
両者のを原因として自由意志(という感じ)という結果が生み出されるんだから。
956考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:39:10
                                                 『自由意志』
ある 〔A〕                                           その行為の
という行為                                           根本的意志
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
      ↑             ↑          ↑         ↑
     物理的        未来への予測     現在の     過去の
     肉体的制限     (成功可能性)     環境      経験・記憶



ある 〔A〕                                        『自由意志はない』
という行為
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・
    ↑   ↑              ↑          ↑         ↑
      物理的          未来への予測      現在の     過去の
      肉体的制限       (成功可能性)       環境      経験・記憶



荒っぽく言えばこういうことかな?
下図は、「根本の意志はなく全ては各種条件の加算によって行為がなされる」と・・・。
そして、外的因子がどの程度の強制力をもって個人へ影響するかの見極めで、
この線上の線引き(即ち「何を自由意志とみなすか。どこまでを自由意志とみなすか。」)
が変わってくるのでは?   (とりあえず反射的反応は除外してるが・・・)
957NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/26(金) 19:39:12
>>950
「無いものは無い」と二重否定することで何でもありになるとか。
958考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:42:10
>>948

その通りでしょ。
重力を感じられないのに重力に従うことはない。
959考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:44:19
>>958
なんだ、法則を感じていることは知っていることなんだw
結局感じているものに従っているわけねw
960考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:45:54
>そもそも「無」なんてこの世には無い。

 自己矛盾のパラドックス。WWW
961考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:46:07
>>956
「予測」は、記憶に含まれる。
962考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:52:18
>>961
では、
成功への希望
失敗への怖れ
に訂正w

ってか、そうした細目の名称はポイントではないんだが・・・
様々な要因の影響を受けた上で、我々の思考・行為は成り立っているのだろうという仮定を表したつもり。
その上で、そうした(外的・内的)要因と関係無しに根本的意志があるのかどうか?
ないならば、どこからが自由意志と呼べるのか?
という視点の人が誰もいないようだったから、ない智恵絞って図にしてみたまで。
不備は承知の輔(^^)v
963考える名無しさん:2005/08/26(金) 19:53:28
>>957

二重否定が肯定になるのは排中律を認める論理体系の場合でしょ。
直観主義論理ではそうはならない。
964NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/26(金) 19:53:46
>>960
そうかな?「あるものだけがある」として
「ないものはない」というのは成り立たない?
965考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:01:00
>>962
>どこからが自由意志と呼べるのか?

その前に自由意志を定義してくれ。決定論でも自由意志があるとすると区別ができん。
966考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:01:32
>>959

法則は感じられることではない。
重力を感じ、高いところから飛び降りると下に落ちる、とか
経験し、知覚することにより知識を得る。それが知ることだろう。
経験できない事柄がなんで自分に相互作用することができるんだ?
法則は知識である。因果法則を知ることで将来の予測が可能となる。
「こうすればああなる」と自分の知る知識で将来を推測できることが
自由意志による思考だ。自由意志がなければこのような思考もない。
967考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:03:49
>>966
でもその自由意志は決定論が作っているんだよ。
968考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:04:39
自由意志

他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択を自発的に決定しうる意志。「君の―で決めたらよい」
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%BC%AB%CD%B3%B0%D5%BB%D6&stype=0&dtype=0
969考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:05:09
>>966
ロボットでも出来るから同じだなwロボットにも自由意志があるわけだw
970考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:05:43
>>961
>「予測」は、記憶に含まれる。

  ちがう。予測は記憶を使用して「いま」思考することで
  可能となる。脳の機能は「いま」しか働かない。
 脳には過去も未来もない。「いま・ここ」がすべてだ。
971考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:08:51
>>970
予測以外の行動や思考をする時点で予測は終了し、予測された結果が記憶になりそれを引き出している。
メモリやレジスタに格納された状態と同じ。
972考える名無しさん:2005/08/26(金) 20:09:34
>>970
ロボットもそうだね。
973THE グル :2005/08/26(金) 20:13:34
>>899
いいですか、
まず始めに申し上げておきたいことは、
グルは、
ヴントのそれと同じく人間の意志は決して心的因果を脱した、
隔絶されたものではないという立場に立つ、
いわゆる緩和された非決定論の立場から人間の意志を考えているんです。
簡単にこの自由意志についての変遷をご説明するならば、
過去において決定(宿命)論者は意志をも自然の法則に従うとみなし、
自由の感は錯覚に過ぎないとし、
非決定(自由)論者は精神の特性を記述するに当たって自由を以って説いてきましたが、
例えばウォルフは意志衝動は表象を生躍しようとする努力と同種のものであって、
努力能力、認識能力に従うものであるとしておりまして、
然るに認識という働きは外部から強制されるものではなく、
したがって意志も外部の強制を受けるものではないと説いているんです。
これとは逆に、スピノザは心理学的意味においては自由は存在しないとし、
自由というものは一方においては最高自律の神性に、
また他方には、
情熱を理知に依って統御するという倫理的理想においてのみ存在するものであるとしているんです。
さらにカントは道徳世界の原理として「実践理性」を重要視いたしまして、
認識世界の原理としての理論理性のようにこれを超感覚的先験原理であるとし、
理性的意志の自律自決を説き、
この理性的自由意志はただ自律的先験的理性原理に依ってのみ決定されると考えているんです。
そして、この自由に依って始めて道徳性は可能であるとしているんです(無上命令)。
しかしながらこの間のレスにも書いたように、経験界における衝動的意志はこの理性的自由意志と区別され、
時間的制約下における経験的具体的意志については自由を説くことはしなかったんです。
即ち、自由とは先験的自由(die transzendentale Freiheit)以外には考えらないとし、
意志決定に関して先立つ状態が内的の表象であるという理由で我々が経験的意志を自由としてしまうならば、
意志の自由はバネを巻けばひとりで運動を断続させるに動く自働機械の自由と変わらないとしているんです。
まあ、これはケトレーによって反論を与えられることになりますがね。
もう少し続くんです。
どうかしましたか?
974THE グル :2005/08/26(金) 20:53:17
>>899
いいですか、
さて、
ケトレーはカントの経験世界における自由の考え方を統計的に否定しているんです。
それは人間の行為の中で最も自由と考えられる行為として、
結婚、犯罪、自殺などを大量な数の客観的観察による統計的な処理をし、
その結果を見たときにそれらが常に人口に対して一定の比率を保っていたことを初めて精密に指摘し、
これによって意志の自由を否定いたしました。
(Quetelet:Sur la statistique moral etc.,mem. de l'Acad. roy.deBelgique,t.21,1848年)
しかもこの結果は毎年驚くほど正確に繰り返されており、
さらに気候、季節、性別、年齢、教育、職業などの変数との関わりにおいても、
ほとんど一定の数字を見出すことが出来ることを証明してみせたんです。
(国家に財政予算があるように、犯罪予算もまた成立する。)
しかしながら、ヴントはこれらの統計的数字に関しては、
各々の内的原因についての言及が不確かであるため、
外部関係が意志に影響するという立証であるというところまでに止めたんです。
これは即ち、
外部からの影響は意志の動機を形作るがその真の原因(Ursache)は性格の内に潜むものであって、
性格における心的因果の連続は個人意識の心理学的進化条件の無限の系列と関わるものであるため、
ほとんど不可知なものであるとしているんです。
そしてこの性格が発達するにつれて意志はますます精神的因果必然性の様相を呈し、
その結果性格はますます安定していくことになる。
つまり、
意志自由の概念は自己の動機選択に伴う主観的自由の感に発するものであって、
意志は決して心的因果を脱したものではないということなんです。
ですから、
>多分、「意思が自然法則に従ってないと思ってるだけ」と答えられて終わりです
>非合理的行動の例も「それもまた合理的に動いている」と答えられる
などという瑣末な回答を例え相手の方がされても、
そうした次元に論ずるものではないことが分かるんです。
どうかしましたか?
975考える名無しさん:2005/08/26(金) 23:28:42
>>965
だから、その定義は>>956の線上のどこを採るかでしかないわけで、
まったくもって恣意的にならざるを得ないだろう。
   (つまり、拠って立つスタンス・思想・価値観に合わせて必要なレベルで区切ってしまえばいいw)
この話題の時にはここにしましょうw という話者間の共通理解をとるしかないでしょう。

脳死・臓器移植問題の死の基準なんてまさにそれなんじゃないですか?
976NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/26(金) 23:37:45
自由意志は、
正しいと思う事の選択。

あえてそれに反する時もあるけど、反しても大丈夫なものまでしか選択できない。
977考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:14:40
>>976
自殺した人は自殺するのが大丈夫なんですか???
978考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:17:05
俺が自由意志に否定的な理由。

1.自由意志を肯定するためには、未来に対する選択肢がなければならない。

2.しかし、その選択肢の間に主観的な優先順位を付けることができ、最も
  優先度の高い選択肢がただ1つならば、その選択肢が必然的に選ばれる
  はずである。これは意識的選択においても決定性が存在すると解釈でき
  る。

3.したがって、自由意志を認めるには優先度に差のない複数の選択肢が同
  率一位となる状況を想定し、その上で確率的偶然ではなく意識的選択に
  よってただ1つの選択肢を有意なものとして選ぶことができなければな
  らない。しかし有意なものを選ぶ前提となる優先順位の存在はすでに否
  定されているから、このような選択ができるとは俺には思えない。
979NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:21:20
>>977
回答用意してあります。
自殺は死で解放されるとか思ってるんじゃないのか。
自殺者じゃないからよく分からないけどね。
980考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:23:33
>>978
泣く泣く家業を継いでいる俺の立場は・・・・  orz







『主観的』優先順位ではないな
まさに、選ばされている感じだ・・・w
981考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:24:07
>>979
「大丈夫」ってのは、主観的にOKって意味なんですか???
982NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:30:45
>>978
そこまで規律する事もなかろうかと。
好きだ嫌いだ正しい正しくない。で判断していくのは、
(外部で)決定的とも言えるけど、
納得するんならやっぱり内部決定的なのでは?
納得しない時もあるし、する時でもそれが感じに過ぎないと言われそうですが。
983考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:32:26
選択の際の基準(強制要素)は
道徳とか正しさとかで単純に規定されるのでなく、多様な要因・条件の複合的結果であり
場合によっては不道徳で非倫理的で正しくない選択も当然なされるであろう。

その意味で極論すれば、
全ての選択は
『過去に自分の中に積まれた経験や記憶と、
現在置かれている環境・状況に規定されるものでありそこに自由はない。』
という主張はもっともなものであろう。
984NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:33:06
>>981
そうです。何か問題でも?
985考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:38:52
人間は生物という名の複雑なロボット
ただそれだけの事
986考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:40:01
>>984
とつぜん、行動の妥当性に関する基準をawarenessとして出されても。

つまり、たとえば夢遊病者で、夢遊病中に事故で死んでしまった人はどうなるんでしょう???
987考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:43:15
>>986
この世に要らない存在だったからだろ
988考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:48:24
>>987
そりゃ誰が判断するんですか?
989NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:48:58
>>986
夢遊病が現実なんでしょ。当人にとっては。
そもそも、宇宙人が実験で観察してるのがこの世界というのを否定できるんですか?
その宇宙人から見たら夢遊病も正常者も大差ないかも。
例えば見慣れない外人が皆同じ顔に見えるとか。

でも、事故っていうのと意思はどう繋がってんの?
990考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:51:53
>>989
その宇宙人ってのは神様とどうちがうんですか???
超越的かつ主観的な観察者からみて妥当…ってんじゃ、確認のしようがないと思うんですが。
991考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:52:24
>>988
でなきゃ、それこそ天寿って奴だ(藁
992NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 01:02:02
>>990
>夢遊病者も正常者も大差ないかも
って事が言いたかっただけで例えたんですが。
夢遊している最中でも当人にとっては主観が感じる現実があると思う。
寝てる時、まさに夢を見るでしょ。

で、事故と意思はどう繋がってるの?
「事故で死んだ」って意思とは関係があるのか分かりません。
993SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/08/27(土) 01:15:06
>>926
選択の自由はこの世に存在していません。選択している自由感ならありますが。
日常的な意味であれば、意識は選択していない瞬間はありません。
常に選択の連続であり、それが意識の流れになっています。
グラスの中で揺れる水のように、外部から作用がない限り、
時と共に決定論的に波打つことしかできません。

選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。

選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
非決定論です。 非決定論の世界では自由意志が妨害されます。

自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要です。

なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
994SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/08/27(土) 01:16:33
>>952
自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。

未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。

哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
995考える名無しさん:2005/08/27(土) 01:18:18
一からレス書き起こすのがメンドくて一言一句変わらんコピペですますく
らいなら、いいかげんスルーでも覚えろや
996SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/08/27(土) 01:21:11
>>995
常連ばかりとは限りませんから。というか、こんなスレに常連がいるのでしょうか。
997SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/08/27(土) 01:23:55
>>976
決定論的に、自分が望む選択をしてしまうだけです。それ以外を選択することは不可能です。
998SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/08/27(土) 01:24:40
>>985
そうなんですけどね。
999NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 01:26:11
>>994
「過去を見ている」のと「認識された対象が自分が認識した時点より先にいる」は同意。
でもね、少なくとも「自分が見たもの自体(過去の対象のイメージ)」よりも「自分は先にいる」のでは?
1000SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/08/27(土) 01:26:19
>>978
至言ですね。
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